戦国時代における騎馬武者の実像とは

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1人間七七四年
戦国時代における騎馬武者はどういう存在だったのか、について語りましょう。

戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?
2人間七七四年:2009/06/26(金) 02:01:12 ID:jEOicEvG
知らんがな。
2げと
3人間七七四年:2009/06/26(金) 05:59:09 ID:LI52rh5y
 ┌─┐
 |武|
 |田|
 │三│
 │輪│
 └─┤
ゼー( `Д)ゼー
  ( ヽ┐U
〜 〜◎−>┘◎
キコキコ
4人間七七四年:2009/06/26(金) 18:02:00 ID:Bisb4Jxv
基本的には突撃兵種
時代や場所や状況によって馬上や徒歩かは異なる
5人間七七四年:2009/06/26(金) 20:31:26 ID:LWuBiqiK
>>4
時代と場所についてもっと詳しく。
6人間七七四年:2009/06/26(金) 21:15:05 ID:rEmhUVDt
騎馬武者隊の突撃なんて例外中の例外

馬を飼育するのにどんだけコストかかるのか
7人間七七四年:2009/06/26(金) 21:19:07 ID:dMcfxStj
>>6
乗り換えの馬を複数持つのが騎馬武者の常識なのだが。
8人間七七四年:2009/06/26(金) 22:14:45 ID:hQkSjiCI
戦車や十九世紀の騎馬隊のコストも出かかっただろうな。
鎌倉時代にいた立派な鎧を着た侍の騎射もものすごいコストだろう。
これらもコストが高いから存在しないのか?
9人間七七四年:2009/06/26(金) 22:25:40 ID:Bisb4Jxv
>>5
先ず東国より西国の方が徒歩突撃を始めた時期は早い
時期としてはやはり投射兵器の増大が大きく舵を切る、一つの契機といえる
10人間七七四年:2009/06/26(金) 23:41:41 ID:dMcfxStj
戦国期の話に、「十両の馬を一頭買うくらいなら、五両の馬を二頭買え」ってのがあったな。
11人間七七四年:2009/06/27(土) 13:39:59 ID:sVNYpDqw
そういや、竹中重治だかも

「名馬なんか買うと、馬が惜しくなっていざというときに手柄を
 立てられなくなるから、買うなら断然、駄馬のほうがいい」

って言ってたとかなんとか…
12人間七七四年:2009/06/27(土) 22:24:11 ID:v/o0mOZg
朝倉の誰だったっけ
「高価な名刀買うより、安物の槍を沢山買ったほうがイイ!」
っていってたな。
13人間七七四年:2009/07/01(水) 22:36:50 ID:S4o0KwA2
騎馬武者はあくまでも侍大将や部将格。
騎馬突撃や馬上槍なんてあり得ない。

騎馬武者も戦うときは馬を降りる、これ戦国の常識。
騎馬はあくまでも移動の手段でしかない。
14人間七七四年:2009/07/01(水) 22:59:20 ID:WFjtqoA2
>>13
違うよ、騎馬隊は千石クラスを指揮官として、数百石クラスを一般隊員として
数十騎で構成されております
15人間七七四年:2009/07/01(水) 23:27:52 ID:0k4mzHRT
>>13
巣に帰れ鈴木信者
16人間七七四年:2009/07/02(木) 00:35:43 ID:h6E+Y/L3
戦車みたいに、一人の騎馬武者に数人の足軽がついて
グループごとにちゃんばらしてると思ってたけど、違うんだな
数百石なら、10人〜20人ぐらい動員できるけど
騎馬隊に配属されたら、足軽の賦役は免除されるわけ?
17人間七七四年:2009/07/02(木) 08:12:06 ID:t5t0Ymcj
そもそも騎馬突撃なんて映像的には映えるけど
実戦ではそこまで有効でもないしな。
歩兵の不意をつけば重量と機動力任せの奇襲強襲はできるけど、対策立てられればあっさり槍や飛び道具に潰されるし
乱戦になっちゃえば最大の利点の機動力が死んで、馬上よりも徒歩の方がよっぽど武器も取り回しやすい。
実際騎馬騎士が集中的に運用されてたヨーロッパでも孤立した騎馬隊は大抵あっさりとやられてる。
18人間七七四年:2009/07/02(木) 08:45:58 ID:JZFQRCuH
>>16
騎馬隊隊士の主力である200〜300石は戦闘要員の従卒は徒武者1人で、
その他は鑓持や小荷駄などの後方要員
19人間七七四年:2009/07/02(木) 08:57:45 ID:1t+2XVMv
でもさ。相馬家は当主自ら陣頭で突撃して家臣が慌てて随伴した
と記録になかった?伊達家を悩ませたとあったとあるような。。。
20人間七七四年:2009/07/09(木) 14:44:36 ID:MxBW5MtA
>>13
長篠の段では

「家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為め、柵を付けさせられ」
というように武田方の馬を間違いなく警戒しているし

「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
と、馬を巧みに乗りこなす関東衆が突撃して来てますよ。
21人間七七四年:2009/07/19(日) 20:53:55 ID:1q8cFXQy
>>6
江戸時代の侍じゃねえんだから(荻生徂徠)
22人間七七四年:2009/07/28(火) 00:38:24 ID:X+uSAxhB
また、鈴木論者のアホがいるなwwww
23人間七七四年:2009/08/07(金) 23:28:09 ID:q4qx9PaK
馬は雄大で美形なサラブレッドにあらず
24人間七七四年:2009/08/09(日) 01:28:11 ID:NlTMtKLB
>>23
×雄大で美形なサラブレッドにあらず

○華奢で貧弱なサラブレッドにあらず
25人間七七四年:2009/08/09(日) 12:16:38 ID:+5CkFE5F
どっちもあってるだろう
日本の馬も小さかったが、タフだった

ただ騎馬隊突撃とかは笑っちゃう
26人間七七四年:2009/08/10(月) 09:44:34 ID:Sk51W0ew
騎馬突撃が無かったとかw
また古臭い鈴木信者がw
27人間七七四年:2009/08/18(火) 07:13:46 ID:fieDSub7
平成元年武田家の居館内で馬の全身骨格が発見されたのだが、体高は120aほど
こんな小さな馬がはたして重い甲冑を着た武者を乗せて疾駆できるものなのか?
昭和54年NHKが「歴史への招待・義経騎馬軍団」の中でこのような実験を行った
まず体高130a体重350`の馬を用意する
それに45`の砂袋(甲冑武器馬鎧の代わりに)をくくり付けたうえで体重50`の馬術部員(当時の男性の体格を考慮して)が騎乗し、そのスピードと走行距離を調査した
結果は最初こそ駆歩だったが(といっても普通駆歩は分速300bくらいなのだが、この実験では分速150bにも達していなかったのだが…)すぐに速歩に落ちてしまい、10分後にはもう首を大きく振り、やっと走っているという格好だったため、この時点で実験は終了となった
またこの実験の馬は蹄鉄を打ってたから戦国時代の馬よりもスピードが出るはずだったのだがこの結果である
28人間七七四年:2009/08/18(火) 07:14:48 ID:fieDSub7
Q,騎馬軍団がどのような活躍を見せたのか武田の資料に残っていますか?
A,ありません。甲陽軍鑑にすら騎馬隊の活躍を伝える話が出てこない
だいいち他流の軍学でも、当の武田流軍学でも馬上の槍を「犬槍」といって非難しています
せいぜい信長公記に長篠の戦いのくだりで、西上野の小幡の手勢が乗馬が上手かったから騎乗のまま信長の陣に攻め掛かってきた、ということが書いてあるくらいです
これが後に小説家小瀬甫庵によって「武田勝頼の軍勢は皆乗馬が達者で、どんな敵に向かうときでも馬を駆け入れ、駆け崩すのがもっぱらであった」と拡張され、武田=騎馬軍団という誤った認識が世間に広まっていったのです
29人間七七四年:2009/08/18(火) 07:17:34 ID:fieDSub7
Q,モンゴル帝国の馬も日本馬くらいの大きさだったって事を忘れちゃいけないね。モンゴルの鎧も十分重いよ?
A.モンゴル人は、主に、合成弓を使う弓騎兵 (甲冑を着用しない) として戦った。合成弓は、驚異的な射程と貫通力を持つ小型の武器である。
彼らは中国人と中東人を攻城技術者として雇い、歩兵部隊、守備隊、そして槍を使う重装騎兵隊 (甲冑を着用する) は、服属民族の軍隊から調達された。

Q,蹄鉄の有無は特に関係ないよ。
A.少しオーバーな例えだが素手の拳で砂や砂利や小石や岩場を殴りまくるのと、メリケンサック着用ではどっちの方が力が入るかな?

Q,大事なのは重い鎧とかを着た人間を載せて移動の訓練を積ませた軍事訓練の有無だから。スタミナの問題では?
A.具体的にどんな訓練をしてたのか資料はありますか?
ちなみにモンゴルでは1人の兵士が約5頭の馬を連れて出征したため、馬をすばやく変えて迅速に移動することができた。そして犬槍など奮うのではなく合成弓による一撃離脱。必要なら馬を乗り換えてまた一撃離脱。敵陣を崩してから上記の服属民族の軍隊の突撃

以上、武田信玄vs上杉謙信vs北条氏康vs毛利元就vs島津義久スレから抜粋
30人間七七四年:2009/08/24(月) 13:37:39 ID:qCDLkbiH
Wikipedia の「母衣」に写真がないんで入れたいんだけど
誰かフリーライセンスで公開して良い幌武者行列まつりとかの写真
持ってたら Commons か Wikipedia にあげて頂けませんか?
31人間七七四年:2009/08/24(月) 14:41:00 ID:13FAkmRU
>>27
訓練をさせていない馬にさせた意味のない実験

>>28
長篠のときに家康の書状で「武田の騎馬体に気をつけろ」という書状が残ってる

>>29
馬の訓練のため「日ごろから常に馬を責めて置くように」って話は何ぼでも残ってる。


いかにも鈴木信者のたわごとらしいQ&Aだねw
32人間七七四年:2009/08/24(月) 15:59:01 ID:cD48CxR/
騎馬隊に気をつけろが、なんで騎馬突撃になるんだ?w
婉曲すぎるだろ、それw
実際にところは武田の騎馬武者は強いから気をつけろって事だろ。
武田の記録に、騎馬突撃した記載はないはずだが?
あるなら、教えてくれw
33人間七七四年:2009/08/24(月) 17:43:25 ID:/seSRWYT
信長公記・長篠の合戦記述

家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為、柵を付けさせられ、
 (中略)
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。
関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。
34人間七七四年:2009/08/24(月) 18:07:31 ID:pYfGNjHI
>>29
残念ながら、中世以前の日本には蹄鉄はなかったが、馬用の草鞋があったんだよね。
35人間七七四年:2009/08/24(月) 20:43:19 ID:/seSRWYT
蹄鉄に関しては年来、生理学的な視点から検討されてきた。野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄など必要としないことが分かっている。
(中略)
これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%84%E9%89%84#.E8.B9.84.E9.89.84.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E6.96.B0.E3.81.9F.E3.81.AA.E8.A6.8B.E8.A7.A3
36人間七七四年:2009/08/24(月) 21:34:18 ID:Fw2gdHlA
ちょっとズレるけど、義経の一ノ谷の逆落としとかはどうなの?

あれの方が遥かに難易度高いと思うのだけど
37人間七七四年:2009/08/24(月) 21:41:05 ID:bZHFBN3g
一ノ谷がそんな大袈裟な坂だったかどうかもあやしいわけで
38人間七七四年:2009/08/29(土) 11:40:56 ID:07iQe4dk
>>31
>長篠のときに家康の書状で「武田の騎馬体に気をつけろ」という書状が残ってる

騎馬体wの資料を出してください
39名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:27:45 ID:OP3nJ/A9
設楽が原の決戦では、徳川方からは金の揚羽蝶と、金の石餅の旗印を掲げた大久保兄弟2名だけが、特に許されて柵外に出て武田軍を挑発した、との記述が三河物語にあったと記憶している。
この時の大久保兄弟は明らかに騎乗して戦っている。
40名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:19:52 ID:FfhYXRZR
出典:三河物語
41人間七七四年:2009/08/30(日) 21:29:37 ID:y8AurnLr
>>38
先刻申し含め候場所の事、様子見積もらしめ、
柵等能々念を入れらるべく候事、肝要に候。
馬一筋入れ来るべく候。
(『龍城神社文書』)

騎馬武者が騎兵的に運用されることもあったことを窺わせるに十分でしょ
42人間七七四年:2009/08/31(月) 12:28:52 ID:AXqWs47H
>>33
それ、武田方の記載なのか?

>>36
個人的な意見だと、一ノ谷の逆落としは、坂から下りた後に、平家方に突っ込んだ
じゃないかと思う。

>>41
騎馬隊の運用はあったんだと思う。
ただ、それこそ講談や映画の様な、華やかな騎馬部隊の突撃はなかったと思う。
43人間七七四年:2009/08/31(月) 23:08:47 ID:zAvRg/Kc
西上野の小幡一党が織田家中のわけないしw
44人間七七四年:2009/09/03(木) 18:58:34 ID:sa2a37M5
>>41
>馬一筋

これをどう読んだら、騎馬体wが騎兵的に運用されたという
意味に解釈できるのですか?
頭大丈夫w?
45人間七七四年:2009/09/03(木) 20:49:50 ID:4MOMpRcG
>>44
君こそ頭大丈夫か?日本語読める?
ためしに君の解釈でいいからこの文現代語に訳してみ?
46人間七七四年:2009/09/05(土) 22:56:43 ID:iuzbCv7W
有岡城の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E5%B2%A1%E5%9F%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
『信長公記』では
足軽隊を出した後、武藤宗右衛門やその配下の者どもが敵陣に駆け入った。宗右衛門は伊丹方の侍と馬上で渡りあい、首四つをあげて尼崎に凱旋した。
47人間七七四年:2009/09/05(土) 23:22:33 ID:iuzbCv7W
http://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/yosinarihyper.htm
二、『信長公記』に登場する可成

首巻  
(弘治二年四月)軍終り、頸の実験して、信長御陣所大良口へ人数を出し候(中略)、森三左衛門、千石又一に渡し合ひ、馬上に
て切り合い、三左衛門臂(ひじ)の口きられ引退く

1556年4月、信長が舅の斎藤道三を助けるために軍を出した時の戦いの模様。森可成は千石又一との馬上戦で臂を切られて退く。
48人間七七四年:2009/09/05(土) 23:29:31 ID:iuzbCv7W
信長公記 河内長嶋御成敗
http://www.alliance-souyaku.co.jp/AllianceKK/Hot-hitoiki-data48-.htm#hot-no52

騎乗戦闘

西は賀鳥口
佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊豫守・同右京助、蜂屋兵庫頭、松之木の渡り一揆相支え候を、どつと川を乗渡し、馬上より数多切捨て候なり。

刀戦闘

其中に心ある者どもはだかになり、抜刀ばかりにて七・八百ばかり切て懸り、伐り崩し、御一門を初め奉り歴々数多討死。小口へ相働留守のこやこやへ乱れ入り、思程支度仕候て、それより川を越し多芸山・北伊勢口へちりちりに罷退き、大坂へ迯入るなり。
49人間七七四年:2009/09/06(日) 00:07:00 ID:jYzqVoQZ
信長公記・長篠の合戦記述

家康、滝川陣取りの前に馬防ぎの為、柵を付けさせられ、
 (中略)
三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。
関東衆、馬上の巧者にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる。
50人間七七四年:2009/09/06(日) 00:50:25 ID:ESQxa9rp
普段の生活で暴れ馬で死んだ人は実際いたのだから
数十頭で突撃されたら堪らんだろ雑兵的に考えて・・・俺なら逃げる
余程限定された状況でしか使えないかもしれないが
あったと考える方が自然じゃないか?
51人間七七四年:2009/09/06(日) 05:09:11 ID:Jdflo5Nk
騎兵隊は第二次大戦まで実戦で戦ってたんだから戦国騎馬軍だってあったでしょ。
運用出来ないって戦国人はどんだけ原始人だったんよ。
52人間七七四年:2009/09/08(火) 06:24:39 ID:qA34BkB9
まあ槍持って突っ込み、めぼしい武者のいくらか突いたら下馬、首取り
またはいきなり拮抗、馬上で組み打ち始めて転落
だろうな
首とらないならどんどん数減らしながら行けるところまで突っ込む
53人間七七四年:2009/09/08(火) 17:25:49 ID:XtOXqJT9
>>51
運用できないと言うより、日本という風土で考えると、騎馬運用はかなり大変
だったんじゃないかな。
効率から考えて、移動手段が主な役割で、>>50の言ったように、限定的だった
ら使える程度ではないかと思う。

>>52
古今東西、最初から騎馬隊が突っ込むという戦いは少ないぞw
54人間七七四年:2009/09/08(火) 19:55:55 ID:fkdnScPm
西洋の様に連隊単位で分けることはしていない
日本では精々、中隊単位
55人間七七四年:2009/09/10(木) 01:54:54 ID:mcTPnbxJ
56人間七七四年:2009/09/14(月) 15:18:52 ID:boYNoq9g
徒歩武者「そこの騎馬武者!勝負せよ!」
騎馬武者「おう!ちょっとまってろ!」
ガチャガチャ
騎馬武者「よし!さぁ来い!」
徒歩武者「おう!」
57人間七七四年:2009/09/15(火) 01:22:41 ID:o20qHMbb
馬の関東
戦国関東の合戦では、人馬とも大量死してるのに
58人間七七四年:2009/09/15(火) 02:22:00 ID:1XIgdQir
>>55
すごいなー義経のアレもただの伝説では無いかもね
59人間七七四年:2009/09/16(水) 23:12:23 ID:NdI3fscO
モンゴルポニーの競馬
http://www.youtube.com/watch?v=xcxm5hAq6wM
60人間七七四年:2009/10/11(日) 21:55:52 ID:Jfv8xUOp
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、
蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、
馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
61人間七七四年:2009/10/16(金) 23:40:40 ID:V6wBlU1B
武装した兵士を乗せて模擬戦をするモンゴルポニー
結構速いな

War Horse Battle Charge
http://www.youtube.com/watch?v=KPXG8pt0lr8&feature=fvw
62人間七七四年:2009/10/25(日) 00:52:35 ID:eiP6YzoO
桶狭間では騎馬武者は馬から降りて戦った
63人間七七四年:2009/10/25(日) 01:16:26 ID:/W3BUfuF
ケースバイケースだろう。
わざわざ「馬を下りて槍を振るうほど混戦だった」
ってかくぐらいだから、乗ったままの時もあったんじゃね?
64人間七七四年:2009/10/25(日) 02:07:06 ID:5DxGFEVr
長久手の戦い、父勝入斎の討ち死にを聞いて駆け戻ってきた元助を、徳川方の安藤直次は鑓で突き倒して討ち取った。この時、元助は騎乗、直次はこの日、戦いの始めから徒歩。
勝入を倒したのも直次で、親子二人を討ち取ったことになる。ただし、勝入の首は永井に譲った。
65人間七七四年:2009/10/25(日) 02:13:48 ID:oICP9TT8
尼子勝久の上月城籠城のとき、包囲する毛利軍の児玉元兼と、救援に来た織田軍の
薮内匠が、藪を挟んでの槍合わせをしたが、その時は双方騎馬。
66人間七七四年:2010/01/12(火) 21:44:35 ID:q27lRmEs
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。
・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。
67人間七七四年:2010/01/26(火) 20:17:14 ID:nhb+lM33
http://www.yakitori-jp.com/encyclopedia/histry/hhtml/edo14.html
江戸時代の辞書にみる牛
江戸時代の辞書にみる馬

◇和漢三才図会
大抵関東には、馬多く牛少し。
関西には牛多く馬少し。
京師には天子・皇后・三公の御車を牽き、市中の車牛は米穀・薪木等を運送す。
皆特牛(ことひ)を用う。農牛は田を耕して人力を助すく。
関東にてはすなわち馬をもってこれに代う。

◇本朝食鑑
大抵参州・遠州以東から奥州・夷にかけては、馬が多く牛は少ない。
それで、耕耘運転には皆馬を用いる。
尾州・濃州以西より海辺の国にかけては、牛が多く馬は少ない。
それで、耕耘運転には皆牛を用いる。
就中、播州・備州は最も牛を産出するところで、盛んに蕃息(はんしょく)する。

馬は関東の産が上い。
したがって奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。
68人間七七四年:2010/01/27(水) 01:30:26 ID:sm7Xzqhn
騎士身分なら徒士より訓練つむだけの余裕はあるだろjk
69仙台藩百姓:2010/01/27(水) 10:47:33 ID:l8XXoqKK
武具要説には
「勝負が決しない内に下馬して戦い、また馬に乗るなどという事は戦場を知らぬ者の言である」
と記してあるお( ^ω^)
70人間七七四年:2010/01/27(水) 12:19:53 ID:LIy5Re+q
age
71人間七七四年:2010/01/27(水) 13:38:15 ID:RQkksSXv
歩兵は誰が指揮するわけ?
72人間七七四年:2010/01/27(水) 13:57:11 ID:Q3XMi5Gi
足軽大将の任を受けた侍
73人間七七四年:2010/01/27(水) 16:59:52 ID:RQkksSXv
拡声器でも持ってるわけ?
74人間七七四年:2010/01/27(水) 17:48:04 ID:Q3XMi5Gi
一組に付き20から50人程度、下士官的な小頭も二人程付く
75人間七七四年:2010/01/28(木) 01:23:21 ID:OqfL5QTL
足軽大将は歩兵?騎兵?乗馬歩兵?
76人間七七四年:2010/01/28(木) 02:42:26 ID:p0O9EyRo
足軽大将は士分なので騎馬
77人間七七四年:2010/01/28(木) 18:35:34 ID:OqfL5QTL
指揮系統の確立以外の騎乗意義は?
78人間七七四年:2010/01/28(木) 18:47:45 ID:9w9gPxfu
馬に乗れば視点を高くすることができ、状況の把握がし易い
79人間七七四年:2010/01/31(日) 19:51:34 ID:8T+3IXL2
つか、戦国時代云々より、第一次世界大戦でも騎馬隊突撃ってあったじゃん・・
日本だけじゃなくて、世界各地で・・
それこそコストがかかるってんで航空隊を余り持っていない時代、
戦車・装甲車両が通れない山岳地帯や湿地帯は騎馬隊が主流だったそうだぞ。
後、山岳の地上部隊は騎馬隊の変わりにバイク部隊になった・・らしいwwwww

てか、騎馬突撃が効率悪いとか言ってるけど、効率云々じゃないよwwwww
だって、突撃ラッパ吹くのだって敵に位置知られるから
効率、クソ悪いけど第一次世界大戦までは鼓舞するために行われていたんだしwwww
近代でも効率悪い戦いはいくらでもやってるwwwwwww
80人間七七四年:2010/02/01(月) 07:40:31 ID:NTFJa3pU
当時の馬ぐらいの大きさでちょうどよかったのでは。

サラブレッド並だと
鞍が高すぎて乗れない上に
家来は追いつけないし
81人間七七四年:2010/02/01(月) 13:30:03 ID:45JlAaLk
サラブレッドが出てくるのは近代競馬の確立まで待たないといかんなぁ。

西洋の騎士にも従者ら数名の世話係、もとい歩兵がいて、
突撃する時は馬上の御主人様と一緒に走ってったんだよな。
あっちの馬も小さくて足も遅かった事だろう。
17世紀の強国・スウェーデンの騎兵の馬も平均体高120cmだったしな。
82仙台藩百姓:2010/02/01(月) 14:01:56 ID:b5VFFqm2
小さく大人しい馬の方が戦に向いていると書いている人が多いおね( ^ω^)
でも武具要説の著者(高坂?)のように大きい馬の方が絶対よいと言っている人もいるし結局は好み問題だと思うお
と言うか要は己の扱い易い馬にせよと言っているわけだお
大きい馬程有利ではあるけれど手に余るようでは戦で働きが鈍るから
それなら己の扱い易い小さい馬にしたほうが良い働きが出来るという事だお( ^ω^)
83人間七七四年:2010/02/02(火) 02:39:43 ID:6djURQwM
モンゴル馬とモンゴル兵
ttp://www.youtube.com/watch?v=KPXG8pt0lr8
小さいけどカッコよすぎる
84人間七七四年:2010/02/02(火) 12:18:40 ID:WTbpFl6d
分かった!
武田家ってみんな馬だったんだよ!
85人間七七四年:2010/02/02(火) 17:51:54 ID:TAUvmNDa
武田家猛々しい
86人間七七四年:2010/02/11(木) 03:17:47 ID:bcdhJ7o1
実際は追撃か側面攻撃だろうな。
87人間七七四年:2010/02/24(水) 20:05:17 ID:drpOKt5v
迂回攻撃もな
88人間七七四年:2010/03/06(土) 04:28:18 ID:8MFphgIu
日本の騎士ww
89人間七七四年:2010/03/06(土) 09:12:12 ID:vQqZE4xQ
元々、騎士は徒士の対比語で日本の騎馬武者のことを指す
90人間七七四年:2010/03/06(土) 15:10:05 ID:bHypKO5i
蹄鉄のない時代の馬に長時間乗ることはできなかったろう

本当に必要な瞬間だけ、乗馬すると思う。
91人間七七四年:2010/03/06(土) 15:16:00 ID:rUnAFpOw
>>90
蹄鉄の有る無しは運動能力とは関係ない。
だいたい蹄鉄の代わりに、爪の保護のため馬わらじと言うものがあったんだから
そのへんは変わらんよ。
92人間七七四年:2010/03/06(土) 16:15:54 ID:FGsAYRu9
家畜の馬が蹄鉄を必要とするほど蹄が弱くなる原因に
湿気やアンモニアに蹄が晒され続けることが挙げられますが
武士の厩は床を板敷にし、頻繁に掃除を行うことで馬の足元を清潔に保ち
蹄が劣化することを防いでいます。

当時の厩は馬の目の前で各々が寛ぎながら歓談する、ちょっとしたサロンでした
ttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/gadan/naoki/naoki.htm
ttp://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/past/theme/0801/24.html
93人間七七四年:2010/03/07(日) 13:26:16 ID:yx+566zV
>>89
ナイトと直訳して無学を晒してすみませんでした
94人間七七四年:2010/03/07(日) 14:29:37 ID:5wzWJjUY
>>90
蹄鉄に関しては年来、生理学的な視点から検討されてきた。
野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄など必要としないことが分かっている。
しかし長年の馬小屋での飼育方法と蹄鉄の伝統は、これらの見解によっても容易に変化するものではない。
これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%84%E9%89%84#.E8.B9.84.E9.89.84.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E6.96.B0.E3.81.9F.E3.81.AA.E8.A6.8B.E8.A7.A3

