毛利勝永

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1人間七七四年
ないから建てた。
もっと評価されるべき。
2人間七七四年:2009/01/14(水) 13:36:37 ID:ZrRdVjfL
素晴らしい遠泳能力!
3人間七七四年:2009/01/14(水) 17:31:56 ID:wu9BzlLB
無双に出して欲しい
4人間七七四年:2009/01/14(水) 20:24:27 ID:A1SJK4Zq
>>2
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--     
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |  
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l  
5人間七七四年:2009/01/14(水) 20:38:55 ID:FfFnDkZ8
親父も名将
6人間七七四年:2009/01/14(水) 22:01:47 ID:ZyLyTXFx
test
7人間七七四年:2009/01/14(水) 22:06:12 ID:BLuDp0SF
真田幸村といいコンビだったようだが、最後は配下の兵どもが我慢できずに突撃してしまった…
8人間七七四年:2009/01/14(水) 22:38:56 ID:DCwMsPWH
大坂夏の陣、家康を窮地に追い込む大活躍で歴史に名を
残した。

真田信繁の部隊と同時に攻撃の予定だったのかな。
彼の部隊は、寄せ集めの浪人衆ばかりだったはず。
余程の軍事教練、統率力があったんだろう。
9人間七七四年:2009/01/15(木) 18:01:17 ID:ICsYVM6S
この人の過小評価ぶりは戦国一
10人間七七四年:2009/01/15(木) 20:06:16 ID:uDwgQNq8
むしろ過大評価だと思うが。大阪牢人全体にいえるが。
11人間七七四年:2009/01/15(木) 20:15:42 ID:BK5Y9Cdm
土佐から大坂まで泳げるんだ
短距離なら北島だって目じゃないさ。
12人間七七四年:2009/01/15(木) 20:54:16 ID:eoPQAHJi
家来と一緒に土佐から小舟で逃走とききますた。

毛利勝永、やはり歴史に残る善戦だったと思うけどなあ。
ぶつかった家康側前線が若い連中で経験不足という点はあっても。

有名な逸話。
将軍秀忠の左翼で高台から戦場を見下ろしていた黒田長政が、ひときわ
見事な指揮ぶりを示す大坂方の武将を目に留めた。
隣の加藤嘉明に、昔領地が隣り合わせ、ご近所だった毛利勝永とおそわった。
大きくなって立派な武将になったもんじゃ、と懐かしんでいると
戦歴なしのド素人と馬鹿にしていた大野治長らの軍勢が、
秀忠の陣深くまでどっと攻め寄せ、秀忠まで太刀を持ちあわやとなった。
慌てて加藤嘉明と共に側面からガードに回ったとさ。

13人間七七四年:2009/01/16(金) 00:48:32 ID:EkFG22/S
過大評価とか過小評価とか、本当に歴史オタが好きな言葉だなあw

ま、評価とか云々以前に、毛利勝永の場合、そもそもの知名度が低い。
親父(毛利吉成)も、朝鮮出兵などでは結構重要なポストを占めていた
のに、なぜか地味。

14人間七七四年:2009/01/16(金) 05:13:23 ID:y3c77W3e
あんまり派手なエピソードがないからだろうね。
15人間七七四年:2009/01/16(金) 18:18:44 ID:rkiW7gbE
せっかく活躍できた大阪城でも、周りがインパクトありまくりの浪人ばっかという悲しさ
16人間七七四年:2009/01/17(土) 16:04:20 ID:3WovwkKA
歴史に名を残せただけ良かったのでは。

真田信繁と同等の働きだったんだけどね。
17人間七七四年:2009/01/17(土) 16:07:14 ID:zxy5hOHw
軍記物的には幸村がこの人の手柄も全部奪っているな。
18人間七七四年:2009/01/18(日) 09:52:33 ID:COX+uEYh
だれこれこ?
19人間七七四年:2009/01/18(日) 12:00:46 ID:s+2qNHN0
池波正太郎も勝永のこと好きだったよな。
恐らくこの人で一作書くつもりだったのか随分研究していたみたいだ。
真田太平記書きながらそういう気になったのかもしれんが。
20人間七七四年:2009/01/18(日) 12:29:44 ID:f/iVhnkE
功名が辻にも出てたっけ。
21人間七七四年:2009/01/19(月) 04:49:13 ID:+JDyH0sP
>>12
>戦歴なしのド素人と馬鹿にしていた大野治長
この時点で俗説もいいところだよな
治長は関ヶ原で兜首を幾つもあげてるのにw
22人間七七四年:2009/01/19(月) 06:28:02 ID:lx8EneW6
関連スレ

【吉成】非元就系の毛利家を語るスレ【高政】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1232268226/
23人間七七四年:2009/01/19(月) 23:17:51 ID:Tqp6H8E1
21>

すまん。
大野治長、朝鮮にも行ってたし
東軍福島隊に参加してたし、関ヶ原で奮戦してたんだね。
無知でした。

その後に秀頼の側近で家康と交戦とは、数奇な運命だったんだね。

渡辺糺と不仲で、軍議中に抜刀して切りあいになりそうになり、
後藤基次が「惜しい、両方死ねばよかった」といったという伝説や、
淀君との不評ばかり残って気の毒な武将だね。
24人間七七四年:2009/01/21(水) 19:27:21 ID:52fYvXVp
部隊長やるのと、大戦の舵とるのでは別だからな。
25人間七七四年:2009/01/21(水) 21:56:28 ID:k/KG1PWR
毛利勝永最後の戦いは、3000名位の兵だったのだろうか?

それで数万の家康軍を押しまくったのだったら、たいしたもの。
でも当初の家康本陣に到着したら、真田信繁に追いまくられて
すたこら逃げた後、もぬけのからだったんでしょう。
26人間七七四年:2009/01/21(水) 22:49:21 ID:gjol2pD3
父は秀吉の初期の頃から使えた家来で
譜代中の譜代みたいな家来なんだけどね
初期の譜代って、あんまり優遇されていないんだわね
堀尾、尾藤、神子田、仙石、中村
このあたりが初期だっけね?他にもそこそこ有名なのいたと思うが
27人間七七四年:2009/01/22(木) 00:08:50 ID:a7GDv1P4
勝信はそれなりに大切にされたんじゃないか?
6万石の大名だけど秀吉にはずっと感謝してたらしいし
28人間七七四年:2009/01/22(木) 01:13:22 ID:9ZkNmjlN
>>27
朝鮮出兵時には四番隊の大将(島津義弘らを率いる)だし、
結構重用されていたようだしね。

29人間七七四年:2009/01/22(木) 03:44:20 ID:HTdKLwt1
>>28
弟の秀長と身内の浅野長政は別格として他の有名どころで蜂須賀正勝、前野長康、生駒親正
あたりかな。秀吉の与力から直参になったのは随分あとかも知れないけど
あと仕えた時期は不明だけど古そうな人達
・北政所の兄か弟の木下家定
・北政所の叔父の杉原家次
・秀吉姉の夫の三好吉房
・秀吉の義理の叔父(大政所の妹の夫)の小出秀政
・秀吉の従兄弟らしい青木一矩
・黄母衣衆で「羽柴四天王」の戸田勝隆、宮田光次(四天王あと二人は尾藤・神子田)
・黄母衣衆出身の小野木重次、一柳直末、加藤光泰
・平野長泰の親父の平野長治

