戦国ちょっと悪い話10

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話9
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1240753114/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243312108/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2 |ω・`):2009/06/03(水) 02:45:01 ID:HF5hswhz
おう
3人間七七四年:2009/06/03(水) 03:40:38 ID:ILy9a+0Z
スレ立て成功祝着至極にて存じ奉り候
4人間七七四年:2009/06/03(水) 08:31:51 ID:t/ynzK92
>>1
悪い話スレなのに
いい話だー(;▽;)
5人間七七四年:2009/06/03(水) 11:30:40 ID:DFRaATVH
>>1殿、乙でござる。
ささ、粗茶ですが…
6人間七七四年:2009/06/03(水) 11:49:03 ID:x9N3Pqaw
>>1
一服いかかですかな?
皆様もご一緒に…
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                     
 ( つ旦O
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦 
       濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 
 
       旦   旦   旦    旦    旦   旦 
       生茶  玄米茶 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶

       旦   旦   旦     旦    旦   旦 
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草
7人間七七四年:2009/06/03(水) 12:45:05 ID:6KauSFa4
>>6
ウランwwwwwwwwww
8人間七七四年:2009/06/03(水) 13:01:19 ID:ulA1TRmz
ちょwww緑青ってwwwwwwwwww
9人間七七四年:2009/06/03(水) 13:24:23 ID:drxwjabX
秀吉のお持ち帰り二連発


・京から北白川の山中越えの起点に、「子安地蔵」と呼ばれる、鎌倉時代の作と伝わる、
2メートルほどもある石仏がある。

あるときここを通りかかった豊臣秀吉、この石仏をすっかり気に入り、
これを聚楽に運び入れてしまった。

秀吉は石仏に毎日対面し大いに喜んでいた。ところがこれを運び入れて以来聚楽では、
夜になると地響きのようなうめき声がするようになった。

「どうもこれは、石仏が北白川の里が恋しくて泣いているのだ。」

そんな噂が立ったので、再び元の場所へと安置しなおすと、聚楽でのうめき声も
ピタリと止んだと言う。

この石仏は今も、左京区北白川東久保田町に有り、人々を見守っている。


・上京にある報恩寺には、「鳴虎図」という、虎を描いた寺宝があった。
ある時豊臣秀吉がこれを見てたいへん気に入り、「これを自分に譲るように」と言い出した。
報恩寺も困惑したが、秀吉に逆らう事は出来ず、結局その絵は、聚楽へと持ち帰られてしまった。

ところがその日から絵の中の虎が、夜になると吼え始めたのだ。

最初は秀吉も面白がっていたが、毎晩吼えるので眠る事ができず、秀吉も流石に辟易し、
これを寺に返した、とのことである。

この「鳴虎図」、報恩寺において、寅年の正月三が日に限り公開されている。
10人間七七四年:2009/06/03(水) 13:34:36 ID:naZl3JzA
>>9
ラスボス秀吉のちょっぴり(バツの)悪い話だね、乙
11人間七七四年:2009/06/03(水) 13:36:15 ID:z4WLfxBo
実は家臣に効果音の物まねが上手い者がいたでござるの巻
12人間七七四年:2009/06/03(水) 13:53:38 ID:Jp5lhWVu
>>6
ひそかに福寿草が・・・イエナンデモナイ
13人間七七四年:2009/06/03(水) 16:57:39 ID:h8C1iAn7
実は>>6殿は夾竹桃の茶杓、茶筅を使われておりましてな…
14人間七七四年:2009/06/03(水) 17:03:44 ID:naZl3JzA
>13
鉛に不凍液入りで甘味の増した舶来ワインなど、いかがでござろう。
15人間七七四年:2009/06/03(水) 18:04:57 ID:kFZH30at
秀吉、大友宗麟、畠山など家来の娘に手を出した大名は滅んだ家が多いような
16人間七七四年:2009/06/03(水) 18:09:37 ID:+MhXyQlN
抑制が効かないでやったということならその他についても推して知るべしだからな。
17人間七七四年:2009/06/03(水) 18:12:12 ID:D6bts2az
>>1
大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ
>>6
お茶請けにどうぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 大腸菌 こんぶ クロロホルム 豚インフル オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          砒素 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 とりかぶと
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鉛 有機水銀  野沢菜  サリン 工場廃水 石見銀山  鮭マヨ VXガス
18尼子経久:2009/06/03(水) 18:26:52 ID:kJFdScMb
>>17
過半数が毒物というのは、宇喜多殿もまだまだ青いの
それだけ毒を混ぜては警戒させてしまう
毒を僅かな数に抑え、それを敵に取らせるが計略の基本じゃ

・・・では一つおにぎりを頂くとするか

つ【石見銀山】
19人間七七四年:2009/06/03(水) 18:42:57 ID:naZl3JzA
>>18
尼子殿の館にある松ノ木は実に見事でございますなあ〜

い、いや薪にして頂きたいなどとは決して……
20人間七七四年:2009/06/03(水) 18:50:55 ID:k0siAf13
21人間七七四年:2009/06/03(水) 19:41:43 ID:Xt2kjHGw
>>6>>17
おーいお茶とオプーナさんをいただきます
22人間七七四年:2009/06/03(水) 20:20:05 ID:XiFqEKDq
>>15
家来の娘に手を出したらだめだお!
手を出すなら家来の嫁に限るお!
23人間七七四年:2009/06/03(水) 20:59:01 ID:mrPJ1RQe
>>22
石を投げるのが得意な王様乙
24人間七七四年:2009/06/03(水) 21:11:50 ID:r2pYFlDH
>>17
なんと!お茶が足らないとな?
どれ、追加を入れましたぞ・・・・
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                     
 ( つ旦O
 と__)__) 旦   旦   旦    旦    旦   旦 
       濃茶  薄茶 玉露  カンタレラ  番茶  出涸し 
 
       旦   旦    旦    旦    旦   旦 
       生茶  イペリット 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  チクロンB

       旦   旦   旦     旦    旦   旦 
       緑青 静岡茶 宇治茶 希硫酸 紅茶 福寿園
25人間七七四年:2009/06/03(水) 22:27:04 ID:Awz9MImA
さつま茶で一献!
26人間七七四年:2009/06/03(水) 22:37:23 ID:OJbkpa8I
>>1乙!
スレが進むにつれて毒の割合が増えてんぞwwww>>17
27人間七七四年:2009/06/04(木) 01:19:04 ID:qsYQNXEz
>>24
いぺりっと茶とやらを飲んだら何やら皮が剥けてきましたぞい!
一皮剥けて真に目出度い事にござる
うわははは…ガフッ…
28人間七七四年:2009/06/04(木) 01:40:23 ID:0g6Jrwmf
湯漬けすすめよう。
29十河額の人:2009/06/04(木) 09:36:55 ID:KgJji6sq
有馬温泉に湯治に行きたいなー
お気に入りの芦毛馬に乗って行きたいなー

30人間七七四年:2009/06/04(木) 16:30:48 ID:0g6Jrwmf
いい話スレ9に出ていた四国ネタ関連。こわい女性(にょしょうと書くとブッ強敵ですね)の話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-332.html

細川晴元が畿内で三好長慶に圧迫されすっかり左前になったとき
阿波守護・細川持隆は後の14代将軍・足利義栄を擁して上洛しようとしたけど、
三好長慶の次弟・義賢に阻まれてヌッ殺されてしまいました。これ天文年間(見性寺の変)

持隆嫡子・真之は、三好の傀儡として阿波守護に祭り上げられたが
実母の小少将はんが亡父持隆の側室から、実休義賢の嫁さんに収まってしまった。
しかもギシギシがんばって(久米田の戦いで義賢がスナイプされるまで)三好長治、十河存保をこさえて。

親父の仇・義賢は死んだものの今度は異父弟の三好長治たちに傀儡として利用される。
憎い仇の倅が兄弟なのである。しかも影に日に空気扱いされて。カーチャンは鬼だ!
辛抱たまらん真之は「敵の敵は味方じゃー!」とブチ切れて、とうとう土佐の長宗我部元親を呼び込んだ

天正年間、とっくに畿内を織田信長に蚕食され地元でも評判の悪かった三好長治あっさり敗死。

だがしかし、長宗我部元親が真之を阿波国主として盛り立てる義理もなく、
怒った十河存保ら三好派の巻き返しで追い込まれた細川真之は長治の5年後に敗死。

……そこのろ真之・長治のママン小少将はんは長宗我部元親の側室に収まって懇ろになっておった。
やがて元親の五男・長宗我部右近大夫をこさえたというから、あんた幾つやねん。

「倅が死んだら、もっといい男の子を産めばいいじゃない」と言った記録はないけど((((;゜Д゜)))ガクガクブルブル

小少将の倅は相克し合い、細川・三好はおろかやがて長宗我部の家も傾いて遂には滅び去った。
そんな傾国の美女?の話。どんな魔性の女だったのか、ちょっぴり見てみたかったような……
31人間七七四年:2009/06/04(木) 16:48:19 ID:opVprYoq
なんか、読み難いです。
32人間七七四年:2009/06/04(木) 17:01:09 ID:0g6Jrwmf
>31ゴメンナサイ
33人間七七四年:2009/06/04(木) 18:18:47 ID:j2ibr27L
「息子が死んだらまた作ればいい」って元ネタ誰だっけ
イタリアの女傑だったのは覚えてるんだが名前が出てこないなあ
34人間七七四年:2009/06/04(木) 18:28:42 ID:j2ibr27L
自己解決したカテリーナ・スフォルツァだ
なんか戦国の女性って母性愛強い人が多いイメージなんだが
やっぱちょっと母性に欠ける女性とかもいるもんだよな
生みの母と育ての母が違ったりするし当然といえば当然なのかな
35人間七七四年:2009/06/04(木) 18:33:03 ID:hTMgA4cq
>>33
カテリーナ・スフォルツァ。ルネサンス期のイーモラとフォルリの領主。別名フォルリの牝虎。
反乱を起こされとらわれた時、反乱軍に子供を人質に渡して、「降伏するように説得してくるから!」と
騙して城に入って、そのまま籠城戦の指揮を取った。

その時に城壁に上がって反乱軍に向かって、下腹部を指差していったのが
「人質を殺すなら殺せ!子供なんてここからいくらでも出てくるんだから!」

反乱軍は気を飲まれて、結局人質を殺さなかったそうな。
36人間七七四年:2009/06/04(木) 18:34:13 ID:hTMgA4cq
おおう、リロードしてなかった。すまん。
37人間七七四年:2009/06/04(木) 18:44:43 ID:Ixsi4smj
完っ全にスレ違い
38人間七七四年:2009/06/04(木) 18:50:42 ID:XZaEfRnb
>>33
牙大王じゃね?
39人間七七四年:2009/06/04(木) 19:10:28 ID:YSR7o/Ir
>>37
まーまー数少ない四国逸話の一部という事で
40人間七七四年:2009/06/04(木) 20:30:34 ID:qBv6+qV0
蛤水道

鍋島家家臣、成富茂安は慢性的な水不足を解消するため
背振山地(現在の福岡県と佐賀県の境にある山地)の蛤岳
から水路を引いた。これにより鍋島側の水不足は解消されたが、
当然福岡側は流れ込む水量が減り、とうとう日照りにより水不足
となった。
困り果てた福岡の村人達は、蛤水道を破壊しようと決意した。
実行役として白羽の矢が立ったのは、夫を亡くし、乳呑み児を
抱えていた「お万」という婦人であった。

だが、お万は村の窮状を救うため「必ず蛤水道を壊します!」
と村人達に約束し、わが子と共に決死の覚悟で鍋島の地に潜入した。
だが、戦国の世に乳呑み児を抱いた婦人が易々と他家の地で動ける
はずもなく、お万は蛤水道の目前で役人に見つかってしまう。

「もはやこの子は守りきれない。他人に殺されるくらいなら…」
お万は近くの滝のほとりに立つと、わが子を泣く泣く滝壺に落とし、
非情の執念で蛤水道に向かった。だが、ついに役人に捕まり、
お万は役目を果たせず無念の死を遂げた…

知らせを聞いた茂安は心を痛め、後に福岡の村にも水が行くように
蛤水道に「野越し」と呼ばれる改修を施した。
お万の子が沈んだ滝は「稚児落しの滝」と呼ばれる様になり、
お万とその子は懇ろに弔われた。

だが今でもお万の執念は生きている。

蛤水道は四百年たった今も水路の役目を務め、佐賀平野と
福岡に水を運んでいる。だが地域住民が蛤水道を清掃しよう
とすると必ず雨が降ったり、天候不良に見舞われるという。

戦国の世とは言え、役目のため、わが子を殺めたお万の無念が
晴れる時が、いつの日か来るのであろうか…
41人間七七四年:2009/06/04(木) 20:33:26 ID:FuMF5r5S
せめて子供は預かっといてやれやwwww
42人間七七四年:2009/06/04(木) 20:38:30 ID:n9JmF6tE
未亡人に白羽の矢て、なにげにひどいな
成富茂安を説得するための方便だったと思いたい・・・
43人間七七四年:2009/06/04(木) 20:55:46 ID:wANUBWFQ
子供は村のもんが食わせてやるからとかいう話かと思ったら全然違ったwww

白羽の矢を立てた方も立てた方だがお万も何故やる気になったのか理解できない…
成功したらお前と子供を一生食わせてやると言われたんだろうか
44人間七七四年:2009/06/04(木) 20:58:00 ID:U4kehnvW
人質代わりにもなるし預かってやりゃよかったのにな
それとも却って怪しまれないための小道具になるって判断か
45人間七七四年:2009/06/04(木) 21:10:54 ID:WNpZU+Ub
>>44
地元の言い伝えじゃ、そう言う理由みたいだ。
最期は、お万と子供諸共滝に…って話もある。
すごいマイナーな話が、ここで出るとは。ちょっと感動。
46人間七七四年:2009/06/04(木) 21:52:12 ID:JGqKjmQj
>>40鍋島ネタ大義である。好きなものを取るがよいぞ。

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 大腸菌 こんぶ ホズゲン プルトニウム オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          砒素 明太子 ちりめんじゃこ タラコ  柴漬  塩辛 とりかぶと
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鉛 有機水銀  野沢菜  サリン 天然痘菌 石見銀山  鮭マヨ VXガス
47人間七七四年:2009/06/04(木) 22:08:38 ID:QmG0pBJ4
実際のところは、お万が村人を信用できなかったから預けなかったんだと思うぞ?
48人間七七四年:2009/06/04(木) 22:21:46 ID:WNpZU+Ub
>>47
どうかな…現代みたいに福利厚生がある時代じゃ無いし。
武家の子供ならともかく、一農民の母子が水不足にあえぐ寒村で厚遇が得られるとは思えない。
村を救う為にお万は死ぬ。母が死ねば子も死ぬ。ならばせめて母の手で…って言う悲話だと思う。
49人間七七四年:2009/06/04(木) 22:35:55 ID:ZRYS7gdr
村の外道共には何の報いもないというのが悲しい現実
50人間七七四年:2009/06/04(木) 22:46:44 ID:iBKoDCL8
外道と言っても村の人間にとっても死活問題だしなぁ
男手は必要だしそれを支える家族も必要
天涯孤独の人間にお鉢が回ってくるのはしょうがないだろう
未亡人が村の為にしてくれる事ってのもかなり限定される
51人間七七四年:2009/06/04(木) 22:55:20 ID:hTMgA4cq
>>40
この話は鍋島藩の成富兵庫茂安のめちゃめちゃいい話に繋がるんだよなあ。
52人間七七四年:2009/06/04(木) 23:05:35 ID:lPK2ZyH9
成富茂安って佐賀城水没の仕掛けも作ってたんだっけ?
53人間七七四年:2009/06/04(木) 23:24:46 ID:hTMgA4cq
「何万石詰まれても鍋島の黒吹貫の下でしかしか戦いたくないんや!!」
(だから加藤清正さんの1万石でのスカウトはお断りします)

成富茂安が小姓の頃からこう言い続けとったのは周知の事実やな
そんな茂安が江戸の都市整備に参加したのはなんでか知ってるか?
徳川に指名されて悔し涙に濡れた茂安にある大物鍋島関係者が助言したんや
「ぽっと出の小姓上がりが建てられるほど佐賀城は安くないんや」
「どうしてもって言うならそこらの天下普請でいいからまずに完成させてみんかい」
「その時にはわしの教え子として鍋島杏葉の紋を着せたる」
闘将直茂SDとの師弟関係が誕生した瞬間やな

江戸で普請したのは茂安にとっては不幸中の幸いやったで
層の薄い関東なら出場機会に恵まれるさかいな
しかし杏葉の紋着たさにここまで頑張ってくれたとは嬉しい誤算やったで
それもこれも鍋島魂のなせる業やな


だいたいこんな感じ>成富茂安
54人間七七四年:2009/06/04(木) 23:26:49 ID:5LwAv7Ea
わざわざ猛虎魂コピペ改変で説明すんなw
55人間七七四年:2009/06/04(木) 23:33:51 ID:8Hoabehi
成富さんの印象良い話が一気に印象最悪な話になったなw
56人間七七四年:2009/06/05(金) 00:08:36 ID:IF+8QPId
>53
成富茂安サイコーや!龍造寺はんなんて最初からいらんかったんや!
57人間七七四年:2009/06/05(金) 00:25:52 ID:Y2EXhMBX
>>55
むしろ直茂SDが大暴落www
58人間七七四年:2009/06/05(金) 01:39:20 ID:iXXm7yn4
>49
村で問題が起きたときに犠牲になるのは、身寄りのいないものか村外のもの

そしてその財産は村の公益に宛てられる



原因不明の問題なんかも気持ち悪くて仕方ないから特定のものに押し付けたり
村八分とか、そういう仕組みでしょ
59人間七七四年:2009/06/05(金) 03:28:46 ID:SAVYlRF0
当時は生きる事も難しい時代だったからなぁ
村がひとつの運命共同体で武装組織でもあったからな
今じゃあ批判されまくってる村社会も当時は生き残るために必要なものだったし
60人間七七四年:2009/06/05(金) 05:32:17 ID:o5l2qSDU
>>58
こっわー
どんだけの数に人間が良識に圧し潰されていったんだろう
こっわー
61ひゃわ!た、たぢけて……:2009/06/05(金) 10:12:50 ID:PLeJRnaP
>38お、親父ぃいい〜!
泰山群狼拳ナツカシス
62亀だが:2009/06/05(金) 12:34:02 ID:bgOu5AHI
内容:
>30
地元の話じゃ、若年の三好長治を操っていた篠原自遁ともナニしていたらしいな小少将。

男が骨抜きにされる「わるい女」だったのか
勝ち味のあるところにどんどん乗り換えていった猛女、てのはウィキペにあったな
63人間七七四年:2009/06/05(金) 13:19:52 ID:PLeJRnaP
>>40
悲しい話やね。

しかし後の祟り方はよくわからん
64人間七七四年:2009/06/05(金) 13:33:29 ID:osrx1WF4
うちの子に触らないでッ!ってことなんじゃない?
65人間七七四年:2009/06/05(金) 13:46:24 ID:1GXVeLKa
>>62
前世は末喜/妲己/褒姒だったんだろw
66人間七七四年:2009/06/05(金) 14:42:14 ID:7mXi6lqq
赤子を滝壺に捨てるのも一種のテンプレみたいな感じなのだろうか
67人間七七四年:2009/06/05(金) 16:22:47 ID:hXktMFtG
>>53
ええ話しやないか
68人間七七四年:2009/06/05(金) 16:44:26 ID:vpFM5Azp
龍造寺五天王はわしが育てた
69人間七七四年:2009/06/05(金) 18:19:19 ID:h90H8RRT
>>65
夏姫が抜けてるw
70人間七七四年:2009/06/05(金) 20:16:52 ID:BOmyUVMV
小栗又一がある時、こんな事を言ったそうだ

「勇士だって言ってる連中でね、討ち死にをするようなのは、ありゃみんな
死にたくて討ち死にしてるんだよ。
だってそうだろ?戦場にのぞむ前にさ、その戦場や敵に詳しい人に色々聞いて、その上で
合戦に出れば、討ち死になんてするわけ無いじゃん。

自分の勇気だけを頼んで、勇ましくあろうとするから、夏の虫が飛んで火に入っていくみたいに
死んじゃう訳だよね。もう笑うしかない。大爆笑。

言っちゃえばね、戦場に臨む時は、先に自分の手に合う敵の目星をつけて、
それに仕掛けていくものなんだよ。
その、『自分の手に合う敵』ってのを判断するのが、技術なんだなあ。
こう言う物はね、敵に付いて詳しい人、合戦と言うものをよくわかっている人にちゃんと聞かないと
解らないものさ。

人それぞれ大事な命だろ?考え無しに月日を送って、心のままにするなんてのは、
そりゃあよくない事さ。」

勇気と無謀を履き違えがちな武者達への、戦場の大ベテランからの苦言であった。
71人間七七四年:2009/06/05(金) 21:06:21 ID:yddTzv9c
>>70
いい話でどうぞ
72人間七七四年:2009/06/05(金) 21:07:29 ID:BOmyUVMV
>>71
悪い事について語っているから、こっちの方がいいかなと。
73人間七七四年:2009/06/05(金) 21:23:26 ID:uctt2KI2
大事な命って概念はあったんだな
74人間七七四年:2009/06/05(金) 21:25:07 ID:z0fDVtVj
いざという時に捨てるために大事にしなくてはいけない
75人間七七四年:2009/06/05(金) 22:45:17 ID:Zp/pXsYO
勝つためには歩一枚とて疎かにはできない
だが勝つためには飛車とて捨てなければならないこともある
76人間七七四年:2009/06/06(土) 00:38:22 ID:wN896ytB
>>70一番手柄を立てるために格別の工夫はしたことがない、とかいう天然キャラのくせに、
生き延びるための地道な努力は怠りないのな又一さんw

>>73-74家康公の前でめんどくさく振る舞う為にも、命を粗末にはせんのじゃ。
77人間七七四年:2009/06/06(土) 01:06:43 ID:ReHmE2oQ
敵を知り己を知らば百戦危うからず
78人間七七四年:2009/06/06(土) 01:57:37 ID:4r3SsSBo
>>77
結局そこにつながるんだよな
さすがは孫子
79人間七七四年:2009/06/06(土) 02:07:42 ID:9ifeAUDT
佐々成政が越中を支配していた頃の事である。

越中の阿保と言う所に、菊池入道と言う者がいた。彼は、元は上杉に属し、
今は佐々に従い、息子を成政の傍に人質として置き、成政が居城にしていた外山に
常に出仕していた。

ある時外山にて酒宴が行われ、成政は興に乗じて、彼がいつも自慢にしていた
ナマズの盃を取り出し、これを菊池入道に差し出した。
入道、これを頂き三度傾け成政に返した。

そこで入道、自分の脇差を差し出し「これはかつて、上杉謙信公より頂いた物であります。
どうぞこれをお納めあって、謙信公にあやかりますよう…」

これを聞いたとたん成政は激怒した。

「何をあやかれと言うのだ!謙信の武勇など、何ほどのことがある!」

そうしてその脇差を投げ捨てた。入道はあわてて、

「ぶ、武勇の事ではありません。
謙信公は九ヶ国の管領になられました。その果報にあやかるようにということです。
この入道は歳ゆえ耄碌してしまい、酒に酔っ払ってもしまったようです。
この脇差はどうぞ、お傍の小姓の方に差し上げてください。」

と、酌をしていた小姓に渡した。
これに成政の機嫌は直り、「小姓があやかるには丁度よいものだ。」と、
笑って言ったそうである。

気宇壮大というべきか、思い上がっているというべきか。
そんな、佐々成政のおそらく絶頂期の頃のお話。
80人間七七四年:2009/06/06(土) 02:26:03 ID:4r3SsSBo
>>79
末路を知ってるだけに哀れな話だね
81人間七七四年:2009/06/06(土) 17:10:25 ID:AaxVXT0A
>>79
結局この後に菊池氏は前田利家に寝返って末森城の合戦につながるんだっけ。
成政にとっては大変悪い話。
82人間七七四年:2009/06/06(土) 22:39:48 ID:TYROCmLH
日本の戦国時代に巻き込まれた人々のお話

秀吉の唐入りのどさくさに巻き込まれて日本につれて来られた朝鮮人被虜の皆さん。
佐護式右衛門の証言に
「本来なら下人を持つ身分でもない連中でも奴婢を持てるとみんなよろこんで
人さらいしとったお」
とあるようにそれはもうひどかったそうな。そして戦後、1607年頃。
秀吉時代に険悪化した日朝関係も回復の糸口をつかみだした。
李氏朝鮮の官僚たちはこれをチャンスとばかりに
「連れ出された朝鮮人たちを故郷に探し出して故郷に帰す!」と徳川家に言ってきた。

わざわざ連れ出された農民どものために国が動くなんて・・・( ;∀;)イイハナシダナー
徳川家も協力を快く約束した。
かくして朝鮮から被虜回収の通信使がやってきたわけだが、
彼らの寝泊りする宿や通過する道々には続々と噂を聞きつけた朝鮮人被虜がやってきて
故郷が恋しい、今すぐ帰国したい、と願い出てきたそうな。

通信使「おまいら・・・(´;ω;`)ブワッ」

通信使は帰国を約束。全国各地を周り各地の朝鮮人被虜に、故郷に帰ろう!と呼びかけていった。

そして、ついに朝鮮人被虜たちは異国の地から解放され用意された船に乗り、
通信使達は雇った船頭に道中の安全を頼み、彼らは釜山へ帰国の途に着いた。
対馬を過ぎ、彼方に朝鮮の海岸線が見える・・・
嗚呼、晴れて故郷へ!

が、

通信使達から被虜の移送と安全を一任されていた朝鮮の船頭たちは釜山に着くやいなや
「これで俺らの任務おーわり^^」と連れてきた被虜たちを次々に品定めしだし、
出自の確かでないもの、子供達を次々拘束して自らの奴隷にしてしまったのだ。
特に美しい人妻を見つけると夫を縄で縛って海に突き落とし始末して妾にしてしまうという有様だった。
奴隷にならずにすんだ人々も、役人から「政府から通達あるまでそこで待機な」
と言われたきりそのまま永久放置プレイされたという。

実のところ、李氏朝鮮の被虜帰国事業は単に護民意識の強い国家としての面目を保つためであり、
あくまで連れ戻すだけが目的で、生活基盤を失った彼らがその後どうなろうが我関せず状態だった。
この噂を聞きつけた在日朝鮮人被虜たちは、国に帰ればもっとひどいことになる、と言い回り
以後、朝鮮通信使がやってきても帰国の申し出は極端に減ってしまったという。

ちなみに全1700名あまりの帰国者のうち、まともな社会復帰にありつけたものは、
朝鮮の資料上にはわずか4人しかいない。
83人間七七四年:2009/06/06(土) 23:13:57 ID:9ifeAUDT
>>82
そりゃあ「冗談じゃ無い、こっちで安定した身分と生活を得たのに
いまさら国になんて帰れるか」って言う人たちが出るわけだねえ。
84人間七七四年:2009/06/06(土) 23:23:08 ID:UiMkLWfX
技術民は待遇が雲泥の差だったからな
陶工や儒学者の姜なんかはその口だ
姜も帰国後の待遇は良くなかったみたいね
85人間七七四年:2009/06/06(土) 23:32:26 ID:9B0YlcaG
佐賀や薩摩も陶工の人たちには帯刀の権利を与えたり
集落を藩が直接庇護するとかしてたからねぇ。
「帰りたい人は帰っていいよ」と義弘や家久が言ったけど
帰国したのはごく一部だったとか。


86人間七七四年:2009/06/07(日) 00:00:28 ID:4rbi9fbk
ちなみに上で書き忘れたけど、帰国したはいいものの
帰国早々に政府から壬申倭乱のときに日本軍に協力した、って容疑をかけられて処刑された人までいる
社会復帰にありつけた記録上の四人も帰国事業前に自力で帰国した人だから
どんな形であれ日本に渡った人は日本軍に協力した裏切り者って意識があったんだろうね

実際に壬申倭乱のときの朝鮮王は民衆が日本軍に協力してるってかなり落ち込んでたし
87人間七七四年:2009/06/07(日) 00:15:21 ID:zVpVj5wa
浅井長政が小谷城において自害した時の事である。

浅井家の老臣、浅井石見守、赤尾美作守も、主君に続いて自害せんとしたが、
大勢の敵に取り囲まれ、また老齢でもあったため思いを遂げる事ができず、
生捕りとなり、信長の前に引き出された。

信長は彼らに言う
「お前達は理由も無いのにわしへの反逆を長政に勧め、朝倉と一味して、親戚であるわしを敵とした、
その果てに今、長政は自害し、お前達は絡め捕られ、わしの前に引き出されておる。
何か言う事はあるか!?」

赤尾は何も言わなかったが、浅井石見は信長のほうを睨み

「理由が無い!?なんと耳新しい仰せかな。朝倉義景に手は出さないと誓った、
その血判も乾かぬうちに越前に攻め寄せたのは何者か!?
長政は義理を違える事ができなかったから、朝倉に味方したのだ!
今度も長政に、『別儀は無いので城を出るように』と、何度も書状を出されましたな、
長政は、『信長と言う男は、いつも手のひらを返す事を考えているのだ』と言って、
自害することを選択したのです。
我々は、天命あって命続けば、いつか時節が参って信長をこのように攻め滅ぼせますと
諫めたにも拘らず!

信長様、あなたはただ、運が強いだけの人だ!
義理を知らす恥も知らず、偽りだけを撒き散らす。形は人だが、心は畜生である!」

こう、憚る所無く言ってのけた。

信長はこれに大いに怒った。
「お前はそんな事を言いながら、今生捕られて恥を晒しているのはどういうことだ!?」

「老い衰えて、止むを得ず生捕られること、古今にもよくある事である。
そんな事より、武勇にて敵を討たず、偽りをもって人を滅ぼす。これこそ武士の恥辱で無くて
何だというのか!
今に見ていよ!あなたは必ず下人に首を取られるであろう!」

信長は憤怒に耐えず、杖で浅井石見を打ち据えたが、石見はからからと笑いながら
「絡め取られている者をこのように扱うとは、さすが有能な大将の作法ですな。

いくらでも打てや、犬め!」

この後、浅井石見、赤尾の両人ともに、斬首されたとの事。


まあ、臨場感がありすぎて、おそらくは軍記ものの脚色なのですが、浅井の思いをよく表し、かつ
かっこよかったので、書き込んでみる。
88人間七七四年:2009/06/07(日) 00:16:15 ID:WYyZ8mbl
>>84
あー、文官がやたら偉くて職人の身分扱いが低いんだっけ朝鮮じゃ……
89人間七七四年:2009/06/07(日) 01:53:34 ID:3CVpWVWy
>>82
なんつーか「歴史は繰り返す」としか言いようが無い。
90人間七七四年:2009/06/07(日) 02:53:07 ID:Zm8OYCYZ
>82
さすが地上の楽園乙、としかいようがねえ……('A`)

秀吉は「我々は、あ○たのジョーになるんや!」とは言わなかったろうが
91人間七七四年:2009/06/07(日) 03:11:24 ID:ktA8cixI
>>88
職人や芸人は朝鮮儒教だといわば家奴だからね。
昔、石原慎太郎が石原裕次郎との兄弟関係をアピールするのをしきりに不思議がる韓国人というのが文化の違いとして紹介されたこともある。
92人間七七四年:2009/06/07(日) 03:18:54 ID:068Sws0v
>>87
血判の血って数ヶ月たっても乾かないものなのかw

いや、冗談ですよ
93人間七七四年:2009/06/07(日) 09:02:36 ID:It6if6+d
>>87
自分の行いが、後に自分に返ってきたんだ
94人間七七四年:2009/06/07(日) 09:07:52 ID:A3q7W5fi
高麗棒子は昔から変わらんわw
95人間七七四年:2009/06/07(日) 10:21:05 ID:PkRYRF/7
>>90
北は帰国事業の後監視付きとはいえ一応住む場所と仕事は与えたからそれより酷い
擁護すれば国が崩壊したから末端の統制が上手く行かなかったのと戦費と耕作放棄で国庫も税収も無いのと党争で政治が混乱しててそれ所じゃなかったことだな
96人間七七四年:2009/06/07(日) 12:02:46 ID:AUKIz4WM
それは擁護になってないんじゃ…
>>87
封建社会の完成形は、少数のサディストと、多数のマゾヒストによって構成されるのだ
97人間七七四年:2009/06/07(日) 12:40:07 ID:lKbxMrrq
四国の武将の話が少ないのでちと調べてみた

河野通直(牛福丸)を検索したらwikiだと”通直は、若年の武将ではあったが、人徳厚く、多くの美談を持つ”とあった
これは期待できそうだと思いさらに調べていくと出てくるのは出生の秘密ばかりで美談なんか一個も出てこない
wikiを編集した奴は引用した書を書いとけよ

なんとも後味の悪い話でした
98人間七七四年:2009/06/07(日) 13:04:34 ID:Og5/elyh
>>85
薩摩藩の陶工の場合は江戸時代を通じて自由な移動は原則禁止だったが
一般農民よりは上の身分待遇ということで帯刀なども一部許されていたんだっけ

明治維新になり四民平等が言い渡された時、「俺たちゃ平民じゃねえ!」と暴れて
士族編入の申請を再三したが政府に却下され続けた
で、ここで士族株の売買〜の話になる。ここらへんの詳しい話はスレチになるので他で。

朝鮮から連れて来た技術者は井戸掘りとかやらせたらしーよ
不毛の地だった大隅に集団転居させたりして農業振興を図ったり。
日本は戸籍とか近世からの郷土資料はかなり残ってる場合が多いから
色々と調べやすいちゃ調べやすいね
99人間七七四年:2009/06/07(日) 14:55:59 ID:3NUNOt0A
薩摩藩の陶工が出たところでこんな話を。

朝鮮の役を終え、薩摩に無事帰還した島津義弘だったが
あるときを境に、夢にうなされるようになった。

その夢とは、薄汚れたお地蔵様が
「日ごろ私を頼りにしておきながら、
 このような異国の地に置き捨ててくるとは
 なんと情けない」
と涙を流しながら語りかけてくるものだった。

この夢を見て義弘は思い出した。
彼は島津家ゆかりの泰平寺から、お地蔵様を陣中のお守りとして寺から借り受けて渡海したのだった。
だが撤収時の多忙のせいか、すっかりお地蔵様のことを忘れて帰国してしまったのだ。

夢に見た風景を、朝鮮から連れ帰った陶工たちに話してみると
「ああ、間違いありません。それは何処其処のあの辺りです」
と教えてくれた。
早速使者を遣わして陶工が言った場所を調べさせると
果たして冷たい秋風がさびしく吹き抜けるだけの場所にポツンとお地蔵さまが立ってた。

使者が思わず「こんな寂しい異国の土地に、よくぞご無事でいらっしゃいました」と話しかけ
その顔を見ると、義弘が夢に見たとおりお地蔵さまの眼には涙が一杯に溢れていた。

無事泰平寺に帰ることができたお地蔵さまは、人々から『泣き地蔵』と呼ばれるようになった。
忙しいとはいえ、神仏を粗末に扱ってはいけないよ、と言うお話。
100人間七七四年:2009/06/07(日) 18:33:30 ID:qUZNInFp
>>99
イイハナシダナー (T T)
101人間七七四年:2009/06/07(日) 18:36:02 ID:AUKIz4WM
>>99
これはいい話でもありちょっと怖い話でもあるな
地蔵が取り戻せなかったらどうなってたことやら
102人間七七四年:2009/06/07(日) 18:56:01 ID:kot+VmIO
>>99
文禄の後なのか、慶長の後なのか
慶長の後なら簡単に朝鮮に渡れたのだろうか、
忍の者が決死で渡って持ち帰ったのならその苦労が忍ばれるね。
103人間七七四年:2009/06/07(日) 19:35:59 ID:dyt/NwJY
しのびねぇな。
104人間七七四年:2009/06/07(日) 19:59:53 ID:XzMOyvMn
>>103
山田君座布団2枚
105人間七七四年:2009/06/07(日) 20:53:51 ID:IlCFu36O
どれくらい前だったか、韓国のTV局が鹿児島に残っている陶工の子孫に取材したことがあったらしいね

あまりにもしつこく祖先の苦労話を聞き出そうとするから、子孫のかたはキレたらしいが



放映されたものはこのあいだ、NHKが台湾でやってきたような番組内容だったんかね
106人間七七四年:2009/06/07(日) 21:22:45 ID:3NUNOt0A
>どれくらい前だったか、韓国のTV局が鹿児島に残っている陶工の子孫に取材したことがあったらしいね
>あまりにもしつこく祖先の苦労話を聞き出そうとするから、子孫のかたはキレたらしいが
TBSの筑紫哲也が、陶工の子孫の方にインタビューと称して
まったく同じことをやってました。
107人間七七四年:2009/06/07(日) 21:56:38 ID:kWgS3PM7
もしかしてしつこく苦労話聞きだそうとしたやつに陶工の子孫の人が
「…ていわれても自分骨の髄まで日本人なんで…別に苦労とかしてないし…」って
仏頂面して答えてたやつ?
108人間七七四年:2009/06/07(日) 21:57:59 ID:AZ0WHcnd
本当に苦労した連中は技術も何にも持たない層だったんだろうけど
そういう人々は歴史の闇に消えていったわけだしね。
つくづく歴史ってのは難しいね。
109人間七七四年:2009/06/07(日) 21:59:41 ID:wi19T3Gv
四百年前じゃ子孫の人には自覚とかなかったんだろうね
苦労話でもなんでもいいからなにか残ってたら面白いけど
自分も先祖の逸話なんか知らないから無理は言えないw
110人間七七四年:2009/06/07(日) 22:35:45 ID:zVpVj5wa
市松さんの悪い話
天地人公式サイトより



空飛ぶ福島正則さん
http://www9.nhk.or.jp/taiga/story/img/st24_03.jpg


( ゚Д゚)
111人間七七四年:2009/06/07(日) 22:38:41 ID:Y7/HsJfG
>>110
なんじゃこりゃww
112人間七七四年:2009/06/07(日) 22:39:58 ID:WYyZ8mbl
>>99
ぬこたまも供養してたし、シーマンヅらしい話かもしれん
113人間七七四年:2009/06/07(日) 22:47:10 ID:WYyZ8mbl
>106
さすが腐れコミュ儒者筑紫
114人間七七四年:2009/06/07(日) 22:50:05 ID:Uaj38NBY
>>110
市松さんパネェっす!
115人間七七四年:2009/06/07(日) 22:59:58 ID:AUKIz4WM
>>110
ハハッwワロスw
と思いながら公式覗いたらマジだった…
コラじゃねーのかよ!
116人間七七四年:2009/06/07(日) 23:09:45 ID:n29Ik67i
>>110
飛び加藤のワイヤーアクションかよw
117人間七七四年:2009/06/07(日) 23:35:11 ID:+EjIq8JR
朝鮮征伐の話も出たので、亀井茲矩の話をしよう。
この人は、中国地方の大名だったが、農業開発、銀山開発、用水路開設などの行政面に手腕を振るい、
南蛮貿易のした実業家肌の大名であった。ちなみに、子孫の茲親は赤穂事件の前哨戦で
吉良にひどい扱いを受けた人でもある。
さて、亀井茲矩が名乗った官職名が面白かった。それは、

「琉球守」と「台州守」(中国にある州)

である。中国大返しの頃、予定された恩賞が無くなったので、何が欲しいと秀吉から聞かれたところ、

亀井「琉球をください!」
秀吉「ああ。いいよ!じゃ、「琉球守」と書いた扇もくれてやる」

となったため、「琉球守」をなのった。これは、ある種の律令破りなのだが、
しかも、亀井は琉球攻撃を一度秀吉から許可されてもいた。
これに困ったのは島津家である。もちろん、琉球への秀吉代理としての立場がなくなるだけでなく
琉球交易の利益もなくなる為に必死に亀井の琉球攻撃を妨害し、頓挫した。
それでもよほど「琉球守」がうれしかったのか、なんと、「琉球守」と書いてある扇をずっと持っていた。
その内容とは、右からこう書かれたものであった。
 
  羽柴筑前守
六月八日  秀吉(花押)
  亀井琉求守殿

じつはこれ、朝鮮征伐で亀井が渡海したときに別の船にこの扇を入れていたのだが何と朝鮮の李瞬臣にうばわれた。
そのため、朝鮮側の戦果報告書にしっかりと記載された正式文書の内容でもある。
ようは、朝鮮に恥をさらしてしまったわけですな。
ちなみに「台州守」は朝鮮征伐の頃に名乗っていたようであるが、これも、夢と散ってしまった。

まぁ、何というか外国にある意味恥をさらしたと言う事で悪いはなしかと・・・
118人間七七四年:2009/06/07(日) 23:41:01 ID:nfagw6Tr
>>117
琉球守の話は出てたけど、
扇子の行方までは出てなかったよなぁ

そんなどちらかというとネタの扇子が公式文書に載るってのが笑えるw
119人間七七四年:2009/06/08(月) 00:48:32 ID:KL0xxXjL
大阪の陣の時の事

伊達政宗の手の者のうち、他家の侍足軽に当たる、給衆百人の組頭、
草刈源内、秋保掃部と言う者が両人揃って討ち死にした。

帰陣後、政宗は給衆を前に怒った

「給衆の組頭二人を討ち取られたのに、組の者は一人も討たれていないのは一体何事か!?
これは組の者たちの不覚と言うべきである!百人全員、今後の見せしめの為、成敗いたす!」

この時

「その両人の討ち死には、私のせいなのです。」

組頭の一人、丹野善右衛門と言う者が進み出た

「その時、川向こうに味方の備えがあったのを見て、草刈源内はこれを敵だと見間違え、
これにかかっていこうとしました。そこで私が『お前は何に目がくらんで、敵と味方を
見間違えるのだ?』と、あざ笑いました。
そのことに源内は怒り、私を斬ろうとしましたが、ここで秋保掃部が間に入り、二人を隔てました。

この事があって、心が焦ったのでしょう、源内は遮二無二に敵陣へ突っ込み討ち死にしました。
秋保掃部はこの源内を追いかけたため、同じく討たれてしまったのです。

二人が討ち死にしたのは、私が源内をあざ笑った事が原因であり、全ては私に責任があります。
罰を下さるのなら、どうぞ私一人に給わりますよう。」

こう言われ、政宗は百人全員の罪を許した。
が、「組頭を見殺しにした不義無動の者たちだ。何を企むか知れたものではない」と、
仙台において政宗は、給衆の住む町だけは、生涯足を踏み入れる事はなかったと言う事である。
120人間七七四年:2009/06/08(月) 03:22:59 ID:VSXI60aN
同じ戦で自分は見殺しどころか味方に鉄砲射掛けたて殲滅させちゃったのに
121人間七七四年:2009/06/08(月) 03:56:30 ID:285cAXZw
マサムネ「(∩゚д゚) アーアー 聞こえない」
122人間七七四年:2009/06/08(月) 03:59:13 ID:8lfqVon9
政はおとーさんにもひどいことしたよね・・・
123人間七七四年:2009/06/08(月) 05:25:44 ID:MWV1r695
そもそも政宗に迷惑かけられなかった奴っていたっけ・・・
124人間七七四年:2009/06/08(月) 08:25:31 ID:8dg3F03Z
>>129
「組頭を見殺しにした不義無動の者たちだ。何を企むか知れたものではない」
主君の薫陶が末端まで行き届いてすばらしいじゃないかw
125人間七七四年:2009/06/08(月) 08:55:39 ID:FtDVw63a
>>117
さすが「世界の亀井さん」w
126人間七七四年:2009/06/08(月) 09:16:34 ID:RTOPqYnk
>>117
結果的に恥ずかしい記録として残ってしまったが
気宇壮大な亀井さんは嫌いじゃないぜ
127人間七七四年:2009/06/08(月) 12:37:48 ID:3G8qSeVR
>>123
蒲生「奴と面識があるならば、何らかの形で迷惑こうむるのは必然」
最上「全身全霊で同意」
直江「ひとんちの主人に煮え湯飲ますような奴だぜ」
忠興「本当迷惑な人間だよなw」
128人間七七四年:2009/06/08(月) 12:50:48 ID:P4hiK0IA
>>127
おまいらw

