戦国ちょっといい話11

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243312108/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243956483/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/07/01(水) 23:54:34 ID:V5oMpyLg
イチオツ
    ,、_,、  ,、_,、  イチオツダヨ
  ,、_('・ω)(ω・`)、_,、
 ('・ω)u゚  ゚uu(ω・`) イチオツダネ
  ゙uu゚( '・) (・` )uu'
    ゚uu゚  ゚uJ゚   ニゲト
3人間七七四年:2009/07/02(木) 00:06:26 ID:TcuZkTtG
>>1乙です!
このスレも沢山の話で盛り上がりますように!
4人間七七四年:2009/07/02(木) 00:59:53 ID:qUakliBF
いい>>1ダナァー
5人間七七四年:2009/07/02(木) 02:06:53 ID:3NhZ/pki
>>1
一服いかかですかな?
皆様もご一緒に…
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                     
 ( つ旦O
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦 
       濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 
 
       旦   旦   旦    旦    旦   旦 
       生茶  砒霜茶 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  ぞうきん汁

       旦   旦   旦     旦    旦   旦 
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 加藤茶
6人間七七四年:2009/07/02(木) 02:08:29 ID:bJo0HdvH
>>5
宇喜多殿!ここはいい話スレでござるww!!
7人間七七四年:2009/07/02(木) 06:50:06 ID:GQl4V0ba
こっちはおにぎりじゃなかったか?
8人間七七四年:2009/07/02(木) 09:18:37 ID:cAgke9DQ
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 大腸菌 こんぶ クロロホルム 豚インフル オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          砒素 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 とりかぶと
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 猫いらず  野沢菜  サリン ツナマヨ 石見銀山  鮭マヨ 鮭ハラミ
           ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、  ,.-、、  
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  
         マムシ ウラン    河豚     毛虫  唐揚げ
9人間七七四年:2009/07/02(木) 12:30:40 ID:e8o64wEO
いつもオプーナのズレが気になってしょうがないんだよなー
10人間七七四年:2009/07/02(木) 13:47:01 ID:3NhZ/pki
オプーナってなに?
11人間七七四年:2009/07/02(木) 13:51:24 ID:mb9dCLlt
>>10
俺の知る限りではワゴンに乗っていて権利関係に一家言あるおにぎり
12人間七七四年:2009/07/02(木) 17:51:29 ID:y0GRV2ps
>>1

         / ̄\
        |     |
         \_/
          |
       /  ̄  ̄ \
     /  \ /  \
    /   ⌒   ⌒   \      よくぞこのスレを開いてくれた
    |    (__人__)     |      褒美としてコーエーが誇る神ゲー、オプーナを買う権利をやる
    \    ` ⌒´    /   ☆
    /ヽ、--ー、__,-‐´ \─/
   / >   ヽ▼●▼<\  ||ー、.
  / ヽ、   \ i |。| |/  ヽ (ニ、`ヽ.
 .l   ヽ     l |。| | r-、y `ニ  ノ \
 l     |    |ー─ |  ̄ l   `~ヽ_ノ____
    / ̄ ̄ ̄ ̄ヽ-'ヽ--'  / オープナ  /|
   .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/|    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/| ______
/ ̄オプーナ/|  ̄|__」/_オープナ  /| ̄|__,」___    /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/オープナ ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄|/ オプーナ /|  / .|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/l ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/| /
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
13人間七七四年:2009/07/02(木) 17:57:19 ID:Gox8wv1a
>>12

  /\___/\
/ /    ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |
|  ,,ノ(、_, )ヽ、,,   |
|   ,;‐=‐ヽ   .:::::|
\  `ニニ´  .:::/      NO THANK YOU  
/`ー‐--‐‐―´´\
       .n:n    nn
      nf|||    | | |^!n
      f|.| | ∩  ∩|..| |.|
      |: ::  ! }  {! ::: :|
      ヽ  ,イ   ヽ  :イ
14人間七七四年:2009/07/02(木) 18:13:47 ID:KWR2BpTB
>>5
なまちょー
15人間七七四年:2009/07/02(木) 21:21:43 ID:A6fuYJ7J
初カキコになります。いい話なのか微妙ですが。


良清寺と瑞松院の火の玉

立花宗茂の正室ァ千代姫。関ヶ原後に宗茂が改易されると、肥後国腹赤村(現熊本県玉名郡長洲町)に
隠棲し、34才で世を去る。その後、宗茂が柳川藩に返り咲くと、宗茂は柳川に良清寺という寺を開き、
ァ千代姫の菩提寺とした。
さて、柳川には宗茂と縁のある寺がもうひとつある。名を瑞松院といい、宗茂の側室である矢嶋氏
(八千子姫)を祀っている。そして瑞松院と前述の良清寺は、道を挟んで向かい合っているのである。

で、柳川では夜になると、良清寺と瑞松院から火の玉が飛び上がって上空でぶつかり合う光景が見られ、
柳川の人々は「ァ千代姫と矢嶋の娘が喧嘩している!」と噂していたそうな。

なお、ァ千代姫と矢嶋氏には生前の面識はない。
宗茂公、あの世では男女関係の方面で苦労してるんだろうなあ。
16人間七七四年:2009/07/02(木) 21:23:36 ID:xvGMkTcJ
宗茂さんモテモテっていい話なんだな、うん
17人間七七四年:2009/07/02(木) 21:26:39 ID:GQl4V0ba
戦国ちょっと怖い話かなw
最近暑くなってきたからちょうどいい
18人間七七四年:2009/07/02(木) 21:44:41 ID:y0GRV2ps
>>15

置いて行ったのか付いて来なかったのか判らんが
宗茂さんも前妻へ充てつけがましいなw
19人間七七四年:2009/07/02(木) 22:32:15 ID:FovdhXdD
矢嶋八千は細川幽斎からの紹介で足利義昭の落胤の娘っていう説がある人なんだよな。
20人間七七四年:2009/07/02(木) 22:45:04 ID:+QfuW6fi
>>8
鮭 鮭マヨ 鮭ハラミ はそれがしが…
21人間七七四年:2009/07/02(木) 23:02:20 ID:qinF1wGS
なるほど、ちょうどいい話か。
22人間七七四年:2009/07/02(木) 23:29:29 ID:SNSJ8HUY
>20
鮭様自重
23人間七七四年:2009/07/03(金) 02:25:49 ID:niYYlcoV
いい話・悪い話どっちなのか微妙だが


自分が修学旅行で仙台に行った時に聞いた逸話なので本当かどうか分からんが、
関ヶ原の戦い後の伊達政宗に対する論功行賞でのお話を思い出したので投下する
まだこの話はなかったと思う

関ヶ原の戦いで功績を収めた伊達政宗は、徳川家康から62万石を頂戴するが
家康自身は関ヶ原の戦いで南部一揆や上杉方と通じていた件も含めて
31万石に抑えようと考えていた。

※この段階で政宗の所領は58万石あったので創作の可能性が高いと思うが・・・

諸将が集まる論功行賞の席にて

家康「伊達政宗に31万石使わす」
( ●_ ̄)「・・・・・・」

返事をしない政宗。家康自分の声が響かなかったのかと声高らかにもう一度

「”伊達政宗に31万石使わす”」
と言ったところ、政宗ニコリと顔を上げ

( ●ー ̄)「有難き幸せ!!31万石×2、合わせて”62万石”政宗頂戴致します」

居並ぶ諸将( ゚д゚)ポカーン状態で家康の顔を伺う
すると家康大笑いで政宗に

家康「そなたの申すこともっともだ!!伊達政宗に31万石×2=62万石与える!!」

政宗倍の62万石を貰ったと言う。


この話を聞いたとき自分子供心に
「何で3回目まで無言に徹しなかったのかな?31×3で93万石貰えたかも知れないのに・・・」

等と思った。
 

政宗の頓智の利いたお話
24人間七七四年:2009/07/03(金) 03:10:41 ID:/o9aubL3
二回目も返事しなかったら逆に何ももらえなかったり
25人間七七四年:2009/07/03(金) 03:13:29 ID:fg6thKTM
いや3回目は無いだろw
欲張りすぐるw
26人間七七四年:2009/07/03(金) 04:08:32 ID:spMd7ckz
彦左衛門が餅もらった話に似てるね
27人間七七四年:2009/07/03(金) 04:10:17 ID:T+RS0Faa
先に前スレ埋めようぜ
28人間七七四年:2009/07/03(金) 09:35:03 ID:ewrm60TC
政宗なら100万石までは粘りそうなもんだが
29人間七七四年:2009/07/03(金) 10:30:32 ID:J3knwzQQ
>>23
曽呂利さんみたいな頓知噺やねえ。
30人間七七四年:2009/07/03(金) 10:40:32 ID:t/WOX2uF
>>23
実は、神君は31万石の"加増"のつもりでいったのに、DQNがへそ曲げたから
4万石加増の62万石にしたんだよw
31人間七七四年:2009/07/03(金) 13:12:42 ID:pM0dyJQA
家康が馬鹿に見える
32人間七七四年:2009/07/03(金) 16:31:02 ID:T46QAV+6
小早川秀秋は関ヶ原の時点では毛利家とほとんど繋がりなかったのかな・・・
隆景は秀秋を養子にすることで、太閤から直に貰った領地を豊家に返上したってこと?

だとすれば、いかに毛利家を守るためとはいえ、潔いな。
33人間七七四年:2009/07/03(金) 16:52:59 ID:59oob3/A
返上ではなく、太閤死去でうやむやになっただけで
秀秋が国替えを命じられて取り上げられたんじゃなかったっけ?

隆景は生きているうちは隠居料くらいはもらってたような
34人間七七四年:2009/07/03(金) 17:00:16 ID:T46QAV+6
隆景の家臣は毛利に引き上げたんじゃなかったっけ?
35人間七七四年:2009/07/03(金) 18:17:06 ID:J3knwzQQ
>>34
稲葉平岡とかが秀秋に付けられてきてるよね小早川家
36人間七七四年:2009/07/03(金) 18:51:13 ID:uOhWzb26
>>32
輝元の娘(養女)が秀秋に嫁いでいた筈だったような
でも隆景の時のような親密さはないだろうね
37人間七七四年:2009/07/03(金) 18:55:47 ID:T+RS0Faa
前スレ1000…w
38人間七七四年:2009/07/03(金) 19:16:52 ID:tZ4HTNXK
前スレ>999
家康「天晴れ、家臣とはかくあるべきものよ」
39人間七七四年:2009/07/03(金) 19:31:32 ID:T46QAV+6
同じ西軍でも、関ヶ原では完全に毛利の影響力は及ばなかった?
40人間七七四年:2009/07/03(金) 19:37:03 ID:T+RS0Faa
秀秋は豊臣家連枝だから、秀秋の小早川家に対して毛利は親戚って程度の影響力しか無い。

隆景は秀秋に、毛利両川の一つである小早川家を譲ったのではなく、
鎌倉以来の名家である「小早川」という家名を贈与した、と考えたほうが良いと思う。
41人間七七四年:2009/07/03(金) 20:28:00 ID:/ldwcy87
小早川秀秋も信長と同じで母親に可愛がられずに育った人なんだよね…
母親と上手くいかなかった男ってどこか投げやりで無鉄砲なところがある気がする
42人間七七四年:2009/07/03(金) 20:41:09 ID:sJsKacf6
>>41
信長は無鉄砲じゃないだろ
むしろ鉄砲を多用・・・ってそうじゃない?
43人間七七四年:2009/07/03(金) 21:13:26 ID:X3UkSDWF
>>38
勿体無いお言葉、有難き幸せ
44人間七七四年:2009/07/03(金) 21:15:02 ID:NCTG7777
パンジャンドラム復刻!!
さすがはイギリス人だ。

長編リポート
ttp://www.youtube.com/watch?v=EU6sMb6BP2o

実験のみ抜き出し
ttp://www.youtube.com/watch?v=JypmM008A-I
45人間七七四年:2009/07/03(金) 21:17:01 ID:NCTG7777
すいません!誤爆です。
46人間七七四年:2009/07/03(金) 21:21:09 ID:sJsKacf6
アダムスさんですねわかります
47人間七七四年:2009/07/03(金) 21:37:20 ID:Pu3alciS
もともと吉川広家は秀吉嫌いの元春の子供だし
秀吉寄りの小早川隆景には機を見るに敏な金吾ちゃんを入れてるし
関ヶ原で両川が家康についたのは秀吉のおかげだな
48人間七七四年:2009/07/03(金) 22:18:08 ID:/o9aubL3
>>44
おまえもここにいたのかwww
まさに信じられないが本当だ
49人間七七四年:2009/07/04(土) 04:07:29 ID:htNJUMxL
>>44
IDすげー
50人間七七四年:2009/07/04(土) 05:19:53 ID:gjDJp4pP
亀ながら>>1

前スレの締めに何故ぼっさんAA…
51人間七七四年:2009/07/04(土) 05:44:41 ID:7klS+D+A
昔々のこと

美濃の沢渡のあたり、可児川の近く、栗栖街道に面した場所に、造り酒屋があった。
ここで作る「恵土の華」と言う酒は大変味がよく、遠くまで評判が聞こえていたそうだ。

ある日のこと、若い侍がやってきてこの酒を求めた。この侍、身なりは大変立派であったが、
酒を入れる徳利だけは、百姓達も使っているような安物であった。
支払いに使った銭は、何故か赤錆びていた。

その日からこの侍は、毎日のように酒を買いにきた。だがその度に違う徳利を持ってきた。
しかしどれも安物である事だけは変わらなかった。

ある日、差し出された徳利を見ると泥で汚れていた。そこで店主がこれを洗いに行くと、
徳利の底にまで泥が詰まっているのに気がついた。

「何かおかしい」

店主は店の奥で酒造りをしているものを呼び、この若い侍がどこの何者か、後をつけて見てくるよう
言った。

店の者があとをつけていると、侍は突然森の中に入っていった。慌てて追いかけると、
その先の深い沼のところで姿が消えた。その瞬間

『ドボーン』

淵から大きな音がした。何事かと覗くと、そこには巨大なスッポンが、沼の底に泳いでいく所であった。

これを見た店の者、大慌てで帰り「若侍が消えたとたん、巨大なスッポンが現われた!あの侍は
スッポンの化けたものです!」そう言うと、そのまま熱を出して倒れてしまった。
「それでわかった!あの淵には昔から竜神様を祭る祠がある。あの徳利はお神酒を上げるための、
そして銭はお賽銭だ!」

さて、その日からあの若侍は酒を買いに来なくなったのだが、「スッポンの化け物」の噂が広まり、
皆不気味がって、その淵に接する栗栖街道は、すっかり寂れてしまった。

これに困ったのが、この可児領主、森長可である。そう、鬼武蔵だ。
こんな時の、彼の思考は大変わかりやすい。

「殺せ」

領内の流通を妨げる不届きな巨大スッポンの処分が、たちどころに決まった。
彼によって派遣された家臣たちが、淵で「恵土の華」の入った酒壷をエサにスッポンをおびき寄せる。
すると見たことも無い巨大なスッポンが淵から浮かび上がり、酒を目がけて向かってきた。

普通の人ならこれだけでパニックになるだろう。が、流石は鬼武蔵の部下、掛け声とともに一斉に
巨大スッポンに飛び掛り、次の瞬間にはスッポンの首に小刀が突き立てられていた。
スッポンは苦痛に暴れ、しばらくのた打ち回っていたが、やがて淵の底へと沈んでいった。
淵の水は、血で真っ赤に染まっていたと言う。

スッポンが退治されたことにより、栗栖街道は賑わいを取り戻した。
そして巨大スッポンの血に染まった淵は、これ以後長可の名を取って、『武蔵が淵』と呼ばれるように
なったとの事である。
そんな、街道の繁栄が戻って目出度いお話。

そしてむかし話の世界ですら、鬼武蔵のかかわる地名からは、血の臭いがする。と言うお話。
52人間七七四年:2009/07/04(土) 06:24:58 ID:/ECp2Hnu
>>51
亀とかすっぽんとか、水棲動物はよう酒を嗜むよねぇ


てか、祭祀が廃れてきていて寂しかったんじゃないのか?
53人間七七四年:2009/07/04(土) 08:11:17 ID:iTSnLpxD
鬼武蔵は蛇とかすっぽんとか爬虫類キラーだな
54人間七七四年:2009/07/04(土) 08:36:01 ID:CEeQprZf
鬼武蔵がでてくるまでは普通の穏健な怪異譚なのに・・・
55人間七七四年:2009/07/04(土) 09:08:28 ID:QFkJVTwJ
亀様が網にかかってしまった時のお詫びの仕方
1.亀様の頭を上にして持ちます
2.頭をつつくと頭を引っ込めるので、そこへお酒を注ぎます
3.少し待つとお酒を飲み干されて、そのままヨタヨタと住処へお帰りになられます

という話を見たことがある。
56人間七七四年:2009/07/04(土) 09:09:54 ID:uH0PBerf
鬼武蔵のあとだけに

1.亀様の頭を上にして持ちます
2.頭をつつくと頭を引っ込めるので、そこへお酒を注ぎます
3.蒸します

とかかと思ったじゃないか
57人間七七四年:2009/07/04(土) 09:34:12 ID:5GfbsOZY
普通なら祠にお酒を捧げるようになってそれ以降洪水が起きなくなるとか
ありがたいことがあってめでたしめでたしだろう…なんというストーリークラッシャー
58人間七七四年:2009/07/04(土) 09:42:15 ID:xXhQWNVc
スッポンさん、お酒が飲みたかっただけなのに…
59人間七七四年:2009/07/04(土) 10:03:43 ID:faFOIaUM
>>51
鬼武蔵のせいで悪い話にしか見えない
60人間七七四年:2009/07/04(土) 10:05:04 ID:u6iyPImS
とても良い話とは思えない後味の悪さ…
毎月祠に酒を奉納すれば解決したんじゃないか?
61人間七七四年:2009/07/04(土) 10:14:23 ID:9OSMm8ZU
鬼武蔵「酒をスッポンなんかにやっても兼山の経済が潤わない。」
62人間七七四年:2009/07/04(土) 10:16:13 ID:wktwJd2O
神の使いを殺すようなマネばっかしてるから眉間を弾丸でブチ抜かれたとか
桃に当たってさんざん苦しんだとか兄弟そろって鬼退治みたいな死に様さらすハメに…
63人間七七四年:2009/07/04(土) 10:40:20 ID:RId1PYnj
桃に当たってって状況想像つかないよな
痛んでたらそんなもんなんだろうか
それともやっぱり古来よりの……三成GJ
64人間七七四年:2009/07/04(土) 10:41:24 ID:9OSMm8ZU
ラスボスも輝元から送られてきた桃食ってたら死んだかも分からん。
65人間七七四年:2009/07/04(土) 11:20:02 ID:TI4h5l8t
>>51
その後、家臣一同おいしくいただきました。
66人間七七四年:2009/07/04(土) 12:31:14 ID:u6iyPImS
おいしく頂いた家臣が夜な夜なスッポンに変化して徘徊するんですねわかります
67人間七七四年:2009/07/04(土) 13:00:51 ID:vJO9x1Gc
神の使いを殺すのが悪っていうが
確か戦国風紀委員長北条氏康も、
突然飛びこんできた吉兆の印なはずの大鰹だかを
速攻さばいて食べてたと思った

海亀は海に返してるけど
68人間七七四年:2009/07/04(土) 13:03:01 ID:XRdR7q2j
>>51
鬼武蔵w
日本神話なみに地名作るよね
69人間七七四年:2009/07/04(土) 13:16:37 ID:ZnBN3/b5
ちゃんと代金も支払ってたのに殺されるなんて…
70人間七七四年:2009/07/04(土) 13:17:52 ID:wc/pF8IZ
浅井畷の戦いで、前田と丹羽が争った後、
後の鼻毛の殿様・前田利常は、人質として丹羽の居城・小松城へ送られることとなりました。

人質となったときは丁重に扱われたようで、
時には当主の丹羽長重自らが梨の皮をむいて、利常に食べさせたということです。

人質の時期は非常に短かったですが、利常の隠居先はその小松城としましたとさ。
71人間七七四年:2009/07/04(土) 13:58:23 ID:kQOI+iDY
>>55
ウミガメ捕まえたので日本酒しこたま飲ませて海に帰らせるというのは聞いたことがある
72人間七七四年:2009/07/04(土) 14:06:00 ID:Jyl6ADk0
>>70
鼻毛殿の幼名は猿千代ってことになってるけど実際は容貌からただ「猿」と呼ばれ
人質に出るまでは大名の子と思えない扱いだったという話を見たことがある

初めて他人に優しくされて嬉しかったのかもね
73人間七七四年:2009/07/04(土) 14:41:31 ID:kMYRyPiS
>>62
地元では退治する方らしいぞ

鬼っこ夢まつり

 9月の最後の土曜日に、近くを流れる可児川の中洲にある鬼が島で、「鬼っこ夢まつり」がある。

 可児市兼山は、織田信長に仕えた戦国武将の森蘭丸の出身地である。
蘭丸の兄にあたる森長可(もりながよし)も、武田攻めや長久手の戦いで武勇伝をなした荒武者で
鬼武蔵と呼ばれていた。
「鬼っこ夢まつり」は桃太郎伝説の鬼が島で行われる鬼武蔵にあやかったおまつりである。

 百個あまりの燈篭流しに始まり、兼山に伝わる激しい烏峰太鼓が打ち鳴らされるなか、
鬼武蔵が鬼を退治するストーリーが展開される。

http://homepage1.nifty.com/~hasegawa/album/onigasima/onigasima.htm
74人間七七四年:2009/07/04(土) 15:12:06 ID:wlTz4d1x
>>73
鬼っことすると多少は可愛くなる、不思議!
つうか、鬼が鬼を退治するストーリーってマングース対マングースみたいなものか
75人間七七四年:2009/07/04(土) 16:24:43 ID:T/8Ug51p
あれですな、退治と言うより真の鬼はどちらかってノリ
76人間七七四年:2009/07/04(土) 16:52:47 ID:HneDTdEQ
エイリアンvsプレデター 戦国時代版
77人間七七四年:2009/07/04(土) 17:15:26 ID:Q810O1Sv
「鬼っこ武蔵」って番組名にできそう
78人間七七四年:2009/07/04(土) 19:25:14 ID:CTDifZsF
子供にゃ見せられん番組になりそうだがw
79人間七七四年:2009/07/04(土) 19:51:42 ID:ftBpHquo
>>62-63
神君「季節外れの桃にあたるとな…」
80人間七七四年:2009/07/04(土) 20:31:23 ID:oI4EwBVH
>>71
今もやってるぞ@北海道
81人間七七四年:2009/07/04(土) 21:25:08 ID:iFL6I4b0
>>62
桃にあたって死んだって、ジョン失地王?
82人間七七四年:2009/07/04(土) 22:19:49 ID:kdDaEkBn
>73
逃げて!! 武蔵じゃない方の鬼さん,逃げてッ!!
83人間七七四年:2009/07/04(土) 22:23:13 ID:9OSMm8ZU
>>81
磔右近こと森忠政

桃を食ったところ突然苦しみだしお亡くなりに
84人間七七四年:2009/07/04(土) 22:28:55 ID:uH0PBerf
>>82
前門の武蔵後門の兵庫
85人間七七四年:2009/07/04(土) 22:32:12 ID:L1l1mLSN
>>83
まぁ桃はイザナギ・イザナミの時代から霊験あらたかな退魔アイテムだからねぇ。
86人間七七四年:2009/07/05(日) 05:30:32 ID:hzHXcdfi
個人的には森可成や長可の方が脳内では有名なんだが
そうだよな、世間では蘭丸の方が知名度あるんだよな
87人間七七四年:2009/07/05(日) 07:37:29 ID:5Pr0laan
>>86
鬼武蔵に関しては、悪いスレで紹介されてから、2ちゃん界隈では一気に広まった感じがするなw
他の板の戦国関連のスレとかでも必ず話題になってるし。

戦国系のやる夫物でも最近は、鬼武蔵や森一族は強烈なキャラクターになってることが殆どだよね。
88人間七七四年:2009/07/05(日) 07:47:37 ID:9fxoS4CA
俺も今までは蘭丸の兄ぐらいの認識でしかなかったのにいい悪いスレ見てから興味持ったわw
89人間七七四年:2009/07/05(日) 08:04:03 ID:dERKTKOs
>>83
thks
90人間七七四年:2009/07/05(日) 10:53:32 ID:IDPvYbf2
以前は鬼武蔵とか言われてる割りにはコーエーゲーでの評価が低いなー程度の認識でしかなかった
ガチで鬼だったとは思わなんだ
91人間七七四年:2009/07/05(日) 11:18:05 ID:VuSYdwSP
これで新作信長での森一族の能力がすごいことになっていたら笑う
戦闘90超えて智謀が一桁
92人間七七四年:2009/07/05(日) 11:23:23 ID:qwkQVhOS
富田長繁はwikiも超強化されたし狂犬仕様で復活してくれ。

革新ではリストラされてた。
93人間七七四年:2009/07/05(日) 11:25:10 ID:AhJsVrr/
ここやまとめにどれだけ影響力があるのか判らんがな
94人間七七四年:2009/07/05(日) 11:33:51 ID:yqWEM+Gc
鬼武蔵って鬼というよりはもう鬼畜というイメージしかないなww
95人間七七四年:2009/07/05(日) 11:43:41 ID:gKiPsUHH
信長が甘やかし過ぎたのがいけない
なんで森一族にはあんなに甘いのか
96人間七七四年:2009/07/05(日) 11:49:41 ID:0xGpQmvk
親父も兄貴も戦死だし本人も戦死だし乱坊丸は本能寺だし残ったのは末弟だけ
親父も兄貴も織田家のために死んだんだし甘くもなるかも
97人間七七四年:2009/07/05(日) 11:55:45 ID:gKiPsUHH
ああ信長って子供達にはたいがい甘いんだよな
森兄弟の父親代わりのつもりだったとしたらあんだけ甘くなるのも納得
98人間七七四年:2009/07/05(日) 12:03:03 ID:Y0JQsDV8
父親は家督相続時や尾張美濃攻略と苦しい頃に活躍してくれたからね
信長にすれば報いる前に死んでしまった創業の功臣の息子、ということだったのかもしれない
99人間七七四年:2009/07/05(日) 12:27:34 ID:55Q4tNCj
信長はそう言う情にはけっこう厚いイメージがあるw
100人間七七四年:2009/07/05(日) 12:36:14 ID:CCvUBtp0
乱坊丸という略し方がまたw
101人間七七四年:2009/07/05(日) 13:13:09 ID:s1+eaJ06
鬼武蔵は、昔の光栄ののぶやぼの攻略本で「織田家の破壊王」って紹介されていて??ってなったね。
このスレでようやく理由がわかったよ。
102人間七七四年:2009/07/05(日) 13:15:26 ID:UqqZ2jv9
>>101
光栄もたまには良い仕事(?)するじゃないか
103人間七七四年:2009/07/05(日) 13:24:44 ID:6//9bT/B
革新ではいきなり再評価されて武勇79まで上がったけど
それまでは戦闘パラ50台をうろうろw>鬼無茶氏
104人間七七四年:2009/07/05(日) 14:27:16 ID:yqWEM+Gc
>>101
なんか頭の中に爆勝宣言が流れてきた。
105人間七七四年:2009/07/05(日) 14:52:20 ID:AhJsVrr/
ゲームでキャラに入れ込むんなら勢力で操作する信長の野望より
個人のが栄える太閤立志伝のほうが良い思うんだけどなぁ
続編作ってくれよ
どっちにしても肥のパラメーターに「人格」が無いのが残念だ
106人間七七四年:2009/07/05(日) 15:28:53 ID:msOobOiS
清水家跡取り人質事件

毛利軍が上月城を包囲し、尼子残党を討伐しようとした天正6年。
その毛利軍の中には備中高松城主、清水宗治の姿も有った。
持ち場で待機していた宗治の元に留守を任せていた家臣が馬を飛ばしてやってきた。

家臣「家中に織田と繋がっていたものが居り、源三郎(景治)様を誘拐!現在は城に追い込んでいますが、
    源三郎様を返して欲しくば直ぐにこの戦から手を引けとの事です!速やかに城にご帰還を!」

この報告を受けた宗治だが
宗治「・・・・・・この戦は非常に重要な意味を持っている戦だ、今我々がここを離れるなど有ってはならぬ事だ。
   今は手の中で暴れているに過ぎないが城から逃げ出し敵方に渡るようでは後々、主君に迷惑となる。
   その時は源三郎諸共殺せ。あいつも武士の子だ、わかっている。」
と家臣に言い、この事を毛利家には伝えなかった。

だが、この事件は程なく小早川隆景に伝わる事となる。隆景は宗治を呼び出し
隆景「事件のことは聞いたぞ、さぞ心配であろう。早く城へ戻り取り返しなさい。」
と宗治の離脱を許した。
宗治は馬に飛び乗り急ぎ城へ戻るとお咎め無しを条件に無事、源三郎を解放させるとすぐさま上月城に向かい自分の持ち場に就いた。
107人間七七四年:2009/07/05(日) 16:43:37 ID:C4/Q7qbF
>>105
評価がムズすぎる
人格については三英傑も武田上杉あたりも評価パックリ割れるぞ
数字でどうこう示せるもんじゃないだろ
108人間七七四年:2009/07/05(日) 16:56:05 ID:MqFJGj2N
同じ光栄の水滸伝みたいに忠義、仁愛とかで性格を表現できればよかったんだろうけどね。
義理とか相性とかの隠しパラメータは今も健在なのかな?
109人間七七四年:2009/07/05(日) 17:19:27 ID:5AVmFxlj
隠しじゃないけど
例えば織田信長でプレイしていて直接登用しようとすると
本願寺系、鈴木(雑賀)系、足利義昭、織田信勝あたりは拒否する
例外としてそれらが他の大名に仕えている場合にその大名ごと降伏させれば配下になるけど

と、あと普通に相性は明示されてる

9月に新作出るけど
110人間七七四年:2009/07/05(日) 17:37:36 ID:3gc8qX10
太閤立志伝で鬼武蔵を使ってヒャッハーしまくるわけか。
これはいけるかもしれん。
111人間七七四年:2009/07/05(日) 17:41:10 ID:CFIbk9WF
声で
威厳 史実での大大名は基本的にこれ
猛将 脳筋的なパラメータの武将
智将 知略のパラメータが高い武将。ナンバー2ポジションに多い
普通 その他の武将
みたいにタイプわけされてたりもする
112人間七七四年:2009/07/05(日) 17:49:39 ID:FhuiWII1
>>106
私を捨てて戦う男だからこそ、良き理解者が現れるんだろうなー
113人間七七四年:2009/07/05(日) 17:57:33 ID:GOg303g+
清水さん家はこの景治も義理固い男に成長するのが泣ける…
114人間七七四年:2009/07/05(日) 18:58:28 ID:Dt9dnX14
初めて来ました
榊原の韋駄天走り、姉川、三方が原、長久手で大活躍の話していいですか?
115人間七七四年:2009/07/05(日) 19:00:19 ID:5Pr0laan
>>114
まとめに出てないものなら大歓迎です
116人間七七四年:2009/07/05(日) 19:26:05 ID:55Q4tNCj
じゃあ景治に関する話

清水源三郎景治は、備中高松城の名将、清水宗治を父に持つ武将である。
宗治は一度は秀吉に降伏・帰順を勧められながら、

「一度毛利氏に忠義を誓った身、いまさら心変わりなど言語道断」

と一言の下に断った忠義の士である。
しかし宗治の奮戦もむなしく、高松城は落城する。
形式上「和睦」という形であったため、高松城落城後は、景治をはじめ一家は城から立ち退くこととなる。

しかしその後、天下は急転し、織田家の軍団長に過ぎなかった昨日までの敵、秀吉が中央で覇権を握っていた。
毛利家はその同盟者としての地位を確固たるものとし、こんにちでいう「勝ち組」として家を保っていくことになった。

さて、高松城から立ち退いた景治は、その後川辺の地をあてがわれ毛利家に仕えることになる。

一方そのことを耳にした秀吉、

「あの立派な侍大将の息子が、片田舎の城主をしているとは勿体無い、ぜひ、1,2万石でわしの元に迎えたい」

と、当時の毛利家重鎮、小早川隆景に掛け合う。
秀吉にとっては、高松城受け渡しの際の、あの颯爽とした立ち居振る舞いや潔い戦いぶりなどが、心に焼き付いていたのだろう。
しかも、地方の領主に過ぎない景治が、一挙に秀吉直参の大名に取り立てられるのである。
立身出世としてこれほどいい話はない。
隆景のほうも、これは悪くない話と思って景治に勧めた。

すると景治
「父のこともあり、お気持ちは大変嬉しく思っております。

しかし私は毛利家に知行をいただく身分なれば、このままの身分でようございます」

と断ったのだそうな。

その後、小早川家は秀秋を養子に迎える。秀吉の一門の若者であった。
家臣として景治らの武将がつけられたが、これに景治は猛反発。

「わたしは毛利家の家臣です!どこの馬の骨とも知れないような輩の家臣ではありません!

そのような人に使える義理はございません!どうしてもと言うなら出奔いたします!」

それをなんとかなだめた隆景であったが、結局景治は最後まで毛利家に義理を立て、関が原でも石田三成から誘われても

「わたしは毛利家の家来ですから」

と言下に断ったと言う。

そんな宗治、景治親子の、二代にわたって義理堅いお話。


余談ですが、このあと清水家は萩毛利家で2600石と言う、破格の待遇を得ています。
そして益田元祥とともに、毛利家の財政再建に当たったといいます。
毛利家からも、その忠義を強く認められていたのでしょう。
117人間七七四年:2009/07/05(日) 19:45:39 ID:5Pr0laan
>>116
毛利は結局明治維新まで、清水家をものすごく大切にしたし、清水氏一族もその厚恩に
よく答えていたんだよね。清水清太郎とか、峻烈だ。
118人間七七四年:2009/07/05(日) 20:47:26 ID:s1+eaJ06
ググったら写真家ばっかヒットするんだけど、どんなことしたの?
119人間七七四年:2009/07/05(日) 20:54:39 ID:5Pr0laan
>>118
「清水家は2度にわたって主家を救った」と言われた。
こんな人
http://minkara.carview.co.jp/userid/157690/spot/212447/
120人間七七四年:2009/07/05(日) 20:57:24 ID:XybA1qAo
>108
ちとスレチだが水滸伝の性格パラ設定は面白かったね。
忠義仁愛勇気だけじゃなく、気位や地位(職業)に応じて雇いやすさが変わるのな。

のぶやぼとか戦国ゲーなら領地(知行)に加えて官位や教養、茶道具なんかの有無で魅力度とかステータスが変わるみたいなもんか
121人間七七四年:2009/07/05(日) 21:28:32 ID:Imku8+6J
もういいだろ
どこまで引きずるんだ
122人間七七四年:2009/07/05(日) 21:32:05 ID:8T1RVMkf
>>117
いい話だね。
一番大好きだ。
123人間七七四年:2009/07/06(月) 12:05:56 ID:9eJ/d9qw
禁門の変か。都人、上京の人が「前の大戦」という……(

124人間七七四年:2009/07/06(月) 16:55:54 ID:IEV5KF/Z
すごく良い話なんだけど、秀吉がやると裏を勘ぐってしまう
配下の大名の家臣を直で取り立てて煽るのはお得意のパターンw
125人間七七四年:2009/07/06(月) 17:34:02 ID:aDfi3VVk
それを勘違いした大河は現代の悪い話
126人間七七四年:2009/07/06(月) 18:06:31 ID:VijMogBY
>>123
菊門の変と読んでしまった俺はどうすればいいだろうか?
127人間七七四年:2009/07/06(月) 18:18:46 ID:OSrmxskt
>>126
信玄公にそなたの菊門を(ry
128人間七七四年:2009/07/06(月) 21:11:51 ID:vhXDJc3p
>>126
信長公にそなたのry
129人間七七四年:2009/07/06(月) 21:20:19 ID:bLyODtFr
安土桃山時代の「桃山」って地名は江戸時代になって伏見城跡地に桃の木が植えられたから
付けられた名前で秀吉在世当時は「桃山」という地名ではなかったってのを昔何かで読んで、
誰が何のために桃を植えたんだろうとちょっと不思議に思った事があるんだが、考えてみりゃ
あれは「ラスボス退散、太閤退散、すぐに植えましょ破邪の桃」って事だったのかもなぁ。
130人間七七四年:2009/07/06(月) 21:21:41 ID:vW+5vYqp
>>126
大内義隆公に
131人間七七四年:2009/07/06(月) 23:09:44 ID:oCG/HUNt
鍋島直茂の家臣が、街の噂を主君に伝えた。
「世間では『太閤当時の名将と言えば、小早川隆景と鍋島直茂』と申しておりますぞ!」
喜ぶ家臣に、直茂は答えた。「何をもってワシと隆景を並べる?いいか、あれは確か・・・」

小田原攻めの翌年、秀吉が諸大名を集めて言った。
「その方らの苦労にもっと報いてやりたいが、いかんせん日本は小国で土地が足りぬ。
この上は高麗に攻め入り、唐天竺を切り取り、末代までの物語にせん!
その方らにも思う存分に知行をくれてやろう!どうだ!?」

あまりにも突然の言葉に「乱心か?!」と思う者までおり、一人として返答できずにいると
小早川隆景が進み出た。「いや、ごもっとも!こんなこともあろうかと・・・」
持って来た絵図面を広げた隆景は、軍議でもあるかのように
「赤塗りの国には、この道より討ち入り・・・その後、白い国へ抜けると・・・」
と、秀吉に解説まで始めた。

その場にいた鍋島直茂は、秀吉の機嫌を損ねるのを恐れ黙っていたが、
(知将と名高い隆景が、絵空事でお追従とは!)と、あきれ果てる思いだった。

「・・・ところが、いざ海を渡ってみれば、話半分に聞いていた隆景の解説そのままだった。
どうやって調べ上げたのか?あるいはあの詳しさは、みずから渡海していたか?
いずれにせよ、隆景こそワシなど及びもつかぬ、天下の名人よ。」


人は人を知る、という話(?)。
この逸話、『葉隠』の中に三ヶ所も似たような話が出てきます。
直茂にとって小早川隆景という男は尊敬すべき、語り継ぐべき男だったのでしょう。
132人間七七四年:2009/07/06(月) 23:16:51 ID:H/evwQwQ
そこまで詳しいのに「赤塗りの国」とか「白の国」とかどうして国名を言わないんだ隆景
133人間七七四年:2009/07/06(月) 23:17:57 ID:oaJDN6ZY
事前にちゃんとリサーチしていれば、
盛んに貿易やってた大内氏の基盤を持ってる毛利小早川が
大陸の大まかな地理を把握しててもおかしくないような気もする
龍造寺はあんまり交易に熱心なイメージないんだが
秀吉に南蛮渡来の帽子贈ったりしてるくらいだし
それなりに交易はしてたのかね
134人間七七四年:2009/07/06(月) 23:20:18 ID:f64YCn8L
>>133
対中国、朝鮮情報に関しては、朱印船貿易の蓄積がある大内を継承した、毛利の
独壇場でしょうね。
135人間七七四年:2009/07/06(月) 23:30:10 ID:kfSlqn7s
>>132
地図見ている人達はそんなこと言われてもわからない
色分けして指示する方が早い
136人間七七四年:2009/07/06(月) 23:34:31 ID:os304ADp
小早川隆景ほど逸話を見て即座に優秀な人だと認識出来る人もいないね。
137人間七七四年:2009/07/07(火) 00:05:58 ID:6w4f4+tw
隆景と直茂のエピソードが出てたので自分もひとつ

隆景は鍋島直茂と交わりが深かった。
直茂が京より領国に向かう際、隆景が病に伏していると聞いて、
三原に立ち寄り、見舞いに訪れた。
隆景はこれまでのことを物語り、直茂は涙を流して帰った。
隆景の死後、直茂の子、勝茂が石田三成に味方し、鍋島家は滅亡の危機に際した。
しかしこれより先、伏見騒動の折に直茂が秀忠の護衛をし、命の限り秀忠を
守護すると誓っていたことから、直茂の免じて勝茂の罪が許された。
これは、前年に隆景から授けられた策であったという。


隆景はエスパーかよとか鍋島の面倒みるくらいならTERUにも策を
とかのツッコミは置いといて
直茂の話には何故か隆景が出てくることが多い気がする
大友一緒に攻めてた繋がりかな?
直茂の有名な「おうらみ状」にも隆景の名前が出てくるんだよな〜


138人間七七四年:2009/07/07(火) 00:07:58 ID:T+e9Sz2R
貿易のために宣教師と蜜月関係を築いてカエサルとかお追従され、
必要なくなってあっさり切った後は逆に悪魔と憎悪され、
貪欲に松浦の地盤をも狙ったのが龍造寺
志向としては南蛮のようだから、朝鮮については疎かったんだろう
139人間七七四年:2009/07/07(火) 00:14:29 ID:dUBtBfDg
>137いい話だなー

広島時代だっけ、城下に逗留させちゃダメと釘刺されてた黒田官兵衛より
「毛利にとっては」危険じゃない人物だったのかな鍋島さん。
主家に影響及ぼさない、小早川領の三原なら構わないってことだったのだろうか。

智将同士、腹を割って忌憚なく話す部分もあれば、裏で駆け引きもしていたんだろうけど。
140人間七七四年:2009/07/07(火) 00:17:54 ID:dUBtBfDg
>>116最初読んでちょっと不思議な感じがしたんだが、

めんどくさい三河武士あたりと比べて、主君・主家に余計なこと言わないからだねw
真面目な忠臣、というのか……
141人間七七四年:2009/07/07(火) 00:49:28 ID:CajbZXEW
剣聖上泉信綱の人質救出劇

1563年上洛中に強盗が幼児を人質にとり、民間へたてこもった。そこで信綱は頭を剃り僧侶から袈裟をかりて僧侶を装う。
暴れる強盗に握り飯を差し出してなだめつつ、だんだん近づいていった。強盗が握り飯に気をとられた隙に人質の幼児を救出した。
幼児は無事親の元へ戻った。
142人間七七四年:2009/07/07(火) 01:13:32 ID:b9jpXqYQ
>>141
テラ七人の侍w
元ネタは剣聖だったのか
143人間七七四年:2009/07/07(火) 01:17:09 ID:S8GuSKUX
キン肉マンソルジャー思い出した
144人間七七四年:2009/07/07(火) 01:20:42 ID:5My04z1W
太閤に可愛がられて運が良かった面もあるんだろうが、
鍋島をしてそこまで言わしめるとは隆景恐るべし!