勝信も秀吉黄母衣衆出身です
3029:2009/01/22(木) 03:46:06 ID:HTdKLwt1
アンカーミスしました
>>28 → >>26 です
31人間七七四年:2009/01/24(土) 21:20:22 ID:OikSX8U4
age
32人間七七四年:2009/01/27(火) 03:59:57 ID:GZAJ8ERB
>>26
初期木下/羽柴家臣団で、元信長直臣の寄騎ではない、最初から秀吉の家臣だった人間で
秀吉没時に6桁の石高を貰ってたのは親族を除けば堀尾吉晴と中村一氏だけだな
(堀尾は信長家臣だったが寄騎ではなく織田家を致仕した上で秀吉家臣として仕官した)
加藤光泰は本人の生前は甲斐一国を与えられてたけど本人没後には跡継ぎは冷遇された
33人間七七四年:2009/01/31(土) 19:15:05 ID:JTQ9vHS9
初期からの直臣はそんなモンだったのでしょう。
しかし他は頼りにならなかったねぇ。
致し方ないが。
34人間七七四年:2009/04/23(木) 03:50:47 ID:wOQ+YFbc
age
35人間七七四年:2009/04/23(木) 08:29:46 ID:snfKMod5
勝永の凄さには疑いの余地がないけど、無双に参戦はありえないでしょ。
ストーリーモードどうすんのさ・・・
台詞ありモブのほうがいい
36人間七七四年:2009/04/25(土) 12:48:56 ID:ScE2RW9+
↑アップ↑
37人間七七四年:2009/04/25(土) 17:31:44 ID:nN57t546
勝永無双モード

関ケ原→大坂冬の陣→夏の陣

〜完〜
38人間七七四年:2009/04/26(日) 02:42:08 ID:U2mRZZdI
>>37
初陣の九州陣も
39人間七七四年:2009/04/26(日) 06:47:55 ID:g/xu41Uz
慶長の役は?
40人間七七四年:2009/04/26(日) 09:30:53 ID:Mo85aKpm
>>39
それは無理だと思いますよ(^o^;
41人間七七四年:2009/04/26(日) 10:32:39 ID:g/xu41Uz
>>40
なんで?父に代わって毛利勢を率いて侵攻していますが?
42人間七七四年:2009/04/26(日) 10:38:45 ID:dJopMtLW
>>41
某国がギャーギャー騒ぐから
43人間七七四年:2009/05/20(水) 12:43:23 ID:yDJzU0ee
池波の小説に出てた嫁が後世描かせた勝永の肖像画ってどこの寺にあるか知ってる?
見てみたいんだが滋賀の寺としか書いてなくて調べようがないんだよ。
44人間七七四年:2009/07/04(土) 11:40:45 ID:3SYx1sVN
大阪の陣に行かず大人しくしてたら恩赦になったと思う?
45人間七七四年:2009/07/06(月) 06:24:55 ID:f64YCn8L
なったと思うよ。それがいい事かどうかはともかく。
46人間七七四年:2009/07/06(月) 21:20:21 ID:ZCsiZ4vq
毛利勝永の家紋の鶴の丸の画像持ってたらうp頼む
47人間七七四年:2009/07/06(月) 21:33:13 ID:f64YCn8L
48人間七七四年:2009/07/06(月) 22:07:43 ID:ZCsiZ4vq
>>48
おお、これだ
ググっても見つからんから半分諦めてた

d
4948:2009/07/06(月) 22:08:45 ID:ZCsiZ4vq
すまん、アンカーミス
>>48>>47
50人間七七四年:2009/07/08(水) 05:35:31 ID:XmK4lGux
日航の鶴のマークの元なんだよなあ
ttp://www.rakuten.co.jp/scoops/img10412697592.jpeg

このマークも今はなくなってしまったが。
51人間七七四年:2009/07/09(木) 20:36:05 ID:NIosmMNX
惜しいかな後世
真田をいいて
毛利をいわず

翁草

この文、司馬だっけ?
52人間七七四年:2009/07/09(木) 20:37:43 ID:sxKtz2pB
>>51
司馬がそんなものを書くかよw

神沢杜口
53人間七七四年:2009/07/11(土) 18:26:52 ID:kwvxE6Hv
朝鮮出兵の時の不手際で毛利吉成が後に秀吉に改易されたって
書いてあったの見掛けたんだけど、そんな事あったの?
54人間七七四年:2009/07/11(土) 21:10:59 ID:5H3tEZXg
>>53
たぶん無いとは思うけど・・・

何に書いてあったの?
55人間七七四年:2009/07/11(土) 21:52:47 ID:4z2c4yDE
>>54
ネットサーフィンしてて見掛けたサイト
個人さんのサイトだと思うのでURL貼らないけど…
56人間七七四年:2009/07/13(月) 12:45:03 ID:nJaPc3aN
朝鮮征伐中の不手際が原因で改易されたなんて大友吉統くらいでは?
結局諸将の労多くて益なしだったことにさすがに秀吉も気がとがめたのか
他の時なら切腹ものの失態も割と目溢しされてる
57人間七七四年:2009/07/13(月) 15:29:47 ID:MZS4T4Ur
小西勢への援軍での不手際で改易、という感じで書いてあったから
大友吉統と勘違されたのかな・・吉しか同じじゃないけど
58人間七七四年:2009/07/22(水) 01:13:56 ID:runZHvpO
勝永って関ケ原の時ってどこにいたの?
59人間七七四年:2009/07/22(水) 13:54:26 ID:3UvH52HN
南宮山の毛利秀元の与力。
60人間七七四年:2009/07/28(火) 18:45:32 ID:g4ZJCUns
ちなみに小倉城に籠もってて攻め落とされたって書いてるサイトあるけど大嘘だから
勝永は伏見攻めで感状貰ってるから、間違いなく上方にいた
留守居は親父の方だけね
61人間七七四年:2009/08/28(金) 19:38:39 ID:cb0YPiPL
親父は城でたいしたこともせず降伏して改易ですか?
62人間七七四年:2009/10/23(金) 01:56:45 ID:uXI/5g0i
毛利じゃなくて元は森だったらしいけど、美濃の森一族とは関係有るのかな?
63人間七七四年:2009/10/23(金) 11:44:43 ID:G3/Iq0iB
戦国無双に登場しねぇかな
64人間七七四年:2009/10/26(月) 00:24:02 ID:j10DefQC
ここまで世間の評価の低い武将も珍しい。
65人間七七四年:2009/10/26(月) 09:17:14 ID:k4kpAJqF
真田さんと活躍の場がかぶったのがまずかったね。

大坂の陣とか真田関連本でたまにひどいのがあって、
豊臣方の武将紹介からなぜか勝永のみ省かれていたり、
幸村が本多や小笠原ほかを蹴散らしたりしたことになっているのがあった。



66人間七七四年:2009/10/26(月) 10:13:05 ID:56HV8WUf
勝永を持ち上げると幸村が色褪せるからね・・・・
否そんなことはないな、二人の連係プレーだしどちらがどうという話ではない
幸村も勝永も同じように語られてもいいはずだ。