前半と後半の並びが素敵だわ
129人間七七四年:2009/06/08(月) 14:23:28 ID:cplUrj9j
>>105
2004年12月に指宿市の白水館で小泉と盧武鉉が首脳会談した時じゃないかな
司馬遼太郎がとある陶工もどきを題材に「故郷忘じがたく候」(文藝春秋1968年刊)という随想を残しているんだが…
これがまた嫌になるくらい嘘と問題点が多くてね……話長くなるから止めとくわ
ついでにNHKも加担して色々やらかしたんだが調べたいやつは調べてくれ
ちなみに明治になるまで苗代川の陶工たちは藩の指示のもと共同で雑器類を焼いてただけだったりする


>>117
島津家以外に琉球にちょっかい出したのは、三宅国秀という先例があるんだよなw
確か応仁の乱前後だったからこれも戦国時代に入るんかな?w
130人間七七四年:2009/06/08(月) 14:40:22 ID:z2BeU7w9
このスレで前でた話で朝鮮出兵前後の朝鮮王朝の話とかみると色々な意味でかわいそうになってくる
宗氏並に迷走しすぎ
131人間七七四年:2009/06/08(月) 16:07:55 ID:rJSGlGOK
>>129
薩摩に寄った三宅をボコボコにして
“侵略を企てていた不埒者を成敗しておきましたよ”
って琉球に抜かすんだよな
132人間七七四年:2009/06/08(月) 16:49:35 ID:0JZvkmCE
琉球も琉球で奄美とかに酷い事してるから、あんまり擁護できないんだよなあ
133人間七七四年:2009/06/08(月) 18:06:14 ID:TkkdWxlu
だがしかし
実は
「三宅国秀は実在しない架空の人物です
この話はフィクションでお送りしました」
という疑惑が

あれそこに立っているのは東g
134人間七七四年:2009/06/08(月) 22:46:56 ID:jrJ0angC
小田原の役で堀尾吉晴が山中城を攻めた時のこと。
吉晴は好条件な場所を陣地にしていた。ところで中村一氏も参戦していたのだが、
一氏は吉晴の場所を見て「あそこいいなぁ」と思っていた。そこで一氏は・・・

「秀次様。あそこを俺の陣地にしたいんですけど」

「ん?まぁ、いいんじゃない」

なんと秀次に頼んで吉晴の場所を横取りしちまった!?
かくて一氏は一番乗りの武功を立てたのであった。

堀尾吉晴といえば温和な性格で知られ、仏の茂助と呼ばれた男だ。
しかしさすがの彼も怒った。いや怒ったどころじゃない。キレた。

「ザケンな一氏ィ!!」

吉晴は秀次の前だというのに一氏と差し違えようとした。
その勢いは秀次の家臣が懸命に引き止めるほどの怒りようだったとか。
おとなしい人を怒らせてはいけないぞ、というお話。
135人間七七四年:2009/06/08(月) 22:55:35 ID:KL0xxXjL
>>134
中村一氏はこの山中城での功で、戦後駿河14万石頂いちゃったんだよなー。
そりゃ流石の堀尾も怒るわw
136人間七七四年:2009/06/08(月) 22:56:05 ID:P4hiK0IA
>134
中村さんは一氏の倅が関ヶ原後にやらかしてしかも夭折、改易だっけか。

中村一忠、柳生宗章を巻き添えにして

親父殿のこすい行いが倅に伝染してしまったのか……

とか言いながら堀尾氏も途中で絶えちゃったんだよな。
137人間七七四年:2009/06/08(月) 23:01:16 ID:KL0xxXjL
堀尾さんは色々と松枝の祟りにやられた。
138人間七七四年:2009/06/08(月) 23:01:43 ID:8fQmjvGF
仏の茂助も切れるのか…
139人間七七四年:2009/06/09(火) 00:02:13 ID:Q17yXt8x
>>74
山中城に言った事があるが、北条時代の空堀がよく残っているんだよ。
まさか仏の茂助や中村一氏が攻めたとは思わなかったが。
攻撃側は相当無理して攻撃したかも知れないな。
140人間七七四年:2009/06/09(火) 00:09:26 ID:ZPMP6IPT
>山中城攻略戦
一柳直末が戦死しているが、攻城側の名のある武将が戦死するってかなり異例だよね
141人間七七四年:2009/06/09(火) 00:36:30 ID:VTjbFHJF
>>138
きっと以前に二回ほどなにかをやらかしてたんだよw
142人間七七四年:2009/06/09(火) 00:42:51 ID:mB4i2aZh
最後の大戦功立てるチャンスだからねえ。関東攻略
143人間七七四年:2009/06/09(火) 01:12:21 ID:49Ug6RmU
と思ったら、その後に朝鮮半島が待っていたのでした
(結果は戦功以前に飢餓地獄だったけど)
144人間七七四年:2009/06/09(火) 02:10:12 ID:cs9ufI6K
一方、残る中老生駒親正は秀吉の命を無視して十河の遺児をぬっころして領地を横取りした
145人間七七四年:2009/06/09(火) 03:10:50 ID:FO0+bYog
親は友に陣地を奪われ、
子は親の友に進言を横取りされて・・・

友達は選ぼうぜ
146人間七七四年:2009/06/09(火) 06:57:20 ID:E6TC8WQI
中村一氏といえば戦国幻想曲

「のう勘兵衛、その陣羽織をわしに、くれぬか」
「なんと、しわくさい殿様か・・・」
「あっ、勘兵衛待て」
「我が主には、不足も不足」
「待てって」
「ふん!!」であった。
147人間七七四年:2009/06/09(火) 11:43:58 ID:N1xcUQqr
>>136
そのこすい倅のアイデアを盗んだ奴は明治維新どころか現代まで家を残してるんだよなw
148人間七七四年:2009/06/09(火) 13:08:43 ID:vS3yEoUU
>147
それ堀尾の倅ぢゃ……
149人間七七四年:2009/06/09(火) 19:05:35 ID:tdMDg3Of
中村一氏の嫁ってそういえば鬼武蔵の嫁でもあったな。
150人間七七四年:2009/06/09(火) 19:14:54 ID:PttN1fTh
有名な話だけど、詳しい内容はまだ出てなかったと思うので


宇喜多直家がまだ、16,7の頃の事だと言う。

浦上宗景は、児島からの海賊に対応するため、乙子に砦を築いた。
ところが、この地は敵と隣接した危険な場所であり、宗景の家臣たちは、誰もこの砦に
入るというものはいなかった。

が、この時、まだ若き宇喜多直家は進み出た。
「私にこの砦をお任せください。若輩ではありますが、必ず守って見せましょう。」

これに、自分が入る事には消極的だった家臣達も「そうだ、直家がいい」と同調。
宗景、直家に乙子の近在に300貫の知行を与え、足軽三十人をつけて、この砦を
彼にに任せる事にした。

さて、直家この砦を堅固に守ったのだが、そのための兵卒に対して、300貫の知行は
悲しいほど小さかった。
そのため兵糧も乏しく、直家の侍大将であった、戸川平助、長船又三郎、岡平内らをはじめ皆、
自ら耕作をし、さらには近郷で夜盗の真似や辻斬りまでして兵糧を集めた。

しかし、それでも兵糧は不足した。

そこで直家を初めとした家臣たちは、月に3〜5回、失食と言う日を作り、
その日は一日食を絶って、その分の米を砦に納めて兵糧としたのだという。

宇喜多直家草々の頃の艱難、のお話。
151人間七七四年:2009/06/09(火) 19:53:50 ID:/6qI+Hkn
食うや食わずの生活から一代で二国の太守になった直家はもっと評価されるべき
152人間七七四年:2009/06/09(火) 19:55:13 ID:fFYbXMaA
>>150
悪いってより、自ら節制する直家のいい話なんじゃね?
153人間七七四年:2009/06/09(火) 19:57:05 ID:jATKEXNg
(待遇の)悪い話
154人間七七四年:2009/06/09(火) 20:06:27 ID:EgGF1ZR6
>>151

朝倉宗滴「わしは彼の手腕を評価しておる
     自慢の茶器で彼に茶を振舞いたいくらいじゃわい」
155人間七七四年:2009/06/09(火) 20:08:58 ID:6veXPo8B
>>152
>近郷で夜盗の真似や辻斬りまでして兵糧を集めた
ここで「ちょっと悪い」話かと
156人間七七四年:2009/06/09(火) 20:09:51 ID:fFYbXMaA
>>155
あ、そこすっ飛ばして読んでたわ
157人間七七四年:2009/06/09(火) 20:15:14 ID:YGUYzMiq
直家さんならば当たり前すぎるからですね
158人間七七四年:2009/06/09(火) 20:46:11 ID:/6qI+Hkn
しかし確実な資料がある中では日本史上で一番暗殺した人なんじゃないか?<直家
159人間七七四年:2009/06/09(火) 20:57:05 ID:tdMDg3Of
いや、備前の戦国史の史料は史料とはいえない代物ばっかりだから。

もしかしたらもっと死んでたりして。
160人間七七四年:2009/06/09(火) 20:58:46 ID:9/qKUtPF
武略も普通にあるんだが可能なら使わないで済ませようと努めに努めるあたりが尋常の人じゃねーんだよなw
161人間七七四年:2009/06/09(火) 21:11:33 ID:L5aXQBTw
大河ドラマでやればいいのに
牛飼いから大名とかロマンじゃないか
162人間七七四年:2009/06/09(火) 21:23:06 ID:/6qI+Hkn
道程は全然ロマンじゃ(ry
直家と秀家の生き様、死に様を対比的にすれば
あるいは出来るかもしれないけど主役には…
163人間七七四年:2009/06/09(火) 21:46:35 ID:2iO3b9mO
>>150
大義である。食すがよいぞ。

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                     ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 大腸菌 こんぶ 足尾鉱毒 豚インフル オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          砒素 明太子 ちりめんじゃこ タブン  柴漬  塩辛 石見銀山
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鉛 プルトニウム 野沢菜  サリン 工場廃水 キムチ  鮭マヨ VXガス
164人間七七四年:2009/06/09(火) 21:47:50 ID:Zl78R+sL
>>163
直様、致死性ロシアンおにぎりはそろそろ勘弁願いとうござりまする・・・
165人間七七四年:2009/06/09(火) 22:06:21 ID:2iO3b9mO
>>164
そうであったか。ではお茶にしよう。
  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                     
 ( つ旦O
 と__)__)  旦    
       青酸カリ   
166人間七七四年:2009/06/09(火) 22:34:23 ID:Qdit7q8q
容赦ねぇなw
167人間七七四年:2009/06/09(火) 22:46:44 ID:Zl78R+sL
>>165
選択肢ないのかっ!
168人間七七四年:2009/06/09(火) 23:45:02 ID:N+Ch1Reh
>>134
亀レス失礼。
堀尾さんって、顔立ちが「美婦人」のように優しく、平素は柔和温厚なので「仏茂助」と言われとったが、
戦に望んで敵をぶっ殺したり、人と理を争う時の威勢は半端じゃなくて、ラスボスをして
「鬼茂助の方があっているだろ」と言わしめた存在だぞ。
169人間七七四年:2009/06/09(火) 23:54:19 ID:KqjQiUze
さすが宇喜多www
170人間七七四年:2009/06/09(火) 23:54:54 ID:EgGF1ZR6
ラスボス公認の鬼だって〜!
まさにKingOf鬼称号
171人間七七四年:2009/06/09(火) 23:57:03 ID:PttN1fTh
秀吉は天下一とか天下無双とか、称号ほいほい与え過ぎて、イマイチ有難味が無い。
172人間七七四年:2009/06/10(水) 00:16:18 ID:eBDv0OQO
直家ならプーチンにも勝てるな
小童の腹に毒塗って…
173人間七七四年:2009/06/10(水) 05:42:40 ID:9FG4fVNF
戦で自分の家臣が死ぬのを見るのが嫌だったから、と思えば良い殿様な気がしなくもない‥‥
174人間七七四年:2009/06/10(水) 07:58:38 ID:5+T+udHw
     ('A`)      「戦で自分の家臣が死ぬのはいやだお…」
     ノヽノヽ
       くく

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
    /  `´  \
     ('∀`)      「そうだ、暗殺すればいいじゃん!」
     ノヽノヽ
       くく
175人間七七四年:2009/06/10(水) 08:37:08 ID:yLs8qD1c
ヤンデレ?
それともシリアルキラー?
176人間七七四年:2009/06/10(水) 09:33:05 ID:MPKWOIw+
>>173-174
数人殺せばただの殺人鬼だが万人殺せば英雄という言葉もあるが
直家の場合、少ない犠牲で多くを生かすという行動原理があると思えば、真の英雄の資格が十二分にあるだろう


177人間七七四年:2009/06/10(水) 09:33:15 ID:E3senSL1
>>174
そういう考え方はい奸悪
178人間七七四年:2009/06/10(水) 11:23:59 ID:Wl5gIjuf
暗殺ってそう考えたら、家臣が死なないばかりか、兵糧を使わない、
金子は褒美のみ、領地は荒れない、敵に動揺を与える、
証拠が残らなければその敵が仇打ちで挙兵した際に戦う理由ができる
と何かと利が多いなぁ
179人間七七四年:2009/06/10(水) 11:35:29 ID:WDhV3GaM
その代償に信用が無くなるがな。
余程器量が無いと他勢力との交渉が難しくなり、
敵は増え易く味方が増え難くなっていく。
180人間七七四年:2009/06/10(水) 12:02:47 ID:HT4x5Kp+
あんま暗殺が横行すると現代のフィリピンみたいになるよ。
前回の選挙で立候補者含め関係者100人以上暗殺されたのに犯人が一人も捕まってない。
181人間七七四年:2009/06/10(水) 12:03:26 ID:Wl5gIjuf
>>179
確かにね
そうなると、暗殺相手を誅したことの大義をアピールするか、
味方は利で釣るようにしなきゃいけなくなるわけだ。

大義があっても、確たる証拠が残ってなくとも
手段が暗殺じゃ中々難しそうだけどね
182人間七七四年:2009/06/10(水) 12:21:31 ID:WDhV3GaM
暗殺といえば・・・だが、
毛利さんのとこも、宇喜多さんのとこも、三好さんのとこも、
親族にそれを補うようなバランス調整タイプの人柄の良い人が居たな
逆に斉藤さんや松永さんの場合…
特に松永さんの場合、弟が死んでから滅んでるし、
家全体でどこかに信用をされる人が居ないとやっていけないんかもしれんね
183人間七七四年:2009/06/10(水) 12:59:17 ID:BjrBxrYA
宇喜多直家による三村家親の暗殺。この、日本で初めての銃による暗殺事件の、その後の話である。

家親の葬儀もすんだ後、三村家の重臣達が集まり、今後の方針を協議した。
この時。三村五郎兵衛が進み出て、弔い合戦を主張した。

「宇喜多の為に先君の命を奪われた事!その無念、憤り、骨髄を貫くほどです。
当家の恥辱である事は、言うに及ばず!一日も早く軍を出し、先君の敵宇喜多を討って、
その頸を手向けになさるべきです!」

これに、故家親の弟、三村親成は

「確かに五郎兵衛の言う事は一理ある。が、今怒りに任せて戦えば、味方も多く損じ、
戦の勝利もおぼつかないであろう。再び負けては、もはや我らに後は無い。
しばらく時を待ち、家親様のご子息である元親、実親の両君を我らで守り育て、成長の上
これを大将として一戦を遂げることこそ忠義である。」

集まった一族郎党の多くは、この親成の意見に同意し、その方針を採ることに決定した。

が、五郎兵衛は同意できなかった。

「皆様が親成殿の、遠い思慮に同意し、家中皆生き延びて若君を守り立て忠義を成せば、
この先、危ういことは無いでしょう。

しかし、この五郎兵衛は愚昧であります。命永らえても、主君を助けるような才を身に着けては
おりません。ですから、

私は、一人でも敵に向かい、弔い合戦をし、討ち死にをして君恩に命を奉ります。
それより他に、やりようがないのです。」

そう言って座を立った。すると一族、若党のうち50人あまりが続々と立ち上がり、
五郎兵衛に続いた。さらに家親に厚恩を受けた士数人もそれに合流し、都合70人あまり、
彼らは禅寺に集まり、それぞれ自分の法名を過去帳に記し、焼香して出陣をした。
皆、一途に討ち死にを決めていた。

永禄九年四月、この事、宇喜多直家の耳にも入る。三村より、100にも満たない弔い合戦の勢が、
二手に分かれて、一手は五郎兵衛が大将となり釣の渡りより南へ、もう一手は
矢津越より直家の本拠沼城に、それぞれ向かってくるとの事。
直家は弟忠家、戸川、岡、長船、小原らに、3000余りの兵を与えこれに備えた。

三村五郎兵衛勢、宇喜多の備えを見ると先ず、弓鉄砲を放射、そして一斉に突撃した。

死を決めた兵たちである、その勢いは凄まじく、一段の長岡の構えはたちまち崩され、
二段目の、岡の構えも今にも崩れるかに見えた。ここに宇喜多忠家の勢が横から槍をいれ突き崩すが、
三村勢は一歩も引かず、そのまま乱戦となり、大将、五郎兵衛が宇喜多の多くの兵たちを道連れに
討ち死にすると、ようやくその勢いを止めた。

もう一方の矢津越の部隊も、備えの戸川勢を打ち破るなど奮戦したが、やはり数に押され、全滅。

三村勢70余人、ことごとく討ち死にして果てた。

一方宇喜多勢は47人が討ち死に、負傷者は百人を越えたと言う。

しかし五郎兵衛をはじめとしたこの七十余人は、命を君恩に報じた者たちであると、
後々まで称えられた、とのことである。


悪い話とも言い切れないが、だからと言っていい話でも無いので、こっちに投稿して見る。
184人間七七四年:2009/06/10(水) 13:30:06 ID:ZP/HW8Ke
>>183
その後の三村家の顛末を見るとここで五郎兵衛にのっかった方が良かったような・・・。
185人間七七四年:2009/06/10(水) 14:10:25 ID:vmIhYouE
>154
松永弾正先生が古天明平蜘蛛にせっせと何かを詰めております
186人間七七四年:2009/06/10(水) 18:07:26 ID:E090TqAG
先生!それ今代まで残ってりゃ重文クラスだからやめて!
187人間七七四年:2009/06/10(水) 20:04:41 ID:uCUthbzH
>>180
なにそれこわい
188人間七七四年:2009/06/10(水) 20:07:50 ID:MPKWOIw+
>>185
ゲヒ殿が何かたくらんでおる模様
189人間七七四年:2009/06/10(水) 20:36:44 ID:RYHDzbrP
>>188
(ジュッ)熱ちぇええ!
190人間七七四年:2009/06/10(水) 22:46:57 ID:srWgiOws
水野勝成が、武者修行として佐々成政の元で陣借りした時のこと。

その頃、成政の家臣には阿波鳴戸之助という侍がいた。何度も武功のあった男で、
「並の者では越すに越されぬ」ので、こんな名前を名乗っているという。
勝成には、これが面白くない。ある戦の前日、ついに勝成は鳴戸之助にケンカを売った。

「よぉ、アンタが本当に「越すに越されぬ」か、オレが試してやるよ。明日の戦、どっちが
先駆けして手柄を立てるか、勝負しようぜ!」
鳴戸之助は答えた。
「ワシの名は先祖より受け継いだもので、そんな大げさな意味はござらん。
その上、貴殿の武勇は比類なく、ワシごときが先を争うなど、考えも及びませぬ。」

勝成は再三挑発したが、鳴戸之助は頭を下げて辞退するばかり。ついにあきらめ、
さんざん彼を罵倒して自分の陣屋に戻った。

翌日、出撃しようとした勝成は驚いた。自陣の前に、血まみれの鳴戸之助が立っていた。

実は鳴戸之助、昨日は頭を下げ続け、勝成があきらめて気をゆるめたのを見てとると、
夜も明けぬうちに敵陣に駆け込み、手傷を受けながらも一番槍と一番首の手柄を
上げていた。

虫の息ながら、鳴戸之助はニヤリと笑って、勝成に言った。
「や…やぁ…今日の一番手柄は、さだめて貴殿でござろうなぁ……」
昨日の騒ぎは多くの者が聞いており、「勝成一代の不覚」と後々まで語られた。

やり方は「悪い」が、あの鬼日向を出し抜いた男の話。
191人間七七四年:2009/06/10(水) 22:49:51 ID:QmBjbvXs
勝成が引いてるじゃないかw

確かに並じゃなかったな。
192人間七七四年:2009/06/10(水) 23:15:18 ID:vmIhYouE
>184這いつくばって家を残すのも、
意地を通して(死してなお)名を残すのも
武士の考え方としては一理あんだよね。
193人間七七四年:2009/06/10(水) 23:19:42 ID:UEY6vqEh
一方、宇喜多さんちの忠家さんは兄にいつか殺されるのではと不安のあまり普段から鎧を着て歩いていた
194人間七七四年:2009/06/10(水) 23:54:04 ID:SARvkVb4
>>193
鎧じゃない。鎖帷子。
195人間七七四年:2009/06/11(木) 00:16:22 ID:RlhovSPt
>>193
前門の暗殺、後門の毒殺ですね
196無理が通らねば…?:2009/06/11(木) 01:11:33 ID:M/LjrgMY
武田家臣・名和宗安は上野の名族出身。
父とともに長尾景虎の侵攻で領地を追われ、甲斐武田の家臣になった。

さて、この宗安、武勇に優れた豪傑でたちまち若手の荒武者として頭角を著し始めた。
姓の「名和」にかけて、縄で編んだ陣羽織を身に付け

「俺は縄でもっても留める事の出来ぬ、どんな無理でも通す縄無理之助だ」

と豪語していた。

さて、武田の駿河侵攻戦・花沢城攻めで宗安こと無理之助は
御曹司四郎勝頼の馬廻りとして、諏訪郡代の重臣・長坂釣閑斎
諏訪一門衆筆頭の越中守頼豊、初鹿野伝右衛門昌次(成金陣羽織の人)らとともに
先鋒を務め、真っ先に敵城門の手前に取り付いたが、敵の矢玉が激しく降り注ぎ
なかなかそれ以上進めない。

そこへ初鹿野伝右衛門

「おい、無理之助、お前日頃から荒武者を自慢しているようだが
 あの門から下がっている鎖を槍で突き上げてみろ」

と話しかけた。これに答えて無理之助

「こんなに激しく矢玉が降り注いでいるんだ。そんな事できるもんか」

それを聞いた伝右衛門さっと飛び出して行くと、矢の雨潜り抜け
城門の鎖を槍で突き上げ陣中に戻ってきた。

すると伝右衛門、それを見て唖然としていた伝右衛門をいきなり引き倒し
縄製の陣羽織を無理矢理剥ぎ取った。

「な、なにしやがんだゴルァ(#゚Д゚)!!!」

当然抗議する無理之助に伝右衛門、したり顔でこう切り替えした。

「なにしやがんだじゃねーよ!戦でこの程度の無理が出来ないようじゃ
 てめぇに『無理之助』なんて名乗る資格はねぇ!これからはせいぜい
 『道理之助』とでも名乗るこったなw」

この後、二人は敵前でマジ喧嘩。勝頼たちが慌てて仲裁に入って事なきを得たとか。
ちなみにこの無理之助、その後、河窪信実配下となり、鳶巣山砦の合戦で見事に討死した。

いい話じゃあないのでこちらに紹介しました
197人間七七四年:2009/06/11(木) 01:30:15 ID:RlhovSPt
尤道理之介が仲間に入りたそうにこっちをみている
198訂正:2009/06/11(木) 01:38:41 ID:M/LjrgMY
×伝右衛門をいきなり引き倒し
○無理之助をいきなり引き倒し
199人間七七四年:2009/06/11(木) 01:40:22 ID:xyHRxXku
しかし陣羽織に縁がある人だな初鹿野さんはw
200人間七七四年:2009/06/11(木) 02:06:29 ID:bnaHEXP4
>>180
マジかいな。
パッキャオは政治家志望らしいがそんな血腥い場に身を投じようとしてるなら
リング上での殴りあいなんてお遊びみたいなもんかもしれないな。
そう考えるとパックの異常な強さも理解できる。
201人間七七四年:2009/06/11(木) 03:41:24 ID:5xE2xkpX
無理之助と初鹿野伝右衛門の有名な度胸試しの逸話やね

縄で編んだ陣羽織ってどんなんだろう
202人間七七四年:2009/06/11(木) 09:10:12 ID:ldxTbRdg
203人間七七四年:2009/06/11(木) 09:53:57 ID:i6RfcbgD
あほか、スレ汚すなよ
204人間七七四年:2009/06/11(木) 10:44:48 ID:zlROmY7C
>196意地と頓知の張り合いみたいだなー

>202責めてDMCあたりにできんのか。座布団ボッシュート
205人間七七四年:2009/06/11(木) 11:14:02 ID:vHUDeOqg
佐々成政の側室に、早百合と言う美女があり、成政の寵愛を受けていた。

さて、成政は対秀吉の交渉の為、富山から駿河の徳川家康の許に向かう。
有名な「さらさら越え」である。
この時に成政の小姓の一人、竹沢は病を得ていたため、この一行に加わらなかった。

やがて交渉は失敗し、成政は空しく富山に帰った。
帰国草々の成政に、さらに不快な噂が耳に入った。

「早百合は懐妊している。その父親は竹沢である。」

先の交渉の失敗もあり、気が立っていたのか、成政は竹沢を呼び出すと、たちまち斬り殺した。
そしてその足で早百合の部屋に駆け込み、早百合の髪を逆手に持って宙に引き上げ、
首と胴を切り離し、その首は神通川の柳の枝に結んでぶら下げた。

早百合懐妊の事は、彼女が寵愛されているのを妬んだ、他の側室達の謀であったそうだ。


この後、神通川では、夜な夜な火の玉が現われた。富山の人たちはそれを、無実で殺された
早百合の亡魂であるとし、「早百合火」「ぶらり火」と呼んで、恐れたと言うことである。
206人間七七四年:2009/06/11(木) 11:32:03 ID:7zoKuayY
徐々に成政がDQN化して行く…福島よりも血なまぐさいのが
なんとも…
207訂正:2009/06/11(木) 12:04:42 ID:M/LjrgMY
>>205
この話には眉唾だけど続きがあるんだよね

処刑される寸前に小百合がこう成政にこう呪いを吐きかけた

「立山に黒百合が咲く頃、佐々の家は絶えるであろう」

ラスボスに降って越中の所領を没収された成政だったが、
彼の助命を取り成し、後に肥後の大名に復帰させてくれたのは
ひとえに北政所の尽力によるものだった
成政はなんとかこの恩に報いたいと日頃考えていた

さて、その頃、成政の旧領立山に季節はずれの黒百合が咲き出した
これを聞いた成政、すぐ飛脚を手配させ

「珍しい花が手に入りました」

と、北政所に献上し、彼女もその可憐で貴重な花を大変に気に入り
茶会の席でこれを活けさせた。さて、そこに出席していた淀殿。
その場では黒百合を誉めそやしたものの、北政所にメラメラと対抗心を燃やし
黒百合の群生地である白山からごっそりと株を京に運び
聚楽第の廊下中に花入れをかけて大量に活けさせた。

これを見たねねさん大激怒

「成政め、ありふれた花を珍しいなどと言って、私に恥をかかせおって!」

この後、肥後で国人一揆が起こるが以前はあれほど成政を庇ってくれた
北政所が逆に成政の失態を夫に讒訴したため、成政は死を命じられたという。

地元の昔話集なんかにも載ってて有名な話。
208人間七七四年:2009/06/11(木) 12:15:02 ID:GwRy/JFn
ダブルで女の恨みは怖いな。
209人間七七四年:2009/06/11(木) 14:50:05 ID:RlhovSPt
昔、立山いったときに佐々の格好が再現されてたような
記憶があるんだが、藁沓レベルで冬季北アルプス越えとか
キチガイだとおもたw
210人間七七四年:2009/06/11(木) 16:15:10 ID:ch41pWeA
佐々家は存続してるけどな。
今現在でも。
211人間七七四年:2009/06/11(木) 18:08:17 ID:VbL0rQ2V
元警察官のあの人のことか
212人間七七四年:2009/06/11(木) 19:11:02 ID:RlhovSPt
水戸藩に仕えた家系とかあったな
213人間七七四年:2009/06/11(木) 19:44:21 ID:GVVwokCp
政略が成功してれば日本のハンニバルとか呼ばれたかもね。>さらさら越え

なぜか佐々には怪異譚が多い。別に悪い話じゃないが、流れで書いておく。

さらさら越え最中の佐々一行、途中で小屋発見。
はて小屋なんてあったかなとおもいつつも寒さをしのぐために入ってみると
中に大男が二人。
まあ、挨拶しないわけにはいかない。自分らは佐々成政の一行である云々。
大男、答えて
「わしは悪七兵衛景清」
「わしは越中次郎兵衛盛嗣」

工エエェェ(´д`)ェェエエ工     それって源平時代の人じゃん!

「いかにも。山中に潜伏し、機をうかがって鎌倉へ忍び込み、頼朝めの首を
挙げてやろうと……」

からかわれてるのか? 本当に平家の大将方だというなら証拠をみせろ!

そこで大男二人、小屋の外へ出て大きな雪の塊を持ち上げ、大声一喝、
谷に投げ飛ばした。

その瞬間、二人の姿は消えてしまったそうな。
214人間七七四年:2009/06/11(木) 19:48:16 ID:wh0ZFYw+
>>213
悪七兵衛景清って源平討魔伝のあの景清さん?
215人間七七四年:2009/06/11(木) 19:48:33 ID:nrxlmyKP
こりゃまた凄いのが出てきたなw
216人間七七四年:2009/06/11(木) 19:55:44 ID:vHUDeOqg
>>214
そう。藤原景清こと伊藤景清こと平景清。
217人間七七四年:2009/06/11(木) 21:14:51 ID:H+hZGXa7
まあ戦国時代に限らず雪山って怪異譚には事欠かないからねぇ。
218人間七七四年:2009/06/11(木) 22:06:23 ID:vHUDeOqg
応仁の乱、直前の事である。

かねて政長と畠山家の家督を争っていた畠山右衛門佐義就は、文正元年(1466)、
大和、河内の軍勢を率い、ついに上洛を果たした。
五千余騎の軍制にて千本地蔵堂に陣を敷くと、直ちに山名宗全の許に行き

「この度私が上洛を果たせたのは、ひとえにあなたの援助のおかげです。」

と、頭を下げ、宗全も、あなたの上洛は私にとっても大慶ですと、これを賀して
通夜の酒宴を開いた。

その朝、義就が陣を置いた地蔵堂の門の扉に、何者かが落首を残していった

『右衛門佐 いただくものが 二つある
          山名のあしと 御所のさかづき』


京都人はこの当時も、強烈な皮肉が大好きなのだ。
219人間七七四年:2009/06/11(木) 23:17:12 ID:9uni9nwq
光圀様が後楽園をつくり諸大名を招待した時。いきなり裸になり、ザブザブと池に入り泳ぎまわってから上がって来て、光圀に「結構なお池でござる」と言い放った。これにはさすがの光圀も返答に窮した。光圀の儒学かぶれ、名君きどりがきにくわなかった島津家久
220人間七七四年:2009/06/11(木) 23:24:58 ID:JNT/cbP0
>>213
イエティの見間違いだろ
221人間七七四年:2009/06/11(木) 23:25:04 ID:NHqqvjFL
家www久wwwwww

そら返答に窮すわ
222人間七七四年:2009/06/11(木) 23:28:40 ID:TMzc2zf/
自分のレベル及びキャラが良く分かっていらっしゃる
223人間七七四年:2009/06/11(木) 23:43:27 ID:M/LjrgMY
DQN久は黄門様が子供の頃に死んでるから有り得ない逸話なんだが
この人ならばやりかねんw
224人間七七四年:2009/06/12(金) 00:19:06 ID:mRFVwe3h
>>207
助命はともかく、肥後一国は本当なら迷惑だったな。
>>218
山名のあし、の意味がわからん。
225人間七七四年:2009/06/12(金) 00:21:01 ID:KQKqltI/
>>223
きっと家久の霊が出たという怪談話なんだよ!
226人間七七四年:2009/06/12(金) 00:29:48 ID:CWNU5gZ4
>>224
山名の足をいただくってのは、山名の足元に平伏するってことだよ。
「恥も外聞もなく山名にぬかづいたおかげで、将軍と和解できて、名誉と身分が回復してよかったね」
って事ですな。
227人間七七四年:2009/06/12(金) 00:33:01 ID:+qtfMkil
>>219
>1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・頼房が築いた庭園を、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E5%BE%8C%E6%A5%BD%E5%9C%92
これならあり得ない話じゃない
この時DQN久は59歳・・・でもあの中年からの絶倫ぶりから考えると
突然すっぽんぽんになって泳ぐぐらいどーってことないかw
228人間七七四年:2009/06/12(金) 00:43:57 ID:mRFVwe3h
>>226
なるほど、そういうことか。
229人間七七四年:2009/06/12(金) 01:27:22 ID:lZD+E4gI
>>219
後楽園?偕楽園でなしに
230人間七七四年:2009/06/12(金) 01:31:04 ID:lZD+E4gI
>209
そら日本山岳史、登山史的に空前絶後の壮挙(暴挙)だもん
231人間七七四年:2009/06/12(金) 02:16:55 ID:QsAoMYoo
後楽園での家久の続き、 帰ってから、それを知った重臣は驚いて「お客先であんなことをされてはなりません。しかも水戸様ではごさいませぬか」家久は笑ってから「水戸殿のようなコーサク(小癪)な人にたいしては、あげんした方がよかのじゃ」とのこと
232229:2009/06/12(金) 03:58:35 ID:lZD+E4gI
>227あやや、小石川でしたかスマン

西日本在住だで、備前岡山の烏城と後楽園かと脊髄反射してもうた
233人間七七四年:2009/06/12(金) 22:39:37 ID:CWNU5gZ4
丹羽長重が、白川を領していた頃の事である。

この頃白川に、参勤の途中の伊達政宗が、しばしば立ち寄っていた。
ある時、丹羽長重との酒宴の折にこんな事を言い出した

「加藤嘉明とあなたとが、奥州の押さえの城を任されておりますが、
ここを我らが数万の勢で押し渡ろうとすれば、ちと難儀いたすでしょうな。」

この挨拶にに長重
「我らがいかに小勢だと言っても、あなたの旗本さえ突き崩してしまえば、
のそのそとお通りはなさるのは難しいでしょうな。」

そこで、互いに大笑いしたとのこと。

酒の上の会話だけどなにやら黒いものを感じさせるのでこっちにw
234人間七七四年:2009/06/12(金) 22:48:09 ID:KQKqltI/
お互いに口元が引きつった笑いを浮かべてそうだな
235人間七七四年:2009/06/12(金) 23:33:11 ID:gocBtORd
小十郎と白河城なら昼飯前にはおとせるとか言ってたのに>政宗
236人間七七四年:2009/06/13(土) 00:43:42 ID:dcQvJNnl
>>233
白河な。
白川と書くから、どこの飛騨の山奥だと思ったよ。
237人間七七四年:2009/06/13(土) 00:53:20 ID:A9FuHYfa
三代将軍家光の弟駿河大納言忠長の愛犬がある武士に噛みつこうとしたので武士はやむなく斬り捨てた。キレた忠長は「そいつを差しだせい!」に対し「駿河様の御愛犬でも畜生は畜生!斬るのは当然の事!」
238人間七七四年:2009/06/13(土) 00:54:24 ID:A9FuHYfa
続き、忠長「外様の分際で!弓矢にかけても言い分を通すぞ!」に対し「面白い。こうなれば武士の意気地じゃ」とお互い戦さ支度をして江戸中大騒ぎさせた家久。
239人間七七四年:2009/06/13(土) 01:09:58 ID:JdPDONuQ
家臣想いのいい話として昨日でたばかりだよ
240人間七七四年:2009/06/13(土) 01:11:13 ID:fsUtH9Sa
つかさ、改行してくれよ
241人間七七四年:2009/06/13(土) 01:12:27 ID:o784Fl9E
秀忠のエピソードで一部出てたけど、全部は無いようなので書き込んでみる


池田光政は6歳の時、初めて徳川家康に謁見をした。
この時家康は白い小袖に頭巾をつけていた。
「これが武蔵守殿子であるか。壮健な生まれつきのようで何よりだ。」

それから江戸に下り、将軍秀忠にもお目見えをした。
この時秀忠は織田常真(信雄)と碁を打っていた。常真は大あぐらをかいていた。
お目見えが済むと秀忠は光政に、

「勝手に行って飯を食うが良い。土井利勝、案内するように。」

そこで御勝手で料理を頂戴したのだが、その料理は蕪汁、大根膾、荒目の煮物、
干し魚の焼き物という、大変質素な物であったそうだ。

池田光政は後年、このことを語り
「あの当時はこのように、風俗皆質素であった。ところが今は有様を大きく異にし、
万事華美に、驕奢になり、しかも日々止まる所を知らない。
この後の世の中は、一体どうなってしまうのか…」

そんなふうに、語られたそうである。
豊かになった世の中に、一抹の不安を感じる光政公なのであった。


で、そんな思いから
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1528.html
こんな事をしちゃって、領民にはちょっと迷惑なお話。
242人間七七四年:2009/06/13(土) 01:19:48 ID:A9FuHYfa
ごめんなさい。出てるのきづかなかった、初心者なので許してください。
243人間七七四年:2009/06/13(土) 02:11:12 ID:BWvEbJA/
なんというわざとらしさ、まさに悪い話
244人間七七四年:2009/06/13(土) 03:00:18 ID:SpwYy3M6
>>241よもやバラ寿司誕生の歴史に繋がろうとはw

宇喜多八郎殿や金吾中納言の目をもってしても見抜けまい!
245人間七七四年:2009/06/13(土) 04:09:58 ID:0M+p+ojJ
  家督相続年 死亡年 活動年数 相続時勢力圏 最大勢力圏   勢力拡大率    死後
信長  1551年 1582年  31年  4万石   *600〜800万石 150倍〜200倍 大名としての織田家は存続
信玄  1541年 1573年  32年  26万石    73〜94万石  2.8倍〜3.6倍 大名としての武田家は滅亡

*織田は京と堺を抑えていたので実質は1200万石とも言われている。
246人間七七四年:2009/06/13(土) 10:14:08 ID:lvJQt16B
若気の至り

1560年7月15日早朝、各務右京亮が家の中の騒がしさに目を覚ますと突然、寝室に一人の男が襖を開けて入ってきた。

   / ̄ ̄\
 /      \ \
 |    ( ☀)(☀)  \  
. |    (`廿廿´)   \
  |     \冊/     \ <おはよう。君んとこの家人が邪魔するもんだからね・・・何人か殺しといたよ☆
.  |         }       .\
.  ヽ        }         \
   ヽ     ノ           \
   /    く  ( )=|三::::::ラ    \
   |     \/ /     ; ポタポタ \ 
    |    |ヽ、/ \   ;        \

右京亮「お。お前は勘次郎!な、何をウヴォアー」
ブスッドシュザシャグシャブチブシャァ

突然現れたこの男の名前は各務勘次郎元正。まだ20歳の若者であった。
彼は右京亮との領地問題を抱えており、それの関係で右京亮宅に 一 人 で 討ち入りを仕掛けてきたのである

家人「おのれ曲者!出会え、出会えー!」

しかしながらただで帰れる訳もなく騒ぎを聞きつけた家人が襲い掛かってきたが勘次郎は襲い掛かってきた家人数人も斬殺すると
そのまま屋敷から風のように走り去って行った。

まさに一人忠臣蔵。しかしこの一件が元で勘次郎は斎藤家から追放処分を食らったという。


後の鬼兵庫である。
247人間七七四年:2009/06/13(土) 10:45:13 ID:SeqHA/xQ
武勇は凄いが無鉄砲にもほどがあるだろw
248人間七七四年:2009/06/13(土) 10:56:19 ID:KP60D009
かがみんはドジっ子な萌え武将
そんなふうに考えていた時期が(ry
249人間七七四年:2009/06/13(土) 18:21:11 ID:SpwYy3M6
>>246
かがみんまでキ●ガイの仲間かー!
250人間七七四年:2009/06/13(土) 18:24:22 ID:FxnH7+Ah
かがみんいうなw
251人間七七四年:2009/06/13(土) 18:27:57 ID:SpwYy3M6
>>248
めんどくさい=ツンデレ
物見に出て敵城内に転落→でもひとり無双=ドジっこ?

まあその、萌への様式美を踏まえているけどねw
252人間七七四年:2009/06/13(土) 20:07:51 ID:lvJQt16B
母親は土岐頼芸の妹なんだぜ・・・かがみん。
253人間七七四年:2009/06/14(日) 00:18:29 ID:3SL4TrTp
あまり正確とはいえない史料が
出典なので話半分に読んで頂ければと思いつつ投下。


賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れた柴田勝家は、
北ノ庄城で別れの宴を行い、妻・お市の方とともに自害した。

その後、北ノ庄にはもと織田家臣であり、秀吉とともに勝家と戦った
丹羽五郎左衛門長秀が入った。

ある日、長秀は北ノ庄城の広間で、
鎧姿で長刀を持っている武者を見た。死んだはずの勝家であった。

「五郎左、俺の首をどうしたのだ」

勝家はそれだけ言うと消えてしまった。
長秀はその直後に病気になり、死んでしまったという。


勝家の恨みの深いお話。
254人間七七四年:2009/06/14(日) 00:23:23 ID:1jo2da9K
丹羽さんって微妙に影薄いまま死ぬよね
255人間七七四年:2009/06/14(日) 00:25:29 ID:0cWzGZfN
病気になった後、腫瘍を腹から抉り出して秀吉に送ったとか>丹羽長秀
意外と恐ろしいことするもんだ
256人間七七四年:2009/06/14(日) 00:25:43 ID:y820KXJh
怪談話だなw
257人間七七四年:2009/06/14(日) 00:54:16 ID:L9qHu+Ax
確か北の庄のあたりだと
柴田勝家の軍団が百鬼夜行のごとく夜中に歩き回る話もあったはず
その軍団に鉢合わせると「主は何者ぞ」と問われるんだが
その際に「柴田勝家の家臣」と答えないと真っ二つにされてしまうんだとか
258人間七七四年:2009/06/14(日) 00:55:16 ID:2JUU0cbh
>>237
>>238
「戦国ちょっといい」で読んだときも思ったんだけど
犬斬った田舎侍って、お忍びでプラプラしてた家久本人でした

なんてオチは・・・・・ないよな?
259人間七七四年:2009/06/14(日) 00:58:07 ID:4LFzhoN3
>>252
統合するとこうか、

ドジっ子ツンデレ、だが実は名門と縁続きのお嬢様で惚れた相手(森家の倅)にはとことん尽くすタイプ
260人間七七四年:2009/06/14(日) 01:05:20 ID:CR7r7MPD
犬を切ると言えば、こんな話も

ある時、井伊直孝が、小姓で近江の頓知坊主、岡本半助を従え、家老、庵原主税の屋敷に
出向いた折の事。

ここまでの話にも出ていたが、この当時当時世間は唐犬を飼うのがブームで、
この庵原の家にも、直孝より下げ渡した唐犬が飼われていたのだが、
どうした事かこの犬、直孝の姿を見るとけたたましく吠え立てた!

