1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2008/12/09(火) 23:49:59 ID:CK/l9IJ5
相馬利胤の初名は三胤で、三成からの偏諱。
他に三成から偏諱を受けた人っている?
3 :
人間七七四年:2008/12/09(火) 23:58:15 ID:CK/l9IJ5
4 :
人間七七四年:2008/12/10(水) 08:42:40 ID:PFugslo/
5 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 00:16:32 ID:x/1htbwP
6 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 03:00:53 ID:YGM7GwQq
【ネット】2008年の2ちゃんねる利用者数、前年比25%以上増加 中国と民主党の工作員が利用者増に貢献
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1228964383/l50 民主党議員、ネット工作で書類送検
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/giin/1197495542/ / ̄ ̄\ γ::::::::::オモニ: ヽ、 \
/ \ \ /::::::::::::::::::::::::::::::: ヽ 政権交代!アホウ総理は解散しろ!!
| ;─(\)─(/) γ:::::::::人::::人::人::::人 ヽ /
| / (__人__)ヽ (:::::::::/ \ ノ \:::::::)
| ヽ ` ⌒´/ あばばば \/ ;(\) (/) \ノ
| } __ | ヽ (__人__) r |
└─-、 } ̄ ̄ ̄ッ-‐'´o λ ̄ ̄ ̄\ ` ⌒´ | いかん、正体ばらされたニダ!
ヽ \ ノ (`ーzッ, i / ':::) \ / ┘ 犬肉くってる場合じゃないニダ!
/ く \ |__| _ ...`.. , ̄ ̄ ´ ____\ (__ノ 早くミンス連絡網で連絡するニダ!
| アボジ \ \ \ / |\_____ \
| |ヽ、二⌒)、^___ | |ヽ、 ノ
7 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 07:15:26 ID:+ZJ0LABF
8 :
人間七七四年:2008/12/12(金) 20:09:17 ID:x/1htbwP
9 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 18:59:45 ID:AzmwliqX
ヒヒッ、ブヒヒッ!!三成、三成たん!!
あひゃあぁぁあああああぁ!!三成たんに掘られたいよぉんッ!!!!!
『キミって子はとんだ淫乱だね』って言われたいよぉぉおお!!!!!!
その頭に、袴に、ぼくのおちんぽミルクかけたいんだぁああああ!!!!
三成たん愛してる!!愛してるんだ!!!!!
だけど結局は叶わぬ恋……
神よ!!三成たんに会う為なら何でもしますから!!!何でも!!!!
うっあああっ!どうしてなのよぉぉぉッッッッッッ!!!!!
きいぃぃぃぃいいイイィ!!!!
っっっっっっっっっっっっっっあぅえぇーーーー!!
なぜ、三成たんはあの世にいるんだい!!!!!!!
10 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 19:47:53 ID:5gIcNDCN
11 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 23:53:21 ID:9+Ww8OIL
茶の話は嘘として、
秀吉がどうして佐吉の才気を
知ることになったん?
12 :
人間七七四年:2008/12/13(土) 23:59:58 ID:igyG50rS
>>11 長浜時代に現地の国人の子息を大量に召し抱えて、単純にその中の競争に勝ち抜いたってだけだろ>三成
13 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 09:07:28 ID:i4jh5BGr
14 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 10:23:13 ID:p34X+Y6k
ヒヒッ、ブヒヒッ!!三成、三成たん!!
あひゃあぁぁあああああぁ!!三成たんに掘られたいよぉんッ!!!!!
『キミって子はとんだ淫乱だね』って言われたいよぉぉおお!!!!!!
その頭に、袴に、ぼくのおちんぽミルクかけたいんだぁああああ!!!!
三成たん愛してる!!愛してるんだ!!!!!
だけど結局は叶わぬ恋……
神よ!!三成たんに会う為なら何でもしますから!!!何でも!!!!
うっあああっ!どうしてなのよぉぉぉッッッッッッ!!!!!
きいぃぃぃぃいいイイィ!!!!
っっっっっっっっっっっっっっあぅえぇーーーー!!
なぜ、三成たんはあの世にいるんだい!!!!!!!
15 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 10:51:23 ID:746ZA84t
ようやくアンチに荒らされなくなったと思ったら変態が住み着いた。
16 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 12:39:52 ID:p34X+Y6k
三成た〜ん^^また会いに来ちゃった☆
今日は三成たんが一回くちに入れたお菓子を食べてみたくて来ました^^v
三成たんがちゅぱちゅぱ舐めて溶けかけた金平糖を口移しでもらいたいな
そしたら今度は僕がその金平糖を三成たんに口移し・・・きゃー^^
一緒にひとつの金平糖を交互に口移ししあって溶かしあおうよー><
三成たんの唾液と僕の唾液が奏でるハーモニーはきっと金平糖よりも甘くとろけるよ^^
ついでに三成たんの甘くておいしそうな髪の毛も舐めていい? だめ?
おねがい! ちょっとでいいから! 三成たんの髪の毛しゅごいおいしそう・・・
じゃあペロペロはしないから! ちょっとペロッとするだけ! 毛先だけで我慢する!
ほんとは頭皮から毛先までベロンベロンジュルリジュルリしたいけど我慢するから!
じゃあ一本だけちょうだい! 髪の毛一本だけ抜いてちょうだい! 家宝にしますから!
おねがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い><
髪の毛くれたらお礼におちんちん見せてあげるから!ほら!いいんだよ遠慮なんかしなくてほぉ〜〜ら^^
ほーらほらほらほらほらほらほらおちんちんだよ〜〜ん♪ぷるん♪ぷるん♪きゃ^^v
三成たんみたいに純粋な子見てるとね、なんかすっごくおちんちん見せたくなっちゃうの♪
あああああおちんちん見て真っ赤になって慌ててる三成たんが一番きゅわいいよ☆もっと見て見てー
あ・・・なんかおっきくなってきちゃったねー^^ほら見てごらん!なんかおっきくなってきたよーん^^
不思議だね〜ほら、見たほうがいいよ三成たぁーん^^ありゃ?おちんちんが三成たんに近づきたがってる^^;
ワガママなおちんちんでごめんねー><そんなに怖がらなくて大丈夫だよ〜おちんちんは優しいの
おちんちん三成たんに会えて嬉しいって^^あっという間にこんなおっきくなっちゃたよスゴイねぇ〜
おちんちんをこんなに喜ばせちゃう三成たんも凄いんだよ〜三成た〜んすごいすごーい^
三成たんにもっとスゴイところ見せてあげるからそんなに顔を隠さないで。うふふ、三成たんかわいい!
僕もあとで三成たんのお凸たっぷり見てあげるから大丈夫^^ ただ見せるだけじゃ不公平だからね
三成たんのおぱんちゅ脱がしてお凸とかお凸とか・・・ハァハァ・・・いけないお凸とか…全部全部見るよ^^
そしたら一緒に色んなお凸を舐めあいっこしようね^^v もうちゅぱちゅぱだよ!ちゅぱちゅぱ!
僕が三成たんのお凸ペロペロ♪ 三成たんが僕のお凸ペロペロ♪ うひー!
二人の抱き合った体が溶けてひとつになっちゃいそうなくらい キモチイことしようねー☆
ほら!ここからが一番スゴイところだよー?ほらこんなにスゴイことにああん見て見て三成たんほーらシコシコシコシコ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
もう三成たんらめへえぇぇぇぇえええぇぇぇえぇぇええぇっええええええぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええ^^v
17 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 13:22:41 ID:1J2/ycOJ
18 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 13:33:03 ID:p2B3Mwvm
日本史も同時に執拗に荒されてるから
同一犯でしょうな。
19 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 11:27:41 ID:TNWUdFUM
>>12 競争っても軍功を挙げるのとは違って
政治財政の分野で実績を若いうちに
挙げるの難しいっしょ?
やはり頭の出来が違うと
評判になっていたのかな
20 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 04:26:40 ID:ATHOEnDi
算盤術で大名になったのもいるから、治部も特技があったんじゃないか?
21 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 10:11:20 ID:NcJClqk+
名束さんのことか
22 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 16:29:04 ID:Hy/pFRzU
算盤って当時は稀な技術だったんだ
23 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 10:55:30 ID:f2o9p0O7
三成は頭の中が電卓な人間だからね
財政分野の単純な計算を早く正確にはできるけど
軍の指揮や戦目付のような管理・監督分野になると人の心まで組み込む高度な計算ができない
そういう高度な分野に手を出してしまったことが三成の間違いだな
24 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 18:36:37 ID:j4qvuCL0
25 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 21:57:42 ID:DiIJqhtO
どっかのスレで見たなあ
三成はコンピューターだから
キチンと情報を入力してやらんと働かないんだよ、
そう思えば腹も立たないとか言うの
26 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 23:24:26 ID:KGryyf3Z
わけがわからない…
27 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 20:23:20 ID:NqU0qd+n
実は三成の逸話はカッコイイものが多いね
処刑前の数々の逸話がとりわけ好きだなあ。
柿の話とか特に。
三成を貶めてる文献でもどれも
最後は立派だったとしているね
電卓やコンピューターのような無機質な感じではなく
情がある人間らしい逸話が多いと思うけどなぁ
28 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:32:31 ID:qZZshVyR
処刑直前でも逸話にあるような突っぱねた態度を取っていたとしたら
逆算すれば普段はそれ以上の態度を同僚に取っていたということだから
嫌われるのも無理はないな
29 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:37:42 ID:WPdKm65u
言われてみればそうだな
30 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 22:38:56 ID:Q9vXw7xF
何故自害しなかったのかと問われ、
「大事を成す者は最後まであきらめないのだ!」
と言い、処刑寸前ですら柿は痰の毒などと強がりながら、
捕まってからは終始、早く殺せと言わんばかりの挑発的な発言を続ける矛盾。
31 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 03:41:51 ID:jZ8djwPr
福島正則には罵倒されてるが、黒田長政からは小袖を貰ってる。
随分差があるなw
32 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 04:41:17 ID:XVrdIxY3
黒田のことだ
上手い事捏造したのかもしれんぞ
33 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 13:27:55 ID:kynGap03
藤堂高虎からは軍制について聞かれ、小早川秀明を罵倒してる。
確かにずいぶん差があるな。
34 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 13:46:53 ID:gfYm+luW
まあ講談なんですけどね
35 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 15:42:28 ID:mpaV0mPe
36 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 15:44:33 ID:vMHMjbTg
三成た〜ん^^また会いに来ちゃった☆
今日は三成たんが一回くちに入れたお菓子を食べてみたくて来ました^^v
三成たんがちゅぱちゅぱ舐めて溶けかけた金平糖を口移しでもらいたいな
そしたら今度は僕がその金平糖を三成たんに口移し・・・きゃー^^
一緒にひとつの金平糖を交互に口移ししあって溶かしあおうよー><
三成たんの唾液と僕の唾液が奏でるハーモニーはきっと金平糖よりも甘くとろけるよ^^
ついでに三成たんの甘くておいしそうな髪の毛も舐めていい? だめ?
おねがい! ちょっとでいいから! 三成たんの髪の毛しゅごいおいしそう・・・
じゃあペロペロはしないから! ちょっとペロッとするだけ! 毛先だけで我慢する!
ほんとは頭皮から毛先までベロンベロンジュルリジュルリしたいけど我慢するから!
じゃあ一本だけちょうだい! 髪の毛一本だけ抜いてちょうだい! 家宝にしますから!
おねがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い><
髪の毛くれたらお礼におちんちん見せてあげるから!ほら!いいんだよ遠慮なんかしなくてほぉ〜〜ら^^
ほーらほらほらほらほらほらほらおちんちんだよ〜〜ん♪ぷるん♪ぷるん♪きゃ^^v
三成たんみたいに純粋な子見てるとね、なんかすっごくおちんちん見せたくなっちゃうの♪
あああああおちんちん見て真っ赤になって慌ててる三成たんが一番きゅわいいよ☆もっと見て見てー
あ・・・なんかおっきくなってきちゃったねー^^ほら見てごらん!なんかおっきくなってきたよーん^^
不思議だね〜ほら、見たほうがいいよ三成たぁーん^^ありゃ?おちんちんが三成たんに近づきたがってる^^;
ワガママなおちんちんでごめんねー><そんなに怖がらなくて大丈夫だよ〜おちんちんは優しいの
おちんちん三成たんに会えて嬉しいって^^あっという間にこんなおっきくなっちゃたよスゴイねぇ〜
おちんちんをこんなに喜ばせちゃう三成たんも凄いんだよ〜三成た〜んすごいすごーい^
三成たんにもっとスゴイところ見せてあげるからそんなに顔を隠さないで。うふふ、三成たんかわいい!
僕もあとで三成たんのお凸たっぷり見てあげるから大丈夫^^ ただ見せるだけじゃ不公平だからね
三成たんのおぱんちゅ脱がしてお凸とかお凸とか・・・ハァハァ・・・いけないお凸とか…全部全部見るよ^^
そしたら一緒に色んなお凸を舐めあいっこしようね^^v もうちゅぱちゅぱだよ!ちゅぱちゅぱ!
僕が三成たんのお凸ペロペロ♪ 三成たんが僕のお凸ペロペロ♪ うひー!
二人の抱き合った体が溶けてひとつになっちゃいそうなくらい キモチイことしようねー☆
ほら!ここからが一番スゴイところだよー?ほらこんなにスゴイことにああん見て見て三成たんほーらシコシコシコシコ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
もう三成たんらめへえぇぇぇぇえええぇぇぇえぇぇええぇっええええええぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええ^^v
37 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 20:19:39 ID:jZ8djwPr
>>34 史実じゃないのか。
同時代の資料で、何か面白いのを知らないか?
38 :
人間七七四年:2008/12/27(土) 01:14:28 ID:FkPlUXh9
39 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 00:34:53 ID:aBfK1FtP
三成た〜ん^^また会いに来ちゃった☆
今日は三成たんが一回くちに入れたお菓子を食べてみたくて来ました^^v
三成たんがちゅぱちゅぱ舐めて溶けかけた金平糖を口移しでもらいたいな
そしたら今度は僕がその金平糖を三成たんに口移し・・・きゃー^^
一緒にひとつの金平糖を交互に口移ししあって溶かしあおうよー><
三成たんの唾液と僕の唾液が奏でるハーモニーはきっと金平糖よりも甘くとろけるよ^^
ついでに三成たんの甘くておいしそうな髪の毛も舐めていい? だめ?
おねがい! ちょっとでいいから! 三成たんの髪の毛しゅごいおいしそう・・・
じゃあペロペロはしないから! ちょっとペロッとするだけ! 毛先だけで我慢する!
ほんとは頭皮から毛先までベロンベロンジュルリジュルリしたいけど我慢するから!
じゃあ一本だけちょうだい! 髪の毛一本だけ抜いてちょうだい! 家宝にしますから!
おねがぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い><
髪の毛くれたらお礼におちんちん見せてあげるから!ほら!いいんだよ遠慮なんかしなくてほぉ〜〜ら^^
ほーらほらほらほらほらほらほらおちんちんだよ〜〜ん♪ぷるん♪ぷるん♪きゃ^^v
三成たんみたいに純粋な子見てるとね、なんかすっごくおちんちん見せたくなっちゃうの♪
あああああおちんちん見て真っ赤になって慌ててる三成たんが一番きゅわいいよ☆もっと見て見てー
あ・・・なんかおっきくなってきちゃったねー^^ほら見てごらん!なんかおっきくなってきたよーん^^
不思議だね〜ほら、見たほうがいいよ三成たぁーん^^ありゃ?おちんちんが三成たんに近づきたがってる^^;
ワガママなおちんちんでごめんねー><そんなに怖がらなくて大丈夫だよ〜おちんちんは優しいの
おちんちん三成たんに会えて嬉しいって^^あっという間にこんなおっきくなっちゃたよスゴイねぇ〜
おちんちんをこんなに喜ばせちゃう三成たんも凄いんだよ〜三成た〜んすごいすごーい^
三成たんにもっとスゴイところ見せてあげるからそんなに顔を隠さないで。うふふ、三成たんかわいい!
僕もあとで三成たんのお凸たっぷり見てあげるから大丈夫^^ ただ見せるだけじゃ不公平だからね
三成たんのおぱんちゅ脱がしてお凸とかお凸とか・・・ハァハァ・・・いけないお凸とか…全部全部見るよ^^
そしたら一緒に色んなお凸を舐めあいっこしようね^^v もうちゅぱちゅぱだよ!ちゅぱちゅぱ!
僕が三成たんのお凸ペロペロ♪ 三成たんが僕のお凸ペロペロ♪ うひー!
二人の抱き合った体が溶けてひとつになっちゃいそうなくらい キモチイことしようねー☆
ほら!ここからが一番スゴイところだよー?ほらこんなにスゴイことにああん見て見て三成たんほーらシコシコシコシコ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
もう三成たんらめへえぇぇぇぇえええぇぇぇえぇぇええぇっええええええぇぇぇぇぇぇぇええええええええええええ^^v
40 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 11:27:43 ID:aBfK1FtP
大谷との逸話は石田信者の作り話?
41 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 09:12:34 ID:z/etX+Z9
42 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 22:00:53 ID:a1duFjuU
実の所はそれなりに軍事的にも有能なんだけどな。
関ヶ原だって紙一重だったしさ。
そもそも単独で19万石一族を入れて26万石の自前から10万近い軍を集めた事は他の人物には出来ないだろう
例えるなら全盛期の今川相手に家康が三河をまとめて対抗する事は出来んだろう
43 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 22:05:12 ID:fOwoVBv1
> 関ヶ原だって紙一重だったしさ。
三成信者が見るとそう見える
> そもそも単独で19万石一族を入れて26万石の自前から10万近い軍を集めた事は他の人物には出来ないだろう
軍事的才能とは関係ない
> 例えるなら全盛期の今川相手に家康が三河をまとめて対抗する事は出来んだろう
例えの方向性が間違っている
44 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 22:35:09 ID:a1duFjuU
碧蹄舘の戦いなどに見られる大局的な軍事指導力や関ヶ原に関しても大局的にみれば三成側が優勢だった。
そもそも関ヶ原でも間違った指揮はしてないだろ?
45 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 23:35:50 ID:el+Tyj7+
三成の欠点は指揮云々という次元ではなく
同僚に対する態度の悪さ、すぐに秀吉に密告する性格、他人の意見に耳を貸さない独善性などでしょ
コンピューターゲームで戦えば三成は強いだろうけど
生きた人間を操る実戦では三成はいないほうがマシな存在だよ
46 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 01:19:15 ID:WTLCR+AO
存在自体が釣り餌っぽいんだよな、冶部は・・・。
47 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 01:21:15 ID:L8EPHxOT
まあそういうとこもあっての魅力と言うか
頭がよくてエリートだけど人の気持ちが分からないってキャラ立ちしてる
48 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 01:38:48 ID:aMiQP/zi
>碧蹄舘の戦い
これ三成なにしてたっけ
いや奉行なんだからなんかはしてたんだろうけど
なんか大谷が駆けずり回ってた印象しかない
病気なのに大変やね
49 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 10:48:07 ID:o6AYwV2m
大谷とか島津にこいつはあの世で謝るべきですな
50 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 10:53:21 ID:n4Sm3Vgm
>>45三成アンチの考え方だな。つうかなんでそんなお子ちゃま理論?
同僚に嫌われたじゃなくて権力争いや明との講和問題での対立から修復不可能な人間関係になっただけ
51 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 14:56:20 ID:k3y0d6Jw
>>50 明との講和問題で自分と違う考えの奴をボケた秀吉を利用して徹底的に排除したから嫌われているんだよ
そうやって粛清して秀吉を騙してまで進めた講和があっさり破棄されて泥沼化すれば奸臣と非難されて当然だろ
三成は秀吉の影で隠れて自分の意見だけで物事を進める独裁者的性格の持ち主だから破滅した
52 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 15:44:44 ID:MvLfWXNH
全国が統一されるにつれ武力馬鹿の活躍の場が
なくなり、変わりに政治財政に優れた三成らが
重用されるのは自然の流れ
ところが武力馬鹿にはそれが分からず
分かっても感情的に受け入れることができず
三成らに嫉妬しまくり。
当然戦陣の憂さ晴らしにあることないこと
悪態つきまくりで、上手くいかないのはすべて
アイツのせいニダ!!という発想に陥ったことは
想像に難くないね
53 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 16:29:36 ID:JZa+q9BL
三成がやったことは、秀吉が得になることばかりで自分が得してることなんてない。そして秀吉の都合が悪いことは自分で泥を被ってる。
こんな人材珍しい!だから秀吉が大事にしたんじゃないか!
単に秀吉にへつらうだけだったら、もっと沢山の領地を持ってるはず。でも、それをしなかった所に三成の無私の姿が見える。
そんな三成が好きだ!
