戦国ちょっと悪い話5

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228253046/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228227497/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2009/01/05(月) 10:27:49 ID:A9A1ketC
>>1大儀であった 好きなおにぎりをとっていくがよいぞ

  ∧ ∧   
 ( ´・ω・)                                      ○
 ( ∪ ∪  ,.-、   ,.-、   ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   .,.⊥、
 と__)__) (,,■)  (,,■)  (,,■)  (,,■)    (,,■)      (,,■)   (,,■)
       梅干  高菜 おかか こんぶ ごはんですよ わさび漬け オプーナ
          ,.-、   ,.-、     ,.-、      ,.-、   ,.-、   ,.-、    ,.-、
          (,,■)  (,,■)    (,,■)     (,,■)  (,,■)  (,,■)   (,,■)
          鶏飯 明太子 ちりめんじゃこ ゆかり  柴漬  塩辛 牛肉しぐれ
      ,.-、   ,.-、     ,.-、    ,.-、    ,.-、   ,.-、    ,.-、   ,.-、
     (,,■)  (,,■)    (,,■)   (,,■)   (,,■)  (,,■)   (,,■)  (,,■)
      鮭 鶏ごぼう  野沢菜  天むす ツナマヨ エビマヨ 鮭マヨ 具なし
3人間七七四年:2009/01/05(月) 10:37:56 ID:hTrcv3aI
>>2
  ○
  ,⊥、
 (,,■)
ではオプーナを頂きます。
4人間七七四年:2009/01/05(月) 10:41:24 ID:pEwLsi2B
>>1かたじけない

>2鮭!鮭!(
5人間七七四年:2009/01/05(月) 11:49:37 ID:RQbriG86
「ゆかり」で萌えた罪袋は俺だけで良い。
6人間七七四年:2009/01/05(月) 11:59:09 ID:7gMoQ3Hz
>>1
>>4鮭様乙
7人間七七四年:2009/01/05(月) 17:51:52 ID:Y6y++8aM
>>3
おいおいオプーナ貰える権利あるのかよ
8人間七七四年:2009/01/05(月) 18:05:13 ID:UzpHfO8P
>>5
そのゆかり、賞味期限過ぎてるよ
9人間七七四年:2009/01/05(月) 18:39:40 ID:2yk0bT16
「殉死」と言うものがありますね。
実はあれ、戦国時代には無かった風習だと言う事は、ご存知でしょうか?
毛利元就にも、武田信玄にも、上杉謙信にも織田信長にも豊臣秀吉にもそして徳川家康にも、
殉死者なんて一人もいやしません。

殉死が記録に現れるのは、慶長十二年(1607)、松平忠吉が病死した最、家臣三人が
殉じた、と、あるのが最初です。
徳川家康の体制が固まり、戦の無い社会が現実性を帯び始めた。そんな中で
本来戦闘技術者である武士が、戦闘の機会を奪われていく中、自らの主人への忠誠心と言う
ロマンチックな感情を表現する方向性として生まれたのが殉死。
今はそのように言われたりしています。まあ、流行だったんですね。

例えばこのスレでよく「井伊直政は家臣に慕われていなかった。何故なら
殉死者が独りもいないからだ。」などといわれることがありますが、コレはなくて当然なのです。

井伊家は、殉死など考えもしなかった、戦国の気風を濃厚に残した家であり、また、事あれば幕府軍の
先鋒を勤める家として意識として常在戦場の戦闘組織である事を強く求められた家でもありました。
そのような目的意識の濃厚な家風である以上、個人の都合で殉死なんて物をして、家中を
混乱させる事は害悪以外の何者でもなかったのです。

この殉死、寛文三年(1663)五月の改正武家諸法度において、「不義無益」の事として、
明確に禁止されました。

さて、この60年ほどの「殉死黄金時代」において、最もトピックを飾った殉死があります。
そう、誰あろう僕らの独眼流、伊達政宗公のものです。

寛永十三年、伊達政宗死去。
政宗が一人で逝くのは寂しいと言っていたのか、家臣のほうが政宗を一人で逝かすのは
危ないと思ったのか、もしくは伊達者らしく、ただ単に流行に乗っかっただけなのか、
政宗が死んだと解るや一気に十五人が殉死!しかも流石は政宗家臣、それだけじゃ終わらない。
今度は殉死した者の家臣5人も一緒に殉死!親亀小亀孫亀かおまえらは。
そんなこんなで計20人!コレには万天下が度肝を抜かれました。

その政宗の記録に挑戦したのが、DQN四天王として政宗と競い続けた細川忠興、の、息子
細川忠利。寛永十八年、忠利が亡くなると、伊達家に負けるな!の合言葉の元に一斉に
殉死開始!その数…計19人!残念、一人足りなかった!

こうして政宗への殉死の記録は、日本の殉死史上において、燦然たる記録を残したのでした。


そんな殉死ブームの只中、徳川家光が死んでも殉死しなかったとして批判された
知恵伊豆こと松平信綱が、こんな事を言っています。

「重臣の癖に個人の名誉のために勝手に殉死して、残された家の運営はどうするのよ?
武士の忠義ってのは主君個人じゃなく、家そのものに向けられるべきだっつーの。」

ボクもそう思います。
10人間七七四年:2009/01/05(月) 19:23:39 ID:4zReXJjY
そういや、安部一族も殉死がどうのこうので始まったよね。
11人間七七四年:2009/01/05(月) 20:13:04 ID:UsggtzJv
>>10
それこそ細川忠利の家臣って設定じゃなかったけ?
12人間七七四年:2009/01/05(月) 20:33:12 ID:pEwLsi2B
>>9
つ 葉隠

戦で功名を挙げられない、戦場で死ねない泰平の世がつらく苦しい武士もいたのよね。

柳生兵庫助の兄だったか叔父か、島原の乱が起きたら欣喜雀躍して遺書をしたため原城乗っ取りに参戦して即日討ち死に

「剣人として戦って戦って戦い抜いて、その上で斬り死にできる……こんなに嬉しいことはない!おさらばにごさいます」とかいう無茶苦茶な遺書が柳生ノ庄に着いた頃は、とっくに討ち死にした後だったとか。
13人間七七四年:2009/01/05(月) 20:34:02 ID:/GsAxnJC
鍋島勝茂なら、殉死24人。
その殉死者に殉死したのがさらに2人だよ。

ちなみに藩祖である親父・直茂には12人
鍋島家家来である鍋島茂賢には、その家来16人ばかりだけでなく、与力2名も殉死している
14人間七七四年:2009/01/05(月) 21:58:13 ID:ZDd/swP6
当時は武功がなく主君の引き立てで出世したような家臣は殉死すべき…って
風潮だったんだっけ
本物の戦国武士には奇異な風習だったのかな
15人間七七四年:2009/01/05(月) 22:04:20 ID:cmz3xQsh
最上義光、血塗られた家督相続!

最上義光は勇敢だったが、荒々しい性格で残虐非道だった。
そのため父・義守は彼を嫌い、従順な弟・義時を偏愛する。
義光の家督相続後、父の援助を受けた義時は挙兵。最上領内を巻き込む内乱へ
発展する。義光は義守・義時を退けるが、のちに弟が彼を呪い殺そうと祈祷した。
「義時め、なんということを!」義光は激怒。
兄は弟を攻め滅ぼし切腹させ、祈祷を行った僧侶も虐殺した。
さらに彼は「一番信用できぬのは血族!」と義時に味方した親戚を
殺しまくった。ともかくあまりに殺しまくったため、史料すら残らなかったという。
出羽に血塗られた戦国大名、誕生である。




…という記述に郷土史家中心につっこんだ。
「殺しまくったら史料逆に残るんじゃ…」
「義時ってホントにいだんだべか?」
というわけで調べたところ、義時が初めて系図や記述に出てくるのは江戸後期から。
血族殺しに至っては、大正期以降の歴史書にしか書かれていなかった。
確かに家督相続で揉めていたが、実際は義守VS義光だったようだ。
(中野というのは義守が内乱時に使った姓)
こうしておよそ百年ぶりに、義光に関する記述が書き改められることになったのである。

以上ちょっと杜撰で悪い伝承でした。
ちなみにこうした記述がある「山形市史」をいい加減見直せ、と一部で声があがって
いますが、現在特に訂正の予定はない模様。
山形市の、ちょっと悪い対応…。
16人間七七四年:2009/01/05(月) 22:07:20 ID:cmz3xQsh
義光に関する杜撰でちょっと悪い伝承 その二

血塗られた婚礼

出羽国に八ツ沼という城があった。そこの隣にある鳥谷ヶ森城に、弥生姫という美しい
娘がいた。時に八ツ沼城主の子・半兵衛がこの姫を見初め結婚することになった。
ところが、周辺城主が縁組みの妨害を企て、両家が組んで山形攻めを企んでいると
最上義光に密告した。義光は婚礼当日、八ツ沼を攻める。
はたして若い二人は、戦火のなかで命を散らしたという。


だが待って欲しい、城攻めにも気付かず婚礼とかありえねえ。
それにこんなおいしい話があれば、軍記に当然載るだろう。
が、『最上記』にも『奥羽永慶軍記』にも記載がない。
八ツ沼攻めである記述は、義光が「今日も鉄棒振り回してメシがうまい!」
と単身突撃して、家臣に怒られたということくらい。
義光悪人伝説に添える悲恋物語として、大正時代くらいから現地でこさえた
伝承と思われる。

ちなみに白鳥長久で有名な「血染めの桜」も大正時代からしか記述がない。
(暗殺自体はあったけど)
よくわからんが、大正時代に義光ネガティブキャンペーンでもあったんだろうか。
17人間七七四年:2009/01/05(月) 22:14:03 ID:2yk0bT16
> 血族殺しに至っては、大正期以降の歴史書にしか書かれていなかった。

謙信の「敵に塩を送る」は、江戸中期から初めて逸話として
世に出てくる物だって話を思い出した。
アレは瀬戸内の塩に押された越後の製塩業者がデッチ上げたお話らしいが。

大正期といえば今に至る創作歴史逸話を生み出した、立川文庫の全盛期ですな。
もしかしたらその辺に何かあるんじゃないかな?
18人間七七四年:2009/01/05(月) 22:22:10 ID:EDroSKhf
>>16
>義光が「今日も鉄棒振り回してメシがうまい!」
>と単身突撃して、家臣に怒られたということくらい。
ワロタw鮭様はホント単身突撃するのが好きなんだなw
氏家さんの気苦労も相当なもんだったろうな…
19人間七七四年:2009/01/05(月) 23:40:03 ID:nW+9n5sH
>>9
輝宗の死の際に遠藤基信が墓の前で追い腹切ってるらしいけど、これは殉死に含めないの?
もろに戦国時代だよね?
20人間七七四年:2009/01/05(月) 23:49:20 ID:KrD2LBd0
>>9
全く無かったわけではないみたい。
天正13年(1585)に政宗の父、伊達輝宗が死んだ時は
遠藤元信や須田伯耆をはじめ殉死者数名が出ているよ。
他にも元亀2年(1571)に島津貴久が病死したときも殉死している。

菅野覚明の「武士道の逆襲」みたいな極端な本では従来の史観否定に走っているけど、
ああいうのは既存の価値観をひっくり返して話題作りをする事自体が目的なんだよな・・・
21人間七七四年:2009/01/06(火) 00:04:31 ID:8s+BFVsN
輝宗たんは理想のパパ
22人間七七四年:2009/01/06(火) 00:09:41 ID:C2gcuMwV
義姫「そして理想の夫。そんな夫を息子に射殺されましたが、なにか?」
23人間七七四年:2009/01/06(火) 00:11:12 ID:P6BX2VPM
神保「一発だけなら誤射かもしれない」
24人間七七四年:2009/01/06(火) 00:28:51 ID:Pa/nmuLs
>>18
同時代、北条氏康も似たタイプかもね。普段は温厚で領民に慕われる領主さま。
戦の時も一見、慎重居士なんだが…調略など周到に勝つための準備を整えていて、
戦機が満ちると自ら陣頭に立って、火が点いたように猛戦する。

…ついでに、後で老臣(爺や)に叱られるw
25人間七七四年:2009/01/06(火) 01:04:21 ID:RDoRIAzc
幻庵を危なかっしい氏康のせいでオチオチと死ねなかっただろうな。
26人間七七四年:2009/01/06(火) 01:28:16 ID:yIIHPGGU
>>23
神保さん…あんた…

(´;ω;`)ウッ
27人間七七四年:2009/01/06(火) 04:40:43 ID:oFrvVF+p
>>26
歴史に残る部隊総壊滅だからなぁw
28人間七七四年:2009/01/06(火) 08:03:25 ID:PNqmvTGh
しかし現代日本の先進国中自殺率トップの現状は、やっぱ元々自殺が大好きな民族なのかもしれない。
西洋的な生存至上主義な風潮は日本人には合わないんだろう。
生きてくのが気に入らなきゃさっさと腹切って死にゃあいいんだよ。
したり顔して「生きろ」なんて軽く言う奴には反吐が出るね。
29人間七七四年:2009/01/06(火) 08:26:28 ID:WzcYCQtz
>>28
いきなり何を言い出すんだw
30人間七七四年:2009/01/06(火) 10:12:31 ID:fLdpMs0h
>>28
誤爆か?
31人間七七四年:2009/01/06(火) 11:33:27 ID:yIIHPGGU
>>28
島津忠昌さんのことかーーッ!
32人間七七四年:2009/01/06(火) 12:51:10 ID:0gmxFg2O
>殉死
武家諸法度に殉死禁止が明記されたのは綱吉の時代だそうな
但し、幕府側は家光晩年には既に殉死を自粛するように求めてた
真田信之(92)に殉じた家老鈴木忠重(84)は幕府に書簡で信之との生前の約束がある事を充分に説明した上で幕府直々の許可を頂いてから殉死した
幕府の裁断をキチンと仰いだために信之の葬儀には間に合わず49日間際だったらしい
で、御老体の殉死はこれまたキチンと幕府に報告され、幕府からは御老体だから特例であると念を押されたそうだ
真田祭りにはこの鈴木家の子孫の方も来られる

決してお祭りで殉死してる訳ではない、…と思う
まあ、こんな人もいましたよって事で
33人間七七四年:2009/01/06(火) 14:28:25 ID:tjw+JhlE
>>9
俺、薩摩島津氏しか知らんのだけど、つーか地元の郷土史しか知らんのだが
第11代当主の島津忠昌が1508年に自刃憤死した後に歴代島津氏で最初の殉死した
奈良原某って小姓上がりがいるんだが…これはカウントされないのかな

ついでに日新斎(1568没)にも三男の尚久(1562没)にも殉死者の墓が側にある
ちなみに自害させられた歳久たんは殉死者27名出してるほどの人気者…

佐土原藩祖となった島津以久・忠興父子の墓にも殉死者4〜8人ぐらいおるぞ
織田信忠ゆかりの寺に仲良く墓が並んでる
34人間七七四年:2009/01/06(火) 16:22:30 ID:eJwug9YJ
元和二年(1616)、徳川家康が没すと、京の朝廷において、ちょっとした騒ぎが起こった。
公家達が一斉に、

「関東に下向するので休暇をください!」

と、言い出したのである。そのあまりの多さに朝廷では、「初めて下向する者はともかく、
たびたび関東に下向したいる者はくじ引きにしろ!」との仰せを出す始末。

時の帝、後水尾天皇も不審に思い、大納言広橋兼勝に、公家達が下向を望む理由を
提出させた。

その折の、山科言緒の理由書

『もちろん御代替の祝儀もありますが、幕府のほうからも装束について色々相談したい事があるって
言ってきていますし、何より新しい知行地も下さるって事なんすよ!そりゃあ行かなきゃ!
私が江戸に立っても息子の言総がいるので大丈夫です。今病気だけど。
ま、回復したらちゃんと出仕するでしょ。

そんなわけで江戸下向の許可、ヨロシク!』

この言緒の下向、なんと許可された。
35人間七七四年:2009/01/06(火) 16:50:57 ID:EcWrSsiy
>今病気だけど。
久々に唾飛ばして噴いたw
36人間七七四年:2009/01/06(火) 17:39:49 ID:Usu+2yij
某ラスボス立志伝でアイドル的な人気を博している人の現代であった悪い話


2009年1月6日

古河市地域振興公社は五日、同市鴻巣の古河総合公園内の県指定文化財「古河公方足利義氏墓所」にある石塔と灯籠(とうろう)が壊されたと
古河署に届け出た。同署が器物損壊事件として捜査している。

調べでは、墓所内に設置されている石塔や灯籠のうち、石塔一基(高さ約七十五センチ)の円筒状の塔部分(同約四十センチ)が台の上から崩れ落ちていたほか、近くの灯籠一基(同約百六十五センチ)も倒壊していた。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20090106/CK2009010602000117.html
37人間七七四年:2009/01/06(火) 17:56:31 ID:LcEpeeqW
>>36
立志伝では村雨強奪されるし、現代ではこんなんだし、散々すぎるw
38人間七七四年:2009/01/06(火) 18:31:49 ID:JGAnn8a/
>>32
裁断を待ってる間に死にかねない年齢だよな。
真田家には秘密の長寿法でも伝わってるのか?
39人間七七四年:2009/01/06(火) 18:39:31 ID:mxet0GAv
>>36
義氏タンの墓を荒らすなんて…許せん!

いや結構マジメに
40人間七七四年:2009/01/06(火) 18:42:20 ID:Usu+2yij
真田幸隆 61才
矢沢頼綱 79才
真田昌幸 65才
真田信尹 86才
真田信之 93才
真田信政 62才
真田幸道 71才
真田信弘 67才(養子)
真田幸弘 76才
真田幸貫 62才(養子)

どうやら長寿の秘術がありそうですねw
長生きはしたけど血筋は途絶えちゃったんだよね…
41人間七七四年:2009/01/06(火) 19:27:22 ID:AbVBiGBe
真田って最終的には伊達に飲み込まれたんだよね
42人間七七四年:2009/01/06(火) 19:29:27 ID:v+ozBoZ9
>>32
>真田信之(92)
嫁と父親と弟の事で苦労しなければもう少し長生きできただろうにな・・・
43人間七七四年:2009/01/06(火) 19:41:34 ID:RDoRIAzc
>>42
どんだけ長生きさせるきかよw
44人間七七四年:2009/01/06(火) 20:02:28 ID:MQfIA86X
領地替えの時少しだけ鬱憤晴らしたな。あれで+10くらいか
45人間七七四年:2009/01/06(火) 20:28:34 ID:mxet0GAv
仙石忠政の寿命を吸い取りました。
46人間七七四年:2009/01/06(火) 21:05:15 ID:q6KVPDjd
仙石の悪い話ってあるかいな?
47人間七七四年:2009/01/06(火) 21:17:51 ID:0965E5oN
仙石権兵衛は誰もが知ってる最悪な話があるじゃないかw
48人間七七四年:2009/01/06(火) 22:27:43 ID:wZ54j194
>>46
俺戸次川で息子殺されたみたいなもんだけど
49人間七七四年:2009/01/06(火) 22:50:18 ID:Usu+2yij
元親乙
50人間七七四年:2009/01/06(火) 23:01:42 ID:Pa/nmuLs
>>46-47
キング・オブ・チキンハート乙
51人間七七四年:2009/01/06(火) 23:19:00 ID:xXc6q7eT
福島正則は自分の息子を跡取りにする為、養子を餓死させました。
晩年は福島家大没落。

どっかでみた流れですなぁ
52人間七七四年:2009/01/06(火) 23:24:21 ID:Pa/nmuLs
>>51
親代わりの太閤様があれほど鮮やかにラスボス反面教師を演じてくれたのに…('A`)

しかも福島正之だっけ、養子の嫁が家康さんトコから来てるのな。
それを干したら幕府がどう思うか、あと二秒でいいから考えようよ市松
53人間七七四年:2009/01/06(火) 23:52:07 ID:qoy32k+r
>>46
仙石騒動。元はと言えば単なる藩内の内輪揉めだったのに、そこに何故か幕府内での権力闘争が絡んできて大変な事に。結局政争のおもちゃになった出石藩の政治組織は滅茶苦茶になり挙げ句減封までされた。
54人間七七四年:2009/01/07(水) 00:00:52 ID:FwIbAZai
藤堂高虎も実子が出来てからは養子の高吉との仲は最悪だったが
表立っては何もしてないし名張藤堂氏も幕末まで続いた。

高虎「世渡りってのはこうするのさ」
高吉「義父さんの葬式はすっぽかしましたが僕らは仲良しです(棒)」
55人間七七四年:2009/01/07(水) 00:03:00 ID:Unr+BnSd
福島家改易も本多正純の不手際が一因なんだよなあ……。
56人間七七四年:2009/01/07(水) 00:23:41 ID:7cxILCkm
市松さんといえば

正則による城郭改修問題と言えば、改易の理由となった元和5年(1619)のものばかり有名ですが、
実は正則の場合、問題になったのはコレで2度目。

その前の慶長十四年(1609)、領内に支城を造りまくっていたら、家康公に睨まれたんですね。
「何キミ?戦する気?」

正則、大慌てでこれらを破却、さらに謹慎してようやく許してもらいました。

城に関することは非常にデリケートで危険な問題だと、この時身にしみてわかったはずなのですが、
油断だったのか、それとも歳だったのか。
57人間七七四年:2009/01/07(水) 00:56:24 ID:4AyKKUJ1
そんなのあったなあ

葵徳川で同じようなシーンあったけど、市松の泣き上戸には笑ったわw
58人間七七四年:2009/01/07(水) 01:17:51 ID:FwIbAZai
市松は何か「城」という建造物に人一倍思い入れが有る人物なんだろうか?
59人間七七四年:2009/01/07(水) 01:30:03 ID:C3Ot2rwK
福島「なあなあ、人から賢く思われるにはどうしたらいいんだ?」
浅野「さあ?加藤みたいに城でも作れたら賢そうじゃね?」(てきとう)
福島「ソレダ!!」
60人間七七四年:2009/01/07(水) 01:33:03 ID:t6t+3sa3
>>58
のど元過ぎれば熱さ忘れるタイプかな?
幕府「またもしでかしたか。幕府を愚弄しておる」
正則「前回も謹慎で済んだし、今回もなんとかなるだろ」

こんな思考の人っているよな。
61人間七七四年:2009/01/07(水) 02:46:40 ID:BDsy/XZQ
>>42
わしも隆信がいなければあと20年は長生きできた…
62人間七七四年:2009/01/07(水) 02:49:24 ID:/ZUznTN4
俺みたいな?
俺と正則と大きく違う点は、
正則は一度は身代を大きくしたにも関わらず最後の最後にしくじったのに対し、
俺は最初からダメな点だけか。
63人間七七四年:2009/01/07(水) 02:51:09 ID:FwIbAZai
>>61
家兼お爺ちゃんもう寝ましょうね。
64人間七七四年:2009/01/07(水) 03:04:25 ID:SDTr4753
宗像地方に伝わる悪い話。

山田事件

1551年、宗像氏貞は宗像正氏の正室の山田局と宗像氏男の正室菊姫を家臣の石松氏に謀殺させる。
だかこれには黒幕がいた。
それは主君大内義隆に謀叛をおこした陶晴賢である。
彼は氏貞の親戚で、山田事件の背景は宗像地方に影響を持つため自身に邪魔な正氏を消す為であった。
その後氏貞は山田局と菊姫の祟りを恐れ、地蔵尊を増福院に安置させた。

65人間七七四年:2009/01/07(水) 06:47:46 ID:szjkPva3
狂歌と言えば、戦国時代の2ch。
なかでも、馬鹿二代目、武田勝頼の歌はちょっと悲惨。


勝頼と名乗る武田の甲斐なくて 軍に負けて信濃わるさよ

と、あからさまに、馬鹿にされています。
本当に馬鹿二代目だったか、どうかは分かりませんが、
信玄が死んで、あっという間に武田が滅んでいるので、
ほとんどの人は、「ヴァカ二代目」と思ったことは、間違いない。
つうか、「俺が死んだのを三年隠せ」とか、「勝頼には継がせんな」とか、
信玄もあまり勝頼を評価していなかったように思える。
古くからの重臣VS若手で、お家騒動があったのが良くないんでしょうかね。
有名な話でスマン。
66人間七七四年:2009/01/07(水) 08:14:57 ID:r3wi8AGS
>>65
ちょっと悪い話じゃなくて一方的な中傷だな
勝頼嫌いなの?
67人間七七四年:2009/01/07(水) 08:17:37 ID:Ap70hP4r
里見領では領主役人を直接非難するのは禁じられていて狂歌で婉曲に非難するように義務付けられていた。
そこで同じような〜品の悪さよ、と詠んで何とか信濃守の不正を暴いたことがあったとか。
68人間七七四年:2009/01/07(水) 09:00:17 ID:F87jtlnZ
英雄・神格化されてる先代と比較され過小評価される跡取り
徳川秀忠も通った良くある話だな
69人間七七四年:2009/01/07(水) 09:18:31 ID:m4cyXPUt
まぁ家を滅ぼしちゃってる人はどうしても・・・ね。
たいていは近年になって再評価されて来てるけど・・・

秀忠は親父に加えて息子が妙に持ち上げられて、地味な役回りだよね。
70人間七七四年:2009/01/07(水) 11:44:47 ID:E5PYT3Hx
   . . .... .信 : :: :: ::: :::::: :::::::::::: : :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
        Λ之Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
       /:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
      / :::/;;:   ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
俺の再評価は…
真田祭りですら幸村とかいう二次創作キャラに牛耳られ…
地元以外じゃ真田の血統=信繁の血統だし…
71人間七七四年:2009/01/07(水) 12:00:02 ID:8uD1yk55
 ̄ `丶.
      \
    ,人,ノヽ    、′     、 ’、  ′     ’      ;  、
  人ノ  ,.   !        . ’      ’、   ′ ’   . ・
,ノ'   / |  (|        ’、′・  ’、.・”;  ”  ’、
  ,/,/l ! ム|      ’、′  ’、  (;;ノ;; (′‘ ・. ’、′”;
/,/ / | (_,|    ’、′・  ( (´;^`⌒)∴⌒`.・   ” ;  ’、′・
/゚ / / /|     、 ’、 ’・ 、´⌒,;y'⌒((´;;;;;ノ、"'人      ヽ
´三:"/  フ|          、(⌒ ;;;:;´'从 ;'   ;:;;) ;⌒ ;; :) )、   ヽ
 ̄ ̄  <, |          ( ´;`ヾ,;⌒)´  从⌒ ;) `⌒ )⌒:`.・ ヽ    ,[]
へ(⌒ヽ厂 |   ′‘: ;゜+° ′、:::::. ::: ´⌒(,ゞ、⌒) ;;:::)::ノ    ヽ/´
         /          `:::、 ノ  ...;:;_)  ...::ノ  ソ ...::ノ
:::.       /|                   ↑
:::::    / |                  >>70
  .//   |         失礼した
_/ /    |\
72人間七七四年:2009/01/07(水) 13:18:35 ID:7cxILCkm
>>69
日光東照宮の造営とか島原の乱とか、そう言う派手な面を指摘されやすい家光だけど、
実は家光の時代に、幕府は行財政の大改革を行ってるのね。

寛永の飢饉って言う大災害が発端だったんだけど。
老中制の確立、寛永通宝の発行による貨幣価値の安定と中華経済圏からの独立、
財政と農政の権限を一元化させた勘定奉行の設立(今年の大河には戦国時代の上杉家に
これがあったがw)、万改帳の作成による文章行政の確立、などなど。

民政に重点を置いた、幕府機構の大方針転換が家光のときの行われたの。
この時に確立された行政スタイルは、ほぼ、現代まで受け継がれていると言っていい。

実は「兵農分離」が、実態として完了したのも、この家光の時代。その意味では
戦国の終焉はこの時かな?
無論、家康、秀忠の蓄積があった上で出来た改革なんだけど、家光も
名君と称えられるだけの事はやっているんだよ。
73人間七七四年:2009/01/07(水) 13:25:01 ID:07yHLPwv
でもガチホ…
74人間七七四年:2009/01/07(水) 13:28:01 ID:SDTr4753
そういえば勝頼って領民から呪われた子と言われてなかった?
75人間七七四年:2009/01/07(水) 13:45:03 ID:edkRyv9f
偉大な祖父、切れ者の叔父達

こんな環境なテルに脳天気な印象があるのは何故だ
76人間七七四年:2009/01/07(水) 14:17:33 ID:amf9lQNE
>>75西軍大将を務めながら一戦もせずに城を明け渡したからじゃね?

あとは…競馬太刀スゴス... ※まとめスレ「ラスボスの眼力」をご覧じあれw

やら「不倫といえば家臣の嫁に×××だよねー」というDQNっぷりだとオモ
77人間七七四年:2009/01/07(水) 16:37:59 ID:FjPxCLiB
近年の再評価傾向はややもすると、
行き過ぎの傾向が否めないからなぁ
輝元が馬鹿だとは思わないが、名君とは言えないだろう
78人間七七四年:2009/01/07(水) 16:45:19 ID:7cxILCkm
>>77
まあ正直、関ヶ原後から息子の秀就の代あたりまで、毛利家ぐちゃぐちゃだからね。
良く潰れなかったと思うほどw

輝元が周りから散々馬鹿にされながらも打って置いた、越前松平家との友好が
毛利家を存続させたといえばそうなんだろうが…。

ついでに言うと幕府って、毛利家にはかなり友好的に接しているんだよね。
家康が毛利を警戒した云々って、ありゃ完全に、明治維新の結果論から出てくる作り話ですな。
79人間七七四年:2009/01/07(水) 16:46:22 ID:8uD1yk55
隆元を凡将っていう人がいるけど
どっちかと言うと凡将は輝元だよな
隆元は名君だと思う。
80人間七七四年:2009/01/07(水) 19:12:47 ID:Ci2a+bBX
>>79
長生きできないと・・なかなかね。毛利隆元も面白いエピソードは結構残ってるんだけども
信之兄ちゃんは長生きしたぶん、苦労もしたろうけど後世の我々が楽しめる逸話に事欠かないw

嗚呼蒲生氏郷、小早川秀秋、森長可、富田長繁(長秀)・・・生きていたらどれほどのことを成したでありましょうか((
81人間七七四年:2009/01/07(水) 19:31:42 ID:FwIbAZai
越前の狂犬と鬼武蔵はろくな事しないだろw
82人間七七四年:2009/01/07(水) 19:38:38 ID:8tvQrIFG
鬼武蔵in朝鮮とか考えただけで恐ろしいw
83人間七七四年:2009/01/07(水) 19:41:41 ID:8uD1yk55
朝鮮人の首が一振りで5人くらい飛びそうだなw
84人間七七四年:2009/01/07(水) 20:45:14 ID:B3vwMQQZ
>>83
全盛期の鬼武蔵伝説とかいうコピペができそうだな
一振り五殺はあたりまえとか
85人間七七四年:2009/01/07(水) 20:47:49 ID:7cxILCkm
>>84
すでにあったw

全盛期の森兄弟伝説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-617.html
86人間七七四年:2009/01/07(水) 20:54:22 ID:B3vwMQQZ
>>85
不覚www
まさかすでにあるとはwww
87人間七七四年:2009/01/07(水) 23:33:26 ID:vJLM2Dul
水戸徳川の悪政の際に必ずといっていいほど語られる生瀬騒動

この事件が発生したのは佐竹が移封されてすぐの慶長7(1602)年の頃というのが有力。
だが慶長7(1602)年ごろの水戸藩の当主は武田信吉であり、水戸徳川家ではない。
88人間七七四年:2009/01/08(木) 00:22:12 ID:zx7zh/8V
前スレに張ってあった忠興に対する家族のコメントについての、解説が来てた

細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171715093/

548 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/05(月) 15:56:34 ID:9mxzZfPm
忠興の性格について家族よりコメント
「性格が豪強」父・幽斎より
「引くことを許さない人」妻・玉子より
「人の言うことを少しの疑いもなく受け入れ、
感じたままを受け入れる人」息子・忠利より


551 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/07(水) 23:59:35 ID:IOwowkqR
>>548 『戦国悪い話4」で質問出てたんで、忠利コメントの解説。
   忠利が酒井忠勝に宛てた書状の一文。文面からすると
   「(一徹な、激しい性格は)幼児のような純粋で邪気のないもの」
   という意味らしい。
89人間七七四年:2009/01/08(木) 00:25:48 ID:orulTP/+
漫画へうげものの忠興みたいな感じは
実像にけっこう近そうだな
90人間七七四年:2009/01/08(木) 00:31:08 ID:ITU87lhM
子供っぽくてピュアすぎるから、嫁さんのこととなると独占欲が強すぎてエラいことなるのかな。
実際友人も多いしキレなければいい人なんだろうな。
宗茂みたいな常識人の鑑みたいな人とも仲いいんだし。
91人間七七四年:2009/01/08(木) 00:31:52 ID:i3dL6BAg
>>89
幽斎が怖すぎなんだがww
92人間七七四年:2009/01/08(木) 00:38:19 ID:bS4R0Ieg
>>90
彼なりの正義感みたいなものは感じる
行動が極端なんだが
93人間七七四年:2009/01/08(木) 01:30:21 ID:lFWkb6P1
>>88
質問したの、俺だ。
転載ありがとう。
94人間七七四年:2009/01/08(木) 01:41:22 ID:zx7zh/8V
>>93
向こうのスレでも言ってあげて。
95人間七七四年:2009/01/08(木) 02:44:32 ID:5OaVaqM4
政宗もある意味純粋だよな
自分のやりたい事をやりたい時にやりたいだけやるっていうか
96人間七七四年:2009/01/08(木) 03:11:59 ID:26aWmOtI
まぁ…気は合いそうだよな。細川と伊達。
97人間七七四年:2009/01/08(木) 03:37:40 ID:Gh59YOlF
政宗は輝宗パパの教育の養育方針が良かったんだな
98人間七七四年:2009/01/08(木) 05:33:52 ID:FY4ZdEUD
良かった…のか?
99人間七七四年:2009/01/08(木) 06:30:07 ID:EOhSz9Nf
>>87                                             
長男、6男と同じく5男もDQNだった可能性があったのか……(;´Д`)
100人間七七四年:2009/01/08(木) 08:17:00 ID:PF0Wy8yA
>>80
しかし隆元は40代でなくなっていて当時としてはそこまで早死にではない罠。
元就の年齢からしてもこの三兄弟はそんなに若くはない。
全員長宗我部元親より年上という。
101人間七七四年:2009/01/08(木) 10:00:23 ID:xIWgKY7k
それでも元就は最初、赤川元保らに暗殺されたと思ったがな。
102人間七七四年:2009/01/08(木) 11:23:12 ID:8psvmiKA
隆元が死んで輝元が継いだ後、毛利宗家の収入が一気に減少したんだっけ
元就と隆景・元春らで原因を調べた結果、隆元と輝元の手腕の差である事が分かったので、隆元と優秀さに改めて感服すると共に、輝元のダメっぷりにガックリきたとか
103人間七七四年:2009/01/08(木) 11:30:00 ID:v17jbSvb
>>99DQNというか武張ってたんだろな。

信康については(築山殿が既に旦那と険悪だった影響が大きいだろうけど)
五徳との仲がこじれた理由がよう分からんもの。

……実は冬彦さんみたいな岡崎三郎信康、だったりしないか
104人間七七四年:2009/01/08(木) 11:40:13 ID:B/X/LGh3
>>102
っていうか、死亡直後輝元10歳だからねぇ。
で、元就が死んだのが16歳。
元就が生きてる間に調査が行われたのがだとしたら
実質元就のせいじゃないの?
そりゃ、十台中ごろのボンボンと比べられちゃ隆元もかわいそうだ。
105人間七七四年:2009/01/08(木) 12:12:27 ID:mccTmwMN
元就は家臣からの信用が無かったというしな。

隆元は扇の要の様な人物だったのだろう。
紙や骨ほど目立たないが実は一番重要な存在という感じで。
106人間七七四年:2009/01/08(木) 12:14:33 ID:v17jbSvb
>>102
両川と元就グランパが毛利家の財政を洗い出してずいぶん無駄は省いたが、とうとう元に戻せなかったともいうね。
よほど倹約家だったのか、どこぞの町衆に隆元ファン(パトロン?)でもいたのかな。旧大内氏の縁やらで…
107人間七七四年:2009/01/08(木) 12:16:21 ID:km9fRUdj
亀だけど。
>>64
黒幕が居なくて、1545年生まれの宗像氏貞の意思だったら
それはそれで、悪い(どころじゃない)幼児の話だわな。
108人間七七四年:2009/01/08(木) 13:12:52 ID:WTBqBO+5
周辺国人とかもう70歳になろうかという元就爺に味方するというよりも
次代の隆元に期待してたんじゃねーのかな
少なくとも自分が陶尼子毛利を選ばないといけない豪族の立場なら
パッと出の70爺に家運を賭けたりはできないと思う
長生きの家系どころか元就父&兄と早逝してる血筋だしさ
109人間七七四年:2009/01/08(木) 15:21:59 ID:0VpM/pDn
なら関ヶ原で家康に付く奴なんていなさそうだが
110人間七七四年:2009/01/08(木) 15:28:19 ID:xIWgKY7k
家康の家系は短命では無いだろう。じーさんと親父は暗殺だし
111人間七七四年:2009/01/08(木) 16:12:14 ID:zx7zh/8V
関ヶ原当時の徳川家って、旧今川、武田、北条の家臣団の多くを吸収してて、
諸侯の中では格段に、軍政共に人材の層が分厚いのね。

家康への信頼って、家康個人の能力は勿論、そういう徳川家の組織に対する
安心感みたいな物も、確実に存在したと思うよ。
112人間七七四年:2009/01/08(木) 17:11:06 ID:xIWgKY7k
江戸幕府が300年近く存続のは組織構造がしっかりとしてた事も理由一つだったような
113人間七七四年:2009/01/08(木) 17:24:18 ID:zx7zh/8V
天正三年(1575)、九州は全体に政情が落ち着き、当面は戦の心配のない状況であった。

この機に薩摩の善良な方の島津家久(以下、家久(善))は、多年の宿願である伊勢参拝に
おもむく事にした。2月8日より準備をはじめ、2月20日、領地の串木野より、伊勢に向かって
いよいよ出発の運びとなった。

が、そこは薩摩、一筋縄ではいかない。

2月20日

正午、串木野を出発。郊外に狩りの宿舎を構え、家族と共に出発の酒宴。

薩摩山を下り開聞の渡り場まで来ると、平佐衆が酒を持ってやってきた。酒宴。

川内川を渡って新田神社の鳥居の前に上陸すると、東郷衆がたくさんの料理と酒を持ってやってきた。酒宴。

その後新田神社に参拝。神前で三献の酒をいただく。

正宮寺に立ち寄り、酒をいただく。
そのまま舟に乗り、酒の勢いで歌を歌ったりしながら川を下る。

高江の山田有信が用意した休憩所にてお茶漬けを食べ、酒を少し飲む。

その日は久見崎の港の膳介という者の家に宿泊。大量の酒と肴が出る。


移動するごとの酒宴。もはや旅の安全以前に、薩摩を出発するまでに家久(善)の胃と肝臓が大丈夫か、
と言う状況である。

酒宴に誘う薩摩隼人たちは全員、家久(善)への善意に満ちていたに違いない事を考えるにつけ、
「たまにはこんな薩摩から離れたい」、家久(善)もそう思って伊勢に向かったんじゃないかな?
そんな事も考えさせる、旅の始まりであった。
114人間七七四年:2009/01/08(木) 17:27:38 ID:NjmjtgSR
家久って島津の末っ子の家久だよな?
この人病死らしいけど、そりゃあ病死もするよなこんなの
伊勢参りの目的に無病息災を願いたいとかがあったりすると泣ける
115人間七七四年:2009/01/08(木) 17:45:08 ID:zx7zh/8V
>>113
あああ、変換ミス。七行目

×狩りの宿舎
○仮の宿舎
116人間七七四年:2009/01/08(木) 18:52:59 ID:9+uTP5DR
>>114
だとすると、つらいなあ…
豊臣に暗殺された説の方が、まだ悲しみが小さい
117人間七七四年:2009/01/08(木) 19:24:51 ID:xIWgKY7k
>>113
おまえら家久(善)に何をさせたいw
118人間七七四年:2009/01/08(木) 19:26:00 ID:xIWgKY7k
>>113
島津は酒好きが多いなw
119人間七七四年:2009/01/08(木) 19:36:11 ID:9+uTP5DR
「飲まない奴は男じゃない」って雰囲気があったのかも
120人間七七四年:2009/01/08(木) 19:46:51 ID:ujBBVZLn
悪いほうの家久って貴久の末っ子じゃなかったのか…
まとめの方で違和感を覚えながらも今まで気付かなかったw
121人間七七四年:2009/01/08(木) 20:00:01 ID:SdZ54yd5
輝元ボンボンとかいうけど輝元が生まれた時て
毛利家そんなに大きくなかったんじゃなかったけ
毛利家が飛躍する厳島の戦いは1555年で輝元が2歳の時で
その後も勢力を拡大してる最中で輝元がボンボンしている
暇なんかないと思う
122人間七七四年:2009/01/08(木) 20:20:29 ID:QFhLwznv
>>109
関が原の家康はまだ一応五十代。二十代の後継者もいる。

>>111
関係ないよ。徳川の組織が整備されていくのは秀忠家光以降の話だし。
123人間七七四年:2009/01/08(木) 20:28:56 ID:zx7zh/8V
島津家系図

  島津貴久
    │

義久―義弘―歳久―ライトサイド家久 (島津四兄弟)
 │   U
 │−−− ←養子
 │
忠恒(ダークサイド家久)
124人間七七四年:2009/01/08(木) 20:32:12 ID:smy7zuJf
>>110
短命ではないって言っても関が原当事の家康はもう結構歳だぞ
125人間七七四年:2009/01/08(木) 21:01:06 ID:v17jbSvb
>>122
まあそれでも今川武田北条…敵方の降将を比較的受け入れてくれる、律儀な内府って評判は大きかったと思うよ。

次の天下は家康に仕えた方が安泰と考えたヤシは豊臣恩顧の大名でも多かったんだし
126人間七七四年:2009/01/08(木) 21:18:59 ID:GWRIoP2T
孕石元泰「家康くんは降伏した拙者を許してくれませんでした、ひどいです><」
家康「お前だけは死ぬべき。」
127人間七七四年:2009/01/08(木) 21:38:26 ID:rcXnxjYo
>>126
他の孕石一族はそれなりの扱いをされているからな…
徳川家に召し抱えられることこそなかったけど。
128人間七七四年:2009/01/08(木) 21:40:02 ID:zx7zh/8V
>>126
まあ、いったん受けた恨みはいつか必ず返すってのがこの時代の武士ですからw

応仁元年(1467)
応仁の大乱が巻き起こる中、将軍、足利義政の後継者とされた足利義視は、
西軍優位の政治情勢に伊勢に出奔、亡命を余儀なくされた。

ところが、この伊勢に落ちる途中、近江国石山において、田上荘(たなかみのしょう)という
荘園の領民から、落ち武者狩りを受けた。

進退窮まった義視はしかたなく、自ら身に着けていた刀剣を荘民に与え、
どうにか窮地を脱することができた。


さて、翌応仁二年(1468)
またもや政治状況は変化し、義視は伊勢より、騎馬500騎、歩兵1万数千という大軍勢を率いて
再び上洛の途についた。

で、上洛の途中、この軍勢を率いてわざわざ田上荘に立ち寄った。

「あの時は世話になったな」

田中荘、完膚なきまでに焼き討ちを受ける。
129人間七七四年:2009/01/08(木) 21:40:06 ID:zXeZDGG/
魔人ブウと逆でいい奴が生まれ変わって悪くなったみたい
130人間七七四年:2009/01/08(木) 22:09:08 ID:kASmhM9b
>>122
信長・秀吉と比べると、あまり無茶な事はさせないのが家康
更に前二者に比べて常識人なので付き合いがし易い

信長なんて気紛れ屋すぎて、どう付き合ったら良いのか解らん
秀吉は…猿も煽てりゃ木に登る、取りあえず煽てておけばよい
131人間七七四年:2009/01/08(木) 22:18:52 ID:TXB103Zk
秀吉の場合、迎合する奴は役立たずでも可愛がるからな
132人間七七四年:2009/01/08(木) 23:00:40 ID:Hlt9Ycxt
でもふとしたことで気が変わってお前いらね、で放逐される。
133人間七七四年:2009/01/08(木) 23:10:41 ID:jTsuWzkU
放逐なんてとんでもない!

