戦国ちょっと悪い話12

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1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話11
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246682726/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話11
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246459446

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/08/01(土) 08:45:09 ID:7lHpCkbQ
>>1殿、かたじけない
一番槍にござる!
3人間七七四年:2009/08/01(土) 10:00:57 ID:4mfAg9lG
   _
   /;;;人
.  /;;/ハヽヽ  わしは>>1乙など
 /;;ノ´・ω・)ゞ 言いとうなかった!
 /////yミミ
   しωJ
4人間七七四年:2009/08/02(日) 04:12:34 ID:xBe0wTna
前スレ>>1000、兼続の妨害見事!
流石は久秀…だよな?

そして>>1乙!
5人間七七四年:2009/08/02(日) 04:48:21 ID:umubKHVF
>>1松!市松!
6人間七七四年:2009/08/02(日) 10:50:57 ID:f4wxpG0A
>>1
縄張りお疲れ様です。
一服いかかですかな?
皆様もご一緒に…。                         。
  ∧ ∧                               (ハハ)
 ( ´・ω・)                             (ヮl` ) 
 ( つ旦O                            O旦⊂ヽ
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦    (_(_つ
      濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 日当山一のちゃのみ

                            ;; コポ
       旦   旦   旦    旦    旦 コポ 旦       旦
       生茶  雑巾汁 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶  髭茶


       旦   旦   旦     旦    旦   旦    旦
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯 
7人間七七四年:2009/08/02(日) 11:12:21 ID:KfSOWtr+
  /i (~) iヽ
 《 ヾ⌒ソ /
.  {ヽ,二,,ノ}   いい話スレのみならず、ここでもウランが手に入るとは
∠(´●ω・´)ゝ ;;   これぞ吉兆に違いあるまい。
  (:::::::::::::::)  旦   これでアレを開発し幕府転ぷ(ry
   しωJ
8人間七七四年:2009/08/02(日) 11:45:19 ID:EK7nXbwY
スレ立て乙。新スレ記念に地味だけど悪い話を。

1599年のこと。徳川家康は9月9日の重陽の節句に秀頼に賀意を述べるという
名目で大坂城に入り、そのまま居座るという計画を立てた。
しかし賀意を表するだけなら、あまり多数の兵を連れて行くことは出来ない。
そこで家康はある謀略を考えた。自分の暗殺を企てている者がいるという噂を流し、
それを理由に多数の兵を連れて行くのである。
問題は誰が企てたことにするかである。本多正信とも相談して選んだのは、
秀頼の側近大野治長と土方雄久の2名だった。

「さっそく噂を流せ。後は尾ひれがついて、わしのところに御注進が来るわ」

しばらくして、五奉行の増田長盛が家康のところにやってきた。いかにも
深刻そうな顔で言う。
「内府様に異心を持つ(命を狙う)者がいると……」
「な、なんじゃってー(棒)。誰がそのようなことを……」

「それ流したの俺」とは言えないので、こちらもせいぜい深刻そうな顔で尋ねた。
「大野修理(治長)と土方河内守(雄久)……」「うむうむ」
「さらに前田侍従(利長)……」「なに、あの若造が?(尾ひれついたなあ。
まあ丁度いいわい)」
「……そして、浅野弾正(長政)」「うむう、えっ?」( ゚д゚)

これには家康も驚いた。浅野長政は親家康派であり、家康と対立する五奉行の
石田三成とは犬猿の仲として知られていたからである。

この後、家康は兵を揃えて大坂城に入り、4人の“首謀者”に罰を言い渡した。
長政は甲斐で謹慎で、翌年の関ヶ原に東軍として参加するまで続いた。
まったくの冤罪で罰を与えることになった長政に対して、家康がどんな心持ちで
あったかは記録に残されていない。長政にとってはとんだ災難であろう。

噂というものは、当事者にも思いもよらない形に変化していくものである。
いまネットで流れている様々な情報も、発信元の意図とは別のものに変質した
後かもしれない。
必要なときは情報の真偽を確かめよう!m9(`・ω・´)
9人間七七四年:2009/08/02(日) 12:03:36 ID:zw8CrEdn
>>36なら三斎様、三十六歌仙完成
10人間七七四年:2009/08/02(日) 12:18:59 ID:VQv0E4Z5
>>8
これって逸話じゃなくて、司馬遼太郎の創作じゃないかな?
11人間七七四年:2009/08/02(日) 12:47:51 ID:Gj34Pt45
>>7
企みの前にまず下をしまえw
12人間七七四年:2009/08/02(日) 13:15:06 ID:GRX6ZnCr
>>9
完成させる気ないだろw

>>7
さすが伊達男の政宗公、ウランガラスに興味を示されるなんて!
13人間七七四年:2009/08/02(日) 13:39:25 ID:gBBcEiP6
>>8
しかしこれ、家康が浅野長政に『私たちが企み申した』と声を上げさせれば、
家康としては前田・大野・土方も共犯として処罰できるから、浅野の名が挙がったのは嬉しい誤算だったんじゃね?
14人間七七四年:2009/08/02(日) 14:00:24 ID:f4wxpG0A
>>9
>>12
>>100なら三斎様、百人一首完成
15人間七七四年:2009/08/02(日) 14:05:29 ID:TuQD8RQs
失敗には死を持って報いるべきではなかろうか
16人間七七四年:2009/08/02(日) 15:05:22 ID:79pbTCIl
だがちょっと待って欲しい
失敗には死を持って報いるべきではなかろうか
17人間七七四年:2009/08/02(日) 16:54:31 ID:Obor3e72
夏なのでオカルトチックな話を一つ

豊後国佐伯藩初代、毛利(森)高政と千手観音

ある日、毛利家菩提寺である養賢寺に、ご本尊とし千手観音像が運び込まれた
この像は、かつてこの地を収めていた佐伯氏の竜護寺から運んできた像であった

運び込まれた翌朝、寺の和尚様がお勤めの為本堂へ行くと、仏壇に置いた観音像が無い
辺りを見回してみると、観音像は今にも這い出しそうな格好でうつぶせに倒れていた
和尚様は小僧達を呼びつけ、「こんな悪戯をしたのは誰か!「」と叱ったが、
小僧達は「大事な観音さまに悪戯などどうして出来ましょうか。それにこんな重い像は動かす事など出来ません!」と容疑を否認

ところが翌朝も、その次の朝も観音像は毎回同じように、仏壇から降りうつぶせで倒れる日が続いた
堪忍袋の緒が切れた和尚様、絶対犯人捕まえてやる!と七日目の夜に本堂へ泊り込み寝ずの番をする事にした
が、ふと気が緩んで一眠りしてしまった和尚様が眼を開けると、やはり観音像はいつものように倒れていた

これに恐れをなした和尚様は、この事を藩主高政へ報告
高政は家臣共を集め話し合ったがどうにも分からない。なので祈祷師を呼んで占ってもらうこ事になった
早速呼ばれた祈祷師に像に手を合わせ念じてみた所、祈祷師が高政へこう言った
「殿、この観音様は竜護寺へ帰りたいと申しておりますが・・・」

これを聞いた高政が家臣に意見を問いた所
「帰りたがっている観音様を無理に留め置くのもいかがなものかと。当家にどんな災いが降りかかるやも知れませぬ」
と、一同ビビリモード。しかし像を手放したくなかったのか高政は
「では、竜護寺が見える和田の坂に新たにお堂を築きそこへ安置してやろう。さすれば観音様も慰められよう」

しばらくの後、出来上がったお堂へ観音像を安置したのもつかの間、やはり像は竜護寺の方角へ倒れた
これを聞いた高政大いに怒り
「大事にしてやってんのに毎回毎回勝手に倒れやがって!佐伯の土地も民もワシの物じゃ!観音様だけが何故ワシの言う事を聞けぬのか!」
と、観音像の頭をペシペシ叩いた挙句、「腕なんて二本あれば充分じゃ!千手なぞ不都合千万!」と残りの腕をポキポキと折る始末
そして「そんなに竜護寺に帰りたければ勝手に帰っちまえ!」と、像を和田の坂から近くの番匠川へ放り投げてしまった

人々は皆高政の行いにあっけにとられつつも川へ投げ込まれた観音像を見守っていたが、
観音像は川の流れに逆らい川上へと上り始め、竜護寺目指し泳いでいってしまったという。。。
18人間七七四年:2009/08/02(日) 17:11:47 ID:vSzm39zx
>>13
むしろ逆じゃないかなぁ。
それをやってしまえば、親家康派である浅野長政必然的に厳しく処罰しないといけなくなり、
豊臣家中枢におけるパイプを自らの手で潰してしまう事になるし、おまけに徳川家中では
「上様と親しい浅野殿ですらこうなら他の大名衆も」と、大いに警戒する事になるわけだから。
19人間七七四年:2009/08/02(日) 17:14:08 ID:OqjJllgV
千手観音、竜護寺を守護するため、和田の坂より泳いで参った!!!
20人間七七四年:2009/08/02(日) 17:20:54 ID:J4xBAOuw
逆ギレもいいとこだなw
21人間七七四年:2009/08/02(日) 17:38:47 ID:tkFTXj74
>>17
佐伯氏の寺からかっぱらわれ、頭叩かれ腕を折られた挙げ句投げ捨てられた観音様カワイソス

この観音像、その後腕を修復されて今も竜護寺に安置されてるんだよね
22人間七七四年:2009/08/02(日) 17:44:13 ID:e+yEzL2o
え?祟りとか無し?
流石観音様、人が出来てる。
23人間七七四年:2009/08/02(日) 17:46:31 ID:OqjJllgV
>>22
人じゃ那須ww
24人間七七四年:2009/08/02(日) 17:48:12 ID:J4xBAOuw
救いの手を差し伸べる事はしなかったのかもしれない
25人間七七四年:2009/08/02(日) 19:28:14 ID:/vQ9qy8V
差し伸べる手を折られちゃったもんな
26人間七七四年:2009/08/02(日) 19:58:00 ID:CXZ50Eep
>>8
大坂城は豊家だけのモノじゃないンです……ッッ!
もっと自信を持って西の丸くらい明け渡せばいいじゃないですかッッッ!

と主張したんですね(エー
27人間七七四年:2009/08/02(日) 21:09:36 ID:bpbAx+TZ
>>17
まあ、竜護寺は佐伯家の祖先である蛇神・姥岳大名神の遺骸が供養されてるって
言われてた寺だからな。そのくらいの怪異は起こるだろw

現在の竜護寺は寂れ放題でやばいんだよなあ。佐伯市は佐伯家が建てた建造物は
ほとんど管理されてない・・・
28人間七七四年:2009/08/02(日) 21:15:23 ID:OqjJllgV
さえきんのそういった風潮は嘆かわしいですなあ
29人間七七四年:2009/08/02(日) 21:56:07 ID:NuOHvFNZ
>>27
>佐伯市は佐伯家が建てた建造物はほとんど管理されてない…
栂牟礼城の方は殆ど整備されてないんだっけか?
惟定系(伊勢安濃津)とか緒方洪庵系(備中足守)とか
現存する子孫の方々は豊後との関わりは希薄だろうしね…
30人間七七四年:2009/08/02(日) 23:46:03 ID:VQv0E4Z5
徳川秀忠の御前において、「嬉しいことは忘れやすいのに、悲しいことはいつまでも忘れない。
これはどういうことなのだろう?」と言う話題が出た事があった。
それに秀忠はこう答えたと言う

「嬉しい事と言うのは、陽気だから浮いてしまい、そのまま外に出て行ってしまう。

だが、悲しい事は陰気だから沈んで、体の中にどんどん積もって行ってしまう。
だから忘れることがないのだよ。」

秀忠も人生において多くの悲しみを、その中に積み重ねていったことであろう。
そんな徳川秀忠の、嬉しさではなく、悲しさを積み重ねるのが、人間の業である。と言う考察。
31人間七七四年:2009/08/02(日) 23:58:19 ID:MWs+1STJ
ある時、土井利勝と大久保彦左衛門が一緒に酒を飲んだ。
その時に利勝は自分の馬を彦左に見せた。

土井「どうですか彦左殿。立派な馬でしょう」

彦左「うむ、忠義の馬じゃ」

土井「どういう意味ですかな?」

彦左「大坂の陣でビビッたお前を乗せて懸命に逃げた忠義の馬じゃ。
   あの時はこの臆病者のためによく頑張ったなあ。よしよし」

土井「……」
32人間七七四年:2009/08/03(月) 00:40:43 ID:vaW8VO3X
彦左うぜえww
33人間七七四年:2009/08/03(月) 00:43:04 ID:gu+n5f2Q
こういう性格だから出世出来なかったのか、
出世出来なかったからこういう性格になったのか。
本当ヤな奴だな、彦左。
34人間七七四年:2009/08/03(月) 00:58:53 ID:fHgzxxVw
利勝「下々の不満をそらし、上様の度量を見せるには
    こういう生物も一匹は要るものなのでござるよ」
35人間七七四年:2009/08/03(月) 01:12:00 ID:uWBftey6
彦左衛門にも出世の糸口はあったんだよ。
甥が藩主をやっていた一万石の大久保分家が無視断絶になる事になったので、
幕府から「継承するか?というより継承しろ!」と命令が来たのを、
「戦での恩賞ではない」といって蹴った事がある。
36人間七七四年:2009/08/03(月) 01:20:53 ID:itvA4c8m
めんどくさい三河武士は泰平の世では生きていけんのか…
37人間七七四年:2009/08/03(月) 01:33:08 ID:NBcOcrWW
>>35
それもヒドイ話だよな。
家や藩ってのは会社みたいなものだから、潰れれば様々な人の生活を奪うことになる。
分家の人たちからしたらたまったもんじゃない。
38人間七七四年:2009/08/03(月) 01:44:45 ID:pMzz3BYf
一端、継承して甥の遠縁の者を養子にして譲り渡せば藩を救えて
「戦での恩賞ではない」という自分の意地も通せたのに・・
39俺もボケてきたか:2009/08/03(月) 01:49:58 ID:pMzz3BYf
 誤:一端→正:一旦
40人間七七四年:2009/08/03(月) 04:13:32 ID:lgXHhxKU
めんどくさいけど……彦佐かっけぇ
41人間七七四年:2009/08/03(月) 05:08:15 ID:Mu0cBssY
自己中
42人間七七四年:2009/08/03(月) 09:21:08 ID:GI32n0G5
逆文化財クラッシュ

利休七哲の一人、芝山監物が一休宗純の書を手に入れた。
茶道の祖とされる村田珠光が表装しており、間違いなく一級品だった。
ところが、
「長すぎて床の間に飾れん・・・!」

困った監物は、蒲生氏郷と細川忠興を通じて、千利休に表装の直しを依頼した。
しかし、利休は言った。
「茶祖が表装した名道具を、私たちがイジるなんてとんでもないことです。
一切直しちゃいけません。」(能キ物ヲ悪クナス事、我等成ラズ候)

「でも宗匠、それじゃ床の間に掛けられないですよ。」
「? 茶室を建て直して、天井を高くすればいいじゃない。」
「え、掛け軸のために茶室を造り直すんですか?!」
「いい物のためです。当然です。」
「で、でも・・・」
「何か不都合でも?」
「・・・・・・」

この茶聖様の考えが元で、茶室の天井はその四畳半以下の広さに反して
高く造るようになったそうな。
43人間七七四年:2009/08/03(月) 10:09:18 ID:nZ+17lUA
この成金が!
44人間七七四年:2009/08/03(月) 10:24:03 ID:pgl7m05X
>>22
人じゃネーヨw
45人間七七四年:2009/08/03(月) 14:14:48 ID:twIW67ks
>>42
伊達DQ宗とか、古田げひべに頼まなくて良かったなw
46人間七七四年:2009/08/03(月) 14:18:55 ID:LZVhIEHx
戦国の衆道に関するチョイと悪い話を聞かせてくれないか?
47人間七七四年:2009/08/03(月) 14:46:36 ID:Zv3+bMgR
>>46
ナッちゃんは知識量はあるって聞いたことあるんだけど、まずそれを
公共の用に供するべきでね?
ていうかあんたの持ち駒晒してもらわんとそればっか調べてる人が
知らない逸話を知ってるかどうかなんて判断できん
さあ投下しろどんどん投下しろ
48人間七七四年:2009/08/03(月) 14:54:01 ID:3c9N94jW
>>46-47
氏ね
49人間七七四年:2009/08/03(月) 18:10:57 ID:XEjfHJRa
>>48
何故だ?
50人間七七四年:2009/08/03(月) 18:36:26 ID:pElpO10U
前スレでも同じレスしてる荒らしとわざわざそれに構ってるから

おかげでいい話スレの方はスレに関係ないそっちの話ばっかで
ろくに逸話出てないのにレス数がこのスレとそう変わらんという
おかしな流れになってる
51人間七七四年:2009/08/03(月) 18:40:43 ID:Zv3+bMgR
>>50
ナッちゃんにくだらないマルチレスしか能がないのは知ってるけどさー
知識はあるとか誰かが書き込んでんの見かけたけど俺はその片りんすら見たことねー
でもほんとに知識があるんだったらこのスレに書き込んでもらえたら色々読めて面白いじゃん
議論はしたくない相手だけどここ別に議論するスレじゃないし
52人間七七四年:2009/08/03(月) 18:49:18 ID:Mop5MjMM
だからそんなにそういう話がしたけりゃ
別にスレ立ててやってくれ
そういう話を不快に思う健全な人たちのことを思いやってくれ
53人間七七四年:2009/08/03(月) 19:16:50 ID:Zv3+bMgR
ええーそんな極論されても…俺はなんでも読みたいだけなのにー( ・3・)
まあだからって話題がしばらく衆道一色になってもそれはそれで困るんで俺はもうやめとくわ
ゴメンネ!
54人間七七四年:2009/08/03(月) 19:41:44 ID:1BFmjBnH
>この茶聖様の考えが元で、茶室の天井はその四畳半以下の広さに反して
 高く造るようになったそうな。
もしかしなくても今でも?そうだったら凄いな
ずっと昔から受け継がれてるって素敵なことだよね
55人間七七四年:2009/08/03(月) 21:24:26 ID:iH9wCiXy
ある時、徳川家康が、皆川老甫を叱り付けた事があった。
この時家康、よほど腹が立ったのか

「お前は小田原陣のおり、小田原城の矢窓をくぐって逃げたくせに!」

と、罵った。

これに老甫、キレた。

「これは迷惑な仰せでござる!誰のせいでそんな事する羽目になったと思ってるんですか!?
あの時私が小田原城に入ったのは、講和交渉のためなんですよ!
その交渉している最中に、当の講和相手の御前様たちが攻撃を始めちゃって、そりゃもう
北条方から見れば我々は、騙し討ちをするために派遣された連中ですよ!
おかげで矢窓をくぐって、小田原城から逃げ出す羽目になりました!」

これには家康、流石に一言も無かったそうである。
56人間七七四年:2009/08/03(月) 21:29:24 ID:rZphauOh
ほんの小ネタ。

山本又助という足軽が山道を歩いていると、足下にヤマカガシがいたのでとっさに飛び退いた。
だが飛び退いた先に別の蛇がおり、ふくらはぎを咬まれてしまった。
驚いて今度は前に飛び退くと、最初のヤマカガシに咬まれてしまった。

こんな記録が何百年も残っている、又助さんの気の毒な話。
57人間七七四年:2009/08/03(月) 21:31:43 ID:4pLG4aqQ
>>55>>56
スレタイ通り、「ちょっと」悪い話だねw
しかし、ヤマカガシの毒が回らなくてよかった・・
58人間七七四年:2009/08/03(月) 21:41:09 ID:iH9bC8w3
>>56
何で記録が残ってるんだよw
59人間七七四年:2009/08/03(月) 23:13:04 ID:nZ+17lUA
なんかことわざになりそうな出来事だなw
60人間七七四年:2009/08/03(月) 23:19:55 ID:PsNaNhGN
結論
蛇に噛まれるくらいなら食え
61人間七七四年:2009/08/03(月) 23:20:14 ID:BkkL1fNf
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『おれは山道でヤマカガシに噛まれたと
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        思ったらいつのまにか歴史に名前が残っていた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何をされたのかわからなかった…
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    文書記録だとか口頭伝承だとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
62人間七七四年:2009/08/03(月) 23:33:06 ID:twIW67ks
>>56
これが鬼武蔵だと、二匹とも喰っちまってるんだろうなぁw
63人間七七四年:2009/08/03(月) 23:40:25 ID:0hDaMHjt
※蛇を生食するのはガチで危険なので止めましょう
64人間七七四年:2009/08/04(火) 01:27:22 ID:Cz5gpdyg
そうそう、食べるならまともなモン食べようぜ!

ある日、坂崎出羽守直盛が客に鯉を料理して歓待した。
「いや、美味かった!申し訳ないが、この鯉の頭を吸い物にしてもらえぬだろうか?」

直盛は客の求めに応じ、吸い物を作るよう命じたが、待てど暮らせど吸い物が出てこない。
それもそのはず、しびれを切らした直盛が台所に行ってみると、鯉の頭は料理人が
煮て食べてしまっていた。



しばらくして、直盛が座に戻って来た。
「いやー、お待たせ致した!実は鯉の頭を料理人が食ってしもうたゆえ、
その者の頭を持って参りました!どうぞ、これを肴にして下され。」
65人間七七四年:2009/08/04(火) 01:30:51 ID:ESa+2AQ9
食えるかw

だが料理人も論外
66人間七七四年:2009/08/04(火) 01:33:42 ID:QXbN+jJc
マジキチwww
67人間七七四年:2009/08/04(火) 01:36:02 ID:Y8OCoR5h
68人間七七四年:2009/08/04(火) 02:10:34 ID:zRM1Cri9
>>56
 さらに「心がけが悪いからこうなった」と評されトドメをさされる山本さん…
 雑兵物語に掲載されているので一度お読みになって見ては。
69人間七七四年:2009/08/04(火) 05:34:29 ID:XCU4JVEn
>>64-65
鬼武蔵が客だったら普通に食ってそうだが、このときはすでに故人w
70人間七七四年:2009/08/04(火) 08:44:22 ID:Bw45f1Hb
>>64惜しいな既出

坂崎DQNぷりを知るにはいい逸話だけんども
7164:2009/08/04(火) 09:58:27 ID:Cz5gpdyg
ありゃ、申し訳ない!おわびに別の意味でギリギリなネタを…


美人陰有水仙花香

楚台応望更応攀     楚台まさに望むべく更にまさに攀じるべし
半夜玉床愁夢顔     半夜の玉床に愁夢の顔
花綻一茎梅樹下     花は綻ぶ一茎梅樹の下
凌波仙子纏腰間     凌波仙子は腰間に纏う

一休宗純

楚王の台(後宮=女性のこと)は眺めるべきであり、かつ攀じ登るべきである。
夜半、豪華な寝台に美女の愁い顔がある(オマエならどうする?)。
花(美女)は梅の木(男性の隠語)の下にある一茎で綻んだ。
美女は仙女となり、わが腰のあたりに纏わりついている。

一休さん作の漢詩。
文明年間始めごろの作というから、七十歳前後で美女と○○○○の詩ですかそうですか

もう一つ有名な漢詩に「吸美人婬水」なんてのもあるけど、こっちはもうタイトルからして
露骨過ぎて…
72人間七七四年:2009/08/04(火) 11:44:13 ID:CzOGjTEP
日本人は大昔からエロ魔人過ぎる…
73人間七七四年:2009/08/04(火) 11:49:30 ID:bjayPR3n
死にとうない
74人間七七四年:2009/08/04(火) 11:52:34 ID:bjayPR3n
和尚がなくなったとき、森侍者は20代だっけ?
75人間七七四年:2009/08/04(火) 11:56:16 ID:VAU6y5Bm
ここまでくると生臭いどうこうの問題ではないなw
76人間七七四年:2009/08/04(火) 12:11:40 ID:Y8OCoR5h
一休禅師はうんざりするような露悪趣味と偽悪趣味、そしてちょっと困ったことがあるとすぐ
「絶望した!俺死ぬわ!」と言い出して周りを慌てさせ自分の望みを達成させると言う、
死ぬ死ぬ詐欺の常習者で、研究者には「一休だけは好きになれない」という人も多いが、
そんな人ゆえに、彼には普遍性があるんだよなあ。
77人間七七四年:2009/08/04(火) 12:37:03 ID:zRM1Cri9
>>76
立川談志と絶望先生を合体させた人格だったんだな
78人間七七四年:2009/08/04(火) 12:37:35 ID:zyBpZBen
ちょっと悲しくなるお話

三好長慶は飯盛城で連歌の会をひらいていた
その会の最中、誰かが
「すすきにまじる芦の一むら」
と詠んだのだが、これになかなか後をつけられるものがいなかった
すると長慶がおもむろに
「古沼の浅きかたより野となりて」
と詠んだ
これは絶賛された
誰もがその歌に隠された長慶の思いを汲んだ
すすきにまじる芦の一むらのようなすでに場違いな存在の己は
やがて全てが芦の野となりゆく世におるのだ
長慶はそう詠んだのだ

永禄4年十河一存が、
そしてこの年三好義賢が、
さらにこれから先には三好義興が、
長慶の前から消えていき
三好の実権は梟雄の手に渡っていった
そんな永禄五年の三月の話である
79人間七七四年:2009/08/04(火) 12:44:54 ID:HChdK9V0
日本人が格別エロ魔人というわけでもなかろう。
中国を例にとれば皇帝に陛下だけ美女を多数集め
てるのは不公平だとねじこんで美少年30人を集め
たハーレムを作ってもらった公主(姫様)とかい
るし、古典読んでもあなたの靴をくださいと女に
土下座してせがむ男の話とかあるしな。


80人間七七四年:2009/08/04(火) 12:59:00 ID:OG/dByFW
纏足か
わざわざ子供の頃に折って大きくならないようにするんだよな
金瓶梅かなんかで初めて読んだな
81人間七七四年:2009/08/04(火) 12:59:54 ID:XWsY+65J
>>78
己が没落して行く運命を見事に描写した素晴らしい歌だ!

って絶賛されてもなぁ・・・
82人間七七四年:2009/08/04(火) 14:13:31 ID:VAU6y5Bm
纏足は調べてみると諸説あるようだが、もっとも信憑性がある説は北宋あたりからだったか。
それまでは外国人の記録にもなく、また、本に載っている場合も後代に作られた本によるケースが多いようだ。
83人間七七四年:2009/08/04(火) 18:15:17 ID:udyLFffK
>>78
句が逆じゃね?
84人間七七四年:2009/08/04(火) 18:37:44 ID:oBSuYTot
>>83
連歌のやり方でいえば、あれで正解。
85人間七七四年:2009/08/04(火) 18:53:58 ID:u/acKBYS
>>82
五代の南唐ではやって、それが征服された時に北宋に導入されて流行定着した、と聞いた
86人間七七四年:2009/08/04(火) 19:12:20 ID:XCU4JVEn
>>78
>>81
松永長頼の兄「流石は我が殿。風流人ですなぁ」
87※訳文は転載文:2009/08/04(火) 22:37:30 ID:ESa+2AQ9
鬼武蔵の妹にして森忠政の姉、うめ(宝泉院)に大徳寺三玄院から送られた活下火の言葉。(俗世を捨て、僧籍に入る時に贈られるもの)
それの簡潔な現代語訳から彼女の人間性というのもが少し垣間見える。

>秋の鶯が鳴いて郷(さと)還りの曲を歌い、彼女の閨(ねや)での夢は終わった。
>桂岩宗昌大禅定尼は女丈夫で、才女である。
>頭が良くて発想が自由。だから彼女は仏教の修行女ですら下人として使う。
>信仰心が高い。だから、彼女は總持(総持院 別格本山)の尼ですら輿舁(こしか)きとして使う。
>俗世の枷鎖(かさ)を断ち切り、善業のためならば財貨も擲(なげう)つ。
>五障の障害なんて、彼女にとっては朱槿の花の上の朝露のよう
>三従の障害なんて、彼女にとっては、青い苔の上に降る夜雨のよう
>地獄の煮えたぎる湯も、熱い炉もひと蹴りで倒してしまう。地獄の剣樹も刀山も、一撃で砕いてしまう。
>こんなことができようか。これは桂岩宗昌大禅定尼こそができること。
>人が熱中するお金や功名には妄執せずに、彼女は今すみやかに家(墓場)に帰って穏やかに座す。
>はっきりと云いましょう、彼女は火中に沢山に開くハスの華のように素晴らしい。

もはや説明不要。
木下勝俊も相当扱いに困っていたはずである。
88人間七七四年:2009/08/04(火) 22:41:20 ID:pR5oT2TK
ほめごろし・・?
89人間七七四年:2009/08/04(火) 23:13:15 ID:/7zPEaTy
要するに、あの兄にしてこの妹あり、この姉にしてあの弟あり、という事か。
90人間七七四年:2009/08/04(火) 23:15:14 ID:NSO+5ePp
>>87
え〜と、要するに
「さすがうめ様、俺達にできないことを平然とやってのける、が、
  別に痺れないし憧れもしない」
って感じ?
91人間七七四年:2009/08/04(火) 23:18:23 ID:xDmwxTPO
森家は女までも過激なのか…
92人間七七四年:2009/08/04(火) 23:19:17 ID:4rAmiF0G
どんだけ濃ゆいんだよ森家の血統は……
93人間七七四年:2009/08/04(火) 23:36:48 ID:rm3pMKWe
可成は普通の人だったんだよな?
なにか遺伝の突然変異が起きたのか…
94人間七七四年:2009/08/04(火) 23:43:10 ID:ESa+2AQ9
こうなると可成の嫁の実家(林)の血統を怪しむところなんだが彼らもよく出来た人物として評判だった。
95人間七七四年:2009/08/04(火) 23:51:13 ID:rqnjVydP
そうなると、ある日、宇宙から森家へ
「ヒャッハー光線(仮称」が降り注いだとしか(違
96人間七七四年:2009/08/05(水) 00:14:20 ID:pY+fMtTU
兄貴が死んで親父が死んでという危機的状況が森家にどう作用したのか…
蘭丸達が生きていたらどんな武将に育ったのだろう。
97人間七七四年:2009/08/05(水) 00:27:21 ID:dLtq/n42
森+林=ヒャッハー
98人間七七四年:2009/08/05(水) 00:47:26 ID:Sbmz+yMu
>>87
日本のスカーレットオハラだな
99人間七七四年:2009/08/05(水) 01:22:11 ID:3NbmY2nt
夫が失領してただの歌詠みになると「政略として得の無くなった婚姻なぞもはや無価値」と言わんばかりに髪を送りつけて
一方的に実家へと帰っていくうめさん男前。
100人間七七四年:2009/08/05(水) 01:26:28 ID:P38O0sf/
森家って実はめっちゃ名家でいいとこだったりするのか?
101人間七七四年:2009/08/05(水) 02:08:28 ID:kW7vfpSF
>>100
織田家中では坂井と張り合ってたとか。結構すげえよな
102人間七七四年:2009/08/05(水) 02:12:17 ID:3NbmY2nt
れっきとした清和源氏ですから
103人間七七四年:2009/08/05(水) 05:45:40 ID:6uQi9kSv
でもよくよく考えたら清和源氏ってヒャッハーな人いっぱい出てる血筋じゃなかったっけ?
104人間七七四年:2009/08/05(水) 06:14:26 ID:sCAs2lIw
某所より

> 58 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2009/08/03(月) 02:37:39.18 ID:OI6Jk7Mo
> 戦国DQN四天王のうち三人が清和源氏なことに全俺が震撼した
>
> 細川忠興 河内源氏
> 森長可  清和源氏なのは知ってたけど今wiki見たら河内源氏だった
> 島津忠恒 
>
> 伊達政宗 藤原氏

> 67 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2009/08/03(月) 17:29:35.41 ID:hXrOAoQo
> >>58
> 政宗にいたっては藤原北家と河内源氏のハイブリッドだしなー。

> 74 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2009/08/04(火) 07:54:45.30 ID:vc83ysoo
> 清清しいのは政宗の正室は初代征夷大将軍なのでかなりの血統なんだよな・・・あの一族
105人間七七四年:2009/08/05(水) 08:08:32 ID:oEz+nhD6
ありゃ、河内源氏って清和源氏の血筋じゃなかったか…と思わんでもない

106人間七七四年:2009/08/05(水) 08:09:43 ID:bJDy6Hum
そう書いてあるだろ…?
107人間七七四年:2009/08/05(水) 10:35:18 ID:V/9L8fBC
慶長5年(1600)7月20日、西軍の伏見城攻めに伴い、大阪にいた伊東祐兵にも出兵が
命じられたが、祐兵は病を理由に兵を出そうとはしなかった。

この事態に西軍の伊東領に近い大名、秋月種長と高橋元種、島津豊久が集まり協議した。
「伊東め、すでに東軍に通じておるのか、病を理由に顔も見せん。この上は一気にヤツの
屋敷に押し寄せ討ち果たすか、それとも何か策をもって招き寄せ、暗殺するべきか。」

「いや、祐兵はこの豊久の親友だ。これから私が伊東の屋敷に行き、何としても対面して
様子を見て来よう。本当に病でやましい所が無ければそれで良し。もし仮病であるならば、
引き立てて参る。同行を拒否しても、私が刺し殺す。簡単なことだ、しばしお待ちあれ。」

祐兵に会った豊久は、その衰弱の様を見て思わず落涙し、しばし語り合った後、言った。
「私は今度の戦で討ち死にを覚悟している。貴殿の容態も望みは薄いようだ。
二人で会うのも、今日限りであろう。ならば、ここで後の世も我ら子孫が兄弟たるべく
契りを交わそうではないか。」

この言葉に祐兵も涙を流し、数えで12歳になる嫡男の祐慶を紹介した上、豊久と誓紙を
交わし、「これで今生の別れだな。」と、また互いに泣いて別れた。
戻った豊久は、
「祐兵に叛意は無い。病も本当で、すでに死相が表れ、もはや頼りない有様だった。」
と報告したので、三人でまた泣き、伊東の裏切りは虚報という事で落着した。

・・・で、実際祐兵はこの年の秋に死亡するが、関ヶ原の際は密かに祐慶を領国に戻して
先の三人のうちの一人、高橋元種の宮崎城を落としている。
伊東側から見れば死病をもタネに島津を欺いたいい話だが、島津から見れば
豊久、オマエ本当に親父と同じ名の男のイトコか、という話。

いや、某マンガ読んだらモリモリ豊久の話が書きたくなったんだが、こんな話しか
見つからなかったんだ、うん・・・
108人間七七四年:2009/08/05(水) 10:43:34 ID:buWA70iC
欺いたと言えば欺いてるがちゃんと島津の方を攻めなかったあたりは守ったと言えないこともないな
109人間七七四年:2009/08/05(水) 12:13:20 ID:TeqfZGZg
>>93可成パパンこそ伊達輝宗みたいな突然変異だったのでは……
110人間七七四年:2009/08/05(水) 12:29:39 ID:ULKvAV9S
>>103-104
まだ定説になるには至ってないんだけど

「清和」源氏といわれるけれど、
どうも本当の直接のご先祖様は清和天皇の息子・陽成天皇じゃないかという説があるそうだ。

ちなみに陽成天皇は平安時代屈指のDQN天皇として知られた人物である・・・
111人間七七四年:2009/08/05(水) 12:44:41 ID:+vngnc7U
そんなん先祖って言ったって間に何人も入ってるのにさあー
…って言いたいところなんだけど細川元首相とか見てると自信なくなってくる
112人間七七四年:2009/08/05(水) 13:10:17 ID:m8goXGMy
>>107
豊久にとっては悪い話になっちゃうけど、
祐兵の覚悟と苦衷は本物だったろうと思いたい・・
113人間七七四年:2009/08/05(水) 17:56:56 ID:LKW/CKNq
>>109
信長に向かって本願寺ぶっつぶしたら乱、坊、力と一緒に極楽浄土に行くぞゴルァと言った母ちゃんに似たとか?
114人間七七四年:2009/08/05(水) 18:18:18 ID:Cbo9fivh
秋月も高橋も寝返って本領安堵されてるし、島津も結局は安堵されるから、
これで伊藤家が滅んでいたら後味の悪い話だな。
115人間七七四年:2009/08/05(水) 18:30:17 ID:SEeYZfTA
そういや中国にも戦乱のたびに雨後の筍の如く侠っぽい人物を輩出する劉氏という一門があったな。
後の世のケースは偶然同じ姓ということもあろうが、魏の史家による『典略』という書の記述に従うと、
秦末の劉邦→新末の劉?→後漢末の劉備と一直線にアレな人の系譜が繋がったりする。
116人間七七四年:2009/08/05(水) 18:47:26 ID:z/ftO4in
劉備は自称中山靖王の末裔じゃなかったっけ
あの時代でも家康ばりに家系図の改竄とかあったと思うけど
117人間七七四年:2009/08/05(水) 19:10:13 ID:oEz+nhD6
>>110
なんせ、陽は煬(隋の煬帝)に通じるぐらいだからなw
118人間七七四年:2009/08/05(水) 19:35:17 ID:cBl16orD
>>108
ただ高橋攻めも祐兵の意志だったのか稲津掃部が如水に言い含められたせいなのか
よくわからんのだよね。
関ヶ原合戦が長引けば稲津掃部が島津攻めに動くのは時間の問題だったかも
119人間七七四年:2009/08/05(水) 19:39:30 ID:K6izyGXj
>>116
あの当時の劉姓なんぞいくらでもあったみたいだからな
それより孫堅が孫臏の子孫っていうほうが圧倒的に怪しいだろ
120人間七七四年:2009/08/05(水) 19:42:21 ID:pY+fMtTU
>>116
中山靖王劉勝は劉邦のひ孫で劉備より300年ほど前の人物だから
称そうと思えば称せるだろうね。
121人間七七四年:2009/08/05(水) 20:11:20 ID:z/ftO4in
>>119
それもひどいねw

>>120
現代でも真田信繁の子孫だとか言い出す輩がいるくらいだから当時は余裕でしょうね
122人間七七四年:2009/08/05(水) 21:05:56 ID:19nLovC+
しかも中山靖王劉勝には120人と言われる子供がいたそうな・・・
横山センセの漫画の三国志で劉備が系図を読み上げられ
零落れていく先祖に涙するシーンがあったけどあんな感じで
後漢の宮廷で保存していた判る範囲までの数代と
(何かの役職に就いていて記録されている身分までのでも)
劉備が述べた〜代前はだれそれで〜職に付いていたって言うのが符合すれば
当時でも少しは信用出来たかもね
123人間七七四年:2009/08/05(水) 22:48:05 ID:SdCw7CEw
姓と本貫が同じなら同族って意識もあったからね。>支那
124人間七七四年:2009/08/05(水) 22:57:27 ID:7QmsIHXg
古代ローマにも氏族制度があったな
結局何処の世界にもその手のはあったんじゃね?
125人間七七四年:2009/08/05(水) 23:04:37 ID:0P0VsYkK
よし!俺も同姓のよしみで畠山義続の子孫を称するぞ!
126人間七七四年:2009/08/06(木) 00:05:21 ID:EH7YjvdN
うちは楠木正成の子孫〜

いや、じっちゃが言ってたから
127人間七七四年:2009/08/06(木) 00:06:07 ID:U5Ti/KB5
ある日のこと、上田宗箇は師匠・古田織部に茶会に誘われた。
「おっ!師匠、陶器の花入を柱に掛けて飾るとか、珍しいですね。しかもその花入、
師匠好みのなかなか瓢げた花入じゃないですか。」

「あ、気づいちゃった?うん、普通は柱には竹の花入を飾るんだけどね。
伊賀焼の職人に作らせた花入が、あんまり気に入っちゃったモンだから、何か変わった
使い方はないかと思って。
見てみて、この人口とは思えない釉薬の肌合い 「それ、ください。」
「やだよ!話聞いてたのかよ!東北のアレと言い、オレの弟子はこんなのばっかりだよ!」

その後も宗箇は花入をねだり続けたが願いは果たせないまま、その年の大晦日。
宗箇のもとに織部からの使者が、届け物を持ってやって来た。
「これは…例の花入!さすが師匠、話がわかるッッ!」
「それについて、織部様から書状を預かっております。」
「どれどれ…」

『……以上、自分の爪を剥がすような思いで、君に花入を譲ります。
あ、気に入らなきゃスグに使いの者に言付けて返してね。……』
(花筒つめをはがし候やうに存じ候…)

「……未練にも程がある、というか…例えが痛すぎるわ!!」

ともかく、もらえる物はもらっておいた宗箇、師匠の妄執が怖くなったか
この花入を『生爪』と名づけ、今に至るまで伊賀焼の最高峰として伝えております。
ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org8638.jpg
128人間七七四年:2009/08/06(木) 00:08:41 ID:n0eLhysS
>ともかく、もらえる物はもらっておいた宗箇、師匠の妄執が怖くなったか
この辺、師匠も師匠なら弟子も弟子
薫陶行き届いているじゃないかw
129人間七七四年:2009/08/06(木) 00:17:13 ID:cICPIonq
千利休「完璧超人の息子と言い、オレの弟子はこんなのばっかりだよ!」
130人間七七四年:2009/08/06(木) 00:30:26 ID:CeUEeQGt
DQNだの鮭だの言って楽しんでんだから、
このスレもスイーツと変わらんな
131人間七七四年:2009/08/06(木) 00:40:33 ID:PbiD7GkN
>>127
ダンスしてるキノコみたいだな>生爪
132人間七七四年:2009/08/06(木) 00:46:35 ID:PtU/t1cE
利休7哲の皆様が(3歳様が特に)哀れみの目でお師匠様をご覧のようです。
133人間七七四年:2009/08/06(木) 00:56:27 ID:93R4JdxX
よーしパパ、主君の知恵伊豆の烙印の子孫を騙っちゃうぞー
134人間七七四年:2009/08/06(木) 01:27:36 ID:O3B5URdS
>>129
山上宗二「それはみ〜んな師匠の弟子ですから。私を含めて物欲だけは強い事強い事。」
135人間七七四年:2009/08/06(木) 01:31:03 ID:/EEKCXX9
>>93
遅レスだが親父も信長の若い頃の参謀として偽手紙を使って敵将を謀殺したり、かと思いきや武闘派として尾張や美濃でヒャッハーしたり相当なモンだったような……
136人間七七四年:2009/08/06(木) 01:38:06 ID:TBB81MB/
今日、出雲大社に行って来たんだけど
そこで聞いた尼子経久のちょっと悪い話

戦国の動乱で寺社が荒れるのは必然のことで出雲の雄、尼子経久による再建が行われる
鎌倉時代の再建から多少の仏教色が出ていたそうだが、経久による再建で境内に三重の塔や鐘楼が建てられもはや神社か寺かわからないカオスな施設に…

その後、江戸時代中頃に宮司がの
「神社に三重の塔とかいらなくね?」
という声により仏教施設は廃棄されることに…

ちなみに、戦国期までの出雲大社は地上48メートルの高層建築だったそうな…
それより以前はさらに巨大だったというから驚きである…
137人間七七四年:2009/08/06(木) 01:40:39 ID:EH7YjvdN
出雲大社はロマンだよなあw
138人間七七四年:2009/08/06(木) 01:48:36 ID:wkDmx2eN
どんなんだw
139人間七七四年:2009/08/06(木) 02:14:48 ID:QBff2Oxt
なんというでかさ
140人間七七四年:2009/08/06(木) 03:19:49 ID:fQMJ+Cyv
俺も去年の本殿特別参観の時に出雲大社へ行って本殿内部と八雲之図を見てきたなぁ。