俺は判官贔屓と秀頼の介錯を勤めた勝永の義に心酔している。
豊臣の最後を華麗に戦った幸村と看取った勝永どちらが掛けても
戦国最後の戦い「大阪の陣」は成り立たない。
67人間七七四年:2009/10/26(月) 11:53:04 ID:79upCue1
毛利をスルーして真田を持ち上げたのは、伊達家の関係者だろ?
幸村って名前も、伊達家当主の通字の一つから取ったようだし。
68人間七七四年:2009/10/26(月) 13:23:26 ID:jBME6xjF
道明寺の時も突撃しようとした真田を諭したのは勝永って話もあるし
大阪方でいえば
後藤=毛利>>>真田って感じなんだが
69人間七七四年:2009/11/05(木) 12:59:23 ID:pQHqt1+3
こやつの父に25万石くらいあればな
70人間七七四年:2009/11/08(日) 10:41:58 ID:YQaOk6bN
この親子が伊達当主だったら天下統一してた
71人間七七四年:2009/11/10(火) 11:20:24 ID:KDSy5vF7
そういう事しようと思わないのがこの親子
72人間七七四年:2009/12/12(土) 19:49:57 ID:WJYWiZ1E
アンサイクロペディアに書かれてることってどこまでが本当?
73人間七七四年:2009/12/12(土) 20:13:53 ID:UG8hPdU5
殆ど嘘じゃ?
74人間七七四年:2009/12/13(日) 07:15:59 ID:OdYVjYFo
アンサイクロペディアで本当のこと書いてるの
ルーデルとシモ・ヘイヘくらいなもんじゃね?
脚色気味ではあるが次点で鬼武蔵か
75人間七七四年:2009/12/13(日) 18:49:07 ID:8p8p7hno
荒山徹の徳川家康では
ダメ人間揃いの大坂武将の中で
唯一のまともな性格だという
喜ぶべきか悲しむべきか微妙なキャラ立ちだった。
76人間七七四年:2009/12/26(土) 04:12:20 ID:UHBasBD5
>>3
初代戦国無双ではモブ武将ながら、なかなかいいポジションだったぞ
77人間七七四年:2009/12/26(土) 16:06:56 ID:xuV5o0xU
戦国無双ってプレイヤーキャラよりチョイ役のほうがかっこいいよね。
勝永の活躍はあれでよかった。
78人間七七四年:2010/01/06(水) 22:34:17 ID:jlh3Y8IM
>>74
本庄繁長なんか
かなり的をついてるんじゃね?
79人間七七四年:2010/01/12(火) 19:00:34 ID:oL4ZKTbN
戦闘の経緯をみると家康本陣へ突っ込んだのは寧ろ毛利勝永の方で、幸村隊
の方は家康本陣から言えば真逆の位置を攻めてるよね。
しかも勝永隊の方は敵将討ち取ったり括弧撃破して前進に次ぐ前進だが、
幸村隊の方は結局松平の越前隊に壊滅したのが真相だろう。
幸村が家康本陣に言ったとか大阪の地理知ってる奴が聞いたらちょっと不可
能だと思う(直線距離でも10kmは十分ある数倍の越前隊を壊滅出来ずして
到達は無理)
80人間七七四年:2010/01/12(火) 23:01:04 ID:xtGTB8dc
優秀な戦闘指揮官なんだけど真田の次男坊に功績吸い取られて気の毒だわ
81人間七七四年:2010/01/12(火) 23:17:54 ID:5KEjNhAI
逆転で一挙に過大評価気味の風潮が怖いが、まぁ何にせよ大事にしていきたいよね。
キャラ飽和、マンネリズムとの戦いである戦国史の最後の伸び代と言っていい。
82人間七七四年:2010/01/13(水) 12:08:02 ID:X2pI5urT
>>79
勝永が正面突破、幸村が迂回((横入りし)たって感じかな、勝永が家康の先鋒と本隊を
正面から攻撃して撃破した隙に、幸村隊は横から家康の本陣に突撃できた。

とにかく大坂方の突撃は凄かった、岡山口でも大野隊が秀忠の本陣に迫ったし
瞬発的な突撃エネルギーは凄かったが、そんなものは長続きせずに最後は負けてしまった。

最初の作戦通り明石隊が十分に後方長迂回する時間を稼げていれば
ひょっとすれば幸村と全登で挟み撃ちなんって有ったかも無かったかも。
83人間七七四年:2010/01/13(水) 12:12:02 ID:WsT7SYmg
何で真田がヒーローに祭り上げられることになったんだろ?
84人間七七四年:2010/01/13(水) 12:37:37 ID:X2pI5urT
江戸中期の講談や戦記物の影響もあるが一番大きいのは立川文庫じゃないのw
立川文庫に勝永戦記があればね、現在の戦国バサラのゲームのようなもんで
立川文庫が大衆文化に与えた影響は大きい。

85人間七七四年:2010/01/13(水) 13:06:59 ID:64mCZX0X
あと江戸期に真田家は譜代有力家として老中を出すなど、非常にメジャーな家だったことも
関係があるだろうな。
86人間七七四年:2010/01/13(水) 23:42:27 ID:UjJF/S4d
苗字が長州の人と同じっていうのも影を薄くさせているな。

加藤さんでも、嘉明の方が影が薄いのと同様に。
87人間七七四年:2010/01/14(木) 01:30:47 ID:LFRfDMpC
普通、毛利って言ったら、あの毛利だもんな。
浅野長政ですら浅井長政と紛らわしくて庶民には区別付き難いのに
同じ毛利では言わずもがな、庶民向けの講談や歴史物には不向きなヒーロー。
88人間七七四年:2010/01/18(月) 16:40:55 ID:yyqF7S02
>>86
あやまれ
秀吉の織田家出頭人〜天下人に至る過程での活躍では清正も嘉明もまったく及ばない
のにもっと影薄い光泰さんにあやまれ
まあ子孫が幕末まで大洲藩として残ったという点では勝ち組だろうが
会津から追い出された嘉明系より禄高多かったし

>>87
もっと影薄い毛利秀頼・秀秋親子や毛利重政・高政兄弟はどうなるw
南信の毛利親子なんて下の名前まで有名どころと被ってるw
89人間七七四年:2010/01/19(火) 14:11:47 ID:42NxPXce
NHKの歴史ヒストリアやってる間に取り上げられないと
もう一生テレビでは取り上げられないだろうな・・・・

先週バームクヘン夫婦の話しやってたぞwとにかくマイナーな歴史の秘話に
焦点を当てる番組にすら無視されない事を祈る(´・ω・`)
90人間七七四年:2010/01/19(火) 15:02:22 ID:DbBCovQk
ヒストリアで取り上げられるには女性好みの逸話が無いと。
91人間七七四年:2010/01/21(木) 19:30:06 ID:gHEoD7k+
>>90
腐女子好みのエピソードならあるんだけどなw
史実かどうか知らんが
92人間七七四年:2010/01/21(木) 23:19:50 ID:werGvsEo
ヒストリアって史実に拘ってない気がする・・
雰囲気が胡散臭いっていうか
93人間七七四年:2010/01/21(木) 23:59:22 ID:BhfO1GhX
そりゃぁ、何しろ「真田幸村は本当は信繁です」なんて一言も言わないから。
94人間七七四年:2010/01/22(金) 00:47:45 ID:vYSf4wec
改名せずに森勝永のままだったら有名になったかもね
95人間七七四年:2010/01/22(金) 10:11:50 ID:f3oeO5y+