この時、直孝は機嫌が非常に悪く、

「この犬め!元の主人を忘れたか!?しかもなんだあの長い耳は、見苦しい!
誰か、あの犬の耳を切り取ってしまえ!」

などと言い出した。
半助、これを聞くや否や玄関に行き、釘にかけてあった馬の毛を刈るはさみを取ってくると、
直孝の前に差し出し

「私は犬の耳を切ったことがありません。先ず殿が、犬の耳の切り方の手本を見せてください。」

するとこの言葉に直孝、冷静に戻り、つい笑ってしまって、すっかり機嫌を直したと言うことである。
261人間七七四年:2009/06/14(日) 01:48:05 ID:1jo2da9K
>>259
萌え化すんなw
262人間七七四年:2009/06/14(日) 07:47:15 ID:tDE3BDbG
数日前に出た天地人の飛ぶ福島さんのあれ
左側にいた女に投げ飛ばされたところなんだな
263人間七七四年:2009/06/14(日) 09:15:33 ID:7kNk45xn
>>260
既出
264人間七七四年:2009/06/14(日) 11:20:57 ID:jBI3TAAV
なんか前見た時は
ウルサイから耳を切れと言われて
直孝の耳を切ろうとしてなかったっけ?
まとめをみてこよっと
265人間七七四年:2009/06/14(日) 15:41:19 ID:DE7NOXD6
これだな
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-40.html
>>264の言うとおり結末がちょっとちがう
266人間七七四年:2009/06/14(日) 16:52:36 ID:gN61PJLA
>>257
柴田は化けて出るが狂犬は化けてこないんだな。
267人間七七四年:2009/06/14(日) 18:14:00 ID:Xv3rkqJB
平野長泰と加藤嘉明は、七本槍と呼ばれる前からの旧友で、嘉明が大名になった後も
長泰が嘉明邸をひんぱんに訪れ、玄関で
「左馬いるー?!」と大声で呼びながら、ズカズカ上がって行くような仲だった。

ある日、嘉明邸で二人で寝転がって話していると、長泰の目に「猿」と呼ばれる中間が
良く動き、働いているのが映った。
「おい、アイツいい仕事してるぞ、士分にしてやれ。」 「ん。」

何年か後、やはり嘉明邸を訪れた長泰は、そのことを思い出した。
「なあ、あの猿って呼んでたヤツ、どうした?二百石ぐらいくれてるの?」
「い、いや・・・」「えー?じゃあ三百石?」「い、いや・・・」「・・・五百石?」「い、いや・・・」

「じれってーな、いくらくれてるんだよ?まさか、中間のまま・・・」
「・・・五千石・・・・・・」
「 ( ゚д゚) 」 「 (´・ω・`) 」

そう、あの中間は薪新左衛門と名を改め、今や加藤家の重職となっていた。

「(#゚Д゚) あーぁ、小身ってのはクヤシイねぇ。こないだまで「猿、猿」って呼んでたヤツが
自分と同じ知行高になってんだから。」
「 (´・ω・`) ・・・・・・」

それから長泰が嘉明邸を訪れることは無くなったという、なんとも言いがたい話。
268人間七七四年:2009/06/14(日) 18:21:44 ID:hHYzBl/0
>>267
長泰さんには悪いが笑ってしまった。
269人間七七四年:2009/06/14(日) 18:51:12 ID:y820KXJh
長泰は薄禄だからねぇ
270人間七七四年:2009/06/14(日) 19:28:12 ID:tty/ma3o
ググッたら五千石の旗本で終わったんだな>長泰
笑い飛ばせばいい話になったのにと言おうか
そこは黙っとけよ嘉明と言おうか…
271人間七七四年:2009/06/14(日) 19:33:32 ID:zfMc2HZo
寧ろもう少し上げてやれよ嘉明って話じゃね?
272人間七七四年:2009/06/14(日) 19:54:20 ID:1jo2da9K
なんか、司馬が短編で書いてなかったっけ
273人間七七四年:2009/06/14(日) 20:02:06 ID:9xt9k5dk
史実とは思われないので、こんな話もあるよ、程度に読んでくらさい

関ヶ原合戦が終わり、全国の大名達が新たな政治を始めた頃のこと
岩出山の伊達政宗は居城を移すことを考え始めた
もともとこの居城、今は亡き秀吉に押し付けられたもので、領国統治に不便な地だった

政宗が目星をつけたのは、つつじが岡という小山である
現在の榴岡公園、仙台の市街地に立地し、確かに交通の要衝にある
が、選んだ理由はそれだけではない

「榴岡といえば古歌に詠まれてきた名所!そこに城とか(●∀・)カコイイ!よな」

しかし、この頃の政宗といえば、南部領での一揆扇動疑惑により、
居城認可権を持つ幕府に白い目で見られていた
まともに請願しても、受理されるとは思えない…
と、政宗に名案が浮かんだ。近くの青葉山を第一希望として届け出るのだ

「青葉山は榴岡より遥かに堅固な地勢…幕府は警戒して榴岡を許可してくるはず(●ー ̄)」
幕府の警戒心を逆手にとる策。さすがは政宗!

幕府「うん、青葉山でいいよ」
「あ、あれ?(●_ ̄;)」

こうして、江戸時代を通して伊達氏の居城となる仙台城(青葉城)が誕生したそうな
ちなみにその後の榴岡、城下町の発展に伴い、
茶屋町や色街に取り巻かれ、桜の名所として賑わったという
274人間七七四年:2009/06/14(日) 20:25:09 ID:BAlURg+Q
漫画の雪の峠剣の舞みたいなはなしだな
275人間七七四年:2009/06/14(日) 20:35:03 ID:y1Ob6Skl
>>110
いやあ、飛んだ飛んだww
即ここの存在思い出したよ
276人間七七四年:2009/06/14(日) 20:36:39 ID:1t/JS3ST
正則ぶっとびage
277人間七七四年:2009/06/14(日) 20:39:59 ID:CR7r7MPD
同じような話で、毛利が長州に移封の時、居城の場所に山口、防府、萩と候補があって、
山口か防府にしたい毛利が、第一候補は認可されないと聞いたので、一番に「萩」って
書いたらそのまま認可された、ってのがあったなw
278人間七七四年:2009/06/14(日) 21:06:37 ID:XpB4kW3M
279人間七七四年:2009/06/14(日) 21:08:25 ID:y820KXJh
>>278
何コレwwwww
280人間七七四年:2009/06/14(日) 21:16:14 ID:HV5PdSeX
>>267
なんか見たなあと思ってまとめ見たら清正verがあった。ソースが違うのかな
281人間七七四年:2009/06/14(日) 22:56:44 ID:/q5BQDNo
>>273
榴ヶ岡は、本来ならば「仙台駅」が建つ場所でもあった。
「どうせ駅作るなら、街の中心部に近くして」という要望を元に現在の場所に。
(地図で見るとぐにゃっと曲がった感じになってる。)


戦国時代関係無くてすみません。
282人間七七四年:2009/06/14(日) 22:59:12 ID:uUESQawX
>>278
これは良い市松ですね
283人間七七四年:2009/06/14(日) 23:15:54 ID:1jo2da9K
そのまま頭から門前に突き刺さったのが門松の由来である
民明書房的に
284人間七七四年:2009/06/14(日) 23:36:55 ID:CR7r7MPD
>>278
> 669 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/14(日) 23:32:13 ID:2FnE0dgH
> 市松は今日が出番ラストだったみたいだね。
> 良純さん、お疲れ様。


( ゚Д゚)
285人間七七四年:2009/06/14(日) 23:47:20 ID:7s70paUo
>>272
「権兵衛5千石」だったかと
結構好きな話だ
286人間七七四年:2009/06/15(月) 00:24:04 ID:N0Ffl34w
>>284
何しに出てきたんだ市松w
287人間七七四年:2009/06/15(月) 00:26:11 ID:LdrGeJbT
>>284バロス
なんたる小物あつかい……
288人間七七四年:2009/06/15(月) 02:31:44 ID:Lr/Ss0n4
>284
福島を粗末に扱いやがって……
市松をこんな風に扱っていいのは戦国板だけだ!!
289人間七七四年:2009/06/15(月) 04:06:08 ID:GcZOEZck
主役を喰う飛びっぷりだったな
290人間七七四年:2009/06/15(月) 09:48:16 ID:b09pueja
こんなところだけ史実に忠実に描くなよ。
291人間七七四年:2009/06/15(月) 10:29:30 ID:pn+MhFvB
>>277
当時の萩は平地も少ない本当に未開の地だったんだよな。
山口はかつて大内氏の本拠地だったところだし、
古くから政治交通の要所だった防府も避けて萩に押し込んだ辺り、
いかに幕府が毛利を鬱陶しく思っていたか伺えるな。
292人間七七四年:2009/06/15(月) 12:14:40 ID:2KATsgci
萩は今だってえらい不便だw
293人間七七四年:2009/06/15(月) 13:26:04 ID:JcY/HzPL
ほ、ほら、不便な所のほうが強兵が育つって言うじゃない・・・
294人間七七四年:2009/06/15(月) 14:49:10 ID:QgIwp1Vb
>>278
だんだん大河がバラエティ番組に…
295人間七七四年:2009/06/15(月) 16:40:35 ID:JSezBFMO
>>294
> だんだん大河がバラエティ番組に…

素でドリフかと思った俺がここにいるんだぜ
296人間七七四年:2009/06/15(月) 17:56:49 ID:sXjvexJv
今川氏真の逃亡
武田に駿河を追われ徳川に掛川から放り出された今川氏真は、妻の兄である北条氏政を頼っていた。
小田原で割と平和に過ごしていた氏真の耳にある日こんな噂が飛び込んだ。
「甲州から原隼人が使いに来て氏真殿に腹を切らせる相談があるそうだ。
いずれ切腹の検死のために内藤修理もいらっしゃるとか
今川殿も遂に年貢の納め時かね(笑)」
北条と仲良くしたいが氏真が邪魔な武田信玄は、小田原から氏真を追い出すために小田原にそんな噂を流したのだ。
かくしてチキンハートな氏真はその流言を聞いて縮みあがる。
しかもそのうち本当に原隼人が小田原に来てしまった。
おまけに氏真を訪ねると「じきに内藤修理もいらっしゃいます」などと言う。
信玄の目論見通り、
氏真は速やかに妻を連れて船で逃亡した。

うまいこと小田原から船で逃げ出した氏真だったが運の悪いことにそれが難破して遠州浜松に漂着してしまった。
困ったので三河の家康に
「伊勢に行こうとしたら風が悪くて船ではゆけません。馬と人足とその他色々プリーズ」
と手紙を出した。
手紙を見た家康は馬を送り、更に逗留を勧めてご馳走などし丁重にもてなしたので、氏真はそのまま居ついた。
家康は一応信長に氏真が来ていることを知らせた。信長からは
「今川は敵だ。だが今の氏真は流浪のものだ。ぶっちゃけどうでもいい。
氏真が降参するならそれでよし、駿河に帰してやることも考えてやるか。好きに面倒見てもいいぞ」
と返事が来た。
そこで家康は、とりあえず氏真が「あ、京都行こう」と言い出すまで面倒を見た。

風流の風に誘われ氏真は京都と妻を連れ旅立った。
京都では信長に蹴鞠を見せたり茶会に出たり歌会に出たりしていた。
そして余計なこと(駿河返してよとか)言って信長の逆鱗に触れたりもした。
氏真は妻を連れて速やかに姿をくらました。

信長が本能寺で明智光秀に討たれた知らせを氏真も聞いた。
この時の氏真は信長からいつ死を命じられるかと戦々恐々としていたので、
信長が死んだと聞いて
「騙されて腹は切らぬぞ!いよいよ腹を切れというなら尋常に切るぞ!」
と怒鳴った。
そして妻を連れて姿をくらました。

以降は浜松や京都を行ったり来たりしていた氏真だが、
晩年は妻の早川殿と共に江戸の品川今川屋敷で暮らし、
妻を看取った後七十余年の天寿を全うした。
往生際の悪い氏真の話。
297人間七七四年:2009/06/15(月) 18:00:55 ID:v69C9F1M
>>296
信雄といい風流であきらめの早い奴は長生きできるな
運命に従順というか
298人間七七四年:2009/06/15(月) 18:07:41 ID:dHSkLOCR
さんざん二人で観光して死んだんだろうか。
ハネムーンの先駆けが坂本竜馬なら、フルムーンの先駆けは氏真だな。
299人間七七四年:2009/06/15(月) 18:42:15 ID:LdrGeJbT
>>296
そして駿河遠江三河をファンタジスタの住まう地にしたんですね!蹴鞠王国静岡マンセー
300人間七七四年:2009/06/15(月) 18:44:18 ID:N0Ffl34w
随分とゆったり過ごしてるじゃないかw
301人間七七四年:2009/06/15(月) 19:05:56 ID:knlGif0F
なんと言うか可愛いげがあったんだろーな。
302人間七七四年:2009/06/15(月) 20:28:36 ID:cplSsHn9
生まれてくるのが400年遅ければ世界を征し得た逸材なのにな
生まれる時代を間違ったな
303人間七七四年:2009/06/15(月) 20:44:02 ID:c+n1ZgJd
実家を後にしてまで夫についていった早川殿もいい嫁さんだよな。
三国同盟で結婚した中で唯一幸福そうな夫婦だし。
304人間七七四年:2009/06/15(月) 20:46:49 ID:K1ZYfZs5
悪いスレなんだから不幸そうな夫婦を挙げるべきだ
…普通か
305人間七七四年:2009/06/15(月) 20:53:27 ID:sXjvexJv
>>304
じゃあこんな話どうだ

家康が駿府に隠居した後のある日のこと。
将軍秀忠が駿府に2ヶ月ほど滞在した。
家康は秀忠が女性を付けずに居るのを見て息子の色んな事情を察し、
腰元の中からお花という美女を選ぶと夜中密かに秀忠の寝所を訪ねさせた。
親父の男としての気遣いである。
ところが秀忠はお花の来訪を知ると着衣を改め出迎えてお茶やお菓子を出し、
姿勢を崩さず労うとお花を帰してしまった。
家康は
「将軍は律儀で見上げたものだ。到底我らは遠く及ぶまい」
と言ったとか。イヤミか。

秀忠の真面目なお話……というか家康の余計な気遣いの話。
306人間七七四年:2009/06/15(月) 21:17:16 ID:4wZR9JZt
秀忠、本当に堅物だな・・・
307人間七七四年:2009/06/15(月) 21:22:33 ID:K1ZYfZs5
これは嫁が怖かっただけだろw
308人間七七四年:2009/06/15(月) 21:24:29 ID:pyJ+St0i
秀忠みたいな個性は、家康みたいな人間には全く理解できなかっただろうなw

>>307
怖いと言うより、本気で嫁に惚れてたみたいだけどね。
3091/2:2009/06/15(月) 21:53:22 ID:M69uP2YT
まとめになかったので空気読まずに投下。既出だったらごめん。
政宗の話が多くて嫌な人はスルーしてね。


井伊直孝が幕府の執政を行っていたとき、伊達家より訴えがあった。
関ヶ原の際、家康にもらっておきながら反故にされた
「百万石のお墨付き」、これはまだ有効であるから
伊達家の領地を百万石にしてくれ、と
政宗が言い出したのである。

幕府の老臣たちは困った。
大神君(家康)が書いた御誓文だから無下にも出来ない、
しかし秀忠様にも却下されたのになんで今更…
すると井伊直孝は涼しい顔で、「私に任せてください」と言い、
伊達屋敷に向かった。

政宗と対面した直孝、その御誓文をぜひ見たいと願い出た。
政宗が御誓文を取り出すと、直孝は
「なるほど確かに大神君の御神筆です。これほどの証拠もありますまい」と言う。
そして直孝はおもむろに御誓文を 破 り 捨 て た 。
3102/2:2009/06/15(月) 21:54:06 ID:M69uP2YT
「昔でしたら百万石どころか、二百万石だって
 大神君は賜ろうと思し召したでしょう。しかし、今は太平の御世です。
 どこに伊達殿に差し上げるべき土地があるというのですか。
 このように公私において無益の難儀を起こしても意味のないことです」

理路整然とした直孝のものの言いように、
政宗も周りの者も、気迫に飲まれて誰も何も言えなかった。
政宗はいくつか言い訳したが、結局「伊達家をこれからもよろしくお願いします」とか
なんとか言って、この件は不問に付された。


しかしこの話、おかしな点がある。
この事件が起きたとき、将軍家光はすでに没し、
家綱の時代だったというのである。
当然政宗はとっくに死んでいる頃である
(政宗は家光にも百万石を却下されたらしい)。

創作なのか出典元の筆者の勘違いなのかわからないが、
政宗も直孝も、実際にやりかねないあたりがさすが、という話。
311人間七七四年:2009/06/15(月) 21:59:18 ID:pyJ+St0i
政宗に限らず、この手の「家康のお墨付き」伝説って、結構いろんな家に残ってるんだよね。
どっかの譜代の家で、家康のお墨付きがあったおかげで実際に改易免れた家があったな。
312人間七七四年:2009/06/15(月) 22:31:00 ID:zMJd7QUq
>>311
榊原だっけ?
313人間七七四年:2009/06/15(月) 22:34:22 ID:zMJd7QUq
>>308
浅井3姉妹ってよほど美人だったのかな?
314人間七七四年:2009/06/15(月) 22:46:17 ID:pyJ+St0i
>>312
そうそう!思い出した榊原政岑だ!
吉原で遊びまくって花魁の身請けまでして、吉宗に改易されかけたけど、
権現様お墨付きのおかげで転封で済んだんだよね。
315人間七七四年:2009/06/15(月) 23:11:58 ID:yoJx9KH/
wikipe見てきたが、転封されたあと倹約に目覚めてあれこれやったけど31で死んじゃったのか。
なんとも微妙な生涯だ。
生まれつきの貧乏性だったのかのう。
316人間七七四年:2009/06/15(月) 23:16:13 ID:zXBQ1aEh
>>314
こいつ本来は1000石の旗本次男坊であったはずが、あれやこれやで15万石の大名になったが、
どうも旗本次男坊のノリが抜け切れずにああいう御乱行

転封喰らった後はまともになったが、覆水盆に返らず
317人間七七四年:2009/06/15(月) 23:19:57 ID:4wZR9JZt
転封後それまでの悪行を改め、逆に名君と言えるほど精力的に政務に当たったものの僅か一年で急逝か。
惜しいな、もう少し長生きできたら後世に良い意味で名を残せたかも・・・。
318人間七七四年:2009/06/16(火) 00:23:52 ID:rsD+Muxb
あれ?伊達政宗への「百万石のお墨付き」って、現存していなかったか?
319人間七七四年:2009/06/16(火) 00:28:10 ID:aWar1BTg
政宗がそのお墨付きを今更ながらに持ち出して
100万石にしてくれって言った
と言うのが作り話ってことでしょ?
320人間七七四年:2009/06/16(火) 00:29:42 ID:FP6qw5eI
>>296
北条家出のお嫁さんは基本良妻が多いな。
お嫁さんマニュアルを嫁ぐ前に渡されるからだろうか。
321人間七七四年:2009/06/16(火) 00:34:21 ID:RGwtTNf7
天正六年正月十五日の事だったそうだ。

甲府の御屋形、武田勝頼の寝室に向かって右にあたる庭の隅に、大きな杉の木があった。
その夜、杉の木の根元の方から馬が高く嘶く声が、二度三度と聞こえてきた。

勝頼は不思議に思い、戸を開いて見ると、そこには、血にまみれた馬の生首が二つ、
お互いを食い合っていた。

「おのれ怪異め!」

勝頼は寝室に置かれた弓を取り、矢をつがえてこれを射んとした、その時である

「勝頼様!いかがいたしたのですか!?どうぞその弓をお納めください!」

丁度そこにまかり出た、近習の土屋惣蔵であった。

「何を言うか!?わしはそこの化け物を…」

「化け物?」

杉の木の根元にいたはずの怪異は、きれいに消え失せていた。

それから間もなく、武田家の元老である高坂弾正が病に倒れた。
武田家は上げて治療を施したが、ついに死んだ。

甲府においては、あの怪異はこのことの予兆であったのかと、囁きが交わされたそうである。
322人間七七四年:2009/06/16(火) 00:49:12 ID:zXR8Fx0O
ゴッドファーザーみたいな何かかと思ったw
武田家の庭先に何か出る話、信玄の代のもあったな。
見る人が見れば何かあったんじゃないの、庭の片隅に
霊の通り道が・・という感じの。
323人間七七四年:2009/06/16(火) 00:50:08 ID:6aNDWgyv
>>321
ゴッドファーザー思い出した……
まさか信長からの贈り物じゃねーよな
324人間七七四年:2009/06/16(火) 01:04:24 ID:/ZDNliIx
>308
お市さんも、姉妹のお犬さんも、信長シスターは評判の美人揃いだったらしいからなあ

淀殿もお江与さんも美人だったんだろうね
325人間七七四年:2009/06/16(火) 01:11:41 ID:AnM5wYJG
お犬は旦那と一緒に死んだんだっけ?

326人間七七四年:2009/06/16(火) 01:37:41 ID:UU1gkVkc
>>320
それって「幻庵おほへ書き」のことだろ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-213.html
327人間七七四年:2009/06/16(火) 10:09:29 ID:eLTYyzHc
>>320
さすが伊勢流の一族だね。
これはむしろ、ほっこりいい話かも。

乱世の儚さを示す悪い話でもあるけど
328人間七七四年:2009/06/16(火) 10:15:09 ID:eLTYyzHc
>>311
関ヶ原後、毛利さん家に下した減封令とかね。

「ウチは東照神君から防長二国安堵のお墨付きを貰うとるんじゃけえのう!」
解釈のしようつーか、負けてもタダでは起きない戦国生き残り組の強かさを示す話よね
329人間七七四年:2009/06/16(火) 12:20:34 ID:OycoQnO1
毛利はむしろ領地安泰反古にされて大減封じゃなかったか?
330人間七七四年:2009/06/16(火) 14:12:42 ID:0Rzgeowf
>>329
そこから先の話よ。
これ以上減らす?うちには神君のお墨付きが…
転封ですとな?うちには神君のお墨付きが…
331人間七七四年:2009/06/16(火) 14:24:13 ID:5JzJZXEc
おおっなるほど!情報dです。´・ω・`)ノ
332人間七七四年:2009/06/16(火) 16:18:55 ID:VU/OtN0v
まあ吉川のせいでもあり、吉川のおかげでもあるな。
333人間七七四年:2009/06/16(火) 21:15:27 ID:eCUohMq8
家康の人材登用

重要なことは賢を尊び、能を使うことである

天性の才を有し、礼儀正しくつつしみ深く、忠誠をもって御上に仕え
物に接するに辺り、心が広く、態度が温厚で自分の能を誇らず、
聡明鋭敏で明確な決断し、事務に深く通じる者は登用して、秩禄を
与えて、政治を任せる事
これを賢を尊ぶと言う

技能・技術に卓越した能を持つ者がいて、行いが必ずしも美しくなく
ても、またこれも抜擢してその才能に適した仕事に当たらせる事
これを能を使うと言う

この二つの事をちゃんとしっかり行えば、人を失うことは無い


これ自体は素晴らしいのだが…問題は実際例として前者を本多正信
で、後者を大久保長安としている事であろう

家康さん…あなたそこまで長安が嫌いだったのか…
逆に正信さんは「天地人」の直江兼続や石田三成も霞みそうな、
持ち上げぶりで
334人間七七四年:2009/06/16(火) 22:41:29 ID:BeoFZJoC
ま、ドケチの金を横領なんかしたら嫌われてもしゃーない罠
335人間七七四年:2009/06/17(水) 00:30:36 ID:PCZLDIT7
信濃というか長野県に住んでる人に聞きたいんだが森長可・忠政兄弟の評判は今でも最悪ってホント?
336人間七七四年:2009/06/17(水) 00:46:44 ID:r9aRkUJC
東信住人だが、誰それ状態じゃないかな
337人間七七四年:2009/06/17(水) 00:51:02 ID:vKdMXfzQ
まあ、歴史の興味のない一般の人はともかく、郷土史家とかそう言う人たちには、流石に
評判は良く無いだろうねw
338人間七七四年:2009/06/17(水) 01:00:02 ID:PCZLDIT7
長可

芋川一揆鎮圧戦   2350人
信濃脱出戦       1000人

忠政
信濃入領記念磔    300人
検地反対派粛清磔   600人
全領一揆鎮圧戦    不明(多分いっぱい)


軽く北信濃だけで5000人くらいは死んでる
339人間七七四年:2009/06/17(水) 01:09:59 ID:PCZLDIT7
>>338
兄弟でもさすが長可は違う。一回につき必ず4桁をマークするとは。
340人間七七四年:2009/06/17(水) 01:11:58 ID:PCZLDIT7
おい、ちょっと待て。339は俺じゃないぞ・・・

ID被るなんて
341人間七七四年:2009/06/17(水) 01:12:40 ID:yt0P2kHi
戦国時代の武将の評判が今でも影響してる地域ってあるのかな。
例えばこの板で何回か「仙台は今でも伊達への敬意が強くて政宗を呼び捨てにしない」とか
書かれてるの見たけど、地元だが全くそんなことなかった。
関係する施設に勤めてる人なんかはそうなのかもしれんが。
会津とか行くと今だに殿様びいきという感じの老人とか居て驚くけど、
それも幕末の松平容保のことだし。
342人間七七四年:2009/06/17(水) 01:15:16 ID:6+Ztb+Z5
>>341
佐賀では龍造寺ではなく「鍋島さん」だなー とか、やはり江戸時代の藩・お殿様を敬うケースは多そう

343人間七七四年:2009/06/17(水) 01:20:18 ID:ub8f7C17
基本的にどこもここ数十年のメディアや郷土教育の影響からだと思うよ
山梨があんなに信玄マンセーなのも観光産業や映画・ドラマの影響らしいし
うちの地元だとやっぱり権現様かなあ
そこは今川を!と俺なんかは思うけど
駿府城に大御所花見行列、駅前には最近銅像も出来たしなあ
344人間七七四年:2009/06/17(水) 01:36:01 ID:PCZLDIT7
岡山で宇喜多マンセーされる日は来ない・・・
345人間七七四年:2009/06/17(水) 01:41:11 ID:ub8f7C17
>>344
俺岡山行った時どっかでウッキー君っていうキャラクター見たぜ
確か泳ぐ人かと思ったら親父だったと記憶している
346人間七七四年:2009/06/17(水) 01:45:07 ID:vKdMXfzQ
新潟の上杉や甲斐の武田みたいに、江戸期には一国統治の大名が置かれなかったところで、
戦国期の統一大名を称える気持ちはわからないでも無いんだけど、
広島が福島も浅野も華麗にスルーして、江戸時代も支配が続いていたかのように毛利一色のなのは
ちょっと不思議ですな。

そういえば今の尾張地方は信長よりも、尾張徳川家のほうが親しまれている気がする。
347人間七七四年:2009/06/17(水) 01:55:56 ID:yt0P2kHi
やっぱり観光産業の影響が大きいのかな。
岩手なんかだといきなり時代がさかのぼって藤原三代+義経とか。
あと苦しい時代の殿様の名前は残ってる気がする。
会津の松平もだけど、米沢の上杉鷹山とか。

>>345
ぐぐっても見つかりにくかった
ttp://blog.goo.ne.jp/ukita_420/e/7ef5f4d32d81dd987f9afea95733bd2b
かわいくないなウッキーくん・・
348人間七七四年:2009/06/17(水) 02:09:12 ID:TA80mKOm
そう考えると清正はすごいな。熊本じゃ細川の殿様よりもセイショウコウだもんな
349人間七七四年:2009/06/17(水) 02:15:53 ID:w2N/mc48
>>345>>347
ウッキーくんバロスwww
やはり茶を振る舞ってくれるのだろうかw
350人間七七四年:2009/06/17(水) 02:20:35 ID:FwZ4Ez9S
>>348
相良さんの事も思い出してあげて…

351人間七七四年:2009/06/17(水) 02:20:57 ID:PCZLDIT7
352人間七七四年:2009/06/17(水) 02:25:44 ID:4nA3TxZ/
ttp://www.town.hayashima.lg.jp/ukita/
やっぱり泳いで参る人みたい、ウッキーくん。
泳ぎ渡るもせき止めるも自在な海のエキスパートだな。
353人間七七四年:2009/06/17(水) 02:42:13 ID:K5UUVEQL
滅んだ家は大概酷い扱いを受けるな
BASARAあたりが象徴的だが今川とか北条とか酷すぎる
しかも、この酷い扱いって江戸期からも基本的には同じだし
例外なのは武田で、あれは天下取った徳川を酷い目にあわせた実績と謙信込みの評価かな
354人間七七四年:2009/06/17(水) 02:45:07 ID:ub8f7C17
>>352
あれ?一緒にいたお姉さんに聞いたら「直家公です」って言われたのにw
どっちかっていうと直家の木像に似てないか?

>>353
その分勝頼が酷い扱い受けてるよ
355人間七七四年:2009/06/17(水) 07:49:57 ID:YydGS9PB
>>335
多分100人に聞いても1人名前を知ってればいいレベルだと思う
356人間七七四年:2009/06/17(水) 09:48:42 ID:mVWVf/MB
尾張徳川家は治世長かったし財物を美術館として保全したり色々してっしな。

幕末では呆れるほどアレだったし8代あたりじゃ黒幕扱いだけどなw
357人間七七四年:2009/06/17(水) 10:00:02 ID:3g0LKCF2
戦国期、高梨→武田→鬼武蔵…
と、支配者が目まぐるしく入れ替わった地域に住んでるけど、
このスレの存在を知るまで、正直、森長可がとんでもないDQNだったなんて知らなかった。
358人間七七四年:2009/06/17(水) 10:14:28 ID:4nA3TxZ/
>>354
直家っぽい。
少なくともサイトにも多用されてる秀家の肖像に全く似てないw
デザイナーも地元民も混同してたんじゃないかと思うと
このスレにふさわしくちょっと悪い話。
359人間七七四年:2009/06/17(水) 10:48:56 ID:/38Fujns
>>358
ま、まあ……「父と弟しか出てこない」とか「土下座像しか伝わってない」よか井伊じゃないですか
360人間七七四年:2009/06/17(水) 12:18:25 ID:Fvb17gRv
大久保長安の豪奢振り

・遺産は五千貫目、その他に茶器や身の回り品、女道具をそれぞれ金と銀で飾るもの二通り、有する
・年1回の金銀山の見回りに女だけで7〜80人、その他の家来を入れて250人を同行させて、宿泊の場も自分の代官所
なので自分好みに宿泊所を作らせ、伝馬・人足も思うがままに用いる
・女遊びが激しく、遊女を銀50、60貫目で召し出し、また長安の寵愛の女房が銀50、60貫目で交易船から琉球の舶来品
を購入しようとした(もっともこれは使いの者が海に落としたといって隠し持っていたらしい)
・遺骸は金の棺に入れ、甲斐に運んでそこで国中の僧を集めて、葬儀をするよう言った
・毒酒と武田の幕を蔵に入れ、更に武田氏の巻物を希求していたという

信頼性の高い記事だけでもこれだけの事が挙げられる
何というか…家康はようもまぁ、死ぬまでこれ程までに反りの合わない相手を重用できたもんだと感心したくなる
普通はそれとなく遠ざけてしまうもんだぞ
361人間七七四年:2009/06/17(水) 13:00:05 ID:ip9jNRc/
ケチだからな、クビにした後の事を考えてクビにしなかったんだろう。
まあ最期の後はホントにクビになったが。
362人間七七四年:2009/06/17(水) 13:05:40 ID:aGonHXSd
長安の死は政争の道具だけではないん?

鉱山からの収入だって法的に問題になるもんじゃないでしょ

363人間七七四年:2009/06/17(水) 13:56:23 ID:Fvb17gRv
「駿府記」には長安死後に勘定役や手代を召し出して調査した所、過分の私曲あって家康が激怒したとある
また、伊豆銀山の者より長安の生前の悪行への訴えがあった
因みに長安と親交のあった京都の検行も連座されたが、係わり無しということで赦免

他の資料も基本的に「横領」で罰せられたとある

これについて横領にしては罪が重いという識者もいるが、
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-990.html
でも触れたように、家康はよく代官を殺している
代官全般に対する不正への見せしめなんでしょうな
流石家康、生前のみならず死後も長安を有効活用したのであった

これが正信なら、死後に財産を全て公儀に譲る位の事はしたであろうに…
364人間七七四年:2009/06/17(水) 14:15:46 ID:yM+ZRG11
>>356
9代藩主は行商人に身をやつす一方、
不正を見つけたら伸縮自在の槍と魔女っ子もビックリの変身技で悪人退治しますw

>>359
どこの島津義久だよw
365人間七七四年:2009/06/17(水) 14:24:56 ID:vKdMXfzQ
>>364
> 9代藩主は行商人に身をやつす一方、
> 不正を見つけたら伸縮自在の槍と魔女っ子もビックリの変身技で悪人退治しますw

何かと思ったらこれか!

殿さま風来坊隠れ旅
http://agua.jpn.org/film/c49.html

ハルさんムネさん!ダブル大納言www
366人間七七四年:2009/06/17(水) 19:18:16 ID:tPtdnqN5
>>364
>>359は信之兄さんではなかろうか?
信之と義久の簡単な見分け方
「父と弟しか出てこない上に土下座したイメージしか伝わってない」のは真田信之
「祖父と弟しか出てこない上に降伏した時の銅像しか伝わってない」のは島津義久

何か目から汁出てきた
367人間七七四年:2009/06/17(水) 19:21:48 ID:ub8f7C17
島津は父も印象薄いからな……
368人間七七四年:2009/06/17(水) 19:32:17 ID:WVzW1D1O
親父のほうはまとめにも逸話が無いという…
ザビエルが一番最初に接触した大名って位だよなぁ
369人間七七四年:2009/06/17(水) 19:48:30 ID:vKdMXfzQ
こんな本があった

戦国の鬼 森武蔵

> 信長が息子を託した男----森蘭丸の実兄にして織田信忠の重臣・森武蔵長可(ながよし)。
>
>  伊勢長嶋を初陣に、信忠を補佐して甲斐・信濃の名門武田四郎勝頼を制圧し、
> 信忠を信長の後継者にのしあげた、絶世の美男子ながら苛烈ないくさぶりの武将。
>  本能寺の変で無政府状態となった東美濃。混乱に乗じて襲いかかる、かつての部下や同僚たち。
> つかの間の安息に身をまかせるも、小牧・長久手で散った。
>
>  信長----秀吉の転換期に生き、血の涙を流してたたかい、
> 「鬼」と恐れられた悲運の猛将の生涯の物語。

http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E3%81%AE%E9%AC%BC-%E6%A3%AE%E6%AD%A6%E8%94%B5-%E9%88%B4%E6%9C%A8-%E8%BC%9D%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4882933322

あらすじだけでもツッコミどころ満載だが、特に

>  本能寺の変で無政府状態となった東美濃。混乱に乗じて襲いかかる、かつての部下や同僚たち。

お前は嬉々として襲いかかって行った方だろうがw
370人間七七四年:2009/06/17(水) 20:02:06 ID:/38Fujns
>>369
なんたる悪い話w
371人間七七四年:2009/06/17(水) 20:09:31 ID:PCZLDIT7
捏造とは感心しませんな
372人間七七四年:2009/06/17(水) 20:12:03 ID:xFCNLlX9
>>369
一番、息子を託したくない男だw
373人間七七四年:2009/06/17(水) 20:15:23 ID:/38Fujns
>>341
仙台は、意外と大河ドラマ「独眼竜政宗」の影響が大きいそうで
下手すりゃここ20年リバイバルブームかも
それまでは広瀬川〜流れる岸辺〜て「青葉城恋歌」だったンだしょ?


毛利さんが広島〜安芸吉田ってイメージ強いのも、
幕末モノより戦国モノが受ける大河ドラマの伝統を引きずってないかなー

(年末年始の大型時代劇は、逆に忠臣蔵か幕末モノが定番)
幕末モノ、それも司馬遼の「燃えよ剣」とか血風録から
会津=松平容保、白虎隊のイメージが強く刷り込まれてるんじゃ……
374人間七七四年:2009/06/17(水) 20:54:58 ID:yt0P2kHi
>>369
レビュアーさんの文章を引かせていただくが、

>森長可、まず容姿のイメージがそして妙だ。子供並みの小兵、丸太に手足がついたような体型、
>色白豊頬、しかしイチモツは巨大とな。エキセントリックだなぁ。それで「絶世の美男子」かぁ。
>(中略)十回喋れば一回はキザな決め台詞を言う。

鬼武蔵怖すぎw
375人間七七四年:2009/06/17(水) 21:23:29 ID:Dw4FEhZw
キザな鬼武蔵というのが想像つかん
しかし残り九回はヒャッハー!!とか言っているはずだ
376人間七七四年:2009/06/18(木) 00:26:15 ID:kfoV3obR
>>366-367
ありがとう・・・
ああっ、なんか目から水のようなものが・・・(´;ω;`)
377人間七七四年:2009/06/18(木) 01:01:14 ID:4FbUXyqI
島津はパパより爺ちゃんの方が長生き
378人間七七四年:2009/06/18(木) 05:05:32 ID:sBk13PmF
>>375
お前達の為にこの戦負けはせん

ヒャッハー!!×9

これの繰り返し
379人間七七四年:2009/06/18(木) 12:05:46 ID:QJ1kMHRs
>>373
町を町として整備した統治者か、地元で大きな権勢を振るった統治者が敬われる向きがあるような…
だから当たり前だけど萩でも殿様といえば毛利だろうな。
一方山口市では毛利<大内のような気がする。
別に毛利が軽んじられて居る訳ではないが、何となくの印象として大内氏のほうが重い。
地元じゃないから当てにならん意見だが。

幕末時は島津ほど毛利家当主は役割担ってないから印象薄いってのもあると思う。
380人間七七四年:2009/06/18(木) 13:46:55 ID:jImXYzz5
>>379
山口市だと確かに大内の名前の方が大きいかもしれんと、
山口出身の俺は思う
文化遺産としても、雪舟関係のものやザビエル記念聖堂など、
大内時代の物が多いし、地名にも残ってるしね

萩は幕末関係の物が多いので、
毛利ってか長州としての意識のほうが強く感じる
381人間七七四年:2009/06/18(木) 14:15:35 ID:BqfjzK7r
592 名前:旧サーバーにロールバックしましたFrom vs302.vip2ch.com sv[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 13:50:21.07 ID:.SVUi.6P
>>587
山口は地域によるな。山口市は大内の紋だらけ。萩は毛利の紋だらけ。
岩国は吉川。しかし県内最大の英雄は、戦国武将より吉田松陰と高杉晋作。

593 名前:旧サーバーにロールバックしましたFrom vs302.vip2ch.com sv[] 投稿日:2009/05/29(金) 15:23:20.10 ID:IRw6uEA0
伊藤博文は?

