戦国時代における騎馬武者の実像とは

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660人間七七四年:2014/03/06(木) 06:38:12.99 ID:3KYUdVOj
サラブレットって、馬の中じゃ、最高奇形だからね。
平らな整備されていないところしか、行けないっていうひどさ。
661人間七七四年:2014/03/06(木) 11:48:19.89 ID:u5A3Gvnu
>>615
亀で食いついて申し訳ないけど

>他の騎馬隊と合体して大きな騎馬隊になることは基本的には無い。
>(一部例外はある)

という部分の「一部例外」に興味があるな

甲陽軍鑑の小笠原攻めの時にそういう記載があったと思うが、
甲陽軍鑑は古い記載ほど信用できない部分も多いので
その他の事例やその史料はなにか?とか
662人間七七四年:2014/03/06(木) 13:07:31.74 ID:o8frYTEU
上でもでてる北条岩付衆宛朱印状だと
通常10%ちょいの騎馬率を今回限りの臨時編成と銘うって30%に増強しているし
武田や北条は騎馬隊に馬に乗せた足軽を付属させて機動部隊を
編成することがあったと考えられてるが(天正12年北条朱印状、甲陽軍鑑)
通常編成では少なすぎるのでこれも増強されてるとであろう考えれば
レス元の意味合いとは大きく変わってくるけど例外的な合体としてもいいんじゃないのかと
663人間七七四年:2014/03/07(金) 12:21:36.74 ID:AasWBK8N
なるほど、ありがとう

独立の「騎馬隊」として機動力や衝力を活かした戦い方はあったのかな
それとも備内の騎馬隊として活躍したレベルにとどまるんだろうか
史料では微妙な感じですね
664人間七七四年:2014/03/10(月) 08:56:01.81 ID:vC2h6bIc
>>641
西洋も常備軍が本格化したのは近世に入ってだけど
古代から剣や槍でどつき合いしてたよ
マケドニアのヘタイロイとか槍と剣持ってで突撃してた
遊牧民の傭兵じゃなくてマケドニアの貴族だから弓までは使えない

ちなみにこのサイトの数字だと
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A008.htm

ほとんどの文化圏で馬は人命より安いから
歩兵をどつき合いさせてる状態なら馬もったいないから剣や槍で戦わないって事はないんじゃないかなあ
665人間七七四年:2014/03/14(金) 13:04:03.48 ID:52e3yFqi
常にどこかしらで戦争があった地中海&小アジア圏では傭兵としてくいっぱぐれなかったから騎馬傭兵隊についての記述いくつかあった
テッサリアとかヌミディア、ガリア、ゲルマン騎兵とか
ローマ時代のギリシャ人歴史家Arrianの記述ではシチリアも含め、山岳地帯、森林地帯、砂漠地帯の各領域の蛮族の騎馬隊が突撃を敢行してきたと記載されてる
槍とか剣の突撃がなかったってのはたぶんポニーや鐙の話が詳細を研究しないでイメージだけで誇張されて広まっただけ
666人間七七四年:2014/03/21(金) 18:54:00.62 ID:TqkHMt0q
明治13年の牛馬の頭数が馬150万、牛104万。
当時の人口が3600万なんで人馬の比率は24対1
仮に戦国時代の人馬比がこれと同じと仮定すると
人口1200万に対して馬の数が50万と出る。
牛の比率が高い西国はどうかわからないけど
東国は本百姓クラスなら1家に1頭飼ってても不思議ではない。

問題の武田領だが、江戸時代に信濃を中心に活動した運送業者(中馬)が
1764年に幕府に登録した馬の数が18700頭にも達する。極論すれば
長篠に展開した武田勢全軍を騎乗させてもお釣が来るw

