長谷堂城の戦い 2 【直江兼続VS最上義光】

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530人間七七四年
>>528
おい、俺の質問に対する回答は黙殺かw
都合が悪い内容は無視ってのはよくない。

>>南部が使者をよこして秀頼様に奉公する
家康も秀頼様のためにがんばったわけだが・・・つか当時の武将はみんな秀頼様のために。
4/21宗薫宛での政宗でさえも秀頼様の立場について家康に意見してるし。

政宗が福島攻めの準備をしてた時に片倉は簗川で内応者が出てるから
攻撃目標を変えようと言ったら、政宗はもう二番隊が出発したから急な変更は無理だけど
明日に攻めるわって言ってるわけだ(そもそも二番隊が片倉本人なので政宗の発言は不審極まりないが)
だが福島表で苦戦した政宗は
「明日もし福島筋よりの押さえにしかるべき人衆、七手も八手も保原筋へ遣わせべく候間」
と言っていて戦において国見まで押されてしまっており、
明日は福島側からの攻撃の押さえの兵を出さないとマズイ状態になってる。
さらに「これより人衆遣わさざる前に、聊爾の扱い無用に候」などと
お前ら下手に動いてやられないように援軍が到着するまで動くなと上杉軍に怯えてる。
運よく城へ肉薄できた片倉腹心の2人も討ち死にし、石川も上杉軍の影に怯えて超後ろ向き発言。
藤田能登家士斉藤兵部や直江山城守鉄砲頭極楽寺内匠の内通の話が出ても
その消極的思考を覆すことが出来ないほどの伊達首脳陣。
明日攻めると宣言していた簗川も攻める余裕もなく、福島表での防戦で手一杯な状況。
そして翌日早々に政宗は敵の追撃に怯えるように北目城へ向けて高速の速さで敗走。