戦国ちょっと悪い話9

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1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話8
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1237446002/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話9
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1240492546/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2|ω・`):2009/04/26(日) 22:46:05 ID:25VQy7cP
乙です
3人間七七四年:2009/04/26(日) 22:47:29 ID:cb+QhVMe
>>1
乙でござる
4人間七七四年:2009/04/26(日) 22:55:15 ID:0s52ex+L
>>1乙です。

茶屋の用意をしておりますので一服いかがか
5人間七七四年:2009/04/26(日) 23:07:40 ID:uNcdy9DF
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 :::::::::::::::::: . . . ..: :::: :::::::  ( つ旦O ::::::::::::::::::.... .... .. .::::::::::::::
::::::...゜ . .:::::::::   :::::::  と_)__) :::::::....... . .::::::::::::........ ..::::
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:.... . ∧∧   ∧∧  ∧∧   ∧∧ .... .... .. .:.... .... ..... .... .. .
... ..:(   )ゝ (   )ゝ(   )ゝ(   )ゝお茶しやがって… ..........
....  i⌒ /   i⌒ /  i⌒ /   i⌒ / .. ..... ................... .. . ...
..   三  |   三  |   三  |   三 |  ... ............. ........... . .....
...  ∪ ∪   ∪ ∪   ∪ ∪  ∪ ∪ ............. ............. .. ........ ...
  三三  三三  三三   三三
 三三  三三  三三   三三
6人間七七四年:2009/04/26(日) 23:13:59 ID:fnhyqVSP
>>1
7人間七七四年:2009/04/26(日) 23:24:36 ID:lNu3GAfQ
>>4
宇喜多直家殿!お待ち下さい!
8人間七七四年:2009/04/27(月) 03:43:43 ID:sUw2OeZG
良い話スレがおにぎりで悪い話スレはお茶なんだなwww
9人間七七四年:2009/04/27(月) 11:02:32 ID:ew2uVG4P
>>8
うっ......
10人間七七四年:2009/04/27(月) 12:52:03 ID:KdXQKSKT
    _, ._
  ( ゚ Д゚)   イタダキマス
  ( つ旦O
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ ◎゚)   ズズ…
  ( ゙ノ ヾ
  と_)_)

    _, ._
  ( ゚ Д゚)   …………
  ( つ旦O
  と_)_)


  (・∀・)   脂肪が付きにくい!
  ( つ旦O
  と_)_)
11人間七七四年:2009/04/27(月) 12:54:32 ID:PcS3HxJu
>>10に禿げ死んだ
12人間七七四年:2009/04/27(月) 14:06:57 ID:wIHmP2xx
Before
  _, ._
  ( ゚ Д゚)   イタダキマス
  ( つ旦O
  と_)_)

After
   .∩∩ ;
   ;|ノ||`     ┬─‖
 , /○○|     | |  ‖
 ;, |`(_●)/ ミ   Y. ‖
  .彡|∪||、 ,    |  ‖  
 (ニ>/(/ \_/  ‖
 //\\        ‖
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13人間七七四年:2009/04/27(月) 19:06:06 ID:9Q34Xmtc
戦国ちょっと脳筋な話が聞きたい
14人間七七四年:2009/04/27(月) 19:09:38 ID:nsZKp1fD
戦国ちょっと暢気な話(ry
15人間七七四年:2009/04/27(月) 19:12:16 ID:g1rIpQoV
天正17年(1589)5月の事

伊達政宗は会津の郡山一帯で、残る伊達反抗勢力、高玉太郎左衛門尉の籠る
高玉城の攻略に取り掛かった。

攻める伊達軍は大軍であった。が、高玉勢も本丸にこもり頑強に抵抗、死に物狂いの防戦をした。
このためどうにも攻めあぐね、朝の四時から攻撃をし続けた伊達軍も夕刻となり流石に疲れを見せ
「今日中に攻め落とす事は無理であろう。」
と、引き上げ始めた。その時である。

高玉城に籠城する者の一人が、櫓に登り、狭間から足を出して、引き上げる伊達軍にむかって
招くように動かし、

「政の市、政の市、今日が琵琶の弾き収めだぞ!」

と大声で呼びかけた。
これに、伊達政宗が顔色を変えた。

少し説明がいるだろう。「〜市」というのは、当時、盲目の琵琶法師のうち下級の階層である、
座頭の名乗りに多い物であった。
すなわちこの男は、政宗が隻眼である事を揶揄したのだ。

こういうときの政宗は、怒りを我慢しない。激怒し、馬のきびすを返し叫んだ

「この程度の城が長く耐えられるものか!一気に攻め落としあの城の者ども全員の首を、
一人ひとり捻じ切って、政の市が弾く琵琶のバチ(罰)うぃ当ててくれよう!」

引き上げかけた全軍を、一斉に攻め懸けさせた。
そのあまりの激しさに、城主、高玉左衛門尉ももはやこれまでと、妻子を刺殺した上で
出撃、討ち死にした。やがて午後八時過ぎには、城内の者は老若男女の区別無く、
斬り捨てられたとのことである。

唯一、高玉左衛門尉の、2,3歳ほどの末娘とその乳母だけが、命を救われた。

人々は、「一人の男が正宗の事を侮蔑し、『政の市』と悪口を言ったがためにこうなったのだ」
そう、恐れおののいたと言う。

一つの侮辱が招いた惨劇、のお話。
16人間七七四年:2009/04/27(月) 19:16:02 ID:ew2uVG4P
>15
小出森城以外でもNADEGIRIしちゃってたんですね・・・
17人間七七四年:2009/04/27(月) 20:23:01 ID:G4hmVgdM
>>16
政の市「二人残してるからNadegiriじゃないよ」
18人間七七四年:2009/04/27(月) 20:33:00 ID:RP0YfCYp
しかし、すがめなりけりとか、政の市とか
そういう系の悪口に対してキレちゃうのは分かる
19人間七七四年:2009/04/27(月) 21:02:12 ID:EFUtm9nR
政宗は大阪の陣での味方殺しとかこの手のエピソードみると
器量が狭いというか、もっとはやくうまれても天下とれんかっただろうなあと
つぐつぐ思うわ。
20人間七七四年:2009/04/27(月) 21:03:12 ID:cLzxjDfQ
>>13
脳筋な話しねぇ…


福島正則が子供のころの話
ある福島より年長の少年が主命で奉ぜられた仕事を正則にやらせようとした
しかし正則は「俺はお前の家来じゃねぇ!」と拒否
怒った少年は正則を叩いた

その刹那、正則はなんと刀を抜き少年を切りつけた!

肩からの鮮血に塗れる少年の衣服、たちまち少年は号泣し出した

が、正則はこれで済ますどころか
今度は泣き叫ぶ少年を拳でボコボコにしだした

正則は騒ぎを聞きつけた家人に止められる
何故こんな事をしたんだと問われたが正則はしれっと

「こいつもう16歳だぜ?こんな軽症で泣き叫んで人に助けを請うおうとするような臆病者、
 鉄拳加えて懲らしめないと駄目だろ?」


その後どうなったのかは判らない…
21人間七七四年:2009/04/27(月) 21:07:42 ID:EFUtm9nR
>>15が参考にしたとおもぼしきサイトをみつけたが、もうちっと続きがあるようだ。
政宗もかなりアレだが、片平助右衛門もなかなかアレな人物だ

http://www17.ocn.ne.jp/~you/aeqiaaeccaoeeoet.html

22人間七七四年:2009/04/27(月) 21:21:52 ID:PSvVlAdV
市松ってガキの頃の方がヤバいんじゃ…
23人間七七四年:2009/04/27(月) 21:28:49 ID:9bKu4ASw
24人間七七四年:2009/04/27(月) 21:41:04 ID:Cdej5ynw
>>22
厨房くらいで喧嘩で人斬ってるって読んだ
司馬遼に狂人って書かれてたね
25人間七七四年:2009/04/27(月) 21:43:50 ID:zLG5+69h
鬼武蔵ならそこでちゃんととどめさすのに、これだから市松はw
26人間七七四年:2009/04/27(月) 21:53:53 ID:+rH1QUGU
>>25
ジョジョのプロシュート兄貴思い出した
27人間七七四年:2009/04/27(月) 22:04:00 ID:9Q34Xmtc
>>20
かたじけない!
今週は清々しい脳筋週間としてもっと脳筋話を!
28人間七七四年:2009/04/27(月) 23:22:13 ID:azBMNe/c
悪口とか侮辱って単純なものほどイラッとしたりもするw
29人間七七四年:2009/04/27(月) 23:48:43 ID:j3pDo5AZ
>>20

気合を見せてみろと言われて交番だかを襲ったガキと同じ匂いがする市松w
30人間七七四年:2009/04/27(月) 23:49:10 ID:g1rIpQoV
特に悪くも良くも無い話ですがw


蒲生氏郷が、その頃名伯楽として知られた”こつひら”と言う者に尋ねたことがあった。
「速い馬と言うのは、前足が強いから早いのであろうか、それとも後ろ足が強いためであろうか?」

こつひら、「後ろ足の強い馬が、速いと存じます」と答える。

しかし氏郷

「わしは幼い頃より、信長公の傍にて多くの事を見聞きしてきた。
信長公は常に『合戦は先手を取られれば、そこから二の手で持って盛り返すことは難しい。
とにかく先手を取る事を第一に考えるべきだ。』と、おっしゃっていた。
そこから考えるに、前足の強い馬こそが早いのではないか、そう思ったのだが。」

こつひら謹んで言うには
「私は卑しい身分の者であり、先ほどのお話のような、高等な事は解りませぬ。
ただ、私は元々西国の人間ですが、船の往来を見ると、前艪よりは供艪に上手な水手を立て、
押し出すような形にしたほうが早くなります。逆に前櫓が良くても供艪の押し手が駄目な船では、
その船の運行自体うまく行きません。
船も馬も、遅速の理は一緒であると考えます。」

これに氏郷も納得した、とのことである。

しかしまあ、「三つ子の魂百まで」と言いますが、
氏郷は少年のときから学んだ信長の教えは、何にでも応用できると考えていたのだな、と言うお話。
31人間七七四年:2009/04/28(火) 00:04:14 ID:i7AWNKbR
>>14
暢気で悪い話って中々無い気が…

前田利常が登城すると城中に立て看板があった
見てみると

小便禁止、やったら金一枚の罰金

と書いてある
どうも度々ここで立小便をする者がいるようだ

これを見て利常、なんと看板の目の前で暢気に立小便をし出した

ふぅ…

事が終わると金一枚を出して一言
「大名が金一枚惜しんで漏れそうな小便を我慢するべきかよ」

後日、例の看板を見てみると罰金の項目は無くなっていた


そういうことじゃない
利常の気ままな悪い話
32人間七七四年:2009/04/28(火) 00:06:16 ID:i7AWNKbR
>>30
まぁ歴史オタも初めにみた文献を盲目に信じてたりするし
33人間七七四年:2009/04/28(火) 01:59:20 ID:dLVvj9sF
>>31
よりにもよって江戸城でかよw
34人間七七四年:2009/04/28(火) 04:06:18 ID:jVetBLIH
江戸城で金玉出したりもしてるよね>利常
35人間七七四年:2009/04/28(火) 04:23:06 ID:URKOxunW
利常は大藩である加賀100万石を守るため、幕府にあえて暗愚の君とふるまって
改易や減封を逃れようとしただけだよ。
36人間七七四年:2009/04/28(火) 04:58:37 ID:xaJxKf95
>>35
そういうふうに思ってた時期もありました………
37人間七七四年:2009/04/28(火) 05:05:58 ID:pO1AnOht
露出癖や奇行=暗愚、と言う考えが間違っている。
有能でありなおかつ、体のうちから溢れてくる露出や奇行への欲求を我慢できなかっただけだと
考えれば何の問題もないw
38人間七七四年:2009/04/28(火) 08:24:18 ID:SFtNehWz
>>18
たしか仙台のダルマは政宗に遠慮?して両目が入ってるって聞いた事がある。
39人間七七四年:2009/04/28(火) 09:22:01 ID:52jZosr+
ちょっとノブヤボの利常のグラを草なぎに変えてくる。
40人間七七四年:2009/04/28(火) 09:47:35 ID:0pFRij21
大名が城内で立ち小便するのはいいのかよw
41鼻毛:2009/04/28(火) 10:27:22 ID:jVetBLIH
( ´π`)「タマタマや立ち小便ぐらいでガタガタいうなお」
42人間七七四年:2009/04/28(火) 11:27:16 ID:q5PtPB/l
こまけえこたあいいんだよ
43人間七七四年:2009/04/28(火) 11:39:20 ID:TPtUCIK5
>>40
家康は今川館で小便したそうだが
44人間七七四年:2009/04/28(火) 14:57:08 ID:URKOxunW
あれは侮られた家康が、気概をみせんとあえて義元公の前でやってみせ、
これはと一目おかれた原因になってたような
45人間七七四年:2009/04/28(火) 17:55:50 ID:47U7LjUP
>>30
車でいうところのFFとFR、どっちが早いかみたいな話になるのかな

それと照らし合わせて考えるとそのときの状況により違うし、
馬と船じゃ比較するところが違うから同じに考えたらイカンだろ
46人間七七四年:2009/04/28(火) 20:05:46 ID:i7AWNKbR
利常は後年”微妙公”と呼ばれたらしい
もっともこれは悪い意味で命名されたわけでは無いっぽいけど言いえて妙というか…
47人間七七四年:2009/04/28(火) 21:11:49 ID:XU6myX0C
今日出ている週刊文春に戦国武将名参謀の条件というコーナーがあったのでいいネタがないかと思ったが

・竜造寺政家が死んだ後に高房が後を継いだという表記
・政家死後に秀吉が鍋島直茂に竜造寺家を簒奪させたという表記
・直茂が実権を握ったせいで高房が抗議の自害そして化け猫騒動へ

週刊誌じゃこんなものかと思いつつ、こうやって微妙に後に伝わる歴史が変化して行きかねないのは悪い話ではある
48人間七七四年:2009/04/28(火) 21:15:17 ID:pO1AnOht
>>47
週刊誌ならともかく、文庫とかで歴史物だと言っているような本でも、
こんな記述あるからなあ…

ちょっと調べれば間違っている事がわかるだろうに。
つーか、俗説ってそんなに面白いのかね?
49人間七七四年:2009/04/28(火) 21:20:40 ID:5uOA3HiH
>>48
俗説を史実のように記載するのはまだ許せても明らかな嘘書いてる本もあるからな。
責任者調べようにも戦国○○委員会みたいな形で無責任に垂れ流してる。
50人間七七四年:2009/04/28(火) 21:28:22 ID:cUB9PbN5
 大坂城落城の際、豊臣秀頼の正室となった孫娘・千姫のことを想い、
家康は兜を脱いで頭をかきむしり、

 『千姫を助けた者には、姫を嫁に与える!
  大名にもしてやる!』

 と言ったため、
これを受けた石見津和野藩主・坂崎出羽守直盛が燃え盛る大坂城へ突入。
山姥の槍を振るって奮戦し、見事千姫を救い出したが、
その際、顔に火傷を負い、醜い面相になってしまった。

 さて、その後、約束通り千姫を嫁に貰おうと
徳川家に申し入れた坂崎であったが、
千姫は、醜い面相の坂崎を嫌ったため、
祖父・家康も言を左右し、なかなか話がまとまらなかった。

 そして、当の約束の本人である家康が死んでしまった後、
後を継いだ秀忠は、千姫を譜代の名門、本多家の嫡男・忠刻の元へ
嫁がせることに決めてしまった。
怒り狂った坂崎は約束を盾に猛抗議するも、
約束の当人である家康が亡くなったため、話は覆らなかった。

 結果、武士の面目も潰された坂崎は、
こうなったら嫁ぐ途中の千姫を強奪せんと、
一族を集め、江戸市中で兵を挙げた。
51人間七七四年:2009/04/28(火) 21:31:13 ID:cUB9PbN5
 これに驚いた幕府は、坂崎邸を1万の軍勢で取り囲み、
如何にするべきか評定した結果、坂崎に切腹を命じることにし、
使者として、坂崎と親交のある将軍家剣術指南役・柳生宗矩を遣わした。

 宗矩は丸腰のまま坂崎邸へ赴き、坂崎と直談判した。
ここで宗矩は、坂崎に事の理非を諄々と説き、
自刃すれば家中から後継を立て、坂崎家は残そう、と約束したので
これに感銘を受けた坂崎は自刃、騒動は収まった。

 しかし、結局幕府はこれを反逆とし、津和野藩坂崎家を取り潰してしまった。
そのことを無念に思った宗矩は、せめてもの償いとして、
坂崎の息子平四郎と家臣二名を引き取り、
また、褒美として与えられた坂崎家の家紋「ニ蓋笠」を
江戸柳生の家紋として使い続けることにしたという。



 何気に坂崎直盛と宗矩のどちらにも載ってなかったので、
「坂崎事件」の逸話を挙げてみた。
まあ、後味の悪い話、ということで。
52人間七七四年:2009/04/28(火) 21:34:03 ID:PqvwQ46t
何時の時代もイケメンじゃないと損するんだな。
53人間七七四年:2009/04/28(火) 21:37:28 ID:JQIjeqiC
『卒業』とはならなんだわけですな。
54人間七七四年:2009/04/28(火) 21:49:27 ID:1zOwe6Qj
       _
       /\ \
      / /li ̄/
      〃 '⌒´`ヽ
     Kiミ!|ノノ))))〉
    .ノ ヘ.|l ゚ ヮ゚ノ|!
    .((( と I!†iノ
   / )ノ fく/_/_|〉
   \/ し' ヽ_)
だっておっさん臭いもん
55人間七七四年:2009/04/28(火) 22:19:27 ID:ykpsJ6wX
堀内氏久「送り届けただけで旗本になった勝ち組」
56人間七七四年:2009/04/28(火) 22:23:12 ID:kFbYFXeG
千姫って行きずりの男を引きずり込んで散々楽しんだ挙句殺すとかビッチ扱いされてたらしいが本当なのか?
57人間七七四年:2009/04/28(火) 22:33:40 ID:yx6NYlMK
明らかに中国の悪女テンプレのぱくりじゃん・・
58人間七七四年:2009/04/28(火) 22:37:14 ID:eITAyp5i
あれ千姫の新しい嫁ぎ先の斡旋を幕府から頼まれた坂崎出羽の守が
公家との縁談をまとめる寸前でドタキャンされた為という話もあるよな。
59人間七七四年:2009/04/28(火) 22:56:14 ID:URKOxunW
千姫「イケメンがいいにきまっているじゃんw」 「キモメンやだーブサイクしんじゃえwwwww」
60人間七七四年:2009/04/28(火) 23:35:49 ID:pO1AnOht
豊臣秀吉が伏見城にて、庭に井戸を掘らせたことがあった。
井戸を掘ると当然、多量の土砂が出る。秀吉はそれを見苦しく思い、
石田三成に命じた。

「急いでこの土を退かせよ。」

すると三成、たくさんの貫(銭を千枚でまとめ穴に紐を通し結わえたもの)をもってこさせ、
これを切りほどき、土に銭をばら撒き混ぜ入れた。そして伏見城の人々に向かって

「これを早くもっていくがいい。」

と言えば、瞬く間にその場の土は無くなった、ということである


いや、機転の利いたいい話、といえばそうなんだが、どうもその方向性が…、
と思ったのでこっちに。
61人間七七四年:2009/04/28(火) 23:36:51 ID:RsOXPSRD
>>45
スカイラインの生みの親といわれる櫻井真一郎氏談
「スカイラインはFR(後輪駆動)にこだわります。クルマは4輪です。
例えば4足歩行動物のライオンやチーター、トラなどは後ろ足で推進力を、
前足で方向をコントロールしています。その動きが一番自然なのです。
そこに我々のスカイラインがFRであるべき理由があるのです。」
62人間七七四年:2009/04/28(火) 23:49:35 ID:i7AWNKbR
>>60
土を混ぜっ返すならそのままどっかに持ってけよ…
63人間七七四年:2009/04/29(水) 02:26:39 ID:vvcPHngN
紀文こと紀ノ国屋文左衛門に似た話があるな
積もった雪に銭をばらまいてあっという間に雪かきをする話
スレ違いだから詳しく書かないが
64人間七七四年:2009/04/29(水) 03:30:50 ID:U0mzXFr7
>>60
なんていうか、公園の掃除をしてるおばさんの前で
ごみを撒き散らして
「仕事が出来てよかったでしょ?」
という、病んだ感覚に通じているな。

人足の班をいくつか編成して、土を割り振って
「一番早く捨ててきた班には褒美をやる」
のが秀吉流だと思うんだが。
65人間七七四年:2009/04/29(水) 04:41:39 ID:44uTTwbV
>>60
花の慶次の三成のビジュアルで鮮明に脳内再生された
66人間七七四年:2009/04/29(水) 05:40:17 ID:JOrmjICJ
>>30
亀レスだけど、
現代の競走馬だと、前足の筋肉が発達してて、かき込む力が強い馬は先行力がありダートが強く、
後ろ足が発達してる馬は一瞬の切れ味に優れていて、芝向きの印象がありますね
当時の戦場や街道は力のいる馬場だったはずだし、実際は前脚の発達した馬の方が早かったんじゃないかな
戦況によっては切れ味勝負タイプの方が活躍できたかもだけど
67人間七七四年:2009/04/29(水) 06:15:35 ID:jJ/wGlDg
>>66
来月のみやこ競べ馬、帝杯の入れ札は決まりましたかな。
68人間七七四年:2009/04/29(水) 06:16:01 ID:JZ1CZIc5
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111312551

当時の馬に関してはこの質問と回答がなかなかいけているぜ
議論の参考にしてみてはどうかな
69人間七七四年:2009/04/29(水) 08:23:25 ID:9535xoJ1
>>60
井戸掘りの逸話といい、金で人間が動かせると信じきっとるな、コイツw
いや、俺は義理人情より金で動くけどw

って、これも伏見城の井戸の逸話だな
もしかして、井戸の中に銭を入れて早くほらせたという話とごっちゃになってない?
70人間七七四年:2009/04/29(水) 09:31:48 ID:7XZsnuGM
>>69
北楯大学さんのゴッドハンド(w埋蔵金話を思い出したわ。ありゃいい話だが
71人間七七四年:2009/04/29(水) 10:27:39 ID:Lwia/1SR
やってることは大して変わらんし、むしろ人使いが上手いって見方も出来そうなもんだけど
三成はイメージが負の方向に大きく作用してるなあと思うわ
72人間七七四年:2009/04/29(水) 10:31:16 ID:IeIAdGZA
>>64
そりゃさすがに違うだろ。
>>64の例えは「余計な仕事を増やしただけ」だ。

>>60のは、一応「成果給」を設定しているに過ぎないわけだが・・・
73人間七七四年:2009/04/29(水) 10:34:51 ID:7XZsnuGM
>>65
つまりオチで(銭と土を持っていった)みんな治部のふんどしで手を拭くんですね
74人間七七四年:2009/04/29(水) 10:44:55 ID:kXn74eZv
んじゃ、素直に三成の機転が利きすぎる話二連発。

◎ワーカホリック

京の町を台風が通り過ぎた翌朝、普請奉行は被害状況を調べ上げ、秀吉に報告した。
報告書を読み終わった秀吉は、不満そうな顔をして、言った。

「・・・治部少輔の報告の方がくわしいのう・・・・・・」

普請奉行でもなんでもない三成が、台風が吹き荒れる夜のうちに自分の足で被害を
確認して、秀吉の起床の直後に報告していたのだ。

三成はたびたびこうして職分を超えて専門職より先に動いたため、秀吉の奉行衆は
大いに迷惑したという。
75人間七七四年:2009/04/29(水) 10:46:48 ID:kXn74eZv
◎徳川秀家

家康の三男・長丸が成長し、元服を迎えることになった。

秀吉「いや、めでたい!元服の後は、秀吉の『秀』と家康の『家』をとって、『 秀家 』と
名乗るがよかろう!」
家康(・・・『秀家』ってすでに有名人がいるのに、いいのか・・・?)

そう、関白殿下は我らが泳いで参った人の事を忘れていたのである。
そして、この話をどこからか聞きつけた石田三成が、家康に声をかけた。

「私に金二百枚預けていただければ、宇喜多中納言に交渉して、『秀家』の名乗りを
譲ってもらいましょう。」
「まあ、関白殿下と息子のためなら金の二百や三百、惜しくないけど・・・」
「じゃあ、吉日を選んで中納言の所へ行って来ますね。」

話を聞いた宇喜多秀家は言った。
「我が名を金子で売ったなどと言われるのは、武士の恥である。大恩ある関白殿下の
お頼みならば、つつしんで譲ったものを石田よ、余計なマネをしてくれる・・・!」

秀家は機嫌をそこね、三成と不和になった。
結局、長丸は『秀』の字と、家康の父の名であり、三河衆伝統の名である『忠』をとり、
『 秀忠 』と名乗ることになった。
76人間七七四年:2009/04/29(水) 11:57:03 ID:8HRorRkz
>74-75アガトウ
後ろの逸話は漏れ知らんかっとんてんちんとんしゃん

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-419.html
前エピのダイジェスト、まとめにございましたぞー <石田治部的に
77人間七七四年:2009/04/29(水) 11:59:21 ID:kXn74eZv
わぁ失礼いたした・・・
78人間七七四年:2009/04/29(水) 12:11:13 ID:FHUrvknd
>>76
SET乙
79人間七七四年:2009/04/29(水) 13:14:21 ID:YctET10G
>>74
普通の人なら思いきり死亡フラグ立ってるところじゃないかw
80人間七七四年:2009/04/29(水) 13:24:00 ID:5gVIYWP6
結城秀康「やれやれ、秀家でよかった。」
81人間七七四年:2009/04/29(水) 14:40:16 ID:yH9fF9XZ
まとめ見て思ったけど三傑の中で信長だけ逸話少ないな
まあ他に比べれば多いけど
82人間七七四年:2009/04/29(水) 15:25:13 ID:e9wjnF50
三傑とは言っても天下取って無いしね
83人間七七四年:2009/04/29(水) 15:27:17 ID:dvB/QrLR
>>82
三好長慶の正当後継者、と(歴史的な意味で)定義することも出来ないでは
ないからなあ。
84人間七七四年:2009/04/29(水) 17:16:28 ID:zfY+GCW4
実際足利義昭を奉じて京に入ってしばらくは
細川・三好と同じような事をしてるしね
85人間七七四年:2009/04/29(水) 17:16:51 ID:44uTTwbV
「歴史群像シリーズ前田慶次」は、慶さんの頓知の効いた悪戯話がいくつか載ってて面白い。
高かったから立ち読みで済ませたけど。
86人間七七四年:2009/04/29(水) 17:44:30 ID:jJ/wGlDg
>>81
ロゴス=言葉で生きた人じゃなかったみたいですからね
上総介かく語りきとか右大臣のお言葉とか他の武将に比べて少ないですね
87人間七七四年:2009/04/29(水) 17:47:28 ID:2RR18l3X
>>86
行動にしても逸話が有名過ぎるからかな?
金箔頭蓋骨とか焼き討ちジェノサイドとか。
88人間七七四年:2009/04/29(水) 17:53:18 ID:MnG+G+jk
>>83
それは信長に失礼だろ。
三好は、形式的に将軍を推戴して中央を一時的に支配しただけ。

信長は、天皇、将軍家を凌駕して、天下を取るための体制作りをした、
結果的に本能寺で死んだけど、織田軍団はそのまま残り圧倒的な力で天下統一した。

内容から見れば、秀吉、家康の先輩になる。
存在価値、歴史的意義が違いすぎる。
(本願寺潰して、将来の宗教問題の芽を摘んだ)その他もろもろ
三好長慶?はぁ?でしかない
89人間七七四年:2009/04/29(水) 18:08:01 ID:Gwz8TSdk
先発 信長
中継 秀吉
抑え 家康
9060:2009/04/29(水) 22:53:21 ID:KURZYAm1
>>69
ああ、記憶で書いちゃったからもしかしたらそうかもしれん(;´Д`)
91人間七七四年:2009/04/29(水) 23:11:41 ID:KURZYAm1
いい悪いスレで信長の逸話が少ないのは、逸話が少ないと言うよりむしろ、
有名な逸話が多すぎて、投稿する人にいまさら感が強いのではないかとも思うw
92人間七七四年:2009/04/30(木) 03:01:32 ID:FzgUa5md
三好長慶はたとえ親の敵といえども本願寺門徒ですら争い事を起こしていない。
一族内で日蓮宗と禅宗に分かれても喧嘩もしない。切支丹にすら寛容。
そのままであれば強大であったが、相次ぐ身内の死亡、
三人衆系と松永系、阿波の長治の暴政が重なり内部分裂。
あと本願寺を誰が潰したんだよ?今あるものは何なんだ。
もう少し勉強して来い。はぁ?
93人間七七四年:2009/04/30(木) 03:10:00 ID:eMWLTJKi
大阪の陣の折、ある人が井伊直孝の陣を尋ねたところ、直孝、たった今まで昼寝をしていたらしく、
髪も寝起きで乱れたまま、現れた。

客、少々色をなして
「直孝殿、あなたは常々戦陣においては昼夜常に気を使うべきだと言っている人なのに、
それがどうして昼寝などなさるのですか?」

これに直孝
「他の人は皆、夜寝られますよね?そして昼間気を使われている。
ですが私は夜気を使うため、夜寝ないのですよ。」

と、眠そうに答えたそうだ。


夜勤明けで疲れているのに起こされてかわいそうな井伊直孝さんであった。
94人間七七四年:2009/04/30(木) 05:31:26 ID:SPSdWhlQ
>>93
夜勤の仕事で必死に働いてる工場の人や看護師に「昼夜逆転の夜型人間イクナイ」って言うみたいなもんだしね。
95人間七七四年:2009/04/30(木) 06:41:28 ID:SbRwc/FM
>>92
本願寺の軍事力を奪ったってことを言いたいんだと読み取れるよ
大きく言えば宗教勢力の軍事力の象徴を倒すことで政教分離を謀ったと
96人間七七四年:2009/04/30(木) 09:09:54 ID:0NHwvtUi
今まさに善光寺御開帳の真っ最中なんで、戦国時代の善光寺についてのお話でも。

武田家と上杉家が川中島で争うようになると、上杉謙信は善光寺のご本尊様(善光寺如来)
以外の全ての仏様を越後へ移した。
これを見た武田信玄、「へっ、謙信の奴ぁやる事が半端だよな」と思ったのかどうか、
大胆にもご本尊様を甲斐へ移して甲斐善光寺を建立した。

その後、武田家は滅亡、善光寺如来は織田信忠によって岐阜へ移されたが、
落ち着く間もなく本能寺の変が起こって信忠が自害すると、今度は弟の信雄によって
清洲へ、そして次に家康の手にわたって浜松へと……。

さすがの仏様も人間の都合であちこちたらい回しされるのに疲れたのか、
ある日、家康の枕元に如来が立ち、「甲斐へ帰してくれんかのう…」と言ったそうな。
家康はこの言葉に従い、善光寺如来は再び甲斐善光寺へ戻ることになり、
とりあえずは一件落着……とはいかなかった。

秀吉「くっ、せっかく作った方広寺の大仏が地震で壊れちまった……」
秀吉「どこかに代わりの仏様はいないものか……そうだ!」
秀吉「フッフフフ、仏教伝来から伝わる善光寺如来こそ、我が方広寺の本尊にふさわしい」
こうして、善光寺如来は京へ迎えられた。

しかし、善光寺如来が京に入った頃から、秀吉は体調を崩してしまう。
京の人々の間にはある悪い噂が広まっていった。
「秀吉様が病に伏せるようになった原因は、善光寺如来を勝手に動かした
バチが当たったからなんだよ!」
「ナ、ナンダッテ-!!」
秀吉もこの噂はさすがに応えたのか、善光寺如来を元あった信濃に返そうと
決心したそうな。

1598年、善光寺如来はおよそ40年の歳月を経て信濃へ帰還する。

戦国という世の中に翻弄されたのは、何も人ばかりではなく、仏教伝来以来の仏様と
伝えられる善光寺のご本尊様とて例外ではなかったというお話。
97人間七七四年:2009/04/30(木) 09:22:41 ID:1oCtzn1l
98年って秀吉がなくなった年だよな
まさか如来が信濃にかえるついでに・・・・
98人間七七四年:2009/04/30(木) 10:14:44 ID:FrOZcG9t
「甲斐」の善光寺にって時点でおかしいよなこの話。
99人間七七四年:2009/04/30(木) 14:13:29 ID:hRZkm8sD
善光寺は源頼朝が参拝の時に下馬の礼をシカトして馬で乗り込んだら
馬が勝手に回れ右したという「駒返し橋」が残ってたり武士に優しくない寺
100人間七七四年:2009/04/30(木) 15:11:55 ID:CGnprqNi
>>99
そりゃあやっぱり牛揃えで…
101人間七七四年:2009/04/30(木) 15:43:33 ID:rbBdRn6O
>>98
信玄の扱いがよくてそれが懐かしかったんじゃろうて
102人間七七四年:2009/04/30(木) 18:07:25 ID:3Esi6X3O
信州信濃善光寺は北京五輪のことあって何気に好感
103人間七七四年:2009/04/30(木) 18:24:38 ID:mHLnX8ws
武田織田豊臣と滅んでるのは祟りか何かか

なんで途中から甲斐から信濃に変わってるんだ?
104人間七七四年:2009/04/30(木) 18:29:06 ID:eMWLTJKi
大阪の陣での出来事

家康は近習の御家人に、下知なくして出撃してはならぬと申し渡していたが、
ある時、小栗又一と何某という二人が抜け駆けして出撃した。
このとき高みにいた家康、これを見かけ

「それそれ、お前達、軍法を破っておるぞ!!」

と叫んだ。
この時何某は、これを家康の声だと気が付かずに、振り返らずそのまま行ってしまった。
が、又一は、これを家康の声だと気がつき、つい振り返ってそのほうを見てしまった。

「なんだ、又一めか!」

ああ見つかった。

翌日、振り返った又一は、抜け駆けを目撃されたため、ご勘気を被った。
振り返らなかったほうは、本人不明と言う事で、処分は無かったそうだ。

長年家康の傍で「又一又一」と呼ばれていたため、つい癖で振り向いてしまったのだろう。
後で「何故自分だけ!」と憤ったとかどうとか。

いい歳した天下に名だたる勇者の癖に、学校の先生に叱られた悪戯小僧のようなお話。
105人間七七四年:2009/04/30(木) 22:02:49 ID:1oCtzn1l
織田は別に血統たえてねえぞ
106人間七七四年:2009/04/30(木) 22:15:58 ID:rwLX0d82
>>105
嫡流は絶えてる
107人間七七四年:2009/04/30(木) 22:19:48 ID:SbRwc/FM
そういうことを考えていくと上杉も徳川も嫡流は絶えてることになるな
そもそも謙信は山内上杉のry

となっちゃうから揚げ足取るのやめよう
めんどくさい
108人間七七四年:2009/04/30(木) 22:34:21 ID:1oCtzn1l
>>106 
吉法師や信孝は別として、直系の信雄ピンピンしてるぞ。 子孫も藩つくっとるぞ
109人間七七四年:2009/04/30(木) 22:39:30 ID:rwLX0d82
>>108
嫡流の意味も知らないのか・・・
110人間七七四年:2009/04/30(木) 22:41:05 ID:kFJo0u/4
この板でも>>108みたいなのがいるのかw


三戦にでも帰れよ。
111人間七七四年:2009/04/30(木) 22:52:52 ID:w3rY3sCJ
のぶおや信忠たちの母親が誰だかはっきりしてなかったり、
正妻が最後どこに行ったかいまいち判らなかったり、
逸話以前に信長は意外と残ってる資料が少ないっていうのは感じるね
112人間七七四年:2009/04/30(木) 23:55:09 ID:1oCtzn1l
死んだらあとづきできるじゃん
113人間七七四年:2009/05/01(金) 00:01:23 ID:+bqar2/k
てか信長自身が庶流だし

まあ岩倉から家系図を奪取してるけど
114人間七七四年:2009/05/01(金) 00:23:16 ID:fMewjA3v
徳川家康がまだ竹千代だったころ、竹千代は駿府郊外の増善寺(今川氏親
の菩提寺)にやって来た。そこは大木に囲まれた緑豊かな所で、竹千代は
鳥がたくさんいるのを目にしていた。その時、竹千代にある考えが浮かんだ。
ここは鷹狩りに絶好な場所だ、と。家康は幼少のころから鷹狩りマニアだったのだ。

「わしはここで鷹狩りがしたい」
「それはなりませぬ。古来より寺の境内での殺生はできないのです」

お供はそう言ったのだが竹千代は諦めない。とうとう駄々をこね始めた。

「嫌じゃ嫌じゃ、わしは鷹狩りするのじゃ!絶対やるったらやるのじゃ!」
「黙らっしゃい!!!」

竹千代を一喝したのは等善和尚だった。和尚の剣幕に押されたのか、竹千代は
ついに境内での鷹狩りを断念したと伝える。
115人間七七四年:2009/05/01(金) 02:03:06 ID:65JL7Mrl
その竹千代少年が等膳和尚に叱られた話は、本人にとってはバツが悪いけれど
父性愛に接した良い話だったりする。

和尚と家康は他にも味のある逸話があるね。
116人間七七四年:2009/05/01(金) 02:25:13 ID:e7K32DB8
>>115
初出のようならいい話スレに是非
117人間七七四年:2009/05/01(金) 02:36:21 ID:hEtW5ndw
>>114-115
似たような話が野史で出てきて、
しかも竹千代の設定(w)が定説と異なって

家康二人(影武者)説に流用されたりしてんのな..
118人間七七四年:2009/05/01(金) 11:01:13 ID:DBl5GoVU
>>92
お前が勉強不足なんだよ。
本願寺門徒の暴走ぶりはすさまじくて、並みの大名家の軍事力、経済力を超えている。
信長は宗教勢力の政治介入を規制して、全面戦争になり大阪、伊勢、加賀、越前の勢力を潰した。

ほとんど力が残ってない状態で、さらに家康は、本願寺を東西に分裂させて互いに争わせ完全に屈服させた。
現在のカルト創価みたいに、政権中枢に蔓延ると国が腐ってくる。
119人間七七四年:2009/05/01(金) 11:16:03 ID:YafMd8XC
>>118
よそでやれ
120人間七七四年:2009/05/01(金) 11:17:14 ID:K1qukIlS
別に本願寺は政権中枢にいたわけじゃないけどな。
本願寺や延暦寺の勢力が並みの大名以上だったのは事実だが
121人間七七四年:2009/05/01(金) 11:32:23 ID:jyhDCxeg
領民にしてみれば上が宗教だろうが大名だろうがどっちでもいいよね。
122人間七七四年:2009/05/01(金) 11:36:34 ID:ikFCxNcQ
>>121
上が島津ってのは絶対嫌だ
北条がいいな俺は
123人間七七四年:2009/05/01(金) 11:37:13 ID:4bOhHmy1
バチカンの書記官

バチカンの書類には東洋の様々な情報があります。
特に私どもが今注目している日本ですが、ここの暴君秀吉。
色々悪い噂、とくにその女癖の悪さが、
イエズス会情報網を伝わってすぐに伝わってきます。
この類いは尾ひれがつくものが多く、本来信用できないのですが、
司祭が、被害にあった女性達から直接告悔室で聞いたのですから
かなり信用できます。
大阪城内の出来事は、女性のおかげでツーカーです。
124人間七七四年:2009/05/01(金) 15:42:19 ID:9NvB0gRR
バカチンが
125人間七七四年:2009/05/01(金) 16:07:35 ID:K1qukIlS
島津日新斎の作歌にこのようなものがある。
「世の中に無益な二つある 一向宗に数寄の小座敷」
織田や徳川のように島津もまた一向宗に苦しめられたのだろうか。

これを利用しようとしたのが九州征伐時の豊臣秀吉
島津家を内側から混乱させるために。
顕如を天草に送り込み島津領内の門徒に蜂起を呼びかけさせたという。

この効果は不明であるが後に島津領内において一向宗はキリスト教とともに禁教となり
それは明治維新まで300年近く続いた。
126人間七七四年:2009/05/01(金) 17:44:51 ID:hFdw7YND
一向宗に苦しめられたことはないにしても警戒はしてたと思う。
諸県地区を領していた北原氏が一向宗と絡んでたらしく、
実際 相良氏と戦う際に一向宗を扇動したそうで、それが元で
相良領は一向宗禁令になったという話がある。
現に、飯野城の城主だった北原氏庶家の北原兼孝は、領民に
「真宗にならないと打ち殺す」と脅して入信を強要してたんだそうだ。
北原氏と領地を接する島津がこれを警戒していた可能性は十分あると思う。

まあ結局 北原氏はそれが仇になって、当主が病没した後に家中で真宗派と
禅宗派で分かれてしまい、その隙を伊東義祐につかれて没落するんだけど。

もしかしたらだけど庄内の乱も、真宗だった北原氏残党が絡んでたのかも
しれないと個人的には考えてるんだが。
127人間七七四年:2009/05/01(金) 19:16:05 ID:GOrbAL64
>>118
いや、むしろ本願寺は各地の一向一揆抑えようとしていたし、
信長が本願寺に対して支配下に入れ、貢物よこせ、と言われて仕方なく抵抗したので順序が逆
創価も、信徒の票よこさんと潰すよ?と言ってきた議員に反発して党立ち上げたから歴史は繰り返してるなw
128人間七七四年:2009/05/01(金) 20:12:12 ID:YafMd8XC
元亀四年(1573)八月、信長は朝倉と合戦、これに勝ち、多くを討ち取り、生け捕った。

このとき信長は、先に織田に寝返った前波吉継らに、生け捕った者の名を調べさせた所、
その中に即牧という者がいるのを見つけた。

この即牧、信長もその名を知る勇者であり、この度の合戦でも、前田利家、佐々成正の軍勢と激しく戦い、
彼らを刀禰山まで追い詰めたものの、膝口をしたたかに突かれ、進退窮まったところを生け捕られたのだ、
と言う。

信長はこの勇者を惜しみ、罪は許す、今後は自分に仕えるように、と言うが、即牧、

「お言葉、ありがたく承りました。しかし私は代々朝倉に仕える譜代の者です。
しかも、朝倉の奉行を申し付かった者でありながら、この度生け捕りなどという事になり
奉行の名を辱めた事、一体何の面目があって、生きながらえる事が出来るでしょう?
どうか速やかに、殺していただきたい。」

この時、先に朝倉から信長に下っていた前波吉継は、
「信長公の言う事に嘘はない。本領も全て安堵されるのだ、畏れ入って承ると言うべきだ」
と、口を出した。
すると即牧、目を見開いて吉継を睨みつけ、叫んだ、

「お主は朝倉譜代でであり、義景様の厚恩を受けておりながら不義を働いた事に飽き足らず、
人までも汚す気か!?
どなたでもかまわぬ、早くわしの首をはねよ!」

これには信長も説得をあきらめ、河原に引き出して切腹させ、その上で首を刎ねた、との事である。

そんな、朝倉武士のお話。
129人間七七四年:2009/05/01(金) 20:30:31 ID:g6JTvg1I
既出
せめてまとめで朝倉のエントリー全部見てから書け
130人間七七四年:2009/05/01(金) 20:58:24 ID:YafMd8XC
>>129
すまんかったorz
おわびに軽い話ながら


大阪の陣の時の事

井伊家の家臣、朝比奈弥太郎の所に、林三十郎がやって来て言った

「今日の合戦で槍折っちゃった。わるいけど予備があったら一本貸して!」

すると弥太郎

「わるい!俺も昨日一本槍折っちゃったんで、余ってないんだ、貸せない!」

実はこの時三十郎、槍を折ってもいなかった癖に、槍を借りに来たのだ。
そして弥太郎も、当然槍を折ってはいなかった。しかし貸さなかったのだ。

この当時、槍は消耗品であり、やはりたくさん予備を持っていたほうが、手柄を立てるには有利なのだ。
弥太郎はあらかじめ、とある牢人から「こういう合戦の時は絶対人に槍を貸してはいけませんよ!」
と言われていたので、このようにしたと言うことである。

合戦では味方も油断がならない、と言うお話。
131人間七七四年:2009/05/01(金) 21:19:47 ID:1mNFfKH/
家康に会った外国人で、家康に対して悪感情持ったという話ある?
どうも、好意的もしくは恐るべき人物という評価しか聞こえないんだけど
132人間七七四年:2009/05/01(金) 21:23:22 ID:j/bvc2xC
ちょっと時代は外れるが、島原の乱のこと。

幕府方のある腕に覚えのある若者が、自分の刀を大いに自慢していた。
いや、刀だけではなくその鞘も朱塗りで金銀で装飾した大層なものだった。
皆が感嘆し賛辞を送る中、よぼよぼのじーさんが苦言を呈した。
「戦陣は泥棒の巣窟と申してな、悪いことは言わんから失っても惜しくないものにしておきなさい」
しかし若者、
「この俺から盗めると思うな!刀は武士の魂、寝ていたとしても肌身離さずだ。
 もし不届き者が現れればこの刀で切って捨ててくれよう!」

さて翌日、彼は一番乗りを果たそうと矢や飛礫をかいくぐって石垣に取り付いた。
しかし上手く上れない。
と、誰かが下から押し上げてくれるではないか。
奇特なものも居るものだと内心感謝し、城内へ乗り込み敵を切って切って、ふと気づいた。


あれ、鞘が無い…
133人間七七四年:2009/05/01(金) 23:09:19 ID:+bqar2/k
一向宗は政権と密接に絡んでるでしょ
細川と組んでるんだから
加賀だってそうだったらしいし
134人間七七四年:2009/05/01(金) 23:13:36 ID:YafMd8XC
こちらで

卍 本願寺 卍
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153821069/
135人間七七四年:2009/05/01(金) 23:28:21 ID:hSw78I/7
>>132
犯人はじーさんだな
136人間七七四年:2009/05/02(土) 00:47:42 ID:3V9Bxn2M
ああ、ちがいねぇ
137人間七七四年:2009/05/02(土) 00:53:48 ID:SCHixyT7
徳川家康の家臣に、牧野勘七と言う者がいた。

この者、朝鮮役の折、家康に付いて肥前名護屋へと赴いたのだが、この時
大久保少二郎と、衆道の契りを結んだ。

ところがこの少二郎には、本多平四郎と言う男も、かねてより恋慕していた。
少二郎が牧野との関係を盾に断っても、しつこく言い寄ったため、牧野はこれに怒り
本多を討ち果たそうとし、本多もまたこれを受けて立つ姿勢を見せた。

このような騒ぎになり、周囲は色々となだめたものの、終にこの話が家康の耳に達し、
戦陣でこのような騒ぎを起こすとは何事かと、三人共に切腹を命じた。
しかし重臣達が色々と詫び言を申し上げたため、死罪だけは許され、代わりに
大久保少二郎は朝鮮に派遣され、本多平四郎は関東に、そして牧野勘七は名護屋に留め置かれた。

このうち、本多平四郎は関東に下る途中、京において剃髪、出家し、関白秀次の家老に仕え、
秀次切腹の時、その家老に殉死。
大久保少二郎は対馬において病死。
その屍骸が名護屋へと送られると、牧野平四郎は少二郎のために、追い腹を斬って死んだ。

そんな、生々しい戦国の三角関係の顛末。
138人間七七四年:2009/05/02(土) 01:06:28 ID:D68E/Cnu
堺の豪商べに屋には、同じく堺の豪商の薬問屋に嫁いだ娘がいた。
この娘にはある噂があった。夫が明に商売に行っている間、さる公家と
浮気しているというのである。この噂を耳にしたのが畠山尚順の家臣、
木沢という男だった。ある日、彼は公家のふりをして嫁の家の門を叩いた。
「あっ、あの方がいらっしゃったわ」と思った嫁は迂闊にも下女に門を
開けさせてしまう・・・。

それ以降、べに屋から畠山家に多額の資金援助がされるようになった。
つまり「不義をバラされたくなかったら金を用意するんだ。断ったら
どうなるかわかってんだろうな?」ということである。
139人間七七四年:2009/05/02(土) 01:09:40 ID:nqL9dxLH
でもこうやって伝わっていると言うことは結局ばれたんだな
140人間七七四年:2009/05/02(土) 01:14:07 ID:SCHixyT7
>>138
この木沢が、あの戦国初期の奸雄木沢長政本人だとも、その父だとも言われているんだよなー。

参考
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-146.html
141人間七七四年:2009/05/02(土) 01:19:27 ID:BJ+5Oubp
家康のいい話にするか悩んだが、戦国の非情な戦術ってことで。既出ならすまん

「武田のゆる鏃」
家康が武田のやり方をリスペクトしてたことは周知だが、中には嫌ったこともあった。
かつて武田に仕えていた横田甚右衛門を召し、武田の軍法を聞くうちに話が弓矢の事になった。
彼曰く、
「武田の雑兵弓は、鏃を矢柄に緩く巻いて放ちます。
鏃が緩ければ、敵に当たった際、抜いても鏃が肉に残り、そこから肉が腐って敵は悶死に至るのです。
さすれば敵は我が弓を恐れ、やがて武田の弓矢の前に立つ者がござらぬ道理であります」
142人間七七四年:2009/05/02(土) 01:20:39 ID:BJ+5Oubp
それを聞いた家康は顔をしかめ、
「されば今日より徳川の士卒は、矢の根を固くして長く恨まれぬようにいたそう」
と言ったそうな。

以上、武田の現代戦における地雷に通ずるような非情な話。
武田が強かったのは、ひたすら戦の本質に徹したからなんだろうな。
143人間七七四年:2009/05/02(土) 01:28:34 ID:SwjFiOf8
>>118
その最強本願寺を山科で叩き潰した日蓮宗はどうなるの?
144人間七七四年:2009/05/02(土) 01:30:09 ID:SCHixyT7
145人間七七四年:2009/05/02(土) 04:57:57 ID:zV+qHAhR
>>137
この手の話でいつも思うんだが、いくら衆道が普通の事だったとしても同性愛者多すぎねぇ?
同性愛者というか両刀使いなんだろうけど、この話なんかモロに恋愛話だもんな・・・

社会的に許容されてると結構抵抗無く男を好きになれるんだろうか?