きっちり三族抹s
134人間七七四年:2009/01/09(金) 01:41:15 ID:LfTh7V7n
信長のどこが気まぐれだ?
135人間七七四年:2009/01/09(金) 03:19:56 ID:dhTaOjJn
三傑とも天下人になるまでに主筋を裏切ったり、同族殺したり、
民間人虐殺したりと戦国武将として一通りの悪いことはやってる
○○が××に比べてマシ、なんてのは贔屓に過ぎないと思うな
136人間七七四年:2009/01/09(金) 03:58:16 ID:Z68yCiyN
まあ、歴史上の人物の解釈は人によりいろいろですよ。
このスレでは、角を突き合わせるような議論はなるべく控えましょうや。
137人間七七四年:2009/01/09(金) 09:05:39 ID:6tufPhhD
【資金繰り】

真田昌幸・信繁親子が九度山に蟄居謹慎した際の随臣
なんと16名
勿論、全員プー太郎
上田藩主真田信之がいくら援助しても足りない
あまり知られていないが紀州藩主浅野氏からも援助を受けていた
が、足りない
何せ総勢25人前後(信繁の妻子込)が援助だけで食っていけるほど今も昔も楽じゃない
やむを得ず真田紐編んで売ってみたけどやっぱり足りない
困った昌幸は手紙を書いた
「金無いから40両キボンヌ」
これに対して信之は弟昌親(三男)に20両を持たせて送り出した
信之だって勘定方をスルーして使える金はたかが知れていたからだ
で、その返事
「残りの20両は無理なの?あと10両、いや5両で良いから」
相当に苦しかったみたいだ
昌幸死後に大半の家臣は帰参して信繁の下には2〜3人しか残らなかったとされる

リストラに失敗した社長みたいな希代の謀将の(格好)悪い話

一方、信繁は…
「送ってくれた鮭ウマー。生活苦しいからこれからも(仕送り)よろしく」(書状現存)
138人間七七四年:2009/01/09(金) 09:46:38 ID:55E6od5j
そういう信繁は嫌いじゃないぜw
聖人君子で最強で美形な幸村よりは、
苦労人でうだつが上がらなくて、でもやるときはやってくれる信繁のほうがキャラとして美味しいと思うのだがなあ。

いわゆる、ギャップ萌え?
139人間七七四年:2009/01/09(金) 10:21:05 ID:jI03Ms2g
>>137
ナニやってたしなw
140人間七七四年:2009/01/09(金) 10:31:15 ID:qo+xZuC2
>>137
流罪人が表立ってアレコレ商売するわけにもいかんだろうし、ね…

昌幸パパンの泣き言手紙は本音半分、幕府に睨まれないよう演技も若干は入ってたんちゃうかなー
残り何割かは上田の豆州や家臣に甘えてボヤいたのかねぇ?

ま、信之兄ちゃんはよくやったよ
上田でも松代でも、町を整備して後代に残したんだし
141人間七七四年:2009/01/09(金) 11:08:45 ID:3vUhNsib
>>102
俺の見た話だと駄目だったのは隆景と福原だったな
隆元死んだ後、激減した宗家の財政を内政に明るい隆景と福原に見てもらったけど
とても隆元ほどの収入をだせなかった

元就「戦は金がかかるのにこれでは天下は望めぬ・・・」

と元就が御家安泰方針に転換するきっかけになったとかって話

142人間七七四年:2009/01/09(金) 11:28:44 ID:6ZoWDA/B
>>141
へぇ。二つ説があるんだ。出展比べたいなぁ。教えてほしい。
出展聞くのはこのスレではあんまり好ましくないことじゃないかもしれないけれど。
143人間七七四年:2009/01/09(金) 11:31:59 ID:d/RhsbSy
この時代、財政に詳しい武将は少なかったしな。あと隆元は自前の吏僚をもってたような
144人間七七四年:2009/01/09(金) 11:52:30 ID:qo+xZuC2
>>141
幼少より抱いていた元就天下取りの大志を失わせたのは、隆元の死だったと。悲しい話やね。

しかし元就も、器用な隆景や福原(貞俊かな?)をもってしても歳入減を補えなかったワケか……ほんま不思議な才能と器量があったんだなあ西の地味長兄
145人間七七四年:2009/01/09(金) 12:55:27 ID:1m7Q3a81
こうして見ると毛利家の中で唯一天下を狙える才能をもったのが隆元だったんじゃない
厳島の戦いも隆元主導だし尼子攻めの時も元就が安心して戦えるように長門で
大友たちと単独で戦いぬいているだよな
息子の輝元はどちらかというと泰平の世で力を発揮するタイプだし
早く死んだのがホント残念でならない
146人間七七四年:2009/01/09(金) 13:03:18 ID:6slmu+G7
でも隆元は大内への人質としてとして、繁栄を謳歌する山口を見ながら
育ったわけで、少しでも毛利を豊かにしたい一心で大内家流の教育を
貪欲に吸収しようと努めたと思うんだ。

内政にしろ外交にしろ調略にしろ、アニキの力量のバックボーンは
大内文化で培われたものが大きい。
147人間七七四年:2009/01/09(金) 13:05:37 ID:Z68yCiyN
残された書状の内容から、気弱だとか情けないとか、そういう評価をされがちな隆元だけど、
調べていくとかなり夢のある武将なのは、確かだよね。
148人間七七四年:2009/01/09(金) 13:56:06 ID:yr5hAFIf
隆元は実は武田信玄と2歳しか歳が違わない。
結構ベテラン世代だったりする。
149人間七七四年:2009/01/09(金) 13:58:59 ID:f8WuQhos
西の隆元、東の信之みたいな流れだなw
150人間七七四年:2009/01/09(金) 14:39:23 ID:d/RhsbSy
表舞台で活躍する弟と裏方へ徹する兄貴
151人間七七四年:2009/01/09(金) 14:41:25 ID:Z68yCiyN
兄貴といえば、織田信忠も空気だなあ。
やはり早く死ぬと損だな。
152人間七七四年:2009/01/09(金) 14:51:25 ID:d/RhsbSy
>>151
親父の方が目立つからなw
153人間七七四年:2009/01/09(金) 15:18:54 ID:qo+xZuC2
>>151秋田城介さんね、
長島一向一揆や播磨、武田攻めと無難にこなしていたべさ。
戦略段階で圧倒的な兵力を動員できる織田家ならではだけども、
補給が滞ったり逆撃されたり、致命的な失敗はしてないっしょ?
最前線で毎回のよに鬼武蔵共がなんか…やらかしてるけど…キニシナイ!


徳川の三男坊みたく4万人を率いて2,3千人の安房守さんにコケにされた例もある。
こっちは内治に特化した人材で、戦以外は優秀というしかない世継ぎだけどねー
154141:2009/01/09(金) 15:21:26 ID:3vUhNsib
>>142
出展元問われると困るな

多分遥か昔、俺が行ってた小学校で使ってたテストの裏側だったと思うんだ
裏側にテスト終わって暇な子供の為の読み物が書いてあったんだけど

一休さんや吉四六さん的な小話やら
氏郷が若侍に説く「先陣を駆ける勇者を探せ」
豪傑が若侍に譲る「本当に強かったのは我が鎧(武名)だったのね」
みたいな逸話が載ってたのを覚えてる
その中にあったと思うのね

だから資料とかじゃないです
読み物・逸話って感じでとらえてください。スマン
155人間七七四年:2009/01/09(金) 16:40:48 ID:d/RhsbSy
ところでふと思ったのだがもし戦国時代の武将・大名が現代に来たら何やっているのだろう。信之、隆元は政治家が向いてそう。
156人間七七四年:2009/01/09(金) 16:46:50 ID:Z68yCiyN
昔、内閣総理大臣織田信長って漫画があったなあ。
秀吉が官房長官、家康が与党の幹事長だった。
157人間七七四年:2009/01/09(金) 16:53:56 ID:f8WuQhos
政略結婚のあれかw
158人間七七四年:2009/01/09(金) 17:11:31 ID:FdOGa9uh
>>137
信繁も鮭様同様鮭ウマーの手紙が現存してるのかw
159人間七七四年:2009/01/09(金) 18:11:54 ID:6cP5eHRF
>>154
>豪傑が若侍に譲る「本当に強かったのは我が鎧(武名)だったのね」

確か、若武者に自分の象徴である鎧を貸して、自分は普通の鎧で出陣して討ち死にした物語じゃね?
160人間七七四年:2009/01/09(金) 18:13:01 ID:ZDP4ztgR
161人間七七四年:2009/01/09(金) 18:15:24 ID:qo+xZuC2
>>159
槍中村ね。漏れは教科書で菊池寛の「形」読んだわ
162人間七七四年:2009/01/09(金) 18:23:24 ID:6cP5eHRF
>>161
ありがとうございます。
作品題名すら忘れてました。
163人間七七四年:2009/01/09(金) 18:33:28 ID:+EMjCY9q
>>160
けしからんなw
164人間七七四年:2009/01/09(金) 18:39:08 ID:tFbjzwku
>>160
本名かよw
165人間七七四年:2009/01/09(金) 18:40:10 ID:+KPQQPYy
君臣離間の計

織田家と斎藤家が同盟を結び、その証として信長のもとに濃姫(帰蝶)が嫁入り
してしばらくした頃の話

信長は毎晩濃姫が寝入った時間を見計って寝所を抜け出して明け方に戻ってくる
こと、一ヶ月に及んだ。

濃姫は信長が浮気していると思い、恨めしげにこう言った。
「私以外に好きな女性がいるなら正直に言って下さい。私は少しも妬みませんよ
。」

信長は、
「いや浮気ではない。実はわしにある秘密の作戦があるのだ。そなたには関係な
いことだから気にするな。」とだけ言って作戦の中身を教えず、また寝所を抜け
出す日々がさらに一ヶ月続いた。

濃姫はこれは絶対浮気だと嫉妬に燃え、信長に激しく詰め寄った。
「私以外に好きな女性がいるなら、私を離縁して、その女性のもとに行って下さ
い。夫に愛されないとは実に恨めしく思います。よよよ。」

信長は優しい口調でこう言った。
「わしとそなたの愛情は深いではないか。されど、秘密は秘密なのだ。…しかし
、そなたを悲しませるのは本意ではないゆえに秘密を打ち明けよう。」

秘密の作戦とは、
信長が美濃の斎藤道三の両家老と内応の手筈を整え、
「両家老が道三を殺すと夜中の2時に火を上げて信長に合図して、織田軍が一気
に美濃に攻め込む」という内容で、
信長が毎晩寝所を抜け出していたのは合図の火の手が上がったかどうかを確かめ
るためであった。

信長は濃姫に、
「愛するそなただけに打ち明けたが、絶対秘密だぞ。」と念押しした。
しかし、父・道三が殺されるのを見過ごしにできない濃姫は、信長の作戦の全て
を密書に書いて父に知らせた。そして、娘の密書を見た道三は両家老を処刑した



信長(プギャアアアアアアア思い通りwwwww)

実は、信長はまともに勝負しても勝ち目のない道三の戦力を削ぐために、「斎藤
家の両家老が内通した」というウソの作戦を濃姫から道三に報告するように仕向
けたのだ。
さすがのマムシの道三も、ソースが娘なら信じることも計算したのだ。
(名将現行録)

ダンナに不審な行動があっても、どえらい結果になるので厳しく追及するのはダ
メですよ

166人間七七四年:2009/01/09(金) 18:41:19 ID:Z68yCiyN
>>165
まさにこれだな

          ,      /〃ハヾ  / ∧∨〃、ヾ} l| :}ミ;l\
        /〃// / 〃l lヽ∨,〈ヾ、メ〈 }} ;l リ ハ l`!ヽ.
          //' /,'  ,' 〃 l l川/,ヘ丶\;;ヽ/:'/〃∧ l ト、:l !
         〃,'/ ;  ,l ,'' ,l| レ'/A、.`、\;;ヽ∨〃/,仆|│l }. |、
         i' ,'' l| ,l ' l. !| l∠ニ_‐\ヽ;\,//,イ| l | l ト/ λ!   、
.        l ;  :|| ,'i:/ l| |:|: |``'^‐`ヾ∨`゙//|斗,l ! | ,タ /l.| l  三__|__
       l ' l |」,' l' lハ |'Ν    ̄´ /` ,|l_=ミ|! ly' ,〈 :|| |  口 |
        |l .l H|i: l | ゙、| l        _.::: ,!: l厂`刈/ /!} :l|    ‐┬‐
        |! :l |)!| ! |  ヽ      '´ ’/'_,.   ノイ.〃/|!    │田│
        l|l |l 「゙|l |`{             ..   _   |}/,ハ l     ̄ ̄  
       |!l |l、| !l :|.      ‘ー-‐==ニ=:、__j:)  l'|/|l リ    、 マ
ヽ ̄ニ‐、__.」乢!L!lヱL」__           ー、 `'''´   从「 /     了 用 
 \ `ヽ\      /l |       / ̄´     //        '"`ー‐
.  ,、  l  ゙、    / ' |、      {        /l/         ,
   '}  l  ゙,    /   |:::\      }     ,.イ/          レ |  
   l  l   l  ,.イ   l:::::::::\__   `'-‐::"// |′          ノ
   l   !   K ヽ,、 \「`''''''''"´:::::::;;:" //          
.    l   l   ト、\( _.... ヽ  .:.::::::::;;″ /'       _    
\   |  l|  八、ヽi´    | .:.:::::::::::::i' .:/'"´ ̄ ̄ ̄ ,.へ\
167人間七七四年:2009/01/09(金) 18:43:45 ID:f8WuQhos
でもそんな婿殿に美濃をくれてとか言っちゃうんですね
168人間七七四年:2009/01/09(金) 18:54:10 ID:qo+xZuC2
>162あ、元ネタは江戸時代からあるんよ。
「形」は、それを菊池寛が口語で小説化したんだわ確か
169人間七七四年:2009/01/09(金) 19:10:11 ID:Z68yCiyN
斉藤道三と言えば、彼が生きていた当時の京都では、悪人の代表のように思われていたらしい。

当時の京の町に出た落書

・美濃の土岐頼次は、斉藤道三の婿であったのを、道三が騙して殺したとき

「とき世とて 婿を殺すはみのおわり 昔は長田今は山城

(”土岐”と”とき”、”身の終わり”と”美濃尾張”をかけている。長田は主の源義朝と婿の鎌田政家を
だまし討ちにした尾張の長田忠致)


・天文十一年(1542)土岐頼芸が斉藤道三に美濃を追い出されたとき

「ときはれど 糊たてもせぬ四布袴(よのはかま) 三布(みの)は破れて一布(ひとの)にぞなる

(”土岐はる”と”解き張る”、”三布”と”美濃”、”一布”と”人の”をかけている。)


で、道三関係はなぜか、このように後世まで残る傑作が多いw
170人間七七四年:2009/01/10(土) 00:48:09 ID:7ylZ7feT
>160
まあ、羽柴秀吉さんも大阪府知事選に立候補しては落選しているそうだし……

犯罪はあかんね。まだ容疑者だから書状には「晴信入道メンバー」とか書かれるんだな。
171人間七七四年:2009/01/10(土) 00:53:46 ID:Mdj/n+tR
まとめブログおもしろいな。
ただ逸話を読むより歴史好きの反応もみれておもしろい。
出版してほしい
172人間七七四年:2009/01/10(土) 13:24:06 ID:yFB8OBXr
>>171
> ただ逸話を読むより歴史好きの反応

このスレの面白さの半分はそこだと思ってるw
173人間七七四年:2009/01/10(土) 15:22:42 ID:BD1apIGy
鮭様のお父さん

鮭様(通称:最上義光)の父・最上義守は嫡男の鮭様との対立の末、
家督を譲って隠居したが体調を崩し、もう長くはないだろうと自ら察し
今生の別れに娘夫婦に逢いたいとゴネ始めた
このスレでは有名な、お義と伊達輝宗夫婦である

日頃から仲の悪い鮭様だが、一応父親の末期の頼みであるので
渋々承知し伊達に遣いを出して会談の場が設けられた

義守「おお来たか、お義は可愛いのう、それに比べて源五郎は・・・」
鮭様「(お義に触るんじゃねぇ・・・)父上、お話とは?」
輝宗(殺気を感じて暗殺されないか警戒中)

義守「わしの遺言だと思って聞いてくれ。
   今は伊達と最上は争っていないが、わしが死ねば仲違いし、奥羽は再び戦乱となろう。
   伊達・最上はかっての名門とは言え、もはや弱小。相争っていては上杉・佐竹に飲まれてしまう。
   どうか婿殿と源五郎は争わず、奥羽を平和に治めていただきたい。」

要は「お前らケンカすんじゃね」ということであるが、
伊達・最上のケンカの原因はほとんど義守である
言われた二人にとっては「お前が言うな」状態であろう

ただ、鮭様と輝宗パパの両者とも常識人だったので、
口には出さず神妙な顔で頷いた

輝宗「身命を賭けてお言葉お守りいたしまする」
鮭様「(輝宗うぜえ、お義返せ・・・)以下同文」

いろいろと言いたいことはあったが、遺言であるため両者渋々承知し、
伊達・最上の両者で不可侵協定が結ばれることとなった


しかし、ストレスがなくなったのがよかったのか、義守快癒
びっくりしたのは鮭様と輝宗である

鮭様「やはり父上の策略であったか。油断させておいて攻めてくるのではないか」
輝宗「最上親子め。やはりあの場で暗殺する気だったのではないか」

疑心暗鬼にかられた伊達・最上は再び戦の準備を始め、
あわや両者激突となる手前でお義の説得により伊達が矛を収めるも
両者の仲は再び険悪となった
義守が死ぬのはその七年後、天正十八年のことである


以上、最上義守の往生際の悪い話
174人間七七四年:2009/01/10(土) 16:24:24 ID:7FDiNb6v
義守は種馬として優秀
175人間七七四年:2009/01/10(土) 16:55:11 ID:KonWP0qC
ヨシモリ、ヨシアキ父子って、相克寸前なまでに仲が悪かったのか……
176人間七七四年:2009/01/10(土) 18:43:15 ID:sFG1BGf7
>>173
大河の政宗でも義守の見舞いに輝宗が出向くシーンがあったが、一応ちゃんとそういう話があったんだ。
「普通はわざわざ行かねぇだろー」って思って見てた覚えがある。

鮭様はお約束通りに輝宗暗殺を企ててたが・・・
177人間七七四年:2009/01/10(土) 20:10:28 ID:fImkzIxP
鮭様の高校時代……もとい温泉で強盗退治した頃は仲良かったんだけどねぇ
178人間七七四年:2009/01/10(土) 20:25:09 ID:rD1sZwyJ
>>175
義守死後北条攻め遅れてまでも盛大な葬儀を執り行ったから
最後はちゃんと和解してたとは思うけどね
179人間七七四年:2009/01/10(土) 20:46:47 ID:fImkzIxP
そもそも何で喧嘩したんだろう?
義守推薦の後継候補の義時は架空の人物臭いし
180人間七七四年:2009/01/10(土) 21:00:59 ID:BD1apIGy
>>179
義守「俺のほうがお義に愛されてるもんね!」
義光「いーや、俺のほうが愛されてる!」

某漫画だとこういう理由でケンカしてた
181人間七七四年:2009/01/10(土) 21:44:49 ID:qLMhCCau
>>180
理由はもうそれでいいよ
182人間七七四年:2009/01/10(土) 22:16:10 ID:SIgIdjQE
>>160
たしか以前武田晴信容疑者の方も交通事故か何かで捕まってた。
183人間七七四年:2009/01/10(土) 22:27:28 ID:yFB8OBXr
今期の大河の主人公、直江兼続さん。
この人、どうも手癖が悪い。

最上相手に庄内で一揆扇動して、最上義光を完全に敵に回したのも有名だが、
蒲生家改易の折の、例の越前→越後→会津→下野という玉突き転封で、越前から越後に入ってきた
堀家にも、もちろん嫌がらせを残していっている。
越後を出る前に、その年の年貢を持ち逃げして行ってしまったわけだ。

これは、年貢のうち半分は残していくと言う転封の通例に反し、後の細川と黒田がこれで、
江戸期を通じて憎しみあうようになったことからもわかるように、大名同士の仁義としては最悪に近い。
これに、直江と並んで天下三家老の一人とされた、堀直政は怒ったの何の。上杉家に対し
猛烈な講義をした。

が、兼続は直政に

「蒲生も会津で1年分の年貢を取っていったから、うちもやったのだ。
だいたい直政さん、あんたが越前で年貢徴収してこなかったのが悪いんだろ〜。」

これは直江兼続と石田三成の、堀家を陥れる陰謀であったとも言われる。
しかたがなく、新潟の代官河村彦右衛門から二千俵の米を借りると、その借米証を
兼続がひそかに手に入れ、盛んに借米返済の催促をし、あまつさえ越後で上杉旧臣を使い
反堀家の一揆を扇動する始末。堀直政、まさに煮え湯を飲まされ続けた状態であった。


さて、関が原である。

三成挙兵の報に、越後の堀家は動揺した。

堀家の主君、堀秀治は家臣たちの前で
「わが家は豊太閤のご恩浅からず。三成と上杉景勝は豊臣家のために挙兵したのだと言う。
わが堀家としてはこれを討つわけにはいかないのではないか?」
この人、西軍に通じていたとの噂もある。

この言葉に猛然と反対したのは、もちろん直政である。
「わが家は信長公によって引き立てられたのです!太閤のみに恩を受けたわけではない!
だいたい先君秀政公は、豊臣の世での信長公の御子孫の衰退を、いつも嘆いておられましたぞ!」

主君の言うこと完全否定

秀治「で、でもやっぱり大名に引き立てられたのは故太閤のおかげ…」
直政「いいですか?間違えちゃいけない。あいつら秀頼公の為とか言っていますが、だいたい家康殿に
三成や景勝が従わないのは、秀頼公の命令ですか?違うでしょ!
勝手に反乱してるんだよ奴らは!これを撃つ事が豊臣家の謀反となることなど、ありえましょうか!」

こうして堀家は、兼続の嫌がらせに我慢も限界に達した直政の強力な指導力により、
躊躇なく東軍についたのだった。


直江と言えば伊達政宗とも非常に仲が悪かったらしいが、なんとなく、
手癖の悪いもの同士の同属嫌悪だったんじゃないかなあ?と、感じることがある。
184人間七七四年:2009/01/10(土) 22:55:13 ID:k8EwxByG
昔の人の事を悪く言うのはあれだけど
義(笑)愛(失笑)
185人間七七四年:2009/01/10(土) 23:00:10 ID:Q4ERSAPc
逆に、直江と仲の良かった大名・武将って誰?
政宗には(このスレ的に)盟友・忠興がいるけど

なんか、誰に対しても喧嘩売ってる印象しかないなあ直江・・・
東北新幹線に乗ると見れる雑誌は毎号東北の何かを特集してて
一月が直江兼続だったんだけど、すごく「人格者です!」って具合に描かれてたのになー
186人間七七四年:2009/01/10(土) 23:04:10 ID:+floj3mX
何で兼続はこんなに嫌がらせしちゃってるわけ?
187人間七七四年:2009/01/10(土) 23:04:43 ID:crJ8zIGh
三成がいるじゃん。

景勝の方は政宗とか堀とかともさして仲悪くはなかったみたいだけど
直江は後年弟とも仲違いしちゃってるな。
188人間七七四年:2009/01/10(土) 23:05:26 ID:JqDrBnk/
大河ではその辺のエピソードは軒並みスルーされるんだろうなあ
堀や最上の方が悪いと改変するのもいい加減限度があるし
189人間七七四年:2009/01/10(土) 23:20:33 ID:yFB8OBXr
>>186
越後は父祖の地だから奪還を狙ってたとか何とかって話もあるんだけど、
まあ結局は、豊臣政権の後ろ盾で、影響力と領土の拡張を狙っていたのね。
ただ、兼続のやり方は非常にわかりやすく生臭いだけの話でw
190人間七七四年:2009/01/10(土) 23:23:00 ID:XXsvZVJu
堀家との年貢騒動って前出てなかったっけ?
兼続は坊主達とは結構仲良かったような。
ちなみに上杉家家中で景勝宛の意見は
全て兼続さんを通ることになってたので
兼続さんは上杉家家中でも結構ウザがられてます。
まあ「直江を離せ!」と言われて
「直江にはいっぱい仕事任せてるからダメだ!」と
答えた景勝も景勝だが。
三成と兼続の友達関係ってなんか空気読めない連合っぽい。
191人間七七四年:2009/01/10(土) 23:25:41 ID:Q4ERSAPc
ちょっと前に出た三成の干し柿の話でも、相手が直江なら
「お前の好物だろ、食え」
「お前に施される必要もないが食ってやろう」
「うむ」
で、なんにも揉めずに普通に話が進みそうだ
192人間七七四年:2009/01/10(土) 23:34:27 ID:yFB8OBXr
>>190
> 堀家との年貢騒動って前出てなかったっけ?

まとめサイト確認したら出てたね orz
関が原のやり取りは初出のようなので、そこで簡便を…。
193人間七七四年:2009/01/11(日) 00:30:44 ID:Zirx7zEq
軍法を破った>>192に道雪様が輿に担がれて向かいました

o...rz
194人間七七四年:2009/01/11(日) 00:52:10 ID:jIrIUG67
兼続に親しい関係者っていうとあと慶次と本多正信くらいかな。有名どころは。
友達いない代表者みたいに言われる三成のほうがよっぽど友達多い件。

なんか上杉家第一すぎて、あとはあんまり興味なさそうなんだよな兼続。
195人間七七四年:2009/01/11(日) 01:16:58 ID:vaWDPLd1
なんとなく直江が三成・正信と仲が良いというのは
分からなくもない。
同じような立ち位置というか。
でも三成・正信と接近してるのも上杉家のためっぽいと思う。
196人間七七四年:2009/01/11(日) 01:31:04 ID:IWI2pbB9
>>195
共通しているのは
「私心がなくて主家一番」
「人情よりも理屈が優先するクールな肌」
ってところかな?
だからわかる人にはわかるが、無関係な第三者からも
嫌な奴と思われやすい。
197人間七七四年:2009/01/11(日) 01:32:43 ID:oq5dtPNb
互いに敵になっても、尊敬できる敵と考えそう
198人間七七四年:2009/01/11(日) 01:38:12 ID:KLBLMY2w
>>196
関ヶ原での三成の立ち位置を正信が徳川家をまとめ上げるようなものと考えると
西軍の無茶っっぷりがわかるような…
199人間七七四年:2009/01/11(日) 01:46:29 ID:vaWDPLd1
>>196
使ってくれる主人がいなきゃ周囲中敵だらけっぽい。
No.1に信頼されるNo.2にはなれても絶対No.1にはなれない。
武闘派とは特に折り合い悪い。内政向き。
主人に向く不満を全部引き受ける立ち位置。
こんなイメージ。

三成の不幸は主人が先に死んだことだと思う。
200人間七七四年:2009/01/11(日) 01:49:04 ID:N0GAejGT
前田玄以ちゃんの息子

ある時、近江水口宿で丹波八上藩藩主前田茂勝が行方不明
藩主が行方不明など大問題である
ただでさえキリシタンで幕府に目を付けられている最中に
しかしどこを探しても見つからない
困り果てた家臣は代官所に捜索協力を依頼しに
ところが、その代官所の牢屋で前田茂勝本人発見
宿の主人と乱闘していたのを取り押さえられたという
この時の帯刀の有無は不明
帯刀していて無礼討ちにしなかったのなら理性はあるのかも知れない
で、家臣が必死に身元を説明して茂勝は出所
勿論、関係各位にも頭を下げて廻りました、………家臣が
前田茂勝は後年乱行(家臣殺害等)で改易
以後、松江藩堀尾家預かりとなりキリシタンとりて真面目に暮らした
とされるが、晩年住居が城下から隠岐に移っているのは何故だろう
キリシタンだから…、なのか?
201人間七七四年:2009/01/11(日) 01:57:18 ID:vaWDPLd1
キリシタンとして流されてるじゃねーかw
202人間七七四年:2009/01/11(日) 02:05:15 ID:oq5dtPNb
こんな主人、頭痛くなるわ…
203人間七七四年:2009/01/11(日) 02:09:17 ID:yKmoUcps
ここに新たなキャラ「玄以ちゃん」が誕生したわけだが
204人間七七四年:2009/01/11(日) 02:11:46 ID:oq5dtPNb
玄以ちゃんの息子ちゃんじゃなくて?
205人間七七四年:2009/01/11(日) 02:35:02 ID:+bSIBaJL
不仲な同僚を仲直りさせる為に一肌脱いだが結局同僚の斜め上の行為でおじゃんになる。
僧侶なのにキリシタンに理解を示していたら、息子がキリシタンになった挙げ句乱行を繰り返す。
…何度頭を抱えたくなったんだろうな。
206人間七七四年:2009/01/11(日) 03:52:06 ID:Bs6eDgug
>>205
その結果が肥前名護屋での女装につながるのかw
207人間七七四年:2009/01/11(日) 05:01:53 ID:4q6uTnHG
>>205-206
出仕先と家内のだめぽ加減で日々ストレスを募らせ、
“戦国のIKKO”が誕生したのか・・・

 玄以ちゃん...(´・ω・)カワイソス
208人間七七四年:2009/01/11(日) 09:28:43 ID:bxCXrw++
>>199
三成はもし関ヶ原で勝っていても、本多正純みたいな人生送ってしまう気がする。
209人間七七四年:2009/01/11(日) 09:52:57 ID:+Sa1CB97
( ・3・)空気が読めないからねー
210人間七七四年:2009/01/11(日) 10:05:26 ID:hOt0yCU8
>>207
女装ってストレスからくる生まれ変わりたい願望なこともあるっていうし…
ちょっと納得してしまった…
211人間七七四年:2009/01/11(日) 10:23:00 ID:fR8BMYZf
ストレス発散の為に女装をしてみたが、病み付きになってしまい女装癖がついたとか
212人間七七四年:2009/01/11(日) 10:26:11 ID:Qt8S3xBp
玄以のキャラが立ってきたなw
213人間七七四年:2009/01/11(日) 10:31:24 ID:fR8BMYZf
玄以の他に女装したことある武将っていないかな
214人間七七四年:2009/01/11(日) 10:42:00 ID:bxCXrw++
信長。
215人間七七四年:2009/01/11(日) 11:29:16 ID:+bSIBaJL
>>213
長曽我部国親。娘を国人の嫁にやる時に女装して嫁入り行列の一団に紛れ込み、自ら相手の内部事情を調査しにいった事があるそうな。
216人間七七四年:2009/01/11(日) 11:31:02 ID:yKmoUcps
リアル姫若子w
217人間七七四年:2009/01/11(日) 11:43:52 ID:4DRGYFlV
>>208-209
同じ嫌われるにしても、空気が読めるくせに嫌われる人より
空気読めない人のほうがまだマシだったりする。
長生きしていても晩年はどっかにお預けになり、
人柄も変わり庭木を眺めながら毎日を送って
「石田殿も丸くなったもんだなぁ」
なんて預け先の大名が嘆息しそうだな。
218人間七七四年:2009/01/11(日) 12:00:46 ID:aHC4kQaN
いや、長生きしても大阪行くだろ
219人間七七四年:2009/01/11(日) 12:10:54 ID:7FUOnDYU
テルとジヴ そのいち

テル「珍しい桃が取れたお!太閤殿下に献上するお!」
ジヴ「これは、安芸中納言殿。今日はいかがされましたかな?」
テル「あっ、治部少輔も見るかお?蹴鞠みたいに大きい桃が取れたお!」

ジヴ「・・・中納言殿、桃は普通いつ取れるものですかな?」
テル「?桃は夏の果物じゃないかお?」
ジヴ「・・・今は何月ですかな?」 テル「・・・10月だお」

ジヴ「季節外れの、しかも常と違うものなど献上して、万が一殿下が腹でも壊されれば
   中納言殿の評判にも関わりましょう。という訳で、これはお返しいたす。」
テル「むむむ、治部少輔がそういうならこれは持ち帰るお・・・」

そのに
吉川家の家老、益田元祥は『益田壷』と呼ばれる名物茶壷を持っていた。

テル「元祥の壷は、利休先生も『いい仕事してますねー』(古い)って言ったらしいお?」
元祥「ええ、私の先祖が、足利義政公からいただいたものです。」

テル「そ、それは『東山御物』っていう最高級品だお!ぜひ見せてほしいお!」
元祥「(まーた、この人は)・・・良ければ、大殿に差し上げましょうか?」
テル「い、いいのかお!マジ感謝するお!」

元祥「あっ、大殿ー!壷の具合はいかがですか?」
テル「(ギクッ!)あ、あー・・・アレは治部少輔が欲しがるから、くれてやったんだお・・・」

元祥「・・・大殿だから・・・大殿だから差し上げたのに・・・( ;ω;)ウウッ 」
テル「わ、悪かったおー。代わりに知行を増やしてやるからカンベンしてほしいおー。」

元祥「(グスッ)そんな理由で知行増えたら、まわりになんか言われないスかね?」
テル「な、なら元祥の奥さんに知行やるお!日ごろ世話になってるし、お礼するんだお!
   これなら問題ないお!!」
元祥(・・・アンタが家臣の嫁になんかすると、余計に問題じゃね?)

書いてて、なんでこの人が西軍の総大将なんて引き受けたか、分からなくなった・・・
220人間七七四年:2009/01/11(日) 12:14:19 ID:MTmZNDjj
だんだん輝元が好きになってきたw
221人間七七四年:2009/01/11(日) 12:15:14 ID:Qt8S3xBp
完全にアホの子じゃないかテルよw
222人間七七四年:2009/01/11(日) 12:19:39 ID:jc7J8oE2
そんな輝元を大河で中尾AKIRAがやるかと思うと……
223人間七七四年:2009/01/11(日) 12:39:27 ID:yUqPWlac
み、見方を変えれば毛利「いいひと。」輝元・いい話だよな!?
224人間七七四年:2009/01/11(日) 13:00:14 ID:flLKIyNI
愛妻妙玖を亡くした元就は隠居を決意した。
だがそれは毛利・吉川・小早川の上に立つ
いわゆる「大御所」として位上げしたと言われている。

そして年が過ぎ、防長を手に入れた元就は
「わしはもう蟄居する!」
と完全に政治から一切の撤退することを宣言した。
これに慌てたのは、縁の下の力持ち隆元です。
とりあえず領土はでかくなったが内情は不安定。
そんなときに元就に蟄居されてたまるか! と
隆元は弟達と審議相談し、父親に言い放ちました。
「父上が隠居するなら私も隠居します!」
「毛利どうする気だ!」
「幸鶴丸(輝元)がいます!」
「いやいやいや、そういう問題じゃなくてな!」
元就は焦った。
息子の目がマジだったから。
「駄目ですか!?」
「駄目だろ、常識的に考えろて!!」
「なら私が死んだら父上は蟄居できませんよね?
 そうだ、死のう」
「隆元ーっ!!」
こうした隆元の捨て身の説得により、元就の蟄居は防がれた。
70近い元就はこれからもまだ、いろんな意味で現役を続けることと相成ったのだ。

………まあ。この四ヶ月後に隆元急死してしまうのだが。
225人間七七四年:2009/01/11(日) 13:00:50 ID:flLKIyNI
頼れる長男が急死しそのごたごたに一息ついた後元就は、言った。
「蟄居する」
考えとしては兄の偉大さを噛みしめている元春や隆景が誠心誠意
輝元に仕えることにとって毛利の威厳と体勢の確立を図るためだ
と言われている。
が、この言葉に焦った人物がいた。
輝元である。
「じいちゃん!」
輝元は言った。
「父さんは41年も面倒みてくれていたのに、輝元は15年とか
狡くないかお!?こっちもちゃんと40年面倒みてお!」
「お前はじいちゃんを幾つまで生かす気だ!」
「じいちゃんなら大丈夫だお!
 銀山あたりに庵構えるんだお? 僕もついて行くお!」
「待て待て待て待て、荷造りするな!!」
結局元就の蟄居は再びお流れとなり、生涯現役にならざる終えな
かった。

ちなみに70位の元就は頻繁に寝込むようになるほど、身体は老
衰を始めていたりする。
以上が元就の(老体に)悪い話でした。
226人間七七四年:2009/01/11(日) 13:05:22 ID:yZTOqLPZ
なんともいえない長男親子だな。
227人間七七四年:2009/01/11(日) 13:06:20 ID:fR8BMYZf
>>224
>>225
親子そろって元就頼みとは…
228人間七七四年:2009/01/11(日) 13:19:35 ID:aIiniSpn
やる夫口調がこれほど似合うとは
229人間七七四年:2009/01/11(日) 14:17:05 ID:Qt8S3xBp
>こっちもちゃんと40年面倒みてお!

