武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝つ方法・2

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1人間七七四年
前スレ
ttp://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1223727587/
長篠の戦、外交内政面から武田勝頼が勝てた可能性について模索するスレです
2人間七七四年:2009/05/20(水) 22:41:29 ID:238qCY+Q
家康は信玄の息子
だから勝頼と兄弟
実質、武田家が天下を取ったで終了
3人間七七四年:2009/05/20(水) 22:48:00 ID:CkWb9Rrr
織田家の領地で強毒性新型インフルエンザが大流行
4人間七七四年:2009/05/20(水) 22:50:48 ID:DZQdh0XO
勝頼が真田博之 千葉真一が後詰め
5人間七七四年:2009/05/20(水) 22:51:59 ID:DZQdh0XO
勝頼が初音を調略
6人間七七四年:2009/05/20(水) 22:53:10 ID:DZQdh0XO
人身売買契約を結び、ぽるとがる軍と同盟
7人間七七四年:2009/05/20(水) 22:54:25 ID:Sivh32JK
>>2
その発想はなかったwww

けど徳川は家康が信長の命を無視して保護した武田の人間も多くいるし天下を取りに役立ててる
武田の復興も家康は行ってたし、武田を尊敬してたのはよく分かる
逆に皆殺しにしようとした信長は結果天下をとれず秀吉に乗っ取られるし
ある意味まったくのはずれではないなw
8人間七七四年:2009/05/20(水) 23:01:26 ID:ynnsiyRa
たしかに場上で糞漏らして逃げるくらい信玄を畏敬してた。ということは、勝頼は信玄と名前を変えるべきだった。
9人間七七四年:2009/05/20(水) 23:04:09 ID:DZQdh0XO
勝頼がトグロをまいた冑をかぶる 家康軍は脱糞して逃走
10人間七七四年:2009/05/20(水) 23:09:33 ID:DZQdh0XO
楯無の鎧を信長にプレゼントして土下座して臣従。その後、隙をみて明智より先にやる
そのために、信長に尻の穴を献上
11人間七七四年:2009/05/20(水) 23:34:43 ID:fuAFEmih
天竜川に筏を浮かべ
全軍それに乗って電撃的に浜松侵攻
うっかり海に出た信豊は八丈島へ
12人間七七四年:2009/05/20(水) 23:37:50 ID:k3OKtc52
長篠の時、酒井隊を蹴散らして退路を
確保できなかったんでしょうか?
13人間七七四年:2009/05/20(水) 23:37:59 ID:LkS31UkC
その野戦を挑むにあたり、織田も相当配慮したんだろうね。
それにしても、3倍もの敵が防戦する中、正面攻撃を続けた理由ってナゾだな。
戦国史上でもほかにあるか?
14人間七七四年:2009/05/21(木) 00:52:35 ID:pqBv4jPr
武田太鼓が鳴らされているうちは攻撃を止めれない。太鼓が連打され鳴り終わる時は勝ち戦だった。それが長篠で始めて退却の法螺貝が鳴って、老将が涙を流したらしい。つまり、精鋭の武田軍は三倍の弱兵くらい粉砕できると誰もが考えていたのだろう。
15人間七七四年:2009/05/21(木) 00:55:56 ID:170xPhSn
>>14
今まで戦っていた相手が弱い東国の軍だったからだろうね
16人間七七四年:2009/05/21(木) 01:04:15 ID:Ym9BsQNC
武田軍自体総大将が出陣するような戦で3倍の兵力を相手に無理やり交戦したような経験はなかっただろ
17人間七七四年:2009/05/21(木) 01:14:01 ID:VDsrQY5S
>>15
長篠以降ですら徳川は勝頼に手こずってるし同数で装備も同じで普通に織田と純粋な戦術的勝負すりゃ
武田が圧勝だろうな相手が運良く自爆したから勝てただけ。
武田はさきの長篠城攻めでの疲弊、かなり強固な陣城への雨でぬかるんだ
地面のなかでの突撃さらには大量の鉄砲やかなりの数的不利といった相当
不利な状況のなかでの敗戦だけどこれだけ有利な状況で所々柵を破られ、
武田に長時間戦われる織田軍は弱すぎる
対吉良、今川戦で勝ちまくり姉川で大奮戦する最強武将家康が押されまくってる
時点で武田の強さは証明されてる兵力差を差し引いて考えても
本拠地からの距離で考えたらさして侵略しやすいとはいえないのに
城落としまくりうまく城から釣り出し野戦で
非常に軽微な被害で大勝し風前の灯火においこんだこれと同時して
恵那への侵攻もおこなってるくらい。強すぎる
山県は6千の兵で東美濃攻防で信長三万を地形を利用して
かく乱し撤退に追い込んでる
馬場に追い返された
織田軍は武田攻めでわずか1000にも満たない仁科に
50000〜60000の大軍で城外戦で武田方より多い損害だし一門の一人が戦死
北条も河越では大軍を打ち破り二度の国府台で勝利し
武田or上杉+関東諸将と戦いながら関東を席巻し
神流川でも織田家トップクラスの滝川を数的優位があるとはいえ
見事な戦術で非常に軽微な被害で勝ったし沼尻でも佐竹、宇都宮、長尾由良壬生結城
ら関東諸侯と田村、葦名岩城二皆堂白川、石川ら奥州諸侯らが集結して8000もの鉄砲集めてくる
中政治的勝利収めたし普通に強いだろうな

上杉は川中島で最強武田に戦術的勝利を収め手取川でも織田家で最も大封で
重臣にしてしずヶ岳で圧倒的寡兵状態で前田が裏切るまで秀吉と均衡状態
を保てた戦巧者の柴田が率いる大軍をけちょんけちょんに蹴散らし撤退に
追い込み奥州の一大勢力築き上げた名将葦名盛氏にも勝ったし相当強いだろ

信長ごときの戦下手なんぞ信玄と同数でぶつかったら
あっという間に戦死するだろうね
18人間七七四年:2009/05/21(木) 01:21:35 ID:RGaj7gZy
弱いだの強いだの、小学生の喧嘩みたいなのは最強スレでも行けよ。
19人間七七四年:2009/05/21(木) 01:35:49 ID:5ppiY/jJ
>>16
小笠原との塩尻峠の戦いとか
20人間七七四年:2009/05/21(木) 01:48:18 ID:pqBv4jPr
海ノ口城攻略の時は10倍くらいの兵に攻撃しなかったっけ?もちろん奇襲だけど。それほど織田兵の弱さは知れ渡っていた。美濃の幼君相手にも何回も負けてる。朝倉にも土下座。出川より弱いよ
21人間七七四年:2009/05/21(木) 02:25:59 ID:hjFLqZhI
センゴクって漫画大好きなんですがあれば史実に通りなんでしょうか?
22人間七七四年:2009/05/21(木) 02:31:07 ID:4DPJcsz9
>>21
あの原作者はこの板の住人と思われ
23人間七七四年:2009/05/21(木) 02:31:18 ID:170xPhSn
海ノ口城の合戦


『人物叢書 武田信玄』(奥野高広著)は、戦後の武田信玄研究の最高峰とされる(磯貝正義著『定本 武田信玄』)が、「この戦いは、『勝山記』にも『高白斎記』にも見えず、現存する感状は、偽文書であるから恐らくは事実でなかろう」と記す。

坂本徳一氏は、その共著『武田信玄のすべて』の中で、「記録は後年作の『甲陽軍鑑』『武田三代軍記』によるもので確証はない」とあえて注記している。

小和田哲夫氏は、「この初陣の戦いというのは、『甲陽軍鑑』の著者による創作という可能性が高い。
24人間七七四年:2009/05/21(木) 02:35:38 ID:170xPhSn
小笠原との塩尻峠の戦い
これはラッキーで勝ったらしいぞ

一日に六度の対戦があり、うち五度目までは小笠原勢の勝利だったが、六度目に決戦で山家・三村氏が二千余騎をもって裏切ったので敗北したという
25人間七七四年:2009/05/21(木) 02:40:54 ID:5ppiY/jJ
>>24
その段階で裏切り=予め調略でしょ
なんの脈略もなく勝ち戦で裏切るとかあり得ないと思うが
26人間七七四年:2009/05/21(木) 02:49:44 ID:170xPhSn
>>25
相手は、団結力のない寄せ集めの豪族連合で領土安堵の調略していたみたいだね。
しかし、合戦では完敗していたから相手が寝返っていなかったら、諏訪は小笠原に取り返されていただろうね
上田原に続いての大敗だから、信濃攻略もそれ以降不可能になったと思う。
27人間七七四年:2009/05/21(木) 03:02:57 ID:4DPJcsz9
>>23
信虎はガチで二男の信繁に家督を継がそうと考えてた思うね
信虎と家臣団国人に確執があったのは確かだろう
晴信廃嫡は傅役板垣や甘利などとの争いで起きたってとこだろう
結局、信虎追放で板垣甘利が実権を握り
晴信は飾りの当主として扱われたと思う
上田原の戦いで両氏が討ち死にしたことで晴信が一気に実権奪取に動いた
この戦は晴信と小山田が組んで
板垣甘利を罠に嵌めて戦死と見せかけ暗殺した推理する
この戦の板垣と甘利の動きがあまりにも不自然すぎるんだよね
後の小山田をみれば予想がつく
28人間七七四年:2009/05/21(木) 03:11:16 ID:pqBv4jPr
いつの時代も口が上手い佞臣に国が滅ぼされる。アンタッチャブル山崎にかかったらひとたまりもなさそうだ
29人間七七四年:2009/05/21(木) 03:27:36 ID:170xPhSn
口が上手い佞臣
直江?
30人間七七四年:2009/05/21(木) 03:50:39 ID:TZWy5eRD
>>28
ようは勝頼もそういうことだよな
甲州の兵が仙石最強でいかに勝頼が用兵がすぐれていても計略、戦略で滅ぼされる
31人間七七四年:2009/05/21(木) 04:23:09 ID:Y3GHAOHH
戦の最中に重臣を暗殺だってw?
32人間七七四年:2009/05/21(木) 07:35:53 ID:xqfwR954
武田信玄が、西上作戦にて死ぬ間際のころ、朝倉が引き揚げてしまったことを
非難した文書が残っているだろ。

朝倉が引き上げなかったとすれば、勝つ可能性はあったわけだ。

朝倉は、浅井の後詰めに来ていたのだと思うが、朝倉義景(たぶん筆頭家老が代理で来ていたのだろうが。)
でなく、これが上杉謙信だったら、どうする?。

というわけで、朝倉義景の代わりに、上杉謙信であればよかった。
ということは、武田の戦略としては、越前の一向宗などに軍資金を送って
クーデターで朝倉義景を殺害して、上杉謙信の領土とする。

上杉謙信は、浅井の援軍のため小谷城へ後詰めに出る。
信玄は、西上作戦にでる。
両人とも、上洛指向があるのだから、北陸からと東海からの2正面作戦ならば
信長にも打ち勝つ可能性がある。
信玄が死んだのは仕方なかったとしても、勝頼は信玄の作戦の継続をすればOK。

西上作戦の拠点は、地理的にいって長篠城がいい。

信玄が死んで、長篠城主が裏切ったために、勝頼は長篠城を攻める必要があったわけだが、
織田信長は3万の大軍で後詰めに来ている。
が、越前方面で上杉謙信が、上洛作戦のため、織田軍を釘付けにすれば、
織田は長篠に3万もの援軍の兵力を送れない。
つまり、長篠城は寝返ったりしても、結局は武田が奪回できる。

三方が原の戦いも、織田の援軍の少なさは、別方面でクギつけされていたためだったな。

というわけで、朝倉義景が上杉謙信であれば、勝頼は織田、徳川に勝てる。
33人間七七四年:2009/05/21(木) 09:32:04 ID:hlk1ZgSb
IFというか現実味なさすぎる希ガス
34人間七七四年:2009/05/21(木) 10:23:01 ID:xqfwR954
第一、タイトルからして
「武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝つ方法」
って、信玄ならともかく、武田勝頼の時ではふつうに困難だろ。
信長はどんだけ強くなってんだよ。長篠の援軍に3万って、
信玄のときで3万は最大戦力だったろう。
35人間七七四年:2009/05/21(木) 10:25:19 ID:uV55ZDgT
ネットで戦国時代を語るのはいいが、考え方にかなり偏りがあり、
結果論ばかりで面白みがなく、頭でっかちで夢がない。
そんなこの板の人をそう呼んでいる。
歴史のいろいろな可能性を語る面白さを排除してくこの板の人たちはかわいそうだ
36人間七七四年:2009/05/21(木) 12:03:16 ID:xVcMTFa2
>>23
最近は平賀氏の存在が明らかになってきてるが。
>>24
それ何が資料よ。江戸時代の小笠原系図だろ?
同時代資料で見るなら普通に完勝なんだけど。
山家・三村も武田に帰属するのはこの戦いのずっと後だぞ。
>>26
はい、適当なこといわない。理由は上記参照のこと。
同時代資料で見る限り小笠原は完全に不意をつかれて敗走してる。
37人間七七四年:2009/05/21(木) 13:24:26 ID:0z3FDh83
小笠原兵団は負けしか知らん
38人間七七四年:2009/05/21(木) 18:10:03 ID:OR9kieFL
1570年から続く動乱の最中でも

ひっそりと姉小路氏と江馬氏はひっそりと飛騨の山中で争っていた
39人間七七四年:2009/05/21(木) 23:34:33 ID:dX2nYiqz
>>12

寒狭川という大河を渡る必要があったので不可能かと。

>>13

俺は、武田軍は連合軍の馬防柵を撤退のための柵と見誤った
と推定している。つまり

後詰の連合軍が武田軍に攻撃せず長篠城を前に停止し馬防柵を作る。
→武田軍は、連合軍は高天神城のように長篠城が落ち次第、決戦を避け撤退をすると思い込む。
→武田軍は、長篠城を落としたら連合軍を追撃すると計画する。
→武田軍は、攻城部隊を残して、寒狭川を渡る。
→酒井隊の奇襲により攻城部隊が絶滅する。
→武田軍は前後から挟まれ、突撃するしか道がなくなる
→以下、省略。
40人間七七四年:2009/05/22(金) 00:16:05 ID:F0VCzAYr
まー長篠戦は武田からみれば事故だな
突撃は武田本体を退却させるための布石でしょうね
41人間七七四年:2009/05/22(金) 00:33:40 ID:c+DqiVD3
>>39
突撃なしで撤退は駄目?
島津の釣り野伏みたく、追ってきたら撤退と見せての
迎撃とかの技も使えたかも知れないのに。
少なくとも野戦陣地に待ち構えてる連合軍に
突撃よりはいいような気が。
42人間七七四年:2009/05/22(金) 01:51:48 ID:vosundGw
武田は島津ほど強くないからな
43人間七七四年:2009/05/22(金) 01:56:08 ID:Jo8iycW6
まあ毛利よりは遥かに強いだろうがな
44人間七七四年:2009/05/22(金) 03:01:40 ID:WVSTQtOK
>>38
(´;ω;`)ブワッ
45人間七七四年:2009/05/22(金) 07:16:28 ID:1Vh4fmg/
長篠の戦で信長が勝てないとなると織田家内部の謀反の眼も出てくる
ここまで武田家と織田家の分国の大きさが違うのに信長が勝てないとなると
織田家内部の反乱が出てくるかもしれない。

長篠の戦は1575年でまだ織田家には明智光秀や荒木村重、高山右近、黒田孝高
別所長治、松永久秀など何時謀反を起こすか判らない武将がゴロゴロしている

仮に長篠の戦で信長が大敗しないまでも武田家に勝てないとなれば
毛利家や石山本願寺はこれを契機に織田家に対して大攻勢に出るだろう

織田家の権力構造も磐石ではなく“部将の分国は切り取り次第”という状態。
だから意外と織田家の直轄領が少ないのが実態で、その為に信長は、
武田家を滅ぼして天下統一に目星が着き始めた時点で佐久間信盛を追放した。

19ヶ条の折檻状は、畿内・美濃を織田家の直轄地とする信長の天下統一構想
において双方に領地を持つ佐久間信盛の領地を取り上げるための言いがかり
である。
事実、信盛追放後にその領地は信長と信忠で分割されている。
そして、同じく畿内に領地を持つ明智光秀がこの追放劇に危機感を覚え
本能寺の変のきっかけになったと分析出来る。

織田家直轄領の少ない戦国期の織田家分国支配体制の内部構造は意外と
もろいかも知れない。長篠の戦での負け戦は相手が武田家なので織田家
分国支配は動揺する可能性がある。
46人間七七四年:2009/05/22(金) 07:57:28 ID:HyZG8MEx
>>35
まあ、勝頼の思いつきでなんとかなる範囲にしておこうぜ。
47人間七七四年:2009/05/22(金) 08:30:38 ID:eLLhMk9n
結局長篠の後で大規模な野戦してないだけに
長篠後の立て直し効果がどれ程であったかがよく分からないんだよな
長篠で穴山が死んでくれてれば重臣失ったとはいえ
上田原で重臣失った時みたいに逆に統制力強化出来てたかも知れないんだが
仁科みたいな忠臣もいるし、真田昌幸のような知恵者もいる
やりようによってはもうちょっとやれたと思うがな
48人間七七四年:2009/05/22(金) 10:18:32 ID:c7A+uewf
やっぱり御館でもうちょっと我慢すれば良かったな
あと1、2ヶ月すれば北条本隊が続々と越後入りしてただろうし
49人間七七四年:2009/05/22(金) 10:57:05 ID:LTieDpVu
雨まで待てばよかったな
50人間七七四年:2009/05/22(金) 11:43:24 ID:rYvzmf/z
>>48
最初影虎に真面目に肩入れするから、かえって馬鹿を見た。
他所の家なんだから適当な援兵送るとか兵糧送るくらいに
とどめときゃよかったのに。
そうも行かなかった?
51人間七七四年:2009/05/22(金) 12:51:18 ID:27s81oy6
>>45
武田は天正8年に滅亡したのかー、へぇーべんきょうになったなぁー
52人間七七四年:2009/05/22(金) 13:22:46 ID:PW44x2j6
>>29跡部と長坂。こいつら態度は大きいし、先代からの家臣を蔑ろにするからなぁ。穴山と信廉と折り詰めにして八丈島に送れ
53人間七七四年:2009/05/22(金) 14:03:47 ID:fK1BBXyG
>52
その二人も立派な先代からの家臣なんだが。
54人間七七四年:2009/05/22(金) 15:04:15 ID:PW44x2j6
>>53痛いところを突きよるわ。木曽路からコッソリ武田軍二万が美濃を急襲とかわどうです?家康の備えに内藤昌豊に兵を5000預けます。
55人間七七四年:2009/05/22(金) 17:32:39 ID:TT7tcUoy
>>41
>島津の釣り野伏

釣り野伏には事前の準備が必要で。。。

長篠の戦は後詰戦。

後詰戦は後詰(連合軍)が攻城部隊(武田)を攻めるのがセオリーなのに
長篠の戦は逆なんだよね。

ここが最大の謎だと思うのだが。
56人間七七四年:2009/05/22(金) 17:37:26 ID:TT7tcUoy
>後詰戦は後詰(連合軍)が攻城部隊(武田)を攻めるのがセオリーなのに
長篠の戦は逆なんだよね。

漫画、センゴクでは上記の謎を「勝頼=陣代」に答えを求めたが、
陣代説は甲陽軍艦しか出てこない話。書状等からは読み取れないので
陣代説は否定されたと断言しても良いだろう。

そんなことは作者も知っているはずなのに、
陣代説を採用したのは、作者が武田軍が突撃した理由の解釈に
困ったから陣代説を採用したのではないか?(w

ちなみに新田次郎も困ったららしいね。
57人間七七四年:2009/05/22(金) 17:41:17 ID:O9Fhh8BR
>>55
鳶ヶ巣山砦が敵の手に堕ちたというので勝頼に焦りが生じ、采配を誤ったのでは?
58人間七七四年:2009/05/23(土) 07:28:55 ID:MnOh5jxW
>>57
鳶ケ巣山砦陥落前に後方の三浦か長坂宛てに出した書状の内容からして勝頼は戦う気満々だったのでは?
59人間七七四年:2009/05/23(土) 10:56:24 ID:Ph8WF3WB
「信長が篭っててなんか怖いよー」なんて手紙を戦が始まる前に書かないだろう
60人間七七四年:2009/05/23(土) 16:28:35 ID:4XotFGkK
結果論だが、長篠は勝ち目のない戦いだから回避すべきだった。今まで武田軍との勝負に逃げまくっていた信長が自ら出陣なんて、絶対の自信があったんだろうね。家臣の諌めを聞かない人だなぁ勝頼さんは
61人間七七四年:2009/05/23(土) 16:55:56 ID:ANLE+dt7
長篠の戦前や西上作戦前ならいけたかもしれんがやっぱその後だときつい
もしその後でまだ可能性がある(といっても気薄だが)としたら
やっぱり真田昌幸がキーパーソンになるのは間違いない
62人間七七四年:2009/05/23(土) 20:38:26 ID:TSapI9oL
また真田か
63人間七七四年:2009/05/23(土) 21:12:08 ID:PjLZnh7h
このままでは日本が、中国・韓国に乗っ取られてしまうよ〜
家康公も泣いてるよ
鳩山幹事長 日本列島は日本人だけの所有物ではない
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1240030019/

日本列島は日本人だけの所有物じゃない
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1240361381/

民主・鳩山氏「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」「定住外国人に参政権くらい付与されるべき」[4/20]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news5plus/1240238027/
64人間七七四年:2009/05/23(土) 22:35:28 ID:SxHJenmQ
>>59

決戦を避けるなら信長公記の指摘どおり寒狭川を前に陣を張れば良かった。
そうせずに川を渡ったからには、それなりの根拠があるわけだ。

勝てる自信があったのか、もしくは負ける可能性が高いけど
一か八かの決戦をせざるを得ない状況だったのか。

>>60

家臣の諌めって誰が諌めた?
65人間七七四年:2009/05/23(土) 23:02:03 ID:jZ04+koh
実際、勝頼と家臣団の関係って大丈夫だったのか?
66人間七七四年:2009/05/23(土) 23:35:00 ID:yxduorzh
だめだろう。
67人間七七四年:2009/05/24(日) 00:05:33 ID:GoU1szYT
>>64
老臣が「川を前にして陣を張りましょう」
と主張したので、逆に渡河して先制攻撃に出たとかかな?

まさかそんなガキみたいな話じゃないだろうな。
68人間七七四年:2009/05/24(日) 01:16:08 ID:FpXx9sQ9
そもそも長篠で撤退を決断してたら無傷で済んだという暗黙の前提があるのが
問題だな。
半包囲下で無理に撤退に入れば一方的な追撃戦で史実以上の損害が
出た可能性もある。
攻撃に出れば味方が潰走するリスクはあるが、とりあえず敵が組織的に追撃を行う
ことは困難になるわけだ。
運良く勝てれば、当然損害は最小限で済む。
必ずしも攻撃に出た方がハイリスクな状況だったとは言えないと思うがな。
69人間七七四年:2009/05/24(日) 08:57:16 ID:RK/UegMB
退却と見せかけて陣を飛びだした連合軍を叩くとか信玄ならやっただろうな
あの布陣で陣を出て寒狭川(大した川じゃないが)越えたら連合軍も後退するのはかなりの混乱を伴う
70人間七七四年:2009/05/24(日) 11:30:02 ID:Lm+B4AIl
居城を移す論に賛成なんだけど、どこがいいかな?駿府城は防御に適さない。交通便を考えると掛川城辺りかな。
71人間七七四年:2009/05/24(日) 12:28:14 ID:Qzm3ycn8
明智城
72人間七七四年:2009/05/24(日) 18:07:38 ID:oWBvcRTB
山県が家康を抑えておいて、岩村城から岐阜攻めれば良いじゃん。
73人間七七四年:2009/05/24(日) 21:19:43 ID:7xFpXt4U
>>68
武田は本国から援軍(5000〜1万)を呼んで、鳶ヶ巣山を奪回するまで動くべきではない。

武田の援軍が、鳶ヶ巣山を再占領して退路を確保したら長篠の本隊と一緒に少しづつ撤退してもよい。
74人間七七四年:2009/05/24(日) 21:27:15 ID:oWBvcRTB
そうだ。高坂隊8000がいるじゃないか。
75人間七七四年:2009/05/24(日) 21:46:21 ID:KYRHABdV
そんな時間あるか?
76人間七七四年:2009/05/24(日) 21:56:57 ID:7xFpXt4U
織田サイドも長陣になったら困る事態に

畿内で松永や荒木村重が謀反を起こすから信長は帰りますよww
77人間七七四年:2009/05/24(日) 22:13:12 ID:hetRysUj
そんな事が勝頼にわかる訳ねぇ。
78人間七七四年:2009/05/24(日) 22:43:15 ID:uM54ra4t
>>65
信玄公時代の家臣に対しては厳しく若い家臣の意見をよく聞いたのは間違いないらしい
79人間七七四年:2009/05/24(日) 23:09:06 ID:oWBvcRTB
補給も勝頼の方が不利だろう
80人間七七四年:2009/05/24(日) 23:12:41 ID:KYRHABdV
>>78
じゃあ跡部勝資にも厳しかったんだな。
81人間七七四年:2009/05/24(日) 23:29:19 ID:oWBvcRTB
>>78
勝頼自身がそうであっても例の二人を重用したのが間違えだろう
奴らが偉そうに府中を仕切るようになってから諏訪の商人も偉そうに歩き府中の商人の利益が少なくなったと聞いたが。
82人間七七四年:2009/05/24(日) 23:32:40 ID:jwOOtwe4
>>64
軍鑑じゃ山県・内藤・馬場そのほかが
「御一戦無用」と申し上げたとある。
83人間七七四年:2009/05/25(月) 08:23:23 ID:vKubq6Qv
信玄公のツケが勝頼に溜まってるよね。金山は掘り尽くされてるし、度重なる出兵で国は疲弊しつつある。せめて跡継ぎは勝頼であると重臣に伝えるべきだよ。信長と同盟時に官位を貰えなかったかなぁ?
84人間七七四年:2009/05/25(月) 08:44:51 ID:dtf+lMxq
>>77
浅井長政の裏切り行為はあの時代にも鮮明に記憶されている。

それに毛利や本願寺もまだ敵対している

武田家は長期戦なら織田家内部でも呼応する勢力はあるって事

松永久秀は上杉謙信の西上作戦を見込んで謀反を起こしている。
85人間七七四年:2009/05/25(月) 09:42:10 ID:0TzEThuT
>>81
跡部姦臣説は創作と聞いたことがあるが
86人間七七四年:2009/05/25(月) 09:49:48 ID:qnKXTcrl
>>83
金山は江戸時代まで掘られてるし
そもそも間接収入だからそんな大きなもんじゃないし。
87人間七七四年:2009/05/25(月) 09:53:05 ID:qnKXTcrl
>>83
あと、勝頼は同時代資料の書状を見る限り普通に家督を継いでる。
陣代説は軍鑑にしかない。
官位については信玄も足利将軍に要請してたが
信長が足利将軍の動きを掣肘した事でご破算になった。
信玄はこのことで信長をうらんだともいわれている。
国の疲弊に関しては大軍で普通にたくさん遠征してるのに。
88人間七七四年:2009/05/25(月) 10:51:43 ID:V7Ghofzo
森蘭丸を人質に取る
89人間七七四年:2009/05/25(月) 16:25:52 ID:VbhDDZiR
>>84
松永久秀が裏切ったところで何が出来るのかね?
大和の大半は織田と筒井に抑えられていて、多聞山も献上して弱小勢力に
落ちぶれ果ててている有様なのが長篠の頃なんだが。
90人間七七四年:2009/05/25(月) 19:24:17 ID:vKubq6Qv
高天神城にガトリングガンを設置。無敵無敵と叫びながら撃つ。弾切れになったら斬られる。
91人間七七四年:2009/05/25(月) 19:40:35 ID:cYrqRQWO
馬防冊に対抗し、鉄砲を避けるための竹を大量配備
少しずつ近づいて、小山田の投石隊が石を投げまくり混乱させ白兵戦に持ち込む
92人間七七四年:2009/05/25(月) 20:59:28 ID:funWFlOG
>>82

それは否定されているよ。

甲陽軍艦では長坂が決戦論を唱えて山県らが撤退論を主張しているが、
決戦前日に、勝頼が後方にいる長坂に宛てた書状が残っているからね。

>>77

長篠の戦いのころって毛利は信長と対立していたっけ?
93人間七七四年:2009/05/26(火) 07:45:55 ID:ls/SbvJa
>>89
荒木と別所が裏切ったら信長も大変だよ。
この二人は毛利とも通じているし・・・・・

>>92
1575年には毛利と織田は戦争状態ですよ
播磨を取り合っている。
94人間七七四年:2009/05/26(火) 08:01:51 ID:CHFT1Lzk
>>73武田は本国から援軍(5000〜1万)を呼ぶ

というのが正解じゃね?。

鳶ヶ巣山などの砦で長篠城を包囲。織田の援軍が到着しても、武田はそちらに移動せずに
鳶ヶ巣山に留まっていれば良かった。←これは信長公記でも認めていること。

で、武田軍は、援軍を本国に要請する。
95人間七七四年:2009/05/26(火) 10:43:12 ID:5bkB1Xln
>>81
それって信長なら
既得権益を破壊して商業を発展させ…
って褒められるところだよな
競争が増す分、既存の商人がやるにくくなるのは確かだし

てか勝頼の方針自体が根本的に信長の模倣で
それがことごとく悪評に繋がってる気がする
96人間七七四年:2009/05/26(火) 12:44:02 ID:15PhcM/s
>>92-93
1575年の頃はまだ。
97人間七七四年:2009/05/26(火) 14:21:53 ID:bc9DCPkk
遠江三河戦線で家康が頑張っていたから信長が順調に反勢力を滅ぼせた事を考えると、家康を完全に滅亡させるにはどうしたらよいですかね。
98人間七七四年:2009/05/26(火) 15:20:30 ID:J2abmDQr
北条と敵対しないで西方戦線に集中

結局これに行き着く
99仙台藩百姓:2009/05/26(火) 16:16:51 ID:jOAY8HYS
今川を助けて南の藩屏とし、武田は北上して上杉を攻めるがよいでしょお( ^ω^)
徳川と今川がショボイ潰し合いしてれば時が稼げるお
100人間七七四年:2009/05/26(火) 17:27:53 ID:CHFT1Lzk
>>97 北条と協力して家康を攻める。
駿河を支配している穴山の領地を、北条が通り抜けてか?という疑問はあるが、

なにしろ、勝頼の妻は、北条の娘なのだから。
101人間七七四年:2009/05/26(火) 17:51:29 ID:uvOPmo/a
>>94
有難うございます。

>>98
この案も良い、北条から援軍1万ぐらい有れば兵数的にも信長家康連合軍と互角になるし

>>99
これも悪くないですが、下手をすると今川から援軍要請が来るかも

信虎が今川家中で武田家への内応工作をしているので、
武田が今川を支援していれば自然と今川領も武田家のモノになる可能性も。

>>96
東播磨の国人衆は毛利に着くか織田につくか色分けが始まっている。
半ば敵対関係だよ。

とりあえず長篠の戦から武田はいったん撤退して毛利と同盟を組んで
出直すのが良いかも、毛利の動き次第では織田サイドの畿内の部将も
謀反を起こしかねない。

長宗我部とも同盟を進めれば、明智光秀がもっと早く謀反を起こすかも?

その間に武田は北条との同盟も固めておく。援軍要請もしておく。
102人間七七四年:2009/05/26(火) 18:37:54 ID:JYJcZ2eN
>>101
光秀は年中謀反を考えてたという訳じゃないだろう
なにか条件が変われば起こさないまま老衰で死ぬということだってありうる訳だし
103人間七七四年:2009/05/26(火) 20:44:03 ID:r0qlQWlO
川中島の戦いが一番無駄
104人間七七四年:2009/05/26(火) 23:05:00 ID:4dN3hXTf
>>103
まぁ謙信と信玄が仲良しだったら信長も死んでただろう。
理想としては武田 上杉 北条の三国同盟か。
105人間七七四年:2009/05/26(火) 23:05:25 ID:BJEFKZZh
結果を知っている今だから、毛利が、毛利がと言えるけど
当時の勝頼の立場からすれば不確定要素であったわけだし。

むしろ悲観的な事を考えれば、信長は毛利と同盟し、上杉、徳川と同時に
攻め込まれ、浅井、朝倉、長島一向一揆同様、滅ぼされる可能性もあったわけだ。
106人間七七四年:2009/05/27(水) 00:12:04 ID:HC8bPjt5
>>103
謙信が
「北信濃の奥は俺が確保で、あとは信玄が切り取り次第な。
その後は相互不可侵にしようぜ。
俺は東上野や武蔵に行くから、そっちは西上野からこっちにくんなよ」
こういう性格だったらなぁ。
107人間七七四年:2009/05/27(水) 02:47:17 ID:INyZGIs9
利害が一致しないから実際はありえないけど信玄&謙信の同盟なら信長も北条もわけなく倒せて天下も取れたかもね
108人間七七四年:2009/05/27(水) 09:18:21 ID:JNDwcqqP
なんかの本で見たんだけどルイスフロイスの記述に信玄公は、家臣に尊敬と恐怖を集めていた。少しの失敗も死に繋がる為、家臣は何時も緊張感を絶やさなかった。彼は仏門に入り仏を尊重した。願いは近隣諸国を領土に加える事だとある。
109人間七七四年:2009/05/27(水) 09:59:02 ID:TxjcYAEA
同盟なんて物はお互いの利害が一致してなきゃ駄目、信長と謙信が同盟
してたのも信玄、本願寺という共通の敵がいたからこそ、その同盟も
信玄が死んで、勝頼が謙信と協調路線に変更して、足利義昭の調停に
より本願寺との和睦が成立すると、謙信と信長との同盟は終わりをつげ
た、信玄と謙信が同盟を結ぼうと思えば信玄の方が大幅に譲歩しないと
駄目だろう、謙信は凄い頑固で妥協しない男だからなあ、
110人間七七四年:2009/05/27(水) 10:35:18 ID:O1DaKxNK
武田は攻撃型の軍勢だからじっとしてられないのだろう。
つねに攻めることを念頭に置く。
これは旧日本軍とも似ている。
111人間七七四年:2009/05/27(水) 15:39:10 ID:sweEjSOz
勝つんじゃなく延命だが、長篠以降は無条件降伏とかどう?
もともとの守護職の甲斐一国だけは保てるかな?
112人間七七四年:2009/05/27(水) 17:46:23 ID:O1DaKxNK
>>111
無条件降伏は世界の歴史で初めてポツダム宣言ででてきたんではないかな。
113人間七七四年:2009/05/27(水) 18:06:11 ID:xbguxhd5
>>111
「無条件」なのに甲斐は保てるとは此如何に。
114人間七七四年:2009/05/27(水) 18:43:05 ID:Q/AG6QVY
家督を木曽義仲に譲る
115人間七七四年:2009/05/27(水) 21:39:02 ID:40JXyu6J
勝頼は信長・家康より若いから長生きして自分磨きと国力を温存すれば勝てるお
116人間七七四年:2009/05/27(水) 22:13:00 ID:AchFwynJ
>>114
旭将軍!
117人間七七四年:2009/05/28(木) 07:12:55 ID:YUghLyKg
>>102
フロイスの記録からでは光秀は以前から野心があったとある。
単純な人ではないから感情は表に出さず、黙々と信長に仕えていたのだろう。

本能寺の変では、新説では光秀は長宗我部に内応した説もある。
長宗我部サイドから親戚の斎藤利三を通じた工作もあったであろう。

光秀も武田サイドの内応工作に条件や状況次第では応じると思う

特に荒木村重や松永久秀、別所長治などがドミノ倒し的に謀反を起こしたら
光秀も謀反に踏み切るかもよ。
118人間七七四年:2009/05/28(木) 10:29:52 ID:jk80OM56
しかし信長のおべっかに騙されたのが痛いね。プレゼントの内容も寒い甲斐ですので肌着を送り、奥方様には京都の新着の着物。私はいつまでも信玄公の健康を心配しておりますだもんなぁ
119人間七七四年:2009/05/28(木) 10:45:07 ID:NhOMOdRc
美濃まで平坦な道のりなら信長が強大になる前に叩いただろうに惜しいね
120人間七七四年:2009/05/28(木) 11:44:38 ID:UeXgtUfe
>>118奥方様には京都の新着の着物

充分に喜ばれる贈り物だろう。
岐阜から京都へよく出かける信長としては、領土の背後を突かれる心配が
信玄におべっかを使わざるをえないし。

だから、徳川は重要なタテのわけだ。信長公記で信長の「舎弟」呼ばわり
されているのが、家康だが、もう一人、浅井長政も舎弟と呼ばれている。

信長と信玄(もしくは勝頼)、仲良くしたらいいんじゃないの?。どっちが上になるかは
ともかくとして。
121人間七七四年:2009/05/28(木) 11:45:57 ID:UeXgtUfe
日本語になってねえ!
122人間七七四年:2009/05/28(木) 12:10:22 ID:uWQxFL3N
>>117
史実で、実際に元亀の包囲網の時に、明智も荒木も細川も将軍や武田と
手を切って信長についているんだが。

ていうかね、史実で裏切った経験のある人間は、IFで状況が全く変化して
いても同じように裏切る、って看做すのは無理がありすぎる。
123人間七七四年:2009/05/28(木) 15:54:10 ID:jk80OM56
勝てそうもない相手にはプレゼント。勝てる相手には殺戮。信長はわかりやすいよね。一回でいいから、信玄公、謙信公、信長の三者面談をしてほしい。マッサージやら酒のお代わりまで信長がやりそうなイメージ(笑)
124人間七七四年:2009/05/28(木) 16:42:48 ID:lQo1bsAH
元亀の包囲網のとき、毛利って何していた?
125人間七七四年:2009/05/28(木) 16:49:36 ID:9m0Qz3Uc
>>122
禿同
126人間七七四年:2009/05/29(金) 08:14:25 ID:OHoNS7fj
>>123 信長のサービス精神はすごいよ。

武田滅亡時に、諏訪まで来た信長のところに、木曽氏が挨拶にきた。
信長は梨地の小刀(ツヤ消しの刀か?)などを贈り、木曽氏が帰るとき、
信長は縁側にまで立って見送った。木曽氏はもちろん本領安堵。
忠節を大いに誉められた。←信長から見ればこうなる。

木曽氏以外のサービス話としては、食事を自ら配膳したり、南蛮人に家族を紹介したり、峠にいた身体障害者を
救ったり、意外とこまめ。
127仙台藩百姓:2009/05/29(金) 12:59:17 ID:vhARGT0v
宝物を送って油断させるって中国の各学問書でよく出て来る外交戦略の基本だけど
アホの謙信はともかく兵法を学んでいたはずの信玄がまんまと引っ掛かるって一体( ^ω^)…
128人間七七四年:2009/05/29(金) 13:41:49 ID:wg8pDrNF
和民の社長みたいだなぁ。宣伝とわかってても、サービスを受けたが側は嬉しいんだろね。荒木や別所にも気を使ったけど謀叛おこされた。なんか怖かったんだろうなぁ。
129人間七七四年:2009/05/29(金) 15:09:42 ID:x9ONyFFf
信長がそうだった様に信長が40歳で死亡、家康が近親者横死しまくりで体調を崩し
信康へ家督を継がせる準備をした直後、信康が重臣大粛清で家臣団離反続出
すれば勝てたよ
130人間七七四年:2009/05/29(金) 16:11:03 ID:Z7jlV9+8
徳川だけを相手にすべきだったな。
織田をなめすぎ
131人間七七四年:2009/05/29(金) 16:18:50 ID:OHoNS7fj
勝頼の思い付きでなんとかなる程度の案にしようぜ。
132人間七七四年:2009/05/29(金) 19:06:23 ID:vEPv5mjW
無理無理w
神風でもふかなきゃ勝つ方法なんてねーよ
133人間七七四年:2009/05/30(土) 07:16:55 ID:qqtR/I7G
まず甲信地方を当時の経済の中心地にする位のチートかまさないと
難しいんじゃないか
134人間七七四年:2009/05/30(土) 09:12:48 ID:Ve+ynlXm
勝頼は戦術的には戦の才があったための悲運というものを感じる。
不利な状況では戦わない、有利な状況で戦っても思いのほか敵の反撃が強かったらすぐ撤退する、
くらいのヘタレ要素がもう少しあればと。信玄はそんな感じ。

勝頼がヘタレになったところで信長には余計勝てない?
勝頼が信長や家康に勝るものがある。それは若さ。
敵が寿命や謀反で死ぬのをひたすら長生きして待つしかない。
この場合家康のチート寿命が最大のライバル。
135人間七七四年:2009/05/30(土) 11:07:57 ID:v07MiDDQ
>>127
単に信玄のほうも忙しかったんで
わざわざ信長と敵対する必要がなかっただけ。
136人間七七四年:2009/05/30(土) 11:08:56 ID:v07MiDDQ
>>132
持ちこたえる事はできそうだが。
長篠と御館次第ではおもしろくなりそう。
137人間七七四年:2009/05/30(土) 12:20:11 ID:6lUGObvx
>>1
かつよりも負けない事が大事。
138人間七七四年:2009/05/30(土) 14:05:53 ID:69yyg7Su
>>127
信玄も駿河で孤立したときは信長に頼んで謙信を制止しているし。
しかし信玄は家康と交戦しているから騙されてるってわけではないと思う。信長の仲介でやった家康との協定(大井川を境に…)を破ってるしww
139人間七七四年:2009/05/30(土) 14:49:37 ID:1vMG4ZO6
金ヶ崎で信長、家康、秀吉が揃って討ち死。三条河原で晒し首。あとは義昭を奉じて有力大名が大老に任ぜられる。
140人間七七四年:2009/05/31(日) 04:30:55 ID:sEZA6vbn
>>122
だから、光秀の場合はどうでしょうね。
かなり前から野心があった様ですけどね。

フロイスがそう記録していますし、織田家中では光秀は2面性があるとかで
かなり嫌われてたみたいですけどね。
141仙台藩百姓:2009/05/31(日) 09:10:41 ID:eeZvDMnb
事後記載ならなんとでも都合よく書けるお( ^ω^)
142人間七七四年:2009/05/31(日) 09:13:38 ID:MUwiZhPq
本能寺が起きるのを前提としてないと無理
143人間七七四年:2009/05/31(日) 09:25:30 ID:s5qbIACr
せめて信玄時代に徳川でも潰してたら
北条との同盟は壊れる事もなく続き
そう簡単には攻められなかったかもしれない。
144人間七七四年:2009/05/31(日) 15:02:06 ID:R0+3arVD
荒木村重の場合は、本人だけでなく高山右近や中川清秀の進言で謀反を
起こしている。

羽柴秀吉でさえ柴田勝家とのトラブルで信長の許しを得ずに勝手に兵を引き上げている。

その点から見ても織田家内部統制は案外もろいところあると思うね。
特に織田家分国は意外と織田家一門領、直轄領が少ないのが弱点。
だから後になり慌てて佐久間家を取り潰して彼らの領地を織田家一門が吸収している。

それに長篠の戦に明智や荒木が来て居ないのも何だか不思議だ

>>122
完全に義昭と手が切れたの?
裏で連絡はつけた形跡はないの?