木曽馬の特徴
3・蹄が堅い
 蹄鉄のいらない蹄
http://05210643.at.webry.info/200909/article_7.html
95人間七七四年:2010/03/14(日) 00:44:30 ID:OHxoJG/R
>>92
厩ってもっとぼろいと思ってた。
これだけきれいなら目の前で歓談していても不快じゃないね。
96人間七七四年:2010/03/16(火) 20:54:23 ID:joekbujn
前にディスカバリーチャンネルで中世ヨーロッパ騎士も
小さい軍馬を好んだといっていた。
理由は
1、小回りが利く
2、落馬しても怪我しない
3、餌が少なくてすむ
だったと思う
97人間七七四年:2010/03/16(火) 20:58:55 ID:joekbujn
ごめん、ヒストリーチャンネルだったかも
98人間七七四年:2010/03/16(火) 21:38:05 ID:dvfQaqHZ
>2、落馬しても怪我しない

フロイスは武士が落馬しても滅多に死なないという事を書いてたけど
ヨーロッパでは落馬で死んだりするんだろうか?
西洋の武術テキストには受身に相当するものが載っていないと聞いた事があるし
ひょっとして受身をとるという概念が無かったのかな。
99人間七七四年:2010/03/17(水) 23:14:04 ID:XOu2JIqk
着てる甲冑の重さも違うんじゃないかな
鎖帷子着たうえに鉄の甲冑きる場合もあったらしいし
100人間七七四年:2010/03/22(月) 11:24:43 ID:rKqqkiK4
其関東の侍たちに、馬の目ききをとふたれば、
当歳にて母に離ぬもよき馬になる。
離て草を食は猶よき馬に成。
つきつ離つする馬は、後夫馬に成ても、おもき荷を持事ならず、
遠き路もならず、やす馬と是をいふ。
此クノ如キ畜生さえ、機の展転するはあしきに、

わたしは良馬の見分けかたを関東の侍たちに尋ねたことがある。
すると、一歳になって母馬から離れようとしない馬は良馬になる。
母馬から離れて草を食べる馬は一層良い馬になる。
母馬についたり離れたりする馬は、その後荷を運ぶ馬になっても重い荷を運べず、
遠路に耐えられない駄馬である、とのことであった。
馬でさえ、気の移りやすい馬は駄馬である。

『甲陽軍鑑』(日本の思想9)
101人間七七四年:2010/03/22(月) 16:31:39 ID:lndgaNIQ
>甲陽軍鑑
102人間七七四年:2010/03/23(火) 15:22:32 ID:sUpmCRPf
>>101
甲陽軍鑑は下っても江戸初期には成立しているし、その頃にはほぼ消滅していた
古い甲斐の方言が使われていることから、戦国期を知っている甲斐の人間が著述したことは
間違いない。
当時の東国の風俗を知る上で貴重な資料であることは間違いないぞ?
少なくとも近代になって書かれた武功夜話などとは、史料価値が全く違う。
103人間七七四年:2010/03/23(火) 17:25:01 ID:YMdPxeJh
104人間七七四年:2010/04/05(月) 05:39:28 ID:Odk9P7+b
雑兵物語より

「今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
味方の東国の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
敵部隊の右側から突っ込んだ。

敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
敵を追い崩した。

西国では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
長い間やっておらず、東国の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。」
105人間七七四年:2010/05/11(火) 02:02:53 ID:E09E/E+o
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/11/post_24.html
考えてもみよ、壬申の乱から源平合戦、そして武田軍団までは基本的な戦闘は騎馬戦なのである
(歩兵や海戦もあるがここでは論じない)。そして騎馬戦からすぐに時代は鉄砲に移行するのだ。刀なんか振り回している武士なんてものは歴史上存在しない


よくもまあこれだけアホなことをえらそうにかけるもんだ
106人間七七四年:2010/05/11(火) 11:48:58 ID:6NzOJFuR
>>105
史料どころかまともな本も読んでないな
107人間七七四年:2010/05/22(土) 19:51:11 ID:kpU5lZ/z
◇和種馬の体力
和種馬はその小柄な体型から甲冑武者を乗せるとよたよたとしか走れない、と誤解されていますが、
約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることを確めました。
機会があれば何処まで走り続けられるか確認してみたいと思います。

ttp://www.marvellouswings.com/Kattyuu/Reviw/Review.html
108人間七七四年:2010/08/18(水) 17:37:45 ID:UOaJuoCj
モンゴルの馬も蹄鉄打ってないけど・・・
109人間七七四年:2010/08/18(水) 17:43:09 ID:UOaJuoCj
下のスレは騎馬肯定の人が多い

戦国時代の馬はポニーサイズ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
110人間七七四年:2010/09/08(水) 15:42:55 ID:dmN91zLs
現在の状況を例えると
ちゃんと調べもせず騎馬武者下馬戦闘説をぶちまけた鈴木氏は専門家からの
批判、反論に意見できず過去の人

面白がって鈴木説に便乗したマスコミらも今では取り上げない状態

鈴木氏の説を鵜呑みにしマスコミの報道を単純に信じた鈴木崇拝者がいまだこういった
所で騎馬武者下馬戦闘の根拠をぶちまけ簡単に反論される

こういった状況ですね
111人間七七四年:2010/09/08(水) 16:21:35 ID:gZQ9gRbo
古来から世界中で普通に騎馬戦有ったろ
記録も有るのに日本だけ何故無いとか言いだしたのかがさっぱり分からない
112人間七七四年:2010/09/08(水) 17:34:01 ID:UDBcZJVd
>>111
多分最初は、「騎馬軍団」を軍制の面から否定したんでしょ。

所謂兵科に一度分けて、それを有機的に組み合わせた諸兵科連合をやってたところは限られるし、
遊牧民族みたいにそれこそ全員が軽騎兵という例も限られるので。

そのうちそれが拡大解釈されたり極論化されたりして騎馬戦闘や騎乗戦闘自体に否定的な意見が出て、
それが流布したと。
113人間七七四年:2010/09/09(木) 00:01:03 ID:iUWzKQCo
>>98
頼朝の立場がないぞ。
114人間七七四年:2010/09/09(木) 09:38:10 ID:iUWzKQCo
>>98
ヨーロッパは石の文化で道路も硬いからケガするだけだろ。
115人間七七四年:2010/09/09(木) 22:56:12 ID:hs5s8Nmn
>>114
ヨーロッパ人がどこで合戦してると思ってるんだよw
116人間七七四年:2010/09/11(土) 01:56:00 ID:t7RAo64M
>>112
地方の軍記見てると、備と数百〜千数百単位の単一兵科の集団が混在してるんだよな。
備はこれこれ、旗本に鉄砲八百、とか。
117人間七七四年:2010/09/11(土) 09:35:33 ID:IFx/VMbd
>>116
軍直轄砲兵みたいなものかと
118人間七七四年:2010/09/14(火) 18:23:07 ID:KwIWdJqS
鈴木氏が重視する軍忠状の類に騎馬武者の活躍が書かれてたりするからねえ。
しかも集団で戦っている。

『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候

・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事

・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、

・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、

・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、

・一、結城よりとちきへ動之時、内より出申候所ニ、川島主税・たかや采女・我等同前ニ馬をかへし走廻申候、つれ合候衆太木信濃存候事、
119名無しの行進曲:2010/10/01(金) 18:41:09 ID:47B4mlg/
ヤフー知恵とかで騎馬戦闘関係の質問で相変わらず
騎乗戦闘していない
とか
ポニーだから戦闘向きでない
とか
馬は音に敏感だから戦闘には適さない
とか述べる人がいますがいい加減鈴木氏の出鱈目から目覚めて欲しいですね
120人間七七四年:2010/10/01(金) 23:14:45 ID:FV/dai91
江戸期の大坪本流の馬術書だと、近くで鉄砲撃ったり焼け焦げた臭いをかがせて
馬が驚かないよう調教しろってて書いてあるね
121人間七七四年:2010/10/02(土) 02:13:11 ID:CR6ip9tu
騎乗攻撃は可能。
・騎馬武者は日頃から訓練をつんでいる立派な武士であり、
 そこいらの足軽よりはよっぽど戦闘能力が高い。
・戦闘参加するのは主に足軽同士が乱戦に入った時だから、
 天敵である長槍は取り回しが悪くなり、ほぼ無効化されている。
 つまり大抵は足軽の刀vs騎馬武者の馬上槍となり互角以上に戦える。
・いくら小さいとはいえ、人よりは確実に大きい馬が突っ込んでくるのは恐怖。
 うかつに近づいて蹴られでもすれば怪我は確実。下手すれば死ぬ。

馬を下りて攻撃するのは、
・よほど名のある敵と相対して馬上では不利と判断した時。
・組み倒して首を取るため。
・馬を戦闘で失いたくない時。
122人間七七四年:2010/10/02(土) 11:21:03 ID:UAV8TDbs
陣地攻撃やまだ乱戦になっていない段階での攻撃でも降りるよね
123人間七七四年:2010/10/02(土) 13:14:28 ID:CR6ip9tu
だな、だけど陣地攻撃はともかく、
乱戦になっていない状態での騎馬組投入は愚策。
奥の手である騎馬組をわざわざ敵の長柄組や鉄砲組に下馬攻撃させる
意味は皆無。こちらも長柄組を突っ込ませればいいだけ。
もしも長柄組が全滅や逃亡しているのなら騎馬組や侍大将も逃げるはず。

足軽頭等の単騎武将も、指揮官として指示しなければならないので、
そんなに前寄りに突っ込みはしないだろう。
124人間七七四年:2010/10/04(月) 12:35:11 ID:VDQdnZJv
>>123
古今東西、隊列が整った長槍隊に正面から突撃させるなんてよほどの馬鹿しかやっていないしな。
フランスの装甲騎兵がイタリア民兵の長槍方陣を突き破った例はあるが、あれは最精鋭対寄せ集めの素人の例外。
125人間七七四年:2010/10/09(土) 12:20:42 ID:jL8/iayd
【源平も】甲斐武田氏総合スレ【戦国も】part2
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1285211976/
126人間七七四年:2010/10/10(日) 17:46:50 ID:BuMXxuri
陣地攻撃の場合は「馬から下りて攻撃」というより、
「馬を盾に突っ込んだが弓や鉄砲で負傷したので捨て置いた」とか、
「馬を失いたくないので最初から徒歩で突っ込んだ」
といったところだろう。
127人間七七四年:2010/10/10(日) 19:32:59 ID:VgBoDpuZ
単純に騎馬突撃に不適格な地形などの場合は素直に下馬戦闘ってだけだろ
128人間七七四年:2010/10/10(日) 20:19:43 ID:ewLiog6c
>>124
:;' /:/ `メ、 i: ハ: i: : ii:i ヽ: i: :ii; : : : :iヽ: :
i: :i: i: i/,ィ=ミヽi: iヽNi:i_`iL:H---i:i: ヽ
i: :i :i / {.iトgj:i ヽ! lルィ丁゙)‐ミ「!: :ii/: : i
;':/ヾム⊂つ'´     i:.;{iil1:ソ i:i:::i !: : i:
: i: /: iト        、,,ミニっ /i/゚: o i .
: i:/: : i    、`_      ̄/.:/: : : i: :
: /: .::ハ   ゙llllllル `ヽ    //. : :/! i: .   <あやまれ!ネイ元帥にあやまれ
/: .::/:::/`、  lll/: : : : :} /〃:./: /i iハ!
i. ::/i::/::::::i::ヽ`三ー 'ノ , イ/: /: /.::i i::::::
::::///::::::::i:::i:..ヽ---<::::/:::/: :/: : i iヽ::

ワーテルローのアレは、ネイの独断じゃないって説もあるけど
129人間七七四年:2010/10/10(日) 22:39:05 ID:GFCAr4gq
馬が逃げちゃって帰りは歩き
と言うか敵の馬持って逃げちゃった方が儲かるな
130人間七七四年:2010/10/10(日) 23:08:35 ID:VwPWTM+x
そのヨーロッパでも装甲騎士が下馬戦闘やったりするからね。

テレンス・ワイズ「ばら戦争 装甲騎士の時代」
・騎士と従騎士だけでなく、多くの重装甲兵にいたるまで部隊の大半が
馬に乗っていた。「騎馬歩兵」の中には、馬で偵察や側面守備などに
趣く者もあったが、わずか100騎ほどの騎乗予備軍は別として、
馬はすべて荷物と共に後方へさげ、戦闘は徒歩で行われた。この措置は
主として使用する武器がそうさせるのと、馬に乗ったまま効率よく戦える
騎兵がほとんどいなかったという事情による。
131人間七七四年:2010/10/10(日) 23:13:31 ID:q7GN2F/O
騎馬隊って言うけど、
戦国時代のは士官が馬に乗ってるだけの歩兵部隊でしょ

言うなれば支隊だな
132人間七七四年:2010/10/10(日) 23:15:17 ID:VwPWTM+x
>>130
上の著書によると、ばら戦争の時代の装甲騎士こそ馬に乗ってるだけの歩兵部隊。
133人間七七四年:2010/10/10(日) 23:16:33 ID:9nlEilb+
>>131
歩兵部隊は別に足軽隊として存在する
134人間七七四年:2010/10/10(日) 23:48:14 ID:BuMXxuri
「隊」じゃなくて「組」な。
135人間七七四年:2010/10/11(月) 01:21:47 ID:r9SfY1b+
武田の騎馬隊って言うけど、真面目な話、
甲府でそんなに馬が育つわけねーべ

平地じゃあるまいし
136人間七七四年:2010/10/11(月) 01:33:28 ID:LtCFHSAC
平地でしか馬が育たないなら木曽馬なんて存在しない。
137人間七七四年:2010/10/11(月) 10:47:21 ID:jT2ZBgJc
>>135
甲斐の黒駒って知らない?
甲信地方は律令制以前からの馬産地だよ
138人間七七四年:2010/10/11(月) 11:52:20 ID:8C1ynCHH
>>135
馬のことほんとに知らないんだな。
139人間七七四年:2010/10/11(月) 13:52:52 ID:mRZEF+Hu
フルボッコwww
140人間七七四年:2010/10/11(月) 17:18:25 ID:28jfvUOp
>>135の論陣が崩れたところへ>>136-138の騎馬突撃。
お見事。
141135:2010/10/11(月) 18:38:30 ID:r9SfY1b+
俺は量の話をしているのに、お前らは可能か不可能かの話をしている
つまりお主達は皆うつけ者
142人間七七四年:2010/10/11(月) 19:09:09 ID:Y9sao1Gl
誰も可能とか不可能とかの話はしてないぞwww
143人間七七四年:2010/10/11(月) 19:10:48 ID:XYEvRy13
>>141
「馬の産地」っていうのは、他国に馬を輸出していたほど馬の生産が盛んだったってことだよ?
そこを考えようや。
144人間七七四年:2010/10/11(月) 19:16:13 ID:Y9sao1Gl
こんなレベルのヤツが騎馬武者がどうこうとか語ってるんだねww
145人間七七四年:2010/10/11(月) 20:07:34 ID:28jfvUOp
一旦は崩れた陣形を整えて反撃に出た>>135=141だったが、
兵の士気低下はいかんともしがたく、やっぱり>>142-144に返り討ち。
146人間七七四年:2010/10/11(月) 20:36:49 ID:xG/uNlX6
ところでなんで金玉除去をやらなかったんだろうね、
効能や施術法くらい入ってきそうなもんだけど
147人間七七四年:2010/10/11(月) 20:53:09 ID:GMrDyRpt
凶暴で手がつけられない馬が名馬とされていたんだから、馬を大人しくさせる技術が広まるはずが無いだろう。
西欧でも同じ理由で馬の去勢が一般化するのは16世紀以降の話だし。
148人間七七四年:2010/10/11(月) 21:01:32 ID:jT2ZBgJc
長崎周辺ではオランダ人から学んで江戸時代後期には去勢やってたらしいけど
他の地方には伝播しなかったみたいだね
149人間七七四年:2010/10/11(月) 23:12:22 ID:28jfvUOp
去勢したら増やせないし。
150人間七七四年:2010/10/12(火) 01:32:30 ID:e46nka++
>>147
当然、牧では人が乗れるよう、戦場でも驚かないよう馬を馴致している
151人間七七四年:2010/10/12(火) 08:29:56 ID:33/5VNJu
技術云々よりも、日本人は精神的に去勢がダメなんだろう。
現代でも世界では一般的な競走馬の去勢も日本では殆ど行われていない。
支那の王朝から色々学んだというが、宦官は制度も作り方も全く受け入れられなかった。
152人間七七四年:2010/10/12(火) 09:09:10 ID:XgeaIpGY
明治に日本に来た外人の間で
日本の馬の猛獣並みの凶暴さはネタになってたw
日本人の馬子が、馬を恐る恐る扱う様も、外人は不思議だったようで。
ちゃんと調教しろよ〜って言われてたな。
153人間七七四年:2010/10/12(火) 22:04:06 ID:jWp0VoB2
和馬は発情期もそこそこおとなしく去勢する必要が無かったのと
自然状態で繁殖させてたので選別的な去勢もしなかった
ってところですかね
154名無しの行進曲:2010/10/24(日) 17:58:47 ID:N8LBb1gf
>>131>>135>>143
いい加減鈴木眞哉の呪いから解き放たれてくれ
155人間七七四年:2010/10/24(日) 22:06:36 ID:m8gFE2fO
>>154
普通に考えたら騎馬の単独行動とかありえないの
騎馬武者一騎+護衛の足軽歩兵数人(弓兵)で行動するの当たり前
そもそも武田は騎馬隊より長槍隊の方が有名
156人間七七四年:2010/10/24(日) 22:11:02 ID:M1NcXuGX
その当たり前の根拠あなた出すのこと
157人間七七四年:2010/10/24(日) 22:31:36 ID:m8gFE2fO
槍部隊や鉄砲隊弓隊の遠隔攻撃の真っ只中を
騎馬隊が突撃するとか有り得ないのww

確かに、騎馬隊の突撃はあったよ
これは極めて稀な例
武田の赤備えが騎馬突撃を実戦した
これの実態は、ほぼ勝敗が決して敵が敗走して逃げている所を
赤備えの騎馬隊が追いかけて蹴散らすという、一種の打ち上げお祭りの見世物
これは情報戦で宣伝活動の一環行事
武田の赤備え強しという恐怖を敗軍に見せ付けて、武田の強さを他国に知らしめるため
武田の騎馬が有名になったのは赤備えの花形芸の見世物が原因ね
158人間七七四年:2010/10/24(日) 22:32:44 ID:HqVEUhDc
>>157
根拠出せと言っておる。日本語読めないタイプの人なんだろうけど君は。
159人間七七四年:2010/10/24(日) 23:42:56 ID:Q6buWGfp
>これの実態は、ほぼ勝敗が決して敵が敗走して逃げている所を
>赤備えの騎馬隊が追いかけて蹴散らすという、一種の打ち上げお祭りの見世物

騎兵の主任務の一つが追撃。
敵が撤退したり壊走したりしたときに止めを刺す。
昔の戦争の戦死者はこの追撃戦で多く出る。
これは重要な任務で、お祭でも打ち上げでもない。
160人間七七四年:2010/10/25(月) 04:29:31 ID:kWBv31tP
そもそも「騎馬組とは、長柄組や弓組や鉄砲組が健在な時に
突撃をしかけるものだ!」とは誰も言ってないしな。
>>157は誰と論戦してるんだろう。
161人間七七四年:2010/10/25(月) 06:23:58 ID:nwq3R2lV
>>160
そうなると
騎馬隊の意味合いも相当変ってくるぞw
いつ突撃をやるかで
鈴木眞哉さんには勝てないのかw
162人間七七四年:2010/10/25(月) 07:47:59 ID:3gB4MKHR
「雑兵物語」に出てきた例は、長柄組や弓組、鉄砲隊が健在でも騎馬隊で乗り崩した話だったな。
騎馬を相手にした経験が少ない西の方の敵だったとかなんとか色々と条件が重なったみたいだけど。
163人間七七四年:2010/10/25(月) 07:49:50 ID:MC4l4shh
『野口豊前守戦功覚書写』(『常総遺文』)
・てつほう五六丁にて、われらおねらい打申候へ共、はつれ申候、そのてつほうの音おきき申候て、跡にひかへ候味方共、
皆々乗かけ申候所ニ、てきくつれ三百八十くひおとり申候


鉄砲の音が聞こえたので乗りかけて行ってます。
164人間七七四年:2010/10/25(月) 10:01:06 ID:jkxbSDOS
>>162
これな

> 104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/05(月) 05:39:28 ID:Odk9P7+b
> 雑兵物語より
>
> 「今こそ戦の勝負の分かれ目だと攻めかかり、せめぎ合いをしていると
> 味方の東国の武士で乗馬の上手な者たちが、今日の戦場は平地で馬での戦に向いているし、
> 敵味方がもみ合っているのでちょうどいい頃合いだと見計らって、二番手の槍勝負には参加しないで
> 乗馬の上手が30人ほどの騎馬隊を作り、様々な武器を持った30騎がいっぺんに
> 敵部隊の右側から突っ込んだ。
>
> 敵も左側からの攻撃なら少しは抵抗が出来たのだろうが、右側から馬で攻められたのでは
> 何の抵抗もできず、ただ騒ぎまわるばかりだった。
> その上騎馬隊が攻めかかるとすぐ、一番手の部隊のうち手の開いている者達が
> 鉄砲で騎馬隊の攻撃を応援したので、敵はどうにも防ぐことが出来ず、味方は何の苦労もなく
> 敵を追い崩した。
>
> 西国では、近頃の戦はみんな馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを
> 長い間やっておらず、東国の武士と違って乗馬で戦うのに慣れていないので、
> 騎馬隊に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだろう。」
165人間七七四年:2010/10/25(月) 10:18:42 ID:kWBv31tP
>>163は鉄砲が一旦外れた後なので装填まで隙がある。
>>164は敵味方の長柄同士が乱戦状態。

どちらも長柄、鉄砲の集団戦力がほぼ失われている状態。
騎馬組投入しないでどうする、というほど典型的な好機。
166人間七七四年:2010/10/25(月) 11:26:14 ID:k9SHPd4n
>>165
実に合理的ですな
167人間七七四年:2010/10/25(月) 11:56:47 ID:QIIjTgKk
>>165
>>166
ID:m8gFE2fOによれば歩兵隊に正面から突撃しなければ騎馬隊とは言えないらしいw
168人間七七四年:2010/10/25(月) 12:29:15 ID:k9SHPd4n
>>167
直近のスレ読んだがそういう意味には取れなかったんだが
169人間七七四年:2010/10/26(火) 00:02:09 ID:k/LD9LIC
日本刀使用に関する鈴木の言もそうだが、崩れかけの相手に効率よく追い討ちを
かける手段を「白兵戦のように見えただけ」とか「お祭りの見世物」とか
言葉で貶めているだけじゃないか。
170人間七七四年:2010/10/26(火) 00:26:39 ID:Wxul0Jun
疑問になるのは
普通に考えて騎馬武者は止まって戦ったら意味がない
常に動き回らないとね
ドラマみたいに小回りの利かない馬を止めて馬上で乱戦するとか
どうみても下から攻撃する槍兵のが有利

つーか、まず馬を殺して武将を落とすよねw
逆に騎馬武者は馬を守りながら戦うわけで難易度高すぎでしょw
しかも的が高くてデカイ、騎馬武者が止まると餌食なる

そりゃ三国志みたいに両者騎乗して戦うなら問題ないがw
騎馬武者は前田慶次みたいな猛将じゃないと務まらず
数少ない精鋭部隊だったんじゃね?
171人間七七四年:2010/10/26(火) 00:31:27 ID:k/LD9LIC
ここで三国志とか前田慶次とかが出てきますか
172人間七七四年:2010/10/26(火) 01:32:01 ID:Bnb/GtOA
>>170の足軽さんへ

騎馬武者の周りには徒士の従者がいるのが普通。
馬を狙うのはいいが従者に返り討ちにあわないことを祈る。

馬上を直接狙えるような長い槍は、騎馬突入するような乱戦時には取り回しが悪い。
もっと短い槍か刀に持ち替えることを強く勧める。
173人間七七四年:2010/10/26(火) 02:46:10 ID:0i9YiD4g
足の止まった騎馬は弱い。馬上不利って奴だな
だから突撃後の乱戦では従者に馬を預けて下馬戦闘すね。
174人間七七四年:2010/10/26(火) 03:21:33 ID:Wxul0Jun
>>172
じゃ従者だけでいいじゃないかwww
騎馬武者は従者に守られて、後ろかチクチクするだけのチキンかw

寝る
175人間七七四年:2010/10/26(火) 04:18:59 ID:eLwFOfzd
ま、鈴木さんたちのお陰で武田兵の名誉は大分回復されたかもな。
日本人はもとより外国人なんかも『影武者』を観たとき、
鉄砲でやられているの分かってるのに、何故何回も懲りずに突撃を繰り返しているのか?武田兵って馬鹿なんじゃないのか???
みたいな感想を大なり小なり抱いたはず・・・
そういう意味では黒澤さんは罪な人だな。
ま、あの映画は面白かったけどね。
176人間七七四年:2010/10/26(火) 07:19:43 ID:gq/ZErBI
>>170
馬を狙うのくらい雑兵物語にも出てくるよ。三国志とか前田慶次の前に
そちらを例に出すべきだな。

>>172
ただ、短い槍では今度は刀とも相打ちの危険がw

『武具要説』
鑓之事
一 横田備中守申分
・長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は。相打に罷成候。三尺二三寸の刀にても
相打になり候。
177人間七七四年:2010/10/26(火) 10:02:09 ID:WzG4KXVG
突撃して斬り込んだ後、下馬して白兵戦でしょう
178人間七七四年:2010/10/26(火) 11:43:30 ID:kXt8VCeb
>>177
時と場合によるっつーの。
毎回おんなじパターンだったら敵につけ込まれるでしょ?
ゲームじゃないんだからもうちょっと考えろよ。
179人間七七四年:2010/10/26(火) 13:55:12 ID:Bnb/GtOA
長刀=なぎなた
180人間七七四年:2010/10/26(火) 14:09:39 ID:gq/ZErBI
>>179
それがどうかしたのかな?
181人間七七四年:2010/10/26(火) 15:37:41 ID:Bnb/GtOA
長刀と短い槍、長刀と刀では相打ちになるとは書いてあるが、
短い槍と刀で相打ちとは書いていない。

てかそもそも相打ちになったところで何の問題があるんだ。
相打ちってことは武器性能で言うと互角ってことだ。
一方的に不利な武器(乱戦状態での長槍)で戦うより断然マシだろう。
182人間七七四年:2010/10/26(火) 16:10:55 ID:gq/ZErBI
あのー、その項目は見て判るとおり横田備中守が槍について語る項目です。その後は

・短き道具をしをほする為の鑓を相打に成候様に拵ては詮なき事たるべく候

と続きますよ。本来短い道具を制するための槍なのに、九尺や一丈などという短めの槍を
使って長刀や三尺二三寸の刀と相打ちになるなんて仕様のないことだという要旨です。

ちなみに盗賊などをしとめるには短い槍でも可、とありますがね。
見当違いな突っ込み入れて恥をかく前にちゃんと原文を読みましょうね。
183人間七七四年:2010/10/26(火) 16:43:41 ID:Bnb/GtOA
見当違いな突っ込みはお前だろ。
騎馬が突っ込んでくるような乱戦時は、取り回しの悪くなる長槍より
刀か短めの槍のほうがまだ戦える、というオレのレスに対し、
「短めの槍は刀に負ける。まだ長槍のほうがマシ」と言うツッコミならまだしも、
「短めの槍は刀と相打ちになる」という意味不明なツッコミ。
当然刀だって刀と相打ちだろうに、他に一体何を使えと言うのか。

だいたい相打ちを恐れて戦争ができるかっつーの。
できるだけ有利な武器を用い不利な武器を使わないのは戦争の常識。
だが相打ちさえ避けようとするのはもはや武芸者の感覚だ。
184人間七七四年:2010/10/26(火) 16:52:40 ID:gq/ZErBI
>長刀と短い槍、長刀と刀では相打ちになるとは書いてあるが、
>短い槍と刀で相打ちとは書いていない。

あれー、この件については?
185人間七七四年:2010/10/26(火) 16:56:06 ID:gq/ZErBI
ついでにいうと別に>>172の意見には全面反対してるわけじゃないんだがね。
短い槍は刀と相討ちになる可能性があるという当時の認識を書いただけにも関わらず
ケンカを売るような口調に加えて、出した文献の誤読までされてしかもそれを
認めないとはたまらんわw
186人間七七四年:2010/10/26(火) 17:14:22 ID:Bnb/GtOA
出した文献の誤読って、あの一部分だけ出されりゃ普通そう読むだろ。
二つ目の「にて」の使い方がおかしいんだから。
187人間七七四年:2010/10/26(火) 18:09:01 ID:9cw5vcnh
前田慶次ワロタ
188人間七七四年:2010/10/26(火) 22:37:43 ID:Wxul0Jun
>>187
えっ?
だってこのスレじゃ
漫画の前田慶次みたいなのが騎馬武者の実態なんでしょ?w
189人間七七四年:2010/10/26(火) 22:59:00 ID:Mgjkjdvy
>>155
いや、基本戦術単位である「備」は、長柄組、弓組、鉄砲組、騎馬組と兵科別に編成されている。
190人間七七四年:2010/10/26(火) 23:03:16 ID:Mgjkjdvy
騎馬に付く中間や小者は戦闘参加したかしないかが曖昧だ。
191人間七七四年:2010/10/27(水) 02:41:27 ID:vWKMZZOm
>>189
>155の奴は戦国前期の家や縁故ごとに纏まっていた頃の編成だな
集権化が進んで、兵科の分離や組ごとの編成が行われたのが、備
192人間七七四年:2010/10/27(水) 07:03:55 ID:Wgi8KbKM
ちょっと疑問なんだが、
軍役で貫高○○につき長柄○名、弓○名、鉄砲○名、騎馬○騎
てなカンジで決まってて、その通りに連れて行くとするじゃん?
で、備に組み込まれる時ってのは連れて行ったメンバーは一旦
バラバラに再編成されるわけ?