まぁ現代でも隠れ同性愛者を含めると、オレが思ってるよりそういう趣味の人は多いのかもしれんが・・・
146人間七七四年:2009/05/02(土) 06:13:22 ID:VtiwyZ1v
>>142
直家「やはり武士の本懐は爽やかなる殺死合に候」
147人間七七四年:2009/05/02(土) 08:47:17 ID:jBMbTWhI
松永「たまには討ち入りもオツじゃろう」
148人間七七四年:2009/05/02(土) 11:25:04 ID:CBXgoMyH
>141-142
非情のあまり周囲を敵に回してやがて滅亡を招いた武田信玄の悪い話、だな。
149人間七七四年:2009/05/02(土) 12:10:24 ID:V5s2GZLG
>>145
武家の者って子供時代に寺で教育を受ける際に、その寺の僧に衆道の
手ほどきを受けるらしいことを何かで読んだ気がする
だから大概の連中は抵抗ないんじゃないか

秀吉が男に興味なかったのは、この教育を受けていないせいかもね
150人間七七四年:2009/05/02(土) 12:29:55 ID:MEtlXHpr
げん担ぎだから、武家出身者は当たり前か・・・
でも、武家出身者でも関係なしなのいたような・・・・
大友宗麟って女専門イメージあるんだが
そして、秀吉と意気投合
宗麟から金髪美女の話を聞き、海外出兵を考えるようになる
一方、宣教師が日本の女をさらっていると聞きキリスト教禁令
ないない・・・・よね
151人間七七四年:2009/05/02(土) 13:24:09 ID:Sa6MLZfT
何世代も戦争してると、感情とか感覚とかおかしくなるんじゃないか>衆道
152人間七七四年:2009/05/02(土) 13:33:12 ID:ydTvCfPT
>>151
衆道はもともとは寺から始まり、貴族に流れ、貴族に仕えた武士へと伝わった。

平安時代の公家と天皇家の衆道っぷりはすさまじいものがあります。
戦争とは関係ないね。
153人間七七四年:2009/05/02(土) 13:37:26 ID:/rdmfqfj
>>145
キリスト・イスラム圏でも結構いるけどね。
イングランド王とかマムルークのみなさんとか
154人間七七四年:2009/05/02(土) 13:38:38 ID:3MHBtxnl
っつうか、特権階級における男色なんて、東は春秋・戦国から、西は
メソポタミア・エジプトから古代ギリシア・ローマに至るまで、普遍的と
言って良いほど存在しているわけだが。

その点では、日本もスタンダードであったというだけでは?
155人間七七四年:2009/05/02(土) 13:41:36 ID:SCHixyT7
>>154
まあそういうこと。つーか、前近代の軍隊において、男色、衆道は普通の事だしね。
2,3年前、アフガンの軍閥の首領同士が、一人の美少年をめぐって軍事衝突起こしてて、
「戦国時代かよ!」って驚いた覚えがあるw
156人間七七四年:2009/05/02(土) 14:16:46 ID:iyIi9UGS
スパルタがやぶれたテーバイには神聖隊というのがあってだな。
これはホモで結束を強めていたらしいぞ。
古代ギリシャでも少年愛が一番貴いとされていたそうだし。
157人間七七四年:2009/05/02(土) 14:17:21 ID:gRcP0Mdc
エロしか手軽な娯楽のない時代だったからな。
女に飽食すりゃこれしかやることがない。
158人間七七四年:2009/05/02(土) 14:52:00 ID:v7/1OTVN
ドイツだっけ・・・?
現代において軍内の恋愛情事が
同意のある場合だけ正式に認められてるの・・・
159人間七七四年:2009/05/02(土) 15:24:54 ID:i62rPLtP
>>152
卒論で「台記」やったやつがいたwww
160人間七七四年:2009/05/02(土) 15:55:28 ID:2Zn4Fniu
結束力が生まれて本人達的にも軍的にも良いことじゃないか
理に叶ってる
161人間七七四年:2009/05/02(土) 17:59:22 ID:gRcP0Mdc
同性愛を美化していたのはギリシアくらいのもんで
大抵は獣姦と似たような扱い。
みそっかすの柔弱ヤサ男が一方的に掘られる弱穴強棒の世界。
あまり団結力が生まれるとは思えんなあ。
162人間七七四年:2009/05/02(土) 18:38:13 ID:cLhm7zai
衆道と聞いて思い出した。前田慶次のちょっぴり後味の悪い話。

晩年の慶次には可愛がっていた稚小姓がいた。
ある時「わしはもうすぐ死ぬ。主人が死ねば、家臣もそれに殉ずるのが道理だが、お前はヘタレだから、そんな事できないだろうなぁ」
と戯れてみると、それに腹を立てた稚小姓、
「そのような事はありません。私の覚悟をお見せいたします」
と、服を脱ぎ捨て刀を手に取り、腹を十字に裂き、喉を貫いて、慶次の目の前で果てた。

「なんという事だ。わしの悪戯で若者を死なせてしまうとは」
慶次は深く嘆き悲しみ、その数日後、失意のうちに亡くなったという。


直接関係ないですが、慶次が最期を迎えたのは、例の床柱に一撃くれた堂森村の太郎兵衛の家だったとする説もあるそうな。
163人間七七四年:2009/05/02(土) 18:41:43 ID:qxiwFWJ4
>>161
同性愛=団結力ってのが美化していたギリシアの発想だから
ギリシアではそうだったんだろう。
164人間七七四年:2009/05/02(土) 19:35:37 ID:tlGIi9UO
>>146
さ・・・わ・・や・・・か?
165人間七七四年:2009/05/02(土) 20:51:38 ID:gRcP0Mdc
>>141
そういう細かな細工は考え付くのに
毒矢が滅多に使われなかったのは不思議だな

>>142
当時の三河における怨念の恐ろしさ、とも取れる。
166人間七七四年:2009/05/02(土) 20:55:29 ID:xlEA9V/o
>>161
古代ゲルマンでは、友情の証として契ったそうな。
つまり、一方が一方を掘るだけでなく、お互いに掘って掘られての関係。

>柔弱ヤサ男が一方的に掘られる弱穴強棒の世界
だけではない。

>>159
ここ数年、何か有名になってきてるなあw>台記
167人間七七四年:2009/05/02(土) 21:34:22 ID:Zd51S0RB
武田信玄は、信玄堤などの土木事業や、金山開発の採掘などの内政が知られてるよね。

昼夜問わず掘るのが得意だったんだね。
168人間七七四年:2009/05/02(土) 21:38:26 ID:kFzCIKRp
>>160
近代の軍が、命令に私情を挟む可能性があるってんで同性愛を嫌ってるのとは逆になるな
169人間七七四年:2009/05/02(土) 22:24:39 ID:Qtx1aHGU
確かに女やオカマは公私混同する奴が多い印象だな
170人間七七四年:2009/05/02(土) 22:28:23 ID:BJ+5Oubp
ホモを見てると、あいつらは戦うために生まれたとしか思えん。
色々と強すぎる。
171人間七七四年:2009/05/03(日) 00:03:17 ID:5ZpN9oWt
非キリスト教圏ではホモは別に普通のことだと思ったが
172人間七七四年:2009/05/03(日) 00:31:27 ID:mnFRoUCV
>>162
慶次にしては全然笑えん話だな。
>165
その辺はマナーじゃないか?
現代で細菌兵器使わないような。
水の手を絶つのは常套手段だが、井戸に毒を入れるのは
ないことはないが、ポピュラーじゃなかったようだし。
173人間七七四年:2009/05/03(日) 00:46:18 ID:wEHVKrSj
雑兵物語には敵地の井戸には糞が投げ込まれてるなんて話もあるが。
174人間七七四年:2009/05/03(日) 01:19:40 ID:oi42acRT
おまえらが言ってる毒って具体的に何よ?
薬品をきちんと管理するのはかなり大変だぞ

薬箱に入っているしょうもない風邪薬ですら日光に当てるなとかビンをきちんと締めて空気に触れさせるなとか
いろいろ書いてある
175人間七七四年:2009/05/03(日) 01:30:53 ID:ChvWMCri
何を狙うかにもよる。
遅効性でいいなら、
それこそ緩やじりや鉛玉で十分だし、糞尿で破傷風を狙えるわけで。
176人間七七四年:2009/05/03(日) 01:49:03 ID:uFnjfNgl
馬糞汁すら飲むのが武田軍だぜ?
177人間七七四年:2009/05/03(日) 01:53:37 ID:4YIhSDT2
有名かもしれないけど、まとめになかったはずだからいいよね?

甲斐の虎武田信玄が恐れおののいたものがあった。その名は芋虫。蝶の幼虫である。
もちろん触ることなど到底できなかった。このことは家臣にも知られていたらしく、
馬場信房も知っていた。ある日のこと、信房はわざと芋虫を信玄の目の前においた。
動機はわからないが、信玄の芋虫嫌いを克服させようとしたのか、もしくは単なる
嫌がらせだろうか。

信玄(げっ、芋虫!)
信房「ニヤニヤ」

信房は皮肉っぽく笑ってみせた。

信玄(畜生、わざとやりやがったな!ここで握らなかったら面目が立たねぇ!)

そう思った信玄は勇気を振り絞って見事芋虫をその手に握りしめた!
・・・まではよかったものの、信玄の指は変な色になっていたという。

虫嫌いにとって拷問のような話。
178人間七七四年:2009/05/03(日) 08:39:56 ID:Ajl0Diu6
>>174
トリカブト畑を用意しておいて
有事には根っこを掘って持っていけばいいんでね?
アイヌも矢毒に使っていたし。
179人間七七四年:2009/05/03(日) 09:39:17 ID:zvGJ7m4p
>>177
これはひどい。
180人間七七四年:2009/05/03(日) 11:43:05 ID:9ODOO3m+
毒使うと報復とかその後の領国・領民経営とか戦後処理が面倒臭くなるんじゃないの
完全な隠蔽なんて出来ないだろうしさ
181人間七七四年:2009/05/03(日) 12:19:56 ID:a3vYXFyi
>>164
スカッと爽やか、お茶ドゾー
182人間七七四年:2009/05/03(日) 12:35:40 ID:KR3YmV+m
>>177
力を入れすぎて黄色い汁がムニュ〜と垂れてそう...。
183人間七七四年:2009/05/03(日) 12:51:41 ID:KBbLOaTI
>>173
関東大震災で朝鮮人が井戸に糞を入れて虐殺されたとか
184人間七七四年:2009/05/03(日) 13:14:13 ID:kqhXMGFb
長宗我部さんって井戸に毒いれてなかったっけ。
185人間七七四年:2009/05/03(日) 13:48:02 ID:cmvWgr7y
井戸に毒混入は内応者しかできないから攻城側には責任はないよ
毒は外部からだろうけど

降伏後に撫で斬りにするどっかのキチガイ勢力より遥かにマシ
186人間七七四年:2009/05/03(日) 13:50:01 ID:Kg9QMugn
>>180
水を使えなくするのは防御側。
中国古来からの「清野の策」てのは住人家財を集めるだけでなく水も絶つのが常識
187人間七七四年:2009/05/03(日) 13:53:27 ID:RaYpZMVF
撫で斬りは見せしめだよ
それ以上の戦禍拡大を防ぐためにやることが多い
信長はそのパターン
信玄は負けた腹いせにやっちゃってたけど
武田はまあ・・・基地外っていうよりも土地柄で厳しくしなきゃならなかったんだろうな
188人間七七四年:2009/05/03(日) 19:53:50 ID:TtQ34QVf
>>184
長宗我部さんはそんな酷いことしないよ
内通者にやらせてるだけで自分の手は真っ白だよ
189人間七七四年:2009/05/03(日) 20:05:09 ID:Wk0HLl5h
今更ながら戦国武将列伝での森長可バロスw
無理にいい人にすんなよw
190人間七七四年:2009/05/03(日) 20:17:15 ID:NGAVX0Iz
大阪冬の陣での一コマ。

12月4日、霧深い日であった。この朝、井伊直孝の部隊が、大阪城の堀際まで仕寄せた。
が、これを聞いた秀忠は「それは軍令違反である!」と怒った。
秀忠は井伊直孝に処分を申し付けようとの勢いであったが、本多正信が「とにかく、大御所様に
お伺いしましょう」と、家康の下に走った。

これに家康、「今日は将軍は、ご機嫌が悪いようだな。あれは若い直孝が、堀際まで攻め寄せる事で
戦線が停滞して、気が緩んでいる味方の気を引き締め、敵を威嚇したものだよ。奇特な事じゃないか。」

正信、いかにも左様でございますと承り、帰って秀忠に報告するが秀忠、納得しない。
「私の考えと大御所様の考えは違う!」と、今度は家康の下に自ら乗り込んだ。
その折井伊陣の傍を通ったのだが、この時秀忠、井伊直孝の姿を見ると、ぐっと睨み付けた。

睨み付けられた直孝は事態が良く呑み込めず、気持ち悪さを感じていると、家臣の孕石備前が、
「今朝のことでしょう。アレが合点出来ないような大将なら、かまわないから、こっちからも
睨み返してやりましょう!」

秀忠、家康と話をしてようやく納得し、帰る時には井伊陣に寄り、今朝の攻め寄せを褒めたのだとか。
直孝がこの事を孕石備前に話すと、孕石

「ま、今朝の事がどう言う意図から出たものかをきちんと合点すれば、そうなるはずですよ。」

当然な事だ、と言ったのだそうだ。
孕石備前、この者も、甲州の古強者だったということである。

秀忠ちょっと恥ずかしい話。
191人間七七四年:2009/05/03(日) 20:56:37 ID:oi42acRT
その孕石って幼少の竹千代いじめてて後に武田家に仕えた孕石となんか関係あんの?
192人間七七四年:2009/05/03(日) 21:03:40 ID:TtQ34QVf
>>191
たぶん息子
193192:2009/05/03(日) 21:09:02 ID:TtQ34QVf
ごめん、息子は主水だった
194人間七七四年:2009/05/03(日) 21:16:04 ID:tRydxIhg
>>191
一応、駿河の出で武田家に仕えたとあるが、直接的な繋がりはなく多くいる一族の一人と思われる
三方ヶ原の合戦時に梅毒で歩行困難だったが、下人に背負われて前線まで行き、そこから這い出て
一番槍を取ったという話がある
195人間七七四年:2009/05/04(月) 00:54:20 ID:gCzf1ljY
ある時、坂崎直盛が、同じ馬好き仲間の桑島某という者を見つけ挨拶をした。

その時の四方山の話をしているうちに、桑島はこんなことを言い出した。

「今、私の家来の中に、成敗したい者が一人いるのだが、この者身動きが俊敏で、
いざ成敗しようとすればそれに抵抗し、私や家来達にも多く被害が出るのでは、と思い、
私のような小身の身で、そのような被害を受けてはたまらないので、
我が本意は未だ遂げられずにいるのですよ。」

直盛、この話を目を輝かせて聞いた。彼はこんな話が大好きだ。
何故ならそれが坂崎直盛だからだ。

「桑島殿!その家来を私の下によこしなさい!私が代わりにそ奴を成敗してくれよう!」
「え?」

直盛のテンションはどんどん上がる。
「よろしいな!いや、もしよろしくないなどと言うのなら、今後あなたとは絶交させていただく!
さあ、よこすのか!?絶交いたすか!?」

「そ、そう言うことなら…」
桑島、半ば強制的にこれに同意させられた。

さて、数日後の明け六つの時分、桑島から、かの家来が使者として、書状を持ってやってきた。
直盛、小姓一人を連れ、屋敷の門の外でこれに対面し、書状を開くと、使者の方を見て、言った

「この書状には、お前を成敗せよと書いてある。」

かの家来、それを聞くや否やすばやく逃げ出した。なるほど、言われた通り俊敏な男だ。
直盛、小姓より刀を受け取り、それを手に追いかける。そして肩に手を負わせるが、
なだらかな坂になっている場所で両人とも転ぶ。
先に立ち上がったかの家来は、直盛に二箇所の手傷を負わせるが、直盛そこに踏み込み、
一刀で討ち取った。

大名自身による代理殺人と言う、いかにも坂崎直盛らしいといえば、らしいお話。
196人間七七四年:2009/05/04(月) 15:20:34 ID:7VFfrYp4
織田信長が安土に移住すると、その近臣たちも移住を命ぜられた。
信長の命令は、家族総出で尾張から移住せよ、というものだったが、
家臣の中には移住したくない者が多くいて、そういう者たちは妻子を
尾張に残していた。1578年、信長が実態調査を行うと、百人以上の
家臣が命に従っていないことがわかった。そこで信長は子の信忠に
命じて、妻子を残していた弓衆の家を放火し、木や竹を刈り取って
更地にしてしまった。これを見た他の家臣たちは恐れおののき、
急いで家族を安土に呼び寄せたのだった。

だが、それでも従わない者もいた。井戸才介である。彼は一向一揆との
戦いで活躍した馬廻だった。才介はこの有様を見ても家族を呼び寄せず
自身も安土に寄り付かなかったのである。そんな男に信長が下した制裁は
『死』だった。1579年、信長は信忠に命じて才介を裁いたのだった。
197人間七七四年:2009/05/04(月) 18:56:32 ID:yXvglAPV
「如意来さん」に祈れば家族を呼び寄せられたのに。
198人間七七四年:2009/05/04(月) 20:59:45 ID:o9b9+S/E
命令を徹底したいのになかなか側近が命令を聴かないんだよな

コレだって安土に単身赴任してた奴が火をだしたから布令されたんだし

井戸も仲間のところを転々てしてたんだよな
199人間七七四年:2009/05/04(月) 22:32:11 ID:9bPVB1Jt
>>198
> 命令を徹底したいのになかなか側近が命令を聴かないんだよな

信長公より嫁さんの方がオソロシスってことだな。
200人間七七四年:2009/05/04(月) 22:38:38 ID:2TkVjigJ
>>195
なんかそんな昔話なかったか。
お礼に宝物をあげるから手紙を届けてくれって言われて、
こっそり手紙を見たら「こいつを殺して食え」って書いてあったってやつ。
201人間七七四年:2009/05/04(月) 23:27:30 ID:MVN5AE1m
>199
正則「いやー、あの時は屋敷中を駆け回る羽目になってのぅ…」
202人間七七四年:2009/05/05(火) 01:03:54 ID:QTLRu64D
>>200
あったあった
小さい頃まんが日本昔話で見たことあるw
かなり不気味な話だった

203人間七七四年:2009/05/05(火) 01:33:24 ID:hIiqKVnA
寛永十一年(1634)、成瀬之成が病に倒れた。
病状はことのほか重く、医師達も、死はもはや時間の問題であるとさじを投げた。

この時之成の家臣の一人が、殉死したい旨を重臣達に申し出た。
しかも、之成が死ぬ前に切腹したい、と言うのである。

重臣達が、それは一体どういうことかと聞けば、この男

「之成様は、とある一文字の刀を所持しておられました。その刀は先が鈍く、
殿は、『これは切っ先が鈍いので、鍔元で勝負するほどの勇者が指料にする刀なのだ』
と、おっしゃっておりました。

そのうちに殿は、この刀を私に拝領して下さいました。これは、殿がわたくしを、
鍔元で勝負を決するほどの武士である、と、お認めになったからに違いありません。

殿が私をそのように認めていただいた。私も何か事があれば、その御眼鏡に違わぬ
働きをして見せよう。そう、日々覚悟を持って生きてまいりました。

しかし今、働きを見せることなくこのような事態になり、この上は御生前に
殉死をする事こそ、私の本望なのです。」

そのように言い、言葉通り、終に切腹して果てた。


戦雲が遠くなった時代の、武士の死に様のお話。
204人間七七四年:2009/05/05(火) 03:44:54 ID:nG+4kaQ4
遅レスだが古代ギリシャの神聖視された少年愛は異性愛と違って
「性欲が絡まない愛」だから同性を愛するのが清いと考えたものだと見たんだが
これだとヤったらやっぱ下賤な愛欲になるんじゃねーの。
205人間七七四年:2009/05/05(火) 08:04:22 ID:qDQAbNaP
多分男の人の上で腕立て伏せしてるだけだからセーフだろう
206人間七七四年:2009/05/05(火) 08:53:44 ID:JAWclBiw
いやパンクラチオンだろ
小池先生風エレクチオン付だが
207人間七七四年:2009/05/05(火) 09:29:27 ID:R2/kApJC
>>203
適当なことを言ってナマクラを押し付けられた挙句・・(;ω;)

>>204
現実主義のローマに受け継がれて
女に飽きた者にとっての次のステージに変質したからな。
208人間七七四年:2009/05/05(火) 11:48:12 ID:/xbKPJXb
>>205
中国では通用するw
209人間七七四年:2009/05/05(火) 18:53:33 ID:pWNm91+1
秋田実季が大事にした寺に、小浜の羽賀寺がある
このお寺、戦国期には収入が途絶え、本堂の再建もままならなくなった
つてを通じて頼ったのが実季で、実季は秋田の木材を寄付して再興に尽くした

さて、実季は宍戸に移っても、毎年米五十石を贈り続けた
朝熊に流された後も、書状を交し合い、蟄居暮らしの慰めとしていたようだ

もちろん、仲の悪い跡継ぎ・俊季がその想いを引き継ぐわけがない
まず、俊季は米五十石を、五十石分の金子に替えて寄付した
そして三春へ転封となったのを機に、一気に金子十五両まで切り下げてしまった

実季の憤激ぶりは、羽賀寺に送った書状から読み取れる
「米を金子に替えたのは、俊季側近の秋田四郎兵衛らのたくらみだ。
 寺ではあくまで現物で受け取れるよう主張すべきである」
「寄進は一年でも中断すれば、そのまま断絶されるだろう。注意してもらいたい」
「十五両に定めたのは四郎兵衛の謀だ。
 年寄(重臣)どもはことごとく、我らの敵になっている」

実季の晩年は心安らかでなかったようだ
210人間七七四年:2009/05/05(火) 21:24:43 ID:hIiqKVnA
関ヶ原の時の事。

川中島の森忠政は、真田昌幸への監視の役目を受け持っていた。
これに昌幸は、忠政領内の葛尾城に夜襲を仕掛けると言う居に出、葛尾城は
二の丸まで攻め込まれ、落城こそしなかったものの、大損害を受けた。

当時、葛尾城を任されていたのは井戸宇右衛門であったが、この時折り悪く本城の川中島に有り、
この有事に間に合わず、また、戦後の詮議で、宇右衛門の家来二人が、知行が少ないことに
不満を持って敵を引き入れたことがわかる。

当時森家の内外を一手に任されていたのは、あの出雲阿国とのロマンスでも有名な美男、
名古屋九右衛門であった。
彼はかねてよりこの井戸宇右衛門と仲が悪かったが、この時も名古屋は、みなの面前で
井戸を「油断者!」と罵り、二人の関係はさらに悪化した。

このような事もあり、森忠政は、井戸を「奉公振り宜しからず」とし、成敗する事を決意。
この時名古屋が「彼を成敗するならば私にお命じを。」と望んだため

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1536.html
この話にいたり、二人共に切り死にすることとなる。


にらみ合いの松事件より、3年前のお話。
211人間七七四年:2009/05/06(水) 13:37:09 ID:avYsSvhN
佐藤忠信の兜

天正十八年の事。豊臣秀吉、北条を滅ぼした後、宇都宮へと陣を進めたとき、
下総にいた本多忠勝を呼び出した。

忠勝、何事かと出向けば秀吉、熊野において得た佐藤忠信の兜を、忠勝に与えると言う。

佐藤忠信と言えば義経四天王。源平合戦のヒーローの一人であり、武士であれば憧れぬ者は
いないであろう。その兜を、秀吉から見れば陪臣に過ぎない忠勝に与えると言うのだ!
どんな武士であれ、これに感激しない者はいない。当然秀吉もそう思ったはずだ。

が、忠勝、その兜を前にどうにも喜んでいない。
秀吉、どうしたのかと尋ねれば

「いや…、義経の家来って言われても、オレは今既にその義経より官位上で、
さらにその家来の兜をかぶれってのは…

それにほら、ウチに代々伝わってる鹿角の兜の方がかっこいいし…。」


残念!忠勝に義経ブランドは通用しなかった。
結局譲られはしたものの、それを被る事も無く、忠勝の死後も嫡男ではなく次男に残した。

嗚呼秀吉、良かれと思ったのに誤算、なお話。
212人間七七四年:2009/05/06(水) 13:45:48 ID:aDrlhFVF
人たらしの名人もめんどくさい三河武士の前では形無しだな
213人間七七四年:2009/05/06(水) 14:29:57 ID:7vjzq9ww
さっすが忠勝!w
214人間七七四年:2009/05/06(水) 14:53:05 ID:ceTBgIc2
単に無教養で価値が理解できなかっただけじゃね
215人間七七四年:2009/05/06(水) 14:58:56 ID:hUa+SROt
55 投稿日:2009/04/26(日) 10:43:09 ID:jQ0lsR8U
批判がしたいためだけに思い込みで批判をする人間の小さきことよ
216人間七七四年:2009/05/06(水) 15:29:16 ID:avYsSvhN
つーか、源平合戦譚なんて、当時のドラゴンボールみたいなもので、
教養関係なく誰でも知ってる。
217人間七七四年:2009/05/06(水) 15:45:56 ID:9jogpu5m
外国人の見た家康

オランダ人
彼は甚だ貪欲にして、珍奇なる品の贈典を喜べども、高価を出して之を購ふことを、
容易に断行すること能はず

家康のケチは万国共通であった
218人間七七四年:2009/05/06(水) 16:30:52 ID:XjHuSPD/
>>209
主題とは全然関係のない話だけど、当時って現金よりお米の方が重く見られてたんかな?
金子でもらったほうが使い勝手良さそうな気がするけど…
219人間七七四年:2009/05/06(水) 16:46:44 ID:I3i/Dq9j
金子もらっても結局そのお金で米を買うんだろ?
しかも米持っている農家はそんな使い道のないものと物々交換に応じてくれない
220人間七七四年:2009/05/06(水) 17:05:54 ID:MLJqg/zc
>>216
ドラゴンボールにたとえると、佐藤忠信の兜ってなにになるんだろうな?
ピッコロの被ってるターバンみたいなものか
221人間七七四年:2009/05/06(水) 17:17:34 ID:BA+0CXfB
ドラ本ボールって・・・
ゆとり世代か
222人間七七四年:2009/05/06(水) 17:29:32 ID:ScTbiztw
そんなことより世界でもトップクラスのケチ民族にドケチ扱いされた
家康さんの立場は・・・
223人間七七四年:2009/05/06(水) 17:37:11 ID:qyKJUV9v
もったいないは 世界共通語ですよ

初代エコ将軍家康
224人間七七四年:2009/05/06(水) 17:37:48 ID:SJMnUGbr
ケチの中のケチ
キングオブケチ
225人間七七四年:2009/05/06(水) 17:52:12 ID:/ev1J0JT
>>218
当時は時期や地域によって、米価の差が大きかったらしいんで
米を売却したほうが利益出たのかもしらんね
226人間七七四年:2009/05/06(水) 17:53:10 ID:kuv7MVxc
>>211
イチローに長嶋茂雄のなんかの記念バットを与えたら
「俺の方が通産打率高いしメジャーで活躍してるし。
長嶋さん日本だけでしょ?」
といわれたようなもんかな?
227人間七七四年:2009/05/06(水) 17:55:46 ID:wMVSzaaT
>>222
ケチだからこそケチに厳しいんじゃないか
228人間七七四年:2009/05/06(水) 18:05:44 ID:lqHvXs83
家康:「外交儀礼として喜んでみせたら図に乗りやがって・・・」

南蛮船が土地の住民の略奪を受けた際にはきちんと補償しているし
ケチというより、ノリで散財しないということだな
229人間七七四年:2009/05/06(水) 18:11:34 ID:avYsSvhN
まあ嗜好品に興味を示さないのは家康の特徴だしね。
230人間七七四年:2009/05/06(水) 20:06:42 ID:YuRpRtaC
>>218
ちょっと乱暴だけど現代人的には
お米→現金
金子→証券、株券、ポイントカード
とイメージすればよろし。
便利だが、いざという時に役に立つのは・・・。
231人間七七四年:2009/05/06(水) 20:33:00 ID:gu/2pR/R
「米三十石」は本来どこかの土地を寺領として与えるべきところを
米の現物支給にかえたものだった
(所領を持たない中下級武士の俸禄みたいな感じ)
だから簡単には削れない既得権益のようなもの

ところが「三十石相当の金子」だと米=土地と切り離されて、ただの寄付金の扱い
与える側の都合で削れるものになってしまった

……と思いながら読んでいたのだけど、違うのかしらん
232人間七七四年:2009/05/06(水) 20:35:18 ID:gu/2pR/R
三十じゃない五十石か
233人間七七四年:2009/05/06(水) 21:59:35 ID:dFJ2GLj0
>>222
ケチ、ドケチを知るみたいな感じか?
234人間七七四年:2009/05/06(水) 22:08:39 ID:vUpAz+YG
>>231
まさにそういうことだろう。
235人間七七四年:2009/05/07(木) 00:55:22 ID:AVUW7Thc
>>
そりゃ無茶だ。
当時もその後の江戸時代でも、現金は十分重要視されているよ。

現金より米が上、っていうのは政権が表向きそう定めていたってだけで、
現実経済では米は現金に左右される商品の一つでしかなかった。
236人間七七四年:2009/05/07(木) 01:04:37 ID:kD3h0zsZ
>>235
ん〜〜、江戸時代の米本位経済と貨幣との関係はそこまで単純化できる
話じゃないけれども。
米は商品であると同時に、貴金属と並ぶ経済単位だからね。

確かに江戸時代は貨幣経済が発達し、国内が一つの市場として機能した
時代ではあるけど、必ずしも現代のような貨幣万能経済という訳でもなか
った。
237人間七七四年:2009/05/07(木) 01:06:23 ID:xfYmfLNA
太閤検地から、土地の生産高を石高で表す様になったのは、米が現金より上と言うよりも、
室町から戦国時代を通して、撰銭問題などで、銭の価値が非常に不安定だったことが大きな理由。
これは徳川幕府による寛永通宝の発行で、ようやく解消される。
238人間七七四年:2009/05/07(木) 01:22:58 ID:am5empdz
現代と違って貨幣の額面価値を誰も保証してくれないからな

当時は大陸からの銭の輸入が細って流通している銭が大なり小なり痛んでいたし
端数の決済のために割られているものも多かったはずだし

三十石相当と言われて渡された貨幣が実際いくらとして使えるかはっきりしないということもあったのではないか
239人間七七四年:2009/05/07(木) 02:29:32 ID:qwVjqqDU
いや当時の小判なんて額面の価値は金や銀の含有量で保障されている
それゆえに途中で含有量減らしたときに大問題となった
藩札なんてものは約束手形みたいなものだから別としてね
240人間七七四年:2009/05/07(木) 03:18:00 ID:xfYmfLNA
賤ヶ岳の合戦の勃発により、織田信孝が羽柴秀吉に対し、再度の挙兵を行った折のことである。

この時秀吉は、かねて信孝方より取っておいた人質を、磔とすることにしたが、
人質の中には、信孝の乳母もいた。

この乳母の子が、信孝の侍大将の一人、幸田彦右衛門であった。

磔の前、秀吉は人質を預けた信孝の重臣達に工作をし、信孝の重臣、岡本下野守などは、
人質の命と引き換えに、信孝からの寝返りを行った。
当然、幸田の下にも秀吉からの寝返りの要請があった。
が、この時幸田の下に、母より密かに書状が届けられた。
その書状に言う

『私が今、空しくなること、どうかゆめゆめ、嘆かないで下さい。
親とは必ず、子に先立つものなのですから。
あなたは唯、忠義を守って、主君に背かないようにしてください。』

この後、母は磔となった。
そして子の彦右衛門も、それから間もなくの天正十一年四月十八日、
織田信雄軍との抗戦において、潔く討ち死にをした。

戦国乱世の、ある母子の物語。
241人間七七四年:2009/05/07(木) 05:20:02 ID:yyFm0AAN
秀吉が主筋から人質を取っていた悪い話ですか
242人間七七四年:2009/05/07(木) 14:30:15 ID:xfYmfLNA
秀吉云々以前に、どうにもやるせない話と解釈していただければw
243人間七七四年:2009/05/07(木) 15:48:56 ID:V+eLk5gG
>>222
そんなケチな家康さんよりケチと言われる
前田犬千代さんの立場は・・・
244人間七七四年:2009/05/07(木) 18:36:40 ID:2uQmKyTF
>>242
時代によって価値観は変わるんだろうけれど、「悪い話」というよりは寧ろ「良い話」ではないかとw
245人間七七四年:2009/05/07(木) 19:55:07 ID:05iArTNG
金を隠し続けた犬千代さんを反面教師にして、ご子息は惜しみなく金玉を披露した。
246人間七七四年:2009/05/07(木) 20:13:01 ID:Z6QMCmBq
信孝自体が悲劇的だしな
その家臣で母子そろって死んじゃうとか、運命としては悪い話だな
247人間七七四年:2009/05/07(木) 21:38:34 ID:WwHE/t5W
徳川家光の業績も絡むんだよな、戦国期までのように中国銭の輸入に頼らず、
国内通過・寛永通宝を流通させて貨幣経済を安定化させた

>>236
平準化できるって意味ではよほどの飢饉を除けば米のが安定していたかもね。

とにかく国内から合戦が無くなったので兵糧米の買い占めで暴騰、なんて相場は起きにくくなってたし..
248人間七七四年:2009/05/07(木) 22:27:33 ID:2uQmKyTF
黒田某「米の買占めなど言語道断ですな。」
249人間七七四年:2009/05/07(木) 23:03:35 ID:xfYmfLNA
小松の丹羽長重の将、江口三郎右衛門の家来に、出口と言う、60を越えた老武者がいた。

さて、関ヶ原の折、丹羽長重は西軍に属し、山口玄蕃介の籠る大聖寺城を落とした
東軍の前田利長の部隊に後ろより近づき、これと戦闘を始めた。

出口も真っ先に進んで首を取ったものの、悲しいかな老武者である。
歳にはかなわず息が切れ、しばらく休んでいると、誰とも知らない雑兵たちが十四五人で
走ってきて、その首を奪って行ってしまった。

出口は大いに怒ったものの、どうすることも出来ずに呆然としていると、
なんとその戦場に、白髪を頭の上に結い上げ、自分の織った麻衣を着け、腰に短刀を指し
片手に酒の入った瓢箪を持った老婆が、江口三郎右衛門の陣所に向かっていくのを発見した。

出口の妻であった。

「あいつ!何でこんな戦場を通って陣所まで…?ははん、わかった!戦場で苦労しているわしに
大好物の酒を届けにきたのだな!中々気が効くではないか。
おーい!わしはここだ!ここにおるぞー!!」

大喜びで妻を呼ぶ出口。が、妻はそれが全く聞こえないかのようにツカツカと行き過ぎていく。
そのうち出口の同僚達が、出口が必死になって老婆を呼んでいることに気が付き、
これを老婆に伝えると、この婆様

「ええ、ありゃあウチの亭主ですよ。江口の殿様は、この山上にいらっしゃるのですね?
いや、酒を差し入れにはるばるやって来たのですが、あんな、首を一つ取ったくらいで
昼寝して、挙句その首を取られてしまったような者に、飲ませる酒なんかありませんよ!
あんたらも酒飲みたきゃ、命の限り働いて、手柄をなさいませ。」

婆様、旦那が首を奪われた一部始終を見ていたのだ。
彼女は出口を完全に無視し、江口三郎右衛門が陣を引く、浅井山山上へと登っていった。
出口も勇者である。妻にこのように辱められて黙っていられようか。と言うか、せっかくの酒を
飲まされないままでいられようか!彼は再び戦場へと駆け出した。

さて、江口三郎右衛門の陣所には、江口とその側近の南部右衛門と言う者がいたが、
そこにこの老婆現れ

「さあさあ、酒を持って参りましたよ!あなた方に注いで差し上げましょう!」

戦場での意外な酒の振る舞いに、両人、喜んでこれに舌鼓を打つ。
するとしばらくして出口、ぜいぜいと息を切らせながら、首を一つ下げてやってきた。
老いたりとは言えさすが勇者、戦場に駆け戻りあっという間に首を取ってしまったのである。

「婆様!これでどうじゃ!?さあ酒を飲ませろ!」

これに老妻、片腹痛いとヒャッヒャと笑いながら

「何を言うか、その首はお主の功名ではない、この酒がお主に取らせたものじゃ!」

と、持ってきた瓢箪をひっくり返してみせる。
するとどうであろう、もう一滴も無い。そう、江口と南部によって、その酒は既に
飲みつくされてしまっていたのだ。

これには出口も
「ああ、こんな古女房にたぶらかされて、すっかり無駄骨を折ってしまった…。」
と、がっかりと膝をつき、その姿に江口と南部も、大いに笑ったそうである。

北陸の関ヶ原での、パワフルな爺様と婆様のお話。
250人間七七四年:2009/05/07(木) 23:22:45 ID:153HxIhQ
丹羽長重の括りになっているのでわかりにくいが既出ですお
251人間七七四年:2009/05/07(木) 23:33:52 ID:xfYmfLNA
orz

スマンカッタです。ちゃんと確認しておくべきだった。
252人間七七四年:2009/05/07(木) 23:39:35 ID:PRc4LGoa
出口や婆様は丹羽家改易後どうしたんだろなぁ
常陸や奥州にもついていったんだろうか
253人間七七四年:2009/05/08(金) 00:20:38 ID:O+EPmnA0
永禄七年(1564)、徳川家康の三河吉田城攻めで、徳川十六神将の一人としても数えられる、
当時26歳の青年、蜂屋半之丞は、本多忠勝と先陣を争い、数多の敵を討つなど大きな活躍を見せた。
が、不運にも流れ弾に当たり、討ち死にした。

半之丞の屋敷では、彼の母が半之丞の帰りを待っていた。
蜂屋家の家来達が戦場より返ってきたので母は急いで門前に走り聞いた

「半之丞はどうなりました!?」

これに家来は沈痛な面持ちで、「討ち死になされました」と、報告をした。

ところが、母はこの家来にキッと顔を向け
「そんなことは知っています!討ち死にまでの首尾はどうだったかを聞いているのです!」

「そ、それでしたら、多くの敵を斃しました。」

にこりと笑い
「それを聞きたいと思っていたのです。」

そう言って、奥へと戻っていった。
そして家来たちに見えぬところまで下がると、そのまま打ち伏し、前後もわからなくなるほど
泣き、嘆いたとのことである。

当主である半之丞が死んだ以上、蜂屋家を守るのはこの母である。
息子の戦死とはいえ、家来達の前で嘆くわけにはいかなかったのだ。

そんな時代の、武士の母の、お話。
254人間七七四年:2009/05/08(金) 00:36:41 ID:fqPkV/En
応仁の乱のさなか、山名勢のために相国寺が炎上した。この寺は
将軍御殿に隣接していたため、人々は皆恐怖した。しかしながら、
当の将軍義政は焦りを一切見せず、酒宴を楽しんでいた。

そんな中、義政のある家臣が「俺はこの戦いで死ぬだろう」と
覚悟した。彼は義政の前に参上して言った。

「公方様、某の生涯の奉公の褒美として盃を頂けないでしょうか。
あの世の形見にしとうございます」

「うむ、よかろう!」

気をよくした義政は揚々と盃を与えた。家臣はうやうやしく盃を
頂戴した。

「この百年の命、主君の恩に報いるために捧げよう」

そう言って家臣は立ち去り、間もなく討ち死にした。

こうして彼は本懐を遂げたが、この騒動で義政は終始動揺しなかった
という。家臣の心は義政には伝わらなかったのだろうか・・・。
255人間七七四年:2009/05/08(金) 00:58:23 ID:lHy0wMVG
>248
はーりーまー
256人間七七四年:2009/05/08(金) 01:02:37 ID:O+EPmnA0
>>254
この時日野富子も「危険だから避難しましょう!」って言うのに、無視して酒宴続けていたんだよね。
肝が据わっているというか、虚無的というか。

まあ東西両軍とも将軍御所は攻められないって事をきちんと把握していた、って説もあるけど。
257人間七七四年:2009/05/08(金) 01:27:50 ID:DqmN4pWf
義政ぐらい厭世的で、ある意味非人間的なタフさがないと
あの当時トップ務まらんよ・・
おれなら一週間で胃腸がぼろぼろになる
258人間七七四年:2009/05/08(金) 01:38:49 ID:zOzOZAna
>>241
生母と乳母と娘を人質に出しときながら平気で秀吉に敵対する信孝の悪い話でも有るな
戦国最強のマザコンである秀吉には到底理解できない所業だったろう
259人間七七四年:2009/05/08(金) 01:58:22 ID:IN80dGfX
義政はうつけなのか再評価すべき人間なのか

子供のころから日野家をはじめとした大人たちが好き勝手にやっていたからどうでもよかったか
260人間七七四年:2009/05/08(金) 02:21:30 ID:yu+hMv+T
>>259
評価は出来ないでしょ。
公家なら風流人で済むけど、征夷大将軍なんだし。
261人間七七四年:2009/05/08(金) 03:20:23 ID:O+EPmnA0
足利義政について

評価される点
・応仁の乱で直轄軍である奉公衆を温存させ、乱で疲弊した諸侯に対して相対的に、
 幕府の武威を上げた。
・鎌倉公方、足利成氏の反乱(享徳の乱)を、幕府(関東管領)主導で収束させた。
・応仁の乱での京の被害を最低限に抑え、その復興も意外なほど早く成し遂げた。
・三管領のうち畠山、斯波の二家まで、実質的に幕府権力に屈服する存在にし、細川京超家も
 しばらくは分裂含みの不安定な状況にさせた。
・上の事もあり、幕府権力を管領を中心とした大諸侯による合議体制から、将軍とその側近集団による
 権力機構への変化を促した。
・東山文化


評価出来ない点
・定見性の無い諸侯分裂工作が応仁の乱を引き起こした。
・弟の義視を後継者にすることを貫徹できず、明応の政変以後の将軍家の分裂の種をまいた。
・また、義視を西軍に追いやった事により、西軍の側にも奉行衆、奉公衆といった将軍側近機構を
 構築させてしまい、特に明応の政変での、奉公衆分解への種を撒いた。
・応仁の乱より始まった地方の混乱により、諸侯の在京義務が殆ど有名無実化した。
 (幕府の求心力の低下)
・関東の混乱収集に対し堀越公方と言う中に浮いた存在を作ってしまい、これが後に幕府および
 東国の混乱の元となった。
・将軍権力の独裁化方針が、細川京超家を初めとした大諸侯の警戒と反発を招いた。
・畠山氏、斯波氏の弱体化による、既存秩序の流動化(下克上)


義政は政治の方向性としては間違ってないんだけど、定見が無く場当たり的な対応が多くて、
結果混乱を増幅しちゃっている感じがする。
262人間七七四年:2009/05/08(金) 08:34:32 ID:d+/+6AR/
評価出来ない点は全部結果論な気が…
263人間七七四年:2009/05/08(金) 10:14:28 ID:hH1IrBll
>>261thks
まとまりよくて判りやすかった
細川京超家?京兆家?どっちだろ
264261:2009/05/08(金) 11:25:08 ID:O+EPmnA0
うわ恥ずかしい

×京超
○京兆
265人間七七四年:2009/05/08(金) 17:02:14 ID:eI6uCziq
>>262
方針がふらふらしてる面はそうでもなくないか
あとある程度は先見性の問題もあるしさ
266人間七七四年:2009/05/08(金) 18:24:22 ID:O+EPmnA0
加藤清正の子、忠広がある時家臣たちに

「何が欲しいかと言えば、私は力がほしいな。
何故かと言えば、例えば十人力もあれば、重い鎧を二重に着れる。
そうすれば鉄砲への気遣いなんていらないだろ?
だからただただ、力が欲しいのだ。」

と、こんな事を言った。
これに重臣の飯田覚兵衛、

「わたくしは、力など要らないものだと存じております。
父君、清正公は薄金の鎧で数度の合戦にお出になされましたが、
終に負傷いたす事はありませんでした。
それにどんなに用心しても、時期が来れば、命は無くなる物でしょう。」

この言葉に忠広は、しかしわずらわしそうに、何も答えなかったそうだ。

この日、角兵衛は城より退出するとき玄関にて
「父君とは天と地ほども隔たり、劣っておられる。もはや加藤のお家も末となってしまった。

そう語り、涙を流したそうだ。


やがて来る肥後加藤家の改易を予感しさせる、なんとも絶望感漂うお話。
267人間七七四年:2009/05/08(金) 19:12:45 ID:8TKUWRkJ
>>266詳細乙
だがまとめスレにあるのだよ..