明智の謀反の場合は、長宗我部との関係があるとの説もあるから、
武田サイドが早期に長宗我部に接触していればどうなるか・・・・・
145人間七七四年:2009/05/31(日) 18:39:36 ID:H+Elc3GW
長篠では信長の作戦に負けた。本で読んだんだけど、負けなければよいと思っていたみたい。数で圧倒してるし勝頼は家臣の信頼をつかみたいから多少は無理してでも合戦するだろうと考えていた。佐久間の裏切りを信用したのもあったのかな?
146人間七七四年:2009/05/31(日) 19:30:59 ID:o8n0eMSj
>長篠では信長の作戦に負けた。





・・・君、凄いな・・・
147人間七七四年:2009/06/01(月) 07:48:47 ID:1Nx5qI0/
行間を読んであげよう
148人間七七四年:2009/06/03(水) 04:48:02 ID:dcM8wKA4
長篠の戦だけど・・・・
兵力差を過大に評価しすぎていると思うよ。

小牧長久手の例のように兵力差があってもしっかりと陣地を築けば大軍でも簡単には攻てこない
この時は豊臣側は10万の軍勢で徳川・織田信雄連合軍は3万程度
でも徳川はうかつに攻めずに判定勝ちに持ち込んでいる。

こんな感じで武田家も長篠の戦に挑めば良いのでは?
ま〜北条との同盟援軍は、あればこした事無いけど。


149人間七七四年:2009/06/03(水) 13:30:49 ID:QRIEAGZW
>>148
家康は遠江、駿河、甲斐、信濃の要衝となる城に24000程も配置してきたため
尾張には8000程しか連れてこなかったとある(吉村文書、豊臣秀吉辞典)北条氏政は
企みのある大将で家康の留守を狙って駿河に侵入するという噂があった上に
上杉が川中島を押領し猶も国中へ切って出る事が予想されたため、
駿河と相模の境の長窪に牧野康成、三河岡崎に本多重次、甲斐に鳥居元忠、平岩親吉、
伊那に菅沼、知久、晴近衆、松岡貞利、諏訪に諏訪頼忠、
木曽に木曽義昌(三月頃秀吉方に寝返る)、佐久に柴田康忠・松平康国、安曇・筑摩に小笠原貞慶を置き、
大久保忠世は伊那、佐久、小県、諏訪、松本等を指揮して廻った上浜松に留守居。
以上の武将を配置したというように総兵力の大部分を領国内に配置していた。
長久手戦参加の家康の主力武将は四天王の他はこの頃から秀吉に接近しつつあり翌年に寝返った
石川数正、大須賀康高、本多広孝・康重親子くらいで残りは刈谷の水野忠重等信雄の兵。
したがって小牧山で秀吉と対峙したときは1万6、7千と少なかった(『御当家記念録』『当代記』『御年譜徴考』『下伊那郡誌
夏の対陣の時は長期対陣による疲弊や兵站などの配慮、妻篭での木曽との戦いに使う兵の配置により
尾張に連れて来た兵はこれよりさらに少なかったと言われる
150人間七七四年:2009/06/03(水) 13:35:04 ID:QRIEAGZW
>>148
秀吉のアホ作戦で奇襲を許した。
白山林で秀次が奇襲受けた時池田勢はずっと南方の岩崎城を攻めるというかなり縦長の陣容だったが
この時秀次勢に後続させて龍戦寺で二万程家康方に対する抑えを小幡方面に向けて置いてれば
こんな自体にはならなかった。秀吉は中入り勢に楽田〜龍泉寺に至るまで砦・拠点を堅固に普請させたり
途中の家康方拠点を攻撃させながらの隠密とは程遠い堂々とした行軍を無謀にもさせた。
奇襲許してしまったのもすべては秀吉のせい。
しかも柏井にいる一柳宛書状から秀吉は家康の動き把握してたのに

すぐ軍ださなかったorのろのろ山道を行軍させて間に合わずむざむざ家康を逃がした
正午の池田勢の敗報を受け取ってから平地部分を動いてるから竜泉寺にさっさとついてるから
朝に動けば絶対間に合ったのに
軍事的才能がなさすぎる

六倍以上もの兵力差あり小牧山の北と東をガチガチに秀吉方拠点で築き
さらに遥か南東の竜泉寺に至るまで秀吉方拠点で固める周到な準備しておいて
あんな糞作戦立てた秀吉の完敗
敵地の中で無謀な行軍を中途半端にさせたのが馬鹿としかいいようがない。
池田・森が味方についたわかげで木曽川ライン超えられ、家康は伊勢方面から
尾張に転進せざるを得なくなり、伊勢南半分を蹂躙できたのに、緒戦で負け、本戦で6倍以上の兵力差がありながら
相手の5倍もの被害出す大敗を喫し池田森木下兄弟が死に、本多500に20000で足どめくらいそのあとだらだらと木曽川筋の城を
攻めるばかりで、戸木城でも負け松ヶ島城で手こずり、南伊勢でも反撃くらい
加賀の井城も正攻法で瞬殺できず滝川が作った大チャンスも無駄にし
夏の対陣でもこれまで以上の兵力差がありながら手も足もだせず、結局 晩秋に信雄の本拠地近くを
荒らしまわったら信雄がびびって降伏したから勝てただけ
当時を記した日記などや合戦参加者が書いた合戦記などの記録類によると
夏も春も砦間の小競り合い自体はあったため、ただ単純に手出し云々というより
秀吉が弱すぎて攻められなかっただけだと思われる
151人間七七四年:2009/06/03(水) 13:41:02 ID:DSKPbUA3
>>148
>>150もいってるけど単純に秀吉が雑魚すぎるだけだと思う
野戦するからにはある程度なんらかの傾斜物を超えなくてはならないのは自明の論理で、
あの場所は川とか沼地とか崖や山などに比べたら遥かに決戦しやすい上にその辺りが突破しずらいなら
戦場の変更とか転進とか兵力6倍以上ならいくらでもうつ手あるわけで。
中入り勢増やすもよし、西方面迂回するもよし。砦を一つ一つ兵力に物言わせて攻め取るもよし
支配力の弱い信濃や信雄の本拠の伊勢を荒らすもよし。結局何一つ有効な手打てないまま
だらだら対陣するしかなかった秀吉は弱すぎる

・播磨で別所や播磨国衆の裏切りで窮地に陥り信長の助けを求める
・ 熊見川で毛利にボロクソに負ける
・ 美作で宇喜多軍と協力しての軍事行動で穂井田元清に駆逐される
・防己尾城攻防で吉岡定勝に馬印を奪われる
・毛利を一人で攻め切れず援軍を信長に必死で懇願する
・倍以上の兵力を持ってして丹波平定に苦戦しまくる光秀と戦い、
光秀軍よりも多い損害を被る(しかも光秀は山崎を守るための不利な布陣を強いられていた。ランチェスターの法則でいえば倍の兵力なら相手の25%か50%の損害でなければおかしい )
・撤退中の柴田勝政や佐久間盛政を大軍で襲ってしばらく持ち堪えられる
・大きな兵力差がありながら前田が兵をひくまで少数の柴田軍と野戦で均衡状態
前田が兵を引いてなんとか助けられる
・伊勢方面で寡兵の滝川一益に大苦戦。兵糧攻めも通用せず散々苦しめられる
・わずか16000〜17000ほどの家康に領国中の兵100000程かき集めて柵もめぐらされていない
無防備な陣の小牧山も全く攻められず短期決戦挑んでボロ負けし家康軍の5倍の被害を出し
池田親子・森長可・木下兄弟を討ち取られる
・20000の大軍で本多忠勝500に行軍を妨害される
・ごくわずかな兵しかいない木造具政・具康父子の戸木城を大軍で攻撃して撃退される
・ごくわずかな兵しかいない松の木城や松ヶ島城に散々手こずる
・圧倒的兵力差がありながらわずかな兵しかいない竹ヶ鼻城、紀伊太田城、忍城を
正攻法で瞬殺できず水攻めという時間や金を異常に無駄に使いしかも
雨が降らなかったら失敗していたであろう不確実な愚策を使ってやっと落とす
・せっかく滝川一益が佐久間正勝の留守をつき前田与十郎を寝返らせて蟹江その他数城を奪い、
家康と信雄の領土を分断するという大チャンスをつくったのにもかかわらず、
なぜか木曽川筋でダラダラ陣を張り織田徳川方に滝川を駆逐されてしまう
・紀州口でも大苦戦。散々な死者を出す
・圧倒的兵力差がありながら九州征伐で仙石・長曾我部勢を先行させるという愚策を講じ見事大敗する
・圧倒的国力差がありながら家康を臣従させるため母と妹を人質に出すという失態をおかす
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条を瞬殺できず
緒戦の伊豆駿河国境の戦いでボロ負けする
・圧倒的兵力差がありながらわずか3万数千の北条に対し
手薄な支城を攻めるのが手一杯で兵站を維持できるぎりぎりの所まで
追い込まれる(降伏時も北条はかなり余力残した状態)
・ごくわずかな兵しかいない伊豆韮山城を大軍で攻めて散々手間取る
・秀次、その侍女一族や千利休を殺し人望を失う
・占領できもしないのに二度にわたる朝鮮出兵という愚行をなし案の定ボロ負けし、
国内を大いに疲弊させる
152人間七七四年:2009/06/03(水) 13:49:14 ID:nCq/O14+
楽田〜竜泉寺にかけて篠木、柏井、大草などに拠点を堅固にきづいてるから
それをうまく利用して家康の後方との連絡を絶つように小牧山から背後の家康方城や砦
陥落させてけば普通に孤立するだろうしな
軍事的センスがなさすぎる
153人間七七四年:2009/06/03(水) 13:59:13 ID:nd/brMEA
秀吉に従ったように見える諸大名も形式的にしたがってるだけでしょ
いわば実力のない公家や公方とかに形だけ頭下げてるのと同じなのは秀吉死後の惨状でわかる。
信濃では小笠原、木曽、真田が85年までに秀吉に帰属し家康の支配はわずか3郡
石川数正、水野忠重も秀吉に内応。譜代の離反&軍事機密が露見した状況で
母と妹人質に出さなきゃならん秀吉は終わってる。
154人間七七四年:2009/06/03(水) 14:21:07 ID:/rHR6MuW
……で、それとスレタイと何の関係があるってんだ。
155人間七七四年:2009/06/03(水) 14:32:10 ID:YNKANA54
目がいてーよ〜
156人間七七四年:2009/06/03(水) 14:33:54 ID:9WlMUaer
さすが戦国版。
リア厨がうようよいるぜ。
157人間七七四年:2009/06/03(水) 17:39:11 ID:uAow1Cqe
さて、そろそろ織田vs武田の話しに戻ろうか。
158以後この文章禁止:2009/06/03(水) 19:17:31 ID:YNKANA54
・ごくわずかな兵しかいない
・圧倒的兵力差がありながら
159人間七七四年:2009/06/03(水) 19:17:56 ID:2yDMdRCe
居城を駿河に移動は出来なかったのだろうか。いちいち躑躅ヶ崎から三河や遠江に出兵したら時間も軍費もかさみます。木曽路からの侵入は木曽に一任。北方は高坂に任せる。北条の同盟は必ず締結する。どうですかね。
160人間七七四年:2009/06/03(水) 19:50:20 ID:L7f7RJCG
戦国の群雄のなかで居城を国(郡)外に移した大名を挙げてみてくれないか
以外と少ないと思うぞ
161人間七七四年:2009/06/03(水) 20:06:44 ID:YNKANA54
そうだな、確かに
162人間七七四年:2009/06/03(水) 20:15:03 ID:2yDMdRCe
織田信長・・・。
163人間七七四年:2009/06/03(水) 21:36:00 ID:lZx/oeji
>>160
伊達政宗とかもそうだな。
164人間七七四年:2009/06/03(水) 21:41:21 ID:2yDMdRCe
徳川家康・・・
165人間七七四年:2009/06/03(水) 21:54:59 ID:fOUbiHKM
最近、いろんなスレで異様な長文を連発するアンチ秀吉が平日の昼間に現れるなw
166人間七七四年:2009/06/03(水) 21:59:35 ID:lZx/oeji
あと甲府の場合は山の中だし、甲斐の国の生産力が低いわけだ。
戦略目的だけじゃなく、駿府に移転して駿河を開発という
生産力アップの視点で、移転出来なかったかな?
167人間七七四年:2009/06/03(水) 22:17:42 ID:/rHR6MuW
>>166
由緒正しき甲斐守護がそんなことしたら甲斐の住民及び譜代の家臣団はどう思うか……


まあそんなこと言ってたら何も妄想れないけどな。
168人間七七四年:2009/06/04(木) 09:01:14 ID:oPA5gBXn
諏訪に移転ぐらいなら、なんとかできただろうけど。

三河に攻める場合、躑躅ヶ崎から出発すると、侵攻路は、
駿河方面か、または諏訪から伊那口を南下するルートがある。信玄の三方原の戦いでは
諏訪から南下ルートを通っている。
甲斐・信濃の両方を兼任している関係上、いちいち三河や遠江に出兵するために
居城を移動するなら、駿河または諏訪だな。というかNo2?が赴任する高遠城がすでに存在しているけど。
169168:2009/06/04(木) 10:11:45 ID:S5o0+aUn
遠江に攻める場合、ね。浜松城があるあたり。
三河に攻めるのなら木曽路ルートや、長篠城経由の道などもあるからな。

浜松城の家康を攻めるなら、駿河に拠点を置くのも有望だが、高遠城もいいのでは?という話。

「甲斐・信濃の両方を兼任」というのは守護のこと。
170人間七七四年:2009/06/04(木) 16:31:13 ID:NC0Xm6i3
>>159
甲府から駿河まで当時でも1日掛からない
時間も軍費も嵩まないから、前提が完全に誤りだなw
>>166
開発は江戸時代になってからな、戦国時代は逃散防ぐのが第一
171人間七七四年:2009/06/04(木) 21:45:16 ID:PrRif4RH
駿府は武田による焼き討ちで壊滅したらしく、完全に復興するのは江戸時代になってからっていうしな
172人間七七四年:2009/06/04(木) 21:47:24 ID:S5o0+aUn
>>170甲府から駿河まで当時でも1日掛からない
って、本当か?
駅ナビで、甲府から富士駅まで検索したら88kmもあったぞ。
静岡だの焼津までだともっと距離がある。
前提が間違ったか?。
173人間七七四年:2009/06/04(木) 23:44:17 ID:TeVulRY3
どっちみち2、3日あれば着く距離じゃん
中国みたく戦場まで数週間、数ヶ月掛かるわけじゃないんだし
本拠移転しても意味ない、移転は気分的なもんだろ
174人間七七四年:2009/06/04(木) 23:50:31 ID:PrRif4RH
2〜3日あれば着く距離
それが意味無い気分的というのであれば
本拠移転した大名の多くの事例に当て嵌まると思うんだが

その2〜3日の差が重要なのか、軍事目的以外の理由で移転したかってことだな
175人間七七四年:2009/06/05(金) 01:07:17 ID:WcwWtBav
88キロを2・3日というのも絶対ウソだろw
176人間七七四年:2009/06/05(金) 03:23:23 ID:SOGId5Xx
個人ならともかく軍隊として移動するとなるとな
中世ヨーロッパだと一日での行軍が30キロはかなり早い強行軍ペースだった気もするが
ナポレオンで通常行軍が一日15キロ〜20キロほど
177人間七七四年:2009/06/05(金) 07:36:56 ID:tyA3NKRr
>>174
気分だよ気分、名古屋から岐阜なんて1、2日の距離だし大して意味ない
「よーし、新しい土地手に入れたし、信たんハリキってお城造っちゃうぞー」的なノリ
中国にもいたじゃん土木工事大好きな奴
始皇帝とか隋のヨウダイとか元の世祖とか吉外の修験僧とか、アレの系譜
>>175
信玄の上洛戦のとき、府中出立が5日、一言坂が14日、1日平均30キロだからそんなもんだろ
178人間七七四年:2009/06/05(金) 10:25:31 ID:gOTqn3jV
躑躅ヶ崎から駿府まで約90キロ。輸送部隊やら足軽が徒歩での遠征で一日は無理があるでしょう。一日で着いた記録でも残っているのでしょうか?
179人間七七四年:2009/06/05(金) 14:20:21 ID:OKNpVb80
>>177
足軽って徒歩で仮にも軍装なんだから、一日30`はムリポ。

あんたそんなに歩ける?
180人間七七四年:2009/06/05(金) 14:24:43 ID:OKNpVb80
>>177
あんた一日30`歩ける?
しかも兵装で。
181人間七七四年:2009/06/05(金) 14:46:27 ID:5LH2RvSy
自衛隊なら一日40kmとかザラだけどな
182人間七七四年:2009/06/05(金) 14:55:18 ID:gOTqn3jV
上洛戦と城を救援するときの進軍スピードも違うだろ。ナポレオンやら信長は軍勢を民衆に見せつける為に進軍速度が遅かったと聞く。勝頼の場合は急ぐシーンがほとんどでしょ。
183人間七七四年:2009/06/05(金) 15:02:55 ID:lKkxU3AL
旧日本陸軍の行軍距離は日に24キロで兵装40キロが基準だったとか。
武装勢力の襲撃があるかも知れないわけで、ある程度警戒しながらの行軍。
また、味方から脱走者がでないように監視したり、四方八方に物見を出さないといけない。
しかも、トイレだって大軍が勝手に野グソしてたら偉いことになる。
日がでてるうちに宿営地の確保や煮炊きする水や薪を集めたり、馬のえさも必用。
行軍ってことのほか大変なことは容易に想像つくと思うが。
184人間七七四年:2009/06/05(金) 15:04:50 ID:lKkxU3AL
そんなことはない
185人間七七四年:2009/06/05(金) 15:05:51 ID:E9+5KAGK
そう
186人間七七四年:2009/06/05(金) 15:06:27 ID:lKkxU3AL
>>184は182に対して。ズレた。
187人間七七四年:2009/06/05(金) 15:26:29 ID:7+yYguUw
勝頼は、拠点を駿府などに移転して近くにすれば
信長と家康にもう少し有利に戦えた
という案に賛成。

高天神城から使者が出発しても、帰ってくるのに往復で一週間もかかっていたら、
的確な指示も動きもできないだろ。
188人間七七四年:2009/06/05(金) 16:33:31 ID:OGsGUsV7
>>180
上洛戦のとき府中〜青崩峠(約190km)を7日間で進軍してる
>>187
使者なら、処理時間考えなければ3日で往復可能だろ
189スレチすまん:2009/06/05(金) 17:28:02 ID:aZgvGSDv
>トイレだって大軍が勝手に野グソしてたら偉いことになる

「川中島合戦で2,3万の兵が長期間したウンチは処理できたのか?」
という論説を思い出した。
190人間七七四年:2009/06/05(金) 17:31:00 ID:eSl85Mr/
>>187
禿同!
駿府城(今川館)再建で良いのでは?

拠点の駿府移転計画は、義信の方がやり易い。
191人間七七四年:2009/06/05(金) 17:49:34 ID:fo2Yic91
むしろ長期に渡って同じ場所で一定量が供給されるため農民が貰いに来るんじゃね
192人間七七四年:2009/06/05(金) 17:49:42 ID:GO9okKIp
織田鉄砲隊が居並ぶ戦場から逃げるしかないよ
193人間七七四年:2009/06/05(金) 17:51:59 ID:lKkxU3AL
武田軍最大の武器といえば輸送力でしょ?
領域中に張り巡らされた狼煙網と棒道。
いったん、ことあれば荷駄や兵員が棒道を使い急行。
徳川にすれば、どこから寄せてくるのかわからないほうが厄介だと思うがな。
194人間七七四年:2009/06/05(金) 18:21:48 ID:OKNpVb80
>>190
それがいいよ。
利権を甲府に遺して実を取ればよい。
195人間七七四年:2009/06/05(金) 20:05:06 ID:7+yYguUw
んだ!
196人間七七四年:2009/06/06(土) 15:13:23 ID:1lM/1vdx
そうだっぺよー。御屋形さまがいれば、信長もめじゃないだっぺよー。一揆が起こりました。河川が氾濫してます。米の収穫が最悪のようです。 武田勝頼さまご命令を
197人間七七四年:2009/06/06(土) 23:05:09 ID:teA3rqXr
拠点を駿河に遷せば徳川への抑えにはなるけど甲府で内乱が起きるでしょうね
198人間七七四年:2009/06/06(土) 23:12:33 ID:LEhPQx7J
>>197
何を根拠に。
199人間七七四年:2009/06/07(日) 00:21:59 ID:Ub3sTt6W
信長にアヘンを、家康に天ぷらを献上し中毒死させる
200人間七七四年:2009/06/07(日) 05:45:47 ID:lGaLlaEq
>>198
希望的妄想に基づく推論ってやつだよ、信長厨お得意の
201人間七七四年:2009/06/07(日) 09:23:55 ID:XGPYeWu3
三河、遠江を主戦場とするなら、武田は駿河に本拠地を移すべきでしょう。
そして北条との同盟をより強くし、北条に対し援軍の確保と北関東での対上杉
軍事行動を確約させるべき。

また、徳川家に的を絞りなるべく武田家は織田本隊とは激突しないよな作戦
を建てるべき、特に長篠の戦開始以前に武田家は遠江の完全な確保が重要。

同時に武田家は毛利、長宗我部とも結び織田家内部の畿内での謀反を増幅
させる作戦も重要。

荒木村重や別所長治は毛利の内応に応じて謀反を起こしている。松永久秀
は上杉をたより謀反を起こしているので、武田家からの内応にも応じる
可能性が多きい。

織田家主力部隊が三河に来た時点で畿内で謀反を連続的に起こさせ、
織田家主力部隊を武田家だけに集中させない事が重要。
202人間七七四年:2009/06/07(日) 10:16:51 ID:YutWIaxr
203人間七七四年:2009/06/07(日) 10:41:30 ID:mS1Oruwc
駿河攻めの時
駿河・遠州両国を一気に制圧することはできなかったのかな?
家康との協同出兵は後年禍根を残した感じがする
とはいえ謙信氏康と敵対するから上野・北信に5千〜7千は残しておくとして
1.5万の兵力じゃ無理か
204人間七七四年:2009/06/07(日) 18:50:14 ID:K0wjNb3i
駿河攻めの時、家康だけでなく、北条まで敵に回ったから、
駿河・遠州両国を一気に制圧することはできなかったよ。

それどころか、逆に甲軍は、いったん占領した駿河から撤退するありさま。そこで次は、
北条を攻めることになり、大迂回して、軽井沢を経由して上野、武蔵を通り、
小田原城を包囲している。落城させることはできず、帰路は近道を通って甲府?に退却。

こうして駿河方面に出ていた北条軍を関東に引き戻したことで、
その年のうちに、またもや大規模な軍事行動を起こして(出費大!)
駿河侵攻、ようやく駿河を占領している。

というわけで、駿河・遠州両国を一気に制圧するなんて、とても無理ぼ。
205人間七七四年:2009/06/07(日) 19:37:13 ID:8oFQhdMD
勝頼もバカじゃない。経済力に差が出てるのはわかっている。一大決戦で連合軍に痛打を与えるしかないと感じていたのだろう。老臣に先代と比べられるのは辛い。なんとか自分こそが武田を天下に導かせると言いたかったのかもしれない。
206人間七七四年:2009/06/07(日) 20:31:51 ID:YN93a19a
>>205

信玄も同じように感じていたでしょ。
ただ単独では勝てないから、信長包囲網を作って
乾坤一擲の一撃を信長に与えようとした。

勝頼は本願寺、長島一向一揆と包囲網を作れば
少しは結果が違ったと思うのだが。
207人間七七四年:2009/06/07(日) 20:35:39 ID:8oFQhdMD
それにしても義景めー。最大の好機に兵を退くとは。馬鹿なのか。阿呆なのか。いや。どちらもだな。にワロタ
208人間七七四年:2009/06/07(日) 21:05:00 ID:pk/PyKYq
>>206
そうは言っても、長島一向一揆は浅井朝倉滅亡から一年も経たずして鎮圧されてるがな。
高天神の戦いのだいたい3ヶ月後か。
209人間七七四年:2009/06/07(日) 22:42:43 ID:YN93a19a
>>208

だからこそ連携をとる必要があって。
浅井・朝倉は信玄死亡直後だから仕方ないけど
210人間七七四年:2009/06/07(日) 22:45:04 ID:hm2bAVM2
俺が武装ヘリでひとっ飛びして信長討ち取ってやんよ!
211人間七七四年:2009/06/07(日) 23:27:10 ID:6X38l9gj
高天神城の戦いは、武田が勝利し遠江の3分の2を押さえた。
残りは浜松城など浜名湖周辺だけ、何故このときに遠江全土を押さえなかったのか大変不思議だ。

織田の援軍も岐阜まで来たけど、武田と戦う気は無い。

長篠の戦の1年も前に高天神城を落としたのだから、武田はもっと早くに
遠江全土を押さえるべきだった。
212人間七七四年:2009/06/08(月) 09:32:34 ID:xRLWlDoE
>>206
本願寺も毛利の支援があるので何とか持っている感じ、
長島の一向一揆も数だけ多くて軍事力として何処までのものか不明

やはり武田は毛利、長宗我部と組むべき、毛利は荒木や別所、長宗我部は明智
の内応を成功させているので、彼らと組む事で畿内の織田家部将が謀反を
起こす可能性が出てくる。
そうなれば三河、遠江に織田主力部隊は出て来難くなる。

それとは別に武田は北条との同盟も強化すべき。
213人間七七四年:2009/06/08(月) 11:04:56 ID:xsvslcRw
北条と仲良くやってりゃ滅亡しても氏真みたいに亡命できたんじゃね
そんでお情けで江戸時代に大名復帰して明治維新でがんばる
214人間七七四年:2009/06/08(月) 19:01:43 ID:/wThcoxj
yahoo知恵袋で以下の様な設問がありました。
★武田信玄が今川家と徳川家の領地を取り込んだ場合、信長にはあまり影響はなかったでしょうか?

(返答)
@領地だけを取り込んだ場合は、影響は少なかったでしょう。
 しかし、徳川家を取り込んでしまったら、かなりの影響があったはずです。

という意見と

A徳川家が無ければ、信長は西進できない。

という説の両論がある。
215人間七七四年:2009/06/08(月) 19:25:26 ID:JgGjrCv8
徳川なくなったら信ちゃんヤバイだろw
216人間七七四年:2009/06/08(月) 21:01:39 ID:3uasfGzG
というか徳川家が武田側になったら信たん死亡確認だろ上皇
217人間七七四年:2009/06/08(月) 23:59:39 ID:DsJ7jt/a
勝てない
どんな天才でも勝てない
218人間七七四年:2009/06/09(火) 05:41:45 ID:5lcIHL12
武田騎馬軍団を騎馬鉄炮隊に変える。高天神城を中国の城塞みたく、街を塀で囲む
219人間七七四年:2009/06/09(火) 06:39:06 ID:5zZfZHZa
とりあえず核兵器をry
220人間七七四年:2009/06/09(火) 08:27:59 ID:o1JJJLmd
>>211 家康と信長の同盟は盤石、ということになっているが、じつはそうでもなかった。結果として決定的に決裂することはなかったが、徳川はかなり武田に色目を使っていた。
信長の主力は近畿方面で活動しており、徳川への援助に柴田、明智、羽柴等、一線級を投入することは考えられなかったから、これはいたしかたない。
武田もそれを分かっていたから、徳川に対して決定的な戦いを挑むことはせず、なんとか織田、徳川の関係に楔を打ち込もうとしていた。
もし、徳川を決定的に攻めてしまうと、逆に徳川を織田側に追いやってしまうことになる。
家康が武田との関係を一切考えなくなったのは、信康、築山殿を切ったときだろう。

 
221人間七七四年:2009/06/09(火) 11:47:22 ID:O/4zDAmY
家康は豊臣をあっさり裏切った挙句、あらゆる手段で徹底的に叩いて
滅亡させたような恨の思想だからな。
信長が死ななければ、明智と同じこといつかしただろうな。
周囲を固めてから。
222人間七七四年:2009/06/09(火) 17:14:54 ID:uyllJV9d
馬上でウンコ漏らすようなクソッタレだからな
223人間七七四年:2009/06/09(火) 21:14:00 ID:KqYEaD5x
勝頼なら徳川すらも滅ぼせなかっただろう
224人間七七四年:2009/06/09(火) 22:17:24 ID:3hCG9pVX
養子を受け入れて自殺あるいは殺害されれば武田の名は残るかも知れん!
225人間七七四年:2009/06/09(火) 22:55:34 ID:lEaTo2RU
>>211 日本と米国の同盟は盤石、ということになっているが、じつはそうでもなかった。結果として決定的に決裂することはなかったが、日本はかなり中凶に色目を使っていた。
米軍の主力は中東方面で活動しており、日本への援助にF22、空母、海兵等、一線級を投入することは考えられなかったから、これはいたしかたない。
中凶もそれを分かっていたから、日本に対して決定的な戦いを挑むことはせず、なんとか米国、日本の関係に楔を打ち込もうとしていた。
もし、日本を決定的に攻めてしまうと、逆に日本を米国側に追いやってしまうことになる。
太郎が中凶との関係を一切考えなくなったのは、犬作、そうかを切ったときだろう。
226人間七七四年:2009/06/09(火) 23:19:06 ID:3hCG9pVX
上手い!座布団一枚
227人間七七四年:2009/06/10(水) 00:05:51 ID:EAYEliiw
有難うございます。失礼致しました。
>>220 
確かに家康は、信長への不満を徳川家臣に言っていますね
援軍が遅いだの少ないだの、褒美の領地が少ないだの・・・・・

長篠の戦直前には、家康は「今回の戦いに負けたら武田につこう」と言っていますから
徳川はかなりノックアウト寸前のフラフラ状態だった可能性大です。

武田家サイドから見れば、この時点で徳川を滅ぼしておいた方が良い感じがします。
面積だけみれば、三河の東北部を中心に三河の半分近くの領地を武田が押さえています。
吉田城を落せば徳川は西三河の小大名に転落です。
また、現在の藤岡町や豊田市あたりまで武田が占領すれば織田家の出身地の尾張に
接する事になります。

もう少し勝頼は、徳川家の意向に囚われずに力ずくで遠江の完全占領と
三河の占領地拡大で尾張、美濃のへの足がかりをつけておくべきだと思います。
すでに東美濃は武田領ですし。
228人間七七四年:2009/06/10(水) 07:15:12 ID:jmOsx7h6
浜松城占領か?。城下まで攻め込んでいたが、
浜松城を落とすとなると、相当かなりの軍事行動を
起こさなければならないだろう。

3万の軍勢で、城を包囲を最低3ヵ月くらい。その間に織田の援軍も来るだろうし…。

遠江の完全占領は、勝頼にはキツいんじゃね?。
229人間七七四年:2009/06/10(水) 08:27:53 ID:4XECQJve
しかし浜松城と堅固な守りでは勝るとも劣らない高天神城を勝頼は
落としているわけで、その勢いで浜松城も包囲出来ないか?

織田の援軍はこの時期に来るだろうが、長島の一向一揆と本願寺への対応で
援軍は着ても、信長自身はどうだろう?
高天神城を落としたときも、信長は岐阜まで来てなかなかソコから動かなかった。

それに浜松城を落すには3万も要らないでしょう。2万で十分じゃね。
時期には確かに3ヶ月はかかるだろうけど。

高天神城落城から長篠の戦まで1年あるのだから、浜松城、吉田城、野田城
ぐらいは落としておいて欲しかった。勝頼は信長野戦軍の撃破ではなく
城攻めを注力にすべき。
また長篠の戦に1万5千しか動員していないのも兵力は少な杉で信玄の
西上作戦と同じ規模の3万3千ぐらいは動員してしないと武田は信長に勝てない。

また別働隊で飛騨の占領もこの時期までに完了しておくべき、
美濃への攻勢を武田家は、飛騨、東美濃、三河の三方向から行う体制に。
230人間七七四年:2009/06/10(水) 09:48:32 ID:jmOsx7h6
うむ、同意。2万で十分じゃろ。
浜松城は、高天神城の先だから、勝頼は本拠地を駿府まで近付けておく必要があるな。

なにしろ、高天神城落城から長篠の戦まで1年しかないのだから、急がねば。

二俣城からと一緒に浜松城を攻撃して、落城させれば、家康は岡崎に逃げるだろうが、
勢力は大きく減って、長篠の戦いでは、家康の軍が抜けていないのであれば
(長篠では先陣にあたる最も危険な位置にいた)、長篠の戦いで勝頼にも勝機はある。
231仙台藩百姓:2009/06/10(水) 13:36:52 ID:8Acfk12B
高天神城攻略後またすぐ二万も動員するのは無理があるのではないかお( ^ω^)
232人間七七四年:2009/06/10(水) 16:12:28 ID:6NapRG1N
信玄時代は2万五千なのに
勝頼は1万3千ってなぜ数が減るんだろ
233人間七七四年:2009/06/10(水) 16:28:14 ID:ikxsZQht
長篠城を落とす事と家康単独の戦いだから、一万数千で十分と踏んだ。信長が後詰めに来るとは思って無かったんだろうね。高天神や東美濃の件もあるし。だから長篠城を落とすのが難しいなら、村や町を放火して撤兵すべきだった。
234人間七七四年:2009/06/10(水) 17:44:39 ID:ti4nrkbz
いっそ、長篠の前後辺りに織田に臣従して1〜2ヶ国ぐらい安堵してもらうってのは無しかね?
その後、一時的には滝川一益の机下の関東軍に加わる事になるのだろうが、上手くすれば本能寺の変のドサクサで
独立して上杉と似た路線で豊臣への臣従まで生き残れるかもしれんし、
そうすれば生き残ったって意味で少なくとも織田には勝った事になるのでは。
235人間七七四年:2009/06/10(水) 19:03:48 ID:YWWcmp5w
長篠の戦いに至るまで、信長の動きはかなり慎重で、岐阜から三河へ急行はしていない。これは、徳川の裏切りを警戒していたからだろう。
設楽ヶ原の西に大規模な野戦築城を行ったのも、武田を恐れたというよりも、万一徳川が離反しても自軍が総崩れにならないようにするための用心と考えることが出来る。
勝頼が突進したのは、参戦していた織田の家臣、佐久間信盛が裏切る約束をしていたから、という説があるそうだが、これは「徳川」と読み替えるべきだろう。
戦いが始まると、信長は自身の本営を離れて、家康の陣所を訪れ、そこで並んで指揮をとる。こうなると家康はもう変な動きはできず、裏切るとすれば自身で信長を刺し殺す他ない。もちろんそんなことをすれば次の瞬間自分の命もない。
三河物語によれば、このとき目覚ましい働きを見せた大久保兄弟のことを、信長は「味方かと思えば敵、敵かと思えば味方、てきに膏薬のように張りつく」と評したとされる。
これは徳川の動きに対する皮肉ではないか。 
236人間七七四年:2009/06/10(水) 19:17:42 ID:ikxsZQht
志茂田景樹のような説、ありがとうございます。参考になりました。
237人間七七四年:2009/06/10(水) 20:04:37 ID:QTGf8twr
名門なのがあだとなったというのはありそう
信長みたいに軽い生まれならホイホイ居城変えられたけど、甲斐守護だから動けないという縛りがあったんだろう
駿河獲った後にそっちに本拠移せば、地慣らし出来るし戦の準備戦費の軽減等々美味しいとこ取りだろうに
238人間七七四年:2009/06/10(水) 20:45:16 ID:jmOsx7h6
信玄が、重体になりながらも、駒場から躑躅ガ舘に帰ることができて、

以後、ほとんど動けない状態だったとする。

そうすれば、勝頼は駿河に移動して、バリバリと働けた…と考えることもできるわな。
甲斐守護の役目が、まるごと継承されてしまったのでは、何かと負担大杉。
239人間七七四年:2009/06/10(水) 20:56:13 ID:pYyWm4k4
俺は>>235の説は悪くないと思ふ
240人間七七四年:2009/06/10(水) 23:12:57 ID:wVtQK+ps
駿河に移動ってデメリットの方が大きくねぇか…
241人間七七四年:2009/06/10(水) 23:41:08 ID:Cbvca7Ic
>>230
>二俣城からと一緒に浜松城を攻撃して、落城させれば、家康は岡崎に逃げるだろうが、
>勢力は大きく減って、長篠の戦いでは・・・・・・長篠の戦いで勝頼にも勝機はある。

一番良いの浜松城落城時に家康が討ち死にするか切腹するのがベスト、
後が信康なら武田サイドは味方にするにせよ、攻撃するにせよ、
いくらでもやりようがある。

それに上に書かれていたように、武田の遠江の完全占領で徳川の領地と動員可能
兵力がガタット減る。1万人から7000人くらいまでに減るのではないか?

そうなれば長篠の戦に徳川は8000人も出せない。4000〜5000が良いところ。

武田が徳川を遠江から追出せば、そもそも長篠の戦そのものが発生しないと思う。

もっと三河の南側の吉田城付近での合戦になるだろう。
徳川の軍勢は少なくなるし、野戦がイヤなら信長が来ても、
武田が浜松城を修理しそこに籠城すればいい。

その間に武田の別働隊に東美濃から岐阜城を攻撃しても良いし、
毛利に畿内への攻勢をかけさせても良い、別所や荒木が畿内で謀反を起こしかねないし、
松永もそれに続く可能性がある。そうなれば信長は三河どころではなくなる。
242人間七七四年:2009/06/10(水) 23:49:22 ID:Cbvca7Ic
>>231
高天神城を落城させたときは武田は25000人を動員している。
高天神城落城後に武田勢は帰国しないでそのまま浜松城を包囲すればいい。

>>233 禿同。
武田は前提条件が変ったのだから撤退するか、援軍が来るまで合戦を待つべき。

>>235
面白い意見ですね、戦国大名の裏の話しみたいです。
ただ武田がふらついている徳川をソコまで当てにするかなと?思います。

そもそも武田は徳川のみを潰す為の出陣だったわけですから。
243人間七七四年:2009/06/11(木) 05:06:56 ID:9SFnsKtl
なにもしなければ信長自滅
244仙台藩百姓:2009/06/11(木) 10:14:22 ID:s+2BBtfA
>>242
さすがに連投だと信長の後詰めが来てしまうお( ^ω^)
撤退するにも決戦するにも囲みを解いて方向転換するのは不可能に近いお
やはり綿密に他勢力との連携を取る必要があるお( ^ω^)
245人間七七四年:2009/06/11(木) 10:40:13 ID:lfnLF+lC
手取川の戦いでは、織田(柴田)48000で上杉が20000、
織田は半分以下の上杉勢に負けているので織田の軍勢がそれ程強いとは思わない。

織田と武田の軍勢が同数なら武田が勝ちだろうし、少しぐらい武田の軍勢が
少なくても織田になら勝てる気がする。
ただ長篠の戦は、武田は織田の軍勢の3分の1しか無いのに戦うから負けた気がする。
>>233
仮に徳川単独の攻撃でも織田の後詰めが来る事を予想して武田側は少なくても25000
は出すべき、出来れば30000欲しいくらい。
また北条からの援軍1万もあれば鬼に金棒。

織田の援軍が着ても武田サイドに35000から40000の軍勢があれば
長篠の戦は武田の力攻めで勝てた気がする。
ただし、武田も被害甚大だろうが、少なくても徳川の息の根は止められる。

織田の援軍が三河に来た時点で毛利が播磨東部を攻撃し、荒木や別所、松永
の謀反が起きればなお良し。

この時点での織田家は10万人の軍勢動員ができるが、上杉、毛利、本願寺
を考えると半分も動かせない。意外と織田側の予備軍は少ない。
246人間七七四年:2009/06/11(木) 11:01:03 ID:lfnLF+lC
>>244
一年後に長篠の戦で戦うよりもこの時期に戦った方が、武田には有利だと思う。
長篠の戦の時よりも武田は動員数が多いし、徳川は高天神城で負けて物理的にも
心理的にも被害を受けている。

長篠の戦のように織田と徳川連合軍ではなく織田と武田の一対一の戦いに持ち込める。
高天神城落城直後の徳川は浜松城に籠城したまま動けないかもしれない。

>撤退するにも決戦するにも囲みを解いて方向転換するのは不可能に近いお
これはそうかな?何故出来ないのか良く分からない。

>やはり綿密に他勢力との連携を取る必要があるお( ^ω^)
禿同。
毛利とは良く連絡を取るべきですね、畿内へ侵攻させて織田の部将の謀反を誘発させるべき、
また北条との同盟も寄り強くし援軍を派遣してもらうべく手を打つべきでしょう。
247仙台藩百姓:2009/06/11(木) 12:12:29 ID:s+2BBtfA
>>246
確かに高天神城落とした勢いで当たるのは良いだろうけど
織田の後詰めが迫る中、浜松城を囲むのは余りに危険だお
織田に当たるにしても浜松城の押さえに相当数残さねばならないし
どちらか一方が破られれば挟撃されて殲滅の憂き目に遭うのは必定
リスクが大きすぎるお┐ (´ω`) ┌
やるなら織田徳川を引き込んで決戦するべきだが
信長のやる気のなさを見るに、乗ってくる可能性は低いかと
やはり高天神城を攻める前に毛利、本願寺、三好あたりと示し合わせて同時に攻勢に出てもらい
北条を積極的に北関東へ向かわせて上杉を牽制した上で遠江へ侵攻するのがよいお( ^ω^)
248人間七七四年:2009/06/11(木) 13:45:19 ID:GjrktrnM
しかし、信玄公亡きあと長篠まで二年近い時間がある。信長が援軍を送る状態にない時世なのに、家康を滅亡ないしは降伏させられなかったのだろうか。少々無理しても、上洛軍と称して遠江と三河を吸収できれば経済、軍事力がアップになる。信長と対決にも十分勝機が出る
249人間七七四年:2009/06/11(木) 14:09:44 ID:Jcb2JJRI
>>247
なるほどね〜
>織田の後詰めが迫る中、浜松城を囲むのは余りに危険だお
>織田に当たるにしても浜松城の押さえに相当数残さねばならないし
>どちらか一方が破られれば挟撃されて殲滅の憂き目に遭うのは必定
>リスクが大きすぎるお┐ (´ω`) ┌

信長のやる気のなさを見ると、岐阜から遠江まで来るのに1ヶ月近くかかりそう、
武田はその間は浜松城を囲み、織田の後詰が迫ってきたら囲みを解き野戦に切り替えるのは?

徳川は、おそらく逃げ腰で織田と連合してもあまり役に立なさそう。
家康は、浜松城防衛に頭が一杯でしょう。
武田が信濃から別働隊で三河を攻撃でもしたら、家康は岡崎城に撤退するのでは?

>やるなら織田徳川を引き込んで決戦するべきだが
>信長のやる気のなさを見るに、乗ってくる可能性は低いかと

武田が浜松城の囲みを解いて野戦の構えを見せた時点で信長は一万の援軍
だけを置いて岐阜に戻りそうだな。

>やはり高天神城を攻める前に毛利、本願寺、三好あたりと示し合わせて同時に攻勢に出てもらい
>北条を積極的に北関東へ向かわせて上杉を牽制した上で遠江へ侵攻するのがよいお( ^ω^)

禿同
北条を上杉と北関東でぶつける事で、武田サイドは東海道で北信濃の高坂弾正の部隊8000が使い易くなる。
武田は総動員し易くなる。そのほかに出来れば北条からの援軍(5000〜10000)も欲しい。
信玄の西上作戦の時も北条は援軍を出している。
250人間七七四年:2009/06/11(木) 15:42:14 ID:ch41pWeA
長篠後、武田は倍の兵力で徳川に追い回されてるぞ。
高天神城周辺ではボロボロ。
251人間七七四年:2009/06/11(木) 16:35:52 ID:H+hZGXa7
歩みは遅いが、高天神の落城前には三河の吉田城まできている事は来てるんだけどな。>信長の援軍


>武田はその間は浜松城を囲み、織田の後詰が迫ってきたら囲みを解き野戦に切り替えるのは?

おそらく一万前後の徳川軍が籠っているであろう浜松への抑えは無し?
高天神の落城で物理的、心理的に打撃を受けている以上、浜松に籠ったまま指を加えて織田と武田の戦を傍観していたのでは、どちらが勝つにしても徳川の武名は致命的に失墜するから、打って出ないという事は無いだろう。
252人間七七四年:2009/06/11(木) 19:36:09 ID:fcvymBTE
>>251
>おそらく一万前後の徳川軍が籠っているであろう浜松への抑えは無し?

一万もいるのか?三河防衛部隊も必要だし高天神城も落ちているのに?
6〜7000人くらいでは。

それに徳川が浜松城に篭っているから武田は困っているのでは?
織田と連合して徳川が野戦に打って出てくれれば武田もありがたいだろ。

信長が武田と戦ってくれればの話しだが。
この時期は本願寺の動きも活発で長島の一向一揆も健在だし、
北条が武田に援軍を出したら余計に武田が有利になる。
253人間七七四年:2009/06/11(木) 20:03:38 ID:rzsteGkw
浜松城と高天神城は、直線距離で10キロくらいしか
離れていなかったんじゃね?
254人間七七四年:2009/06/11(木) 20:09:27 ID:fcvymBTE
それなのに何で家康は高天神城を助けに来ないの?
255人間七七四年:2009/06/11(木) 20:26:55 ID:jotRD34A
>>254
それは数が少ないからじゃ
256人間七七四年:2009/06/11(木) 20:42:36 ID:fcvymBTE
言わずもがなの事を仰々しく有難う
257人間七七四年:2009/06/11(木) 20:58:36 ID:lsL2s2AL
高天神城が落ちたとはいえ、
高天神から北に10km先には徳川方の掛川城があり
高天神から西に40km先の浜松城を攻撃するには背後を
脅かされて危険だな。

やるとしたら新田次郎の小説に出てくるように
武田水軍を使うべき。
258人間七七四年:2009/06/11(木) 21:53:54 ID:jotRD34A
やはり調略こそ重要
これが出来ないと話にならん
259人間七七四年:2009/06/11(木) 22:01:58 ID:fcvymBTE
じゃ浜松城を攻撃する前に掛川城を包囲しないとな。
それとも武田軍を1万と1万5千に分けて、1万のほうは掛川城を
1万5千は浜松城を包囲しますか?

