【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その六

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。

東京が首都となったのも、家康が始原。
次期一万円札の肖像は是非、神君家康公にしてもらいたい。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。

前スレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その五
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235216204/

それ以前のスレ
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その四
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211268328/
【東照】 徳川家康スレッド 其の三【大権現】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187931581/
【勝ち組に人気】 徳川家康 公について語る
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178897839/
【東照】 徳川家康 【大権現】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158481651/


人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな
2仙台藩百姓:2009/06/24(水) 18:57:41 ID:7nG2MHB0
生涯二度も馬印踏み倒され本陣捨てて逃げ惑い
家中の城が攻められても余裕で見殺し
功臣も都合が悪くなれば存在すら抹消し
妻子ですら惨殺
一向衆を騙し約定を違え、北条を騙し約定を違え、豊臣を騙し約定を違え
今川氏真、武田勝頼、北条氏政など強敵相手に信長の金魚の糞で生き残り
幼少に受けた恨みを30年近くも忘れず相手を殺す執念深さで天下を取った家康公は我々現代人に多くの事を教えてくれる
家康公万歳!!ヽ( ^ω^)ノ
3人間七七四年:2009/06/24(水) 19:12:12 ID:o/fQQ7hg
偽物百姓?


>1乙
4人間七七四年:2009/06/24(水) 21:28:44 ID:srk90Sda
>>1
仙台をスルーする事も書かないのに、テンプレなげーよ!!
これから半年も2回余分にスクロールしなきゃいけないじゃないか (´・ω・`)
5仙台藩百姓:2009/06/25(木) 07:50:08 ID:qNKnL0Fj
皆が皆、家康みたいに欲望丸出しだったら社会が成り立たないお( ^ω^)
6人間七七四年:2009/06/25(木) 09:13:17 ID:yz5MCvYv
家康なんか奉ってるやつって
それこそ役人というつまらない生き物か
その予備軍だな。
7人間七七四年:2009/06/25(木) 11:06:46 ID:dwO5kL39
怠けずに忠義を尽くせば、それなりの保証はしてくれる
あと10年は先の未来的な軍団組織を構築しただろう? 何言ってんだw
8人間七七四年:2009/06/25(木) 11:25:21 ID:VJkKwQxI
実際に社会に出て苦労すれば家康の偉大さがわかるって
若い頃からあれだけの目にあってなお不屈の闘志を捨てないんだから
9仙台藩百姓:2009/06/25(木) 12:03:20 ID:qNKnL0Fj
思いっきり屈しまくりじゃんお( ^ω^)?
10人間七七四年:2009/06/25(木) 12:39:50 ID:DzGFWs9M
じゃあ、その家康に屈し、
自家保全の為、その子供と孫に媚びへつらった政宗以下諸大名は、
糞以下ってことになるな。
11人間七七四年:2009/06/25(木) 13:03:52 ID:yz5MCvYv
>怠けずに忠義を尽くせば、それなりの保証はしてくれる

これがお役所仕事とか終身雇用の基本理念になったわけだな。
12人間七七四年:2009/06/25(木) 13:05:59 ID:VJkKwQxI
すごいことだな
人が安心して暮らすことができる基礎だよ
13仙台藩百姓:2009/06/25(木) 13:13:49 ID:qNKnL0Fj
何も天下取りは能力ばかりではないお( ^ω^)
当然だけど世の中には信長秀吉家康などよりも能力のある者は掃いて捨てるほどいるお
しかし生まれた環境によって埋もれてしまったり芽が出なかったりする
家康の立場に生まれていれば余程の知能障害でもない限り天下取れるお
時代や立場が人を作るとはよく言ったものだお( ^ω^)
これが所謂「運」というものだけど成功者には絶対不可欠なものだお
奇跡的な「幸運」を持って生まれた家康は英雄とは呼べないが
成功者になるべく「選ばれた人間」ではあるお( ^ω^)
14人間七七四年:2009/06/25(木) 13:18:11 ID:DTkL9KuS
家康の立場に信長や雑魚吉が生まれてたら今川の大軍に瞬殺されるか武田に瞬殺されてただろうな
なんせ対今川秀吉西軍と圧倒的強さだったし
15仙台藩百姓:2009/06/25(木) 13:25:35 ID:qNKnL0Fj
>>11
太古から続く体制じゃんお( ^ω^)?
むしろそうじゃないシステム作った支配者の方が珍しいお( ^ω^)
16人間七七四年:2009/06/25(木) 13:27:48 ID:iaiw8kjH
秀吉の立場に家カスが生まれていたら一生陽が当たらなかっただろうな
17人間七七四年:2009/06/25(木) 13:31:25 ID:DTkL9KuS
>>989
総合なら家康≒信長>>>>>秀吉
戦闘なら家康>信長>>>>>>>>>>秀吉ってとこだろ
姉川や対今川戦小牧長久手、関が原、大阪の陣と圧倒的強さだったし
>>950
秀吉の命令にそって忠実に動いて行軍行動してたのは敗戦前日丹羽宛書状、敗戦後の
木曽、長船、あて先不明の3通の書状でわかるし統率がとれてなかったというより純粋に
秀吉の戦下手が問題だったと思われる
その辺の事情加味するなら家康が連れて来たのはわずか8000で
残りは信雄の軍で完全な連合軍だから飛躍的にまとまりも悪くなるだろう。しかも旧武田系
武将なんて外様中の外様だし.敗戦当日、柏井にいた一柳に宛てた書状から
秀吉は家康の動きを察知していた事がわかる。昼に敗報を受けてから動いてもその日の夕方か夜には間にあってるからきづいた時に
急行軍すれば十分間にあったと思われるがそれをしなかったために負けた。
>>930
そもそも秀吉軍が強かったなんて事実はどこにもない件
>>932
兵の強さというより純粋に戦闘力の問題だろうな
三河と尾張なんて人の行きかい激しいしそんな兵質に差でるわけないし
>>939
お前みたいな論法でいうとなぜ信長や秀吉は圧倒的国力持ち天下取ったのに
徳川の世になったのか?⇒実は弱かったからといってるようなもん
18人間七七四年:2009/06/25(木) 13:32:53 ID:DTkL9KuS
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50〜60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50〜60倍以上なら被害差も50〜60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50〜60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利

19人間七七四年:2009/06/25(木) 13:33:46 ID:DTkL9KuS
正直大将が秀吉じゃ誰が別働隊でも勝てないと思う。
秀吉の、宇喜多家臣長船、木曽義昌、あて先不明の三通の書状から
遅くとも敗戦翌々日の11日には秀長や蒲生など伊勢方面の攻略にあたっていた軍勢が到着した事がわかる
織田厨はわずか20町ほどの距離の敵に対してとった戦術を秀吉のせいとは考えず
池田森秀次に押し付ける馬鹿 そんなら秀吉が総大将として戦った戦なんて戦場から
ある程度はなれた場所にいたのがほとんどだから秀吉の手柄といえる戦なんて存在しないっつーの。

秀次の補佐役の木下兄弟も戦死し堀・長谷川は一旦的を退けたものの結果として味方見捨てて退却
池田・森はずっと南に移動し岩崎城陥落させていたが秀吉が丹羽、あるいは敗戦後の木曽や長船、その他あて先不明の書状に書いた内容だと
これらの行動を賞賛している。これは決して秀吉の命を無視した行軍ではなく完全に秀吉の命通りという事だ。
別働隊の暴走ではなく完全にその命を発した秀吉の戦術的敗北とわかる
秀吉が奇襲をやすやすと許してしまうような戦術を立ててしまったのがすべての要因
兵力差6倍を生かし、小牧山周辺砦を陥落させるかあるいは龍泉寺方面の中入り部隊を増やし
家康の動きにそなえる部隊を置きつつ家康方の後方拠点を落とし、三河からの連絡を分断・孤立させる策にするか
それも無理ならそもそも尾張口を無理に突破する必要もなく、基盤の弱い伊勢でも支配の弱い信濃でもどこでもいい

結局11月になるまでだらだら戦い続いてるしな
木曽川筋のわずかな城を落としただけで
南伊勢でも反撃くらい滝川が作ったチャンスも無駄にして
権力基盤が弱い信雄領国を荒らしまわってたら信雄がびびって降伏しただけだし


黒田官べえはきてる。3月上旬の秀吉の書状で中国にいる黒田よし孝を紀州の岸和田に移す旨を述べ、
三月下旬まで岸和田在番しててその後尾張に向かった。
三月下旬に黒田長政宛書状でそこにいる軍勢を尾張口に派遣するよう言ってる。
合戦時の陣立書にもはっきり名前がある
秀長、蒲生氏郷も遅くとも敗戦翌々日の4月11日には秀吉の陣所に着陣してる
(4月11日の秀吉の三通の書状でわかるし黒田、蒲生、秀長は陣立書にも名がある)

松ヶ島は4月7日時点で落城しており、その時留守居の富田と八重羽残して
攻略に当たっていた他の武将は秀吉陣に来るよう指示されてる

伊勢攻撃組のうち蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、甲賀州は敗戦前に来てる。
堀と長谷川は中入り組。
(戦死した池田親子、森の名がある敗戦以前に作成された陣立書のメンバーに入ってる)

3月の伊勢での攻防の時に関等地元勢に加え蒲生、長谷川、堀、日根野兄弟、筒井滝川、多賀、
池田景雄、山崎、浅野、一柳が配され、美濃口には秀次、秀長、秀勝、細川、加藤、堀尾、木村。
この段階では備前、美作、因幡の軍勢はそのままにされてるが3月26日に黒田長政宛書状で
「備前の衆(中国で領土の折衝に当たっていた諸将)をこちらへ来させる」と伝えているし
その他美濃、伊勢、甲賀等全ての諸将を集めている事が秀吉の書状から確認できる。
丹羽長重も派遣されてる。
信雄領伊勢方面の軍勢も尾張口に集められてる
北伊勢には羽柴方が滝川、岡本、津田、富田、八重羽、小島、田丸、榊原を残して信雄も
それに合わせ多く兵残してる。秀吉方は
秀長、筒井順慶、蒲生、日根野兄弟、山崎、池田景雄, 細川、多賀、浅野、加藤光やす、木村、
蜂須賀正勝、黒田孝高、前野長やす、赤松、明石、生駒、稲葉一鉄、 神子田、高山、中川、
長浜衆、木下一元、徳永、小川、高畠、毛利秀頼、牧村、松下 滝川益重、
蜂屋五郎介、柘植、池田和正、川尻、蜂屋頼隆、金森、丹羽長重、氏家行広、甲賀衆、
越中衆、伊藤祐時、加藤清正、加藤よし明、竹中重門、糟屋、佐久間、福島、

長久手方面進軍者を除きこれだけ主力武将を楽田あるいはその付近に結集させてる。
長久手方面進軍者は秀次、堀、長谷川、池田、森の他に、一柳、生駒吉一、矢部、山内
彼らが柏井の屋敷に在番してる。中国地方の兵も呼び寄せられてる
20人間七七四年:2009/06/25(木) 13:34:44 ID:DTkL9KuS
6倍以上兵力差あり秀吉軍は家康の5倍以上もの被害出し装備などは当然
畿内持ってる秀吉>>>>貧国ばかりの家康 だから
戦闘能力でいえば家康は秀吉の30倍以上上手だろーな

秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる

六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ

84年時(春〜秋までずっと)家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、小県に真田昌幸、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌』)


21人間七七四年:2009/06/25(木) 13:35:30 ID:DTkL9KuS
皆もいってるけど単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる

あのあとだらだらと木曽川筋の城を 攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、
南伊勢でも反撃くらい 加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる

・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる


22人間七七四年:2009/06/25(木) 13:36:21 ID:DTkL9KuS
秀吉は戦術的勝負じゃ全くいいとこなしだからな
ナポレオンは常に本隊中央部への集中砲火という戦術を生涯取り続けた。
得意戦術とはそういうものだ。 秀吉が過去に総大将として野戦を指揮した戦術を見れば一目瞭然。
中国大返しから山崎の合戦しかり、対柴田戦しかり。 要は別働隊の活用と機動力を生かした奇襲戦術。
大兵力である本隊を主戦場から離れた場所に配置し、敵側の予想をはるかに超える
機動力で、「ないはず」の大兵力を主戦場に投入する詐術的戦法が秀吉の得意技。
つまり長久手も同断。別働隊は敵本隊を長久手方面に誘い出し主戦場をそこに設定することにより
本隊機動力を発揮させるだけの距離を稼ぐための囮。
だから中途半端な行軍ではなく、陽動が主目的の作戦主旨に沿った行軍だ。
これだけ類似性のある作戦が、負け戦の時だけ秀吉ではなく他の者の責任などと
考えるほうがどうかしてる。
ナポレオン戦術は指揮系統を混乱させ軍団自体を無力化させる、という無敵の
戦術だったが、指揮系統を班単位に権限委譲し、アメーバ型組織を作ったプロシアの
クリューパーシステムの前に力を失った。
増して機動力のみが頼みの秀吉戦術では、歴戦の将、家康をたぶらかすのは
無理というものだ。完全に秀吉の戦術の敗北だ。

楽田〜竜泉寺にかけて篠木、柏井、大草などに拠点を堅固にきづいてるから
それをうまく利用して家康の後方との連絡を絶つように小牧山から背後の家康方城や砦
陥落させてけば普通に孤立するだろうしな
軍事的センスがなさすぎる
秀吉に従ったように見える諸大名も形式的にしたがってるだけでしょ
いわば実力のない公家や公方とかに形だけ頭下げてるのと同じなのは秀吉死後の惨状でわかる。
信濃では小笠原、木曽、真田が85年までに秀吉に帰属し家康の支配はわずか3郡
石川数正、水野忠重も秀吉に内応。譜代の離反&軍事機密が露見した状況で
母と妹人質に出さなきゃならん秀吉は終わってる。

圧倒的兵力差があったし敵対者の対立を利用してん寝返らせて勝ってるだけ。
別に有利な状況も秀吉が実力で作ったわけじゃない。
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、小笠原、真田
等の場合も同じ。元々敵対者同士だったか家康の扱いに不満があったのを利用しただけ。

23人間七七四年:2009/06/25(木) 13:38:49 ID:DTkL9KuS
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
織田家が当主の能力や運、状況に恵まれ拡張でき秀吉はあくまでその中の枠内で歯車のひとつとして働いていたにすぎない。
本能寺時点で大きな勢力持っていたのもひとえに織田が拡張したからであってその中で秀吉が果たした役割は
初期ではほんのわずか。後期でもあくまで軍司令官の一人、つまり一部分。
そこで光秀が運よく信長を討って逆賊の汚名も被ってくれたから逆賊打つという格好の名分を
おいしく頂いた。上杉と徳川は82〜83年にかけ信濃中部で争い家康の同盟者北条との関係の悪さからも秀吉側につくのは
自然な流れだし毛利も本能寺前で既に和睦の話が上がっていた。宇喜多も直家死んで八郎人質取ってたからそうそう
裏切られない。両者とも本能寺時も運よく敵対しなかった。
長曾我部の敵対者十河や河野、島津の敵対者大友、北条の敵対者佐竹、信濃での家康の扱いに不満を持った木曽、真田
石川の場合は秀吉の威信が強大になっていたのが大きく小笠原は石川が小笠原の人質もって逃げたから寝返った。
水野は元々外様だし石川と同じく秀吉の威信が高まりすぎたのが原因だろうな。
よく秀吉は城攻めの達人とか言われるがこれも間違い。 どこの大名でも漁夫の利を狙うような芸当はやってるし
城攻めに関しても鮮やかと言われるのは対中国戦くらいだろう。しかも水攻めといい兵糧攻めといい
時間や金ばかり無駄に浪費した下策でこんなもんは織田家が経済的に圧倒的なものをもってるから
なせる芸当。少数しか兵のいない忍城や竹ヶ鼻城、紀州の城を正攻法で瞬殺できないのは終わってる
史実で堂々と陣構築しながら中入りしてたのは4月8日丹羽長秀宛書状
柏井の一柳に宛てた書状や生駒山内矢部宛書状4月九日の一柳宛書状や生駒矢部山内一柳4人に宛てた書状で
確認できる
秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる
六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
24仙台藩百姓:2009/06/25(木) 13:40:46 ID:qNKnL0Fj
面倒臭いから読まないけど
要するに
「秀吉に敗北して悔しい」
と言う事だおね( ^ω^)
25人間七七四年:2009/06/25(木) 13:44:13 ID:DTkL9KuS
秀吉に敗北したなんて事実はない。秀吉が圧倒的大軍で大敗ばかりなのは周知だが
特に酷いのが家康・信雄戦
>>18-23を読めばわかる
26仙台藩百姓:2009/06/25(木) 14:09:47 ID:qNKnL0Fj
秀吉との政権争いに負けて臣従したのだからこれ以上ない完敗だお( ^ω^)
西南戦争で戦闘では西郷軍の方が強かったとか
太平洋戦争で戦闘では日本軍の方が強かったとか
全く意味のない負け惜しみ言っているのと同じだお( ^ω^)プ
27人間七七四年:2009/06/25(木) 14:25:17 ID:Qe/HnRDK
アホがはじめて
まともなこというてるな。

政宗だって
白装束で猿に頭を下げにいったんだものな
28人間七七四年:2009/06/25(木) 14:45:57 ID:yz5MCvYv
>>17-23
これはひどい

ゼミでこんなもん公表したら
卒業させてもらえないな
29人間七七四年:2009/06/25(木) 14:47:35 ID:638KNusu
>>26
家康軍8000+信雄の権力基盤弱くて統制もろくにできない8000〜9000程度に大敗し
晩秋に至るまで苦戦を繰り返して結局軍事的には手も足も出なかったから家康の圧勝だろ
圧倒的兵力差で母や妹人質に出すまでしてやっと降っただけだし

家康が降ったのもいわば公家や公方みたいな実力のない権威に頭下げてるのと
同じようなもので形だけ従えただけ。秀吉死後の惨状みりゃわかる
結果でいっても経過でいっても家康の圧勝
30人間七七四年:2009/06/25(木) 14:52:43 ID:638KNusu
>>28
かなり的確で客観的分析のレスだと思う
31人間七七四年:2009/06/25(木) 15:26:51 ID:3uL8+UYY
84年一杯を対信雄&家康に使って伊勢口や美濃の押さえ合わせて計135000ほどの圧倒的大軍引き連れて
砦間の戦闘や城の取り合いや信濃の木曽、上杉ら周辺大名への働きかけもガチガチにあったのに
滅ぼす気がないとか言われてもな
この戦いは3月13日の丹羽宛書状で「半月程度で決着つけてやる」
敗戦前日の4月8日の丹羽宛書状に「家康さへ討果候へは」とあるように家康討伐のための
進軍でありまた「至参集表令手遣、可発向調儀間、九鬼右馬も船手にて彼の国へ差遣候」
とあるように家康本国へ陸海両面攻撃を想定した大掛かりなもの。龍泉寺に向かう途中での
柏井、大草の根城に山内一豊、生駒吉一、矢部家定、一柳直末を入れると記し、九鬼の水軍を
三河へ派遣し家康本国への陸海両面攻撃等の計画を細かく書いてて中入り作戦もその一貫である旨
を報じてる。北尾張に向けて出陣する時桂黄繁の書状では『徳川事、三介殿後見被仕候付被討果之由候
て尾州表へ陣替候』とあるし小早川秀包に同道してた渡邊清忠が『秀吉自ら北尾張の家康を攻撃する』
と記してる長久手の敗戦後秀吉は木曽川筋の城を攻撃するがこの目的も『必家康後巻可仕儀にて候間』
(毛利輝元宛書状)『家康後詰可仕事案内与存』(佐竹義重宛)と伝えている事から家康を小牧山からおびき
出して戦う事にあったと考えられる。5月2日の小早川隆景の書状でも『来秋』(太陰暦なので7〜9月の事)
軍事行動を行う予定であった事が書かれてる。7月3日秀吉は『8月15日に「西国・北国」の兵力を総動員して
尾張、三河、遠江へ総攻撃かける』計画を報じている。この計画は七月上旬〜下旬にかけて各方面に書状で報じており
その後も三河への侵攻計画を表明している。8月中旬〜下旬にかけて再び北尾張に軍結集させ、この時は家康は帰国させてた
兵も多く今まで以上に兵力的に優位だったのに結局和議の話があがっている
(これは決裂になったが)秀吉が信雄と講和した11月13日にも家康に対しては秀吉の「存念」が深いため三河に攻撃をかけてた
とえ年内であっても「家康分国へ乱入、所々令放火、日比之可散無念心中候」と報じている。
一貫して秀吉は家康への総攻撃を表明している
32人間七七四年:2009/06/25(木) 17:07:10 ID:yz5MCvYv
とかなんとか必死でがんばっても
結局秀吉の政治力の前に

負け犬は

「殿下の陣羽織を所望〜」

とか言って土下座してる訳だし。
33人間七七四年:2009/06/25(木) 17:28:02 ID:iaiw8kjH
小牧長久手を、対極的な敗北に目を瞑って、
局地戦の勝利(その後は終戦まで逃げ続けた)を評価してる人たちは
局地戦では勝ち続けた真田昌幸は「もう、最高!」ってかんじなんだろ

真田昌幸様、徳川はあなたの足元にもおよびません
第二次上田合戦も、関ヶ原の結果をうけて開城してもらいましたが
直接対決では全くかないませんでした
十倍の戦力も何の価値もございませんでした
34仙台藩百姓:2009/06/25(木) 17:54:12 ID:qNKnL0Fj
典型的な小日本人だお( ^ω^)
35人間七七四年:2009/06/25(木) 18:54:32 ID:G+MVAMhd
あの戦闘の後秀吉は楽田の防衛力強化を命じていたりと持久戦の構えに変わる。
その内家康に北伊勢一揆や甲賀、丹波の土豪を蜂起させられその対処に追われ
家康の勝利により厄介な事態が生まれる契機になっている。
敗報は十三日に京へ伝わり京では秀吉敗戦により織田・徳川連合軍が
上洛してくると思われたようで騒乱が数日続いた(『兼見卿記』)
長久手の秀吉軍の敗戦は単なる局地戦の敗戦ではなくまさに
日本の中心である京までも騒乱に陥れる一大事だった(長久手町史本文編)
結局講和を持ち出したのも秀吉。
36人間七七四年:2009/06/25(木) 18:59:01 ID:G+MVAMhd
大局的にみても圧倒的兵力差で晩秋になるまで大した戦果もなく信雄領国にだらだら苦戦続けてるのは酷いわw
信雄領国がもうちょい基盤整ってて本人も気概があったら秀吉は信雄すら屈服できなかったと思われる
37人間七七四年:2009/06/25(木) 19:27:29 ID:a9MPYjtY
そこは秀吉は政治力と外交力で乗り切ったよな
家康もその後、勝利に驕らず時勢をみて傘下に入り実力を保つから
生き残り能力に長けた人だ
38人間七七四年:2009/06/25(木) 21:06:52 ID:r9dhsBsE
長期政権築いたんだから高評価なのは納得だなぁ…
39仙台藩百姓:2009/06/25(木) 23:17:49 ID:qNKnL0Fj
よくもまあこんなアホな発想が生まれるものだお( ^ω^)
江戸時代の泰平と発展が家康公のお陰?
では戦後の泰平と発展は全てマッカーサー公のお陰かお?
そんな訳はあるまいお( ^ω^)
時が経てば人も物も形を変え、世の中にも浮き沈みが生じるお
そして時代を支え保つのはその時代の人間の手によるものだお( ^ω^)
40人間七七四年:2009/06/25(木) 23:30:51 ID:7T1tDqrn
>そして時代を支え保つのはその時代の人間の手によるものだお

家康のせいで近代化が遅れただの散々言っておいたくせにw
日本の近代化が遅れたのはその時代の人間が馬鹿だったからだろ( ^ω^)
41人間七七四年:2009/06/25(木) 23:35:38 ID:Qe/HnRDK
ていうかよ
家康が秀吉の猿に屈服したのは紛れもない事実だわな
関東に移されたりしたから
かなり恨みに思って
怖い秀吉が死んだら
律儀者の仮面を捨てて
謀略しまくりのタヌキだ
42人間七七四年:2009/06/25(木) 23:39:10 ID:7pbT3Eqb
むしろ逆にただ形だけ従ってただけだろうな

いわば実力のない公家とか公方とかに頭下げてるのとおなじ。
家康は何が何でも天下とる博打を打つより慎重でスマートな選択を好みそうだしな
43仙台藩百姓:2009/06/26(金) 00:03:10 ID:X7e0+5MM
>>40
だから何度も言っているじゃんお( ^ω^)
江戸時代の産物は家康だけの功績ではない
全てが家康によるものと言うなら当然江戸時代に生まれた害も家康によるものであると
逆もまた然り
よく読んで理解してから書きたまえお
そんな検討違いなレスを得意げに書いては恥ずかしかろおよ( ^ω^)
44人間七七四年:2009/06/26(金) 00:06:39 ID:2R62ihOh
このスレは、マザコンと長文バカさえ居なければ
もっと有意義になるのに残念だな (´・ω・`)
45人間七七四年:2009/06/26(金) 00:07:11 ID:ZPLs4nOW
無駄長文全スルー
読んだやつがいるとしたらどうかしてる・・・
46人間七七四年:2009/06/26(金) 00:35:53 ID:lfTJBZte
家康ってやつは
嫌なことは自分ではやらないんだよ
それで自分の息子も信用できないやつなんだよ
結局、魅力に乏しいんだよな
どうせなら最後まで律儀者で通せって
47人間七七四年:2009/06/26(金) 00:40:04 ID:/1jsvC7B
ベラベラそれぞれ適当にレスしてるけど、いい加減的絞らないかい?
無駄にレス消費するだけ。
48人間七七四年:2009/06/26(金) 00:41:32 ID:/1jsvC7B
>46
魅力に乏しいねぇ…人それぞれだな。私はとても好きだが。
49人間七七四年:2009/06/26(金) 00:55:20 ID:8KzFHn0l
アンチの主張もよく意味がわからんな
50人間七七四年:2009/06/26(金) 01:04:04 ID:pWXVsg5c
>>42
実力がおありなら
信長や秀吉が在世中でも
実力がない信長や秀吉にただ形だけ従う必要もなかったんじゃないの?
まさか、信長・秀吉相手だと天下獲りはばくちのような危ういものなの?
51人間七七四年:2009/06/26(金) 02:43:52 ID:lfTJBZte
いや
なぜ家康が格下だった秀吉に天下とられたかといえば
その最大の原因は
猿の秀吉のほうが魅力と政治力があったということ

戦に強いだけじゃだめなんだな

猿が死んで前田が死んでようやく
順番が回ってきたということだ。
52人間七七四年:2009/06/26(金) 03:36:40 ID:iVKbHFXq
猿と五分五分の勝負なんてしなかっただけだろう?
53仙台藩百姓:2009/06/26(金) 09:04:29 ID:X7e0+5MM
勝負にすらなってなかったお( ^ω^)
信長横死後1ヶ月内の行動で既に家康は脱落していたお( ^ω^)
54人間七七四年:2009/06/26(金) 09:16:19 ID:I2pKGa9P
>>50
実力がない公家とか公方とかの権威にも形だけは頭下げないと朝的に定められて
討伐喰らうのとおなじ

>>52
家康軍8000+信雄の権力基盤弱くて統制もろくにできない8000〜9000程度に大敗し
晩秋に至るまで苦戦を繰り返して結局軍事的には手も足も出なかったから家康の圧勝だろ
圧倒的兵力差で母や妹人質に出すまでしてやっと降っただけだし

家康が降ったのもいわば公家や公方みたいな実力のない権威に頭下げてるのと
同じようなもので形だけ従えただけ。秀吉死後の惨状みりゃわかる
結果でいっても経過でいっても家康の圧勝
>>53
そうだな
勝負にすらならないほど一方的な家康圧勝だったな
松ヶ島城。松の木城、戸木城などいたるところで苦戦しまくって滝川がせっかく計略で大チャンス作ったのに
全て無駄にしたし
堺で討たれたと死って急いで帰って尾張近くに出兵すると同時に
甲信経略の布石を尽くしてうまく北条との戦いをこなして甲斐と南信濃奪った
家康の方が遥かに素早かったな
55人間七七四年:2009/06/26(金) 09:16:49 ID:NSJpNjuJ
利家にも劣り、三成相手で何とか天下を獲れた程度の実力ということだお。
軍団も三河気質の朴訥なだけの忠犬で別に強くはない。
結局、政治力頼みで、それも博打と言っていいほど危うかったお。
秀吉には到底及ばなかったお。
器量でいえば政宗の方が上だお。
56人間七七四年:2009/06/26(金) 09:22:39 ID:I2pKGa9P
秀吉なんぞ徳川家臣団でいえばせいぜい柴田康忠レベルだろw
器量でいえば家康が諏訪高島で苦戦を強いられた北条氏直や武田勝頼の方が遥かに上
秀吉が天下取れたのも公方とか公家とかに頭さげてんのと同じだろうな
57人間七七四年:2009/06/26(金) 09:28:12 ID:I2pKGa9P
秀吉が自力で戦って勝った戦いなんぞ存在しない
結局全部誰かに頼りきりで相手の降伏や裏切りに助けられただけだから
58人間七七四年:2009/06/26(金) 09:39:04 ID:a6zCD9zi
秀吉は圧倒的大軍持ちながら光秀柴田滝川徳川北条と大敗&大苦戦しまくって
結局天下奪われた負け犬w
関が原では寡兵の徳川に西軍主力は一日で壊滅させられ信長がかつて延々苦戦繰り返して
多大な年月かけてようやく切り取った美濃や畿内を瞬殺w
大阪の陣でも非常に堅固かつ大規模な城を短期間で瞬殺w
豊臣軍はヘボスギだなw
59人間七七四年:2009/06/26(金) 09:47:29 ID:NSJpNjuJ
秀吉にまさるものは譜代の臣の忠誠心くらいだお。
あくせく馬鹿みたいに戦った局地戦の戦績を自慢しても
秀吉の一言に吹き飛んでしまう鼻糞レベル。
戦術でも信長、秀吉に勝てる器で無いだお。
桶狭間→家康降伏or籠城滅亡
中国大返し→家康降伏or四散滅亡
このレベルだお。

60仙台藩百姓:2009/06/26(金) 09:48:17 ID:X7e0+5MM
関ヶ原とか秀吉死んでいるじゃんお( ^ω^)プ
61人間七七四年:2009/06/26(金) 09:59:54 ID:Rsa+UZy0
信長…対斉藤、長島、北畠、本願寺、姉川、武田、浅井朝倉と負けまくる
秀吉…対中国、光秀、柴田、滝川、北条、徳川、信雄と
戦った戦いは全て圧倒的大軍で大敗or大苦戦or大損害
家康…対今川、姉川、北条、秀吉、豊臣(西軍)と圧倒的強さ
62人間七七四年:2009/06/26(金) 10:01:05 ID:tejLW0Bv
人たらしはあくまで目上か同格程度、目下には効かないものだったのか。
63人間七七四年:2009/06/26(金) 10:02:25 ID:Rsa+UZy0
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50〜60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50〜60倍以上なら被害差も50〜60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50〜60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利

長篠で大ダメージ負って序盤では対織田上杉徳川、後半は対徳川北条の多方面戦略や
新府築城や無理な中央集権化といった猪武者勝頼の自爆があったのに
家康の本拠地高天神城落とされるまで81年までもかかり5〜6万の大軍や徳川・北条の大軍があって
やっと離反の連鎖起きて滅んだ武田(その戦いですら50〜60倍の兵力ありながら織田方の被害の方が多く一門の一人戦死)
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍を動員できるのに秀吉が5000で送り込まれて以来
一方的に侵略されまくり別所や播磨諸将の離反やらのチャンスがあったのに結局むざむざ無駄にし
播磨や鳥取救援に送った援軍や補給隊蹴散らされ南条3.5万石を城外戦で大損害出して攻略できず
宇喜多30万石とも美作で一進一退で結局播磨但馬因幡備中高松と侵略されまくり
戦後も備中やほうき、石見銀山など多くの利権奪われ、関が原時も圧倒的大軍動員できたのに
何もできずに大減報喰らったゴミ大名毛利
よって謙信>>信玄>>>>家康>>>信長、柴田、景勝>仁科、北条氏直、氏政、氏規>>信忠、光秀、滝川>>>>織田信雄>>>>>秀吉>>>>>>>>>島津≒長宗我部>>>毛利両川
ここまでは確定
64人間七七四年:2009/06/26(金) 10:04:28 ID:Rsa+UZy0
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
65仙台藩百姓:2009/06/26(金) 10:27:03 ID:X7e0+5MM
殆ど家康についても同じ事が言えるのだが( ^ω^)
66人間七七四年:2009/06/26(金) 10:40:50 ID:Bisb4Jxv
後ろ二つが当てはならないのが超重要
信長も秀吉も基本的に自爆といえるが、そういう風に持っていったのが彼らの致命的な欠点であり、
そういう致命的な欠点を出さなかったのが、家康の最大の長所といえる
67人間七七四年:2009/06/26(金) 11:06:03 ID:LmgjxG3j
>>65
全くいえませんw
家康は対武田以外は圧倒的強さだったからw
68人間七七四年:2009/06/26(金) 11:09:44 ID:NSJpNjuJ
いわゆる小心者だということだお。
墓まで壊す小心ぶりだお。
実力者が死んで長老のポジションになって
はじめて天下を狙えた凡人だお。
取り柄は運に支えられた欲と執念で成し得た長生きだけだお。
人間味や才能では信長、秀吉に遠く及ばないし
まさに重き荷物〜のとおりで
凡人でも失敗を繰り返してもめげずにコツコツやって行けば
いつか日の目を見ることもあるよというのが
支持されてるだけだお。
69人間七七四年:2009/06/26(金) 11:13:21 ID:Bisb4Jxv
>>68
壊していないよ、ほったらかし
70人間七七四年:2009/06/26(金) 11:24:48 ID:rxDMX9p5
>>68
そうだな
信長も斉藤親子や三好長慶みたいな実力者が死んでやっと長老のポジションになって
天下狙えた凡人だし秀吉はその信長死んだからやっと天下狙えた凡人だもんな
取り柄は突発事故と位置的条件と国力に恵まれただけだおね
人間みや才能では本多正信や大久保忠世あたりにも遠く及ばないし
まさに無能でも運と国力と弱小な規模の敵に囲まれてればいつか日の目を見ることができるよ
というのが支持されてるだけだお
71仙台藩百姓:2009/06/26(金) 11:41:19 ID:X7e0+5MM
>>67
対武田以後はたいして戦っていないじゃんお( ^ω^)
↓結局家康が戦国時代に勝ったのこれだけだし
今川氏真(武田と)
武田勝頼(織田のオマケ)
この年代でこの程度の戦歴しかないってある意味奇跡的だお( ^ω^)
72人間七七四年:2009/06/26(金) 11:47:41 ID:NSJpNjuJ
そのとおり、信長の庇護のもとで泳いでいたにすぎない。
73人間七七四年:2009/06/26(金) 11:51:06 ID:Bisb4Jxv
>>71
天正壬午の乱
後、武田はつまり徳川の(織田を除いた)全ての勢力圏を占める大勢力だったという事
74人間七七四年:2009/06/26(金) 12:03:45 ID:cirAk28U
>>68
凡人に天下が狙えるわけないじゃん
75人間七七四年:2009/06/26(金) 12:06:13 ID:pWXVsg5c
>>54
わずか2000や3000の真田に大敗し結局軍事的には手も足もでなかった
家康が大変立派なのはわかりました
76仙台藩百姓:2009/06/26(金) 12:20:15 ID:X7e0+5MM
>>73
単に織田遺領の取り分決めただけじゃんお( ^ω^)
77人間七七四年:2009/06/26(金) 12:21:40 ID:cirAk28U
2,3の失策で全てがダメなように印象付けようとしても説得力ないよ
むしろ三方が原での敗戦でも人間的にも大きく成長した
失敗を糧にして成長していくんだから偉大だわ
78人間七七四年:2009/06/26(金) 12:23:17 ID:Bisb4Jxv
>>76
そりゃ秀吉にもまんま言えるな
山崎から小牧・長久手に至るまで織田の遺産の分捕りあい
79人間七七四年:2009/06/26(金) 13:00:44 ID:NSJpNjuJ
田舎の主無き草刈り場と同じにしちゃあだめだお( ゜ω^)
80人間七七四年:2009/06/26(金) 15:16:29 ID:lfTJBZte
いや
壊してほったらかし

はっきりいえば
家康は豊臣の大老じゃなかったら天下はとれなかったな

それと戦闘能力が高いだけではダメなんだな

外交能力、魅力で秀吉に先こされたな

ただ家康は秀吉が死ぬまでじっと律儀者を演じてたのは、並の人間じゃないな。
81人間七七四年:2009/06/26(金) 15:19:23 ID:R4G/JLvg
律儀者w
司馬の小説読んでそのまま信じ込んじゃってる奴が多いことだけはわかった
82人間七七四年:2009/06/26(金) 15:32:35 ID:NSJpNjuJ
いやぁ〜
司馬は家康を買いかぶり杉
ほんとは単なる凡人だお。
小説のために着色されてるだけだお。( ゜ω^)
83仙台藩百姓:2009/06/26(金) 16:27:22 ID:X7e0+5MM
そもそも自立できたのは信長が義元殺したからだし
信玄の侵攻もタイミングよく信玄が病没して命拾い
勝頼の攻撃をしのげたのも信長の支援があったからだし
甲信分取れたのも光秀が信長を殺したからだお( ^ω^)
そして主だった人物がバタバタ死んでいき
秀吉も幼児を残して没
何と言う棚ぼた人生(;^ω^)
よくよく考えると家康の運のよさは異常過ぎるお
世界一のラッキーマンとしてギネス申請してみてはどおかお?( ^ω^)
84人間七七四年:2009/06/26(金) 18:19:07 ID:CSCXbudl
>人間みや才能では本多正信や大久保忠世あたりにも遠く及ばないし
そんな事あったっけか?