>>136
48メートルだったのは平安時代らしいよ。さすがにでか過ぎたのか
何度も倒れたり、傾いたりしたので鎌倉時代あたりから縮小されていったらしい。
まあ、これじゃぶっ倒れるのも無理は無いがw
ttp://inoues.net/mystery/izumo_nazo.html
141人間七七四年:2009/08/06(木) 04:27:38 ID:nri18iDP
学校の教科書かなんかで見たなぁ、懐かしい
完成させてしまうあたり無駄に力こもってるよな
142人間七七四年:2009/08/06(木) 07:07:18 ID:GYJvzWge
>>127
それ、甲
143人間七七四年:2009/08/06(木) 07:35:50 ID:LQBoClJB
出雲大社って神仏に変形するらしいぜ!とか言われてたわけですね
144人間七七四年:2009/08/06(木) 07:47:44 ID:rMBEX8Ty
戦国時代頃だと僧侶が神社を管理しているとか普通だからなぁ
これに限らず神社なんだか寺院なんだかよくわからないところもかなりあったらしい
145人間七七四年:2009/08/06(木) 09:29:40 ID:UvoiFuES
いわゆる神仏習合って奴ですね。
そういうゆる〜いのは大好きだぜ。

そういえば、キリスト教が伝来した当初は新しい仏さんが来たとか思われて宣教師があせったとか何とか。
ちっ、仏様か神様として取り込んじまえば良かったのに。
146人間七七四年:2009/08/06(木) 10:07:27 ID:y0JYEN5k
>>145
隠れキリシタンと呼ばれる人々の場合、
キリスト教を隠すために仏教や神道を隠れ蓑にしてるうち、
どんどん変質しちゃって「隠れキリシタン」って系統の宗教になっちゃったそうだから、
(今でも隠れキリシタンと呼ばれる人たちはいるそうな、当然キリスト教とはちょっと違う)
下手に弾圧しなければそのうちそうなってたような気もする。
もちろん、本流は本流で残しつつ。
147人間七七四年:2009/08/06(木) 10:46:16 ID:/ffjUvoy
大社町内では出雲大社より高いものは不敬に当たるので
それより高い建物が建ってないらしい

もっとも正月以外は田舎だからというのもあるだろうが
148人間七七四年:2009/08/06(木) 10:51:20 ID:7dxo3K8a
>>136
逆にいやあ明治維新から起きた廃仏毀釈が原理主義的すぎたんだよね。
仏教伝来当初はともかく日本の信仰は代々もっとユルくて神仏衆合してたんだしょ。

……出雲大社や伊勢神宮がそれじゃ一寸困るのも分かるけどねw


お大師さんの四国八十八カ所なんて、真言のぺたぺた貼ってある寺とお堂の間に朱の鳥居が並んで狸稲荷があって、平家の慰霊ナントカもあって周りが源平古戦場だったり>屋島寺

寺よりはるかにデカい一ノ宮(神社)と並んでちょこたんと建っていたり>「一宮」寺

ほんまにカオスだわ
149人間七七四年:2009/08/06(木) 10:55:47 ID:FvysZFwv
>>7
超カメレスだけど、石川郡辺りはウラン取れるんじゃなかったっけ?
原爆落とす候補の一つだったって何かで聞いた気がする。
150人間七七四年:2009/08/06(木) 11:14:02 ID:nzdYN5Cl
有名な浅草寺の敷地内にも神社がちょこんとあって
その三社祭で有名な浅草神社が祭ってるご神体はお坊さんだったり
寺と神社が明確に分けられたのが明治だからなんだが、今見るとカオスだな
151136:2009/08/06(木) 12:30:20 ID:TBB81MB/
昨日に引き続き島根を散策してるけど
たたら製鉄や石見銀山など戦国の頃は今の過疎ぶりからは考えられない場所だなって感じです島根

そういや、戦国時代の主要な神社も比叡山や興福寺みたいに武装してたのかな?
宗像大社や諏訪大社なんかは聞くけど…
152人間七七四年:2009/08/06(木) 12:48:01 ID:NezdZhNx
寺社が地域のまとめ役やってた地域なら武装しててもおかしくはないだろうが…
地域によるんじゃね?
ってかそんなに過疎ってんのか…
153人間七七四年:2009/08/06(木) 13:40:25 ID:LQBoClJB
>>146
マリア観音は牛の安産の神様で村の外の人間に見せると祟られるとかいう感じだったらしいな
154人間七七四年:2009/08/06(木) 13:48:34 ID:vUFV7RR5
平安時代の頃は瀬戸内の三島大社は武装してたって聞くけど
戦国の頃は海賊ばっかであまり話題聞かないな
155人間七七四年:2009/08/06(木) 14:23:41 ID:f3xfZEC7
>>154
祝だかなんだかの姫が大内方を撃退する話があるのって三島だっけ?
156人間七七四年:2009/08/06(木) 15:00:17 ID:K/S02kQZ
神社でも織田家の氏神だった剣神社のように
社が崩れるくらい荒廃した神社もあったり。
157人間七七四年:2009/08/06(木) 15:06:59 ID:t1jC832u
>>155
大三島の大山スミ神社とかのことなのかな?
大祝家とか。
158人間七七四年:2009/08/06(木) 15:22:34 ID:sVJDfI0U
八日町合戦
159人間七七四年:2009/08/06(木) 18:16:26 ID:+/s2xi8D
出雲大社は確か、国譲りの際に「倭で一番でっかい建物にする」って取り決めになってたから、
平安時代あたりの公称高度は実際にはあんまそってないんじゃなかったっけ
160人間七七四年:2009/08/06(木) 18:47:44 ID:ZWD4UHfk
右の方に色々な復元案があって面白い
因みに城復元で有名な三浦正幸のは小さな復元模型の一番左、枠で隠れてる
一番低い奴

http://www.izm.ed.jp/data/rekihaku/image/siryo/100L.jpg
161人間七七四年:2009/08/06(木) 20:33:09 ID:dHTY2Ih9
>157
そそ鶴姫伝説ね
162人間七七四年:2009/08/06(木) 21:52:25 ID:Hb5Zml+j
>160
オレは今登りはじめたばかりだからな。
このはてしなく遠い男坂をよ
163人間七七四年:2009/08/07(金) 01:16:21 ID:TniyX7ho
>>161
大三島だね。神社そばの博物館には鶴姫の甲冑も展示されてる
164人間七七四年:2009/08/07(金) 03:04:09 ID:bvM4LsMw
誰ひとりとして戦国の衆道に関する話を知らぬと見ゆるのう!
情け無き仕儀ぞ。

O TEMPORA O MORES !

165人間七七四年:2009/08/07(金) 05:29:38 ID:iNM2JuuD
>>127
なんかまじまじと画像の花入見てたら
チンコに見えてきた。不思議
166人間七七四年:2009/08/07(金) 06:22:16 ID:958G7GS7
女性用の甲冑って残ってるのは鶴姫だけみたいだけど、
実際は信之にーちゃんのとこの鬼嫁や北条の前線任されてた奥方みたいな女性も結構いるよな?
そういった人達の鎧は残ってないのかね。
167人間七七四年:2009/08/07(金) 09:00:53 ID:Waaz3qLJ
>>166
鎧には性別での差があまり無かったんだと思う。
鶴姫の鎧はあからさまにスカートみたいになってるからわかるだけかと
168人間七七四年:2009/08/07(金) 09:25:50 ID:4ph0Y+Bw
鶴姫はバストがボンでウエストがきゅっとなっているからわかりやすいんだよな。
169人間七七四年:2009/08/07(金) 09:31:17 ID:tR//QQK3
鶴姫は栄養事情が良かったのかもな。
もちろん、生まれついての体型の良さもあろうが。
170人間七七四年:2009/08/07(金) 09:49:58 ID:WcdZOJIS
鶴姫ってこれか?
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-320.html
まぁ同名の姫は一杯いるけど
姫に鶴って名付けるのが流行だったのかね
171人間七七四年:2009/08/07(金) 12:10:41 ID:0DDsjCju
>>170
大三島と出ているであろうに
172人間七七四年:2009/08/07(金) 12:24:18 ID:9XpgdGWU
>>151
石見銀山のあたりは当時、日本有数の人口密集地で、大都市といっていい状況だったようですね。
尼子も毛利も、その安全と経済活動の保障をすることで、地域の覇者として認められたのだとか。
173人間七七四年:2009/08/07(金) 14:25:26 ID:69oMFt0f
>>162
打ち切っちゃらめえぇぇー!w
174人間七七四年:2009/08/07(金) 14:31:34 ID:tR//QQK3
そういえば、出雲大社の考古学的分析による復元CGは、こういう表現が適切かはわからないが、凄い「萌えた」な。
あんな高い建造物を、古代人が木造でって話になるとなんかこう、言いしれぬ心の底からわき上がる感情がある。
175人間七七四年:2009/08/07(金) 14:37:37 ID:IZQRfAMq
>>170
鶴・亀・梅・松・菊あたりは本当にたくさんいるぞ
名前のテンプレだからな
他にない名前というと五六八姫とか
そういう感じじゃね
176人間七七四年:2009/08/07(金) 14:38:59 ID:69oMFt0f
>>174
蒲生忠三郎塾長のようなアツい(一種はた迷惑な)現場監督がいたんだろうきっと。
すげえ巨木を運んで吊り上げたんだしょ当時の技術で……
177人間七七四年:2009/08/07(金) 16:48:13 ID:fFNkwkKF
中世の三大木造建築物
出雲太郎(出雲大社)
大和次郎(東大寺大仏殿)
信濃三郎(善光寺本堂)
だっけ?
178人間七七四年:2009/08/07(金) 16:56:17 ID:Xpg1ac3B
真田家の重臣、河原綱家は昌幸の従兄弟であり、
兄たちが長篠の戦いで討ち死にしたために家督を継いだという、昌幸と同じ経歴を持つ。

そんな河原綱家の受難

関が原の戦いの直前、有名な犬伏の別れの時の事。
真田父子は人払いをして今後のことを話し合っていた。
しかし綱家は話の行方が心配になり、命に背いて様子を見に行ってしまった。
戸を開けた綱家を襲ったのは…

昌幸「誰も来るなと命じたであろう!なぜ来たのだ! バルス!!」
綱家「歯が!歯がぁぁぁぁ!」

昌幸の激怒と、飛行石もとい下駄による一撃だった。

昌幸の投げた下駄は綱家の顔面を正確に捉え、その前歯を折っていた。
その後綱家は一生歯抜けのままだったという。
179人間七七四年:2009/08/07(金) 17:20:20 ID:2/UE+Lpx
まさに歯留守というわけですな
180人間七七四年:2009/08/07(金) 18:38:52 ID:fsdFy6Mm
昭和29年、鹿児島県伊佐市郡山八幡神社。
国による解体修理の際に頭貫(柱の頂部を繋ぐ水平材)に木片が打ち付けられているのが見つかった。
その木片には、
 永禄二歳八月十一日       作次郎
           鶴田(露田)助太郎
 其時座主ハ大キナこすてをちやりて一度も焼酎ヲ被下候
 何ともめいわくな事哉
(補修したのに施主はドケチで焼酎の一杯も振舞ってくれなかったよ!
 もうがっかりだよ!)
※こす=ケチ。コスいとか言いませんか?

この木片は戦国時代から既に焼酎が飲まれていたこと、
当時の施主が大変なケチであったことを雄弁に今の我々にも伝えてくれている。

ケチケチしすぎて後々にまで悪愚痴が伝わってしまったお話。
181人間七七四年:2009/08/07(金) 18:40:19 ID:/nzMTsk/
>>1179
武士らしゅう腹切れぃ
182人間七七四年:2009/08/07(金) 18:47:18 ID:WcdZOJIS
>>180
戦国時代の話だったのか…

しかし昔の大工は建物のどこかに落書きするのが当然だったのか?w
183人間七七四年:2009/08/07(金) 18:48:26 ID:3qsiHdFZ
>>179
誰がうまいこと言えと
184人間七七四年:2009/08/07(金) 19:10:25 ID:wiMlWLzc
>>180みたいな文面だと
その内建て替えする時見られて恥かけばいいのにw
って思ってそうだと感じる
185人間七七四年:2009/08/07(金) 21:31:48 ID:de/s4MXo

そういや、DQN四天王ってなんであの4人なんでしたっけ?
理由を忘れてしまった・・・
186人間七七四年:2009/08/07(金) 22:01:58 ID:YTSEtZrJ
DQNだから
人並み以上にすごくDQNだから
という以上の理由は特に無いんじゃないか?
187人間七七四年:2009/08/07(金) 22:08:02 ID:spNkCnyl
>>184

将来、また修繕とかあったときに見るであろう自分達の同輩にこっそり愚痴ったんだよ。
で、また昭和29年に補修した宮大工の人がこっそり残すという…

やっぱり施主は大工にそれなりに差し入れしないとだめってことだな。
188人間七七四年:2009/08/07(金) 22:50:48 ID:s6eaFUIF
いい施主なら、
『昭和弐年参月吉日 長谷川邸建立 
この御家族に末久しく幸あらんことを 棟梁・澤田留吉他』
なんて書かれた板が屋根裏に残されていたりしてな・・・
189人間七七四年:2009/08/07(金) 23:31:37 ID:de/s4MXo

>>186
四天王の武勇伝があまりにすごいから褒美をとらせた云々・・・
って話があった様な気がしたんだけど、勘違いかもしれない・・・
190人間七七四年:2009/08/08(土) 02:02:45 ID:N1Iv65a4
史実の人物にキャラ付けしすぎ
わざわざセリフまで気持ち悪くして何が楽しいんだ?
あげくDQNとかラスボスとか
お前らの方がDQN
191人間七七四年:2009/08/08(土) 02:10:30 ID:ELIBPbB2
これが夏休み
192人間七七四年:2009/08/08(土) 02:12:08 ID:av+BT262
そういうのが嫌な人が居るということは知ってる(自分もあまり好きじゃない)ので、
逸話紹介するときは出来るだけ誇張を排除して客観的にするように勤めてるな
けどこればっかりは各人の好みだからねえ
193人間七七四年:2009/08/08(土) 02:14:37 ID:ZZNJWMLg
>>190
じゃあまずは古今東西の歴史小説家に言ってくれ。
194人間七七四年:2009/08/08(土) 03:12:08 ID:N1Iv65a4
言い方がキツイのは悪かった
ごめん
195人間七七四年:2009/08/08(土) 03:17:28 ID:taS03IFu
まあなんにでも言えることだが、自分が面白いと思うもの=他人が面白いと思うってわけじゃないからな。

正直最近の逸話スレはスポーツ選手に無理やりあだ名をつけるマスコミの感覚に近いと思う。
196人間七七四年:2009/08/08(土) 06:59:16 ID:uitSTuFm
2chじゃ使い古されてる表現だが

「嫌なら見るな」
197人間七七四年:2009/08/08(土) 07:29:05 ID:LdoTzN3H
っていうか「自分が気に入らないから」以上の理由がないのに
聞き入れられると思ってるんだろうか?
198人間七七四年:2009/08/08(土) 07:33:27 ID:yzF2zLxR
自分が気に入らないもの=他人も気に入らないと思うわけでもないけどな。
オレみたいに知識の浅いやつは逸話投下してもらえるだけでありがたや。
199人間七七四年:2009/08/08(土) 07:42:03 ID:u+H7oBi0
相模国、藤沢に伝わるお話

この地には森家という、小田原の北条氏に大鋸引(木材加工集団)の棟梁として仕え、
また藤沢の町の触口役(命令伝達係)を担当し、非常に大きな勢力を持った家があった。

さて、その森家では庭の池に、「おはん」と名付けた一匹の蛇を飼っていた。
そのおはんは日に日に大きくなり、ついには一日に酒五升、米1斗を平らげるほどの
大蛇となった。
大変な食欲であるが、この程度ならば、森家にはなんでもない事であったそうだ。

ところがあるとき、相模が大変な大飢饉に襲われた。さすがに森家においても、これ以上おはんを
飼う余裕がなくなってきた。
おはんは、それを察したのであろうか、ある夜飼われていた池を抜け出し、側を流れる滝川を遡り、
上流にあった池に住み着いた。

住み着いたのはいいが、大変な食欲の蛇である。おはんは周辺の食べられそうなものをすべて
食べつくし、ついに何もなくなると、池の底にじっとうずくまって日々をすごした。

そんなある時、池の側を通る人の影が水面に映った。
おはんはふと、その「影」を飲み込んだところ、どうしたわけか、それまでの空腹感が癒された。
そこでそれからは、水面に人影が映るたびに、その「影」を飲み込んだ。

やがてこの事は人々の噂になった。「あの池の側を通ると大蛇に影を食われる。
影を取られると命を失うぞ!」

そのうちに、あの大蛇は森家で飼われていたおはんではないか、との噂が流れた。
この噂に森家の人々は、「あのおはんが人の影を取るような妖蛇に成り果てたか!」と心を痛め、
これを退治するため、様々な武道の名人を差し向けたが、皆、影を取られて逃げ帰る有様であった。

ある時藤沢の宿に、有名な鉄砲の名人が泊まった。
これを知った森家や藤沢の人々は、彼に大蛇の退治を懇願した。
名人はこれを受け入れ大蛇がすむと言う池に向かったが、肝心の大蛇は水面にその姿を
まったく表さないため、さすがの名人も困り果てた。

そのときふと、この大蛇がかつて、「おはん」と呼ばれていたと、聞かされた事を思い出した。
彼は池の側で鉄砲を構えながら、大声で呼んだ。「おはん!」

おはんは、久しぶりに自分の名前が呼ばれたことに驚き、『さては森家の人たちが自分を
迎えに来たのだ!』と、大喜びで水面に顔を出した。その瞬間

銃弾は過たずおはんの頭を打ち抜き、池はその血で染まった。


藤沢には今も、「影取」という地名が、池のあった場所に残されている。
200人間七七四年:2009/08/08(土) 07:56:58 ID:LdoTzN3H
>>198
一行目
多分言いたいことと逆の意味になってると思うぞ

というよりmixiでコミュ作ってそこでやれば一発で解決するのに
そういう行動を取らないでここで愚痴るなんてショボイ事してる時点で荒らしと変わらん
為政者が風刺されるのは古代から当たり前に行われている事で
ここで愛称付けられてるのは既に故人
選手に勝手にキャッチコピー付けられた陸連の用に行動出来ないし
そもそもここはTBSのように世間一般への流布が目的で
愛称が付いて使われているわけでもないから前提が違う
既に定着したものをどうにか自分好みにしようってのはわがままなだけでなく傲慢

>>199
蛇さんかわいそうです(´;ω;`)
陰を食われるってなんかの暗喩なのかな…?
201人間七七四年:2009/08/08(土) 07:58:07 ID:mIZ2W2yH
切ねぇ・・・
202人間七七四年:2009/08/08(土) 08:30:04 ID:V/urqDgS
いまのペット事情に通じるなあ
203人間七七四年:2009/08/08(土) 10:11:14 ID:HkPS+yu5
影を食う妖怪って、他の民話にも出てくるのかな…初めて聞いた
悪い話だけどおもしろいなあ
204人間七七四年:2009/08/08(土) 10:21:05 ID:47FKPJYU
自分から出てったってのがもう・・・(´;ω;`)
205人間七七四年:2009/08/08(土) 10:56:51 ID:kD3zfmba
通称の使用をとやかく言うつもりは無いが
言い方は悪いが「やったもん勝ち」な状況でやってる側が相手に折れろと言ってる訳だよな
感情論を力づくで押さえ込もうとすればたとい正しくてもそりゃ荒れると思うよ
俺からすればmixiでやれとかそういう問題じゃない上に収めるどころか煽ってるように思える

とりあえず嫌いな人も居るんだから程々にね
0にしろなんて無理言う人はお引取り願おう、って程度の話でいいんでないの
206人間七七四年:2009/08/08(土) 11:15:16 ID:taS03IFu
もと十河城(香川県)に建てられたお寺の住職さんから法事で聞いた話。

このあたりには植田党という武士団(後の十河氏などをだす)が跋扈していたが、

応仁の乱では東軍の援軍として多くの武士たちが京に上った。

このときに援軍としてはせ参じた下級武士の一人がさる大納言の姫様に恋をした。

しかし大納言の娘とあっては身分違いの恋もいいところ。彼は姫様を遠くから眺めるだけである意味ストーカー。

そしてその下級武士は自分の恋心を断ち切るためにとある決心をした。

姫様の大きい方の排泄物を見れば百年の恋も冷めるだろうということで、

事後のおまるを盗んだのである。

そこでその下級武士が見たものは・・・・


なんとそこには香木がはいっていたのである。

その下級武士は貴人は排泄物まで貴いのかと嘆いて、入水自殺した。





四国の逸話が少なすぎるので、書いてみた。

ただ、これ明らかに和尚さんの創作っぽいんだよね。

地域が讃岐になっている以外は、どっかの説話集の話だったと思うし。
207人間七七四年:2009/08/08(土) 11:27:31 ID:Xvfv1PGF
今昔物語の三十巻の第一話かな
芥川の「好色」の元ネタとして有名
208人間七七四年:2009/08/08(土) 11:32:11 ID:taS03IFu
やっぱそうか。まあ一番悪いのはこの話を法事の席で喜々として親族一同の前で語った和尚さんということで…
209人間七七四年:2009/08/08(土) 11:42:50 ID:LdoTzN3H
>>205
やったもん勝ちではないだろ
自分の気に入るような新しい通称を作れば良いんじゃね?
受け入れられればそれが新しい通称になるだろ

感情論についてだが
http://info.2ch.net/before.html
>頭のおかしな人の判定基準

>・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人

>・根拠もなく、他人を見下したり、差別したりする人、自分で自分を褒める人

>・自分の感情だけ書く人

とあり自分の感情だけ書く人は頭のおかしい人と2chではされています
何故頭のおかしい人にまともに取り合わなければならないのでしょうか?

そしてここは便所の落書きでございます
どういう問題と考えているのか不明ですが
自分に都合のいいような環境にしたいんなら不特定多数の人間が入り乱れるここでは不都合でしょう
mixiなりなんなりそういう環境を整えやすい場所を自分で作ってすべきではないか

>>206
平安貴族の話だった気がする
排泄するときは香を焚いて水面に毬藻を浮かべたとかなんとか
210人間七七四年:2009/08/08(土) 11:47:30 ID:Xvfv1PGF
言いだしっぺが既に>>194で謝ってるのに、これ以上つべこべ言ってどうすんのよ
まあ程ほどにしてね

>>208
和尚様には悪いけど、有名なエピソードだから皆知ってただろうねw
でも平安時代の色狂い貴族を冷めた目で見つめる逸話が、
戦国時代の下級武士の悲恋物語に変容したのは面白いね
穿った見方をすれば、四国の人々の京への羨望ひいては劣等感をあらわしてるとも解釈できる
かも、和尚様の即興じゃなければ
211人間七七四年:2009/08/08(土) 12:04:35 ID:taS03IFu
書き忘れたけど、おまるのなかに香木が入っていたのは、姫様がストーキングに気づいていたからとか。
これは元ネタの方も同じかな。ただ209を読むと普段から出す時にはにおいを消すために使っていたんだね。現代でいう消臭剤か。
212人間七七四年:2009/08/08(土) 12:39:22 ID:kD3zfmba
>>209
すまない、言い方が悪かった
肝心要だけ言うと、高圧的な態度は後腐れが残るから止めとこうよって話
キチガイ一人が暴れてるわけでもなし(というかそんな場合ならそもそも構うべきじゃないが)
便所の落書きと言ってもコミュニケーションの場なんだから放言し放題ではないし
あだな付けてどうこうが嫌いだって言うのが正しいとも思わないが
それに対して全否定した上で出て行けなんて返すのもよろしくないでしょうよと
これで納得してもらえないならもうどうしょうもない

正直>>209の言い様は腑に落ちないが議論の場じゃないし置いておく事にする
というかしたい
213人間七七四年:2009/08/08(土) 13:00:52 ID:+Ipd/xt6
>>206
十河城趾近所のうどん屋にいって来た。
うどんよりサヨリの天ぷらが美味かったのはココだけのヒ・ミ・ソ(ハァト)
214人間七七四年:2009/08/08(土) 13:07:29 ID:hTxiYJ16
>>212
うん、それが良いと思う。

逸話楽しみ。
215人間七七四年:2009/08/08(土) 13:19:43 ID:LdoTzN3H
>>212
もし付き合うんならこっちでやろうか
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233751887/
216人間七七四年:2009/08/08(土) 14:25:29 ID:yRmBW8P/
排泄物が香木でもある意味萎える気がするなw
汚い話ですまんが、香木置いたぐらいじゃにおい消えないよな。
厠の中で焚いて充満させれば何とか・・
217人間七七四年:2009/08/08(土) 14:30:05 ID:P+E3z4n9
>>186
亀レスだが
たぶんそれアンサイクロペディアのDQN四天王の記事じゃね?
218人間七七四年:2009/08/08(土) 14:34:00 ID:LdoTzN3H
211で言っているが武者に気がついたから排泄物を見せるのが恥ずかしくて
元々厠内で焚くための香木を代わりに浮かべて偽装したんだろう

しかしあれだな
アイドルはウンコしないとメンタリティ変わらんなw
日本人は何も変わっていないようでw
219人間七七四年:2009/08/08(土) 14:44:21 ID:yRmBW8P/
>>218
ウンコだったら萎えるし、香木だったら絶望して死ぬしで、
恋する武者心は面倒臭いなw
220人間七七四年:2009/08/08(土) 16:12:59 ID:SYt9sGP4
>>206
女神板のうんこスレを見ている俺に好きは無かった
221人間七七四年:2009/08/08(土) 16:46:33 ID:IUCMLHkd
>>206
神君「糞が香木を喜ぶかっ!」

222人間七七四年:2009/08/08(土) 18:42:47 ID:YH1IiU9I
>>178
知ってる話なんだけどなんかしらんが面白くて壮大に噴いたw
223人間七七四年:2009/08/08(土) 18:56:19 ID:CDiylwzD
内輪で盛り上がる為の渾名が批判されるのか
よそで使うのは控えるべきだが内輪ですら使うなというのはどうかと
224人間七七四年:2009/08/08(土) 19:50:15 ID:q68xWAZ5
ラスボスVS神君

この話は三歳が家光に今までに経験したもっとも恐ろしい話として述べたものです。

伏見城にて

いつものように秀吉が諸大名を集め自慢話していたときのこと、
秀吉が、
「おれっていままで戦で不覚を取ったこと一回もなかったんだよね」
と発言。
諸大名が「そのとおり、さすがは殿下」と誉めそやした。

ところが

その場にいた家康一人血相を変え立ち上がり、
「他のことならともかく、戦のことで俺を前にして何てこと言うんだ、
小牧の戦いのこと忘れたのか」
と発言

諸大名が手に汗を握り、嵐の予感に恐れおののく中、秀吉は無言で退席

周りの人が家康に「あんなの座興なんだから相槌うっときゃいいじゃないですか」
といったところ、家康は、
「戦の話だから、捨て置けないんだ、このことで殿下の不興を買っても本望だ。」
と突っぱねる。さすがは三河武士の親玉、めんどくさい

しばらくして帰ってきた秀吉はさっきのことがなかったかのように振舞ったので、
諸大名はやっと安心したのであった。

調子に乗って面子つぶされたラスボスの悪い話もしくは大人気ない神君の悪い話。
225人間七七四年:2009/08/08(土) 20:11:12 ID:SYt9sGP4
絶対にその場にいたくないなw三歳の気持ちもわかるわwww
226人間七七四年:2009/08/08(土) 20:26:28 ID:V/SJBskU
なんとなくだがその時の二人って
家康
秀吉の話にカッとなって本気でキレる

あ、ヤベッ言っちまったと縮みあがる

しかし言っちまったもんは仕方ない死ぬぞと腹を括る

秀吉
家康の言葉にムキーッとなる

冷静になって家康の性格を考えてみる

ここで俺が折れぬと治まらぬなと諦める

って感じだろうか
227人間七七四年:2009/08/08(土) 20:27:20 ID:oPqctsfm
まあ、それでも三河武士達にしてみれば
『それでこそ我等の殿!』って気持ちだろうな〜。
228人間七七四年:2009/08/08(土) 21:05:56 ID:q68xWAZ5
ちなみに、江戸時代の解釈では、この話は実は秀吉が家康と仕組んだ芝居で、
君主であっても遠慮なく直言しなさいという秀吉の意思表示だったということだが・・・・


ラスボスと家康の性格、忠興のビビりかたを見ると、絶対違うと思う。
229人間七七四年:2009/08/08(土) 21:21:44 ID:IUCMLHkd
>>224
鬼武蔵・蒲生塾長「あれ、俺達のスキンシップの場面は…?」
230人間七七四年:2009/08/08(土) 21:40:14 ID:HFM242zD
この家康って普通にかっけえよ
231人間七七四年:2009/08/08(土) 22:02:36 ID:q68xWAZ5
説教魔 家康

ある日、松浪半入という家臣が家康に四方山話をした。

ある田舎の庄屋さんが、
「有名な琵琶法師を招いて村人たちに「平家物語」を聞かせてあげよう」
というお触れを出した。
ところが、村人たちはなぜか勘違い。
「なんか庄屋さまが「平家汁」というものを、我々にふるまってくれるらしい」
「へえ〜。珍しいモノだなあ。平家汁かー」
「しかし一体。平家汁とはどのようにして食べるものなんだ?」
「いや。オレは知らんぞ」
「オレも知らんよ」
とよってたかって議論した。
「そうだ。村一番の長老ならば作法に詳しいから知っているんじゃないか」
「なるほど。それはいい。今から早速聞きに言ってみよう」

で。村人たちは長老宅へ訪れる。

「長老、ここはひとつ平家汁の食べ方について教えてくださらんか」
「よし、教えて進ぜよう。ワシは平家汁についてはよく存じておる。
平家汁をすする者は、新しいお椀を用意して食べるのが昔からの慣わしじゃ」
「へえー。さすが年の功ですな。」
「いや。なになに」

そうして村人たちは喜びながら、新しい「お椀」を持って庄屋の家へおしかけた。
「庄屋さま。お招きありがとうございます」
「よう来られた皆の衆。ではさっそく始めようか」

村人たちは期待しながら「平家汁」が出てくるのを待っていたが、
汁の代わりに坊主が一人出てきて、延々と「平家物語」を語り始める。
意外な展開に村人たちは小声でゴソゴソ。
「・・・どうなっているんだ。平家汁はいつ出てくるんだ?」
「オレに聞いたって知らねーよ。これが終わったら出てくるんじゃねえか?」
「もうオレは腹が減ってたまんねーよ」

ところが「平家物語」が終わると、そのまま「おひらき」。
結局、村人たちが期待した「平家汁」が振舞われるコトはなく、
みんなガッカリして帰っていった。おしまい。

この「おはなし」を聞かされた家康は非常に感心して、
すぐに重臣一同を召集した。そして松浪にむかって、
「いまの話をもう一度、これらの者に語って聞かせよ」
と言って同じ話をさせた。
重臣たちも、うちの殿もたまには粋なことをなさると喜んで聞いていた。

ところが、話はここで終わらない。

話が終わったところで家康は、
「情報も下に行けばいくほど劣化する。お前たちも命令についてはよく確認し、間違えないようにしろ。
お前たちが間違えると下のものも混乱する。」とお説教。
重臣たちはみんなガッカリして帰っていった。おしまい。

232人間七七四年:2009/08/08(土) 22:18:26 ID:IegpZmXf
四方山話からでも教訓を読み取れる家康のいい話じゃ?
233人間七七四年:2009/08/09(日) 00:23:06 ID:Gzy06X0a
四方山話で終わらせればよかったのに、その後で校長先生のお話を始めたから
悪い話なのか?

でも指導者としてはこういうネタで説教するのも変な話ではないしな…
234人間七七四年:2009/08/09(日) 00:34:33 ID:ZTScd8ZA
いや、みんなを集めて落語みたいな笑い話を聞かせた後で、
「よいかお前ら・・」と説教始める上司なんて嫌だぞw
235人間七七四年:2009/08/09(日) 00:46:14 ID:np/RxLiB
どこから平家物語から平家汁になったんだw
236人間七七四年:2009/08/09(日) 00:59:34 ID:NlTMtKLB
弘治三年(1557)、毛利元就はその家臣福原定俊に命じ、大内義長、内藤隆世の盾籠もる
長門勝山城を攻撃させていた。その時の事。

攻撃を行っている定俊に、毛利隆元、元就、小早川隆景連署の書状が届いた。
これに言う

『なんだか長府や赤間関の地下人が言ってくるのよ。「軍勢が狼藉したら毛利に敵対するぞ!」
って。
そんな事言われちゃったから、「ああいいよ!そのときはかまわないから存分に戦え!」って、
OKしちゃったw
ついでに防府の毛利本陣からその保障のために、長府や赤間関に検使派遣して、
そういう事態になったら地下人と一緒に戦うように!なんて命令も出しちゃったw

そういうわけでキミらの軍勢が民間人に狼藉したら、たちどころに毛利軍内の内戦になっちゃうので、
くれぐれも気をつけてね〜。』

福原定俊「おいおい(;´Д`)」


この時代、武士がすべてを取り仕切っているように見えるが、民間人の扱いも、
このように大変難しく、大名も非常に気を使っていた。というお話。

237人間七七四年:2009/08/09(日) 01:17:46 ID:5jwVu29s
・・・・毛利って、たしか大内領内ではゲリラ戦に苦しんでいたよな
238人間七七四年:2009/08/09(日) 01:55:05 ID:vjqjeGZr
それだけにこういった命令が必要になったと…
当時の民間人は武装している場合が多いし軍役経験者も多いから。
239人間七七四年:2009/08/09(日) 10:26:38 ID:VhgsNaYm
鷹狩りでのマナー

徳川家康は、関東地方にある自分の狩場の隣の土地を、伊達政宗に狩場として与えていた。

ある日のこと、
正宗はその土地で鷹狩りをしていたが、ちっとも獲物がなかった。
正宗
「面白くない。こうなったら隣に場所変えするか。」
お供
「えー。隣は大御所の狩場デスヨ・・・・」
正宗
「かまうこたねえ。ばれなきゃいいんだYO」

そこで隣に場所換えすると、面白いように鶴などの獲物が獲れ、正宗ご満悦。
正宗
「大漁、大漁。よし、帰るか。」

すると、そこへ馬に乗った家康一行がやってくるのが見え、正宗あわてて近くの茂みに身を隠す。
正宗
「やっべー、見つかったか。」

ところが不可解なのは家康の動き、なんと正宗を見つけるなり、こちらもUターンして逃げてってしまったのだった。
胸をなでおろす正宗一行
「しかし、あれはなんだったのか。」

なぞはその後正宗と家康が会った際に明かされた。
実は家康もこっそり正宗の狩場に入り込んで鷹狩りをしていたというのである。
家康
「やばいと思って逃げ出したが、お互い様なら逃げることはなかった。」
二人とも、白状した後大笑い。

マナーがあるのはわかっているけど、つい破ってしまう、そんな現代のスポーツにも通じるお話でした。
240人間七七四年:2009/08/09(日) 12:41:45 ID:2aU5gZGi
結構ほのぼのw
政宗はいつもの政宗だが、家康のこういうちゃっかりした逸話は
珍しい気がする。
241人間七七四年:2009/08/09(日) 14:18:21 ID:Ezp2Lbvj
>>231
大日本帝国憲法発布のとき、法被を天皇が下さるとか勘違いした人々の話を思い出した。
242人間七七四年:2009/08/09(日) 15:23:59 ID:VhgsNaYm
続いて家康と政宗のエピソード

家康が政宗を茶の席で接待したときのこと、
茶釜のふたが熱くなっているのに気づかず家康が手に取ったところ、熱い湯気が顔にかかった。
驚いた家康があわてて手を引くと、政宗が思わずクスリと笑った。

カチンときた家康、さらに釜を火にかけ、ますます熱くなった釜のふたを悠然と手に取り、しばらく持った後、一言。
「陸奥釜の熱気など、たいしたことないのう。」

意地っ張りな家康のかわいい話
243人間七七四年:2009/08/09(日) 16:00:35 ID:Bv11rRot
あるとき、家光が大老を引き連れて伊達屋敷に赴いた。
伊達屋敷の主はどうしたかといえば、そこは政宗、超ノリノリで接待をプロデュース。
しかし奥州の独眼流もよる年波にはかなわず、
というか歳を考えずにしゃぎ過ぎた上、呑みに呑んで酔っ払ってしまった。

政宗「うぃぃすまねぇがちょっと横にならさせてもらうぜっと」
なんと将軍を前にして雑魚寝を始めるではないか。
しかも
酒井「ちょw あんたどこで寝てるんですか」
政宗「あぁん?俺の屋敷にきまってんだろぅ?」
酒井「なんで私の膝を枕にしてるのかと聞いてるんです!」
政宗「あんまり耳元で大声出すんじゃ…、うぇっぷ、きぼちわる。ここで吐いちまうかも…」
酒井「くぁwせdrftgyふじこlp;」
時の大老酒井忠世に対してやりたい放題の政宗。
伊達の家臣は顔を青くし、他の大老たちはため息をつき、家光大爆笑。
みなが心配して奥で休んだらどうだといわれれば、平気だ大丈夫だと突っぱねるのが政宗。

ここで土井利勝が動く。
土井「いやぁさすが仙台公見事な呑みっぷり。
   仙台公、もう一献。みなに男意気が何たるかを存分に見せ付けてやりましょう」
政宗「おぅ、わかってんじゃねぇか(グィッ)、ぷはぁ」
土井「皆もよく見ておけこれが日の本一の男ののみっぷりぞ。今度はこの大杯でぐぃっと、さあ」
政宗「…え?ちょっとそれはさすがに…」
土井「さすが独眼流!これくらいではちょっと足りませぬか!これありったけの酒を持て!タルごともってこい!
   あっそれ!仙台公の、ちょっと良いとこみてみたい、それいっきいっきいいっきいっき…」(※真似しないでください)
政宗「………グィッグィッグィグィグググググ………」
バターン
さしもの政宗もさすがに呑み過ぎて倒れてしまう。
捕獲された宇宙人よろしく、両脇を抱えられて奥の間に連行されていく政宗。
伊達の家臣は顔を青くし、他の大老たちは安堵のため息をつき、家光は大爆笑。

さて、宴も終わり家光たちが帰る段になっても政宗は起きてこない。
伊達の家臣たちは顔を青くし主君の無礼をひたすら侘び、他の大老たちはため息を付き、
家光は「政宗じゃしょうがないwwwww」とご満悦。


って事があったよ。あいつって本当に信じらんない事するよねー、と息子に手紙を認める三斎様であった。
244人間七七四年:2009/08/09(日) 16:02:10 ID:W7VLZ0sR
政宗死ぬってw
245人間七七四年:2009/08/09(日) 16:14:55 ID:Mzu46tGt
江戸幕府の恐ろしさが五臓六腑にしみわたる話ですな
246人間七七四年:2009/08/09(日) 16:32:38 ID:gDW1j8pM
さすがは公儀のめんどくさい武士処理係の土井さんですな。
247人間七七四年:2009/08/09(日) 16:57:27 ID:CbwWuezW
久々の忠興オチw
平和になってからの政宗はいいねえ
248人間七七四年:2009/08/09(日) 17:40:03 ID:6xIYEbIf
本当に、ちょっとあれな叔父さんそのものだな〜。
249人間七七四年:2009/08/09(日) 19:59:36 ID:eBAheu7b
>>243
惜しむらくは…
4月にこのネタ投下されてると良かったなw
250人間七七四年:2009/08/09(日) 20:24:12 ID:qVGwOH+A
>>209

第三者の俺からしたらここまでムキになる君もちょっとおかしい

スルーすりゃいいじゃん
251人間七七四年:2009/08/09(日) 20:25:27 ID:NlTMtKLB
>>250
キミも蒸し返すな。
252人間七七四年:2009/08/09(日) 20:34:58 ID:Nqpjkf94
終わった事な上に個人攻撃とか
253人間七七四年:2009/08/09(日) 20:43:07 ID:o6AnnLf8
>>250
スルーすりゃいいじゃん
254人間七七四年:2009/08/09(日) 21:46:54 ID:lsSMDgIh
www
255人間七七四年:2009/08/09(日) 21:47:00 ID:fav5+Ya9
まさに悪い話。
256人間七七四年:2009/08/09(日) 22:01:59 ID:twWMiJYW
「どもり弾正」

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-69.html
ここにもう出てるけどこの事は書いてなかったので。

この木山弾正剛勇の士として名を馳せていたが、
彼にはどもり癖(吃音症)があったので、「どもり弾正」とも呼ばれていた。

そして天正17年 まとめに載っているように加藤清正との一騎打ちになる。
弾正は最初清正を組み敷き、後一歩のところまで追い詰めたものの、主君に加勢しようと駆けつけた
自分の家臣に「殿は下か上か」と訪ねられ、先述した「どもり癖」のせいで、うまく言葉が出ず
清正が「下だ!」と先に叫んだ為に、誤った家臣の槍にかかり死亡してしまったという。
257人間七七四年:2009/08/09(日) 22:45:29 ID:cHKaIyh0
亀レスだが
>>78
この話、いい話系のとして流布されている場合もあるから注意

つまり、この連歌の会がちょうど久米田の合戦(義賢が戦死した)と同時期に開かれており、
上の句が詠まれる→義賢戦死のほうが届く→長慶泰然として下の句をつける
→連歌の会参加者に「弟死にましたから、今から出陣します」→大勝利
という風になる。

いじょう、堺在住の三好家のライトマニアからの報告でした。
258人間七七四年:2009/08/10(月) 09:25:57 ID:FhAYe+Aa
>>257内心、発狂寸前かもしらんがそういう話の流れだと長慶……剛毅やね
259人間七七四年:2009/08/10(月) 19:28:38 ID:j0Zvvtv1
千人塚

慶長7年(1602年)信濃川中島領主、森忠政は全領の一斉検地を行うことを決定。
元々厳しい税率で苦しい生活を強いられてきた川中島の領民はこれに反対したが結局の所検地は行われる事となった。
『右近検地』と言われる徹底的な検地の結果、領内の石高はこうなった

13万6500石→約19万石

領民「これはひどい」
森家入領からたった2年でこんなに石高が増える訳が無い。当然の如く領民達は不満を持ち、検地のやり直しの嘆願書などが出されたが忠政はこの訴えを完全に無視した。
こうした不満が高まりついに忠政の領する北信濃4郡で全領一揆が起こってしまう。しかし・・・

忠政「嘆願書を出した連中が一揆を煽動するような気がして準備してました。伴!甲賀者から近隣の村の情報を各城に知らせ!一揆を捕縛させろ。」
伴「アイアイサー」
もはや分かっていたと言わんばかりに森家の兵が一揆勢を逮捕し始め全領での一揆にも関わらずものの数日で完全に鎮圧されてしまった。
税率も厳しければ逮捕の基準も厳しく連行された人間は約600人にも及んだ。