それともそういう細かい軍役ってのはある程度の身分以上、例えば
備を編成できる侍大将以上に課されるもので、組頭以下の身分の者は
自分の担当する兵科と同じ(もしくはそれに関わる)兵を連れて行けば
いいのかな?

主従の関係とかもあるから簡単に再編成ってわけにはいかないと思うんだけど。
スレチすまん。
193人間七七四年:2010/10/27(水) 07:55:52 ID:pgQq9eXe
>それともそういう細かい軍役ってのはある程度の身分以上、例えば
>備を編成できる侍大将以上に課されるもので
たとえば、徳川幕府が軍役を課すのは諸大名に対して。
これは他の総大将も同じ事。

>主従の関係とかもあるから簡単に再編成ってわけにはいかないと思うんだけど。
これのおかげで、本当の意味で将兵をバラバラにして再編成できないんで、
上のようなことになる

>組頭以下の身分の者は自分の担当する兵科と同じ(もしくはそれに関わる)兵を連れて行けば
>いいのかな?
軍役を課せられた大名は、自分の配下に対して、禄高ごとに軍役を課す。
これも配下の配下、つまり陪臣がいてバラバラして再編成しにくいんだが、まぁ、なんとか。
数十人分の軍役が課せられた武士は同一兵科だけ軍役が課せられる訳ではないんで、当然再編成の対象になる
鉄砲幾つ、槍幾つ、騎馬幾つと求められるからね。

戦国期だと、これに槍・鉄砲足軽が大名に雇われて組として加わる。
大名直属なんで編成に気を使わなくて良いって点が大きい。
194人間七七四年:2010/10/27(水) 08:11:30 ID:pgQq9eXe
で、騎馬隊な
200石〜300石クラスの軍役(騎馬*1)の侍が集まって構成される。
200石の軍役だと、
侍1人 甲冑持1人 鑓持1人 馬口取1人 小荷駄1人で、
侍1人 鑓持1人 馬口取1人 が騎馬隊に参加、残りは戦闘中は小荷駄隊へ
で、1000石の大身が組頭

大名直属の備だと、馬廻(大身の次男、三男が参加する大名直属の騎馬隊)が付く
武家奉公人が戦闘に参加するかどうかはケースバイケース。
速度が必要な時は置いて行くし、家来共々徒で進む場合もある。
195人間七七四年:2010/10/27(水) 11:51:29 ID:F7PN4MVz
馬って移動するときしか使わないんでしょ?
196人間七七四年:2010/10/27(水) 14:38:04 ID:l64oH0WL
西は賀鳥口、佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木の渡り、一揆相支へ候を、どつと川を乗り渡し、馬上より数多切り捨て候なり。
(『信長公記』伊勢長嶋一揆成敗の記述)
197人間七七四年:2010/10/27(水) 14:56:31 ID:Cr7T/All
「森三左衛門,千石又一に渡し合ひ,馬上にて切り合ひ,
三左衛門臂の口きられ,引退く」

「佐久間右衛門、柴田修理亮、稲葉伊予守、同右京助、蜂屋兵庫頭。松の木
の渡り、一揆相支へ侯を、焜と川を乗り渡し、馬上より数多切り拾て侯なり」

「家康,滝川陣取りの前に馬防ぎの為め,柵を付けさせられ」

「三番に,西上野の小幡一党,赤武者にて,入れ替へ懸かり来たる.関東衆,
馬上の功老にて,是れ又,馬入るべき行にて,推し太鼓を打ちて,懸かり来たる」

「武藤宗右衛門、手の者ども懸け入り、馬上にて組み討ちして、頸四つ討ちとり、あまへ持参いたし候て、
御目に懸くる。近辺放火候て、伊丹を押へ、刀根山近近と陣取る」

「伊賀国さなご嶺おろしへ諸手相働き、国中の伽藍、一宮の社頭を初
めとして、悉く放火侯のところに、さなごより足軽を出だし侯。滝川左近・堀久
太郎両人見計ひて、馬を乗り入れ、究竟の侍十余騎討ち捕り」

普通に馬上で戦っているな
198人間七七四年:2010/10/27(水) 15:01:12 ID:Wgi8KbKM
>>193
レスどうも。
で、再編成による混乱なんてのはあったのかな?
現在の軍隊でも前線でいきなり違う部隊に配属されたら多少は混乱すると思うんだけど、
主従関係(特に経済的つながりや縁戚関係)のある戦国武士たちは大丈夫なのかな?

例えば長柄組を担当する足軽頭が槍兵・弓兵・鉄砲兵をそれぞれ連れて行ったとして、
弓兵は別の弓頭に、鉄砲兵は別の鉄砲頭にそれぞれ指示を仰ぐわけでしょ。
日頃から合同訓練してるならともかく、そんなに会ったことも無いであろう指揮官に、
果たして全幅の信頼を寄せて従えるのかっていうこと。
意思の共有にも問題あるだろうし。

実は、軍役ではきちんと決められていたけど、足軽頭以下の身分の者はお互い
「軍役の物々交換」みたいなことをしてて再編成しなくていい状態(ほぼ単一兵科
を連れて行く状態)にしてたんじゃないかな、とか思ってみたり。
そうすれば日常の訓練…と言うほどの物ではないにしても、技術の口伝・見聞きなど
の面でも有利になると思う。

たびたびスレチすまん。
199人間七七四年:2010/10/27(水) 15:10:02 ID:5/sXg9JH
秀吉は扶持取りからだったので当初は武家奉公人
戦国時代300石以下は侍と見なされなかった
江戸時代になると武士と武家奉公人の境界が区別され十数石の禄でも
武士に分類されるようになった。

それ以外の底辺が足軽などに組み込まれたわけね
だいたい、20騎だと奉公人の数は100人ぐらいになる
騎馬隊の数が5000とかだと騎馬武者は1000程度
だから、騎馬武者の働きが疑われるわけね
実際、戦ったのは奉公人
つまり、騎馬隊は=足軽隊と同じ性質をもっていた
侍=騎馬だからだ
200人間七七四年:2010/10/27(水) 15:50:20 ID:MqjMT2aC
>>198
あくまで個人的な考えだが、弓槍鉄砲の雑兵は
人でなく武器を供出したという考えなのかもしれない
人はオマケという考え
201人間七七四年:2010/10/27(水) 19:03:19 ID:hdNmvMdz
>>198
小領主でもそれひとつで独立した会社なわけで
場合によっては隣の小領主と喧嘩しなければならない事も
その時に、うち弓衆しかいないから白兵戦できないわ、じゃ話にならないから
たとえ不便でも一通りの兵種そろえとくもん
効率を求めて鉄砲隊の根幹になるべき者は軍役が鉄砲だけとかも有るがまぁ例外
202人間七七四年:2010/10/27(水) 19:22:00 ID:t0IcfJH9
>例えば長柄組を担当する足軽頭が槍兵・弓兵・鉄砲兵をそれぞれ連れて行ったとして、
足軽組頭は侍で騎馬です。つまり、200〜300石クラスの侍という事になります。
彼の軍役は、侍1人 甲冑持1人 鑓持1人 馬口取1人 小荷駄1人で、
これは丸ごと長柄組や鉄砲組に組み入れられます。
したがって、組頭クラスの侍には
>主従関係(特に経済的つながりや縁戚関係)のある戦国武士たちは大丈夫なのかな?
という問題は起こりません。
203人間七七四年:2010/10/27(水) 19:29:54 ID:hdNmvMdz
>>202
それでは騎馬だらけの長柄組になるだろ
204人間七七四年:2010/10/27(水) 20:05:20 ID:t0IcfJH9
>203
釣り…じゃないよな?

長柄組が”長柄組頭”だけで構成されるのであればそうです。
が、実際は足軽と足軽小頭からなる『手』数個によって組が編成されます。
足軽は戦国期には戦時に一時雇いする傭兵を使ってました。

長柄組の編成の一例
侍1人、奉公人2人、足軽30人、人夫3人、口取2人(計38人) 乗馬1頭、駄馬2頭(計3頭)
足軽を除くメンバーは侍(騎馬)の武家奉公人です。
205人間七七四年:2010/10/27(水) 20:25:32 ID:Wgi8KbKM
>>200
まあ上の人から見ればそうなんだろうけど、
そういう扱いされてたとしたら下にいる本人たちはやり難かったろうな。
てゆーか縁もゆかりもない人の下に付けられて、
「この人のためにも手柄を立てよう」みたいなモチベーションは沸いたんだろうか。
まあ功を焦った突出はなくなっていいかも知れんが、
ほんのちょっとピンチになったら速攻逃げ出したりしそう…。

>>201
なるほどね、たしかにそういう考え方もあるかも。
でも隣村との小競り合いレベルにちゃんとした兵科なんてものがいるかな?
村人がみんな集まって手近な武器持って…って感じの中に数人の武士
(というか軍役で招集される人)がいて、長柄・弓・鉄砲・騎馬をそろえるのと
弓兵ばかりなのとでは何も変わらないと思う。やっぱ兵科を一通りそろえて意味
があるのは備レベルからじゃないかと。

>>202
足軽頭は1000石以上あるでしょ。
206人間七七四年:2010/10/27(水) 20:41:17 ID:sJwXqpFa
いわゆる3Kガテン系のノリは、こういう本読みとは「人種が違う」から、本気で
知りたかったら一度そういうのをバイトでも何でも体験しておいた方がいいw
文字や言葉で説明できんところも多々あるから。
207人間七七四年:2010/10/27(水) 20:45:32 ID:Wgi8KbKM
よーし足軽頭のバイト探すか。
208人間七七四年:2010/10/27(水) 21:10:31 ID:sJwXqpFa
ちゃんとしたところ見つかるといいねw
209人間七七四年:2010/10/27(水) 21:20:12 ID:hdNmvMdz
>>204
いやいや長柄も軍役衆だろ
210人間七七四年:2010/10/27(水) 21:27:34 ID:hdNmvMdz
たとえば細かく兵種が載ってるので例に出すが
武田の与力である大井左馬允の場合
馬4 長柄18 持鑓3 弓4 鉄砲1 甲持1 小旗1 指物1 手明5 計38
という軍役をかせられてる
38人だと備は組めないから与力として寄り親に付くわけだが
この時、騎馬隊、長柄隊、弓隊と家中ばらばらになって指揮系統まずくないのかという設問で
たとえば主従全部が同一の組に入るとしたらこれらが丸々長柄隊に入るということで
明らかにおかしな話だろう
211人間七七四年:2010/10/27(水) 21:33:56 ID:DQvzQmmH
>>191
組衆化する前の備は、寄親・寄子をいくつも集めて編成していたそうな。
212人間七七四年:2010/10/27(水) 21:44:51 ID:MqjMT2aC
>>205
雑兵レベルはおまんま頂けるだけで満足というレベルですから
まぁ、雑兵にも格差があって長柄足軽は一山なんぼの世界だけど、弓鉄砲は専門職だから
こちらについては大名領主で余裕がある連中は基本的に直抱えになっている

東国大名は家臣から雑兵を奪えはしたが、経済的余裕が無いので直抱えはできず、
西国大名は領主の権力が弱いので雑兵を奪えなかったので、直抱えが主になる

両者の良い所取りができたのが東海の織田・徳川ということになるのである
213人間七七四年:2010/10/27(水) 22:45:31 ID:DQvzQmmH
>>212
そういうことなのね。
資料によっては備から独立して800人の鉄砲隊だけの編成とかあったから
どういうことだと思ってたが、大名直抱えならうなずける。
214人間七七四年:2010/10/27(水) 22:50:52 ID:MqjMT2aC
>>213
解り易い例が徳川家の百人組
まぁ彼らは八王子千人同心というのもいるけど
215人間七七四年:2010/10/27(水) 23:42:35 ID:5/sXg9JH
でも騎馬隊は西国からの下馬戦闘の流れが主流になり
このスレの結論に辿り付くのであった
備は同時に騎馬隊の変化も表している
長篠の勝敗はこの差が出たのであろうか?
216人間七七四年:2010/10/28(木) 01:53:12 ID:CuN+YtKn
>足軽頭は1000石以上あるでしょ。
いいえ。
1万石の大名で400人ほどの備を作れます。
この備には組が7つほど存在します。
それぞれの組に1000石の組頭をつける、というのは不可能です。
七日市前田藩1万石で最大の録を持つのは家老で170+30石
組頭を務める事になる御用人や御番頭は150〜80石。大体100石クラスの侍が組頭を勤める事になります。
大きな藩であれば、数百石クラスの侍が組頭を勤める事になります。

大概の藩では200〜500石クラスの侍が組頭を勤めます。
中には200石未満で組頭を務めるものもいます。
1000石以上の者は備の指揮を行う侍大将という事になります。
これが数万石クラスになると、幾つかの備をまとめた「一手」を指揮する事になります。
217人間七七四年:2010/10/28(木) 02:31:31 ID:/i873Tf7
1000石で侍大将なんて務まるか?
1000石っつったら軍役20〜30人ぐらいだろ。
備ひとつが最低200〜300人として、
残りの180〜270人くらいは全部上位大名から貸し出された与力ってか?
バランス的にありえねーだろ。

平和な江戸時代ならそれでいいかも知れんが。
218人間七七四年:2010/10/28(木) 02:49:07 ID:CuN+YtKn
>武田の与力である大井左馬允の場合
>馬4 長柄18 持鑓3 弓4 鉄砲1 甲持1 小旗1 指物1 手明5 計38

で、大井左馬允は長柄組頭なのかな?違うよね?
彼の禄高は石高換算で560石ほど。組頭をやるには少し身分が高い。
四騎の乗り手をつれた武将が長柄組頭はありえんし。
彼は額岩寺砦につめていた武将で、他に川辺村布引、額岩寺氏がいた。
通常はこの三名で部隊を構成…200名弱ほどかな?
あと、武田はまだ集権化が進んでいないので、件の話にもってくるのはあまりふさわしくない。

219人間七七四年:2010/10/28(木) 02:58:13 ID:CuN+YtKn
>残りの180〜270人くらいは全部上位大名から貸し出された与力ってか?
その通り。寄騎同心制という。
本陣備以外の備は重臣が侍大将となり指揮をとるけど、その備構成メンバーは侍大将の家臣ではない。
これは、侍大将に大きな権限を与えないための措置。
侍大将指揮下の備が独自の判断で勝手に動かれたら困るからこうしている。
220人間七七四年:2010/10/28(木) 03:15:10 ID:/i873Tf7
戦国時代はそこまで中央集権化進んでないと思うぞ。
江戸時代の藩体制を参考にしすぎじゃないか?

勝手に動かれたら困るのはわかるが、禄の低い侍大将をなめて
与力たちが命令に従わないほうがもっと問題だろ。
備が機能しなくなる。
バランス的には約半分以上が侍大将の直属でないと。
221人間七七四年:2010/10/28(木) 03:27:06 ID:CuN+YtKn
>勝手に動かれたら困るのはわかるが、禄の低い侍大将をなめて
>与力たちが命令に従わないほうがもっと問題だろ。
舐められるような奴を大将にしたやつが悪いと思うが…

>備が機能しなくなる。
>バランス的には約半分以上が侍大将の直属でないと。
判った。では備の半数が、侍大将の家臣であった例を示してくれ。
年代もよろしく。勉強になるし。
222人間七七四年:2010/10/28(木) 03:42:37 ID:/i873Tf7
>舐められるような奴を大将にしたやつが悪いと思うが…
それを言い出すと「勝手に動く奴を大将にしなきゃいい」とも言えるだろ。
システムによるトラブル予防の話をしてるのに人選に全ての責任を押し付けるかw

>では備の半数が、侍大将の家臣であった例を示してくれ
知るか。そんな資料あったらすぐ出してるわい。
あくまで素人の素朴な疑問と想像でしかないw
あんただって想像でしゃべってる部分があるだろ。
223人間七七四年:2010/10/28(木) 04:12:53 ID:CuN+YtKn
>あんただって想像でしゃべってる部分があるだろ。
いや、一応ソースあるがな。
寄騎同心制で検索すれば一杯出てくる。
あと、各家の家臣団とその禄高と役職を調べる。軍役を調べる。
備の半分以上が自分の家臣となると、禄高1万石近くの武将という事になる。

前田家だと、1万〜1000石が人持組、すなわ侍大将を出す家で70家あまり。
前田は100万石で、動員数2万5千。70で割ると350人。1家で備1つ担当。
この上に前田八家、人持組頭が居て備をいくつかまとめた『一手』を指揮する。
前田家を例に取ったのは、うちの殿様で、それなりに調べてたからすぐ出せた。
これから、数十万〜数万石の家だとどうなるか類推するのも良いと思う。

>あくまで素人の素朴な疑問と想像でしかないw
よく判ったwちゃんとソースがあっての事かと思った。ありがとう。
224人間七七四年:2010/10/28(木) 04:17:00 ID:/i873Tf7
>で、大井左馬允は長柄組頭なのかな?違うよね?
>彼の禄高は石高換算で560石ほど。組頭をやるには少し身分が高い。
>四騎の乗り手をつれた武将が長柄組頭はありえんし。
225人間七七四年:2010/10/28(木) 08:59:28 ID:CuN+YtKn
つらつらと調べてみたよ

まず私、ID:t0IcfJH9の説明しているのは、寄騎同心制。
大名の家臣同士が寄り集まって備を形作る。大将は自分の家臣を指揮するのではなく
同じ大名の家臣を指揮する事になる。

次がID:hdNmvMdzのタイプ、寄親寄子制。
地縁や血縁による結びつきで、寄親を中心に寄子が集まり、備を形成する
寄親・寄子の関係は義理の親子のような主従関係で、強固な結びつきを持つ。

ID:hdNmvMdzが武田家の例を出しているので、武田家の編成の事をば。
武田家は守護が戦国大名になったんで基本的に古いタイプの編成、寄親寄子制を取っている。
これは兵科別の編成が困難な点で知られているが
武田氏は軍役衆(足軽)を直接被官していて、それを家臣(寄親・寄子)に預けるという、
ちょっとばかり寄騎同心制的なものを取り入れる事で兵科別編成を可能にしている。
武田家では家臣(寄親寄子)と軍役衆の間には主従関係が存在しないわけだ。
226人間七七四年:2010/10/28(木) 11:19:38 ID:3moBlD7X
>>225
河合秀郎氏は寄親寄子制の備は東国と西国で様相が異なり、
東国は寄子が馬上で後方に位置し、西国は寄子自ら鉄砲を持って前列に立つと書いてるけど、
備の編成は大名や地域によっても方法が多様だったの?
227人間七七四年:2010/10/28(木) 12:03:15 ID:kFalVdj0
>>226
そこら辺は良く解らないというのが実情
ただ動員方法を見ると西国は土地何町辺り何人といった程度で、東国の人員・装備を細かに決めたのとは雲泥の差

そのへんの事情と軍記などの内容から類推するしか無いが、全般的に西国は東国に比べて組織化という点で後塵を
拝していたと考えられる
その代わりに装備の面(特に鉄砲)では西国が上だったようである

で、その両者に接触できる環境にあった東海の大名が天下をとったのはある意味必然だったと言える
228人間七七四年:2010/10/28(木) 12:14:30 ID:3moBlD7X
>>227
ありがとう
北条と武田は装備の統一にも熱心だよね・・・
槍に圧す金箔紋の位置まで指定するってw
229人間七七四年:2010/10/28(木) 18:43:26 ID:9yLJPclg
>>218
主従関係にあるものは同一の組に入ると貴方はおっしゃってる訳でそこは問題がないな?
なら大井はどうなるかと言う話。弓鉄砲も同じ組に入るのかと
230人間七七四年:2010/10/28(木) 19:12:17 ID:9yLJPclg
貴方が例に出す江戸時代の編成に比べれば古いかもしれないが
武田の軍制は当時の最先端だよ。戦国の編成を語るにに相応しくないような言い方は辞めてくれ。
ついでに他家の例も出しとくが、
武田同様に主従関係のあるものが、同一の組に入るとするとおかしなことになるがどうなのかな?

北条家臣椎名勢兵衛尉113貫
馬上7 鉄砲2 弓2 槍12 指物1 小旗1 歩者4 計30

明智家法三百石持ち
馬上1 甲者1 指物3 槍3 小旗1 鉄砲1 他8 計18
231人間七七四年:2010/11/05(金) 07:29:03 ID:CXDl6KkK
スレ読んでないので既出だったらごめんね。

よく時代劇等で見る「馬上で槍や大刀を奮う武者」というのは
戦国時代には(もしくはそれ以前も)、ほぼ皆無であったそうです。
南北朝時代くらいまでは馬+弓が基本形態であり
指揮官クラスのみが、そういう形態で戦っていたそうですが
戦国時代に至っては、「やあやあ我こそは」というような個人戦もなくなり
集団戦となったので、機動力の妨げとなる長槍などを馬上で持つことはなく
基本的に馬は指揮官が軍配などを馬上で奮う、(徒歩の兵からは見やすいため)
または危うくなれば逃走する為の手段でしかなく
馬に乗って集団突撃するような「騎兵」に近い部隊は存在しなかったそうです。
つまりは攻撃用ではなく、指揮官クラスの移動用でしかないわけです。

また、全体の兵数に対しての騎馬の割合は諸説ありますが
いろいろな軍役帳を参考にすると
上杉・武田など騎馬のイメージが強い大名家でも9〜16%に留まり
逆に北条家などでは20%も占めていたそうな。
考えてみれば平地の多い関東勢の方が騎馬隊を使う機会が多いものね。
「武田の騎馬隊」のイメージが強い騎馬隊の活躍の記述も
甲斐の武田軍本隊ではなく、西上野衆の小幡氏などが代表的に描かれているそうです。
232人間七七四年:2010/11/05(金) 13:10:06 ID:MaL9JD6n
200レスちょっとしかないスレなんだから
長文書く時間あるなら流し読みくらいしようぜ
233人間七七四年:2010/11/06(土) 08:31:12 ID:B/937/B7
むしろ歴代の類似スレを読んでて流れを把握した上でわざとやってるんだと思いたい。
でなきゃ今更こんなこと言い出すのは恥ずかしすぎる。
234人間七七四年:2010/11/07(日) 00:05:40 ID:2jGsnVvi
>>231
久々とんでもないのがきたな・・・
南北朝期の馬上打物と徒歩弓の台頭に触れない上、
騎射は指揮官のみ・さらに長槍を騎馬が持つときたかw

鈴木ですら騎馬は追撃に有効だったといってるのに、
ほんとあんたみたいのが鈴木の立場を悪くしてるんじゃないのか・・・
235人間七七四年:2010/11/07(日) 01:15:41 ID:vwXjbHI0
>>234
最近出た鈴木の本にこう書いてあったよ
236人間七七四年:2010/11/07(日) 03:53:10 ID:POFfbUJH
昭和〜平成時代に「走り屋」なる者は存在しなかった!
そもそも公道でレース等の危険運転をすることは当時の法律で禁じられており、
サーキットという特別な場所にのみカーレースを生業とするレーサーがいたに過ぎない。

公道でのレースは自分や他人の命を危険に晒す愚かな行為であることは当時の人々にも認識されている。
ましてや「箱乗り」「ドリフト」などありえない。
走り屋は存在しなかった。
237人間七七四年:2010/11/14(日) 12:46:21 ID:yCXb/x4f
鈴ちゃんは相変わらず
なんだなw
238人間七七四年:2010/11/21(日) 16:08:55 ID:IgjXwWHh
>>231
上杉・武田など騎馬のイメージが強い大名家でも9〜16%に留まり
逆に北条家などでは20%も占めていたそうな。

上杉に騎馬のイメージはないな
ゲームの話か?
239人間七七四年:2010/11/21(日) 23:16:08 ID:qQ6SCz6B
俺も上杉に騎馬のイメージはないが北は奥州羽州と馬の産地と隣り合ってるので。
240人間七七四年:2010/11/21(日) 23:22:39 ID:NUoOvoHs
能登のあたりにも馬産地があったはず
241人間七七四年:2010/11/23(火) 23:51:35 ID:VHtLyrKE
>>238
20%というと世界的にみてもいい数字だな。
北条は馬にも鎧を着せるよね。
242人間七七四年:2010/11/24(水) 00:49:09 ID:ojtIFQUf
20%がどこから出てきた数字かだな
軍役張から算出すれば10%ちょいだ
243人間七七四年:2010/11/27(土) 16:12:00 ID:0Aw6w1Af
岩付の騎馬率は30%弱
244人間七七四年:2010/11/28(日) 03:33:28 ID:Q06NYw8U
>>243
1577年に北条氏直が岩付衆にあてた御朱印状だね。歴史群像アーカイブにも載ってたな。