立花宗茂も隆景・秀包とは仲が良かったし、
所領のある九州関係の武将に好かれてるな

145人間七七四年:2009/07/07(火) 01:27:26 ID:mIpT9xb6
黒田如水「ボクも好きになってほしかったなー」
146人間七七四年:2009/07/07(火) 01:34:08 ID:ewpbNJFY
>>141

   {~タ-―=二、`ヾ、~l          なんという冷静で的確な判断力なんだ!!
 ,-r'"_,,........,__  ` -、 `i)                                           /|
 彡;:;:;:;:;/~_Z_ ̄`ー、_  `l、       ,.-=-.、.                           ,..ィ"~~~~~:::::ヽ
 7:;:;:;:;:/. `ー-ヲ t‐-、!`ヽi::r   ,:、 ,..ム.゚.,..゚..,.、l                         ,r'"::;;;_;;::::::::::__:::::::\
 ;:;:;:;:;/ /   ,.、 `!~|:::)::/   / :K"/ r:'" ,iii ~\         ,,...-,-、           /,.r''"     ヽ:::::::::::i!
 :;,;-〈 /  Fニニヽ | .|:::l:::ヽ   ラ-{ `"・ ・ ・ 。。 llL_/!      /-v"  `丶、       i"    ,.-。-ュ-.ヽ:::::::::;!
 '   fヽ  ヾ--"  l,/::/r'"  /`ー!: |~r-。、~`-、゚_  lソ     /  l      ` 、      i ,r・')、 |:`''''' " ヽヽ:::::::ヽ
   | ` 、___,..- '"|::::ゝ   /  l ノ i/`"'" ´゚-y' ./メ,      /  (・・)`丶、    '''ヽ     l :~ ヽ! ,..-、  ヾ;:::::::::|
   ヽ   /    レ"`‐.、_./  .レ /:; r-ニ、 K ./ 「    r''  //~~`''ーヾ'ー、   ノ     l   f'" '"~ノ  l |::::::::L
 ヽ        _,.-‐−―`ー"ヽ_l ヾ `ー'",.! | |_/     |  /、,,..-i'''t=ニ;ラ",l|`ゝr'     ヽ   ヽ-‐"  //'"二
  `,.-―'''''''''''<.,_     i"   l  ヽ....,,-" く__/     `ヽy:|`T"~、.,,__  `,i|ヾ |       ヽ、 ,.:-‐-'',/,.r‐''"
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           |     `: 、_         ノ   ヽ    ヽ'、  l!;;;;;;;/  / /:::::::`t''''丶、
疋田農五郎(1527-1605)     丸目長恵(1540-1629)   神後伊豆(?-?)    柳生石舟斎(1527-1606)
147人間七七四年:2009/07/07(火) 01:37:50 ID:FwZnTptV
>>146
おまえらwww
148人間七七四年:2009/07/07(火) 01:52:09 ID:lTBglKz2
一方、駒川太郎左衛門は妙に改変した流儀を立てた
149人間七七四年:2009/07/07(火) 02:41:08 ID:La/MtYx+
>>146
一人だけ変なのが混ざってるぞwww
農五郎wwww
150人間七七四年:2009/07/07(火) 04:03:40 ID:ewpbNJFY
>>149
ごめんなさい、コミックスでは修正しておいてくださいw
151人間七七四年:2009/07/07(火) 05:20:29 ID:FwZnTptV
「疋田豊五郎」だな
152人間七七四年:2009/07/07(火) 08:32:08 ID:JDPqJ3NL
>>135
というか地図は戦略物資ですし、おそらく大名たちも多く自分に関わりある地域以上のことは調べてないでしょうしね。
今の日本人が国名だけで咄嗟に東アジアの位置関係を把握できるのは、

・「おおよそ」正確な地図がありふれたものになったこと
・教育の高度化と高い普及率
・世界が狭くなったこと

の複合的要因でしょうね。
153人間七七四年:2009/07/07(火) 08:35:25 ID:ml7RLdvv
疋田新陰流の奥義はハリケーンミキサー
154人間七七四年:2009/07/07(火) 08:49:51 ID:8lMuz+K4
武田は上洛作戦で三河攻める時に土地勘ある現地の浪人を使って精密に調査してたな
越後へも僧侶の間者を使って謙信と遊んでるふりしながら測量してなかったっけ
155人間七七四年:2009/07/07(火) 08:59:41 ID:FwZnTptV
間者と言えば、森家の三男坊こと蘭丸が、越後をスパイしに変装して侵入したら、
よりにもよって上杉謙信自身に

「あ、森蘭丸だ」

って一発でばれて、なのに捕えるでもなく、なんだか知らんが宴会に招待されて
大歓待されて信長の元に帰った。って変な逸話があるな。
156人間七七四年:2009/07/07(火) 09:14:03 ID:bMp1Acgp
>>133
>>138
でも直茂の肖像って中華っぽくない?
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e5/Nabeshima_Naoshige.jpg
貿易に熱心でないんならちょっと違和感があるような
157人間七七四年:2009/07/07(火) 09:17:58 ID:3XL96sOk
半島を経由せず直接大陸と交易してたとか
158人間七七四年:2009/07/07(火) 09:41:14 ID:FwZnTptV
>>156
その肖像は中華って言うより、ご神像をイメージしているんだと思う。

ちなみに天神様
http://www.ssctnet.or.jp/kanko/event/images/tenmangu.jpg
159人間七七四年:2009/07/07(火) 09:53:13 ID:bMp1Acgp
>>158
そうなのか
日本の肖像にしては左斜めからの構図でなく正面からだし
乗ってる台が干支と4爪の龍を施した八卦みたいなの、色彩から中華の影響とばっかり思ってた
160人間七七四年:2009/07/07(火) 10:02:38 ID:4PtmVVTg
この時期に半島を中継とした交易ってしてたんかな
明とは直接から、琉球を使った偽装とか南方での出会いに移っていったわけじゃない
どちらかというと単独での交易のような気がする

ああ、倭寇の密貿易とかあるか
あれは半島南部とかにけっこう拠点を持ってたんだっけ?
161人間七七四年:2009/07/07(火) 12:10:32 ID:XGvbYHNC
>>155
アコさまはおネエ系の噂もあるくらいだし、何か通じるものがあったのでは?
162人間七七四年:2009/07/07(火) 12:25:19 ID:jOBuPge4
>>155
蘭丸も美形だったらしいから軍神も大喜びだったんだろうな
そして酔っぱらった蘭丸に・・・
163人間七七四年:2009/07/07(火) 12:57:28 ID:giJUwNsK
乱丸が美形と言うのは誰が最初に言い出したんだろうな
鬼武蔵は偉丈夫と伝えられてるし自身も乱丸だし弟も力丸と坊丸だし
名前的に美形じゃないだろ
164人間七七四年:2009/07/07(火) 13:11:35 ID:xCjkg1Fl
まあ必ずしも兄貴や父親似とは限らないだろうけど…
戦出てないし
165人間七七四年:2009/07/07(火) 13:14:41 ID:urjF6OGe
166人間七七四年:2009/07/07(火) 13:23:41 ID:bMp1Acgp
それ幕末をちょっと囓った奴がしたり顔でよく出すけど
それ自体は1900年代(つまり沖田総司が死んでからかなり後)の肖像画だから
しかもスレと関係ないという
167人間七七四年:2009/07/07(火) 13:24:06 ID:oVH3EsS6
>>163
江戸時代が臭い。
面白ければなんでもイイと歴史を改ざんした読み物がベストセラーになった時代。
明治以降これが事実とされたでおかげで、俺たち30代から上はずいぶん間違った歴史を覚えて来た。
168人間七七四年:2009/07/07(火) 13:29:48 ID:SgMqOUDF
>>167
そうそう。
某騎馬軍とか大坂城埋め立てとか
もっと上だとからくり天井だからねぇ
169人間七七四年:2009/07/07(火) 13:33:47 ID:Le3sLJU9
その読み物を歴史としてしまったのはいつの時代か・・・
とか、考えたらきりがないから気にしない方がいいと思う
170人間七七四年:2009/07/07(火) 14:10:36 ID:ipbfefn3
江戸創作歴史の集大成である名将言行録なんかからの引用が多い
このスレでそういうこと言い出すのも野暮というものだな
171人間七七四年:2009/07/07(火) 14:37:28 ID:giJUwNsK
今読んでる佐藤雅美の一心斎不覚の筆禍と言う話がちょうどそういう話だった
江戸時代に入ってから書かれた軍記物に出てくる祖先を誇りにしてる子孫と
多くの書物から類推してその美談が嘘であろうとぼろくそに貶す講釈師の話
172人間七七四年:2009/07/07(火) 16:37:21 ID:b9jpXqYQ
文学には文学の史実がある
と小林秀雄が言っていたな
つくづく至言だと思う
それが真実かどうかは読み手の趣味が問題にするだけだ
173人間七七四年:2009/07/07(火) 17:00:58 ID:745kNyAV
まあ両極端はいかん、という事で。

全否定するのも全肯定もいかんね。
「捏造信じ込むバカプギャーwww」

「あれにこう書いてあったから絶対に真実なんだ!」
も結局は言ってる事はあまり変わらんしね。
174人間七七四年:2009/07/07(火) 17:23:52 ID:vnEgoOmx
というか逸話(お話)スレであって検証の場でもない所で史実とか言われても
「ネタをネタと(ry」としか返しようがないんだが
175人間七七四年:2009/07/07(火) 20:20:57 ID:NEy4Fmmb
戦国を代表する美形と言えばやはり信長公であろう。


http://blog.goo.ne.jp/dongyingwenren/e/347895644efc8db61984b6c4974419ff
大陸浪人のススメ 〜迷宮旅社別館〜
中国語の大規模掲示板の書き込みを2ch風に翻訳。

【なあ、信長と曹操って似てないか…?】
原題「大家覺得織田和曹操有沒有什?相似之處……?」 日本文化板
http://tieba.baidu.com/f?kz=241717482

1 名前:名無しうつけ人民@乱世奸雄 2007-8-5 15:00
この2人ってかなり似てると思うんだけど。

5 名前:名無しうつけ人民@乱世奸雄
信長は史上に名を残すイケメンだぜ。
曹操はどうしようもないけど。

  ※曹操の風采はあまり上がらなかったと伝えられる。

9 名前:名無しうつけ人民@乱世奸雄(=5)
>>8
ところで問題は、上杉謙信姐さんの官位だ。
信長の女装と謙信たんはどっちが美人だったんだろ。

176人間七七四年:2009/07/07(火) 20:24:05 ID:Pq/9/FQ5
大陸人とも話せば分かり合える!特に>>9あたり・・・
177人間七七四年:2009/07/07(火) 20:28:27 ID:JDPqJ3NL
※欄みたら、向こうは謙信女性説は戦国ランス経由が多いらしいな。
どうでも良いことこの上ない情報だが。
178人間七七四年:2009/07/07(火) 21:17:52 ID:n4OVktpy
>>155
 森家の男子からは手心を加えたくなるフェロモンでも出てんだろうか?
179人間七七四年:2009/07/07(火) 21:20:24 ID:c/7WvwuA
ほんの小ネタ。家康晩年の話。

厠を済ませた家康が、庭先の手水場で手を洗っていた。お付きの小姓が
手拭きの紙を渡そうとしたが、手元がくるって紙が地面に落ちてしまった。
小姓があわてて別の紙を用意しようとしたが、家康は何でもなさそうに
落ちた紙を拾い上げ、そのまま手を拭いた。

幼い頃から身についた倹約の精神は変わらないというお話。
180人間七七四年:2009/07/07(火) 21:28:02 ID:FwZnTptV
>>179
家康は軍人らしい合理主義者だよね。この場合も、どうせ手を拭いて汚れる紙なのに、
地面に落ちたくらいで取り替える必要は無い、って発想なんだろうな。
181人間七七四年:2009/07/07(火) 21:42:43 ID:AAyT6uLQ
でもせっかく洗ったのに落とした紙じゃ手が汚れちゃうよね
182人間七七四年:2009/07/07(火) 21:50:21 ID:jpAWxYA8
地面が泥ならともかく、乾いてるんならティッシュもそんなに汚れないじゃん
183人間七七四年:2009/07/07(火) 21:55:22 ID:FwZnTptV
当然、落ちた場所の状況によるでしょうね。流石に泥水の中に落ちたりすれば、家康とて
交換を要求するでしょうしw
184人間七七四年:2009/07/07(火) 22:59:09 ID:/fVE8rKP
家康だったら洗って乾かしてまた使いそうw
185人間七七四年:2009/07/07(火) 23:54:45 ID:fo4BSv8W
それをみて笑った連中に
「わしはこれ(ケチ)で天下をとったんだにゃ」と言ったのも有名な話だね
186人間七七四年:2009/07/08(水) 00:46:17 ID:gHZvf9LI
使用済みティッシュも鎧櫃に(ry
187人間七七四年:2009/07/08(水) 01:01:01 ID:H4X82Q4w
>>186
イカの臭いが漂う鎧櫃か

188人間七七四年:2009/07/08(水) 01:51:03 ID:IV50g32R
便乗して、、、

徳川・松平家一門譜代で、歴女ウケしやすいのに
こっちも思い入れ持てそうな武将って誰が居ると思う?
3人くらいずつ教えて!!
189人間七七四年:2009/07/08(水) 02:07:22 ID:UHhMNP5J
じゃあまとめに上がってない徳川一門の逸話3つ出してくれ
話はそれからだ

スレ違いの流れムリヤリ作んな
190人間七七四年:2009/07/08(水) 02:09:24 ID:AvZAVykk
スレ違いの話三つだしたらスリーアウトだよ、と三斎どのがおっしゃってまする
191人間七七四年:2009/07/08(水) 02:09:27 ID:XmK4lGux
>>188
こっちでやれ

女ヲタが多い戦国武将
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163300681/
192人間七七四年:2009/07/08(水) 02:16:47 ID:IV50g32R
・茶器より直参のが大切
・鳥居勝商
・しかみ像
・脱糞隠さない
・伏見城の戦い
・2代急逝でも頑張った家臣
・織田家で良くしてくれた者へのお礼
まだあるはず。

良い話も無く、思い入れなんて持てなくないか?
193人間七七四年:2009/07/08(水) 02:27:05 ID:UHhMNP5J
ここはみんなでいろんな戦国期の逸話を持ち寄って楽しむスレであって
歴女に徳川一門アピールして人気武将にするためのスレじゃないから
>>191へでも行ってやれと言ってるんだよ
194人間七七四年:2009/07/08(水) 02:39:51 ID:BdsxsMp0
ツンデレ美形な石田三成(笑)や
爽やか好青年な真田幸村(笑)をぬっころし
更に語学堪能な王子様伊達政宗(笑)
妻夫木きゅん直江兼続(笑)を差し置いて
正義の豊臣家(笑)から天下を奪った脱糞タヌキが女に人気出るわけないだろJK
女共の↑みてえな歴史観しかねー腐脳で
まともに徳川評価できるわけねーよ
195人間七七四年:2009/07/08(水) 03:41:42 ID:pcxvSr8s
おまいら根本から認識が間違ってる。

俺は適当に歴女に話を合わせたいが、
自分を偽らずに済む人物を鳥居勝商以外に求めてるだけで
その他の歴女なんかどうでも良いのだ。
196人間七七四年:2009/07/08(水) 05:53:39 ID:GAv8m6J6
お前は根本から認識が間違ってる。
このスレは逸話を持ち寄るスレであって他人に逸話を要求するスレじゃない。
他人が自分に施してくれるのが当たり前と思うな。
197人間七七四年:2009/07/08(水) 07:22:34 ID:IAWD1bnr
小早川隆景
「わしの下知に二つ返事をするものは信用できん
なぜそうするのか、こういうやり方もあるのではないかなど
色々聞くことがあるはずだ」
198人間七七四年:2009/07/08(水) 09:28:25 ID:1ZeJjqZP
>>188
夏目吉次
成瀬隼人

後はお好みでどうぞ。
199人間七七四年:2009/07/08(水) 09:51:47 ID:5zKjr1Ns
>>197
いつの世でもいい部下集めるタイプの人だな
200人間七七四年:2009/07/08(水) 11:37:20 ID:SrX84T/Q
>198スルーしようよ、あれは可哀相なお子なんだ
201人間七七四年:2009/07/08(水) 11:39:54 ID:UV6yiplU
>>197
合戦ってタイミングが重要なのに下知に対して従わない部下だとまずいんじゃない?
例えば桶狭間時に信長が下知してもごちゃごちゃへりくつ並べてなかなか
動かないとあの勝利はなかったかもしれないし。
202人間七七四年:2009/07/08(水) 11:42:39 ID:JQbSZ9bC
>>198
ごめん、マイナー過ぎて聞いた事があるか微妙だw
203人間七七四年:2009/07/08(水) 11:43:03 ID:Zv8Cjv1m
>>201
戦陣にたつと意外に陣頭行っちゃう人なんで異議となえる人が居た方がいいかもしれないよ
204人間七七四年:2009/07/08(水) 11:58:44 ID:XmK4lGux
朝倉宗滴が日ごろ言っていた事には、大将たる者の仁とは、第一に身内の者たちの家が
よくよく成り立つように、不断に心がける事なのだそうだ。

『久しく仕えてくれている者達はもちろん、新参、当参の者であっても、忠義あって死んだ場合は、
その子が幼少であってもこれを取り立て、一人前にしなければならない。

実子が無い場合でも、「親が生きている時に養子をもらいました。」と言う態にして、
その者の家が絶たない様にするべきである。

このようにすれば子の無い者でも安心して働け、また大将の恩恵に深く思い入るようになるのである。』


宗滴の軍は安心して働ける職場であったからこそ、強かったのだ。
そんな、なにやら今にも通じる、「大将の仁」のお話。
205人間七七四年:2009/07/08(水) 12:19:15 ID:1QQ6a3dM
>実子が無い場合でも、「親が生きている時に養子をもらいました。」と言う態にして、
>その者の家が絶たない様にするべきである。
>
>このようにすれば子の無い者でも安心して働け、また大将の恩恵に深く思い入るようになるのである。

大権現様にお聞かせしたいお話ですな
いや大権現様の孫でジジコンで乳母コンでアッーな人に聞かせた方がいいのかw
206人間七七四年:2009/07/08(水) 12:46:37 ID:nJLywcqs
>>201
意見を述べることと不服従は違うぜ
207人間七七四年:2009/07/08(水) 12:49:54 ID:fsu0Wj1V
>>201
そこで簡潔に部下に説明出来る、引っ張っていける奴が果断に動ける奴なんじゃない?

単純に、人によって部下に求めるものが違ったりするだけだとも思う。
色んなタイプの将がいるってことでしょう。
208人間七七四年:2009/07/08(水) 12:53:09 ID:JQbSZ9bC
>>204
それが無い君主なんて、ほとんど居ないんじゃないか?
徳川家は終身雇用の典型だろ。
209人間七七四年:2009/07/08(水) 13:25:57 ID:WT/lS8qk
>>159
鍋島直茂の座像について遅レスだが、4本爪の龍なら半島の影響だな。
なんでも龍の爪というのは 中国=5本 半島=4本 日本3=本 と、伝承の度にわざと1本づつ減らしていったという事らしい。
まあ、ある意味 中華思想 の悪い話。
210人間七七四年:2009/07/08(水) 13:29:28 ID:WT/lS8qk
ちと誤字

中国=5本→半島=4本→日本=3本 

だね。
211人間七七四年:2009/07/08(水) 13:39:00 ID:SrX84T/Q
>>205勢力拡大途上の戦国大名と、
日本全土を把握して今居る家臣大名に割り振らなきゃならないバクーフじゃ対応も変わるのは仕方ないけどもね。

新しい領地が欲しかったら、どっかの太閤みたく唐入りとかムチャクチャせにゃならんし労多く手に入る保証もない
212人間七七四年:2009/07/08(水) 13:41:38 ID:XgU4qkZ4
>>209
なるほど。そう言われて見てみると確かに日本のって爪数少ないな
213人間七七四年:2009/07/08(水) 13:51:31 ID:CHaLpk/9
ってぇかそれを知った上で四本にしたのかも知れん
自分は皇帝(徳川将軍家)の次点の国を治めるものであるとの政治的アピールかも
その辺りの事情を全く知らないとも思えん
214人間七七四年:2009/07/08(水) 18:29:49 ID:1Q/rAYkv
ちょっと前に、毛利隆元が死んで財政が悪くなったとあったけど、実際毛利は国人連合で直轄地が少なく、領土の割には収入が少なかったのかな?
215人間七七四年:2009/07/08(水) 18:40:25 ID:CHaLpk/9
中国、九州、四国は平野が少ないから元々石高自体多くなかったような
216人間七七四年:2009/07/08(水) 19:04:06 ID:778FmVad
おまいらだって良い話して無いだろ!
217人間七七四年:2009/07/08(水) 19:39:25 ID:PD424x/F
一生懸命に森さん家の「いい話」を探してるんだけど、「悪い話」しか無くってね・・・(´・ω・`)
218人間七七四年:2009/07/08(水) 19:44:22 ID:qi56dSfV
なのに嫌いになれない森家
219人間七七四年:2009/07/08(水) 19:52:42 ID:Nb0CjdQ6
>>219
中国四国は貧しいけど九州は南は貧しいけど北はかなり石高高いよ
中国に石高高い国がないのは他地域に比べて国割りが細かすぎることが一因だし
220人間七七四年:2009/07/08(水) 19:54:59 ID:1Q/rAYkv
>>215
肥前、肥後は40万石前後だったような
221人間七七四年:2009/07/08(水) 20:57:32 ID:A+hTmudV
森長可とか松永久秀みたいに、庇いようのないくらいトコトン悪いと、
むしろ清々しいものさえ覚えてファンが付くといういい話。
222人間七七四年:2009/07/08(水) 21:05:11 ID:CHaLpk/9
直家は?
223人間七七四年:2009/07/08(水) 21:28:02 ID:sj0pCqIN
直家はもうなんかかっこいいくらいです
224人間七七四年:2009/07/08(水) 23:13:31 ID:YN4Eib4s
悪い事は悪びれることなく堂々と行う。
うん、素晴らしい!
225人間七七四年:2009/07/08(水) 23:44:50 ID:gHZvf9LI
久秀、幸隆、昌幸、義光、直家、元就、正信あたりは
このスレでは好かれているような気がする

逆に直江山城なんかは嫌われてるね
みんな普通にワルだと思うけど
226人間七七四年:2009/07/08(水) 23:51:07 ID:XmK4lGux
兼続は嫌われていると言うより、世間の「義と愛の武将」という兼続像に反発しているんだと思う。
227人間七七四年:2009/07/09(木) 00:01:24 ID:VpMHU+rP
そりゃ怜悧狡猾な謀将が好きな人だっているのに
あんな描かれ方されちゃたまらんわな
228人間七七四年:2009/07/09(木) 00:02:52 ID:d2Wk1g0v
何故、兜に「愛」と入れただけであそこまで人物像が歪められるのか
229人間七七四年:2009/07/09(木) 00:17:03 ID:wCoJXleK
戦国時代なのに愛なんて掲げるからw
230人間七七四年:2009/07/09(木) 00:22:40 ID:rPZFEjsC
まあ今の人からしたらそうなんだけどねえ

別に崇拝する神の象徴を掲げてるだけだから、
鉤十字掲げてるのと変わらないからな
直江はあんま好かんけど
231人間七七四年:2009/07/09(木) 00:38:47 ID:hyZDXYb3
>230
武装カルト「マル毘団」のステキ幹部だもんね。掲げるは愛染明王か愛宕権現か、愛民護民か民明書房か

有能なんだけど、主家第一すぎて平気で周りに敵を作ってまうところが石田治部や本多サドの守っぽい
232人間七七四年:2009/07/09(木) 00:46:25 ID:wCoJXleK
直江って策略家じゃないだろう。
新発田の乱が起きてしまっているのが証拠。
233人間七七四年:2009/07/09(木) 01:01:06 ID:3VBJLHUZ
久秀は悪人悪人言われるけど、実際に暗殺云々もただの噂だったり信憑性薄かったりするし。
知られてる悪事って大体三好3人衆も共犯だったり。
あんま悪人っぽくないよな。
暗殺の芸術家、直家さんと比べるとどうにも…
234人間七七四年:2009/07/09(木) 01:06:04 ID:YlyoyIlp
>>233
ニコニコの革新プレイ動画見てるといつも黒くて見るに耐えない・・・
もっと内政家として活躍させてほしいなあ。
ここに書いてもしょうがないけどな汗

直家に関しては、もっとやれ
235人間七七四年:2009/07/09(木) 01:06:44 ID:vyrnkcKQ
武田信玄
戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君。
あと少しで信濃統一を果たすところまでいくが上杉に阻まれる
同盟や和睦をやぶるなど謀略を尽くして領土を拡大し、奪った領土からの略奪により家臣や国内をまとめあげた。
しかし、国境を接する弱小豪族をすべて倒したあたりから領土拡大に急ブレーキがかかる。
このような相手国からの略奪によって家臣や国内の領民の不満を封じこむやり方は、領土拡大のペースが落ちると家臣や国内の不満を生むこととなった。
息子である勝頼は家臣や領民の不満を封じるため、無理な拡大路線を強いられることとなった。
また、信玄の度重なる外交に関する不義により武田家の他国への信用性はゼロに等しいこともあった。
その結果、勝頼は、他国との連携作戦もできずにやがて孤立していくこととなる。
結局、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することができなかった。
そして、武田家は一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
織田信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。

       ,、r‐''''''''''''''''ー 、
      ,r'         `' 、
     /             ヽ
.    / ,             ヽ
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|
   l:,;'"`'、,    . ,;ィェ、..   ,rェ;〈
.   ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン  .., .:::'''"゙,
    l;゙、',.::l;;;i  / / / r   ヽ. ///l,    
    l;;;;`‐;;;;;ヽ   . './'ー'''ー‐' ',  l;;;,,    
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ  ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'   
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l  '';;;;;;;;;;;;;;'         ,イ l'''  l `
:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
:.:.:.:|  ゙、゙、       `''''''''"",ノ l l  .|  |
:.:.:.:.|  ヽヽ     `'---‐'" .//  !  |

武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72

毛利元就(適正値)
統率98 武勇72 知略115 政治89

徳川家康(適正値)
統率102 武勇88 知略100 政治115

豊臣秀吉(適正値)
統率105 武勇65 知略110 政治120

織田信長(適正値)
統率120 武勇105 知略105 政治105

北条氏康(適正値)
統率95 武勇82 知略89 政治110

上杉謙信(適正値)
統率92 武勇99 知略68 政治95

信玄が信長よりスタートに恵まれない  → だがのウソ
信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。家督相続をめぐる争いもあり、信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ

信玄は信長とちがって、同格とばかり戦って領土を広げた → だがの妄想
一国にまとまらない信濃の豪族という格下との戦いに勝利して領土を広げただけ。同格の上杉やと北条との戦いでは領土拡大の
スピードは目に見える勢いで低下。上杉の謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や、氏康の病気をねらって
領土を拡大するものの、両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができなかった。
236人間七七四年:2009/07/09(木) 01:10:14 ID:rPZFEjsC
立件→有罪まで持ち込まれる数は直家さんの圧勝だろうねw
237人間七七四年:2009/07/09(木) 01:14:34 ID:xkuFym1w
>235のマルチは何なの?小学生は早く寝なチャイ

  ∧∧ ∩
 ( ´∀`)/ ∧∧ ∩
⊂   ノ  ( ´∀`)/
 (つ ノ  ⊂   ノ  ∧∧ ∩
  (ノ    (つ ノ  ( ´∀`)/
        (ノ   ⊂   ノ
             (つ ノ  ∧∧ ∩
             (ノ  ( ´∀`)/
                _| つ/ヽ-、_
              / └-(____/
               ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

                  <⌒/ヽ___
                /<_/____/
                 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

238人間七七四年:2009/07/09(木) 01:31:45 ID:hNuWYdlu
>>233
史実って大抵そんなもんなんじゃないかな。通り相場になってるイメージより
ずっと複雑で地味。調べると面白いんだけど。

あんまり行きすぎた人物像の単純化とかグルーピングとか「ここはこう言っとけば
いいんだろ」的なネタ化とかは、本来の歴史の楽しみから離れてく気がするねえ。
239人間七七四年:2009/07/09(木) 10:19:21 ID:hyZDXYb3
>236なおいえウッキー君は爽やかすぎるw
240人間七七四年:2009/07/09(木) 13:29:47 ID:ja/XaiVI
直家のイイ話を渇望。
秀吉の出陣から人が変わったように秀吉に尽くすなんて、
必死に毛利軍を防ぐ姿勢がどこからきているのか、
そこらへんになにかイイ話があるように思えるんだけどな・・・
241人間七七四年:2009/07/09(木) 13:34:22 ID:hW0m2Tzm
それは単純にもう後がないからだろ…
242人間七七四年:2009/07/09(木) 13:34:35 ID:gr7OwBzU
暗殺って相手を活躍させないで殺すから直家みたいなのは悪人あつかいされるのかね。
243人間七七四年:2009/07/09(木) 15:00:29 ID:P0rgTpwY
大阪冬の陣、野田・福島の戦いの後のこと
豊臣方は戦線を縮小、大阪城へ籠城し敵を迎え撃つ事を決め
舟場方面を焼き払い煙に紛れて撤退を開始した。
これを見た徳川方備前勢は煙にまぎれて付け入ろうとしたが
花房助兵衛に「豊臣方には後藤又兵衛という戦巧者がおり、このような時は必ず伏兵を敷き、
煙の向こうでは鉄砲を並べて待ち構えているだろう」と止められた。
兵達は老将の言を聞きいれ追撃をあきらめたが、実際に伏兵は居たのかどうかを和睦となったおりに
又兵衛に会い聞く者がいた。

すると又兵衛はあの舟場の戦のおり「備前勢が必ず追撃してくるから若侍達はこれを待ち伏せして功名を上げるとよい」
と言って、言葉を信じた者達と待ち伏せしていたという。
しかし敵は来ず、「又兵衛殿もいい加減な事を言う」と味方に嘲られたが
又兵衛は「まあ観測違いも戦にはありがちなものよ。備前勢が来なかったのは花房助兵衛がまだ生き長らえているからだろう」と返していたと言う。
この話を聞いた人々は二人の老練な将の見識を褒めたという。

花房助兵衛、後藤又兵衛共に主君と関係を悪くし出奔したりとどこか似ている武辺者な二人だけに
互いを意識し戦場では武功を競い合っていたのでしょう。
244人間七七四年:2009/07/09(木) 15:16:49 ID:hyZDXYb3
>>243
丁々発止、槍鉄砲を交わさずとも激しい合戦(の駆け引き)をやってたんだなー
245人間七七四年:2009/07/09(木) 15:38:45 ID:zQJDc4Qe
助兵衛さんかっけえ
太閤立志伝5でもこの人を使った覚えがあるなあ
へうげものであったけど、
秀吉を相手にするときは感心させたら勝ち、笑わせたら勝ちみたいなとこがあるよね
246人間七七四年:2009/07/09(木) 15:43:49 ID:MVbTWNhc
このスケベ野郎!
247人間七七四年:2009/07/09(木) 15:48:53 ID:+RQztvWF
>>246
お前は全国に居る助兵衛さんを敵に回したな
248人間七七四年:2009/07/09(木) 16:49:18 ID:yvu/90E+
まぁすけべえとは読まないですけびょうえなんだけどな花房助兵衛は
249人間七七四年:2009/07/09(木) 16:52:04 ID:VpMHU+rP
山本権兵衛「その通りその通り」
250人間七七四年:2009/07/09(木) 17:35:32 ID:MKNaAywG
ごんのh

いやなんでもない…
251人間七七四年:2009/07/09(木) 17:37:44 ID:+RQztvWF
仙石秀久「俺もか?」
252人間七七四年:2009/07/09(木) 18:27:12 ID:QTIMvhyv
面倒くさい
権さん助さんで良いや
253人間七七四年:2009/07/09(木) 20:50:26 ID:PCE04jw+
それでも結局8000石・・・
254人間七七四年:2009/07/09(木) 23:37:09 ID:1BRlny+f
このスケビョウエ野郎!
255人間七七四年:2009/07/10(金) 00:02:47 ID:Jd0Yxznx
細川忠興さんが三宅亡羊という儒者に話したことである

ある日、忠興は自宅で、師匠の利休と話をしていた
ちょうど忠興は脇差の鞘を新調し、しかもその出来に大満足していたところ
当然、利休にも見せびらかして自慢した
が、利休は冷めた反応
「そうそう、この間、古道具屋に古びた鞘をいくつもくくって売っておりましてな
 そのうちの一つがあまりに見事だったので、つい買ってしまって土蔵に吊るしたままです
 この鞘もなかなかのものですが、あれには及びますまいな」

忠興、いかに師の言とはいえ、ちょっとむっとした
(”越中流”とまで称されるこの鞘より古鞘がいいとか、ありえん!)
だが、そうまで言われれば見てみたいのが人情
忠興は早く見せて欲しいと頼み、利休宅に人を派遣して鞘をとってこさせた

さて、やってきた古鞘を見た瞬間、忠興はコロッと一目ぼれしてしまった
「譲ってください!」
越中流はどこへやら、その古鞘を手本として家に伝えることとした

そこまで亡羊に語った忠興、最後にこう自慢した
「ほら、今差している脇差の鞘も、その通りに作らせたんですよ」

自慢癖は相変わらずの、なんとも無邪気な忠興さんだった
256人間七七四年:2009/07/10(金) 00:24:26 ID:e6GS1F4J
ヤクザのベンツと同じだろう。
257人間七七四年:2009/07/10(金) 00:38:56 ID:IRQpsfEm
日本の甲冑は、同時代の甲冑の中では工芸的にも防御的にも優れた物だそうですな。

さて、ある日、徳川家康は本多忠勝に例の鹿の角のカブトと甲冑を持ってこさせて
皆の前で持ってみた。

家康「軽いな。」

そう、家康は忠勝の甲冑が軽い物だった事に驚いた。
そう、軽い甲冑とはその分、防御のための鉄板が薄くなるので最低の防御した出来なくなる事を
意味していた。そして続けていった。

家康「忠勝は、こんな軽い甲冑で幾多の合戦に臨むも傷は一つもなかった。井伊直政は他人より
   重く頑丈な甲冑なのに、傷が絶えなかった。忠勝は凄いものだ。」

なぜ、軽い甲冑で本多忠勝は傷を負わなかったのか?その答えは簡単だった。
簡単に言うと、戦場で敵の攻撃を「回避する事」を重視していたと言う事である。
つまり、

「当たらなければどうという事はない。」

まとめサイトにも、忠勝は槍の教練は下手くそだったが戦場では強かったとあったが、
こう言う事になったのも、ここにヒントがあったんじゃないでしょうか。
つまり、

槍の上手な敵でも重い甲冑で動きがとれないところを討ち取った。
258人間七七四年:2009/07/10(金) 00:39:13 ID:I1kIlDpw
>>255
忠興「で、中の刀が「歌仙兼定」って言ってですねー…」
259人間七七四年:2009/07/10(金) 00:58:49 ID:TpBxSfJt
忠勝は軽やかな身のこなしで敵を翻弄するタイプ、
直政はとにかく敵に突っ込んでいくタイプだね。

まあ、直政は外様出身だし、家康の寵愛を独占して周りからとやかく言われてたし、
鬼作左からも嫌味(激励?)を言われてたから、とにかく武功を上げるしかなかったんだろうね。
260人間七七四年:2009/07/10(金) 00:59:10 ID:oEQzV/vF
>>255
なんというか忠興は
インテリでプライド高い癖に変な所で子どもみたいに素直だから全然憎めないんだよなあ
261人間七七四年:2009/07/10(金) 01:00:06 ID:oga3zmRi
一方、戦国の誇るヘタレスナイパー稲富は鎧を2枚重ねにして出陣した。
262人間七七四年:2009/07/10(金) 01:02:44 ID:1v44Yq7i
それはそれで逃亡できないから度胸があるな
263人間七七四年:2009/07/10(金) 01:21:50 ID:Zg+5TA7A
>>258
え?マジで?ww

>>260
確か誰かさんに子供みたいに純粋だって言われてたねw
264人間七七四年:2009/07/10(金) 01:41:13 ID:I1kIlDpw
>>263
ネタですwサーセン

実の息子さんの思い出フィルターのかかったコメントですから…
265人間七七四年:2009/07/10(金) 07:32:03 ID:UdqMbzTG
三才の性格が自分のと被る部分が多くて何だかムカつく
266人間七七四年:2009/07/10(金) 09:31:20 ID:8NQ+OMnH
【流通】大阪の「スーパー玉出」 目がくらむ?激安と派手なネオンの訳は[09/07/09]
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1247118793/1
267人間七七四年:2009/07/10(金) 11:07:32 ID:YA+4IkSY
>257
平八さんは、たぶんあの巨大な数珠が「ゴゴゴ……!!」て周囲を旋回しながら防御力を上げていたンだよ。

ファンネル!?
268人間七七四年:2009/07/10(金) 11:19:33 ID:Rq6iTUrf
>>267
形状的に水の魔装機神のファミリアだと思う
269人間七七四年:2009/07/10(金) 11:38:36 ID:X8QfErDh
>>259
家康の贔屓が、直政を早死にさせたような
270人間七七四年:2009/07/10(金) 12:13:13 ID:A0l9ASCo
火器が発達するにつれて、鎧をやたら厚くすることに意味が無くなり、
急所を一点防御したり、避弾経始を考慮した鎧が出現して、防具の軽量化が進んだっていうのがこの時代の西洋の流れだったから
忠勝の鎧は先進的なものだったのかもしれん。
271人間七七四年:2009/07/10(金) 12:20:03 ID:0+OvobYE
当時の火縄銃じゃ遠距離で鎧を貫くのは無理だから関係無いと思うぞ
まぁ直政は鉄砲の傷が元で死んだとされてるけど
272人間七七四年:2009/07/10(金) 12:31:51 ID:FTL6Oo3P
>>257
> まとめサイトにも、忠勝は槍の教練は下手くそだったが戦場では強かったとあったが

でも息子の忠政に「櫂で葦を薙いでみろ」と言って、忠政が葦を薙ぎ倒すと
同じ櫂で忠勝は鎌で切ったように切り裂いた、という逸話もある
ずっと下手くそだった訳じゃないんじゃないかな
273人間七七四年:2009/07/10(金) 12:35:23 ID:i1mbe5Ig
我流の人で教わるのも教えるのも…って可能性もあるかも
274人間七七四年:2009/07/10(金) 13:00:49 ID:u4SCl+aK
歴女って良い話系にも萌えてるのか?
275人間七七四年:2009/07/10(金) 13:19:01 ID:8Qk5g0zG
長島さんか
276人間七七四年:2009/07/10(金) 13:35:15 ID:/4XWRnqr
伝説の武人としての箔付けじゃないの
277人間七七四年:2009/07/10(金) 13:36:55 ID:TXLhocDK
   /i     iヽ
  ((/l ̄l\))
   ソ_∠ニ二ス
  ∠シ ,, ・ェ・ )ゝ   ひこにゃん一服中
    i つ旦とノ
    と__)_)
278人間七七四年:2009/07/10(金) 13:43:38 ID:l+YUtFyb
鬼美濃や忠勝みたいに戦場で生涯無傷みたいなのもいいけど
氏康みたいに傷だらけでも体の正面にしかないって逸話の方が好きだな。
279人間七七四年:2009/07/10(金) 14:25:48 ID:u4SCl+aK
大将が傷だらけとか、大丈夫なのか?
280人間七七四年:2009/07/10(金) 15:39:20 ID:PVQEFFqM
直政は太ももだか股関節だかだから、鎧の隙間っぽくはある
幕末の本見てたら、戦国期の甲冑つけてたら被弾貫通時に装甲が傷口にまきこまれて余計に悲惨になるとかで
みんなどんどんぬぐようになったとか、長州征伐で赤備が鎧放り出して逃げたとか・・・
281人間七七四年:2009/07/10(金) 16:55:51 ID:2Wl2Pbqr
((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
282人間七七四年:2009/07/10(金) 20:56:21 ID:95elWOjJ
平八郎は趣味も趣味だし、手先とかものすごく器用だったんじゃないかな。
283人間七七四年:2009/07/10(金) 21:14:37 ID:MQbpvjpu
趣味ってなんだっけ?手編み?
284人間七七四年:2009/07/10(金) 21:19:12 ID:cZadT5fD
なにその萌え要素
285人間七七四年:2009/07/10(金) 21:22:34 ID:/66mHCR2
殿それがしの手編み帷子を受け取ってくだされ!
286人間七七四年:2009/07/10(金) 21:45:52 ID:TpBxSfJt
お受け取りくださらなければ、殿と一戦つかまつる。
287人間七七四年:2009/07/10(金) 22:22:05 ID:h09RmkXv
本多忠勝と言えばこんな話も