54 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 17:23:26 ID:WHFz54zP
>>51 ここは2chといえど学問板。
「徹底的に排除」、「粛清」、「独裁者的性格」・・・。
仮にも、一億二千万の国民がこのレスを見ているという気持ちになって、
誰にも納得できるように歴史的史実に基づいて「言葉」を選んでほしいな。
55 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 17:49:46 ID:WHFz54zP
「私は三成の弁護人といいますか、三成が好きですね。好きだというのは、
なんだか知らないけれども、彼には近代人のにおいがするもんですから…。
そして政治家くさくない。」(司馬遼太郎氏)
「私は、もし豊臣秀吉が長生きしていれば、三成は治世の名臣になったの
ではないかと思う。(中略)関ヶ原でも三成の天下分け目の決戦へのビック
プロジェクトの筋書きはさすがである。たかだか十九万石で五奉行の一人が
日本を二分できたというのは、たいへんな辣腕ぶりだといわねばならない。
しかも、後世の辣腕家は様々な形で三成の筋書きを踏襲している。(中略)
その意味で三成はビックプロジェクトにおける比類ない名作者であったとい
うことができよう。」(堺屋太一氏)
「歴史は勝者によって書かれる。その意味では、関ヶ原の戦いで敗れた三成が
勝者徳川家康サイドにたつ江戸幕府の御用史家によって「姦雄」、果ては「豊
臣家を滅ぼした佞臣」といったレッテルを貼られたことは致し方ないことなの
かもしれない。(中略)仮に、豊臣政権が二代、三代と続けば、初代“官房長
官”三成は、“名官房長官”として歴史に書き記されたはずである。(中略)
私は、“官房長官”としても三成を高く評価している。また秀吉と三成の関係
は、上司と部下の関係としても特筆されるものだったとみている。」(小和田
哲男氏)
「敗軍の将、謀反を起こして敗れた者の中で、三成だけが、最期にさわやかな
逸話を残しています。これは、私、一つの不思議だと思うんです。三成につい
てはほとんど徳川方の歴史しか残っていないわけで、徳川にしたら憎い相手で
すね。だから、めちゃくちゃに悪くしてもいいのに、そういうさわやかな逸話
が残ったということは、民間に三成敬慕っていいますか、そういったものが長
く尾を引いていたんではないかと思うんです。」(北条誠氏)
56 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 19:20:39 ID:V6sTAl+3
ハイハイ
57 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 20:09:17 ID:UOTsnuu8
さわやかな逸話を残しているとかいうけど
柿の話なんかぜんぜんさわやかではないと思う
出された物にいちゃもんつけるところのどこがさわやかなんだ
あと司馬氏は政治家くさくないと言っているらしいけど
むしろ負けて腹を切らなかった所が政治家くさいと思う
ほとんどの武将は敵に首を討たれることを恥としている
親友の大谷でさえそうしている
そういったところから三成は武将というよりか政治家なんじゃないかと思う
58 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 21:29:41 ID:nZgOSwAU
現代にもよくいるじゃん
A型っポイ感じで、仕事はできる人格も立派
だけど他人に同じクオリティを求めて嫌われる
または、他人のミスを許せず徹底的に指摘することで嫌われる
NO2、NO3に据えるにはいいが、
人望がないから組織のトップになると苦しい
いや、今の上司がそういう感じなもんで。
59 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 21:50:42 ID:WHFz54zP
>>58 上の四行は、ほぼ正解(ただし、血液型でいうならばAA型とAO型では
やはり違うと思う)。
次の二行は、ケースバイケース。三成だって19万国の領主だが、配下や
領民の人望は、戦国武将の中でもトップクラスでしょう。
60 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 23:28:21 ID:QUk8SK90
61 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 00:19:48 ID:n2olTR0X
司馬の『石田三成は政治家くさくない』は詭弁中の詭弁だな。
62 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:03:56 ID:IluHkuuk
自分のイメージとしては、変に頭がいいもんだから周りの人に
「え、なんでそんなこともわかんないの?」とか「要するにこういうことね」
などの態度をとってしまうためへいくわい者と呼ばれ嫌われた
でも同じレベルで話せる大谷や直江とはいい関係が築けた
領民からみれば皆偉そうなので評判は悪くはならない
こんな感じです
63 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:32:39 ID:+WEG+XYW
同じレベルというよりか同じ環境だから仲良くなったんじゃない
あと領民にやさしい話はあの松永久秀でさえもそうだったらしいから
それだけでトップクラスだと断定するの難しいじゃないか
64 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:37:00 ID:TofpZGwC
吉良上野とかもな。
悪評への、地元意識からくるカウンターの典型みたいなもんだ。
「色々言われてるけど、ホントは良い人なんですよ。」
65 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:38:46 ID:oXOrm2+w
司馬遼太郎のせいで、こともあろうに石田三成が義の人に・・・・
小説の力は恐ろしいわ。
66 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:45:03 ID:J0TdGYRP
というか何を基準にそんなこというのか、、、島や大谷などが死を覚悟してまで味方した男だぞ あなたはノウナシ福島ら特に同じレベルとしかいうしかない、、このすれからきえてください
67 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:45:46 ID:J0TdGYRP
というか何を基準にそんなこというのか、、、島や大谷などが死を覚悟してまで味方した男だぞ あなたはノウナシ福島ら特に同じレベルとしかいうしかない、、このすれからきえてください
68 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 01:48:42 ID:TofpZGwC
豊臣時代なんて、大陸出兵の影響で日本中で農民の逃散の頻発した、地獄のような時代だったわけで、
もし三成の領内だけその例からもれているとすれば、三成は自分の権力を利用した、
ある種の汚職をしていた事になるな。
69 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 03:43:47 ID:+WEG+XYW
島や大谷などが死を覚悟してまで味方したからなんだというんだ
むしろそれ以外の人たちは三成なんかのために命を投げ出したくないと思ってるぞ
そういった人たちをむりやり味方にしてる時点で義の人じゃないだろう
70 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 11:02:41 ID:bjR+syG8
>>68 >ある種の汚職をしていた事になるな。
もうこれは馬鹿を通り越してキチガイのレベルの論理だよ。
>>69 >むしろそれ以外の人たちは三成なんかのために命を投げ出したくないと思ってるぞ
例えば、元近江八衆なども含めた石田本陣の奮闘ぶりや、左和山城を守っていた二千人
の将兵の敗戦を知った後の言動とかを伺うと、キミのいっていることとまったくの逆だよ。
西軍の大名たちが、参戦に消極的だったり、ひそかに家康に内通していたのは、世の趨勢
として次は内府殿の天下かなと思っていたからであろう。
本当に
>>68>>69は、歴史理解と理解に基づく分析というものがないな。ここは、学問板で
あることをわきまえなさい。
71 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 13:12:21 ID:+WEG+XYW
歴史理解と理解に基づく分析がないのはそちらのほう
それって全部三成の部下や一族たちだろう
三成のために命を投げ出すの当然じゃないか
そうじゃなくてこの人が義の人じゃないと感じるのは
そういった人たちじゃない人たちを説得もせず
恐喝紛いなことをして味方につかせている点なんだ
三成がほんとに義の人ならそういった事はしないだろうし
自分の考えに賛同してくれた人たちだけで挙兵するべきだろう
ガラシャの件も義の人がするような事じゃないし
三成は義は豊臣家にたいしてだけで他の対象にたいしては
不義の行動をとっている
72 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 13:25:33 ID:wcp74R1+
ここって趣味のカテゴリーだったはずだが
学問wがしたいんなら日本史板にでも行けよ
73 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 13:33:45 ID:CcfRxL9K
島や大谷などは三成が奉行に復帰すれば利益を享受できる側なんだから
協力したところで義でもなんでもないだろ
三成が政権に復帰したところで自分には何の利益もないと考える人間と
三成が政権に復帰したら自分が害を被ると考える人間の方が多かっただけで
義がどうこうなんて的外れもいいところだよ
74 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 16:07:17 ID:ZdIssj7o
>>51 奸臣ねぇ…
秀吉があの世で三成と加藤福島のどちらに
向かってこう言うかは明らかだろうに
75 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 16:14:37 ID:v/Jl3N/V
>>74 マジレスすると虫の居所さえよくなければ
別に三人とも言われないんじゃないだろか…<奸臣
三成を悪く言いたいわけじゃないけどだからって
他の武将に気持ち悪いレッテル貼るのもやめてほしいわ
76 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 16:16:38 ID:v/Jl3N/V
あれ訂正
×虫の居所さえよくなければ○虫の居所さえ悪くなければ
77 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 19:04:55 ID:I+FFziSV
>>75 どう見てもレッテル貼ってアホな事抜かしてるのは三成アンチの方だろカス
ホント冬休みらしい流れのスレになりましたことw
78 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 20:02:47 ID:WhnLdncm
>>77 今の流れを見ると77が逆上する気持ちもわからなくはないけど
好きな武将が誰かに貶されたからって安易にアンチがどうとか煽ったり
怒りを他の武将に転嫁して暴れるのはよくないよ。
わざとじゃなければ自分のレスを冷静に読み返すべきだ。
79 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 22:30:36 ID:VWu4fyhx
大局的な判断力に優れている
実務能力に優れている
圧倒的な劣勢からでも戦力をまとめあげて大きな力に対抗した。
損得勘定だけで動かなかった
そもそも姦臣なら秀吉死後は家康に接近するはず
80 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 23:27:42 ID:EHqas3Uq
>>79 大局的な判断ができなかったから、家康と敵対したんだろ。
81 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 23:46:04 ID:oZOfCp8v
まあ家康も叩きつぶす相手がいて欲しかったわけだから
うまくのせられた感はあるわな
82 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 02:02:33 ID:YJC4ciCM
>>80家康と敵対したのは大局的な判断とは全く関係ないと思うぞ。
家康が露骨に豊臣をないがしろにし始めたから敵対したんだよ………………それに関ヶ原の時期を逃したら家康に対抗出来る機会はほぼなかったのでは?
家康としたら上杉を下したら、その後は直接敵対する大名もいなくなるだろうし
83 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 02:04:49 ID:p7fOHUHY
>>79 それほど圧倒的な劣勢だったわけではないだろ
豊臣政権では重要な地位にいたわけで
その時のいろんな人のコネがあったわけだから
あと三成一人の力でまとめあげたわけでないのだから
そういった事は言うべきではない
あのままいけば自分の地位はないわけだから損得勘定はある程度あっただろう
84 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 02:48:01 ID:NMqoJ3KG
>>78 持久戦に持ち込んでたら素晴らしい戦略家と認めても良かったな。
しかし内情は誰が信頼置けるかまったく把握できず、たった一日で東西15万の
戦を終わらせた愚将。
こういうのは大局的な判断力とは言わない。
むしろ机上の空論とか、砂上の楼閣と言う。
頭ではどデカイ大戦略構想を描くが、現実がまったく見えてない。
妄想の類で豊臣を滅ぼしたに等しい。
85 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 05:02:32 ID:w2UfT5rt
三成は本気で勝つつもりだったのか
ここまで家康が利した結果を見ると、三成が家康を勝たせてやったようにすら見えてくるから不思議
86 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 09:55:38 ID:+c61WX4x
ある意味では家康の最大の忠臣といってもいいくらいに家康に尽くしているよな
家康の利益を侵害したことなんて一度もないんじゃないか?
87 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 14:31:58 ID:YJC4ciCM
>>84持久戦?兵糧はどっからデテクルの?
時間をかけたら秀忠の軍も到着しちゃうんだけどεふぅ………ゲーム脳って香ばしいね♪
88 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 16:09:39 ID:8DD3TiRq
このスレの三成批判派がおかしいのは
19万石の三成とその十数倍超の家康の指導力を
意識無意識を問わず比較してしまっている事だね
単なる石高不足を人格や能力の不足と捉えて
いるから議論が全く噛み合わない
仮に家康が19万石なら誰一人として
家康の為に命懸けて動く諸将はいないだろうが
それも家康の人格、能力の不足と考えそう…
89 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:23:07 ID:p7fOHUHY
そういうふうに三成が250万石ならとか家康が19万石ならどうとか
言ってるほうがおかしんじゃない
そもそもそれだったらすでに史実の家康や三成じゃないじゃん
その人間がどれだけの地位にいたか見ずにただ石高だけで判断するから
だめなんじゃないか
あと家康が19万石で他は史実どうりなら太閤にとって義弟にあたり
長男の信康はかつての主君の姫を娶り次男の秀康は太閤の養子として引き取れられ
跡継ぎの秀忠は息子の義理の叔父にあたりその娘は息子の嫁にしている
こんな風にバリバリの豊臣家の親族になっていて戦を何度も経験し政治も一流の
家康についてこない武将なんているのか
90 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 18:38:00 ID:fW5HwZZ9
正直家康なら19万石で三成よりは人ついてくるだろうね…
人格というか人当たりもアレだけど実績も年齢も違うから…
まあ
>>88が言いたいのは純粋に個人的な能力や人格を
過剰に引き合いに出すのはってことでしょう
確かにそんなもんどうでもいいわと俺も思うので気持はわかる
それが「三成批判派」だけの問題とも思わないけど
91 :
人間七七四年:2009/01/01(木) 19:05:23 ID:UG3KOLwD
19万石では、性格的に家康が勝負打つとは思えない
家康に限らず、その程度の分限で天下取りに行く大名なんていない
そもそもそのクラスなら三河一国とかそれ以下だろ?
家康の年齢を考えればもう家督を譲って引退していたと考えるのが自然
黒田如水のように乱に乗じて近隣を荒らすのが精一杯
三成も19万石で天下を競う馬鹿さ加減を自覚していたから毛利輝元を総帥に据えた
毛利・上杉・宇喜多合わせて300万石、これで徳川250万石に対抗って腹だっただろ
関ヶ原の戦いひとつでもって石田三成の評価を下すのが間違いってことならそう書けよ。
それは同意できる部分もある
92 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 03:28:10 ID:gMBJ/6lL
>>87 長対陣になってにっちもさっちもいかんようになると、全国の大名どもは思ってたらしいね。
たった一日で勝負がついて家康恐るべしだったらしいね。
93 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 17:39:17 ID:mCuuSbOd
>>72 戦国時代・武将をネタとして楽しむ→戦国英雄・三国志・戦国時代
この板(戦国時代)は「戦国時代に関する」人物や話題を扱う板です。
ここは、いつから趣味のカテゴリーになったんだ。自分の知識のなさ
をうやむやにする為の詭弁ではないのか。
>>71 >それって全部三成の部下や一族たちだろう
>三成のために命を投げ出すの当然じゃないか
キミは、「部下や一族が命を投げ出すのが当然」ってことを
言っている自体戦国時代そのものを知らないようだね。
94 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 17:44:21 ID:OI+KgOFr
>>93 > キミは、「部下や一族が命を投げ出すのが当然」ってことを
> 言っている自体戦国時代そのものを知らないようだね。
君こそこの時代の武士の、雇用における返恩義務を理解していないような。
95 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 19:00:59 ID:cy31aXml
>>93 2ちゃんのカテゴリーでは、戦国板は趣味に分類されてるよ
いつからも何も、最初から
96 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 19:07:13 ID:OI+KgOFr
でも学問板である日本史板から分かれたのが戦国板
97 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 19:14:42 ID:cy31aXml
そうだけどさ
俺が書いたことに間違いは無いよね?
>ここは、いつから趣味のカテゴリーになったんだ。
↓
>いつからも何も、最初から
98 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 19:41:56 ID:K4fPiOma
トランプ板やお人形板、ペット大好き板と並んでいる戦国板が学問板はねーよなwww
99 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 19:42:57 ID:A0COpjkO
>>93 つまり部下や一族が命を投げ出すのが当然じゃないなら
福島や加藤が文句を言われる筋合いはないわけだ
100 :
93です:2009/01/02(金) 21:20:01 ID:mCuuSbOd
>>94 俺が言っているのは「雇用における返恩義務」とやらが、当時しっかり履行され
たかどうかのことだよ。
譜代衆などいない三成の配下の関ヶ原の役における働きは、やはり尋常ではない
と思うが。
101 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 21:24:51 ID:MPvFs4CC
まあ徳川にちゃっかり乗り換えながら
結局家も取り潰されているマヌケどもよりは
三成のほうが一花咲かせた分、
人気は出るだろうな
102 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 21:34:07 ID:OI+KgOFr
>>100 その、尋常じゃない、って言うのは、何と比較して?
関が原で三成の家臣が立派に戦ったのは間違いないが、それが当時の常識を覆すほどの
物だったのかと言われると、疑問を持たざるをえない。
三成が家臣にとって、物惜しみのしない使えやすい主君であったことは間違いないだろうし、
忠誠心も旺盛だった。そこを否定する人間は少ないだろう。
ただ、それが他の似たような出自の武将、たとえば福島正則や加藤清正、加藤嘉明などを
超えているほど、とは思えない。
103 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 21:56:17 ID:E/VsHlL9
>>101 福島、加藤はマヌケとは思わんけど
いいように利用されて捨てられた感は否めないよね。
愚かというか、もったいないというか。
三成は結果的には負け戦だったが、一本筋が通ってる漢だと思う。
負け戦マニアにとっては、グッとくる堪らん人なのですよ。
104 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 22:03:27 ID:OI+KgOFr
三成「まあ俺は負ける気なんかこれっぽっちもなかったんですけどね。」
105 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 22:29:15 ID:mCuuSbOd
>>102 もうこれは、史実の問題ではなく国語の問題だよ。
当時の常識を覆さないと「尋常じゃない」という表現は使えないのか、
という話になってしまう。もちろんそうではないと思う。
似たような出自の例として三武将を挙げているが、「超えているほど
とは思えない」とも言い切れないと思う。三成の立場になっていない
ので比較のしようがないから。お家の存続を考えるのならば、毛利家
における吉川広家的な配下が出てくる可能性がある。しかし、石田家
にはそういう動きはなかった。
106 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 22:43:47 ID:Ktth5iwz
三成は豊臣政権がなくなったら単なる地方大名に落ちるどころではなく
自分が酷評した大名からの報復リンチに死ぬまで怯えながら生きていかざるを得ないんだから
家康に対して必死にならざるを得なかったし、負け戦で処刑されるほうがずっとマシな状況だった
加藤・福島とは事情が違うと思う
107 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 22:59:55 ID:mCuuSbOd
>>102 いま思い出したんだが、関ヶ原のとき加藤嘉明の配下に造反者が
出ているよ⇒塙直之
108 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 23:06:04 ID:zQH9+oWj
>>106 報復リンチてw無頼じゃないんだからw
ID:mCuuSbOdとはなんか話ができない壁を感じる
それこそ国語的な
109 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 07:52:52 ID:MmJaKGPC
太閤のもとで権勢を欲しいままにしていた(イメージ)が、
徳川への政権移行で日陰者に
でも関ヶ原がなければ加藤・福島・石田をはじめ、豊家恩顧大名は石高的には横並び
そんなにビビる必要はなかったし、そういう意味で関ヶ原をおこしたわけじゃないんじゃないかな
110 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 10:10:12 ID:BRnfOMQb
じゃあなんで?ひたすらに豊臣家の安泰だけを願っていたと?
111 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 10:14:16 ID:6nN73o71
豊臣政権下での権力拡大が狙いっしょ
112 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 13:10:33 ID:sEoRepWl
権力拡大じゃなく権力回復じゃないだろうか?
113 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 15:21:36 ID:pCwaVxZQ
なんせ家康が政治を主催すれば、家康には自前の官僚団がいるから、三成の出番はないからな。
114 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 00:03:31 ID:6ccDbF7G
何言ってるんだ?自前の官僚とかではなくて、三成は失脚してるからだろ?
115 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 00:23:43 ID:+xI16PLc
>>114 失脚以前に、諸侯の中でも家臣団の層が分厚い家康には、三成の才能を生かす形では
取り入りにくいってことじゃね?
116 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 05:12:30 ID:eeIAyj3z
家康が各大名との婚姻政策で野心を露にしたとかいうのが小説やドラマでの
関ヶ原の流れですが、三成が先に三奉行と毛利輝元で起請文交わすとかいう
違反を犯していたとかいうのはマジですか?
117 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 13:02:01 ID:w9Q2XW7s
>>88 家康が三成の立場だったら朝鮮で武断派や小早川の悪口を言ったりしないだろう
関が原に勝つまではこいつらをひたすら褒め称えて味方に取り込むよ
そうすれば石高に関係なく関が原には勝てる
三成にはそういう長期的判断能力がないから負けたわけだ
それを石高のせいにするのは責任逃れでしかない
そもそも三成の石高が低いことなんて最初からわかっていたのだからなおさら行動に気をつけなければいけないのに
それができなかったのは三成の能力の低さ以外の何物でもない
118 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 16:05:23 ID:Yf8N6dO7
>>117 悪口って具体的になんだよw
現地の情勢をつぶさに報告することか?
だいたい三成と家康じゃ目的がまるで違う
三成が家康同様、秀吉死後に天下を狙ったり
己の権勢を高めようとする野望を
強く持っていたなら唐入りの際
そう行動すべきだっただろうが
三成は違ったんだろ
三成の目的は秀吉への純粋な忠誠で
報告役として己の職務を全うすることだけを
考えていたなら三成は間違ってはいない
それを逆恨みして挙げ句のはてに
家康に寝返った脳ミソ筋肉君たちが
不忠すぎだった
119 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 16:40:55 ID:+xI16PLc
120 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 17:15:19 ID:8KNWs0/s
三成擁護してる奴も叩いてる奴もゲーム脳ばっかだなw
同じゆとり同士もっと仲良くしろよなw
121 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 17:28:37 ID:+xI16PLc
ゆとりと言う言葉を使いたがる人間はたいてい思考停止している。
122 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 19:30:06 ID:fBdWo3AY
モーリス・ユトリロ
123 :
人間七七四年:2009/01/04(日) 22:21:51 ID:w9Q2XW7s
>>118 機械のように報告して処罰を煽りまくって豊臣政権に何の利益があるの?
秀吉はボケが始まっているんだから無用な処罰が出ないように配慮するのは政権幹部として当然の思考でしょ?
そういう部分にまで思考が到達しない愚かさが三成の破滅を招いた
三成の器量は単なる機械のように報告するだけでよい下級官僚どまりなんだよ
三成は五奉行になるべき人材ではなかったのだから謙虚になって辞任すべきだった
124 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 06:09:30 ID:JyB8zrRU
こいつ小西の悪行には目を瞑ってたんだよな
125 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 06:57:36 ID:j8Y+3kX1
>>119 なんだ。 じゃあ三成が先に家康を圧迫しに掛かったって構図じゃん。
合津テンプウ以来上杉とはツーカーの中だし、輝元と誓詞なんて交わしたら
包囲網だもんな。
126 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 09:38:59 ID:rAHHi+ZS
結局自業自得かw
127 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 11:25:22 ID:AynLegVJ
明との和平交渉での三成と小西の不正と言うかイカサマは弁解の余地無いと思うぞ
(同じような事対馬の人もやってるが)
慶長の役はこの事で秀吉怒って起きた訳だし
この件での清正とその他武闘派の恨みが歴史を変えたと思う
秀吉に都合の良い情報ばかり流してきたツケと言うべきか
いや俺も三成は好きだけどね、40才の三成だったらあそこまでの男だけど
器の差を考えて、5年か10年雌伏してりゃね
50才の三成ならもうちょい歴史を変えられたかも
128 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 13:06:18 ID:HmMaxPw1
豊臣一族でもないのに三成はよく頑張ったよ。
一番の原因は後のことを考えてなかった秀吉にある。
あんだけ強大な、しかも他家のNO.2を残して逝くのは
責任果たしてないでしょう。
信長・家康ならありえない。
129 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 13:28:11 ID:YIHA3AB+
>>128 大軍をもってしても秀吉は家康を倒せなかった。
秀吉の誤算は家康と敵対できる前田利家が翌年に死んだことだろ
利家さえ生きていればなぁ
130 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 15:43:05 ID:4zAiqS13
>>129 時間制限付きの局地戦でたった一度
勝ったくらいで倒せなかったはないだろう…
アンチ三成といい徳川史観はやはり強烈だなあ
秀吉がその気になればいつでも家康は潰せた
家康自身が一番、それが分かっていたから
秀吉生存中は例え狂っても絶対服従に徹した
131 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 17:08:58 ID:2yk0bT16
>>130 倒せなかった物は倒せなかったんだから仕方ない。
だいたい秀吉があの「敗戦」で、どれだけ方向転換を強いられたか知ってるのか?
132 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 17:40:04 ID:DS8gNxqh
あの時点じゃ天下統一が第一だから徳川を潰すなんて真似はどっちみちやらない
九州や四国や紀州など背後が不穏な状態じゃ徳川が頭下げてくるように仕向けるしかない
史実と多少手間と時間が違うってくらい
133 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 17:41:04 ID:oSmD5g02
>>130 一族衆筆頭の秀長と同時に官位を上げる位にはビビってる
134 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 17:42:19 ID:DS8gNxqh
小牧長久手で勝ったとしてもって話ね
135 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 17:50:40 ID:2yk0bT16
最近は、中央権力(およびそれに付随する諸侯)とそれに反抗する地方権力が、日本中でそれぞれの
陣営に、真っ二つに分かれて戦った「小牧長久手」こそが、戦国時代の終焉、と言う説すらあるな。
136 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:13:56 ID:5E5RJ/tT
だったらそれ、結局反抗する地方勢力をみんな軍門に下して天下取った秀吉の勝ちで
それこそ、一部の局地戦なんてたいした意味は無かったってことになるじゃん。
一部の大局が見えない徳川厨はわからんようだが、小牧長久手で徳川軍はあくまで援軍で本体は織田信雄。
でその信雄の本領が散々に崩されて、実質降伏に近い和睦を結んじゃってるんだろ。
池田の別働隊は潰して一時的に局地戦に勝利しても、徳川家は戦略的には大敗だよ。
更に言えば信雄(ついで紀伊と四国)が降った時点で(同盟国の北条なんぞ頼りにならんし)徳川家はもうジリ貧。
それでも強気の外交を続けて自分を高く売りつけた政治手腕はすごい。
あれが秀吉でなくて信長だったら潰しにかかってきただろうが、
秀吉なら絶対に大丈夫と踏んだ根拠はなんだろうな。元々織田幕下で知り合い同士だったからかな。
137 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:18:49 ID:2yk0bT16
>>136 何も解ってないな。
小牧長久手で挫折した秀吉の中央権力が、その時点で質的転換を図って、
軍事力ではなく朝廷権威を利用した、地方権力を内包した形での天下統一路線に
変わったんだよ。
つーか、司馬遼太郎の小説あたりを鵜呑みにしてないか、きみ?
138 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 21:21:04 ID:oSmD5g02
>>136 『池田』の別動隊じゃない、『秀次』の別動隊
当時秀吉の後継者とされた人物の別動隊が負けたの
139 :
人間七七四年:2009/01/05(月) 22:00:21 ID:IErPC+vi
>>136 俺wikipediaくらいの情報しかしらないけど
一部の局地戦程度じゃなくて、半年近く続き、しかも押しつ押されつの接戦(ある意味泥沼)
だったんじゃね?
一応北条も後ろにいるし、秀吉だって楽には勝てないでしょ
140 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 04:58:27 ID:tMtPqJpP
秀吉は家康が好きで信用してたのかもな
力を持たせすぎてさすがにマズイと思ったのか
前田を対抗馬にしようとしたけど前田じゃなぁ
家康が信長死後に何をしたかを考えたら
断じて自分が生きてる間に滅ぼすべき相手だと
気が付かなくちゃいかんわ
三成以外の誰だろうとどうしようもない
141 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 11:39:44 ID:65UPucgl
>>140 利家以外で家康に対抗できる奴なんていないだろ
三成みたいな小物じゃ無理
142 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 13:09:35 ID:eJwug9YJ
>>141 何でそんなに利家を過大評価しているんだ?