ワンナウトー! ヲー!
268人間七七四年:2009/05/08(金) 19:17:50 ID:O+EPmnA0
なんですってー!?

うわー、同じ覚兵衛でも、「清正に騙された」って奴は覚えていたんだが、こっちは無かったと…
書き込む前にちゃんと調べないといかんですなあ。
269人間七七四年:2009/05/08(金) 20:01:31 ID:O+EPmnA0
ではお詫びにもう一つ


本多忠勝は、自分の領地において目安箱を作り、訴訟がある者もその箱に入れ、
これを忠勝自身が見て、直に判断するようになっていた。
そのため、忠勝の領内では裁判が少なかったそうだ。

さて、忠勝の孫、政朝は病弱なため、この藩主自身による判断が出せず、先代に比べ
裁判が多くなった。そこで

『裁判で負けた者には、課料として金一両を取る』

としたところ、それ以後は又、裁判は非常に少なくなったと言う事である。


目的と結果が逆になっちゃった、ちょっと悪い話。
270人間七七四年:2009/05/08(金) 20:52:16 ID:c5dajogL
良い話で秀吉の落首の話があったので、今度は同じネタで悪い話

揶揄する落首を書かれた秀吉
当日の警備担当者を処刑し、更には作者を探させ本願寺にいると解るや、謀反の脅しをかけられ
本願寺はやむなく、相手を自害させ引き渡した
この他にも数十名が磔にされ、町2つが焼き払われたという

詳しくはここの
ttp://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/juraku/nenpyo.htm
「聚楽第落首事件」を参照
271人間七七四年:2009/05/08(金) 20:59:22 ID:Xc0B0vFh
>>269
今も昔も、官僚が数字にこだわっちゃうのは同じなのかなw
272人間七七四年:2009/05/08(金) 21:25:51 ID:O+EPmnA0
>>270
やっぱり淀殿の懐妊に、秀吉自身も色々疑惑を持っていたのかもね。
それでこんな弾圧になってしまったのではなかろうか。
273人間七七四年:2009/05/08(金) 22:53:27 ID:8TKUWRkJ
>270

なんていうか、ラスボスだなあ
274人間七七四年:2009/05/08(金) 22:59:18 ID:8TKUWRkJ
>258
秀吉の織田家、重臣連中への追い込み方は尋常じゃないね
闇金893の追い込み話がまだマシに聞こえるくらい巧みでえげつないわよ


そういえば
コロッと柴田を裏切った前田さんにはどんな工作が行われたんだろうか
275人間七七四年:2009/05/08(金) 23:17:13 ID:5iNHeTDE
あらかじめ内応してたような気がする
そうでなくても個人的に親しかったから悪い対応はしないだろうし
276人間七七四年:2009/05/08(金) 23:32:47 ID:VtP4pzZE
だが不仲になっていたわけでもない最古参の家臣をあっさり殺すぐらいだしなんとも
277人間七七四年:2009/05/09(土) 00:55:45 ID:m0e9Ddi9
>>276
結局無学の成り上がりと言うことか。
278人間七七四年:2009/05/09(土) 01:06:08 ID:FQD/tNGD
無学ではない
279人間七七四年:2009/05/09(土) 01:52:15 ID:j9oHZBRn
晩年の足利義政は隠居を考えていた。既に将軍職は息子の義尚に
譲っている。義政は延暦寺の末寺、浄土寺の所有地に隠居所を
建てることにした。

だがそこには天台僧が設けた墓地があった。彼らは当然抗議したが、
義政は素知らぬ顔で土地を取り上げた。芸術にかける義政の情熱は
不屈なのだ。

そこで僧たちは将軍義尚を頼って、東山殿の気まぐれで墓地を
壊すなんてことをすれば、必ずや仏罰をうけることだろう、と
義尚に訴えた。

義政と義尚の関係は、義尚が父の愛人を寝取るなど、いろいろ
あって険悪だった。しかし、義尚は義政側に立って僧たちを
なだめた。仲直りしたのかな?

義尚の応答
「まあまあ、落ち着けって。お前たちも親父の年齢は知ってるだろ?
どうせ、もうすぐ天に召されるから。親父が死んだら悪いように
しないからさ、今はじっと我慢してくれや」

この親子の対立は相当根深いようだ。
280人間七七四年:2009/05/09(土) 01:54:17 ID:xkfmbil6
>>187
なして織田だけそのケースなのかと。
比叡山焼き打ちなんかどう見ても
志賀の陣で負けた腹いせなのに。
武田も別に負けたからやったわけじゃないんだが。
281人間七七四年:2009/05/09(土) 01:55:42 ID:xkfmbil6
>>148
だから別に滅んだのは勝頼時代で
信玄時代は死んだ時も同盟国たくさんいたんだが。
282人間七七四年:2009/05/09(土) 02:16:48 ID:G+islAFq
腹いせもなにも、叡山は己の意思で明確に信長と敵対して、講和交渉も拒否したほど。

普通に交戦中の相手を攻撃することが、なんで腹いせになるのよ?
283人間七七四年:2009/05/09(土) 02:16:54 ID:Sf4gU2dw
>281
つ 「やがて」
284人間七七四年:2009/05/09(土) 02:29:08 ID:hD8zy7hZ
>>281は織田信忠スレでも信忠と関係ない話ばかりする武田オタ、織田アンチだから困ってる
285人間七七四年:2009/05/09(土) 07:36:44 ID:IthSHsP/
むしろ勝頼が嫌いなのでは
286人間七七四年:2009/05/09(土) 09:00:33 ID:0m2aWtHj
同盟国めちゃ多い

芦名北畠本願寺松永浅井朝倉北条里見佐竹
287人間七七四年:2009/05/09(土) 09:53:11 ID:+6QVXp/R
↑で、勝頼の時に残ってたのは佐竹と里見くらいかw
288人間七七四年:2009/05/09(土) 12:16:56 ID:mlsMcMdC
勝頼は信玄時代のツケを払わされた感じだけど…
289人間七七四年:2009/05/09(土) 12:30:47 ID:x1WGROaN
じゃあ滅びたり領地大幅削減されたどいつもこいつもみんな先代のツケじゃん
先代を貶めたいだけのアンチの戯言乙だな
290人間七七四年:2009/05/09(土) 12:37:05 ID:LFqoNFve
>>282
そいつは>>187に言ってくれと。
信玄が虐殺したのは負けた腹いせだそうだから。
それ言ったら比叡山焼き打ちも信長が志賀の陣で負けた腹いせって事になる。
てか叡山はもともと織田に領土を勝手に奪われて困窮し
その恨みで朝倉についたんだが。それを無視して言うことでもないだろ。
>>283
やがても何も、勝頼時代の御館の立ち回り失敗が直接の原因なんだから
周囲の恨みがどうとか関係ないだろ。
>>285
そんな事はない。
>>287
だからどうしてそうなるのかと。
勝頼が継承したときには北条は立派に同盟国だ。
これが崩れるのは勝頼自身の御館での外交失敗だが。
本願寺も最後まで同盟者だが。
なんでそう曲解するんだか。
>>288
たとえばどこら辺が?百万石以上の領土に背後は北条をはじめとして
関東勢と同盟。
291人間七七四年:2009/05/09(土) 12:40:29 ID:8KGfg2kI
いい加減スレ違いだから他所でやろうぜ?
292人間七七四年:2009/05/09(土) 12:42:39 ID:SK1tu5vF
まったくだ
ツケがケツに見えちまったよ
293人間七七四年:2009/05/09(土) 12:46:31 ID:x1WGROaN
ツケは無能な次世代が先代を貶める悪い話で払ってもらおう
294人間七七四年:2009/05/09(土) 12:48:06 ID:QDHhckcM
該当スレでやれよ
295人間七七四年:2009/05/09(土) 12:48:12 ID:8KGfg2kI
明智光秀の家臣に、熊谷広政と言うものがいた。

この人、戯言を言うのが好きで、合戦において槍合わせをしている時すら、
色々な秀句を、面白おかしく語っているという有様であった。

ある時光秀の友人が土地争いの紛争に巻き込まれた。
これを聞いた光秀は、安否を問おうと、物頭の阿木弥一を長とし、この熊谷ら七、八騎を
目立たぬようにさせ友人の下に出立させた。

彼らは十四、五里の道を一昼夜で駆けつけた。ところが目的地の途中に
かの光秀の友人の使いが来ており、しかもやたらと感謝している。
一体どうしたのかと思えば、敵方の衆は、「明智より雲霞のごとき大軍が来る」
と聞いて恐れをなし、ちりじりに逃げていったのだ、と言う事。
光秀の見舞いが、尾ひれ背ひれが付いて、大軍の襲来という事になったというわけだ。
これには一同大笑い。そこに熊谷、とっさに

『阿木来ぬと 目にはさやかに見えねども 加勢の音に 驚かねぬる』

 [古今集、藤原敏行の句「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
  (秋が来たと目にははっきりと見えないけれども、風の音にはっと気づいた。)のパロディ]


と、詠んだ。その場の人々はみな、熊谷の頭の回転の速さを褒め称えたと言うことだ。


さて、そんな熊谷に影響されたか、彼の領地のとある百姓、歌を詠んで熊谷に見せに来た。
自信満々に詩歌を見せられた熊谷、それをじっと読んで、百姓に

「これは手足に付いた飯だな」

と、評した。百姓、意味がさっぱりわからず尋ねると、熊谷

「うむ。飯は口に入れれば大変優れたものであるが、
手足に付いては邪魔なだけで何の役にも立たない」


最後に口の悪い、熊谷広政の一席。
296人間七七四年:2009/05/09(土) 12:50:18 ID:5ARaQPlc
武田信者は待遇いいんだから黙ってろよー
ノブヤボで超過大評価されてんだからさー

>>287のは滅亡時に残ってた同盟国だね
297人間七七四年:2009/05/09(土) 12:59:25 ID:x1WGROaN
こいつのいう虚言はまさに手足に付いた飯だな
298人間七七四年:2009/05/09(土) 13:41:39 ID:Sf4gU2dw
>297然り
299人間七七四年:2009/05/09(土) 14:33:11 ID:WK+3UKdY
確かに>>296は酷い
後だしジャンケンだ
最初は勝頼の時といっておいて
否定されたら滅亡の時と言い出してる。
滅亡の時なら先代の外交関係ないのに
300人間七七四年:2009/05/09(土) 15:19:51 ID:4bI/RAg1
>>299
お帰り下さい
301人間七七四年:2009/05/09(土) 15:28:31 ID:er9YkFe9
お前がな
302人間七七四年:2009/05/09(土) 17:26:13 ID:L+riurk1
二人は険悪!加藤清正と小西行長

小西行長は宇土城普請で天草国人衆の反発を招き天正天草合戦を引き起こします。
行長はあまり戦いに気が乗らなかった為、取り敢えず和議を持ちかけこの場を切り抜けようと画策しました。
これは天草勢にはキリシタンが多く居たためとも言われています。

小西「俺の話術、交渉術で言いくるめてやるから心配すんなって!」
っと交渉する事数日。
交渉はのらりくらりとかわされ、天草勢の勢力は増大していきとうとう天草一円に拡大し行長単軍では阻止できない規模へ拡大しました。

そこへ肥後の北半分を制する加藤清正に援軍を頼みます。
清正は日蓮宗であり宇土に続々と集まるキリシタンとその効果による発展していく宇土が目障りに感じていました。

なんで俺がとも思いましたが味方のピンチを救うべく清正が援軍に向かいました。

援軍に到着した清正と行長は今後の方針について打ち合わせます。
行長「今度の城攻めだけど、合図するまでは絶対攻めたらだめだぜ」
清正「(ムカッ)承知しました。しかしその理由とは?」
行長「いやさぁ実はようやく和議の話し合いの席が設けられそうでさ!
今はそっとしといてやる時期だと思うわけよ!だから囲むだけで攻めたりしないでもらえる?」
清正「この期に及んで和平と!?……承知しました。」
(駄目だこいつ…速く何とかしないと…)
前任の佐々がどうなったか清正の脳裏に浮かびました。

その日の夜、清正軍は単軍で城攻めを開始しあっという間にこれを落城させます。
更に小西軍の制止を振り切り次々と反乱を鎮圧していきました。

この戦、清正も余程思うものが合ったのか自ら最前線に立ち数々の侍を討ち取っています。
あまりの奮戦と連戦で清正の槍は先端の山の字の片側が折れて以後有名な清正の片槍となります。

これに対して行長は激怒します。
行長「折角和平が纏まりかけていたのに勝手に攻撃をはじめやがって!KYにも程があるぞ!」
清正「乱がこれ程大きくなったのは誰の責任か!
この期に及んで未だに和平とは可笑しい事よ!
そういえばこの度の戦ではお主の旗印を見ておらぬなぁ(失笑)もしや旗印を持っておらぬのか(失笑)」
行長「旗印など薬包で十二分じゃあ!!」

この後、二人は肥後国境線で争う、暗殺を狙うなど取り返しの付かない関係となり更には
行長と仲の良い三成と清正の関係も険悪化していき関ヶ原への大火へと繋がっていきます。
303人間七七四年:2009/05/09(土) 17:38:25 ID:sdp5PZnb
先生!
小西君が悪いと思います
304人間七七四年:2009/05/09(土) 18:50:48 ID:8KGfg2kI
清正からしたら、一揆が自分のところに飛び火でもしようものなら死活問題だしね。
305人間七七四年:2009/05/09(土) 19:03:55 ID:5+XyVrAw
行長って何か戦下手なイメージがあるんだが、どうしてだろう
306人間七七四年:2009/05/09(土) 20:36:46 ID:dk6CeIfi
>>305
資産家のボンボンが戦上手である事の方が稀であろう?w
商人の倅としては戦上手だと思うよ。
307人間七七四年:2009/05/09(土) 21:12:10 ID:ZRa+0lIQ
>>305
関ヶ原の残念な戦いぶりのせいだろうな。
あれは朝鮮での損害を回復しきれなかったからだったか?
308人間七七四年:2009/05/09(土) 21:24:47 ID:LcqzRWmj
>>306
世界的に見れば稀でもないけどな。
資産家=商人=軍人 ってのも多いから。
309人間七七四年:2009/05/09(土) 21:47:58 ID:3GsSKdlO
行長は費用対効果考えながら戦やってる感じがするよね
それがかえって攻めに徹しきれない要因になったのかも
310人間七七四年:2009/05/09(土) 22:01:07 ID:QcjZblkr
ヒトラー「諸君らは戦争経済をご存じない」
311人間七七四年:2009/05/09(土) 22:21:05 ID:aaM8D1MV
同じキリシタンだから話せばわかるとでも思っていたのかな?
312人間七七四年:2009/05/09(土) 22:44:12 ID:ipSlmHcn
>>310
お前が(ry
313人間七七四年:2009/05/09(土) 22:58:27 ID:DDgQEJqX
一揆の武力鎮圧って、地元の領主にしたらうまみが全然ないからな
自分で自分の手足を切るようなもので
行長が戦を避けようとしたのは、領主としてむしろ当然だと思うよ

おれはむしろ評議を無視した清正に非を感じた逸話だなあ
結局、どっちもどっちだろうけど
314人間七七四年:2009/05/09(土) 23:34:15 ID:aaM8D1MV
軍板から転載

394 名前:る [] 投稿日:2000/10/21(土) 07:52
糞尿博士世界の旅 中村浩(だったとおもう)著(クロレラの創始者)より
日本軍のどこだかの南洋の宿舎へ、突撃をかけるため、アメリカ軍が
夜中に偵察隊を送った。 何人くらいがそこに泊まっているかを調べる
ために、偵察隊はトイレの汲み取り場(?)へ向い、そこにたまってい
る糞尿の量を調べたところ、大量の糞尿がそこにあったため、「これは
相当の兵隊を動員しなければ、と考え、実際100人だったかぐらいの
ところへ持って、およそ三倍の兵隊で持って攻め込み、あはれ全滅になったとか。
ふふ
395 名前:クルマおたく [] 投稿日:2000/10/21(土) 12:40
>394
それの逆パターンみたいな話
戦国時代だったと思うけど、太い竹筒にウ○コを充填して超極太の○ンコを造り、
敵が偵察に来そうな所に設置した。
それを見た敵側は「こんなデカいウン○をするのだから大変な巨人がいる」と
思い、引き下がったそうな・・・
食事中の方ごめんなさい
397 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2000/10/21(土) 13:32
>395
同じ方法を、倭寇が大陸沿岸の住民をびびらせるのに使ったと聞いたことがある。


315人間七七四年:2009/05/10(日) 00:02:46 ID:4WTBJYf2
>>313
天草一揆は木山弾正との一騎打ちとか他にも清正の悪い逸話あるしね
316人間七七四年:2009/05/10(日) 00:51:12 ID:+g0LAP9O
また軍板過去レスの転載だけど

590 名前:眠い人 ◆gQikaJHtf2 [sage] 投稿日:04/11/02 21:48:59 ID:???
ある意味、日本史ネタだけど…。

大阪の陣の際、田中の城門の格子から西上する井伊家の赤備えを見た家康は、
そのピカピカの赤備えの集団を見るや、途端に不機嫌となり、「あんな格好をして
たら、荒っぽい戦場で、戦の役にたつまいよ。井伊家は先陣を切る役目の家柄な
のに不覚悟なことよ」と嘆いて見せた。
しかし、その後方から、剥げ掛かった赤い古頭形の兜、飾り気のない鎧を纏った、
老武士の集団がやってくると、「老いても心得のある武者どもだ。物見も先陣も
立派にこなすに相違ない」と喜んだという。

で、その大坂の陣。
この合戦が最後の戦国の戦になる、と読んだ駿河宰相頼宣の家臣矢部虎之助は、
是非とも目立つ働きをしようと考えた。
そこで、指物師を呼び、長さ二間(3.6m)の大きな位牌を作らせ、そこに辞世の句、
「咲く頃は花の数にも足らざれど 散るには洩れぬ 矢部虎之助」と彫り込んで、
勇んで出陣した。

さて、大坂の陣で、駿河宰相の陣に敵が迫った時、彼は真っ先に一騎駆けして
手柄を上げようとしたのだが…。
彼の馬はその位牌の重さに耐え切れずに前へ進まず、遅れを取った彼は戦場に
間に合わず、戦後、これを恥じて自分の屋敷を出ずに食を断って飢え死にしたと言う。
317人間七七四年:2009/05/10(日) 03:18:17 ID:m5QVCurk
>>167うまい!座布団二枚
318人間七七四年:2009/05/10(日) 03:33:50 ID:quWaIMX8
自演乙
319人間七七四年:2009/05/10(日) 03:50:34 ID:InCg2Ybm
今年の大河ドラマの福島正則役が、石原良純氏に決まったそうで。
今までこのスレで紹介された市松エピソードが、全部良純フェイスで脳内再生されて、笑いが止まりませぬ。
320人間七七四年:2009/05/10(日) 08:18:55 ID:nA8QoU+3
>>316
両方とも既出
321人間七七四年:2009/05/10(日) 08:26:02 ID:mbT6kI0Z
>>311
話せばわかるという言葉は問答無用とワンセットなものだからねぇ
322人間七七四年:2009/05/10(日) 09:00:29 ID:NoPXyDZQ
武将を変な呼び方するのって歴史上の人物に対する距離の取り方がおかしい感じで
なんかちょっと気持ち悪いね
323人間七七四年:2009/05/10(日) 09:32:08 ID:v+cydzfH
武将のキャラ化を楽しんでるんだろうよw
324人間七七四年:2009/05/10(日) 09:46:52 ID:nA8QoU+3
真田幸村を筆頭に遙か昔から似たような事やられてるし距離の取り方も糞もないよな
325人間七七四年:2009/05/10(日) 10:32:49 ID:NoPXyDZQ
>>324
似たような?類似性の範囲広いなあ
326人間七七四年:2009/05/10(日) 10:52:36 ID:nA8QoU+3
変な呼び方の定義が決められてないからね
327人間七七四年:2009/05/10(日) 11:06:34 ID:d4ooYItr
>>322
あだ名的なのは良いけど悪口っぽい奴は見てて気分が悪いな
328人間七七四年:2009/05/10(日) 11:08:41 ID:oz3hP++i
金太郎とか桃太郎なんかも元になる人物いたし
そういうの好きだよね、昔から
329人間七七四年:2009/05/10(日) 11:24:19 ID:nA8QoU+3
戦国当時のあだ名でも鬼って付くのが結構居るけど鬼も悪い意味があるし
気分を害するかどうかは時と場合と人次第だろう
殺生関白、表裏比興の者、悪右衛門とかも半場悪口だよな
貧乏公方、姫若子とか
鬼武蔵なんかだと滝川一益と名前が一字同じなだけで激怒して改名しちゃうし
330人間七七四年:2009/05/10(日) 11:42:15 ID:Yg9WMhTa
>>329
少なくとも「悪」は悪口じゃない。悪源太とかは強いって意味でつけてるから
331人間七七四年:2009/05/10(日) 11:46:11 ID:e89+fNKA
表裏比興も褒め言葉じゃね?
332人間七七四年:2009/05/10(日) 11:57:34 ID:+68Q1tJl
鬼もあだ名に付けられたら悪い意味じゃないよね。
333人間七七四年:2009/05/10(日) 11:59:24 ID:p/ilkzGz
中国の悪来も強い奴が来るって言う意味だもんね
334人間七七四年:2009/05/10(日) 12:02:52 ID:nA8QoU+3
表裏比興も悪右衛門も経緯考えると皮肉入ってねぇか?
鬼については明、朝鮮では日本のように鬼に良い意味がないから鬼石曼子は悪い意味がある
まぁただの例だからどう取るかは人次第でしょって言いたい
335人間七七四年:2009/05/10(日) 12:03:49 ID:ja7ZKO4s
ある時江戸城において、徳川家光の老中、酒井忠勝が廊下を移動していると、彼の正面に、
伊達政宗が立ちふさがり、

「よお!一番相撲をとろうじゃ無いか!」

とか言い出した。
これには酒井、困惑して

「只今私は御用の途中ですので、どうかその儀は重ねてご容赦を…って?、
何引っ張っていくんですか!?ご容赦をって言ってるじゃ無いですか!ちょっとぉー!?」

政宗なのだ。当然の事ながらそんな抗議、聞きゃあしない。
いいからいいからと、天下の老中を広間にずるずると引きずって、強引に取り組みを始めた。
この時政宗60代。全くあきれるほど元気な爺さんである。

この騒ぎに江戸城にいた諸大名、一斉に集まり「政宗が又やってくれた!」と、大喜びで見物をする。
井伊直孝などは

「酒井殿!この勝負に負ければ譜代の名折れだぞ!その時は私が出て仙台公と立ち会おうぞ!」

などと、無責任にプレッシャーをかける。
もう逃げられない忠勝。ままよとばかり仕掛けた大腰が決まり、政宗を投げ飛ばした!


 取組
     ●伊達政宗(仙台) (大腰払い) 酒井忠勝(小浜)○


投げられた政宗、ひょいと起き上がり、

「なんと、忠勝殿がこんなに相撲が巧いとは。わしの力はそなたに負けるようなことは無いのに、
思いの外の敗北でござる。」

と、忠勝を褒めた(?)そうである。酒井忠勝の方は、「モウカンベンシテクダサイ」と
御用に戻っていったのだとか。

そんな、いつもの政宗公のお話。
336人間七七四年:2009/05/10(日) 12:07:32 ID:nA8QoU+3
さすが政宗だなw
でも負けて駄々こねないあたり歳喰ってるせいかちょっと丸くなってるんだろうか?
337人間七七四年:2009/05/10(日) 12:45:39 ID:5gLmmQy6
っていうか、政宗爺は何のためにそんなことやったんだ?
現代でたとえるなら、国会議事堂で小泉純一郎が麻生総理に
「太郎ちゃん一丁相撲をやろうよ!」って、むりやりやらせて、
その挙句投げ飛ばされて負けた後に「感動した!」
って言って国会議事堂を後にしたって話だよね?
落ちが何もつかない不可解な話である。
338人間七七四年:2009/05/10(日) 12:53:00 ID:/PaHJZB0
単純に相撲取りたかっただけじゃなかろうかw
もしくはワザと負けて酒井の株を上げたかったのか
339人間七七四年:2009/05/10(日) 12:57:14 ID:D5XZkSbH
日本以外じゃ鬼って幽霊の事だからな。
渾名だと死にぞこない、とか亡者同然、とかそういう意味だろ。
340人間七七四年:2009/05/10(日) 13:02:50 ID:BwgsdaEJ
穏転じて鬼、だとも聞くけど
もう少し広い、というか曖昧な意味合いなんじゃない?
341人間七七四年:2009/05/10(日) 13:05:35 ID:jkEzpFqk
石曼子自体、侮蔑的な当て字だし
鬼石曼子って漢籍資料には出てこないんだよね。
要するに東郷ビールみたいなもんかなと思ってる。
342人間七七四年:2009/05/10(日) 13:15:21 ID:Um/cWBf4
>>334
大陸の鬼ったらざっくりいやあ幽霊だったけ、

死神みたいな死兵集団に見えたんだろーな
343人間七七四年:2009/05/10(日) 13:51:36 ID:4WTBJYf2
>>337
その情景を想像するだけで笑える
344人間七七四年:2009/05/10(日) 14:58:53 ID:iS2pRsq6
>>341
日本で呼ばれた鬼島津と、明で呼ばれた石曼子がごっちゃになってるんだよ。

そもそも中国語だと 石曼子鬼 にしないと意味が通らんのでは?
345人間七七四年:2009/05/10(日) 15:18:17 ID:IYh0C6DM
>>337
で、相撲の最中に安倍晋三が
「この勝負に負ければ与党の名折れだぞ!その時は私が出て純一郎殿と立ち会おうぞ!」
と言って太郎にプレッシャーをかけるのですね?
346人間七七四年:2009/05/10(日) 17:35:32 ID:8WVkX/za
>>335 和むw政宗はいつまでも政宗だなw
347人間七七四年:2009/05/10(日) 17:46:13 ID://R7NYfV
>「政宗が又やってくれた!」と、大喜びで

うっかり「そこにしびれる憧れるー」が脳内再生されてしまった
348人間七七四年:2009/05/10(日) 17:55:26 ID:xDhd2kKd
>>335
むしろ、奇行で幕府の警戒をかわしつつ老中に微妙にゴマをするシタタカな政宗と見た俺はうがちすぎか?
349人間七七四年:2009/05/10(日) 18:16:14 ID:7XxspQOb
今さら奇行したところで、また政宗か状態だろ、もう
350人間七七四年:2009/05/10(日) 18:29:00 ID:xtEvvNuw
忠宗「酒井様、こんな親父でホントすんません。m(_ _)m」
351人間七七四年:2009/05/10(日) 18:30:40 ID:ArQvU8ke
単に「おもしろそうだから」ってだけだと思うよ
352人間七七四年:2009/05/10(日) 18:30:56 ID:lIcgw0Lx
独眼竜政宗にもこんなシーンがあったっけな
353人間七七四年:2009/05/11(月) 00:03:49 ID:R4bJbOsb
>>335
酒井忠勝ってオバマ大統領就任で大騒ぎしたあの小浜の藩主なのか。
タイムリーだなw
354人間七七四年:2009/05/11(月) 01:45:35 ID:i+8UkPpU
加藤嘉明が召し使うものに、弥兵衛という道具持ちがいた

ある時彼が預かっていた嘉明の槍から、銀の金具を外して売ってしまった。
後でこの事が発覚し、弥兵衛は打ち首と言う事となった。

このとき嘉明、弥兵衛に言った。

「よりにもよって、何と言うものを盗むのか。槍は武士が第一に大切にするものだ。
その上、お前を信用して預けた道具から盗むとは、これは重罪なのだぞ?

しかし…、おぬしに家族は有るか?」

「はい。母と妻と、子が息子と娘の二人、甥が一人おります。」

「お前の禄はいかほどだ?」

「三両二人扶持でございます。」

義明、これをじっと聞いて
「…二人扶持で六人の人間を養うには、盗みでもしなければ無理であろうな。」

そう言って弥兵衛の罪をゆるし、さらに彼の子のうち男子は草履取りに、女子は奥方に奉公させ、
甥は足軽にさせた。
こうして罪を犯したというのに、弥兵衛一家は返って幸せになり、彼の朋輩達も
大いに羨んだとの事である。


悪い事をしたわけではありますが、罪を憎んで人を憎まず。
苦労人の加藤嘉明らしい、人情味溢れる採決、のお話。
355人間七七四年:2009/05/11(月) 05:47:49 ID:fGRp59ZD
>>354
いやこれ、いい話じゃね?
356人間七七四年:2009/05/11(月) 05:56:24 ID:0Kvh24AK
江戸時代のヒラ職人の収入が月一両なのに年収三両は無いよなあ。
家族は取り立てられたけど弥兵衛は三両のままだし。
そう考えるとやっぱり悪い話かも。

357人間七七四年:2009/05/11(月) 06:16:29 ID:gavytBI+
泥棒して罪を許された上に収入うpじゃ、それこそ悪い話になっちゃうと思うが・・・
358人間七七四年:2009/05/11(月) 07:15:28 ID:jiPVr7oD
まぁ現代みたいに法治国家ではないしいい話に入るんでなかろうか
359人間七七四年:2009/05/11(月) 08:39:44 ID:+z/CfhwQ
>354
安藤帯刀にも似たような話があったね >盗みを許す
360人間七七四年:2009/05/11(月) 09:45:51 ID:KbfcTBY+
当の被害者が許してるんだから別にいいだろ
361人間七七四年:2009/05/11(月) 09:46:58 ID:xf0D704d
加藤嘉明だかその息子だかが、凄い女たらしの悪い奴で柳生十兵衛と
会津の武家の娘数人が復讐するという漫画がヤングマガジンでやって
いた気がする。
362354:2009/05/11(月) 09:48:05 ID:i+8UkPpU
いやあ、正直いい話と悪い話のどっちに書き込もうか迷って、こっちにしてしまいましたw


もう一つ、こっちは逸話と言うより小話ですが


武田信玄がある時、禅寺の小僧に行きあった事があった。
この時信玄、この小僧に戯れに、禅問答を仕掛けてみた。

「地獄極楽と言うものは、どこにあるのか?」

すると小僧、信玄に向かって「クソ食らえ!」と罵った。
これには信玄も腹を立て「何と憎らしい事を言うのだ!」と叱りつけると、小僧

「ほら、ここに地獄があります。」


信玄と小僧の一席。
363人間七七四年:2009/05/11(月) 09:57:26 ID:gH7WKqni
>>362
なんという一休さん
364人間七七四年:2009/05/11(月) 10:20:18 ID:SbtF1ETy
只者じゃないな、成長してどういう大人に?
365人間七七四年:2009/05/11(月) 10:42:36 ID:lU3oERNJ
よく叩っ斬られなかったな
相手が相手なら棚ごと真っ二つだ
366人間七七四年:2009/05/11(月) 10:50:32 ID:yC2jEKcK
で 小僧のいった意味がわからん

どこに地獄極楽があったのだろう? 禅やってる者同士通じるものがあったのか
367人間七七四年:2009/05/11(月) 11:10:46 ID:lU3oERNJ
>>366
地獄=激怒した信玄
368人間七七四年:2009/05/11(月) 11:11:17 ID:yC2jEKcK
極楽がないじゃんw
369人間七七四年:2009/05/11(月) 11:15:45 ID:jiPVr7oD
地獄がこんな簡単に身近に示せるんだから極楽も似たようなものってことだよ
そこまで説明すると蛇足になる
370人間七七四年:2009/05/11(月) 11:24:09 ID:eziJS0Lf
>>361
「Y十M」ね
原作は山田風太郎の小説「柳生忍法帖」
会津の殿様は加藤嘉明の息子の明成で実話が基になっている
詳しくはググるべし
371人間七七四年:2009/05/11(月) 11:27:02 ID:+z/CfhwQ
>>366
ガチムチでウホッ!な信玄が少年僧に罵られて感じた衝撃をおもんぱかりませ <チガーウ
372人間七七四年:2009/05/11(月) 11:30:20 ID:GbaVFcDR
小僧のとんちが聞いた回答ににっこり笑って ほら極楽でしょ?テヘッ(・∀・)

ってやったなら納得できたのに
373人間七七四年:2009/05/11(月) 11:52:04 ID:URqK2x7y
極楽ですぅ!アッー
374人間七七四年:2009/05/11(月) 11:57:11 ID:3dAUEKyj
小僧「(おもむろに尻をさらし)最初のうちは苦痛ばかりでまさに地獄、
慣れれば極楽にございますアッー」
375人間七七四年:2009/05/11(月) 12:53:58 ID:bP0v3zbA
てか、>>362のこれは悪い話なのか・・・?
小僧さんに上手いこと切り替えされた信玄のかっこわるい話か
376人間七七四年:2009/05/11(月) 13:07:34 ID:eziJS0Lf
みんな戦国好きだからって
ガチムチ趣味まで好きにならなくていいんだぞw

あの時代の男色って幼い小姓相手なら別だが
まさしくマッチョなガチムチの世界だったんだろうな……ウホッ
377人間七七四年:2009/05/11(月) 17:55:02 ID:PMMiCJZP
>>376
小姓でも戦場に出る事前提だから、ガタイは良いだろうな
378人間七七四年:2009/05/11(月) 18:05:49 ID:e6KRbADy
又左なんか寝所の護衛も兼ねてるんじゃと思ってしまう。
379人間七七四年:2009/05/11(月) 18:40:46 ID:lHhneW/j
戦場に出るのをビビって尻尾巻いて逃げ出した水沢城主小沢民主頭w
380人間七七四年:2009/05/11(月) 19:11:11 ID:W1uBKgfB
ガチムチ陶兄貴とハッスルしたい
381人間七七四年:2009/05/11(月) 21:33:25 ID:eziJS0Lf
>>377
うん
なので幼いと書いたのだが
わかりづらくてスマソ

子供専門に掘っちゃうような変態さんも昔からいたんだろうなと
382人間七七四年:2009/05/11(月) 21:42:48 ID:gx2eUJk1
信長もどんどん髭面の醜いおっさんに変わっていってしまう犬をみて枕を濡らしたのだろうか
383人間七七四年:2009/05/11(月) 22:20:37 ID:eziJS0Lf
信長当人は「女おどり」が似合っちゃうような優男だからな
馬廻り連中が弁慶の仮装してる中で
384人間七七四年:2009/05/11(月) 22:57:37 ID:BAC13+o1
蘭丸もガチムチアッー!!かもしれないしなあ
385人間七七四年:2009/05/11(月) 23:16:04 ID:XhL1d8xT
つまりノブは受けと
386人間七七四年:2009/05/11(月) 23:39:34 ID:cALC4Bh4
森家の男が優男の美少年なわけがない
387人間七七四年:2009/05/12(火) 00:51:31 ID:xP3uhPJi
長宗我部元親の父・国親の話

一条家の保護下で岡豊に戻った国親が、まだまだ弱小だった頃のこと
国親は隣郷の香宗我部親秀に、元親の姉にあたる娘を嫁がせていた
そこへ、当時の土佐最大勢力・本山梅慶の嫡男と、長宗我部家との婚姻話が持ち上がる
国親、この機になんとしても本山家と結びたかった
そこで、なんと国親は香宗我部家から娘を連れ出し、勝手に本山家にやってしまう

当然のごとく、親秀は激怒
「このままでは面目が立たない。岡豊城に討ち入って切腹する!」
と宣言。軍勢の準備まで始めた
慌てた国親は
「いや、私は香宗我部を裏切るつもりはなかった。すべては我が重臣達の謀なのだ!」
などと苦しい弁明をした
自ら頭を剃り、娘を連れてきた家臣を追放処分にして、ようやく親秀の怒りを解いたという
388人間七七四年:2009/05/12(火) 12:35:28 ID:sW1B8vIY
いくら女がモノの時代だからってそりゃないわ…
ってかこの時代盗みは殺人より重罪じゃねぇか
389人間七七四年:2009/05/12(火) 12:44:54 ID:ZP8uLSKm
晴宗「まったく、女を盗むなど許せんな」
390人間七七四年:2009/05/12(火) 13:21:34 ID:6nBlsbYI
秀吉「政略のため身内を強制離縁させるとはなんたる非道」
391人間七七四年:2009/05/12(火) 13:27:02 ID:qT3uv1GZ
香宗我部を暗殺して未亡人嫁がせれば後腐れなかったでしょうに
392人間七七四年:2009/05/12(火) 13:46:53 ID:IXMzi/Nz
元就「暗殺は良くないと思います!」
393人間七七四年:2009/05/12(火) 13:50:38 ID:e05rdm+8
直家「女を政治の道具にするなんて、非道な・・・!」
394人間七七四年:2009/05/12(火) 15:04:00 ID:mQRaFA72
今川氏真「お主ら・・・・・・」
395人間七七四年:2009/05/12(火) 15:43:28 ID:fu/+a+f0
宗麟「人のことが言えぬ者共が…」
396人間七七四年:2009/05/12(火) 15:46:34 ID:Z5qIL2yF
ところで、この流れって面白いか?

