戦国ちょっといい話11

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379人間七七四年
出先からなんで既出だったらすいません。
あとコピペです。

27:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/21(金) 17:50:15 ID:KwRo2S57
渡辺勘兵衛の500石の話
 
 渡辺勘兵衛は武勇の士として有名だった(増田長盛、藤堂高虎に仕官した渡辺勘兵衛とは別人)。
ところが、勘兵衛は10万石でないと二度と仕官しないと公言していた(実質上の引退宣言か?)。
その武勇を惜しんで柴田勝家が1万石で勘兵衛を召抱えようとしたが
勘兵衛は「10万石でないとダメだ」と断り、
豊臣秀吉も2万石で召抱えようとしたが、
またも勘兵衛は「10万石が1石でも欠けたらダメだ」と断った。

あるとき、その勘兵衛が石田三成の家臣となったという話が伝わり秀吉を驚かした。
秀吉は三成を呼び出して問いただした
「勘兵衛のような豪傑をよくもお前みたいな小物が家臣にできたな。どうやって口説いたのじゃ?」
三成は得意になって答えた
「私が100万石になったときに10万石にしてやる。それまでワシの500石を全てお主にやろう、と約束したのです。」
当時、三成の石高は500石だった。
秀吉「勘兵衛に500石やれば、お前の食い扶持がなくなるではないか?」
三成「はい、だから私は勘兵衛の居候になりました。」
これを聞いた秀吉は三成の剛毅さに感心したという。

後に三成が出世した際、三成は勘兵衛にも加増しようしたが
勘兵衛は「100万石になれば10万石頂きますから」と言って生涯500石のままで通した。

関ヶ原の戦では勘兵衛も力戦した。
味方が崩れる中、三成は勘兵衛に「10万石の話も夢になったな」と語りかけた。
最後まで自分との約束を気にかけてくれた三成に勘兵衛は感謝して死んだという。


かなり有名な話だから皆知ってると思うけど、たまたま目に留まったので貼っておきます。
関ケ原の石田隊の壮絶な戦いぶりは素晴らしいですよね。結束の堅い家中っていいですね。