952 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 12:47:53 ID:ok8gIq/G
四国ね
来島とか河野とか村上とか探せば結構ありそうだけどな
953 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 13:36:26 ID:RrPKHPtZ
歴史戦略ゲーム界の重鎮一条さんならどうだろう
954 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 14:00:02 ID:IJizfZ+7
土居さん絡みの逸話とか…
955 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 16:46:51 ID:m20GZzZv
>>951 どんな形であっても後世に名を残したかったんじゃないかなぁ
実際未だに祀られてるんだし
956 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 17:06:54 ID:Dx721VtV
島原の乱で戦死した板倉重昌。彼の長男で、父とともに従軍もした板倉重矩と言う人が居るが、
彼にこんな話がある。
重矩の邸宅の居間には、祖父、板倉勝重より伝来の弓を飾っていた。
ところがある時、近習の者の一人がふとこれを素引きしてみると、過って折ってしまった。
この者大いに驚き慌て、嘆きながら老臣に事の次第を告げた。
老臣「なんということを!その御弓は当家代々の御重宝の一つではないか!
殿の御気色はいかばかりか…」
そう叱責し、この近習を一室に閉じ込め、重矩の帰邸を待った
さて、重矩帰ってこの事を聞くと、その近習を呼んでくるようにと命じた。
近習、これを聞いて、きっと手討ちにされると大いに恐れながら御前に出ると、重矩、
「居間の弓を折ったのはお前か?」
「ははっ」
「お前がいつも奉公のことを考えている事、わしはいつも喜んでいる。
さて、あの弓だが、あれは万一何事かあった時、護身の為置いていた物だ。
しかし、お前が素引きをしたくらいで折れるような物であれば、わしが引いても必ず折れただろう。
もし万一の時にこれを用いれば、酷く恥をかいたことであろうな。
何事も無いときに折れたのは、これはわしにとって吉事と言うべき事である。
お前は何も、わしに迷惑となるような事はしていないぞ。」
この言葉に、弓を折った本人は言うに及ばず、近習の仲間の者たちも皆涙を流し、この人の為ならば
命を落としても惜しくは無いと、思い定めたとのことである。
そんなちょっといい話。
957 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 19:55:16 ID:zH6i+5z9
>>956 むちゃくちゃいい話ではないか!感動した!
958 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 20:02:18 ID:enAEvYM5
そうだな四国は清良さんだな この人が本気だったら天下とれたかも
959 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 20:21:17 ID:Fb4K9tb2
>>956 めちゃくちゃいい話だ!!
おや、小田原の方で鈴木さんと大久保たんが何か言いたげにこちらを見ているw
960 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 20:24:36 ID:j/LFI6dL
>>944 義久「うちの初代のご生母は頼朝公側室の丹後の局様だったんだよ」
宗麟「それならうちの先祖だって頼朝公の寵愛を受けた利根局様が…」
− あの世では −
政子「…あなた、下界であんな会話がなされていますが、
説明してくださるかしら?(#^ω^)」
頼朝「誤解、誤解じゃ!ヒィィ (lll゚Д゚)」
961 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 20:52:52 ID:uVq1zUaw
>>960 恐妻家兼愛妻家のお宅はどこも大変だなw
どこぞの二代目将軍のご落胤は武家に養子に行けて良かったなあw後で三代目の側近になれたし
962 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 21:17:05 ID:h6bLH/ia
近く合戦を控えた甲斐武田家でのこと。
「おいそこのオマエ!!何回言えばわかるんだ!!
合戦でそんな動きをしてみろ!!オマエが死ぬだけならいいが味方の足を引っ張ることになるんだぞ!!