いつもスルーしてたが流石にウザくなってきた
397人間七七四年:2009/05/12(火) 16:04:30 ID:6nBlsbYI
信雄「自分は何も貢献していないくせにアレが気に食わんとかゴチャゴチャと」
398人間七七四年:2009/05/12(火) 16:10:39 ID:4+J3xozM
有楽斎「一見無為に見える流れから、何かが掴める時もあるかもしれませんよ…」
399人間七七四年:2009/05/12(火) 16:18:35 ID:3lFzQbRy
清正「また僕優等生です~アピールか?三成さんよぉ....」
400人間七七四年:2009/05/12(火) 16:53:57 ID:vbN+ZLRG
まとめのせいでこんなに糞ゆとりが
終わったな
401人間七七四年:2009/05/12(火) 17:14:08 ID:OavpmR4+
楽しめる奴は楽しんでるからいいんじゃね?
水を差すのも野暮
402人間七七四年:2009/05/12(火) 17:31:16 ID:Sd/7oD4R
まとめのほうにこの系統の流れは載せないことにしておけばいいんじゃない
あっちにのると、コレがお約束だと勘違いされるし、やりたいやつはそれはそれで。
403人間七七四年:2009/05/12(火) 17:32:33 ID:OavpmR4+
まとめは個人がやってるからそれは俺たちの立場じゃ無理強い出来る事じゃない
404人間七七四年:2009/05/12(火) 17:41:48 ID:1uJIE4Wf

島井宗室の述懐  秋月種実への遺恨

博多商人というものは、李王朝、さらにはこっそりとですが明、更にはルソンとの
交易で大儲が出来ましたから、博多の街は随分と栄えたものです。
堺の町衆に負けじと街の周囲にはぐるりと掘り割りを廻らし、武家の力をものともせず
自治を誇ったものでした。
しかし戦国大名達の横暴は実に目に余ります。ま、豊後の大友宗麟公は手前どもとも
懇意にして頂いておりましたので、別でございますが。

当時の博多商人の間でも茶の湯は盛んでした。
不肖、私めも足利義政公縁、堺の天王寺屋からこの地に伝わった
楢柴肩衝なる大名物を持ち、日々研鑽を積んだものでございました。
茶の湯というものは、武家も商家もございません故、この道を通じて
総見院様とも懇意にさせて頂きました。
本能寺のおり、どさくさ紛れに火焔の中から空海筆の千字文のお宝をちょろまかしたこと、
今となってはお恥ずかしき限りでございます。

そんなある日、夕刻の拙宅に二人の武士が訪れてまいりました。秋月家の御家来衆とか。
また、楢柴への執拗な御所望、お断り申し上げましたが、今回はなんと刀を抜く構え。
無粋にも程がございます。
「私を切ってお持ちなされ」と申し上げようかと存じましたが、
古処山しか知らぬ山猿大名風情に切られるのも癪でございます。
只で投げ出すようにくれてやりました。
それ以来、茶を立てる気力が失せる程、意を失いましたが。

それから数年後、因果はめぐるものでございます。
関白秀吉様の九州征伐でございます。関白様を成り上がり者と侮った秋月種実様、
楢柴肩衝と自分の娘の人身御供の御蔭でなんとか首が繋がりました。
が、筑前36万石から日向の片田舎3万石への磊落でございます。
楢柴が取り持つ縁で関白様との商売は大繁盛、私の笑いは止まりませんでした。

意を強くした私は、それ以後朝鮮と秀吉様との間で奇々怪々な働きをするので
ございます。
405人間七七四年:2009/05/12(火) 17:51:50 ID:JZ05v6Q3
確か信長もこれを手に入れようとした直前で殺されたよな
406人間七七四年:2009/05/12(火) 19:30:15 ID:VYGcmMml
>>401
だよねえ。蓼くう武士も好き好き
407人間七七四年:2009/05/12(火) 19:34:22 ID:VYGcmMml
>>387
ちなみに香美の曽我部さん家には
後で親泰(元親の弟)が養子に入って、
本来の世継ぎを差し置いて家督したんだよな
408まとめ”管理”人:2009/05/12(火) 19:38:15 ID:y6EgHBXu
>>402−403
まとめサイトの管理人です。まとめに掲載の際の編集、気をつけるようにいたします。
規制に引っかかって書き込みもなかなか出来ませんが、今後とも何か指摘がありましたら
遠慮なく言ってやってください。
409人間七七四年:2009/05/12(火) 19:41:38 ID:7TFvq8LE
>>408
いつもモツ
410人間七七四年:2009/05/12(火) 19:47:14 ID:OavpmR4+
おー、規制解けたのか
良かった良かった
でもまぁ自分のブログなんだから自分基準で好きにやればいいと思うよ
人によって見たくないモノの基準は違うしそういうのにすべて目を瞑りたいのならネットは不都合な代物なんだし
411人間七七四年:2009/05/12(火) 20:58:39 ID:jPagyO9i
福島正則といえば、賤ヶ岳七本槍の一人であるが、正則自身はそう呼ばれる事、甚だ迷惑だったそうだ。
何故なら正則は、本来七本槍の中には入っていなかったのである。

実は最初この七本槍には、石川兵介と言う者が入るはずであった。
ところがこの石川が討ち死にをし、では六本槍とするかとなった所に秀吉が

「七本で無ければいかん!七本で無ければ外聞が悪いではないか!
何としてでも七本にしろ!」

と、強硬に主張した。そこで糟谷内膳が

「七本槍の連中とは持ち場が違っておりましたが、福島市松はなかなかの働きを
しておりました。どうでしょう、彼を入れられては?」

これに片桐且元も「それがいい!」と同意した。そのため正則を補欠として入れ、
賤ヶ岳七本槍となった、とのことである。


賤ヶ岳七本槍と華々しく喧伝された事も、運がいいんだか悪いんだか良くわからない、
そんななんともしまらない、福島正則のデビュー裏話。
412人間七七四年:2009/05/12(火) 20:58:47 ID:SllP/EuI
メンドクサイ奴なら三河武士で間に合ってるから。
413人間七七四年:2009/05/12(火) 21:06:26 ID:C5sVkpaR
正則自身は、清正とペアで羽柴双璧ぐらいの気持ちでいたのかもしれん
414人間七七四年:2009/05/12(火) 21:12:52 ID:rcTqq/gi
実は正則だけ当時の石高飛びぬけてたんだよなw
415人間七七四年:2009/05/12(火) 21:35:29 ID:TmixYSsi
賤ヶ岳七本槍は九本槍と称されることがあった。
これは戦死した石川一光と桜井家一を七本槍面子に加えたもの。
石川家は弟の石川頼明が継いだものの、関が原で西軍につき、戦後切腹で断絶。

桜井家一は秀吉の弟秀長の家臣であるため、どうも扱いが地味。
検索かけると、ドラマとかエロゲーばっかり出てくる不憫さ加減。
関が原の前に死去。
416人間七七四年:2009/05/12(火) 21:58:14 ID:SllP/EuI
>>415
「三振刀九本槍」だったとオモタ。
417人間七七四年:2009/05/12(火) 22:18:47 ID:XeecSacs
太刀で武勲挙げたけど、その時に人生も三振しちゃったって人達の話か
418人間七七四年:2009/05/12(火) 22:18:51 ID:TmixYSsi
>>416
調べてもその呼び名出てこないなあ
419人間七七四年:2009/05/12(火) 22:40:38 ID:SllP/EuI
石河兵助、桜井佐吉、伊木半七が「賤ヶ岳三振刀」だけど、石河、桜井は「九本槍」の方にも入っているので、俺の記憶間違いだったかも知れない。スマンデスorz
420人間七七四年:2009/05/12(火) 23:10:35 ID:VYGcmMml
>408乙ダヨー

あんまり些末なことにこだわらず、まとめ管理人さんの基準で選りすぐってつかぁさい。
421人間七七四年:2009/05/13(水) 00:03:37 ID:drJ0sSYg
刀でなくて三振太刀でないかい?
422人間七七四年:2009/05/13(水) 11:23:22 ID:E8F6HEB0
徳川家光の御世の事

有る時伊達政宗、江戸城において御酒をいただいたことがあった。
で、これが政宗だから飲む。遠慮なくどんどん飲んじゃう。で、とうとう泥酔し
そのまま寝転がる始末、将軍御前で。もう回りはヒヤヒヤである。

しかし家光、政宗には甘い。すっかり熟睡した政宗を起こさないよう、上意によって、
普段なら下乗場までしか入れない乗物を玄関先まで入れさせて、政宗を帰らせた。
これは急病人への扱いであったそうだ。

しかして、ただでは起きないのが政宗である。
彼は思った。「先例、ゲットだぜ!」

政宗、次から出仕する度に、下乗場で降りずに乗り通り、玄関まで直接乗り付けた。
これに下乗場の番士たちは抗議をするが

「先日、公方様からお許しのあったことだ、苦しからず!」

そう言っててんで相手にしない。
この事を百人番の頭、横田次郎兵衛が聞くと、大いに立腹し

「我々が当番のとき、政宗がもし乗り打ちしようとすれば、かまわないから与力同心ども
立ち出でて、政宗の乗物を打ち砕け!そのときは私が下知をする。決して引き下がってはならんぞ!
後で万一、政宗が申し立てて御咎めという事になれば、私一人が腹を切り、お前達には決して
責任を取らせない!安心して打ち砕くように!」

番士たちが熱い心で待ち構えている所に、今日も政宗、乗物でやってくる。
が、政宗、流石は歴戦の武将。番士たちの様子が違う事を、いち早く見て取った。

「ははん、さては実力行使と来たか。だがその手には乗らぬぞ?」

政宗この時、下乗場で乗物を止めさせ、そのまま降りた。
気の張っていた番士一同を、見事にスカしたわけだ。
そうして番所の前で横田の方を見て

「そなたがここの大将か。
年寄りの政宗なのだ。乗物のまま通しても良いだろうに?
まあ、こんな所で気張って仕事に励むより、一度うちに遊びに来い。
旨い酒を、飲ましてやるぞ?」

そう、笑って通り過ぎたと言うことである。
これに人々は、「横田も横田だし、政宗も正宗だ。」と、半ばあきれて言いそやしたそうである。

いつまでたっても悪ガキな、伊達政宗のお話。
423人間七七四年:2009/05/13(水) 18:38:54 ID:XuJRi7jQ
もう戦国の生き残りなんて殆どいないから生きてる伝説になって、芸能人扱いだわな
424人間七七四年:2009/05/13(水) 20:51:21 ID:ErstMWws
>>政宗も正宗だ




どっちだw
425人間七七四年:2009/05/13(水) 21:06:11 ID:E8F6HEB0
>>424
ごめんw

×政宗も正宗だ→○政宗も政宗だ

スイマセン直しておいてください…
426人間七七四年:2009/05/13(水) 22:10:17 ID:o8oGVAkL
ある青年僧が18歳のころ、修行を認められ、寺の本山に呼ばれた。
本山へ向かう道中、日が暮れて宿を借り眠っていた所、真夜中にやって来た男女に
起こされ、大きな箱を背負わされて山へ向かった上、山中で穴を掘れと言われた。

青年僧が掘った穴の中から「この程度の穴で良いですか?」と聞くと、
男が「箱を埋めるための穴だぞ。まだまだ浅いわ。」と穴に入って来た。

次の瞬間、青年僧は隠し持っていた脇差で、男を突き殺した。
青年僧は穴から這い上がり、残った女が「い、命だけは・・・」と拝むのを無視して
背負って来た箱を開けた。宿を借りた家の主人の死体が出てきた。

「フン、間男にダンナを殺させて、オレに始末させようとしたってトコか。いいだろう、
有り金を全部よこしな。それで助けてやるよ。」
青年僧は、女を身ぐるみはいで尼寺に叩きこみ、本山に登った。

その後、本山は信長の攻撃を受けて焼け落ちたが、たまたま地方へ出ていた青年僧は
助かり、のちに家康の信頼を得て南光坊天海と名乗り、諸大名の尊敬を集めた。

そんな天海のもとに、ある日お福という女人が訪ねて来た。
「はて、竹千代さまの乳母どのが何の用事やら・・・」
お福の要望により、天海は人払いして彼女と面会した。
「さて、今日はどんなご用で 「 死 ね や━━━━━っ!!!1!」
お福が懐剣を抜いて、襲い掛かってきた。

「なっ!何をするだァーッ!!」
「うるせェーッ!テメェが裏で政治に口出ししてるって、みんなウワサしてるわ!!
竹千代さま差し置いて、国松さまを跡継ぎにしようとしてるのも、テメェの差し金だろ?!
不届き者のクソ坊主はアタシが消す!!」
「しっ、知らん!誤解じゃ!そ、そうじゃ、誤解である証拠に大御所に話してやるから!!」

という訳で、天海がお福と家康の面談をセッティングをしたおかげで、竹千代が正式に
徳川将軍家を継いだそうな。

以上、昔ブイブイ言わせたけど、元祖お局様には勝てなかったでゴザルの巻。
しかし「武士道といふは(ry」といっしょに黒衣の宰相のこんなスキャンダル書いてある
葉隠マジパネェ。
427人間七七四年:2009/05/13(水) 22:25:27 ID:QAT6h18R
誰か>>426の文を意味が通じやすくなるように正しい日本語に直してあげて
428人間七七四年:2009/05/13(水) 22:48:53 ID:NdNexxtk
二つの関連性の無い話を無理矢理つなげてあるから読みにくい。
前半だけなら、「天海も昔はヤンチャだったのさ」で終わる。
後半だけなら、「春日局のヤバい話」で何とかまとまる。
最後に出展は両方「葉隠」でしたとさ、とすればいいと思う。
429人間七七四年:2009/05/13(水) 23:24:38 ID:myvwlsjQ
オッサン連中が多数を占めると思われるスレで
地味に混ぜたジョジョネタが通じるのかどうかテストしてるんだろ
430人間七七四年:2009/05/13(水) 23:41:49 ID:iXtx/AmC
とりあえずスレ住人がスルースキルの高い大人なオッサン達から
知ったかゆとり共に変わったのは分かったわ
431人間七七四年:2009/05/13(水) 23:59:02 ID:E8F6HEB0

スルー推奨
432コロッケ美味いナリ:2009/05/14(木) 00:07:33 ID:eJDXfg6q
>>426
お坊さんどくな!そいつ……
433人間七七四年:2009/05/14(木) 00:14:56 ID:pMMSnyEC
会津60万石、蒲生忠郷の家臣に、蒲生源左衛門と言う者がいた。

ある時忠郷が
「仙台の伊達政宗が江戸への参勤の途中、我が若松の城下を本陣とするのは甚だ不快である。」
と、愚痴を言った事があった。これを聞いた源左衛門
「それを改めさせる事、簡単でございます。私の才覚で、二度と我が城下に泊まる事の
無いようにして見せましょう。」

さて、しばらくして政宗、また参勤の為、若松城下に本陣を張り、間もなく到着する、
と聞けば、源左衛門本陣となる旅館へ行き、着座の間に上がった。
これには宿の亭主慌てて、「間もなくここには、仙台公がお入りになります」と言うと、
源左衛門「御着の際は明け渡す。それまでここで休息させてくれ。」
と、床を枕にいびきをかき始めた。

宿の亭主も、藩の重職でもある源左衛門をどうにも出来ず、ただあたふたとしていると、
そこにとうとう伊達政宗がやってきた。いつもの部屋をみれば、中で寝ている男がいる。

政宗が座敷に入ると、この男ようやく起き出し、政宗に向かって畏まった。

「そなたは一体何者だ?余は仙台の伊達政宗である。」

と言うと、「私は蒲生下野守家来、蒲生源左衛門と申す者です。今日は鷹狩りをしてきまして、
くたびれ果てて、ここが政宗公のご本陣とも知らず、休息をしておりまして、ご無礼をいたしました。」

そう、不敵に言う。ははあ、この男、わしがここを本陣とすることに文句を言いに来たな。
政宗もこの頃には気がついている。

「ほう、お主の名はかねてより聞き知っておる。よき折だ、知人となった初めての面会の祝儀を
与えよう」

そう言って腰の脇差を取り出して

「これはそれほど名のある物ではないが、その方のような大男を切った折、頭から股の下まで
切り抜いたほどの物だ。」

と、渡した。『お前くらい脇差で一刀の元殺せるのだぞ。』言外にそう言っているのだ。
源左衛門はこれを頂戴すると

「しかしこれでは、政宗公の腰が空き申す。恐れながら、拙者の脇差を代わりにお指しになってください。」
と、今度は源左衛門が自分の脇差を政宗に差し上げ、

「この脇差は、私の領内の片目の大男を、頭のてっぺんから尻の割れ目まで真っ二つにした
業物でございます。」

そう申し上げてて退出した。
『うちの領内であんまりナメたことしてると真っ二つにしてぶっ殺すよ?脇差で。』そう言ったわけだ。

源左衛門が下がった後、政宗は

「蒲生家は氏郷以来、よい侍を持ってきたが、あの源左衛門こそ、確かな者だ。」

このように褒め、その後は若松城下に宿泊する事は、なくなったそうである。
この頃の武士の社会、表面上は平穏に社交していても、実は恐ろしい、と言うお話。
434人間七七四年:2009/05/14(木) 04:38:15 ID:RX9FRA/w
>>433
しかも政宗と同じ論法で返してるしな、源左衛門
435人間七七四年:2009/05/14(木) 10:15:33 ID:+Bf5T6Hh
3者とも昔の因縁あるだろうが、少し大人げないな。
436人間七七四年:2009/05/14(木) 11:47:04 ID:N8Rk22G5
一般的に参勤交代が城下(首都)に泊まるのは防衛上危険極まりないので
参勤交代では他国の城下で宿泊しないのが礼儀とされている。
大名行列って一応軍隊の行進だしな。
437人間七七四年:2009/05/14(木) 12:11:47 ID:PUcdBdBi
政宗ならよし!途上の全大名の城下で泊まっていこうぜwww

とやりかねないと思うのは俺の偏見か
438人間七七四年:2009/05/14(木) 18:10:40 ID:+Bf5T6Hh
>>436

成る程、この時代まだまだ戦国の気風を残してたから
非常識を咎める勇気、いい話でもあるのかな。
439人間七七四年:2009/05/14(木) 18:25:45 ID:4XP8UZoa
藤堂さんと渡辺勘兵衛の悪い話。

関ヶ原で破れ浪人していた渡辺勘兵衛だが、高名な武将を望む藤堂高虎は2万石で彼を召抱えた。
そして月日は流れ、大坂の陣勃発。高虎の考えからすれば、勘兵衛大活躍で藤堂の武名が上がり、付け加えて勘兵衛を登用した自分の評価も上がる
くらいは計算していたかもしれないが、その思惑は見事に外れることになる。

まず最初の躓きは、冬の陣での1コマ。
この時、藤堂勢は住吉に陣取っていたのだが、そこに豊臣方の紀州新宮の浪人勢が現れた。
ところがこの時、藤堂勢は新宮衆を浅野家中と勘違いしてしまい、取り逃がすと言う失態をしてしまう。
当然高虎激怒。浅野勢と報告した渡辺掃部が「臆病意見を言ったからだ」となじり、それを諌めた勘兵衛にも悪態をつく始末。

次の躓きが、冬の陣終了後の堀の埋め立ての時。
この時、どんな理由かは知らないが、藤堂家の侍大将である菅平右衛門が高虎を立腹させ、おまけに返答が悪かったことから
平右衛門のことを「腰抜」と罵る事件があった。
これに平右衛門激怒して「一体いつ俺の腰が抜けたよ」と言い返したところ、はずみで脇差が鞘ごと前に抜けかけてしまった。
平右衛門がこれを差し戻したら、高虎「主の前で脇差に手をかけるとは何事か」と、なんと切腹を命じてしまう。
「流石にやりすぎだろうが」と、勘兵衛も取り成しをするのだが、高虎やっぱり聞く耳持たずで、「慮外者を贔屓にするのか」と言う始末。

これには藤堂家の家中もしらけきって退転者続出。勘兵衛も馬鹿らしくなって退転しようとしたが、これは高虎が勘兵衛に会わずに出来ずじまい。
そして運命の夏の陣。高虎は勘兵衛に先陣を命じるが、「既に先陣他の奴に決まっているのに何で今更変えるんだ。先陣の面目潰すだろうが」と呆れる事しきり。
おまけに勘兵衛が「備えをきちんとして堂々と戦えばよい」と言うのに、冬の陣で手柄がなく焦ったのか、高虎は五月雨式に攻め込むこと下命。
これにより藤堂家の名のある武者71名も討ち死にする有様となった。

これらのことでとうとう愛想尽かしたか、夏の陣終了後勘兵衛あっさり退転。人使いの上手い高虎にしてみれば、全く目論みはずれだったお話。
440人間七七四年:2009/05/14(木) 18:43:00 ID:pMMSnyEC
>>439
菅平右衛門は豊臣家側と内通の疑いがあったらしいね。

夏の陣の藤堂家の被害はむしろ、渡辺官兵衛が勝手な行動を取った事が大きいと思うが。
441人間七七四年:2009/05/14(木) 19:32:37 ID:Qu5qqJXF
2万石なら数百人召抱えているわけだから
主君とウマが合わないからといって、退転してそいつらを失業させるのはなあ。
一方で以降戦役もなかった藤堂家としてみれば体のいいリストラになった。結果論だが。
442人間七七四年:2009/05/14(木) 23:32:05 ID:pMMSnyEC
寛永の頃のお話

徳川家光が鷹狩りに出かけた折、道の傍らにあった寺で、休息をとった。
この時松平信綱、眠蔵に入って居眠りをしていると、しばらくして天井から

『もうよろしいですか?』

と言う声が聞こえた。なにやら不思議に思っていると、しばらくして天井の板が開き、
その中から大変若い女が出て、周りを見渡した。
そこで信綱の姿を見て驚き、再び天井に隠れた。

翌日信綱はこのことを家光に語ったが、笑うばかりでその寺の住職には何のお咎めも無かった。
それでも道々、信綱は憤り、「あのような者には、罪を問うて然るべきなのです!」と、言っていると、
家光

「いやいや、女犯を禁ずるのは彼ら坊主の法である。我々公儀の法さえ破らなければ、
彼らの法は、彼らに預けおいた方が良い。」

そのように言われたそうである。

家光が、政宗などの戦国生き残りに愛された理由が、なんとなくわかる、
坊さんの身持ちの悪いお話。
443人間七七四年:2009/05/14(木) 23:34:17 ID:hOGHFlZM
>>441
一門の多くもリストラするなんて壮絶な大リストラw
444人間七七四年:2009/05/15(金) 01:49:03 ID:45BpY0Ah
応仁の乱は畠山政長の挙兵から始まった。政長は後ろ盾の細川勝元に
期待していた。

しかし、政長が要請しているのに勝元からの援軍は来ない。勝元が
将軍義政の命令を遵守したからだ。対して政長の敵畠山義就の後ろ盾
である山名宗全は命令を無視して援軍を送っていたので、政長の敗色は
濃厚だった。

やがて政長は勝元に酒肴の差し入れを要求した。援軍が駄目ならせめて
死ぬ前に酒を、ということだろうか。だが勝元が贈ってきたのは鏑矢一筋
だった。せめて武士らしく散ってみせろ、という意味である。

結局、政長は敗れ、勝元の意に反して逃亡した。相国寺に逃げた兵もいたが
ことごとく自害したという。
445人間七七四年:2009/05/15(金) 05:42:23 ID:DOUT3RQr
>>442
家光が名君に思える話は何となく眉唾ものに思える。
いや、個人的感想だけどね・・・
446人間七七四年:2009/05/15(金) 06:47:52 ID:LTJpWC5L
>>445
駿河大納言乙。
447人間七七四年:2009/05/15(金) 08:29:56 ID:DXWMzoUu
ガチホモの家光からしたら、坊主が女を囲ってたって「ふーん、それで?」ってところなんだろう
448人間七七四年:2009/05/15(金) 10:20:35 ID:ZA4zSfkI
関ヶ原の折のこと。

細川忠興が赤坂表に人数を押し出す。
この時忠興の出で立ちは
http://blog-imgs-31.fc2.com/i/i/w/iiwarui/20081126001037.jpg
これに銀のくり半月の指物。
ttp://www.aduchimomoyama.com/sasimono109.jpg
こんなの。

その忠興に続いて、加藤義明の勢が現れる。
義明の出で立ちは
http://blog-imgs-31.fc2.com/i/i/w/iiwarui/20090112000714.jpg
これ。

両人は日ごろから親しくしていたので、お互いに言葉を交わした。
義明が忠興の兜を見て

「今日集まった軍勢の中で、武者振りと言う言葉は忠興殿一人の為だけに
あるようですな。その指物も見事。きっと何か意味のあるものなのでしょう。」

これに忠興
「ええ、これは武蔵野に月の出でたのをイメージしたものなのです。
ところで私から見れば、今日の武者振りの良さは、貴殿に極るように見えますよ?
富士山の頂が少し低いのが残念ではありますが、しかしそれに続く山はありません。」

このように互いを褒めあい、それぞれ、自分の陣へと別れていった。

さて義明、関ヶ原の自分の陣に到着すると、直ちにありふれた、粗末な甲冑に着替えた。
そして左右の者たちに

「こういう大人数の戦では、敵味方がはっきりわからなくなり、紛れ込んだ敵の為
大将が犬死にする事が間々あるものなのだ。そういう紛れ込んだ曲者に、大将が誰か
わからぬようにするのも又大切な事なのだぞ?」

と、囁くように言ったとのこと。


そうすると忠興の出で立ちを褒めたのも、色々裏があるような気がしてくる。
そんなお話。
449人間七七四年:2009/05/15(金) 10:26:44 ID:3NctvlHd
影武者「ハハハ、馬鹿め、そっちは本物だw!」
450人間七七四年:2009/05/15(金) 11:07:33 ID:l4kIcxTt
>>449
慶次乙
451人間七七四年:2009/05/15(金) 16:46:20 ID:PKI1fIbo
西軍の侍大将に「また鯉を取ってきてくれぬか」とか言われた時の用心なわけね。

>448地味様乙
加藤嘉明ってほんま堅実な実務肌の大将だよ。
452人間七七四年:2009/05/15(金) 17:40:53 ID:bvx81eBx
加藤嘉明の兜がイカに見えるのはオレだけ?
453人間七七四年:2009/05/15(金) 17:53:39 ID:7kwen4ng
俺も思った。
454人間七七四年:2009/05/15(金) 19:42:30 ID:aPbw108A
変わり兜見ると、ロックマンを連想してしまうんだ
455人間七七四年:2009/05/15(金) 22:06:56 ID:zK/CJuL9
加藤嘉明関連でひとつ

加藤家の抱え鍛冶に三好道長という男がいた
技量に優れ、若くして名工の素質があったので
加藤家から朝廷に働きかけ、「陸奥大掾」という官位をいただける事になった。

( ´∀`)<官位がもらえるよ!
                    やったね道長ちゃん!>(゚∀゚*)

しかし・・・程なく届いた口宣案(任命書)にはこう書かれていた

            「 ̄ `ヽ、   ______
             L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、   〉
          /           ヽ\ /
        //  /  /      ヽヽ ヽ〈
        ヽ、レ! {  ム-t ハ li 、 i i  }ト、
         ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
         /ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL」
        ヽN、ハ l   ┌‐┐   ゙l ノl l
           ヽトjヽ、 ヽ_ノ   ノ//レ′
    r777777777tノ` ー r ´フ/′
   j´ニゝ        l|ヽ  _/`\
   〈 ‐ 三善長道を lト、 /   〃ゝ、
   〈、ネ..         .lF V=="/ イl.
   ト |陸奥大掾に とニヽ二/  l
   ヽ.|l         〈ー-   ! `ヽ.   l
      |l任ずる by朝廷 lトニ、_ノ     ヾ、!
      |l__________l|   \    ソ


 
道長「名前の字・・・逆になってる・・・ていうか名字まで間違ってるし・・・( ゚д゚ )」


しかし一介の刀工が朝廷に対して
「なんか字まちがってたんで直しといてくださいwwwサーセンww」などと言える訳も無く・・・
これより道長は口宣案のとおり”三善長道”を名乗る事となる。

しかし、
この事件で発奮したのかは不明だが、この後”三善長道”はさらに研鑽を積み
後には最上大業物13工のひとりに数えられ
「会津虎徹」と異名をとる程の名工となったということである。
456人間七七四年:2009/05/15(金) 22:09:57 ID:ZA4zSfkI
この時代名字も、漢字に関しては音さえ合ってればいいみたいな適当さが有るよね。
まあ名前を逆にするのは流石にめったに無いだろうがw
457人間七七四年:2009/05/15(金) 22:15:01 ID:sct51129
藤原道長に朝廷が遠慮してお前が道長を名乗るなんて生意気だって言ってるんだろうか?
海外の話ではあるがベトナムが清に南越と名乗ろうと許可を取りに行ったが
南越は過去にベトナムが中国から独立した国の名前と言うことがあって越南と名乗らせたとか
458人間七七四年:2009/05/15(金) 23:45:21 ID:PKI1fIbo
>447いちお、子孫も残してるからバイで……
459人間七七四年:2009/05/16(土) 00:15:18 ID:mBRlC2Ve
>>455
上杉の水原さんも大坂の陣でやられたんだよな、当て字の感状
460人間七七四年:2009/05/16(土) 00:18:17 ID:LrzJ8vOo
ある時、細川忠興が、徳川家の旗本で、歴戦の勇士である久世広宣に尋ねたことがあった

「戦場で足軽に鉄砲を討たせる時、その部隊を自在に引廻す武功の者がいますが、
我らの手の者にはそういった人間が少ないのです。
ああいう風に上手く引廻すには、何か秘伝のようなものがあるのでしょうか?
もし有るのでしたら、是非それを伝授していただきたい。」

広宣これに
「…いかにも秘伝はあります。しかし、これは秘事でありますからここでは…。」

そういって言葉を濁し、その場をごまかした。
しかし何としてもこれを知りたい忠興、わざわざ広宣の自宅を訪れた。
「鉄砲足軽を自在に引廻すための秘事とは、一体どのようなものでしょうか!?」

広宣はしばらく考えたが、ついに語り始めた。
「承知しました、そこまでお知りになりたいのであれば話ましょう。
しかし、古の言葉に『秘事は睫毛』と言う言葉もあります。
大事、秘事だからと言って、それほど変わった事をするわけでは無いのです。
この鉄砲足軽を引廻す秘事に付いても、又その通りなのです。

だいたい足軽などと言うもの、危ない場所を嫌って、大抵逃げ出そうとするものです。
我々が戦場において行う方法は、こう言った物です。

…さて、口伝を言い渡します。


・LESSON 1
逃げ出す足軽は捕えて押しとどめ、強引に引き帰させて荒々しく「鉄砲撃て!」と言い聞かせましょう。
泣こうが喚こうが無理やりやらせることがコツです。

・LESSON 2
これをスムーズにさせるために、鉄砲足軽の部隊には、足軽が手向かい出来ない
屈強の士を常に付けておく事が重要です。一つの部隊に二人ほど宛がいましょう。

・LESSON 3
すなわち、もっとも大切なのは、足軽に恐怖心を与え力ずくで鉄砲を撃たせる屈強の士の存在です。
将たるものは、常にそういった人材を抱え、確保し、このやり方を教え理解させておく事。
これでいつ事があっても大丈夫です。」


忠興「なるほど!ためになりました!」

以上、鉄砲足軽の運用Q&Aでした。
461人間七七四年:2009/05/16(土) 00:48:05 ID:/OJ1JXfF
中世軍隊が普段いかにだらけきってるかが想像できて、面白い逸話だなあ
462人間七七四年:2009/05/16(土) 01:07:39 ID:sahugrQk
>>459
改名するはめになるわ主従の絆に割って入ってこられるわで
感状貰えて良かったんだか悪かったんだかって感じだよな
463人間七七四年:2009/05/16(土) 02:17:05 ID:moqvjA/L
>>460
なんか牧羊犬みたいだな。羊の足噛んで誘導するやつ。
464人間七七四年:2009/05/16(土) 02:56:04 ID:hUzxs9si
>>460
鬼軍曹という訳か。
近代的な軍隊にとっては当たり前の発想だけど、
当時はそういった組織運用のノウハウってまだまだ発展途上だったんだなぁ。
いい逸話だね。
465人間七七四年:2009/05/16(土) 07:48:34 ID:Xe4k7jJP
軍団によりけりだったんじゃないか?
井伊とかスゲェ厳しい
466人間七七四年:2009/05/16(土) 08:19:26 ID:VC2Vi5sO
>>460
すごく…ハートマン軍曹です…
467人間七七四年:2009/05/16(土) 09:04:23 ID:rPX2sjr4
「三河兵の強さは下士官にあり」というところかな
468人間七七四年:2009/05/16(土) 09:29:10 ID:Xe4k7jJP
鉄砲足軽の多かった雑賀衆とか島津とかはどうだったんだろうな
469人間七七四年:2009/05/16(土) 09:41:32 ID:UShR5hP/
>458
ガチホモは間違いなくて子孫作らせるまでが大変だった。
柳生兄弟とか有名だよね。
相性の良い女求めて尼さんやら罪人の娘やらも側室にしている。
470人間七七四年:2009/05/16(土) 11:15:35 ID:Zkfn1u1s
孫子の兵法でも兵士運用について言及されているな
「兵士達の心としては
 囲まれたなら、命ぜられなくても抵抗する
 戦わずにおれなくなれば、激闘する
 あまりにも危険であれば従順になる」
「軍隊を働かせるのは任務を与えるだけにして、その理由を説明してはならない」
「軍隊を滅亡すべき情況に投げ入れてこそ、始めて滅亡を逃れる
 死すべき情況に陥れてこそ、始めて生き延びる
 そもそも兵士達はそうした危難に陥ってこそ、始めて勝敗を自由にすることができるものである」

古代の用兵理論だが、中世近代にも通じるものがあるかと。
471人間七七四年:2009/05/16(土) 12:27:18 ID:PS9RWcyF
秘事にしてはこのスレで語られるほど情報漏洩してるんだな。
472人間七七四年:2009/05/16(土) 13:52:10 ID:FiaTybty
島津の鉄砲の場合は個人の職人芸みたいなモンだったと聞くがどうなんだろう…
種子島久時とか大将自らバンバン狙撃してたらしいし…

確か火薬作るための硝石は完全に海外からの輸入に頼ってたんだよな
費用どんくらい掛かったんだろうね
473人間七七四年:2009/05/16(土) 14:10:12 ID:ppH5S2eq
>>472
近年では、完全海外依存ではなかったのではないか?とも言われている。
海外輸入だけに頼ったとすると、東国や北国でも鉄砲が合戦で使われている
理由が説明つかないし、そもそも南蛮船は硝石だけを積んでいるのではなく、
日本全体の合戦と鉄砲保有量、使用頻度を考えると、とても交易だけで
賄えるほどの量が輸入できたとは考えられないからだそうです。
474人間七七四年:2009/05/16(土) 14:34:45 ID:HpqSh0Lz
>>473
厠で自家生産?
475人間七七四年:2009/05/16(土) 15:07:01 ID:9nSKR6Ta
飛騨だか越中だかでは、床下に尿をばらまいて硝石を作ってたそうだが…
476人間七七四年:2009/05/16(土) 15:34:49 ID:FJgpNYjS
北条氏とかの記録に税としての自家製硝石の納入記録が残っているね。
477人間七七四年:2009/05/16(土) 16:33:39 ID:CUCQgY0b
1発撃つのに黒色火薬3匁(11.25g)中に、焔硝が4分の3の8.43g必要
で、大友宗麟がマカオの司教に毎年焔硝200斤(120kg)を銀1貫(3.75kg)、あるいは言い値で買うといってる。
焔硝200斤で14234発分に相当し、銀1貫は50〜100石に相当する。
で、北条の軍令では1丁に付き100発分用意する、とあるので焔硝120kgで140丁分にしかならない。
どう考えても大友宗麟の毎年200斤は少なすぎる。大砲持ってたくらいだし他で補っていたんだろうか。
478人間七七四年:2009/05/16(土) 17:28:45 ID:YojNTUUK
479人間七七四年:2009/05/16(土) 18:18:28 ID:0Fii1eSr
>>442
亀レス御免
ぶははっ
信綱もやっちゃえばよかったのに
480人間七七四年:2009/05/16(土) 19:26:12 ID:R8t1KfdE
>471
481人間七七四年:2009/05/17(日) 00:02:50 ID:idtIRMUM
徳川幕府も安定した、寛永の頃の事。伊達政宗が参勤の為、丹羽長重の治める
白川城下を通過した折、その居城白川城を見て、隣の片倉重長(二代目小十郎)に、

「小十郎…」

「はっ」

「この白河城、我らの手勢なら、朝飯前には落とせるな。」

「…殿!、そのように見くびってはなりません。この城には名臣として有名な
江口三郎兵衛というものがおります。いかに我々とて、そのように簡単に、あの城を落とす事は
出来ないでしょう。」

「そうか。」

「はい、朝飯前は無理です。昼飯前くらいまではかかります。」

「そんなものか。」

「そんなものです。」


主君も主君なら家臣も家臣なのである。
482人間七七四年:2009/05/17(日) 00:32:51 ID:zt//pOfU
織田好きの人にはいまさらかもしれませんが。

信長の家臣に中川重政という男がいる。馬廻でありながら秀吉、光秀ら
と一緒に京都や畿内の行政に関わったり、後に宿将として安土に入るなど
出世街道を進んでいた。しかし彼は突如失脚する。弟のせいで。

重政は柴田勝家と領地についていざこざがあった。ある時、両者の代官達
の間で争いがあった。これに介入したのが重政の弟・津田盛月だった。
盛月の兵が勝家の代官を殺してしまったのだ。

事件を知った信長は盛月を追放、重政も連座となった。重政は後に戻されるが
出世コースからは完全に外れていた。信長の死後は織田信雄に従うが、
小牧・長久手の戦いで池田恒興に負け、以後姿を消した。

ちなみに弟の盛月は秀吉に仕えて小牧・長久手の戦いに参戦した。最終的に
三万五千石の大名になっている。
483人間七七四年:2009/05/17(日) 00:44:24 ID:idtIRMUM
>>482
盛月ってなんて読むのかと思ったら、まんま「もりつき」なのねw

しかし津田って名字からすぐ分かるけど、信長の一族なんだよね、この兄弟。
まあ内戦やったからしょうがないとも思うが、信長は自分の子供には甘いけど、
一族には妙に冷たい感じがするね。
484人間七七四年:2009/05/17(日) 00:47:23 ID:5B4mYvbK
>>468
足軽クラスもイクサキチだから大丈夫
485人間七七四年:2009/05/17(日) 02:52:33 ID:3lhFXZjo
>>475
糞尿から硝石つくるのってすげー生産効率悪いらしいから
まとまった量生産する光景を考えたら凄まじいな…
486人間七七四年:2009/05/17(日) 10:53:38 ID:+r1v3wN7
江戸時代の長屋なんかでは糞尿は畑の肥やしとして売れるから
大家さんは共同便所を設けて収入源にしてたんだよね
とすると、領主も村の人達に共同の便所みたいなもので
用を足させて作ってたのかもね
487人間七七四年:2009/05/17(日) 11:01:38 ID:9R99M/An
馬糞牛糞がつかえれば農村は結構な量になるかも?
488人間七七四年:2009/05/17(日) 12:04:41 ID:rcCoB0Iq
はだしのゲンでは肥やしにするために糞を盗む話があるのう
489人間七七四年:2009/05/17(日) 14:59:44 ID:idtIRMUM
戦国大名というものは、もちろん敵との戦いにも苦労しましたが、
自分のところの家臣団の統制にも、同じくらい苦労しました。
一体どんな事に苦労したのか、文禄五年(1596)に成立した、『長宗我部氏掟書』より
少し見てみましょう。


第六条:お客さんが来て対面している時や、集会や評定の時、そのほか公的な行事の時は全部
     場をわきまえず雑談したり、こそこそと話をすることも禁止です。

第十一条:おべっか、うそ、中傷、人の事をとやかく言う、聞きもしない事を空気も読まずに言い出す、
      自慢話ばかりする、ありもしない事を本当のことのように言う、変な格好をする、
      この他社会通念上おかしなことは、全てやってはいけません。

第十二条:貴い人の前では勿論、そうで無い人の前でも、立ったまま物を言ったり、手を懐に入れたまま
      接したり、大声で話したり、痰を吐いたり、居眠りしたり、戸や障子をガタガタ鳴らしたり、
      突然意味も無く笑い出したり、大きな音を立てて鼻をかんだり、
      とにかくこういう事は一切やってはいけません。マナー違反です。


こんな中学校の校則並みの事も、きちんと法律に書かないといけない状況だったわけです。
大名と言うのは、大変だったんですね。
490人間七七四年:2009/05/17(日) 15:09:08 ID:A3y5M8Xj
>>489
うむ、だから伊勢家、小笠原家、吉良家、今川家といった名門が大事にされた
んだよ。礼儀作法を司る家として。
491人間七七四年:2009/05/17(日) 17:25:48 ID:mwlDq4WV
>>490
この中でメジャーだったのはどこだろうか?
492人間七七四年:2009/05/17(日) 18:12:50 ID:idtIRMUM
>>491
鎌倉幕府の礼式だと小笠原、
室町幕府の礼式だと伊勢。

まあ、メジャーと言う意味では小笠原だろうね。
493人間七七四年:2009/05/17(日) 19:35:35 ID:r9oQk8r4
うろ覚えの話なので間違ってたらゴメン。

関白秀次が切腹となったとき、秀次と親しかった伊達政宗も
罪を問われ、秀吉より糾問の使者がやってきた。
使者は石田三成、富田知信、施薬院全宗の3人。

施薬院:
「伊達殿は、秀次殿と仲がよかったときいていますが…」

政宗:
「おう、仲良くしていたぞ。ていうか、仲良くて当たり前じゃね?
 秀次殿は太閤殿下の甥御で、関白職を譲られて国政も任されてるし。
 太閤殿下もそろそろ御隠居だと思って
 秀次殿に取り入るは当たり前じゃね?

 俺はお前たちと違って隻眼なんだし、時勢を見誤るのは当然だろ!
 これが悪いって言うんなら、もう仕方ない。俺の首を刎ねろ!!」

と逆ギレ。あわてる施薬院に、政宗は

「てかお前医者だろ!医者に武士のことが分かるか!
 太閤殿下に、俺の言ったことそのまま申し上げろよ!」と言い、
結局使者を返してしまった。

その後、政宗は太閤秀吉に直接罪を許されたと言う。
逆ギレもやってみるものだね、という話。
494人間七七四年:2009/05/17(日) 19:40:41 ID:idtIRMUM
>>493
> 俺はお前たちと違って隻眼なんだし、時勢を見誤るのは当然だろ!

逆切れしながらこう言う気の聞いた事を言えるのが、政宗のしたたかさですなw
495人間七七四年:2009/05/17(日) 20:31:12 ID:XebALLSV
>>489
江戸初期の禁中並公家諸法度に先立つ朝廷への禁令も似たようなものだよね。つば吐くなとか障子破るなとか部屋の中で立ちしょんするなとか。
どんだけフリーダムよって思う。
496人間七七四年:2009/05/17(日) 22:39:58 ID:EGmGQIXa
>太閤殿下もそろそろ御隠居だと思って
>秀次殿に取り入るは当たり前じゃね?