143 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 13:52:42 ID:/gDGax7c
前田利家に関しては権力関係論という観点もいれて人物を語らないといけない。
2chにおいてはともすれば能力論のみで事象を語る傾向があるがこれはよくない。
144 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 15:26:10 ID:RDC17zKF
利家家康。豊臣政権におけるケチの二大巨頭。
145 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 15:29:36 ID:eJwug9YJ
利家のケチと家康のケチは質がぜんぜん違うけどな。
利家は守銭奴に近い。
146 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 19:44:50 ID:tMtPqJpP
利家の能力はさておき総大将利家に参謀三成なら
確かに輝元&三成コンビよりは強力そうだ
ひょっとしたら家康に勝てるかもね
輝元みたく決戦の時に総大将が城から出て来ず
現場にいないなどという事はまずないだろうし
秀吉が直々に選んだ秀頼の後見役という立場は
非常に大きい
秀頼の為に奸臣を除くという家康の名目を奪い
加藤福島らも家康側に回りにくい
利家は家康にとって都合よく死んでくれたものだ
147 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 20:29:43 ID:Gh74hsT/
三成が参謀の時点でだめだろう
そもそも利家が三成を参謀にする理由がない
あと輝元みたくとか言ってるけど
あれは城から出て来ないんじゃなくて
出られない状況といった方がいいと思う
148 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 20:32:04 ID:eJwug9YJ
利家が総大将するなら、参謀も当然自分の家臣から選ぶよ。
149 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 22:02:02 ID:r0/VCjKf
たしかに総大将家康に参謀三成って変だなw
利家って豊臣政権下では人気あったの?
家康とはやはり力の差があったから、カギは人気になるかと
三成じゃちょっとね
一応毛利、宇喜多、上杉を巻き込んだ風で形には一応はなったけど
150 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 22:15:47 ID:eJwug9YJ
晩期の前田利家ってのは、豊臣政権化の、旧織田系武将の長老ってポジションだな。
151 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 22:35:34 ID:pNXM5bgM
利家が総大将なら少なくとも清正は利家側につくだろうなあ
152 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 22:44:40 ID:eJwug9YJ
秀吉の時代、家康と利家は共同歩調を取って諸侯の利益の代弁者になってたんだから、
三成が引っ掻き回そうとしたところで、家康と利家が、武力衝突まで行うほど対立するとは
考えにくいけどな。
153 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 22:46:23 ID:c7Lm4w7i
利家と家康で関ヶ原は考えにくいよな
家康もそこは自重しそう
154 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 01:57:20 ID:VBe/xW/o
155 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 03:27:52 ID:Q3rjms7a
三成も秀吉死後は利家や上杉毛利と共に家康に対抗しつつ、発言力を維持し、秀頼成人後に政権戻すって約束
取り付けて、そっからが俺の時代だって感じだったんだと思う。
その頃には家康や利家も現役では無いだろうし、10年程度頑張れば豊臣家の執政として日本を切り盛りできる
現実では家康に対抗しようとすればするほど空回りして味方を失ってる
家康の婚姻事件も利家と糾弾して謝らせたはいいけど、みんな家康についちゃったし
あげく、利家死後に武闘派に襲撃されてその責任何故か取らされて隠居、関ヶ原以前に政治的に終わってるよね
156 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 03:51:06 ID:8mrGE2Cm
5大老のうち徳川・毛利・上杉は外様、伊達(笑)と島津も力を残している
対して豊臣側はどうか
後見人利家は人望はあったかもしれないが、器としては準大名。実力よりも時代の流れで力を得たと見える。
(この程度の人物しか家康への対抗馬が居なかったのがそもそもの悲劇)
宇喜多の秀家はガキ。小西と加藤はモメてばかりだし、
そもそも長浜以来の秀吉子飼いの面々はせいぜい20万石前後。武断派も文治派もここは共通。
確かに武断派は平和の時代には築城ぐらいにしか役にたたないが、
それにしても三成は武断派をナメすぎてた。
本来であれば5大老は一人も信用できない
前田前田というが、利家なんてどうやったら信用できるんだ、経歴的に考えてw
三成は武断派と融和すべきであった
つまるところは余りに融通がきかなすぎたのが三成の敗因
そんなところも含め俺は三成が好きだが・・・。
157 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 08:03:33 ID:LTENPfFi
関ヶ原前夜の三成は家康に良いようにこねられたイメージが強い
158 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 09:06:07 ID:ajupuVE1
文治派、武断派という区分けに違和感を持つのは俺だけ?
立花とか島津とか文治派って感じじゃないよね。
対立の主点も、文治武断じゃないと思うけど
159 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 11:27:16 ID:y+BE4xGo
>>147 三成を過小評価しすぎ
圧倒的な力を誇る家康を上回る大軍を
短期間に集められるのは三成以外いないだろう
利家単体じゃ勝負にもならんよ
160 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 12:58:14 ID:7cxILCkm
>>159 > 圧倒的な力を誇る家康を上回る大軍を
> 短期間に集められるのは三成以外いないだろう
なんで?
161 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 13:18:28 ID:3g4oeVy4
162 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 13:22:48 ID:7cxILCkm
つーか、三成が集めたんじゃなくて、大阪城を押さえた上で総大将が毛利だから「集まった」、
と考えるべきだよなあ。
三成のコネで集められるのは、小西、大谷、宇喜多くらいがせいぜいだろ。兵数は4〜5万くらいか?
163 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 13:36:13 ID:L1IpIotU
清正は前田派でもあった
164 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 13:42:34 ID:gP098SMZ
>>145 あれ?利家ってかなりの大名に金貸してて
その上息子にも「催促するな、例え返してくれなくても文句言うな」って遺言残してなかったっけ?
末森の逸話だけしか知らない?
165 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 14:21:06 ID:G7Z7fzIw
vs利家のときは利家のとこに武将が集まりすぎて家康びびって戦回避
vs三成のときは三成決起に家康大喜び
これが現実
166 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 15:53:01 ID:VBe/xW/o
167 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 17:37:06 ID:6DALQfWv
太平の世を築いた家康様に歯向かい、暴君豊臣政権を維持しようとした悪人として名高い石田
168 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 20:49:57 ID:JDh+Ijcv
>>165 小説とかだと家康が三成が挙兵するように仕向けたっていうけど、それはなくね?
正直形だけでも頭数揃えてきたからびびったでしょ。
まぁ関ヶ原に着く頃には内応の手ごたえもあり、勝利を確信してたと思うけど
169 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 21:51:21 ID:y+BE4xGo
本当に内応するかどうかなんて
誰にも分からんのだからかなりの大博打だろ
家康はあまり好きではないが勝負どころとみたら
一身を投げ売った大勝負にでた心意気は
さすがだと認める
それに比べこのスレのアンチ三成どもときたら
三成の実力を全く認めようとしない厨房ばかり…
170 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 21:57:23 ID:7cxILCkm
> それに比べこのスレのアンチ三成どもときたら
家康をちゃんと認めている自分に比べて、って事?
171 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:04:18 ID:ajupuVE1
>本当に内応するかどうかなんて
>誰にも分からんのだからかなりの大博打だろ
相当手ごたえ無いと関ヶ原には来ないよ
まぁ確信はいいすぎかもしれんが
俺も三成好きだけど
>>159は過大評価
>>162が正解
まぁ引き金引いたのは三成だからそこは評価だね。
それでもみんなついてこなかったけど
172 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:09:01 ID:XEMwTA1Z
三成の実力って?
良くも悪くも官僚、権力の中枢で権勢を奮ってたが、主の死去で既存権力を失い、それを回復しようとしただけの人
それ以上でもそれ以下でもない
173 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:12:33 ID:ehBzxgaO
三成の実力を全く認めようとしていないわけではないだろ
ただその実力の本質を間違えていってるから文句を言っているわけで
むしろ三成のことを好きなくせに本当の意味で三成のことを理解しようとせず
ただ都合のいい事だけみてそれ以外の批判されるべき所をみずに
三成の事をかたってるのってもはや史実の三成じゃなくて
ただ自分の都合のいい三成なんじゃないか
三成のことが本気で好きなら批判されるべき所も受け入れるべきだと思う
174 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:26:17 ID:y+BE4xGo
>>171 何を言いたいのか分からない
乗り気じゃなかった毛利を動かして総大将にし
軍勢集めたのは三成(安国寺ライン)だろうに
輝元が積極的に加わったなら話は別だがね
あと三成もそれほど好きな訳じゃないんだがなぁ
ただ天下を二分出来たのは三成あればこそだろう
他の輩じゃ無理
175 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:29:06 ID:gP098SMZ
176 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:29:14 ID:+n8W2oTU
毛利も目の前に天下ってニンジンがぶらさがってるように思えたんじゃないの?
177 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:43:36 ID:0xU/G80q
>>174 形だけは集まったけど、結局動かなかっただろ
毛利輝元、秀元、吉川、長宗我部、小早川、脇坂、朽木、小川、赤座
鍋島とかも怪しいことやってるし
うまく乗せられたか、状況的にしょうがなく着いてきた連中ばっかり。
「一応数揃えた」だけだ。
天下を二分できたのは三成あればってのは合ってるけど
実力というよりはやる気の問題だろ
実力無いから、結局人が動かなかったり裏切られたりで負けたんだろ。
そのやる気は評価したいが
家康側は結構ムリヤリ人動かしたと思うけど、軒並ちゃんと働いてたぞ
178 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 23:26:22 ID:vnj6R/Dc
西軍が勝っていれば東軍の諸将が似たような動きをしたのでは
兵数は同じくらいだし西軍が一部しか戦っていないなら
向かい合う東軍もおなじなんじゃないの
179 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 23:48:57 ID:xXyjf/R0
>>167 悪名高いのは家康
奴の築いた部落差別により今も苦しんでいる人多し。
あまりにも重い罪。
180 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 23:53:23 ID:7cxILCkm
>>179 なんか凄い勘違いしているな。まあ釣りだろうが。
181 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 23:54:57 ID:3oPLXToW
>>178 意味がわからんな
東軍の諸将が似たような動きをしなかったから西軍が負けたのであって
原因と結果が逆転しているぞ
182 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:01:03 ID:vnj6R/Dc
布陣は十中八九、西軍が勝つような西軍の有利な配置
(鶴翼で山に配置された西軍と鋒矢で街道沿いに布陣した東軍)
実際に序盤戦は福島隊が壊滅しかけてるし
小早川のお坊ちゃんが西軍側につけば雪崩現象が起こったんじゃないかな
183 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:11:27 ID:7CLIRmWU
↑今時、そんな事言うなんてなかなかレアな人ですね
184 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:15:34 ID:zx7zh/8V
序盤で「壊滅」しかかった部隊が、そのまま持ちこたえるわけねえだろw
185 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:30:14 ID:+pxUWG/b
持ちこたえるに決まってんだろ
当時の戦争なんて皆殺し勝負じゃないんだからさ
壊乱しても状況が落ち着けば立て直せる、指揮官次第ではあるが。
186 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:32:51 ID:90ThUWqV
西軍が大阪付近にいた奴らを無理やり組み込んだ軍隊なら
東軍は会津遠征軍をそのまま流用した軍隊でしょ
真田昌幸みたいに積極的に陣から抜けたのは例外的で
西軍ほどではないにしろ、寄せ集めでは同じ
絶好の位置に布陣していた小早川が行動すれば
家康にとって外様の武将の動きなんてわからないよ
187 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:36:00 ID:5vT1ythZ
>>184は「壊滅」じゃないって言いたいんだろ
福島は兵数で劣りながらも善戦じゃなかったっけ
司馬の関ヶ原とかでは、福島壊滅になってたような気もするが
188 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:37:13 ID:zx7zh/8V
>>185 「壊滅」の意味知ってるか?
>>186 小早川は松尾山に布陣した時点で既に東軍だったってのが今は通説だ。
189 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:40:15 ID:7CLIRmWU
>>186 >真田昌幸みたいに積極的に陣から抜けたのは例外的で
え?
東軍は西軍と違い戦意旺盛だったんだよ、家康の統制が利かないくらいにね
それに引っ張られ家康も西上したんだよ
寄せ集めの度合いが違う
190 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:41:37 ID:mSztJhPP
東軍に戦闘中に寝返りそうな日和組いたっけ?
さすがにガチで戦闘してる前線部隊がいきなり裏切るのは考えずらいのだが
でも小早川が西についたら(あまり意味のない議論だと思うが)
西軍の勝ちってのは結構賛成。
南宮山の日和見部隊もどさくさにまぎれてなだれこんでくるだろうし
191 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 00:45:27 ID:7CLIRmWU
一方だけにタレラバ持ち込んで勝ちというのは、あまりどころか全く意味ないからね
192 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 01:27:27 ID:KJYyJjzT
>>189 福島らは繊維旺盛だったから必死に岐阜城を攻めたんじゃなくって
そうしないとビビッて江戸から出てこない家康を引っ張り出す為に頑張ったんだろうが。
そうしないと負けるからな。
>>188 小早川なんぞ家康に接近して東軍に属したかと思えば伏見城を攻撃して、
やっぱり家康に人質を送ったかと思えば宇喜多らと行動を共にして、
今度は西軍主力から離れて高宮に滞在して遊んでて、
結局家康の赤坂着陣と時を同じくして松尾山に入った。
これで決定的かと思いきや、関白の座をぶら下げられて更に迷う。
最初から最後まで迷走しっぱなしだ。どう転がるかなんぞ分からんよ。
193 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 01:40:00 ID:mSztJhPP
>そうしないと負けるからな。
結構戦意旺盛じゃね?東軍で勝ちに行く気じゃん
小早川は基本東軍だけど戦況しだいかな
194 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 02:00:55 ID:KJYyJjzT
>>193 福島が「出馬なきは劫のたてかへに遊ばされ候」と言ったのに対して
使者の村越が「敵味方の証拠を見せ候へ。」って言ってるわけだ。
東軍に付いたけど、家康は出てこない。
このままだと西軍にやられてしまう。
「見殺しにするのか?」と迫れば「証拠を見せろ」という。
そりゃ一生懸命攻撃するわな。
で、思ったよりあっけなく岐阜城が落ちたから家康が来たってだけの話。
最初から戦意が旺盛だったという話にはならない。
195 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 02:05:50 ID:zx7zh/8V
>>194 証拠を見せろと言われて一斉に戦闘始めるんだから、戦意は旺盛だったと考えてしかるべき。
三成は同じことして、西軍がそれに従ったと思うか?
196 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 02:15:12 ID:KJYyJjzT
>>195 あのなぁ、福島らは清洲に居たんだよ。切羽詰ってた訳。
家康に来てもらわなきゃ自分たちが危ないの。
戦意が旺盛とか関係無い。
ちなみに大軍相手に城を出て戦って玉砕した秀信の戦意も高かったんじゃねーの。
馬鹿だったけど。
197 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 04:11:16 ID:3TzXwJNu
ひでのぶタソ・・・
秀秋自身は養子だけど、
本家の毛利や一門の吉川の影響はあったのかな
198 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 09:44:53 ID:tH4bPuoV
戦意旺盛のとらえ方だな。
「負けたくないから、家康を引っ張り出すため戦う」姿勢をどうとらえるか。
ま、どっちでもいいだろ。
199 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 10:32:00 ID:3yuyfUf2
関ヶ原って西軍の一部以外みんな戦ってないよね
西軍から家康に内通するもの多数、小早川も三成より家康を選んだ
全然人心掌握できてないじゃん
これで三成が凄いってどうしてなるのかよーわからん
むしろ勝てた戦を三成がトップだったせいで落とした感じだろ。
200 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 10:34:58 ID:CyOc9D60
出しゃばり過ぎなんだよ三成はもう二三歩後ろに控えてりゃ良かったんだ
201 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 11:16:21 ID:gHknS815
>>200 他の役立たずどもが不甲斐ないからな
三成だって当然自分の指導力不足は分かっていて
ボンクラ輝元を関ヶ原に何とかして
引っ張り出そうと苦心しただろ
いかにボンクラでも総大将が戦場で
日和見決め込むのは不可能だし
吉川小早川とてまさか総大将の主家裏切って
家康に付くわけにもいくまい
毛利一族が主戦力として働けば
石高や軍勢の多さからいってどれ程能なしでも
三成よりはましに西軍動かせるだろう
輝元呼び出しに成功しただけで
結果はわからなくなるな
202 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 11:29:39 ID:gHknS815
>>199 またその話か
まずは三成以外で家康と同等の軍勢集めて
しかも人心掌握出来る奴がいれば挙げてみろって
203 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 12:44:38 ID:WdrTVn56
10万も兵集めながら一戦だけで斬首ってのはなあ
集めただけと言われても仕方がないのでは無いかな
家康との直接決戦なんて賭をしない戦略もあったと思うし
むかつく福島の本拠地の尾張くらい、死ぬ気で攻め落せよ
負けたら負けたで、大坂まで逃げ戻ってれば、また違った展開も考えれたのにね
204 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 14:07:42 ID:Q+iE2CS/
大局を見る目が無かった。無能であったと
205 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 15:47:01 ID:7CLIRmWU
>>192 だから戦意旺盛だって言ってんだよ
西軍側で自ら進んで前線出て行ったのはどれくらいいるんだよ
>関白の座をぶら下げられて更に迷う。
>最初から最後まで迷走しっぱなしだ。どう転がるかなんぞ分からんよ。
迷ってないが?
西軍へ加担する気はもうなく、東軍として西軍へ攻撃するか否かの話
何を言ってるんだ?
真田昌幸が陣を抜けたとか言い出すし、もうちっと史実把握したらいいと思う
>切羽詰ってた訳。 家康に来てもらわなきゃ自分たちが危ないの。
なんで危ないんだ?美濃の三成ら西軍の方が尾張にいた池田・福島らより少ないのに?
ここ詳しく説明してくれ、どんな史料にも、尾張にいた福島らが危ないと思わせるような記述もないんだが
むしろ書状から三成の方が焦ってるんだけど
206 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 16:04:32 ID:h3k6f21V
人心掌握もろくにできないのに決起する方がおかしいよな
人望ないくせに無理にトップになって戦するなっての
関ヶ原のせいで豊臣は222万石から65万石に落とされ
徳川は250万石から400万石になり、ほぼ天下は決まってしまった
これは明らかに三成のミスだろ
207 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 16:11:17 ID:gHknS815
しかし40で日本を2つに割った男を
無能馬鹿呼ばわりできる奴って凄いよぁ
将来日本を操れる大天才(のつもり)
なんだろうね
多分ゲームのやりすぎなんだろうから
しばらく我慢しとけよw
208 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 18:15:19 ID:kASmhM9b
官僚しては超有能
しかしその領分を越えた事で、彼の限界が露呈した
209 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 21:31:26 ID:XxyPFEp4
輝元は出てこず、島津は動かず、相次ぐ内応・寝返り・逃亡
東軍の家康は譜代だけじゃなく最近仲良くなった程度の外様を含めて上手く操縦
やっぱ三成は戦場に出てきちゃいけない、そろばん大好き奉行屋タイプだった
210 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 22:57:39 ID:uQuunYAy
1600年に起きた戦いの結果を知っている2009年の時代に生きている
私たちが、1598〜1600年の必死になっている石田三成の行動を悪く
は言えないな。形だけでも東軍VS西軍という構図を作成したのだから。
織田家のその後を生で見ている武将たちが、秀長、秀次、利家らがいない豊
臣家に代わって徳川が政権を取るのは時代の趨勢だと考え、家康に与するこ
とにより自家の保全を図るのは自然の行動である。
ただ、その動きのまま流れてしまうのは如何なものか。世界からみて日本史
の戦国時代の評価という観点で、関ヶ原の役は一抹の涼風と言えるのではな
いであろうか。
211 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 23:03:15 ID:pDqWJtjN
>>207 そもそも三成がいなければ2つに割る必要もないし
豊臣にとっても武断派にとっても三成の行動は迷惑極まりない
無能馬鹿と呼ばれても仕方がないよ
212 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 23:38:17 ID:+OmjyyXi
>>210 家康は豊臣対徳川の構図ではなく石田対徳川の構図を作りたかった
逆に三成は豊臣対徳川の構図に持ち込みたかった
東軍対西軍の構図は三成が作ろうとしたものではなく失敗の産物であり
家康の方が作ることに成功した構図だよ
213 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 23:48:32 ID:zx7zh/8V
家康は三成を関が原の首謀者に位置づけることにより、この一連の事態を
著しく矮小化したよね。体制全体に与えるショックを最小限に抑えた。
それにより、家康自身の政権奪取が、よりスムーズに行うことが出来た。
こういうところが、家康の政治家としての手腕だな。
214 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 23:56:09 ID:mSztJhPP
>家康は豊臣対徳川の構図ではなく石田対徳川の構図を作りたかった
ってどうなの?
三成はもう奉行職追われてるし、そこまでマークしてないのでは?
別に三成を意識した訳じゃなくて、上杉潰したかっただけでは
215 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 23:57:24 ID:mSztJhPP
あーでも始まってからはその対立構造作ろうとしてたのは間違いないな
すまん
216 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 00:02:30 ID:Wt69E8pr
日本史では関ヶ原後に石田三成が市中引き回しにされてるのを見て、
三成をいかにも首謀者みたいにしていると書いてるね
世間的には表面上の首謀者は宇喜多や毛利にしか見えず、家康が三成らを首謀者に仕立て上げた風に見えたのだろう
実情は今だにわからんけどね
217 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 00:07:08 ID:gY78t2Qo
>>205 > 東軍として西軍へ攻撃するか否かの話
あの、それも「迷っていた」って言うんだけど。
っていうか、戦闘に参加するのが遅れた理由が、西軍に与しようかどうか迷ったのではなく、
西軍に対して攻撃をするかどうか迷ったのだという事を断言できる理由って何だ?
> 真田昌幸が陣を抜けたとか言い出すし、もうちっと史実把握したらいいと思う
レスをした人物が全て同一人物だと決め込むとは単純にも程がある。
> なんで危ないんだ?美濃の三成ら西軍の方が尾張にいた池田・福島らより少ないのに?
岐阜勢や大垣勢と戦ってる間に田辺や大津を落とした西軍後詰が来るだろうが。
毛利の動向も分かっていない。焦って当然だっつーの。
>>194でも書いたが、慶長記に「ご出馬なきは劫のたてかへに遊ばされ候」とある。
江戸の家康に対して何度も出馬要請をしている書状もあるだろ。
218 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 00:17:13 ID:Wt69E8pr
>>217 >西軍に対して攻撃をするかどうか迷ったのだという事を断言できる理由って何だ?
黒田から目付役として大久保猪之助を送り込まれてる
それ以前に、今までの家康との関係、三成との関係、関ヶ原までの経緯、全て含めれば、あの場で西軍に加担するなんて、
到底考えられないけど?
>レスをした人物が全て同一人物だと決め込むとは単純にも程がある。
思いっきりお前じゃんw
ID:90ThUWqVにアンカーつけてレスしてる相手にだけレス返して、都合悪くなったらID変わってますですか?W
>岐阜勢や大垣勢と戦ってる間に田辺や大津を落とした西軍後詰が来るだろうが。
?????福島や池田が尾張に着いた時の西軍の状況を言ってみてくれ
なんで田辺や大津の話が、そこで出てくるのかさっぱり謎だ、それどころじゃないだろう
>江戸の家康に対して何度も出馬要請をしている書状もあるだろ。
あるよ?で、それのどこに「切羽詰ってた」状況があるのか説明してくれと書いてるだろ
出陣要請してたら切羽詰まってたのか?だったら関ヶ原一連で三成は輝元に出陣要請繰り返してたが、
それは切羽詰ってたからなのか?意味ワカラン
219 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 00:25:23 ID:okSzik0V
おまえら昨日から(?)喧嘩すんなよw
議論の内容は悪くないから仲良く話しなよ
あと
基本状況証拠なんだから偉そうに決めつけんな
220 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 01:36:17 ID:gY78t2Qo
>>218 当初、家康側に付きたがっていたのは先に述べた通りだが、
伏見入城を断られて伏見城を攻めてる。
その小早川が合戦の趨勢如何で関白の地位を約束した西軍に
与する事に何ら不合理は無い。
> ID:90ThUWqVにアンカーつけてレスしてる相手にだけレス返して、
その時点でID変える必要性は全く無く、
文体も全く違うのはまともな人間ならすぐ理解出来ると思うがな。
自分に反対意見をする人間は全て同一人物だとか思い込むのは重症だぞw
> なんで田辺や大津の話が、そこで出てくるのかさっぱり謎だ、それどころじゃないだろう
田辺は小勢で何時落城してもおかしく無い。
京極の寝返りが無ければ九州勢も美濃方面に進出してくる。
いつまでも大垣勢や岐阜勢だけなわけが無いだろ。
> あるよ?で、それのどこに「切羽詰ってた」状況があるのか説明してくれと書いてるだろ
>>194でも書いたが、慶長記に「ご出馬なきは劫のたてかへに遊ばされ候」とある。
って何度も書いてんだろうが。日本語読めないのか?