この大うつけがっ!!」
バイト先にこんな店長がいたら1日でバックれたくなるような怒声を部下にぶつけるのは、
人格者、まことの武士として名高い武田信繁である。
普段は部下どころか領民たちにもその人柄を慕われていた信繁だが、
なぜか合戦が近づくと横暴な態度で部下に接するのだ。
ある時、不思議に思った者がその理由を信繁に問うと、
「合戦が近い時には部下に横暴な態度を取って、その不満を敵にぶつけさせているんだよ。」
相手の大将を恐れるより、仲間である自分の大将を恐れるような軍隊は強いという話もあるが、
信繁もそんなことを考えていたのかもしれない。
君主の弟という立場を利用すれば最前線に立たないように身を処することも出来ただろう。
だが精鋭ぞろいの武田家臣団にあっても信繁隊の勇猛さは他の勇将率いる隊にも引けをとることはなかった。
信繁自身も部下を口先で叱咤激励していただけではない。
武田信玄が一番苦戦したとされる四回目の川中島、
劣勢に立たされた武田軍の士気は落ちるばかり。
これではいけないと信繁は手勢八百の先頭をきって上杉三千の軍勢に突っ込んでいった。
この信繁の奮闘を見て武田軍の士気は上がり態勢を立て直すことが出来たのだ。
しかし信繁が敵方から生きて帰ることもなかったのである。
963 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 21:43:55 ID:UnXzhqNX
>>956 重矩といえば、板倉家の菩提寺・長圓寺には
歴代の肖像画が所蔵されているんだが、
重昌の肖像画には脇絵として鷹と馬の絵がついてる。
重矩が父親の追善供養に寄進したらしいんだが、
武家の肖像画としてはあまりない形式の上に、
絵の作者が肖像画・狩野探幽、鷹と馬は探幽の弟・尚信、安信と、
狩野三兄弟合作の豪華版。
よっぽど、父親の死に様に思うところがあったんだろうなあ。
964 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 22:11:31 ID:Cs3fmix4
>>956 こういう事をサラッと言えるのが人間の器ってもんだわな
俺じゃ頭で思い描いても感情が出てしまうよ・・・
965 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:38:16 ID:l8Ncpbnj
>>943 なぜかカブラルがカブレラに見えて、現オリックスのカブレラみたいな巨漢が、宗麟を見下ろしてるとこを想像してしまったw
966 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 02:19:02 ID:4HHGDU0P
悪いスレでやらかしたのでいい話を。
信長が酒宴の時に朝倉義景、浅井父子の髑髏を出して盃にした
という話はよく知られている。この時の信長はすこぶる機嫌がよく、
「お前達の尽力に報いるため、このような肴(髑髏)を用意した。
わしはこの上ない喜びを感じておる」
と言って家臣達に褒美を与えたという。その席には佐々成政がいた。
酒宴が終わると彼は信長に言った。
「後漢書に『王者四海をもって家とし、万民をもって子とす。
天万民を生じ、君を立ててこれを養う。君道を得るすなわち、
人これをいただくこと父母の如く、これを仰ぐこと日月の如し』
とあります。
上様に従わない国があるのは、上様の不徳ゆえとお考え下さい。
ご自身の良くないところは省みなくてはなりません」
これを聞いた信長は成政の手を引いた。まさか手討ちに!?
いやいや、そうではない。成政の換言に感じいった信長は
別の部屋で政治について語り合ったのである。この事について
信長の側近・武井夕庵は成政の教養はたいしたものだと感銘を
受けたという。
967 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 02:26:18 ID:un3IS8W2
>>966 平手政秀の切腹が引っかかっていたのかな?
968 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 03:00:21 ID:J9KaWTCE
脳筋キャラだとばかり思ってたのに
969 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 03:07:14 ID:mTmKivwd
>>966 結局、そういう家臣の命懸けの諫言を全う出来なかったから本能寺で桔梗が狂い咲いたんだよ
970 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 07:56:05 ID:B4/WzbHo
>>966 この諫言は大河の秀吉では秀吉、利まつでは利家のエピにされてたなあ
秀吉は仕方ないかもしれんが、利まつは成政も準主役だったのに
おいしいところ持っていかれて泣けた
971 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 09:13:09 ID:kIA74w1K
972 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 10:58:00 ID:Dj9sM5pJ
>>971 毎回思うけどお前が立てちゃってもいいんじゃね?
973 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 11:31:10 ID:axS3fpcZ
>>966 手を引かれて別室に連れていかれたら手打ちよりアッチの方が心配
974 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 12:45:51 ID:15PhcM/s
そもそも杯にしたってのが戦後の小説から出てきたうそだし。
975 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 13:29:12 ID:A+tZUrol
976 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 13:56:22 ID:bpsp6up7
wikiだけど
>一級史料と評される信長公記には天正2年(1574年)の正月の宴席において箔濃(はくだみ、漆塗りに金粉を施すこと)
>にした義景、久政・長政父子の三ツ首を御肴として白木の台に据え置き、皆で謡い遊び酒宴を楽しんだとある。
>なお、これを杯にして酒を飲んだという俗説もあるが史料には見当たらない
>>966が盃と勘違いして書いた可能性もありそうだからなんとも言えない気がする
977 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 17:18:14 ID:ipkzc0XA
>975こりゃ、勃てんナw
スレ立て乙
978 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 17:55:52 ID:kIA74w1K
おお、たってるw
>>975 乙
埋め代わりに
前田利常が能見物をしていたときのことである。
この能、事の外面白く、利常、家臣たちにも見せてやろうと皆を呼び寄せた。
ところが、この能桟敷が狭かったのか、人数が多かったのか、舞台の周りは人で溢れ、
利常の面前にさえ家臣がひしめく始末。しかし家臣としては主君の見物の邪魔をする事は許されない。
そこで視線を塞がない為、利常の面前の方向にいる家臣たちは皆、手を付き平伏した姿になり、
頭だけをもたげて見物するという、非常につらい姿勢での観能となった。
これを憐れんだ利常、近習に命じ、畳を大量に持ってこさせた。
そしてそれを高く重ね、自分はその上に座る。
このおかげで皆手を付く事無く頭を上げ、楽な姿勢で見物することが出来た、とのこと。
最初の時点でボタンの掛け違えがあったような気もしないでも無いが、ともかくも
家臣思いの利常公のお話。
979 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 18:24:24 ID:UDURTk5M
道糞さんしつこいっす。
980 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 18:37:47 ID:P1MXU7jk
趙の襄子はいじめっ子の智伯を斃した後に頭蓋骨を杯にしたとか、便器にしたとかいう逸話があるけれど、信長がそういう教養があったとも思えないのでこれは独創なのだろうか。
981 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 18:52:41 ID:JmtoLtdZ
左伝とか史記とか日本でも学識層の基本学問だし
耳学問で入ってるんじゃね
岐山にちなんだ地名とか教えてもらってつけてんじゃん
982 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 19:43:42 ID:4HHGDU0P
>>974>>976 ごめんなさい。そこは俺のミスです。でも箔濃とか成政が故事を例にだして
学識豊かに諌言したとかは信長記にあって捏造じゃないんでご容赦。
ところで髑髏をそういうふうにすると、神通力を得るという信仰が当時あったそうで。
もし本当なら信長は決して無信仰ではなかったんでしょうな。
983 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 21:18:34 ID:ECg8PFlJ
叡山には箔濃職人もいたしな
偉い坊さんの頭骸骨を箔濃にするそうな
立川流とはちと違うのかな
984 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 21:24:54 ID:1/Mul+nM
立川流って奈良の大仏の前で乱交したあれか?