超本音トーク過ぎて逆に突っ込みようがないというか・・
497人間七七四年:2009/05/17(日) 22:49:11 ID:nuUu6edg
ぎゃくぎれかーおじさんもこんどやってみるかなー
498人間七七四年:2009/05/17(日) 23:36:53 ID:P+2ZKvsy
>>495
話の途中で用を足しに行くなんて云々みたいな話しもある位だし
変なマイルールを持った人が大勢居そうだ
499人間七七四年:2009/05/17(日) 23:47:40 ID:HxfXEmst
武家諸法度的には大事な話の途中では漏らすべきなんだろうか、中座すべきなんだろうか
500人間七七四年:2009/05/18(月) 00:07:26 ID:SAPao25l
元服したいい大人なら大事な話が始まる前に厠に行っておくべきだろう、ブシドー的に考えて
501人間七七四年:2009/05/18(月) 00:41:07 ID:MINVAqg3
>>500
家康「全くだ」
竹中重門「全くです(泣)」
502人間七七四年:2009/05/18(月) 00:50:01 ID:+BP0E3Te
>>500
急に催したらどうすんだ、って話だろう?
503人間七七四年:2009/05/18(月) 01:43:33 ID:m27N7vGS
>>493
これは果たして本当に逆ギレ気味に言ったのか気になるな…
逆ギレだとしても計算された逆ギレっぽい
504人間七七四年:2009/05/18(月) 09:08:32 ID:cUpbYc2l
秀次切腹のときは……鮭様嘆いてた話がつらいな
側室まで皆頃しだもん太閤やりすぎ
505人間七七四年:2009/05/18(月) 09:11:40 ID:wKNn/dbp
だってラスボスだもの
506人間七七四年:2009/05/18(月) 09:16:00 ID:ICXURw9W
ラスボスならしょうがない
507人間七七四年:2009/05/18(月) 14:04:16 ID:gFQZzJdX
>>504
最上の話はイラネ
508人間七七四年:2009/05/18(月) 15:18:28 ID:dZFqDzX5
最上も二つ名の「出羽の狐」を「出羽のロンメル」と読めば格好いいのだが。
509人間七七四年:2009/05/18(月) 15:26:40 ID:ObhkxYul
武将のあだ名って当時からそう呼ばれたんだろうか
やっぱり江戸時代以降につけられたのかな
510人間七七四年:2009/05/18(月) 15:28:21 ID:pJTgO3m3
猿は普通に当時から猿と呼ばれて猿扱いでしたよ、ええ本当にさrグゲッ
511人間七七四年:2009/05/18(月) 15:41:28 ID:4HRVZDSZ
ましら?
512人間七七四年:2009/05/18(月) 15:51:17 ID:zPrJ+MUE
やたら伊達の話が出るのを見るとBASARAの影響大きいな
513人間七七四年:2009/05/18(月) 16:05:28 ID:5MrjYT9r
>>493を投下した者だけど、自分は
面白い話だなーと思ったから投下しただけ

>>512は伊達=BASARAだと思ってるのか?
514人間七七四年:2009/05/18(月) 16:29:28 ID:4HRVZDSZ
>>512=BAKADA
515人間七七四年:2009/05/18(月) 17:29:32 ID:bssJ+kyH
BASARAに影響受けたようなタイプは、桃山から江戸期の文献を読み込んだり調べたりして、
政宗の逸話を掘り起こしたりはしないイメージがあるなw まあ偏見ですが。

そんな政宗をはじめとした東国の武将が、当時、上方の人間からはどう見られていたか、と言う逸話。


家康が将軍となった頃、京では京童の間に、こんな笑い話が流行ったそうだ。
その内容はと言えば

『江戸将軍が連歌の会を行われた。その発句に将軍

 此の春は 何故に鳴かぬ 鶯め

これに仙台政宗公、脇を仕らんとて

 御定を背かば 頭ぶつきらん

と、言われし』

読めばわかるが、東国の人間は、雅の心から程遠く、法律一辺倒。
殺伐として教養がないと笑ったものである。

やがて政宗がこれを伝え聞き、

「なるほど、こんな事を聞けば可笑しくも思い、東国に生まれた人間は皆こんな風だと思って
しまうだろうな。

太閤の頃、紹巴を宗匠として、連歌の会がよく行われた。
東国の者の中では、今の将軍親子、最上義光、秋田実季、そしてわしなども良く
参加し、将軍家など、形も整い、上手であったものだ。

ある古い歌に

 植えてみよ 花のそだたぬ 里もなし

などと言うが、しかし東国の人間は声が訛っていて、それが何かしゃべるのを聞けば、
京童などと言う連中は、それを可笑しく思い、そのしゃべり方を真似して笑うのであろう。」

と、笑って言ったそうである。

上方の人間の東国への偏見と、口の悪いお話。
516人間七七四年:2009/05/18(月) 18:01:07 ID:xuY7QyZd
517人間七七四年:2009/05/18(月) 18:07:20 ID:bssJ+kyH
>>516
おお…猛省…orz
518人間七七四年:2009/05/18(月) 18:12:36 ID:cUpbYc2l
>>517
ワンナウツでござるよ
519人間七七四年:2009/05/18(月) 18:46:59 ID:Vfdwg8L6
basaraから入ったわけでもないが昔の文献を読み込んだりはしないな
皆さんが窓口です
ありがとうございます
520人間七七四年:2009/05/18(月) 19:15:22 ID:4OnXHcQn
>>518
なんで単数なのにアウ「ツ」なんだろうね。
521人間七七四年:2009/05/18(月) 19:35:02 ID:cx0syyUT
普通にワンナウトの複数形なんでしょ。
試合ではなく、ワンナウトごとの勝負をするゲームなんだから。
・・・なんか分かりにくいなすまん
522人間七七四年:2009/05/18(月) 19:59:42 ID:bssJ+kyH
こっちはまだ出て無いはず

上杉謙信の寵臣に、川田長親と言う者がいた。

ある時謙信が家臣たちの前でこの川田を、激しく叱責した事があった。この折謙信、怒りが収まらず
刀を抜いて川田を成敗しようとし、川田は慌てて御前を退出した。

そうして謙信、刀を治めると、残った左右の者たちに聞こえるように言った

「わしが川田を大切にしている事は皆知っているだ。
これを成敗すると言い出せば『私が身代わりになります!』と言ってくる者がいてもいい筈なのに、
本当の忠臣と言う者はおらぬのものだな。」

これに皆押し黙っていた所、一人が進み出、頭を差し出し、
「わ…私を代わりに成敗してください!」

いやいや、言われてからやられても。
謙信もこれに苦笑し、「もうよい下がれ」と、彼を許したそうである。


殺伐としているのに妙にほほえましいお話。
523人間七七四年:2009/05/18(月) 20:20:23 ID:9rWLcONe
どう見ても…謙信の八つ当たりです…
524人間七七四年:2009/05/18(月) 20:32:20 ID:Sa31CiXX
>>522
家臣A「わ…私を代わりに成敗してください!」

家臣B「いやいや私を成敗してくだされ!」

家臣C「あの〜・・・拙者を成敗・・・」

家臣A・B「どうぞ、どうぞ」

家臣C「訴えてやる!」
525人間七七四年:2009/05/18(月) 20:52:46 ID:e2DOuQwf
左右の者たちも謙信が河田長親ほどの家臣を本気で手討ちするとは思えなかったから
様子を見ていたのだろうなあ。油断してたら矛先が自分たちに向いてアタフタ。
526人間七七四年:2009/05/18(月) 20:57:31 ID:wFCrCyk5
この時代訴えるべき人はこれから自分を成敗する主君なんだけどなw
527人間七七四年:2009/05/18(月) 21:27:15 ID:cUpbYc2l
>>524
めんどくさい三河武士どもか
シグルヒ佐賀の葉隠武士どもなら……
528人間七七四年:2009/05/18(月) 21:44:38 ID:sDCiVObt
>>515
>>516
秋田実季「さぁ凍蚓ちゃんお歌を歌いましょうかね♪」
凍蚓「・・・♪」
529人間七七四年:2009/05/19(火) 00:00:24 ID:bjQRXh7E
これ元ネタが何だったのか見つからなかったので申し訳ないのだが、面白いネタなので投下。

いつの世も団体行動した際に、1人2人は団体行動からはみ出る事をする者がいるもの。
秀忠と家光が京に上洛した時も、そいつはいた。

( ●Д゚)「何見てんだよ!」

語るまでもない。独眼龍である。

さて政宗。上洛の行事が終わったにも拘らず、一向に帰国しようとしない。
「いい加減帰れよ」と、思ったか、幕府の役人が帰国を促したのだが、これがまずかった。

( ●Д゚)「俺がいつ帰ろうと勝手だろうが、ボケ!!」

かえって火に油を注ぐ始末。そしてなんと1月も京に居座る事に。
幕閣も「またあいつか・・・」と、思っただろうが、かといってそのままにしておくわけにもいかない。
そこで使者に発ったのが酒井忠勝。まあ忠勝にしてみれば「何で俺が・・・」と言う心境だっただろうが。

( ´_ゝ`)「あー伊達殿。将軍家から言付けです」
( ●Д゚)「何だ。言ってみな」
( ´_ゝ`)「『満足するまで京都観光していいよ』だそうです」
( ●Д゚)「ああ。俺、充分京都観光したからもう帰るわ」

へそ曲がりである政宗を帰す為に、幕閣が必死になって頓知をはたらかせたのか、
はたまた、もう幕閣もめんどくさくなったのか、政宗のへそ曲がりな話でした。
530人間七七四年:2009/05/19(火) 00:08:59 ID:Ng21cG9I
流石政宗
531人間七七四年:2009/05/19(火) 00:10:14 ID:/IIDo9it
義姫「政宗、ちょっとママ、お塩とトリカブトまちがえちゃった。
食べちゃめっ、だよ?」
政宗「食べちゃ駄目と言われると喰いたくなるぜーッ!」
義姫「あああーーッ!?」
532人間七七四年:2009/05/19(火) 00:10:17 ID:bCvD5d99
酒井忠勝こんなんばっかだなw
533人間七七四年:2009/05/19(火) 00:18:32 ID:11yUT6Te
幕府にはめんどくさい奴対策本部みたいなのがあるんじゃないかね
534人間七七四年:2009/05/19(火) 00:22:14 ID:bCvD5d99
そういや森忠政が「もっといい官位ちょうだいよ」って酒井忠勝に言って根回しして貰ってたらしいな。

厄介者の老人の対応を押し付けられる酒井アワレ。
535人間七七四年:2009/05/19(火) 02:28:13 ID:1O5AicRQ
>>533
それこそが家中安泰の源だからな、徳川家の場合w
536人間七七四年:2009/05/19(火) 07:16:50 ID:27S31ujZ
>>455
300年後の弘道館で優秀で、司法卿にまでなった江藤新平ですら当て字使ってる。
華族→花族とか、次のページで思い出したのか華族に直ってたりするけど。
佐賀の図書館で頼んで原文を拝見させて貰ったけど字は流石に上手かった。
>>515
知り合いにコーエーの三国志ゲーム好きが長じて、
古代から近代の中国の軍制、法律、思想を調べ上げ教授になった人がいる。
歴史オタクになるのに入り口は関係無し。
537人間七七四年:2009/05/19(火) 08:08:35 ID:YSzYxGWh
教授って三国志の初代が出てからの時間だと
・・・ああ、やり始めが大学生ならありえんのかな
538人間七七四年:2009/05/19(火) 08:58:38 ID:f6Fit6pX
島原の乱がようやく終結した時の事。
松平信綱が、参戦した諸将を集めて言った

「みなさん…この中に真っ先に軍令を破って、勝手に城攻めを始めた悪い人がいます!
…それは誰ですか?」

細川、黒田、有馬、その他諸侯、一斉に一人を指差した
『はい!それは鍋島勝重さんのところの息子さん、そこにいる鍋島忠直君です!』

知恵伊豆「はい注目ー!、忠直君?君はいくら若いからって、ちょっと粗忽過ぎないかい?」

これに鍋島忠直答えるに
「ちょ!?で、でも、たかだか百姓一揆の籠城に、百五十日もかかるほど攻めあぐねたのは、
みんなが余りに真面目に軍法を守ったせいなんですよ絶対!
そんな中、ボクが手始めに城に乗り込んだことこそ、天下一のご奉公って褒めてくれたって…。

だいたいだれかさんの下知は気長すぎて、みんなももう飽き飽きしてたじゃ無いですか〜。
だから空気読んだつもりだったのに…。
それがそんなに不満なのなら、もう今年度中もずっと軍法守って攻めなきゃいいのに…。

それから!軍法を破ったのは僕だけじゃありませんよ!
『敵に向かって行って敗北せよ』って軍法は無いですよね?
味方の中にいつもいつも負けてた連中がいたけど、これは逃げて軍法を破ってるって事じゃ
ないんですか?
それとボクと、どっちが良くて、どっちが悪いって言うんですか〜!?」

この弁明に信綱はじめ諸将、ついつい爆笑してしまい、詮議もこれで終わったそうである。
忠直さんの変な方向への逆切れが、妙に諸将のツボにはまっちゃって助かったお話。
539人間七七四年:2009/05/19(火) 10:52:06 ID:09WQuhzN
晩年の政宗は好きだな。太閤と逆パターン
540人間七七四年:2009/05/19(火) 11:25:36 ID:WwU0twsd
悪い話スレなのに微笑ましい・・・w
やれやれしょうがないな政宗はwって気分になるが、
当時の周りの人の心境もそんなだったんじゃなかろうか。
憎みきれないロクデナシと言うか
愛すべき悪ガキと言うか何と言うか。
541人間七七四年:2009/05/19(火) 12:32:46 ID:01mmRi2V
>>538
24でこの言い訳はないわ…
542人間七七四年:2009/05/19(火) 13:21:48 ID:3dm9AUmA
>>538
ワロタW
ってかイイ話しだよ、コレ
543人間七七四年:2009/05/19(火) 14:17:09 ID:apjGrvoK
>538
なんか平和だなーっ
544人間七七四年:2009/05/19(火) 15:04:33 ID:01mmRi2V
コピペ

1591年3月:使節が帰ってきた。副使の金誠一が日本は攻めてこないと報告したので、
   サル野郎秀吉の降伏勧告を見なかったことにすると決定。
閏3月:日本から玄蘇らが来て金誠一に「日本に従えば朝鮮は助かる。ダメなら元寇の恨みを果たす」と脅迫。誠一は戯言として無視。
5月:正使の派閥が「もう一度倭の内情を探らせましょう」と提案するも「今更蒸し返すな」と却下。
7月:湖嶺城市を修築。「倭は海戦には強いが陸なら勝てるのでもっぱら陸で戦いましょう」と決定。
   城下町の拡大が優先された結果、防御能力は落ちてしまった。
8月:明の軍人が来て、「何で日本の通告を知らせなかったのだ」と詰問される。
   在日明人スパイの琉球国経由の通報で知ったらしい。
   聞くところによれば、朝鮮が日本に寝返ってわざと情報を隠したと疑っているらしい。胃が痛い。
10月:明国皇帝に秀吉の動静が誣告であると報告しに行く。
   しかし24日、日本から玄蘇らが来て「明に行くから道を貸せ」と言ってきた。
11月:明国より正式に対日開戦準備の勅諭が降った。
   軍事を再編し李舜臣を抜擢。金誠一はへそを曲げて仕事をしなくなった。
   この国の政治家はいつから派閥争いばかりして政治を語らなくなったのだろう。悲しいことだ。
12月:李廷?と?進を抜擢。金誠一の日本行きに従い、日本が本気だと知り、
   訓練を怠っていたことを後悔している。
1592年3月:対馬で大量の兵の練兵が行われているという報告。金誠一はまだ「日本は攻めてこない」と言っている。
4月上旬:とうとう日本が大挙して攻めてきた。敗戦の報が相次ぐ
4月中旬:会議を開くも、大臣たちは泣くばかりで声が出ない
4月下旬:ソウルが危険になってきた。疎開を決定。
5月上旬:小西行長がソウル入城。王が「民は倭についたと聞いている」と絶望気味。
5月中旬:明国軍が動き出したが、あまりに早い日本の進軍に、我が国が裏切って日本の先導役をしていると疑っているようだ。
545人間七七四年:2009/05/19(火) 15:21:07 ID:BXLu4y96
>>544
誰なんだろう
わからんが、泣いた
546人間七七四年:2009/05/19(火) 15:31:20 ID:11yUT6Te
>>544
そのうち
かゆ

      うま

とかになりそうだなw
547人間七七四年:2009/05/19(火) 15:49:49 ID:z/jHTRo+
>>544
この「どう見ても売国奴です、本当に(ry」な金誠一も日本軍との戦いに駈けずり回る中、病死したそうな。
つまらん派閥争いなんかに拘らなけりゃ歴史に悪名を残さず済んだろうに・・・。
548人間七七四年:2009/05/19(火) 16:34:08 ID:+iUSzG2W
>>544
かの国は今も昔も変わらんなー
なんか哀愁を誘うわ
549人間七七四年:2009/05/19(火) 16:46:51 ID:8CQzy6d3
攻めてこない→せめてきた
海戦だと負けるけど陸戦なら勝てるよ!→海戦で戦果を挙げるが陸戦でボロマケ
誣告なんですよ→使いを出した月に日本から降伏の使者がくる
明に黙ってる→いざ援軍を頼むと裏切りを疑われる

見事なまでに裏目にでてる…
550人間七七四年:2009/05/19(火) 17:24:52 ID:Hl7tw8b0
>4月中旬:会議を開くも、大臣たちは泣くばかりで声が出ない

駄目だこいつらはやくなんとかしないと
551人間七七四年:2009/05/19(火) 17:31:25 ID:30OGO1p8
>>550
ニダーで脳内再生余裕でした
552人間七七四年:2009/05/19(火) 18:38:51 ID:G4FulQ1D
現代の日本の国会みてえだなw
553人間七七四年:2009/05/19(火) 18:47:00 ID:ORR5l38L
韓国は狭い分、中国以上に中央からの官僚による統治が進んでいたからな。
(日本は中国や韓国の様な、本当の王政があったことないけど)
王がアホだったり官僚陣が腐敗したら、本当に目も当てられない事になる。
554人間七七四年:2009/05/19(火) 20:17:56 ID:01mmRi2V
唐入りの日本軍のせいでその統治機構は半場崩壊してしまうがな
555人間七七四年:2009/05/19(火) 20:34:15 ID:fcdvhWAa
顔に矢が刺さったので、同僚が抜いてあげようとして足で顔を踏んで力を込めたら
武士の顔を足で・・・って切れて、いきなり斬りかかった人って誰だっけ
そもそも、戦国時代かどうかも自信無いんだけど
556人間七七四年:2009/05/19(火) 20:36:50 ID:vs4ymaiN
>>555
山内一豊か?
斬りかかってはいないが
557人間七七四年:2009/05/19(火) 20:41:26 ID:oIpL/9Jr
>>555
鎌倉景政
>>556
山内も非常によく似たシチュエーションだが、矢を抜いたのは同僚ではなく家臣。
558人間七七四年:2009/05/19(火) 20:52:03 ID:f6Fit6pX
>>555
平安時代の話ですなあ

鎌倉景政
http://kotobank.jp/word/%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%99%AF%E6%94%BF
559人間七七四年:2009/05/19(火) 21:37:31 ID:30OGO1p8
暫の人か
本物は隻眼だったのね
560人間七七四年:2009/05/19(火) 22:31:50 ID:8UYEbsep
>>544をみてベイスターズが瞬時に連想された
561人間七七四年:2009/05/19(火) 22:36:08 ID:Po6rlctq
>>560

┌──────────────────────────────
|┌──────────┐    通 知 表
||    /⌒  ⌒\    ...|  ┌────────────────
||   /=⊂⊃=⊂⊃=\  . |  |なまえ:おおや あきひこ
|| /::::::⌒(__人__)⌒::::: \..|   ├────────────────
||.|     |r┬ |       | |  |かかり:ベイスターズのかんとく
||.\    `ー'´    /...|  ├────────────────
||./             \ |  |せいせき:13勝24敗
|└──────────┘  └────────────────
|┌─────────────────────┬───────
||        な い よ う              ...  │  ひょうか
|├─────────────────────┼───────
||ゆうしょうを目ざしてがんばれましたか         .│ がんばろう
|├─────────────────────┼───────
||かんとくとしてチームをまとめることができましたか.│ がんばろう
|├─────────────────────┼───────
||いい外国人のほきょうができましたか           .│ よくできました
|├─────────────────────┼───────
||わか手のいくせいをすることができましたか      │ よくできました
|├─────────────────────┼───────
||よこはまファンがよろこぶしあいができましたか  . │ がんばろう
|├─────────────────────┼───────
||スレのみんながよろこぶしあいができましたか    │ たいへんよくできました
|├─────────────────────┼───────
|│なっとくのいくけいとうができましたか         │ よくできました
│└─────────────────────┴────────
│てぃびぃえす先生からの一こと
│    2ねんと1かげつのあいだおつかれさまでした
562人間七七四年:2009/05/19(火) 22:41:42 ID:bCvD5d99
やる大矢くんなw
563人間七七四年:2009/05/19(火) 23:43:47 ID:f6Fit6pX
天下三陪臣の一人、堀直政の子で、後に村上藩十万石の祖となる堀直寄がまだ、子供の頃のお話。

あるとき豊臣秀吉が茶室に入り、火をともし炭を入れようとした時である、
先に秀吉により切腹させられた、千利休の亡霊がにわかに現れた。

亡霊、黒い頭巾をかぶり座っていたが、見る見るうちに目が光り、口から火が吹き出す。
余りの凄まじさに腰元たちは恐れおののいたが、この時流石は秀吉、慌てず炭を入れ終わってから

「無礼であるぞ!」

と一喝。するとこの化け物、利休の形が崩れ後ろに下がっていった。

さて、秀吉が茶室から出ると、当時十五歳の堀直寄に出会った。
そこで、

「今茶室に化け物がいるぞ。汝これを叱ってまいれ。」

これに直寄畏まり、先ず茶室に続く廊下の窓を全て閉じて、化け物が逃げられないようにしてから
茶室に入っていった。が、そこにはもう、何もいなかった。

仕方なく引き返し、秀吉にこのことを伝えると、秀吉のほうは直寄の勇気に感心し、
褒美として羽織を与えた、とのこと。

しかし、最初から利休の化け物というのは存在したのだろうか?
そんな事も考えさせる、ちょっと不気味なお話。
564人間七七四年:2009/05/19(火) 23:55:09 ID:gYFtzXOn
きっと羽織が欲しかった堀直寄の自作じe・・・
おっと誰か来たようだ
565人間七七四年:2009/05/19(火) 23:58:13 ID:9bKhBnAc
>>563
いや、それたぶん利休の亡霊なんかじゃなくて…
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-957.html
566人間七七四年:2009/05/20(水) 00:21:07 ID:R7mAn8mY
豊臣秀次は後年、殺生関白と呼ばれたが、それは太田牛一の
『太閤さま軍記のうち』に秀次の様々な蛮行が伝えられている
からである。そのうちのひとつに、こういう話がある。

「正親町上皇が崩御あそばされ、天下の関白たるもの喪に服さ
ねばならないのに、関白秀次は鹿狩りを楽しんだ。これを非難して
こんな落書が書かれた。
『院の御所にたむけのための狩なればこれをせつせう関白といふ』」

上皇が崩御した文禄二年一月ごろに、秀次が喪が明けていない
にも関わらず、不謹慎にも鹿狩りをしたとされている。しかし
この史料が伝える他の蛮行は嘘臭い話が多く、鹿狩りの話も
鵜呑みにできないと言われている。また秀次と交流のあった
山科言経は秀次が鹿狩りをしたのは喪が明けた文禄三年のことだ
と日記に書いているらしい。果たして本当に秀次は殺生をしたのか?

ところで京都干菜山の寺の縁起にこういう伝えがある。

「文禄二年二月、秀吉公が鷹狩りのあとにお立ち寄りになられ
たので、干菜を差し上げた。秀吉公は大変お気にめしたようで、
その山を干菜山と命名なさった」

もしこの伝えが事実だとしたら、
実際に喪が明けないうちに殺生をしていたのは・・・
567人間七七四年:2009/05/20(水) 00:28:28 ID:0JgEhav0
>>566
(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
568人間七七四年:2009/05/20(水) 01:44:20 ID:Sq0G4U5D
>>563
信長の夢を見てうなされたって話もあるし、案外秀吉の…

>>566
せっしょうをしたのは、ひでつぐだとおもいます
569人間七七四年:2009/05/20(水) 02:22:23 ID:NO3PsWdR
>>568
はぁ?どう考えても殺ったのは秀よ



ん?誰か来たみたいだちょっと待ってろ
570人間七七四年:2009/05/20(水) 03:35:19 ID:3tgTEn6v
そして翌日には三条河原に・・・(´・ω・)
571人間七七四年:2009/05/20(水) 05:20:30 ID:/7iJOJlA
(´・ω・)ナンマイダー
572人間七七四年:2009/05/20(水) 07:04:24 ID:L9IaXTxY
>>544
朝鮮戦争勃発直前の韓国もこんな感じだったような…
573人間七七四年:2009/05/20(水) 17:32:17 ID:DyTAZ451
>>541
鍋島さんとこは、抜け駆けを装って、
原城から一揆勢を助け出した、という疑惑があるからね。
佐賀藩でも、重臣の諫早家と深堀鍋島家の領地でのキリシタン弾圧は、
非常にゆるかったと言われているし、
佐賀藩が後で「抜け駆けは事実です!」と主張する為に
そういう逸話を作ったんじゃない?
ただ、鍋島忠直って、島原の乱が始まる前に病死しているみたいだけど。
574人間七七四年:2009/05/20(水) 17:40:19 ID:8K8DfmB6
             /)
           ///)
          /,.=゙''"/
   /     i f ,.r='"-‐'つ____   こまけぇこたぁいいんだよ!!
  /      /   _,.-‐'~/⌒  ⌒\
    /   ,i   ,二ニ⊃( ●). (●)\
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      ,イ「ト、  ,!,!|     |r┬-|     |
     / iトヾヽ_/ィ"\      `ー'´     /
575人間七七四年:2009/05/20(水) 21:47:18 ID:QlZQiYaJ
細川忠興の「我慢出来なかったんです!」なお話。

ご存知細川忠興には細川玉(ガラシャ)が奥さんとしていたのは有名な話。
この2人には忠隆・興秋・忠利の兄弟がいたのも有名な話。

細川興秋:天正12年生まれ・月日不明、次男

偉そうに書くなと言われそうだが、実はこの次男坊。出生が変なのである。
それはガラシャの行動にあった。
天正10年6月 本能寺の変→ガラシャ幽閉開始
天正12年3月 ガラシャ幽閉解除
天正12年のいつか 細川興秋誕生
ちなみに、出産までは仕込んでから十月十日(とつきとおか)といわれる。

本能寺の変に戦国のマキャベリスト細川幽斎が「玉を斬れ」と命じても不思議ではないし、
いくら、忠興がごねても幽閉中であればチャンスはいくらでもあったのに、斬られていない。
つまりこう言う事があった可能性が大きいのである。
可能性1
幽閉解除で帰ってきた日に
忠興「も・・・もう辛抱できん!今日は明日の昼まで頑張るぞ!」→早産で興秋が出生

可能性2
玉幽閉中の細川家
幽斎「忠興はどこ行った?」
家臣「視察に出かけました。ゴニョゴニョゴニョ・・・」
幽斎「何じゃどこへ行ったんだ?(おかしいなぁ。)」
家臣「それはあの〜。ちょっと野暮な視察があるとゴニョゴニョゴニョ・・・」
幽斎「はっきり言わんか!手討ちにすっぞゴルァ!」(# ゚皿゚)
家臣「ひー!味土野ですぅ!奥方様の幽閉態度を視察すると言ってました!」
幽斎「あ・・・あのバカ息子!幽閉の意味が無いじゃないか。orz」
しばらく後
忠興「父上、子供が出来ました。味土野で!」
幽斎(−_−;)「そ・・・そうか。(こりゃ玉を斬れんな)」
普通に興秋誕生

こんな人の出生と夜の合戦について正式な記録はもちろん残っていない。
しかし、周辺の人は見ていたらしく、味土野に忠興が何度も訪れていたという説がある。
もし興秋が天正12年10月以前の生まれなら、どう見ても仕込んだのは幽閉中である。

辛抱なんかそっちのけの細川忠興のある意味ばつの悪い話である。
576人間七七四年:2009/05/20(水) 22:16:21 ID:Gmc1Lxo8
>>575
なかなか面白い考察乙
577人間七七四年:2009/05/21(木) 01:42:57 ID:yBI54tiE
>>573
まあ島原に限らず、根切りしちゃって後々困るのも肥前の領主達だからねえ・・
578人間七七四年:2009/05/21(木) 01:45:00 ID:cxN+B7HX
薩摩の泰平寺。島津義久が豊臣秀吉に降伏した場所であるが、ここにはこんな裏話があった。

九州征伐も終盤の頃、秀吉はこの寺に本陣を置こうとした。
なにぶん勝ち戦に乗じて寺を接収しようとしたので、寺を訪れた使者の態度も非常に横柄で
「早々に出てゆかねば命にも関わるぞ」と脅す始末だった。

この時、住職の宥印法印は少しも怯えた風無く、
「寺と存亡をともにすべき身が、命惜しさに寺から逃げ出したとあっては
 後世までの名折れである。そのような強請りに応じることは出来ぬ!」
と要請を拒絶した。更に
「お主のような無礼者を使者に遣わしたということだけでも
 秀吉なる御仁が如何なる男かよく分かる。島津家の殿様方に
 『九州の統一になんで猿面冠者の許しが必要なものか』と侮られるのも
 無理からぬことよ」
と命知らずにも程がある一言を付け加えて使者を追い返した。

報告を受けた秀吉、宥印の言葉に恥じ入ったのか、それとも背に腹は変えられぬのか
兎にも角にも使者の非礼を詫びた上で
「遠方より大軍を率いてきたのだが、なにぶん本営を置くべき場所が無い。
 泰平寺は薩州一の大伽藍、寺の方々には別途退去の地をご用意するので
 何卒暫くお貸し願いたい」
と辞を低くして丁寧に頼み込んだ。

かくして寺を退去した宥印だったが、毎朝泰平寺に通って
大兵に動じる様子も無く勤行につとめたので秀吉も大いに感心したと言う。

島津家ゆかりの寺の住職でありながら秀吉からも眼をかけられた
宥印は、義久と秀吉の間で使者を務め、泰平寺での講和を斡旋するに至った。
この巧を賞して秀吉は宥印に恩賞を与えようとしたが
『主君が辱めを受けたのに恩賞をもらうなどとんでもないこと』
と断った。それでも秀吉は宥印の心を繋ぎ止めておきたかったのか
『ではせめて、このたびの戦で戦没したものの供養に当ててくれ』
と半ば強引に恩賞を与えて九州を去った。

ここまでなら気骨のあるお坊さんの話で終わるのだが、この話を聞いて長嘆した男がいる。

「だから言ったではありませんか、『薩摩には傑僧が多いので注意なさいませ』と。」

本願寺の顕如上人である。
実は顕如上人、九州征伐の二年前に秀吉の命を受けて薩摩の内情を探ったのだが
容易に秀吉にはなびかぬであろう『要注意人物』として宥印のことも報告していたのだった。

事前に有益な情報を得ておきながら、それを活かすことが出来なかった
秀吉にしては珍しく手際が悪い話。
579人間七七四年:2009/05/21(木) 05:44:09 ID:3SdXPRNG
>>575
むしろ、興秋の処遇の悪さから見て、ガラシャ不義の(ry
580人間七七四年:2009/05/21(木) 08:27:47 ID:IMiyXuQN
>>578
九州は坊さんまで豪毅なのか…
しかし九州征伐時と小田原征伐時だとやっぱりラスボスの対応が違う気がするなぁ
581人間七七四年:2009/05/21(木) 09:52:26 ID:DEQ5N0vW
>>580
そりゃあ小田原の時はもう怖いもんなしの状況だからなあ。
582人間七七四年:2009/05/21(木) 12:05:46 ID:2j4Sc66v
顕如の事前の一言があったの思い起こしたのと

>毎朝泰平寺に通って大兵に動じる様子も無く勤行につとめた

この辺の所作見ててコイツ本物だな、と感じたんだろな。
ラスボスは気に入ると結構甘いからw
583人間七七四年:2009/05/21(木) 17:58:12 ID:+oTf02Se
加賀藩三代、前田筑前守光高が、若干31歳(数え年)で早世した時の事。

彼が亡くなったのは、江戸常盤橋の加賀藩上屋敷においての事であったが、
その向かいには結城秀康の次男、越前福井藩、松平忠昌の屋敷があった。
この松平忠昌、性格はいいのだが、すこぶる大酒で有名であった。

前田光高逝去の翌日、将軍徳川家光はこの忠昌の所に堀田昌盛を派遣し
ご内意を伝えた。それによれば

「私はその方を親戚として非常に大切に思っている。
昨日、前田光高が早世してしまったが、私はその方が常々大酒している事を
大変案じている。体の為にも、あまり大酒することは止められるように。」

これに忠昌、一首書いてご返事とした。

『 向かいなる 加賀の筑前下戸なれば 三十一で昨日死にけり 』

家光これを見て、「しょうがない奴だ」と笑い、そのまま差し置かれたとの事。


いつの世でも、お大名でも、酒飲みの言い訳は変わらないなあ。と言うお話。
584人間七七四年:2009/05/21(木) 18:10:30 ID:IOlNoxz6
>>578
>事前に有益な情報を得ておきながら、それを活かすことが出来なかった
>秀吉にしては珍しく手際が悪い話。


立花宗茂が、肥後の知人の降参を受け入れてくれと言った時に、
そんな小さな豪族どうでもいいと言った。
勝ち戦でイケイケどんどん状態だったんだろうね。
585人間七七四年:2009/05/21(木) 18:20:15 ID:+oTf02Se
>>584
> そんな小さな豪族どうでもいいと言った。

そう言う態度も大きな要因の一つになって、九州平定後、各地で一斉に一揆が蜂起したわけだよなー。
586人間七七四年:2009/05/21(木) 19:51:56 ID:pmsYnntF
そんな細かい事を気にせずにいられたから一瞬で勝ち進めたとも逆説的に言える
587人間七七四年:2009/05/21(木) 20:08:20 ID:+JjOaXtz
何事も勢いは大事だけどね
戦争は遅巧よりも拙速のほうがいいんだろうな

まあ大勢に影響のないところでもいい加減だったツケは出てくるわな
588人間七七四年:2009/05/21(木) 20:20:00 ID:idAvM5Na
>585
阿蘇惟光とか……(´;ω;`)ウッッ・・・
589人間七七四年:2009/05/21(木) 20:29:57 ID:IOlNoxz6
>>586
細かい配慮が足りないことを、勢いに結びつけるのはどうかと思うけど。
590人間七七四年:2009/05/21(木) 21:55:03 ID:pYenLXjw
このころからラスボスCPUの処理能力オーバーだったのかな?
それとも若いころからのオーバークロックのやりすぎで…
591人間七七四年:2009/05/21(木) 23:12:54 ID:upSTm/+9
なんというかラスボスが気遣いしてる時って
目の前に居て今気遣いしてやってる連中に対して気を使ってるって言うより、
そんな気遣いしてる自分を見てる自分より格上(信長とか)、
もしくは同クラスの人間(家康とか)の視線を気にしてる気がする
ちょっとうがちすぎてるかもしれないけど
そういう視線のないところでは結構色々おざなりなような
592人間七七四年:2009/05/21(木) 23:22:21 ID:zALuTo7S
本気で恐れていたのは信長だけだし、信長が死んだ時点でもうリミッターが…
593人間七七四年:2009/05/21(木) 23:23:07 ID:+oTf02Se
つーか、秀吉の政権って、畿内、東海道、瀬戸内程度が直接支配地だった、
室町幕府から畿内政権の感覚を受け継いでて、九州や東国って言う「辺境」は、
政権に反抗さえしなければいい加減でいいや、って所があったようにも思う。
594人間七七四年:2009/05/21(木) 23:30:25 ID:oLx4K3XB
でも九州征伐の面子なんか見ると凄いよね。
ちょっと前まで信長に帽子でも贈っとくかで済ませてた奴らを
秀吉は動かせてるわけだし。
595人間七七四年:2009/05/21(木) 23:32:44 ID:+oTf02Se
それこそが関白の権威を身にまとったことの強さですな。
596人間七七四年:2009/05/21(木) 23:33:06 ID:upSTm/+9
>>594
鍋島や大友は完全に利害の一致じゃね?
そのままいけばどちらも島津に飲み込まれてるわけだし
597人間七七四年:2009/05/21(木) 23:36:03 ID:EaQkEsto
酒井忠次の墓。
徳川四天王筆頭の坂井忠次。
彼は関東へ家康が移封の頃はもう・・・・・・・

ご隠居様になっていた。つまり引退。

さて、移封後所領も増えた事もあり、各家臣に加増という話が来た。
他の四天王は10万石程度をもらえた。
忠次は家の石高も10万石だと知らせを今か今かと待っていたが、

「酒井家次君 全部併せて3万石に任ずる 家康」

忠次はすっ飛んで徳川家康の所へ行った。
忠次「殿!私は隠居したりとは言え今までたくさんの合戦に出て手柄を立てました。
   例えば姉川の戦いでは(この後、戦果自慢を小一時間)という事もしましたし、
   伝家の一発芸『海老すくい』で(一発芸自慢を小1時間)という事もありました。
   家次の石高もう少し何とかなりませんか!」
家康は答えた。

家康「だめ。絶対ダメ。今のままでは3万石!もう決定したんだ。ごねるな!」

酒井だって黙っちゃいない。四天王筆頭=三河武士の面倒くさい筆頭である。
DNAまで深く刻み込まれた、面倒くさい三河武士魂にかけて引き下がるわけには行かないのだ!

忠次「だってそうじゃないですか!私だって政治的交渉で(この後、実績自慢を小一時間)しましたよ。
   豊臣対策だって(この後豊臣対策自慢を小一時間)だったんですよ。えーいもう面倒くさい!
   私の実績を加味してもっと増やしてくれ!」

ついに家康の方が切れた。額にデカイ筋を立てて、三河武士相手に言ってはいけない事を言ったのだ。
家康「た〜だ〜つ〜ぐ〜・・・・・・・」

家康「お前 も 我が子はかわいいか!あぁ?」

あちゃー言っちゃった。そう家康は、信康切腹の件で信長に忠次がちゃんと弁明しなかったのを
かなり 恨んでいた のだ。
家康の言いたい事を察した忠次はそのままブンむくれて退出し、二度と家康に会わずに死んだ。
だが、彼も三河武士で意地っ張りである。

忠次「ワシの墓は江戸に背を向けておけ!」

と言っちゃった為、彼の墓は今でも江戸に背を向けて現在も意地を張ってしまっている。

でも考えてみれば3万石の所領って「家次に与えられた」もので酒井の働き分を増やせなかった
家次の責任じゃないのか?これに関する家次のコメントは、無い。
598人間七七四年:2009/05/21(木) 23:39:05 ID:jxj+SLcL
惣無事令は結構なことだが、結果的にそのせいで九州や東北の地域内での
対立状態が凍結されて現在まで持ち越されてる気がする。
599人間七七四年:2009/05/22(金) 00:05:25 ID:di4DMbjo
>>597
俺が最初この話を読んだときは、「お前も我が子が可愛いか」の
一言の厭味を言いたいがために3万石にしたんだと思ってたな。
600人間七七四年:2009/05/22(金) 00:07:04 ID:KNqx3nK9
>>597
実を言うと家康は井伊・本多・榊原も酒井と同じ位にしたがったが、
秀吉に「流石にその三人は10万石にしたら」と言われ渋々そうしたとか
601人間七七四年:2009/05/22(金) 00:37:38 ID:YkD8zgtV
>>596
そもそも九州征伐は大友家からの救援要請から発生しているわけで、
鍋島(龍造寺)は島津と組んでたけど立花宗茂が立花城で島津を撃退
したのを機に島津から離れて豊臣に与した。
602人間七七四年:2009/05/22(金) 04:12:22 ID:DgZed3XF
>597墓までめんどくさいんだ、。、

信康切腹のいきさつも忠次よか家康自身もどうしようもなかった出来事だし
結局、忠次を仕えさせていたんだから恨みというのもどこまで本音だったかわからんけどね。
603人間七七四年:2009/05/22(金) 05:23:58 ID:he0ROy+A
どうしようもないっていうか、切腹推進したのは家康の方だしな
この逸話自体が信長に無理矢理若様を殺された家康公っていう逸話からさらに派生した逸話だろう
604人間七七四年:2009/05/22(金) 08:29:34 ID:cUGEASPV
>>603
実は家康は信康を死なせたくなかった。
しかし信長の手前上、処断すると言上せざるを得ない状況。。
忠次にはその辺をうまく取り繕って信長に「そ、そこまでしなくていいよ」と言わせようと思ったが、「思うままにせよ」と言われてしまい引っ込みが付かなくなってしまった。
そして忠次を逆恨みに至る。
605人間七七四年:2009/05/22(金) 11:29:14 ID:YnbuejGM
事件直前に家康と信康は激しい口論をして信康を岡崎から追い出している
家康は信康の墓をずっと放置している(五徳は信長が倒れた後も面倒みているのに)
あげくに信康には暴君テンプレの悪評がついてるとなれば
家康の息子にたいする悪意は透けて見えるってもの。ちょうど武田でも息子の謀反未遂があったしな
殺したくないなら信長に打診するにしても蟄居でいい
最初に「信康に反逆の意思あり」と切り出す時点で明白
酒井の息子三万石も妥当だろ
606人間七七四年:2009/05/22(金) 11:35:03 ID:twUI4tMF
>家康は信康の墓をずっと放置している
これ、大きいよな。
もしかつての通説通りに家康が信康を死なせたくないのに信長に強制された
というのなら、早くても本能寺以後、遅くとも関が原以降には誰はばかる事
なく信康の供養をし、信長へのうらみつらみも発言できただろうに。
607人間七七四年:2009/05/22(金) 11:51:54 ID:K7lY9xCu
いや、もう辛すぎて思い出したくないってのもあったかもしれんよ。
608人間七七四年:2009/05/22(金) 12:02:06 ID:rYvzmf/z
>>606
下手に直したら信長への当てつけになるから出来なかったかな?
信長没後とはいえ、執念深さを他人に気取られるのを案じたとか。
609人間七七四年:2009/05/22(金) 12:22:59 ID:7DOo/6pW
俺はむしろ信康謀反は徳川家中の政治的な派閥争いの結果で、
岡崎派と駿府派とか親尾張派とかそういう色々な立場の対立があったんじゃないかと思う
家康個人の感情うんぬんではなく家中の空気みたいなものが結構深いんじゃないかね
武田の方もそういう空気あるよな
610人間七七四年:2009/05/22(金) 12:53:19 ID:T172qYSi
酒井家次も別に疎まれてないしな。
井伊直政は例外として、家次は彼の世代の中では順調に出世してる方だと思うぜ
(関東移封時は数え27歳)
611人間七七四年:2009/05/22(金) 14:08:38 ID:HMi7gKdp
>>578
薩摩に傑僧多し、ってのはこの時代の薩摩は明と行き来してた人も多かったから
大陸仏教の影響を直接吸収できる素地があり優秀な僧も結構いたと思われる

寺院の多くは何気に京都とも縁が深かったようだし
それに戦国時代は桂庵玄樹の薩南学派が出来て間もない頃だね。
坊津って地名は、この土地には坊主やら坊舎が多かったから名付けられたらしーよ

で、肝心の顕如だがスパイ活動大っぴらにやってんだよねw
当時薩摩は禅宗が幅利かせてて真宗はもちろん禁教だった
が、顕如は旅先地まわる度に講を組織化して後方撹乱や破壊活動みたいな真似事してる。
いや薩摩にとっては破戒活動かw

この時の講が江戸時代は禁圧から逃れようとして山深くまで潜ったりしてるし、
恐らく一向宗の弾圧が加速されることになった要因や遠因、はたまた影響を鑑みると
秀吉の命を受けた顕如が噛んでたのはどうやら一枚どころの話じゃないな

一向宗排斥が長く受け継がれた理由は武士・農民を含めた門徒の団結が
領内治安に悪影響を及ぼすってのが第一だからね
612人間七七四年:2009/05/22(金) 14:58:07 ID:twUI4tMF
>>608
豊臣政権以後の織田家に、何をはばかることがあったと?
通説通りなら、家康は被害者なのだから。

>執念深さを他人に気取られるのを案じたとか
それなら「お前も息子は可愛いか」なんてエピソードは抹消を図るだろう。
613人間七七四年:2009/05/22(金) 16:15:30 ID:he0ROy+A
>>608
本能寺以降に信長に殺された息子の供養をして、それを執念深いと取るのはよっぽど偏屈な人間だろう
息子を理不尽に殺した罰が当たったのだ!とか言いながら信長の墓を足蹴にしたとかなら兎も角な
何年も前に訳あって殺してしまった息子を盛大に供養するのは格好の「いい人」アピールになると思うね
小牧長久手の時期なら家臣の結束&旧織田系の豊臣に対しての敵愾心を煽ることもできるし

墓放置はもうホントに信康のことを思い出したくなかったんだろ
それが信康本人に対する嫌悪じゃなくても
家康が(っていうか織田&徳川が)一番辛い時期のゴタゴタなんて思い出したくもないだろう
彼が隠居する地に決めたのは駿府だし
614人間七七四年:2009/05/22(金) 19:52:05 ID:AcApi+BE
>>609
つまりあれか 家康はバリバリの武田派で
織田を倒す機会を伺っていたが
織田派の息子にバレそうになり成敗したと
615人間七七四年:2009/05/22(金) 19:59:04 ID:CL6QCjLC
まぁ真実は家康本人のみぞ知るってことで。
さまざまな可能性をそれらしく昇華させるのは
作家の領分だろうし、ここで喧嘩しててもしょうがない。
616人間七七四年:2009/05/22(金) 20:14:17 ID:1M/qbpsf
小栗又一は戦場において常に、「大」の字の指物をしていた。
そのため手柄を立てるたび、「大の字がまたやったぞ!」
「今日も大の字がやったぞ!」と、大変に騒がれた。

ところが又一、これを聞くと不機嫌そうに言った

「何を阿呆みたいにやかましく言っているんだ?このくらい誰でも出来ることだろ。
毎回先陣を取るようにすればいいんだし。」

一同、「それが出来ないから言ってるんだよ!」

又一さん、自分の才能が特別だとは理解していなかった。と言うお話。
617人間七七四年:2009/05/22(金) 22:41:02 ID:UHyRQc1G
なんやかんやいっても家康公は信康血統を優遇しとる
一人は四天王の忠勝系本多氏(千姫の再婚先でもある)に、
もう一人は小笠原氏(江戸時代通して譜代の重臣)
618人間七七四年:2009/05/22(金) 23:09:38 ID:Xwhm2Hna
>>616
人に教えることが出来ない天才の系列かw

クルム伊達「ライジングはね、ギューンときたらガッと叩けば出来るのよ!」
女子選手一同「できねーよ」
みたいな。
619人間七七四年:2009/05/22(金) 23:15:35 ID:KYDHRo2B
ヒットなんかホームランの打ち損ないだろ?
って言ってた某三冠王を思い出した。
620人間七七四年:2009/05/22(金) 23:16:06 ID:YRUAkRkk
>>616
長嶋がバッティング指導で、
「こう、球が来たらキーンと打つ」と言っていただけというのを思い出すな。
621人間七七四年:2009/05/22(金) 23:36:04 ID:JCKNeRzZ
>>611
顕如と島津の話題ということで、家久(悪)に殺された伊集院忠棟の話

伊集院忠棟は夫婦共々熱心な一向宗信者であったという。
当時の薩摩は既に島津日新斎により一向宗は禁止とされていたにも関わらず、
取締りが緩かったのか不明であるが、何故か忠棟らは信仰を続けていた。

そんなある日、忠棟は石山本願寺に参詣に出かける機会に恵まれた。
忠棟がかねてから本願寺への奉納を十分に行っていた事、また島津家の
家老という身分からも本願寺内では丁重に扱われたという。

実は忠棟、このときある希望を抱いて本願寺を訪れていた。
忠棟は顕如に逢うと、長年の夢とも言うべきそれを口にする。
「本日は親鸞上人の御木像を是非とも御下付頂きたいと思いまして本日は
出向いて参りました」と切り出した。
しかし顕如はこれに困惑する。実は親鸞上人の木像を在家信者に渡すことは、
本願寺においては禁止事項だったのである。
それは幾ら沢山の寄進をしてくれる忠棟とて例外ではなかった。
顕如は心苦しそうに「その儀ばかりはどうぞ御勘弁ください」と丁重に断った。
しかし忠棟、どうやら生来の短気者らしく、この言葉に一瞬にして怒気を露わにし、
目尻を釣り上げていった。
「こんなに頭を下げても断られたとあっては武士の面目が立ちませぬ!
もはやこのようになった上は御真影の前で腹かっさばいて・・・!」と
当てつけに切腹すべく刀を鷲掴みにして立ちかけた。
これにはさすがの顕如も狼狽し、やむなく宝物庫から親鸞上人の自作と
伝えられる木像を取り出し忠棟に授けたという。