織田の後詰めが来てるから二つに分けるのはヤバイかな。

>高天神の落城前には三河の吉田城まできている事は来てるんだけどな。>信長の援軍

北条の援軍か北信濃の高坂部隊が到着したら武田は織田と野戦をした方が良いかも、
浜松城は武田水軍に任せて。
260人間七七四年:2009/06/11(木) 22:29:32 ID:HAkZ1udY
軍事力、国力的に
武田=大日本帝国
徳川=大英帝国
織田=アメリカ合衆国
くらいの感じ?
だったらどうやっても無駄じゃん。ドイツ役さえいないし。
261人間七七四年:2009/06/11(木) 22:41:54 ID:lsL2s2AL
武田が支配した駿河、遠江って山ばかりなんだよね。。。

あと少し西に行けば平地が広がる穀倉地帯に行けたのに。

国土が広いわりに動員数が少なかったのは
国土が山ばかりだったからか。
262人間七七四年:2009/06/11(木) 22:45:16 ID:W8YVYdRW
>>260
国力はともかく軍事力は真逆だろうな
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50〜60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
これは確定

タオパイパイが大勢でヘトヘトで傷だらけになった
一人のべジータを銃で撃って殺したようなもんだなそれまでの外的要因による武田領国の疲弊や兵力差、対北条徳川の
出兵による疲弊を考慮せず武田滅ぼされたとか
言うなら信長は圧倒的大軍を動員できるのに仁科盛信1000以下に城外戦で5〜60000の大軍
で武田より多くの
被害出して一門の一人死なせるほど戦下手の信忠が少数でいる所を二条城で圧倒的大軍
で襲って押し返される失態を演じ、
丹波平定でも大苦戦するザコ光秀率いる寡兵に殺されたのも実力と言ってる様なもの。
武田が滅んだのも長篠でのダメージや越後出兵、対北条、徳川の多方面戦略などに
よる軍役の増加、新府築城、無理な中央集権化などにより国人豪族らの不満が
最高潮に達してそこを圧倒的大軍で襲ったから離反がおきまくって勝てた
だけ。抵抗したの仁科くらいだし。
長篠以降ですら徳川は勝頼に手こずってるし同数で装備も同じで普通に織田と純粋な戦術的勝負すりゃ武田が圧勝だろうな
相手が運良く自爆したから勝てただけ。
武田はさきの長篠城攻めでの疲弊、かなり強固な陣城への雨でぬかるんだ
地面のなかでの突撃さらには大量の鉄砲やかなりの数的不利といった相当
不利な状況のなかでの敗戦だけどこれだけ有利な状況で所々柵を破られ、
武田に長時間戦われる織田軍は弱すぎる
対吉良、今川戦で勝ちまくり姉川で大奮戦する最強武将家康が押されまくってる
時点で武田の強さは証明されてる兵力差を差し引いて考えても
本拠地からの距離で考えたらさして侵略しやすいとはいえないのに
城落としまくりうまく城から釣り出し野戦で
非常に軽微な被害で大勝し風前の灯火においこんだこれと同時して
恵那への侵攻もおこなってるくらい。強すぎる
山県は6千の兵で東美濃攻防で信長三万を地形を利用して
かく乱し撤退に追い込んでる
長篠の後で勝頼が軍の再編成しててろくに援軍送れない状態で、美濃で孤立してた秋山隊が籠る岩村城を大軍で攻めて
4か月かけても攻略できず5か月目に最後はだまし討ちにした織田
織田軍は武田攻めでわずか1000にも満たない仁科に50000〜60000の大軍で城外戦で武田方より多い損害だし一門の一人が戦死
武田>>>>>>>>>織田
263人間七七四年:2009/06/11(木) 23:06:35 ID:yA3F4Wi3
>>262
信玄厨うざい。
コピペばかり張りおって。
巣に帰れ
264人間七七四年:2009/06/11(木) 23:20:20 ID:AuNCsveU
>>262
流石に飽きたわ。
265262ではないが:2009/06/11(木) 23:29:47 ID:lsL2s2AL
有料の農業体験として田植えをして分かったのだが
田植えというのは足腰を鍛える(w

見事に次の日、筋肉痛になった(w

農民兵が多い武田軍=強兵説は本当だと思う。

しかも甲斐は山ばかりだし。
266人間七七四年:2009/06/11(木) 23:46:28 ID:C8pQ27SZ
兵の強さなんてそんな差出るもんじゃないだろ
統計図ったわけでもないし
富裕国なら装備で補えそうだし。
指揮官の能力の問題だろうな
267人間七七四年:2009/06/12(金) 00:03:25 ID:U1zqfF7i
同じ人種で強いも弱いもないわな。
指揮官にしたって、ある程度の統率力は必要だろうが、
実際に合戦が始まってしまったら、無線も無い時代で
それ程細かい指示が出せた訳じゃないだろうし、

戦いは数だよ、兄貴。
268人間七七四年:2009/06/12(金) 02:12:58 ID:KioJPV/D
兄貴。 だっておw
装備・訓練の差が少なくなった近代以降の原則を持ち出すとか頭悪いわぁw
269人間七七四年:2009/06/12(金) 02:30:37 ID:LqWHt61D
ドズルのセリフも知らんのか。
270人間七七四年:2009/06/12(金) 07:21:06 ID:1ExbNBSu
今でも狩猟民族の流れをくむアフリカの黒人と
農耕民族の流れをくむアジアの黄色人では基礎体力が全然違うよね。

戦国時代の甲斐と尾張・美濃では、それくらいとまでも
いかないまでも、ある程度の差はあったと思う。

証拠なんてないけど。
271人間七七四年:2009/06/12(金) 07:49:22 ID:qdD7cgIu
>>262
もう、それだけ強いなら
「なんで負けたの??」
って話になるわさ。
まるで、日本刀一本で数百人殺し〜毎日元気に強姦して〜軍需物資を惜しみなく使い〜
の例の南京コピペの旧日本軍みたいだw
272人間七七四年:2009/06/12(金) 08:10:41 ID:ZaE2X5RI
>>250
その高天神は陥落まで6年かかってるんだが。
勝頼は何度も後詰に成功。
北条の相手してた勝頼が徳川に反転してきて徳川があわてて
退却した事もあるし。
>>260
あの当時の徳川が大英帝国とかいわれると物凄い
違和感があるのだが。
>>261
適当いわんでくれ。
普通に駿河は当時の流通で栄えた豊な地帯だぞ。
武田も遠江で平野部に入ってきてる。
三河も北部を抑えてきてる。
徳川の領土はずいぶん削られてたぞ。
>>271
長篠における敗北。
勝頼の外交失敗からの連年の多方面作戦による疲弊、
これだろ。
273人間七七四年:2009/06/12(金) 08:50:17 ID:iT/tm88j
徳川が大英帝国、についてだが、大平洋戦争中に極東まで派遣された英軍は、
かなり少ない。よって、

武田=日本
徳川=イギリス
織田=アメリカ

は、ぴったりする。ドイツは…、本願寺&足利将軍ぐらいか。
274人間七七四年:2009/06/12(金) 09:58:23 ID:bTJKGVF/
武田は、徳川の変な調略に引っかからなければ、
遠江、三河、飛騨あたりまでは行けると思うんだけどな。

東美濃も信玄の時代に押さえて居いるんだし

その先の尾張や美濃中央部(岐阜城)を武田が落すのは大変だろう、
補給線も延びきっているし、武田家国内の疲弊もある。

弱兵名高い尾張衆も必死に抵抗するだろうし。
275人間七七四年:2009/06/12(金) 10:16:14 ID:bTJKGVF/
>>272
禿同。

>武田も遠江で平野部に入ってきてる。
>三河も北部を抑えてきてる。
>徳川の領土はずいぶん削られてたぞ。

確かに高天神城を落とした後は武田は遠江の3分の2を押さえている。
徳川は浜名湖周辺だけしか保持していない。

三河も奥三河は武田が押さえたが、税収源である田園地帯や東海道
重要港湾施設・河川はまだ徳川が押さえてる。
武田が吉田城を落城させたら三河南部も武田が東から押さえ始められる。

織田の援軍さえ適当にあしらえば、
三河と遠江はあと少しで武田のモノになったと思う。
276人間七七四年:2009/06/12(金) 10:27:55 ID:m34bZSmY
>272
そりゃそうだろ。
国力、動員可能兵力、武田は長篠後も徳川の何倍あるんだよ。
初めて数年は武田の後詰めに徳川は引いたが、信康粛正後からは
武田は後詰めには来るけど徳川は一切引かず、
逆に武田が小競り合い劣勢に成って甲斐に引き上げてるぞ。
高天神城の最後なんて酷いぞ。
徳川に降伏拒否されて、武田本体釣り出す為に、ちょっと離れて包囲されて、
ガンガン高天神城から甲斐に向かう使者見逃し、
結局、武田は後詰めの兵も送らず見殺しだからな。
城兵は打って出て玉砕してるし。
高天神城落城の時点で、武田は徳川にも劣る軍事力しか持ってなかったんだよ。
徳川にも単独で武田に勝てる力も無いけど。
277人間七七四年:2009/06/12(金) 12:07:39 ID:TFSvYGHz
>>271
ただ単に別の敵との戦闘でよわよわに弱ってるとこを圧倒的大軍で襲っただけでしょ
タオパイパイが大勢でヘトヘトで傷だらけになった
一人のべジータを銃で撃って殺したようなもんだなそれまでの外的要因による武田領国の疲弊や兵力差、対北条徳川の
出兵による疲弊を考慮せず武田滅ぼされたとか
言うなら信長は圧倒的大軍を動員できるのに仁科盛信1000以下に城外戦で5〜60000の大軍
で武田より多くの
被害出して一門の一人死なせるほど戦下手の信忠が少数でいる所を二条城で圧倒的大軍
で襲って押し返される失態を演じ、
丹波平定でも大苦戦するザコ光秀率いる寡兵に殺されたのも実力と言ってる様なもの。
武田が滅んだのも長篠でのダメージや越後出兵、対北条、徳川の多方面戦略などに
よる軍役の増加、新府築城、無理な中央集権化などにより国人豪族らの不満が
最高潮に達してそこを圧倒的大軍で襲ったから離反がおきまくって勝てた
だけ。抵抗したの仁科くらいだし。
長篠以降ですら徳川は勝頼に手こずってるし同数で装備も同じで普通に織田と純粋な戦術的勝負すりゃ武田が圧勝だろうな
相手が運良く自爆したから勝てただけ。
武田はさきの長篠城攻めでの疲弊、かなり強固な陣城への雨でぬかるんだ
地面のなかでの突撃さらには大量の鉄砲やかなりの数的不利といった相当
不利な状況のなかでの敗戦だけどこれだけ有利な状況で所々柵を破られ、
武田に長時間戦われる織田軍は弱すぎる
対吉良、今川戦で勝ちまくり姉川で大奮戦する最強武将家康が押されまくってる
時点で武田の強さは証明されてる兵力差を差し引いて考えても
本拠地からの距離で考えたらさして侵略しやすいとはいえないのに
城落としまくりうまく城から釣り出し野戦で
非常に軽微な被害で大勝し風前の灯火においこんだこれと同時して
恵那への侵攻もおこなってるくらい。強すぎる
山県は6千の兵で東美濃攻防で信長三万を地形を利用して
かく乱し撤退に追い込んでる
長篠の後で勝頼が軍の再編成しててろくに援軍送れない状態で、美濃で孤立してた秋山隊が籠る岩村城を大軍で攻めて
4か月かけても攻略できず5か月目に最後はだまし討ちにした織田
織田軍は武田攻めでわずか1000にも満たない仁科に50000〜60000の大軍で城外戦で武田方より多い損害だし一門の一人が戦死
武田>>>>>>>>>織田
>>276
国力はともかく軍事力は真逆だろうな
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50〜60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
これは確定
278人間七七四年:2009/06/12(金) 12:28:17 ID:huF/EsL8
長文痛杉。

とくにここ↓

同数で装備も同じで普通に織田と純粋な戦術的勝負すりゃ武田が圧勝だろうな
279人間七七四年:2009/06/12(金) 12:32:00 ID:5GdlntyL
>>277
窮鼠は猫を噛めないと思ってんですね、わかります。
280人間七七四年:2009/06/12(金) 13:02:49 ID:LmKxGATV
甲斐征伐の時、家康を強力化させたくないから。降伏するなら甲斐信濃は安堵。更には幕僚に加えると書状を送った説もある。もしかすると、光秀、秀吉と同じ位評価していたのかもしれませんね。
281人間七七四年:2009/06/12(金) 13:04:49 ID:DzZ4VkWG
当時の印象だと
武田=ドイツ
徳川=ポーランド
織田=アメリカ
282人間七七四年:2009/06/12(金) 13:55:42 ID:onEiV79D
信玄「いいか勝頼、三年大人しくしとるんじゃぞ。でも瀬田に武田の旗を刺せ」
勝頼「はい父上!」
(`▽´)ゝ
元亀4年(1573年)4月、信玄が病死したため、武田姓に復し、家督を相続し、武田氏第20代当主となる。

7月、信長は足利義昭を破り京都から追放。室町幕府滅亡。
(;`皿´)ムム、オノレ信長
7月28日には元号を元亀から天正へと改める。
(;`皿´)偉ソウニ、シカシ遺言デ動ケン
天正元年(1573年)8月、三好三人衆の一人・岩成友通を討伐。
同月、朝倉攻略。
(;゜□゜)ハァッ!?」
8月、家康は武田氏に従っていた三河山間部の山家三方衆の内奥平貞能・貞昌親子を調略。
ムカー(;`皿´)/人質三人串刺シジャ!
9月、浅井攻略。
(;゜皿゜)チョッ!シカシ遺言ガ…
11月、三好攻略。
(∩゜□゜)アーアー聞コエナイ」
12月、松永久秀が多聞山城を明け渡し、信長に降伏。
キー!p(;`皿´)qモウ限界!遺言ドオリニシテタラ差ガ開ク一方ダヨ!

o(`皿´)o進メ!アノ馬鹿(信玄)ノセイデ遅レタ分ヲ取リ戻スノジャ
しかし長篠の地にて、信玄のせいで開きすぎた織田との力の差を目の当たりにするのであった。
283人間七七四年:2009/06/12(金) 15:03:33 ID:LmKxGATV
家康「オイオイオイ。作戦会議かよ。キッヒッヒ」。勝頼「家康ってヤローは兵力は少ないが信長を呼ぶ。油断するな」。穴山信君「調略にかかって動けない」。勝頼「死ねー」
284人間七七四年:2009/06/12(金) 18:33:50 ID:X2U+kajH
長篠の敗戦は痛いが、その後の外交をもう少しうまくやればあそこまで簡単には滅びなかった
糞の役にも立たなかった甲越同盟なぞ結ぶより第2次甲相同盟を維持するべき
285人間七七四年:2009/06/12(金) 18:40:04 ID:zRbYElZR
北条に責めていったのは失敗だよな
対峙しても攻めて行くとなると金がかかるからね
北条は上手く和議できると思う
286人間七七四年:2009/06/12(金) 19:14:11 ID:iT/tm88j
>>282おもしろいじゃん。
信玄死後のあまりにも急激な変化がよくわかる。
287人間七七四年:2009/06/12(金) 19:24:13 ID:K3RGMqDE
武田厨の自慢する信玄の戦果の実像w

小田井原の戦い1547年 信玄27歳 
武田軍4000 山内上杉軍3000
関八州古戦録のねつ造

塩尻峠の戦い 1548年 信玄28歳
大勝利は甲陽軍艦のねつ造

〜 25年間の空白w〜

三方ヶ原の戦い1573年 信玄54歳
武田軍 2万7千 徳川・織田1万1千
戦力差は2.5倍 勝って当然


寡兵の敵に負けまくりの武田信玄の無様な戦歴w

上田原の戦い 

武田軍8000 VS 村上軍5000
武田軍死者700〜1200 村上軍死者 300
(板垣信方、甘利虎泰討死 信玄負傷)


野々宮の戦い

武田5000 VS 小笠原1000 
武田軍死者 300

砥石崩れ 

武田軍7000 VS 村上軍 2500
武田軍死者1000〜5000  村上軍死者 193
(横田備中討死)


第四回川中島合戦

武田20000  VS 上杉13000
上杉軍の死者3400 負傷者6000
武田軍の死者4600、負傷者13000
(武田信繁、諸角虎定、山本勘助討死)

三増峠の戦い
武田20000  VS 北条6000〜7000
被害不明
(浅利信種討死)

犀ヶ崖の戦い
武田27000 VS 徳川軍 100
武田軍 死者数百
288人間七七四年:2009/06/12(金) 20:25:20 ID:rYMxTeXf
甲陽軍艦では勝頼は信玄でも落とせなかった城(高天神城?)を落としたが、
強すぎる武将と評価してたな。
しかし、譜代の家臣や一族が離反していく中で、
土屋は何故天目山まで付き従ったのか心意を知りたいなぁ。
289人間七七四年:2009/06/12(金) 20:40:55 ID:zRbYElZR
上杉から裏切ったやつも最後まで勝頼についたな
290人間七七四年:2009/06/12(金) 21:04:04 ID:GBgfKJfw
>>282
織田と武田の領地や石高、兵力の差は確かにあるけど
(織田400万石10万騎vs武田家130万石3万5千騎)

織田は超多面戦争で予備軍が少なく対武田戦に割ける兵力は3万がいいところ、
それ以上を捻出しようとすると織田は何処かの戦線を諦めなくてはならなくなる。

対して武田は北条との同盟さえ維持できれば対上杉用の北信濃の高坂部隊
以外は全部使える。

武田と織田の動員数は結構良い勝負だよ。
291人間七七四年:2009/06/12(金) 21:27:42 ID:onEiV79D
>>290
北条とかの同盟関係を考慮するなら、織田の同盟家や従属家の事も思い出してあげて下さい(ノ△T)
292人間七七四年:2009/06/12(金) 21:38:37 ID:LmKxGATV
287。沸いてくるな織田厨が。運任せのチキン南蛮野郎。お前等はホットモットのチキン南蛮弁当でも食ってろ
293人間七七四年:2009/06/12(金) 23:27:33 ID:9AvYxvH3
長篠の戦いの前に本能寺の変がおこっても、
天下は織田の息子か家臣が取りそう。
294人間七七四年:2009/06/12(金) 23:32:14 ID:C+Jzi0gt
史実ですら一時的に秀吉政権になっただけで家康に天下奪われたのに何いってんの?
信長いなけりゃ織田なんて雑魚だよ
信長死んだだけで瓦解したし
295人間七七四年:2009/06/12(金) 23:47:36 ID:akomp+65
家康は一門だから
296人間七七四年:2009/06/12(金) 23:48:05 ID:2BUv1Kcj
上田城に籠もれ
指揮は真田昌幸に一任
297人間七七四年:2009/06/12(金) 23:57:51 ID:/nR/vCaD
>>267
... こちらスネーク。大佐、聞こえるな。
298人間七七四年:2009/06/13(土) 00:19:47 ID:eWT81J2g
(∩゜д゜)あーあー聞こえない
299人間七七四年:2009/06/13(土) 00:19:49 ID:ZWLMvIF/
織田は内部統制が意外とガタガタ

手取り川の戦い(上杉vs織田)の前に柴田勝家と羽柴秀吉が喧嘩して
秀吉が勝手に軍勢を率いて撤退、一人勝家が戦う事になり
おかげで戦いは織田の負けでした。

その後信長は、秀吉をなにも処分していないんだ〜?
近代の軍隊なら銃殺モノだよ。
300人間七七四年:2009/06/13(土) 00:38:14 ID:bLg1s/47
>>299
それが妙なんだけど
結局、命令違反でも使える奴は生かしておいた方がいいってことだろう
301人間七七四年:2009/06/13(土) 00:57:26 ID:ZWLMvIF/
文章はもとより、口頭でも叱った形跡無いんだよ

それに時期的にこの近辺に、織田家の謀反が続発する

意外と織田家内部ガタガタなんじゃないのか?

武田家の方がまとまっている感がある、最後はメタメタだけど。
302人間七七四年:2009/06/13(土) 00:58:27 ID:l4KEYmkM
使えない奴がやってたら処刑だな
303人間七七四年:2009/06/13(土) 01:05:35 ID:DNXFPMuD
普通に中国の情勢が悪化し近畿も悪化したんだから秀吉が抜けるのも信長も納得するだろ。
謙信と対峙するところなんて所詮まだ北陸に収まる。
謙信は関東にも敵を抱えていて上洛が容易く行かないのが目に見えてる。
一方の毛利は本願寺を支えて畿内を乱すチャンスのある唯一の勢力。
そんなのがでしゃばってくるのが信長にとって一番うざいだろ。
304人間七七四年:2009/06/13(土) 01:07:27 ID:grSWP5fi
松永攻囲任されてるから他で使いたがってたんだろうな
305人間七七四年:2009/06/13(土) 02:10:15 ID:WrV4cJwD
さっき新田次郎の武田勝頼読み終わった・・・・結構面白いな・・・
306人間七七四年:2009/06/13(土) 03:18:30 ID:3c5XLI1H
305。確かに面白い。あれは布団の横で共にすると、朝になる。勝頼の哀愁もあいまって最高の仕上がりだ。なら、TSUTAYAに行き、武田信玄を借りれ。興奮も増すぞ
307人間七七四年:2009/06/13(土) 04:05:27 ID:0M+p+ojJ
  家督相続年 死亡年 活動年数 相続時勢力圏 最大勢力圏   勢力拡大率    死後
信長  1551年 1582年  31年  4万石   *600〜800万石 150倍〜200倍 大名としての織田家は存続
信玄  1541年 1573年  32年  26万石    73〜94万石  2.8倍〜3.6倍 大名としての武田家は滅亡

*織田は京と堺を抑えていたので実質は1200万石とも言われている。
308人間七七四年:2009/06/13(土) 08:34:39 ID:4GBrzHXt
相続時勢力圏 → 最大勢力圏が凄い差だね
地理的条件を考慮してもスピードが違いすぎるw
309人間七七四年:2009/06/13(土) 08:45:05 ID:WrV4cJwD
>>307
現在の米価格10kg4000円と考えて年商7200億円以上か・・・・凄いな
310人間七七四年:2009/06/13(土) 13:22:14 ID:3c5XLI1H
てことは、総動員すると約20万の兵力か・・・。もちろん武田戦線には全兵力で当たる事はないと思うけど。勝頼が無理しても3万が限界でしょ?うーむ。詰みかなぁ
311人間七七四年:2009/06/13(土) 13:46:15 ID:ziEmdkTN
京と堺だけで400万石分も収入あるか??
312人間七七四年:2009/06/13(土) 13:50:11 ID:bLg1s/47
新田の小説は現代に生きる会社人と同じ感覚で読める
313人間七七四年:2009/06/13(土) 14:24:23 ID:JNN4v1yT
ミサイル購入すればよかったんだよ。
314人間七七四年:2009/06/13(土) 21:59:16 ID:Xi1vTZDR
>>311
あるわけないじゃんw
最近他スレで捏造がバレて、武田関連の叩きスレを立てたり
荒らしたりしまくってる奴がいるから、そいつの犯行だろうw

まあ、潜在的な価値として京都1〜2万石、堺数千石ってとこじゃね
315人間七七四年:2009/06/13(土) 23:30:34 ID:hy9jtj9G
>>276
なんというかな。
その高天神陥落当時武田の主力がどこにいたと思ってるんだか。
北条と戦いが始まって久しいから東上野をはじめとする
関東を攻めてるんだよ。だから遠江方面がお留守になってる。
それでも高天神は陥落まで6年かかってその間何度も後詰に成功してるけどな。
だから高天神は割譲する気だったという説すらある。
信長が勝頼の威信を落とすために降伏を認めないで全滅させたとかいわれてるな。
316人間七七四年:2009/06/13(土) 23:44:10 ID:hy9jtj9G
>>282
ああ、面白い面白い。お前の捏造適当歴史は楽しいよ。
実際勝頼は一年もしないうちに動いてるんだが。
高天神が落ちたのはいつだったと思ってるんだか。
それから織田様が滅ぼした越前だが、三ヶ月でそのずさんな統治に激怒され
一向宗を引き入れられてのっとられたから。
これが織田の手に戻るのは長篠あとな。
相変わらず適当歴史で何より。
>>286
間違いまくりの適当歴史だけどな。
317人間七七四年:2009/06/13(土) 23:46:13 ID:hy9jtj9G
>>287
小田井原の戦いは妙法寺記にあるといってんだが。
兵力三千のソースはいつ出るんだ?

塩尻峠も同様。てか塩尻は現地の神官の記録もある。

野々宮の戦いって小笠原が主張してるだけで
武田側にはないけどな。
しかもそれを信じたとしても先鋒を破っただけで
本軍が来たら逃げ出してるし。

上田原は村上も武将が何人も死んでる事、戦場から先に離脱したのは村上であることも書いておけ。

砥石が武田の被害5千ってなんなんだ。
軍鑑ですら793だぞ。

川中島は土地を確保したのが武田である事も書いておけ。

三増峠は豊前山城が北条側で死んでることも書いとけ。

犀ヶ崖の戦いなんて布の橋で敵を引っ掛けたとか言う明らかに作り話なんだが。
仮にそれを真実と見たとしても数十人程度しか殺せないってのに。
数百ってなんだ。

てか寡兵に負けまくりってなら織田様だろ。合戦一覧参照しとけ。

信長は文字通り1日で崩壊しちゃったもんな。まさに前代未聞。
318人間七七四年:2009/06/13(土) 23:49:50 ID:hy9jtj9G
>>290
それなんだけどね。
>>316にも書いたとおり、越前は三ヶ月で一向宗の勢力下に入るから
400万石になんか達してない。
>>291
徳川はもうぼろぼろだけどな。
>>293
たぶんすぐに瓦解する。天下はたぶん無理。
>>295
その一門の絆は信康が死んだ時点でたたれてるだろ。
319人間七七四年:2009/06/13(土) 23:51:19 ID:hy9jtj9G
>>307
織田はもともと20万石以上あったはずだが。

武田は100万石以上は固いはずだが。
上野全土で12万石とかいう電波のソースはだせるのか?

織田が1200万石のソースも出してみな。

織田は嫡流断絶だが。
それいったら武田も徳川の息子が入って武田信吉となり
水戸藩にいたる系譜になってるのも書いとけ。
江戸時代に高家に列したこともな。
320人間七七四年:2009/06/13(土) 23:52:32 ID:hy9jtj9G
>>308
>>319参照。ま、織田厨の適当恣意的捏造勘定は
いつものことだから。時系列歪曲にいたるまでなんでもござれ。
321人間七七四年:2009/06/14(日) 01:12:13 ID:3FH9SQyS
>>305
あれ面白いね
人物がよく書けてるから物語に説得力がある
322人間七七四年:2009/06/14(日) 03:21:55 ID:Q6Mw202V
織田厨の石高捏造説は飽きたわ。武田は間違いなく100万石はあった。信勝に殺されたら無駄な殺生は無かっただろうに。織田厨はニートや派遣切りが多いらしいな。蛆虫どもが
323人間七七四年:2009/06/14(日) 08:12:52 ID:M++TYAML
高天神に穴山、岩村に木曽を…
324人間七七四年:2009/06/14(日) 13:13:09 ID:Q6Mw202V
323。抵抗するまえに、降る。調略引っかかりコンビに城主やらせるのは無駄なこと。
325人間七七四年:2009/06/14(日) 17:07:51 ID:KHloo5MS
>>322
お前そうとうひねくれてるなw
その人格じゃお前も遠からずニートや派遣切りになるだろーよww
326人間七七四年:2009/06/14(日) 18:13:34 ID:5QlfJvu4
やっぱ、勝頼が勝つには高天神城陥落後に無理してでも浜松、掛川に手を出すべきだった…てわけ?
327人間七七四年:2009/06/14(日) 18:13:52 ID:0dQargYJ
>>315
つまり、西はどうしようもないから現実逃避で東を攻めたのですね
328人間七七四年:2009/06/14(日) 18:42:29 ID:0dQargYJ
>>326
高天神より掛川の方が重要
落とせるかは知らんが
329人間七七四年:2009/06/14(日) 19:03:07 ID:W4T8NoQo
>>322
あの…
ρ(o^∀^o)コレコレ
大卒者の無職率
1位沖縄県 | 30.0%
2位熊本県 | 20.4%
3位福島県 | 20.1%
4位山梨県 | 18.8%
330人間七七四年:2009/06/14(日) 19:07:32 ID:W4T8NoQo
>>322
大卒者の無職率
1位沖縄県 | 30.0%
2位熊本県 | 20.4%
3位福島県 | 20.1%
4位山梨県 | 18.8%
  ↑ココ(o^∀^o)
ミエル?ココダヨ(o^∀^o)
331人間七七四年:2009/06/14(日) 19:17:58 ID:hUei7ABd
熊本ってそんなに高かったのか……
332人間七七四年:2009/06/14(日) 20:07:57 ID:Q6Mw202V
沖縄は別格として、我が山梨が・・・。三流企業に勤めているだけでも有難いこってす。反勢力が信長に抵抗しているうちに、家康を潰せるかがカギですな。
333人間七七四年:2009/06/14(日) 21:47:34 ID:0dQargYJ
岡崎-吉田-浜松-掛川のラインが断たれない限りは徳川は一定の戦力を維持できる
本貫が西三河というのも潰しにくい一つの根拠かと
334人間七七四年:2009/06/14(日) 21:57:15 ID:L2aoNTji
今川の領土を攻め滅ぼしたように、
遠江侵攻は、武田と、北条で協力して攻めるべきだろう。

って、無理か。
335人間七七四年:2009/06/14(日) 22:43:57 ID:4lvoV819
>>327
上杉と同盟したのも現実逃避だろうなあ
336人間七七四年:2009/06/14(日) 23:08:54 ID:L2aoNTji
上杉と軍事同盟というよりは、休戦か講和、というレベルみたいな感じだな。
337人間七七四年:2009/06/15(月) 00:00:36 ID:hb+JNbGm
>>334
その場合の北条の利はどんなもんかねえ。
338人間七七四年:2009/06/15(月) 02:54:55 ID:Pxdug7zi
武田が本拠を駿河に移すっていうのはあったと思う
新領土安定させられるし収入は望めるし、東海道攻め上るのに好都合だし穴山に怪しい事されずに済むし
駿河にいれば位取りで徳川も完全に潰せたろうに
339人間七七四年:2009/06/15(月) 03:27:45 ID:hb+JNbGm
とは言え、どこに移すんよ。駿府は「灰燼に帰した」とまで焼き討ちにしてるんだし。
340人間七七四年:2009/06/15(月) 03:51:04 ID:rhTiWt5l
移すなら江尻だろ、移す必要性も意味も全然ないけど
341人間七七四年:2009/06/15(月) 08:24:32 ID:zXBQ1aEh
甲斐から離れると信濃の国人がいらぬ色気を出しそう
342仙台藩百姓:2009/06/15(月) 11:13:39 ID:KiQpm4LB
それこそ、座して死を待つよりも死中に活を求めん、だお( ^ω^)
信玄だってそう思って織田方と手切れしたわけだし
対立が決定的になった今、守っていても仕方あるまいお
日を置けば味方が喰われるだけだし
戦は攻める方が有利なのだお( ^ω^)
343人間七七四年:2009/06/15(月) 15:22:22 ID:jSPIFNDY
仮に織田に従属しても大勢力である勝頼はなんだかんだで領地を削られる
甲斐一国で我慢できれば従属もありだろうけど
344仙台藩百姓:2009/06/15(月) 18:00:21 ID:KiQpm4LB
武家にとっては領地の広さよりも自立を守る事の方が重要だから
従属はまずありえまいお( ^ω^)
信長が将軍にでもなっていたならまだ諦めもつくかもしれないけど
あの時点で織田に従属は無茶と言うものだお( ^ω^)
345人間七七四年:2009/06/15(月) 18:10:00 ID:nQLgwC8/
346人間七七四年:2009/06/15(月) 19:36:12 ID:IpK1Hrq1
>>326
そう思うね、高天神城の戦いの方が、長篠の戦より無理していない。
高天神城の戦いでは25000の軍勢を率いている。
長篠の戦ではたった15000しか居ない。

>>328
浜松城を攻める前に掛川城を攻めましょ
北信濃の高坂部隊を呼んで、さらに北条からの援軍もチャッカリ呼んで
織田の援軍と掛川城付近で戦うのも良いかも。

武田勢が援軍込みで35000になると、もしかすると織田勢(30000)が帰るかもしれない。
この時期はまだ一向一揆や本願寺の動きも活発だし、毛利だって播磨から畿内を狙っている。
>>303にあるようにこの時期信長にとって一番目障りなのは田舎大名の武田より毛利の方かもよ。

>>333
岡崎-吉田-浜松-掛川のラインのうち、北条の援軍(5000)と武田の兵力集中(30000)が出来れば
浜松-掛川のラインを落とすのはそれほど難しくない。
長篠城なんて見捨てて吉田城を攻撃した方が全然戦略的に良い。
長篠の戦に武田が15000で挑む方がはるかに困難。
347人間七七四年:2009/06/15(月) 20:50:29 ID:zXBQ1aEh
>>346
武田家は意外に平城や平山城の攻城戦には苦戦している
相手が数百なら兎も角、千以上になると数ヶ月単位で包囲する必要があるが
それだけの大軍を活動させるだけの基盤が武田家にあったか疑問
348人間七七四年:2009/06/15(月) 21:28:30 ID:fONToJiW
>>272
>適当いわんでくれ。
普通に駿河は当時の流通で栄えた豊な地帯だぞ。
武田も遠江で平野部に入ってきてる。

今の地形を見る限り山ばかりだけど。
349人間七七四年:2009/06/15(月) 21:39:27 ID:fONToJiW
>>315

勝頼時代に、東上野で大規模な合戦ってあった?
調略がほとんどだったと思うけど。
350人間七七四年:2009/06/15(月) 23:02:36 ID:OhRliajb
絶句した
駿河が山ばかりって……
351人間七七四年:2009/06/15(月) 23:08:00 ID:fONToJiW
三河と比べて「山ばかり」と書きたかったのだが。
352人間七七四年:2009/06/16(火) 00:53:25 ID:2KU+R3kV
しょこたんのまね?をしてる方、本格的に気持ち悪いんですが・・・。早く家庭を持たれて、子供を作られては?
353人間七七四年:2009/06/16(火) 01:35:24 ID:vlaO7N+j
ギザカワユスなあ
354人間七七四年:2009/06/16(火) 05:49:13 ID:2KU+R3kV
信長たん。甲斐と信濃は安堵してほしーの。ほしのあきからのお願い。信長「あきたんのためなら、ほしのあき中納言、領地伊勢、伊賀、近江南部。50万石だお」
355人間七七四年:2009/06/16(火) 13:38:41 ID:ANOnrWy5
超キモッ
356人間七七四年:2009/06/16(火) 21:51:47 ID:IYKYUL7a
>>342
>それこそ、座して死を待つよりも死中に活を求めん、だお( ^ω^)

確かに一理あるな。

桶狭間の戦いだって一歩間違えれば織田軍は絶滅だったわけだし。
357人間七七四年:2009/06/17(水) 01:22:18 ID:KhOrkOyT
>>356
桶狭間で勝ったのは奇跡的
それと同じように狙ったのが長篠だった
358人間七七四年:2009/06/17(水) 15:54:21 ID:WolP2m07
全然違うじゃねえか馬鹿自慢かお前?w
359人間七七四年:2009/06/17(水) 18:53:23 ID:JCVYIXnU
周りの家老たちが引き止めたにもかかわらず、「突っ込め!」と命令する殿様。
という点で同じなんじゃね?
360人間七七四年:2009/06/17(水) 19:38:30 ID:REqZEknM
>>359
>周りの家老たちが引き止めたにもかかわらず、

これは甲陽軍艦にしか出てこない話で
今では創作と見なされているけど。
361人間七七四年:2009/06/18(木) 00:06:38 ID:5tOIitUf
>>360
最終決断の判断課程なんて書状や参加当事者以外の日記には記述されないからな
もし仮に二万八千歩譲って軍鑑にしか出てこないとしても不思議はない
362人間七七四年:2009/06/18(木) 00:19:52 ID:83cqHwjQ
軍艦マーチ
363人間七七四年:2009/06/18(木) 01:13:36 ID:7zsaGgwQ
>>346
高坂部隊がどうのと宣ってるが高坂は上杉に対する備えだから動かないよ
これは軍艦に書いてある
364人間七七四年:2009/06/18(木) 02:12:52 ID:eE/p/gSA
武田家に港が無いのが辛いな。貿易で経済を潤すのは、尾張を統一する前の信長もやってる。となると、山国から天下を望むのは無理なのかな?
365人間七七四年:2009/06/18(木) 03:26:48 ID:vrrHcr5e
何を基準に勝利とするかで変わってくるやろ
366人間七七四年:2009/06/18(木) 13:19:13 ID:X0EM0x8E
>>334>>337
武田は織田の東国の戦線ど真ん中を受け持っている。
織田家本貫地と準本貫地である尾張美濃を東から攻撃する態勢が武田家

もし武田が滅びれば、織田が関東にやって来て北条単独で闘う羽目になる
事実秀吉の時にそうなった。
だから北条が関東で残りたいなら武田家を支援し、関東に織田が来ない様にするしかない。

この説明で武田は北条に援軍要請を出せば良いのでは?

武田家は北条のバリアーになっていると思います。
367人間七七四年:2009/06/18(木) 18:39:53 ID:lSaJbN/p
>>366
北条の援軍は無理じゃないかな。
その説明で動いてくれるなら、とっくに共闘体制が築けててもいい筈だが、
現実には漁夫の利を狙う風見鶏的な動きしか見せなかったし。
武田と北条の場合、それまでの遺恨でお互い信用出来ない状況だったろうし、
北条は北条で、信長にしろ秀吉にしろ自領での防衛線で最終的にはどうにか追っ払える
だろ的な敵を見誤った楽観が見え隠れしてるし。
368人間七七四年:2009/06/18(木) 18:47:30 ID:X0EM0x8E
>>366
んじゃ〜何で信玄の西上作戦の時に北条は援軍出したのよ?
その理屈では武田に天下取らせる必要は無いじゃない。

たしかに戦国の世、北条からすれば武田を完全に信用できないだろうが
織田徳川だって信用できないでそ、
上杉なんてもっての他って感じじゃね?

その上での武田信玄の西上作戦への援軍なんだろ。
369人間七七四年:2009/06/18(木) 18:49:25 ID:X0EM0x8E
>>368>>366は間違い!  >>367だった。
370人間七七四年:2009/06/18(木) 18:58:06 ID:lSaJbN/p
>>369
ID一緒だったから、だと思ったぜw

で、西上作戦だけど、基本風見鶏だから武田が攻勢かけてるような優勢のうちは
援軍でも何でも出してくれるだろうが、織田・徳川を迎え撃つ時点じゃ無理じゃないかと思うが。
風見鶏ってのはそういうもんだし。
371人間七七四年:2009/06/18(木) 19:10:43 ID:X0EM0x8E
>基本風見鶏だから武田が攻勢かけてるような優勢のうちは
>援軍でも何でも出してくれるだろうが

長篠の戦までは東国戦線は武田の優勢だよ、それ以降はダメだけど。

そんなら長篠の戦までは武田は、北条の援軍は頼めるな。
372人間七七四年:2009/06/18(木) 19:20:28 ID:lSaJbN/p
>>371
勿論、北条に武田の方が優勢な事を認識させる事ができれば出してくれるだろうね。 >援軍
ただ、優勢が崩れた時点で簡単に引いてしまう事も容易に想像できるけど。
つまり、本気で勝頼が北条の支援を当てにするのなら、長篠で負けない事を含めた、
徳川(+織田)に対して史実以上の優勢を保つ事が最低限の前提条件だろうと思う。
373人間七七四年:2009/06/18(木) 20:18:21 ID:X0EM0x8E
>つまり、本気で勝頼が北条の支援を当てにするのなら、長篠で負けない事を含めた、
>徳川(+織田)に対して史実以上の優勢を保つ事が最低限の前提条件だろうと思う。

このスレの本題だな、とりあえず武田は、長篠からは撤退っと。
374人間七七四年:2009/06/18(木) 21:09:32 ID:hOPFQf2T
織田と素直に同盟を結んでおけばよかった。
松姫と信忠の婚約をもう一度実現すればいい。
375人間七七四年:2009/06/18(木) 21:28:39 ID:JKCrVywG
武田信玄の領土拡張率は実質ゼロ
武田家滅亡の責任の7割は、武田信玄にあったというのが定説。


著者は信玄の犯した失敗を次のように箇条書きにして指摘します。

 ・真剣に天下を狙うのなら、川中島で時間をかけ過ぎた

 ・自分の寿命を考えずにいつまでも家督相続を行わなかった

 ・自分に対する過信から後継者育成に真剣に取り組まなかった

 ・勝頼を“代理の当主”にするという中途半端な禅譲を行った

 ・勝頼を軽んじる古参幹部を残し、後継者がやりにくい体制にした


武田家滅亡に学ぶ事業承継

武田関連の書籍で最も高い評価を得ている書籍。Amazonのレビューの
評価も高い

http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E5%AE%B6%E6%BB%85%E4%BA%A1%E3%81%AB%E5%AD%A6%E3%81%B6%E4%BA%8B%E6%A5%AD%E6%89%BF%E7%B6%99-%E5%8C%97%E8%A6%8B-%E6%98%8C%E6%9C%97/dp/4344011880/ref=wl_it_dp?ie=UTF8&coliid=I3A8DMT9XFACDV&colid=1BVRXM1QM3QJT
376人間七七四年:2009/06/18(木) 21:46:08 ID:1lmMb7RB
まさに結果論と電波で大笑いだなそれ

>武田関連の書籍で最も高い評価を得ている書籍。Amazonのレビューの
>評価も高い

更に知能の低さ丸出しのこれでとどめw
377人間七七四年:2009/06/18(木) 22:09:05 ID:tSlP5vvc
>>375
> ・真剣に天下を狙うのなら、川中島で時間をかけ過ぎた

信玄は天下は狙っていないだろ。

> ・勝頼を“代理の当主”にするという中途半端な禅譲を行った

甲陽軍鑑にしか出てこない話で1次資料からは否定されている話だよ。

>・勝頼を軽んじる古参幹部を残し、後継者がやりにくい体制にした

これも同じ。

筆者のお粗末過ぎる知識から判断されてもねぇ。
378人間七七四年:2009/06/18(木) 23:43:51 ID:JKCrVywG
最大勢力圏
(戦国時代の優劣はこれがすべて)


家督相続年 死亡年 活動年数   相続時勢力圏  最大勢力圏  勢力拡大率

 
信長  1551年〜1582年(31年)   ・4万石→・600〜800万石【150倍〜200倍】



信玄  1541年〜1573年 (32年)   ・ 23万石 →・92万石【4倍】 
379人間七七四年:2009/06/19(金) 02:21:59 ID:CMSH51Qs
三方ケ原の戦い後に信玄に浜松城を攻めてもらい、家康をあぼーんしてもらえば良かったのに。
浜松城の大手門開けっ放しなんだから、攻撃すればすぐに落城するだろw

家康のトリックだな、
信玄の最大のヘマはこれに尽きる。

西上作戦なんて目標大き杉、遠江と三河占領だけにすればよかった。
380人間七七四年:2009/06/19(金) 04:47:48 ID:HWZEsHMO
徳川の粘りは想像以上に強く正攻法では勝てない
イスラムがアメリカにやったような暗殺・テロ攻撃を散発的に仕掛けるしかないだろ
381人間七七四年:2009/06/19(金) 15:44:39 ID:2saPIMhb
諏訪湖をせき止めて干からびさせるのは?
382人間七七四年:2009/06/19(金) 19:53:31 ID:o+7HiAXC
諏訪湖をせき止めれば、下流の天竜川は干し上がるというわけか!。
これで徳川を弱らせることができるね。

といっても、それはトンデモ説だろうが、戦国時代最後のころに、
武田は、海のはるか遠方にまで武将を送りこんで、島々を占領したことを
御存知だろうか。

小笠原氏を八丈島のさらに遠方まで遠征させて、その先の島々を武田領とした。
小笠原氏の名前をとって、小笠原諸島と名付けた。

どこまで本当かは、各自勝手に調べるように。
383人間七七四年:2009/06/19(金) 22:25:26 ID:GNC4O0EO
真田がやったようにゲリラ戦に持ち込むしかなかったんじゃね
384人間七七四年:2009/06/19(金) 22:35:08 ID:VvqLSMEb
ゲリラ戦ってそれこそ地の利人の和が大事だしなあ。
長篠の事を言ってるなら地の利は織田徳川にあるし、滅亡直前ならば体制の立て直しの為の新府城築城や重税やらがあるし。
385人間七七四年:2009/06/20(土) 00:06:42 ID:++c8YmkA
>>378
絶句
尾張半分以上が四万石って……
日本地図見たこともないらしい
386人間七七四年:2009/06/20(土) 00:49:11 ID:SVACTu9/
>384
絶句、信長の弾正忠家が相続時、
下四郡支配してたと思っているなんて。
387人間七七四年:2009/06/20(土) 00:50:30 ID:SVACTu9/
>386
アンカー間違い
>385へ
388人間七七四年:2009/06/20(土) 01:13:52 ID:++c8YmkA
>>386
信秀を過小評価してないかい?
弾正忠家に一貫して忠実だった千秋家だけでも二万石弱あったんだぜ?
なのに信長が四万石?
どういう計算か、具体的に教えてくれないか?
389人間七七四年:2009/06/20(土) 01:47:18 ID:SVACTu9/
>388
まず信長の織田家が尾張の半分以上支配していたと言う、根拠教えて。
相続時に。
390人間七七四年:2009/06/20(土) 02:30:55 ID:Q2kzqS/v
>>389
信秀の時代に支配していたのが下四郡+αだからな、半分以上でもおかしくはない
391人間七七四年:2009/06/20(土) 02:34:24 ID:SVACTu9/
>390
解った。
もうちょっと勉強してから書き込もうね。
392人間七七四年:2009/06/20(土) 02:45:38 ID:++c8YmkA
>>389
ええと、先に質問したのはこっちなんだけど?
393人間七七四年:2009/06/20(土) 02:47:20 ID:++c8YmkA
>>391
根拠だせてないじゃん
君も勉強してね
394人間七七四年:2009/06/20(土) 03:11:00 ID:kUgFZR1s
>>393
フロイスの本国への報告書に、「信長の父は尾張の3分の2を支配している」とある。

信秀は晩年には尾張55万石のうち40万石前後は支配してると思う。
395人間七七四年:2009/06/20(土) 09:51:11 ID:FRxRgoPy
信秀の支配地≠相続時の信長の支配地
396人間七七四年:2009/06/20(土) 12:15:33 ID:++c8YmkA
>>395
それ違うよ
小出しにしてるが
君の論拠は恐らく赤塚合戦や稲生合戦での信長の動員兵力(700〜800)だろう
で、それを知らないとでも?

信秀の家督を継いだのは信長で、分裂して身代が減ったのは「相続後」だ。
「相続時」に限れば信秀の身代を継いでいるよ。
今のところそれを否定する史料はない。

また
津島や熱田の流通地を押さえていたことも大きいね。
397人間七七四年:2009/06/20(土) 12:24:15 ID:++c8YmkA
まあ尾張一国55万石は多すぎとも思う。一国で40万石弱。信秀が20万石弱かなあ。
つか石高にこだわるのも無意味で、今川の金や海運、先述した津島や熱田はそれ以上の意味を持つ。
信長は親父殿の豊かな財産を若年で相続した。
これは無視できない。
しかし若年故に一族や家臣が離反し、一時はかなり支配地が減ったのも事実だね。
398人間七七四年:2009/06/20(土) 14:31:12 ID:PWxolkJD
どっちにしても四万石はないよなあ、四万石は(笑)
399人間七七四年:2009/06/20(土) 15:22:34 ID:40ukg2s1
間者を放って安土や岐阜や京都など主要都市を放火攻撃
江戸時代でも火事は大問題だったから
結構、通用すると思うんだが
400人間七七四年:2009/06/20(土) 16:40:14 ID:jRAOva/g
>>399
復興事業で景気が潤う。
401人間七七四年:2009/06/20(土) 16:58:27 ID:SVACTu9/
>397
それ信秀の支配地域じゃないから。
下四郡の半国守護代家の家宰として、兵士を招聘出来た地域だから。
良く資料を読んで欲しい。
両守護代家、守護家に兵借りてるから。
更に、最晩年は岩倉織田家と戦になってるから。
402人間七七四年:2009/06/20(土) 17:26:55 ID:SVACTu9/
>401
最晩年は岩倉織田家、清洲織田家、織田信清と尾張国内で戦してる。
403人間七七四年:2009/06/20(土) 18:07:18 ID:SVACTu9/
>397
ゴメンね、俺のレス無視していいよ。
華麗にスルーして。
404人間七七四年:2009/06/20(土) 22:07:53 ID:Q2kzqS/v
家宰が実権奪って下克上、よくある話じゃん
405人間七七四年:2009/06/21(日) 00:19:04 ID:smRjCKlP
ID:SVACTu9/
 ↑
この馬鹿の惨めさを笑うスッドレ
406人間七七四年:2009/06/21(日) 06:23:59 ID:b9GcQsKt
武田勝頼のスレというのを忘れてやせんか?
407人間七七四年:2009/06/21(日) 08:16:13 ID:nt2/Ym7Z
武田信玄は西上作戦の時に、「兵を遠江、三河、尾張、美濃に発向させる」
と言い勝頼もそれに続いている。

ただ現実には、遠江、三河を攻略するのがせいぜいで、武田家は尾張、美濃
の攻略はなかなか難しいといえる。

武田家は、織田徳川連合軍と対峙するのではなく、徳川だけをピンポイントで
攻撃しなるべく織田家とぶつからないようにすべき。
408人間七七四年:2009/06/21(日) 08:40:32 ID:kkhTGnLC
尾張、美濃に「発向」はしてるだろ。
ただ、侵入および遠江に織田の大軍が行かないようにする牽制のためで、
攻略や占領までは、尾張、美濃では無理で、遠江、三河を攻略するのが
せいぜいといったところか。

徳川だけをピンポイントか…。浅井みたいに、徳川を寝返らせればいいが、
さすがに無理か。奥州、関東の兵をたばねて10万ぐらいで西上すれば
遠江、三河を制圧できようが、

関東管領を武田が引き受けていれば、いいかも。
409人間七七四年:2009/06/21(日) 09:59:58 ID:AzgN4erI
佐竹や里見らが北条と肩を並べるとはあまり思えんのだがなあ。
410仙台藩百姓:2009/06/21(日) 13:42:17 ID:M7lV+BBm
関東管領になれば必然的に北条との潰し合いをするようだお( ^ω^)
411人間七七四年:2009/06/21(日) 17:03:21 ID:JD5YvtQI
>>408
>徳川を寝返らせればいいが、さすがに無理か。

無理ではないだろ、武田家が織田ではなく徳川に的を絞り、
まずは遠江の完全な制圧をし、次に三河を東から制圧を開始する。
そして武田は北条からの援軍を確保し、毛利との連絡をみつにして共同作戦をとれば良い。

三方ヶ原の戦いで徳川は大敗した後、方針を転換し単に武田家と軍事的に
対峙するだけではなく、調略も併行して行うようにしている感がある。

家康個人だけでなく徳川家全体が三方ヶ原の戦いでの大敗に懲りた感がある。

三方ヶ原の戦いから長篠の戦の間の約2年間は、軍事力で徳川は武田に敵わないから、
武田に言い寄っている節もある。「(実は織田から離れたいのです)みたいな・・・」
勝頼はこれに惑わされて徳川への攻勢が鈍ったのなら大失敗。
そんな家康の戯言を無視してドンドン遠江、三河を攻めれば良い。

>>235のように、長篠の戦の時に勝頼は徳川が武田につくかのごとくの
プロパガンダに踊らされた可能性も。

>関東管領を武田が引き受けていれば、いいかも。
無理でしょうそんなの、>>410のように北条との関係がおかしくなる。
412人間七七四年:2009/06/21(日) 17:38:10 ID:4/JPfkXD
正面に展開された鉄砲隊を見るや、自軍を二分し縦隊をもって行軍、相手陣地について横隊になった両軍でもって左右から挟撃。

混乱した陣地に騎馬隊が殺到し、馬防策を背にして退路を断たれた鉄砲隊を撃滅。
鉄砲隊を崩した後は、陣形を整えつつ、正攻法をもって押し込むと見せかけて、この時点では全力でぶつかり相手主力部隊を総動員させる。

この際、別動隊が相手陣地背後からの急襲を仕掛け、相手側大将討ち取る。
413人間七七四年:2009/06/21(日) 19:00:53 ID:Ft3kjeIE
鉄砲隊の正面に二列になって整然と行軍
一人づつ撃たれていくまで読んだ
414人間七七四年:2009/06/21(日) 19:40:49 ID:e/0l14lA
そうね、そんなんだから長篠からは武田は戦わないでさっさと撤退っと。
415人間七七四年:2009/06/21(日) 20:34:49 ID:Iql2DUql
>>412

騎馬隊はゲーム、漫画、小説だけの世界に有る存在。
実在はしないよ。
416人間七七四年:2009/06/21(日) 20:59:58 ID:t1OZ26X1
馬は運搬・移動手段で、騎馬武者も戦う時には下馬していた。
417人間七七四年:2009/06/21(日) 21:16:13 ID:kkhTGnLC
長篠の戦いで、長篠城を見捨てて、撤退していれば、
武田は、大損害を出さずに済んだ。

その後は、まだチャンスはある。

>>411「織田ではなく徳川に的を絞り、」といっても、徳川に的を絞っても、
織田がいちいち援軍を送ってくるから(しかも大軍の可能性大)、難題だな。

そこで、織田の援軍が来ないようにするためには、毛利と織田が交戦中であれば、
徳川へ充分な数の援軍は送れないわけだから、
「毛利との連絡を密にして共同作戦」とするわけか。うむむ
418人間七七四年:2009/06/21(日) 21:48:40 ID:Iql2DUql
>>417

勝てるチャンスがあると思うのは
後に第二次信長包囲網が形成される事を知っているから。

当時の状況からすれば、
上杉と信長は同盟、毛利と信長は敵対していない状況。
その上、第一次信長包囲網を形成していた勢力は次々と撃破され
武田との戦力差は開く一方だ。

「まだチャンスがある」とは言い切れないよ。

まぁ、そういった状況を踏まえて個人的にあえて言うなら
長島一向一揆、本願寺と連携を取りながら長篠の戦に挑むべきだった。
(長島一向一揆が絶滅される前に連携を取れと)
419人間七七四年:2009/06/21(日) 21:57:38 ID:Iql2DUql
初期の勝頼の戦略は信玄と同じく北条と同盟を結び
徳川、織田と決戦を挑むという路線だった。

ところが信玄は本願寺、浅井朝倉らと連携を取りながら
信長と決戦を挑もうとしたのに、勝頼には、それが無いんだよね。

東美濃への進出、高天神上の攻略など全て単独。
その延長で長篠の戦に挑んだのが失敗だったな。

長篠の敗北から数年たって、上野に進出する路線に変更したわけだが
このときは佐竹らと上手く連携を取り、一時ではあるが北条を苦しめた。
まぁ長篠の失敗の経験が生きたのか。。。

しかしこれと同じ事を、長篠の戦でやれば少しは違った結果になっただろうに。
420人間七七四年:2009/06/21(日) 22:47:24 ID:smRjCKlP
後手を踏んだ感はある
戦略観が無かった感じ
周りにいたチョーカンサイだのなんだのの、後世佞臣と言われる2匹は明らかに無能だったようだ
浅井朝倉、長島が無事な内こそ武田が頑張れるチャンスだった
421人間七七四年:2009/06/21(日) 22:54:31 ID:Ft3kjeIE
予定外のタイミングで跡を継いだばかりの奴に
先代と同じようにやれって言うのは難しくない?