594 名前:旧サーバーにロールバックしましたFrom vs302.vip2ch.com sv[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 17:22:14.64 ID:ZbBPnVk0
うちは……二階(ry

595 名前:旧サーバーにロールバックしましたFrom vs302.vip2ch.com sv[sage] 投稿日:2009/05/29(金) 19:20:45.19 ID:.SVUi.6P
>>593
吉田松陰>高杉晋作>高杉以外の松下村塾四天王>>>>>>>>>その他松下村塾塾生

こんな感じかと。
382人間七七四年:2009/06/18(木) 16:35:02 ID:hlpR8GMk
甲相同盟の氏政夫婦の話が出ていたので
武田勝頼の妻北条夫人の願文を。
有名ですがまだないようなので。
願文は翻訳しようと思ったんですが、原文の方がかなりの名文なので
かなを漢字に改め、少し読みやすくするくらいにしておきました


武田勝頼の後妻北条夫人は、その通称の通り北条氏康の娘で、
天正六年、甲相同盟の復活の証として甲斐に嫁いだ。
しかし嫁いでまもなく上杉のお館の乱への対処をめぐって北条と武田は対立、
同盟は破綻した。
しかし彼女が離縁されることはなく、その後も武田家にあった。

天正十年、二月一日。
木曾義昌が武田に弓を引いたことを皮切りに決定的な崩壊が始まった。
木曽の謀反を知った織田信長は武田を討つことを宣言し兵を発す。
二月十六日。
鳥居峠の戦いで武田は織田の支援を受けた木曾に敗れる。
この敗戦は武田家中に大きな動揺を生み、親族衆・国人衆の離叛・逃亡が相次いだ。
有名な願文は、そんな状況の中で書かれたものであった。


うやまって申し。
祈願のこと。
南無帰命頂礼八幡大菩薩、
この国の本主として武田の太郎と号せしより此かた、代々護り給ふ、
ここに不慮の逆臣出きたって国家を悩ます。
よって、勝頼運を天道にまかせ、命を軽んして敵陣にむかう。
しかりといへども、士卒利を得ざる間、その心まちまちたり。
なんぞ木曽義昌若干の神慮をむなしくし、
身の父母を捨てて、奇兵を起こす。これ自らの母を害するなり。
なかんずく勝頼累代重恩の輩、逆臣と心を一つにしてまちまちに覆さんとする。
万民の悩乱、仏法の妨げならずや。
そもそも、勝頼いかでか悪心ならんや。
思いの焔天にあがり、瞋恚なお深からん。
われもここにして相共に悲しむ。
涙らんかんたり。
神慮天命まことあらば、五逆十逆たるたぐい、諸天かりそめにも加護あらじ。
この時に至って神心。私なく渇仰胆に銘ず。かなしきかな。
神慮まことあらば、運命この時にいたるとも、
願わくば霊神力をあわせて、
勝つ事を勝頼一しに告げしめたまい、
仇を四方に退けん。
兵乱却って命を開き、寿命重遠子孫繁昌の事。
右の大願成就ならば、勝頼、われと共に社檀みがきたて回廊建立の事。
敬って申し。
天正十年二月十九日
源勝頼うち


悲痛な願いが天に届くことはなく、
それからひと月もない天正十年三月十一日甲斐武田氏は天目山近くの野で滅亡する。
北条夫人も夫と共に野の露と消えたのだった。
383人間七七四年:2009/06/18(木) 16:40:27 ID:nv1YOR+F
最後まで何故民心が離反したのかわかんなかったみたいだねぇ。
この辺りが滅亡の原因なんだろうね。
384人間七七四年:2009/06/18(木) 17:53:27 ID:aVxlR2xa
北条夫人は幻庵おほえ書を真正直に実践してたみたいね。泣ける


武田さん家の勝頼妹ズも、織田信忠正室扱いながら一度も旦那さまと会うことがなかったお松さん
上杉景勝に嫁いだけど子宝に恵まれなかったお菊さんと波乱の人生だなー


>383
もう勝頼が相続する前の段階で攻勢限界を超えて、
財政破綻するか、大方は縮小するしかない家運だったからな。
385人間七七四年:2009/06/18(木) 18:03:51 ID:KJOQ/nTI
で、嫁が必死の願いを唱えてるというのに夫はというと諦めてるという…
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1855.html
386人間七七四年:2009/06/18(木) 18:21:44 ID:ENsqxmtw
そら、屋敷の奥にいる嫁さんはともかく、
現実を目の当たりにしてる勝頼には流石に先が見えてただろう
387人間七七四年:2009/06/18(木) 18:42:58 ID:efBKhhIb
松姫正室説は捏造……
ロマンがあっていいけどさ
388人間七七四年:2009/06/18(木) 21:23:48 ID:lGg+z5rK
何となく意味は通じるんだが、やっぱり翻訳ほしい…
389人間七七四年:2009/06/18(木) 22:26:46 ID:v9cLoDnq
>>388、訳してみた。

うやまって申し。
(敬って申し上げます。)
祈願のこと。
(お願い事です。)
南無帰命頂礼八幡大菩薩、
(どうか八幡大菩薩様、)
この国の本主として武田の太郎と号せしより此かた、代々護り給ふ、
(甲斐国の主として武田太郎と初代が名乗って今まで、代々守ってくださいました。)
ここに不慮の逆臣出きたって国家を悩ます。
(甲斐にいきなり反逆者が出てきて政治を混乱におとしいれました。)
よって、勝頼運を天道にまかせ、命を軽んして敵陣にむかう。
(そこで武田勝頼は運を天にまかせ、命を捨て出撃いたしました。)

長いのでつづき
390人間七七四年:2009/06/18(木) 22:28:14 ID:v9cLoDnq
>>389のつづき
しかりといへども、士卒利を得ざる間、その心まちまちたり。
(そうはいっても、将校下士官兵は勝利(利)を得る前、士気がまったく上がりませんでした。)
(注:勝利を得る前と訳したが、木曽に負けた後です。)
なんぞ木曽義昌若干の神慮をむなしくし、
(どうして木曽義昌は少しばかりの神のご加護を無にして、)
身の父母を捨てて、奇兵を起こす。これ自らの母を害するなり。
(自分の父母を捨てて、反乱を引き起こしました。これは、信玄の娘である自分の母を捨てる事です。)
なかんずく勝頼累代重恩の輩、逆臣と心を一つにしてまちまちに覆さんとする。
(ましてや勝頼まで代々使えていた譜代の家臣達までも、反逆者と協力しあちこちで反乱を起こしています。)

まだつづく
391人間七七四年:2009/06/18(木) 22:29:07 ID:v9cLoDnq
>>390のつづき

万民の悩乱、仏法の妨げならずや。
(これは万民を悩ませ、仏教の教えを妨害する事ではないでしょうか?)
そもそも、勝頼いかでか悪心ならんや。
(そもそも、勝頼には悪い心などありません。)
思いの焔天にあがり、瞋恚なお深からん。
(「スマン翻訳不能。<(_ _;;)>」)
われもここにして相共に悲しむ。
(私(=北条殿)も共に悲しんでおります。)
涙らんかんたり。
(涙もかれるほどです。)
神慮天命まことあらば、五逆十逆たるたぐい、諸天かりそめにも加護あらじ。
(神が天命が武田にあると思うのでしたら、全反逆者とその共犯者に対し、かりにも神の加護などありません。)
この時に至って神心。私なく渇仰胆に銘ず。かなしきかな。
(今ここで神にお願いいたします。私的なことではないことを誓います。悲しい事とは思っています。)
(注:普通は何かをかなえたいと希望のある事をお願いできないことを悲しいと言っている。)
神慮まことあらば、運命この時にいたるとも、
(神のご加護が本当にあるのならば、どんな運命になろうとも、)
願わくば霊神力をあわせて、
(お願いするのは神の力を持って、)
勝つ事を勝頼一しに告げしめたまい、
(ただ勝頼だけを勝たせると神の力を示して、)
仇を四方に退けん。
(敵を全土から駆逐してください。)
兵乱却って命を開き、寿命重遠子孫繁昌の事。
(この反乱鎮圧戦が逆に武田の運命を良くし、長寿と子孫繁栄へ結びつく事。)
右の大願成就ならば、勝頼、われと共に社檀みがきたて回廊建立の事。
(上記この願いが成就した暁には、勝頼と妻の私は共に御礼に社殿を美しくし、また回廊等も建て直しましょう。)
敬って申し。
(敬って私の願いを申し上げます。)
天正十年二月十九日
源勝頼うち
(武田勝頼の妻)

下手くそな訳でもあり、さらに翻訳不可能なところもあって申し訳ないが、伝わるだろうか?
うまい訳が出来る人がいたらお願いします。
それにしてもこれほど訳していて悲しくなる願い事などあろうか?
これを19才の夫人が書いたのである。
392人間七七四年:2009/06/18(木) 22:56:00 ID:slLmTsgD
後半「神慮まことあらば(神様はいるよね?)」って二回書いてるな

精神的にも追い詰められてたんだろなあ…
393人間七七四年:2009/06/18(木) 23:09:28 ID:75jOmO7X
思いの焔天にあがり、瞋恚なお深からん。

思いのたけが炎となって天にあがるほど、この怒りはとても深いものです。


じゃないかと思う。どうかな?
394人間七七四年:2009/06/19(金) 00:24:47 ID:j9Ur85cV
仏畑

1582年の武田攻めの際のこと。弘妙寺に森長可の一行が訪れた。
森長可「おい、坊主ども。俺たちは腹が減ってるから炊き出しをしろ。」

いきなり上がり込むやこの態度。しかしながら当時の住職、日藤上人はこれを断った。
森長可「ほぉ・・・いい度胸してるじゃねぇか。腹が減って困ってる俺たちに出す飯はねぇってか?」

だが頑なに日藤上人は聞き入れない。そこで長可は・・・
森長可「クソ坊主が飯を出さないので気付いたら放火していた。反省はしていない。」
寺に放火した。

しかしながら珍しく「仏に罪はないんじゃないか?」などと考えた長可は寺の「仏像だけは」外に出させた。
長可「仏は川向かいの畑にでも置いとけw寺が燃える様子でも見せてやるといい。」


この一件以降、その仏が並べられた畑は「仏畑」という名前で呼ばれるようになったという。(現在は「毛畑」という名前)
395人間七七四年:2009/06/19(金) 00:29:09 ID:44qFKqHg
>>394
ホントに鬼武蔵のかかわる地名には禍々しい物しかないなw
396人間七七四年:2009/06/19(金) 00:44:51 ID:fvDEapjE
勝頼&北条夫人の悲話の後に鬼武蔵の話。
流石に「空気嫁」と書きたくなってくるなぁw
397人間七七四年:2009/06/19(金) 00:49:36 ID:j9Ur85cV
俺が悪いんじゃない!鬼武蔵が悪いんだ。
398人間七七四年:2009/06/19(金) 00:55:05 ID:7/CAzszr
 ___  読めませ〜ん
‖    |     ∨
‖空気 ∧_∧   .ヘ∧
‖ \ ( ・∀・) (゚A●)
|| ̄ ̄⊂   )  (森 と)
凵    し`J   U U


399人間七七四年:2009/06/19(金) 01:05:27 ID:VvqLSMEb
鬼の目にも涙とは言うが、鬼は鬼でも鬼武蔵は流石格が違ったな。
400人間七七四年:2009/06/19(金) 01:06:57 ID:N4v1LS2E
(森 ゚∀゚)<天気は読むものじゃない 吸うものぞ!!アーヒャッヒャッヒャ
401人間七七四年:2009/06/19(金) 01:31:35 ID:zYVhmHw9
>>329
その頃の減封令なら、秀頼の名で出したんじゃなかったのか?
402人間七七四年:2009/06/19(金) 03:00:26 ID:bS8sH8N0
>>391
この願文の中で「もしも願いが叶ったら、勝頼私と共に・・・」と言っている
のが印象的だよね。
403人間七七四年:2009/06/19(金) 09:00:20 ID:EulBaYS2
>>382
全文は初めて読んだ
文章悲痛過ぎるわ…

>>394
仏罰を恐れてやってのがそれかよw
404人間七七四年:2009/06/19(金) 10:04:20 ID:QccLrvS3
>>382
北条夫人ってまだ十代だっけ?
若いのにすごい頭よさそうだ
405人間七七四年:2009/06/19(金) 11:00:38 ID:C01j2Mt4
賢そうだけど身の振り方は不器用だよな
こんな祈祷するぐらいなんだから武田の行く末も分かっただろうに
406人間七七四年:2009/06/19(金) 11:01:51 ID:ggXk6OdI
>396-398
森(武蔵)とーかがみんにー囲まれてー
407人間七七四年:2009/06/19(金) 11:08:40 ID:SPdWqNZw
北条夫人……
勝頼は実家へ帰れとは言わなかったのか
言ったけど夫人が聞き入れなかったか
すでに周りが敵だらけで逃げられる状況ではなかったか
(織田方に生け捕られて辱めを受けるよりは、とか)

勝頼が真田氏を頼っていたらどうなったかは興味深いIFだけど
現実は残酷なものですな
408人間七七四年:2009/06/19(金) 11:25:50 ID:ThgepPKn
>>407
勝頼は帰れと諭したが付いて行き、代わりに家臣に辞世の句と遺髪を託してる。
辞世の句は「黒髪の〜」で始まる奴が有名だけど、
他にもちょっと勝頼に愚痴るような句も詠んでるんだよね。


すいません。やる夫真田の受け売りです。
409人間七七四年:2009/06/19(金) 11:27:55 ID:ggXk6OdI
>385-386
穴山梅雪や木曽義昌ってガチ親族衆だからなあ。
梅雪なんか(仁科)盛信や逍遥軒信廉、典厩信豊を除けば筆頭クラス

それが駿河で離反し信濃で離反し……もうだめぽすぐる


北条と手切れんなったのに、なお勝頼を案じていたり。夫人の願文は痛ましいね
410人間七七四年:2009/06/19(金) 11:56:27 ID:69HBtVpD
島津家久=キチガイ+政治家
細川忠興=キチガイ+政治家

森武蔵=キチガイ+チンピラ
411人間七七四年:2009/06/19(金) 12:11:48 ID:5yXlLYi2
>>410
細川忠興の場合、それに茶人が加わるな。
412人間七七四年:2009/06/19(金) 12:57:25 ID:J6NTnkTZ
>>409
穴山梅雪の正室って信玄の娘だったね。たしか勝頼が後継者ときっまた際に相当腹がたったと聞いたが…
413人間七七四年:2009/06/19(金) 13:00:33 ID:U/XT74Wl
早川殿が駿河から掛川に逃げた時、徒歩で逃げるハメになったってだけでも
「愚老の息女、乗り物も求め得ざる体、この恥辱すすぎ難く候う」
なんて大激怒してた氏康が、この北条夫人の死に様を知ったら……
まあ氏康もう死んでるんだけどさ
414人間七七四年:2009/06/19(金) 13:32:41 ID:+3F5sy/3
幻庵じいちゃんのマニュアルが詳しく残ってれば
自分の嫁に手を焼く世の殿方達が多く買い求めそうだ。
415人間七七四年:2009/06/19(金) 13:36:15 ID:1Wyc6xLj
むしろどっかの団体に差別がどうこう言われて発禁になりそうな悪寒
416人間七七四年:2009/06/19(金) 15:10:31 ID:mK8ZzQuu
帯に 幸せになり実家と嫁ぎ先の 家運を上げる嫁になれる必須マニュアル

と書けば…
417人間七七四年:2009/06/19(金) 15:20:44 ID:DmxG2OSv
嫁を貰うなら 北条家だなw
418人間七七四年:2009/06/19(金) 15:33:20 ID:44qFKqHg
ではそれがしは、長野業正殿のご息女を
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-93.html
419人間七七四年:2009/06/19(金) 16:15:56 ID:Oxbro0fS
>>407
勝頼が北条夫人に小田原へ帰れといったところ・・・

北条夫人「弟景虎(上杉景虎)のことあれほど頼んだのにあなたは聞き入れてくれませんでした。
     恥ずかしくて北条には帰れません。」

とかいったとか。ただし、天目山の時二十歳なので、上杉景虎の姉かどうかはしらない。
420人間七七四年:2009/06/19(金) 16:25:37 ID:U/XT74Wl
そのあたりは北条側と武田側で記述が全く違うんだよな
勝頼に恨み事を言う話は北条側にしか伝わってないし
反対に最期は御一緒に参りたいと願い出る話の方は武田側にしかない
そういうことなんだろうけどね
逸話として見るならどちらも興味深い話
421人間七七四年:2009/06/19(金) 17:33:29 ID:Tb0t4/KR
>>418
いや、ここはそれがしが!
422人間七七四年:2009/06/19(金) 17:39:38 ID:p/zoEpsN
>>418>>421
宇喜田直家殿の娘との縁談がお主らに着ておるぞ
423人間七七四年:2009/06/19(金) 17:40:41 ID:5VTwsfaf
景虎が北条に帰されていれば誰も苦しまずに済んだのに…(´・ω・`)
424人間七七四年:2009/06/19(金) 18:01:25 ID:b2enS23h
>>423
景虎が戻っても数年後小田原評定でgdgdだから…
425人間七七四年:2009/06/19(金) 18:23:07 ID:fBksdAfm
松姫、菊姫、北条夫人、武田家の女性は小説に出来そうだな
実際はどんな人物か分からない湖衣姫より知名度があってもいいのに
426人間七七四年:2009/06/19(金) 19:30:20 ID:SPdWqNZw
湖衣姫は信玄と絡めたり勘助と絡めたり話を作りやすいからなあ
実像がわからない分だけ余計に

でも最近は「のぼうの城」がヒットしたり歴史小説ブームだし
マイナーな人物にもこれから光が当たるかも
氏真と早川殿の生涯を追いかけて小説化したら面白いものになりそう
427人間七七四年:2009/06/19(金) 19:40:46 ID:ZKp1/oIk
>>426
つ天下を汝に
でもあれは氏康死亡後だから追いかけてるとは言えないか
それに氏真の実像調べるのは案外難しいらしいし
428人間七七四年:2009/06/19(金) 19:51:49 ID:bS8sH8N0
>>425
信玄の娘もみな「波瀾万丈」といった感じなんだよね。
諏訪御寮人に至っては勝頼の母親だってことくらしかわからんようだし、
その母(=勝頼の祖母)も武田家滅亡のどさくさのなかで行方不明に
なってしまったそうな。
429人間七七四年:2009/06/19(金) 20:18:00 ID:fBksdAfm
>>428
そうだね。
保科正之を養育した見性院や。ひっそりと100近くまで生きた木曽の真理姫なんかもね
430人間七七四年:2009/06/19(金) 21:14:03 ID:QIXRI5Fj
これ元ネタが、光栄の信長の野望蒼天録か天翔記の武将ファイルに書かれている
ものだから、本当にこういう逸話が残っているのかよとかなり疑問ではあるんだが・・・

沖田畷の合戦において、肥前の雄龍造寺隆信は無念の最期を遂げた。
さて、この隆信、討ち取られた後、その首を持ってきた島津の使者に「不運の髑髏に用は無し」と鍋島直茂に啖呵を切られたり、
島津の使者が首を持って帰ろうとすると、国境沿いで急に重たくなり、島津の使者が哀れんで龍造寺領内に弔ったりした話は有名。
ところがこれにもう1つばかり逸話がある。

この討ち取られた隆信の首。首実検の後に赤星統家に下げ渡される。
赤星統家と言えば、子供2人を磔にされ、隆信に最も恨みを持つ者。
当然の事ながら、統家を始め、家臣一統隆信の首に悪口雑言を投げつける。
何よりも凄まじかったのは、殺された子供2人の母親で、隆信の首を蹴りつけたそうな。それも何度も。

さて・・・こうして溜飲を下げた赤星一党であるが、その行動にマジギレした奴がいる。
それは龍造寺政家でも鍋島直茂でもなく、何と島津義久。
実は義久。祖父である日新斎の薫陶よろしく、戦の後は敵味方関わらずねんごろに弔うべしと言う信条を持つ男。
そのため、赤星一党の振る舞いは、彼にとっては言語道断な振る舞いでしかなく、
「赤星は武者の心得も知らんのか」と、以後赤星に対して冷遇したそうな。
431人間七七四年:2009/06/19(金) 21:23:16 ID:44qFKqHg
>>430
怒る位なら何故下げ渡したんだって話だなw
しかし隆信さん、首になっても色々と難儀していますな。
432人間七七四年:2009/06/19(金) 21:24:33 ID:Eb+o3Kze
>>430
だったら赤星に下げ渡さずに弔っとけよって話だな。
433人間七七四年:2009/06/19(金) 21:47:28 ID:ID28uBbG
島津にやってきた使者の肛門が臭いらしくて、蝿がやたらと彼の尻にたかってとても見苦しく
それをクスリと笑った小姓を叩き斬った島津当主の話って誰でしたっけ
434人間七七四年:2009/06/19(金) 21:58:58 ID:EulBaYS2
>>433
なんだその話はw
435人間七七四年:2009/06/19(金) 22:08:34 ID:49ViqEra
>>430
隆信の首の受け取りを拒否したのは慶ァ尼(隆信の母)と言う話もあるよね
義久の話はいい話じゃないかと思うけどなー。例の名将言行録に載ってる話だし
436人間七七四年:2009/06/19(金) 22:14:02 ID:j9Ur85cV
>>433
そういう事をする島津家の当主は奴しか居ないんじゃ・・・
437人間七七四年:2009/06/19(金) 23:13:04 ID:44qFKqHg
小田原の役での事

小田原城を包囲している豊臣軍に、徳川家康と織田信雄が北條に一味し謀反を起こす、
と言う噂が流れた。

この時は秀吉がいち早く二人の陣を尋ね歓談したため、噂は立ち消えになった。
が、秀吉は噂の出所を突き止めようと、彼にこのことを報告した福原右馬助を呼んだ

「あの謀反の噂、お前は誰から聞いたのだ?」

「木村宗左衛門が行っているのを聞いたのです。」

そこで木村を呼んだ「お前は誰からこの話を聞いたのだ?」
「はい!高田小左衛門が言っているのを…」

そこで高田を呼び「お前は誰からこの話を…」「は、熊倉内蔵助が…」
熊倉を呼び「お前は…」「堅田兵部丞が…」
堅田を呼び「お前は」「堀尾隠岐守が」まだあるのかよ
堀尾を呼び「おまry」「大野修理亮の家来南條主税介が」もういい加減疲れてきた
南條を呼び「ry」


「わたくしは織田信雄様の家臣、今泉新之丞と申す者にこれを聞きました。
彼は、『この度信雄卿は徳川殿とともに北條に密通し、秀吉を滅ぼそうと、満々に話し合っている』
と、語ったのです。

堀尾隠岐守は私の妹婿であるため、これに語りましたが、それ以外の者には口外しておりません。」

「!」

確信情報キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!

秀吉はすぐ信雄にこれを報告、驚いた信雄は今泉を絡め捕り秀吉に引き出した。
この今泉、忍びの上手と言う事で、去る三月に召抱えられたものであった。

片桐市正と寺西備中守が取調べ、拷問にかけると、自分が北條氏政の忍びであり、
霍乱工作の為派遣されたと言うことを認めた。そこで「命だけは助けてやると」持ちかけると、
同じく北條より遣わされた忍びの名を、ついに白状した。

すると出るわ出るわ。横浜民部家来服部助佐、杉若越後家来服部彦五郎、筑紫上野家来
大胡孫右衛門、寺西播磨家来布市右馬助、多賀出雲家来上野喜太郎、堀門安房家来鬼石清兵衛、
斎村左衛門家来安藤助左衛門、小野木縫家来白石文次郎、

このほか各陣屋に商人と偽り出入りするもの、等々、計十三人を絡め捕り、首を刎ね札に名前を書いて、
小田原城追手の門前に並べて晒した。
そして今泉新之丞には、その妻子を人質に取った上で金を渡し、毎日各陣を廻らせ、
出入りする商人たちを確認させたため、これ以降豊臣軍に、忍びの紛れ込む事はなかった、
と言う事である。

小田原陣、大スパイ事件のお話。
438人間七七四年:2009/06/19(金) 23:24:27 ID:EulBaYS2
これは双方凄いなw
439人間七七四年:2009/06/19(金) 23:28:50 ID:j9Ur85cV
しょうも無い与太話からよくぞここまで・・・w
440人間七七四年:2009/06/20(土) 01:18:12 ID:9Nmv2Nt4
>>422
死ぬまで旦那についてくれるいい娘さんたちではないか。

てか直家の実の子供ってかなり年を取ってからできた秀家以外
女の子供ばっかりだったのかね?(養子は基家がいるが)
男の子供がたくさんいたら養子に出しまくって
合法的(?)に他人の家を乗っ取ることもできただろうに。
441人間七七四年:2009/06/20(土) 03:31:28 ID:ITJjr0zL
>>440
死ぬまでが「ちょっと」短くなって
死に方選べないけどねっ!
442人間七七四年:2009/06/20(土) 09:22:00 ID:5GtAq7pl
織田信雄「呼んだ?」
443人間七七四年:2009/06/20(土) 09:38:10 ID:0TUmIGrG
>>423
三郎景虎が上杉に残って乱を起こさなきゃ
北条はまた上杉とのバトルに明け暮れるハメになってたぞ。
444人間七七四年:2009/06/20(土) 11:51:30 ID:QhsHcNGr
>>394で「炊き出しに応じる」を選んだ場合の話

1582年武田攻めの際のこと、遠照寺に森長可の一行が訪れた。
森長可「おい、坊主ども。俺たちは腹が減ってるから炊き出しをしろ。」

これに遠照寺の住職は快く応じ炊き出しを行った。
森長可「ふぅ・・・食った食った。すまんな、感謝するぜ。」
住職「いえいえお構いなく。」(断ったら放火するんだろうがお前は!)
森長可「いやいや、ここは一つ礼がしたい。おい、アレを持って来い!」

大層上機嫌の長可はこの寺に古い陣太鼓と鰐口を寄進した。
森長可「この陣太鼓はなぁ、かの坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時にry」
住職「これは凄い・・・よろしいので?」
森長可「ハハハ、構わん。二つともくれてやろう。ではさらばだ。」
445人間七七四年:2009/06/20(土) 11:52:13 ID:QhsHcNGr
と、いい話っぽい感じだが・・・実は数日前、諏訪の神宮寺普賢堂に立ち寄ったときの事

普賢堂住職「この陣太鼓はかの坂上田村麻呂が蝦夷征伐の時に当寺に奉納したもので」
森長可「ふぅん・・・いい太鼓だな。気に入った!よこせ。」
普賢堂住職「・・・(゚Д゚)ハァ?」
森長可「よこせっつたんだよwつか貰う。文句無いよな?・・・へぇ、いい皮使ってんじゃん。」ドンドン
普賢堂住職「ああ・・・そんなに強く叩いたら」
森長可「っるせーな。もうこの寺の太鼓じゃねーんだよ、俺のものだ。あばよ。」
普賢堂住職「(´;ω;`) ブワッ」
※鰐口もどこからかの盗品


こうして長可から寄進された太鼓と鰐口は今でも寺宝として遠照寺に奉られているのであった・・・
446人間七七四年:2009/06/20(土) 12:01:56 ID:JF6PIVTQ
普賢堂住職「でもご本尊壊して行った信長様よりはマシ(´;ω;`) ブワッ」
447人間七七四年:2009/06/20(土) 12:10:46 ID:QM9v6aMF
>>444
ちっとは人情の機微がわかるようになったか……と思たら

>>445-446
あまりにもひどい、平常運転すぐるw
そりゃあ神罰仏罰も下るわなー
448人間七七四年:2009/06/20(土) 12:24:28 ID:rmxeIjGj
まさに四天王筆頭
449人間七七四年:2009/06/20(土) 12:53:26 ID:p0Mg4Qmr
>>437
さすがの風魔もラスボスには…
450人間七七四年:2009/06/20(土) 14:53:49 ID:q6KD2xJq
信長軍団の武田領での所業は鬼畜そのものだな
宣撫工作とか考える奴は居なかったのか
451人間七七四年:2009/06/20(土) 16:23:11 ID:041gqz5m
だから速攻で滅びたんだろう>>織田
452人間七七四年:2009/06/20(土) 16:46:50 ID:jRAOva/g
だからその後、徳川になびいたんだろうな。
453人間七七四年:2009/06/20(土) 17:01:04 ID:svQv/dUr
山梨の方は今でも、甲斐征伐の時織田軍にひどい目にあった、って話がかなり伝わってるらしいね。
この時「菩提寺を焼かれた」って人も多かったそうで。

そりゃ信長が死んだって聞いたら、大喜びで一揆するわなw
454人間七七四年:2009/06/20(土) 17:08:52 ID:QM9v6aMF
>>453川尻秀隆が速攻ですけきよ@犬神家にされちゃったりするわけだね。
455人間七七四年:2009/06/20(土) 18:31:43 ID:QhsHcNGr
河尻さんも人質を取っておくべきだったな
456土井利勝:2009/06/20(土) 20:13:49 ID:AufLCZiD
>>444
鬼武蔵って適当にメシでも食わせて満足させておけばコントロールできるんじゃね?
457人間七七四年:2009/06/20(土) 20:55:41 ID:xTiouqfg
>>456
なに、その腹ペコ武将www
458人間七七四年:2009/06/20(土) 20:58:03 ID:3PcopZhq
>>456
満腹の時はトラやライオンも人を襲ったりしないらしいねw
459人間七七四年:2009/06/20(土) 21:02:17 ID:f/5lhZKY
特別武田贔屓でない俺でも胃がムカムカしてくる
森・河尻父子の最期はザマミロとしか思えない
460人間七七四年:2009/06/20(土) 21:10:47 ID:Je8gPFO2
>>456
たまたま「何となくノリで取り上げたけどよく考えたら別に俺太鼓とか興味ないし
どっか捨ててくとこねーかな」とか思ってたタイミングだったからで、
腹一杯で上機嫌だったからではない気もする。
461人間七七四年:2009/06/20(土) 22:55:47 ID:CPxs4L7V
つか >>456の名前がw

武田滅亡後の織田軍のアレな行動は
やはり戦国武将に付き物の「人狩り」とか「略奪」とかああいう種類に該当するものなのかな。
というかこれ以上追求するとスレ違いになりそう・・・
462人間七七四年:2009/06/20(土) 22:57:52 ID:zaZF6SNL
大友宗麟は島津氏との対決を前にして軍師、角隈石宗に出兵に
適した日付を占ってもらった。すると石宗は出兵を中止すべきと
言い出した。その理由は三つあった。

「第一に宗麟様は今年、四十九歳で厄年にあたります。
第二に未申の方角に出兵するのは、方角がよろしくありません。
第三に去年より彗星があらわれ、その光の尾が西に靡いているのは
不吉なことがおこる兆候であります。」

石宗はそう忠告したのだが、宗麟は自分の意思を曲げずに出兵した。
そして宗麟は耳川の戦いで取り返しのつかない敗北をきっしてしまう。
もし石宗の忠告通りにしていたら、大友氏の歴史は変わっていたかもしれない・・・。
463人間七七四年:2009/06/20(土) 23:09:54 ID:svQv/dUr
>>462
九州の合戦って、これに限らずやたら軍師が表に出てくるよね。
他の地域は軍記物とかでも余り表に出てこない。ちょっと不思議な特徴だな。
464人間七七四年:2009/06/20(土) 23:40:05 ID:4THw65af
>>461
でももともと武田と上杉は身代金目的の拉致・略取推奨だったんだよな
謙信自ら奴隷市の采配したとかあったし
自分は他国にやってウハウハだったが初めて織田にやられて惨さが分かったってことか
4651/2:2009/06/20(土) 23:49:17 ID:svQv/dUr
赤井照光と狐と館林築城・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-144.html

これの62年後の事である。


天正18年(1590)小田原役において、石田三成を主将とした大谷吉継 、長束正家らの軍勢は、
既に降伏した北條氏勝らを案内とし、五月二十二日、館林城を攻め立てた。
しかし館林城はこれに頑強に抵抗、石田軍は無為に5日間を過ごした。

これに三成は大谷、長束らを集め
「この城は四方のうち一方が大沼なので攻められず、城の者たちは三方だけを守るため、
人数も多くなかなか攻め寄せる事ができない。

そこで近くの大袋山より材木を切り出しこれを沼に入れ筏にし、この大沼に船橋を作って、
ここからも攻め寄せるのははどうであろうか?
所詮この城に籠る人数は少ない。これが四方に分散されればそれぞれの口の防御力も
薄くなり、防戦も難しくなる。そこで四方から一斉に総攻撃を仕掛ければ
たちまち攻め落とせるであろう。

この案、いかがか?」

大谷らもこれを了承し、早速沼にて筏をつくりこれを組んで、船橋を作り始めた。
城中の者たちはこれを防ごうとしたものの、三方からの攻撃が激しく人数を回す事ができず、
また三成方も盾や竹束で厳重に守っていたため、沼にはふた筋の船橋が着々と伸びて行った。
五月二十八日にはほぼ完成し、翌日の早朝から総攻撃、と決まった。

その夜、不思議な事があった。城内に、1万とも2万とも見えるおびただしい松明の明かりが現れ、
なにやら普請をしている様子であったのだ。
攻め手の者たちは「明日の攻撃に備えて、堀に柵を作っているのだろう」そんな風に考えた。

ところが、この時館林城の者たちは皆、明日はこの城も滅亡かと、一箇所に集まり暇乞いの
酒宴をしていたのだ。
466人間七七四年:2009/06/20(土) 23:50:00 ID:svQv/dUr
さて明朝、沼側に回った三成の軍勢は一斉に鯨波の声をあげた。これに他三方の軍勢も
鯨波を上げた。攻撃の合図である。
三成の勢は皆馬から降り持ち盾、竹束を先に立て船橋を渡り始めた。ところが

この時突然、船橋に組んだ筏が皆水中に沈んでしまった。これに三成の軍は渡る術がなくなり、
総攻撃は失敗した。

船橋は前日から注意深く警備されていた。城方から工作があったわけではない、
では一体何故?三成らが奇異の思いでいると、案内の北條氏勝が言う

「昨晩の松明の事、この度船橋が沈んだ事、これは人間の所業では無いでしょう。

お聞きください、この城は赤井但馬守法蓮と言う者が、狐の導きに従い築いたと言われています。
城が完成すると狐はたちまち老人に変じ、『私はこの城の鎮守となり、幾久しく守護するであろう。』
そう、約束したそうです。そのためこの城には稲荷社があり、そこは稲荷曲輪と呼ばれています。

その昔北條がこの城を取り囲んだとき、夜になって我らの軍の後ろに、突如2,3千の松明が
現われ、6,7千ほどの軍勢のごとく鯨波の声をあげました。
我らの軍勢は敵の援軍が来たとこれに驚き包囲を解いて逃げ出しました。
ところが朝になって確認すると、そのような軍勢は存在しなかったのです。
あの時は「狐の仕業だ」と、皆言ったものでした。

この度のことも又、稲荷大明神の仕業であると考えられます。」

これに三成ら諸将も不思議の思いを強くし、この上は和睦すべきと決し、氏勝を通じて
籠城衆の助命と本領の安堵を条件に開城を求め、ついに和議がなった。

これにより館林城を受け取った三成軍はこの後、武州忍城に攻め寄せる事となる。


三成の軍も、稲荷明神の霊験にはかなわず。と言うお話。
467人間七七四年:2009/06/20(土) 23:53:44 ID:Uxzk59MC
忍城の失敗も狐のせいに・・・なりませんか
468人間七七四年:2009/06/21(日) 00:52:16 ID:wNw9+gzd
   )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
  <´  狐じゃ、狐の仕業じゃ!!>
   ⌒ v'⌒ヽr -、_ ,r v'⌒ヽr ' ⌒ヽr
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー----−' |__////
469人間七七四年:2009/06/21(日) 01:30:02 ID:1GekLus5
>>465>>466
どう見ても手抜き工事です。本当にありがとうございました。
470人間七七四年:2009/06/21(日) 01:31:21 ID:DV8PYjUh
お稲荷さんが助けたのは島津氏だけじゃなかったんだ。
471人間七七四年:2009/06/21(日) 01:58:19 ID:A6GCnSqz
厩橋近辺にタヌキが助けた城かなんか無かったっけ?
上野&下野はその手の話しの宝庫かも知れんw
472人間七七四年:2009/06/21(日) 02:23:42 ID:dXbkEzzO
>>464

武田・上杉などに代表される人狩りは人身売買目的だったけど
織田さんの武田征伐での人狩りは根絶やし目的の
文字通り人間ハンティングだったと言うからちょと毛色が違うw
473人間七七四年:2009/06/21(日) 08:19:36 ID:F1TxUn7i
>>467
ラスボスのせいです
474人間七七四年:2009/06/21(日) 09:56:24 ID:AzgN4erI
三成「猿じゃ!猿の仕業じゃ!」
475人間七七四年:2009/06/21(日) 10:24:15 ID:qemZ0xQg
>>464
謙信のは商売じゃなくてただの捕虜解放じゃん。
476人間七七四年:2009/06/21(日) 10:35:41 ID:y4jmpYrT
ただし金はとる
477人間七七四年:2009/06/21(日) 10:37:05 ID:tO7yxcPq
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
 な、なんか狐につつまれたような   |
 気がする・・・。             .|
_____  _________/
        V
            ∧_∧
            /    ヽ
            | `  ´|
      <>○<>\= o/
      // ヽ\⊂ ̄ , ヽ
      / ∧_∧ヽ  ̄   ヽ
     /,( ;´∀`)ヽ ,ゝ  |___, ヘ
     | ヽ\`yノ )(   |   <   |
     ヽ ___ノ_と_ノ\_<_ノ
478人間七七四年:2009/06/21(日) 11:02:13 ID:xHJyXXrr
>>463
地方だと、軍師っても占い師みたいな感じだよね
軍学兵法に通じるってより戦場の作法を教えるような


ロクな記録ないけど竹中半兵衛とかどんな仕事してたんだろ
479人間七七四年:2009/06/21(日) 11:04:29 ID:J+h5DyAk
>>476
二束三文だったみたいだけどね
480人間七七四年:2009/06/21(日) 11:26:37 ID:/R/xJPP7
>>478
それが本来の軍師じゃね?
481人間七七四年:2009/06/21(日) 11:31:18 ID:gWvXzgww
本来軍師って講談での半兵衛みたいな参謀的なものじゃなくて天気や吉兆を占うものだし
482人間七七四年:2009/06/21(日) 11:36:06 ID:S9X5txg5
天気とか外して負けたら大変だろうな
雨降ったら、鉄砲にも騎馬にも徒歩にも影響しまくる
483人間七七四年:2009/06/21(日) 12:28:26 ID:wNw9+gzd
そもそも竹中は参謀だったのか怪しい
484人間七七四年:2009/06/21(日) 12:55:20 ID:Klc/kYM1
>>483
まあ、竹中にしても黒田にしても、単に寄騎武将だわな。
485人間七七四年:2009/06/21(日) 13:06:52 ID:oLeCQM5/
なんという戦術予報士
486人間七七四年:2009/06/21(日) 13:08:49 ID:xHJyXXrr
>>485酒毒は
487人間七七四年:2009/06/21(日) 13:09:55 ID:xHJyXXrr
>>485酒毒は脳細胞を破壊する。戦場で長く働きたかったら控えるように

と毛利元就さんが申しております
488人間七七四年:2009/06/21(日) 13:11:55 ID:FRpnq954
信玄「参謀よりも肉棒を所望する」
489人間七七四年:2009/06/21(日) 13:13:35 ID:IsR+UYg7
ザビエルに端を発した日本でのキリスト教布教はトーレスに引き継がれていたが活動は非常に困難を極めた
問題の一つは…

( ・∀・)「神は私たちを愛してる!神が愛するように我々もみんなを愛そう!人類皆兄弟!」
( ´Д`)「…ハッ」
(#・∀・)「ちょっとちょっと!ボクが珍しく真剣にモラルを説いてるのに鼻で笑うってどういうこと!?」
( ´Д`)「あれ見てみるモナ」
( ・∀・)「あれ?」
(´・ω・`)「…」←商人に買われた日本人奴隷
( ´Д`)「お仲間に布教したほうがいいんじゃないか?」
      「言ってることとやってることが違いすぎてあんたらなんて信用出来ないモナ」
(#・∀・)「彼らは商人、我々は宣教師。彼らと我々は全然違う!」
( ´Д`)「あいつらはキリスト教徒じゃないモナ?」
(;・∀・)「えっ?いや、キリスト教徒のはずだけど…」
(#´Д`)「やっぱりそうなんじゃないか!信用出来るか!」

そう、奴隷貿易である
宣教師が隣人愛を唱える側からポルトガル商人は奴隷貿易に勤しんでいた

これでは説得力が失われてしまう

そう考えた宣教師はポルトガル本国に日本での奴隷貿易を禁止するように何度も求めた
初めの内は半場無視されたようだが
1571年、ついに念願叶って日本人の海外売買禁止の勅令がポルトガル王から出された
こうして公式に日本人奴隷の売買は禁止された


が、この勅令はほとんど効果が無かった
ヨーロッパの西端の国がユーラシアの東端の国での奴隷貿易に付いて
何かを言っても影響力を行使できなかった

日本での宣教師の立場も変わっていった
しつこく奴隷貿易の禁止を求めた布教長のトレースは勅令が出された前年に死去
後任のカブラルは当時のポルトガル人としては標準的な性格で日本人を蔑視していた
彼によってザビエル、トレースが行ってきた日本人の立場を顧みた布教活動は捨て去られた

また日本ではインドと違いポルトガル本国の軍事的、経済的保護が無かった
宣教師が身の安全を確保するためには現地の領主に保護して貰う必要があった
現地の領主、つまり大名が望んだのは貿易である
このような状況から商人が奴隷売買をしていても強く言えない立場になり事実上黙認された

1586年、バテレン追放令が豊臣秀吉によって出された
この法令はほとんど宗教に関する文言だが
何故か商人が行っていた人身売買を禁ずる項目も含まれている

結局、宣教師とポルトガル商人は日本人から見て同じ存在として見られてしまい
改められることはなかった
これを機に日本での布教活動は衰退していくことになる…
490人間七七四年:2009/06/21(日) 13:31:25 ID:wNw9+gzd
そりゃ追い出されるわw
491人間七七四年:2009/06/21(日) 13:48:38 ID:gWvXzgww
ってか一応禁止だったのか
492人間七七四年:2009/06/21(日) 14:10:30 ID:cBlBGuKt
奴隷貿易に頭にきたとも言われてるしなぁ
493人間七七四年:2009/06/21(日) 14:27:36 ID:IsR+UYg7
まぁ今でも宣教師と商人が結託して奴隷貿易やってたと思ってる人が多いから
奴隷貿易に否定な宣教師もいたんですよって話です
要するにカブラルが悪い
494人間七七四年:2009/06/21(日) 14:28:16 ID:0h0Lf8kt
鹿之助「勝久殿、勝久殿は尼子家を最高する石はお持ちでござるか」
勝久「えっ」
鹿之助「尼子家最高の石でござる」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「勝久殿はまだお若いですからな。
    …それに勝久殿の境遇を考えれば仕方のない事か」
勝久「いくつになったらもらえるんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「としをとればもらえるということなんでしょうか」
鹿之助「何がでござるか」
勝久「最高の石が」
鹿之助「いえ、最高の石とは人から譲り受けるものではなく自らが生むものでござる」
勝久「なにそれこわい」
鹿之助「えっ」
勝久「うむのはいたくないんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「ああ…確かに我々には七難八苦があるでしょうが
    その先にあるのは尼子家最高でござる」
勝久「そうなんだすごい」
鹿之助「……勝久殿、どうか我々に力を貸してくださらぬか」
勝久「なんだかおもしろそうだからいいですよ」
鹿之助「おお勝久殿、ついに尼子家を最高する石を持ってくださったか!」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
495人間七七四年:2009/06/21(日) 14:35:00 ID:ZeGjLTMX
石マニアかと思ったじゃないかよ
496人間七七四年:2009/06/21(日) 14:42:58 ID:HLeF4R8Y
既出でマルチとか・・・
497髭茶(一)俗説講談嫌いな方はスルー推奨:2009/06/21(日) 15:05:42 ID:/ej6gcqw
ズレてるネタ話ついでに、詳しい話はまとめにないと思ったので

『 加藤主計正どの  福島左衛門太夫どの 細川越中守どの 黒田甲斐守どの
脇坂中務少輔どの 加藤左馬助どの 浅野紀伊守どの

明日八ツ半ごろ、麁茗一服献じたく候 ご同伴待ち入り候    本多佐渡守正信 』

加藤清正「脇坂、この書状の『麁茗』って何だ?」
脇坂安治「さあ…?漢方薬みたいな字ヅラだけど。」
福島正則「よしわかった、『麁茗』とは毒薬じゃあ!家康の命で関白に近いオレらを
一気に消そうってんだろ!」
安治「そ、そうか!おのれ佐渡め、汚い手を使いおって、面憎いやつ!!」

細川忠興「暑苦しいのが集まってナンの騒ぎ?」
安治「おお、越中!見ろ、おまえの名もあるぞ!我ら七人を毒殺せんとの書状じゃ。」
忠興「?なになに…
…『麁茗(そめい)』の『麁』ってのは『粗』、粗末ってことだ。『茗』ってのは『茗茶』、
新茶の反語で遅摘みの古い茶。
『 粗茶しかありませんけど、みんなで来てね 』 要するに茶会のお誘いだ。」

正則「なーんだ。茶なら茶と最初から書けよ、難しく書くから毒かと思ったわ。」
忠興「主催者が謙遜してんだよ。『毒殺します』とか宣言するヤツ、いる訳ねーだろ。」
清正「まぁ茶ならかまわん、明日でも明後日でも飲みに行こう。」
498髭茶(二)俗説講談嫌いな方はスルー推奨:2009/06/21(日) 15:06:32 ID:/ej6gcqw
忠興「待った。お前ら、茶の湯の作法とか知ってんの?」
正則「なにそれおいしいの」
忠興「あのな、茶席ってのはちょっと畳を踏むにも座るにも決まりがあるんだぜ?」
清正「難しそうだな。越中、教えてくれ。」安治「お、オレにも教えて!頼む!」

忠興「教えろって言われても、一年や二年じゃ茶の湯は理解できんぞ。」
正則「mjd?何年ぐらいで免許皆伝になる?」

忠興「(コイツ…)ま、まぁこうしよう。一日じゃ稽古もムリだから、当日はみんなで
オレのマネをすればいい。言った通り、立つにも座るにも決まりがあるから、少しでも
間違えるなよ。
まずは席順を決めよう。本多佐渡が亭主でオレが正客なのは良いとして、『お詰』を
誰か気の利いたヤツがやらにゃいかんが…」