青森の明治7年の馬の数が7.6万、人口が47.3万で人馬比6:1。さすがw
667人間七七四年:2014/09/09(火) 06:58:16.64 ID:K6jdLYYO
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668人間七七四年:2014/09/09(火) 19:26:46.48 ID:JWh+3M/b
平将門は少数で勝ち続けたわけだが、その原動力が騎馬武者
俗に言う坂東武者
その流れで関東では騎乗したままでも戦う
んで西日本は馬から降りて戦う
であるから騎馬隊を語るときは西日本と東日本との地域差を考慮する必要があるね
669人間七七四年:2014/09/18(木) 03:48:51.13 ID:AXB2fLbL
徳川・織田・豊臣・毛利・長曽我部・島津
とかの軍の、騎兵の割合ってどれくらいだったのでしょうか?
670人間七七四年:2014/09/23(火) 00:27:16.20 ID:kD3ZENx4
>>664
槍衾という戦法と鉄砲の出現で騎兵の優位性が薄れたから
戦国時代は騎馬隊が激減したと思われる
あと戦国時代になると、武士以外の男手も戦場に駆り出されるようになったから
馬は兵站に回すようになったんだろう。
671人間七七四年:2014/09/23(火) 06:33:07.64 ID:dWrbe2mM
鎌倉時代の重装弓騎兵という独特な兵種が廃れたのは間違いないんだよね。
ただ、それは鎌倉武士階級だけのもの、いうなれば西洋のスーツアーマー来てランスチャージする騎士階級
と同じく、軍隊のごく一部だった。
その馬をわざわざ兵站に回さねえだろ。
672人間七七四年:2014/09/24(水) 00:15:19.80 ID:JjwjMsTw
戦国時代以前の騎兵は特権階級以外でもやってたから。
ただ戦国時代に入り戦場で騎兵の優位性が無くなったのと
必要な物資の量が以前より増加したからそっち方面での馬の需要が急拡大した。
兵站というか荷駄隊にも迅速性が求められるから牛じゃ勤まらないし
否が応でも馬を使わなきゃならない
673人間七七四年:2014/09/24(水) 07:20:44.13 ID:XdFD62jM
それは騎馬武者の絶対数が減ったんじゃなくて、徒武者・足軽の数が増えて
騎馬武者の比率が下がったってことじゃないのか?
674人間七七四年:2014/10/16(木) 22:26:02.96 ID:w105kyqF
『甲陽軍鑑』
「品第四十一」
・先ツ関東の敵、馬上の戦よくして、馬を入レ乗きり
675人間七七四年:2014/10/16(木) 22:36:49.15 ID:3b+NQJA+
甲陽軍鑑の信憑性が
676人間七七四年:2014/10/16(木) 22:55:08.50 ID:c+9kk+aE
歩 歩
 騎
歩 歩
 
四人+一騎で1ユニットだったのでは?
677人間七七四年:2014/10/16(木) 23:13:22.50 ID:Va0JGWls
>>675
甲陽軍鑑は戦国期の甲斐において書かれたことが言語学的にも証明されている
678人間七七四年:2014/10/16(木) 23:46:58.63 ID:RjeOkolF
適当なことを
679人間七七四年:2014/10/17(金) 00:15:56.93 ID:RxDkTtYs
関東武者の騎馬突撃を否定する気はないが
その馬上の戦に徒歩の兵が伴わないとは
どこにも書いてないからねえ
680人間七七四年:2014/10/17(金) 00:55:50.85 ID:xGKd6YAm
>>678
適当じゃないぞ。国語学者の酒井憲二氏の研究により、甲陽軍鑑は近世に入って甲斐の方言が変化する以前の、
室町期の古い方言や仮名遣いがふんだんに使われて居ることが証明されている。
甲陽軍鑑は間違いなく戦国期甲斐の人物によって書かれたもの。
681人間七七四年:2014/10/17(金) 09:02:06.05 ID:gJ2jg699
織田チョンは無知で読まない、調べないで否定するバカ
682人間七七四年:2014/10/17(金) 19:30:13.70 ID:XdwCC3oZ
適当なことを
683人間七七四年:2014/11/01(土) 17:36:57.13 ID:SuoQrzCp
>>675
少なくとも戦闘方法に関しては捏造する必要は無いでしょ
684人間七七四年:2014/11/01(土) 18:24:29.44 ID:wwrEbfJ3
おもしろおかしく書けば評価があがるだろ
685人間七七四年:2014/11/01(土) 21:23:58.53 ID:Ta/gFCyO
>>683
江戸時代初期の作品だからその頃のドクトリンに合わせた改変をした可能性もある
686人間七七四年:2014/11/01(土) 21:53:14.73 ID:6mKwQTDk
江戸時代初期に作られた軍人教本だからその時点で時代遅れじゃ困るわけよね
687人間七七四年:2014/11/01(土) 23:54:30.36 ID:qkcm3Vco
だから古本に関しては成立時期は江戸初期じゃなくておそらく天正期だって
酒井憲二の甲陽軍鑑大成研究編を読んできなよ
日本史の学者と違ってものすごい緻密な分析、研究を行っているから
688人間七七四年:2014/11/08(土) 15:21:28.07 ID:8xVkrW6K
また馬から下りて戦ったとかテレビで言ってたぞ
教科書に書いてあるとか言ってた
689人間七七四年:2014/11/08(土) 18:35:34.09 ID:WkkWhDFl
いみわからん
690人間七七四年:2014/11/21(金) 05:24:07.17 ID:flX+OgwO
ときに朝鮮侵攻時に大陸側が運用してた騎馬隊に関するエピソードとかってあるんですかね
691人間七七四年:2014/11/21(金) 07:42:19.50 ID:qZVM64pR
碧蹄館の戦いは掃討戦になったと誤認した明側が機動力の高い
騎兵のみによる追撃戦を敢行したら…というもの
692人間七七四年:2014/12/07(日) 15:13:15.28 ID:VW6PlFTl
【日韓】日本の流鏑馬(やぶさめ)の源流と言われる韓半島古代の武芸・馬射戲(まさひ)の大会が埼玉で行われた©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1417925415/
693人間七七四年:2014/12/27(土) 03:20:05.47 ID:CLFbS0xj
最近グスタフアドルフについての本読んだらスウェーデン騎兵は普通に弱かったって書いてあったぞ
「平均体高130pのスウェーデン騎兵は強かったから同じくらいの体高の日本馬でも戦える」って言ったやつ出てこい
694人間七七四年:2015/01/23(金) 21:02:30.20 ID:r9C9Bbqp
明治初期の陸軍の記録だと
北清事変の時に去勢してない日本馬は凶暴で使い物にならん
とりあえず中国馬使えってあるけど
戦国時代は大丈夫だったんかいな
695人間七七四年:2015/01/24(土) 09:11:59.26 ID:UZMqv/gt
使えこなせない奴は技量未熟と判断された
騎馬武者と騎兵ではかける時間と金が違う
696人間七七四年:2015/01/24(土) 11:04:16.37 ID:GlRSxxQF
組織と経済が確立されてる近代国家の方が
時間と金はかけれるだろう一般的に考えれば
697人間七七四年:2015/01/24(土) 11:22:51.94 ID:qPF6jrEh
時間はガキの頃から馬乗れた武士にはかなわないんじゃない
明治軍は西洋方式だから西洋方式の基準になってる?馬の方が使いやすかったんだろう
698人間七七四年:2015/01/24(土) 12:04:13.46 ID:xvupfuZK
戦国時代は1頭ずつ口取りついてるから平気だべ
699人間七七四年:2015/01/24(土) 14:05:29.87 ID:e1L4BCcv
宣教師かなにかが、落馬しても即戦える!?スゲェ!とか言ってた記憶がする
西洋の騎乗技術が日本に比べて劣っていたって線もある
700人間七七四年:2015/02/01(日) 20:50:07.26 ID:cVh8PurW
>>699
落馬しても戦えるのは当たり前
ヨーロッパの年代記にも当然のようにそういう記述がでてくる
701人間七七四年:2015/02/01(日) 22:53:30.68 ID:qBdZm8dd
>>700
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、脆弱な我々ヨーロッパ人と違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。
ルイス・フロイス
702人間七七四年:2015/02/02(月) 01:18:43.18 ID:ww6T2H9t
欧州の武術には受け身という概念がないんだと
703人間七七四年:2015/02/02(月) 01:56:29.33 ID:ZLriS0A/
>>701
ルイス・フロイスって西国しか知らず侍は下馬して戦うって書いてるんだけど
しかもその文章ググっても2ちゃんねるかまとめしか出てこないし
704人間七七四年:2015/02/02(月) 21:14:51.66 ID:ZRbZpfSa
受け身が取れれば刀で斬られても槍で突かれても平気だな
705人間七七四年:2015/02/04(水) 18:03:23.54 ID:+eDuktYG
>>693
弱かろうがなんだろうがサーベルチャージを戦術として確立したのは
スウェーデン騎兵だからなあ

