戦国ちょっと悪い話11

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626人間七七四年
本性

慶長5年(1600年)2月、森忠政はかねてより希望していた信濃川中島への加増転封を賜った。

前田玄以・増田長盛・長束正家「では、右近殿。信濃の抑え・・・頼みましたぞ。」
森忠政「フフフ・・・今は亡き殿下の為に忠義を尽くしましょうぞ。」

この転封は合議に加わらずに勝手に加増・減封を行っていた家康の独断ではなく豊臣家公認のものであった。
というのも豊家の奉行3人によって前任の田丸直昌の保有していた御蔵米を譲渡が正式に行われているからである。しかし・・・

忠政「ぷっwこのクソ重要な時期に俺が信濃入り出来るとは笑いが止まらんwww内府殿に手紙でも書けは祝いの品貰えるかな。」

とっくに家康と繋がっていたのである。しかも各国の大名の中でもトップクラスの早さで。
豊臣家では豊臣秀長の養女を娶り、木下勝俊の義弟である忠政を信頼しての事であったかもしれないが忠政の心中には豊家への忠誠など毛ほども無かった。
そんなこんなでまんまと信濃入封を果たした忠政であったが4月頃にある事件が起こる。

石田三成「やぁ、お久しぶりですな右近殿。」
忠政「ははは・・・治部殿こそお変わりないようで・・・」(うわぁ・・・面倒くせぇ)

蟄居して表舞台から姿を消していた石田三成が来たのだ。もちろん用件は家康打倒の為の密談。
忠政という人物は兄と違って基本的に「敵を作らない」という事を重視して人付き合いをしている男だったので喧嘩を売って余計な敵を作るという事は無かった。
三成も例外ではなく大徳寺三玄院の建立で共に仕事をした際にちゃっかり誼を通じていたのである。

忠政(八方美人が過ぎたかね。こうして来るという事は味方についてくれるという公算あっての事だろうし・・・ここいらで立位置をハッキリしとこうか。)

正直、三成が何回も来ると徳川から立場を疑われかねないので誘いを断りつつももう来る気が無くなるように仕向けたい・・・そこで忠政は決断した。
もう猫を被るのは止めて豊家への本音を洗いざらいぶちまける事にしたのである。
627人間七七四年:2009/07/19(日) 22:38:56 ID:xeL32Cf6
三成「豊家の為に力を貸して貰えないだろうか?」
忠政「 嫌 で す 。家督継いだ時に所領減るわその後、加増無いわで豊家には正直ムカついてましたんで。」
忠政「兄が豊家の為に死んだというのに没収ですよ?没収!有り得ないでしょ普通は。全くもって太閤というのは血も涙も無い奴でry」
忠政「そもそも毛利なんちゃら如きが旧領の南信濃に復帰したのにウチが兄の旧領の北信濃に戻れないのはおかしい。そうでしょう?」
忠政「加増が無いせいで金欠で逃げようとした家臣を家老がヘソクリ払って引き止めたりもしてるんですよ!忠義(笑)で家臣の腹が膨れりゃ苦労しないッスよ。それより加増しろよと。」
忠政「という訳で俺、豊家大嫌いなんでお帰りください」

三成「・・・貴様!この時期に信濃に入れられた理由を知ってのいい分か!」
忠政「へへへ・・・勿論ですとも。私の交友関係を知らずに入れたのであれば豊家はとんだ間抜けですなぁ」

三成(右近の交友関係?確か俺の大嫌いな忠興と親友で俺の大嫌いな池田輝政と仲が良くて・・・あれ?武断派とズブズブじゃん。なんでこんな奴がこの大事な時に信濃に)

忠政「そもそもね、私はこの領地は豊家から貰ったものとは思ってないんですよね。」
三成「何を世迷言を」
忠政「この書状をごらん下さい」

『信州川中島知行状 by徳川家康 2月1日』

三成「合議に加わってないくせに何故家康の書状が届いてるんだ!しかも日付が入領よりむちゃくちゃ前だし・・・豊家からの知行状はどこにやった!」
忠政「はて・・・?何の事やら。そんな物は存じませーん( ・3・)〜♪」
忠政「内府様も慌てんぼさんだよね。入領決まったって手紙送ったらすぐに知行状来ちゃってそらもうビックリよ。」
三成「ふざけやがって!」

断られれば説得も考えていた三成だがもはやそれどころではない。完全にぶちキレてしまった。

三成「そっちがそのつもりならこっちにも考えがあるぞ!覚えておけよ右近」
忠政「おお、こわいこわい。お帰りはあちらですよ。」

こうして忠政と三成は絶縁関係となった。この一件以降の三成の忠政への怒りは凄まじく真田家への書状でこう書かれている。
「右近への遺恨は格別である。若い秀頼様を騙して領地を掠め取ったんだ!」・・・と
628人間七七四年:2009/07/19(日) 22:44:00 ID:m1yU0XcL
三成じゃなくても激怒するわw
629人間七七四年:2009/07/19(日) 22:46:27 ID:xeL32Cf6
おまけ

忠政は死の際に墓を大徳寺三玄院に建てるように言い残した。
大徳寺三玄院といえば三成の墓が有る場所であるがわざわざ同じ敷地内を指定したのである。

忠政「ねぇねぇ、生前『考えが有る』って言ってたでしょ?あれ気になってて。教えてくださいよ〜。」
三成「・・・」
忠政「まぁ、時間はたっぷり有りますしその内教えてくださいよw」
古田織部「ゲヒヒ」←墓が同じ敷地内

三成(もういや、この墓・・・)

こうして300年以上も彼らは同じ場所に眠り続けている。