それに何度も出陣要請してんだから焦ってると考えて当然だろうが。
毛利に出陣要請をした三成が焦ってたかって?当たり前じゃねーか。
221 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 02:32:19 ID:okSzik0V
「小早川はずっと東軍につきたがってた」くらいならいいけど、
「西軍にに加担する気はない」は確かに言いすぎだな。
日和見はどっちが勝ってもいいことないからな。
それくらいは誰でもわかる。
ずっとどうやって東軍に貢献するか、どうやって東軍入りするか
ということは考えていたかもしれないが
(すくなくとも合戦中は)勝つ方に味方するつもりだったと考える方が自然。
また、
>>220の言うとおり両軍焦ってたのが当たり前。
戦力揃わない内に、相手の主力が来たらそりゃもうね。
戦意の問題で言えば、東軍はそれなりにあった。
西軍はあんまりなかった。
222 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 06:16:02 ID:uYdxHANx
>>211 三成が何もしなければ家康は前田、上杉…と
各個に有力大名を潰していって
気がついたら家康に反抗する奴は皆無という状態
だろう
三成相手に関ヶ原やるより遥かにローリスクで
自分の天下に出来て家康大喜びだな♪
223 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 08:19:38 ID:VcQYRQyx
松尾山を登ってみりゃいいよ
完全武装の大軍が降りるのにどれほど時間がかかるか分かったもんじゃ無いから
元々布陣してた西軍武将叩き出して陣取ってるし関ヶ原での合戦時は最初から東軍だろう小早川
224 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 08:43:40 ID:Wt69E8pr
>>220 >関白の地位を約束した西軍
あの連判状は内容や信憑性がかなり疑わしい代物で、それを差し置いても実行力がかなり疑わしい物なのに、
それを信用して関白になれると秀秋が考えるなら、その前に家康についてない
というか、それまでの秀秋の性格や行動から踏まえて考えろと書いてるのに大丈夫か?
>その時点でID変える必要性は全く無く、
>文体も全く違うのはまともな人間ならすぐ理解出来ると思うがな。
文体変えるも何も、お前のレス
>>192を読み返してみろ
ID変わったら誤魔化せると思ってる時点で相当重症だぞw
>田辺は小勢で〜
日本語読めますか?福島・池田が尾張に着いた時の西軍の状況言ってみろと書いてるんだぞ?
ボロ出まくり
>慶長記に「ご出馬なきは劫のたてかへに遊ばされ候」
読めてないのは、お前じゃんwとりあえず、この文現代訳にしてみろw
その前後の文も書いてやろうか?
>毛利に出陣要請をした三成が焦ってたかって?当たり前じゃねーか。
何が当たり前なの?三成書状に何が書いてあるの?詳しく書いてみてよ
225 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 19:12:49 ID:78HyQ/cR
お前の方が相当重症だろ。頭大丈夫か。
226 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 05:13:15 ID:KxHVt/Ld
>>224 >何が当たり前なの?三成書状に何が書いてあるの?詳しく書いてみてよ
書状に一々「焦ってる」って書いてないと、焦ってない事になるんかい?
両軍の状況から見て、いざ決戦の時期が近づいてるのに、お互い主力が不在だったら
焦るでしょ?
東西どちらの軍でもいいから、自分が所属してると想定してみれば
当時の緊迫感が想像しやすいんじゃない?
あと上から目線で、「〜してみろ」「〜してやろうか」などの
喧嘩ごしの物言いは、見てて不愉快。まあ
>>224に限った話ではないが。
話題的に、色々な自説が飛び交うのは仕方のない事。そこは理性的に自論の展開、
相手の説の批評でいこうや。
持論が認められない腹立たしさからの罵倒・エゴのゴリ押しみたいな押し問答は
荒れるだけ。
227 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 06:27:18 ID:Dl+2zNMc
>>226 >両軍の状況から見て、いざ決戦の時期が近づいてるのに、お互い主力が不在だったら焦るでしょ?
あのさ、何を勘違いしてるのか知らないけど、決戦って何?勝手に決戦思想を植えつけないでくれないか?
あの当時の状況で誰が決戦時期が近づいてると思っていたんだ?
関ヶ原なんて結果的に決戦になっただけなんだけど
上記みたいな事書いてるから、福島・池田らが尾張へ着いた時の西軍の状況は?と書いてるんだが・・・誰も知らんの?
知ってれば、決戦とか大津・田辺なんて話は絶対出てこないはずなんだが
所属すると想定・・・と妄想するのは勝手だが、当時の状況ってのをどれ程把握してるんだろ?
>書状に一々「焦ってる」って書いてないと、焦ってない事になるんかい?
これも同じ、書状で当時の状況がよくわかる、それで判断しろと書いてるのに、
勝手に焦ってると書いない云々に勘違いしてる
>色々な自説が飛び交うのは仕方のない事。
説にもなってないんだが・・・批評で言うなら、全部史料からの抜粋を基に語ろうか?
こっちはそれでもいいよ、あっちは慶長記の有名な一文、福島正則が捨て駒にする気かと家康を詰った有名な文でもって、
尾張にいた東軍が焦っていたとトンデモ解釈をしてるけど、慶長記で言うなら、その後の村越茂助の口上後の対応から、
焦っていたではなく、関東から出てこない家康に怒っていたとする方が当たり前
怒っていた理由は美濃にいた西軍の少なさと言う好機に家康は動くなと伝えるわ、関東から出馬しないわがあったから
こんな初歩的な事実確認から説明しなきゃならない時点で、自論が認められないとか以前の話なんだけど
228 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 07:07:55 ID:VSsrC3f5
>あの当時の状況で誰が決戦時期が近づいてると思っていたんだ?
美濃・尾張にいた東西両軍は、みんな思ってるだろ。アホかお前はw
229 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 10:32:54 ID:Dl+2zNMc
>>228 皆思ってる?アホはお前だ
三成の書状からは決戦思考なんてないのが明確にわかるのにか?
少なくとも家康の出馬とそれに対する輝元の出馬がない限り、主力決戦なんて三成考えてないけどな
つか当時の美濃尾張にいた東西両軍ってどれだけいたのか知ってるのか?
それ知ってれば、決戦なんて思考は到底出てこないがね
石田三成スレなのに、石田三成に関する史料とか全然知らんのばっかりだな・・・
正月明けだからか?
230 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 10:57:54 ID:dSswmkPW
無駄に白熱してる両氏(もっと?)の議論を勝手にまとめ(内容は保証しない)
【東軍は戦意旺盛/小早川は完全東軍派】
★両軍の戦意、焦り具合
・東軍は家康の統制が利かないくらい戦意旺盛だった
・美濃の西軍より尾張の東軍の方が数的に有利であり、東軍は特に焦る必要はない。焦っているのは西軍
・村越茂助の口上後の対応から、焦っていたではなく、関東から出てこない家康に怒っていたと考えられる(慶長記)
・大津・田辺辺りは東軍の考慮外であり、警戒対象ではなかったはず
★小早川の動向
・小早川はまったく西軍に加担する気はなく、西軍に攻撃するか否かで迷っていたにすぎない
・黒田から目付役として大久保猪之助を送り込まれてる
・小早川の家康、三成との関係、関ヶ原までの経緯、を考慮すると西軍に着くのはありえない
・関白の約束をした連判状は信憑性と実行力が疑わしく、小早川がそれを信頼するとは思えない
【東軍は焦ってる/小早川はどっちに転ぶかわからない派】
★両軍の戦意、焦り具合
・東軍は家康を引っ張り出さなくては負けてしまうので、相当焦っていた
・西軍も何度も毛利に出陣要請出しているので焦っていた
・田辺や大津の西軍後詰や毛利が控えていることを考えると、うかうかしていられない。結果何度も家康に出馬要請をしている
★小早川の動向
・小早川のフラフラ具合から判断するに、最後までどっちに転ぶかわからなかった。西軍に攻撃するか否 かで迷っていたという証拠はない
・当初は家康に着きたがっていたが、伏見城攻めてることを考慮すると、十分に西軍に着く可能性はある
・関白の地位は小早川にとって魅力的だったはず
戦意旺盛派の人は、色々知ってんならちゃんと説明すればいいのにな。
人に説明するのに慣れてないんかな。
あと自分で判断材料持ってるのかもしれんが、ちょっと決め付けが多いな。
ここは2chで学者とかセミプロの集まりではないから、そういうのはちゃんと説明する必要がある。
それが面倒くさいと思うなら、偉そうに書きこむ資格はないと思うね。
喧嘩ふっかけてるだけで迷惑極まりない。
東軍は焦ってる派の人もまぁイラつくのはわかるが、対抗してもいいことないからさ
231 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 11:22:16 ID:Dl+2zNMc
>>230 >戦意旺盛派の人は、色々知ってんならちゃんと説明すればいいのにな。 人に説明するのに慣れてないんかな。
ちゃんと説明って何をどう説明すんの?基礎的な話から?
説明求める側の知識レベルを教えて欲しいわ、でなければ何をドコから教えて欲しいかさっぱり
>あと自分で判断材料持ってるのかもしれんが、ちょっと決め付けが多いな。
決め付けが多いって、確たる事実がある場合は決め付けで言ってるだけだけどな
まさか、関ヶ原までの経緯を基礎的な話からしなきゃならんの?セミプロ以前の話なんだが
面倒くさい以前に、相手の知識レベルがどこまでかさっぱりわからないんだけど?
慶長記から抜粋した文持ってきた相手にそんな初歩的な事しなきゃならんの?
つか、どっちが喧嘩吹っかけてるか、偉そうにレスしてるか、レス読み返して見れ
小早川のフラフラ具合とか、ちゃんと家康が畿内に誰を派遣したとか、秀秋が伏見攻め以後に、どのような対応とったか、
自分で調べりゃいいじゃん
>・大津・田辺辺りは東軍の考慮外であり、警戒対象ではなかったはず
↑これ、意味不明なんだけど?こんな事書いた覚えないんだがw
つか状況知らないなら、自分で調べるか、素直に教えてくださいって聞けばいいじゃん
232 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 11:30:41 ID:Dl+2zNMc
>・関白の約束をした連判状は信憑性と実行力が疑わしく、小早川がそれを信頼するとは思えない
あ、これも勘違いしてる
連判状自体の信憑性ね、写ししか存在がなく、書式や連判状の署名・形式から偽書の疑いは昔からあるって話
そして直江状みたいに似たようなのがあったとしても、実行力等や三成と秀秋の今までの関係上、信用されないって事
233 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 12:24:01 ID:FdLWtXYv
つーかお前が誰か知らないが、別に個人に限定して書かれている訳じゃなくね?
どっから説明するかは、説明する方が相手を考えて決めるもんだろ。
そうしたつもりなんだろうけど、噛み合ってない時点でそれは説明不足ということになる。
色々言いたいにしてもその視点が欠けすぎ。
一方的に発言するつもりなら別にいいけどさ。
でもお前一人のスレじゃないよ?
お前が相手にしてる方(
>>220とかか?よくわからんが)も悪いとは思うが、
一々ムキになって反論しすぎ。
ちなみに大多数の人は、小説レベルの知識だと思う
とりあえずあなたがよく知ってそうなのは「雰囲気で」よくわかったよ
詳しい内容は何も伝わってないと思うけどね
234 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 13:16:49 ID:V5roLs8t
>>230 頭混乱してきてたから助かりました。ありがとうございます。
235 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 14:39:50 ID:Dl+2zNMc
>>233 >説明する方が相手を考えて決めるもんだろ。
だから相手決めてるんだが
本人ならともかく外野から説明不足だ何だと言われたら、
何を説明すりゃいいんだと答えるのは当たり前だと思うが?
詳しい内容なんか何一つ書いてないのに伝わってないと言われてもねぇ
つか、何をもって「詳しい内容」なんだかさっぱりだ
小説レベルの知識と言われても、司馬遼の関ヶ原読んでるぐらいなら、福島らが尾張についた時の状況は書いてある
だから初歩的なと書いてるんだが、その「小説レベルの知識」も無さそうな相手にゃどーすりゃいいの?
236 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 15:20:06 ID:FdLWtXYv
何だよ今度は俺かよw
「詳しい内容」ってのはまぁ、キミの言うとおりかもしれないね
「どの程度の説明が必要か」というのは、相手の知識レベルを考えて話す方が決めるべき
って言いたかったんだが(この場に限らないけどね)
「慶長記から抜粋した文持ってきた相手に〜」って言うのはその通りかもしれないけど
少なくとも相手が納得してないから
説明レベルを落とすとか口調を改める必要があったな
キミがちゃんと納得いく説明したらスレの住人も「なるほど」ってなるんじゃね?
それでも相手がタコすぎると思ったら無視すりゃいいじゃん
あと話が伝わらないからって、そうすぐ怒んなよ
「どっちが喧嘩吹っかけてるか」とか厨房じゃないんだから(厨房か?)
「外野」とか言ってキミのスレじゃないって言ってるじゃん
喧嘩なら余所でやってくれ
すまんこれ以上は脱線しすぎだから俺は消えます
237 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 15:36:28 ID:Dl+2zNMc
>>236 >少なくとも相手が納得してないから説明レベルを落とすとか口調を改める必要があったな
相手は納得とかの前に、詳細聞いたら消えたんですけどねw
相手が状況わかってて納得してないなら、詳細な内容書いて説明でもする
でも状況わかってるかを、はぐらかして答えず、どこぞの三流作家みたいに一文だけ抜粋して、
さもそれらしい事書いて誤魔化そうとするような輩だったから、どの程度の知識か聞いて、
それを基に答えようとしたんだけど、案の定・・・
>キミがちゃんと納得いく説明したらスレの住人も「なるほど」ってなるんじゃね?
何度も書くけど、姿の見えない不特定多数相手の納得のいく説明なんて、
原文抜粋から関ヶ原に至るまでの諸将の人間関係などなど、とても数レスでは済まんよ
それが君の言う「小説レベル」なら尚更だ
つか読んで見てわからなければ聞けばいいし、自力で調べる気あるなら、概要ぐらい把握するよう努めるでしょ?
それすらない、何がわからないかわからない人に説明する術は持ってないよ
あ、あとな怒るなよとか意味ワカンネ、別に怒ってねーのにね、呆れるトコは多々あるけど
リア厨でもわからければ「わからない」、知らなければ「知らない」と言うのにね
無知の知を知らない輩が大杉
238 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 17:59:10 ID:xhKPaW/U
論点がずれまくっとる
239 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 18:02:33 ID:yFB8OBXr
大河みたら、秀吉の横で腕組みしてるアホが三成だった。
いくらなんでも酷すぎると思った。
240 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 20:55:57 ID:QuOFkrXx
お寒い流れになってきたな
いきりたってる方は三成っぽいな、こういう人物だったのかも試練
そういう意味では実にこのスレらしいといえる
241 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 21:06:09 ID:mVCsiScH
石田三成についての面白い本でおすすめなのって何かある?
242 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 21:40:16 ID:2gBRt5ci
>>240 三成ってそんなに怒りっぽいか?
三成襲った理性の欠片もない筋肉脳の連中より
はるかに冷静沈着なイメージがあるよ
家康のところに庇護を求めに行くなんて
自分の立場も家康が敵役として
自分を必要としている腹の内も
分かっていたのだろうし
ただ馬鹿は大嫌いで許せなかったのだろうな
243 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 22:16:02 ID:UXSQ38PG
例の彼は「怒ってない」って言ってたよw
働いてない人はわかんないかもしれないけど
すぐに人にかみついたり、上げ足ばっかとってるような人が
いい感じに出世できるとは思えん
>ただ馬鹿は大嫌いで許せなかったのだろうな
確かにこういうイメージはあるけどソースあるのかな
244 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 22:45:50 ID:yFB8OBXr
245 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 22:56:43 ID:2gBRt5ci
>>242 ソースと言われても三成自身が馬鹿は嫌いだ!と
記した訳では当然ないから
あくまで個人的な想像だよ
現に超エリートでDQN好きな人は少ない
筋肉脳達が聞く耳を持たず目の敵にした
事実からしても、やはり三成はそういう輩を
毛嫌う態度をうまく隠せない人物だったのでは
ないかと思う
人間関係ってよく鏡に例えられるからさ
246 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 23:18:59 ID:2gBRt5ci
247 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 23:34:38 ID:UXSQ38PG
>筋肉脳達が聞く耳を持たず目の敵にした
っていうのは関ヶ原の時のこと?
これは三成嫌いだったというより、徳川に近づきたかったという見方もあるよね
三成襲撃はその手土産とか
俺は史料とか詳しくないからわからないんだが
一般に言われる三成の性格が端的にわかる一次史料があるのかと気になった
248 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 00:17:06 ID:l5+kMSNR
個人的なイメージでは馬鹿が嫌いなんじゃなくて、規則を守らなかったり怠けたり
利権狙いに手心加えるような輩が、どうにも許せないタイプじゃなかったかと思う。
すぐに怒るってイメージはないな。多分そんなイメージがあるのは
後世の徳川史観で作られたような、秀吉の虎の威を借りた狐三成的なものの
弊害かな?
保身を省みないような温情ある行いも実際はしてるようだし。
249 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 05:45:59 ID:hkTMLax1
清正の逸話と比べたら、人間味のないポンコツ
250 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 08:32:49 ID:tVKY0bbq
>>249 「正々堂々と勝負しろ!」と相手に槍を捨てさせた後、自分は槍を拾って
相手を突き殺すような人間味のある勝負は、確かに三成はしないだろうな。
251 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 09:00:46 ID:vIGMfyuF
兵は詭道なり
252 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 09:01:55 ID:eZY6BEPz
・自分が理解できることを他人が理解できないという現実が理解できない
・能力が劣る人間は努力が足りないと思っている
・馴れ合いよりも正義を選び、正論一本槍で仲間内から浮きまくる
という人物像がなんとなく浮かぶなぁ。
連想ゲーム的に考えると
・飲みニュケーションなんて不要。仕事とプライベートの線はキッチリ。
・仕事ができない同僚は遠慮なくこきおろす
・自分の決断は絶対で他者、特に同格・目下の者の意見は聞き入れない。
こんな感じの人だったんじゃないかと。
団塊のわからずやさとゆとりの空気読めなさが合体した感じ
253 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 09:13:01 ID:Gd1jmARQ
正論一本って言うけど小西と慣れ合ったりしてなかったっけ
朝鮮の事だったかなんだかで
254 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 13:52:06 ID:hkTMLax1
清正と比べたら二枚舌の小物
255 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 14:20:04 ID:gpPVAW3T
清正ファンがいるなぁw
>>252のような人物だと仮定すると
本当に自分の才覚だけで(しかも人間性を除いた)、出世していったことになるね。
さすがにそれは言いすぎじゃないかと思っていて。
奉行のような、政務の仕事は少なからずコミュニケーション能力は必要になると思う。
色々な要因があり、それだけでは決められないが
三成が豊臣政権との橋渡しを担当したり、検地を担当したり、
職務が一緒だったり、親戚筋など三成と関わりがある人物(上杉、島津、佐竹、大谷、小西、真田)が
西軍に着いたのは面白いと思う。
>馴れ合いよりも正義を選び、正論一本槍で仲間内から浮きまくる
これはまさにそんな感じだよね
256 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 17:24:56 ID:J/hszUpZ
>>255 その正義が豊臣家に限定したものであったのが問題
家康の家臣みたいに叱りつけるが如くの諌止はしていない
そういう事がないから所詮は官僚
257 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 17:40:23 ID:VsQDIVAl
まあ秀吉の場合、自分を叱り付けるような家臣を容認しないからな。
そういう風通しの悪い中で育ってきたのが三成だから、ある意味しかたがないとは言える。
258 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:04:13 ID:d6rFlYmS
秀吉の晩年はもう何を言っても駄目だろう
下手すればヌッ殺される
259 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:17:12 ID:nqzm0hwZ
今年の大河の三成なら秀吉叱ったりするんじゃない?
なにせ腕組みしながら話聞いてるもんなあ
260 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:21:01 ID:VsQDIVAl
>>259 あの三成ならぬっ殺されても何の同情も沸かない。
ハッ!そう言うNHKの深慮遠謀か!?
261 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 20:12:34 ID:tiaiKya+
一話のみで最悪な印象を与えたな、あの三成
262 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 10:11:06 ID:nXRmMxFf
あれは普通に考えればありえんよな
263 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 22:11:07 ID:NlOis5Vr
主人公の友なんだから
どこかで必ず見せ場はあるはず
264 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 23:11:03 ID:EIMeb8IU
あの三成のままなら御免こうむる
265 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 23:22:06 ID:SFPqod9w
あの三成ならなるべく早く退場していただきたい
266 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 15:09:15 ID:e/s7dY6H
俺もあの三成はキツイ
ゲームのイメージとかやめて欲しい
267 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 15:19:23 ID:IpCq9Sps
なんのかんので大河の三成では、葵の、江守徹の三成が一番よかった。
忠義の臣や、硬骨の官僚と言うだけでなく、政治家としての三成の風格が出ていたのは、個人的には
アレだけだったと思う。
少なくとも今回の三成には、天下を二つに割った大戦の一方の主催者になれるような器量は
とても漂ってこないわな。
まあ、それは秀吉にもいえるんだがw
268 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 19:59:43 ID:Vf5qK/Cg
「天地人」での第1回の三成の髪型がおかしいと言う輩がいるが、あの髪型は正しい。
戦さの時にはマゲの紐をほどいて、兜をかぶる。
だから「常在戦場」の心がけなら正しい。
これは余談だけど幼い与六(兼続)を演じた「加藤清史郎」君(7)。
今週、にわかに女性に人気が出ている模様。名前からして戦国武将みたい。
269 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 20:21:21 ID:6iraz6SQ
ドレッドヘアは戦国時代にはないだろ
ありゃ絶対に変です
狂ってます
ゲームの方がマシですよ
実在の兜をデフォルメしたものですからね
270 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 22:14:10 ID:zbZUa7qV
>>268 いや、突っ込むところは三つ編みだからw
271 :
たられば君:2009/01/14(水) 22:25:36 ID:OXz/QPdM
森乱丸
石田三成
松平信綱
似たようなイメージとそれぞれ異なる結末
272 :
人間七七四年:2009/01/14(水) 23:23:11 ID:9Snwa/5L
三成といえば加藤剛
273 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 07:36:40 ID:yQU9QhLH
俺が初めてみた綺麗な三成かも・・・それまでは悪い奴ってイメージがあった
274 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 10:51:43 ID:poog1uHY
今の三成だってそのうち何度も
カッコイイ見せ場を作ってくれるさ…(T-T)
275 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 11:45:23 ID:X2eGdKiZ
すまんが秀吉敬ってない三成なんていりません
276 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 12:53:40 ID:2qqbbsLW
どーせ誰がやってもある程度は格好よくなるよ
関ヶ原で負けて首飛ばされるんだから
誰がやったって悲運の将になる
だから今回も「最初は?だったけど慣れるとイイ!特に後半なんか涙が〜」
なんて意見が噴出するに決まってる
それを見越した上で言わせて貰う
「腕組編みこみ三成は糞だ」
277 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 16:01:55 ID:SWyi5VvV
石田、大谷、直江なんでこの3人御仲がイイの?
278 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 18:14:16 ID:uDwgQNq8
>>277 三成と吉継は、同僚としても仲がよかったと思われるが、
兼続はこの両人と、友人といえるほど仲がよかったとは思えん。
279 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 18:53:54 ID:SWyi5VvV
佐竹の殿様も親交あったな
280 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:01:09 ID:uDwgQNq8
直江の場合、関が原の後は本多正信、正純親子のラインに密着するし、
最高権力者の側近との関係を築くことが、直江流の政界遊泳術だったんだろう。
281 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 19:10:19 ID:eE7LhFB7
>>278 会津への国替え
佐渡金山
石田三成の取り成し
282 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 03:53:14 ID:mE+tcJOX
バンチの義風堂々ではどう描かれるのか楽しみ
283 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 08:31:04 ID:nXOpu2ym
花慶の才気走るけど男義のある奴になるか奥山ポジになるか直江同様破天荒になるかどれか
284 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 11:09:44 ID:zQWDn/qH
関ヶ原(というか家康討伐)は宇喜多が言いだしっぺで、
三成とかは後から乗ったっていう説あるけど、どうなの?