本多忠勝がその家臣達に、このように訓戒したことがあった。

「世間では外見や趣味がおかしくても、志が正しく勇猛であれば、それを良い武士だと言う。
それも間違いではないが、しかし、我が本多家では違う。
我が本多家の者は、志ではなく、見た目の形から武士の正道に入るべきだ。

何故かと言えば、姿かたちや趣味を見れば、その人間の心根もおのずと見えてくる。
それは心が好むものが、自然と外に現われるためだ。

外見から中に入っていくことで、烏帽子や狩衣を着ているときと、兜具足を付けている時とでは
心根の違う事がわかってくる。

そして髪の結い方、衣服の着方、刀脇差の差し方までしっかりと身に付け、諸事重々しく振舞うよう
自らを律すれば、一体に印がなくても、あれは本多家の者だとわかるようにまでなるだろう。

そのように世間から見られると、自然と自身の心根も律され、本多家家中としての志を
持つようになるのだ。」

そんな本多忠勝の、『先ず形から入れ』というお話。
288人間七七四年:2009/07/10(金) 22:24:38 ID:TpBxSfJt
>>280
長州征伐で井伊隊が鎧を脱ぎ捨てたのは、ピカピカに磨き上げた朱色の鎧が
夜でも目立って、新式鉄砲の格好の的になったからと記憶してます。
289人間七七四年:2009/07/10(金) 22:25:29 ID:cZadT5fD
>>287
よし! 俺もしまむらから脱していい服買おう。そうすれば・・・
290人間七七四年:2009/07/10(金) 22:28:12 ID:32HK+6+B
>>287
気持ちからじゃなくて形からか
なんか日本人らしい発想だな
291人間七七四年:2009/07/10(金) 22:32:06 ID:TXLhocDK
   (~)
 γ´⌒`ヽ  
  {i:i:i:i:i:i:i:i:}   しまむら嫌いになっちゃやだよ
 ( ´;ω;) 
  (:::つ旦O ,.-、
  ( ⌒つ´) (,,■)

292人間七七四年:2009/07/10(金) 23:02:43 ID:3ShJtc4e
>>283
忠勝の趣味は彫刻らしい
293人間七七四年:2009/07/10(金) 23:04:39 ID:oEQzV/vF
>>289
ほかはしまむらでもいいから
スーツ一着、普段着一着いいの買っとくと
あとあと便利だし、何より初見の人の対応がマジ違うぜ
俺昔安いスーツで就活したら落ちまくりだったけど
姉貴が買ってくれたちょっといいスーツ着て行ったら
気分的にも何か無駄な自信持てたし
一発で受かった
294人間七七四年:2009/07/10(金) 23:19:35 ID:hHhseL9G
>>292
木彫りの像を彫るほうの彫刻が趣味と聞いた事があるのだが、本当?
もし本当だったら今で言うところの・・・・・・・

フィギュアヲタ?
295人間七七四年:2009/07/10(金) 23:48:13 ID:xUeDvXRo
>>287
人は見た目が9割ですね分かります
296人間七七四年:2009/07/10(金) 23:49:39 ID:2kPbKGYT
>>294
なんで今で言うんだよw仏師とかミケランジェロとか言いようがあるだろw
297人間七七四年:2009/07/10(金) 23:52:20 ID:/66mHCR2
せいぜい日曜陶芸家とか日曜大工程度の趣味なんじゃねぇの
298人間七七四年:2009/07/11(土) 00:31:00 ID:NfB59gF9
>>289-290
「槍中村」半兵衛の話もあるし、見た目も大事かもよ、かもよ?
299人間七七四年:2009/07/11(土) 00:32:50 ID:NfB59gF9
>>273
我が槍術は我流。我流は無形、無形ゆえ誰にも読めぬ!! ということか
300人間七七四年:2009/07/11(土) 00:40:34 ID:hSdosJIY
そういえば家康の服装がだらしないと起こられたって話あったな
301人間七七四年:2009/07/11(土) 00:45:46 ID:6jp8UUnJ
まあ、だらしない服装とか、見た目が小汚いとかは明らかにその人の内面をしめしてるもんな。
形から入るっていうのは確かに一理ある。
302人間七七四年:2009/07/11(土) 01:20:26 ID:ujjAUzaE
形から入ったゴルフがちっとも上達しないんだが…
303人間七七四年:2009/07/11(土) 01:34:21 ID:CrhyLpe2
殿が形だけで満足してしまわれるからじゃ…
304人間七七四年:2009/07/11(土) 03:14:30 ID:hSdosJIY
>>302接待ゴルフですか?
305人間七七四年:2009/07/11(土) 06:37:33 ID:Au3cui5g
>>288
ああ、赤備えはそうだったかもしれない
ちょっと混じったかな
あと、傷口に鎧が食い込むってのも鎖帷子がメインだった気はする
少しうろで書いたからな
306人間七七四年:2009/07/11(土) 07:34:09 ID:wkwr2CcG
木のうろで書いた人がいると聞いて飛んできました
307人間七七四年:2009/07/11(土) 07:47:01 ID:Au3cui5g
>>306
おまえなんか鬼武蔵に踏み潰されちゃえ、ばーやばーや(つωT)
308人間七七四年:2009/07/11(土) 08:30:38 ID:p8J4Lryy
踏み潰すのは百段だろ
309人間七七四年:2009/07/11(土) 08:52:43 ID:N9/pMABS
百段が踏み潰し鬼武蔵が人間武骨で首を…
310人間七七四年:2009/07/11(土) 09:26:07 ID:juX8/Tzc
井伊の彦根藩は幕末には最弱の部類になってたらしい
司馬の小説がソースだから話半分のつもりでいるが
311人間七七四年:2009/07/11(土) 09:46:03 ID:N9/pMABS
↑人間無骨だったスマン
312人間七七四年:2009/07/11(土) 09:49:54 ID:xuTwlUaD

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 ゚     。  :     ..:| |l彦|
:         。    ..:| |l根|   
      ゜  :  ..:| |l屋|
    ゜     : ..:| |l_|
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    ゚   :     ..:|;:;:.... |.    iヽ   このスレはひこにゃんに監視されています
      ゜  :  ..:|;:;:.... |/| ̄|\))
  。           ゚ ..:|;:;:.... |ニ二二ス
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  :      :   ..:|;:;:.... |-u'
      ,,.,、-‐''"´ ̄ `ー-‐'
313人間七七四年:2009/07/11(土) 10:33:11 ID:Bch6f4Of
  ∧∧                     
_,,.(,,゚Дf二0____,,                                   >>312
,,,.(,つ;,=0,―' ̄ ̄ ̄   
314人間七七四年:2009/07/11(土) 10:37:46 ID:tyYO1oeQ
ここはいい話スレでございますぞ島津殿
315人間七七四年:2009/07/11(土) 12:47:39 ID:cEa3AwU9
それでも島津家と幕府の仲介に奔走してくれたんだから
直政さんは良い人。
316人間七七四年:2009/07/11(土) 15:07:08 ID:ZNGWDhtw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-521.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-511.html
この二つとは少し違う津軽、南部両氏の臣従話を。

南部氏との戦いにおいて優位に立ち、独立という目的が達成される目処が立った時
大浦為信が次に考えたのは独立が中央の権威によって公認されることだった。

その為に関白近衛前久と繋がりのあった深浦勘助という人物を登用し、近衛家に取り入った。
同時に中央の状況に目を配り、どうやらそれが羽柴秀吉の掌中に収められると見てとると
自ら上洛し秀吉に謁しようとした。

第一回は天正13年8月
海路鰺ヶ沢より出帆したが暴風に巻き込まれ、松前沖まで流された後なんとか三厩に帰り着く。
第二回は天正14年
前年の反省から陸路最上領を抜けようとするも失敗
第三回は天正15年
兵二千を率いて南部領突破を試みるも失敗
第四回は天正16年
秋田領から西上しようとしたが失敗
天正17年には自身の上洛はともかくとにかく秀吉と通じることが肝心と
家臣八木橋備中里員を派出し鷹や名馬を献上、結果見事津軽3郡合浦一円の支配を認められ
為信は大浦姓を改めて津軽姓を名乗った。

さらに翌天正18年
秀吉の小田原征伐に伴う小田原参陣命令に応じてわずか家臣18名を連れて津軽を出発
小田原への途上にあった秀吉に沼津で謁し、無事津軽領の所領安堵状を手に入れた。

そしてその後帰国途上のこと
なんと道中で同じく秀吉に謁するべく小田原へ向かう南部信直のその兵1000と出会ってしまったのである。

信直も中央の情勢に無関心だったわけではない。
京のの鷹買商田中西六を通じて中央の情報を得ており
天正14年には前田利家を通じて秀吉に馬その他を送り、翌15年には利家の許に北信愛を派遣している。
今回の小田原参陣命令を受けると
「これこそ為信の叛逆を訴え、津軽を取り戻す好機」と兵1000を率いて小田原に向かったのだ。

しかしわずか18名の家臣と兵1000では身軽さが違う。
信直が小田原についた時には為信が所領安堵状を得てから三日が過ぎていた。
信直は為信は叛逆人であり、津軽3郡の正当な領主は自分であると訴えたが
一度天下人が出した判決を覆すことはできない。
涙をのんで7郡安堵で満足するほかなかった。

そしてその帰り道でにっくき為信と出会った南部信直
信直の部下は「今こそあの叛逆を」と襲いかからんとしたが
この時為信がぱっと広げて見せたのは近衛家の金紋と秀吉の所領安堵状
為信は関白近衛前久の猶子となっていたのである。

信直は手を出すことができず、口惜しげに路を開いて為信一行を通したという。

317人間七七四年:2009/07/11(土) 16:09:42 ID:/XeTczRW
悪い話じゃねーかw
318316:2009/07/11(土) 16:56:53 ID:ZNGWDhtw
ごめんちょっと訂正

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-521.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-511.html
この二つとは少し違う津軽、南部両氏の臣従話を。

南部氏との戦いにおいて優位に立ち、独立という目的が達成される目処が立った時
大浦為信が次に考えたのは独立が中央の権威によって公認されることだった。

その為に関白近衛前久と繋がりのあった深浦勘助という人物を登用し、近衛家に取り入った。
同時に中央の状況に目を配り、どうやらそれが羽柴秀吉の掌中に収められると見てとると
自ら上洛し秀吉に謁しようとした。

第一回は天正13年8月
海路鰺ヶ沢より出帆したが暴風に巻き込まれ、松前沖まで流された後なんとか三厩に帰り着く。
第二回は天正14年
前年の反省から陸路最上領を抜けようとするも失敗
第三回は天正15年
兵二千を率いて南部領突破を試みるも失敗
第四回は天正16年
秋田領から西上しようとしたが失敗
天正17年には自身の上洛はともかくとにかく秀吉と通じることが肝心と
家臣八木橋備中里員を派出し鷹や名馬を献上、結果見事津軽3郡合浦一円の支配を認められ
為信は大浦姓を改めて津軽姓を名乗った。

さらに翌天正18年
秀吉の小田原征伐に伴う小田原参陣命令に応じてわずか家臣18名を連れて津軽を出発
小田原への途上にあった秀吉に沼津で謁し、無事津軽領の所領安堵状を手に入れた。

そしてその後帰国途上のこと
なんと道中で同じく秀吉に謁するべく小田原へ向かう南部信直とその兵1000と出会ってしまったのである。

信直も中央の情勢に無関心だったわけではない。
京の鷹買商田中西六を通じて中央の情報を得ており
天正14年には前田利家を通じて秀吉に馬その他を送り、翌15年には利家の許に北信愛を派遣している。
今回の小田原参陣命令を受けると
「これこそ為信の叛逆を訴え、津軽を取り戻す好機」と兵1000を率いて小田原に向かったのだ。

信直の部下は「今こそあの叛逆人を」と襲いかからんとしたが
この時為信がぱっと広げて見せたのは近衛家の金紋と秀吉の所領安堵状
為信は関白近衛前久の猶子となっていたのである。

信直は手を出すことができず、口惜しげに路を開いて為信一行を通したという。

わずか18名の家臣と兵1000では身軽さが違う。
信直が小田原についた時には為信が所領安堵状を得てから三日が過ぎていた。
信直は「為信は叛逆人であり、津軽3郡の正当な領主は自分である」と秀吉に訴えたが
一度天下人が出した判決を覆すことはできない。
涙をのんで7郡安堵で満足するほかなかった。
319人間七七四年:2009/07/11(土) 18:40:16 ID:alU50aCd
とりあえず誰か5行まででまとめてくれ。
320人間七七四年:2009/07/11(土) 18:45:07 ID:hCwj+3sN
きたないなさすが為信汚い
321人間七七四年:2009/07/11(土) 18:55:05 ID:RnKoLyps
>>319




322人間七七四年:2009/07/11(土) 18:57:25 ID:zvgq52rT
>>320
信直乙
323人間七七四年:2009/07/11(土) 19:02:15 ID:hCwj+3sN
>>322
為信乙
324人間七七四年:2009/07/11(土) 19:03:57 ID:6s0aATUR
為信「信直、えらい大軍を率いてきたもんだな。この朱印状一つに相変わらずごたいそうな男だ」
信直「!!」
為信「備中、西六!ここは逃げよう!信直くんはやはり数で勝負に出るようだ」
325人間七七四年:2009/07/11(土) 19:20:01 ID:TnXIhpzf
乱世の奸雄乙
326人間七七四年:2009/07/11(土) 20:09:22 ID:56dvFQuY
鯵ヶ沢は魚が安くて旨かったな
東京では考えられない量が乗ったうに丼とか
327人間七七四年:2009/07/11(土) 20:32:55 ID:RnKoLyps
         ∧_∧  うに丼ドゾー
         (`・ω・´)   シュッ
         (つ  と彡 /
          | |/  /
          (/   /
         /    /
        /      /
      / ///   / ツツー
       **
       ***
      ****
      | ̄ ̄ ̄|
      \__/
  ...    └-┘
328人間七七四年:2009/07/11(土) 20:43:31 ID:alU50aCd
その代わり東京では考えられないくらい
生活効率が悪いと思うぞw
329人間七七四年:2009/07/11(土) 20:49:32 ID:6s0aATUR
関ヶ原合戦後、細川家から一人の男が追放される
他ならぬ細川忠興の長男、忠隆である
忠隆は、前田家から嫁した妻との離縁を忠興に命じられ、断固拒否
ついに、二十一歳にして廃嫡、勘当されてしまった

忠興と忠隆は後に和解したが、忠隆は家に戻らず、在京を続けた
隠遁生活の忠隆が好んだのは、父と同じく茶である
ある日、忠隆のもとを、年下の庸軒という茶人が訪ねた
もてなしを受けていた庸軒は、おやと気づいた
普通、囲炉裏の中の灰は、灰型といって独特の高低をつける
しかし、忠隆は灰を平らにならしていたのだ

「こういう仕儀も茶にはあるのですね」
若い庸軒は感心して尋ねた
それに対して、忠隆はこう答えたという

「ええ、それは利休流なのですよ
 利休はたびたび、このようにして面白く茶を点てたそうです
 それを、父上は好まれておりましてな
 それで私も、こうして見習っているというわけです」
330人間七七四年:2009/07/11(土) 20:53:46 ID:RnKoLyps
オチは?
331人間七七四年:2009/07/11(土) 20:54:25 ID:bGkP83tK
>>329
茶道とかよく分からん
解説頼む
332人間七七四年:2009/07/11(土) 20:55:07 ID:M3WMD8u+
認めるところは認めてたんだって話かね
333人間七七四年:2009/07/11(土) 20:59:53 ID:hWCSTz2x
廃嫡された身であっても、父のことをちゃんと尊敬していたって事やね。
334人間七七四年:2009/07/11(土) 21:00:28 ID:tyYO1oeQ
反目し続けているようでもちゃんと親父を見習い慕ってたって事だろ
335人間七七四年:2009/07/11(土) 21:08:10 ID:L7hUy8bs
嫁のことで喧嘩になっただけでしょ?

ひょっとして家にいるころから険悪だったの?
336人間七七四年:2009/07/11(土) 21:13:24 ID:cwdfmjvy
坊主憎けりゃ仏閣壊して仏像焼いて家臣の妻を奪うお

にならない精神の持ち主でした!と
337人間七七四年:2009/07/11(土) 21:22:46 ID:tyYO1oeQ
>嫁のことで喧嘩になっただけでしょ?
その嫁の事だけで忠隆はどれだけのモノを失ったことか
ガラシャに付きそわなかったから離縁って無茶過ぎだろ
おまけに勘当、廃嫡、藩主の座も消えた
おかげで爺ちゃんに養って貰う事に…
三歳さんはガラシャ絡みの時は本当に容赦ないわ
338人間七七四年:2009/07/11(土) 21:33:08 ID:wXmPw9QT
稲葉貞通と井伊直政 川遊びの縁

秀吉が生きていた頃、伏見/大阪間では大名の往来が多くなった。

ある日稲葉貞通は加藤清正、福島正則らと淀川で川遊びをしていた。
この船には井伊直政も同乗していたが、独り淋しくしていた。
これに気付いた貞通は直政を招きよせると、清正や正則らに
直政が徳川家の重臣であることを紹介した。
直政はこれに感激し、それから両名は親交を結んだという。
339人間七七四年:2009/07/11(土) 21:39:58 ID:lzcmh+XE
直政最初ぼっちかよ・・・



″   ″  ″ ″ ノ  ″  ″ノ   ノ       ヽ____ノ
  ″ ″   ノ ″   ″  ″   ノ         /    ヽ
 ″ ″ ″  ノ  ″ノ ノ   ノ           ∠___,-‐‐-、_\
″,,  ノ    ″  ノ   ノ     ;;"ヾ         |∩/\∩|
;ii ;iiメソ  ″ ノ     。  ゚     ;;"ヾ ;";ヾ     ∠フ___\_ゝ  ;ヾ;;;;ヾ
|| l l:i |  ゚    。             ヾ;;ヽ;;;;ゝヾ''  /\∩∩∩/\ヾ ゞゞ
|| l l:i | 。         ゚     。 ゝヾ;;ヽ;;;;ゝヾ;.  T皿__皿__皿__皿ゞ::ゝヽ;;ゞ
|| l l:/i     iヽ                 ;;ゝヾ;ゞ:::ノ       ゞ;;;;ゞ;;;;ゞゞ
|| l ((/l ̄l\))    。    ゚     ;"ヾ ;ヾ ;ヾ;;;;..,   、、,.:;;;;ゝヾ;;;;;;;ヽ:.
|| l l:ソ_∠ニ二ス                        
|| l∠シ ,,・ ェ・ )ゝ       
|| l l:i | つ旦とノ        
^^^^ と__)_) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
340人間七七四年:2009/07/11(土) 22:06:25 ID:RnKoLyps
清正も正則も、本当はもっと早く友達になりたかったんだろうね
岡崎に人質として送られた大政所を厚遇した人、として、秀吉からも話を聞かされていたようだし

でも「むっつり直政」だからなあ
声をかけるタイミングを逸していたところ、貞通が気を利かせたというところかな
341人間七七四年:2009/07/11(土) 22:29:41 ID:CrhyLpe2
まあ所詮猫だから
342人間七七四年:2009/07/11(土) 22:40:41 ID:xuTwlUaD


          人       /       /    |        /
        / /\---、,,__/       /     |      /
      / /    `、_   `ヽ、_    /      |_,,,,,,-'''´
    ///     _,,,,,`ヽ、   `ヽ-、         |
  /  /      \●\  `''‐-、_   `ヽ、      |
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     ヽ      /(O n l     ̄ ̄    .|  |
    /\    、―‐、//~ ' ヽ         |-┤
   /   |\_   \ ヽ-`^ヽ、     ヽ   |ヽ.|
  /   /  .、\__  `ー―― `    ヽ   / | |
  /   /    ヽ>  ̄ヽ、           ノ  |.|


343人間七七四年:2009/07/11(土) 22:44:26 ID:/XeTczRW
>>342
いいかげんウザイ
ここはAAスレじゃないから
344人間七七四年:2009/07/12(日) 00:29:30 ID:TRAUC4+L
>>337
ガラシャと一緒の忠隆の嫁が大坂にいたので、ガラシャが逃げなさいと命じたために、
逃げたのだが、「逃げた」事実のみで離縁を命じた事に反抗して廃嫡されたという説。
稲富「本番に弱いスナイパー」祐直と違い命令によって逃げたのに忠興はそんなの関係ないと言う事だな。

ところがこれにはもう一つ説があって、
忠隆の嫁=前田利家の娘=宇喜多秀家の嫁、豪姫の姉妹+只でさえ幕府ににらまれる加賀100万石
ということで、細川家の安泰という政治的理由による離縁命令という説がある。

この後前田家と細川家は100年くらい断絶していたとか。
345人間七七四年:2009/07/12(日) 00:31:19 ID:uiZ8OSZA
>>344
逆賊の妻と別れなかった三歳がそれを言っても説得力が…
346人間七七四年:2009/07/12(日) 00:47:43 ID:pCKNmBLv
>>329
> 関ヶ原合戦後、細川家から一人の男が追放される
> 他ならぬ細川忠興の長男、忠隆である
> 忠隆は、前田家から嫁した妻との離縁を忠興に命じられ、断固拒否
> ついに、二十一歳にして廃嫡、勘当されてしまった

> 忠興と忠隆は後に和解したが、忠隆は家に戻らず、在京を続けた
> 隠遁生活の忠隆が好んだのは、父と同じく茶である
> ある日、忠隆のもとを、年下の庸軒という茶人が訪ねた
> もてなしを受けていた庸軒は、おやと気づいた
> 普通、囲炉裏の中の灰は、灰型といって独特の高低をつける
> しかし、忠隆は灰を平らにならしていたのだ

> 「こういう仕儀も茶にはあるのですね」
> 若い庸軒は感心して尋ねた
> それに対して、忠隆はこう答えたという

> 「ええ、それは利休流なのですよ
>  利休はたびたび、このようにして面白く茶を点てたそうです
>  それを、父上は好まれておりましてな
>  それで私も、こうして見習っているというわけです」

道徳の授業みたいだな
この時の忠隆君の心情をクラスのみんなで考えてみましょう
347人間七七四年:2009/07/12(日) 01:21:57 ID:Mbv9Zbee
幽斎は古典、三斎は茶、忠隆は能だっけ
三人ともそれぞれの道で有数の人間になってるね
348人間七七四年:2009/07/12(日) 01:24:45 ID:gvR6XKyF
親子として仲悪くても、茶人としては尊敬してたってだけでは?
349人間七七四年:2009/07/12(日) 01:31:14 ID:ODkyzgGF
>茶人としては尊敬してた
変人としては尊敬してたと読んでしまった。
350人間七七四年:2009/07/12(日) 01:40:08 ID:dN1tUPsd
ちょwwww
まあその気持ちは分からんでもないw
351人間七七四年:2009/07/12(日) 02:18:21 ID:6shBNCo3
>>344
加賀前田家の財政破綻の元凶・綱紀(綱利)の改名理由は細川綱利とかぶるからだったらしい
しかもどっちも松平姓をもらっていて、両方とも松平綱利になるw

どっちも基本的に徳川将軍家から一字拝領する家柄だから仕方がないのではあるが

>>349
誰がウマいことry
352人間七七四年:2009/07/12(日) 03:01:47 ID:mwYDFeQN
金森さんちの長男も廃嫡されちゃったけど、それとは事情が違うわけね・・・。
353人間七七四年:2009/07/12(日) 10:03:42 ID:f+AkyfdI
>>351
細川は上杉と一緒で「一字ばかり拝領の家」だったと思うが松平貰ってたの?
354人間七七四年:2009/07/12(日) 10:33:36 ID:JOtxm8EU
>>353
貰ってない
355人間七七四年:2009/07/12(日) 10:57:23 ID:mnvie6A7
忠興は晩年忠隆に「阿弥陀」って茶釜あげてるよな
そんでその時「(お前の手に渡るなんて)阿弥陀が地獄にいくようなもんだ」
とか言ってるw
仲は悪い……のか?
よくわからん
356人間七七四年:2009/07/12(日) 10:59:24 ID:mnvie6A7
あ、今見たら悪い話で出てた
あっち見てなかったよごめん(´・ω・`)
357人間七七四年:2009/07/12(日) 11:03:06 ID:1ncb5WAo
>>356
ドンマイ。気にするな。
358人間七七四年:2009/07/12(日) 11:25:05 ID:2TGriOkZ
>>355
仲は悪かったでしょうな

同じ嫡男勘当でも>>352の金森宗和はのちに切腹命じられた古田織部と近過ぎたとか
大阪の陣参戦を拒否したとか誰が見ても明白な理由あってのこと
それでも勘当後も実家から仕送りがあったらしく野々村仁清のパトロンになったりしてるし
彼の宗和流茶道が高山に根付いてるのは勘当後も交流が深かったからでしょう

対する忠隆は私怨が主な理由(?)で勘当後も幽斎や忠利がとりなしても三歳様は
許さなかった上に忠隆に何にも援助してやらなかった
見かねた幽斎が自分の隠居料の一部を相続させてやっと生活が安定する始末
和解後も三歳様が忠隆を「一度肥後に来いよー」と誘ってもとうとう京から出なかったり…
359351:2009/07/12(日) 12:59:12 ID:6shBNCo3
>>353
記憶違いだったか
あちゃー、やっちまったわ
3601/2:2009/07/12(日) 18:52:08 ID:VtKQ8qup
尼子経久の三男・塩谷興久がある日、経久に申し出た。
「家督を嫡孫の晴久に、新宮党を次兄の国久殿に賜わるなら、私にも意宇郡を下され。」
経久は、即座に却下した。
「バカな…意宇郡は本城・月山富田城のすぐ北部ではないか!他家へ養子に出た者が
領地にすべき土地ではないわ、下がれ!」

興久はこれを恨み、家老の亀井重綱に怒りをぶちまけた。
「これは、筆頭家老で晴久付きの亀井安綱の入れ知恵だろう。よかろう、ならば富田城を
襲って父を幽閉し、晴久を殺し、憎き安綱めを鋸挽きにしてくれようぞ!」

主君が謀反を企て、己自身の兄に憎しみを向けるのに驚いた重綱は、興久を諌めた。
「父が悪くとも子が孝行を尽くせば、父も顧みて元の絆を取り戻せるでしょう。
それでも殿が我が兄・安綱を憎むとあらば、拙者一人富田城に乗り込み、兄と刺し違えて
参りましょう。とにかく、謀反はお止めくだされ。」

しかし興久の怒りと野心は収まらず、享禄3年(1530)、ついに兵を挙げるに至った。
蜂起の前日、重綱は密かに月山冨田城に経久を訪ね、全てを打ち明けた。
経久は興久に対し激怒したが、重綱には事が済むまで富田城に留まるよう言い渡した。

これを聞いた重綱は答えた。
3612/2:2009/07/12(日) 18:52:49 ID:VtKQ8qup
昔、経久様は拙者を興久様の付家老とする際、『興久を守り立て、末代まで中国地方に
名将たる名を残さしめよ』と言い、幼子をお預け下さいました。
よって拙者、興久様に武芸武略の全てをお教え致したる所、早くから人に勝り、この間まで
伯耆・出雲に肩を並べる者もあるまじ、これ我が手柄なり、と自負しておりました。

しかし今、このような悪事を企てるに及んだのは、実に我が補佐の届かざる罪。
自害して詫びるべきを、かつての恩の忘れ難さに、ついここまで来て余計なことまで
語ってしまいました。
さて、拙者はもはや興久様と君臣の契りを交わした身、経久様の仰せに従い、ここに
留まるわけには参りませぬ。これにてお暇いたす!」

重綱は言うが早いかサッと座を立ち、門のすぐ外につないでおいた馬に飛び乗り、
「止められる者あらば、止めてみよ!!」
と叫んで城を駆け抜け、城下に火を放って風のように去った。
経久の家臣が追撃しようとしたが、経久が「追うな!仔細あっての事だ、捨て置けい!」
と堅く止めるので、誰一人これを追う者はいなかった。

興久の乱は大乱となり、4年後にようやく終結した。亀井重綱はその間に尼子国久に
討たれた。重綱の死を聞いた経久は、
「重綱のごとき進退に勇あり、心に堪忍深き侍は稀だった。
彼が我ら親子の間に臣たらんとしてくれた行動の数々、思い知るべきである。」
と言って嘆いたという。

経久の長男・政久の戦死に始まり上月城に終わる、戦国のマクベス一族の悲劇に隠れた
wikiにその名すら無い忠臣のお話。
362人間七七四年:2009/07/12(日) 19:26:34 ID:1ncb5WAo
尼子と毛利の差って、一族の結束の差なんだろうな。とか思った。
363人間七七四年:2009/07/12(日) 19:38:56 ID:F8I7G7hQ
家督受け継いでも他家に奪われたら元も子もないのにな
364人間七七四年:2009/07/12(日) 19:55:42 ID:Kyx01zfS
内紛していれば消耗するのは分かりきってるが
かといって相手に持って行かれるのは嫌だし怖いから止める事も出来ない
囚人のジレンマって奴だな
365人間七七四年:2009/07/12(日) 20:35:20 ID:FM7poztH
経久と元就、どっちも嫡男がなくて孫に継がせたのに
甥を盛り立てる次男、三男
土地くれないから謀反する三男、一族もろとも粛清される次男
366人間七七四年:2009/07/12(日) 21:10:48 ID:V1ZIKrM4
TERU、良かったなぁ。
367人間七七四年:2009/07/12(日) 21:48:06 ID:0cE9Ag0b
経久って興久の首見て倒れちゃったんだっけ
368人間七七四年:2009/07/13(月) 06:39:56 ID:0NkNnWty
TERU「やっぱ後継者の差だと思うお」
369人間七七四年:2009/07/13(月) 06:57:56 ID:P5QT7HjY
そういうのいいから
370人間七七四年:2009/07/13(月) 08:35:51 ID:KW03m+Nl
↑そういうのもいいから
なんか萎えるから
371人間七七四年:2009/07/13(月) 09:43:54 ID:Gf30cxiA
経久、為影、家兼はマイナーだけどすごい人だと思う。
372人間七七四年:2009/07/13(月) 10:11:03 ID:HfYeYQPG
忠良はー?
373人間七七四年:2009/07/13(月) 14:05:41 ID:vEpzqbbj
島津忠良は人のいいお爺ちゃんに見られがちだけど性格は峻烈果断
374人間七七四年:2009/07/13(月) 14:21:47 ID:OIjI97oo
マイナーって
375人間七七四年:2009/07/13(月) 18:38:17 ID:WN/bONDH
尼子の次男の息子もやたら本家と張り合ったり横柄な態度とったりで一族の結束
乱してたんだよねえ
376人間七七四年:2009/07/13(月) 18:56:33 ID:wXVKAN6E
“粥餅田”
 元亀3年5月3日、伊東義祐と島津義弘の間で木崎原の戦いが行われた。
南九州の覇権をかけた激戦で、「九州の桶狭間」ともいわれる。
現在の宮崎県小林市南西方の粥餅田付近で最後の死闘があった。
結果は島津方の勝利に終わった。
すると島津家家臣の妻たちが味方の労をねぎらって、
桶に満たした粥をこの地で将兵に振る舞い勝利を祝った。
それ以来かの地は“粥餅田”と呼ばれるようになったという。
377人間七七四年:2009/07/13(月) 19:13:05 ID:lsJ1iPaj
粥なのか餅なのか
378人間七七四年:2009/07/13(月) 19:28:29 ID:wXVKAN6E
“無鹿”
天正六年八月、大友宗麟は船で日向国に入った。
宗麟にはフロイスをはじめとする宣教師達らも同行していた。
日向国に到着した宗麟は、早速理想のキリスト教王国建設に取り掛かった。
フロイス曰く、ヨーロッパの法や習慣に根ざした政治をするために、
この地域の生活習慣まで改める覚悟であったという。
日向国における寺社仏閣の破壊は、かなり徹底的であったようである。
宗麟は今や日向国を「自分の国」と呼び、(伊東義祐さんは?)
滞在していた場所の地名を「ムシカ」と名づけた。
この地名は宣教師に教わった音楽“musica”という意味で、宗麟の理想がこめられた名前なのだ。
現在でもその地は「無鹿(むしか)町」という地名で宮崎県延岡市に現存する。

調べてみると戦国大名と地名って意外な関係があったりしますね。
379人間七七四年:2009/07/13(月) 19:38:25 ID:5DwaYXna
出先からなんで既出だったらすいません。
あとコピペです。

27:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/21(金) 17:50:15 ID:KwRo2S57
渡辺勘兵衛の500石の話
 
 渡辺勘兵衛は武勇の士として有名だった(増田長盛、藤堂高虎に仕官した渡辺勘兵衛とは別人)。
ところが、勘兵衛は10万石でないと二度と仕官しないと公言していた(実質上の引退宣言か?)。
その武勇を惜しんで柴田勝家が1万石で勘兵衛を召抱えようとしたが
勘兵衛は「10万石でないとダメだ」と断り、
豊臣秀吉も2万石で召抱えようとしたが、
またも勘兵衛は「10万石が1石でも欠けたらダメだ」と断った。

あるとき、その勘兵衛が石田三成の家臣となったという話が伝わり秀吉を驚かした。
秀吉は三成を呼び出して問いただした
「勘兵衛のような豪傑をよくもお前みたいな小物が家臣にできたな。どうやって口説いたのじゃ?」
三成は得意になって答えた
「私が100万石になったときに10万石にしてやる。それまでワシの500石を全てお主にやろう、と約束したのです。」
当時、三成の石高は500石だった。
秀吉「勘兵衛に500石やれば、お前の食い扶持がなくなるではないか?」
三成「はい、だから私は勘兵衛の居候になりました。」
これを聞いた秀吉は三成の剛毅さに感心したという。

後に三成が出世した際、三成は勘兵衛にも加増しようしたが
勘兵衛は「100万石になれば10万石頂きますから」と言って生涯500石のままで通した。

関ヶ原の戦では勘兵衛も力戦した。
味方が崩れる中、三成は勘兵衛に「10万石の話も夢になったな」と語りかけた。
最後まで自分との約束を気にかけてくれた三成に勘兵衛は感謝して死んだという。


かなり有名な話だから皆知ってると思うけど、たまたま目に留まったので貼っておきます。
関ケ原の石田隊の壮絶な戦いぶりは素晴らしいですよね。結束の堅い家中っていいですね。
380人間七七四年:2009/07/13(月) 20:46:27 ID:tHB7nDfO
いや、たんに秀吉と三成の権勢を借りてすき放題やってたから、
負けて逃げる場所がなかっただけに違いないw
381人間七七四年:2009/07/13(月) 21:06:34 ID:cjQXQxTL
三成は好きだという奴と、嫌いだという奴で両極端なんだよな。
嫌われるようなことをしなければ、きっと好きだという奴も減っていたのだろうな。

しかしこの100万石というのは、どれだけ実現性があったのだろうか。
それとも、単なるツンデレだということを見抜いていたのだろうか。
382人間七七四年:2009/07/13(月) 21:34:04 ID:5DwaYXna
>>380
石田家中の者は戦後再仕官先が引くて数多だったって話だぜ

なんで三成の話はよく荒れるんだろうなw
どの武将だって良い面悪い面があるのにな
383人間七七四年:2009/07/13(月) 22:09:43 ID:lsJ1iPaj
朝鮮陣のときのこと。

小早川隆景が釜山浦へと向かう途中、全羅道の中筋を通り、全州より5,6里先の、
左右が深山で、谷あいが四里ほど続く難所に行き懸かった。
聞けばこの近辺には、朝鮮軍5,6万があり、道路封鎖をしているという。

隆景はまだ日の高いうちに、そこに宿陣を引いた。
峰に、城のように頑強な普請をし、家臣に命じて谷の道に、木を切り倒して置かせた。

「大木は必要ない。5人3人で引くことが出来る程度の木を、3〜5間(約6〜10m.)に1本ほど、
切り伏せておくのだ。」

やがて夜に入ると詰々に番の者を堅く置いた。その余りの厳重さに、下々の者の中には

「今こんなところに誰が攻めてくるというのだ。用心深いにもほどがある。」
と、文句を言うものもあった。

その夜である。

朝鮮軍3万余り、峰を伝って押し寄せてきた。

この報告を聞いた隆景の命が響く。「わしが下知するまで、1発の鉄砲も打ってはならん!
背いたものは必ず誅罰いたす!」
これにより小早川陣は、物音一つすることもなく、静まりかえった。
敵、次第次第に近づく。充分に近づけさせた時、

「出でよ!」

隆景、味方を分けて陣の両口より出し、一斉に射撃させた。
敵を充分に引き付けていた為殆ど無駄弾はなく、この猛攻に朝鮮軍は総崩れになり、
谷の道へ降りて逃走した。ところが先に置いた木に阻まれ、これを引きのけて通ろうとしている所を
追いつき、総攻撃をかける。これによって朝鮮軍は壊乱、1万余りも討ち取られたとの事である。

こうして、小早川軍は難なく釜山へと出た。朝鮮滞陣の諸将は、

「うかつに陣を取っていれば危ういことになっただろうに、まことに良将の思慮とは浅からざるものだ。
仮初めにも、敵が近くにあって、難所のある場所では、小早川殿の例を心得ておくべきであろう。」

と、この事を「小早川殿全羅道切所の謀才」と呼び、褒め称えぬ者は無かったそうである。
384人間七七四年:2009/07/13(月) 22:12:29 ID:34sfsGU3
>>379

まあ関が原の一方の主役を担ってた訳ですからな(アレTERUは?
それで石田隊が他に遅れを取ったらもう立つ背もありませんわw
385人間七七四年:2009/07/13(月) 22:13:06 ID:5GMtBukc
てか、家康公信者の俺でも三成の趣味で作った政権なら
うまく行きそうな気がするぞ。

実際問題は性格悪過ぎて付いて来ないだろうが。
386人間七七四年:2009/07/13(月) 22:18:32 ID:6HmXx4eL
隆景「殺し間にて候」
387人間七七四年:2009/07/13(月) 22:59:20 ID:KnuDoSDh
>>385
とりあえずsageる事を覚えてから10年ROMって出直してきな
388人間七七四年:2009/07/13(月) 23:43:41 ID:RSoo0STV
家康は三成を誉めてたような気が…
389人間七七四年:2009/07/13(月) 23:48:21 ID:5DwaYXna
>>387
折角のいい話スレなんだから君も広い心を持とう!
390人間七七四年:2009/07/13(月) 23:53:32 ID:lNfjQ9NG
専用ブラウザが普及してる時代にさほど意味がないとも思うが一応sageとくわ
391人間七七四年:2009/07/14(火) 00:04:30 ID:wWPAy5Nu
大阪夏の陣で、井伊隊は木村重成と戦った。
若干二十三歳にして大阪七将に数えられた猛将は井伊の赤備ですら止め難い強敵であり、
井伊家の名のある武士も次々に討ち取られた。

井伊隊劣勢の中、侍大将の庵原助右衛門朝昌が立ち上がった。
彼は兵を励まして形勢を逆転させ、重成自身に迫り長槍一閃、これを泥田に突き倒した。
そこへ主君直孝の近習、安藤長三郎重勝が駆けつけて言った。
「拙者、本日まだ手柄を立てておりませぬ。その手柄、譲っていただけませぬか?」

虫の良い話に助右衛門の家臣は顔色を変えたが、助右衛門は
「わしは今さら、首一つ程度を手柄とは言わん。おまえさん、持って行け。」
と、これを許した。
大喜びして重成の首を獲り、駆け出した長三郎を、助右衛門は呼び止めた。
「待て待て、あわてるな!それだけでは誰の首か分からん、これを証拠にせい。」
そう言って重成の陣羽織で首を包み直し、重成の刀を添え、長三郎に持たせてやった。

長三郎は家康に賞賛され、その名は全軍に轟いた。助右衛門の一族郎党はこれを聞き、
大いに悔やみ惜しんだが、助右衛門自身は
「わしの武功は、殿が良く存じておるわい。これ以上、何を求める?」
と、意に介さなかった。

その後、恩賞に不満を持った長三郎は井伊家を出て叔父・安藤帯刀に一喝され、
( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1679.html )
助右衛門は四千石の加増を受け、井伊家の次席家老として重きを成した。


ネット界隈じゃ遠縁の武者震いがする人が妙に有名だけど、本来は冷静沈着な武辺者の
庵原一族でした。
392人間七七四年:2009/07/14(火) 00:14:37 ID:ra2gszBI
名字からすると今川時代からのご近所さんぽいな
ツーカーに近い仲ではあったのかね。
393人間七七四年:2009/07/14(火) 00:29:19 ID:jFdZFfU0
>>391
「武者震いがするのぉぉぉぉ!」でNHKから有名になった庵原さんも
実在の人で今川家滅亡まで今川氏直のお供をしたのだとか。

この庵原助右衛門朝昌は↑の武者震い庵原さんの子か孫か?
394人間七七四年:2009/07/14(火) 04:07:49 ID:txPf4sgs
遠駿の武士も結構精強だよなあ・・・
395人間七七四年:2009/07/14(火) 12:36:34 ID:X2oG++AP
今川氏真
北条氏直
396人間七七四年:2009/07/14(火) 13:51:10 ID:gFljU/XV
戦国大名としてはどうかと言う氏真公だけど塚原卜伝直伝の新当流の使い手なんだぜ
397人間七七四年:2009/07/14(火) 13:52:39 ID:qfj6DuB3
罠は噛み砕くもの

内藤正成は弓の名人として知られ、16歳の時に夜間、城を攻める織田勢に矢を打ち掛け200余人を殺傷したとか
高天神城攻め時に1本の矢で2人を殺すとか言われた人物だがこれはその一つ

家康が三河を今川氏真と取り合っていたころの話
御油城を攻めていた徳川勢に、城方の男女は櫓に登り相手を挑発しまくっていた
ちなみに男女だからアレコレではなく普通に鯨波を上げて挑発していた