このとき宮城四郎兵衛個人に届いた着到状では、
騎馬8騎(含本人)、槍17人、歩者4人、旗持4人、鉄砲2人、弓1人連れて来い、と動員が割り当てられてるんだが、
備を編成する段階では、武田氏と同様に一旦バラバラに解体され
槍600、騎馬500、歩者250、小旗120、鉄砲50、弓40、と兵科ごとに奉行が割り当てられ編成されてる。
245人間七七四年:2010/11/30(火) 20:46:23 ID:Rx6fe16p
>>231 >>235
どの本だよw自分の思い込みだろw
鈴木はあれだけ戦国時代の実態は分からないことだらけって書いてる。それが鈴木の基本スタンス。
北条氏の古文書に「馬上のあしかる衆」という文面があったり、
小牧合戦で本多忠勝が「馬足軽」を使ったことは鈴木自身が書いてるだろうがw

>>234の言う通りだ。
246人間七七四年:2010/12/22(水) 05:28:52 ID:ifstQfq4
世界史板にここ出身と思しき変なのが湧いてたぞ
>>231
武田軍の騎馬率はだいたい1/6前後で、赤備と小幡ちゃんの部隊は騎馬率100%
247人間七七四年:2010/12/22(水) 07:24:30 ID:UsFQpDoq
それぞれの領地に住んでいて、合同訓練なんかする暇もない武士達をいったいどうやって騎馬部隊に編成できたんだ?
248人間七七四年:2010/12/22(水) 10:54:54 ID:z2lG4/8W
>世界史板にここ出身と思しき変なのが湧いてたぞ


多分俺もそのスレ見たわ。
戦国時代どころか日本すら関係ないスレだったのにw
249人間七七四年:2010/12/22(水) 19:19:01 ID:ifstQfq4
>>247
何故それぞれの領地に住んでると誤解したのか
何故鍛錬する時間が無いと誤解しているのか
この2つの理由が解らないと説明のしようが無い
250人間七七四年:2010/12/25(土) 04:23:48 ID:4I2iGlh8
>>28-29
Aモンゴル騎兵は軽装の弓騎兵と重装の突撃騎兵から構成された
Bチュルク人にもモンゴル人にも蹄鉄を穿かせる習慣は無かった
C軍律により、重装騎兵は5頭引き、弓騎兵は3頭引きと定められていた
251人間七七四年:2010/12/27(月) 02:15:34 ID:yMnPRBtG
>>250
そうだね。
モンゴルの槍騎兵はモンゴル人から構成され騎兵の四割を占める。馬鎧をつけることもまったく普通。
252人間七七四年:2010/12/27(月) 02:21:45 ID:yMnPRBtG
モンゴル、満州、中国で日本と同じ蒙古種が、装騎・鉄騎という装甲騎兵として
万単位で運用されてるので無問題。
つうか今まで散々論破されてきたことをまた繰り返すのか・・・
一度ここ見てからレスしろよと

戦国時代の馬はポニーサイズ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
253人間七七四年:2011/01/01(土) 22:21:15 ID:01eXX0ew
>>249
「そもそも馬に乗る事はそれを認められた身分の者の特権であり、また相応の給付を与えられた者の義務であった。
彼らは団体生活をしているわけではないし、乗馬の技量も馬の質もまちまちであった。
騎兵の集団突撃に必要な訓練など受けていない。それに彼らにはそれぞれ徒歩の部下がいた。
仮に、騎馬武者だけを集めて集団突撃させるとなると、後に残った大勢の徒歩の部下たちの士気は誰が執るのだろうか」

長篠の戦い:信長の勝因・勝頼の敗因
藤本正行著
P69より
254人間七七四年:2011/01/01(土) 23:10:26 ID:/M4ozy09
>>253
この理屈なら、各々が連れてくる長槍も集団訓練できないということになるな。

そもそも中間や若党が戦闘に参加するかは微妙。
鎌倉時代までは、騎乗従者も一般的であった。

ちなみに外国だと古代ローマの騎兵、エクィテスの従者は武器持ちで陣に留まり戦闘に参加しない。
中世騎士の従者は徒歩で追従して戦闘に参加する。
255人間七七四年:2011/01/02(日) 01:07:15 ID:oPWkKrqd
256人間七七四年:2011/01/02(日) 01:08:33 ID:oPWkKrqd
後に残った大勢の徒歩の部下たちはほったらかしでもおkだったみたい。

>信長公は通常三日の行路を二日で踏破し、馬上十数騎余りで京都六条へ駆け入った。

信長公記巻二 御後巻信長御入洛の事
ttp://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho5.html
257人間七七四年:2011/01/02(日) 03:46:36 ID:JdT/PQJV
中間や若党は戦闘に参加してる、非戦闘なのは小物や人夫

>>253
馬に乗る権利なんて少なくとも室町戦国の日本には存在してない。
領国統治の進んだ大名領国には代官が置かれる事も多く(逆に信長の領土には無かった)
鍛錬するのは武士として当然。
徒歩の部下がいない小身の馬上もいた。
騎馬武者ではない馬産地出身の騎馬足軽も存在した。
寄子寄親制、足軽頭、鉄砲頭が采った。
258人間七七四年:2011/01/02(日) 13:36:21 ID:b9dc+b+D
騎乗に適した馬はごく一部の地域でしか
産出されなかったのでテレビなどでよく見る騎馬隊はなかったのが現実。
259人間七七四年:2011/01/02(日) 14:04:06 ID:njQh81LT
>>254
でも実際の所、長槍であれ騎馬武者であれ集団訓練をどうやってしていたのか解る史料ってあるのかね?
260人間七七四年:2011/01/02(日) 14:31:00 ID:JdT/PQJV
>>258
騎乗に適した馬はどの地域でも産出したので
武士は馬上であることが義務付けられていた
261人間七七四年:2011/01/02(日) 14:37:14 ID:o3xmXlts
>>259
いくらなんでもウホウホ言ってる原始人じゃないんだから
言われたとおり動くだけでしょ
262人間七七四年:2011/01/02(日) 15:56:39 ID:VpsocrAl
>>259
後代になるが江戸図屏風に騎馬戦闘の訓練が描かれている
当時は小競り合いならポコポコあったから、実戦=訓練かと
263人間七七四年:2011/01/02(日) 16:28:59 ID:em3dhj2b
「兵法」という語が
個人戦から集団戦まで含む概念として使用されてるくらいだから
当時の日本人は戦を個人戦闘の集積みたいに捉えていたんだろうさ
264人間七七四年:2011/01/02(日) 20:22:40 ID:b9dc+b+D
>>260
騎乗に適した馬ってのは基本的には冷涼な地域で
繁殖や飼育を行ってたんだよ。
関東以北とか陸奥で繁殖・飼育しそれを取り寄せるのが一般的。
265人間七七四年:2011/01/02(日) 21:12:11 ID:LTlTBGEO
>>259
雑兵物語では、長槍は穂先を揃えて一斉に振り下ろし、号令か陣太鼓で進退するって書いてあるな
266人間七七四年:2011/01/04(火) 17:30:38 ID:ZObxvPCt
犬追物なんかは集団行動の訓練には最適だと思うけど、戦国期にはもう廃れてたんだっけ?
267人間七七四年:2011/01/05(水) 01:06:06 ID:Q37RxFL5
騎馬の訓練用には「打毬」というスポーツが。

打毬(だきゅう)
http://www.kunaicho.go.jp/culture/bajutsu/dakyu.html
朝鮮半島を経て8〜9世紀頃我が国に伝わったようです。
その後,奈良・平安時代には,端午の節会の際に行われる
宮中の年中行事となりました。
鎌倉時代以降は衰微していましたが,江戸時代に至り,
八代将軍吉宗が騎戦を練習する武技としてこれを推奨したため,
新しい競技方法も編み出され,諸藩においても盛んに行われる
ようになりました。

【動画】
古式打毬
http://www.youtube.com/watch?v=ZfvjCFeaiO0
加賀美流騎馬打毬 2007
http://www.youtube.com/watch?v=mAiSVPebI9g
木曽 騎馬打毬1
http://www.youtube.com/watch?v=-LPboyNiZfU
268人間七七四年:2011/01/05(水) 20:25:35 ID:mliIDOuB
要は日本が狭いからだけじゃねえの・・・
でなきゃチンギスハンが大帝国を築いた理由が無い。

結論:馬は日本を除いて有効な武器だったが所詮カリフォルニア程度の山国では
あんま有効で無かった.
269人間七七四年:2011/01/05(水) 22:16:05 ID:xvV3AhiO
>>268
騎馬隊率いて日本狭しと駆け回ったのは源平合戦の源義経とか太平記の
北畠顕家あたりが有力候補かな。どっちも最終的には敗軍の将だが。

講談の域は出ないけど、どっちも体格が良い海外と土産の混血の南部馬使
ってたみたいだし、奥州馬は案外強かったのかもしれない。
270人間七七四年:2011/01/05(水) 23:43:37 ID:LcNGbvyh
>>268
イギリスなんかは日本よりもっと狭い島国だぞ
271人間七七四年:2011/01/06(木) 00:47:59 ID:Su+50PS9
>>270
オレは騎馬武者の騎乗攻撃や騎馬による集団戦法はあったと思ってるが、
あえて突っ込もう。

グレートブリテン島は日本みたいに山だらけじゃない。
272人間七七四年:2011/01/06(木) 03:31:57 ID:lHh3SIWt
イギリスは騎士王国・フランスに比べればアレだけど、
ロングボウ兵まで馬に乗るからな。ただし馬は移動手段で騎乗戦闘できないw
スコットランドなんて馬をろくに揃えられなかったので、みんな長槍を持つにいたった
273人間七七四年:2011/01/06(木) 13:43:07 ID:HjFa64ql
>>271
高句麗や女真といった騎馬軍を多用した連中は
現在の中朝国境付近が領土だったけど
このあたりの殆ど山また山の山だらけの土地
274人間七七四年:2011/01/06(木) 14:53:05 ID:Su+50PS9
>>273
…だから何?
オレはイギリスが日本より狭いと言った>>270に対して、
平地面積は日本のほうが狭いと突っ込んだだけだが?

だから騎馬は云々などと言うつもりは毛頭ない。
275人間七七四年:2011/01/06(木) 16:27:18 ID:x0cMZALf
>>273
木々が生えてない『山』だらけじゃん。
日本は樹木が一杯でとても山を荷駄以外で使えると思えん。
最も追撃戦とかでは使ったんだろうなとは思うが。
276人間七七四年:2011/01/06(木) 19:25:32 ID:7BjgvdIr
元々満州や遼西遼東は森林地帯、森の民だから
277人間七七四年:2011/01/07(金) 06:36:22 ID:5TXFz2ne
満州は針葉樹林帯だろw
つうか、また新参が騎乗戦闘は基本なかったとかデマ信じて書き込んでるのかよ
278人間七七四年:2011/01/08(土) 17:20:50 ID:YREIglke
日本の馬は小さすぎると言われてるけど、
30年戦争で活躍したスウェーデン騎兵の馬も120cmに届かない小型馬なんだよな

騎馬の強さに馬の大きさは関係ないのか?
279人間七七四年:2011/01/08(土) 23:11:48 ID:0M0ywqoh
ヨーロッパだと、小柄な軽種馬は一番高速で軽騎兵に使われ、日本のより小さいんじゃないか?ってサイズ。
中型は竜騎兵(移動に馬を使い戦闘時は下馬する乗馬歩兵。時代が下ると騎乗戦闘が主になる)、
大型は足は速くないが胸甲騎兵など重騎兵に使われてる。

フッサールを代表とする軽騎兵は非常にすばしっこく、どうも向こうの小型馬は速いらしい。
280人間七七四年:2011/01/09(日) 02:22:47 ID:IiOABhj8
大型馬はポニーと比べると遅いし小回りもきかないから戦闘中には使えなかったんだろうさ。
太古の中国から近代の米国に至るまで、実戦で重宝されたのはポニーだしね。
281人間七七四年:2011/01/09(日) 02:31:23 ID:IiOABhj8
>>259
> でも実際の所、長槍であれ騎馬武者であれ集団訓練をどうやってしていたのか解る史料ってあるのかね?
信長公記だと
「十五騎一組として、三組四組づつ馬場に入れ、入れ違い入れ違いで別の馬に当たらぬよう隙間なく馬を動かした」
って書かれてる。
他にも、爆竹を鳴らして鉄砲に慣れさせたりする様子が記録に残ってる。
282人間七七四年:2011/01/09(日) 07:09:50 ID:kPVjRjUY
>>277
「基本的」にはなかったんじゃねぇの?
騎馬突撃が大々的に行われた合戦ていうのも戦国時代には存在しないような

「一例たりとも存在しない」かのように考えてるやつがいるのは確かだし、
そいつらの論拠が、調教してない馬に荷物をくくりつけて「これが在来馬の限界」とか言ってる
鈴木のおっさんの著書なのはもう笑うしかないところだけども
283人間七七四年:2011/01/09(日) 08:16:12 ID:/8LodR9d
>>282
日本は平安のころから騎乗戦闘してるし、南北朝時代の馬上打物で大きな野太刀を振るうのも流行した。
つか、最近このスレに来た?情報が共有されてない気がする。
284人間七七四年:2011/01/09(日) 08:17:39 ID:/8LodR9d
もう資料出すのめんどくさいw
285人間七七四年:2011/01/09(日) 08:26:42 ID:/8LodR9d
>>282
当時の基本編成単位、備の構成からして、騎馬組は数十騎程度。近衛である馬廻衆でも二百〜百数十騎。
西洋や中東中国のような数千騎単位の突撃は編成上ないだろう。
ただ、騎乗戦闘自体はスレの上の資料やポニースレを見れば、基本無かったとはいえないんじゃね?

戦国時代の馬はポニーサイズ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156992018/
286人間七七四年:2011/01/09(日) 15:05:42 ID:Tx+V7Qsu
騎馬突撃は非常に有効だと思う。
ポニーサイズといえど馬+人の質量がこっちへ突っ込んできたら怖いしw
長柄組の隊形が乱れてる時に来られたら防ぎようがないと思う。
ただ、首を取って戦功の証にする、という風習があるから、
結局下馬する事も多かったんだろうけど。
287人間七七四年:2011/01/09(日) 15:40:13 ID:O0DoeM6v
大々的に行われる騎馬突撃って、数万騎が突撃するような事なのかな?
モンゴル軍みたいに
288人間七七四年:2011/01/09(日) 18:02:48 ID:Tx+V7Qsu
さすがにそういうのはないだろうね。
戦国武将ってのは独立性が強いから複数の備の騎馬をかき集めて一斉に突撃ってことはないと思う。
騎馬突撃があるとしても備単位でやってただろうからせいぜい数十騎ってとこかと。

仮に全部隊の騎馬を一気に突撃させるような作戦があるとしたら、
それは設楽ヶ原のような一か八かの特攻か、奇襲しかない思う。
289人間七七四年:2011/01/09(日) 18:04:21 ID:O0DoeM6v
赤備えって、2部隊各500騎なんだけど
290人間七七四年:2011/01/09(日) 19:05:47 ID:Tx+V7Qsu
…多すぎない?
その「部隊」ってのが何を指してるのかしらないけど。
備?それとも独立した騎馬部隊?
291人間七七四年:2011/01/09(日) 19:24:57 ID:Tx+V7Qsu
>>289
ウィキで調べたんだけど、もしかしてこれのこと?
>また、『軍鑑』によれば武田家中では山県昌景と共に小幡信貞、
>浅利信種の2名が赤備えとして編成され総勢千騎だったという。
292人間七七四年:2011/01/09(日) 19:30:13 ID:O0DoeM6v
>>291
多分それかな
軍鑑に、赤備えは総騎馬で千騎、うち五百騎が小幡なんとか守とある
293人間七七四年:2011/01/09(日) 20:27:19 ID:kPVjRjUY
≫283
鎌倉時代や南北朝時代は戦国時代に含まれるの?
あと、「騎乗戦闘」を「騎馬突撃」って読み違えてたごめん。

「馬は財産だから、傷つけないように降りて戦う」という意見はあるけど、
それを言えば刀槍鎧と身の回りのものみんな「財産」だよね、あの時代。
294人間七七四年:2011/01/09(日) 20:54:22 ID:cQwwKcMb
現代日本で見にする馬は、小回りの効かない特殊な馬である
サラブレッドがほとんどがだから、騎乗攻撃はどうしてもTV時代劇で
目にする突進するだけのイメージになってしまいがち。
しかし本来馬はもっと小回りが効いて柔軟に運用できるので、いろいろな
攻撃パターンがあったはず。

現在でも見られる騎乗からの槍攻撃〜退避の例を動画で。

Corrida de Rejones de Domingo de Resurrección (Málaga 04-04-2010)
http://www.youtube.com/watch?v=VqI4Pqab6L4

突き刺そうと突進してくる相手をかわし、短槍で攻撃。
騎乗者が攻撃可能な斜め姿勢を保ったまま回避行動。バックも可能。
左へ行くと見せかけて右から突入して攻撃〜すかさず退避と、多彩な
パターンをご堪能ください。
295人間七七四年:2011/01/09(日) 21:04:23 ID:LdFYZ1CU
なんか誰も喜ばない考証癖で、夢を壊さないでほしいよな。学者ヲタクというか厨房というか。
大勢の騎馬隊が勇壮に突撃してるみたいな図の方がずっとイメージ良いし、
歩兵とか変なの混じってると見た目で残念なのは正直な気持ちだろ
296人間七七四年:2011/01/09(日) 21:16:21 ID:nVBWhDZO
夢をみるのは勝手だが、夢を押し付けるのは勘弁な
297人間七七四年:2011/01/09(日) 21:17:40 ID:Tx+V7Qsu
>>292
じゃあ2部隊ってのは備が2つじゃなくて、
複数の備で編成した「部隊」が2つってことかな?
だったら500騎ずつでも納得なんだが。
298人間七七四年:2011/01/09(日) 21:24:22 ID:LdFYZ1CU
>>296
自分に正直になれよ。誰だって、いそいそと馬から下りる騎馬武者とか
ショボショボと三々五々突入する混成部隊なんて見たくないだろ?
今はスピード感が大事な時代だし。無いわ。
299人間七七四年:2011/01/09(日) 21:35:04 ID:O0DoeM6v
>>297
備が2つ、小幡上総守の赤備えと山県昌景の赤備え
300人間七七四年:2011/01/09(日) 21:50:11 ID:nVBWhDZO
>>298
いや、凄く見たい
状況に応じて素早く戦術を変える騎馬武者や歩騎による連携とか
301人間七七四年:2011/01/09(日) 21:51:17 ID:nVBWhDZO
>>299
備は最小の基本単位だから違う
>>297の方が正しい
302人間七七四年:2011/01/09(日) 22:10:16 ID:O0DoeM6v
>>301
知らないなら黙ってろよw
備は何人も武将を寄り合わせて編成する場合が多い
おまえ、備の規模分かってないだろ
303人間七七四年:2011/01/09(日) 22:24:04 ID:nVBWhDZO
>>302
各種足軽隊と騎馬武者隊を基幹とした数百程度の部隊
304人間七七四年:2011/01/09(日) 22:30:42 ID:kOHcU8hT
まるで現場で見て来たみたいだな
305人間七七四年:2011/01/09(日) 22:32:44 ID:/8LodR9d
>>244の岩付衆の備だと一つの備で戦闘員1560人、うち500騎が騎馬だね。
306人間七七四年:2011/01/09(日) 22:33:56 ID:/8LodR9d
数百程度が普通なんだろうけど、本陣備なんかは大規模なもので何人くらいいるんだろう?
307人間七七四年:2011/01/09(日) 22:46:35 ID:nVBWhDZO
>>305
あれは備を複数併せた一手と見て良いもの
当時の用語は適当だから

>>306
それは総軍の規模によって千未満から数千まで
308人間七七四年:2011/01/09(日) 23:03:49 ID:Tx+V7Qsu
そもそも赤備えの「備え」って何?
ユニットの備を指すのか、
それとも軍装そのものを(戦への)備えと呼んでいたのか…?

あと500騎っていうのは純粋に騎馬組の数だったのか、
それとも足軽頭など戦闘指揮官の数も含めた騎馬武者の数だったのか…?

ややこしいね戦国時代って。
309人間七七四年:2011/01/09(日) 23:17:27 ID:nVBWhDZO
310人間七七四年:2011/01/09(日) 23:22:54 ID:/8LodR9d
>>307
岩付は奉行の配置を見ても複数の備を集めたものではなく、最初からこの人数で一つの備えを編成してるよ。
311人間七七四年:2011/01/09(日) 23:29:14 ID:nVBWhDZO
>>310
あれは各奉行が複数いたり、戦闘と後方任務が兼任してたりするので
どうも全体像がつかみにくい
312人間七七四年:2011/01/09(日) 23:32:11 ID:O0DoeM6v
>>308
赤備えの500騎は純粋に騎馬兵の数
一般的な〜騎とは違う書き方されてる
313人間七七四年:2011/01/09(日) 23:35:01 ID:O0DoeM6v
>>303
あと一応、最小の基本単位は寄子(違う呼び方する大名家は適当に読み替えて)を付けたりなんかした
寄親の20人程度
314人間七七四年:2011/01/09(日) 23:36:33 ID:nVBWhDZO
>>313
それは騎馬武者隊とイコール
315人間七七四年:2011/01/09(日) 23:39:08 ID:Tx+V7Qsu
ますますわからなくなってきたw
316人間七七四年:2011/01/09(日) 23:40:16 ID:O0DoeM6v
>>314
歩者も含まれるのに騎馬武者隊とイコールなわけがない
317人間七七四年:2011/01/09(日) 23:47:38 ID:nVBWhDZO
>>316
歩者というのは徒武者の事なら、特に問題なし
騎馬武者にも徒歩の従者がいるから
318人間七七四年:2011/01/09(日) 23:58:17 ID:O0DoeM6v
>>317の言う「騎馬武者隊」を解説して貰わないと話が進まん
319人間七七四年:2011/01/10(月) 10:04:38 ID:zzgLOjv8
>>318
詰まる話が隊列を形成せずに、突撃・突破をする部隊
馬に乗ることは大きなアドバンテージであるが、そうでなければ駄目という訳ではない
320人間七七四年:2011/01/10(月) 11:38:55 ID:VlEf2Za/
>>294
5:00くらいからの緊張感がたまらん
321人間七七四年:2011/01/10(月) 15:12:02 ID:gGmJVbqL
>>319
列は形成しないが隊は形成する
で、そのくらいが最小単位になるんだけど、理解してる?
322人間七七四年:2011/01/10(月) 15:57:41 ID:zzgLOjv8
>>321
騎乗武士(徒武者もいる場合あり)とその郎党を一セットとして、20騎から50騎かな
この一セットをどう表記するかは人それぞれ
323人間七七四年:2011/01/10(月) 17:04:14 ID:mzPAtF8z
よーし噛み合ってないな。勝手にまとめてやろう

備というのは数百人規模の大隊で戦国時代の基本戦闘単位。備が複数あれば一手。
大身家臣である寄り親を中心として、小身家臣の寄子つけられて編成するのが一般的。
(ちなみに江戸時代に1万石以上から大名と呼ばれ一定の自治を認められていたのは、
1万という切が良いという面もあるが、300人ほどの最小規模の備を単独で組め、
その家だけで行動できたから。)
備は大きく分けて、鑓足軽隊、鉄砲隊、弓隊、騎馬隊、大将司令部、で編成されていて
各隊は頭格の一、二名武士が統率。、
各隊はさらに幾つかの組みに分けられそれぞれは組頭・足軽頭が統率。

戦国の備での騎馬隊とは文字のままのイメージとは違い騎馬のみ編成されているわけではなく
馬上や馬乗りと呼ばれる騎馬武者と、徒歩武者、甲者、持鑓、歩者、等と呼ばれる徒歩武者が
だいたい1対1の割合で含まれる混成部隊で後期には鉄砲も装備。それと各侍には従者も付いてくる。
(中間小物らの従者は基本的には非戦闘員で軍役にも規定されないのでここでは数に入れず)

わかりやすく言うと騎馬隊=侍部隊=精鋭攻撃部隊。
役割は備同士がやり合ってる中、備から分離して突撃、切り込み、敵騎馬隊の迎撃を行う攻性の兵科ですね。
備から離れたところで戦っている、騎兵の割合が多い混成の部隊が、よく屏風絵などに画かれていますが
それが戦国時代の騎馬隊の実態で言えるでしょう。
324322:2011/01/10(月) 17:38:45 ID:zzgLOjv8
まとめご苦労様です、それで良いかと
325人間七七四年:2011/01/10(月) 17:46:07 ID:gGmJVbqL
なにID変えてまとめと称していつもの持論語ってんだよw

文字のままの騎馬のみで編成されている騎馬隊も少数存在した。
馬上と歩者の割合は大名にもよるけど、東国だと1対5前後。
戦国時代の基本戦闘単位はおそらく寄親+寄子の20〜30人程度。
備えは規模からして戦術単位、あとはほとんど同意見。
326人間七七四年:2011/01/10(月) 18:02:24 ID:mzPAtF8z
>>325
馬上と歩者の割合は武田上杉北条の現存する軍役帳から割り出すと
1対9ですね

上で貴方は北条氏の一部の軍役帳から推定しているようですが
武田、上杉、明智、北条の大部分、の軍役帳では同等の割合で各兵科を召集していますが
注意しなければいけないのは北条氏は一部の家臣には変則的な割合で軍役を課しています
たとえば、小曾戸丹後守200貫 馬上5 鉄砲20 旗2 
彼を基準にしたら北条家は歪な鉄砲軍団になってしまいます。
一部だけ抜き出してそれを無批判に全体に当てはめるのは如何かなものかと

あと別人ですよ
327人間七七四年:2011/01/10(月) 18:59:46 ID:vz46Cecs
>>325
寄親・寄子ってただの従属関係でしょ。
いろんな規模の寄親・寄子関係があるはずなのに、
まるで軍事上の戦闘単位みたいに語るのはどうかと。
328人間七七四年:2011/01/10(月) 19:35:50 ID:gGmJVbqL
>>326
馬上と歩者の割合を1対1と主張したかと思えば、1対9と主張する、何を言いたいのか謎

アンカーも打たずに、北条家の一部の軍役帳、がどうこう語られても理解に苦しむ
おそらく別人認定してくれたんだろうが、せめてアンカーを付けてくれないとコメントしようが無い

武田に限れば中間は戦闘に加わり、小者は参加しない
>>327
どの大名の軍でも末端の最小戦闘単位は20〜30名で
構成の仕方は単独で務まるなら単独で、足りないなら寄親+寄子ということ。
329322:2011/01/10(月) 19:44:58 ID:zzgLOjv8
>>328
その最小戦闘単位とは足軽隊とか騎馬武者隊とかの兵科単位を指しているんかい
330人間七七四年:2011/01/10(月) 20:01:24 ID:mzPAtF8z
>>328
ああ、失礼しました。>>326の歩者は騎乗以外の鑓弓鉄砲足軽も含めた割合です
>>325の東国だと1対5前後、という割合から総軍役の中での割合かと判断してしまいました。

>>323
での1対1というのは騎馬隊の中での馬に乗る武士と徒歩の武士の割合です。

331人間七七四年:2011/01/10(月) 20:36:53 ID:gGmJVbqL
>>329
最小戦闘単位に大した意味は無いけど、戦闘に当たって誰かが統制を取る最小の人数ってことで
>>330
あーごめん、全然歩者じゃない歩侍、素で間違えた‥
騎馬隊というのは馬廻衆とか旗本衆みたいなやつ?
332人間七七四年:2011/01/10(月) 20:42:54 ID:5FO6uLCu
結局奇襲攻撃又は側面攻撃の役割しか担ってなかった(或いは駄馬)じゃんw
所詮モンゴルのような大規模帝国を築くのやアメリカの南北戦争と訳が違う訳
だねw。湿地帯多い,川多い,山多いじゃそんくらいしか思いつかないよな
(東国は除く『かも』)
333322:2011/01/10(月) 20:57:23 ID:zzgLOjv8
>>331
例えば、備だと騎馬武者隊の指揮官が備の全体を指揮することもあるから
足軽隊を除けばその規定は個人的には微妙

定義付けは結論が出る話ではないので、これ以上はやらないけど
334人間七七四年:2011/01/10(月) 21:09:54 ID:gGmJVbqL
>>332
全員騎馬だった赤備えの小幡部隊は普通に先手務めてるから
335人間七七四年:2011/01/10(月) 21:15:50 ID:Sq0dB+nK
南北戦争の騎兵ってそれこそ奇襲や側面攻撃くらいにしか使われてないだろ
336人間七七四年:2011/01/10(月) 21:21:18 ID:mzPAtF8z
>>331
備の中に含まれる鑓足軽隊、鉄砲隊、弓隊、騎馬隊、大将司令部、の中の騎馬隊の話です。
>>334
残念ながら全員が騎馬という備え編成は武田にはありません。
もちろん小幡の部下にも鑓や弓などの騎馬以外の軍役がかけられているので明らかです。
337人間七七四年:2011/01/10(月) 21:59:49 ID:gGmJVbqL
>>336
どの武将が小幡の下へ組み入れられていて、どの様な軍役を課せられていたか
典拠付きで内容を挙げて貰いましょうか、軍鑑の記述を否定したいならね。
338人間七七四年:2011/01/10(月) 22:02:55 ID:gGmJVbqL
>>336
馬廻衆や旗本衆を「騎馬隊」などと呼ぶ、俺様用語は感心しないな
なぜ敢えて騎馬隊などと呼ぶのか知りたい
339人間七七四年:2011/01/10(月) 22:28:31 ID:vz46Cecs
>>337
その前に聞きたいんだが軍鑑の記述とはどういうものなの?
340人間七七四年:2011/01/10(月) 22:45:49 ID:mzPAtF8z
>>337
武田信玄軍役定書
一、乗馬三騎、付、甲手益、咽輪、宮具足、脛楯、指物持槍可為,如法
一、鉄砲五挺
一、持槍長刀共ニ、五本
一、長柄拾本
一、弓弐張
一、持小旗三本、此内一本者積之外也、右具在前、
龍朱印
元亀二辛、未、三月拾三日、跡部美作守奉之、兵庫助殿
341人間七七四年:2011/01/10(月) 22:46:49 ID:gGmJVbqL
>>339
なに?典拠も無いのに断定してたの?

