毛利衰退の原因は、元就が作っている件

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385人間七七四年
穂井田元清は身分に劣等感を感じてたよね。
だから息子の宮松丸には豊臣秀長の娘をもらい
秀吉から「秀」の字を貰い秀元と称させて
輝元の養子にさせざるおえなくして、
やっと隆景と対等に話ができるようになり、
対抗した隆景が必死に秀秋を養子に貰い受け
立場の逆転阻止を図ったと言える。
その劣等血統の呪いとやらか関ヶ原後に次第に
大坂と家康の地位が逆転し険悪化が始まるや
秀元は家康養女を正妻に迎えて権力保持するなど
立場や地位を守る手段は選んでない。
そして徳川家光の御伽衆になり輝元が死去するや
公然と毛利宗家を軽んじ反抗し始めたし。
秀元もやはり隆元や元春や隆景ら三兄弟の吉川母の血統を
恨み続けた元清の悔しさを晴らし祖父に復讐したかったんだろうね。
家康への内通の吉川広家書状に宍戸元続や熊谷元直と共に連署した
益田元祥も正妻が広家の姉妹なのに、宍戸元続同様に
さっさと広家を見限り秀元についてるしね。
秀元は長府藩を守り、さらに清末藩も生まれ子孫繁栄する一方で、
吉川の自立を完全に押さえつけ、小早川も改易し
毛利本家も5代目は虫けら秀元の長府藩からの養子だし元就への復讐は成就したよね。