忠棟さん、大喜びでそれを薩摩に持って帰りましたとさ。
622人間七七四年:2009/05/22(金) 23:38:04 ID:hMHIULrY
>>613
隠居の地が駿府って、考えさせられるな。
岡崎でも浜松でもなく、人質時代過ごしたけど
本拠地にしたことのない駿府か。
623人間七七四年:2009/05/22(金) 23:41:19 ID:1M/qbpsf
>>622
いやいや、甲州征伐後から関東移封まで本拠地駿府ですがな。
624人間七七四年:2009/05/22(金) 23:46:41 ID:KYDHRo2B
忠棟が手討ちにされた理由は
島津家を見下ろすような形で京都に屋敷を建てたり、
ラスボスの直臣のお誘いに乗ったり、
九州征伐のときにろくに抗戦もせず抜け駆けして三成に誼を通じた、
と色々言われてるけど、信教の問題も絡んでたのかな。
(まあ手討ちにした側の資料しか残ってないみたいだけど)

家久にしてみれば
「よっしゃー!手討ちにする口実がまた一つ増えたぜ!」
みたいな感覚だったのかもしれんが…
625人間七七四年:2009/05/23(土) 00:04:31 ID:Wb7k1QFf
Don't think
Just kill
626人間七七四年:2009/05/23(土) 00:16:24 ID:Okod+C2U
大名向け、江戸城で仕事するときの注意事項(慶長十年)

・上様の御前で大声出さないで下さい……orz
・仕事さぼって遊ぶのやめて……orz
・公文書を書くの邪魔しないでお願い……orz
・仕事に困るから硯を勝手に持っていかないで……orz
・城内で立ち小便とかマジ勘弁……orz
・とにかく殿中では大人しくしてください……orz
627人間七七四年:2009/05/23(土) 00:24:35 ID:uMsTMF+T
>城内で立ち小便とかマジ勘弁……orz
これはありえないと最初思ったけど、
広い城内にどれくらい厠が設置されてたんだろうと考えると、
現代の建物のように、不便がないようそこここに設置されてるんじゃ
なさそうだよな。
我慢できないからこの庭の木の陰で・・とやってしまいたくなるかも。
628人間七七四年:2009/05/23(土) 00:25:03 ID:8NJrkFWj
>>624
>>125>>126>>578>>611>>621を総合すると
島津領内での一向宗の影響って大きかったのかもしれんなと思う
629人間七七四年:2009/05/23(土) 00:27:42 ID:rJMRnoER
>>626
なんだか特定の人物向けに思える項目がいくつかあるのは気のせいだろうかww
630人間七七四年:2009/05/23(土) 00:33:09 ID:xkE4ys+W
>>629
政宗のことかーッ!?
631人間七七四年:2009/05/23(土) 00:40:39 ID:cu6+7vrb
>>626-627
>城内で立ち小便とかマジ勘弁……orz
何処かの加賀藩主w
632人間七七四年:2009/05/23(土) 04:29:39 ID:fZTb9j2S
>616 スツーカ使いのハンス・U・ルーデル先生を思い出しますた
独逸の降伏後、西側に投降したルーデルさんとスツーカ隊。
連合国にも名前を知られたエースだってんで、ひつこく尋問される

米軍将校「ウチら連合国の戦闘機のがはるか優速なのに、なんで足の遅い攻撃機(Ju-87D/G)で何千回も出撃して貴官は無事だったのだ?」
ルーデルさん「そんなに不思議かね、私としては特に工夫はしていないのだが……」

尋問した将校ポカーン 板違いですまん。
ルーデルは主に東部戦線で、対空砲にやられて30回撃墜されたが、全て味方陣地へ生還。
自機より200km/hも速いはずの敵戦闘機に撃墜されたことは一度もなかったというチートさん。
633人間七七四年:2009/05/23(土) 05:01:43 ID:Hk6PwGyT
>>632
戦闘精神が服着て歩いてるようなのが共通点だと思うぜw
634人間七七四年:2009/05/23(土) 10:12:14 ID:laEvxV10
>>626
幼稚園…?
635人間七七四年:2009/05/23(土) 10:18:44 ID:VgAOAPU2
>>634
江戸初期くらいまで侍なんて、猛獣みたいなものですからなあ。
幕府が必死に礼式を整えようとしたのもよくわかる。
秀吉ですら朝鮮陣の前には、「もう平和になったんだから若い侍はみんな寺で修行させよう」
なんて事言ってたw
636人間七七四年:2009/05/23(土) 11:39:38 ID:f76dTArB
>>634
・園長先生のお話は静かに聞きましょう
・お勉強の時間は遊ばないようにしましょう
・しょくいんしつには遊びに行ってはいけません
・お友達のクレヨンを勝手に使ってはいけません
・おしっこがしたくなったらトイレに行きましょう

基本は変わらんな
637人間七七四年:2009/05/23(土) 12:26:56 ID:Ted+crNF
>>622
人質っというよりも将来の今川家の宿老候補として丁重に扱われてたみたいだね。
638人間七七四年:2009/05/23(土) 12:52:07 ID:K7xGLS39
1家臣としてみれば松平は十分な大身だったからね
感情的なこじれから織田方に奔られると大変面倒なことになるし
639人間七七四年:2009/05/23(土) 13:07:13 ID:op6bzw41
マナーの崩壊って確か後醍醐天皇(つまり南北朝)まで遡る筈だ
後醍醐が身分問わず色々呼び込むもんだから
宮廷でおしっことかザラで北畠親房が嘆いていた
640人間七七四年:2009/05/23(土) 13:26:26 ID:1Gz6cUuD
木曾義仲上洛時も凄そうだな。
641人間七七四年:2009/05/23(土) 14:46:30 ID:oy+vzM3H
>>635
史記を読むと漢の高祖が天下統一したときの宮廷もそんな感じ。
こりゃたまらんてんで、儒教をひろめて礼式を身に付けさせる事にした。
642人間七七四年:2009/05/23(土) 15:01:13 ID:cu6+7vrb
>>641
その酵素^h^h高祖にしてから、腐れ儒者の冠に以下略w
643人間七七四年:2009/05/23(土) 16:02:07 ID:op6bzw41
儒教が広まったのは漢武の時だけどな
礼式はどっちかっていうと道教寄りだったんじゃないか?劉邦当時は
644人間七七四年:2009/05/23(土) 16:12:17 ID:oy+vzM3H
>>643
「叔孫通 儒教」でぐぐるべし。
645人間七七四年:2009/05/23(土) 16:32:11 ID:7Vfasa1D
>>643
道教なんぞ、漢高の頃にあるわけ無い。
646人間七七四年:2009/05/23(土) 17:06:21 ID:K7xGLS39
元は原始宗教だから後世ほど体系立ってはいないけどあるわけ無いは語弊のある言い方じゃないか。
礼式にはまったく役にたたんだろうけど。
647人間七七四年:2009/05/23(土) 18:32:57 ID:QXH7wwxz
歴史的には、墨家→道教の流れ。
648人間七七四年:2009/05/23(土) 19:54:56 ID:XtksWamS
道教は最も遡っても張陵の登場まで待たねばならなかったような。
前漢頃は黄老思想じゃなかったか。
確か実は黄老思想と道教はあんまり関係ないと聞いた覚えがある。
649人間七七四年:2009/05/23(土) 20:01:12 ID:MTzGa5S8
さすがにスレ違いじゃないかと
650人間七七四年:2009/05/23(土) 20:15:40 ID:VgAOAPU2
さてさて皆様ご存知大久保彦左衛門翁の一席

今はあまり行われなくなりましたが、昔は非常に大事にされた伝統の一つに、
亥猪(いのこ)の祝い、と言う物がありました。これは陰暦10月の亥の日、亥猪餅と言う餅を食べ、
万病を防ぎ子孫繁栄を祈るという行事であります。

徳川幕府においてもこの日、江戸にある大名、旗本はみな登城し、将軍お手づから餅を
下される事になっておりました。
当然、彦左衛門も登城し、餅を頂く順番を待っていたのでございますが、彦左殿、何故かこの時
自分の順番になっても、将軍から遥か隔たった場所から動きません。
係りの者が「彦左衛門、御上壇まで進み候へ!」と促すのですが、彦左衛門は
聞こえなかったかのように平伏したまま。

これに家光公、「彦左衛門も年老いて、耳が遠くなったのであろうか?」と思い、
餅を彦左衛門の傍まで投げよこしました。
ところが、家光が餅を投げた瞬間に彦左衛門、やおら立ち上がり上壇の際まで進み、
頭を下げ上様の前で両手を上げて畏まりました。
そこで家光公、こんどこそ手づから彦左衛門の手に、紅白の餅を下されたのです。
そうして彦左衛門、下がる途中で先ほど投げられた餅を拾い、上様に御礼申し上げ御前を退きます。

さて、下がった先の溜り場には、先に下がった旗本諸侯が集まり、色々と雑談などをしております。
そこに現れた彦左衛門、両手それぞれに二つの餅を高らかに掲げ

「どうじゃ!亥猪の餅を二重ね頂戴いたしたのは、我一人であるぞ!」

と、見せびらかし、大いに自慢をいたしたということです。

ちょっとした策略で、御餅を見事二重取りし、諸侯達に見せびらかす!
一体これが自慢になる事なのかどうかはともかく、老いて直矍鑠たる老勇士、彦左衛門さんでありました。
651人間七七四年:2009/05/23(土) 20:38:54 ID:K7xGLS39
せこ・・・
652人間七七四年:2009/05/23(土) 20:42:15 ID:EQiB2QS5
>>651
いや、せこくはないだろ
彦左衛門は餅がほしいからやったんじゃなくて、餅を二個もらうって事をやりたかっただけだから
653人間七七四年:2009/05/23(土) 20:42:24 ID:VgAOAPU2
そのせこさゆえに悪い話なのだw
654人間七七四年:2009/05/23(土) 21:03:37 ID:nSloEHVP
せこいというか、悪餓鬼っぽいw
655人間七七四年:2009/05/23(土) 22:30:37 ID:wnzUA1Ix
>>634
仙台公62万石が殿中で老中ひっ捕まえて角力はじめちゃうバクーフですからね。
656人間七七四年:2009/05/23(土) 22:47:40 ID:udab9tQO
そんな政宗公も、頼宣公のところの酒宴行って、頼宣公が座で飲みながら見送ろうとしたのを見咎めて
「座ったまま見送りタァすげねえゼ。こっちまで来てクンナァ」と手を引こうとしたら座敷から庭までブン投げられちゃったりもしました。
657人間七七四年:2009/05/24(日) 11:28:07 ID:4v6QMGYf
>>656
頼宣公は一種の怪人だからなー
ある意味、ファニー独眼竜の人より「遅れてきた群雄」っぽいかもしれん
658人間七七四年:2009/05/24(日) 12:20:16 ID:xCK4AnGg
遅れてきた群雄も四天王があっありして
659人間七七四年:2009/05/24(日) 14:26:04 ID:laDpcf4j
>遅れてきた群雄
でもそれは多分帯刀以下、家臣の教育せい

天皇が二条城に御幸遊ばされると言うことで、各大名家に番役の命が下った。
家老の帯刀が老中から割り振りの詳細を受け取って頼宣公に差し出したところ、
頼宣公、「これは何かの間違いではないか」と言い出した。
帯刀、「石高によって何人と決められておりますので間違いはございません」と。
「それは他の大名家のことよ」と頼宣公。
「他の有象無象の家ならともかく、我が紀州家は尾張家と同格の将軍家の左右の要。
 そこに優劣はない。叙爵すら同日同刻に行われておるではないか」
むう、と唸る帯刀。
「これはまさに殿の仰るとおり、それがしが呆けておりましたわ。再度掛け合ってまいりまする」
「だが待て、一度は上様の御前で決まったことではあるぞ。どうするのか」
と頼宣公は尋ねるが、帯刀は無言で下がって行った。

(続く)
660人間七七四年:2009/05/24(日) 14:28:27 ID:laDpcf4j
さて帯刀、急ぎ登城の用意をしていると水野がやってきて
「それがしも同道致そう」と言うが、これに帯刀、
「いや、わし一人で参る。
 もしこの願い聞き入れられずば、そのときは拙者はその場で腹を切る。
 その時、お主は城に切り込んでくれ」
「承知した」

 さて帯刀が登城すると、牛の刻だと言うのに御幸二日前と言うことで土井以下老中はまだ執務中。
 帯刀が血相を変えて夜中にやってきた事にに驚いていると、帯刀はこれこれこういう理由なので
尾張と紀州と同じ格で番を振ってくれと言う。土井も合点が行ったが、いかんせん二日前、
事務も押しているし将軍決済なので変更には将軍が臨席していなければならないがさすがに就寝中。
ということを帯刀に言い、今回はさすがに無理なので次回から必ずそのようにしようと言うも、帯刀、
「さても、将軍家御屋敷に帝が御幸遊ばすと云うことが二度あるとお思いか」と。更に、
「上様がご就寝になられているということであれば起きて頂くより他ござるまい。各々方も参れ」
と、老中を引き連れて将軍寝室へ急ぐ。
将軍家光も大御所秀忠も真夜中に叩き起こされて仰天しておられたが、進み出た帯刀の申し出る
紀州尾張同格論に、
「紀州の申すこと尤もである」とその場で割り振り変更を老中に仰せになられた。

夜中にひと仕事終えて爽やかな帯刀と、夜中にひと仕事増えて表情が濁っている土井。
「いやはや、われらの願いが聞き届けられて誠に祝着至極!
 叶わずば生きている甲斐もないところでござった」
「具体的にはどうするおつもりでおられたのですか」
「何、
 紀州全土が焦土となり最後の士が討ち死にするまで戦う所存でござった」


めんどうくさい、とかいうレベルでは済まされない紀州家臣団のろくでもない話。
661人間七七四年:2009/05/24(日) 14:47:16 ID:SEV/1dAF
あーもー面倒くさいなぁw
662人間七七四年:2009/05/24(日) 15:19:26 ID:cv8S2gap
> 「いや、わし一人で参る。
>  もしこの願い聞き入れられずば、そのときは拙者はその場で腹を切る。
>  その時、お主は城に切り込んでくれ」
> 「承知した」

このかっこ良さに惚れた。
主君も主君だが、家臣も生まれる時代間違えてるわw
663人間七七四年:2009/05/24(日) 15:23:39 ID:MxQ7jAQV
水野来んなw
664人間七七四年:2009/05/24(日) 16:20:00 ID:GBYCI+Xx
なんという、いくさ人
隆慶なら格好よくでっち上げてくれるだろうw
665人間七七四年:2009/05/24(日) 20:30:37 ID:cv8S2gap
北条氏康が足柄の城普請、巡検からの帰り、その近くにある 大雄山最乗寺へと参詣した。

さてこの時、最乗寺の寺僧達が言うには、最乗寺開山了庵和尚の弟子に、道流と言う
大力の僧がいた。
この道流、最乗寺を守護せんと大誓願を発起し、たちまち天狗となってり、今もこの山中にある。
今もその天狗が見守っているため、この山に悪智職が住をなせば、たちまち災いが起こる、と言う。

氏康のお供の者たち、流石に信じられず
「昔語りに言う末世にはそう言うことがあったかもしれないが、今の世の中にそのような…」
と、囁いた。その時である

大風、たちまち起こり、寺の屋根がことごとく吹き飛んだ。
その日、それまでそよ風一つ無い晴天であったのに、である。
これには氏康のお供たちも

     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 天狗じゃ、天狗の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
// //,|:::     ( ( /    ヽ) )+     ;| /
/ // |:::     +  ) )|~ ̄ ̄~.|( (       ;;;|// ////
/// :|::       ( (||||! i: |||! !| |) )      ;;;|// ///
////|::::    +   U | |||| !! !!||| :U   ;;; ;;;| ///
////|:::::       | |!!||l ll|| !! !!| |    ;;;;;;| ////
// / ヽ:::::       | ! || | ||!!|    ;;;;;;/// //
// // ゝ:::::::: :   | `ー----−' |__////

と、驚愕。氏康は、直ちに元の如くするよう、普請を命じた。
この事態に、天狗と言うものは今の時代生きているのだと、皆不思議に思ったとのことである。

            , ;,勹
           ノノ   `'ミ
          / y ,,,,,  ,,, ミ
         / 彡 `゚   ゚' l
         〃 彡  "二二つ
         |  彡   ~~~~ミ      はいはい、わしのせい わしのせい
     ,-‐― |ll  川| ll || ll|ミ―-、
   /     |ll        |   ヽ
  /       z W`丶ノW     ヽ
 /        \\   / /      |
/    天      \`i / /  狗   |
666人間七七四年:2009/05/24(日) 20:37:52 ID:Nmr+vcWV
この逸話が後の小田原征伐時、石垣山城が一夜にして現れたのを見て
兵卒達が「秀吉は天狗か!?」と思い込み士気が下がりまくった要因になるんですね判ります
667人間七七四年:2009/05/24(日) 20:41:43 ID:rYWqSToq
万能だな天狗。
668人間七七四年:2009/05/24(日) 20:43:28 ID:cv8S2gap
ああ、ちょっと文章ミスった

×天狗と言うものは今の時代生きているのだと、
○天狗と言うものは今の時代も生きているのだと、

まとめに乗せる時直しておいてください…orz
669人間七七四年:2009/05/24(日) 21:05:32 ID:3r122UU5
キタ━━━━━━≡゚∀゚)≡゚∀゚)≡゚∀゚)≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━━━!!!!!
670人間七七四年:2009/05/24(日) 21:06:23 ID:3r122UU5
ごめんなさい誤爆しました
671人間七七四年:2009/05/24(日) 23:21:42 ID:4v6QMGYf
>>659-660めんどくさいなんてレベルじゃねーぞ!!w ww

親藩筆頭格の徳川御三家が、意地を立てられなんだら幕府に謀反しますぞって……
672人間七七四年:2009/05/24(日) 23:30:09 ID:4v6QMGYf
>662-663
しかしまあ、ガチ体制側の武士すらここまでシグルイ体質だったのを、
よく二世紀半も腑抜けにして縛り付けといたもんだね((゜д゜;)))

水野傾奇くなw
673人間七七四年:2009/05/24(日) 23:38:14 ID:rwg4Uz9S
>660水野あっさり承知スンナw
674人間七七四年:2009/05/25(月) 00:03:24 ID:3VYuT5o+
徳川家康は息子の頼宣を見込んでいたのか、駿河を治めさせよう
と思っていた。だが家康の死によってその話は流れてしまった。

がっかりしたのは頼宣の母、お万の方である。もし家康が存命で
あれば、今頃、頼宣は百万石の大守だったかもしれない。そう
思うと、彼女はついつい安藤直次に愚痴ってしまうのである。

しかし、これを聞いた直次は
「まさか。殿が百万石を治めるなど、とてもとても。せいぜい
紀州五十六万石が限界でしょうなあ」
と、さらっと言ったという。ただでさえ落ち込んでいたお万は
さらに落胆したことであろう。
675人間七七四年:2009/05/25(月) 00:14:33 ID:Dx721VtV
>>674
安藤さんの身も蓋も無さはある意味感動的ですらあるなw
676人間七七四年:2009/05/25(月) 00:17:51 ID:lPjQebqn
>>659-660
身内にこんなわけのわからん連中がいるんじゃ、政宗の謀反起こしちゃうぞ詐欺も霞むよなぁw
677人間七七四年:2009/05/25(月) 00:27:56 ID:Dx721VtV
天正十年(1582)、甲斐、若御子における対陣から、ついに講和を成した徳川と北条。
両家はそれぞれに、講和の成立を祝う引出物を持たせた使者を出した。
北条家からは石巻隼人佐、河尻下野守が、徳川家においては朝比奈弥太郎に
その役目が命ぜられた。

さて朝比奈弥太郎、北条氏政に対面し引出物を進上。氏政から褒美の太刀を渡され
面目を施し、小田原から駿河へ帰る。この折、馬にて山を下る途中の日金堂という場所で
夕暮れとなった。

この場の物暗い木陰になっている道の傍らに、六七尺、というから、2メートル前後もある、
頭は剃っているが法師とも山伏とも見えない、異形の大男が立っていた。

色は黒く筋骨たくましく、片手には鉄の熊手棒を持ち、松明を掲げている。
朝比奈は思わず「そなたは何者か?」と問えば、「わたしはこの山の上、日金の辺りに
住んでいる者です。今日は人を迎えにここまで出てきたのです。どうかご不信に思われないように。」

そうしてこの異形の者は
「あなたが向かう先のほうから、こちらに向かって若い女が上がってきているはずです。
その者に出会いましたら『早く上がって来い、上で待っている』と言ってやってください。」
そう、伝言を頼んだ。

弥太郎は不思議に思いつつも先に進むと、下のほうから、年頃は十六七ばかりの少女が
上がってきた。暗くなったことを大変恐れている様子で、ゆっくりゆっくりと上がっていた。
弥太郎、この少女に先の男の言葉を伝え、その場を行き過ぎたが、どうにも釈然としない。
それでもしばらく進んでいると、突然山頂の方から叫び声が聞こえ、それに続いて
何かを打ち倒すような音がした。

弥太郎、不審には思ったものの、その後は又静まり返り何事も無かったので、そのまま山を下り
玉澤という場所まで来ると、そこでは人が多く集まり葬式をしており、丁度火葬の最中であった。
弥太郎、ふと馬を止め、集まっている者たちに「この死者は何者か?」と尋ねると、
「これは箱根山中の関守にて、半田と言う人の娘です。十七にて早死にしてしまったのを、
葬っているのです。」

それを聞いた弥太郎、驚いて
「本当か!?箱根の奥、また日金の傍にも地獄があると聞いたことがあるが、さては
さっき見た少女は、この死者の霊魂だったのか!道の傍らに居た異形の者は鬼に違いない!
何と怪しいものを見てしまったのか!」

この事は当時の関東、相模、伊豆、駿河などで大変話題になり、『朝比奈は鬼を見た。
女は地獄に落ちた』などと、人々、大いに語り合ったという。


…が、この話、弥太郎の勘違いなのである。
かの異形の者、実は日金の地蔵の、御堂守りの法師であった。
この法師、娘を麓の里においていたのだが、この日は娘が父の元へと帰る所であった。
法師は娘を出迎えに出ていたのである。
ところが娘、父と落ち合う前に山犬に会い、大声で叫んだ。そこに父である法師が駆けつけて
この山犬を打ち倒した。これが事の真相である。

しかしこの弥太郎の勘違いのおかげで、山中の関守の半田などは、「あの男が情けの無い
ひどい男なので娘が地獄に落ちた」などと地下の者たちから言われ、散々であったとか。

今でも伊豆などでは、「箱根や日金には地獄がある」と言われているそうである。

勘違いで半田さんに大迷惑をかけた挙句、変な伝説まで作ってしまったお話。
678人間七七四年:2009/05/25(月) 00:53:36 ID:ufXJv979
>>677
朝比奈泰勝かな
かなり面白いよねこの人
679人間七七四年:2009/05/25(月) 01:20:11 ID:P1DzvVYB
>>657-658
後れてきた群雄、って列挙するとどんな人選だろう。
奥州の独眼竜、南龍公・頼宣はまあ本選入りとして、蒲生氏郷「再生工場長」あたり?
結城秀康もヤンチャ体質なんだが神君の倅ばっかり乱世体質ではちと、困るしなあ・・・・・・


他の候補は誰だろ。常陸から秋田へ減俸されたり、
案外お人好しで律儀だったといわれているけど、寝所に誰も入れない佐竹義宣
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2106.html

島原の原城総攻めでどうどう抜け駆け鍋島勝茂
関ヶ原の時も西軍でヒャッハーしまくって戦後、
一家お詫びに全員切腹します!と●●ガイなパフォーマンスで本領安堵される
(お父ちゃんが暗躍してくれた分もあるけどね)

立花宗茂なんかも戦国末に出てきた人だけど、むほん気がないから群雄……向きじゃないかな
680人間七七四年:2009/05/25(月) 01:28:24 ID:xCtTGV+M
>>659-660
水野って水野勝成だよね?
なんで日向守が絡んで来るんだよって思ったら妹の旦那が頼宣なのね…
秀忠とはけっこう仲良かったから家光時代の話かな?
681人間七七四年:2009/05/25(月) 05:57:56 ID:xCtTGV+M
>>680訂正
×妹の旦那が頼宣なのね…
○妹の娘の旦那が頼宣なのね…
 
ちなみに一旦勝成の養女になって嫁いでる
まとめで訂正しといて下さい
682人間七七四年:2009/05/25(月) 07:28:14 ID:m20GZzZv
>>677
ひどいとばっちりだw
昔は山の中にあの世があるとされてたらしいけどこの時代でもそんな意識はまだ残ってたんだな
683人間七七四年:2009/05/25(月) 08:02:38 ID:CXwN/q4y
>>680
付家老の水野氏じゃない?
時期的には重良。
684人間七七四年:2009/05/25(月) 08:44:42 ID:J+Wj6ytH
新宮に城持ってた水野だな
丹鶴城だっけ、母方の地元だ
685人間七七四年:2009/05/25(月) 11:54:45 ID:KpfLKmQk
>>679
逆に考えるんだ
身内以外に謀反気があるような諸公を
神君とその二代目が絶やしていたと
逆に考えるんだ

つうか外様は怖くてなかなか派手な振る舞いできないよ
政宗は外様だけど色々立場が違うし
686人間七七四年:2009/05/25(月) 13:15:04 ID:SdOCmy/R
朝比奈弥太郎で調べたら香川家家臣にもいるんだな
しかもかなりの猛者
687人間七七四年:2009/05/25(月) 14:15:23 ID:xCtTGV+M
>>683-684
ありがとう!
688人間七七四年:2009/05/25(月) 16:21:34 ID:TXAoj9z2
>>675
欲を出すな。身の程を知れといいたいんじゃないの。
689人間七七四年:2009/05/25(月) 16:29:29 ID:IzL6dZ7Y
>>682
普通に考えればその時代、山姥や山の民とされる人々はまだ存在したはず。
山に住む農民と違う文化をもった者をまだ異形として認知していた人は多かったのかもな。
690人間七七四年:2009/05/25(月) 17:57:13 ID:Dx721VtV
加藤清正があるとき、例によって自分自信で指揮をして城の堀の修復普請をしていた事があった。
そのうちに正午となり、工事の人夫達は皆、昼食に就いた。

さて清正、その人夫のうち、一人の老人の昼食を見て驚いた!なんとその飯には、
副食として焼きイワシが付いていたのだ!焼きイワシが!

「お、おぬし、いったい歳はいくつだ!?」

動揺を隠せない清正が聞くと、老人、「ろ、六十過ぎですが…?」

「六十…。六十と言えば、公役にも家僕を出し、自分は安逸に過ごすべき年齢だろう。
それなのに人夫として出て、魚肉を食う。

お前はそのように飲食におごり贅沢をしているから、そのように歳を取っても体を労する事になるのだ!
口の為に身を苦しくするとはこの事である!」

なので、そのような贅沢は慎むべきだ!と、訓戒したそうだ。


しかしこの当時、大名同士、武士同士で、蓼なんて贅沢だ塩で充分だ何だと言い合う
逸話はいくつかありますが、清正は自分の領民にも細かく言っていたのですね。

そんな、ちょっとおせっかいなお話。
691人間七七四年:2009/05/25(月) 19:04:06 ID:QJ35zKr1
余計なお世話だ
692人間七七四年:2009/05/25(月) 19:47:15 ID:Nkg8IXUM
清正うざいw

>大名同士、武士同士で、蓼なんて贅沢だ塩で充分だ何だと言い合う

武士同士で言い合うというか、主に1名が
一方的に文句つけてる逸話ばかり残ってる気がするが・・
693人間七七四年:2009/05/25(月) 19:48:12 ID:y5FSCPkc
確かに給金が出て当人が健康なら、
家僕を雇うよりも自ら働いていいご飯食べたいというのも十分有りだな。
694人間七七四年:2009/05/25(月) 19:52:06 ID:m20GZzZv
ってか武士は昔からこんな感じなんじゃねぇの?
いつだったか忘れたがある武士の袖が長すぎて贅沢という理由で
そいつの袖を刀で切り捨てたって逸話が合った気がする
695人間七七四年:2009/05/25(月) 20:22:37 ID:Fb4K9tb2
>>690
素直に分けてくれと言えばよかったんだよ、清正w
696人間七七四年:2009/05/25(月) 21:44:38 ID:yS8ieAOi
体動かしていいもん食って長生きしそうだなw
697人間七七四年:2009/05/25(月) 22:32:23 ID:7h+WYfPW
一方、奥州の某大名家では殿様自らが料理して
貧相な食事が出たら文句を言って家臣に窘められていた
698人間七七四年:2009/05/25(月) 22:35:51 ID:vVF9LrAE
鮭に執着するあまり領土に執着した某大名もいるし、
動物性タンパク質に餓えてたんかねー。
699人間七七四年:2009/05/25(月) 22:42:10 ID:jJIE09oL
752 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2009/05/10(日) 11:26:23 ID:VmyCIfjyP
鹿之助「勝久殿、勝久殿は尼子家を最高する石はお持ちでござるか」
勝久「えっ」
鹿之助「尼子家最高の石でござる」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「勝久殿はまだお若いですからな。
    …それに勝久殿の境遇を考えれば仕方のない事か」
勝久「いくつになったらもらえるんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「としをとればもらえるということなんでしょうか」
鹿之助「何がでござるか」
勝久「最高の石が」
鹿之助「いえ、最高の石とは人から譲り受けるものではなく自らが生むものでござる」
勝久「なにそれこわい」
鹿之助「えっ」
勝久「うむのはいたくないんですか」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
鹿之助「ああ…確かに我々には七難八苦があるでしょうが
    その先にあるのは尼子家最高でござる」
勝久「そうなんだすごい」
鹿之助「……勝久殿、どうか我々に力を貸してくださらぬか」
勝久「なんだかおもしろそうだからいいですよ」
鹿之助「おお勝久殿、ついに尼子家を最高する石を持ってくださったか!」
勝久「いえもってません」
鹿之助「えっ」
勝久「えっ」
700人間七七四年:2009/05/25(月) 22:43:12 ID:jJIE09oL
ごめんなさい誤爆しました
701人間七七四年:2009/05/25(月) 23:02:50 ID:2AH02GkS
わろたww
702人間七七四年:2009/05/25(月) 23:13:14 ID:m20GZzZv
この勝久では尼子家再興は無理だなw
703人間七七四年:2009/05/25(月) 23:39:24 ID:D2OOujdm
こ れ は ひ ど い
704人間七七四年:2009/05/26(火) 00:00:02 ID:pcwKd1gE
この勝久は七難八苦そのものwww
705人間七七四年:2009/05/26(火) 00:04:01 ID:4HHGDU0P
徳川家光が鷹狩りから帰ってきた時のことだが、その時の彼は
非常に機嫌が悪かった。家光がふと後ろに目をやると、そこには
草履取りがいた。この男はかなりの出歯で、いつも笑っている
ように見えた。「あいつめ、何がおかしい!」と怒った家光は
堀田正盛に言った。

「あいつを今すぐ斬り捨てよ」
「は、仰せのままに」

哀れなことに草履取りを斬り捨てろとの命が下ったのだ。翌日
家光は草履取りを殺したかどうか正盛に確認した。

「あいつを斬ったか」
「いいえ、まだです」
「何をしているんだ、早く殺せ」
「は、仰せのままに」

なんと正盛はまだ草履取りを殺していなかった。そこで家光は
重ねて成敗しろと命じた。それから十日
ほど経って、家光は殺したかどうか、再び確認した。

「さすがにもう殺しただろう」
「いいえ、まだです」
「・・・・・・」

さすがの家光も、とうとう諦めたという。
706人間七七四年:2009/05/26(火) 00:16:39 ID:EP1T07Tt
アッーだけの人物ではないという捕らえるか、アッーがより深かったと捕らえるか
707人間七七四年:2009/05/26(火) 00:22:01 ID:1/Mul+nM
しかしさすがに戦国ではない気もする
708人間七七四年:2009/05/26(火) 00:30:10 ID:4HHGDU0P
あ、やっぱダメ?まとめに家光もあったからいいかなと思ったんだけども
709人間七七四年:2009/05/26(火) 00:31:46 ID:SBc9KEGW
これはボーダーラインのアウト側、かな
710人間七七四年:2009/05/26(火) 00:32:45 ID:1/Mul+nM
テンプレに明確にこの期間が戦国って決まってるわけじゃないから俺がどうこう言えるものじゃないけど
家光の逸話の場合には大概政宗とか宗茂等戦国組の人間が絡んでたと思う
711人間七七四年:2009/05/26(火) 00:34:53 ID:kIA74w1K
個人的には一応、下限は島原の乱くらいまでは入れていいんじゃ無いかな?とも思う。
上限は嘉吉の変かな?
712人間七七四年:2009/05/26(火) 00:51:26 ID:JmtoLtdZ
俺は家光まではOKって感じ
戦国生き残りもいるし雰囲気の残滓もあるから
713人間七七四年:2009/05/26(火) 01:23:42 ID:62aazr9e
でも家光の話の中でも、戦国な話とそうでない話があると思うんだ
戦国時代の息の根止めたのはこの生まれながらの将軍だし
714人間七七四年:2009/05/26(火) 02:13:45 ID:un3IS8W2
徳川家光で一席、名前に間違いがあるかも知れないが勘弁してください。

殿様にの若殿には守り役というものが付いた。
有名なのでは武田信玄には板垣信方、織田信長には平手政秀など歴史に名を残したものがいる。
守り役というのは、家中の中で人格・見識が優れた人物が選抜されるので、たとえ名前を残さずとも
大変名誉ある役職であった。若殿が当主になれば第一の側近にもなるし、守り役として育てた
若殿と枕を並べて討ち死にした例だってある。
そしてその教育方たるや、本当にスパルタンで、若殿であろうと殴る蹴るは当たり前というより許されていた。
毛利のところのTERUだって、小早川隆景の教育は怖かったと言うくらいである。
さて、徳川家光にも守り役がいた。その名を青山忠成という。この人も、戦国時代に戦った事もある面倒くさい三河武士である。
この人が守り役となったのだが、教育方は伝統に則り、

将軍秀忠公認のスパルタ教育を実行したのだ。

例えば、家光は夜歩きが好きだった。まだ江戸時代初期は将軍家の人間でもひょいひょいと外出出来たのだ。
家光本人も剣の腕は自信があったが、さすがまずいにということもあり、青山は、

青山「拙者をお手討ちにしてから夜歩きなさいませ。」

と、諫言したくらいだった。他にも、家光が金魚を愛でていたのを、

青山「武士にあるまじきことにござる!こんなもの!」

と、放り投げたりしたそうで、時には手が出る足が出るような教育でもあった。
あまりに諫言をするもんだから、家光は将軍になって最初の命令が何と!

青山家の改易

こうして、坊ちゃん育ちの家光は邪魔者がいなくなったと思ったが、自分が将軍をやってみると青山の教育が正しい事に気が付いた。
さすがにやりすぎた、青山には悪い事をしたから元の通り再出仕してもらおうと命令を出したものの、今度は青山が命令を拒否した。曰く、

青山「再出仕の命令を受ければ、将軍が以前の処分が間違っていたと世に知らしめる事になる。それでは、上様は下のものに示しがつかない。」

だったので、何と死ぬまで復職をしなかった。そこで家光は息子を出仕させる事で青山家の名誉を回復したという。
ちなみに、家光以降の世代の守り役はよくテレビで見るような「若殿のわがままに翻弄される爺」の様になっていったという。
こうみると、たとえスパルタでも戦国時代の守り役は愛のある教育を心がけていたものが多かったかも知れない。
715人間七七四年:2009/05/26(火) 02:50:12 ID:sL7MD2/m
月並みな言い方ですがこの手の話

すごく…好きです
716人間七七四年:2009/05/26(火) 02:55:30 ID:5+2BiDvR
>>714
どいつもこいつも・・・ w めんどくさいDNA大好きだー
717人間七七四年:2009/05/26(火) 07:54:21 ID:SBc9KEGW
>>714
訂正、忠成は大阪前に死んじゃってるのでこれは息子の忠俊です。
718人間七七四年:2009/05/26(火) 09:37:26 ID:wXL1Uipr
>>717

ああ、やっぱりそうだよな。
読みながらおかしいな???と思ってもいたよ。
719人間七七四年:2009/05/26(火) 10:20:28 ID:ipkzc0XA
ガイシュツだけど大久保忠チカも、
大久保長安事件のほとんどとばっちりで小田原藩を改易されたのに
復帰を固辞して配流されたまま一生を終えてるんだっけ。

一旦将軍の決めた罪が軽々に許されてはご政道に傷がつくから、とか
720人間七七四年:2009/05/26(火) 10:34:49 ID:ipkzc0XA
>>696
これも戦国末より江戸期になっちゃうけど、
実は一番いいもの食ってたのは職人なんだよな。
もろに池波正太郎センセの受け売りなんだけどさw
グルメにこだわるのはクオリティ仕事の腕利き職人が多かったんだって。
たまに贅沢して、インスピレーションつうか仕事への活力を養った。
あとガテン系の体力商売は格別うまいもんに拘らなくても、
やっぱり栄養価の高いものを食ってバリバリ働いたろう。
当時、栄養価ある肉や魚、果物なんかは相応に値が張るからね。

逆に商人はよほど成功した大商人の二代目三代目にならないと贅沢しない
(節約して蓄財、身代を残す方が優先されるから)

公に夜遊びできない立場の武士、とりわけ中級下級の旗本御家人や大名家の家臣は
大したもん食ってないのが当たり前だった。


高級武士なのに尚且つグルメな“鬼の火盗改”長谷川平蔵は、
だから若い頃相当鳴らした遊び人上がりで
下町の職人、ガテン連中とも話が合ったはず……ってわけ。 まあ半分はフィクションだけどねー
721人間七七四年:2009/05/26(火) 11:59:53 ID:62aazr9e
>>720
イタリアのパスタもアルデンテは商人階級から生まれたものだしなあ
料理は手早くちゃっちゃと作った方が美味いってことなんだよな
722人間七七四年:2009/05/26(火) 12:22:25 ID:t8F4nyOs
カレーは一晩寝かせた方が美味いと思うが
723人間七七四年:2009/05/26(火) 12:53:17 ID:/h9YFeTf
>719
本田派の巻き返しで忠隣を狙った陰謀説が好きだ


冤罪を訴えたけど復帰を認めてもらえなかったんじゃなかったっけか
これで里見も潰れチマウンだよな
724人間七七四年:2009/05/26(火) 13:35:04 ID:y5cj3qfr
ごめん、なんか飛蚊症みたいで目がチカチカする。
ケアレスミスの揚げ足取りみたいで申し訳ないが

本多→本田誤記はご容赦。
725人間七七四年:2009/05/26(火) 15:26:45 ID:1/Mul+nM
一本位なら大丈夫かね?
726人間七七四年:2009/05/26(火) 15:35:59 ID:1/Mul+nM
誤爆
727人間七七四年:2009/05/26(火) 15:43:28 ID:t6OaI2U3
一本なら余裕だって元春さんがいってた
728人間七七四年:2009/05/26(火) 17:09:30 ID:ipkzc0XA
>725
スリーアウトでチェンジ(三十七歌仙?)だから、まだ大丈夫
729人間七七四年:2009/05/26(火) 17:15:42 ID:Si677l9V
裁判員制度が導入されたまたま裁判員に富田さんでも来ていたりすると…
730人間七七四年:2009/05/26(火) 18:15:24 ID:1/Mul+nM
>>727
>>728
今禁煙中なんだからあんまり誘惑しないでくれよw

ワビに一つコピペを

 慶長17年(1612),75歳の老人が,天下人となった徳川家康を駿府城に訪れた
 老人は昔,今川氏真と呼ばれた人物であり,かつては駿府城の主であった
 東海地方に覇を唱える今川氏の御曹司としてこの世に生を受けた氏真であったが,桶狭間の戦いでの父・義元の敗死を受けて当主の座についたものの,今川氏の衰退に歯止めをかけることができず,結局,武田氏と徳川氏に国を奪われた
 はじめ氏真は姻戚の北条氏を頼り駿河の奪回を目指したが,第2次甲相同盟の成立に伴い,徳川家康の庇護下に入った

 さて氏真の訪問を受けた家康,元々は主筋の相手だけに疎略にはできず,対面することになった
 いつしか話題が和歌に及んだ
 氏真は大名だった頃から,冷泉為和を師匠として熱心に和歌を学んでおり,家康の庇護下に入った後は上京して,冷泉家に出入りして京都歌壇で名声を博していた
 そこで氏真は滔々と歌道論をぶったのである

 これに対して家康は,
「和歌などは公家のやること」
と一蹴し,有名な平忠度の逸話
(平家都落ちに際し,自らの死と一門の滅亡を覚悟した忠度は,立ち帰って歌の師匠である藤原俊成に自らの秀歌を託す.
 後世に自らの歌を残すことが唯一の願いと語る忠度の言葉に,感動した俊成は決して疎かにはしないと約束し,実際に忠度の歌を『千載集』に収録している)
も,ちっとも美談ではない,歌なんかを勉強する暇があれば兵法を学ぶべきであったのだ,そうすれば平家は滅ぼされずにすんだだろう,と言ってのけた.
 氏真は赤面して退出したという
731人間七七四年:2009/05/26(火) 18:20:28 ID:kIA74w1K
氏真の和歌に関しては、武田信玄も「そんなもの学んでる暇があるなら武芸を磨け!」
って言っていたな。
732人間七七四年:2009/05/26(火) 18:30:11 ID:62aazr9e
魯迅だったかな
「文学っていうのは声をあげることしかできない負け犬のためにあるんすよ
本当に強い人間は言葉にするより先に相手を噛み殺している」
みたいなこと言ってたよね
もっともだと思う

俺氏真の和歌嫌いじゃないぜ
733人間七七四年:2009/05/26(火) 19:00:07 ID:lYuMFx82
一方毛沢東は英雄たるもの俺みたいに文才なきゃだめだね!といっていた……気がする。
734人間七七四年:2009/05/26(火) 19:05:17 ID:t2Jx43PU
慶次「虎は何故強いと思う?元々強いからよ。」
735人間七七四年:2009/05/26(火) 19:20:42 ID:PSKIZgY6
いやいや、これは道真がつい張り切って
歌道rocks!武道sucks!と言外に匂わせたので
ムッと来た家康がキツイ事言ったという話。
双方領分を守っていれば万事OKなのに
どっちが偉いかと始めると話がこじれるって事はよくあるね。
736人間七七四年:2009/05/26(火) 19:22:23 ID:PSKIZgY6
道真って誰だ(笑
氏真ですな(笑
737人間七七四年:2009/05/26(火) 19:32:32 ID:kIA74w1K
>>733
それと繋がる話かも知れないけど、例の綱吉を将軍に推薦したって言う、老中の堀田正俊は
「中国と日本じゃ学問の優先順位が違うんだよ。日本じゃ義が先で仁が後、
忠が先で孝が後、そうして武が先で文が後なんだよ!」って言ってたそうな。
738人間七七四年:2009/05/26(火) 19:48:53 ID:hwSLEAFY
本格的に暑くなってきました。ということで

かつて、奥州に斯波詮森が割拠していた頃のこと
奥羽の境、山中にある森の館というところは、斯波氏の一族・信濃守の在所だった
信濃守の家臣には、森山大蔵という剛の者がいた
この大蔵、ある時、用事を仰せつかり、山道を歩いていた
薄暗い木々の間をゆくと、どこからか彼を呼び止める声がする
声の主を探すと、それは道端に転げた髑髏であった

「もし。私の首元に生えた草を抜いてくれませんか。苦しくて苦しくて」
髑髏はカタカタと音を鳴らして訴える
大蔵はさすが豪胆で、よしきたと草をすべて抜いてやった
髑髏は嬉しそうに礼を言うと、それきり黙ってしまった
館に帰還した大蔵、この武勇伝を主君や同輩に話し、自慢した
ところが、
「森山ほどの勇者でも、物寂しい山で幻を見るのか」
「もし本当だとして、狐か狸に化かされたのじゃろ」
などと笑われてしまう始末だった

プライドを傷つけられた大蔵は、後日再びかの山へ行く
「これこれというわけだ。草を抜いた恩に報い、皆の前で一言何か申せ」
大蔵が迫ると、カタカタと髑髏は答えた
「もちろんです。一言といわず、何時間でも話しましょう」
大蔵は喜び、早速髑髏を布に包んで館へ持ち帰った

さて、皆の前で布を広げた大蔵、
嘲笑された仕返しに、同輩ばかりか主君までをも口汚く罵り、髑髏を披露した
ところが、肝心の髑髏、うんともすんとも言わない
固唾を呑んで見守っていた人々も、ただのしゃれこうべだと呆れ、怒った
衆人を罵倒した大蔵は、信濃守によってその場で殺された