それにしてもおまいら暇だな。 俺は暇が少ない(ToT)
85人間七七四年:2009/06/26(金) 19:09:27 ID:Ya1F2YK3
とりあえず俺が最初に書きたいことは

おまえらバイトぐらいやれ
86人間七七四年:2009/06/26(金) 20:04:14 ID:tV69OoHN
>>71
相当無知だな
西三河の小さな領主として独立して西三河東三河奥三河西遠江を吉良や今川の大軍と戦いながら平定し
一向宗にも打ち勝ち武田相手に耐えしのぎ、北条氏直と交戦して甲斐と南信濃取って
秀吉の圧倒的大軍に手も足も出させず小田原合戦でも主力となって相当な活躍をして関が原では西軍主力10万を一日で壊滅させ
信長が散々てこずった美濃や畿内を瞬殺。大阪の陣でもかなり堅固かつ大規模な城&大軍を短期間で瞬殺して見事天下とった最強武将だ
信長や秀吉みたいに圧倒的大軍で苦戦や負けが少ないからさっさと戦いが終わったから戦った期間が短く見えるだけ

>>75
大久保鳥居依田柴田保科諏訪松尾小笠原菅沼ら他国衆7000程度送っただけで家康自身は秀吉に備えて三河にいたわけだが。

>>76
織田の雑魚家臣が蹴散らされて北条や上杉とガチで対決したわけだが
北条と和睦後も中信濃方面でなかなか徳川に従わない勢力相手に平定戦展開したし
>>79
信濃平定には結構苦戦して結局3郡しか支配できず終わったが美濃や畿内は瞬殺したから
信濃>>>>>美濃、畿内だろうね
>>83
圧倒的大軍で弱体化した斉藤やごくわずかな長島北畠本願寺武田浅井朝倉と大敗や大苦戦続ける信長や
圧倒的大軍で負けたことしかない秀吉じゃ今川氏真の大軍や北条、武田いずれにも瞬殺されて終わりだろうね
結局斉藤親子や三好の死や畿内が動乱で大した勢力いなかったから勝てただけだし
秀吉なんて信長がうまく討たれて大義名分もらっただけだから棚ぼた中の棚ぼただし
87人間七七四年:2009/06/26(金) 20:37:41 ID:lBNWlFzq
5万石とも10万石ともいえる所領があって小さな領主はないな。小大名級の所領があっての今川家内での扱いであり
桶狭間後の独立。
88人間七七四年:2009/06/26(金) 21:01:04 ID:GHaF0+Ta
10万もあるわけないじゃん
西三河すら全然所領外で自力で戦って取ったのに
89人間七七四年:2009/06/26(金) 21:07:33 ID:lBNWlFzq
今川分限帳には10万との記されてる。まあこれはそこに記されてる今川諸士の知行高を合わせると
80万近くあるというものだから信憑性にかける数字ではあるけれども。
90人間七七四年:2009/06/26(金) 21:14:20 ID:yKDGynNj
>>84-86
昼間にいる苦労したことも無いニートのアゲアシ取りばかりで笑えるよな
運が良かっただけとか言ってるけど、コイツ等が同じ立場にいたら何千回やっても天下など取れまい
91人間七七四年:2009/06/26(金) 22:03:39 ID:iI++DlaG
自分がニーとだからって、みんなそうだと思うなよw
シフト勤務で代休な俺も居る。明日は月末で忙しい早番で最悪だが(´・ω・`)
92人間七七四年:2009/06/26(金) 22:20:50 ID:sE/73RV7
正直になれよ
93人間七七四年:2009/06/26(金) 22:24:41 ID:Ya1F2YK3
天下を獲ったのは秀吉と家康だが
獲るだけじゃ駄目なんだよな
1つの国として続けさせなければ意味が無い
それができたのが家康
94人間七七四年:2009/06/26(金) 23:57:28 ID:vSaurCOm
>>80
>家康は豊臣の大老じゃなかったら天下はとれなかったな

別に家康が大老にしてくれと頼んだわけじゃない
秀吉の方から大老になってくださいと涙ながらに頼まれただけだ
本当は大老なんかすぐに辞めたいけど三成に文句を言われて辞めるのは癪に障るから
三成の首を切って退職金代わりに400万石を貰ってから辞めてあげたんだよ
豊臣の大老かどうかなんてたいした問題ではない
95人間七七四年:2009/06/27(土) 00:13:24 ID:BUd0HVAZ
>>91
お前が働いていようがニートだろうがどうでもいい
くだらん煽りを昼間からするな屑
96人間七七四年:2009/06/27(土) 01:57:51 ID:2ZXQbbSD
大封がありながら利家にも逆らえない
それが家康の実力。
結局、利家の死までせこい法破り程度しかできず、
関ヶ原でも秀秋の裏切りで何とか勝利、
大阪の役でも和議で騙して内堀を埋めてしまうという、
さらには大軍で侵攻するも
小勢真田に突き崩され、馬印が田んぼに放り捨てられるほどの
はずかしいうろっぷり、こんな凡人では
そりゃあ後世の人気でも信長、秀吉に遠く及ばんわな。
もちろん能力もだけど。
いったいどこを支持してるわけ?
人間凡人でもはずかしかろーが陰湿で汚なかろーが
手段を選ばず、欲と執着でせこせこがんばれば何とかなるお手本ですか〜
おまえらの人格を疑うわ。
97奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/27(土) 02:18:28 ID:4/1704Zi
朝敵でも公爵家を複数遺すのは勲だろう。
98人間七七四年:2009/06/27(土) 10:02:35 ID:DJ32zWVQ
>>96がどの負け組武将ヲタなのか興味津々
たぶんくだらない忠とか義を重んじて
大して結果を残せなかった
ストーリーだけの
いかにもにわかヲタが好みそうな武将なんだろう
絶対に誰かは明かさないだろうけどwww
99人間七七四年:2009/06/27(土) 10:45:55 ID:fRkjXzT+
>>98
しかも忠とか義とやらも後世の創作なんだろうなぁ
100人間七七四年:2009/06/27(土) 11:08:47 ID:V0eJSuGL
戦国当時もあることはあっても、あくまでも主流じゃなかっただけでしょ
実際、江戸幕府維持のためにそこを強化したという話だし

話変わって
俺は家康には興味はあっても、秀忠以降とか幕府とかには興味無い
101人間七七四年:2009/06/27(土) 12:00:56 ID:z6c2zXlI
>>100

俺も家康には興味あるが、お前のカキコには興味がない。全くと言っていいほど興味なし。
これっぽっちも無い。
毛ほども無いよ。
102人間七七四年:2009/06/27(土) 12:13:16 ID:YYCM3y8i
>>96
大封がありながら信雄にすら武力では全く歯がたたずに自力では織田系列以外の大名
どれ一つ潰せなかった雑魚武将もいたがな
真田の活躍とか講談でしょ
しかも関が原じゃ西軍主力10万を一日で壊滅させ信長が散々苦戦して多大な年月費やした美濃や畿内瞬殺して
大阪の陣じゃ非常に大軍&大規模かつ堅固な城短期間瞬殺したから強いでFA
103人間七七四年:2009/06/27(土) 12:14:08 ID:V6J8C9LN
今現在 徳川家っているの?
104人間七七四年:2009/06/27(土) 12:28:31 ID:kNtg+kzh
105仙台藩百姓:2009/06/27(土) 14:21:16 ID:TlN9T4bT
>>102
信長は殆ど虱潰しにしていったからかなりの手間と時間を要した
秀吉の場合はある程度信長が形を付けていたから大まかにいくつかのグループを潰せば良かったお( ^ω^)
家康に至っては既に統一政権が出来ていて国取りの類いは必要なかった
言わばただの派閥争いに過ぎないお( ^ω^)
106人間七七四年:2009/06/27(土) 19:45:27 ID:yQoRwrVp
>>105
信長は殆ど動乱の影響でまともな強敵が存在しなかった上に敵の離反や敵の敵との戦いに大きく助けられた
家康はガチンコである程度統一から時間がたってまとまった政権に戦で大勝して
美濃や畿内を瞬殺したから強いでFA
107人間七七四年:2009/06/27(土) 20:57:09 ID:KzQm1rbz
ある程度中央集権化の進んだ政権の方が、
いざ戦争となれば有力豪族の割拠状態より脆かったりするんだよ
頭だけ潰せば政権としての機能を喪失するわけだから
信玄が何十年も掛けて平定した信濃を、信長が甲斐と一緒に瞬殺したのが良い例
108人間七七四年:2009/06/27(土) 21:03:04 ID:J+Pb7InX
信玄は何十年もかけとらん。
信長が甲信を瞬殺できたのはただ単にそれまでの別の敵との攻防や無理な内政で疲弊しきってた所を
徳川や北条と一緒に圧倒的大軍で襲ったから離反おきまくって仁科1000以下のみがまともに抗戦したってだけでしょ。
109人間七七四年:2009/06/27(土) 22:05:34 ID:t6W8R4Zw
>>102>>106
はもうこなくていいよ。
基本的に解ってないから。
ゲームでもしてれば。
110人間七七四年:2009/06/27(土) 22:55:39 ID:jnax2U2u
そうやって相手にするからだろw

そう言えば俺も将軍家全員言えない。
中学の卒業文集に遺訓を入れるほど、家康公は信奉してるが。
111人間七七四年:2009/06/27(土) 23:06:47 ID:jMaXwQ24
中学で家康公の良さがわかるとは渋いなw
112人間七七四年:2009/06/27(土) 23:34:28 ID:ZqGTlQT9
そう
家康は
嫌なことは部下にやらせるくらい
賢いんだよ
それに息子の秀忠も信用しないくらいの用心深さだし
信長への忠誠のために
自分の長男を殺害したり

武田信玄が怖くて馬上で糞漏らしながら逃げたり

秀吉が死んだとたん
律儀者だったのが
野心剥き出しで天下取ったりと

なかなかの奴だよ
家康はやっぱ凄いな
113人間七七四年:2009/06/27(土) 23:41:34 ID:I6u1P7uh
だから司馬信者は帰れよ
小説を事実と思い込んで世間で恥じ掻けばいいよ
114人間七七四年:2009/06/27(土) 23:51:23 ID:ZqGTlQT9
おい
お前、家康の伽でもさせてもらえ

布団に脱糞されんように気をつけろよ
115人間七七四年:2009/06/28(日) 01:21:25 ID:RGGze2D8
>>111
正確には6年の後半だな。
桶狭間の時には織田方に付いたくらい地元ってのもあるが。
116人間七七四年:2009/06/28(日) 01:26:08 ID:XARDuLM1
>>112
すぐにそんなに書けるぐらいメリハリのある人間だから家康は面白いんだよ
117人間七七四年:2009/06/28(日) 01:31:01 ID:A3Ruv/LC
長いものには巻かれろの
くっだらない人間だろ。
よくよく運がいい。
現代でいうなら
キムブタだな。
118人間七七四年:2009/06/28(日) 07:51:03 ID:qWrKLZZP
>>117
長いものには巻かれろは信長・秀吉・家康に下った大半の大名連中だろ
信長・秀吉・家康はザコ共を巻いてやる長いものの方だ
119人間七七四年:2009/06/28(日) 11:34:23 ID:I+972Q+9
中高生が「サラリーマンなんてくだらない。俺はそんなくだらない生き方しない」
と言ってるのと大差ない幼稚な主張だな
社会に出たこと無いんだろうな
120仙台藩百姓:2009/06/28(日) 12:32:01 ID:oqoLBN8w
その辺りのヒラリーマン風情が社会を知ったつもりでいるのも十分に幼稚で笑止だお( ^ω^)ピプ
大半の社会人は惰性で動いているだけで成長ではなく劣化しているだけだお
心身の若さを失わない者は成功者となり
社会を知った苦労人気取って後退していく者は
社会の底辺で愚痴と言い訳を繰り返して朽ちるのだお( ^ω^)
自分が底辺の人間だからといって若者の足を引っ張るなど言語道断だお┐ (´ω`) ┌
121人間七七四年:2009/06/28(日) 12:49:53 ID:mvM4QCA6
>>112

>それに息子の秀忠も信用しないくらいの用心深さだし
秀忠には関が原戦における主力をつけて、送り出してますよ。

>信長への忠誠のために自分の長男を殺害したり
この説は、否定されつつあります。

>秀吉が死んだとたん 律儀者だったのが野心剥き出しで天下取ったりと
バレバレで藤堂高虎や石田三成、山内一豊、伊達政宗、、みんなに見抜かれています。

好きならば、もう少し多角的に分析してみては?
122人間七七四年:2009/06/28(日) 13:59:37 ID:pN2SGnld
家康って
秀吉、信長に比べて人気がないんだよな

やっぱり陰湿な手段で天下とったからだろうな
123人間七七四年:2009/06/28(日) 14:16:15 ID:2fiwRW+G
馬鹿な小説家が変な人間像に描いたからだろ
実際には誠実かつ律儀で実直で大儀を重んじる武士の鑑のような人物
124人間七七四年:2009/06/28(日) 14:50:08 ID:+3Jtj3hp
>>122
関が原知らないの?
125人間七七四年:2009/06/28(日) 15:11:22 ID:vWqZ5k6K
>>122
確かに人気は無いが知れば知るほどこの人は面白い
126人間七七四年:2009/06/28(日) 16:53:00 ID:XARDuLM1
>>122
信長は天下とって無いから置いといて
織田のゴタゴタに乗じて主家乗っ取りした秀吉が爽やかに天下統一したとは間違っても思えん
127仙台藩百姓:2009/06/28(日) 17:04:46 ID:oqoLBN8w
司馬曰、「家康はちまちまと細工をして成功した高利貸」
(≧ω≦)プププ
128人間七七四年:2009/06/28(日) 17:14:58 ID:ca4yI2uf
>>120
それを規模だけでかい杜ばっかりの都のヤツが言うのもな、、、
仙台って何か誇れるものあったっけ? 原発とか無しだぞw
大した仕事も無さそうだしさ。

と言いつつ、反応してしまった。  みんなごめん。
129人間七七四年:2009/06/28(日) 17:37:34 ID:awm+WUjg
>>126
よく秀頼から天下を奪い取ったと非難されるけど
秀吉も信長の子供から奪い取っているよな
実力がないと天下が治まらない時代だから悪い事だとは思わないが
130仙台藩百姓:2009/06/28(日) 17:45:28 ID:oqoLBN8w
典型的な小人だお( ^ω^)
なに、もまえは近所の他人が出世したら自分も偉くなったと思うわけかお?( ^ω^)プププ
三河の方はそうなのかも知れないけど
漏れの地域では個人思想が発達しているからね
他人の尻馬に乗ったり虎の威を借るような真似は侮蔑の対象になるのですお( ^ω^)
宮城にも偉人はたくさんいるけど漏れじゃないからね
自慢しても意味ないお┐ (´ω`) ┌
131仙台藩百姓:2009/06/28(日) 18:08:28 ID:oqoLBN8w
秀吉はさりげなく織田家と入れ代わるのに成功したから
さして疑問を持たれずに済んだけど
家康も同じ事をしようとして失敗し十数年も擦った揉んだした揚げ句
窮して無理矢理暴力で解決したから大々的になってしまい
全国で様々な憶測を持たれるようになってしまったのだお( ^ω^)
家康の政治力のなさがよく窺えるお( ^ω^)
132人間七七四年:2009/06/28(日) 18:12:03 ID:Tr4OSLtP
家康の評価が低いのは勝利者を嫌う、この国の判官贔屓が理由なだけ
133人間七七四年:2009/06/28(日) 18:39:40 ID:MDTaCM9p
明治維新でたまたま権力を握った連中が江戸時代を貶めた結果だろ。
どう頑張っても近世の土台を作った功績は否定できないよ
134人間七七四年:2009/06/28(日) 18:41:26 ID:ca4yI2uf
>>130
時刻表見て家を出るとか
揉まれる程の刺激の無い田舎って言ってるんだが、、、

まあ静岡あたりでも似たようなもんだがなw
135人間七七四年:2009/06/28(日) 18:52:49 ID:XARDuLM1
>>129
そのとおり
過程の問題より結果を正しく見ないと
結果として“戦乱”をなくしたのは徳川だから
そこからの政策については全く話は違うし家康に責はない
語りたいなら江戸幕府スレででもどうぞと

>>132,133
これももちろんあるね
そのせいで歴史を正しく認識できない人間がいるのは不幸
136人間七七四年:2009/06/28(日) 19:11:17 ID:doweEeJe
>>132
勝者を嫌う?
家康の他に例えば誰?
137人間七七四年:2009/06/28(日) 19:41:18 ID:UE2kJIqB
判官贔屓の語源の源頼朝かなやっぱ。歴史上の評価と
物語での悪役になり易さは別だと思うけどね。
138人間七七四年:2009/06/28(日) 20:50:50 ID:Tr4OSLtP
実は戦前の学者は批判はしていない
し始めたのは戦後のマルクス史観の信望者
139人間七七四年:2009/06/28(日) 20:57:09 ID:mvM4QCA6
判官贔屓もあるけど、家康も頼朝も人間的なエピソードが無い気がする。
神格化しすぎたのもあるだろうけど、忍耐の話ばかりで薄気味悪い。
面従腹背のサラリーマンのイメージ。

まったく>>123みたいな印象が無いのは、知識不足だからかな??
140人間七七四年:2009/06/28(日) 20:57:24 ID:eON5sxej
江戸時代を暗黒の時代としておきたいんだよな
司馬遼太郎もけっこうこの視点入ってる
141人間七七四年:2009/06/28(日) 21:05:36 ID:ca4yI2uf
てか義経ってのは、個人プレーしたバカな弟だから
潰さざるを得なかっただけじゃないのか?
142人間七七四年:2009/06/28(日) 21:30:46 ID:Tr4OSLtP
>>139
人間的なエピソードといえば
実は短気で喧嘩早く、派手好きで、ちょっと追いつめられると直ぐに死ぬと言いだすとか
かなり人間臭いかと
143人間七七四年:2009/06/28(日) 21:35:04 ID:m6ZG0x92
>>139
恐怖で糞漏らして逃げ回るなんて人間臭いじゃん
その敗戦後の姿を絵にして教訓とするなんて努力家じゃん
144人間七七四年:2009/06/28(日) 21:40:24 ID:/3Xs1FDw
江戸時代の逸話は家康を神格化するどころか逆に努力家・苦労人として描いている
信康事件や真田の講談がいい例
145人間七七四年:2009/06/28(日) 22:44:55 ID:UE2kJIqB
>>142
派手好きなエピソードってあったけか?
146人間七七四年:2009/06/28(日) 22:52:37 ID:XARDuLM1
江戸時代って意外にも上の人間を小ばかにして楽しむところもあったからなあ

>>139
忍耐像にこだわってる人間は間違った古い知識のままだから
子供時代、寺の敷地で鷹狩りしようとして駄々こねて坊主にどなられたなんて話
どんだけ甘やかされてたんだよと思える
ここでいちいち列挙するのもなんだから、小説じゃないタイプの歴史本で見てみればいいよ
147仙台藩百姓:2009/06/28(日) 23:15:24 ID:oqoLBN8w
あの絵も三方ヶ原の後に家康が描かせたなんて嘘でしょお( ^ω^)
大坂の陣の後に家康が本陣を捨てて逃げた事に話題が及んだら
「神仏に誓って一度も逃げた事などない」
と杖を振り回して怒り狂ったと言うし
家康は敗戦の事は無かった事にしたくて触れてはならないものだったのだお( ^ω^)
148人間七七四年:2009/06/28(日) 23:22:43 ID:zcff1Bn1
なら家康が本陣捨てて逃げたって史実なのか?
149人間七七四年:2009/06/28(日) 23:36:20 ID:mvM4QCA6
>>144>>146
子供時代の話や忍耐、苦労人の話じゃ、逆に晩年の腹黒さを増大させるんだけど。

江戸城や駿府城とかも遊びがあまり無くて、実用性重視だし。
秀忠の遅参も、自分が上田城攻めを指示してたのに全部秀忠のせいにしてるし、
優遇してくれた義元に、実は虐められてたとか言い出すし。

あれ、ある意味人間的か。
そして黒い。
150仙台藩百姓:2009/06/29(月) 00:00:03 ID:8MtNw9Z/
>>148
むしろそうじゃないと言う説を見た事がないお( ^ω^)
151人間七七四年:2009/06/29(月) 00:04:28 ID:56NYuZ3n
なんせ
主治医も信用できずに

鯛の天ぷらで腹痛になっても
自分が調合した薬しかのまずに
あの世にいった
152人間七七四年:2009/06/29(月) 00:21:21 ID:BegV2tEv
>>149
>自分が上田城攻めを指示してた
>義元に、実は虐められてたとか言い出すし
出典教えてもらってもいい?上のは知らなかった。
下のも家臣は辛酸を舐めた記述は見るんだが家康本人の義元評ってあんまり見ないから。
153人間七七四年:2009/06/29(月) 00:27:54 ID:kGICWI13
>>148
本陣を捨てたどころか戦死したって地元では伝えられてるらしいですぜ旦那。
あとは近所の庄屋宅に押し入ったとか郷土史レベルになるとわんさかあるらしいですぜ。
154人間七七四年:2009/06/29(月) 00:32:37 ID:K5JmZx54
>>151
自分が同じくらいの知識あるんだから、
たまたま年で見立てが悪かったって事じゃないの?
155人間七七四年:2009/06/29(月) 00:34:08 ID:ypn9p7kI
>>151
動脈硬化も進んで頑固になってたとか聞くがな
156人間七七四年:2009/06/29(月) 00:48:43 ID:BegV2tEv
>>151
胃癌だったって説が有力だから当時の医学で誰が診たって同じだけどね。
157人間七七四年:2009/06/29(月) 00:59:23 ID:HtgODaav
>>149
京に並ぶほどの文化があったと言われてた駿府に遊びが無いとはありえない
氏真なんて遊び呆けててあの調子だったぐらいだし
単に興味が無くて手を付けてなかったから史書に記述も無いだけだろうし
剣術とか兵法が好きだったらべつに無理に公家みたいな遊びもしないでしょ

それと、当主が腹黒くなかったなんて少数派だよ
いい人のままでは国は治められない、当主だって戦国を生き残りに必死
家臣の中には主家に忠義一筋の純粋な武士はいたかもしれんが

>>153
それこそ判官贔屓の頂点じゃない
158人間七七四年:2009/06/29(月) 03:23:24 ID:hczIlY3J
茶道や和歌といった文化的な遊びは敬遠してたようだが、
能は割と好きで自分でもしばしば演じてたと聞くね>家康
後家の年増好きと言われる家康だが、晩年は
自分の孫くらいの年齢の少女と寝て子供作ったりと
セックスもかなり好きだったことが伺える
あと家康の趣味と言えばお香かな
これも朱印船に命じてわざわざ南洋の
珍しい高木を取ってこさせるくらいだったとか
つうか秀吉死んでからは割とフリーダムに生きてる感じ
159人間七七四年:2009/06/29(月) 08:43:03 ID:IxD6v4rS
派手な家康

南蛮具足を好み、金の羽織を着用し、城は壁は真っ白で屋根は金属で葺く
160人間七七四年:2009/06/29(月) 10:32:59 ID:Uqa3rQ/n
>>148
高山公実録でも本陣遊軍となっていた高虎が家康が確認出来ないほど
混乱したと記されてる。
今頃こんなこと言ってるなんて・・・
もう定説でしょ。
161人間七七四年:2009/06/29(月) 11:02:04 ID:IxD6v4rS
その本陣は家康でなく、秀忠ですので
しかも藤堂自身があちこち転戦しているので、彼自身も何が何だか解らなかったかと
162人間七七四年:2009/06/29(月) 11:53:22 ID:56NYuZ3n
関ヶ原での勝利の仕方と事後処理に大坂城落城、秀頼討伐、国松ザンシュ

関ヶ原で家康って

秀頼のために逆賊と戦うとかいって金貰って
豊臣系大名を味方にして勝利したんだよな

正則とか馬鹿をいいように使って


そのわりには
関ヶ原が終わったら
秀頼はなんで領地が減って一大名になってんだろ


正則もカイエキだしな

どーも
徳川って
強いんだろうけど
なんか
ウンコもらしって感じが否めないんだよな
163人間七七四年:2009/06/29(月) 19:16:58 ID:pwCzNvdJ
>>159
それは確かに派手なんだと思うけど、信長や秀吉に比べると
普通に見えてしまうwあの二人が異常なだけだが。
>>162
確かに家康はイメージ戦略の面が弱いところがあると思う。
秀吉が上手すぎるだけかもしれんが。
164人間七七四年:2009/06/29(月) 20:26:56 ID:kEOBZB1i
たしかに信長、秀吉は派手だよな安土城しかり金の茶室しかり
でも秀吉の場合は一歩間違えると下品と言われかねない諸刃の剣
165人間七七四年:2009/06/29(月) 23:13:52 ID:Dy41HC/O
>>152

1.関ヶ原合戦と直江兼続 (NHKシリーズ NHKカルチャーラジオ・歴史再発見) (単行本)
2.wikiにいろんな説と出典が載ってる。

家康はそれほど詳しくないし、結構、適当にレスしてるから、
2についてはとかさせてるかもしれないけど、その辺は許しておくれ。
166人間七七四年:2009/06/29(月) 23:48:10 ID:Dy41HC/O
>>164
そこが秀吉の愛嬌のあるところかと。
しかも秀吉は織田四天王のうち三人と戦い、更に家康ともそのまま連戦、
その全てで最終的に勝利を収めている。

徳川軍団は武田、北条とは小競り合いだけ、関が原では遅参で実質不参加で、
見せ場は小牧・長久手くらい。(姉川合戦の活躍は創作疑惑あり)
徳川四天王は名前だけ有名ってイメージ。

どうせなら福島、加藤、毛利も敵に廻して、第二次関が原で派手に勝つべきだった。
ついでに佐竹、上杉、伊達もいちゃもんつけてまとめて屠れば、秀吉を超えてたかも。
167人間七七四年:2009/06/29(月) 23:57:48 ID:6z9ArwkR
アホですか??家康は対今川戦でも寡兵で侵略しまくり関が原では西軍主力10万を一日で壊滅させ
信長が散々手こずった美濃や畿内を瞬殺。小田原合戦でも一番の手柄を立て大きく勝利に貢献した
大阪の陣でも圧倒的大規模かつ堅固な城短期間で瞬殺したから無敵でFA
姉川は三河物語にあるうえに信長書状より大軍の朝倉相手まかされてたのがわかるから通説どおりだろうな
168人間七七四年:2009/06/29(月) 23:58:42 ID:6z9ArwkR
秀吉失態集
・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・84年8月下旬圧倒的大軍で一宮城や織田徳川方砦・拠点などを本格的に攻撃するがほとんど戦果あげられず
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
169人間七七四年:2009/06/30(火) 00:04:06 ID:NrtRw2U+
秀吉なんて自力じゃどこも潰せてねえよw
全部相手の裏きりとか内部崩壊で勝手崩れたとか圧倒的大軍だったから相手がびびって降伏したとか
そういうのばっか。ほとんどの大名滅ぼせずなあなあで形だけの政権築いたから死んだだけで脆く崩れ去った
家康は圧倒的に強かったから苦戦が少なく戦いが長引かず信長が手こずった美濃や畿内を瞬殺した。
170人間七七四年:2009/06/30(火) 00:06:53 ID:pjiAZHIT
変なの召喚しちゃったよorz
この人、北条厨とみせかけて、実は半島の人で名はキムチクンといいます。
みんな無視してください。私も消えます・・・
171人間七七四年:2009/06/30(火) 00:09:17 ID:Jmw8ywR8
>>165
3月発行の本ならまだ本屋にありそうやね。探してみるよ。
wikiはざっと読んだだけだけど「義元に、実は虐められてたとか言い出す」のは見つけられなかった。
まさかやる夫家康に載ってたとかじゃなかろうな。
wiki読み返したら忘れてることとか思い出せてなかなか面白かったよ。サンキュ。
172人間七七四年:2009/06/30(火) 01:00:39 ID:leAFK/nt
>>168
秀吉そのものの話は関係ないから他でどうぞ

>>166
その定義で名前だけ有名というなら
あの立花道雪・宗茂父子なんてまさにそれだよ
でも実際は地味だが大事な地方地方での戦いに参加して家のために戦ってる
それで戦績を積み重ねてるから歴史の中での評価が高い
歴史に残る派手な戦いだけでないと評価できないとなると
その評価はかなり偏っちゃうよ
173人間七七四年:2009/06/30(火) 01:29:27 ID:SNf0wtzB
家康が身内に厳しいっていうのは政治家としてはプラスだよな。
世間は非情だと思って嫌うかもしれんが。
174人間七七四年:2009/06/30(火) 02:27:48 ID:eaW9U5aB
身内に甘いと、競争意識が低下して
制度疲労が早いからではないのかな。
175人間七七四年:2009/06/30(火) 02:46:33 ID:k560pla6
政治家は優しいだけの奴には向いてにゃいものだお
176人間七七四年:2009/06/30(火) 02:54:21 ID:2AvI+C7s
普通に身内には甘いんじゃないの>家康
信康とか秀康とか忠輝とか一部の親族を露骨に嫌ってただけで、
その他の息子や孫には大封を与えてるし
まあ幕府を作って政権維持するのには当然の判断だけど
177人間七七四年:2009/06/30(火) 05:11:25 ID:eaW9U5aB
親藩以外で身内の大封居るっけ?
178奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/06/30(火) 05:54:30 ID:6kEZkZC2
親藩以外の身内というと、小笠原とか本多とか伊達とか池田とか蜂須賀とか加藤のことか。
代が進むたびにみんな身内になっていってしまうわけだが。
179人間七七四年:2009/06/30(火) 09:42:10 ID:frgnaQKd
>>176
信長や秀吉は自分の子には甘い
特に信長は信雄については特に
家康は身内より家臣を大事にする人間
だから家臣も扱き使われつつも我慢が出来た
それにアフターケアは一番だし>家康
180人間七七四年:2009/06/30(火) 10:31:04 ID:nPrOoCIO
>>179
信雄は信長生前は失敗は伊賀攻めだけで、信長はそれに対して叱責を与えている。
信忠にも謹慎処分を与えたり、身内に甘いが、甘いだけで野放図だったわけでもない。
181人間七七四年:2009/06/30(火) 12:53:57 ID:eaW9U5aB
叱責するのは当たり前じゃないかw 秀吉でもあるまいに。
182人間七七四年:2009/06/30(火) 21:55:28 ID:pjiAZHIT

関が原後は、実は家康最大の危機だったみたいな本、誰か知らない?