勿論、馬鹿にされて黙っている三河武士ではなく矢を打ちこむも、遠くて届かない
調子に乗って更に挑発する櫓の者達
そこへ颯爽と登場した正成、弓を引いて三度放つと見事に二本が櫓に入る
慌てて逃げ出す櫓の者達

さて、この頃の矢には自分の名が書いてあり、それが誰が放ったかが解るようになっていた
その後、暫くして城方から矢文が飛んできた
回収してみると、それは先程の正成の矢でありその文面には
「この矢の射ち手は見事な腕の者 翌日にもう一度、その腕を見たい」
というもの

…怪しさ爆発である
これを見た同僚や家康も「これは罠だろうから無視しても良いんじゃない?」と言うも正成は
言われた通り、翌日に再び矢を打ちに行った

さて、見透かされた通りに、城方は盾を持った伏兵を忍ばせて、鑓で突こうとしていた
襲いかかる伏兵、即座に矢を向ける正成に伏兵はにやりと笑い盾を掲げるが、その笑みは即座に凍りつく
何と、正成の矢は盾ごとその伏兵を射ぬいてしまっていた
どうと倒れる伏兵を後に正成は自陣へと帰るのであった

劇終
398人間七七四年:2009/07/14(火) 14:02:47 ID:Prlc8XVo
>>397
「押して駄目ならもっと押せ」、と言う言葉を思い出したw
399人間七七四年:2009/07/14(火) 14:43:07 ID:SKLqMCDX
毒をくらわば皿までどころか、差し出した相手の腕まで噛みちぎった感じだな
400人間七七四年:2009/07/14(火) 15:23:55 ID:Uhv7ubwR
人間かこいつw
ところで名前は「まさしげ」でいいのかそれとも「まさなり」だったりする?
401人間七七四年:2009/07/14(火) 16:09:25 ID:3eDmxhDD
美貌のピチピチ16歳の従兄妹が寝屋に押しかけるまでに
猛アタックしてきたら光秀と言えども回避できないよな。

山岸光信もわざと甥に娘を近付けたクサいし。
402人間七七四年:2009/07/14(火) 16:11:30 ID:3eDmxhDD
あ、ごめん悪い話スレの話題を間違えてこっちに書き込んじゃった。
403人間七七四年:2009/07/14(火) 16:18:53 ID:lAXz/lqX
>>402
悪い奴じゃの。
404人間七七四年:2009/07/14(火) 17:48:27 ID:qfj6DuB3
>>400
「まさなり」のようで
405人間七七四年:2009/07/14(火) 20:55:34 ID:Z1wELgTU
内藤正成の弓は一体何人張りだったんだろうな
鎮西八郎為朝が五人張りだからそれくらいかな?
それとも吉田能安のように鉄兜を射抜く技能の持ち主だったのか
406人間七七四年:2009/07/14(火) 21:15:38 ID:uHFOu35E
島津義久は肝付氏の牛根城を攻めるため、近くに砦を築き、弟の家久にこれを守らせた。
ある日、折からの風雨に紛れ、逆に肝付軍が奇襲を仕掛けて来た。
しかし家久、少しもあわてず三尺五寸の太刀を抜き放つと、

「愛宕山の天狗の頭領・太郎坊!ほかの大天狗や小天狗も、聞いてくれ!
みんなすまねぇ、ちょっとだけオラの剣に力を分けてくれ!」
(多手に祈誓致しその功徳蒙る、愛宕山の太郎坊、大天狗小天狗、各も家久が太刀先を
守護せしめ給へ)

と叫んで突撃すると、肝付軍の河南安芸守という勇者が向かって来たので渡り合い、
兜ごと頭を叩き割って倒した。
あまりの家久の強さに肝付軍がひるんだ所を、追いかけて谷底に突き落とし撃退した。
砦に戻った家久は手傷を負っていたが、涼しい顔をしていたという。


「平家物語かよ!」という話だし、現代で言えば格闘家が
「(すきなわざのなまえをいれてね)!」とか叫んでパンチ打つようなモンであるが、
名将が中二病にかかるとリアルになってしまうらしい。
407人間七七四年:2009/07/14(火) 21:18:45 ID:HDS4axY8
家久もまた欲張りな願いだなぁ。
408人間七七四年:2009/07/14(火) 21:53:07 ID:xuxtxD1+
>>406
というか、現存してる島津の人たちの甲冑って鎌倉時代並みの大鎧だったりするので
実際に精神構造まで平家物語だったかも知れんw
409人間七七四年:2009/07/14(火) 22:06:41 ID:NREvb9bf
天狗の力を得た代償に寿命を失ったんだろうな
410人間七七四年:2009/07/14(火) 22:10:53 ID:Z6FDqcN0
一方お兄ちゃんは、関ヶ原で進退窮まったときにこんな台詞を…

『われ弓矢を取りて五十余年、朝鮮、唐土にまで武名を轟かせながら
 ここに及んで恥辱を招きしは無念至極。
 いま前には徳川の大軍あり、後には伊吹の天嶮あり、
 我が馬廻りの勇士も僅か百人に過ぎず、
 もはや覚悟を決めたるぞ。

 見よ見よ、あれなるは徳川の本陣。
 今一度かの大軍を駈け破り、華々しく討ち死にせん。
 おのおの勇を鼓して迷うなかれ 』

これを翻意させるのは豊久も長寿院も苦労しただろうな…
411人間七七四年:2009/07/14(火) 22:13:19 ID:NREvb9bf
島津一門は劇団でもやってんのか?w
412人間七七四年:2009/07/14(火) 22:37:00 ID:sCq080+V
>>411
ナチュラル傾奇者集団だよなぁシーマンヅ。
というか、いくさ人すぐる……
413人間七七四年:2009/07/14(火) 22:38:13 ID:L24FrGW4
関が原の後家康が攻めたくなかったのも無理もねーよw
414人間七七四年:2009/07/14(火) 22:40:53 ID:sCq080+V
>397
岩に矢が突き立ってもうた中国の李広将軍みたいな話でんな。

矢尻に氣を込めたとか功夫とか、いろいろ説明のしようはあるんだろうけど
415人間七七四年:2009/07/14(火) 22:47:41 ID:pUrYzPXJ
劇団シーマンヅ

薩摩劇場柿落し
九州公演
朝鮮公演
関ヶ原公演
416人間七七四年:2009/07/14(火) 22:52:48 ID:Z1wELgTU
>>415

琉球公演マダァ?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
417人間七七四年:2009/07/14(火) 23:02:38 ID:7+PRfRbr
>>410
お兄ちゃん、なまじ詩歌の才もあるから、妙にリズミカルというか格調高く聞こえる。
周りもノリやすかろうなあ。
418人間七七四年:2009/07/14(火) 23:13:23 ID:5orPdS9/
ある時、織田信長は息子の様子を家臣に聞いてみた。

「近頃の信忠はどうしているか?」

「それはもうご器用です。」

「器用?どう器用なのか。」

「は、信忠様は来客なさる方のお気持ちをご理解なさっています。来客の方が
望んでおられる物を授けなさるのです。まことにご器用だと思います。」

「ハハハ、それが器用かね?むしろ不器用だろう。相手がどうでもいいと
思う物を与えるような、意表をつく事をやってみせなければ器用ではあるまい。
お前たちには信忠をそのように教育してもらいたいのだ。いざ合戦という時に
器用でないと困るからな。

援軍が来ると思う時に援軍が来ないとか、援軍がなくてもよいところに
援軍を出すなど、合戦で意表をつく作戦はつきものだ。そうした事態に対処する
にはいつも心掛けていなくてはならぬ。それにだ、家臣に心を見透かされるよう
では大将に相応しくないだろう。」
419人間七七四年:2009/07/14(火) 23:17:20 ID:fRNkbjNi
信雄「常に人の意表を突く事を心掛けています」
420人間七七四年:2009/07/14(火) 23:20:20 ID:Prlc8XVo
>>418
これ全く同じ逸話が、今川義元と武田信玄であるよね。
421人間七七四年:2009/07/14(火) 23:25:37 ID:iyJPJH1L
だから本能寺で意表をついて死んだのかwww
422人間七七四年:2009/07/14(火) 23:39:54 ID:SKLqMCDX
二階堂盛義「常に意表を突かれた顔をすることを心がけています。」
423人間七七四年:2009/07/14(火) 23:45:18 ID:2o9JTL1b
>>421
有楽「意表をついてトンずらしてみました」
424人間七七四年:2009/07/14(火) 23:49:55 ID:6iMpl945
>>422
ひょえ〜
425人間七七四年:2009/07/15(水) 00:07:29 ID:uouwlRra
>>418
どうでもいいと思うものばっか与えるから明智が。。。
426人間七七四年:2009/07/15(水) 00:26:28 ID:/cPC+29Y
信長「一益は茶器を欲しがっていたから関東管領にしよう。」

滝川「そんな理由かよ!」
427人間七七四年:2009/07/15(水) 01:04:03 ID:jMxwsEYm
焦らさないのも焦らし過ぎもいかんということやね
何事もほどほどが一番
428人間七七四年:2009/07/15(水) 08:06:16 ID:GaQ+dHXy
本願寺顕如と如春尼の七夕

本願寺顕如とその妻如春尼。
政略結婚だったが夫婦仲は良く、結婚31年目の天正16年(1588年)の七夕に、
夫婦で歌を詠み合っている。

「いくとせもちぎりかわらぬ七夕の、けふまちへたるあふせなるらん」 顕如
訳:お前とは長いこと一緒で気持ちも変わらんけど、
 七夕の今日は(一年ぶりに会う彦星と織姫のように)待ちわびたで。

「いくとせのかはらぬ物を七夕の、けふめづらしきあうせなるらん」 如春尼
訳:何年たっても変わらない七夕やけど、あんたと会う今日の七夕は、
 とても新鮮な気持ちや。

坊主のくせにラブラブである。
429人間七七四年:2009/07/15(水) 12:38:28 ID:aP6RWrjf
>>420
大内義隆と毛利元就でもあったような。

汁かけご飯と一緒で、テンプレに基づいた創作なんでしょうね。
430人間七七四年:2009/07/15(水) 13:05:16 ID:R9+OS8cp
>>417
義久家久(四男の方)コンビは古今伝授も受けてるし
島津は何気に歌への造詣が深いよね
日新さんのいろは歌とか、教訓を覚えやすくするために和歌にしたそうだが
和歌好きじゃないと47首も詠めないと思うしw

耳川の戦いの前に、義久が縁起のいい連歌の発句を夢に見て
「これで勝つる!」とみんな大いに士気が上がった話とか
劇団しまづ家は芝居好き、和歌大好き軍団なのかも知れん
431人間七七四年:2009/07/15(水) 13:17:07 ID:1TohCvGL
新納さんも相良の犬童さんと水俣で歌合せなんかしてるし役者ぞろいだ。
劇団シーマンズ、のちの劇団四季である。
432人間七七四年:2009/07/15(水) 13:48:34 ID:F2ro5/rc
むしろ劇団屍鬼(ry
433人間七七四年:2009/07/15(水) 14:00:11 ID:9DYiQqeh
刺鬼では
434人間七七四年:2009/07/15(水) 14:12:06 ID:g6qZe1gg
>>431-433
零式かあんたらはw たしかに覚悟完了した集団だけんどもさー
435人間七七四年:2009/07/15(水) 14:40:25 ID:INCczyu6
島津さんとこは、なまりが酷くて聞き取れないから、歌を使ってコミュニケーションを取っていたんじゃなかったっけか。
そういう意味で歌なんかは必修なんじゃないか。
436人間七七四年:2009/07/15(水) 14:45:45 ID:jMxwsEYm
あーそういうことかー
ヨーロッパで色々な国の商人が集まったりする場所で
ラテン語が使われたりしたみたいな
437人間七七四年:2009/07/15(水) 14:47:41 ID:sm19F4ml
島津はとっても歌が好き 母さん呼ぶのも歌で呼ぶ
438人間七七四年:2009/07/15(水) 15:29:00 ID:xRdx19qd
>>435
隠密に盗み聞きしにくくするために
わざわざややこしくしたという話もある。
>薩摩の訛り

隠密の地元民なりすまし、潜伏をしにくくするためとも。
439人間七七四年:2009/07/15(水) 16:49:19 ID:BhGZuF2y
戦時中に早口で薩摩弁喋らせて一時的な暗号代わりにした事例があるというのはネタなのか本当なのか
440人間七七四年:2009/07/15(水) 17:34:18 ID:8Tt5ZosN
>>439
本当。
内容はベルリンの日本大使館にいる海軍武官を潜水艦で日本に送るので
南方で拾えという内容。
平文だったので、潜水艦で何かを送るというのはわかったが、
早口の薩摩弁でなおかつ薩摩でも一番訛りのひどい言葉を使ったとかで、
米軍の日系兵でもさっぱりわからなかったとか。
441人間七七四年:2009/07/15(水) 19:41:09 ID:sut7hBxM
諜報の話題がでたところで忍者の話。

小田原北条家の忍び、風魔小太郎の配下に二曲輪猪助という者がいた。
同じ風魔衆からも「骨張り」(骨のあるヤツ)と呼ばれる腕利きの忍びで、河越の戦いでも
上杉軍の陣に忍び込み、雑兵になりすまして氏康に敵の情報を送った。

戦線が膠着する中、ある日ついに猪助は正体を見破られ、かろうじて逃げ出したが、
上杉軍の忍び太田犬之助という者が追いかけて来た。
猪助は五、六里ほども逃げ続けたが、相手は「犬」と名乗るだけあって俊足で、猪助の
背後から離れない。
危ない所で途中の農家に馬を繋いでいるのを発見し、この馬を奪って逃げのびた。

その後、猪助は上杉軍で流行っている狂歌を耳にした。

駆り出され 逃げたる猪助 卑怯もの 能くも太田(追うた)が 犬之助かな

華々しい討ち死にを名誉とする武士とは違い、忍びはどんな手を使っても主君の元に
得た情報を伝えるのが使命であり、逃げたことをバカにされる謂われはない。
屈辱に燃えた猪助は上杉軍に矢文を送り、犬之助に果し合いを挑み、犬之助もこれを
受けて立った。

忍びの果し合いは、斬り合いなどしない。忍びの技で勝負をつける。
二人は遺恨の元である駆け比べで勝負した。
河越から西へ十里、野も山もなく駆け続け、犬之助は文字通り息が切れて死んだ。

忍び仕事の屈辱を忍びの技で晴らした猪助はその後、伊賀へ行き忍術を伝えたという。
442人間七七四年:2009/07/15(水) 19:48:52 ID:O4E+5wYM
>>406見てリチャード獅子心王の剣のエピソード思い出した
443人間七七四年:2009/07/15(水) 20:14:30 ID:+jvGKgdN
>>442
あれも中二病だけど名将だねw
444人間七七四年:2009/07/15(水) 20:31:41 ID:SZwcv8UV
加藤嘉明のところで大名たちが会議したことがあった。この時、大名の金森某が
途中で席を離れた。その後、金森が離れている間に織田某が金森の席に座ってしまった。
用を済ませて戻ってきた金森は自分の席に織田が座っているのを目にした。

「何故あんたが俺の席に座っているんだ!」

怒った金森は織田と喧嘩し始めた。これを見た嘉明は間に入り、金森を別の席に
案内してこう言った。

「席のことで争うなんて無益なことです。金森さん、あなたが何処に
座っていようと皆があなたを尊敬しているんですよ。」

嘉明に諭されて恥ずかしくなった金森は織田に謝罪した。

「いや、私こそ知らなかったとはいえ悪いことをしました。」

織田も悪いと思っていたのか金森に謝った。嘉明のおかげで二人の関係はこじれずに済んだ。
445人間七七四年:2009/07/15(水) 20:34:15 ID:f0khfijP
>>444
嘉明の時代の大名の金森さんって・・・
織田さんも殆ど・・・
某ってぼかす意味があったんだろうか?
446人間七七四年:2009/07/15(水) 21:17:52 ID:ElPz211N
ダルビッシュ妊娠か
447人間七七四年:2009/07/15(水) 21:18:52 ID:ElPz211N
うわ誤爆すまん
448人間七七四年:2009/07/15(水) 21:41:03 ID:Cm3tiIar
>>441リアルでカムイ伝の世界だなー
449人間七七四年:2009/07/15(水) 21:44:08 ID:Cm3tiIar
>>438
そのために幕末、(薩摩人と防長人で会話が成り立たず)薩長同盟締結までずい分回り道したという説も……

坂本竜馬のお仕事「通辞」
450人間七七四年:2009/07/15(水) 21:57:00 ID:NhGbh8WE
秀吉が播磨を平定した頃の話
高木村に泊まりがけで立ち寄ると一人の老婆が敷物にと秀吉に一枚の熟革を献上してきた
実は播磨は三韓から革職人を連れてきてこの地で革を作らせて以来
革の一大産地として名高い歴史ある土地である
高木村もまた革の製造を営んでいた
秀吉はこれを喜び礼として老婆の井戸を掘って欲しいと言う願いを聞き入れたという
この井戸はこの地で”太閤井戸”と呼ばれ渇水の時でも
この井戸だけは絶対に涸れないという不思議な伝承があったという
451人間七七四年:2009/07/15(水) 22:00:22 ID:NhGbh8WE
余談

当時播磨では革製品の生産が盛んであり質、量ともに優れていた
秀吉は信長に姫路産の革を二百枚ほど献上した記録がある
この播磨産の革は白なめしと呼ばれ仕上がりが真っ白く
南蛮人も買い求めたため信長はこの革を積極的に売っていたらしい
一説にはナポレオンも愛用していたとか
そんな白なめしの技術は近代的ななめし技術に押されて
技術保持者が一人しかいないなんて状況に陥るも現在では技術は保存されて
今でも受け継がれているようです
452人間七七四年:2009/07/15(水) 22:05:15 ID:NhGbh8WE
×真っ白く
○白く

真っ白くなんて形容詞はないわな
白なめしも真っ白ってわけではないし
453人間七七四年:2009/07/15(水) 22:18:24 ID:Cm3tiIar
>451
欧米で普及した一般的なタンニン使う方法と異なる技術だったんよね。

日本らしい「ガラパゴス的」皮革加工技術……
454人間七七四年:2009/07/15(水) 23:00:30 ID:/cPC+29Y
浅草寺境内 敷石の怪 『突然バラバラ音たて隆起』  
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2009071502000108.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/images/PK2009071502100023_size0.jpg
突然敷石が盛り上がった浅草寺の宝蔵門前=東京都台東区で


> 東京都台東区の浅草寺で、参道の敷石の一部が、魚のうろこのように盛り上がる“怪現象”が起こった。
> 「吉兆では」「天変地異の前触れか」「何かの封印が解かれたのでは」。さまざまな憶測を呼んでいる。

こんな記事があったので、500年近く前の浅草寺の怪異譚を巻いてみる。



大永二年(1522)の九月の事、北條氏綱は古河公方足利高基の許へ、、家臣富永三郎左衛門を
重陽の祝いの使者として派遣した。

さて、その帰路の事、富永は浅草の観音堂に参詣した。その日は御縁日と言う事で
多くの人が参拝に訪れていたのだが、にわかに

「弁財天堂のあたりから銭が沸いているぞ!」

との声があり、人々集まり争ってその銭を拾った。寺の僧達が制したが、まったく聞かず、
大変な騒ぎであった。

富永、小田原に帰ってからこの事を言上した。氏綱をはじめ北條家中の人々は一様に
奇異の思いをしていたところ、丁度そこに達乗院の長老が参られた。
長老は氏綱からこの事を聞くと、

「浅草寺と申すは推古天皇の御世に草創された物です。本尊は聖観音、関東最初の伽藍であります。
土師氏の末の漁師、檜熊、浜成、行成の三兄弟の網に、七浦で観音菩薩がかかり、
それが本尊となり、人々に多くの加護を与えられました。

ところが今の世は、国家乱逆の最中であり、人民は困窮しています。そこで観音様は、
大慈大悲のお心をもって、銭を沸かせる事により、人々に利益を与えたのでしょう。

銭の沸いた弁財天堂の弁才天とは、観音が姿を変じられたものであり、御当家守護の
ご本尊ともすべきでしょう。」

この事があったので、氏綱は城北川の堀の内に、江ノ島の弁財天を勧請して、小田原城の鎮守と
崇めたそうである。
455人間七七四年:2009/07/16(木) 00:21:05 ID:e6ujtfG6
なめしなんてのは田楽のときに食うもんだ
456人間七七四年:2009/07/16(木) 00:24:20 ID:wMh5XCqy
>>454
このころって、まだ浅草あたりは最前線地域だよな
勧進もそれと関係あるのかな
457人間七七四年:2009/07/16(木) 00:39:36 ID:xqv+Cj4j
>>454
弁財天の補足説明のサイトを見つけたので
http://www.post-ad.co.jp/joypost/odawarajo-sanpo8.html

今では旭○高校という女子校になっています。
この話を聞いて、小田原の相○高校の史○研究部にいた私は
弁財天見た事ないしなぁ、と思って探しましたが、
北条以後にどこかに移転したかも知れないですな。
458人間七七四年:2009/07/16(木) 01:23:02 ID:tRUE9wW3
>>457
地元の方ですかー!
小田原探索するのは、今北条関係の研究が非常に進歩しているだけに、
そう言うの調べてから行くと楽しそうだなあ。
459人間七七四年:2009/07/16(木) 01:26:18 ID:78nc7aCn
北条の忍びの話が出たので小田原征伐後の話


北条滅亡後忍びたちは自分たちの技能を最大限に活かせる職に転じた。
盗賊である。

主に被害にあったのは関東最大の都市となった江戸の町
とくに大規模な集団となったのは風魔小太郎以下の風魔一党であり
江戸の治安を乱す彼らは大問題になった。

そんな中で風魔小太郎の捕縛に協力しようという者が現れた。
その名は神崎甚内
この男もまた小田原浪人であり、さらに現在は盗賊である点まで小太郎と同じだった。

蛇の道は蛇というべきか。神崎甚内は風魔一党の事情に通じており
彼の協力により風魔小太郎は召し取られ処刑、風魔一党は瓦解した。

こうして徳川に協力した神崎甚内であったが、彼もまた盗賊であることに変わりはない。
後の世でいう目明しのような仕事もこなし、江戸の治安維持に協力してはいたものの
元々風魔一党が邪魔になった故の協力であり、盗賊をやめる気はさらさらなかった。
むしろ競争相手であった風魔一党が消え去ったことでさらに勢いを増していたのだ。
今度は神崎甚内が問題となる。

そこで神崎甚内の捕縛に協力しようという者が現れた。
彼の名は鳶沢甚内
この男もまた小田原浪人であり、さらに現在は盗賊の一党を率いていた。

だが彼が協力を申し出たのは神崎甚内の場合とは少し違っていた。
彼は世の混乱が収まり始め、盗賊稼業にも見切りをつけるべきだと考えていたのだ。
鳶沢甚内の協力によって神崎甚内が捕縛、処刑されたのち鳶沢甚内はあることを願い出た。
江戸における古着の一手販売の権利を貰い受けたいというのだ。

今後神崎甚内に代わって治安維持を担う上で、盗品の衣類の流れを監視するためであり
江戸の古着屋の総元締めとなった鳶沢甚内の名から日本橋の古着屋が密集した地区に鳶沢町の名がつき
これが現在の日本橋富沢町の起源となった。

なお神崎甚内は捕縛された際マラリアを患っており、身の自由が利かず捕まってしまった。
その遺言は「後世瘧(マラリア)を患ったものは、自分に祈れば治してやる。」というものであり
彼が処刑された浅草鳥越には「甚内神社」が今も残っている。

460人間七七四年:2009/07/16(木) 01:52:44 ID:9rWNlZWe
>459
もう一人、庄司甚内というものは遊郭を作り……というのが隆慶一郎の吉原御免状だったな。
461人間七七四年:2009/07/16(木) 02:10:02 ID:xqv+Cj4j
あるとき、中国で元朝が滅ぼされた。何でそんな事をと思わないように。
その元朝の朝廷に皇帝の冠に香をたき、丸薬で香りを付ける役職の男がいて、彼は失業をしてしまった。
失業なら良いが、漢民族の彼は明朝からすれば「民族の裏切り者」である、
当然逃げた。

日本へ。

彼は日本の博多に亡命したところ、以前の役職とそれに付随した薬品の知識と経験を買われて
今度は日本の朝廷に招かれた。日本でも香や薬品の知識は高く評価されたので、
彼は京の都で代々相伝の薬とともに、朝廷に仕えた。大体これが室町時代の事である。
日本に定住し、朝廷でも高く評価された丸薬と共に代々朝廷に仕えた所、
今度は、ある家から招きのお声がかかった。北条家である。

「貴殿の相伝の薬と共に小田原に来て、町作りに役立ってもらいたい。」

こうして、彼の子孫は分家を作り、分家が相伝の薬と共に小田原にやってきた。
もちろん北条家からはそれ相当の待遇である。屋敷を城下にもらい、薬を北条家に収め、
北条家でも手放せない薬として大切にされると共に、北条家滅亡後の徳川時代も名字帯刀と薬販売を
依然と同じく許された。さきほどでた彼の京都での直系は絶えてしまったが、分家は今なお、
小田原で相伝の薬と共に存続している。
日本に渡ってきた彼の本名はわからないが元朝での役職名とともに子孫は残っている。

薬の名は透頂香外郎(とうちんこうういろう)
子孫は代々、外郎藤右衛門を号している。

えー、ちなみに、ういろうの形ですが、丸薬が歌舞伎などで良く知られておりますが
本来はお菓子のういろうの形つまり「ヨウカン型」だったようです。お菓子のういろうは
薬のほうに似せて作ったとも言われておりますが、小田原の外郎家では昔からお客が来たときに
自家製のお菓子として出していたものが京都から名古屋方面に伝わったようです。
なお、本来は外郎家は代々薬屋なので「薬」の外郎を中心にしていましたが、
小田原でお菓子を「副業」として販売もしております。
名古屋のういろうを有名にしたのは鳥山明と新幹線ですが、「ガチ子孫(分家)」の小田原外郎家は
それが本当に悔しかったらしく、「ういろうは小田原のみの登録商標、後は全てパチモンだ!」と
怒り狂って裁判を起こしました。結果は敗訴しました。
ういろうは名古屋の名物だという物を知らない奴等に地元民の私は言いたい。

「ういろうは小田原こそ正統である!」
長々とおつきあいありがとうございました。
462人間七七四年:2009/07/16(木) 02:12:55 ID:xqv+Cj4j
>>461です。変なところをミスしました。

薬の名は透頂香外郎(とうちんこうういろう)
子孫は代々、外郎藤右衛門を号している。

を、

薬の名は透頂香(とうちんこう)
役職名は外郎(ういろう)
子孫は代々、外郎藤右衛門を号している。

に、まとめサイトのせるときは変更をお願いします。
お手数をおかけします。
463人間七七四年:2009/07/16(木) 02:19:05 ID:3hBvfhGM
>456
大永二年だとまだ江戸城が扇谷上杉氏のものなので、
浅草は前線というかバリバリ敵領内かと。
そして氏綱もまだ伊勢と名乗っていた頃。

大永期に氏綱は「相州太守」を自称して、
その肩書きでもって相模国内に大量の寺社造営を行って
既成事実を積み重ねることで相模の支配権をアピールし、
次いで北条を名乗り得宗家のイメージを利用するって流れなので、
北条得宗家の守り神だった江ノ島の弁財天を
本拠地小田原に呼ぶっていうのは強い政治的な意図を感じる。
怪異譚もしたたかなパフォーマンスの一環かも。
464人間七七四年:2009/07/16(木) 02:27:29 ID:tRUE9wW3
>>461
「外郎」はこの外郎さんの、元朝での官職「礼部員外郎」から来ているんだよね。
しかし小田原の「ういろう」本店は、今でも薬の外郎を売っているのか。すごいな。

ちなみに山口県も外郎は有名だけど、これは室町期に大内氏が、この外郎さんに
製法を教えてもらって、これを領地に持ち帰ったのが始まりだそうで。
しかし他県の物とは全く違う外郎になっているけどねw
465人間七七四年:2009/07/16(木) 02:33:19 ID:8Z29A0hv
小田原行ったときの土産は魚と外郎ですな
アレは凄い良く効く
歯が痛い時とか腹が痛い時とか
466人間七七四年:2009/07/16(木) 02:38:19 ID:xqv+Cj4j
>>465
確かに効くわ。正露丸飲むのがばかばかしくなる。
467人間七七四年:2009/07/16(木) 03:34:02 ID:Y5HWefcg
徳川頼宣は紀州に入る時に港から上陸した。そこには沢山の麦がむしろの上に
干してあった。頼宣は麦を踏まないように注意して渡ったので民は「あの殿様は
よいお方だ」と喜び、頼宣は満更でもなかった。が、付家老の水野重良は
気にいらない様子である。

その後、重良は出迎えの責任者を罰してしまった。不思議に思った頼宣は重良
にわけを問いただした。

「あやつは麦をむしろに干した不届き者です。だから罰しました。」
「俺が気を使って渡ったから領民たちは喜んでたぞ。」
「領民への慈悲とはあんなセコい行動ではなく、もっと大きいのです。
麦を避けるなんてみみっちい事です。」
(・・・なんだコイツ!)

頼宣の機嫌はすっかり悪くなってしまった。見かねた重良の同僚が重良に忠告した。

「皆が頼宣様を褒めているのになんだあの言い草は。」
「いいや、補佐する人間は主に何をさせるかだけではなく、何をさせないかも
考えなくてはいけない。今回の様な事はあってはならん。麦を片付けなかった
責任者は怠慢だったのだ。」

やがて、この言葉は頼宣の知るところとなった。

「水野の言葉に間違いはない。大名ならばやっていい事と悪い事がある。
俺の気持ちが浮ついていたのがいけなかったんだ。」

頼宣はそのように思い直したのであった。
468人間七七四年:2009/07/16(木) 03:52:36 ID:tRUE9wW3
>>467
頼宣個人の話ではなく、紀州家の組織としての問題だ、ってことか。
469人間七七四年:2009/07/16(木) 04:00:48 ID:rC2bu+yi
>>467
なんかメンツを気にしているような…
470人間七七四年:2009/07/16(木) 06:56:55 ID:FHwXVtck
>>465
>「ういろうは小田原こそ正統である!」
お前これが言いたかっただけだろw
ってか外郎って菓子はあちこちにあるよね
471人間七七四年:2009/07/16(木) 08:42:43 ID:pu/T1uyZ
>>465
そういうこと言うと、元祖と本家と正当で争うラーメン屋の如き
不毛な争いになるからやめい

まあういろうの代表格が名古屋にされているのは
他のういろう産地からすりゃ噴飯ものなのは確かだがな
472人間七七四年:2009/07/16(木) 10:05:28 ID:7q+pv7Pu
お菓子のういろう、苦手な食い物だったけど
もし小田原行ったら買ってみるわ。薬も。
473人間七七四年:2009/07/16(木) 10:16:48 ID:FHwXVtck
あっちで政変があると大体日本に亡命してくるよな
唐が滅んで日本に高僧が来たり元が滅んで外郎が来たり明が滅んで隠元和尚が来たり
日本は隠れ家かなんかか?
474人間七七四年:2009/07/16(木) 10:47:17 ID:cWOCIjzY
中国にとって日本以外の亡命先…というか逃亡先だと
ベトナムや台湾あたりだけど、だいたい逃げた先で捕まったり
逃亡先自体が新しい王朝に支配されたりしてるもんなぁ。
日本ならある程度距離も離れてるし大丈夫、という安心感はあったかもしれん。

中国もあれだけ多くの国と接してるんだから
ロシアとかインドとか中東に逃げ延びたりした例があっても
よさそうなもんだけどなぁ。
475人間七七四年:2009/07/16(木) 10:57:44 ID:3FKuzLDp
>>473
やはり一番近場の「海の向こう」だからでしょ
今以上に「海」に隔てられている意味が大きかった時代だし
476人間七七四年:2009/07/16(木) 11:32:18 ID:oPA+IwF9
>>474
大体極東ロシアは女真とかいるし気候的にも厳しいから嫌でしょ。

曲がりなりにも文化伝わってて海で隔てられる日本目指したくなるだろね
元の時以外は騎馬民族に攻められてるから地続きよりゃねぇ。

元の時とかは漢人じゃない連中は遥か西まで逃げてるかもしれないけど
477人間七七四年:2009/07/16(木) 12:20:20 ID:NR+jQlVO
もう出てるけど、日本なら海の向うだから逃げ場としては安心感があるんだろうね

インドへの亡命は無いと思うよ
ヒマラヤを越えるネパールルートかシルクロードからの南下ルートだから漢人には酷だと思う
王玄策はネパールルートでインドに攻め込んだよなあ
478人間七七四年:2009/07/16(木) 12:41:29 ID:78nc7aCn
漢代だったかに四川からインド行の道を作ろうとして断念したことがあったよね。
唐代以降だと海上ルートもあるけれど、だったら日本行きの方が楽。
479人間七七四年:2009/07/16(木) 12:44:58 ID:TNpZiu/2
>>461
おー、新幹線乗る為に小田原を利用する度に「何で小田原でういろうやねん」って思ってたけど
実はこっちが正統だったのか・・・今度買ってみるかな
480人間七七四年:2009/07/16(木) 13:14:50 ID:foQR7WR0
>>406
兜ごと頭を叩き割って倒した。


武将の兜は頑丈なんだけど。最近実物触ってみた。
481人間七七四年:2009/07/16(木) 14:02:08 ID:lnd6PnQa
そういうのは大いに主張すべきだ
特に食品は大手がパクって小さい所を握りつぶすという流れがあるだけにねぇ
482人間七七四年:2009/07/16(木) 14:09:37 ID:YFmNplsY
家康、母娘二代に命を助けられるの巻

天正十年、本能寺の変の報せを聞いた徳川家康は、
わずかな供回りとともに岡崎へ向かった。
後の世に言う神君伊賀越えである。
その折、河内の農家で休憩した。家には、女房と赤子がいた。
雲林院の城につなぎをつけるべく、服部半蔵が供を離れた。
家で家康を休ませ、女房が庭に出た時に、野伏せりの一行がやって来た。
女房は己の着物を脱ぎ捨て家康に被せて匿い、
自分は赤子に乳をやる体を見せた。
野伏せりどもはまんまと騙され、家康は危うく難を逃れた。

時は流れて慶長二年。美しい娘に成長した赤子は、
縁あって二条城に仕えていた。
ある時、娘が家康の風呂の世話をしている時に、刺客に襲われた。
娘はとっさに自分の着物を脱いで家康に被せ、隣の部屋に隠した。
そして自分は湯船に飛び込み、家康の声音を真似て叫び刺客を呼び寄せた。
家康を襲いに来た刺客は、裸の少女を見て絶句。
瞬く間に駆けつけた本多正信の率いる一隊に切り伏せられた。

その夜、家康が改めて娘に礼を言うと、娘は自分の母の事を語った。
母娘二代との奇縁に家康はたいそう驚き、娘を自分の側室にした。
後の清雲院於奈津である。
家康五十六歳、於奈津十七歳の頃のお話。
483人間七七四年:2009/07/16(木) 14:25:21 ID:QZQifVKO
>家康五十六歳、於奈津十七歳

いい話というよりうらやましい話
484人間七七四年:2009/07/16(木) 14:25:56 ID:Wca2wwst
家康の声を真似るとは、なんと芸達者な。
485人間七七四年:2009/07/16(木) 15:07:35 ID:TFycR7cP
初耳だしタダの伝説じゃないの?
486人間七七四年:2009/07/16(木) 15:34:33 ID:FHwXVtck
伝説だとして何か問題でも?
487人間七七四年:2009/07/16(木) 15:52:07 ID:QFMa96PG
小田原の外郎は有名になったほうだと思うよ。
箱根駅伝で中継所が近くになったから写るたびに説明されるし。
488人間七七四年:2009/07/16(木) 15:52:39 ID:rC2bu+yi
太田道灌と猫


ある時道灌は戦に敗れた。
道を誤れば命を失う危険な時だった
そんな時、道灌の前に一匹の猫があらわれる。
猫は逃げ道の案内をし、道灌は無事江戸城まで逃げ切った。
その後道灌は猫を拾い、江戸城にて大変可愛がりその猫が亡くなった後拾った場所へ埋葬をし、猫地蔵すなわち自性院をその猫のために作ったという。


自性院の伝承であるがその猫の名を「玉ちゃん」といわれている。
489人間七七四年:2009/07/16(木) 15:57:02 ID:oPA+IwF9
俺の猫好き有名人リストに追加だ
490人間七七四年:2009/07/16(木) 16:04:02 ID:7lXbD3tL
動物好きは血か
491人間七七四年:2009/07/16(木) 16:25:27 ID:FHwXVtck
道灌「断然猫!猫かわいいよ猫。犬とかクセェんだよ!」
三楽斎「凛々しくて賢い犬に決まってんだろ!ちっとも懐かねぇ恩知らずなんざいらん!」
492人間七七四年:2009/07/16(木) 16:48:35 ID:rC2bu+yi
もう一つ太田道灌の動物に関わる話を


伊豆熱川の熱川温泉は室町時代まで「濁り川」と呼ばれ、人々に嫌われていた。
ある日巻狩りをしていた道灌は動物達が「濁り川」で傷を癒している所を見つけた。
道灌は動物達といっしょに「濁り川」に入った。
これが熱川温泉の始まりである。
伝説には道灌はここで江戸城の岩を切り出したという。
493人間七七四年:2009/07/16(木) 16:48:56 ID:v6KWETGI
康資「棒だよ棒!犬猫とか振り回しても刀槍に対抗できねぇだろJK!ヒャッハー」
494人間七七四年:2009/07/16(木) 17:16:02 ID:JInvIvNv
>464
ぬるぬるのナマういろう美味しいよw
495人間七七四年:2009/07/16(木) 17:20:48 ID:pahlRELa
>>482
途中でパンツをおろしたけど、そういう話じゃなかったでござる
496人間七七四年:2009/07/16(木) 17:30:35 ID:JInvIvNv
>495十七のギャルが湯船に飛び込んで濡れそぼった様にむくむくでござるかwそそっかしいやつめ

でも後で側室にしたんだしギシギシアンアンがんばったんぢゃないの?
497人間七七四年:2009/07/16(木) 17:44:44 ID:mF137TBK
家康は後家スキーだったのに、後年は趣味が逆転したからなあw
498人間七七四年:2009/07/16(木) 17:57:33 ID:C/gepjGM
後家は実用、ロリは趣味でしょ
499人間七七四年:2009/07/16(木) 18:03:05 ID:dQNjOg1p
現に流産した側室を辞めさせた事もあるしね
500人間七七四年:2009/07/16(木) 18:25:31 ID:9p2ZsuSk
>>461
名古屋近辺の者だが良く覚えておくよ。
小田原に行く機会があれば小田原の外郎を食べてみよう。
501人間七七四年:2009/07/16(木) 18:26:27 ID:FHwXVtck
>>492
あれか?道灌は仙人かなんかか?
502人間七七四年:2009/07/16(木) 19:38:30 ID:22ccBKI9
>>482
>母娘二代との奇縁に家康はたいそう驚き、娘を自分の側室にした。

感謝の意が側室ってのもな…
いや、もちろん側室になれば豊かな暮らしはできるようになるんだろうけどもさ
503人間七七四年:2009/07/16(木) 20:31:14 ID:MZyQOcK1
>>492
動物といっしょに露天風呂は温泉好きの夢だよ。いいな。
毛だらけになりそうだけど。

504人間七七四年:2009/07/16(木) 22:12:11 ID:DU+zqu8e
薬のういろう(ウィキ)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%84%E3%82%8D%E3%81%86_(%E8%96%AC%E5%93%81)
お菓子のういろう(ウィキ)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E9%83%8E_(%E8%8F%93%E5%AD%90)

ういろう裁判(小田原株式会社ういろうVS名古屋青柳)(ブログ)
ttp://toppy.net/myamya/myamya18.html

株式会社ういろう(本業薬屋:小田原市本町の一号線沿いにあるお店)
ttp://www.uirou.co.jp/

青柳のういろう(名古屋)
ttp://www.aoyagiuirou.co.jp/

大須のういろう(名古屋)
ttp://www.osu-uiro.co.jp/

虎屋のういろう(三重県:小麦粉を使っているらしいので食感が異なる)
ttp://www.torayauiro.co.jp/

豆子郎のういろう(山口)
ttp://www.toushirou.info/

三松のういろう(宮崎)
ttp://www.mimatsu-uirou.com/

ういろうといってもこれだけある。
小田原と名古屋と伊勢は食べた事があるが、
伊勢の虎屋のういろう食ったらあんこの乗っかった餅はもう食えないぞ。
505人間七七四年:2009/07/16(木) 22:22:33 ID:t7pMxY7s
戦国時代とか、いつまでやってんだよ?wwwwwwwww
きっと俺が生まれる前からマニアがいたんだろうなwww下らねぇwww
いい加減つまんねぇんだよバーカwwwwwww
506人間七七四年:2009/07/16(木) 22:40:53 ID:tRUE9wW3
>>505
> 戦国時代とか、いつまでやってんだよ?