森勝永ってイマイチな字面だな・・・毛利勝永って名前は悪くないんだけどね
やっぱ後世、真田ばっかり語りすぎなんだよ。

鎧を全部真っ黒いで統一してたら、インパクトあったかな
シュワルツ・ランツェンレイターのように、そして兜は王虎にするw

赤の真田、黒の毛利で結構絵になると思うが、伊達の黒が邪魔か。
96人間七七四年:2010/01/22(金) 14:56:53 ID:Jl3vuB/Y
>>91
お預け先の山内氏との逸話だっけ?
97人間七七四年:2010/01/22(金) 16:37:51 ID:tvfju6Ym
やっぱり大阪の陣の主役は
勝永と寺小屋の先生だよな。
98人間七七四年:2010/01/22(金) 21:01:58 ID:UG/e+3zZ
森を名乗るなら吉政じゃないか?
99人間七七四年:2010/01/22(金) 23:56:16 ID:OV0SG0Bw
ぐーぐる先生の関連ワードにかつては、「衆道」最近では「山内忠義」がでる件
100人間七七四年:2010/01/23(土) 11:56:27 ID:2/3KoBcJ
これほど指揮官として優秀な人が何で武将としてマイナーな位置に居るんだろう
101人間七七四年:2010/01/23(土) 12:43:05 ID:CSP7yGKX
やっぱり地味に大阪城へ戻って切腹したのがマイナス。
信繁・又兵衛・重成・夜討ちの親分・兼たん
大阪合戦で名を挙げたのは派手に討ち死しなかった連中ばかり。
寺小屋の先生も逃走中に捕縛されて
地味に斬首だからマイナー扱い。
102人間七七四年:2010/01/23(土) 12:49:39 ID:CSP7yGKX
×大阪合戦で名を挙げたのは派手に討ち死しなかった連中ばかり。
○大阪合戦で名を挙げたのは派手に討ち死した連中ばかり。
103人間七七四年:2010/01/23(土) 15:21:57 ID:2/3KoBcJ
死ぬまでの活躍はド派手なのに…orz
104人間七七四年:2010/01/23(土) 18:58:28 ID:r5O49ZEC
大野治長も討ち死にしたらきちんと武辺者扱いされたのかね
巷説での貶められぶりは今川義元に匹敵するからなぁ
105人間七七四年:2010/01/23(土) 19:38:12 ID:mw6SQ3qK
本来なら主君と共に果てる方が名誉なんだが、歴史は勝者の創作物。
ゆえに自らの武名を上げるために討ち取った首の主をとてつもない大物だったとして伝える。
「あいつメッチャ強くてすごかったぜ!戦国最強かも!?それでも俺が勝ったけどなwww」みたいな。
自刃じゃ勝ち組の武功話にならないから結果的に損だわ。
106人間七七四年:2010/01/23(土) 20:13:47 ID:kQLKC5Mr
でも派手に討死せず、戻る辺りが良さなんだよな
秀頼に一番近そうな木村だって演出死してるし
不遇でもないのに大阪入りして、本当に豊臣家の為に戦っちゃった感じが
107人間七七四年:2010/01/24(日) 00:33:27 ID:L6v0N+f1
討ち死になんて早い話ほとんどが雑兵にもみくちゃにされて首を取られるんだろ?
源平の時代なら大将同士の一騎打ちの結果ってこともあるだろうがさ
討ち取った雑兵に名前があるのは、その大将首取って出世したからだし
108人間七七四年:2010/01/24(日) 17:11:31 ID:78/D51ov
あの混戦で大阪城まで壊乱することなく後退できたことがもはや奇跡的なんだが
どんだけ凄いんだよ勝永は
信長の野望で優遇されれば評価も変わるんだろうけど
109人間七七四年:2010/01/24(日) 18:13:07 ID:rUa3gZ5S
コーエーは地図問題があるからなぁ
110人間七七四年:2010/01/24(日) 22:00:59 ID:Uim3xE9L
勝永はかなり優遇されているが・・・
これ以上の優遇となると統率90オーバーになるぞ
まさか講談の人物である幸村と比較してんじゃないだろうな?
111人間七七四年:2010/01/24(日) 23:11:42 ID:LS8mP15P
勝永が大坂城に引き返してなかったら、秀頼の最後がどうなったかわからないからね
秀頼の最後をちゃんと看取った勝永は本当に豊臣家のためだけに戦った気がする。

後は大なり小なり私欲が大きな部分があっただろ、勝永が無欲だったとは言わないが
私心これなく候だと思うよ。
112人間七七四年:2010/01/25(月) 04:57:37 ID:e7M76kt5
>>110
幸村でなくとも講談の評価で能力が決められてる件
113人間七七四年:2010/01/25(月) 15:48:57 ID:S7qA63f5
>>112
でも木村重成とかの評価はやけに辛いよな。大野治長は言わずもがなだし。
114人間七七四年:2010/01/25(月) 19:08:28 ID:n42Ed4XI
幸村上げる時にバランス取るためだろ
真田幸村というのは真田信繁ではなくハイパー大坂方なのです
115人間七七四年:2010/01/25(月) 20:43:31 ID:lDUNObQ3
大野治長は細川忠興から手弱いといわれたのが響いてるのか。
木村重成って大坂の陣が初陣でしょ、評価のしようがないが
正直なところじゃないの、初陣としては天晴れな働きだけど。
116人間七七四年:2010/01/25(月) 20:44:43 ID:RCloZ9ND
まあ結城秀康とか何故か高いのに比べれば理不尽だよなw
117人間七七四年:2010/02/06(土) 20:20:48 ID:/dRZYpmg
この人本当に知名度が無いよね…
大阪城五人衆の中でも一番知名度が低いだけではなく、
岩見重太郎の英雄譚のある薄田隼人、
講談で有名な塙団右衛門、
逸話の多いイケメンの木村重成と比べても全然知られていない。
まあ、そのおかげで大阪の陣後も生き延びて、
今日までお墓も子孫も残っているのかもしれないけれど。
118人間七七四年:2010/02/07(日) 00:33:11 ID:rDSzkLlW
えっ
119人間七七四年:2010/02/07(日) 17:59:33 ID:IHY5H0gL
実際の戦いの流れとはなんか違うが・・・戦国1大坂の陣

幸村
「(前略)かような時に味方を信用出来ぬとは・・・」
「・・・味方?西門の勝永殿なら、或いは!」

「開門せよ!勝永殿!門をお開け下され!」
勝永
「秀頼様にご出馬願おうというのか、幸村殿!
・・・承知した!我等も討って出よう!」
−大坂城西門、開門−
−毛利勝永隊、出撃−