忠政「税金が払えないなら、死ねばいいじゃない。全員磔に掛けろ。」
もはや申し開きは一切不要。一揆=死罪。参加者は全員平等に磔に掛けられる事に・・・その大処刑の当日には現場に忠政の姿もあった。

忠政「おい、そこのお前。そんな槍じゃいかんだろ。ちょっと貸しなよ。」
ジャブジャブシャコシャコ
忠政「ほぅら、研げたぞ!さぁ、ズンと突け!」

自ら懐から砥石を取り出して池(後にこの池は『槍研ぎの池』と呼ばれるようになる)に入って槍を研磨する程のハイテンションぶりの忠政。こうして見るも無残な600人の一斉処刑は行われた。
しかもこの一揆の後もなお税率は据え置き、検地のやり直しも無し。取り立ても相変わらず厳しく払えない人間には容赦なく罰が課された。
唯一、川中島の民にとって幸いだったのは翌慶長8年(1603年)に小早川秀秋の死により開いた美作一国に忠政が転封された事ぐらいか。

森家が信濃を去った後、この事件の犠牲者の菩提を弔うべく小さな塚が建てられた。その塚には赤い小さな文字でびっしりと犠牲者の名前が書かれている。
この不吉な塚はいつしか「千人塚」という名が付き、今も善光寺に残る。

http://www.geocities.co.jp/Bookend-Christie/5898/c/zen517.jpg
(赤く見える部分は近づくと人の名前で埋め尽くされている)
260人間七七四年:2009/08/10(月) 19:29:20 ID:j0Zvvtv1
余話

忠政「ちなみに磔というものは左右から30回ずつ脇腹から肩まで貫通するまで突き立て最後に髪を掴んで頭を上げさせ『止めの槍』を喉に突き立てる。
   そして死体は臓物など露出し、鳥や虫などに集られながら3日晒し者にされ、最後は非人によって穴に投げられ処分されるというものです。どうです?罪人の処刑にはぴったりでしょう?」
家臣「でも600人も磔で処刑したってバレたらマズいんじゃ・・・何か女子供も居たような」
忠政「大丈夫、上手くやるから(言いわけ的な意味で)」
家臣(領内の政治を上手くやって欲しいんですが・・・)

例によって徳川家からの森家へのお咎めは一切無かった。
ついでに後世にも今に至るまで殆どこういった事があったとはあまり知られていない始末である。
261人間七七四年:2009/08/10(月) 19:35:29 ID:f/vxLrbt
もうなんていうか・・・
心の底から腐ってやがる
262人間七七四年:2009/08/10(月) 19:55:52 ID:d0HHFUku
秀秋の死が、川中島の領民を救ったんだな…
兄に負けず劣らず酷いもんだな。
転封先の美作でもこうだったのか?
263人間七七四年:2009/08/10(月) 19:58:58 ID:Ff4E9c1d
森家に関わる地名は血なまぐさい、の法則がまた補強された…
264人間七七四年:2009/08/10(月) 20:05:06 ID:j0Zvvtv1
>>262
美作の検地はまともな石高で落ち着いてるのでほんの少しぐらいは反省したのかもしれん。

だが徳川政権において地方でもかなり真っ先にやった検地としては非常に悪い例を残した。
こういうやり方で石高を水増しする検地方法を真似する藩も出てきてしまってる。
265人間七七四年:2009/08/10(月) 20:06:52 ID:FWTMcr2U
逸話だけ見てると、兄の方がまだましだなw
兄は自分の行動の邪魔(関所・橋の番人)をヒャッハーして回った可愛げが若干あるが…

弟は領民いじりが目に付く気がする

まぁ見方を変えれば、弟は領内統治に励んだともいえなくもないが…
兄にも領内統治に励んだいい逸話(つい最近の塩専売など)が残ってるしなぁ
266人間七七四年:2009/08/10(月) 20:36:08 ID:DsqNhbLT
>>262
その秀秋はなかなかの内政上手だったから、かなり惜しい人材だったんだけどね
267人間七七四年:2009/08/10(月) 20:40:50 ID:zXiJJoaJ
関ヶ原後の毛利が、検知で石高を無理やり2倍にしてなかったっけか
268人間七七四年:2009/08/10(月) 20:51:45 ID:yvrIbpDT
圧政を敷く領主でも、この忠政や松倉重政のような、手腕がすぐれ、上からの
覚えも目出たいタイプは、なかなかに始末が悪いんだよな。まあ、森氏も忠政、長継のあとは当主の早世やら発狂やらが続いて
国主の地位から滑り落ちていくんだけどね。
269人間七七四年:2009/08/10(月) 20:57:37 ID:j0Zvvtv1
>>267
29万8480石→53万9268石だな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%BB%A3%E6%85%B6%E9%95%B7%E4%B8%80%E6%8F%86
山代慶長一揆も起きてる。でも全領一揆ではないんだよな。
270人間七七四年:2009/08/10(月) 21:15:10 ID:HiiHoRUE
短い事績を見る限り兄は内政の手腕は案外なかなかだと思うが
271人間七七四年:2009/08/10(月) 21:17:29 ID:ZKRpqVyW
>当主の早世やら発狂やらが続いて
オカルト板に以前、家系にまつわるオカルト?みたいなスレがあって、
先祖の誰かが罪もない人を惨殺して、それ以来跡継ぎとなるべき男子が
必ず早世・発狂するようになって今も入婿で家を保っている・・
みたいな経験談がゴロゴロあった。
自分はオカルトを信じない(話として好きだけど)し、2chだから
怪しいもんだけど、怨念による因果応報みたいなのもあるのかもとちょっと思った。
森さんの場合、怨念×600 and more だしなぁ。
272人間七七四年:2009/08/10(月) 21:33:52 ID:j0Zvvtv1
>>268
一応、松倉よりはマシだと思うぞw

美作領主時代は津山城化の徹底的な整備とか吉井川の堤防工事とかプラス面の功績はちゃんとある。
磔で処刑するのが大好きなのは死ぬまで治らなかったみたいだが。
273人間七七四年:2009/08/10(月) 22:46:51 ID:xbtuES8p
そして忠政の地元美作で大雨が
274人間七七四年:2009/08/10(月) 22:55:10 ID:bbJv5CaE
美作でもやったのかよ!
詳しい内容知ってたらヨロ。
275人間七七四年:2009/08/10(月) 23:10:23 ID:tYOLUCKI
>271
普段宗教とか信じてない俺でも
それはカルマってやつなんだろうなって思うよ
276人間七七四年:2009/08/10(月) 23:19:28 ID:FWTMcr2U
>>271
>先祖の誰かが罪もない人を惨殺して、それ以来跡継ぎとなるべき男子が

そしたら清和源氏のほとんどがそれに該当するなw
277人間七七四年:2009/08/10(月) 23:27:54 ID:FWTMcr2U
さてと、突っ込み以外に久しぶりに投下してみよう

大坂の陣の時
*一般的に篭城中の城は保存食は蓄えてあるが、"ナマモノ"なんてものはまずない
*場所はもちろん大坂
*判っていると思うが、鮭様はすでに死んでいる
以上のことを先に書いておく

徳川の大軍勢に包囲されている大坂城
にも関わらずに何故か生鮭がたくさんあったらしい。

考えられるのは…
*1)当時の大坂には鮭がたくさんいた
もちろん、そんなことはないので

徳川軍の中に内通者がおり、そのものが城中に生鮭を運んでいたということらしい
278人間七七四年:2009/08/10(月) 23:38:11 ID:rpS37C4T
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1142.html#comment
村松殿から信繁宛に送られているし塩鮭か何かで保存の利くタンパク源として扱われていたものじゃないだろうか
279人間七七四年:2009/08/11(火) 00:00:08 ID:vYT81yHK
>>277
当時の大坂に鮭がいないとしたら
徳川軍はその生鮭をどこから持ってきたんだぜ?
遠くからじゃ腐ってしまうんだぜ?
280人間七七四年:2009/08/11(火) 00:21:18 ID:ayOths7A
悪くなりやすい鮭を内通者を通じて送り込み食中毒を発生させる・・・
名づけて「吉川元春作戦」なり
281人間七七四年:2009/08/11(火) 00:26:02 ID:6pekxzpN
>>280
なんと・・・
282人間七七四年:2009/08/11(火) 00:27:04 ID:mNiaMJTS
差し入れにしても大量の生魚って困るよな。
どんなに塩漬けにしても保存できる期間はたかがしれてるし。
鮭とばだったら良かったのにw
283人間七七四年:2009/08/11(火) 00:51:27 ID:wvo3Tm3j
鮭の開き・・・とまでは行かんでも、ある程度乾燥させられればねぇ
でも生鮭だろ?どうなってんだろ?
284人間七七四年:2009/08/11(火) 01:06:41 ID:6pekxzpN
何かまとめwikiのようすがおかしいんだが
285人間七七四年:2009/08/11(火) 03:26:02 ID:Gk7ap0wp
286人間七七四年:2009/08/11(火) 04:48:27 ID:0z2JaPyZ
鮭じゃなくてビワマスとかサクラマスだったり
それか北の海で生捕りにして生簀に入れて船で運んでたとか
ちなみに鮭の皮は靴にもなるんだぜ
287人間七七四年:2009/08/11(火) 06:19:51 ID:Gk7ap0wp
「動」と「操」

弘治二年(1556)、毛利元就は陶氏の本拠地、富田若山城の攻略を始める。
この際、赤川就秀に富田の諸郷を味方に引き入れ、地下人を調略することを
書状にて指示した。これに言う、

「諸郷を味方に引き入れるコツは、『動』と『操』である。

具体的には、先ずその地域のしかるべき領主を案内に立て、足軽を派遣して
暴れまわらせ、人を一人二人討ち取り、家の3〜5軒も焼き払え。

このようにして浅手の傷を負わせたうえで、『操』を入れて懐柔工作を行い、
順次味方にしていくように。

それでも味方にならない郷があれば、そのときは『動』、すなわち武力を用いて
一郷ことごとく討ち果たせ。」

「操」とは交渉、「動」とは武力鎮圧、と言うことのようだ。
「武威を見せ付けた上で、硬軟両面を見せつつ屈服させる」と言うのは、戦国大名にとって
珍しいことではないが、元就の毛利家においては、その屈服のさせ方も、このように細かく
マニュアル化されていた、と言うことが解るお話。
288人間七七四年:2009/08/11(火) 11:44:32 ID:T5YbxLsI
鮭が遡上する川の南限ってどこらへんなの?
289人間七七四年:2009/08/11(火) 12:07:17 ID:yJqz7g/e
ググッてみたが、『現在は』利根川らしい。
290人間七七四年:2009/08/11(火) 12:16:41 ID:JL6wy27H
佐竹さんが秋田へ行くと魚もついてったと言う逸話もあるあたり、
大きな気候変動があったと考えるのが妥当ではないでしょうか。
291人間七七四年:2009/08/11(火) 12:17:50 ID:85Ualh0U
前にも大阪の鮭か弁当の鮭か何かの話題で毛利あたりでも鮭が取れたという話が出てたような
292人間七七四年:2009/08/11(火) 13:29:51 ID:JziZUK00
>>236
いくらなんでも軽く意訳しすぎじゃね
蓮所までしてるんだし絶対に暴れるなよ!狼藉するなよ!絶対だぞ!
って意味だろ?つか命令?
293人間七七四年:2009/08/11(火) 16:46:54 ID:UR7qBzHi
フリかよ
294人間七七四年:2009/08/11(火) 17:37:50 ID:5cfyq9c2
既出だったらスマン
佐竹義重さんとその他に関する逸話のまとめ(?)サイト

ttp://www.remus.dti.ne.jp/~ddt-miz/satake/episode.html
信玄と息子との関係がちょっと悪いっぽいのでここに載せます

>坂東太郎
誰だよ!あと政宗うぜぇw
295人間七七四年:2009/08/11(火) 18:32:45 ID:5cfyq9c2
因みに坂東とは利根川を指し「箱根の坂」以東を「坂東」と呼んだ事が語源とされています
坂東の武者は源平合戦に参加し平家物語に「坂東武者10人に京武者200人がかかっても敵わないだろう」とある武将が言っています
296人間七七四年:2009/08/11(火) 18:36:56 ID:T4ywJEfu
>>294
千葉県民の間では有名(多分)な
利根川の事です>坂東太郎
297人間七七四年:2009/08/11(火) 20:38:45 ID:zWcou58b
鬼武蔵のキレっぷり・・・ ではなくその親父殿、三左衛門可成のお話

信長の配下に谷大膳という者が居た
可成は昔この男と相撲を取って負けた事があり、それ以来谷とは仲が良くなかった
しかし谷が浪人した時には面倒を見てやったりしていた

その後森家を離れた谷が近江長浜城主羽柴秀吉の元へ居る事を知った可成、秀吉へ手紙を書いた
「お宅の所にいる谷ってのうちに返してくれない?」
これに対し秀吉の返事は
「じゃあお前のとこの尾藤源内(尾藤知宣の父親)を返せよ。あれは昔うちに居た男だ。そうしたら谷を返してやるよ」
と互いに交換を持ちかけた

これを聞いた可成は
「オレは谷を返せと言ってんだテメエの要望なんざ聞いてねえ!山猿の理論を持ち出してくんボケ!」
と何故かブチ切れて交換は当然無かったことに

その後、谷大膳は秀吉の播州三木城攻めの時、尾藤源内は近江宇佐山で朝井・朝倉連合軍に攻められ可成共々討ち死に
298人間七七四年:2009/08/11(火) 20:42:07 ID:6pekxzpN
この谷大膳ってのは谷衛友の父親だな。

まぁ、しかし・・・やっぱ親子だねぇ
299人間七七四年:2009/08/11(火) 20:44:33 ID:IyJyPVoA
>>297
親父様は至極真っ当な常識人だとばかり思っていたけど。。。
やはり血か、血のなせる業なのか
300人間七七四年:2009/08/11(火) 20:46:55 ID:UYdvqdHk
坂井がちゃんと森の対立候補として立っていればこんなことには・・・
301人間七七四年:2009/08/11(火) 20:48:43 ID:Gk7ap0wp
斎藤利三めぐっての明智家と稲葉家の紛争もそうだけど、織田家って基本的に
家臣間は仲悪いよねw
302人間七七四年:2009/08/11(火) 20:53:21 ID:PrbhV8RA
武士を物のように交換なんて出来るかよ!って言ういい話かも
303人間七七四年:2009/08/11(火) 20:58:35 ID:fpsoUPVJ
森家は主君信長には忠犬なのに他の奴には狂犬すぐる
304人間七七四年:2009/08/11(火) 21:10:08 ID:UR7qBzHi
狂犬と狂猿じゃそりゃ噛み合わんわ
305人間七七四年:2009/08/11(火) 21:16:16 ID:Gk7ap0wp
ホントかどうかは不明だがw


> 858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 08:48:18 ID:5Be8qfsK
> ひー駿府城の石垣が崩壊!
> ttp://up2.viploader.net/upphp/src/vlphp262808.jpg

> 864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 12:51:39 ID:WaQWRPuH
> あらら、駿府は地震で福島正則の担当場所が崩落してしまいました。
> 藤堂高虎の場所は小石ひとつ転がっていません。



> 867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 15:11:32 ID:5UqXTl6m
> >>864
> おのれ、福島!

> 868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 18:32:19 ID:E8tNQiR2
> >>864
> それはマコトか?

> 869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 19:33:50 ID:Gk7ap0wp
> >>864
> マジなら非常に興味深いなw

> 870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 20:02:18 ID:wpRyFfJ9
> >>864
> よりによって…

> 871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/11(火) 20:30:41 ID:quJflN0X
> >>864
> ちょっちゅね公のビンタが飛びますよ
306人間七七四年:2009/08/11(火) 21:20:33 ID:6pekxzpN
市松www
307人間七七四年:2009/08/11(火) 21:41:38 ID:vYT81yHK



ま   た   市   松   か


308人間七七四年:2009/08/11(火) 21:45:50 ID:qonE1lgy
実に市松らしい噂で安心したw
309人間七七四年:2009/08/11(火) 22:11:03 ID:2P1EN7XN
>>305
駿府城の石垣崩れたって聞いて、うわああとか思ってたけど…
市松w
310人間七七四年:2009/08/11(火) 22:16:32 ID:BoVo3su+
でも駿府城って幕末の地震で城自体は倒壊してたらしいし
それなら市松の担当箇所も400年くらい持ったってことですごいじゃない
高虎はもっと保ってるっぽいけど
311人間七七四年:2009/08/11(火) 22:54:28 ID:mNiaMJTS
>>299
でも仲悪いのに面倒見てやったり、
何よりキレたのに1人も人死にが出てないし、
森家としては奇跡的なほど常識人と言って良いのではないか。
312人間七七四年:2009/08/11(火) 23:10:41 ID:wbIwmdNI
>>297
可成が生存中に、秀吉が長浜城主ってないだろ
313人間七七四年:2009/08/11(火) 23:15:34 ID:6pekxzpN
>>312
そういやそうだな。
314人間七七四年:2009/08/11(火) 23:24:25 ID:Nc/FVkt8
有名な話だと思いますが載っていなかったので。曽呂利新左衛門さんの話。

あるとき秀吉に「望みの褒美をやろう」と言われた新左衛門、それならばとこう言った。
「お大名のお歴々の伺候の際に、殿下のお耳のにおいを嗅がせていただくことを
お許し下さい」
「えっ、何それこわ、じゃなくて何だそれは?」
「私が殿下のお耳のにおいを嗅ぐ様子は、お大名から見れば、私が殿下に何事かを
告げ口しているように見えるはず。さればお歴々は不安に思って、告げ口を
やめさせようとして私に賄賂を贈ってくるでしょう」

それを聞いた秀吉、
「なるほど……大名連中の反応を見るのも面白そうだな。( ̄ー ̄)ニヤリッ
よし、本当に賄賂を持ってきたら、お前が納めていいが、誰がどれだけ持ってきたかは
わしにも教えよ」
そう言って、二人して大名たちを騙す「遊び」をはじめてしまったのであった。

その後は新左衛門の言った通りとなり、新左衛門の元には多くの大名から進物が
贈られてきたという。
315人間七七四年:2009/08/12(水) 00:17:49 ID:AuCS6+w0
>>305
東海大地震で藤堂家の担当場所のみが生き残ってたりしてw
316人間七七四年:2009/08/12(水) 02:19:19 ID:uOGfQ+T0
>>305
いちおう市松の名誉のために日本史板の城スレから

216 :日本@名無史さん [sage] :2009/08/11(火) 10:03:39
崩れたのはきっと明治以降に積み直した所だろう。
220 :日本@名無史さん [sage] :2009/08/11(火) 21:03:29
修復された駿府城の石の積み方は谷積と言って、外面がほぼ正方形の石を
ダイヤ型に積み上げていく方法。現在の傾斜地の住宅地や、道路の法面でも
最も多く使われる積み方。単に土建屋にとって慣れてて楽、と言う理由で採用。

住宅地や道路の法面では、石垣が崩れないように石と石の間をコンクリで固めて、
排水のために、ところどころに塩ビの排水管をぶち込むが、
城でそれやる訳にも行かず、結果として弱い石垣になってしまっている。
城の石垣は、ちゃんと打込みハギにすべきだったと思うよ。


参考;駿府城の石垣
ttp://www.d1.dion.ne.jp/~mthouse/page1466.htm

すごく・・・崩れそうです・・・
317人間七七四年:2009/08/12(水) 02:21:09 ID:gFzGm437
つみなおしの方法が気になるところでもありますね。
318人間七七四年:2009/08/12(水) 02:24:02 ID:NXnJrR/t
市松さんの担当した所が明治以降に積み直した所だとすれば
すでにその頃崩れていたからということでしょうか…
319人間七七四年:2009/08/12(水) 02:34:32 ID:VfjRaky0
東海地震は何度もあったから、石垣もそのたびに崩落、補修となったんだろうね。
320人間七七四年:2009/08/12(水) 02:35:32 ID:qZLqSqqm
市松垣として観光名所にしろよ
321人間七七四年:2009/08/12(水) 02:38:29 ID:3hnFhPsD
誰か石田三成の死装束?の話してくれ
322人間七七四年:2009/08/12(水) 02:56:13 ID:gFzGm437
1896年(明治29年) 歩兵第34連隊の誘致に伴い、本丸堀は埋められ、城郭施設は全て取り壊される。
この時点で石垣の一部が駐屯地の資材に流用されたんじゃないかな

明治は城郭解体しまくりですし。
私の地元の高槻城も東海道本線のために資材として解体されてしまっています。
323人間七七四年:2009/08/12(水) 03:15:11 ID:33EnTwCc
>>322
俺の地元の上田城も明治時代に解体されて遊郭に…(´;ω;`)
324人間七七四年:2009/08/12(水) 06:59:16 ID:g/MSHdgC
おのれ山縣有朋
325人間七七四年:2009/08/12(水) 09:38:40 ID:VfjRaky0
>>323
上田城の場合三の丸が丸ごと消滅しているんだよね。
官庁街と市街地、運動場になっている。
326人間七七四年:2009/08/12(水) 11:21:45 ID:UXNUMavC
俺の地元の宇都宮城は復元されたけどコンクリ土塁とかそこに開いてる穴とかすこぶる不評だぜ
327人間七七四年:2009/08/12(水) 11:42:04 ID:/AauQ7mi
どことは言わないが確かに外面だけは見栄え良く整備して
中を散策するとコンクリ丸分かりの復元した城は萎えるな
328人間七七四年:2009/08/12(水) 11:44:47 ID:E6dGE9FK
>>327
名○屋のだぎゃー市長がアップを始めました
329人間七七四年:2009/08/12(水) 12:14:16 ID:IGa+6ms+
甲府城(w)も酷い
武田氏館跡の武田神社と違って県民はその存在すら気にしてなかったのに
観光客呼べるモノがなにもないから無理矢理復元しようとしてる
330人間七七四年:2009/08/12(水) 12:16:38 ID:gFzGm437
高槻城のCG作成の予算が1千万でしたが何か?
331人間七七四年:2009/08/12(水) 12:24:48 ID:tp/b3u5R
小倉城ですね。南蛮造りの造形美もわからず、破風をつけまくって
どこにでもありそうなお城を作った醜い姿。
332人間七七四年:2009/08/12(水) 12:46:03 ID:yvZoiS+G
なんの関係もない場所に、石垣も掘り割りもなく
ただただポツーンとコンクリートで作られた関宿城こそ
最強であることは間違いない。
333人間七七四年:2009/08/12(水) 12:50:23 ID:2TNRyBIS
松江城は住民が頑張ったおかげで健在。
それに比べて米子城は…
334人間七七四年:2009/08/12(水) 12:58:32 ID:7z1MqqpB
そういうのを見ると松本城を私財をはたいて守った人々は偉大だなぁ
335人間七七四年:2009/08/12(水) 12:59:28 ID:3ddAPpOf
>>333
壽城の事ですね!
336人間七七四年:2009/08/12(水) 13:08:14 ID:q8HGmlFd
やっぱ、今時バリアフリーぐらい考慮した城じゃないとね。
外付けエレベーター付き大阪城
ttp://pht.so-net.ne.jp/photo/nobfujii/images/1124932?albumId=
337人間七七四年:2009/08/12(水) 13:20:11 ID:euK1HhBt
>>332
関宿城は「城の形をした治水博物館」にすぎない
そう考えると、ただの四角いコンクリ箱の博物館より城の形をしてる分だけ楽しいじゃないか
338人間七七四年:2009/08/12(水) 13:27:13 ID:1CHpbDLI
森忠政「超カッコいい俺の津山城再建まだ〜?」
339人間七七四年:2009/08/12(水) 13:49:05 ID:oKO5aZUe
桃でも食って待ってろ
340人間七七四年:2009/08/12(水) 13:50:47 ID:AuCS6+w0
石垣が崩れたぐらいがなんだ!
わしの城はry

と、内ヶ島さんが申しておりますw
341人間七七四年:2009/08/12(水) 15:07:01 ID:da+bjG77
岐阜城の酷さもなかなか…
342人間七七四年:2009/08/12(水) 16:16:39 ID:OJRmJQXv
城の造詣を競う中、新たなネタを一つ。

寛永11年、仙台に、伊達三傑の一人、伊達成実の屋敷が出来たということで、
伊達政宗を招いて、新築祝いの饗応の会がひらかれた。
しかしこの時何が悪かったのか、祝いの席で怪異が続く。
能舞台に血の痕が見えたり、生首らしきものが見えたり、
果ては、政宗の十男宗勝の舞をバカにした者を、政宗が手打ちにしたりして、
流血沙汰にまでなった。

どうにか会が終わり、その帰りがけの政宗の台詞、
( ●Д゚)「成実、今夜は火事に気をつけろよ!」

その夜、仙台の街で火事が起こる。
火事の報を聞いた政宗は、出火場所を聞く前に言い当てたとか。
( ●Д゚)「どうせ成実んところだろ」

その通り成実の新築屋敷だった。ただし政宗が火をつけさせたわけではなく、
(゚听)「火に気をつけろって言われたら、やるしかねーだろ!」
と、成実自ら火を放ったらしい。

政宗がDQNだったのではなく、伊達の血がそうだったのか、と思わせる話。
343人間七七四年:2009/08/12(水) 16:17:27 ID:OJRmJQXv
おまけ。
筆まめな政宗くん、火事見舞いの手紙。

さてさて、思いもよらない火事で残念だよー。茶入・花入とか無事だった? 
昨日は晴天で、能もどれもとってもよかったよね。
催しの前に火事があると気の毒だけど、終わってからだったから外聞もいいし、
不幸中の幸いだね(*●ー^)b
前からの約束、28日には必ず必ず待ってるからねー。
344人間七七四年:2009/08/12(水) 16:21:39 ID:9N2qn6Cr
>>342
ネタ振られた芸人じゃねーかww
345人間七七四年:2009/08/12(水) 16:23:10 ID:7z1MqqpB
先生、まったく意味が分かりません!
346人間七七四年:2009/08/12(水) 16:29:48 ID:Txd9ABW+
最初の怪異は何だったんだろ?
347人間七七四年:2009/08/12(水) 16:34:31 ID:UXNUMavC
新築早々怪異が続いた屋敷なぞ建て直せと言いたいけど、建てて即壊すのもアレなので暗に放火せよと命じた政宗と、その意を汲んだ成実の機知に富んだ良い話 …という訳にはいかないか
348人間七七四年:2009/08/12(水) 16:58:43 ID:sqh8vBQW
>>342
新築早々いろいろ嫌な事が起きて験が悪いから燃やしちゃったって事?
349人間七七四年:2009/08/12(水) 18:38:15 ID:uX+edGti
そういえば、家を新築する時は周りに不幸があるから
気を付けろって言われて、本当に近所で二件ほど
不幸が起こっちゃったんだけど、あれはどういった
所から話しが来てるのかね?
350人間七七四年:2009/08/12(水) 18:42:20 ID:GkObCnvB
>>349
旧暦には大安や仏滅の日みたいに三隣亡って日があるんだが、ちょうどその日に建てたとか?
351人間七七四年:2009/08/12(水) 20:53:26 ID:A9lAruQe
【アニメ】 庵野秀明、 ヱヴァ新劇場版完結作の総監督を降板表明 
「ファンの皆様が納得のいくエヴァの結末を今の僕には作れない」 [08/12]
ttp://changi.2ch.net/test/read.cgi/eva/1246974675/l50
352人間七七四年:2009/08/12(水) 22:07:01 ID:yGqRNwLB
家康、逃げる。


けちで有名な家康も、たまには鷹揚になることもあった。
江戸城にいたときの話であるが、「たんはん」という側衆に、黄金をほうりなげるからうまく取ったらやると言い出した。
喜んだたんはんが見事受け止めると、その様がおかしかったのか、もうひとつ投げる。これまたナイスキャッチ。
たんはんがさらにせがむと、家康は手を振って、席を立った。

そこで本多正信がよりにもよってたんはんをそそのかし、たんはんが追うと家康さらに逃げ足を早める。
たんはんが「殿は戦場でもこの様に逃げるんですかー」と言ってもお構いなし。
ついには家康が逃げ込んだ奥御殿の前で、「エイエイオー」と高らかに凱歌を上げるたんはん。

家康が敵に背を見せたのは、三方が原のとき以来であったという。
353人間七七四年:2009/08/12(水) 22:09:46 ID:1ITchzZ2
354人間七七四年:2009/08/13(木) 01:40:33 ID:uK9uLcpe
>>352-353
DQNオールスターズと常識人オールスターズでミッドサマー・クラッシック開催乙。
355人間七七四年:2009/08/13(木) 09:37:35 ID:/L15AZzV
>349
家を建てるとなると金銭的・精神的な負担がデカくて
心労がたたって体調くずす、、と聞いたことあるよ。
356人間七七四年:2009/08/13(木) 10:20:16 ID:9KwJqQcW
>>332
野田は北のはずれの関宿城のほかにも南の流山との境にも
歴史とはえんもゆかりもない宗教団体の建てた城があるな
357人間七七四年:2009/08/13(木) 11:03:19 ID:8EUgV5rv
1534年、明の冊封使、陳侃は琉球に足止めされていた。

琉球の王、尚清を冊封に来たのだが、その式典が終わった後、尚清王が自分の所に、
さっぱり挨拶に来ないのだ。

しかたなく那覇港近くの天使館(迎賓館)で空しく日々をすごしていると、冊封の式典から
しばらくたったある日、尚清王がようやく陳侃の下に現れた。

尚清「ご無沙汰です!」

陳侃「ご無沙汰じゃないですよ!何で来るのがこんなに遅くなったんですか?
   …もしかして明帝国のことナメてるんじゃないでしょうね!?」

尚清「とんでもない!私はあなたに会いに行きたくてうずうずしてたんですけど…、
   この那覇にね、あの連中が滞在してたんですよ。」

陳侃「あの連中?」

尚清「日本人」

陳侃「日本人!」

尚清「あいつら狡猾で、私があなたに会いに出向いたなんて聞いたら、何して来るかわかんないじゃ
   ないですか?それが怖くて宮殿から出られなかったんですけど、彼らが那覇から出港して
   くれたんで、ようやくこちらに出向けたってわけなんです。
   決して明をナメたり、礼を怠ったりしてたわけじゃないですよ!」

陳侃「それじゃあしょうがない。」


この「日本人」と言うのは、倭寇集団のようです。
尚清王が実際に、倭寇が滞在していたから陳侃に合いに行けなかったのか、それとも
なにか他に会いたくない理由があって、その言い訳に倭寇のことを言ったのか解りませんが、
明の官吏にも、この言い訳が十分に通用するほど、倭寇というものは、琉球の主権者である
王にすらコントロールできない存在だったらしい、と言うことが伺えるお話。
358人間七七四年:2009/08/13(木) 11:19:28 ID:xpNgjHgt
いや、賊なんだから追い払えよ尚清…
359人間七七四年:2009/08/13(木) 12:09:35 ID:9lZfcFiM
いやいや、琉球にとっては倭寇もいわば、「お得意様」だから……。
360人間七七四年:2009/08/13(木) 12:26:15 ID:2Ik6udOJ
中継貿易で栄えてるから仕方ない
出荷した荷物がなぜか戻ってくる
361人間七七四年:2009/08/13(木) 12:44:45 ID:JYDFQhg9
なにそのコロンビアのエメラルド採掘ビジネスw
362人間七七四年:2009/08/13(木) 12:50:50 ID:T1B3Rs9j
>>357
このあと積極的な対倭寇政策に乗り出している。

というか尚清は前王の5男だったために即位から8年も冊封を受けられなかった。
倭寇がここまでになってしまったのもそのせいだったのかも。
363人間七七四年:2009/08/13(木) 13:09:49 ID:39LntXSS
寄港地ってのは安全を保障する/される代わりに
置いてくモンは置いてかないといけないからな
364人間七七四年:2009/08/13(木) 16:04:42 ID:6uWEsi+H
    
365人間七七四年:2009/08/13(木) 18:18:45 ID:89i+MP03
>>363
海峡の都市・マラカなんかは、近くを通った船を無理矢理寄港させて稼いでいたからね。
366人間七七四年:2009/08/13(木) 19:05:57 ID:lU4NmnBm
有名な逸話だとは思ったがまとめにないようだったので、
諸説ある島左近の関ヶ原後の行く末話のひとつ。



殿隠しの洞

石田三成とともに関ヶ原で奮戦した島左近だが、
小早川秀秋の裏切りと共に三成軍は総崩れ、
戦場を脱して落ち延びることとなった。
三成はやがて捕らえられ、その後の運命は広く知られるところ。

一方の島左近は、三成と木之本町古橋で別れた後、更に北へと逃れ、
高時川支流最奥の奥川並へとたどり着く。
勿論こんな場所に武将が来るなど初めての事。
驚いた村人は事情を聞き、由緒ある武将だということで、村を上げて匿うこととなった。
村に置いておいては危ないと、更に奥地にある洞窟に匿い、
毎日食事を交替で運ぶなどして世話をした。

やがて残党狩りも収まり、村に追っ手が来ることもなくなった頃に村へと迎え、
家を建てるなどしたので、感激した左近だが、恩に報いる術がない。
そこで村の主な者が苗字に島の字を使うことを許した(上島・中島・生島など)。
他にもいろいろ知識を与えるなどし、平和に暮らしていたある日、
関ヶ原の論功行賞によって奧川並は彦根藩主・井伊氏直轄となってしまい、
その上、現地に検分に来るという。

左近を匿っていたことが知れれば、村人もただではすまないだろう。
困り果てた村の者達は相談したがよい案もなく、
仕方なくある夜、左近の寝込みを襲い、梯子で動けないようにして殺してしまった。
更に家にも火をつけて焼き払い、左近が村にいた痕跡をことごとく消してしまう。
その上で口外無用と厳しく申し合わせた。

かくして村は、彦根藩による検分を何とか免れた。
奧川並には今も左近を隠した洞が「殿隠しの洞」としてあり、
上島・中島・生島の苗字を三島と呼び、
左近の家跡を島屋敷と呼ぶなど、左近に関するものがあれこれ残っているという。


関ヶ原で小早川の裏切りによって破れた島左近、
その最期もまた人々の裏切りであったという悲しい話。
367人間七七四年:2009/08/13(木) 21:22:43 ID:MTgEa1r0
>>366
きっと武将の首の取り方も村人に教えたんだろうね。
イイハナシダナー
368人間七七四年:2009/08/13(木) 21:40:02 ID:qR8eFuKI
南のDQNの元に辿り着いていればなあ。
369人間七七四年:2009/08/13(木) 22:10:33 ID:gwuIMWMP
大久保彦左衛門 忠告を受けて その2

彦左衛門は3尺6寸もある長い刀をいつも差しており、江戸城でもお構いなしにそのまま歩き回ったものだから、
刀の先が周りの人に良くぶつかり、みんな大迷惑だった。

そこである同僚が彦左衛門に忠告
「あなたの刀は長すぎて、みんなの立ち振る舞いの邪魔になる。短くしてもらえないだろうか。」
彦左衛門
「よろしうござる。」とあっさりうなずいた。

ところが翌日登城した彦左衛門の格好にみんなびっくり。
鞘こそ6尺ほど短くなっていたが、刀の長さはそのままで、
刀の先がむき出しになっていたものだから、
彦左衛門が動くたび、周りの人の服や畳が切れ、物騒でしょうがない。

困った同僚が、なぜそんなこしらえにしたのか尋ねたところ、
彦左衛門
「昨日のあなたの忠告を受け、短い刀にしようと思ったが、わしは小身者なので新しく刀を買うことができぬ。
そこでこの刀を短くしようとし、鞘は切ることができた。しかし刀身は鋼のため、わしにはどうしようもなかったのじゃ。」

同僚たちも頭を抱え、藪をつついて蛇が出たと嘆きあった。


370人間七七四年:2009/08/13(木) 22:15:09 ID:H++NPqwo
>>369
めんどくせえ
371人間七七四年:2009/08/13(木) 22:42:03 ID:/ZqCBd3B
>>366
途中までうんうん、いい話だなーって思ってたら、
寝込み襲って殺したって…左近ほどの武将が…
これ悲しすぎるだろ…
372人間七七四年:2009/08/13(木) 22:46:03 ID:8EUgV5rv
>>371
落ち武者伝説にはよくあるパターンではあるね。
八墓村も基本的にはこれと同じ流れだな。あれは尼子の武者だったか。
373人間七七四年:2009/08/13(木) 22:46:40 ID:Ikv1NHCI
>>369
ただの年取ったかまってちゃんとしか思えん。ため息つきたくなるぞ。
374人間七七四年:2009/08/13(木) 22:49:56 ID:7k9oJgrn
彦左っていつも
わしは泥まみれの槍働きしか出来ないから小身だ〜
とか
前らと違って要領悪いから上様にかわいがられてねーし
とか〜
みたいな話しばっかりだw
375人間七七四年:2009/08/13(木) 23:12:23 ID:jlyZTm7Z
その代わり、機転を利かせたとは言え、家光から餅を2つ貰った話の様に
良い事や目をかけてもらう事があったら子どもの様に無邪気に喜ぶという…
他にも仕官先の無い浪人の世話や面倒を見たりと、良い所はあるんだよw
376人間七七四年:2009/08/14(金) 00:44:46 ID:/Er+7Lu1
1554年12月、朝鮮では、鉄砲の技術を学ぶため、教官として一人の日本人が招かれていた。
その名を信長(!)と言ったという。

その信長が、朝鮮の国境警備隊(備辺司)の隊長に、こんなことを言った

「自分の知り合いに、先に朝鮮の取締りを逃れ済州島から命からがら逃げてきた
倭寇の薩摩人がいるのだが、その者が、明春、報復のため大船団を派遣して済州島に
攻め込むと言っている。気をつけられよ。」

これを聞いた朝鮮政府はこう反応した。
「そんなバカなwww」

無論、何の対策も採らなかった。


翌年4月、対馬から朝鮮政府に、信長の言った事とほぼ同じ内容の報告がなされた。

これを聞いた朝鮮政府は、今度はこう反応した。
「無い無いそんな事www」

無論、何の対策も採らなかった。


そして5月11日

倭寇は、来た。
七十隻あまりと言う大船団で。

彼らは全羅道の達梁浦に上陸すると、達梁城を取り囲む。何の対策もしていなかった
達梁城はわずか5日で陥落。さらに全羅道各地の軍事施設を軒並み破壊し尽くし、
朝鮮の防衛体制は完全に麻痺、さらに六月になると済州島を襲い、激戦により
当地に甚大な被害を与えた。

このよう暴れまわった挙句、倭寇は再び去っていった。
この事件は「達梁倭変」と呼ばれ、当時の朝鮮政府に、深刻ななショックを与えたと言う。

当時の朝鮮の、情報への不感症が垣間見られる、そんなお話。
377人間七七四年:2009/08/14(金) 06:31:31 ID:2MEciyyI
>>376
あれか
文禄・慶長の役のように来襲の情報も政争の具にしたのか
378人間七七四年:2009/08/14(金) 10:37:00 ID:RULEDX9X
>>369
6尺短くなっていたって・・・
6寸の間違いだよね
379人間七七四年:2009/08/14(金) 12:18:00 ID:9Z5dBnBe
大事なとこ間違えちゃダメだぞ(はーと
380人間七七四年:2009/08/14(金) 14:52:50 ID:LtVK5dNy
まとめだと忠興の悪い話は少ないけど
DQN四天王になるほどの悪い話しって何遣ってたの?
381人間七七四年:2009/08/14(金) 15:00:46 ID:2MEciyyI
>>380
ガラシャを閉じ込めたり、松の枝を誤って切り落とした職人をその場で殺したりするのはDQNではないと?
382人間七七四年:2009/08/14(金) 15:14:50 ID:VxsZY6MY
歌仙を作ったこともだな
383人間七七四年:2009/08/14(金) 15:41:54 ID:LtVK5dNy
>>381
逆言うとそれくらいにしか感じなくて
鬼武蔵を読んだあとに読んだせいか偉く教養人にしか見えないw
384人間七七四年:2009/08/14(金) 15:58:05 ID:iHDtqjFq
跡継ぎの問題だとか、
妹の婿をいい感じに殺したりとか妹に殺されかけたりとか、
敵の城に単独で潜入したりとかもあるな。

まあ、ガウシャだけでおなか一杯だけど。
385人間七七四年:2009/08/14(金) 15:59:35 ID:ph8+nd01
あとは
息子がらみとか
寺で坊主を…とか
妹婿がらみで妹に切りかかられる
とかかな?

