戦国ちょっと悪い話8

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273人間七七四年
幻の軍師

神子田正治という人物がいる。秀吉に請われてその配下となり、あの竹中半兵衛がその才能を見込み、
自分の後継者として秀吉に推薦したと言うほどの男である。
そう、半兵衛亡き後の秀吉の「軍師」とは、黒田勘兵衛ではなく、本来この
神子田半左衛門正治であったのだ。

だが、小牧長久手の合戦の折、尾張二重堀城の守備をまかされたが、織田信雄軍の襲来に
これを放棄、秀吉を怒らせた。
さらに正治が撤退戦の折、敵の首を一つ取っていた事も、秀吉の怒りを倍増させた。
「誰がお前に、そんな匹夫の功を立てろと言ったのか!」

この時正治は、秀吉に臆することなく申し開きをした。竹中半兵衛に認められたほどの知性であり、
おそらくは理路整然とした申し開きだったのであろう。しかし秀吉はこれを認めず、口論となり、
正治は所領を没収され、高野山に追放された。しかもそれだけでは秀吉の怒りは収まらず、
天正十三年(1585)には、その高野山すら追放され、諸国を放浪する事になった。

天正十五年(1587)、正治は九州征伐のため豊後におもむいた秀吉の下に、
帰参を申し出に現れたが、秀吉は許すことなく、彼に切腹を申し付けた。

切腹の時正治は、「私がこのようになる上は、秀吉にはもう、心に引っかかる事はあるまいよ。」
と、言ったそうだ。

秀吉はこの正治の首を、京の一条戻橋に晒した。『この者天下の大臆病者なり』との札を立てて。


神子田正治は秀吉草々の頃からの配下であり、おそらくは最も優秀な家臣の一人であっただろう。
それを秀吉は、何故ここまで憎んだのか?

そんな、幻の軍師のお話。