無茶言うなw
230人間七七四年:2009/01/11(日) 15:12:26 ID:KLBLMY2w
>>225
末っ子の秀包が70の時の子だっけ?
231人間七七四年:2009/01/11(日) 15:35:55 ID:Fi1lbvCB
>>213
ヤマンバ 夕庵

天正9年2月28日、織田信長は天皇家御観覧のもとで馬揃えを行った。
いわゆる「京都馬揃え」といわれる軍事パレードである。
順序は1番(丹羽長秀・摂津若狭衆)〜7番(坊主衆)で構成され、信長の側近・武井夕庵
(70余歳)は7番に編成された。

その夕庵の格好は主役の信長に次いで奇抜なものであった。
なんと、「山姥の女装」で馬揃えに参加したのである。
山姥といっても、能の山姥の格好なので厳密には「女装」とはいえないが、天皇の御前で
こんなケッタイな格好をした人物は夕庵しかいないであろう。
(信長公記)

さて、夕庵の女装は信長から強要されたものか否かは興味のあるところであるが、夕庵が
信長に諫言したという逸話がいくつか残っており、信長の強要に屈する人物とは思えない。
そのことからすれば、この女装も夕庵のアイデアではなかろうか。
232人間七七四年:2009/01/11(日) 15:39:28 ID:flLKIyNI
身体崩していたんだけど、曲直瀬道三のおかげで元就は持ち直して
そのときに作った子供が秀包で御年71歳くらいだったはず

秀包は良い武将だから言いたくないけど「子供こさえる余力を寿命に
回せば、あるいは…」と思ってしまう
233人間七七四年:2009/01/11(日) 16:54:52 ID:rNzDB1gn
そういや信長自身も女装したことあったんじゃなかったっけ?
234人間七七四年:2009/01/11(日) 17:06:42 ID:Ux22kZI9
信長はイベント事で仮装して舞をみんなで舞うとき、ことさら女装を好んだとされてる。

でも歌舞伎者が女物の衣装を好んで着てたり、日本古来の伝承の英雄達には女装がつきものだから
女装カッコイイ!な認識だったのかもしれん。当時は。
235人間七七四年:2009/01/11(日) 17:25:17 ID:Qq51igg+
佐久間盛政も磔にされる時の服装に格別に派手な女物の衣服を
準備しろーと頼んだ話あるね
236人間七七四年:2009/01/11(日) 17:39:35 ID:A5cd7dn1
現代でもファヲタの一部は女物を取り入れる奴も少なからずいるし、
当時の人もそういうノリで着てたんじゃなかろうか
237人間七七四年:2009/01/11(日) 17:43:06 ID:F94NMILM
いるね。
男物ファッションは幅が狭すぎるとかいいだしちゃうやつ。
238人間七七四年:2009/01/11(日) 17:55:47 ID:Ux22kZI9
現代は西洋文化の影響で、男はダーク系とかおちついた地味目な色があたりまえになってるけど
当時は男物でもかなり色鮮やかで派手だったからな。
宣教師が驚いて記述のこしたりもしてる。
小袖とか陣羽織とか当時の見ると、センスのぶっ飛び具合に驚く。
だから女物着るのも自分好みファッション追求の結果だったのかもしれん。
239人間七七四年:2009/01/11(日) 18:40:41 ID:/82db/aH
陣羽織とか変わり兜とか当時の人のセンスってかなり凄いと思う。

兜の話を一つ

変わった兜と言うと虎刈りの加藤さんの烏帽子形兜が有名ですが
地味な方の加藤さんも中々変わった兜を愛用しておりました。

加藤嘉明所用【銀箔押富士山形張懸兜】として知られるその兜。


加藤さんの兜が置いてあるのを見つけたとある武士

「こっこれは・・・・」
名将として知られる加藤嘉明公の兜が正に目の前に
こういう時どうしても触ってみたくなるのが人のSAGAです。
とりあえず持ち上げてみることにしましたが銀箔押しで大振りなこの兜以下にも重そうです。

腰に力を込めて「ヨイショ〜ォアァァ〜!!?」






実はこの兜、鉄製の鉢の上に皮や紙を使って富士山を形作ってあるので非常に軽いのです。
そんな事など知らないこの武士、派手にひっくり返った所を見つかり大いに恥じをかきましたとさ。


240人間七七四年:2009/01/11(日) 18:57:31 ID:rNzDB1gn
            ↓銀箔押富士山形張懸兜
             ,.-――――‐  、
             /      ,.-――┴- 、
           /   |   /: : l、: : : ;l: : : : :\
.          /   :! ./: : :、: :!_\;/ _V\ : |`
         〈 ___V: : : :|∧|      __`|∨
        ` ̄丁 |: |:l :| __   〃⌒V|
           ヽ|: NV:!〃⌒__ //}|
            /: :{_|: :|//f´   ヽ}  八
            _/: :/:/ : ト .丶___,ノイ\_:\
      __,/: :_;/: /,.イ⌒ヽ!ヽ: ト、\  !: |__
      |: : : : :/__/: ;.イ:/ ,リ    }、\| : | └┐:|__
    /: : | ̄ 「: :__∧fニyイ|:〉    Vにう: 〉  \/
.     \/  _,|: :|_〉:(/:/     ,Vト-' :|
        \/―ヘ《O\___/O〉 ̄
                 >、O_O,.イ
               (/  ̄ ̄|_ノ
241人間七七四年:2009/01/11(日) 19:07:07 ID:VsQDIVAl
>>240
似ているような違うような
ttp://www.yoroi.co.jp/gazou/topics/2007/oyama/kato.jpg
242人間七七四年:2009/01/11(日) 19:34:21 ID:6RA5RnVQ
イカにみえる
243人間七七四年:2009/01/11(日) 19:36:46 ID:SI4rNhti
もうイカにしか見えないじゃないか
244人間七七四年:2009/01/11(日) 20:05:10 ID:kh3Ev2Yh
>>240
勝てる気がしない
245人間七七四年:2009/01/11(日) 20:07:19 ID:rX4bQ1vJ
>>241
・・・イカだな
246人間七七四年:2009/01/11(日) 20:09:08 ID:Qt8S3xBp
247人間七七四年:2009/01/11(日) 20:15:15 ID:J/hszUpZ
家康の着物

家康は結構、派手好きで小袖には特に華やかな物を好んでおり、
「日本建築結構な事は秀吉に始まり、日本衣装結構な事は家康に始まり」
と言われていた

そして現代、褪色した服の柄しか残っていない家康の遺品を復元する際、
最初、染物師は「家康だから地味な色だろう」と思い、落ち着いた色にした
しかし、化学分析によって判明した染料を用いてみたらなんと
黄金色になった

よく言われる金糸を用いた服というのは実際はこういう染物らしい
248人間七七四年:2009/01/11(日) 20:42:57 ID:gRQbGUnw
さすが黄金の国やなあ。
249人間七七四年:2009/01/11(日) 20:55:48 ID:Muv2Kx/7
>>247
こういう話を見ると先入観って怖いって思うなあ。
250人間七七四年:2009/01/11(日) 20:58:34 ID:VsQDIVAl
残っている鎧とか見ても、家康は相当派手好きだよね。
黄金の南蛮鎧とか。百式かお前は、って感じのw
251人間七七四年:2009/01/11(日) 21:04:31 ID:E67yIUwp
「家康だから地味だろう」って大御所様かわいそす
252人間七七四年:2009/01/11(日) 21:14:11 ID:VsQDIVAl
・家康のイメージ
→慎重、穏健、地味

・家康の実態

無謀な単騎突撃大好き(ただし作左が怒る)
怒りっぽくてすぐに極端なことを言い出す(ただし作左が怒る)
派手な鎧や衣装大好き(作左これは許す)
253人間七七四年:2009/01/11(日) 21:17:04 ID:qgP/7Q/T
>>252
鬼作佐は「家康はわしが育てた」という権利があるなw
254人間七七四年:2009/01/11(日) 21:29:12 ID:gW3En9VU
そんな家康様が好きっす
255人間七七四年:2009/01/11(日) 21:47:23 ID:J/hszUpZ
つづけて家康の鎧

家康は家臣に黒糸縅の鎧は駄目といった
何故なら黒糸は直ぐに切れるからである
(実際酸性の染料なので直ぐに劣化した)

しかし家康は黒糸縅の黒鎧が大好きであった
256人間七七四年:2009/01/11(日) 21:53:57 ID:/9u2bkyr
家康に 過ぎたるものが ふたつあり 唐の頭に 本田平八
(唐の頭(=ヤクの尾の兜飾り。杜氏非常に高価だった)と本田平八郎は家康ごときに相応しくない持ち物だ)

なんてうたわれるくらいに洒落た格好を好んでいたんだよな
吝嗇家なイメージ定着してるけど結構贅沢してる。万事派手好きな秀吉と比べるから霞むだけなんだな

あれ・・・北の方に似たような奴が居たような気が・・・
257239:2009/01/11(日) 22:31:37 ID:/82db/aH
武将の鎧や兜は総じて派手な物が多い気がします。

家康の兜蟹(一の谷と釘)とか黒田考高のお椀とか
前田利長の鯰とか南部利直の燕などなど


片桐且元の鎧兜は黒いチューバッカにしか見えない
258人間七七四年:2009/01/11(日) 22:39:09 ID:1i784/V7
関係ないけど、とうじを一発変換で杜氏って渋くて良いね
259人間七七四年:2009/01/12(月) 00:01:45 ID:moYxl5lo
家康のイメージ変わったなあ、鎧とか武具の話いいね
260人間七七四年:2009/01/12(月) 00:11:00 ID:KH+kTpcF
>>257
イタリア人が、海老とかタコの前立とか
猿の顔の形した日本の奇抜な兜を見て、ルネッサンスな武具だとか言っててびっくらしたw
261人間七七四年:2009/01/12(月) 00:20:22 ID:y5pKC0DW
兜の立物なんかが派手に奇抜になったのは織豊期だって聞いたことあるし
その頃南蛮文化は流行ってたはず
そしてヨーロッパがルネッサンスでレオナルド・ダ・ビンチとか
ミケランジェロとかいたのが15-16世紀
つまりタイミング的にルネーッサーンスでもおかしくない…のかな?
262人間七七四年:2009/01/12(月) 00:37:29 ID:5DuivToW
別に当時の数寄は復古主義じゃないし
263人間七七四年:2009/01/12(月) 00:39:33 ID:uKHbhrmT
イエズス会のフロイス、オルガンテイーノが信長に西洋の帽子、マント、
甲冑を贈ってよろこばれたけど、鉄砲の浸透に連れて
それへの防御から金属を使うことが多くなった。

目立つなら何でもやったみたいだけど。

秀吉がフェリーペ2世に贈ったボロボロになった鎧が、マドリードの
王宮で見つかったりもしている。
264人間七七四年:2009/01/12(月) 01:14:37 ID:9KL5UEG5
>>256
受の文字の前立てだっけ?w

戦場で堂々と自分は"受"ですと高らかに宣言する度胸は凄まじく立派だとか言ってみるry
265人間七七四年:2009/01/12(月) 01:28:48 ID:bOnr53mt
愛 と書こうとして間違った説
266人間七七四年:2009/01/12(月) 01:32:11 ID:X1bxrYEq
戦国期の兜や陣羽織がハデハデなのは、自分の武功がちゃんと見ててもらえるように、
っていう自己主張からだからな。

いくら兜とかハデにした所で、あんな何千もいる兵の中で見分けつくのか?と思ってたけど
関ヶ原のイベント行って模擬合戦見た時、やっぱ役のある武将の役の人はちゃんと見分けついて
目立ってたから、効果あるんだなーと感心した。
267人間七七四年:2009/01/12(月) 01:50:26 ID:bOnr53mt
へえ、自分の目で確認できるなんて、いい物見たね。
268人間七七四年:2009/01/12(月) 02:09:24 ID:i92lmHlI
戦国武将って、有名な人でも親殺し、兄弟殺しとかしてるんだな?
歴史ほとんど知らんかったから、驚いた
269人間七七四年:2009/01/12(月) 02:24:08 ID:bOnr53mt
さすがに親殺しはそれほど多くは無いと思うけどね。
ケンカや無理やりの隠居、追放とかなら良く聞くけど。
270人間七七四年:2009/01/12(月) 02:30:40 ID:64iID+Az
>268-269
ついでに、大名家の権力・統治体制によっては
家臣の国人領主がよってたかって先代を押し込めたり追放してしまうこともある。

武田信玄の父・信虎追放、上杉謙信(長尾景虎)が兄に代わって家督したのなんて
本人より周囲の思惑が大きかったつー話で
271人間七七四年:2009/01/12(月) 02:35:46 ID:SFPqod9w
島左近には親兄弟皆殺しにして無理やり家督を奪ったって伝説があるな。
嘘か真かはともかく、これだけすさまじい話が残っている武将は左近くらいだと思う。
272人間七七四年:2009/01/12(月) 03:04:36 ID:4JDNg8Gi
>>268
戦国武将に限らずとも歴史上にゃ現在の常識にあてはめて非倫理的な奴は多い。

人類皆、森兄弟と言うじゃないか。
273人間七七四年:2009/01/12(月) 03:14:55 ID:i92lmHlI
親殺し・・・伊達政宗、斉藤義龍、大友宗麟
子殺し・・・武田信玄、徳川家康、最上義光
274人間七七四年:2009/01/12(月) 03:19:39 ID:Q3dxq14l
積極的に親殺ししたのって義竜くらいじゃない?
それだって実の子じゃないという風聞があったからこそ実行できたのかもしれないし
275人間七七四年:2009/01/12(月) 03:37:43 ID:NE0SLcTc
鬼左近の逸話としてはむしろ勲章だねw
276人間七七四年:2009/01/12(月) 06:59:04 ID:Hjbbx9vA
中部甲信越の身内同士の相克は凄まじいな。ほとんどの大名家がやってるんじゃないか?
長尾、武田、今川、織田、徳川、斎藤、里見、神保etc。あれだけ兄弟の多い北条だけはないのが不思議なくらい。
逆に近畿や中部地方は少なくない?浅井家くらいのような気がする。
本願寺の場合はすでに大名勢力としては滅亡後だし。
277人間七七四年:2009/01/12(月) 08:00:23 ID:+l4E73xp
>>276
多分書き間違えだろうから野暮なツッコミはしたくないが、
君が上げた大名家は全部中部地方な件



まぁ近畿だと肉親殺しではないが、親族内で延々とグダグダ抗争しているね
殺しになかなか発展しない分、決着もつきにくいようだ
毛利元就は弟を殺してるし、尼子経久は子を殺してる
浦上も誰かをやってたような?
里見も親族内で殺してるな
南部信直も晴継殺した上に、晴政あたりもきな臭くなかったっけ?
278人間七七四年:2009/01/12(月) 09:12:25 ID:00D8HyEx
能登畠山「うちは親兄弟の仲最高っすよ!」
279人間七七四年:2009/01/12(月) 09:29:28 ID:MFdvmSWP
調子にってAAでもう一つ。大坂夏の陣が終わった直後の輝元。
          ____
       / \  /\  キリッ
.     / (ー)  (ー)\   秀頼公ご切腹の義
    /   ⌒(__人__)⌒ \   まことに
    |     ー|r┬-|ー   |    
     \     `▼'´   /   祝 着 至 極
    ノ            \         だお
  /´               ヽ

            ___
       /      \
      /ノ  \   u. \ !?
    / (●)  (●)    \ 
    | ー(__人__)ー  u.   | ヒソヒソ>
     \ u.` ⌒´      /    (お前元五大老だろ)
    ノ    ▼      \
  /´               ヽ

(人が死んでるのに祝着はねーよ)
<ヒソヒソ.     ____
       /      \!??
      /  u   ノ  \
    /      u (●)  \
    |       ー (__人__)|
     \    u   .` ⌒/
    ノ          ▼\
  /´               ヽ
   輝元の空気が読めない話。ソースは忘れた。
280人間七七四年:2009/01/12(月) 09:37:40 ID:64iID+Az
>>278
重臣に蔑ろにされてるだけですよね、わかります。
281人間七七四年:2009/01/12(月) 11:12:15 ID:4eY9yhj8
>>279
輝元wwwww
282人間七七四年:2009/01/12(月) 11:16:00 ID:SFPqod9w
切腹って武士にとっては名誉ある死に方だから、祝着と言うのは間違いではないんだけどね。
283人間七七四年:2009/01/12(月) 11:19:15 ID:ZM2cmDYt
284人間七七四年:2009/01/12(月) 11:44:12 ID:ZcsPU7W2
>>282
孕石が家康に斬首じゃなく磔でもなく切腹させられたのも、
少しは情けがあったのかな?
285人間七七四年:2009/01/12(月) 12:12:56 ID:SFPqod9w
>>284
当時、宣教師が

『日本では、主人が家来を処罰するために捕吏を差し向けると、
家来はそれに、頑強に抵抗するが、
主人から自殺をするように言われると、素直にそれに従う。」

って、呆れた様に報告してるねw
切腹と言うのは武士にとって、討ち死にに準じる扱いだった。

大阪の陣の場合、秀頼が斬首のような「刑」を執行される前に、自分の手でその命を絶ったのは、
秀頼が武士としての名誉を保持した形でその生涯を完結した、って事で、
それは秀頼に同情する側からしてみても、「祝着」と表現されるものであったのは間違いないよ。

孕石の切腹も、そういうことだろうね。
286人間七七四年:2009/01/12(月) 12:24:42 ID:6ceu2F/1
孕石や秀頼は違う

磔というのは罪に対する刑罰なわけで、不名誉な死。だからこそ、切腹という
名誉ある死の方を選ぶ。そこまでは間違っていない。

しかし孕石にせよ秀頼にせよ、合戦で敗れた末のことであり、敗北は罪ではない。
ただ敗戦しただけも武将を磔なんてこの時代の常識や慣習法からしてありえない
ことであり、仮に秀頼が生きて囚われて処刑になったとしても、磔はない。そんな
ことしたら、家康の器量と政治能力を疑われる。
287人間七七四年:2009/01/12(月) 12:39:18 ID:SFPqod9w
>>286
> しかし孕石にせよ秀頼にせよ、合戦で敗れた末のことであり、敗北は罪ではない。
> ただ敗戦しただけも武将を磔なんてこの時代の常識や慣習法からしてありえない

つ 三成、安国寺、小西

まあ、秀頼の場合は右大臣って官位から言っても、実際に磔などの「刑」を受けるって
事態は想像し難いけど、下手に逃亡なんかして捕まった場合の「縄目の恥辱」ってのもあるわけで、
そういう事態から逃れたって意味でも、それは最善ではなくても次善ではある。
288人間七七四年:2009/01/12(月) 12:54:29 ID:46q/pcJk
高野山あたりに押し込められるよりは切腹の方が断然いいよね
なんとなくだけど
289人間七七四年:2009/01/12(月) 12:57:30 ID:xNLfyE3i
我々はつい半世紀前まで
「日本軍の捕虜はいない。彼等は捕虜になる前に自決してしまうからだ」
と公式記録に書かれる民族だからね…
290人間七七四年:2009/01/12(月) 14:00:55 ID:ikuRTQeV
畿内は応仁の乱とか戦国初期で結構やってないか。
291人間七七四年:2009/01/12(月) 14:09:19 ID:hZoY9Es9
>>287
三成たちは徳川側の主張では豊臣家乗っ取りを企てた大罪人なんだから打ち首はある意味必須。
秀頼の場合は徳川にとっての元主君であり、徳川が意図的に豊臣を戦に追い込んだのは明白なわけだし
捕縛されれば切腹だろうな。
もしかしたら助命の声が挙がるかもしれないから徳川としたら下手に秀頼を捕縛したくなかったと思う。
討ち死か自害してくれるのが理想でそれが実現したんだろうな。
292人間七七四年:2009/01/12(月) 16:02:17 ID:iQ8uQvuF
>>279
テル、キャラ立ってきたなw
293人間七七四年:2009/01/12(月) 17:38:23 ID:sU8WIjfN
>>272
>人類皆、森兄弟

 MATE.

(関所の)戸締まり用心・(長島寺や高遠城が)火の用心ってか...

 日本鬼武蔵振興協会、のちのDQN財団である((
294人間七七四年:2009/01/12(月) 21:01:45 ID:iEMlo24X
ラスボスから秀頼への愛情あふれる手紙




早々と手紙を給わりました。うれしくおもいましたぞ
さて、きつ・かめ・やす・つし(待女の名前)について、
あなたの気に背いたとうけたまわりました。
もってのほかの事で、母様(淀殿)に申し付けなさって、四人を一つの縄で縛り、
父様がそちらに行くまで置いておいて下さい。

予がじかに参上してことごとく叩き殺してあげるよ。
決して赦してはいけない。かしこ、
   二十日                  太閤

  中納言秀頼様

追伸
右京大夫はけしからん。
皆々、中納言様に逆う者があったらば、こき殺すほどに叩いてやれば
逆らう者もいなくなるであろう
北政所様も早々と具合もよくなったので安心してほしい。
お母様へもよろしく伝えておいてください。
必ず参上し、すぐさまいろいろと山ほど申し上げたく思っている。
めでたし。かしこ。




因みに秀頼6歳の時の手紙
亡くなる直前に出されたものですが秀吉の書状の中で一番怖いと思うので全文引用してみました。

295人間七七四年:2009/01/12(月) 21:06:26 ID:hZoY9Es9
>>294
溺愛する息子が気に入らない侍女を殺すとか晩年の秀吉は醜すぎるな…
これが秀吉の本性だったのかそれとも権力の頂点に上り詰めた副作用だったのか激しく気になる。
296人間七七四年:2009/01/12(月) 21:07:38 ID:OrQOsDPc
ラスボスマジぱねぇw
こんな手紙もらいてぇw
ちなみに右京大夫は秀頼の乳母
297人間七七四年:2009/01/12(月) 21:22:10 ID:287QCiF6
絶大な権力を得た人はだいたい残酷な気がする
298人間七七四年:2009/01/12(月) 21:28:34 ID:+uaanFpH
そりゃ秀次の妻子を皆殺しにするわなあ…
299人間七七四年:2009/01/12(月) 21:43:48 ID:SFPqod9w
>>294
晩年の秀吉は、諧謔と現実の境が、わからなくなっていくからなあ…

秀吉と言えば、こんな話もあったりする。


こんにちわ!わたくし筑前中納言小早川秀秋家臣、大河内茂左衛門です!
秀吉公が死んで間もない時期ですが、今日は主人秀秋から、北政所様への使いに、
ここ、大阪城にまいりました!なんか生臭いですね〜。
そんな事はともかく、わたくし、そのご返事を待っている間に、この城の女中、A子さん(仮名)に
インタビューしてみたいと思います!

茂「こんにちは!今日はインタビューを受けていただいてありがとう!
 早速ですが、このお城には大名や高貴なご身分の方がたくさんいますよね!
 その人たちの…、ぶっちゃけ面白い話、なにかないかなあ?
 秀吉公が生きてた頃なんて、不思議なことがいっぱいありそうだけど。」

A『(都合により音声が加工してあります)そうですね…特に変わったことは…
 あ、でも、殿下はお休みになるとき…』

茂「寝るとき?」

A『お休みになるとき、一間のご寝所に入られるのですが、その折、すべての扉に
 内から鍵をかけてしまわれるのです。そして、目が覚めるまで決して起こしてはならぬと
 きつくお言いつけて…

 それでもたまに、家臣の方々からどうしてもという御用が来ることがあり、
 そういう時はやむを得ず、障子の外から御様子伺いなどをすることがありました。
 その際に、障子に針で穴を開け、密かに中を除き見ますと、広い寝室のお部屋いっぱいに、
 殿下の体が膨れ上がっていらっしゃることが…』

茂「体が部屋いっぱいに!?」

A『あ、いつもではないんですよ!たまに…。それに膨れ上がっても、三四畳程のときも
 ありましたし…。
 身の毛のよだつほど不気味でしたが、殿下は尋常なお方ではありませんでしたし、
 まあ、そういうこともあるのかなあと…。それに…」

茂「ああっ!?ここでご返事が来てしまった。これにて緊急インタビュー、
 驚愕!大阪城に寝室で女中は見た!豊太閤衝撃の秘密! を終了いたします。
 みなさんさようなら!」
300人間七七四年:2009/01/12(月) 21:48:02 ID:OOc8JHcR
浅野さんの言う通りガチで何か憑いてたんじゃw
301人間七七四年:2009/01/12(月) 21:48:54 ID:5w5s7rIU
>>299
それなんてラブクラフト?
302人間七七四年:2009/01/12(月) 21:57:24 ID:Rg+fuwlM
生臭いって何でさwwwwwwwwwww
303人間七七四年:2009/01/12(月) 21:58:46 ID:SFPqod9w
>>302
そっちは政治的な意味でw
304人間七七四年:2009/01/12(月) 22:09:08 ID:RCSDsBJQ
>>299
日本史サスペンス劇場思い出した
305人間七七四年:2009/01/12(月) 22:30:00 ID:Ko7jktJO
将軍家娘婿の悲哀

池田輝政は徳川家康の娘婿として播磨52万石を持つに至っていた。
そんなある日、督姫付の老女が「はっきり言って池田家が出世できたのって家康公のご息女たる督姫様と結婚の逆玉に乗れただけですよね」と言い出した。
これを聞いた輝政は激怒し、「何を言うか!池田家が大身になれたのは全て俺の努力の賜物だ!断じて逆玉などではない」とその老女を罵倒したという。
その後輝政はその侍女をこっそり呼びつけ、 「池田家が栄えてるのは確かに督姫のおかげってのは否定できないよ。でもそんな事アイツに聞かれたらどうなると思う?
間違いなく徳川家の威光を鼻にかけて俺を蔑ろにするだろうぜ。頼むからアイツの前でそういうことは言わないでくれよ」と釘をさした。
督姫は輝政前妻の子である池田利隆を毒殺を謀ろうとしたという逸話も残るなど極めて気性の荒い女性であった。
池田家は輝政死後、利隆系と忠雄系に二分され廃藩置県までずっと犬猿の仲であったという。
306人間七七四年:2009/01/12(月) 23:16:34 ID:PcoPoMdT
>>305
輝政の逸話は、亡き父・恒興を討ち取った永井の禄高を聞いて
嘆息した話の方が好きだ
輝政の逸話だと、なんだかんだで只者じゃなかったんだなと思える
307人間七七四年:2009/01/13(火) 00:00:40 ID:BShV64Bv
池田家が出たので岡山つながりでひとつ。

小鴨左衛門尉元清は慶長六年の春、作州才原村へ到りここで一晩の宿を取る事になる。
しかしながら、この宿の亭主は元清一行がその容貌、物云がただ者でなかったため、
これはきっと伯州崩れの貴人に間違いないと考えた。
ならばその腰の物はさぞ高価な代物だろう、また金銀の貯えなども相当有るに違いない
と悪心を起こし、ひそかに隣家をそそのかし、また近隣に忍び居る強盗山賊の類を招き
夜更け時、人が寝鎮まった頃を見計り元清主従の寝所に忍び込み、主従の腰の物を奪い
元清主従が目を覚まし起き上がったところを盗賊共が左右より一度に斬りつけこれを
殺害してしまった。

しかし、因果応報というものか、さても人の怨念とは恐ろしい物なのか、件の山賊、
宿の亭主、隣家の者共、程なくことごとく死に絶え子孫跡形も無く果ててしまった。
が、それでも元清の気は収まらなかったのか、この後も人馬に病悩奇怪の事多く
村人たちはこれに恐怖し、彼の霊を新八幡に祝し小社を建て多いに奉り敬ったところ
病悩は無くなったため、今でも祭祀を続けているというお話。 「伯耆民諺記」より

この話がのちに八つ墓村のエピソードの元になったとかなかったとか。
まあ、宿の亭主にしたら(相手が)悪かったという話。



308人間七七四年:2009/01/13(火) 00:30:22 ID:h1YHRuep
>>307
そういえばこれによく似た話が、島左近でもあるな。
309人間七七四年:2009/01/13(火) 00:45:52 ID:/W18E2CE
幽斎「親兄弟でさえ殺し合う戦国の此の世、せめて我らだけでも仲良くせねばのう」
三斎、興元、忠隆、興秋「ほんと、そのとおりっすよねぇ」
310人間七七四年:2009/01/13(火) 00:54:02 ID:y7bhU4Cm
>>309
おまえらがいうなwww
311人間七七四年:2009/01/13(火) 00:55:17 ID:Vqb9wpe5
政宗「俺、弟は大切にするよ!」
312人間七七四年:2009/01/13(火) 00:55:41 ID:h1YHRuep
>>309
古河公方足利政氏「まったく持ってその通りだな。」
高基、義明、顕実、基頼「仲良くしない親兄弟って最低ですよね。」
313人間七七四年:2009/01/13(火) 00:57:51 ID:4jJ5FqqZ
>>311
>>312
ちょwww まてやwww
314人間七七四年:2009/01/13(火) 00:58:31 ID:lRJcNUwZ
「弟、斬っちゃっていいかな…」
315人間七七四年:2009/01/13(火) 01:01:19 ID:+Q3O5DQT
八つ墓村は津山事件からでしょ。
316人間七七四年:2009/01/13(火) 01:01:34 ID:C7EuOivi
三好長慶「一族で殺しあうとは、なんと野蛮な……」
細川晴元「まったくだ。近畿は平和でよかった」
317人間七七四年:2009/01/13(火) 01:10:20 ID:PObYl83E
>>315
八つ墓村にでてくる落ち武者の話の元ネタってことだろう。
318人間七七四年:2009/01/13(火) 01:15:39 ID:asSqJvO/
>>299
秀吉=ヨグ・ソトホートかよw
イアーーーー!!!!
319人間七七四年:2009/01/13(火) 01:37:53 ID:lNhAnSOm
織田信長「兄弟を謀殺するとか、マジないっすわ」
320人間七七四年:2009/01/13(火) 01:40:31 ID:cBbRDUly
直家「親子兄弟以外なら殺(ry」
321人間七七四年:2009/01/13(火) 01:46:55 ID:h1YHRuep
>>320
あんたの場合、義弟や義理の息子が…
322人間七七四年:2009/01/13(火) 02:01:35 ID:WMOYXqWD
信玄『優秀で自分を慕ってくれる弟達を殺すなんて考えられん』
323人間七七四年:2009/01/13(火) 04:25:17 ID:SRXA4Yri
甲斐宗運とか極めつけ
324人間七七四年:2009/01/13(火) 06:46:43 ID:+si4gpTa
そう考えると島津四兄弟って理想的なのかしら
325人間七七四年:2009/01/13(火) 07:22:11 ID:FWU5J3vE
北条三兄弟も
326人間七七四年:2009/01/13(火) 09:37:24 ID:HoVnDeK6
>>325
氏政、氏照、氏邦、氏規…(・ω・`)


仲は良かった、でいいのかね。
327人間七七四年:2009/01/13(火) 10:48:04 ID:WMOYXqWD
三兄弟なら氏邦か氏規が省られるんだろうな
328人間七七四年:2009/01/13(火) 11:41:36 ID:TctAPrao
>>327
よりによって生き延びた二人とかw

氏光とかも忘れないで
329人間七七四年:2009/01/13(火) 11:50:05 ID:I9x/Z271
影虎…(・ω・`)
330人間七七四年:2009/01/13(火) 12:13:10 ID:8hj1bisp
>>319
だってその甥っ子大好きだもんな
331人間七七四年:2009/01/13(火) 12:21:36 ID:HoVnDeK6
>>329
あー三郎ちゃんがいましたな…ごめんさい(´Д`;)
332325:2009/01/13(火) 12:27:39 ID:FWU5J3vE
甘いな

氏綱、氏時、幻庵だ
333人間七七四年:2009/01/13(火) 12:35:07 ID:HoVnDeK6
>332
氏時を忘れてた…いちいちすまん。
334人間七七四年:2009/01/13(火) 12:42:46 ID:I9x/Z271
氏広…(・ω・`)
335人間七七四年:2009/01/13(火) 12:49:38 ID:ZStaHb4q
毛利5兄弟
336人間七七四年:2009/01/13(火) 13:30:50 ID:dcAmbCZ8
>>319
織田信長は、家督になってから実弟(信勝)と大叔父(信友)を殺害してます
337人間七七四年:2009/01/13(火) 13:33:39 ID:N9eJzU13
>>335
絶望先生、ブス専、魔法使い(実子なし)、恥かきっ子×2でおk?
無知でサーセン
338325:2009/01/13(火) 13:57:26 ID:FWU5J3vE
>>334
あの子は早雲の実子かイマイチわからないので削除
339人間七七四年:2009/01/13(火) 14:33:17 ID:vowk2X8J
盛親「兄ちゃん大切にするよ!!」
340人間七七四年:2009/01/13(火) 14:38:26 ID:lNhAnSOm
久武親直「殿。兄上殿が家督を・・・・・・」
341人間七七四年:2009/01/13(火) 16:01:51 ID:WMOYXqWD
景勝『…』

直江『若殿いわく義父上様は私に家督を継がせたいに決まっている、勝手に当主を名乗っている景虎を懲らしめに参ると申しています』
3421/2:2009/01/13(火) 17:27:20 ID:6z3yOBpL
高坂蔵人の乱

津軽のヒゲ殿の跡取り、すなわち津軽弘前藩2代目藩主の津軽信枚。
この人は藩主になった経緯がキナ臭いのだが、まずまずの名君として後世に伝わる。
側室は石田三成の娘だったり、その経緯でか関ヶ原前後に石田重成を預かってたりとか、
かと思えば大坂の陣にではネジ込みで徳川本陣に馳せ参じたり、
正室が内府様の養女だったりもする、なかなかクレバーな御仁。

そんな信枚だが、有能な戦国武将のご多分に漏れず、衆道も嗜んでおった。
信枚は小姓の八木橋専太郎を特に寵愛していたらしいのだが、1612年のある日、
さあ愉しもうかと専太郎を呼んだが、なぜか姿を現さぬ。
なんと専太郎は重臣の高坂蔵人に横恋慕され、なかば拉致されてしまっていたのだった。

高坂蔵人は信枚が2代目藩主になる際に発生したお家騒動などでも大活躍した、
いわば信枚にとっては恩人とも呼べる重臣中の重臣。
もちろん信枚は腹を立てたが、まず使いを出して早急に専太郎を帰すよう勧告した。
しかし専太郎のナニが余程ジャストフィットしたのか、高坂は頑なに拒否。
藩主の小姓を奪った上に言うことも聞かないという暴挙に、さすがの信枚もブチ切れ、
高坂と専太郎の両名を手打ちにすることに相成りまして候。
3432/2:2009/01/13(火) 17:27:52 ID:6z3yOBpL
その後、今更ながら戻ってきた専太郎を斬殺すると、他の家臣の取り成しもあってか
信枚の怒りは一旦は収まり、高坂はしばらくの蟄居を言いつかった。
ところが、ほとぼりも冷めたかという頃、なんと高坂が脱藩しようとしていることが発覚!
まあーそりゃ津軽に居づらくもなるわなあー。
しかも行き先は不倶戴天の南部だという。
もはや勘弁ならぬ信枚は、城まで律儀に暇乞いにやってきた高坂を謀殺したのだった。

だが、騒動はここからが本番だった。
捕り手を向けられ、進退窮した高坂の妻や家人たちは、座して死ぬよりはと屋敷に火を掛け、
挙げ句には天守めがけて鉄砲を撃ちかけるというヤケクソ気味な行為に出たのだ。
結果、高坂勢は高坂の妻や母、家人らを含めて80名ばかり、さらに親類縁者ことごとく
根切りにされたという。
さらに、この動乱で高坂に味方した者、信枚や津軽藩の行く末に不安を感じた者らが
次々と脱藩し、津軽藩の家臣の数が半分になってしまったとか。

あな恐ろしや。

あ な 恐ろしや。
344人間七七四年:2009/01/13(火) 17:37:01 ID:h1YHRuep
殿様の衆道相手二人の権勢争いで内乱が起こって、伊達政宗にそこを突かれた
大崎家なんてのもあったな…。
345人間七七四年:2009/01/13(火) 18:52:25 ID:Scuk3Pnw
晴信「ケツのことくらいで家臣とトラブんなよ、みっともねえ」
346人間七七四年:2009/01/13(火) 19:01:12 ID:yP+leG2t
>>344
鮭様の妻の実家ですね
347人間七七四年:2009/01/13(火) 19:03:30 ID:lRJcNUwZ
脱藩が脱糞に見えたorz
348人間七七四年:2009/01/13(火) 19:11:09 ID:sn8auvjH
実は戦国時代に増やした余剰戦闘員に対する高度なリストラだったりして。
349人間七七四年:2009/01/13(火) 19:23:58 ID:6z3yOBpL
津軽信枚には落雷して火薬に引火、五層天守閣が根こそぎ吹き飛ぶという
まるでヘタリア軍のようなエピソードもあるのだが、
東北大名ゆえ、本屋で買える良質資料に乏しくてねえ。
350人間七七四年:2009/01/13(火) 19:59:34 ID:pL1mM6ud
俺もリストラを連想した
351人間七七四年:2009/01/13(火) 20:07:46 ID:ezoOkT6T
>>343
大騒動で、よくつぶされなかったもんだ
352人間七七四年:2009/01/13(火) 20:16:26 ID:V/cHJOti
政宗「衆道に夢中になるなんて恥ずかしいね」
353人間七七四年:2009/01/13(火) 20:40:27 ID:i379AMHJ
虎哉「殿はファザコンでマザコンでツンデレで衆道好きで奥方はノーマルと
性のマルチロールじゃからのう。立派に育ったものじゃ。ははは。」
354人間七七四年:2009/01/13(火) 21:50:12 ID:ti0nzgqJ
性教育の成功例ですか
355人間七七四年:2009/01/14(水) 00:28:38 ID:6HpDkw43
>>353-354
「実験せいこう(」
356人間七七四年:2009/01/14(水) 00:31:38 ID:l6gSW4Ax
義光「マザコンとかもうねw家族にそんなに執着しないだろjk」
357人間七七四年:2009/01/14(水) 00:59:32 ID:30izF+hX
>>356
義姫「……あら、そうですか。兄様の考えはよくわかりました。」
358人間七七四年:2009/01/14(水) 01:07:56 ID:IpCq9Sps
会津、伊南の小領主、川原田盛次は、天正十七年秋の、伊達政宗が派遣した
片倉小十郎、長沼盛秀らによる侵攻を、領民総出の奮戦によりどうにかしのぎきった。
そして石田三成を通じて秀吉と接触、翌十八年、北条征伐のため関東に下向した秀吉に
お目見えするため、滞在先の宇都宮へと向かった。
伊達の軍事的脅威を跳ね返した今、豊臣政権に領主として確認してもらえれば、
川原田家は正に安泰となるのだ。

「ようこそ参られた。殿下がご出立の時刻にお目見えできるよう取り図っておきました。
お目見えさえいたせば、そなたの本領安堵は間違いありません。
ともかくお目見えの時刻まで、宿舎で待機なされるとよいでしょう。」

三成らにそういわれて、盛次は安心した。安心して宿舎で食事を取った。酒も出た。


これが拙かった。


川原盛次、この酒で、泥酔。旅の疲れもあったのだろう。
目が覚めたとき、宇都宮に既に秀吉の姿は欠片も存在しなかった。


この後、三成に泣きつき必死に許しを請おうとするも、川原田盛次、所領没収。牢人に。
この事がよほど堪えたのであろう。それから一年もたたない天正十九年一月二十一日、越後にて病死。
最後の、本当に最後の詰を誤った、そんな男のお話。
359人間七七四年:2009/01/14(水) 01:14:02 ID:cL+RcSnr
うわぁ…これは悔やまれる失敗
360人間七七四年:2009/01/14(水) 01:19:29 ID:LkyB9kvc
安堵しちゃったんだろうなぁ……可哀想に
361人間七七四年:2009/01/14(水) 01:19:41 ID:A+Cvky7h
気がゆるんで油断したのが悪かったんだろうけど…。
可哀想だ(´・ω・`)
362人間七七四年:2009/01/14(水) 01:26:02 ID:3Nbwa/rH
睡眠薬でも盛られたんじゃね?
363人間七七四年:2009/01/14(水) 01:31:31 ID:6HpDkw43
>362
 もしかして 藤次郎の人に……?
364人間七七四年:2009/01/14(水) 01:32:41 ID:z+Hy0S6y
>>358
「どうせ2−3千石くらいの土地だろ?畿内ならともかく
こんな田舎でそんな小領主作るなんて面倒だ。
酒飲ませりゃ泥酔すんだろ。
明日の朝は誰も呼びに行くなよ」

という政権側の意識が見える気がするのは気のせいか?
東北は関東に比べ小領主が圧倒的に少ないというか、
意図的にそういうのが潰されたり、どっかの臣下に
組み込まれて独立保てなかった例が多いような。
中央から見りゃどうでもいいんだろうな。
365人間七七四年:2009/01/14(水) 01:43:23 ID:IpCq9Sps
>>363
このあと会津に入って来て、この川原田さんを追い出したのは蒲生氏郷だよ。
ちなみに盛次が死んだ後、それについていった川原田家の人たちや家臣は、
伊南に帰って帰農したようです。
366人間七七四年:2009/01/14(水) 09:05:43 ID:6HpDkw43
>>365
それもそうかー奥州仕置から会津は蒲生、つぎ上杉が入ったな。

まあ一服盛ったは勝手な妄想だけどさw
367人間七七四年:2009/01/14(水) 09:45:21 ID:E0SC98aa
大阪の陣の際、田中の城門の格子から西上する井伊家の赤備えを見た家康は、
そのピカピカの赤備えの集団を見るや、途端に不機嫌となり、「あんな格好をして
たら、荒っぽい戦場で、戦の役にたつまいよ。井伊家は先陣を切る役目の家柄な
のに不覚悟なことよ」と嘆いて見せた。
しかし、その後方から、剥げ掛かった赤い古頭形の兜、飾り気のない鎧を纏った、
老武士の集団がやってくると、「老いても心得のある武者どもだ。物見も先陣も
立派にこなすに相違ない」と喜んだという。

で、その大坂の陣。
この合戦が最後の戦国の戦になる、と読んだ駿河宰相頼宣の家臣矢部虎之助は、
是非とも目立つ働きをしようと考えた。
そこで、指物師を呼び、長さ二間(3.6m)の大きな位牌を作らせ、そこに辞世の句、
「咲く頃は花の数にも足らざれど 散るには洩れぬ 矢部虎之助」と彫り込んで、
勇んで出陣した。

さて、大坂の陣で、駿河宰相の陣に敵が迫った時、彼は真っ先に一騎駆けして
手柄を上げようとしたのだが…。
彼の馬はその位牌の重さに耐え切れずに前へ進まず、遅れを取った彼は戦場に
間に合わず、戦後、これを恥じて自分の屋敷を出ずに食を断って飢え死にしたと言う。
368人間七七四年:2009/01/14(水) 09:46:36 ID:7l0NwEBT
九州でも、秀吉は小領主のリストラやったもんね。

宗像氏、城井氏、英彦山神社、秋月家、筑紫氏、天草の諸侯は潰されるか大幅カット。
邪魔だったんだよ。
逆に大友宗麟の豊後は、秀吉をへて家康の時代、小領主、直轄領で細切れにされた。
その後遺症で、近隣同士の仲悪かったり。。
369人間七七四年:2009/01/14(水) 09:59:41 ID:FG3FutNo
>>367
でも、その家康が酷評した赤備は八尾・若江の戦いで大損害を受けながらも、
数に勝り、畦道の先にある自然堤防を胸壁とした木村勢を壊滅させてるし

翌日の天王寺・岡山でも壊滅状態でなお戦い、旗奉行・槍奉行が戦死する様な
目に遭ってる

まぁ、井伊に限らず大坂役の幕府軍は全般的に未経験故の突撃馬鹿が多いけどね


370人間七七四年:2009/01/14(水) 10:21:06 ID:8bY4LCuW
大坂の陣にいた奴で戦国時代に戦指揮してた奴ってどんくらいいるっけ。
豊臣政権成立前とかなるとかなり絞られるよな。
371人間七七四年:2009/01/14(水) 10:25:38 ID:/uA6NoJH
伊達政宗、上杉景勝、後藤又兵衛
372人間七七四年:2009/01/14(水) 10:27:10 ID:binRxsNS
満天姫

徳川家康の養女満天姫。実父は松平康元なので、実質的に実の娘も同然だろう。
満天姫は波瀾万丈の生涯を送った。

まず満天姫は小西行長の嫡子・兵庫に嫁ぐことが決まったいた。
このとき満天姫まだ10歳の幼女。
しかし小西家は関ヶ原では西軍に付くであろうと予測されたため、輿入れは無しになった。
婿になるはずだった兵庫は毛利輝元によって関ヶ原後に斬処される。12歳だったという。

関ヶ原の合戦の直前、満天姫は今度は福島家に嫁ぐこととされる。
相手は正則の養嗣子・正之。もうみなまで言うな。
慶長12年、正之は「気が狂った」ため監禁され、満天姫は正則の判断で離縁させられ出戻ることに。
このとき満天姫ようやく18歳。夫だった正之は餓死。享年24だったとされる。

出戻った満天姫だったが、すでに正之の子を身籠もっていた。
ほどなくして無事に出産したのだが、産まれた子は男子であった。
数年が経ち満天姫は今度は津軽信枚の元へ輿入れすることになる。

信枚にはすでに正妻があった。石田三成の娘・辰姫である。
信枚は徳川の不興を買うまいと、辰姫を側室に降格、満天姫を正室として迎えた。
福島正之との間にできた男子は家老の大道寺直英の養子にされ、直秀と名乗ることに。
しかし信枚の心は辰姫にあり、先に嫡男・平蔵を産んだのも辰姫であった。
翌年に満天姫も男子を出産するが、信枚は辰姫との間にできた子供を跡継ぎにと決めており、
実際、後に平蔵は3代藩主信義となる。

もうすでに立場のない満天姫に、更なる不幸が襲う。
寛永13年、大道寺の養子となっていた直秀が何をトチ狂ったか「福島家再興を」と
幕府に訴え出ようとしていることが発覚。
津軽の安泰を思ってか、徳川に仇なす輩を見逃せずか、満天姫は直秀が江戸に出立する朝、
最後の別れを言いに来た実の息子を毒殺したのだった。
その2年後、満天姫は弘前で没する。享年50。

徳川の娘の悲しくも(男運の)悪い話。
373人間七七四年:2009/01/14(水) 10:33:57 ID:FG3FutNo
水野勝成、松平康長、酒井家次、本多康俊で後は義直・頼宣の付家老位か
家康家臣の古参
374人間七七四年:2009/01/14(水) 10:59:08 ID:2BDxGlZ5
藤田信吉、細川忠興、立花宗茂あたり

有楽、高虎…は指揮って言うと豊臣以前はちょっと微妙か
375人間七七四年:2009/01/14(水) 12:00:44 ID:ngPWB+X6
立花宗茂は大阪の陣にいたっけ?
376人間七七四年:2009/01/14(水) 12:01:43 ID:MrrlAaA+
黒田長政、加藤嘉明、共に家臣に愛想つかれ組。
377人間七七四年:2009/01/14(水) 13:19:56 ID:hvGwrjwo
水原さん(第四次川中島参戦)に
「子供の石合戦」呼ばわりされるのもむべなるかな。