スレ違いですまんけど、ついでに戦国2大坂の陣

大谷吉治「関ヶ原で散った父吉継の無念、晴らさせてもらう!」
塙団右衛門「俺様こそは塙団右衛門、悪事災難の場に推参!」
加藤嘉明「わしの目の黒いうちは豊臣家を好きにはさせんぞ!」
福島正則「豊臣家の為、手前をぶっつぶす!」
※死亡時「叔父貴、すまねえ。豊臣家を護るって誓ったのに・・・
三成、すまねえ。お前よりも上手く秀頼様を守れると思ったのに・・・」
120人間七七四年:2010/04/09(金) 00:03:48 ID:s4zSS7It
元ネタわかんない
121人間七七四年:2010/04/18(日) 16:25:45 ID:13RUKYKU
「毛利」っていう、中国地方の方と混同しそうな苗字が、この人の知名度が上がらない理由の一つと思った
>>66の幸村と勝永のどちらが欠けても、大坂の陣は成り立たないって意見には同意だけど
でも勝永って扱いに気を付けないと、一転して幸村みたいな過大評価になりそうな空気を孕んでる希ガス

>>67
亀レスもいいところだけど、幸村って名前を伊達家当主から取ったって話は誤解だよ
伊達綱村のことだろうけど、その人が「綱村」と名乗る前から「幸村」という名前は
既に軍記物で使われていたから
122人間七七四年:2010/04/18(日) 17:10:52 ID:lNJKSbV7
>>121
まぁ光栄のゲームなんかで
幸村 武力97
勝永 武力77
みたいなのが原因だろうね
大阪夏の陣はちょっと調べれば勝永>>>幸村なのは明白なんだが
やっぱ討ち死にとの違いかねぇ
あの状況下で大阪城まで退却できたことだけでも神采配だと思うんだけどね
123人間七七四年:2010/04/19(月) 07:22:22 ID:HmU0LreT
「幸村みたいな過大評価になりそうな空気を孕んでる」と書き込まれた直後に過大評価されててワラタw
124人間七七四年:2010/04/28(水) 19:54:29 ID:cZZsAhYY
大阪方最後の万歳突撃なのに、なに末将の首取っただけで満足して軍帰してるの?
状況分かってるの?馬鹿なの?
幸村みたいに死ぬ気で突っ込めよ。ってのが評価されなかった理由じゃないかね
125人間七七四年:2010/04/29(木) 14:48:59 ID:gSkpPMlm
>>124
素人受けはしないわな
あそこで全滅しておけばもうちょっと講談とかでも扱われたんだろうけどさ
でもあの状況下で大阪城まで整然と退却したってのがマジで凄いんだけどな
インパール作戦の殿させられた宮崎中将並だろ
126人間七七四年:2010/05/01(土) 00:50:08 ID:4+LQ9swT
勝永のwiki修正された?
前は勝永が突破した徳川隊の名前のってたと思うんだけど
127人間七七四年:2010/05/02(日) 00:48:43 ID:I+eZEK/k
勝永のwikiってどこのwikiだよ。
128人間七七四年:2010/05/03(月) 23:06:22 ID:WydnOP+3
これ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/毛利勝永

今は本多忠朝しかない
前はずらっと名前が並んでたと思う
129人間七七四年:2010/05/10(月) 00:34:51 ID:mkSCFE1v
>>124
真田や木村は死ぬ気で突っ込むというより、派手に死ぬ事こそが目的だし
突っ込もうが戻ろうが死ぬのには変わりないであろう状況で、
名が残るよう討死するより、秀頼の元に戻った事が地味に凄い
吉成の生い立ちとかいまいち不明だけど、豊臣と共に歩んで秀頼の最期まで付き合ってるのが
自分勝手人間ばっかの大阪で秀頼にもまだ家臣いたよ〜って感じがしてしょうがないw
130人間七七四年:2010/05/11(火) 00:06:07 ID:zvZRbmQm
他は兎も角、木村は派手に死ぬ事が豊臣に対する忠義だろ
131人間七七四年:2010/05/11(火) 12:31:15 ID:HW/jreOz
自分勝手とか、もう滅茶苦茶だなw
説得力ゼロ
132人間七七四年:2010/05/11(火) 14:49:14 ID:IKCJZoH8
>>125
だよな
殿でこれほど戦果残したのは軍事史上でもマレじゃないか?
133人間七七四年:2010/05/16(日) 10:20:20 ID:mLR+aikd
吉政って伏見城で大損害出しているし実は無能?
134人間七七四年:2010/05/16(日) 15:38:31 ID:mLR+aikd
一応あげとく。
135人間七七四年:2010/05/17(月) 20:50:17 ID:UnfonjWx
>>128
4月14日以前まで巻き戻すと確かに凄い名前が並んでた。

>翌日の天王寺口の戦いでは、兵四千を率いて徳川家康本陣の正面、天王寺南門に布陣。
>戦闘が始まるや本多忠朝や小笠原秀政らを瞬く間に討ち取り、続いて浅野長重・秋田実季
>・榊原康勝・仙石忠政・諏訪忠恒・酒井家次・本多忠純といった部隊を次々に撃破し、
>遂には徳川家康の本陣に突入するという大活躍を見せる。しかし、真田隊が壊滅して
>戦線が崩壊すると、四方から関東勢の攻撃を受けたため撤退を決意。
>退却においても勝永の指揮ぶりは水際立っており、反撃に転じた藤堂高虎隊を撃ち破ると、
>井伊直孝や細川忠興らの攻撃を防いで城内への撤収を完了する。
136人間七七四年:2010/05/18(火) 00:05:04 ID:6tOfhMs3
>>117
「毛利」と名乗れなくて「森」と名乗っている人は
いるにはいる。
不遇なのか、独身だけど。
137:2010/05/18(火) 03:10:22 ID:xuOOqaKA
2万人くらいの兵を与えてみたかったね
たった3000人の兵でよく戦ったわ
138人間七七四年:2010/05/22(土) 07:34:57 ID:e8kEXFqS
ウィキペディアでも関ヶ原での失態が暴露されてワロタ
139人間七七四年:2010/05/22(土) 23:29:21 ID:NGCN4a1d
失態てほどでもないじゃん
140人間七七四年:2010/05/23(日) 10:06:23 ID:pzNz5EwM
犠牲を払いつつも血路を開いた、とか、
そんなあたりじゃないかね。