386人間七七四年:2009/08/14(金) 16:05:59 ID:JDZn+L4g
関ヶ原で開城降伏した親父に武士なら潔く討ち死にすればいいのにと言ったとか
息子の嫁離縁させようとして息子ごと逃げられたとか
妹に刺されそうになったとか
3871/2:2009/08/14(金) 19:05:03 ID:phRjGF87
常陸を没収された佐竹義宣主従が、秋田へ向かう道中のこと
山形の手前まで至ったところで、一行に緊張が走った
山形城主の最上義光が、出迎えと称して多勢を引き連れて出張ってきているという
言うまでもなく、義光は生粋の徳川派大名で、今回の戦役の勝ち組である
「まさか家康から指図を受けて、我らを…?」
佐竹一行が疑心暗鬼に陥ったのも無理はなかった
やがて、義光は手勢は後方に待機させ、単騎で待っているという知らせが入る
ようやく一同は安心し、義宣も単騎で赴こうとした

そこで一人、どうしてもお供をと名乗り出た武将がいた
東家佐竹義久の末弟、大塚権之助という男である
義宣は権之助を連れ、義光と対面する
「今回せっかく隣国にお越しになるんですから、今後は気安く相談などしましょう」
義光はいたって丁寧な態度で、互いに挨拶などして別れた

行列に戻ってから、ある者が権之助に供を申し出た理由を尋ねた
彼はこう放言した
「いやいや、義光は信用し切れん。もし何かやらかせば、おれが直ちに討ち取ってやるつもりであったわ」
このように、権之助は不敵で武勇を誇る男だったという
3882/2:2009/08/14(金) 19:05:46 ID:phRjGF87
と、ここで終われば、義光が信用されなかった悪い話だが、続きがある

秋田に移った後、権之助は領国南部の横手城に配属された
ところが何のトラブルがあったか、舅方が彼に無断で妻を実家に引き取ってしまう
怒った権之助、妻の実家に押し入り、舅らを斬殺した挙句、自宅に立て篭もるという事件を起こした
横手城代の須田美濃がすぐさま出兵し、大塚宅を攻撃、権之助は討ち取られた

久保田でこの報告を受けた義宣は嘆息した
「あやつは側近くにおけば、必ず何か不届きな失態をするだろうと思っていた
いざという時に役立つ男と見込んだからこそ、横手に置いていたのだが…」

性格が限りなく悪い方に出てしまった勇者のお話
389人間七七四年:2009/08/14(金) 19:14:01 ID:/Er+7Lu1
舅が妻を勝手に引き取るってのは一族間で紛争があったっぽいなあ。
その上でメンツ潰されてぶち切れたか。
390人間七七四年:2009/08/14(金) 20:19:26 ID:rozYoi7H
見方変えると、一人で出迎えた義光の勇気大度に対して、護衛を連れて行った義宣。

主君の外聞をつぶした悪い話にもなるわな。
391人間七七四年:2009/08/14(金) 23:49:51 ID:dHcG9dkM
江戸城西丸御殿が完成した時、徳川家光はその内部を見学した。
すると偶然にも家光は大久保彦左衛門と遭遇した。
普請の出来に満足していた家光は彦左衛門に言った。

家光「おう彦左、見ろよ上出来だろう」
彦左「……」
家光(むむ反応がないな。そうか彦左め、とうとう耳が遠くなったな)

家光「おい彦左!上出来だな!上出来!」
彦左「まずまずですな」

彦左は上出来とは言わなかった。そう不満だったからである。
不満だったので彦左衛門は家光がいるのも構わず、普請奉行の
佐久間将監にクレームをつけた。

彦左「カニは甲に似せて穴を掘る、と言われますが、あなたの家なら
   この出来でもよろしい。ですが将軍家には相応しくないと思います。

   まず鴨居が低い。兜を着けて通ることができないし、槍をいちいち
   横にしないといけない。それと厠が狭い。有事には甲冑や太刀を
   着けたまま用を足すのですから、もっと広くしなくては。

   奉行なら合戦の事を考えるべきでしょう。どうやらあなたは武事とは
   疎遠のようですな」

将監「……」
家光「……」

家光は将監が可哀想でいたたまれなくなり、足早にその場を去ったという。
392人間七七四年:2009/08/14(金) 23:55:07 ID:ph8+nd01
彦左って、見えない何かを求めてる気がする
393人間七七四年:2009/08/14(金) 23:55:37 ID:dvgst/dB
めんどくせぇーーーーー
394人間七七四年:2009/08/14(金) 23:58:45 ID:3MM7ch7h
彦左タチの悪い姑みたいだ
395人間七七四年:2009/08/15(土) 00:00:53 ID:BkkMpe74
ウゼェw
396人間七七四年:2009/08/15(土) 00:17:56 ID:Ki++OkZz
彦左の言い分自体は武家にとって必要な備えだし
こういう人が居てくれるうちはお家は安泰だなと思う
397人間七七四年:2009/08/15(土) 00:20:58 ID:9IOvoI2n
佐久間「この私が奉行になったからには将軍様自らが合戦に赴かずとも済むよう――」
とでも言えばよかったんだろうか
398人間七七四年:2009/08/15(土) 00:24:02 ID:PoeD+eWN
それなら城いらないだろと返されるんじゃね?
399人間七七四年:2009/08/15(土) 00:55:56 ID:Bi1xgVbh
ただ、なんつうか、安藤帯刀などの場合とは異なり、
大久保彦左衛門の場合、そういう直言の出る背景が
非常にネガティブで屈折している印象を受ける。

「どうして俺らは(これほど働いてきたのに)取り立て
られないんだ」というルサンチマンでしかないような気がする。
それに、こういっちゃ難だが、彦左衛門の兄たちや忠隣に比べると、
彦左衛門本人は、正直それほど大したことない。
400人間七七四年:2009/08/15(土) 00:56:56 ID:XAGp1M3a
元親さんと銃眼の話を思い出した。
元親さんだといい話の様な気がするけど、彦左だと悪い話としか思えない。
401人間七七四年:2009/08/15(土) 01:01:29 ID:PFsf30BM
>>396
蒲生氏郷みたいな街づくりは平時には害だぞ。
402人間七七四年:2009/08/15(土) 01:03:35 ID:Yk3jZDMM
>>401
迷路職人だからなw

今でも松坂の町は迷い易い。
403人間七七四年:2009/08/15(土) 01:05:39 ID:lhYuDosj
>>398
しかしその考えが江戸軍学の主流

孫子「籠城するハメになるくらいなら最初から戦争すんな」



江戸軍学者「籠城して勝った軍などない。負けると分かっていても武田に野戦を挑んだ神君スーパーカコイイ」

に早変わり

太平の世に実戦的な思考法そのものが必要とされていない
404人間七七四年:2009/08/15(土) 01:17:06 ID:pZu4yv3G
しかしなんで彦佐は処罰も受けずのうのうと生きてんだ
伝説だと割り引いてもめんどくささが尋常じゃない
405人間七七四年:2009/08/15(土) 01:21:33 ID:XAGp1M3a
他の三河人は忠義から来てるツンデレ系めんどくさい人が多いのに、
彦佐は他人への意地悪、愚痴、嫉妬しかないのが凄い。
他家なら絶対追放されるか殺されると思う。
406人間七七四年:2009/08/15(土) 03:03:36 ID:2tQLZePm
鬼武蔵の信長のように甘えられる環境があるから存在できたのではないか?
めんどくさい×めんどくさい=どうにでもなれ〜
407奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/15(土) 06:26:11 ID:7tlmXxgB
√45450721 = 67417
シコシコオナニー = 虚しいな

数字の奇跡

18782 + 18782 = 37564
いやなやつ + いやなやつ = みなごろし

数字の横暴
408人間七七四年:2009/08/15(土) 08:27:46 ID:YLL7tlsc
>>401-402
うじにゃん「松坂は反省している。だから京都にでっかい一本道作ろうと思ったんだ」
409人間七七四年:2009/08/15(土) 09:01:57 ID:1xy/mT1c
いや、それただの腹いせだろ
410人間七七四年:2009/08/15(土) 09:32:11 ID:c/Rwg6BQ
めんどくさい人達だから飼いならすのは並じゃないが、かえって信頼できるとも言える
411人間七七四年:2009/08/15(土) 11:18:50 ID:SoWct5Al
カツオ節

井伊直政が病になり伏せっていたところへ、大久保彦左衛門が見舞いにきた。
彦左衛門
「今ではお互いの身分もかなり違ってしまったが、昔は互いに馬を並べて戦功の優劣を競ったものだ。昔の友人のよしみ
を忘れられずにお見舞いに参った。」
直政
「そのとおりじゃ。昔を思い出すのう。」
そして、二人で数刻昔話に花を咲かせた。

彦左衛門は、「これを差し上げますので、朝夕召し上がってくだされ」といって直政にお見舞いの品を渡した。
お見舞いの品はなんとカツオ節。
 思わず返答に困る直政に対し、
「大身の大名となって食べ物には不自由しないだろうが、贅沢な衣食を改めてはどうじゃろ。井伊殿の病の原因は
贅沢ではないのかな?ワシは毎日カツオ節を食べているゆえか、病など致しません。」
と言ったという。

彦左衛門は戦の兵糧にカツオ節を必ず持って行ったそうで、島原の乱に陣参したのは伊達ではないのだ。
412人間七七四年:2009/08/15(土) 12:33:54 ID:XQ4GSkNp
なんかこの話は真面目に言ってるっぽいな
413人間七七四年:2009/08/15(土) 12:51:11 ID:wtbceHti
でも彦左だし…
414人間七七四年:2009/08/15(土) 12:52:30 ID:pClZfkfR
彦左衛門だと嫌味にしか受け取れない。

このスレに毒されすぎだろうか…

多分まじめに心配してんだろうけどさ。
415人間七七四年:2009/08/15(土) 13:00:23 ID:RF4URVFf
マジメにいってても毒が入っちゃう人って居るから
416人間七七四年:2009/08/15(土) 13:07:50 ID:whbaYvUQ
そもそも井伊直政って関ヶ原での戦傷が元じゃなかったっけ。
しかし、どー見ても僻みにしか見えん。
417人間七七四年:2009/08/15(土) 13:09:26 ID:F6+qxjLf
本人めずらしく真面目なのに傍から見たら嫌味にしか見えないからタチが悪いw
418人間七七四年:2009/08/15(土) 13:12:14 ID:PoeD+eWN
人間は多面性があるんだから
一面的に判断してはいかん
419人間七七四年:2009/08/15(土) 13:15:47 ID:RF4URVFf
典型的三河武士の多面性ってのは
20面ダイスの18面まで「めんどくさい」で残り1面に「律儀」で後1面にそれぞれの変わった一面があるってくらい?
420人間七七四年:2009/08/15(土) 13:18:01 ID:A20AT4bn
勿論最後の一面もめんどくさいな人も居たりするんですよね?
421人間七七四年:2009/08/15(土) 13:23:02 ID:0t7xpTAV
めんどくさいめんどくさいめんどくさいめんどくさい皮肉屋性格悪い頭切れる口が悪い
頭切れる頭切れる頭切れる頭切れる忠誠心忠誠心頭切れる口が悪い
性格悪い性格悪い口が悪い信仰心

ある三河武士の20面
422人間七七四年:2009/08/15(土) 13:25:09 ID:gmoyPlWi
>>342
>果ては、政宗の十男宗勝の舞をバカにした者を、政宗が手打ちにしたりして、流血沙汰にまでなった。

遅レスだが、これは嘘
晩年涙もろくなっていた政宗に宗勝の能を見せて、「これは泣けますな!」とへつらってお涙頂戴しようとした家臣を
「ガキの能で泣けるか」と鞘だかなんだかで殴って流血沙汰になった
全く逆のお話
423人間七七四年:2009/08/15(土) 13:31:54 ID:abvhJ7O7
それでこそ政宗w
424人間七七四年:2009/08/15(土) 13:34:22 ID:0zN03uAB
佐渡守?
425人間七七四年:2009/08/15(土) 14:25:39 ID:CmQx3RzT
>>424
>>421はたぶんそうだと思う。
426人間七七四年:2009/08/15(土) 17:20:04 ID:foycD49l
家光は戦話が好きであり、しばしば家臣を集めて古今の話に耳を傾けた。

あるとき、源平のころの話を聞いたとき、感極まって、次のように語った。
「義経はうらやましい。彼の元には、弁慶、佐藤継信、忠信など忠勇兼備のものが揃っておった。
あのような者共を股肱の臣として自在に使いこなせたら、大将冥利に尽きるというものだ。」

よりにもよって

御前にいた家臣も、なるほどとうなずき喝采した。

ただ一人を除いて

彦左衛門、喝采の最中は横向いて知らん振りをし、その後聞こえよがしに
「今の世にも、弁慶のようなものはいくらでもおりますワイ。
残念なのは、義経のような偉大な君主がいないことの方ですわ」

彦左衛門がいるのを忘れ、余計なことを言ってカウンター食らった家光の悪い話

427人間七七四年:2009/08/15(土) 17:30:21 ID:gmoyPlWi
>>426
鬼武蔵なら彦左衛門斬ってたかもしれんな
428人間七七四年:2009/08/15(土) 17:32:59 ID:txO8uw+f
>>426
こいつwww
429人間七七四年:2009/08/15(土) 17:35:12 ID:hjUxRvFl
回りの人間のげんなりした顔が目に浮かぶw
430人間七七四年:2009/08/15(土) 17:40:19 ID:foycD49l
>>427
彦左衛門は鬼武蔵に二度煮え湯を飲ませた三河武士の一員です。
431人間七七四年:2009/08/15(土) 17:40:29 ID:Yk3jZDMM
いちいち一言多い
432人間七七四年:2009/08/15(土) 18:24:00 ID:Vz3MyYzu
>>381
忠興は、ちょっとした家の中のいざこざばかり。どうでもいいこと。
鬼武蔵は、非常識な行動でトラブル続き。

全然内容が違う。
433人間七七四年:2009/08/15(土) 18:24:09 ID:A20AT4bn
うちのねーちゃんこんな感じだったよ
測ったら34`だったやっべマジやっべとか言ってました
434人間七七四年:2009/08/15(土) 18:24:54 ID:A20AT4bn
すみません。誤爆しました…
435人間七七四年:2009/08/15(土) 19:42:18 ID:iXyO9Vjy
>>426
カウンターの威力がハンパじゃね〜www
436人間七七四年:2009/08/15(土) 20:28:09 ID:YLL7tlsc
>>411
鰹節は猫の好物とされがちだが、実は身体に良くないらしい…
ひこにゃんに、んなもの食わせるなよ、彦左--;

ああ、こいつも彦にゃんだったわw
437人間七七四年:2009/08/15(土) 21:58:43 ID:foycD49l
高家 品川家の誕生

関が原の戦い後の話である。
江戸城にいた徳川家康の下に、毎日話をしに来る老人がいた。
今川氏真その人である。
「ひまなんで昔話しよーよ。」

恩人の息子なので、丁寧に対応していた家康。
しかしながら、毎日毎日応対しなくてはならないは、
子供のころの話を蒸し返され、部下にもカッコつかないは、
氏真に頭が上がらないころの、家康にしてみれば面白くない話もあるはで
いい加減うんざりしてしまった。

「なにか、毎日これないようにする方法ないかな・・・・」

翌日、氏真に品川の屋敷に引っ越すよう幕府からの命令があった。
さすがに品川から江戸城まで毎日通うことはできない。
家康の真意を悟った氏真は隠居し、長男の息子に本家の今川家を継がせ、
次男は分家させ、屋敷のある地名を取って品川家を興させた。
これが高家 品川家の由来である。



氏真が空気を読める性格だったら、品川家ではなく、千代田家や文京家ができていたかもしれない。
438人間七七四年:2009/08/15(土) 22:30:55 ID:Xijdt1B4
忙しいだろうにある程度はつきあってあげたんだな家康
そういうところが辛抱強いのか何なのか
439人間七七四年:2009/08/15(土) 23:08:17 ID:v+PI9lm0
親の仇の信長の前で蹴鞠ったり
これまた自家の衰退に一役買った裏切り者にホイホイ会いにいったり
氏真はある意味凄いw
440人間七七四年:2009/08/15(土) 23:15:28 ID:2kYUUGMP
崇伝みたいな悪坊主より解脱の境地に近づいていそうだな。
浮世離れとも言うが。
441人間七七四年:2009/08/15(土) 23:19:42 ID:8dzOMqQB
黒田如水はある時、使い古した皮の足袋を家臣に与えた。

「水でよく洗い、生干しにして酒をかける。そして足にはめて
干すんだ。そうすれば、まだまだ使えるぞ」

「はあ…じゃあ頂きます」

「五文な」

「えっ!?」

後日、如水はその家臣が新品のような足袋をはいているのを見た。

「おい、その足袋ってこの前あげたやつか?まるで新品だな」

「「買った」足袋です。殿の仰る通りにすると新品のようになりました」

「ふ〜ん…。なあ、それ返せ」

「は?嫌ですよ。酒とかわざわざ買ったんですよ。五十文なら売ります」

「五十文!?五文で売ったんだぞ!」

「しかし近頃は物価が高いですからなあ」

「あっそ。じゃあいいよ、そんなもんいらねーし」

終わり
442人間七七四年:2009/08/15(土) 23:22:57 ID:1xy/mT1c
解脱に一番近いのは執着のない獣だよ
もっとも心がないから悟ることは永遠にないけど
443人間七七四年:2009/08/15(土) 23:26:26 ID:Yk3jZDMM
>>441
予想以上にキレイになってて惜しくなった・・・?
444人間七七四年:2009/08/15(土) 23:32:46 ID:8dzOMqQB
>>443
その通り。如水の虫のいい話
445人間七七四年:2009/08/16(日) 00:04:54 ID:F4Ba9sfI
>>441
こっちは解脱と程遠い話
446人間七七四年:2009/08/16(日) 00:13:15 ID:Yvfiw9RX
>>441
あれ、如水たんってさ…
ただで家臣にものをやったら周りの連中の嫉妬や僻みを誘発するから、
家臣に恩賞を与えるときでも安く売りつけたという…


んじゃなかったっけか?^^;
(うろ覚え)
447人間七七四年:2009/08/16(日) 00:26:10 ID:Bz9Ct45Q
食えない如水がやりこめられるのは珍しいな
448人間七七四年:2009/08/16(日) 00:27:59 ID:D20h+hXA
>>446
オレも>>441読んで違和感があったな。


自分のお古を家来に売りつける如水に、あるとき家来が不満げな表情を見せた。
「貴様は人からタダで物を貰うのと、金を出して買うのとどっちが気持ちがよいのか?」
「もちろん、金を出して買うほうでございます。」
「そうであろう。だからタダではなく売りつけているのだ。」

そして如水はこう付け加えた。
「ただで家臣にものをやったら周りの連中の嫉妬するであろう。その時にいくらかの金を
払っておれば、『あれは殿さまに貰ったのではない。買ったのだ。』と釈明でき、彼らの嫉妬
を受けることはなくなろう。
ワシがお古を売りつける理由が分かったか。」

ソースは童門冬二の逸話集
449人間七七四年:2009/08/16(日) 00:32:55 ID:5NBCVN/B
逸話の別バージョンなんだろう
450人間七七四年:2009/08/16(日) 00:46:07 ID:5BPmuuYI
むしろドーモンの方が逸話を教訓めいた話に改編するクセがあるので
ソースとしては信用できない件
451人間七七四年:2009/08/16(日) 02:43:03 ID:5S2jFAll
なんとなくつけたNHKで怪談番組がやっていたが、
鍋島勝茂と化け猫の怪談をやっていた
この話、2パターンあるんだっけ?
452人間七七四年:2009/08/16(日) 06:18:25 ID:03wv++FJ
>>441
セコ過ぎて萎えた 家康が飛ばされたトイレットペーパー必死に拾う話より萎えた
453人間七七四年:2009/08/16(日) 07:05:00 ID:EcDRda+n
>>439
氏実は打たれ強いのか、それとも頭が残念なのか。
氏実がらみの逸話をみるたびこの人のお嫁さんは凄いなと思う。北条ブランドは流石だ。
454人間七七四年:2009/08/16(日) 10:26:05 ID:pTLtL+zx
如水さんって今一キャラがつかめないな
家来の評判はどうなんだ
455人間七七四年:2009/08/16(日) 10:28:20 ID:WKuo82Ti
>>448
デーモンは太鼓持ち作家だから信用出来んよ。
456人間七七四年:2009/08/16(日) 11:39:45 ID:AjkZrGq8
>>454
天才だしいい人だけど変人だよね
って感じだと思う
457人間七七四年:2009/08/16(日) 12:13:05 ID:YpF08bbL


関ヶ原で浪人雇った金はこうして爪に火を灯すようにして蓄えられたのだ。
イザと言う時の為に、普段は質素倹約に励む。
当時はそれが武者たるものの心得だった。

んで官兵衛さんと家康さんはそれが極端な人
458人間七七四年:2009/08/16(日) 12:16:37 ID:69hBAtPh
兜なんかに贅沢するから無様なことになるのだ

まぁ水中の目印としては大変結構だったがな
459441:2009/08/16(日) 12:18:44 ID:L/qHz+Ap
実は>>441の逸話は童門氏を参考にしてるんだよね
前置きで>>448の逸話もあった。448が違和感感じたのは多分俺の脚色のせい
しかし氏の逸話って信用できないのか…。なら>>441はなかったことにした方がいいかな?
460人間七七四年:2009/08/16(日) 12:21:52 ID:WbF+BZLw
同じく秀吉の警戒した氏郷とかはバカにしてたみたいだね 家康を
黒田にかんしてはどう思ってたかは知らんが
461人間七七四年:2009/08/16(日) 12:41:27 ID:/1/1IjTr
>>459
いや、この話自体は童門氏じゃなくても結構あったりする
462人間七七四年:2009/08/16(日) 12:52:09 ID:D20h+hXA
>>459
童門さんの逸話集は好きだけど、オチが逆になっていたり新しいオチを創作している逸話があるのが最大の
難点。


忠義者

豊臣秀吉の小田原城攻めの時、北条家の宿老・松田憲秀とその長男・笠原政堯が豊臣方に内応した。
しかし、二男の直秀は父らを裏切り北条家に父の離反を注進した。
小田原城陥落後、秀吉は如水にこう命令した。
「ワシに反抗した二男・直秀を殺し、ワシに味方した長男・政堯を助命せよ。」

しかし、その命令を受けた如水は、秀吉の命令とは逆に二男を助命し長男を殺してしまった。
それを知った秀吉は激怒して如水を呼びつけた。
「貴様はワシの命令を聞き間違えたのか?忠義者の長男を勝手に処断したとは許せぬ!」

対して如水はこう返答した。
「確かに、長男の政堯は親孝行ではありますが不忠者です。一方、二男の直秀は親不孝者ですが主君・北条家
に対しては忠義者でありました。
この二人を比較すれば、助命すべきは親に忠たる者より、君に忠たる者ではないでしょうか?」
463人間七七四年:2009/08/16(日) 13:07:55 ID:OsuSqg5J
元々の秀吉なら如水と同じ判断しそうなもんだが既に驕りつつあるとも取れるな
464人間七七四年:2009/08/16(日) 13:12:04 ID:y3EU38hg
いい話じゃないか?
465人間七七四年:2009/08/16(日) 13:26:09 ID:szz+EDv2
秀吉の悪い話とも、如水の良い話ともとれるんじゃね。
466人間七七四年:2009/08/16(日) 13:34:09 ID:eRWqWtY6
一般には笠原政尭は北条に死罪にされたと言われているけどね

逸話自体が儒教くさくて創作臭いというのは野暮か
467人間七七四年:2009/08/16(日) 15:29:12 ID:KAeHjncp
松田憲秀自身、不忠という事で切られたんじゃなかったか?
なのにその息子には判断を変えるのはちょっと考え辛い
どこかに元ネタでもあるんかねぇ
468人間七七四年:2009/08/16(日) 21:23:35 ID:S+NxSQHp
>>460
氏郷の理想型で基準になる英傑は信長だからなあ
秀吉ならまだしも家康はそれからは遠すぎるだろう
469人間七七四年:2009/08/16(日) 21:36:46 ID:cLYBKzlO
                    ∧_,,∧
 、-‐'''""''''\         /\. (`・ω・´) /ヽ者ども石を曳けーい!踏み潰せ!!
  \  ●  \        | ● ⊂氏郷.⊃ ● |             r--─‐i
   \-‐'''""''''          ヽ/@/   く \ /   r─--‐i       |  ● |
     \ ∧_,,∧     ∧_,,∧(ノ⌒ヽ)∧_,,∧  |  ● |  ∧_,,∧ |--─‐''
      ○○・ω・´)     (`・ω・´)∩ ∩(`・ω・´) ''─--‐| (`・ω・´)∩おおっ!!
       ヽヽ`  ヽ'´) ⊂    r '  '-、    つ     ⊂     /
       @〉  ,.- '´  @ノ   /      ヽ   '、@    r‐'   /@
         〈_ノ´..................(ノ⌒し'......................'、_l⌒'、)................`""ヽ_ノ
   ............::::::::::::::::::::::.::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::............

こういうの後年の家康からは最も遠い気がするしねw
470人間七七四年:2009/08/16(日) 21:45:23 ID:FioA7q3g
氏郷は不完全燃焼だよなやっぱ。信長公&信忠公を失い気概を失ったか
本能寺で散りたかったのかやっぱ。信長の娘婿やってた頃が華だなやっぱ
471人間七七四年:2009/08/16(日) 21:47:56 ID:TkfyWToM
家というより国みたいだったよね 蒲生
家臣に国の予算開示して自分達の給料を合議で決めさせてたらしいし
戦国じゃねーよ 現代かっつーのw
472人間七七四年:2009/08/16(日) 22:43:02 ID:hCncACYh
>>471
現代でもやらんだろw>家臣に国の予算開示して自分達の給料を合議で決めさせてたらしいし
473人間七七四年:2009/08/16(日) 22:57:01 ID:lnhojDWG
つまり現代には信長でも秀吉でも家康でも無く、蒲生氏郷が待ち望まれる、ってことだな。
474人間七七四年:2009/08/16(日) 23:08:56 ID:pxV8JtPK
氏郷の手法はある程度の規模でなら効果的という限定された手法であって
今の日本でそれをやると取引コストが馬鹿にならない
475人間七七四年:2009/08/16(日) 23:35:55 ID:0gTac1ni
現代なら現代にマッチする手法を考え出しそうだけどな>氏郷
現代には羽柴秀吉も居ることだし、氏郷もどこかに生まれ変わって来ないかねぇw
476人間七七四年:2009/08/16(日) 23:37:22 ID:y3EU38hg
あの秀吉は姉小路ポジションだろw
477人間七七四年:2009/08/17(月) 00:13:24 ID:MadURRHZ
>>475
男塾を作るのかw
478人間七七四年:2009/08/17(月) 09:23:24 ID:vAxVDjDC
今川氏真、大名復帰頓挫の顛末

1575年5月、今川氏真は織田、徳川とともに、今川の遺臣軍を率いて長篠の戦に参加、
その後徳川軍とともに駿河国内へと攻め込んだ。
この時

「月日へて みし跡も無し故郷に その神垣そかたばかりなる」
(ここを出て年月もたち、もう見る影もなく変わってしまった故郷だが、この神垣の形だけは昔のままだ)

と、詠む。

同年年6月、織田信長は上杉謙信への書状に「駿河は今川氏真に与える。」と、書く。
この頃は信長も、氏真の駿河復帰が規定路線だったようだ。


1576年3月、氏真、対駿河の拠点である遠江国の牧野城(現静岡県島田市菊川)を与えられる。
この時氏真、大喜びで、北条に亡命していた家臣たちを呼び戻す。

この年、これ以上のことは表面的には特に何も無し。


1577年2月、今川家の旧臣であり、遠江国内にある武田方の小山城を守る岡部信元に対し、
武田勝頼から、氏真の調略を拒絶したことへの感状が出る。
氏真、武田家内にいる旧家臣への働きかけに、ほぼ失敗した模様。

同年3月、信長、氏真を牧野城城主から解任。これにより氏真の大名復帰の可能性は、
完全に無くなる。

まあぶっちゃけた話氏真さん、やっぱり無能だったらしい。
479人間七七四年:2009/08/17(月) 10:32:18 ID:+78KKS47
>>446>>448
でも、恩賞って、功績などに対するものだから、別に無償・タダであげているってわけでもないよね?
480人間七七四年:2009/08/17(月) 13:45:10 ID:4W0Ednph
話おもしろくて過去ログミラーかけたりしてあさってたんだけど、初代スレがレス番571までしか表示されないんだ。
1000までいったログ持っている人、お手数かけますが誰かうpしてくれませんか。
481人間七七四年:2009/08/17(月) 14:13:26 ID:d1sVS72Y
>>478
信元?義元の首取り返してきた岡部元信のことか
名が水野信元とごっちゃになったかな
482人間七七四年:2009/08/17(月) 14:50:38 ID:aFl9u9Nx
氏真使えるかと思ったら全然つかえねーからそっこーで放逐されたんだなw
483人間七七四年:2009/08/17(月) 14:53:42 ID:vAxVDjDC
>>481
あああ元信です。また妙なミスをしてしまった…orz
まとめに載せるときは直してください…。
484人間七七四年:2009/08/17(月) 15:06:06 ID:uWQ6FKw0
あのボロボロの武田相手に調略しくじるようでは駿河なんかもらえんわw
485人間七七四年:2009/08/17(月) 15:24:07 ID:+8s/O0mz
そんな奴に肩入れした氏康って相当のアホですな
486人間七七四年:2009/08/17(月) 16:06:25 ID:PesVBTZ1
487人間七七四年:2009/08/17(月) 17:56:25 ID:yYRxpyZP
武田配下になってたってことは、なってるうちに 武田>徳川 な心情になってるだろうし、
まして織田の配下はなあ……ってことなんじゃないかな。
488人間七七四年:2009/08/17(月) 18:24:52 ID:UX22v2Hn
>>485
アホっていうか親バカなんだよ
長女の早川殿が逃げる時徒歩で逃げたって聞いて
「うちのかわいい娘が徒歩で長距離歩かされるとか有り得ない!
なんでそんな屈辱的で可哀想なことになったの!
マジで武田信玄許さん!絶対許さんからなあ!」
的な手紙書いてたしなあ。

まあ武田とは同盟組んでる状態なのに上州の領土を巡って何度も一触即発になってたし
武田が駿河に進出してバランス崩れたらどう考えても割を食うの北条だからなあ
駿河侵攻も二度目まではほぼ北条が武田を完封してるし
アホって訳じゃないと思う
489人間七七四年:2009/08/17(月) 19:23:12 ID:4W0Ednph
>>486
ありがとう!
490人間七七四年:2009/08/17(月) 20:28:44 ID:qZDtFFQr
>>478
一応、その当時は家康配下だった気が
まぁ、家康と信長だから吉良で鷹狩りしながら決めた事だろうけど
491人間七七四年:2009/08/17(月) 20:30:59 ID:Oc8bkEwU
>>488
やっぱアホじゃんw
492人間七七四年:2009/08/17(月) 20:51:36 ID:xRhvI38n
>>478
仮に氏真が何らかの働きが出来て、駿河一国を与えられたら…と考えても
本能寺のゴタゴタで失いそうだなw
493人間七七四年:2009/08/17(月) 21:03:32 ID:tBa0s+7w
家康がじっと氏真を見つめてるよ…
494人間七七四年:2009/08/17(月) 21:08:11 ID:vAxVDjDC
まあ、氏真が牧野城主を解任された後、駿河への調略は家康に一任されて、
家康は武田の超大物で、駿河総督とも言うべき穴山梅雪を一本釣りしちゃうんだけどね。

この功で家康の駿河領有が決まったようなもの。
495人間七七四年:2009/08/17(月) 23:51:42 ID:7WAMNzqt
いい話スレで、家康が関ヶ原でハッタリ効かせて鼓舞する話が出てたので。

関ヶ原の決戦前夜、石田三成のもとに島津豊久がやって来た。
「今宵、内府(=家康)の陣に夜討ちをかけてはいかがだろうか?ご同意いただけるなら、
わが島津が先鋒を承ろう。」

三成が判断に迷っていると、隣にいた島左近が代わって答えた。
「島津殿の申し出は有難いが、夜襲というのは劣勢の軍が大軍にかかり、短期決戦を
挑むもの。大軍から劣勢にかかるとは存じませぬ。
当方は大軍、敵は劣勢なれば、平地での堂々の戦にて、お味方の勝利は疑いなし。
拙者も久々に内府が背を向け、逃げる姿を見ることになりましょうぞ!」

左近の答えに対し、豊久は尋ねた。
「ほう、左近殿はいつどこで内府の背を見られたのかな?」
「拙者、若きころ故あって武田家は山県昌景の下にいたころ、まさしく内府の背を…」

そこまで聞いた豊久は、
「当時の内府は、今日の内府ではあるまいよ。もし、左近殿が言うように明日内府の背を
見られるならば、お味方には幸運これ以上の事はなかろう。
この豊久には全く合点が行かぬ話だがな!」と言って苦笑し、自陣に帰って行った。
496人間七七四年:2009/08/18(火) 00:00:48 ID:Yijucfuo
豊久(´・ω・`)
497人間七七四年:2009/08/18(火) 00:10:58 ID:AgugYDYR
実力者がいない軍は統率が取れないもんなんだな
統率とれないから各々好き勝手なこと言い出して…って今の自○党みたいだな西軍
498人間七七四年:2009/08/18(火) 00:12:08 ID:kY5PkF2/
第一次源平合戦のときも夜襲を却下された結果、負けた方々がおったなぁw
499人間七七四年:2009/08/18(火) 00:17:29 ID:rczTMb9I
>>495
まあぶっちゃけた話この時の島津の夜襲提案ってのも、後世の作り話だと思うがw
しかしこの逸話の

> 拙者、若きころ故あって武田家は山県昌景の下にいたころ

島左近が武田家にいたなんて話が、何がどうなって発生したのか興味深いところだな。
500人間七七四年:2009/08/18(火) 00:17:33 ID:yY1P89vq
最近、左近が大した事ないように感じるんだけど…
そんなことはないよな(´・ω・`)
501人間七七四年:2009/08/18(火) 00:22:47 ID:pvKBYZz4
そんなはずないだろ
だってSAKONだぜ?
502人間七七四年:2009/08/18(火) 00:32:01 ID:AgugYDYR
三成に過ぎたるもの左近
家康に過ぎたるもの忠勝
503人間七七四年:2009/08/18(火) 00:56:32 ID:IQCoCrOA
左近が筒井家出た後ウロウロしてたのを良いことに武田にいたとハッタリかまして
「家康なんて怖くない」とアピールしたのを潰された豊久KYな話

とSAKONスキーとしては思いたい・・・
504人間七七四年:2009/08/18(火) 01:05:29 ID:jSaMrh06
普通に読めば下らん見栄の為に勝つための策を一つ潰したSAKONの悪い話になっちゃうからなw
正直左近の人物像が良く判らんから何とも言えんが
505人間七七四年:2009/08/18(火) 01:40:31 ID:gUlq8Wzx
>495
で、結局のところ三成は左近の意見に従って野戦を決意するんだが
この顛末を聞いた義弘は
「三成は知恵はあるのだが、果断さに欠けている。
 この好機を逃すとは勿体無いことを…」
とこぼしている…のだが、この台詞も創作なんだろうなぁ。
506人間七七四年:2009/08/18(火) 02:09:31 ID:BNj0zfYP
大軍で大軍を夜襲したらさぞかしわけのわからない光景になっただろうな
507人間七七四年:2009/08/18(火) 02:52:27 ID:x2Css72Q
普通なら夜襲を仕掛ける側は
それ用に小部隊を編成するだろうけど

本気で大部隊で夜襲したら
攻められた側ばかりでなく攻めた側まで
気がついたら同士討ちが始まってそう…
508人間七七四年:2009/08/18(火) 06:10:59 ID:BN5Vza6f
無双だと左近が武田の援軍ででてきたけど、肥はこの話を知ってやったのかな?
509人間七七四年:2009/08/18(火) 07:14:07 ID:aobBaeci
>>507
そういう場合は大概、二の腕に揃いの目印を巻きつけておくとかするんじゃね?
510人間七七四年:2009/08/18(火) 07:28:30 ID:ZKIa8jJ7
三成については後から無能狭量を強調する逸話が作られてそうだからなあ
511人間七七四年:2009/08/18(火) 08:05:18 ID:o5qY6FDm
戦場で優秀なのと、デスクワークで優秀なのは才能が違うからな。
三成しかり、兼続しかり、秀忠しかり。
512人間七七四年:2009/08/18(火) 08:11:19 ID:+5WA5khB
夜襲を採用して失敗していたら、それはそれで「やっぱ軍才ねーわ三成w」な逸話として残されるんだろうな
513人間七七四年:2009/08/18(火) 08:32:19 ID:ZE8+FDUb
>>512
だな。秀吉の命令で仕方なくやった忍城の水攻めもボロクソに言われてるんだし。
514人間七七四年:2009/08/18(火) 09:29:25 ID:LxMrJuE4
フジで左近
515人間七七四年:2009/08/18(火) 09:59:22 ID:QYV2YWzF
好意的に考えれば寄せ集めの軍で夜襲なんて統制つかなくなると心配したんだろうけどね>左近
ただ結果論として言えばそれでgdgdになってた方が全体像としては面白いことになってたかも知れないのに
516人間七七四年:2009/08/18(火) 11:48:47 ID:aMpcZtrP
全軍で夜襲をかければ準備に時間がかかるし、その間に内通者が家康に「夜襲やりますよ」と告げておしまいじゃないか。

少数の島津としては、最大限の効果を上げるには夜襲くらいしかないのだけれど。
517人間七七四年:2009/08/18(火) 12:50:04 ID:bYFFEV3i
歯肉痛み申し候

板橋家にはこんな書状が残っている。

藤堂家3代当主藤堂長守
 「切々口中を痛気の毒に存じ候、御大儀ながらお越し候て下さるべく御頼り入り存じ候」
 「御薬二色申し請けたく候」
 「虫歯にてもこれなく、歯肉痛み申し候」

藤堂宮内家家臣、横田多右衛門吉房、有田彦兵衛 連判
 「右近儀、昨日より歯痛み申す」(右近とは長守の子、藤堂家4代当主長源)

また長守の舎弟兵部長倫は歯薬の調合を依頼

どうやら藤堂家は親子そろって歯が悪かったようである。
518人間七七四年:2009/08/18(火) 13:38:30 ID:o1fycMpu
歯痛は放っておけば虫歯を原因として骨膜炎や
敗血症に罹って死亡したりと昔は怖い病気だったのよね
519人間七七四年:2009/08/18(火) 16:14:42 ID:AqYKw5uB
現代でも、治療が出来るからと安易に放置して重症化する人が多かったりするのよね。
自分も神経を麻酔無しで削られて以来、歯医者を避けていたら虫歯が大量発生していましたが(´・ω・`)
520人間七七四年:2009/08/18(火) 16:19:11 ID:zZbbgFTE
虫歯って毎日丁寧に磨いていてもなる人はなるのよね
ならない人は汚くしててもならないし
不条理だ

ところで昔は虫歯は糸を巻きつけて引っ張って抜いたってマジだろうか
521人間七七四年:2009/08/18(火) 16:24:01 ID:zjBfLcFi
>>520

それは生え変わりの乳歯かも
522人間七七四年:2009/08/18(火) 16:31:27 ID:jSaMrh06
おれも歯が弱いらしく20代前半なのに銀歯だらけ
523人間七七四年:2009/08/18(火) 17:53:57 ID:f+fldvOr
というか昔の虫歯って引っこ抜く以外の治療あるのか?
524人間七七四年:2009/08/18(火) 18:17:01 ID:G4BBn33R
歯の博物館より
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/edohaita/minkan1.htm
別の痛みなどでそれ自体の痛みをごまかすのが主流みたいですね

ついでに世界最古の入れ歯
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/mokugishi/moku1.htm
525人間七七四年:2009/08/18(火) 19:59:12 ID:hRlV81hW
胃に穴があきそうな悪い話をひとつ

福島正則と立花統虎(宗茂)は一時非常に仲が悪くなっていた。
何故かと言うと、これはあの織田信長に槍をつけた天野源右衛門のせい
だったらしい。
ちなみに天野源右衛門は、安田作兵衛とも名乗っている。
つまりこれ↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-579.html
豊臣秀次の下から飛び出した天野源右衛門は、立花統虎に招かれ筑紫へ
向かうことにした。
ところが福島正則も名うての人材マニアである。
天野を召抱えたいと思い、熱心に言い寄ったが、天野は立花との先約が
あるとして行ってしまった。
この事で正則は怒って統虎と不和になったらしい。

正則はよく知られる通りかなり酒癖が悪く、普段の性格も酒さえ飲まなければ
悪い所はないが、非常に厳しく理非曲直を糺す人物で、賞より罰多く諸人に
悪鬼天狗のように恐れられていた。

この喧嘩に困ったのが二人の共通の友人だった吉川広家と黒田長政。
彼らは折にふれては仲直りするように互いに働きかけていた。
広家と長政の努力が実って、正則と統虎は朝鮮の陣中、吉川広家のいる
とくねきの城に招かれて和睦することになる。
黒田長政もつきそいでやってくることになった。
この席に統虎は弟高橋統増、家老の小野和泉、そして天野源右衛門を
連れて来ていた。
いずれも一騎当千の勇士だ。
ところが正則の方はたった一人でやってきた。
これではさしもの大勇の正則も心細いだろうとはたからは思われたが、当人は
少しも臆する気配なく統虎の向かいに泰然として坐している。
広家は彼らを山海の珍味をとりそろえたごちそうで饗応し、長政といっしょに
あれこれ取り持って、無事に和解することができた。

和睦の盃が数巡して、統虎が一盃呑んで、正則も統虎に指されて三盃呑んだ頃、
統虎が御肴仕らんと立ち上がって二王舞を舞った。
満座が盛り上がり手を叩いて囃したてる。
すると統虎は興に乗ったのか、はだぬいで拳を握り、座敷をぐるっと一巡して
正則の目前へ拳を振りかけ振りかけして舞った。
その様子は本物の二王のようで、鴻門の会で劉邦を暗殺しようとする項荘と
それを防ごうとする項伯の剣舞もこのようであったろうと思われたというくらい
なので、相当鬼気迫る緊張感たっぷりのひと時だったようだ。
この時福島正則は顔色が変わって見えたそうで…思い出してほしい。
福島正則が現時点で最低でも三盃酒を呑んでいるのを。
広家と長政が頑張った。
二人とも空気を読む能力の高さには定評がある。
あれこれ気を配っているうちにほどなくして酒盃のやりとりは終わり、その後は
雑談も弾んで客たちは帰って行った。
逸話は「危なかった…」で〆られるが、酒乱と空気読めないどころか最初から
読む気なさそうな武辺者(複数)に挟まれて幹事なんてスリリングすぎる。
その場に居合わせたくない。
吉川広家と黒田長政の「挑発すんな!」という心の悲鳴が聞こえてきそうな悪い話。
526人間七七四年:2009/08/18(火) 20:04:54 ID:73bbWS56
場をとりなした長政&広家の、堪えた正則のいい話とも取れる
527人間七七四年:2009/08/18(火) 20:09:53 ID:ECxeh/aV
宗茂は空気が読めない人、なんだろうなあ

にしても武将の友人関係面白いなー
誰が誰の友達、とかまとめてみると面白いかも
528人間七七四年:2009/08/18(火) 20:17:49 ID:CLHwfsy1
空気よめないうえに金銭感覚も(ry
家臣苦心作の大根上げ底飯喰わずに家臣泣かせるしw
529人間七七四年:2009/08/18(火) 20:18:20 ID:CUsksDR7
鬼武蔵に友達がいな・・・グハッ
530人間七七四年:2009/08/18(火) 21:10:33 ID:jSaMrh06
しかしこれ宗茂の舞相当上手かったんだろうなぁ
多芸なw
531人間七七四年:2009/08/18(火) 21:17:07 ID:YTf8evgu
そもそも不和の原因が正則の一方的な逆恨みじゃなあ
532人間七七四年:2009/08/18(火) 23:50:09 ID:Lh+g06za
>>528
苦心を知らないまま言うからいいんだろうな。
家臣が貧しいのを知っての上で
「粥食いたかったらそういうから、いつも通り米の飯食わせろ」
ならここまで愛されないだろう。
533人間七七四年:2009/08/19(水) 00:07:58 ID:fcbyWJV/
>>523
歯医者って、今でこそ「歯医者さま」だが
江戸期は無学のならず者がやるような商売だったからな
534人間七七四年:2009/08/19(水) 00:25:47 ID:qR8dyQy7
新文字絵尽に載ってる「亀の子歯医者」
頭の上に亀の置物だか剥製だか乗っけてる。
こんなへんなコスプレしてる奴には診察されたくないぞ。
535人間七七四年:2009/08/19(水) 00:47:26 ID:WJXw8iHk
目医者 歯医者が医者ならば
ちょうちょトンボも鳥のうち
536人間七七四年:2009/08/19(水) 00:52:26 ID:YmzsVT30
木床義歯なんてのが戦国時代頃から出来てたらしいな。