>>375
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/3/31/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%86%AC%E3%81%AE%E9%99%A3.png
いたようだ。
夏の陣では秀忠警護をしていたらしい。
378人間七七四年:2009/01/14(水) 13:49:34 ID:ngPWB+X6
いたのか
本格的な大名復帰前だから存在感無いのは仕方がないか
379人間七七四年:2009/01/14(水) 14:01:18 ID:MrrlAaA+
木下延俊は建長日記で知られるが、血縁ではないが秀吉、秀頼の親戚。
人付き合いが大好きの社交家。母親兄思いの日出の領主。
ごく普通の人だったみたい。

大坂の陣の数年前に親戚として秀頼に会いにいっているが、
陣の片隅で複雑な心境だったろうね。
380人間七七四年:2009/01/14(水) 18:05:27 ID:2V+vDmnP
そういえば延俊は慶長日記を著者だったな(ただし書いたのは彼の佑筆だが)
381人間七七四年:2009/01/14(水) 20:21:33 ID:DCwMsPWH
すまん、建長じゃなくって慶長日記だったね。
382人間七七四年:2009/01/14(水) 22:47:57 ID:/8TxYnrd
>>367
ちょっ、矢部!
383人間七七四年:2009/01/14(水) 22:54:18 ID:ASUBx55G
>>372
男運は最高だったが悲しい結末を迎えた黄梅院という女性もいるな。武田と北条の同盟の為に、氏政にわずか12歳で嫁ぐ→お互いに相性が良かったので大変仲睦まじく以降15年ラブラブの結婚生活を送り、氏直始め男子6人の子宝に恵まれる
384続き:2009/01/14(水) 23:03:27 ID:ASUBx55G
ところがどっこい、信玄が今川に攻め込んじゃったのを機に同盟破棄→ブチ切れた氏康、黄梅院を離別する様氏政に要求→氏政反対するも親父には逆らえず黄梅院を甲斐に送り返す→最愛の夫と息子逹と引き離されたショックからまもなく病死
と悲しい結末になってしまった。後数年生きていれば……
385人間七七四年:2009/01/14(水) 23:08:58 ID:ec3APS6s
>>384
武田滅亡の巻き添え?
386人間七七四年:2009/01/14(水) 23:13:05 ID:IpCq9Sps
>>384
氏康は義元に北条今川同盟が破棄された時にも、今川氏親の娘である自分の嫁さんの
瑞渓院を、離別なんてしなかったのになあ。
387人間七七四年:2009/01/15(木) 02:42:15 ID:MAUns4io
>>386
その氏康の意図だったっらしいが >離別
氏政は国境まで見送りにいって、別居領をわざわざ負担して、
最同盟(横梅院の死)後は分骨してもらって自身で弔ってる。
388人間七七四年:2009/01/15(木) 03:50:11 ID:ea6+fLz8
北条さんとこは早川殿も氏真と仲良かったな
389人間七七四年:2009/01/15(木) 07:16:35 ID:3I+THv95
勝頼の奥さんになった北条夫人も勝頼と仲良かった。
390人間七七四年:2009/01/15(木) 07:21:55 ID:XU1c7L2Y
上総国土気城城主・酒井胤治は北条家の勢力が強くなるとその配下に加わって活躍していた。
そんな折、第二次国府台合戦が勃発。これが正月あけてすぐの開戦。
胤治「ちょ、年始いきなりの出陣なんて聞いてません!準備できるまでちょっと待ってください!」
しかし北条氏康の反応は…、
「遅えなあ、やる気あんのかよ。ひょっとして里見の方に寝返ろうとしてんだろ?」
この噂を聞いた胤治は激怒。
「んだと、ざけやがって!ああ分かったそっちが寝返ると思ってんならこっちも本当に寝返ってやるよ!」
かくして酒井胤治は里見義弘に寝返ってしまうのでした。
391人間七七四年:2009/01/15(木) 10:06:31 ID:rM9Jd9tO
フロイスが「嫌疑をかけられると主人を殺してしまうから
罰したり諮ったりする前に主人は部下を殺す」と書くわけだ。
392人間七七四年:2009/01/15(木) 14:56:53 ID:uDwgQNq8
横田大学と言う人がいる。

彼は蘆名家重臣、山内舜通の次男であった。大学は文武ともに出来がよく、
舜通は嫡男、山内氏勝を差し置いて、この大学に跡を継がせようとし、これに氏勝は
反発。山内家が二つに分裂する騒ぎになった。

大学は、親子兄弟相克が当然の、戦国時代には珍しいことだが、まるで中国古典の登場人物のように
この事態に心を痛め、自ら身を引き会津を出、越後を経て、駿河の徳川家康の家臣となった。

さて、天正17年(1589)、摺上原の戦いが起こる。これにて蘆名家は滅亡。
当時山内家の家督を継いでいた兄、山内氏勝の身も風前の灯となった。
傍から見れば、弟の大学を追い出した兄、と捉えられても仕方が無いだろう。だが大学は
この兄にうらみは無く、蘆名敗戦の報を聞くや、家康に、兄を助けに行くのでお暇をいただきたい。
そう申し出た。

家康はこういう男が好きだ。大学に甲冑や、脇差に使う貴重なヤクの毛(唐の頭)、さらに
多量の鉄砲まで与えた。そして

「われらは会津まで向かうことは出来ないが、伊達に対しては越後の上杉がその対処に
あたる。上杉景勝を頼ると良い。」

そう言って、わざわざ本多正信から越後の直江兼続に、横田大学をよろしく頼む。そう書状
まで出させた。

山内氏の居城、中丸城は既に伊達に落とされていた、だが、水久保城にて抵抗を続けていた
氏勝に、越後よりの支援を得た大学は合流。
さらに豊臣政権からも、「本領を安堵するので秀吉が会津に攻め入るまで政宗との戦いを継続せよ」
という石田三成からの書状も得た。
篭城衆はこれに力を得、兄弟力を合わせて奮戦した。

こうして、氏勝、大学の兄弟は、天正18年(1590)の奥州仕置まで、この城を持ちこたえた。
山内氏の所領を守りきったのだ。


…と、ここまでならいい話なのだが。


秀吉の政権は、小勢力との約束など、なんとも思わない傾向がある。
ここでも例のごとく、山内氏の所領は没収され、氏勝、大学の兄弟は越後に蟄居となった。
393人間七七四年:2009/01/15(木) 15:23:00 ID:yJyhX23m
ラスボスはこれだから…
394人間七七四年:2009/01/15(木) 15:43:31 ID:wb2keW0D
>>392
見てみたら、上杉からの支援で藤田・安田・須田の大将級が出てるのな。
横田大学、会津の上杉家に仕えて上杉家減封、
最上家に仕えてお家騒動の訴訟のために出府するも最上家改易。
カワイソス。
395人間七七四年:2009/01/15(木) 17:50:37 ID:DpXz+S0h
ひっでえ
良い話なのに不幸の塊だ
396人間七七四年:2009/01/15(木) 18:05:11 ID:eVMY23hV
これでこそラスボス
397人間七七四年:2009/01/15(木) 18:47:51 ID:JfqY64Tb
ラスボスさすがだな。
398人間七七四年:2009/01/15(木) 19:51:36 ID:WH2LKUK3
やっぱラスボスはパねえや。

日本には、秀吉を越えるラスボスって、やっぱりいないね。
399人間七七四年:2009/01/15(木) 19:59:17 ID:AJeJVYEM
>>392
ここまで人々のめでたしめでたしの期待を裏切るとは…むしろカッコイイ…
400人間七七四年:2009/01/15(木) 20:33:30 ID:eeBEa06M
書き込むスレ間違えてやがるpgrwwww、と思ったら・・・
くそっ、ラスボスめ
401人間七七四年:2009/01/15(木) 20:35:22 ID:XU1c7L2Y
基本的に秀吉は東北の人間はどーなろうとどうでもいいやっつー考えのような感じがする。
402人間七七四年:2009/01/15(木) 20:45:32 ID:dgIhI3o4
信長の野望で終盤だれるから超適当にプレイしましたって感じだな
403人間七七四年:2009/01/15(木) 20:45:36 ID:8NncnqD3
>>392
二代で潰れてよかったな、豊臣政権
404人間七七四年:2009/01/15(木) 21:02:43 ID:mT2CPR5d
えらい雑な東北仕置きだな
九州の佐々といいわざとかいな?
405人間七七四年:2009/01/15(木) 21:14:01 ID:eoPQAHJi
1596年に、土佐沖に遭難漂着したサン・フェリーぺ号の積み荷を
全部強奪しちまったのも秀吉。
なんでもすごいお宝、金、西洋時計、ラシャ布、熱帯の鳥の羽、毛皮、
弾薬、大砲、等々に目がくらんでしまった。
ついでにフランシスコ会宣教師も血祭り。

家康は、1600年、ウイリアム・アダムズ、三浦按人らのオランダ船が漂着した時、
イエズス会士らが海賊だと処刑を懇願したが、国王として難破した船の外国人を
保護せねばならない、と突っぱね保護している。

もっとも積み荷の大砲は頂戴し、他には金目のものは皆無だったらしい。
406人間七七四年:2009/01/15(木) 21:16:42 ID:c1BMEXuP
流石ラスボス考え無しだな
存命中に政権潰れてしまえば良かったのに……
407人間七七四年:2009/01/15(木) 21:20:18 ID:JfqY64Tb
小一郎さん死後のラスボスは完全にネジが飛んでる。
408人間七七四年:2009/01/15(木) 21:21:51 ID:9Z3h7gRh
自分で政権を潰すような無能じゃないから逆にたちが悪い…
409人間七七四年:2009/01/15(木) 21:24:33 ID:yD6KYYQM
     __       __
     / 、〉〉〉〉      〈〈〈〈ィ ヽ
     |_,イ_⊆》 __   《⊃_ヒ_|  ←藤吉郎
    [・_・_・_] /, --||-、  [_・_・_・] 
    /   // r'∠二二> |   | 
    〈__ノ\/ 0、 ゚ (>゚l/ ̄ヽ_| ガオーッ!
    \   i | ヽ_ニニニフ、   / 
    i'^|ヽ__ノノ      | |/              ____
    | ト---"ヽ___ノ|"                 |┌──┐
    |ニ|==()     ()|          ___円rrrrr|│   │
    | |ニニニニニニニ| 且┐     _| |田:|ロロロ|└──┘
    ∧_∧   wWピピピピピ ^i┐ ┌|iiiii| |:::::::|ロロロ|二二二二
   | *’ω’|¶ ¶  <行くぞ 兄貴!
┳┳(  つロ二二l┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳

     ↑小一郎
410人間七七四年:2009/01/15(木) 21:26:23 ID:DpXz+S0h
秀吉の悪い話を戦国時代のことをあまり知らない人が聞いたら、
RPGで最初に出てくる人の良い王様が、実はラスボスだった!
ってぐらいの衝撃はあるのかな。
411人間七七四年:2009/01/15(木) 21:27:04 ID:J2AJT53k
>>392
凄ぇ良い話だったのに、このオチは無いわ・・・
412人間七七四年:2009/01/15(木) 21:45:25 ID:rxyKs/WU
ウィリアム・アダムス千載一遇のチャンスを逃す

オランダ船に乗って日本に漂着したウィリアム・アダムス
彼は家康に強く引き留められて、帰国することはできなかったが、
一度だけ帰国の許可を貰ったことがあった

それは慶長18年9月1日にジョン・セーリスより英国の国書が渡され、
その返書を持ち帰る際の事である
アダムスは望郷の想いを家康に告げ、家康もイギリスとの交渉が
一段落した事と、これまでの彼の仕事振りに満足し帰国の許可を
与えたのであった

しかしアダムスは結局、その英国船には乗らなかった
何故なら彼は尊大で礼儀知らずな司令官ジョン・セーリスとの仲が
悪く、とても同じ船に乗る気がしなかったのである

結局、彼はそのまま日本で生涯を閉じることになる
ちなみにジョン・セーリスによると

「ウィリアム・アダムスは日本の着物に刀をさし、とても英国人には
見えない。この国の礼儀に従う事を強要し、英国人として行動している
様には見えない」

朱に交わり真赤になった英国人は、当の英国人には三浦按針にしか
見られなかった


因みにジョン・セーリスは家康と面会した際に、アダムスの助言を無視
して、家康の目の前まで歩んで国書を渡し、家康はそれを額に押し戴いた
と報告しているが、実際はその直前に本多正純に取り上げられたとの事

まぁ、家康はどちらもにこやかなままだったと記されている
413人間七七四年:2009/01/15(木) 21:49:12 ID:nvdyQbwq
そういえば按針は秀忠の代には冷遇されてたな
414人間七七四年:2009/01/15(木) 22:13:35 ID:n+8XoPra
>>405
難破船の荷は流れ着いた国のものになるって慣習法があった
415人間七七四年:2009/01/15(木) 22:48:04 ID:eoPQAHJi
414>
あ、そうだったね、それ聞いたことあるなあ。

三浦按人、15年ぶりに故国、英国人と平戸であう経緯となった。
が、その15年間、彼は日本語、ポルトガル語、オランダ語を
流ちょうに話していたのであったが、母国語、英語を話すこと皆無であった。

イギリス海軍士官、セーリスと話すとき何度もつかえる有様。
セールス「こいつ、ほんとイギリス人かいな。。。」

アダムズ「生意気な青二才、こいつと1年以上かかる航海なんて、喧嘩になるにきまってる
まっぴらじゃわい。、
俺、ここでは二百石どり、国王の側近旗本、英国でいえば御領主様、貴族だも〜ん」

おまけにセールスはポルノ絵画を収集する癖があり、奇人変人。
彼が帰った後平戸にイギリス商館を作るも、無能な商会員の放漫経営で
オランダにやられっぱなし、アダムズもうんざりだった。
416人間七七四年:2009/01/15(木) 22:55:55 ID:8ycylODI
難破船は船主がいない場合漂着した地の寺社の物になるって「廻船大法」で定められてる。
417人間七七四年:2009/01/15(木) 22:57:43 ID:doeKFhSh
>>416
外国の船だし、国際的な慣習法である>>414のほうが適切じゃあるまいか
418人間七七四年:2009/01/15(木) 23:04:40 ID:8ycylODI
かもしれないです。

1484年に済州島の商戦が五島に漂着した時は島の島主がわざわざ朝鮮国王に書状を出して
乗組員をどうするか聞いてる。
この時は船主も乗っていたらしい

419人間七七四年:2009/01/15(木) 23:04:58 ID:XvtRp6A+
>>409
ワロタww
たしかにそれっぽいかもww
420人間七七四年:2009/01/15(木) 23:08:46 ID:x3ugFmzp
ラスボスのとこは兄がアクセルで弟がブレーキ兼クラッチだからな
弟死んだらそりゃー…
421人間七七四年:2009/01/15(木) 23:21:43 ID:z56009VC
もう一人欲しかったよね、小一郎さん
422人間七七四年:2009/01/15(木) 23:48:22 ID:jw9VuecY
せめて小六さんが生きていれば……。
423人間七七四年:2009/01/16(金) 00:03:24 ID:1J4b+b6c
>>421
ロボじゃなくて操縦者を量産するのかよw
424人間七七四年:2009/01/16(金) 00:15:31 ID:++LYNJS7
ここでラスボスらしい話を。

敦賀城主の蜂屋頼隆は太閤検地に反対だった。ある日頼隆はラスボスと謁見の際
一.今度の検地で上下とも痛みが並大抵ではないこと。すべての痛みは積もっていっても、しまいには元へ戻るものであること。検地による痛みは元へ戻らない。一.士民に限らず、老後の楽しみがなくなり、人の気味も年々卑しくなり、至誠の人物はいなくなってしまうでしょう。
一.それでも検地を進めるのであれば、せめて故郷の屋敷分だけでも除外してほしい。と言ってきた。
だがラスボス秀吉は
蜂屋出羽検地ゆるせとさしていへどそらうそぶひて聞ぬ関白
と読んだ。
1589年頼隆が死去。蜂屋氏は断絶。同年敦賀城にはラスボス子飼いの大谷吉継が城主に。
425人間七七四年:2009/01/16(金) 00:28:35 ID:rK4xch7e
蜂屋とラスボスはあまり仲がよく無さそうに思える。

賤ヶ岳後に秀吉に一応味方してるのに蜂屋の所領5万石しかないし。
426人間七七四年:2009/01/16(金) 01:13:46 ID:EDegeOXW
農村政策は太閤さん革新的だからなぁ
427人間七七四年:2009/01/16(金) 01:30:32 ID:y3c77W3e
太閤検地って、諸侯の軍役を増やす魔法の種で、日本の石高ってこれで平均3割、
ひどい所だと倍近くに増えたのね。

諸侯の石高あたりの軍役は変わっていないのだけど、同じ土地なのに石高が増えたから、
自動的に軍役に出す人員、物資は増える。だけれども実際には生産量や人口が、検地を期に
増えるわけではない。当然諸侯にも農村にも、過大な負担がかかる。

これで日本の農村は恐ろしく荒廃した。村まるごとの逃散なんてものが相次いだ。
日本でも豊かな地域であり、秀吉の故郷である尾張ですら、多くの農村が壊滅状態になって、
京で陰陽師や占い師を捕まえてきて、荒廃した農村に投入したりしてる。

蜂屋の太閤検地批判ってのは、そういう過酷な現実が存在したって事を頭に入れておくと
非常によく理解できる。
428人間七七四年:2009/01/16(金) 01:59:22 ID:++LYNJS7
何故秀吉は石高を適正な数値にしなかったか?増やしたらやばいと思わなかったのかね?
429人間七七四年:2009/01/16(金) 02:08:33 ID:y3c77W3e
>>428
大陸出兵のためです。
秀吉の政策って、太閤検地も刀狩も、結局は大陸出兵の為のものなのね。
430人間七七四年:2009/01/16(金) 02:10:20 ID:4C+P8aqH
ラスボス「えー、
     大坂城とか伏見城とか聚楽第とか豪華に作りたいしー、
     唐入りの軍勢いっぱい欲しいしー、
     諸侯に金配りまくって良い顔したいしー、
     そもそも金はいっぱいあっても困らないしー
431人間七七四年:2009/01/16(金) 02:51:34 ID:rK4xch7e
太閤検地と銘打って絞り始めたのも小一郎さん死んだあとなのな。
432人間七七四年:2009/01/16(金) 03:43:18 ID:PiCDnkZC
兵法者は戦下手
南国肥後相良の丸目蔵人佐(長恵)は、タイ捨流の祖で九州に新陰流を広めたお人だが戦は下手だったようだ。
この蔵人、19歳で上洛し上泉信綱に師事し新陰流を学ぶ。時の将軍足利義輝の御前で師の信綱と模擬戦を披露するよにまで名を上げた。
そして意気揚々と南肥後の人吉に帰国したところ、相良氏は薩摩島津との戦の準備の真っ最中。
戦の理由は相良と友好関係にあった薩摩菱刈氏の大口城近くに、島津配下の新納忠元が市山城を築き戦い避けられぬ状況になったため。
さて、都会で兵法者として名を上げた蔵人、意気揚々とこの大口城に後詰めとして入ったのだが、たいするは島津四兄弟の末弟島津家久(善)。
例によって島津お得意の釣り野伏せ、ごく少数のおとり部隊が大口城に攻撃を仕掛けてきた。

蔵人「島津の小童めあのような小勢で城攻めなど片腹痛いは!おらおら突撃だー!」

だが相良勢の中にも釣り野伏せを見破った人物がいる。赤池長任臣下の小田八郎右衛門である。
小田「ちょっとちょっと、あの家久(善)があんな小勢で攻めてくるわけないでしょ、あれ絶対囮ですよ!」

しかし都会帰りで意気揚々の蔵人は聞く耳をもたない。
蔵人「んなこたあ無いよ!将軍様お目見えの兵法者の俺を信じなよ!ほら突撃突撃!」

こうして蔵人の指揮の下、まんま城外へとにおびき出された相良勢は島津家久(善)の伏兵に取り囲まれ全滅の危機に瀕する。
そんな蔵人の危機を救ったのは釣り野伏せを見破った小田八郎右衛門。
敵軍に突撃し蔵人達が逃げる時間を稼ぐが、そこで討ち死にしてしまった。

こうして命からがら人吉に逃げ帰った蔵人だが戦は大敗。京仕込みの兵法者の効能もさすがに色あせ、相良義陽は蔵人に蟄居3年を命じるのであった。

兵法者に踊らされた者達にはちょっと悪い話でした。
433人間七七四年:2009/01/16(金) 05:08:20 ID:0XFD3AhY
>>427
太閤検地でひねり出した石高は、土地の生産性向上分を国家で把握しただけ、じゃないの?
実際、加持子料分と太閤検地増加分はほぼ同じだし。
だから、太閤検地が直接の耕作者の増税になった、は賛成できないな。

秀吉がすごいのは、普通の税以外に強烈な臨時税(天下普請とか遠征とか)かけたことじゃないかな。
434人間七七四年:2009/01/16(金) 05:16:45 ID:dz23qNp8
戦国期の財力凄すぎw
435人間七七四年:2009/01/16(金) 09:17:49 ID:zaj1Epw2
>427-428
つうか荘園や寺社、ごちゃごちゃ残ってた武士階級以外の既得権をかっぱいだ分も増えてるから。
(かつて室町幕府も何度か手を付けようとしたがうまくいかず、信長が登場するまでできなかった部分ね)

それでも数年間、領国経営させてやれば良かったんだが結局すぐ「唐入り」をブチ上げてしてしまった。
軍役になったら表高が増えてそれまでより軍役が増えた分、百姓も遠征地に送り込まれるから、
しかも文禄慶長の役みたく数年がかりの長期戦やったら農漁村の生産力がおちるわなあ。

んで大名の収入が減って足りなくなった分を豊臣政権(治部少輔とか?)が貸し米したっていうんだが・・

ほんまに天竺征服したかったのかね。ラスボスの考えることは凡人にはわからん
436人間七七四年:2009/01/16(金) 09:38:33 ID:LmDgKGUn
ちょっと前のアメリカに似てるような希ガス。

国内煮詰まって、過剰な軍備、兵士の行き場が無い。
イラクにいって原油とってくるべ、となる。
国内の産業経済は空洞化、金融で儲けようとする奴が出て来る。
437人間七七四年:2009/01/16(金) 10:11:22 ID:O4N1eDsq
まあ、なんか目的(仮想敵)が必要だったんじゃないかな?
群雄を強引に利でまとめてた政権だから、利が無くなれば
当然、離反する大名もいるだろうし…
結局豊臣家は、群雄をまとめきれず滅亡。見事まとめきれた
徳川家は永く安泰した、って事かな。
438人間七七四年:2009/01/16(金) 11:58:40 ID:TS/BVAyG
>>430
小一郎「一緒や!金貯めても!」
439人間七七四年:2009/01/16(金) 12:55:14 ID:ssK/EAWQ
しかしまぁラスボス非難の大合唱が凄いな
アレが好き放題やってくれたお陰で楽出来た奴も居るのに
440人間七七四年:2009/01/16(金) 13:09:42 ID:HKOe3hNR
>>439
信長同様、時代を変革させた必要悪的な部分も大きいんだけどね。
天下人になってからがちょいと……
441人間七七四年:2009/01/16(金) 13:27:24 ID:+F6/8wiO
一応擁護するなら、刀狩りとか検地は天下が安定した時代には必要なもの
それをラスボスがやってくれたもんだから、徳川は泥を被らずウマウマ…

まあ本人そこまで考えてたかは知らんが
442人間七七四年:2009/01/16(金) 13:30:31 ID:+F6/8wiO
天下人なってからの功績の話ね
443人間七七四年:2009/01/16(金) 14:01:30 ID:Ec8HvpV7
朝鮮に手を出さず、霞ヶ関的官僚機構、巨大な親衛部隊を作り上げていたら、
もう2、3代続いていたかもね。

でも他の諸侯の軍事部門の切り捨て、粛正が大変だったろうね。
444人間七七四年:2009/01/16(金) 14:02:19 ID:y3c77W3e
>>433
>>435

太閤検地で石高が増えて大変なのは年貢以上に、賦役として農村から人間が徴発される事。

信長が兵農分離をやったとか、未だにこんな不思議なことを言う人がいるけど、
そんなことは全然なくて、(信長は親衛隊である馬廻り、つまり旗本を城下に集合させただけ。
そしてこれは信長に限ったことではなく、ほとんどの戦国大名は行っていた。信長はむしろ遅い)

戦国末期、織田軍でもそれ以外でも、領内の農村から農民が、軍夫や雑兵として動員される事は、
合戦の大規模化に伴いむしろ強化されていたのね。
無論無制限に徴発する訳じゃなく、石高による人数提出義務を決め、村のほうでどうしても
人が出せないときは、代理の人間を雇うとか、さらには賦役分を銭で代わって収めるとか、
そういうことも許可していた。
戦国大名も財政基盤が農村だし、領民保護が最大の存在理由だから、そんなに無茶を
言うことは出来ないからね。それでも農村にとって、重い負担であったことには変わりがない。

秀吉の太閤検地では1村あたりの石高も、当然増えているのね。
それにより年貢はもちろん、賦役の負担も増大する。この当時、豊臣政権の側では大陸出兵という
戦国期以上の大規模国際戦争をやっているわけだから、賦役は軽減の仕様もなく、その過重な
負担に農村はどんどん疲弊し、逃散などが多発することになる。

太閤検地や刀狩はたしかに、近世に脱皮するために必要な施策だったとは思う。
ただ、その目的は民政ではなく、大陸出兵のためだったことが、いろんな意味で不幸にしてしまった。
そう思うよ。
445人間七七四年:2009/01/16(金) 16:46:34 ID:UPmeO8nl
家康が良く殺す相手

あまり人を殺さないとされる、徳川家康
しかし、彼はある特定の職種に対しては、よく殺した
その職種は代官
一族処刑を大賀弥三郎、大久保長安と二度も行い、
「徳利と代官は最後は首をくくるものだ」と言った、家康

少ない所領で広大な土地を管理する彼らは、最後は
不正を働き、処刑されるものと見なされていたのである

農民達よりもある意味、厳しい代官達
一番つらいのは彼ら中間管理職なのかもしれない
446人間七七四年:2009/01/16(金) 16:48:21 ID:z69buUjF
>>445
不正を働いて処刑されるんなら、自業自得じゃないか
447人間七七四年:2009/01/16(金) 16:52:25 ID:x6Qcd3S8
水戸黄門のせいで代官=不正ってイメージが強い(;´∀`)
448人間七七四年:2009/01/16(金) 17:07:09 ID:UPmeO8nl
>>446
本来の知行の数十倍から数百倍の土地を管理するとなると
変な気を起こさん方がおかしい
449人間七七四年:2009/01/16(金) 17:08:56 ID:0XFD3AhY
>>444
検地(課税対象のデータベース作り)と臨時賦役の増大(増税)は別物だと思うよ。
今までばれてなかった”隠し財産”に課税するのが”ひどい増税”、というのは……

秀吉時代は臨時賦役が毎年行われてた(始皇帝時代の秦のように)だけじゃなく、
課税対象の拡大も並列して行われたことがひどかったと思う。
石田三成の逸話の中にも、淀川の茅に運上金かけた話とかあるし、
死ぬ直前には、生産力のない土地(住んでる家とか)に石高(課税対象)つけようとしたり、

でも、そういう臨時税の恒常化や拡大を太閤検地の一環と見なすのはちょっと……
450人間七七四年:2009/01/16(金) 17:09:49 ID:rMFwXLti
あ〜れ〜お代官様〜

よいではないかよいではないか

ですね、わかります。
451人間七七四年:2009/01/16(金) 17:12:40 ID:Ec8HvpV7
反乱を起こしかねない地域は細切れの小藩にして、
互いに監視反目しあわせ、その間には天領を置いておく。
452人間七七四年:2009/01/16(金) 17:15:34 ID:z69buUjF
>>448
んなこと言ったら、現代の官僚だって変な気起こして不正するのはおかしくないのか?
453人間七七四年:2009/01/16(金) 17:27:11 ID:UPmeO8nl
>>452
今の役所は上司・同僚・部下が同じ部屋・建物にいて、人の目を気にし易い
代官はどこぞの村に一人と数人の同心を部下にする以外は、年に何度か
上役が来るか来ないかで、後は好き勝手

無人島で全裸で走り回る、フリーダム状態なわけだ
454人間七七四年:2009/01/16(金) 17:40:28 ID:rMFwXLti
>>436
戦争になるとアメリカの産業構造上純軍事関係は予算が減る。
(補給の関連で軍需会社の代わりに民間の輸送会社や食品関係、あと「警備会社」が潤う)
実際軍事研究費が減らされてヤバくなったプロジェクトがあるらしい。
ちなみに陸軍は開戦前から一貫して反対している。
イラク戦争当初、司令官が司令官「代行」だったのはその名残り。

だからアメリカのイラクの件を軍備過剰だから、とするのはちょっと明後日の方向。
軍には全く利益がないばかりか、平時の利権まで奪われる計算。
アメリカの(見当違いな)防衛意思によるものではないとするにせよ、
まだ純粋に石油目当てだったとする方が合理的。
455人間七七四年:2009/01/16(金) 19:23:46 ID:p1sFfdDj
ちょっと流れを切るが上の方であった小早川隆景と財政の話が本に書いてあったのを思い出したので
こういう考え方なら、財政の才があっても赤字を出してしまうんじゃないかと考えてしまった

まあ悪いというには微妙なところなんだが…小早川隆景の金に関わる話

隆景が京に滞在していた時、身の周りには財政に明るい者がいなかったので
とある町人を召し抱え、自分の部下・鵜飼新右衛門の下司にして会計をやらせていた
それからしばらくのある日、総勘定してみると予算が八百匁残っていた
普通ならば予算が足りずに赤字になるのに、こんなに残すとはなんて才能がある奴だ
と鵜飼他、一同が町人を褒め称えるがその話を聞いた隆景は激怒した
隆景曰く、
「予算が足りないのは当たり前なのに残したのはどういうわけか。
天からも地からも湧き出しはしまい。
おそらくは買い物する際に値切ってその分を予算として残したのだろう。
多く支払って赤字を出すのが当然なのに、
そのような意地汚い真似をしてこの隆景に恥をかかせた不埒な奴、即刻首を切れ」
456人間七七四年:2009/01/16(金) 19:43:42 ID:wrwtWZPb
官僚の鑑だな 隆景はw
やっぱ予算はきっちり使い切らないとな
457人間七七四年:2009/01/16(金) 19:57:48 ID:TjgeNlEy
>>455
戦国時代から「予算は使い切るが美徳」という考えがあったのかよ…
458人間七七四年:2009/01/16(金) 20:01:31 ID:wrwtWZPb
なんでも安くしよう安くしようとするといろいろ欠陥がでてくるんだよ
偽装とかな 
459人間七七四年:2009/01/16(金) 20:20:09 ID:DCaVRmbY
       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   予算残ってるんだったら側室増やすお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /
460人間七七四年:2009/01/16(金) 20:20:12 ID:QcopgFQT
454>

確かにアメリカのイラク侵攻で表面化したのは、
警備会社や軍事関連会社の結託、暗役だったね。
チェーニーが利益誘導の旗振りらしいが。

朝鮮の役でネオコンみたいに秀吉を焚きつけたやつ、儲けたやつは
いたのかいな?
博多商人、海運業者、造船関係とか。でも博多湾は遠浅で使えなかったけど。

あと、小西行長、その娘婿の宗義智、どこかの禅寺の坊さんで
秀吉や李王の国書を偽造した、わるい話はいっぱ〜い、あるね。
461人間七七四年:2009/01/16(金) 20:20:21 ID:++LYNJS7
>>455
たまたま安かったとか考えなかったのかな
462人間七七四年:2009/01/16(金) 20:53:23 ID:plA0qHG6
>>461
どうしても高く買ってくれるところにいい物といい業者は集まるから
出せるお金は出したほうが後々のためになる‥こともある。
安さを追求し始めると最終的に不幸せな人間しか集まってこなくなるのは現代のお話。
463人間七七四年:2009/01/16(金) 20:55:45 ID:S6wDZGJJ
>>462
いわゆる「生きているカネ」の使い方ってヤツかね。
464人間七七四年:2009/01/16(金) 20:56:21 ID:aCL1OMhF
>>459
おまえが(ry
465人間七七四年:2009/01/16(金) 20:57:26 ID:/FzRJjM8
武士と商人の金銭感覚の違いはあるんだろうけど、
その辺を最初から考慮に入れて雇わないとこういうことになると。
466人間七七四年:2009/01/16(金) 20:58:51 ID:Z1t0D43g
>>445
おーなるほどー

だから暴れん坊将軍はよく代官を襲うのかー
467人間七七四年:2009/01/16(金) 21:05:13 ID:y3c77W3e
>>463
そういえば小田原の陣のとき、米価が高騰して、家康のところの兵糧の担当者が
「いくらなんでも高すぎます。どうしましょう?」って言って来たら、家康が、
「良いからどんなに高くても買うのだ」って、高い米を買わせた。

すると諸国の米商人が「徳川様のところは高く買ってくださる」って、一斉に売り込みにきて、
結果競争原理が働いて米の値段が下がり、徳川家は安く米を買えた、って話があったそうな。
468人間七七四年:2009/01/16(金) 21:08:16 ID:S6wDZGJJ
>>467
うーむ、徳川300年の治世は、目先のことに囚われない先見性が礎だったのか…
469人間七七四年:2009/01/16(金) 21:18:12 ID:SDalsF1Y
>>467
徳川家康って凄いな…。
470人間七七四年:2009/01/16(金) 21:19:17 ID:9C5h/Zy7
>437
山田風太郎の「妖説太閤記」にゃ、まんま「敵は日本人」って章が出てくるね。
国内の不満から目をそらすために、仮想敵国を作ったっつー感じで。
それで何万人もの人が死んでいくんだから、まさにラスボスの面目躍如…。
471人間七七四年:2009/01/16(金) 21:27:12 ID:zFhqvEIJ
大賀弥三郎
472人間七七四年:2009/01/16(金) 21:52:40 ID:QcopgFQT
家康、いつも爪かみながらいろいろ考えてたんだな。
473人間七七四年:2009/01/16(金) 22:05:12 ID:FATQ6QYn
       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   高い金払って買い物なんて内府もボケたんだお! 次の天下は三成できまりだお!西軍につくお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /
474人間七七四年:2009/01/16(金) 22:07:44 ID:y3c77W3e
>>473
まあお前も財政の手腕はあったらしいがなw
豊臣末期の宣教師の記録に、「日本国で最も裕福なのは徳川殿か毛利殿」って書かれているくらいだし。
475人間七七四年:2009/01/16(金) 22:10:24 ID:kYK8/Xp0
>>473
ひとっ走り姉妹スレに行って317を見て来なさい
476人間七七四年:2009/01/16(金) 22:33:51 ID:/79DMi4o
>>474
銀山様のおかげで手腕のおかげだったかどうかは(ry
477人間七七四年:2009/01/16(金) 23:42:10 ID:AvNnTDBk
短パンマン
478人間七七四年:2009/01/16(金) 23:58:53 ID:rMFwXLti
>>460
ネオコン陰謀説に持って行かれると少々お手上げなんだが。
そんな我々他国人に美味しいゴシップみたいなものとは流石に思えんし。
当のネオコンの思想的指導者はイラク戦前からイラク戦には反対しているしで。

おまけに史料がまるで公開されていない状況でそこまで断定的に語れる理由もわからんが。
要するにアメリカを持ち出すのは不適切と言いたいだけなんだがな。
479人間七七四年:2009/01/17(土) 00:01:21 ID:H7GgyYqo
毛利家では
隆元が死んだ後、輝元が政務することになったのだが、
ある日、隆景と元就が毛利全体の決算をしてみた。

元就が政務をしてた時を100とすると、
隆元が政務をしてた時は120、輝元は95だった。
次男三男と比べてまったく目立たない地味なアニキだが、行政手腕に関しては元就よりも上だったのだ。
しかし、輝元に関しては自分に近い成績を出してたのにも拘らず、
「輝元だめよねー」とか言っちゃう元就。

そういう意味では隆元の死自体が毛利家にとって良くない話。

・・・つうか、隆元がしっかり生きてたらラスボスもあまり活躍しなかっただろうに・・・。
480人間七七四年:2009/01/17(土) 00:16:07 ID:fXXkmfiX
それ考えると毛利三兄弟って島津四兄弟よりすごくね?
481人間七七四年:2009/01/17(土) 00:19:06 ID:vUkmsvaI
業績変わんないのに
「輝元だめよねー」
っていわれたお・・・


      隆景 
     / ̄ ̄\
     ノ  \_ 丶
    (>)(< )  |
  / ̄(_人_)   |
 / _ノ丶⌒′   |
`/ o゚⌒ (     ノ
|  (_人\   ヘ
丶   `⌒"ン  ノ ノ
/ ̄   /  しイ ギ
  (⌒二_∠二⌒)| ュ
          ッ
482人間七七四年:2009/01/17(土) 00:21:11 ID:/+4hEgOH
>>480
ちょっと隆元がこのスレで持ち上げられすぎなんじゃないか
出てくる話は「死んだら収入減っちゃった。兄貴すげえ」ばっかりだし
483人間七七四年:2009/01/17(土) 00:21:54 ID:zxy5hOHw
>>480
どっちがすごいか、って言うのは、置かれた環境が違うから単純に比較は出来ないけれど、
軍事の他にも、行財政および外交のトータルで見られるって意味では、
毛利三兄弟は戦国の奇跡に近いね。
484人間七七四年:2009/01/17(土) 00:26:35 ID:zxy5hOHw
>>482
最上義光とかもそうだけど、基本的には実力のある人なのに、歴史的には地味な存在で、
しかも不遇感が漂っている人にはやっぱり、どうしたって同情しがちになるよね。
485人間七七四年:2009/01/17(土) 00:46:51 ID:rWpyME58
優秀なのに過小評価されていた武将は、いったん認められると反動で過剰評価されるようになるからなぁ。
なにごとも程々が一番ですよ。
486人間七七四年:2009/01/17(土) 00:48:46 ID:LcFn+i5m
どこかのスレでは織田勝長?とかいうのを
必死で盛り上げてた奴がいたな
487人間七七四年:2009/01/17(土) 00:50:36 ID:mIr8zC0w
太閤「最近ワシが過小評価されていると感じる」
488人間七七四年:2009/01/17(土) 00:57:31 ID:VOo5z32E
小一郎殿は逆に最近過大評価気味かも。
俺は好きだけど。
489人間七七四年:2009/01/17(土) 00:57:32 ID:aFz6Phuy
>>486
小説出たからなぁ
490人間七七四年:2009/01/17(土) 01:37:45 ID:KQcU+V/R
>>487
農民のせがれから関白ってのは十分凄いんだけどな。
凄いのはみんな分かっているから、逆に悪い話に
目が向いてしまうんだろう。
491人間七七四年:2009/01/17(土) 01:43:55 ID:mectA3CS
太閤殿下が日本史上最大の巨人だということに
異論がある人はそう居ないと思うしな
快活陽気な藤吉郎のイメージが先行して、
政権末期の陰惨な独裁者とのギャップが凄いから
色々このスレ的には面白いんだな
492人間七七四年:2009/01/17(土) 01:45:42 ID:31GkSMEe
いい話もいっぱいあるけど、有名だから、ややマイナーな悪い話に偏るんだと思うんだよね
493人間七七四年:2009/01/17(土) 01:52:04 ID:d5mfGs9l
秀吉自身が「家柄もない分、頼朝より上」と言ってたらしいけど、
全く異論がないもんね。
494人間七七四年:2009/01/17(土) 01:52:46 ID:KQcU+V/R
>>491
成り上がると反動が来るんだろうかな。
明の 朱元璋とかのように。

現代人でもそうだが、極貧から這い上がった奴は
過大な自己評価と、隠したいコンプレックスが
ない交ぜになって、おかしな人格になる気がする。
495人間七七四年:2009/01/17(土) 01:54:22 ID:zxy5hOHw
秀吉は善にも悪にも、異様にブレが大きいんだよね。
日本史には珍しい、大陸的な独裁者。
496人間七七四年:2009/01/17(土) 02:24:45 ID:q8j7U7XH
刀狩りとかの話があったんで。

秀吉は異常に刀狩の達成にこだわった。
どんな小大名の領地でも貫徹を求め、幾度も命令を出しなおしている。
しかし、個人の所有物である刀剣を規制するのは並大抵の努力では足りない。
そこで、刀狩り担当役人は考えた。
以下、宣教師フロイスさんの証言。

役人は、刀狩りの命令を出す前に、目利きの鑑定人を村々に送り込んだ。
「いい刀なら高値で買うよ!」と言いふらして。
村人は我が家自慢の刀を鑑定してもらおうと、遠方からも集まってきた。
「いい仕事してますねぇ。ほう、これは高名な刀匠の銘が。誰の持ち物で?」
こんな風に巧みにおだて上げ、詳細な刀の目録を作り上げた。
その後で刀狩りを公表。
「おら、ネタは上がってんだ!出すもん出さねえと死刑だぞ」
目録をもとに根こそぎ刀を取り上げた。
しかもこれで終わらない。
奪った刀を市場に出して高値をつけさせ、元の所有者に無理やり買い戻させた。
その上で再度の命令を出し、やっぱり刀を取り上げた。

さて、生じた買い戻し金はどこに行ったのか。
そんな体制側のガラの悪い話。
497人間七七四年:2009/01/17(土) 02:27:58 ID:MgGibs4G
これはひどい

唐入りへの執念は本物だな。
498人間七七四年:2009/01/17(土) 02:32:52 ID:zxy5hOHw
>>496
しかし農民もさるもの。関が原のとき三成の軍が農村に物資を徴発しにいったら、
刀剣どころか鉄砲まで出してきて抵抗した事例もあったそうで。
今の研究だと、刀狩は、形だけの施行をされた地域が多かったって話になっているようね。
499人間七七四年:2009/01/17(土) 02:38:25 ID:mectA3CS
秀吉は日本刀にとって功罪それぞれ大きい人なんだな
それまで基本的に実用品としての範疇を出ず、
どこぞの納屋で乱雑な扱いをされ朽ちていた逸品を発掘して
美術品としての付加価値を見出したのは秀吉の時代から
それだけならまずまずいい話なんだが、その際無理やり鑑定士の本阿弥光悦に命じて
粗悪品を一級品と鑑定させ、それらを諸侯や豪商に売りさばき莫大な富を築き上げたという
茶器でも利休と結託して似たようなことやってるが、太閤殿下はまさに錬金術の天才
ちなみにこの手法は後に家康も真似ており、為政者にとって格好の小遣い稼ぎになってたようだ
500人間七七四年:2009/01/17(土) 02:42:01 ID:mectA3CS
で政権末期に多くの人に迷惑を掛けた殿下が死後逆に酷いことをされたお話

大坂の陣で豊臣家が滅び、徳川の天下が確立した後、
新時代の覇者家康は旧政権の創始者秀吉を祀った豊国廟を取り壊し、
「豊国大明神」の神号も停止する沙汰を下した
しかし豊国神社の社僧梵舜や高台院の必死の働きかけもあり、
社殿は崩れ次第とされながらも、一応秀吉を祀るための祭祀は続けられることになった
更にそれとは別に家康は豊国神社の麓の妙法院に別途に1000石を寄進し、
天台宗の儀式で定期的に秀吉を弔うことを命じたという