数ヶ月前、本屋で見かけて買わなかったんだけど、このスレ見てたら興味沸いてきた。
本当は常にビビッてた権現様ワロスw
183人間七七四年:2009/06/30(火) 22:01:55 ID:2AvI+C7s
秀吉は息子相手に宛てた親馬鹿丸出しの手紙が残ってるけど、アレは相手が幼児だからな
家康は逆に幼い頃の秀康や忠輝の容姿を嫌って彼らを遠ざけたという逸話が有る
信康事件も真相は不明だが、父親が息子を切腹させるという事態はやはり異常
ここらへんが家康不人気の一因だろうね
政治家として公私混同はしない、というのは重要な要素だが、
それとは別に家康には肉親としての情愛が欠けてるのではないかと思われる節がある
184人間七七四年:2009/06/30(火) 22:02:18 ID:pjiAZHIT
見つかった。

徳川家康の詰将棋 大坂城包囲網

関ヶ原以後、実は劣勢だった家康──。
その大逆転の布陣とは?姫路城、名古屋城、彦根城、伏見城、伊賀上野城…
大坂夏の陣までの15年間にわたる「長考」の軌跡。

大坂城包囲網とは、関ヶ原の戦いの後に、豊臣家や西国大名を封じ込めるために、
徳川家康が築いた城郭群のことである。姫路城、名古屋城、彦根城、伏見城、
伊賀上野城、等々、日本が誇る数々の名城群は、関ヶ原以後も強大な経済力を温存し、
朝廷という権威を後ろ盾にしていた豊臣家との正面衝突を恐れた家康による、
十五年がかりの持久戦の軌跡でもあった。本書は、それらの城を実際に訪ね歩き、
戦国期最後の「詰め将棋」を読み解いた画期的な論考である。
185人間七七四年:2009/06/30(火) 22:23:09 ID:Jmw8ywR8
>>182
小説だけど池宮彰一郎の「おれも、おまえも」のびびりの権現様がカワユスよ。
びびりだから天下を取れたって。
186人間七七四年:2009/06/30(火) 22:48:43 ID:frgnaQKd
>>183
それは親がいないからであろう
その点は秀吉と似ているが、彼が溺愛になったのに対して
家康が酷薄になったのは、親の替わりに守ってくれた家臣がいたからであろう

それでも信康は溺愛して、教育を誤ったと言っている
だからこそ家臣や親の言う事を聞かない子は排除するようになったのかもしれない
187人間七七四年:2009/06/30(火) 23:26:56 ID:qncTAMcL
>>184
なかなか面白そうな本だな
188人間七七四年:2009/07/01(水) 01:13:29 ID:Q4Qm2exc
>>184
>関ヶ原以後も強大な経済力を温存し、朝廷という権威を後ろ盾にしていた豊臣家

だったら引き篭っていないで戦いに行けばいいじゃん
豊臣は偉大という妄想によって史実を無視する典型的な捏造パターンだな
189人間七七四年:2009/07/01(水) 05:34:30 ID:wHdC7sAw
今でこそ関が原以降徳川の天下ってことになっているが
家康としたら細心の注意を払ってその後の権力固めに奔走していたんじゃないのかな
190仙台藩百姓:2009/07/01(水) 09:13:36 ID:z203KZji
そらそうだお( ^ω^)
関ヶ原の後、家康は豊臣領を大盤振る舞いして鉱山や膨大な領地を手に入れたけど
それから十数年経っても豊臣家は衰えず
全国の大名を動員して死ぬ思いしながらなんとか勝てたぐらいだし( ^ω^)
191人間七七四年:2009/07/01(水) 09:30:35 ID:t4Va+wow
秀吉死後17年もかかったんだよな。
ある意味、豊臣家の力は凄いよな。
織田家は信長死後、速攻で解体されたのにな。
これも秀吉と家康の力の差か?
192人間七七四年:2009/07/01(水) 10:15:18 ID:WFjtqoA2
>>191
猶予期間
193人間七七四年:2009/07/01(水) 13:08:49 ID:uizMfMKq
>>191
家康はぎりぎりまで豊臣家を残す気だったからなあ。
想像以上に豊臣がバカだったから大坂の役をやらざるを得なかったけど
194人間七七四年:2009/07/01(水) 16:20:16 ID:m4drZkCC
大坂からでていけって
それはないんじゃないの
右大臣に向かってさ
そもそも
東は徳川で
西は豊臣で
親戚になったんだから
なにも大坂城出ろなんて
無理だよ
195人間七七四年:2009/07/01(水) 18:17:09 ID:I5vkonR5
三河から関東に移されたお返し
196人間七七四年:2009/07/01(水) 18:19:10 ID:dJu6D2SQ
純金製名古屋城、1億2千万円也 城好きはたまらない?
http://news.imagista.com/news/
197人間七七四年:2009/07/01(水) 18:29:21 ID:tgTe4/5D
徳川に臣従しないでのらりくらりするっていう豊臣の方針は
間違いでは無いと思う。家康の金を消費させる命令も聞いてた
というし、つけ込まれないように気を使ってたのかなと思う。
198人間七七四年:2009/07/01(水) 18:59:52 ID:cEOuRXw4
本体の秀忠の遅参によって関ヶ原で活躍したほとんどの武将は、豊臣恩顧だった。
つまり加増も豊臣恩顧ばかり。
まずは西国諸大名の経済力を削ぐ必要があった。
名古屋城は西国諸大名による天下普請。
199人間七七四年:2009/07/01(水) 19:11:10 ID:frVq5YwT
>>197
最後まで間違ってたから滅亡したわけで・・・

>>194
そのときはもう勢力はかなり違ってたんじゃなかった?時期違うかな
加藤だの福島だのですらもう歯向かえなくなってたから大坂の陣が起こったんだし
ただ意外と大坂方に集まっちゃった感はあるwww
200仙台藩百姓:2009/07/01(水) 19:28:14 ID:z203KZji
家康は外交的にも経済的にも豊臣を抑える事が出来なかったのだおね( ^ω^)
本当なら秀吉が秀信にしたようにするのが良かったのだけど家康には無理だった
この辺りが家康の限界なのでしょお( ^ω^)
201人間七七四年:2009/07/01(水) 20:27:00 ID:3foc1cUJ
>>184
まあ言い方だな
普通に将軍家としての実力を蓄積して他大名の力を削いで
権力を揺ぎ無いものにしていく過程でしょ
202人間七七四年:2009/07/01(水) 22:17:32 ID:5BfPUAZS
まぁ関ケ原で不完全勝利したからねぇ
あんまし勝った気がしなかったんじゃまいか
なんぼでも腹に一物抱えたのが
残存してるし
味方のふりして怪しい動きかましてたのが
ごろごろだもんなぁ
203人間七七四年:2009/07/02(木) 00:56:01 ID:vmikEKbA
>>202
関ヶ原が不完全勝利だったら歴史上に完全勝利なんてないだろ
織田や豊臣にも腹に一物抱えた連中、味方のふりしてるだけの怪しい連中なんてゴロゴロいるし
204人間七七四年:2009/07/02(木) 09:01:42 ID:1t+2XVMv
家康と云えば天ぷらに当たって死んだってみんな思いすぎじゃね?
205人間七七四年:2009/07/02(木) 21:28:11 ID:1Yfx1vtB
みんなとは、どの範囲の中のどれだけの割合のことを言うのか?
恣意的すぎて答えようがない。
206人間七七四年:2009/07/03(金) 00:04:28 ID:Pf7f7jvh
>>190
実際には西軍主力10万を一日で壊滅させ信長が散々手こずった畿内や美濃を瞬殺し
大阪の陣ではかなり堅固かつ大規模な城に多数な兵士がこもったにもかかわらず短期間で攻め落とされたわけだが
それも兵糧攻めや早い段階での相手の降伏に頼るわけでもなく自力でな
>>191
秀吉死後わずか2年で秀吉の天下は家康に決戦で完敗する形で奪われ
信長が散々てこずった畿内や尾張瞬殺して圧勝だったがな
>>202
関が原が不完全勝利なら秀吉がした戦は全部完敗で問題ないな
207人間七七四年:2009/07/03(金) 00:57:22 ID:D00VqPP1
また頭のおかしい豚が来たよ
208人間七七四年:2009/07/03(金) 00:58:15 ID:odSMyjmv
↑頭おかしいヤツを、まともに相手しなくても良いぞ。
ってか、相手すると荒れるw
209人間七七四年:2009/07/03(金) 08:53:04 ID:LfB5CN3G
家康って
なぜ鎖国したのか聞きたいもんだ
210人間七七四年:2009/07/03(金) 10:18:39 ID:iWF4qcJc
家康は鎖国してないぞ
むしろ朱印船貿易で大儲けしていたぞ
211人間七七四年:2009/07/03(金) 13:45:15 ID:TLGVw6az
鎖国は家光からですが
秀吉のキリスト教弾圧の背景を家康も見ているので
何らかの対処は考案されていたと思います。
212人間七七四年:2009/07/03(金) 15:50:59 ID:LfB5CN3G
いや
なんで鎖国したのかとおもってさ

キリスト教禁止はわかるんだが

鎖国って
なんかすげー暗いじゃん
213人間七七四年:2009/07/03(金) 17:10:33 ID:TLGVw6az
確かに、
結果としてデメリットの方が多かったと思います。
214人間七七四年:2009/07/03(金) 18:41:26 ID:/Wmen+jC
もうちょっと勉強しろよ
215人間七七四年:2009/07/03(金) 18:49:03 ID:LfB5CN3G
そういうお前さん
調子こいてないで
なぜ徳川家は鎖国したか
答えてみなよ
216人間七七四年:2009/07/03(金) 18:49:44 ID:LfB5CN3G
そういうお前さん
調子こいてないで
なぜ徳川家は鎖国したか
答えてみなよ
金銀の流出を防ぐためとかいうなよな
217人間七七四年:2009/07/03(金) 20:54:39 ID:RFPNqrhk
日本人傭兵が大量に国外に流出して、悪評広げまくり
更には欧州の植民地戦争に巻き込まれる事を恐れて、鎖国
218人間七七四年:2009/07/04(土) 00:11:48 ID:39Lqa9wR
スペイン・ポルトガル→キリスト教原理主義を広められなくなったため、来る意味がなくなった。そもそも南米支配の方が重要で日本など二の次
イギリス→オランダに東南アジアの勢力圏を奪われたため物理的に来れなくなった。そもそもインド支配の方が重要で日本など二の次

ヨーロッパ諸国が日本と貿易したくてしょうがないのに幕府が追い出したというわけではなく
ヨーロッパ諸国が次々と日本から手を引いてオランダ以外に貿易する方法がなくなったという方が正しい
だいたいオランダが東南アジアを支配し続けている限りオランダ以外は日本に来る方法がないうえに
多くの国は日本より重要な場所を抱えているわけだから
幕府側の考えなんて現代で考えられているほどたいして重要なことではないんだよ
219人間七七四年:2009/07/04(土) 03:37:04 ID:QlMWUvE7
このスレとは関係無いよ
220人間七七四年:2009/07/04(土) 21:39:00 ID:LKPhTh7G
外国を拒んでいたわけではなく他藩が勝手に外国と手を結ばないように
幕府が外交も一元管理していたということだな
221人間七七四年:2009/07/05(日) 01:37:47 ID:I9jl5coy
領土拡張率ランキング(ver.03)


         家督相続年  相続時勢力圏  最大勢力圏  勢力拡大率
1織田信長    1551年     4万石    800万石      200倍
2毛利元就    1523年    2万石  180万石      90倍  
3長宗我部元親  1560年    2万石    80万石      40倍
4三好長慶    1532年?    10万石     200万石       20倍
5島津義久    1566年    15万石      180万石     12倍
6尼子経久    1478年   10万石     70万石       7倍
7北条氏康    1541年    45万石     180万石       4倍
8武田信玄    1541年    26万石      90万石       3倍
9上杉謙信    1548年    45万石   90万石       2倍
222人間七七四年:2009/07/05(日) 07:17:14 ID:6NhvWhCq
外国が勝手に来なくなっただけってどんだけ受け身んのヒッキーなんだよ徳川爆腑w
一元管理と言えば聞こえはいいが、じゃあなんで爆腑だけでも世界から取り残されないように最新技術常に身に付けとかないんだよ?
「上様、今西洋ではこのような珍しいものが…」
「うむ、これは珍しい。よし、蔵奥深く鍵をかけ、徳川末代まで家宝とするのじゃ」

こんなことやってて「江戸時代は実は鎖国じゃなかった!!」って、はぁ?だよな
最先端技術が将軍様のおもちゃにしかならないなんて、ほんとどこかの人民共和国と同じだよな
当時の状況じゃ自由貿易しろだとか民活しろとかは言わないが、引きこもり家康と比べたら、秀吉の方が当時としてはよほど世界を見据えた動きをしてる
223人間七七四年:2009/07/05(日) 07:27:49 ID:5Q4xLuEp
日光東照宮行ってきたぜ。お守りの類は何も買ってこなかったがね。米沢市民…だからかな…
224人間七七四年:2009/07/05(日) 08:47:06 ID:zPGZqnBm
> 1織田信長    1551年     4万石    800万石      200倍
そんなに少なかったか? 商業の街だからか?
225人間七七四年:2009/07/05(日) 10:52:46 ID:FGEzezeS
>>223
先に久能山に来いよ!
226人間七七四年:2009/07/05(日) 13:10:47 ID:ohvT7wmz
>>224
そもそも信長が支配していたのは近畿と中部地方だけだから800万石なんて届かないよな
関ヶ原後の家康の2倍の石高があるのに反抗する奴が多数いてまだ統一に至らないなら
どれだけ信長はアホなんだということになる
227人間七七四年:2009/07/05(日) 13:22:14 ID:Y0JQsDV8
4万石はつくりだな
信秀死去当時はまだ美濃にも三河にも勢力を張っている
家督相続のごたごたでのちに一時縮小するのはたしかだが
228人間七七四年:2009/07/05(日) 22:10:10 ID:Pgqj2884
その辺のメジャー陪臣の石高と時期とか知りたいよな。
1万石ってどの規模か分からんし。
250人を動員できる兵力らしいが。
229人間七七四年:2009/07/05(日) 22:27:04 ID:kTuxAZQg
信長以前の大名は、1万石で250人を
“1年間フルに”動員することはできなかった。

農閑期になったから略奪しに行くべー、ってなもんよ
230人間七七四年:2009/07/05(日) 23:26:13 ID:kGDa93c3
>>229
以後でも不可能
槍足軽は臨時徴募だし、陣夫は徴集
よって常備軍という用語は西洋軍事史の意味合いで正しくない
231人間七七四年:2009/07/06(月) 11:34:31 ID:Ab5t+s1Z
>>222
洋書の禁を緩めたおかげで地方大名だって先端技術に触れられたんだど
実際、鍋島なんかはそれで蒸気船やらアームストロング砲作ってるわけで

最新武装をしてなかったのは、平和で必要なかっただけだよ
必要ないのに武装して財政破綻させるなんてそれこそ北朝鮮じゃないか

>秀吉の方が当時としてはよほど世界を見据えた動きをしてる

その結果、無謀な外征して政権を潰しましたがねえ
232人間七七四年:2009/07/06(月) 12:13:55 ID:deaakuUt
政権つぶれたのは太閤さんの死後だろ 
233人間七七四年:2009/07/06(月) 12:19:09 ID:Ab5t+s1Z
>>232
政権崩壊の種をまいて水と肥料をやったのは太閤本人ですが
234人間七七四年:2009/07/06(月) 12:35:02 ID:deaakuUt
つまり太閤さんが潰したというのは語弊があるってことだ
政権を直接潰したのは家康なのは事実だが
235人間七七四年:2009/07/06(月) 12:40:24 ID:Ab5t+s1Z
>>234
いやいや、貴方は封建制度というもの理解してない。
本領安堵と新恩給与という御恩に対して軍役という奉公が成り立つのが封建制である以上、
新恩が望めない対外戦争など政権を潰す要因以外の何物でもないのですよ。

元寇の恩賞問題によって鎌倉幕府が潰れたように、
朝鮮出兵によって豊臣政権は潰れたのですよ。

直接潰した人間は別にいるとしても、政権にそういう基本的な問題がなければ潰れないのは、
それこそ承久の乱などが証明してる訳なので。

参加者に恩賞として土地を与えられない戦争こそが封建制を崩す大きな要因であることは理解すべきですな。
236人間七七四年:2009/07/06(月) 12:42:38 ID:deaakuUt
うーん 無理があるなぁ 

家康が潰した事実は変わりないんだし 太閤のせいだと開き直るのはどうかと思う
家康の好感度まで下がるよ
237人間七七四年:2009/07/06(月) 12:45:18 ID:Ab5t+s1Z
>>236
開き直るも何も事実なのだから仕方がない。
外的要因だけで政権が潰れるということは近代以前の日本では
おこらないということをまず理解すべきですな。

これは何故家康が豊臣政権を潰せたか、という問題ですから。
貴方が納得しないのは単に無知なだけです。
238人間七七四年:2009/07/06(月) 12:46:29 ID:sXknWdL7
だから 太閤が潰したんじゃなくて


家康が潰したんだよ これが事実
239人間七七四年:2009/07/06(月) 12:48:02 ID:Ab5t+s1Z
>>238
論旨を理解してますか?
家康が豊臣政権を潰せたのは太閤の政治的失敗のおかげだと言ってるんですが。
240人間七七四年:2009/07/06(月) 12:49:03 ID:sXknWdL7
家康が潰した

それでいいじゃないか 人のせいにしてんじゃねーよ 聞いててムカつくんだよ
241人間七七四年:2009/07/06(月) 12:50:06 ID:Ab5t+s1Z
>>240
論旨を自分が理解できないからむかつくって、
義務教育もまともに受けてない幼児思考としか思えないんですが。
本物の馬鹿ですか?
それとも精神異常者ですか?
242人間七七四年:2009/07/06(月) 12:51:25 ID:sXknWdL7
家康が豊臣政権を潰せた

だから家康が潰してるじゃねーか 太閤じゃねぇだろ?
お前こそごまかしてんじゃねーよ
243人間七七四年:2009/07/06(月) 12:53:06 ID:Ab5t+s1Z
>>242
馬鹿にわかるように何度でも言いましょう。
秀吉の対外政策の失敗が大きな原因で、
家康は豊臣政権を打倒できた。

政権を潰したのは外からは家康、中からは秀吉なんですよ。
244人間七七四年:2009/07/06(月) 12:55:45 ID:gH2+XLOt
豊臣政権崩壊は秀吉亡きあとの豊臣が弱かったという豊臣方の責任だ。
イジメられっ子根性で戦国時代を語るなよ。
245人間七七四年:2009/07/06(月) 12:57:59 ID:Ab5t+s1Z
なんというか、>>222を始めとして論理的思考ができない人がスレに居着いているんですねえ。
何故、という理由くらい考えても良いと思うんですが。
246人間七七四年:2009/07/06(月) 13:01:12 ID:wypqiOSI
力じゃなきゃ治まらない時代に自らの力で国を治め太平の世を招聘したわけだよ
本能寺後の秀吉もそうだし関が原の家康もそう
両者ともその時点で力を行使しなかったら世は乱れていた
豊臣家を潰したから家康は悪いなんて見方は通用しないんだよ
247人間七七四年:2009/07/06(月) 13:10:21 ID:IEe+m9cw
>>245
馬鹿すぎて誰も相手にしていなかった>>222にお前がワザワザ安価つけてやるから居つくんだろうが
話題も切り替わってたのにワザワザ蒸し返しやがって
248人間七七四年:2009/07/06(月) 13:23:48 ID:Es3t4Va1
秀吉が潰したなんて馬鹿じゃないの?
それこそこじつけじゃないか。
明らかに家康の政権略奪だろ。
じゃあ徳川幕府は慶喜が潰したのか?
249人間七七四年:2009/07/06(月) 13:33:46 ID:7RTec1fq
山岡家康信者がいるな このスレ
250人間七七四年:2009/07/06(月) 13:37:21 ID:LliTVM6i
秀吉死後の豊臣家なんか誰も天下を治められると思ってないから早くから家康になびく武将も多かった
まあ次の徳川の世に邪魔だから排除したんだわな
それを道義的に悪いと考えてる奴もいるようだがそんな甘い時代じゃねーよ
251人間七七四年:2009/07/06(月) 13:39:38 ID:7RTec1fq
おうおう いいぞいいぞ その調子だ
家康は腹グロたぬきだ!豊臣を潰したのは家康だ!
252仙台藩百姓:2009/07/06(月) 14:00:17 ID:feKaeWwT
豊臣潰したのは間違いなく家康だけど
徳川幕府潰したのは慶喜だお( ^ω^)
253人間七七四年:2009/07/06(月) 14:27:49 ID:rtiMK1et
>>249
それは別に普通だろ
むしろ>>222が司馬遼太郎の小説の内容そのまんまなんだが
254人間七七四年:2009/07/06(月) 15:52:09 ID:ZvbW8pSw
政権は潰す方でなく、潰される方が悪い
255人間七七四年:2009/07/06(月) 16:14:28 ID:Es3t4Va1
徳川幕府を破綻させたのは家斉。
潰したのは確かに慶喜。
豊臣政権は破綻しなかった。
だから無理やり潰したのが家康。
256人間七七四年:2009/07/06(月) 17:52:46 ID:ZvbW8pSw
>>255
そりゃ秀吉死後は家康が廻していたから
257人間七七四年:2009/07/06(月) 19:10:08 ID:IUQeq5m6
潰し、潰されの潰し合いが戦国時代よ
258仙台藩百姓:2009/07/06(月) 22:35:10 ID:feKaeWwT
慶喜の幕府潰しは笑えるおね( ^ω^)
薩長の連中も余程慌てたおうに( ^ω^)
259人間七七四年:2009/07/06(月) 22:45:42 ID:2z7kFXUf
>>255
>豊臣政権は破綻しなかった。

秀吉の死でとっくに破綻しているよ
豊臣側がそれを直視しようとしなかっただけ
260人間七七四年:2009/07/06(月) 23:58:17 ID:whwrWRi5
>秀吉の死でとっくに破綻しているよ
してないから糞康は乱を誘発し、豊臣直領を横領し
秀頼の代にも必死で散財させていた。
261人間七七四年:2009/07/07(火) 06:14:33 ID:rObM8eSd
唐入りからの撤退を五大老と五奉行全員が一致協力して成し遂げたりと、
秀吉死後も政権としては一応機能してたはず>豊臣政権
その後家康が専横を強めるにつれて機能障害を生じていくが、
逆に言えば五大老筆頭であり秀吉から政権運営者に
任命された家康が潰す気満々だったのに残るわけない
262人間七七四年:2009/07/07(火) 10:51:30 ID:2Y2fbJgq
家康がいないと豊臣政権は成り立たないが、豊臣政権が無くても家康が天下を廻せる
時点で豊臣政権の必要性はなくなったと言っても良い
263人間七七四年:2009/07/07(火) 14:58:30 ID:9Tnrqvcc
豊臣政権に家康はいらないんだよ。
264人間七七四年:2009/07/07(火) 17:58:06 ID:2Y2fbJgq
>>263
いなきゃ、回らない
超トップダウン方式の豊臣政権はそういう人物がいないと運営できない
265人間七七四年:2009/07/07(火) 19:49:02 ID:p+yf3vu2
こういう矛盾したことを平気でかけるってのはwwww
266人間七七四年:2009/07/07(火) 19:59:21 ID:FTKTUB5v
豊臣政権は五大老の面子だけ見ても滅茶苦茶豪華だな
オールスターか
267人間七七四年:2009/07/07(火) 20:36:57 ID:2Y2fbJgq
>>265
具体的にどう矛盾?
268仙台藩百姓:2009/07/07(火) 23:04:24 ID:Ky32uRao
豊臣でも徳川でも顔がすり替わっただけで基本的に同じだおね( ^ω^)
269人間七七四年:2009/07/08(水) 22:28:43 ID:B629ofA4
>>261
唐入りからの撤退については呆けた秀吉以外は全員賛成する項目だけど
それ以降に意見が2分される項目が出てくるのが当然だし
そうなった時の対処などはまったくできていない付け焼刃の体制に過ぎないよ
だいたい豊臣政権というものは合議なんてものをまったく行わない完全独裁制だったわけだから
そんな独裁政権が試運転もなしに思いつきレベルの合議をやらなければいけない時点で既に破綻している
家康は単に破綻した組織の清算事業をやっただけだ
270人間七七四年:2009/07/09(木) 06:10:22 ID:o+tq+QQc
このスレの住人てほんと北朝鮮みたいに家康マンセーで気持ちわりぃなw
271人間七七四年:2009/07/09(木) 14:59:17 ID:LJp0k156
アンチもだんだん責めるネタが無くなってきたようだね
遂に認定しはじめた
272人間七七四年:2009/07/09(木) 20:20:31 ID:cA6R/W0f
大河ドラマ徳川家康では家康は私情を殺し天下のために尽くした人物として描かれていますが、それはどこまで史実と考えてよいのでしょうか?
大坂の陣も家康は不本意だったとか。
273人間七七四年:2009/07/09(木) 20:34:04 ID:OzKw7dcx
ドラマはあくまでもフィクションだぞ
274人間七七四年:2009/07/09(木) 20:59:00 ID:brxPWhHs
最近のこのスレ怖いよーうえーん(泣)
275人間七七四年:2009/07/09(木) 21:47:05 ID:eBNAE015
>>272
戦国武将はそこまで甘くないと思う
276人間七七四年:2009/07/09(木) 23:42:39 ID:ID5XpFrC
うむ
277人間七七四年:2009/07/09(木) 23:45:04 ID:ID5XpFrC
うむ
278人間七七四年:2009/07/10(金) 01:19:52 ID:9EJ+fgAJ
>>270
当時の日本人が北朝鮮みたいに秀吉マンセーすることを嫌ったから家康の天下が来たんだよ
279人間七七四年:2009/07/10(金) 18:27:17 ID:Ufk/ndG2
>>272
家康は利家の死後、速攻で五大老の前田や上杉を潰しにかかってますがなにか?
280人間七七四年:2009/07/10(金) 21:00:56 ID:7uyGd2gW
>>279
好機を見逃さない眼力はさすがだ
281人間七七四年:2009/07/10(金) 21:23:36 ID:nS37a0ZH
悪人としての家康に魅力を感じる
282人間七七四年:2009/07/10(金) 22:16:46 ID:X2P97FUv
個人としての善悪と政治としての善悪は全く別物だからね
だから善政をして家康個人を聖人君子に仕立てる事も、悪政をして家康個人を悪人として叩く事も無意味だよ
283人間七七四年:2009/07/10(金) 22:21:22 ID:YV6ZuuGk
家康の悪いエピソードって余り無いきがするが
大阪の役が人によっては極悪と映るかもしれんが
284人間七七四年:2009/07/10(金) 22:23:43 ID:7uyGd2gW
細江の堀川城立てこもり住民虐殺ぐらい?
285人間七七四年:2009/07/10(金) 22:36:03 ID:AHh5LoKt
>>279
上杉は謀反の動きを起こしたから当然じゃん。
286人間七七四年:2009/07/11(土) 06:17:35 ID:fGRWsBD6
やっぱこのスレ気持ち悪りぃ
てかこのスレの歴史観がもう世間一般からかけ離れてて異常としか思えない
ネタスレならネタスレらしくもっとわかりやすいスレタイ付けとけよな
まぎらわしいわw
287人間七七四年:2009/07/11(土) 09:38:01 ID:dD8nrd4Z
>>286
世間一般の歴史観が正しいとは限らないですからね。
しっかり深く勉強し研究してきた人は、大衆の考えとは違う、一歩も二歩も進んだ読み取り方をするものです。
288人間七七四年:2009/07/11(土) 09:54:26 ID:3Uzh+XCG
そういう書き込みがキモイと言われる所以じゃね
289人間七七四年:2009/07/11(土) 11:12:28 ID:pzQgwDPC
>>286のレス自体がなにを指してるのか分からん
290人間七七四年:2009/07/11(土) 12:16:04 ID:wWvJSh5Q
>>280
しかも豊臣の兵力を使ってだよね。多分。
291人間七七四年:2009/07/11(土) 14:11:58 ID:NqNmhLM6
前田の場合は2代目の性格を見抜いて不戦勝になることを予想してた
上杉征伐はあのときまでは一応豊臣家臣としての立場であり
石田を釣り出す牽制ということでもあるようだし
292人間七七四年:2009/07/11(土) 15:35:37 ID:j6XhtC5O
たまたまそういう結果になっただけで見抜いていたかは分からんだろ
家康としては前田が反抗するならしたで良かったわけだし
293人間七七四年:2009/07/11(土) 17:17:01 ID:BPIa5XAd
その頃家康が250万石でその次は毛利の200万石ぐらい?
家康だけずいぶん思い切ったことができるね
294人間七七四年:2009/07/11(土) 21:25:38 ID:jpOnlWd4
毛利は120万石だよ
295人間七七四年:2009/07/12(日) 21:03:57 ID:YSePJclW
今川を裏切り、北条を裏切り、豊臣を裏切った男「家康」
誰も反論できまい。
296人間七七四年:2009/07/12(日) 21:09:09 ID:z+/dk/78
それ何か不都合なことでもあるの?
297人間七七四年:2009/07/12(日) 21:26:42 ID:2NzWiIZu
>>295
こんなにたくさんのゴミ共を掃除してきたなんて家康は偉いんだな
298人間七七四年:2009/07/12(日) 23:04:41 ID:DZqnyj5t
すべてにおいて降伏勧告を行ったのに
断った側がKYだな
299人間七七四年:2009/07/13(月) 09:17:40 ID:cs+db4O0
家康に説得力がないんだろ どうせ約束なんかも守らない狸だからな

いやいや、家康は暗い奴だからな
300人間七七四年:2009/07/13(月) 10:18:31 ID:6V2sPi65
一向衆に家臣の半分ぐらいが叛かれたのに
よくその間に今川、織田に潰されなかったな
301人間七七四年:2009/07/13(月) 20:41:23 ID:PmsMoXRT
約束も何も
今川のときは単なるタイマンの喧嘩だし
北条については豊臣の手下だったから力なんて無いし
豊臣のときは時勢がもう徳川のところをひねくれてるのだけが豊臣に
302人間七七四年:2009/07/13(月) 20:42:04 ID:PmsMoXRT
>>300
謎だね
303人間七七四年:2009/07/13(月) 20:56:33 ID:LUehy7Ei
今川→武田が同盟を破って攻めてきただけ
北条→北条が秀吉に勝手に喧嘩を売っただけ
豊臣→浪人連中と心中したくなっただけ

家康が関係ないことばかりだろ
304人間七七四年:2009/07/13(月) 22:23:04 ID:IRVrNVkl
>>300
今川は頭首がボンクラで動けない
信長も国内まとめるのに手一杯じゃなかったのか
305人間七七四年:2009/07/14(火) 17:47:55 ID:CuiQMbFd
一揆の頃は既に信長とは同盟結んでたよね
氏真は何やってたんだろ?
まあ、攻める力があれば初めから家康の離反を許してないだろうけど
306人間七七四年:2009/07/14(火) 18:07:08 ID:CDBR05fm
氏真は無能だから何もできなかった。
307人間七七四年:2009/07/14(火) 20:17:53 ID:truBsYxN
戦国時代にスローライフを満喫できた氏真は勝ち組。
308人間七七四年:2009/07/14(火) 20:19:33 ID:ObuN0WnO
遠州錯乱も
309人間七七四年:2009/07/14(火) 21:38:18 ID:+33/IP+8
一番最初に氏真に叛旗を翻し、主君の仇と清洲同盟を結んだ男。
本能寺の変後、武田遺臣を使って甲斐の川尻秀隆を殺した男。

最初から汚く暗い奴だよな。家康って。
310人間七七四年:2009/07/14(火) 22:04:03 ID:qfj6DuB3
前者は氏真に能力なしと判断した上だし、後者は武田遺臣の勝手だよ
311人間七七四年:2009/07/14(火) 22:32:08 ID:CDBR05fm
武田遺臣を殺さないのを信長に軽く皮肉られた家康は、「人は生かしてこそ光る。わしは殺さんぞ」と重臣にむかって呟いていたっけ。
312人間七七四年:2009/07/15(水) 00:24:26 ID:VTEUGx5S
氏真に仇討ちしない?って持ちかけたけど動きが鈍くて見捨てたんだっけ?
313仙台藩百姓:2009/07/15(水) 10:06:44 ID:vbsMqTUi
いつ信長が攻めてくるかと家康はビビりまくりで氏真に出兵を乞うたのでしょお( ^ω^)
だが、それどころじゃねえよデブと蹴られたから
こうなったら今川が潰れる前に織田側に寝返るのが得策だと思ったのだお( ^ω^)
314人間七七四年:2009/07/15(水) 10:28:46 ID:1EfsX14E
>>313
それだったら引きこもっている
実際は自軍のみで織田領を攻めている
315仙台藩百姓:2009/07/15(水) 13:12:35 ID:vbsMqTUi
そりゃ威嚇行動でしょお( ^ω^)
弱い犬程よく吠えるという事だお( ^ω^)
余裕あるなら無駄につっついたりしないお( ^ω^)
316人間七七四年:2009/07/15(水) 13:53:26 ID:d2uPuC4C
じゃあどんな行動がベストだったんだよw
317人間七七四年:2009/07/15(水) 14:31:42 ID:Ayh4/FYc
信長様、私はあなたの犬になりましょう。
ほら、こんなに役に立ちますよ。
だから滅ぼさないでね。
と売り込みに必死な家康であった。
318人間七七四年:2009/07/15(水) 20:59:21 ID:8VNrJUpK
徳川家康が最強だな。
319仙台藩百姓:2009/07/15(水) 21:46:29 ID:nAU7C02H
何を言ったところで日本中の大名が家康の犬になっているんだお( ^ω^)
ほら、こんなに役に立ちますよ、だから滅ぼさないでねと家康に土下座してたんだお( ^ω^)
戦国大名なんて所詮は保身しか能のない雑魚だお( ^ω^)
320仙台藩百姓:2009/07/15(水) 22:32:29 ID:vbsMqTUi
では徳川に従わなかった豊臣だけは雑魚ではないと( ^ω^)
321人間七七四年:2009/07/15(水) 22:46:02 ID:uTK+FPJi
>>312
そうだよ
でも見捨てたのは家康だけでなく今川家臣団も当主を見限った
掛川の朝比奈辺りの少数だけが支え続けたぐらいでしょう

>>318
知ってる
322仙台藩百姓:2009/07/15(水) 22:56:23 ID:vbsMqTUi
みんなが裏切ってるから自分も裏切る
まことに凡庸な家康らしい小市民的発想だお( ^ω^)
323人間七七四年:2009/07/15(水) 23:04:57 ID:XgJjUSw/
信長の犬になり
豊臣の犬になり
そして
ようやく
家康は
糞漏らしから
人となったのである

前の二人に比べたら
家康なんて
実際かわいい
おっさんだよ
324人間七七四年:2009/07/15(水) 23:05:15 ID:1EfsX14E
>>322
みんなが敵対した信長に最後までつきあったじゃん
325仙台藩百姓:2009/07/16(木) 00:06:00 ID:2NRpyIYr
今川は桶狭間で首を取られた義元が間抜けなだけだお( ^ω^)
織田は光秀に寝込みを襲われた信長が間抜けなだけだお( ^ω^)
豊臣は朝鮮出兵で惨敗を喫した秀吉が間抜けなだけだお( ^ω^)
各自の間抜けさを棚に上げて責任転嫁しかできないから滅びるんだお( ^ω^)
これでは家康が天下を取るのは当然の結果だお( ^ω^)
326奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/16(木) 00:11:05 ID:Kwt2VNzy
家康は最強の舎弟頭であって、盃事の観点からは裏切り扱いまでいかない。
327仙台藩百姓:2009/07/16(木) 07:32:30 ID:RrB+Xv+f
間抜けに取らして貰った天下かお( ^ω^)
さながら家康は間抜け将軍だお( ^ω^)
328人間七七四年:2009/07/16(木) 07:48:17 ID:Fc5dbtm5
百姓はそんな間抜けに天下取られる他の大名は家康以下って言いたいの?
329仙台藩百姓:2009/07/16(木) 12:30:05 ID:RrB+Xv+f
家康はその間抜け3人以下だと言いたいのだお( ^ω^)
330人間七七四年:2009/07/16(木) 13:00:02 ID:Ug1negGH
その間抜け以下が天下を取れる戦国日本って・・・
331人間七七四年:2009/07/16(木) 14:22:37 ID:NG9Secye
だからタイミングと運がよかっただけなんだよ。
家康より上のレベルなんていっぱいいたよ。
家康なんか麻生とかわらんがな。
332人間七七四年:2009/07/16(木) 16:59:14 ID:skY1w/78
家康公のすごいところは、運とタイミングが良かっただけで天下を取ったと後世の日本人にまで思わせるところだな。
333人間七七四年:2009/07/16(木) 17:44:39 ID:M2O9pyy+
伊達政宗は言い訳ばかりしてる間抜け以下だな
334人間七七四年:2009/07/16(木) 18:21:03 ID:BDmwodN5
何故家康が人気がないのかと


やはり天下取りのやり方が狡猾で印象が悪いわ
335人間七七四年:2009/07/16(木) 18:29:35 ID:mBCV5d3L
まあ結局秀吉には勝てなかったしね その子供に勝っても自慢にゃならんし弱いものいじめだわな
336人間七七四年:2009/07/16(木) 18:48:47 ID:Ar3AG+tX
天下を治めるのに勝った負けたで論じてる奴
小さいよ
337人間七七四年:2009/07/16(木) 18:55:08 ID:LHtnMbfb
またループか
秀吉は正攻法で天下を獲って、家康はずるがしこく獲ったと・・・
こんな寝言すでに論破されてるだろ
秀吉は主家織田家乗っ取りをした極悪人だと言うことで決着が付いてる
秀吉信者は馬鹿なの?それとも秀吉信者になりすました・・・ただの馬鹿?
338人間七七四年:2009/07/16(木) 19:04:05 ID:ys3CuNv9
秀吉が極悪人なら家康も極悪人だね
339人間七七四年:2009/07/16(木) 19:11:33 ID:Ar3AG+tX
善悪で論じてる奴は戦国を語る資格が無い
340人間七七四年:2009/07/16(木) 19:21:59 ID:BDmwodN5
秀吉や
信長は
日本人の英雄だからな
これはどうしようもあるまいて