一般的には
応仁の乱(応仁元年(1467年)- 文明9年(1477年))から大阪冬の陣(慶長20年(1615)5月)まで。

学問的には
明応の政変(明応2年(1463))から室町幕府の滅亡(元亀4年(1573年))まで。

関東においては
享徳の乱(享徳3年(1455年))から小田原の役(天正18年(1590))まで。

また、近世体制の確立した島原の乱(寛永14年10月25日(1637年12月11日)〜
寛永15年2月28日(1638年4月12日))が、広義の戦国の終息とする説もある。
507人間七七四年:2009/07/16(木) 22:44:07 ID:N/EDaej+
触るな
508人間七七四年:2009/07/16(木) 22:49:08 ID:tTGH9Psn
>>506
マルチだよ
509人間七七四年:2009/07/16(木) 22:50:12 ID:BZSY5OHU
説というか、定義の問題だよな
こういう基本的なことのほうが、きっちり詰められてないことが多い
510人間七七四年:2009/07/16(木) 23:05:00 ID:tRUE9wW3
>>507-508ありゃすまない。おわびに

『夢で斬れたら』

朝鮮陣が進行している最中、国内では、摂津、河内で堤防が決壊し田畑が水没、
民家や牛馬にも大きな被害が出た事があった。

この災害に秀吉は、毛利輝元に普請を命じ、毛利家は3月から8月の半ばまでかけて、
これを修復し、さらに摂河の地に多くの新しい橋を架けた。

この時秀吉は輝元の労をねぎらう為、茶の湯を催そうと、平潟の筋向い、大塚の土手に御茶屋を建て、
輝元の元へこれに招待する旨の使者を遣わした。

この時、使者は輝元に、

「殿下はこのようにおっしゃいました。『右馬頭(輝元)は、わしに進物を用意しようとするであろうが、
それは全く無用である。』と。
殿下は、輝元様からの進物ならば、どんなものでも喜ぶでしょうが、それは輝元様の殿下への忠誠を、
よくご存知だからなのです。

殿下が只今差している太刀と脇差は、それぞれ、先に輝元様が進上された荒実国行の太刀と
清水藤四郎の脇差です。殿下はこの両腰を肌身離さず差されていますが、これには
このような理由があります。

殿下はある時、夢をご覧になられました。敵と戦っていて、これを太刀で斬ろうとしても斬れず、
脇差で突こうとしても突き立てる事ができない。それで甚だ困る。そのような夢であったそうです。

ところがこの夢の中で、荒実国行の刀を使うと、たちどころに敵を両断し、また清水藤四郎の脇差を
使えば、突き通せぬ事は無かったと言います。

このような事があったため、殿下はこの両刀を常に差すようになられました。
そしてこの事に付いて殿下は

『輝元の進上した剣だけが通用したのは、輝元が心に偽り無く、わしを大切にしているためであろう』

と、仰いました。このように心安く、かつ信頼されているので、秀吉公は輝元様からの進物など、
もはや必要無いと言われたのです。」

このように言われたので、この時輝元は、秀吉への進物を差し上げる事はなかったそうである。


こんな事をぬけぬけと言えるのは秀吉くらいだなあ。とか思ったお話。

511人間七七四年:2009/07/16(木) 23:29:08 ID:tx6VVrf7
>>488
三斎「その猫の名は最高だな」
512人間七七四年:2009/07/16(木) 23:38:11 ID:BMTZY4ax
道灌を切り殺しかねない名前だよ
513人間七七四年:2009/07/16(木) 23:44:16 ID:DU+zqu8e
>>512
石田三成「まったくだ。」
514人間七七四年:2009/07/17(金) 00:24:15 ID:cVyfClGn
>>510
>荒実国行の太刀
これって例の尼子の…
515人間七七四年:2009/07/17(金) 00:33:30 ID:qqHJ0bzF
>>504
小田原ういろうのマスコットキャラ?地味に来るww
516人間七七四年:2009/07/17(金) 00:34:28 ID:W9WWTROC
>>512
玉ちゃん
 ハ ハ
(=゚ω゚)<「同感だにゃ。道灌の事だけに。」
517人間七七四年:2009/07/17(金) 01:26:14 ID:jU+QS9Pi
蜂須賀家政は冬になると家臣にある物を与えた。
「お前にこの足袋をやろう」
「はあ・・・(なんで片方だけ?)」
なぜか家政は片方の足袋しか与えなかった。しかし、それから数日経つと
突然足袋のことを問いただした。
「お前にやった足袋どうした?見せてみろ」
もし家臣が足袋を持ってきたならば、家政は
「おう偉いじゃないか。お前には褒美をやるよ」
と褒美をくれた。だが、
「片方だけ貰っても意味ないじゃん。捨てちまお」
と捨ててしまった者は当然持ってこれない。家政はそういう者には
「たく注意不足なやつだなお前は。そんなんじゃまた物をなくすぞ」
と叱ったのであった。
518人間七七四年:2009/07/17(金) 01:30:11 ID:aM82EF8s
こうゆう話ってすぐ伝わって相手にバレると思うんだがなぁ
またあれか、ってみんな黙ってるんだとしたら面白いんだが
519人間七七四年:2009/07/17(金) 02:17:28 ID:jU+QS9Pi
>>517
推敲不足でゴメンちゃい

×と捨ててしまった者は当然持ってこれない。家政はそういう者には

○と捨てた者はまさか捨てたとは言えず、失ったと言う。家政はそういう者には
520人間七七四年:2009/07/17(金) 09:02:16 ID:rZSsjhPL
後からくれる褒美って、もう片方の足袋だったりしないよな?w
521↓そんな訳ねー:2009/07/17(金) 09:10:41 ID:uRE12reh
>>520
実は足袋の中にはプレゼントが…つまり蜂須賀家政はキリシタンだったんだよ!
522人間七七四年:2009/07/17(金) 09:24:14 ID:LTcy+vUE
>>440
ところが日系人の中に薩摩の人が居たためその人を使って解読された・・・
523人間七七四年:2009/07/17(金) 10:46:24 ID:mQUNH5xA
たびたび褒美をくれるんですね、わかります。
524人間七七四年:2009/07/17(金) 11:45:33 ID:K4V4hCAh
足袋と度々をかけているんですね。
すごいな〜
やるな〜
525人間七七四年:2009/07/17(金) 12:30:10 ID:OzRtZTpd
現在、富田長繁と鬼武蔵と切れた蒲生氏郷が>>523の所へ向かっています。
526人間七七四年:2009/07/17(金) 12:41:52 ID:9ms2RC+C
森さんはこの前の試合で相手選手に暴力ふるって2試合出場停止です
527人間七七四年:2009/07/17(金) 12:47:17 ID:3o9geMc+
>>521
確かに蜂須賀家政はキリシタンだったらしいがw
528人間七七四年:2009/07/17(金) 12:55:39 ID:oKR67saO
>>527
阿波の殿さんは、ソックスハンターだったんだよ!!
529人間七七四年:2009/07/17(金) 13:12:54 ID:WDAcJB5S
>>482
少女の裸見て絶句って…
いったん、どんな裸だったんだ…まさか、ぶっといアレがついてたとか…?

530人間七七四年:2009/07/17(金) 13:36:31 ID:+gY3HYPI
>>529
おっさんが入っているはずの風呂に少女がいたんだぞ?
え、なんで?となるだろ。
531人間七七四年:2009/07/17(金) 13:53:13 ID:Dfm+iGUx
本当の家康って女の子だった とか
532人間七七四年:2009/07/17(金) 14:05:09 ID:ALyHjOH9
>>482
さすがに若い女がジイサンの声を真似るのは困難だ。
こういう場合刺客を呼び寄せるなら・・・
アンアン声を出すと刺客は家康が侍女と風呂でギシアンしてると勘違いするだろうから、喘ぎ声を出したものと思われる。
533人間七七四年:2009/07/17(金) 16:22:35 ID:E6HUPPX/
外出だったらスマソ、蒲生氏郷の話。
もしかしたら別の人の話題でこの話出たかもしれない・・・

秀吉により天下が統一され、豊家の繁栄いかばかりか、と言う時期のことである。

氏郷は近習の某と夜話をしていた。

近習「太閤殿下亡き後は、秀次様が継ぐと思われますが、殿も秀次殿のもとに馬をつながれますのか」

しかし氏郷はこう切り返した。

「秀次はただの凡人ではないか。あんな愚か者に従うものは誰もおるまい」

当時秀次は秀吉の跡継ぎとして認められており、これには近習もびっくりした。

「では、殿は誰に従うのですか」

「俺は、前田利家殿こそがその後を継ぐにふさわしいと思っている」

とはいえ利家は当時かなりの高齢であった。秀吉より年下とは言え、あとを継いだところですぐに後継者が必要になる。

「では、利家殿がおなくなりになられたら、どうなさいますか」

すると氏郷、即座にこう応えたと言う

「そのときは、俺が天下を取ってやる」


猛将らしい、きっぱりとした氏郷の性格を知ることが出来るお話。


ちなみに、氏郷の死後、蒲生家は誰が継ぐかで揉めたが、そのとき秀行の相続を認めたのは、秀次と言う、ちょっとムシのいいお話もw
534人間七七四年:2009/07/17(金) 16:31:00 ID:XBnYAgp/
「今弁慶」と呼ばれた男 木脇祐秀

島津家は一族や一門重臣の武将が優秀でどうしても目立ってしまうので
家臣の中馬大蔵らマイナー部将は埋もれがちなのが玉にキズ。

木脇祐秀(1577〜1619)、身の丈は八尺以上の大男であったと言い、
一説には身長2メートル超えていたとも伝わる。
兄の戦死後、家督を継ぎ若くから義弘の供回りの腹心として仕え、
その風貌と武勇から「今弁慶」の異名をとった剛の者であった。

文禄・慶長の役では義弘に従って奮戦。
膂力に優れ敵兵を軽々と持ち上げ風車のように振り回したと言う。まさに無双状態。
露梁海戦では舟から舟へ八艘BEATの大活躍!だったが、瀕死の重傷を負い一時心肺停止に。

ここで山田有信を蘇生させたりと実績と安心、もとい医学の心得のある義弘、
「胸まわりの胴体を長い布できつく縛り、両側から肋骨が折れるぐらいの勢いで押し絞り上げ
肺に溜まった血を吐き出させる」 という荒療治で祐秀は奇跡的に蘇生。
「この時の恩は生涯忘れない」と誓った祐秀は朝鮮での奮闘振りが評価され義弘より長刀を賜る。

ついで舞台は関ヶ原。
敵中突破の退却戦では祐秀は長刀を馬上で奮い、道を切り開く。一刀で5、6人を薙いだとも。
交代で殿軍も務め、途中遅れて追ってきた右備えの山田有栄とも合流。喜んだ祐秀、
「配下の兵をお貸りしたい。義弘公のお側が無人なので有栄殿は殿のお側をお守り頂きたい」
と述べ、少ない軍勢に有栄の手勢も加え追いすがる敵を打ち退けた。

なおも逃亡中の義弘一行、信楽にて落人狩り500人以上に宿所を囲まれる。
義弘の周りには50人ほどしかいない。絶体絶命のピンチであったが、
先行して偵察に出ていた祐秀らが引き返してきたところ包囲されているのを発見、
機を見て背後から急襲し囲みを破り主従一同なんとか切り抜けることに成功。

そして最後まで義弘を守り抜き薩摩に帰国。
死地を掻い潜り供に帰国を果たした功績により少ないながらも義弘より50石を加増された。

1619年に主君・義弘が大往生を遂げると、家久(忠恒)が殉死を固く禁じていたにも関わらず
祐秀ら13人が後を追い腹を切って果てた。激怒した家久は命令に背いた13人の家禄を尽く没収!
…したが、13年後の1632年に殉死した全員の家財を復し再興させた。

祐秀の墓は加治木町にあり、殉死した13人の供養の為の地蔵塔が
義弘の菩提寺である妙円寺(現在の徳重神社)に建てられたと言う。

家久にも優しいところはあるよ、というちょっぴりいい話で〆
535人間七七四年:2009/07/17(金) 16:40:26 ID:XBnYAgp/
>>526
それはMQNこと川崎フロンターレのMF森勇介だだだ
鬼武蔵の血を引いてるんじゃないかと思えるぐらいDQNな逸話に事欠かない
536人間七七四年:2009/07/17(金) 17:38:13 ID:9ms2RC+C
家久は色々言われるけど、統治システムの変革期である程度強圧的に上からやらないとだめってのもあったと思うけどね
13回忌で恩赦だし、予定していたんじゃないかなあ
537人間七七四年:2009/07/17(金) 18:44:46 ID:WGVy5ikj
>>536
まあ家久(悪)は自分が死んだ時にも九人殉死者出してるし、予定ではあったのかも
家久(悪)が批判されるのは、やり方があくど過ぎるせいもあるだろうねえ
普通なら取り潰されてもおかしくないほどの粛清の嵐だし
取り潰されなかったのは薩摩の立地が功を奏したのかな

しかし向こうのスレでも家久(悪)が褒められてて何か奇妙な流れw
538人間七七四年:2009/07/17(金) 18:45:29 ID:P79n24ap
今日は山鉾巡行だけど
戦国の逸話とかないのかなあ
秀吉とかこういうの好きそう
539人間七七四年:2009/07/17(金) 18:47:58 ID:mBkUevZc
・・・13年の間にもしポックリ自分が死んでたらどうする気だったんだろうなw
540人間七七四年:2009/07/17(金) 19:02:29 ID:38uuqtC7
まぁそん時は運が悪かったと
541人間七七四年:2009/07/17(金) 22:01:36 ID:e5EQ/WR6
>>510を見て
本当に夢で斬っちゃった話

ある日、佐竹義宣はいつものように鍵をしっかりかけた寝室で眠っていた
義宣は夢を見た
なにやら化け物が現れ、脇差で斬りつけ、撃退する夢だった

さて、目を覚まし、枕元を見ると、血のりのべったりついた脇差が転がっている
しかし、部屋の中には何もいない
「おい!誰かある!」
義宣の指図で、徹底的に家捜しが行われた
すると、屋根裏で大猫が真っ二つに斬られ、息絶えていた

義宣はこの脇差をいたく気に入った
質素を好んだ義宣の脇差で、これも無銘で何の変哲もない脇差だったが
「御夢切」と名づけて特に守刀として伝えたという
542人間七七四年:2009/07/17(金) 22:12:32 ID:MYo1lAWO
>>541
道灌「猫斬っちゃダメ−!」
543人間七七四年:2009/07/17(金) 22:12:35 ID:ujYIs1+O
猫好きの太田道灌さん、あいつやっつけて下さい
544人間七七四年:2009/07/17(金) 23:07:48 ID:iKsD+zqm
これは、義宣が寝ぼけて猫を斬ったのを、夢だったと勘違いしただけの話じゃ……
545人間七七四年:2009/07/17(金) 23:11:44 ID:RdF5zHav
突然道灌にキャラが立ったなww
546人間七七四年:2009/07/17(金) 23:13:15 ID:W9WWTROC
江戸初期までは猫でも犬でも牛でも馬でも(誤解を恐れずに言えば人間も)、日本人にとって
生き物を殺すのはかなり気軽な行為だった。

この意識を大転換させたのが「生類憐みの令」
547人間七七四年:2009/07/18(土) 01:01:01 ID:+5yJFJIb
幕末は試し切りするからびっこの犬が多かったとか
548人間七七四年:2009/07/18(土) 02:07:28 ID:hNt/C3uu
罪人で我慢しときゃいいのに
549人間七七四年:2009/07/18(土) 02:10:31 ID:lJdjHjYp
>>531
ドキッ乙女だらけの関ヶ原と申したか
550人間七七四年:2009/07/18(土) 02:15:31 ID:PtjtOQSU
>>541
直茂「猫は退治しなければならない」
551人間七七四年:2009/07/18(土) 02:25:44 ID:HzZs/aiy
>>546
スレチになっちゃうけど、近年それで徳川綱吉の治世が再評価されつつあるね
552人間七七四年:2009/07/18(土) 02:29:02 ID:vBoySomX
言い伝えなので、少し違うかもしれないが。。若き日の上杉謙信の家督争い時の、春日山城篭城戦の時の話。↓
 
「土地も家宝も銭も米すらも無いので、ここに居る名字の無き者達に春日山から取り、『春日』の名字を認めましょう。
一緒にここで戦った事は、いつまでも忘れないようにしましょう。」と、言われたそうな。謙信さんが。。本当じゃらほい?
553人間七七四年:2009/07/18(土) 02:36:06 ID:pnDa2wrh
>>551
現代の日本人が、極端な違和感を感じず生活できるのは、綱吉の治世くらいからでしょうね。
554人間七七四年:2009/07/18(土) 03:43:16 ID:PtjtOQSU
夢見ヶ崎の由来


夢見ヶ崎という地名の由来にはこんな伝承がある。
多摩川・鶴見川に挟まれ、かつ、鎌倉街道が近くにあり、築城に適した場所であった。
だが太田道灌がこの地に宿営した時「一羽の白い鷲が私の兜を掴んで南西の地へ持っていってしまった」という夢を見た。
そして築城は断念、兜は南西の地に埋めたという。


ちなみ築城場所は、夢見ヶ崎動物公園の東端である。
猫といい、猿といい、動物絡みの逸話に事をかかさない道灌であった。
555人間七七四年:2009/07/18(土) 03:43:38 ID:iIsbKQxA
>>553
現代人よりも現代の犬っころの方が違和感感じないかもな
556人間七七四年:2009/07/18(土) 03:56:54 ID:zGjCvrl0
>>554
盆踊りの唄になっているやつか 夢見ヶ崎音頭
現状も日吉の丘陵から独立した丘だから
物見にとか連絡用の拠点くらいあったんじゃね?

でも地元じゃ夢見ヶ崎は一般的じゃなくて加瀬山だ
557人間七七四年:2009/07/18(土) 06:15:14 ID:hNt/C3uu
>554
千代田の時は舟に魚が飛び込んできたんだっけか
558人間七七四年:2009/07/18(土) 09:17:49 ID:iIsbKQxA
道灌さんは戦国のムツゴロウだな
559人間七七四年:2009/07/18(土) 09:47:24 ID:boGZj0rz
>>552
謙信は家督争いの時、春日山に篭城してないんじゃない?
春日山には相手の兄晴景がいたんだから。
家督争いで春日山篭城したのは景勝では?
560人間七七四年:2009/07/18(土) 10:23:21 ID:Rw284zyj
>>554のあとに>>557がおきて江戸築城となったらしい

561人間七七四年:2009/07/18(土) 11:41:30 ID:PtjtOQSU
>>558
IDOLM@STERならぬアニマルマスターなんですね
562人間七七四年:2009/07/18(土) 13:01:58 ID:xy3hAwb6
318 :マジレスさん:2007/07/15(日) 12:41:19 ID:

会社の人がもう閉鎖されている掲示板に社内から書き込んだ写しです。
下の方には男の人の名前や住所などの履歴書のような個人情報と画像までありました。
非常に嫌悪感をいだきました。醜い内容です。私一人でこの秘密を抱え込むのは
心苦しいのでこの写しをのせることにしました。
写し
職場に何か気に入らない男がいました。
私と不倫相手と仲間で社内いじめを徹底的にしてやりました。
偶然その男に社内での不倫現場を見られてしまいました。
その後不倫相手は退職してしまいました。きっとこの男のせいです。
仲間と相談して、私がこの男からセクハラを受けていると嘘の申告をしました。
私が泣いて演技しただけで皆信じてくれました。
上司も協力してくれて、知り合いの医師に、この男を統合失調症の診断をしてくれるようにしてくれました。
上司と医者がこの男に脅迫までしてくれて、ようやく冤罪をかぶせることに成功することができました。
念のため、この男の中傷を広めました。この男は泣き寝入りで退職してくれました。
自殺させられなかったのが、残念ですが、私たちのしたことは、もう時効ですよね。
ばれなければいいんでしょ。
写し
まだ死んでなかったの?
こっちには仲間がいっぱいいるのよ あんたは一人
警察に逮捕させちゃうよ 
あんたの言うことなんか誰も信じないよ〜ぅぅぅぅぅ
また病院送りにしてやるわよ!
統合失調症とお〜ぉぉぉぉっ みんなが 認めちゃってるう〜ぅぅぅぅぅ
死ぬまで続けるからね!死ね死ね死ねぇぇぇぇぇ
563人間七七四年:2009/07/18(土) 13:31:29 ID:9JgN15kX
>>534
山田有信の蘇生の話出てないよね。簡単に投下

天正14年九州統一に向け北上する島津軍は大友方高橋紹運守る筑前岩屋城に攻め掛かった。
城攻めはし烈を極め従軍していた日向新納院高城城主山田有信は敵兵の落とした巨石に当たり絶息してしまう。有信絶体絶命これを聞きつけ駆けつけたのは!ピキーンBJ島津義弘であった。
義弘は関屋清左衛門ピノコに命じ草葉を封印した手巾で有信の胴を締めさせた。すると今まで息のなかった有信であったがたちどころに息を吹き返したという。
武芸一辺倒でない医術にも秀でた義弘の文武両道ないい話

初エピ投下です。拙い文章失礼しました。
564人間七七四年:2009/07/18(土) 13:38:30 ID:18HQGyJN
>>558
>道灌さんは戦国のムツゴロウだな

そのくせ猿は虐待してるよな
565人間七七四年:2009/07/18(土) 13:47:03 ID:+5yJFJIb
エピソードも多くて名将とうたわれて知名度もある割に存在感の薄い道灌は俺の中で謎の人
566人間七七四年:2009/07/18(土) 13:51:43 ID:SMhMoS+S
>>563
>有信の胴を締めさせた
現在の、胸郭を押す人工呼吸みたいなもんか。
草葉は薬草・・?
567人間七七四年:2009/07/18(土) 14:03:14 ID:PtjtOQSU
>>564

>そのくせ猿は虐待してるよな

それベッキーじゃね?
568人間七七四年:2009/07/18(土) 14:25:11 ID:18HQGyJN
大友宗麟の大猿と立花道雪・いい話
これはベッキーが宗麟を諌めて猿をたたき殺す話で


謙信と大猿・いい話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%B8%AC%BF%AE%A4%C8%C2%E7%B1%EE%A1%A6%A4%A4%A4%A4%CF%C3
こっちが将軍の凶暴な猿を事前にしばいといて
いざ将軍がけしかけようとしたら猿がビビる話

これを秀吉の猿を政宗が事前にryというパターンもある
おそらくネタ元は足利義政の猿と道灌
569人間七七四年:2009/07/18(土) 20:16:44 ID:YMlm7e6i
徳川秀忠が鷹狩に出かけた時、左が山、右が川岸の切り立った細道を馬で移動した。
その時、家臣の石谷長門は馬副いとして秀忠の側にいて、川岸の方を通った。
が、長門はちょっと張り切りすぎた。秀忠を抑えすぎて山側に落馬させてしまった。
秀忠落馬という事態に家臣たちは秀忠のもとに集まって騒然とした。

「あぁ、やってしまった・・・。これは、お手討ちであろう・・・」

と長門は覚悟していたが、秀忠は別段気にする様子もなく、

「長門がわしを心配しすぎたために馬から落ちてしまったな。お前にはとんだ迷惑だろう。
だが、別にどこも痛くはない。長門、砂を掃ってくれ」

と長門に言ったのであった。
570人間七七四年:2009/07/18(土) 20:23:52 ID:LdLPTPuR
長門たんの失敗ならおれも許せるな
571人間七七四年:2009/07/18(土) 20:35:25 ID:bTBDDfa4
ちげーだろw
名前が同じだけで同一視すんなw
572人間七七四年:2009/07/18(土) 20:40:01 ID:/W0bVyNK
>>569
やっぱり暗君ではないんだけどなぁ秀忠…
2代目は評価されなくて辛いよな

>>571
ああごめんごめん、銀河帝国初代皇帝の事か
48時間ぶっ通しで働き続けて仮眠だけとか凄いよな
俺も許せる
573人間七七四年:2009/07/18(土) 20:42:32 ID:Qvmk0aYx
かがみんこと各務右京亮に萌えてる人も居るんだ。
(纏めサイト参照)
大目に見てあげなよw
574人間七七四年:2009/07/18(土) 21:08:59 ID:boiDmvWR
圧倒的な初代から、天下をまるごと継承できる器だった、てことだよな
この親子のすごさは、器が天性のものじゃなく、己で練り上げたものだってことか
575人間七七四年:2009/07/18(土) 21:20:19 ID:JoB0d2XU
天文22年、本多忠高の妻は、息子・鍋之助とともに駿府の町外れを歩いていた。
今川家の人質となっている主君・竹千代のもとへ書状を届けるため、
三河からはるばるやって来たのだ。

しかし、不慣れな土地柄のため道に迷ってしまった。
さらに、もとよりの困窮のため、もうまる2日ほど何も食べていない。
服もボロボロになり、行き倒れ寸前の状態であった。
途方にくれていると、11歳ほどの武家の少年がそばを通りかかった。

少年に道を尋ねると、少年は快く道案内を引き受けてくれた。
さらに、疲労と空腹で歩けなくなった息子の鍋之助をおぶってくれて、
少年の持っていた焼き飯も分け与えてくれた。

「なんとお優しい方なんだろう。あのようなお方が今川家におられるなら、
わが君もさほど不自由をされていないに違いない。」

忠高の妻はそう思い、感謝の言葉を述べた後、少年と別れた。

目的地である智源院に到着した2人は、竹千代に謁見するため身なりを整え、
竹千代の登場を待った。しばし遅れて竹千代が現れた。
忠高の妻はわが主君を見上げて見上げてハッとした。
なんと、先ほどの少年ではないか!

竹千代「本多の後家か、遠路はるばるご苦労であった。わしがいたらぬゆえ
そちたちには苦労をかける。すまぬ。」
忠高の妻「( ゚д゚)ポカーン」
竹千代「叔母上から書状と帷子を届けてくれたのか。よし、この帷子は
その子が着るがよい。どれ、わしが着せてやろう。」
忠高の妻「も、もったいのうござりまする。この子は…。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン」

忠高の妻は号泣し、口上は声にならなかったという。

徳川家康11歳、本多忠勝3歳のころのお話。
576人間七七四年:2009/07/18(土) 21:21:28 ID:/uZQBKe2
秀忠は細川忠興、黒田長政、鍋島勝茂、立花宗茂みたいな同じ境遇の人間がブレーンにいたことも大きいな
577人間七七四年:2009/07/18(土) 21:27:37 ID:/W0bVyNK
>>575
ガキでも人間出来てるなぁ家康
578人間七七四年:2009/07/18(土) 21:29:38 ID:1Xq95odO
>>573
各務右京亮はかがみんにぶっ殺された奴だろw
579人間七七四年:2009/07/18(土) 21:39:30 ID:18HQGyJN
こんなに小さい頃から後家好きだったのかと
思った自分は汚れてるな
580人間七七四年:2009/07/18(土) 22:02:08 ID:Qvmk0aYx
>>578
すまん。
勘次郎の方のかがみんに斬られて来る。
581人間七七四年:2009/07/18(土) 23:02:10 ID:tDkxMYt0
脚色はあるかもしれないけど
家康少年の廃スペックさは異常
582人間七七四年:2009/07/18(土) 23:07:52 ID:pnDa2wrh
まあ幼い頃からハイスペックじゃなきゃ、17の時に今川義元から、小荷駄隊を任されたりは
しないだろうからね。>家康
583人間七七四年:2009/07/18(土) 23:09:49 ID:87yMG718
>>575
都合よく焼き飯を持ち歩いていた事から逆算して考えると、
竹千代君、もしや鷹狩帰りで気分がよくなっていただけといだけでは……!
584人間七七四年:2009/07/18(土) 23:42:29 ID:y7rz0K7q
>>581
母親とは生き別れ状態、父親は死んで、本人は敵方の手に落ちて、
ようやく助け出された今川家の中で松平の棟梁として後ろ指を刺されないように必死に生きている最中ですからね、この頃は。

俺、人間性でこの頃の家康に勝てる自信ないぜw
585人間七七四年:2009/07/18(土) 23:59:28 ID:JoB0d2XU
>>579
むしろ最も戦国板らしい反応かと。

このとき本多の後家は20代半ば。女手ひとつで平八郎忠勝を育てている。
のちに再婚したらしいけど。
586なんか:2009/07/19(日) 00:36:27 ID:nlZYXKGN
>>566
震えるぞハート!燃え尽きるほどヒート!流し込め太陽のバイヴレーションッッ!山吹色の波紋疾走ゥゥゥ〜

とやってそうな気がするのう……
587人間七七四年:2009/07/19(日) 00:40:30 ID:QGg9X0W5
勇とはなにか

天下を決する大坂の陣
大坂城を囲む佐竹義宣軍中に、大塚九郎兵衛と郷田七右衛門という二人の武士がいた

七右衛門は常日頃、「鬼七右衛門」と呼ばれていた男だった
気の荒さで知られ、往来で人を斬り、相手を己より弱しと見ればおおいにいたぶった
この戦の前にも、一つ事件を起こしている
九郎兵衛にからんだ七右衛門、あろうことか彼の頭を殴りつけたのだ
武士として、果し合いになっておかしくない暴挙
しかし、九郎兵衛はじっと耐え、臆病者呼ばわりされても沈黙した

やがて、合戦が始まると、九郎兵衛はおおいに奮戦し、武功を上げた
義宣より感状を賜った九郎兵衛、その足で七右衛門のもとへ赴いた
大坂で七右衛門の功は皆無だった
どころか、いつもの粗暴ぶりはどこへやら、まったくものの役に立たなかったのだ
九郎兵衛は言った
「かつてわしが恥を忍んだのは、こういう時にお上に命を捧げるためであったのだ
 そして今、こうして功を立て、感状を拝領することができた
 この感状にあやかるがいい」
九郎兵衛は感状をもって、七右衛門の頭をびしりとはたいた
鬼と呼ばれた七右衛門はうなだれ、頭を垂れて謝罪したという

家中の人々は日頃より、戦があれば七右衛門がまず功を立てるだろうと噂していた
この顛末を聞き、実に意外なことだと話し合ったという
588人間七七四年:2009/07/19(日) 01:02:22 ID:OPhGQ80i
内野安打なんか、ヒットじゃねえwwwwwwwwwwww
     ,,,,___             ___,,,,
       ''・、,,         ,,、・''
          \      /   
           \ヽ //      【鈴木ゴキロー】
       /      ‐Ж.- ヽ
      ,'   __生理 '__.l    究極体
      i -<_______,`ゝ   ゴキブリが究極進化した姿だ!
      /  〈.  -=・=- -=・=-}-、   必殺技は内野安打、保険バント
      !{   }      ,ハ    !f/
      ヽ._ ノ    ,‘,,-,,',   !ノ
         i.ヽ.  ,'"-===-'; |
       ヽ、_\/ ̄:\/ __/
      ┌――/_  0:ヽ、――ー┐
      │   /ヽ、 ̄ ̄/彡|    |
      /    |ミミヽ、/彡 |    ヽ、
      '   /|ミミミ/彡 |\
       /   |ミミ/彡彡|  \
       |    |ミ/彡彡|    |
       |    ヽ、彡ノ     |
       /     / ̄\     ヽ

589人間七七四年:2009/07/19(日) 01:02:34 ID:UtnAlE0I
再び竹千代のお話。今度は織田の人質だった頃。竹千代の境遇を憐れんだ
ある人が慰みになればと竹千代に黒ツグミを贈った。黒ツグミは物まね鳥だからだ。

最初、鳥で遊んでいた竹千代だったが、しばらくして部下に

「この鳥を返して。」

と言い出した。部下は怪訝な顔をした。

「えぇ?面白い鳥じゃないですか。」
「面白いけどこいつは物まねばかりで自分の鳴き声がないよ。それじゃあ
なんの役にも立たないもの。」

部下は呆気にとられた。
590人間七七四年:2009/07/19(日) 02:17:14 ID:g0HGeE2z
>>587
ああ、二次大戦で召集された兵達の話で
日頃威張り散らしていたやくざ者は戦場じゃ腰が抜けて全く役に立たなかったが
逆に普段目立たない様な大人しい青年が奮戦したっての聞いた事有るけど
それの戦国版か
591人間七七四年:2009/07/19(日) 04:31:49 ID:pfCmFPOt
>>587
http://www.youtube.com/watch?v=n5K7U-TFDY0&NR=1
普段威張り散らしていたり、弱い者いじめしているのは実戦で役に立たないよという映像。
592人間七七四年:2009/07/19(日) 09:57:28 ID:zR8ganXV
鬼武蔵「普段から謙虚でいられたので、武田攻めで様々な武功を上げられました。」
593人間七七四年:2009/07/19(日) 10:12:09 ID:jtErxj1F
>>592
あんたくらい、敵どころか味方の武将から露骨に嫌われていたって記録が残っている武将も
珍しいわw
594人間七七四年:2009/07/19(日) 10:34:05 ID:o1cZmqZB
>>590
古今東西、最強の兵士とは「友人思いの律義者」らしいしね。
595人間七七四年:2009/07/19(日) 10:35:50 ID:723/uEjn
>>594
昔外国でホモを集めて軍隊を作ったらえらい強かったと聞いたことがある
596人間七七四年:2009/07/19(日) 10:40:22 ID:zyAzI/xI
テーバイの神聖隊か。
597人間七七四年:2009/07/19(日) 10:43:17 ID:TZphiPnX
>>595
映画「300」であれだけ強かったスパルタ軍も
史実ではあの後
テーバイのホモ集団「神聖隊」に負けたしな
598人間七七四年:2009/07/19(日) 10:59:41 ID:DGGHm5iE
ほもっふ!
599人間七七四年:2009/07/19(日) 11:03:30 ID:+smETeYv
打海文三の愚者と愚者シリーズでそういうのあったな
ゲイヒロイズムを掲げる黒の旅団というホモ集団がえらく強いという
600人間七七四年:2009/07/19(日) 11:28:56 ID:ua6rx5qG
>>587
カンシンの股くぐりだね
601人間七七四年:2009/07/19(日) 11:59:59 ID:Cfs/ChHy
>>590
威張ってたっていうのじゃないがこれ思い出した。黒田長政若者を語る↓

若い者をまだ戦場に連れていかない内に十人ずつ三段に見積もることを試した
ことがあります。
まず、見るからに壮健で才覚もあり、優れた働きをするだろうと思う者たち。
次に、見るからに才覚鈍くなよなよとして役に立ちそうにない者たち。
そして、剛の者でも臆病でもない、ごく普通に見える者たち。

この三十人の者を戦場に出してみると、ごく普通だと思った者たちは、十人
全員間違いなく、逃げるわけでも優れるわけでもなく、並みの働きでした。
優れていると見積もった者は、十人中八、九人までは思った通り大きな働き
をしました。
しかしどういうわけか、一人か二人は思いのほかに大変臆病な者があります。
また、役に立たないだろうと目利きをした十人の内、これも八、九人は皆
思った通りだったのですが、中に一人か二人は比類ない大剛の者があって
事前に優れるだろうと目利きした者たちに勝るほどの手柄をあげ、戦場では
いつもと違って機転が利いて才知を示すことさえあるのです。

これらの者は目利きの例外というべきなのでしょうか、それともやはり私の目の
及ばないような深い所に大剛大臆の気があるのでしょうか。
602人間七七四年:2009/07/19(日) 13:06:43 ID:NPu5Nl/s
>>589
家康は物真似で成功したので、同じ物真似は役に立たないと言う事か
603人間七七四年:2009/07/19(日) 13:06:48 ID:4PUYaM5j
黒田如水「愚息よ、人物の見立て・取り立ての事に於いては
     我が選り抜きの二十四将に倣うのだ
     さすれば大凡の外れはないであろう
     まったくいつまでも世話を焼かせるブツブツ」
     
604人間七七四年:2009/07/19(日) 13:11:08 ID:ua6rx5qG
足萎え殿は梅毒が頭までまわったとみえる
チンポに話しかけるとは・・・
ああはなりたくないものよのう ヒソヒソ
605人間七七四年:2009/07/19(日) 13:22:15 ID:ruGSBfw8
>>589
以前、学研の付録で、竹千代(8歳)が
「籠の中の鳥は人質みたいでかわいそうじゃ。逃がしてやる。」と言っているのを
見たことがあるけど、それと同じ逸話かな?
606人間七七四年:2009/07/19(日) 13:24:44 ID:ruGSBfw8
>>600
まさしくそうだね
もっとも、韓信ほどビッグにはならなかったみたいだけど…
607人間七七四年:2009/07/19(日) 13:34:57 ID:DGGHm5iE
>>587
これ後でわざわざ嫌味を言いに行く所からしていい話って言うより
最初はビビってたけどジャイアンの口だけ番長が露呈して立場逆転したってだけの話なんじゃないか
60899:2009/07/19(日) 13:39:20 ID:5be7JAFN
☆☆☆☆☆☆告られレス★★超LUCKY☆☆☆☆☆☆
今月の間に超LOVEAになれるよо(^−^)о
自分が『好きだ』って思っている人から告られたり、
大切な人とずっと一緒にいられるよ♪∞
でも、まず最初にこの『告られレス』を
7つのスレに貼ってね。
そうすればLUCKYをゲットできるよ♪♪♪
(ただし7つのスレに貼ったらだよ)
信じるか信じないかはあなた次第!!
でも、このレスは本当にとっても効き目があるよ♪
このレスは絶対効きます。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
609人間七七四年:2009/07/19(日) 15:57:44 ID:yXrGPurU
>>23
遅レスだが俺はこの話を聞いた時に
「いや、聞こえなかったと思ったのでもう一回言っただけ」
とはなんで言わなかったの?って思った
610人間七七四年:2009/07/19(日) 17:37:48 ID:ruGSBfw8
>>575
全俺が泣いた。

本多忠勝が豊臣秀吉に、「わしの恩と家康殿の恩とはどっちが重いか」と聞かれたときに
「比較にならん。」と答えてるんだが、そりゃそうだろう。

従五位下と兜をもらうよりも、このときの焼き飯と帷子の方がよっぽど重いだろうよ。
611人間七七四年:2009/07/19(日) 18:58:25 ID:dT47RlR8
>>610
こんな超有名エピで泣けた貴様に魔法をかけてやる。
焼き飯を焼き味噌に変換すれば…
612人間七七四年:2009/07/19(日) 19:13:20 ID:ruGSBfw8
>>611
それって「くさやくさやwww」かよ。その変換はしないでくれーー!

それにしても、そんなに有名なエピソードだったとは。
家康&忠勝ファンで知らないの俺だけ?
613人間七七四年:2009/07/19(日) 19:16:06 ID:JLW3loNA
オタ知識なんだからムラが出るのはおかしな事じゃない
気にするな
614人間七七四年:2009/07/19(日) 19:47:08 ID:HTWDs2md
しかしこんな家康だからこそ、信長の粗暴な所業は全く理解できなかっただろうなぁ
徳川が天下を取った後も信長の話題はアンタッチャブルだったし・・・
615人間七七四年:2009/07/19(日) 20:16:31 ID:A5EKShuw
>>612そう言えば↓の話って有名だけど、オチを知ってる人案外いないんじゃなかろうか

天正18年(1590)2月、大阪城に諸大名が集まった時、秀吉は家康に聞いた。
「今回は、本多平八郎は連れて来ておられるのかな?」
「はい、連れておりますが…?」本多忠勝が、秀吉の前に召しだされた。
秀吉はさらに、立花宗茂を召しだして言った。

「宗茂よ、この者が東国最強の本多忠勝である。おぬしは西国無双の評判が高い。
東西において無双の者共なれば、わが前にて対面を許す。
今後は力を合わせ、宗茂は西国を守護してますます忠義を尽くし、忠勝は家康を助け、
東国を安んじよ!」

前田利家、毛利輝元など居並ぶ諸大名も、天晴れ武士の面目よ、と感じ入った。

その夜、宗茂の宿舎を訪れる者がいた。本多忠勝であった。
「このたび、関白の御前で天下に面目を施せたのは、ひとえに貴殿の功によるものです。
深く御礼申し上げる。」
と、素直にみずからの喜びを伝える忠勝に、宗茂も答えた。
「何を言われる!?貴殿こそ武勇の誉れ高き老巧の人。さあさあ、上がってこの若造の
後学のために語って下され!」

忠勝もこれを辞退するに忍びず、静かに東国での戦場往来の思い出を語った。
「いや、聞きしに勝る武者かな!」
宗茂は大いに喜び、忠勝を厚く饗応して帰したという、勇者は勇者を知る話。
616人間七七四年:2009/07/19(日) 21:44:40 ID:9dudJNbe
>>615
忠勝は宗茂立てて挨拶に行って宗茂は忠勝立てて話を聞いたってところか
いいなあ

ラスボスが二人並べていい気になってたっていう前半しか知らんかったわ
617人間七七四年:2009/07/19(日) 21:44:42 ID:+Oo/Zx0w
>>612
おんぶと焼き米の話は徳川家康の小説、漫画、大河ドラマで3度も見たよ。
どれも山岡荘八の原作だから同じエピソードがあるのは当たり前だけど。
618人間七七四年:2009/07/19(日) 22:09:46 ID:ruGSBfw8
>>615
そんな続きがあるとは知らなかった。
二人の誠実さをよく表してる、良いエピソードだね。

立花宗茂は徳川家の家中の人間に好かれてるみたいだね。
関が原後に改易された後、破格の待遇で大名に返り咲いてるし。
619人間七七四年:2009/07/19(日) 22:25:32 ID:m1yU0XcL
宗茂とうまくいってなかった人探す方が簡単

泳いで参ったと秀秋あたりだっけ?
620人間七七四年:2009/07/19(日) 22:32:40 ID:Q7RMFeRO
小悪党:田中吉政とか
621人間七七四年:2009/07/19(日) 23:08:30 ID:jtErxj1F
>>602
「家康は物真似」って言うのは、司馬遼太郎の作った変なイメージだよ。
家康はよく学んだって言うのを「学ぶは”真似る”から来た言葉だから物真似、独創性が無い」とか
わけのわからん理論でw
そのくせ家康は文字も知らないとか、矛盾した事を平気で書くし。もはや家康を貶めるためなら
何でもいいって感じだ。
622人間七七四年:2009/07/19(日) 23:23:23 ID:u+fibrED
>>619
朝鮮で「立花は小勢〜」うんぬん言ったとされている2人だね
言ったのは秀家のほうで、秀秋は濡れ衣?みたいだけど

秀家とは色々あるから、まあ上手くいってないとして、
秀秋とは上手くいってなかったのだろうか?
まあ、隆景・秀包と仲良かったみたいだから、思うところがあったのかも?
623人間七七四年:2009/07/19(日) 23:34:28 ID:3mZki8vB
>>590
それは、そういう話が珍しくて興味を惹くから語り草になってるだけで
ほとんどの場合、やくざ者は戦場でも荒々しく
大人しい人間は大人しいままが多いらしいぞ
ソースは坂井三郎の大空のサムライ
624人間七七四年:2009/07/19(日) 23:41:58 ID:jtErxj1F
>>623
「不良がたまにいい事をすると一気に根はいい奴に見られる」の逆パターンか。
625人間七七四年:2009/07/19(日) 23:42:16 ID:C1swqCB/
>>623でも富田ヒャッハー長繁は朝倉の越前統治中おとなしい武将だったとか…
626人間七七四年:2009/07/20(月) 02:39:37 ID:JsUuB4ng
>ソースは坂井三郎の大空のサムライ

ああ、ゴーストライターが書いたと物議を醸したあれね
627奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/20(月) 06:31:37 ID:ScuR+UWe
>富田ヒャッハー長繁

朝っぱらから焼酎噴いた。
628人間七七四年:2009/07/20(月) 07:18:28 ID:GZyiQ1e/
徳川家康に仕える岡崎三奉行の一人天野康景が興国寺藩主になってからの慶長12(1607)年城の修理の為積んでおいた材木や竹が毎晩盗まれる為見張りを置いた。
案の定盗人が数人現れ今まさに盗みとろうとした所を見張りが斬りつけ一人を討ち取った。
残った者たちは逃げ出しこの事を代官井出志摩守に訴え出た。
その盗人が天領(江戸幕府直轄の領地)の百姓だった為勝手に討った事は許さん、斬った者を引き渡せと代官が康景に申し出た。
だが康景は
「たとえ天領の民といえど罪は罪。従って渡す訳にはいかない」
と断った為とうとう家康に訴え出た。

家康はこの訴えを聞き本多正純に
「康景に限って不道の行いは考えられない。よくよく糾明せよ」
と命を下した。

正純は盗人の方に非があるのをわかってはいたが公の権威を守るため康景に斬った家臣を代官に渡すよう進言した。
それに対し康景は
「彼(家臣)は自分の職務を全うしました。何故殺す事が出来ましょう。どうしてもと仰るなら罪は私が一身に負いますので如何様にもされたい。」

そして康景は城と身分を捨て息子の康宗とともに小田原の西恩寺に入りそこで一生を過ごした。
629人間七七四年:2009/07/20(月) 09:33:16 ID:0YUzQ8m1
むぅ、これは…なんとももやもやするモノが胸に残るちょっと悪い話にも見える
天領の百姓はちょっとした特権階級だったのか?
630人間七七四年:2009/07/20(月) 09:42:23 ID:wNSSNORj
自分の所の人間を他所の管轄で裁かれたら叶わんって事でしょ
631人間七七四年:2009/07/20(月) 10:25:44 ID:dnrYQrlk
窃盗の現行犯をその場で罰したのを管轄違いも何もないでそ
この後1619年に福島正則が改易になった時も20年近くも前の
伊奈図書切腹事件のことが罪状に挙げられたっていうし
幕府の公権力をムリヤリ大きくするのが目的の悪い話だよ
632人間七七四年:2009/07/20(月) 11:18:00 ID:xQs+Dh86
ヤフー規制解除キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─ !!!