家康が生きていた間は大人しくしていた妙法院だが、彼が死んだ後は
朽ち果てていく豊国神社に残った梵舜を立ち退かせるため、
神社にまで至る山道を封鎖したり、社領に立ち入って樹木を勝手に切り倒すなど
狼藉の限りを尽くした妙法院の僧侶たち
耐えかねた梵舜が幕府に妙法院の非道を訴えるが、
既に妙法院から根回しを受けた幕閣から逆に豊国神社からの退去まで命じられる始末
哀れにも梵舜は豊国神社から追い出され、豊国廟と方広寺の広大な敷地が丸々妙法院のものになったとさ
501人間七七四年:2009/01/17(土) 02:43:39 ID:mectA3CS
それで妙法院が家康の命令どおり、きちんと秀吉を祀るための
祭祀を継続してればまだ秀吉や梵舜も浮かばれたかもしれない
しかし妙法院が秀吉をきちんと弔ったのは、記録に残ってる限り秀吉の五十回忌が最初、
その後五十年後の百回忌は一応行われたものの、次の百五十回忌は何故か取りやめになるという始末
元から秀吉のことを真面目に祀る気など更々なかった妙法院が興味を示したのは、
豊国神社の広大な社領とそこに保管された秀吉の遺産だったというわけ

当時は1000品を超えたとされる秀吉の遺品も、明治の世になって新政府が数えた際に
残っていたのはわずか数十品、殆ど全てがその時々の門主によって売りさばかれていたのだった
その中に国宝ポルトガル国印度副王親書が有ったことを考えれば、
妙法院から流出した秀吉の遺宝がどれほどの価値が有ったか想像もつかないほど

明治時代になって妙法院が横領した豊国神社の社領は神仏分離令に従い、
再建された豊国神社に数百年ぶりに返還されることになった
だが遺品は現在でも妙法院の財産とされ、妙法院が管理している
ちなみに妙法院がその違宝を見に来た観光客向けに発行している小冊子には、
「太閤秀吉の死後、彼の遺宝の一切が妙法院に 寄 託 された」と書いてある
反面明治政府による廃仏毀釈では全く非のない妙法院が政府の非道により土地を奪われたみたいな書き方
廃仏毀釈は多くの寺院に損害を与えたが、殊妙法院に限っては余り同情できないと思う
502人間七七四年:2009/01/17(土) 02:45:54 ID:fobb0Epn
>>455
ひどすぎる・・・・
503人間七七四年:2009/01/17(土) 02:46:52 ID:zxy5hOHw
それで家光が「もう反乱もないだろうし豊国神社再建しようか」って言ったとき、反対したのか!
504人間七七四年:2009/01/17(土) 03:36:55 ID:Te36QeYL
>>501
ほほうずいぶんお詳しい
505人間七七四年:2009/01/17(土) 03:54:05 ID:jIYm5EaW
>>501
これはこれで酷い話だな
506人間七七四年:2009/01/17(土) 03:56:33 ID:/+4hEgOH
>>501
こんな生臭坊主ばっかりだったら、そりゃ温厚な信長さんもキレちゃうよね
507人間七七四年:2009/01/17(土) 04:06:25 ID:q8j7U7XH
江戸時代に入っても、寺院がらみの醜聞や喧嘩沙汰はかなり多い
行政機関に組み込まれたせいで、文書にきっちり記録されたせいもあるだろうが
山寺立石寺では僧侶同士の殺人事件まで起きてる
508人間七七四年:2009/01/17(土) 04:14:01 ID:zy+ivxVr
山寺でそんなことが…
あそこに行くとたまこん食わずにはいられない
509人間七七四年:2009/01/17(土) 09:43:01 ID:CReAlyns
フロイスが、日本の僧侶は驚異的に腐敗しておる、といったのは
的外れではなかったと。
国王が中世の権力機構として解体したのは、西洋でも一緒だったけどね。
510人間七七四年:2009/01/17(土) 10:58:16 ID:jfWw5stN
>>502
隆景は怒ったそうだが
首をはねろなどどは言ってない件について
今手元に「三原市史」があるので引用する
話の途中までは455と同じ

「三原市史」第一巻p.529より
隆景はこれは支払うべき価を支払わなかったためで、
隆景に恥辱を与えたものだ、と怒った。
鵜飼らは百万弁疏に努め、ようやくその怒りをといたという。
この話は、当時武家はその権力にまかせて商人に正当な対価を払わず、
しばしば押買行為に及ぶことがあり、
隆景はそうした行為を好まなかったことを物語るものである。

だそうです。
511人間七七四年:2009/01/17(土) 11:01:35 ID:TSmYXj6I
>>510
おお、そうだったんだ
やっぱり原本じゃなくてまとめた人の意見が入った本は
どうしてもこうなっちゃうね
俺が読んだのは「知将・毛利元就の生涯」ってやつだ
512人間七七四年:2009/01/17(土) 11:04:28 ID:2SVW9kEu
>>510
まとめた人の意見と言うよりは、その手の本なら面白おかしく書こうとしてるだろうな
513人間七七四年:2009/01/17(土) 11:17:24 ID:TLcVXWMl
>>455を見ると隆景が暗君に見えるが、
>>510を踏まえると完全に名君だな
歴史の解釈というのは面白いね
514人間七七四年:2009/01/17(土) 11:36:18 ID:ORkxNyAP
>>513
いや、>455でも最後の斬首うんぬん以外は筋が通ってるよ。

「小早川・毛利に納入すると値切られる」なんてしわい評判が立ったら普段からいい品物を納めて貰えなくなって長い目で損をするし、いざ合戦の時に味方してくれる商人がいないと補給で酷い目に遭うぞ。


そう考えると故・隆元の(元就より歳入が多かったという>>479 )収入源がほんまに謎なんだけど……
515人間七七四年:2009/01/17(土) 11:42:45 ID:jfWw5stN
隆元は絵が上手い人だったらしいから
夜なべして描いた絵を
売って家計の足しに…なんてことはないな
516人間七七四年:2009/01/17(土) 12:00:14 ID:TSmYXj6I
>>514
そもそも貼るスレを間違えた気がしてならない
斬首込みでギリギリこのスレに貼れる逸話だったから

あと、隆元の歳入の話だが
死んだ途端に毛利家に入る反銭が2000〜3000貫も減ったという事から
隆元が周辺地域の引き締め役を担っていたのではないかと言われている
(これもソースはなくエライ人の主観で申し訳ないが)
517人間七七四年:2009/01/17(土) 12:22:30 ID:mIr8zC0w
>>515
萌え絵をヤフオクで売る隆元か
518人間七七四年:2009/01/17(土) 15:21:33 ID:fobb0Epn
>>510
悪かったな隆景見直したよ
519人間七七四年:2009/01/17(土) 15:23:12 ID:fobb0Epn
ageてしまった
520人間七七四年:2009/01/17(土) 17:23:01 ID:eLYByczn
>>432

丸目と上泉がやったのは模擬戦ではないよ
打ち太刀の丸目と仕太刀の上泉に分かれての演武
要するに弟子が先生に打ち込んで攻め方を覚えると同時に
先生の防御の仕方を覚えると言う練習法
521人間七七四年:2009/01/17(土) 18:58:42 ID:ynNuP/TX
短パン
522人間七七四年:2009/01/17(土) 23:40:49 ID:fbye6glY
京や大阪の町人なら、特に考えもせず習慣的に値切っているような気もするけどw
無論、売る方も売る方で、同じ町の人間なら値切られるのが普通でどうこう思わないかも…。
523人間七七四年:2009/01/17(土) 23:52:06 ID:7kEIN35B
>>522
どっちかって言うと、代金の一部を踏み倒してるようなもんだから、
合意の上で安くする値切りとは根本的に違うんじゃないかな
524人間七七四年:2009/01/18(日) 03:10:43 ID:fZExFHUG
>>523
本当に押買いしてたんならそうだろうねぇ。
まあ真相は闇の中だと思うけども。

>>522
少なくとも江戸期の感覚で言えば京、大阪に限らず掛け値はあって当たり前だね。
外国では、今でも現地語が喋れても方言がちゃんとしゃべれないと割高で
売りつけてくるところあるよw
525人間七七四年:2009/01/18(日) 03:14:46 ID:IIVbzOSB
>>524
だからこそ三井越後屋の「現銀掛値なし、切売り」が画期的だった。
越後屋が江戸で繁盛しだした頃の、同業他社の執拗な嫌がらせとか、今見ると
ものすごいことやってるw
526人間七七四年:2009/01/18(日) 11:10:24 ID:XZTc3vS/
>>525
佐江先生の『江戸の商魂』を読んだら、
同業の嫌がらせのすさまじさに、正直びびった。
527人間七七四年:2009/01/18(日) 12:06:03 ID:xDtnw3Jt
>>455みたいな話、信長にもなかったっけ?
どうにも記憶が曖昧で、もしかして全然違ったら申し訳ない。

ある時、信長が金を出して、商人だったかに物を揃えさせた。
んで、切り詰めたんだか値切ったんだかで金が余った。
物を揃えた上に金を残して、その人は得意そうにしていたんだが、信長の家臣からは、
「ウチの殿は金勘定は厳しい。渡した金も過不足ないようちゃんと考えて出してるんだから、余計な事すんな(値切ったり安物買いしたら、ショボイ物掴まされたり、品質落ちたりすんだろがコラ。今回は良くても、今後の事も考えろや)」
って怒られたって話。

記憶が曖昧すぎて、どこで拾った話だったか、そもそも信長の話だったかもちょっと怪しいのだが、こんな話なかったっけ?
既出とか、他の人と間違えてたらゴメン。
528人間七七四年:2009/01/18(日) 12:17:20 ID:jJ/+ZldI
>>526
kwsk
529人間七七四年:2009/01/18(日) 12:34:37 ID:XZTc3vS/
>>528書いてある内容を列挙すると、
・同業の寄り合いの席上で、越後屋を面罵
・越後屋との取引停止(越後屋は京都での仕入れは続ける事ができた)
・手代のヘッドハンティング
・越後屋の低廉な価格は、古物を染め直しているとの事実無根の風評を流した
・家主を抱き込んで、越後屋の台所先に共同雪隠を作り、台所の方に汚物を流した
とある。ひど〜い。
530人間七七四年:2009/01/18(日) 12:50:53 ID:jJ/+ZldI
ひでぇ
今でも越後屋といえば時代劇じゃ悪役の代名詞にもなって受難は続いてるしw
三越も大変だったんだな
531人間七七四年:2009/01/18(日) 13:53:07 ID:sXbcr85K
九州北部、松浦地方(現唐津市周辺)・壱岐に勢力をもっていた松浦党の波多氏にまつわる悪い話

松浦党は後三条天皇の曾孫源久を祖とする水軍で栄えた一族であり、「松浦四十八党」の名で知られていた。
「源平壇ノ浦の戦い」や「元寇の役」で活躍、「南北朝の戦い」では少弐氏の与力として名を残した一族であり、
室町中期には「倭寇」の名で跳躍したが、戦国期には大内・大友・竜造寺など大勢力の前に衰退している。

「松浦四十八党」波多氏の戦国期の当主波多鎮(波多氏は祖源久を習って一文字名。鎮は大友義鎮の一字を受ける)の嫁の話。

波多鎮には臣下の青山氏からもらい受けた円子という妻がおり仲むつまじく過ごしていた。
しかし天正七年(1596年)、竜造寺家(波多氏が従属していた)より突然来訪した使者が事態を一変させる。
なんと使者は唐突に鎮夫人円子死去の弔辞を述べはじめ、その後香典料まで差し出したのである。
当然、鎮は驚き妻円子は健在であると使者に伝える。しかし使者は「自分は主命を果たすだけである」
と言って帰っていってしまったのである。

この事を知った円子は竜造寺家の腹を読み、密かに城を出て寺に入り尼になった。
波多家の浮沈を思い黙って城を去った円子だが、その後さらなる事態が波多家を襲う。
鎮の後妻として竜造寺隆信の養女(実父は前竜造寺家当主胤栄)安子が迎えられたのである。
しかしこの安子は小田鎮光と死別(隆信に謀殺された)しており、すでに38歳の年齢。
当然子をもうけるには厳しい年齢だが竜造寺家の手前、側室をもうける訳にもいかず、
最終的に波多氏は竜造寺隆信の孫を養子に貰い受けることとなり、波多氏直系は途絶えたのである・・・
532人間七七四年:2009/01/18(日) 13:58:38 ID:3oLUg/1K
行き先のない38歳の後家を押しつけられたのか。
はた迷惑な話だな。
533人間七七四年:2009/01/18(日) 14:01:10 ID:i0RF8X8J
誰がうまい事を言えと(ry
534人間七七四年:2009/01/18(日) 14:01:22 ID:qBD/u5or
>>531
重箱の隅だが天正七年なら1579年じゃない?
1596年なら竜造寺隆信が前当主になっちゃうし。
535人間七七四年:2009/01/18(日) 14:20:24 ID:sXbcr85K
>>534
すいませ1579年の間違いです。
初めてのネタ投下だから間違いない様に注意してたのに・・・_| ̄|○

せっかくなので安子と前夫小田鎮光について。

安子は17歳で佐賀近郊の蓮池城主(現佐賀市)小田鎮光に輿入れした。夫婦仲は良かったらしい。
ところが隆信は突然、小田鎮光を多久(有明海沿いの長崎との県境付近)へ異動させる。
当然この処置に鎮光は腹を立て、密かに大友と誼を通じる。
それと気付いた隆信は鎮光を謀殺しようと佐賀に誘きよせる。
義父からの誘いをムゲに出来ずに鎮光が佐賀に来たところで謀殺。

まあ戦国時代には良くある話ですが、安子はショックで体調を崩し波多鎮に輿入れしたのは鎮光の死から10年後のことでした。
536人間七七四年:2009/01/18(日) 14:25:01 ID:i0RF8X8J
越後屋のチラシとか現代にまで残ってるし三井って凄いよな。
明治のポット出の三菱あたりの10倍は凄い。
537人間七七四年:2009/01/18(日) 14:36:40 ID:IIVbzOSB
>>536
三井越後屋は今も三越として残っているしね。
538人間七七四年:2009/01/18(日) 15:21:27 ID:6kaCngcE
http://www.geocities.jp/kyo_oomiya/newpage4.html
これっていつ頃のチラシ?
読める方翻訳プリーズ
539人間七七四年:2009/01/18(日) 15:35:09 ID:9zpmee7J
ある戦の折り、謙信の家臣に中条と名胡桃という者がおり、
中条は鉄砲を使って8人を討ち取り
名胡桃は刀を使って7人を討ち取る働きをした。
そしてこの二人の武功のどちらがすごいのかという話になり
謙信の養子である三郎景虎に聞くと景虎は
「鉄砲は遠くから撃つものだし、卑怯でしょ。
やっぱり敵の懐で戦う刀で7人倒す方が凄いんじゃない?」
と言って名胡桃の方を誉めた。

するとこの話を聞いた謙信、
「鉄砲が卑怯?
どんな武器であれ敵を倒したのには変わりない。
各自自分が使う武器で働けばよいのだ。
人の上に立つ者としてそのように軽々しいことを口にするものではない」
と怒り、景虎を睨んだという。



一方喜平次は目潰し攻撃で剛の者を討ち取り謙信に誉められた。
540人間七七四年:2009/01/18(日) 16:24:21 ID:CyPQ2wbs
日本史では必ず習う分国法。
中でも有名なのは伊達稙宗(政宗の曽祖父)のもとで定められた塵芥集だろう。
では実際、どんなことが書いてあったのだろうか。

「夫が猛妻に嫌気が差して離縁し、妻はそれならばとさっさと再婚を考えたとする。
 これは離縁が明白な場合、合法である。
 ただし、妻が 男 を と っ か え ひ っ か え す る の は 許 さ な い 。
 また、夫は離縁を言い渡しておきながら、
 半分は未練から、半分は い ち ゃ つ く 二 人 に 嫉 妬 し て 
 (半ばは後悔、半ばはいま最愛の夫に遺恨あるにより)
 やっぱり離縁は無効だ!などといちゃもんをつけるのはもってのほか。
 必ず罪に問われると思え。」

伊達稙宗以下、重臣達はどんな顔でこの文章を書いていたのやら。
男達のちょっとかっこ悪い話。
541人間七七四年:2009/01/18(日) 16:29:41 ID:IIVbzOSB
>>540
まあ、こういう条文に関しては、そういう事例が多くて法律に書き込まざるを得なかった、
という読み方をするべき。
542人間七七四年:2009/01/18(日) 16:50:51 ID:e9qUCJYW
昔から、男は未練たらしくて、女はドライだったんだな
543人間七七四年:2009/01/18(日) 17:11:40 ID:IIVbzOSB
武士の社会は女権が強かったからね。これは江戸期までずっとそうだった。
武家の嫁は、結婚してからも自分の財産と夫の財産は明確に分けていたし、
嫁のほうからの請求による離婚も頻繁にあった。その場合嫁の財産は完全に保全されてた。

実は明治になってからのほうが、女権は抑制された面も結構あるんだよね。
544人間七七四年:2009/01/18(日) 17:21:50 ID:yUzWN+1N
>>543
まあ、日本に限らずだが、時代が下る程慣習や制度が悪化していく例はままあるよね。
545人間七七四年:2009/01/18(日) 17:28:24 ID:cKFucWta
そういえばどっかの縁切り寺って結構権力あったんだよな、確か
でもその法律面白いなあwいつの時代も変わらないなw
546人間七七四年:2009/01/18(日) 18:02:31 ID:+9pfW8Vp
明治の末か大正頃に男性の素晴らしさを持ち上げる運動が世界的にあって、
この頃に女に対する扱いが著しく低下した。
童話で悪事をそそのかすのは魔女や老婆というように描かれたりした。
フェミが長年女性は差別されてきたとわめく内容は大体この頃に生まれたもの。
547人間七七四年:2009/01/18(日) 21:15:25 ID:TeZdkrmr
>>545
東慶寺だね。
強権発動で会津加藤家を滅ぼしましたw
ちなみに時の住職は天秀尼、豊臣秀頼の娘さんです。
548人間七七四年:2009/01/18(日) 21:17:33 ID:Fq8BAwqW
>>546
明治時代には桃太郎のじいさんばあさんが、若返って子作りするのを
桃から産まれるに変えたんだよな。マジゆるせねえ。

>>547
Y十Mの元ネタか。
549人間七七四年:2009/01/19(月) 00:57:23 ID:+Lo67c+K
確か爆笑信長の野望で見たんだが、戦に負けた男の妻に追っ手が向けられた際、身重の体にも関わらず六尺棒振り回して追っ手をブチのめし、相手が乗ってきた馬を奪って逃走した猛女の話があったと思う。やっぱ女は強ぇよ。
550人間七七四年:2009/01/19(月) 01:22:52 ID:5GHORSiW
「戦国武将たちの手紙」スレッドからの転載


信長が謙信に出した手紙

「ボクは信玄さんとも謙信さんとも仲良しなのに、その仲良し同士の二人がケンカしてたらボクも
心苦しいし外聞も悪いでしょ?だからここは仲良くしてさ、みんな将軍様の家臣なんだから、天下のために
一緒に働きましょうよ。」


信玄が西上を始めた頃に、信長が謙信に出した手紙

「あんな糞野郎はこの世の中に二人といませんよ!謙信さんあいつ後ろからぶっ殺してください!」
551人間七七四年:2009/01/19(月) 01:40:20 ID:ZkEu+exH
同盟破棄のタイミングが洒落にならなかったしなwwそりゃ温厚な信長さんもキレるわ
552人間七七四年:2009/01/19(月) 01:48:42 ID:cCT+yYK/
既視感
553人間七七四年:2009/01/19(月) 02:00:39 ID:Bp7ULkzW
そりゃ転載だもん

信長も分かりやすいというか素直な表現ね
554人間七七四年:2009/01/19(月) 02:52:45 ID:yQVSKw82
>>535
宇喜田直家「義理の息子を居城に招いて謀殺とか人間のやることじゃねーな」
555人間七七四年:2009/01/19(月) 03:22:01 ID:R1uA5+09
>>554
信長「その通りだな」
556人間七七四年:2009/01/19(月) 03:42:19 ID:lH3In+dM
家康「娘婿とは仲良くいきたいものだ」
557人間七七四年:2009/01/19(月) 06:44:50 ID:/Se26a8V
光秀『裏切りとか信じられないっ!!』
558人間七七四年:2009/01/19(月) 09:03:59 ID:g+phG8LR
有名な生涯だが
昨日上杉家にいた理由を盛大にスルーされていた
悲劇の人・上杉三郎景虎の人生。

一族同士の仲がいいと有名な北条一族のひとり北条三郎くん。
北条家と上杉家の同盟が決まったとき、
当初上杉家に送られる予定だったのは三郎君ではなかった。
氏政の息子・国増丸が謙信の養子として上杉家に入る事が
決まっていたのだが

「うちの可愛い盛りの国増丸たんと離れるなんてヤダヤダヤダy(ry」

と父・氏政が盛大に嫌がり、代わって氏政の弟三郎が上杉家に出された。
謙信はとにもかくにも北条家から来た子であるので、
当初の約定通り三郎を養子として迎え入れたのだが、
上杉と北条の同盟は積極的な同盟としては上手く機能せず、
上杉家との同盟を進めた氏康が死んだ途端、氏政は上杉家との同盟を破棄した。
最初っから切るつもりで息子を出すの嫌がったんじゃねーか?と
思わなくも無いが、とりあえず涙目なのは上杉に出された三郎である。
謙信も三郎の境遇にはかなり同情したらしく
「氏政の奴、実の弟とその家臣家族を見捨てやがった!テラGEDO!!」
と書き残している。
そして理由は諸説あるのだが、謙信は三郎の養子処遇を取り上げることなく
そのまま上杉家に置いておいた。

その後謙信の急死により、上杉家の養子として残っていた三郎は
同じく養子の身分だった義弟・景勝と家督争いを起こすのだが、
三郎君は当然ながら実家の北条家に救援要請を出した。
すると氏政、同盟相手の勝頼に上杉家に行ってもらうだけで
自分は越後に向かう気配が無い。
そのため「氏政の奴、俺と景勝を戦わせて弱ったところを
漁夫の利得ようとしてるんじゃねーの?」と
勝頼は疑心暗鬼に駆られたとも言われ、
景勝の出した多量の黄金と上野の割譲に負けて休戦してしまった。
冬も近づいてきた頃、ようやく北条軍は越後に来たのだが、
しばらく景勝本拠の上田庄を攻撃したあと、
上野側にいた上杉軍景虎派を越後側に残して、雪が降り出したので帰ってしまった。
このことは「本気で弟助ける気あるのか?」と散々疑問視されている。
結局越後と関東の間の峠を塞ぐ雪が解ける前に
景勝は三郎景虎に決戦を掛け、勝利。
三郎は関東へと逃げる途中に離反され死んでしまった。


氏政の悪い話である。
559人間七七四年:2009/01/19(月) 10:52:11 ID:VhgDIj3+
境遇の悪い話だろ
560人間七七四年:2009/01/19(月) 10:56:41 ID:S20zxfbc
政宗「弟を見捨てるだなんてデラ鬼畜」
561人間七七四年:2009/01/19(月) 11:57:32 ID:h2Brz7aB
>>558
送り返されていたほうが、何ぼか幸せだったかな。
でも結局小田原で滅亡だから、まだ越後で主役を
張っただけでも名前を残したか。
562人間七七四年:2009/01/19(月) 12:19:18 ID:ir1j+Dgf
そういう話を見ると、謙信はやっぱり義の人だなと
本心はどうあれ、養子として後継候補のままにしておいたのには違いない
どっかのドラマも、口でギギギ…と言わせるより、こういう話を出せばいいんだ
563人間七七四年:2009/01/19(月) 14:38:20 ID:9FrlZnl3
宗麟「弟を見捨てるなんて・・・なんて酷い奴なんだ!」
564人間七七四年:2009/01/19(月) 15:06:17 ID:EnkBIzWR
信長「弟は殺してもおk」
565人間七七四年:2009/01/19(月) 15:50:25 ID:hFXKRRmm
毛利元就『家督は実力で取るもの』
566人間七七四年:2009/01/19(月) 15:58:40 ID:oerwSHoC
義元「血を分けた兄弟、仲良くせねば雅とは言えぬでおじゃる。」
567人間七七四年:2009/01/19(月) 16:04:23 ID:VNokU2Ue
信之「弟なんか大嫌いだ…」
568人間七七四年:2009/01/19(月) 16:08:41 ID:xthSW5w6
何人か本音が隠せてねーぞw
569人間七七四年:2009/01/19(月) 16:15:50 ID:PpCJxd1T
親兄弟親戚縁者は大切に!
義光「武家として至極当然だ!」
政宗「おうよ伯父貴!」
570人間七七四年:2009/01/19(月) 16:19:22 ID:O7qoY49w
コレを使って、楽になってくださいw


 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)<  
 ( 建前 )  \_______________
 | | |
__(__)_)______________
 ( _)_)
 | | |
 ( 本音 )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( 。A。)< 
  ∨ ̄∨   \_______________
571人間七七四年:2009/01/19(月) 16:26:10 ID:T57NVT49
 ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( ・∀・)< 家臣の嫁を手に入れるお
 ( 建前 )  \_______________
 | | |
__(__)_)______________
 ( _)_)
 | | |
 ( 本音 )  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ( 。A。)< 家臣の嫁を手に入れるお
  ∨ ̄∨   \_______________
572人間七七四年:2009/01/19(月) 16:43:47 ID:T2qqmSdH
天正十年。織田信長は、甲斐武田氏を滅ぼす。
このニュースを聞いた、多門院英俊さんのコメント

「10年前から織田信長が天下を盗ると思っていました。」
573人間七七四年:2009/01/19(月) 18:43:35 ID:sIb9RFSH
>>569
鮭様の親子喧嘩の理由も不明ながら、政宗の弟殺害の理由も不明なんだよな
574人間七七四年:2009/01/19(月) 21:42:05 ID:iGR3qa75
義光「ぼかぁ、老人ホームに入れたあとは親父の面倒しっかり見たけど?!
どこぞの甥と一緒にしないでくれる!?
え、息子? それはそのー……」

575人間七七四年:2009/01/19(月) 21:42:41 ID:O7qoY49w
>>571
おぃw
576人間七七四年:2009/01/19(月) 23:42:17 ID:dedbxet2
裏表のないイイヒトダナー(;∀;)
577人間七七四年:2009/01/20(火) 01:00:50 ID:/HHeI23s
赤松満祐と言う武将がいる。

そう、あの将軍を「犬死に」させ、室町幕府衰退の端を開いたとされる「嘉吉の変」を
起こした男だ。彼は将軍暗殺後領地の播磨にて果敢に抵抗を繰り広げるが、
幕府による討伐軍に攻め込まれ、一族六十九人と共に自害した。享年六十一歳。

その法名は、性具。



もうちょっと良い法名はなかったのだろうか?
578人間七七四年:2009/01/20(火) 01:02:04 ID:ugoi3KSv
>>577
ワロタw
579人間七七四年:2009/01/20(火) 01:04:43 ID:hwF5sIOu
「おのれ、性具、ワシを弄びよって!」
580人間七七四年:2009/01/20(火) 01:12:33 ID:KdnzziEi
「性具、なんじゃその槍は!よせ、近寄るな…うああああ」
581人間七七四年:2009/01/20(火) 01:14:00 ID:ugoi3KSv
天下ならぬTENGAですね、わかります。
582人間七七四年:2009/01/20(火) 01:27:16 ID:Z9G2UrBj
よくわからんけど仏教的にはいい名前なのか?
それとも煬帝ような事績をもとにした蔑称のようなものなのか。
583人間七七四年:2009/01/20(火) 01:32:25 ID:tKsE0gem
まあ順当に考えれば
性は「セックス」のほうじゃなくて、「さが」のほうだろう。
584人間七七四年:2009/01/20(火) 01:35:05 ID:gtJlDnRX
>>577
赤松のネタっぷりは神の域
585人間七七四年:2009/01/20(火) 01:37:46 ID:/HHeI23s
「性具」という単語に変な意味が付加されたのは、ずーっと時代の下った近代以降だしね。
しかし今から見ると、これは…!ってなるw
ある意味直江の「愛」に近いものがあるね。
586人間七七四年:2009/01/20(火) 01:40:20 ID:KdnzziEi
赤松一門が義教のおアッー!いてで、その寵愛ぶりを不安がった・・
なんて話があるから、なおのこと生々しいというかw
587人間七七四年:2009/01/20(火) 01:50:35 ID:kdn07PN1
金玉袋の微妙院様の微妙もよい意味?
588人間七七四年:2009/01/20(火) 02:34:06 ID:T9gDkvEc
>>587
ビミョウじゃなくてミミョウと呼ぶ
というか、「微妙」にマイナスイメージが定着したのは2000年代に入ってからだと思うが
589人間七七四年:2009/01/20(火) 03:25:13 ID:gfUm4PAy
元々細かな、とか繊細なってイメージの言葉だからな
590人間七七四年:2009/01/20(火) 03:32:13 ID:/HHeI23s
上杉禅秀の乱、始末記

応永二十三年(1416)、
先の関東管領、上杉禅秀による、鎌倉公方足利持氏襲撃により始まった、上杉禅秀の乱。

この関東での騒乱は、京にも大きな動揺を与えた。この乱に対し、禅秀討伐の方針が決まると、
将軍義持の弟、義嗣が逐電。高尾の神護寺にて出家するという事件が起こった。
一旦は帰宅を許されるも、その後義嗣は仁和寺に拘束。
将軍義持は近習、富樫満成らにこの事件の捜査を命じた。

捜査はいきなり大きな壁にぶつかる。管領の細川満元や畠山満家ら、有力大名による妨害が
行われたのだ。「今は禅秀の討伐が大切なのだ。こんな事件の究明は無益だ。」

しかし満成はひるまない。捜査を続けるうち、ついに、義嗣の近習から、
義嗣に対し細川満元、斯波義教、赤松義則らが「与力」している、という証言を引き出した。

前将軍足利義満に愛され、一時は義持に変わり将軍を継ぐとまで噂された、義嗣。
彼は前々からその「野心」を噂されていた。
その義嗣と、義持に敵対心を露にしていた足利持氏との繋がり。
逆に義持と上杉禅秀との繋がり。
義持派と反義持派の間で揺れる有力諸侯たち。
関東の乱に連動した、義嗣を中心とした京での陰謀…

事件は、その裏にある複雑な様相を除かせはじめていた。


応永二十五年(1418)正月、義持はついに、義嗣を殺害させる。
この事件はこれで幕引きされた、誰もがそう思った。

だが、富樫満成の追求はとまらない。
6月、義嗣の陰謀に加わったものとして、畠山満家の弟、満則、山名時熙、土岐康政らの
名前が上がった。大規模な疑獄の全容が、暴かれようとしていた。
幕府は、強烈な緊張化に置かれた…、


ここで、この事件は急展開を迎える。


11月、将軍義持の下に、富樫満成こそがこの事件の黒幕である。そう言う直訴があった。
これに、義持は満成の逮捕を命じる。富樫満成は失脚したのだ。
満成は高野山に逃れるが、義持の命を受けた畠山満家の手のものに殺される。
こうして、この巨大な疑獄事件は幕を閉じた。
おそらく義持と畠山満家との間に、「手打ち」があったのだろう。幕府の動揺も、これにて治まった。
富樫満成は幕政の安定のための、生贄にされたのだ。

「知りすぎた男」の、悲劇の物語。
591人間七七四年:2009/01/20(火) 05:41:00 ID:KdnzziEi
こんな機会もう二度と巡ってこねぇ、幕閣を軒並み失脚させて・・
とか考えちゃったんだろうなあ
真面目な野心家は長生きできねえ
592人間七七四年:2009/01/20(火) 18:04:56 ID:Ra7YVRHv
>>577

おそらく読みは「しょうぐ」で
仏性を具えるとかそんな意味なんだろうけど…

593人間七七四年:2009/01/20(火) 18:40:17 ID:39B9iI92
赤松や浦上の一族の法名は大体、性○で統一されてるので時に卑猥な意味になっても仕方ない。
594人間七七四年:2009/01/20(火) 21:03:48 ID:01imM3WA
ひょっとしたら 細川忠興 の項で既出だったかも知れないけど
細川ガラシャの話を

…――えぇ、それは慣れますよもう。父親は謀反人、夫は人斬りなんですから。
みんな大好き細川忠興が、人並み余って兆倍過ぎるほど偏愛を注いでいた奥方に
思いっきり足元を水面蹴りされちゃって起き上がれなかったお話。

あろ日の事、城の庭に降り注ぐ暖かな陽光に気を良くした忠興はガラシャと
共に座敷を出て、縁側で食事を摂る事にした。だが、例によって寡黙な夫婦だ。
食事を摂る箸の音と、庭木を剪定している庭職人が振るう鋏の音、
遠い彼方から響く鳥の囀り以外、何も聞こえる音も無い寂しい風景である。

そして、事件は起きる。庭職人の鋏の切っ先が狂い、ある松の枝を切り落としてしまったのだ。
しかも運が悪い事に、その松は忠興が特に愛でて居たお気に入りの松だったのだから始末が悪い。

庭職人>>…――やっべ、死亡フラグ立ったか? ,,..(l;゚∀゚)..,,

御明察。文字の通りに致命的な失態、気付いた忠興は憤怒して庭へと駆け下り、一刀の下に職人を斬り捨ててしまった。
断末魔の悲鳴と、間歇泉の様に吹き上がる血飛沫。おだやかな昼下がりの風景は地獄絵図へと急転直下したが…―。
ガラシャは、まったく気に止める様子も無い。まるで何事も無かったかの様に食事を続けているのだった。
これに呆れたのは忠興である。佩刀の血を拭いながら奥方に語りかけた。

細川忠興>>―…信じられん奴だな。俺があれほどの事をやってのけたと言うのに…まるで冷静そのもの、蛇の様だな?( ;・`ω・´)

すると、ガラシャは箸を置き…冷めた瞳で忠興を見上げて言った。

ガラシャ>>松の枝を不注意で落とした程度で、職人を斬って捨てるなどという惨い事をなさる貴方は鬼です。
       …―――"鬼"の女房には、"蛇"が御似合いでござりましょう? σ(゜、。 )?

後に詩歌の道で達人となる忠興も、この言葉には二の句が継げなかったそうである。
四天王の一角たる面目躍如、そんな細川忠興の(ばつが)悪い話。
595594:2009/01/20(火) 21:06:02 ID:01imM3WA
あ ろ 日 ってなんだ、あろ日って。 ある日、だ。
悪魔の化身と一緒に吹っ飛んだ小悪党じゃないんだから。いや、弾正じゃなくて(セルフバーニング
596人間七七四年:2009/01/20(火) 21:06:40 ID:/HHeI23s
この話を見るたびに、ガラシャも忠興の嫁であることを楽しんでたんじゃないか、とか感じる。
597人間七七四年:2009/01/20(火) 21:36:23 ID:eVu9VK1J
>>594
人並み以上に妻を偏愛してても、浮気するんだよな…
忠興って、ほんと変な男だな。
598人間七七四年:2009/01/20(火) 21:36:39 ID:OKG9ugiV
このバージョンは初めて見たな
これも面白いw
599人間七七四年:2009/01/20(火) 21:49:34 ID:mo/7nOJq
>>594
確か返り血をあびた服をしかもこのまま数日間、着続けたんだよね。
600人間七七四年:2009/01/20(火) 22:14:10 ID:ILS0afe7
鬼には蛇か…
何だか悲しいヘビーな話だな。
601人間七七四年:2009/01/20(火) 22:23:10 ID:i/9w1AoJ
だれ うま
602人間七七四年:2009/01/20(火) 23:00:47 ID:/CQ6lAMN
>594
蛇な嫁、ということで「イェーイ、ダ〜リン人斬りじゃn」というガラシャの声を幻聴した
忠興=やってやるぜの人(偽)。 すまん。
603人間七七四年:2009/01/20(火) 23:44:20 ID:3bjMBFOb
武断だのなんだのと対立がはじまりだした頃、ボケた秀吉も流石に
「こりゃ不味いことになってきた!」
と思ったのか各々仲良くするようにと命令を出した。
渋々みな従う事になるがやはり対立が収まる筈もない。
険悪な雰囲気を一掃するため秀吉は家康にこの仲直りを纏める役を命じた上で
「大仲直り茶会」
なるものを開いた。
しかしこの茶会は大荒れ!お互いの家臣がにらみ合い、殴り合いの大波乱!