個人的評価はそれぞれあるじゃろうが

家康はなんで人気がないんじゃろうか

やっぱり格下だった秀吉に先越されたのが
そのあとは律儀者演じたりして
秀吉死ぬの待つために長生きに一生懸命になったり

関ヶ原も馬鹿な正則を利用して
豊臣系大名を使ったり

あげくに
正則なんてカイエキですか

ヒデヨリも関係ないとかいいながら直轄領を減らされ一大名に

毛利なんて
知らぬ存ぜぬで二ヵ国にされ

あげくに
孫娘の嫁ぎ先のヒデヨリの大坂城せめて滅ぼすし
幼い国松もザンシュですよ

いやー
太閤も死ぬ間際に泣きながらヒデヨリのこと頼んでいったのにね

大坂城でていけって
そりゃー
秀吉もあの世で怒ってるわ
三成も家康なんか
体裁なんか気にしないでさっさと暗殺するなり襲撃するなり
左近にまかせておけばよかったんだよ
341人間七七四年:2009/07/16(木) 19:27:29 ID:0J9D/NAs
>>340
家康が嫌われる理由?
ああそれは簡単です、「最後の勝利者」だからです

感傷もくそもない完全勝利
庶民が共感できないほどの偉大な成果
342人間七七四年:2009/07/16(木) 19:31:31 ID:Vum2xdQY
感情でしか歴史を語れないし功績の意義も理解できない
最近流行ってる歴女とか言うやつかな?
所詮女はこんなもの
343人間七七四年:2009/07/16(木) 19:57:59 ID:BDmwodN5
家康の功績ってなんじゃろか

信長の犬になりきり
秀吉の馬になり
前田が死んで
ようやく
自分より強いやつがいなくなったー
ラッキー
って感じか


信玄に戦を挑んで糞もらして
教訓にしたのは偉かったな
そうそう
子沢山だったな

長男は殺しちゃったけど

なんだろ家康の功績って

大名なんくせつけて潰すこととか
344人間七七四年:2009/07/16(木) 20:04:54 ID:R/+Er6To
>>343

> 大名なんくせつけて潰すこととか

これ意外にすごい功績じゃないか?
345人間七七四年:2009/07/16(木) 20:06:21 ID:t0iSRixm
>>342
あからさまな挑発に脊髄反射してる奴も歴女を馬鹿にできないと思うぞ?
346人間七七四年:2009/07/16(木) 20:53:28 ID:2NRpyIYr
家康の天下を基点に日本の政治中心地が東国に移って現代に至るからな
西国側からすれば政治中心地を奪った家康の存在を認めるわけにはいかない事情もある
朝鮮人が日韓併合の意義を絶対に認めず日帝による略奪を主張し続けなければいけないのと立場は似ている
347人間七七四年:2009/07/16(木) 20:59:40 ID:skY1w/78
ともあれ家康から学ぶことは多いと思う。
安定を捨てて会社を独立して、そのことがよくわかる。

弱小の存在がどうやって生き残るか。そして、大きくなっていくか。
それは家康のやり方を真似るに限る。
348人間七七四年:2009/07/16(木) 21:15:20 ID:t0iSRixm
朝廷と距離をおいて幕府政治で日本を統治したのは源頼朝に倣った
関東に転封になったのは転んでもタダでも起きない強かさを感じるな
349人間七七四年:2009/07/16(木) 21:27:38 ID:LHtnMbfb
さて、無意味な空白行多用のやつは華麗にスルーして

判官びいきの国民性は正直いいことじゃないが、それをここで論じてもしょうがない
最終的に日本をまとめた、まとめた後に再び分解しなかった、
この日本という国を作り上げた功績は何物にも替え難い
確かに幕末も要するに似たようなものだが、
しかしあれは一人の人間が頂点にいて行ったものではないからね
350人間七七四年:2009/07/16(木) 21:37:46 ID:Uc2h79NF
北の将軍様よりどちらかと言うとスターリンに似てる
執念深く陰湿な手段でライバルを蹴落として、強固な支配体制を確立した
でも閉鎖的な社会を築いて世界からは取り残されてしまった…

敵前で糞漏らしたり何度も切腹しようとしたりおちゃめなところがマンセー厨も多い理由かw
351人間七七四年:2009/07/16(木) 21:55:21 ID:skY1w/78
何より、私情を殺して天下平定のために尽くしたという点がすごい。
352人間七七四年:2009/07/16(木) 21:59:40 ID:Uc2h79NF
どう考えたらそんな風に思えるんだw
やっぱマンセー厨頭おかしくないか?
353人間七七四年:2009/07/16(木) 22:03:58 ID:0J9D/NAs
>>350
スターリンが部下の諫言を素直に聞いたという話は初耳だ
354人間七七四年:2009/07/16(木) 22:24:31 ID:t7pMxY7s
戦国時代とか、いつまでやってんだよ?wwwwwwwww
明治とか大正とかの頃から戦国マニアがいたんだと思うぞ?www
いい加減つまんねぇんだよバーカwwwwwww
355仙台藩百姓:2009/07/16(木) 22:34:35 ID:RrB+Xv+f
家康は人格的にも思想的にも実務的にも凡庸で何も見習うべき所のない人だおね( ^ω^)
運だけは神懸かり的だけどこればかりは見習っても無意味だし(´・ω・`)
356人間七七四年:2009/07/16(木) 22:38:39 ID:In0vLlq5
はぁ…
357人間七七四年:2009/07/16(木) 22:46:10 ID:0J9D/NAs
>>355
>人格的
部下の諫言を取り入れ、身内を贔屓せず、忍耐強く、進取の精神に富む
>思想的
法治主義、宗教の巧みな統制、儒教の取り入れ、百姓の保護
>実務的
能力を重視しつつも、アフターケアも欠かさない、組織構築にも優れた成果を残す
358人間七七四年:2009/07/16(木) 22:56:55 ID:skY1w/78
世界から取り残されたというが、開国後わずか50年で欧米列強に伍する位置まで発展したのは、江戸時代という安定の時代、学問の時代があったからこそだろう。
日下公人の著書によると、欧米人は「日本という扉をこじ開けたら、強い日本人が飛び出してきた」という印象を受けたそうだ。
359人間七七四年:2009/07/16(木) 23:04:43 ID:hdOcGpyb
江戸時代暗黒史観もうんざりだが、逆にそれを
極端に美化するような見方にもうんざりしてるんだけどな
360人間七七四年:2009/07/16(木) 23:06:29 ID:skY1w/78
>>355
いや、信長や秀吉のような天才の方こそ、見習うことができない。
長嶋茂雄さんなんかと一緒で、奇抜なアイデアや言動には再現性がなくて一般人は応用できない。
それよりも、家康のように凡庸であっても、誰でもできることだけど貫徹・完遂する人がほとんどいないことを
コツコツとやり遂げることが成功への確実な道であるのだ、ということを見習うことができる。
たとえそれが遠回りであったとしても、当たり前のことをコツコツとやり遂げることが、確実な方法だということを家康公は教えてくれていると思う。
361人間七七四年:2009/07/17(金) 00:53:30 ID:/U3jBonz
家康見習ったら、ろくな人間にならないね。
能のない汚い政治家の手本くらいだろ。
家康をどう解釈したらコツコツなんて発想がでるかね?
どうみても忍従と運だけだろ。
健康ヲタで長生きしてたら宝くじが当たった爺さんだろ。
参考にならんよこんなの。
362人間七七四年:2009/07/17(金) 01:44:31 ID:MklTeHrL
戦国と現代で全然違うのに天下獲りについて参考もなにもないだろう
363人間七七四年:2009/07/17(金) 05:50:34 ID:qvXEQ7Fs

なんだかんだ言ってみんな家康が好きなんだな

364仙台藩百姓:2009/07/17(金) 08:35:52 ID:nHc036Tj
>>357
そんなのどこの大名だってやっているじゃんお( ^ω^)
一体何を言っているのやら

>>358
徳川時代に抑制されていた民衆の力が解放されて本来あるべき形になったと言う事だね( ^ω^)
幕府がなくなればあれほどの急速な発展ができたのだから
初めからなければよかったのにね(´・ω・`)
365人間七七四年:2009/07/17(金) 09:12:50 ID:4oqU8PQn
幕府を開く時点で能無しフラグ立てたみたいなもん。
366人間七七四年:2009/07/17(金) 10:07:41 ID:A+vdEnhL
家康アンチスレでも立てたらどうだ?
わざわざここに寄生してないでさ。
367人間七七四年:2009/07/17(金) 10:41:07 ID:geikJ5J8
>>362
ゆとり乙
368人間七七四年:2009/07/17(金) 11:29:07 ID:Jqfsh7ne
>>364
>そんなのどこの大名だってやっているじゃんお( ^ω^)
>一体何を言っているのやら

全てをやった奴はいたかな〜?
369人間七七四年:2009/07/17(金) 12:46:29 ID:In3aYhCs
他はともかく儒教の取り入れはそんなに評価する気になれないな
200年余り一国の官学に居座って、他の学問研究を阻害した挙句、
肝心の儒教の分野でも徂徠学くらいしか日本独自のものを生み出してない
単なる体制維持に都合の良い学問取り入れただけで、頭脳の無駄遣いに過ぎなかったな
370人間七七四年:2009/07/17(金) 13:36:14 ID:geikJ5J8
運がよかっただけというが、運を引き寄せるための行動をコツコツやっていたのがわからないのか。
371人間七七四年:2009/07/17(金) 13:39:16 ID:n9G9E7wQ
家康の施策の根本は宗教的な見地から出てきたものが多いんじゃないのかな?
熱心な浄土真宗の信者だったらしいし
秀吉のブレーンが利休などに代表される文化人だったのに対して、
家康のブレーンは天海などに代表される宗教人なんだよね
372370:2009/07/17(金) 13:42:10 ID:geikJ5J8
成功者を見て「あいつは運がよかっただけだ」って嫉妬する奴ほど見苦しいものはない。
運がよかったように見えるだけであって、その裏には相当の努力や日々の習慣があるわけで。
それは何かを探って、そこを見習い、自分の行動や思考に反映させていくのが歴史から学ぶ
大切な要素の一つではないのかね。
もちろん歴史に限らず、日常の周囲の人たちを見てもそれは応用できることだ。
373人間七七四年:2009/07/17(金) 13:53:47 ID:4oqU8PQn
具体的に述べよ。
374人間七七四年:2009/07/17(金) 16:02:22 ID:3HpyasfD

なんだかんだ言ってみんな家康が好きなんだな
375仙台藩百姓:2009/07/17(金) 16:09:39 ID:nHc036Tj
家康の場合「運のみ」だからねえ
例え同じ資産家でも事業に成功して財を成した人は尊敬されても
宝くじで財を成した人は尊敬はされまいお( ^ω^)
それと同じだお( ^ω^)
376人間七七四年:2009/07/17(金) 16:31:34 ID:Eo9SSTGs
俺の家康のイメージは野村監督
377人間七七四年:2009/07/17(金) 17:09:22 ID:geikJ5J8
まあ運だけで総理大臣になる奴はいないからなあ。
本気で運で天下を取ったと思ってる人は努力を全くしたがらない目出度い奴ってことか。
378人間七七四年:2009/07/17(金) 17:36:29 ID:Bv3+GoHJ
>>375
ところで「宝くじ」は具体的には何だ?
379仙台藩百姓:2009/07/17(金) 17:40:00 ID:nHc036Tj
今の議員も思いっきり七光りだらけじゃんお( ^ω^)
あの無知蒙昧な連中がどれほどの努力をしていると言うのだお(#^ω^)ピキピキ
アホウ総理など明らかに常人以下だお┐ (´ω`) ┌
実力では総理どころか議員になるのすら無理だお( ^ω^)
380人間七七四年:2009/07/17(金) 17:44:49 ID:xgni8/70
>>371
「厭離穢土欣求浄土」の旗印は「風林火山」や「天下布武」に較べると有名じゃないけど家康の思想の現れだったのかな
旗印は武将の個性が現れていておもしろい
381人間七七四年:2009/07/17(金) 18:06:05 ID:Jqfsh7ne
>>369
江戸時代に成立した道徳って結構、儒の教えを反映している
やっぱ必要だと思うよ、中国や朝鮮ほどの悪影響もないし
382人間七七四年:2009/07/17(金) 18:07:37 ID:Jqfsh7ne
>>379
権力者を貶めれば、自分の価値が相対的に上がると考えている阿呆
383人間七七四年:2009/07/17(金) 18:14:30 ID:sIAy/msR
相手する奴も同類。スルーしれ
384人間七七四年:2009/07/17(金) 18:17:55 ID:7mLwPc35
ID:Jqfsh7ne
ID:geikJ5J8
こいつ等は百姓と同程度か釣られている分
それ以下の知能しか持ち合わせてない

下らんレスでスレを埋めるのに手を貸している
385人間七七四年:2009/07/17(金) 19:10:53 ID:geikJ5J8
>>384
まともに答えられないとそうやって相手の人格を攻撃するんですね。
そういう武将は戦国時代には生き残れなかったんだろうなあ。
386人間七七四年:2009/07/17(金) 21:16:48 ID:BSLYL+Xo
反論とか人格攻撃とかじゃなくて、荒らしの相手するなら消えろってことなんだよ
387人間七七四年:2009/07/17(金) 21:46:00 ID:Jqfsh7ne
弄って楽しむのも芸の内
どうせネタもないんだし
388人間七七四年:2009/07/17(金) 22:08:16 ID:t9Q5Ehso
ツマラン芸ですね。
389人間七七四年:2009/07/17(金) 22:19:09 ID:FT8vuVdL
どうせやるなら当時の情勢とかを資料にあたって説明してぐうの音もでないほどやれば面白いのに
ごく一般常識を弄んでるだけで見ててつまらない
390人間七七四年:2009/07/17(金) 23:32:54 ID:Jqfsh7ne
木戸銭無しでそこまでやる気はないね
391人間七七四年:2009/07/18(土) 00:04:20 ID:a/PL2JYU
研究者じゃないしね。
392人間七七四年:2009/07/18(土) 05:39:13 ID:e33C813a
昼間から仙台藩百姓にもてあそばれて可哀相な奴等だ
393人間七七四年:2009/07/18(土) 09:20:14 ID:0Bj68A6M
凡人が学ぶ対象を選ぶとすれば
信長、秀吉どころか政宗の足元にも及ばない
凡人代表の家康しか無いわな。
でもこんなのから何を学ぶのか知らんが
出来損ないの人間しか生まれないだろ。
サラリーマンが上司や同僚を騙したり、脅したり、
そういう事ばっかりしてのし上がる良い手本ですか。
394人間七七四年:2009/07/18(土) 10:00:48 ID:FRYfNz2X
部下を一切信用しないワンマンの方がいいとか
後継人事に関して他人任せがいいとか
謝罪のときに奇抜な格好でウケを狙う方がいいとか
頭がおかしいやつの発言がありますけどどうしましょうか・・・
やはり無職は社会を知らないんですかね・・・

それとキチガイ固定にレスしてるバカは死ね
おまえの方がスレ汚しだ
395人間七七四年:2009/07/18(土) 10:21:47 ID:a/PL2JYU
>>394
>それとキチガイ固定にレスしてるバカは死ね
>おまえの方がスレ汚しだ
396人間七七四年:2009/07/18(土) 12:06:03 ID:0Bj68A6M
>>394
おまえのレベルに合わせると
失態曝してウンコ漏らして反省している俺の自画像を
部下に描けと命令している方が良いと言っているようなもの。
誰も信長、秀吉、政宗から学べ何て言ってないし
何で頭おかしいと言われないといけないの?
397人間七七四年:2009/07/18(土) 15:13:16 ID:wXgeBDm6
悪意をもって見ればどんな好人物でも学ぶ対象にふさわしく無いと言えるよねぇ
398人間七七四年:2009/07/18(土) 15:14:14 ID:aNL4Pvxs
テレビ静岡でやってる
399人間七七四年:2009/07/18(土) 15:57:49 ID:H/cjuJBY
>>394
おまえは無職決定だな
400人間七七四年:2009/07/18(土) 16:08:58 ID:Ff7uFeas
厭離穢土欣求浄土の心境です
401人間七七四年:2009/07/18(土) 17:55:33 ID:PoQSyrxx
徳川家康
大坂夏の陣にて豊臣家をつぶし
徳川の世が永く続くようにして死んでいった

しかし
何故か
信長、秀吉といった英雄たちと違い
日本人には人気がない

何故だろう

律儀ものの仮面をかぶり
裏では悪辣な謀略の限りを尽くす家康は
どこか
現代の政治家といわれるものたちの生き様にだぶるものがある
402人間七七四年:2009/07/18(土) 19:30:25 ID:qoAlKYsk
単に感応する能力がないだけだろ
最上級の徳に対して、優れた人は感嘆し、中等の人は反発し、劣った人は何も感じない

信長・秀吉・政宗、これらの人はすべて家康に一目も二目も置いていた
403人間七七四年:2009/07/18(土) 20:28:32 ID:a/PL2JYU
402が核心を突いた。真理だね。
404人間七七四年:2009/07/18(土) 21:39:50 ID:QfLUiA1q
まったくだな…。
405人間七七四年:2009/07/18(土) 21:47:01 ID:PoQSyrxx
最上級の徳?

徳川だけに洒落かな?

普通、
英雄っていうのは
いいか悪いかは別として

大衆から圧倒的な人気があるはずなのに

家康は当時もさることながら
後世に至っても人気がない
もしも家康が東は徳川で
西は孫娘の婿豊臣秀頼に
任せていたなら

評価もちがっていただろうに

律儀ものの裏に見え隠れする悪辣さ冷酷さを
大衆は感得しているんだろう

つまり家康は
信長の冷酷さとちがう
正義面した悪党といえるだろう

まさに現代の政治家そのものではないか
406人間七七四年:2009/07/18(土) 21:53:31 ID:w04f/Bx9
>>405

>もしも家康が東は徳川で
>西は孫娘の婿豊臣秀頼に
>任せていたなら


死後に第2次関ヶ原がおきたらどうするんだよ
407人間七七四年:2009/07/18(土) 22:11:02 ID:q+6z/DN8
>>405
>もしも家康が東は徳川で 西は孫娘の婿豊臣秀頼に 任せていたなら

豊臣は既に秀吉の晩年から政治する器量なしの烙印が押されているの
豊臣だけがそれに気付かないだけ
日本国は豊臣のオモチャじゃないんだよ
当時の人間が豊臣の政治に不満があるからこそ家康に天下を渡したのだから
西日本を豊臣に任せるなんてそれこそ最大の裏切り行為だろ
408人間七七四年:2009/07/18(土) 22:25:14 ID:a/PL2JYU
>>405
英雄=大衆から圧倒的な人気がある

と考えている時点で(ry
409人間七七四年:2009/07/18(土) 22:36:09 ID:PoQSyrxx
家康は信長と秀吉の犬だったわけだ
よく長生きしたとは思うよ
たしか薬の調合とかも自分でやっていたとか

信玄にコテンパに負けて糞漏らしながら逃げときもそれを教訓にしたとか

家康も格下の秀吉に先越されるなんて
やっぱりただのデブだったのかな
天ぷらのたべすぎとかさ
410人間七七四年:2009/07/18(土) 22:50:45 ID:w04f/Bx9
>>409

>天ぷらのたべすぎとかさ

それ俗説や
411人間七七四年:2009/07/18(土) 23:20:01 ID:a/PL2JYU
ID:PoQSyrxxが家康を嫌ってるのはわかった。

だが残念なのは、嫌いという感情だけで全てを語っているところかな。
412人間七七四年:2009/07/19(日) 01:10:02 ID:/WB/vGmG
天ぷらの食べすぎが直接の死因になったというのは
現代の医学から明確に否定されている俗説だが、
鯛の天ぷらを腹いっぱい食べた家康が腹痛を起こしたというのは
当時の「慶長日記」などで確認できるれっきとした史実だろ
青年時代は一汁一菜を旨に粗食に励んだ家康も晩年は呆けてたとしか言いようがない
413人間七七四年:2009/07/19(日) 01:18:13 ID:b/IxisH2
この手のアンチ家康はとっくに否定され尽くした俗説しか持ち出さないから飽き飽きよ
414人間七七四年:2009/07/19(日) 06:22:15 ID:abaNaqWy
つーかアンチに易々と釣られてレス返してる奴が痛い
415人間七七四年:2009/07/19(日) 09:16:44 ID:xTi2mt0j
家康の功績は、島津、毛利、佐竹、上杉、伊達にびびって、
内政に専念したところかな?
おかげで関東政権が誕生し、忍耐の東国根性が全国に広まった。
416人間七七四年:2009/07/19(日) 09:55:23 ID:wV57LHr3
最近書き込んでるアンチって中学生か高校生くらい?
417人間七七四年:2009/07/19(日) 10:05:32 ID:Olt65CZ7
知能的にはそれぐらいじゃないのかな
それに反応してる奴もね
418人間七七四年:2009/07/19(日) 10:06:54 ID:cExfcsC2
無意味な空白行を入れるやつは放置しろよ
いちいちレスしてるから結果的に3倍4倍無駄レスが増えてる
419人間七七四年:2009/07/19(日) 11:04:20 ID:YVXa6hrE
なんで鎖国したの?
徳川は外征しなかったのは何故?
閉じこもって黒船に驚くって
420人間七七四年:2009/07/19(日) 11:14:19 ID:Olt65CZ7
鎖国というか世界的な情勢が>>218に書いてあるような状況だったから結果的に鎖国状態にならざるを得ないんだよね
外国勢力を拒否していたわけではなく、朝鮮通信使を迎えるのは体外的に重要なイベントだった

まあ東アジアが16世紀以降ヨーロッパに大きく遅れを取ったというのはなかなか興味深い問題だね
421人間七七四年:2009/07/19(日) 11:39:47 ID:GIazOSPS
スペインはイギリスに無敵艦隊を破られて制海権を奪われて没落していったな
スペイン・ポルトガルは新興のイギリス・オランダに取って代わられた
今と違って勝者しか自由に世界を駆け巡れない時代なんだよな
422人間七七四年:2009/07/19(日) 11:58:26 ID:R2j4DT+B
>>419
外征しなかったのは文禄・慶長の役で懲りてるからしなかったんじゃないの?
明治以降でも半島とか大陸に手を出したらろくな事がなかったからな
423人間七七四年:2009/07/19(日) 12:11:48 ID:/GmXxNzP
琉球に外征してるじゃん>家康
家康の代は朱印船貿易でぼろ儲けしたりと外交にも積極的だった
幕府が本格的に引きこもるのは家光の代くらいから
424人間七七四年:2009/07/19(日) 13:57:25 ID:APZb6NiT
家康の人気が無いのは黒いからだよ。
だから英雄のイメージには映らない。
信長、秀吉はかなり酷いこともしてるけど
結局、それらも英雄のファクターとされてしまっている。
>>405
英雄=大衆から圧倒的な人気がある
というのは非常に大切なことだね。
今も昔も本質はここにあるよ。
425人間七七四年:2009/07/19(日) 15:20:17 ID:UnrZ2w0o
>>424
嫌われてるのは司馬遼太郎に嫌われたからだろ





釣りだよ
426人間七七四年:2009/07/19(日) 15:29:06 ID:sI+vza17
頼朝、尊氏、家康…歴史上長期政権を築き上げた創始者は
みんな日本人には人気がない
根本的に、日本人のメンタリティにも関係あるんじゃね?
底意地が悪い、冷酷な奴しか長期政権を築けないという面もあるだろうが
427人間七七四年:2009/07/19(日) 15:31:31 ID:yc4I3mdP
後ろ暗い奴が嫌いなんだべか日本人
そう調教されたというべきか
428人間七七四年:2009/07/19(日) 15:33:31 ID:wV57LHr3
福澤諭吉もそうだよね。同年代の龍馬に比べて遥かに大衆的な人気がない。
これも司馬によるものか。
429人間七七四年:2009/07/19(日) 15:47:10 ID:1vwUlR7K
司馬云々というよりも日本人のメンタリティがそうなんでしょうな
その場の空気、雰囲気に流され易い
430人間七七四年:2009/07/19(日) 15:49:02 ID:wV57LHr3
まあそうですな。志半ばで倒れる、というのが日本人には受けるんだろうな。
家康の人気がないのは黒いからではない。大願を成就せしめたから。究極の勝者になったからだ。
431人間七七四年:2009/07/19(日) 17:02:25 ID:i56Tk5jP
>>419
当時から「鎖国」という言葉があったわけじゃなくて
日本人の出国、外国人の入国を禁止した一連の政策を「鎖国令」というわけだ
キリシタンの活動を抑えるためと西国外様大名が貿易で力をつけるのを抑えるために
この制度が必要だったわけだ
この制度のおかげで日本は欧米の近代化から取り残されたという意見もあるけどそれは大いに疑問だな
門戸を開いていれば無条件で技術が流入してくるわけでもないし
432人間七七四年:2009/07/19(日) 18:03:14 ID:wV57LHr3
他のアジア諸国が欧米の近代化についていっていたわけじゃないしね。
清と朝鮮を見れば明らか。そういう視点が欠けてる。
433人間七七四年:2009/07/19(日) 18:13:55 ID:b1u2xP8u
清と朝鮮も海禁令を布いて「鎖国」してたんだけどな
視点どころか世界史の基本的な知識が足りてないんでは
434人間七七四年:2009/07/19(日) 19:17:20 ID:YVXa6hrE
秀吉は世界に飛び出していったよね
朝鮮、中国と領土を拡大しようと。
失敗はしたけど

なぜ家康は日本に縮こまって外に向かおうとしなかったのかと思ってね

他の徳川の将軍もそうだけど

信長とかも鎖国なんかしないで
世界に飛び出していったような気がするし
435人間七七四年:2009/07/19(日) 20:08:25 ID:FfITsPsa
>>434
家康に限って言えば信長、秀吉よりもより海外貿易に積極的で朱印船貿易の頂点の時代なんだよ
最近では朱印船貿易は家康が行っていたと教科書で教えているらしい
その当時すでにペリーの黒船に匹敵する大きさの貿易船もあったというから驚きだよ
436人間七七四年:2009/07/19(日) 20:36:18 ID:nIjojmiI
鎖国政策は後進国が先進国に対してとる防衛手段だからね
後進国を植民地化するのにまずイエズス会を送り込んできて拠点を作ってから
軍隊を送り込んでくるのはその当時のスペイン、ポルトガルの常套手段
だから後進国側の日本にはキリシタンを取り締まる必要性があった
そのまま鎖国せずにキリシタンを取り締まらないでいれば平和的な貿易で発展できたかと言えば
そう簡単にいくものなのか大いに疑問だな
437人間七七四年:2009/07/19(日) 20:36:44 ID:xWuQ6EdM
家康は個人的な志向としては割と開明的な政治家なんだよな
司馬遼太郎が「政権の創始者である家康の陰険な性格が江戸時代全体の特徴となった」
という意味のことを言っているが、逆に閉鎖的な江戸時代のイメージが
家康の政治家としての人格に投影されて、誤った評価をされてる面も有ると思う
438人間七七四年:2009/07/19(日) 20:47:29 ID:nIjojmiI
その司馬遼太郎の見解もどうかと思うが、大抵家康が非難される時は
陰険な狸親父といった感じで非難されるよね
小説の影響もバカにならないから怖いよ
439人間七七四年:2009/07/19(日) 21:14:14 ID:1vwUlR7K
漫画なんかは好人物として書かれている例が多くなっている
「信長の忍び」なんかは良い例
440人間七七四年:2009/07/19(日) 21:16:51 ID:UnrZ2w0o
「へうげもの」とか?
441人間七七四年:2009/07/19(日) 21:30:03 ID:nIjojmiI
花の慶次でも割と大人物に描かれていたような気がするな
もっともアレは原作付きではあるが
442人間七七四年:2009/07/19(日) 21:47:53 ID:NY9H0ddr
ドラマのほうの真田太平記の家康はかわいいよ、黒い時もむろんあるが
443人間七七四年:2009/07/19(日) 22:04:11 ID:Hcp6Nw4M
なにも分かってない連中は小物が好きなんだよ
判官びいきにも繋がるし
444人間七七四年:2009/07/19(日) 22:28:19 ID:zD1P+gQh
タイとかフィリピンにあった日本人町ってきれいさっぱり無くなってしまったんでしょ?
東南アジアの利権抗争で欧州勢に敗れたのも鎖国の一因になったのでは
445人間七七四年:2009/07/19(日) 22:33:14 ID:wV57LHr3
因果が逆。日本町がなくなったのは鎖国になったから。
446人間七七四年:2009/07/19(日) 23:31:33 ID:1vwUlR7K
>>441
あれは原作より出番が多いし、より好人物として描写されている
もっともこれは風貌が勝新太郎だからのようだが
447人間七七四年:2009/07/20(月) 08:18:37 ID:bVJHkcTM
センゴクの成長していく家康も良いなぁ
448人間七七四年:2009/07/20(月) 08:40:13 ID:a66hY/es
家康が勝つしんたろう

真田幸村は誰?
449人間七七四年:2009/07/20(月) 08:58:37 ID:Fus1FfbO
>>448
長渕剛
450人間七七四年:2009/07/20(月) 09:22:24 ID:KgtqOc0b
家康が貿易を奨励してんのに、その二代後にあっさり鎖国するかね
秀吉までは世界に十分通用する軍事力持ってたのにびびり糞漏らしの家康が、南蛮人の野望に恐れおののいて、わしが死んだら鎖国するようにって指示だしてたのが真相じゃない?
そんな指示出してなかったとしても家康が作り上げた閉鎖的な官僚機構およびそのために生まれてくるバカ将軍がそういう後ろ向きな決定下したわけだから当然家康の責任だわな
過剰な軍事力を日本の発展のために使おうとした秀吉と、徳川家による天下を守るためだけに巨大で超閉鎖的な官僚機構を作り上げた家康
こんな小物が天下とったおかげで今の世界の顔色うかがわないと生きていけない日本になってしまった
451人間七七四年:2009/07/20(月) 09:53:49 ID:bVJHkcTM
だから鎖国せざるを得ない状況だったと・・・
452人間七七四年:2009/07/20(月) 11:05:11 ID:hNJIIGnr
>>442
池波さんは家康どころか秀忠も大人物に書いてる
453人間七七四年:2009/07/20(月) 14:14:40 ID:aFf/6NOW
>>450
>こんな小物が天下とったおかげで今の世界の顔色うかがわないと生きていけない日本になってしまった

ゆとり乙
454人間七七四年:2009/07/20(月) 17:41:18 ID:Zl0TFVaP
>>444
当時の海外に乗り出していった日本人の目には、次第に欧州に侵食される東南アジアがどう映っていたのかね?
その辺のことがわかる資料とかないのかな?
455仙台藩百姓:2009/07/20(月) 17:44:21 ID:0Fs9pSc7
いやはや誠でごさるお( ^ω^)
徳川幕府が結んだ不平等条約のお陰で国は滅びるし
60年以上に及ぶ隷属を余儀なくされるし本当にろくでもない事してくれたものだお( ^ω^)
徳川家は日本史上最大の国賊だお┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
456人間七七四年:2009/07/20(月) 18:42:59 ID:aFf/6NOW
>>454
当時の幕府の役人は、奴隷貿易のことは知っていたから、
そういう部分でオランダ人のことも軽蔑していたそうだ。
457人間七七四年:2009/07/20(月) 21:21:31 ID:FKITm+2F
海外での日本と欧米の衝突は平山常陳事件がある
これを機に日本は鎖国に傾いたと言われている
458平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/07/21(火) 00:50:04 ID:IKgcpL/B
>>223
上杉神社ってどんな感じの所ですか?
459平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/07/21(火) 00:55:23 ID:IKgcpL/B
>>331
家康公と麻生を一緒にするな!
460平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/07/21(火) 00:59:33 ID:IKgcpL/B
>>405
現在の政治家に家康公並みに偉大な政治家がいるのか?
461人間七七四年:2009/07/21(火) 09:29:55 ID:qt9x9Gkk
親父の方の中曽根さん見てると老いてなお盛んな感じが家康ぽい
あの人90過ぎてるよね
462人間七七四年:2009/07/21(火) 11:28:47 ID:ktdVQU1A
のこりかす
463仙台藩百姓:2009/07/21(火) 17:29:44 ID:6Qeft/qA
金丸なんかは家康タイプだおね( ^ω^)
464人間七七四年:2009/07/21(火) 18:20:16 ID:+Jxy1oo+
森がくりそつだお
おちゃめなところがw
465人間七七四年:2009/07/21(火) 18:30:40 ID:Sj79EsuW
小泉は信長タイプと言われたね。
466仙台藩百姓:2009/07/21(火) 23:17:49 ID:6Qeft/qA
小泉は前田利家タイプでしょお( ^ω^)
467平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/07/21(火) 23:54:40 ID:IKgcpL/B
オレは小泉純一郎は「平成の徳川綱吉」だと思ってる。
468奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/22(水) 07:06:03 ID:6sG4oOSP
光圀や綱豊に相当する人物がいないわけだが。
469人間七七四年:2009/07/22(水) 07:41:01 ID:3dBtWmqN
光圀みたいな糞野郎いたら困るわ
470奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/22(水) 07:52:01 ID:6sG4oOSP
小泉は若い頃の謙信タイプじゃないのか。

・影響力があり自身は弱かった兄(森)が存命
・マスコミ抱き込み完璧
・旧弊系ジジイ殺し
・死後に家がブレまくり
471人間七七四年:2009/07/22(水) 12:48:49 ID:h1x9MZWW
もし徳川がむごたらしいキリシタン弾圧 鎖国をしていなかったら

 かつてのアフリカ 南米 アジア諸国のように植民地にされていただろーなぁ

 むごたらしい過酷な労働をさせられて  でも その時代の人たちは大変になってたと思うけど
21世紀の日本人は 経済大国になっていなくても 他人でも気軽にあいさつを交わしたり

 重箱の隅突っつくような細かいことを弱いものに言いまくるような 国民性になっていなかっただろうか ?