手を結ぶ相手も激減してるし
422人間七七四年:2009/06/21(日) 23:10:17 ID:kkhTGnLC
信玄があと2年、いや、1年でも長生きすれば良かったんじゃね?。

江馬の栃餅を、西上作戦の陣中でもっと食わせりゃよかった。
  ↑  新田次郎の「武田信玄」に出てくる。
     上記を原作として、さいとうたかおが描いた「風林火山」は
     江馬の栃餅の食べさせ方が、小説を上回り、神の領域の上手さ。
423人間七七四年:2009/06/21(日) 23:18:38 ID:AzgN4erI
>>420
三勢力とも1573-1574の間に倒されてるだろ。
424人間七七四年:2009/06/22(月) 00:03:30 ID:eKTuIWbi
浅井が潰れるのは時間の問題だったが
朝倉まで同時に潰れるとは思わなかっただろう
信長の追撃が成功しすぎた
425人間七七四年:2009/06/22(月) 01:02:35 ID:Zq3Yhtbx
浅井より朝倉の方が先に潰れてたからな
姉川でも足引っ張ったしあいつら情けなさ過ぎる
426人間七七四年:2009/06/22(月) 04:59:48 ID:eKTuIWbi
「殿、間者の報告によると浅井と朝倉が滅亡しました」
「え?朝倉も?」
「は、そのようです・・・」

( ゚д゚)ポカーン
427人間七七四年:2009/06/22(月) 09:08:52 ID:Kk7IZPi3
騎馬体も三段構えにする。
428仙台藩百姓:2009/06/22(月) 10:07:53 ID:Qo+0Wifo
決戦を避けて徳川領をピンポイントで侵食すれば家康ぐらいは潰せたと思うお( ^ω^)
大賀弥四郎や信康の事件のように弱腰な家康への不信感や内部争いが起きており
徳川家も非常に不安定な状態であったお( ^ω^)
そこで徳川領に侵攻し、織田が出て来たら固く守って長期戦に持ち込み
本願寺や西国大名を動かして休戦を持ち掛ける
この場合あくまで徳川はスルーして織田のみに交渉するのだお
これを何度か繰り返す
後は織田や今川旧臣の捕虜や遺体は丁重に国元に送り返し
三河衆だけは桀けにして首を晒すのだお
更に三河衆の領地だけ青田刈り焼き働きをする
猜疑心が強く排他的な三河衆の事だから間違いなく不信感を募らせるお( ^ω^)
さすれば今川旧臣の内応工作がしやすくなるお
429人間七七四年:2009/06/22(月) 10:37:48 ID:Zq3Yhtbx
要は信玄が死期を悟れなかったのが悪いな
あんな所で帰ろうとしないで、腹据えて最後の仕事として浜松城囲んで落とすべきだった
あの時点で家康の首さえ取れば徳川は死に体同然
430人間七七四年:2009/06/22(月) 12:07:46 ID:U6UJsSU9
武田家の経済状態の悪さも問題。
財政改革とかできなっかったのかな。
431人間七七四年:2009/06/22(月) 16:31:36 ID:xTTShLvQ
本来なら信長は天正三年長篠でケリをつけるつもりでいたくらいだからな
その年の内に小笠原を味方にして村上を口説き、伊達・佐竹・田村なんかを武田討伐に誘ってる
意外と反応悪かったのと上杉への牽制が失敗したのとで、
先送りになったみたいだけどね。
432人間七七四年:2009/06/22(月) 19:36:13 ID:akRk5+ZM
天才軍師>>412ハケーン!
433人間七七四年:2009/06/22(月) 20:44:10 ID:ARPe/iVk
ゆとりをしつこくいじめるの(・A・)イクナイ
434人間七七四年:2009/06/22(月) 23:37:35 ID:+Z0EpoCG
>>431
伊達、佐竹、田村がどうやって武田領に侵攻するんだ?
芦名とかならまだわかるが。
435人間七七四年:2009/06/23(火) 01:39:32 ID:V0zlt9yd
>>434
その辺に書状送ってるんだよ
「俺が勝ったから俺と結べ、武田を包囲しよう」って
北条にもその辺りから接触してる
436人間七七四年:2009/06/23(火) 05:32:28 ID:YQ3qc7mo
内々
437人間七七四年:2009/06/24(水) 08:18:19 ID:xfJKFSFd
>>416 騎馬武者が下馬して戦ったというのは鈴木真哉氏の説だけれど、信長公記には、信長が斎藤道三の救援に向かった太良の合戦で、森可成が馬上で敵と切りあい、臑の口を切られて退いた、とある。
例外的なことだったから記録されたのかもしれないが、戦うことがあったことは分かる。戦った相手の名も分かっていて、千石又一という。あるいは一騎打ちの果し合いに近いものだったのかもしれない。当然、相手も騎馬だったのだろう。
438人間七七四年:2009/06/24(水) 17:38:28 ID:HXwLSi97
ググってみた
(弘治二年四月)軍終り、頸の実験して、信長御陣所大良口へ人数を出し候(中略)、森三左衛門、千石又一に渡し合ひ、馬上に
て切り合い、三左衛門臂(ひじ)の口きられ引退く
1556年4月、信長が舅の斎藤道三を助けるために軍を出した時の戦いの模様。森可成は千石又一との馬上戦で臂を切られて退く。
439人間七七四年:2009/06/24(水) 17:43:10 ID:HXwLSi97
四月廿日辰尅、戌亥へ向て新九郎義竜人数を出し候。道三も鶴山をおり下り、奈加良川端迄人数を出され候。・・・・・
軍終り、頸の実験して、信長御陣所大良口へ人数を出し候。則、大良より三十
町ばかり懸出し、および河原にて取合ひ、足軽合戦候て、山口取手介 討死、
土方彦三 討死、
森三左衛門、千石又一に渡し合い、馬上にて切合い、三左衛門ひじの口切られ
引退く。山城も合戦に切負け討死の由候間、大良御本陣迄引入るなり。

爰にて大河隔る事に候間、雑人・牛馬悉く退けさせられ、殿は信長させられる
べき由候て、惣人数こさせられ、上総介殿めし候御舟一艘残し置き、おの々打
越し候処、馬武者少々川ばたまで懸け来り候。其時、信長鉄砲をうたせられ、
是より近々とは参らず。去て御舟にめされ御こしなり。

然る処、尾張国の主織田伊勢守、濃州の義竜と申合わせ、御敵の色を立て、信
長の館清洲の近所下の郷と云ふ村放火の由、追々注進これあり。御無念に思食
し、直に岩倉口へ御手遣候て、岩倉近辺の知行所焼払い、其日御人数御引取
り。かくのごとく候間、下郡半国も過半御敵になるなり。

舅道三が義竜に攻められた時、信長は道三の救援に駆けつけた。道三討死後、
織田軍が本国へ引き退く際に、長良川の渡河で総大将の信長は殿(どんじり)
【最後に戦場を離脱する事】を自から実行した。大河長良川を挟んでいるとは
云え、総大将の殿は前代未聞流石である。この時、信長22歳。この間に織田
伊勢野守の謀反が起こり、尾張下四郡の内ニ郡が支配下から外れてしまった。
440仙台藩百姓:2009/06/24(水) 18:05:59 ID:7nG2MHB0
馬上とか〜騎とか書いているのだから馬に乗っていると考えるのが至って普通だおね( ^ω^)
飛行機乗りや戦車乗りが戦闘中に搭乗していたかいちいち気にする人もおるまいお┐ (´ω`) ┌
441人間七七四年:2009/06/24(水) 18:28:57 ID:sihMuRC9
>>448 ちなみに森三左衛門可成というのは、義隆、長可、乱丸、坊丸、力丸、忠政の父。
美作津山藩主になった忠政以外、全員討ち死に。
442人間七七四年:2009/06/24(水) 20:00:54 ID:AUi4/KFT
>>419>>428
本当になんで勝頼は徳川への攻撃に集中しなかったのか不思議
普通に考えれば、武田家は徳川総攻撃の結論になる

>>214にあるように武田家は、徳川の温存や織田離れの内応を期待していたのかもしれない。
家康からの調略が効いたのかも可能性がある。

>決戦を避けて徳川領をピンポイントで侵食すれば家康ぐらいは潰せたと思うお( ^ω^)
>大賀弥四郎や信康の事件のように弱腰な家康への不信感や内部争いが起きており
>徳川家も非常に不安定な状態であったお( ^ω^)

とあるように三方ヶ原の戦いから長篠の戦までの2年間は徳川は完全に武田に
軍事的に圧倒されており、徳川単独ではどうしようもない状態。

家康は武田家には内応するポーズを見せて、武田家からの軍事的攻勢をかわし
織田と武田をぶつける算段だったんだろう。

実際の武田家は徳川をどうするか内部でも意見が割れていた可能性も。
443人間七七四年:2009/06/24(水) 20:32:31 ID:z407oL1b
>>442
>本当になんで勝頼は徳川への攻撃に集中しなかったのか不思議
普通に考えれば、武田家は徳川総攻撃の結論になる

いや実際しているでしょ。

だから高天神城は陥落したわけだし。

その延長で長篠の戦に挑んだわけだが。。。
444人間七七四年:2009/06/24(水) 22:28:02 ID:lZAgxNZR
まあ>>416みたいな大笑いの知恵遅れがいるのもまた一興
445人間七七四年:2009/06/24(水) 23:39:03 ID:AUi4/KFT
>>443
>その延長で長篠の戦に挑んだわけだが

信長の援軍が到着した時点で“その延長”ではなくなる

武田は織田と徳川を何とか分離撃破すべきということ
446人間七七四年:2009/06/25(木) 00:53:29 ID:9fwW1cbT
>>442 逆だと思う。武田は徳川との戦闘を避け、織田にのみ攻撃を集中するべきだった。美濃岩村城は、このころ武田方だったから、ここを拠点に東美濃へは働きかければよかった。
織田は、高天神に援兵を送れず、それが落城につながった。徳川が織田に対し不信感を持ち、織田を裏切って武田と密かに通じたのではないか、と思わせることが出来れば、織田、徳川の間に楔を打ち込むことが出来る。
徳川と武田の間に、ある程度の期間、一切衝突が起きなければ、信長の心に徳川に対する不信感が芽生えたのではないか。
447人間七七四年:2009/06/25(木) 02:59:09 ID:nJDt0HXS
>>446
織田は相手としてはデカ杉、無理な作戦。

東美濃は信玄が岩村城、勝頼が明智城を落としているが、
それより西にはなかなか行けないだろう

岐阜城を落す事の実現性は?包囲して終わりじゃね?
さすがに織田の準本貫地を攻められたら、畿内の事情が如何であっても
援軍は畿内から戻ってくる。

三河、遠江などの東海道を押さえるほうが武田家にとっては重要。
448人間七七四年:2009/06/25(木) 08:27:27 ID:SXWdQbIc
>>416 長久手の戦いで、>>437の可成の次男、森長可は馬上からの戦闘指揮中、井伊の鉄砲足軽の放った弾丸が顔面に命中して、壮烈な討ち死に。
これにより森軍は総崩れ、隣に陣を敷いていた舅の池田軍もそれに巻き込まれて崩壊。勝入斎、之助の池田父子も討ち死に、散々な敗北に終わった。
一軍の総大将が、最前線で討ち死にするのはめずらしい。馬から降りた方が良い場合もある。
449人間七七四年:2009/06/25(木) 10:35:22 ID:3/cAc3aH
>>447
東美濃と美濃中央部は交通の便がかなり悪いしな
450人間七七四年:2009/06/25(木) 12:14:01 ID:HPAgDmA7
>>444
あれ? 知らないの?
追撃や奇襲ならともかく、普通は降りて戦うんだよ
他人を馬鹿にする前に文脈読んでね
451人間七七四年:2009/06/25(木) 13:04:00 ID:VJkKwQxI
その辺の研究もされてるけど実際どうだったかははっきりと分からないんじゃないかな?
多分臨機応変に降りたり、乗ったりして戦ったと思う
452人間七七四年:2009/06/25(木) 14:14:48 ID:6Dq7sGau
鈴木本鵜呑みにする馬鹿は氏ねばいいのに
453人間七七四年:2009/06/25(木) 15:09:27 ID:yxRPD3wY
別に鈴木本に頼るまでもなく、「馬」を知ってる人間なら騎馬軍団などありえない
ことは簡単にわかる。
江戸時代の生産力の向上は農業技術の進歩と、埋め立てによる新田開発によることは
実証されている。つまりは戦国時代、各地方に強力な軍閥政権ができたことにより効率的かつ
くまなく、耕作可能な土地の大部分は開発されていたことになる。

さて、日本列島と言うのは高温多湿で農業生産に最適という世界でも稀有な土地だ。
平地であればまずまちがいなく農業適地であると言ってよい。

さあ、その騎馬軍団というのはいったいどこの「空き地」を疾駆して「機動力」とやらを
発揮したのか?
馬術やレースにおいて障害物が設定されてるものもあるが、絶対前提として地面は固い。
ダートというのも実は落馬すれば骨折や内臓損傷を受けるほどの「固い」土なのだ。

作物を育てるためにごくやわらかく掘り返した所がそこかしこにあるような場所で、集団の
馬が疾駆するなど、落馬事故のオンパレードだ。戦どころではない。

さらに、騎馬隊、というのは集団になってこそ突破力も機動力も生まれる。
軍団において単騎、または少数なら乱戦になればむしろ後方視界の欠如や方向転換の困難など
弱点のほうがより際立ってしまう。

結論として戦国の日本においては純粋に戦闘力としての騎馬の優位性は皆無。
ここからは想像だが、かの本ににも書かれてあるとおり指示のための旗印的乗馬、
ならびに移動手段というのは一考の余地がある。そのほうが理屈は通る。
無論騎乗者同士が戦闘したことはあったであろうが、それは本来直接戦闘に参加しない
将校同士がたまたま遭遇したレアケースと考えたほうが良さそうだ。
454人間七七四年:2009/06/25(木) 17:21:10 ID:3/cAc3aH
>埋め立てによる新田開発によることは実証されている
幼稚園に戻ってやり直すように

>耕作可能な土地の大部分は開発されていたことになる
いますぐ急激に老化して死ぬように
455人間七七四年:2009/06/25(木) 17:38:42 ID:yxRPD3wY
>>454
ろくに知識も想像力もないくせに馬鹿をさらけだすのもいい加減にしろw
埋め立てと「技術の進歩」だ、と書いたのだ。
埋め立てが主原因と述べたような曲解を誘発するような下手な煽りはやめてもらおう。
そうしておかなければお前のような馬鹿が戦国→江戸の生産力の向上を
開墾によるものとか言う珍説を出すからな。
しかも、開墾、では俺の話を否定することはできん。
開墾しなければ田や畑にできない土地なら当然、馬など疾駆する余裕はない。

馬鹿じゃないと言うなら、次の俺の問いに明確に答えてみてくれ。

「耕作可能な土地の大部分が未開発、というなら何故戦国大名は戦争ではなく
 開発をしなかったのか?」
456人間七七四年:2009/06/25(木) 20:01:42 ID:kVOD4qdt
馬鹿が必死の長文w
457人間七七四年:2009/06/25(木) 20:19:27 ID:c2hBaRtv
>>455
それを争ったんじゃね?
458人間七七四年:2009/06/25(木) 20:59:32 ID:zalAMsmw
「それ」ってどれ?
459人間七七四年:2009/06/25(木) 21:13:38 ID:RdLS8LCc
>>455
それに関しては灌漑施設灌漑技術が未発達で畑にすら出来ない土地があったのと
耕す人間の不足が挙げられる
460人間七七四年:2009/06/25(木) 21:59:47 ID:9I1DbFwZ
伊達政宗の仙台藩にしても、当初60万石ぐらいだったのが、
新規開田をおしすすめて、実質100万石に達している。

政宗いわく「若いころは武力で大きくしようとしていたが、
今はそのようなやり方ではなく、酒を楽しんでいる」という意味の句を残しているとか
いないとか。

よって、武田家は、三河を攻め取って石高を増やすというやり方でなく、
開墾(と治水)によって、自領の石高を増やす、というやり方をやって…いるうちに滅ぼされてしまうわな。
461人間七七四年:2009/06/25(木) 23:06:22 ID:p9zzJxjW
騎馬武者自体を否定してる馬鹿は鎌倉期以前の騎乗戦も否定するのかw
462人間七七四年:2009/06/25(木) 23:10:05 ID:2HuxpCtk
そして騎上位までも否定するのか(涙
463人間七七四年:2009/06/25(木) 23:12:19 ID:gp4ts+iW
新しい説がでると全てがそうであったかのように思い込んでしまう奴がいるなあ
464人間七七四年:2009/06/25(木) 23:32:14 ID:HPAgDmA7
>>461
どのレスが「騎馬武者自体を否定してる」と?
よく読んでね
465人間七七四年:2009/06/25(木) 23:37:50 ID:p9zzJxjW
戦国期でも馬上で用いる「太刀」を好んで佩用している武将は沢山居たしね。
上杉謙信や真柄十郎左衛門なんかは有名だな。

そしておっぱいの大きい、いやらしい女がする騎上位は最高だ。
466人間七七四年:2009/06/25(木) 23:40:47 ID:Fi7uhgHv
>>453
小学生のころ姫路競馬場のダートを走ったが、固くないぞ
ドバイやらアメリカやらは固くてターフ並みらしいが、詳しくはしらん
それより、日本の芝が固いらしいぞ
だから無駄に時計が良いんだが、逆に欧州に持っていくとパワー不足で走らん
ディープはドーピングでアウトだったが、えるこんどるぱサーは逃げて二着に粘りこんだ
日本の条件戦だったとおもうが、一応ダートの実績もあったからな
そういう意味でクロフネなんか遠征してたら面白かったのにな
一応マイルカップ駆ってたし
467人間七七四年:2009/06/25(木) 23:42:50 ID:p9zzJxjW
>>464
ここで言う騎馬武者ってのは騎乗して戦闘する武士の事だ。
その後に「鎌倉期以前の騎乗戦」って言ってんだからそのくらい理解しろ。
468人間七七四年:2009/06/25(木) 23:49:32 ID:HPAgDmA7
>>467
では君も鎌倉以前と戦国では武器も戦法も異なるから
一方の騎乗戦を否定(部分否定だが)したからといって、もう一方迄否定する
なんて事にはならない事くらい理解して欲しいな

単なる噛み付き屋だとしか思えん
469人間七七四年:2009/06/26(金) 00:11:32 ID:43i6uVYz
だいぶ話しがずれているので、本題に戻す。

織田、徳川に武田家が勝つ方法は、長篠の戦に負けないようにするのが大前提。
だからあんな如何でもよい場所で戦う必要なし。

それ以前に毛利との共同作戦や北条からの援軍、織田家内部への内応工作も欠かせません。

荒木村重や別所長治は毛利からの内応に応じて謀反を起こしている。
松永久秀も密かに武田信玄と連絡している

織田の後詰めが三河遠江に来た時点で畿内で謀反を連続的に起こさせ、
織田主力部隊を武田家だけに集中させない事が重要。

毛利が播磨から摂津へ、武田が三河遠江に同時侵攻し織田を挟み撃ち。
470人間七七四年:2009/06/26(金) 00:22:15 ID:8KzFHn0l
親父さんは武田、今川、北条の三国同盟で敵は信濃方面だけの環境の中で伸びていった
だから勝頼も今川が無くなったら上杉、北条と手を握らないとダメでしょ
そのチャンスはあったのに
三方面敵じゃあどうやったって生き残れないよ
471人間七七四年:2009/06/26(金) 00:31:53 ID:TzZ0cjmn
>>469
電話も無線もないのに遠距離での共同作戦なんて無理。
みんなそれぞれ自分の都合でばらばらに戦っていただけだし。
>>470
越相和睦がまずないから、新三国同盟は無理かと。
やるとしたら北条と和睦して、チクチク遠江や三河を
攻めて徳川を釘付けにし、西国の反織田勢力が
織田を撃滅するのに期待する。
472人間七七四年:2009/06/26(金) 00:47:26 ID:8KzFHn0l
越相和睦は御館の乱の時にうまく立ち回れば十分可能だったと思うんだけどな
当初は影虎を支援するべく動いたいたわけだし
途中で方針転換して景勝と結んだのが意味不明
473人間七七四年:2009/06/26(金) 00:50:29 ID:BR9WMUV1
>>468
お前は単純に「騎乗戦闘」そのものを否定しただけだろ。
お前のレスの何処に「戦闘様式の変化に伴う騎乗戦闘の衰退」が書かれてんだよ。
大名権力の増加とそれに伴う徒歩の戦闘員の増加及び集団戦闘の発達。
長柄の武器や鉄砲を用いての騎馬への有効な攻撃手段の確立。
そういった背景があって騎乗戦闘が減少したのであって、
必ずしも騎乗戦闘自体が不利な事ではない。
状況や扱う人間の技量によっては徒歩武者に対して有利に戦う事も可能で、
先に述べたように同時代の武将でも騎乗戦闘を好んでいた者も大勢居る。
474人間七七四年:2009/06/26(金) 01:21:09 ID:43i6uVYz
>>470
>親父さんは武田、今川、北条の三国同盟で敵は信濃方面だけの環境の中で伸びていった
>三方面敵じゃあどうやったって生き残れないよ

上杉はともかく北条との関係は維持すべきで、勝頼は要領良く立ち回れば何とかなったはず、
やはり勝頼はあんまり頭良くないんですかね?義信なら如何したでしょうね?

>>471
>遠距離での共同作戦なんて無理

細かい情報のやり取りはともかく、時期の調整ぐらい出来ないモノですかね?

>やるとしたら北条と和睦して、チクチク遠江や三河を攻めて徳川を
>釘付けにし、西国の反織田勢力が織田を撃滅するのに期待する。

毛利と武田は積極的に連絡を取るべき、1578年は毛利が6万の大軍で
播磨を攻撃し織田方の波多野秀治や別所長治に謀反を起こさせている。

本当ならこの時期に武田は織田と決戦すべきだった。
この時期なら徳川への援軍は来ない可能性も、来ても数が少ないだろうし。
475人間七七四年:2009/06/26(金) 01:51:23 ID:Zu/owXVH
毛利と武田は日本とドイツの同盟みたいなもので
結局有効な共同戦線とか張れてないんだよな
武田なら浅井、朝倉、長島辺りの手頃な位置に同盟国がないとやはりキツイよ
476人間七七四年:2009/06/26(金) 07:06:26 ID:43i6uVYz
1471年に信玄は、二連木城と野田城、足助城を占領しているのに直に家康に
奪回されている。高天神城も落としていない。

この71年の三河遠江侵攻でしっかりと三河遠江の支配を固めておくべき。
477人間七七四年:2009/06/26(金) 07:26:10 ID:Yd95hY6z
1471年か
精子同士の戦いでもしたのか
478人間七七四年:2009/06/26(金) 07:52:16 ID:yjZMJ9zM
景虎が家督を取ったら北条一門に囲まれる事になるからそれを恐れたのかねぇ?それとも単純に目先の利に転んだのか
479人間七七四年:2009/06/26(金) 08:26:51 ID:OJq6uNOW
>>478
この時期の北条は結構活発に徳川や織田と連絡取り始めてるからね
勝頼がまともに諜報活動していれば北条を信じられないだろうと思う
お館の乱も一応は中立を守ろうとしてるし
(結果的に中立になれなかったのは痛恨のミスだとは思うが)

どっちにしろ氏政には近い内に織田と結ぶ予定があったと思う
480人間七七四年:2009/06/26(金) 09:06:17 ID:43i6uVYz
>>477 1571年ですね、失礼致しました。
>>479 武田が滅びたら次は北条だよw
481人間七七四年:2009/06/26(金) 09:18:49 ID:OJq6uNOW
>>480
>武田が滅びたら次は北条
織田は多分上杉を狙ったと思う
北条はそれに積極的に関わっただろうし
482人間七七四年:2009/06/26(金) 10:18:24 ID:cirAk28U
御館の乱の方針転換で東国諸国に悪い評判が広まったらしいね
最後織田に攻められた時もまともに戦すら出来ずに崩壊した過程を見れば
やはり周りからみて物足りない領主だったようだね
483人間七七四年:2009/06/26(金) 10:48:02 ID:yjZMJ9zM
将として中々の物だったのだろうけど大名としては駄目だった
484人間七七四年:2009/06/26(金) 11:32:22 ID:otpewGPJ
景虎が勝ってたら、いずれ北条と上杉の挟撃を食らったと思う。
少なくとも、常にその不安を抱えたままになる。
戦線を南側に集中させるには、景勝を支援するしかなかった。
485人間七七四年:2009/06/26(金) 12:02:13 ID:cirAk28U
武田が上野を手にしている限りその危険は常にあるな
北条は関東支配が悲願だからな
486人間七七四年:2009/06/26(金) 18:39:10 ID:yjZMJ9zM
内紛にならないように何とか穏便に景勝に継がせてたらまた違ったのかな?
487仙台藩百姓:2009/06/26(金) 18:42:01 ID:X7e0+5MM
織田と上杉には確執があるからそう簡単には結ぶ事はないでしょお( ^ω^)
上杉と織田が敵対している限り北条と武田の関係も切れないお( ^ω^)
488人間七七四年:2009/06/26(金) 19:00:42 ID:UXd9z8RO
織田・徳川、北条、上杉と廻りは大国ばかり
そのどれもが武田の都合がいいように動いてくれないんだから難しい
せめて三方が原で家康だけでも討ち取れていたならばと思わずにはいられない
489人間七七四年:2009/06/26(金) 19:17:58 ID:vXQtaEev
>>486
それは勝頼じゃどうしようもない。
越後の龍に言いなさい。
490人間七七四年:2009/06/26(金) 19:25:38 ID:62dIkFYp
>>488
1571年の信玄の段階で遠江は占領できていないと後が厳しい。

その後、遠江奪回に動き出した家康を討つと。
491人間七七四年:2009/06/26(金) 23:33:30 ID:Vu4ewUC9
想像を絶する新兵器、というものはまず実在しない。
互いに敵対する両陣営の一方で発明され実用化された兵器は、いま一方の陣営においてもすくなくとも理論的に実在している場合がほとんどである。

新兵器の出現は技術力と経済力の上に成立するもので、石器時代に飛行機が登場することはない。
歴史的に見ても、新兵器によって勝敗が決したのは、スペイン人によるインカ侵略戦程度のもので、それもインカ古来の伝説に便乗した詐欺的な色彩が強い。
織田軍の新兵器というものを信玄は恐れない。
恐れるのは信長の軍事的天才と―織田と徳川は知略によっては分裂するかもしれないという考え―だった
それは期待であって予測ではない。
そのような要素を計算に入れて作戦計画を立案してよいわけがなかった。
492人間七七四年:2009/06/27(土) 00:22:47 ID:xJlhpiH1
>恐れるのは信長の軍事的天才と―織田と徳川は知略によっては分裂するかもしれないという考え―だった
>それは期待であって予測ではない。
>そのような要素を計算に入れて作戦計画を立案してよいわけがなかった。

毛利は敵を分裂させる手を散々使っているよ。
493人間七七四年:2009/06/27(土) 00:30:17 ID:BUd0HVAZ
織田の後ろ盾があることを差し引いても家康は胆力あるからなあ
信玄を向こうにまわして北条と手を組んだり、屈しないということをアピールしてる
494人間七七四年:2009/06/27(土) 01:14:03 ID:5faEnP77
三方原で家康討ちとっとけば全て丸く収まるんだが
三河は織田の勢力下になりそうだけど
495人間七七四年:2009/06/27(土) 01:42:05 ID:T69LmSBC
>>491
なんか前文と後文でコピペ元が違くね

徳川が寝返る可能性も無くはない、まあ滅びる方を選ぶとは思うが
496人間七七四年:2009/06/27(土) 02:34:09 ID:W4ZVjL1e
三方が原では止め刺すべきだったよな
野田城なんか囲むんだったら浜松城囲んでれば、信玄が死んでもまだまだ武田は生き残れたろう
497人間七七四年:2009/06/27(土) 10:21:00 ID:xJlhpiH1
>>493
胆力というか悪知恵、調略かな

三方が原の戦いでもトリックで武田の浜松城の総攻撃を防いでいるし
その前後でも武田は徳川にとどめを刺すのをためらっている感がある。

武田は徳川からの調略により取り込むか潰すかで迷っていたのでは?

498人間七七四年:2009/06/27(土) 12:50:30 ID:Ndyj+KTV
兵農分離が遅かった。ただそれだけ。
499人間七七四年:2009/06/27(土) 16:41:29 ID:TVlk/ezz
>>496

信玄の西上の目的は信長と決戦をするのが目的だから
家康に時間を取られたく無かったのだろう。

>>497
>武田は徳川からの調略により取り込むか潰すかで迷っていたのでは?

あくまでも個人的な推定だが、武田は徳川を木曽と
同じパターンで御親類衆に加えたかったと思う。
500人間七七四年:2009/06/27(土) 18:10:50 ID:5uyuthGX
朝廷に調停を依頼する。
501人間七七四年:2009/06/27(土) 19:02:06 ID:ENFN+gl9
>>494
>三河は織田の勢力下になりそうだけど

武田がどの程度遠江と三河を支配できるかでしょうね。
武田が遠江と東三河を押さえたら、織田は信康を清洲に移し、
西三河の直接統治を始める可能性があります。

>>499
>武田は徳川を木曽と同じパターンで御親類衆に加えたかったと思う。

なるほど。
家康が討ち死にし、信康が家督を継ぐ時が取り込むチャンスかなと。
502人間七七四年:2009/06/27(土) 19:35:00 ID:5faEnP77
>>500
信長は三種の神器まで手に入れようとしてたような男らしいが

>>501
岡崎の信康を後見するという名目で保護下に置きそうですね

色々考えてみるもののやはり信玄時代にある程度(少なくとも遠江)けりつけておかないと厳しそうですね
家督問題については形上だけでも71年には勝頼に家督を譲っておいて信玄死去後もそのまま軍事行動できるようにしておかないと
浅井、朝倉に対して後詰め(用語的に正しいか分かりませんが)出来るようにしておかないと
対徳川で武田が行動の自由を得るには浅井、長島の牽制が必要不可欠だと思います
503人間七七四年:2009/06/27(土) 19:44:47 ID:3T4zpgUV
謙信がいたから信玄の上洛は五年は遅れたんだよ
504人間七七四年:2009/06/27(土) 22:53:59 ID:ENFN+gl9
>>502
甲州勢と諏訪勢の折り合いが良ければ、早期に信玄も引退できます。

>対徳川で武田が行動の自由を得るには浅井、長島の牽制が必要不可欠だと思います

織田の援軍が来ない様にする対策は必要です。
505人間七七四年:2009/06/27(土) 23:40:56 ID:cQrwvOtA
鳥居強右衛門さんを味方に付けるしかねーだろ
506人間七七四年:2009/06/28(日) 02:27:40 ID:RMRuMFcZ
鳥居強右衛門などシカトして、さっさと長篠城を落とすべきだった。そうなれば、
織田軍は、退くだろ。(退かなくても、山岳戦なら武田が有利)三方ヶ原の時、
織田の援軍は形式的だったし、高天神城の時は、間に合わなかった。
長篠城の時も織田軍が到着する前に武田軍が落としてしまえば徳川に対して、
交渉の余地が生まれたかも。そして信康の時が交渉の山場。(そんな時に、
信長が切腹を命じるか、わからないが・・・)徳川が武田と組めば、織田に下った勢力も
どうなるかわからない。
507人間七七四年:2009/06/28(日) 08:56:14 ID:yJ6ds8Em
織田と事を構える前に上杉と講和して、できたら上杉武田同時に対織田出兵。


とかできないの?
508人間七七四年:2009/06/28(日) 09:12:33 ID:snwul86j
>>507
>織田と事を構える前に上杉と講和して

将軍だか調停を介して和睦はしているよ。
509人間七七四年:2009/06/28(日) 11:31:06 ID:mPuNHyIn
>上杉武田同時に対織田出兵。

無理ですね、織田と上杉の関係は右手で戦いながら左手で握手みたいなところがありますから。

1570年から73年まで、つまり信玄最晩年の西上作戦時には、
織田、徳川、上杉の3者連合vs武田=北条同盟と対決する構図です。

武田と上杉は北信濃と上野を巡り完全に対立関係です。
謙信は武田を潰す為に織田徳川と手を組んでいますよ。

家康が謙信に対武田の為の同盟を求める手紙を出したら
謙信は「三河の若者が私を頼りにしている!」とか言って喜んでいる状態です。
510人間七七四年:2009/06/28(日) 15:37:44 ID:X2eI3Jke
徳川領が武田に蹂躙されて家康が必死に謙信に助け求め続けたのにすかっとシカトされたんだよなw
家康も、上杉は頼りにならないと身に沁みたろう
まあそもそも謙信が織田徳川に忠義示す必要なんてないし
後に織田に嫌悪もって攻め込んだぐらいだしな
511仙台藩百姓:2009/06/28(日) 17:23:06 ID:oqoLBN8w
謙信とかいい加減で性根が定まらないから一度も同盟上手くいったことないじゃんお( ^ω^)
戦国一の嫌われ者だお( ^ω^)
512人間七七四年:2009/06/29(月) 01:28:07 ID:QW/Sa+il
やっぱり勝つには
はぐれメタルの剣とはぐれメタルの盾を全員に持たせればいい

後は鉄砲はフバーハである程度防げるし
攻撃受けたら
ベホマラーで回復
513人間七七四年:2009/06/29(月) 01:54:38 ID:+gXda1Ob
無理だな、日本にははぐれメタルを産出する鉱脈がない
514人間七七四年:2009/06/29(月) 02:18:15 ID:Y9KfPkBB
武田が滅ぼされても
勝頼か信勝が生き延びさえしていたら
武田家再興もあったのだろうか?

穴山に邪魔されて
結局は無理なのかな
515人間七七四年:2009/06/29(月) 02:21:54 ID:7Xy0yqA6
そうは言っても、穴山氏も武田氏一族だしなあ。
本能寺の変が起きなければ穴山信君が武田を名乗って武田を再興してたかもな。
516人間七七四年:2009/06/29(月) 02:24:03 ID:onUQBMMD
>>510
>徳川領が武田に蹂躙されて家康が必死に謙信に助け求め続けたのにすかっとシカトされたんだよなw

それは知りませんでした。

>まあそもそも謙信が織田徳川に忠義示す必要なんてないし

織田徳川連合軍と上杉が手を組めば
武田に対してはそれなりに防御策になると思うんでけどね。

実際は上手く行かないモンですね。
517人間七七四年:2009/06/29(月) 14:28:02 ID:6SiFnHkO
信玄は駿河侵攻が遅すぎたと思います。

信長の美濃制圧を見て駿河に侵攻し始めるが、それが1568年の末の事。

1560年には桶狭間の戦いで今川義元が討ち死にし、
1561には松平元康が三河西部で自立化、62年からは三河東部に侵攻開始(三州錯乱)
信長と同盟を組む、63年に家康に改名し64年には三河東部を制圧、
66年には奥三河を制圧し三河を統一する。

家康は62年から遠江国人にも内応工作を始め、今川方の国人と戦闘になっている(遠州錯乱)
1568年には曳馬城を陥落させ、浜松に改名させる。徳川は遠江東部を制圧する。

信玄は信濃を1562年には最北部以外はほとんど制圧していますから
この時期には本来なら南下を始めるべきかと思います。
氏真の無能無策ぶりは62年〜63年にはハッキリしていますので
グズグズしていると、三河だけでなく遠江も家康に獲られてしまいます。

武田は下野西部なんてほっとけば良いと思います。

信玄は、義信を早めに駿河に追放し、信虎と一緒に今川重臣の内応工作を
させて置けばいいと思いますね。案外、信虎と義信が今川を采配すれば
三河はともかく、遠江は今川の領地として残せたかも。
518人間七七四年:2009/06/29(月) 15:15:36 ID:n97d/eih
>>517
三国同盟についてもう少し考えるべきかと
519人間七七四年:2009/06/29(月) 19:55:37 ID:kEOBZB1i
>>518
しかし結局は破ったからね
もう少しはやく駿河侵攻が実現していたらと思わざるを得ない
520人間七七四年:2009/06/29(月) 20:23:27 ID:SNeiKrje
信玄は、途中、北条と揉めたのが時間の無駄だった。
北条とは同盟を堅持して西に向かえば。。。
521人間七七四年:2009/06/29(月) 21:00:18 ID:Bjpqp8xu
信玄が氏真を駿河問いするから北条と揉めたんだろ
522人間七七四年:2009/06/29(月) 22:24:15 ID:2/hwIDZY
>>517の案がいいんじゃね?
523人間七七四年:2009/06/29(月) 22:48:26 ID:YorjabBi
>>517
>武田は下野西部なんてほっとけば良いと思います。
瑣末なことだが上野だろ?
524仙台藩百姓:2009/06/29(月) 23:02:55 ID:8MtNw9Z/
今川は緩衝国として残すべきだお( ^ω^)
525人間七七四年:2009/06/29(月) 23:09:29 ID:Y9KfPkBB
武田も徳川も北条も
みんな今川氏真の尻の穴狙ってたんだよ。
526人間七七四年:2009/06/30(火) 01:01:47 ID:wsg2NAlu
今川氏真は1562年に自ら三河に出馬して、元康を攻撃し三河東部の
国人達の離反を食い止めようとします。

しかし、駿河では氏真の不在を良いことに信虎が今川重臣たちへの内応工作
を活発化させた為、氏真は、途中で軍勢を撤退しています。
このことで三河東部の国人の今川からの離反は拍車をかけます。

このように松平元康の今川からの自立には、少なからず信虎の工作が影響
しており、この信虎工作が無ければ元康の三河統一は意外と困難だったかもしれません。

もっとも信虎からすれば、元康に今川領を獲られるのは不本意ではあったでしょう。

この信虎の今川工作に義信が参加してもいいですし、逆に義信が氏真の代理
として三河や遠江に出陣して武田の援軍と共に元康の侵攻を食い止めれば、
駿河・遠江の国人の支持が義信に傾くかもしれません。

駿河・遠江の国人の支持が義信に集まった時点で、信虎と義信が氏真打倒の
クーデターを起こしても良いですし、義信の正室で氏真の妹の嶺松院を通じで氏真と
義信を養子縁組させて、今川義信として氏真から今川家家督を相続しても良い。

信玄が駿河追放後の義信を側面から援助して駿河・遠江の国人の信望を義信に集めるようにすべき。
現実に信虎も信玄と連絡を取り今川の情報を教えたり信玄の駿河侵攻を促しています。
527人間七七四年:2009/06/30(火) 01:09:57 ID:FPnNMCeQ
>>526
面白いけど義信はそういう事しないでしょ
切腹に至る経緯見る限り
信虎なんて義信的には侮蔑の対象でしかなさそうだし
結局駿河に手を出すと北条との確執を引き起こすんですよ
氏真から三河割譲する代わりに徳川征伐してくれみたいな要請を出させることが出来るとベストなんですがね
528人間七七四年:2009/07/01(水) 01:14:26 ID:vlbYc55w
北条はやり方が汚い。御館の乱の前に同盟を締結しておいて、信長と家康と当たるのは不利だからと言って同盟を破るって無いだろ?
529人間七七四年:2009/07/01(水) 01:26:01 ID:vgRpgINv
時は戦国。汚いとは素晴らしき誉め言葉よ。相手の裏をかいたのだからなぁ。
530人間七七四年:2009/07/01(水) 01:59:57 ID:J0++v7Sj
北条は汚いというより阿呆
戦略無く結局国保てなかった
531人間七七四年:2009/07/01(水) 06:58:41 ID:vlbYc55w
勝頼も長篠以降は大変だったね。国人や豪族を離反させないために、家康との小競り合い。外交の失敗。国家財政の破綻。御親類衆は言うこと聞かない。滅亡三年前くらいからは、乱波の手当も出せなく、城の補給すらままならなかったらしいからね。
532人間七七四年:2009/07/01(水) 07:03:18 ID:C7RUfACO
すべて信玄が悪い
533人間七七四年:2009/07/01(水) 07:07:37 ID:3qPPrxAu
長篠の戦以降は、どうやっても領国を維持できない。

高坂弾正が言うように、駿河、遠江、西下野は北条に譲渡して
武田は甲斐と信濃の維持だけに専念すべき。

こうなると武田は半ば北条の属国だけどね
534人間七七四年:2009/07/01(水) 08:52:20 ID:3qPPrxAu
西下野←×
西上野←○
535人間七七四年:2009/07/01(水) 12:03:01 ID:Hw4kRvgD
>>533
遠江→徳川
信濃→織田
駿河・西上野→北条

ぐらい譲渡しないと駄目じゃね?
536人間七七四年:2009/07/01(水) 12:37:13 ID:VPf/+MhJ
北条が織田に降る前に佐竹が斡旋した濃甲和議に乗っかっていれば。
537人間七七四年:2009/07/01(水) 13:02:53 ID:+YVVNQzX
肝心なのは、長篠の戦に負けないようにすべき

という事。

武田は戦闘なんかしないで、さっさと撤退すべし!

信玄は、にらみ合って終わりという戦が多い。
538人間七七四年:2009/07/01(水) 21:44:17 ID:+jhXltlh
>信玄は、にらみ合って終わりという戦が多い。

先に笑ったほうが負け
539人間七七四年:2009/07/01(水) 21:57:46 ID:3foc1cUJ
西上野を北条に割譲すれば北条は駿河に対してそれほどうるさくは言わなさそう
ただ領土割譲なんて配下の国人、豪族が黙っていないだろうね
540人間七七四年:2009/07/01(水) 22:11:28 ID:7OEPSbAB
御館の乱でどちらに付こうが、長篠で負けた時点で終わり。
カゲトラに付いて延命し、史実と同じ日に本能寺の変が起きれば助かるがな。
541人間七七四年:2009/07/02(木) 01:50:07 ID:QaD3BCVA
>>527
>結局駿河に手を出すと北条との確執を引き起こすんですよ

だから義信と氏真の養子縁組を考えた、内部からの浸透なら北条も文句は言い難いはず。

>氏真から三河割譲する代わりに徳川征伐してくれ
>みたいな要請を出させることが出来るとベストなんですがね

三河割譲はともかく、武田に対して氏真は援軍要請はしているかも知れませんね、
しかし、資料が有るかどうかは知りません。

義信と信玄が対立したのは、今川を助けるか攻撃するかでした。
たしか義信は、今川援助と飛騨攻略を主張しています。
義信は、美濃攻撃の前線基地や越前や加賀との連絡網として飛騨を考えていたようです。

今川援軍をやる事で、合法的に今川領内に武田の軍勢を通過駐屯させる事が出来ます。
駿河遠江の国人に直接武田がアプローチする事もやり易くなりますし、
元康を撃退できれば、武田家に国人達の信望を集める事もできます。

つまり、今川への援軍で武田家の駿河遠江の国人への内応工作がやり易くなります。
542人間七七四年:2009/07/02(木) 02:21:54 ID:pwm3eUG0
>>541
>だから義信と氏真の養子縁組を考えた
さすがにこれは厳しいんじゃないかな
氏真は大大名の後継者だし、義信の妻は氏真の妹、妻は北条氏康の娘だから
北条としては駿河・遠江が武田の保護国化は許さないと思うけど

三河割譲と言ったのは尾張・美濃への侵攻ルートとして信濃→三河→尾張のルートを確保するため
こうなると今川に駿河・遠江だけで領土的野心が0っていう前提が必要ですね

543人間七七四年:2009/07/02(木) 08:58:48 ID:cDW5RVb6
岩村後詰めに成功して秋山信友が生きていたら…。
544人間七七四年:2009/07/02(木) 11:07:38 ID:ZYprxY7Q
依田やら秋山の名将を見殺しにしすぎ。家康の小競り合いやら出兵で経済的にきついが救えないんかなぁ。
545人間七七四年:2009/07/02(木) 12:06:33 ID:83WaaKEE
上杉にあらためて金品を贈って、対上杉の一万の兵を織田に差し向ける。
これは最低必要よね?
上杉に裏切られたらもうそれまでだけどさ。
546人間七七四年:2009/07/02(木) 14:11:42 ID:MCtszP1F
穏やかな心を持ちながら激しい怒りによって目覚めれば圧勝。
547人間七七四年:2009/07/02(木) 14:49:09 ID:9/iHRlEk
>>542
>こうなると今川に駿河・遠江だけで領土的野心が0っていう前提が必要ですね

たしかに氏真は元康との抗争の途中で三河の事は如何でも良い感じにはなっています。
しかし遠江まで元康が手を突っ込んでくるとは氏真も思わなかったのでは?