信州先方衆
一、真田源太左衛門 旗色黒四方 三百騎
西上野衆
一、小幡上総守 赤備惣騎馬千騎之内 五百騎
342人間七七四年:2011/01/10(月) 22:49:25 ID:gGmJVbqL
>>340
で、それが何?
跡部の軍役状出して何がしたいの?
小幡の組下にいたなんて聞いたこと無いけど
343人間七七四年:2011/01/10(月) 23:18:49 ID:mzPAtF8z
>>342
ああごめん小幡のね。それはちょっと手元に無いから後で
ついでにそれは跡部は朱印奏者として名前が載を載せてるだけで
跡部の軍役じゃないから
344人間七七四年:2011/01/10(月) 23:45:07 ID:vz46Cecs
>>341
>なに?典拠も無いのに断定してたの?
何のこと?

>一、小幡上総守 赤備惣騎馬千騎之内 五百騎
これだと小幡上総守の担当は赤備えのすべての騎馬1000騎のうち500騎、
ということしかわからないんだが…。

つまり小幡上総守を大将とした複数の備の集合体だった可能性もあるのでは?
また騎馬のみで構成されているわけではなくて、
「騎馬何騎」と言えば大体徒歩何人というふう決まっていて、
省略して書かれているとかは考えられないかな?
345人間七七四年:2011/01/11(火) 00:00:17 ID:PVTBnvOx
軍艦の「信玄代惣人数之事」からの出典なら、その項の終わりに、
「引き残って騎馬数合わせて九千百二十騎」
「大小惣ならして、主共に5人づれにして、四万五千六百五十人」
とかかれてて、騎馬一に五人付ですよーとかいてあるんだから
騎馬だけの根拠にはならないね
346人間七七四年:2011/01/11(火) 00:41:22 ID:LUAeLt4O
小幡上総守は1人で千騎持ち出征は2代わり五百騎、と書かれてるから
軍鑑の侍一人に従卒五人説に従えば、五千人持ちの超大身になるね
他の譜代外様のどの大身と比べても3倍以上抱えてる
347人間七七四年:2011/01/11(火) 01:15:19 ID:PQ+TtnkW
>>346
まあそこは寄騎を与えられたとも考えられるから何とも言えん。
それなりに大身には違いないだろうけど。
348人間七七四年:2011/01/11(火) 01:40:42 ID:LUAeLt4O
だから与力は無しだって

軍鑑が軍編成に関して正確かどうかアレなのはあるけど
武田の騎馬:歩者の割合は1:5くらいなんだな、足軽六千人強を加えると1:6くらいだけど
349332:2011/01/11(火) 07:28:01 ID:bsBoy6Gm
>>335
南北戦争は資料無しに言ってしまったがソビエト軍は第2次世界大戦になっても
思いっきり騎兵を使っていた(東部戦線

広 く 無 い と ム リ
350人間七七四年:2011/01/11(火) 11:55:33 ID:PQ+TtnkW
>>348
>だから与力は無しだって

なんで?騎馬500騎ってのが既に寄騎を含んだ数かもしれんだろ。
つか「だから」なんて言われても、>>346で何の注釈もないからわからん訳だが。
351人間七七四年:2011/01/11(火) 12:14:55 ID:SIapusoU
>>350
小幡は組下無しと注釈が付いてる
352人間七七四年:2011/01/11(火) 16:47:19 ID:PQ+TtnkW
>>351
おお、そうなんだ。
ありがとう。
353人間七七四年:2011/01/11(火) 17:44:17 ID:/UX8yF1o
小幡については明確な主従関係でなく、小幡党という緩い連合だったようです
354人間七七四年:2011/01/11(火) 19:02:58 ID:PVTBnvOx
小幡は下郷起請文(生嶋足嶋神社文書)でも普通の者は全員武田奉行あてに証文を出しているが
小幡配下と思われる3通計18名分は唯一奉行でない小幡宛てに出されていて、ちょっと特殊な家だね。
寄騎にあたる者を自前で用意できたというべきか
355人間七七四年:2011/01/11(火) 20:04:51 ID:LUAeLt4O
組下無しだから自前だろうけど
それにしては所領を五千貫しか貰ってないんだよな
356人間七七四年:2011/01/11(火) 20:18:03 ID:PVTBnvOx
自前といっても主従関係のある部下ではなく連合体制だから
所領が少なくても問題は無いだろ
357人間七七四年:2011/01/11(火) 20:22:37 ID:PVTBnvOx
前提をわすれてた。
そもそも軍鑑の信玄代惣人数之事の数字については、
ほとんどの研究者が疑問としてるし、
軍鑑の数字だけでとやかく言ってもしょうがないと思うよ。
358人間七七四年:2011/01/11(火) 20:23:20 ID:LUAeLt4O
当然主従関係のある部下だよ、武田の戦役に参加してんだから
連合体制なんつー解釈は未だかつて一度もお目にかかった事が無い
>>356が主張する以外は
359人間七七四年:2011/01/11(火) 20:24:44 ID:LUAeLt4O
>>357
その前提自体がおかしい
90年代以前の古臭い学問とも呼べない妄想史観が蔓延ってた時代じゃないんだから
360人間七七四年:2011/01/11(火) 20:38:46 ID:PVTBnvOx
>>358
黒田基樹の研究と柴辻俊六もそれを支持して
主従関係のある分郡領主的支配ではなく城代的支配だとしているね

>>359
柴辻、笹本、黒田、平山ら武田研究者はみんな誇張された数字、
もしくは参考にとどめておくべき数字と言ってるじゃん?
肯定している研究者って居るのかね?
361人間七七四年:2011/01/11(火) 21:27:29 ID:LUAeLt4O
>>360
少なくとも黒田基樹はそんな主張してないし、城代的支配だとも言ってない
そもそも組下がいない城代じゃ根本から矛盾してる、柴辻俊六がそんな馬鹿な事を主張するとは思えんね
それとも、小幡勢は武田に属さない侍を率いて武田の出征に参加したとでも言うのか?

柴辻、平山は著書を読んだ事が無いから何とも言えないが
笹本、黒田は引用するところはふつうに引用してる、虚言を弄して何がしたい?
362人間七七四年:2011/01/11(火) 22:08:01 ID:PVTBnvOx
>>361
笹本、黒田のどの本だね?読んでみるよ
少なくとも俺は彼らの本で数字を肯定している記述は見たことが無い
参考すれば信じるならばと但し書きが付いているはず

小幡氏については
黒田基樹「戦国期上野小幡氏に関する基礎的考察」
柴辻俊六「信玄の戦略」(西上野支配の実態)の項
363人間七七四年:2011/01/11(火) 23:22:18 ID:LUAeLt4O
>>362
戦国大名と職人、戦国大名の危機管理、百姓から見た戦国大名

で、「戦国期上野小幡氏に関する基礎的考察」と「信玄の戦略」(西上野支配の実態)を読むと
小幡上総守が率いた手勢は城代的支配によるもの
とかいう、意味不明な主張がちゃんと書かれてるんだな?
364人間七七四年:2011/01/11(火) 23:29:10 ID:LUAeLt4O
おいおい、ググったら書籍が1つも無いとかw
戦国遺文や信玄の戦略─組織・合戦・領国経営、戦国期武田氏領の形成
みたいなドンピシャな書籍があるのに
で、何、そんなもん出して俺にどうしろと?煙に巻きたいだけか?
365人間七七四年:2011/01/11(火) 23:40:50 ID:l9oS4pjU
>>349
山岳の多いマケドニアで、どうして騎兵とファランクスのような密集隊形が発達したんだろう?
アレキサンダー大王は補助に過ぎなかった騎兵を、戦闘の帰趨を決する兵科として重視した。
366人間七七四年:2011/01/11(火) 23:42:24 ID:l9oS4pjU
そもそも、弓騎兵が主力だった平安中期〜鎌倉時代がまったく無視されてるな。
367人間七七四年:2011/01/11(火) 23:53:03 ID:PVTBnvOx
>>364
何を言ってるかわからない
黒田のはともかく柴辻俊六「信玄の戦略」はそこらの本屋でも売ってるだろ
「百姓から見た戦国大名」と「戦国大名と職人」のどこに書いてあるって?
見た覚えもないしぺらぺらめくっても該当箇所が無い
368人間七七四年:2011/01/12(水) 00:24:32 ID:kHjW8Zch
>>367
該当箇所って何?
ぺらぺらめくって軍鑑を否定的に評価してる箇所を挙げればいいだけ
369人間七七四年:2011/01/12(水) 00:37:07 ID:2tQ0tElS
だがか
370人間七七四年:2011/01/12(水) 00:41:34 ID:kHjW8Zch
>>369
さっさと軍鑑に否定的な注釈部分を挙げような
371人間七七四年:2011/01/12(水) 01:23:09 ID:kHjW8Zch
「小幡上総守が率いていたのは主従関係のある部下ではなく連合体制」
なんていう、妄想が根拠の僻論は取り消しでいいかな?ん?
372人間七七四年:2011/01/12(水) 02:10:35 ID:Yj48O20F
「組下無し」てのは「徒歩組の下なし」つまり「歩兵なし」ってこと?
それとも「与力なしですべて自前の軍」ってこと?

5000貫ってのは石高に直すとどれくらい?
1万石未満?それとも2万石オーバー?

横槍&質問ばかりでスマン。
373人間七七四年:2011/01/12(水) 09:12:21 ID:hPGDT99J
>>365
山は山でも日本の様なほっといても木が生えるような場所ではないので
374人間七七四年:2011/01/12(水) 17:15:38 ID:36Miz1H7
マケドニアの故地はだだっ広い平野部だし
しかもマケドニア人の多くは農耕を知らず牧畜で暮らしてた
ギリシャ地方の城郭にすむ連中とは元々習俗が違う
375332:2011/01/12(水) 20:18:02 ID:xfnaZGB7
てか頼山陽が馬上は下がっており徒歩がその前面に押し出して戦うと
評している位だから,騎馬隊崇拝者はいい加減特殊場面除いて巻け認めろ。

頼だってバカじゃない.朱子学の祖としてそれこそ俺らよりはるかに戦国の
時代に近い人だったのであり・・・
376人間七七四年:2011/01/12(水) 20:20:33 ID:fF/vSbLm
>>375
頼山陽っていつの時代の人間か知ってる?
377人間七七四年:2011/01/12(水) 20:29:13 ID:36Miz1H7
>>375
随分広範囲で普遍的な特殊場面だな
378332:2011/01/12(水) 20:48:06 ID:xfnaZGB7
>>375
俺は正直中期辺りかと思っていたが全然幕藩体制安泰の時期じゃんw
(危うくなる寸前)。戊辰戦争で幕府がどのように戦ったか見れば
アホでも戦国に繋がる知識を得られただろ>>頼氏
379332:2011/01/12(水) 20:53:35 ID:xfnaZGB7
キバ キバ うっせーんだよw
信長公記にさえ義元馬周りは深田に嵌り・・・とかあんのにあんな十分広い遠州で
騎馬隊でさえ輿守れねえキバ隊いらねえよw

380人間七七四年:2011/01/12(水) 22:03:29 ID:Yj48O20F
誰か>>372に答えてくれ、頼む!
381人間七七四年:2011/01/12(水) 22:25:17 ID:fF/vSbLm
>>380
> 「組下無し」てのは「徒歩組の下なし」つまり「歩兵なし」ってこと?
> それとも「与力なしですべて自前の軍」ってこと?

「主君から付けられた与力無し」の意味でいいと思う

> 5000貫ってのは石高に直すとどれくらい?
> 1万石未満?それとも2万石オーバー?

貫と石高の計算は難しいが、北条氏などの軍役などと比較すると、まあだいたい
一貫≒5石くらいと言われる。
のであくまで北条氏との比較の場合、5000貫は約2万5000石相当と考えていいと思う。
382人間七七四年:2011/01/12(水) 23:00:46 ID:kHjW8Zch
>>360
信玄代惣人数之事、一部の「人名」などに多少の問題があるが
かなり実態を反映しているものとして既に定評がある。と、あるし
小幡信貞も城代ではなく大身の支城主、としてるけど?
>>380
同心衆とか与力とか無し、1貫は時代や地域にもよるけど2〜4石くらいでしょ
手勢の大きさ見ると西上野を攻略した時点で所領増えてるっぽいけど、知らね。
383人間七七四年:2011/01/12(水) 23:04:49 ID:Vs2B/S3r
>>374
エーゲ海沿岸は平野だけど内陸は山岳地帯じゃん
384人間七七四年:2011/01/12(水) 23:51:24 ID:36Miz1H7
>>383
マケドニア王国の領土はその広大な平野部で
いまのマケドニアはマケドニア王国とは無関係
385人間七七四年:2011/01/13(木) 00:07:19 ID:M0thIhLK
>>381-382
でも、「組下」で検索かけると以下の説明が出てくるので混乱中っす…。

【組子】
1 江戸時代、徒組(かちぐみ)・鉄砲組などの組頭(くみがしら)の配下にある者。
 組下。組衆。

もしこの通り、「組下無し=足軽組無し」って意味なら、
話に出てる小幡という人は騎馬のみ(徒歩の従者も居ただろうけど)
を率いたって事にならないだろうか?
そしてその騎馬武者たちはすべて自前の兵ではなく、
武田家につけられたor自分を連合盟主とする寄騎の可能性も出てくる。
そうすると5000貫の知行でも騎馬500を率いる事だって出来るかなって思って。

すべて自前の兵って意味だと、いくら2万5000石クラスの武将だとしても、
騎馬500騎を指揮するのは少々不自然な気がするんだよなぁ。

貫高・石高の換算は時代や地方によっても異なるっぽいので難しいっすね。
386人間七七四年:2011/01/13(木) 00:29:52 ID:weg6o8aZ
>>385

> 【組子】
> 1 江戸時代、徒組(かちぐみ)・鉄砲組などの組頭(くみがしら)の配下にある者。
>  組下。組衆。

これは、「組」とは一般的に「部隊」のことを指すと説明しているわけで、徒歩の部隊を指すと
言っているわけじゃないよ。

あと騎馬の「武士」ではなく、何らかの理由で「騎馬足軽」のような部隊を特別に編成している場合
500騎の騎馬部隊というのは可能だろう。
387人間七七四年:2011/01/13(木) 00:49:24 ID:oJtYg7sH
上野や信濃なんて律令時代から牧だらけな地方なんだから
馬の比率が高くても別に不思議じゃないと思うが
ttp://www.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&gl=jp&ptab=2&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&msid=111401057908086377946.000493bbb1fcfe2d0d003
388人間七七四年:2011/01/13(木) 00:54:31 ID:7Tmtywgz
それなら関東もだろ
389人間七七四年:2011/01/13(木) 01:19:51 ID:weg6o8aZ
常識の範囲の話だが、北条の軍役は騎馬率が非常に高い。
390人間七七四年:2011/01/13(木) 01:33:53 ID:5Q3UWzw1
しかも馬は、金色の馬鎧とマンガちっくな馬面着用。

武具|川越歴史博物館
http://www.kawagoe-rekishi.com/exhibit/bugu.html
馬鎧・馬面 戦国時代
騎馬武者にとって争い乱れる戦場では、戦闘の主力である馬にも
武装をさせ その装いから敵を威圧する事も重要であった。
391人間七七四年:2011/01/13(木) 02:12:09 ID:hJyX2dEH
>>384
マケドニア軍の基本形を作ったフィリッポス二世が主戦場としていたのは、
フォキスやボイオティアといった山がちな地域だよ。
カイロネイアの戦いだって峡谷だよね?
392人間七七四年:2011/01/13(木) 02:45:59 ID:yy9zXTTC
>>391
イミフ、マケドニアに騎兵がそこそこ多いのは元々牧畜の民で
馬に乗る部族が多かったから
それに山がちといっても盆地だらけで馬の使用に苦労するこたない
393人間七七四年:2011/01/18(火) 11:07:09 ID:vQh3ogj4
またこのスレかwwwwww
定期的に鈴木信者が知ったかぶって立てるなwwww

この手のスレで何度も言ってるけど
近代では戦車や車両が通れない山岳地帯は馬なwwww
日本とかはバイク部隊だけれど、いまだに山岳部隊は馬のところがある。
無論、日本もバイク部隊の前は山岳部隊は騎兵だった。
馬で山越えは移動制限ってゲームかよwwwww
394人間七七四年:2011/01/18(火) 11:26:55 ID:vQh3ogj4
ちなみにほとんどの国が今では山岳地帯に小規模駐屯する部隊は
バイク主流の部隊になってるけど、そのバイクでも通れないような険しい山岳地帯は
馬主流の部隊、すなわち騎兵なんだからね!
馬、なめんなwwwwwwww
何度も言うように貧弱で早いだけのサラブレットと比較するんじゃねぇwww
馬は本来頑丈なんだよ。通称、アラ(アラブ馬)をどんどん掛け合わせて作られたのがサラブレット。
だから、とにかく血が濃い。だから、虚弱体質で足元もすんげー弱い。
そもそも、アラブ馬だって、速い馬どうしを何代も掛け合わせて作ってきた馬。
アラブ馬はサラよりも力強くて丈夫なイメージだけど、アラブだって虚弱体質なんだよ。
軍馬はもっとたくましいの!!! 足は遅いけどwwwww
395人間七七四年:2011/01/18(火) 17:22:40 ID:99aQonqF
海外のHPでも、サラブレッドは貧弱で軍馬に向かないと書いてあったけど、なんで?
心臓発作や骨折しやすいとは聞くけど。
396人間七七四年:2011/01/18(火) 17:45:26 ID:yexSe1fz
競馬でしか使えないように品種改良しているから
サラブレッドを軍馬にするということは、F1カーを不整地で動かすような物
397人間七七四年:2011/01/18(火) 18:26:29 ID:U5efVUuZ
サラは2`3`走れば終わりだしな
平坦で整地されたふかふかの芝生の上しか走らないし
398人間七七四年:2011/01/18(火) 18:44:59 ID:lX/RbM0y
>>395
疲労に耐えられる筋肉を持っていないらしい
1マイルを早く走る為だけの筋肉しか必要ないから
399人間七七四年:2011/01/18(火) 19:35:22 ID:pXHIVsD7
走行距離に関しては訓練である程度は調整可能だろうけど、一番の問題は骨折しやすい虚弱体質か。
女の子の手首並みの細さの足首×4で500`弱の体重支えなくちゃならんしね。
あのスビードで走ってること自体が奇跡みたいなもんでしょ。
400人間七七四年:2011/01/18(火) 19:55:19 ID:U5efVUuZ
心臓も短距離向きに出来てるから長距離走ったら死ぬだろ
401人間七七四年:2011/01/18(火) 23:32:14 ID:nGG4ERU9
食事や体調管理も大変らしい品
サラブレッドで戦場言ったら馬の世話だけで疲れ果てそう
402人間七七四年:2011/01/19(水) 03:49:15 ID:y8xCw8Bh
サラブレッドの問題は、小回りが効かないところ。
横への動きがひどくぎこちない。
相手の攻撃をかわし、スキを見て反撃するとかは無理。
前へ突進は得意だが、骨や腱の限界を無視した筋力が出るよう
リミッターが外れてるので、カッとなって目一杯走ると
すぐ骨折&屈腱炎。
しかもすぐイライラしてかっとなる。

一度全力で走ると限界まで体力を使い果たしてしまうので
食欲が無くなったり、筋肉痛で動きが変になるし。
コンディションを保つのが大変。
403人間七七四年:2011/01/19(水) 09:50:25 ID:LfOaKfp0
整備された馬場で走ったって頻繁に足壊すのがサラだからな
近代騎兵ならまだしも、鎧武者や騎士を乗せたんじゃ速歩がやっとじゃねーの
404人間七七四年:2011/01/19(水) 12:03:50 ID:ZgzOsOgx
能力の限界に近い運動を続ければどんな生き物も壊れやすくなるよ
405人間七七四年:2011/01/19(水) 18:45:08 ID:OZIzBGWc
競走馬は2`走ったら1週間万全の体調に戻らんしな
406人間七七四年:2011/01/19(水) 19:24:56 ID:M81Z+1fL
そんな馬を作り出してしまうイギリス人の執念はすごいな
407人間七七四年:2011/01/19(水) 21:30:33 ID:OzGs+Brm
そんな貧弱に生まれさせた挙句に大部分はドックフードだからな、
余生を過ごせるのはほんの1%くらいとか。
408人間七七四年:2011/01/20(木) 06:28:18 ID:xnTztkBy
サラブレットの定義は祖先を遡ると
ゴドルフィンアラビアン、バイアリーターク、ダーレーアラビアンの3頭のうちのどれかにたどり着くのが定義。
言い換えれば、いくらメチャクチャ早い馬でも祖先にこの3頭が居ない限りはサラブレットではない。
その中でも現在はダーレーアラビアンに辿り着くサラブレットが9割を占拠。
通常、サラブレットはサラブレット同士かけあわすので
1700年のダーレーアラビアン出現以降、たった200年ほどの間に
何度も同じ血脈を掛け合わせてるわけだなw
というか、インブリードといって同じ母と父を遡り同じ祖先の馬がいると、色々と子に伝わるようだ。
といっても、めちゃくちゃ近縁すぎるとそれこそバカが生まれるwこれは人間と同じだなw
なので、近親相姦だらけなんだよ。だから、精神が未熟で気性が荒かったり、体が弱い子供が生まれたりする。
たった200年だからな。200年遡れば90%の馬の祖先はたった一頭のダーレーアラビアンなんでw
ちなみに先ほどの3匹(3大始祖)の中でバイアリータークだかは軍馬だったらしいぞw
409人間七七四年:2011/01/20(木) 06:31:09 ID:xnTztkBy
200年じゃなくて300年でした><
410人間七七四年:2011/01/20(木) 06:47:33 ID:xnTztkBy
例えばエルコンドルパサーという日本の強いサラブレットがいるけど
父系 父母母父にノーザンダンサー 父母父母にスペシャル
母系 母父父にノーザンダンサー  母父母母にスペシャル
母母母父フォルリはスペシャルの父
という、かなり危険な配合。
こういう近親相姦率が高い馬が活躍するのがサラブレットの世界なんだよなw
だから、体も弱いし、気性も荒い(バカ)なのさw
411人間七七四年:2011/01/20(木) 07:38:52 ID:jQ7tyycW
サラブレッドの三大始祖はみんなアラブ種がその傍系だから軍馬にもなるうる。
ただサラブレッドの定義はサラブレッドに8代連続でサラブレッドを掛け合わした馬であって
三大始祖の子孫をすべてサラブレッドと呼ぶわけじゃない

当然三大始祖をサラブレッドとは呼ばないし
過去には三大始祖いがいの種牡馬もいた

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A4%A7%E5%A7%8B%E7%A5%96
412人間七七四年:2011/01/20(木) 15:16:39 ID:EQJp02KO
「現在の」サラブレッドを軍馬として使うとなると、
通常と真逆に近い方向性で選別することになるだろうな
413人間七七四年:2011/01/21(金) 00:45:43 ID:mnwB2WJK
かつて和馬でなら問題なかったが
ひ弱なサラでやると「上げ馬神事」も虐待になるw

上げ馬神事に「虐待疑い」 三重県の審議会、改善求める
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110113/trd11011321560199-n1.htm
414人間七七四年:2011/01/21(金) 16:34:09 ID:cNwpv52y
朝鮮侵攻で明軍が特に脅威を感じたのは
倭鉄砲の輪番撃ちと騎馬突撃ですよ
415人間七七四年:2011/01/21(金) 17:19:42 ID:i37g72cE
オマエラ英語でCavalryの意味騎兵以外で解る?

http://www.merriam-webster.com/dictionary/cavalryでCavalryって入れてみ

b : an army component moving in motor vehicles or helicopters and
assigned to combat missions that require great mobili

つまり戦車もヘリコプター部隊でもとにかく早く動く部隊を指すようになった訳.
これだけで如何に騎兵がヨーロッパで主流だったかが伺える(英語はドイツ語の
ほぼ派生).