アフリカ人なんかは実は人懐っこい国民性と聞いたが その優しさが実はあだになってしまったんだろうなぁ
472人間七七四年:2009/07/22(水) 22:19:39 ID:Rmu+Ys4N
そこに出てくる国々と違って日本は当時からかなりの強国とヨーロッパ列強諸国に認識されていたみたいだよ
473人間七七四年:2009/07/23(木) 16:30:18 ID:68kwnLzA
黄金の国ですからね。
474人間七七四年:2009/07/23(木) 20:48:00 ID:xzuvFCel
>>472
実際の国力はどう考えても清やオスマントルコより下なので
それがバレないようにうまく隠したことが日本の近代化を成功させた要因だろうね
475人間七七四年:2009/07/23(木) 20:59:09 ID:68kwnLzA
そして清やオスマントルコを一気に超えたという。
476人間七七四年:2009/07/24(金) 00:41:33 ID:Xo4Lt9/f
戦国末期には火縄銃の保有数が世界一だったから
簡単に征服などされまい
477奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/24(金) 00:55:05 ID:s1C94Hu1
兵器の保有数と勢力は比例しないだろう。
478人間七七四年:2009/07/24(金) 01:22:52 ID:RRE8V9M4
比例はしないかも知れないが、単純に征服されるとは考えられない。
479人間七七四年:2009/07/26(日) 14:48:43 ID:cqQT8bWs
age
480人間七七四年:2009/07/28(火) 10:49:45 ID:MPGPfvX6
>>476
大砲とかは少なかったけどね。
481人間七七四年:2009/08/01(土) 11:46:54 ID:St8qIN8H
保守
482人間七七四年:2009/08/01(土) 12:22:29 ID:BozxCMeI
徳川厨ってアンチにもっともっと煽ってほしいかまってちゃんが多いのかね
で、ちょっとでも煽られたらわけわかんねー徳川史観に頭完全に毒された暴論ID変えまくってひたすら列挙してくんのな
ほんとヤレヤレご苦労なこったぜ
ったくよ〜w
483人間七七四年:2009/08/01(土) 18:38:00 ID:+Vy1Tygk
つ鏡
484人間七七四年:2009/08/01(土) 18:54:33 ID:St8qIN8H
家康の生涯を学ぶことで、人生の指針を築くことができる。
485人間七七四年:2009/08/01(土) 19:06:34 ID:Dl2zaR52
そんな考えは無いなあ
武将としての家康が面白いから好きなだけで
486人間七七四年:2009/08/01(土) 22:11:39 ID:l0oGMwow
>>484
本当にこんな人がいたんだと思うとちょっと感動するね
指針というほどではないが励みにはなる
487人間七七四年:2009/08/02(日) 03:58:02 ID:RQqELeZJ
どんな励み?
今はイジメられてるけど、長生きして権謀術数駆使して子供や孫みたいな世代たぶらかしてのし上がる励み?
488人間七七四年:2009/08/02(日) 08:45:03 ID:1gQcHFZB
>>487
そういう発想がゆとりなんだよなあ。前の方のレスにもあったけど・・・。

当時の家康の生き方をそっくりそのまま実践しようとしても意味ないし、できるわけないだろ。
応用しないと。現代にも通じる部分を抽象化して抽出して、自分なりに咀嚼しておかないと。
それがわからないうちは、教えてクンには何を言っても意味がない。
489人間七七四年:2009/08/02(日) 17:22:20 ID:oJLRbDRi
現代に家康始め戦国の英雄が生きてたら、どういう行動をとるかだな
490人間七七四年:2009/08/03(月) 18:25:49 ID:hsvv1Y9S
後継者をしっかり育成してたイメージがある
秀忠って決して父親には及ばないけど、なんだかんだで無難に二代目勤めてたから
家康って人から学んで、先の先のことを考えられる人って印象
491人間七七四年:2009/08/03(月) 18:30:39 ID:s9lUKfuG
秀吉が戦国大名のアイデンティティを捨てきれずに終わったのに対し、家康は政治家として切り替えることができた点が大きい。
492人間七七四年:2009/08/04(火) 01:20:47 ID:eII3izoq
>>491
秀吉が健康であと10年ぐらい長生きしてたらどうしてただろうか

それを言ったら信長もなんだが
493人間七七四年:2009/08/04(火) 03:25:25 ID:1BxlzcsS
戦国大名としてのアイデンティティとか言われてもわからんな
家康も最晩年に至るまで武断即決の人だったし
家光以降は完全に文治に転換したけど、
それ以前の江戸幕府つうか徳川家はかなり戦国の家風を残してるよ
494人間七七四年:2009/08/04(火) 08:17:32 ID:EoLZExDw
直江に茶器ばかり大事にする軟弱な上方のブタ呼ばわりされてますがw
495人間七七四年:2009/08/04(火) 09:06:28 ID:8+YZ5NtM
家康は、今後は文治政治が大事だと認識していたんだろう。
だから子孫には文治政治に転換させた。
自身の時はまだ武断政治が必要だった。
496人間七七四年:2009/08/04(火) 09:40:30 ID:t8LTvIBQ
そんな軟弱なブタに戦わず屈した上杉であった
497人間七七四年:2009/08/04(火) 09:49:17 ID:2LQQ0bnU
>>494
直江状のうちが戦支度をしてるのは軟弱な茶坊主じゃないからっすよ
みたいなくだりの件は明らかに創作と言われてるな
498人間七七四年:2009/08/04(火) 13:19:29 ID:a304wMOu
仙台藩百姓の現れるところには最上厨もセットで現れます
大河ドラマの進行に歩調を合わせてw
499人間七七四年:2009/08/04(火) 15:02:30 ID:gzPiLtjp
徳川貶しても上杉の株上がらねーから。残念
500人間七七四年:2009/08/04(火) 15:37:30 ID:nqRmXkqj
家康は自分が天下を取れたのは武田信玄と石田三成のおかげだと言ったが、
その次くらいに上杉に感謝してるだろ
豊臣みたいに潰す必要もなかったしな
501人間七七四年:2009/08/04(火) 16:44:37 ID:8+YZ5NtM
>>500
ソースは?
502人間七七四年:2009/08/04(火) 18:37:14 ID:Sjgk0Hex
直江状出した直江さんは何がしたかったんだろう・・
503人間七七四年:2009/08/04(火) 19:16:39 ID:Eg6kPax4
>>497
ただ家康が動いたというのはやはり挑発してきたか、
動くに値する回答が来たんだろう、という考えも有り
前田みたいにごめんなさいと返事してれば家康も動きたくても動けなかったと
家康としてみれば反抗的な態度を取ってくれて幸いだったという
ただその後の東軍反転のときに景勝が責めなかったのは
やはり謎としか思えない
退く敵の後ろは攻めないとか言ったらしいけど、どうなんだろうと
伊達の動きにもかなり警戒してたんだろうが
その場合、家康次男の部隊だけで支えきれたかね
504人間七七四年:2009/08/04(火) 21:47:42 ID:k1Q5tFsg
>>503
そりゃ挑発はしてるだろうね。
文化人の直江が書中で茶をバカにした件は創作としても。
505人間七七四年:2009/08/05(水) 16:38:28 ID:Asz11YMY
>>503
関ヶ原というか東西両軍の衝突が一日で決着するなんて誰も考えられなかったんだろ、家康以外は
506人間七七四年:2009/08/05(水) 17:12:45 ID:KbkaA0+A
家康だって考えてなかったと思うけどね

そりゃ持ち上げすぎ
507人間七七四年:2009/08/05(水) 17:42:32 ID:Asz11YMY
たとえ考えていなかったとしても実際決着させているしw

西軍が取り囲む死地に飛び込む形の東軍の陣形は、
東軍が結束して死に物狂いで戦わないと活路が開けない形だよ
明らかに短期決着を狙っているし、この一戦にかける気合いが並ではなかったということ
508人間七七四年:2009/08/05(水) 20:52:13 ID:47ip5SrB
普通、両軍あんだけの大軍勢で戦いが一日で終わるなんて
考えないよな。
509人間七七四年:2009/08/05(水) 21:05:03 ID:WVRQRNgw
西軍ヤル気無さ杉
510人間七七四年:2009/08/05(水) 22:05:48 ID:wm1LN8au
で、やる気ない原因の多くが三成って事か
511人間七七四年:2009/08/05(水) 22:50:24 ID:p7IVb+lz
このスレ見てると司馬好きが多いことがよくわかる。
善と悪が出てきて読みやすいからかな。

おれは戦国時代全般的に好きだから山岡のほうがいいな。
家康厨って事もあるだろうが。

山岡の徳川家康はあの長さで絶対的な悪が登場しなかった印象がある。
戦国武将に対する愛の現れかね。

どの武将厨でも戦国時代が好きなもの同士喧嘩すんな
512人間七七四年:2009/08/05(水) 23:28:03 ID:wm1LN8au
でも山岡の家康って何考えてるかわからなくないか?
読んでても胸に落ちてくるもんがなかった
周りの登場人物のがよっぽどキャラが立ってた、秀吉とかさ
513人間七七四年:2009/08/06(木) 00:43:31 ID:n+n7bLFn
自分は山岡家康が読んだ小説の中で一番人間的でお茶目だと感じたけどなぁ。
作左や家臣とのやり取りはほとんど漫才だし。
山岡先生が家康ラブなのも読んでてよくわかる。
514人間七七四年:2009/08/06(木) 01:01:42 ID:SVsatW3K
>>512
そうだなぁ。山岡の家康は「太平の世作りがしたい」が基本で
野心とか好みとかそういった類の話は出てこないかもね。
そういう意味でも、主人公に感情移入できないというか・・・

しかもあの小説は徳川の話そっちのけで永遠と他家の話が
続いたりするしな。

でも、「家康と本多重次」とか「家康と信長」とか「信長と秀吉」とか
「家康と秀吉」あたりの関係や会話は好きだったね。


515人間七七四年:2009/08/06(木) 01:07:59 ID:SVsatW3K
>>513
作左:「殿のばか」
家康:「あきれた爺じゃ」

だな
516人間七七四年:2009/08/06(木) 01:33:31 ID:ukBang06
家康は短期決戦を考えてたからあの陣形なんじゃない?
石田の方こそが長期戦を考えてたから松尾山に城を構えたってことだから
ただまさかそこに小早川が・・・と
もともと石田も小早川は信用してなかったぽいし

仮に付いた側が勝った場合
250万石の家康の約束と、20万石あるかないかの石田との約束では
普通に考えたらどっちが信用度があるかというと、やっぱりね
517人間七七四年:2009/08/06(木) 01:49:51 ID:lbumMWtk
信用度とか?
たんに家康のほうが貫禄があって怖いってだけだろ
もし秀吉に言われたら
金吾は裏切らなかったよ

トシイエが生きていたら金吾も裏切らないな

三成は若いし、石高も低い。毛利は使えないし。まともなのは宇喜多と大谷くらいか

やっぱり前田が家康に従った時点で勝負ありだな。
518人間七七四年:2009/08/06(木) 02:26:49 ID:xZh7/ZuI
結局のところ
家康がすごい人物だってことは否定できないんだから後は好みの問題だよなあ
運があった、長く生きたってこと差し引いても
天下取る前からそれなりに名声が高かったわけだし
こういう保守的な常識人タイプの成功者が好きか嫌いかっていう話になると
俺は結構好きだけど、人気ないのはもう仕方ない
やることが結構エグいのは否めないしな
でも天下人なんてそんなもんだよな
楠木と尊氏にせよ頼朝と義経にせよ、日本で幕府開いたやつが
その過程で負かしたやつより人気があるの見たことない
負けた方は負けたから人気あるっていうのもあるだろ
519人間七七四年:2009/08/06(木) 07:06:16 ID:gp7ipyVl
>>510
あと当時の空気が、石田は保守で、家康は改革側だったからじゃない?
そして実は家康が超が付く根暗だったのが東軍最大の誤算。
520人間七七四年:2009/08/06(木) 08:01:25 ID:qv0umTBk
あれ?と思った奴も居ればこれで良し!と思った奴も居るさ
521人間七七四年:2009/08/06(木) 08:20:21 ID:JbHWLH+l
>>517
日本語としては「ひちがつ」が正しいがレッドブックの「なながつ」も間違いではない
ただ朝鮮人や関西人が良く使う「しちがつ」は明らかに間違い
これを使っていると日本人である事を疑われるので気を付けるように
522人間七七四年:2009/08/06(木) 10:21:56 ID:7J8B5CIO
少なくとも、日本の企業経営者の大部分が家康の生き方を参考にしていることは事実。
それだけ学ぶことがあるんだよ。
523人間七七四年:2009/08/06(木) 11:12:49 ID:FPg+ZzUe
そんなこと聞いたことないよ。
せいぜい信長・秀吉・家康この中でとかの話しだろ。
524人間七七四年:2009/08/06(木) 12:09:48 ID:tVdOW1OJ
中小企業の社長さんに信奉者が多い感じだな>家康
大企業の社長さんはあんまそんなことを言わなそう
いや、大企業の社長に知り合い居ないからイメージでそう思ってるだけなんだけど
525人間七七四年:2009/08/06(木) 14:53:30 ID:7J8B5CIO
>>523
はい・・・。
526人間七七四年:2009/08/06(木) 17:41:47 ID:xUaAmtLV
>>519
> そして実は家康が超が付く根暗だったのが東軍最大の誤算。

よく意味がわからん
527人間七七四年:2009/08/06(木) 20:35:43 ID:rPkz5geA
家康は陽気なほうでは?
何かの時、秀吉と一緒に諸侯の前で物売りの真似をしたとかいう
話を目にしたような…
528人間七七四年:2009/08/06(木) 21:56:45 ID:7J8B5CIO
陰気だというのはまさに司馬史観だな
529人間七七四年:2009/08/07(金) 00:30:34 ID:PhbE1/fu
根にもつタイプではあるようだ
530人間七七四年:2009/08/07(金) 02:56:10 ID:nUl5GGxY
家康は関東に移封されたのを根に持っていたんだよ
531人間七七四年:2009/08/07(金) 10:23:58 ID:3F1QetjF
家康が根に持つのも当然だろう。
関ヶ原以後200年以上根に持っていた連中もいるからなあ。
532人間七七四年:2009/08/08(土) 09:13:12 ID:qsHFd1pW
だが、隠居所に選んだのは三河や遠江じゃなく駿府だったな…

江戸との連絡のためだろうか?
533人間七七四年:2009/08/08(土) 09:42:14 ID:aqWxuqo6
少年時代を過ごした場所だからかな。
534人間七七四年:2009/08/08(土) 10:49:40 ID:IWjc9Qno
気候が年寄りにはやさしいからじゃない?
暮らすにはいいとこだよ。静岡は。
535人間七七四年:2009/08/08(土) 11:38:31 ID:aqWxuqo6
そういえばそんなこと言ってたっけ!
駿府は過ごしやすいって。
536人間七七四年:2009/08/08(土) 13:10:04 ID:8zwNGtws
あそこについては理由はいろいろあるね
元々人質時代は待遇は悪くなかったから嫌な気持ちではなかったところに
戦略的位置として江戸に遠からず近からず
気候も遠州浜松と違って冬は温暖だし
風水的にも江戸から見ていい方角なんだっけ
駿府付近の港も浜松辺りよりもいいのかな
537人間七七四年:2009/08/08(土) 13:26:37 ID:S64ivuT4
駿府城を一大国際貿易港にする構想があったんだっけ?
駿府は良港だったんじゃないのかな。
538人間七七四年:2009/08/08(土) 13:41:02 ID:COzBcTyY
秀吉は八公二民
家康は六公四民

何故家康が領民から慕われてたか
大部分の企業経営者が家康を参考にしてるなら
こういうとこを見習って欲しいものだ
まぁただの愚痴ですけどね
539人間七七四年:2009/08/08(土) 14:32:26 ID:aqWxuqo6
「早わかり江戸時代」という本によると、家康は家臣に恵まれていなかったそうだね。
一向一揆で寝返る連中、秀吉に出奔する連中、真田幸村に恐れをなして家康を見捨てて逃げる連中と・・・。
家康はこれらの家臣を罰することなく耐えたため、家臣からの信頼が厚くなり天下を取ることができたと書いてある。
540人間七七四年:2009/08/08(土) 14:48:06 ID:aqWxuqo6
津川の演じた家康は「側室は家柄の低い女に限る」と言っていたけど、
遺伝の関係で生まれてくる子どもの出来が悪くなるとかそういうところまでは
当時は考えていなかったのかなあ?
家康自身は天才だからいいとしても、できの悪い女の血を強く受け継いだらできの悪い子供にならないか?
忠輝なんかはその典型?
541人間七七四年:2009/08/08(土) 15:05:01 ID:davyo701
当時は”遺伝”の概念があったかどうかは知らないが、
家康が選別した側室は”機転が利く、賢い女性”基準だったぜ。

家柄があまりにも高いと、政争に巻き込まれた場合に家康本人の力でもどうにもならなくなるからな。
正室だった築山殿は名門今川の縁者で、宿敵甲州武田と姻戚関係。
それが力関係で徳川の上に立つ織田の娘と衝突したら、もはや家康の政治力で収拾がつくものではない。
そんな苦い実体験を踏襲せぬよう、高い家柄の女性を忌避するようになった。

まああんたとは違い、家柄の良さ=その人の出来の良さ という優生学もどきを信仰していたわけじゃないだけのことだろう。
542人間七七四年:2009/08/08(土) 17:02:48 ID:aqWxuqo6
最後の一言は余計じゃないか?
そういうのがあんたの至らないところだな。もうすこし 謙虚になれよ。
543人間七七四年:2009/08/08(土) 17:13:03 ID:davyo701
違う違う、俺は家柄が悪いからな。俺個人の責任じゃないぜ。

とまあ、謙虚の意味を知らん奴に言っても仕方ないかもしれんが。
544人間七七四年:2009/08/08(土) 17:48:46 ID:Xvfv1PGF
>>538
秀吉時代と家康時代の税率は変わんないよ
時代が下り幕府政権が安定して、初めて天領などで安くなった
545人間七七四年:2009/08/08(土) 18:00:10 ID:ELVwjEKD
>>537
信玄も駿河の港が欲しかったようだがあれはまたちょっと意味が違ってたようだし
546人間七七四年:2009/08/08(土) 18:05:41 ID:iuqgdw7z
「意外な」徳川家康のいい評価。
「外様」の大名や武将(例・藤堂高虎を重用した)を召抱えた。
上杉謙信・上杉景勝や重臣の直江兼続が「外様」を召抱えましたか?
「外様」に冷たくなったのは家光時代以降。
547人間七七四年:2009/08/08(土) 18:12:27 ID:Xvfv1PGF
有名な前田慶次郎さんは外様じゃないですか
あと慶次郎さんもそうですが、関ヶ原直前は加増転封のための新規家臣召抱えと
家康に対抗するための武力増強のためにいっぱい浪人雇いました
548人間七七四年:2009/08/08(土) 18:15:51 ID:iuqgdw7z
徳川家臣団は古参ベテランが健在だったから天下を取れたと私は思う。
織田や豊臣の様に「若手の成り上がり集団=(先輩軽視集団)」ではいけないのだ。
いい意味で「年功序列の模範組織」。
549人間七七四年:2009/08/08(土) 18:23:41 ID:ELVwjEKD
前も書いたが家康が好きなわけでそれ以降の子孫についてはべつにだなあ

>>547
ちょっと前までは全くの無名じゃなかった?
戦国ゲームヲタの間でも武将としての駒として扱いあったかな
全ゲームやったわけでもないから自信持って書いてはいないが
今の有名さだってどうみてもドーピング・・・

>>548
織田になら柴田・佐久間とか古株はいたよ
滝川・丹羽って年齢どうだっけ
森一族も古くから仕えてるし
550人間七七四年:2009/08/08(土) 19:02:10 ID:IWjc9Qno
>>540
家柄=出来の良さ はあてはまらない。
だいたい遺伝的にはこのころは高い方が危なくないかな。
血統守る為に近親婚繰り返してるし。
551人間七七四年:2009/08/08(土) 19:29:53 ID:czfy72pG
徳川家臣団だって、基本は若手の成り上がり集団なんだがなあ
552人間七七四年:2009/08/08(土) 19:49:14 ID:PSaUJsmJ
>>549
慶次がメジャーになったのはパチンコのせいです。
パチンコ大ヒット→原作の漫画バカ売れ→知名度急上昇。
ついでに直江も知名度ちょいアップ。まあ愛の兜被った人って感じですが。
553人間七七四年:2009/08/08(土) 20:03:28 ID:aTKASybj
立花宗茂は
親交のある清正から東軍に味方するようにいわれても
家康から東軍に味方したら五十万石を約束すると言われても

太閤の恩に報いるため
秀頼公を守るため
義を貫き大津城を落とす

関ヶ原の後に改易処分され家臣共々流浪の生活を送る
そんな宗茂に
豊臣恩顧でありながらいち早く徳川に従った加賀百万石の前田が十万石で召し抱えようとするが

宗茂は
腰抜けが何をぬかすかと一蹴

今度は敵対した徳川が召し抱え、ついには旧領柳川十三万石を回復し大名に返り咲く

一方で
家康に味方した
豊臣親族の正則の福島家、清正の加藤家、秀秋の小早川家は消滅
554人間七七四年:2009/08/08(土) 21:56:46 ID:ELVwjEKD
>>552
それがつい数年前からじゃなかったかなと
戦国ゲームの早い頃には武将としてエントリーされてたっけと
それがいつの間にか「家康が恐れた男」にまでなってるし・・・
小説以外の家康本はいくつか見たけど利家は当然警戒してたが
慶次の慶の字なんて見かけたこともなかった

>>551
もしかして言いたいのは、家が昔から仕えていたかどうかってことかも
例えば酒井・本多家はかなり前から従ってなかった?
555人間七七四年:2009/08/09(日) 00:14:20 ID:S/f4+9FY
>>554
まあね。
史実においては「よくわからん」ていうのが正解。
誰の子供かもわかってないし。
556奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/09(日) 07:30:08 ID:BCYCbA5w
安祥松平、酒井、石川、水野、西郷等は惣で繋がる義兄弟。
557人間七七四年:2009/08/09(日) 08:09:07 ID:tmzlh67A
>551
そうそう「人物」ではなく「家単位」では古くからの名家が多い。
でも、本多正信は「三河の老けた石田三成」とも言われる。
>548
織田信長にも古株の家臣はいたけど難癖つけて、追放だの強制隠居だのしている。
だから前田とか羽柴が出てくる。信長35歳以降にはほぼ自分と同世代以下で固めている。
先日の歴史番組では信長は若手を重用したと聞きます。
「信長討死」時点で生きていたのは、森長可(蘭丸の兄)と丹羽、柴田くらい。
>547
上杉家に直江兼続を脅かすほどの、「大名・重臣格レベル」の外様はいないですよ。
前田慶次郎は上杉では「用心棒のリーダー格」とも言われます。
558人間七七四年:2009/08/09(日) 08:15:08 ID:tmzlh67A
徳川家臣団は当時としては長命の人物が多い。
調べてみると、60代、70代、80代まで生きた人が多い。
再来年大河主人公の江と同じ年の、幕政初期の大老土井利勝も70歳くらいまで生きている。
老年期の家康に仕えた彼を「武将」に入れるかはぎりぎりの世代。
559人間七七四年:2009/08/09(日) 08:18:19 ID:tmzlh67A
>558
「天地人」の徳川家臣団が、ベテラン俳優で固めているのも理由がわかるはず。
でも再来年はもう少し有名な中堅俳優(30代半ば)も起用してほしい。
今年の配役は20代の若い人が見て「誰?」っ言う人ばかり。
他の家臣に「有名どころ」を固めたしわ寄せ?
560人間七七四年:2009/08/09(日) 09:20:16 ID:dueL6PHg
>>557
林や佐久間が追放されたのって、信長三十五歳未満でしたっけ?
柴田は最後まで残ったし、森や坂井など信長より年長の当主が
戦死したので、信長より若い息子があとを継いで取り立てられた
という例も多い。
ついでに、側近衆には若手の抜擢もあるが、同時に村井や武井
その他年寄りも長く最後まで重用されている。

信長の最後ってもう五十といっていいのだから、それより年上と
なると当然戦死なり引退なりしていてもおかしくない年齢。

個々の事情を無視して自説に都合のいい例だけを集めたってところだな。
561人間七七四年:2009/08/09(日) 12:01:53 ID:rdI06Xvy
>>558
やはりみんな家康の健康追求に感化されたのでしょうか。
天海にいたっては107歳まで生きたからなあ。
562人間七七四年:2009/08/09(日) 12:25:53 ID:uIo8R1z2
たしか天海僧正は家康より年上だったはず
逆に家康の健康観に影響与えた可能性があるんじゃないか
563人間七七四年:2009/08/09(日) 13:01:10 ID:NlTMtKLB
◆ ニッポンの「偉い人」116人
     3000人読者が選んだ  週刊文春8月13日・20日号(2009)

1 徳川家康   515
2 聖徳太子   428
3 坂本龍馬   381
4 織田信長   376
5 豊臣秀吉   150
6 野口英世   110
7 紫式部    79
8 伊能忠敬   70
9 卑弥呼     63
10 西郷隆盛   55
10 福沢諭吉   55
12 勝海舟    45
13 杉原千畝   42
14 伊藤博文   35
14 空海      35
14 千利休      35
17 徳川慶喜    26
18 吉田松陰    25
19 山本五十六   24
20 天璋院(篤姫)  22
21 武田信玄     20
22 東郷平八郎    19
23 上杉謙信      17
23 松下幸之助    17
25 伊達政宗      14
25 徳川吉宗    14
25 湯川秀樹    14
28 源頼朝     11
29 明治天皇    10
29 上杉鷹山    10
29 直江兼続    10
564人間七七四年:2009/08/09(日) 13:31:51 ID:rdI06Xvy
>>562
そうだね。
僧侶って長命が多いね。やっぱり質素な食事と生活が影響してるんだろうか。
忠輝が92歳まで生きたのには不謹慎ながらもワロタw
565人間七七四年:2009/08/09(日) 17:10:41 ID:j+pRqaI4
家康は「狸おやじ」と言われてるが、30代まで「細マッチョ」らしい。
40代以降中年太りしたようだ。「三方が原の戦い」に惨敗した後の、有名な「不愉快な肖像画」からそう言われる。
566人間七七四年:2009/08/09(日) 18:06:17 ID:rdI06Xvy
なぜ家康が入っていない?

現代の日本を立て直して欲しい昔の偉人、1位「坂本龍馬」
http://www.oricon.co.jp/entertainment/horror2009/rank/090812_02.html
567人間七七四年:2009/08/09(日) 18:07:22 ID:NlTMtKLB
肖像画から見るに晩年も痩せてた。
568人間七七四年:2009/08/09(日) 18:31:12 ID:ermyObtJ
>>563
ほー、これはすごい。頭一つ飛びぬけてるな
2〜4位が団子状態で、4位の信長と5位の秀吉がダブルスコア以上の差がなんとも・・
569人間七七四年:2009/08/09(日) 19:13:11 ID:24rOKtNb
週刊文春とオリコン、サンプル母集団が違いすぎるのかもねw
570人間七七四年:2009/08/09(日) 19:53:31 ID:NlTMtKLB
オリコンは統計じゃなくて来年の大河の宣伝活動だし。
571人間七七四年:2009/08/09(日) 23:21:24 ID:iAg7ennp
卑弥呼やら家光が入ってるのがまた………
572人間七七四年:2009/08/10(月) 20:43:00 ID:KXpSkXNy
やっぱ家康さんは尊敬されてたんや!
573平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/08/11(火) 03:31:39 ID:SXplcRpV
徳川秀忠は戦国武将に入りますかね?
574人間七七四年:2009/08/11(火) 04:29:39 ID:LzPvuDXM
>>563
家康公を尊敬する身としては嬉しい結果だ!!
575人間七七四年:2009/08/11(火) 09:10:48 ID:P/iL3Ss2
駿府城崩れたああああああああ
576人間七七四年:2009/08/11(火) 09:57:15 ID:zhPItbTE
秀吉の天下統一以前
伊達政宗(米沢・仙台・会津の最高150万石)
後北条氏(関東全土で最高250万石)
上杉謙信(越後、関東・上野東半分、越中・能登・加賀、最高200万石)
武田氏(甲斐・信濃・駿河・上野の全域、遠江の半分、三河・美濃・飛騨・越中の一部、最高200万石)
今川義元(駿河・遠江・三河の全域、100万石)
徳川家康(駿河・遠江・三河・甲斐・信濃、150万石)
織田信長(日本のほぼ半分)
三好長慶(四国東部と摂津・大和など、100万石)
尼子晴久(山陰8ヶ国で100万石)
毛利氏(中国全域で200万石)
大内氏・陶氏(中国・北九州で100万石)
長宗我部氏(四国全域で100万石)
大友氏(北九州で100万石)
龍造寺氏(北九州西部で100万石)
島津氏(九州大半で200万石)

豊臣政権下
豊臣直轄領(200万石。鉱山など経済利権は除く)
豊臣秀長(大和郡山100万石。跡継ぎがなく死後改易)
徳川家康(関東250万石)
毛利輝元(中国西部120万石。一族あわせて200万石)
上杉景勝(米沢・会津120万石。佐渡・会津の金山支配を許され実質200万石)
丹羽長秀(越前・加賀120万石。息子の代に10万石台に減封)
織田信雄(伊勢・伊賀・尾張・美濃にまたがり100万石。小牧・長久手の戦役で降伏し減封)
蒲生氏郷(会津92万石を与えられ都合100万石。息子の代に宇都宮12万石に減封)
577人間七七四年:2009/08/11(火) 10:12:46 ID:NEcegShS
>>575
家康公が守ってくれたんだよ
578人間七七四年:2009/08/14(金) 12:44:16 ID:ahF92quE
         ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ
         (.___,,,... -ァァフ|          あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
          |i i|    }! }} //|
         |l、{   j} /,,ィ//|       『おれは茶阿局のことを調べようと文献を漁っていたと
        i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ        思ったらいつのまにか阿茶局の資料を読んでいた』
        |リ u' }  ,ノ _,!V,ハ |
       /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人        な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
     /'   ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ        おれも何をされたのかわからなかった…
    ,゙  / )ヽ iLレ  u' | | ヾlトハ〉
     |/_/  ハ !ニ⊇ '/:}  V:::::ヽ        頭がどうにかなりそうだった…
    // 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ
   /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐  \    催眠術だとか超スピードだとか
   / //   广¨´  /'   /:::::/´ ̄`ヽ ⌒ヽ    そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
  ノ ' /  ノ:::::`ー-、___/::::://       ヽ  }
_/`丶 /:::::::::::::::::::::::::: ̄`ー-{:::...       イ  もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
579仙台藩百姓:2009/08/14(金) 13:55:17 ID:HMa1qzYO
家康の暴虐に対する怨念だお( ^ω^)
580人間七七四年:2009/08/14(金) 14:49:24 ID:tsiX5Ji2
>>558
利勝は遺伝じゃね?w
581人間七七四年:2009/08/18(火) 15:03:38 ID:JISxme4e
age
582人間七七四年:2009/08/22(土) 07:17:48 ID:35qzn6EJ
後継ぎは秀忠でベストだったか
583人間七七四年:2009/08/22(土) 11:51:33 ID:pzAZu+8L
ほかにいないだろう・・・次男は養子に出した身だから秀忠が一番上になる。
それに有力候補はみんな20〜30代前半で死んじゃったし、子供もいなかった。
長生きした六男はろくでなしだし。九〜十一男は子供だったし。
結果的にうまく収まった気がする。
584人間七七四年:2009/08/22(土) 12:26:18 ID:aMgoPe/y
秀忠はほとんど戦績もないし、関が原でも遅参してるから無能というイメージついちゃって可哀相だな
実際は外様の知行削って幕府体制を揺ぎ無いものにしたり、武家諸法度、公家諸法度を公布して
それ以前の政権と一線を課す体制築いたんだから偉大な政治家だろ
585人間七七四年:2009/08/22(土) 17:27:48 ID:pFf1+If6
関ヶ原の決戦場には間に合わなかったが、
大軍を見事に采配して真田昌幸の精兵を封じ込め、足止めしてやったぜ!
586人間七七四年:2009/08/23(日) 08:07:36 ID:PQ7NI3Gf
まがりなりにも 5代 綱吉 も家光の子供なんだし 家康の立派なひ孫になる

 ひどい将軍たったね この時代におきた 忠臣蔵の話が

 後世に 長く語り継がれているというのも 複雑な話だ
587人間七七四年:2009/08/23(日) 13:54:01 ID:JhA8L/8H
でも文化は栄えたし、死を穢れとする意識も根付いて現代に続いている。
ショック療法だったといえよう。それに日本全体に生類憐みの令が義務付けられたわけでもない。
588人間七七四年:2009/08/23(日) 20:50:18 ID:csQE8cb+
家康は秀吉の死後天下を狙ったのか?
せいぜい前田か上杉を叩いて領土拡大を狙ったにすぎないんじゃないの?
589人間七七四年:2009/08/23(日) 21:04:09 ID:l0DrE3kP
上杉征伐の途上で立ち寄った、伏見城大広間で一人笑っている
感情を平素、抑える家康にしては珍しい行為といえ、そうなると天下を得れるとの笑みともいえる
590人間七七四年:2009/08/23(日) 21:36:37 ID:csQE8cb+
一緒に行動してくれる大名が多かったから
笑ったのでは?
591人間七七四年:2009/08/23(日) 21:53:51 ID:l0DrE3kP
もしそうなら、大勢の大名の前で笑うでしょう
あの、動く配慮なら
一人で笑うとなると隠したい事でしょうな
592人間七七四年:2009/08/23(日) 22:00:49 ID:JkXuK7Ic
>>589
それは何に出てくる話?
593人間七七四年:2009/08/23(日) 22:18:19 ID:csQE8cb+
>>591
家康の性格じゃないの?
大勢の前で笑うと言いがかりで上杉をかばうものが出たりするかも
と考えて一人で笑ったかな。
西軍が挙兵は以外な展開になったと思ったと思う
594人間七七四年:2009/08/23(日) 22:34:21 ID:l0DrE3kP
>>592
慶長記
>>593
同じ項に鳥居元忠に何かあれば伏見城の金銀を鋳潰して
鉄砲の弾にして撃てと言っている
何らかの変事は想定していた
595人間七七四年:2009/08/23(日) 22:37:44 ID:csQE8cb+
>>593
用心してでのことで、できればそんな事態にはなって
欲しくなかった。小山会議で脱退する大名が多かったら
上杉征伐は辞めて、話し合いをしようとしたと思う。
596人間七七四年:2009/08/23(日) 23:11:43 ID:DR+G5+dy
>>595
それはないな〜、と思う。

過去、ここ一番の家康の領土拡大手法は、混乱に乗じた火事場泥棒。
 ・桶狭間後の、岡崎城復帰。
 ・本能寺後の、信濃・甲斐への拡大。
秀吉死後も当然同じだと思うね。大混乱して欲しかったはず。

国力圧倒的で、周りは一世代下の若輩大名ばかり。
自分と対等に相撲とれる奴なんざいない。

こんな環境で天下望まないワケないと思うけどね〜。
597人間七七四年:2009/08/23(日) 23:27:16 ID:JhA8L/8H
野心というより日本全体の平和を願っていたんだろう。
信長や秀吉がそれを果たしていれば家康も動かなかっただろうけど、
2人とも逝ってしまったから、本人は天命だと思って私情を捨てて
平和の実現に尽力したのだと思われる。
598人間七七四年:2009/08/24(月) 02:07:32 ID:RO/qd/as
>>597
平和を願ったってのは流石に山岡史観乙としか言えんが
豊臣内の対立が無ければ無理な行動は起こさなかっただろうとは思うな
599人間七七四年:2009/08/24(月) 02:16:04 ID:PCNkO4h5
平和なんか願うわけがない
単純に家康は野心から行動しただけ