ま、今川を攻めるにせよ、援助するにせよ1568年末では遅すぎですね、
信長は美濃を既に制圧していますから。
この時点で信長の領土も動員数も武田を上回り始めます。

武田は1562年〜63年あたりに今川に対して何らかのアクションを起こすべきです。
この頃なら三河はともかく遠江は何とかなったでしょう。

信玄の南下は5年は遅かったでしょう。
548人間七七四年:2009/07/02(木) 20:15:37 ID:zEYgkDIf
>>544
>依田やら秋山の名将を見殺しにしすぎ。

勝頼は岩村城には後詰に行っているよ。
ただし撃破されたことが信長公記に書かれているけど。。。
549人間七七四年:2009/07/03(金) 17:13:58 ID:L3TLO/9t
1568年の信玄の駿河侵攻も、信長に促されて行った。
美濃に攻めて来ないでねって言う事なんだろう。
その裏で家康に信玄との軍事的な衝突をも促している。
信玄は、良い様に信長に操られている感、大有り。

信長の天下統一プログラムにまんまと嵌ってしまった。
550人間七七四年:2009/07/03(金) 19:47:11 ID:xldaH05/
548。知らなかった。まさか、木曽やらの申し訳程度の援軍だったり・・・。
551人間七七四年:2009/07/03(金) 22:12:42 ID:oW3tEu1Z
西上野なんか経営する暇あったらさっさと東海道だったよなあ
552人間七七四年:2009/07/04(土) 00:37:40 ID:6UPceH2Q
義信を信玄と不和に仕向けたのも信長の仕業な気がしてきたよ
553人間七七四年:2009/07/04(土) 00:43:23 ID:Qte6tPOF
はいはい信玄が死んだのも家康が天下取ったのも全部信長のおかげ
554人間七七四年:2009/07/04(土) 00:53:11 ID:U7jMu1Zh
大内義隆や三好長慶殺したのも信長
555人間七七四年:2009/07/04(土) 02:57:31 ID:U3C3Oxgm
家康ってかっけーなー
だけど強右衛門が勝頼に殺されていった

いどうなるのだろう
556人間七七四年:2009/07/04(土) 07:36:42 ID:ERp+9Cmi
>>551
>西上野なんか経営する暇あったらさっさと東海道だったよなあ

東海道でも良いし、尾張の信長と組んで美濃を攻めても良い。
信玄は信長が美濃を攻略した67年の時点で南信濃や飛騨の一部は武田領
になっているので、信玄は美濃を東と北から攻撃できる。

信長としては美濃全部を丸呑みしたいから、信玄の目を美濃から逸らす為に
駿河攻めを促したのだろう。

信長が美濃を攻略する時に信玄も東と北から美濃に攻め込んでも良い。

>>552
たしかに義信存命中に勝頼と信長の妹婿の婚姻が決められている。
557人間七七四年:2009/07/04(土) 08:09:56 ID:lgPt7QNa
大軍の木曽路越えは無いわ、険阻すぎ。東濃も山川が走ってるし
558人間七七四年:2009/07/04(土) 12:25:46 ID:y1l5uaVD
信長だって同じ事。
それに美濃斉藤家から離反し信長に鞍替えしたのは、西美濃の国人達。
559人間七七四年:2009/07/04(土) 12:54:53 ID:lYhPcEhy
>>558
西美濃よりも前に、東美濃の豪族たちが先に織田に鞍替えしているんだが
560人間七七四年:2009/07/04(土) 16:29:05 ID:y1l5uaVD
ソース教えて?
561人間七七四年:2009/07/04(土) 17:15:37 ID:YK+m9n8W
勝頼は家臣、特に親類集に認められていなかった。
だから、勝頼は戦で示すしかなかった。小城を次々と落としていった勝頼だが、
大きな戦果が欲しかったのだろう。そんな思考が長篠での判断を狂わせたんだと思う。


562人間七七四年:2009/07/04(土) 17:46:20 ID:X1xoywP9
>>553
前者(信玄の件)と混みにする形で後者(信長の件)を否定するのは、ちと狡いですな家康殿(笑)
563人間七七四年:2009/07/04(土) 18:11:44 ID:Z3unnId3
>>562
おい、マジレス厨言っておくけどな 俺はお前のこと意外と好きだぞ
お前らみたいのがいるからオレはアナルオナニーがやめられんよ、今だっていじりながらレスしてる
564人間七七四年:2009/07/04(土) 19:48:18 ID:ExF9Eeoo
>>547
北はどうするの?
まず西上野を取って上杉の勢力を削減しないまま
今川にむかったら上杉が南下してきて北条も敵にまわってそれこそ
袋叩きで終わりじゃないかな。
>>549
>>1568年の信玄の駿河侵攻も、信長に促されて行った。
ソースは?信玄は今川氏真が上杉と内通して武田を包囲する戦略を立てたから
先手を打って駿河に攻め込んだんだけど。これは武田側の書状でも北条側の書状でも確認できるよ。
信長が仕向けたって言うのは?
>>その裏で家康に信玄との軍事的な衝突をも促している。
これのソースも。
家康との対立は武田の秋山隊の行動から始まり、信玄はそれをすぐ引かせてるし。
>>552 >>556
あれは東美濃で武田と織田の一部隊が衝突して
織田があわてて兵を引かせて武田に婚姻同盟を申し入れたものだよ。
565人間七七四年:2009/07/04(土) 19:48:48 ID:eBFeLnQl
やっぱり信長はすごいよな
猪(今川)を倒したのは自分なんだからその肉は自分が食いたいだろうに
犬(徳川)と狼(武田)の間に投げ入れて自分は都へまっしぐら
犬と狼は狐(北条)もまじえて肉(駿・遠)の奪い合い
566人間七七四年:2009/07/04(土) 20:00:46 ID:ExF9Eeoo
>>565
遠州錯乱が終わるまで今川の勢力は結構なものがあるし
そもそも織田領と今川領の間に徳川がいるから
徳川を倒さないと今川領攻められないよ。
都へ向かうって言っても途中で斎藤と戦ってたし。
567人間七七四年:2009/07/04(土) 20:14:10 ID:eBFeLnQl
>>566
桶狭間の時は松平元康は今川の一武将に過ぎないし
今川は反乱軍である徳川ですら鎮圧できない状態だったんでしょ
徳川は今川との抗争に戦力を向けねばならないわけだから
背後から襲って(結果として)今川と挟み撃ちにし三河や今川領を侵略する選択肢もあるわけだけど
弱ってるところを叩くのは戦国の基本だけど
わざわざ勝てない斉藤を目標に選ぶのは意識の切り替えがうまかったんだろうね
嘘か本当かわからない大義名分があったとしても
568人間七七四年:2009/07/04(土) 20:22:39 ID:PWCnzIPc
>>567
途中までは家康は今川に対し仇討ちで織田を攻めようとか持ちかけたり
自分が三河を安定させる為に戦ってるんだといって三河の織田方と戦ったりしてます。
本音は自分の領土拡大なんですけど。
これで地力を蓄え(織田もあんまり三河には執着してなかった)た後、
家康は水野氏を仲介として織田と同盟を結び、その後で今川に反旗を翻すわけです。
ここらへん家康はかなりしたたかですよ。
569人間七七四年:2009/07/04(土) 20:27:21 ID:eBFeLnQl
独立→同盟じゃなく
同盟→独立でしたか
同盟後すぐに切って攻め込むのはハードルたかいから挟み撃ちはむりかなあ
570人間七七四年:2009/07/04(土) 20:37:35 ID:PWCnzIPc
>>569
もう織田と徳川の同盟が成立した頃には
織田も斎藤との戦いをはじめちゃってるんですよね。
織田にしてみると徳川(というか松平)の心のうちなんかわかるわけないですし
今川は義元が死んだとは言え駿河遠江三河三国70万石以上で織田の尾張一国58万石より大国。
しかもなんかその三河の先鋒である松平が三河の織田方を積極的に攻めて攻略してる。
こんな息のいいのがいたんじゃ攻め込んでもてこずりそうだな、
それなら石高同格の斎藤を攻めるか、今川は尾張までは当分攻めて来れないだろうし、
義龍は早いこと死んでくれて美濃は混乱してるし、って感じで美濃攻めたんじゃないですかね。
それで美濃攻めて一進一退の途中で松平から同盟申し込みがあったと。
571人間七七四年:2009/07/04(土) 21:28:09 ID:jQJhlB8O
同盟といえば、まず婚姻だろ。同盟していたのを裏切るのは、難しい。

織田と斉藤。裏切ると、信長は、正妻の濃姫との関係がおかしくなったろう。
今川と徳川。裏切ると、家康は、正妻および自分の長男との関係がおかしくなったろう。
織田と武田。裏切ると、(以下省略)

なにしろ、自分の家の跡継ぎの男児が、敵国との合いの子みたいなものだから、
そうそうは裏切れまい。
572人間七七四年:2009/07/05(日) 01:39:08 ID:I9jl5coy
領土拡張率ランキング(ver.03)


         家督相続年  相続時勢力圏  最大勢力圏  勢力拡大率
1織田信長    1551年     4万石    800万石      200倍
2毛利元就    1523年    2万石  180万石      90倍  
3長宗我部元親  1560年    2万石    80万石      40倍
4三好長慶    1532年?    10万石     200万石       20倍
5島津義久    1566年    15万石      180万石     12倍
6尼子経久    1478年   10万石     70万石       7倍
7北条氏康    1541年    45万石     180万石       4倍
8武田信玄    1541年    26万石      90万石       3倍
9上杉謙信    1548年    45万石   90万石       2倍
573人間七七四年:2009/07/05(日) 05:22:02 ID:SVkS0THI
>>572
織田が4万石とかありえんから。20万石近くあるだろ。
武田は100万石は堅いだろ。
しかり26万石から90万石で三倍な。
相変わらず算数もできんようだな。
574人間七七四年:2009/07/05(日) 08:54:44 ID:f6RnUr8l
織田厨は計算が出来ないんですよ。持論を曲げない人の意見は聞かない。北朝鮮国家の軍部みたいなものですな。
575人間七七四年:2009/07/05(日) 09:03:46 ID:J+MqJNBQ
>北朝鮮国家の軍部みたいなものですな
wwwwwww
576人間七七四年:2009/07/05(日) 09:27:20 ID:yBYl+bv+
定期的にこのコピペ見るね
577人間七七四年:2009/07/05(日) 09:39:51 ID:kTuxAZQg
石高なぞ関係ありません。
金で兵を雇えるトコまで経済を発展させられるかどうかです。
信玄はぼうづなので寺社の既得権を奪うことができんのです。
なので戦場でどれほど勝っても結局本国に戻らざるをえんのです。
勝頼が信玄を追放できてたら、あるいは…
578人間七七四年:2009/07/05(日) 10:45:00 ID:mSkPMaSA
桶狭間で義元が死んだら
北信濃は放棄して謙信と和睦、上野は北条・上杉に争わせてスルー
東美濃を制圧
今川と同盟を維持しつつ速やかに三河を攻め徳川を滅ぼす(もちろん調略で今川領を切り崩す、北条とは敵対しないように)
信長より早く美濃を制圧、三河から尾張を攻めて信長を潰す
将軍義昭を奉じて京に攻め上る
579人間七七四年:2009/07/05(日) 10:53:37 ID:kTuxAZQg
>北信濃は放棄して謙信と和睦

うむ、ここからしてそもそもできんかったわけですね、分かります。
580人間七七四年:2009/07/05(日) 10:59:40 ID:mSkPMaSA
>>579
出来なかったというよりもしようとしなかった
信長が拡張する前に西に向かわなければ不利になるだけ
それに気付くのが遅過ぎた
581人間七七四年:2009/07/05(日) 11:06:01 ID:+fpE2NaT
領地の問題は勝頼の一存でどうこうできるもんでもないでしょ
当時の武士は自分等の領地を保障してくれるからいわゆる戦国武将に従っているわけで
武田の戦略の問題で放棄とかはありえないんだよ
582人間七七四年:2009/07/05(日) 11:28:40 ID:J+MqJNBQ
>>570
桶狭間の戦いで今川義元が死ぬのが1560年、岡崎城に入り、61年は東三河
で戦をしているが、まだ完全に今川から独立していない。
元康は義元の後を継いだ今川氏真が義元の仇討の出陣をしないことを理由に
(これは口実であって、氏真は当主の死で混乱する今川家中の安定化に
力を注ぐことを重視し、逆に元康は氏真体制が固まる前の自立を図った)
今川氏から完全に離反し、永禄5年(1562年)になって氏真に無断で織田氏
と講和した。以後、公然と今川氏と敵対して三河の統一を進めていった。

同じ62年にさすがの今川氏真も元康に攻撃を開始するが、信虎が駿河で
謀反工作をしている為、中途半端な形で氏真は三河から撤退する。
駿河の一部の国人の動きも実際におかしかったらしい。

この撤退が、後に今川にも徳川にも効いて来る。
もしこの62年の氏真の三河侵攻が成功していれば、元康は早い段階で潰され
ていただろう。したがって今川は三河も遠江も失うことが無かったように思える。

そういう意味で武田信虎の存在は今川の衰退・滅亡の大きな原因の一つと言える。
晴信に追放され、いまひとつ評判の良くない信虎だが、人格的な問題はともかく
今川を弱体化させるという課題においては、元戦国大名としての政治的技術が
発揮された感がある。
583人間七七四年:2009/07/05(日) 11:30:36 ID:J+MqJNBQ
>>580
禿同!
584人間七七四年:2009/07/05(日) 15:25:13 ID:f6RnUr8l
真田昌幸「御屋形さま。我々が血と汗と涙で獲得した、北信濃を渡すつもりですか?川中島で消えた英霊にどう詫びるのです」高坂「海津を失うなら切腹します」勝頼「・・・」
585人間七七四年:2009/07/05(日) 15:31:27 ID:yBYl+bv+
この辺りは日露戦争で手に入れた満州の権益みたいなものだな
今から見れば満州の権益手放して門戸開放すれば良かったとか簡単に言えるけど
やはり信玄時代から長期的戦略を練り直す必要あるね
586人間七七四年:2009/07/05(日) 15:40:29 ID:up3COPxY
今から見ても、満州の権益放棄や門戸開放は愚策
587人間七七四年:2009/07/05(日) 15:43:19 ID:yBYl+bv+
>>586
こういうマスコミやそれに煽られた一般市民がいたからああいう末路になっちゃったんだよな
既得権益を手放すことの難しさがこういうレス一つでもよく分かるわ
588人間七七四年:2009/07/05(日) 15:46:04 ID:mSkPMaSA
義元亡き後すぐに方針転換して上杉と停戦すれば第四次川中島の戦いは回避できた。
そして信繁も死なず信玄と義信は不和にもならなかった。信玄より義信のほうが先見の明があったような気がする。
嫡男として順当に家督を継げれば勝頼よりも家中はまとまっただろう。
信繁らが後見人として補佐して経験を積めば信玄よりも名将になれたかも。
589人間七七四年:2009/07/05(日) 16:13:04 ID:4wFTdtw7
>>588
>義元亡き後すぐに方針転換して上杉と停戦すれば

停戦するんは何らかの譲渡が必要でしょ。

個人的に思うには上野は北条に任せて
信玄は駿河に向かうべきだったな。

そうすれば北条と利益が一致して同盟を維持できただろう。
590人間七七四年:2009/07/05(日) 16:44:36 ID:CRS3Nhx3
謙信は関東管領を受けたし、本音は信濃より関東に専念したいんじゃないかな。
形ばかりの譲歩をして国境を取り決めれば快く応じそうだけどね。
氏真を助ける名目で三河の徳川を先にやっつけたほうが良いと思う。
591人間七七四年:2009/07/05(日) 20:11:26 ID:BV8A7DAD
地下に城を築かなかったからだめなんだ。
592人間七七四年:2009/07/05(日) 20:36:22 ID:EPK3N61v
>>578の案は、面白いですね。
ただ謙信との和睦はかなり難しいかも・・・・・
593人間七七四年:2009/07/05(日) 20:42:29 ID:Q6gxi/cB
北信濃の放棄か。国内の反抗勢力を抑えるのに何年かかるのかねー。
594人間七七四年:2009/07/05(日) 21:45:40 ID:AMcPuy0i
信長の天下を許す積りはなく、敵対するのは分かってたのに勝頼と雪姫の婚約を決めた信玄は迂闊としか思えないな
595人間七七四年:2009/07/05(日) 21:54:23 ID:dTShGSDG
信濃は力を注いだ割には40万石と生産力が低いんだよね。。。
その倍くらいあれば信長とも対抗できたのに。
596人間七七四年:2009/07/05(日) 22:05:25 ID:Bn/facpT
>>591
松代大本営のこと?
597人間七七四年:2009/07/05(日) 22:19:30 ID:kTuxAZQg
ジオフロント
598人間七七四年:2009/07/06(月) 02:25:49 ID:rn7HtqKA
信濃の石高言い出したら本拠の甲斐も悲惨
ああいう所に生まれついたんだから仕方ない
謙信みたいなおかしなのが近くにいるし、ツキはない人だった
599人間七七四年:2009/07/06(月) 07:18:17 ID:CB2Z1e9P
武田は西上野を北条に譲り、上杉と北条に上野を巡る合戦を起こさせる、
武田がその場合の援軍を出す。
その代わりとして北条は武田の今川攻めを黙認する、という盟約を武田
北条の間で1562〜63年ぐらいに結べれば一番良い。

その後に今川の要請という事で三河を信玄が攻める。
その前に、武田は信長と交渉し、信長の美濃攻めを武田が支援する盟約を結ぶ。
武田は東美濃と三河を版図にし、信長はそれ以外の美濃を制圧する。

実際に信長は、1565年に東美濃の高野口で武田軍と衝突し、それを避けるために
勝頼と信長の養女を婚約させた経緯がある。>>559が言うように信長は東美濃から
制圧を開始しているため、武田と信長の衝突は美濃制圧の過程から常に存在した。
600人間七七四年:2009/07/06(月) 08:03:16 ID:OsFg8PUb
武田は石高云々の前に、地方領主の集合体であった統治体質を変えなきゃならん。
601人間七七四年:2009/07/06(月) 08:37:39 ID:o8L05dAe
現存する文書から、信長の統治も武田と大差はない事がわかっている
むしろ急速に拡大した分、信長の方が地方領主に妥協している
北条の方が余程統治機構がしっかりしてたよ。
602人間七七四年:2009/07/06(月) 14:12:40 ID:4/LuY0Wg
謙信みたいなおかしなやつw。確かにあの人はおかしい。信玄公との戦いが楽しみで楽しみで仕方なかったんじゃない?絶対に振り向いてくれない人にチョッカイ出す中学生みたいだね。
603人間七七四年:2009/07/06(月) 16:51:00 ID:liCFuqJn
絶対に、てか思いっきり振り向いてるじゃん。
604人間七七四年:2009/07/06(月) 17:58:14 ID:7nMB/qu9
まあ確実ウザイ童貞野郎だよな
605人間七七四年:2009/07/06(月) 18:04:13 ID:PmZjuCJ4
謙信の矛先が北条と一向宗にだけ向けられれば良かったのに
606人間七七四年:2009/07/06(月) 21:31:35 ID:IaU2wFNC
>>602群雄創世記という本によると、謙信の書状を分析したみたところ、

川中島に出兵するというのは、甲子園に行く、のと同じような
聖地みたいになっていたらしい。

高校野球の夏の甲子園に参戦する、みたいなもので、
越後では、「川中島」に関しては、一種の異様な盛り上がりを生じていたらしい。

謙信が、軍忠状に土地の褒美を書いていないわけは、このあたりに関係するらしい。
607606:2009/07/06(月) 21:37:16 ID:IaU2wFNC
一方、北条となると、今度は違って、宗教を旗印にかかげた。
鶴岡八幡宮の建物を再建するからといって、北条が音頭とりをして、
敵国からも材木を提供させるという有り様。北条の書状には
「決して北条家が黒幕ではない」と言い訳しているが、神を祭るのを言い訳にして
北条家が指揮っている。
608人間七七四年:2009/07/07(火) 02:59:33 ID:yO9/dpG1
>>577
兵農分離とか信じてる?
信長も別に金で兵をやとってるわけじゃないから。
信長も普通に寺社の権益の大部分は保護してるし。
>>578
そもそも武田が第4回川中島に向かった理由からして
上杉が大膨張したから国内が動揺しまくって、なんとか一撃を与えて上杉恐れるに足らずを
示す必要があったからなわけで。犠牲は大きかったけどなんとか達成。
この時点で北信濃譲渡とかしたら武田がつぶれるぞ。
北条も単独で大膨張した上杉とぶつかるのはきつい。
北条が上杉にやられたら次は武田だ。
>>580
完全に未来の視点だよな。
てか実際問題北に強敵がいるのになんでそれ放置すんだか。
>>588
上記参照。
>>信玄より義信のほうが先見の明があったような気がする。
よくわからんが、信玄が今川を攻めたのも今川が上杉と組んで武田を包囲する戦略立てたからで
信玄も乗り気だったわけじゃないんだよな。
>>589
上にも書いたが、越後に加え上野一国に武蔵北部、さらに関東諸侯まで従えて大膨張した上杉を
北条単独で上野取るのは無理だ。
だから信玄が西上野を切り取って上杉の勢力削減に入ったわけで。
>>594
途中まで双方とも敵対するとわかってはいなかったと思うが。
婚姻が決まったのは信長がまだ美濃もとってない時期だぞ。
>>595
一国の石高としてはかなり大きいほうだと思う。
609人間七七四年:2009/07/07(火) 06:54:59 ID:Kel9G3oi
甲斐の国が富んでいたと言えば言うほど、
その上に乗っかった武将の無能さがよくわかる
610人間七七四年:2009/07/07(火) 10:41:58 ID:mj+VUpdb
>>608
おめえ人様の意見を貶してばかりいないでじゃあどうすれば最善だったのか書けよ
611人間七七四年:2009/07/07(火) 11:25:56 ID:J0ubTHKP
誤りを正すのは大事だよ、うん
612人間七七四年:2009/07/07(火) 12:07:16 ID:5QPm50PS
>婚姻が決まったのは信長がまだ美濃もとってない時期だぞ。

1565年には、信長は東美濃には進入中だよ、
美濃全体を制圧するのは67年だが。
613人間七七四年:2009/07/07(火) 14:07:42 ID:V3IPb2Uu
>上杉が大膨張したから国内が動揺しまくって、なんとか一撃を与えて上杉恐れるに足らずを
示す必要があったからなわけで。

ソースは?
614人間七七四年:2009/07/07(火) 20:11:22 ID:L8md6yH3
やはり、上杉が関東に乱入して、
かきまわしていることを指しているのでは?
615人間七七四年:2009/07/07(火) 21:13:39 ID:x8vV1mXB
関東諸侯が一時的に関東管領の政虎に従っただけでしょ
大膨張とかワケわかんね
616人間七七四年:2009/07/07(火) 21:20:49 ID:yeCFenZq
武田信玄
 日本史上、有数の暴君である戦国大名。
あと少しで信濃統一を果たすところまでいくが、上杉に阻まれる


       ,、r‐''''''''''''''''ー 、
      ,r'         `' 、
     /             ヽ
.    / ,             ヽ
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|
   l:,;'"`'、,    . ,;ィェ、..   ,rェ;〈
.   ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン  .., .:::'''"゙,
    l;゙、',.::l;;;i  / / / r   ヽ. ///l,    
    l;;;;`‐;;;;;ヽ   . './'ー'''ー‐' ',  l;;;,,    
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ  ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'   
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l  '';;;;;;;;;;;;;;'         ,イ l'''  l `
:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
:.:.:.:|  ゙、゙、       `''''''''"",ノ l l  .|  |
:.:.:.:.|  ヽヽ     `'---‐'" .//  !  |



武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72

毛利元就(適正値)
統率98 武勇72 知略115 政治89

徳川家康(適正値)
統率102 武勇88 知略100 政治115

豊臣秀吉(適正値)
統率105 武勇65 知略110 政治120

織田信長(適正値)
統率120 武勇105 知略105 政治105

北条氏康(適正値)
統率95 武勇82 知略89 政治110

上杉謙信(適正値)
統率92 武勇99 知略68 政治95

信玄が信長よりスタートに恵まれない → だがの妄想

信玄は信長とちがって、同格とばかり戦って領土を広げた → だがの妄想


これが結論
617人間七七四年:2009/07/07(火) 22:16:08 ID:7ZeDW+wM
>>608
>>>595
>一国の石高としてはかなり大きいほうだと思う。

国の大きさに対して生産力は低いだろ。
20年近くかけて信濃を取ったわりには40万石とは低すぎる。。。
618人間七七四年:2009/07/07(火) 22:19:02 ID:J0ubTHKP
信長厨発狂しすぎ
軒並みどころか武田関連スレ全部荒らすとか、あほかw
619人間七七四年:2009/07/07(火) 22:21:49 ID:bqEXy+fr
唯一の救いがコピペAAであぼ〜んしやすいってことだな
これであぼ〜んしにくいように微妙に変えられたらうざさが更に増す
620人間七七四年:2009/07/07(火) 22:49:48 ID:x8vV1mXB
>>617
同意。寸土を惜しむより一刻も早く美濃、尾張に切り込むほうが得策。
個人的に第4次川中島は人的・時間的損失は長篠に匹敵する大誤算だと思う。
621人間七七四年:2009/07/07(火) 23:04:52 ID:7ZeDW+wM
>>608
>>>578
そもそも武田が第4回川中島に向かった理由からして
上杉が大膨張したから国内が動揺しまくって、なんとか一撃を与えて上杉恐れるに足らずを
示す必要があったからなわけで。

膨張した、というわりには第4回の川中島の
上杉の兵力が1万6千そこそこなのは何故?
622人間七七四年:2009/07/07(火) 23:27:18 ID:yO9/dpG1
>>609
甲斐の国が豊だなんて誰がいったんだ?
毎年餓死者が続出してる状態だってのに。
またどっか文章よみまちがえてんだろうがな。
>>610
信玄の寿命がもう少しありゃよかったな。
勝頼時代でいうなら長篠で戦わず外交で包囲網を再編。
上杉・毛利とかと共闘して戦う。
>>612
その東美濃で武田と激突してあわてて兵を引いたんだけどな。
>>613
上杉の大膨張については関東遠征で上野一国と武蔵北部を制圧して
もとの越後一国とあわせて100万石近い領国を得たこと。
武田領国の動揺については上杉の膨張に呼応して武田宗家に次ぐ力をもつ勝沼が
謀反して甲斐を乗っ取ろうとしたのが発覚し成敗された事(勝沼事件)、
北信濃衆が謙信の威勢を恐れて武田に無断でお祝いに行ってしまってることなど。
>>614
上記参照。
>>615
地力でも100万石超えてるけどな。上記参照。
その後も関東諸侯は従ってる。
623人間七七四年:2009/07/07(火) 23:41:10 ID:yO9/dpG1
>>616
どこが暴君だってんだ。

画像が畠山じゃねえか。

その基準なら信長さまは統率40代きりそうだな。
知略はぼろぼろだな。

>>信玄が武田よりスタートに恵まれない

そもそもこの文章がおかしいと思わんのか。
信長と書きたかったんだろうが実際恵まれてないんだが。

だから笠原上杉、長尾上杉、北条、織田徳川、上田原後の信濃連合
十分戦ってる。

いい加減妄想はやめとけ。
とりあえず根拠となる資料を出して立証してもらおうか。
その比較能力の根拠出してもらおうか。
>>617
国の大きさに比しても何も、一国だけで41万石以上の国なんて
全国で見てもそうないぞ。
途中から上杉を防ぐ意味でも北信濃を確保せにゃならなくなったからな。
もともと甲斐自体が貧国でもあるし。
てかその後5年足らずで西上野20万石とったり、2年で駿河15万石とったり、
三河や遠江や美濃を半年で削り取ったりしてるけどな。
>>620
だから強大化した上杉放っておいたら武田が潰されるから
その力の削減に努めないといけないんだと何度も言ってる。
被害はあったが第4次川中島で北信濃を制圧し、武田領国の動揺も収束。
目的は達した。
>>621
上杉側の資料じゃ武田側より兵が多い事になってるけどな。
軍記を見ても、上杉が少ない兵で来たのは武田を決戦に進ませる為にあえてすくない兵で
来たと言っている。実際対陣の途中で、部下が「もし信玄が兵を割いて越後を攻めさせたらどうします?」と
不安がると、謙信は「越後には二万の兵を残してあるから全然心配いらない」と言ってる。
624人間七七四年:2009/07/07(火) 23:45:49 ID:ngCFdpKJ
たとえば信玄の寿命が10年長かったとしても朝倉とか屁たれ包囲網じゃ上手く行ったかどうか分からないじゃん。
やはり美濃攻略前に信長をやっつけるほうが可能性は高いと思うね。
625人間七七四年:2009/07/07(火) 23:50:07 ID:yO9/dpG1
>>624
朝倉も2月には出てきてるけどな。

その場合上杉が南下してきてry
626人間七七四年:2009/07/08(水) 00:34:40 ID:ZI3MEdXz
勝頼は自刃ではなくて、空腹と疲労で動けなくなったとこを
切り伏せられたのが有力なんでしょ?悲しいな。

しかし、織田の残党狩りは容赦ないな。家康なら従順させてただろうな。
627人間七七四年:2009/07/08(水) 00:45:05 ID:cbw/NRCm
姉川で家康がいないときに三河周辺をせめるべきだったな。
628人間七七四年:2009/07/08(水) 18:30:04 ID:5JL2LcSR
253 :無名武将@お腹せっぷく:2009/07/08(水) 03:26:25
だから家康が姉川で戦っている間に三河に攻め込めばよかったんだよ。
普通の意見だが。
629人間七七四年:2009/07/08(水) 21:45:49 ID:stSse1jF
姉川の戦いは1570年。
このころは信玄は北条との戦いで駿河を攻略してる最中。
630人間七七四年:2009/07/08(水) 23:43:12 ID:+x3XJVNQ
武田信玄
戦国時代の戦国大名。日本史上、有数の暴君。
あと少しで信濃統一を果たすところまでいくが上杉に阻まれる
同盟や和睦をやぶるなど謀略を尽くしての領土を拡大し、奪った領土からの略奪により家臣や国内をまとめあげた。
しかし、国境を接する弱小豪族をすべて倒したあたりから領土拡大に急ブレーキがかかる。
このような相手国からの略奪によって家臣や国内の領民の不満を封じこむやり方は、領土拡大のペースが落ちると家臣や国内の不満を生むこととなった。
息子である勝頼は家臣や領民の不満を封じるため、無理な拡大路線を強いられることとなった。
また、信玄の度重なる外交に関する不義により武田家の他国への信用性はゼロに等しいこともあった。
その結果、勝頼は、他国との連携作戦もできずにやがて孤立していくこととなる。
結局、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することができなかった。
そして、武田家は一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
織田信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。

       ,、r‐''''''''''''''''ー 、
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     /             ヽ
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    l;゙、',.::l;;;i  / / / r   ヽ. ///l,    
    l;;;;`‐;;;;;ヽ   . './'ー'''ー‐' ',  l;;;,,    
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:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
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:.:.:.:.|  ヽヽ     `'---‐'" .//  !  |

武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72

毛利元就(適正値)
統率98 武勇72 知略115 政治89

徳川家康(適正値)
統率102 武勇88 知略100 政治115

豊臣秀吉(適正値)
統率105 武勇65 知略110 政治120

織田信長(適正値)
統率120 武勇105 知略105 政治105

北条氏康(適正値)
統率95 武勇82 知略89 政治110

上杉謙信(適正値)
統率92 武勇99 知略68 政治95

信玄が信長よりスタートに恵まれない  → だがのウソ
信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ

信玄は信長とちがって、同格とばかり戦って領土を広げた → だがの妄想
一国にまとまらない信濃の豪族という格下との戦いに勝利して領土を広げただけ。同格の上杉やと北条との戦いでは領土拡大の
スピードは目に見える勢いで低下。上杉の謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や、氏康の病気をねらって
領土を拡大するものの、両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができなかった。
631人間七七四年:2009/07/08(水) 23:43:46 ID:2VuiCrjw
家康なんかと協定結ばずに北条と今川領を2分すれば良かったんだよ
632人間七七四年:2009/07/09(木) 00:32:52 ID:fD4rsKRR
>>630
どこが暴君だってんだ。
普通に同格相手に勢力を拡大してる。嘘をつくなよ。
>>家臣や国内の不満を生むこととなり息子の勝頼は拡大路線をつらなけらばいけないこととなる
ソースよろしく。でてこないだろうけど。
>>度重なる外交への不義により武田家への他国の信用性はゼロに等しく、勝頼は父親の残した大きな負債を払拭することが
>>結局できなかった
これもソースよろしく。普通に勝頼は関東諸侯やら上杉やらと結んでる。
信玄死亡時は北条が同盟国。長篠と御館を押し付けるのはおかしすぎ。
>>一回の合戦で戦闘力を失い、たった一ヶ月で滅亡した。
武田滅亡は長篠の7年後だが、7年が1か月か。すごいすごい。
長篠直後で勝頼が援軍に行けない状態でも岩村城を5か月かけても落とせなかったくせに。
武田が崩壊したのは長篠と御館で北条や徳川との多方面作戦での疲弊。
その間たくさん戦ってる。
>>信長が倒した戦国大名の中では武田家はもっとも労を要しない相手だった。
随分苦労してるがな。

画像が畠山じゃねえか。

その基準なら信長さまは統率40代きりそうだな。
知略はぼろぼろだな。

>>信玄が武田よりスタートに恵まれない

そもそもこの文章がおかしいと思わんのか。
信長と書きたかったんだろうが実際恵まれてないんだが。

だから笠原上杉、長尾上杉、北条、織田徳川、上田原後の信濃連合
十分戦ってる。

いい加減妄想はやめとけ。
とりあえず根拠となる資料を出して立証してもらおうか

>>信虎は甲斐を統一し、信玄は労せずそれを丸ごと承継。
毎年餓死者が続出する貧国甲斐と信虎を追放した事で国人統制の問題もあった。
>>一方、信秀は尾張統一に失敗し、今川の戦いにも敗北。信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ
はいはいうそうそ。
信秀はもとから尾張で最強の実力者。弾正忠家の実力は20万石以上。それに加えて津島熱田の経済力を有してる。
信長は普通に継承してる。信長がそむかれたのはその素行から。

上杉からは5年で西上野20万石とってるし、北条からは2年で駿河15万石とってるが。
>>謙信の出奔事件の合間をぬった和睦を反古にしての領土拡大や
その後で第4回川中島で撃退も成功。西上野も攻略してる。
>>氏康の病気をねらって
氏康が病気になるのは武田が駿河の大部分を手に入れたあとだといってんだろ。低脳が。
>>両国の間の第三国のわずかな領土の領有を得たにすぎない。、結局、上杉や北条といった同格の相手の領土は奪うことができず。
北条は駿河の継承権を譲り受けてる。西上野は上杉の領土。
普通に北信濃・西上野・駿河と50万石を軽く超える領土を得てるんだが。
とりあえず資料だしてくれや。お前の妄想の。
633人間七七四年:2009/07/09(木) 00:33:39 ID:fD4rsKRR
>>630の要領で信長の評価
織田信長

日本史上、有数のキチガイである戦国大名。
同格の斎藤義龍にとても勝てず、幼君にも何度も負けてるすさまじい戦下手。
ただ桶狭間で敵先陣と間違えて本陣突っ込んだり、手も足もでない斎藤義龍が早死にし
信玄謙信がちょうどいいタイミングで死に、畿内に勢力の真空が生まれていたという
非常な幸運に恵まれてはいた。しかし素行が悪すぎた為、家臣や味方に生涯裏切られ
最後は息子ともども重臣にころされ、織田家は完全に崩壊した。
信長死後誰も織田家を守ろうとせずみんなで自分の勢力拡大に走った面からも
いかに慕われていなかったかがわかる。
戦国でもっとも短期で崩壊した大名であろう。

武田信玄(基準値)
統率68 武勇56 知略82 政治72
これを基準とした場合の信長の能力地
織田信長
統率40 武勇50 知略52 政治45

信秀の領土で信長が承継したのは名護屋城とその近辺だけ→キチガイ織田厨のウソ
信秀はもともと尾張最強の実力を有しており、晩年には三河と美濃の領域は失ったが
尾張国内の力は顕在。信長は普通にこれを継承しており、後で素行の悪さでそむかれた。
実際継承時は弟も林も柴田も佐久間も平手もおじも従っており、名古屋周辺だけなんて
ありえない事がわかる。

信長は信玄より戦が強い→キチガイ織田厨のウソ
実際信長は生涯において格下相手に負けまくっている。
その敗戦数は数十に達する。根っからの戦下手。

秀吉・家康の天下は信長のおかげ→キチガイ織田厨の大ウソ
信長死後、織田家は完全に崩壊しており、秀吉はその旧織田家の勢力争いを勝ち抜き、
さらに多くの大名を倒して天下を統一した
秀吉は織田の一族でも何でもなく、もちろん信長から禅譲などしてもらっていない。
秀吉の天下は彼の実力によるもの。家康に至ってはなにをかいわんや。
634人間七七四年:2009/07/09(木) 01:31:29 ID:o8HKJt9L
その戦下手に首取られた今川義元って一体・・・
635人間七七四年:2009/07/09(木) 01:33:58 ID:fD4rsKRR
>>634
簡単な話。
信長が今川先陣と間違って本陣に入っちゃったから。
そんで攻めるときに天恵ともいうべき豪雨が降ったから。
これで今川勢は混乱し織田勢の攻撃をとめられなかった。
ぬかるんだ道で義元は逃げ切れなかった。
信長が本陣と先陣を誤認していた事は信長公記にしっかり書いてある。
636人間七七四年:2009/07/09(木) 03:28:08 ID:pIXH8ODP
コピペにマジレスとな?
637人間七七四年:2009/07/09(木) 06:57:45 ID:4xcqJXEa
>>633
スレタイを考えろ!
そこらじゅうで荒らしやがって
638人間七七四年:2009/07/09(木) 07:59:21 ID:QTIMvhyv
まあまあ、蹴鞠でもして落ち着きましょう
639人間七七四年:2009/07/09(木) 09:22:23 ID:fD4rsKRR
>>637
荒らししてるのは織田厨。
なんで織田厨にはいわない?
640人間七七四年:2009/07/09(木) 10:55:23 ID:THh/ADgE
知能の低さで有名な織田厨当人だからじゃね?
でも忙しいだろう朝っぱらのあんな時間に2chやってる余裕あるところ見ると、たんにボケ老人だからという可能性もあり
641人間七七四年:2009/07/09(木) 12:02:28 ID:4xcqJXEa
>>639
煽りを煽りで返しときながら小学生みたいな言い訳するな。

自分の非を一切認めないんだな。
642人間七七四年:2009/07/09(木) 13:24:39 ID:dd2AKCUn
景虎がふてくされて引篭もってる間に氏康と共同で上杉領を併合
643人間七七四年:2009/07/09(木) 14:08:49 ID:9Kc7kQXw
>>617
しかも信濃の石高の優良地は川中島だったはず
つまり、上杉との戦いが終わるまで手に入れることすらできない土地

ちなみに甲斐はこの時代、毎年のように天変地異に見舞われていたそうだから
太閤検地より取れ高は少ないと見たほうがいい
644人間七七四年:2009/07/09(木) 14:14:36 ID:pd4knVg0
>>643
太閤検地より取れ高は少ないというのはどこも一緒だろ
信濃同様に他の国も少ないはず
NHKとか1560年代じゃ尾張はこの時期40万石とか言い出すし
645人間七七四年:2009/07/09(木) 14:19:24 ID:9Kc7kQXw
>>644
書き方が悪かった
甲斐はただでさえ天変地異の多かった時代においても
他の国と比べて特別に天変地異が多かったそうだから(昔の上洛スレより)
太閤検地に見られる石高を基準に、この時代の石高を算出しようと思っても
他の国以上にその値が低いと思われる

ということだ
646人間七七四年:2009/07/09(木) 14:30:01 ID:pd4knVg0
>>645
昔の上洛スレだと
災害の記録が一番多いのは山城だし
記録に偏りあってあてにならない災害あるのはどこも一緒ってことになったんじゃ
647人間七七四年:2009/07/09(木) 15:32:40 ID:i/T7Nxrv
甲斐は石高は無くても金山があった時代は国力はあったんじゃないの?
648人間七七四年:2009/07/09(木) 16:05:21 ID:PUa6e60r
戦争に強ければ、安定して農業出来るし略奪も出来て何より
649人間七七四年:2009/07/09(木) 18:33:43 ID:fD4rsKRR
>>641
お前がいうなとしかいえん。
なんで最初にやってる人間はスルーなんだか。
>>642
景虎復帰後も普通に戦いが起こってる。
>>646
それこの前の上洛スレでもいったろ。明らかにおかしいって。
普通に考えれば激しい災害の記録が残ってるのはそれだけひどかったといえるし、
京都で知りえたことがらだけで持って全国一律なんておかしいって。
>>647
有名な話だと思うけど金山は武田にとって間接収入にすぎず、武田にとってそこまで
大きな存在ではない。
650人間七七四年:2009/07/09(木) 19:34:09 ID:sCz1SXeb
筋の通った話の展開で無いと多くの人間を納得させることは出来ない。
声が大きい方・しつこく何度も繰り返す方より説得力ある意見の方が多くの人に受け入れられる、
独りよがりの意見じゃ多数を納得させることは出来ないということだろう。
651人間七七四年:2009/07/09(木) 20:22:15 ID:b4av0N82
国主が言えないだろうが、国を存亡した上洛戦で家康を早期降伏。美濃で一大会戦しか方法がない。時間がたてばたつほど国力に差がでるだけだもんね。
652人間七七四年:2009/07/09(木) 20:27:23 ID:y0cM2DVb
前半部分を日本語で頼む。
653人間七七四年:2009/07/09(木) 22:34:28 ID:fD4rsKRR
>>650
声が大きいければ勝ちって明らかに織田厨じゃん。
資料もないのに説得力とかいわれてもな。
自分の好きな方を説得力と叫んで嫌いな方を説得力がないと言ってわめけば
なんだってありになるだろそれ。
実際俺も織田厨の言ってる事に説得力なんて全然感じないし。
654人間七七四年:2009/07/10(金) 21:01:25 ID:X1Jv8zOg
とにかく1567年の信長の美濃制圧以前に東美濃は武田が押さえる必要アリ、
65年には東美濃で侵入した武田と織田勢が衝突している。
武田は飛騨から南下して北美濃の一部を押さえても良い。
美濃を武田と織田で挟み撃ちにして分割すべき。

出来れば三河も今川からの要請という事で武田が押さえればなお良し。

武田は、西上野を北条に割譲し、上杉と北条を北関東で激突させる。
当然武田は、北条側に援軍を出す。
そして駿河と遠江を武田が併合するのを北条に黙認してもらう。
655人間七七四年:2009/07/10(金) 21:40:23 ID:JfVjWlF9
勝頼じゃなく信玄存命時になんとかしなきゃいけないってのはみんな共通なんだな
やっぱり家督継いだ時にはもう勝負ついてたのだろうか
656人間七七四年:2009/07/10(金) 21:45:19 ID:dpt+hjyl
信玄末期でも苦しい状況だったと思うが
家督継いだ直後に同盟勢力が相次いで滅ぼされたので勝負ありと・・・
信長君包囲網作ろうにも謙信は理解不能だし、毛利とは距離の壁があるし
657人間七七四年:2009/07/10(金) 21:58:42 ID:zPIAuzmA
強者を弱小側が連合して倒した例ってあるのかね?
うまく行ったためしが無いように思えるが
中国の戦国春秋も秦に対抗できなかったし
658人間七七四年:2009/07/10(金) 22:52:56 ID:Oj6dwQjn
春秋時代の対楚連合は優勢だったし
ペルシャに対する抗戦はギリシャ連合軍の勝利に終わった
セルジュークに対してウイグル、契丹、カラ・ハンの連合軍が領土東半を喰いちぎってるし
ナポレオンに対する対仏包囲網も完全勝利で終結
信長は信玄死去という望外の幸運に恵まれたから難を逃れたが
病の進行がなければ前車の轍を踏むハメになっただろうね
659人間七七四年:2009/07/10(金) 23:26:14 ID:ozfK5Z7d
>>655
そうだよ。本来は義信が継ぐべきだったし、晩年になってから織田に宣戦布告したり長篠の様な無理な決戦を
挑まなきゃいけなくなったのも信玄がもっと早い時期に信長を成敗しなかったから。
大国を継承したとはいえさらに強敵に囲まれた状況で精一杯やったのに無能扱いはかわいそう。
御館の乱は擁護できないけど。
660人間七七四年:2009/07/10(金) 23:53:37 ID:GxKVuBCJ
そだよね、義信が継ぐべきだったのに信玄が血迷ったからな。
信玄が織田との関係を悪化させてから無責任に死んだのも勝頼にとっては不運。
信玄がもっと早く死ねば勝頼の人生も変わったのかもしれない。
661人間七七四年:2009/07/11(土) 01:30:40 ID:LlFtqewj
勝頼は穴山を成敗しておけば・・・
662人間七七四年:2009/07/11(土) 02:22:34 ID:tmEbwcfF
穴山を成敗なんかしたら崩壊が早まるだけだろ……
武田の一族にして駿河は江尻を預かる重臣だぞ。
そんな穴山が成敗されたとなれば次は我が身、と考えるだろうさ。
663人間七七四年:2009/07/11(土) 04:26:20 ID:LlFtqewj
>>662
実際、裏切っただろ。長篠では、命令違反犯してるし。
かなり、勝頼の足枷になってる。
664人間七七四年:2009/07/11(土) 04:38:34 ID:KXvSiLKh
>>663
無理だね。
662に通りで尼子の二の舞になるだけ。
裏切るに決まっているから成敗するじゃ無能の極み。
665人間七七四年:2009/07/11(土) 04:44:41 ID:dZwj3Eck
長篠の戦線離脱を理由に穴山を切るなら信豊も切らないと理屈に合わなくなるし
そうなると御親類衆の崩壊にもつながるな
山県、馬場辺りが生き残っていればそれも可能だったかも知れないが、
あの時点で切るのは崩壊を早めるだけだと思う
それよりも長篠後は徳川領にもう一度攻勢をかけて決戦を挑む必要があったと思う
そこで負けてれば諦めも付いただろうけど
666人間七七四年:2009/07/11(土) 05:36:32 ID:LlFtqewj
>>665
それを勝頼が企画・提案しても、ことごとく潰してきたのが穴山なわけで。
667人間七七四年:2009/07/11(土) 11:59:32 ID:NpwQPgBg
>>656
家督継いだ直後に同盟勢力が滅ぼされた、とはいうけど
織田が朝倉を滅ぼして得た越前は、その三か月後に朝倉旧家臣が蜂起し
それに北陸一向一揆が呼応した事で、一向一揆のものになるんだよな。
これが織田の手に戻るのは長篠後だというのはあまり注目されていない。
謙信とは実際に和睦してるし、毛利とも長篠あとで連携してるから
大丈夫じゃないか?
>>659
その義信が信玄に謀反しようとしてきたのにどうしろと。
信玄は義信を捕らえた後三年にわたって生かしておいて
仲直りを図ってるのはあんまり注目されてないな。
長篠は正直あの場面で挑む必要はなかったとは思うな。
どう見ても不利な局面だし。

無能じゃないだろうな。なんだかんだ言って有能な武将。
長篠と御館は厳しいけど。
>>660
上記参照。
義信が謀反してきたのにどうしろと。
しかもその後三年も生かしてるのに。
668人間七七四年:2009/07/11(土) 14:22:44 ID:KXvSiLKh
嫡男に謀反起こされちゃうような無能は武田家に無用。
氏康、義元、元就、貴久、信長がしたように早期の家督譲渡をするべきだな。

義信や勝頼は死ぬまで家督にしがみついた父を持って不運だった。


669人間七七四年:2009/07/11(土) 15:14:40 ID:jQYGU1yl
>>667
知ってるよ。その後の展開から見ても織田と婚姻関係など結ばないで最初から対決姿勢で
美濃や三河を攻略すべきだった。長篠でなくたって相手は強大化する一方なんだから
いずれ潰されてた。そんな暢気な局面じゃない。
670人間七七四年:2009/07/11(土) 15:39:17 ID:Sev1WJOc
>>667
>謙信とは実際に和睦してるし、毛利とも長篠あとで連携してるから
大丈夫じゃないか?