書き込める!書き込めるよ!!。・゚・(ノД`)・゚・。
633人間七七四年:2009/07/20(月) 12:09:03 ID:maVyKJ6d
天野康景の、硬骨漢ぶりを示す良い話ってところじゃないかね。
あと、中央の公権力を大きくするのが悪いことか否かというのは意見の分かれることだと思うが。
現代の世情的には悪いことになるのかな?
最近は地方分権が正義だからな。

似た話が漢の光武帝と董宣の間にも残っているが、そっちだと強情な董宣に光武帝の方が折れて報奨金三十万銭を与えてるな。
こっちはむしろ強情で権勢を誇る姉と、意地でも法も道理も曲げない董宣の板挟みになった感じだが、大抵はこちらも光武帝の芳しからぬ話とされる。
まあ、光武帝の場合実績が現代に通じることもあるので視点が厳しくなりがちではあるが。
634人間七七四年:2009/07/20(月) 12:18:54 ID:4bQ0+Ku9
これは盗んだ百姓側が訴え出たのか?
635人間七七四年:2009/07/20(月) 12:43:14 ID:YliOVTsR
伊達宗高公
伊達政宗の七男として仙台の青葉城で生まれ、慶長18年(1613年)に
数え7歳で村田城主となり、柴田・刈田両郡で3万石を領有しました。
元和9年(1623年)の春に噴火した刈田岳は、郷土に大きな被害を及ぼし
人々を恐怖に陥れました。
そこで伊達政宗は中国人の易者・王翼に指示を仰ぎ
祈祷によって噴火を静めるように命じました。

宗高は寛永元年(1624年)10月5日、王翼と共に刈田岳に登り
火口近くに祭壇を設け、節の付いた青竹に自分の息を吹き込み
そこに埋めましたが、このことは宗高の生命を
捧げたことを意味するものでした。
この祈りが天に通じたのか、祈祷が終わる頃には噴火活動が
次第に鎮まり、夜には全く止んだといわれています。
この若き城主の崇高な行為は領民の心を打ち、やがて神のごとく
敬慕されるようになりました。
しかし、宗高公は寛永3年(1626年)京都二条の要法寺で
天然痘に罹り、惜しくも20歳の若さで客死。
存命してたら家督継げたかもしれない名君でした。
636人間七七四年:2009/07/20(月) 12:54:39 ID:N/jSejvL
上手くオカルトを利用して民心を安定させたいい話だね。
637人間七七四年:2009/07/20(月) 13:00:21 ID:u0GfGF6x
これってグスコーブドリの元ネタかな?
638人間七七四年:2009/07/20(月) 14:38:21 ID:dBln72To
>>631
ただまあ、こんな話もあるので一概には…

義宣の側近に、梅津半右衛門憲忠という人がいた
特徴的な髭面で、勇猛な性格だった
ある日、憲忠は気晴らしに、久保田に程近い荒屋まで鉄砲撃ちに出かけた
後に佐竹領となるが、この当時、荒屋はまだ天領である
ところが憲忠は無断で狩りを行っており、間もなく地元の百姓らに見つかった
百姓らは憲忠を不審人物と判断し、鉄砲を取り上げようとする
激しい口論となり、憲忠は百姓の一人を斬り、逃げた

久保田へ逃亡した憲忠は、同僚の渋江内膳にこれを告げ、自分は家に篭もった
内膳はすぐさま登城し、義宣に事の顛末を報告した
義宣は碁の最中で、話を聞いてあっさり「切腹」と沙汰する
が、内膳は猛然と反論した
「お家の柱石たる者の命をこうも簡単に決するとは…
 碁遊びなどしながら考えるからです!もっと真剣に考えてください!」

内膳は収拾に奔走する
まず憲忠を領国の南・横手へ赴任させ、さらに家中より髭面の男を集めた
そして、いよいよ荒屋から百姓側の使者がやってくる
彼らもさるもので、狼藉者の容貌から、容疑者が憲忠だということまで突き止めていた
これに内膳はぬけぬけと答えた
「ははあ、確かに家中には半右衛門という男はいます
 ですが彼は所用で横手におりまして、荒屋に行ったとは考えにくいですね
 それに、ほら、家中には髭の者はあのようにたくさんおりまして、髭面というだけでは…
 …いやいや、決してそちらの言い分を疑うわけではありません
 では目撃者を連れてきて、あの髭の者達と対面させましょう
 もし、人違いであれば、言いがかりをつけた百姓は 一 人 も 帰しませんがね」

荒屋の者達は恐怖し、結局うやむやにされてしまった
憲忠は後に、藩第一の重臣に上ることとなる

これ、内膳の機知を伝える逸話とされているのだ…
639人間七七四年:2009/07/20(月) 14:55:56 ID:qstyH93J
酷えwwww
岩明均の漫画でもそういう性格ではあったなそういえば
640人間七七四年:2009/07/20(月) 15:20:09 ID:XrVA4Yzd
冤罪や微罪なら機知で有為の人物を救った美談になるんだろうが
理由が理由だけになあ
641人間七七四年:2009/07/20(月) 16:13:27 ID:xeMve1Y/
>>628
そんな無茶苦茶な話が通ってたら、幕府はすぐ潰れただろうなw
642人間七七四年:2009/07/20(月) 18:46:02 ID:ILXeDe9I
これって日記職人の梅津政景のお兄ちゃん?
643人間七七四年:2009/07/20(月) 19:25:55 ID:75X8ggVV
>>626
いい話スレなんだから
憶測で貶すのやめろ
644人間七七四年:2009/07/20(月) 19:47:16 ID:wNSSNORj
>>626は良い話とかそんなん関係無く駄目なレスだけどな
しかしもう夏休み入ってるんだから「まだ若いから仕方がないね」位の余裕を持って置かないと
645人間七七四年:2009/07/20(月) 20:14:09 ID:xQs+Dh86
小早川隆景が死去した時、それを聞いた豊臣秀吉は大変に悲しんだそうだ。

「近世の日本の賢人であった。もし智謀才覚で命を延ばせることができるなら、隆景は
百歳でもなお息災であったであろうに、死という物はどんなに賢明であっても逃れる事が出来ない。」

このときお側にいた、お伽衆の前場半入という者が

「真に惜しき人でございました。良き中国の蓋でありましたのに。」

そう申し上げると秀吉、たちまち機嫌を悪くして言った

「お前は本当に目の小さい男だ。そんな目しか持たぬから、その程度にしかなれないのだ!
隆景を中国の蓋とはどれだけ見る目が無いのだろう。彼は日本の蓋にしても、なお余るほどの
蓋であったわ!」

この時御前にいた人々は、「小早川隆景殿は、死後までも名を上げられた。」と
大いに言いそやしたそうである。

秀吉の隆景への評価の高さが、よく伺えるお話。
646人間七七四年:2009/07/20(月) 21:20:43 ID:TSNuHCMs
>>639
そういえば岩明均の佐竹の話は
単行本になっているのかね?
647人間七七四年:2009/07/20(月) 21:28:35 ID:cY1A/7MF
>>645
四国の蓋涙目wwwww
648人間七七四年:2009/07/20(月) 21:30:13 ID:9knQJ1wy
なってるよ
雪の峠・剣の舞
疋田・バッファローマン・文五郎の話とカップリング
649人間七七四年:2009/07/20(月) 21:58:30 ID:wNSSNORj
島津忠良の父、善久は横死、祖父の久逸は戦死したため
一児の母である常盤が伊作島津家の当主となった
しかし政務の傍ら大事なひとり息子の忠良を養育していくのは容易ではない
そこで忠良を海蔵院の頼増という僧に預ける事にした

が、良家の子息らしくお寺でおとなしくしているかと思いきや
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1501.html
の話がら見て取れるように幼年時の忠良はまさに悪童であった

その日、忠良は勉強をサボった(水泳に夢中になるあまり寺に帰らなかった?)
今回は上記の話のように頼増が感心することなく
始末に困った頼増は忠良を柱に縛り付け罰した
その話を聞いた常盤、「それはそれは良き師を得たものだ…」
と涙ながらに喜んだという

…常盤は自分の息子を相当持てあましていたのだろうか?

忠良が縛られたこの柱は寺と共に一時消失したものの
寺が再建された時に縛られた位置にあった柱を日新柱と称する事にした
歴代藩主はこの柱に接して修養の戒めにしたという

現代では日新柱は伊作小学校で教育の戒めとして飾られ
町指定の文化財となっているようだ

伊作小学校のよい子のみんなは学級崩壊なんて起こさないように
柱に縛り付けられたり薙刀振り回した坊さんが追いかけてきたりするかも知れないぜ?
650人間七七四年:2009/07/20(月) 21:58:41 ID:JsUuB4ng
>>643-644

PCと携帯でご苦労さん
ってか物議を醸したといっただけなのに貶めたとか何とか火病起こすなよ
ある武将の逸話をこれ出典は中国の古典だろ?
とか他の武将にも同じ逸話があるねとかって言ったら
貶めたことになるって言いがかりレベルだぞ
651人間七七四年:2009/07/20(月) 22:03:37 ID:Hrd0SFNW
>>649
間違いなく持て余してます。本当にry
652人間七七四年:2009/07/20(月) 22:05:17 ID:maVyKJ6d
>>650
全く別の問題だと思うが。
大空のサムライについて、具体的にゴーストライターが書いたとする、
専門家なりなんなりがいるなら挙げてほしいものだ。
653人間七七四年:2009/07/20(月) 22:08:21 ID:GX3e6WQr
>>650>>652
よそでやれ
654人間七七四年:2009/07/20(月) 22:49:16 ID:CIMy938U
夏の悪い風物詩ですね
655人間七七四年:2009/07/20(月) 22:55:03 ID:xQs+Dh86
そういえばもう夏休みですか
656人間七七四年:2009/07/20(月) 23:02:24 ID:JsUuB4ng
>>652

日本語大丈夫か?物議を醸すって言葉を調べてみろよ
俺はゴーストライターだとは言いきってないし
実際その問題について関心がない
ただ俺はその著作をゴーストライター騒動が世間で流行った頃に知ったから
>>626にそう書いただけだ
657人間七七四年:2009/07/20(月) 23:05:53 ID:XqXvznlL
そもそもゴーストライターって話のネタ自体は本人に聞いてそれを読みやすくまとめる仕事だと思う
だから>>626さんは思い浮かんだことを特に意味はないけどふと書き込んでしまっただけで
真偽を疑う意図はなかったと思います
658人間七七四年:2009/07/20(月) 23:05:53 ID:Hrd0SFNW
>>654
やな風物詩だねぇ

言われても止めないし
659人間七七四年:2009/07/20(月) 23:07:40 ID:iaACZ4vJ
以下、こやつにかかわった人間は橋守に任命いたす。
660人間七七四年:2009/07/20(月) 23:17:53 ID:T7jazIvN
いい加減スレ違いだってことに気づけよ
661人間七七四年:2009/07/20(月) 23:21:17 ID:JsUuB4ng
貶めただけのスレ荒らしに総括して弁明も許さず
夏の風物詩にして握りつぶすのは余にも酷いでしょう
マジでスレの趣旨に反してるので謝罪して書きこみ辞めますが
662人間七七四年:2009/07/20(月) 23:41:54 ID:xQs+Dh86
空気換えよう


さてさて、朝鮮の役の有名な、蔚山城籠城戦(慶長2年(1597年)12月22日〜慶長3年(1598年)1月4日)
その蔚山城についに、黒田、毛利、蜂須賀などの、日本軍の救援部隊が駆けつけた!

駆けつけたのはいいが、蔚山城の周辺は、明軍が信じられないほどぎっちりと取り囲んでいた。
そのあまりの数にあきれた救援軍の将の一人、毛利勝永がつぶやく

「…なあ、あの唐人ども、どのくらいの数居ると思う?」

これに山口宗永

「じゅ…、十万くらい。かなあ…?」

すると勝永の家臣、竹中重利は

「いやいや、あの人数を正確に測るのはムリでしょ。
ものの例えに、数の多い事を、『蟻塚を崩したるような』なんて言いますが、
蟻塚崩したってあんなに湧いて出ませんよ。
私は生き物が、あんなに群がっているのを見たことがありません。
みんなも記念に、今のうちに見ておいたほうがいいよ!

大軍って言うと昔、織田常真殿がまだ信雄卿って呼ばれていた頃、徳川家康と組んで
小牧で太閤殿下と戦いましたよね。その時双方合わせて20万って言われてましたけど、
あの時の軍勢なんて、あそこに居る唐人の、十分の一も無かったですよ。」

これを聞いて勝永「ああ、そう言われればそうだ。小牧の軍勢は、確かにあそこの唐人の、
十分の一もいそうになかったなあ。

…ま、でも、例えあの倍いた所で」

山口「俺たちが」

竹中「打ち倒してやるんだけどねw」

ふえっへっへっへっへ

大軍を前にして、流石リアル戦闘民族なのである。
しかし明の大軍は、もはや軍隊と言うより、生き物の群れと言う
生物学的な概念で説明したほうが早かったらしい。と言うお話。
663人間七七四年:2009/07/20(月) 23:55:10 ID:gXapK2kP
こういう闘争心を失うと生きていけない時代だったんだろなあ
サイヤ人みたいだ
664人間七七四年:2009/07/20(月) 23:58:31 ID:PIps6Sog
加藤清正は砲術士として名を馳せた稲富一夢に扶持を与えて
家臣に砲術を教えさせることにした…のだがいつまでたっても
一夢は呼び出されない。家臣も訓練をしていない。おかしいぞ
と思った家臣たちは思い切って清正に聞いてみた。すると、

「ああ、そのことね。いいか、戦は魂でするんだ。砲術の技術
なんてはっきり言ってどうでもいいんだよ。まあしかし、加藤家
の人間が名人に教わったとなれば人は俺たちを恐れるからな。
つまり噂が広まりさえすれば、あとはどうでもいいの。」

と清正は答えたいう。
665人間七七四年:2009/07/21(火) 00:47:28 ID:Pcn9YpsK
>>664
稲富さん自身は・・・ニート?
666人間七七四年:2009/07/21(火) 00:48:22 ID:zrRe11+V
むしろサラリーシーフ
667人間七七四年:2009/07/21(火) 00:56:23 ID:lwaVHygp
>>662朝鮮の役ですか・・・

天正20年(1592)4月、朝鮮へ向かう島津義弘を新納忠元と樺山善久(久高の祖父)が
見送り、餞別として和歌を送った
・・・というのはタテマエで、もう70前と80歳のかつての猛将ふたり、老齢を理由に
留守番に回された恨みを義弘にぶつけに来たのだった。

忠元の歌
あぢきなや 唐土までも 後れじと 思いしことも 昔なりけり
(外国だろうがどこだろうが、他に後れは取らん!と思ってたけど、それももう昔のこと。
しょうがないよね・・・)

善久の歌
君が為 名のため取りし 梓弓 八十余りし 身こそ弱けれ
(ご主君のため、己の名誉のため必死に弓取って戦ってきたけど、八十になって体も
すっかり弱っちまいましたよ・・・)

これに対し、義弘も和歌で答えた。
唐土や 倭をかけて 心のみ 通ふ思ひぞ 深きとは知る
(昔は九州中を駆け、今は朝鮮を駆けるけど、オレはどこに行っても仲間と心だけは
深く繋がってるって知ってるぜ?)

名将の命日に。
668人間七七四年:2009/07/21(火) 01:13:31 ID:l7JcMtS7
>>666
ネームをレンタルしてるからサラリーシーフじゃないと思う
669人間七七四年:2009/07/21(火) 01:29:00 ID:2sO6QeaZ
むしろ広告塔になってるから、そこらのサラリーマン(武士)よりよっぽど役に立ってるのでは。
670人間七七四年:2009/07/21(火) 01:38:18 ID:wp9qcNqF
>>667
地味に心温まる逸話だ。
しかし忠元さん”もう70前”とあるが、本人的には
” ま だ 70前だし全然海外遠征OKなのに”
という気持ちなのが歌に現れてるw
671人間七七四年:2009/07/21(火) 01:49:45 ID:MExwDSsD
>>662
あまり突っ込みばかりしてるのも無粋ってもんだが一応
小牧長久手は勝永6歳なので流石に勝信なんじゃないかなと思われる。
竹中重利も小倉1万3千石なので家臣というより与力なんじゃないかな

小倉毛利の石高が勝信の6万石〜勝信10万+勝永4万まで説があるのは与力も数えてるのかもしれないね
小大名クラスを複数小倉周辺に土地を与えてその筆頭として毛利だったとか妄想が広がるぜ
672人間七七四年:2009/07/21(火) 02:05:09 ID:zrRe11+V
>>671
むむ、原文に毛利壱州とあったのをつい勝永と書いてしまいましたが、
たしかにこれは勝信ですね。すいませんこちらのミスですorz
673人間七七四年:2009/07/21(火) 02:23:05 ID:0BrpSbHa
>>671
この時の攻城側兵力って5、6万だったよね?
厳重な包囲でそう見えたんだろうか。
674人間七七四年:2009/07/21(火) 04:22:23 ID:W+bpERSV
ふと思ったんだが現代日本で、最も多くの人間が集まるのを見れるのってなんだろう?
埼スタ?府中競馬場?明治神宮?
675人間七七四年:2009/07/21(火) 04:26:13 ID:jCSfpsIN
コミケとか
676人間七七四年:2009/07/21(火) 04:28:34 ID:jzKnxXQW
>>674
おまえらが大好きなコミケだろw
しかも体型だけなら肥前の熊みたいな奴らが獲物を物色してるぞ
>>662のメンツも尻込みすること請合い
677人間七七四年:2009/07/21(火) 07:13:59 ID:1bcMfPg4
競馬ブームの頃は中山に15万集まった
678人間七七四年:2009/07/21(火) 07:27:04 ID:Ao5f/fEx
コミケは1日で約20万人のときも。もう行きたくないわ
679人間七七四年:2009/07/21(火) 07:38:20 ID:hzNDKhNu
>>667
ああ、wiki見たら今日って義弘の命日なんだな
御冥福をお祈りします
680奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/21(火) 07:39:59 ID:k76APIRb
これだけ讃えられていて、冥土で福をもらえていないはずがない。
681人間七七四年:2009/07/21(火) 08:00:59 ID:nsvV98Bu
初めてこのスレ見たけど昔の人はすごいね。
今こそこのスレに出てくるような戦国武将のような性格の政治家が現れてほしい。
今の政治家は悪い話で出てくる武将みたいなのばかりだし。
682人間七七四年:2009/07/21(火) 08:07:23 ID:jzKnxXQW
義弘公の御冥福をお祈り申し上げます。
墓所の前でホラ貝吹いたら復活しそうと思ってるのは俺だけじゃないはず
683人間七七四年:2009/07/21(火) 08:52:51 ID:hzNDKhNu
>>682
晩年メシも噛めないくらい衰えてたのに家臣がトキの声上げたら
一気にメシをかき込んだって逸話を持つ人だからなw
684人間七七四年:2009/07/21(火) 08:57:43 ID:Ok/KTjbD
>>667
返歌が熱いな
もっともこの後義弘と親指武蔵の二人は老いても関ヶ原の戦いで出陣してるが

どうか浄土で安らかに…
てか誕生日も明後日なのな
685人間七七四年:2009/07/21(火) 10:59:53 ID:yOIXkAcO
686人間七七四年:2009/07/21(火) 11:49:22 ID:CA8DvHwn
>>677
あの怪物のラストランですか。
687人間七七四年:2009/07/21(火) 13:52:42 ID:eKLuA17I
鬼武蔵ラストヒャッハーか・・・
688人間七七四年:2009/07/21(火) 13:52:50 ID:anh4UDOv
新納は関ヶ原出て無くないか?

それは新納旅庵では。
689人間七七四年:2009/07/21(火) 16:28:00 ID:v4DZ8qc0
関ヶ原に出たのは旅庵。捕虜になって交渉役になった
忠元は大口地頭だから肥後加藤清正の国境警備
690人間七七四年:2009/07/21(火) 17:09:05 ID:hWSio8Yl
ニーロ・リョアンって書くとイタリア人宣教師みたいだよな
691人間七七四年:2009/07/21(火) 19:33:08 ID:bJPOV4i9
ロバート・デ・新納 と書くと……?
692人間七七四年:2009/07/21(火) 19:45:40 ID:jzKnxXQW
リョアーン・デ・ニーロ
693人間七七四年:2009/07/21(火) 21:26:59 ID:Z/D+k4A5
デ新納様は清正挑発して愉しんでなかったっけ?
694人間七七四年:2009/07/21(火) 22:28:23 ID:5YL2EcOK
派手な武功は無いけど、旅庵さんの話でも。

新納旅庵は新納忠元と同じく新納氏の一員である。
旅庵と忠元の祖父同士が兄弟、尚且つ二人の曾祖父が常盤夫人の弟(つまり日新斎の伯父)
ということで、島津家に仕えるのも必然であった。

だが忠元が12歳のときに義久(当時6歳)に仕えたのとは対照的に
旅庵が義久に仕えたのは30を過ぎてからであった。
出仕前に出家していたこともあってか、調停や外交など交渉ごとで活躍する事が多く
庄内の乱に置いても徳川の家臣、山口直友とともに調停に奔走している。

関ヶ原では義弘の供をして上京し、伏見の鳥居への使者を務めてもいるが、
周知の通り島津勢は伏見城へ入場できずそのまま西軍に参加することになる。
関ヶ原からの退却中、彼は義弘とは別のルートを通り、京都の鞍馬寺に潜伏していたが
運悪く捕らえられ水攻め火責めの拷問に掛けられてしまう。

拷問といっても事実を引き出す事が目的ではない。
要は徳川方に都合の言い証言を引き出せれば良いのだが、旅庵は徹頭徹尾
『義弘公は伏見入場申し入れの当初から徳川に対し二心なきこと、
 また郷国の義久、忠恒二公も西軍に加担せざりしこと』
との主張を曲げずに訴え続けた。

連日の拷問に耐える旅庵に光明が指したのは、
かつて庄内の乱で、供に奔走した山口直友が落人詮議役としてやってきた時である。

山口は旅庵の主張が事実であることを承知していたが、それ以上に警戒したのが
決して拷問に屈しなかった旅庵の態度である。
家康は山口の報告から、もとより島津の家臣団の団結力を改めて思い知らされ
征伐も已む無し、の態度を変えるに至ったといわれる。

山口のとりなしで開放された旅庵は帰国後も島津家の本領安堵のために奔走するが、苛烈な拷問がたたったか
1602年の10月に急死してしまう。
忠恒が家康に会見し、本領安堵が約束される実に二ヶ月前のことであった。
695人間七七四年:2009/07/22(水) 00:40:13 ID:uQSmeqKk
>>534
まとめサイトの記事に木脇祐秀の子孫の人がコメントつけてる!
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2467.html
696人間七七四年:2009/07/22(水) 00:46:37 ID:5up/06G3
武田攻めの後詰として甲斐に入った信長公。武田家が滅んだのを見届けると
後始末を信忠らに任せ、駿河経由で安土へ帰った。
この帰途で、生涯初めて富士山を見ることになる。

で、初めて見た富士山にテンションが上がったのか、信長公バイクに跨って
ヒャッハー……ではなく、富士の裾野の草原を、近習達と共に走り回ったという。
697人間七七四年:2009/07/22(水) 10:54:57 ID:G9sjT6h7
元旦恒例の起源はこれか!
698人間七七四年:2009/07/22(水) 10:55:56 ID:4ZvTNfMw
かわいいなw思わずなごんだ。
699人間七七四年:2009/07/22(水) 11:42:59 ID:G7fZnj5w
フッジッサ━━/^o^\━━ン!

キャッ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚キャッ!
700人間七七四年:2009/07/22(水) 11:43:50 ID:YSycCjgg
>>695
子孫の方だけが知ってる逸話とかないもんかねぇ
701人間七七四年:2009/07/22(水) 11:50:07 ID:bJB6e6tb
>>700
前野子孫「武功夜話」



702人間七七四年:2009/07/22(水) 12:31:44 ID:H82I8NOD
>>694
山口直友の実弟って後に薩摩に仕えてんだよな
確か山口直友が主人公の小説があったような。なかなかの傑物だよね


>>534>>695
誰も突っ込んでないから俺がツッコミ入れる!
八艘BEAT(HASSO-BEAT)はアトラスのゲーム、
真女神転生デビルサマナーの悪魔合体で誕生する
英雄ヨシツネの特殊技(剣技, 8回連続攻撃)です!
703人間七七四年:2009/07/22(水) 12:45:30 ID:4kXghlSb
>>702
元々が八艘跳びなんだからBEATでもどっちでもいいだろ
704人間七七四年:2009/07/22(水) 13:00:44 ID:yqb9im73
山口直友をググってきたんだが、実にうらやまけしからん逸話の持ち主だな。
74歳の時に19歳の嫁か…
705人間七七四年:2009/07/22(水) 13:05:32 ID:zLTgnPya
19歳のけしからんおっぱいが74のひひじじいのものだと!?
なんという戦国の悪い話・・・
706人間七七四年:2009/07/22(水) 13:18:03 ID:taTSP/Ry
現代なら遺産目当てだろってぼろくそにいわれるだろうなw
707人間七七四年:2009/07/22(水) 13:23:57 ID:1PQP+l+j
当時だってそうだろw。
74のじじぃに子供出来るとは思えないからなw

って・・真田の親戚に70台で娘を作った奴が居たな・・。
708人間七七四年:2009/07/22(水) 14:07:54 ID:YSycCjgg
当時血族でもない嫁が相続するなんてあり得たのか?
せいぜい隠居料じゃないの?
709人間七七四年:2009/07/22(水) 14:24:42 ID:AImYGf5N
wikipediaに、
>生まれつき病弱だったため、60歳まで女性を近づけず独身であった。
>60歳の時に18歳の妻を娶り子を生した。
>さらに、この妻が早世したため、74歳にして19歳の妻(戸田一西の娘)と再婚した。
とあるね。魔法使いパワーで孕ませたんだな。
710人間七七四年:2009/07/22(水) 14:43:43 ID:0+e1e3WN
という事は俺たちにも可能性が残されてるのかっ、先達に続け!
711人間七七四年:2009/07/22(水) 14:44:57 ID:FuUirfTo
小林一茶みたいになるぞ
712人間七七四年:2009/07/22(水) 14:45:47 ID:CWf1kRde
長尾さんちの景虎さんと言いホントに魔法使いになれるんだ
SUGEEEEE!!
713人間七七四年:2009/07/22(水) 15:21:40 ID:TxmRmXJe
景虎さんはたしかに女には触れてはいないが・・・・
それ以上に・・・・・
714人間七七四年:2009/07/22(水) 16:06:33 ID:F9HdZkp/
>>693
ノリノリで領民子供に挑発ソング教えて歌わせたんだよなー

アントニオ猪木のマイクアッッピールみたいなモンだったがw
715人間七七四年:2009/07/22(水) 17:57:40 ID:YSycCjgg
源平時代には日食が戦の勝敗付けた事があったけど
戦国時代にはそういうことなかったの?
716人間七七四年:2009/07/22(水) 18:04:53 ID:bJB6e6tb
>>709
きっと最初の一発は相当濃いものだったんだろうなぁw
717人間七七四年:2009/07/22(水) 19:44:56 ID:pqFSAXTe
秀頼なんて、茶々の愛人との子だから
ネネが潰したんだろう?
718人間七七四年:2009/07/22(水) 22:06:13 ID:XTIjVgUg
長雨続きでイヤですね。中国・四国・九州の人、↓みたいに雨に負けずに頑張ってね!

慶長11年(1606)5月、細川忠興は飛鳥井雅庸・雅賢らと神龍院梵舜の屋敷を訪れた。
夕食後、蹴鞠の家元である雅庸の同道ついでに蹴鞠をすることになった。
が、
雅庸「雨でおじゃるな……」 雅賢「雨でおじゃるね……」

ここで忠興、ひらめいた。
「庭で蹴鞠ができないなら、座敷でやればいいじゃない。」
ということで、人ん家の座敷で蹴鞠をして遊んだ。

雅庸「おっ、雨が上がったでおじゃる!」 忠興「よーし、庭でやるぞー!」
雅賢「わー、また降ってきたでおじゃるー」 忠興「よーし、また座敷でやるぞー!」

(「…天気雨ニ依テ座敷鞠也、雨晴之透キニ一庭アリ…」 『梵舜日記』より)

この根性が認められたか、翌年忠興は雅庸に蹴鞠の秘伝を伝授されましたとさ。
719人間七七四年:2009/07/22(水) 22:08:46 ID:YSycCjgg
行儀の上でどうなんだそれは…
720人間七七四年:2009/07/22(水) 22:10:44 ID:VIOIrAiI
サッカー選手の家に遊びに行って、部屋のなかでリフティングし始めるようなもんか。
721人間七七四年:2009/07/22(水) 22:19:45 ID:uQSmeqKk
蹴鞠の上手い人は本当にどこでも蹴鞠出来たらしいね。
「蹴聖」藤原成通なんて、

「台盤に乗って鞠を蹴ったが音一つしなかった」
「侍の肩の上に乗って鞠を蹴ったが当の侍はそれに気付かなかった」
「成通が蹴る鞠は雲に届いた」

こんな、全盛期のイチローコピペみたいな人もいたがw
722人間七七四年:2009/07/22(水) 22:20:21 ID:taTSP/Ry
>>720
現代はウイイレかFIFAで我慢してください
723人間七七四年:2009/07/22(水) 22:35:15 ID:wTvHnnO/
>侍の肩の上に乗って鞠を蹴ったが当の侍はそれに気付かなかった

凄すぎるだろw仙術かよ
724人間七七四年:2009/07/22(水) 23:02:02 ID:CWf1kRde
>>715
遅参の段御免なれ残念ながら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-903.html
くらいしか俺が探した限りでは戦に関わる天候の話は見つからなかった

まあ永禄年間の陰陽頭の土御門有春が月食の日を外して進退伺いを出した
なんて話があるんで戦国期にはもう日食くらいじゃ驚かなかったかもね
725人間七七四年:2009/07/22(水) 23:30:12 ID:YSycCjgg
>>724
いやいやお手数を掛けてしまって申し訳ない
お疲れでしょう。碌なもてなしも出来ませんがこちらをどうぞ
毒は入ってないのでご安心を

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)     
 ( ∪ ∪  ,.-、  
 と__)__) (,,  )     旦
        塩握り   粗茶

俺も軽く探したけど日食の記録も見つからなかった
そもそも戦国期に日食は無かったのかも知れない
726人間七七四年:2009/07/22(水) 23:58:42 ID:bqP71M9W
ある時、隠居していた前田利常は息子の光高に、佐々木道休を通じて忠告した。

「お前は文武にすぐれた男であるが、いつも家臣に声をかけて
いるのはよろしくない。武将というのは無闇に声をかけないものだぞ。
普段は声をかけずに褒美を与えるようにするんだ。

なぜかというと、本当に家臣に頑張ってもらう必要がある時は側にやる物が
ないので、その時こそ声をかけるのだ。家臣というものはそういう時に主君から
声をかけられると感激するのだよ。」
727726:2009/07/23(木) 00:06:27 ID:Ii0ix67O
>>726
訂正

褒美を与えるようにするんだ。×

金銭や衣類などを与えて目をかけるんだ。○
728人間七七四年:2009/07/23(木) 00:23:45 ID:itwyvQqi
金銭や衣類などを与えて目をかけるんだ。×
金玉をおっぴろげて見せびらかすんだ。○
729人間七七四年:2009/07/23(木) 00:36:44 ID:bbTzLiMH
ぐぐったら日本での日食の計算は飛鳥時代に中国から儀鳳暦を導入して始まったそうな。
戦国時代ともなれば日食・月食は計算可能な周期的な現象だってのは常識化してたのでは?
730人間七七四年:2009/07/23(木) 00:56:29 ID:qY1cKVDA
学のない足軽は突然日蝕が起きると統制が大いに乱れただろうね。
逆に軍師にでも日蝕を予言させれば士気を上げる役にも立つんじゃないかな。
731人間七七四年:2009/07/23(木) 01:41:27 ID:0NUjIY0s
江戸時代あたりでは日食や彗星が天体の運行に関係してるってのが
庶民にも知れ渡ってたらしいね
戦国時代でも震え上がってのんのんするってことはなかったのかも
732人間七七四年:2009/07/23(木) 01:49:19 ID:JIeCcR31
あれ、確か本能寺の変の前日って皆既日食じゃなかったか?
曇りだから目視は出来ないけど、そういう観測記録があったはずだ
733人間七七四年:2009/07/23(木) 01:51:21 ID:GB4cWrY4
桐野作人先生がブログに日蝕のことを書いてるよ
「本能寺の変」の前日は、部分だけど日蝕だったそうな

http://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-683.html#comment2387
734733:2009/07/23(木) 01:56:03 ID:GB4cWrY4
>>732
あ、更新ボタン押さずに書いたらちょうど話題かぶった
735人間七七四年:2009/07/23(木) 11:43:18 ID:m+pkaNZt
>721
もはや蹴鞠を突き抜けて仙道使いだな..
736人間七七四年:2009/07/23(木) 11:49:06 ID:8JGMJkyq
>>731
江戸期の日本人って想像以上に科学的な思考をしているよね。
地震とか起こっても、知識人でもなんでもない人が
地下水の汲み上げや火山活動を理由として推測したりしてるし。

意識としては現代人と大差なかったとすら思う。
737人間七七四年:2009/07/23(木) 12:31:03 ID:k4o2M4Rj
>>736
経験則からくるものじゃないかな?
結構自然災害の多い土地だもの
738人間七七四年:2009/07/23(木) 12:38:22 ID:8JGMJkyq
>>737
いや、同じような災害があっても室町までは神仏に祈るんだわ。それもものすごい大規模に。
739人間七七四年:2009/07/23(木) 13:42:07 ID:l2uLw+Yb
>>738
それがその時代の最新の科学なんだからしかたあんめえ。
740人間七七四年:2009/07/23(木) 13:47:10 ID:fXNlBCyF
科学と宗教は出発点は同じだからな。この世の成り立ちを説明するという。
741人間七七四年:2009/07/23(木) 18:19:02 ID:hzXWGT8i
出発点どころか、途中は全く同じ道だったような。
一神教のところがやっぱかなり強かったしね。
742人間七七四年:2009/07/23(木) 20:06:38 ID:bEeI6hWe
いつの時代だって、そんな両極端なものじゃないだろ。
今だって友人・親族の地域が災害に見舞われたりしたら、
ニュースを見つつも無事を祈った神頼みくらいするし。
743人間七七四年:2009/07/23(木) 20:11:28 ID:34EqNs6X
いつの時代も同じようなもんでしょう。
WW2の時も、元寇時のノリでルーズベルト呪殺とかやってるし。実際死んだから厄介なんだが。
744743:2009/07/23(木) 20:14:07 ID:34EqNs6X
>>742
かぶった。申し訳ない。
745人間七七四年:2009/07/23(木) 22:09:51 ID:8JGMJkyq
>>726
そういえば光高さん関係のこんな話が


加賀藩三代、前田筑前守光高が、若干31歳(数え年)で早世した時の事。

彼が亡くなったのは、江戸常盤橋の加賀藩上屋敷においての事であったが、
その向かいには結城秀康の次男、越前福井藩、松平忠昌の屋敷があった。
この松平忠昌、性格はいいのだが、すこぶる大酒で有名であった。

前田光高逝去の翌日、将軍徳川家光はこの忠昌の所に堀田昌盛を派遣し
ご内意を伝えた。それによれば

「私はその方を親戚として非常に大切に思っている。
昨日、前田光高が早世してしまったが、私はその方が常々大酒している事を
大変案じている。体の為にも、あまり大酒することは止められるように。」

これに忠昌、一首書いてご返事とした。

『 向かいなる 加賀の筑前下戸なれば 三十一で昨日死にけり 』

家光これを見て、「しょうがない奴だ」と笑い、そのまま差し置かれたとの事。


いつの世でも、お大名でも、酒飲みの言い訳は変わらないなあ。と言うお話。
746人間七七四年:2009/07/23(木) 22:17:01 ID:BmvaSl9N
向かいの加賀の筑前さんは下戸だから早世したんだ…ってことか?
にしても家光さん優しいなぁ、なんだか和んだw
747人間七七四年:2009/07/23(木) 22:17:07 ID:Uyvz0iUE
ワンナウッツ
748人間七七四年:2009/07/23(木) 22:17:47 ID:CLlBDRBq
>>745
コピペなんだからソース明らかにしときなよ

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2087.html
749人間七七四年:2009/07/23(木) 22:20:39 ID:8JGMJkyq
>>748
ああごめんなさい。URL入れ忘れたorz
750人間七七四年:2009/07/23(木) 22:32:27 ID:8JGMJkyq
お詫びに前田利常関連のお話を…


前田利常は一匹の、大きな唐犬を非常にかわいがっていたのだが、
ある時、若党のある者がこの犬に噛みつかれそうになり、そのためこれを
殺してしまうという事件があった。

この者、死罪という事になったが、利常は、「一体何故犬を殺したのか」と、
その理由を尋ねた。

男は言う「唐犬を殺せば、私の命も無くなると言う事は、良く分かっていました。
ですが、私のような者であっても、子孫に名字を名乗るほどの者が出ることもあるでしょう。
その時その者が、『あれの先祖は犬に食われて死んだのだ』などと指を刺されては
無念この上ありません。そのため、あの犬を打ち殺したのです。」

これを聞いた利常は、この者を赦免した、とのことである。
751人間七七四年:2009/07/23(木) 22:46:50 ID:AD1J03tX
その家のどの子孫より
殿様の犬を殺した自分の名前が有名になってそうだ
752人間七七四年:2009/07/23(木) 22:56:06 ID:sHhTl3zJ
犬コロ殺したぐらいで死罪とか狂ってんな
かと思えばあっさりと許されるとか
判断基準に苦しむ
こいつが気にいらないこと言えばこのまま殺されてたの?
753人間七七四年:2009/07/23(木) 23:10:54 ID:hzXWGT8i
大名家の面子の問題で死罪にしなければならなくなったから、許す口実を探していたんじゃない?
見所があるをもって死罪を免ずとすれば、大名家の面子も立つし、あたら有為の人材を殺さずに済む。
政治的妥協でしょ。
754人間七七四年:2009/07/23(木) 23:18:59 ID:HcJrovSv
逸話の中の逸話