しかも危ない橋は渡らない
600人間七七四年:2009/08/24(月) 02:50:55 ID:7ki6EJwr
平和を願っていたかどうかはともかく、平和をもたらしたのは事実だなw
601人間七七四年:2009/08/24(月) 08:48:26 ID:m4cYasqu
最後は勝利者
602人間七七四年:2009/08/24(月) 09:18:59 ID:pYoVqqCd
やっぱ強い男はかっけーな!家康ちょーかっけー!
603人間七七四年:2009/08/24(月) 09:22:34 ID:TR8FxK0D
義元、信玄、信長、秀吉、利家と死んでいくなか長生きしたからな
604人間七七四年:2009/08/24(月) 09:30:27 ID:m4cYasqu
とりあえず70過ぎて若い側室囲ってられたのは体力的にも男としても羨しい
家康が最後に側室孕ませたのっていくつの時だろ
605仙台藩時代:2009/08/24(月) 15:35:58 ID:b+pSXCEs
そんな低俗な事ぐらいしか誇るものがないのかお( ^ω^)プ
無趣味無教養のオッサン会話だお( ^ω^)
606人間七七四年:2009/08/24(月) 16:49:17 ID:ITX10nsq
>>596
大混乱より確実に仲間を増やし領土を広げて行きたかったと
思うよ。一応時代は、豊臣の天下で治まった訳だし。
607人間七七四年:2009/08/24(月) 17:22:34 ID:HhgD/iG8
どちらもありで考えていたでしょう
608人間七七四年:2009/08/24(月) 18:20:07 ID:TR8FxK0D
祟伝らブレーンがそそのかしたりして…

当時祟伝て徳川にいたっけ
609人間七七四年:2009/08/24(月) 19:35:11 ID:HhgD/iG8
崇伝は関ヶ原後、天海は既にいる
610人間七七四年:2009/08/24(月) 20:16:05 ID:OMDZ9osI
>>606
寿命考えたら、そんなにノンビリしてられないんじゃないかな。
秀忠は守勢の人だし。
結果的には関ヶ原後も随分生きるけどね。
611人間七七四年:2009/08/24(月) 21:07:56 ID:ITX10nsq
>>610
お家の存続安定が第一の家康公と思う。
天下は2の次だろう?
612人間七七四年:2009/08/24(月) 21:30:36 ID:Moir0NiB
秀吉死んでから関が原が起きるまでの家康のポジションが好きだわ。
司馬さんがこの辺りの感じ上手く書いていたけど、
「義元を知っていて信長を知っていて信玄を知っていて氏政も知っている。
なんてどてらい人なんだぁ!歴史の生き字引ではないかー!」
つって色んな武将がこの人のところに集まってきたんだろう?気持ち良かっただろうな。
613人間七七四年:2009/08/24(月) 21:47:38 ID:HhgD/iG8
>>611
獲れると判断するまでは長いが、
判断したら最後、徹底的にそれに邁進する男かと
614人間七七四年:2009/08/24(月) 22:05:58 ID:jjF2A0rN
この人はこうあるべきという確固たる国家観をもっていたと思うんだよね
615人間七七四年:2009/08/25(火) 00:02:27 ID:5QZyTgPh
うん。朝鮮や明を征服するなどという妄想に取りつかれた、国際秩序に無知なサルとは違う。
616人間七七四年:2009/08/25(火) 01:07:39 ID:q7mEkDvk
>>612
その時期に秀吉の遺した掟を破って諸将の反応試してみたりいろいろ試行錯誤してるね
家康は他人におだてられたからといって付け上がるタイプじゃないから結構悶々としていたらしい
三成が挙兵してくれたことを後々も感謝してるようだし
617人間七七四年:2009/08/25(火) 09:44:01 ID:sJVjTa6t
確かに秀吉や信長みたいなセンスの良さは感じないけど
家康って思想家としては一角だと思うな
結果的に関東異封があったからだと思うんだが、
天下取りは早雲以来の北条のメソッドを上手く取り入れてやったように思う
618人間七七四年:2009/08/25(火) 10:17:41 ID:2d4YImM8
先人を見本にしてヘタ打たないように細心に細心に生きてたんだろうね
619人間七七四年:2009/08/25(火) 10:51:28 ID:5QZyTgPh
家康の人生哲学は、凡人でも見習えるところがあると思う。
620人間七七四年:2009/08/25(火) 11:08:10 ID:sAgscTgi
>>618
大将が下手打つと家臣から農民、その子供らまで被害がまわるからな。
細心さは上に立つ人間には絶対必要な資質だ。
621人間七七四年:2009/08/25(火) 11:34:29 ID:knBZWzs0
天海、崇伝、林羅山等の宗教家、学者が政策ブレーンだったのが豊臣政権と違うね
622人間七七四年:2009/08/25(火) 11:40:32 ID:pAs4qaNZ
何を見て細心と言うのかねえ?
三方ヶ原とか小牧長久手なんて普通に考えれば勝ち目ないぞ
関ヶ原だって大博打だろうに
そりゃ事前の工作はやれるだけやるだろうが
623人間七七四年:2009/08/25(火) 11:46:55 ID:knBZWzs0
けっこう要所では勝負にでてるな
624人間七七四年:2009/08/25(火) 13:04:59 ID:hqGiVD+l
三方ヶ原は殆どヤケクソだったようにしか思えない
625人間七七四年:2009/08/25(火) 14:17:22 ID:y7OSZT/7
普段は忍耐強い家康だが、戦場に出ると「行け、行け〜!!」と
拳で前鞍を叩き続けたので拳から血が出るほどだったらしい。
626人間七七四年:2009/08/25(火) 14:52:18 ID:AjPd8aIf
まさに狸の化身
627人間七七四年:2009/08/25(火) 14:58:53 ID:1eoP5YNA
そういう血の気の多い男がじっと我慢してるのがすごいところだな
628人間七七四年:2009/08/25(火) 15:09:24 ID:ouaDh2vs
我慢に我慢を重ねた末に解放する快楽
629人間七七四年:2009/08/25(火) 16:09:00 ID:BNaotP7B
我慢か滅亡しか選択肢ないのだから我慢するしかないですよねえ^^
630人間七七四年:2009/08/25(火) 21:22:38 ID:c0bxqjkb
>>624
上にも書いてあった気がするが
あそこでヒッキーやってたら
武田に寝返ろうか迷ってる連中に徳川は何もできないやつと見下されてさっさと逃げられ
それ以外の家臣にも動揺を与えるかもしれないから
負けは見越して戦ったという説も有り
戦わずして負けるより、戦って負ける方を選んだと
631人間七七四年:2009/08/25(火) 22:26:50 ID:5QZyTgPh
三方ケ原のときは家康も若かったしね。
小牧長久手は負けない自信があったんだろう。
632人間七七四年:2009/08/26(水) 00:06:24 ID:9EAy6goB
秀吉も家康も小牧では
戦を楽しんだんだよ
633人間七七四年:2009/08/26(水) 00:29:53 ID:f8HSjIGQ
良い迷惑ですなあ
634人間七七四年:2009/08/26(水) 02:18:30 ID:KSVh7ci0
三方ヶ原で家康の首取らなかった信玄のおかげで
息子を始め何人の人間が無駄に散ったことか
635人間七七四年:2009/08/26(水) 07:12:02 ID:+jCYS2Wj
そんなこといったら清和源氏作った清和天皇のせいで
どれだけの人間が死んだのかと
636奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/26(水) 07:21:59 ID:n4/x0MyA
おっと元平親王の虚しさを語るのはそれまでだ。
637人間七七四年:2009/08/26(水) 09:44:01 ID:BGxoxLuq
>>634
いや、あそこで家康が死んでいたら、現在の日本はありえない。
家康が生きていたからこそ、日本に平和がもたらされたのだ。
638仙台藩百姓:2009/08/26(水) 13:41:21 ID:IoXnsgFD
家康さえ死んでいれば日本もこんな隷属国家に成り下がらずに済んだおにね( ^ω^)
639人間七七四年:2009/08/26(水) 17:32:39 ID:sEdKT16i
元和二年にれっきと死んでいるが?
こいつはアフォか
640人間七七四年:2009/08/26(水) 20:19:36 ID:f8HSjIGQ
相手すんな
641人間七七四年:2009/08/26(水) 22:18:27 ID:D4RpZmAr
>>634
なんだかんだで浜松城は堅城
そこに逃げ込んでしまった家康の首を取るために
時間も兵も使って手間取ってるわけには行かないと
信玄は正しい動きをしたにすぎないと思う
そもそもあの時点で信玄の体はボロボロだったようだし
あの戦と勝利は必要だったが、それ以上は要らないと
642人間七七四年:2009/08/26(水) 22:24:30 ID:D4RpZmAr
>>631
信雄があんなことをしなかったら
秀吉包囲網がどうなってたか興味深くはあるね
織田には従ってたが羽柴にはどうしようか、と考えてた勢力もあったと思うし

織田親子の話は昨日深夜NHKでやってて
家康もしかたないとはいえ、組んだのが信雄だったというのが
“あの時点での”運の尽きなのかなあと
でも結果論になるけどそれはそれでよかったから後に天下を獲ったわけだし
643人間七七四年:2009/08/26(水) 23:08:47 ID:K0h+4KvG
>>642
織田親子(テレビ)について詳しく頼む。
644仙台藩百姓:2009/08/26(水) 23:19:18 ID:IoXnsgFD
むしろ家康と組んだのが運の尽きだおね( ^ω^)
家康は信雄のお陰で命拾いしたけど
ホント悪運だけは強いお( ^ω^)
645人間七七四年:2009/08/27(木) 00:37:48 ID:xWQjkgc1
ってか家康しかいないだろw
646人間七七四年:2009/08/27(木) 06:45:17 ID:Mdpkc9xd
まぁ結果論でいえば豊臣から徳川に天下が移って良かったんじゃない
豊臣政権だとまだあっちこっちに大大名が残り過ぎてて、例え家康が野心出さなかったとしてもまたすぐにバランスが崩れて戦乱突入しそうだし
膿は早めに出したほうが良かったんだよ
もっとも出し過ぎではあるけどね
多少の緊張感は残しておいたほうが危機管理できるから
647人間七七四年:2009/08/27(木) 19:21:06 ID:oAa4vq6I
648人間七七四年:2009/08/27(木) 19:59:32 ID:TQ1Ml6MI
18 名無し三等兵 sage 2009/08/27(木) 19:36:31 ID:???
人質に行った幼君竹千代君を待ち続け、松平家を誰も
乗っ取ろうとしなかった三河の連中は凄いな。
649人間七七四年:2009/08/27(木) 22:06:17 ID:ipL8rHL4
信孝はあまり興味がなくて本能寺以後しっかり覚えてないが
多少は気骨はあったらしいとか
でも家康が組んだのが凡庸信雄
これは織田家中の序列のために仕方ないこと
信孝は人望もイマイチだったらしいし
しかしあそこでもしも組んだのが信孝だったら?
650人間七七四年:2009/08/28(金) 10:38:40 ID:NVU4tqEt
家康はあえて信忠と組んだんだろうな。
651人間七七四年:2009/08/28(金) 12:10:54 ID:/oHLJ1Nl
>>650
信忠は死んでっぞ
652人間七七四年:2009/08/28(金) 12:22:55 ID:NVU4tqEt
間違えた。信雄ですた。
家康が信孝を選ぶとは思えない。
653仙台藩百姓:2009/08/28(金) 14:14:54 ID:Q1ljyR+e
そりゃそうだお( ^ω^)
信孝死んでるし
654人間七七四年:2009/08/28(金) 14:54:06 ID:vo4IIclL
ジリ貧待つより家康も立つとしたら大儀名分と信雄という盾の有る
あのタイミングしかないわけで
信玄の時みたいにかなわずとも意地だけは見せようと。
相変わらず進歩は無いが運だけは人一倍だからな。
655人間七七四年:2009/08/28(金) 16:51:08 ID:nr24Tgh5
進歩大有りだろ
同じ寡兵での戦で相手を翻弄しまくったのだから
秀吉が信玄より戦下手だっただけではあるまい
656人間七七四年:2009/08/28(金) 18:36:42 ID:OtNmUto1
秀吉はともかく、秀次が無能だったからな
657人間七七四年:2009/08/28(金) 19:07:28 ID:2aNHK0Rz
あの時点でも佐々・雑賀・長宗我部とかあちこち秀吉に反感を持ってたのと手を結べてたから
信雄がうだうだ時間稼ぎやってたり、シャキッと立ち上がればどうなってたか分からんね
北条とか伊達だって反羽柴陣営にきそう
毛利も織田と結んだのは同盟ではなく休戦だよね
あのまま時間がたって、家康の裏工作が及んでたら
休戦は織田とやったことで羽柴とは何も無い、となってたんじゃ

と、けっこう適当な記憶で書いてみたwww
658人間七七四年:2009/08/28(金) 19:32:49 ID:/oHLJ1Nl
>>654
北条みたいに滅ぼされるよりは一か八か立つしかないだろう。
織田家継承権何位かの信雄も味方だし。
勝てなくとも力を見せつけて豊臣政権において優遇されたいだろうし。
659658:2009/08/28(金) 19:38:42 ID:/oHLJ1Nl
俺も適当な記憶で書いてみた
660仙台藩百姓:2009/08/28(金) 19:46:54 ID:Q1ljyR+e
徹底抗戦になってたら徳川なんて消滅していたお( ^ω^)
自力で抗し得ない烏合の衆がいくら集まって包囲しても無駄なのは周知の事実
空気の読める信雄が秀吉と和睦したお陰で家康も逃げ道が出来て救われたのだお( ^ω^)
あんなアホなタイミングで野心出して死にかけたのにホント悪運だけは神懸かりだおっおっお( ^ω^)
661人間七七四年:2009/08/28(金) 20:13:59 ID:NVU4tqEt
そう思わせといてしっかり勝つのが家康公のすごいところだよな
662人間七七四年:2009/08/28(金) 22:26:25 ID:2aNHK0Rz
>>658
あの時点では驚くことに信雄は継承権は1位じゃなかった?
信孝は信長弟挟んでその2つ下とかいうのはよく見る
でも信忠長男はどこに入るのかな、1位に繰り上がるのかな

ただなんにせよ家康は織田家のゴタゴタには自分から指1本触れることが出来ない立場
織田家の人間でなく、あくまでも外にいる同盟者
あの時点で対抗しようとしたらやっぱり手を組むのは信雄のわけで、
運が悪かったと言っていいのかどうなのか

でも外にいたからこそ織田家が崩れたときに、甲信地域の奪取が可能で、
そのおかげで大きくなったことで秀吉もうかつに手を出せなくなったというのもあるし
歴史って後から見ると面白いな、当人たちは命がけだけどww
663人間七七四年:2009/08/28(金) 22:46:23 ID:NVU4tqEt
テレ東によると、理想の日本男児の1位は坂本龍馬だそうだ。
その理由は、リーダーシップ、行動力がものすごいからとのこと。
それなら家康公が抜群に有していたわけだが、家康はランキングに入っていない。

しかし、現在の女性が男に求めるのは、優しさ、経済力、誠実さだそうだ。
これも家康公は備えていた。
こう考えると、徳川家康という男は完璧ではないか。完全無欠の男だ。
664仙台藩百姓:2009/08/28(金) 22:47:43 ID:Q1ljyR+e
清洲会議を知らないのかお( ^ω^)
徳川厨は支離滅裂だお┐ (´ω`) ┌
665人間七七四年:2009/08/29(土) 00:31:46 ID:Xf4et8LH
>>663
所詮世の中そんなものさ
666人間七七四年:2009/08/29(土) 01:40:28 ID:K6Mql33o
日本男児っていうレベルじゃないから。
667人間七七四年:2009/08/29(土) 02:05:21 ID:lDKGTeGc
リーダーシップや行動力、経済力は文句なしだろうが、
女性には優しくも誠実でもないんじゃないの>家康
つうか理由がなんであれ、嫁と息子殺してる旦那が女性に好かれるわけない
668人間七七四年:2009/08/29(土) 07:01:42 ID:awgMwnQk
他人の嫁を大量に殺そうとした石田三成が腐女子に人気な件について
669奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/08/29(土) 07:04:31 ID:PIySBMXL
>>663
同時代の女たちに受けたからからこそ、70前後でも子供を儲けていたと考えればいいんじゃないの。
後世の受けなんざどうでもいいやな。
670人間七七四年:2009/08/29(土) 10:24:13 ID:SMbyFJPO
>>663
坂本龍馬がトップって単にイメージ的なものだろw
玄人好みのする家康がそういうランキングに出てくることはむしろ珍しい
671人間七七四年:2009/08/29(土) 11:22:53 ID:B5aHMdBf
>>668
戦国無双のおかげ
672人間七七四年:2009/08/29(土) 11:50:01 ID:1E5+5FF+
>>670
理想の政治家だったら家康トップかな。
673人間七七四年:2009/08/29(土) 11:54:04 ID:B5aHMdBf
>>668
つけくわえると無双の中では腐女子に配慮したのか
三成が人質とろうと事した事は奇麗になかった事になって
左近がスタンドプレイでやったようになってるよ。
674人間七七四年:2009/08/29(土) 12:26:40 ID:UMfo2kgq
豊臣相手にタヌキ化する以外はね
675674:2009/08/29(土) 12:29:26 ID:UMfo2kgq
>>674>>663へのレス
676人間七七四年:2009/08/29(土) 13:13:07 ID:sER7SXNU
>>667
築山と旭は押し付けられた嫁だからなあ
それ以外は可もなく不可もなくなんじゃない、正室じゃないし
戦国の女は名前すら残ってない場合は珍しくないから
いちいち一人一人にどうだったなんて分からんよ
677人間七七四年:2009/08/29(土) 13:40:59 ID:lDKGTeGc
>>668
他人の嫁(自分以外)なら幾ら頃されようが女性はあんまり気にしないんじゃね
678仙台藩百姓:2009/08/29(土) 14:18:52 ID:q+lPjw9O
我が身可愛さに嫁や子供達を惨殺したり冷遇したり
妾大量に置いて女色にふけり、おまけにケチ
一体どこに優しさ、誠実さがあるのだお( ^ω^)…
金もってても自分だけで溜め込んでいては無意味だし
ついでに容姿も悪く超メタボだし人間的に面白みもないしモテる要素が全くなし・゚・(ノω`)・゚・。
金や権力狙いの女しか寄ってこないタイプだお( ^ω^)
679人間七七四年:2009/08/29(土) 23:47:55 ID:yY9BYtf5
徳川幕府に散々いじめられた伊達びいきの百姓が家康を悪く言いたくなる気持ちは分からんでもないが、政宗も充分メタボだぞ
680人間七七四年:2009/08/29(土) 23:58:58 ID:1E5+5FF+
1983年放送の大河ドラマ「徳川家康」を見れば、>>678の誤解は解けるだろう。
野心むき出しの伊達政宗を、寛大な御心で諭し改心させた家康公の人柄には恐れ入る。
これぞ天下を治めるにふさわしい御方であった。
681仙台藩百姓:2009/08/30(日) 08:30:14 ID:j8i7nHZT
それは架空キャラの徳川家康じゃんお( ^ω^)
682名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:06:11 ID:86pd2RDd
>>681
君は本当の家康を知ってる自信があるの?
683名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:16:10 ID:eXgT5SsN
金や権力狙いで女が寄ってくるのなら、それはモテてるってことだろうに。
何が気に入らないのかね
684名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:25:28 ID:aG0wIbXc
信長は宣教師も特筆するくらいのイケメンだったし、秀吉は不細工でも筆まめでねねとは当時珍しい恋愛結婚だった
家康は確かにあんまりもててるというイメージはないな
むしろ女性は性欲の吐け口兼跡継ぎを産む機械だと割り切ってた節がある
685名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 10:42:42 ID:o6/y1Afk
おまえら頼むから荒らし固定は透明にしてくれ
あぼーんでなく透明あぼーんだ
686名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:30:04 ID:/xB1Wjy9
皆ヒマなんだろ
687名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:21:25 ID:86pd2RDd
>>684
不細工でもなんとなく感じのいい顔ってあるよね
688名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:32:06 ID:QKRGfCbr
関が原で、島津に中央突破許したり、
夏の陣で、真田に攻め込まれたり、
家康本陣て、案外手薄なんですか?
689名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:53:38 ID:uW5BjJh0
退路を出陣位置に求めない特攻なら普通に可能
690名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:10:29 ID:61Ui9Tf7
家康本陣は旗本何万騎とか数だけ多いはったりかまし用の烏合の衆
朝鮮にも連れて行ってもらえず実戦経験ほとんどなく普通に弱いです
691名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:18:53 ID:o6/y1Afk
大坂のときは全体に兵が弱くなってたのは事実のようだけど
関が原のときはまさかの行動だったから
でもその関が原のときは島津を逃がす余裕はあったみたいだね
どうせもう東軍の勝利は確定していて
あの狂人のように突き進んでくる連中にわざわざ向かっていって
こっちまで怪我するのは馬鹿馬鹿しいと
それでつい追ってしまった井伊直政が後に鉄砲傷で死亡ということだし
島津も家康本陣前で方向変えて逃げたところからもいろいろと分かるね
逸話ではあろうけど、義弘が家康に向かって挨拶してから逃走したとかいう話も見たことがある
692名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:39:01 ID:uW5BjJh0
>>690
後方警備しかしなかった福島正則も弱卒ですな
693名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 15:18:09 ID:KKG1Q2vs
徳川家康は、朝廷から幾らで征夷大将軍の官位を買ったんな?
694仙台藩百姓:2009/08/30(日) 18:15:25 ID:j8i7nHZT
かなりケチったんじゃないお?( ^ω^)
朝廷は最後まで豊臣贔屓だし
695名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:53:47 ID:laHzD8YN
今日は天地人を見ようと思う。
家康がどんだけ悪者にえがかれているのか。捏造大河ドラマを見てみる。
696名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:02:59 ID:86pd2RDd
俺は大河の西田敏行の家康がけっこう良かったな。
697名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:09:25 ID:o6/y1Afk
>>695
俺もさっきNHK見てたら予告が出たんでちょっと興味が出たけど迷ってた
そしたらそういえば今日はいつも見てる日テレの番組が
24時間で潰れてるから見ることに決めた
つーか時間前倒しでもう始まるじゃん!
698名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:14:32 ID:JsJJsUHL
葵徳川では秀忠だったけどね^^
かなりハマリ役でよかった。。

ってか秀吉が生きている間に、家康を止められなかったという事は、
既に家康の方が強かったって事?
699名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:35:23 ID:VxzripGR
秀吉の最後の時期はかなり耄碌していたイメージ
700名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:40:14 ID:/xB1Wjy9
松方家康が主役食ってるな
701名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:47:40 ID:kCd9qi5/
正直、津川家康を超えるキャスティングはないと思う
702名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:52:45 ID:/xB1Wjy9
異議あり、自分には梅之助家康が一番だ
703名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 19:53:57 ID:o6/y1Afk
久しぶりに見たのに
シナリオがウンコすぎて絶望した
704人間七七四年:2009/08/30(日) 20:39:53 ID:laHzD8YN
82 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 09:18:29
戦国板家康スレで政宗厨が暴れている


意味が分からん
705人間七七四年:2009/08/30(日) 21:21:50 ID:NNusqmWb
家康は梅之助が一番イメージに合ってたな
706人間七七四年:2009/08/30(日) 21:55:10 ID:laHzD8YN
松方家康の頭のコブみたいなのは何?
707人間七七四年:2009/08/30(日) 22:01:15 ID:HIa6K4Jp
秀吉が生きてる間は家康イエスマンに徹してたからな
唐入りでもイケイケだったし
708人間七七四年:2009/08/30(日) 22:42:41 ID:o6/y1Afk
でも国内統治用戦力と称してうまいこと渡海しなかった戦略もさすが
709人間七七四年:2009/08/31(月) 00:01:54 ID:duJIzDkK
残った理由は何?
710仙台藩百姓:2009/08/31(月) 00:20:18 ID:2eG84Y/I
秀吉の気分次第に決まってるじゃんお( ^ω^)
家康の意思など関係ないし
711人間七七四年:2009/08/31(月) 10:01:53 ID:Vu5zYYct
籠売りの芸が上手かったから
712人間七七四年:2009/08/31(月) 15:31:58 ID:nDhkCDbH


-政界事情通生の声 ◆cc3RB/STnCwU氏
8月上旬に民主獲得議席数307と予想。

】生の声が政治を語る9
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/yume/1250922463/7
http://c.2ch.net/test/-/yume/1250922463/i


713人間七七四年:2009/09/01(火) 10:15:47 ID:jlAinDyK
天地人で前田利家が家康の首に脇差をかけて脅すシーンがあったけど、
あんなことしてないよね? つうか本当にしたら大変な事ですよね。
松方家康は声を裏返してビビってたけど、どこまで家康をコケにするんだ
って思いました。
714人間七七四年:2009/09/01(火) 12:03:49 ID:unQie/id
妥当な扱い。と笑いました。
715人間七七四年:2009/09/01(火) 17:03:29 ID:jlAinDyK
まあ勝者への嫉妬があるのは仕方ないけど。
716人間七七四年:2009/09/01(火) 19:01:17 ID:E16SFhjy
>>709
一番の原因は、律儀者・凡庸というイメージを保ち続けたからだろう
謀略の基本は、律儀・凡庸を装うこと(相手が自分を信用して警戒を解いてくれないと、謀略は成功しない)

家康の律儀者のイメージは、清州同盟を長期間にわたって誠実に履行したということが大きかったと思う
戦国時代を通じて、20年間も同盟が維持されたのは極めてまれ
この実績はでかいよ
当然、秀吉も家康を信用しまくっていた
マザコンの秀吉が大政所を人質に差し出すことの意味は大きい
他の大名から警戒された節はない
多くの書簡に書かれているように、同時代人は家康を凡庸と評価していた
実際の戦績をみると凡庸なわけがないんだが、同時代人がそう思っていたということは
三河物語で表現されているように、家康は意識的に凡庸を装っていたということだ
そして戦国の最後の段階で、家康の謀略に他の連中はものの見事にハマっていった・・・ってことだろう

これ見よがしに非凡を装う田舎大名では、太刀打ちできない領域の話だな
717仙台藩百姓:2009/09/01(火) 19:18:36 ID:YTRvR1Gx
まあ、どう見ても逆だおね( ^ω^)
凡庸な家康を祭り上げる為に伝説を捏造し非凡な人物像を作り上げようとしたわけだおね( ^ω^)
秀吉は家康だけじゃなく皆に対して律儀律儀言っているし
文面からするにあれは逆に疑ってるから釘を刺してるだけだお( ^ω^)
718人間七七四年:2009/09/01(火) 20:40:29 ID:mksRSBkn
>>713
直江兼続が主人公のドラマだから仕方ない
ドラマ自体あまり面白くないし、家康がどこまで矮小化・悪者化されるか位しか興味湧かない
719人間七七四年:2009/09/01(火) 21:30:26 ID:EMRujQxh
朝鮮出兵に関しては、逆に活躍して加増される機会を与えてもらえ
なかったという評価もできるんだよな。東国大名だからというのも
あるだろけど。
720人間七七四年:2009/09/01(火) 23:49:10 ID:AXpwVCjb
>>716
同意過ぎる。正直感心した。
721人間七七四年:2009/09/02(水) 00:22:16 ID:n/Q23c6J
20年間も同盟が維持されたのは極めてまれって言うけど対等な関係じゃ無いし
ほぼ属国なんだから
722人間七七四年:2009/09/02(水) 01:05:31 ID:1a8a61HW
>>721
現実ではそうならないように信長の方もうまいこと気を遣ってたよ
臣従はさせず、しかし対等にもならずというかあの差は対等は無理だな
だから家康のほうでもなんとか独立家としてのプライドも保ってたし
臣従してたら何からなにまで独裁者信長の指図どおりのはずだけど
実際は自由に遠江・駿河を動き回ってたから
だから織田家臣が徳川に入ったり、その逆も無かったと思うが
それと家臣の立場だったら本能寺後はもっとすごい争いになってたよ
家康は部外者だと自覚してたから直接口は挟めなかったわけで
そこはちょっと悔しかったと思う
でも家康だってまさか信長が・・・と思ってただろうし
その本能寺のときにわざわざ接待したのもまさに同盟相手としての証拠だよ
織田家臣に家康の世話をさせたんだしね

本当に家臣扱いだったら徳川の猛将の何人かは引っこ抜かれてたと思う
それで代わりに誰かをと
723仙台藩百姓:2009/09/02(水) 08:51:17 ID:rwncSpqW
なるほど
信長による徳川の扱い方が極めて巧妙だったと言うわけかお( ^ω^)
確かに信長は下々に対して変に傲慢な態度取ったりしないし
三河衆のような田舎者は少しおだててやれば乗ってくるし
そのあたりの機微を察していたのだおうね( ^ω^)

>本当に家臣扱いだったら徳川の猛将の何人かは引っこ抜かれてたと思う
だから徳川に猛将なんていないお( ^ω^)
織田家中の顔触れみたら徳川の芋侍なんぞ欲しがるわけあるまいお( ^ω^)
724人間七七四年:2009/09/02(水) 10:11:36 ID:QHbLJZCY
>>722
「同盟は対等」とか思ってません?
同盟にも上は対等から、下は従属・属国までピンキリあるんですよ。
>721は属国とは言っているが、臣従・併呑吸収されたとは言っていない。
725人間七七四年:2009/09/02(水) 10:49:02 ID:wpNZ/gC+
国力の圧倒的な差を考えれば同盟の解消などありえないと思うよ
特に家康が律儀な性格だったからとかいう理由で同盟が維持されたわけじゃないだろ
726人間七七四年:2009/09/02(水) 11:37:03 ID:oWoggyTi
家康にとって織田を去って武田に就くという選択肢がなかったわけではない
援軍をよこさなければ武田と組むしかないんですが・・・と信長に申告したこともあったようだし
ちなみに秀吉に臣従していたときにも、もう断交だ、と何度も思ったそうだ
迷いながらも忠節を守っているから律儀なんだろ
言いなりになるだけならただの奴隷で、武将としての価値はそこまでということ
727人間七七四年:2009/09/02(水) 12:18:14 ID:k51ESCao
もう断交だ、と何度も思ったとしても実際問題できんだろ
728人間七七四年:2009/09/02(水) 12:20:27 ID:QwMIFyn0
今川氏真を思いっきり裏切っているのに、
律儀者とは、よく言うわ
729人間七七四年:2009/09/02(水) 12:38:23 ID:k51ESCao
要所で自分にとって最適な選択をし行動を誤らなかった
結果生き残って最終的な勝利者になった
偉大なリアリストだ
730人間七七四年:2009/09/02(水) 12:45:02 ID:CDJVKkAJ
>>729
同感。誰にでもできるもんじゃない。
731人間七七四年:2009/09/02(水) 13:43:48 ID:QtMKBUhm
>>728
武田が今川との不可侵条約を無視して駿河に攻め込んだだけ
裏切ったのは武田であって家康は関係ないね
732人間七七四年:2009/09/02(水) 15:27:51 ID:PkGEIshe
「いつかビッグになるぜ!」つって40近くまで夢みてる
現代のNEETとはやはり違うよな
733仙台藩百姓:2009/09/02(水) 15:38:23 ID:rwncSpqW
義元、信長、秀吉らの外圧を一度も自力で跳ね退けていないと言う点が致命的だおね( ^ω^)
だからラッキーマンとしか評価しようがないお( ^ω^)
734仙台藩百姓:2009/09/02(水) 16:40:50 ID:rwncSpqW
だが家康には一つの真理があるお( ^ω^)
「何事も極めれば成功する」という事だお
普通、才覚のあるものは上を目指し知略を尽くして障壁を崩しに掛かるけど
小をもって大を崩すのは極一部の英傑にのみ可能な事であり
殆どがその過程で斃れていくのだお( ^ω^)
その点家康は恥も外聞もなく本気で媚びへつらい
ただただ身の安泰のみを図るという一点に尽くしたお( ^ω^)
そして少しずつオコボレに与りそれを固く守る事を続けるうちに
気付けば才覚あるものは潰し合い或は自滅し勝手に斃れてゆき
家康は凡庸ながらも最大勢力を持ち天下が転がり込んだお( ^ω^)
これも家康が本気で権力者に取り入ったが為だお( ^ω^)
735人間七七四年:2009/09/02(水) 19:48:14 ID:MqtAt+Vb
江戸幕府て400万石しかなかったの?
織田、豊臣の最盛期と比べてショボくね?
736人間七七四年:2009/09/02(水) 20:29:25 ID:siBz1RBN
もっとあるよ
737人間七七四年:2009/09/03(木) 01:07:18 ID:7yvCjG65
>>728
一応弔い合戦やろうぜと誘うことは誘ったんだよ
そこで氏真が立ち上がってれば家康も加勢しただろう
何もしないで引きこもってるやつにいつまでもついてる義理は無い
今川の純粋な家臣ですら離れたのに
同じく危機に立ち上がってとりあえずやる気を見せたことで
部下の離反をできるだけ避けたのが三方ヶ原
あの時代とはいえ家康のことだから信玄の体調不良は掴んでただろうし
738人間七七四年:2009/09/03(木) 08:10:28 ID:UVXjgHjn
今川としては今すぐ弔い合戦する時期ではないという判断だったのでは?
もっと勢力を盛り返してからという
松平織田に内通してるかもしらんし
誰が味方で誰が敵かも見極める必要あるし
そしたら腹黒狸が案の定…
739人間七七四年:2009/09/03(木) 09:04:32 ID:gQPot4rb
よく今川が家康を厚遇してたとか言うけどそっこーで反旗翻されて
攻撃されてんじゃん 相当間抜けですね今川くんは…
明智に謀反おこされた信長レベルの雑魚です
740人間七七四年:2009/09/03(木) 09:41:14 ID:PfEi8vsx
あんまり氏真さんのことを悪く言うなよ
741人間七七四年:2009/09/03(木) 14:58:19 ID:lPMmmIuA
家康は家臣の意見をよく聞いて織田と同盟結ぶことにしたみたいだね
家康は厚遇されても家臣は冷遇されてるから当然の結論だが
742人間七七四年:2009/09/03(木) 16:09:25 ID:K34UQ7Wn
家康は伊達に対する「百万石のお墨付き」を反故にした酷い奴。
はっきりと「二本松塩松信夫伊達長井田村は伊達にやる」って書いてるのに、
(仙台市博物館に実物展示されてるから見ろ)文章に書いてること守らないなんて酷いわ。

そのくせ豊臣の方広寺の梵鐘ごときの文章にケチつけて戦争始めるんだよな。
743人間七七四年:2009/09/03(木) 19:42:42 ID:SYcvYdRc
>>742
政宗の行動にも問題があるからな・・・。
744人間七七四年:2009/09/03(木) 21:01:41 ID:wW4ui01y
>>738
見極め期間が長すぎるよww
年齢的なもので仕方ないとはいえ義元の前に雪斎が死んでたのが響いたね
それにしても雪斎以外に頭を使う家臣がいなかったのか?
今川ネタだからもういいや

>>739
それは違うな
心の根本的な一番の土台の部分は「岡崎に戻る」があったはずだから
チャンスを逃がさなかったのは普通

>>742
空手形なんてどんな武将も多少の差はあれ出してるだろ
口約束だけで上手いこと騙した例なんて残らないし
ただ家康の場合は地方の田舎当主で終わらずに
全国レベルになったから書物が残ってたり、数が多いから残ったりするだけで
745人間七七四年:2009/09/03(木) 21:18:26 ID:Z4NqC+FR
反論になってない反論きました
746人間七七四年:2009/09/03(木) 23:48:09 ID:N+4+lH6A
家康って織田に人質に奪われなかったら
速攻で滅んでただろ。ガキの頃から運がいいよな。
747人間七七四年:2009/09/04(金) 01:09:32 ID:d8yLWOhA
>>742
それは伊達が上杉と真面目に戦って押さえ込んだ場合の話だろ
上杉と戦わずに南部に一揆扇動している時点で約束を破ったのが伊達であることは明白
何もしない奴に100万石の恩賞など与える必要などない
上杉と戦う勇気がなかった伊達が腰抜けなだけだ
748人間七七四年:2009/09/04(金) 08:29:23 ID:HofdSAh5
関ヶ原で政宗と上杉が内通してた説があるらしいけどこれの信頼できるソースってある?
749人間七七四年:2009/09/04(金) 09:39:56 ID:CpB1WjyD
白石城は密約で渡したなんて言ってるアホもいるが、それはともかく、
家康が反転した以後は、政宗は上杉の反撃を恐れて何度も結城秀康に会
津侵攻を再三依頼し、無視されると9月29日の書状でついに「お前ら
鷹狩りばっかりしてんじゃねえ!ふざけてんのか」とブチ切れてる。

一方、8月3日の直江書状には講和が進んでることが記されてるし、8月
18日の来次氏秀書状には、7日に政宗が西軍加担を申し出たことが記さ
れてる。

当然の二股外交だが、終始家康派で上杉と内通したように見せかけた(直
江はそれを疑ってる)のではなく、どっちに転んでもいいようにしてるん
だろうな
750人間七七四年:2009/09/04(金) 15:21:42 ID:texdlzun
信玄を崇拝している時点で家康は無能を露呈しているわけで
だからやれることは信玄と同じ火事場泥棒働き。
雑魚相手ばかりで態度がでかい糞。
その雑魚にもこれまた信玄と同じく紙一重の苦しく汚い騙し討ち勝利。
情けない無能ぶりを全開発揮。
現代の取り柄の無い無能たちには大人気。
「無能でも天下は獲れる -ボクデモトレタ- 」って本出せよ。
ベストセラーになるぜ
751人間七七四年:2009/09/04(金) 16:01:29 ID:BsCsteTV
750さんみたいな人はどんな武将が好きなんだろう。
案外戦国時代嫌いだったりして。
752人間七七四年:2009/09/04(金) 16:21:46 ID:FOztaGHi
戦国時代なんて火事場泥棒だらけだもんなw
753人間七七四年:2009/09/04(金) 16:46:08 ID:TC+GPn6G
>>748

内通っていうか、対最上で利害が一致するから何らかの
外交はあったろう。
ソースを提示できないのが悔しい…でも…(略
754人間七七四年:2009/09/04(金) 21:25:25 ID:gkXBdKfQ
>>751
絶対に書かないよwww
もちろん反撃されるのが嫌だから

チャンスが来たら動く
動けたのが家康
755人間七七四年:2009/09/04(金) 22:14:14 ID:YMNIOikJ
神君なんて崇め奉った時点でこの国は終わっていた。
756仙台藩百姓:2009/09/04(金) 23:01:17 ID:0ZrZMl7j
うむ
神格化ほど馬鹿げた事はないお( ^ω^)
時代が変われば物事の在り方も変わるのは必然
古習に囚われて柔軟さを失い形骸化するこそが国を滅ぼす最大の要因だお
神格化などは初めからその布石をするも同然な愚かな行為だお( ^ω^)
757人間七七四年:2009/09/04(金) 23:21:46 ID:5zw89+65
お前も死んだら神様だな
758人間七七四年:2009/09/04(金) 23:25:31 ID:bAvmD52p
それなら天皇なんて世界一神格化に成功した遺物が未だに残っている日本は何回破滅すればいいんだ?
759人間七七四年:2009/09/04(金) 23:27:28 ID:qyO5WxyD
>>749
政宗は賭けに失敗したということだな
家康だけに賭けていれば百万石だったが、
両方に賭けたから微増に留まった
760人間七七四年:2009/09/04(金) 23:27:49 ID:5zw89+65
未来永劫破滅し続けるのさ、鳩山夫妻を見ればわかるだろ
761仙台藩百姓:2009/09/04(金) 23:53:45 ID:0ZrZMl7j
>>758
天皇は長年直接的な統治と無縁な存在だったからよいのだお( ^ω^)
それを統治者として引っ張り出して神格化したから案の定国を滅ぼしたわけで
本来の君臨すれど統治せずの形に戻ればほぼ無害な存在だお( ^ω^)
あくまで神格化の害は政治家や軍人など統治の実務に当たる存在にあり
宗教や芸術芸能などに於いては必ずしも害を為すものではないお( ^ω^)
762人間七七四年:2009/09/05(土) 00:30:03 ID:j2gpl7oj
>>734
信念の勝利ですね。
763人間七七四年:2009/09/05(土) 05:38:11 ID:yu/I6O9N
>>759
もしも西軍が勝った場合当然100万石は無しになるし東軍についたってことで潰されてたかも知れないから賢い判断だと思うよ
764人間七七四年:2009/09/05(土) 06:33:53 ID:/o/O3qw5

さあ!仙台藩百姓さんも御遠慮なく
政宗くんの肩たき体操を楽しくいたしましょう!