大丈夫と思うのは、我々は、その後の展開を知っているからで
長篠の戦での当時の状況を踏まえれば勝頼は苦しかっただろう。

なんたって上杉は信長と同盟、毛利も信長とは対立していない。
671人間七七四年:2009/07/11(土) 16:37:33 ID:jQYGU1yl
運も実力のうちって言うけど大事な局面でことごとく判断を誤らせる状況に陥らされて
後の祭りで状況が一変してる本当についてない人だね>勝頼
諏訪家を継いだ4男なのに家督を継がされてる時からついてない

側近に名参謀より預言者が必要だな
672人間七七四年:2009/07/11(土) 18:35:32 ID:GhjgbVls
長篠以前だとしても信長が急死でもしないと勝ち目無いな
北条の下へ着いて生き残る手はあるけど
673人間七七四年:2009/07/11(土) 18:40:48 ID:KXvSiLKh
>>667
>それに北陸一向一揆が呼応した事で、一向一揆のものになるんだよな。
>これが織田の手に戻るのは長篠後だというのはあまり注目されていない。
そんなこと誰もが知っているしわざわざ注目する必要があるか?
それに長島の時でさえ越前から近江に兵を出したわけでもない。
すでに内部抗争が発生し使い物にならない状態だ。
むしろ一向一揆が越前を押さえたことで失策に発展。


674人間七七四年:2009/07/11(土) 20:15:22 ID:NpwQPgBg
>>668
無用なんていうのは阿呆くらいのもの。
当時の情勢を見れば信玄の選択がおかしくない事がわかる。
氏康が引退したのは飢饉からの影響があるし、元就も信長も氏康も義元も
生涯権力は握り続けた。信長は巻き込まれて死んでるし。
信玄も勝頼に家督継承のためにいろいろ仕事を任せてるが。
てか信長は生涯にわたって家臣にも一族にもたくさん裏切られてる無能だからさっさと
引退するべきだったな。
>>669
>>その後の展開から見ても織田と婚姻関係など結ばないで最初から対決姿勢で
>>美濃や三河を攻略すべきだった
北の上杉はどうする。強大な上杉の脅威を削ぐためにこれまで西上野侵攻を行ってきて
それが大詰めにきたのが1565年だ。この時期に織田とも敵対姿勢をもって三河美濃に手を広げたら
関東戦線がおろそかになって上杉が盛り返しかねないと思うが。
長篠はどう見ても突っ込んだら負ける状況。これで無理に負けるよりは次に持ち越すのはありだろ。
>>670
実際長篠が負けた後に勝頼は上杉や毛利と連絡を取る。
長篠で撤退してやれば良かったと思うが。
>>671
注目する必要あるだろ。
越前の所は信長の勢力圏に入れないで計算すべきだな。
使い物にならないって何が?
何が失策なんだ?普通に織田の勢力をそいでその北進の拠点を潰してるんだから
十分だろ。
675人間七七四年:2009/07/11(土) 20:52:22 ID:GhjgbVls
越前の事は信長の失策、って意味だろ
完全なる大失政で失策どころか大失策の部類だけどw
676人間七七四年:2009/07/11(土) 21:08:59 ID:nYMx+IrJ
>>674
>北の上杉はどうする。強大な上杉の脅威を削ぐためにこれまで西上野侵攻を行ってきて
>それが大詰めにきたのが1565年だ。この時期に織田とも敵対姿勢をもって三河美濃に手を広げたら
>関東戦線がおろそかになって上杉が盛り返しかねないと思うが。

西上野を割譲し上野一国丸ごと北条に任せるしかないね、武田は援軍を出すと。

下野の宇都宮氏も上杉と組んで北条と戦争開始するだろうから北関東は大乱状態。

伊達に早いとこ会津の蘆名氏を滅ぼしてもらい北条は伊達と組んで上杉宇都宮連合軍
と戦う体制を構築してもらう。そしてそこに武田が援軍を出す。

>長篠はどう見ても突っ込んだら負ける状況。これで無理に負けるよりは次に持ち越すのはありだろ。

それはごもっともだよ、援軍を呼んで退路を確保しさっさと撤退すべき。
677人間七七四年:2009/07/11(土) 21:34:47 ID:VtGei8QF
第4次川中島以降の上杉は武蔵の国人達に裏切られて上野でも北条高広に裏切られてガタガタじゃん。
はっきり言ってたいした相手じゃない。上杉側に調略しつつ北条に協力して押さえ込んでおけば良い。
急速に強大化する織田を放置するほうがよほど武田にとっては脅威。
早期に西を目指すべきだろ。
678人間七七四年:2009/07/11(土) 21:54:52 ID:VtGei8QF
>>670
>長篠で撤退してやれば良かったと思うが。
高天神城の時も信長はびびって合戦を避けてたからな。
武田軍内で強気の意見が大勢で勝頼本人の一存ではどうにもならなかったのかも。
陣代説じゃないけど合議制で信玄のカリスマ性が高かった分勝頼の権限はまだそれほど強くないだろ。
ご親類衆の穴山あたりが決戦を唱えてしぶしぶ承諾せざるを得なかったのかも知れないだろ。
日本の首相みたいな存在で信長のように独断で決められたわけがない。
679人間七七四年:2009/07/11(土) 22:21:58 ID:KINMYtwW
長篠の戦を回避したら国力の差はますます広がるだろ。
実際に、

信玄の西上→勝頼の東美濃進攻→高天神攻略→長篠の戦

と決戦を挑もうとするたびに国力の差は広がる一方。

武田側に焦りがあったと思うね。

まぁ桶狭間のような場合もあるのだから。

>>>670
>実際長篠が負けた後に勝頼は上杉や毛利と連絡を取る。

それは結果を知っているからで。
連絡を取っても同盟を組んでくれるとは限らないわけで。

当時の状況からすれば信玄の西上で信長に敵対した勢力は
次々と滅ぼされていたのだから、「次は武田か」との
不安はあったと思うよ。
680人間七七四年:2009/07/11(土) 23:23:15 ID:rbYFv+s3
>>674
>>信長は生涯にわたって家臣にも一族にもたくさん裏切られてる無能だからさっさと
引退するべきだったな

この一文ですべて台無し。
信長きらいもいいけど、信長の実力を認めつつももっと建設的な話をしようよ。
信玄だって全治全能じゃないんだし。
681人間七七四年:2009/07/12(日) 00:34:26 ID:/MgVg844
>>676
なかなか興味深い考え。
でも西上野制圧が完成するのが1567年なんだよな。
これ以前の状況で割譲ったって北条にしてみると
厳しいような。1567年までは武田の領土じゃないんだから。
むしろ北条にしてみると西上野戦線を押し付けられたように感じるのでは。
>>677
時間間隔の早い人だな。
まず第4回川中島が終わった時点の1561年の段階では武田も甲斐信濃の60万石余りの大名だが、
織田も尾張一国50万石強の大名で急速には拡大していない。
ここから武田は北条への援護及び上杉の勢力削減として西上野に侵攻するわけだが、
この戦いは5年以上に及び、上杉の強烈な反撃もその中でたびたび見られており
予断を許さない状況だ。武田北条の連合軍が上杉と対峙しながらも決戦を避けたような事もある。
少なくとも当時の武田北条にとって上杉は「たいした相手じゃない」とはとてもいえない相手だ。
そして君があげている北条(きたじょう)の上杉に対する裏切りは1566年12月。
これは信玄が長野一門が籠る箕輪城を攻略し、西上野のほとんどを制圧した後だ。
逆に言うと関東における上杉の勢力が後退した関係で北条(きたじょう)は裏切ったわけで。
武蔵についても、武田は北条に協力して上杉の武蔵における主城である松山城を攻略してる。
当時において上杉の勢力は武田・北条にとって大敵というしかない存在。
これを放置して西に向かうというのは正直難しいような。
682人間七七四年:2009/07/12(日) 00:47:58 ID:/MgVg844
>>678
そこら辺は正直その場にいないとわからないとしか言えないね。
軍鑑とかじゃ譜代衆は反対したとなってるし
正直あれだけ不利な状況で大勢が突撃を主張するって普通の感覚ではありえんような。
>>679
桶狭間の場合はどうも信長公記を見る限り、信長はつかれた敵の先陣を自分の主力で叩いて
その力を削ぐことが目的だったみたいだ。それが先陣と思って突っ込んだら本陣で大雨が降ったという
奇想天外な展開になったわけで。つまり信長自身も一発逆転による義元討取り大勝利、なんて狙っておらず
堅実な勝利を拾いにいくつもりだったわけで。
まして長篠では織田徳川勢が倍以上の大軍で
2重の空堀+天然の川による三重堀、土を積み上げて造られた土塁、三重に張り巡らされた柵、といった
野戦陣城を用意して待っているわけで。これに突撃するとかちょっとどころじゃなく厳しいだろ。

申し込んでも同盟をむすんでくれるかはわからないと言っても
長篠で倍以上の敵が籠る重厚な野戦陣地に突撃するよりははるかに成算があるような。
「次は武田か」と思うからこそ、戦力を温存し、次の優位な機会を作れるようにすべきだったと
思うんだけどな。
戦力は無理して攻めに使わなくても守りにも使えるわけだし。
とりあえず戦後に出した勝頼の書状を見る限り、勝頼は緒戦の勢いに酔って突撃してしまったようだ。
次のレスで示しておくよ。
>>680
いや、悪い悪い。>>668のあまりに酷い言い草に
そんな事を云うならば信長は、と返してしまった。
683人間七七四年:2009/07/12(日) 01:06:42 ID:/MgVg844
>>678 >>679の二人宛
長篠合戦後に勝頼が家臣に戦闘の説明をした書状。
1575年8月10日付書状の要約
「三河長篠を包囲しました所、織田徳川が後詰に出てきましたので
累年の願望に満足し、即座に襲いかかり多くの者を打ち取りました。
そのまま信長の陣前まで押し寄せました所、
敵は陣城をかまえて籠城しておりましたので、攻めたら損害を受けました」
どうも緒戦の勝利の勢いのまま突撃してしまったというのが実情っぽい。
ちなみに戦闘前の書状では
1575年5月20日付書状該当部分要約
「長篠の地を包囲しました所、信長・家康が後詰に来ました。近い距離で対陣しております。
敵はなす術を失って逼迫しているようです。このまま敵陣に襲いかかり
信長家康両方共、本意を達したいと思っております。」
いわゆる上記の書状にある緒戦の後に書かれたものだろうか。勝頼が意気揚揚としているように見える。
684人間七七四年:2009/07/12(日) 01:56:08 ID:S5q+0l6+
18日辺りに長篠戦場の東にある有海原に家康滝川羽柴丹羽らが布陣しているby公記
21日有海原より西の連吾川を挟んで対陣しているので前日までに武田は家康滝川羽柴丹羽らを蹴散らした

・書状にあるように敵を打ち倒し敵を追い詰めたと判断

21日前日の勢いで攻めかかったら負けたと

前日までは勝っていたのだから当日も勝てると武田首脳が判断するのも無理は無いかと推測する
685人間七七四年:2009/07/12(日) 03:59:03 ID:hhiATzzf
東北に軍を進めよ
進めば分かるさ
686人間七七四年:2009/07/12(日) 04:50:30 ID:7x3sFYrs
>>683
そりゃ目の前に
信長と家康が両方いたら突っ込みたくなるもんだろう
勢力差が開く一方で千載一遇のチャンスだったわけだな
ここで両者を討てなくても打撃を与えれば名声が付いてくる

まー結果は、大打撃を与えたが、
武田の損害も相当のもので重臣が討たれたのが響いた

織田は京,堺の中央を抑えて
戦ったという事実と重臣を討ったという事実があれば
流布の宣伝を全国流すことができて大勝利となる
自軍の大損害を隠してね

結局、戦争とは情報戦がすべて
より優れた情報網をもっている大名が有利になる
信長はこれを上手く利用した
信長が京より堺を重要視したのは鉄砲の火薬確保より
商人の情報網の確保だったと推測するね

長篠の織田徳川の損害被害は相当なものだったわけでしょ
これで勝利と流すのは
それだけ織田家の名声が凄かったってとこかな
田舎武田の情報は及ばない

687人間七七四年:2009/07/12(日) 05:21:02 ID:/MgVg844
>>686
千載一隅っていうか俺的には流れとしては>>684の人が言ってるのが近いと思うが。

軍鑑や長篠日記でも共通してるのは緒戦は武田が勝ち、
そのまま織田徳川勢と激戦を展開したが、兵力差や堅い防御陣地の前に
ついに力尽き敗走したという事。
織田徳川勢がなんだかんだ言ってこの戦いで勝利したのは間違いない。
被害を見れば武田は重臣を数多く失い、戦後に勝頼は再編成を余儀なくされる。
公記を見ても織田方にとってはこの勝利は宿願の勝利だったようだ。
だからまあ情報戦云々ではなく、被害云々もさしおけば、この戦いを制したのが織田徳川だったのは間違いない。
ならばこそ武田方にしてみれば兵力を多く本国に残している状態で
しかも敵が守りを固めてる所に突撃して激しい消耗戦を行う必要があったのかと。
やはりこの場は決戦を回避するべきだったとしか思えない。
688人間七七四年:2009/07/12(日) 10:01:23 ID:GfIuK0+h
マージャンをしたことがある人なら誰しも経験しているだろう。
不利と分かっていても追っかけリーチをした事があるでしょ?

勝頼にとっての長篠の戦はそんな感じだったと思うけどね。

勝頼の戦前の書状に「今回の戦いを危ぶむものがいる」と
あるから決して決戦一本では無かったと思うが。
689人間七七四年:2009/07/12(日) 10:11:04 ID:GfIuK0+h
>>682
>>>679
>桶狭間の場合はどうも信長公記を見る限り、信長はつかれた敵の先陣を自分の主力で叩いて
その力を削ぐことが目的だったみたいだ

でも実際は疲れた兵ではなかったんだよね。
予想が外れたけど、結果オーライだったのが桶狭間で
予想が外れて、結果は大惨敗だったのが長篠だったと思うな。

桶狭間も一歩間違えれば信長以下、全滅だろ。
690人間七七四年:2009/07/12(日) 10:15:55 ID:GfIuK0+h
長篠の戦については今にして思うと決戦を挑んだのは
無謀だと思えるけど、当時の状況からすれば決してそうではない
というのが俺の考え。

例えば、今で言うなら日経平均が7千円台だった2〜3月頃に
株を買えば今頃、大もうけだったのに、というのと同じだと思うのよ。

確かに今から見ればそうだけど、当時の状況からすれば
「買う」と判断する事は至難なわけだ。

戦国大名の多くの判断、決断についても、
今から思えば、不合理だ、無謀だと言えるけど
冷静に当時の状況を踏まえれば、それなりの判断をしている
ケースが大半だったと思うな。
691人間七七四年:2009/07/12(日) 11:05:57 ID:c/c09NYI
重臣に裏切られた信長が無能と言う人がいるけど、
嫡男に裏切られた信玄の方が戦国一の無能で人の上に立つ器じゃないね。

ここを無視している人は本質を学ぶべき。
692人間七七四年:2009/07/12(日) 11:32:22 ID:VgHmBC7x
>>677
>急速に強大化する織田を放置するほうがよほど武田にとっては脅威。
>早期に西を目指すべきだろ。

禿同!武田は早く美濃と三河攻めろ。
693人間七七四年:2009/07/12(日) 12:43:29 ID:RNilmyj7
闘わずに逃げたとなればこれはこれで…
情報戦でぼこぼこにされる
694人間七七四年:2009/07/12(日) 12:58:21 ID:hx5Vnx9g
>>691
信長は重臣だけでなく弟や妹婿にも裏切られてるねw
695人間七七四年:2009/07/12(日) 13:41:54 ID:7d+CJPSG
当時の中山道は軍用路としてどの程度使えたんだ?

あんまりにもヘボかったら美濃を取っても維持が大変そう
696人間七七四年:2009/07/12(日) 14:11:15 ID:73XOvO0x
織田厨も武田厨もここにくるべきではないな
客観的に見れないなら論議にすらならん
697人間七七四年:2009/07/12(日) 14:25:51 ID:FIao4lSd
>>693
有力大名ともなれば直轄で各地に探り入れてるし
そうでなくても宗教人・御用商人繋がりで情報入ってくるから無いな
戦国大名・家臣はそれほどバカじゃないw
698人間七七四年:2009/07/12(日) 19:17:11 ID:lTTk00u3
>>687
この見解にはおおむね同意。

ただ
>>やはりこの場は決戦を回避するべきだったとしか思えない。
はちょっと自分と見解は違う。

やはり信長との勢力差が開いてきている状況で
一度は決戦を挑む必要はあったんじゃないかと。
ただでさえ朝倉、浅井、長島一向宗と滅ぼされてるんだし。
699人間七七四年:2009/07/12(日) 19:20:12 ID:VdKDifRH
>>691
さすが知恵遅れ、言う事が笑わせる
お前はその程度の頭で必死に頑張ってこれからも笑わせろ
700人間七七四年:2009/07/12(日) 19:31:23 ID:vBtnFHbb
信濃の統一に時間がかかったのがねぇ。意外と信濃の豪族は名将が多いのですかね。
701人間七七四年:2009/07/12(日) 21:44:49 ID:73XOvO0x
村上義清がいるだろ
砥石崩れとか村上戦で多くの将兵を失ったのがでかかった
702人間七七四年:2009/07/12(日) 21:51:44 ID:ODSEK5nh
佐久の抵抗はすごかった
だから過酷な政策をしいてしまったようだ
今でも信玄のことは良く思ってないらしい
703人間七七四年:2009/07/12(日) 22:06:00 ID:73XOvO0x
ああ志賀城攻めとか凄惨な仕打ちしたんだっけ
男は金山送り、女は人身売買
結果的にこの悪評が広まって一度反抗した勢力は必死に抵抗したとか
この教訓を糧に名言の人は城〜が生まれたのかな
704人間七七四年:2009/07/12(日) 22:14:24 ID:+qqbxXPX
>>701

むしろ板垣ら古参が死んでくれて
信玄にとっては、やり易くなったのでは?

逆に長篠の戦では本来なら死んで欲しい
御親類衆が生き延びて、生きて欲しかった
山縣らが死んだのが痛かった。。。
705人間七七四年:2009/07/12(日) 22:15:38 ID:/MgVg844
>>688
どんなもんだろー?
>>683に提示した勝頼の書状見る限り
そんな感じじゃないような。
勝頼としてみれば緒戦で勝利した事から勢いに乗って突撃してしまったという
感じなような。
もうちょい勢いを抑えて状況判断すべきだったというのがこちらの感想。
>>689
確かに桶狭間はすごい結果オーライだったよな。
>>690
まあ確かにねー。緒戦では勝ったわけだしな。
しかも徳川滝川羽柴丹羽というかなりの規模の部隊を蹴散らしたわけだし。
御調子にのって一気に攻めちゃおうと思うかもしれん。
でもまあ少し頭を冷やして見れば、相手は三重の堀に土塁に三重の柵を張り巡らして
守りを固めてるわけだしさ。
これに無理に挑めばどうなるかはわかりやすかったような。
706人間七七四年:2009/07/12(日) 22:31:22 ID:/MgVg844
>>691
ああ、信長様は重臣だけでなく兄にも弟にもオジさんにも義理の弟にも
たくさん裏切られてるから心配しないで。
それから信長様は本能寺で明智に襲われた時思わず「信忠が謀反したのか!」と
叫んだんだってさ。
信長様もいつ息子に裏切られてもおかしくないと思っていたようだな。
>>692
まあ美濃攻めるのは西上野戦線の問題があるからな。
三河攻めるのは西上野戦線が終わった後、今川に持ちかけて断られてる。
>>693
それだけでぼこぼこにはされんだろ。
戦国時代に後詰が来たんで引き返した戦いなんていくらもあるし。
>>698
決戦を挑むにせよ、それは可能な限りベストな状態でやるべきと思うんだけど。
本国に大量の兵を残した状態で、敵が頑強な野戦陣地作って大軍で立てこもる中でやる意味があったんだろうか。
>>700
信濃はもともと甲斐の2倍近い石高だしね。信濃土着勢力との戦いは10年で決着してる。
石高倍を10年で征服したとみれば大したもの。
信濃ってもともと攻めにくい土地だしね。
>>702
佐久はもともと山之内上杉の勢力下でもあったからな。
>>703
志賀の場合は降伏せずに最後まで戦ったからな。
実際この後も武田側に調略に応じた信濃の勢力は結構いる。
707人間七七四年:2009/07/12(日) 22:33:18 ID:yaSb3yMY
ハッキリと勝頼に家督を譲り
名前も信頼とかに改名させ
信玄は隠居させ家臣や国人達の
気持ちをしっかり勝頼に向ける
家臣の足並みはバラバラで離反
する豪族も多くいれば勝頼は嫌でも
ムリな戦しなければならなくなる
708人間七七四年:2009/07/12(日) 22:39:50 ID:/MgVg844
>>707
いやだから実際に家督をしっかりゆずってるって。
陣代説は軍鑑にしかない。
改名は信玄は勝頼に義昭の一字をもらうつもりだったようだ。
仮にこれが実現すれば勝頼が昭頼(仮)になり、(まあ義信は時の将軍から
義の字をもらってるので義頼もありえるか?)
将軍家から一字をもらって勝頼の威信上昇だったな。
隠居させるったってそんないきなり勝頼にわたせる状況じゃないし。
家臣も足並みばらばらというわけではないし、豪族も多く離反してたわけじゃないんだが。
精々奥平くらいだろう。
709人間七七四年:2009/07/12(日) 22:47:45 ID:yaSb3yMY
>>705
あそこで撤退したら、良かったと
誰もが思うが、若さと焦りがあった
と思う重臣や豪族の信頼が
勝頼にはないから織田にびびって
撤退ともなれば武田の評判は
ガタ落ちと考えたんじゃね?
710人間七七四年:2009/07/12(日) 22:51:16 ID:/MgVg844
>>709
ビビってというより若さゆえに功を焦ったという感じかな。
>>683に提示した書状とか読むと。
後詰が来て戦況が難しいとみれば引くなんて戦国時代じゃありふれた事だし。
711人間七七四年:2009/07/12(日) 23:00:46 ID:kNijD8gs
ってか義の字貰うって結構凄いことだよな
普通は足利家の義の字ではなくもう片方貰う方がほとんどなのに
信玄が晴の字しか貰えずほぼ同時期義元は義の字を貰っていることを考えると
義信の時には武田の格というものも上がったものだ
712人間七七四年:2009/07/12(日) 23:06:20 ID:kNijD8gs
>>709
>>684の流れなんじゃね
家康滝川羽柴丹羽らに負けたか苦戦していたのなら撤退も可能だったろうが
織田側の書状からだと擬態だった可能性高いが
勝ってしまったため余計に撤退出来るような空気じゃ無かっただろうし
上手く釣り出されたって所だろうか?
713人間七七四年:2009/07/12(日) 23:21:16 ID:/MgVg844
>>712
>>織田側の書状からだと擬態だった
それって決戦直前の「根切りは眼前だ」っていうやつ?
信長公記によると信長が武田勢を撃破する策を考え付いたのは
武田と指呼の距離で相対してからだ。
酒井別動隊の動きもこの後だし、普通に見れば第一戦で家康滝川達が敗北し
武田が勢いよく眼前まで押しだしてきたのを見て
主力は武田勢を正面防御迎撃、別動隊は鳶ヶ巣を攻撃するという策に至ったんじゃなかろうか。
714人間七七四年:2009/07/12(日) 23:52:27 ID:kNijD8gs
>>713
>それって決戦直前の「根切りは眼前だ」っていうやつ?
5月20日付け細川宛書状らしいな

信長公記によると
武田と指呼の距離で相対したのは天佑でそれで悉く討ち果たす決意をした
その上で味方に被害が出ないように策を練っただと思うが
天の与ふるところが武田が上手く釣り出されたという意味ではない可能性
悉く討ちはたさるべきの旨、の、で途切れているかどうかという問題点もあるが
御賢意を加えられるなので策を練った部分は酒井別動隊のことを指すだけじゃ
書状と合わせて考えると織田側は可能なら上手く釣りだされてくれないかと思っていたんじゃ
寒狭川を越えさえしなければ武田はあんなことにはならなかったのにと言ってるぐらいだし
715人間七七四年:2009/07/13(月) 00:44:22 ID:7W7HX/WP
>>711
義信の母親は公家の三条家で、
その嫁入りの仲介しているのが今川家だからな
勝頼とは母方の血統や縁が違いすぎるよ
716人間七七四年:2009/07/13(月) 00:51:43 ID:mqXvRlAP
>>714
その信長公記の記述を>>683の書状と合わせて普通に読めば
「それで悉く討ち果たす決意をした」
とあるので織田側は緒戦では敗北したが
武田勢がわざわざ前に出てきてくれたのでそれを守勢迎撃で討ち果たそうと
したという風に読めるけど。
>>その上で味方に被害が出ないように策を練った
>>御賢意を加えられるなので策を練った部分は酒井別動隊のことを指すだけじゃ
味方に被害が出ないように作戦を練ったと言っても、
酒井別動隊は本戦において味方の被害を減らすことに貢献してないぞ。
味方の被害が出ないように作戦を練ったというのだから
普通に考えれば武田主力を重厚に備えた野戦陣地に籠って守勢迎撃しよう、と
考えた、とみるべきじゃないか?
717人間七七四年:2009/07/13(月) 01:05:23 ID:pKLtQmXX
>>715
なるほど納得

>>716
>「それで悉く討ち果たす決意をした」
単純に武田側がつり出されなければ正攻法で追い散らすで留まり大敗させることは出来なかったから
武田が釣り出されたのを見て悉く討ち果たせると思っただけじゃ

>味方に被害が出ないように作戦を練ったと言っても、
>酒井別動隊は本戦において味方の被害を減らすことに貢献してないぞ。
単なる修辞かと
このような大げさな表現は軍記物にはつき物だがまさかそれらを言葉通りに取るわけにはいかない

>普通に考えれば武田主力を重厚に備えた野戦陣地に籠って守勢迎撃しよう、と考えた
これだと信長が主力を隠蔽しつつ陣を張ったのは18日なので
先陣が負ける以前から重厚に備えた野戦陣地に籠って守勢迎撃しよう、と考えていた
つまり先陣が負けること前提となっていた作戦ってことじゃ

敵方へ見えざるように陣を構えるってのも敵を釣りだしたい策の一環ととれるし
718人間七七四年:2009/07/13(月) 01:13:31 ID:mqXvRlAP
>>717
それいったらそもそもその前に
「敵が出てこなければなす術がなかった」と書いてあるんだから
>>単純に武田側がつり出されなければ正攻法で追い散らすで留まり
は違うだろ。
>>単なる修辞かと
>>このような大げさな表現は軍記物にはつき物だがまさかそれらを言葉通りに取るわけにはいかない
んなアホな。
文の流れからいってもこの後信長が陣地にこもって鉄砲を主体として迎撃した、という描写が続くんだから
>>味方に被害が出ないように作戦を練った
という記述は普通に守勢迎撃の事だとわかるぞ。

武田主力と相対したので警戒して野戦陣地を強固にしただけじゃ?
信長公記でもこの勝利が織田側は望んでやまないものだったように書かれてるし。
まず負けないようにするのは自然では。
実際信長が悉く討ち果たす決意を固めるのは武田勢が眼前に迫った20日からだし。
719人間七七四年:2009/07/13(月) 12:18:12 ID:nsyKDFbc
北条との同盟に尽きた
720人間七七四年:2009/07/13(月) 13:07:36 ID:l0vqHKtp
>>717
>>718
原文は『御身方一人も破損せず候様に』
『悉く』などにもいえることだが過剰表現でしかない。
721人間七七四年:2009/07/13(月) 20:54:42 ID:c68IVHvd
長篠の緒戦?武田軍があるみ原到着前に?何それ?
722人間七七四年:2009/07/14(火) 01:43:01 ID:dgatWAgS
>>720
過剰表現ったってもとになる意味を過剰にしてるわけで。
「味方の被害をできるだけ少なくするように〜」というのが
信長の意図だったわけだろ。
そしてそれは信長がその後陣にこもって鉄砲を主体にして迎撃する描写に移る所からも
守勢迎撃を示してる、というのは明白だろう。
>>721
>>683>>684を参照。
勝頼書状と信長公記を読めば普通に長篠には緒戦があった事がわかる。
723人間七七四年:2009/07/14(火) 11:17:51 ID:e9TukZot
>>713
>普通に見れば第一戦で家康滝川達が敗北し
織田本隊3万が後方数キロに布陣して一部の部隊が武田の前面に移動
先陣と本隊の距離がやや離れすぎ
これで武田を倒せると考えていたのなら織田は武田を舐めすぎていないか
724人間七七四年:2009/07/14(火) 22:05:31 ID:dgatWAgS
>>723
徳川羽柴丹羽滝川って
当時で見ても同盟者と重臣の計4部隊で相当な部隊だと思うぞ。
多分このメンツなら総勢は一万はいってたろ。
後陣である本隊の前の先発隊とみれば妥当だろ。
725人間七七四年:2009/07/14(火) 23:39:03 ID:J5W25Oyj
つまり連合軍の釣り出しに引っかかったってことか?
緒戦の勝ちに気をよくして突っ込んで、大敗するのはよく聞く話だし。
726人間七七四年:2009/07/14(火) 23:43:20 ID:dgatWAgS
>>725
俺はつり出しとは思えないけどな。
理由は上でも述べているように
信長公記では
信長が兵の損害を少なくなるように野戦陣地の守勢迎撃で
対抗する事を考えつくのは
武田が陣前に迫った時、つまり緒戦の後だ。
緒戦で先発隊が武田にやられ、武田が陣前に迫ってきた時に
考えついたんだろう。
727人間七七四年:2009/07/14(火) 23:58:38 ID:Py9sm15i
酒井の別働隊が行動開始までは
数では劣勢だが武田側の方が優勢だったのか
ならば勝頼が攻撃と判断しても変じゃないと
728人間七七四年:2009/07/15(水) 00:01:14 ID:dgatWAgS
>>727
でもまあ、そこでいざ信長本軍を攻撃するとなると
そこは重厚な野戦陣地に武田の倍近い兵が籠ってるわけで。
緒戦の勢いのままに突撃しちゃったのは
やっぱりアウトだと思う
729人間七七四年:2009/07/15(水) 00:32:35 ID:W4X9pr/Q
>>722
信長公記の記述で言うとこれね。
「先陣は、国衆の事に候の間、家康、ころみつ坂の上、高松山に陣を懸け、
滝川左近・羽柴藤吉郎・丹羽五郎左衛門両三人、同じくあるみ原へ打ち上り、
武田四郎に打ち向ひ、東向きに備へらる。」
武田四郎に打ち向ひってとこだけ見ると、攻撃を仕掛けたように見えるのかもしれないけど、
先制攻撃を仕掛けた筈の徳川軍が武田軍のいる医王寺まで3kmくらい離れてる
高松山に陣を張るって、おかしいでしょ?
これは、その前の文にある「敵がたへ見えざる様に」に対比させた物で、
全ての兵を隠したのではなく、徳川・滝川・羽柴・丹羽等を敢えて見えるように
向かい合わせて配置した、という事。
730人間七七四年:2009/07/15(水) 00:35:28 ID:5JsguM62
>>729
違うって。
>>683に書状出しといたから読んどいて。
武田側の書状を見れば普通に戦いがあった事がわかる。
俺じゃないけど公記との対比としては>>684の人が書いたのが妥当だと思う
読んどいて。
731人間七七四年:2009/07/15(水) 00:44:08 ID:HQd9MUHo
>>726
つり出しじゃないとして、じゃあ何のために先発隊は
武田の前まで出て行ったんだ?
732人間七七四年:2009/07/15(水) 00:45:45 ID:5JsguM62
>>731
単に長篠救援のために武田勢と対峙するなり
闘うなりする為の先鋒部隊だっただけだろ。
織田本隊が後詰、と。
733人間七七四年:2009/07/15(水) 01:03:16 ID:luJdJ+5X
後詰にしては先鋒と距離ありすぎる兵力分散しすぎってことだろ
734人間七七四年:2009/07/15(水) 01:10:03 ID:5JsguM62
>>733
三万以上の大軍が展開するんだからある程度の兵力分散はありだろ。
信長公記を見るとこの勝利は宿願だったみたいだから
負けないように堅固な陣地を作って後詰を置き
先鋒隊を出撃させて牽制させるというのは自然だろ。
もともと織田勢も「武田が出てこなければ手の出しようがない」とか
言ってる状況なんだから迂闊に総攻撃する情勢じゃないし。
実際家康滝川羽柴丹羽というメンツの部隊だから総勢一万近かったはずだし
それだけで武田勢と戦える兵力だぞ。
一戦で武田勢に破られたのは意外だったろうが。
武田勢が勢いに乗って陣前まで押し寄せてきたので信長は
公記にあるように味方の犠牲を少なくして勝てるように守勢迎撃で対抗する事を
思いついたと。
735人間七七四年:2009/07/15(水) 01:22:56 ID:luJdJ+5X
ある程度の分散はあるだろうがこの場合は分散しすぎ
距離もあるし間に川挟んでいる
連吾川、五反田川の間にある程度布陣していれば重厚な陣と言うこともできただろうが

逆に釣りだすのが目的だったとすれば
主力を後方にしかも隠すように布陣
陣地の構築といった行動が納得いくし

家康滝川羽柴丹羽の兵力は通説によるなら総兵力で3万8千
公記によるなら主力3万を後方に布陣
8千ぐらいだったんじゃ

それに対し武田は通説なら1万2千
相手分散して8千で孤立しているので川を渡って叩いたといったところじゃ
736人間七七四年:2009/07/15(水) 01:31:07 ID:W4X9pr/Q
>>730
あるみ原〜設楽ヶ原での8〜9時間に及ぶ戦闘でも当初はかなり善戦していた可能性が高く、
佐久間隊が馬場隊に突き崩されそうになった所を滝川・羽柴隊の横槍で助けられてる。
「長篠日記」では、ここで武田軍が総崩れになり、後は退却戦に移行する。
岡修理亮宛の書状には、この事について書かれていると思われる。
(多分に言い訳の要素が強いが)

後、>>684
・滝川軍はあるみ原まで出てきている。
・連吾川はあるみ原の西。
・武田軍と織田軍は連吾川を挟んで対陣したから、その間に居た滝川達は武田軍に蹴散らされた。
と考えてしまったんだね。
これは図屏風を見ると一目瞭然なんだけど、家康と滝川・羽柴・丹羽隊が陣取った
高松山はあるみ原の手前にあるんだよ。
勝頼が陣取ったのは当然もっと東。
737人間七七四年:2009/07/15(水) 01:31:48 ID:5JsguM62
>>735
公記にも書いてあるようにもともとこの戦いは
武田が出てこない限り織田が大軍といえども手が出せない情勢。
とすれば織田にできるのはまず迂闊に自分達がしかけて敗北したりしないようにする事。
重厚な野戦陣地を作って防御を固めて負けない体勢をつくり、
かといってこのままじゃ長篠城は助けられないから先発隊を出して武田の動きを牽制させる、
っていうのは自然なことだと思うぞ。
三万っていうのは織田勢が、って事じゃなかったか?
徳川勢が八千だとするなら羽柴丹羽滝川を加えれば一万数千の武田に匹敵する部隊だった可能性もある
738人間七七四年:2009/07/15(水) 01:39:47 ID:5JsguM62
>>736
その流れだと書状の内容と無理をきたすと思うが。
>>683にある書状見てもわかるように、
後詰にきた織田徳川勢に即座に襲いかかって撃破してから信長の陣前まで押し寄せ、そこは陣城とまでいえるような
堅固な要塞であって攻めたら損害を受けた、という内容を見ると
武田勢が最初に攻撃をしかけた相手は重厚な野戦陣地ではなかったとみられる。
そしてそれを撃破してから信長の陣前まで来たらそこは城とみまごう強力な野戦陣地で
それをその後攻めたと。
この流れから見ると緒戦→織田勢の一部を撃破し前進して信長の陣前へ→信長の重厚な野戦陣地の前に
突撃して損害、という流れが自然だと思うが。
実際5月20日では「敵は手段を失ってひっ迫してる」とか書いてるしな。
なんらかの戦果がこの前にあったとみるのが自然だろう。
739人間七七四年:2009/07/15(水) 02:11:30 ID:W4X9pr/Q
>>738
「陣城」と言っても、一つだけって訳じゃないんだよ。
真田隊が柵を一段破ってるんだけど、その後ろに更に柵があり、
その後ろに信長の本陣がある。
徳川軍の一部も柵の外に出て戦ってるんで、そっちの可能性も無くは無いけどね。

で、決戦前の書状からは、少し離れた場所に着陣しているのを見て
戦力が整っていないからなのか恐れているのか、いずれにせよ何らかの理由があって
織田軍は攻めて来られないと思ってしまっていた事が伺えるね。
740人間七七四年:2009/07/15(水) 02:17:06 ID:5JsguM62
>>739
だからその一つじゃない陣地の複合体を指して「陣城」と
いうわけでしょ?
陣前まで押し寄せたら、信長は陣城を構えていて、それに攻撃をしかけた、と言ってるんだから
普通に信長の構えた野戦陣地という解釈になると思うが。

後段の根拠がよくわからない。
どの書状のどの部分を見てそう解釈したの?
741人間七七四年:2009/07/15(水) 02:18:46 ID:5JsguM62
あげてしまった、悪い
742人間七七四年:2009/07/15(水) 02:19:18 ID:2lUQaQdp
1万5千の精鋭と3万の素人が平地で同じ陣形で戦ったら3万の素人が圧勝する
ということを勝頼は知らなかったらしいな。現在では、実験結果でてる。
まして武田軍にも素人はいたし、織田軍にもにも侍はいた。
743人間七七四年:2009/07/15(水) 02:44:38 ID:W4X9pr/Q
>>740
全てを纏めて一つの陣城という訳じゃないんだよ。
信長は極楽寺山、信忠は新御堂山、家康は高松山、
滝川隊はその北側、佐久間隊は南側にそれぞれ陣城を構築してるんだ。
実際に佐久間隊が破られれば信長本陣は直ぐ近くで、
佐久間隊が危機的状況に陥ったのを滝川・羽柴隊が横槍を入れて
武田軍が敗走しているのだから、書状の内容とも合致するんだけどね。

決戦前の書状というのは5月20日付の書状の事ね。
744人間七七四年:2009/07/15(水) 06:06:45 ID:13aa6Hc1
籠もっている敵がいかに攻撃しにくいかを信長は知ってるからな
浅井朝倉の比叡山立てこもりや本願寺、長島、稲葉山の齋藤
相手が手を出しさえしてくれりゃラクショー
諜報調略じゃ勝頼はガキ カチカチの軍人
745人間七七四年:2009/07/15(水) 09:53:51 ID:qyh36vSo
>武田が出てこない限り織田が大軍といえども手が出せない情勢。
だったらますます誘き出すのが目的になるじゃん
746:2009/07/15(水) 14:32:03 ID:KaRhDqo/
この粘着してる馬鹿はなんで前後の関係も読み取れないの?
747人間七七四年:2009/07/15(水) 14:58:07 ID:qIM3C78A
>>742
1万5千の精鋭と3万の素人が平地で同じ陣形で戦ったら1万5千の精鋭が圧勝
戦闘意欲も規律も慣れも無い素人が居ても役に立たんよ
だからこそ信玄も信長も軍役にはしっかりした人間を拠出するよう通達してる
748人間七七四年:2009/07/15(水) 18:13:20 ID:udS47JEM
耳川合戦みたいなものか
749人間七七四年:2009/07/15(水) 18:15:19 ID:5JsguM62
>>743
そりゃおかしい。
そうすると武田は信長の陣だけを陣城とみたのか?
普通に信長の本陣より先も堀や土塁や柵を張り巡らせた重厚な野戦陣地だが。
普通これを見れば陣城というだろう。まさに城構えなんだから。

>>実際に佐久間隊が破られれば信長本陣は直ぐ近くで、
>>佐久間隊が危機的状況に陥ったのを滝川・羽柴隊が横槍を入れて
>>武田軍が敗走しているのだから、書状の内容とも合致するんだけどね。
それは合致してないだろう。
書状は>>683に示した通り。横やりが入ったなんて記述はないぞ。
しかも文ではしっかり「信長の陣前まで押し寄せた所、敵は陣城をかまえて籠城していたので、攻めたら損害を受けた」とあるので
あんたの見解なら武田勢は信長本陣前まで到達している事になってしまう。
しかも上にあるようにどう見ても武田勢は城とみまごう重厚な陣に籠城してる敵を攻撃してるわけで。
横やりがどうとかの記述も特にないし、普通に重厚な防御と守勢迎撃に敗北したとしか読めんだろ。

だから、その書状は持ってるけど、
>>で、決戦前の書状からは、少し離れた場所に着陣しているのを見て
>>戦力が整っていないからなのか恐れているのか、いずれにせよ何らかの理由があって
>>織田軍は攻めて来られないと思ってしまっていた事が伺えるね。
どこの部分をどう解釈して上記の結論にいたったわけ?と聞いてるのよ。
750人間七七四年:2009/07/15(水) 18:19:34 ID:5JsguM62
>>745
ならんだろ。
敵が乗ってくれる保証はどこにもないし。
むしろ一万数千とも思われる武田勢に匹敵する大部隊を派遣したんだから
武田の長篠城包囲を牽制させるのが狙いだったというのは堅実な案だろ。
751人間七七四年:2009/07/20(月) 01:48:45 ID:5vwbW3kH
主君だけ消えて、家臣たちはそっくり家康の井伊家に入り家康の庇護武田は
生き残る。あれれ勝頼もこっそり紛れ込んでいたりして・・・名を捨て実をとった
武田であった。名前を残すのは許されないんじゃそうするしかしょうがない。
織田と家康に国境を接していたから毛利や伊達や島津のような辺境の地の大名のようにはいかない。
そういえば浅井も家臣も血脈も保っているし。名にさえこだわらなければ
勝ったともいえる。織田徳川連合と国境を接していて和睦を目指さないなら
滅ぼされるのはしょうがない。互角に戦えると思うほうがおかしい。状況判断に
冷静さがまったく無い。国が滅びても家康が武田家の伝統を大事にしてくれたから
良かったんじゃないか。
752人間七七四年:2009/07/20(月) 09:04:33 ID:qAVERuYT
  ( ゚д゚)
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753人間七七四年:2009/07/20(月) 10:14:21 ID:YTNKndZM
結局三方原で浜松まで落としてればその後の信康のごたごた見る限り
岡崎も寝返ってた可能性は高いと思うけどな
754人間七七四年:2009/07/20(月) 18:43:56 ID:x3z/h7K4
勝頼が勝つのは非常に難しいんじゃね?
不運な要素が多すぎる。
まず浅井・朝倉が滅んだ時に軍事行動を起こせなかった、高天神城を落とした後に長島滅亡。
河内だか和泉の三好も滅亡、松永降伏。
越前一揆はgdgdだし。
長篠については、石山を挙兵させれば案外もしかしたらって所かも。
石山が挙兵していれば30000の織田からの動員は、まず無いし援軍自体が出せるか自体も微妙。
武田方の見積もりも甘い。15000の動員で長篠攻めを行った事は、織田の援軍が無いと見積もってたんだろうし。
高天神城を落とした勢いで徳川を片付けたかったんだろうけど。
長篠は一年遅らせるべきだった。石山挙兵後なら単独で徳川と戦えた可能性が有る。
その結果、徳川は織田援軍を出さない織田への不信から武田側に付く可能性が大きくなると思う。
もしくは、信玄死亡時に領土割譲案含んだ織田&徳川との和睦が楽だろうなw
755人間七七四年:2009/07/21(火) 00:08:50 ID:hpX98zQ+
徳川だけに的を絞るか
北条や毛利と同盟を組んで四方から織田を攻めるしかないだろう。

織田家の部将に内応させるのも一案。
756人間七七四年:2009/07/21(火) 19:53:29 ID:1ChLUQmm
>>1
絶対に無い
757人間七七四年:2009/07/21(火) 23:58:47 ID:aD0nLkrw
>>751
>>名前を残すのは許されないんじゃそうするしかしょうがない。
だから高家武田としても残ってるし
そもそも家康が自分の息子に武田の名跡を継がせてて
水戸藩につながる系譜になってるんだが。
>>織田徳川連合と国境を接していて和睦を目指さないなら
>>滅ぼされるのはしょうがない。互角に戦えると思うほうがおかしい。状況判断に
>>冷静さがまったく無い。
後半は目指していたようだが。ま、実際途中まで互角以上に戦ってたしな。
>>756
絶対とはいえんだろ。
758人間七七四年:2009/07/23(木) 18:35:29 ID:yNHs7XMS
多少はある。だからいろいろ言える。
本当にゼロなら書きようがない。
逆にどうやっても無理な大名、やりようのない大名ってどこだろう?
759人間七七四年:2009/07/24(金) 00:01:53 ID:DQbvgetl
義元亡き後の今川家、秀吉亡き後の豊臣家は、信玄亡き後の武田家より、やりよう無い
と思う。
760人間七七四年:2009/07/24(金) 00:37:00 ID:MmNvDCLI
>>759
今川と豊臣は跡継ぎさえまともならば普通に生き残れただろ
武田は跡継ぎとか関係なく対外関係で詰んでた
761人間七七四年:2009/07/24(金) 00:49:51 ID:txe69O7n
今川はまともだぞ、大大名の跡継ぎとしては力不足だったかも知れんが
762人間七七四年:2009/07/24(金) 00:54:20 ID:VWuCwNBz
>>759
そうかね?
豊家は同意だが、今川はやりようあったでそ。

>>760
私見で言えば、対外関係でなく、内部で詰んでたと思う。
763人間七七四年:2009/07/24(金) 01:22:13 ID:e8LUgogz
>>760
対外関係で詰んでたとか信玄死亡時に北条が敵だったとか言い出すのでは…
北条潜在的脅威論は勝頼再評価スレで否定されてたしな。
>>762
内部で詰んでたのだろうか?
陣代説とか軍鑑にしかなく、一次資料見る限り普通に継承してるようにしか見えん。
764762:2009/07/24(金) 01:42:07 ID:VWuCwNBz
>>763
内部で詰んでるって言うのは、軍鑑を元にして出してる訳ではありません。
偉大な先代社長の後を継いだ、若造社長が先代の負債と、先代から仕え至弱を知る老臣達と
理解しあえる道理が無いのだと思うのです。
四郎勝頼は、ご存知の通り太郎義信が死んだ後に急遽立てた跡取りです。
そこら辺も先代の負債と思っています。
765人間七七四年:2009/07/24(金) 02:12:31 ID:e8LUgogz
>>764
先代の負債ったって何をもらったのだろうと。
義信が死んだ後にふつうに後継者候補とし、
その後2年にわたって仕事をいろいろ任せて後継者にしてる。
そもそも義信死ぬ前から勝頼の序列は義信についで高いし。
766人間七七四年:2009/07/24(金) 02:45:19 ID:VWuCwNBz
>>765
>そもそも義信死ぬ前から勝頼の序列は義信についで高いし。

そりゃ高いでしょうw
まともに成人したのは太郎に続いて四郎が最初だし。
でも、四郎はの姓は諏訪になってたのですよ?
信玄が太郎を幽閉して。四郎を甲府に呼んでも、無理が有るのを感じませんか?
感じないので有れば、貴殿と自分とでは思う所が違うのでしょう。
767人間七七四年:2009/07/24(金) 03:06:39 ID:DQbvgetl
でもさぁ、例えば穴山が勝頼にとって信玄時代の板垣のような存在だったらどうなったん
だろうな〜。
768人間七七四年:2009/07/24(金) 04:14:58 ID:SbgMoPk5
武田も北条もそうなんだが
なまじっか天下や一定の権威に対して大手を賭けてたから
織田や豊臣に対して頭を下げるって選択が最初から無いんだよな
屈するくらいなら滅亡するって本人たちが言ってるんだから仕方がない
死ぬか勝つかしか選択する気がないっていう中で、
勝頼の場合勝機は長篠で消えてたし、
北条は本能寺以降もっと積極的に上方と関わるべきだった
上杉が残ったのは、やっぱ思想が尊皇っほいってのもあるんだろうなあ
上方に対して伝統的に従順だから頭を下げろと言われて下げられる
769人間七七四年:2009/07/24(金) 07:14:14 ID:xAFRUpMi
>感じないので有れば、貴殿と自分とでは思う所が違うのでしょう。
世の中にはこれが理解できず自分の意見が正しいと繰り返す人間多いからなー
770人間七七四年:2009/07/24(金) 10:09:08 ID:MmNvDCLI
もし武田征伐前に信長・信忠が死んだ場合、武田は面白い存在になったでしょうね
771人間七七四年:2009/07/24(金) 11:36:13 ID:e8LUgogz
>>766
もともとナンバー3なのだからそれが
ナンバー2である義信死亡後に繰り上げになったとしても
ある意味自然に思うけどね。
まあここら辺は感覚の違いか。

てか余談だけど勝頼を諏訪として否定するならその息子である信勝も諏訪系となり
「勝頼は陣代で信勝こそ正統当主」とする軍鑑の陣代説って
破綻してると思ったりする。もともと軍鑑にしかないことだけど。
772人間七七四年:2009/07/24(金) 12:25:57 ID:onbtgb6r
>>770
まず有り得ないけどね。
773人間七七四年:2009/07/24(金) 14:23:37 ID:MmNvDCLI
>>772
折角のチャンスを無視して北条攻めそうなんだよなw
774人間七七四年:2009/07/24(金) 18:18:20 ID:DQbvgetl
義信が当主だったら穴山は、素直にしたがったのだろうか?
775人間七七四年:2009/07/25(土) 01:44:02 ID:XekL+9H3
>>769
>世の中にはこれが理解できず自分の意見が正しいと繰り返す人間多いからなー

そう思われる人は相手したくないですねw
見方なんて千差万別で当時の状況を間近で実際に見てきた以外は、あくまで想像ですから。
様々な考察は自由だと思います。

>>771
そうですね。感覚の違いですね。
余談についてですが。
軍鑑は元からアテにならないですよw
勝頼陣代させるなら、信廉陣代のが古参の家臣に対しても納まりが付きやすいかと。
陣代でなく勝頼が棟梁として後を継いだと思う方が自然だと思います。
諏訪の姓を戻した四郎勝頼に対して、従えない一部御親類愁は居たみたいですが・・・

こう言うgdgdを内部で問題を抱えた武田家は、内部で詰んでたと言うのが自分の持論です。
776人間七七四年:2009/07/25(土) 03:56:02 ID:oJeA/s1i
>>775
うん、感覚の違いだろう。
余談についてだけど、
とりあえず一次資料で見る限りどう見ても勝頼は
普通に家督を継承してるんだよね。
家督継承を宣言したり祝われたりしてる書状ばっかり。

丸島氏は勝頼に対して時代が下っていくと一門衆は勝頼に近づく事で
自分達の向上をはかるようになっていく事や
勝頼が信勝(勝頼が陣代であったなら正当な当主であるはずの)の元服式を
自分が出陣してる間に執り行わせたりしてる事から
勝頼の権威は相当あったとみているな。
777人間七七四年:2009/07/25(土) 04:20:04 ID:XekL+9H3
>>776
勝頼の権威に関して、質問ですが。
当主として、いかほどの権限が有ったと思いますか?
宜しければ、貴殿の考察の一部を御教示下さいませんか。

四郎勝頼に権限が充分に有るのであれば、長篠の戦の敗因は全て勝頼になってしまい。
私見的な考察である、内部統率の不足からの敗因が根底から崩されてしまうからです。
絶対な権限を確立していたのなら、梅雪や信豊の戦線離脱は何だったのか?と言う事に繋がるので。
778人間七七四年:2009/07/25(土) 04:36:06 ID:L6INJ+YS
一応、先代の息子だからな。
勝頼の権威が上がったのは武田の頭領となって、
しばらく、戦に勝ち続けていたからだろう。
それまで、勝頼の発言力は強くなかった。
779人間七七四年:2009/07/25(土) 04:38:49 ID:oJeA/s1i
>>777
まあ梅雪や信豊の戦線離脱というのも軍鑑だしね。
(というか軍鑑では競り合いなく引いたのは穴山くらいで信豊は戦ってる)

丸島氏は武田一門の多くが天正7年ころには勝頼に近づいて地位向上を図ったり
勝頼が信勝の元服を出陣中に行わせたり、政治的に利用してる側面も見られる事から
勝頼の権力は相当強化されていたとみている。
長篠については勝頼が戦後に出した書状があるが、それによると織田徳川との第一戦に勝利し
その勢いに乗って信長の野戦陣地に突撃してしまい敗北したという内容で
状況からみても非常に納得しやすい内容だと思う。
書状は>>683に書いといたからよければ読んどいて。
780人間七七四年:2009/07/25(土) 06:57:31 ID:SYQ67lrU
>普通に家督を継承してるんだよね。
>家督継承を宣言したり祝われたりしてる書状ばっかり。
ぶっちゃっけこれは割と当たり前じゃ、
この部分でさえ否定されるようなら勝頼の発言力という段階越えて内乱直前みたいな状況だろうし。

問題となるのは信玄晩年の家中統制大名権限や義信が継いだ場合での家中統制大名権限や
他の大名家での家中統制大名権限と史実での勝頼のそれとの比較、
それが無ければ勝頼の時はこうだったと言っても説明としては片手落ち、
勝頼の権限が強かったのか家中はちゃんと従っていたのかわからない。
781人間七七四年:2009/07/25(土) 07:40:54 ID:M4n7i93f
>>779
>まあ梅雪や信豊の戦線離脱というのも軍鑑だしね。

よく知られているように軍艦は勝頼や長坂、跡部らを
史実以上に悪者に仕立て上げているんだよね。

長篠の戦の開戦前夜の長坂と山県らの討論などね。

そうなれば当然、長篠の戦の敗因を軍艦では長坂らに
求めるかと思いきや、穴山の離脱を上げているわけで。
(確か高坂が切腹しろと言っているんだっけ?)