これにぶち切れた(?)家康は「オマエラが仲良くしないのはこの家康が無能で徳のないのが悪いに違いないな!
俺はお前等が仲良く出来なかった責を負い隠居する」
といい放った。これに慌てた諸候は改めて仲直りを誓った。
これを聞いた秀吉、「家康は( ;∀;)イイヤツダナー」と涙し家康に感謝したという。


やっぱ老いぼれたわあんた
604人間七七四年:2009/01/20(火) 23:45:21 ID:gh79Jc2r
なんでこんな所でラムネネタを見る事になっちまったんだろうな、俺たち
605人間七七四年:2009/01/21(水) 00:06:34 ID:Y8EJczdP
>>603
つーか秀長が健在ならなぁ…と思うのはまさにこういう時だわな
606人間七七四年:2009/01/21(水) 00:34:16 ID:HOJCh7CJ
秀長は武将間の調停は上手そうだからな
607人間七七四年:2009/01/21(水) 00:36:55 ID:FPO8fAcL
>>603
司馬の関が原の、冒頭の見せ場だよねそこ。
司馬の歴史解釈には賛否色々あるけど、あの場面の筆力は流石だったなあ。
悪役なのに圧倒的にかっこよかったもの。家康。
608人間七七四年:2009/01/21(水) 05:19:24 ID:X0z1K57k
いや、秀長のポジションを家康が担当してたんだろ。
秀吉的にはそれほど信用してたかと。見事に皮をかぶってたけど。
ただ秀吉存命中は目立った動きをしなかった分松永久秀ほど黒くはないという。
609人間七七四年:2009/01/21(水) 06:12:03 ID:eoq3kwDQ
>604
「俺は今、猛烈に……」は「七難八苦を背負っている!」鹿介さんだったりるのだろうか。

DQN四天王で熱血属性はあんましめずらしくないから、当てはめようにも困る
610人間七七四年:2009/01/21(水) 09:31:45 ID:vaTUpHyq
熱血…ああ、熱い返り血か
611人間七七四年:2009/01/21(水) 13:59:50 ID:hnnn1kbW
【新潟】寺の再建費用を着服、柴田勝家被告と住職を逮捕・起訴
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1232512326/

この前の信玄といいなんでこうw
612人間七七四年:2009/01/21(水) 14:04:30 ID:cf7+zzhh
しかも、一向宗(浄土真宗)相手か、やるなw
613人間七七四年:2009/01/21(水) 14:22:23 ID:ZBmm+pwI
しかも大工ってのがまたw
614人間七七四年:2009/01/21(水) 16:55:29 ID:ii3M+B/S
新潟で柴田勝家が一向宗の寺を…
なんかタイムスリップしてきたんじゃね?
615人間七七四年:2009/01/21(水) 17:38:39 ID:FPO8fAcL
樋口家の戦争


上杉家家臣、大国実頼。
あの直江兼続の弟、樋口与七さんである。

この大国実頼、御館の乱や新発田の乱でも活躍し、また文化人としても兄に負けない、
ひとかどの武将であった。

だが、関ヶ原終戦後の方針をめぐり、兄と対立。
上杉家の米沢転封後、羽前高畑城7000石の城代を命ぜられたが、これを無視し
京に滞在し続けた。

兄との仲が徹底的に壊れたのは、慶長9年(1604)、直江兼続が家康側近本多正信の
息子、本多政重を養子に迎えようとした事による。
実頼はこれに激しく反発。京まで政重を迎えに来た上杉家の使者を殺害してしまった。

兼続は当然これに激怒、実頼を捕らえようとしたが、実頼はいち早く高野山に逃げ込み、
上杉家を出奔した。
兄弟の仲は完全に断絶した。

実頼には娘がいたが、彼の出奔後、兼続はこの娘を引き取り、養女にし、
これは意趣返しといわれても仕方が無いであろう、実頼が関係を結ぶことを
あれほど嫌いぬいた、本多政重の嫁にしたのだ。

閻魔状の件もそうだが、兼続という人は、こう言うえぐい事をする。

その後も兼続の関係は断絶したまま、元和5年(1619)に兼続が没すると、ようやく
米沢へと入り、そこで没した。
616人間七七四年:2009/01/21(水) 17:48:08 ID:x8/EYQe8
弟が勝ったのかw
617人間七七四年:2009/01/21(水) 17:54:15 ID:45errqCp
>>615
大河ドラマではどうするんだろうな?w
618人間七七四年:2009/01/21(水) 18:06:40 ID:vaTUpHyq
乱心した弟の娘を育てて一人前になって嫁入りするまで面倒を見る愛の武将直江兼続
619人間七七四年:2009/01/21(水) 18:06:44 ID:cHNLUfNp
大局が見えない愚弟の娘を哀れんで養子と娶わせる美談になります
620人間七七四年:2009/01/21(水) 18:07:17 ID:VlcU3XEl
そんな都合の悪い情報は流さないお!
愛の武将だお(^ω^)
621人間七七四年:2009/01/21(水) 18:08:48 ID:syVKpGRv
>>609
それだったらドM四天王を作ればいいんじゃね?
622人間七七四年:2009/01/21(水) 18:13:47 ID:bTHwhkwP
またキャラ作りの流れか
623人間七七四年:2009/01/21(水) 18:16:51 ID:GmL3m7fQ
兼続の温情(笑)か、普通にカットか
624人間七七四年:2009/01/21(水) 18:40:08 ID:b10zTE3s
ワシは正信の娘など貰いとうは無かった上杉が残るためには以下略(泣)
625人間七七四年:2009/01/21(水) 19:39:36 ID:rQDpZjV5
もうラヴ・ウォリアー☆KANEとかのタイトルで月9でやれっつーの
もちろん景勝役は織田裕二な
626人間七七四年:2009/01/21(水) 19:41:35 ID:v/LdnPFz
>>611
なんか歴史上の有名人と同姓同名になると、あんまりよろしくないのかな。
息子が生まれたら、同姓の戦国武将の名前にしようかと思ってたけど、やめとこう……。
627人間七七四年:2009/01/21(水) 19:48:20 ID:bYryHPZz
>>626
名前に負けても名前に勝ってもいいことないからやめとけ
628人間七七四年:2009/01/21(水) 20:00:37 ID:Hz/VA0ea
 兄 .も     /       奴 る 婚 敵 の 同 し 結 思
 と は    /´        は よ .姻 の を 胞 か.構 慮
 し や   li  i /´      、 : う さ 息 見 が し だ 深
 て    ヾ:ー'´      iメト,__-な せ 子 て 殺   : い
 認     、`_フ '、.!  |) ,:':;イテ7トi´゙i.  と   さ 目   こ
 め     `ー':、_i\ .l.イ ´  ̄J | | 、ノ   れ の.  と
 ん       、_ノi`ソ''`   ,.-‐`┴'‐‐`‐、   て 前   は
  !!         `"ハヽ´ __ li r―:: ―-- |   い で
            i゙ヾィiヽ`  》_ > ;; _,,.. -lァ‐ る
          lY^i!)ノiヽ;-;ll (i_);/,r''" ̄
629人間七七四年:2009/01/21(水) 20:15:38 ID:541d2uzW
でも政重は出奔して以来、徳川家のためになるようなことは何一つしていないからなあ
関ヶ原でも宇喜多勢として奮闘して死にかけているし
前田家の所領減らすチャンスも全力で潰しているし。
徳川家というより本多家ピンポイントに絞った交誼に見える。
630人間七七四年:2009/01/21(水) 20:32:39 ID:ii3M+B/S
一応フォローしておくと本多政重に嫁がせていた兼続娘がその前に病死し
(というか半年で兼続の娘二人は立て続けに病死)
弟の娘を養女にして嫁にする以外選択肢はなかったんですよ。
631人間七七四年:2009/01/21(水) 20:37:20 ID:RRvIJMYE
そうか・・・兼続は
官僚制国家の到来→殿様より側近・重臣のほうが偉くなる、を見通していたんだよ!
632人間七七四年:2009/01/21(水) 20:41:55 ID:grpVQDci
自分が上杉家でそうであったように、とか思ってしまうのはうがちすぎか。
633人間七七四年:2009/01/21(水) 21:27:31 ID:LP0/guep
関ヶ原後の家康と政宗の会話

「このたび、当方には大軍であるにもかかわらず、裏切るものがいないのは
家康さまのご威光に他なりません」
「この様な勝戦の時は相手が死んでるのだから、裏切りがあったかどうかなど
解ったものではない。あったかもしれんな」
「全くその通りでございます。我らの家臣にも、裏切りのもがいても勝戦なので
敵に口なし解ったものではありませんな」

なんか「ゴゴゴゴ…」とか「ドドドド…」なんて聞こえてきそうな会話
634人間七七四年:2009/01/21(水) 21:30:45 ID:FPO8fAcL
>>633
やっぱりこういうことをシレっと言えるのが、政宗の魅力でもあるなあw
635人間七七四年:2009/01/21(水) 21:34:15 ID:PxOoOb+x
>>630
それフォローかなあ……
余計よくない話のような気がするんだが
636人間七七四年:2009/01/21(水) 21:43:26 ID:RRvIJMYE
政宗「小早川を裏切らせて勝負を決めるとは、いやはやさすが戦上手の家康様ですな(プゲラ」
家康「いやあ、北と南で変なことをしておった連中もおるし、わしも危なかったよ(嘲」
政宗「ほーんと、家来の掌握って大事ですよね、恩賞のお墨付きを守ったりね(微笑」

二人「あっはっはははは・・」
637人間七七四年:2009/01/21(水) 22:14:46 ID:LYj3cs7U
隆景の遺言

小早川隆景が輝元に対して残した遺言は
(1)天下が乱れても輝元は軍事に関わるな。毛利の領土を守ることだけ考えろ。
(2)安国寺恵瓊は佞人なので従うと国を失うだろう。決してだまされてはならない。
(3)毛利領内の港に休息用の宅地が欲しいという筑紫の大名がいるが、
  これはそのうち軍勢を入れようという狙いがあるので貸してはならない。
の3つだった。

これに対する輝元の行動
(1)(2)→輝「西軍が勝ったら天下取れるお。安国寺の言う通り総大将やってやるお!」
    結果はご存知の通り・・・
(3)→黒田長政「周防(輝元の領地)に上洛用の休息所作りたいから土地貸してください。天下も収まったし別にいいよね?」
   輝「今度こそ遺言に従うお! 絶対貸さないお!」
と、一番どうでも良さそうな(3)だけを、しかも江戸時代になってから守ったという。
638人間七七四年:2009/01/21(水) 22:16:44 ID:LP0/guep
>>637
3)は幕末に高杉晋作によって守られることになる
相手はイギリス人だけど
639人間七七四年:2009/01/21(水) 22:18:47 ID:XNHudPHp
本家がコレで秀吉が養子に据えようと画策してたのがアレとか隆景苦労しすぎだろう
640人間七七四年:2009/01/21(水) 22:21:38 ID:bq2LnUnQ
どうにも結果論臭いけどなw
641人間七七四年:2009/01/21(水) 22:22:11 ID:D+Tz9XK4
>>637
暗黒寺に関してはてめーが重用しといて…
と俺の中の輝元が吼えています

つかこれ創作だって言われてるよな
642人間七七四年:2009/01/21(水) 22:23:34 ID:FPO8fAcL
山口県に行ってみると分かるが、長州の海岸線は江戸期になって作られた
海防用の塞や見張り台の跡がやたらに存在する。

家光のときの、いわゆる鎖国を実地するにあたり、カトリック勢力の襲来に対する
防衛体制を西国に敷いたせいもあるけど、毛利領国はその最前線だった。
643人間七七四年:2009/01/21(水) 22:30:54 ID:541d2uzW
>>641
使える奴でも、使われちゃ駄目だろwってことじゃね。
644637:2009/01/21(水) 22:32:19 ID:LYj3cs7U
>>640-641
ソースが名将言行録なのでお察しください・・・
645人間七七四年:2009/01/21(水) 22:37:46 ID:bq2LnUnQ
>>644
言行録ならしかたないw
ヤボ言ってごめんw
646人間七七四年:2009/01/21(水) 22:39:53 ID:63RD1Ev3
長州を消耗させようとしてかな?
というか幕末に下関戦争やらかして賠償金を幕府が
払うことになったよな
結果論だけど幕府的には途中で国替えさせといた方がよかったんじゃないの
647人間七七四年:2009/01/21(水) 22:44:14 ID:ii3M+B/S
>>635
ん?なんで?
1604年実頼が政重の婿養子に反発して出奔、
でもそのまま政重は兼続の娘と結婚して直江勝吉になる。
翌年政重の妻になった兼続の娘死去。
1609年実頼の娘を政重に嫁がせる。だべ?
ちなみに政重はその後兼続の実子が成人して結婚すると
直江家後継として上杉から貰っていた知行をそっくり実子に譲り渡してしまった。
648人間七七四年:2009/01/21(水) 22:47:20 ID:PxOoOb+x
>>647
だって弟の了承得てないだろう。
自分の養女だからって、弟の意志ガン無視にもほどがある。
別に姪以外の誰かを養女にして嫁がせるなら、そこまであくどくはねーよ。
そりゃ弟だって切れよな。
649人間七七四年:2009/01/21(水) 23:45:51 ID:fj6MvW8X
それ言い出したら娘自身の意思は?とかになるし
別にあの時代そこまで父の意思は大事なことかな

血筋よりお家大事の時代だし
650人間七七四年:2009/01/22(木) 01:41:50 ID:38RTMhi+
短パンマンて?
651人間七七四年:2009/01/22(木) 01:48:22 ID:LwRJpofC
いい話で佐竹義宣が書かれていたので
佐竹義宣の陰の部分を・・・


まだ悪い話に書かれていなかった「川井事件」を
(漫画でも描かれているので有名だと思うが・・・)

関ヶ原の戦いの後、佐竹家は父祖伝来の地”常陸国”(現:茨城県)から
”羽後国”(現:秋田県)へと転封されることとなる。

戦国の世も終わり、武勇に勝る家臣よりも政治家タイプの家臣が求められる
時代へ・・・佐竹家中もそういった空気が漂いはじめていた。

義宣自身、一国も速く近世大名へと脱皮したいという思いと、いつまでも
父・義重を引き合いに出し意見する老臣達を煙たく思っていた。

事実として秋田入部後から渋江政光、梅津憲忠・政景兄弟等文治能力に
長けた家臣団が新領地の行政を取り仕切るようになっていた。
※渋江や梅津は譜代ではなく元は下野国の小山氏・宇都宮氏に仕えていた
 浪人だった。

これを快く思わない重臣・川井忠遠と他譜代家臣。
両者の対立が決定的となったのは家老・和田昭為の隠居
その空いた家老職に渋江政光を昇格させるという話が・・・

これに川井含めた譜代家臣達の不満が爆発。
川井忠遠・小泉籐四郎・野上刑部左衛門・小野玄蕃・大窪長介ら
5名の重臣が先頭に立ち、これに反対した。
彼らは渋江政光襲撃までも計画していたが、梅津達に悟られ
これを擁護した義宣に粛正された。
これが世に言う「川井事件」

この事件後、佐竹義宣政権は渋江・梅津等の若い家臣団で形成されて行き
近世大名へと脱皮することに成功するのであった。


同じ頃に食客(完全に家臣になっていた説もあり)だった梶原政景が
出奔し結城秀康へ仕官する。

梶原自身も若い頃から知勇でならした人間だっただけに近世大名へと
変わり行く佐竹家に自分の居場所がないことを悟り出奔したものと思える。
652人間七七四年:2009/01/22(木) 02:00:49 ID:gMUqRO+Y
関ヶ原以後、徳川体制が安定していく過程で、どこの家でも旧来の有力家臣の
出奔って多くなるんだよね。

軍事体制から平和な統治の時代になって、やはり武士の世界にもものすごい変動があったんだろうな。
653人間七七四年:2009/01/22(木) 02:02:19 ID:9ZkNmjlN
梶原さんの動向を見ていると、あっさり北条に通じたり、織田信長の
勢威が関東まで及ぶようになってくると、直接織田と結ぼうとしたりと、
岩槻から追い出されてきたにもかかわらず、けっこういろいろやってるしな。
654人間七七四年:2009/01/22(木) 02:43:41 ID:zvl6SXFS
梶原景宗と紛らわしい。
655人間七七四年:2009/01/22(木) 04:19:31 ID:gMUqRO+Y
関ヶ原が終わり、結城秀康が越前に封じられると、その入部をお祝いするため、
多くの諸侯が越前府中に挨拶に来た。

福島正則も自ら秀康の元に赴いた。その歓迎の宴の最中正則は、
「今後それがしも、土地を頂き、御城下に居住して秀康殿の御機嫌を伺いたいものですな。」
などと言って、その場を大いに笑わせた。
そして退出する折、

「秀康殿がもし、天下の大事と考えお立ちになる時は、この正則は必ずお味方に馳せ参じ、
あなたの御下地を受けたいと思っています。これは戯言ではありません。
ただし私には亡き太閤の遺命があり、秀頼公に関しては、自分の身であっても、自分の
心のままに動く、というわけにはいきませんが。」

そう言って、別れた。

また、家臣のある者が、移動の途中、秀康の領内の川を馬で渡った際、

「秀康殿の領内の川を計るとは何事か!」

と怒り、その者を切腹させたとも言う。


ただ、秀康のほうはこの後、正則のことを怪しみ、疎んじるようになったと伝わる。
656人間七七四年:2009/01/22(木) 09:04:46 ID:4KRQ3/cq
なんかさ・・・わざとらしい
しらじらしいというか何というか

657人間七七四年:2009/01/22(木) 10:03:21 ID:LUCtF1tr
いかにも正則らしい阿呆まるだし
658人間七七四年:2009/01/22(木) 11:25:46 ID:gmnsQtjE
>>626
そこで松永久秀さんがおすすめ

全国の松永さんいかがですか?
659人間七七四年:2009/01/22(木) 11:57:35 ID:4KRQ3/cq
名前に弾正とか織部正とか右府とか内府とか
どうですか?
660人間七七四年:2009/01/22(木) 11:58:25 ID:RZDLnbl2
日向守で
661人間七七四年:2009/01/22(木) 12:42:40 ID:6YEvVj9Z
>659
漫画のせいで将来窃盗犯になりそうな名前はちょっと…
662人間七七四年:2009/01/22(木) 13:13:00 ID:fs698siZ
名前ネタ飽きた人向けの有名な話

信濃侵攻後、家康は武田家縁の娘を求めて女狩りを行った
武田の血を血縁に引きずり込むことで旧武田領での統治基盤の安定を狙ったのだ
第一目標は美女と噂の高い信玄の娘松姫
が、見つからない
松姫の動向は既出っぽいんで省きます
この際、武田重臣馬場信春の娘も候補になった
しかし、調査に向かった鳥居元忠からは「見つからない」との回答だったのである
結局、家康は秋山虎康の娘を穴山梅雪の養女にして娶った(下山殿)
後日、その馬場信春の娘は鳥居元忠に匿われ内縁関係にあることが判明
家康は笑いながら許し正式に正室と公表させた
忠臣が主命に反したちょい悪な逸話
663人間七七四年:2009/01/22(木) 13:18:15 ID:09ho1nKP
信長は松永久秀を中国官名の霜台と呼んでたんでしょう。
664人間七七四年:2009/01/22(木) 14:50:59 ID:gMUqRO+Y
慶長六年(1601)
伊達政宗は徳川家康に、このような献策をした

(●∀´)「諸大名の妻子を江戸に集めて箱根、足柄に番を置けば、
      関東は広い籠と同じになって、天下の恩為になりますよ!」

そう言って、自ら、拝領した江戸桜田の屋敷に妻子を置いた。だが

家康「いいけど、オレほとんど伏見にいるよ?」
諸侯A「家康公が政務を取っているのは秀吉公の時代と同じ伏見だから、
     人質も秀吉公の時と同じように、伏見に置くべきだよね。常識的に考えて。」
諸侯B「政宗…今度はいったい何をたくらんでいる…?」


(;●∀´)「…」
政宗のナイスアイデアの後に続こうとするものは、だーれもおらんかった。


さて慶長十年、秀忠が将軍職を継ぐ。すると藤堂高虎が意を決してこう言い出した

高虎「秀忠公も誰もおっしゃらないが、江戸におられる新将軍への忠義として、
   我等は江戸に妻子を置くべきではあるまいか!?」
(●∀´)ノ「いやボクは4年も前にね」

浅野長政「おお、流石は藤堂殿!まさしくその通り!」
生駒一正「われらも早速真似しようぞ!」
(;●∀´)ノシ「おーい…」


こうして、藤堂高虎のイニシアチブにより、大名の妻子の江戸居住が進むこととなった。
方向性は間違ってないのにいつもタイミングを間違える、伊達政宗のほろ苦いお話。
665人間七七四年:2009/01/22(木) 15:57:31 ID:gmnsQtjE
堀尾忠氏「・・・・」
666人間七七四年:2009/01/22(木) 17:10:40 ID:sby0ltEN
山内『秘策を人にばらす方が悪い、のう藤堂殿』
667人間七七四年:2009/01/22(木) 17:26:41 ID:axDJez7s
津軽為信「いやいや、何事も早いもの勝ちですよ」
668人間七七四年:2009/01/22(木) 18:43:38 ID:QcFtgE54
政宗って信用無いのなw
669人間七七四年:2009/01/22(木) 18:46:14 ID:VURxAAed
>>668
自分が他の大名の立場になったとして考えてみて信用できるか?
670人間七七四年:2009/01/22(木) 18:58:32 ID:2Aqb2lEv
>>651
確か寄生獣描いてた人の漫画だよね。
あれ面白かったな〜。
671人間七七四年:2009/01/22(木) 19:32:10 ID:+JUoPwmq
重臣の最後は泣けるな
関が原後、平和になってしまって自分の居場所を無くしてしまったから
大阪の陣や天草の乱で死に急ぎ次々殉死していった人が多かったのかもな
672人間七七四年:2009/01/22(木) 20:31:40 ID:2Qf56es9
そしてアレだけ切れ者の官僚が
よりにもよって大坂の陣で討ち死にしてしまうと言う皮肉。
そういう死に方したい人は他にいくらでもいたのにねえ。
673人間七七四年:2009/01/22(木) 21:02:33 ID:J0hqNgIF
なんで出陣させたんだろそもそも。
他に出たい奴はいくらでもいそうなものだが。
674人間七七四年:2009/01/22(木) 21:36:14 ID:o9TQznAa
>>662
その時の鳥居さんのコメントも聞きたかったな
まるでいいわけしないで無言w 
675人間七七四年:2009/01/22(木) 21:42:54 ID:4+OJzlVQ
家臣団の再編真っ只中で、義宣身辺しか外征させる余裕がなかったのかもな
川井は南陸奥の最前線・赤館城の城代や、湊城接収を担ったバリバリの武断派重臣
彼と一緒に粛清されたのも、たぶんそういう人達だろう

領地未確定のまま秋田入りした義宣にとって、検地と家臣団再編が最重要課題だった
初の秋田領検地ってのが、川井粛清と同時進行でなされてる
義宣の言葉
「とにかく秋田・仙北の検地をやらないと立ち行かない!
いくら身分が低い者だろうと、検地の才があれば水戸より連れてこなければならん」

川井ら武辺者にとって、居心地の悪い話
676人間七七四年:2009/01/22(木) 21:43:50 ID:+JUoPwmq
>>673
いくら武断派は処罰されたからって言ってもまだ不満に思ってる奴もいただろう
そういう奴に納得させるためにも家老として実戦を経験したことがあるという名分が欲しかったのかも試練
677人間七七四年:2009/01/23(金) 00:02:51 ID:CQq4MtH3
>>662
けっこういい話だと思ってしまった
一目惚れしたんだろうな
678人間七七四年:2009/01/23(金) 00:21:44 ID:0rGmEj6n
>>662
鳥居さん可愛いなw
679人間七七四年:2009/01/23(金) 00:36:17 ID:bHz51Zqi
康政「赤備をくれなかった殿への意趣返しに山県と並び称せられた
   馬場の血筋を引き入れたかったんだよなわかるよ、
   すごくわかるwww」
680人間七七四年:2009/01/23(金) 00:47:23 ID:1bgd7ExV
作左『あんな若造に赤備えをやるなど殿もモウロクしたわい』

数正『んじゃ一緒に猿のとこいかね?』
681人間七七四年:2009/01/23(金) 07:11:52 ID:pMpmOYQS
氏康「うちの真似してりゃ五色もあって揉めたりしなかったのに。」
682人間七七四年:2009/01/23(金) 10:07:19 ID:Wg0qpWsk
>>681
小田原戦隊・北条ファイブ参上!

軍装の乱れは心の乱れ、断じて許しませんわよ〜
683人間七七四年:2009/01/23(金) 11:26:38 ID:PU4OPCI0
Yes、北条キュア5
684人間七七四年:2009/01/23(金) 12:56:06 ID:srlJWbUo
関八州に平和をもたらさんがため
悪の組織、カントー・カンレーと戦いを繰り広げるのか
685人間七七四年:2009/01/23(金) 13:29:18 ID:fvTPMjZ/
二人は氏キュア
686人間七七四年:2009/01/23(金) 13:47:13 ID:0gMSYsao
殉死と本音

慶長15年に本多忠勝が亡くなると、家臣の大谷三平が殉死した。
そして、大谷の草履取りまでがそのとばっちりを食って、殉死する羽目になった。

そんな大谷の草履取りが残した時世の句
「死にとうない ああ死にとうない さりとては
  君が情けの 今は恨めし」
687人間七七四年:2009/01/23(金) 14:00:32 ID:b9oP+7cf
べ、別に殿のために死ぬんじゃないんだからね!情けを受けたから仕方なく死ぬんだからね!
って事ですね、わかります
688人間七七四年:2009/01/23(金) 18:26:14 ID:Z3c6O57R
ツンデレなのに哀れを誘うとは…
689人間七七四年:2009/01/23(金) 18:37:51 ID:DhapVyJ0
忠勝と殉死というと信長の弟の信照というのも一緒に腹を切ったんだよな。

忠勝の父の忠高を殺したのが織田信広(信長兄)でその弟が殉死というのも因果なお話。
690人間七七四年:2009/01/23(金) 19:15:40 ID:VQgbM7Ss
その草履取りに跡取りがいなかったらマジで死に損だな
691人間七七四年:2009/01/23(金) 19:16:44 ID:xKr4ZGmp
>忠勝と殉死というと信長の弟の信照というのも一緒に腹を切ったんだよな

これって中根信照のことだよな。
どうしようもない愚鈍な人物で、「尾州志」って本によると、信照は一頭しか
いない馬を一日に何度も厩から出して馬を洗ってやり、さも馬を何頭も買って
いるふりをしたっていう逸話がある。
ググったら本多家の家老だって知ってビックリこいたわ。
兄貴にならってうつけのふりをしただけなんだろうか?
692人間七七四年:2009/01/23(金) 19:32:46 ID:rfpuU4lC
天正19年(1591)、豊臣秀次が関白に任官した折、養父秀吉は秀次に次のような訓戒を与えた。

一、武備の心がけに勤めよ
一、政道を公平にし、親近に私するな
一、朝廷に奉仕し、臣下を愛せよ
一、女狂い、道楽をするな

五年後の文禄四年(1596)、秀次謀反の風聞が立ち、秀吉は秀次に使者を立て詰問を行った。
その詰問の中に、このようなものがある。

「戦いの練習は事実か、武事を励行したのは何故か?」

あなたが勤めろと言ったからだ。秀次はそう言いたかったであろう。
晩年の秀吉の、理不尽なお話。
693人間七七四年:2009/01/23(金) 20:03:02 ID:QGTTrMLq
>>686
別に殉死って義務じゃないよな。
井伊直政にしても殉死者0だったんだし、そんなに死ぬのが嫌なら
死ななくても良かったのに。
694人間七七四年:2009/01/23(金) 20:07:16 ID:y0SSCstm
リストラって形の上では自主退職なんだぜ?
695人間七七四年:2009/01/23(金) 22:28:29 ID:e9/D4NIu
>>691
兄弟たちの事跡を見比べるに…普通に無能に見える
696人間七七四年:2009/01/23(金) 23:46:41 ID:8xRuGVNU
歴史小説だったか架空戦記小説だったか忘れたけど、解説かあとがきに「足利義昭が信長包囲網を形成するために出しまくった書状の中に、信長のことを『織田弱長』とか書いてるものがある」って話があった。誰かソース判る人いる?

何に載ってた話かすら忘れているのに、このエピソードだけ強烈に覚えてる。

今でも歴代首相を小鼠だの壺三だの(今なら阿呆か)書き込んでる人を見るたび、足利義昭と同レベルだな、って思う。
足利義昭と同レベル、が貶す意味になるかは微妙だけど。
697人間七七四年:2009/01/23(金) 23:50:52 ID:pMpmOYQS
武田信玄を逃げ田信玄と呼んだ北条氏康公も同レベルと申すか。
698人間七七四年:2009/01/23(金) 23:52:52 ID:rfpuU4lC
つーかその手のは書状じゃなくて、戯言や落書の類かと。
699人間七七四年:2009/01/24(土) 00:11:06 ID:57A4WBIq
まあ、呪術的には意味があるだろう
700人間七七四年:2009/01/24(土) 00:37:05 ID:2BfgU0xW
歴代首相を小鼠だの壺三だの(今なら阿呆か)書き込んでる対象(おそらく2ch)も戯言や落書の類だろう。
それとも公式書状か何かにそんなこと書いてる人いるの?
701人間七七四年:2009/01/24(土) 01:03:55 ID:0kleO/9d
里美家当主として北条と渡り合い、里美家全盛期を築き上げた里美義尭。その彼はまず北条と手を組み従兄弟をブチ殺し家督を奪い、その直後に北条を裏切り足利義明と手を組み国府台合戦を引き起こした。
702人間七七四年:2009/01/24(土) 01:05:20 ID:0kleO/9d
だがしかし戦況不利と見るや義明を見捨てて自分だけ逃げた挙げ句、義明死後空白地となった領土を掠めとって勢力を拡大する等、関東の梟雄と言える所業を重ねた男。彼はそれだけでは飽き足らず記録の改竄を行うのだった。
703人間七七四年:2009/01/24(土) 01:06:23 ID:0kleO/9d
家督継承の経緯を、非道な従兄弟により無実の罪で殺された父の復讐の為に立ち上がり、見事仇討ちを果たし晴れて里美家の家督を継いだ……という美談にすり替えてしまった。後年書かれた里美八犬伝などギャグにしか見えなくなるくらいの、里美家の悪い当主の話。
704人間七七四年:2009/01/24(土) 01:09:03 ID:KuwCqWmM
>>700
公式の書状だと、信長が信玄の事を「前代未聞の無道の者、侍の義理を知らず」なんて
書いているな。
705人間七七四年:2009/01/24(土) 01:19:16 ID:B9m9eIxo
>>686
興味が出て検索したがわからん。
詳しい説明を求む。
706人間七七四年:2009/01/24(土) 01:46:15 ID:KuwCqWmM
里見と言えばこんな話

「越山して下さいヨー」

天正五年(1577)、北条氏に圧迫を受けている安房里見氏の重臣、正木憲時より
北条高広、景広親子への書状


「越後の府中の方はどんな感じですか?この件に関しては、どうにか努力していただかないと、
コッチはもう、どうにもなりませんヨー

この春の間の謙信様の越山は難しいと言う事ですが、あなたのほうから、どうにかして
越山していただけるようお願いして下さい。
もしそれが無理なら、この春か夏に越山があると言う噂だけでも流してください。
それが相模に伝われば、北条氏政もビビッてこちらへの出兵を見合せるんじゃないかな?

とにかくお願いデス!この事は越後のほうにも書状をしたためました、
この使者が謙信様のところに向かえるようにとりはかって下さい。
ご連絡をお待ちしてますネ!」


まさにこんな感じの書状であった↓

         l      /    ヽ    /   ヽ \
          /     / l    ヽ /      |  \
| し な 間 〉 //  l_ , ‐、   ∨ i l  | |    \      は
| ら っ に |/ l ,-、,/レ‐r、ヽ  |   /`K ,-、 <   し
| ん て あ   / | l``i { ヽヽ l | / , '/',` //`|_/       や
| ぞ も わ    |> ヽl´、i '_   。`、llィ'。´ _/ /,) /\    ろ
| |   な   |`/\ヽ'_i ,.,.,.⌒´)_ `_⌒  /__/l  \       く
っ   |    く    |/ / l´,.-― 、l`ー一'_冫 /l l |   /   っ
!!!! |        \ ', /  /`7-、二´、,.| /// |   /
           lT´ {  /  /  ト、 |::| /// /  /    !!!!!
          l´ ヽ、 > ー    ,/ |ニ.ノ-' / / _
              i``` 、/ }    ',,,..'  |-'´,- '´     ̄/ ヽ∧  ____
           \/ ' \_  `´ノ7l´      /    // ヽ l ヽ
         / ̄ |      ̄ ̄/ ノ L___/      ★  U  |
        /   ヽ      /`ー´     /l                 |
707人間七七四年:2009/01/24(土) 02:29:55 ID:Muk/sDtr
真田さんとこの昌幸が書いた叔父の頼綱さんへの手紙の中で北条蛆虫って書いてなかったっけ
708人間七七四年:2009/01/24(土) 04:12:34 ID:7heq3HP9
>>706
もう憲時が必死すぎて笑えないレベルだな・・
709人間七七四年:2009/01/24(土) 07:58:51 ID:yc5UIpBr
>>706
後年、御館の乱の終盤で北条氏照が上杉景虎の支援要請に
「積雪が酷くて越山できない(´・ω・`)」
と引き返して上杉景虎が敗死するのを連想させるな
710人間七七四年:2009/01/24(土) 08:46:03 ID:g9AA/1fn
サナダ虫…いやなんでもない
711人間七七四年:2009/01/24(土) 09:29:38 ID:yctQ4Dw1
>>706
その正木氏の子孫が徳川将軍家に血を残してるから面白いもんだ。

正木頼忠-養珠院-徳川頼宣-光貞-吉宗
712人間七七四年:2009/01/24(土) 09:32:19 ID:UVf4zuKD
若女将というか、女将だろ
713人間七七四年:2009/01/24(土) 10:02:18 ID:KuwCqWmM
>>710
つーかサナダムシは、真田紐に姿が似ているからつけられた名前じゃなかったっけ?
714人間七七四年:2009/01/24(土) 10:17:34 ID:p1HsAvt+
北条からすれば真田を蛆虫って呼びたいだろうさ
715人間七七四年:2009/01/24(土) 10:18:55 ID:g4WE4aJi
それだけ真田にフルボッコにされたってこったなw
716人間七七四年:2009/01/24(土) 10:23:32 ID:KuwCqWmM
北条の場合はむしろ、真田をやっつけたら猿が出てきた。
717人間七七四年:2009/01/24(土) 11:06:56 ID:P3RrOrMd
中根信照って、二俣城代で開城を悔いる余りに三方ヶ原で武田勢に
突撃して討死した中根正照の家を継いだんだよね。

中根って地名は今の武豊町にあってモロ尾張国内だから水野氏
みたいな感じの微妙な位置の氏族だったんだろう。織田徳川間の
領地境をを確定する意味があったんだとはとは思うが、それでも
徳川(松平)譜代家臣の名跡を継ぐってのは信長の弟としては
扱い軽いなあ。
718人間七七四年:2009/01/24(土) 11:18:14 ID:7mJq73nZ
>>706
その要請に謙信は答えて翌年越山しようとした矢先に廁でバッタリENDか。
719人間七七四年:2009/01/24(土) 12:05:06 ID:CaALm+vg
>>702
その評価はどうかなぁ。義明がバカすぎるけどねぇ。
馬鹿な上官は敵より怖いし。ぶっちゃけ、おれに弓ひけるわきゃないし、姿見せるだけで敵はにげだす、
なんて考えてる人間に付いて失敗したぁ
って思ったんじゃないの?
720人間七七四年:2009/01/24(土) 12:47:08 ID:2oIjPF3j
>701-703
よくも悪くも、見事な戦国大名じゃないか。
子供や孫の代で内紛お家騒動起こしまくってるのもアレだな。
721人間七七四年:2009/01/24(土) 13:37:59 ID:Seu+zMjo
>>691
なかなか知恵はまわる人物って印象を持ってしまったが・・・
722人間七七四年:2009/01/24(土) 18:02:18 ID:xTDTdlkA
>>696
「弱長」は初耳だわ。いかにも「甲陽軍鑑」に出てきそうなフレーズやなw
ちなみに、武田信玄は全国に情報網を張りめぐらし諜報に長けていたので、
「足長坊主」ってあだながついていたって逸話があるね。
723人間七七四年:2009/01/24(土) 18:06:05 ID:xTDTdlkA
>>721
ウロ覚えだが、一日何度も馬を洗った信照は、
「うちには沢山の馬がいるんだぞ。うらやましいだろ。」って自慢してまわって
近所の失笑を買ったってオチやったと思う。
724人間七七四年:2009/01/24(土) 18:17:56 ID:xTDTdlkA
>>705
連レス失礼
>興味が出て検索したがわからん。
>詳しい説明を求む。
「日本奇談逸話伝説大事典」。この本にも出典は書いてなかった。
725人間七七四年:2009/01/24(土) 18:20:31 ID:KuwCqWmM
>>724
たぶんその手のは、江戸期の創作だろうなあ。
句の洒脱さから見ると、おそらく文化文政あたりの。
726人間七七四年:2009/01/24(土) 18:24:23 ID:eMftPUaE
他の兄は兄と家督を争ったとか利休七哲とか一揆勢の大軍を支えて勇戦し玉砕とかなのに
馬を何度も洗って一杯居るように見せるお!ではなぁ…
727人間七七四年:2009/01/24(土) 18:26:35 ID:gxHI5CQ0
>>723
忠勝は信照の何を評価したんだろうか・・・?

家柄で片付けるのは簡単だが家老職はそれだけじゃ務まらないはず。
728人間七七四年:2009/01/24(土) 18:49:59 ID:yc5UIpBr
武士は喰わねど高楊枝
この諺に解決の糸口はあるかと
俺もそうだけど近世以降の日本人は本質的に‘利’で生きている
昔の‘理’で動いた日本人の行動には同じ日本人でも理解しがたい部分はあるからね
729人間七七四年:2009/01/24(土) 19:06:44 ID:EsB7QRGi
仙台の高校が共学反対なのには理由がある。
実は仙台の現役女子高生は「ブス」が多い。
それも、人間離れした妖怪や動物のようなブサイクなブスなのだ。
だから男子学生は「共学」と聞いただけで恐れおののいてしまう。
730人間七七四年:2009/01/24(土) 19:09:38 ID:dffJEKBH
>>728
言いたいことはわからんでもないが…
理って何を指してんだよ
731人間七七四年:2009/01/24(土) 19:49:35 ID:+OUp8Etn
ちんこに纏わるちょっと悪い話

天文20年(1551年)、陶隆房が謀反を起こして大内義隆が自刃し、嫡男の義尊も捕らえられ殺されたが、
末子の歓寿丸は女装して山中にかくまわれていた為に無事だった
しかし、翌年の春に不幸にも陶兵に見つかってしまう
陶兵は歓寿丸を殺すと、男児の証拠にとちんこを切り取って持ち去った

…その後、歓寿丸を憐れんだ里の者達は「麻羅観音」という杜を建てて歓寿丸の霊をまつった
今も時代にも残っているその杜は、
子宝祈願スポット・ちんこスポットととして人々に愛されている
732人間七七四年:2009/01/24(土) 19:50:41 ID:AZrkMlZg
「次の話題は、京で起きた殺人事件です。レポーターの太田さーん!?」

「はい、太田です。事件は、下京四条小結町の商家、糸屋で起きました。
糸屋では、隠居(70)とその娘、そして下女の三人が生活していたと伝えられています。

天正7年(1579)4月24日の夜、娘は酒を大量に買い入れ、隠居に飲ませました。
隠居が「もう、飲めない。」と言うのにもかまわず飲ませ続け、酔いつぶれたところで、
裏の土蔵にかつぎ込みました。

そして真夜中、周囲が寝静まったのを確認すると、包丁のようなもので刺し殺した模様です。

娘は夜が明けると僧を呼び、隠居を埋葬し、証拠隠滅をはかりました。
この時、事件の発覚を恐れた娘は、顔見知りの法華宗の寺に運ばず、浄土宗の僧を呼び、
のちに事件の裏付けにつながっています。

さらに娘は、口封じのために下女へ金品を与えましたが、下女は即日、京都所司代に出頭。

娘は逮捕され、事件を否認しましたが証拠・証言が出揃い、4月28日、市中引き回しの上、
六条河原で打ち首獄門となりました。

前代未聞の事件の背景には、何があったのでしょうか?動機は未だわかっていません。
京から、太田牛一がお伝えしました。」  (信長公記より)


武士階級あたりは、ケンカだの何だのでカンタンに人死にが出た戦国時代でさえ、
庶民のこの手の事件は『前代未聞』(信長公記の原文にもそう書かれてる)だってェのに、
現代人ときたら・・・
733人間七七四年:2009/01/24(土) 19:51:00 ID:KuwCqWmM
> 歓寿丸を憐れんだ里の者達は「麻羅観音」という杜を建てて

それは本当に哀れんだのか?w
734人間七七四年:2009/01/24(土) 19:53:13 ID:iDXdM0sr
現代は情報社会だから、多くの事件が明るみに出てるだけであって
現代人は昔の人と違って、凶悪犯罪を犯しやすいって理屈にはならない
735人間七七四年:2009/01/24(土) 20:17:47 ID:p1HsAvt+
何故証拠にち○んこを……?
736人間七七四年:2009/01/24(土) 20:36:17 ID:cWIBwCTV
(`・ω・´)ちんこみせぃ!
737人間七七四年:2009/01/24(土) 20:57:29 ID:DVm02V8h
(u)_(゚∀゚ )≡ モヒョヒョヒョヒョ ヽ(A`)ノ≡ コラァァァ!! チンコカエセヨー!!
738人間七七四年:2009/01/24(土) 21:26:47 ID:REtetJdI
例の馬揃えの事件の被害者、毛利河内守。
あまりに贔屓な処分であった為に、ことあるごとにこの事を周りに愚痴っていたそうだ。
これに鬼武蔵はその事を耳にし大変ご立腹だった。
「罪人を雇うほうが悪いんだろうが、ボケが!」
そしてある日、たまたま安土城内で毛利河内守と鉢合わせる。
都合良く、周りには誰もいない。
(これは絶好の機会!!)
彼はここぞとばかり腰の刀の鞘を毛利河内守の刀の鞘にぶつけて喧嘩を売ろうとする。
このスレの住人ならばご存知の通り、これは鞘当ての語源通り殺し合いに成りかねない大変失礼な行為。
「ここでその五月蝿い口を永久に黙らせてやんよ」
と、毛利河内守に喧嘩を売る為にメンチをきる。殿中だって気にしない(w
しかし、信長の寵愛を身に染みているからか、単に怖かったのか河内守は知らん振りで華麗にスルー。
まぁ、このスレ的には後者なのだろう。

人の口に戸は立てられぬ 。鬼武蔵相手だと陰口も命懸けな悪い話。
739人間七七四年:2009/01/24(土) 22:09:59 ID:WblB8eqn
鬼武蔵はスイッチが入れば信長・秀吉であろうと斬るだろうな…
740人間七七四年:2009/01/24(土) 22:11:48 ID:PIq6SDb2
主と認識してる奴には噛み付かんタイプの猛犬じゃね?
741人間七七四年:2009/01/24(土) 22:45:03 ID:gxHI5CQ0
富田長繁は狂犬なので食いつきそう
742人間七七四年:2009/01/24(土) 22:47:48 ID:KuwCqWmM
富田長繁は触る者皆傷つけるタイプ。
743人間七七四年:2009/01/24(土) 22:48:55 ID:UVf4zuKD
内府みたいに尖っては
744人間七七四年:2009/01/24(土) 22:49:09 ID:ZAFy2Fu6
どうせならみんなの見てる前でやって「鞘ぶつかってもスルーするなんてお前それでも武士?w」とか挑発すれば
河内守も引っ込みがつかなくなったのにw
745人間七七四年:2009/01/24(土) 22:58:16 ID:Qur7mCgL
柴田のおっさんも信長にむしゃくしゃして切り殺してたな
俺を先陣にするならおめーもこうなるぜ?ってw
746人間七七四年:2009/01/24(土) 23:34:06 ID:hTIBqg6g
>>745
俺が知ってる話では指揮官の生殺与奪権の話だったはずだが。
もしかして俺釣られた?
747人間七七四年:2009/01/25(日) 00:52:00 ID:3gBZb2Ql
もう一つの予言

安国寺恵瓊が信長の横死を予言した逸話は有名だが、実は同様の予言をしたある
公家がいた。

『信長は熟したイチジクの如く、木より地上に落ちるだろう』

(耶蘇会士日本通信)
この予言をした正三位竹内季治という公家は、信長の逆鱗に触れ、近江永原で斬
首された。
季治は熱心な法華門徒で、キリシタンかぶれの信長を嫌ってこのような言葉を吐
いただけで、別に予言した訳でもないかも知れないが、そうであってもこの公家
の勇気は認めざるを得ないだろう。
748人間七七四年:2009/01/25(日) 00:55:57 ID:hOcxq8tY
いくら信長でも公家(しかも公卿)をそう簡単に処刑できるのかな?
749人間七七四年:2009/01/25(日) 01:18:44 ID:pKPnWlGJ
>>747
ろくに稼ぎもなくてなんとか領地を解放してもらったのにだだこねるなんて子供っぽい奴だな。
750人間七七四年:2009/01/25(日) 01:23:57 ID:z8hGLN95
つーか、耶蘇会士日本通信は風聞とかの記録もやたら多いし、特にキリスト教徒は
他教徒に不利な事なら針小棒大に記述するので、あまり信用しない方がいい。

>>748の言うように、信長であっても公家を簡単に処分なんて出来ない。
つーか、日本側の記録にこんな事例はなかったと思うが。
751人間七七四年:2009/01/25(日) 01:48:15 ID:TF7a7ZLf
>>750
実在の人物だぜ。
三好や松永と組んで京の法華宗の首領格だったそうだ。
オマケにお手紙将軍のシンパで反キリスト言動しまくって処刑された。

…死亡フラグ全開じゃん(w
752人間七七四年:2009/01/25(日) 01:53:29 ID:Lfw8jPmg
初カキコ。加賀の国出身の自分が、みんな大好き前田慶次ネタを。

漫画版「花の慶次」が連載されるまで、マイナー武将だった慶次。
ジャンプ連載時、読者から「前田慶次は実在の人物ですか?」
質問が多く届き、本誌で実在の人物です。と、回答したことがある。

さて、あまり知られてないが、前田慶次は一時期、前田利家の
影武者を勤めた。……が、とある合戦にて慶次は。

利家「この度の合戦は激戦になる、影武者(慶次)の働き次第で
   我が前田隊の活躍が大きく変わる。慶次、頼んだぞ!!」
慶次「おう、任せとけ叔父上!!」

で…合戦が始まると慶次は大声で……。

慶次「あ〜あ〜我こそは利家の影武者なるぞ〜!! 」

敵「………」
敵「…てっ事は、アッチは偽者で、コッチで槍を振るってるのが本物か?」
利家「あの馬鹿!また、かぶぎやがった(怒)げ、敵が一杯…」

影武者が自ら名乗っては、元も子もない訳で。慶次のいたずら好きが出た
一面でした。
753人間七七四年:2009/01/25(日) 02:25:10 ID:sW68/XHD
さすがwww
754人間七七四年:2009/01/25(日) 02:29:50 ID:bYtaLNlk
悪戯じゃすまんだろ、それはww
755人間七七四年:2009/01/25(日) 02:44:37 ID:LL29Xx/l
生き残った又左さんさすがですw
756人間七七四年:2009/01/25(日) 02:51:10 ID:IDcbWePx
>>747
安国寺も竹内も、ハズれた予言なんだがな。
757人間七七四年:2009/01/25(日) 05:29:30 ID:BuUtvSyw
予言なんて適当なこと言ってたまたま合ってたらもてはやされるだけで、
大外れな予言をした人もいっぱいいたんだろうなあ。
758人間七七四年:2009/01/25(日) 05:57:26 ID:0Notwc75
安国寺のは予言予言と言われてるけど、「信長?うーん割と無茶するし、
もしかしたら意外と早く衰亡するかもしれませんね。あと、藤吉郎って
奴はやり手でしたよ」程度なんだよね。

ぶっちゃけ、初取引した会社の印象について答えてるリーマンの報告と
大差ないって言うかそのもの。どっちにしろ毛利がそれを前提に外交を
展開してた形跡がない時点で2chの予言レスのようなもんだけど。
759人間七七四年:2009/01/25(日) 07:13:55 ID:oKuM1OGv
小田原の役での里見氏のトホホな行動

房総の大名里見義康は小田原の役の時に弱冠18歳。
戦国期を通して里見氏は小田原北条氏と争っていたので、秀吉の小田原征伐に応じて安房から三浦半島へ進出。
しかし、ここでやらかす。