       肩たたき 
            西城九十 作詞
            中山晋平 作曲 

家さん お肩を たたきましょう
タントン タントン タントントン

家さん たんこぶ ありますね
タントン タントン タントントン

徳川には 非がいっぱい
タントン タントン タントントン

タヌキの 置き物 わらってる
タントン タントン タントントン

家さん 白目を 剥き出して
タントン タントン タントントン

家さん そんなに いい気もち
タントン タントン タントントン


      御協力ありがとうございます
          
           政宗くん肩たたき協会
765人間七七四年:2009/09/05(土) 10:09:48 ID:j2gpl7oj
>>764
僻みにしか聞こえませんが何か?
766人間七七四年:2009/09/05(土) 13:48:47 ID:0S80ex1l
ワードでNGにした
767仙台藩百姓:2009/09/05(土) 17:28:19 ID:bOlFBvM2
まんじゅう食いながら腰抜かしたり
利家に短刀突き付けられて腰抜かしたり
家康も気苦労が絶えない男だお( ^ω^)
768人間七七四年:2009/09/05(土) 18:10:44 ID:j2gpl7oj
>利家に短刀突き付けられて腰抜かしたり
捏造大河を信じ込むなよw らしくないw
769人間七七四年:2009/09/05(土) 19:12:57 ID:E+DTVe7c
そおだよなあ
あんな風林火山の武田信虎ぱくったくるみ鳴らしてる家康より、まんじゅう食って腰抜かしてる家康が今はまんまイメージだなあw
770人間七七四年:2009/09/05(土) 22:54:25 ID:0S80ex1l
おまいも捏造の像をそのまんま頭に染み込ませちゃってるな
771人間七七四年:2009/09/06(日) 13:50:11 ID:UgAD5Ydu
wikiとか見てると大賀弥四郎のくだりが丸ごと山岡荘八の小説から引っ張ってきてるようだけど
ここら辺って実際あったんかね?
772人間七七四年:2009/09/06(日) 14:05:03 ID:RiacJpay
山岡荘八が丸ごと「三河物語」から引っ張ってきた話です
773仙台藩百姓:2009/09/06(日) 17:49:43 ID:foccfdhJ
家康が都合悪い事必死に隠そうとしても
大久保にずけずけ書かれちゃうなんて余程人望なかったのだね( ^ω^)
774人間七七四年:2009/09/06(日) 18:15:38 ID:Q6Yh1ueS
そうだよ。家康の家臣は不良ばっか。
それをうまくまとめ上げて天下を取った家康は、偉大なリーダーと言える。
ちゃんと働くべきところでは働いてくれるよう、寛大な心で忍耐強く
家臣を信頼していたんだよね。
775仙台藩百姓:2009/09/06(日) 18:33:50 ID:foccfdhJ
まとめられてないから勝手な事するのだお( ^ω^)
三河衆みたいな愚直なだけの田舎者ですらこの有様では
とてもじゃないが目端の利く他国人は扱いきれなかったお( ^ω^)
信長みたいに皆が皆、天下を狙うような家臣を集めるから寝首を掻かれる
徳川は愚直なだけの小さい人間しかいなかったから上手くいったのだ
と勝先生が言ってたお( ^ω^)
776仙台藩百姓:2009/09/06(日) 21:42:20 ID:foccfdhJ
天地人の近頃珍しいあからさまな家康小者設定にワロタお( ^ω^)
777人間七七四年:2009/09/06(日) 21:57:27 ID:Q6Yh1ueS
>>775
違う違う。まとめられないようだが、まとまるべきところではしっかりまとまってる。
それがガス抜きとして働いていたから、家康は天下をとれたんだよ。

まあ、まとまりがまったくなかったとしたら、それで天下をとれた家康公は超偉大だね。
778人間七七四年:2009/09/06(日) 22:00:32 ID:Q6Yh1ueS
家康も家臣には好き勝手やらせてたんだろうな。
779人間七七四年:2009/09/06(日) 22:03:51 ID:OeGHWyzE
>>776
あんまり小者じゃ貶しがい無いからのう
お前の存在意義も無くなるw
780人間七七四年:2009/09/06(日) 22:53:04 ID:xJqaryZ9
どうせ悪役にされるんだったら
もっと目立てよと思った
今回の大河
まあでもここからだな
781人間七七四年:2009/09/07(月) 10:58:40 ID:nmugEn1S
かつてここまで真の家康像に迫った大河があっただろうか!!
すばらしい!!
782人間七七四年:2009/09/07(月) 11:29:45 ID:2BM1zh0c
テレ東のまんじゅう家康の方が神!
おそらくあれが真の家康像w
783仙台藩百姓:2009/09/07(月) 11:39:58 ID:fkKef19p
あの番組はクオリティ高いお( ^ω^)
脚本といい役者の演技力といい大河の比ではないお( ^ω^)
784人間七七四年:2009/09/07(月) 11:40:30 ID:PnGVpY1l
ここまで煽っておきながら、義に溢れているはずの主人公が家康に降伏して
大坂の陣でも言われるままに動かされるのだからな
家康の偽善者いじめはいつ見ても気持ちいいね
785仙台藩百姓:2009/09/07(月) 12:17:46 ID:fkKef19p
愛と義のスーパーヒーローが降伏するわけないじゃんお( ^ω^)
きっと家康が「天下泰平の為に協力してくださいませお( ;ω;)」
と畳に額を擦り付けて哀願し
兼続が「天下の為なら仕方あるまいお( ^ω^)無能な貴殿では資金繰りも大変であろうから90万石恵んでやるお( ^ω^)」
と気前よく徳川の恭順を認めてやるのだお( ^ω^)
786人間七七四年:2009/09/07(月) 15:31:50 ID:fLYraDtW
仙台藩百姓の妄想はおもしろいね
787人間七七四年:2009/09/07(月) 17:53:08 ID:Q/YYLgay
下衆の勘繰りとはどういう思考法なのか、参考になるね
788人間七七四年:2009/09/07(月) 20:32:46 ID:5cD3coX7
見えないものについてのレスはいいかげんやめれ(´・з・)

ところでおまえら家康LOVEなら大河実況で家康レスしてくれよ
なんかアンチ家康が明らかに多いから結構肩身が狭いぞww
789人間七七四年:2009/09/07(月) 20:39:08 ID:zSk5ufFV
うるせえ
巣に帰れ
790仙台藩百姓:2009/09/07(月) 21:36:06 ID:fkKef19p
では漏れが後詰めに参ろお( ^ω^)
791人間七七四年:2009/09/07(月) 21:40:41 ID:rKOo7ZyX
大河実況で家康好きレスはできんよ
だってドラマ自体見てないもん
792人間七七四年:2009/09/07(月) 23:58:03 ID:/u+5+grY
鎖国は失敗だと思うわ。失われた300年。
793人間七七四年:2009/09/08(火) 00:18:55 ID:2Gc6qO3/
別に家康が鎖国したわけじゃねえだろ
鎖国実施はもうちょっと後の時代
794人間七七四年:2009/09/08(火) 00:37:20 ID:sU8Q4Wqp
いつも思うけど開国に夢見過ぎだって
795人間七七四年:2009/09/08(火) 02:02:42 ID:1fCWxbmw
>>794
同意。
鎖国のお陰で日本の文化が確立したし平和に過ごせた
796人間七七四年:2009/09/08(火) 02:59:20 ID:EtMYE0zO
オーストラリア日本人が見つけてたかもしれんよw
797人間七七四年:2009/09/08(火) 03:04:16 ID:Sn0cqvd0
欧州が発展したのは信じられない程の略奪の果てにだぞ?
日本もそういう道を歩むのか?
798人間七七四年:2009/09/08(火) 03:43:35 ID:HDb/JhEP
略奪というか新大陸の金が大量に流入したことによる好景気だな
799人間七七四年:2009/09/08(火) 09:55:47 ID:uIj2OiuM
>>798
白人がアフリカ人に何したか学んでから書け
800人間七七四年:2009/09/08(火) 10:11:43 ID:ISCLQmvt
西国は豊臣に任せてやればよかったのに

ヒデヨリは太閤の跡取りなんだし、家康の孫婿なんだし

秀吉だって力付くで徳川を潰そうと思えばできたのにやらなかったんだから
801人間七七四年:2009/09/08(火) 10:15:14 ID:9bjSsvy0
>>797
現在でも発展途上国の資源を収奪することで、
我々先進国民が豊かな暮らしができるんだけどね
左翼っぽく言うとグローバリゼーションという名の帝国主義ってやつ?
江戸時代でもアイヌや琉球みたいな非大和民族から散々搾取してたんだし
802人間七七四年:2009/09/08(火) 10:35:40 ID:2Gc6qO3/
琉球もアイヌも搾取するような資源はなかったし
そもそも大和民族なんてものは存在しないw
803人間七七四年:2009/09/08(火) 10:53:24 ID:9bjSsvy0
>>802
琉球もアイヌも周辺諸国と手広く貿易してたから、その上前を撥ねてたんだよ
大和民族はちゃんと存在するよ
民族とは遺伝子みたいな生物学的特徴で左右されるものではなく、
特定の文化を共有する共同体に属する個々人が、
その共同体に強い帰属意識を持つかどうかで定義される
比較的早い時期に天皇を中心とするヤマト王権に組み込まれた本州地域の人々を、
明治以降になって日本に帰属するようになった琉球やアイヌと区別して
「大和民族」と呼称してるわけで
まあスレ違いだから適当に本でも読んで勉強してね
804人間七七四年:2009/09/08(火) 11:10:19 ID:UMmGFwfF
白人は略奪しまくりで発展し、黒人は黒人を売った金で武器を買って黒人を殺す、人種関係なく人間なんてそんなもんだろ
白人は云々というくせに、黄色人種は云々と言わないのは何故かな?シナ・チョンと一緒になるのがいやかいwww
805人間七七四年:2009/09/08(火) 12:03:16 ID:UzlurFg1
アイヌが周辺諸国と交易?
何の冗談だよwww
あと琉球は搾取どころか日本の鎖国政策で日本の輸出入の特権を与えられて
大儲けしてたのが実情だろ
806人間七七四年:2009/09/08(火) 12:05:31 ID:03r7Nko8
>>805
「蝦夷錦」でぐぐってみれば?
807人間七七四年:2009/09/08(火) 12:41:54 ID:PTdkPkg/
徳川実記だっけ?駿府城に妖怪?ぬらりひょんみたいなの出現して
家康が城外に追っ払えって命令したヤツ。の記述あるの
学者が云うには、その肉を食せば不老不死になれたとかってあったな
808人間七七四年:2009/09/08(火) 12:42:48 ID:A4dwTp1D
肉人のことか?
809人間七七四年:2009/09/08(火) 14:31:42 ID:2Gc6qO3/
まさに人魚の肉伝説だな
810人間七七四年:2009/09/08(火) 21:18:08 ID:NzPt1JSi
日本人は世界的に見ても温厚な民族。その証拠に、ほとんど人を殺していない。
811人間七七四年:2009/09/08(火) 21:31:09 ID:2afpQBig
>>800
2つに分かれてて喧嘩しないわけがない
言うこと聞かないやつを潰すのは当然
812人間七七四年:2009/09/08(火) 22:18:40 ID:oNQWDb6G
>>810
そんなこと言うと半島と大陸の人が湧くぞw
813人間七七四年:2009/09/08(火) 22:22:59 ID:/1qGEY32
>>811
東本願寺と西本願寺ってあるが。
あと比叡山延暦寺から権威を持ってきちゃったらしい
東叡山かんえい寺。
どっちも牙を抜かれた後の宗教団体だが。
814人間七七四年:2009/09/08(火) 22:23:27 ID:CASyR6YI
まあ大半が国内での戦いだったってのもあるだろうな
それこそ異民族と戦い続けてたらガンガン他民族殲滅するために大虐殺を敢行してた可能性はあるよね
確か元寇の時の相手方の捕虜は南宋人以外の漢人朝鮮人は全員殺したし

もし島津の軍隊が琉球に迫ったとき琉球が降伏しないで全面戦争になったら
多少の虐殺はあったかもしれんぞ
なかったかもしれんが
815人間七七四年:2009/09/09(水) 03:27:19 ID:jkRBgtNx

百姓は生かさぬように殺さぬように(家康)

サラリーマンは逝かさぬように転がさぬように(社長)
816人間七七四年:2009/09/09(水) 14:17:58 ID:N0aTA7S4
>>815
それって秀吉じゃなかった?
817人間七七四年:2009/09/09(水) 14:24:16 ID:1LgKTxvh
本多正信じゃない?それが当時の一般的な感覚だが
いかに、一揆起こしたり逃げたり死んだりしないぎりぎりのとこで搾り取るか
818人間七七四年:2009/09/09(水) 14:32:34 ID:EiXZH7cy
本佐録の中の台詞だな
本多正信に仮託して書かれたとも言われてる
819人間七七四年:2009/09/09(水) 18:46:50 ID:0xXzLmyg
>>814
中国ソ連に比べたら日本人の殺しは2桁も3桁も違うしね。

逆に毎年3万人が自殺していることの方が恐ろしい。毎年だからね。
820人間七七四年:2009/09/09(水) 19:26:23 ID:2VvUzEu8
特別酷い場所と比較して少ないからって自慢できるような事じゃないと思うが…
日本でもアイヌや琉球はジェノサイドされた民族である
821人間七七四年:2009/09/09(水) 19:42:34 ID:0xXzLmyg
まあ中ソに限らずヨーロッパと比べても1〜2桁は違うし。日本人は本当に温厚な民族だよ。
822人間七七四年:2009/09/09(水) 19:49:46 ID:Uu7HWzDe
誤爆ネタをいつまで引っ張ってるんだよ!
823人間七七四年:2009/09/09(水) 22:01:52 ID:0xXzLmyg
     ______
    /_      |
    /. \ ̄ ̄ ̄ ̄|
  /  /  ― ― |
  |  /    -  - |
  ||| (6      > |
 | | |     ┏━┓|   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | |     ┃─┃|  < 正直、スマンカッタ
|| | | |  \ ┃  ┃/    \________
| || | |    ̄  ̄|
824人間七七四年:2009/09/09(水) 22:42:48 ID:E3EBYenT
この、オッサンゆかりの建物とか全部破壊しろよ
825人間七七四年:2009/09/09(水) 22:54:04 ID:o8qbLEQY
単一民族は最高だ 異民族なんて入れたら民族浄化が起こるだけだし
826人間七七四年:2009/09/09(水) 23:34:47 ID:du0DDY9Y
とりあえずおまえら
大河が関が原に向かってるから見ろよ
俺たちの家康の生き様を!
主役の加熱具を叩きのめすのが楽しいぜ
827人間七七四年:2009/09/10(木) 17:17:56 ID:w0chaNry
ほんと真っ直ぐ会津に行って叩きのめしてくれればよかったのに
828人間七七四年:2009/09/10(木) 21:22:03 ID:+j056sOo
いやそれはない
829人間七七四年:2009/09/11(金) 17:51:22 ID:2Aggymng
権現様伝説

・1大名家に5人恐れた男がいるのは当たり前、1大名家8人の場合も
・敵大名武者全員恐れる事を頻発
・家康公にとって安心できる武将は恐れそこなった武将
・降伏に来た敵将を恐れる事も日常茶飯
・大坂夏の陣最終局面、徳川家+諸大名十万で包囲の状況から1人真田信繁を恐れた
・三河独立時には既に死んでいる朝倉宗滴や尼子経久も余裕で恐れた
・家康誕生時には既に死亡していた太田道灌や北条早雲も恐れた
・一回の戦で恐れた武将が三人増える
・真田昌幸を恐れるのが特技
・武田信玄出陣と聞いただけで家康が泣いて恐れた、うんこをもらす三河守も
・改易した大名家でも納得いかなければ旗本として登用して恐れた
・あまりに恐れすぎるから側室を怖くない幼女で固めて、世間でロリ扱い
・その幼女側室も恐れた
・信長が一睨みしただけで恐れた織田家武将が増えていく
・誰にも合わなかった日でも二人恐れた
・就寝中も数人恐れた
・一国の住民全員恐れる事なんてザラ、一地方全員恐れることも
・直江が直江状を書いてから江戸に書状がつくより家康が恐れる方が早かった
・反三成派に追われて徳川家の屋敷に逃げ込んだ三成をかくまいながら恐れた
・国家安康君臣豊楽の文言に流暢な三河弁で抗議しながら秀頼淀君その他を恐れた
・グッと鷹狩りしただけで5人くらい恐れた
・一条兼定を恐れていたことは有名
・武家諸法度を制定したきっかけは家康が恐れたから
・「一本の矢でも恐ろしいが三本集まるともっと恐ろしい」と大名達の兄弟を恐れた
830人間七七四年:2009/09/11(金) 19:06:06 ID:wsCAdSYx
全然意味がわかんない・・・
831人間七七四年:2009/09/11(金) 22:28:59 ID:y3UEDG67
家康が最も恐れた の検索結果 約 47,400 件中 1 - 10 件目 (0.27 秒)

家康が最も恐れた 秀吉 の検索結果 約 74,300 件中 1 - 10 件目 (0.40 秒)
家康が最も恐れた 織田 の検索結果 約 66,900 件中 1 - 10 件目 (0.33 秒)
↑「絞り込みしたはずが増えていた」 最も恐ろしいやつらの片鱗を味わったぜ・・・

家康が最も恐れた 直江 の検索結果 約 27,500 件中 1 - 10 件目 (0.51 秒)
↑大河パワーで倍率ドン、さらに倍

家康が最も恐れた 義元 の検索結果 約 19,900 件中 1 - 10 件目 (0.33 秒)
家康が最も恐れた 真田 の検索結果 約 17,200 件中 1 - 10 件目 (0.96 秒)
↑真田を軍紀モノでage底しても、やっぱり義元兄貴のほうが怖ぇ

家康が最も恐れた 秀頼 の検索結果 約 8,100 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)
家康が最も恐れた 信康 の検索結果 約 3,330 件中 1 - 10 件目 (0.28 秒)
家康が最も恐れた 築山殿 の検索結果 約 1,180 件中 1 - 10 件目 (0.40 秒)
↑怖ぇというよりウザいので削除削除

家康が最も恐れた 氏真 の検索結果 約 40,700 件中 1 - 10 件目 (0.29 秒)
↑バックレたから絶対怒ってると思うと怖かった。過去形。
832人間七七四年:2009/09/11(金) 22:32:49 ID:SLBGX1nU
大権現様いろいろ恐れすぎ
833人間七七四年:2009/09/11(金) 23:13:29 ID:y3UEDG67
家康が最も恐れた 信玄 の検索結果 約 46,000 件中 1 - 10 件目 (1.75 秒)
↑やはり相当怖ぇ。死んだときも嬉しすぎて糞もらしたからな。

家康が最も恐れた 信長 の検索結果 約 36,100 件中 1 - 10 件目 (0.41 秒)
↑織田−信長=信雄なんだよ。小牧長久手のときのアレは無ぇよな

家康が最も恐れた 勝頼 の検索結果 約 6,620 件中 1 - 10 件目 (0.30 秒)
↑こいつに負けると思ったことは1度もないからな
834人間七七四年:2009/09/12(土) 00:13:18 ID:xbrRefDi
暇なんだね。
835人間七七四年:2009/09/12(土) 09:56:50 ID:mIs8BGP4
家康は糞野郎だなw
836人間七七四年:2009/09/12(土) 13:51:35 ID:T8D9LJyr
googleのヒット数など全くあてにならん。
コレを見ろ

家康が最も恐れた 仙台藩百姓 の検索結果 約 9,470 件中 1 - 10 件目 (0.31 秒)
837人間七七四年:2009/09/12(土) 13:56:18 ID:Sw6GGE/G
後にも先にも武田信玄だけだよ
838人間七七四年:2009/09/12(土) 15:56:53 ID:6/sKP96R
さすが権現様
仙台藩百姓まで恐れていたのか・・・
839人間七七四年:2009/09/12(土) 18:56:43 ID:xbrRefDi
馬鹿か?
840人間七七四年:2009/09/12(土) 19:21:08 ID:1W9sQYeS
家康が最も恐れた 今川氏真
でも5400件ヒットするぜ 
さすが氏真
841人間七七四年:2009/09/12(土) 21:14:40 ID:xbrRefDi
思うんだけど、スペースを空けて検索している限り、正しい結果にはならないと思うのだが…。
842人間七七四年:2009/09/12(土) 21:16:28 ID:xbrRefDi
家康が最も恐れた 俺 の検索結果 約 39,700 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)

ほら、さすが俺。
氏真どころか信長より恐れられてるぞ。
843人間七七四年:2009/09/12(土) 21:27:57 ID:txCrcbif
家康が最も恐れた リカちゃん の検索結果 約 2,400 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)
844人間七七四年:2009/09/12(土) 23:00:49 ID:fOXlQT5v
家康が最も恐れた 鳩山 の検索結果 約 10,200 件中 1 - 100 件目 (0.74 秒)

さすがは家康だな
民主党の政治に400年も前から危険を察知しているとは
845人間七七四年:2009/09/12(土) 23:53:38 ID:xbrRefDi
家康が最も恐れた 日本の敗戦 の検索結果 約 20,100 件中 1 - 10 件目 (0.32 秒)

さすがは家康だな。
幕府滅亡後急速に近代化を成し遂げた日本の行き着く先を察知しているとは
846人間七七四年:2009/09/13(日) 01:27:02 ID:MvOSREws
まともなスレ住人たちはワードで透明NGしましょう
847人間七七四年:2009/09/13(日) 01:54:33 ID:8TfmVlfa
アホな脱線が2ちゃんの花
848奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/13(日) 07:01:27 ID:ISFXXM7l
恐れネタは嫌いじゃない。
849人間七七四年:2009/09/13(日) 11:32:56 ID:0VX1nY2A
秀吉が最も恐れた 家康 の検索結果 約 40,100 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)
信長が最も恐れた 家康 の検索結果 約 37,700 件中 1 - 10 件目 (0.27 秒)
義元が最も恐れた 家康 の検索結果 約 20,000 件中 1 - 10 件目 (0.29 秒)
信玄が最も恐れた 家康 の検索結果 約 18,900 件中 1 - 10 件目 (0.42 秒)

神君様も結構恐れられてるぞ!
義元がどうやって「家康」を恐れるのかはわからんが・・・

仙台藩百姓が最も恐れた 家康 の検索結果 約 2,120 件中 1 - 10 件目 (0.23 秒)

残念ながら仙台藩百姓には、神君様の威光も届かぬようだ。畏れを知らぬ痴れものめ。
850人間七七四年:2009/09/13(日) 16:51:16 ID:MvOSREws
8時はイッテQ見るから10時から大河見るぞ
家康見てニヤニヤするぞ
851人間七七四年:2009/09/13(日) 20:35:11 ID:IEG1Xgvz
大河のおかげでまた家康の人気が下がったな
信長はドラマでもコケにされたことないのに
秀吉と家康はコケにされ過ぎだな
852人間七七四年:2009/09/13(日) 20:56:10 ID:qOo7aKgO
雑賀衆の人物を主人公にした小説でコケにされたけどね>信長
853人間七七四年:2009/09/13(日) 21:10:41 ID:IEG1Xgvz
そんなマイナーなの出されても・・
854人間七七四年:2009/09/14(月) 00:52:51 ID:ciw4Nfr+
家康が最も恐れた 


って、いったい何人いるんだ???????????

855人間七七四年:2009/09/14(月) 07:37:03 ID:J1vzyAoo
少なくとも家康より長生きしそうなのは全員かな
856人間七七四年:2009/09/14(月) 08:45:08 ID:s6VSumnq
神君張るのも大変だなw
有象無象に好き勝手なこと言わせておくとどうなるかの好例
857仙台藩百姓:2009/09/14(月) 12:43:45 ID:xU9fuP7o
いや、どの人物も言論統制なんてされてないし
それでも家康ばかりこき下ろされると言う事は
家康が凡庸な天下人モドキだというのが万民の共通認識なのだお( ^ω^)
858人間七七四年:2009/09/14(月) 13:53:11 ID:ivxgyXVW
有名税ですよw
859人間七七四年:2009/09/14(月) 14:03:19 ID:ZyjNhMV2
嫉妬だろうな。仙台藩百姓を見ればよくわかる。
860仙台藩百姓:2009/09/14(月) 14:11:16 ID:xU9fuP7o
うむむ(;―ω―)
真剣に考えてみたけど家康ってビックリするほど嫉妬するような部分がないお(;^ω^)
もまえらはあるお?( ^ω^)?
861人間七七四年:2009/09/14(月) 14:36:39 ID:WmBhtTw1
確かに。

二歳で母親と別離とか、六歳で敵方に囚われた上に父親は何もしてくれないし、
その父親も八歳で死ぬし、、織田から解放されたと思えば今川で人質生活だし、
初陣してこれからだと思ったら後ろ盾の義元が死ぬし、三河ととったと思ったら一向一揆で振り出しにもどるし、
信長に振り回されるし、武田からは執拗に攻められるし、本能寺で主従16騎で堺に取り残されるし、
小田原の役が終わったと思えば先祖伝来の土地を取り上げられて敵地に封じられるし、
将軍になっても現状がわからない秀頼親子に頭を悩ませられるし、豊臣家を滅ぼしたと思ったら食あたりで死ぬし、
家臣はやたら面倒くさいし、築山殿には頭が上がらないし、秀忠の軍事才能の無さはひどいし、忠輝はやんちゃすぎるし、
うらやましい所が無いね。
862人間七七四年:2009/09/14(月) 14:37:51 ID:uvqvkGxh
剣豪だの幽斎だのといったその道の第一人者には劣るけど、スポーツ万能でインテリで
さらに60代にして10代の美少女囲って孕ませて……。ピザを差し引いても十分うらやましいと思う俺。
863人間七七四年:2009/09/14(月) 15:30:25 ID:BN+cAjMe
>>860
で、おまえはいつ天下取るの?
864仙台藩百姓:2009/09/14(月) 21:24:08 ID:xU9fuP7o
>>861
なんて憐れなのだお・゚・(ノω`)・゚・。
せめて棚ぼたで天下とれただけでも救いだお( TωT)ヨカッタネ
家康は寂しいスカスカ人生を権力によって埋めようとしてたのだおうね(´・ω・`)
でも豊臣を滅ぼしてようやく得た天下も結局1年も過ごせなかったなんて哀しい人生だお( ;ω;)

>>863
漏れは恵まれた環境にいるからそんなもの要らないお( ^ω^)
いずれ親の跡を継いで故郷の為に市長か県議あたりをやるぐらいはあるかもしれないけど( ^ω^)
865人間七七四年:2009/09/14(月) 23:00:43 ID:ZyjNhMV2
>>861
だからこそ家康には学ぶところが多いんだろうな。
866人間七七四年:2009/09/14(月) 23:08:29 ID:4yyzN16z
結構なリア充じじいだ
867人間七七四年:2009/09/15(火) 00:53:21 ID:+au3qzfn
はいはい怖い怖い
868人間七七四年:2009/09/15(火) 01:25:52 ID:mCl317If
家康って悪徳政治家の手本ですね。
おまいら一般人は学ぶものなんて無いよ。
うんこでも漏らして「どうか家康公の運にあやかれますように」って
手でもあわせてみたらどう。
869人間七七四年:2009/09/15(火) 01:51:07 ID:7sabWHd7
良い話スレの話題に付いて行けなくて、戻って来たけど
お主らまだ田舎モンの相手してるのかw

釣られるのは毎日1回だけにしようよ。
870人間七七四年:2009/09/15(火) 02:03:05 ID:+au3qzfn
家康アンチは一般人以上の上から目線で微笑ましい
うんこ脱糞で批判爆笑できるあたり精神的に幼いんだろう
871仙台藩百姓:2009/09/15(火) 10:37:48 ID:ose7EeKm
それを言うなら徳川厨の精神は破綻してるとしか思えないお( ^ω^)
ロシア辺りが日本に攻め込んで来て国内は蹂躙され兵隊は死に物狂いで戦っているのに
司令官が「はひーお助け〜ヾ(´;ω;)ノシ」
と糞漏らしながら逃げ回ってたらどう思うお?
99.9%以上は「うわ〜、駄目だコイツ(;^ω^)」と思うはずだお
872奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/09/15(火) 10:39:29 ID:yj6CkDzL
自虐ネタが酷いな百姓。
873人間七七四年:2009/09/15(火) 10:54:25 ID:8mBeM9Ke
まーくんの秀吉臣従は、ギャグにするしか無かったんでしょ。
「ど田舎なもんで、遅れちゃいました テヘ」てさ。

アレで首はねられてたら、大バカ野郎だなwww
874仙台藩百姓:2009/09/15(火) 11:12:50 ID:ose7EeKm
あれだけ人を食った態度で外交に臨むような腹芸は凡庸小心の家康には無理だおね( ^ω^)
875人間七七四年:2009/09/15(火) 11:33:11 ID:kNL+nVER
そんな偉大な政宗公も結局は天下とれなかったね
とっても残念だね
876人間七七四年:2009/09/15(火) 11:46:20 ID:SNEQnp3s
相手がよかったんだろうね 太閤さんはギャグがわかる人だったから
相手が信長だったら餅つき刀で串刺しにされるレベル
877仙台藩百姓:2009/09/15(火) 11:59:12 ID:ose7EeKm
信長は秀吉以上に洒落っ気あるから政宗公とは相性良かったはずだお( ^ω^)
それに比べて家康ときたら教養もセンスもないつまらない奴だお┐ (´ω`) ┌
人より勝ってるのは欲深さぐらいのものですお┐ (´ω`) ┌
878人間七七四年:2009/09/15(火) 12:09:09 ID:SNEQnp3s
まあ信長相手だったら関ヶ原の南部一揆扇動とか大崎葛西一揆扇動とか
も笑って許してくれただろうよ あいつ間抜けだし
879人間七七四年:2009/09/15(火) 12:16:00 ID:kNL+nVER
相性良かったはずだ、とかIFで物事を語るのって虚しくなるよね
信長に殺されてたってIFも虚しいけど
880仙台藩百姓:2009/09/15(火) 12:30:29 ID:ose7EeKm
いつも自分らでスレ違いな政宗公ネタ振ってくるくせに
乗ってやるとすぐこれだ┐ (´ω`) ┌ヤレヤレ
881人間七七四年:2009/09/15(火) 13:04:34 ID:Pe5uK0I4
百姓が降参するとはめずらしいなw
882仙台藩百姓:2009/09/15(火) 14:36:05 ID:ose7EeKm
ではIFはやめて凡庸狭量狡猾強欲な家康の事実について話しましょお( ^ω^)
883人間七七四年:2009/09/15(火) 14:53:31 ID:9IYKrIcY
凡庸・・・いつも作左に怒られちゃう・・・謙虚
狭量・・・ケチでイモっぽい、ダサい・・・飾らない人柄
狡猾・・・イナカ者いじめ、弱者に強い、言いがかり上手・・・眼の付け所がいい、世渡り上手、賢い
強欲・・・メタボリック、てんぷら、おマア他大勢、ふんどし着脱プレイ・・・ふくよか、貫禄、変態