実は穴山の離脱は史実だったのでは?
と推測しています。
782人間七七四年:2009/07/25(土) 14:53:59 ID:Xit/g+Fo
軍艦は武田滅亡の理由を勝頼に負わせようとしてるのが基本方針だけど、
でも、勝頼を無能描写することって無いんだよね。
「強すぎる」だとかいう、ちょっと回りくどい方法で貶めている。
実際のところはやはり勝頼は結構な実績を残しているし、やはり一角の人物だったのだろう。
そう考えて軍艦を読み直すと、
勝頼を「無能」と描写できないがための苦心のあとがみてとれる。
だから直接的に「無能」と描写することはできない……という苦心の産物に思える。
783人間七七四年:2009/07/25(土) 15:06:39 ID:6+sf4Fv0
そりゃあ、いくら武田が滅びた時の当主とは言え、「偉大なる信玄公の息子」なんだから無能だなんだとは書けんだろうよ。
784人間七七四年:2009/07/25(土) 15:07:33 ID:nw1QGHEE
まあどちらにしても武田家中でごたついていたことには変わらん
勝頼が無能とは言い難いことも穴山をはじめとした一門の離脱のことも真実だろう
785人間七七四年:2009/07/25(土) 23:26:34 ID:595I/fwQ
>759 義元亡き後の今川家、秀吉亡き後の豊臣家は、信玄亡き後の武田家より、やりよう無い
と思う。
信長亡き後の織田家はもっとやりようがあったぞ。
786人間七七四年:2009/07/26(日) 00:11:23 ID:tsJ5F4+V
三法師の立ち回りが悪すぎると?
787人間七七四年:2009/07/26(日) 01:15:38 ID:3jAsQR21
勝頼の場合、もう一つイメージと実像が異るのがその最期。
一般には次々と離反され、家臣からはみな見限られて寂しく天目山で……
となるし、それも事実だが一方で
実は天目山で最期まで勝頼に従ったのはみんな名のある武将なんだよね。
どう考えても死ぬだけの主君に、あれだけの武将が従ったというのも珍しいし、
中には小宮山友晴みたいな変?なやつまでいる。
788人間七七四年:2009/07/26(日) 03:26:02 ID:1k4Lp1gr
信玄死後の武田の厳しさよりもっと厳しい状況はけっこうある。
例えば、今川の時は、武田のときより厳しいだろ。氏真に勝頼並の能力があっても無理。
織田の時は信忠が生きていることと安土城が残っていればって感じだが信雄の路線変更で一応存続
豊家の場合は子供なので、もちろん武田の時より厳しい。
徳川だって家康が関ヶ原の前後に跡取りを決めずに、突然死んだら
武田より厳しい。跡取権のない秀忠では難しい。
789人間七七四年:2009/07/26(日) 04:29:11 ID:xVld5rEx
>>759
> 秀吉亡き後の豊臣家は

おとなしく徳川の支配に従えば何の問題もないでしょ。大坂の陣でも
大和国にいきゃよろしい。取りつぶされても高家ぐらいには取り立て
てくれるでしょ。
790人間七七四年:2009/07/26(日) 04:35:32 ID:IkUJLhlt
>>788
その中だと、今川が一番厳しい感じ。
武田との同盟堅持が必須だが、他人次第になってしまうw

豊臣は自業自得(秀次殺害)。
織田は・・・・・・なんかあの時の秀吉だと、俺らが「こうすれば」とか考えても別の手で軽々と上をいかれそうで、信忠が生きてるのを前提にしないとダメだw

徳川は家康死亡の状況によるんじゃね?
義元さんばりに、本人討死&有力家臣の当主が死にまくり、とかだと厳しいだろうけど。
本人だけ、暗殺とか天ぷらにあたったとかで死亡なら、なんとでもw
791人間七七四年:2009/07/26(日) 05:19:39 ID:rzmxjLI6
うちの家は四名臣の末裔の末端ですが。
792人間七七四年:2009/07/26(日) 05:22:06 ID:rzmxjLI6
すいません。途中で行ってしまいました。
祖父は武田勝頼はあんまり好きじゃなかったです。
騎馬隊をめちゃくちゃに使ってしまったとよく言ってました。
793人間七七四年:2009/07/26(日) 08:22:34 ID:YNxB6KKf
夏きたる
794人間七七四年:2009/07/26(日) 13:40:39 ID:o6fjq16S
信玄の死んだタイミングが最悪だ
よしんば上洛を止めた後回復しても
果たして長篠で勝てたのか
795人間七七四年:2009/07/26(日) 16:30:01 ID:vkvJb9hK
>>792
おじいさんは長篠で酷い目に合われたのですね。
796人間七七四年:2009/07/26(日) 17:55:07 ID:vCE8v+9d
>>794
生きていたら三河は完全に落ちていたと思うんだけどね
そこまではっきりと信長不利になったら反信長連合ももっと活発になっていた可能性もある
797人間七七四年:2009/07/26(日) 20:15:03 ID:sHXVmKrc
秋侘びし
798人間七七四年:2009/07/27(月) 02:12:42 ID:CK7G2W0e
信玄か勝頼かどっちか知らんけど、三方が原で空城の計にひっかかるようじゃだめだよ。
本当はバカなんじゃないのかと思うほどだ。
799人間七七四年:2009/07/27(月) 02:27:54 ID:OL4OUqC0
まーでも
信玄や謙信が信長にボコられるってのは想像できんな
逆は容易だがw
800人間七七四年:2009/07/27(月) 09:56:40 ID:Ne46RtOn
>>798
ひっかかったのは山県。
801人間七七四年:2009/07/27(月) 16:33:26 ID:THQJ/MwQ
>>798
>>800
空城の計は江戸時代に書かれた軍記にしか記載がないと思ったのですが。
最近新しい史料が発見されたのですかね?
802人間七七四年:2009/07/27(月) 19:15:20 ID:YqcNn/Sc
どうも信玄自身、三方ヶ原の戦で徳川に止め刺す気はなかったっぽい
803人間七七四年:2009/07/27(月) 21:12:53 ID:CK7G2W0e
なぜ?
804人間七七四年:2009/07/27(月) 23:38:56 ID:YqcNn/Sc
信玄にとって対織田・上杉の方が重要
805人間七七四年:2009/07/27(月) 23:46:00 ID:Yzho+Y+i
訳わかんね。
徳川潰さずに尾張に入って万が一撤退となれば挟まれて死亡確定。
806人間七七四年:2009/07/28(火) 00:53:11 ID:5rlQT+YW
>>805
撃破した上に威圧して、臣従もしくは織田に離反させようと思ってたんでは?
徳川潰すと武田も痛手を受けるが、徳川がそのまま与党になるなら
これは嬉しくありがたい。


807人間七七四年:2009/07/28(火) 00:56:52 ID:kB92eyzY
>>806
岡崎、吉田、浜松、掛川などの主要な城が徳川側なのに臣従させる気でいたの?
これが本気なら正気の沙汰ではないぞ!
808人間七七四年:2009/07/28(火) 01:11:10 ID:W8yeGuDm
飛騨の有力者達を凋落しようとした形跡があったね
809人間七七四年:2009/07/28(火) 02:03:39 ID:U4ng2YMc
信忠を婿養子にして武田継いでもらおうぜ。
ほら、名前も武田信忠って息子っぽい。


勝頼?
計画通り諏訪で細々と生きて下さい。
810人間七七四年:2009/07/28(火) 03:32:03 ID:kB92eyzY
>>809
武田家なんか織田勝長で充分だよ
武田勝頼も同じ「勝」の字だから少しくらい地位が向上していいんじゃない?
811人間七七四年:2009/07/28(火) 17:59:24 ID:yqzAVuAX
て事は送り返さず家督を勝長に継がせれば良かったんだ
勝頼は隠居、信勝は信長の養子にしてもらい織田信勝へ
812人間七七四年:2009/07/29(水) 07:40:22 ID:veoQZuk3
>>780
なんだかな。
その普通に家督を継いでるっていうのは
単に陣代説への反証なんだけど。

>>義信が継いだ場合での家中統制大名権限
義信は大名になったことないのにどうしろと。
勝頼の権限が結構強かった事を示す根拠はいくつもあるが、
それ以前に勝頼の権限が弱かったとする根拠が正直ないというか。
弱いという根拠がないのに弱いといわれてもな。
大抵軍鑑の陣代説に行きつくから、史実じゃ普通に継いでるとなるわけで。
>>781
まあ実際軍鑑では長坂跡部に敗因を求めてるし
穴山も最後武田を裏切ってるから
穴山が叩かれても不思議ではないけど。
>>784
いまいち根拠が不明確なんだが。
そう断言されても困るぞ。
>>794
長篠で戦わなければいいだろ。
>>798
あれは軍記にしかない。
>>805
信玄が攻め込もうとしてたのは美濃。
美濃なら攻めるにせよ引き返すにせよ容易。
岩村をすでに抑えて橋頭保もあるし。
徳川ももう数千ほどのこしとけば十分。
>>807
織田の情勢が不利になれば十分徳川は寝返るだろ。
もうすでに三河遠江のかなりの城を制圧し
野戦軍は粉砕し、後は数千の抑え部隊を残しておけば
徳川は封殺できる状態になってる。
この状態で武田and包囲網勢VS織田の戦いが進展し織田が不利になれば
徳川が寝返る可能性は十分ある。
実際長篠直前じゃ今度だめだったら寝返ろうとか言ってるし。
徳川も別に織田の為に最後まで戦って死ぬ義理はない。
813人間七七四年:2009/07/29(水) 07:45:39 ID:veoQZuk3
>>809
なんでいきなり信忠なんかに。
>>810
なんで地位の向上になるんだか。
信勝が勝頼の跡目にきまってるんだからそれでいいだろ。
>>811
信勝も一応形式上信長の孫に当たるんだけどな。
814人間七七四年:2009/07/29(水) 07:55:50 ID:OgW8sMB9
織田を倒せば、家康が味方になる可能性は、なくもない。
家康には浜松城から討って出る余力は無かったが、家康を放って置いてもいいのは、
織田を倒すことが前提だ。だから、信玄は、本当に命が切羽詰っていると思う程なら、
家康の止めを刺したはず。そうしなかったのは、もう少し生きて、
織田を倒した後に、家康を味方にしてもいいと考えていたのかもしれない。が、
織田と直接対決するには、もう少し時間が必要。
信玄の死期が近づいてるが、三方ヶ原で寒風にさらされながらも、
戦の指揮は取れていた。と考えると病気だったが、寿命はもう少しあったのかも知れない。
少なくとも、信長と直接対決するくらいまでの寿命は、あったのかも。
だとすると、本当の死因は、やはり、鉄砲で撃たれたと考えられるのだが・・・。


815人間七七四年:2009/07/29(水) 08:07:33 ID:veoQZuk3
>>814
最後だけなぜかトンでもになってるw
>>だとすると、本当の死因は、やはり、鉄砲で撃たれたと考えられるのだが・・・。
信玄の病状は一回野田攻めの最中に発病し
三月に一時小康を得て歩けるくらいになった。
しかしまた病状が悪化しそのまま悪化の一途をたどり、
4月11日になって急変し12日になって危篤となった。
野田の鉄砲がどうとかは関係なさげ。
軍鑑における生々しい病気の進展とか
もともと信玄は6年ほど前から医者からこの病の事を知らされていたとあるので
単に病気だったとみたほうが妥当。
816人間七七四年:2009/07/29(水) 09:26:23 ID:OgW8sMB9
>>815
また軍鑑ネェー・・・
817人間七七四年:2009/07/29(水) 09:36:21 ID:veoQZuk3
>>816
病気の進行については軍鑑には詳しく書いてあるんでな。

てかそれいったらそもそも鉄砲で撃たれたなんてのは
ろくな資料にないんだが。これで軍鑑の病状を否定できるのがわからん。
818人間七七四年:2009/07/29(水) 20:58:26 ID:OgW8sMB9
>>816
それしか資料がないから、それしか認めないというのは、いかがなものか。
軍艦は信憑性がある部分もあれば無い部分もある。
であれば、様々な史実から人物の心理や考えを、推理するのも有りだと思う。
2ちゃんなんだからそれに縛られることはない。

例えば、死を3年間隠せという信玄の遺言。必要性はあったとしてもそれは無理。
あの信玄が無茶なことを言うとは考えられない。死を間際にして意識がモウロウとした
状態だったのか、何か意図をもった家臣が流した可能性もある。
819人間七七四年:2009/07/29(水) 21:39:55 ID:fpP2xil4
まあ武田家に限らず、三好家や豊臣家でも死の隠匿はあったわけだから無理を承知でそれもありかな?
家中がゴタついている戦国大名ならせざるをえない状況なんだろう
820人間七七四年:2009/07/29(水) 23:12:17 ID:fpP2xil4
勘違いする奴がいそうだから補足
>家中がゴタついている
三好義継、豊臣秀頼、武田勝頼が無能と言うことではないよ
三好家、豊臣家、武田家のそれぞれが抱え込んでいた家中統率の問題点のこと
先代に対して忠義があっても跡取(または主家)に対してもあるかどうかということ
821人間七七四年:2009/07/30(木) 00:18:15 ID:OZKDZUCY
>>818
>>それしか資料がないから、それしか認めないというのは、いかがなものか。
いや、だからと言ってろくに根拠もない鉄砲で死んだを結論にされてもな。
>>軍艦は信憑性がある部分もあれば無い部分もある
それで読んでみて信憑性があるかと思ったんだが。病気の部分は。
脈が早くなったとか口の中にでき物ができたとか歯が5、6本抜けたとか
異様に生々しいし。
>>であれば、様々な史実から人物の心理や考えを、推理するのも有りだと思う。
賛成ではあるが、鉄砲傷については心理や考えに当たるんだろうか…

まあ三年秘喪に関しては勝頼がしばらく信玄を生きてるけど重病なんで隠居して
自分が当主となったという風にふるまい続けるし、
実際に軍鏡がつげるように、信玄が判を押した紙を数百枚用意したと述べているのを裏付けるように
信玄の判が押された文書も信玄死後まで結構出されてる。
だから家臣の考え、というのはたぶんないのか?
ちなみに軍鑑においては、信玄が明日は瀬田に旗を立てよと言ったのを
「御心乱れてこのごとし」と書いてるから心が乱れていたとみられるけど
紙を数百枚事前に準備してたというのはある程度事前に考えられていたとみられるのか。
822人間七七四年:2009/07/30(木) 14:40:17 ID:qzZeplSo
その信玄の3年間〜だけど、俺なんか普通に素直に解釈すれば
「俺が死んでも3年間は喪を発せず=つまり大規模な葬儀やら、代替わりに伴う
 朝廷工作やら、近隣諸大名に対する儀礼はするな。」
って意味なんじゃないかと思ってたけど。
要はそんなことは後回しでいいから、内部固めを先にしろ、と。

戦略的な意味で、講談の諸葛孔明のごとく「生ける〜」を狙ってたとしたら
とても「名将」などとは呼べんだろ。
そんこと本気でできると考えてたらボケ老人だろw
823人間七七四年:2009/07/30(木) 18:07:45 ID:OZKDZUCY
>>822
大体そんな意味だろ。
軍鑑では信玄自身も「自分が生きてる事をよそおいつつ
守りを固めて内部の発展を図れ」といっている。
「生ける〜」かどうかは狙ってないだろ。
824人間七七四年:2009/07/30(木) 23:00:59 ID:SY5CXlHF
長島は遺言に拘らず、救うべきだったんじゃね。
信玄は戦をすることで内部発展をしてきたともいえるしな。
825人間七七四年:2009/07/31(金) 02:18:41 ID:HaMUtBfq
長島は救うべきっつうと、天正2年の長島攻めの事?
ちょうど6月に高天神落とした所で、小説なんかだと「高天神の後詰めとみせて、実は長島攻めでしたー!」みたいに書かれる所だよねw
高天神からの続けて連戦は、ちょっと無理じゃね?

一応、高天神も勝頼さんなりの内部固めの一環と言えるのかね?
いきなり野外決戦とかはマズイし、戦争で勝って見せて、当主としての武威を見せつける、みたいな。

「ヒャッハー! さすが勝頼様!!」
「信玄公さえ落とせなかった城を落とすとは、そこにシビれる憧れるゥ!!」
みたいなw
826人間七七四年:2009/07/31(金) 02:44:54 ID:6tCdjyhV
信玄は影武者を5人扱っていたから
ガチで隠し通せると思ってたんじゃね?

実際、西上時にはすでに信玄は死んでいたのかもしれない
野田城あたりで武田軍の動きがおかしくなったのは
実際、勝頼が大将で内部分裂が起きていたとか
827人間七七四年:2009/07/31(金) 06:01:20 ID:XAV7TAOP
>>1
可能性0です
828人間七七四年:2009/07/31(金) 12:41:04 ID:lGAIdOzi
長篠と御館さえ間違わなければゼロじゃないだろ
829人間七七四年:2009/07/31(金) 14:54:57 ID:zCokVgLb
>>828
信玄の時に武田家は滅亡するはずだったが運よく死に逃げ
そのツケは勝頼が全て被ってしまったから無理
830人間七七四年:2009/07/31(金) 15:14:10 ID:AFJ9Gv7Y
>>628
釣りだから。

 それより、長篠の前の重要なミスとして長島の判断がある。
長島本願寺は戦略的に凄く重要。伊勢・尾張の信長の敵対勢力だ。
高天神城攻めの後なので、本体は送らず、水軍を伊勢湾に手配する案も
あったらしいが、送れなかった。
 勝頼は、長島の重要性は理解していたが、穴山や逍遥軒が反対したからだという。
穴山・逍遥幹が反対したら勝頼には押し切って行かせる力が無かったのだろうか?
長島を救っておけば織田の躍進は、大いに鈍るだろうから、勝頼も長篠の時のように、
早いうちに叩こうとあせる場面もなかった。
831人間七七四年:2009/07/31(金) 16:01:32 ID:QZNEvbNA
色々と考えてみるに早急に穴山を除くということを考えるのが早道なのか?
832人間七七四年:2009/07/31(金) 17:16:25 ID:zCokVgLb
信玄が穴山に対して行った武田信奉教育(信玄の子をマンセー汁)に失敗したんだからここが問題
833人間七七四年:2009/07/31(金) 20:47:27 ID:hfbtZjco
長篠で織田徳川連合軍と戦ったのが全ての敗因。

兵力差を考えない、川を背後に陣取る愚行。

家臣の言う通りに退却すればよかった。
834人間七七四年:2009/07/31(金) 21:24:03 ID:ewarkIbN
結局は信玄の時代から延々と家康に粘られたのが敗因だよなぁ。
幾ら徳川の後ろ盾に織田がいて、武田は武田で背後に上杉やら北条(あと一応今川)やらがいたとしても。

武田の国力だと史実ぐらいまでが行動限界範囲なのかもなー。
835人間七七四年:2009/07/31(金) 21:38:10 ID:n2mJInVK
確かに滅亡の原因を除く方面から考えれば穴山排除と言うのは有力なファクターだけど、現実的に考えれば
タイミングや方法論で相当無理がある
ああいう動きさせない使い方するべきだったというのが現実に即してる
信長の光秀みたいなもん
836人間七七四年:2009/07/31(金) 21:55:40 ID:syLRCd71
毛利の本願寺への兵糧補給があるけど現実問題として武田水軍を伊勢まで送ることは可能なのか?
当時は沿岸沿いに航行して港で停泊しながら進むみたいだったが駿河から伊勢湾の奥までいけたのか
行けたところで織田の水軍に勝てたのか
水軍に勝って長島までいけたとしてその後どうするのか長島から一部の人間連れて脱出ならともかく
長島を救うとなると現地の織田勢を退却させる必要があるだろうがそれが可能だったかどうか
837人間七七四年:2009/07/31(金) 22:03:21 ID:hfbtZjco
穴山排除はしたくても出来なかった。

長篠の後、一番に退却した穴山に勝頼は褒美をやった。これは不自然だよ。

俺の予想だが長篠で穴山は戦いを避けるよう進言したのではないか。それを無視して負けた勝頼は穴山に頭が上がらなくなった。
838人間七七四年:2009/07/31(金) 22:13:13 ID:hfbtZjco
勝頼時代の武田家では金山もほりつくされ、信玄上洛の軍費などで資金が枯渇していた。

これを直江兼続に付け込まれ上杉との同盟がミス。

北条、徳川を敵にまわし戦続きで経済的にも破綻。
839人間七七四年:2009/07/31(金) 22:31:52 ID:dlicahmQ
御館では同盟国の北条の要請通り三郎景虎を支援。
そして甲相越の三国同盟を磐石なものにする。
北条はもともと関八州制覇のみを考えて上洛には興味なし。
これで北・東ともに憂いをなくし西方のみに専念できる。

実際は兼続のなりふりかまわぬ延命策に惑わされ判断ミス。
織田・徳川・北条の三方面攻撃を受け一挙に滅亡。
上杉は援軍も送らず見殺しにされる。
840人間七七四年:2009/07/31(金) 22:37:39 ID:lGAIdOzi
>>829
なんでそうなるんだか。
信玄の状況なら方々手ふさがりの信長様に滅ぼされるわけでもないだろ。
>>832
武田信奉教育ってなんだ。
それいったら織田なんか大失敗を通り越してるだろ。
>>834
延々と、って実質信玄時代には半年程度しか戦ってないぞ、徳川とは。
>>838
金山はもともと間接収入だろ。資金の枯渇とやらも根拠ないし。
上杉からもらったのは金じゃなくて領土だろ。
841人間七七四年:2009/07/31(金) 22:46:01 ID:dlicahmQ
上杉からは北信と上野を割譲されたが、実際上州は上杉領ではなく北条との係争地。
そこを自由にどうぞというのは北条と正面から争えとけしかけたと同義。
長篠後でもまだ国力を維持していた武田が一気に疲弊したのは北条との抗争のせい。
自分の事しか考えない兼続のあくどい策に嵌められた。
842人間七七四年:2009/07/31(金) 22:47:48 ID:4Qwf1iqB
>>840
このスレのタイトルは武田勝頼だから。
信玄との戦もゼロじゃないから信玄からと書いた。
843人間七七四年:2009/07/31(金) 23:24:41 ID:lGAIdOzi
>>842
いやだから、信玄の場合は実質半年くらいしか戦ってなくて
領土ぼこすか奪われてるわけで。
まあ長篠直前じゃ勝頼に追い詰められた徳川は
「今度だめだったら武田に寝返ろう」とか言い出してるから
長篠前後の動向で十分変わると思う。
844人間七七四年:2009/08/01(土) 00:00:19 ID:AfJVe3Tt
>>836
船の数は武田の方が上。
長島は陸と船で閉じ込められている形になっていたから、海上封鎖を破るだけでも
効果は大きいだろ。
結局、水軍は武田が滅びるまで温存され、家康の手にそっくり移されることになった。
845人間七七四年:2009/08/01(土) 04:36:29 ID:U6yoPZj3
甲陽軍鑑か何かの高坂の進言を受け入れて織田と同盟して関東攻略に切り替えていたらどうなったかな?
846人間七七四年:2009/08/01(土) 09:46:47 ID:BlycDLOq
>>843
それ、家臣に諮ったのでなく、信長(の使者)に対して言ったってのがポイント。

つまり本気でなく、外交修辞の一つでしかない。
本当に離反を考えているのなら、信長に向かって表明なんかしない。

>>841
某所で、上杉は上野を武田に譲ることで、北条との国境線での接触を絶った
つまり武田を対北条の盾に使ったとあったが、そういうことなんだろうね。
847人間七七四年:2009/08/01(土) 11:32:00 ID:AfJVe3Tt
北条にとっては、佐竹、里見が当面の敵。
だから、武田は中立でよい。
一方、武田も織田・徳川に専念しなければいけないから関東どころじゃない。
つまり、北条は中立でいい。
だから、同盟ではなく、中立協定くらいでよかったでは?
お互い越後に出兵する余裕ないでしょ。
三郎景虎も、武田や北条に助けてもらわなければ、越後の当主になれない時点で
終わってる。
848人間七七四年:2009/08/01(土) 22:56:48 ID:1cB/tSzi
>>846
信長に対していったというのが最大のポイントだと思うが。
信長の覚悟をためすという意味での。
ここまで信長に言ってしまった以上、もう徳川は後戻りできない。
徳川はもう浜松まで蹂躙されてる状況だし、
もうここまで来たら、次にだめだったら織田を切るしかない、って事でいったんだろ。
849人間七七四年:2009/08/01(土) 23:05:25 ID:BlycDLOq
>>848
>信長の覚悟をためすという意味
だから「外交修辞」なんだよ。それくらい追い詰められている、というね。
850人間七七四年:2009/08/01(土) 23:22:08 ID:1cB/tSzi
>>849
だからこれをもう伝えてしまった以上、
家康はもう信長が助けなかったら武田に寝返るしかなくなる。
覚悟を決めた言葉だろ。
851人間七七四年:2009/08/02(日) 00:59:39 ID:z2XAbmQw
 長篠城を取られたら王手を取られたことになるが、まだ詰んでいない。
吉田城を取られ、周囲を支配下に置かれた時点で、事実上詰んだと思われる。
武田が長篠城を落としたら、その足で吉田城に向かうか、一旦帰るかはわからないが、
その前に織田に覚悟を伝える必要はあるな。
 しかし、武田が吉田城を落としても穴山あたりが、詰んでることも知らずに変な主張を
押し通すかもしれんがな。
 
 将棋でも、初心者で、もう詰んでるのに、気付かない奴とか、
どうやって詰めたらいいか、分からない奴がいるのと同じで。
852人間七七四年:2009/08/02(日) 16:56:38 ID:GmH5n+p9
853人間七七四年:2009/08/02(日) 21:18:38 ID:5XKJIEwx
将棋好きなのは分かったが流石に穴山をバカにし過ぎ
不利になれば親族一族でも裏切るのは珍しくない
854人間七七四年:2009/08/02(日) 21:51:54 ID:ofcXXSej
個人的には小山田や穴山よりも木曾の裏切りの方が痛手に思える
855人間七七四年:2009/08/02(日) 23:42:56 ID:cxMJ1yQN
>>850
外交上よくある駆け引きだから、必ずしも武田に鞍替えせねばならないわけでもないって事じゃない?
頑なな、自説以外断固認めず相手の言い分も自説に都合の良いように解釈して一歩も退かないような
態度はよくないよ。
856人間七七四年:2009/08/02(日) 23:59:32 ID:0nMxTxAF
>>855
自分以外は全て織田厨としか見ていない奴だから折角の忠告も無駄になるだけだよ
857人間七七四年:2009/08/03(月) 17:43:50 ID:wvu444un
今度助けてくれなかったらお前との同盟やめて敵国に寝返る、っていうのは
よくある外交の駆け引きなのだろうか
最後通牒にしか思えない
858人間七七四年:2009/08/03(月) 18:10:04 ID:NBcOcrWW
ヨーロッパの外交じゃよくあるぞ

もっともヨーロッパにおいては離合集散は世の常。
何年か前に戦った相手と今度は同盟組んで別の相手と戦争なんて
日常茶飯事だから、最後通牒ほどの価値が無いってのもあるが。
859人間七七四年:2009/08/03(月) 18:11:30 ID:NBcOcrWW
ああ書き忘れた。
次の戦争では、どころか、戦争中に同盟国を替えて戦争続行もよくある話で。
860人間七七四年:2009/08/03(月) 18:20:09 ID:ziRv0u8u
それはヘタリアのことか〜っ!?
861人間七七四年:2009/08/03(月) 19:09:21 ID:AUcKoaeC
本当に今回断られたら裏切る積りだったなら間違いなく織田にそんなことは言わないだろう、
わざわざ武田に寝返りますよなんて相手に教える馬鹿がいるとは思えない、武田も強いが織田は更に強大なのだから、
また現実的な問題として武田に対してもいきなり今から武田に寝返るからって言っても、
ある程度の調整下準備は必要、そういった動きが無いのだからこの時点では
外交の駆け引きか、史実ではないか、使者や徳川家臣達の勝手な意見か何かだろう。

ただこの次はどうなるかはわからないが。
862人間七七四年:2009/08/03(月) 20:45:23 ID:wvu444un
>>861
当時の徳川は高天神をとられて東遠江は抑えられ
三河北部もとられ武田に負けたり城を救援できなかった事も多く
浜松城下まで蹂躙されてしまった当時としては
家臣たちが織田に不信感を抱いててもおかしくないよ
長篠城を救援できずに見殺しにしたら徳川の中の不信感が
決定的になってもおかしくなかったと思うよ。
大賀弥四郎みたいな話もあるし。
その意味で踏ん切りをつけるための言葉だったのでは。
863人間七七四年:2009/08/03(月) 20:53:09 ID:PTfVHGCs
織田がもし、援軍を出さず、長篠城が落ちたら、徳川はどうなっていたのでしょうか?
864人間七七四年:2009/08/03(月) 20:58:56 ID:wvu444un
案外家臣たちの不満や不信が爆発して
勝頼における1581年の高天神見殺しみたいに威信大暴落になってたかも。
まあもう徳川は長篠前に本城の浜松城下まで蹂躙されてるから
威信はもうボロボロだろうけど。
865人間七七四年:2009/08/03(月) 21:58:09 ID:QdvZhCuk
家康が武田に宗旨替えするって信長に言ったってのは事実なの?
信長は白黒はっきりした激しい気性だし、敵や裏切り者には常人離れした厳しい対応出来るやつだってことは
家康にはとうにわかってるはず
例えばその恫喝が効いて目の前の危機を織田の援護で逃れたとしても、後々除かれることは確定になるわけで、
家康がそんな間抜けた事するとはとても思えないけどなあ
866人間七七四年:2009/08/03(月) 22:39:07 ID:nrrVWW+8
>>863

どこかで誰かが書いていたけど
徳川は、岡崎城−吉田城−浜松城−掛川城
のラインが健在だから、まだ何とか持ちこたえられるだろう。

長篠城、二俣城、高天神城、足助城は徳川領に進出するための橋頭堡。

あと岩村城に兵を進めれば信長を牽制できる。

この流れからすると、長篠城奪取は
徳川領を奪うための橋頭堡を築く
武田の戦略と思われる。

長篠城が落ちたら、徳川の滅亡を掛けた一戦が行われると思う。
もしくは武田に降参か。
867人間七七四年:2009/08/03(月) 22:40:35 ID:NBcOcrWW
だから、やったとしても外交修辞なんでしょ

本当に裏切り離反が選択肢として浮上しているのなら
「援軍出さなきゃ寝返る」
なんて言わない。

ただ「援軍ください」とだけ言って、来なかったら無言で寝返る。
それだけ。
868人間七七四年:2009/08/03(月) 22:52:02 ID:G+VhgTBq
武田はこれまでの織田のやる気のなさを見て
援軍出したとしても割と少数と判断してしまったのかもね
869人間七七四年:2009/08/03(月) 23:10:59 ID:gkhGOwfO
案外>>867>>868あたりが真実かもね。

一次資料が残っていたとしても額面通り受け取るのは甚だ疑問。
870人間七七四年:2009/08/03(月) 23:33:05 ID:a+j2GHXr
本願寺に手を焼き謙信と毛利が東西から進出してきたのにたいし、勝頼に同盟を持ち掛けたのは本当なのかな?
同盟してたらどうなってたかのかね。
871人間七七四年:2009/08/04(火) 06:45:09 ID:dR3kW5cH
>>865
でもあの当時は徳川ももはや滅亡するか否かの瀬戸際だから
なりふり構っていられなかった可能性は十分あるよ。
>>867
これまで援軍くださいと言ってもくれなかったし
ここまで言っても助けてくれないようなら
本当に織田はあてにならないと見極めがつくというものじゃない?
872人間七七四年:2009/08/04(火) 09:31:44 ID:u/acKBYS
>>871
「援軍」は出してるよ。三方ヶ原も、高天神も。

>なりふり構っていられなかった可能性は十分あるよ
だから、なりふり構わずに「援軍くれなきゃ〜」という修辞を使ったんでしょ。
絶対に援軍を引き出す為に。援軍出なければ武田に寝返って
家を保とう、と考えているのなら、逆説的だが必ずしも援軍が出なくてもいい。
武田に寝返る気はない、滅亡するかしないかと腹くくっているからこそ。
873人間七七四年:2009/08/04(火) 15:55:50 ID:VF5X/y5K
今日のキチガイ → ID:dR3kW5cH

【政宗vs信玄】仙台藩百姓vs狂信者アスペルガーだが
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249043647/

【武田】2万5千くらいで上洛できっかよ【信玄】61
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1247536504/

武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝つ方法・2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242826564/

武田信玄vs上杉謙信vs北条氏康vs毛利元就vs島津義久
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226658358/

狂信者アスペルガーだが 並みの無知さを晒しつつ武田厨擁護のレスをつける
ID:Ujt49fco=ID:jabTt11T=ID:zl02VHHhも擁護しているので目的はスレ荒らし


874人間七七四年:2009/08/05(水) 07:21:19 ID:EzWptHix
>>872
三方ヶ原じゃ申し訳程度だし高天神じゃのろのろと行軍して間に合わず
長篠前に浜松が蹂躙された時も織田の援軍はきていない。
徳川の勢力では武田に対抗するには織田主力の援軍が必要なのに
それは今まで一回も間にあってない。

武田に寝返る気はない、滅亡するかしないかと腹をくくっているなら
それこそ今度だめだったら武田に寝返るなんていわなくていいと思うんだけど。
織田の覚悟を試し、本当に同盟者たりえるか試したというのが妥当じゃない?
家康はこの長篠攻防の時、2回にわたって織田に救援を要請したけど信長は出ないといわれ
三度目でついに今度だめだったら武田に寝返るといったとあるね。
自然に見れば家康が怒りを感じたか、覚悟を伝えたという流れだけど。
875人間七七四年:2009/08/05(水) 07:23:01 ID:EzWptHix
>>873
コピペはいけないんじゃなかったの?
876人間七七四年:2009/08/05(水) 09:13:24 ID:KbkaA0+A
>>874
三方ヶ原は、篭城するためなら十分な数。
長篠以前では援軍要請はなかった。

そもそも「援軍がない」と言っておいて、いやあると言われたら
「でもその援軍の内容は〜」と前提条件を変えるのはダメだろう。

下段はずいぶんと自説に都合のいいように改変しているようですね?
877人間七七四年:2009/08/05(水) 09:21:53 ID:EzWptHix
>>876
高天神の時は要請あったんじゃないの?

ごめんね。でも徳川が武田に勝つには織田主力の来援が必要だったわけだし。

どこら辺が改変してるのかな?
一応軍鑑にも家康のこの時の行動の記載があって
それでは2回要請しても信長は出ないと言われたから三度目で言ったとあるよ。
878人間七七四年:2009/08/05(水) 17:20:27 ID:KbkaA0+A
>>877
>高天神の時は要請あったんじゃないの?
ありましたね。で、要請があったときは、援軍は出しました。
援軍を出す出さないと、援軍が結果として間に合ったかどうかは別の話。

そもそもの最初に出した条件は「援軍を出さないから」でしたよねそちらの主張は。
879人間七七四年:2009/08/05(水) 22:39:05 ID:EzWptHix
>>878
その行軍が異常に遅くて結局間に合わず徳川は
がっかりしたんじゃないの。
織田はその後特に残念がる風でもなくすぐに伊勢長島攻めてるから
この高天神救援は見せかけで本当は伊勢長島攻めるつもりだったんだとか
深読みする人もいるよね。
そのすぐ後には浜松まで蹂躙されるようになっちゃうし。
長篠の時には本隊でいい加減助けてほしかったんじゃないのかな。

言葉のあやだね。ごめんね。でも徳川が武田に勝つには織田本隊が必要で
それは今まで一度も間にあってないわけだし。
880人間七七四年:2009/08/05(水) 23:08:17 ID:KbkaA0+A
>長篠の時には本隊でいい加減助けてほしかったんじゃないのかな
そうですね。逆に言えば、徳川は武田と戦う気満々で、降伏しようという
選択肢はなかったということですよね。

ところで、こちらの主張にまるで関係ないことを言って論旨を誤魔化すのはやめませんか?
この返答も、すでに繰り返しになってるんですけど。

>それは今まで一度も間にあってないわけだし
これについては、あなたの最初の主張には関係ないことで、そのこともすでに指摘してますよね。
881人間七七四年:2009/08/05(水) 23:19:32 ID:EzWptHix
>>880
それはなんかおかしくない?
いい加減助けてくれないから助ける気があるのか、
ないなら寝返るのか、という踏ん切りの為にいったんじゃないのかな。
なぜ選択肢がなくなるのかわからないよ。

主張にまるで関係ないこと?たとえばどんな事かな。教えてほしい。
あなたが結論だけ強引に言ってるからじゃ。

こちらのもともとの議題は徳川の不信、だよ。
徳川が織田に不信を抱くかいなか。
これまでの織田本隊の来援が来てない事からも
十分不信を抱くにたると思うけど。
882人間七七四年:2009/08/06(木) 05:26:16 ID:hnvObsXg
徳川の不信といっても見方を変えれば
三方ヶ原時は織田も大変な状況ではあったが篭城するのに十分な兵力を送ってくれたが徳川はそれを無駄にした
高天神の時は織田は2月から5月末までずっと行動中でようやく岐阜に帰り一息ついたところでまた出兵
兵農分離なんてないので長期の軍事行動の後の再動員には当然時間かかるし苦労も多いだろうが
10日とかからず再動員し出兵
行軍速度は3日で吉田今切の渡しまでそこから二日
長篠のときは吉田と似たような距離の牛窪まで3日特別に進軍が遅いわけでもない
(岡崎までは一日でも強行軍だったのかそこで一日休んでいる)
その上後詰が間に合わなかったからと黄金入りの袋二つを贈っている

と見方を変えれば織田は非常に律儀に対応して徳川が不信を覚えるような所は無いともいえる
徳川が不信を抱いたというのは幕府の影響か
883人間七七四年:2009/08/06(木) 08:01:17 ID:8qqLbcGA
信長公記では
高天神が攻められたときは
その前まで信長が軍事行動をしていたのは4月13日までで
後は競馬とか祭りとか神事とかしてたみたいだね。
織田勢にしてみるといい休息になったと思うけど。
競馬をみんなで楽しんでる様子が書いてあるし。
6月14日に信長は出発するけど間に合わず。
あとなんか信長公記だと高天神の将が総領を追放して謀反したとか
書いてあるよね。実際は城主の小笠原氏助本人が降伏したのに。
信長公記なりのフィルターかな?
三方ヶ原の時は武田勢に領土を次々と攻略されていく中で
家康も出ずにいられなかったんだと思うよ。威信とか面子の問題あるし。
家康にしてみたら姉川の時とか金ヶ崎の時とか織田家の為に参戦して奮闘してるのに
なんで織田は?という気持ちがあっても不思議じゃないんじゃ。
884人間七七四年:2009/08/06(木) 09:26:22 ID:T3UTLeTS
>>883
軍というのは命令下せば一日で召集され編成され即日動きだせると思ってますか?
何ヶ月も動員して戦い続けて、帰還したらそれで終わりだと思いますか?
奪った土地、奪われた土地。死んだ者に対する慰撫、生きている者への褒章。
消費した物資や金銭の精算、後の出兵のための物資の生産蓄積。

武士ってのは戦がないときは遊んでいられると思っていますか?

>なんで織田は?という気持ちがあっても不思議じゃないんじゃ。
だから、その織田も、三方ヶ原で援軍の将も討ち死にするほど奮戦してますよ?
高天神のときは、間に合わなかったわびと黄金で賠償していますよ?
別に徳川だけが一方的に犠牲や出費を強いられているわけではないのですが。
885人間七七四年:2009/08/06(木) 12:49:59 ID:cDlzbOw4
>>883三方ヶ原の戦いだったら、野戦では無く籠城戦を想定していたのだろうからあの兵数は妥当なもんだと思うがね。
多過ぎても飯の量が増えるだけだし、城攻めには籠城側の数倍の兵力が必要というものがあるしね。
886人間七七四年:2009/08/06(木) 17:58:57 ID:ZzcuVi3u
これまでの経緯からして長篠の時点では織田が全力で支援しなくても
徳川が武田に組するとは思えないね
887人間七七四年:2009/08/06(木) 18:22:05 ID:vWE6aN80
長篠も奪われてそれでも野戦に持ち込まないようだと
徳川直卒衆は靡かないにしても遠江地侍衆は雪崩をうって
武田に靡いた可能性はかなりあると思うんだけどね
この主は頼みがい無し みたいな
彼らは父祖代々今川家の被官であって三河松平氏は累代の主君筋でも
なんでもなく、義元の代では同僚みたいなもんだし
888人間七七四年:2009/08/06(木) 19:08:17 ID:2jLvaRkU
888GET!