正則「心得た!後詰はオレがやる。関白の命で殿軍後詰を数度勤め、一度も不覚を
取ったる事なき我が身。今こそ拝領したる備前兼光の斬れ味を試す時…!」

忠興「後詰じゃねーよ、『お詰』!茶席の末席!まぁいい、じゃあ明日はオレの次席は
清正、それから浅野、左馬助(加藤嘉明)、黒田、脇坂、最後にお詰が正則な。」
(しかし大丈夫かコイツら……)


長いな、明日につづく、かも?
499人間七七四年:2009/06/21(日) 16:08:04 ID:BoabX+uR
全部まとめてから投下しろよボケ
500人間七七四年:2009/06/21(日) 16:21:34 ID:Tz9gVwXO
>>498もーつづきかかなくていいよ
501人間七七四年:2009/06/21(日) 16:50:07 ID:+EW6hhmL
っていうか、正則が飲むときに、髭がはいってたりいろいろ入ってるとか言うオチだろw
502人間七七四年:2009/06/21(日) 16:50:51 ID:/ej6gcqw
>>499
まとめ終わってるけど、元ネタ自体長くてあと4レス続くからいったん切ったんだけどね。
>>500
把握。

というわけで不評のようなんでまとめ管理人さん、>>497-498の話載せないで下さい。
503人間七七四年:2009/06/21(日) 16:52:56 ID:S9X5txg5
何でわざわざ荒れるような真似すんだろうね
たかが4レスまとめて投下もできんのか
504人間七七四年:2009/06/21(日) 16:57:38 ID:M8qq6HvM
6レスまとめて投下しておけば叩かれないのに
変な事するからこうなるんだよ
505人間七七四年:2009/06/21(日) 17:04:51 ID:6UdekoRm
纏め方の悪い話。

纏めサイトにもこんな感じの大作があるけどね。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1806.html
506人間七七四年:2009/06/21(日) 17:19:01 ID:F1TxUn7i
荒れるような真似ってのは自分の気に食わない事があったら何の気兼ねもなしにボロカスに言う事か?
それとも盛り上げようとネタ投下したものの不首尾をやらかしてしまう事か?
507人間七七四年:2009/06/21(日) 17:21:15 ID:FvyV7dox
この板の連投規制やさるさん発動条件は知らんが、6レス程度なら規制に引っ掛かっても10分待てば書き込めないの?
508人間七七四年:2009/06/21(日) 17:30:08 ID:7cID1pjF
良い話しスレに追い付ける大作だったろうに
まっレスが伸びて逆に追い付けるかも
509人間七七四年:2009/06/21(日) 17:33:41 ID:fSkqfxwY
楽しく読んでたのに投下やめんのか?
510人間七七四年:2009/06/21(日) 17:37:44 ID:s0+dk/E5
>>497-498
まあ乙。
2chは長文連載みたいなのやろうとすると確実に叩かれるから
黙って最後まで投下した方が良かったな。
オカ板の体験談系のスレとか見るけど「長いんでまた明日」とやる人には
絶対叩きレスがつく。
511人間七七四年:2009/06/21(日) 17:58:28 ID:vyuD39+o
超長文はアップローダに.txtで上げてリンク貼っておけばいいんじゃね。
512人間七七四年:2009/06/21(日) 18:01:24 ID:iCxguovC
とりあえずは、妙な空白改行と、mjd?やらのくだけすぎた表現は止めて欲しい。読み辛いわ。
513人間七七四年:2009/06/21(日) 18:03:38 ID:OHn35hxL
このスレのみんなは面白い話なら
小便垂れ流しても話は最後まで聞く(読む)から安心しろ。
514人間七七四年:2009/06/21(日) 18:04:56 ID:gWvXzgww
>>512
ドサクサに紛れて意味のわからん要求するなよ
そこは投下主の勝手だろ
515人間七七四年:2009/06/21(日) 18:21:36 ID:OdCQNiHw
>>498
オチが気になる。
続きキボンヌ。
516人間七七四年:2009/06/21(日) 18:32:07 ID:IsR+UYg7
>>498
そこまで書いておいて続きは明日、しかもやるかどうか判らないって態度は良くないが
スルー推奨って自分で言ってるんだから最後までやってくれ
読者にしてみれば生殺しじゃないか
517人間七七四年:2009/06/21(日) 18:34:21 ID:/ej6gcqw
続き書けって言ってくれる人もいるんで一気に投下。↓
前に空白開けなかったり、2レス続けた時は「読みにくい」「長すぎる」って
逆に叩かれたんですけどねぇ。
518髭茶(三)俗説講談嫌いな方はスルー推奨:2009/06/21(日) 18:35:44 ID:/ej6gcqw
茶会当日。
七人が佐渡守邸に行くと、亭主である本多正信みずから出迎えに出てきた。
細川忠興「お招きに応じて推参致した。本日の招待、かたじけなく存ずる。」

正信が頭を下げて返礼するのを見た他の六人、「マネをしろ」と言われているので
「お招きに応じて推参(ry 「お招きに応じて(ry 「お招きに(ry 「(ry 「(ry 「(ry 」
忠興(代表だけ挨拶すればいいんだっつーの!/// )
哀れ正信、口上を頭を下げて聞き、返礼に頭を下げ、都合十四、五回も頭を下げた。

赤面して控えの間に入った忠興、筆硯が置いてあるのを見て、詩など作り
ヒマを潰し始めた。そんな趣味なぞ無い他の六人は、退屈なので庭をウロついた。

福島正則「おい左馬助、あの石灯籠はちょうどオマエの背丈と同じくらいだわな。」
加藤嘉明「アホ言え!オレがナンボ背が低くても、アレよりは高いわ!」
正則「ふーん。そんならあそこで背比べしてみ?」

嘉明「どうだ!オレのが高かろう!」
正則「おお、確かに五分ほど高い。ついでだ、力試しに灯籠の笠石持ち上げてみ?」
嘉明「どぉぉじゃああ!」
差し渡し四尺はあろうかという灯籠のてっぺんの笠石を、嘉明は持ち上げた。

一同「見事みごと!次はその石、投げてみてー!!」
嘉明「そぉい!!!!!」
一同「わーさすがー!」忠興「他人ん家の庭でナニやってんだテメーら!!」
519髭茶(四)俗説講談嫌いな方はスルー推奨:2009/06/21(日) 18:36:28 ID:/ej6gcqw
そうこうしているうちに、奥座敷の方から鐘の音が聞こえてきた。

正則「ムッ、怪しい鐘の音!さては、どこぞの家の残党が挙兵したか?!
皆の衆、油断あるな…ええい、オレは後詰の役がある。ここは清正、物見せい!」
「承知!」清正は庭の松に登って手をかざし、キョロキョロ外を見渡し始めた。

忠興「あれは茶席の支度ができた合図。あと、後詰じゃねーって言ってんだろ。」
正則「おのれ、陪臣の分際で我らを雑兵同様に鐘で呼ぶとは、佐渡め…」

忠興「茶の湯は上下身分の区別なく楽しむもんだ。腹立てんな。
鐘を打つのも、寺の作法が元になった茶の湯の決まりだから、陪臣とか関係ない。」
一同「うむ、決まりとあらば、許してつかわす。」

忠興「(だから身分関係ないんだって…)さあ、この『にじり口』に入ったら茶室だ。
うまくオレのマネをしてくれよ?」 一同「応!!」

ところが、慣れぬ本多邸のにじり口に入った忠興、ゴツリと頭をぶつけてしまった。
清正「ぬぅ、厄介な。入口で頭をぶつけねばならんのか?!」
ゴツリ。次の浅野も、ゴツリ。
その次の嘉明もぶつけようとしたが、背が低くて当たらない。

嘉明「おい福島、肩を貸せ。」正則の肩車に乗った嘉明、ようやく頭をゴツリとやった。
520髭茶(五)俗説講談嫌いな方はスルー推奨:2009/06/21(日) 18:37:15 ID:/ej6gcqw
カンの強い忠興は、正信が茶を点てている間も首を動かし、額の痛みに耐えた。
それを見た一同も、同じ方向に首を曲げた。
忠興(こ、こんなトコまでマネすんな!/// )隣りの清正に小声で話し、ヒジでつついた。
「そうか茶席はここでヒジか?!」肝心の所は聞かず、清正は隣りの浅野にヒジを入れた。

「ゲフッ…よし行くぞ」「ぐはっ!」「痛ッッ!」「うへぇッ!」忠興がまた赤面している内に
『お詰』の正則にヒジ撃ちが回ったが、隣りに誰もいない正則は怒りのやり場がない。
「うぅ…なるほど、『お詰』とは辛いわい。とんだ役を引き受けた…」

やがて正信から茶が渡され、まず忠興がひと口すすり、次いで清正に渡した。
清正が茶碗を口に持ってくると、自慢のヒゲが茶に浸かった。
(うわぁ)(きたねぇ…)見ていた浅野と嘉明は、飲むフリだけして黒田長政に茶碗を渡した。

この黒田がまた、四日前から風邪っぴきで、鼻汁がポタリと茶に落ちた。
自分の体液を飲むのも気持悪い黒田は、鼻汁をフーフー吹いて避け、少しだけすすった。

脇坂「ちょ、アレ飲めってか!」そ知らぬ顔の黒田から、ついに茶碗が渡された。
「オレ…帰ったら孫の代まで茶の湯禁止するんだ……」

涙目になりながらも、覚悟を決めてガブリと全部口に入れたはいいが、まだ自分の後に
正則がいるのを思い出した。
脇坂「あ、福島ゴメン。」あわてて半分口からダバーッと茶碗へ戻し、正則に渡した。
521髭茶(終)俗説講談嫌いな方はスルー推奨:2009/06/21(日) 18:37:58 ID:/ej6gcqw
正則「クッ、さすが後詰は戦場でも茶の湯でも、エラい役目だぜぇ…」
いまだ微妙に勘違いしながら一気に飲み干し、茶碗を抱えて放心した。

忠興「福島、茶碗を回して亭主に返せ。」
聞いた正則は茶碗を人差し指の上に置き、それを軸にグルグル曲芸回しをした。
忠興「 (ノ∀`) 」

自分は赤っ恥かくわ、正信も仲間も苦虫を噛んだような顔してるわ、
場を何とかしようと、忠興は正信に聞いた。
「ご亭主、風流は行き届いておられるようだが、その釜は芦屋か、霰か?」
(芦屋釜・霰釜、両方とも茶釜の種類)

すると、清正以下がまたマネをして
「ご亭主、風流は行き届いて(ry「ご亭主、風流は(ry「ご亭主(ry「 (ry「 (ry」
正則(よし、茶碗回しの失点を回復せねば!少し変ったことを言おう。)

正則「ご亭主、風流は行き届いておられるが、その釜は芦屋道満か?」
忠興「それドーマンセーマン!陰陽師!!」

正信「やれやれ、やはり皆様は茶より酒ですな?」
この後は別席で酒宴となり、茶席でガチガチになった心身をほぐした荒大名一行、
酒席で正信の弁舌に引き込まれた。これこそ関ヶ原につながる本多正信の調略の計

…かどうかは知らんがなという一席、長々と失礼しました。
522人間七七四年:2009/06/21(日) 18:39:47 ID:s0+dk/E5
何かたまに2ch語とかAAに対して神経質な人がいるけど、
そういう人とは逆に、2chだから2ch語OK・小ネタ仕込んで面白く仕立てるのもアリだが
シリアスな小説仕立てっぽい語り口はむず痒くて苦手っていう自分みたいな人間もいるわけで。
好みは千差万別なんで、語り口は書き手任せにして色々あった方が良いと思う。
523人間七七四年:2009/06/21(日) 18:44:49 ID:IsR+UYg7
>>518-521

揃いも揃って脳筋ばっかw
しかし髭茶なのに髭が本文に一字もないのはこれいかに?
524人間七七四年:2009/06/21(日) 18:50:51 ID:s0+dk/E5
すまんリロードしてなかった >>518-522乙。
525人間七七四年:2009/06/21(日) 18:52:13 ID:yWWk1H5K
しかし、細川忠興は別として、

加藤清正は一応、千利休に弟子入りしたんじゃなかったか?

形なりにも知っていたんじゃないのか?茶の湯の作法ってものを。
526人間七七四年:2009/06/21(日) 18:52:14 ID:ManVwsv0
こんなの忠興じゃないw
527人間七七四年:2009/06/21(日) 18:53:57 ID:Klc/kYM1
まあ落語だからなw
528人間七七四年:2009/06/21(日) 18:57:24 ID:IsR+UYg7
>>518-521
ごめん523訂正
ちゃんとヒゲって書いてあった
529人間七七四年:2009/06/21(日) 18:59:43 ID:+EW6hhmL
亭主が正信じゃなかったら爆笑してそうだなぁ…
某カブキ者ですら…多分、負けを認めてそうだ
530人間七七四年:2009/06/21(日) 18:59:45 ID:PwfoFpOf
>>523
清正のヒゲが出てくるからだろ、たぶん
落語では「荒茶」、講談では「福島正則の荒茶の湯」とか
市松がメインになるらしいが
531人間七七四年:2009/06/21(日) 19:27:31 ID:N0Rl3uck
>忠興「主催者が謙遜してんだよ。『毒殺します』とか宣言するヤツ、いる訳ねーだろ。」

直家さんから茶会のお誘いが来てますよ
532人間七七四年:2009/06/21(日) 19:33:41 ID:MMVPT2WA
腹イテェwww
落語面白いなw
533人間七七四年:2009/06/21(日) 19:36:29 ID:poN7hhXW
どこの落語だよって思ったらほんとに落語かw
534人間七七四年:2009/06/21(日) 20:20:42 ID:x2F9R6t4
教養のない人間が教養ある人間に
「とりあえず俺の真似をしろ」
って言われてとんでもない失敗をする話って割とテンプレなんかな
狂言にも主人公太郎冠者であるわ
535人間七七四年:2009/06/21(日) 20:29:53 ID:6UdekoRm
教養じゃないんだが、これを思い出した。

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2097.html
536人間七七四年:2009/06/21(日) 20:44:42 ID:F1TxUn7i
>>522
嫌う人間はともかくとして2ch用語やAAそのものが悪いという訳でなく使い方一つじゃないだろうか
うまい事使えてればいいけど誤魔化しで使うのは良い書き手とは言えないと思う
ぶっちゃけセンスの問題
537人間七七四年:2009/06/21(日) 21:05:45 ID:Euh5XbAt
何を誤魔化しと感じるかどうかも結局好みでしかないだろw
センスの問題って、人間は自分の好みに合うものはセンスいいと感じて
合わないものはセンス悪いと感じるんだから。
どんなスタイルであれ、逸話を知っててこのスレに書き込んでくれるのが良い書き手。
こういうスレは読み手が書き手に対してあんまり注文つけるようになると
書き手が居なくなるんでまあほどほどにってことだな。
538人間七七四年:2009/06/21(日) 21:12:23 ID:CR4VAo2g
大作難儀であった


しかし笑えんな
539人間七七四年:2009/06/21(日) 21:48:05 ID:F1TxUn7i
>>537
それは個別論じゃないのか
一般論として、100%でないにしても大多数に受け入れられる、あるいは否定される
語り手の上手下手ってのは間違いなく存在する
その上である程度意図とかは見えてくるもんだし
引き出しが無さ過ぎるか、あるいは安易にこうしておけば盛り上がるだろとやったのでは逆効果
一応言っておくけどだからと言って下手は投稿するなって話じゃないぞ
もし自信が無ければ変に砕けさせたりひねったりせず無難に普通の文体で行くのがベターだと思う
あとあれこれ言う事で投稿者が萎縮して減るのを危惧するのは分かる
安直な批判は俺もどうかと思うしこれは言い方一つの問題


・・・正直俺がこう思うのは単に自分の文章力を気にしてるからのような気もしてきたけど
540人間七七四年:2009/06/21(日) 22:00:59 ID:IsR+UYg7
>>539
その大多数に否定される語り口ってのは一体誰が判断するんだ?
投稿する前に誰に聞けばいいんだ?教えてくれ
結局個別論になるしかないしベターに行くかどうかは投稿主次第だろう

…俺も文章力あるとは言えないけどさ
541人間七七四年:2009/06/21(日) 22:17:57 ID:x2F9R6t4
水掛け論だな
結局最後は
「素人の書いた下手くそな話なんか読みたくない人は回線切ろう」
で終わりじゃね?

とりあえず投下

露と落ち露と消へにしわが身かな なにわの事も夢のまた夢

とは、豊臣秀吉の辞世の歌であるが、これは別に最晩年に詠まれた歌ではない。
秀吉がに聚楽第にあった絶頂期の作で、孝蔵主に預けたものであると言われる。
実はこれには元となった本歌と思われる歌がある。

津の国の難波の春は夢なれや 蘆の枯れ葉に風渡るなり

という西行法師の歌である。
あまりイメージには合わないが秀吉も西行の厭世感や寂滅の世界を感じていたようだ。
それも絢爛豪華な聚楽第において……。

秀吉の晩年の矛盾を感じるちょっとした豆知識?

542人間七七四年:2009/06/21(日) 22:20:30 ID:x2F9R6t4
すまん、これ投下してから気がついたが
秀吉の教養を伺わせるいい話かも

豪華な生活とのギャップが気味悪い話ということで一つ
543人間七七四年:2009/06/21(日) 22:22:03 ID:Klc/kYM1
>>541
「露と落ち〜」の方も、伏見城だか聚楽だかの完成で、もう現世でやる事もなくなった、って言う
一種の虚無感の中で歌った歌だそうですな。
544人間七七四年:2009/06/21(日) 22:36:52 ID:55o9ahk7
>>538
わざわざ…お前つまんない人間だな
>>539
お前がいろんな意味でセンスないのはわかった

545森長可の遺言・再録:2009/06/21(日) 23:13:06 ID:C9RQHIbw
小牧・長久手の戦いは終わった。
鬼武蔵こと森長可は死んだ。まことにめでたいことであった。

〜完〜


いやいや、終わらない。
鬼武蔵が死んだので、生前鬼武蔵が書いた遺言状を鬼武蔵の指示通り開けることになった。
別に鬼武蔵が自殺を考えていたわけではない。ここ(戦場)がそういう場所だから。

・母者は筑前守様(秀吉)から生活費をもらってください。
・妻は実家へ帰りなさい。
・娘は京で町人と結婚するように。医者がいいと思う。
・弟(忠政)は筑前様に仕えるように。
・だけど跡目を継いだりはしないように。殺し殺され、大名なんて嫌なものです。

なんだか山本正之の名曲、『戦国武将のララバイ』が聞こえてくるようである。
『いくさが商売なんて〜♪ なんて空しい人生だろう〜』
amazonはこちら ttp://music.goo.ne.jp/cd/CDDORID505695-1/index.html

あ、あと追伸がある

・もしこのいくさで味方が全滅したら、城に火をかけてみんなで自決してください。
546人間七七四年:2009/06/21(日) 23:15:22 ID:MMVPT2WA
おまいら議論なら他所でやれw
少々文体が熊谷娘でも我らに吉川さんの度量があれば良いんだからさ

俺はあの書き方も面白いと思ったがなぁ・・・
547人間七七四年:2009/06/21(日) 23:16:10 ID:Rnue657H
>>545
しみるねぇ・・・
548人間七七四年:2009/06/21(日) 23:17:09 ID:Klc/kYM1
>>545
武蔵さんは信長が死んだ時の、周辺の一斉蜂起を経験しているからなあ。
もし秀吉も死んだら、輪をかけた混乱になってただろうしね。
549人間七七四年:2009/06/21(日) 23:19:09 ID:IsR+UYg7
>>545
>殺し殺され、大名なんて嫌なものです。
本人の性格からして大名は堅っ苦しかっただろうなw
550人間七七四年:2009/06/21(日) 23:21:21 ID:Euh5XbAt
>殺し殺され、大名なんて嫌なものです
どの口がwwと思うが、やり切った人間だからこそ心底そう感じるのかもしれん。
551人間七七四年:2009/06/21(日) 23:22:12 ID:wNw9+gzd
忠政ぶっちゃけ全然戦場出てないよねw

九州征伐も真田攻めも「眼病につき代理を送ります」って感じで全然出馬して無い
552人間七七四年:2009/06/21(日) 23:23:59 ID:6UdekoRm
>>545
ちゃんと家族のこと考えてるんだなぁ、と思ったら追伸がw
553人間七七四年:2009/06/21(日) 23:28:39 ID:AzgN4erI
ま、あの兄貴の言う事だから説得力あるよ。忠政が戦にあまり出なかったのもわかる。
554人間七七四年:2009/06/22(月) 00:23:36 ID:1zKnYLQ2
>鬼武蔵こと森長可は死んだ。まことにめでたいことであった。
                       ↑↑↑↑↑
                   ここ注目ポイントでしょうか?(w
555人間七七四年:2009/06/22(月) 00:26:32 ID:Ypx3G8MA
http://flashgame.rounder-s.net/textwars.cgi?gameid=3033

このスレ向けにしょうもないクソゲーを一つ作ってみた。
556人間七七四年:2009/06/22(月) 00:32:00 ID:z9VOiktW
>>555
シューティングゲームとはw
1面の市松は倒した。
557人間七七四年:2009/06/22(月) 00:33:14 ID:Ypx3G8MA
ちなみに俺はクリアー出来ない
558人間七七四年:2009/06/22(月) 00:35:16 ID:Zv9qF4NA
>>555
おれも市松は倒せた
武士は犬ともいえ〜が厳しすぎるw
ってか弾がwww
559人間七七四年:2009/06/22(月) 00:39:11 ID:kaptsH0r
ボムをケチって使わないうちに討ち死にでござった
560人間七七四年:2009/06/22(月) 00:41:04 ID:z9VOiktW
家久(悪)ひどすぎ。大嫌いになったw
561人間七七四年:2009/06/22(月) 00:41:06 ID:Ypx3G8MA
ちょっと簡単にしてみよう
562人間七七四年:2009/06/22(月) 01:01:44 ID:Zv9qF4NA
家久(悪)ムカツクw
動きがuzeeeeeeeeeeeee!
忠興もコエーよw

さてそろそろ寝るか
深夜に何をやってるんだ俺はw
563人間七七四年:2009/06/22(月) 01:41:21 ID:t0avEkSO
コンテニューしまくって鬼武蔵までは行ったが
鬼武蔵の動きがパターンない感じでどうしても避けられない・・
政宗は安全地帯があるなwそういう手抜かりもキャラ通りなのかw
あと忠興ww
564人間七七四年:2009/06/22(月) 03:59:09 ID:hMyPWo/O
>>554
当時、狂歌ではやったらしいw
565奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆36LfxCD/TI :2009/06/22(月) 04:53:54 ID:AUx5XxGj
なんだかわからんが亀寿かわいそう。
566人間七七四年:2009/06/22(月) 05:26:10 ID:N4EK90Gd
そこまで名が通ったキチガイだったんだな・・・
567人間七七四年:2009/06/22(月) 08:50:46 ID:xTTShLvQ
今の浮世は結構づくし 森の武蔵に池田が無くば 諸国諸大名は長袴

これだな
考えてみたら池田さんも結構DQNだからなあ
568人間七七四年:2009/06/22(月) 18:28:22 ID:Ypx3G8MA
誰かクリアしたと思ったら鬼作佐だった・・・さすが
569人間七七四年:2009/06/22(月) 18:37:13 ID:z9VOiktW
天正三年、渡川(四万十川)合戦で長宗我部元親に大敗をした一条兼定は、
その後宿毛にて抵抗するも長宗我部勢の猛攻の前についにこれを放棄、伊予国戸島へと
逃れた。

しかし、この戸島において兼定は、当地の領主、法華津氏の援助を受けながら一門や家臣団を
糾合。再起の体制構築を進めるとともに、宿毛、平田の反長宗我部勢力を扇動。
元親にとって、重大な脅威となりつつあった。

そこで元親は、かねてから内通していた一条兼定の側近、入江左近を呼んだ。

「兼定公を暗殺して欲しい。」

目的を果たせば莫大な恩賞を与える。入江はこれを承諾した。

数日後、入江は戸島の兼貞の許に現われた。
「御家再興の為、どうぞ私にも力添えをさせてください。」

兼定はこれに大いに喜び、自分に仕えた者たちの消息の話などしながら、
深夜まで歓談したと言う。

やがて寝所に下がる。深夜、入江は兼定の寝室に忍び入り、寝ている兼定に斬りつけた。

手応えはあった。四国軍記によるとこの時兼定は、入江の二の太刀で左肘を
断ち切られたとのことである。

それでも兼定は反撃をし、一太刀を浴びせかけたがかわされた。入江は逃げ出し
海岸に用意しておいた船に飛び乗ると、そのまま沖へと漕ぎ出した。
騒ぎに気づいた兼定の家臣たちが追いかけたが、他の船のとも綱が全て切られており、
どうすることも出来なかった。

そして入江は無事元親の許に帰り、一部始終を説明した。すると元親は

「主君を斬ったような大罪人は、生かしておけぬ。」

と、入江を即刻打ち首にした。

兼定は重症であったが一命は取りとめ、その後八年生き、天正十三年、秀吉による四国征伐のさなか、
「南方にある元親の居城を睨み、憤怒しながら」その生涯を閉じたと言う。

一条兼定、暗殺事件の顛末。
570人間七七四年:2009/06/22(月) 18:40:40 ID:xUo2aow6
>>569
なんか長宗我部ってこんないつわばっかだな
571人間七七四年:2009/06/22(月) 19:16:47 ID:pz4U3QP5
むしろ兼定が意外と有能な事に驚いた。
いや、有能じゃなきゃ土佐帰還後に豪族を糾合出来ないんだけど、イメージがね。
572人間七七四年:2009/06/22(月) 19:21:38 ID:FhvLkG82
反長宗我部勢力が神輿として担いだだけとも考えられる
573人間七七四年:2009/06/22(月) 19:34:39 ID:Zv9qF4NA
>>568
ラス面の直家と久秀のコンボきつかったわ…
>>569
何気に暗殺屋なんだよな元親
574人間七七四年:2009/06/22(月) 19:49:01 ID:PM3s1jvj
>>569
直家「まだまだだな・・・」
575人間七七四年:2009/06/22(月) 20:15:33 ID:WxOSnuhx
>>574
そうだよな、直家みたいにヒットマンを厚遇しなきゃあ
次のアタックの時、なり手がいなくんらるもんね
576人間七七四年:2009/06/22(月) 21:12:48 ID:lLdoTXdX
大事な暗殺は他人任せにしちゃ駄目なんだよ
577人間七七四年:2009/06/22(月) 22:13:23 ID:ZTiu0VxX
ゲーム面白かったwww乙www
長繁AA怖かったwww
578人間七七四年:2009/06/22(月) 22:57:09 ID:xTTShLvQ
ゲームクリアできねえww
しかし家久(悪)だけは根性で倒した
亀寿を助けるために
579人間七七四年:2009/06/22(月) 23:10:48 ID:T/SG/So6
関ヶ原合戦後のこと
心ならずも西軍として本戦に参加してしまった長宗我部家
盛親は無事帰国するが、それを追いかけるように井伊直政の使者がやってくる
当然、上坂を促すもので、長宗我部家では家臣一同が集まり、評定がもたれた

真っ先に発言したのは、重臣の大黒主計
「井伊殿はよきよう取り計らうというが、公儀は信用できない
上方で捕虜とされるよりは、運を天に任せて一戦すべし!」
さすがにこれは無謀すぎる
久武親直が「軍略はおありで?」と暗に批難するも、主計はとうとうと語る
「この浦戸城は交通の要にあるゆえ、籠城には適さぬ
しかし、当国には険阻な要害がいたるところにある
妻子は山間に隠し、侍郷士一丸となって戦うのだ
古来、土佐は他国から攻められたためしがない
源平の戦いの折も、平氏方の残党が逃げてきたが、源氏方は手を出せなかった
さすれば、今回も数年はもちこたえられれば上方も困り果て、事実上の安堵となるじゃろう」

賛同者、なし
すぐさま戸波親武が突っ込んだ
「今は源平の時代ではない。天下の大軍を敵にまわせば、早晩滅ぶに決まっておる」
やっと冷静な議論がはじま…らなかった
「野山に隠した妻子が、先に捕らえられればいかがするか
この城を枕に討死するの一定じゃ!」

駄目だこいつら早く何とかしないと、というわけで久武が強引に和睦論をまとめるわけであるが、
結果はあの通りであった

長宗我部家、対応gdgdのお話
580人間七七四年:2009/06/22(月) 23:18:59 ID:PX/r0rbX
織田家に征服されそうになったり、秀吉に征服された癖にまるで学習してない…
581人間七七四年:2009/06/22(月) 23:26:04 ID:/wNYFJ1d
江戸時代でも大名家が改易される時、中には気骨のある勇士と見られる+後の再仕官でアピールする為に
評定の際に「篭城して幕府に対して抗議する!」と発言する人がいたとか。

ただ、理不尽な改易の時や、篭城時は妻子が足手まといになるので
「山に隠すか、妻子を殺してでも篭城しよう」と言うのは本物らしいから
この場合は本気だったんだろうなー…
582人間七七四年:2009/06/22(月) 23:42:19 ID:vSAN16hj
久武さんって盛親に讒言?とかした人だっけ?
583人間七七四年:2009/06/22(月) 23:48:09 ID:ml0XwYWG
兄貴にボロカス言われてよな>久武親直
584人間七七四年:2009/06/23(火) 00:10:12 ID:1JqUPshB
親徳川派だった津野親忠(盛親庶兄)が家督を奪おうとしている、と
讒言したとか。その前にも、吉良親実謀殺の首謀者とも。
この呪いで有名なのが七人みさき。
兄の親信は元親への遺言、
「弟を取り立てれば、必ず御家に災いをもたらすので跡目にしないで下さい」
585人間七七四年:2009/06/23(火) 00:48:47 ID:TD8E0hZA
>>579
旧軍の終戦前と全く変わらない気がするぞ
進歩してないな!
586人間七七四年:2009/06/23(火) 00:59:53 ID:an6pn6dX
七人みさきって関係あるの?

それが語られる切っ掛けになったってこと?
587人間七七四年:2009/06/23(火) 01:14:19 ID:rWHan7q2
>>575
お主すでに毒を盛られておったか!
588人間七七四年:2009/06/23(火) 01:16:44 ID:f1vdx4Z5
今、情報に溢れかえっている我々現代人は結果を知っているから
過去をああすれば良かったこうすれば良かったと簡単に言えるようになった
現在の価値観からするとたしかに進歩していない
約150年前にアメリカの黒船によって丁髷頭の首狩土人から抜け出したのに
恩を忘れてアメリカに刃向かい
完膚なきまでに叩きのめされるまで全く進歩していなかったのだ
589人間七七四年:2009/06/23(火) 01:18:01 ID:m50koovi
>>588
まるで朝鮮人だな
590人間七七四年:2009/06/23(火) 01:22:02 ID:4ArSgzuF
技術は進歩しても人間自体が進歩するってことは無いと思うよ
591人間七七四年:2009/06/23(火) 01:23:27 ID:rWHan7q2
>>588
まぁ当時はバリバリの戦闘民族だからね。
でも少しは武士の気風気骨ってものが残ってれば
ここまで諸外国にナメられなかったかと
592人間七七四年:2009/06/23(火) 01:33:06 ID:V0zlt9yd
だよなあ
きっと世界にはたくさんの氏政みたいな人がいて
たくさんの氏康みたいな人に怒られ呆れられてんだよ
俺も夕飯の味噌汁のよそい方かーちゃんに怒られたもん
最近の馬鹿は味噌汁も上手くよそえないんだね!って
593人間七七四年:2009/06/23(火) 01:38:06 ID:TD8E0hZA
そこの麦で飯を作れ
っていったのも氏政だっけ
594人間七七四年:2009/06/23(火) 08:23:56 ID:DR3FNK9O
>>593
魚が切り身の状態だと思ってる子供みたいだな
595人間七七四年:2009/06/23(火) 11:07:06 ID:XL06LVIb
長宗我部は頭脳的に残念な人が多かったから、久武弟のような現実主義者は嫌われたのかもね。
この頃の四国は真正のド田舎だからなー。
596人間七七四年:2009/06/23(火) 11:59:21 ID:1JqUPshB
>>586
まとめにも載ってなかったようなので

吉良親実は従弟の長宗我部信親の死後、長宗我部家督に元親の次男・香川親和を推し、
四男盛親を推す元親と対立し、切腹を命ぜられた。そのときに家臣たち7人も殉死したが、
それ以来親実の墓所に様々な怪異があり、日を経るごとに大高坂城下にまで現れるようになった。
人々はこの怪異を「七人ミサキ」と呼び恐れた。「七人ミサキ」とは、親実に殉死した吉良彦太夫、
勝賀次郎兵衛、宗安寺真西堂、永吉飛騨、城内太守坊、日和田与左衛門、小島甚四郎の七人を指すという。
親実自身が入っていないのは、その名前を口にすることを禁忌としたためらしい。(親実を入れると八人)

兎も角、親実らの怨霊は生前の敵を祟り始める。この仇敵こそ吉良親実と比江山親興を死に追いやった
黒幕、久武内蔵助親直である。なんと親直の子供達八人中、七人が亡くなったのである(末子一人が
生き残っている)。さらにこの多重死を目の当たりにして、親直の妻も精神に異常をきたし自害。

これらの怪異の報告が毎日のように届けられる状況を憂慮した元親は、国分寺において法要を執り行ったが
効果はなく、最終手段として吉良親実を神として祀ることに決め、木塚明神を建立、現在の吉良神社の縁起となった。
この後は「七人ミサキ」の怪異は現れなくなったという。
597人間七七四年:2009/06/23(火) 17:33:14 ID:C15+a5zO
四国も九州みたいに海外貿易出来てたら
ちょっとは違ったかもしれないなぁ
598人間七七四年:2009/06/23(火) 17:42:23 ID:WodkEIv0
七人ミサキと聞いて『孔雀王』を思い出した俺はもうおっさん
599人間七七四年:2009/06/23(火) 17:48:05 ID:luwCnGqf
>>555のゲームやってて思った
>>437を読むとこの逸話の信玄の措置が納得いく
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1845.html
風魔怖いわ
600人間七七四年:2009/06/23(火) 17:53:16 ID:4NZO5LSn
「七人ミサキ」は少し前の「宗像教授〜」でも扱ってましたねw
601人間七七四年:2009/06/23(火) 18:19:40 ID:V0zlt9yd
八丈島には七人ぼうずって話があるんだっけ
大体似た話らしいが……
602人間七七四年:2009/06/23(火) 18:28:09 ID:TWytivmj
久武親直も、かつての武田家における跡部長坂と同じ扱いを受けているんだろうね。

「悪いことは全部、君主のそばで讒言をして忠臣を陥れる奸臣のせいだ」と。
603人間七七四年:2009/06/23(火) 18:36:56 ID:+/134Aw0
>>599
なぜあのゲームでその結論に至ったw
604人間七七四年:2009/06/23(火) 18:45:08 ID:rQtbDPpR
>>602
梶原景時と同じ扱いだよなぁ。
主君の命に沿って行動しているだけなんだけど、主君に文句言えないから必要以上に悪く言われる。
親直自身は有能な戦略家で、滞っていた伊予攻めも、こいつが主将になってサクサクすすんだんだけどねぇ。
605人間七七四年:2009/06/23(火) 19:31:20 ID:luwCnGqf
>>603
敵に「あやつの技は武田家を滅ぼす。殺せ」があったから599を思い出し、
最近437の逸話があったことが頭に入ってから両者が結びつけられた
606人間七七四年:2009/06/23(火) 19:34:31 ID:QIhorSOD
>>604
どんだけ腹黒でも本多正信みたいに清廉で私欲が薄けりゃまだよかったんだが……
他人より(明らかに)頭のキレるヤツがぽこぽこ出世してたら
家中のねたみそねみを買うのも一面仕方ないよ。人間だもの嫉妬だってする。

そこんところを兄者も気にしていたみたいだしなあ・・・
607人間七七四年:2009/06/23(火) 19:36:53 ID:+/134Aw0
>>605
なるほど
608人間七七四年:2009/06/23(火) 21:43:56 ID:eQnTpIaB
スレ違いかもしれないが、似たような中国の春秋戦国時代の話で(うろ覚えなので固有名詞不明)、

ある若者が仕官することをを求めて、とある国の宰相を頼るんだ。

そこの宰相はその若者をいたく気に入り、自身の後継者として君主に推挙することにする。

だけどその君主はなぜか若者を理由は定かじゃないけど仕官させなかった。

すると宰相はならばとその若者を殺すように君主に申し入れるが、

それではかわいそうだということで君主は若者を殺さず、若者は他の国に仕えることになった。


数年後、宰相が亡くなった後この国は若者が仕えた国によって滅ぼされた。
609人間七七四年:2009/06/23(火) 21:53:30 ID:WodkEIv0
范雎ですな、魏出身で秦の宰相になった。
610人間七七四年:2009/06/23(火) 21:55:19 ID:WodkEIv0
間違い

魏の宰相に推挙されるも登用して貰えず秦に渡ったのは商鞅だった。(汗
611人間七七四年:2009/06/23(火) 22:06:09 ID:sRJY+7pr
訂正しようと思ったけど遅かった
612人間七七四年:2009/06/23(火) 22:07:49 ID:/u5/Wp02
兄にも才能の方向性を危険視されて「用いるな」と言われた親直と
公叔座が恵王に「絶対用いろ、用いないなら殺せ」と言うほど
その才能を見込まれた商鞅じゃ全然似てないだろ

だいたい「戦国時代」だからってスレチ過ぎ
613人間七七四年:2009/06/23(火) 22:22:55 ID:M48Tmu+K
>>612
落ちに座布団一枚
614人間七七四年:2009/06/23(火) 22:30:42 ID:BzCiDVYc
そういや戦国で商オウやハンショのような事例ってあるんかね?
615人間七七四年:2009/06/23(火) 22:34:37 ID:3JAuAQ5s
国土も狭いし、言葉も通じるから、古代中国みたいな齟齬はなかったんじゃない?
616人間七七四年:2009/06/23(火) 23:42:08 ID:rRKed4Xj
良い話スレで要望があったので投下

鶴と狐の吸い物

1561年、当時の鹿児島は、薩摩の島津氏と大隈の肝付氏の両氏が
治め、ある時は戦い、ある時は婚姻を結び同盟するなど、複雑
ながらも微妙なバランスで領土を保っていた。

そんな時、島津貴久は肝付兼続を懇ろに誘い、両家の親睦を図る
ため、酒宴を催した。この頃は先代の島津忠良(日新斎)の努力
により、両家は比較的友好ムードであった。
宴もたけなわの頃、島津家の重臣、伊集院忠朗が酔いに任せて言った。
「そろそろ吸い物が頂きたい。『鶴』の吸い物が良いぞ!」
これを聞いた兼続以下、家臣達は怒り爆発!なぜなら肝付家の家紋は
『鶴紋』であったからだ。
「島津殿は鶴を所望か。ならばわれら肝付の者には『狐』の吸い物を
出して頂こうか!」
これに島津の家臣達も怒った。『狐』は島津家が代々守護神として、
大切に敬っていたからだ。
宴は両家家臣達の大喧嘩となり、この日を機に島津氏、肝付氏は断交
状態となる。隠居していた日新斎のとりなしもむなしく、両家は以後
十三年に渡り、抗争を続ける事になるのであった。

吸い物くらいで南九州一円を巻き込み、一時は島津氏もヤバイ状態に
押しやられたとは、なんともばつの悪い話。(一説には伊集院忠朗が
肝付氏と、合戦の口実のために仕組んだ策謀と言われている…)
617人間七七四年:2009/06/23(火) 23:45:51 ID:luwCnGqf
そんなこと言いだしたら藤堂さんの目の前で餅食えないじゃないか…
618人間七七四年:2009/06/23(火) 23:46:49 ID:7L2Mo3m7
>>616
武士の日常の上で社交が、ものすごい重用だったのは、下手するとこうなっちゃうって言う背景が
あったんだなあ…。
619人間七七四年:2009/06/23(火) 23:54:08 ID:f88x5kJC
鶴の吸い物は知ってたけど
それに対して狐の吸い物の応酬があったのは始めて知ったわ。
感謝。
620人間七七四年:2009/06/23(火) 23:58:29 ID:PTCB1tOR
友好ムードとはいえ、いつ破綻するかお互いがぴりぴりしてたんだろうね
酒席とはいえ、外交の場での失言(挑発)だから無理はないかも…
621人間七七四年:2009/06/24(水) 00:14:46 ID:gNVqDlFQ
>>616
よい話スレでお願いした者ですが、どうもありがとう!
622人間七七四年:2009/06/24(水) 00:47:11 ID:t5tF5SMG
鶴の吸い物つながりで

前田利家は鶴の吸い物が大の苦手だった。なぜそうなったかというと…

あるとき安土で信長主催の宴会があった。その日のメインディッシュは鶴の吸い物で、信長自ら各武将に話しかけて廻るほどの和やかなものだった
やがて利家の前にくると信長は、
「稲生の合戦の折、こやつは十六、七の若造だったが、敵の勇士宮井勘兵衛なる者を討ち取った。おれがその首を馬上で掲げて、
『皆見よ、犬千代が手柄を挙げたぞ。これに負けずに皆も励め!』
と言うと味方は奮い立ち、敵より少勢ながら勝つことができた。おれが今日あるのも、こいつのおかげよ」と言って利家を誉めた
すると他の武将たちは、
「又左どの流石!某もあやかりたいものでござる」
とかなんとか言いつつ、次から次へと利家の前に来ては自分の鶴の吸い物を利家に振る舞う
断るわけにもいかず、それらを全部平らげた利家、ついに食べ過ぎて腹を壊してしまった
それ以来、鶴の吸い物を見るだけで腹が痛くなる又左どのであった

(;´ω`)もう鶴の吸い物はたくさんだお…
623人間七七四年:2009/06/24(水) 00:49:05 ID:G13jSFXU
この吸い物の応酬話は史実じゃないとも言われてるよね
624623:2009/06/24(水) 00:50:46 ID:G13jSFXU
上げるタイミング悪かった orz
>>623>>616へのレスね
625人間七七四年:2009/06/24(水) 00:57:18 ID:C3H6bQdy
武将関係なくてすまんが、一連の鶴料理逸話見て思ったのは
鶴って身が固そうでなんかそれほど美味くなさそうだなと。
コクはありそうでダシは出そうな気がするが。
味がどうこうじゃなく縁起物って感じなのかな。
現在鶴料理って残ってないよね?
美味しかったらメジャーな料理になってると思うんだ。
626人間七七四年:2009/06/24(水) 01:06:09 ID:0fRcACOq
美味いかどうかは、今となっては確かめようが無いなー…
天然記念物を食すわけにもいかんだろうし。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%99%E3%83%85%E3%83%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%83%85%E3%83%AB
627人間七七四年:2009/06/24(水) 01:08:36 ID:VODBa/DR
まあ所詮餌が餌だからマズイとはっきり書いてあるような小説やらもあるな、鶴料理に関しては。
628人間七七四年:2009/06/24(水) 01:21:52 ID:C3H6bQdy
そうか、天然記念物かwじゃあ料理は残らんわな・・
餌が餌って雑食ってこと?
まずいと思って見ると>>622って、持ち上げるフリして
まずい物をいっぱい食わせて皆で利家をからかってるみたいにも見えるな。
629人間七七四年:2009/06/24(水) 01:30:07 ID:7JFgU+5x
白黒のカラーでお馴染み、日本人のイメージする
鶴らしい鶴の丹頂鶴。

昔々、丹頂鶴は本州へも渡って来ていたのですが、
このスレにあるよう、縁起物として皆に食べられてしまい、
遠征する習慣がない引き蘢りタイプの集団だけが
ごく少数生き残りました。

それが現在北海道に残る丹頂鶴。
630人間七七四年:2009/06/24(水) 01:30:14 ID:SJN5gaET
安土城でのメインディッシュなら当時のご馳走だったんじゃないのかな。
しかし利家、なんか可愛いなw
631人間七七四年:2009/06/24(水) 01:31:16 ID:tF5aaT40
昔は鳥と言えば鶴、魚と言えば鯉が最高級だったそうですな。
江戸時に入って魚のほうは鯛に変わったそうですが。
632人間七七四年:2009/06/24(水) 01:33:31 ID:CiNzIT8E
>>616
今だったらこうなるな。
某国際会議宴席にて
空自幕僚長「鳥料理が良いな!鶴の蒸し焼きを出してくれ」
ロシア空軍司令官「よろしいならば戦争だ!」

鶴=コラコル(ロシア語)=Su−27戦闘機
633人間七七四年:2009/06/24(水) 01:35:56 ID:Cq6XxKae
ロシアなら焼け焦げたSu-27をプレゼントするくらいの外交努力はしてくれる
634人間七七四年:2009/06/24(水) 01:37:41 ID:59ODUNQb
一機種の名前で戦争とは随分安いもんだな
635人間七七四年:2009/06/24(水) 01:43:48 ID:CiNzIT8E
今のプーチンなら景気対策で戦争をやりかねん
636人間七七四年:2009/06/24(水) 01:54:32 ID:4kMN0n5X
鶴ねぇ・・・じゃぁ短い小ネタを

津山誕生秘話


森忠政が建てた「津山城」という場所、実は元々「鶴山」という地名だったのだが・・・

森忠政「鶴・・・?鶴って言ったらウチ(森家)の家紋に決まってるだろうが!生意気な。改名だ改名。」
こうして鶴は訓読みの通じる津に変えられてしまった。

そして今でもここは「津山」と呼ばれ続けているのであった・・・めでたしめでたし
637人間七七四年:2009/06/24(水) 02:17:05 ID:t5tF5SMG
>>628
書きこんだ者だけど、実は自分もそう思った
一口食ったら不味かったんで、皆で利家に押し付けたんじゃないかってw
638人間七七四年:2009/06/24(水) 02:31:53 ID:pABu/I7g
>>636
流石はあの兄貴の弟やな!森家は安泰やで!
639人間七七四年:2009/06/24(水) 03:50:13 ID:+oP2V3NS
>>630
みっちゃん「フナズシも捨てがたいですぞ」

おや、上様が此方へこられる…
640616:2009/06/24(水) 08:23:24 ID:Jr+gmScB
まとめブログの管理人様。616は「肝付兼続」の話で
お願いします。島津の好敵手なのに影が薄くて…(泣)
641人間七七四年:2009/06/24(水) 08:26:35 ID:lzhZxEtK
>>640
ドラえもんの「スネ夫」の中の人の、ご先祖だっけ?
642人間七七四年:2009/06/24(水) 09:03:05 ID:pUcVB6Oq
鶴なんだけど
コウノトリのコトも鶴って呼んでた気がする
渡らないから年中取れただろうしね
でっかいし食べ甲斐あるかもw
鶴もでっかいけどさ
643人間七七四年:2009/06/24(水) 11:33:03 ID:B0pYwA/L
>>632
Su-27はジュラーブリクで鶴じゃなかったっけ
644人間七七四年:2009/06/24(水) 13:24:13 ID:mPf4hIIK
>>623
DQN眼竜の人「おれは片倉小十郎(倅のほう)の頬を吸っちゃうぜー」ベチウ~~
645人間七七四年:2009/06/24(水) 15:32:28 ID:mz6sSthJ
>>616
島津と肝付は婚姻関係だけど、島津の基礎が固まったのでそろそろ宿敵を倒す時期と判断して、伊集院に暴れさせたとか。

『鶴』の吸い物の話だけでなく、酔った勢いで肝付の旗も切り落とした。
646人間七七四年:2009/06/24(水) 15:51:14 ID:QbcTDTDP
>>616
お、向こうで短くまとめて投げた者ですwありがとうw

肝付氏にとって島津氏は、まさに不倶戴天の敵と言うか、歴史的なライバル関係だもんねぇ
一時の和睦はあっても、いずれは雌雄を決すると言う意図はあったかも。
それに、同盟当時の勢力関係で言えば肝付氏の方が上だったんだよね?