ついでにいうと体高130センチはスウェーデンだと平均より大きめの馬格だぞ
本当に本読んだんですかね?
706人間七七四年:2015/02/04(水) 20:15:27.97 ID:baqbiRik
>>705
サーベルチャージグスタフアドルフがそれをやり始める前から当たり前に行われてたってのが最近の定説です
ちなみにグスタフアドルフはピストルの不足から仕方なく騎兵にサーベルを持たせたにすぎません

スウェーデンでは指揮官用の馬と胸甲騎兵用の馬が140p、普通の兵士は110p〜130pの馬に乗っていました
707人間七七四年:2015/02/10(火) 19:38:01.09 ID:arPfNAqQ
>>691
亀レスですがご教授ありがとうございます。大陸戦が長引けばもっと日本側の騎馬運用もあったんじゃないかなと思うんですよね。広大な土地に展開するんだから掃討や偵察に便利そうだし
708人間七七四年:2015/02/21(土) 15:42:08.64 ID:2+/pEBqh
『日本史のなかの動物事典』
【武士と馬】
武家社会で馬は必須の家禄であった。ことに不破の関(岐阜県関ヶ原町)より東の東国は、火山の裾野を占める広大な草原が放牧の適地を提供し、
古代末期には信濃・甲斐(上野・武蔵)から奥羽地方にかけ多くの官牧が置かれ、牧司がこれを統轄して産馬を朝廷に貢納していた。
こうした土地から馬術に優れた関東武士が育った。
西国を基盤とする平氏のうちで、古強者と称された武蔵長井荘(埼玉県妻沼町)を領地とする斎藤別当実盛(元は越前国の住人)が、
「(関東武士は)馬に乗っつればおつる道をしらず、悪所をはすれども馬をたをさず」(『平家物語』)といって、西国武士は乗馬の戦闘では
到底東国勢に敵しえぬとしたのは、まず当たっているといってよいだろう。
これらの馬は農馬としてはまったく使用されなかったらしい。
それは近世になっても東日本の大部分で馬耕が知られず、もっぱら厩肥生産に用いられたことから推論される。
709人間七七四年
http://zookan.lin.gr.jp/kototen/kids/image/photo/uma/u-rekisi1.jpg
この馬耕の絵は西日本のものか