慶長五年七月五目(三成決起前)の出陣式が根拠と言われるが
それじゃ、宇喜多一人でやる気かよwって感じで。
285 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 13:42:39 ID:jMr0b1pv
6月20日付直江宛三成書状に、
「内府方、一昨十八日伏見出馬ニテ、兼々調略任存分、天ノ與ト令祝着候、
我等モ無油断支度仕候間、来月初、佐和山罷立、大坂可令越境候、
輝元・秀家其外、無二ノ味方ニ候、弥可安御心候、其表手段承度候」
とあるから違うだろ。
宇喜多は、やる気満々だが、
前田・上杉の次は自分がやられる番だという危機感があったのかな。
286 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:14:24 ID:zxy5hOHw
>>284 宇喜多と三成たちにはある程度の連絡はあったんだろうけど、宇喜多が勢いで
突出してしまって、三成たちもそれに引きずられた、って事のようだが。
287 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 18:13:36 ID:mZg/xzmU
宇喜多は若いからなぁ
288 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 18:38:50 ID:jnjTi/tN
>>285、
秀家はその前に家臣内紛の一件で「家康にやられた」という
意識があったのでは。よく小説であのお家騒動の黒幕は家康
と書かれている。黒幕説の経緯はわからんが
289 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 18:46:50 ID:zxy5hOHw
>>288 宇喜多家の内紛が、結果的に家康に有利に働いたことから類推された、
はっきり言えば邪推ですわな。>家康黒幕説
290 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 18:56:18 ID:jMr0b1pv
宇喜多勢1万8千がもう数日早く美濃に来ていれば、岐阜失陥は避けられたかもしれん。
291 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:36:35 ID:ietnB3HZ
西軍は大将らしい大将のいない烏合の衆だから
宇喜田が先か石田が先かもないんじゃない?
各人が各人の思い通りにバラバラ動いただけだと思うよ
292 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 20:02:42 ID:jx51QAza
各々がバラバラはいいすぎだろ
それじゃ私闘になっちゃうし、勝算なしに挙兵するほどみんな馬鹿なのか?
>>285の書状で石田-上杉-毛利-宇喜多ラインできあがtってること証明されてるし
烏合の衆ってのはその通りだよね
強力なリーダーがいたらまた違かったんだろうか
宇喜多は坊ちゃん、毛利は愚鈍。
西軍をうまくまとめられて、戦略ミスも発生させないのような
大将格はいたのか?
293 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 20:07:22 ID:zxy5hOHw
>>292 この時代の武将の手紙は、自分の勢力に関しては大げさに言うのが決まりみたいなものだからなあ。
そのラインが実際に出来上がっていたのかどうかは疑問だ。
294 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 22:49:33 ID:mpDX7JlV
>>285の手紙だと、既に一度、家康挙兵→(後の)西軍挙兵の件が共有されていたように見える。
それ以前 石田と上杉間で家康討伐計画の共有
6/18 家康出馬
6/20 直江宛三成書状
7/5 宇喜多出陣式
7/11 石田&大谷挙兵
7/16 輝元正式加入
という流れか。
確かに、実のところは「毛利と宇喜多は何としても味方につけるからそっちは頑張れ」って感じぽいね
ほぼ参入決定だったかもしれないけど
295 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 15:37:52 ID:8dFBTIPn
>>292 秀吉や官兵衛に人物を認められた小早川隆景が
生きていれば毛利一族の行動も西軍の運命も
全く違っていたはず
少なくともあんな中途半端な行動して
何もしないまま国を削られるような間抜けなマネ
はさせないだろう
西軍の最大の敗因は総大将が出てこず
全く戦わなかったこと。
家康は出て来てるのにさ
296 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 15:53:56 ID:IIVbzOSB
「別にオレが主導したわけじゃないし、結局最後まで三成って信用できなかったんだよね〜。」
毛利輝元
297 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 16:42:13 ID:ojgLtcZC
三成って佐竹に保護され秋田に逃亡した説が秋田にあったよな
298 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 18:48:57 ID:IIVbzOSB
大河で兼続が、三成の無二の親友にされたことについて。
299 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 18:51:02 ID:WcpNpSFn
>>295 隆景が生きていたら西軍についたかどうかわからんし
あるいは第三の軍を作ったかもしれない
あと何もしなかったから国を削られたんじゃなく
積極的に行動したから削られたんだぞ
西軍の最大の敗因は三成が自分主導で行動したからだと思う
関ヶ原でも毛利一族に相談せずに戦うことを決めている
総大将が出てこなかったのも敗因の一つだがその総大将を
蔑ろにしている三成も敗因の一つだと思う
300 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 19:27:46 ID:8AMzxQPF
そもそも隆景生きてたら家康は動かんだろ・・・
301 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 19:30:58 ID:IIVbzOSB
よく関が原系のスレで見るけど、「西軍側が状況が(有利に)変わっても、
東軍(家康)は史実どおりに動く」って都合のいい考えは、どっから来るんだろうな?
302 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 20:08:48 ID:87omZ9YL
すまん大将論ふったの俺なんだがそんなつもりはない
「家康に対抗できるリーダは日本にいたのか」
戦局とか無視して、そこだけ意見を聞きたかったんだ
303 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 20:36:53 ID:VWEq5+cQ
304 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 21:02:06 ID:AUf1LL6/
そもそも隆景存命時は徳川・前田じゃなくて徳川・毛利&小早川だった。
それが隆景が死んで徳川・前田体制になったわけで、
それだけ隆景は秀吉の信任が厚かった。
利家が生きていた時でも行動を抑えられたのに、
隆景が生きていたら尚の事家康は動けなかっただろう。
ま、所詮タラレバだけど。
305 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 21:26:23 ID:KKi+qsYW
隆景は天下権力に興味ないし前田のように領地の維持を保障してやれば
秀吉に対してと同じように家康に対しても特に逆らわずに下るだろうから
別にたいした障害じゃないだろ
306 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 21:32:23 ID:IIVbzOSB
隆景が天下に興味あれば、本能寺のとき明智と連携とって秀吉挟み撃ちにして
滅ぼしてますわなw
まあ、隆景は生きていても路線としては、家康の路線に従う、吉川広家のものに
近いものになってたと思うぞ。
307 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 02:51:08 ID:ex1rOK/E
>>299 やる気がなく現場にすらいない総大将に
いちいち伺いたてられるかよ
三成が自分主導というが
三成がでしゃばらなかったら誰が指揮とるのよ?
他人がやらないから三成が主導せざるを
得なかったんだろうに
308 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 02:54:05 ID:l5tr0/wY
>>298 画面に向かって思わず「大谷は?」って言ってしまった
309 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 03:36:02 ID:qWyts3uw
人柄はともかく大谷もたった5万石だしなぁ……
でしゃばれんだろう
そういえば一応軍事面での大将は宇喜多だったっけ
宇喜多が三成を制して仕切れなかったのかな?若かったからだめ?
310 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 07:58:14 ID:pGQA0bZR
>>307 朝鮮出兵の時に現場にいない秀吉にお伺いをたてるように求め
現場の判断で行動することを最も許さなかったのは三成だよ
その三成が自分主導で戦おうとすれば反発する大名だって出てくるだろう
311 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 08:12:05 ID:wOHeWSKs
俺の中で
秀吉→小泉純一郎
宇喜多→地位が高くなった杉村太蔵、もしくは孝太郎
家康→小沢一郎
みたいなイメージなんだが
宇喜多に賭ける気にならん
312 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 09:39:26 ID:Op3/xtuR
領地といい実績といい三成や秀家何かよりは安定感というか安心感があんだよなぁ家康
秀家は内紛起こりかけたし三成は立場と行動のせいで個人的に親しくもなければ味方したいとは思えない
という感じだったのかね?関ヶ原の東軍諸大名の皆さん
領地足りないけど対抗馬になれそうなのって如水位だべし
313 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 11:46:29 ID:9FrlZnl3
長政「俺の立場と自分の年齢考えろよ・・・」
314 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 15:37:27 ID:ex1rOK/E
>>310 だから三成の要請通り輝元が出てくれば
三成がでしゃばる必要もないだろう
関ヶ原西軍最大の敗因は
輝元←こいつ
315 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 18:53:12 ID:y4QRzovm
輝元が来てもでしゃばりそうだけどな
関ヶ原で西軍が負けた責任はその関ヶ原で戦うことを決めた三成たちにある
勝ったら自分たちのおかげ負けたら他人のせいにするそんな性根だから負けたんだろ
どんな結果になろうとも自分でおこなったことなら自分に責任をもつべきだ
316 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 19:46:08 ID:T5eAcWVY
まさに西軍厨と三成儲が無知と恥を晒すスレだな
317 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 23:35:53 ID:uB5NnQt4
>>314 輝元は織田軍との戦いでも自分が直接出陣することはなかったし
戦に関しては吉川・小早川に任せきりの状態だったんだから
出陣しろと言うほうが本当は無茶な話なんだよ
家康だって輝元の出陣がないことは読んでいただろう
318 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 23:37:35 ID:8evvgIeQ
>>305-306 隆景に天下への興味があるかどうかは問題じゃない。
利家だって存命時は家康の行為を抑えてるしね。
二頭五奉行体制は一方に権力が集中しないようにする為の体制で、
余程の事が無い限り普通はその職務を遂行しようとするだろう。
家康が豊臣公儀を専横しようとすれば、それを快く思わない人物が少なからず現れる。
仮に隆景自身が積極的に動かなかったとしても、他の大名達からの要請があれば
豊臣公儀を代表する立場として動かざるを得ない。
山崎の合戦の後ですら本能寺の変の正確な情報を得ていない毛利が
明智と連携して秀吉を挟撃するなんてのは無理がある。
319 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:04:32 ID:IZTpRV59
>>318 権力に興味がない人間に家康と戦うなんてリスクのある行動は取れないよ
職務遂行なんてものだけで命と家なんか賭けられない
隆景自身が権力を握りたいという欲求がなければ結局は家康に下る
前田みたいに戦うふりをして良い条件を引き出すという戦術を取る可能性があるが
家康を倒すなんて危険な行動には移らない
320 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:08:22 ID:/HHeI23s
だいたい隆景には、天下を狙わず家を保全せよという毛利元就の遺命がある。
だから秀吉に従ったし、それが家康に代わっても隆景にとってはさほど重大なことではない。
こういっちゃ何だが、小早川隆景にとっては、毛利宗家>>>>>>>>>>>>>>豊臣政権
ですよ。
321 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:36:00 ID:nN8koUna
>>318は石田三成型
>>319は前田利長型
どっちもありだと思うけど
>隆景自身が権力を握りたいという欲求がなければ結局は家康に下る
ここがそうなるとは断定できないかと。
秩序を守りたい人とか、同列(
322 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:45:45 ID:VlComswD
隆景は利長型だと思うよ・・・。
関ヶ原の時に存命なら、吉川広家よりはもうちょっとうまく立ち回っただろうし、
もちろん家康も戦後処理で気を使っただろうけど。
隆景自身は家康をどう思ってたんだろうね?それ次第じゃないかな
俺はトーシロだから「隆景が家康をどう思ってたか」ソースを知らないんだがどうだろう
323 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:48:00 ID:/HHeI23s
家康をどう思ってたかは知らんが、「安国寺に引きずられないようにしろよ」って、言ってたって
逸話は残っているな。
324 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:54:54 ID:HMSWSY+R
>>319-320 あのね、家康と命を賭けて戦う必要は全く無いわけ。
家康の法度違反が横行すれば、それを阻止しようとする動きが必ず現れる。
隆景が率先して家康の行動を抑制しようとしなくても、
豊臣公儀を代表する一人として、その旗頭にならざるを得ない。
利家と同じようにね。
それに家康がいきなり自分と同等の権力を与えられた
毛利+小早川を自分の下に組み敷こうとするとは思えない。
先ず家康は自らの勢力拡大を図るだろうが、自家保全を最優先とするなら
対立候補である自らに矛先が向く前にそれを阻止しようとするのが自然。
そういう立場にあり、それを望む者が出るなら尚更。
対等な立場にあるなら自ら進んで軍門に降る必要も無い。
325 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:16:50 ID:/HHeI23s
たられば
326 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 03:13:22 ID:znCUztXT
法度違反を先に犯したのは三成含む3奉行と毛利輝元でしょ。
秀吉死後9日目に制約交わしといてよく言うよ。
秀頼のもり役前田利家に、合津転封以来ツーカーの仲の上杉、これに毛利輝元と
誓約じゃ包囲網丸出し。 他に宇喜多、佐竹も秀吉政権で優遇された勢力だし
家康としてはやむ得ない自衛的な婚姻政策。 性急に家康を締め付けに掛かったのは
三成だろが。
327 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 06:59:56 ID:QUpA5ipA
家康にも三成にも積極的には味方しねぇんじゃねぇかな?仲裁しようとはするだろうけど・・・
328 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 08:40:53 ID:vIQ8aatj
輝元よりも大加増を餌にして、伊達や島津の外様を大阪城に入れた方が・・・
329 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 11:48:15 ID:DULduAaJ
島津はまだしも伊達はw
330 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 11:49:08 ID:tlXNn7ZJ
>>327 ことが起こる前ならそれでいいが
三成が兵を挙げた後も隆景がそうだと
いずれにせよ毛利は勝った側から
国を奪われるだろう
それじゃ吉川より酷い
331 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 13:45:25 ID:QUpA5ipA
毛利が三成に付かないなら挙兵しようがねぇだろ?
秀家だけじゃ旗頭としては弱すぎるし景勝は領地が遠すぎる
史実通り上杉征伐が起きたとしても西軍の母体になった畿内の征伐軍の実質的指揮を取るのは隆景になるだろうし
五奉行時分ならともかく一大名に落ちた三成の言に従う理由が無い
宗家を守る事を考えるなら勝てれば良いが負ければ総てを失いかねないハイリスク過ぎる賭けだ
つーかね乱が起きる事前提に物考えるのは間違い
332 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 15:21:11 ID:/HHeI23s
典型的な「if歴史は三成に都合よく回る」設定。
もっと悪くなる可能性も十二分にあるのに。
333 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 17:33:32 ID:TPWcEGQM
家康が天下を握ろうとするならば相手が誰でも乱を起こすしかないんじゃないか
長寿だったのは結果であって、余裕で構えていられる年齢ではない
関ヶ原は復権したい三成と力を見せつけて武家の頂点に立ちたい家康
お互い負けても恨みっこナシ的なアレすら感じる
334 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 22:51:49 ID:AovkUA2Y
隆景だの利家だのが生きてたら、間違いなく豊臣政権を代表するのは彼らであって
三成が勝手に兵を挙げるだなんて事は有り得ない。そんなのはただの謀反。
335 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 23:59:08 ID:nN8koUna
話噛み合わねぇなw
とりあえず、毛利、宇喜多、石田辺りが頭のようでは、
そうそう家康には勝てないって意見が大体?
実力に加えて、年季、実績がやっぱ大事だな
三成はどこに勝機があると思ったのかな
336 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 01:07:05 ID:alZoFDyL
輝元が出張ってきただけで勝ち目が出てくるよ
いくら能無しだろうが毛利一族がすべて主戦力に
なって裏切り傍観は不可能になるからさ
337 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 04:13:27 ID:LzyZtnm1
ちょっと待て、隆景はもう三原に隠居の身で大老も辞めてるだろ。
その時点でどれだけ中央政界に影響力があったか?
せいぜい如水程度だろ。
338 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 08:09:31 ID:qzdo6s/u
>>336 輝元が出張っても三成が更に兵力分散するだけじゃねぇか?
出張らなくても兵力あったのに分散しちゃって関ヶ原の時は多少多い位しか用意出来なかったし
339 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 08:25:32 ID:MMwHvJ51
家康を向こうに回してまともに勝負できそうな武将・・・
上杉景勝と島津義弘ぐらいかな。
結局、信長〜秀吉時代を自力で生き残ってるやつじゃないと
家康に比べてあきらかに見劣りするわけじゃん?
毛利が大坂城、前線の総指揮は島津義弘だったら・・・ぐらいか、可能性がありそうなのは。
毛利は120万石、島津は60万石、西軍諸将の中では所領もトップクラス。
ただし島津が兵力を充分に、少なくとも8千から1万ぐらいは率いてないとなあ・・・
結局たらればをここまで積んでも家康とは四分六分。
吉川と小早川が静観で五分、西軍として参戦でひっくりかえるか。
340 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 15:04:51 ID:UDVM8fPN
加藤清正>>>>>西郷隆盛>無能石田ゴミ成は確定
清正は勝利者
無能石田はゴミ成り
341 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 16:11:34 ID:3ORHBaIb
清正(笑)
342 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 19:05:42 ID:UDVM8fPN
ゴミ成(笑)
343 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 20:22:48 ID:lvGR/rMW
三成儲もアレだけど、石田三成を無碍に扱き下ろすアホはそれ以下だな
344 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 20:58:45 ID:3z6r85iX
「コイツについていけば生き残れる」って思わせることが大事なんだよな
その点家康の安定感は抜群。
>>339は景勝を挙げたけど
そんなに影響力あったのかね
345 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 23:21:03 ID:gjol2pD3
もしも小早川隆景が関ヶ原まで生きていたら
徳川が前田、上杉と大老を続けて標的に事を構えて
次は毛利と誰でもわかるし
実際の関ヶ原で、西軍の旗頭になったのも、次は俺か?の危惧がそうさせたと思う
隆景は積極的に西軍に参加したと思うけどね
元就の天下狙うなと言われながらも、織田が攻めて来たら自家防衛のため立ち上がった同じように
関ヶ原も同じように自家防衛のため、徳川と闘ってたと思う
短期戦でなく長期戦に持って行く作戦を提案していたかもね
岐阜ぐらまでを固め、輝元か隆景のどちらかが戦場まで来ていたでしょ
毛利も2つに分かれる事も無かったろうし
西軍の兵力も、もう少し増えていたかもね
家康も動けず、大垣城あたりで膠着状態
秀秋も養父の隆景がいるので、普通に西軍参加
大垣城無視して関ヶ原へ西進なんてしなかったでしょ
じゃあ勝敗はどうなるか?東軍の圧勝ではなく、ちょい勝ちぐらいの結果かな?
一部の西軍の大名が潰されて、東軍参加の大名に振り分けられる
毛利は安泰、上杉は所領一部没収
徳川毛利が、東日本西日本の探題のような感じで存続
とまあ勝手な瞑想を書いてみました
346 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 23:40:56 ID:7YkAEOgj
>>344 >>339だけど、そもそも家康と五分の対抗馬なんていないだろう、という話。
居るとすれば毛利のみ。
上杉をあげたのは、二代分で上杉家を見てるのと、
景勝の代でも北条・徳川とやりあってる、と評価して。
毛利をあげたのは、中国の覇者という面
本能寺までは織田とやりあっていたという面
輝元・隆景(存命時)と、一門から二人も五大老に入っている面を考えて。
島津をあげたのは、敗れたりとはいえ秀吉の九州征伐に抗戦したのに
結果として本領は安堵されているという部分、
また朝鮮の役に参加した大名からの評価は高いだろう、という部分を考えて。
如水とかは家康にとっては脅威ではないと思う。何しろ遠すぎるし、石高は低いし。
如水が関ヶ原前後に九州でがんばっても、九州全域なんてとても支配できない。
なにせ九州には加藤・鍋島・島津と気合入った大名が多い。
中央でケリがついてしまえばなんとでもなる。そもそも息子は自分の犬だしw
347 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 23:49:02 ID:qzdo6s/u
遠いのは上杉も島津も同じな件
348 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 00:13:08 ID:uv+ZIcDH
あれっぽちの身代で、よくまぁ関が原まで持っていけたもんだ
いくら太閤生前の実力者とはいえ、太閤死んでるしw
自分もあっさり失脚させられたし・・・
ハッキリいって清正、正則クラスとは比較にならないと思う
349 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 05:46:11 ID:gVOy1S1G
>あれっぽちの身代で、よくまぁ関が原まで持っていけたもんだ
あれは三成一人だけの力じゃない
>いくら太閤生前の実力者とはいえ、太閤死んでるしw
それが生きてくる限界の状況が関ヶ原の時までだったんじゃないかと思う
350 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 06:05:41 ID:gMUqRO+Y
だいたい豊臣家の求心力自体、秀吉の内外での失政のおかげで
秀吉の生前から下がりっぱなしだったわけだしな。
351 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 09:53:00 ID:xqNTw7Bk
>345
三成はきっと次は毛利が狙われると言って、毛利を西軍に誘ったに違いない。
仮に隆景生きてても、家康排除に動いても、排除出来る可能性は少なく、長期戦って言うのは
そのまま戦国時代に戻ることを意味している訳でしょ
ちょい勝ちとか消耗戦になったら長引くよ、どっちが勝ってもさ
五大老とか五奉行の秀吉が残した制度は、残念ながら秀吉が死んだ瞬間から、迷走してしまったね
三成は4大老対徳川の図式に持ち込めば勝てると思ったんだろうが、五大老なんて制度だけ
徳川が頭一つ二つ抜けている、やはり、秀吉が死んだ時から、天下人は家康だったんだな
352 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 10:30:29 ID:t1fPMvG0
ここまで三成に有利な(都合の良い)たられば話が出まくってるのに
家康に勝てる気が全くしないっていうのがなw始めから家康に勝つなんて無理だったんだ
353 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 10:33:49 ID:FHEan/Zi
関ヶ原の戦いの推移を見る限り、決定打はやはり小早川秀秋。
三成は家康にもう一歩のところまでは迫ったということではあるんだろう。
354 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 11:01:17 ID:gXluy1bW
>>353 関ヶ原に西軍が移動したのが自己の意志なのか、家康に乗せられたのかは
不明だが、敢えて場合によっては南宮山や松尾山に包囲されるリスクを覚悟
した上で、関ヶ原に進んだのは決戦を臨む家康の意志でしょう
三成はどちらかというと決戦でなく、対峙戦を臨んでいるようですし
この辺りで両者のイニシアチブは完全に家康が上位に立ってますな
まぁ、三成にそれを求めるのは酷ですが
355 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 15:11:58 ID:cTQ1wCUv
当代の英雄と五分といっても差し支えない状況まで持っていった
たいしたもんだと思うがなぁ
356 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 16:05:02 ID:xqNTw7Bk
関ヶ原の構図を見ると、結局は豊臣譜代の権力争いなんだけど
三成が当初利家やその死後毛利上杉を担いで行ったから
武闘派のが家康を担いで対抗したのか、その逆だったのか
357 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 16:35:23 ID:gXluy1bW
>>355 プランナーとしては良い腕していると思う
問題はそれを現実に対応させる点で、プランが上手くいかないと
それからの回復ができない点かな
それ以外は松平信綱に匹敵するかと
358 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 16:36:11 ID:Y58ObxAg
三成は秀吉存命から敵作りすぎだ罠。
359 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 19:41:17 ID:gVOy1S1G
>>357 失敗してるんだからプランナーとしてはだめなんじゃないか
三成のプランて自分にとって都合のいい感じで物事が進むことが前提でしてるよな
それってプランナーとして失格だと思う
360 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 19:51:33 ID:gMUqRO+Y
つーか三成の役割ってプランナーじゃなくて、秀吉と言うプランナーの下での
実務担当だしな。
361 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 23:11:38 ID:7dYUoFV9
三成のプランというのは全員が豊臣の意向に従って
豊臣の存続のため身を捧げるはずだという前提で成り立っているから
そういう常識が成立しなくなるとジリ貧になる一方になってしまう
362 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 23:17:05 ID:Uec9/ohf
>>359 >三成のプランて自分にとって都合のいい感じで物事が進むことが前提でしてるよな
家康だってそうだろ。
関ヶ原の布陣は裏切り前提じゃなきゃ危険すぎる
まあ天下掛けて命晒して博打に出ただけ三成も家康も凄いよ
他の連中はみんな将棋の駒だが、この二人だけ指し手。
363 :
人間七七四年:2009/01/22(木) 23:19:13 ID:gMUqRO+Y
家康は自分の軍の操縦に飴も使えばムチも使ったが、
三成は飴ばかりでムチは存在しなかった。
364 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 00:09:25 ID:alShoSve
>>363 三成はムチばかりで飴を使えない人間の方ではないか?
365 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 00:16:00 ID:Ih4yfLEl
それ以前に合戦下手だろ>三成
そんなのが作戦参謀やれば負けるに決まってる
家康が来るのさえ気が付かないほどの無脳っぷりだぞ
366 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 00:48:27 ID:l+D0bJkw
家康は自分の望む状況を作る為の努力を惜しまなかった
三成は自分の望む状況になると思い込んでいた
その差だろ
367 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 00:52:31 ID:S4q4DfSZ
結果論でモノを語るバカが多いスレと聞いて(ry
368 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 01:01:18 ID:rfpuU4lC
結果を出すのが三成の仕事だけどな。
369 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 01:37:10 ID:18rKsFyq
確かにアンチが誰でも知ってる事をエラソーに
上から目線で語るのはつまらんな
結果論でなくもっと斬新な批判なら
面白く読めるが
370 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 01:47:06 ID:rfpuU4lC
「北の政所三成加担論」についてはどう思う?