ところが日本語では騎兵は騎兵.戦車隊では無いw.

そりゃ戦車も通れん道は馬に決まってんだろ.イギリス軍でさえビルマで使用した
んだから.それは単に『通れない』から.それが戦国時代に騎兵が多く日本で
用いられていた事の証拠には何もならんw
416人間七七四年:2011/01/21(金) 17:22:49 ID:cNwpv52y
>>415
朝鮮侵攻で明の将軍が特に脅威を感じていたのは
鉄砲の輪番撃ちと騎馬突撃による遊撃ですよ
417人間七七四年:2011/01/21(金) 18:21:33 ID:PWtAYIvf
ソース
418人間七七四年:2011/01/21(金) 18:48:52 ID:cNwpv52y
>>417
明の将軍の報告書
419人間七七四年:2011/01/21(金) 19:31:06 ID:RowGr/Om
>>415
なぜaを書かないan army component mounted on horseback 書いてあるだろう
bの意味は陸軍の制度上の定義。
もともと馬に乗っていた部隊が時代とともに装備が変わって戦車隊やヘリ部隊になって行き
騎兵という名前だけが残っただけ。

日本だって騎兵旅団は第一次大以降どんどん自動化機甲化されてるぞ

そもそもなんでcavalryの定義の話を持ち出すのか分からん
スレタイ読める?
420人間七七四年:2011/01/21(金) 19:35:32 ID:PWtAYIvf
>>418
具体的には?
421人間七七四年:2011/01/21(金) 23:39:37 ID:JdkOX0Sl
>>415
いい加減に過ぎる。
西洋軍事史はそれなりに齧ったが、
騎兵が主流とはありえないな。
騎兵が主力なのはモンゴルや金といった遊牧国家の軍隊だ。

俺とマケドニア・古代ローマ・百年戦争・三十年戦争・ナポレオン・南北戦争・普仏戦争の戦術論でも語ってみるか?
422人間七七四年:2011/01/22(土) 00:20:40 ID:E6xojand
>>420
東アジアの兵器革命、っていう薄っぺらい本によれば
経略復国要編で、下手に深入りすれば鉄砲の輪番射撃と騎兵の遊撃で撤退も覚束なくなる
とあったそうだよ
423人間七七四年:2011/01/22(土) 00:28:21 ID:nGSlgvIM
どうせなら中国語の原本でもあれば。漢字なら分かるでしょ。
424人間七七四年:2011/01/22(土) 00:42:25 ID:E6xojand
自分で買えよ
425人間七七四年:2011/01/24(月) 00:38:16 ID:rPF4Rhf9
>>422
鉄砲はともかく騎兵はどうかな。
そもそも馬を連れていくこと自体無駄な気がする。
426人間七七四年:2011/01/24(月) 00:48:10 ID:Crh1hEvX
>>425
騎馬ってのは行軍にも非常なアドバンテージをもたらすよ。
荷駄用の駄馬は絶対不可欠
427人間七七四年:2011/01/24(月) 09:05:12 ID:37Kdlzi2
>>426
でも馬はバカ食いするからな
積載重量当たりだと、人よりも量を食う
428人間七七四年:2011/01/25(火) 06:37:26 ID:7BGjl434
かといって馬なしでは兵站もままならず
しかし馬の飼葉で兵站がきつくなるというw
429人間七七四年:2011/01/25(火) 07:27:02 ID:bhaAkMOh
モウコノウマ系は道端の草でも飼育繁殖可能な粗食に耐えられる馬。
モンゴルの馬なんかは雪ノ下のコケを食って、厳冬のモンゴル高原で越冬するとまでいわれている。
なんでいちいちサラブレッドみたいな燃費悪い生き物を基準にするのかわからない。
430人間七七四年:2011/01/25(火) 08:06:37 ID:tjB51/no
山林や水資源の豊富な日本では馬の食料ぐらい全国どこでも調達可能だしな。
431人間七七四年:2011/01/25(火) 08:12:53 ID:aRL0ecAl
集める手間を考えたことある?
それに当時の馬も藁だけでなく、大豆や稗、糠を食っていた
432人間七七四年:2011/01/25(火) 08:55:25 ID:tjB51/no
毎日毎日ご丁寧にそんなもの食わすわけないだろw
人間様の食料を優先するに決まってんだろが。
馬は行軍中は道端の草でも充分なんだよ。
がっつり食わせるのは出陣前や拠点に着いた時のみ。
433人間七七四年:2011/01/25(火) 09:29:29 ID:aRL0ecAl
>>432
いや、毎日食わすこと前提
駄馬ならともかく、乗馬は手間がかかる
434人間七七四年:2011/01/25(火) 20:10:03 ID:bhaAkMOh
荷駄の話しじゃなかったのか?
435人間七七四年:2011/01/25(火) 20:16:42 ID:aRL0ecAl
>>434
確認したら乗馬か駄馬かは書いてなかった
436人間七七四年:2011/01/25(火) 20:30:02 ID:bhaAkMOh
武士の良馬はいいものを、荷役用の駄馬は適当に・・・。
要するに、馬のランクに合わせてそれに見合ったものを食わせていたでいいんでしょ?
最低ランクは道端の雑草もアリで。
持ち主の懐具合も関係してくるかもしれないが。
437人間七七四年:2011/01/25(火) 22:05:38 ID:jFzytkmR
重労働の人夫も結構な量の食いもんもらってたし駄馬もそれなりに食ってたと思われ
438人間七七四年:2011/01/25(火) 22:23:50 ID:7BGjl434
馬も人も食べないと動けんよ馬路で・・・
439人間七七四年:2011/01/25(火) 22:31:16 ID:jFzytkmR
足軽の1日の食料が5合とか6合のところ、人夫は給料込みだろうが一升前後もらってたり
平時は駄馬が軍馬より量を食べてたとしてもおかしくは無い
人間の5倍の積載量があるから十分元は取れるのだろうけど
440人間七七四年:2011/01/27(木) 00:13:55 ID:CgZESRY4
足軽への支給米の量は戦闘直前と行軍中で差をつけてたとどこかで読んだ記憶があったが…
どこだったか忘れたw

まあ荷駄用の馬はカロリー消費激しいだろうからそれなりにいいもん食わされてただろうな。
騎乗用の馬は戦闘前後にしっかり食わせさえすれば行軍中は粗食でも問題なさそう、かな。
441人間七七四年:2011/01/27(木) 01:08:26 ID:soE5G9aY
馬が1日に食う飼葉は1升じゃなかったっけ
容積で人の3倍、重量だと2倍くらいだったかな
442人間七七四年:2011/02/04(金) 17:51:26 ID:GdAA1Kc5
歴史群像2月号で特集

時代とともに変化した『侍・騎馬戦闘術』
443人間七七四年:2011/02/04(金) 22:47:39 ID:t0UjPzYV
>>442
面白かったね
やはり槍の方が打ち物より使い勝手が良かったのかのお
444人間七七四年:2011/02/05(土) 02:01:24 ID:/Cd7VsdI
槍のほうが誤爆が少ないからかねぇ
445人間七七四年:2011/02/06(日) 09:00:39 ID:kueaJX8V
槍だと振り回してブッ叩くという用法により向いてたとかも?
446人間七七四年:2011/02/06(日) 13:20:26 ID:EO0+u+5w
歩兵の割合が増えて騎兵は一撃の殺傷力より集団を散らしやすい
武器の方が有効になったんかね
447人間七七四年:2011/02/07(月) 06:08:00 ID:qnk57l/c
振り回してぶっ叩く程、騎馬武者の槍は長くないでしょ。
振り下ろしたり横に振り回す軌道だと返すのが難しいから隙ができるし、
万が一自分の馬に当たったら最悪だし。
やっぱ突くのが一番いいかと。
448人間七七四年:2011/02/07(月) 10:42:28 ID:6LkpzsoV
>>447
南北朝期には薙刀の馬上使用が広まったらしいけど、どう使ってたんだろ?
449人間七七四年:2011/02/07(月) 11:24:34 ID:bQxQ1j6d
馬上の打ち物って基本的に
走りながらすれ違いざまにぶっ叩くだけだと思うよ
馳せ合わせること○合、みたいな軍記物の定型表現から想像するとさ
450人間七七四年:2011/02/07(月) 19:55:17 ID:gOYeSatm
甲冑があるから突いたり切ったりしても弾かれる。
隙間をピンポイントで突くなんてできないし、叩くのがいいだろうな。
451人間七七四年:2011/02/07(月) 22:28:58 ID:bQxQ1j6d
>>442を書店で見かけたんでちょっと立ち読みしてきたよ。
槍で突くと自分が跳ね上げられるから振り回す方がいいとか
馬上打物は右側で行うとか、スレで出た伝書や口伝とは矛盾する記述もあって興味深かった。
欲を言うならもうちょっとページ数欲しかったかなあ
452人間七七四年:2011/02/08(火) 00:07:03 ID:VC9g+vD/
>>442は騎馬武者が槍で突くことに否定的な見解だけど
騎馬が槍で突くのは世界的に広範に行われていることなので少し疑問に感じた
453人間七七四年:2011/02/08(火) 00:25:09 ID:38LElsq7
槍は馬の勢いを利用して突く、もしくは引っ掛けるようにする
気をつけるのはより強く突くことでは無く、いかにうまく引いて槍を取られないこと
江戸時代の兵法書の記述やね
太刀も馬の勢いを利用して引き切るようにする西洋中東で言うところのサーベルと同じ
馬の勢いを利用する使い方でないと馬に乗る意味無いのね
454人間七七四年:2011/02/08(火) 00:31:32 ID:+7cOXVY3
>>453
太刀の反りが強い理由って馬上から斬りやすいためなんだっけ
西洋もランスを持った騎士の時代が終わると、直剣からきつく反りかえったサーベルになったね
455人間七七四年:2011/02/08(火) 00:36:22 ID:4GFhqC4T
景気よく刺さりすぎると共に落馬しちゃう危険があるからな
456人間七七四年:2011/02/08(火) 09:35:42 ID:hwCLT/gD
騎馬同士が突進交錯する際、槍は軽く握っておく。
そうすると万が一相手に深く突き刺さった時も、
自分は振り落とされずに済む。
相手に刺さったままの槍は後で回収すればよい。
強く握るよりもやや攻撃力は落ちるが、
双方の馬の突進力+突きの威力があるので、
然るべきところに当たれば効果は充分。
握りを軽くする事で、刺さらなかった場合もすばやく引く事ができる。
ボクシングのジャブの要領。

…という勝手な妄想を言ってみる。
457人間七七四年:2011/02/12(土) 23:46:59 ID:xSa79kKh
>>447-448
>>442に色々書いてる>>452が言うように槍の突き刺しについては疑問等あるが
458人間七七四年:2011/02/14(月) 01:37:45 ID:t8pHaKN5
刺すより叩くほうがより効果的と考える
実際にやると、きっとうまく刺さらないと思うよ
459人間七七四年:2011/02/14(月) 02:36:16 ID:jAsLZBSM
根拠は無いキリ
460人間七七四年:2011/02/14(月) 05:14:33 ID:EzIGpAD1
ぶっちゃけ馬からたたき落とせばいいだけだから、それほどうまく刺さる必要もないと思う
まさか止め刺すまで行かないと「効果的」じゃないというわけじゃあるまいし
461人間七七四年:2011/02/14(月) 19:37:29 ID:uAYhWXg8
>>451
馬の勢いを利用して槍で突いた場合、反動で自分も跳ね上がるけど、
刺された相手は一瞬にして脱力して落馬するから、
結果的には問題無い筈だよね。

じゃないと欧米では人気なポーランド騎兵とか存在自体否定しちゃう事になるし。
http://www.youtube.com/watch?v=-9x5ADYWXeo
http://www.youtube.com/watch?v=N8AUhMdof6c
462人間七七四年:2011/02/14(月) 22:08:08 ID:uwSV30NQ
>刺された相手は一瞬にして脱力して落馬するから、
>結果的には問題無い筈だよね。

そういつも上手くいくかな?
何十キロもの重りが穂先にくっつくんだぜ
槍を取り落としたり、柄が折れてしまうことは結構あったんじゃないだろうか?
まあそういう時のために太刀やサーベル携帯してるんだろうけど
463人間七七四年:2011/02/14(月) 22:20:34 ID:jAsLZBSM
うまく使うから業なんだろw
464人間七七四年:2011/02/14(月) 22:30:27 ID:he1c1jTj
騎兵チャージ用の槍は折れるようになってんじゃないの
でないと危ないよ
465人間七七四年:2011/02/15(火) 00:30:57 ID:16Ybr561
まぁ、抜けなきゃ直ぐに手放し
刺す時も軽めに握ったりしてたんだろうな
466人間七七四年:2011/02/15(火) 00:46:36 ID:MMMet+KY
やっぱ武器はモーニングスターに限るな
467人間七七四年:2011/02/16(水) 00:50:24 ID:/4QPtsYS
そういや戦国末期でも馬上で弓を放つ機会って多かったのかなぁ?
468人間七七四年:2011/02/16(水) 01:47:14 ID:7EQxbsHE
徳川家康が馬上で弓を射る記述が信長公記にある
469人間七七四年:2011/02/17(木) 13:58:38 ID:TvAmNWA3
結構弓使ってた?
470人間七七四年:2011/02/17(木) 14:19:38 ID:fs3D2SOI
家康のは三方ヶ原の戦いでの撤退中の話ではある
馬上で走りながら投射兵器というのは、弓しかないでしょうね
471人間七七四年:2011/02/17(木) 14:49:47 ID:6B8nOKDC
たぶん個人が好みで使う程度の頻度だろう。
472人間七七四年:2011/02/17(木) 18:35:53 ID:ZnCrqZVe
>>471
そんな感じだね。たまにいるくらい。
軍役状で規定されなければ、騎馬の装備はばらばら。
鉄砲を持った騎馬が多いのにも驚く。
473人間七七四年:2011/02/17(木) 18:42:13 ID:D72OvDEf
用意ドンで逃げるんか
474人間七七四年:2011/02/17(木) 18:58:09 ID:ZnCrqZVe
大坂の役で鉄砲騎馬50騎、弓騎馬50騎配置みたいな資料が残ってたよね
そんなに弓騎兵揃えるのは稀だろうが
475人間七七四年:2011/02/17(木) 19:02:36 ID:TvAmNWA3
>>474
大分多いな
476人間七七四年:2011/02/17(木) 21:19:50 ID:HhkQrD2J
馬上クラスは槍と弓を両方持つものだろ
477人間七七四年:2011/02/17(木) 21:29:48 ID:fs3D2SOI
>>476
槍だけで精いっぱいのが殆どでしょう
478人間七七四年:2011/02/17(木) 23:45:20 ID:HhkQrD2J
なんで?別に自分が持つわけでもないし
479人間七七四年:2011/02/18(金) 00:06:00 ID:ILLTmn1u
>>478
持つ人を雇うのと、習うのと、買う金がない
480人間七七四年:2011/02/18(金) 00:59:23 ID:KURTc/d/
勝手に決めんなよw
481人間七七四年:2011/02/19(土) 02:35:12 ID:gt+laQWY
そもそも持つ人を雇ったり(というか雇い人を戦場に連れていく)、
弓を買う金さえないような奴に騎乗の資格があるのかと。
習うのも、真っ当な武士なら親や親戚などから最低でも弓の撃ち方ぐらいは学べるだろうから、
日置流弓術などの武芸を身につける必要は(仕官の際の箔付け等以外に)ないだろうし。
482人間七七四年:2011/02/21(月) 00:24:54.44 ID:Hzy7ewq9
取り敢えず馬上筒は格好良い
483人間七七四年:2011/02/21(月) 03:10:03.27 ID:8+3Xk+Dj
常山紀談ではあるけど、加藤清正は騎馬武者に50cmほどの馬上筒を持たせ、
馬上で発泡してから槍を入れたとあるね。
確かに朝鮮出兵のの軍役帳だと、加藤家の騎馬武者300騎ほど全員が鉄砲を装備している。

鐙に踏ん張って馬上筒に装填する絵があったよね?どっかに画像ないかな
484人間七七四年:2011/02/21(月) 03:22:04.86 ID:x3iTNekO
集団戦は相手のラインをどう崩すかだからなぁ
485人間七七四年:2011/02/21(月) 11:01:13.04 ID:I3Y70fH6
足軽に兜かぶらせたり
加藤清正はホントよく工夫するな
486人間七七四年:2011/02/21(月) 19:43:09.65 ID:LJ4P52RH
立花家も足軽用に御貸兜を用意している
しかも金箔張
487人間七七四年:2011/02/21(月) 22:08:12.08 ID:pVcZK2fg
>>481
馬に乗れれば、後は良し程度
488人間七七四年:2011/02/21(月) 23:20:03.50 ID:lcWdnBgN
ソースだせよ
489人間七七四年:2011/02/21(月) 23:47:48.33 ID:pVcZK2fg
井伊の先手、木俣隊の騎馬武者隊には知行50石で下人3人、駄馬1疋というのがいる
乗馬の口付、駄馬の口付、槍持となる
490人間七七四年:2011/02/22(火) 03:51:52.76 ID:4vW0xuCq
馬に乗れれば後は良しどころか
足軽1人に奉公人2人付きじゃん
491人間七七四年:2011/02/22(火) 08:24:07.86 ID:HsSuRmpp
>>490
槍持は主人の槍を持つので、足軽ではない
他のも必要最低限で他の武器を持たせる余裕はない
492人間七七四年:2011/02/22(火) 10:49:36.18 ID:UthXZdqt
>>489
50石でその軍役は生活苦しそうだな
493人間七七四年:2011/02/22(火) 11:16:57.74 ID:GhOJyCMS
>>491
足軽が武士身分としての足軽ならその通りだけど
雑兵も含めた戦闘員を指すなら違うよ、槍持は防具を着けた武家奉公人
494人間七七四年:2011/02/22(火) 11:58:17.58 ID:HsSuRmpp
>>493
一応ここでは、足軽組に属するのを足軽としています
時代や状況によっては騎馬武者の足軽を足軽組に集成している様ですし
495人間七七四年:2011/02/22(火) 18:48:04.96 ID:T1WsQSaH
>>489
3人付きでどこが弓もてないほどの貧乏なのよ
496人間七七四年:2011/02/22(火) 20:08:29.41 ID:HsSuRmpp
>>495
三人なんて必要最低限なんだが
それでも50石だとキツイ
497人間七七四年:2011/02/22(火) 20:18:53.13 ID:T1WsQSaH
弓兵を連れて来いならキツイのはわかる
騎馬自身が弓を持てない理由はどこ?
498人間七七四年:2011/02/22(火) 21:19:01.23 ID:wdDnS5Co
欧州ではリアルにナルニア国物語の姫さんのように戦場のど真ん中で弓を放ってたらしいけど。
信じられん。
499人間七七四年:2011/02/22(火) 22:31:26.05 ID:HsSuRmpp
>>497
弓持ち雇う必要があるし、弓や矢の購入も費用を要する
500人間七七四年:2011/02/22(火) 23:07:47.41 ID:T1WsQSaH
弓持ちが居なけりゃ弓を持てないのかね
501人間七七四年:2011/02/22(火) 23:58:52.07 ID:UthXZdqt
だって矢箱持ちがいないと
箙の矢射つくしたらおしまいじゃん
効率悪いよ(´・ω・`)
502人間七七四年:2011/02/23(水) 00:28:40.85 ID:4Ggu0FgJ
平安〜鎌倉時代は弓騎兵が主力だったけど、
矢補充はどうしてたんだろう。
あの頃は従者もしばしば騎乗したから一緒に追従したのかな?

大鎧も兜、胴、篭手、臑当とあのまんまで戦ったわけではなく、
関節や隙間を保護する小具足がいろいろあったらしい。
503人間七七四年:2011/02/23(水) 09:35:59.78 ID:vUA4PQVq
>>502
騎馬が従者の足よりも早く駆けることはそれ程無い
504人間七七四年:2011/03/03(木) 21:19:07.25 ID:w0ddmD0E
普通に槍兵が最前線、弓兵が後ろから援護射撃、騎馬が遊撃って構図だろ
今と同じじゃん。戦車が前線、砲兵部隊が後方から砲撃、戦闘機が遊撃
505人間七七四年:2011/04/23(土) 10:38:21.38 ID:+/lC4hFR
もともと列島東部では狩猟が非常に盛んであり、それを背景として東国には広大な「牧」が設定されていました。
ですから人々は家の厩のような身近なところで飼育された牛馬ではなく、牧場を飛び跳ねる野獣に近い馬と接していました。
東の王権、鎌倉幕府はその馬に乗って戦闘する武士の集団によって支えられていたのです。
それ故、東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、西日本の人々のように敏感ではなかったということが出来ると思います。
ケガレの問題については列島東部の社会が鈍感であると前に述べましたが、その背景としてこのような社会の実態があったことが考えられるでしょう。
網野善彦(日本中世史、日本海民史)『歴史を考えるヒント』新潮社(2001年)
506人間七七四年:2011/07/05(火) 23:38:21.04 ID:Y9QwbXDj
ho
507人間七七四年:2011/10/20(木) 00:55:42.33 ID:qZlgebRm
正木大膳 〜度々馬上にて勝負を決す〜
「侍の頭を仕覧者は、馬より下りて鑓を合せ、高名する事、多くは有るまじ。
馬の上にて下知を致し、そのまま勝負をせんならば、片手綱を達者に覚えてこそ」
と、幼き時分申ごとく、度々馬上にて勝負を決す。
(『甲陽軍鑑』品第六)
508人間七七四年:2011/11/22(火) 10:52:36.07 ID:LmpDmpJl
> 353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/11/22(火) 01:30:44.64 ID:I6Pi0Jv+
> 鈴木全否定
>
> その時歴戦が動いた 日本の騎馬武者講座
> http://www.nicovideo.jp/watch/sm16213543
509人間七七四年:2011/11/25(金) 19:53:20.08 ID:TNZdb2Z/
test
510人間七七四年:2012/01/29(日) 14:48:08.68 ID:OS3gMTFZ
>>6
>馬を飼育するのにどんだけコストかかるのか

どんだけコストがかかったかを知ってるお前に聞く
具体的にどんだけコストがかかったんだ?
脳内妄想で言ってるんじゃないよな。
511人間七七四年:2012/01/29(日) 16:14:30.69 ID:76xNHuPX
3年前のレスに返答を求めるやつ初めて見たわ
512人間七七四年:2012/01/29(日) 23:23:44.39 ID:TaYBvTjY
>>511
ここより酷い過疎板とかだと
五年以上前のレスに返答も求めてる奴も結構いるぞ

実際にエサ代のコストがかかるのは都市住まいの武士だな
農村住まいなら大した負担にはならないだろう
513人間七七四年:2012/02/28(火) 01:34:40.08 ID:ngs5jTUP
騎馬武者隊がどう戦っていたかどうかは色々説があるが
歩兵隊の指揮官が動かない椅子に座り、指示が無いと動かない歩兵と一緒にいるとしたら
騎馬武者隊の指揮官は動く馬に乗っていて、ある程度支持が無くても動く、寝食をともにしている従者と一緒ってわけで
どちらが強いかは理解できるだろ

武田の騎馬軍団の強さもそこなんだよ
普通の歩兵なら遠路はるばる一週間かけてやってきてさらに三日かけて陣築くのを
武田の騎馬武者隊は二日でやってきて一日で陣を築く
514人間七七四年:2012/02/28(火) 02:00:22.54 ID:SKFb7trY
騎馬組は基本武装自弁のところが多いようだが
各大名・藩によって、用意する武具を統一させたり自由だったりと面白いな
北条の前立の長さまで規定する管理魔ぶりw
515人間七七四年:2012/02/28(火) 02:07:50.26 ID:0igVvK5a
給料の代わりに土地(保障)貰ってるから自弁は古来からだが
武田と北条は規定が細かいな
516人間七七四年:2012/02/28(火) 09:00:52.08 ID:MOv9Do7I
規定が細かいということはそうしないと手抜きする家臣ばかりだったということでもある
517人間七七四年:2012/02/28(火) 17:57:51.43 ID:ngs5jTUP
基本的に機動隊みたいなもんだからな
武士たちは自分たちの管轄の氾濫だけ抑えこめればいいわけで
518人間七七四年:2012/02/28(火) 19:42:50.59 ID:e5lmF5AO
そもそも北条という性を名乗った時に家臣がバカじゃね?って言ったそうだし。
それが原因で小田原北条氏の家臣がやりたい放題。
武田信虎〜晴信初期の武田氏なんざ目じゃない位の酷さ加減だった。
何せ小田原北条氏初期は全員が俺が大名だって言わんばかりの傲慢さだった。
それが原因ね。
519人間七七四年:2012/03/17(土) 00:03:43.14 ID:FbFTnHEV
244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/28(日) 03:33:28 ID:Q06NYw8U
>>243
1577年に北条氏直が岩付衆にあてた御朱印状だね。歴史群像アーカイブにも載ってたな。

このとき宮城四郎兵衛個人に届いた着到状では、
騎馬8騎(含本人)、槍17人、歩者4人、旗持4人、鉄砲2人、弓1人連れて来い、と動員が割り当てられてるんだが、
備を編成する段階では、武田氏と同様に一旦バラバラに解体され
槍600、騎馬500、歩者250、小旗120、鉄砲50、弓40、と兵科ごとに奉行が割り当てられ編成されてる。

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/09(日) 22:32:44 ID:/8LodR9d [4/6]
>>244の岩付衆の備だと一つの備で戦闘員1560人、うち500騎が騎馬だね。
520人間七七四年:2012/03/17(土) 00:04:10.35 ID:FbFTnHEV
誤爆ったすまんw
521人間七七四年:2012/03/18(日) 14:31:15.10 ID:m7E5xNY8
【明治19年における国別牛馬飼育頭数(第三次農商務統計表)】
▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉

▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎

▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山

▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島

▽馬10,000頭 牛10,000頭
静岡、石川、高知、福岡、佐賀

▼馬10,000頭 牛10,000頭
福井、徳島、愛媛、長崎

▼馬50,000頭 牛50,000頭
大分

▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪、香川

▼馬10,000頭 牛50,000頭
三重、兵庫、岡山、広島、鳥取、島根、山口

▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山
522人間七七四年:2012/03/18(日) 17:59:40.38 ID:v47pzd3h
ここまではっきり西牛東馬なんだ
523人間七七四年:2012/03/19(月) 15:35:30.18 ID:Nv/IRtXB
性牛闘馬
犬ともアヒアヒ
524人間七七四年:2012/03/19(月) 16:39:36.78 ID:PZ8MlfkI
京周辺は牛車が主な交通手段だったから牛が多いのはわかるけど
他はどうしてなんだろうね
525人間七七四年:2012/03/19(月) 23:57:04.51 ID:Nv/IRtXB
ウソッコキ…

526人間七七四年:2012/04/23(月) 09:40:52.28 ID:iv204aUw
527人間七七四年:2012/04/23(月) 09:53:58.16 ID:iv204aUw
528人間七七四年:2012/05/03(木) 03:56:47.84 ID:dwN5NIv0
そういや日本では去勢してなかったから騎馬隊は云々って話はどうなった?
529人間七七四年:2012/05/03(木) 09:59:42.68 ID:hIBM+xm4
ヨーロッパあたりも去勢してなかったからねえ。
メス馬に乗るなんて騎士の恥だとか。
ヤンキー兄ちゃんみたいなもんで、敢えて危ない道進む俺カッコイイな世界だからなあ。
530人間七七四年:2012/05/04(金) 00:14:50.04 ID:DOzMUEMY
>>527
かっちょえー

騎馬武者は皆さん大袖の大鎧だな
531人間七七四年:2012/05/04(金) 11:30:50.01 ID:lVbItp53
>>527
愛馬にゴールドドラゴンのコスプレさせるのって、今で言うと痛車?