島原の乱鎮圧の為、幕命により備後福山藩水野勝成が島原へ向けて出陣した時の話

福山藩からノロノロと行軍して安芸〜周防辺りまで到着した水野一行はそこで一旦駐留することになった
ちなみに水野隊をサポートする為その行軍ルートには各藩の接待役が控えて待機していました


そんな折勝成は…
接待役「いや〜これはこれは日向守様、遠路はるばるご苦労様です、この度は…」
勝成「いやいやこちらこそ駐留中のご支援には感謝致して…」

と業務的なことばかりこなしていたのがそのうちツマらなくなったのか、接待役の者に「なにかこの辺で面白い話は無いでしょうか?」と尋ねてみた

すると
接待役「う〜ん、ではこんな話はどうでしょう、昔福島正則様が…」
と逸話の中でも特に有名な母里友信の日本号呑み取りの話しを始めたのでした(詳細はご存じでしょうから割愛)

話しが終り勝成は
「いや面白い!これは戦の前に実に良い話を聞いた!」と
かつて黒田家に仕えていた時に面識があったであろう母里友信と酔っ払ってしぶしぶとはいえ約束を守った福島正則両名の豪快さに感嘆した

その後この話をした接待役の者は勝成から御礼に金一封(確か金3〜6枚だったと)を与えられ、翌日勝成も満足のうち島原へノロノロと向って行った


そんな逸話の中で語られた逸話の話し
お粗末でした
755人間七七四年:2009/07/23(木) 23:22:54 ID:xSY5BUNx
逸話で金3〜6枚とは随分と大盤振る舞いだなw
756人間七七四年:2009/07/23(木) 23:24:14 ID:m+pkaNZt
>>743
もうね、DQNなヤツを嫌々接待する時には桃ッスよ。桃
757人間七七四年:2009/07/23(木) 23:31:26 ID:O6Z+k+/S
ちょっと水野に逸話話してくる!
ここの話使わせて貰うわ!
758人間七七四年:2009/07/23(木) 23:32:53 ID:RHy+MQox
>>754
しかし勝成様も、すっかり丸くなられたなあ…。
日本号の話は当時でも有名だっただろうから、この逸話を知っていた上で、話をした者の
メンツに気を使った話のようにも見える。
759人間七七四年:2009/07/23(木) 23:43:42 ID:647RjDFc
一時間後、そこには日向守に首をはねられた元気な>>757の姿が!
760人間七七四年:2009/07/24(金) 01:20:06 ID:KmXqbjJ5
>>754
久方ぶりの戦の前で超ご機嫌だったのかも
761人間七七四年:2009/07/24(金) 01:37:51 ID:Y9yqgwF9
>>743
トゥーラスっていう無貌の神の従者が呼び出されたんだっけ。
762人間七七四年:2009/07/24(金) 03:24:37 ID:TEUTH8QQ
>>758
>しかし勝成様も、すっかり丸くなられたなあ…。


んじゃもういっちょ↓

戦闘一家


島原に到着後、鍋島が抜け駆けして開戦した時、水野隊は死んだ鍋島の兵の死体を踏むようにして突撃
勝成も駕籠(別の逸話で書いたヤツ)に乗って移動し息子や孫の後をを追いかける、勝成の少し前には勝重が馬に乗って指揮をとり、更にその遥か向こうで伊織が槍を振り回して戦功をあげていた

それを見た勝成が
勝成「おお!見てみよお前達!勝重はともかく孫の伊織は今日が初陣だと言うのにこの働き、これで冥土への良い土産話が出来たと言うもの!」と涙を流しながら喜んだと言う


そしてその光景に血が騒いだのか勝成が駕籠持ちに言った「ワシ等もこのまま本丸に向って一気に攻めるぞ!城門で攻めあぐねる様ならお前達も戦闘に加わりそのままワシを駕籠ごと塀の中へ投げ入れろ!」と言った


伊織(のち勝貞)14歳
勝重(のち勝俊)41歳
勝成(クソジジイ)74歳
763人間七七四年:2009/07/24(金) 03:38:06 ID:cVTcM7u/
>>762
ジジイwww
764奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/24(金) 03:44:50 ID:s1C94Hu1
いや、孫って本気で可愛いらしいぞ。
765人間七七四年:2009/07/24(金) 09:31:25 ID:TEUTH8QQ
まぁそのなんだ…、鬼日向のGちゃんは衰えて無いって言いたかったw

楽しんでもらえたでしょうか?
島原のエピソードはまだまだありますけどあんまり水野勝成ばっかだとアレなので一旦やめときます。
766人間七七四年:2009/07/24(金) 09:39:46 ID:onbtgb6r
投げ込まれた輿から出て来た勝成の肉体は年齢を感じさせぬ程に筋骨隆々としていて、イキイキと敵をちぎっちゃ投げ、ちぎっちゃ投げしていた。
とかあってもおかしくはないな。
767人間七七四年:2009/07/24(金) 10:04:24 ID:YT1oGrgD
勝成のエピは色々あるらしいから楽しみだ。
それじゃ、上杉謙信と地方大名のお話を一つ↓

道及 「・・・・・・・・・・・・・殿」

昌綱 「なにさ」

道及 「殿はやはり謙信が好きなのでは?」

昌綱 「そ、そんなわけ・・・・」

道及 「叛旗を何度も翻したのは構ってほしいから、違いますか?」

昌綱 「・・・・・・・・・・・」

道及 「家中の者が遺言を知れば誰でもわかります」

昌綱 「う・・・・・・・・・・」

下野国唐沢山城主、佐野昌綱はいくつか遺言を遺していた。

俺の肖像画は京都の狩野さん系に頼んで!とか、俺の賛(死後に自分のことを褒め称えるような言葉)はあの坊さんじゃないとダメ!とか色々な注文をつけていた。

だけど遺言の中になんとも不思議なものがあった。

「俺が死んでもすぐに墓は作っちゃダメ!
 謙信が死んで一周忌に建てること!
 そんで俺の墓石には謙信と同じ日付を刻むのも忘れずに!」

佐野昌綱は上杉謙信(その頃は長尾景虎)の関東遠征に与しては離反、与しては離反を繰り返した典型的な小大名だったのだが、一時期は上杉城代の支配を受けたりと結構大変だったらしく、謙信とはホントに?友好関係ではなかったらしい。


そんな男の遺言を家臣たちは忠実に守った。

「佐野系図」によると昌綱が亡くなったのは、天正二年四月八日。

その四年後、謙信が天正六年三月十三日に亡くなるとその翌年、天正七年に昌綱のお墓である本光寺が建てられた。

その墓石にはしっかりと三月十三日と刻まれている。

道及 「殿、遺言通りにしておきましたぞ」

昌綱 「う、うむ、よくやった」

道及 「あとは殿の本心だけでしたね?」

昌綱 「・・・・・・・・う、うるさいっ!」

昌綱さんの素直になれないお話。

(あと道及は山上道及さんのことです。)
768人間七七四年:2009/07/24(金) 10:12:55 ID:M++4zy4X
ツンデレかw
でもホント良くわかんない遺言だな
どういう意図があったんだろう?
769人間七七四年:2009/07/24(金) 10:34:58 ID:JV2EyuBU
あのくそ憎たらしい謙信よりも先に死ぬなんて耐えられない。
せめて墓の文面だけでもやつより長生きしてやる! ってことじゃないの?
770人間七七四年:2009/07/24(金) 10:37:12 ID:TEUTH8QQ
>>767なんか尻の穴がキュってなった…
771人間七七四年:2009/07/24(金) 10:37:28 ID:eWQ0pMHz
謙信より先に死ぬのが悔しかったんじゃないの?
上杉に比べると全然小さい大名家ながらも何度も撃退してるし
なんだかんだ言って俺って謙信より凄いよね!みたいな
772人間七七四年:2009/07/24(金) 10:40:03 ID:M++4zy4X
日付だけでなく年も捏造してるってことかな?
773人間七七四年:2009/07/24(金) 10:50:58 ID:YT1oGrgD

確かに、昌綱は1529?年生まれで謙信は1530年生まれ。二人はほぼ同年代の武将だったみたいよ。
774人間七七四年:2009/07/24(金) 10:57:20 ID:Eu1KrZK9
昌綱「勘違いするな、謙信。貴様を倒すのは(ry
775人間七七四年:2009/07/24(金) 10:58:44 ID:YT1oGrgD
772さんへ

本光寺の墓石には天正七年三月十三日とありました。やっぱこっちも捏造みたいです。
776人間七七四年:2009/07/24(金) 13:51:41 ID:ij8YcOXE
>>761
ちょっと待て、本当か嘘かわからんが、クトゥルフ系の呪殺をしたのか?w
777人間七七四年:2009/07/24(金) 18:34:18 ID:syRJm0dZ
山上道及も前田慶次郎はんとお友達..

>767
佐野昌綱って死に方も逸話んなってたけ?宗綱だったかも
778人間七七四年:2009/07/24(金) 19:48:17 ID:YT1oGrgD
777さんへ

宗綱の死に際は逸話になってますよ。↓
http://iiwarui.blog90.fc2.com/?q=%BA%B4%CC%EE%BD%A1%B9%CB

あと、昌綱の最期はわかんなかったです。討死にということでは無く享年45歳(1530?〜1574?)なので、もしかしたら病死かもしれないですね。
779人間七七四年:2009/07/24(金) 19:48:44 ID:ALmezFa9
謙信のちょお有名どころを。

永禄11年、1568年、武田信玄は甲・相・駿三国同盟を破棄して駿河に侵攻した。
怒った今川氏真、北条氏康らは甲斐への塩供給を停止した。

経済封鎖である。 甲斐の民衆は困った。

さて、かねてより武田と干戈を交える越後の上杉謙信、三国同盟の破綻とともに
北条と和睦していたが、こう言ったという。

「わしが信玄と争うのは弓矢のことであって、米塩のことではない。
民百姓を苦しめて何になろう」

峠を越えて荷駄がやってきた。塩は領主の専売だから、飛び雀の紋でもついていただろうか。
民の喜びは言うまでもない。
信玄も仇敵に感謝し、太刀を贈った。

これが「敵に塩を送る」という言葉になった。

確かな史料はなく、甲斐に伝えられる民間伝承ということだが
信玄から贈られたという太刀は「塩留めの太刀」として現存している。



しかし、謙信の言葉が史料によって確認できない以上、信義にもとづくものではなく
封鎖に参加しなかっただけと考えるのが妥当。

毘・∀・)いつ同盟が切れっかしれねのに、北条のためにはたらっことねよな?

まして塩が専売だったことを考えると

毘・∀・)貴重な現金収入を絶つなんてとんでもね!

という判断だったかもしれないのだ。
780人間七七四年:2009/07/24(金) 20:04:15 ID:AR0pEAkO
>>777
漫画で知り得た知識乙
781人間七七四年:2009/07/24(金) 20:47:30 ID:V7d3pLxD
慶次と道及って史実で関わりあったの?
782人間七七四年:2009/07/24(金) 21:18:15 ID:HdROL7h/
>>781
上杉家の同僚だったから顔くらいは知っていたと思う。
783人間七七四年:2009/07/24(金) 22:21:25 ID:M++4zy4X
>>775
わざわざd
と言うことはやっぱり謙信より少しでも長生きした事にしたかったのかw
784人間七七四年:2009/07/24(金) 23:01:42 ID:owSaytLd
晩年の藤堂高虎は目が見えなくなってしまう。そこで高虎を気遣った
将軍秀忠は江戸城の曲がった通路を真っ直ぐにした。

高虎は秀忠が寄こした使者からその事を知らされた。
「貴方の目が不自由なので廊下を真っ直ぐにした。もし、まだ私に教えてくれる
事があるのなら気安く訪ねてくれないか。難儀することなく私の部屋まで来ることが
できるだろう、と上様は仰せです。」

高虎は感激して涙を流した。側の者はなぜ秀忠がここまでするのか不思議だった。
「将軍家はなぜここまで貴方を気遣うのでしょう。私にはわかりません。」

「さあ、わしも特別なにかやった覚えはない。だが、わしは誰よりも早く
江戸城に上がった。そして帰るときは誰よりも遅かった。秀忠様はそれを
評価しておられるのかもしれぬ。」
そう高虎は答えた。
785人間七七四年:2009/07/24(金) 23:27:24 ID:ZJh1LfGj
忠義の武士なのに不義の代表格みたいに言われる高虎さんが気の毒だけど大好きです。
786人間七七四年:2009/07/24(金) 23:28:25 ID:eWQ0pMHz
将軍からの身に覚えの無い好意にビクビクする側近かわええ
787人間七七四年:2009/07/24(金) 23:44:14 ID:9yz9P5gO
自分の読んだのは
戦国武将大好きっ子の
家光が真っ直ぐにしたという話だった
788人間七七四年:2009/07/25(土) 00:18:34 ID:zIGOQ+NR
まっすぐにしとかないと、面子を気にする直情径行な武将が直進行軍してくるかもしれないからねw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2405.html
789人間七七四年:2009/07/25(土) 01:37:16 ID:hBP4YUvh
和泉ちゃんかわいいよ和泉ちゃん
790人間七七四年:2009/07/25(土) 02:16:03 ID:beF1sye+
ここで家康の隠し子のお話を一つ↓

松平勢「権ノ丞様っ、こちらにお渡りくだされっ!」
権ノ丞「・・・・・・・・・・」
松平勢「貴方様を討取ることはできませぬっ!」
権ノ丞「・・・・・・・・・・」

ここは慶長二十年、大阪夏の陣の主戦場、天王寺表。
当初優勢だった豊臣勢も午後になり敗北が決定的となった。
その最中、敗走する豊臣勢をしり目に松平勢はある武将に降伏するよう
何度も呼び掛けていた。

武将の名前は小笠原権ノ丞。なぜか松平勢は打ち掛かろうとしない。

そう、彼の父は我らが総大将、徳川家康だからである。

本来ならば親族衆として徳川勢の一手を率い、家康を補佐する立場にあるべき
人物がなぜ豊臣勢に加わっているのか。
それは彼の生い立ち、なにより宗教に問題があった。

彼が生まれたのは1588?年。家康の子供達からいえば五男・武田信吉の弟、
六男・松平忠輝の兄ということになる。しかし、彼の母(三条氏?)は正室の
女房であったため、家康は彼女の懐妊を知ると正室の悋気を恐れ譜代家臣、
小笠原広朝に彼女を押し付けた。

無事生まれた権ノ丞は広朝の子供として育てられ家康の御落胤ということもあってか
広朝の死後、家督を継ぎ順風満帆な将来が約束されている、はずであった。

時は変わって慶長十七年1612年三月、家康は家中のキリスト教弾圧を開始。

レオン・パジェスの「日本切支丹宗門史」にその時の弾圧者リストが書いてあり、
こともあろうかその武家筆頭がディエゴ小笠原、まさに権ノ丞その人で
六年前に洗礼を受け、六千石を拝しているとあった。

権ノ丞がいつ、どこで、なぜキリスト教に入教したかはわからない。だが結果として
小笠原家は改易、彼は棄教したことで死を免れ、夫人と二歳の娘共々追放された。
しかし権ノ丞はキリスト教を捨てたふりをしたのであろう、前述の「日本切支丹宗門史」にも権ノ丞が棄教したとは書かれておらず、後述の大坂入城からもそれが伺える。

時は戻って大阪夏の陣、天王寺表。

豊臣秀頼から三十騎を与えられ、大坂方勝利後、キリスト教布教を許されていた
権ノ丞は入城した信者と共に戦った。しかし結果は周知の通り。
権ノ丞の望みも露と消えた。

松平勢「権ノ丞様!」
権ノ丞「・・・・・・・・・そなたらの気持ち、ようわかった。」
彼はようやく口を開いた。
権ノ丞「だが、たとえ徳川家に帰参叶おうとも手柄もなく逃げたとあらば生き恥となろう。
・・・・・・・・・なにより父に顔向けできぬ。こうなれば潔く討ち死あるのみ」

そして敵陣めがけ駈け、兄である秀康の長男、松平忠直の手のものによって討取られた。

小笠原権ノ丞、享年26

戦国最後の合戦で息子の首と対面した天下人の気持ちはどうだったのであろうか。
791人間七七四年:2009/07/25(土) 02:16:52 ID:dLtEYZAq
てか高虎って、滅私奉公だったよな。
792人間七七四年:2009/07/25(土) 02:27:08 ID:F30YmMOC
767もそうだけど戦国Xファイルから話持ってくるなら引用URLのせたほうがよくないか?
ネタ元にするだけならまだしも文章の感じとかまんまだし。
793人間七七四年:2009/07/25(土) 02:34:40 ID:beF1sye+
794人間七七四年:2009/07/25(土) 07:46:20 ID:ET11s14Q
>>790
> 時は変わって慶長十七年1612年三月、家康は家中のキリスト教弾圧を開始。

それが今は1つの町内に神社とお寺さんと教会が喧嘩もせず仲良く同居してて
どうかすると神父さんが教会立てるとき神主さん呼んで地鎮祭やってもらったり
するんだからいい時代だわなぁ。
キリスト教も最初からそうしとけば弾圧されなくて済んだだろうに。
795奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/25(土) 08:01:44 ID:Tx9jceo4
多神教の国を制圧するノウハウがなかったんだろうな。
796人間七七四年:2009/07/25(土) 09:45:50 ID:pnmE3IWS



−今籠城している者達は来世迄友になる−
797人間七七四年:2009/07/25(土) 10:36:10 ID:DpcT261A
>>795
インドって多神教じゃなかったっけ
798人間七七四年:2009/07/25(土) 11:01:36 ID:CvAn3kXW
天正20年(1592)6月、薩摩の国人梅北国兼が朝鮮の役に出征する途中、不満を抱き
肥後佐敷城を乗っ取るという事件が起きた。いわゆる『梅北一揆』である。
この事件自体はすぐに鎮圧されたが、梅北の仲間に島津晴蓑入道歳久の家臣が多かった
ことから関白秀吉は激怒し、島津義久に命じた。

「九州陣の時、歳久は無礼を働いたゆえ処罰するべき所を、その方と義弘の赦免に伴い
同様に許した。しかし当人は京に挨拶にも来ない。
今回、歳久が朝鮮にいるならその身は助ける。いないならば、歳久の首をはねよ!」

養子を九州攻めで失った歳久は秀吉が自領を通る際、矢を射るという『無礼』を働いており
秀吉の歳久への印象は最悪だった。
中風を患い歩行も不自由な歳久が反乱を企てるはずもなく、義久は上使・細川幽斎へ
必死の弁明を行ったが、歳久の孫の助命がやっとだった。

これを聞いた歳久は、せめて居城・宮之城で切腹しようとしたが、行く手を阻まれた。
仕方なく竜ヶ水という所でで追っ手に応戦、歳久はここで覚悟を決めたが、中風でもはや
脇差を握ることもできない。「誰かある。早うわしの首を獲れ。」
原田甚次という侍がやむを得ず歳久を斬った瞬間、敵も味方も刀を投げ出し、地に伏して
声を上げ泣いた。

「幽斎どの、これでよろしいかッ!?」
義久は、歳久の遺体の懐から出てきた叛意はない旨の遺書と、辞世を投げ出した。

晴蓑めが たま(魂)のありかを 人問はば いざ白雲の 末も知られず
(刑死した歳久の魂はどこへ行ったと聞かれたら、思い残すこと無く死んだので
雲のかなたに消え去って分からないと言って下さい。)

幽斎は、この句を添削した上で秀吉に披露した。

晴蓑めが たまのありかを 人問はば いざ白雲の 上と答へよ
(歳久の魂はどこへ行ったと聞かれたら、無実だったので天界へ昇ったと答えてくれ!)

京の一条戻橋にさらされた歳久の首は、家老の島津忠長が盗み出し浄福寺に葬ったと
言われるが、この事で忠長が罰を受けたという記録はない。
義久は秀吉が死亡すると、さっそく歳久最期の地に菩提寺・心岳寺(現・平松神社)を建て、
これを弔った。

枝すこし 折るさへ惜しき もみぢ葉は 立ちながらにや 神に手向けん   龍伯
御佛を 頼む者ゆへ 袖に散る 霰の玉を 手向けにやせん   惟新
799人間七七四年:2009/07/25(土) 11:09:50 ID:Y3zc/kaO
>>795
インカ帝国は多神教でしょ。

>>797
時代が違うし、ムガルはイスラム。
800人間七七四年:2009/07/25(土) 11:55:32 ID:0wTPtEta
>>795
目的がどうだったかによるな
ジャップの場合は、最初から布教
インカの場合は、ヒャッハーの後に布教だった

801人間七七四年:2009/07/25(土) 12:03:26 ID:M/qID5h2
よく言われる「宣教師を送り込んで信者を増やし、侵略に利用する」って
実際にやった場所ってあるの?
アメリカにしてもフィリピンにしても最初から軍事力で来ている気がする。

>>794
中国だと共存を優先してキリスト教内から批判が来たんだよね。
802人間七七四年:2009/07/25(土) 12:06:50 ID:d+zMlbTW
ものすごくどうでもいい話なんだが
梅北一揆とかだと現代の一揆の意味で使われているよな
一揆という言葉はいつごろから意味が変わったんだろ
803人間七七四年:2009/07/25(土) 12:09:36 ID:VGBg7LRJ
>>801
インドじゃキリスト教徒が東インド会社に協力して、インド植民地化の時に
ある種の特権層を形成していたようだが。
804人間七七四年:2009/07/25(土) 12:24:45 ID:/kR06yZK
>>801
コンゴを初めとするサハラ以南のアフリカ諸国はそうじゃなかったっけ?
改宗→貿易→国力疲弊→征服の順番だったような
805人間七七四年:2009/07/25(土) 12:25:43 ID:M3rQ1LfA
やっぱ義久兄ちゃんは優しいよな
義久死んだ途端に義弘忠恒親子による粛清の嵐だし
806人間七七四年:2009/07/25(土) 12:53:40 ID:VGBg7LRJ
大内氏の家臣に、山県重秋と言う者が居た。彼には重房と源四郎という息子があった。

この重秋、妻に先立たれ後妻を娶ったのだが、この後妻と、当時十一歳の次男源四郎との
折り合いが大変悪く、重秋も困り果て、この源四郎を東国にある、亡妻の弟に預ける事にした。

この叔父の名は飯富虎昌。源四郎は叔父の住む甲斐に行き、名も飯富源四郎と改め、
叔父とともに甲斐国主、武田晴信に使えた。

そう、この源四郎こそ、後の武田四天王、山県昌景なのである。


萩藩閥閲録(毛利家の一級史料)に記録されている、山県昌景の意外な履歴。
807人間七七四年:2009/07/25(土) 13:06:29 ID:yEJzR9u6
>>806
お約束の継母だが・・・

 山県三郎兵衛さん、少年時代にそんな経験をしていたのか
808人間七七四年:2009/07/25(土) 14:28:11 ID:GKLpjv0A
>>798
わざわざ辞世の句を書き換えて歳久無罪を強調してるあたり
幽斎さんも内心島津に同情的だったんだろうか…
809人間七七四年:2009/07/25(土) 15:45:57 ID:0wTPtEta
>>807
その世話になった叔父を裏切って、密告に走った…
下衆の所業だw
810人間七七四年:2009/07/25(土) 15:56:13 ID:+60wjQAA
>>809
見方を変えれば信玄に忠をつくした
811人間七七四年:2009/07/25(土) 16:08:13 ID:M/qID5h2
>>806
飯富虎昌の姉ってことは甲斐生まれだよね?
いったいどういった縁で嫁いだんだろう。
812人間七七四年:2009/07/25(土) 16:12:45 ID:4zoIDYZz
>>808
歳久自身は首謀者と言うよりも
言いがかりを付けられて切腹したようなもんだからね。

幽斎さんが事情を知ってたとしたら
島津に同情してたことは充分ありえるねぇ。

しかし秀次処分の件といいラスボスの晩年の所業は
わざわざ敵を作ってるとしか思えないなぁ。

813人間七七四年:2009/07/25(土) 16:13:19 ID:6+sf4Fv0
>>809
あれって「言うなよ!絶対言うなよ!」みたいなもんじゃなかったっけか。
814人間七七四年:2009/07/25(土) 16:37:43 ID:/j5eYzk9
虎昌が義信への忠義を尽くすから、昌景が信玄への忠義を尽くす。
という綺麗な物語だと思ってる。
815人間七七四年:2009/07/25(土) 16:39:22 ID:oj4O/gSw
情に厚い義信が武田家継いだほうが家は安泰だったかもなぁ
816人間七七四年:2009/07/25(土) 16:44:53 ID:xNif6f68
でも家臣が付いて来ないだろう > 義信
817人間七七四年:2009/07/25(土) 17:47:31 ID:PKJtBvbx
>>798
この話を知ってから、歳久は4兄弟の中で1番好きだ
秀吉は…まあいつものことか…

>枝すこし 折るさへ惜しき もみぢ葉は 立ちながらにや 神に手向けん   龍伯
>御佛を 頼む者ゆへ 袖に散る 霰の玉を 手向けにやせん   惟新
無学なので全然分からんが
こういうのは、古典を勉強したら読めるようになるのか…?
818人間七七四年:2009/07/25(土) 18:43:58 ID:iNMuy0d0
義信が継いだら継いだで駿河地域も信濃地域も収まりそうにないわなあ……
義理だけでやってける情勢でもあるまい
819人間七七四年:2009/07/25(土) 18:47:44 ID:d+zMlbTW
というか地勢的情勢的にもう半分詰んでる
だれがなってもだめじゃね感が
820人間七七四年:2009/07/25(土) 19:17:22 ID:CvAn3kXW
>>817
枝先を折る事さえ惜しい素晴らしい紅葉は、立って敬い神仏に捧げます。
(そんな紅葉の如きわが弟歳久を捧げたのです。どうかこれからも島津を護り給え。)

御仏を信ずる身として、袖に散るあられの玉を手向けにしよう。
(信ずる御仏よ、わが袖に散るあられの玉=涙を歳久へ手向けに届けて下され。)

曲解すぎるけどこんな感じかな、と。
難しく考えることないんですよ、詠み人の状況だけ考えて自分の好きなように
訳せばいいと思います。
821人間七七四年:2009/07/25(土) 19:18:48 ID:/O0Ki674
>>811
甲斐と安芸には同族になる源姓山県氏がいたから
甲斐山県氏の仲介で嫁をもらったんだろうかね
全国宇都宮ネットワークみたいな
822人間七七四年:2009/07/25(土) 20:05:09 ID:XVdfDDYN
山県有朋あたりの捏造じゃね?
板垣退助みたいに。
823人間七七四年:2009/07/25(土) 20:05:35 ID:wziSQ6By
商人の心意気

天正5年(1577年)、森長可は領地である兼山の町の整備を執り行った。

長可「おい、塩問屋は全員引越しだ。今度からここは尾張から輸送されてくる海魚を売る区画にするから。」
問屋「え・・・?そんな急な。そもそもここは昔から我々一族の土地ry」
長可「いやいや、もう東に新しい店建てたから。そして移った所が新しくお前の一族代々の土地になるんだよ。」
問屋「はぁ・・・」
長可「そもそも河港の近くで塩を売るのが無駄なんだ。河港の近くでは新鮮な魚を売る、腐らない塩は港から離れたところで売ってもいい。そういうこった」
問屋(問答無用ですかそうですか)

こうした塩問屋の移転などを初めとした職種毎の区画整理とそれに伴う住民の引越しなどが行われたのである。
そして、改革も一通り済んだ所で長可は領内の魚屋、塩問屋を集めると各々に直筆の書状を与えた。
                                  /   |  |  l ヽ
                                  |. `|  |  l  l.  |
                / ̄\      「 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |  ,' / ノ ̄ ̄|
               |     |      |         ヽ_j  / //     |
                \_/      |   専売権利書ヽ_ハ/′     |
                  |        |                    | 無理言ったお詫び・・・って訳でもないが
              /  ̄  ̄ \    |     森  武  蔵  守      | いい物をやろう!!!
             /  \ /  \..  |     ・・・ ・・・ ・・・       |
           /   ⌒   ⌒   \ |     ・ ・ ・・ ・・・        |
           |    (__人__)     |/|                    |
           \    ` ⌒´    /l|.| :::::::::::::::::::::::: |
           ヽ、--ー、__,-‐´イ   l リ :::::::::::::::::::::::: |
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          /,厶イ_:.:/    ヽヽ. :l  |            〃.  `ヾ   |
          /7   /:.:「       ゝL/|   ::::..... |l  長 ||..  |
        /〈  /:.:.:.:',    /  //   |   ::::        |l 可. l.|..  |
       ∧',. ヘ /:.:.:.:.:.:',  /   〃   |            ヾー-‐シ   |
      / ヽヽ V:.:.:.:.:.:;.イヘ     トr'′  .!               ̄´    |
      l `ヽ >、フ:.:.:.:/:.:./     l    └─
824人間七七四年:2009/07/25(土) 20:06:19 ID:wziSQ6By
魚屋&塩屋「専売権キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」
長可「フフフ・・・海沿いの都市の専売権とは価値が違うぞ?何たって内陸の土地じゃ両方ともなかなか手に入らんからな。河港がある兼山だからこそ出来るのだ。」
魚屋&塩屋「キャー!ムサシサマカッコイイー!!!!」
長可「特権やるんだからきっちり儲けを出せよ。」

今回の長可の兼山の町の収入UP政策の目玉が「魚と塩の専売権を認める」という物であった。
特に内陸部で入手困難な塩を売れるというのは大きく、買い手は隣国の信濃からも付いたという。

そして時は流れ、兼山は尾張徳川家の領地となった頃・・・
当然の如く森家との間で保証された特権であった専売権は消滅し商人達も困っていた。
魚屋&塩屋「どうしても専売を認めさせたい!」
藩の方針なんてそんなの関係ねぇ!諦めの悪い商人達はダメ元で「最後の手段」を使う事にした。

魚屋&塩屋「代官様!この書状をご覧下さい!」

つ長可の専売許可の書状

代官「ん・・・これは?」
魚屋&塩屋「はい、これはかつての領主、森武蔵守様の書状に御座います!この兼山の町での魚・塩の専売というのは書状から分かると通りに昔からの由緒あるものでry」

とにかく商人達はこの長可の書状で専売の由緒と正当性をゴリ押しし、ついに尾張藩では専売では無かった「魚」「塩」の専売権を認めさせた。
結局、兼山の魚屋と塩問屋はこの長可の書状だけで明治維新まで粘り専売をし続けたのであった・・・めでたしめでたし。
825人間七七四年:2009/07/25(土) 20:23:14 ID:M/qID5h2
>>821
ああ、なるほど。
戦国時代の同族達って結構繋がりがあったのかもね。
826人間七七四年:2009/07/25(土) 20:25:07 ID:d+zMlbTW
ありえん・・・
鬼武蔵と関わって得する人間がいるなど
捏造だろ、これ
827人間七七四年:2009/07/25(土) 20:31:15 ID:TG7LtUyg
武田に滅ぼされた小笠原は同族の三好を頼って落ちていったりしてるしな
828人間七七四年:2009/07/25(土) 20:37:39 ID:GhNej/QU
>>824
言っとくが鬼武蔵も一時期は立派に大名やってた時期があるからこの魚屋と塩屋のように多かれ少なかれ得した人達はいたんじゃないかな?
829人間七七四年:2009/07/25(土) 20:38:49 ID:vs7rKAC/
>>826
いや、さすが鬼武蔵の息がかかった者達という所だろう
830人間七七四年:2009/07/25(土) 20:42:18 ID:TG7LtUyg
>826
綸旨を偽造してまで特権をまもったりしてた商人もいたからねえ
831人間七七四年:2009/07/25(土) 20:54:04 ID:wziSQ6By
>>829
久々利城落城の際は武士さながらに久々利城下の町で強盗・放火をして破壊していったからな、兼山の町民。
832人間七七四年:2009/07/25(土) 22:18:33 ID:ngb1ggyx
>>826
森武蔵守の精神は明治維新まで商人達に受け継がれていた、という森長可の偉大さを語る良い話じゃあないか。
833人間七七四年:2009/07/25(土) 22:21:55 ID:4Sr+FdPP
大河の家康公って、何被ってるの?
834人間七七四年:2009/07/25(土) 22:32:16 ID:oS1qQpPB
猫を被っています
835人間七七四年:2009/07/25(土) 22:41:50 ID:p+vUYDvm
>>779
亀だけど松本ではこの故事?にちなむお祭りやってんだよな
ウソにしろ真にしろ後世に影響のある逸話ってなんかしら必要があって
生まれてくるんだろうな
836人間七七四年:2009/07/25(土) 22:48:05 ID:ybKQB8g0
いい話スレで森家の話が出ると感動する
837人間七七四年:2009/07/25(土) 22:51:46 ID:IcOrkC3N
たまにry
不良ry
子犬ry
838人間七七四年:2009/07/25(土) 23:44:59 ID:0wTPtEta
>>823
>長可「そもそも河港の近くで塩を売るのが無駄なんだ。河港の近くでは新鮮な魚を売る、腐らない塩は港から離れたところで売ってもいい。そういうこった」
筋が通ってるが、魚屋の隣に塩を置けば調味料を買いやすくなるのだがw
839人間七七四年:2009/07/26(日) 00:25:57 ID:NaTLcWd2
可児才蔵、困惑する

「槍の才蔵」こと可児才蔵が、「槍の宝蔵院」こと宝蔵院胤栄の元で槍を学んだときのこと。

才蔵が宝蔵院に弟子入りしたのは福島正則に仕えた後ということなので、
それが正しければ天正十三年ごろになる。だがそれより前から才蔵の
槍働きは知られていたので、それまでは我流で槍を使っていたということ
だろうか。

宝蔵院で修行した才蔵はみるみる上達した。ところが主の命で一旦主家へ
戻って戦場に出ると、何故か上手く働けず困惑する羽目になった。
才蔵は再び宝蔵院を訪れ、胤栄にこのことを相談した。胤栄答えていわく、
今までは無心で戦っていたが、なまじ技術が身についたからあれこれ考えてしまい、
素直に突撃できなくなっているのだ、と。
「要するに修行が足りん。考えなくても身体が動くまで修行せい」
そう言って、再び才蔵に修行を課した。

そして数ヵ月後、そこにはもはや戸惑うこともなく突撃する才蔵の姿が!

技術が本当に身に付くには、練習と時間が必要だというお話。
840人間七七四年:2009/07/26(日) 00:37:58 ID:hCsz20E6
……別に修行しなくても良かったんじゃね?
841人間七七四年:2009/07/26(日) 00:45:52 ID:tamp62jW
定石を憶えて2目弱くなりというやつだな
842人間七七四年:2009/07/26(日) 06:06:19 ID:gqhoTd8o
>>839
我流でヒャッハー!してても十分強かったのが、技を覚えて却って惑うようになった、か。
もう一段覚醒して自在を得たんだからホンマモンの達人よね、才蔵さんよかったね。
843人間七七四年:2009/07/26(日) 06:55:04 ID:BwOGLHXK
異名だけ見るとやたら弱そうだ>笹の才蔵
でも強いんだよな

俺も名刺を紙から笹に替えて笹の〇〇と呼ばれるように頑張る
844人間七七四年:2009/07/26(日) 07:13:31 ID:UToXQLMW
それ異名いっていうか単なるあだ名w
845人間七七四年:2009/07/26(日) 07:17:51 ID:cREjXz9l
今大河で秀吉やっている人が、才蔵と同じ異名を持っているな。
846人間七七四年:2009/07/26(日) 07:59:03 ID:LcAhmk2o
本多忠勝も稽古での槍さばきはあれだけ戦場で勇名を馳せてる人が何故?ってくらい下手くそだったそうだし
我流で暴れまわってた人も多かったんだろうな
847人間七七四年:2009/07/26(日) 08:26:20 ID:1TXg1cw2
>>846
本多忠勝の場合は、個人の武勇よりも現場指揮官としての能力が優れて(それも無双レベルで)
いたんじゃないかと。
小牧・長久手の少数による足止めとか、関が原の時の直属兵の人数とかを見ると、
重要な場面での一撃(もしくはいざというときの火消し)として使われていたのでは、
と思う。
この辺は「鎮西無双」立花宗茂も似ているよな。
848人間七七四年:2009/07/26(日) 10:02:34 ID:xh2jAHV9
>>803
梅北一揆は国人一揆の流れかね。同属集団の武装蜂起。
葛西・大崎一揆と同じ。

現代の意味では地域集団の百姓一揆(連判状とか使う)や
一向一揆をイメージする人が多いかもしれないが。

まぁ中世は室町と江戸で一揆の意味は全然違う
849人間七七四年:2009/07/26(日) 10:15:09 ID:KMu8Ek05
>>848
言いたいことは解るし、野暮なつっこみだが江戸は近世だろう。
850人間七七四年:2009/07/26(日) 14:35:20 ID:sOT6EnkL
>>847
宗茂の場合、弓も剣も免許もらってるらしいな
でも将ってそんなもの振るわずに済ませられるのが一番だよ

小野和泉も主(宗茂)にそんなことさせずに済ませたのが誇りみたいなこといって気がする
851人間七七四年:2009/07/26(日) 15:22:11 ID:cREjXz9l
山県さんに続いてもういっちょ、山口と武田家のあの人


山口に「山本家」という、大内氏の頃から続く古い家がある。
この家に残る伝承に言う

「山本家の先祖は、讃岐の国に居た。
この讃岐の、六ヶ村の庄屋の子に、勘助と言う男が居た。
この勘助は子供の頃から猪狩りの名人であったが、ある狩の最中、猪の反撃をくらい、片目を失い、
片足が不自由になった。

その勘助、成人すると武者修行に出、美作を経由して、山口に来た。
そしてその才能を認められ、大内義隆に仕えた。
彼は山口の矢原という所に住み、そこで一家を構えた。これが山口矢原の山本氏の祖となった。

ところが、それからしばらくして勘助は、

「ワシはもっと武者修行がしたいのだ!」

と言い出し、家族を残し、山口を一人出奔してしまった。やがて東国へと赴き、武田氏に仕え、
その後は皆さん、ご存知のとおりである。

この、山口と山本勘助との関係は、後に毛利家の家臣になった、矢原山本氏の分家、
三隅山本氏より毛利家に提出された、「山本家言伝之覚」にも記録されている。

これが事実かどうかは無論、わかりませんが、>>806の山県昌景のお話ともども、
甲斐武田家と大内家の、奇妙な縁を感じるお話。
852人間七七四年:2009/07/26(日) 15:38:52 ID:A3BaQzcX
出自にいろんな説があって胡散臭い人って結構いるんだな
853人間七七四年:2009/07/26(日) 15:47:11 ID:e4j3zuz/
甲斐武田家と大内家の、奇妙な縁…といえば、
信玄の義父(三条の方の父親)は大内家に身を寄せていたところを
内乱に巻き込まれて殺されてるんだよな。
854人間七七四年:2009/07/26(日) 18:54:42 ID:TBHE6o1P
>>851
どの辺がいい話なんだろ?
むしろ家族残して出奔した悪い話では?
855人間七七四年:2009/07/26(日) 20:34:37 ID:eEAsTWf1
大内氏というより安芸守護武田氏と若狭、甲斐は同族だし、
そっち方面の繋がりじゃないの?
856人間七七四年:2009/07/26(日) 21:01:23 ID:hBtY/dUn
まあ家臣団も甲斐から引き連れていくんだから当然だわな
857人間七七四年:2009/07/26(日) 21:24:22 ID:bFuFJjvl
萩藩閥閲録って1720年ごろに纏められたんだよな
やっぱり武田家の有名どころを起源に据えることで
徳川家と言うか幕府に対して優位にしたい気持ちがあったのかもね
858人間七七四年:2009/07/27(月) 00:12:15 ID:eEED+PEF
天正4年(1576)8月、佐竹義重は三春城主・田村清顕の要請を受け、白河義親を攻めた。
ところが9月になって清顕が裏切り、22日の夜半に義重は白河と田村の挟み撃ちにあった。

思わぬ夜襲に佐竹の兵は右往左往するばかりだったが、義重は床机に腰掛け、冷静に
采配を振るい続けた。
しかし、一度乱れ散った隊列が闇夜で整うはずもなく、ついに義重の本陣にまで矢弾が
飛んでくるに及んで、動かぬ義重を近習がムリヤリ馬に乗せて退却を図った。
この時、義重は近習と押し合ったはずみで采配を取り落としてしまった。

「いかん、拾って来い!」
義重の命により落ちた采配を探したが、夜のうえに雨まで降ってきて、見つけることが
できない。敵はいよいよ迫り、義重の馬丁まで銃弾に倒れた。
「殿、旗本も討たれております!采配などあきらめ、早くお逃げを!」
しかし義重、少しもあわてず答えた。
「勝敗は兵家の常だ!ここであわてて采配を失くしては、オレは二度と佐竹の家で
采配を振るうことが出来ぬわ!」

「殿!ありましたぞ!」一歩も退かぬ義重を見て、重臣の川井大学が偽って別の采配を渡し
義重の馬の口を取った。
「お馬の口に侍りしは、川井大学と知り給えぃ!」
川井の芝居がかった言い方に義重も苦笑し、ようやく退却を始めた。
が、途中で小川を見て立ち止まった。
「こんな泥まみれの馬に乗って、もし追いつかれて討ち死にすれば、『義重は慌てたり』
と笑われよう。」
そう言って、川の流れで馬を洗った。

この戦、当然義重の負け戦となったが、関東奥州の諸将は
「合戦は時の運によるもので、義重が采配を拾ったのは、源義経の弓流しの故事と
同じである。」と言い、義重を褒めた。
859人間七七四年:2009/07/27(月) 01:28:09 ID:tfyM2Q+u
水戸の光圀さんに言わせりゃ悪い話にもなりかねん。
でも、俺はいい話だと思うよ。
860人間七七四年:2009/07/27(月) 06:43:19 ID:OfGJCvuD
富山県水墨美術館
2009年7 月31日(金曜)〜9月23日(水曜・祝日)
「大名家秘蔵の名刀 〜源平の武将から維新の志士たちまでの愛刀〜」
平教経  山中鹿介  上杉謙信  織田信長  丹羽長秀  島津義弘  明智光秀  豊臣秀吉
徳川家康  榊原康政  向井将監忠勝  上杉景勝  直江兼続  伊達政宗  後水尾天皇
柳沢吉里  徳川綱吉  徳川家茂  徳川慶喜  山岡鉄舟  岩倉具視  有栖川宮熾仁親王
徳川家斉  黒田清隆
861奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/27(月) 06:43:43 ID:Stu98tza
>>824
今の兼山の町並みを思い出して涙した。
862人間七七四年:2009/07/27(月) 09:49:14 ID:vDt6n78F
>>858
一方、織田信長は「大将たる自分が討たれたら戦は終わりだろjk」とばかりに一目散に逃げていた

どっちも武士らしいと思うけどね
863人間七七四年:2009/07/27(月) 10:19:25 ID:1sQDM9Qv
>858剛毅だなあ鬼義重の人……

>>862
まぐれ当たりでも何でも、今川義元を戦場で討って織田が生き延びた実感があったんだろうね
864人間七七四年:2009/07/27(月) 10:41:58 ID:Hn0obRp+
>>860
前売りなんだよなあ。試験終わったら暇だし行きたい・・・
865人間七七四年:2009/07/27(月) 11:13:41 ID:1oW14Ut1
信長は型の外れた大将だから、真っ先に逃げても評判が落ちないという利点があるよな。
佐竹みたいな古い大将は逃げたくても真っ先に逃げるわけに行かないし。
866人間七七四年:2009/07/27(月) 11:24:44 ID:t3zC5ejq
型の外れた?
867人間七七四年:2009/07/27(月) 11:42:04 ID:SCe/Dyzi
肩が外れてたってことだろ
脱臼してたんじゃ撤退もやむを得まい
868人間七七四年:2009/07/27(月) 13:05:56 ID:4IARr95L
>>839
スレ違いだが、ブルースリー語録を思い出した。

「最初、パンチはただのパンチ、キックはただのキックだった。
修練をつむことにより、パンチはただのパンチでなくなり、キックはただのキックでなくなった。
しかし、今はパンチはただのパンチであり、キックはただのキックである。」
869人間七七四年:2009/07/27(月) 13:22:10 ID:uBISxMQu
なにその神語録
870人間七七四年:2009/07/27(月) 13:42:33 ID:oJrTuQ39
禅の教えで似たようなのなかったか?