長篠城ごときの取り合いで徳川の遠江地侍衆が武田に靡くなら苦労は無いよ
小城をいくら落としても決定打になることはない
信玄が三遠でしたことは謙信が関東でしたことと大して変わりはない

河越、江戸、小机、天神山、滝山を落とせなかった謙信
岡崎、吉田、浜松、掛川を落とせなかった信玄


889人間七七四年:2009/08/06(木) 19:27:05 ID:4PEVLxXS
掛川か吉田を落とせば痔侍も動揺するだろうな確かに。
890人間七七四年:2009/08/06(木) 22:05:50 ID:8qqLbcGA
>>884
いまいち根拠が薄弱だと思うね。
実際に動いてるんだから。
正直君があげてる理由で軍が動けなかった事例はしらない。

何度も言ってるけど徳川が武田に勝つには
織田の主力が必要なわけで。
徳川のほうは何度も主力で来てるのに織田のは間にあってないし。
三方ヶ原では織田勢の戦意は低かったとされているね。
軍鑑にも「人数はいるが、旗色は乱れ、いかにも敗北の兆しがある」と評されてる。
実際援軍の将である佐久間はろくに戦死者も出さずに逃げ帰ってる。
>>885
どうだろうか?
徳川にしてみれば領土をガンガン攻略されているのを見過ごすわけにはいかないし。
>>886
経緯とやらがいまいちわからない。
それなら徳川が言い出す理由もわからないね。
>>888
実際高天神とか二俣とかの大きな城もとられてるし
浜松も蹂躙されてる。威信はひどいもんだったと思うよ。
でなきゃ泣きごといわないでしょ。
この長篠城は信玄死亡時に徳川に寝返った城なので
これを助けられなかったら徳川は頼みにならないととられると思う。
勝頼が高天神攻略されたみたいに。
891人間七七四年:2009/08/06(木) 23:56:51 ID:2jLvaRkU
今日のアルペルガーだが まとめ
  8/4・・・ID:dR3kW5cH
  8/5・・・ID:EzWptHix
  8/6・・・ID:8qqLbcGA

【政宗vs信玄】仙台藩百姓vs狂信者アスペルガーだが
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249043647/

【武田】2万5千くらいで上洛できっかよ【信玄】61
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1247536504/

武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝つ方法・2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242826564/

武田信玄vs上杉謙信vs北条氏康vs毛利元就vs島津義久
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226658358/

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892人間七七四年:2009/08/07(金) 01:33:36 ID:Y62nR6sv
>>890
>実際に動いてるんだから
動くまでにそれだけの準備がかかった、と言っているのですが、理解できませんでしたか。

>正直君があげてる理由で軍が動けなかった事例はしらない
あなたが知らないだけですね

>織田の主力が必要なわけで
そのとおりだけど、それは武田が主力を出したときの話。

>三方ヶ原では織田勢の戦意は低かったとされているね。
篭城のつもりでいたら野戦決戦に引きずり込まれた。
そりゃ普通の将はいかに損害を少なく撤退するかを考えるでしょう。

>実際援軍の将である佐久間はろくに戦死者も出さずに逃げ帰ってる
さすがに退き佐久間、撤退上手は戦上手。
あなたは、損害を多く出す方が偉いと勘違いしてますね。
創作の英雄戦記にカブレすぎです。
それと、他の将が力戦したことは無視ですか。
自分の都合の悪い点を指摘されても無視して、自分の都合のいい部分だけを
取り上げて反論した気になっても、誰も説得はされてくれませんよ。
893人間七七四年:2009/08/07(金) 06:44:38 ID:LREiK71/
>>888
1572年長篠が武田の手にあった時も徳川崩壊していないしな

>>890
>この長篠城は信玄死亡時に徳川に寝返った城なので
>これを助けられなかったら徳川は頼みにならないととられると思う。
戦国時代じゃ取ったり取られたりなんて結構あるのにそんなことが論拠になるのか?
894人間七七四年:2009/08/07(金) 06:55:34 ID:3jMR0fe3
>>891
アスペルガーとかレッテル張りはやめようぜ。

実際のその症例の人に失礼だし、ただの馬鹿か物知らずかもしれないじゃないかw
895人間七七四年:2009/08/07(金) 07:57:04 ID:wbqKEtFU
>>891
コピペはいけないんじゃなかったの?
いい加減同一認定はやめてほしいもんだね。
>>892
君の書き方だとどうも動けないという風に書きたいみたいだから。

なら事例教えて。

長篠の時も、それ以前からも普通に武田は主力を出してるよ。

平手さん死んじゃってるよね。
それから佐久間さんの撤退は信長でさえ不快に思ったようで
後で追放するときに理由の一つに数えてる。
というか君は奮戦したと言いたいのか
撤退が見事だったと言いたいのかどっちなんだい。
>>893
あの時は最初の侵攻だからね。

勝頼の高天神とかあるしね。
なんだかんだいって見殺しは体裁に悪い。
徳川はここ数年で何度も負け続け、とうとう浜松まで蹂躙されてる状況だし
ここで自分達に寝返った長篠を救えないようなら
頼みにならずとみられておかしくない。
>>894
まあもの知らずではないと思う、あの人。態度は悪いけど。
896人間七七四年:2009/08/07(金) 09:54:44 ID:dgswcsr5
a
897人間七七四年:2009/08/07(金) 15:28:51 ID:dgswcsr5
勝頼側に立って考えると、長篠城攻めに1万5千は多すぎ。
織田が出てくることを見越したら、1万5千は、少なすぎ。
中途半端だと思うんだけど。他に目的があったのかな?
長篠城を落とした後に吉田城をねらうのは戦線伸ばし過ぎ?
898人間七七四年:2009/08/07(金) 18:03:55 ID:SsCVU7Xz
今日の アスペルだが
  8/4・・・ID:dR3kW5cH
  8/5・・・ID:EzWptHix
  8/6・・・ID:8qqLbcGA
  8/7・・・ID:wbqKEtFU

【政宗vs信玄】仙台藩百姓vs狂信者アスペルガーだが
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1249043647/

【武田】2万5千くらいで上洛できっかよ【信玄】61
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1247536504/

武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝つ方法・2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1242826564/

武田信玄vs上杉謙信vs北条氏康vs毛利元就vs島津義久
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226658358/

武田信玄こそが世界最強
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1177336438/

みえみえの釣に対しての100%の喰いつきに今更ながら感心させられます
今日のレスも アスペルだが の擁護に必死になっています
自分に都合が悪いレスへの反論なども アスペルだが の書き方そのもの
  @信玄の狂信的崇拝
  Aアスペルだがの保身擁護
  B都合の悪いレスは全て自演変換
  C妄想と虚言に彩られたレス
  D喰いつき率100%の自己顕示欲
アスペルだが とこれだけつながるのに別人を演じる面白さ
アスペルだが ではないのなら完全スルーしたらいのにね
でもそれができないのが アスペルだが の隠し通せない下卑た本性
そして今日も本性を曝け出し欲情に身をまかせ必死に返レスをしてくるんですね

あとそろそろコテつけろよ
今は自称別人だから簡単にコテつけられるだろ?
このまま アスペルだが でもかまわないけどな


899人間七七四年:2009/08/07(金) 19:29:52 ID:quBdkLu/
>>897
>勝頼側に立って考えると、長篠城攻めに1万5千は多すぎ。
多いかな?
徳川軍が長篠救援行動を起こした場合に包囲したまま、徳川勢と相対するなら妥当だと思うけど。
900人間七七四年:2009/08/07(金) 19:31:26 ID:3OpA5MPT
高天神落とされた武田と長篠を落とされた場合の徳川は同一になるかどうか。
武田のほうは高天神の影響もあっただろうけど織田が本格的に攻めてきて圧倒的な国力差と孤立
無援で一気に崩壊、それまでの数年に渡る東奔西走で疲弊していたとはいえ、織田が攻めてくる直
前までは北条に対しても互角かそれ以上に戦っていた。
それに対して1575年の徳川は織田の後援もあるし、武田との国力差も2倍から3倍程度、最も重要な
東海道沿いの城はまだ保持しているという状態だから武田とはかなり状況が異なると思う。
901人間七七四年:2009/08/08(土) 09:08:53 ID:EiWImyib
>>900
高天神陥落時の勝頼の武田は北条と互角に戦ってたけど
高天神見殺しで威名が落ちてるね。
徳川はすでに武田に押されっぱなしで織田本隊の来援はこれまでになく、
主城の浜松まで蹂躙されてる状態。
これで寝返って味方になった奥平を助けられなかったら
徳川家臣の動揺は大きいと思う。
902人間七七四年:2009/08/08(土) 09:17:43 ID:v6g8vV5D
上の方で織田の援軍は出ていると証明されていたと思うんだが。
903人間七七四年:2009/08/08(土) 09:22:24 ID:EiWImyib
>>902
本隊はでてはいるけど
間にあって戦ってくれた事は一度もない、ということ。
高天神と見せかけて本当は伊勢長島攻めだったとか
いわれちゃってる状況だし。
904人間七七四年:2009/08/08(土) 18:28:00 ID:GD03ijEy
伊勢長島攻めだったって後付だろ
それを証明するような史料あるか?

毛利が尼子に攻められたとき大内の援軍来るまで数ヶ月だっけ
それぐらいが普通なのか?
905人間七七四年:2009/08/08(土) 19:25:09 ID:czfy72pG
>>903
記録上、長篠以前に徳川が織田に援軍を要請したのは二回。
一度は三方ヶ原。次は高天神。

根拠もなく間に合ったことは一度もないとか戦ってくれたことは一度もないとか、
そういうのは捏造による印象操作のレッテル貼と言います。

資料上で言えば、次の長篠も含めて、信長は徳川の援軍要請にはきちんと
応えているんだがな。
何故か、信長は徳川を利用するだけ、助けられたことは何度もあっても
助けたことは無いとかデマが通説になってるんだよな。
906人間七七四年:2009/08/08(土) 19:29:03 ID:GD03ijEy
>>905
他に今川攻めで信長が援軍派遣の用意が出来ているようなことを示す書状があったはず
907人間七七四年:2009/08/09(日) 00:07:33 ID:qcOkUU3N
>>904
いわれちゃってる、と書いてるでしょ。
俗説でそういわれる状況だってこと。
>>905
三方ヶ原のはとても足りた援軍とは思えないけど。
本隊の来援が間に合った事は一度もないじゃないか。
印象操作してるのは君じゃないか。

実際本隊が間に合った事は長篠までないんだから仕方ないよ。
徳川は本隊でこれまで姉川とか金ヶ崎とか戦ってきたんだから。
908人間七七四年:2009/08/09(日) 01:10:49 ID:dueL6PHg
>>907
三方ヶ原は篭城に必要な人数としては十分。
これはすでに指摘されてますね。

そして間に合わなかったのは、二度(ないし三度)のうち、
高天神の一度だけ。
これをもって「一度もない」というのは印象操作ですね。
反論するのなら、徳川と武田の長期間に渡る戦争に
おいて、徳川が織田に援軍を要請した回数とそのソースを
まず挙げてからにしてください。

>徳川は本隊でこれまで姉川とか金ヶ崎とか戦ってきたんだから
信長が援軍を要請したから、徳川が出した。それだけです。
信長も徳川から援軍要請されたら、そのときの状況で許される
範囲で、援軍を出しています。そして戦い、兵にも将にも
損害を受けてますよ。
そもそも、何故か「援軍」の有無を、「本隊」と前提条件を
摩り替えて自説に都合のいい結論がでる条件に勝手に
切り替えるのはやめてください。詭弁の代表例の一つです。

あなたはこちらの論に対して、まるで「反論」をしていません。
909人間七七四年:2009/08/09(日) 02:22:44 ID:qcOkUU3N
>>908
指適されてはいないね。
実際武田が徳川領土を蹂躙していくのを防げず
徳川はそれに挑戦して大敗したわけだし。

だから徳川が武田に勝つには織田の本隊が必要。
そしてそれは長篠前まで2回あったとして
2回とも本隊は間にあってないし。

詭弁じゃないって。
徳川は姉川も金ヶ崎も本隊でやってきた。
対して織田は三方ヶ原では佐久間はろくに死者も出さずに逃げてる。
後で追放の時の理由にもなってるほど。
平手も逃げる時に迷って追撃で死んだといわれてるね。
武田側からも織田の援軍は三方ヶ原の時は戦う前から
敗色があるといわれており、味方の徳川からしたらなおさらだったんじゃないかな。
そして次の高天神の時も織田主力は間に合わず。
その後は長篠前には浜松まで蹂躙されてる状態。
今度長篠の救援要請で出てこなかったら、だめだったら、徳川が織田を頼みにならずと
みてもおかしくないと思うよ。家臣たちも徳川に従って武田が何度も徳川の城を攻略し
徳川の軍を敗走させるのを見てきてるんだから、織田の援護もあてにならないとみれば徳川に
従う理由はないね。徳川としては威信や信用の面から言っても長篠でダメなら
織田を離反してもおかしくないと思うけど。自分の為に。

してるじゃないか。あなたはただこちらがあげてる根拠とかを
一方的に否定してるだけのように思えるよ。
910人間七七四年:2009/08/09(日) 04:45:11 ID:m3MEnE8J
武田が長篠城を落としたとしても、徳川から武田につくことはないだろう。
武田側から働きかければあり得ると思うが。
吉田城か掛川城を落とされてから武田に付くは、
もう、詰んでるので、事実上の降伏と同じ。
911人間七七四年:2009/08/09(日) 07:20:20 ID:2Yn0fMgd
>>909
詭弁だろ
それ言うなら徳川だって姉川や金ヶ崎で敵を余裕で一蹴出来るぐらいの兵力で来いとか
戦えとかいくらでも難癖付けられる

三方ヶ原じゃ平手が死んだのは先陣だったからってのが大きいだろうし
佐久間に関しては右翼の後陣酒井がさっさと撤退したのだから佐久間が撤退するのも当然
むしろ徳川の下手な戦に巻き込まれて犠牲出した織田の援軍こそいい迷惑
そんなんだから三方ヶ原は織田と武田を戦わせるために徳川が無理に仕掛けて織田の援軍に犠牲出させた
とか俗説で言われるんじゃ
912人間七七四年:2009/08/09(日) 09:36:16 ID:qcOkUU3N
>>911
徳川は姉川や金ヶ崎で本隊で出せるだけの兵力を出してくれたのに
その言い方は無理だよ。

平手が死んだ場所は浜松近くの監物坂。
敗走して退却し追撃されて討ち取られたとされてるね。

三方ヶ原は家康旗本が武田先陣の山県に襲いかかってる状況で
酒井も家康旗本に続いて攻めたんだよ。
最初は山県隊を後退させたけど、反撃してきた山県隊の攻撃に加え甘利隊の米倉率いる部隊を受けて崩れた。
さっさと引いたわけでもないよ。
佐久間の撤退は後で信長からも追放の理由になってるくらいだしね。

>そんなんだから三方ヶ原は織田と武田を戦わせるために徳川が無理に仕掛けて織田の援軍に犠牲出させた
こんな俗説初めてきいたね。織田の援軍は徳川に比べたら佐久間とかの事もあるし
まだ被害が軽い方じゃ。
913人間七七四年:2009/08/09(日) 16:17:52 ID:K5msVktv
三方ヶ原のときは信長は本隊を出したくても出せない状況だったでしょ。
まぁ、そういう状況に追い込んだ信玄の戦略が見事なわけだ。

しかし援軍3千と徳川8千で合計1万1千。
城攻め3倍則に従えば、武田軍2万5千〜3万に対しては充分な数だ。

確か信長の「篭城するように」という書状が残っていたはず。
914人間七七四年:2009/08/09(日) 16:23:41 ID:K5msVktv
以下、俺の推測だけど。

高天神の時は、信長が武田との決戦を避けて行軍を遅らせたと思うな。

というのも高天神城周辺の地形は山はあるも平地続きの土地が広い。

平地で決戦をしても、平地では馬防柵を武田軍に突破されると、
信長は思ったのではないか?例え兵力上、有利でも。

一方、長篠の戦が行われた地形は、
公記にもあるように窪地と小高い山、里山が点在している。

小高い山々に馬防柵を作れば武田軍の突破を防げると考え
長篠の戦では決戦を挑んだ。
915人間七七四年:2009/08/09(日) 18:50:47 ID:m3MEnE8J
徳川は北条ではないということだよ。
916人間七七四年:2009/08/10(月) 00:29:22 ID:BFI643pF
>>912
自分の都合で論点を摩り替えるのはやめましょう
反論するのなら人の話を聞いたうえで

他人の反論に対して再反論せず変わらず自説を繰り返すだけでは、
言い返せないから誤魔化している、としか思われません。
917人間七七四年:2009/08/10(月) 04:26:39 ID:E2z6z2+4
何を言ったところで武田じゃ無理だ
信玄でも無理だったんだから
918人間七七四年:2009/08/10(月) 07:09:07 ID:AjhpuS/f
だからこそ包囲網を形成した訳で
それも朝倉義景の所為で台無しになったが
919人間七七四年:2009/08/10(月) 09:04:16 ID:LMSZJ36Z
>>913
そんな書状残ってたかな?
僕は特に知らないけど。
もし本当だとしたら残酷極まりないセリフだと思うね。

徳川は自分の領土の主として部下達の安全を確保する義務がある。
この時代の論理として部下を救えない主は見限られるし
部下達も助けてくれない主の為に命をすてる義理はない。
だからこそ一言坂とかも無理して出て行って負けて
三方ヶ原でも出て行って大敗したわけで。
信長にしてみれば家康の信用がどれだけゆらごうと
徳川の部下が武田に攻められて次々と攻略されても
知った事ではないのかもしれないけど
徳川はそうはいかなかった。
だから徳川は武田をとめられるだけの援軍を欲し、それが三千程度だった後でも
無理してでて戦わざるをえなかったんだね。
>>916
別にすり替えてるつもりもないし見た上でレスを返してるつもりだけど。
どこら辺がそうなのか教えてもらえるかな。
というか君はなぜだか具体的な説明をしてくれないね。
>>917
長篠と御館さえなければそこそこいけると思うんだけどなあ。
>>918
本来、信玄が要請していた朝倉との共同反撃は5月の予定。
朝倉は一回引いたけど信玄や本願寺の要請で2月末にはまた出てきてるよ。
920人間七七四年:2009/08/10(月) 20:03:28 ID:6XMxuMcF
>>919
>もし本当だとしたら残酷極まりないセリフだと思うね。

残酷と言われても、当時の信長は3千を出すのが精一杯だったし。

>徳川は自分の領土の主として部下達の安全を確保する義務がある。

三方ヶ原のときは篭城こそ安全を確保するべき戦術だったと思うが。
921人間七七四年:2009/08/10(月) 20:04:04 ID:FVRsep6j
篭城するなら、3千の援軍は、兵糧減るだけで、あまり意味無いのでは?
922人間七七四年:2009/08/10(月) 20:27:11 ID:6XMxuMcF
>>921

上でも書いたけど、城を攻めるには3倍の兵力が必要。
となると3千でも充分。

あと俺の推測だけど、
援軍3千は徳川の武田への寝返りを
監視する役目もあったと思うな。

あの状況だったらあっても不思議ではないからね。
923人間七七四年:2009/08/10(月) 20:35:47 ID:BFI643pF
>>921
篭城の適正人数ってのは、敵軍よりも城の規模による。
924人間七七四年:2009/08/10(月) 21:16:05 ID:FVRsep6j
だから、篭城で、8千が1万1千になったところで、兵糧減るだけでしょ。
兵糧も持って来てくれれば、話は別だが。
隙あらばと考えてる家康に、篭城用の兵、3千を送られてもなって感じでしょ。
925人間七七四年:2009/08/10(月) 21:25:36 ID:V0cHHrZs
裸一貫で来たと思ってるの
926人間七七四年:2009/08/10(月) 21:51:29 ID:FVRsep6j
何もってきたの?
927人間七七四年:2009/08/10(月) 22:04:52 ID:6XMxuMcF
武田も浜松上を取り囲んでいる余裕は無いだろ。
928人間七七四年:2009/08/10(月) 22:10:01 ID:BFI643pF
そもそも最初は篭城を考えていた家康が、いつのまにか「隙あらばと考えて」いたことになってるんだ?
929人間七七四年:2009/08/10(月) 22:34:22 ID:FVRsep6j
>>927だからこそ、篭城用の兵はいらない。

>>928あんた、釣りだろ?
930人間七七四年:2009/08/10(月) 22:46:26 ID:6XMxuMcF
>>929

徳川の8千だけだったら落城するか裏切るだろ。
931人間七七四年:2009/08/10(月) 23:05:02 ID:BFI643pF
>>929
当初は篭城策だったのが、何かの理由により城外に出されて決戦になって敗れた。
諸記録でほぼ一致した家康の動向ですが。

大きな影響のない枝隊の小競り合いでは戦術の勝利を収めて対国内外に宣伝して、
本戦は篭城。ごくまっとうな戦略だが。
932人間七七四年:2009/08/10(月) 23:17:27 ID:6XMxuMcF
以下、俺の推定だけど
三方ヶ原の頃の信長の戦略としては

援軍3千を含めた1万1千で浜松城に篭城する。
→武田軍は浜松城を囲むも落城するには時間が掛かる
 (援軍によって裏切りはさせない)
→その間、畿内の勢力を片付けて、主力を浜松城に向ける
→武田軍を挟撃する

だろう。

もし武田軍が篭城する浜松城に対して抑え部隊(1万くらいか)を残して
西上しても、当然、兵数が少なくなるので進軍は遅くなる。
そうなれば、その間、畿内を片付けて主力を武田に向ける事ができる。

そう考えれば、三方ヶ原の状況では援軍3千で
浜松城に篭城するのがベストだろう。




933人間七七四年:2009/08/10(月) 23:19:28 ID:6XMxuMcF
しかし徳川は打って出て大敗北。

信長は相当あせったのではないか?

もし信玄が生きていたら、
武田本体は秋山隊と合流して美濃に雪崩れ込んだのではないだろうか?
934人間七七四年:2009/08/10(月) 23:26:19 ID:FVRsep6j
>>931だからそれを「隙あらば」って言うんだよ。
いつでも出撃できるように準備してただろ。
935人間七七四年:2009/08/11(火) 02:06:24 ID:wbIwmdNI
>>934
当代記などによれば、家康は出陣する気はなかったが、物見にだした部隊が
武田軍の先手と接触し小競り合いが発生。事態を収拾し城に引き上げさせる
ために出て行ったらそのままなし崩しに本体との激突になってしまった、とする
記録もあります。通説においても、織田の将だけでなく徳川家臣からも出陣
反対は出ており、徳川家中でも出陣は考えられていなかったとも見れる。
936人間七七四年:2009/08/11(火) 05:07:17 ID:FapPAnM2
>>935
いろんな説あるからな〜。違うと思うな〜。
937人間七七四年:2009/08/11(火) 05:41:44 ID:fjlWri1D
>>936
そんな事言ってたら何も話できないよ
938人間七七四年:2009/08/11(火) 05:51:42 ID:FapPAnM2
そりゃこっちのセリフ
地震の後片付けでもしたら?
939人間七七四年:2009/08/11(火) 06:31:33 ID:T5wqTm6Y
>>920
まあそれを言われても
浜松で籠城してれば確かに主力は安全だったろうけど
他の徳川領土で籠城してる連中はどうなるの?
っていう話になっちゃうんだよね。
他の城の連中は助けてくれない徳川に従う義理はなく
徳川としては領国の信用を確保する為には無理でも武田に挑む必要があった。
940人間七七四年:2009/08/11(火) 06:32:58 ID:T5wqTm6Y
>>931
まあでもその枝の戦いでも勝てなかったのは徳川にとっては痛いよね。
941人間七七四年:2009/08/12(水) 01:51:21 ID:rYo6B/jE
>>935
>物見にだした部隊が 武田軍の先手と接触し小競り合いが発生。
事態を収拾し城に引き上げさせるために出て行ったらそのままなし崩しに本体との激突になってしまった

 それを真に受けたら、徳川勢はアホということになる。
942人間七七四年:2009/08/12(水) 11:22:31 ID:hbvF5Ej8
今日のアスペルガーだが
  8/4 ・・・ID:dR3kW5cH
  8/5 ・・・ID:EzWptHix
  8/6 ・・・ID:8qqLbcGA
  8/7 ・・・ID:wbqKEtFU
  8/8 ・・・ID:EiWImyib
  8/9 ・・・ID:qcOkUU3N
  8/10・・・ID:LMSZJ36Z
  8/11・・・ID:T5wqTm6Y
  8/12・・・ID:KZvNqG6n

アスペルガーだがは別人になりすまし自分のレスを完全擁護することに必死になっています
「アスペルガーだがは史料をもとに完璧な推察をしている」と自己擁護運動を展開中
この痛さにどのスレでも火だるま的な総攻撃を受けているが得意のイミフの反撃で応戦
アスペルガーだがの根拠が無い妄想レスを偉大なる証拠に掲げ
都合の悪い人を敵と見なしては証拠を出せ出せと連呼攻撃
アスペルガーだがの痴態に多くのスレが無意味に荒らされています

しかしアスペルガーだがは本当に阿呆だよな
いつまで自演を続けているのだろう?
そしてアスペルガーだがは負け犬ということを忘れて再び戻って醜態を晒すのはいつだろう?


943人間七七四年:2009/08/12(水) 11:45:07 ID:hbvF5Ej8
アスペルガーだが
  妄想と虚言を駆使し自己顕示欲を炸裂させている2ch史上最凶の武田厨。
  午前11:00のあいさつが「おはよう」で夜にレスつける人を普通じゃないと騒ぎ立てたため、
  クズニートであることが判明し全く常識が通用しない。
  だがは一日中スレに常駐、しかし規制をほぼ毎日受けるためレスできないことにジレンマを覚える。
  前スレ(60)での前人未到の連続20レスは記憶に新しいところ。
  織田厨は勿論、常識ある人や仲間であるはずの普通の武田厨まで無差別攻撃を展開。
  盟友はミスターサタンで彼の発言に対して反論は一切無く妄想武田神理論のため共闘を展開。


944人間七七四年:2009/08/12(水) 15:13:04 ID:da+bjG77
結局長篠終了時点で積んでいた、やり直すなら信玄存命中からじゃないと間に合わない
って事?
945人間七七四年:2009/08/13(木) 02:32:47 ID:1J42M/4i
信長の勢いから考えると、武田の軍議のあり方が問題。
信玄には、多くの家臣が反対しても押し通す力があった。
勝頼にはそこまでの発言力はない。押し切ろうとすると乱心者扱いされ、
若い信勝の代になり、穴山が権力を持つ事になる。
織田のスピードに対し後手に回ることが多かった。
946人間七七四年:2009/08/13(木) 08:08:51 ID:ua0OLBPh
>>942
だから自演じゃないって言ってるのに。
資料的根拠はあるから根拠がないわけじゃないと思うよ。
僕は敵とみなしてるとかそういうんじゃなくて普通に議論する上で
論旨を問うなら根拠が必要と言ってるんだよ。
>>944
長篠と御館を失敗しなければやりようはあると思うよ。
947人間七七四年:2009/08/13(木) 17:41:49 ID:1J42M/4i
>>946
御楯とは?
近年、歴史家は北条との同盟のあり方に問題があった、との意見もある。
結果的に武田は、越後から手を引いただけで北条と敵対することになった。
武田にとって当面の敵は織田・徳川なので越後や北条と関わる余裕はない。
北条と同盟を組んだために、越後に出兵させられることになり、越後から手を引いただけで、
北条と戦わざるをえなくなる。
だったら、最初から北条と同盟を結ばなければよかったとの意見もある。
北条は敵にまわらない程度の関係でよかった。
948人間七七四年:2009/08/14(金) 01:57:36 ID:B14jC+CL
北条は第二次大戦のイタリアみたいなもん
949人間七七四年:2009/08/14(金) 03:23:59 ID:a2rDWUTP
武田は穴山がすべて

穴山の始まりは武田氏の分家国人
当時、甲斐を2分していた逸見氏に対抗するために生まれた
甲斐は上杉禅秀の乱に巻き込まれ
守護武田家は離散
代わりに国人の逸見氏が甲斐を治めるようになる

これを奪取したのが穴山家、穴山家が甲斐守護になり動乱は収まる
当時の穴山当主は武田家の養子だったので
また、武田と名乗り甲斐の武田が復活した

その後を武田本家が継いだが
武田家が穴山氏に養子を送り、怒った穴山一族の謀反で当主が殺害される
穴山家は今川に帰属して武田に対抗
この混乱が武田信虎の代まで続くのであった。

問題の穴山信君、
母は信虎の娘、嫁は信玄の娘
したがって外様の諏訪氏の血を引く勝頼よりも、自分の子供の方が武田家に相応しいと
たびたび、勝頼とぶつかり
武田家の地位を高めていく結果となる
950人間七七四年:2009/08/14(金) 08:47:46 ID:zUs+i1aO
>>947
その歴史家ってどんな人?
あの時の武田の行動で問題なのは
景勝から領土とかをたくさんもらって
景虎の支援から
景勝と景虎の和睦仲裁に切り替えたこと
そしてその和睦を景勝がやぶって慶虎が攻め滅ぼされても
文句の一つもいわないどころか
景勝との同盟強化に動いたこと。
これじゃあさすがに北条も同盟継続は無理だよ。
951人間七七四年:2009/08/14(金) 09:35:10 ID:zUs+i1aO
慶虎×
景虎○
ごめんね
952人間七七四年:2009/08/14(金) 16:08:25 ID:Q7louChx
北条からしても謙信が死んだ時点で、武田は敵に回らなければいい程度の存在だろう。
何故ぶつかった?
953人間七七四年:2009/08/14(金) 20:37:55 ID:hJBVmmYh
今日のアスペルガーだが
  8/4 ・・・ID:dR3kW5cH
  8/5 ・・・ID:EzWptHix
  8/6 ・・・ID:8qqLbcGA
  8/7 ・・・ID:wbqKEtFU
  8/8 ・・・ID:EiWImyib
  8/9 ・・・ID:qcOkUU3N
  8/10・・・ID:LMSZJ36Z
  8/11・・・ID:T5wqTm6Y
  8/12・・・ID:KZvNqG6n
  8/13・・・ID:ua0OLBPh
  8/14・・・ID:zUs+i1aO

新スレ登場
【アスペルガーも認定】武田は卑劣な逆賊
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1250178690/


今日も別人になりすまして自分の擁護レスに徹するアスペルガーだが
レスの内容もいつも通りの妄想と虚言にまみれた駄文
そんなに必死になって何を守りたいのだろうか?
アスペルガーだがを擁護するのはおまえ一人だけ(自演だから当たり前だな)
そして今日もアスペルガーだがの無能ぶりを示すスレが登場
自称別人もここまでくると無様だな
嘘で塗り固められた人生をいつまで続けるつもりなのか心配だな

>>950-951
慶虎・・・おまえ馬鹿?


954人間七七四年:2009/08/14(金) 20:40:13 ID:eAe8M9dm
1580年に北条家は織田家に数回使者を出して、信長の娘と氏直の間に婚約関係が結ばれた。
って言う話しもあるね。
ただ娘が幼い為の空約束じみたモノだけど。
1582年に信長横死でお流れ。
955人間七七四年:2009/08/14(金) 23:47:22 ID:WxFTbfUM
長篠の時、北条の援軍は呼べなかったのか?
武田は後日、越後まで大軍送ったのに
956人間七七四年:2009/08/14(金) 23:59:42 ID:hJBVmmYh
>>955
長篠の時に限らず高天神の時も武田単独ですよ
957人間七七四年:2009/08/15(土) 10:22:01 ID:osI6CM7N
ちなみの後の小牧長久手の時も北条の援軍が結局参陣せず
関東以外にとことん興味がないのは最早伝統芸
958人間七七四年:2009/08/15(土) 12:04:38 ID:q28pooPH
でもさ、そうは言っても武田にしても徳川にしても北条のための援軍派兵はしていない。
結局さ、どっちもどっちなんだろうよ。


959人間七七四年:2009/08/15(土) 18:01:02 ID:n+uc7Tqs
>>947
同意。
その同盟はちょっとずうずうしいよな。
武田は、北条が出兵してる間に小田原や北条領を攻めないくらいでいい。
氏政の弟の跡継ぎ争いのために、第3国に武田が出兵する筋合いは、ないだろ。
上杉が、北条に攻め込んだというなら別だが、この場合は特になにもしなくても・・・
960人間七七四年:2009/08/15(土) 18:25:07 ID:q28pooPH
>>959
根本の原因は甲越同盟を結んで北条と敵対したことから始まるわけだからな。
なので甲相同盟自体に問題があったわけじゃないと考えた方がいいんじゃないかな?


961人間七七四年:2009/08/15(土) 18:29:59 ID:n+uc7Tqs
>>960
根本は、北条がずうずうしかったということか。
962人間七七四年:2009/08/15(土) 18:51:16 ID:q28pooPH
>>961
どっちが悪いとかという話なら武田が北条に対して離反行為を働いたからになるよ。
963人間七七四年:2009/08/15(土) 19:43:17 ID:n+uc7Tqs
>>962
うーん。それはどうかな〜WW
まぁ、それ言うなら、武田は最初から断るべきだったよな。
もし、元々筋違いの出兵を断っても離反行為になるのだろうか。
武田にしてみれば、行く必要の無い、越後まで行ってやったのに。といいたいとこだ。

あと、確かに武田は景勝と同盟を結んだが、その条件は手を退いただけ。
元々カゲトラに自力で当主になる力はない。
964人間七七四年:2009/08/16(日) 04:06:28 ID:jUWt5+UN
勝頼は御館で景虎を支援したとしても大勢は変わらないと思うけどね(w

965人間七七四年:2009/08/16(日) 04:35:29 ID:uNA/WVOI
さっさと甲斐に帰って徳川・織田に備えたかった。
上杉どころじゃないのに、北条にババ押し付けられた感じだろ。w
966人間七七四年:2009/08/16(日) 16:49:00 ID:FuDzxRk1
>>953
本当に自演認定好きだね。
いい加減どこら辺が虚言なのかを資料出して説明してほしいんだけど。
>>958
武田のほうは何回か出してるよ。勝頼時代も。
>>959
まあ武田にしてみても北信濃とか越後とかの領土を貰える事は
良いことだったと思うけどね。
北条が怒ったのは勝頼が景虎を見放しただけでなく景勝と結んだ事だと思う。
>>963
それはちょっと違うね。
勝頼が出兵を断ったから同盟が途切れたんじゃなくて
勝頼は出兵をちゃんとしてる。
だけど途中でいきなり景虎と景勝が和議を結ぶ方向に切り替えて
それはそれでいいんだろうけど、景勝がその和議を破って景虎を追い詰めても
知らない顔。
そしてそのまま景虎を殺した景勝と結んでるんじゃ北条も怒っても仕方ないと思うよ。
しかも上杉から領土までもらってるし。
>>964
北条と同盟を結んだまま上杉景虎とも結んで三国同盟にすれば
結構持ちこたえられそうな気はする。
967人間七七四年:2009/08/16(日) 19:26:21 ID:jUWt5+UN
>>966
>>>964
>北条と同盟を結んだまま上杉景虎とも結んで三国同盟にすれば
>結構持ちこたえられそうな気はする。

信長は佐竹、里見らと同盟して北条を牽制する。
勝頼には徳川を当てる。勝頼は高天神城に行ったりきたりで消耗する。

上杉は史実の景勝ですら越後の統一に
四苦八苦だったのだから景虎ではなおさらだ。

そんなところへ織田が越後に進出する。
北条、勝頼ともにろくな援軍を出せずに上杉は滅亡する。

そして信長の次のターゲットは武田。
信濃へは木曽等、史実プラス越後方面から攻め込まれ
信濃は信長の領土に組み込まれる。

そして甲斐もあっけなく攻め込まれ、武田氏滅亡。

まぁ運がよければ滅亡寸前で本能寺の変が起きて。。。

といったストーリーが予想できるんだけど(w
968人間七七四年:2009/08/16(日) 19:59:53 ID:I+T83T2u
本能寺はやはり武田滅亡があればこそのイベントだと思うけどなあ
969人間七七四年:2009/08/16(日) 20:46:01 ID:jOsyS2mh
>>697
武田を滅ぼさずにわざわざ京都に戻る必要がねーだろ。
970人間七七四年:2009/08/16(日) 22:48:12 ID:OXNbJACQ
>景勝がその和議を破って景虎を追い詰めても知らない顔。
これはある意味北条も同じだしその状況で武田だけ頑張れって言われてもな

>そしてそのまま景虎を殺した景勝と結んでるんじゃ北条も怒っても仕方ないと思うよ。
対徳川織田のためにも越後の安定と越後との協力は不可欠
景勝との同盟は当然の流れだろ
まあ北条が怒るのも当然だろうが
971人間七七四年:2009/08/16(日) 23:36:57 ID:Mha6D5qM
北条も一応川中島と三方ヶ原に援軍出してるでしょ
972人間七七四年:2009/08/17(月) 00:01:08 ID:F4IFLeqW
>>963
武田は、北条からの出陣要請を、最初から断ってもよかったんだよ。
もともと筋違いの出陣。理由は>>959さんと同じ
別に景勝から領土もらったり、同盟結ばなくても、
早いとこ、越後から軍を退き、甲斐に帰った方がいい。
973人間七七四年:2009/08/17(月) 00:05:35 ID:uNA/WVOI
ごめんアンカー>>966の間違い。
974人間七七四年:2009/08/17(月) 01:06:59 ID:DJ3aCu5B
謙信が加賀に進出して織田に手切れを通告したとき、信長から勝頼に同盟?を持ち掛けたみたいだが、
同盟してたらどうなったかな?
975人間七七四年:2009/08/17(月) 15:30:38 ID:TrIEPZS3
今日のアスペルガーだが
  8/4 ・・・ID:dR3kW5cH
  8/5 ・・・ID:EzWptHix
  8/6 ・・・ID:8qqLbcGA
  8/7 ・・・ID:wbqKEtFU
  8/8 ・・・ID:EiWImyib
  8/9 ・・・ID:qcOkUU3N
  8/10・・・ID:LMSZJ36Z
  8/11・・・ID:T5wqTm6Y
  8/12・・・ID:KZvNqG6n
  8/13・・・ID:ua0OLBPh
  8/14・・・ID:zUs+i1aO
  8/15・・・ID:H7Kd1lMB
  8/16・・・ID:FuDzxRk1

今日も自己擁護に必死なアスペルガーだが
今回は嘘をついてまでも同情を買おうとしたが嘘が直に発覚し非難を集めています

 @スレ立てした人のIDと別人のIDなのに同一人物と騒ぎ立てすぐバレる嘘を吐く(嘘は即時発覚)
 A人をいかにも毎日レスしているように嘘を吐くがだが自身は必死に毎日レスを続ける
 Bアスペルガーだがの話題を反らそうとするもだが自身がスルーできないので失敗

自分の都合のいい嘘を吐くことはアスペルガーだがの得意な戦法!
虚言と妄想を駆使してまでアスペルガーだがを讃えるレスは見事だ(自演だから当然だな)

あと他の人への敵視したレスもえげつないよな

>>966
>いい加減どこら辺が虚言なのかを資料出して説明してほしいんだけど。
たくさんありすぎて書ききれないな
とりあえず最近の嘘は上に書いておいたよ


976人間七七四年:2009/08/17(月) 16:34:56 ID:ATj1QLV3
たくさんありすぎてかききれない
と言い張るが1つも書けないいつもの信長厨であった
977人間七七四年:2009/08/17(月) 17:42:11 ID:BZipW79r
>>967
佐竹や里見は単独では北条には敵し得ないよ。

>>勝頼には徳川を当てる。勝頼は高天神城に行ったりきたりで消耗する。
徳川単独が相手なら武田の方が国力倍以上あるから大丈夫じゃないかな。

武田・北条のバックアップがある景虎なら景勝よりは安定してそうな。

武田は徳川単独が相手なら特に援軍には困らなそうな。北条にしてもそうだと思う。
>>970
北条さんは武田が帰った後に侵攻してるよ。
上野を突破して一部は越後まで侵攻してる。
冬が来てそれ以上進めなかったけど。
勝頼が問題なのは自分が仲介になった和議を破られても
文句ひとついわないどころか領土もらって景勝と縁組も進めて同盟を強化していくんだから
離反行為以外の何物でもないと思うよ。

越後の安定は景虎でやれば全部問題なかったような。
北条を敵に回すよりはよかったでしょ。
>>972
まあ最初からいかないなり、徳川きたなりですぐに帰るというのはありかもね。
景勝と結びつかなければ北条も特におこらなかった気がする。
978人間七七四年:2009/08/17(月) 17:45:12 ID:BZipW79r
>>975
相変わらず自演認定してるばかりで具体的なことには何も触れてないじゃないか。
僕が聞いてるのは論旨について具体的に根拠をあげて嘘を明かしてほしいと
いってるんだけど。
ていうかだががどうとかいってるけど、今の話題にだがの人特に関係なくない?
君が勝手に話に出してるだけじゃないか。

たくさん嘘があるというならすぐにでもだせるじゃないか。
3つくらい資料的根拠をあげて論旨の嘘を証明してくれよ。
979人間七七四年:2009/08/17(月) 18:35:21 ID:1KNWcuWa
>>978
アンタもイチイチ釣られるんじゃないよ。
スルーできないの?
980人間七七四年:2009/08/17(月) 19:14:07 ID:x7o3mZpH
>>977
>徳川単独が相手なら武田の方が国力倍以上あるから大丈夫じゃないかな。

倍以上あるといっても長篠の戦以降は武田は徳川領を奪えない。
また二股城、諏訪原城等、徳川に奪われた城も奪いかえしていない。

>武田・北条のバックアップがある景虎なら景勝よりは安定してそうな。

バックアップをするなら勝頼は多方面作戦を強いられるね。

北条も同じく、多方面を強いられ、佐竹らに苦戦を強いられると思うが。
981人間七七四年:2009/08/17(月) 19:59:43 ID:79GsULdY
史実の織田徳川北条の三方面攻撃を受け上杉には無視されたという最悪状況と比較すれば雲泥の差だと思うが。
982人間七七四年:2009/08/17(月) 20:31:49 ID:x7o3mZpH
もし御館で景虎を支援したら、
史実での武田勝頼役が上杉景虎になると思うが。
そして次に武田勝頼が滅ぼされる。

織田・徳川連合+佐竹・里見 vs 勝頼・景虎・北条連合

でどちらが強いかとなったら考えるまでも無いだろう。

そして状況と戦略面を考えれば勝頼・景虎・北条の中で
最初に滅ぼされるのが景虎だと思うね。
983人間七七四年:2009/08/17(月) 20:43:48 ID:79GsULdY
実際そうだろうね。長篠で大敗した武田家よりも後継者争いで分裂した上杉のほうが
さらに弱かったろうから。
ただ勝頼としては時間稼ぎにもなるし選択の幅も多少広がる事になるだろうな。
984人間七七四年:2009/08/17(月) 20:59:19 ID:TrIEPZS3
今日のアスペルガーだが
  8/4(火)・・・ID:dR3kW5cH
  8/5(水)・・・ID:EzWptHix
  8/6(木)・・・ID:8qqLbcGA
  8/7(金)・・・ID:wbqKEtFU
  8/8(土)・・・ID:EiWImyib
  8/9(日)・・・ID:qcOkUU3N
  8/10(月)・・・ID:LMSZJ36Z
  8/11(火)・・・ID:T5wqTm6Y
  8/12(水)・・・ID:KZvNqG6n
  8/13(木)・・・ID:ua0OLBPh
  8/14(金)・・・ID:zUs+i1aO
  8/15(土)・・・ID:H7Kd1lMB
  8/16(日)・・・ID:FuDzxRk1
  8/17(月)・・・ID:BZipW79r ← 戦国板2週間常駐確定!(普通の人には不可能な世界)

今日もアスペルガーだがとは別人だと必死に嘘の主張を展開
こっちはアスペルガーだがの嘘の内容を書き上げておいたが
だがの特技の自分の都合が悪い日本語の文が読めないで全てスルー
いつも通りの自分の都合しか考えられないおバカさんですね
みんなが指摘している通りオマエのレスの書き方と虚偽内容と毎日の必死返レスを改めない限り
アスペルガーだが本人としか言いようがありませんね

アスペルガー方式のキチガイ染みたレスのつけ方なぞ誰も真似なんかできないからな


アスペルガー方式
 @事実を捻じ曲げた狂信的信玄信奉のレス内容(人はこれを妄想と呼ぶ)
 Aアスペルガーだが理論は完璧の聖典でこれ以外は邪道(自演による保身)
 B都合が悪い人に対しての敵意を込めた全返レス(他人の質問には答えず自分の質問ばかり)
 C毎日必死に返レスする姿勢(自己顕示欲丸出し)
 D他人を信用せず分かり合おうとしない閉鎖的な思考(これが一番痛々しい)
こんなキチガイが二人もいるかよ

>>978
>たくさん嘘があるというならすぐにでもだせるじゃないか。
>3つくらい資料的根拠をあげて論旨の嘘を証明してくれよ。
事実を直視できないオマエがスルーしているだけ


985人間七七四年:2009/08/17(月) 21:01:37 ID:TrIEPZS3
>>979
アスペルガーだが本人だからスルーできないよ


986人間七七四年:2009/08/17(月) 22:33:26 ID:UsvjnQYo
信玄が信虎追放して宿老を締めたように、
勝頼も信玄を追放しておけばまだしも統制が、富国強兵が

 ま、ムリだわな
987人間七七四年:2009/08/17(月) 22:42:34 ID:kTBIZP3w
本願寺降伏前なら上杉武田組んで当たればかなり粘れるだろ、毛利もまだ元気あるし
新発田が謀叛しないと仮定して、葦名も味方すると考えれば
甲相不和が無ければ北関東連合は風前の灯火だし、里見も大人しくしてるだろ
988人間七七四年:2009/08/17(月) 22:54:34 ID:UsvjnQYo
本気で上洛しようとするんなら、徳川にあいさつだけきちんとしときゃ
できたんじゃね?
てかそれが礼儀ってもんで

上洛が目的なら織田と争う必要だってなかったし
989人間七七四年:2009/08/17(月) 22:56:27 ID:UsvjnQYo
あー、これはオヤジの方のスレに書くべきだったな
990人間七七四年:2009/08/17(月) 22:57:04 ID:Dn6ydLPd
>>987
新発田が謀反しないんなら御舘の乱が起きない、って事か。
991人間七七四年:2009/08/18(火) 00:18:06 ID:VgnoQSw/
次スレ、立てた?
992人間七七四年:2009/08/18(火) 17:59:51 ID:fIuey9kd
>>979
ごめんね
でもIDまで出してくるもんだから
>>980
途中から御館で北条が敵にまわってしまったからじゃないかな。
北条と戦ってその領域を奪ってる御館ごろには武田軍の再編が
ある程度終わってると考えれば、御館がなければ
武田が徳川に対して攻勢にでられておかしくないと思うよ。
黄瀬川とかでは攻勢にでてるし。

それでも史実で自国以上の国力を持つ北条と真っ向からやりあったのに比べれば
負担ははるかに軽いよ。
北条も佐竹里見だけなら遅れを取ることはないだろうし。
>>982
下の人も言ってるけど
史実よりもはるかにいい状況だと思うよ。
単独で恐ろしいのは織田くらいなもので徳川も佐竹里見も自分達だけでは
武田や北条を滅ぼせるだけの力はないし。
993人間七七四年:2009/08/18(火) 18:03:38 ID:fIuey9kd
>>984
だからいい加減その論旨の嘘の内容とやらを資料的根拠をあげて
説明してと言ってるんだけど。
今日も全然説明してないじゃないか。
君はほぼ毎日2chにいて煽ってるみたいだけど。
僕だってここ最近2chに連日書き込みをするのはだいぶ苦労してるんだけど。
>>985
君がIDまで出して名指ししてくるからでしょ。
>>988
上洛というか打倒織田もしくはその勢力削減が目的なんだからしょうがないよ。
994人間七七四年:2009/08/18(火) 18:33:17 ID:yfmSxHNA
アスペルガーだがって奴、ウザイよ。
995人間七七四年:2009/08/18(火) 19:14:20 ID:Ics/wKgK
996人間七七四年:2009/08/18(火) 19:30:20 ID:K8YJiPaa
ume
997人間七七四年:2009/08/18(火) 19:35:06 ID:5Kl2BO9s
>>992
>武田が徳川に対して攻勢にでられておかしくないと思うよ。

無理でしょ。

平地で主力同士が激突すれば武田は有利だと思うけど
城攻めとなると、有利だとは思えんな。

徳川からすれば城に篭って戦えば良いわけで。
また武田側の城に対しては兵糧攻め。
後詰が着たら、引けばよい。
これを繰り返せば武田は消耗するしね。

史実もこれと同じだったし。

>単独で恐ろしいのは織田くらいなもので徳川も佐竹里見も自分達だけでは
武田や北条を滅ぼせるだけの力はないし。

滅ぼすことは出来なくても牽制することは出来るよね。

武田、北条を徳川、佐竹・里見に牽制させておいて、
織田の主力が越後に向かわれたら
景虎(御館で景虎が勝ったと想定)は滅亡だろ。

史実で勝頼に援軍が来なかったように景虎にも援軍が来ずにね。
998人間七七四年:2009/08/18(火) 20:01:48 ID:K8YJiPaa
何度か言われているが史実で御館で北条が敵に回る前謙信生前の段階で
遠江では武田は徳川の倍以上の国力なのに徳川に互角以上に戦われて守勢に入っている
更に徳川は駿河に攻め込んだりしている
徳川だけでも十分武田を押さえ込んでいる
999人間七七四年:2009/08/18(火) 20:08:04 ID:Ics/wKgK
続きは次スレで
1000人間七七四年:2009/08/18(火) 20:08:56 ID:yfmSxHNA
1000get!
織田厨も武田厨も次スレで良い議論をしてください。
アスペルガーだがみたいな一方通行演説はレスの無駄遣いです。
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
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