その刹那
ケタケタケタケタ……
髑髏が甲高く笑い始めた
「ついにやった
 わしは無実の罪で手討ちにされた、森山大蔵の家来じゃ。ようやっと仇を討ったわ」
739人間七七四年:2009/05/26(火) 20:20:55 ID:1/Mul+nM
それほどの策士でありながら何故手討ちにされたんだ髑髏よ…
740人間七七四年:2009/05/26(火) 20:40:43 ID:fSbscNFu
髑髏になってからというものの
ずっと復讐の手段を考えてたんだろうな
741人間七七四年:2009/05/26(火) 20:48:56 ID:UDURTk5M
そういえばそろそろ怪談の季節ですなぁ・・・こういうのもアリなのかね、ここ?
742人間七七四年:2009/05/26(火) 20:52:24 ID:zT5Z081D
しゃべるドクロはバリエーション多いな
743人間七七四年:2009/05/26(火) 21:30:28 ID:d1Mzw+7J
>>741
良いと思いますよ。案外こう言う怪談話にも、
歴史的な謂れや縁があったりしますし。
モデルとなった事件があったりして、そう言うのを
調べるのも、また面白いかと。
744人間七七四年:2009/05/26(火) 21:36:08 ID:1/Mul+nM
ただ小説は止めようぜ
里見八犬伝とかここで話せる事になる
民話なら可とか
745人間七七四年:2009/05/26(火) 21:39:57 ID:Cu7R0y1Q
そうだなぁ。
怪談って化け猫騒動ぐらいしか知らないから
是非色々と聞きたいです。
746人間七七四年:2009/05/26(火) 21:43:38 ID:hwSLEAFY
ちなみに738は、秋田藩士の長山盛晃が、聞いた話として書き残したものです
747人間七七四年:2009/05/26(火) 21:53:47 ID:kpBnMjoW
ドクロと言えばあれだ

釣りをしている最中にしゃれこうべを釣り上げた男
哀れに思ったので供養してやると夜中に女が尋ねてきた
聞けば女は釣り上げたしゃれこうべの正体だと言い男にお礼をして帰る
これを羨んだ隣のドクオ、自分もあやかろうと骨を捜しに釣りにいき
魚しかつれないもんだから結局無理矢理骨を探し出して供養してやった
そして、まだこないまだこないと愚痴りながら待っていると
なんと訪ねてきたのはむくつけき大男、骨の正体は石川五右衛門だった
伽を仕ろうと言う五右衛門に対してドクオは一言
「カマに縁があるのは分かったから勘弁してくれ」

ってこれも落語だから駄目か
748人間七七四年:2009/05/26(火) 21:54:45 ID:kIA74w1K
怖い話と言えば松永久秀が信貴山城で爆死したとき、その直前に城から逃げた久秀の家臣の話とか
あるにはあるが、幽霊と言うか、もはや妖怪の類の話になっているな。
749人間七七四年:2009/05/26(火) 21:58:39 ID:UDURTk5M
寝室で膨れ上がる秀吉とかなw
750人間七七四年:2009/05/26(火) 22:28:29 ID:isXXnKu2
>>747
張飛でおんなじ話あったよな
751人間七七四年:2009/05/26(火) 22:29:48 ID:D87uRuLt
>>750
元ネタだからな、出典は明代の『笑府』
752人間七七四年:2009/05/26(火) 22:38:17 ID:kIA74w1K
では怖い話のあとはちょっとした笑い話を

井伊直孝に仕えた軍学者、岡本宣就の子半助は幼年の頃、直孝の小姓をしていた。

あるとき彦根の青龍寺において、大法会が行われた事があった。
これに半助も入って見ようとした。が、青龍寺の門前には

『無縁の物は入るべからず』

との札が立てられている。「関係者以外立ち入り禁止」というわけだ。
半助、残念ながら青龍寺に縁がない。
それでも強引に入ろうとすると、中から僧が出てきて札を指差し、この子供に諭すように
「無・縁・の・物・は・入・る・べ・か・ら・ず・!」

丁寧に一文字づつ差してくれた。そこまで念を入れなくても。
しかし半助少年、これに笑い

「他人は女房にならぬのか?」

他人でも、縁が無いわけじゃないだろ?と言うわけだ。
僧、これには大いに閉口したとのこと。

そんな井伊家に伝わる頓知話。
しかしこまっしゃくれたガキではある。
753人間七七四年:2009/05/26(火) 22:46:18 ID:E+/iiCQv
誰が上手い事言えと
754人間七七四年:2009/05/26(火) 23:25:29 ID:ehxTySPg
>>750-751
『笑府』の方は野晒しの遺骨埋葬したら「ひ」と名乗る人が現れたって話だったっけ。
かたや楊貴「妃」、かたや張「飛」だってんだから参るねw
755人間七七四年:2009/05/27(水) 05:35:12 ID:SRU8aMvQ
>>754
しかも実際にw
756人間七七四年:2009/05/27(水) 06:09:46 ID:CAiLZstq
>>747
>聞けば女は釣り上げたしゃれこうべの正体だと言い男にお礼をして帰る

       ヽ|/
     / ̄ ̄ ̄`ヽ、
    /         ヽ
   /  \,, ,,/    | お礼をして・・・帰る・・・?
   | (●) (●)|||  |  お礼というのは・・・うーん・・・・
   |  / ̄⌒ ̄ヽ U.|   ・・・・・・・・ゴクリ。
   |  | .l~ ̄~ヽ |   |
   |U ヽ  ̄~ ̄ ノ   |
   |    ̄ ̄ ̄    |
757人間七七四年:2009/05/27(水) 08:20:41 ID:6C36sUJG
妖怪と言えば、駿府城に現れた肉人の話しも
それなりに有名だよね。
758人間七七四年:2009/05/27(水) 10:30:09 ID:9a8DrNVR
>>735
2chでの学歴、女、車ネタと同じだなw
759人間七七四年:2009/05/27(水) 12:00:40 ID:+liEFnnL
ちょっと怖い話に便乗

北條早雲こと、伊勢宗瑞の頃の事である。小田原城下に、百姓と家臣の下輩の者たちが少々
住んでいる村があった。中間の西岡又四郎と言う者もここに住んでいたが、あるとき煩い、
程なく死んだ。

その夕刻、日が暮れてから野原に埋めようと、又四郎の家に朋輩達が集まって、日が落ちるのを
待っていると、そこに見慣れぬ男がやってきた。

彼は集まる人々に挨拶もせず死者の前に座ると、声を限りに啼いた。その哀れな様子に、
おそらくこの人は、又四郎の親族か親しい友人なのだろうと皆は思った。
所がこの時である、突然、死体がむくりと起き上がった。

これに啼いていた男も立ち上がり、この死者と取っ組み合い、殴り合いを始めた。
しかし殴り合っているものの、双方一言の声も発しない。
集まっていた人々は大いに驚いたが、どうしていいかもわからず、皆その家から逃げ出し、
その家の戸を閉め二人を閉じ込めた。

しばらく戸の内から、打ち合う音が聞こえていたが、日が暮れた頃にそれも静まったので、
人々、再び集まりその家の戸を開けた。

そこには二人が並んで臥し、死んでいた。

見れば二人、背の高さ、顔かたち、髪や髭の有り様、その衣服まで全く同じ姿であった。
又四郎にいつも接していた朋輩ですら、どちらがどちらか、見分ける事ができなかった。

そのような事なので、一つの棺に二人を入れ、塚を作りそこに埋めた、とのことである。

何がどうなったのか良くわからない、二人の又四郎のお話。
760人間七七四年:2009/05/27(水) 12:17:40 ID:6C36sUJG
怪談とかになると、桶狭間の際に何かを諌めた家臣を
手打ちにしたら怪異が起きて、直後に信長が奇襲して
きたって話しもあるけど、こういうのはちょっと趣旨が
変わってくるよね。
761人間七七四年:2009/05/27(水) 14:36:56 ID:h66OkbIN
>>756つまり……T○MAK
762人間七七四年:2009/05/27(水) 14:52:42 ID:h66OkbIN
>>739-740
三浦荒次郎義意もビックリだなw
されこうべの上?にも三年……
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1771.html
763人間七七四年:2009/05/27(水) 16:42:01 ID:kRrENiSz
>>759
これ面白いな。
ドッペルさんにしては実態があってしかも死亡してるし、
実は双子だったにしても服装など一致しすぎてて妙だし、
影武者にしても行動の意味が分からない・・
764人間七七四年:2009/05/27(水) 18:07:27 ID:h66OkbIN
>763鬼や物の怪の類と何か取引があって、契約を果たさないまま(半身が)なくなってしもうたんかね。

まあ不思議噺で意味は分からないんだけども
765人間七七四年:2009/05/27(水) 21:53:19 ID:FtrcHqbQ
二条城での秀頼と家康の会見。
清正は懐に刀を入れて終始隙を見せなかった。
一方もう一人、同伴する予定だった福島正則は・・・・・。


 腹 痛 で 会 見 を ぶ っ ち し た 。


某、お二人に何かあったら大阪城で篭城して敵を討ち申す!
そこで某は腹痛で会見をキャンセルするでござる!!
          ____
       / \  /\  キリッ
.     / (ー)  (ー)\
    /   ⌒(__人__)⌒ \  
    |      |r┬-|    |
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))


毒饅頭なんて勘弁だおwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
清正が一緒にいたら何を起こすかわからないおwwwwwwwwwwwwww
          ____
        /_ノ  ヽ、_\
 ミ ミ ミ  o゚((●)) ((●))゚o      ミ ミ ミ
/⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\   /⌒)⌒)⌒)
| / / /     |r┬-|    | (⌒)/ / / //
| :::::::::::(⌒)    | |  |   /  ゝ  :::::::::::/
|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))
766人間七七四年:2009/05/27(水) 22:40:28 ID:h66OkbIN
>>765市松さんだからって毎度、揶揄せんでもええんでないかい?
肝心の秀頼について行かなかったからヘタレ扱いされてんだろうけど……


>659-660安藤帯刀と水野重良の豊家バージョンみたいなもんじゃないか、
万一変事あった時の為に戦力・人材を二段三段構えにしておくのもリスク分散って戦略の一つだよ。
767人間七七四年:2009/05/27(水) 22:55:16 ID:dXGuPn+X
というか、それ以前に話がまとまってない。
これじゃただの正則への当て付けだ。
768人間七七四年:2009/05/27(水) 23:26:06 ID:WXal3GqY
>>765
話がよく判らん
769人間七七四年:2009/05/27(水) 23:48:44 ID:+liEFnnL
徳川頼宣の、ある年の参勤の折のこと。

彼は伊勢松坂より渡海して、東海道まで出ようとしたのだが、丁度その頃
風雨激しく海が荒れており、近臣たちは皆

「船は危険です!今回は陸路を行きましょう!」

と諫める。ところが頼宣、これを聞かない。こんな諫言を素直に聞く頼宣ではない。

「この程度の波風を恐れ、陸路を取ってしまっては、これは紀州家の恥辱ではないか!」

それでも、近臣は必死に諫め、特に松平三郎兵衛は激しく考え直す事を求めたが
頼宣は聞く耳持たぬ。そこで三郎兵衛、「ならば一命を賭して」と、切腹をしようとした。
これには流石の頼宣も驚きこれを止め、ついに陸路での参勤を承諾した。

さて、その三郎兵衛はそのまま松阪に留まったが、頼宣一行は松阪から陸路桑名に出、
そこから熱田に渡り、やがて池鯉鮒宿(現愛知県知立市)に付く。が、

そこには居たのだ。そう、松阪に残っているはずの、彼が。
松平三郎兵衛が、ニコニコしながら頼宣を出迎えたのだ。

「ななななななな!何でお前がここにいるんだ!?いつ我々を追い越した!?
お前の姿なんか見なかったのに!」

「そりゃあ当然、船で来ました。」

「船!?お前、船は危険だって諫めたくせに、何で自分は船に乗ってきてるんだよ!?」

この頼宣の至極当然の疑問に三郎兵衛、

「ほら、殿を諫めたのは、実は自分が海路の危険が怖かったからだ、なんて言われたら
嫌じゃないですか。それで自分はあのまま松坂に残って、漁師の船を(海が荒れて嫌だと言うのに
無理矢理)借りて、ここまで来たのですよ!そのため先に着いたのです。」

自信満々に語る三郎兵衛に頼宣、押し黙ったままであった。


その夜、頼宣、密かに三郎兵衛を呼んだ。

「昼間は家臣たちの前だったので、言うのを我慢していたのだが…

三郎兵衛、お前みたいな意地の通し方、嫌いじゃ無いぜ。」

褒めた。褒めた上で、「でもこんな事、家臣の前で褒めたら他の連中もお前の真似して
みんな死んでしまうだろう。だから、ここだけの話だぞ?」

そう念を押したとの事。
しかしやはり、主君も主君なら家臣も家臣である。そんないつもの紀州家のお話でした。
770人間七七四年:2009/05/28(木) 00:11:53 ID:7o4EpLtD
>769
2人の秘密がなんで後世まで流布されてるんだろう?
771人間七七四年:2009/05/28(木) 00:15:08 ID:lrYBDX8b
>>770
こういうのは、会話の主のどちらかが死んだ後に、その追憶として語られた、ってパターンが多いね。
772人間七七四年:2009/05/28(木) 00:20:55 ID:TRKp6qg3
むーん。
戦国?
773人間七七四年:2009/05/28(木) 00:27:30 ID:0bc62eWZ
戦国のキチガイ風味を伝えてるしいいんじゃね
774人間七七四年:2009/05/28(木) 00:29:10 ID:NjO2z9gc
ではない……かな。
この話は俺も書こうと思ったけど考えたら違うのでやめた。
由比正雪の乱関係あたりはありだけど普段の生活上の話はしないというのが個人的な境界線。
775人間七七四年:2009/05/28(木) 00:37:14 ID:TRKp6qg3
年代でで区切れない所が厳しいよな
政宗とか1600年以降禁止になっちまうと半分以上の逸話がアウトになりそうだし
俺は戦国を生きた者達のその後的な話なら江戸でも有りにしてる
自分で文句言っといてなんだけどあんまりきっちりとして定義はしたくないが
776人間七七四年:2009/05/28(木) 00:51:37 ID:0bc62eWZ
1640年くらいまでかねえ
777人間七七四年:2009/05/28(木) 01:11:10 ID:1nvKS9Fk
主要な登場人物の内最低一人は1590年以前生誕で縛るとかどうだ?
778人間七七四年:2009/05/28(木) 01:36:53 ID:G51PIeeG
生年不明な、何某の話とかだとそれは出来なくね?
779人間七七四年:2009/05/28(木) 01:43:53 ID:0bc62eWZ
個人的には書く人間が戦国の香りを感じれば戦国でもいいとは思うが
むずいねw
780人間七七四年:2009/05/28(木) 02:08:39 ID:lrYBDX8b
>>711でも言っているが、嘉吉の変(1441年)から島原の乱(1637〜38年)までは、
許容範囲でいいんじゃ無いかな?
781人間七七四年:2009/05/28(木) 10:55:07 ID:P4cBftym
家光に風呂で間違って熱湯浴びせかけた人の話って既出?
782人間七七四年:2009/05/28(木) 11:20:21 ID:lrYBDX8b
大阪の陣の折、

ある合戦で坂崎直盛が敵の首を二つ取ると、これを披露するため戦場から返し、
将軍秀忠の元に駆けつけた。
この事に対する反応

大平角助
「坂崎って大名でしょ?身上から言っても一部隊率いるほどの人間じゃ無いですか?
それが首をたった一つ二つ取ったくらいで、秀忠様にお見せするために戦場から立ち返るなんて、
その心底、卑怯至極ですよ。」

本多正純
「坂崎ってホント、勢いだけの人間なんだよね。そのくせ出なけりゃいけない所では、
出ない事が多い。まあ、そう言う人なんだよ。」


坂崎直盛、びっくりするほど嫌われていた模様。まあわからんでも無いがw
783人間七七四年:2009/05/28(木) 11:47:01 ID:uHGBGle2
>>780
極端な話、すごく面白い逸話だったら江戸時代だろうが古代だろうがいいと思う。スレ違いだろうけど、面白いなら歓迎です。
784人間七七四年:2009/05/28(木) 12:10:25 ID:TRKp6qg3
さすがに縁もゆかりもないものは駄目だろ
スレ違い所か板違いになる
785人間七七四年:2009/05/28(木) 12:23:54 ID:lrYBDX8b
たまに日本史板や世界史板で、いい悪いスレと同種のスレを立てようって動きがあるが、
立ってもすぐ立ち消えちゃうね。
786人間七七四年:2009/05/28(木) 12:49:49 ID:ExCvhZv7
なんでだろうね
そりゃまあここもこんなに続くと思ってなかったけど
範囲が広すぎて興味が持続しないのかな
787人間七七四年:2009/05/28(木) 14:17:37 ID:nY34zLww
>785-786
範囲が広すぎると、良ネタにおいしいレスを返す奴が少なくて話が伸びないのかもね。
788人間七七四年:2009/05/28(木) 19:09:21 ID:NjO2z9gc
このスレよりも大雑把な基準にしても、
「アクコユンルのウズンサハンはトレビゾンドの皇女と結婚して勢力を蓄え、カラコユンルを併呑するにいたった」
みたいな訳のわからん話になるしな
789人間七七四年:2009/05/28(木) 19:55:21 ID:bIcWc+Of
>>781俺はここで読んだ記憶ないから、既出ではないと思うよ、多分ね。
790人間七七四年:2009/05/28(木) 20:18:30 ID:nY34zLww
>781
ぜひ書いて下され
791人間七七四年:2009/05/28(木) 21:14:39 ID:TRKp6qg3
弘前市が弘前城400年祭に向けて準備してるそうですね
ttp://www.city.hirosaki.aomori.jp/kakuka2/HSC01-0000000219/index.html

そんな事で弘前城にまつわる話を
実はこの弘前城、全国でも珍しい天守閣が現代まで残っている城であり
天守閣のある最北の城でもある

しかしこの天守閣、実は江戸時代に再建されたものである
では築城当初の天守はどうしたのか?

津軽藩藩祖津軽為信は関ヶ原で東軍に参加し奮戦していたが国元で謀反が勃発
居城であった堀越城を占領されてしまう

反乱は鎮圧されたが為信は元々この城城の防御に不安を持ち、新城を建てる計画をしていたため
これを契機にしたのか鷹岡(後の弘前)に新城の建設を始める
これが後の弘前城になる

ところが為信は京都で早世してしまう
お家騒動もあり築城は一時中断されてしまった

その後お家騒動で改易を免れ権力闘争に勝利した
二代目藩主津軽信枚は幕府に許可を貰って新城建設を再開
親父の代から安定してない足下を固める為にも新城を建てる事は絶対に必要だった
工事は急ピッチで進められ僅か1年1か月で新城は完成
出来た城は4万7000石の藩としてはデカ過ぎる5層5階の天守を持った城だった
この城の完成によって津軽藩は国内外に威容を示す事が出来ただろう
為信の遺志も継げて信枚も満足だったに違いない

…それは城が完成してから16年後の事
その日は激しい雨が降り続き雷鳴が轟いていた
その内雷の一つが天守に付けてあった鯱に落ちた!
雷から火が付き五層目から延焼が起こり4層目にも火の手が回った
鯱が水を吐いてくれることもなくそのまま燃え続けていたが
4層目に釣ってあった鐘が真っ赤に燃えて落下
鐘はよりにもよって3層目の千五百丁の鉄砲と硝煙を保管している弾薬庫の上に落ちた

その瞬間、ごうぜんたる大爆発が起こり雨の夜空に火柱が立ち上った
小大名意地の5層天守はたった16年で爆散してしまった
為信の落胆を思うと…

その後、何度か天守再建を幕府に打診したものの却下され続け200年近く天守の無い時代が続いた
今の天守は九代目藩主津軽寧親が櫓の新築を幕府に申し入れて作られたものである
3層櫓として申請したためこの新しく出来た天守は5層5階ではなく3層3階天守になってしまった

それでも現存する貴重な天守である事に変わりはない
弘前城は現在では弘前公園として整備されている
今でも城の原型を留めているのが見所の一つであるが
現在は大量の桜が植えられ桜の名所としても知られる

2011年の弘前城築城400年祭、是非訪ねてみてはどうだろうか
792人間七七四年:2009/05/28(木) 21:26:27 ID:lrYBDX8b
>>791
弘前城は天守もいいけど、石垣が実に美しいよね。
すばらしい曲線と角度だと思う。
ttp://ys2001hp.web.fc2.com/gazo-hirosakijyou.jpg
ttp://ys2001hp.web.fc2.com/gazo-hirosakijyou3.jpg

> その後、何度か天守再建を幕府に打診したものの却下され続け
これは幕府からすれば、身の丈に合わない天守作って、その負担で領民に
一揆でも起こされちゃたまらん、って考えだったのでしょうな。
793人間七七四年:2009/05/28(木) 21:59:07 ID:bIcWc+Of
>>791
天守が爆発したという面白エピソードかw
以前コメに書かれてて読んでみたいと思ってたから嬉しいw
794人間七七四年:2009/05/28(木) 22:18:20 ID:tn9KpX/x
今日のテレ東は幸村の特集だったもんな!
だから信之兄ちゃんは関係ないもんな!
信の字が一切出てこなくても気にすることはないよな!
実兄について一切触れられてなくても気にすることはないよな!・・・(`;ω;´)
795人間七七四年:2009/05/28(木) 22:21:03 ID:tn9KpX/x
スレ間違えてました。本当にすいません(´;ω;`)モワッ
796人間七七四年:2009/05/28(木) 22:22:00 ID:vDVTdopH
>791
鯱は火災の時に水を吐いて守ってくれるハズなんだけどな
その鯱が火災を招いたことで悪名高い話
797人間七七四年:2009/05/28(木) 22:23:56 ID:jD4h5lec
>>791
よりによって火事除けの鯱に雷が落ちるとはw

>>794
再評価される日は来るんだろうか…
798人間七七四年:2009/05/28(木) 22:36:08 ID:TRKp6qg3
>>792
俺も石垣のほうが好き
天守が悪いって訳じゃないけどね
城好きとしては木が多くて全景が見づらいのが欠点だと思う
799人間七七四年:2009/05/28(木) 22:49:09 ID:P4cBftym
将軍家光が狩から戻って湯に入ったとき、御湯殿坊主の久庵が
誤って熱湯をかけてしまいました。一瞬、かっとなった家光は、
阿部豊後守忠秋を召し出すと、「久庵は父子共に死罪にせよ」と命じます。
いったん退出した忠秋は、夜になって家光が機嫌もよくなり、談笑し
ていると近侍の者から聞くと、直ちに登城しました。「先刻のお話しで
ございますが、久庵父子の処置をいかがにするか、私の記憶が定
かではありませぬので改めておうかがいいたします」。
しばらく考えていた家光は言った。「粗相をした久庵は八丈島への流刑とせよ」と。
「豊後守さまでも御上意を失念されることがあるのだから、我々はあっても不思議ではないな」。
近習たちの話を聞いた家光は、笑いながら言った。「忠秋が忘れるわけはあるまい。
天下の御政道の中で、死刑はとりわけ念入りにすべきである。誠に行き届い
た忠秋の配慮であり、予は実に恥じ入っておる」。
一同の者は改めて阿部老中への尊敬の念を厚くしたと言います。
800人間七七四年:2009/05/28(木) 22:55:12 ID:TRKp6qg3
家光の悪い話、阿部忠秋のいい話か
801人間七七四年:2009/05/28(木) 23:00:35 ID:kO5a0jyq
>>792
凄く綺麗な天守だね。
あまりに綺麗でプラモみたいだ・・・

  そだ  |------、`⌒ー--、
  れが  |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
  が   |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
  い   |ヽヽー、彡彡ノノノ}  に
  い   |ヾヾヾヾヾヽ彡彡}  や
  !!    /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
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802人間七七四年:2009/05/28(木) 23:20:31 ID:rUEZNk1L
いくら相手が将軍といえど、たかだか湯をかけたくらいで殺しちゃおうとするのはな
ダチョウ倶楽部が将軍なら何十人と死人が出てるぞ
803人間七七四年:2009/05/29(金) 00:05:46 ID:+NreqL/k
>>799の話には続きがある。ある時、大赦があって高木久庵も
赦されることになった。こういう時は赦された者の名前を
読み上げた後に将軍が赦すかどうか言う決まりだった。

久庵の番がくると、久世広之が「高木久庵!」と読み上げた。
が、家光は根に持っていたらしく何も言わない。久世は次に
移ろうとした。

「待たれよ。もう一度読み上げるのだ」

そう言ったのは酒井忠勝だ。久世が言われるままにすると家光は
嫌な顔をしたので、久世は次の者に移ろうとした。するとまた
忠勝が読み上げろと言った。

「今度はゆっくり読み上げたまえ」

(マジかよ・・・)

仕方なく久世は「た・か・ぎ・き・ゅ・う・あ・ん」とびくつき
ながら読み上げた後、家光の返事を待った。嫌な間があったが、

「分かったよ。赦せばいいんだろう、赦せば・・・」

さしもの家光も諦めて、嫌々ながらも赦したという。これを知った
人々は感銘を受けて、君も君たり臣も臣たり、と語り合ったそうだ。
804人間七七四年:2009/05/29(金) 00:14:49 ID:+NreqL/k
>>803
二行目の赦された者はおかしいな。赦される候補だな。
805人間七七四年:2009/05/29(金) 07:05:02 ID:54WsOsTq
>>791
天守閣とともに津軽藩の威容も消し飛んだのかその後の藩も全然安定してな(ry
806人間七七四年:2009/05/29(金) 07:27:50 ID:quMguu2u
そうなのか。初めて知った。
807人間七七四年:2009/05/29(金) 08:29:46 ID:V/aHgvkM
火の気を嫌って土中に埋めれば湿気にやられ
湿気を嫌って中空に置けば落雷で大爆発
日本の火薬保管は大変だなw
808人間七七四年:2009/05/29(金) 09:01:03 ID:Iz6bLmKU
神のご加護があるからと教会の下に保管して見事消し飛んだのがヨーロッパにあったっけね。
教会の尖塔が一番高い建築物だったそうで・・・避雷針みたいなの上についてるしw
809人間七七四年:2009/05/29(金) 09:02:03 ID:R1JUb1vu
氷室を使え


湿度も高いのかな、あれ?
810人間七七四年:2009/05/29(金) 09:09:24 ID:fcNB7QQF
城の壮大な爆発は見たかったなぁ。
爆弾正さんも草葉の影で嫉妬してたに違いない。
811人間七七四年:2009/05/29(金) 10:57:28 ID:/54IwGke
一方、内ヶ島家は地震で城ごと埋まった。
812人間七七四年:2009/05/29(金) 11:00:34 ID:nerUeWXJ
茶釜の中に保管するのが一番だな
813人間七七四年:2009/05/29(金) 11:51:39 ID:6mMSABlq
城爆発ネタ?

今川義元が桶狭間で敗死後、氏真と手を切った徳川家康は三河から遠江へと勢力を伸ばした。
宇津山城を守る小原鎮実は、家康の家臣酒井忠次の軍勢を迎え撃つが、多勢に無勢。
自身の重臣増田団右衛門も討ち死にしてしまう。
そこで城を抜け出すことにしたが、せめてと一計を案じて城中に焔硝を埋めておき、敵が入り込んだときに爆発するよう細工した。
そして、これは酒井忠次が城に乗り込むと同時に確かに爆発した。
・・・・・・派手に爆音が響いただけだったが。
死傷者は出ず、酒井忠次らは大いに驚いたがそれだけだった。
火薬の量が足りなかった話。
814人間七七四年:2009/05/29(金) 11:51:59 ID:tkY+f9U2
>797
真田太平記だって後半は信之兄ちゃんが主人公だぞ。
ここのスレ住人にも(実績まで残したのに地味)兄ちゃん'Sファンは多い

大丈夫だきっと……(´;ω;`)ウッッ...
815人間七七四年:2009/05/29(金) 12:06:33 ID:fcNB7QQF
現代人としても長生きと言えるしな。
816人間七七四年:2009/05/29(金) 13:06:37 ID:WPFeICIo
まとめサイトにある逸話の数を見れば
信之が支持されているのは一目瞭然だぜ。

しかし上田城の櫓内の展示室には昌幸・幸村・幸昌の像だけ…。
とうとう甥っ子にまで(´;ω;`)
817人間七七四年:2009/05/29(金) 13:07:45 ID:54WsOsTq
>>813
酒井忠次が驚くんだから鉄砲の音の何倍もあったんだろうなぁ
でもやっぱり当時の火薬じゃ爆殺は無理があるだろ
818人間七七四年:2009/05/29(金) 13:15:15 ID:54WsOsTq
毛利隆元も真田信之も島津義久も本当は偉大だってみんな判ってるんだよ
ただ時代が追いついてないだけなんだ
819人間七七四年:2009/05/29(金) 13:26:41 ID:U+jUMciQ
信之兄ちゃんは
親父と弟はアレだし
嫁さんは違う意味でアレなのに
頑張ったよな(>_<、)
820人間七七四年:2009/05/29(金) 13:39:29 ID:JgECr1ri
でもその三人地味だよなやっぱ
好きだけど、地味じゃあ仕方ない
821人間七七四年:2009/05/29(金) 15:37:13 ID:nB4iR/8l
弟や親父が派手すぎなんだよな
822人間七七四年:2009/05/29(金) 15:55:09 ID:6mMSABlq
だがちょっとまってほしい

本当に悲惨ならエピソードを他人の物に改鋳されたりして残らない
該当者がちらほら
823人間七七四年:2009/05/29(金) 16:32:37 ID:eE36BYnu
勝永sann…
824人間七七四年:2009/05/29(金) 18:21:49 ID:3oz2tI1x
信幸は太平記で主役級の扱いの上、やる夫物で主役を張り、
隆元だって毛利の大河ドラマでへたれ気味だったが大きく扱われた。

義久……。
825人間七七四年:2009/05/29(金) 18:27:52 ID:OwRQEuIq
>>819
その三人のために兄ちゃんの寿命削られまくりだよな
嫁と親兄弟が別人なら百五十年くらい生きられたんじゃないの
826人間七七四年:2009/05/29(金) 18:33:59 ID:tkY+f9U2
>825
んでもまあ、平八郎さん娘で家康ょぅじょって看板は大きいよね。

チート安房守と命知らずの六文銭家臣さえ辟易させた武闘派ってのはさすがにアレだが
827人間七七四年:2009/05/29(金) 18:37:23 ID:tkY+f9U2
>791
アッー!の恨みつらみで脱藩者から城や門に鉄砲撃ち掛けられたり、
受難続きだったんだな弘前城……
828人間七七四年:2009/05/29(金) 18:44:48 ID:U+jUMciQ
>>824
やる夫ネタをそこに含めてよいのなら




さあ今すぐ執筆にとりかかるんだ>>824
やる夫の島津龍伯「長男はつらいよ」
829人間七七四年:2009/05/29(金) 18:59:18 ID:lK84txWP
ある時、蒲生氏郷の家来達が雑談していた

そのうち、橋本惣兵衛と言う者が、
「それがし、子供がたくさんおりますので、十万石頂けると言うのなら、
子のうち一人くらいは川に捨ててもかまいませんよ。」
そんな事を話した。

氏郷、これを後で聞き、橋本を呼んだ。

「惣兵衛、お前は知行と子を変えても良いといったそうだな?それは甚だよろしくない心根だ。
禄と言うものは、例え人質を出したとしても、それとは別に考えるべきものなのに、
その為に子を捨ててもよいとは何事だ!

お前には一万石を与えているが、千石に減俸させてもらう。」

このように言い渡され、橋本は蒲生家を立ち退いたとのことである。

禄の為に子を捨てるような人間は、たとえ武芸に秀でていても武士として評価するに当たらない、
と言う事か。

勇士を多く集めた蒲生氏郷の倫理観が、ちょっと垣間見られるお話。
830人間七七四年:2009/05/29(金) 19:14:11 ID:zs9Ttgcx
>>817
火薬をむざむざ敵に渡したくない、てのが先にあったんじゃないかね
で、一か八かに賭けてみたが、やっぱ駄目だったと…
831人間七七四年:2009/05/29(金) 19:19:37 ID:wuFpyLwV
>>829
利のために子を捨てられる様な人間なら、利のため主君を捨てるのにも躊躇いが無かろう。
832人間七七四年:2009/05/29(金) 19:34:18 ID:5CMO/0sh
>>829
既出
833人間七七四年:2009/05/29(金) 22:08:12 ID:tkY+f9U2
>>829んー
「再生工場長、リストラする」で既出かな
834人間七七四年:2009/05/29(金) 22:14:24 ID:fPw88tjp
真田がらみで悪い話が出るとこれさえなければ信之はもっと長生き云々とレスがつくけど、
北条がらみでこれがなければ幻庵の余命はもっとryな悪い話ない?
835人間七七四年:2009/05/29(金) 22:25:48 ID:wuFpyLwV
お汁さえ綺麗に食べていれば(ry
836人間七七四年:2009/05/29(金) 22:31:33 ID:lK84txWP
今川が駿相同盟を破らなければ(ry
武田が三国同盟を(ry
上杉が相越同盟を(ry
837人間七七四年:2009/05/29(金) 22:34:33 ID:6mMSABlq
その流れはほどほどに
838人間七七四年:2009/05/30(土) 00:46:37 ID:rEqSiNFW
ある時加藤清正の下に奉公を望む、壮年、老人、若者の三人があった。
そこで清正は其々に、その志を述べさせた。面接ですね。

壮年は言う
『私は立身したいのです。そのため御当家に奉公を望みます。』

老人は言う
『私は年若く盛んな頃は、数度の功名もありましたが、今は年老いて他に望みはありません。
ただ御当家において、安心して一生を送りたいのです。』

最後に若者が言う
『私は若く、どんな事にでも役に立てる自信があります。それで御当家への奉公を望むのです。』

これを聞いた清正、この三人の前で語りかける。

「先ず最初の者、
立身の心がけ故に奉公を望むのは武士の本意。かくあるべき事である。
よってこれを召抱える。

次の者、
年を取ったからもはや役に立たぬとは、随分と屈折したものだが、
数度の戦功を積んだ後、我が家を死処と心得るのであれば、若き者達への手本ともなろう。
よってこれを召抱える。

さて、最後の者、
自分から、若いから役に立つなどとは、人も居ないかのような振舞である。
そのような言葉を聞けば、我が家の若者達は必ず憤るであろう。
わしが家臣に、年老いても高禄を与えるのは、後進を奨励するためであるのに、
老人は役に立たぬ、若き身だから役に立つ、と言うのは、これまた老人を侮り
辱めているものである。その方の言葉は大いに誤っているぞ?
よくよく了見をするように。」

と、最後の者は、ついに召抱えなかったそうである。


若者、若さを前面に押し出したら面接失敗したでござる、の巻。
839人間七七四年:2009/05/30(土) 00:54:58 ID:ouWf1spc
押し出し方が悪かっただけでしょ。
840人間七七四年:2009/05/30(土) 02:14:54 ID:PNx4O9/H
典型的な圧迫面接じゃん
841人間七七四年:2009/05/30(土) 02:38:01 ID:vMLB9Jm1
女「若いですが…」
清正「採用!」
842人間七七四年:2009/05/30(土) 04:22:08 ID:Dut06Ktm
女「若いですが…」
腐れ禿鼠「採用!」

何に採用したかは…げふげふ
843人間七七四年:2009/05/30(土) 04:27:58 ID:aku2lRkt
女「年増ですが」
信長「採用!」
女「後家で子供もいます・・・」
家康「採用!!」
女「まだ毛も生えてません」
畠山義続「採用!!!」
844人間七七四年:2009/05/30(土) 06:50:38 ID:E57Lc+IN
女「不細工ですが」
元春「採用!」
845人間七七四年:2009/05/30(土) 07:18:07 ID:GEY5vvtI
846人間七七四年:2009/05/30(土) 07:30:05 ID:OjkfXRGm
>>844
( ;∀;)イイハナシダナー
847人間七七四年:2009/05/30(土) 07:36:28 ID:uOqOEOo9
ほどほどとか一体誰が決めるんだ?
正直野暮ってもんだろ
流れ変えたきゃ逸話投下しろよ
空気悪くしてるだけだぞ

と、いうわけで看羊録より日本人評

大体その風俗というのは、小にさとくて大にうとく、
衆の誉れとすることについては、そのあとさきもよく調べもしないでひたすらそれに従い
一度それに惑わされたが最後、死ぬまでさとりません・・

目先の事は良く出来ても大局が見えない、
集団になると目上の人の言うことばかり聞いて自分で考えもせず従ってしまう

今の日本人もあんまり変わってない?
848人間七七四年:2009/05/30(土) 07:51:27 ID:vMLB9Jm1
>>844でオチがついたのに…
849人間七七四年:2009/05/30(土) 07:51:29 ID:5a3lJaLG
>>838
年寄りにはかなりいい話
850人間七七四年:2009/05/30(土) 10:52:40 ID:4TWKeNQU
>844
島津厨恒「ヒャッハー!」

龍伯、熊谷信直「……」

>>849中途採用でなくても
尼子の「臆病野洲」とか、笹の才蔵とか、ベテランいくさ人の意地を見せる話って好きだなー
851人間七七四年:2009/05/30(土) 11:31:54 ID:i2CaRdgh
蒲生さんで調べてみたら無かったので
他で既出だったらすまん

1591年12月、秀吉が関白職を甥の豊臣秀次に譲り聚楽第も秀次のものとなった
そのお祝いとして各国大名が聚楽第に集まった時のことである
当然だが奥羽のDQN眼竜も元気にこの集まりに参加していた

(●∀・)/「太閤ちーっす!政宗推参なり」
ラスボス「政宗か、よく来たなごくろうさん。あ、席はあっちね、ゆっくりしていって」
(●∀・)「言われなくてもゆっくりしてくんだぜ!……ってあれ?」

席に着こうとした政宗だが、ラスボスに示された席を見て思わず顔色を変えた。

(●∀・;)「……おいおい、よりによって最上の伯父貴と蒲生氏郷の間の席かよ……」

示された席の両隣は政宗にとってあまり同席したくない二人。
しかしラスボスに指定されたのはこの席である。
しぶしぶ政宗はその席についた。

(●∀・;)「はいはいどうも失礼しますよ」
鮭様「……」
工場長「……」

ものすごく気まずい空気である。
しかしラスボスの指示だから仕方がない。
DQN眼竜も我慢した。
ただでさえ先年氏郷と色々揉めてラスボスから目をつけられている政宗である。
しかし政宗が席についてしばらくした頃、突然氏郷が口を開いた。

工場長「おい」
(●∀・;)「ん?なんだよ」
工場長「お前、席間違えてねえか?」
(●∀・;)「ああ?何言ってんのお前」
工場長「だって最上殿よりお前の方が上座とかあり得ねえだろ」

この時の席の並びは上座から
氏郷・政宗・鮭様
であった。
工場長の主張的には源氏の流れを組み、
更に政宗にとっては伯父にあたる鮭様より
上座に政宗が座るなんてマナー違反だから無しなのだ。

(●∀・;)「でも太閤様にここに座れって言われたし……」
工場長「それ絶対太閤様が間違えたんだよ。そうに違いない。
俺が言ってきてやるから今すぐ下座へどけ。
さ、さ、最上殿こちらへどうぞ」

最終的に
氏郷・鮭様・政宗の順で座ったそうです。
そんな三人の空気が悪い話。
政宗の隣が嫌だったのだろうか。
852人間七七四年:2009/05/30(土) 12:00:00 ID:rEqSiNFW
>>851
いいねえ。メンツ的にも東北三国志って感じで。
何よりこの三人を並んで座らせようとした秀吉の意地の悪さがすばらしいw
853人間七七四年:2009/05/30(土) 12:06:03 ID:sVuCWshD
こりゃまた、ちょっとどころじゃなく空気の悪い話だな…
おれ近くにいたら、便所に避難してるわw
854人間七七四年:2009/05/30(土) 12:10:46 ID:OjkfXRGm
>>851
氏郷そんなに嫌かw
855人間七七四年:2009/05/30(土) 12:13:28 ID:uOqOEOo9
南部さんは京で酷い目にあったらしいしこの時点で政宗も若いから
席の座り方もわからねぇのかよ田舎者…
って馬鹿にされたって話じゃあないよね?
856人間七七四年:2009/05/30(土) 12:33:37 ID:C36u7Rla
なんで氏郷が工場長で
義光が鮭様なんだか
857人間七七四年:2009/05/30(土) 12:36:27 ID:4TWKeNQU
>>851仲悪いなあw

これが後代、尾張と紀州だと付家老が「同格に扱わないとこの場で腹切って果てますぞ!!」と
夜中に老中や公方様ん所にマジ推参(推して参る)するわけね。
858人間七七四年:2009/05/30(土) 13:03:38 ID:h8dcQKFc
豊臣期の殿中はにぎやかで良いね。
右も左もツワモノだらけで、そいつらが一堂に会してるわけだから
さぞかし壮観であったに違いない。


859人間七七四年:2009/05/30(土) 13:17:35 ID:i2CaRdgh
>>855
最上さんちのことは貶してないし
一応席は秀吉の指示みたいだし
多分純粋に政宗の隣が嫌だったんだろうと思われ

>>856
正直すまんかった
悪ノリで書きすぎたわ
次から気をつける
860人間七七四年:2009/05/30(土) 13:21:52 ID:n47fhUAZ
別に蔑称じゃないから良いんでない?
一個人の要求次々聞いてたらキリないし
投稿する人の好きにしたらいい
861人間七七四年:2009/05/30(土) 14:09:51 ID:PNx4O9/H
というか、工場長と鮭の意味を教えてくれ
862人間七七四年:2009/05/30(土) 14:25:38 ID:wznEQ3y0
蒲生が最上に気を回したんだろう。
伊達としても指示されたからそこに座ったので、
ちゃんと取りなしてもらえるなら別に問題ないだろうし。
これは蒲生さんの細かい気配りができる性格を表したいい話とも言えるかもしれん。
まあ、隣にうるさいのが座られるのがイヤだったのも本音だと思うがw
863人間七七四年:2009/05/30(土) 14:27:13 ID:fsNM4cpv
まあ、纏めサイトを斜め読みして分かるくらい、
よく使われてる名前ならいいんじゃない?

自分も初めてここに来たとき「ラスボスって誰のこと???」って状態でした。
864人間七七四年:2009/05/30(土) 14:28:07 ID:uOqOEOo9
>>861
工場長→蒲生氏郷
鮭様→最上義光
ってのは851でも示唆されてるか

工場長の由来は蒲生氏郷が汚名を被ったり過去にしくじったりした
浪人達を雇用し見事に活躍させたり大身にしたりしたため
それらのエピソードをまとめたこの記事で人材再生工場として取り上げられたため
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-671.html

鮭様の由来はこの記事のエピソード3つに全て「鮭」の時があり本人も好物だったからかな
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-113.html

もしかしたら他スレでの由来かもしれない

誰のことか判らないってなら問題かもしれないけど851はこれらのことを知らなくても
ちゃんと判るように書いてあるし問題のようには思えないなぁ
865人間七七四年:2009/05/30(土) 15:00:00 ID:rEqSiNFW
まあまあ。新しい住人も多くなったのだろうね、ここも。
用語解説とか作ったほうがいいのかな?

しかしたまに他のスレにいる、空気読まずにここのスレのノリで武将の通称を呼ぶタイプが
増えるのもアレですしね。どうしたものか。
866人間七七四年:2009/05/30(土) 15:05:13 ID:uOqOEOo9
テンプレに愛称集みたいなのを入れるか?

