戦国ちょっといい話11

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952人間七七四年:2009/07/31(金) 19:11:45 ID:MC0K89WB
家康って逸話見てると、記憶力が凄く良かったんだなって思う
953人間七七四年:2009/07/31(金) 22:12:42 ID:YONf2vKy
ある戦いで家康は敗走した。この時、家康を逃がすために殿を務めた
のが玉井喜太郎だった。玉井はよく戦ったが遂に鉄砲で撃たれた。

玉井「うぅ…腿をやられた…」
???「大丈夫か喜太郎!」
玉井「と、殿!?何故ここにおられる!」

そこに来たのは逃げたはずの家康だった。玉井が心配になった家康は
戦場に戻って来たのだ。

家康「さあ、わしの馬で逃げるんだ」
玉井「何を仰る!?それでは貴方が逃げられない!」

もっともである。しかし家康は笑って

家康「フッ、案ずるな。わしの逃げ足はおぬしよりも速い」

と言ったという。
954人間七七四年:2009/07/31(金) 22:16:24 ID:rLSvBLPf
かっこよくないぞw
955人間七七四年:2009/07/31(金) 22:20:01 ID:jePmwrb2


          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <「フッ、案ずるな。わしの逃げ足はおぬしよりも速い」
    /   ⌒(__人__)⌒ \
    |      |r┬-|    |
     \     `ー’´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
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 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

          ____
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 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ   <だっておwww
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)   
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ヽ    /     `ー’´      ヽ /    /
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バンバン
 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
956人間七七四年:2009/07/31(金) 22:20:56 ID:Rz1HuSc9
なんのための殿だよwwww
957人間七七四年:2009/07/31(金) 22:43:00 ID:RxLgaCh5
「との」と「しんがり」をかけてあるのか!
なるほどー!ってオイw
958人間七七四年:2009/07/31(金) 22:44:40 ID:cL9Ghe2S
そりゃあ、腿をやられた人間よりは逃げ足速いだろ
959人間七七四年:2009/07/31(金) 22:55:33 ID:M1BV0IoZ
そりゃ戦国一の逃げ足名人ですから

桶狭間で逃げ、三河一向一揆で逃げ、三方ヶ原で逃げ、伊賀越えで逃げ
長久手で逃げ、石田三成の暗殺から逃げ、大坂の陣でも逃げおおせた
(他、多数の例アリ)

最後は寿命からも、やること全部やるまで逃げ続けた人物
960人間七七四年:2009/07/31(金) 23:00:22 ID:bdpBqVIu
泣かぬなら泣くまで逃げよう ホトトギス
961人間七七四年:2009/07/31(金) 23:07:36 ID:MPTMyFPT
大御所様ぁ、マジ待ってくださいよぉ・・・ウワーン
962人間七七四年:2009/07/31(金) 23:41:03 ID:hxiCNMEX
ある戦いで家康は敗走した。近習五、六人ばかり連れ、疲れようが飢えようが必死で
駆け抜け、途中神社の境内で休息したところ、お供えとして赤飯が置いてあった。

「おお、これがホントの天の助け!」
みなで分け合い、ありがたく頂戴したが、小姓の井伊万千代だけは食べようとしなかった。
「小僧の遠慮も、時と場合によるぞ!まだ道は長い、足を引っ張らぬよう飢えを
凌がぬか、馬鹿者!」

家康の叱責に、万千代は答えた。
「いや、遠慮で食べない訳ではありませぬ。
こうしている間にも敵は我らを狙っており、追い付かれる場合もございましょう。その時は、
足手まといの私は踏みとどまって討ち死に致しますので、殿はその間にお逃げください。
全滅して、「家康は飢えのあまり君臣別なくお供え物を食べた」などと知られるのは
無念にござる。」

のちに万千代は兵部直政と名乗り、徳川四天王の一人に数えられるまでになったが
傷だらけになるまで突撃すのが癖だった。
ある時突出し過ぎたので、家康が気遣いのあまり爪どころか軍配の柄をかじってしまい、
戦後その歯型の残った軍配は直政に与えられ、井伊家に伝わったという、
微妙に>>932のニーズに応えてるかもしれない話。
963人間七七四年:2009/07/31(金) 23:41:01 ID:/NL1GEdS
イチローコピペの改変で恐れるバージョンもあったな>家康

天下は逃げて恐れてこそ取れるもん
死んでは取れんのですよ
964人間七七四年:2009/07/31(金) 23:52:54 ID:UAXKJIAp
>>962
家康はきっと直政のことより直政の後ろの穴が心配だったんだ!