いやー政治の怖さを感じる悪い話しですなあ
647人間七七四年:2009/06/24(水) 17:20:52 ID:tF5aaT40
元亀2年(1571年)頃、一条兼定は鬱々と過ごしていた。
長宗我部元親の排除に失敗し、日々一条氏の勢力を浸食されていたからだ。

あるとき彼はこの欝を晴らそうと鷹狩りに出た。その帰途、喉が渇き、平田村(現宿毛士平田町)の百姓
源右衛門の家に立ち寄り、茶を所望した。しばらくして源右衛門の娘、お雪が茶を運んでくる。
兼定はこの娘の可憐さに、たちまち心を奪われた。

彼はこのお雪に、一首の歌を詠んで渡した。

 汲みてこそ水はやさしきものと知る 流れの末に逢はんとぞ思ふ

これを読んだお雪は、兼定の意を知り、歌を返した

 谷川の水はやさしきものなるに 君が情けをくみて知らるる

この日から、兼定はお雪の恋の虜となった。
彼は毎日のように鷹狩りと称して平田に行き、源右衛門の家に泊まった。
やがて平田にはお雪の為の立派な屋敷まで建てられ、人々はこれを「平田御所」と呼んだ。

「平田御所」に入り浸る兼定に、一条家の心ある家臣たちは眉をひそめ、家老、土居宗珊は
「せめてお雪を、政庁である中村御所にお召しになってください!」と諫言したが。兼定は
「政務はお前達がいいようにすればいい!」と、聞く耳を持たなかった。
他にも諫言する者たちがあったが、それらは皆、閉門を命ぜられた。

これに土居宗珊はついに、一命を賭す決意をする。中村御所にいた兼定の許に行き

「遊蕩を止められるか、この宗珊の頸を刎ねるか、いずれかを選んで頂きたい!」

この頃土佐に、『土居宗珊は長宗我部元親と謀り一条家への謀反を企んでいる』そんな噂が
流れていた。おそらく元親が故意に流したものだろう。無論兼定もこの噂を知っていた。

兼定は土居宗珊を手討ちにしたのだ。

これに一条家の家臣たちは衝撃を受けた、安並、羽生、為松の三家老は申し合わせ、
平田に向かう途中の兼定を捕らえ、中村御所に幽閉。その上で隠居を強要し、当時僅か14歳の嫡男、
内政を家督に据えた。クーデターが起こったのだ。

お雪は兼定が幽閉された事を知ると絶望し、

「再び見奉らんことも叶うまじ、生きて物思わんよりは」

と、平田の淵に身を投げたと言う。

後に水田となったお雪が身を投げた場所には、「南無阿弥陀仏」と書かれた供養塔が、今も立っている。
648人間七七四年:2009/06/24(水) 17:45:09 ID:Cwl0vrwS
コウモリさんの策だったのでは?
649人間七七四年:2009/06/24(水) 19:05:23 ID:mPf4hIIK
>>648半分はね。
硬骨漢で忠臣の土居さんと兼定がモメたら、どう転んでも損にはならないし

でも最初、平田御殿の件は単なる一条御所(国司家の通称)がやらかした放蕩浪費だっしょ
650人間七七四年:2009/06/24(水) 19:24:22 ID:l37p1mvK
百姓の娘って言っても歌が上手いなあ。
651人間七七四年:2009/06/24(水) 19:32:03 ID:OpbvwRCz
>>645でも語られているけど、鶴の吸い物の後日談と言うものがあって

鶴の吸い物を出した事で激怒した肝付主従。
島津家もやっと挨拶に来た肝付をこのまま怒らせて帰らしてはまずいと思って、犬追物を企画した。
そして肝属兼続に敬意を表すべく、彼の陣にはわざわざ肝付家の紋所である舞鶴紋の陣幕を張り巡らせていた。
ところがこの陣幕。風抜きの為に入れる裂け目が、なんと舞鶴の首を切断するように入っていた。
これに本気で怒った肝付主従は挨拶もせずに帰国。
接待役を勤めていた伊集院親子は、息子が剃髪して謹慎。親父も老中辞職を申し出ることになった。
652人間七七四年:2009/06/24(水) 21:27:36 ID:cJASV1IW
>>651
絵に描いたような、間の悪さ・・・
653人間七七四年:2009/06/24(水) 21:31:51 ID:wCU2mL5t
さすがにこれは故意にやったろw
654人間七七四年:2009/06/24(水) 21:33:47 ID:wwlt6yQU
伊集院親子はわざとやったのかと思いそうだ
655人間七七四年:2009/06/24(水) 21:35:41 ID:4kMN0n5X
わざとだろう、これは流石に
656人間七七四年:2009/06/24(水) 21:39:23 ID:7Zd7GRSB
してみると
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2269.html
とかもやっぱ家久(悪)の陰謀だったのか…?
657人間七七四年:2009/06/24(水) 21:58:03 ID:tF5aaT40
>>652-655
陪審団はわざとで意見が一致しました。
658人間七七四年:2009/06/24(水) 22:01:20 ID:rj2QQT/X
誰が考えてもわざとと思われるから後の争乱に発展したんだろうなw
わざとじゃなかったら切腹モノだw
659人間七七四年:2009/06/24(水) 22:46:58 ID:NGSEQCZp
>>645
そうだとしたらこの話、俄かには信じ難いな
これ永禄3年末くらいの話でしょ。義弘が養子として飫肥城に入った年だから
伊東の攻勢が激しくなってるはずだもの
660人間七七四年:2009/06/24(水) 23:52:46 ID:rj2QQT/X
謎は深まるばかりでございまする
661人間七七四年:2009/06/25(木) 00:08:47 ID:JR4sURwd
夜泣石伝説

信濃の有力者である三村一族は小笠原陣営だったが、寝返って武田信玄に
ついていた。ある時、信玄は恩賞を与えるとして三村長親を呼び出した。
長親は家来二百人程度を連れて揚々と現れ、甲府一蓮寺に滞在した。

しかしこれは罠だった。信玄は裏切り者はまた裏切る、信用できないと考え、兵をさし向けて
寺に火をつけて三村一族を皆殺しにしてしまう。ここに三村一族は滅びた

塩尻市の釜井庵には長親の館があったといわれる。
そこにある石は三村一族が謀殺されてから夜ごとに啜り泣くようになった。
それは三村一族の妄念が泣くのだと今日まで伝わっている。
662人間七七四年:2009/06/25(木) 00:46:57 ID:0QaLUgeu
>>626
今でも食えるみたい。鶴。
http://portal.nifty.com/2009/04/01/koneta/6.htm
663人間七七四年:2009/06/25(木) 01:32:44 ID:EXns0a1v
肥後国、水俣城に住まう上村長種は、相良義陽の実の祖父・上村頼興の弟である。
長種は、戦っては度々葦北方面の兵乱を鎮圧して武勲を重ね、書や連歌の才に
長けていた。特に連歌における名声は高く、高名な上人らが訪れるほどである。
また温和な性格であったため人望も厚く、その声望は高まる一方であった。

そのため誰ぞが長種を担ぎだし、現当主・相良義滋に叛くことを危惧した頼興は
重臣らと謀り、長種を殺害することに決する。
隔して、上からの御召しであるとして呼び出された長種は、頼興の命を受けた
蓑田長親により城中にて刺殺された。

ところが話はそこで終わらず、長種の怨霊が蓑田長親の子・源十郎を祟ったのである。
源十郎は言葉を発することができなくなったばかりか、手足も不自由となってしまった。
そこで修験者を呼び、霊を憑依させてその意志などを語らせる「口寄せ」を行ったところ、
長種の霊は 「時知らて 匂うや梅の花盛り」 と発句した。
それを聞き一同が 「白玉や 根こめに植し萩の露」 と返すと、霊は

「望みを達した! ♪〜ヽ(゚∀゚)ノ(ノ゚∀゚)ノ(ノ゚∀)ノ(ノ゚)ヽ( )ノヽ(∀゚ヽ)ヽ(゚∀゚ヽ)ヽ(゚∀゚)ノ ヒャハハハ〜♪」
とこれに大いに喜んだ。

それ以来、源十郎の病は治癒したという。
664人間七七四年:2009/06/25(木) 01:42:01 ID:bQhE4oq2
>>662
ヒント:日付
665人間七七四年:2009/06/25(木) 01:58:34 ID:SrdUcRQx
>>663
発句「時知らて 匂うや梅の花盛り」

返歌「白玉や 根こめに植し萩の露」

どうしてこれで、霊が望みを達したと喜んだのだろう?
 
666人間七七四年:2009/06/25(木) 02:16:55 ID:EXns0a1v
「時間の経過がわからないんだけど、今は梅が盛りなのかな?」 と問うたら、
「いいえ、萩に露ができる夏(白玉の季語は夏)ですよ」。と返したので

「ああ、夏なんだ! スッキリした〜 」・・・ということなのかと自分なりに解釈

そんな単純じゃないかもね・・・
667人間七七四年:2009/06/25(木) 02:17:23 ID:qEUShzWM
ネタ振ったのにヌルーされたら寂しいだろ
668人間七七四年:2009/06/25(木) 12:21:12 ID:tkYs3VGa
■AA作成依頼
・画像ファイル:無し
・キャラクタ名、商品名等:ギコが木に登ろうと木の幹に縋り付いてる様子
・希望サイズ(行数、byte数) :15行前後
・その他、何か要望があれば 
出来れば木は柿の木で木の幹の右側にギコが縋り付いてるのがいいです
669人間七七四年:2009/06/25(木) 12:22:50 ID:tkYs3VGa
誤爆
670人間七七四年:2009/06/25(木) 12:28:04 ID:KnrwvAso
ギコって石井一久?
671人間七七四年:2009/06/25(木) 15:59:03 ID:s9G3LJzz
>>641
「スネ夫」役だった肝付兼太さんの本名って兼正(かねまさ)なんだよな
通字を使ってるのもそうだが昔の武家みたいなお名前やね
鹿児島市生まれらしいが上京して出身校は帝京高校だそうだ

アーケードゲーム、クイズマジックアカデミー(QMA)のアニメ&ゲーム問題で
肝付兼太さん連想クイズの設問の一つとして「薩摩藩家老の子孫」って表示されてたり。

まぁこれが本当ならば肝付本宗ではなく庶流の兼光流
戦国期で言えば加治木を領していた兼演-兼盛-兼寛-(兼三)-兼篤の系統
後裔はかの小松帯刀を輩出した家格一所持の喜入領主
672人間七七四年:2009/06/25(木) 16:06:36 ID:s9G3LJzz
で、若干どころか大幅にスレ違いだから強引に上記の庶流肝付氏に話に戻すと

32歳で死去した兼寛の後の6代当主を相続したのは養子の兼三。伊集院忠棟の三男だった
兼寛の弟の兼篤はこの時まだ若年で、子のいなかった兼寛からの家督の継承はスムーズにいったらしい
とは言っても兼三も5〜7歳なので大概だが。
(ついでに忠棟は他にも五男も頴娃家へ送り込もうとしてたりする)

兼三は10歳のとき(1595)に加治木から転封で喜入郷を賜り、5500石あまりを領し順風満帆の人生だった。
実を言うと1598年まで続いた慶長の役の間に父の忠棟らが薩摩大隅の太閤検地を主導して
朝鮮出兵中で主のいない各家を領内で転地・転封しまくっていたのだ

留守の間に先祖代々の土地から引き剥がされることとなった各地の領主はそりゃもう怒った怒った
1599年に伊集院忠棟が朝鮮から戻った島津忠恒に伏見で手討ちにされ、
その後伊集院一族が蜂起した庄内の乱が勃発するに及び兼三は肝付家を離れることとなる…
喜入肝付家は兼篤が継いだ

そして乱の収まった直後の1602年、すぐさま忠恒により暗殺。兼三17歳の若さであった。
肝付氏の話を書いたつもりだったが……忠恒が悪な話?でいいのか?
673641:2009/06/25(木) 18:16:55 ID:vZp2N3Kl
>>672
凄く詳しい話ですね、サンクス!
当時の常識だと、領内の揉め事の火種を消すってのも、当主の役目だから
一概に忠恒が悪いとは…
忠棟=意地が悪い
兼篤=運が悪い
忠恒=間が悪い

かな、個人的に。でも彼は色々暗殺しまくってるからな。
それに亀寿姫の件もねぇ…
674人間七七四年:2009/06/25(木) 18:40:29 ID:x82uxB0C
直家「そうそう・・暗殺はよくないぞ!!」
675人間七七四年:2009/06/25(木) 18:47:38 ID:UM73WblF
久秀「暗殺なんて酷すぎる!」
676人間七七四年:2009/06/25(木) 19:22:09 ID:tkYs3VGa
>>672
なんかドロドロだな薩摩藩('A`)
677人間七七四年:2009/06/25(木) 19:28:41 ID:45gTEMVr
>>676
まあそのドロドロなのを粛清しまくって力ずくで押さえ込んで、近世薩摩藩を作ったのが
忠恒さんなわけで。
678人間七七四年:2009/06/25(木) 19:32:24 ID:87GC/j2m
力づくでもやらなければいけない事をやりきって泥を被った・・・あれ、名君じゃね?




と、思ったが執拗な嫁いびりとか東郷さん襲撃事件とかどうしようもないので気のせいだった。
679人間七七四年:2009/06/25(木) 19:38:59 ID:rCSAwqB3
>>674
>直家「そうそう・・暗殺はよくないぞ!!」


>>675
>久秀「暗殺なんて酷すぎる!」

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (・∀・∩<そうだ!手討ちにしよう!
    (つ忠恒丿 \___________
    ⊂_ ノ
      (_)
680人間七七四年:2009/06/25(木) 19:45:19 ID:tkYs3VGa
家久(悪)って何気に日本七槍の一人、
本多忠勝や良いスレで出てた小野和泉と同等の評価を受けてるが性格面では偉い違いだよなぁ
名声を得ても人格者とは限らないってのはいつの世も同じだけどさぁ・・・
681人間七七四年:2009/06/25(木) 19:53:11 ID:CXp/y06Q
日本七槍のメンツ

小野鎮幸
本多忠勝
島津忠恒
後藤基次
直江兼続
飯田直景 (覚兵衛)
吉川広家

682人間七七四年:2009/06/25(木) 20:04:27 ID:MfIYcuM3
>>671
スネ夫の祖先にそんな話があるとは思わなかったわ
出兵中じゃないととても出来なかったんだろうが…
>>680‐681
えぇ!初耳だぞ!?
何故忠恒が…
683人間七七四年:2009/06/25(木) 20:11:55 ID:hussyQEz
兼続や広家もなぜ?って感じだけどな
いつごろ誰がいったんだろう
684人間七七四年:2009/06/25(木) 20:13:07 ID:CXp/y06Q
日本七槍って秀吉が選んだらしいよ
秀吉って割と気軽に天下一をあげちゃうイメージがある

あとこの七人どういう基準かわからん
685人間七七四年:2009/06/25(木) 20:14:23 ID:45gTEMVr
>>682

例の如く秀吉w
まあ面子見てもわかるように、各家の重臣クラスを親豊臣にしようってものですわな。
686人間七七四年:2009/06/25(木) 20:14:55 ID:rCSAwqB3
>あとこの七人どういう基準かわからん

そういえばそうだよな。
小早川や立花に小西と言ったメジャーどころは
わざと外してるのかな
687人間七七四年:2009/06/25(木) 20:15:50 ID:ZzVK1NKU
>>680
ですよね〜
私もそのメンツ聞いたときに
「え嘘だろ 約 一 名 が!」
と思ったよ。
第一槍働きのはなし聞いたことがないもん。
有名な剣豪をどつこうとしてしばき返された話はあるけどw
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-611.html
688人間七七四年:2009/06/25(木) 20:21:38 ID:MfIYcuM3
>>685
島津ならデ新納さんが…と思ったけど滝壺に突き落とそうとしてたから心象良くないか
朝鮮の陣の時に自ら先陣斬り込んでいったって話しか知らないなぁ
689人間七七四年:2009/06/25(木) 20:33:38 ID:rCSAwqB3
>>687
いやいやいや、
泗川の戦いの後に義弘は義久と五大老に戦果を報告してるんだが…

慶長三年十月一日朝鮮国泗川表に於いて
討取首注文

一、首壱万百八   鹿児島衆討取捕也 (家久)
二、首九千五百二拾 帖佐衆討取捕也  (義弘)
三、八千参百八拾参 富隈衆討取捕也  (義久直属の部隊か?)
四、六千五百六拾  伊集院源次郎討取捕也 (忠真)
五、四千百四拾六  北郷作左衛門討取捕也

合三万八千七百十七
此外切捨者数を知らず

とまあ、朝鮮の役における島津家中で一番首を上げたのは実は家久(の部隊)だったりする。



…でもこっちの逸話のほうが家久(悪)らしいよね(笑)

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-474.html

何処までも芸人体質と言うか。
690人間七七四年:2009/06/25(木) 20:41:23 ID:tkYs3VGa
家久(悪)も薩摩武士、ちゃんと武勇があるのにあまり知られない、認められないのはやはり素行のせいか…
691人間七七四年:2009/06/25(木) 21:03:10 ID:87GC/j2m
そうだな。鬼武蔵が金山の町の商業振興の為の城下町の整備にせっせと励んでたという事が忘れられるのも素行のせい。
692人間七七四年:2009/06/25(木) 21:05:33 ID:MfIYcuM3
いや、家久(悪)もちゃんと槍働きを認められてるさ
夜の槍働きだけどな!
693人間七七四年:2009/06/25(木) 21:53:08 ID:ZzVK1NKU
>>692
誰がうまいこといえと(ry

>>689
それは本人じゃなくて部下が優秀だから
あこんなじかんに宅急便が
694人間七七四年:2009/06/25(木) 22:08:28 ID:6gdlG+b7
>>692
亀寿の墓作ったり琉球の民に同情的発言したりと父の正反対を行く
イケメン息子の光久がそこだけはマネしたのは島津的になんかあったんだろか
695人間七七四年:2009/06/25(木) 22:12:02 ID:qEUShzWM
もし亀寿が亡くなった時悪久がほんのちょっとでも心の底から泣いていたら
俺の悪久に対する評価は高騰するだろう




んなわけねーんだがな
696人間七七四年:2009/06/25(木) 22:16:46 ID:g3a0lrwV
泣いて喜んだに決まってんだろ
697人間七七四年:2009/06/25(木) 22:49:07 ID:85hu0lXe
>>694
光久の先々代の義久には娘三人しかいなくて男児がいなかった
そのせいでまあ色々あって、結局家久(悪)が家督継ぐ事になっちゃったからな
第二、第三の家久(悪)を生み出さないためにも
後継ぎは自力で用意しておく必要があると思ったんだよ
ゆえに夜の槍働き
698人間七七四年:2009/06/25(木) 23:21:23 ID:6gdlG+b7
>>697
なるほど納得

ただし光久は宮中の官女getしちゃうようなモテモテイケメソですがね…
699人間七七四年:2009/06/26(金) 00:50:53 ID:OiOww81/
>>695>>696
泣いて喜んでいた。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-358.htmlより

あたし世の 雲かくれ行 神無月 しくるる袖のいつはりもかな
(亀寿が11月に死んでしまった、涙で袖がぬれる・・・・わきゃねーだろ!JKプギャー!)
700人間七七四年:2009/06/26(金) 00:54:55 ID:55A3U5n0
なんだかんだいいながらこのスレの住人には愛されてるな悪久_
見てください投下されたのは肝付+伊集院ネタなのに圧倒的なこの人気_
701人間七七四年:2009/06/26(金) 01:07:21 ID:dMcfxStj
そりゃあ忠恒は、政宗、長可、忠興に比べて殆ど逸話が紹介されなかったうちから、
「DQN四天王の一人」としていつの間にやらメンバー入りしてたほどのキャラだからねw

初期には「DQN四天王の中に島津家久(悪)って入ってるけど、具体的にどうDQNなの?」みたいな
質問すらあったような。
702人間七七四年:2009/06/26(金) 01:39:54 ID:YzrtN8xY
陰湿さだけ抜き出せば四天王最強と言っても過言ではない印象だったからな。
703人間七七四年:2009/06/26(金) 01:46:09 ID:LuE6lIc3
藩主として、やるべきことはやってるんだ。
ただ、性格が…
704人間七七四年:2009/06/26(金) 02:55:39 ID:dMcfxStj
>>698
そんな光久さんの数多い側室の中でも、ちゃんと名前が残っている人のお話


島津光久の側室に、陽和院殿という人がいた。

この陽和院殿、後光明天皇掌侍、交野時貞の娘で、公家の娘らしく古今の教養に溢れ、
とにかく大変な才女であったそうだ。

そんな彼女が侍女などに、今時の女性に対しての評をしたことがあった。

「最近の若い女の子はね、花見だ寺参りだなんて言っては、流行のファッションで着飾って
出かけて行くじゃない?あれってみんな、見に行くんじゃなくて、見られに行ってるのよね。
女として、そういう心がけはどうなのかしら?

京の朝廷の内裏じゃ、昔も、そして今も、開くと五、六尺になるような檜扇をかざして、
姿を人に見せないことを、『女の慎み』ってしてるのよ?

ところが関東じゃ、そんな慎みなんてありえない。もう自分からお化粧やヘアメイクを工夫して、
菅笠なんかのおしゃれなアイテムを付けて、顔をあらわにして見せびらかしてるけど、
こんなの恥ずかしいことだって思わないのかしら?

昔から、男は心美しく、女は姿美しく、なんて言うけど、作った美人じゃ、
本当に心の美しい男性からは、振り向いてもらえないわよ?

女の慎みってものはね、花を見るなら人無き所の花を眺めて、人がたくさんいるような場所には
あえて行かないもの。
寺参りに行く時も、本堂より奥に行っちゃ駄目よ?
だって、法師なんて言っていても、戒律をきちんと守ってるお坊さんはめったにいないんだから。
凡情解脱なんて、中々出来ないものなのね。
そんなお坊さんと二人っきりになったりしたら、自分から災いを招くようなもの!
そう言う事も、気をつけるようにしましょうね。」

陽和院殿による、江戸初期セレブ女性の京風マナー講座でした。
705人間七七四年:2009/06/26(金) 02:57:58 ID:c+YppTWn
なにやら篤姫を見直してるかのような気分になってきたw
706人間七七四年:2009/06/26(金) 06:28:15 ID:4WSk7QOE
光久「上の口でそんなことを言っても下の口は見られたがっているようじゃの」
悪い話スレなので
707人間七七四年:2009/06/26(金) 11:02:25 ID:syO5g19u
女のたしなみの話

丹波福知山城主・小野木重勝は出世前の若いころ和歌に狂い、妻さえも
「和歌の心得のある人が良い!」と八方手を尽くしたあげく、教養深い妻をもらった。

が、重勝は貧乏結婚した後も相変わらずの和歌狂い、連日ろくに蓄えも無いのに
四、五人も連れて来て歌会を催した。
ついにキレた重勝の細君、その夜は重勝に頼んで広間に簾を吊るし、自分もその中から
歌会に参加した。

「これは、殿上人のようじゃ!」と集まった人々は無邪気に喜んでいたが、しばらくして
侍女が細君のもとに来て言った。
「今夜のお客様に奉るべき物がございません。いかが致しましょう?」
細君は、すぐに短冊に歌を書いて一座に見せた。

月さへも 漏る宿なれば 春雨の ふるまう物も 無かりけるかな


なんだか教養豊かに懐具合を暴露された重勝の胸中いかばかりか。
ちなみに関ヶ原の戦いで和歌の師匠・細川幽斎を攻めた重勝、その子・忠興の怒りを
買い、切腹するハメになったが、この細君も歌を残してともに自害した。

鳥啼きて 今ぞおもむく 死出の山 関ありとても われな咎めそ

この細君の父の名を、島清興という。
708人間七七四年:2009/06/26(金) 12:21:22 ID:s7KS0PHM
>>707
島左近の娘ってシリーズものになるような

もう一人、たしか柳沢兵庫の側室になってたべな
709人間七七四年:2009/06/26(金) 12:41:09 ID:s7KS0PHM
>>688
新納さんってば「(義久)殿ぉ〜お下知下さいよ〜秀吉ヌッ頃してきますから〜〜ねぇ、殿〜?」な人だからな。

本多作左衛門と並んで、ラスボスの心証しぬほど悪いわなぁw

さくざ「万一、京大坂でウチの殿に変事あらば大政所なんざ焼き頃してやんよ」
せっせと薪を積み上げる……
710人間七七四年:2009/06/26(金) 13:05:43 ID:ETY/R24T
>>707
三歳さんの悪い話ですね、わかります
711人間七七四年:2009/06/26(金) 16:16:27 ID:Nq7aKGEN
幽斎さんに誘われても和歌の勉強しなかったぐらいだから歌つながりで
小野木たちが攻撃を手加減してた事実なんてガン無視だったんだろな>三歳さん
712人間七七四年:2009/06/26(金) 17:05:38 ID:BF8rRTKe
ガラシャを失って気が立ってるどころじゃないからな
ついでに言えば田辺城包囲組みは最後に降伏した総大将格の小野木以外は
細川の取り成しもあって戦後ほとんどが本領安堵だったりする
713人間七七四年:2009/06/26(金) 18:05:49 ID:dnNfQY4u
畠山家は能登・越中・河内・紀伊の守護で、管領も務める室町幕府の大物。
よくある話で当主持国には子供がいないので、甥の政長を養子にして跡を継がせるつもりだった。
しかしその後側妾が男子を出産、持国気が変わった。

1448年にその男子、義就が家督を認められてからが騒動のはじまり。
応仁の乱の引き金をひき、諸大名がうんざりしても戦い続け、
山城国人に追い出され、
領国をほぼ全て失うまで、100年以上争ったのだった。

義就流は没落して義昭還俗のころを最後に歴史からこぼれおちる。
政長流は1574年に信長包囲網に参加した昭高が自刃して滅亡。
714人間七七四年:2009/06/26(金) 18:16:06 ID:dMcfxStj
>>713
この「妾」がすごいのよ。畠山持国のほかに、小笠原長将や飛騨の有力国人江間氏の「妾」にもなって、
それぞれで子を産んでいる。どうも当時の高級娼婦だったようだ。
小笠原家で産んだ子も、しっかり家督争いの元になっていますw

んで、畠山義就の幼少の時の呼び名は、「小者」
ひどい。
715人間七七四年:2009/06/26(金) 18:49:53 ID:ylmha9Ft
まこと傾城の美女ですな。
716人間七七四年:2009/06/26(金) 18:51:41 ID:YzrtN8xY
>>714
(T^ω^)<・・・
717人間七七四年:2009/06/26(金) 18:55:31 ID:czaBdXSI
>>711
三歳様は和歌を学んでいるよ。そりゃ、DQN四天王の中でも一番格が高い人だもの。
田辺城後の三歳様は、絶対に頭に血が上っていたな。
718人間七七四年:2009/06/26(金) 19:15:37 ID:Lo8bzXOe
>>714
奇妙丸よりインパクトあるわ「小物」
719人間七七四年:2009/06/26(金) 19:31:14 ID:yef37KXD
>>716
試合中だ、さっさと帰れw

出産能力があるからって後家が良いってのは神君だっけ?
しかしこの場合はそんなレベルでもないけどw
720人間七七四年:2009/06/26(金) 20:03:31 ID:CCsuFq4Y
>>714-715どっかの小少将さんに匹敵するアクージョ様だな。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2181.html
721人間七七四年:2009/06/26(金) 20:30:44 ID:4aIt4cAT
三斎様の和歌の才能は、三十六歌仙で証明されているじゃないか。
722人間七七四年:2009/06/26(金) 22:36:21 ID:ayQTUn1S
>>718
奇妙の弟には大洞、小洞、酌、人、縁とか居るけどな
信長パパはやっぱりおかしい
723人間七七四年:2009/06/26(金) 22:57:18 ID:TrrFgPOI
お前は自分の子供に「人間」と名づけるのか?
724人間七七四年:2009/06/26(金) 23:13:13 ID:yrdg0G1C
>>723
な、なるほど、デーモン小暮閣下理論で言うと信長公は…
725人間七七四年:2009/06/26(金) 23:16:15 ID:tEtCezfn
幻の銀侍よかマシ
726人間七七四年:2009/06/26(金) 23:46:45 ID:uUR2pr5E
>>722
酌とつけられたのは母親がお鍋という名前だったから。
727人間七七四年:2009/06/27(土) 02:52:53 ID:Xm0CccBk
はんつ
728人間七七四年:2009/06/27(土) 04:11:47 ID:7+DZAWec
天才丸もインパクトがある
729人間七七四年:2009/06/27(土) 08:03:01 ID:LAoA2rbc
>>724
魔王と自称しているくらいだからなw
730人間七七四年:2009/06/27(土) 09:04:06 ID:nDsM6bZX
山の中で生まれたのに幼名が「海賊」という
恥ずかしい人もいましたなそういえば
731人間七七四年:2009/06/27(土) 09:19:09 ID:mbZveu05
兵庫第三協栄丸さんかよw
732人間七七四年:2009/06/27(土) 11:03:56 ID:7lq8JICA
>>720
細川真之1538年生
長宗我部右近大夫1575年以降生

真之生んだ時13,4歳だとするとぎりぎり有り得るのかな?

しかし長宗我部元親は1539年生で、おかんみたいな歳、しかも50を超えてる熟女に挑んで孕ませるとは勇士にも程がある。
姫若子って呼んだ奴出て来いよ!
733人間七七四年:2009/06/27(土) 11:08:10 ID:xAhuWoRe
重度のマザコンって事で姫若子で問題なし
734人間七七四年:2009/06/27(土) 12:02:09 ID:zGrtFuXZ
人吉の相良義陽は島津家に降伏したのち、かねてよりの盟友である甲斐宗運を
攻めるよう命じられたが、盟友を攻めるに忍びなく守りに向かない響ヶ原に
陣を敷き、そこで後方より宗運の軍の攻撃を受け床几に坐したまま討たれたという。

・・・・・とするのは相良側の史料である。
実は宗運側の史料はやや違っている。

義陽は島津家に一旦降ったものの、実は宗運と謀り島津義久の軍を誘い出して
共にこれを討つ計画であったという。
しかし、島津がこれに乗らなかった。そのため宗運は義陽が裏切ったのではと疑い、
そのため濃霧の中、義陽の不意を衝いてこれを討ったと記している。
無論、どちらが真相であるかはわからない。

ちなみに相良家の人吉城は二度の大火に焼かれ、「求麻外史」、「南藤蔓綿録」と
いった相良氏を代表する史料は、だいぶ経年してから書かれたものである。
735人間七七四年:2009/06/27(土) 12:20:41 ID:g5Oe/YK5
甲斐さんの話の方がリアルっぽいね。
736人間七七四年:2009/06/27(土) 12:50:10 ID:NzUZkB8S
宗運さん鬼畜だからな
737人間七七四年:2009/06/27(土) 12:52:14 ID:WDKg+v4k
宗運さんは猜疑心の強い腹黒ジジイの方が説得力がある。
738人間七七四年:2009/06/27(土) 13:17:15 ID:xAhuWoRe
義久も引きこもりだからなぁ
739人間七七四年:2009/06/27(土) 13:24:39 ID:/5snG5Pk
…なんにせよ義陽は不憫だなぁ
740人間七七四年:2009/06/27(土) 13:35:26 ID:Cr6VS3i4
宗運側の史料が正しいとなると、
義陽の死を宗運と義久が悲しんだ
とするのもウソくさくなるな。
741人間七七四年:2009/06/27(土) 15:19:24 ID:WdVH1eIO
島津義久が伏見城に招かれた時の事。
家康に武勇伝を聞かせて欲しいとせがまれた義久は
「弟達や家臣が頑張っただけで自分の手柄と呼べるようなものは無い」と謙遜した。

既出の話題(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1094.html)だが
薩藩旧伝集だと、纏めサイトの話と若干状況が異なる。

慶長3年(1598)11月、徳川家康は京・伏見の自邸に島津義久を招いた。
招かれたのは義久だけでなく、本多や榊原、藤堂に井伊と言った面々も居た。
家康曰く、
「ここに居るのは皆、若年の頃から戦場を駆けて功をなした者達。
 それぞれの武勇伝をぜひとも聞きたいものだ。」とのことなので、
諸将はこぞって、年長の義久に
「龍伯殿ならば大友や竜造寺を相手にした武勇伝もおありでしょう、先ず最初にお話なさいませ」
と勧めた。だが義久は
「いやいや、自分にたいした手柄は御座らん。皆様方から先にお話下され。」
と辞退した。そこで井伊や藤堂等が自分達の手柄話を得々と述べ始めた。

諸将の武勇伝を一通り聞き終えて満足した家康だが、義久が辞退したことをまだ忘れてはいなかった。
「ささ、今度こそ龍伯殿の武勇伝を!」
家康のみならず諸将もこぞって求めてくるので義久もやむなく口を開いた。

「手前は大友や竜造寺、伊東を相手にした合戦はあくまでも名目上の総大将として
 出陣しただけで御座います。戦に関しては弟の義弘や歳久、一族の忠長や征久、
 家臣の新納や山田を派遣して勝利を得ただけのこと。自身の働きなど何もございません。」

これを聞いた家康は
「自ら手を砕かず家臣への下知だけで勝利を得てこそ真の名将。
 いやいや、龍伯殿の名将ぶりは鎌倉の右大将(頼朝)にも引けをとるまい!」
と激賞したため、先に手柄話をした面々は大いに反省し、
この後の武功話は取りやめになったと言う。

義久が徳川の諸将の面目を潰した悪い話…というのは穿ち過ぎかもしれないけど
陣頭の猛将タイプの人達の中に、義久がポツンと混じってる状況と言うのも
義久には可哀想な気がしないでもない。

742人間七七四年:2009/06/27(土) 15:25:44 ID:zYmohN8O
始めてから大名だった人と、一家臣から出世して大名になった人を一緒に出来ん罠
743人間七七四年:2009/06/27(土) 15:26:35 ID:xAhuWoRe
見事に脳筋ばっか…
なんでこのメンツで義久が招かれるんだ…
744人間七七四年:2009/06/27(土) 15:29:31 ID:WDKg+v4k
義弘とかが出席するべき席だったな
745人間七七四年:2009/06/27(土) 15:31:24 ID:i4ZYLPrQ
>743
脳筋ばっかで辛いからまともな人を1人呼んどいたんじゃね
746人間七七四年:2009/06/27(土) 15:33:17 ID:xAhuWoRe
1598年じゃ朝鮮行ってるがな
デ新納さんが行くべきだっな
もう70越えてるけど
747人間七七四年:2009/06/27(土) 16:12:25 ID:g5Oe/YK5
>>741にさらに補足
こっちは あ の 『名将言行録』バージョンらしいが
過去某スレに載っていたのをコピペ
----------------------------
名将言行録には義久関連のこんな話も載っている。
「徳川家康は島津豊久を呼びだして、本多忠勝と一緒に
 ”耳川の戦いってどんな戦いだったのか?”
 と言う質問をした。豊久はかくかくしかじかと耳川の戦いの顛末を説明した。
 豊久が出ていった後、家康は
 ”豊久の言うとおりで有れば、島津義久とは非常に恐ろしい大将じゃわい
  負けたように見せかけて大友宗麟の大軍を罠に引き込むとは!”
 とため息をついたという。」












ところがこの話には続きがあって
「豊久の話は方言がきつくて家康と忠勝は聞くのに苦労した」
そうだ。苗w
748人間七七四年:2009/06/27(土) 16:14:50 ID:i31hCh32
>>747
きつい薩摩弁を通訳無しによく判読した!感動した!w
749人間七七四年:2009/06/27(土) 16:36:31 ID:xAhuWoRe
>>747
楠木正成が隅田、高橋を天王寺に誘い込んだ話のようだと評してるな<家康

葵徳川に出てた津川の家康のアメリカンな演技はあんまり好きじゃ無かったけど
この話では豊久が出ていった後、家康が舌を出して首を振ったと書いてあるんだよな
案外間違ってなかったのかも知れん
750人間七七四年:2009/06/27(土) 19:46:05 ID:f/ldyfHP
>>729
そうか、これで謎は全て解けた…
なぜ閣下がリアリティのない年齢を詐称するのか
そして信長の魔王自称
なにより遺体も発見されてない事実
そこから導き出される答えは………




信長公も閣下も相撲好きだよね(´・ω・`)
751人間七七四年:2009/06/27(土) 19:51:10 ID:m2NKC5RR
そういえば閣下も歌うと声が高くなる…
752人間七七四年:2009/06/27(土) 20:43:46 ID:kexM5wdj
ナッナンダッテー!