木下家が西軍に参加しているのは、北の政所による示唆がなければ、三成の説得だけでは
到底不可能だとか。
371 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 02:07:06 ID:586XoPap
>>370 石田と大谷が会談する前に、宇喜多秀家が戦勝祈願をしていた記録があるらしく
このことが宇喜多秀家主犯説を唱える根拠らしいのだが
そこに北政所が腹心の大谷の母を使わしてるらしい
そうなってくると、北政所共犯というより、主犯に近い感じがする
372 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 02:15:38 ID:rfpuU4lC
つーと関ヶ原後三成が首謀者として罪を全部引っかぶったのは、北政所を守るため、
さらに家康もそれに腹を合わせて、関ヶ原の影響を最小限に抑えた、
って考え方も出来るわけか。
373 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 02:27:48 ID:pQ0pE8md
北政所の側近の孝蔵主の一門も西軍に参加してるな
374 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 02:31:07 ID:rfpuU4lC
関ヶ原の首謀者が北政所だった、と言う視点で再構成してみると、色々面白いな。
輝元が大阪城を動けなかった理由が、淀一派の監視だったと見ることも出来る。
関ヶ原の裏面を空想できるね。
375 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 02:50:23 ID:EqcbRYAw
北政所が主犯に近いポジにいた可能性はあるかも
処分すると影響でかすぎてうやむやにしたと
実家筋の木下家の再興を二代将軍に頼んでるのを
家康が耳にしてえらく腹立てたとかなんとか
376 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 02:51:21 ID:586XoPap
>>372 主犯ってのは大げさな表現かもしれんが
北政所は大津城に開城するよう使者を送ってる
仲がいいと言われてきた加藤や福島とは実は疎遠だったり
血が繋がっている小早川秀秋との仲は、どうなのかわからないけど
実際、東軍に便宜を計ったようなものって聞いた事無いんだけどね
加藤福島に東軍付けと言ったとか言われながら、実は疎遠
実際思われているよりも北政所って、そんなに影響力なかったんじゃないのかな?
それも秀吉が死んで、さらに影響力縮小
西の丸を退去し、政治からも完全隠居体制になろうとしてたけど
家康が台頭する中で、やはり旦那がつくった豊臣政権が簡単に終わるとなると癪
たいした力は無いけど、できる範囲では協力を惜しまなかった
関ヶ原での敗戦後、家康も生かしておいても別に問題になる事も無いだろうし
殺してしまえば、これは後々マイナス面がかなり出るだろうし放置
尼になったのって、秀頼が千姫と結婚してからじゃなかったかな?
もうこの頃は政治的には完全に廃人
それと淀君とは、対立構造にあったわけでなく、協調体制にあったとう見方が最近の傾向らしい
大坂の陣の際には、何もできない忘れられた存在だったのかも?
と司馬の関ヶ原読んで、自分なりの関ヶ原感というのが植え付けられたが
ネットの世界で色々
「あれ?違うじゃん!」「価値観逆転」
を繰り返し、今自分が思う関ヶ原感ってのが上に上げた次第
377 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 02:52:36 ID:pQ0pE8md
家康が隠居後も秀忠が北政所や孝蔵主を保護しているから、三成方に加担してたとしても主犯ではないだろう
378 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 03:19:35 ID:586XoPap
>>374 関ヶ原の首謀者が北政所っていう小説は色々楽しめる題材に膨らむかもね
幼い頃、兄の息子があまりにも可愛いので養子にした秀秋
しかし大人になるにつれ、頭も悪く次第に疎んじられるようになった
秀頼も出来た事だし、北政所によって他家へ養子に出される秀秋
そして関ヶ原、北政所は秀秋に西軍に付けと命令
秀秋は頭の上がらない養母の命令に従うも
心の中では、疎んじられた過去が忘れられない
松尾山で戦況を見守る秀秋に、またまた北政所から使いが来た
「あたなは大恩ある豊臣家のため〜、秀頼公のため〜」
何度も何度も同じような手紙にヒステリックになった秀秋は
突然西軍に向かい突撃してしまう
戦後、北政所に何て顔を会わせたらいいか怖くてしょうがない秀秋
逃げに逃げていたが、しかし顔を会わせるはめになった
しかし全然怒ってない、北政所は笑顔で迎えてくれた。ほっとした秀秋
「まあお茶でも、お飲みなさい」
と積もる話を延々と、関ヶ原以降色々苦しかったものも溶け安堵し帰宅
しかし翌日、秀秋の容態が急変
吐血し顔が土色に変色、そして医師に見せる間もなく果ててしまった
大きく膨れ上がった胃袋には、毒薬を仕込まれた茶の葉が刺さっていた
379 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 03:59:14 ID:XGUj6OXB
つーか秀秋が小早川に養子に出されたのって、秀頼が産まれる前で
跡取りが産まれたから、ってわけじゃないんだよな?たしか。
秀吉が北政所に「もっとちゃんと秀秋可愛がりなさい」てな書状もあるみたいだから
どちらかというと可愛がってなかったみたいだし。
だから北政所が血縁だから秀秋可愛がっていて、裏切りを則したのも北政所、って説は
元々ピンとこなかったんだよなぁ。
北政所が西軍派説の方が自分的にはしっくりきた。
380 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 06:47:53 ID:iCGq/FAD
北政所は中立の立場だと自分は思うけど
清正や正則と仲のいいエピソードがないのは疎遠だったのか
それともそんなエピソードがなくてもいいほど仲がよかったのか
どちらかなんじゃないのか
逆に三成は疎遠だったから仲良くしようとああいった行動をとったかもしれない
381 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 12:27:19 ID:lxhmY4Yr
清正正則と疎遠だった件については、北政所が京に移った後の豊国社の参拝記録に
二人の名が長い事出てこない、つまり北政所に会いにいくなら参拝もしただろうから
会いに行った形跡がない?てのと、逆に二人が参拝してる時には、なぜか北政所は参拝してない。
その頃北政所は日参するぐらいの頻度で参拝してたようで、清正正則との接触を避けてるのでは?
っていう説からだよ。
逆に三成は娘を北政所の侍女に差し出してて元から親密だったんじゃないか?とか
三成の娘を北政所が養女にしてるから仲悪くないだろ、て話しもある。
382 :
人間七七四年:2009/01/23(金) 14:42:37 ID:lIO/4vCl
>>356 最近の研究じゃ毛利・宇喜多+3奉行の先制連合構想ってのが主流らしいよ。
冷静に考えて、家康が秀吉死後わずかって時期に露骨に縁談とかありえないし。
もうちょっと慎重でしょ。
383 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 00:39:18 ID:/MwngGh5
384 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 01:48:57 ID:6kBH3dxl
そういや三成と孝蔵主は縁戚だったな・・・
385 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 08:15:50 ID:M8QbYKIP
三成が自分の娘を北政所に養女にだしたから、意外と仲が良かったって説、最近聞くけど
だからって三成の挙兵を支持して西軍派ってのは、変だと思う。
家康を排除する為だけに身内の譜代同士で争うのを是とする訳がない
自分の家来筋が、地方の有力大名を担ぎ合って、決戦なんて、豊臣家の権威は地に落ちるよ
三成の挙兵で五奉行とか五大老とかは崩壊したし
家康が圧勝しなければ、かなり長い期間戦乱が続いたはずで
どっちが勝っても、全国を収める力は秀頼には無いのだから。
西軍が勝って、豊臣家執政としての三成が、収めるとしても、家康死んでても関東は
降伏するわけがない、秀忠の江戸攻め落とすのは難しい、可能だとしても、その間に
地方は戦国に戻ってる、それがまた豊臣家に従うかどうか
ここでも語られてるが三成が豊臣家の為に家康を討つってのは、三成坊くらいしか支持して
ない意見でわないかな?さらにそれを北の政所が支持するなんてなあ。
権力志向の三成の利害関係と、仏門に入った北の政所との利害関係は
かなり違ってると思うよ
386 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 08:42:41 ID:bVVFQFPE
もし関ヶ原で西軍が勝ったとして、
江戸を攻め落とすのが難しいだろうか?
大型大名はほぼ西軍か、どっちにでも転べるような参戦の仕方をしてる。
例えば伊達や最上なんかは、自分は上杉とはやりあってましたけど別に東軍じゃないですよとも言いわけできる。
上杉征伐は豊臣の命令で家康が総大将でしたよね?ってカンジで。
毛利輝は大坂から動かなくても総大将、毛利秀や吉川は形上は西軍扱い。
鍋島は父は東軍息子は西軍、なんとでもなる。島津は小勢とはいえ西軍。
前田も関ヶ原には直接参戦してないし、弟は大坂贔屓だから兄隠居で生き延びれる。
黒田は如水が九州で色々やってるから、西軍が勝ったら占領地を手土産に許してもらう。長政は廃嫡・謹慎だろうけど。
加藤清も関ヶ原自体には参戦してないので言いぬけ可能。
ちょうそかべ(変換めんどい)もなんにもしてないけど西軍。
家康は西軍大名に対して厳しい処分をしたけど、
三成(というか西軍首脳)はそんなに厳しい処分はできないはず。
許しようがない大名(福島、藤堂、細川ら)は潰すだろうが、あとはせいぜい減報ぐらいじゃないか。
で、残った奴らで江戸に攻め込んで250万石分け取り。
結城秀康は親豊臣のはずだから、例えば秀忠追討の暁には40〜50万石で徳川家を残す、なんて口説けば
秀忠の(その時点での)統率力じゃ徳川家は崩壊だろ。
たぶん地方は戦国時代には戻らないんじゃないかな。
英雄の世代最後の大名、家康を倒したら天下を狙う根性ある大名なんて居ない。
ただし、やっぱり旧東軍へ苛烈な処分を行おうとすれば戦国時代再来の可能性大だね。
伊達、黒田、鍋島あたりは気合を見せそうな気がする。
そういう意味では、三成の性格的に考えるとどうか・・・。「東軍参加した大名は全て改易!」とか言っちゃうのかな。
387 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 09:05:42 ID:H/Ul46rf
戦国時代には戻らないでしょ。
家康も関ヶ原で負けたら終わりだよ、よってたかって西軍になぶり殺される。
佐竹が動くだけでも2万動くしな。
問題は戦後処理でどういう体制になるか、誰が一番儲かるのかで形が出来上がる。
でも毛利・上杉なんてのが残ったら、いずれ第二の関が原が。。。という展開では。
388 :
人間七七四年:2009/01/24(土) 09:07:13 ID:KuwCqWmM
389 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 14:04:21 ID:HHJIFRfj
三成が好きな人は三成のどういう処に惹かれるの?
あと三成って本当に豊臣の為だけに関ヶ原起こしたの?
もし勝ってたら幼児の秀頼しかいなくても
その先の豊臣家って安泰だったの?
390 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 22:26:50 ID:u6bganoq
ぶっちゃけ豊臣家のためってのは怪しい。
まあ豊臣家のためって言うだけなら、家康の側もそう言っていたしな。
391 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 23:25:41 ID:m1XLRqVP
>>389 色々な意味でちょっと残念なところが好きだ。
392 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 03:09:16 ID:ABjyqsRj
いわゆる判官びいきで好きです
393 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 11:10:28 ID:+ymK2VKx
>>390 三成の言い分を否定する材料がない以上
それは完全な主観だよ
394 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 12:28:33 ID:MihyWage
肯定する材料も無いわな。
信じたい気持ちは分かるがね。
つーか、基本権力に執着する野心満々のタイプだろうに、三成。
395 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 13:08:01 ID:FCYdIYPi
自分の地位を守らないと
落ちぶれたらどんな目に会うかわからんから必死
396 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 14:05:24 ID:xEPrjHUF
豊臣の為なら武断派と喧嘩なんかせんでしょ。
俺なら武断派は上手く持ち上げとくけどね。朝鮮役でも優先的に米とか都合してやるよ。
で秀吉死んだら、豊臣の守護者はあなたたちしかいないつったら一発。
家康に味方なんかいなくなるよ。
397 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 14:22:33 ID:rqufdr8U
天下取り狙うなら人心収攬するだろ、まぁ政治家というより官僚型の性格。
398 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:00:59 ID:hw3vsTd1
んじゃ自ら天下狙ってたって事になるの?
399 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:04:24 ID:hw3vsTd1
ああごめん
>>396しか見てなかった
いろんなファクター重なって関ヶ原が起こったってのはわかるけど
結局三成があれこれ動いて関ヶ原おこした最大の動機って何になるんだろ
家康嫌い、今まで上様の下だったくせに決まりも全然守らないし
あんなのに天下やれるか!って感じ?
400 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:05:28 ID:xEPrjHUF
天下なんか狙ってたとは思わんが、豊臣家を磐石にしてそこの官僚として天下に辣腕を
振るいたいというのはあっただろう。
という感じなら、武断派と喧嘩なんか論外なんだけどな。
秀吉が時期死ぬのなんて大体分かってただろし。
401 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:22:12 ID:xEPrjHUF
>>399 秀吉政権は結構脆弱で全国に有力独立大名残りまくり、三成はそれを中央集権体制に
移行させようと、独立大名のアラをつついたり告げ口したりしたんでVS三成、それを
フォローする家康って構図が自然にできた。
中央集権型VS独立勢力保持派の図式。
朝鮮の役とかでそういうのがにっちもさっちも行かなくなったとこで、秀吉死亡。
このままでは俺の立場は危ないと、毛利輝元や奉行たちと誓約。
そういうのに対応する形で家康婚姻政策。
ってのが流れだろう。 家康があの段階で武力を使った天下制圧なんて狙ってたかは微妙。
秀吉遺言で京都で政務取れとまで言われてたくらいだし。
家康からすると想定外の展開だったんではなかろうか?
徳川史観でいくと手のひらで踊った三成な感じだが、小山評定での一ヶ月、関ヶ原の駄目駄目
な布陣とか見ると、天下の流れに無理やり引きずり込まれた感じがする。
小早川秀秋が東軍の翼側突いたら逆に一日で負けてたと思うし。
402 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:25:35 ID:FCYdIYPi
三成が関ヶ原を起こさなきゃ豊臣は222万石の大大名だからね
家康だってうかつに手が出せない
三成のせいで豊臣の天下が終わった感じ
403 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:28:42 ID:C81lccvq
>>401 関ヶ原の布陣はあえてああした節はある
敢えて、包囲される危険を冒してでも短期決戦を挑んだんでしょう
404 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:29:29 ID:hw3vsTd1
なるほど、三成としたら秀吉には朝鮮なんか攻めるより
もっと国内の事ちゃんとして欲しかったんだろうなあ
405 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:37:16 ID:xEPrjHUF
>>403 そうした考え方もあるけど、攻撃主体の主力は秀忠の軍という説もあるぞ。
秀忠の軍は予定通りの行進だったが、豊臣の武将だけで関ヶ原やりかねんから
急いで家康が合流したとかいう説。
406 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:46:24 ID:jwHMGvvF
>>404 三成は秀吉自身に朝鮮渡海を勧めてるよ。
最初から国内をまとめようという気は全く無い
407 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 15:50:27 ID:hw3vsTd1
>>406 そうなんだ、ますます何考えてたのかわからなくなってきた
408 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 17:39:35 ID:EDHSc1To
三成は好悪をはっきりさせるタイプでしょ。敵も多く作ってしまうが、味方も多い。
正邪もしっかり区別をつけたがる。自分が何でも正しいと考える。
官僚としては優秀だが、政治家としては危うい。
目先の悪に対処するばかりに、長久的な損得は考えない。
409 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 17:43:41 ID:MihyWage
>>408 そんなんで秀吉の下で生き残れるかよ。
もっと複雑な正確だよ三成も。
410 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 17:56:50 ID:C81lccvq
>>405 笠谷氏の説ね
秀忠隊主力説は大身の大名が多く属しているからなんだけど、
あれは元々領国北にそういう連中が配されていた延長に過ぎない
それに小身旗本の戦力は低いと言うのも、備について勘違いしている
小身を寄合させて備は作るものだし、10万石でもその内実は数個の備
の集合体
411 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 18:38:35 ID:xEPrjHUF
あえてそうした説は誰の説?
まあたしかに長期戦が最悪のシナリオで、短期決戦に引き込むならそれ相応の餌が
必要ではあるけど。
でも日和見武将が多いだけに危険な判断だよな。
412 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 18:57:23 ID:UfMm6iD/
秀忠は遅れたんだよ、家康の書状には10日に美濃に到着する予定と書かれてるしね
笠谷氏はこれ知ってるはずなのに、あえて無視してる
結論ありきの典型だね
つか関ヶ原の何が駄目駄目な布陣なんだ?
413 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 19:15:41 ID:C81lccvq
>>411 河合秀郎というウォーゲームデザイナー出身の歴史研究家
414 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 19:33:45 ID:xEPrjHUF
河合秀郎って関ヶ原書いてたっけ? 日本戦史はもってるけど載ってない。
ちょっと読みたいが何て本?
短期決戦策であえてそうしたなら、秀忠は関ヶ原に駆けつける必要がないんで
齟齬がある気がするが。
415 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 19:42:15 ID:C81lccvq
>>414 雑誌掲載のみで本題は小牧長久手の作戦研究(日本戦史とは別ね)
の末尾に簡単に記してるだけですから
後、秀忠隊を求めたのは単に兵力は多い方が良いという単純な話かと
いてもいなくても、岐阜城陥落の報を受け、江戸を出撃したことは、
会津の戦況が変わる前にケリを付けるという腹積もりでしょうし
416 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 19:51:03 ID:xEPrjHUF
いや、共回りだけ引き連れて関が原に向かってるでしょ秀忠。
短期決戦策なら少数で慌てて駆けつける必要ないんじゃね?
417 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 20:03:02 ID:C81lccvq
>>416 秀忠には酷な評価になるけど、それ単にテンパッているだけかと
418 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 20:15:39 ID:xEPrjHUF
短期決戦策で敵を誘引させる為にあえてそうしたなら、それなりの指示はあるんじゃないの?
河合氏も小牧・長久手の戦訓から、決戦誘引の為あえて敵の包囲下に入り、戦術的優位を確信させ
ることで、決戦誘導を成功させたって書いてるじゃん。
これだと予定通りの動きなわけで秀忠に一言あってよいかと。
ってか秀忠が駆けつけたってのは、秀忠軍温存説否定でよく使われる話だが。
短期決戦説にも応用できると思ってね。
419 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 20:24:18 ID:C81lccvq
>>418 包囲下への進撃というのは戦術判断で、秀忠が来ないという事を清州で知った
上での策でしょう
で、それとは別に短期決戦策は秀忠が来る来ないにも関わらず、江戸出撃時点で
考えていたことでしょう
秀忠には特に合流日時以外は知らせてたのかは解りません
(知らせたとしても、こういう場合は口頭ですし。それをしない三成はやっぱり問題あり)
来ていた場合は、もう少しリスクの少ない手を取ったかもしれません
420 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 20:38:00 ID:xEPrjHUF
>>419 待てばいいでしょ。 江戸出撃時点での構想なら秀忠は共回り引き連れて急行しないよ。
421 :
人間七七四年:2009/01/28(水) 20:58:36 ID:C81lccvq
>>420 そりゃ仕方無い、予定期日過ぎたんだもん
それなら何はともあれ秀忠も何はさておき、慌てるだろうし
家康も当初の計画を続けるより、短期決戦構想はそのままで
別の策にしたんでしょう
下手に待って状況が悪化するより(捕えた三成の書状から
大津や田辺の軍勢が来る可能性を知っていた)、このまま
押し切る方が上策でしょう
422 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 03:17:27 ID:QYq/D61k
小早川の裏切りがないと、あの時点の東軍だとツライだろ
423 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 04:31:01 ID:6KkbQzdL
あの時点での小早川の行動を裏切りと定義するのは間違っておる。
424 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 08:19:19 ID:bnu7t0sB
>>406 それって状況的に「朝鮮出兵やりたい」から勧めてるんじゃなくて、
「やるからには秀吉が現地で指揮しろ」って意味で勧めてたんじゃないの?
(名護屋で秀吉渡海を巡って家康と口論したってやつだよな?)
425 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 09:36:32 ID:gM5+T9sE
三成の書状は細かい事まで書いてあるが、普通は書状というものは概略のみ書き
細かい部分は口頭が基本
そういう理由で使番には優秀な人物が配されている
しかし、三成の書状見るとそういう優秀な人物はいないように見える
どうやら官僚として自身が有能すぎて、文官の部下を育てなかったようだ
きっといても、自分と比較してこき降ろしていた気がする
426 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 14:07:52 ID:MClp2H+P
>>425 そういえば三成の書状っていらんことまで、ていうか自分の考えとか詳しく書いてるな。
性格が見えて読む方はおもしろいけど。
そういえばなんかの本で、最初に書状にのりづけして封をする、という事をやったのは三成
っていうのを見た気がするんだが、そういう周りを信用せず慎重になる行動とるのも
単にそういうヤな性格wなんだと思ってたけど、そういう背景もあるのかな。
427 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 14:51:37 ID:5uBbhUn+
書状にのりづけして封をする
性格等は関係ないです。
何の為にするのか、現代に照らし合わせて考えれば分かること。
つまり親展書簡ってことですよ。
428 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 15:47:00 ID:Wf4+F15W
ウチの会社にも三成みたいな
事務方がいればなぁ
ホントどいつもこいつも使えない
429 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 16:09:46 ID:9jbaqG7Y
部下が使えないと嘆くのは人を使うのが下手な無能である
と言っているようなものである by藤堂高虎
430 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 17:06:53 ID:t0VBg0lO
関が原じゃ戦術的には三成が兵力や地の利ともに完全有利だから、短期の野外決戦とったのは理に適ってるでしょ
問題は家康の政治力に負けたんで
431 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 17:26:32 ID:gM5+T9sE
>>430 三成としては関ヶ原に引いて対峙戦を維持したかったが、そこに家康が乗り込んで
決戦になったとも考えられる
432 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 17:29:54 ID:6KkbQzdL
433 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 18:30:42 ID:WpGqXd4d
戦闘規模の戦術レベル戦略レベルの意味合いで使ってるからこの場合あってるだろ
434 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 18:36:30 ID:XLbvBJTV
>>428 石田三成みたいに全く融通利かない奴が経理や経理だったら絶対嫌だわ。
与信申請は通らないわ、出張経費にケチつけるわ、
接待費にケチつけるわ、仕事がやりにくいだろうな〜。
出金伝票の書き方まで注意されそうだ。
秘書室とか法務部とかならいいかもしれんが。
435 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 18:42:09 ID:4jCIZJyV
>>431 長引けば秀忠の軍が合流するぞ、戦術的に西軍有利である絶好の戦機を失う
436 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 19:21:59 ID:gM5+T9sE
>>435 それなら家康が来る前に仕掛けるべき
それに当時の三成が更に秀忠隊が後から来る事を知っていたかは
はなはだ疑問
8月22日に岐阜城が落とされて以降、連絡は取れていないようである
その証拠に真田家の資料に8月25日付の景勝から三成への書簡がある
おそらく、届ける事が出来ずにそのまま真田家にとどまったのであろう
因みに8月5日付の昌幸への三成の書状は届いている
それに待てば大津・田辺の兵が来るだろうし、希望的観測をあげると
大坂の輝元が来たり、会津の上杉が関東に攻めるかもしれない
437 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 20:02:00 ID:bWQYGtp6
>>436 前田+秀忠が加わった東軍の方が戦力として有利では?
438 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 20:16:36 ID:gM5+T9sE
>>437 書いたように秀忠が来るとは限らないし、前田も一気に越前を打通できない
物事上手くいかないときは、先延ばしすれば良くなるかもと考えたがるものです
439 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 21:02:49 ID:WGq6jhXg
そもそも西軍有利とかいうけどそんなに言うほど有利な状況なのか
有利なのは地の利くらいで兵力は実際は東軍の方が多かったらしいし
元康の一万五千の兵が間に合えばとか言うけど
東軍もたしか他にもどっかの城のおさえに一万五千を置いていたと
何かの資料に書いてあったんだけどそんなに西軍は有利か
440 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 21:42:57 ID:4jCIZJyV
>>438 三成挙兵時には計数家の三成なら当然東軍の兵力の目安は大体分かってるだろ?