あれ?ピザなんて頼んだ覚えがないのに…
965人間七七四年:2009/08/01(土) 01:40:26 ID:ZxGKs5Jl
お前らのせいで劉邦に見えてきたじゃないか
966人間七七四年:2009/08/01(土) 03:11:37 ID:lNptsus0
劉邦というより劉備に近いと思うぜ
名将って訳じゃないけど戦には滅法強く、部下には慕われて、
子供や室や一族よりも家臣に重点を置いていたり、
人の意見を聞く耳を持っていて、年を重ねるほど器量もまして、
呂布に難詰されるほど良くも悪くもしたたかで、逃げ足が金メダル級、と。

劉邦は晩年のアレが、家康と被らない。
どちらかというと天下統一後の秀吉かなーと。

もちろん異論は認める。
967人間七七四年:2009/08/01(土) 03:20:27 ID:8GCIaXlA
俺の中では家康と司馬イのイメージがダブる
968人間七七四年:2009/08/01(土) 08:42:41 ID:uJZzC6NI
>>962
いくら空腹だからといって、お供えして何日経ったかわからんようなお赤飯を食うのはちょっと勇気がいるな…
と時節柄な感想

まあその程度の事で腹を下しているようでは戦国時代サバイバルは勝ち残れないんだろうけど
969人間七七四年:2009/08/01(土) 08:55:15 ID:9qlNYcjs
逃げ上手というと、家康と信長がツートップか。
信長は最後に逃げられなかったが、「知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない」ということなのか。
いや、魔王は信長か。
970人間七七四年:2009/08/01(土) 10:19:49 ID:VONM3DST
>>941
「黄金の国 ジバング」の金銀鉱山の多数を支配してたし。
971人間七七四年:2009/08/01(土) 10:23:29 ID:w+XHFiBv
>>962天恵

つ 焼き味噌
972人間七七四年:2009/08/01(土) 11:31:16 ID:wX+1uBPz
>>969
走為上
973人間七七四年:2009/08/01(土) 11:45:28 ID:YHJhNMKl
みなの衆、そろそろこのような物の必要な時期ではござらぬかな?

戦国ちょっといい話12
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249094475/

当スレが埋まったらドゾー
974人間七七四年:2009/08/01(土) 11:52:00 ID:g9fnneno
>>973
スレ立て乙でござるよー
975人間七七四年:2009/08/01(土) 12:43:55 ID:w+XHFiBv
>>973
大儀でござりましたな。

貴殿へ仙台公が政宗レイヴファクトリー風流舞を馳走下さいますぞアッー
976人間七七四年:2009/08/01(土) 18:15:13 ID:HBRAOR51
>>970
当時の世界の銀の三分の一が日本産だったといわれているし、金の産出量も相当なものだったからね。
日本同様、南米に世界の三分の一の銀鉱山を持っていたイスパニアは、大量の銀流入でインフレが加速して、十五世紀は百年で四回も国家破綻するという素晴らしい経済・財政力を発揮してくれたw
日本もイスパニアもどっちも戦争ばっかりやってた(?)はずなのに、一方は破産しまくり、もう一方はそれなりに栄えたのは何がどう違ったのか・・・。
977人間七七四年:2009/08/01(土) 18:40:32 ID:82zixglG
>>976
インフレの原因は新大陸からの金銀流入じゃなくて、急激な人口増加によるものだが、
一方日本も人口は増加していたというのは別スレの話。