単に失敗しただけなら加増も感状もないだろうし。
141人間七七四年:2010/05/23(日) 15:00:26 ID:9q5Ogyu5
>>112
真田は講談以外にも日本一の兵の称号が効いてると思う
142人間七七四年:2010/06/26(土) 15:32:37 ID:IlNyAp89
この人、毛利って書いて「もり」って読むんだってね。
秀吉ややこしいことさせるなw
143人間七七四年:2010/07/07(水) 12:13:08 ID:CUSTibbr
>>142
毛利にあやかって、森から毛利にしたからね。
144名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 14:13:45 ID:MOqehGw6
美濃の森さん家と関係あるとも言われるが確証はない
145人間七七四年:2010/09/08(水) 11:29:23 ID:vm0ucO1Q
> 912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 16:45:51 ID:yRsfninW
> 秀忠で思い出したけど名将の采配がひどかったwwwww
>
> 914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/09/07(火) 18:29:52 ID:I1xQYO/B
> >>912
> 昨日の名将の采配は泣きたくなったな
> 大阪方の良かった点はすべて幸村のおかげ
> 幸村が討ち死にしたのは、毛利勝永が幸村の立案した作戦を無視して突っ込んでいった所為
>
> 家康の本陣に突っ込んだのも幸村のみで、勝永は幸村が討ち死にしたのを見て大阪城に帰っていった
146人間七七四年:2010/09/12(日) 18:51:50 ID:ixdwBIHr
つうかなぜか徳川軍が家康の旗本1万5千だけだったな。
あれだったら正面攻撃かけても家康討ち取れてただろw
147人間七七四年:2010/11/20(土) 01:22:31 ID:Re4gl6z0
保守
148人間七七四年:2010/11/20(土) 11:31:26 ID:4WcP6P1i
長篠武田軍と同数じゃん。質が段違いだけど。
149人間七七四年:2010/11/26(金) 05:25:48 ID:fXHjgnN8
>>146
その旗本の数字って、越前勢と間違えたんじゃ・・・
150人間七七四年:2011/02/22(火) 14:15:27.32 ID:rDuF6alX
ちょっと墓参りに行ってくる
151人間七七四年:2011/02/22(火) 17:57:39.05 ID:LDZlojEW
日の本一の兵がやっぱり効いてるな
真田って大阪の陣でも武勲は他の大名にも知られてたのかな
152人間七七四年:2011/02/22(火) 19:05:21.98 ID:RM1XsV/Q
「サナダ…ヒノモトイチノ…ツワモノ……」は実際はその場にいなかった島津忠恒が書いたんじゃなかったっけ
153人間七七四年:2011/06/29(水) 19:11:01.23 ID:1803VuEd
知名度無いけど
真田親子
立花親子と全く遜色ない実力の親子だ
154人間七七四年:2011/07/16(土) 20:45:40.97 ID:1mhhLTId
伏見城攻めで大被害を受けたので勝永軍は毛利軍に併合され
しかも領地である小倉など全土を自力防衛不可能と決めつけられ毛利軍に占拠された可哀想な人
155人間七七四年:2011/07/30(土) 20:39:15.48 ID:E9uTEqmK
Wikipediaの毛利勝信・勝永のページの毛利の読みがもうり、になってるけど
もりって読むんじゃないの?
156人間七七四年:2011/07/30(土) 21:02:51.97 ID:m0OKqRZo
明石全登は行方不明
157人間七七四年:2011/07/31(日) 02:00:49.27 ID:dmgT38Xt
実際大坂城入場の時には毛利勝永の名前は知られてたろおうけど武勲ってことではどうだったんだろう
158忍法帖:2011/07/31(日) 08:30:14.73 ID:fBl7jjWz
誰なんだ?
159人間七七四年:2011/09/14(水) 22:49:44.69 ID:nEuGHKgm
真田の番組age
160:2011/09/15(木) 00:11:49.70 ID:hRKibYtC
どんな采配したんだろうね、
徳川軍を次々と撃破って凄いと思うんだけど、
毛利勝永以外に聞いたこと無い、こういう戦いぶりしたの
161人間七七四年:2011/09/15(木) 14:37:52.93 ID:KsUIBK3Q
70万石程度の豊臣家を滅ぼしても恩賞はあまり期待できないから、
諸大名はやる気なかったんじゃね。
162人間七七四年:2011/09/15(木) 15:05:46.95 ID:I1huO9dk
やる気無かったつっても先陣の本田忠朝と小笠原秀政は討ち死にしてる。
一番手が大将の本田忠朝隊の壊滅で総崩れになり、二番手も忠朝を救援にいった小笠原隊が
木村隊に横からつかれて崩壊。二番手の残りはしばらく持ちこたえるも敗残兵が押し寄せて来て混乱/崩壊。
それらが三番手に押し寄せて…以下同文。ということらしい。
163:2011/09/16(金) 00:35:23.06 ID:+waCb/cl
家康ぶっ殺して欲しかったな、惜しかったな
家康の寿命も後1年で尽きたのにな
豊臣滅ぼしてから1年で死ぬんだから
ほんと歴史って皮肉だなと思うわ
家康いなかったら分からんぞ、秀忠に従うとは思えん大名がチラホラと
164人間七七四年:2011/09/16(金) 06:53:07.41 ID:SRPOAQly
>>163
家康も自分でももうそろそろと思ってたからあの時期に仕掛けたんだよ。
165人間七七四年:2011/09/16(金) 14:27:17.09 ID:BpxRvjx5
>>151
親父の信州での武勲と
兄貴の上州での武勲は知られてたけど本人は無名
166人間七七四年:2011/09/16(金) 15:12:10.79 ID:1eG0wAbk
>>164
普通に見て大坂の陣の勃発の原因は豊臣側からの挑発なんだが
167人間七七四年:2011/09/16(金) 15:17:29.60 ID:SRPOAQly
>>166
それが誰の作戦か知らんが、だとしたらそいつは頭がおかしいな。
家康の死ぬのを待つのが上策というものだ。
168人間七七四年:2011/09/17(土) 00:55:59.82 ID:FVLzqiEb
「国家安康君臣豊楽」は当時の習慣としては相当無礼という説もあるわな。
169人間七七四年:2011/09/17(土) 03:19:53.66 ID:WVrFUQzI
家康を真っ二つが非礼なら、豊臣を逆さも十分非礼だと思うんだがな
諱使うのは兎も角。まあ前提として意図してやったとして、だが
170人間七七四年:2011/09/17(土) 13:38:18.86 ID:3S+V1X7N
意図してやった=挑発
意図しなかった=大間抜け
だからな
どっちにしろツッコミ受けざるをえない
171人間七七四年:2011/09/17(土) 23:52:38.81 ID:cbviaY7C
意図してやってないなら豊臣逆さの件は誰が誰に怒ればいいんだろう
172人間七七四年:2011/09/19(月) 23:19:35.98 ID:vEVdP29r
そんな不注意な文書を起案した奴と、それを見て何も言わなかった奴
173人間七七四年:2011/09/20(火) 11:03:41.84 ID:G1MRewln
>>172
さらには、「呪いだ」「無礼だ」と言いながら、現物は処分せずに残しとく奴
174人間七七四年:2011/09/20(火) 11:26:13.50 ID:cZ6UPRIg
>>173
呪いなどと幕府は一度も問題にしたことはない。最初から最後まで家康の諱の無断使用が問題。
そしてその明白な『証拠』を処分してどうする。馬鹿かお前は。
175人間七七四年:2011/10/22(土) 19:50:10.19 ID:NV+4kikZ
で、勝っちゃんの話に戻るけど
今でも高知に子孫いるのかな
176人間七七四年:2011/10/26(水) 20:36:21.08 ID:noSrB4F5
まただ
今日の今夜はヒストリーで家康の陣に突っ込んだのは真田幸村のみ
毛利の「も」の字も出てこなかった

勝永も信繁も泣いてるよ
177人間七七四年:2011/10/26(水) 23:36:07.57 ID:Dcytfw0Q
幸村も信繁も同一人物だろうが

大坂方で登場したのが明石、大野だけなのは気の毒だが
まあ地上波じゃそんなもんだろ
178人間七七四年:2011/11/15(火) 03:11:46.15 ID:9KP3C8yU
>>177
真田丸築いて戦ったのは白毛に歯抜けの初老の武将である自分なのに
幸村なんて若造が戦ったみたいに言われるんだから信繁も被害者だろw
179人間七七四年:2011/11/23(水) 00:57:28.31 ID:fsd5hvzg
>>175
ミクロネシア連邦で大統領してる
180人間七七四年:2012/05/28(月) 23:36:41.29 ID:La7jhvBb
>>179
マジかよwww
181人間七七四年:2012/05/28(月) 23:39:30.71 ID:Lf29xYmc
山田長政を越えたな(俺の中で色々と)
182人間七七四年:2012/05/29(火) 01:05:29.11 ID:xWqWljDz
森勝永?
なんか違うな
森勝長?