まあ悪さの裏とりゃいいこともあるわけよ
884人間七七四年:2009/09/15(火) 16:35:52 ID:ffMhJlDL
家康の政策のおかげで日本は世界から遅れてしまったのは事実だからな
885人間七七四年:2009/09/15(火) 16:39:08 ID:8LZZ+6K2
>>884
それについては既に否定されている。レスをよく読め。
886人間七七四年:2009/09/15(火) 18:57:54 ID:ffMhJlDL
徳川政権時代は天下太平で安定していたと言えば聞こえはいいが
現実は抑圧と停滞と緩やかな下降の時代だったからな
ヨーロッパが猛威を振るってる時代にこれは自殺行為だよ
おかげで日本は後れを取り学校でも英語を教えなければならないはめになった
やはり家康は亡国の徒だよ
887人間七七四年:2009/09/15(火) 19:11:37 ID:ffMhJlDL
家康が貿易を奨励してんのに、その二代後にあっさり鎖国するかね
秀吉までは世界に十分通用する軍事力持ってたのにびびり糞漏らしの家康が、南蛮人の野望に恐れおののいて、わしが死んだら鎖国するようにって指示だしてたのが真相じゃない?
そんな指示出してなかったとしても家康が作り上げた閉鎖的な官僚機構およびそのために生まれてくるバカ将軍がそういう後ろ向きな決定下したわけだから当然家康の責任だわな
過剰な軍事力を日本の発展のために使おうとした秀吉と、徳川家による天下を守るためだけに巨大で超閉鎖的な官僚機構を作り上げた家康
こんな小物が天下とったおかげで今の世界の顔色うかがわないと生きていけない日本になってしまった
888人間七七四年:2009/09/15(火) 19:21:22 ID:g/V4Z3R2
個人的には産業革命イベントがチートすぎるだけだと思うけどね。
あとどこまでほんとか知らんけど清に圧迫された明から援兵を求められたさいに
井伊直孝が秀吉の唐入りの例を上げて反対したという逸話がある。
日本が内向きになったのは失敗したことで対外出兵アレルギーを植え付けた秀吉のせいかもしれん。
889人間七七四年:2009/09/15(火) 19:49:44 ID:I45rEV57
間違いなく長文は役に立たん
890人間七七四年:2009/09/15(火) 19:57:59 ID:ffMhJlDL
日本を亡国寸前に追いやった徳川一族が今も富裕層としてのうのうと優雅な生活をしてるのは許せないね
民衆から搾取した莫大資産を日本社会に還元すべきだね
891人間七七四年:2009/09/15(火) 20:01:00 ID:KYmC6NJy
日本史上一番低脳や基地外が多い一族だよな>徳川家
家康の子供や孫、歴代徳川将軍の面子とか見てると寒気がする
今の徳川宗家は慶喜の一橋系列だからマシなのかもしれんが
892人間七七四年:2009/09/15(火) 20:29:56 ID:Yo9/AnrT
>>890
じゃあ、江戸時代に安定したおかげで日本が受けた恩恵も徳川に返さないとな。
耕地が倍増したり、禿山が多かった野山に植樹して今の豊かな山林が形成されたり、
文化・学問が発達したおかげで開国後即座に対応できて明治維新に繋がったこととかな。

というか
>民衆から搾取した莫大資産を日本社会に還元すべきだね
そういう発想は、なんかこういう発想はアレを髣髴とさせて気持ち悪い。
893人間七七四年:2009/09/15(火) 20:37:31 ID:iXNUNtPD
反乱起きてばっかの世の中のほうがいいということですねわかります
894人間七七四年:2009/09/15(火) 20:42:08 ID:8LZZ+6K2
多くのことを学べる歴史上の人物は、間違いなく徳川家康である。
895人間七七四年:2009/09/15(火) 22:14:11 ID:ZFMPPllo
>890
その例えで言ったら徳川だけでなく大大名の子孫とかいうやつらも同様じゃないの?
先祖が民衆から搾取した金を生まれながらに持ってるし
アホでもそこそこの大学入れるし
就活せずとも何とか財団の聞こえのいい楽な割のいい仕事に就ける
どんな不細工でもどっかの大企業創業者の娘だか政治家の娘だか
家柄の比較的いいきれいどころの芸能人が嫁にくる
896仙台藩百姓:2009/09/15(火) 22:51:44 ID:ose7EeKm
>>892
徳川幕府が学問推奨して学力が伸びたわけじゃないのに
何で徳川の恩恵になるのだお( ^ω^)アホかお
幕府が潰れた途端に飛躍したのだから、むしろ幕府が重しになっていたとしか考えられないお( ^ω^)
897人間七七四年:2009/09/15(火) 23:12:45 ID:KYmC6NJy
ま、一応武家諸法度では学問に励むよう書いてるけどね
実際幕府が日本人の知的レベルを高めるために何かやってたというわけじゃないしな
最近評価の高い寺子屋も民間で勝手にやってたことだし
寛政異学の禁や蘭書翻訳取締令など、基本的に幕府は朱子学以外の学問を妨げる立場だった
儒学はもちろん、神道や仏教、古典に数学と幅広く教養を身につけた家康は、
自分が死んだ後の幕府の腐れっぷりをどう眺めてただろうね
898人間七七四年:2009/09/15(火) 23:50:07 ID:qhi6IbsW
学問は民間が勝手にやった事だけど
平和だからできた事じゃないのかな、と思うんだ
戦国時代のままだったら教えようとする人がいてもあそこまで普及できない気がする
899人間七七四年:2009/09/15(火) 23:59:05 ID:Yo9/AnrT
>>896
幕府が先鞭をつけていたことを明治政府が継承したものも相当あるんだがなあ。
そういったものはガン無視かよ。
900人間七七四年:2009/09/16(水) 00:06:54 ID:VTTuMkSm
>>891
十六代は田安徳川から十七十八代当主は会津松平からの御養子だそうですが。
901人間七七四年:2009/09/16(水) 00:15:06 ID:GaUFd63n
徳川政権が後世に与えたプラスの影響も大きいが
それ以上に負の影響のが大きい
いくら文化芸術経済が発展しても欧米白人に頭上がらず
連中の顔色伺ってばかりの精神的奴隷状態になってしまっては意味ない

902人間七七四年:2009/09/16(水) 00:28:35 ID:VTTuMkSm
徳川幕府を倒した明治政府に言ってくれ。
903人間七七四年:2009/09/16(水) 00:32:17 ID:/FKTDfkn
頭が上がらないのは戦後の影響が大きいんじゃないの?
明治の頃とか欧米に負けるか、でもいい所は見習おうの精神で頑張ってたじゃん
今でも卑屈にならずに頑張ってる人の方が多い
というか普通に生きてたら欧米コンプレックスなんて感じないよ
904人間七七四年:2009/09/16(水) 00:44:24 ID:/9NFAcru
>>900
そうなんだ
じゃあ狂気の血も少しは薄くなってるかな
905人間七七四年:2009/09/16(水) 00:46:35 ID:/WLmDBbs
欧米バブル弾けたから、時期に日本的文化が見直されるさ。
平和憲法とか、従業員大事とか超先進的な国だお。


史上最長?の政権だった江戸幕府を、おかしな理論で叩くアンチって
朝鮮人並に程度が低いと思うんだが、、、
906人間七七四年:2009/09/16(水) 00:54:15 ID:hN4ftQsD
○○が好き嫌いって話はまぁともかく、
好き嫌いで物事を評価してしまうことが許されるのは十代までだぜ。
907人間七七四年:2009/09/16(水) 03:09:54 ID:GaUFd63n
徳川政権が260年も続いた結果、日本は白人どもに遅れを取り戦争に負けてしまった
その結果、日本は欧州ブランドの売上の4割を占めるほどの白人崇拝者に落ち潰れてしまった
908人間七七四年:2009/09/16(水) 08:59:14 ID:8MLLQ2n6
徳川時代はまだ欧米でも植民地化が困難な程度には軍事力あったわけよ。
明治になって急に発展しましたなんてこたー無いんで、だからこそ日清日露と列強に負けない程度の
勝負が可能だったのは幕府時代からかなりの力があったということなのだよ。

ちなみに鎖国鎖国とはいうが鎖国とは外交の一形態であって、付き合う相手を選ぶと言うことに過ぎない。
仮に鎖国をしてなきゃどうなるかっつーと、金銀は大量に流出するし、見合うだけの史実以上の革新的な
技術がばんばん流入してくると言うこともない。日本では産業革命起こらないんだから仕方がないわな。

戦争に負けたのは中国と戦争してアメリカと戦争してという基本方針がまずい上に日露戦以降の軍部の
慢心があったからだろうよ。そもそも自分の国力をちゃんと考えて戦争しろと言うところで。

日本人のミーハーも昔っからだしな。
909人間七七四年:2009/09/16(水) 09:32:39 ID:GaUFd63n
いくら擁護したところで無駄
200年以上もひきこもってたから取り残されてしまった
この事実はいかんともし難い
910仙台藩百姓:2009/09/16(水) 09:36:29 ID:E6nfFCuQ
幕府に外圧を退ける力なんてなかったお( ^ω^)
日本が植民地化されなかったのは列強同士が潰し合いした為だお
列強諸国は何度も日本領土内の租借を求めたがお互い干渉しあって頓挫した
そうでなければ完全に食い荒らされてしまったお
まあ結局樺太なんかは乗っ取られてしまったけどね┐ (´ω`) ┌
明治維新にしても幕府を押すフランスらと政権打倒を押すイギリスの代理戦争に過ぎないお( ^ω^)

>>899
幕府がやってたような事は大概雄藩もやってたお( ^ω^)
911人間七七四年:2009/09/16(水) 09:40:54 ID:GaUFd63n
>>908

流入とかさそーいうのが既に江戸時代に培われた受け身のヒッキー思考なんだよ
自分から学びにいけよ
欧州行って盗むぐらいの気概はねーのかよ
積極性が無さ過ぎなんだつーの
やっぱ徳川ヒキコモリ政権の世が日本人の牙を抜いたわけだ
家康のおかげで日本人は日本狼からチワワになってしまった
失われた260年だよ
912人間七七四年:2009/09/16(水) 09:46:18 ID:QZ0LKttM
おいおい家康の責任にするなよ
全部明智のせいでなるようになっただけだ
913仙台藩百姓:2009/09/16(水) 09:51:43 ID:E6nfFCuQ
>>904
会津松平は水戸徳川の血統だから十分に狂気を受け継いでいるお( ^ω^)
914人間七七四年:2009/09/16(水) 09:53:00 ID:GaUFd63n
諸悪の元凶格付け

S 明智光秀 
A 徳川家康
915人間七七四年:2009/09/16(水) 09:55:55 ID:9xEQs+h9
脱糞爺いへやす
916人間七七四年:2009/09/16(水) 10:16:01 ID:/7zVb+7F
鎖国しなければどうなっていたかなんてことは誰にもわからないが、
西欧列強の侵略的本性から言えば現状よりも悲惨なことになっていた可能性のほうが大きいだろうな
かなりの確率でキリスト教国化されていたはずで、
そうなれば地球上から独自の文化を持つユニークな国が一つ消えていたことになる
917仙台藩百姓:2009/09/16(水) 10:28:18 ID:E6nfFCuQ
宗教が自由化されている現在でも基督教なんて全然広回らないのに
鎖国しなかったら基督教国化してたと言うのは無理があるお( ^ω^)
仏教も大して熱心じゃないし
日本固有の宗教であり近代で国教化されていた神道ですらマイナーだお
日本人は国民性的に信仰熱心じゃないから有り得ないお( ^ω^)
918人間七七四年:2009/09/16(水) 10:38:37 ID:+CAkBN7N
鎖国というより、日本人渡航・武器輸出禁止は流出した日本人による海外での暴虐無尽な振る舞いと
彼らを利用した欧州の植民地戦争に巻き込まれるのを嫌った一面もある
また、交易に関しても主輸入品である中国絹が、秀吉の所為で日本船が中国の港に入れず、中継ぎ
貿易を強いられる以上、コスト的に割の合うものでない
つまり、このまま交易を続けていても日本に益がないから、止めたにすぎない
919人間七七四年:2009/09/16(水) 10:39:00 ID:/7zVb+7F
一神教と多神教の違い、さらに一神教の本質が全然わかってないね
920人間七七四年:2009/09/16(水) 10:39:09 ID:8faQGNa2
少なくとも、17世紀には必要な政策だった>鎖国
18世紀前半までは、それでもよかった。
後半からは厳しくなっていったな。
19世紀には時代遅れな政策になっていた。

状況の変化というものを無視して、最終的に無駄・無意味・害悪な法になってしまったからといって、
最初からそうだった不必要・有害な政策だったと見做すのは暴論。
921人間七七四年:2009/09/16(水) 10:52:38 ID:/9NFAcru
韓国とか日本より長く鎖国(海禁)政策とってたけど現在キリスト教国だし、
タイやベトナムは欧米の侵略の波に晒されたがそれでも仏教徒がほとんど
キリスト教化されるかどうかは鎖国政策云々の前に民族の歴史や価値観に拠る所が大きい
そして日本は世界でも有数の、キリスト教と縁がない民族だろう
922人間七七四年:2009/09/16(水) 11:07:14 ID:QZ0LKttM
ベトナムは9割くらい仏教徒だけど
韓国とタイの中身 違うよ
923人間七七四年:2009/09/16(水) 11:22:16 ID:yzoHF/LZ
三河者って生きてて何が楽しかったの?
924人間七七四年:2009/09/16(水) 11:24:17 ID:/7zVb+7F
>>921
タイやベトナムは熱心な小乗仏教国だからキリスト教化されにくいのはあるだろうな
国を一つの方向に向け、国威を発揚させるには一神教のほうが都合がいいということ
明治維新後、日本では天皇崇拝という一種の一神教が猛威を振るった
韓国には天皇がいないからキリスト教で代用させるしかなかった
925人間七七四年:2009/09/16(水) 11:25:32 ID:UXWEQgsB
また鎖国さえしなければ!って奴が湧いてるか
鎖国さえしなけりゃ今頃日本は薔薇色の時代なんて夢の見すぎなんだよ
926人間七七四年:2009/09/16(水) 12:29:31 ID:8hAvyhxy
"自分が"駄目なのは鎖国してたからだと思いたいんだろう
927人間七七四年:2009/09/16(水) 12:35:34 ID:QZ0LKttM
そうだね引き篭もりはよくないと皆理解してる証拠だね
928仙台藩百姓:2009/09/16(水) 12:52:35 ID:E6nfFCuQ
見えもしない相手への根拠のない批判で煙に巻こうだなんて安易な逃げは止めたまえお( ^ω^)
それは家康批判を認める事にしかならないお( ^ω^)
929人間七七四年:2009/09/16(水) 14:30:54 ID:fDelEVrT
鎖国が余りにも長すぎたね。スタートダッシュに立ち遅れた。列強の驚異や早く近づきたいという不安と焦りから 近代化の突貫工事を推し進めて、太平洋戦争の敗戦まで突き進む事になる。 徳川負の遺産に 近代日本は苦しんだ。時間を取り戻そうと無理に背伸びして・・。
930人間七七四年:2009/09/16(水) 14:50:47 ID:yzoHF/LZ
結 論

  「家康のせいで国際的立場の弱い日本になった」
931人間七七四年:2009/09/16(水) 15:02:16 ID:+CAkBN7N
鎖国しなかったらどうなっていたの?
932仙台藩百姓:2009/09/16(水) 15:55:47 ID:E6nfFCuQ
徳川幕府は極めて個人的な保身しか考えていない政権だからどのみち同じ道を辿るのは必至
鎖国云々以前に徳川幕府が出来た時点で日本は終っていたのだお( ^ω^)
933人間七七四年:2009/09/16(水) 16:05:51 ID:+CAkBN7N
これまでの歴史で自身の保身を考えない政権ってある?
仮にあってもそれはどのくらい続いたの?
934人間七七四年:2009/09/16(水) 16:13:28 ID:QZ0LKttM
>>933
自身の保身を捨て戦争放棄した戦後の日本
とりあえず60年以上継続中
そろそろ限界
935仙台藩百姓:2009/09/16(水) 16:29:08 ID:E6nfFCuQ
他はどうでもいいのだお( ^ω^)
例え徳川政権に劣る政権があったにしても徳川政権がウンコである事に変わりあるまいお( ^ω^)
敢えて言うならポルポト政権と似てるお
ポルポトは思想・宗教を否定し知識階級を弾圧して権力を守り、工業蔑視の農業主義とそれに伴う土木工事を推進したが
徳川政権もまた思想・宗教を否定し他藩を弱体化して権力を守り、商工蔑視の農業主義を取り土木工事で諸藩を衰退させたお
双方とも貧国弱兵策であり、自分の国土内でお山の大将気取る事にのみ終始し
対外的な圧力に慌てて抗しようとしたら
自分で国を弱体化させていた為に戦う力はもはや残されておらず自滅したというマヌケなお話( ^ω^)
936人間七七四年:2009/09/16(水) 16:48:32 ID:+CAkBN7N
知的階級は弾圧してないし、工業はそもそも存在せず(手工業は大奨励)、
商業は別に特別に蔑視していない(あってもそれは江戸幕府以前)
農業の促進は雇用対策の面が大きいし、古今東西やっていない国は亡国のみ
937仙台藩百姓:2009/09/16(水) 17:35:07 ID:E6nfFCuQ
徳川幕府は洋書の輸入制限をしていたし度々古学、蘭学、国学らを禁じたり弾圧したりしているお( ^ω^)
幕府はあくまで朱子学以外は異端とし
マヌケにも外圧で必要に迫られてから慌てて地方の学者をかき集めたのだお┐ (´ω`) ┌
そして石田梅岩らが商業を蔑視を批判したように江戸時代はそういう風潮にあったのは間違いないお( ^ω^)
938人間七七四年:2009/09/16(水) 18:40:56 ID:+CAkBN7N
>>937
思想文学の統制は何処の国もしていますな
史学については実証主義的な考え方を行うようになっている

石田梅岩が商業を蔑視したとは初耳だな
939人間七七四年:2009/09/16(水) 18:49:48 ID:hJ5Z9kw0
江戸時代の蓄積があったからこそ、明治の近代化が成功出来たんだと思うがね。

>>937
幕府が禁じていたのはキリスト教関連の書物だけで、兵書・医書・技術書・天文
科学その他さまざまな洋書は普通に輸入されていたのだが。
朱子学も正当扱いはされたが、他の学問を異端視弾圧したのは朱子学者とその
思想にかぶれた個人であって、幕府の基本方針は幕府にたてつくような主張を
しなければ、基本野放しだった。
940人間七七四年:2009/09/16(水) 19:24:44 ID:GaUFd63n
260年間も無駄にヒキコもるからこうなる
徳川政権は無能過ぎたわ
941人間七七四年:2009/09/16(水) 19:34:24 ID:+neFf+W8
現在のイギリスと現在の日本だと日本のがいいです。鎖国しなくて日本が200年位前に
世界の覇者になったって現代人の自分に甘い汁が吸えなきゃ意味がないっす。
942人間七七四年:2009/09/16(水) 19:35:59 ID:m9tlDAbf
確かに

ヨーロッパ列強の植民地になっていたら、
今現在「徳川体制が鎖国なんかしたから」と呻く発想すらないからな
943人間七七四年:2009/09/16(水) 19:42:54 ID:p/eHmegJ
つか当時の日本に列強と張り合って世界に進出する力無いから
944人間七七四年:2009/09/16(水) 19:56:27 ID:GaUFd63n
鎖国しなければヨーロッパの植民地になってたとか馬鹿すぎw
日本や支那がヒキコもってたからヨーロッパにいいようにやられたんだろうが
早い時期に東南アジアに本格的に進出していれば
ヨーロッパの侵攻もそこで防げた
地の利はこちらのが有利なんだからな
信長だったら確実に東南アジアにも進出して一定の勢力を築いたろうな
徳川の消極的政策がすべてを後手に回したんだよ
945人間七七四年:2009/09/16(水) 20:00:03 ID:GaUFd63n
スペインやポルトガルが欧州の最大勢力だった時期までなら日本でも十分対抗できたんだよ
946人間七七四年:2009/09/16(水) 20:34:04 ID:+CAkBN7N
>>944
東南アジアに進出して何をするの?
コスト的に割に合う事がないと、金をどぶに捨てるようなモノ
947人間七七四年:2009/09/16(水) 20:36:15 ID:IsJcUmWz
その前にぺストか天然とうで、
日本人の三割死亡とかありそう。
948人間七七四年:2009/09/16(水) 21:13:57 ID:/I/YIuWV
レスが一気に増えてるときって
間違いなく流れの内容がおかしい
全然読まなくて正解
949人間七七四年:2009/09/16(水) 21:36:28 ID:fDelEVrT
余談だけど 江戸時代は 国民の食生活、栄養状態が良くなかった。その為か 体格が退化して開国した頃は身長150CM位の 国民ばかりの小人国家に。江戸以前の方が国民の体格は良かったらしいね。
950仙台藩百姓:2009/09/16(水) 23:13:59 ID:E6nfFCuQ
>>938
逆だお( ^ω^)
梅岩は商業蔑視の風潮を批判したのだお
よく読むお( ^ω^)

>>939
基督教関連以外の洋書輸入緩和をしたのは江戸中期になってからじゃんお( ^ω^)
それ以降も朱子学系の保守派に味方して他学者を弾圧したのは紛れも無く幕府だお
諸学問は地方で発展したのであって幕府は邪魔する事はあっても積極的に推進する事はなかったお( ^ω^)
せいぜい幕府のやった事は潰れる寸前になって保身の為に地方から学者を取り上げたぐらいのものだお( ^ω^)
951人間七七四年:2009/09/16(水) 23:25:21 ID:R9i/mwNg
>>950
君は一向宗とか基督教がはっちゃけてた時代を総括してから書き込んでね
952人間七七四年:2009/09/16(水) 23:31:45 ID:+CAkBN7N
>>950
ああそういうことね、商人蔑視は江戸時代からでなく
それ以前からあり、それが江戸時代に否定され始めたという事

史学は塙保己一に対する後援において幕府が係わっている

後、寛政異学の禁は昌平坂学問所での朱子学以外の講義を禁止
したということであり、朱子学以外の学派を禁止したわけではない。
953人間七七四年:2009/09/17(木) 00:21:13 ID:M4HisN3k
少なくとも、17世紀には必要な政策だった>鎖国
18世紀前半までは、それでもよかった。
後半からは厳しくなっていったな。
19世紀には時代遅れな政策になっていた。

状況の変化というものを無視して、最終的に無駄・無意味・害悪な法になってしまったのに、
最初は必要・有益な政策だったからと擁護するのは暴論。
954人間七七四年:2009/09/17(木) 00:24:57 ID:Ujd5j225
確変した欧州が異常
955人間七七四年:2009/09/17(木) 00:35:09 ID:JieVke+w
>949
江戸時代というより長く続いた戦国時代が原因じゃない?
956人間七七四年:2009/09/17(木) 00:47:15 ID:mokDQIs3
戦国時代より江戸時代のほうが平均身長が低かったらしい
957人間七七四年:2009/09/17(木) 00:59:22 ID:SKCcBQGw
しかし、アメ様が航空母艦を引き連れて開国を迫るなんていう事になっていたら
日本はどうなっていたんでしょうな。まさか戦車、航空機相手に竹槍なんてことはあるまい。
考えただけでも恐ろしい
958人間七七四年:2009/09/17(木) 01:13:47 ID:umzLpvAy
>>956
日本で生産される食料は限られている
江戸時代の人の体格が劣っていたということは、
人口は増えたが社会秩序が安定していて富の分配が比較的公平に行われていたことを意味する
959人間七七四年:2009/09/17(木) 01:25:31 ID:NYWVn/h1
武士って食事の回数と内容まで厳格に決められていて
農民より体格悪かったって聞いた様な気がする
960人間七七四年:2009/09/17(木) 01:31:22 ID:umzLpvAy
武士は食わねど高楊枝ってか
理想的な支配階級だな
961人間七七四年:2009/09/17(木) 02:05:56 ID:B/cUnaiA
バカを相手にするなんて、このスレに居るのに忍耐のかけらも無いヤツが多いんだなw
962人間七七四年:2009/09/17(木) 02:39:56 ID:yLPxJeH1
>武士は食わねど高楊枝
日本で反体制の争乱が長く起きなかった原因の一つに、
民衆からみて武士の生活が全くうらやましくない状態だったことも一因だって言うしな。
963仙台藩百姓:2009/09/17(木) 09:17:47 ID:G8Q0IY56
>>952
つまり徳川幕府も商業蔑視の風潮を引き継いでいたと言う事じゃんお( ^ω^)
寛政の他学排斥は昌平坂だけの問題ではないお
幕府の公式学問所で禁止したわけだから他藩も遠慮して禁止するところも出て
他学の衰退を招いているお┐ (´ω`) ┌
そもそも徳川幕府は基本的に他藩の統治には関与しないお
幕府が直接統治するのは天領のみ
その公式学問所で禁止令を出したということは幕府の政策は禁止にあったということだお
逆に言うと諸藩が学問を推奨して教育に心血を注いだとしても
それは幕府の関知するところではなく幕府の政策とは無関係だお( ^ω^)
964仙台藩百姓:2009/09/17(木) 09:28:57 ID:G8Q0IY56
江戸時代の武士ってニートだし贅沢なんて出来るわけないお( ^ω^)
本来は有事に備えて待機している軍隊なわけだけど
幕府の貧国弱兵政策で武具を質に入れるぐらい逼迫し
いざ、有事が起きてみたら心身共に脆弱な兵隊しかおらず全く役に立たなかったというお粗末さ┐ (´ω`) ┌
965人間七七四年:2009/09/17(木) 09:49:27 ID:SKJh5pVZ
>>963
江戸幕府が積極的に蔑視していたのでなく、慣習的なだけ
梅岩を幕府は弾圧した?

国家が一つの学派を重視しているだけ、そんなんで弾圧と言われたら
なんでも弾圧になる
966仙台藩百姓:2009/09/17(木) 09:56:56 ID:G8Q0IY56
>>965
話しが混ざってるお( ^ω^)
「江戸時代は商業を蔑視する風潮があった」という話しについて梅岩を例に出したのだお( ^ω^)

幕府は蛮社や安政の獄で学者を殺したり弾圧してるじゃんお( ^ω^)
967人間七七四年:2009/09/17(木) 10:06:14 ID:Wd27Ge2B
で江戸幕府が史実以上に重商やるといい部分ってあんの?

せいぜい中華と貿易するくらいが関の山なのに。まさかゴア経由で中東まで行ってとかいわんよな?
それとも太平洋横断してアメリカと交易でもすんのか?
むしろ貴重な金銀が流出するほうが痛い気がするけども。
968人間七七四年:2009/09/17(木) 10:07:17 ID:SKJh5pVZ
>>966
江戸時代前からあったのであって、江戸時代からではなく
そして江戸時代からその風潮は改善された

それらの弾圧は学者だからでなく、幕府の政治方針に異議を
唱えたことによる弾圧
そういう反体制(と言うほどでもないが)は古来より文化サロン
から生じているから彼らが弾圧されたわけで、学者だから
弾圧されたのではない
969仙台藩百姓:2009/09/17(木) 10:43:20 ID:G8Q0IY56
>>967
その考え自体間違っているお( ^ω^)
農商工の一辺だけを突出させても発展は望めないお
江戸時代は商工業を軽視し米ばかり作っていたから日本には輸出するようなものが殆どなかったお
江戸時代の古錆びた体制では重商なんてしようがなかったお┐ (´ω`) ┌
260年間惰性で統治し、たいした発展もなく
殖産興業など一朝一夕にできるものではなく明治政府も外貨獲得に頭を悩ます事になったお┐ (´ω`) ┌

>>968
同じ事だお( ^ω^)
学者らは別に国家転覆を謀ったわけではなく
学問から得た政策の問題点を指摘したのだお( ^ω^)
それに対し幕府は逆ギレして有無を言わせず弾圧したのだお┐ (´ω`) ┌
970人間七七四年:2009/09/17(木) 11:15:21 ID:SKJh5pVZ
>>969
その方針に意見を言う事が当時は重罪な訳
学問は学問で帰結し、それから先はその知見を得た政策陣が行う事で
学者の分限ではないということ
もし、政策に介入したければ自身がそうした立場に就くか、その政策を
行う人物と懇意になって、政策を実現してもらうという形でなければならない
971仙台藩百姓:2009/09/17(木) 13:04:20 ID:G8Q0IY56
>>970
そういう事が出来ない体制を作ったのが幕府だお( ^ω^)
基本的に徳川関係の者達以外は役職につけず
意見を出そうにも門閥が横槍を入れて潰し弾圧し
無能でも障害者でも役職につく徹底した門閥体制
勝海舟が幕閣に幕府と海外の違いを聞かれた時
「役職に就いている者はそれなりに頭がいい」
と痛烈に皮肉ったのは有名な話しだお( ^ω^)
阿呆な幕閣は顔真っ赤にして怒ったらしいお( ^ω^)プ
972人間七七四年:2009/09/17(木) 14:19:47 ID:SKJh5pVZ
>>971
そういうのとは関係ないよ
問題はあくまで封建制と身分制にあるから

これを変えない限りは、徳川であろうとなかろうと
大して変わらない
973人間七七四年:2009/09/17(木) 14:44:14 ID:O271Q3rs
石高本位の三河の田舎気質がベースの幕府だから
ややこしそうな事は見ざる言わざる聞かざるなんだよ。
発展を放棄したようなもんだもん破綻するのは明らかじゃん。
幕府施策は倹約ばっかでどうしろと?
ちょっと頭の良い方なら異議を唱えるのが普通。
974人間七七四年:2009/09/17(木) 14:53:11 ID:SKJh5pVZ
三河云々は関係なく、長期安定政権はそうなるもの
975人間七七四年:2009/09/17(木) 15:05:04 ID:VuCBHHYM
>問題はあくまで封建制と身分制にあるから
その通りだね
結局のところ江戸時代も時代的な制約を多く抱えた、
典型的な封建主義社会だったということ
けど最近は嘗ての左巻きによる暗黒時代史観の反動か、
やたらと江戸時代を美化する人が多くて困るね
明治維新とその後の近代化が江戸幕府のおかげみたいな言い方は笑ってしまう

>>973
そこらへんは江戸幕府が公式とした儒学の限界の一つだったとも思う
儒学者の小瀬甫庵が著した太閤記では、
商人と癒着しばら撒き政治を行った秀吉への批判が見られるが、
大規模な外征や土木工事で内需を拡大するというマクロな視点に欠けている
家康から綱吉の代までは割とバランス良かった気もするんだが、
後は経済政策で見れば幕府は失敗続き
976人間七七四年:2009/09/17(木) 15:11:47 ID:SKJh5pVZ
>>975
個人としては封建制の枠組みの中と言う前提では、
江戸幕府は極北に位置するとは思っているけどね
977人間七七四年:2009/09/17(木) 15:14:22 ID:6Gnv8swi
【徳川家 総合】 徳川家康公スレ その七
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253167986/
978平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv :2009/09/17(木) 15:52:38 ID:8bcfbfjy
どうでもいいが今日は家康公の月命日だぜ。
979人間七七四年:2009/09/17(木) 17:57:23 ID:M4HisN3k
>>956

戦乱の時代より民衆がひもじい生活してた江戸時代て・・まさに暗黒の時代だな
失われた260年か・・ハァ
家康のアホはとんでもない負債残したもんだハァ
980人間七七四年:2009/09/17(木) 18:31:19 ID:SKJh5pVZ
>>979
単に一人当たりの量が減っただけ
それ以前は成人になる前に死にまくっている
981人間七七四年:2009/09/17(木) 18:41:34 ID:M4HisN3k
ヒキコモリしてるから食料が足りなくなるわけか
徳川の無能ぶりがよくわかる
まさに失われた260年だなハァと
982人間七七四年:2009/09/17(木) 19:37:20 ID:SKJh5pVZ
>>981
食料輸入か移民となると明治政府の結果を見ればどうなるかは
日を見るより明らか
というより朱印船貿易時代の日本の悪評が何倍にも増幅される
結果しか見えんな
983人間七七四年:2009/09/17(木) 20:20:40 ID:Hb5htP/u
>>945
スペインやポルトガルに対抗してどうするんだ?

奴らの真似しろと?東南アジアを侵略して、
大量の奴隷と食糧や資源を奪いとればよかったの?

当時は自由貿易体制なんて無いし、
貿易で日本から出せるのは金銀だけ。
984人間七七四年:2009/09/17(木) 21:01:26 ID:yLPxJeH1
250年は長すぎたかもしれない。

しかし少なくとも江戸幕府成立から百年くらいは、
戦争や海外へ出す力を国内に注いで国力の充実に努めたのは当然だろうに。
985人間七七四年:2009/09/17(木) 22:28:14 ID:l++bk1xh
前時代の活力あったエネルギーを封じ込めて 権力者の保身の為だけに ライバル達の力を削ぎ落として行った。躍動感もなく、夢のない 無味乾燥な幕藩体制が260年も続いた。
986人間七七四年:2009/09/17(木) 22:39:36 ID:/TpF78Bx
司馬史観そのままだね
987人間七七四年:2009/09/17(木) 22:42:26 ID:SKJh5pVZ
>>985
昭和30年代を良い時代だったという様なものだな
988人間七七四年:2009/09/18(金) 00:29:59 ID:AIVN5OQQ
>>983

そうすれば良かったのに
989人間七七四年:2009/09/18(金) 00:33:51 ID:AIVN5OQQ
ひきこもってばかりだから贅沢禁止とか締め付けてばっか
まるで北朝鮮みたい
今の北朝鮮が200年以上続いた状態が江戸時代なわけか
そりゃダメだわ
990人間七七四年:2009/09/18(金) 00:35:19 ID:Of20E5IP
日教組の人か
991人間七七四年:2009/09/18(金) 00:36:32 ID:Z+Op95R/
パックストクガワーナ
992人間七七四年:2009/09/18(金) 03:42:29 ID:nS9NByCO
もっと海外侵略をやってりゃ良かったてのもなあ・・・

貿易に使えるのは金銀だけなんで、
金山が空になれば終了。
993人間七七四年:2009/09/18(金) 04:21:17 ID:VvSLs0xc
ワカメがあるだろワカメが
994人間七七四年:2009/09/18(金) 05:05:34 ID:8hOPDIoW
>>989
そんなきつい締付は無かったろ!
995人間七七四年:2009/09/18(金) 06:07:54 ID:AIVN5OQQ
>>992

同意
このスレの連中は交易前提に考えてるのがワロス
馬鹿正直にまともに貿易しようていう
こういう平和ボケ友愛思想は戦後の日本民族脆弱化教育の賜物だな
貿易なんかする必要無いんだよ
侵略して略奪すればいいだけ
住民なんて皆殺しでok
んで東南アジアや満州の資源地帯をがっちりキープしとけばよかったんだよ
996人間七七四年:2009/09/18(金) 06:10:31 ID:AIVN5OQQ
まずは台湾を侵略して
ここを拠点に東南アジアも侵略
997人間七七四年:2009/09/18(金) 07:25:24 ID:AIVN5OQQ
998人間七七四年:2009/09/18(金) 07:27:16 ID:AIVN5OQQ
999人間七七四年:2009/09/18(金) 07:28:35 ID:AIVN5OQQ
1000人間七七四年:2009/09/18(金) 07:30:49 ID:AIVN5OQQ


10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/