詳しく考察することは出来るけど、スレ違いだから出来ればこっちへどうぞ。

ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1232975660/
978人間七七四年:2009/08/01(土) 19:24:29 ID:dd0yOtmG
「太閤の金?それは・・・」

米村権右衛門は大野修理治長の草履取りだったが、治長に士分に取り立てられ、大野家の
家老にまで出世した。
大阪落城の際、千姫の護衛として落ち延びた権右衛門は治長の遺言により、彼の娘を
かくまい養育していたが、ある日突然、囚われて江戸に送られた。

江戸城中に引き立てられた権右衛門は、奉行に問い詰められた。
「お主は、秀頼第一の近臣たる大野治長の家老。ならば、治長が差配して隠した
『太閤の隠し金』のありかを知っていよう。有り体に申せ!」
権右衛門は答えた。
「・・・知らぬ。(良かった、お嬢様の事では無いようだ・・・)」
「そんなはずはあるまい!知らぬと申さば、拷問にかけても糾明いたすぞ!」

「これは、奉行衆の言葉とも思えぬ。わが主人治長、大阪にあっては軍陣の差配を司り、
城の存亡をひたすらに図れども、金銀財宝の事など心に在らず。
その家臣たる我らもまた、敵を討ち良き首を獲る事のみを心がけ、他の事など考える
ヒマはありませぬわ。」

権右衛門はキッと顔を上げ、なお答えた。
「さらに理屈を言えば、負けた時は金どころか自分の首さえ保てるか分からぬのに、
たとえ千万の財貨を隠したとて何になりましょう?
勝った時は、大御所・将軍家の持ち物だとて我らの物になっており、求めずして財貨を
稼げるのに、何で金を蓄える必要がありましょう?
この通り、士とは申すべき儀あらば即座に申し上げる。申すべき儀が無ければ、たとえ
口を裂かれ、舌を抜かれても何も申さぬ。それを、「拷問にかけて糾明」とは何事じゃ!!」

となりの一室で襖を隔て聞いていた家康は、
「無類の剛の者である。このような男を、義直・頼宣の側に附けたいものだ。」
と言い、やがて権右衛門は釈放された。

権右衛門はのちに浅野長治(広島藩分家)に仕えたが、衣食住は浪人の頃のままで
武具のみ立派な物を揃え、収入の大部分を京にかくまった旧主・治長の娘のもとへ
送り続けたという。
979人間七七四年:2009/08/01(土) 19:52:01 ID:nCy2WQ6K
家康が気に入りそうないい士だな
籠城中に分裂してもいいような二回の大坂の陣を行った大野治長は
弟とこの人も含めて再評価されてもいい気がする
980人間七七四年:2009/08/01(土) 20:11:19 ID:yAU5AWCJ
実は関ヶ原は東軍で参加してるんだよな>大野治長
981人間七七四年:2009/08/01(土) 20:14:00 ID:wX+1uBPz
それも福島正則隊だな
982人間七七四年:2009/08/01(土) 20:34:48 ID:TYyXbnAF
石田三成にしてもそうだけど、
一方の旗頭としてとりあえず陣営をまとめ、
戦まで持っていくのは相当の技量と覚悟は必要だろうしね
ただ、戦略面というか、外交を含めた大局観って所は、
意地や覚悟じゃどうにもならないところなのだろうな
983人間七七四年:2009/08/01(土) 20:43:29 ID:nCy2WQ6K
あくまで片桐且元の代理として抜擢されたんだとは思うけどね
984人間七七四年:2009/08/01(土) 20:47:53 ID:4mfAg9lG
長治に仕えたのも治長の回文だからか?
と思ってみたり。
985人間七七四年:2009/08/01(土) 21:23:21 ID:sjgs977z
>860
見てきたで
刀剣に関しては素人だがなかなかえがった

ただ、会場の駐車場が小さめなのがちょいと難点だな
986人間七七四年:2009/08/02(日) 00:12:13 ID:qDQFnUHg
>>978米村の名は知ってたけど、誠実な上に硬骨漢で、見事な人物だね。