意味が通じない他で言い出すアホはどうしようもないだろ
そこまで責任持てん
867人間七七四年:2009/05/30(土) 15:06:09 ID:Fy0an+0h
>>851
政宗がおとなしくしてる話
久しぶりに見たw
868人間七七四年:2009/05/30(土) 15:29:00 ID:nH21MUQP
先年に引き続き氏郷ともめる→秀吉に睨まれる
義光ともめる→某姫から双方が怒られる
席次に異を唱える→秀吉逆鱗間違いなし

さすがに暴れるのちょっと無理w
869人間七七四年:2009/05/30(土) 15:34:41 ID:mSbqZjTb
ここはさすがラスボスと言うべきであろう
870人間七七四年:2009/05/30(土) 15:37:19 ID:QZWkN8fS
>>866
俺は比較的新参だが、来た当時そういうのがあるとうれしかったってのはあるな
しばらく、鮭様を鮭延だと思って????だったw
871人間七七四年:2009/05/30(土) 16:27:30 ID:rEqSiNFW
いい話悪い話用語集(※他のスレでは使わないようにしましょう)

ラスボス:豊臣秀吉(戦国時代文句なしに一番恐ろしい人だから)
鮭様:最上義光(鮭に関する逸話の多さから)
工場長:蒲生氏郷(家臣の取り扱いの上手さから)
DQN四天王:伊達政宗、森長可、細川忠興、島津忠恒の事
補欠:福島正則(DQN四天王には十どかない小物っぽさから)
狂犬:富田長繁(触るもの皆噛み付くところから)

主なものはこんなところかな?
872人間七七四年:2009/05/30(土) 16:40:01 ID:GEY5vvtI
まあ初見や新参の方の為にも名前で書きましょうってことだな
873人間七七四年:2009/05/30(土) 16:52:23 ID:uOqOEOo9
※スレでの愛称集
由来はこのスレ名付けられたり当時の渾名だったり
あくまでこのスレでの愛称であって分別なく他所で使って煙たがられても自業自得です。

加藤嘉明=地味なほうの加藤さん
蒲生氏郷=工場長
黒田孝高(官兵衛)=クロカン
島津家久(島津貴久の四男)=良い方の家久、家久(善)
島津忠恒(家久。薩摩藩初代藩主)=悪い方の家久、家久(悪)等
戸次鑑連(立花道雪)=ベッキー
新納忠元=デ新納
細川忠興=ヤンデレ、三歳等
福島正則=市松
毛利輝元=TERU、TERU元
最上義光=鮭様
森長可=鬼武蔵

真田信之の妻、小松姫=鬼嫁

DQN四天王
:伊達政宗
:森長可
:細川忠興
:島津忠恒(家久)

豊臣秀吉=ラスボス

三河武士=めんどくさい


こんなもんだろうか?
四天王は鬼武蔵を除いてバリエーションがかなりある
あとは全体的に見て名前が読みづらい、打ちづらい武将が渾名付けられる傾向にあるな
874人間七七四年:2009/05/30(土) 16:53:31 ID:uOqOEOo9
>>871
うおっ!
リロードしてなかった…orz
被ってごめんよ
875人間七七四年:2009/05/30(土) 16:59:50 ID:rEqSiNFW
>>873
おお、ご苦労様。これ次からテンプレに入れると良いね。
一息ついたところで逸話を



一色義定は、細川幽斎の娘婿であった。

山崎の戦い後の政治的な流動の中、幽斎、忠興親子は、かつて明智についたこの義定を
殺す事にした。謀殺である。

「幽斉、老衰に及び、余命の程も分りませぬ。婿と舅になったからには、命のある間に
親子の対面を致し、この老人を喜ばせて頂きたく」

このような書状を出し義定を会食にさそった。天正十年(1582)九月八日、その、謀殺の場でのこと。

書院には、一色義定と家老の日置主殿介。
彼らを斬る役は、忠興であった。

が、忠興の脇に置かれた刀の置き方が悪く、とっさに抜くには勝手が悪かった。
それに気がついた細川家の米田宗堅、肴を運ぶ折、わざとその刀を踏み、これは失礼いたしましたと、
刀を置きなおした。勿論、抜きやすい位置に。

そして盃が出、義定がそれを押し頂いた、瞬間、忠興、抜き打ちに斬り殺す。
返す刀で日置主殿介を襲い、主殿介はこれに驚き逃げ出そうとしたが、これは中路市之允に
討ち取られた。

米田宗堅のとっさの機転で、謀殺は成功裏に終わった。
武家の有能な被官とは、こう言う所に気がつく者の事なのだ。
876人間七七四年:2009/05/30(土) 17:04:32 ID:TuPYSWYH
忠興「それはそれとして主君の刀を踏むとは不届き千万!」
とはならなかったのね。よかったよかったw
877人間七七四年:2009/05/30(土) 17:05:19 ID:mSbqZjTb
普通に逸話本文にローカルな渾名使わなければ良いだけ話では?
878人間七七四年:2009/05/30(土) 17:28:22 ID:uOqOEOo9
>>875
気の利く人間ってのはいつの時代も重宝されるな
大事な場面でそういう大胆な事が出来る胆力も大したもんだ

>>877
あんまり抑制するとスレに面白味がなくなる
善意で逸話を投下してくれてるんであって金貰ってるわけじゃあないから気軽にやって貰いたい
つまらなく改変したらボロクソ言われるぐらいでちょうど良い
879人間七七四年:2009/05/30(土) 17:42:41 ID:YVHxtCTA
ID赤くしてノリノリな人が言っても説得力がないし
880人間七七四年:2009/05/30(土) 17:55:24 ID:n47fhUAZ
少なくともそのID真っ赤な人は単発IDより建設的な事やってる訳だが
881人間七七四年:2009/05/30(土) 18:09:38 ID:YVHxtCTA
建設的(笑)
882人間七七四年:2009/05/30(土) 18:22:18 ID:8fk1MYuh
>>881もしつこいなぁ…
883人間七七四年:2009/05/30(土) 18:27:12 ID:YVHxtCTA
二回書き込んだだけでこのスレはでしつこいといわれるらしい
884人間七七四年:2009/05/30(土) 18:30:37 ID:rEqSiNFW
まぜっかえしたいだけの人にはスルーが一番。
885人間七七四年:2009/05/30(土) 18:35:53 ID:ZWARF6OR
スルーできてないじゃん
IDをNGにして何事もなかったように投下するのがスルーだろ
残念な事に俺にはネタがないけど
886人間七七四年:2009/05/30(土) 19:03:40 ID:alKXMNjB
ようし、愛妾集…もとい愛称集も出来たところで
家久(悪)の話、いくよー。

薩摩藩の日当山で茶の栽培が始まって暫くのこと、家久(悪)は自国の茶と京の茶の味を飲み比べてみようと思った。
思い立ったが吉日なのか、単に堪え性が無いのか、行動力に溢れているのかは分からないが
とにかく家久(悪)はこう言った。
「明日にでも日当山で一番の茶の実を持って参れ!」

これに日当山の百姓達は大変困った。
百姓達は茶を専門にしているわけではなく、他の作物も耕しており
今は麦の収穫の真っ最中だった。

「殿様の仰せに従っていては畑仕事も進みません、何とかしてください」
百姓達に泣きつかれた地頭の徳田太兵衛は、その日のうちに一人の老婆を伴って城を訪れた。

これに家久(悪)は大喜び。
「おお、『明日まで』と言ったのにその日のうちに参るとは忠義者よ。
 して太兵衛よ、茶の実は何処じゃ?」
太兵衛は老婆を伴ってきただけなので当然茶の実などあるはずが無い。
だがしれっとこういった。
「はい、これなる老婆こそ、日当山一のちゃのみにございます。」
これには家久も怒って
「馬鹿を申せ、ここに居るみすぼらしい老婆が茶の実なものか」
だが太兵衛は動じない。
「いえいえ、この者こそ「日当山一の茶飲み」でございます。
 何せい朝も昼も茶に興じ、この時期も皆が麦の収穫で忙しく、猫の手も借りたいと言うのに
 茶ばかり飲んで居るから村の者からつまはじきにされている始末でございまして。」

家久も太兵衛の言わんとすることを察したのか
「あー、わかったわかった。茶飲みなど麦の収穫の後でよいわ。
 忙しい時期に無茶を言ってすまなんだな」
と茶の収穫を撤回して太兵衛と老婆を帰らせた。

子供っぽいわがままで領民を困らせた家久(悪)のちょっと悪い話。
887人間七七四年:2009/05/30(土) 19:10:55 ID:rmoTR0ca
>>886
この家久は傍迷惑じゃあるが、素直で良い事だw
888人間七七四年:2009/05/30(土) 19:24:50 ID:uOqOEOo9
>>886
誰が上手いこと言えと(ry
ってかお茶の栽培までやってたのか薩摩藩…
889人間七七四年:2009/05/30(土) 19:24:57 ID:alKXMNjB
あ、狙って書き込んだわけじゃないけど
伊達政宗⇒細川忠興⇒島津家久とDQN四天王の話題が続いてるなぁ。

>>887
徳田さんと家久の逸話は他にも色々鹿児島に伝わってるのですが
逸話での家久は殆ど一休さんの将軍様のようなポジションですw
890人間七七四年:2009/05/30(土) 19:25:24 ID:ImkuOR5c
>>851
その話見て思い出した。文才が無いので引用にて
ttp://blog.livedoor.jp/mansaku21/archives/50667772.html
891人間七七四年:2009/05/30(土) 19:35:21 ID:rEqSiNFW
>>890
その話、実は既にあるなw

伊達政宗と四人の客とつまみ菜の吸い物・悪い話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-308.html
892人間七七四年:2009/05/30(土) 19:54:38 ID:OjkfXRGm
四天王?ならばこれも

森長可、祖父の仇討ち・いい話?
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1344.htmlの最中の出来事

土岐三河守悪五郎を招いた祝宴も盛り上がってきた所で長可はふと、鹿が猛烈に食べたくなった。
長可「おい、鹿の汁物を持て。今すぐに。」

これの知らせを聞いて台所に衝撃走る。
お勝手1「どうしよう・・・鹿の汁物なんて準備してないぞ・・・」
お勝手2「今から作ったらどれだけ時間が掛かるか・・・どうすれば」

長可「さっさとしろや(#゚Д゚)ゴルァ!」

お勝手1「や、やばいよ((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
お勝手2「・・・もうヤケクソだ!生煮えでもいいから出すんだ!」
こうして生煮えの汁物がやってきた。

長可「ハハハ、いかかがですかな?悪五郎殿。」
悪五郎(ブヨブヨの肉にキツイ鉄の味・・・美味いわけねーだろ!)
長可「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!もう一杯。」
悪五郎(どんな味覚してんだコイツ。)

長可(生煮えじゃねーか・・・ったく。まぁいいや ど う せ 悪 五 郎 は 今 日 で 死 ぬ し)


その後、お勝手がどうなったかは伝わっていない・・・
893人間七七四年:2009/05/30(土) 20:10:50 ID:n47fhUAZ
四天王揃い踏みw
それにしてもワイルドだな鬼武蔵
肉が生煮えのカレー食った事あるけど吐きそうだったぞ
鹿の肉ならクセも強いだろうに
894人間七七四年:2009/05/30(土) 20:17:35 ID:uOqOEOo9
すぐには出せない鹿肉を所望してなにかの時間稼ぎでもしてたのかな?
…急かす説明がつかないか
895人間七七四年:2009/05/30(土) 20:18:06 ID:OjkfXRGm
まぁ、おかわりの下りは想像だが蛇を生で食えるなら大丈夫かな・・・って思った。
896人間七七四年:2009/05/30(土) 20:33:46 ID:p7R9k6NU
蛇は寄生虫が多いからなぁ。
生で食うのはマジやば。
確か自衛隊のレンジャー部隊でも蛇を食うときは
必ず火を通せと教育してたはず。
まぁ鬼武蔵なら寄生虫を逆に消化して栄養にする
ぐらいの胃腸は持ってそうだが。
897人間七七四年:2009/05/30(土) 20:39:52 ID:sVuCWshD
隋の煬帝だっけ、
追い詰められた時に熊の手を所望して、時間稼ぎを狙ったって逸話があるよな
これは殺される側だけど
武蔵も、悪五郎を引き留めるための機転だったのか
898人間七七四年:2009/05/30(土) 20:42:21 ID:uOqOEOo9
>>897
だとすれば生煮えで出しちゃった人は不作法な上に時間稼ぎにもならなかったから…
899人間七七四年:2009/05/30(土) 21:28:20 ID:C36u7Rla
>>871
四天王、政宗と忠興はわかる(それぞれそんなの感じさせる逸話あるし)

鬼長可と島津忠恒はナニゆえ?
900人間七七四年:2009/05/30(土) 21:32:02 ID:rEqSiNFW
>>899
まとめサイトでそれぞれの逸話読んでくれ。
901人間七七四年:2009/05/30(土) 21:39:15 ID:GEY5vvtI
>>899
DQN度合いだと政宗、忠興に匹敵するところから四天王と呼ばれ始めた
まとめスレで2人の項目をみるよろし
902人間七七四年:2009/05/30(土) 21:46:50 ID:4TWKeNQU
>871 >873
あと普通に幼名や通称、官途名・受領名ってパターンでも名乗りは複数あるからね。

茶人や画家、隠居の号や出家して法名まで並べると一層ややこしいw

武田信玄や上杉謙信なんて晩年の法名(の一部)だし、
立花道雪は生前立花姓を名乗ってなかったりする
903人間七七四年:2009/05/30(土) 22:22:25 ID:alKXMNjB
>>888
>ってかお茶の栽培までやってたのか薩摩藩…
義久のタバコ、義弘の養蜂が一定の成果を挙げていたので
家久もそれを見習って新しく産業を興した…という説があります。

まあ、どんな動機ではじめたのかは分かりませんが
お茶の栽培は江戸時代から今日まで続き、鹿児島の県の茶葉の生産量は
静岡に次ぐ全国2位にまでなりました。

ttp://www.makinouen.co.jp/ocha_deta.html

お茶が今の鹿児島の産業に一役買っているところを見ると
やはり家久にも「島津に暗君なし」という言葉は当てはまるのかもしれません。

とはいえ、夥しい数の家臣誅殺、妹婿のだまし討ち、正室への扱いなど
正当化が出来ない事績も多くやはり彼は名君とはいいがt…
おや、こんな時間に誰か来たようですね、ちょっと見てきます。
904人間七七四年:2009/05/30(土) 22:37:45 ID:uOqOEOo9
煙草
薩摩焼
養蜂
焼酎
砂糖
茶←new

鹿児島ってそんなにお茶の生産が盛んだったのか…
良いことを知った
d

忠恒も決して暗君とは言えないとは思うよ
並の君主だったら権力の集権化なんて出来ないし薩摩武者らしく武勇もある
ただ人間的には…な
…なんか外から叫び声が聞こえたな。ちょっと見てくるか
905人間七七四年:2009/05/30(土) 22:47:16 ID:rEqSiNFW
暗君どころか、あの当時の大名の中でもトップクラスの頭の良さだったと思う>忠恒

性格はともかく。
906人間七七四年:2009/05/30(土) 23:01:44 ID:OjkfXRGm
義久の制止を振り切って謝罪しに上洛したり関ヶ原以後の対応は素晴らしいな。
907人間七七四年:2009/05/30(土) 23:24:34 ID:UF7UdQyn
>>906
関ヶ原の上洛はあんまりイメージ良くないなあ
結果的に功を奏したから良かったけど、
同じように上洛して改易されたり減封されたりした家がある以上
慎重に動くのは当然なのに、独断で上洛と言うのは大胆すぎると思うよ
908人間七七四年:2009/05/31(日) 01:15:30 ID:eS+EUT2M
有能な狂人ほど手がつけられるぬものはなく・・・
909人間七七四年:2009/05/31(日) 03:39:17 ID:BTZG0umo
森さんは早死にして未知数な部分が有るが、他3人は能力だけなら間違いなく優秀だからな
というか能力と人間性のギャップが面白い
910人間七七四年:2009/05/31(日) 03:50:22 ID:U2XFRhSn
>>903
三歳「わしはガラシャを大切に扱ってきたのにこんな奴と同列なのか…orz」

とかいいたそうに見ているが、
三十六歌仙、百人一首(違)、万葉集(コレも違う)、妹婿の謀殺etc

911人間七七四年:2009/05/31(日) 08:40:22 ID:oCAzGZ+b
>910
お陰で病んだ妹にあわや斬られそうに……越中守
912人間七七四年:2009/05/31(日) 09:46:07 ID:Y1VFDHBP
>897 殿

それは、楚の成王の話ですね。結局、聞き入れられませんでしたが。
913人間七七四年:2009/05/31(日) 12:26:01 ID:yP0PCmat
>>904
鹿児島茶の生産は二次大戦後に大幅増産したんじゃなかったっけ
確か水を大量に使うのでシラス台地的な問題もあり引水に苦労したとか

ダムとか井戸掘りとか技術改善で作付け面積が増えたので
だいぶ後になってからブランドも出来て段々有名になってきてるところ

知覧・頴娃らへんはどこ行っても一面茶畑ってイメージしかないわw
あと日新斎が養蚕をかなり奨励して成功したとか。今は面影は殆どないけど。
914人間七七四年:2009/05/31(日) 14:19:21 ID:yllIt3qH
しかし大名ってのは自分で戦争の指揮はするわ資金調達はするわ産業は育成しなきゃならんわ、
臣従したり離反したり暗殺されたり籠城したりで大変な職業だなw胃がもたんだろうw
政治家+軍人+なんでもやる課+ヤクザって感じかね
915人間七七四年:2009/05/31(日) 15:02:29 ID:qdmkr+62
>>913
ちゃんとした畑を作って生産したのは明治以降(輸出品にしようとした)、
戦後の復興事業の意味合いもあって太平洋戦争後に本格的な増産に乗り出したそうです。
江戸時代は民家の生垣や畦道でお茶を栽培していたとか。

既存の畑を潰さないで済んだので上手いことやったつもりなのかもしれないけど
領民にとっては負担が増えただけなので、
喫茶や喫煙の特権を与えて懐柔を図ったとか。
916人間七七四年:2009/05/31(日) 17:35:27 ID:SzNDtlBM
>>904
あと「鉈豆」の栽培もあるぞ>薩摩

豆を採取して煎じて飲むと膿取りの効果があるらしい>健康食品として市販されてるw
917人間七七四年:2009/05/31(日) 18:02:55 ID:gIZrJFZX
あとは豚だな
日本の中世、近世は仏教の影響で肉を経常的に食べる習慣はあまり根付いていなかったが
薩摩では戦国時代から豚と鳥は「歩く野菜」だからという言い訳を作って喰ってた
貿易の玄関口として肉食を行う中国、琉球との交流があったからと思われる

本格的な養豚は家久(悪)が始めたらしい
琉球出兵時には琉球の豚を何匹か持ってきてるし江戸の藩邸でも飼育されていたようだ
薩摩武士を屈強せしめたのは豚肉パワーがあったのかもしれない

今ではかごしま黒豚として売り出してるね
ttp://www.k-kurobuta.com/index.html

カブラルとか宣教師も肉喰いたかったら薩摩行けば良かったのに
918人間七七四年:2009/05/31(日) 18:41:24 ID:JUEZYW7n
薩摩の郷土史家の爺さんから聞いた話だが、樟から樟脳作って外国に売ってたってな話しもあり。
(戦国末〜江戸初期らしい。)
生産が間に合わなくて、幼木や根っこまで使ったとか。

「火薬の原料云々」と言ってたので、それは硝石とツッコミ入れたかったが我慢したw
まあ普通に防虫剤としての需要だと思うけど。
919人間七七四年:2009/05/31(日) 18:55:17 ID:Fhu6JrBW
歴代当主の努力が透けて見えるようで泣ける
こんだけ努力しても薩摩藩の財政が火の車だった事実も相まって更に泣ける(;_;)
920人間七七四年:2009/05/31(日) 19:00:50 ID:juRNul7X
江戸時代の大藩で借金の無い所なんて殆どなかったよなぁ・・・
921人間七七四年:2009/05/31(日) 19:37:03 ID:SzNDtlBM
借金の解決法=踏み倒し だからな

単なる踏み倒しじゃなくて、門閥との姻戚関係結ぶとか、領内の特産品独占とか
そんなのと引き換え、だけど

幕末の薩摩藩は半分返しただけでの踏み倒しだけど、それでも商家からは
喜ばれたそうな>つまり他の大名家はほとんど・・・
922人間七七四年:2009/05/31(日) 19:44:36 ID:gIZrJFZX
>>919
豚肉に関しては家久本人が喰いたかったからってだけな気がしないでもないけどな
他藩への輸出なんて絶望的だろうし(後年になって将軍家に献上したりはしてるけど)
あと豚は穀物を食うから人間と食い物を競合するし元が猪だけに飼育もメチャメチャ大変
茶も大規模生産じゃ無かったんなら先代の煙草や薩摩焼きとは違って
自分の好みで生産奨励してたんではという疑念が…
家久の業績を陥れる意図はないけどさ
奄美の砂糖奨励策は家久の代からだっけ?
923人間七七四年:2009/05/31(日) 19:47:08 ID:JUEZYW7n
菱刈鉱山が戦国時代に発見されていたら、少しは歴史も変わったのかも知れないw
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E5%88%88%E9%89%B1%E5%B1%B1
924人間七七四年:2009/05/31(日) 19:59:59 ID:qdmkr+62
>豚肉に関しては家久本人が喰いたかったからってだけな気がしないでもないけどな
>他藩への輸出なんて絶望的だろうし(後年になって将軍家に献上したりはしてるけど)
何の因果か、幕末には徳川慶喜が豚肉にハマッています。

小松帯刀が世話役を務めていたときに献上したのがきっかけで
豚肉の美味しさを知ってからは、
何かに付けて小松に豚肉を催促するようになったとか。

当然豚肉もタダではないので小松の財布はたちまちカラッポになり
「また豚一さんが豚を所望してきた。私の給料ではもう賄えない。
 済まぬが御義父上からお金を拝借してもらえないだろうか」
と、奥さんの実家へ金の無心とお詫びと愚痴を綴った手紙が今も残っていると言う…

篤姫は見てなかったけどこのエピソードあったのかな…
スレ違い失礼。
925人間七七四年:2009/05/31(日) 20:17:59 ID:Fhu6JrBW
義久が奨励したタバコは現在は縮小、義弘が奨励した薩摩焼は伝統工芸化
家久(悪)が奨励した茶と豚は藩政時は振るわずとも現在では鹿児島で一大産業に
先見性があるのやら無いのやら
926人間七七四年:2009/05/31(日) 20:29:45 ID:FZ1o9+kl
天正十七年、蘆名氏の須加川城では、摺上原の戦いでの戦勝の勢いをそのままに迫り来る
伊達政宗に対しての対応を説明するために、上下を問わず家臣を登城させた。

先君、蘆名盛隆の御台が、集まった者たちに言う

「近日中に政宗は、この城を攻めに来ます。我々が心を一つにして戦っても、
政宗は大軍であり、終には討ち負けるでしょう。

しかしこれは、私と政宗との因縁のようなものです。私が一人で、政宗と対決すればよいのです。
それにあなた方、家中の人々を巻き込む事は本意ではありません。
ですから、各々はどうか、伊達に降参し、身を立て妻子を養ってください。
私は少しも恨みには思いません。むしろ、私に従うよりも、そうされた方が嬉しいのです。」

この言葉に、重臣の箭部伊予守進み出て

「このように言うからといって、命を惜しんでいると取らないで下さい。
政宗は大軍でここに押し寄せてきます。どんなに志を一つにし、命を軽んじて戦っても、
この城の少勢では攻め滅ぼされる事、目に見えております。
そしてそれでは、ご当家は断絶してしまいます。これはあまりに勿体無い。

そこで、先ず御台様が政宗に降伏してはいかがでしょうか?
御台様は伊達の先代、輝宗様の妹君、政宗の伯母上です。また、御台様は女であられます。
降参されてもそれが、蘆名家の傷になるということはありません。
蘆名のお家が長く繁栄される為にも、この事、お考えいただけないでしょうか?」

しかし御台、「それは出来ません!」「何故でございますか?」

「政宗が信用できないからです!」

そうして御台様、政宗の信用できない理由を並べ始めた

その1:蘆名の敵の田村清秋に一味して、寡婦となったこの伯母を攻めた事
その2:政宗は猪苗代に出兵し、私の娘、正宗にとっては従姉妹を攻めた事
その3:政宗は会津を取るため、義広の家臣、佐瀬、飛田、金上、富塚、常世などを
     調略し、義広に背かせた事。
     義広は伯母である私の義子で、しかも義広の母は私と同じく政宗の父、輝宗の妹、
     すなわちこれも正宗の従弟だというのに!
     このように本来親しくしておくべき、蘆名、佐竹、猪苗代といった家を滅ぼそうとしている事
その4:政宗が自分の欲に浸りきったせいで、私の兄、政宗の父である輝宗が殺された事
その5:佐竹義重を攻め、自分の伯母とその子を責め滅ぼそうと企んでいる事


「よって、このような政宗に、私が降伏する事はありません!」

こう言われて、この後御台様にご意見するものはいなかったそうである。

しかしこの信用出来ない理由の妥当性はともかく、北関東から東北の、
親類縁者でぎっしり固まってた状況には、改めて感心してしまう。

そんな、東北の戦国史を別の角度から見れば、政宗は厄介な親戚そのものであった、というお話。
927人間七七四年:2009/05/31(日) 20:45:08 ID:gIZrJFZX
親戚で固まってるからな東北は…

しかしこの話、重臣と共謀して当主が家臣に慈悲を見せつつ重臣が待ったを掛け
敵が信用出来ないことを論って家中の引き締めを謀った話なんじゃないかと邪推してしまう
928人間七七四年:2009/05/31(日) 21:01:07 ID:DixDWXHU
>>922
琉球や薩摩じゃ賄賂や贈り物に豚肉送ることもあったそうな
琉球じゃ中国からの使者の接待の度に豚を大量に消費したって記録にあるし、
嗜好品や物々交換にも使えたので薩摩領内じゃ豚肉の価値は高かったのさー
929人間七七四年:2009/05/31(日) 21:12:46 ID:O5rkUP5q
稙宗の時代から子供ばら撒いてたからね。
東北は良くも悪くも伊達中心に動いてた。
930人間七七四年:2009/05/31(日) 21:20:07 ID:Fhu6JrBW
一方長野氏や島津氏は親戚と家臣にバラ撒いた
政治的な子供の使い方としてどっちが有効なんだろうな
931人間七七四年:2009/05/31(日) 21:32:34 ID:JIh0eij8
伊達が強かった時代に最上や大崎みたいな弱小従属大名を家臣化するためにバラ蒔いた種が芽を出す前に天文の乱で伊達がほかと並んじゃったってだけじゃないのかな?
932人間七七四年:2009/05/31(日) 21:34:31 ID:qdmkr+62
外にばら撒けば、侵略に対して一時しのぎにはなるかもしれないけど
いざこっちが侵略しようって時に足かせになるだろうからなぁ。
933人間七七四年:2009/05/31(日) 22:22:31 ID:oCAzGZ+b
>928
元来中国じゃ大事な祝い事や、是非とももてなしたい相手に豚を振る舞うんだっけ

琉球や明と貿易やってると必然的に豚を屠ってアピールしたい場面もあったかもね。




……ミ●ター味っ子か何かの受け売り半可知識なので間違ってたらゴミン
934人間七七四年:2009/05/31(日) 23:39:29 ID:3ejoWdu0
>>931
元々は斯波(大崎)が東北の旗頭だけどな〜。
935人間七七四年:2009/05/31(日) 23:40:53 ID:FZ1o9+kl
>>934
本家の斯波が応仁の乱で大没落しちゃったからねえ。
936人間七七四年:2009/06/01(月) 02:08:15 ID:+XWSNc4Z
豚肉の献上とか、どうやって保存してたか気になる
冷蔵庫入れてても一週間持たないし
937人間七七四年:2009/06/01(月) 02:11:42 ID:lBHIt9sI
やっぱ燻製とかでねえ?
それと豚といえば中国ではもっぱら便所で飼って人糞等の始末に利用していたのは有名だわな。
史記にもそういった逸話とかあるし。
938人間七七四年:2009/06/01(月) 02:15:51 ID:Ecx4YuXd
江戸期は味噌漬の獣肉が漢方薬扱いで売ってたみたいな話を聞いたことがある
939人間七七四年:2009/06/01(月) 02:25:41 ID:gZdyHtk+
斯波の本家はもうずっと前から没落しちゃってる気がする。っていうか高経からして足利から斯波に格下げくらってるからな
しかし室町時代の家長&顕家死後からの北関東&東北はカオスで笑える。石塔、斯波、吉良、畠山、これに北畠
940人間七七四年:2009/06/01(月) 04:10:13 ID:rofwdkev
時代的にスレチだが
>>936
先に出た慶喜の父親こと徳川斉昭と島津斉彬の手紙のやり取りに
島津斉彬「賞味期限ギリ(約10ヶ月前製造)で味落ちてそうな豚肉だけど、好きだというので送るね」
徳川斉昭「味もあまり落ちてなくて美味しかった!愛でながらいっぱい食べたー(*゜∀゜*)」
とある。冬に豚肉を塩漬けにして1年もつらしい。

>>924
小松が大久保に宛てた手紙にも書いてあるんだが。
慶喜「豚肉ちょうだい」
慶喜「豚肉ちょうだい」
慶喜「豚肉ちょうだい」
と3度催促の手紙が来たので
小松「エリクサー・・じゃなかった・・豚肉はもう全部あげましたよ」
と手紙返したら


本当に豚肉無いか確かめる使者が来た。
941人間七七四年:2009/06/01(月) 07:00:45 ID:bRHRjM9u
FF8かよ
942人間七七四年:2009/06/01(月) 08:15:37 ID:Y1u4FJ4J
>>940
そういうことをするから薩摩藩は幕府を見限って長州と手を組んだんだなw

食い物の恨みはいつの時代も恐ろしいw
943人間七七四年:2009/06/01(月) 09:25:11 ID:IKoEuBcr
薩摩黒豚はそんなにんまいのか…。
944人間七七四年:2009/06/01(月) 10:34:45 ID:RCEit5EI
>940幕末薩摩の塩蔵も技を究めたらイベリコなんちゃらみたいに
“熟成が進んでより美味しい”領域に至ったのかもよ?

戦国時代とリンクするなら、大航海時代の船乗りが
ラム酒とタバコ、んで塩漬け肉が切れると爽やかに反乱起こしていたような……
945人間七七四年:2009/06/01(月) 11:35:36 ID:4KSkohJY
ワロタのでコピペ

修理といえば信長公記
討捕る頸、見知分、山形三郎兵衛・西上野小幡・横田備中・川窪備後・
さなだ源太左衛門・土屋宗蔵・甘利藤蔵・杉原日向・なわ無理介・仁科・
高坂又八郎・奥津・岡部・竹雲・恵光寺・根津甚平・土屋備前守・和気善兵衛・
馬場美濃守、中にも馬場美濃守手前の働比類なし。

見知られた者の首級の中に何か抜けてないか
946人間七七四年:2009/06/01(月) 12:58:18 ID:ey5B6+ao
>>945
( ^ω^)おおもう…
947人間七七四年:2009/06/01(月) 14:46:42 ID:V58zjpeD
山形三郎兵衛は山県昌景だよな?
高坂は生き残ってるから…

泣いた・゚・(つД`)・゚・
948人間七七四年:2009/06/01(月) 14:48:26 ID:RLKeOabC
秀吉の「日本は言うまでもなく、数寄心がけのある者は唐国からでも参加せよ」との呼びかけで
有名な北野大茶会。天正十五年、秀吉はその準備の為、度々北野を訪れた。

ある時秀吉、北野へ向かう途中にある浄土院という尼寺が、銘水で有名な事を思い出した。

「ここの水で立てた茶は、さぞ旨いだろう」

秀吉、この寺に入って行き、唐突に言った、「茶を所望する!」

この寺の庵主は驚き慌てた。彼には茶の心得がなく、茶人としても名の知れた秀吉に
下手な茶を出したら何と言われるか。
「ならばいっそのこと」
庵主、しかたなく白湯を出した。

秀吉、茶では無いのを怪訝に思ったが、ともかくもそれを飲み干し、言った
「茶を所望する」
それでもやっぱり、白湯が出てきた。

これに秀吉、流石にあきれて

「もうお湯はたくさんだ。今後この寺を、”湯たく山、茶くれん寺”と呼ぶように」

と言ったという。


今も千本通今出川の北西にあるこの寺、その門の脇にある石碑には『浄土院』の名に並んで、
『湯たく山茶くれん寺』と刻まれている。
949人間七七四年:2009/06/01(月) 15:01:18 ID:RCEit5EI
>947
そして内藤修理亮さんが見当たらないという
950人間七七四年:2009/06/01(月) 17:21:09 ID:dxSoDs1r
>>948
島津家久さん(善)がその庵主と仲良しになりたいとうpをはじめられますた。
そ し て 茶くれん寺の庵主様に >>5 をプレゼントw
951人間七七四年:2009/06/01(月) 17:29:49 ID:RLKeOabC
>>948
あー、しまった
6行目

×この寺の庵主は驚き慌てた。彼には
○この寺の庵主は驚き慌てた。彼女には

尼寺だというのにorz
まとめに載せるときには直しておいてくださいませ…
952人間七七四年:2009/06/01(月) 18:03:49 ID:HhCBKIa+
>>945

これ書いたの絶対牛一だろ・・汚いなさすが牛一きたない
俺はこれで牛一きらいになったなあもりにもひきょう過ぎるでしょう?
俺は中立の立場で見てきたけどやはり甲陽軍鑑中心で語った方が良い事が判明した
牛一はウソついてまで三段目の柵突破を封印したいらしいが内藤に相手されてない事くらいいい加減気づけよ
内藤は牛一よりも主君に重用されているからお前らのイタズラにも笑顔だったがいい加減にしろよ
普通に血の通った人間なら、武将が槍働きを削除させられる絶望がどれほどのものかわかると思うんだが
特に修理亮の場合は、そこらの一般大名の雑魚い武将じゃなくて武田で一番の副将
想像を絶する悲しみが修理亮を襲った
953人間七七四年:2009/06/01(月) 18:12:34 ID:RCEit5EI
>952その……改変は些か……いかがなもんかいのー
954人間七七四年:2009/06/01(月) 18:19:41 ID:RCEit5EI
>947
春日(香坂)弾正の息子は長篠設楽ヶ原で討ち死に
955人間七七四年:2009/06/01(月) 18:52:56 ID:0LRiAB4t
>>952
さすがに内藤修理亮は格が違った
956人間七七四年:2009/06/01(月) 19:43:26 ID:lNRHHzFI
>>945
もしかして彼は生きてるんじゃ…

あれ?宅配便が来たみたry)
957人間七七四年:2009/06/01(月) 20:01:10 ID:RCEit5EI
>956
首なしの配達員さんが丸い玉を脇に抱えたまま、戸口を指差して去っていったよ・・・・・・
958人間七七四年:2009/06/02(火) 00:17:25 ID:wCndpwAU
見知った者の名前をあげたらしいから、牛一が内藤さんの顔を知らなかっただけ
・・・・と思うことにしようじゃないか・・・・
959人間七七四年:2009/06/02(火) 01:26:13 ID:mcNLxG8j
>>940
茨城は豚肉生産量全国3位だけど、この話は関係ないかw
960人間七七四年:2009/06/02(火) 02:13:49 ID:lgi5mKTB
>>954
次男以下の息子は生き残ってるぜ。

無残な事に武田滅亡後に森長可付きの家臣にされるという酷い罰ゲームを受けるが。
961人間七七四年:2009/06/02(火) 02:40:12 ID:YLQWcGaT
>>960
MINAGAOAROSHI♪
962人間七七四年:2009/06/02(火) 11:26:16 ID:586meSsn
本能寺の後に逆らって息子無骨の錆にされた上、本人は上杉家に誅殺、
一族は忠政の復讐で皆殺しだからな。

既出の話の春日周防だし…。
963人間七七四年:2009/06/02(火) 12:12:11 ID:HQx1oYfJ
内藤さんは>>677の人に討たれちゃったのが切ない
964人間七七四年:2009/06/02(火) 12:41:59 ID:QKjZcQc9
ある時、上杉謙信の許に、彼が小田原に入れた間者から、このような報告があった。

「北條氏康の重臣の中でも松田尾張守は、民生、軍事共に優秀で、忠義の心も厚く、
氏康からの信頼を特に得ている人物です。

その松田が最近、諸方の寺より鐘を集めて、それを鉄砲の弾に改鋳いたしました。
ところが鎌倉のある小寺の住職は、鐘を取られるのを甚だ悲しみ、これを出さずに済むよう
色々と弁解したがかなわず、いよいよ鐘を持ち出されるという時、これに抱きついて

『わたしは年来、四六時中、この鐘に手を触れないという事はなかった。
今後これに触る事ができないかと思えば、残念な事これに尽きない!』

と言い、泣く泣く鐘と別れました。

さて、この鐘小田原に至り、融かそうとしたところ、鐘から水が噴出し炭火を消してしまいました。
その後何度か試したものの、その度に水が噴出し、融かす事が出来ない。
人々は皆、あの僧の執心怨懐の為であろうと、奇異の念に打たれました。

ここで、ある老いた鋳物師が言うには、『このような事、古来から多く例のあることだ。
牛馬の糞を炭火の中に入れてみてくだされ、水が吹かなくなり融かす事ができるでしょう。』

そこで言われたようにしてみると、なるほど水が出る事も無く、炭火によって鐘はたちまち
湯となった、と言うことです。

世の中にはこのような事もあるのだと、小田原でのもっぱらの話題です。」

そんな、モノマニアックな僧と鐘の、不思議なお話。
965人間七七四年:2009/06/02(火) 13:01:40 ID:5bEMOW1+
>>964
後で鋳物師に怪異が起きたりしなかったろうか。ちと心配な
966人間七七四年:2009/06/02(火) 16:21:58 ID:YLQWcGaT
おいてけー、おいてけー
967人間七七四年:2009/06/02(火) 16:57:21 ID:ICpaxzWR
>>964
>このような事、古来から多く例のあることだ。
昔ってすごいなぁ、こんな怪異がしばしば起こってたのか
968人間七七四年:2009/06/02(火) 16:58:23 ID:eSRASkSq
967の家の屋根が強風で吹っ飛んだようです
969人間七七四年:2009/06/02(火) 17:18:29 ID:xtVNuhza
なんか化学とかで解明できないかな?
970人間七七四年:2009/06/02(火) 17:52:45 ID:vTClJaIl
スパイの報告がこんな話でいいの鐘
971人間七七四年:2009/06/02(火) 17:58:59 ID:5bEMOW1+
>970ここのスレ住人みたいな“草”だなー
小田原の弾丸備蓄をちゃんと調べる過程で拾った話……と思いたいがw
972人間七七四年:2009/06/02(火) 19:39:09 ID:xWAqF9LP
ヒント
当時も弾丸は鉛製。
973人間七七四年:2009/06/02(火) 22:51:29 ID:eO0lTGft
北条方は鉄玉を黒金玉、鉛玉を同玉として使ってたみたいだが
974人間七七四年:2009/06/02(火) 22:57:07 ID:QKjZcQc9
当時の弾丸って材質もそうだけど、種類も用途に応じて何十種類もあったらしいね。
975人間七七四年:2009/06/02(火) 23:09:08 ID:vTClJaIl
鉄製の弾丸は壊れにくかったので主に練習用だったそうな。
北条は戦跡から鉄製、銅製、鉛製が見つかってる。
976人間七七四年:2009/06/03(水) 00:16:04 ID:drxwjabX
そろそろ新スレ立ててみる
977人間七七四年:2009/06/03(水) 00:21:23 ID:drxwjabX
ERROR!
ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。

立てられなかった。どなたか頼みます…

↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話10

↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話9
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1240753114/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話10
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1243312108/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
978人間七七四年:2009/06/03(水) 00:27:15 ID:Xt2kjHGw
>>977
じゃあ俺が
979人間七七四年:2009/06/03(水) 00:28:58 ID:Xt2kjHGw
980人間七七四年:2009/06/03(水) 00:29:32 ID:qIj6FDP8
981人間七七四年:2009/06/03(水) 00:40:58 ID:drxwjabX
>>979
乙でした
982人間七七四年:2009/06/03(水) 01:13:14 ID:CbZYVCzY
新スレ乙です。

鐘の話が出てるので

鐘ヶ淵

富山県・砺波の千光寺の釣り鐘は、音が良いことで知られていた。
毎夕時を知らせ、その音は遠くまで響き渡っていたのだが、それが気に食わない男がいた。
富山城主:佐々成政である。
この男、何か鐘の音にはこだわりがあるのか、
他にも本覚寺の鐘の音が富山城の鐘より良いことに腹を立て、
鐘の内側に砂を焼き付けさせたことがある。
(今でも鐘の内側になんかぼろぼろしたものがくっついているそうである)

千光寺の鐘の音が気にいらない成政は、鐘を切り落とさせてしまった。
鐘はごろごろと山を転がり、川に落ちていった。
村人は鐘を引き上げて元の場所へ戻そうとしたのだが、
半分ほど引き上げたあたりで寺が火事だという知らせが来た。
鐘をそのままにして、慌てて寺に駆けつけたが、何もない。
村人達が首をかしげつつも鐘の所へ戻ると、鐘は川に沈んでいた。
また引き上げていると、途中で日が暮れたので作業を中断することに。
しかし翌日、途中まで引き上げたはずの鐘が、また川底に沈んでいたのである。
以後、何度繰り返しても鐘は上がらなかった。

村人は引き上げるのをあきらめ、そこを「鐘ヶ淵」と呼ぶようになった。
鐘は後に大蛇となり鐘ヶ淵の主となった。
主は毎年の縁日には美しい娘に化けて寺に参ったそうである。

983人間七七四年:2009/06/03(水) 01:39:49 ID:+MhXyQlN
>>968
何とか布団だけは守り通したよ
984人間七七四年:2009/06/03(水) 08:51:33 ID:t/ynzK92
>>982
なんで娘に化けるのだろうな
男でもいい筈なのに
しかも美しいという形容詞までつくなんて
やっぱり、こういう伝説を語り伝えた昔の人たちも
人外な娘さん萌え〜(はぁと)
物の怪な娘さん萌え〜(はぁと)
だったりしたのだろうか
985人間七七四年:2009/06/03(水) 09:01:35 ID:4iVu0Vtn
そりゃ化け猫とかもも当初はおどろおどろしい化け物そのものだったのが、
月日を経るにつれて萌え要素が付け加わって行ったって話だしな
触手とかも葛飾北斎ので有名だし
まあそうそう日本人の性癖は変わらんよ
986人間七七四年:2009/06/03(水) 10:04:27 ID:7QXnSp6R
俺がもし淵に沈んだ鐘で、どんな人間にでも変身できるとするなら、
むくつけき大男になるか、それとも美女になるか。考えるまでもない。
987人間七七四年:2009/06/03(水) 10:20:07 ID:QXbeVbJF
鐘と大蛇ってよくワンセットで出てくるよね。
発祥は何なんだろう?
988人間七七四年:2009/06/03(水) 10:21:37 ID:x9N3Pqaw
989人間七七四年:2009/06/03(水) 11:09:30 ID:6Zs0Evj1
>>988
蛇(凸)、鐘(凹)。
あとはわかるな!?
990人間七七四年:2009/06/03(水) 11:10:02 ID:zy6HUs5D
「なんだってぇ、鐘が若い女に化けたんでしょうねえ、ご隠居」
「そりゃお前さん、鐘は突く方じゃなくて、突かれる方だからだよ」
991人間七七四年:2009/06/03(水) 11:15:49 ID:x9N3Pqaw
なるほど、道理だw
992人間七七四年:2009/06/03(水) 11:25:09 ID:6Zs0Evj1
まあ、安珍と清姫の場合は逆なんだがな……
993人間七七四年:2009/06/03(水) 11:31:06 ID:qw4FdhfQ
ありゃ安珍が受けで清姫が攻めだからだろ
994人間七七四年:2009/06/03(水) 11:43:33 ID:6Zs0Evj1
男色が横行する仏教界と肉食系女子に対する皮肉でもある……か?
995人間七七四年:2009/06/03(水) 12:03:05 ID:q3YkIQph
鐘ってのは本来その音色で煩悩を散らす目的のもので
蛇ってのはそんな煩悩の根源、お釈迦様の修行も妨害した魔族の眷属だからなあ
なんかしら比喩があるんだろ
996人間七七四年:2009/06/03(水) 12:25:38 ID:7QXnSp6R
鐘とはその形状からわかるとおり、子宮の象徴であり母体を表している。
蛇が情欲の化身であることは言うまでもない。
清姫に性的関係を迫られた安珍が鐘に身を隠したのは、母体回帰願望の現れである。
すなわち、性的に未分化な状態に留まりたいというルサンチマンである。
一方、情欲の化身たる清姫はそれを許さず、安珍を焼き殺す。
性徴を止めることはできないのだ。
つまり、安珍と清姫は、思春期における少年の不安な気持ちと成長を表した物語なのである。
997人間七七四年:2009/06/03(水) 13:08:42 ID:COaO178s
鐘を供養する前に言っておくッ!
おれ達は今 成政のスタンドをほんのちょっぴりだが体験した
い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが……

あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!

『おれ達は川底から鐘を引き上げたと
思ったらいつのまにか沈んでいた』

な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
おれ達も何をされたのかわからなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

煩悩だとか大蛇だとかそんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…
998人間七七四年:2009/06/03(水) 13:16:31 ID:naZl3JzA
>987
お鈴のかわりにトライアングルを二回叩くんだ
999人間七七四年:2009/06/03(水) 13:24:36 ID:wkRd6g9+
999
1000人間七七四年:2009/06/03(水) 13:30:16 ID:t/ynzK92
1000なら
えーっと……
ど、どうしよう……(汗

とりあえずスレの繁栄!
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
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