>>439 戦術レベルなら確実に西軍が有利でしょ、東軍のほうが例え全体的な兵力では上回っていても、決戦地の決戦時刻に兵を集中できなければ意味がない
家康が関が原で敗れたとしたら、三成側に寝返る連中が雪崩のように出てきたりするだろうし
441 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 21:47:14 ID:6KkbQzdL
西軍は当初、大垣決戦を想定していた。
その防衛ラインが「東軍」の小早川秀秋の松尾山占拠で崩れ、
結果関ヶ原での決戦にプラン変更を強いられた。
442 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 22:16:05 ID:gM5+T9sE
>>440 その三成は真田への書状に
「家康の兵は三万」とか「上洛できる兵は家康一万と豊臣譜代一万」とか
宣伝であること引いても、えらく楽観的
443 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 23:11:42 ID:KyBungu9
関ヶ原スレで叩き出された雑魚のスクツ発見。
444 :
人間七七四年:2009/01/29(木) 23:24:08 ID:ykd+1sge
>>440 決戦地の決戦時刻に兵を集中できなかったのは西軍の方じゃない?
大津方面の軍も輝元の本隊も来ていないし
南宮山の連中も関が原まで下りてくる気はないし
東軍は秀忠以外の部隊は揃っていて戦える体制だった
445 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 01:00:54 ID:gJxPMoap
三成の書状からは長引くことを懸念しているとしか思えませんが。
裏切りが相次ぎ、軍資金にも困っている状況で、先延ばしなんてありえないよ。
446 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 01:21:10 ID:3/+J77r+
>>442 それは自軍は圧倒的に有利だと見せて
味方の士気を上げる為じゃないか?
いくら何でも馬鹿正直に兵力は拮抗していて
どちらが勝つかは分かりませんなどとは
書けないだろ
447 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 09:40:33 ID:QOYIg214
>>445 それは家康がまだ来る前の話ですから
家康が来て「ああ、以前の方が良かった」と考えちゃったのでは
>>446 後の長束への悲観的な書状見ると、楽観的思考だったのは間違いないかと
無論、宣伝色はあったろうけど
初動が(伏見以外は)上手くいって浮かれていたんじゃないかと
448 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 09:50:44 ID:Y5ltAS3J
確かに初動は成功しすぎたってのはあるかもしれんね。
短期間で軍も組織し大阪城も確保、畿内全体もほぼ掌握した。
浮かれるのも分からなくもない。
449 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 13:18:18 ID:gJxPMoap
>>447 来れないだろうと思っていた家康来ちゃって更に状況が悪化しているのに、これ以上引き延ばしてどうすんだ。
しかも、大垣に押さえを置いて京都に向かうって情報を得たら、関ヶ原に先回りして迎撃するしかないだろう。
450 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 18:03:03 ID:QOYIg214
>>449 その佐和山・大坂直撃で動いたというのは胡散臭い
三成はあくまで小早川への対応と家康着陣への対応で、関ヶ原に移動している
これは積極的な迎撃というより、南宮山の向こうに陣を置くことで東軍と距離を置き、
その間に小早川へ何らかの対応をしようとしたのだろう
因みに東軍は菩提寺山に陣替えしようとしていたようである
しかし、西軍が関ヶ原に移動したことで、家康は決戦の機会を逃さずに敢えて、関ヶ原に
進んだのであろう
まぁ、これ以上引き延ばせば、田辺の寄手や毛利の後詰が来る事に期待して
いたんじゃないかと思う
世の中、希望的観測に走りたがるものだし
451 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 21:29:49 ID:gJxPMoap
小早川に対応するためなら主力メンバー全員が大垣城を出る必要はないだろ。
明らかに関ヶ原での迎撃決戦を意識した陣容だ。
大体、輝元らが来るまで対峙しようと思ったって東軍が待ってくれるわけないじゃん。
452 :
人間七七四年:2009/01/30(金) 21:58:55 ID:QOYIg214
>>451 主要陣も移動したのは関ヶ原への戦線後退でしょうよ
東軍が待つかどうかは南宮山がどうなってるかによるでしょう
もし、三成が西軍と見ていれば常識的にその包囲化にある関ヶ原に安易に入るはずはないと
考えるでしょうね
その間に増援が来るかもしれないと考えていたのでは
453 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 14:23:20 ID:vF5LeyEV
三成は、東軍が南宮山に押さえをおいて関ヶ原に出てくるとか、
南宮山を蹴散らしてから出てくるとか、南宮山・関ヶ原を同時に攻めてくるとか想定しないんだ(笑)
454 :
人間七七四年:2009/01/31(土) 15:08:10 ID:+mMhfbz9
うん、メッケルもそう考えたからね(笑)
455 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 01:23:57 ID:OQ3lGyHM
>>284 戦勝祈願は計2回一回目は上杉討伐・二回目は家康討伐。
一回目の戦勝祈願が決起の催促か合図だったかもな。
ただし、上杉討伐の先発隊は宇喜多が光成に味方すると決めたけど東軍に寝返ってのが気になるけど朽木みたいな立場か。
456 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 01:25:52 ID:jHcr0HH1
>>454 つーかメッケルの関ヶ原評って、実際に記録の存在しない、極めて創作の可能性が高い伝説だよな。
457 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 22:27:18 ID:s7UM4lc/
毛利吉川小早川や加藤福島は
徳川が自分達をどう扱うかも
想像出来なかった馬鹿
感情は冷静な判断を誤らせるな
自戒しなければいかん
458 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 23:50:31 ID:9mG2/4T/
徳川が自分達をどう扱うかは想像できなくとも
石田が自分達をどう扱うかは想像がついた
だから石田を排除しただけ
日頃の態度からすぐに扱いを想像できてしまう三成が馬鹿なんだよ
459 :
人間七七四年:2009/02/04(水) 09:26:39 ID:BVfxBEn6
確かにな
460 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 08:02:33 ID:PHy9cK2b
テスト
461 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 15:31:02 ID:tvmDu4QW
>>458 仮に関ヶ原に西軍が勝っても
小大名の三成がそんな絶対的な権力者になれるか?
462 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 15:44:52 ID:h8+/kJ+c
関ヶ原で勝てば大大名になれるだろ。
463 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 15:53:48 ID:tvmDu4QW
西軍総大将の毛利や(仮に西軍についたとして)
豊臣古参の加藤福島を問答無用に処分出来る程か?
アンチのクセに三成を過大評価してる変な奴だな
464 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 19:12:12 ID:h8HhPcDB
関ヶ原で勝つ→石田三成が大大名なれる
この経緯がさっぱり理解できない
465 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 23:26:14 ID:pZuZBvEr
三成が大大名にならなくても秀頼を秀吉のように操って讒言すればいい
三成の武断派や両川嫌いは病的なまでに徹底しているから
何が何でも潰しにくるだろうね
466 :
人間七七四年:2009/02/05(木) 23:41:31 ID:9JJO79Ut
両川ってなに?
467 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 00:08:47 ID:W0m1x29/
毛利のとこの吉川と小早川?
468 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 01:03:46 ID:HGdrTgMN
操るにも所領は必要なんだぜ。
鎌倉の北条や室町幕府の三管が大大名だったことを考えてみ。
469 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 05:50:36 ID:VHEKZmVM
470 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 19:03:11 ID:BEN+5g5N
近江一国ぐらいは貰えるだろ。
471 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 09:34:08 ID:fxhjWZJw
472 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 10:57:54 ID:4LzCSQLz
肖像画の三成によく似てるよねえこの生首
肖像画って結構あなどれないなあと思ったよ
473 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 13:36:47 ID:lJzuTwFe
>>468 現実に三成は秀吉を操って大友や加藤や小早川を処罰に持ち込んでいるだろ
家康よりも三成を排除するのは当然の選択だよ
474 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 15:27:41 ID:wHCu6LHP
三成が秀吉を操ったというより、連絡役の役目上
あるがままを報告したら
そいつらが秀吉の怒りを買っただけなんじゃね?
DQNの逆恨みみたいなもん
475 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 18:00:03 ID:2yr/sHJi
>>468 鎌倉時代に大名なんて存在しない。
あと、執権北条家は(源家将軍時代は)そこまで有力な御家人じゃなかった。
幕府を美味いこと操ることで強大化していった一族。
476 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 19:35:45 ID:fxhjWZJw
>>475 > 鎌倉時代に大名なんて存在しない。
そんなわけないだろw
鎌倉時代に守護大名制度はほぼ成立している。
477 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 19:55:48 ID:2yr/sHJi
>>476 守護・地頭制の確立と、室町期の守護大名との差を勉強しろ。
鎌倉時代の御家人の基本法とも言うべき御成敗式目にしっかりと
その規定がある。
478 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 03:39:06 ID:zj3sOlZ2
俺は学生の時生徒会役員で生活指導員だった
役目上服装髪型チェックや喫煙などの
いわゆる非行を取り締まる立場にいたので
DQN供に逆恨みされて目の敵にされた経験がある
そんな経験から三成好き加藤福島嫌いだ
どうしてもだぶるんだよな、自分の経験と
479 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 10:52:09 ID:m8bIbamh
480 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 12:18:33 ID:VRkpI0bi
>>478 加藤も福島も非行などしていない(少なくとも秀吉が死ぬまで何もしていない)
なのに三成が勝手に加藤が非行を繰り返していると主張し
呆けた秀吉が三成の主張を鵜呑みにして一方的に処罰をしてしまったわけ
それに耐えられなくなって豊臣学校から徳川学校に転校することにしたら
今度は三成が逆切れして仲間と一緒に蜂起してきたんだよ
どう見たって被害者は加藤福島でしょ
481 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 12:32:59 ID:R4rctOKF
スカートの丈膝上何センチを、屈んで定規を膝とスカートに直当てで、
ミリ単位まで厳しく見るようなもんだな
482 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 13:32:26 ID:m8bIbamh
483 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 14:46:25 ID:YYY+6jIX
んーまぁ加藤や福島が秀吉生前は校則破ってないにしても
"豊臣学校から徳川学校に転校"はある意味校則違反だからな。
少なくとも生徒会長は怒るだろう。
逆切れではない。
でも"豊臣学校から徳川学校に転校"させてしまう状況を作った生徒会長は問題ありだな
讒言したのかしっかり取り締まったのかはよく知らんが
大人の世界では空気読むことが大事
484 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 05:20:04 ID:aIIBVlZr
現実の会社とかでもそうだけど、派閥争いは上が上手くほぐしていかないと、陰惨化する
特に上が(秀吉が)年食って引退近くなると、特に酷くなるね。
これはあらゆる組織で多かれ少なかれ有る事だから、どっちが悪い訳でもないだろうが
徳川家も相当有ったしね
んで、なんだかんだ両立は難しくて、勝った方が正しいって事になってしまうからな。
485 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 05:24:24 ID:esH+wXpP
>>483 まあその「生徒会長」は、学校の権利を「毛利、宇喜多理事」に譲り渡そうとしていたんだけどな。
486 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 15:12:51 ID:VKDiaMY2
石田って調べれば調べるほどボロが出てくるな
487 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 00:04:36 ID:fhHe8Q7p
>>486 どんなボロよ?
三成の場合、調べると逆に実態が分からなく
なってくるように思うけどな
488 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 01:48:19 ID:i2ZrLl9v
まあ調べれば調べるほど、忠義の臣とか硬骨漢とか、そう言うのから離れていくのは確かだな。
秀吉が死んだ直後から露骨な野望の追求に走っている。
489 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 09:07:09 ID:7I4Q5jQr
>>487 同意。無能というわけではない(むしろ優秀)が
何がしたいのかよくわからない人だ。
他の武将達とトラブル起こした経緯なんか見てるともしかしたら
アスペルガーとか一種の障害持ちだったのかも知れない
490 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 10:22:21 ID:0hICOTRT
491 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 10:34:04 ID:i2ZrLl9v
>>490 三奉行+毛利、宇喜多同盟の結成、前田利家の取り込み、家康排斥運動、
家康の動きって、基本的には、これら三成の一連の動きに対する防衛のためのもの。
これが露骨な野心ではなくてなんなのかと。
あ、言っておくけど三成への批判じゃないよ。あの時代の優秀な人間で、野心を持っていない方が
おかしい。権力にギラギラした三成の方が絶対魅力的だ。
昨今の、義とか忠義とかでゴテゴテ飾られた三成には辟易する。
492 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 10:47:36 ID:0hICOTRT
すまん無知なんで教えてくれ
@三奉行+毛利、宇喜多同盟の結成
A前田利家の取り込み
B家康排斥運動
について石田が行った具体的なアクションを
493 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 13:16:10 ID:3wmQhkjX
無知なのに態度が上からw
494 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 13:59:28 ID:NyVcs8IB
礼儀を求める割に、見ず知らずの人間に煽りとはいい身分だな
495 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 20:13:00 ID:GtbOW7K3
政策面で石田三成が実際に
なにをしたのかはっきりとはわかってないんだよな。
仮に太閤検地を発案したのが三成とすれば
日本史の重要人物の1人に昇格するんだけど。
496 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 20:21:18 ID:H2WXWcG0
>>495 あの時点での検地は、為政者なら(よほどの暗君でもなければ)誰でも行うだろうよ
497 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 20:33:02 ID:GtbOW7K3
>>496 歴史を知っている者の目線では
たいしたことがないように映るんだね・・・。
498 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 20:52:57 ID:H2WXWcG0
>>497 太閤検地のすごさは、為政者がやりたくても出来なかったことを、強大な
権力で全国的に行ったことが「すごい」のであって、発想そのものに目新
しさは無い。
大名の規模でなら、大抵の大名は行っているし。
499 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 21:37:51 ID:GtbOW7K3
500 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 21:46:05 ID:GtbOW7K3
太閤検地の発案者は石田三成だろうとはされているけど、
実際に三成とされる史料はあるんかな。
探してはいるんだけどみつからないんだよね。
501 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 22:12:47 ID:H2WXWcG0
>>499 むしろ、君がそれ以前の大名の検地について調べてみなさい。
北条家なんかは記録がしっかり残ってるから。
それと、統一政権が出来たときに度量衡の統一と税制の整理・統合が
行われるのはどこの国や地域でも同じ。
中国やローマ、フランスのフィリップ2世やずっと下ってリシュリューの
政策なんかも調べてみると良いよ。
だからといって、太閤検地の日本史的な価値が落ちる訳じゃないのは
言うまでもないが。
502 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 22:20:05 ID:GtbOW7K3
>>501 負けました、負けました。
北条早雲は税の対象者をどこにおいていたのかな、
負けたからもういいです。
503 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:29:46 ID:BVhWJ76L
>>500 太閤検地の発案者は石田三成だなんてでまかせだよ
太閤検地が始まった段階では三成はそんな偉いポジションなどには就いていない
それから太閤検地のいい面ばかり強調されがちだけど
やられる大名側からすると強制介入的な側面があり不満が溜まる政策でもある
特に後半は朝鮮に行って留守の大名の領地に仕掛けたりすることもあったからなおさら
そこに秀吉が死ぬと豊臣の中央集権路線を潰そうという動きが発生するのも当然で
その動きが家康と結びついて豊臣の崩壊を招いた一因でもある
504 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:32:21 ID:9jc49ED8
おれの石田三成は太閤検地も全部仕切った事になってるけど?
505 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 23:51:47 ID:JXLVXq0G
現代的重商主義の思想を持つ三成が保守的農本主義の徳川によって潰された
ってことにしとかないとな。
街道整備も貨幣制度も豊臣政権は全く興味を示さなかったけど
506 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 01:53:52 ID:EJKm/B6l
だいたい一部の織田、豊臣に肩入れする作家なんかが一時期、彼らの政策を「重商主義」などと言って
へんな持ち上げ方をしていたが、現代ではその「重商主義」は、現在の資本主義とは
全く系統の違う、後世に何の影響も与えなかった場当たり的な経済理論、という事になっている。
507 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 12:26:17 ID:V+ZCtodg
>>491 それなら金をためて機を狙ってそうなもんなんだが、
佐和山に攻め入ったら城は質素で金目のものもほとんどなかったっていうのが引っかかるんだよな
ホントに何がやりたかったのか謎
508 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 12:28:45 ID:EJKm/B6l
>>507 金ためて機を狙った乾坤一擲が関ヶ原なんでしょ。
509 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 15:13:46 ID:S++Ohjb1
大久保利通に似たところがあるんじゃないの?
一流政治家だが嫌われ者にされてるし
不幸な最後と金を残さなかった清貧なところとか
510 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 17:24:50 ID:fLh3f6Bb
生真面目な仕事の鬼タイプ
自分に厳しく他人にも厳しい
大久保亡きあと職場の風紀が(後任はエロ伊藤)
ずいぶんだらしなくなったなんて逸話があったが
浅野が石田がいた頃はうんぬんなんて
よく似た話もあったなぁ
511 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 18:32:44 ID:saoJNL49
>>500 >太閤検地の発案者は石田三成だろうとはされているけど
初耳なんですけど><
というか、京枡での検地、太閤検地の手法なら、織田政権における播磨支配ですでに秀吉は行ってる訳で、
どこをどう転んだら三成が発案者になるんだろ?
512 :
人間七七四年:2009/02/12(木) 23:04:30 ID:DDCBCpLa
まあ、ギャンブル下手なのが全財産はたいて勝負してみたらやっぱりダメだと。
513 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 12:14:19 ID:/eOwJvY7
乾坤一擲の大勝負はわかるけど、何年かかるかわからない戦の序盤で有り金全部使うか?
戦費は後で拠出させればいいなんて、兵站の重要さを一番良くわかってた人間の考える事かね
よっぽど切羽詰まってたか、考えられてるほど三成の頭が良くないかだろ
514 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 12:17:10 ID:mj7SYu05
単純に使わざるを得ない状況になったんだろ。
515 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 16:49:36 ID:r7yffPTl
何年もかける気はないよ。
516 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 18:45:02 ID:MlUd9Y39
官僚タイプだからツンツンしてたんだろうなー
口を開けば「太閤殿下、殿下」って
517 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 19:00:15 ID:YwyPN6gv
三成は書状で戦費が足りないとは書いてるが、どうして有り金使い果たしたになるのか不思議だ
518 :
人間七七四年:2009/02/13(金) 19:30:36 ID:r7yffPTl
君が読解力がないのはよくわかった。
519 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 00:49:24 ID:FX8Mpg0n
>>513 三成は豊臣が全面的に財政支援してくれて大阪城の軍資金と兵糧が使いたい放題になることを想定していた
だけど蜂起してみると肝心の豊臣は金も米も出してくれなかったため
兵站に苦しみ東進が滞って東軍に岐阜を取られるに至り、乾坤一擲の関が原に赴かざるを得なかった
切羽詰っていたのは事実だし、豊臣が自分を全面的に支持してくれると高を括っていた部分は三成の計算ミスだろう
520 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 02:35:02 ID:qmgpbsGx
長束は貯め込んでたんだろ。
521 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 09:35:15 ID:ns5NRzdq
豊臣って誰だよw
財政管理してたのは増田な。
522 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 09:53:33 ID:xktAVYF7
三成って福島も自分につくと思ってたの?
523 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 09:56:35 ID:ECxh0uoV
>492
524 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 09:57:42 ID:ECxh0uoV
> 492
> すまん無知なんで教えてくれ
>
> @三奉行+毛利、宇喜多同盟の結成
> A前田利家の取り込み
> B家康排斥運動
>
> について石田が行った具体的なアクションを
>
1はよくしらないが、結果的に色々有って味方にしました。
2と3はは、家康による、秀吉死後の伊達黒田福島蜂須賀等々と行った婚姻を。他の大老奉行が
非難したさいに、三成が主導的な役割をしたと言われています
その際に、担いだのが利家で、利家が動かさないと、家康の横暴を止められないと、必死だったと思
われます
この事件は4大老五奉行が家康に謝罪させたので明らかに、利家三成の政治的な勝利なんですが
家康を悪者にして、この件に関しては利家を反家康陣営に巻き込んでほくほくした結果が
福島黒田蜂須賀といった、武闘派で三成の幼少からの知り合いで有り、豊臣の譜代達も
おそらく、本人達は豊臣家に良かれと思ってやった婚姻を、三成?に非難され、見事家康側に
つきましたとさ。
この三成側から見ると無断婚姻と言われる物も、秀吉死後に秀吉の許可が必要な婚姻などと
いう法はすでに無意味な物になっていて、五大老筆頭の家康に許可なんぞ居るのかという話
実に三成らしい、噛みつきかたで、その他の原因も有ると思われるが、武闘派との決裂が
決定的となり、利家死後、外様の毛利や上杉を巻き込んで決起するしか無い所まで政治的に
追い詰められたと
上のミスった
525 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 16:06:36 ID:w9i0u2Xd
>>524 解釈の仕方にもいろいろあるもんだな
しかし本来は許可がいるものだからこそ噛みついた三成・利家が勝ったんだろうに
家康に許可なんぞいるのかというのは自分で書きながらおかしい理論だと思わなかったか?
家康が婚姻を推し進めた目的はわざわざ養女を迎えてまで結婚させているところから見ても明らかだが
これに乗った恩顧武将が豊臣のためによかれと思ったというのは何を資料に判断したのか
味方によっては……というか、パッと見はむしろ権力者家康に取り入ろうとしたように見えるぞ?
あと、念のために聞いておくけど
>>488と
>>524は別人だよな?
526 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 16:11:12 ID:2Bv0b7du
>>525 家康が有力大名との婚姻を進めたのは、三奉行毛利宇喜多同盟から
身を守るためだよ。
実際そのように機能した。
527 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 16:19:36 ID:ns5NRzdq
そもそもこの3つは全部家康の行動に対しての事だしな。
家康が勝手に決めていいって言うのも滅茶苦茶だ。
家康に対して
「大納言殿、年寄衆五人居り申す所にて、度々仰せ出され候事」
とあるように、家康が勝手に一人で決められないようにしている。
528 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 17:30:26 ID:3+Wenu+L
松本なき後今田耕司が天下取りに行ったようなもんだろうな。
529 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:08:44 ID:GyEY4rTl
>>524 家康が行った婚姻政策が秀吉法度を破った最初の例なら、家康は狸・三成は義の人だろう。
そういう風に世間では受け止められてる。
しかし、最初に毛利輝元から起請文を取り付けたのは3奉行。
これは「大名・小名深重契約せしめ、誓紙など堅く御停止の事」という、私的盟約禁止事項に
背くもの。家康としては上杉・佐竹あたりとの関係に加えて毛利や宇喜田あたりとも
盟約関係にあるとすれば本格的に包囲の輪を作ってきたと思わざるおえない。
よって慌てて婚姻策に出たんだろう。
最初に秀吉の法度・遺言などの背く動きを見せたのは三成方だぞ。
530 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:13:30 ID:2Bv0b7du
秀吉の死の直後から猛烈な政争が巻き起こって立って事だわな。
どっちもどっち。
しかしその引き金を引いたのは三成の方。
531 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:25:46 ID:i3CDX868
>>529 家康ってそれを知ったから福島らと婚姻したの?
532 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:28:13 ID:2Bv0b7du
>>531 そうだよ。
三成たちの派閥に対抗するって目的が無ければ、いくら家康が婚姻をしようとしても
正則たちには意味が無いもの。
533 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:36:54 ID:ns5NRzdq
三奉行ってなんだよw
534 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:40:05 ID:GyEY4rTl
すまん。 増田長盛・長束正家・前田玄以・石田三成の4奉行だな。
家康に近い浅野長政だけが除外w
535 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:47:43 ID:GZgReSWo
婚姻先みると
以前から徳川寄りの伊達はやりかねないと思われたけど
福島、蜂須賀は想定外だろうね
子飼い筆頭と最古参だもん
それぞれ以前から徳川と直接付き合い
深かったわけじゃないし
536 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 18:47:59 ID:KbCiNLeE
537 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 19:59:59 ID:ns5NRzdq
十人衆の間での誓紙の交換も法度違反なら、
秀吉重篤時に五大老・五奉行間で交わした誓紙も法度違反になるな。
輝元が四奉行に誓紙を差し出した直後に五大老・五奉行の間で起請文を残しており、
そこに十人衆と他の大名との間に誓紙の交換を行わない事、と書かれている。
また、家康が私婚についての糾問を受けた際にも家康は輝元の誓紙に関して言及していない。
少なくとも十人衆の間では輝元の誓紙が法度違反であるという認識は無かったと思われる。
538 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 21:19:51 ID:ys0AybA3
>>537 思いっきり法度違反だろ、起請文だぞ?
つか秀吉重篤の時の起請文交換がなんで違反なんだ?