米村を低い身分から引き上げた大野修理亮治長も、きっとドラマなんかである淀殿に侍ってるだけのダメ家老とは違ったんだろうな
987人間七七四年:2009/08/02(日) 13:07:34 ID:PEiPa5A/
>>978
かっこいい男だ
988人間七七四年:2009/08/02(日) 13:09:45 ID:e+yEzL2o
治長の娘はそのあと、どうなったのだろ
989人間七七四年:2009/08/02(日) 14:33:17 ID:45K5J9CW
>>988
残念ながら早くに亡くなったもよう

まぁ片倉家が全力で庇ったらしい真田さん家のKY次男の子と違って
保護者が一人でしかも広島から京へ少ない収入割いた仕送りだけじゃあね…
990人間七七四年:2009/08/02(日) 16:01:40 ID:rkhaQ5bj
三成の娘なんかは津軽家に嫁に行って家康の養女と争った挙句3代目を生んでるのに不憫だねえ
991人間七七四年:2009/08/02(日) 16:09:50 ID:yTQAvjEQ
毛利元就がまだ子供の頃、
ある日、泣いている娘を見つけて事情を聞くと、
母親が人柱にされてしまって、ひとりぼっちになったのだという。
元就はこれを気の毒に思い、つれて帰って娘を家臣に養わせることにした。


時は流れて、郡山城拡張工事の時の事。
姫丸壇の石垣が何度積んでも崩れてしまい、遅々として進まない。
あまりの難工事に、普請奉行達は神仏の祟りかと考え、人柱を立てることにした。

そこで白羽の矢が立ったのが、元就が子供の頃に助けた娘である。
早速、娘を人柱にしたいと元就に申し出た所、
元就は己の先祖である野見宿弥という人物がその昔、
古墳を作る際に、殉死の人馬の代わりに埴輪を納めたという故事にならい、

「せっかく助けた命、再び犠牲にすることはない。
百万の心を同じくし、一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられる」

と、家臣を諭し、紙に「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と書きつけ、
これを石に彫り、人柱の代わりに埋めるように命じた。
家臣たちは言われたとおり、高さ6尺、巾2尺の巨石に言葉を刻み、
人柱の代わりにこれを埋めた所、石垣は崩れなくなり、
無事に工事を終えることが出来たという。


因みに、「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と刻んだこの石は、
江戸時代末期に長州藩士によって郡山城跡で文字の写しが取られ、
それが豊栄神社に奉納されたとされるが、現物は未だ発見されていない。
992人間七七四年:2009/08/02(日) 16:32:42 ID:VQv0E4Z5
>>991
その長州藩であった山口県では、今もほとんどの学校に「百万一心」の石碑がありますな。
993人間七七四年:2009/08/02(日) 16:43:16 ID:t1kJaSPt
百万一心の字をちょっとヘンテコに書いて、家臣にそれを問われるとさらにそれにも意味があったって話もあった気がする。
994人間七七四年:2009/08/02(日) 16:55:16 ID:1X9G9gk+
kwsk
995人間七七四年:2009/08/02(日) 17:19:46 ID:45K5J9CW
>>994
それこそが「一日一力一心」
百聞は一見に如かず拓本を御覧あれ
ttp://www.mapple.net/photos/I03400118001.htm

何の予備知識もなしに見るとむしろ「一日(ry」と読めんこともない
「日を同じくし力を同じくし心を同じくすれば何事も成し遂げられる」
という意味らしい
996人間七七四年:2009/08/02(日) 18:07:31 ID:dj742hlE
母親のみならずその娘まで人柱にしようとは・・・

997人間七七四年:2009/08/02(日) 18:30:23 ID:5rYk4igc
>>995
拓本なの?現物じゃないのか。
しかし百万一心はわかるけど一日一力一心って
いまいち意味不明というか。
998人間七七四年:2009/08/02(日) 18:35:15 ID:1X9G9gk+
おぉ、ほんとだ
一日一力一心とも読めるな
999人間七七四年:2009/08/02(日) 18:42:28 ID:0QHyYPKi
1000人間七七四年:2009/08/02(日) 18:43:20 ID:84QhLFli
1001
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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