毛利衰退の原因は、元就が作っている件

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384人間七七四年
元就の娘の五龍はそもそも反輝元でその孫の宍戸元続は熊谷元直・吉川広家らと共に
内通して関が原で家康に毛利主家を売っぱらった立役者になる。
宍戸(五龍家)や熊谷(元春正妻出)らも嫉妬していたのだろう。
元春の妻・新庄局と五龍の仲がむちゃくちゃ悪かったのが
三子教訓状に書かれているからこの協力関係は、よほど隆景・秀元・恵瓊が嫌いだったのだろう。
そして毛利家中の闘争が五郎太石事件をデッチあげて熊谷元直を謀殺したのだろう。

その点、五龍の血筋はあざとく関が原後に宍戸元続は輝元に怨まれているのを危険視し
さっさと広家を見限り輝元に媚びて対立し、
元続兄弟の内藤元盛(伯父の内藤隆春の婿養子)を売り飛ばし
大坂の役では広家に内緒で輝元命令により佐野道可の名に偽装させ
大坂城に入城させ、敗北するや自害させる。
その2人の息子元珍・元豊の身柄保障約定も破り自刃に追い詰め
元続は虫けらの如く兄弟を利用し棄てた。
元就以来の虫けらに武士の名誉も人権もなし政策の伝統をみることができよう。
ちなみに綾木の大方が(隆春の娘で元盛の妻)これを知るや抗議する
すると元珍の子・元宣を幽閉して家名存続の約束を反故にしている。
さすが極悪非道のキチガイ元就の血統のサラブレッドである。