第六天魔王ってシヴァ神のことで、
謙信が毘沙門天名乗ってるって聞いて
マジちょーwウケるwww
あの坊主が毘沙門天なら俺第六天魔王じゃねww
ワロタwwww邪気眼乙www
って感じに言ったジョークだったらしいよね
753人間七七四年:2009/06/27(土) 21:33:09 ID:OW51D0jU
>>734
こういう、一つの物事の伝わり方の違いっておもしろいね
しかし、宗運容赦なさ杉w
754人間七七四年:2009/06/27(土) 22:45:31 ID:mbZveu05
義陽の判官贔屓が無くなったら
ゲームの相良家が一気に弱くなる(´;ω;`)
755人間七七四年:2009/06/27(土) 22:53:26 ID:xDdxvnJx
宗運さんの忠義っぷりはイカレてる感じがして好きだ
756人間七七四年:2009/06/27(土) 23:21:23 ID:i31hCh32
>>752
謙信じゃなくて信玄だね。信玄が確か不動明王を称していたんですよ。
んで、それを知った信長が謙信に

「信玄が不動明王とか言うのなら、俺は第六天魔王ですよwww」

とかお手紙書いた。
757人間七七四年:2009/06/28(日) 01:21:42 ID:GI1oQLto
佐竹義重の宿老に和田昭為という者がいた
ある日、佐竹と激しく抗争していた会津蘆名家から、和田屋敷に使者が遣わされた
和睦の使者だったが、条件が悪く昭為は独断で拒否した

ところが、これを察知した重臣の車丹波守は、昭為の内通を疑った
丹波がこのように上申したため、義重も昭為を猜疑し、和田家討伐を指図した
昭為自身は間一髪出奔したが、息子三人は上意討ちで殺された

出国した昭為は蘆名重臣の佐瀬源兵衛を頼った
しかし、「下位に置くわけにもゆかず、かといって上位に置けば蘆名の歴々が納得すまい」
と語るのを聞き、早々に見切りをつけて再度出奔
今度は南陸奥の白河義親を頼った
義親は昭為の境遇に同情し、またその計略の見事さから重用した
白河重臣となった昭為は、常々佐竹への復仇を口にし、義親にその策を話してもいた
ついに義親もその気になり、佐竹領へ軍勢を率いて打って出た

が、結果はこてんぱんに負けた
侵攻した義親を、東義久が迎え撃ち、さらに背後では昭為が反義親勢力を蜂起させたのだ
そう、昭為は佐竹への復帰のため、すべてを義久に内報していたのである
この敗戦で義親は佐竹に膝を屈し、昭為は宿老として返り咲いた

なんだか色々とおそろしい話
758人間七七四年:2009/06/28(日) 01:28:00 ID:+01SrhGo
これぞ虚虚実実の戦国時代、って感じの話ですなあ。
759人間七七四年:2009/06/28(日) 01:30:16 ID:a/KKa78c
>>757
息子と一族が殺されてるのに出戻りしたいという気持ちとはどんなものなんだろうな
760人間七七四年:2009/06/28(日) 01:32:10 ID:8FHbrQqd
忠義・・・なのかな?
761人間七七四年:2009/06/28(日) 01:38:01 ID:epOWrp0B
それだけ「先祖代々の我が土地」への執着が強かったんでしょうこの時代の武士は
762人間七七四年:2009/06/28(日) 01:52:32 ID:4HL11caA
さすがに息子殺されてるの知ってれば疑わないよなぁ
763人間七七四年:2009/06/28(日) 02:02:39 ID:Ifb/F+VP
直家さん家でも似たような話あったよな
あっちは全て台本通りって感じだったけど
764人間七七四年:2009/06/28(日) 02:14:37 ID:+01SrhGo
たしか義重が、蘆名への内通は誤解だってことに気がついて、昭為に書状で謝ったって
話じゃなかったかな?それで復帰の手土産として、義重に作戦内容を知らせたとか何とか。
765人間七七四年:2009/06/28(日) 03:13:17 ID:lYn4SFtr
>>752
謙信じゃなくて信玄に対抗してじゃなかったっけ?
766人間七七四年:2009/06/28(日) 04:28:02 ID:l4f06QhF
子はまた生めばいい的な発想もあったろうさ
子供は最大のライバルになりえることだってあるし
男親は腹痛めて子供産むわけじゃないからな
767人間七七四年:2009/06/28(日) 05:25:28 ID:dYaX0pPn
乳幼児死亡率が今よりも遥かに高かったし、
滅多なことでは子供が死なない今とでは親子の愛情や距離感も違うのだろうね
もっとも、長宗我部元親は子供亡くして鬱病になっちゃったけど
768人間七七四年:2009/06/28(日) 11:28:19 ID:epOWrp0B
>>767
むしろその方が、子供に対する執着は強まると思うが
769人間七七四年:2009/06/28(日) 12:25:38 ID:OU016/pP
一夫多妻制じゃあ、お気に入りの女から生まれた子供だけ可愛がる様になるんじゃないの。
770人間七七四年:2009/06/28(日) 12:53:47 ID:hSDVW8B5
当時はどの程度の身分の人が側室持って良かったの?
江戸時代のウチの先祖は子供が出来ないからって奥さんと離婚して後妻取ってるけど
771人間七七四年:2009/06/28(日) 13:44:08 ID:7LLTIife
>>770
当時の財政基盤によるんじゃないか
側室もっても生活できる
側室もったら破綻する
ここが分け目だと思われる
772人間七七四年:2009/06/28(日) 14:11:12 ID:ZTIugzos
>>767
5歳まで生きれば安心、だっけ。センゴク外伝でそんなこと書いてあったような
773人間七七四年:2009/06/28(日) 14:15:22 ID:Ka59w4PW
>>770
江戸時代はかなり厳格な規則があったって聞いた気が。
原則、跡継ぎが生まれない場合に限って、側室or離婚再婚が許可される。
勝手にもったりすると、罰せられた。

戦国時代はどうなんだろ?
774人間七七四年:2009/06/28(日) 14:21:55 ID:xkuywroA
儒教道徳とか無いから正室が許してくれるかどうかが分かれ目のような気がする

気性が激しい正室だと腹の子ごといじめころしそうだもんな
775人間七七四年:2009/06/28(日) 14:29:49 ID:NBbf7G/k
上級階級は基本政略結婚だから、
家の都合を無視して適当な女に世継ぎ生ませたりは出来んもんさ
認知しない子供なら好きにしろだろうけど
776人間七七四年:2009/06/28(日) 14:57:13 ID:NI5eE6km
>>773
俺は逆に意外と離婚が多かったというイメージがある
離縁状(いわゆる三行半)を書いて、双方の同意において正式に離婚が成立するというのは
現代と同じ制度だし。
妻のほうから家を飛び出すこともあったらしい

あと慣習としてだったか。結婚するときに妻は持参金をもって嫁ぎ、
離婚の際には夫は持参金を返却しなければならなかったらしい
(ただし妻の方に落ち度があったときには返さなくてよい)

もう一つ、明治時代の離婚率は4%弱だったから
江戸時代にもそのぐらいだったんじゃないかと強引に考えてる
777人間七七四年:2009/06/28(日) 15:11:33 ID:+01SrhGo
明治は女権に関してはむしろ、抑制された時代だからなあ。
江戸期の、武士階層は離婚は、他の階層に比べて非常に多かったそうな。
これは>>776にも書かれているけど、持参金なども含めて妻の財産は
夫のそれと完全に分離して保護されていて、離婚してもその損害は最小限に
止まる仕組みになっていたことが多かったようで。
そんなわけで江戸期の武家の妻女は、婚家に我慢できない場合、結構気軽に離婚してる。
無論大名家とかは又話が違うけどね。
778人間七七四年:2009/06/28(日) 15:42:21 ID:gzicG08J
>>770
大名でなけりゃ自由
先祖が仕えてた藩だと高禄の家程庄屋出身の嫁や側室腹が多いが、
少禄は他の藩士家出身の正室腹が多くて徳川家とその他大名家みたいになってた。
役得が無いから民間の金持ちからも嫁が貰えないし、帰農するお金も無いから案外下級武士程血筋が残ってる。
779人間七七四年:2009/06/28(日) 16:10:19 ID:xS88R1Tr
関係するかどうかわからんが
父親が子を思うタイプの和歌は、山上億良なんかの例外を除くと
江戸中期に入るまでほとんど見られない
母親はよく歌ってるんだけどね
昔は子どもと父親の生活空間がほとんど重ならない社会だったかららしい
780人間七七四年:2009/06/28(日) 17:51:02 ID:jAjKENxr
戦国だと、「あのクソ生意気な息子、ぶっ殺してやる!」とかの方が多そうな印象はあるなw
781人間七七四年:2009/06/28(日) 17:57:49 ID:5xqYO+cU
>>779
古今和歌集以降は詠い手の階層(貴族・僧侶)や
テーマ(恋や自然描写)が限定されていったからです。
江戸時代に入り川柳が登場すると、一般層の生活の息吹が
感じられる歌が見られるようになります。

裃(かみしも)のままで受け取る子煩悩

親が子を思う気持ちはどの時代も共通していると思いますよ。
782人間七七四年:2009/06/28(日) 18:03:12 ID:VSuGXJVv
イイハナシダナー
783人間七七四年:2009/06/28(日) 18:29:29 ID:VSuGXJVv
本多正信が『本佐録』にて、徳川秀忠へ言上したこと

「ひとたび臣下となった者は、昼夜となく主君に忠節を尽くすことばかり考えています
大事に望んでは、一命を捨てて働く覚悟、毛頭偽りなきところです
ただし!これは己が生きている間、そして妻子や一族一党を養ってもらう代わりなのです

ですから、たとえ敗軍の時でも、諸将が枕を並べて討死してくれるよう、
情けをもって部下に接しなくてはなりませんぞ
まるで仇のごとく、高圧的に扱っていれば、部下は恨みを忘れません
敗軍となればたちまち主に背き、それどころか敵に突き出すことも厭わぬでしょう
敵より恐ろしきは味方なのです」

なんとも重みのある正信の説教
いい話、とも言えそうですが
784人間七七四年:2009/06/28(日) 18:42:48 ID:4HL11caA
>>783
これに比べて豊臣は・・・
785人間七七四年:2009/06/28(日) 18:56:31 ID:qGRn0Pfc
>776
名古屋の嫁入り支度は当時の武家婚姻の持参金制度から来てるんじゃないかと思う
古くは両家の代表と近隣住民立会いのもと、嫁側から提出された目録と実際の嫁入り道具を照合して確認したそうだ
つまり夫が勝手に妻のキモノや化粧道具を金に換えるってことができないようにしたんじゃないかな
こういう面倒な古い慣習にもそれなりに意味があるって思うとちょっと楽しい
786人間七七四年:2009/06/28(日) 18:57:39 ID:0KVvy6O2
ご恩と奉公じゃないが、秀吉の死によって豊臣に庇護してもらうということは難しくなったからな。
787人間七七四年:2009/06/28(日) 19:00:59 ID:XCegrnQf
孟子の「君之視臣如土芥 則臣視君如寇讐」が元ネタですかねw
788人間七七四年:2009/06/28(日) 19:45:25 ID:5XbRp6Vs
>>779
人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな

なんて歌もありますよ。親が子を思う心が表現されていない=ないというのは、
乱暴な解釈じゃないですかね。
789人間七七四年:2009/06/28(日) 20:19:07 ID:lYn4SFtr
>>772
現代でも満3〜4才くらいまでの幼児は簡単に体調崩すからね。
ソレ考えれば数え年で五才までは当時としては跡取り生まれても安心できなかったろうね。
790人間七七四年:2009/06/28(日) 20:28:41 ID:/Pflrx1C
>>779
万葉集で教科書にも載ってる防人の歌とかあったんでないか
791人間七七四年:2009/06/28(日) 21:18:28 ID:NBbf7G/k
子供や自分の命より重い「お家」っていう価値基準があっただけのことで
情が薄いとかそういう問題では無いのだろう。
家族の命が最上級の価値の現代人にはわかりにくいだろうけど
792人間七七四年:2009/06/28(日) 21:25:52 ID:ssn2bPU+
>>750
長宗我部「死霊の盆踊り」元親も相撲好きだね。

信長と相撲の取り口で決定的に意見があわず、手切れになってしまったかもしれないなあ
793人間七七四年:2009/06/28(日) 21:40:33 ID:OU016/pP
そして、相撲大会好きの山内一豊
794人間七七四年:2009/06/28(日) 22:05:48 ID:+01SrhGo
日本において、現代的な感覚で言う「家族」と言うものが成立したのは
江戸中期の都市において、って事らしいので、
今の人が感じるような家族愛の形も、やはり見出せるのは江戸中期からなのでしょうね。
それ以前にも家族愛は当然存在したんだけど、現代的な感覚から言えばどこか
違う感じは、確かに持っちゃうと思う。
795人間七七四年:2009/06/28(日) 22:07:20 ID:Q3Hp9TeJ
「家族」と「家」族の違いなんじゃないかいね。
796人間七七四年:2009/06/28(日) 22:36:06 ID:8vPOu4zh
今は家督を継ぐとか何とかで家族同士が敵になる機会が少なくなったけど、
それでも家業や財産なんかを巡って親子や兄弟が骨肉の争いというのは
ある所にはある話だし、昔と今とで割と共通する部分もある気がするけどな。
何というか、家族の情愛というのは確かにあるんだけど、
それが消し飛ぶ事態というのも確かにあるというか。
797人間七七四年:2009/06/29(月) 01:30:51 ID:7ZjrE09l
>>791
そして家を継がせる子供も大切になる。
798人間七七四年:2009/06/29(月) 19:06:48 ID:pZAbnaCb
天文年間の事だそうだ

大和国、大峰に全国の山伏が集まって修験した事があった。
その時伊予の修験者福生院と、美濃の修験者利勝院とが、席順をめぐって争いとなった。

悪い事に、福生院は西国に、利勝院は東国にそれぞれ大きな影響力を持つ修験者で、
この争いはたちまち、東西の修験者の大喧嘩となった。

そして福生院は与党の山伏を引き連れ帰国、やがて土佐の貝が森にたてこもり、
三年にわたって紫燈護摩の祈祷を行い、その間西国の山伏達を糾合、そのため貝が森の山伏は
大勢力となった。

これを聞いた利勝院は脅威を感じ、彼らの復讐を受ける前にと、東国の山伏を集め軍勢を組織、
船団を組み、観音崎の有る土佐の下の加江に上陸。近江国の金剛院を先鋒に
貝が森に攻め寄せた。

不意を突かれた貝が森の福生院党はたちまち壊乱、敗走した。
福生院は部下の金王院、南蔵院等をつれて伊予へと逃れようとしたが、途中の長瀬という場所で
金剛院の軍勢に追いつかれ、ついに討たれた。

だが、この時金剛院も傷を受け竹部と言う場所まで引き返したものの、そこで斃れた。

そして東軍の大将である利勝院も、攻め懸けた折に負傷し、貝が森まで引き上げたときに
「この地に美濃国蔵王権現を祭れ」と言って、自害したとのことである。

この事は「貝が森くずれ」と呼ばれ、この周辺には、この時死んだ山伏達を弔った墓石が、
今も処々に残っているのだという。

山伏の東西合戦のお話。
799人間七七四年:2009/06/29(月) 19:08:29 ID:/d9JjttW
旧家だと割と最近まで、
長男>>長女>飼い犬&/or飼い猫>>[[越えられない壁]]>>次男以降>>次女以降 って感じだったからなあw
家庭内の序列というものが結構厳しかったよね。
800人間七七四年:2009/06/29(月) 19:31:00 ID:B/99TFaR
>>798
とんでもない怨念がこもってそうだなあ・・貝が森
801人間七七四年:2009/06/29(月) 19:39:03 ID:OcqwicFd
>>792
あれだよ、信親を夜の相撲相手として信長に提供すればよかったんだよw
802人間七七四年:2009/06/29(月) 20:00:47 ID:QQMmacwE
山伏って独立独歩なイメージがあったけど徒党も組んだんだな
803人間七七四年:2009/06/29(月) 21:00:58 ID:SN5ld6EX
>>783
戦の時に敵に背を向けず討ち死にしまくる家臣団は最強だなぁ
804人間七七四年:2009/06/29(月) 22:21:10 ID:ziWv2AcE
>>801番でそのレスはヤりすぎだろうがwアッー!?
805人間七七四年:2009/06/29(月) 22:26:28 ID:ziWv2AcE
>>803三方ヶ原でボロ負けした時か、

合戦はお話にもならんレベルで武田にチンチンにされた徳川軍団が
討ち死にした者悉く、頭が三方ヶ原へ向いた骸はうつ伏せに
浜松へ向いた屍は仰向けに……倒れてたって喧伝されたのね。

そりゃ風評にしても凄いわなあ
806人間七七四年:2009/06/29(月) 22:38:50 ID:o0PnG/zJ
徳川家康の陪臣が、とある戦いで名の知られた者を討ち取って
首を持ってきた。
「すごい奴の首じゃないか!」と皆が陪臣を誉めそやした。
このことを聞いた家康は陪臣にこう言った。

「貴様の主人は年若いわけだが、貴様がそいつと戦っていた時、
主人は何をしていた。」

「そ、それは・・・どこにいらっしゃったか存じませんでした。」

この男、若い主人のことを忘れて敵と戦う事に夢中だったのである。

「己の手柄の前に若い主人のことを考え、主人に敵と手合わせ
させて、傍でそれを助けるのが貴様の役目だろう!戦場で主人を棄て、
独断行動で首をとっておいてなにが功名か!」

怒った家康は主人を呼び出し、その陪臣を追放させたのだった。
807人間七七四年:2009/06/29(月) 22:46:24 ID:pZAbnaCb
>>806
家康の言うとおりなんだよねー。家来の機能って主人の補佐であって、家来が主人を放って
功名するようになったら、軍秩序そのものが壊れちゃう。
808人間七七四年:2009/06/30(火) 00:03:23 ID:CfdrBoK8
>>807
でも一番大きい手柄は一番槍だぜ
809人間七七四年:2009/06/30(火) 00:15:59 ID:01dEWZgl
>>808
主に一番槍を取らせるのが筋。
810人間七七四年:2009/06/30(火) 00:43:56 ID:GJ7tj2xF
>>808
一番槍より諌言してくれる家臣が貴重、ともいってるけどね>>家康的には

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1678.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1286.html
811人間七七四年:2009/06/30(火) 01:35:49 ID:FhgDqm7B
割り振られた役割をきちんとこなしてくれないと組織が成り立たないからね
812人間七七四年:2009/06/30(火) 05:14:41 ID:qzhdQ6ot
義経「そうそう、役割を放棄して一番槍なんて駄目だよ」
813人間七七四年:2009/06/30(火) 08:31:43 ID:NOUpeG2M
範頼「………」
814人間七七四年:2009/06/30(火) 09:10:01 ID:PWvzF5cq
頼朝「総領の俺を無視して都で官職に就いちゃう弟がいて困りますゥー(><)」
815人間七七四年:2009/06/30(火) 09:52:35 ID:67M2RQed
元就の先祖「YOU殺っちゃいなよ!」
816人間七七四年:2009/06/30(火) 15:05:17 ID:CrpiynFN
>>814
阿野全成「本当に空気の読めない弟を持つと頭が痛くなります。」
817人間七七四年:2009/06/30(火) 16:26:01 ID:xGvSe1am
>>816
真田真幸「弟だけなら・・・・」
818人間七七四年:2009/06/30(火) 16:48:54 ID:h0JZi5Qr
> 真田真幸
なんか違和感あると思ったけど
「弟が」のひとことで誰だかわかったぜ
真幸じゃなくて真之だろ?
……あれ?
819人間七七四年:2009/06/30(火) 18:07:52 ID:J/85GHLO
小田原の陣の決着がついたころのこと。

秀吉は「板部岡江雪を呼んで来い!」と叫んだ。
開戦前に北条氏の外交官として、豊臣政権との折衝に当たり、氏政の上洛を
約束をした男である。

江雪は召し捕られ、秀吉の前に突き出された。
秀吉が怒鳴る

「お前ほど憎い奴はいない。先に北条氏規などと共にわしの元に来て、口先では
良い事ばかりを言っておったな。
それがどうだ、いまこのように合戦を行い、多くの人間を殺す羽目になったではないか!」

しかし江雪
「いやいや、わたくしは偽りなど申したことはありません。」
と、受け流す。

これに秀吉「お前はそれでも武士か!?
このように捕らわれて来て恐れ入りもせず、あまつさえわしに反論するなどと。
どんな成敗を申し付けようかと考えていたが、死罪にしてくれよう!
縛り首にする縄を、江雪に見せてやれ!」

と、縛り縄を出して見せた。

すると江雪、これを大げさに拝み始める。
「この縄をいただけると言うのは、大変ありがたいことです。
縄も神の前では注連縄となります。これこそ、我らの命綱でございます」

江雪、秀吉を暗に神と例えたのである。

秀吉はこの追従に素直に感心した。小田原陣の前に竜宮に手紙も出した秀吉である。
実際に自分を、半ば神みたいな物だと考えていたのかもしれない。

「なるほど、注連縄で縛り首をするわけにはいかぬな。」と、縄を解き、彼を許した。

そして「板部岡は言いにくい、”岡部”にせよ」と改姓を命じ、彼のお伽衆に加えたとのことである。


機転で命が助かったといえばいい話なんだけど、どうもこのあからさまな追従を、する方にも
まんまと乗る方にも、ムズ痒くなるような違和感を感じるのでこっちに。
820人間七七四年:2009/06/30(火) 18:57:33 ID:1zbhDVjd
ラスボスがダメになり始めた兆候なんだろうか…
821人間七七四年:2009/06/30(火) 19:13:53 ID:PWvzF5cq
板部岡さん、もはや観念して潔く振る舞った。のかもしれんが……

>819
毛利元就「うちの家臣に阿諛追従する者は要らんよ」
黒田如水「ねェ」

同じ智者でもこちらは倅(や孫)を極悪に厳しく躾けて、家を残したね。
ラスボスは、お拾いを自ら躾けようもなかったから半ば仕方ないが、やっぱり半分は豊臣家の体制が甘かったと
822人間七七四年:2009/06/30(火) 19:31:37 ID:n7m0IfVV
端から殺すつもりはなかったんだろうな。
「どんな成敗を…」ってことは死罪を申しつけるつもりじゃなかったんだろうし。
期待通り面白い事言ったから、当初の予定通り御伽衆にしたんじゃないか。
823人間七七四年:2009/06/30(火) 20:14:28 ID:ou5bFlj/
歩けよ真田真幸 ってスレ昔あったよねw
824人間七七四年:2009/06/30(火) 20:55:02 ID:xDNAjjuC
真田信之の場合は、逆に本人が空気を読めてないんだよ。
父も弟も子も孫も空気を読めないのだからその中に入れば信之の方が異端だ。
825人間七七四年:2009/06/30(火) 21:00:59 ID:ZdGo+SNZ
親父に関しては空気を読んだ上でやってると思うがな
826人間七七四年:2009/06/30(火) 21:03:30 ID:mqoy2n98
>>819
とりあえず板部岡さんの名前は確かに分かりにくいw
827人間七七四年:2009/06/30(火) 21:40:32 ID:ylMnpnBD
阿諛追従しない話

唐入りが噂になりだした頃、曽呂利新左衛門が世の騒がしさを風刺して一句詠んだ。

太閤が 一石米を買いかねて 今日も五斗買い 明日も五斗買い
(米買いじゃあるまいし、毎日五斗買い々々(ご渡海)ってホントに唐入りするの?)

これを耳にした秀吉は激怒したが、あえて別の理由で曽呂利を呼んで叱った。
「天皇の一の臣下たる者を、『太閤が』などと呼び捨てにしおって!なぜ『太閤殿下』と
言わぬ?許さんぞ!!」
曽呂利、少しもあわてず秀吉に聞いた。
「恐れながら、殿下と天皇ではどちらが尊く偉いのでしょうか?」
「今言ったろう、わしは臣下、天皇が主君。なんでわしと天皇を比べられよう。」

曽呂利は微笑んで続けた。
「ならば、そのようにお怒りあるな。天皇とて『君がため』、『君が代』という言い方をします。
決して『君様』とか『君陛下』とは言いますまい。」
「・・・・・・」
曽呂利はおとがめ無しとなった。


狂歌の方は有名だけど、逸話がまとめにないようなので。
西洋の宮廷によく道化師がいるのは、風刺ギャグに紛れて諫言させるためってのは
どこで聞いた話だったか・・・
828人間七七四年:2009/06/30(火) 21:47:44 ID:J/85GHLO
そういえば西洋の宮廷道化師は、「何を言っても処罰されない」って、特権を持ってたって
話を聞いたことがあるな。ホントかどうかは知らないけど。
829人間七七四年:2009/06/30(火) 21:59:35 ID:ERKqFGuK
実際にそんな特権があったかは知らんが

専制君主が処罰されないはずの宮廷道化師を切り捨てたとしてだ、それを誰が処罰するんだ?
だが諸侯が切り捨てた場合は専制君主が諸侯を処罰してもかまわんよなぁ
830人間七七四年:2009/06/30(火) 22:02:41 ID:rnP5Lp0F
西洋の場合は、専制君主の上に腐れ唯一神教団があったからなぁ…
831人間七七四年:2009/06/30(火) 22:11:47 ID:NhcRGhQ/
>>806
家康は、政治家、組織人、思想、教養、あらゆる面で成熟してるけど、大河天地人の家康は、腹黒いチンピラみたい。

小松のバカー
832人間七七四年:2009/06/30(火) 22:13:58 ID:1yfRXMK7
宮廷道化師を斬ったことが、兄弟や諸侯が位を狙う大義名分になっちゃうってのもあるんじゃないかなぁ。
諫言や忠告に耳を貸さない暴君であることの一つの明確な傍証となって。
でも、それならそれで様々な権力と癒着するんじゃないかなとは思うが。
833人間七七四年:2009/06/30(火) 22:32:50 ID:WQHlCbcU
まあ東洋の某専制君主の場合道化の忠告を聞いたか
プレッシャー与えられる存在があったか疑問なわけで
834人間七七四年:2009/06/30(火) 22:36:43 ID:cl8lL7sa
キワドイ言動は許されたけど
それは笑いと批判のギリギリのラインを綱渡りできていたからです。
度を越した場合はしっかり罰せられました。
また道化師は一種の家内奴隷みたいなもんですから
それを罰したからといっても
周囲はフーン、アイツしくじったな程度だったと思います。
835人間七七四年:2009/06/30(火) 22:44:12 ID:hiX6MuGs
>828-829定住しない芸人や旅人、いわゆるジプシーの人なんかは
身分の埒外に居るってことで王侯貴族の屋敷に呼ばれて芸を見せたりできるかわり
町ではほとんど何の保護も受けられなかったんだっけ、中世近世までの欧州だと。


室町日本でも神人僧侶や芸人の類はあんがい気軽に領主に呼び出てたり。
あとは隆慶一郎の小説でジャンジャンバリバリ出てくる無縁の人、
前田慶次郎みたいにかぶき者とか、公界往来人ってやつがそうなんだろね。
836人間七七四年:2009/07/01(水) 00:32:55 ID:YBKFd5WE
前田慶次郎利益・・・・・名前からして傾奇者だよなぁ。
普通はこんな名前名乗れない。
「前だけ...いじろうとします」
837人間七七四年:2009/07/01(水) 00:40:55 ID:V5oMpyLg
838人間七七四年:2009/07/01(水) 00:43:28 ID:74PhRvfe
辞書で豊臣秀頼をひくと、大坂の陣で死亡とされている。
しかし逸話には秀頼は死んでいないとするものがある。
落城した後、秀頼の兵が主を連れて和泉から薩摩に
逃れたというのである。

だが薩摩での彼は惨めなものだった。谷山に住み、
金もないのに毎日、酒を飲み、暴力がちで村人達を
追い回した。こんな有様なので、村人達は秀頼を嫌って
いたと伝えている。
839人間七七四年:2009/07/01(水) 01:47:01 ID:IFpwG1xF
太田道灌、簑を借りようとして。

梅雨に入り雨が多くなりましたが、傘がないと辛いねぇ。
ということで、太田道灌のお話。

太田道灌はあるとき埼玉県は越生というところを通っていた。
ところがここで、にわか雨となったが、こう言うときに限って簑を持っていなかった。
そこで、近くの民家に立ち寄って簑を借りようとした。

道灌「ワシは太田道灌という者じゃ、すまぬが雨が降ってきたので簑を借りたい。」
民家の娘「・・・・・・・」

娘つ山吹の花

道灌「・・・・いや、花じゃなくて簑を貸してくれぬか?」
娘「・・・・・」(まだ花を差し出す。)

道灌「・・・・・・・・Can You Understand My Japanese?」
娘「・・・・・・」(まだ花を差し出す。)

道灌「わしは、花などいらん!」

こうして、怒って出ていった道灌であったが、夜になり、この事を家臣に話した。
道灌「まったく持って無礼な話だ。簑が欲しいと言うに山吹の花しか出しはしない。」
家臣「あの〜。殿。歌道は習いましたよね。」
道灌「お前こそ何言っている。わしはこれでも建長寺と足利学校を最優秀の成績で卒業しているんだぞ!」

家臣「殿。後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに
  
  【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】
 
   という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのでは
   ないでしょうか。というより、この歌知らなかったんですか?」
道灌「知らなかった・・・・orz」

こうして、思いっきり赤っ恥をかいてしまった太田道灌。
これ以降は歌道をみっちりと学んだとか。
840人間七七四年:2009/07/01(水) 03:11:18 ID:JB9W750W
>>839
これが尾張から来た鬼武蔵ならばっさりやって"身の終わり"だったなw
841人間七七四年:2009/07/01(水) 03:55:01 ID:yxO6JKE1
>>839
おまえの文章、つまんねえな
842人間七七四年:2009/07/01(水) 04:08:01 ID:mtGMWzNL
>>841
お前がこのスレで一等賞だ!
843人間七七四年:2009/07/01(水) 07:58:50 ID:WXpmRQOM
とっさにそういう機転が利いた事をするってことは、その娘ってそれなりの教育を受けていたって事だよな

いくらなんでもその程度の教養が当たり前だったという事はないよな
844人間七七四年:2009/07/01(水) 08:53:18 ID:6pWZAwTs
>>843
どう考えても創作だろ
845人間七七四年:2009/07/01(水) 09:43:50 ID:5HO7mOeP
回りくどくて相手を試すような断り方をするあたり、この娘は京の出身だな
846人間七七四年:2009/07/01(水) 11:27:07 ID:76VslmR9
もし実際にこういう事があったのだとしたら、

娘(ちょっと育ちのいいところを見せれば囲われて生活ウマーじゃね?)「・・・」
道灌「あんた何やってんの?」
娘「( Д )」

という内実でもないと納得できんなw
847人間七七四年:2009/07/01(水) 12:27:33 ID:iZXSrA9a
関東は人外のものがウロチョロしてるからなぁ。
鬼武蔵といえどどうなることか。
848人間七七四年:2009/07/01(水) 12:41:53 ID:G6PLVQFh
>>838
その逸話は詳細が島津家久(忠恒)の項に既出

2009.03.28 秀頼生存説、後日談・いい話
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1702.html

それから俺が言うのも何だが、もうちょい文才を鍛えよう
849人間七七四年:2009/07/01(水) 16:01:59 ID:6pWZAwTs
>>848
一言多いよ
850人間七七四年:2009/07/01(水) 16:09:54 ID:05OHnzse
試しに>>848>>838の話を書いてみればいいんだ
どうすれば面白く、読みやすく、人に受けるか手本を示してやってくれ
851人間七七四年:2009/07/01(水) 17:04:02 ID:zCkBRlby
サッカーの解説がサッカー選手みたいに華麗なプレーを出来るとは限らないわな。
852人間七七四年:2009/07/01(水) 17:10:07 ID:aTAKuYBJ
>>844
俺も創作と思う。
似た話だと、衣川で死ななかった(とされる)義経が
逃避行を続ける話で、とある漁村で餅を所望した。
その家の嫁が餅を惜しんで半分に切って出したら、
失礼だと弁慶が怒って刀に手を掛けた。
そこで嫁が咄嗟に歌を詠む。
(月が雲に覆われて半月だったが、雲が取れて満月になった)
という内容の即興の歌とともに残りの餅を差し出したので、
義経一行は感心したとの事。

これも創作だと思った。
853人間七七四年:2009/07/01(水) 17:18:37 ID:I8xFXUZ3
野暮と言う他無い
こっちへどうぞ

【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
854人間七七四年:2009/07/01(水) 17:26:08 ID:yvQVbqDq
最近やたら考証にうるさくなったよね
まとめには天狗の子真田幸村が山の神様になったなんてファンタジーもあるのに
855人間七七四年:2009/07/01(水) 17:31:03 ID:Mnd/VF5h
>854
最上義光が“(俺より)強いヤツに逢いに行く!”なんてファンタジー武者修業噺まであるのにねー
856人間七七四年:2009/07/01(水) 18:14:53 ID:UNSSxNj0
越前において、結城秀康が城を出て温泉に入りに行った事があった。
これに出発する前、秀康は見送りの家臣たちを一人づつ呼び、声をかけた。

ところがこの時、どうしたわけか片倉武兵衛だけは呼ばれず、声をかけてもらえなかった。
武兵衛はこれがあまりに口惜しく、面目を失ったと、切腹し、果てた。

武兵衛の切腹を知った秀康は驚いた。
「ついうっかりして、呼ぶのを忘れしまった。しかし武兵衛の事を気にかけていない訳ではなかったのに!」

深く後悔した秀康は、武兵衛の跡目を取り立て片倉家を存続させた。
そしてこの事を生涯、自分への重い戒めとしたそうである。

この時代武士の面目とは、生き死にに直結する重大な問題であったのだ、と言うお話。
857人間七七四年:2009/07/01(水) 18:42:47 ID:6S0I9vrY
短気にもほどがあるだろ
858人間七七四年:2009/07/01(水) 18:48:03 ID:nL0yTrah
何も腹切らなくてもいいじゃないかw
859人間七七四年:2009/07/01(水) 19:54:19 ID:fIk79tI+
このスレでは文才まで求められてるか。
まるで史実話ではなく講談だね☆
860人間七七四年:2009/07/01(水) 19:57:35 ID:UNSSxNj0
煽りも、それに対する反応にもスルーしましょうね。
861人間七七四年:2009/07/01(水) 20:02:06 ID:UVcfLGot
お前が一番に反応してどうするんだ
862人間七七四年:2009/07/01(水) 20:50:40 ID:jhx+wZ0W
ちょっと悪い話のスレだからって、スレそのものが悪い話になってどーするw
863人間七七四年:2009/07/01(水) 20:57:46 ID:1YntybIO
万葉集とかを読んでると、歌は現代よりもずっと民衆にとって親しいものだと思うけどね。
労働歌とか、お祭りの時の歌とか。
864人間七七四年:2009/07/01(水) 21:04:48 ID:6pWZAwTs
>>852
食い物所望しといて餅半分なら切り捨てるとか
しかも指名手配中の身分でw
当時の武士って夜盗と一緒だな
865人間七七四年:2009/07/01(水) 21:10:18 ID:CC3Y3st2
>>862
うまいなw
866人間七七四年:2009/07/01(水) 22:52:20 ID:vmgATmRT
武田と徳川が天竜川の川辺で対峙した時のこと。

形勢不利と見た徳川軍は、一人の騎馬武者を殿軍にして、川を渡り退却を始めた。
武田軍から百人ばかりが殿軍の侍に殺到したが、侍が馬を返し、波を蹴立てて
迫って来ると、武田の兵は一人も槍を合わせる事無く逃げ去った。

「 ウワァァァ━━━━━━!!! 「 あの 」平八だァ━━━━━━ッ!!!!! 」

初鹿野伝右衛門氏(旗本七百石・元武田家)は語る。
「本多忠勝が殿軍して退くのを追撃した事があったが、彼が“蜻蛉切”を振り回して
こっちを睨んだら、総身が縮み上がり何も出来なかった・・・」

「家康に 過ぎたるものが 二つあり 唐の頭に 本多平八」なんぞと上から目線で
忠勝を褒めた武田軍、実はヘイハチシンドロームに陥っていたという話。

だが待ってほしい、こんな
ttp://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/13758.jpg
ゴツいオサーンや、こんな
ttp://www1.axfc.net/uploader/Sc/so/13761.jpg
キレた目の兄ちゃんがこんな
ttp://blog-imgs-31.fc2.com/i/i/w/iiwarui/20081126001037.jpg

イカシたカッコしてるのに襲われたら誰だって逃げる 俺だって逃げる
867人間七七四年:2009/07/01(水) 23:02:15 ID:C1fp3R8x
>>866
ヘイハチシンドロームに吹いたw
最後の写真、忠興以外が分からん、何だったの?
868人間七七四年:2009/07/01(水) 23:11:30 ID:dA6MtJa+
>>866
斧は直リン出来ないせいか、専ブラだと見えないし飛べないから大変なことに。
IEに入力したら飛べたが。
869人間七七四年:2009/07/01(水) 23:21:36 ID:UNSSxNj0
上の方で戦国時代の一般人の教養の話があったが、こんなのがある


美濃国墨俣に、岸という侍がいたのだが、この男、何年も同じ古袴を着続けて出仕していたそうだ。
これにある人が

「われ見ても 久しくなりぬすのまたの 岸のはかまは幾代きぬらん」

(伊勢物語の「我見ても 久しくなりぬ住吉の 岸の姫松幾代へぬらん」のパロディ)

ちなみに「すのまた」は「素の股」、「はかま」には「褌」の意味もこめられているそうな。
今で言う「古典」は、当時の人には今よりずっと身近な存在だったようで。
870人間七七四年:2009/07/01(水) 23:25:37 ID:Nwyz0rEN
辞世の句とかかっこいいの残ってるもんな
処刑された悪人さえ辞世の句詠むんだもん
まあ賢い人に金積んで作っとくんだろうけどさ
871人間七七四年:2009/07/01(水) 23:25:50 ID:I8xFXUZ3
万葉集の時代から庶民の作と思われる歌があるしなぁ
872人間七七四年:2009/07/01(水) 23:37:26 ID:uvlPN6Ji
江戸時代の出版物なんか見ると、
源氏物語や伊勢物語の早分かり版みたいなものが出てて、
そういう古典をもとにした小説やパロディ作品も相当出版されてるね
軍記物はそれ以上
戦国時代はまた事情が別だろうけども、人の知的欲求はいつの時代も旺盛だね
873人間七七四年:2009/07/02(木) 01:35:27 ID:9xRhsB2w
連歌師を抱えてたり自分も好きだったり挙句国とられたり武士それぞれだろうな
金持ちの道楽に近い感じもするが戦国時代だと
874人間七七四年:2009/07/02(木) 01:45:04 ID:38aE4AcM
日本中世史の中島 圭一先生が言ってたが、戦国時代と言うのは文化面から見れば、
京で生まれた新文化が、地方に波及していく仮定なんだと。
875人間七七四年:2009/07/02(木) 02:15:48 ID:4HQFuwp5
>>869
岸さんもこんなことで名を残されるとは思ってなかったろうなw
876人間七七四年:2009/07/02(木) 03:13:06 ID:38aE4AcM
備中連島の住人、三宅国秀と言う人がいた。

永正十三年(1516)、琉球への渡航のため、薩摩国、坊津に備中より出航した
十二艘の船舶を率いて停泊中、島津忠隆の襲撃を受けて、一行もろとも皆殺しにされた。

江戸期に編纂された島津氏の記録によると、国秀は無法にも琉球征服を企んだため、
島津氏が室町幕府の許可を取り、彼を攻め滅ぼしたのだ、と言う。
島津氏は、琉球を守った恩人であったわけだ。


が、ここに天文二年(1533)頃、伊予の今岡通詮が島津氏に事態の説明を求めた記録がある。

通詮の記録によれば、三宅国秀の船団は、幕府の命を受けたものであった。
無法どころか、室町幕府の正規の船団であったのだ。

この問い合わせに島津氏は、このように返答している。

「三宅国秀の船団は、琉球からの襲撃を受け、そのため国秀は殺された。」

しかしそれはありえない。実はこの三宅の船団の襲撃があった時期、薩摩には
琉球王国の使者の僧が滞在しており、この僧によって琉球に、「島津の戦勝」が
伝えられているからだ。

どうも国秀の船団は、琉球征服どころか、幕府から、琉球に正規の交易を求めるための
ものであったらしい。
琉球交易を独占したい島津氏はこれを妨害するため襲撃、その上でその責任を琉球に
なすりつけ、さらに琉球に対しては、あれは琉球征服の船団であったと恩を売った、
と言うのが真相のようなのだ。


大永元年(1521)四月、三宅国秀一行が殺された坊津に突如、備中からの兵船が現われ
港を焼き払ったのだと言う。国秀関係者の復讐であったのだろうか。

実際に何が起こったのか。それは歴史の深い闇の中に、今も眠っている。
877人間七七四年:2009/07/02(木) 03:44:05 ID:NOCkf3uS
>>866
本多平八なんぞ当時は武田からしてみりゃ無名の武者だろ
ちなみにその戦いは一言坂だ
武田軍と遭遇してしまい馬場隊に包囲されて死兵となり
突破口をひらいてなんとか逃げることができたってゆう三方ヶ原と同じ構図
「センゴク」にも載っとるぞw
878人間七七四年:2009/07/02(木) 04:03:59 ID:8IEfkQRo
近隣の村に放火しまくって目くらましで逃げてった人か
879人間七七四年:2009/07/02(木) 09:54:29 ID:9wg8UykQ
伊賀越えの時も地元民を脅迫して道案内させたり
殿様のためには暴れん坊な平八さん
880人間七七四年:2009/07/02(木) 10:11:48 ID:g2DAtINK
そんな殿様のためならな人も、娘と婿のことになると「殿と一戦仕る」というのだから不思議なものだ。
881人間七七四年:2009/07/02(木) 11:03:37 ID:epEmCbah
>>876
これやったの絶対島津だろ・・・
汚いなさすが島津きたない
882人間七七四年:2009/07/02(木) 11:16:44 ID:f7W0ljox
>>873
連歌師は貴族とかの要請で地方の実力者に無心しに行ったりする
自然と中央と地方のパイプ役になるから連歌とかを会得しておくのは損ではない
それに連歌会を開くことで一揆内の結束を固めるのにも役立ったりする
883人間七七四年:2009/07/02(木) 12:32:21 ID:s8GIT7s8
1466年に琉球使節は足利義教に謁見している。
室町幕府は足利義尚の時代、1480年に島津武久(忠昌)を通じて
琉球に入貢の督促。以後も度々島津氏に書状を発してたり。
堺商人の琉球往来の統制も求めていたらしい。

>>876
戦国期の島津氏は源為朝琉球王朝始祖説(トンデモ伝説)や
嘉吉付庸説(義教の弟、大覚寺義昭を討ち取った褒賞として琉球下賜)を
持ち出し、他勢力が琉球や奄美に干渉するのを阻止しようとしている。
権益確保に形振り構ってられなかったんだろうな。

恐らく中央は中央で応仁の乱があり幕府の中でも色々とあって、
またこの頃は島津家が一族内訌真っ盛りの時代だから
色んな勢力と思惑が交錯してたんだろーな、と想像するとニヤニヤ出来て楽しい。
884人間七七四年:2009/07/02(木) 13:11:42 ID:TyMYR7p+
>>881
「ズルい」、「汚い」は、ある意味 褒め言葉だな
そこには勝者への嫉みが見え隠れ(某半島の方がよく使う言葉だし)
885人間七七四年:2009/07/02(木) 13:37:20 ID:bJo0HdvH
まあ、半島の人たちが薩摩に対して出来ることといったら
この程度。

【日韓会談「鹿児島やめて」 韓国、西郷さん出身地嫌う?】
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1043205301/628
886人間七七四年:2009/07/02(木) 13:39:16 ID:KXfQkHtM
自重しろ
887人間七七四年:2009/07/02(木) 13:43:10 ID:W+4PfGeK
「汚いは、褒め言葉だ…!」
888人間七七四年:2009/07/02(木) 14:25:57 ID:r6eQ48EA
犬とも言え、畜生(ry
889人間七七四年:2009/07/02(木) 16:44:10 ID:38aE4AcM
ちょっと軽い戦国時代のお笑い話

ある、無学な武士がいた。彼は「殿」と言う字の音が”でん”、「月」と言う字の音が”がつ”だと知り、
この二字を覚えたので大得意になり、いつか晴れがましい場所でこの知識を披露しようと
待ち構えていた。

そんな時、主君の館で座敷能が行われた。
見物の人間が大勢集まり、座敷の内外に溢れんばかりとなって、能の進行にも支障が出かねない
状況になった。

これを見たこの男、威儀を正して

「でんがたよでんがたよ!そこにいる者たちを皆、縁側からがつ落とせよ!」

一同、ポカーン。

はい、この男「殿方(とのがた)」を”でんがた”と、さらに「つき落とせ」を”がつおとせ”と
読んでしまったのですね。

この時代、漢字をわざと音読みするのがクールだったようですが、付け焼刃の知識で
かっこよくきめようとして、とんだ恥をかいた、と言うお話。
890人間七七四年:2009/07/02(木) 17:22:37 ID:kKXbM4HM
2chへの書き込みだったら馬鹿にもされなかったろうに…。
891人間七七四年:2009/07/02(木) 17:37:24 ID:KgbbN1Wl
で…殿方
892人間七七四年:2009/07/02(木) 17:54:48 ID:zXXsDgBn
島津貴久が薩摩を統一し、大隈の統一や日向進出も夢ではなくなり始めていた頃、
隠居の島津日新斎は、伊東氏に和談の使者を送り、口上を述べさせた。