仏像彫る職人が副業で作り始めたらしい。
537人間七七四年:2009/08/19(水) 01:05:13 ID:4nHbcRWq
仏師もこの頃あり方が変容して数ある仏様を
一々個性的に仕上げるのは面倒だからと
どんな仏様でも対応出来る雛型となる形を大量生産しといて注文があったら
注文の仏様に合うように手の数や仏具を追加していくって手法になったって聞いたな
なんでも仏画に押されて大量生産の道に進まざる負えなかったとか
確かに戦国期で画家は著名なのがいるが彫刻家で著名な人は聞いたことがない
538人間七七四年:2009/08/19(水) 02:09:29 ID:637QG+SN
>>517
そんな藤堂さんのご子孫の現在の職業は歯医者さんw
確か2〜3代続いて、都内で開業されているよ。
539人間七七四年:2009/08/19(水) 08:14:47 ID:0h2OmkAK
>>538
噛み合わせが凄く良くなりそうだねw
540人間七七四年:2009/08/19(水) 11:33:45 ID:QAhbnmPi
三好三人衆の末裔も医者だな
ところでさっき中馬動物病院ってのを見たんだがやっぱりそうなんだろうか
541人間七七四年:2009/08/19(水) 12:15:50 ID:6GIGk3Ap
現代のサムライは刀をメスやドリルに持ち替えたということか
ドリルは男のロマンだから仕方ないな
542人間七七四年:2009/08/19(水) 13:43:57 ID:N0riCrZI
藤堂高虎と黒田長政は不仲であった。

高虎と黒田官兵衛は親しき間柄であり、
元々は息子の長政とも悪い仲ではなかった。
しかし関ヶ原の折の意見の対立を機にその間柄は壊れ、
終生の不和となるに至った。

ある時、長政の噂を斉藤与三右衛門と申す者が高虎に語ったので、
高虎は与三右衛門を叱ってこう言った。
「筑前守と我と仲が悪い事は皆人の知る所である。
 仲が悪い相手の事を悪いように言えば、
 我らは喜ぶであろうと思われているのではないか。
 そのような考えは非常によくない。
 全て仲が悪い人の事は善悪とも一切語らない事と、我は心得ている」

いい話か悪い話か微妙に悩んだのだが、二人の仲が悪い話という事で。
ちなみに、後に藤堂家と黒田家で縁談の話が持ち上がったのだが、
結局は破談になった。
「あそこはホント仲悪いよな」と書き残したのは、
もちろん僕らの細川忠興公である。
543人間七七四年:2009/08/19(水) 14:09:15 ID:mTr/j025
>>542
本日の「お前が言うな」か。>忠興
544人間七七四年:2009/08/19(水) 14:22:33 ID:bW6qqrjb
>>506
確かに日露戦争時に「大軍で夜襲は(ry」の常識を無視して軍団単位(三個師団三万人以上)で夜襲をかけて成功したことあったよね。
たしかあの軍団の軍団長も薩摩閥…
薩摩の夜襲好きは近世まで続くか。
545人間七七四年:2009/08/19(水) 15:08:59 ID:I3aR7GNW
夜攻撃かけるってことは昼間は寝てないといけないな
夜襲かけるために昼寝してる所を攻撃されたらひとたまりも無いぞw
546人間七七四年:2009/08/19(水) 16:30:06 ID:65V72S5+
薩摩武士は寝ないに決まってるんですっ!!!11
美人アイドルがウ○コやお○らをしないように・・・(w
547人間七七四年:2009/08/19(水) 16:39:29 ID:TunlKxWx
島津軍から聞こえるいびきの音で夜襲を察知し自分達も昼寝
夜襲をかけてくる頃には目もぱっちりで迎え撃つってどこの謙信ですか
548人間七七四年:2009/08/19(水) 17:24:17 ID:F5GEPKb3
>>543
忠興は妙にオチ要員の役が多いような
キレるスイッチが入らなければまともな人なんだろうか
549人間七七四年:2009/08/19(水) 17:35:25 ID:uGJS3OgE
>>542
こういう場合女だったら喜んで派閥作って陰口言い合うんだよなw
男はそういうことしない
550人間七七四年:2009/08/19(水) 17:43:31 ID:SvYJeBJU
以上、男と女を分けて陰口を言う男のちょっと悪い話。
551人間七七四年:2009/08/19(水) 17:54:36 ID:P3d7+Hqe
ガラシャみたいなこしゃくなことをいう女がここに…
552人間七七四年:2009/08/19(水) 18:34:44 ID:4pJbEAt/
京の東寺の数ある荘園のうち、備中には新見荘という荘園があった。

応仁元年(1467)、東寺はこの荘園との連絡が非常に困難となった。
そう、応仁の乱の勃発である。

乱の影響は地方に及び、東寺における新見荘担当代官、祐成は、年貢収得のための
備中への下向を危険だとして拒否。その後2ヶ月あまりもゴタゴタを続けた挙句、
結局祐成の中間である左衛門五郎と言う人物が、新見荘に下向することとなった。
これが同年10月のことである。

さて、翌応仁二年正月、左衛門五郎下向の知らせを持って、新見荘より一人の僧が、
使者が東寺へと現れた。しかし書状の日付から見ると、新見荘から京までは
通常7,8日でこられるのに、この僧は21日もかかっていた。その事を荘園担当部署である
最勝光院方が尋ねると、彼がに言うには、

「私は新見荘の田所(農政責任者)に扶持されているものです。
今備中と京の間は、上洛する軍勢とそれを阻止しようとする軍勢とが結集し、
甚だ危険なことになっています。このため山陽道も瀬戸内海も通行することが出来ず、
私は四国に渡り、遠回りをして京に上がりました。そのためこれだけの時間がかかったのです。」

最勝光院方は、危険を冒して上洛した彼の行動を大いに賞賛し、僧の苦労に報いるため、
粉骨分(報奨)として銭二百文を与えるよう要求した。

が、ここから話はややこしくなる。
東寺の内部で、「誰が粉骨分を支払うか」が、まるで決まらないのだ。

本来の新見荘の責任者である祐成はこの負担を拒否。

それならば東寺から直接出すわけには行かないのかと、供僧(東寺指導部)に願い出ると、
供僧達は評定で
「前例が無いからできない」と、けんもほろろ。

そりゃあ前例の無い騒乱が起こっているのだから、先例が無いのも当然だと思うが、寺社も
こういう事に融通の利く組織ではなかったのだ。

そこで皆が頭をひねった結果、ナイスアイデアが生まれた

「そうだ!公文僧祐(行政官)から、二百文の銭を新見荘の使僧に『貸す』と言う形にしよう!
そして使僧から借状をとっておいて、後から新見荘に請求すれば良い!」

何のことは無い。最初は東寺からの褒美であったはずの粉骨分が、担当者が皆、自分の懐が
痛むのを嫌がるあまり、結局荘園の負担に添加されてしまったわけである。

寺社の、領主としての当事者能力の欠落を感じさせる、戦国の初めの頃のお話。
553人間七七四年:2009/08/19(水) 20:36:12 ID:yhZ7Kctd
>>552
しょうもないと言うか、どうでもよさそうと言うか……。
まあお役人にとっては問題だったんだろうな。
前例にないことを自分の部署でやったら、これからもあるかもしれない。
そうしたら、また自分の懐が痛むかもしれない、と。
554人間七七四年:2009/08/19(水) 21:00:46 ID:mml2asV7
>>549
するよ
555人間七七四年:2009/08/19(水) 21:49:33 ID:EGTWQce2
>>540
中村一忠の子孫も歯医者
556人間七七四年:2009/08/19(水) 22:17:31 ID:Ur/2GaJ0
>>554
しないよ するとすればお前は女
557人間七七四年:2009/08/19(水) 22:21:11 ID:WX811K24
なんか朝鮮陣でモメた体育会系と文官が派閥つくって争い、
恩義ある豊臣をぶっつぶした気がするが、あいつらはキンタマなかったんだっけか?
政治家も派閥つくってごたごたやってるが、あいつらもキンタry
558人間七七四年:2009/08/19(水) 22:28:16 ID:Ur/2GaJ0
ばーか それは出世争いだろ
女のは陰口だの悪口だの生産性のないことだw
仕事やら戦では堂々と派閥争い政争しまくるのは当然だろうが
559人間七七四年:2009/08/19(水) 22:29:43 ID:chZmXbOc
何このくだらないやり取り
560人間七七四年:2009/08/19(水) 22:31:17 ID:WX811K24
ID:Ur/2GaJ0の、ちょっと頭の悪い話じゃないかw
こういう奴は未だに北政所と淀殿の争いが豊臣滅ぼしたとか言い出すタイプw
561人間七七四年:2009/08/19(水) 22:31:34 ID:TXSjos7A
女々しすぎワロタw
562人間七七四年:2009/08/19(水) 22:32:23 ID:LmLC9XuL
それは個人の付き合いじゃなくて政治力学上のことだからまた話は別。

まあ、男でも派閥というかグループは作るぞ。
ただ必ずしもそのグループが行動の基準にはならないなあ、行動の基準は自分だからね。
女じゃないから女はどうかはしらん。
563人間七七四年:2009/08/19(水) 22:46:38 ID:vWJ3jSqb
もしかしてこのスレ歴女さんいます?
564人間七七四年:2009/08/19(水) 22:47:02 ID:CxFPk1fy
壬辰(1592)年四月
朝鮮に上陸した日本軍は各地で朝鮮軍を破り、進撃を続けていた。
この状況に宮廷では日夜守備防御の方策を論議した。

ある人が建議して
「賊は刀槍を巧みに用いるが、我々にはこれに対応できる堅甲がなく故に対抗できずにいます。
 分厚い鉄で満身甲の長い物を作って全身を見えなくし、それを纏って賊陣に入れば
 賊は隙間がなくて刺す事が出来ず、我々が勝つことが出来ましょう。」
多くの人がなるほどと頷いた。

そこで大勢の工匠を集め、昼夜をかけてこれを鍛造した。
私は一人これはだめだと思い
「賊と戦うには雲のごとく集まり鳥のごとく散り、敏捷なるを貴しとします。
 ところが全身に分厚い甲を纏っていては、その重さに耐え切れませんし身動きできません。
 どうして賊を殺す事などできましょうか。」と言った。
数日してその使用しがたい事が分かり、結局中止となった。

また台諫(国王の監察官)が大臣達に会見を求めて、計略について言上した。
そのうちの一人がえらい剣幕で大臣達になんの謀がないことを非難した。
座上の者が「ではどんな策がありますか?」と問うたところ
「漢江畔に数多くの高棚を設けて賊が上がれないようにし
 上からこれに射掛けるという策をなぜとらないのですか?」と答えた。
ある人が「賊の鉄砲玉もまた上がってこれぬのでしょう。」と言うと
その人は一言もなく退いた。
聞いていた人々がこれを伝えて大笑いした。

柳成龍『懲録』
565人間七七四年:2009/08/19(水) 22:56:47 ID:mTr/j025
>>564
この頃の李氏朝鮮は戦争らしい戦争もしてなかったし、
「治にいて乱を忘れず」なんてこともなく、政争に明け暮れてたんだよな。
そりゃ、弱兵だと馬鹿にされた鍋島家でも「朝鮮での戦は相手が弱すぎて手ごたえがない」といわれるわけだ。
566人間七七四年:2009/08/19(水) 23:19:39 ID:yhZ7Kctd
>>564
「前線から離れるにつれて、現実は楽観主義に取って代わる。
そして最高意思決定の場においては、しばしば現実なるものは存在しない。
戦争に負けているときは特にそうだ……」
567人間七七四年:2009/08/19(水) 23:26:04 ID:QFxzGWPv
>>565
なんか俺この国の将来が不安になった。
いや戦争より先に経済的に破綻するかもしれんが……。
568人間七七四年:2009/08/19(水) 23:42:06 ID:yhZ7Kctd
何しろ、秀吉の「明に攻め込むから朝鮮は道案内をしろ」という事実上の宣戦布告を
派閥抗争の具にした挙句、
「日本が攻めてくるなんてありえない。ありえないから対策なんて必要ない。
明への報告?ありえないことを報告するなんて宗主国様に失礼だろう。
わが国は東方儀礼のうんたらかんたら」
でスルーしたくらいだから。

……自分で書いてて頭痛くなってきた。
569人間七七四年:2009/08/19(水) 23:59:37 ID:0HJnZMCE
今の日本も平和ボケで色々やばいけどな
敵対国民優遇して国内で飼ってるんだから馬鹿じゃねぇのって思うわ
570人間七七四年:2009/08/20(木) 00:00:37 ID:+qE4RkEk
ν速+でやれ
571人間七七四年:2009/08/20(木) 00:06:14 ID:+qE4RkEk
悪口の話に乗り遅れた・・・



慶長9年9月、森忠政が領内の巡検をおこなったときの事。

忠政「おい、田を作れるところに家が立ってるじゃないか。あれを更地にすればもっと農地を増やせるだろう。」

久米郡に住む農民の一部が強制的に退去させられ屋敷はキレイに更地にされてしまったのである。それを不満に思った久米郡打穴村の農民、小市はこれを風刺した短い臼ひき歌を作った。
「さても恐ろし幽霊のためにすてし屋敷はただまさじゃ〜♪」

こんな歌を歌いながら仕事をしていた小市であったがこれがまずかった。この歌が予想以上に流行ったかどうかは分からないが忠政に知られてしまったのである。
小市の歌にブチ切れた忠政は小市に「美作からの追放」という重い処分を下した。
そんなこんなで美作を追われる事になった小市。懲りずにもう一つ歌を作った。

「うたつてしくじるうたのの小市それで打穴を追われたり〜(泣)」by小市


やっぱり悪口はよくないよねというお話。
572人間七七四年:2009/08/20(木) 00:10:34 ID:FUktPVEx
あの森一族にこんなことしてよく命が助かったなとまず思えるようになってきたから困る
573人間七七四年:2009/08/20(木) 00:17:55 ID:IfLM6PPr
>小市の歌にブチ切れた忠政は小市に「美作からの追放」という重い処分を下した。



これが重い処罰に見えないのはこのスレに毒されたからか
574奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/20(木) 00:31:38 ID:Y8zwAipV
いい話じゃねえか。
575人間七七四年:2009/08/20(木) 00:33:38 ID:fCMXDX/t
少し前に、森宗家の当主が津山市(?)のイベントによばれて講演してたけど、旧美作での評判はどんな感じなんだろうか?
576人間七七四年:2009/08/20(木) 00:39:11 ID:+qE4RkEk
>>575
美作に入領する前に武装蜂起される程度の評判
577人間七七四年:2009/08/20(木) 00:41:54 ID:fCMXDX/t
いや、今現在の評判。誰それ?って感じ?
578人間七七四年:2009/08/20(木) 00:55:44 ID:+qE4RkEk
蘭丸に弟?居たの?

こんな感じだと思われ。
579人間七七四年:2009/08/20(木) 01:36:27 ID:h4fMDIlo
森忠政は、5人目の四天王よりも格上に見えるのは気のせいだろうか?
580人間七七四年:2009/08/20(木) 02:07:08 ID:wmHE739K
森家の一族に、森可政という人がいます。この人、鬼武蔵の父、森可成の弟なのですが、
なんと兄弟の年の差37歳!鬼武蔵よりも年下でした。
長可のおじいちゃん、元気な人だったのですね〜。

さて、皆さんよくご存知のように、鬼武蔵さんは、友達作りは下手だけど、敵を作ることにかけては
天才的な才能があります。
この可政さんもそうでした。見事に不倶戴天の敵になります。それには、こんなお話がありました。

秀吉と織田信孝、柴田勝家の関係が悪化し、賤ヶ岳が始まろうとした頃、
長可は甲賀忍者を引き連れ岐阜城に潜入、人質になっていた弟忠政を救出した、
ということがありました
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-369.html

実はその時、森家の人間でもう一人、岐阜城内に人質にとられていた人がいたのです。
それは可政の娘、於鍋。

先の救出劇のとき長可、この於鍋の事は、ものの見事にスルーしてしまいました。
どうしてスルーしたのかはよくわかりません。救出がムリだったのか、一門はいえ家臣の娘など
どうでもいいと思っていたのか、それともうっかり忘れただけなのか。

しかしこの事は、可政を激怒させます。そりゃそうです。
「森家の人質のうち一人だけ残されて、娘はどれほど心細い目にあっているか!」

森可政は怒りのあまり森家を出奔、娘の於鍋を自力でどうにか救出をすると、秀吉の元へと行き
彼の旗本部隊である、黄母衣衆の一人にまでなりましたが、長可のことは許さず、
森宗家とは一切関係を持とうとしませんでした。

やがて小牧長久手で長可が死んでからもこの態度は変わらず、池田輝政の仲介で
ようやく和解したのは、関ヶ原の終わった後。
10年以上に渡って、長可の所業に怒り続けていたんですね。

さて、逆に森宗家のほうでは、何故勝手に出奔した可政と和解する気になったのか?
これにも当然理由があります。
可政は、秀吉の黄母衣衆に成った事からもわかるように、森家の人間らしく大変な武勇の士でした。
彼は徳川家康にも気に入られ、関ヶ原の後にはなんと、家康の直臣となっていました。

「森家の一族の中に家康公のお気に入りがいる!」
兄長可と違い、政界遊泳の達人である忠政が、これに目をつけないはずがありません。
家康の覇権が確立する中、その家康のお気に入りを取り込めば、森家の安泰はさらに強化
されるからです。

そんな打算もあってか、慶長17年(1612)、忠政は可政を藩の執政として、その所領、
美作18万6500石の内、7000石を与えると言う、破格の条件で招きました。
ここにようやく、森可政の出奔は終わったのです。

そんな、鬼武蔵を恨み続けた、森さんのお話。
581人間七七四年:2009/08/20(木) 03:46:39 ID:hfQyWVAD
毛利輝元

周防の国人で杉元宣って人がいたんだけど
この人の妻に輝元がひとめぼれ、部下に命じさせて妻を横取った。

当然、この無法に頭にきた元宣さんは秀吉に輝元の悪行を直訴しに向かうのだが
その道中で、御家の恥を晒すなとばかりに、小早川隆景の手勢によって討たれてしまった。
582人間七七四年:2009/08/20(木) 07:02:07 ID:kcRKvkpb
>>581
既出
583人間七七四年:2009/08/20(木) 09:28:36 ID:9XWkFdEQ
>>580
身内は早死にした人が多いから
他のDQN四天王と比べると身内への被害は少ないと思っていたが
ヤパーリそうじゃなかったのかw
584人間七七四年:2009/08/20(木) 12:21:35 ID:M7vnMLe2
>>580
一門宗を離れて自力で娘を助け出すって凄い気概のあるパパだな格好いいな
585人間七七四年:2009/08/20(木) 12:47:47 ID:pedWssPb
どんな手を使って自力で助けたのか知りたくなるな
やっぱり一族の掟にしたがって崖から投げ落としたのかな
586人間七七四年:2009/08/20(木) 13:03:40 ID:5QjP4hiR
三歳さまは息子への仕打ち
北のDQNは弟を自ら斬殺
南のDQNは妻と義父への憎悪と妹への(ry


基本、森さん家は家族仲だけは良いと思ってたのに…
587人間七七四年:2009/08/20(木) 14:13:36 ID:VWpPOZHV
>>586
弟に跡を継がせるなというのは、弟の為を思ってのことだったのかな。
588人間七七四年:2009/08/20(木) 15:45:05 ID:3aMTqWl+
>>587
いや、単純に能力が…
おや、こんな時間に宅配便ry
589人間七七四年:2009/08/20(木) 17:24:24 ID:fCMXDX/t
15時45分なら宅配便が来ても普通だろう。
590人間七七四年:2009/08/20(木) 17:30:44 ID:Apk2x2ln
小牧・長久手の戦いの最中
羽柴秀吉が佐竹義重にあてて書いた書状から

「我が軍は美濃の竹鼻城を取り囲んだよ。
ここは何年もかけて普請されていて、堀も深いので、強攻は無理。
そこでわしは水攻めを考えて、
高さ六間(約12メートル)、幅二十間(約40メートル)の堤を三里(約13キロ)ほど築いて包囲、
木曽川を切って水を流し込んだら、城中は狼狽、降伏してきたよ。

しかも木曽川を切ったところが、信雄の居城の長島や清洲まで全部洪水になったらしくて、
侍はもちろんのこと、民百姓まで餓死に陥ってしまいました」

アクシデントみたいな書き口だけど、絶対わざとやっただろと突っ込みたい、秀吉水攻め話
591人間七七四年:2009/08/20(木) 17:59:27 ID:pedWssPb
尾張沈没。

さすがラスボスやることがでかいぜ!
592人間七七四年:2009/08/20(木) 18:00:14 ID:9/GLUSip
尾張が水に弱いのなんか百も承知だろうしなw
593人間七七四年:2009/08/20(木) 18:38:17 ID:+qE4RkEk
信雄涙目
594人間七七四年:2009/08/20(木) 18:39:03 ID:vMzGZe0/
>高さ六間(約12メートル)、幅二十間(約40メートル)の堤を三里(約13キロ)

さすが後に大阪城を作る事になるラスボス、スケールデカ過ぎるww
595人間七七四年:2009/08/20(木) 18:47:31 ID:KJNbMoIk
まぁ確実に宣伝込みの文書だから真面目に取っちゃいけないけどなw
ただそれにしてもこのスケールの大きさはさすがラスボスだ
596人間七七四年:2009/08/20(木) 19:13:26 ID:wmHE739K
>>590
その水攻めのときのお話

竹鼻城主、不破源六郎広綱の正室は、近隣の八神城主毛利氏から嫁いで来た人であった。

さて、秀吉の水攻めに苦しむ不破広綱は、妻の実家である八神城の毛利氏に援軍を要求したが、
毛利氏から援軍が派遣されることはなかった。
このため、友綱は水の満ちてくる城内において酒宴を張り、夫人を離縁した。

夫人は城を出され、供の三七と石田、八神の村境まで来たが、ここで彼女は

「ここから先は御父上の御領地。一旦嫁いだ娘がどうしていまさら里に帰れましょう!」

そう言って、貞宗の短刀で自らの喉を突き、果てた。
供の三七はその場に墓を掘り彼女の遺骸を生め、目印として一本の稚松を植える。
そうしてすべてを片付けると、彼自身も、その場で自刃した。

墓の目印として埋めた松はやがて成長したが、枝を折ると血がにじみ、その松に触れると
奇病にかかると、土地の人から大いに恐れられ、当時の馬子唄に

「石田・八神の三七松は天でおそれて地でひらく」

と、歌われたのだという。

岐阜県羽島市に今も伝わる、三七松のお話。
597人間七七四年:2009/08/20(木) 21:40:00 ID:HTxh1V55
>目印として一本の稚松を植える。

椎松が椎茸に見えて、どんな目印だよwって笑ってしまった
598人間七七四年:2009/08/20(木) 23:19:22 ID:46s4hPPF
>>597
おまえのせいでだんだん稚松茸に見えてきたじゃないか。
599人間七七四年:2009/08/21(金) 01:17:46 ID:ObHl9u+t
室町後期の武家奉公人のマナー本、今川大双紙より、
「奉公人の心得るべきこと」

『朝、あなたが目を覚ましたら、出仕にそなえて、餅を1つか2つ食べなさい。
朝食を餅にすれば、大小便にいく回数が少なくてすむからです。
何度もトイレに行くのは、非常に見苦しい行為ですからね。

え?食事をとる時間がないときはどうすればいいか、ですって?
その時は何も食わなきゃいいんです。人間、一日くらい何も食べなくても
ガマン出来るものです。』


この時代も、奉公人(サラリーマン)は大変だったのだ。
600人間七七四年:2009/08/21(金) 02:00:02 ID:zp46jDX5
>>547
謙信なら川中島みたく本陣を空にして敵本陣に夜襲をかけるんだから!
601人間七七四年:2009/08/21(金) 10:52:54 ID:6eLC18jF
美濃苗木城主、遠山友忠は悩んでいた。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1344.htmlで
木曽義昌と謀った森長可暗殺計画が失敗したあげく、無事兼山に帰った長可が苗木に
攻めて来るとの報が入ったからだ。

「どうする?まともに当たってかなう相手ではないし・・・また暗殺でも狙うか?」
「ならば殿、ここは我らにお任せあれ!」忠兵衛と喜三郎の、小池兄弟が名乗り出た。
「うむ、鉄砲上手のお前たちなら襲撃に向いているが、どうする気だ?」
「兼山から苗木に来るには、坂折峠を通らねばなりません。その山間に隠れ潜み、狙撃を
試みようかと存じます。」
「・・・よし、やって見よ!」

数日後、坂折峠に森長可が姿を現した。今日来るか、今来るかと待ち受けた小池兄弟は
この時とばかり、自慢の鉄砲を撃ち放った。

鬼武蔵と呼ばれる男は、馬から転げ落ちた。
「やった!森武蔵守、小池兄弟が討ち取ったり!!」
意気揚々と、兄弟は苗木に引き上げた。
「みなの衆、喜べ!森長可は我らが討ち取ったぞ!」
「へー、誰が誰を討ったって?」 「「げぇッ 鬼武蔵!!」」

「いや、お前らすぐに探したんだけど、見つからなくて。ここまで来ちゃったよー。」
「あ・・・あれ?弾が当たって落馬したんじゃ・・・?」
「ああ、馬の尻に当たって、馬が棹立ちになってなぁ。」
「じゃ・・・じゃあオレの弾が当たって何か破片が飛び散ってたのは・・・」
「残念、それは私の馬の鞍だ。」

結局、苗木城は落ちて遠山氏は関ヶ原まで放浪するハメになるとか、小池兄弟が
一族皆殺しとかはいつもの事だから省くとして

教訓:注意一秒 ケガ一生(?)
602人間七七四年:2009/08/21(金) 10:58:03 ID:13xu6XGb
漫画だ
603人間七七四年:2009/08/21(金) 11:04:53 ID:GE69m43G
一族皆殺しの話も書いて欲しい
どうせだし列伝にもう一行加えよう
604人間七七四年:2009/08/21(金) 11:49:42 ID:0/GzjN3v
鬼を殺すのって大変なんだなあ
605人間七七四年:2009/08/21(金) 12:07:10 ID:MV8VEBD1
やっぱり家康とめんどくさい三河武士達サイコー
鬼武蔵をこの世から消滅させただけでも貢献度は高い



ってか
606人間七七四年:2009/08/21(金) 13:37:36 ID:e0GmB1If
やっぱり家康が天下取れる程の人気を得られたのは、鬼武蔵を葬り去ってくれたからかw
607人間七七四年:2009/08/21(金) 13:45:39 ID:g/3JFsqI
まあ討った側どころか、味方の方からも大喜びされた討ち死になんて
前代未聞だからなw
608人間七七四年:2009/08/21(金) 14:08:46 ID:KdRo3GM7
つ桃
609人間七七四年:2009/08/21(金) 18:40:10 ID:M49Lm+rp
>>608
忠政「やめて下さい、死んでしまいます」
610人間七七四年:2009/08/21(金) 19:11:29 ID:5k3tF9JT
信長だったら悲しんでくれただろうか
611人間七七四年:2009/08/21(金) 19:39:38 ID:CBnAY5jo
>>599
トイレ休憩くらい自由にとりたいです・・・(ヽ´ω`)
612人間七七四年:2009/08/21(金) 20:06:38 ID:gfxBnMqc
>>603
鬼武蔵にとっての一族皆殺しって、
普通の人が帰宅して風呂に入った後、テレビみながらビール飲む
程度の感覚だからな。もう列伝にもなりがたい
613人間七七四年:2009/08/21(金) 20:22:12 ID:XHjMPnFW
太閤立志伝で、道場を開いたら初日に鬼武蔵が道場破りに来たでござる(ノД`)
614人間七七四年:2009/08/21(金) 20:25:42 ID:p6MyC7l1
いい加減にしろよ
615人間七七四年:2009/08/21(金) 21:28:34 ID:Lb3f+mHu
「鬼」を殺すには「神」君くらいじゃないとダメなのか
まあ鬼武蔵は神の使いを何匹もぶっ殺してるけど
616人間七七四年:2009/08/21(金) 21:36:40 ID:NEqIJcHu
門番殺すのは呼び鈴鳴らす感覚なのかな。
617人間七七四年:2009/08/21(金) 21:51:53 ID:M49Lm+rp
秋田実季の魂の分身、「凍蚯の像」って現存してるんだね。
http://www.city.obama.fukui.jp/section/sec_sekaiisan/HP-Images/192-2.jpg


実季「今ではワシの木像って事になってるがこれは『友達の凍蚯』であってワシではないのに・・・ブツブツ」
618人間七七四年:2009/08/21(金) 22:13:00 ID:z8pMyzvO
たしか鬼武蔵を討ち取った柏原さんは旧武田家の赤備だったんだよね
武田家といえば三方ヶ原の神君御脱糞
そして神君を自殺未遂に追い込んだ山県昌景の赤備
619人間七七四年:2009/08/21(金) 23:07:52 ID:OSArHVoa
流れ玉に当たっただけだけどな
620人間七七四年:2009/08/21(金) 23:37:47 ID:KthHDAff
つまりは本物の神にしか殺せなかったってわけか
621人間七七四年:2009/08/22(土) 00:02:03 ID:FfsfmqEd
>>617
なんか純朴そう
622人間七七四年:2009/08/22(土) 02:35:40 ID:2BkjMzE4
>>621
実季は僧形の木像も現存してるけど、顔がこれとよく似てるんだよね。
623人間七七四年:2009/08/22(土) 03:46:58 ID:q+P+qbt+
鬼神ってくらいで、神より鬼の方が力は上だとどっかの誰かが・・・
624人間七七四年:2009/08/22(土) 06:43:19 ID:VpWezWXP
>>617
両手の平が上を向いてるけど
茶碗とか持たせて一緒にご飯を食べてたんだろうか…(´;ω;`)
625人間七七四年:2009/08/22(土) 10:48:02 ID:m12Z46Xo
そういや両手の平が上向いてるから逸話の通りの事が出来そうだな。
626人間七七四年:2009/08/22(土) 12:35:54 ID:zO01wZvH
>>624-625
想像して泣いたわT_T
627人間七七四年:2009/08/22(土) 12:52:15 ID:fT9H820n
やや時期外れだが、怪談話。

栄存法印伝説

栄存法印。片桐且元の息子十郎左衛門の二男、つまり且元の孫に当たる。
彼は大坂城が落城したのち、諸国をめぐり仙台に落ち着いた。
寛永八年、湊村(現石巻市湊町)の領主笹町但馬は、当時荒廃していた牧山の長禅寺の再興を願い出た。
そこで、栄存が別当として任命され、長禅寺の復興に努め壮大な寺院を修復した。
また、北上川の河口が泥でふさがれてたのを祈祷により大洪水を起こし、泥を押し流した。
これにより藩から表彰もされたうえ土地ももらい、彼の徳を慕う人々も増えていった。
しかし、湊村領主の但馬の死後、後を継いだ重頼と栄存の間に対立が出てきた。
重頼は長禅寺の土地を侵し、法印はこれを藩に訴えた。しかし、役人はすでに重頼と手を結んでおり、
逆に栄存は江島(現女川町)に流罪となってしまう。
流された栄存は無実を訴えるため、さらに重頼に報いようと祈祷し続けたが、
島民から「笹町氏は何事もない」ことを知らされると、
「だったら、鬼になって祟ってやる!わしが死んだら逆さまに埋めてくれ。もし背いたら、島民にも災いが及ぶぞ」
と言って、延暦九年に亡くなった。
628人間七七四年:2009/08/22(土) 12:54:23 ID:fT9H820n
遺言とはいえ、逆さまに埋めるのはしのびないと島民は普通に葬ったのだが、その日から島では変事が起きるようになった。
葬った島民が大熱を発して死に、その日から漁もとれなくなった。
恐れた島民は、遺体を掘り起こして逆さまに埋めなおした。すると、変事は収まった。
それから数日後、湊村の笹町の屋敷に光りものが現れるようになった。
ある夜、重頼が厠に行くと、やせた栄存逆さに吊るされた状態で現れた。
驚いた重頼は急いで部屋に戻ると、何とそこにも栄存が!
気も顛倒した重頼は刀を抜いて斬ろうとしたが、自分の太ももを斬ってしまう。
そこに重頼の妻や息子の安頼も駆け付けたが、狂った重頼は二人を斬殺。
その後、重頼も狂い死に、安頼の娘二人も変死し、笹町家は断絶した。

なお、栄存の死から五十年後、湊村の人々は藩に願い出て、牧山に分骨をしてもらい栄存を祭神として栄存神社を立てた。
栄存は牧山中興の祖として現在も崇められている。



※補足:ソースは郷土の歴史探訪の本なんだが、地元の和尚さんの話だと話の中身がちょっと変わる。
629人間七七四年:2009/08/22(土) 21:33:21 ID:m12Z46Xo
おそろしや・・・
630人間七七四年:2009/08/22(土) 21:37:26 ID:FfsfmqEd
地元の和尚さんの話は?
631627-628:2009/08/22(土) 23:00:03 ID:bWmM99lc
>>630
違うところというより細かいところになるんだが、某新聞社の記事にあった和尚さんの講和によると、

・栄存は政宗の知遇を得ていた真言密教の高僧。
・栄存は島で死を遂げるまでの三年間、湊方面へ向かってのろいの修法を繰り返し、
 湊地区は原因不明の大火に見舞われた。ちなみに、幕末にかけて三度の大火があったが、
 栄存に尽くした高橋家だけは焼けなかった。
・重頼は妻を殺した後自害。安頼は舟で逃げようとしたら変死。安頼の娘も難病で死亡。

ってところが俺が持ってる本とは若干違う。
この孫がもっと早く生まれてたら豊臣家も…無理か
632人間七七四年:2009/08/22(土) 23:19:50 ID:FfsfmqEd
>>631

根本は変わらないのか
しかし高僧なのに人を恨みまくりですなw
憎しみで人を殺せたら!!って心境だったんだろう
633人間七七四年:2009/08/23(日) 02:51:10 ID:70mgwQ+Q
逸話とは関係ないけど、久しぶりに更新されていたので…
ttp://mousouroku.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-c8f2.html
みんな大好き、まーくん登場。
634人間七七四年:2009/08/23(日) 10:45:38 ID:2lWnadC6
毛利家御家騒動?

吉川元春の奥さん熊谷氏。そう、マニア好みのあの女性だ。 
実は、彼女、相当気が強い女性だったようだ。
毛利元就の娘、五竜(宍戸隆家の奥さん)も気が強い事で有名だったが、この二人がバトル状態となった。
何が原因だったかは分からないが、とりあえず気配りの人小早川隆景が仲裁に入った。
が、熊谷氏は隆景が心配して書状を送っても、ガン無視。今度は隆景がキレてしまった。
今度は毛利元就が隆景のとりなし役に回った。
「新庄つぼね(元春室熊谷氏)方へ文とも懇ろに御つかはし候へども、一圓とりあひ候はぬ
おもむきのよしうけ給ひ候、誠に其事にてこそ候へ(中略)此四五年、我等などへは一えん文とも
三くだりばかりにて候、尼子与州、弘中三河守などが状の類にて候、いかなるめんもく候哉、」
(新庄局に手紙出してもガン無視されてるんだって?そうなんだよね。
この4、5年の私への手紙にだって、3行ほどしか書いてないんだよ。
これじゃあ、尼子経久や大内家重臣の弘中隆兼のような目上の人が書く手紙みたいだよね。)
「いかなるめんもく候哉、みな〜女房衆と申し候て、わらひ候事にて候、さては御方様へも其分に候や、御ふしんおかしく候〜、」
(そんな手紙では私の面目も丸潰れだ、と毛利家の女房たちと笑っていたよ。さては隆景の所にもその程度の対応だったんだね。
不審がるのも無理ない事だよね。[だから、気にしちゃだめだよ])

毛利家のかっこ悪い話。
635人間七七四年:2009/08/23(日) 11:09:58 ID:sTHn4fOr
隆景が切れるって相当だよな・・・
636人間七七四年:2009/08/23(日) 12:05:39 ID:m8TGo+Yf
>>635
珍しいよなw

何十通と送られてくるのを全部無視しなきゃ隆景はプッツンしないと思う。
637人間七七四年:2009/08/23(日) 12:08:33 ID:n8/cKfcP
太閤5では商人にも海賊にもなってくれるあの温和で優しい隆景さんが切れるとは・・・
638人間七七四年:2009/08/23(日) 12:56:34 ID:EsZuJfHd
輝元「えっ、いや、普通にキレるよ?俺といっしょの時は」
639人間七七四年:2009/08/23(日) 13:08:01 ID:OE9aFT/U
>>638
切れてるんじゃなくて、あんたが○鹿だから折檻しているだけだって・・・。
640人間七七四年:2009/08/23(日) 15:54:09 ID:IHzMvm00
朝鮮の時も三成にたいして切れていたな隆景さんは
あの隆景さんが切れるほど三成たちの行動は腹が立つほどのものだったんだね
641人間七七四年:2009/08/23(日) 16:01:41 ID:aJf9dOz6
しかし元就も相当面白い手紙書く人だな
すごく人間臭い手紙だ
642人間七七四年:2009/08/23(日) 16:57:54 ID:DZict3/C
甥っ子の不祥事もみ消す為に家臣ヌッ頃したり
隆景さんも大変なんだよ
643人間七七四年:2009/08/23(日) 17:15:44 ID:gC7rr66y
蒲生氏郷はその陣屋において、侍達による博打を許していたそうだ。

その理由は

「陣屋において番を勤める者たちは、ややもすれば眠り込んでしまう。
博打でもって気を勇めていれば、夜になっても寝るようなことはないものだ。」

との事。

博打は身を滅ぼす元と、殆どの武将がこれを厳禁をしていたが、氏郷はそれとは別に、
夜番において眠らなくなる、という角度から、これを評価していたらしい。

しかし寝ないのはいいが、博打に熱中して異変を見逃したらどうするんだろう?
と、どうしても思ってしまうお話。
644人間七七四年:2009/08/23(日) 18:11:14 ID:FGMI6R6B
>>643
ひとかどの者とは、周囲の者達と同じ行動、価値観とは
一線を画す者なのだよ。
長所を短所に、短所を長所に捉える事の出来た、
氏郷らしいエピソードだと思う。
645人間七七四年:2009/08/23(日) 21:12:10 ID:PKMT/gAP
九条玩山と源氏物語

公家の九条玩山は東福寺門前の藪の中にある
朽ち果てそうな宿坊に住んでいた。
彼は食事が終わるとすぐさま机に向かい、朝も夜も
源氏物語を読みふけっていた。
彼は常々「これほど面白い物語はない。60年以上は読んでいるが
全く飽きることはない。まるで延喜の御代にいる気分になる。」
と言っていた。

ある日歌人の里村紹巴が彼の宿坊を訪問した。
紹巴「何を読んでいらっしゃるのですか?」
玩山「源氏物語」
紹巴「何か良い歌書はありませんか?」
玩山「源氏物語」
紹巴「どなたかがいらっしゃって、閉居をなぐさめてらっしゃるのですか?」
玩山「源氏物語」
と玩山は三度同じ答えを言ったという。
646人間七七四年:2009/08/23(日) 21:15:12 ID:sTnTVOFj
>>635
いや、意外と小早川隆景さんは血の気の多いんじゃないかな。
初期毛利の軍で最も戦場で勇猛なのは小早川隊だったらしいし

戦場で勇猛な小早川
戦場で慎重な吉川
政略で慎重な小早川
政略で勇猛な吉川
って感じ
647人間七七四年:2009/08/23(日) 21:23:07 ID:zpyeKhS6
隆景は前線に出過ぎて厳島の戦いで危うく討ち取られるところだった
足に三か所傷を負ったらしい
648人間七七四年:2009/08/23(日) 21:24:24 ID:4MUuZbwx
歳をとって丸くなったのやもしれん
649人間七七四年:2009/08/23(日) 21:36:51 ID:UQbJUeb5
>>648
テル「叔父さんがぼけないようにいろいろと工夫してます」
650人間七七四年:2009/08/23(日) 21:46:34 ID:cbxK9Ew6
いざ戦場に出ると陣頭指揮執っちゃうのが小早川で
大将として悠然と構えてるのが吉川だったって話は確かになんかで見た記憶がある
651人間七七四年:2009/08/23(日) 22:17:49 ID:cfwfGekU BE:263272032-2BP(2)
信玄と芋虫

信玄は幼少のころより芋虫が大の苦手だった。
一国の主が芋虫ごときに、と馬場信春はある日自分の手のひらに芋虫を乗せて、

「大の男が芋虫ごときに触れられぬとは、なんとも情けない話ですな」
と信玄を皮肉ってみせた。

家臣にここまで言われてはさすがにプライドが許さなかった信玄、虫ごときが何だと思い切って芋虫に触れてみたものの
恐怖のあまり顔はおろか指の先まで真っ青になってしまいましたとさ。
652人間七七四年:2009/08/23(日) 22:51:50 ID:Ej15ggLP
653人間七七四年:2009/08/23(日) 23:36:02 ID:gC7rr66y
某所より転載

162 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[] 投稿日:2009/08/23(日) 22:48:50.73 ID:t2hhkrEo
義の天地人は、魚津城を見捨てたけど、
謀の宇喜多は、斎田城を見捨てない不思議


164 名前:以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします[sage] 投稿日:2009/08/23(日) 23:08:57.96 ID:cTqo7Zso
>>162

←○<景勝です。魚津城助けに行くぞ!    凸
                           春日山城



                            ↑
                            ●<こんにちわ、鬼武蔵です^^






○                          凸<ちょww兵士居ないww帰ってきて
                         春日山城



                            
                            ●<春日山城貰いますね^^


<ギャー!
             すまん、魚津城!
                ○→        凸
                         春日山城



                            
                            ●<魚津城も信長様も死んだみたいなので帰りますね^^
                            ↓



しゃーない
654人間七七四年:2009/08/23(日) 23:42:12 ID:m8TGo+Yf
>>653
※こんにちわ〜帰りますねの間に越後の14の村が灰になりました
655人間七七四年:2009/08/23(日) 23:42:40 ID:j0QvWME3
行きがけの駄賃と言うか…
656人間七七四年:2009/08/23(日) 23:45:13 ID:dlsCAge6
>>650
こんなの思い出した↓じさまパネェ
-----------------------------------------
明の大軍に平壌が落とされ、諸将が漢城に集まってこれを迎え撃つ少し前。

小早川隆景は開城府に有った。
開城府は都から五里離れていて、その間には大河があった。
この時、黒田長政・小早川秀包も白川と襄陽に有って、小西・大友もこの城に
とどまっていた。
隆景は「大明の三十万を引き受けて一戦し打ち果てよう」と開城に踏み止まっ
ていた。
そこへ総大将の宇喜多秀家以下、石田三成・増田長盛・大谷吉継から飛脚で
使者がやってきた。
「早々に都へ引き取って頂きたい。大河が都と城の間を阻んでいて(連携が)
難しいでしょうから、こちらへ一所に集まった方がよいでしょう」とのことだった。
しかし隆景は動じなかった。
「我は日本から渡海した初めから再び帰国するつもりはない。
本朝は泰平に治まり国家は無事であるので畳の上で病死することになるのかと
これだけが心にかかっていたところ、幸いこの戦に出陣できたことが何より満足
である。
隆景は齢五十八、死んでも惜しくはない。
大明三十万とかけ合って切っ先から火花をちらして合戦して討ち死にを遂げる事、
老後の思い出になるに過ぎない。
我がたとえ討たれたとしても日本が弱るわけでもない。
大明三十万をここで待ち受けよう」