三浦半島の、とある村に出した禁制。
『村に放火しちゃったけど、俺らは関東公方足利氏の再興・鎌倉帰還のために闘ってるから勘弁ね。あ、今後は乱暴狼藉した連中は取り締まるから安心してちょ』

1538年の第一次国府台合戦で滅亡した小弓公方足利義明の一族を、関東制圧の旗印に闘ってきた里見氏。
小田原北条氏が秀吉の圧力を受けたことに乗じて、父祖伝来の野望を遂げようとしたのだが、この勝手な行動に秀吉が黙っているはずがなかった。

結果、上総国の領地を没収され安房一国に押し込められることに(だいたい三分の一に削減)。

ちなみに里見氏が奉じていた小弓公方家の足利頼淳。
秀吉に娘を側室として差し出して、下野喜連川領を新たに与えられている。
これがのちの十万石格の喜連川足利家。


秀吉に味方したまでは良かったものの、戦略的に大失敗した里見氏。
里見氏の大義名分になっていたものの、領地を与えられた喜連川足利氏の対照的な小田原の役であった。
760人間七七四年:2009/01/25(日) 10:09:48 ID:GOERX5+X
>>738
いやんばか〜ん、うふふ
そこはお鞘なの、あは〜ん♪
761人間七七四年:2009/01/25(日) 13:51:15 ID:gpJOi1jo
>>750
史実やで。
「織田信長が竹内季治(竹内三位入道真滴)を近江国永原に於いて生害させた。」
(『言継卿記』元亀2年9月18日条)
762人間七七四年:2009/01/25(日) 14:25:28 ID:Qw9j1AxT
というか、義教さんに比べればかわいいよね。
763人間七七四年:2009/01/25(日) 16:19:04 ID:m5XLkUVp
自称第六天魔王と他称万人恐怖では比較にならんね。
764人間七七四年:2009/01/25(日) 16:32:14 ID:iE2Bb9Xa
確かに竹内季治でググってみると、出てきますね。

イエズス会の布教許可に真っ向から反対して、
余計なことまで言って信長に処刑されていますなあ。

室町幕府足利義輝、および信長はイエズス会に好意的、
神道の立場から、天皇家、公卿は大反対、という構図。
765人間七七四年:2009/01/25(日) 17:10:54 ID:z8hGLN95
「眼下の星」

天正十八年(1590)、秀吉の小田原攻めの折の事、
ある夜、北条軍と豊臣軍との間に、鉄砲の撃ち比べが起こった。

両軍、激しく鉄砲を打ち合い、その轟音は天地を震倒させ、黒煙は天を覆った。

北条氏直がこの様子を高櫓に登って見下ろすと、鉄砲が発射されるときの火の光が、
まるで満天の星のように、限りなく台地を覆っていた。
この、浮世離れした情景に氏直は、

「地にくたる 星か濠への蛍かと みるや我うつ鉄炮の火を」

と、詠んだと言う。

その夜の有様は、人の目を驚かせる事、前代未聞の事であった。
古老軍物語にはそう、記録されている。
766人間七七四年:2009/01/25(日) 17:54:40 ID:BuUtvSyw
花火の起源ですね、わかります。
767人間七七四年:2009/01/25(日) 18:58:21 ID:MZZ4zjbV
花火の起源は韓国ニダ!
768人間七七四年:2009/01/25(日) 19:03:42 ID:gQV9vM3U
宇宙飛行士の話で軌道上からベトナム戦争の戦火が見えたってのがあったな。
769人間七七四年:2009/01/25(日) 19:37:07 ID:klxoFu1Z
大河で>>765みたいな合戦演出してほしい
770人間七七四年:2009/01/25(日) 19:52:44 ID:bYtaLNlk
>>765
五代記にもあるな、その話。
ただしまさにその、鉄砲を放っていた奴が著者だという違いはあるけど。
ちなみに6月25日の夜半の話だね。

北条五代記の著者、三浦浄心は北条家臣山角上野守の指揮の下、篭城衆として戦った。
彼の担当地区の側、惣構の外に出曲輪(馬出し?)があったが、
今回はあっても意味がないと破棄して惣構えのうちで戦うことになった。
しかし昼間などは惣構えから出て、遺構の土塁を楯に戦うこともしばしばあった。
さて、その出曲輪を取らんと、6月25日夜半に井伊直政が攻めかかってきた。
埋め草(堀を埋めるための草)を大量に持ち込み、堀を埋めようとする。
浄心たちはさせじと激しく弓矢や鉄砲を討ちかけ、その轟音は天地が振動した様であった。
しかし流石に勇猛で鳴らす井伊勢はひるまず、堀を半ば埋め、逆茂木・乱杭を取り除き、ついに出曲輪に進入。
篭城衆は篝火を炊き、塀一枚を楯に迎え撃つ。
激しい戦いが半時続いたが、さすがにこらえきれなくなった井伊勢が撤退を開始。
それを山角以下北条勢が追撃、篝火のある城中とは違い場外は闇夜、
敵の刃だけではなく水堀に落ちてしぬものも多数、まったく生きた心地がしなかったとは浄心の言。
ややあって陽が昇り、井伊勢は撤退、北条勢も一定の戦果を上げて撤収した。

これが小田原篭城戦での唯一の槍戦であったという。
771人間七七四年:2009/01/26(月) 00:04:22 ID:frjTGWeI
>>770
上野守という部分に引っかかった。
無論、勝手名乗りだろうけど。
772人間七七四年:2009/01/26(月) 01:29:11 ID:QDFaS2Mj
>>752
これ漫画にはあるけど出典は何なの?
773人間七七四年:2009/01/26(月) 01:41:26 ID:QQjvNN2w
>>771
いわれて気がついて、五代記みなおしたけどやっぱり上野守だった。
ちなみに山角上野介康定のことだと思う。
774人間七七四年:2009/01/26(月) 02:02:59 ID:HlWx216n
>>765
これって悪い話なの?
775人間七七四年:2009/01/26(月) 02:59:54 ID:ziF357q9
>>735
小さい子なら女装させちゃえば顔だけじゃわからんし確たる証拠が必要なだけじゃね
776人間七七四年:2009/01/26(月) 03:34:00 ID:Rk4Ke7jq
>>774
撃ち合いに関わってない者達にとって(寝付きの)悪い話。

と、勝手に脳内補完してるROMの俺w
777人間七七四年:2009/01/26(月) 04:23:39 ID:cEFyWTAh
>>774
俺は攻められてる最中に何を暢気な事を…と思った。
778人間七七四年:2009/01/26(月) 05:11:24 ID:3AaH0gaU
いい話スレの方にあったらあったで、「これいい話なの?」っていわれそうな逸話ではあるなw
779人間七七四年:2009/01/26(月) 05:53:52 ID:Qt1ij6bM
亀井茲矩の野望

亀井茲矩は秀吉から出雲半国を賜るはずであったが毛利と講和してしまったためお流れとなった。
そこで代わりの国の希望を聞かれたところ、茲矩はこう答えた。

「琉球国をいただきたい。」

それに対して秀吉は扇にこのように書いて手渡した。

「亀井琉球守殿」

史上初めて琉球守なる官職が生まれた瞬間である。
その後実際に秀吉に琉球征伐を申し出て一旦は許可されたが琉球関連は島津専属になったためまたお流れになってしまった。

しかし茲矩諦めない。

今度は台州守を号し、中国に領土をもらおうと画策した。でも結局唐入りは失敗したためお流れになってしまった。
日本に収まらず広くアジアを支配しようとした?男であった。
780人間七七四年:2009/01/26(月) 08:03:53 ID:TdIPNpZR
以前大砲に嵌まった使者のお話があった戸田氏鉄さん。もう一人いたお馬鹿な家来のお話。


その男は蛇が嫌いだった。そんなある日友人数人と戸外で世間話など雑談をしていた。
その時友人の一人が彼の足元に干からびた芋茎を投げ「おい、蛇だ」とからかった。
彼は忽ちパニック状態に陥り遂に失神してしまった。
気付け薬を与え何とか息を吹き返し彼はそのまま帰って行った。

翌朝。蛇(違)を投げた友人の許に彼が怒鳴り込んで来た。
「親しい友と言えども人前で恥をかかせた事は我慢ならん。お前を刺し違えて死ぬつもりだ」
驚いた友人。
「いや、あれは悪かった。冗談が過ぎた」
ひたすら謝ったが聞き入れようともしない。
結局折れて今晩決闘をしようと言う事に。場所を決め帰した。

そして決闘の時間。彼が指定場所に着くと先に友人が待っていた。
「さあ、約束通り討ち取って貰う。」刀を抜く。
「ならば拙者はこれで」
友人が出した得物。それは……。

青大将(本物)をくくり付けた長い竿だった。

「なななな何だそれは?!ちょっと待て卑怯だぞ!!!」
昨日の悪夢。彼はまたもやパニックに。決闘どころではなくなり後ろ手に刀を振り回しながら逃げるハメに。
その後に友人が得物(蛇付き)を持ち笑いながら追いかけて来る。
彼は家に逃げ帰り閂をかけて閉じこもった。

その後仲間達が集まりこれはもう決着が着いたと言う事になった。
蛇嫌いな男は勿論笑い話のタネになったのは言うまでもない。
781人間七七四年:2009/01/26(月) 09:14:49 ID:XrlDK27r
>>774
儚い話…かな

むしろいいスレ向きだったかもしれん
(たくさん人は死んでるけど)
782人間七七四年:2009/01/26(月) 09:21:26 ID:eXKv9G3C
>>780
吹いたwwwww
783人間七七四年:2009/01/26(月) 10:03:00 ID:SVvoXQyJ
東京大空襲で燃える東京の街も、郊外から見ると幻想的でとても綺麗だったそうだよ
宮崎駿はじめ、有名無名の何人かの回想を読んだことがある
784人間七七四年:2009/01/26(月) 10:14:59 ID:ECKlcUMA
謀反の真相

ち○この話に便乗して、しっこの話

荒木村重は信長に謀反し、信長は荒木謀反の知らせにびっくりしたというが、
実はこんな謀反の真相があった。

「去年三河国岡崎へ御出の時、荒木門に居たりしに、二階より長谷川尿をしか
けたり。荒木苦しからずとて不立去、如此故に違心と云々。」(当代記)
(荒木は長谷川というものに二階から小便をかけられ、村重はこのことを遺恨に
思っていたということ。この長谷川とは、信長の近習の長谷川秀一ではないかと思う。)
785人間七七四年:2009/01/26(月) 10:40:48 ID:KGVNaSr/
>>780
大砲好きの次は蛇嫌いかw どちらも度が過ぎて失敗しちゃってるけど戸田さん家は面白いな
786人間七七四年:2009/01/26(月) 15:05:44 ID:eXKv9G3C
>>784
半兵衛もしっこをかけられて稲葉山城のっとったけど
しっこをかけられるってかなり屈辱的なのかな

荒木道糞…糞はいいのか
787人間七七四年:2009/01/26(月) 17:09:08 ID:eqf4bCk4
歪んだ愛情表現かもしれないお(^ω^)
788人間七七四年:2009/01/26(月) 17:30:42 ID:OefEApcD
>>779
亀井さんはその後も家康からシャム交易を許可されてるんだよな。
よっぽど海外大好きな人だったんだろうな。
789人間七七四年:2009/01/26(月) 17:32:55 ID:3AaH0gaU
>>788
一人大航海時代みたいな人だよねw
790人間七七四年:2009/01/26(月) 18:47:58 ID:3AaH0gaU
文化人としても名高く、また男色を批判するザビエルを追い出した戦闘的男色家で、
毛利三兄弟のうち2人までノンケでもかまわず食っちまった事でも(一部で)有名な大内義隆。
彼は周易(儒教を基にした占い)にも、伝授を受けるほど熱心であった。

習えば実践してみたくなるもの。義隆は家中の者の本卦を見、その性を吟味し、
行儀(儒教的秩序)を満たすためだとして、
木性の者には東に屋敷を渡し、火性の者には南に家を建てさせ、
水性の者には北、金性の者には西に、それぞれ居住させ、
これを守らぬものは処罰する、と命じた。

さらに、木性の者が金性の子を持てば、その子を西の方に預け、
火性の者が水性の子を持てば、北の家に預けるようにさせた。

義隆の時代はこのように理不尽な事が多かったが、法の執行は厳しく、
家中のものは大変迷惑したと言う事だ。
791人間七七四年:2009/01/26(月) 19:13:14 ID:1RnauYZ0
>>790
ここまで行くとキチガイだな
そりゃあ謀反も起こされるわ
しかもその謀反人の陶も昔義隆が食ったというオチ…
792人間七七四年:2009/01/26(月) 20:05:50 ID:OefEApcD
氏康「陰陽五行って奴?迷信だろあんなの。」
793人間七七四年:2009/01/26(月) 20:12:04 ID:lVtEakn5
細川さん家の電波管領と比べると面白い

名門中の名門の出で、前半生は軍事行動に勤しみ勢力を拡大し、後半生には周囲が引くほど趣味にのめり込む
徐々に支持を失っていき最後は跡継ぎ抱き込んだ執政に謀殺され、擁立された跡継ぎはパッとせず・・・
とどめに内乱起きて名門一族が見る影もなく没落

ついでに二人とも男色大好きだな
794人間七七四年:2009/01/26(月) 20:24:19 ID:Ku22NSuX
>>793
宗麟もそんな感じかな。
英明な時期と暗愚な時期の繰り返しだけど。
795人間七七四年:2009/01/26(月) 20:34:07 ID:3AaH0gaU
三好長慶・織田信長<特別、趣味にのめりこんだつもりはないのに、死んだら内乱おきて
              一族没落した俺たちみたいなのもいるけどな!
796人間七七四年:2009/01/26(月) 20:42:27 ID:8M2gv8On
キチガイよりはバカのが可愛げがあるというもの
そんな愛すべきおバカさんな市松のお話

福島正則が城を見回っている際に、門外の石垣に槍が立てかかっているのを見つけた
槍の鞘を外そうとしてみると刃の根元が赤く錆びている
これを見た正則、瞬間沸騰で怒り出した
「こんなものは鞘を全て抜く必要無い!武具を錆びつかせるとはなんてバカな事を!一体誰の槍だ探し出せ!」
と、その槍を投げ捨ててしまった

この槍の持ち主は誰あろう、「笹の才蔵」こと可児吉長の槍だった
正則がキレてるのを知らせに来た近習から騒ぎの一部始終を聞いた才蔵、自分の槍を投げ捨てられた事に対しこちらも瞬間沸騰
ダッシュで正則の元へ駆けつけ、投げ捨てた槍を拾い差し出しこう言った

「槍の先っちょ見てみろ」

何言ってんだこいつ?と思いながらも正則が槍を手に取り鞘を全て取り払ってみると、槍先の先端は見事に研ぎたててあった
これを見た正則、さっきまで真っ赤だった顔が今度は真っ青になってしまった

さらにトドメに

才蔵「槍ってのはなぁ、先っちょが大事なんだよ( ̄ー ̄)」
正則「そうっすよね・・・大事なのは先っちょっすよね(´・ω・`)」

すっかり面目を失った正則は槍を鞘に収め、元の場所へ槍を戻しすごすご去っていったと言う


なんで市松の逸話はこんなのばっかり残ってるんだろ








797人間七七四年:2009/01/26(月) 20:49:05 ID:XSiefVkr
やりやりだぜ
798人間七七四年:2009/01/26(月) 20:49:59 ID:cEDjWc8b
>>796
かっこ悪過ぎるw
799人間七七四年:2009/01/26(月) 20:52:46 ID:hdDberrj
>>780
そこまでやればその蛇嫌いの人もだれからもバカにされないよ
どんな豪傑にも苦手なものの一つくらいあるもんさ
800人間七七四年:2009/01/26(月) 21:06:53 ID:lVtEakn5
>>795
長慶様へ
 自業自得です -松永弾正

信長様へ
 目の前に美味しそうな餌があったので -明智日向
 息子は一応織田の血引いてますよ? -羽柴筑前
 ・・・コノウラミハサズデオクベキカ・・・ -松平某
801人間七七四年:2009/01/26(月) 21:10:07 ID:AwBiJlin
>>796
才蔵がカッコ良過ぎて、余計に市松の情けなさが目立つなw
最初に鞘全て抜いて確認すれば良かったのに
802人間七七四年:2009/01/26(月) 21:21:49 ID:gkZ0yuLO
畠山義続・義綱「専制しようとしたら、家臣に追放されました」
畠山義慶「傀儡だったのに、家臣に謀殺されました」
畠山春王丸「なんで自分だけ疫病で……」

記録がもっと残っていれば、おそらく四天王に入れそうな家臣を抱えていた主君の愚痴。
803人間七七四年:2009/01/26(月) 21:25:28 ID:NXK7bMit
門外の石垣に槍が立て掛けてあるのが不思議だ。
才蔵、どこへ行ってたんだ?
804人間七七四年:2009/01/26(月) 21:33:15 ID:Nbsh8rut
>>790
ザビエルの訪問は一回目は男色の罪に言及して失敗したけど、
二回目は身なりをきちんと整えてポルトガル土産献上したら
義隆が心証良くして布教を許したんだっけ。
一説によると一回目の山口訪問の後に向かった京で、
「日本人は非常に身なりを気にします」とアドバイスされたとか。

…まあ、日本人全てにそれが当てはまるかはともかく、
権威主義者の塊みたいな大内義隆には大いに有効だったと。
805人間七七四年:2009/01/26(月) 21:38:06 ID:XrQwBG6d
アナリスト義隆
806人間七七四年:2009/01/26(月) 22:07:25 ID:LXqCxgXZ
>>796
他の話でも勝手にひとん家の槍を見てブチ切れられてたな・・・
どうして市松は勝手に他人の槍を見たがるんだ
807人間七七四年:2009/01/26(月) 22:12:09 ID:/6gkeiC2
なんかいやらしいな
808人間七七四年:2009/01/26(月) 22:30:29 ID:rGGV7gxs
うほっ?
809人間七七四年:2009/01/26(月) 22:33:27 ID:3VeDHFaB
>>791
その陶の兄上まで食ってる件
810人間七七四年:2009/01/26(月) 22:42:34 ID:2bwHtM4Y
>>800
信孝「報いを待てや、羽柴筑前…」
811人間七七四年:2009/01/26(月) 22:43:35 ID:Nbsh8rut
>>810
ちょw
812人間七七四年:2009/01/26(月) 22:47:04 ID:3W8pKsRB
陶が食われてたのは知ってたが、兄も食われてたのか…
まさに世も陶だな
813人間七七四年:2009/01/26(月) 22:48:28 ID:3AaH0gaU
>>809
男色と言うと、信玄と春日弾正とか信長と利家とか家康と直政とか、その辺が
クローズアップされやすいけど、この辺は同時代的にはごく普通だよなあ。

大内義隆クラスまで行ってはじめて、アッーとか付けるべきw
814人間七七四年:2009/01/26(月) 22:54:55 ID:L5+cI3tI
心が晴れるような悪い話はないかね
815人間七七四年:2009/01/26(月) 23:20:27 ID:3AaH0gaU
では、世に弾正数あれど、悪い弾正といえばこの俺、松永久秀のお話


松永さんは搾取の名人だった。それはもうきめ細かい搾取をした。
ある時は領民に対し、城に酒を収める時に使う酒樽の高さを高くするよう命令した。
これは柳樽と呼ばれた。

領民が言われたとおりの寸法の酒樽で酒を収めると、久秀は早速酒を抜きその樽を崩し、
樽材の板を城の塀作りに流用した。城の塀に合わせた寸法だったのだ。

またあるときは、家々の串垣の長さを規制し、半分にさせ、切り取った半分を回収、
それを壁の下地作りに流用した。

このように久秀は、どんな些細な事でも自分の得になるように行ったので、弾正殿は
兵糧弾薬は勿論の事、どんな物でも持っていないものはない、とまで言われるようになった。

その風聞に気をよくした久秀、城下にこんな札を立てた

「わしの城に足りない物があると気がついた者があれば、申し出るか札を立てよ、
褒美を取らせるであろう。」


するとあくる日、こんな札が立った


「数年の間領民をむさぼったあなたの元には、なにもかも足りないものは無い様に見えます。
ただし、その松永家にも、足りないものが二つあります。
それは、『運』と、『命』。
こればかりは領民から搾取できませんからね。

松永弾正殿へ 惣百姓一同」


久秀の滅ぶのは、それから間もなかったそうだ。
816人間七七四年:2009/01/26(月) 23:43:58 ID:Rsxt5D3E
ええ話や・・・
817人間七七四年:2009/01/26(月) 23:50:30 ID:QQjvNN2w
うまいな
818人間七七四年:2009/01/27(火) 00:09:07 ID:Ly5ZIy08
イイハナシダナー
819人間七七四年:2009/01/27(火) 00:11:40 ID:z5W1vBti
このスレのタイトルを見直そうな、皆(w
820人間七七四年:2009/01/27(火) 00:14:21 ID:2cDvJkIf
弾正霜台まあ基地外じゃなかったらしいから
領民殺しはあんまりやってなさそうだが

札立てたやつ『命』ってのは危ねえなw
821人間七七四年:2009/01/27(火) 00:15:15 ID:XWgg1Fni
あれ?松永さんて内政は凄く善政を敷いて領民に慕われていなかったっけか?
滅亡寸前に劣勢を挽回する為に税収を増やそうと躍起になったのかな?
822人間七七四年:2009/01/27(火) 00:17:35 ID:f3uQqwZj
悪賢いだけで、悪政ではないように感じる
ただ、領民にすれば文句言いたくなるだろうが
823人間七七四年:2009/01/27(火) 00:20:21 ID:EiAHiRwo
賢しいというかなんというかw
824人間七七四年:2009/01/27(火) 00:28:15 ID:4RUaNLzt
信長の味好み

天正元年、信長は将軍義昭を追放、更に義昭に味方した三好家を滅ぼし、
多くの捕虜を捕らえた。その中に坪内某という料理人もいた。
坪内は鶴、鯛の料理の名人で、饗膳の儀式の達人といわれる人物。
家臣がこの料理人を召抱えてみてはどうかと信長に進言した。

信長「よし、では、お主の料理の腕前みせてみろ」
坪内「ははーっ、では翌朝に素晴らしき料理をご用意致します」

坪内は腕によりをかけ、会心の料理をつくり信長に差し出した。

坪内「この鶴は摂津の淀川で取れたものを一晩寝かせて……」
信長「能書きは良い、食えば分かる。どれ…頂くか」
信長「こ、これは……」
 
信長「まずーい!!! なんだ、この水ぽい吸い物は!!!」
坪内「え、ええー!!」
信長「こんな不味い料理を食わせおって!! 即その者の首をはねよ!!」
坪内「ちょ、ちっょと待って、ラストチャンスを……」

坪内は、信長に土下座をし、再度、料理をつくらせて欲しいと願い、
それでも口に合わなければ切腹すると誓った。

翌日、出された料理に満足そうに舌鼓を打つ信長の姿があった。

信長「うむ、この食感、この味、これは正に美味いぞ〜〜」(味王風に読むと良し)

さて、坪内は料理に、どの様な味付けをしたのだろうか?

坪内「簡単なことよ。昨日だした料理は公方家だされる一級料理だったが、
信長公は口に合わなかった。そこで三級料理の味付けの料理を出したら
大変満足したって事よ」

つまり、所詮、信長は田舎大名という、かっこ悪い話
825人間七七四年:2009/01/27(火) 00:31:51 ID:u6bganoq
>>824
これ読むたびに思うのだが、京都人のいやらしさをこれほど端的にあらわした逸話は
他にはないと思うw

個人的には信長馬鹿にするため、最初わざと、普段出すより薄い味付けで出したんだと信じてる。
826人間七七四年:2009/01/27(火) 00:34:06 ID:7PxLByo3
後にそれを知った信長は
「最初から俺の口に合った料理を作れないのは所詮無能だからだ」
てなことを言ったという話もある。
827人間七七四年:2009/01/27(火) 00:35:15 ID:XWgg1Fni
>>824
その逸話を紹介するのなら
後日、坪内某の話を聞いた信長が
「主人の好みを知ろうともせずに料理を作るなんてヘボ料理人だで。
 主人の好みを知る努力を怠るなんて無能だろjk」
とそれは最もだとも負け惜しみともどちらとでも捉えられる主張をしたことを書いて欲しかった。
828人間七七四年:2009/01/27(火) 00:38:24 ID:f3uQqwZj
九州征伐後の話
嫡男を失った長宗我部元親は国内整備に本腰を入れる
居城を移し、反盛親派を粛清し、検地に法整備と矢継ぎ早に行う
が、土佐一国に押し込められ、豊臣への奉仕もあり、財政はかなり苦しい

ここで名乗りをあげたのが、籠宗全という男
算術勘定に優れた宗全は、「収入を一割は増やせる」と豪語して検地測量を任された
宗全は早速、申告漏れ、過少申告、隠田などの摘発を始めた
その結果、なんと千石のところから八百石を打ち出した
つまり、同じ場所の生産高が1.8倍になってしまった
この苛酷さ、厳格さには百姓が激怒
ある夜、宗全の屋敷は放火され、逃げ遅れた彼は焼死したという
829人間七七四年:2009/01/27(火) 01:03:41 ID:Ly5ZIy08
やっと一領具足の軍役から開放されたのに、いきなり2倍近く増税されたらキレるわな
830人間七七四年:2009/01/27(火) 02:15:32 ID:64z4vJzz
島津さんとこの伊集院忠棟さんとかもこの類かな
831人間七七四年:2009/01/27(火) 02:22:29 ID:tSFmguwR
>>824
>三級料理の味付けの料理
それだと誤解される。

味噌や塩をたんと利かせた田舎風の味付けにしたら、じゃないと。
動かない公家となら塩は好みの問題だけれども、
肉体労働の武士にとって塩分補給は体が欲するものだから止むを得ない面がある。
信長の行動力を見ればなおさら。
832人間七七四年:2009/01/27(火) 02:30:02 ID:rXHLDhQf
漁師とか炭鉱で働く人が塩辛いのが好みなのと一緒だな
833人間七七四年:2009/01/27(火) 03:46:52 ID:SJcytSfZ
>>831
誤解もなにも、『武辺咄聞書』に
「今日の塩梅は第三番通の塩梅……田舎風に仕立候故、御意に入候」ってあるからな
三級・三等の訳すのも間違ってないと思う
834人間七七四年:2009/01/27(火) 03:50:29 ID:u6bganoq
>>833
いやそれは間違ってるというか、主観が入りすぎてる。
当時の概念としても、田舎風の味付けが三級なんて事はないよ。
835人間七七四年:2009/01/27(火) 03:56:46 ID:SJcytSfZ
>>834
んんー
「“信長公に恥辱を与へまいらせし”と皆人笑ひけるとなん」と締めくくられるエピソードだよ?
当時の都人の価値観を伝えるエピソードを、
現代人や地方大名の価値観で批判しても仕方ないと思うんだが
836人間七七四年:2009/01/27(火) 04:11:38 ID:f3uQqwZj
「えーマジ濃い口?」
「キモーイ」
「濃い口が許されるのは無位無官までだよねー」
「キャハハハハ」
837人間七七四年:2009/01/27(火) 04:27:37 ID:u6bganoq
>>835
もうちょっと端的に言うと、「あいつ流行から遅れている」って捉えられたと考えるといいかな?

今の伝統都市京都のイメージから考えると間違えるんだけど、当時の京は、日本の
最先端文化都市でもあったわけで、食文化にも当然、最新のムーブが導入されている。
それを理解できない部分で、

「えらそうな顔してても、最先端の味は理解できないのですなあ。」

って、失笑が生まれるわけだ。


まあ、京都の人は今でも言うんだけどね。東京なんかかた来た人に
「田舎の人に京の味はお口に会いませんでしょうけど」
って、料理出してくるのw
838人間七七四年:2009/01/27(火) 05:02:31 ID:imYXmP7/
今でも内陸部で流通してる海産物は粗末な物が多いよね。
というか、同じ品質の物でも輸送費がかかるぶん高い。
しかも京都は人口が多いから値段の上限が高くて尚更。
東京も同様で庶民が食べる物は酷いけど、最低の素材から最高の素材まで集まってるからな。
それとこの時代の海産物は塩漬け輸送だから必然的に濃い味になっちゃうはず。
なので現代人の感覚なら素材を生かした料理が豊富で薄味から濃味まで揃えられる尾張の方がよっぽとグルメだったと思う。
と旧今川領民が言ってみる。
839人間七七四年:2009/01/27(火) 05:23:16 ID:AnAQiidi
つーか京都が薄味なのは今でも変わらない京都の伝統だろ。
素材の味を活かすって事で足利義政の時代だっけか、に和食の革命があった。
調味料こってり入れて味をつける料理法は時代遅れな料理法。
840人間七七四年:2009/01/27(火) 06:25:52 ID:imYXmP7/
あと現代の京都市は国内屈指の観光地だけに、観光客目当てで具がスカスカのまずい店が非常に多いね。
東京も似たようなもんだが京都はとりわけ酷い。
美味しいとこは高いし、京都や東京での食事は地雷。
841人間七七四年:2009/01/27(火) 07:19:56 ID:xX3XzyLe
>>840
京の味がお口に合わなかったんやね。
842人間七七四年:2009/01/27(火) 07:24:33 ID:9zXwZvHb
>>840
田舎よりようおこしやす
843人間七七四年:2009/01/27(火) 07:30:55 ID:YRGSZUM+
東西で味の好みが違うからじゃないかねえ。
今でも名古屋あたりに行って見たら分かるけどかなり濃い味付けが好みのようだし。
山口の知り合いが名古屋までふぐ茶漬けをお土産で持ってったらしいが薄すぎてまずいとか言われたらしい。
844人間七七四年:2009/01/27(火) 08:38:51 ID:7PxLByo3
木村祐一「関西は薄味なんや言われると腹が立ってくる。
       関西のしょうゆは色が薄いだけで味は濃いいんや。」
845人間七七四年:2009/01/27(火) 08:45:07 ID:LKt6wz1f
今の名古屋周辺は製造業が盛んだし、
やっぱ濃い目の味付けは未だにウケがいいんじゃないだろうか
関西の味付けにあこがれてる関東の人はわりとよく見るけど
名古屋周辺の人でそういう人はあまり見かけないような
846人間七七四年:2009/01/27(火) 09:55:09 ID:1EGlHjT5
要するに東国は武士文化で調味料強いって話だろ。
公家からしたら「武士の都合」を知り得ないし、
そして武士からしたら「公家の風流」なるものは知り得ないと。

武士等からすればミネラルの補給もあるが、保存食=正義だから塩気多くなるし。
肉体労働由来のものは貴族階級(やその強い影響化にある地域)なら蔑視があるのも無理からぬこと。
847食い物ネタで一寸:2009/01/27(火) 10:04:16 ID:1W8iPTW9
>>840観光客がうまい店を探すのは難しいかもな。
けど京都も江戸も、下町の地元民相手や学生向けに安くてうまい店はあるぞよ?
まあいい加減スレチだが、ぶぶ漬けでも食うていきなはれ

食い物ネタで一寸

元和の頃、大御所家康が年甲斐もなく食べ過ぎてお腹を壊したというネガティブキャンペーンを(後年幕府自身が)流布したという「鯛の天ぷら」

あれ、鯛のすり身につなぎを入れて練ったものに衣をつけて茅の油で揚げたんだってね。
つまり呼び名は「天ぷら」だけど、今でいう「薩摩揚げ」「揚げ蒲鉾」みたいなもん。

ところでスレ住人の皆さんは「阿波・徳島のフィッシュカツ」をご存知だろうか。
……魚肉ソーセージ風の練り物に香辛料を効かせ、さらにパン粉の衣をつけて揚げた…お子様大好き、スパイシーでジャンクな食い物だっっ!
なんぼ田舎でも、こんな濃い味の練り物そうそう食いません。同じ四国でも伊予や讃岐、土佐の幡多(西の方)なら「じゃこ天」をはじめ練り物は衣をつけずに油で揚げるのが普通よ。


恐らく実際の由来は戦後の食糧難に代用肉(カツ)として普及したんだろうが、
阿波といえば三好、阿波の殿さんといえば蜂須賀……

(徳島以外の)四国住民は「あのフィッシュカツは三好四兄弟が都に上がった時に持ち帰った、当時最新モードの“天ぷら”料理が四国に土着する過程でやたら濃い味になったのだ」
「いやいや、尾張出身の蜂須賀の殿さんが織豊政権の流れで阿波に持ち込んだから、あんなに濃い味なのだ」と無責任に噂している
848人間七七四年:2009/01/27(火) 10:13:51 ID:vNi74QeH
信長「一流の料理人とは、地域や個人の味の好みに合わせて
   創るものだ。坪内、お前は料理の基本が分かっていない。
   お前は以前、京極さんに土佐の(ry

坪内「くっ…!」

京極「なあ坪内はん、信長はんも同じ失敗を乗り越えてきたんや
   ないか…?」

坪内「俺はいつか、あいつを超えてみせる!」

そして数年後、信長と坪内は葡萄酒を酌み交わし、和解する。
849人間七七四年:2009/01/27(火) 10:32:29 ID:xyyLGeTG
坪内VS海原雄山を見てみたいものよ
850人間七七四年:2009/01/27(火) 10:52:05 ID:2qtS3UQN
さすが料理に詳しいなあ、京極高次はw
851人間七七四年:2009/01/27(火) 11:38:08 ID:VpWuq9FI
大河の主人公・直江山城守の話

直江兼続が藤原惺窩から、小早川隆景、上杉謙信、赤松広通などとともに
「武人ながら、文章もたしなむことのできる人」と評価されているのは
わりと知られているが、惺窩の兼続評は結構辛辣。
兼続、小早川隆景が藤原惺窩のもとを訪れたが、そのとき彼は不在だった。
そこで両者は引き上げるのだが、しばらくして惺窩が帰宅してそれを知った。
すると、惺窩は国元へ帰る途中の兼続をおいかけ、対面した。

のちに「どうして小早川ではなく、直江の方へ行ったのですか?」と聞かれ
惺窩こたえて曰く。
「たしかに兼続という男は器量は大きく、一世の俊英だろう。しかし、
彼は奸雄であり、もし彼が後に大をなしたら、会わなかったことを怒り
私を忌避し、害そうとするかもしれない。それを案じたので直江と
会ったのだ。小早川隆景は一世の君子なので心配はあるまいが」


なんというか、藤原惺窩の行動もいかにも儒学者らしいのだけど、
兼続のエピソードって、「できるやつだけど、性格に難あり」な
感じの逸話が多いような。
852人間七七四年:2009/01/27(火) 11:54:10 ID:VdEKwkyB
フロイス、あるいは他のイエズス会士は、信長、秀吉に
ゴチになったけど質素な日本のメシ、まず〜、とか
日本史に書いてなかったけ?

で、準管区長カブラルは、肉食ってナンカ文句あっか?で
巡察師バリニアーノと喧嘩になって首になりゴアに戻された。
853人間七七四年:2009/01/27(火) 11:56:42 ID:5SZXDyn8
悪い話ではないが便乗

「鯉包丁幽斎沙汰了、見事也」(言経卿記)
「徳川家康、吉田兼見邸訪問、相伴、言経・柳原淳光・幽斎・山名禅高、他碁打ら、
この時幽斎、鯉包丁披露。」(細川幽斎年譜)

とかなり鯉料理が得意だった「芸事のデパート」こと細川藤孝の鯉料理の逸話

その1
ある時藤孝が鯉料理を披露することになったが、いたずら者が鯉に火箸を通しておいた。
当然ながら、包丁では火箸を切ることはできない。
いたずら者は藤孝がどうするのかわくわくして包丁さばきを見ることにした。
藤孝は包丁で鯉をさばき刃先が火箸にあたったと見るや、刀で抜き打ちに鯉を切り落とした。
鯉に通した火箸とまな板もろとも真っ二つになったという。
(名将言行録)

その2
またある時、大名の相伴にあずかり、鯉料理をごちそうになることになった。
しかし、その大名の調理の作法がまるでなってない。
「ちっ、近頃の若い者はホントにモノ知らずだな。魚料理の作法はこうすんだよ。」
藤孝は豪華な木箱と薄紙を持ってこさせ、木箱の上に薄紙を敷きその上に鯉をおいて、包丁で
鯉をさばいた。切り口は見事でありながら、木箱どころか薄紙にも傷ひとつついてなかったという。

その3
六条門跡が、藤孝に川鱸の料理を所望した。しかし、藤孝は川鱸を海鱸の作法でさばいた。
「あんだけ作法作法って言うくせに藤孝も結構いいかげんだな。」
それを聞いた藤孝はこう答えた。
「あなたのいうことはもっともだ。しかし、この川鱸は六条川原院にて塩釜に移された魚である。
よって、海鱸の作法でさばいても全然問題ないね。」
それを聞いた六条門跡は感服したという。
(名将言行録)
854人間七七四年:2009/01/27(火) 12:24:33 ID:1M08sK3h
何この雄山
855人間七七四年:2009/01/27(火) 12:54:39 ID:1W8iPTW9
>>853-854
もう幽斎は海原雄山、三斎はシロー・ヤマオカのビジュアルイメージでしか想像できんなってもうたw

……ガラシャはシャッキリポン栗子?
856人間七七四年:2009/01/27(火) 13:02:45 ID:XVt9/b52
>>833
「田舎風だから三級・三流で間違っていない」
また随分と偏見に満ち溢れた訳ですね。
857人間七七四年:2009/01/27(火) 13:12:27 ID:ro739osq
京の人「うはwwあいつ必死杉ww」

って感じで信長見下してたんだろ。テンプレ通りの口だけ野郎
858人間七七四年:2009/01/27(火) 13:39:58 ID:VdEKwkyB
上京は全部焼き討ちだああ!
859人間七七四年:2009/01/27(火) 15:02:48 ID:rbd3PGak
>>856
京の殿上人やそれに連なる人の認識ならそれでいいんじゃねーの?
860人間七七四年:2009/01/27(火) 18:52:19 ID:gHXTsElG
>>853
>またある時、大名の相伴にあずかり、鯉料理をごちそうになることになった。
藤孝はマイ包丁を持ち歩いていたらしいね。
この人が現代に生まれていたら、趣味本を軽く百冊は出版できそうな希ガスw
861人間七七四年:2009/01/27(火) 19:09:39 ID:bQky3YxP
藤孝
「この料理を作った奴をここに呼べぃ」
862人間七七四年:2009/01/27(火) 19:17:16 ID:7PxLByo3
都ではな、こういうものは豚か馬しか食わぬのじゃ
863人間七七四年:2009/01/27(火) 19:31:22 ID:0mSxVC79
>鯉に通した火箸とまな板もろとも真っ二つになったという。
さすが牛を引き倒した男
864人間七七四年:2009/01/27(火) 20:24:12 ID:bnSgRX98
幽斎はマジで完璧超人だなw
865人間七七四年:2009/01/27(火) 21:07:06 ID:4RUaNLzt
昨晩、カキコした信長の味好み、流石にみんな詳しくて真に
感心しました。

さて、親父、藤孝の話が出てたので、まぁ食養生の話だが、
息子、忠興の食に対する話。

忠興は偏頭線、眼病、癪などの持病に悩まされていた関係上、
食べ物には十分に注意を払ったらしく、偏食傾向にあった
嫡男の忠利に対して「一種類だけ食べると体に毒だ。用心
すべきである。患っては遅い」とか、痰と腫れ物に病んだ時は
「鶏卵はいずれも毒である。柿は痰に悪い」と忠利に注意を
与えている。
また、忠利夫人が疱瘡かかった時は「あわびは疱瘡に大毒」と
食を厳禁している。

まぁ、なんだかんだで食には、うるさい親子だったぽいねぇ。
戦国版“美味しんぼ親子”って事か。

まぁ細川家の食と健康に対する結果が細川家の家紋に似た
熊本名産“辛子蓮根”を生み出したんだから面白い。

関係ないが子供の頃、群雄伝やるたびに軍師の助言で藤孝
の顔が出てくるとゾクッと寒気がきたものだ…(汗
866人間七七四年:2009/01/27(火) 21:20:20 ID:bnSgRX98
>>865
あれ幽斎っていうか幽霊だからなw
GB版でも同じ顔だった
867人間七七四年:2009/01/27(火) 21:58:28 ID:jGq4czMg
慶長日記で日出藩主の木下俊政が自分で魚を料理して、家臣に食べさせる話を
思い出したが、当時の武将はマメだったんだね。
868人間七七四年:2009/01/27(火) 22:05:00 ID:jGq4czMg
すまん、木下延俊であった。
869人間七七四年:2009/01/27(火) 22:07:26 ID:JCXT6SUX
細川さんちは現代に生まれても名の売れた人物になりそうです。



子孫も総理大臣になったが。
870人間七七四年:2009/01/27(火) 22:09:55 ID:l47tXAPJ
俺たちの政宗公が料理大好きなんだけど、他にも料理する大名がいたんだな。
871人間七七四年:2009/01/27(火) 22:10:37 ID:XnZEB7lN
>>869
顔、幽斎さんとそっくりなんだよな。
872人間七七四年:2009/01/27(火) 22:17:16 ID:qlKDFMV9
木下延俊→自ら料理して家臣に食べさせる

テル→自ら家臣の嫁を食べる
873人間七七四年:2009/01/27(火) 22:17:55 ID:EiAHiRwo
森(長可)総理大臣に国を任せてみたい
874人間七七四年:2009/01/27(火) 22:22:36 ID:QVvPbaY2
ここのだけの話だが、なんとあのラスボスヒデヨシに統治された国があるらしい
875人間七七四年:2009/01/27(火) 22:24:59 ID:u6bganoq
>>869
権力の一線を退くと芸術活動(陶芸)に走るところまで一緒だな。
細川家には人生のテンプレがありそうだw
876人間七七四年:2009/01/27(火) 22:30:14 ID:ZBaO0otX
>>872
しつこいな
877人間七七四年:2009/01/27(火) 22:33:04 ID:qQ5qS15w
>>873
幕僚長でもやってもらいましょう
878人間七七四年:2009/01/27(火) 22:36:12 ID:tSFmguwR
>>870
料理は出来る男のステータスだったんだよ。
879人間七七四年:2009/01/27(火) 22:38:14 ID:hKNVrglZ
父は鯉を料理し、息子は気に入らん輩を料理するわけだな。
880人間七七四年:2009/01/27(火) 22:54:00 ID:OH0sxvvt
文禄4年(1595)2月、会津92万石の大大名、蒲生氏郷は京屋敷で死の床に就いていた。

嫡子・秀行はまだ13歳。とても独眼竜の抑えは任せられず、蒲生家は転封、とのウワサで
京の町はもちきりだった。
主だった家臣が集まり善後策を協議するも、良い考えは浮かんで来なかった・・・。