初め、山はただの山であり川はただの川であった
禅を学ぶと山はただの山でなくなり川はただの川でなくなった
しかし、悟りを得た今、やはり山はただの山であり川はただの川である

みたいな感じで
871人間七七四年:2009/07/27(月) 15:08:16 ID:4IARr95L
>>870
ブルースリーは禅にハマっていたんだが元ネタあったんだ。
興味わいたんで禅について勉強してみます。
872人間七七四年:2009/07/27(月) 18:35:34 ID:lgcZQcd7
>>861
今は寂れた静かな田舎町だな。

江戸時代は造り酒屋が25件もあったりとか氷室があって夏になると天然氷を尾張に売りに入ったりしてたらしいが・・・
873人間七七四年:2009/07/27(月) 19:29:56 ID:oJrTuQ39
今の兼山には鬼武蔵のような人物が必要ってことか
874人間七七四年:2009/07/27(月) 19:47:48 ID:e2CEHUUq
>>873
何か事件があったときに検問をはれなくなるだろw
875人間七七四年:2009/07/27(月) 19:59:32 ID:oJrTuQ39
問題無い
検問を張るまでもなく犯人は決まってる
876人間七七四年:2009/07/27(月) 20:02:22 ID:C8SPTegq
決まってないだろ
なんてったって、一族の中に犯人候補が山ほd…

なんだよ、こんな時間に宅急便か
877人間七七四年:2009/07/27(月) 23:07:55 ID:ebKrorFi
>>860
一番見たいのが、池田輝政の夜になったら光り輝く名刀なのに、このリストに入ってないんだよなぁ。
878人間七七四年:2009/07/27(月) 23:26:50 ID:1sQDM9Qv
>860獲物がここで逸話に出てきた逸物だったりして。
伊達政宗なら太刀を無理やり摺り上げてしまった「振り分け髪正宗」脇差とかだったらいいなー
879人間七七四年:2009/07/27(月) 23:41:55 ID:mamzEIGs
京都の「猫放し飼い令」

1602年8月のこと。
名奉行・板倉の勝ちゃんこと京都所司代板倉勝重の名で、「猫放し飼い令」が
京都の町に発布された。猫を飼っている者は放し飼いにしなければ罰すると
いうものである。
当時大発生していたネズミ対策のためであり、実際に効果があったらしい。
880人間七七四年:2009/07/28(火) 00:39:58 ID:OkO2GaWc
>>876
出ちゃダメー!
って遅かったか、、、
881人間七七四年:2009/07/28(火) 00:50:10 ID:Kseaadd7
>>879
無益な殺生が良いとは言わないが
お犬様の時と違ってこっちはかなり意味あったんだねえ。
882人間七七四年:2009/07/28(火) 00:56:22 ID:uBn3z0uj
別に猫が可哀想だから放し飼いにしろって意味じゃないだろ
883人間七七四年:2009/07/28(火) 01:08:32 ID:HOH3P1CI
チューと半端な鼠対策じゃ
ニャンともいかなかったんだろう
884人間七七四年:2009/07/28(火) 01:10:16 ID:OIE5ir3g
>>877

池田輝政「心して見よ、姫路宰相百万石の槍ぞ!

                 .ノ′    } 〕    ,ノ           .゙'┬′   .,ノ
                  ノ      } ゙l、   」′           .,/′   .,ノ _,,y
    .,v─ーv_         〕      〕 .|  .il゙            《 ._   .,,l(ノ^ノ
   ,i(厂  _,,,从vy      .,i「      .》;ト-v,|l′          _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/
   l  ,zll^゙″  ゙ミ    .ノ       .il|′アll!           .>‐〕 \ _><
   《 il|′     フーv,_ .,i″       ||}ーvrリ、             ¨'‐.`   {
    \《 ヽ     .゙li ._¨''ーv,,_     .》′  ゙゙ミ| ,r′                }
      \ ,゙r_    lア'    .゙⌒>-vzト    .ミノ′                 〕
       .゙'=ミ:┐  .「      ./ .^〃     :、_ リ                   .}
         ゙\ア'   .--  ,,ノ|    、    ゙ミ}                   :ト
           ゙^ー、,,,¨ -   ''¨.─   :!.,   リ                   ノ
              〔^ー-v、,,,_,:     i゙「   }                  .,l゙
              l!     .´゙フ'ーv .,y    ]                  '゙ミ
              |     ,/゙ .ミ;.´.‐    .]                   ミ,
              |     ノ′ ヽ      〔                   ミ
              }    }     ′    }                   {
              .|    .ミ     .<     〔                    〕
              .{     \,_   _》、    .{                    .}
              {      ¨^^¨′¨'ー-v-r《                    〔
885人間七七四年:2009/07/28(火) 01:15:59 ID:zowDdtqr
頭が高いぞ。ひれ伏せ下郎めが。
886人間七七四年:2009/07/28(火) 01:39:56 ID:8IVhEtn9
>>877
浅野長晟様もすごいぞ。
887人間七七四年:2009/07/28(火) 03:06:08 ID://RBSVI1
>>881
害獣退治なんだから無益な殺生とはいえないだろ
それにお犬様の方もけっこうな意味があったって説もあるぞ
888人間七七四年:2009/07/28(火) 03:26:10 ID:Kseaadd7
誤解招く書き方だったかもしれんな。

「無益な殺生」はお犬様にかかってるんだよ。
あれは犬猫を殺すという事が当時頻繁にあったから
「生類哀れみ」になったわけで法の理念は間違ってないが
情が先行して犬猫神格化までしたから批判されてる訳で。

板倉さんのは最初から鼠駆除って目的のようだから
「こっちはかなり意味が」って書いたわけ。
889人間七七四年:2009/07/28(火) 03:27:57 ID:ym+HanfH
>>880
そもそもあの一族ならわざわざチャイム鳴らすなんてお行儀の(グシャ
890人間七七四年:2009/07/28(火) 03:35:40 ID:wmfxLjt1
まあ実際、突然夜中に押しかけて、門が閉まっていると見るや攻城兵器でぶち破って
入ってきたからなw
891人間七七四年:2009/07/28(火) 07:05:42 ID:RT+NUfTd
本能寺のときに木曽の館に押し入ってやりたい放題にあばれていったろ
892人間七七四年:2009/07/28(火) 10:05:30 ID:mtIaohGm
>>879
直茂「害獣は鼠ではなく猫なのだ!」
893人間七七四年:2009/07/28(火) 10:21:14 ID:JrOi5WHk
道灌「猫かわいいよ猫。猫なら何兆匹いてもいい」
894人間七七四年:2009/07/28(火) 10:29:25 ID:0RQUy/JK
             . ィ
.._ .......、._    _ /:/l!
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>>892
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=.  _〜:、         /_.}'':,
 ``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
 ,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:'  ノ゙ノブ   <またまたご冗談を
"   .!-'",/  `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
 .-''~ >'゙::    ‐'"゙./  ヽ.,'   ~ /
   //:::::       ',    /    ,:'゙
895人間七七四年:2009/07/28(火) 10:39:54 ID:upl0xPbu
>>879
日本史板の食事スレかどこかで見たことがあるけど
江戸時代のお米の鼠害は酷かったらしい、食事中の人には申し訳ないが糞尿で駄目にされてしまう
新米がありがたがられるようになったのはこの頃かららしい・・・

ちなみに京都市中の町屋の多い地区は今でも鼠害がすごくて
その辺りに立地している大手薬局では普通に「ネズミ取りホイホイ」や昔懐かしネズミ取りのカゴを売っており
本当にここは人口100万人の政令指定都市なのかという気分になりますw
経験者によると、ネズミ取りホイホイにかかったネズミの断末魔の声はトラウマになるほどすさまじいらしい・・・
896人間七七四年:2009/07/28(火) 10:44:46 ID:mtIaohGm
>>895
ネズミホイホイって北海道だけにしか売ってないのかとおもってたのだな案外色んな所に売っているのだなw
897人間七七四年:2009/07/28(火) 10:55:21 ID:PScKmDH7
富山だけどアパートにネズミでたからホイホイでGETしたよ。
設置してから2日くらいできゅ〜って泣き声聞こえたから安らかにさせてあげたよ
898人間七七四年:2009/07/28(火) 11:21:37 ID:+6R9apP8
俺はこのスレ寝ず見
899人間七七四年:2009/07/28(火) 11:48:35 ID:xRzWT/C2
>>877
お前はこんなモノを見たかったのかw
そして、実際に味わいたいんだなw?
>>884山椒
900人間七七四年:2009/07/28(火) 12:19:48 ID:DGnK3hcq
>>895
東京都心部だと若者の街と言われてる渋谷はセンター街中心に昼夜問わず
デケえ鼠が年中大量に走り回ってるので初めて来た観光客とかビビると思う
901人間七七四年:2009/07/28(火) 13:25:54 ID:kTZ8fxCo
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2324.htmlこれと荒木村重の餅に似た話だがデ新納さんのお話

秀吉が九州征伐で島津を服従させたころ

秀吉を歓迎する宴席で秀吉は島津家の勇将、新納忠元が気になった
宴会も終わりに差し掛かったころ、秀吉は唐突に太刀を抜き目の前にあった魚に突き刺した
一同騒然とするなか、秀吉はそれを忠元の前に突き出すと
「 食 え 」
と言った

人々はそれを手に取って食べるかと思ったが、忠元は直接かぶりついた
秀吉は驚いてなぜ手に取って食べなかったか、と尋ねると忠元は
「関白殿下の腕は伸びきっておられました。それ故某を突くことは出来ないと考えたのです。」
(そんな小さな腕で俺を突けるかよバーカ)

これに秀吉は甚く感心し、わしの直臣にならんか、と言ったが、
「いえ、某はもうこの通りの高齢。このような老いぼれには荷が重すぎまする。」
(ははーん、そんなこと言って島津を弱くするつもりだろ?バレバレだよバーカ)

デ新納さんの(気概の)いい?お話

上に挙げたやつとは真逆の逸話だが、地元にはこんな逸話もあるんだよと、それが言いたかったので書いた
ちなみにカッコはデ新納さんの心境。大体こんな感じで伝わってる
902人間七七四年:2009/07/28(火) 13:27:47 ID:q/M7x0Rf
秀吉しょっちゅうそんなことしてんのかよw
しかしデ新納の反骨精神は相変わらずだな
903人間七七四年:2009/07/28(火) 14:05:26 ID:M9YQBhhN
信長ならともかく、秀吉がやったらなんか小物っぽいのがなんとも…
904人間七七四年:2009/07/28(火) 21:58:40 ID:sZrWn6ex
大坂冬の陣の後、徳川家康は次の戦に備えて一部の家臣たちと
極秘に相談した。大坂方に情報が漏れないためである。
しかし、この密談の内容を知った男が唯一人だけいた。

安藤直次(うーん、困った…)

安藤直次である。持病がでた直次が休んでいると次の部屋で
密談が始まってしまったのだ。

直次(大事な話のようだし、出るに出れないな…。
   仕方ない、寝たふりしよう)


(………)


(駄目だ、聞こうとしなくても全部聞こえる!)

結局、直次は全部聞いてしまった。そこで間もなくおこるであろう
合戦に備えることにした。やがて陣触れの命が下された時、
ほとんどの家臣が慌てたのだが、既に準備していた直次は真っ先に
駆けつけることができた。家康は大変満足した。

家康「さすが直次、危急の際の心得ができておるな」

家康は直次が早く来た理由を勘違いしていた。すると直次は

直次「上様、これからは戸障子を外して、遠くからでもわかる
   ような場所でご密談していただけないでしょうか。
   実は、かくかくしかじかでして此度のことは存じておりました。
   あの場で申し上げることもできたのですが、それではご密談
   の意味がありませんので、私の胸だけに収め、私の家臣にも
   気取られるぬようにして準備しておりました」

と本当のことを話したのだった。
わざわざ正直に話した直次の心に家康は感激したという。
905人間七七四年:2009/07/28(火) 22:01:08 ID:uyxuwgqs
なかなか出来ることじゃないわな。
906人間七七四年:2009/07/28(火) 22:11:30 ID:ZiyRhY7d
佐竹家が秋田に転封となり、義重が六郷に隠居した後の話

義重の館を守る当番で、小貫三之助という武士がいた
いつからか、彼は仕事場に二、三歳の女の子を連れてくるようになった
それをあやしたり、抱きかかえたりして当番をするのである
さすがにその姿は目立ち、義重にも報告が入った
義重は三之助を呼び出すと、なぜそんなことをしているのか尋ねた
三之助は答えた
「実は先ごろ、妻が病死してしまいました
我が家には、子を見られるような者はおりません
家に置いておいては、病になるかもしれず、死んでしまうやもしれません
そこで面倒を見ながら、御役を務めていたのです」
「そうか…」
義重は頷き、これを許した上、様々な品を与えた

この時代にもシングルファザーの苦労はあったようである
907人間七七四年:2009/07/28(火) 22:38:39 ID:oc41Yz4X
>>906
転封されて来たばかりの土地だから、乳母を雇うとか近所で預かってもらうって
ことも出来なかったんだろうな。
908人間七七四年:2009/07/28(火) 23:16:21 ID:TFkQnv+T
>>906
義重も家臣の事情を知った以上は許さないけないわな。
まさか小さな子供を泣かわけにはいかないからな。
909人間七七四年:2009/07/29(水) 00:20:14 ID:egUN1EvU
>>895
偶にゴキブリホイホイにかかるけど(鼠の他に蛇もかかる)
そんなに酷い断末魔という訳じゃない。見ててかわいそうだとは思うけど。
むしろ殺鼠剤で死んだ奴が、夏場にのたれ死になった奴の方がトラウマ。
910人間七七四年:2009/07/29(水) 00:38:40 ID:eCEKuhST
ぬこに半死半生にされてどつかれまくり、喰われたあとに内臓を落とされる
鼠たんが一番かわいそうだと思うんだ
911人間七七四年:2009/07/29(水) 01:46:05 ID:tUPZv+Hz
俺はネズミうるさいし、部屋汚すしムカつくから
粘着シートで引っ掛かったら、挟んで骨折れるくらい踏んで
そのままゴミに出すぜ。 火であぶったりもする。
912人間七七四年:2009/07/29(水) 01:50:44 ID:sh7FfR2j
>>911
鬼武蔵がログインしたようです
913人間七七四年:2009/07/29(水) 03:21:24 ID:YaFQ4i0S
>>911
つ三三三桃
914人間七七四年:2009/07/29(水) 03:22:34 ID:2xMur9kt
911の部屋を汚したのが三回目だったんだろうな、そのネズミは。
915人間七七四年:2009/07/29(水) 05:06:24 ID:8ozdiK/i
鬼武蔵の顔も三度……いや、一度持つのか?
916人間七七四年:2009/07/29(水) 07:55:58 ID:rUT9Kqbo
>>913
残念ながら兄の方は生蛇食う鋼鉄の胃袋です
917人間七七四年:2009/07/29(水) 15:04:45 ID:BRvtNDLn
粘着シートは人間も獲れる・・・・・
918人間七七四年:2009/07/29(水) 15:57:25 ID:Cc6Gq+El
ネコって捕まえたネズミが死んだ後もドツキまわしているんだよな。
んでどう見ても遊んでいるようにしか見えないんだけど、しばらくすると食い始めるという。

ぶっちゃけ供養の舞の様にも見えてくる
919人間七七四年:2009/07/29(水) 16:15:45 ID:vxa9VB5y
一方現代中国では鼠の大量発生に手を焼いてそうだ、猫部隊を投入しよう!と故事に倣った。

20億匹VS10匹

あっという間に全滅した。
920人間七七四年:2009/07/29(水) 18:08:47 ID:Uk4IuIB7
>>919
どっちが?
もしぬこの方が全滅したならチュー国に鼠皆殺しの旅に出るが
921人間七七四年:2009/07/29(水) 18:09:42 ID:VuYIZHEa
猫の方だろ、全滅したの
922人間七七四年:2009/07/29(水) 18:17:17 ID:blKL0CTa
>>904
もし自分が聴いてしまったらと考えたら、たぶん正直には言わず、
褒められたことで図に乗ってしまうかもしれない
直次は偉い人だなあ
923人間七七四年:2009/07/29(水) 19:03:32 ID:/WoVCoue
>>922
頼宣公の付家老になって「殿に100万石を治める器量なんかありませんね!」てぶっちゃける人だからなー…

あれは器量の有無でなしに、泰平の世に加増を望むもんじゃない(誰かの失政か、内乱を望むようなモンだから)って窘めたんだとおもうけどねw
924人間七七四年:2009/07/29(水) 19:05:19 ID:4bUpYs4G
>922
めんどくさい人だから。
925人間七七四年:2009/07/29(水) 19:07:56 ID:blKL0CTa
>>923
いずれにしろ必要なことを言えることは凄いよ
付き合いにくくて友達にはなれないだろうけど、直次さんは尊敬できるわ
926人間七七四年:2009/07/29(水) 19:49:10 ID:9ciyQAi+
スズメの駆除には成功したがな(´・ω・`)
927人間七七四年:2009/07/29(水) 20:24:13 ID:/EPeIi8o
コーエー、「戦国無双3」をWii向けに11月発売
http://n-wii.net/soft/eid2224.html

コーエーがWii向けに発売予定の「戦国無双3」は、
2009年11月中に発売される事が明らかになりました。

Re:戯言さんやWii@everydayさんなどによると、
発売時期は2009年11月中、価格は7140円、ジャンルはタクティカルアクションとのこと。
通常版のほか、クラシックコントローラ同梱版(無印かPROかは不明)、
トレジャーボックスも同時発売されるようです。

「戦国無双3」は、2008年10月に開催された任天堂カンファレンス2008秋にて
初公開されたタイトルです。
タイトルロゴや動画が会場内で流れたようですが、
動画は非公開となっているため、詳しいゲーム内容は不明です。
928人間七七四年:2009/07/29(水) 20:45:51 ID:pczZ5D2U
>>927
誤爆か?鬼武蔵が出るなら俺的に朗報だがw
929人間七七四年:2009/07/29(水) 20:48:36 ID:hOtHDO5w
このスレで戦国無双の話がしたいから
ニュース記事をコピーしましたって感じだろw
930人間七七四年:2009/07/29(水) 20:56:39 ID:vRVD+/ME
誤爆にそこまで嫌み言うなよw
931人間七七四年:2009/07/30(木) 00:39:52 ID:ssE+yaSS
この手のレスはマルチの宣伝じゃないのか。
コーエーファンだから構うけど。
932人間七七四年:2009/07/30(木) 08:22:53 ID:g87LX27Y
衆道にまつわるチョイとイイ話はナイのかナッ?
933人間七七四年:2009/07/30(木) 08:48:41 ID:64ak4IGb
>>932
マルチ乙

春日源助さんが四名臣にまでノシ上がって忠義尽くしたのは充分いい話だろ
934人間七七四年:2009/07/30(木) 12:48:10 ID:tYVKgiNu
まさに尻上がりに出世していったよな。
935人間七七四年:2009/07/30(木) 14:04:28 ID:19QcIO4L
>>934
何故か晴信がケツをあげておねだりしてる様が思い浮かんでなきそうになった
936人間七七四年:2009/07/30(木) 14:05:17 ID:5hibru4K
>>934
誰がウマいこといえとw
937人間七七四年:2009/07/30(木) 14:10:20 ID:JulpcOT7
ホント、ケツまづかなくて良い結末だ
938人間七七四年:2009/07/30(木) 17:44:18 ID:Leu7pMff
某DQN「わしはこんな所に来とう無かった!!」
某DQN「なあに、当たり前のことですよこれぐらい」
某DQN「そんなことより酒飲もうぜ酒」
某DQN「殿は実はこういうのが好きで・・・」
939人間七七四年:2009/07/30(木) 18:09:22 ID:Bk0BJoWF
>>932
個人的にはまとめの鈴木大学さんの話が俺の中で衆道ちょっといい話
あの話を見て以来鈴木大学のイメージがすっかり弓の名手な阿部さんだ
940人間七七四年:2009/07/30(木) 21:14:31 ID:VIQJFOj2
秀吉が太閤の頃の事
ある時秀吉は、諸候が経済的に疲弊している事を聞いた、

「それでは身代が持たないではないか。よろしい、では普請を申し付けてやろう」と、言い出した。

秀吉の考えはこうだ。例えば200人ほどの人数でやる規模の普請の見積もりを、
倍の400人かかるとして、その大名が国許から人を出して普請の工事完成までの期間の費用を
渡してやる。

そうすれば必然的に費用は余るから、大名はこれを秀吉からの援助だと考える。
又、大名の方も、こっちが400人かかるつもりの普請を、200人ほどで成し遂げれば、
その大名の手柄になるだろう。

「わしは大名に恩を売つつ普請も成すことができ、大名も世間に評判をとりつつ金を儲けられる。
誰にとってもいい事尽くめであろう。」

不況対策の公共事業みたいな発想の、秀吉の大名援助方法。
941人間七七四年:2009/07/30(木) 21:26:37 ID://HRJkuM
それはいいとして、そんだけの財源があったって事なの?
942人間七七四年:2009/07/30(木) 21:30:12 ID:96kL0pHr
>誰にとってもいい事尽くめであろう。
財源である民衆にとってはいい話ではないなw
943人間七七四年:2009/07/30(木) 21:37:48 ID://HRJkuM
やっぱ蓄えとかないよなぁ この時代だと
その資金はどっから調達するんですか?とか言っちゃうと斬られるんだろうな
だから朝鮮に行ったんだろうけど
944人間七七四年:2009/07/30(木) 22:08:31 ID:nlHCmKsK
でもまぁこの頃の政治って国がやる範囲が狭いから金はあまりあまってたかもよ?
今日本の経済を圧迫してる社会福祉なんてないし軍事と交通を押さえるのが主で他は二の次でしょ
良き領主なら新田開発や鉱山開発に金を掛けるだろうけど
945人間七七四年:2009/07/30(木) 23:01:09 ID:NDy7tLLn
日本中の金山取り上げて、米ころがしで米価吊り上げて、
大名相手に兵糧の貸付やって、ってところには金あるかもね
946人間七七四年:2009/07/31(金) 01:57:15 ID:AoGtUefF
とりあえず徳川家潰すしか方法ないよな。
947人間七七四年:2009/07/31(金) 09:49:15 ID:79c6wSjq
太閤が亡くなった時、大阪城に遺した遺産は最近の説では兆の上の京「けい」に達していたとのこと。いくらでもあったんじゃね?
948人間七七四年:2009/07/31(金) 11:33:53 ID:m2v16jng
大坂の陣夏冬2戦してもまだ残ってたそうだからな。
秀頼の再起の資金としての隠し財産がまだどこかに眠っているという話もあるし。
949人間七七四年:2009/07/31(金) 16:36:29 ID:WRf3Vn/q
シッ!
大阪が穴だらけになるから黙っていたのに・・・
950人間七七四年:2009/07/31(金) 17:19:00 ID:L1m3uXcY
ある時家康の御前で、徒然の話の中に、とある薬草の話が出た。

家康はその薬草について詳しく聞くと

「ああ、その草なら、昨年忙しくしていた頃に、信楽谷で見たことがある。
あの谷の澤山という場所に生えているはずだ。あれは薬草であったのか。」

と、言い出した。
そこで家臣がその場所に行ってみると、いかにも話に出てきた薬草が生えていたそうである。

家康という人は、抜群の記憶力を持っていたらしい。というお話。
951人間七七四年:2009/07/31(金) 18:04:48 ID:zlpaexKj
十代の頃からのハイスペックが衰えていなかったのか
それとも健康オタク故に覚えていただけなのか
どちらにせよ権現様恐るべしだな
952人間七七四年:2009/07/31(金) 19:11:45 ID:MC0K89WB
家康って逸話見てると、記憶力が凄く良かったんだなって思う
953人間七七四年:2009/07/31(金) 22:12:42 ID:YONf2vKy
ある戦いで家康は敗走した。この時、家康を逃がすために殿を務めた
のが玉井喜太郎だった。玉井はよく戦ったが遂に鉄砲で撃たれた。

玉井「うぅ…腿をやられた…」
???「大丈夫か喜太郎!」
玉井「と、殿!?何故ここにおられる!」

そこに来たのは逃げたはずの家康だった。玉井が心配になった家康は
戦場に戻って来たのだ。

家康「さあ、わしの馬で逃げるんだ」
玉井「何を仰る!?それでは貴方が逃げられない!」

もっともである。しかし家康は笑って

家康「フッ、案ずるな。わしの逃げ足はおぬしよりも速い」

と言ったという。
954人間七七四年:2009/07/31(金) 22:16:24 ID:rLSvBLPf
かっこよくないぞw
955人間七七四年:2009/07/31(金) 22:20:01 ID:jePmwrb2


          ____
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\    <「フッ、案ずるな。わしの逃げ足はおぬしよりも速い」
    /   ⌒(__人__)⌒ \
    |      |r┬-|    |
     \     `ー’´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ   <だっておwww
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)   
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //       
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/      
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー’´      ヽ /    /
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バンバン
 ヽ    -一””””~~``’ー?、   -一”””’ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
956人間七七四年:2009/07/31(金) 22:20:56 ID:Rz1HuSc9
なんのための殿だよwwww
957人間七七四年:2009/07/31(金) 22:43:00 ID:RxLgaCh5
「との」と「しんがり」をかけてあるのか!
なるほどー!ってオイw
958人間七七四年:2009/07/31(金) 22:44:40 ID:cL9Ghe2S
そりゃあ、腿をやられた人間よりは逃げ足速いだろ
959人間七七四年:2009/07/31(金) 22:55:33 ID:M1BV0IoZ
そりゃ戦国一の逃げ足名人ですから

桶狭間で逃げ、三河一向一揆で逃げ、三方ヶ原で逃げ、伊賀越えで逃げ
長久手で逃げ、石田三成の暗殺から逃げ、大坂の陣でも逃げおおせた
(他、多数の例アリ)

最後は寿命からも、やること全部やるまで逃げ続けた人物
960人間七七四年:2009/07/31(金) 23:00:22 ID:bdpBqVIu
泣かぬなら泣くまで逃げよう ホトトギス
961人間七七四年:2009/07/31(金) 23:07:36 ID:MPTMyFPT
大御所様ぁ、マジ待ってくださいよぉ・・・ウワーン
962人間七七四年:2009/07/31(金) 23:41:03 ID:hxiCNMEX
ある戦いで家康は敗走した。近習五、六人ばかり連れ、疲れようが飢えようが必死で
駆け抜け、途中神社の境内で休息したところ、お供えとして赤飯が置いてあった。

「おお、これがホントの天の助け!」
みなで分け合い、ありがたく頂戴したが、小姓の井伊万千代だけは食べようとしなかった。
「小僧の遠慮も、時と場合によるぞ!まだ道は長い、足を引っ張らぬよう飢えを
凌がぬか、馬鹿者!」

家康の叱責に、万千代は答えた。
「いや、遠慮で食べない訳ではありませぬ。
こうしている間にも敵は我らを狙っており、追い付かれる場合もございましょう。その時は、
足手まといの私は踏みとどまって討ち死に致しますので、殿はその間にお逃げください。
全滅して、「家康は飢えのあまり君臣別なくお供え物を食べた」などと知られるのは
無念にござる。」

のちに万千代は兵部直政と名乗り、徳川四天王の一人に数えられるまでになったが
傷だらけになるまで突撃すのが癖だった。
ある時突出し過ぎたので、家康が気遣いのあまり爪どころか軍配の柄をかじってしまい、
戦後その歯型の残った軍配は直政に与えられ、井伊家に伝わったという、
微妙に>>932のニーズに応えてるかもしれない話。
963人間七七四年:2009/07/31(金) 23:41:01 ID:/NL1GEdS
イチローコピペの改変で恐れるバージョンもあったな>家康

天下は逃げて恐れてこそ取れるもん
死んでは取れんのですよ
964人間七七四年:2009/07/31(金) 23:52:54 ID:UAXKJIAp
>>962
家康はきっと直政のことより直政の後ろの穴が心配だったんだ!

あれ?ピザなんて頼んだ覚えがないのに…
965人間七七四年:2009/08/01(土) 01:40:26 ID:ZxGKs5Jl
お前らのせいで劉邦に見えてきたじゃないか
966人間七七四年:2009/08/01(土) 03:11:37 ID:lNptsus0
劉邦というより劉備に近いと思うぜ
名将って訳じゃないけど戦には滅法強く、部下には慕われて、
子供や室や一族よりも家臣に重点を置いていたり、
人の意見を聞く耳を持っていて、年を重ねるほど器量もまして、
呂布に難詰されるほど良くも悪くもしたたかで、逃げ足が金メダル級、と。

劉邦は晩年のアレが、家康と被らない。
どちらかというと天下統一後の秀吉かなーと。

もちろん異論は認める。
967人間七七四年:2009/08/01(土) 03:20:27 ID:8GCIaXlA
俺の中では家康と司馬イのイメージがダブる
968人間七七四年:2009/08/01(土) 08:42:41 ID:uJZzC6NI
>>962
いくら空腹だからといって、お供えして何日経ったかわからんようなお赤飯を食うのはちょっと勇気がいるな…
と時節柄な感想

まあその程度の事で腹を下しているようでは戦国時代サバイバルは勝ち残れないんだろうけど
969人間七七四年:2009/08/01(土) 08:55:15 ID:9qlNYcjs
逃げ上手というと、家康と信長がツートップか。
信長は最後に逃げられなかったが、「知らなかったのか? 大魔王からは逃げられない」ということなのか。
いや、魔王は信長か。
970人間七七四年:2009/08/01(土) 10:19:49 ID:VONM3DST
>>941
「黄金の国 ジバング」の金銀鉱山の多数を支配してたし。
971人間七七四年:2009/08/01(土) 10:23:29 ID:w+XHFiBv
>>962天恵

つ 焼き味噌
972人間七七四年:2009/08/01(土) 11:31:16 ID:wX+1uBPz
>>969
走為上
973人間七七四年:2009/08/01(土) 11:45:28 ID:YHJhNMKl
みなの衆、そろそろこのような物の必要な時期ではござらぬかな?

戦国ちょっといい話12
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249094475/

当スレが埋まったらドゾー
974人間七七四年:2009/08/01(土) 11:52:00 ID:g9fnneno
>>973
スレ立て乙でござるよー
975人間七七四年:2009/08/01(土) 12:43:55 ID:w+XHFiBv
>>973
大儀でござりましたな。

貴殿へ仙台公が政宗レイヴファクトリー風流舞を馳走下さいますぞアッー
976人間七七四年:2009/08/01(土) 18:15:13 ID:HBRAOR51
>>970
当時の世界の銀の三分の一が日本産だったといわれているし、金の産出量も相当なものだったからね。
日本同様、南米に世界の三分の一の銀鉱山を持っていたイスパニアは、大量の銀流入でインフレが加速して、十五世紀は百年で四回も国家破綻するという素晴らしい経済・財政力を発揮してくれたw
日本もイスパニアもどっちも戦争ばっかりやってた(?)はずなのに、一方は破産しまくり、もう一方はそれなりに栄えたのは何がどう違ったのか・・・。
977人間七七四年:2009/08/01(土) 18:40:32 ID:82zixglG
>>976
インフレの原因は新大陸からの金銀流入じゃなくて、急激な人口増加によるものだが、
一方日本も人口は増加していたというのは別スレの話。

詳しく考察することは出来るけど、スレ違いだから出来ればこっちへどうぞ。

ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1232975660/
978人間七七四年:2009/08/01(土) 19:24:29 ID:dd0yOtmG
「太閤の金?それは・・・」

米村権右衛門は大野修理治長の草履取りだったが、治長に士分に取り立てられ、大野家の
家老にまで出世した。
大阪落城の際、千姫の護衛として落ち延びた権右衛門は治長の遺言により、彼の娘を
かくまい養育していたが、ある日突然、囚われて江戸に送られた。

江戸城中に引き立てられた権右衛門は、奉行に問い詰められた。
「お主は、秀頼第一の近臣たる大野治長の家老。ならば、治長が差配して隠した
『太閤の隠し金』のありかを知っていよう。有り体に申せ!」
権右衛門は答えた。
「・・・知らぬ。(良かった、お嬢様の事では無いようだ・・・)」
「そんなはずはあるまい!知らぬと申さば、拷問にかけても糾明いたすぞ!」

「これは、奉行衆の言葉とも思えぬ。わが主人治長、大阪にあっては軍陣の差配を司り、
城の存亡をひたすらに図れども、金銀財宝の事など心に在らず。
その家臣たる我らもまた、敵を討ち良き首を獲る事のみを心がけ、他の事など考える
ヒマはありませぬわ。」

権右衛門はキッと顔を上げ、なお答えた。
「さらに理屈を言えば、負けた時は金どころか自分の首さえ保てるか分からぬのに、
たとえ千万の財貨を隠したとて何になりましょう?
勝った時は、大御所・将軍家の持ち物だとて我らの物になっており、求めずして財貨を
稼げるのに、何で金を蓄える必要がありましょう?
この通り、士とは申すべき儀あらば即座に申し上げる。申すべき儀が無ければ、たとえ
口を裂かれ、舌を抜かれても何も申さぬ。それを、「拷問にかけて糾明」とは何事じゃ!!」

となりの一室で襖を隔て聞いていた家康は、
「無類の剛の者である。このような男を、義直・頼宣の側に附けたいものだ。」
と言い、やがて権右衛門は釈放された。

権右衛門はのちに浅野長治(広島藩分家)に仕えたが、衣食住は浪人の頃のままで
武具のみ立派な物を揃え、収入の大部分を京にかくまった旧主・治長の娘のもとへ
送り続けたという。
979人間七七四年:2009/08/01(土) 19:52:01 ID:nCy2WQ6K
家康が気に入りそうないい士だな
籠城中に分裂してもいいような二回の大坂の陣を行った大野治長は
弟とこの人も含めて再評価されてもいい気がする
980人間七七四年:2009/08/01(土) 20:11:19 ID:yAU5AWCJ
実は関ヶ原は東軍で参加してるんだよな>大野治長
981人間七七四年:2009/08/01(土) 20:14:00 ID:wX+1uBPz
それも福島正則隊だな
982人間七七四年:2009/08/01(土) 20:34:48 ID:TYyXbnAF
石田三成にしてもそうだけど、
一方の旗頭としてとりあえず陣営をまとめ、
戦まで持っていくのは相当の技量と覚悟は必要だろうしね
ただ、戦略面というか、外交を含めた大局観って所は、
意地や覚悟じゃどうにもならないところなのだろうな
983人間七七四年:2009/08/01(土) 20:43:29 ID:nCy2WQ6K
あくまで片桐且元の代理として抜擢されたんだとは思うけどね
984人間七七四年:2009/08/01(土) 20:47:53 ID:4mfAg9lG
長治に仕えたのも治長の回文だからか?
と思ってみたり。
985人間七七四年:2009/08/01(土) 21:23:21 ID:sjgs977z
>860
見てきたで
刀剣に関しては素人だがなかなかえがった

ただ、会場の駐車場が小さめなのがちょいと難点だな
986人間七七四年:2009/08/02(日) 00:12:13 ID:qDQFnUHg
>>978米村の名は知ってたけど、誠実な上に硬骨漢で、見事な人物だね。

米村を低い身分から引き上げた大野修理亮治長も、きっとドラマなんかである淀殿に侍ってるだけのダメ家老とは違ったんだろうな
987人間七七四年:2009/08/02(日) 13:07:34 ID:PEiPa5A/
>>978
かっこいい男だ
988人間七七四年:2009/08/02(日) 13:09:45 ID:e+yEzL2o
治長の娘はそのあと、どうなったのだろ
989人間七七四年:2009/08/02(日) 14:33:17 ID:45K5J9CW
>>988
残念ながら早くに亡くなったもよう

まぁ片倉家が全力で庇ったらしい真田さん家のKY次男の子と違って
保護者が一人でしかも広島から京へ少ない収入割いた仕送りだけじゃあね…
990人間七七四年:2009/08/02(日) 16:01:40 ID:rkhaQ5bj
三成の娘なんかは津軽家に嫁に行って家康の養女と争った挙句3代目を生んでるのに不憫だねえ
991人間七七四年:2009/08/02(日) 16:09:50 ID:yTQAvjEQ
毛利元就がまだ子供の頃、
ある日、泣いている娘を見つけて事情を聞くと、
母親が人柱にされてしまって、ひとりぼっちになったのだという。
元就はこれを気の毒に思い、つれて帰って娘を家臣に養わせることにした。


時は流れて、郡山城拡張工事の時の事。
姫丸壇の石垣が何度積んでも崩れてしまい、遅々として進まない。
あまりの難工事に、普請奉行達は神仏の祟りかと考え、人柱を立てることにした。

そこで白羽の矢が立ったのが、元就が子供の頃に助けた娘である。
早速、娘を人柱にしたいと元就に申し出た所、
元就は己の先祖である野見宿弥という人物がその昔、
古墳を作る際に、殉死の人馬の代わりに埴輪を納めたという故事にならい、

「せっかく助けた命、再び犠牲にすることはない。
百万の心を同じくし、一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられる」

と、家臣を諭し、紙に「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と書きつけ、
これを石に彫り、人柱の代わりに埋めるように命じた。
家臣たちは言われたとおり、高さ6尺、巾2尺の巨石に言葉を刻み、
人柱の代わりにこれを埋めた所、石垣は崩れなくなり、
無事に工事を終えることが出来たという。


因みに、「百万一心(あるいは「一日一力一心」)」と刻んだこの石は、
江戸時代末期に長州藩士によって郡山城跡で文字の写しが取られ、
それが豊栄神社に奉納されたとされるが、現物は未だ発見されていない。
992人間七七四年:2009/08/02(日) 16:32:42 ID:VQv0E4Z5
>>991
その長州藩であった山口県では、今もほとんどの学校に「百万一心」の石碑がありますな。
993人間七七四年:2009/08/02(日) 16:43:16 ID:t1kJaSPt
百万一心の字をちょっとヘンテコに書いて、家臣にそれを問われるとさらにそれにも意味があったって話もあった気がする。
994人間七七四年:2009/08/02(日) 16:55:16 ID:1X9G9gk+
kwsk
995人間七七四年:2009/08/02(日) 17:19:46 ID:45K5J9CW
>>994
それこそが「一日一力一心」
百聞は一見に如かず拓本を御覧あれ
ttp://www.mapple.net/photos/I03400118001.htm

何の予備知識もなしに見るとむしろ「一日(ry」と読めんこともない
「日を同じくし力を同じくし心を同じくすれば何事も成し遂げられる」
という意味らしい
996人間七七四年:2009/08/02(日) 18:07:31 ID:dj742hlE
母親のみならずその娘まで人柱にしようとは・・・

997人間七七四年:2009/08/02(日) 18:30:23 ID:5rYk4igc
>>995
拓本なの?現物じゃないのか。
しかし百万一心はわかるけど一日一力一心って
いまいち意味不明というか。
998人間七七四年:2009/08/02(日) 18:35:15 ID:1X9G9gk+
おぉ、ほんとだ
一日一力一心とも読めるな
999人間七七四年:2009/08/02(日) 18:42:28 ID:0QHyYPKi
1000人間七七四年:2009/08/02(日) 18:43:20 ID:84QhLFli
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