そこで大谷吉継がただ一騎で開城府へ来て、隆景に対面してこれを諌めた。
「貴殿のご心底は、いにしえの名将勇士も上を行くことはないだろうというほどに
ご立派です。
ただし貴殿が一組二万ばかりで三十万の勢を受け、いたずらに討ち死にされる
のは本意の事ではない。
すみやかに王城へ帰り総軍を立ち備えて御身は総軍の先鋒になって快く合戦し、
死を善道に守られれば、名も義もともに全うできるでしょう。
少しでも早く都へ引き入って下さい」

これを聞いた隆景は「では(大谷)刑部が先手は必ず隆景に任せ、他の将が先手
を望んでも許さないことを請け負うなら王城へ引き取ろう」と言った。
大谷がこの請負人になることを約束したので、白川城の黒田長政へ早々に開城
まで引き入るよう使者を出した。
長政と秀包が大友と小西をつれて開城府に入ったので、六人は同道して川を渡り
王城へ引き入ったが、隆景には既に述べたような所存であったので都には入らず
南大門の外、碧蹄館に陣取った。

待ち受ける内に明軍が夜の内に川を渡り、立花軍の見廻りの勢とぶつかった。
家老十時伝右衛門以下五百余名が奮戦するも討死。
この報せを受けて対応を協議した際、三奉行と宇喜多秀家は大軍と野合戦をする
より籠城すべきであるという考えだったが、立花宗茂が目を怒らせ太刀に手をかけ
大声で「これほどの大軍に籠城してかなうはずがない。ともあれかくもあれ野合戦
すべきである」と言ったことで合戦に定まった。

諸将は先陣を望んだが、隆景が目に角をたてて「我が先陣たることは最前よりの
約束である。他の望みはあるべきでない」として備えを配した。
-----------------------------------------
訳は適当。
出典は延宝年間に作られた逸話集みたいなんで信憑性はあれなんだろうけどかっこよくて好き。
ネットで読める
ttp://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/buhen/buha086.htm
657人間七七四年:2009/08/23(日) 23:52:17 ID:HNhSxafZ
>>651
残念ながら既出でござる
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1970.html
658人間七七四年:2009/08/24(月) 00:05:25 ID:DV6mDARa
>>643
次の日が戦だった場合でもいいのだろうか
659657:2009/08/24(月) 00:09:43 ID:7NxLtShk
ってもう指摘されてるな、スマン

安藤直次は徳川家光の弟忠長の教育係だった朝倉宣正と友達であった。
しかし忠長の立場が悪くなっていた頃に二人が会ったとき、直次は宣正を無視した。
宣正はこれに憤激して直次に言った。

宣正「なぜ友の私を無視するのだ。私の立場が悪くなったから関係を絶とうというのか!」

すると直次は

直次「ふん、信頼されて教育係を任されたのに真剣に務めを果たさなかったせいだろう。
   そんな奴と話す事なぞできない」

と言って宣正を相手にしなかったという。
660人間七七四年:2009/08/24(月) 00:22:25 ID:rXUsRkO+
>>656
武辺咄聞書からか。隆景サイドから見たバージョンもあるんだな。かっこいい。

ちなみに偽書で名高い武功夜話では、この漢城まで後退して皆で迎え撃つ作戦は三成の発案で
撃退に成功したのは三成の手柄だ、みたいな話しになってる。

大谷が一人で説得に行った話しは、たしか毛利家の文書にもあるらしいので多分本当だと思う。
明軍や小西撤退の情報の裏を取るための偵察をしに行って、その場での判断でまず掛け合ったが
最初は隆景に断られ一度漢城に戻り、その後さらに前野長康が使者になり奉行らの意見を伝えて説得した
という話しもある。
奉行らの意見に対し、隆景はかなりキレてたらしいけど
なんにせよ前線での隆景らの活躍で明軍撃退に至ったみたいなので言うだけあるよな。
661人間七七四年:2009/08/24(月) 07:38:37 ID:lg0KiY2D
>>658
戦を前にしてオケラになったらなったで、手柄立てて恩賞貰って借金返してやる!とかえって奮起するかも
662人間七七四年:2009/08/24(月) 07:46:34 ID:hzmPBWeT
>>643
どこの大名家か忘れたが
遊女に狂うやつと博打に狂うやつとでは、後者のほうが計算高く役に立つ場合もあるだろうから
前者のみを追放したという話もあったな
663人間七七四年:2009/08/24(月) 07:58:27 ID:r+WVS4Fs
>661
戦の前に借金作ったら、戦地の藏とかを勝手に抵当に入れたりしてたんじゃなかったっけ
664人間七七四年:2009/08/24(月) 08:17:36 ID:HNOHWBXx
>>662
それ藤堂高虎。

しかし、主君を攻め滅ぼしたり追い落としたわけじゃないのにギリワンとはどうなんだろうね。
665人間七七四年:2009/08/24(月) 12:07:19 ID:y9dpu7wi
>>664
むしろしっかりと各君主には仕えてたと思うけどな。
時流を読む目がよかったってだけで不義理にされちゃあ・・・
同じ世渡り上手な幽斎さんもノブヤボだと義理低かった気がするし
666人間七七四年:2009/08/24(月) 12:24:54 ID:w6zgE9K2
>>656
人格評価のせいか隆景も宗茂も漠然と温厚なイメージ持ってたが修羅道一直線じゃないかw
667人間七七四年:2009/08/24(月) 13:41:14 ID:nvRWYIGC
>>666
立花宗茂はかなり好戦的な人だよ。
島原の時も「世が平穏すぎると、武士が戦い方を忘れ、
行状も悪くなるので、こういう戦いはむしろもっと起こった方が良い」
とか危ない発言を家光にしてる人だしw
668人間七七四年:2009/08/24(月) 14:04:58 ID:ZBBRQDc4
二人とも武士だし

でもオンとオフの切り替えのできる人達だったんじゃない?
669人間七七四年:2009/08/24(月) 16:08:49 ID:w6zgE9K2
>>668
鬼武蔵に足りないのはオフ

…と友達と人望と…
670人間七七四年:2009/08/24(月) 17:05:27 ID:WdwyUDO/
足りてるものは戦闘力だけでしょ
671人間七七四年:2009/08/24(月) 17:45:41 ID:hRNjmAgy
統治能力と人材もそれなりにあると思う。
672人間七七四年:2009/08/24(月) 18:40:12 ID:K2TSGBez
津田宗及の茶会に出たりしてるから一応オフには出来るだろう、きっと
673人間七七四年:2009/08/24(月) 18:45:56 ID:13FAkmRU
まあ長可も含めて、DQN四天王は、他の能力も物凄いレベルが高いって前提があった上で、
なおかつDQN部分が非常に目立つ人たちだった、って事は認識しておいたほうが良いかと。
674人間七七四年:2009/08/24(月) 19:05:13 ID:WdwyUDO/
そうだね。他の能力が無いと越前のあの人みたいになっちゃうからねw
675人間七七四年:2009/08/24(月) 19:08:13 ID:K2TSGBez
>>674

lヽ
l 」∧_∧
‖( ゚∀゚ ) ・・・
⊂ 富田つ 
  人  Y 
 し(_)
676人間七七四年:2009/08/24(月) 19:51:55 ID:USVH36I1
DQN格付けとしては大友さん辺りは市松よりもいい線いってると思うんだが
677人間七七四年:2009/08/24(月) 20:26:39 ID:+uW1VqFn
推すヲタがいないので無理です
こういうのは他人の話にも食いついてくるような
推しの強いヲタがいないとなれません
678人間七七四年:2009/08/24(月) 20:37:49 ID:mepgRP3/
大友宗麟は付き抜け感が足りない
679人間七七四年:2009/08/24(月) 20:59:58 ID:e0PYQA1w
            /\
       /\/__\
   /\/__.\*‘ー‘从
 /__\*‘ー‘从━∪━⊃━━<>
 从*‘ー‘从━∪━⊃━━<>
 /━∪━⊃━━<>
 し'⌒∪

一万田勢は大友宗麟の格上げを断固拒否します

No more war!No more Francisco!
680人間七七四年:2009/08/24(月) 21:03:34 ID:IRBt5Cxl
まあ、家臣の妻を横取り、という点ではTERUさんも似たようなもんかね。
681人間七七四年:2009/08/24(月) 21:08:32 ID:BVnkPH4q
大友さんの真価は寝取りより(寝取りも十分酷いが)宗教関連じゃね?
682人間七七四年:2009/08/24(月) 21:16:18 ID:ZBBRQDc4
あと家庭崩壊とか
683人間七七四年:2009/08/24(月) 21:20:34 ID:rELtIwXf
息子3人が兄弟仲悪くて
島津氏に攻められてる最中にその島津側に逃げちゃう奴もいたとか

戦国は裏切り上等という時代なのは分かってるけど
大友さんちはその戦国のセオリーを越えたところにある仲の悪さのように思われてならない
その根本原因が宗麟さんの教育の失敗
684人間七七四年:2009/08/24(月) 21:21:29 ID:K2TSGBez
宗麟の息子、宗統は一生の内で一度も笑った事が無いかもしれないらしい。

景勝とはまた違って鬱屈とした幼少期を過ごしたという理由で。
685人間七七四年:2009/08/24(月) 21:21:44 ID:e0PYQA1w
宗麟の真価が発揮されたのはイザベルさんにお仕置きされてる時じゃないか?
686人間七七四年:2009/08/24(月) 21:23:52 ID:IRBt5Cxl
>息子3人が兄弟仲悪くて
貴久「内憂外患を目の当たりにして息子達の仲が悪いなどと…」
元就「有り得ませんなぁ」
687人間七七四年:2009/08/24(月) 21:54:40 ID:4tiW1AuJ
信秀「嫡子を後継者としてしっかり教育しておかないから弟にも閥ができておかしくなるんだろが」
義姫「まったくですわ弟をいとけないからといって贔屓したのではなくて」
688人間七七四年:2009/08/24(月) 22:16:28 ID:0ongcJfb
>>686
義久「長男はきついよな・・・」
隆元「父も弟達も優秀だと立場無いよな」
義久「俺、自分の事は諦めたから、子供には幸せな家庭を築いて欲しいんだ・・・」
隆元「俺も、自分の子供には毛利に相応しい立派な大名になって欲しいんだ・・・」
689人間七七四年:2009/08/24(月) 22:26:48 ID:BVnkPH4q
>>688
ブワッ
690人間七七四年:2009/08/24(月) 22:38:20 ID:4tiW1AuJ
>>688
全登が泣いた
691人間七七四年:2009/08/24(月) 23:01:30 ID:YLzFD1mc
>>688
豆州兄ちゃん
「仲は悪くないんだよ。ただちょっと空気が読めない意地っ張りなだけで」
「ただちょっと謹慎中も子宝に恵まれすぎただけで」

「・・・仕送りが足りなくて女房殿に小遣い減らされますた(´;ω;`)ブワッ」
692人間七七四年:2009/08/24(月) 23:17:45 ID:HNOHWBXx
>>691
日本一の兵もやっぱりDQNかw
693人間七七四年:2009/08/24(月) 23:25:23 ID:c5oIMs5R
義信「もっと長生きしたかったよ」
信康「分かる分かる」
694人間七七四年:2009/08/24(月) 23:31:45 ID:38umrawF
>>693
信忠「俺も俺も」
695人間七七四年:2009/08/24(月) 23:32:30 ID:IRBt5Cxl
長慶「兄弟で助け合わなきゃ乱世は乗り切れないよな」
元親「宗麟殿の息子達は一体どんな教育を受けたのやら…」
696人間七七四年:2009/08/24(月) 23:43:08 ID:13FAkmRU
堀秀政が越前を賜り、北の庄の城の改修が終わった頃の事。
秀政は配下の諸侍を大手の橋の前に呼び出し、

「この城にはずいぶん精を出して、必要なものはことごとく準備し、城中に入れるべきものは
全て入れたと思う。
さりながら、ここにいるおぬし達は、異なる国からそれぞれ集まって来た者達である。それぞれの
見聞思案も有るであろう。もし不足の物が有れば、遠慮なく指摘してほしい。」

そのように言った所、末座より一人の侍が進み出て言う事には

「物も人も、確かに足らざるは無いと存じます。もし、この城に足りないものがあるとすれば、
隣の大国を領する方と疎遠にし、使節の往来もしていない、と言うことでしょうか。」

秀政これに

「ああ、前田利家のことか。これはよい諫言を頂いた。
しかし、今は公儀にこれと言った別条がない。このようなときにどれほど疎遠にしていようとも、
利家は何とも思うことは無いだろうさ。

だが、もし公儀に何かしら起こった時には、疑念を起こさせないように速やかに使いを立てて、
『百万石くれれば加賀の先手をしようぞ』
と言ってやろう。そうすれば利家も、わしを信用し百万石をくれて、先手をさせるであろう。
そうなったら天下を利家に持たせて、わしは百万石加増してもらって…、
さて、その後はどうなるか、運次第だな。」

そう言って笑った、と言う事だ。

まあ、ぶっちゃけると、「利家?何かあったら俺に頼るしかないんだから、ほっときゃいーのよ」
と言うことか。

そんな、名人久太郎さんが前田さんをガン無視していたらしい、と言うお話。
697人間七七四年:2009/08/24(月) 23:55:24 ID:0I48dAnY
大友さんはDQNじゃなくてヘタレ四天王だと思う。
この男のヘタレはちょっと突き抜けている。

ちなみに福島さんはこっちも5人目の四天王レベル。
698人間七七四年:2009/08/25(火) 00:06:44 ID:4zocufX4
宗麟「ちょっと丹生島城に逝って来るね」
699人間七七四年:2009/08/25(火) 00:23:14 ID:Vi06uOrW
>>694
秀頼「僕も僕も」
700人間七七四年:2009/08/25(火) 01:13:25 ID:zMeglwQV
>>967
息子の義統も父に負けないヘタレっぷりだからな。
大友家のDNAパねぇっす。
701人間七七四年:2009/08/25(火) 01:14:20 ID:djxr9p2W
>>694
お前は城に籠って戦うからだろうがw

>>699
お前もだw
702人間七七四年:2009/08/25(火) 01:24:39 ID:9t8DuGn4
>>698
道雪さんが鬼の形相で連れ戻しに向かいました。
703人間七七四年:2009/08/25(火) 01:43:23 ID:pQGgzrSf
>>697
嫁さんに呪われたのが怖くて家を飛び出したまま戻ろうとしなかったり、
出陣自体は何回かはしてるけど、自身の率いる陣で攻撃に出たことは一度もないらしいしね。
でも狩りの弓矢は外したことなかったらしいから武芸には長けてても胆力がないんだな。
遊興に耽る元気はあるんだから病弱だなどというのもヘタレを隠すための虚言だったんじゃないかと思う。
704人間七七四年:2009/08/25(火) 05:09:06 ID:ROo4hLdz
>>690
一人かよ!
705人間七七四年:2009/08/25(火) 09:49:37 ID:sJVjTa6t
氏政「兄上さえ……兄上さえ生きていてくださったら……」
706人間七七四年:2009/08/25(火) 10:05:01 ID:y8xeKHmW
家督を継ぐ苦しみを味あわずにすんだってか
707人間七七四年:2009/08/25(火) 11:13:01 ID:aJy8RVSv
氏照「まったく。あんなことにはならなかったろうに」
氏邦「ねー」
景虎「俺も見殺しにされることは…」
氏規「おかげで北条家はいただけました(プ」

氏政「orz」
708人間七七四年:2009/08/25(火) 17:24:17 ID:Vi06uOrW
>>683
宗麟「良くぞ、ここまでろくでなしに育ったw」
709人間七七四年:2009/08/25(火) 22:25:20 ID:VBy3qoR2
つまんね
710人間七七四年:2009/08/26(水) 00:08:00 ID:ZHy7u7Tl
関白秀次の失脚に連座して、秀次への借金の返済を求められた細川忠興は、あちこちに
借り入れを頼み込んだあげく、秀吉の許しを得た。その後、秀吉は
「細川は明智の乱にも同心せず、大儀である。ここ数日、気詰まりであったろう、
これで茶の湯でも楽しんでくれ。」と言って、名物茶器『有明の茶入』を忠興に与えた。

しかし折からの借金で手元不如意の忠興は、この『有明』を売り払ってしまった。
何年か後、『有明』を大身旗本・津田秀政が所持している事を知った忠興は、一度は
手にした名物を再び自分の物にしたくなり、義弟(幽斎の婿)・木下延俊を通じて秀政に
『有明』の譲り渡しを申し入れた。

しかし秀政の返事は、「武士たる者が、主君より拝領せし品を手放すなどとんでもない!」
と、つれないものだった。
そう、『有明』は徳川家康の手に渡り、秀政は関ヶ原での戦功により、拝領したのだ。

延俊「手詰まりですなあ。」
忠興「なに、手がない訳ではない。・・・で、・・・だから、・・・して・・・」
延俊「?!そ、それは・・・マズイですよ、義兄上!」
忠興「頼む、オレじゃムリなんだ!一生のお願い!!」
延俊「えー・・・今回だけですよ・・・・・・」

忠興と延俊は、秀政に茶会を開き、その席で『有明』を見せてもらうよう頼んだ。

延俊「ほう、これが・・・秀政どの、手に取って見てもよろしいか?」
秀政「どうぞ、遠慮なく。」
延俊「どれどれ・・・・・・秀政どの・・・」
秀政「はい、何か?」
延俊「ご・・・御免!!」  Σ≡≡≡≡≡ヘ(; >д<)ノ

秀政「  ( Д )  ゚  ゚ 」

何をしでかすか分からない忠興はともかく、延俊はノーマークだった秀政は、呆然と
茶室から『有明』を抱えて飛び出した延俊を見送った。
その後、「人質」をとられた秀政は、金数百両で泣く泣く忠興に拝領品を売ったそうな。
711人間七七四年:2009/08/26(水) 00:11:03 ID:JwsH44NR
ひどすぎるwww
712人間七七四年:2009/08/26(水) 00:17:26 ID:cvHHazaR
>>710
それでも大枚はたいているあたり、まだマシなんだろうねw
713人間七七四年:2009/08/26(水) 00:18:47 ID:tMf93AFD
>>710
げひ殿がニヤニヤしながら見ておりますぞw
714人間七七四年:2009/08/26(水) 00:19:13 ID:6K/4fvHd
>>710
どんな手に出るかと思ったら持ち去るとかwww
快諾したかは定かじゃないが、了承した部下はすごいなぁ。
しかし忠興さん、大胆不敵。
715人間七七四年:2009/08/26(水) 00:24:34 ID:tQCzC3+G
>>710
これも戦国の武士の習いという奴か!(違うと思う
716人間七七四年:2009/08/26(水) 00:32:03 ID:z8QQNaFU
これで秀政さんが家康に「以前くれてやった『有明』はどうしたのだ?」と追求されたらどうなってたことやら
「(強制的にとはいえ)拝領品を金子と交換しました」なんて答えたら懲罰ものだろうし
717人間七七四年:2009/08/26(水) 02:48:17 ID:P7OC4GB3
利休の弟子クオリティー酷スwwww
718人間七七四年:2009/08/26(水) 11:36:05 ID:JwsH44NR
中村一氏には六人の家老があり、その六人とも、三千石の扶持を与えられていた。
そのうちの一人に、渡辺勘兵衛がいた。

小田原の陣のあと、関東に転封された徳川家康に代わり、駿河は一氏に与えられた。
このとき一氏は六人の家老を平等に六千石に加増したが、勘兵衛はそれに猛烈に噛み付いた。

「私の小田原陣の時の働きは、、秀吉公から直々に、一万石相当のものであると言われました!
それが私ほど働いてもいない、他の五人と同じとは、納得できませぬ!」

と、憤りのあまりそのまま中村家を出奔、高野山に登ってしまったそうだ。

その後勘兵衛は、増田長盛に仕える。
そして関ヶ原の時、勘兵衛は増田家の居城、郡山城を預かっていた。

この時郡山の国人や地侍達が、「増田殿より銀子を頂けなければ、城の防衛に協力しない」と
言ってきた。留守居の者たちは皆、彼らの望み通りに銀子を与えるべきだといったが、
勘兵衛一人がこれに反対した

「殿がお留守であり、殿の仰せ付けのないままに城内の銀子を取り出すことは出来ませぬ。
それにこのような時に汚い欲を出すような者共、協力しないというならかえって好都合。
そのような不義の連中はいり申さぬ!」

留守居の者達もこれに同意したとの事。

勘兵衛さんの考えでは違うのだろうが、傍から見ると、自分の欲には正直だが、
他人の欲には厳しい人だな。というお話w
719人間七七四年:2009/08/26(水) 12:46:59 ID:QQTFDkLr
労働に対する正当な評価を要求するというところか
720人間七七四年:2009/08/26(水) 13:02:17 ID:QUFYOdAd
働いた後の報償と、働く前の前借りとでは話が別だと思う。
あんなに働いたのにこれっぽっちかよ!
というのと
金くれりゃ働いてやんよ!
というのでは比較する対象にはならないのでは?
個人的には勘ベエの頑固ないい話。
721人間七七四年:2009/08/26(水) 13:17:30 ID:tMf93AFD
いや、事前報酬というだけではなく、そのもらった銀子で足軽を雇うためにいるんじゃないのか…?
722人間七七四年:2009/08/26(水) 13:21:24 ID:PlR9NMNw
一人の武士としては良い話だと思うけど、大将の器じゃないな。
黒官みたいに前払いの二重取りも笑って許すくらいの器量がないとな。
その点、家康の求めに応じて誓紙を出さなかった花房さんと同レベル。

>>710
武士は犬とも畜生とも言え・・・って、これはさすがにねーよwwwww
723延俊さんヒャッハー!w:2009/08/26(水) 14:32:53 ID:1TJ2svBQ
>>710
BGM:青春りっしんべん数寄者編

いまだ!手元に抱きかかえて有明茶入うばっちゃえー
最初は嫌がるけど照れてるだけだからー
724人間七七四年:2009/08/27(木) 17:46:47 ID:18y5Gpto
さてさて、久々に面倒くさい人たちのお話。

伏見においての事。

徳川家康の若い旗本である、筑紫惣九郎と言う者の小者が、伊達政宗の屋敷の、
水汲みの者と口論となり、その水汲みに筑紫の小者が叩かれて帰ってくる、と言う事があった。

これを聞いた筑紫惣九郎は激怒した
「堪忍ならぬ!政宗の屋敷に切り込みに行く!!」

まわりに居た、関金平、藤田民部と言った6,7人の惣九郎の友達たちも、これにさすがに驚き、
「何もそこまでする必要は無いだろう?」などと、口々に諌めたが、惣九郎は
まったく聞き入れようとしなかった。

惣九郎のあまりの頑固さに、周りの者達もさすがに呆れ
「解った勝手にしろ。しかしお前一人で討ち入らせるのもどうかと思うので、みんなで討ち入ろう。」

なんだか斜め上の結論に至った。

惣九郎と愉快な仲間たちが早速討ち入りの準備をしていると、これを聞きつけたのが
足軽大将の渡辺矢之助である。
渡辺は足軽大将と言う地位からもわかるように、惣九郎たちより年齢も地位も上の、
徳川家のことを考えた上で、若い者達を導く立場の人間であった。
渡辺は惣九郎の眼前で強く言った

「わしが足軽を出して後詰をする!存分に討ち入って来い!!」

話の解る上役であった。


さて、この当時の大名屋敷と言うのは、通常、常に大門を開いていたそうだ。
彼らは伏見伊達屋敷に、大門から堂々と入ってくると、理由も告げずに
突然切込みをはじめた。

伊達家の者達は当然わけがわからない。番兵たちが押さえ込もうとするが
この厄介な三河者達はその番兵どもを蹴散らすと、「まあこんなものか」と
引き上げようとした。が、藤田が伊達の番兵に捕まってボコボコにされているのに気がつき
もう一回戻って藤田を助けたりもした。

そんなわけで引き上げてると、騒ぎに気がついた伊達の屋敷の者達が、大勢で彼らを
追跡してきた。7人ほどの三河者に、数十人の伊達勢が迫る!その時である

後詰の渡辺矢之助が、足軽を率いて間に入った!

「伊達家の皆様、これは軽率ですぞ!我等は家康の者どもにて譜代の家人なれば、
逃げ隠れすることは少しも無い!
何か言いたい事があるのなら、われわれが聞こう!」

そういって惣九郎たちを引き上げさせた。
これに伊達家の者達は、何も出来ずに引き下がったそうだ。

その後、伊達政宗から家康に、正式に抗議が来た。
この事を惣九郎は聞くと、「他の方々に迷惑をかける事はできない。」と、その頃の奉行に
断ってから、切腹をした。政宗もこれに異議を挟まず、この件は決着にいたった。

ちなみにこの討ち入りに加わったものの内、藤田は怪我の手当てのため関東に戻り、
後に松平忠吉に仕えた。
その他の者達には、特に沙汰も無かったとの事である。
725人間七七四年:2009/08/27(木) 18:13:08 ID:NhGIEK05
筑紫惣九郎と申す者、覚悟誠に天晴れと言う他無しに候。
726人間七七四年:2009/08/27(木) 19:23:16 ID:Kai4OQoI
めんどくさいというか二転三転しすぎでしょ
政宗も扱い方がよく分かってらっしゃる
727人間七七四年:2009/08/27(木) 19:50:14 ID:H7AYwN5F
叩かれて帰ってくる小物とか
気づいたら番兵にボコボコの藤田とか、いちいち表現が可愛くてウケたww

渡辺も話のわかる上役だしいいな
728人間七七四年:2009/08/27(木) 20:59:24 ID:USuCG/8Z
これは頭が固いというよりか身勝手な発想で命のやり取りすんなって感じだな。
729人間七七四年:2009/08/27(木) 22:15:28 ID:9IABb3HT
いや、今の日本に必要な発想だな
730人間七七四年:2009/08/27(木) 22:20:14 ID:PkjgSr5d
まあ徳川家に限らず、この当時の武士なんて、みんなこんな感じだよなw
731人間七七四年:2009/08/27(木) 22:41:48 ID:16y4U6Eu
ヤクザじゃん
732人間七七四年:2009/08/27(木) 22:45:14 ID:PkjgSr5d
>>731
むしろヤクザの方が武士のメンタリティにあこがれたと言うべき。
733人間七七四年:2009/08/27(木) 22:52:31 ID:zw+1QSr5
>>724>>727
斬り込んで来た相手にボコボコで済ませるなんて、伊達家の番兵は随分と優しいな。
734人間七七四年:2009/08/27(木) 22:57:02 ID:oWrluhwN
>>733
政宗「主君に似ただけさ!」
735人間七七四年:2009/08/27(木) 23:49:01 ID:gcU1ukwX
森家に林長兵衛為忠という重臣がいた。彼は長可、忠政の生母妙向尼の弟であり森兄弟の叔父にあたる。
家老として重きを成していたが、妹の夫、井戸宇右衛門が名古屋山三郎とのイザコザで忠政に誅殺されるという事件が発生した。
(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html)
為忠は激怒し、忠政を見限り福島正則に仕えることになる。正則改易後も森家に戻ることなく本多家に仕えた。
兄弟を全て失った忠政にとって、一族は為忠を除けば数年前まで出奔していた(>>580)叔父の森可政くらいのものであり、
忠政にとっては大きな痛手であったことだろう。忠政はつくづく家族運に恵まれない。
736人間七七四年:2009/08/28(金) 00:01:11 ID:ACBNV7e/
鬼武蔵の一族でも義憤することを示したいい話。
737人間七七四年:2009/08/28(金) 10:01:58 ID:rv6NSVGa
なんかこっちがいい話スレの気がしてきた。
738人間七七四年:2009/08/28(金) 10:20:33 ID:VuCOZ/kT
為忠って甥の井戸宇右衛門の事でブチ切れて忠政を説教しようと思ったのか
復讐なのか判らんが個人的に気にいってた名古屋山三郎を動かそうにも
甥と殺し合いした当人だし忠政にかんしちゃ森家の主君だし何も出来なくて
もう当てつけかのように正則に仕えるしか出来なかったんだよな
739人間七七四年:2009/08/28(金) 10:48:57 ID:VuCOZ/kT
間違えた甥は忠政で義理の弟が井戸宇右衛門だったw
740人間七七四年:2009/08/28(金) 14:39:55 ID:qTEUVmIl
>>724
そういや、水野勝成も伊達政宗んとこ殴りこみに行かせてたよなあ・・・
たかが馬一匹の為に。
741人間七七四年:2009/08/28(金) 15:14:09 ID:0bBbVaFm
実は政宗に一泡吹かせたいだけだったとか
日頃の行いは大切だよね
742人間七七四年:2009/08/28(金) 15:30:53 ID:XwWjT4eV
関ヶ原、家康の赤坂到着前のこと

美濃、岡山にまで進出して来た東軍に対し、西軍では石田三成、大谷吉継、宇喜多秀家、島津、
長束、平塚、脇坂と言った面々が集まり、評定を開く。
この時毛利家からも、毛利秀元、吉川広家、安国寺恵瓊、天野元政といった者達がこの会議に
参加した。

評定は三度も開かれたが、これぞと言う方針も決まらず、淡々と、ただ時間だけが流れた。

これに業を煮やした毛利秀元が発言する
「ここで合戦をすべきである!そうせずに、今集結している大勢の軍兵が、うかうかと
敵を目の前にして守っているだけだとは、無念この上ないではないか!

今、岡山にいる軍勢のうち、殆どは上方勢である。人数で圧倒している以上、
味方の勝ちは必定と考える。然れば我らが先手を仕る。敵をことごとく、虜として
くれよう!」

大谷吉継はこれを聞くと
「ここに、この評定の結論は出たと言うべきであろう。我等も合戦してしかるべきと存ずる。
是非、合戦との決議をしていただきたい!」
と、賛同を示した。

ところが石田三成は、
「刑部少輔は目が薄いためそのように言うが、敵はとるに足らぬ数ではないか。
あのような連中には、合戦をせずに勝つべき物なのに、いらぬ所に手間をかけるのは、
無体な事である!」

そう言って、主戦論に反対した。
大谷吉継は、自分が目の悪い人間故に、三成が「目が薄い」と言った事に
もっての他と立腹し

「私は盲ゆえ、談合の役にも立たぬようだ!兎にも角にも、三日のうちに合戦を行わなければ
この弓矢は負けとなるぞ!」

と、言い捨て、そのまま駕篭に乗って帰っていった。


それから程ない九月十三日、赤坂に家康の旗印が立つ。

「毛利秀元記」に見える、関ヶ原決戦前の、西軍評定の様子。
743人間七七四年:2009/08/28(金) 15:43:13 ID:2/fcyjkB
>>742
三成は三成なりに必死だったんだろうけど、こんな風にいわれても
西軍として戦った大谷さんが切ない。
三成は悪人とかではなかったかもしれないけど、こういう面が
周りから信頼を失わせる結果に繋がったのかな。
744人間七七四年:2009/08/28(金) 16:11:20 ID:bSAyQ1ct
>>742
三成はきっと自分なりの価値観や正義が自身の中で確立されてるんだろうね。
良く言えば歪みない、悪く言えば独善的。
他人の意見に耳を貸したような逸話が存在しないのもそういったことかも。
だから、吉継の飲んだ茶の器に平然と口を着けたのも、吉継の病は他人には
うつらないものという自分なりの確信を持ってた、ただそれだけなのかも
知れないと思ってしまう。
745人間七七四年:2009/08/28(金) 16:19:44 ID:GI3HrkQt
つか全部三成に責任押し付けて秀元マンセー記事にしただけでないの
746人間七七四年:2009/08/28(金) 16:33:57 ID:XwWjT4eV
>>745
毛利秀元記が秀元マンセーなのはその通りだが、この評定の模様に関しては
出席した天野元政の証言があるっぽい。(それも勿論毛利側からの見方な事は間違いないが)

747人間七七四年:2009/08/28(金) 16:43:51 ID:8Rvfhs2q
>>744
茶会の話は有名なわりに出典すら不明の信憑性ゼロの逸話だから
引き合いに出されても検証材料にならんよ。
748人間七七四年:2009/08/28(金) 18:05:22 ID:anQnHhX4
だから逸話の真贋だのを検証するスレじゃないと何度言ったら…
749人間七七四年:2009/08/28(金) 18:07:12 ID:RLqXQWoh
男色をめぐるチョイと悪い話を書く可し。
よいな。
750人間七七四年:2009/08/28(金) 18:12:38 ID:CocuVOrm
>>740
夏の陣の戦自体、伊達が言うことを聞かないせいで
苦労してる中、配下の部隊の神保隊は政宗に撃たれ全滅に近い状態に。
さらには、自分の家臣にあげた馬が
戦のどさくさで、なぜか伊達軍にあった。

そりゃ、何かしたくなる罠
もっとも馬一頭を奪い返す際、
馬取り、付き添いの徒士までを殺した辺りは勝成らしいが
751人間七七四年:2009/08/28(金) 18:28:16 ID:3pPEowkY
既出かも知れんが

伊達順之助について

独眼竜がDQNなのは周知の事実だがなんとDQNの血は昭和に入るとさらに威力を発揮したらしい。
直系の孫である順之助さんの華麗な御経歴。

1892年生誕、政宗直系の孫で華族でありながらいわるゆヤンキーであり数々の学校でクローズ的生活を送りその都度退学。
17の時には893を撃ち殺しタイーホ。しかし親の手回しでなんとか助かる。

22歳の時ようやく旧制中学を卒業したと思えば大陸で張作霖爆殺計画に乗るわ山県有朋を殺そうとするわの暴れっぷり。
もっと過激なことをしたくなったのか大陸浪人になり持ち前のDQN力でなんと馬賊の頭領になり彼らを引き連れ山東自治軍に参加。
「俺が奥州といわず中華の覇者になってやんよww」と言ったかどうかは知らないが
日本国籍を捨て中国に帰化し自治軍の指揮官として日本、満州、国民党、共産党の全てを敵に回し暴れまわるDQNぶりww
終戦後は今までのツケか戦犯になり銃殺刑。

下手したらどんな災害よりも怖い独眼竜の血の復活。
752人間七七四年:2009/08/28(金) 18:29:14 ID:3pPEowkY
孫じゃなくて子孫ね。スマソ
753人間七七四年:2009/08/28(金) 18:30:07 ID:YrvN1N+C
まーくんはまーくんでその鬱憤晴らしに老中と相撲とったり、酔っ払って膝枕したりしたってわけですねw
754人間七七四年:2009/08/28(金) 19:13:44 ID:soTq0QnJ
森忠政と作州一揆

小早川秀秋の急死により1603年、美作には森忠政が18万6千5百石を領し移ることとなった。
すぐに「森家の制度は非道で、領内の民百姓は難儀に及んでいるそうだ」などと国中で噂された。
ある者は信濃・美濃へ行き様子を見るとやはり噂に違わず、領民は森家の国替を聞いて限りなく喜んでいたという。
そこで美作国人や小早川家浪人は林野城へ集まり軍議を行った。美作出身で隆景公の代からの小早川家臣
である難波宗守(かつて筑前国三笠郡を領したことから三笠入道と呼ばれた)が大将に選ばれ、旗揚げした。
集まった武士は、美作東部の安東氏・江見氏・菅家党を初め国中の多くの国人と小早川家譜代の武将ら、
毛利恩顧の武士、野武士・浪人・備前侍が集まり、総勢二千六百八十余人が各々播磨因幡国境の城砦を固めた。

忠政は報告をを聞いていたが、注進を無視して老若男女千人にも足らない人数で五月八日本国を出立した。
五月二十二日播州山崎に到着。入国は困難に見えたが、播美の親戚関係を利用して東北部国境を守る
新免氏と菅家党有元氏を密かに説得、彼等の案内で北の山路を迂回して五月二十七日、入国することに成功した。
有元氏の居館に本陣を構えると、本領安堵を期待して降参する者も現れ、
結局一戦も及ぶことなく一揆は解散し、六月十五日林野城は開城した。
三笠入道は自害し、あるものは国外へ退去、またある者は苗字を変えて密かに暮らした。

忠政は八月に本陣を院庄へと移し、築城を開始する。そこで例の事件が起こるがそれはまた別の話。
翌年には検地を半年で強行し、表高からさらに4万石打ち出した。
その後も国人層から家臣として召抱えられた者は僅かであり、1608年には武士としての身分も剥奪されることとなった。
755人間七七四年:2009/08/28(金) 19:17:28 ID:soTq0QnJ
寄せ集めの一揆勢は、忠政の入国に気づいて陣を夜襲したら既に移動した後で、追撃しようとしたら
別の拠点から夜襲を仕掛けた味方部隊といつの間にか同士討ちになってたとか連携悪すぎ。
そんなまとまりも無く、一国人が精々数百の兵しか出せず、戦国を通して統一勢力の生まれなかった美作で
合計三千近くもの兵を集めさせた森家の悪名の高さ。
検地はたったの2割の増税と、さすがに信濃の時よりは控えめですねw
756人間七七四年:2009/08/28(金) 19:28:37 ID:XwWjT4eV
まとまって合戦したらどうなっていたか解らない状況だけど、まとまらないのを見越して
入国したんだろうな。

それにしても忠政の果敢さや有能さはやっぱり、戦国大名のものですな。
平時には迷惑w
757人間七七四年:2009/08/28(金) 21:15:51 ID:elmMbD15
                     ,、
                    /| |
       ,,;r''"~ ̄^'ヽ,     /  | |            
     ,/ 森忠政  \,   /   | |   <よいか皆の衆!
   ∠__,,,,,,,,_,;____\/     | |    逃げる者はただの国人衆じゃ!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  /     | |    逃げない者はよく訓練された国人衆じゃ!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i | /       | |   まことに美作は地獄じゃのう!
     ,r''i ヽ, '~rーj` //        .| |    フゥハハハーハァー
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/::/ `ヽ      .| |
  /     ゙ヽ   ̄、/::::  ゙l,     .| |
 |;/"⌒ヽ,  \ /_ヽ:  _l_   | |
 l l    ヽr `i`I`I`I_⊂////;`ゞ .| |
 ゙l゙l,     l,| {ニニニl,,l,|,iノ二二二二ニニニニニニニ二二二二二二二二Iニ三三>
 | ヽ     ヽ∠∠∠∠∠/\,-| |
 /"ヽ     'j_\ヽヽ, ̄ ,,,/" ''''''''''⊃
/  ヽ    ー──''''''""    `゙,j"
  _,,,,,,,,,ヽ、        ,,,,,r-''''' | ̄| ̄I
''"    ヽ,,___,,,r‐''''''二_\  | |  ,|
          \'''"   / \| | ノ

758人間七七四年:2009/08/28(金) 21:23:01 ID:0bBbVaFm
>>757
弓の持ち方くらい治せよw
759人間七七四年:2009/08/28(金) 22:49:47 ID:SljDdp9w
>>山県有朋

日本最強の老害なんだから、キチンと殺しておけよ。
760人間七七四年:2009/08/28(金) 22:53:32 ID:ayl5uw3o
はあ?
761人間七七四年:2009/08/29(土) 01:02:59 ID:SYSPZvd7
東郷なんかは亡くなるまでいろいろと口を挟んで改革潰しをしていたらしいね
762人間七七四年:2009/08/29(土) 01:04:36 ID:dRqFptAZ
どうぞこちらで

日本近代史
http://academy6.2ch.net/history2/
763人間七七四年:2009/08/29(土) 01:05:01 ID:eIHFcbPX
まあ近代の老害と言うと、その2人が代表格じゃないの
764人間七七四年:2009/08/29(土) 03:22:44 ID:F2XODRxQ
最上さんから秋田さんにお手紙ついた


お手紙ありがとうございました
湊合戦以降、河北の騒乱が収まらないこといつも気にかけていました。お返事送れずゴメンなさい
実季どのは色々御苦労されたとお聞きしましたが、ようやく関白様の仕置きも決まって一安心ですね
私も自分のことのように喜んでいます

∧実∧
( ・∀・)  でもまだ秋田郡の仕置きが決まってないんだよなー

そうそう、秋田郡は太閤蔵入地になりましたね。代官は実季どのなので今までとそう変わらずに済むでしょう
かねてから実季どのが石田治部どのと懇意にしていたことが功を奏したようです
同じ出羽国の大名同士、かねてより懇意の間柄の実季どののこと、私もこの裁定には非常に満足しております
石田治部どのも実季どのの私への言伝を見てますます喜んでいましたよ

 ∧実∧
(; ・∀・)  え? ナニソレ初耳なんだけど

それはそうと小田原へ関白様が出陣なさいますが、私も前々から関白様のお手伝いをしてきた手前、陣処へ参上したいと思っています
思ってるんですけど!
ほら、隣のね……その、私の可愛い妹の子がね、なんていうかね……

 無 謀 ?

 身 勝 手 ?

 向 こ う 見 ず ?

……みたいなところあるじゃないですか。いや、悪い子じゃないんです。私の可愛い妹の子ですから。

 ∧実∧
(; ・∀・)  いきなり家庭事情話されても!?

関白様も私が羽前を留守にすると堺を接している私の可愛い妹の子が何をするかわからないので、参陣しなくていいと朱印を貰いました
そうはいっても小田原に行くべきだと思うんですけど、日ごとに私の可愛い妹の子が乱b…やんちゃをしているって噂もあるので遅くなりそうです。(・A・)クヤシイ!

 ∧実∧
(; ・∀・)  ……なんの手紙だっけ?