家臣A「むぅ・・・せめて殿があと五年、いや三年、お命永らえていただければ・・・・・・」

家臣B「うむ、若殿もその頃には16歳、殿が初陣した年齢じゃ。戦場で、ひと仕事もすれば
    『子供じゃ』と後ろ指を差されることもなかろうに。」

家臣C「そうじゃのう。何とかして殿に、良い毒薬を飲ませて差し上げたいものよ。」

家臣A「?!な、なにを言うか!こやつ!!」
家臣B「おのれッ!ワケを言え、理由しだいではタダでは済まんぞ?!」

家臣C、取り乱す同僚たちを鼻で笑いつつ、言った。

「なんじゃ、お主たち知らんのか?良い毒薬はのぅ、『三年殺し』と言って、飲ませても
すぐには死なず、三年経ってから死ぬそうな。今の殿にはちょうど良いわい。」
(醒睡笑より)
881人間七七四年:2009/01/27(火) 23:09:29 ID:BsKgiQX8
>>880
ん?この話2ちゃんのどこかのスレで見たな
しかし毒飲ませてもなあw
882人間七七四年:2009/01/27(火) 23:10:53 ID:xJNeKgre
尻穴に指を突っ込むのは七年殺しと言(ry
883人間七七四年:2009/01/27(火) 23:11:57 ID:u6bganoq
884人間七七四年:2009/01/27(火) 23:20:24 ID:Zv1vGV/t
家康 「まとめサイトを確認してから書き込むのだぞ」
885人間七七四年:2009/01/27(火) 23:29:12 ID:1rD9lLXy
宣教師フロイスの記録にこんなこと書いてある。
・ヨーロッパではふつう女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。
 そして貴人たちは料理を作る事を立派な事だと思っている。
886人間七七四年:2009/01/27(火) 23:30:08 ID:zTizNXos
>>877
イスラエル軍の?
887人間七七四年:2009/01/27(火) 23:30:29 ID:u6bganoq
>>885
特に客人には、亭主自身が料理をしてもてなすのがマナーだったようだね。
888人間七七四年:2009/01/27(火) 23:36:33 ID:yT6hZEr6
宇喜多直家「それがし自ら腕を振るった料理でござる。ささ、どうぞ」
889人間七七四年:2009/01/27(火) 23:42:24 ID:QVvPbaY2
包丁さばきが礼法として確立してたくらいだもんな
料理は作るところから食べるところまで、一体のものだったんだろう
890人間七七四年:2009/01/28(水) 00:01:43 ID:NdcVnmmu
松永久秀「ではお茶を一献」
891人間七七四年:2009/01/28(水) 00:04:48 ID:5tfKjpgB
> 宇喜多直家「それがし自ら腕を振るった料理でござる。ささ、どうぞ」
怖くて食えねえ
892人間七七四年:2009/01/28(水) 00:05:17 ID:glXRoUgG
最上義光「おい、政宗。お義はおまえのためにつくった料理、
おじさんが先にぜんぶ食べちゃったもんねー♪ ウッ」
893人間七七四年:2009/01/28(水) 00:24:26 ID:m8hiZwHE
時系列的には、むしろこうだろう。

最上義守「愛娘・義の料理はワシのもの ウッ」
最上義光「ち、父上ー」
894人間七七四年:2009/01/28(水) 00:39:45 ID:ZeXe8tsb
最上さんちは愉快だな__________________________
895人間七七四年:2009/01/28(水) 00:47:31 ID:glXRoUgG
義姫「やーん、トリカブトとお塩まちがえちゃったー、てへっ」
896人間七七四年:2009/01/28(水) 00:53:07 ID:ToeL6dPU
>>870
そういえば伊達政宗の家訓、
人間所詮この世には客として来てるようなもんだから文句たれるな
質素に生きようぜ
どんなまずいメシでもウマーと言って食おう
・・みたいな感じで、
自分これ子供の時見て政宗っていい奴だなぁと思ってたが
本人むちゃくちゃ美食家でゴージャス志向だよなー
897人間七七四年:2009/01/28(水) 01:02:05 ID:qxul1pLK
突撃! 隣の晩ごはん in 天正
898人間七七四年:2009/01/28(水) 01:18:29 ID:KDD3Viee
           ∩___∩
            /  ノ   \  ヽ
            | ●    ● |   なにマジになってんの?
          彡   (_●_)    ミ
           /、   |∪|    ,\   この鮭の切り身やるから帰れよ
          /.|     ヽノ    | ヽ
       ,,/-―ー-、, --、   .|_,|
    r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
   |,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
    .ヽ,′       ;   `"";;;;;⌒゙')
     ´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛  `゙´
              |  .‖ /
            ("___|_`つ
899人間七七四年:2009/01/28(水) 01:31:08 ID:VMqUqclA
みんな大好き鬼武蔵。
彼の手にはその武名に相応しい獲物が存在していた。
その名も「人間無骨」。
関の刀鍛冶、和泉守兼定の作、十文字槍。

この槍を立てて長可が敵を突き刺したら十文字の部分を突き抜け、
石突の部分まで達してしまったと言う恐るべき切れ味を持つと言う
この槍の前では人間なんぞ骨のない肉塊のように貫かれるだろう、と言う事から
この名を名付けられた。

もっとも、いかに優れた槍であってもそんな所業が出来るのは鬼武蔵だけだろうが。
長島での初陣の27人斬りの時もこの槍を片手に暴れまわっていたと言う。

さて、この名槍だが江戸時代には森家に継承され、大名行列の際には一番道具となった。
しかし、明治以降は靖国神社や国立博物館に展示されたりもしたが、その後は行方不明に。

因みに、この槍、戦国無双で登場している。本田忠勝の獲物だが。
どうせなら長可の登場キボン…orz
900人間七七四年:2009/01/28(水) 01:31:50 ID:m8hiZwHE
DQNじゃない家久「むしろ熊を ゴクリ」
901人間七七四年:2009/01/28(水) 01:33:29 ID:Rq9/Bkhu
>>899
今も現存してるらしいぜ、人間無骨。

東京の個人蔵になってるみたい。
902人間七七四年:2009/01/28(水) 01:56:53 ID:wf30UbDn
この厨臭くも禍々しいデザインがたまらん

ttp://uproda.2ch-library.com/src/lib096909.gif
903人間七七四年:2009/01/28(水) 01:58:10 ID:4HW1TxQL
そのまま立物に出来そうだな
904人間七七四年:2009/01/28(水) 02:01:17 ID:kTeEg2wo
黒いな、血を吸い過ぎたのかな
905人間七七四年:2009/01/28(水) 02:06:36 ID:Rq9/Bkhu
血でくすんだ黒い汚れが落ちない槍・・・実に厨臭い。
906人間七七四年:2009/01/28(水) 03:19:09 ID:t3vAksHk
正則「この槍の持ち主は誰じゃ! 汚れておるではないか!!」
907人間七七四年:2009/01/28(水) 03:19:22 ID:pFziCNBG
食事の話が盛り上がっていたので、お茶の話でも
ただし、南蛮でのお茶論争について

中国・日本と貿易した南蛮人は、そこで茶の文化と出会い、大いに感銘を受けたらしい
初め、茶は珍しい薬草として南蛮にもたらされた
この薬効と害について、知識人達は壮絶な議論を開始する

オランダ医師A「茶は万病に効く。長生きできちゃう!肉体に不思議なパワーが湧いてくるよ」
オランダ医師B「茶はすばらしいよね。一日100杯飲んだっていいくらいだよ!」
ちなみにこの医師B、東インド会社から謝礼を受け取った
逆に、反対論もあった
ドイツ宣教師「中国人があんなシワシワ顔なのは茶のせいだ!茶を追い出せ、排斥せよ!」

南蛮人の知識はこんな感じであった
908人間七七四年:2009/01/28(水) 07:21:38 ID:wtTHUqfx
西洋につく頃には船旅ですっかり発酵してしまっていた(紅茶)んだから、事態はさらにややこしいw
909人間七七四年:2009/01/28(水) 07:37:13 ID:SzIvS9nV
>>907
広まるまでは薬扱いってのは、どこの国でも一緒なんだねぇ
910人間七七四年:2009/01/28(水) 07:40:48 ID:MihyWage
>>908
船の中で醗酵って言うのは俗説ですな。きちんとした醗酵施設以外じゃ腐るだけ。
紅茶は中国に古くからあるのですよ。
911人間七七四年:2009/01/28(水) 07:49:57 ID:tvyynZw8
味付けの話が出てたけど昔の濃い味って今と比べても濃いのかな?
912人間七七四年:2009/01/28(水) 12:27:26 ID:Y0ST+xJT
>>911
塩や醤油、味噌などの精製、醸造技術などが進歩した現代にくらべれば
色んな意味で濃い(濃厚な)味付けだったんじゃないかな。
当時は醤油と言ってもサラサラの液体ではないし。
913人間七七四年:2009/01/28(水) 16:23:38 ID:I4jJwALA
海外で切腹はなんて訳すんだろう…
http://jp.youtube.com/watch?v=PF6t7VphugY
914人間七七四年:2009/01/28(水) 16:25:57 ID:4oMbSUsJ
HARAKIRI
915人間七七四年:2009/01/28(水) 17:23:19 ID:Tk8HP3vl
マジレスすると、"Happy Dispatch"
916人間七七四年:2009/01/28(水) 19:11:12 ID:LI7Do7xG
信長の受領名といえば上総介。
でも当初は上総守と名乗ってた。

でも、上総守は親王でなければなれない役職。いくら元から自称とはいえ無理がある。
というわけでこっそり格下げに。

佐久間信盛や林秀貞あたりが、「上総守とかありえないですから(プゲラ」と
教えて信長顔真っ赤、という構図が思い浮かぶ。
917人間七七四年:2009/01/28(水) 19:12:06 ID:/8WuCNl8
>>913
何このキモイ動画。
918人間七七四年:2009/01/28(水) 19:16:31 ID:EKT1tiyG
>>916
ぶっちゃけ朝廷について余程詳しい奴じゃないと上総が親王任国で親王以外「守」になれないなんて知らないと思う。
佐久間とか林も上総守がおかしいと気付かなかった気がする。
919人間七七四年:2009/01/28(水) 19:29:29 ID:Uuufw0vE
知ってたら上総守名義の書状が残る間もなく変えてるはずだよね。
920人間七七四年:2009/01/28(水) 19:30:58 ID:ysmn84JC
誰か親戚に言われて変えたんじゃなかったっけ?忘れたが。
でも、上総守って多分今川の上総介に対抗したんだろうなwわかりやすい。
921人間七七四年:2009/01/28(水) 19:47:43 ID:VVua8oTt
武田信玄が受領した正式な官位は大膳大夫。
言葉の響きだけはいかめしいが、文字はお膳などの意味のように、仕事内容は宮中の食事を管轄する。


…どう見てもやってることはお食事とは関係ありません。本当にありが(ry
922人間七七四年:2009/01/28(水) 20:14:01 ID:Anc+akND
>875
某所では細川元総理作が
「100円ショップの臭いがする」
と評判でした。
923人間七七四年:2009/01/28(水) 20:53:46 ID:MihyWage
武田信玄の軍に、野瀬の五兵衛尉という侍がいた。

彼は武勇の者として名を馳せていたが、信州海尻合戦の折、どうしたことか出遅れ、
首を一つも取れなかった。彼はこれを大変口惜しく思っていたが、鞆平六と言う者が兜首を
一つ持って歩いている所に、ばったりと出会った。
それを見た五兵衛さん、それはもう、ものすごい顔で平六の前に立ちふさがった。

「な、なんスか五兵衛さん?俺これからこの首を実験に入れに行くところなんスけど…」

「いやあ、平六クン、今日オレはは少々立ち遅れてしまってなあ、良き敵にも会えず
残念な事に首を一つも取れなかったんだよ…」

五兵衛の口調は柔らかい。だが、目が怖い。

「ところでさ、キミの持っているその首、もし名前も聞いた事のないような雑兵の首なら、
…よかったら、オレに譲ってくれないかな?今日のオレの働きにしたいんだ。
こう言うのもさ、今まで合戦では必ず一つは首を取ってきたオレの運を、途切れさせたく
ないからなんだ。なあ、頼むよ。」

最初驚き、冗談だと思った平六であったが、五兵衛の表情を見ると、どうも本気だ。
と言うか、断ったらこいつ、俺を殺してでも奪い取るつもりだ。平六はそう確信した。
戦ったら五兵衛の方が強いし、こんなので殺されるのはいやだなあ…。
と、言う事で,

「あ、いいっスよ!どーせどこの誰とも知らない首っすから、どうぞどうぞ!」

と、渡した。これに五兵衛は、とたんにニコニコと満面の笑顔!

「え?いいの?ホントに!?うれしいなー。あ、これ大した物じゃないけど良かったら取っといて!」

と、彼の脇差を平六に渡して、もらった首をスキップしながら実験に持って行った。


さて、しばらくの後、平六がついついこの事を人にしゃべってしまった。
さあスキャンダルだ。この話、一気に広まり、武田家内ではこの話題一色になった。

『野瀬の奴が脇差で首を買って、首帳につけて手柄にしたって言うのは絶対おかしいだろ!
今度から首を拾ったら、奴の所に持って行って槍や刀と変えて貰おうぜ!』

そんな事を囁かれ、身から出たものとはいえ、五兵衛はこの恥辱、口惜しさに耐え切れず、
「平六の野郎、ぶっ殺す!」などと言い出し、家中の紛争が起きそうになった。そこで
武田家の重臣、馬場美濃守、山県三郎兵衛、内藤修理、高坂弾正と言った面々は評議を開き、
この件を裁断した。彼らによる判断はこうである。

「首を買った野瀬五兵衛は、大功のつわものとして有名である。彼が他人から首を買ってまで
武功を得ようとしたのは、勇士の心がけとして理解できる範囲である。
だが、一旦首を売り、その代価として脇差を取っておきながら、その事を人に語ると言うのは、
野瀬の勇者としての体面を傷つけ、卑怯者、臆病者と取られかねない事態であろう。

まず最初に、自分で大事な首を取りながら、それを人に売ると言うのは、『この程度の首は
また次の機会にいくらでも取れるさ』と言う武勇の心があってなされるべきものである。
そして人に売っておきながら、『実は自分の手柄だった』と暴露するのは、覚悟が不純であり、また、
侍道に外れた行いである。」

このように信玄に申し上げ、平六は武田家を追放されたと言う。
924人間七七四年:2009/01/28(水) 20:58:38 ID:eN409pue
家康さん、これが「依怙」ってやつですか?
925人間七七四年:2009/01/28(水) 21:05:19 ID:/YIlHM5u
>>923
野瀬の方が使える奴と言うことだな。
926人間七七四年:2009/01/28(水) 21:07:58 ID:MihyWage
>>924
まあ、まじめな事を言うと、この件は依怙って言うよりも、一旦対価として物品を受け取った以上
それは契約関係になったのだから、その契約相手の利益を反故にし、さらに不利益まで
与えるような言動は、明らかに契約上の信義に背くものであり、それは処罰の対象となりうる。
って事かと。
927人間七七四年:2009/01/28(水) 21:09:10 ID:+28/qSuO
勇者野瀬を残しておいて雑魚の平六を追い出したほうが得だからねぇ
928人間七七四年:2009/01/28(水) 21:12:13 ID:eN409pue
>>926
なるほど
喧嘩沙汰としてではなく、過失の有無が問われた・・と
929人間七七四年:2009/01/28(水) 21:41:55 ID:JFwFiH5V
けどぶっちゃけ、当時首を取るチャンスというのは、怪我をして
逃げそこなった運の悪い武者を餌食にするのが王道と聞いたが。

まともにガチンコ勝負してたら、大怪我するか死ぬでしょ。
930人間七七四年:2009/01/28(水) 21:51:41 ID:nhNST2f2
最上義光「まったく、首になんかこだわらないで相手にあげてもいいじゃないか?」
氏家守棟「…」
931人間七七四年:2009/01/28(水) 21:52:52 ID:pCBGGa8B
こういう武勇の士をことさら大事にする武田の家風が大好き
932人間七七四年:2009/01/28(水) 22:05:29 ID:JFwFiH5V
首なんて目もくれず、がんがん集団戦法を取った方が強いのは当然でしょ。
933人間七七四年:2009/01/28(水) 22:10:19 ID:jpvVXq8t
鬼武蔵なら味方の首を取って間に合わせそうだ
934人間七七四年:2009/01/28(水) 22:12:02 ID:Rq9/Bkhu
毛利河内こと毛利秀頼の首ですね、分かります。
935人間七七四年:2009/01/28(水) 22:23:02 ID:NdcVnmmu
鬼武蔵「味方の首を摂るなんて面倒だ。さあ敵方の城を(ry」
936人間七七四年:2009/01/28(水) 23:43:39 ID:diQhA9hC
三国一の臆病者なんて言われたら
鬼武蔵はキレるな
937人間七七四年:2009/01/28(水) 23:44:56 ID:MihyWage
まあ、鬼武蔵に限らず、男伊達は武士の最高の財産だからなあ。
938人間七七四年:2009/01/28(水) 23:56:10 ID:WAMGXFck
妖刀村正

徳川に仇をなす妖刀村正。その凶器にかかった徳川もの
数知れず。

祖父、清康、父、広忠は家臣によって斬殺。何れも
凶器は村正

家康の子、信康が切腹した時、介錯に用いた刀も村正

家康自身、関が原の陣中で槍を使用中、誤って槍先で
指を怪我をしたが、この槍も村正作

こんなんだから大名、家臣に至るまで、村正の所有を
はばかる様になった。
一部例外を除いて、毛利、島津などはコッソリと村正
を所持したと言う。




が…元々、刀工村正は伊勢桑名の人。しかも切れ味抜群
なれば、我先に三河武士が所持するのが当たり前である。
自然に村正が凶器になる確率が高かったに過ぎない。

それどころか、数々の戦功上げた本多忠勝の名槍“蜻蛉切”
も村正作だったりするので、全てが妖刀ではなさそうですよ
家康さん
939人間七七四年:2009/01/29(木) 00:06:29 ID:DzlSjAzn
これまで肖像画が武田信玄の物と思われていたが実はこの人の絵ではないかと言われる畠山義続。

彼は大変な好色家であった。
彼は家臣の娘らを集め、「女もいざという時のため乗馬くらい出来ねばならん。」
と言ってお馬責めなる遊びを行っていた。
これは怖がる少女を無理矢理馬に乗せ、尻を叩いて走らせるというもので、
少女はたちまち落馬し、着物の裾がまくれ上がって陰部が丸見えになった。
義続はこの様子を眺めては悦に入っていた。
そんな中、まったく落馬せず見事に馬を乗りこなす女がいた。遊佐続光の娘である。
気になった義続は遊佐に娘を差し出すように要求したが拒否される。
そこで義続は遊佐に使いを命じ、留守の間に家へ立ち入って父の許可を取っていると偽って娘を手篭めにしてしまった。
しかもその娘は陰部に毛が生えておらず、桃のような性器で、すっかり気に入った義続は四六時中娘の性器を眺めていた。

これに激怒して謀反を起こした遊佐続光を撃退した温井景長が替わって重臣の座に就いた。
義続はある時、沐浴をしている女を目撃した。その余りに美しい裸体にすっかり惚れ込んだ。
その娘は誰かと訊ねると、弟の畠山義則の妻という。
義続は弟に妻を差し出せと命じた。一旦は了承するものの、すっかり主君に愛想を尽かせていた温井景長に、
承諾する必要は無いと言われ尤もだと思い拒否した。
激怒した義続が軍を派遣しようとすると、城門の外にいたのは温井景長の精強な軍勢であった。
たちまち義続軍は蹴散らされ、畠山義続はどこへともなく追放されてしまった。
940人間七七四年:2009/01/29(木) 00:18:56 ID:s1q0fWty
嫌がる幼女に騎上位を強要とな!?
941人間七七四年:2009/01/29(木) 00:23:48 ID:7c5bVNyC
宗麟、輝元に次ぐ3人目が出てきたか・・・
しかも失敗とはかっこ悪すぎる。
942人間七七四年:2009/01/29(木) 00:24:37 ID:6KkbQzdL
>>938
つーか、家康の所蔵している刀にも村正は普通にあるし。
家康のてんぷらの話と一緒でこれも、後世の人が面白おかしく作ったお話だよね。
943人間七七四年:2009/01/29(木) 00:25:59 ID:3aGIzaGQ
>>939
なんという変態
944人間七七四年:2009/01/29(木) 00:28:24 ID:lZlgznEB
>>939
アソコを眺めて楽しむあたり変態すぐる…
945人間七七四年:2009/01/29(木) 00:32:22 ID:EEhY3nkD
そんな事してるから追放されてんだよww
いや、でも名君でもどのみち追放された気がしないでもない。
946人間七七四年:2009/01/29(木) 00:55:37 ID:7CN4MASk
宣教師としてインドのゴアに赴いていたザビエル。彼はマラッカやインドでの活動に辟易していた
ポルトガルの兵士達がひっきりなしに告解してくる上にインドとマラッカを頻繁に往復しなくてはならない
おまけにインド東部以外の地域の住民は西洋人には決定的に合わず
部下は布教をサボりインド総督は布教資金をピンはねしていた

(#・∀・)「まったく忙しすぎて布教なんてほとんど出来ないじゃないか!
      部下は働こうとしないし上司は横領してるし現地人は話を聞こうとしないしetc」

布教の情熱は失っていなかったが環境は劣悪すぎた
そんな日々を送っていたときマラッカで日本人のヤジロウという人間と出会う
キリスト教を欲しているらしく試しにゴアで学ばせてみるとみるみる頭角を現した

(*・∀・)「彼いいじゃないか!インド人より飲み込みいいよ!」

日本への興味が湧いたザビエル、日本の情報を集めてみると
友人のジョルジュが日本について調べた手紙をくれた

(*・∀・)「言葉は一つ、好奇心旺盛で理性的か…決めた!僕はこんなところとはおさらばして日本へ布教しにいくよ!」

逃げたくなるのも無理は無いが許可などもらっていない。
もちろん渡航は自分でなんとかしなければならなかったが中国人のアワンが日本への船を出すことになった
この船、実はマラッカ総督が半場強引に出させたようだ
何はともあれこのアワンと日本へ向かうこととなった一行、
ところが突然アワンが直行の航海を見合わせようといってきた

(#・∀・)「ちょっとちょっと、日本に直行するはずでしょ!どういうこと!」
( `ハ´) 「日本の方角は卦の組み合わせがよくないアル。一度中国へ寄航したほうがいいアル」

彼は熱心な道教の信者であった

(#・∀・)「そんなのまやかしだ!さっさと日本へ行ってくれ」

アワンは渋ったが結局日本に直行することになった

が、この占いは当たった
海が荒れ船は嵐に巻き込まれた。
ザビエル一行は無事だったがアワンの娘は海に投げ出されてしまったのである

(#`ハ´)「あんたらが身代わりになれば娘は助かったはずアル!」

娘が死んだ上に航海中に何度も占いや読経ザビエル達に文句を言われ腹が立ったのだろう
いずれにしても険悪な雰囲気の中航海を続けたが一行は日本にたどり着くことが出来た
ところがアワンの不幸はこれで終わらない
彼はそのまま異国の地日本で没してしまったのだ

( ・∀・)「まぁ僕達の言うこと聞かず異教徒のままだったから地獄行きだよね」
とザビエルが思ったかどうか定かではない…
947人間七七四年:2009/01/29(木) 02:30:12 ID:utbV2Uzo
>>939
こ、これは…
948人間七七四年:2009/01/29(木) 02:36:52 ID:tjOUou25
>>939
>>しかもその娘は陰部に毛が生えておらず、桃のような性器で、すっかり気に入った義続は四六時中娘の性器を眺めていた。

これ記録に残ってたのかよw
949人間七七四年:2009/01/29(木) 02:37:42 ID:GLxhiL7z
そのくだりを読んでて、股間が少し硬くなった
950人間七七四年:2009/01/29(木) 04:50:41 ID:jJzD/1Dg
輝『嫁を奪えなかった奴と一緒にしてほしくないんだお』
宗『全く嘆かわしいわい』

又の槍『ロリコンとはこうあるべき』

464 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:41:43 ID:VSapdq2v
 ルーデルの撃墜数とか、能力が読んでもイマイチ分からないんだが
 他のものに例えるとどれくらいなんだ?


466 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:43:20 ID:SnHtOYmE
 >>464
 セガール


468 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:44:20 ID:PiKPu14B
 >>464
 全盛期のイチロー


471 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:48:41 ID:Q1DMYefQ
 >>464
 戦車のウルトラエースのミハエル・ヴィットマンの戦車撃破数は138。

 ルーデルの戦車撃破数が最低519。

 ルーデルは他に飛行機9機(5機以上撃墜でエース)、
 大砲150門以上、小型船舶70隻以上、戦艦、駆逐艦も撃破してる。
 もちろんその他いろいろ。

 あと20歳で5歳の女の子と結婚(入籍)してる。


472 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:51:57 ID:0cE65wJY
 >>471
 最後の一行で偉大さがわかった


474 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:52:01 ID:ie5/h1X1
 >>471
 ロリコンってれべるじゃねーぞ!


475 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:54:20 ID:VSapdq2v
 >>471
 それは凄いな


478 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:55:33 ID:Q1DMYefQ
 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル『急降下爆撃』高木真太郎訳(学研M文庫、2002年)に
 「私が怪我をして入院したとき、妻がそばで看病してくれた。
 それを見た人々(特に女性)はとても複雑な目で私たちを見ていた」ってマジで書いてある。


481 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2009/01/23(金) 19:57:01 ID:ioga3lzb
 >>478
 周囲ドン引きですね
951人間七七四年:2009/01/29(木) 07:06:42 ID:cE/hpeyA
>>939
パイパンに魅了されるとは畠山義続もなかなかいい趣味をしているな
952人間七七四年:2009/01/29(木) 09:23:11 ID:6Fm8kaM0
加賀乙彦「ザビエルとその弟子」では、当時の鹿児島では、もう
ポルトガル人様御一行、いらっしゃいませ〜は、慣れっこだったみたいね。
953人間七七四年:2009/01/29(木) 10:01:27 ID:ZWQNEUgs
ザビエルの目的の一つに既にキリスト教が伝播してるか確認するってのがあったしな
島津の家紋見てちょっと期待したかもね
954人間七七四年:2009/01/29(木) 10:30:37 ID:HYDYYRks
当時の島津貴久は、全然興味なかったみたい。
鉄砲も日常化してたし、持参したアンジロウの前でぶっ放して的に命中。
名人芸を披露しました。
近衛家や興福寺と縁戚だもんね。
wikiには一旦布教許可だしたけど、取り消したとか。アンジロウがの力で少数の信者を得た。
ザビエルは相当おっちょこちょいで、何も下調べ無し、語学全くダメで日本にやって来て
府内、、平戸、山口、京都ではあまりに身なりが汚いので、上手くいかない。
次いで、この多神教の国に布教するには宗教文化の影響の強い中国を先にせねば、と
中国に密入国しようとして海南島近くの島で、果たせず病死、というより餓死したそうな。
955人間七七四年:2009/01/29(木) 10:34:05 ID:klIU0rtn
>>946
のちに中国上陸に失敗して病死したのはこの時の祟りかw
956人間七七四年:2009/01/29(木) 11:49:45 ID:AiUUxZJI
>>745-746
亀だが、童門冬二の逸話集(戦国武将の言葉)では>>745みたいに解釈してるね。
いい本なんだが、童門変換でオチまで改竄されている逸話が多いので萎える。
スレで未出の逸話は結構あるのだがさらせない。

妖刀村正の逸話がでたので、「怪刀痣丸」の話

斎藤道三と織田信秀が美濃国大垣城をめぐり合戦に及んだ。この大規模な合戦の時に戦死した千秋紀伊守は、
悪七兵衛の異名で知られた平家侍大将の平景清が所持していた「あざ丸」を帯びていた。
この刀「あざ丸」は千秋紀伊守の討死後に陰山掃部助が入手した。

その後、大垣城の攻撃の際に城内より放たれた木鋒が陣中にあった陰山掃部助の左眼に当たった。陰山掃部助は
その矢を抜いたけれども、今度は右眼に命中し失明してしまったという。

この後に「あざ丸」は丹羽長秀の所持するところとなったが、間もなく丹羽長秀は眼病を煩ってしまった。
この刀「あざ丸」を所持すれば「必ず目を煩ふ」という風聞が流布し、丹羽長秀は周囲の勧めもあって尾張国熱田
神宮に進納したところ、間もなく眼病は快復したという。
(信長公記)
957955:2009/01/29(木) 11:49:47 ID:klIU0rtn
リロードすべきだった orz

>島津
>興福寺と縁戚
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1216059962/l50

http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158488972/l50
あたりでkwsk
958人間七七四年:2009/01/29(木) 12:46:39 ID:ZWQNEUgs
ザビエルが語学がまったく駄目って言うより日本語があまりにも難解過ぎた
後の宣教師は日本語があまりにも難解なため悪魔の言葉と言ってる
959人間七七四年:2009/01/29(木) 13:03:48 ID:fH9ZG9MV
日本で最初に外科手術を行ったアルメイダ修道士、大分アルメイダ病院の由来、は
元貿易商人で日本語での会話は堪能でした。
初期上長のトレースは不明。カブラルは全くおぼえる気、やる気も無し。
古株のフロイス、オルガンテーノはかたことでも信長と直接話せたですし、
その後マカオで教育受けた若い連中は皆話せたようです。
ただ漢字を書けなかったでしょうね。
960人間七七四年:2009/01/29(木) 13:39:16 ID:EAeCEx3y
そもそも慣れてない奴に毛筆で字を書けってのはかなり厳しいな
961人間七七四年:2009/01/29(木) 13:54:51 ID:MClp2H+P
オルガンテノは最初から親日だったし、フロイスもなんだかんだで
後に肉が食えなくなったほど日本大好きだったからな。熱心さが違ったんだろ。
こいつらは九州や京、界の連中と懇意だったから方言とかまじって大変だったろうなw
九州弁覚えても上方じゃ通じなかったらしいし。さらに信長は尾張弁。
そういえばザビエルは最初、下ネタ系の間違った日本語を覚えさせられて布教さんざんだったとか。
962人間七七四年:2009/01/29(木) 14:55:06 ID:ZWQNEUgs
>>955
その中国人の籤によると日本に着いてもマラッカには帰れないって出たらしいぜ
道教マジパネェ
963人間七七四年:2009/01/29(木) 15:00:10 ID:N0xgg+E6
千秋紀伊守季光は熱田神宮大宮司家の当主なので、痣丸は
紆余曲折を経て本来あるべき場所に戻ったってことなんだな。

今も痣丸は熱田神宮に奉納されているとのこと。
964人間七七四年:2009/01/29(木) 15:22:14 ID:AiUUxZJI
>後の宣教師は日本語があまりにも難解なため悪魔の言葉と言ってる
そういうザビエルもバスク(ナバラ)人だったわけで。

バスク語の難解さを示すジョークにはこんなのがある。(Wikiより)
1、神からどんな罰を与えられても全くひるまなかった悪魔でさえ、3年間岩牢にこもってバスク語を
  勉強する罰を課されると神に許しを乞うた。
2、英語のジョークとして、悪魔がバスク人を誘惑するためにバスク語を習ったが、7年かかって覚えた
  のは『はい』と『いいえ』だけだった。
3、バスク人は決して悪魔の誘惑を受けて地獄には落ちない。なぜなら、悪魔はバスク語を話せないからだ。

965人間七七四年:2009/01/29(木) 15:34:44 ID:jwjz+Cl3
>>961
ミナサン、イチモツヲスクミアガラセテアリガタイカミのハナシヲキキヤガレ
966人間七七四年:2009/01/29(木) 15:57:04 ID:utbV2Uzo
>>961
外人にとりあえず下ネタを教えるのは今も変わらないな
留学生とかなら大体このパターンだろうし
967人間七七四年:2009/01/29(木) 16:02:51 ID:klIU0rtn
>>961
>>965
その正しくない下ネタな日本語を教えたというのはやはりアンジローなんだろうかw
ちなみに『フロイス日本史』じゃアンジローのことを「薩摩出身の八幡(「ばはん」海賊のこと)」といってるから
おそらく最初に覚えたのは鹿児島弁だったんだろう>ザビエル

・・・ますます持って布教の障g(ry
968人間七七四年:2009/01/29(木) 16:18:09 ID:aMx16Zz1
>>967
しかしそんなザビエルに心酔しまくって、後に洗礼うけたとき
ザビエルの名前をつけてもらったフランシスコ宗麟
969人間七七四年:2009/01/29(木) 17:02:04 ID:6KkbQzdL
>>970踏んだあたりで新スレ立ててくださいー

↓スレタイ

戦国ちょっと悪い話6


↓テンプレ

戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話5
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1231113276/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話6
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1233164778/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
970人間七七四年:2009/01/29(木) 17:03:34 ID:yDtO5OXI
下ねたかは知らないが、アンジロウの独断と偏見による日本語での説教文を、
ローマ字表記して辻辻でザビエルに棒読みさせたらしい。

上手くいくはずは無い。
971人間七七四年:2009/01/29(木) 18:09:57 ID:6KkbQzdL
スレ立てしてみる
972人間七七四年:2009/01/29(木) 18:11:52 ID:6KkbQzdL
書込み中・・・

ERROR!
ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。


出来ませんでした。どなたかお願いします…orz
973人間七七四年:2009/01/29(木) 18:23:26 ID:bLOAZ9/s
じゃあ俺がやってみる
974人間七七四年:2009/01/29(木) 18:25:20 ID:bLOAZ9/s
975人間七七四年:2009/01/29(木) 18:40:01 ID:6KkbQzdL
>>974
乙です!


埋め代わりにちょっと怖いお話


慶長年間の頃の話である。

伊賀の国の、とある侍の屋敷に、不思議なことが起こった。
暮れ方になるとその屋敷の玄関の前を、練絹の被衣をした美しい女が歩くようになった。

ある時はその女の首が無く、胴だけで歩いた。

またある時は昼時分の食事の用意の最中、台所の煙出しから、その女と大坊主が
覗き込んだ。

また、女の連れてきた、4,5人の白帷子のざんばら髪が踊りだすと言う事もあった。

このような怪事が続いたため、ついにこの屋敷に住む人はいなくなり、
今も直、空屋敷のままであると言う。
976人間七七四年:2009/01/29(木) 20:18:57 ID:DHd/Vzmb
ではスレ埋めに、有名な悲話を…

尼斬城

四国讃岐に天霧城(あまぎりじょう)と言う城がある。南北朝の時代に
細川家の家臣、香川氏と言う豪族が西讃岐を支配し、戦国期には四十七
の櫓を持つ壮大な山城であった。三好氏、長曾我部氏の進攻にも耐え、
堅城として名高かった。

だがある時、長曾我部軍が天霧城を包囲し、水の手を断った。しばらく
包囲していたが、一向に香川軍は降伏しない。水の手が断たれたと言う
のに、これ見よがしに馬を水で洗うと言う余裕っぷりである。
「此度も天霧城は落とせなんだか…」
あきらめかけた長曾我部軍だったが、香川氏にゆかりのある地元の
尼僧を捕らえ、尋問した。
「なぜあの城には水があるのだ!どこから水を調達している!」
尋問に耐え切れず、尼僧は口を割った。
「あの馬を洗った水は、本当は白米です。遠目には水に見えますが、
あれはもはや城には水が無い証拠です…」
これを聞いた長曾我部軍は猛攻を仕掛け、ついに天霧城を落城させた。

戦後、長曾我部軍は「城の秘密を明かした不届き者」として、件の尼僧
を斬首してしまった。それからこの城は別名「尼斬城」と呼ばれる様に
なったと言う…


※この話は史実ではありません。あくまで伝承です。戦国期の悲話の
 ひとつとして書かせてもらいました。
977人間七七四年:2009/01/29(木) 21:48:01 ID:xd3vh/0B
>>976
同様の話が、
松山城(埼玉)、大庭城(神奈川)、根古屋城(新潟)、久川城(福島)、大茂館(青森)、岸岳城(長崎)をはじめ全国にあるんだよね。
かの柳田國男が研究テーマにしてる。

・水の手を断たれる
・白米で馬を洗うのをみて、兵を引きかける
・老婆がアドバイス
って流れが共通。

978人間七七四年:2009/01/29(木) 21:51:55 ID:L1AqXVMt
妊婦の腹裂きばりにテンプレ話になってるということか?
979人間七七四年:2009/01/29(木) 21:53:28 ID:CMXWp/dB
貴重な米を使うなんてありえんし、そもそも見てわかると思うし、
あやしいんだよな。
980人間七七四年:2009/01/29(木) 22:00:17 ID:xd3vh/0B
>そもそも見てわかる
どう考えても遠目だからw
アフリカ人じゃあるまいし、百メートル以上離れたら米と水の差なんてわからんだろ。

あと、水の手が断たれているというのがポイントなんだよ。
食べ物がなくても一週間くらいは何とかなるけど、
水がないと速効終る。
981人間七七四年:2009/01/29(木) 22:01:26 ID:r1cGgupl
>976落城時にお約束のネタなんだよね。トン

準地元民なのに香川版のオチはしらんかった・・・
982人間七七四年:2009/01/29(木) 22:06:31 ID:CMXWp/dB
>>980
いやだってさ、そうはいってもだな。昔の人は現代人よか目がいいと思うよ?
それに冷静に考えて、やはり米と水は違うと思うんだけどなあ…
983人間七七四年:2009/01/29(木) 22:14:50 ID:6KkbQzdL
もう一つ埋め代わりに、戦国の悲しい伝説

天正十八年(1590)、豊臣秀吉による小田原の役が起こる。
この時、武蔵の世田谷城も敵に取り囲まれ、落城寸前となった。

この世田谷城主の姫には、かねてより可愛がっていた白鷺があった。
姫は白鷺の足に文を結び、これを近くの奥沢城に向けて放ち、援軍を求めた。
だが、奥沢城も既に敵に包囲されており、姫の放った白鷺は、その包囲軍の者に
射落とされた。

世田谷城も奥沢城も、間もなく落城した。

白鷺が死んだ場所からは、一つの花が咲いた。
その花の名を、鷺草と言う。
984人間七七四年:2009/01/29(木) 22:22:19 ID:Os6Hi6ni
>>983
姫は? どうなったんだ?
985人間七七四年:2009/01/29(木) 22:27:44 ID:PTUjEHEz
城主はさっくり開城したそーな。
んで所領没収されて蟄居。
986人間七七四年:2009/01/29(木) 22:31:15 ID:otSo/tdm
埋めついで支援

明智光秀が本能寺で信長を討った数日後、京の人々が光秀に粽(ちまき)を献上した時のお話

信長を討ったは良いがアテにしていた援軍が来ない事にイライラしていたのか、光秀は笹の葉の包みも取らずに粽を口に入れてしまった
人々はその姿を見て、なんだコイツめっちゃ動揺してんじゃん。結局この程度の男かよと光秀の器の小ささを見てさっさと見限ったそうな(閑際筆記)
987人間七七四年:2009/01/29(木) 22:33:09 ID:osXfBhaz
>>985
妾にされずに蟄居という事はその姫様のお顔は…
988人間七七四年:2009/01/29(木) 22:43:35 ID:pwfv4Mgl
粽っていうのも意味ありげだな
屈原の追悼のために川へ流したのが始まりってものなんだし
989人間七七四年:2009/01/29(木) 22:50:12 ID:dUZ6dbY9
光秀は蜜柑を皮ごと食ったり変なやつだな
990人間七七四年:2009/01/29(木) 23:01:17 ID:k61Td371
>>986
光秀ってこういうスケールの小さい話多くね?
こういう話しか残されなかったのかも知れないけど
991人間七七四年:2009/01/29(木) 23:05:36 ID:3aGIzaGQ
本能寺後に細川親子に出した手紙がガチでヘタレてるから困る。
992人間七七四年:2009/01/29(木) 23:13:44 ID:kpgae7e1
>>986
細川幽斎・三斎父子のもっこ褌「ちまき」に成敗される三日天下の人を幻視した……>991
993人間七七四年:2009/01/30(金) 00:45:01 ID:G+Iv6dNB
「ちょっと怒っちゃったけど、でもあなたたちの気持ちも仕方ないよね
摂津をあげるって言ったけど、若狭と但馬も望むままにしていいんだよ
それから、わしは天下なんていらないんだ
落ち着いたら、忠興に全部任せるつもりでいるからね
とにかく、すぐお味方お願いします、待ってます」
光秀より
994人間七七四年:2009/01/30(金) 01:41:51 ID:21Rclp09
>>982
クイズ番組はやってるし、どっかの局に実験リクエストしてみないか
※除探偵ナイトスクープ
995人間七七四年:2009/01/30(金) 02:06:07 ID:Y5ltAS3J
こういう戦国のクエスチョンを、実際に実験で解明していく番組が欲しいな。
「ためしてガッテン」の、戦国版みたいな。
996人間七七四年:2009/01/30(金) 02:16:04 ID:89uC2znc
馬を洗うのが城の外から見える位置ってどの辺だ?
櫓や天守の上のほうか?そんなとこまでわざわざ馬を引っ張って行って洗って見せたのか?
997人間七七四年:2009/01/30(金) 02:30:15 ID:2d+zB5jI
付け城とか、近くの山から偵察してたんじゃないかな
998人間七七四年:2009/01/30(金) 07:07:52 ID:pcAVUYEu
>>987
きっと、こんな顔

  ,r';;r"            |;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;;;;
 ,';;/             /;;;;;;;;;;;;;;;ヽ;;;;;;;;
 l;;'            /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;',;;;;;;;
. ,l;L_      .,,、,--ュ、 ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;iソノ
ヾr''‐ヽ,  ,、ィ'r-‐''''''‐ヽ ';;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;|
 l rO:、;  ´ ィ○ヽ    'i;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;、l
 | `'''"/   `'''''"´     !;;;;;;;;;;;;;;;/ l |
. ,'  /   、        |;;;;;;;;;;;;;ノヽ'/
. l  ,:'   _ ヽ       .|;;;;;;;//-'ノ < 呼びましたか〜
 ', ゞ,' '"'` '"       i;;;;;i, `' /
  ', i、-----.、       `''"i`'''l
.  ヽ ヾ゙゙゙゙ニニ'\        ,'  ト、,
   ヽ ヽ〈    i|          Vi゙、
    ゙, ,ヽ===-'゙ ,'     ,   // ヽ
.    ',.' ,  ̄ , '    ノ  /./    ヽ,
.     ヽ.  ̄´   / ,、 ' /     / \
     ノ:lゝt-,-‐''" / ,.ィ゙     /
,、 - '''´  |  ヽヽ /,、ィ     /
999人間七七四年:2009/01/30(金) 08:08:17 ID:1WG9Enm1
>>999なら>>1000は死ぬまで信玄と義隆に掘られ続ける
1000人間七七四年:2009/01/30(金) 08:30:03 ID:m9lituh/
オッスオッス望むところだぜ!
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/