「両家の合戦はいつ果てるともなく続いていますが、近ごろ伊東義祐殿は
隠居なされたと聞きました。私も隠居の身です。この上は和睦いたしましょう。」
使者は義祐に目通りが叶い、馳走を受けて帰された。

伊東家では提案を受け入れることが決まり、今度は伊東家から返答の使者がやってくる。
ところが日新斎は、鹿児島に到着した使者と会わなかった。
家臣の伊集院"鶴の吸い物"忠朗に接待を命じたのである。伊集院は使者にこんな口上を述べた。
893人間七七四年:2009/07/02(木) 17:55:48 ID:zXXsDgBn
「伊東殿は人数を損ずるのもお構いなしに、あるいは城攻め、あるいは野戦を
望まれるようですな。
島津は違います。当家は一人が死ねば万人の憂いと思いますから合戦は好まないのです。
こうして裃を着て国を治めております。」

幸い使者が騒ぎ立てることもなく、この和談はひとまず無事に成立する。
この後、使者は坊津一乗院へ案内され、3日滞留したが、
そこの僧侶がひそかに耳打ちした。
「日新公が何を言ったか知らないが、薩摩は武略をもって国を治めます。
油断するなと伊東殿に言いなさい」

ちなみに最初の使者が来たとき、伊東義祐は家臣にこう言ったという。
「島津の謀略だな。そろそろ日向を攻めるつもりだろう」
日新斎が義祐に持ちかけた和睦の真意は、宣戦布告にあったのかもしれない。

肝付の件といい、戦国の外交は一触即発、という話。
894人間七七四年:2009/07/02(木) 19:21:29 ID:TyMYR7p+
薩摩統一の定義って難しいな。オレの中での薩摩統一は、一切の抵抗が潰えた
元亀元年なんだけど、wikiじゃ天文20年頃になってる。
でも伊東義祐が隠居したのは永禄3年だからそれくらいになるのかね?
895人間七七四年:2009/07/02(木) 21:00:31 ID:u36Dc/1l
幕末明治の数々の逸話なども併せて考えると、
結局のところ、忠恒=DQNじゃなくて薩摩=DQNじゃねーかwwww
896人間七七四年:2009/07/02(木) 21:08:34 ID:GQl4V0ba
薩摩式ロシアンルーレットとかあるからな
897人間七七四年:2009/07/02(木) 21:31:46 ID:JXA7NClm
ひえもんとりマジパネェ
898人間七七四年:2009/07/02(木) 22:18:23 ID:pXK4PwCK
>>895
別に薩摩=DQNという話じゃねーのに変なやつだな・・・
899人間七七四年:2009/07/02(木) 23:03:57 ID:Un2+Obj1
>>895
荒れるから歴史上の人物以外に対してそんな書き込みすんなよ

それともハナから荒らす気なのか?
900人間七七四年:2009/07/02(木) 23:07:04 ID:yPRUQpwO
武士達が罪人の肝奪い合って、勝った者がそれを喰らうというのもあったと思ったが・・・。>薩摩
901人間七七四年:2009/07/02(木) 23:34:33 ID:jzZEhxxA
薩摩はおっかねぇ
902人間七七四年:2009/07/02(木) 23:38:12 ID:SNSJ8HUY
なんだっけ
若衆連みたいので一番立場弱いモヤシ君みたいのが
輪姦されたり尺八させられたりもよくあったらしいね>薩摩
903人間七七四年:2009/07/02(木) 23:47:04 ID:epEmCbah
>>896
【薩摩式ロシアンルーレット】

           ∧,,∧  ∧,,∧
        ∧ (;・ω・) (・ω・;) ∧∧
       (;´・ω) U) ( つと ノ(ω・; )
       | U ( ;´・) (・` ;) と ノ
        u-u (    ) (   ノu-u
            `u-u'. `u-u'

    \   ̄ ̄ ̄y=-  ̄ ̄\
    ||\             \
    ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
    ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
       .||             ||            
            ∧
  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
       _,、__________,,,、
       `y__////_jニニニニニfi
       〈_フソ ̄フ ,=-_,,,,-┴─'
       // /rて__/
      ,//三/ / ̄"
     〈。ニ___/
904人間七七四年:2009/07/03(金) 00:57:42 ID:fdjap2wL
薩摩名物エノコロ飯おいひぃでう
905人間七七四年:2009/07/03(金) 01:41:54 ID:4CDrteu4
弾がなくなるのが先か
それとも生命がなくなるのが先か
906人間七七四年:2009/07/03(金) 03:24:04 ID:0k17pc0g
さすが後に国獲るとこはちがうな
907人間七七四年:2009/07/03(金) 05:04:05 ID:/o9aubL3
昨日テレ東で郷中教育やってたけど、
今は島津の分家?の末裔さん自らが示現流を教えてるみたいだな
908人間七七四年:2009/07/03(金) 05:51:53 ID:d0FBdxTc
薬丸はむかし後継者候補が特攻で死んで以降
当時の宗家が流儀を断絶させるとかいいだして、高弟が会作って技術保存して
最近、宗家の家系の血縁が宗家を復活させたけど、高弟と喧嘩してるとかなんとか・・・?
909人間七七四年:2009/07/03(金) 06:00:27 ID:ocm74Zsl
ネコ、それは世界一可愛い生き物…もとい、
ネコはイヌと並んでペットの代表格とされる動物であるが、
そもそも人間が猫を飼い始めたのは、穀倉を荒らすネズミを退治するためだったと言われている。

では日本のネコも昔はネズミを狩って人間の役に立っていたのだろうか?
実はあまり役に立っていなかった、戦国時代までは。

昔の日本では、何故か『中国産の高級ペット』という認識が強かった。
そのため昔のネコは穀倉を守る役目を負わず、紐に繋がれて家で可愛がられる存在だったのだ。

そんなネコの在り方を変えたのが豊臣秀吉である。
『ネコは本来ネズミを狩る益獣である。決して紐につないで飼わないように!』
というお布令を出したのだ。
このお布令は効果覿面でネズミの被害はたちどころに減ったと言う。

一方、時を同じくして中国から琉球経由である楽器が堺へ伝わってきた。
秀吉は淀殿のためにこの楽器を国内で拵えようとしたが、楽器は外皮にニシキヘビの皮、
撥に水牛の角を使っていたため、代用品で再現せざるを得なかった。

中国から伝わってきたこの「三絃」なる楽器、「三味線」と名を変えて
日本に普及するのだが、ニシキヘビの皮の代用品に何を使ったかは言うまでもあるまい…

愛玩動物から一変して立場の変わった、ネコにとっては都合の悪いお話。
910人間七七四年:2009/07/03(金) 07:34:45 ID:omNDhy6m
                           ,,〃;
                          ノハ  ;;
                         〃    ;;ノ
              ,,     〃     ノハ     ;;;;;
             :;  ̄~"'' 、ノ  ,,,、,,ノ       ;;; ハ
            〃     `ー"     ,, ;;; ;;;  ハ;;
             |  = :: :           "  ヾ,,
             ニ   =        ,, - 、  ::::::`ヽ
              "l ヽ;;;;;:   _    l :o。)   :::: ハ;;
               \  ;:  ('o。)   `"~   :::: 、 ヽ
               i      `"~  _::::;:   ,::;;;;;;;  ;;;;; ;;;
              ニ     .....;;   `l.. ._,, ,;;;;;;:::::::ヽ=
              ハニ   _;;;;;;::::; :  ´ _ ;;;:::::: ヽ ヽ
             ハ         ::::::、::/  ̄  ~"'' ;:::::;;;ハ::
             〃    ;   、ヽ) ( , (  , ,  ::::::ハヽ::
             〃   ` ” ` ' ` ` ` ` `
911人間七七四年:2009/07/03(金) 08:12:56 ID:X3UkSDWF
  ∧,,∧    ∧,,∧   ∧,,▲
  (,,・∀・)   ミ,,・∀・ミ   (;;・∀・)
〜(_u,uノ @ミ_u,,uミ @(;;;;uuノ
912人間七七四年:2009/07/03(金) 08:15:31 ID:t/WOX2uF
>>909
>『ネコは本来ネズミを狩る益獣である。決して紐につないで飼わないように!』
あれ、ラスボスは禿鼠…

おや、こんな朝っぱらから宅配便が…ry
913人間七七四年:2009/07/03(金) 09:53:00 ID:2QNOQQLv
鍋島直茂「猫が益獣とか正気か…?」
914人間七七四年:2009/07/03(金) 11:53:10 ID:J3knwzQQ
>>912実際に2323鼠の子息を狩ったのは葵の狸でしたがのう……
915人間七七四年:2009/07/03(金) 12:19:14 ID:ewrm60TC
>>913
井伊直孝「ほう…では猫が害獣と申されるのかな?」
太田道灌「信じられんな…福を招いてくれるというのに」
916人間七七四年:2009/07/03(金) 12:24:39 ID:9jiYZbfb
猫の放し飼い令と言えば板倉さんが有名だけど、
太閤さんもやってたのね。こっちのほうが先かな
917人間七七四年:2009/07/03(金) 14:08:48 ID:5a6Qki9y
井伊直孝「益獣だろ常識的に考えて」
918人間七七四年:2009/07/03(金) 14:52:15 ID:Yxe3gncO
島津義弘「朝鮮に於いて大変役に立ってくれたし祀るべき存在」
919人間七七四年:2009/07/03(金) 16:01:46 ID:0LkjHeBM
うちのも実際良く獲ってくるもんなあ。ネズミだけじゃなく鳥とか虫とか蛇とか。
日本は古くから稲作と木造建築の文化だったから、猫がもし古代から列島に居たら神格化されてたかもな。
920人間七七四年:2009/07/03(金) 16:06:10 ID:tZ4HTNXK
うちもだ……
玄関先にネズミやモグラや鳩や雀がズラッと並ぶ
殿様カエルくわえてすりよってくる
「拙者の武功を見よ!」ってことなのか
921人間七七四年:2009/07/03(金) 16:10:01 ID:Ru2ahT0o
>>919
うちのは、蝙蝠を捕ってきた。
家族みんなでビックリした。
922人間七七四年:2009/07/03(金) 16:11:33 ID:b60bz/wm
猫は養蚕の盛んなところで神様になってるよね
鼠は蚕を食ってしまうそうなので
923人間七七四年:2009/07/03(金) 16:19:18 ID:ocm74Zsl
うちは獲物の殆どがスズメだったけど、たまに野ウサギとか捕まえてきてたな〜。
ネコにしてみれば「偉いでしょ!褒めて褒めて〜」な気持だったのかもしれないけど
自分の体より大きいカラスを引きずってきたときには
おまえ、そこまでしてくれなくても良いよ…とさすがに心配した。
924人間七七四年:2009/07/03(金) 16:45:23 ID:K1hTao6t
おまいらみんなどこに住んでるんだよw
まあうちもたまに猪が国道までうろうろしている某政令指定市だがw
925人間七七四年:2009/07/03(金) 17:37:53 ID:X3UkSDWF

          ∧__∧
        ⌒゚(`・ω・´)゚⌒   いつ「戦国ちょっと悪い話」に戻るナリか?
  ¶      .ノ^ yヽ、
  ( '・')、/   ヽ,,ノ==l ノ     それがわからぬから乱世なのだ・・・
  ゚しJ゚ `    /  l |
"""~""""""~"""~"""~"""""
926人間七七四年:2009/07/03(金) 18:09:50 ID:J3knwzQQ
>>920-923
遂には大将首を挙げた豪の者まで……

927人間七七四年:2009/07/03(金) 18:10:03 ID:omNDhy6m
みんな猫好きなんだな
928人間七七四年:2009/07/03(金) 18:24:23 ID:4jOwSttV
やっぱり猫が好き
929人間七七四年:2009/07/03(金) 19:09:10 ID:T+RS0Faa
秀吉が紀伊を平定した頃、信長について語った事があったそうだ。

「信長という人は勇将であったが、良将ではなかった。
彼は剛が柔に克つ事を知っていても、柔が剛を制することを知らなかった。

一度敵になった者への怒りを解く事がなく、ことごとくその根を断ち、その葉を枯らすことを望んだ。
そのため降伏した者も誅し、服属した者でも殺した。
これは器量が狭く少なかった故である。

人はこの為に、彼を憚っても、愛する事がなかった。つまり虎狼のようなものだ。
人々はこれに噛まれる事を恐れるが、それ故にこれを殺して、その害を免れようとする。
明智が弑逆したのは、つまりそう言うことなのだ。」

蒲生軍記に見る、秀吉の信長評。
930人間七七四年:2009/07/03(金) 19:21:05 ID:b60bz/wm
この逸話とか、「君(頼朝)と余だ!」発言とか見ると、
逆に秀吉のコンプレックスの現れじゃないかと邪推してしまう
931人間七七四年:2009/07/03(金) 19:50:26 ID:sKr5OCII
柴田さんとかは殺されてたのか……
932人間七七四年:2009/07/03(金) 21:00:19 ID:/o9aubL3
そういえば海外じゃ猫専用の鎧とかあったけど日本にはなかったのだろうか
933人間七七四年:2009/07/03(金) 22:00:38 ID:reCCs81t
934人間七七四年:2009/07/03(金) 22:15:44 ID:w4dUaM29
>>908
それって沖縄戦の薬丸情報参謀のこと?
935人間七七四年:2009/07/03(金) 22:42:09 ID:8eWNYXGi
>>893
この話だけ聞くと日新斉とはる程の切れ者ぽく聞こえる義祐
まさかの堺の浜でntrjini
936人間七七四年:2009/07/03(金) 22:55:24 ID:omNDhy6m
>>929

>そのため降伏した者も誅し、
本願寺が降伏したときは顕如、頼廉らを許したし、基本的に自分に反抗しなければ誅したりしなかった気がしたけど
937人間七七四年:2009/07/03(金) 22:57:46 ID:dfZBajCS
>>936
信長に一度もあったことのないお前がどうこう言うより、
信長の部下として何十年とこき使われた秀吉が評したほうが正確だろうよ
938人間七七四年:2009/07/03(金) 23:05:28 ID:7O6riJbC
この手の話って自分の大きさを誇示するよな話だからなぁ
したり顔で話してる秀吉を想像すると悪い話だね
939人間七七四年:2009/07/03(金) 23:12:45 ID:ob0kRyUg
まぁ自分を大きく見せようとする所が当然あるとはいえ、
やはり当時の価値観では仕え難い面はあっただろうね>信長
少なくとも秀吉が「信長怖い」と主張できる位には、
当時の人から見れば信長の恐ろしいってか気難しい面はあったんだろうし
940人間七七四年:2009/07/03(金) 23:32:07 ID:yxG3aB7c
>>937
自分の権力を確立するために流言放言なんでもござれの秀吉の発言より
史料研究が進んでる上にある程度中立的な現代人の評価の方が適切だと思うけど
941人間七七四年:2009/07/03(金) 23:35:49 ID:6Tj5LVC2
>>935
長男が夭折するまでは名将と呼んでいいんじゃないかな。
夭折後は嗜多に過ぎるけど君主としてはまあまだ大丈夫。
でも、家督を譲ってた次男が死んでからは京かぶれのダメオヤジに成り下がりました。
942人間七七四年:2009/07/03(金) 23:39:58 ID:JReTEyFn
日向四八城って伊東義祐の頃にほぼ完成したんだっけ。
48も城を築けるくらいの国力があったのか、
48も城を築かなければならないほど統治に苦労していたのか…
どっちなんだろうね。
943人間七七四年:2009/07/03(金) 23:41:44 ID:xfrriSAf
やっぱり息子を亡くしちゃうと気力も萎えちゃうんだろうねぇ
大内や長宗我部もそうだし
944人間七七四年:2009/07/03(金) 23:50:23 ID:PdHsyG79
大久保彦左衞門は戦国の男であるがために、新しい時代に馴染めなかった。
そんな彼にある者が忠告した。

「大久保殿、もう槍を振り回す時代は終わったんだよ。これからは筆の時代さ。
老中の連中はあなたよりも若い奴ばかりだが、挨拶や付け届けをするべきだよ。」

「なんと、今はあのガキどもにおべっかを使わないと出世できんのかね?」

「嫌な話だがね。みんな我慢しながらへーこらしてるんだよ。」

「お前もおべんちゃらで出世したのかね?」

「全部じゃないがね。半分はおべっかさ。」

「ふむ、ではわしも早速おべっかしてこようかの。」

そして老中宅の門前にやってきた彦左衞門は、

「やあ、○○殿!実は○○に、出世するためにはあんたらに心にもない
お世辞を言わないといかん、と教えられてな!そういうわけで、これっぽっちも
思っちゃいないお世辞を言いに来たのだよ!出世の件、よろしく頼むよ!」

と大声で怒鳴ったのだった。しかも彦左衞門はご丁寧にも、老中全部の家で
これをやったのだから、忠告した男はご愁傷様である。
945人間七七四年:2009/07/04(土) 00:07:21 ID:9fDQUilW
天正七年のこと
長宗我部元親が進めていた伊予攻略は大きく挫折した
土居清良の反撃を受けて大敗、軍代の久武親信を含む多くの重臣が討死したのだ

この時、久武のもとで先鋒を務めたのが、竹内虎之助という武士だった
彼は婿の弥藤次とともに敗走し、負傷したものの逃げおおせた
しかし、土佐では当初、虎之助も弥藤次も、竹内衆は全滅だと誤報が伝わった
虎之助の娘で、弥藤次と結婚したばかりの若い姫は絶望し、短刀で喉を掻き、自害した
まだ18歳だったとも、16歳だったともいう

重傷の身で命からがら帰国した弥藤次、新妻の死に嘆き悲しみ、自らも死のうと騒いだ
虎之助は必死に止めた
「おぬしが死んだとて、娘が生き返るわけでもない!竹内の家のためにも、馬鹿な真似はよせ!」
道理を説かれ、なんとか弥藤次は自害を思い止まった
その後、虎之助はすぐさま家を弥藤次に譲り、自らは隠居したという

派手な合戦には、無数の犠牲がつきまとうのだ
946人間七七四年:2009/07/04(土) 00:09:43 ID:u6iyPImS
>>944
何という脳筋…
>>945
乱世だからなぁ…
こういう事例はどうしても付きまとうよね
947人間七七四年:2009/07/04(土) 00:19:59 ID:oI4EwBVH
>>944
久々に清々しい脳筋話乙www
これ今度使ってみる
948人間七七四年:2009/07/04(土) 00:27:34 ID:HnayOAKC
彦左の話は、
空気を読めないじゃなくてあえて空気を読まないだからねぇ
リアルで身近に居たらうざい事この上ないだろうなw
949人間七七四年:2009/07/04(土) 00:44:02 ID:3/IvrVuM
でもこれで反省するような面倒くさくない三河武士はいないし、
それを分かっていても平気で>>944のような挙に打って出る
面倒くさキングの彦左さんなんだろうなあ。
950人間七七四年:2009/07/04(土) 00:59:19 ID:bMIm2srg
マイナーと思ってスルーしていたが、今月の彦左まつりに行きたくなった。
951人間七七四年:2009/07/04(土) 01:00:46 ID:dBk+dAJS
でも憎めないっすよ
952人間七七四年:2009/07/04(土) 01:14:31 ID:lYhPcEhy
いやあ、嫌いたくなるなあ彦左は。

その忠告者は、少なくとも彦左に親切心から忠告したのに、全部ご破算にされちまった。
客観的にみても悪い話だろ。
彦左のやったことって、普段嫌っているお偉方でなく、自分に忠告してくれ恩人を
陥れているだけじゃないか。
953人間七七四年:2009/07/04(土) 01:18:51 ID:kQOI+iDY
うん、その通りだがしかししたり顔で彦左に忠告してる時点であれだと思うのさ
954人間七七四年:2009/07/04(土) 01:20:10 ID:9OSMm8ZU
次スレの季節
955人間七七四年:2009/07/04(土) 01:30:02 ID:Uo7ZUETi
彦左に常識が通用すると思うほうが間違い
956人間七七四年:2009/07/04(土) 01:41:38 ID:9fDQUilW
もはやどう忠告を裏切ってくれるかをみんなで楽しんでいたんじゃないか説
957人間七七四年:2009/07/04(土) 01:44:27 ID:7klS+D+A
家光の時代くらいになると、彦左さんと政宗の話題は、
江戸の庶民のエンタテイメントだったことは確からしいw
958人間七七四年:2009/07/04(土) 03:35:50 ID:oI4EwBVH
考えてみたら何か落語みたいな話だよな
エンターテイナー扱いされるのもわかる
959人間七七四年:2009/07/04(土) 03:55:09 ID:MXzREZig
もうあれじゃね?ダチョウさんみたいな
「押すなよ、絶対押すなよ」みたいなw
彦左さんてきには
「いいの?フリ…だよなこれ?言うよ?言っちゃうよ!? 」
みたいなwww
960人間七七四年:2009/07/04(土) 04:21:14 ID:UpR4JqjC
>>939
反面教師にすりゃよかったのにラスボス様ってば・・・w
961人間七七四年:2009/07/04(土) 04:26:58 ID:UpR4JqjC
>>948-944
鬼さくざとか、家康はおろか秀吉あいてでもこんなんだもんな。陪臣だろうがかんけーねー
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-270.html
962人間七七四年:2009/07/04(土) 06:37:15 ID:4hneRNQk
>>944
勘違いの金八教師め(`・ω・´)
963人間七七四年:2009/07/04(土) 06:38:36 ID:ePC2a29z
めんどくさい武士は出世などしとうなかった。
964人間七七四年:2009/07/04(土) 08:24:44 ID:CEeQprZf
>>934
特攻で死んだと聞いたけど、違うんじゃないかなあ・・・
965人間七七四年:2009/07/04(土) 08:33:10 ID:feJM36Hy
   _
   /;;;人
.  /;;/ハヽヽ  わしはこんなところに
 /;;ノ´・ω・)ゞ きとうはなかった!
 /////yミミ
   しωJ
966人間七七四年:2009/07/04(土) 09:05:32 ID:bUbqVq+o
>>945
これって殆ど勝ちかけてる状態から逆転されたんだっけ?
967人間七七四年:2009/07/04(土) 09:24:57 ID:Jekp8X2v
>965
よろくなくな。喜平次どのがむかえにきたぞよ
968人間七七四年:2009/07/04(土) 09:38:36 ID:E8dUbawF
彦左衛門にも天敵は居たんだろうか。
兄たちには頭が上がらなかったかも知れないが。
969人間七七四年:2009/07/04(土) 09:49:27 ID:cADzKyo7
一心太助って架空の人物とも言われているけど、モデルがいたとすれば・・・。
970人間七七四年:2009/07/04(土) 09:57:01 ID:780Sf38i
上の方にあった「サツマンルーレット」についてググってみたよ。
火縄銃を天井から縄で吊るして捻る。手を離すと銃身がグルグル回る。
その内、火皿に着けていた火縄により点火されて発砲。

よくこんなこと火縄銃で思いつくものだw
971人間七七四年:2009/07/04(土) 11:03:39 ID:nk5gA0yM
>>942
伊東家が作った城ばかりじゃないよ。財部城(現:高鍋城)とかは元々
土持氏の城だったし。
鎌倉時代から日向にいるわけだから城も増えて然るべしじゃないか?
あと、伊東は島津とはやや違うものの外城制のような形だったはず。
城と城の間の距離が短く、ネットワーク化してた感じ。
972人間七七四年:2009/07/04(土) 11:32:31 ID:OzFaqpf3
まだムラがなかったのかと思ってた。
まぁ、さすがに宮崎でも戦国の頃ならムラぐらいあるか。
973八人みさきと久武親直 1/3:2009/07/04(土) 13:01:32 ID:0RBfpCEO
久武親信の話が出たので、奸臣と名高い弟・久武親直の話を。
あ、それにかこつけて怪談話するから苦手な人は逃げるようにw

1588年(天正十六年)、長宗我部元親は長年本拠としていた岡豊城から
新たな拠点として大高坂城(現・高知城)を築き、そちらに映ろうと考えていた。
これを機会に後継者問題も決着しようと、その普請が続く最中に評定を開き
後継ぎに千熊丸(後の長宗我部盛親)を据え、その正室に先年戸次川で討死した
長男信親の未亡人を娶らせるという方針を発表する。

これに反論したのが元親の婿であり甥にあたる吉良左京進親実である。
併せて、彼の同族にあたる比江山親興も反論に転じた。

親実>>『三男の孫次郎様(津野親忠)が健在なのに四男の千熊丸様を据えるのは
    長幼の序に反し御家の乱れとなりまする!!(#゚Д゚)』
親興>>『それに、兄の未亡人を正室に迎えるなどと…人倫の道に外れますぞ!!(;゚Д゚)』

その二人を制したのが、久武内蔵助親直である。実は親直、以前に仁淀川の畔で木材監督を
して居た際、その場に現れた親実を無視したことがあり、それに怒った親実から
頭に被った笠めがけて矢を打たれるという暴挙を受け、ずっと根に持っていた。

親直>>『御家の事は御家の頭領が決めるのが一番良いに決まってる、常識的に考えて。
    差し出口を挟んじゃねーよ鬱陶しい。(*>ヮ<)』
親実>>『あァ!?言うじゃねえか内蔵助!!御家の頭領が人道外れた真似をしてるのに、それを諫めないで
    どうするんだ。お追従いうとか言語道断だぞ!!』

元親は二人の口論を不興に思い、そのまま評定の席を立った。内蔵助はこれが
恨みを晴らす好機と見て、元親に親実の悪口雑言、あること無いことを讒言し続けた。
吉良親実が出仕停止、そして死を賜ったのはそれから間もなくの事だった。

親実>>『そうか、そうか。人の命運が尽きると、左前になって坂道が多くなるという。
    坂道で家が真っ直ぐに立つ道理がどこにあろう。長宗我部の家もあと五・六年じゃのう…。』

吉良左京進親実はそう言い残し、静かに自害して果てた。
親実の他に死を命じられたのは比江山親興・永吉飛騨守・宗安寺真西堂・吉良彦太夫
城内大守坊・日和田与三衛門・小島甚四郎・勝賀野次郎兵衛実信の八人。

比江山親興は家族六人を逃がしたのちに自害、家族達は長福寺の住職を頼って
逐電し、住職もまたこれを匿ったが…植田という村の者が報奨金に目が眩み
これを長宗我部家に訴え、まもなく六人の家族は皆殺しにされてしまった。

長福寺の住職は、親興の遺族が処刑される場で気違いの様に叫び狂った。

住職>>『この見物人の中に植田の村の者は居るか。あぁ、なんという人非人であろう!!
    殺されていく罪も無い者達が可哀想とは思わぬのか!!
    この恨み、末代まで忘れぬぞ!!m9っ;・`ω・´)』

住職はその場で切腹して果て、次いで親興の家族六人の首が飛んだ。
今でも、親興他七人が眠る地に植田の者が近づくと祟りがなすという。
974八人みさきと久武親直 2/3:2009/07/04(土) 13:12:01 ID:0RBfpCEO
さて、親実他八人が死んでしばらくしたある夜の事、仁淀川で渡守をしていた
常七は、川の向こう岸から大きな声で呼ばれ目を醒ました。

常七>>『ンっだよ面倒臭いな、こんな真夜中に…。』

愚痴を言いつつ向こう岸まで舟を漕ぎ、さぁどうぞと客人に言うと…。
確かに舟が軋み、何人かの者が乗り込む気配がしたのだが…姿が見えない。

勝賀野実信>>『はよう向こう岸にやってくれ。』

声がした。常七は顔面蒼白になり、魂も失せた様子で急いで岸を渡らせた。
そして、向こう岸に着くと…今度は確かに、舟から誰かが降りる気配がした。

勝賀野実信>>『此方は、吉良左京進様じゃ。大高坂に居る不義奸侫の輩に
       目に物を見せてやるとお越しになるところじゃ。帰りにも
       この舟を使うので宜しく頼むぞ。なお、不思議な話が大高坂から
       聞こえてくるであろうが、その方には何もお咎めは無い。安心して良いぞ…。』

姿の見えない八人の気配が去ると、常七は全力疾走で渡守小屋へ逃げ込んでいった。

…―それから間もなくの事…大高坂では奇妙な噂が続出するようになった。
比江山親興の屋敷に鬼火が出た、吉良親実の屋敷近くでは鉄炮のような
火の玉が飛び、当った者が頓死した、ets、ets…。
そんな最中、久武親直の屋敷でも奇妙な事が起こった。

親直の末子…まだ五・六歳だった少年が屋敷内で犬と遊んでいたところ、
邸内に植えられていた松の木の傍から五十路ほどの老女が現れ、その頭を撫でた。

老女>>『綺麗な若様じゃの…。』

次の瞬間、少年は大声で泣き喚き…そのままひっくり返って動かなくなった。
屋敷内は蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、間もなく加治祈祷の為に
僧侶が呼ばれ、お経が唱えられたが…その最中、今まで微塵と動かなかった
少年が不意に起き上がって、狂った様に叫んだ。

少年>>『悪臣を生かして置いてたまるか!!奸臣は生かして還さんぞ!! (;゚Д゚)』
僧侶>>『 ! ? ( ・ ( , , ェ ) ・) 』

少年>>『悪臣を生かして置いてたまるか!!奸臣は生かして還さんぞ!! (;゚Д゚)』

僧侶は脂汗を流して一生懸命読経を続けたが、少年は狂った様に座敷をのたうち
廻って一向に正気へ戻らない。

少年>>『悪臣を生かして置いてたまるか!!奸臣は生かして還さんぞ!! (;゚Д゚)』

少年>>『悪臣を生かして置いてたまるか!!奸臣は生かして還さんぞ!! (;゚Д゚)』

とうとう、親直の末子…少年は這いずり回った挙句に死んでしまった。
975八人みさきと久武親直 3/3:2009/07/04(土) 13:22:39 ID:0RBfpCEO
流石の久武親直も、これには色を喪って恐れた。少年の葬儀と禍祓いを兼ね、
それから七日七晩祈祷を行わせて…七日目の夜が来た。

仏壇の前では、徳の高い僧侶が読経を続けていて…内蔵助は妻と共に
亡くなった末子の事を話し合っていた。妻の瞳からは涙がこぼれている。

そんなとき、隣の部屋から声がした。久武親直の嫡男、十二・三歳になる
男児の声に間違いなかった。

嫡男>>『南無阿弥陀仏』

いそいで親直夫婦が隣の部屋に行くと、嫡男は腹に短刀を突き刺して苦しんでいた。
慌てた親直、短刀を握ったほうの手を掴んで喚いた。

久武親直>>『なぜじゃ、どうしてこんなことをしてくれたッ!!(´;ω;`)』

すると、嫡男は一言…こう囁いた。

嫡男/吉良親実>>『元 親 公 の 御 諚 で 検 使 が 二 人 来 て 、 詰 腹 を 切 ら さ れ た か ら で す 。 (il゚Д゚)』

その晩のうちに、嫡男は死に…二人の息子を失った久武親直の妻も発狂して死んでしまった。

久武親直の子は全部で八人あったそうだが、無事に育ったのは一人だけ。その子もまた、
長宗我部家滅亡後に親直と一緒に日向に逃げ、土佐に残ることはなかった。

長宗我部元親が大高坂城から浦戸へ逃げるように拠点を移したのは、三年後のことだったという。

そんな久武親直の、(背筋がゾっとするような気味とばつが)悪い話。
長尺ログ失礼しました。あと、怪談嫌いの人ゴメン。
976人間七七四年:2009/07/04(土) 13:35:06 ID:XPjETLdV
こええええええええええorz
でも面白かった!
977人間七七四年:2009/07/04(土) 13:35:42 ID:HneDTdEQ
>>965
袴はどうした袴はw

>>973-975
簡略な話なら既出のようだが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2288.html
978人間七七四年:2009/07/04(土) 13:36:28 ID:0RBfpCEO
973-974
補記・吉良親実らの亡霊八人はこの後も元親を怯えさせ、元親はとうとう
親実を木塚明神という神様として祀りなおした。
以後、この八人のことを『八人みさき』と呼び、恐れ敬うようになったとさ。
979人間七七四年:2009/07/04(土) 13:36:37 ID:u6iyPImS
戦国怖い話ですな
人の怨念という物は計り知れん
980人間七七四年:2009/07/04(土) 13:38:20 ID:0RBfpCEO
>>977
長話展開した末にまとめ見てなかったとかorz
正直すまんかった
981人間七七四年:2009/07/04(土) 13:40:37 ID:u6iyPImS
前にもこういう事あったけど内容が詳しいければ良いんじゃない?
それはそうと次スレよろしく
982人間七七四年:2009/07/04(土) 13:40:55 ID:9OSMm8ZU
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243956483

姉妹スレ
戦国ちょっといい話11
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246459446

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/


建てられなかった。誰か頼む。
983人間七七四年:2009/07/04(土) 13:46:49 ID:wktwJd2O
これで宜しうござるか

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1246682726/
984人間七七四年:2009/07/04(土) 13:49:04 ID:HMDjAor4
>>970
腹抱えてワロタw
アホだw

>>983
985人間七七四年:2009/07/04(土) 13:52:27 ID:u6iyPImS
縄張りお疲れ様です。
一服いかかですかな?
皆様もご一緒に…。                         。
  ∧ ∧                               (ハハ)
 ( ´・ω・)                             (ヮl` ) 
 ( つ旦O                            O旦⊂ヽ
 と__)__) 旦   旦   旦   旦   旦   旦    (_(_つ
      濃茶  薄茶 玉露  煎茶  番茶  出涸し 日当山一のちゃのみ

                            ;; コポ
       旦   旦   旦    旦    旦 コポ 旦       旦
       生茶  玄米茶 烏龍茶 ほうじ茶 ウラン  お〜いお茶  髭茶


       旦   旦   旦     旦    旦   旦    旦
       緑青 静岡茶 宇治茶 鹿児島茶 紅茶 福寿草 白湯 
986人間七七四年:2009/07/04(土) 14:34:54 ID:xXhQWNVc
俺には、どうみても吉良親実たちの方が悪臣の様な気がするのだが…
987人間七七四年:2009/07/04(土) 15:12:23 ID:nk5gA0yM
讒言して八人を殺すように仕向けたという意味では、久武親直も悪臣だけどね。
でも、怨霊らもそこまでしなくてもとは思う。

↓:これくらい爽やかになれなかったものかと・・・
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-372.html
988人間七七四年:2009/07/04(土) 15:20:06 ID:5o60DOOQ
本質としては、吉良ら門閥派と久武ら側近派の対立だろうから
どちらが善悪だといえることじゃないとオモ
989人間七七四年:2009/07/04(土) 15:32:47 ID:m/iSkV/m
>>944
大好きになったわw
990人間七七四年:2009/07/04(土) 16:13:46 ID:wktwJd2O
>>985 無難なトコで宇治茶ください

寛永十五年九月、頭痛で臥せっていた徳川家光は小康を得て、気分転換のつもりか
細川三斎を招き、茶の湯を催すことにした。
大茶人を招いての茶席に備え、慎重に床に飾る花を選んでいた家光に、永井信濃守が
「善い花を見つけたので」と、持って来た花を献上した。

それはそれは見事な、木瓜の花だった。

家光「( ;^ω^)ちょ、おま…ジジイと頭痛の病み上がりの茶席でこれはねーよw」

結局、家光は季節柄に合わせて菊の花を生けて、三斎を迎えた。(茶道四祖伝書より)


アクの強いひと二人に勇気あふれるネタを披露した永井尚政に、敬礼!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
:::::::::::::::::::::::::::::::::。::::::...... ... :::::::::::::::::::::: :::::::::::::::::::: ..::::: . ..::::::::
:::::::::::::::::...... ....:::::::゜::::::::::..::::::::: :::::::::::::::   ::::。::::::::::::::::: ゜.::::::::::::
:. .:::::。:::........ . .:::::::::::::::::  ∧_∧  ::::::::::::::::::::。::::::::::: . . . ..::::
:::: :::::::::.....:☆彡:::: :::::::::::  ( ´・ω・) ::::8::::゜::::::::::::..:: :::::
 :::::::::::::::::: . . . ..: :::: :::::::  ( つ旦O ::::::::::::::::::.... .... .. .::::::::::::::
::::::...゜ . .:::::::::   :::::::  と_)__) :::::::....... . .::::::::::::........ ..::::
        永井信濃守尚政(1587〜1668)
:.... .... .. ..:.:.:. :.: .: .:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.: .:.:.:. :.:.:.:.:. :.:.:.: .:.: :.... .... .. .:.
:.... .... ..:.... .... ..... .... .. .:.... .... .. ..... .... .. ..... ............. .. . ........ ......
:.... . ∧∧   ∧∧  ∧∧   ∧∧ .... .... .. .:.... .... ..... .... .. .
... ..:(   )ゝ (   )ゝ(   )ゝ(   )ゝお茶しやがって… ..........
....  i⌒ /   i⌒ /  i⌒ /   i⌒ / .. ..... ................... .. . ...
..   三  |   三  |   三  |   三 |  ... ............. ........... . .....
...  ∪ ∪   ∪ ∪   ∪ ∪  ∪ ∪ ............. ............. .. ........ ...
  三三  三三  三三   三三
 三三  三三  三三   三三
991続・久武親直と八人みさき:2009/07/04(土) 16:23:47 ID:0RBfpCEO
では埋めついでにもう一件、八人みさき関連を。
まだまだ祟るよ!!吉良左京進親実の怨霊と元親のお話。

吉良親実他八人の怨霊話が噂になっていた頃、久武内蔵助親直の従兄弟にあたる
五月新三郎はある晩、用があって小高坂へと向かい…吉良親実の屋敷の傍を
通っていった。月が朧に煙る、静かな晩だった。

ふと路傍を見ると、歳の頃十六〜十七ほどの若い娘が立っている。
こんな暗闇夜の寂しい道に、若い娘が一人居るなど尋常ではない。

新三郎>>『よもや物の怪の類ではあるまいな。』

だが、娘の身なりを見れば良い着物を着ており、色白く綺麗な娘である。
何か困っているようにも見えたので、声を掛けたところ…娘はぽつぽつと
自分の身の上を話し始めた。
聞けば、娘は秦泉寺縁の者で、先年に国沢へ嫁いだが、夫に愛人が出来て捨てられたという。
思い切って身投げでもして死んでしまおうかと考えたが、秦泉寺に残された
母の事を思えば思い切ったことも出来ず、最後に母と一目会ってからと
国沢を抜け出してきたとのことで…今は足をくじいて動けず、追っ手も来るだろうと
おびえていたという。その事を話している娘の顔の妖艶さに、新三郎は情をかけてしまい

新三郎>>『ならば拙者が秦泉寺まで送ろう。足をくじいたと言ったな。
     拙者が背中に負ぶっていくから、乗るが良い。』

さて、遠慮がちな娘を背負っていざ秦泉寺に向かおうとしたが…どれだけも
しないうちに背中が重くて動けなくなった。不思議に思い、振り返ってみると…。

そこには鬼の形相をした化け物が乗っていた。頭から生えた二本の角が月光で煌いている。

新三郎>>『おのれ妖怪ッ!!』

豪胆な新三郎は鬼を振り落とし、腰の刀を抜いたが…次の瞬間、首根っこを引っ掴まれて
宙空高く放り投げられてしまった。そのまま、ちかくの田圃の畦へと墜落。

新三郎が意識を戻したころには鬼の姿はなく、夜空は明けかけていた。
不気味な体験だったと背中を震わせた新三郎、立ち上がって刀を拾い
元の道に戻ろうとしたが…運悪く、道の向こうから駕籠が来るのが見える。
田圃に落ちたおかげで泥だらけになった格好、こんな姿を見られるのも、と思ったが
細い一本道のため交錯も出来ず、隠れる場所もない。そのまま田圃の畦で
駕籠をやり過ごそうとしたが…駕籠の簾は上がっており、すれ違った瞬間に乗っていた者と
目が合ってしまった。新三郎は乗客の顔を見て、魂を失った。

吉良親実>>『おぉ、五月新三郎殿ではないか。ご 健 勝 そ う で 何 よ り だ な ? (il゚Д゚)』

その声を聞いた途端、五月新三郎はバッタリと田圃に倒れ伏せ、死んでしまった。

久武親直に謀殺されたのに、祟ったのは親直の子とか嫁とか従兄弟とか。
そんな吉良親実の(恨みの晴らし方とおどろおどろしさが)悪い話。
992人間七七四年:2009/07/04(土) 16:28:58 ID:0RBfpCEO
>>990
幽斎殿なら古今伝授データベースの中から木瓜に関する詩歌を引き合いに出して
場を和ませるんだろうなw

>>991
×まだまだ祟るよ!!吉良左京進親実の怨霊と元親のお話。
○まだまだ祟るよ!!吉良左京進親実の怨霊のお話。
なんか変な文字が混ざった…ひょっとしてやっちゃいけなかった
話なのかも知れん…(汗
993人間七七四年:2009/07/04(土) 16:31:31 ID:/4ICdIY/
なんつーか…
直接呪い殺さずに、周りの人間を呪い殺してじわじわ追い込むとか、
マジ吉良さんシリアルきらー
994人間七七四年:2009/07/04(土) 16:38:11 ID:XPjETLdV
当人を殺すのは簡単で、苦しみはその時限り
周りを殺した方がより苦しむと思ったからだろう
相当な恨みだな…
995人間七七四年:2009/07/04(土) 16:41:36 ID:Jyl6ADk0
こう言っては何だが武士の怨霊らしい知略と猛々しさを感じるわ
996人間七七四年:2009/07/04(土) 16:48:41 ID:/lQcPZuc
ボケの花じゃなくて野菜のキュウリ出したのかw
997人間七七四年:2009/07/04(土) 16:54:52 ID:oa6W4vIF
>>991
新三郎、死んだはずなのに話が伝わる・・・
これも祟りか!? ((;゚д゚))ガクガクブルブル
998人間七七四年:2009/07/04(土) 16:57:50 ID:Jekp8X2v
>>983スレ立て乙でごさいましたな
999人間七七四年:2009/07/04(土) 16:58:04 ID:u6iyPImS
>>990
宇治茶をご所望ですか…。ではそちらに…。

 ∧_∧
(´・ω・`)
/o旦 o
しー-J

おっと…。

  ∧_∧
 ( ´・ω・)
 /   o (__()、・:.。
 しー-J  

これは粗相を致しました。申し訳ない。

    ∧_∧ 
   ( ・ω・)  __
  c(,_U_U (__()、;.o:。
          ゚*・:.。

いつもならこのような事は無いのですが、歳のせいか手が震えてしまいましてな。
死期には常ならざる事が起こると申しますし
冥土がすぐ側に来ているのかも知れませんなハッハッハ。

  ∧_∧
  (´・ω・`) _。_
 c/  J つc(毒アi! < トポトポ
  しー-J     旦~

さぁ、新しく入れ直しましたのでこちらをどうぞ。

 ∧_∧
(´・ω・`)
/o   ヾ
しー-J 旦 <コトッ
1000続きません:2009/07/04(土) 17:08:00 ID:wktwJd2O
>>999

    _, ._
  ( ゚ Д゚)   ありがたく頂戴する
  ( つ旦O
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ ◎゚)   ズズ…
  ( ゙ノ ヾ
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ Д゚)   …………
  ( つ旦O
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ Д゚)   ガシャ
  ( つ O. __
  と_)_) (__()、;.o:。
          ゚*・:.。

次スレにつづく…
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/