金ぴかの龍面は豪華でカッコイイけど、角は馬が首を振った時に
自分に当たってヤバイ気が。
図を見ると形だけじゃなくて、けっこう長いし。

見栄えするので、テレビの時代劇で再現してくれないかなぁ。
532人間七七四年:2012/05/04(金) 14:09:58.80 ID:GXHjSf6l
533人間七七四年:2012/06/25(月) 22:13:44.94 ID:nZJo6eNl
保守
534人間七七四年:2012/06/26(火) 23:50:35.87 ID:kPcJDkUb
・北条家の軍役状では馬鎧の着用を命じている、金箔貼りのものも
・島津家久が上京したとき、信長と百騎以上の馬鎧を付けた近習の行軍を目撃したと日記にある
・同時期徳川家では300領前後の馬鎧の生産を命じる記録が複数回ある
・朝鮮の役出陣式のとき、伊達政宗隊の騎馬は豹皮に孔雀の羽で飾りつけた馬鎧を着ていた

他に馬鎧のエピソードってどんなのあったっけ
535人間七七四年:2012/06/27(水) 00:12:06.69 ID:N/F3sFgt
武田軍法も馬鎧を義務付けている
536人間七七四年:2012/06/27(水) 23:49:58.14 ID:pZyDvw+c
鉄砲はともかく矢や弓刀には効果あっただろうからな>馬鎧
乱戦で馬が傷つくのを防ぐには合理的だわ
537人間七七四年:2012/06/28(木) 04:40:26.00 ID:9SsUf2SH
どうだろ 重いと簡単に疲れそうなものだけど大馬でなければ持久力あるんかな
538人間七七四年:2012/06/28(木) 08:46:57.11 ID:8euKSTYx
基本的に革や木製だからそれほど重くない
539人間七七四年:2012/06/28(木) 19:16:09.95 ID:ou/XIePP
馬甲札は練革が多い。
大谷古墳で見つかったような鉄製の札は戦国時代なかなか見ないね。
540人間七七四年:2012/07/06(金) 15:23:51.48 ID:MU+vCuus
鉄製にしても弓の攻撃には弱いことに、どっかで気付いたんじゃないかな
日本では騎射が重視されてたし
ワールシュタットやクレシーの戦いは知らなかっただろうけどw
541人間七七四年:2012/08/26(日) 10:08:54.77 ID:VpPlcFcD
鱗鎧系のやつなら弓の攻撃にも強いよ
まいずれにせよ馬の積載量と相談してからだな
542人間七七四年:2012/08/26(日) 21:01:29.35 ID:XYKCdutC
モウコノウマは朝青龍乗せても余裕だっただろ
動物の中でもイヌとウマは訓練というものを受け入れるから底上げ可能なんだよな
543人間七七四年:2012/08/27(月) 03:14:30.81 ID:ywJ9WcaH
モンゴル帝国の重騎兵は和種と同じ蒙古馬だけど、
重そうな馬鎧つけてるよな。
544人間七七四年:2012/08/31(金) 10:16:12.05 ID:vZsLkS++
過労で早死にしそうだな。
545人間七七四年:2012/08/31(金) 11:14:28.73 ID:Y39JoAuw
だからモンゴル騎兵も日本の騎馬武者も数頭の代え馬連れて行くわけで
546人間七七四年:2012/09/01(土) 09:30:56.61 ID:obqh62sH
重騎兵ってどーせアレだろ?
常に自軍本隊に引っ付いて行動して、そんで敵軍と対峙したら短距離突撃するだけだろ?
ほんの2〜300メートル疾走できればよくね?
軽騎兵みたいに偵察任務とかで本隊から離れてあちこち走り回るわけでもないし・・・
547人間七七四年:2012/09/01(土) 11:15:54.72 ID:nBeUhQDS
>>546
三十年戦争の頃のスウェーデン騎兵だと銃の射程外までは速歩(トロット)で、
射程内になると襲歩(ギャロップ)で突撃だったね。
548人間七七四年:2012/09/13(木) 14:31:50.80 ID:lk10AqES
>>528
乗馬やってるけど去勢してなくても大体は問題ない
一部の気の荒い馬は去勢した方がいいけど、そこまでのは珍しい

むしろ大体の馬は臆病すぎるくらいなので人や物に慣らす方が大変
549k:2012/09/13(木) 18:10:53.39 ID:+jumkZrW

http://maneking.jp/index.html?guid=ON&ic=e713893b61c0101fa0e826561343be63

趣味のせいでお金かかるし…本当に助かる(;´д⊂)
550人間七七四年:2012/09/14(金) 11:53:19.50 ID:mVnvIJKZ
流鏑馬つよいよ流鏑馬
国際的に見ても三国志直後の中国が
馬上弓を使いまくる少数の遊牧民族にフルボッコにされたじゃん
そもそも、三国志屈指の豪傑呂布も馬上弓の人だから ・・・三国志とはなんだったのか
551人間七七四年:2012/09/14(金) 12:04:23.75 ID:zWXAXf4t
時代が離れすぎて参考にならん
552人間七七四年:2012/09/14(金) 12:44:07.55 ID:aI7Dyn3B
三国志はほとんど神話の域の話だぞ
553人間七七四年:2012/09/15(土) 17:01:22.71 ID:CfxqedLM
騎馬対騎馬の戦闘では確かに最強だな騎射が
けど歩兵部隊に対する殲滅力においてはランサー突撃の方が上
554人間七七四年:2012/09/30(日) 19:55:41.03 ID:t2/EBI7B
基本的に盾である程度は防げるものだからな>弓矢
555人間七七四年:2012/12/02(日) 08:23:51.55 ID:e8iFFm0N
最近はネタも無いのかね
556人間七七四年:2012/12/02(日) 11:06:55.27 ID:eZXCtNjI
関ヶ原合戦で敵陣に入るまでの間に騎馬突撃を行ったという記述がある
ちなみに敵陣に入った後も騎乗していた者は槍で突かれて負傷している
557人間七七四年:2012/12/02(日) 14:17:04.13 ID:nxs0sbJa
当たり前といえば当たり前だな。足が止まった騎兵はただの的だ。
558人間七七四年:2012/12/02(日) 16:57:07.11 ID:FzH86pvd
そもそも突き抜けられない陣形相手に騎兵突破する戦術は馬鹿だよ。
特に関が原は銃砲を使った兵法になってるんだから分散する陣形はとらない。
よって突破できないから騎兵は無駄となる。
559人間七七四年:2012/12/02(日) 17:26:22.21 ID:eZXCtNjI
>>558
敵陣が乱れた時を見計らって騎馬突撃したとあるね
それまでは足軽のお仕事ということ
560人間七七四年:2012/12/02(日) 21:13:39.23 ID:nxs0sbJa
>>559
それは結局、敵が騎兵突撃に耐えられないところまで崩れるのを待ちきれず、先走ったってことだろ?
561人間七七四年:2012/12/02(日) 21:35:21.78 ID:eZXCtNjI
>>560
全然違うが
562人間七七四年:2012/12/05(水) 18:31:07.17 ID:Zm91BaK3
てゆーか突っ込んだら下馬して白兵戦じゃない普通?
せっかく距離詰めたのに何で突き抜けてまた離さないといけないのか・・・
後ろから撃たれるだろ
しかもまた矢弾掻い潜って再突入しないといけないのかよ
563人間七七四年:2012/12/05(水) 19:03:17.18 ID:OysQWlP6
騎馬だけで突入するわけじゃないしぃ
564人間七七四年:2012/12/05(水) 19:40:45.30 ID:Zm91BaK3
へーで何といっしょに突入すんの?
565人間七七四年:2012/12/05(水) 23:40:03.55 ID:xgYqUPuq
常識的には、敵陣が崩れたところに騎馬突撃をかけてその衝撃でさらに陣形を崩し、その後でやってくる歩兵部隊がとどめを刺す。
で、騎兵はさらに次の敵を目指して運動を続ける。

下馬してしまえば騎兵の強みである高所からの攻撃も馬の運動エネルギ―を使った突撃もできない。
566人間七七四年:2012/12/06(木) 19:09:15.93 ID:1SDPSdGk
銃兵/弓兵は軽装で白兵戦用の武器は打刀しか持ってない
騎馬兵は重装甲で槍持ってる
接近戦では断然有利じゃん
わざわざ被弾するリスク負ってまで「馬の運動エネルギ―を使った突撃」なんかにこだわる必要は無いと思うけどねぇ
567人間七七四年:2012/12/06(木) 20:55:50.44 ID:2CDraz85
なんで?
568人間七七四年:2012/12/07(金) 00:01:34.70 ID:T4LB61BL
騎馬はその速力をいかして
斜めあるいは横から突撃して
敵陣を崩すことに意味があるわけで

銃で、あるいは槍ぶすまで待ち受けられている正面から
突撃するなんてことはない
569人間七七四年:2012/12/07(金) 05:12:51.85 ID:xOJR/uxc
正面から行くとしたら相手が組織的な行動力を喪失したと判断した時だろうかね
570人間七七四年:2012/12/07(金) 08:04:13.71 ID:/RhaMkGV
だから、>>556は騎兵突撃のタイミングを見誤った例だろ、といっているわけだが。
571人間七七四年:2012/12/07(金) 08:17:53.05 ID:JRdgAZBs
572人間七七四年:2012/12/07(金) 18:55:29.72 ID:MUyF+/zT
>>568
ああそれなら問題なさそうだな
で離脱は180度Uターンしてもと来た道戻れば被弾は少ないってわけだな
573人間七七四年:2012/12/08(土) 00:04:12.78 ID:24JRBKWP
>>572
鉄砲足軽の陣に対してならば、一旦突撃してしまえばそこで無双できると思うけど

近接戦武器持っていないし
574人間七七四年:2012/12/08(土) 09:15:42.94 ID:Ptd1YOif
刀持ってるし
575人間七七四年:2012/12/08(土) 20:11:18.91 ID:1RH+en/5
>>573
例えその方が効率良くてもプライド高いからどうしても白兵戦はしたくないらしいw
576人間七七四年:2012/12/08(土) 22:47:02.52 ID:xd937hJz
マジレスすると木曽馬や南部馬を産出する地方ですら
騎馬隊なんてなかったのに、それ以外の地域で騎馬が大きな戦力になるとか
常識的に考えて有り得ないから。
577人間七七四年:2012/12/08(土) 23:46:52.81 ID:Ptd1YOif
さて何人釣られるでしょうか
578人間七七四年:2012/12/09(日) 15:17:30.24 ID:/wUDTscW
餌は古いは、釣り針は錆びてるは、釣り糸は切れかかってるはで何をしたいんだろうか?
579人間七七四年:2012/12/10(月) 11:47:33.43 ID:Ktc6VWyg
180cmクラスの背丈の人は足が着くという馬はいただけないよなあ。
鎧無しの当時の人のダッシュ程度の速度が限界で、
維持時間が人間の10秒〜20秒に対して5分連続程度。
歩いても人間の早足程度だし。
ただ、力は合ったそうだ。
580人間七七四年:2012/12/10(月) 12:17:13.39 ID:r/OFzaGR
>180cmクラスの背丈の人は足が着く

股下どんだけ長いんだよwww
581人間七七四年:2012/12/10(月) 18:50:02.01 ID:Rqjzw49h
シャコタンの馬なんだよ
582人間七七四年:2012/12/10(月) 22:50:13.27 ID:DbCgHBTs
斎藤義龍だっけ? 馬に乗ると足がついたのって。
583人間七七四年:2012/12/11(火) 10:49:31.14 ID:pDgaVpYQ
昔の和馬ってポニーと同じ背丈だぞ。
筋肉質だったよう。
馬の顔した牛という感じだったそうだ。

ちなみに大陸からサラブレッド風のスタイルの馬も来たわけだ。
戦に使えないとして伝令や殿様の馬になってる場合もあるけど。
その馬を見て馬と分からず鹿?と問うた役人をみて馬鹿という言葉が生まれたんだ。
584人間七七四年:2012/12/11(火) 16:50:48.14 ID:4l1qI7ur
マスタングとかカマロとかポニーカーって言われてるんだよな
585人間七七四年:2012/12/11(火) 22:10:26.58 ID:rMODy7UD
>>583
ち、ちくしょう、なんてでかい釣り針なんだ。
一行ごとにツッコミを入れたくて仕方ねえぜ…
586人間七七四年:2012/12/12(水) 05:53:00.06 ID:/eJrE2dz
>>585

>>583には
一行どころか一文字づつツッコミを入れたい気分だ
587人間七七四年:2012/12/13(木) 23:07:47.53 ID:8GT0qax2
図描いてみた

こう抜けたらもろに銃火に晒される
uploda.cc/img/img50c89e8ea4fec.JPG
こう抜けたら被弾は最小限
uploda.cc/img/img50c89eb957612.JPG

ただそう何度も横突かせてくれるかどうか・・・
588人間七七四年:2012/12/14(金) 21:08:45.72 ID:s/CeUSD5
>>577

騎馬隊の戦術が理解に苦しむ。
なんか、くどくど騎兵隊の戦術を書き綴ってる人がいたが、馬乗り身分の人間が従士も伴わず突撃するなんて有り得たのか?
速さは別にして徒歩でついて行ける馬に乗った人間なんか、良い的だろ
弓や投石を完全に鎮圧した後使うってんなら、逆に盾を持った歩兵が突っ込んだ方がまだまし
従士を従えた騎馬隊を使った戦術って妥当性があるのか?
589人間七七四年:2012/12/14(金) 21:48:03.17 ID:k+zTgVId
一次史料上の先駆けは歩兵の仕事。
徒歩武者が槍を切り払いながら槍衾を崩し、綻んだところに騎兵が突入し粉砕という流れ。
590人間七七四年:2012/12/15(土) 11:49:32.76 ID:EWmDHIFl
>>587
U噛ますと失速→加速だからそのまま突っ切るんじゃない?
591人間七七四年:2012/12/15(土) 12:44:43.30 ID:T0Pv7oAk
>>590
どこを?
592人間七七四年:2012/12/15(土) 12:59:32.82 ID:5v0Wtm+x
軽装騎兵のような一撃離脱の発想は捨てた方がいいと思うよ
重装歩兵引き連れてるのが日本の騎馬隊だで
593人間七七四年:2012/12/15(土) 13:42:04.00 ID:T0Pv7oAk
>>592
離脱するなってことは結局どうすりゃいいんだ突っ込んだ後は?
やはりそのまま白兵戦やれってこと?
594人間七七四年:2012/12/15(土) 14:07:59.70 ID:5v0Wtm+x
なんかテルシオでも相手してるイメージみたいだけど
日本の長柄足軽は2列横隊とかだから突破さえすれば好きに出来るだろ
595人間七七四年:2012/12/15(土) 14:27:09.89 ID:T0Pv7oAk
ってことは突っ込んだら突き抜けずに
味方歩兵が来るまで中で適当に暴れとけってことだな?
596人間七七四年:2012/12/15(土) 14:52:11.98 ID:5v0Wtm+x
味方歩兵は騎馬隊より先に(もしくは同時に)突っ込んでるから待つ必要は無い。
597人間七七四年:2012/12/15(土) 16:05:11.32 ID:6Fjeq5I5
長柄足軽同士が叩き合いしてて、拮抗してるところに騎兵を突っ込んで突破口を開くんだろ?
突破口に周りの足軽が集まってくるまで耐えないと橋頭堡ができないだろう。
598人間七七四年:2012/12/15(土) 16:40:48.46 ID:RLXxoO1j
叩き合って拮抗してるとこなら足軽すでに集まってるんじゃね?
599人間七七四年:2012/12/15(土) 17:05:55.86 ID:5v0Wtm+x
>>597
騎兵は十分な数の徒歩武者とともに突入するので後続を待つ必要は無い
長柄足軽は足軽物語にあるように深追いしない、
陣形の維持が最大の目標の守備的性質の兵科
600人間七七四年:2012/12/15(土) 17:34:52.78 ID:6Fjeq5I5
>>599
敵陣が崩れてるのに前進しないんなら、攻撃は全部武者がやるの?
601人間七七四年:2012/12/15(土) 17:42:08.31 ID:EWmDHIFl
>>591
画像ではそうなってると思うが?

>>599
槍を持っている以上は突っ込まない。
敵陣が崩壊して無いなら微速前進していくが敵陣があると間合いが必要な為に動かない。
その為、後方部隊が刀なりをもって突っ込んでいく。
602人間七七四年:2012/12/15(土) 18:21:34.42 ID:5v0Wtm+x
>>600
騎兵あるいは下馬した侍と、徒歩武者と侍の従者、持槍足軽等からなる
騎馬隊がいうなれば攻性決戦兵科
崩れてる敵陣に進むということは乱戦に参加するということだから
馬鹿長い槍を持っている長柄足軽は当然何の用も足さないだろうから
足軽物語の記述はうなずける物だといえる。
603人間七七四年:2012/12/15(土) 19:56:35.76 ID:bGs+buKq
第一次世界大戦のドイツの突撃歩兵みたいなもんだな
604人間七七四年:2012/12/15(土) 23:05:50.35 ID:T0Pv7oAk
>>596
とにかく、突っ込んだら離脱はしないで中で乱戦やれってことでいいんだな?
605人間七七四年:2012/12/15(土) 23:19:42.45 ID:SyTFiNkO
状況によるのでは?
上手く陣形乱して乱戦に持ち込めればそれでOKだが
徒歩武者と共に突っ込んで相手の陣形が崩れなかったり乱戦に持ち込めなければ
逆に手ひどい損害を被るだろうから、ある程度の損害覚悟で
素直に引いた方が良い場合もあるだろう

って認識でいいのかな?
606人間七七四年:2012/12/15(土) 23:33:53.13 ID:T0Pv7oAk
崩れようが崩れんようが2列の長柄足軽さえ突破すれば中で好き放題できるって話じゃなかった?
607人間七七四年:2013/01/08(火) 19:13:08.85 ID:EWzOIM/T
桶狭間で、信長は清洲城から出るとき、馬に乗っている。
熱海神宮までひとっ走り。数キロはあるから、足軽も走ったらくたびれてしまいそう。なお、数時間
かけて移動している。
信長の鎧はかなり良いものを使っているだろうけど、乗馬なので、疲れた様子はない。
馬に乗ったまま、海岸に出て、鷲津、丸根の落城の煙を見る。海岸ぞいの道が満ち潮で使えないので、
山の手の道で最前線に乗馬したまま向かう。最前線の中島砦で、軍勢のほぼ先頭にて、
皆に訓示を下す。「あの敵の武者どもは徹夜で行軍して疲れている」
急な雨風が発生し、信長は馬からおりて、ヤリをもって突撃する。

馬は重装備の武士を、最前線まで届けるための乗り物。
608人間七七四年:2013/01/08(火) 19:43:03.29 ID:AAxsLT0+
>>607
熱田神宮な。
609人間七七四年:2013/01/08(火) 19:45:24.93 ID:EWzOIM/T
ほんとだ。熱海神宮って間違ってる。もしあるとしたら伊東のハトヤホテルのあたりか。
>>608サンキュー
610人間七七四年:2013/05/07(火) 17:39:17.39 ID:HKD2GZHr
ちっちゃいおっさんがポニーみたいな短足チビ馬に跨がる滑稽な姿w
611人間七七四年:2013/05/07(火) 17:45:42.61 ID:lMHrdYmr
まだポニーを勘違いしているバカが居るんだなあ
612人間七七四年:2013/05/07(火) 20:56:44.26 ID:eMs9UfHU
613人間七七四年:2013/05/15(水) 17:26:46.08 ID:y5It2RLU
鉄砲隊や弓隊相手なら突っ込んだあとはそのまま白兵戦だよ
わざわざまた距離はなすやつはアホ
どうぞ撃って下さいって言ってるようなもん
614人間七七四年:2013/10/29(火) 02:22:24.13 ID:EDEi+kU1
戦国時代の騎馬隊の規模ってどんなものなの?
1000騎〜数千騎?

あと大名同士が連合して戦う関ヶ原みたいな戦いって
大名○○の騎馬と大名××の騎馬を合同して新しい騎馬隊を造るようなことをやってたりするの?
615人間七七四年:2013/10/29(火) 10:46:22.12 ID:SUzHFdTK
当時の騎馬隊は「備」という大隊に付属する切り込み部隊であり
「備」は数百人で編成され、騎馬は戦闘員の10%前後なので数十人(+徒歩武者と中間)
また「備」同士が合体することは無いので、それに付属する騎馬隊が
他の騎馬隊と合体して大きな騎馬隊になることは基本的には無い。(一部例外はある)
まして他家のとはありえない
616人間七七四年:2013/10/30(水) 00:42:37.21 ID:XPSXoBpI
>>615
>また「備」同士が合体することは無いので、
ということは備以上の規模で同時に統一行動とるのはかなり難しくなる?
いくつかの備をまとめる中級指揮官的な人はいたのかな?
617人間七七四年:2013/10/30(水) 01:00:23.55 ID:jR7BIeMq
備の概念も地域・時代どころか家単位で違うので断定しないほうがいいと思うんだが。
一般的には備を指揮するのがいわゆる武将。いくつかを束ねるのが大名や重臣。
618人間七七四年:2013/10/31(木) 11:23:08.75 ID:DhARhHe+
>>616
大隊同士の連携が十分なら戦う上では問題は無い
同時代のヨーロッパは軍隊を一つの部隊に集合させたテルシオを採用していて
命令系統は単純強固になったが鈍重で融通が利かず
結局大隊式軍隊に取って代わられている
619人間七七四年:2013/10/31(木) 11:26:29.09 ID:DhARhHe+
>いくつかの備をまとめる中級指揮官的な人はいたのかな?

大名がいれば大名。居なければ軍奉行(戦奉行)が複数の備を率いる司令官役
620人間七七四年:2013/10/31(木) 19:03:03.31 ID:Q1C3hiWZ
何という事だ。
我々甲州武士と違い上方武士は馬から下りて戦う。
(武田流軍書)

 家老の飯富兵部少輔はこう答えた。
 「自分は小脇差で有利に戦ったという経験のある者は小脇差を好むし、
刀でしばしば勝負に勝った者は大刀を好むものだ。
 馬上で細かい勝負をした者は小さい馬を好む。
大勢の敵中へ乗り込んで暴れ回るには大きい馬に限るという者もいる。
 また道具には流行のようなものもあって尾州から上方五畿内ではだいたい小さい刀を使うが、
関東では大刀が多いと聞いている」
(甲陽軍鑑)
621人間七七四年:2013/10/31(木) 20:20:37.21 ID:WmWYVuGd
畿内の方が平地が多くて馬向き。
信玄謙信のあたりって山ばかりで移動は兎も角戦闘には不向きっぽいんだけど。
622人間七七四年:2013/11/01(金) 01:03:08.37 ID:7pTrKXTD
>>618
オランダ式大隊は槍兵と銃兵だけから構成された500名ほどの編成で騎馬隊は別に存在しており日本の備とはまた違う働きのものじゃない?

どちらも騎馬突撃に弱いという点は共通してそうだが
623人間七七四年:2013/11/01(金) 01:47:14.06 ID:YaC+nauF
>>618
例えば異なる二つ以上の備の騎馬を同時に同じ場所へ突撃させたいときは
それぞれの備の各備大将が各騎馬隊に同じタイミングで突撃するように指示しなきゃいけないんだよな
これってかなり大変なんじゃないか?
騎馬隊だけで独立させた方が良かったんじゃないだろうか?
624人間七七四年:2013/11/01(金) 08:50:11.13 ID:akOXxonh
日本の備って・・・日本の戦術に戦車がほとんどないから馬が戦車という使いかたをしてた面がある。
これが恐らくは備に一番近いと思う。
で、同じ騎馬でも騎兵隊のように動く部隊もあるわけだし、
皆がイメージする騎馬隊=連隊で面突撃を行う部隊もあったわけ。
625人間七七四年:2013/11/01(金) 10:28:23.31 ID:tZ8Jw4L8
>>623
どういう戦場を想定してるか分かりませんが
備というのは基本的に数百人の部隊なので隣り合ってれば大将同士の声すら届きます
法螺貝太鼓旗でもタイミングを合わせる程度の連携は障害のある者でもなければ出来るとしか
また騎馬隊を独立させるとその分の命令系統が増えますよね、
そうした場合逆にあなたの考えてる連携とやらの障害になるんじゃないですか?
626人間七七四年:2013/11/01(金) 20:32:23.59 ID:O/26LlMG
>>625
その数百人って隙間なく整列してる訳じゃなくて何十人かごとに隊を造って
隊ごとにある程度の間隔を持って陣形を組んでるものじゃないの?
しかも戦場では銃声や喚声でより声は届きにくくなるだろうし
実際にどれくらいの広さに展開してたかは知らないけど大将同士の声が届くって言うのは大げさに感じるんだが・・・

>騎馬隊を独立させるとその分の命令系統が増えます
備大将が歩兵と銃兵の横隊を指揮、その上の指揮官が騎馬隊を指揮すれば全体としてもまとまった行動がとれると思うんだが・・・

それとも日本の騎馬隊って「決定機に突撃させて勝利を勝ち取る」みたいな使われ方をされてこなかったのかな?
ウィキペディアのページ見ると槍兵の数が少ないしせいぜい二列横隊しか組まなかったみたいだから
騎兵突撃で簡単に突破出来そうに思えるんだがそういう戦術とった大名とかいないのかな?
627人間七七四年:2013/11/01(金) 21:34:30.45 ID:tZ8Jw4L8
どういう戦場を想定してるか分かりませんが
備は大規模な部隊ではなく部隊間隔も敵が素通りできては意味が無いのでそれほど大きく取れはしません
よって静かなら声も届くもちろん戦場は静でないので法螺貝太鼓旗を使いますが
それでタイミングすら合わせられないのならとんだ無能なのではないでしょうか?