でも(この手紙を預けた使者が見ていると思いますが)山形城の普請もバッチリですので警備については安心してくださいね!(b^ー゚)
いずれこちらからも使者を送って、疎遠になっていた間の事など色々とお話できればと思います
追伸:石田治部どのから貴方宛の書状をこの使いに託してお届けします

                                                          義光より







手紙魔の鮭様の返答に困る手紙を貰った人形遊び実季の話
まーくんに頭悩まされる鮭様もどっかで愚痴りたかったのだろうか(ちなみに鮭様44才、実季14才)
後年、この人の良さそうな鮭様と家康にハメられて転封くらったことも実季の人形遊びを加速させたのかも知れない……
765人間七七四年:2009/08/29(土) 04:30:31 ID:1z0jKGIg
鮭うぜえ
鮭いらね
766人間七七四年:2009/08/29(土) 05:26:48 ID:TZYZX2yr
鮭ネタイラネ( ゚д゚)、ペッ
767人間七七四年:2009/08/29(土) 06:31:00 ID:X6tSNWiQ
Sub乙
768人間七七四年:2009/08/29(土) 08:36:18 ID:fr4VqViR
>>765-766
脊髄反射しかできないお前らがいらんわ。
文句を言う前にネタの一つも出しやがれ。
769人間七七四年:2009/08/29(土) 08:58:53 ID:BVOfnbXV
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?mode=m&no=2703
この話に出てくる新免氏って武蔵(宮本さん)の一族かな?
創作とかだと作州浪人とかいいながら姫路城に行ったり兵庫と岡山で生誕地を揉めてるけどやっぱ岡山の人だったのかな?
まあ、各地を転々とした武蔵だけど地元の大名がアレになったらそりゃUターン就職はしたくないよな…
770人間七七四年:2009/08/29(土) 09:15:21 ID:X0FVsxlE
>>765-766のちょっと頭が悪い話ですね、わかりますw

それにしても義光は誰にでも嫁だの甥っ子だの、聞かれもしないのに
家庭事情を語り出すなw
給湯室で愚痴るパートのおばさんかよw
771人間七七四年:2009/08/29(土) 09:26:31 ID:1z0jKGIg
鮭マジいらねえ
772人間七七四年:2009/08/29(土) 09:32:49 ID:dRqFptAZ
>>764
一見愚痴の手紙の間に、サラっと重要情報を入れているのがやり手であることを伺わせるなw
773人間七七四年:2009/08/29(土) 10:15:06 ID:B0mH7lEl
>>769
伊織が寺だかに出したモノに由緒が書いてなかったっけ?
774人間七七四年:2009/08/29(土) 10:38:56 ID:eL6Djahq
>>764
実季たんの人間不信→人形遊びには倅との確執だけでなく、もがみさん家も関わっていたのか。
775人間七七四年:2009/08/29(土) 11:31:43 ID:dRqFptAZ
「毛利秀元記・巻之五」より、小早川秀秋の寝返り


「金吾殿、山中の城に居給ひけるが、心替り分明の聞こえありしに依って、手籠もうすべしと
評定ありしかども、夫れも何かと延引なり。
杉の権頭所より、金吾殿心替り必定の由、堅く三箇度安国寺へ申越ししたり。
此権頭は、隆景より金吾殿へ、付け給ひたる者なりし故、斯く申越したり。
安国寺、此由を治少へも長大蔵へも申されにしに、両人乍ら、うかうかとして居られしに、
案の如く金吾殿打って出でられしぞ。」

(訳)
『小早川秀秋は松尾山の城に陣を置いたが、心変わりは明らかであるから捕らえるべきとの
評定があったのに、これも何かと先送りになった。

杉の権頭の所から、秀秋の心変わりは間違いないと言う事を、厳重に三度まで
安国寺恵瓊に申し越された。

この権頭は、小早川隆景が秀秋に付けた者であったので、このように(安国寺に)申し越して
きたのだ。

安国寺恵瓊はこの事を石田三成にも長束正家にも伝えたのだが、両人ともに
うかうかと何の対処もしなかったので、案の定秀秋は(西軍に向かって)討って出たのだ。』


これを見ると、松尾山に陣を張った時点で既に、秀秋が東軍に寝返ったと言うのは、広く認識
されていたようです。にもかかわらず、西軍首脳はこれへの対処を先延ばしにし、結局それが
命取りになった。という認識が、少なくとも毛利秀元周辺にはあったらしい。というお話。

776人間七七四年:2009/08/29(土) 12:37:20 ID:XNdyn0GP
これが小早川隆景隊だったら…と思うところだがそれだとそもそも毛利の動向変わるよなw
777人間七七四年:2009/08/29(土) 13:56:27 ID:faEbbV+9
>>765>>766>>771
死ねやクズヘタレ大名厨が
778人間七七四年:2009/08/29(土) 14:15:11 ID:m4Akfrd6
>>775
と、いうわりには、毛利には小早川の裏切りに備えた形跡が無いんだよな
779人間七七四年:2009/08/29(土) 14:26:37 ID:RNF44GOI
>>769
宮本の近くに本拠のあった新免氏嫡流は関が原の後黒田家を頼って筑前に移っていて、
この話に出てくる新免氏は傍系(伯父の子孫)だったりする。
武蔵の出生地は知らんが、新免と名乗る以上何らかの関係はある。
780人間七七四年:2009/08/29(土) 17:50:42 ID:796DllEL
>>778
吉川広家「計画通り」
781人間七七四年:2009/08/29(土) 17:54:26 ID:mr+TY6c6
いい話に選挙ネタがあったので、こっちにも投下してみる


大友家の作法では、家老を申し付ける時は、家中の者達により入札(投票)をさせ、
その数が多かった者に申し付けたそうである。

ところが義統の代になって、この入札は行われなくなり、
家臣たちが行うように申し入れをしても、その嘆願は無視された。

これに大友家の家老達は、
「我々は家中の投票によってこの職に付いている。それゆえに、自分達が申し入れる事は
家中の意思を汲み取ったものであるのに、それが行われないとは当家も滅亡間近か。」
と、大いに嘆いた。

あの家老は
「梅の花は寒いうちに咲き、風が温かくなると散ります。
義統様が当家の仕置きを一方的に変えられても、今の所目だった弊害はありませんが、
家中の雰囲気は悪くなっています。これは春風が却って梅の花を散らせることと同じです。」
と、今の状況を語った、とのことだ。


まあ、大友家にこんな風習は無かったから、間違いなく江戸期に作られたお話なんだが、
昔の人も解ってた、「選挙は大切だよ」、と言うお話。
782人間七七四年:2009/08/29(土) 17:56:38 ID:VbBglB4z
>>774
裁判にいったら訴訟人と裁判官が仲良く鷹狩で不在だったからな
とんだマッチポンプだよまったくw
783人間七七四年:2009/08/29(土) 19:42:44 ID:CMz0vpex
>>776
その人が存命なら、西軍の総大将になってたんじゃない?
西軍・小早川隆景vs東軍・徳川家康

面白そうだけど、そもそも生きてたら家康がああは動かなかったかも。
784人間七七四年:2009/08/29(土) 19:45:11 ID:Fmrvzg4z
そうだな、結局死ぬのを待つだろうから、
関が原が1600年から少しずれるだけで結果は変わらんだろう
もっとも勝敗の行方は別だろうが
785人間七七四年:2009/08/29(土) 19:48:09 ID:mCUij/YL
>>782の話は
まとめサイトの安東実季の項目になかったんですが
別の人の項目にある話なんでしょうか?
786人間七七四年:2009/08/29(土) 19:53:46 ID:/ribCxgq
利家が存命中から色々やってた家康が待つかねぇ
自分らは家康長生きした事を知ってるから待つと言えるけど、
家康自身も結構歳でどれ位生きるか分からないから

仮に5年待つと秀頼もかなりの歳になるし、
やはりあの時期に仕掛けざるを得ないんではと思う
787人間七七四年:2009/08/29(土) 21:26:09 ID:pQROTMv3
利家と隆景があと10年長く生きてれば・・・
788人間七七四年:2009/08/29(土) 21:34:37 ID:5XlSkxWL
>>787
逆に考えるんだ。
家康があと20年早く亡くなっていたら、と。
789人間七七四年:2009/08/29(土) 21:40:02 ID:tswDGQFy
それはそれで面白いな。
関ヶ原の時点で結城秀康は26歳、秀忠は21歳。
跡目争いはどうなっていたことやら。
790人間七七四年:2009/08/29(土) 21:53:31 ID:eeWbkL/o
>>789
家康が生存してたから秀康も特に何もしなかったけど
それはちょっと考えて見ると面白いな
791人間七七四年:2009/08/29(土) 22:54:20 ID:eL6Djahq
>785
つ 「最上義光」
792人間七七四年:2009/08/29(土) 23:10:01 ID:mCUij/YL
>>791
秋田氏の転封顛末・悪い話
見つかりました

ありがとうございます
793人間七七四年:2009/08/29(土) 23:14:58 ID:GpoerWMu
伊達政宗が生まれた米沢の城は、政宗の先祖が作った城、
後に秀吉に飛ばされて移った岩出山城は家康が作った城。
故に仙台城は政宗にとって生まれて始めて、自分で建てた城である。
慶長八年、初めて足を踏み入れた政宗の喜びは格別だったであろう。

そんな仙台城で家臣を集め、新築移転の儀式が行なわれた時の事。
祝宴の途中、泉州堺の在からきた石工たちが即興で踊り始めた。
(これが「雀踊り」で、今に伝えられ仙台の青葉祭りで踊られる)
その後も次々と面白く踊りが続き、興に乗った政宗も大黒舞を踊りだした。
よほど嬉しくて浮かれていたのであろうと想像に難くない。

が。
これを見た家臣の一人、鈴木元信が思わず泣き出してしまった。

( ●Д゚)「オイオイ。めでたい席なのになに泣いてんだ」
(ノД`)・゚・「今まで殿が財政で困んないようにと、金山開発したり
      金穀の貯蓄したり、会計立てて頑張ってきました。
      それもこれも殿が天下を握る日のためです。
      それなのに、こんな城ひとつで大黒舞踊るとか、情けない!」
( ;●Д゚)「・・・ええっと」

元信の言いたいことはわかるのだが、一応めでたい席なのである。
空気読めと言いたいところなのだが、
それを見ていて更に口を開いた者がいた。片倉小十郎景綱である。

(#゚Д゚)「お城ができたと言っても、殿お一人の力ではございませぬ!
    家臣一同が粉骨砕身し働いた結果できたのです!」

小十郎はそう言うや、刀を抜いて出来たばっかりの仙台城の柱を切りつけた。
マジギレである。
要するに城が出来たからといって浮かれてちゃいかんと言うことなのだろうが、
それにしても祝いの席(ry

(´●ω・`)ショボーンとなっても仕方のない、そんな仙台城新築祝いの話。
794人間七七四年:2009/08/29(土) 23:17:03 ID:YyAzOM6y
何この殺伐とした雰囲気
795人間七七四年:2009/08/29(土) 23:37:38 ID:aWx6tRTx
伊達だから仕方ない
796人間七七四年:2009/08/30(日) 01:03:15 ID:Hl2Qlc7B
鈴木=泣き上戸
小十郎=説教上戸
797人間七七四年:2009/08/30(日) 01:06:27 ID:vy7eOfBn
積もり積もった鬱憤が家康死後の江戸で爆発しました
798人間七七四年:2009/08/30(日) 01:33:27 ID:oguXGupe
DQN四天王がwww

戦国時代超短編やる夫
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/part4vip/1246612124/506-510
799名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 04:25:38 ID:7N3lceFI
>>793片倉さんってば、こんな感じかね。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-706.html
 これは前田けいじろはんのエピ
800名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:21:12 ID:sYAjXksP
さんさ時雨で浮かれてて、豊臣への対応が遅れた失敗を
教訓にせず、また浮かれてたらそりゃ家臣も怒るだろ。
801名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:24:13 ID:8g7oMup/
この時代の有力大名の家には
めでたい席なのに空気読まずに諫言してくる
家臣が必ず一人はいる気がするw
802名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:45:18 ID:EkgtkTsQ
佐竹義宣、ぶっちゃける(上)

上杉景勝・伊達政宗そして佐竹義宣が江戸城中で将軍秀忠の饗応を受けた時、
三人に秀忠が聞いた。
「御身らは武の名門として名高いが、半生のうち己の満足の行く戦はあったかな?」

これに政宗が答えた。
「私は天正の郡山合戦こそ、誇るに足る戦と思っております。
私はまだ若く、手勢も少ないものでしたが、佐竹親子・蘆名氏を始め、相馬・石川に
白河結城と、諸族の大軍を相手にして大いに戦いました。縁戚の岩城常隆の調停により、
やっと和睦を結んだものです。」



「心外だ!言い過ぎだ!!
だいたい、あの時に政宗を討つのは簡単だったが、カーチャン(輝宗妹)がオヤジに必死で
頼むから手加減してやったんじゃねーか!
和睦で命拾いしたのは政宗の方だぞ?!それが何でアイツの武勇伝になる!?」

殿中では黙って聞いていた義宣は、自邸に帰るとそう言って激怒したという。
803名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:46:02 ID:EkgtkTsQ
佐竹義宣、ぶっちゃける(下)

寛永三年(1626)、将軍家光に従い上洛した佐竹義宣に、京・四条の宿舎で
家老の梅津憲忠が尋ねた。
「幕府の権勢も、今や大したものですなぁ!いやしかし、この幕府を創った家康と
秀吉、そして信長を大将として、対等の軍勢で平地で会戦すれば、誰が勝つでしょう?
いずれも天下を取るほどの人物、その駆け引きたるや、見ものでしょうなぁ!」

これに義宣は冷静に答えた。
「お前はアホか。勝敗なんぞ議論するまでもないわ、秀吉は信長を上回れぬし、家康は
秀吉を上回れんよ。

手が届く所に『天下』があれば、義理や名聞を置いても奪おうってのが人情だ。
信長が生きてるうちに、秀吉が天下を取った時の権勢を持っていれば、謀反を起こしてた
だろう。それだけの力が無かったからこそ、黙ってただけさ。

その証拠に、秀吉は岐阜中納言(織田秀信)を主君とは仰がなかったし、家康は秀頼を
……って、他人の目のある所で変な事聞くな!噂になっちまうだろ!」

で、義宣の危惧通り、御用商人の大嶋宗喜が聞いており、翌日には京洛中で
「まぁ、正論だけどさぁ……」と、噂になっていたとさ。
804名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:12:45 ID:UgFYLiT9
・・・・コント?
805名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:25:16 ID:kE7GZ24K
>>803
IF歴史を根本から否定するような正論(´・ω・`)
806名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:36:50 ID:Kfv+Or5x
おもしれえなあw
807名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:39:18 ID:dnKN7ZfH
義宣はいろいろストレス溜まってそうだな…w
808名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 17:50:13 ID:Z3I3oOhf
逸話を書き残した人って、絶対政宗と義宣のからみを面白いと思ってる節がある
809名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:53:44 ID:E+fPW/lf
>>803
その話の出典教えてください。
810名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:27:47 ID:EkgtkTsQ
>>809
web版国立国会図書館の「秋藩温古談」。江戸中期までの佐竹家歴代の逸話集。
正直、我流現代訳等アリ。スマソ
811名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:44:53 ID:dnKN7ZfH
>>810
>>809じゃないけど読んでみたくなった。サンクス
812809:2009/08/30(日) 20:21:24 ID:E+fPW/lf
>>810
ありがとう。
この逸話は鈴木眞哉の「戦国武将 人気のウラ事情」にあったが
鈴木も出典分からないと言ってたので出典知りたかったのよ。
813人間七七四年:2009/08/30(日) 21:15:49 ID:EWG63z1k
いつもながらこのスレの住人のレベルはすごいな。感心する。
814人間七七四年:2009/08/30(日) 22:54:39 ID:dnKN7ZfH
奇説の域を出ない話ですが…

信長の息子の一人、信孝。
彼は本能寺の変ののち、秀吉と対立して切腹してしまうのだが、
秀吉が信孝を憎んだ理由の一つにこのようなものがある。


絶世の美女と歌われたお市の方は
夫・浅井長政が死んで後家になった。
お市は30歳を過ぎても22、3歳にしか見えないほど若く美しかったという。

本能寺の変後、お市の再嫁先を探すことになったが、
柴田勝家と羽柴秀吉、この二人が「それがしの妻に」と立候補した。
が、信長の息子・信孝は
「筑前には正室いるじゃん。
 まさか信長公の御妹を側室にするわけ?ねーよw」
と秀吉の願いをはねつけ、正室のいない勝家にお市を嫁がせてしまった。
秀吉はこれを恨み、のちに信孝と対立することになる。


関白に就任した秀吉は、お市の娘・茶々を側室にしているが、
茶々にお市の面影を見ていたのか、それは不明である。
815人間七七四年:2009/08/30(日) 23:22:37 ID:9bLqg/Eo
山風の妖説太閤記思い出したわw
816人間七七四年:2009/08/30(日) 23:40:33 ID:VHndk0be
事実かどうかはともかく、言っていることは正しい

ただ、当時の信孝に、市の嫁ぎ先の決定権があったのか?という疑問が。
817人間七七四年:2009/08/30(日) 23:59:42 ID:8A0mH/Dz
故高柳教授の研究によると、勝家が堀秀政に宛てた覚え書きの一条に
自分は秀吉との申し合わせに違背していない、縁辺の儀いよいよその分である

のようなことが書いてあって、この縁辺の儀とはお市との結婚を指し、
(おそらくは)以前からの決定事項であった縁談をそのまま進めることは清洲会議で秀吉達と確認してあること
だということらしい
818人間七七四年:2009/08/31(月) 00:05:08 ID:c+sLr8sf
>>817
まあ清洲会議自体、講談やドラマなどであるような勝家と秀吉の対立の場ではなく、
特に摩擦なく、織田家重臣たちの協調を確認して終わったシャンシャン会議だったらしいしね。
秀吉が天下取りに乗り出すのは、会議の後、信孝と信雄の対立が表面化しはじめたあたりからだね。
819人間七七四年:2009/08/31(月) 01:07:26 ID:yJTaqSgW
まあ、幼いとはいえ嫡孫がいるってのに信雄や信孝がどうのってのはさすがにねーわな。
820人間七七四年:2009/08/31(月) 01:10:46 ID:HK4aalzW
>>819
吉法師は信忠から、生前に嫡男として認められてはいなかったので、実は織田家の跡継ぎとしての
正当性は微妙だったようです。
821人間七七四年:2009/08/31(月) 01:12:30 ID:HK4aalzW
>>820
あああ吉法師じゃない三法師だ
822人間七七四年:2009/08/31(月) 01:18:37 ID:ifqorgiE
つまり松との間にできた子供を跡取りにしたかったわけか
823人間七七四年:2009/08/31(月) 01:43:13 ID:GkjM+ozH
正室は内親王じゃね?
824人間七七四年:2009/08/31(月) 10:26:11 ID:I3KpdjS3
異聞・兼続最期

かつて仙北の地を転戦した隠居や浪人たちが集まって世間話をした時、ある浪人が
疑問を漏らした。
「上杉家の直江山城は天下に知られた名臣だったのに、なぜ子孫も祭祀も絶えたのか?」
その問いに、かつて直江に仕えたという新田十助と名乗る浪人が答えた。
「・・・これは拙者の見た“夢”として聞いてほしいのだが・・・・・・」

上杉景勝は謙信に倣ったか、あまり女性に興味を示さず、長く世継ぎが生まれなかった。
これを嘆いた直江兼続は、京美人を男装させ、小姓として景勝に仕えさせた。
景勝も彼(?)を気に入ったが、関係を結ぶようになると、当然女性である事は露見した。

ひとまず彼女は景勝に暇を出され、兼続の庇護を受けたが、この時すでに景勝の子を
身ごもっており、男児を出産したので、景勝も彼女を側室に迎えた。

しかし、これを聞いた景勝の正室、菊姫は激怒した。
「実子がいなければ、諸大名から養子を取れば良い。であるのに、氏素性も分からぬ女が
生んだ子を、直江の謀で御家を継がせるとは!
その女、直江が討て!でなければ、直江こそがお家の敵ぞ!」
この事態に家中も動揺し、兼続に因果を含められた側室はあくまでも“景勝の小姓”として
腹を切って死んだ。

時が過ぎ、側室の忘れ形見は上杉定勝と名乗り、従四位下侍従に任官した。
正式に上杉家の世子となった定勝は、自分の実母がいない理由を旧臣に問い正した。
「・・・母上様は、直江が失い奉る。」
真実を知って激怒した定勝は、兼続を呼び出し「お前のせいで・・・!」と斬りつけた。
兼続は景勝の子の刃を甘んじて受け、果てた。

「・・・が、定勝様は怒り収まらず、直江家は断絶となった。拙者の見た“夢”は悪夢に過ぎ、
今まで誰にも語らなんだ・・・」

奥羽永慶軍記より。時系列がおかしいし、元ネタでも「浪人の見た夢(妄想)」とされてる
ニッチな話ですが、奇説でも一説は一説として。
825人間七七四年:2009/08/31(月) 12:51:56 ID:vXc5jGBP
こわっそんな夢絶対見たくない
826人間七七四年:2009/08/31(月) 13:31:59 ID:JY+DN8+N
やることはやったんだ

てか、やっぱり景勝しゃべってない。
827人間七七四年:2009/08/31(月) 13:44:09 ID:TLlOVE7C
へぇ〜・・・如何にも“異聞”って感じだな、微妙に怪談チックなのがよりそれっぽい
828人間七七四年:2009/08/31(月) 13:55:18 ID:ru9OIsQw
自分で命令しておいて責任取らず、女を自決させるとか格好悪過ぎだろ。
本当にこんなだったらお家断絶されても文句言えんな。
829人間七七四年:2009/08/31(月) 14:04:14 ID:HK4aalzW
事の真贋はともかく、蒲生氏郷の死は兼続による暗殺、って言う風説が流れたり、
どうも直江兼続は生きていた当時から死後もしばらくの間、世間には陰謀家的な見方を
されていたっぽい。

>>824の話も、「兼続ならやりかねない」ってイメージがあったからこそ生まれた逸話なんでしょうね。
830人間七七四年:2009/08/31(月) 15:19:54 ID:+OQlyM5L
宇喜多直家
「直江山城殿我らが世界によう参られた。ささこちらへどうぞどうぞ」
831人間七七四年:2009/08/31(月) 15:35:43 ID:nDhkCDbH


-政界事情通生の声 ◆cc3RB/STnCwU氏
8月上旬に民主獲得議席数307と予想。

】生の声が政治を語る9
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/yume/1250922463/7
http://c.2ch.net/test/-/yume/1250922463/i


832人間七七四年:2009/08/31(月) 17:55:12 ID:WSwx1nOC
アンサイクロペディアからの甜菜、かぶってもしらない

鬼武蔵、信濃撤退編

本能寺で信長が死んだという知らせを聞いた長可は、流石に空気を呼んで信濃に引っ込む。

信長が死んだと聞いてテンションの上がった反織田国衆が各地で暴れ始めていた。

ここ信濃も例外では無く、日頃の恨みを晴らす為に動き始めた信濃国人達が長可の帰りを三つ指付いてお出迎えする。

しかしながら、自分が嫌われ者である事など百も承知で生きてきた長可は役割というものをよく心得ており、海津城から数千人の人質を出すとそれを盾にしなが撤退を始める。

長可「もう少し南まで行ったら人質開放するから、うん。だからさ、待ってて」

信濃国衆「さぁ、もう南まで来たぞ。さっさと開放しろ」

長可「うるせー馬鹿、皆殺しに決まってんだろ。首だけ返してやるよ」

続く
833人間七七四年:2009/08/31(月) 17:55:52 ID:WSwx1nOC
当然の如く約束を反故にすると、人質を一人残らず始末し、信濃国衆が唖然とするうちにさっさと北信濃から離脱する。

だが、木曽福島城の木曽義昌も味方のふりをしつつ長可の命を密かに狙っていた。

そこで長可は「○日にあなたのお城へ行きます」という手紙を送って、あえて迂回したりせずに一日早く堂々と義昌の城へと行くという手段を取る。


門は固く閉ざされていたが、気にせずに攻城用の装備でブチ壊して真夜中の城内にズカズカと上がりこみ、

「今夜は涼しいからつい早く来ちゃった☆」などと言って勝手にくつろぎ始めた。さらに、どさくさに紛れて家臣に義昌の息子を連れて越させ、

「おお、なんと聡明そうなお子。いきなりだけどこの子は俺の養子にしようか」などと無茶苦茶な事を言いながら厳重に縄で縛って人質にしてしまう。

その後は人質を盾にしながら進軍し、義昌が「息子が!息子が死んじゃうから手を出さないで!」と泣き付くので誰も手出しが出来ずにいるうちに、

ついに美濃まで辿りつくと、とたんに態度を豹変させ「いやぁ、やっぱ養子とかいらんわ。さっさと歩いて帰れよ糞ガキ」と人質を大井宿に捨てて、

さっさとかつての自領である金山へと帰っていった。
834人間七七四年:2009/08/31(月) 18:22:27 ID:RqCLm0M8
アンサイクロペディアには嘘と冗談を書くのがルールだろ……
835人間七七四年:2009/08/31(月) 18:24:19 ID:gQYYTFs2
アンサイクロペディアほど
嘘まみれのところも無いが…しかもそれを転載…
836人間七七四年:2009/08/31(月) 18:39:47 ID:IN6wUkge
鬼武蔵はアンサイクロペディアの癖にほぼ事実で埋まっているんだよな
837人間七七四年:2009/08/31(月) 18:52:24 ID:HFwa5f17
アンサイクロペディアは、自炊というかマッチポンプかつ現在進行形なネタ捏造が
可能だから、流石にアンサイクロソースは無しじゃないかと思わないでもない。
出典がしっかり書かれていれば別だけど。
ジョークや捏造やキャラに合わせた面白半分の創作が許されている場所だし。
838人間七七四年:2009/08/31(月) 18:55:45 ID:AQ59sVYD
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2724.html

まとめサイトで選挙がひっそりと開催中の模様
839人間七七四年:2009/08/31(月) 18:56:06 ID:HK4aalzW
ウィキペディアよりアンサイクロぺディアのほうが詳しくしかも真実を語っている、と言えば
ハンス・ウルリッヒ・ルーデルか鬼武蔵か、って感じだなw
840人間七七四年:2009/08/31(月) 19:10:34 ID:+OQlyM5L
鬼武蔵様の場合、嘘と思えないところが恐ろしい。
いや、しびれるあこがれるか・・・。
841人間七七四年:2009/08/31(月) 20:01:10 ID:HK4aalzW
寧波の乱顛末

大永3年(1523)、明の年号では嘉靖2年、大内義興は明の寧波に、謙道宗設(けんどうそうせつ)を
正史とした遣明船を派遣した。

さてこの時、幕府管領細川高国も、鸞岡端佐(らんこうずいさ)を正使、日本に帰化した中国人である
宋素卿(朱縞)を副使として寧波に遣明船を派遣していた。

大内家と細川家は、貿易利権をめぐって伝統的に仲が悪いのだが、このときは大内義興の
京から山口への帰国による細川高国政権からの離脱で、特に関係が悪化していた。

寧波には大内家の船が先に入港していた。この頃の慣習として、先に入港した船から
入港検査が行われるのだが、細川側は明の担当官吏に賄賂を渡し、これにより細川の船から先に
入港検査を始めたのだ。

これも本来なら、穏やかに口頭での抗議などで済んだ話だったのかもしれない。
が、時期が悪かった。大内家の者達はこれを、細川家による大内への露骨な挑発と
受け取ったのだ。
この時代の武士はこう言うとき、我慢はしない。

宗設と大内家の者達は突如、細川方の船を襲撃し、たちまち鸞岡端佐を討ち殺した。
この時明の官吏が細川方を助けて抵抗したので、宗設はさらに寧波の港を焼き討ち、
さらに紹興城へ逃れた宋素卿を追いかけ、明の役人まで殺すなど、やりたい放題に暴れまわると、
悠々と日本へと帰っていった。

さて、哀れなのは細川方の副使、宋素卿である。大内方の手から逃げ切ったのはいいが、
明の政府はこの騒動の責任を彼に取らせ投獄、のちに獄死する。

この後、この事件は明と日本の深刻な外交問題となり(そりゃそうだ)、日明貿易の停滞から
倭寇が活発化する原因になったりもするのだが、ともかくも、海外でも自重しない戦国武士の、
現地の人には大変迷惑なお話。
842人間七七四年:2009/08/31(月) 21:44:58 ID:iu14sBQB
>>824で思い出した。
捏ぞ…フィクションに定評のある『奥羽永慶軍記』のより「延沢満延の死」

Before「最上・延沢側の記録」
マッチョ大好き鮭様お気に入りの延沢能登守満延であったが、
彼にはすぐれた家臣がおり、彼らなしでは義光に負けたかもしれないということで、

能登守に有路篠原(家臣)なかりせば 義光公に首をのべさわ

と歌に詠まれたともいう。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-143.html
さてこの満延、上洛の際もおともとして義光にくっついていった。
ところが京都にいたころ、卒中らしき病気で倒れてしまう。
そして天正19(1591)年春、一揆鎮圧のため出羽に戻るように命令がくだった。
その出発前、卒中らしき病で満延は倒れてしまう。
義光は必死で看病にあたるも、満延の容態は回復しない。
満延は苦しみながらも「これ以上遅延すれば関白にそむくこととなります。
どうかお気遣いなく、治療に専念してまた追いつきます。
しかしもしも万一のことがあれば、殿の姫を娶ることとなる息子を頼みます」
と義光に言った。義光も満延が気になるがそれもそうだとわび、
治療費と薬を置いてやっとの思いで出立した。義光出発後まもなく満延は亡くなるが、
義光はこれを深く悲しみ、彼の遺言通り義光はその子・光信を大切に遇したという。
ちなみに朝鮮陣のため名護屋にいた義光は、「延沢夫妻は元気だということで安心している。
早く国元に帰って顔をみたい」と手紙に書いている。



After「あとの時代に別の地域の作者が書いた軍記・奥羽永慶軍記」
マッチョ大好き鮭様お気に入りの延沢能登守満延であったが、
しまいに義光はその怪力ぶりを恐れるようになり、京都に向かってからも
何度も毒殺しようとした。
彼にはすぐれた家臣がおり、彼らなしでは義光に暗殺されたかもしれない
ということで、前述の歌が詠まれたという。
かくして満延は 義 光 に 毒 殺 さ れ ま し た 。
ソース? とくにねえよw


なぜか後者の説が有名という不思議。
843人間七七四年:2009/08/31(月) 21:47:31 ID:iu14sBQB
>ところが京都にいたころ、卒中らしき病気で倒れてしまう。

すみません、この二行目まとめるときは消して下さい
844人間七七四年:2009/08/31(月) 23:28:44 ID:m542hp6m
>>842
両者ともどうして変化してるんだろ?
最初から作者は、面白おかしくフィクションとして書いたのかね?
845人間七七四年:2009/08/31(月) 23:31:05 ID:HK4aalzW
>>844
直江家も最上家も廃絶→変なことを書いても抗議をする主体が存在しない→面白おかしく書いちゃえ!

以上。
846人間七七四年:2009/08/31(月) 23:38:18 ID:dlBOzbi1
>>842
クソ鮭ネタを出すなカス野郎
847人間七七四年:2009/08/31(月) 23:40:04 ID:AQ59sVYD
来るのはやっ
848人間七七四年:2009/08/31(月) 23:44:32 ID:iu14sBQB
アンチ最上は毎回キモイなw
849人間七七四年:2009/08/31(月) 23:46:11 ID:jA3b9cOX
一番ウザイのは荒らし以下の存在である荒らしに反応する奴だけどな
まぁ夏ももう終わりだから明日からに期待しよう
850人間七七四年:2009/09/01(火) 00:10:25 ID:9K3T02nE
永慶の作者は自分の足で村々の人の話聞いているし
出来る範囲でなら当時の史料も読ませてもらっている
ので軍記にしては割とマトモな方なんだが、人の記憶って曖昧で年代がズレたり逆になったりしている事が多い
あと医者とはいえ、殿様(佐竹)のことは悪くかくのは面倒を呼びかねない

最上に関して言えば作者の出身地周りは小野寺(アンチ最上)なんで人の口からは最上の悪口が多いだろうし
最上家は廃絶しちゃってるからちゃんとした史料も残ってなかった
ってことだろうな
851人間七七四年:2009/09/01(火) 00:49:29 ID:tokN/Wva
まぁ何処にでもある種の話しだねぇ
毛利関係の尼子晴久とか酷いし
子孫が毛利に仕えてたから晴久だけに批判が集中した感がある
852人間七七四年:2009/09/01(火) 04:03:48 ID:hoYOf54G
むしろ晴久の頃が尼子最盛期だったしねー
853人間七七四年:2009/09/01(火) 05:28:52 ID:o9I67xiW
きちんと中央集権化して子供の後見を務めるくらい生きることができてれば
854人間七七四年:2009/09/01(火) 05:49:55 ID:Yf+24rvs
尼子最高!
855人間七七四年:2009/09/01(火) 11:28:06 ID:s3lM+Ww+
尼子再興!
856人間七七四年:2009/09/01(火) 12:37:58 ID:Lb/DF3+B
>>855
山中幸盛乙
857人間七七四年:2009/09/01(火) 14:13:43 ID:SdWIBf6q
尼子再攻!
858人間七七四年:2009/09/01(火) 14:23:52 ID:OU7B1EuK
>>857
元春乙
859人間七七四年:2009/09/01(火) 14:50:45 ID:Hl1b9INg
尼子採鉱!
860人間七七四年:2009/09/01(火) 16:47:02 ID:bf6Dkn5I
尼子ってあれだろ
小早川と吉川に息子を送り込んだ
861人間七七四年:2009/09/01(火) 17:37:29 ID:Rb3Rt2Kn
本能寺の際、明智軍の一員として、森蘭丸に槍をつけたことでも当時有名であった
勇者、安田作兵衛。
この人が、蒲生氏郷に召抱えられる事になった。

しかしこの時、蒲生家中からこの召抱えを思いとどまるように、と言う声が上がった。
氏郷のかつての主君信長を討った人間の一人であるから、―ではない。

安田は蒲生に仕官する前、羽柴秀勝に使えていたのだが、彼はここで、太夫と言う名の遊女を盗み、
彼女を連れて羽柴家を退転したと言うのだ。

「このような不届きな所業をするものを、当家に御召抱えあるのはいかがでしょうか?」

と言う事なのである。が、氏郷は「そんなの別にかまわんよ」と、あっさり彼を召抱えた。

が、この安田、このことを知ってか知らずか、氏郷の魅力を持っても蒲生家に居つく事もなく、
蒲生家もあっさりと退転。この後、よりによって自分の殺した蘭丸の兄、長可に仕える事になったり、
小牧長久手のあとは暴言を吐いて森家を退転したり、立花宗茂と福島正則が不和になる
原因を作ったり、豊臣秀次相手に武装ストライキをやったりと、色々トラブルを撒き散らす事になる。

安田作兵衛、家臣使いの名人、氏郷ですら乗りこなせなかった悍馬のような男であった、
と言うお話。
862人間七七四年:2009/09/01(火) 21:18:45 ID:rNlA9TYg
長可が一番合ってたんじゃないかと思うね、冗談抜きで
863人間七七四年:2009/09/01(火) 21:21:00 ID:hsw0VRKJ
次々と転職できるだけの能力はあったんだな
864人間七七四年:2009/09/01(火) 21:21:56 ID:O4oXupkM
>>862
当主自らトラブルを撒き散らしてるからな
865人間七七四年:2009/09/01(火) 21:49:29 ID:3zMoGoyg
長可はよりによってなんで弟の仇雇ったん?
866人間七七四年:2009/09/01(火) 21:51:14 ID:7pAYB30D
戦だし立場それぞれなんだからそんなん当たり前じゃね?という思想らしい

ある意味度量のでかい話だが
867人間七七四年:2009/09/01(火) 22:56:58 ID:n05RGKzU
自分が逆の立場になった時に怖い品
868人間七七四年:2009/09/01(火) 23:25:37 ID:aZST99dQ
本能寺の変で信長に一番槍!森乱丸を討ち取るが、自分も腹を刺される。
             ↓
腹の傷を治してる間に明智家滅亡。変名で羽柴秀長に仕える。
             ↓
女を盗んで羽柴家飛び出す。蒲生氏郷に仕えてみた。
             ↓
なんか気に入らないので、蒲生家を飛び出す。次は乱丸の兄貴、森長可だ!
             ↓
どうもこいつの仕官先、わざとやってるんじゃないかという絶妙チョイスばかり。
             ↓
長久手で鬼武蔵戦死。「ガキの仙千代に頭下げられっかよwww」飛び出す。
             ↓
立花宗茂に仕官。なぜか、作兵衛が原因で宗茂と福島正則が不仲に。
             ↓
大口叩いて恥かいた。立花家も飛び出す。俺の居場所はどこにあるんだ。
             ↓
豊臣秀次に仕える。城普請を命じられる。「俺は戦の為に仕えてんだよ!」武装ストライキ。クビ。
             ↓
(#゚Д゚)「ケッ!どいつもこいつも!」
( ゚∀゚)「作ちゃん・・・」
(#゚Д゚)「お、おまえは寺沢広高!」
( ゚∀゚)「迎えに来たよ!」
(#゚Д゚)「え?」
( ゚∀゚)「昔、約束したじゃん。将来、国持ち大名になった方が、
    領地の10分の1で迎えに行くって」
(#゚Д゚)「・・・・・」
( ゚∀゚)「俺、8万石だから、8千石で・・・。ダメかな?」
(;゚Д゚)「し、しょうがねえな。行ってやるよ・・・」
              ↓
彼はようやく、安住の地を手に入れた・・・
              ↓
             が・・・
              ↓
醜い腫れ物が出来た。治らねぇ。何をやっても治らねぇ。ムカツク!
              ↓
(#゚Д゚)「ムカついたので自害した。後悔はしていない」

869人間七七四年:2009/09/01(火) 23:34:26 ID:hsw0VRKJ
うぅむ…
こう改めて生涯を見てみるとまったく利かん気な人間だなw
まぁこういうのもまた人生ではあるよな
870人間七七四年:2009/09/01(火) 23:37:14 ID:O4oXupkM
三河武士とはまた違った意味で面倒
871人間七七四年:2009/09/01(火) 23:38:35 ID:vcN6ChKr
自分の人生精一杯生きたって感じするもんな
名も残してるしそういう意味では羨ましい
872人間七七四年:2009/09/01(火) 23:51:59 ID:NAnRcMm+
壮絶な人生だなぁ
小説にしたら人気でるかもしれん
書き方によっては
873人間七七四年:2009/09/01(火) 23:57:39 ID:DgxYHSAP
寺沢さんはいい人なのに、息子は・・・
874人間七七四年:2009/09/01(火) 23:59:58 ID:xwQvkLjc
関白豊臣秀次の「悪魔の招待状」
同じ時期に三人の美童のもとに「悪魔の招待状」が届いた

一人は東国一の美女と名高い最上家の二女・駒姫
父義光も度重なる要求を断り切れず泣く泣く嫁がせる事になる

一人は蒲生氏郷に寵愛された名古屋山三郎
氏郷は激怒したが山三の武功を並べこの者は当家に必要と冷静に断った

一人は織田信雄の愛童浅香庄次郎
信雄は「何考えとんじゃ」と失礼なくらいの文で断った

一人はとても焦った関白秀次から寵愛を受けていた不破万作である
「美麗とお噂の姫様に僕とは違って武功を持つ小性が二人も・・・
あぁこれは何かとても不吉な予感がする・・・」
不破万作の予感はあながち間違ってなかった

この時の蒲生氏郷・織田信雄の対応次第では
四大美童は全滅していたかも知れないのだ・・・
875人間七七四年:2009/09/02(水) 00:02:21 ID:48BWxojf
>>874
はじめ3人と断わってるのに4人いるからびびったぜ
だが全員断ってたら家潰れたかな
876人間七七四年:2009/09/02(水) 00:03:59 ID:NAnRcMm+
姫なのに美童とはこれいかに
877人間七七四年:2009/09/02(水) 00:05:08 ID:/2J2mP32
安田って蘭丸にちんこ刺されたんじゃなかったっけ…
878人間七七四年:2009/09/02(水) 00:11:00 ID:QEU376O9
前田利家や蒲生氏郷だって、秀吉に娘や妹をさしだしているのに、
鮭様だけが豊臣に娘をさしだして卑屈と言われるんだぜ_| ̄|○
879人間七七四年:2009/09/02(水) 00:29:09 ID:F7x5MTk6
>>868
ごめん。昔、ゲームで寺沢さんの首切っちゃったことを懺悔させてくれ。
これ読んでかなりウルッと来て、最後でフイタ。
880人間七七四年:2009/09/02(水) 00:37:19 ID:3elspqiJ
秀次が秀吉より怖いのは女だけじゃなくどっちも美味しく
頂きましたフヒヒと言えるところじゃな
881人間七七四年:2009/09/02(水) 02:22:47 ID:Uu33d6k8
秀長とか氏郷とか仕えやすいとこ行って飛び出してるあたりがもうねw

戦多い長可時代の森家は居心地良かったかもな
882人間七七四年:2009/09/02(水) 02:26:13 ID:4izD0BPr
つかこの人も成敗されずに生き残ってるだけでもすごい気がしてきた
にくまれない人だったんだろうか
883人間七七四年:2009/09/02(水) 02:28:57 ID:F463SO3F
美濃帰還後の森家はハードスケジュールだぞ。

各務、林とか重臣レベルの人間が200〜300人程度で討ち死にのリスクを賭けて城攻め行って来いと命じられる職場。
殆ど休み無しで明智旧臣、信孝家臣の城を攻め続けてる。
884人間七七四年:2009/09/02(水) 04:07:19 ID:chpi5f5V
腕に覚えのある戦馬鹿にぴったりの、チャンスあふれる素敵な職場ってことだな。
885人間七七四年:2009/09/02(水) 14:05:50 ID:xl3XmAmM
[士][卒]戦闘要員
[士]100石〜 [卒]日給20文〜 ※能力・経験考慮
時:週七日・24時間勤務できる方 ※当家カレンダーによる
資:元服以降、60歳くらいまで ※武士希望の方は要騎乗免許
  ★長期間仕官できる方大歓迎!
待:交通費支給(当家規定)・家老取立て有・討死時の家族保養保証
  加増武功一つに付・有給休暇無・陣借り制度有/武功一つ程度まで

経験・スキルアップしたい方、大歓迎
殺すか殺されるかのアットホームな職場です!
人を殺すことが好きな方ならやりがいのあるお仕事です!!

TEL2696-652100(ニンゲンブコツ ヒャクダン) 森家採用係まで
886人間七七四年:2009/09/02(水) 14:40:04 ID:Lud+i24J
>>885
> 殺すか殺されるかのアットホームな職場です!