なんか結局ダメだな
文字の問題じゃないみたい
183人間七七四年:2012/05/30(水) 11:05:32.22 ID:R80PX7XZ
この人について知りたいのですが、何かオススメの本とかございませんか。他の牢人の皆様のオマケ的扱いではないやつで…
184人間七七四年:2012/05/30(水) 12:48:36.53 ID:rNSFqsRA
池波正太郎の短編集「黒幕」に収録されている「紅炎」がいいんじゃないかな。
っていうか、このスレにいる人が一番共通して読んでいるのが紅炎かと思っていた。
それとも皆、藩翰譜とか読んでるのか…?
そもそも毛利勝永を最初に知ったきっかけって、どんなのだったろう?
絶対「まんが日本の歴史」とかじゃないよな。1コマぐらい出てきたかもしれないけど。
185人間七七四年:2012/05/30(水) 21:10:49.94 ID:u1bb9za5
>>184
PHPのなるほど戦国人物辞典だったかな、ぶ厚い奴
あれだったかなと思う
あとはwikiで見たり(記事が短いんだコレがw)
戦国無双で信繁やら他の武将に興味を持って戦国関係のサイトで天王寺決戦を見て
アレ?信繁より活躍してる人がいるぞ?wってなって好きになりました
大坂の陣で九割方ハブられるよね名前ないとかザラ、あとは信繁の引き立て役か先鋒扱い
186人間七七四年:2012/06/01(金) 16:15:15.36 ID:rdz+Z0s8
メジャーどこで見切れてある程度出番あるのは
司馬の「城塞」池波の「真田太平記」山岡の「徳川家康」こんなとこかな。
187人間七七四年:2012/06/11(月) 07:41:54.60 ID:fvxs281x
道明寺の戦いでは濃霧のため、真田信繁、毛利勝永らの後詰が間に合わず、後藤
基次ら名のある武将が討死した。遅れて合流した真田信繁は勝永に向かって「濃
霧のために味方を救えず、みすみす又兵衛(後藤基次)らを死なせてしまったこ
とを、自分は恥ずかしく思う。遂に豊臣家の御運も尽きたかもしれない」と嘆
き、この場での討死を覚悟した。これを聞いた勝永は「ここで死んでも益はな
い。願わくば右府(豊臣秀頼)様の馬前で華々しく死のうではないか」と慰めたという。『大坂陣聞書』
188人間七七四年:2012/06/13(水) 21:26:30.13 ID:vQpNanRp
中国の毛利と勘違いされる名前でなければ、もっとメジャーになっただろうに

真田太平記や葵徳川三代には登場
189人間七七四年:2012/06/15(金) 01:07:01.22 ID:jymN5euo
真田太平記では意外と扱い良かったよね。
毛利隊が徳川勢を崩したこともちゃんと書かれてるし。
190人間七七四年:2012/07/05(木) 10:08:49.16 ID:wH4CqKkr
>>189
毛利と真田のコンビで上手く描いていた
191人間七七四年:2012/08/16(木) 07:39:12.35 ID:hyeEFFvN
いくさ人として油が乗る頃には、既に秀吉が天下を平らげちゃってるからなぁ
あと10年早く生まれて、武巧や逸話を積み重ねる事が出来ていれば……
192人間七七四年:2012/08/28(火) 22:51:36.54 ID:hP45Dm6e
「でも実際は親父の方が凄くね?」という点でも幸村と一緒だなw
193人間七七四年:2012/09/25(火) 22:15:09.70 ID:zWJaKfZG
親父の勝信は朝鮮の役で西側の部隊の総司令官に推挙されたんだっけか。

ノブヤボで親父作るときは70代後半の能力値つけてるわ。
194人間七七四年:2012/10/05(金) 19:57:35.56 ID:7MAfK6py
そんな話はない
195人間七七四年:2013/05/27(月) 19:21:41.77 ID:Wp96L87g
創作でいいから誰か小説書いてくれないかな
196人間七七四年:2013/05/28(火) 21:08:29.09 ID:l8CozUi+
>>195
大坂将星伝 上・中・下巻が今年出てますけどね
197人間七七四年:2013/05/28(火) 23:36:59.91 ID:xo4UAzuS
>>196
ほんとだ、知らなかった。センキュ!

買ってくる。
198人間七七四年:2013/06/19(水) 22:22:47.79 ID:XOMY5iQ+
五人衆で直前に1千石もあったのは、毛利勝永だけだろ?
よく、1千石捨てて入城したなぁ。
199人間七七四年:2013/06/27(木) 22:10:43.94 ID:CBOsFFFQ
現代人の感覚じゃ解らないだろう
200人間七七四年:2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:rZKO18Tx
幸村並みに有名だったら山内ヲタに叩かれてるだけ
201人間七七四年:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN ID:gNEaiurI
>>195
「獅子は死せず」とかな。
知らないうちに、小説が出ていてウレシイ。
真田も好きだけどね。
202人間七七四年:2013/09/20(金) 22:19:21.03 ID:9elV99HP
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%AF%9B%E5%88%A9%E5%8B%9D%E6%B0%B8
ここに涌いてる幸村厨がキモすぎるwww
よっぽど幸村が本当はたいしたことないってことを認めたくないんだなw
203人間七七四年:2013/09/20(金) 22:41:13.04 ID:sakwLiPn
そっちだけでやってくれ
204人間七七四年:2013/09/23(月) 07:01:44.24 ID:boh32KSo
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
http://mirai660.net/castle/
205人間七七四年:2013/09/23(月) 10:14:02.82 ID:Z9UT8NnZ
一応俺の知ってるのは毛利勝永の元々の名前は森吉政
森可成などの美濃の森一族とは直接的な関係はない
せいぜい同じ森さんぐらいだと思う
秀吉の古参の武将
毛利に苗字を変える
(たしか毛利輝元からもらったとか)
関ヶ原では毛利秀元の与力
そして大阪の陣
(この時に真田信繁と一緒に名前を変えるこの時初めて
毛利勝永と)

