538 :
人間七七四年:
>>少し要約してもらえないかな
意識的に黙殺を続けてきておいて
ほんと不誠実極まりないふてぶてしい態度だな・・・屁理屈たれて逃げんなよw
>>「様子見している」と書かなくて
書かなきゃ関東へなぜ討ち入りしないのか理解されないだろw
南部は前田・浅野・蒲生に恩義が実際にあるが
怨みが積もる津軽に味方した三成にはまったくない。
もし三成が邪魔しなければ蒲生や前田と語らって九戸の乱を鎮圧したついでに
ドサクサ紛れに津軽も謀反人として誅殺していたほどなのに。
さらに一上様・中納言様御事、粗略存ましき事 と書いてあったとすれば
最上出羽守に相断り帰陣し一揆を討ったと記されている部分との整合性が見事に取れる。
一上杉中納言様御事、粗略存ましき事 が正解だとするとその後に続く
俺は上杉に付くけど、南部と最上の間を悪し様に言う者がいても〜の文章があからさまにおかしい。
ちなみに伊達が上杉へ関東出陣の見合わせを申し入れたのは
伊達が最上から引き返した南部の行動は家康に対する謀反と称して
和賀の乱を足掛かりに南部領の切り取りを優先したいから。
しかし追って家康から最上口からの南下の中止が
通達されたからこの名分は成立しない。
しかし上杉の書状に伊達が家老を出す話が登場してることからも
伊達ともどもの南下計画もかなり話は進んでいたのだろう。
おそらく政宗は南部なんてすぐ打倒できると計算していたのだろう。
だから小野寺と共同での上杉の最上攻めとなった。
そして直江が山形の近くで威圧を加えながらも
2週間で3回程度しか攻めなかった長谷堂での時間潰しをしてた。
この間に戸沢が柵を作り始め南部との間を連絡を遮断。
上杉庄内軍の南下に対して安東は庄内攻めで
最上領から庄内軍を撤退させる行動を延期し傍観を決め込むなど
最上陣での直江は奥羽の親上杉化の外交を展開していた。
しかし南部にはそういった動きはまるで無い。