985 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 22:50:32 ID:xpb8z1PH
>>982 箔濃の記事は確かに太田牛一の信長記にある。というか、これにしかないが。
(厳密には、信長記から引用された江戸時代の書があと一つある)
しかし佐々成政の諫言はないぞ。
甫安信長記か?
986 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 22:55:14 ID:4HHGDU0P
うん。七巻元日酒宴の事。
987 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 00:18:59 ID:+liEFnnL
ある時、徳川家康と福島正則が歓談していたが、正則、この中で
家康の将、本多忠勝、井伊直政、榊原正康の事を賞賛した。
「あの三氏の武勇は真に素晴らしい。まさに御当家の干城と言うべきでしょう。」
この言葉に家康、首を左右に振りつつ
「いやいや、そう言うものではない。わしの下に居る勇士は、その三人のほかにも
後七人ほど居る。都合十人であるな。」
「ほう?では残りの七人とは、どなたですかな?」
「ふふふ。秘密じゃ。」
家康、これに笑うばかりで何も答えなかった。
さて、これを聞いて奮起したのは、本多、井伊、榊原以外の徳川の将達である。
「我こそは十人の中に加わる者なり」と、競う合うように切磋したとの事。
こうなる事を最初から予想して発言したのか、それともただ単に正則に大げさに言ってみただけなのか。
徳川家、謎の十人衆のお話。
988 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 00:46:25 ID:VeEYlJh9
信長に褒められたときは「あんなもの山盛り居るわ!」とか言って本人にへそ曲げられてたのに……
権現様ったら成長しちゃって……
989 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 00:52:24 ID:mzDGW0iT
衝撃の忠隣とか華麗なる守綱とか白昼の勝重とか暮れなずむ康景とかか
990 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 01:09:54 ID:RPVswfJy
>>986 その信長公記七巻元日酒宴の事の記事に、成政の諫言が無いんだが?
この記事には、箔濃が出て「場は大いに盛り上がった」としか。
991 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 01:40:30 ID:bo5vhdme
>>985 信長記の著者は牛一さんではなく小瀬さんですよー
992 :
966:2009/05/27(水) 01:56:49 ID:OS/js5zz
ちゃんと書いときゃよかったね。牛一の信長記じゃなくて甫庵の信長記です。
さつさくらのすけ、末座に候ひけるが、みな、たいしゆつの後、すすみいてて
申けるは(中略)方々御手に属せたる国々ありしは、徳のいまたいたらざるゆへとおほしめし・・・
こんなかんじ。
993 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 11:24:13 ID:h66OkbIN
994 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 11:58:10 ID:cr0A8KCB
>>962 怒らせたり励ましたり部下を鼓舞するにもいろんな方法があるよな
城捨てて逃げてきた部下を励ましてリベンジさせたり
居残りさせて自暴自棄にさせて敵に突入させたりw
995 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 13:16:23 ID:8XeKI4va
あんなものなど幾らでも居るでござる!とやって発奮するどころか辞められたりな
996 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 13:20:53 ID:h66OkbIN
>>995 明・朝鮮軍についちゃって大変だったねー
997 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 13:24:46 ID:GH9g8CLs
>>993 そういや畳を重ねて上座(?)にするって習慣は牢屋の中しかないよなw
日本人の生活に密着してきた割には使い方に幅がないな >畳
998 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 13:29:13 ID:+ZTIVyBp
999 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 13:37:29 ID:v4PbjVfr
999
殿、殿中にござる!!
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
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