ここで爆笑してしまったw
887人間七七四年:2009/09/02(水) 15:46:42 ID:RVdYzLum
明智家以前はどうだったんだろう>安田作兵衛
888人間七七四年:2009/09/02(水) 16:49:16 ID:7KlVZYSm
>>883
なんで信孝の家臣の城を攻めているんだ?
889人間七七四年:2009/09/02(水) 17:13:39 ID:Lud+i24J
戦国時代にはどの大名家でも、侍大将には歳若い者も当てたが、足軽大将には必ず、
老巧で戦の場数を踏んだ、ベテランを当てていたそうだ。

これは何故かと言えば、侍大将は録も地位も高い官であったので、多くはその家の重臣の子弟が
就任していた。
大名の側からすれば、生まれながらに親の地位が高いため録ゆたかで、兵士には
用い辛い者など、侍大将にでもさせてしまえ、と言う事もあったそうだ。

これに対し足軽大将には、開戦の口火を切り、勝負の行方を判断する能力を求められ、
さらに経験の少ない侍大将を補佐し、備の運用、軍隊内の統率にまで係った。

このため戦国大名はどの家も、足軽大将を選ぶ事に、特に念を入れたということである。
つまり、多くの戦国大名家では、軍隊を実質的に動かしていたのは、実力のある
足軽大将だった、と言う事らしい。

戦国時代でも、ダメな上役を、実力のある下の人間ががんばって支えていたんだなあ、と言うお話。
890人間七七四年:2009/09/02(水) 17:40:33 ID:HcU2ltQW
>>885
安田さん、森家にはぴったりの人材だったんじゃw
891人間七七四年:2009/09/02(水) 18:38:20 ID:F463SO3F
>>888
信孝嫌いだから(林家の記録)
892人間七七四年:2009/09/02(水) 18:48:22 ID:twiXusPJ
>>889
戦国時代版ハートマン軍曹の選び方ですねわかります
893人間七七四年:2009/09/02(水) 18:54:10 ID:l21o3tH2
>>885
アットホームくそ吹いたww
894人間七七四年:2009/09/02(水) 19:11:35 ID:HJRgign2
>>889
大卒の士官を叩き上げの下士官が補佐するのと同じようなもんかな
895人間七七四年:2009/09/02(水) 20:30:15 ID:lW+KYwTP
>>889
叩き上げの侍大将与助さんの悪い?話

黒田二十四騎の一人に数えられる黒田家の足軽大将益田与助は貧しい百姓の
出だった。
元は黒田家で台所の水汲みをしていたものが、黒田孝高の目にとまって戦場に
出るようになり、だんだんに出世して侍になった。
その出身のためか足軽の扱いが上手く、律儀で謙虚な性分の男だったが、無学で
字もよめなかったそうだ。
そのせいで耳で聞きおぼえた言葉をそのまま使ってしまい周囲を困惑させることが
あった。

ある時も、三百石を加増されたのを「この間御秘蔵の馬を下さったので大なるかん
とうであると思っていたのに重ね重ねのかんとうである」としきりにありがたがった。
この時既に筑前で二千石を知行していた大身であったが、この数十年加増という
言葉をかんとうと覚えていたらしい。

また、人々が集まり話していた時、二人前の弁当は使い勝手が悪いという話題に
なった。
兵士としての経験豊かな与助はこれに対して「確かに常は不自由な道具であるが」
と前置きして「二人前の弁当はせっちんでは使いやすいのだ」と語った。
雪隠で使いやすい弁当箱とは、と聞いていた者は怪訝に思ったはずだが、与助は
「船中」と言いたかったのである。

ある人の病気を見舞った帰りに、立ち寄った別の朋輩の家で、どこに行っていたの
かと問われた与助は「何某の見舞いに行ったのだが、聞いたこともない病気だった。
あれはもう治らないのかもしれない」と深刻に語った。
「医者に聞いたらいんようのようかんとか言っていた」
聞いた人は不審に思って、後日にたしかめたところ、陰証の傷寒の間違いであった
ということだ。


ちなみにこの与助さん、話題の安田作兵衛さんの知り合いだったらしいんですが、
黒田家が一万石で安田さんを召抱えようとした時、家中に不平不満が出るだろうと
いうことで止めに入ったらしいです。
やはり知人の目から見てもこれはどうか…という人だったのでしょうか<安田さん
896人間七七四年:2009/09/02(水) 20:35:46 ID:pC71ZHNo
>>895
なんか可愛いなw
897人間七七四年:2009/09/02(水) 20:48:18 ID:YM4iNnql
>>895
黒田二十四騎って叩き上げが多くない?
如水公が若いときからの家臣(母里&栗山)と弟以外そんな感じがするんだけど
898人間七七四年:2009/09/02(水) 20:51:22 ID:Lud+i24J
黒田家も新興で急拡大した家だから、どうしたって叩き上げが多くなるよね。
899人間七七四年:2009/09/02(水) 21:31:04 ID:UVsKXGS/
>>895
んじゃ、同じ黒田二十四騎の叩き上げで「毛屋主水」(一五五四〜一六二八)

本姓を田原氏といい、生まれは近江国神崎郡。諱は武久。
父を失った後、書家・建部賢文に教育される。
仕官先→和田正武→六角承禎→山崎方家→柴田勝家
→前田利家→池田信輝→佐々成政→黒田官兵衛(300石にて)
戦歴
・どっかの戦場で、蒲生氏郷の生命を救う。
・長篠の合戦でも武功があったようだ。
・越後平定戦でも毛屋という場所で武功を挙げ、当時の主君鬼柴田から「毛屋姓」を授かる。
・朝鮮の役では平壌攻めで霧が深く、黒田長政が他の勢がすでに渡河しているのかどうかで悩んでいる際、
「川の水が濁っているので上流ではすでに渡河し始めてるだろjk」と答えたという。
・蔚山救援では、「敵は前日から飯を炊く煙が見えず、従って兵糧は絶えているはずなので今攻めれば必ず勝つだろjk」と断言し、まさしくその通りだったという。
・関ヶ原の役では、皆が敵の数を多く見積もる中、「石田・小西・島津の他は誰も動かないだろjk」と見、敵は寡勢であると報告。
 これを聞いた家康は喜び、手にしていた饅頭を褒美に取らせたという。

そんな歴戦の強者に与えられた禄は700石・・・・
いや、一桁違ってないか?
ちなみに彼は蒲生氏郷からの1万石での引き抜き話を蹴っている。
黒田家での評価が二十四騎中最低って、なんかかわいそうだ・・・
900人間七七四年:2009/09/02(水) 21:43:12 ID:OlqEtJ6c
まーくんがぐれました。

伯父 36歳 甥っ子 15歳、優雅な和歌でやりとり

甥"恋しさは秋ぞまされる千とせ山の あこやの松に木隠れの月"
秋ってさみしいよね、おじさん。お月見に山形にいっちゃおうかな?

伯父"恋しくば尋ね来よかし千年山 あこやの松に木隠るる月" 
さみしいなら山形に来たら? 松の木に隠れたきれいな月が見られるよ。

(´ー`) 「まーくんは賢くてかわいいなー」



伯父 39歳 甥っ子 18歳、お手紙ついた

甥「おじさんいつも援軍ありがとうございます。
ボクもおじさんがこまったら助けますよ。」

(´ー`)「まーくんは素直でいい子だなー。おかあさんに似たのかな?」



伯父 40歳 甥っ子 19歳、怪文書ついた

甥「伯父貴援軍マジありがとな。で、オレ、城落としたら女も子供も犬も猫も
八百人くらいぶっ殺したから、マジでwwwww
伯父貴は信じないかもだけどこれ超マジwwwww 関東も速攻ぶっ殺してくるわwwww」

Σ (゚Д゚;)「ま、まーくん!?」



その後もこんなやりとりがあるのであった。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2564.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2709.html

本人たちはマジだったかもしれないが、後世から見るとギャグにもみえる、
まーくんと鮭様である。
901人間七七四年:2009/09/02(水) 21:52:51 ID:UxoK9UNs
何このコンビ面白い
政宗18歳と19歳の間に、DQNに目覚める何かがあったんだろうなw
902人間七七四年:2009/09/02(水) 21:57:17 ID:F463SO3F
頭を強く打ったりしたんじゃなかろうか
903人間七七四年:2009/09/02(水) 22:08:52 ID:vVICQBLj
>>888
弟奪還が成功して人質気にしなくて良くなったら東美濃全域制圧する勢いで攻めだしたのよ。
んで信孝が重臣出して牽制したらそれも撃退して信孝の家臣も攻めまくりに。

西では稲葉さんが暴れてるわ東では武蔵が無双してるわで秀吉が来た時には哀れ信孝は抵抗するとかそういうレベルの状況では…w
904人間七七四年:2009/09/02(水) 23:10:02 ID:xZ61cyJP
>>885
FAXナンバーは 139610-37564 (一族郎党 皆殺し)ですね、わかる、わかるぞ〜〜〜!!!
905人間七七四年:2009/09/02(水) 23:24:39 ID:uokTGz4t
>901
>政宗18歳と19歳の間に、DQNに目覚める何かがあったんだろうなw

18歳で家督相続したら、即座に大内定綱に背かれる。
19歳の夏に大内を攻めて小手森城で撫で斬り。

若年ゆえに舐められないように示しをつけてやる、という
DQNらしい気負いがあったのではないかと。
906人間七七四年:2009/09/02(水) 23:40:36 ID:Nn+NwGgW
>>897
栗山も元は黒田家経営の長屋出身の孤児じゃなかったっけ?
907人間七七四年:2009/09/03(木) 00:09:49 ID:R+tnLtNM
遺言あれこれ

ラスボス:権現に対して
「秀頼の事たのみます。たのみますう・・・・」

権現:諸侯に対して
「天下は一人のものじゃなく、天下のものだから、将軍が力不足の場合は、取って代わっていーよ。」
権現:秀忠に対して
「上のよーに言ったけど、逆らうやつは身内であろうと遠慮せず叩きのめしちゃえ。だけど天下に対して非道なことはしちゃだめだよ。」

秀忠:家光に対して
「俺も天下のためがんばって色々な法令を作ってきたが、あとで手直ししようと思いつつ手をつけられなかったことがたくさんある。
お前もあとを継いだら、俺の作った法令だろうが遠慮せず改正しろ。それが親孝行というものだ。」

家光:保科正之(肥後守)に対して、
「肥後よ、家綱のことたのむ。たのむぞ・・・・・・・・・・・・」

綱吉:家宣に対して
「生類憐みの令は100年続けてクレー」

せっかく初代と2代目(特に2代目)がいいことを言っているのに、3代目がラスボスと同じことを口走り、5代目が爺さんと反対のことを言って台無しにしている悪いお話。
908人間七七四年:2009/09/03(木) 00:24:07 ID:OMo4z92X
そして綱吉が死んだら即座に憐れみの令を終わらせる家宣なのであった。
909人間七七四年:2009/09/03(木) 00:27:43 ID:u67C9VXB
>>900

今だったら昔の手紙をラミネート加工した上で額縁に飾って、
まーくんに会うたびに見せながらこのころはかわいかったねぇ

おじたん、うれしかったんだよーと涙を流しながら語るいい親戚を演じるとおもしろいw

910人間七七四年:2009/09/03(木) 00:33:13 ID:jVq32kWS
嫌な叔父だぞそれはw
911人間七七四年:2009/09/03(木) 00:53:49 ID:w5+faZfp
>>899
かっこいい…
912人間七七四年:2009/09/03(木) 01:35:18 ID:ka0/lVhX
>>907
生類憐れみの令は、現在では評価されているしなあ。
むしろ、まだまだ法令の精神がいきわたっていないと感じたからこそ、
続けてくれと頼んだのだろう。
913人間七七四年:2009/09/03(木) 01:57:53 ID:gRxdoafP
>>912
誰が評価してるんだ?
914人間七七四年:2009/09/03(木) 02:05:18 ID:MqRZ2+wg
>>913
一部、「そうじゃなかったか」と評価してる史家の話を、全体の評価の如くに
勘違いしてるだけじゃないかと。

あるいは>>912さんは”グ○ーン○ース”の方かも・・・
915人間七七四年:2009/09/03(木) 02:09:18 ID:0918+R2S
犬を食うかぶきものを一斉取締りできた
犬を隔離することにより人が犬に噛まれる事故が減った
犬を隔離することにより初めて江戸の町民が「犬って可愛い」と思い始めた

生類哀れみの令でよかったことってこれくらい?
犬屋敷に閉じ込めた野犬はストレスで次々と死んでいったらしいから
あんまり犬愛護って感じじゃないなあ
916人間七七四年:2009/09/03(木) 02:13:52 ID:4MOMpRcG
>>915
「生類憐みの令」に関しては犬云々よりも、動物だろうが人だろうが役に立たなくなったり弱ったりすれば
殺したり虐待したりするのが当然、という戦国以来の殺伐とした気風を大転換させた事に意義がある。
日本には正しくこれ以降「人道」の考えが生まれた。
917人間七七四年:2009/09/03(木) 02:22:48 ID:jVq32kWS
まあ迷惑な法律だったという前提が先についての話ではあるがな
言うほどの悪法でもなくてこういった側面もあるよね、という感じだ
918人間七七四年:2009/09/03(木) 02:34:41 ID:OMo4z92X
憐みの令で一番ダメージを食らったのは巨大犬小屋製作を命じられた森家。
919人間七七四年:2009/09/03(木) 02:39:36 ID:0918+R2S
ごめん、日頃の行いだよねって思ってしまったwww
920人間七七四年:2009/09/03(木) 03:03:21 ID:OMo4z92X
犬小屋普請で生まれた莫大な借金をどうにかする為に津山藩の石高が右近検地方式で急に4万石以上増えてる。

津山の住民涙目でやっぱりこの憐れみの令はウンコだと思うよ。
921人間七七四年:2009/09/03(木) 03:04:43 ID:CXWFazyR
「生類憐みの令」って捨て子とか間引きで子供殺すのとかも禁止、ってあるんだよな。
今の日本人に犬を食べる習慣が無いのも元を正せばこれのおかげ。
922人間七七四年:2009/09/03(木) 03:10:21 ID:6Fl84H5m
いやその前から猫殺し(三味線職人が住む土地)を軽蔑する話はあるから・・・
犬じゃないけど
923人間七七四年:2009/09/03(木) 03:57:06 ID:eokj7+QU
それから以前は動物の屍骸は野ざらしで衛生的にやばかった
「生類憐みの令」で埋葬するようになり相当改善されたとも言われてるね
 
日本人の現代のような綺麗好きなのもこの時期あたりからだったと思うし
924人間七七四年:2009/09/03(木) 06:01:14 ID:ZTr/nemL
伊達家の鷹を世話していた連中は犬を食べてたらしいね

うちの連中は粗野で困ると嘆いた手紙だったか、そんなもん喰うなという命令だったかが有ったと思う
925人間七七四年:2009/09/03(木) 08:55:27 ID:sa2a37M5
>>912の言う通り。
現在では、「生類憐みの令」を否定する研究者の方が珍しい。
理由は>>916 >>921 >>923の書いてる通り。

井沢元彦、と書くと理由も無く馬鹿にする人が多いだろうから
大石慎三郎や山室恭子が何十年も前から評価している。
歴史好きなら『将軍と側用人の政治』くらい読んでおきましょう。
926人間七七四年:2009/09/03(木) 09:05:23 ID:jX/0/GCR
そろそろ他所へ
927人間七七四年:2009/09/03(木) 09:57:11 ID:sM4pwDKD
でもそれらは生類憐れみの法の主眼じゃないでしょ。あくまで副次的な成果で。

善意の押しつけ(というより綱吉の悪縁払いの強行)で、
本人も周囲も悪法だとわかっているのに改められないのは評価されることではないよ。

さて、犬つながりで犬千代のいい話でもお願い↓
928人間七七四年:2009/09/03(木) 11:03:12 ID:66ejb2KP
社民党が、社会党で政権与党やったころの功績はこれだ、とか言ってるのと同じだな
数十万頭の犬の犬小屋運営に国の予算8万石投入する馬鹿と取り巻きよりは、まだ民主のほうがマシだわ
929人間七七四年:2009/09/03(木) 11:07:38 ID:8I936cof
どれだけいるかわからんガキのために毎月2600両お支払いします
財源は、まぁそこそこなんとかしますみたいなこと言ってる政党も信用は出来ん

ってスレチに乗っかってしまった、すまん。
犬千代さんは秀吉と醤油か味噌を借り合う中だったとか算盤はじくの好きだったとか知らん・・・
930人間七七四年:2009/09/03(木) 11:56:05 ID:i/m4+6Ii
>>927
志村ー!ここ悪い話スレー!
931人間七七四年:2009/09/03(木) 12:10:59 ID:wT64ZFLu
犬目
932人間七七四年:2009/09/03(木) 12:18:29 ID:6afhPnqz
>>927殿の物覚えの悪い話ということで
933人間七七四年:2009/09/03(木) 13:44:40 ID:kGHfVFXC
>>929の住む国は戸籍が無いのか
大変だな・・・
934人間七七四年:2009/09/03(木) 13:58:41 ID:8I936cof
>>933
>>929で言葉悪い書き方をしてすみません
というか、某政党はさも厚生面で国民の生活助けるよー!と言いながら
あまりにそれらが絵に描いた餅に思えるもんで苛立ってしまった。

しかし、生類憐みの令って「結構むちゃくちゃな法令」みたいに報じられたりもするが
色んな見方があるもんだね。
動物に関する悪い話とか、誰かご存じないですか
935人間七七四年:2009/09/03(木) 14:37:54 ID:W303KbJy
犬といえば、戦国時代には「南蛮犬」も日本に輸入されていた。
当時の日本人からは「珍獣」扱いだったようで、有馬家から島津家に南蛮犬が贈られた時は、
島津一族総出で見物に来たと「上井覚兼日記」にある。
平戸に来航したイギリスの司令官ジョン・セーリスはロンドンの東インド会社に宛てた書簡で、
平戸の松浦氏への贈物として武具や鷹道具などとともに立派なマスチーフ一頭、ウォーター=スパニール一頭、
グレイハウンド一頭などがよいとしている。当時、日本ではグレイハウンドなどの狩猟に用いる猟犬の需要が高く、
松浦氏をはじめ紀州徳川氏や福岡黒田氏らがこれら西洋の大型犬をオランダに注文していることがしられる。

戦国武将がマスチフやグレイハウンドと並んでる情景は、ちょっと想像しにくい感じだが、
これらの犬は当然現代まで伝わらなかった。
もともと日本人には「犬の血統」という概念が無く、平気で雑種させてしまったからだそうだ。
ゆえに、戦国や江戸にブリ−ダ−は存在せず、南蛮犬が天下に増える事も無かった・・・
936人間七七四年:2009/09/03(木) 14:49:09 ID:wDyaNJ27
ここの人たちの知識すごいね。
広ーく深く。
937人間七七四年:2009/09/03(木) 15:23:14 ID:/YEWG1SG
ある日俺が道を歩いていると、犬に包丁を突きつけられた。

犬「お金!お金もってる!?お金出してくれる?!ねぇ!お金!」
俺「お金?いくら?」
犬「わかんないから!僕犬だからいくらとかわかんないから!」
俺「いいよ。はいどうぞ」
犬「本当!?大丈夫なの!?かたいのはいらないの!?」
俺「小銭のこと?全部持てるかな。何買うの?」
犬「なまにく!いっぱいかう!」
俺「そっか。でもお店遠いよ?一緒に行く?」
犬「よかったぁ!じゃあ行こうね!一緒に行こう!」
俺「包丁は重いから置いておきなよ。後で取りに来ればいいから」
犬「そうなんだぁ!置いていっていいんだぁ!じゃあ後で取りに来ればいいんだねぇー!」

俺「なまにくいっぱい買えてよかったね」
犬「うん!買えたよ!いっぱい買えた!」
俺「重いでしょ?それずっと持って歩くの?」
犬「だいじょぶだから!僕犬だから重たいのだいじょぶだから!」
俺「家においておく?好きなときとりくればいいじゃん」
犬「本当!?埋めないでいいんだ!?じゃぁ置こうね!なまにく置こう!」
俺「外寒いよ?帰るの?」
犬「だいじょぶだから!僕犬だから寒いのだいじょぶだから!」
俺「泊まる?」

犬「……かたじけない。貴殿の御親切痛み入った。
 かくなる上は拙者此度の御恩決して忘れず生涯貴殿に忠節を誓い
 誠心誠意お仕え申す所存で御座る」
938人間七七四年:2009/09/03(木) 15:26:50 ID:4MOMpRcG
939人間七七四年:2009/09/03(木) 15:31:34 ID:OYvURaBt
>>935
同じく輸入されていた西洋馬も似た様な感じで消えたんだっけ?
あと農耕馬や荷馬は人間が引ける小さな馬が好まれたのと。
940人間七七四年:2009/09/03(木) 15:32:40 ID:6Fl84H5m
犬と言えば謙信の使者でやってきた鬼小島を犬に噛ませた話は済んだ?
941人間七七四年:2009/09/03(木) 15:45:44 ID:6F+ixROA
>>935
今でも猟犬育ててる猟師さんなんかは犬を自分の経験に頼って
「自分にとっていい猟犬を作るために」交配させて血統管理するから
ケネルクラブで公認されてる純血種みたいなのとは違ってしまうって
なんかで読んだけどそんな感じかなあ
942人間七七四年:2009/09/03(木) 15:52:12 ID:N3by/Ray
>>940
うん
943人間七七四年:2009/09/03(木) 16:22:05 ID:Axu2eZmY
>>927
法の主眼として、記されているよ。

逆にこれまで言われてきた、「綱吉の悪縁払い」という動機は、実際には
無関係の人間が悪意をもった推測で書いた悪口でしかない。
944人間七七四年:2009/09/03(木) 17:33:28 ID:spqYPZhA
木崎原合戦の少し前、伊東義祐は島津義弘が治める飯野領を奪うために、
その地へ間者を一人遣わし内偵調査を行わせることにした。

命を受けた間者、義祐の密書を携え早速に飯野へと出向く。
飯野は元々北原氏の領地で、義祐の謀略で一時は伊東領となっていたが、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1833.html#
↑こんなこともあって、今は島津氏の領地である。

島津に帰して間もない飯野の地であるから侵入は容易であると思われた。
とはいえ所詮は余所者である。不用意なままでは正体が発覚しかねない。
そこで間者はあるアイデアを思いつく。
飯野に宮原死苦村という皮膚病患者たちの住まう村があるのだが、そこへ
流れ者の皮膚病患者のフリをして入り込もうと考えたのである。
死苦村の死苦とは「夙」、つまり物乞いを意味する。この村の人々は
他の村落から穢れの対象として忌み嫌われまともな扱いを受けていなかった。
そのため、他の村の者らが訪れることもなく、怪しまれることも少なかろうと
考えたものであろう。
かくして間者は自分の皮膚に泥を塗りまくり、皮膚病患者になり済まして
その村に侵入、村長である藤元彦六左衛門の家に明朝には発つからと
一夜の宿を求めた。
彦六左衛門、怪しみつつもこれを了承する。

無事に飯野への侵入を果たせたわけだが、しかしその間者、そういった村ゆえに
まともな教育など受けていないということを忘れていたか、或いは所詮は穢れの
対象と村人を舐めていたものか、夜になって書を読む姿を彦六左衛門に曝してしまう。
明らかに怪しいと踏んだ彦六左衛門、間者が家を出るとその後をつけて
行動を盗み見た。
するとそのアホ間者、見られていることにも気付かず、道や里の遠近を測ったり、
地形の険しさを調査しているではないか。
結局そのバカ、バレバレの行動を曝したが為にアッサリと彦六左衛門に
殺害されてしまう。
このマヌケの首級は、その懐中から出てきた伊東義祐からの密書と共に
島津義弘に引き渡された。
彦六左衛門はその功で義弘から甲冑と百石の田を与えられるに至った。


義祐の派遣したお粗末な間者の悪い話。
945人間七七四年:2009/09/03(木) 19:16:34 ID:OMo4z92X
憐れみの令は最近は180度回って過大評価されすぎじゃないの。

元禄の大飢饉時の惨状とか酷評されてるんだし。
「悪い事ばかりでは無かったよ」レベルを出ないだろ。
946人間七七四年:2009/09/03(木) 19:20:42 ID:sa2a37M5
>>945
全てあなたの主観ですね。
反論したいなら、『酷評』している現代の著名な研究者の名前を出して
論じてください。
947人間七七四年:2009/09/03(木) 19:27:18 ID:4MOMpRcG
>>945
元禄の大飢饉に生類憐みの令が追い討ちをかけたっていうのは、典型的な批判のための批判。
一般的な飢饉での惨状に、あたかも生類憐みの令がかかわったかのように無理やりこじつけたものだよ。

つーかそれを記録した『耳目心痛記』は、津軽藩の責任を転嫁したにおいの強い本だ。
生類憐みの令に違反して、厳罰が申し付けられたと言う記録は一切残ってない。
むしろ綱吉期でも、田舎じゃ鉄砲での猟が普通に行われていたと言う記録は残っている。

今の綱吉再評価は、理由なく行われているわけじゃないんだよ?
948人間七七四年:2009/09/03(木) 19:41:02 ID:OMo4z92X
飢饉の真っ只中に年額9万8千両かかる代物を作って良いことねぇ・・・犬も人よりいいもの食ってるし。

まぁいいや。スレ違いはこの辺にしとこう。
949人間七七四年:2009/09/03(木) 20:08:24 ID:R+1a0UUa
>>948
飢饉の真っ最中に野犬を野放しにし、牛馬の死骸をそこらに放置しておけと?
950人間七七四年:2009/09/03(木) 20:11:55 ID:hQDmd9h7
すれちがいは さくざがしかる
951人間七七四年:2009/09/03(木) 20:17:53 ID:jX/0/GCR
隊列を離れた奴は工場長直々に斬首なされるそうです
952人間七七四年:2009/09/03(木) 20:41:24 ID:4MOMpRcG
織田信長があるとき一幅の虎の屏風を前に、森蘭丸にこんな事を命じた

「蘭丸、この屏風に書かれた虎を、捕えることが出来るかな?」

蘭丸畏まり、縄を持って手を広げて、信長に向かって言う
「憚りながら上様、御前の方から追い出してください。」

「はっはっは!蘭丸にはかなわぬ!」信長はこの答えに、ことの他感心されたと言う事である。


またある時のこと、信長は再び一幅の屏風を前に、蘭丸に命じた。

「これには七賢人が何か話している場面が書かれている。
蘭丸、何を話しているか聞いてくるのだ!」

蘭丸畏まり、屏風の前でしばらく耳を傾け、信長の元に戻ってきた。

「何を申しておったか?」

信長の問いに蘭丸
「は。どうも七賢人の皆様は、上様の事を話していたようで、私が参りますと
とたんに話を止められてしまいました。」

「はっはっは!蘭丸にはかなわぬ!」信長はこの答えに深く感心し、褒め称えた言う事である。


以上、『逸事談』より

いい話のような気もするが、明らかに信長が深刻なバカ殿なのでこっちに
953人間七七四年:2009/09/03(木) 21:09:02 ID:P1IJIKgk
>>952
それで夜にはご褒美に上様特製の毒の水飴をたっぷりお口に頂くのですね。わかってグギャッ

954人間七七四年:2009/09/03(木) 21:14:46 ID:9U3OXq1I
>>935

>島津一族総出で見物に来たと「上井覚兼日記」にある。
家久「にーちゃん、次オレ!オレが抱っこする!」
義弘「お前さっきしたばかりじゃろう」
歳久「しょうがないなぁ、代わってやるか」
家久「うわーい!ありがとー!」
義久「二人とも家久にはホントに甘いな…」
貴久「あー、お前達、そろそろお父さんにも触らせてくれないかな?」
忠良「はっはっはっ。大人気ないぞ、貴久」

こんなやり取りを勝手に想像してしまったじゃないか。
ちなみに日本で最後に犬追物を実演したのは最後の薩摩藩藩主、島津忠義だったそうな。
955人間七七四年:2009/09/03(木) 21:18:21 ID:0918+R2S
一休さんレベルの頓知だな
956人間七七四年:2009/09/03(木) 21:18:56 ID:uoZiCNkr
隊列を離れると工場長が来る
隊列が橋に掛かると鬼武蔵が来る
隊列がどこにいても富田さんが襲い掛かってくる
957人間七七四年:2009/09/03(木) 21:22:52 ID:hBxMotW8
>>955
屏風の虎の方の話はまんま一休さんでやってた。
958人間七七四年:2009/09/03(木) 21:40:29 ID:R+tnLtNM
大阪の陣も終わり、武家諸法度等も制定した家康、
完全隠居して気ままに過ごそうと、隠居所を探し始めた。
「いいか、好きな鷹狩りが近くで存分にできるところで、富士山が見れて、うまい魚が食えるところだぞ」

いいところが見つかった。三島のあたりである。
さっそく隠居所を作ろうと、地元と交渉を始める。
私事だからと他の大名からの援助も断り、爪に火をともすようにして貯めた金を使おうというのだから本気である。

ところが・・・・

家臣
「大御所様、駿府の町の者が陳情に来ています。」
家康
「なんじゃ」
家臣
「大御所がいるから諸大名も駿府に寄ってくれ、町もにぎわうのに、大御所に去られたら町が寂れるから
いかないでーとのことです。」
家康
「ふーん」
別の家臣
「大御所様、今度は三島の町の者が陳情に来ています。」
家康
「今度はなんじゃ」
家臣
「今までのんびりやってきたのに、大御所がくると町が騒がしくなるから
来ないでーとのことです。」
家康
「・・・・・・・」

その後、家康から隠居所の設置を取りやめにするとの布告がなされた。
天下を取った神君も、民衆の声には勝てなかったというお話。

959人間七七四年:2009/09/03(木) 22:07:23 ID:4MOMpRcG
>>958
家康の隠居所の話って
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-258.html
こんなのもあるし、家康にとってよほど縁がなかったんだろうなw
960人間七七四年:2009/09/03(木) 22:29:48 ID:6BzoqseQ
>>935補足
沖田畷の戦いでの加勢の御礼として有馬家から島津家に献上された貴重な貴重な南蛮犬だが
その後の消息についても『上井覚兼日記』に記されている。

その犬が献上された頃から、どうも島津義久の体調が悪くなったらしく ※ただし元々病弱な人です>義久
元々迷信深い人が多い島津家のこと、家臣や僧侶達が
「有馬から送ってきたあの伴天連犬が悪いんですよ!!!11」
・・・と騒ぎ出した。有馬家から献上された犬を邪険に扱うと今後の関係に影を落とすことになる
それを懸念していた義久はその騒ぎをスルーしていたのだが、体調はますます悪くなり、
それらの声を無視できなくなってしまった。
しかし有馬家からの貢ぎ物である南蛮犬を処分するわけにもいかない。

・・・で、「家臣に下賜する」という形にしてその犬を義久の身近から遠ざけることに決定した。
が、今度はその犬を引き取ろうという家臣が出てこない。
理由は
(1)引き取っても南蛮の犬なので世話の仕方がよく分からない
(2)犬に万が一のことがあったら、有馬家との関係が悪化した場合自分に責任が押しつけられかねない
(3)自分に伴天連の祟りが降りかかるのが怖い
からだったらしい。
結局、重臣会議の結果、その中で比較的若造だった上井覚兼にこの南蛮犬は押しつけられることに。
その困惑を上井覚兼は日記に切々と綴っている・・・

残念なのは犬自体がその後どうなったのか全く書かれてないこと。
961人間七七四年:2009/09/03(木) 22:34:59 ID:0918+R2S
>941
まあそりゃあ昔の日本の猟犬なんて
最悪の場合マタギとともに熊と戦う犬だからなあ
今でいう血統だの気にしてもしょうがないやね
962人間七七四年:2009/09/03(木) 23:28:52 ID:1DM/K4+C
>>960
太田資正さんが島津家の人だったら適任だったろうに…
963人間七七四年:2009/09/04(金) 00:26:42 ID:0/umWpdQ
>>956
どうしろとw
964人間七七四年:2009/09/04(金) 00:35:56 ID:tMsDCP2K
武士なんか止めちまえばいいのさ
俺は脱武士して庭師やってるけど命の危険はないし茶室、造園ブームで仕事も有り余ってるぜ?
明日も仕事でお偉いさんの屋敷に出向くけどもしかしたら美人と評判のお姫様を一目見れるかもしれん
こういうのも役得だよな
眼福眼福
965人間七七四年:2009/09/04(金) 00:42:15 ID:D2uruAje
庭仕事してると三歳さんに・・・
966人間七七四年:2009/09/04(金) 00:44:16 ID:oGMHBq3a
>>958
イイ話しじゃなーい
967人間七七四年:2009/09/04(金) 01:37:06 ID:RCEQEX74
女を寝とったとか、権力を笠に女を差し出させたとか、
男女関係のどろどろした話はないの?
968人間七七四年:2009/09/04(金) 01:37:45 ID:QUUPx7t8
そういうの大友さんの十八番だが・・・
969人間七七四年:2009/09/04(金) 01:41:53 ID:dFhciNnW
名家武田の女漁りに血道をあげた徳川家康の話があるけど
図書館で借りた三田村鳶魚の本なので詳細忘れてしまった
970人間七七四年:2009/09/04(金) 08:34:51 ID:0/umWpdQ
>>964
おーい、細川様のお屋敷で庭師の仕事が入ったぞ。
奥方も美人だそうだから、がんばって来い
971人間七七四年:2009/09/04(金) 11:16:45 ID:tMsDCP2K
申リツと言う男がいた
朝鮮の科挙を受かり北方の女真族との戦いで功を上げた名将である

そんな彼に急報が届く
日本の軍勢が大挙して釜山に上陸したのだという
急遽日本軍を迎撃する切り札として派遣される申リツ
釜山は既に堕ち日本軍を鳥嶺で迎え撃つ為に陣を張ろうとした

が、ある時申リツが寝ていると夢の中で女が現れた
その女は申リツが若い頃に鳥嶺で助けた女で「妾にしてくれ」と願ったが
申リツは断り去っていた
夢の女は「ここに陣を張ってはいけない、弾琴台で迎え撃ちなさい」と言うと消えていったという

後日、申リツは女の言葉を信じたのか鳥嶺に陣を張るのを止めて
弾琴台で迎え撃つと言い出した
鳥嶺は天然の要害であり部下達はこれに反発したが
申リツはこれを抑え結局弾琴台で迎え撃つ事にした

さて、ついに小西行長率いる日本軍が攻めてきた
申リツは弾琴台で8000の朝鮮の精鋭騎馬軍を率いて突撃
夢の女の加護の下勝利出来る…と、申リツは思っていたのかもしれない

しかし日本軍は倍以上の兵力を持ち鉄砲で突撃してきた騎馬を蹴散らした
一度目の突撃が失敗し果敢にも二度目の突撃を試みるがこれも失敗する
まるで長篠の戦いである
やむを得ず退却を試みるも弾琴台の左右は水田と湿地であり背後は川、
しかも川岸は崖というまさに死地であった
この戦いで朝鮮軍は3000の兵を失い申リツも戦死、
漢城の防衛は困難となって王は疎開することになる

さて、夢の女は何がしたかったのかというと実はこういう事である
申リツが女の下を去った後、妾にしてくれなかった事を恨みなんと自殺していたのだ
幽霊になってもその恨みは消えず申リツを陥れたのであった

女の情念とは死してなお恐ろしいという話
季節的にちょっと遅かったかな?
それにしても逆恨みで敗北した申リツ(´・ω・) カワイソス
史実では自殺みたいだけど
972人間七七四年:2009/09/04(金) 11:55:11 ID:U4PtJjyM
鳥嶺を捨てた理由は騎馬を活かす為
弾琴台に陣を敷いたのは背水の陣を敷いて士気を上げる為
という話もあるのだが…

未知の軍勢の矢面に立たされた気の毒な人物なのかも。
973人間七七四年:2009/09/04(金) 12:00:14 ID:tMsDCP2K
まぁ史実としてはそうかもしれないね
これは逸話なんでお目こぼしを

ちなみに弾琴台には十二台って地名があって奮戦する申リツの弓の弦が熱くなりすぎたので
弦を冷やそうとこの辺りを十二回も往復したからこの名が付いた〜なんてのもあるらしいが
史実としては眉唾だろうねw
974人間七七四年:2009/09/04(金) 12:12:00 ID:OSeOB1pg
>>954
こんなのか


                     ヽ_人_人_人_人_人_人_人_人_人_人_ノ
       ハ,_,ハ    m       )                   (
  ?   ,:' ´∀';   ノ    r 、  ) うわぁー モフモフさせてー!! (
    l^ヽ'"'"~/^i'ツ'∧_∧ /    )                   (
  ヾ        'ミ,    )   __Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒
  ミ  ´ ∀ `  と,   ヽ ==--- ̄ ̄
  ッ       _   "ミ__>  ====----
 (´彡,.     (,,_,ノ  _ヽ_)_)
     "'"'゙''""''''゙""´
            もふっ



       ハ,_,ハ        
      ,:' ´∀';     
    l^ヽ'"'"~/^i'ツ'∧_∧   モフモフ
  ヾ        'ミ,Д`* )
  ミ  ´ ∀ `  と,   ヽ 
  ッ       _   "ミ__>
 (´彡,.     (,,_,ノ  _ヽ_)_)
     "'"'゙''""''''゙""´
975人間七七四年:2009/09/04(金) 14:50:54 ID:WMW2JnNN
かわええ!(*´Д`)ハァハァ
976人間七七四年:2009/09/04(金) 17:45:42 ID:NRovJxMK
鳥嶺という地名からして険峻な山岳っぽいですね
騎馬主体の女真相手の武将で山岳地帯での戦闘経験がなく、対女真の戦闘で
武功を立てているということは平原での戦闘にこそ自信を持っていた
このあたりではないでしょうか
977人間七七四年:2009/09/04(金) 17:46:49 ID:aYM6Cx9T
>>971
どうやってこの話が残ったんだろうな
本人が他人に話したんだろうけどまさか夢のお告げで陣の位置を変える、ってことにして部下を説得したのかな
978人間七七四年:2009/09/04(金) 18:04:42 ID:GEXPnGxg
>>967
聖人君子の様な扱いを受けてる島津義弘だけど、女性に関してはそりなりの話もある。
農家の庭先で大根を洗ってる娘に惚れて側室にして子供三人もうけたりしてる庶民派の義弘だが、相良の姫様には酷い事をしている。
義弘には政略結婚した相良氏の姫さまがいたのだが、島津・相良・伊東氏の関係がこじれ、島津と相良が戦う事になった。
当然、姫は離縁で殺される訳だがこの時の殺し方がちと酷い。
姫とその侍女を生きたまま深山に捨て、山の周りに警備兵を置き二人が出てこれない様に監視した。
まあそんな監視を置かずとも、奥住まいの女性二人ではどうする事も出来ない。食事が出来ずに餓死してしまう。
姫と侍女が餓死したのを確認させた義弘だが、憎き相良の姫と言うことで、遺骸はそのまま打ち捨てさせたそうな…

ソースは無い。昔、仕事で人吉を担当してた時に地元の人から聞いた話です。
979人間七七四年:2009/09/04(金) 18:06:45 ID:0/umWpdQ
家久「妻をそのように扱うとは…嘆かわしい」
980人間七七四年:2009/09/04(金) 18:16:50 ID:auSdXyYn
>>971
昔助けた女がここ一番の時に恩返しする話と思いきやなんたる酷い話w
ってかせっかく助けたのに恨んで自殺って…
関わっちゃいけない類の人間だったか

>>978
その話まとめにソース付きであるよ
どうも間者と誤解されたらしい
981人間七七四年:2009/09/04(金) 18:18:40 ID:PMn/3CmW
>>980
次スレよろ
982人間七七四年:2009/09/04(金) 18:20:37 ID:auSdXyYn
あっ、ゴメン。携帯だわ
スレ立て指定しとく
>>985
983人間七七四年:2009/09/04(金) 18:28:35 ID:GEXPnGxg
>>980
すいません。今後は重複しないように気を付けます。
984人間七七四年:2009/09/04(金) 18:30:35 ID:PMn/3CmW
次スレ立ててみる

985人間七七四年:2009/09/04(金) 18:39:36 ID:TiYc7DKl
↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話13


↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話12
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姉妹スレ
戦国ちょっといい話13
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1251985444/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
986984:2009/09/04(金) 18:41:02 ID:PMn/3CmW
すいませんスレ立て出来ませんでしたー。どなたかお願いします。
987人間七七四年:2009/09/04(金) 19:13:15 ID:vhC1sOoe
>>978
残念ながら既出:↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-0554.html

更に、ここのコメント欄の1番目に書いたのは自分なのですが、そこに書いたように
相良の史料には上村家に再嫁したと書いてあるので、残念ながら虚実です。
988人間七七四年:2009/09/04(金) 19:25:23 ID:x0OnOsAo
へい、お待たせ!
このスレ消費してから来てね!

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252059828/
989人間七七四年:2009/09/04(金) 19:38:41 ID:UPdWFdIz
>>988
乙に御座います。
990人間七七四年:2009/09/04(金) 19:56:19 ID:tMsDCP2K
>>976
ところが女真族と違い日本軍は火器で武装しており
集団で突撃してくる騎馬軍団は格好の標的だった
申リツは騎馬戦に絶対の自信を持っていたのかもしれないが
相手の戦術は女真族のそれとはまるで違い敵を完全に見誤った…って所だったんだろうな
新しい戦術にいきなり対応するのは難しいし

それより王都の危機なのに自ら軍を率いない宣祖が情けないというかなんというか
李成桂の子孫ってのが王権の根拠なんだから国難には自ら軍を率いないと駄目だろ…
991人間七七四年:2009/09/04(金) 20:15:58 ID:HOAl1D0A
>>990
あっちは文官至上主義だから
軍人は地位が低いのよ
992人間七七四年:2009/09/04(金) 20:24:09 ID:Su4m565+
つーより、戦場で右も左も分からん文官に司令官やられたら、
兵士が可哀想だろw
士気は上がるかもしれないが、
色々理由があるにせよ、軍を見捨てて退却し、
兵士に動揺が広がってなんて全軍崩壊なんて例は山ほどあるしな
993人間七七四年:2009/09/04(金) 20:25:42 ID:PMn/3CmW
>>990
李氏朝鮮は武備に力を入れられない事情があったんだよね。
李成桂が将軍やってた高麗は、結構な軍隊を持っていたんだが、これは高麗が
元の宮廷に妃を送るなど、元と殆ど一体化した存在で、(今の韓国、朝鮮の人は
絶対に認めないが、風俗までモンゴル人とほぼ同じになっていたらしい)
元の封国内でもかなりの自由を有していた事による。

んで、元明交代のときに高麗は親元派と親明派に分かれて混乱して、その中から李氏朝鮮が
成立するんだけど、この李成桂、親「元」派だったのね。
このため李氏朝鮮は、成立した時から明ににらまれ続け、明を刺激するような軍備など
整備しようもなかった。
この、明の朝鮮への不信感と言うのは、秀吉の朝鮮征伐のときにもかなり見受けられる。

そういうわけで朝鮮は、王が軍隊を率いて華々しく戦うと言うような、そう言う体制じゃなかったのは、
成立時のボタンの掛け違えに遠因があったりする。
994人間七七四年:2009/09/04(金) 20:27:43 ID:iPBKCerY
>>993
ああ、そういえば朝鮮は実際に攻められるまで、
明に日本との内通を疑われていたんだっけ。

なるほど、そういう事情があったんだ。
995人間七七四年:2009/09/04(金) 20:30:38 ID:tMsDCP2K
>>992
しかし幕末になって家茂や慶喜が出兵してるのを考えると
日本人の感覚としてどうもしっくりこない…
>>993
いや、でも直接指揮を執るぐらいは…
負けるだろうけど
>>994
それどころか攻め込まれた後も疑われてます
996人間七七四年:2009/09/04(金) 20:58:54 ID:HOAl1D0A
文官(両班)至上主義は今の韓国の学歴至上主義に似たところもある。

>>995
あの時代は官僚であった石田三成や外交僧侶の安国寺恵瓊も戦場に出てるのにねぇ
997人間七七四年:2009/09/04(金) 21:28:12 ID:BkQsK9cX
>>1000逝ったら次スレ>>1>>100がアッー!な関係に・・・・・
998人間七七四年:2009/09/04(金) 21:28:31 ID:4xpdJTUc
998
999戦国ショートショート:2009/09/04(金) 21:29:45 ID:tMsDCP2K
  ∧_∧
 (´Д` )<…       /l、
 (    )          (゚、 。`フ
 | |  |           」† "ヽ
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   ∧_∧
  (*´∀`) チラッ        /l、
  (    )           (゚、 。`フ
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  (__)_)          ()ιし(~)〜



  ∧__∧          ∧_∧
  (#゚Д゚)         (ili´Д`) Σ
 .ノ^ yヽ、        (    ) 
 ヽ,,ノ==l ノ        | | |
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ε=ε=  /  l |       ε=ε= し(_)




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1000人間七七四年:2009/09/04(金) 21:31:42 ID:VUDFSiLI
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   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
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.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
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