誰か間違いがあったら指摘して
206人間七七四年:2013/09/24(火) 00:11:56.14 ID:TANoIgfd
>>202
ざっと見たがそんなやつは見当たらんが?
というかそんな誘導みたいな真似されてもどうしようもない
207人間七七四年:2013/09/24(火) 00:34:51.05 ID:40ZyDMY3
>>206
幸村厨乙
巣から出てくんなよ
208人間七七四年:2013/09/26(木) 03:46:32.71 ID:jbfw1YNm
速水から秀頼の介錯役を奪ったくせに功績を真田に奪われたとか可哀想アピールすんな
209人間七七四年:2013/09/28(土) 06:57:06.89 ID:6kBa+Dbk
こいつと盛親は関ヶ原でやるべきことやってないんだから大坂で何したって称えられなくて当然
英雄なら弁当蹴散らして狸潰しとけっての
210人間七七四年:2013/09/28(土) 17:06:54.21 ID:II7P1ehJ
それは吉川広家に良いようにされた秀元の責任だろう。
211人間七七四年:2013/10/01(火) 15:42:10.17 ID:t1dS/1me
バカ「幸村SUGEEEE!」
俺ら「勝永SUGEEEE!」
212人間七七四年:2013/10/01(火) 20:43:22.62 ID:K+Mb2StO
いや、別に
213人間七七四年:2013/10/05(土) 17:12:14.29 ID:XZXew6gf
覚えたての自称歴史通()のテンプレみたいなやつだな
214人間七七四年:2013/10/14(月) 17:24:41.06 ID:T0dCl9Dr
>>209
勝永は伏見で頑張りすぎて本戦では隊として機能してなかったんだろ?
215名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/15(金) 20:08:07.05 ID:AlOKrqUw
毛利勝永って名前で損してる気がする
毛利で連想するのってやっぱ元就じゃん
毛利氏と関係があるわけでもないしな
その点真田幸村はずるいよ
一族がすげぇからその流れで必要以上に関心を持たれる
大体ほんとは信繁じゃねぇかよ
216人間七七四年:2013/11/15(金) 20:11:22.80 ID:R+0YE3W0
塩木、また違法駐車で捕まったってよ。

違法駐車犯 塩 木 容疑者  飲酒運転ほう助犯 塩 木 容疑者

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217人間七七四年:2014/05/08(木) 18:15:44.91 ID:0sLJBuk2
幸村程度ですごいとか言ってる幸村厨はもう少し歴史を勉強すべき
218人間七七四年:2014/05/12(月) 19:05:13.04 ID:5mSTzMPu
三谷大河ではきっと日の目が当たる!
カシオミニ賭けてもいい。
219人間七七四年:2014/05/12(月) 22:08:44.33 ID:6Wxeaj5g
これはさすがにスルーされないだろう
220人間七七四年:2014/05/14(水) 18:37:07.82 ID:NEoAZpk/
すごいね。Wikipedia見る限り、この人は戦国無双してるじゃないかw
221人間七七四年:2014/05/14(水) 22:13:13.50 ID:KeQKV1sw
あれ嘘だからごめんね。修正しても戻されちゃうんだ。
222人間七七四年:2014/05/16(金) 01:55:26.39 ID:kCez6SoW
幸村は幸村で勿論凄いと思うけど、幸村オタク気持ち悪いよな。
大坂の陣じゃ勝永の分含めて後世の評価独り占めして、しかも幸村持ち上げに家康を落としてるくせに、勝永は幸村より活躍したって事実を表現した程度で、勝永持ち上げるのに幸村貶すのは最低とか言い出すんだよな
223人間七七四年:2014/05/18(日) 22:54:55.78 ID:kX0GB4CH
>>222
あいつらマジでキモイよな
功績横取りしといてなに被害者面してんだって思うわ
224人間七七四年:2014/05/18(日) 23:25:57.95 ID:AD5N25Fc
気持ち悪い
225人間七七四年:2014/05/21(水) 14:22:56.44 ID:qCt26uDK
信繁程度の活躍でも持ち上げてもらえるんだからいい時代だよな
226人間七七四年:2014/05/30(金) 22:17:36.72 ID:32FwClph
勝永age
227人間七七四年:2014/06/22(日) 02:08:53.78 ID:gkfc3NCU
歴史に理解のある人間だったら絶対に幸村持ち上げたりはしないもんな
もっとこのスレの住人みたいに良識ある人間が増えてくれればいいのだが…
228人間七七四年:2014/06/23(月) 14:34:54.90 ID:vkbbM9oT
勝永の弱点は無欲だと思ってる
だから欲(昇進とか)がほとんど関係ない大坂の陣では本領発揮できたのではと
戦国のこと全く知らない自分が言ってみる
229人間七七四年:2014/06/23(月) 17:47:52.28 ID:STAz0GKq
>>223
速水守久の介錯の役割を取ったという功績もあるしな
230人間七七四年:2014/06/26(木) 02:13:38.75 ID:CPJMqZsL
大体信繁なんて兄貴に迷惑かけるだけのサイコパスだろっていう
231キモイ声:2014/06/30(月) 22:33:13.38 ID:erI7KBic
まねアルツハイマー掲示板
232人間七七四年:2014/07/14(月) 17:46:53.77 ID:azNIxHKG
信繁はこの人に土下座すべきだよな
233人間七七四年:2014/07/24(木) 16:49:16.63 ID:QapnuSNV
毛利勝永の活躍が凄すぎてぶっちゃけ信繁はいらない子でしたしね
信繁は他の面々に比べ圧倒的に実績ないから当然なんだけど

信繁(幸村)を持ち上げすぎる人はほんと講談スレに行けよと思う
234人間七七四年:2014/08/05(火) 17:44:15.16 ID:fspC4f56
最強のホモ候補の一人。

他には春日源介、前田利家などがいる
235人間七七四年:2014/08/05(火) 18:52:03.15 ID:1iqQr6gs
ニワカですが、この人を知ったのは戦国鍋TVのドラマ。ドラマ中では格好よかった。
236人間七七四年:2014/08/18(月) 18:30:32.84 ID:46HnsDxX
>>233
史実無視の狂信者がいるだけだからな信繁
まあそうやって思考停止してるほうが楽なんだろうね
ある意味うらやましい
237人間七七四年:2014/09/22(月) 22:45:03.98 ID:GFi3N+g4
信繁とか所詮は腐女子に人気あるだけだからな
238人間七七四年:2014/10/29(水) 13:35:26.43 ID:i5M68Pb+
ほー、なるほど
239人間七七四年:2014/11/15(土) 02:23:18.60 ID:u07L2BpJ
ゴミが赤の他人にシンパシーを持つんじゃ無えよサル
240人間七七四年:2014/11/15(土) 16:11:28.31 ID:hrCLWPgp
真田幸村が有名になり過ぎたために、勝永の功績は幸村のものとして伝えられてしまった
「戦功を盗まれた男」、それが勝永
241人間七七四年:2014/11/15(土) 16:12:59.81 ID:hrCLWPgp
池波正太郎の「紅炎」(新潮文庫『黒幕』に収録)を読むべし。
242人間七七四年:2014/12/01(月) 02:24:03.70 ID:yxsU/yAt
結局、信繁みたいなバカを英雄視する見方って誰が始めたんだ?
迷惑極まりない
243人間七七四年:2015/02/04(水) 23:32:20.50 ID:v0kMeECC
>>241
黒幕は家宝としてとってある
244人間七七四年:2015/02/07(土) 09:56:15.89 ID:yU50Wsm1
>>242
後藤や明石のスレでも唐突に勝永ガーする信者は迷惑じゃないの?
お前が真田を貶しまくって思い通りの評価になったとこで軍記で大半が関ヶ原か大坂が初陣の武将と戦っただけで山内を裏切ったバカが英雄視される日は永久にやってこないのは分かってる?
245人間七七四年
毛利勝永の妻は、龍造寺隆信の孫娘