また総大将が2人の備大将に命令を出しそれぞれの騎馬隊が実行するだと
命令系統は2つ
総大将が2人の備大将に命令をだし騎馬隊にも命令を出すと
命令系統は3つ
命令系統が増えるごとに当然連携は難しくなるので逆効果になるんじゃないですかね

備は兵科混合部隊なので、長柄足軽は陣形の形成と防御、弓鉄砲隊は遠距離戦闘
そして攻撃は騎馬隊が担い、有機的に連動し補完する編成なわけでした
攻撃部隊がイコール騎馬隊ですので「決定機に突撃させて勝利を勝ち取る」は
各備の騎馬隊がやっていた訳です。他に突入白兵戦部隊がいませんから当然の事になります
628人間七七四年:2013/11/03(日) 13:39:17.26 ID:52brZvFK
戦国期の騎馬隊は騎兵に徒歩武者や従者の中間がくっついてる
西ヨーロッパと同じように騎歩混同の切り込み部隊だから
独立させて総指揮官直属にしても迅速に好きな所に投入できるような機動力はない

北条の岩付衆みたいに侍かき集めて備の半数が騎馬隊という強力な臨時編成部隊作ったり
長久手の徳川にすぐ援軍にいけるように足軽も馬に乗せた機動部隊作ったりした例はあるが
629人間七七四年:2013/11/04(月) 20:04:25.59 ID:SC9BQHSP
>>627
一つの備で防御・遠距離戦闘・攻撃をすべてこなすなら当然それぞれ部隊は適正な距離を取らなきゃいけないんじゃないの

>部隊間隔も敵が素通りできては意味が無い
これも長柄足軽だけの話じゃない?

感情が高ぶっていれば指示の声なんてますます聞き取れないだろうしだからこそほら貝や太鼓が使われてたのでは?


>また総大将が2人の備大将に命令を出しそれぞれの騎馬隊が実行するだと
>命令系統は2つ

これって総大将→備大将×2→騎馬隊×2だから命令系統は5つだよね?
騎馬隊だけ独立させた方が連携が簡単じゃない?


>攻撃部隊がイコール騎馬隊ですので「決定機に突撃させて勝利を勝ち取る」は
>各備の騎馬隊がやっていた訳です。

備ごとにバラバラに戦ってたってこと?
小規模な軍ならそれでいいだろうけど大軍動かしてた大大名も同じだったのかな?


>>628
西ヨーロッパって中世以降は騎兵と歩兵が分離してなかったっけ?

北条の岩付衆ってのは精鋭切込み部隊だと思っていいのかな?
ググっても戦績とかよくわからないんだが教えてもらえるだろうか
630人間七七四年:2013/11/04(月) 22:14:38.49 ID:ondBBnmc
そのレベルから話をするのはさすがにめんどくさい
631人間七七四年:2013/11/07(木) 16:00:15.44 ID:hZmbfMwM
騎兵集中運用しても活用できる広い土地が滅多にないから非効率
大戦も滅多にないから集中運用自体が非効率
632人間七七四年:2013/11/09(土) 23:51:25.02 ID:iGcsAs5c
>>631
数千騎単位の運用は無理でも300〜500騎くらいなら運用できたんじゃないだろうか
300騎の突撃でも長柄足軽の二列横隊打ち破ることは出来ると思う
このスレ読む限り当時から騎馬突撃は恐れられてたみたいだし
だからなおさらなぜ騎馬隊の運用が無かったのか気になる
633人間七七四年:2013/11/10(日) 00:08:11.02 ID:Ut/uAQ96
500騎なら北条の岩付衆が運用しているしているそのとき限りの臨時編成だけど
長柄足軽隊とかの奉行が2人づつだからだから二備編成の各250騎づつかも知れないけど
634人間七七四年:2014/02/22(土) 20:06:24.70 ID:FfOx74/E
http://www.youtube.com/watch?v=rz1Am9Aob3Q

源平時代の検証なんだけど、木曽馬使ってるから参考になるし面白い

要約すると
@大鎧(当世具足より重い)着た騎馬武者でも歩兵の倍の進軍速度
A峻険な地形も走破する能力有り。屋島奇襲も可能と思われる

つまり実際に行われたかは定かではないが、
物理的には騎馬隊による機動戦や奇襲戦は実行可能だったということ
おそらく騎乗突撃も難なくこなしたと思われる

仮に騎乗突撃がなかったとしたら、それは騎馬側の問題よりも
槍衾や鉄砲の大量配備といった、歩兵側の戦術の高度化と物量の拡大の方が
重要な問題だったのではあるまいか
635人間七七四年:2014/02/22(土) 23:44:55.38 ID:8scftuGo
大鎧の重さは40kg
歩くのでさえ楽ではない
ここに馬が登場、馬が大鎧を着た武将を戦場まで運んでくれる

騎馬武者は重歩兵、あるいは主戦闘員
足軽は重歩兵を助ける補助戦闘員
さながら戦車とその後ろを付いていく歩兵

そもそも侍の最小単位はだいたい200石ぐらい
200石の場合、動員割り当ては5人
200石持ちの侍1人、主だな
それに下僕の足軽4人
5人で最小ユニットを構成するんよ

槍持ち、弓持ちってのは主人である侍の道具を携えてるんよ
おもに戦うのは主人であり、かつ主戦闘員であり、かつ重装備の侍
636人間七七四年:2014/02/23(日) 00:11:13.77 ID:V/2FnhFA
>>635の続き
侍とは単なる兵士ではない
領主なんだ
であるからして騎馬専用部隊は基本的に作ることができない。
が、石高が増えてくると柔軟性を増した構成が可能になるから或いは・・・ってところかな
637人間七七四年:2014/02/23(日) 07:27:32.45 ID:z051toqw
>>636
「甲陽軍艦」などに「馬足軽」などの文言あり
「信長公記」「北条記」などに「一騎(揆)合」「一僕者」「一騎衆」などなどの
単騎で駆ける武士が居たとされる文言がある

つまり騎乗した下級兵士が存在した
=騎馬隊が独立した兵科として存在していた可能性を否定できない
638人間七七四年:2014/02/24(月) 05:16:24.62 ID:KOHcVbQ3
下僕を連れていない騎馬武者の場合、馬の轡を持つ者がおらんわけだから騎乗戦専門となるか・・・?
639人間七七四年:2014/02/24(月) 17:54:09.61 ID:CvzwlJKy
>>638
馬から下りた騎兵なんてゴミだろ
騎兵が馬から下りるなんて余程。


軍鑑(笑)だから怪しいけど
かつて陸運が栄えた地域なら騎兵を編成しうるほどの馬と人はいたかもしれん。
(甲斐、武蔵、上野あたり)

まあ、講談と現実は別じゃね?
640人間七七四年:2014/02/25(火) 02:23:19.72 ID:mbs2l/y3
ただね〜
馬上での剣術や槍術の方法が伝わってるかどうかなんだ
弓は流鏑馬で今でも残ってるけど剣や槍は聞いたことがない
どこかにある?
641人間七七四年:2014/02/25(火) 05:14:59.58 ID:OhDzfRbI
>>640
>剣や槍
別にどうでも良いんじゃね?
騎兵の戦術が弓によるヒットアンドアウェイだったかもしれんし。
それに、剣や槍でドツキ合いなんてしたら、馬の損傷が激しくなりすぎて
常備軍すらあったかどうか怪しい戦国時代じゃ維持も出来ないだろ
642人間七七四年:2014/02/26(水) 00:38:05.78 ID:VpVhQor0
>>640
新陰流をはじめその他もろもろに伝わってる
643人間七七四年:2014/02/26(水) 11:13:09.63 ID:xt96hlO6
有名な江戸図屏風にも
騎乗の士が大勢集まって袋竹刀で打ち合ってるシーンが描かれてるが
あれはちょっと楽しそうでやってみたい
644人間七七四年:2014/02/26(水) 22:18:18.51 ID:vY9n8bH+
馬上筒があれだけ残ってるってのは
騎馬鉄砲隊が結構メジャーな存在だったんじゃないかと思ってる
645人間七七四年:2014/02/26(水) 23:57:19.52 ID:VpVhQor0
メジャーならそれなりに記録が残ってるはずだろw
646人間七七四年:2014/02/27(木) 08:49:03.48 ID:WJGdK6rV
http://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70-09.html

戦国期には150センチ近かった在来種の体高が江戸期に130センチ強まで小型化した説

江戸時代の馬は主に農地で隙を引いたり背に樽や米俵を背負わせるための労働力で
背に乗って走るのは主な用途ではなかったので(軍用の需要な皆無)
でかい馬を求められなかったって話

付け加えると、江戸時代当時農村には5〜10戸に一頭の割合で馬が飼われ、
日本全体ではおびただしい数の馬がいたと思われるが
騎乗を許されるのは武士だけで、圧倒的多数の日本人にとって馬は乗るためのものではなく
荷を乗せて引っ張るものだったとすれば、乗物としての馬の能力が
江戸期260年間全く無視されていたとしても不思議ではない
その、農耕と輸送のための馬の中から僅かに生き延び
戦国期以前の武具としての馬からかけ離れてしまったのが現在の日本在来種ではあるまいか
647人間七七四年:2014/02/27(木) 19:21:19.71 ID:0+db3k7N
>>646
そんなに遡らなくても、
明治期に国産馬は殆ど絶滅したはずだが?
(騎兵が用いる為に、品種改良としょうして交配させまくった上で戦地で壊滅させた)
現在の木曽等は矮小な奇形の残渣じゃね
648人間七七四年:2014/02/27(木) 21:11:28.18 ID:rpnBvWl8
つか駄馬と軍馬は別物なんだがね
649人間七七四年:2014/02/27(木) 23:10:18.09 ID:WJGdK6rV
>>648
だから、江戸時代に軍馬の需要無くて、
日本の馬が全部駄馬化したんじゃねーの? って話
650人間七七四年:2014/02/28(金) 00:35:40.86 ID:ox7w7D7V
軍役で馬所持の義務があるのに需要がないわけないじゃん
651人間七七四年:2014/02/28(金) 08:06:28.79 ID:wTbNIvC0
一定の士分は馬に乗って出勤しないといけないのに、なんで乗用馬の需要がないと思ったの
652人間七七四年:2014/02/28(金) 12:04:58.21 ID:hpaU7/2U
通勤用の馬なんて怪我しなくて維持費安ければいいわけで
そこにサイズとか速さとかはシビアに求められんでしょ
鉄砲でフリントロックも銃剣も普及せずに
火縄銃が蔵の肥やしないし害獣対策の農具と化したのと基本的には同じことよ
653人間七七四年:2014/02/28(金) 12:49:21.95 ID:UETn01vg
リンク先読んだけど、まぁ需要の問題ってことかな
まぁ江戸時代も侍は軍馬だけど、戦で死んだりはしないしな
軍馬の需要が頭打ちもしくは財政難による低下傾向の一方で農耕馬の需要が増大してたら
需要が大きい方の育成に力入れちゃったのも分からんではない
654人間七七四年:2014/02/28(金) 14:02:37.91 ID:Db3zpLqK
馬に限らず戦国時代の使用頻度はこうだろ?

弓>槍>刀
655人間七七四年:2014/03/01(土) 13:28:29.38 ID:HOLZq609
明治時代の優秀な南部馬軍馬は150cmちょいあったからそもそも小さくなって無いというw
656人間七七四年:2014/03/02(日) 11:45:48.08 ID:NzaCD0Ft
軍馬はでかい方がいいが、荷馬は荷物の上げ下げがしやすく扱いやすい背の低い馬が好まれた
南部ではこの二つは分けて育てられたが、明治に軍馬は洋種しか買いませんと制定され
唯一の消費者の政府軍から不要とされた大型和馬は消え去り
背の低い荷馬のうち陸の孤島等で雑種化しなかった物だけが純和種として伝わってる、
657人間七七四年:2014/03/02(日) 18:53:25.18 ID:BNg3vBlW
この中には絶対、軍馬の姿にサラブレッドを想像してるバカはいると確信してる。
658人間七七四年:2014/03/02(日) 20:02:33.01 ID:1xWF1TC1
最初は誰もが通る道だから仕方がない
一般人が最初に見る馬はサラブレットかシェトランドポニーだし
659人間七七四年:2014/03/02(日) 21:41:36.36 ID:XPz7jpDH
>>658
戦国時代の馬のイメージとしてはどちらも間違ってるが
どっちかを当てはめて考える奴が多いよなw

戦国の軍馬をポニー呼ばわりする奴はだいたい
シェトランドポニーをイメージしているw
660人間七七四年:2014/03/06(木) 06:38:12.99 ID:3KYUdVOj
サラブレットって、馬の中じゃ、最高奇形だからね。
平らな整備されていないところしか、行けないっていうひどさ。
661人間七七四年:2014/03/06(木) 11:48:19.89 ID:u5A3Gvnu
>>615
亀で食いついて申し訳ないけど

>他の騎馬隊と合体して大きな騎馬隊になることは基本的には無い。
>(一部例外はある)

という部分の「一部例外」に興味があるな

甲陽軍鑑の小笠原攻めの時にそういう記載があったと思うが、
甲陽軍鑑は古い記載ほど信用できない部分も多いので
その他の事例やその史料はなにか?とか
662人間七七四年:2014/03/06(木) 13:07:31.74 ID:o8frYTEU
上でもでてる北条岩付衆宛朱印状だと
通常10%ちょいの騎馬率を今回限りの臨時編成と銘うって30%に増強しているし
武田や北条は騎馬隊に馬に乗せた足軽を付属させて機動部隊を
編成することがあったと考えられてるが(天正12年北条朱印状、甲陽軍鑑)
通常編成では少なすぎるのでこれも増強されてるとであろう考えれば
レス元の意味合いとは大きく変わってくるけど例外的な合体としてもいいんじゃないのかと
663人間七七四年:2014/03/07(金) 12:21:36.74 ID:AasWBK8N
なるほど、ありがとう

独立の「騎馬隊」として機動力や衝力を活かした戦い方はあったのかな
それとも備内の騎馬隊として活躍したレベルにとどまるんだろうか
史料では微妙な感じですね
664人間七七四年:2014/03/10(月) 08:56:01.81 ID:vC2h6bIc
>>641
西洋も常備軍が本格化したのは近世に入ってだけど
古代から剣や槍でどつき合いしてたよ
マケドニアのヘタイロイとか槍と剣持ってで突撃してた
遊牧民の傭兵じゃなくてマケドニアの貴族だから弓までは使えない

ちなみにこのサイトの数字だと
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A008.htm

ほとんどの文化圏で馬は人命より安いから
歩兵をどつき合いさせてる状態なら馬もったいないから剣や槍で戦わないって事はないんじゃないかなあ
665人間七七四年:2014/03/14(金) 13:04:03.48 ID:52e3yFqi
常にどこかしらで戦争があった地中海&小アジア圏では傭兵としてくいっぱぐれなかったから騎馬傭兵隊についての記述いくつかあった
テッサリアとかヌミディア、ガリア、ゲルマン騎兵とか
ローマ時代のギリシャ人歴史家Arrianの記述ではシチリアも含め、山岳地帯、森林地帯、砂漠地帯の各領域の蛮族の騎馬隊が突撃を敢行してきたと記載されてる
槍とか剣の突撃がなかったってのはたぶんポニーや鐙の話が詳細を研究しないでイメージだけで誇張されて広まっただけ
666人間七七四年:2014/03/21(金) 18:54:00.62 ID:TqkHMt0q
明治13年の牛馬の頭数が馬150万、牛104万。
当時の人口が3600万なんで人馬の比率は24対1
仮に戦国時代の人馬比がこれと同じと仮定すると
人口1200万に対して馬の数が50万と出る。
牛の比率が高い西国はどうかわからないけど
東国は本百姓クラスなら1家に1頭飼ってても不思議ではない。

問題の武田領だが、江戸時代に信濃を中心に活動した運送業者(中馬)が
1764年に幕府に登録した馬の数が18700頭にも達する。極論すれば
長篠に展開した武田勢全軍を騎乗させてもお釣が来るw

青森の明治7年の馬の数が7.6万、人口が47.3万で人馬比6:1。さすがw
667人間七七四年:2014/09/09(火) 06:58:16.64 ID:K6jdLYYO
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668人間七七四年:2014/09/09(火) 19:26:46.48 ID:JWh+3M/b
平将門は少数で勝ち続けたわけだが、その原動力が騎馬武者
俗に言う坂東武者
その流れで関東では騎乗したままでも戦う
んで西日本は馬から降りて戦う
であるから騎馬隊を語るときは西日本と東日本との地域差を考慮する必要があるね
669人間七七四年:2014/09/18(木) 03:48:51.13 ID:AXB2fLbL
徳川・織田・豊臣・毛利・長曽我部・島津
とかの軍の、騎兵の割合ってどれくらいだったのでしょうか?
670人間七七四年:2014/09/23(火) 00:27:16.20 ID:kD3ZENx4
>>664
槍衾という戦法と鉄砲の出現で騎兵の優位性が薄れたから
戦国時代は騎馬隊が激減したと思われる
あと戦国時代になると、武士以外の男手も戦場に駆り出されるようになったから
馬は兵站に回すようになったんだろう。
671人間七七四年:2014/09/23(火) 06:33:07.64 ID:dWrbe2mM
鎌倉時代の重装弓騎兵という独特な兵種が廃れたのは間違いないんだよね。
ただ、それは鎌倉武士階級だけのもの、いうなれば西洋のスーツアーマー来てランスチャージする騎士階級
と同じく、軍隊のごく一部だった。
その馬をわざわざ兵站に回さねえだろ。
672人間七七四年:2014/09/24(水) 00:15:19.80 ID:JjwjMsTw
戦国時代以前の騎兵は特権階級以外でもやってたから。
ただ戦国時代に入り戦場で騎兵の優位性が無くなったのと
必要な物資の量が以前より増加したからそっち方面での馬の需要が急拡大した。
兵站というか荷駄隊にも迅速性が求められるから牛じゃ勤まらないし
否が応でも馬を使わなきゃならない
673人間七七四年:2014/09/24(水) 07:20:44.13 ID:XdFD62jM
それは騎馬武者の絶対数が減ったんじゃなくて、徒武者・足軽の数が増えて
騎馬武者の比率が下がったってことじゃないのか?
674人間七七四年:2014/10/16(木) 22:26:02.96 ID:w105kyqF
『甲陽軍鑑』
「品第四十一」
・先ツ関東の敵、馬上の戦よくして、馬を入レ乗きり
675人間七七四年:2014/10/16(木) 22:36:49.15 ID:3b+NQJA+
甲陽軍鑑の信憑性が
676人間七七四年:2014/10/16(木) 22:55:08.50 ID:c+9kk+aE
歩 歩
 騎
歩 歩
 
四人+一騎で1ユニットだったのでは?
677人間七七四年:2014/10/16(木) 23:13:22.50 ID:Va0JGWls
>>675
甲陽軍鑑は戦国期の甲斐において書かれたことが言語学的にも証明されている
678人間七七四年:2014/10/16(木) 23:46:58.63 ID:RjeOkolF
適当なことを
679人間七七四年:2014/10/17(金) 00:15:56.93 ID:RxDkTtYs
関東武者の騎馬突撃を否定する気はないが
その馬上の戦に徒歩の兵が伴わないとは
どこにも書いてないからねえ
680人間七七四年:2014/10/17(金) 00:55:50.85 ID:xGKd6YAm
>>678
適当じゃないぞ。国語学者の酒井憲二氏の研究により、甲陽軍鑑は近世に入って甲斐の方言が変化する以前の、
室町期の古い方言や仮名遣いがふんだんに使われて居ることが証明されている。
甲陽軍鑑は間違いなく戦国期甲斐の人物によって書かれたもの。
681人間七七四年:2014/10/17(金) 09:02:06.05 ID:gJ2jg699
織田チョンは無知で読まない、調べないで否定するバカ
682人間七七四年:2014/10/17(金) 19:30:13.70 ID:XdwCC3oZ
適当なことを
683人間七七四年:2014/11/01(土) 17:36:57.13 ID:SuoQrzCp
>>675
少なくとも戦闘方法に関しては捏造する必要は無いでしょ
684人間七七四年:2014/11/01(土) 18:24:29.44 ID:wwrEbfJ3
おもしろおかしく書けば評価があがるだろ
685人間七七四年:2014/11/01(土) 21:23:58.53 ID:Ta/gFCyO
>>683
江戸時代初期の作品だからその頃のドクトリンに合わせた改変をした可能性もある
686人間七七四年:2014/11/01(土) 21:53:14.73 ID:6mKwQTDk
江戸時代初期に作られた軍人教本だからその時点で時代遅れじゃ困るわけよね
687人間七七四年:2014/11/01(土) 23:54:30.36 ID:qkcm3Vco
だから古本に関しては成立時期は江戸初期じゃなくておそらく天正期だって
酒井憲二の甲陽軍鑑大成研究編を読んできなよ
日本史の学者と違ってものすごい緻密な分析、研究を行っているから
688人間七七四年:2014/11/08(土) 15:21:28.07 ID:8xVkrW6K
また馬から下りて戦ったとかテレビで言ってたぞ
教科書に書いてあるとか言ってた
689人間七七四年:2014/11/08(土) 18:35:34.09 ID:WkkWhDFl
いみわからん
690人間七七四年:2014/11/21(金) 05:24:07.17 ID:flX+OgwO
ときに朝鮮侵攻時に大陸側が運用してた騎馬隊に関するエピソードとかってあるんですかね
691人間七七四年:2014/11/21(金) 07:42:19.50 ID:qZVM64pR
碧蹄館の戦いは掃討戦になったと誤認した明側が機動力の高い
騎兵のみによる追撃戦を敢行したら…というもの
692人間七七四年:2014/12/07(日) 15:13:15.28 ID:VW6PlFTl
【日韓】日本の流鏑馬(やぶさめ)の源流と言われる韓半島古代の武芸・馬射戲(まさひ)の大会が埼玉で行われた©2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1417925415/
693人間七七四年:2014/12/27(土) 03:20:05.47 ID:CLFbS0xj
最近グスタフアドルフについての本読んだらスウェーデン騎兵は普通に弱かったって書いてあったぞ
「平均体高130pのスウェーデン騎兵は強かったから同じくらいの体高の日本馬でも戦える」って言ったやつ出てこい
694人間七七四年:2015/01/23(金) 21:02:30.20 ID:r9C9Bbqp
明治初期の陸軍の記録だと
北清事変の時に去勢してない日本馬は凶暴で使い物にならん
とりあえず中国馬使えってあるけど
戦国時代は大丈夫だったんかいな
695人間七七四年:2015/01/24(土) 09:11:59.26 ID:UZMqv/gt
使えこなせない奴は技量未熟と判断された
騎馬武者と騎兵ではかける時間と金が違う
696人間七七四年:2015/01/24(土) 11:04:16.37 ID:GlRSxxQF
組織と経済が確立されてる近代国家の方が
時間と金はかけれるだろう一般的に考えれば
697人間七七四年:2015/01/24(土) 11:22:51.94 ID:qPF6jrEh
時間はガキの頃から馬乗れた武士にはかなわないんじゃない
明治軍は西洋方式だから西洋方式の基準になってる?馬の方が使いやすかったんだろう
698人間七七四年:2015/01/24(土) 12:04:13.46 ID:xvupfuZK
戦国時代は1頭ずつ口取りついてるから平気だべ
699人間七七四年:2015/01/24(土) 14:05:29.87 ID:e1L4BCcv
宣教師かなにかが、落馬しても即戦える!?スゲェ!とか言ってた記憶がする
西洋の騎乗技術が日本に比べて劣っていたって線もある
700人間七七四年:2015/02/01(日) 20:50:07.26 ID:cVh8PurW
>>699
落馬しても戦えるのは当たり前
ヨーロッパの年代記にも当然のようにそういう記述がでてくる
701人間七七四年:2015/02/01(日) 22:53:30.68 ID:qBdZm8dd
>>700
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、脆弱な我々ヨーロッパ人と違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
刀で斬られても、あるいは槍で突かれても、傷が致命的な深手でない場合、その傷は直ぐに治り、それは不思議なくらいであった。
ルイス・フロイス
702人間七七四年:2015/02/02(月) 01:18:43.18 ID:ww6T2H9t
欧州の武術には受け身という概念がないんだと
703人間七七四年:2015/02/02(月) 01:56:29.33 ID:ZLriS0A/
>>701
ルイス・フロイスって西国しか知らず侍は下馬して戦うって書いてるんだけど
しかもその文章ググっても2ちゃんねるかまとめしか出てこないし
704人間七七四年:2015/02/02(月) 21:14:51.66 ID:ZRbZpfSa
受け身が取れれば刀で斬られても槍で突かれても平気だな
705人間七七四年:2015/02/04(水) 18:03:23.54 ID:+eDuktYG
>>693
弱かろうがなんだろうがサーベルチャージを戦術として確立したのは
スウェーデン騎兵だからなあ

ついでにいうと体高130センチはスウェーデンだと平均より大きめの馬格だぞ
本当に本読んだんですかね?
706人間七七四年:2015/02/04(水) 20:15:27.97 ID:baqbiRik
>>705
サーベルチャージグスタフアドルフがそれをやり始める前から当たり前に行われてたってのが最近の定説です
ちなみにグスタフアドルフはピストルの不足から仕方なく騎兵にサーベルを持たせたにすぎません

スウェーデンでは指揮官用の馬と胸甲騎兵用の馬が140p、普通の兵士は110p〜130pの馬に乗っていました
707人間七七四年:2015/02/10(火) 19:38:01.09 ID:arPfNAqQ
>>691
亀レスですがご教授ありがとうございます。大陸戦が長引けばもっと日本側の騎馬運用もあったんじゃないかなと思うんですよね。広大な土地に展開するんだから掃討や偵察に便利そうだし
708人間七七四年:2015/02/21(土) 15:42:08.64 ID:2+/pEBqh
『日本史のなかの動物事典』
【武士と馬】
武家社会で馬は必須の家禄であった。ことに不破の関(岐阜県関ヶ原町)より東の東国は、火山の裾野を占める広大な草原が放牧の適地を提供し、
古代末期には信濃・甲斐(上野・武蔵)から奥羽地方にかけ多くの官牧が置かれ、牧司がこれを統轄して産馬を朝廷に貢納していた。
こうした土地から馬術に優れた関東武士が育った。
西国を基盤とする平氏のうちで、古強者と称された武蔵長井荘(埼玉県妻沼町)を領地とする斎藤別当実盛(元は越前国の住人)が、
「(関東武士は)馬に乗っつればおつる道をしらず、悪所をはすれども馬をたをさず」(『平家物語』)といって、西国武士は乗馬の戦闘では
到底東国勢に敵しえぬとしたのは、まず当たっているといってよいだろう。
これらの馬は農馬としてはまったく使用されなかったらしい。
それは近世になっても東日本の大部分で馬耕が知られず、もっぱら厩肥生産に用いられたことから推論される。
709人間七七四年
http://zookan.lin.gr.jp/kototen/kids/image/photo/uma/u-rekisi1.jpg
この馬耕の絵は西日本のものか