そこを詳しく説明してくれ、さっぱり意味ワカラン
539 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 21:47:24 ID:GyEY4rTl
毛利輝元と四奉行との起請文が秀吉死後10日後の8月28日
>十人衆と他の大名との間に誓紙の交換を行わない事
との五大老・五奉行間の誓紙がその5日後の9月3日。
9月3日の段階では家康は毛利輝元と四奉行の起請文のことは知らないだろう。
知ったうえでの誓紙の禁止の起請文なら、家康から糾弾された上でだと思う。
実際は四奉行と毛利輝元が誓紙を交わした上で、5日後に大名間の誓紙を禁ずるとか
いう家康を舐めきったもので、後で気ついた家康は切れまくって露骨な婚姻策に出た
んじゃないかな。
540 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 21:50:24 ID:/1a+DVqe
>>539 > 後で気ついた家康は切れまくって露骨な婚姻策に出たんじゃないかな。
そんな可愛気のある狸じゃなかろうよ・・・
541 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 21:51:00 ID:kr5kBse1
>最初に毛利輝元から起請文を取り付けたのは3奉行
の起請文の内容は?
出典は?
542 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 22:13:33 ID:FX8Mpg0n
>>535 でも家康は秀吉が生きている頃から池田・蒲生・真田ら多くの大名と政略婚姻して勢力拡大を続けてきたわけだし
秀吉もそれに文句など言わずにフリーパス状態だった
秀吉が死んでから死文化したものを持ち出して抗議する三成にも問題がある
秀吉が生きていても伊達・福島・蜂須賀の婚姻は秀吉が追認して成立してたよ
543 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 22:37:57 ID:CzOswiAo
名前の挙がってる婚姻はみんな公儀指示によるものでないの
544 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 22:42:30 ID:GZgReSWo
>>542 家康から秀吉に許可もらうのなら
大人の対応で済ましただろうね
ただ福島は仮想家康の東海道方面の要だから
縁組への反発は強硬だったと思うよ
蜂須賀との縁組は福島が仲人してるから
主体性が福島かもしれんが
545 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 23:40:45 ID:ns5NRzdq
>>538 私的な盟約ではなく、奉行と大老の間の誓紙のやり取りが違反だとするなら
その他の誓紙の交換等も違反になるって話だ。
その他の誓紙の交換は駄目で秀吉重篤時の誓紙の交換だと
何で法度違反にならないのか逆に聞きたい。
546 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 00:21:18 ID:UW5huRf3
>>542 そんな危険なことをフリーパスさせてた
秀吉の方がおかしいわ
信長死後に家臣謀殺して領国奪ったヤツ相手に
警戒心持たなすぎだわ
547 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 00:22:49 ID:Eu0Q92Dn
>>546 > 信長死後に家臣謀殺して領国奪ったヤツ
そんな小説話信じてるのかw
548 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 12:57:39 ID:MfA2P2Wt
>>545 だからさ、大名間の起請文の交換禁止とかはさ、秀吉死後の話だろ?
話の順序がずれてないか?
549 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 17:10:03 ID:iPotXC5r
秀吉死後の話です。そして最初にそれを破ったのは石田三成。
しかも家康と親しく三成と反発していたと言われる浅野長政(幸長の父)をわざわざ外して
おこなわれている私的な盟約。
やり方が汚すぎます。
550 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 17:21:39 ID:Eu0Q92Dn
つーか三成もきれいごとの通用しない戦塵の仲でのし上がってきた男なんだから、
そのくらいの事するよ。そういう政争を家康だって、無論三成だって汚いなんて
考えもしなかっただろう。勝負なんだから。
そういう、野望と野望の戦いなのに、義とか忠とか、へんな装飾で飾ろうとするからおかしくなるわけで。
551 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 18:20:22 ID:8pzyvInc
秀頼への御奉公という内容の起請文交換を盟約締結とまで解釈するのはどうなんだろうか
552 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 19:24:39 ID:xbhfJ7eu
>>548 御掟及び御掟追加は1595年、秀吉が死ぬ3年前に発布された豊臣政権の基本法だ。
当然、秀吉在世時から有効だ。
553 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 20:11:33 ID:iPotXC5r
御掟及び御掟追加は、そもそも秀次粛清がきっかけになって再度忠誠を誓うという
意味合いで提出されたもの。
その中身は秀吉が関知しない大名同士の結びつきはしないというもの。
秀吉が関知しているならば何も問題はない。
しかし、秀吉死後浅野長政を除外して毛利輝元と交わした誓紙が、条文の2に抵触しないとか
ありえない。
554 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 20:50:52 ID:8pzyvInc
4奉行宛の起請文前書案がなにゆえここまで大仰にとらえられてるのかよくわからんけど
555 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 21:37:23 ID:tbUENaQu
>>550 >三成もきれいごとの通用しない戦塵の仲でのし上がってきた男
そうか?三成は秀吉という温室の中で育った苦労知らずのお坊ちゃま的な側面があるだろ
困ったことがあっても秀吉の威光を振りかざせばなんでも解決する環境しか経験していないし
本当に綺麗事などまったく通用しない修羅場はほとんど経験していないだろう
少なくとも家康と比較したら綺麗事の通用しない戦塵の仲でのし上がってきた男なんて口が裂けても言えないな
556 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 00:21:55 ID:Ov9G22Z+
そりゃ家康と比べたら可哀想だが
特に家柄もない人物が苦労もせずに出世できる訳ないだろ
557 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 02:05:41 ID:G0yyojMr
あの時代湯の温度管理は非常に難しい仕事だったんだぞ
558 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 02:06:23 ID:8JpjKsjI
>>555 三成の石田家は土豪上がりだけどそれだけで秀吉が苦労知らずに育てたわけ無いでしょ。
ていうか、そんなんだったらどこにでもいるような一土豪の次男坊ごときがあそこまで取り立てられないよ。
三成も槍働きしてた時代もあったし、その後も筆頭能吏としての苦労はいくらでもあったと思うよ。
家康との比較も時代からして違うでしょ。大名と家臣の違いってのもあるけど。
三成の世代には群雄割拠の時代は終わってるんだし。
つーか他人の書いた戦塵の仲なんぞという誤字を自分で書いた文で繰り返すってどうなってるのよ。
せんじんのなかで一番目の変換でそんなもん出てこないっしょ?
559 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 05:43:38 ID:Hs6m5mnJ
>>555 天下統一した男のやり口を見て、実際に携わって
きた三成がお坊ちゃんとは思えんよ
560 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 14:58:50 ID:T1ZJfM6Q
家康と比べるから三成はお坊ちゃんとか台詞がでるのかもね。
役者も世代も立場も違う。
561 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 23:49:03 ID:gxw3Fla9
苦労も知らない、戦の本当の怖さも知らないお坊ちゃまだから
普通の人間なら二の足を踏むような戦にあっけらかんと応じられたんだろうな
もっとも三成以外の人間が土壇場で二の足を踏んじゃって負けちゃったわけだが
562 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 07:46:37 ID:hmwU49yd
>>555,561
お前らの歴史観には感動した。
>>560 家康の経歴も壮絶だけど、三成が経験した秀吉の天下統一までの過程と
秀吉政権内の権力抗争は半端じゃないだろ。
ロシア第一革命からブレジネフ政権まで共産党指導部で生き残ったようなもんだ。
浅野・増田・三成は官僚と思われているが、そんな単純な存在ではないだろ。
563 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 09:09:21 ID:VQp4RmDt
>>561さんの視点を見てると結局歴史は
勝者によって「創られて」きたということをまさに証明してるということですよ。
それはそれでけして間違ってはいないということです。
敗者には常にマイナスなイメージが付いてまわります。
564 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 09:14:29 ID:HZEj7cyK
だからと言って過剰に持ち上げるのも贔屓の引き倒しでしかないけどな。
565 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 11:37:51 ID:XdHHac8G
まあまあ
566 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 12:13:45 ID:ceAVTEav
家康と三成だけが差し手で
その他はみんな駒でしかない
これは動かしがたい事実
567 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 12:27:53 ID:HZEj7cyK
三成は、自分の指名した指し手の後ろから、駒の動かし方を示唆する役目でしょ。
568 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 16:20:36 ID:t9OWfgru
そして肝心の差し手達に悉く反発されてあぼーん
569 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 16:32:29 ID:HZEj7cyK
関ヶ原後の三成の政権構想って、秀吉式の天下を全部掌握する形ではなく、室町方式の、
直接把握するのは畿内から東海くらいで、後は間接支配で良いと言う形だったんじゃないかな?
とか最近思う。
570 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 23:11:45 ID:/M0xbB06
>>566 三成の場合は表面上の差し手を輝元にしたうえで横から無理やり駒をずらしていた
それで駒側が三成を差し手と認めずにボイコットしてしまった
これが事実だよ
571 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 02:31:12 ID:gmMVYy7Z
輝元が大将やる気ないってのは痛いな。
572 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 15:34:00 ID:PBMnUmQA
そう。三成の最大の誤算がそれ。
大将になったのに煮え切らないとは思わなかった
のだろう
やはりそれが西軍最大の敗因。
573 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 15:36:12 ID:1wRciNKC
まあやる気のありすぎる大将である、秀吉しか知らないようなものだからな>三成
574 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 17:50:23 ID:atJ25MNx
輝元とかにやる気なくても、三成に器量さえ有れば、何とかなったかもしれん
みんなの三成への不満点は、そこにある。
三成の立場でもし人物が、信長秀吉家康や、微妙だけど政宗クラスなら
強引でもなんでも何とかしたかもしれないなと、思うからこそ、三成に文句
つけたくなるんだよね。
関ヶ原は三成も博打だったけど、家康も手を尽くしたけれども、かなりの
博打だった訳だし。
575 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 20:52:38 ID:gmMVYy7Z
西国の雄の立花は関ヶ原の地にはこれなかったしな。
よく立花が来たらまた違ったかもなんて言われたりしてるが…
それにしても輝元と家康のつながりを三成が気づかなかった
とは思えないんだけどもね。
576 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 21:06:17 ID:JMhlIvn7
それ問い詰めるといきなり終わるわな
577 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 23:04:25 ID:vySeI4wa
>>571 輝元の場合はやる気の問題でなく能力の問題だよ
輝元は自分から戦場に出陣して指揮する能力は持っておらず
軍事は全て吉川・小早川に任せきりで自分は本拠地に篭っていることしかできない
三成だって秀吉が中国攻めした時の展開を知っているのに
輝元を取り込むだけで吉川・小早川の取り込みをしなかったのが三成の駄目なところ
対する家康は毛利の軍事制度を理解して毛利本家を無視して吉川・小早川の取り込みに力を入れていた
そこが三成と家康の致命的な才能の差だろう
578 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 23:27:17 ID:7R8YRLdk
>>572 輝元はやる気があっただろう
四国や九州に兵を出しているし
書面で自分の名前を書いている(その結果広家の言い訳がだめだったけど)
大阪城を出なかったのも増田の件が原因だし
そもそも来るように要請した手紙が着いたのが関ヶ原の二,三日前じゃなかったけ
そんな状況でまともに戦闘できるのかな
西軍の敗因はいろいろあるけど一番は三成の傲慢な考え方じゃないか
豊臣家を守るためなら何やってもいいと思ってるところが
敵を作り味方になった者たちでさえも信用できないようになっていったんじゃないかと思う
579 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 01:53:11 ID:xzfdBS/v
長政や広家通して家康と毛利は内応してるけど、こういう動きを
三成が知らないとしたら情報収集はあまり出来ていないのかな。
それとも毛利の名前も使って人も大分集まったし、いないならいないで
何とかなるとか思ってたのか
580 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 02:17:54 ID:RAmW4BFX
輝元の第一目的はあくまで、瀬戸内全体から北九州までの旧毛利勢力圏の回復であり、
天下という意識は全くなかっただろう。
まあ輝元も、たった1日で関ヶ原が終わるなんて思わなかったって事だ。
581 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 09:59:53 ID:bildOPvJ
関ヶ原は西軍としては場当たり的対応だったんだろ・・・布陣こそ整えてたけど
あちこちに兵力分散してたし予定としては畿内を固めてからやる気だったんでしょ
三成の読みが甘かったこれに尽きるね
美濃失ったのも含めて
582 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 17:51:34 ID:RAmW4BFX
540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/19(木) 17:39:56 ID:M97jZPfT
おいおい、魚津城の次の回のサブタイトルが「三成の涙」だとよ。
上杉家の話で何故?
つかそんなもん目立たせてるとますます話がぶれまくりそうだな…。
583 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 19:06:38 ID:lq+cEQwc
>>578 三成は書状で「家康が来ないので、輝元は関ヶ原に来なくていい」と書いてる
584 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 19:19:06 ID:xzfdBS/v
>540
本当だったら直江と真田を親しくさせてから直江と石田を親しくさせる
はずだったんだが、俳優二人のスケジュールと合わなくて、石田、真田と逆になったらしい。
585 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 04:07:37 ID:E/jF/Hv8
最大の誤算は
三成も上杉も家康の動きを
きちんと把握できていなかったことだろう。
586 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 15:31:56 ID:r/ZEeSdc
>>585 何で情報収集能力がお粗末だったん?
秀吉も謙信も疎かにはしなかったはずなのに
587 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 16:55:48 ID:pZwPrVz7
>>586 家康の居場所を悟られない機動性には小牧長久手で秀吉もやられてる。
ましてや三成には。
588 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 22:38:08 ID:csmwCd0U
>>586 そもそも三成も兼続も情報収集担当ではないから
主人が疎かにしようがしまいが二人とも門外漢です
589 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 16:16:40 ID:jvHghFcg
集まった西軍の人達は三成の部下でもなんでもないから
情報収集を頼める人とか提供してくれる人が居なかったんじゃない?
それか情報戦はどうでもいいって思ってたか
590 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 16:20:18 ID:UpH7Nnys
関ヶ原の時三成は、畿内を短期間でほぼ完全に掌握したしね。
その意味で家康がいつ来ても防衛体制は万全だと言う過信があったかもしれない。
591 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 16:45:45 ID:vDkyOOOz
まぁ家康派は関東に出張ってて留守番くらいしか居なかったからね
592 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 15:56:45 ID:GgHw2yvq
とは言え、権力の座から退けられた小大名
としては鮮やかな手並みだ
593 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 21:09:03 ID:OPkVFHr+
情報戦はお粗末としか言いようが無いけどね
594 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 22:00:23 ID:GgHw2yvq
それはやっぱ経験値の差でしょ
何しろ自分がトップにたって采配振るう立場に
なかったんだし、しゃあない
595 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 23:08:23 ID:wNlib3rF
>>590 伏見城は少数の鳥居勢に相当な時間を食ったし
細川幽斎には見事に篭城されているし
大津では寝返った京極に部隊が足止めされているし
とても畿内を短期間でほぼ完全に掌握したなんて言えないが・・・
596 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 23:50:19 ID:SIRlqlMN
結果、兵力の分散をする事に・・・
597 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 00:47:34 ID:XKr4+xST
伏見城は当時最先端の城だから攻略に時間がかかるのは仕方がない。
幽斎はスルーしても良かったんじゃないかな。
大津には輝元の手勢を入れておくべきだったな。
598 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 09:01:38 ID:3dg67s1L
三成=馬謖
599 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 21:53:33 ID:AJ3YSFal
口先だけの頭でっかちで実戦では使えない奴って意味ではまさにそうだな
600 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 00:28:29 ID:EqJ6jlQl
馬謖は孔明が生きてるうちに首ちょんぱだったからまだ国は残ったが
三成は秀吉が死んじゃった後だったからなぁ
601 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 13:54:39 ID:zZsLS/vp
でも秀吉存命中に三成死んでたら、秀吉死後の朝鮮からの撤退がgdgdになってたと思う
602 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 14:10:59 ID:hP1oaepa
別に三成じゃないとダメって作業でもないだろ。
603 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 17:04:29 ID:/+RKZ/uo
あれって朝鮮に渡ってた連中(立花とか小西とか島津とか寺沢とか)が
死ぬ気で奮戦したから助かったんだろ、撤退指示は五大老・五奉行がした訳だし
三成一人居ないだけでgdgdになるって事は無いと思うけど
604 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:14:19 ID:+LjMzARD
>>601 三成がいようがいまいが朝鮮の撤退には何の影響もない
それどころか三成が少しでも早く死んでくれれば
現地の大名とのトラブルもその分だけ減るわけだから
豊臣にとってプラスになれどマイナスにはならない
605 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:18:44 ID:b7r2W0dR
>>604 > 現地の大名とのトラブルもその分だけ減るわけだから
三成がいなくなれば、その代わりの人間が同じ様なトラブルを抱えるだけ
かと思うぞ。
前線指揮官vs後方司令部
という本当にありがちな対立関係だから。
606 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 23:36:59 ID:IO+KDAJv
三成がいなくなれば、その分、史実以上に増田長盛が恨まれると
607 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 23:43:17 ID:gglk5fj5
毛利家文書によると七将襲撃の対象には増田も含まれていたらしい。
608 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 01:16:30 ID:hl5w1W93
>>607 三奉行が対象ってことか
大谷は含まれてないの?
609 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 23:56:15 ID:v6wz16k/
増田長盛・石田三成⇔黒田父子・蜂須賀父子
こういう対立構造
黒田側に池田輝政や福島正則が味方して、石田側に小西や大谷が味方した
610 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 01:48:23 ID:xfi6BXly
この段階までは寺沢正成も三成方で活動してたりするな。
611 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 16:23:46 ID:6fTFVPfw
しかし襲撃された方が隠居させられるなんていう
糞裁定によく従ったな〜
612 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 17:23:01 ID:LixUx5z3
だってまともに戦えばぶっ殺されてたもの。
殺されなかっただけまし。
613 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 21:19:04 ID:V/I/iwut
誰もこの裁定をおかしいとは思ってなかったわけだからな。
当時の三成がどんな評判だったのか知れるな
614 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 22:24:26 ID:+3HhWqO/
江戸時代が長く続かなかったら(たとえば100年)
三成は戦国時代の英雄の1人として大人気だったに違いない。
615 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 22:26:15 ID:LixUx5z3
幻想見すぎ
616 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 09:51:41 ID:2wqLk2H8
糞裁定も何も、あれでいいと思うよ。
三成があの後も中央にしがみ付いてたら、また襲撃事件が起きる。
んで三成殺される。
617 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 12:16:29 ID:2h643+cE
そういう現実的な現状分析と理知的な政治判断が
出来る人物だったわけだ。
根っからの政治向け人間だな
心中では糞裁定下した家康と襲った馬鹿どもは
いつかぶっ殺す!と思っていたと思うけどな
618 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 12:21:29 ID:ywxWQBUC
又気持ち悪い「俺だけは三成の気持ちが分かる人間」が沸いて出てきたな。
619 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 12:31:01 ID:oDKNHqZu
結果論で上から目線で語る気持ち悪い人間もな
620 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 12:31:11 ID:2h643+cE
そういう安い挑発には乗らないような人間だった
のだろう
621 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 13:41:54 ID:kCu0G1fA
安い挑発に乗ったから蟄居になったんですよ
622 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 16:57:33 ID:5tk4OuKa
>>607が言ってる毛利輝元文書では
「治部は涙を流して悔しがってた」とか書いてあるそうだ
輝元も納得いかなかったらしい。
三成はあくまで毛利と上杉に調停して欲しかったが上手く行かず、
結局家康が出て来て蟄居って事らしい。
623 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 18:19:46 ID:H8b3uQsR
豊臣政権での、大諸侯も震え上がる権臣が、秀吉の死によって力を失い、
利家の死と七将の襲撃によって完全に失脚。
復権を狙ってクーデターを起こしたっていうのが関ヶ原だよな。
624 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 22:34:49 ID:NdjcVK21
>>622 三成は朝鮮で多くの大名を役に立たない雑魚と評価していたのだから
自分が雑魚と認定した奴らに太刀打ちできずに逃げまわれば
家康は三成はデタラメな報告をしていたとして処罰せざるをえない
自分の叩いた大口を証明できなかった三成が悪いのであって家康が悪いわけではない
625 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 23:41:44 ID:jXDspCwz
看羊録には蟄居という処分に清正らが反発して前田らと謀って家康に対しても敵対行動を取ろうとしたとの記述あり。
626 :
人間七七四年:2009/03/07(土) 23:52:01 ID:2wqLk2H8
三成は家康に全面的に助けられた、と。
まぁ殺さなきゃ気がすまないだろうし
627 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 00:39:48 ID:Djbol9Ml
>>623 徳川史観すぎ。
家康が天下を狙わず秀頼の為に動いていたとでも
思っているのか…
628 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 00:42:33 ID:3kdDyPn+
三成に都合の悪い考えは全部徳川史観ニダ!
徳川が全部すべて何もかも悪くて三成は完全に被害者で完全無欠の善人ニダ!!
629 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 02:13:42 ID:D+yVSNnA
チョンは徳川贔屓なわけだが
630 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 02:18:10 ID:3kdDyPn+
>>629 ク ク || プ / ク ク || プ /
ス ク ス _ | | │ //. ス ク ス _ | | │ //
/ ス ─ | | ッ // / ス ─ | | ッ //
/ _____ // / //
. / l⌒l l⌒l \ )) ____
. / / ̄| ,=| |=、| ̄ヾ / ____ヽ
/ ̄/ ̄. ー'●ー'  ̄l ̄ | | /, −、, -、l ))
| ̄l ̄ ̄ __ |.  ̄l ̄.| _| -| ,=|=、 ||
|. ̄| ̄ ̄ `Y⌒l__ ̄ノ ̄ (6. ー っ-´、}
ヽ ヽ 人_( ヾ ヽ `Y⌒l_ノ
>〓〓〓〓〓〓-イ /ヽ 人_( ヽ
/ / Θ ヽ| /  ̄ ̄ ̄ ヽ-イ
さすが三成厨は何を言われているかすら理解できてないなw
631 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 02:53:01 ID:D+yVSNnA
そんなに恥ずかしかった?
632 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 02:59:45 ID:TqkAGpWo
最近、歴史好きの若い子と話したら、関ヶ原の家康と三成を
家康=保守派、体制側、悪人
三成=革命派、反体制側、善人
とか真剣に言い出してたよ
時流考えろよ、逆だろ逆
当時は豊臣政権だから体制側は三成だろうと
あげくチェゲバラみたいに信念のために死んだだと言いやがる
もう話にならねえよ
信念も何も革命失敗してるだろうが寝ぼけてるのかと
こんなんが増えてきてるのがネタでないから困る
633 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 03:22:49 ID:Qbk18K1u
>>632 豊臣体制における法的正当性がベースなら、徳川の方が体制側と言える
かもしれんね。三成がやったことは実質的にはクーデターだし。
634 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 07:47:30 ID:VTC1X0RX
三成奸人説も徳川史観なら、義とか信念とかいうのも徳川史観だよな。
天下を狙って行動したのなら、なんら恥ずべきこともあるまいに。
家康を倒したら佐和山に引っ込んで余生を過ごすなんてことはないわけで。
635 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 10:01:03 ID:saI5EaS9
三成がそんなんだったら豊臣も協力してるだろうし
人質も取らないよなww
講談とか無双とかで知ってるだけでそれが三成の全てだと思ってる、視野の狭い奴が増えてる。
三成が「義の人」とか「善人」とかアホ臭っ
636 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 10:40:57 ID:4Y3q8HFR
徳川幕府を永続させるに、
下克上のような考え方は危険になってくる。
そこで儒教が注目された。
あわせて幕府の偉大さを伝え反乱する気をなくさせる必要もある。
だけど初代の家康はまさに下克上の人。
実質豊臣を滅ぼしたという事柄が邪魔になる。
そこで関ヶ原&大阪において誰かを悪人にしたてあげる必要があったと(推測)
三成が善人だったとは思わないし、実際に敵も多かっただろう、
けれど必要以上に悪人に仕立て上げられたんだろうなとは思う(推測)
話は変わるけど
江戸時代を滅ぼしたのが薩長ってところが面白いと思います(感想)
637 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 12:42:56 ID:3kdDyPn+
>>636 > 江戸時代を滅ぼしたのが薩長ってところ
なんでかわかる?彼らは徳川幕府に「近かった」からだよ。
幕府による薩摩藩の厚遇は知らないものはいない。そして毛利も徳川の覇権直後に
越前松平家との関係を深め、政権中枢とつながった。
幕末の薩長の行動は、薩摩は、島津斉彬-老中阿部正弘-徳川斉昭のライン
そして長州は、毛利-松平春嶽-老中阿部正弘-徳川斉昭のラインでそれぞれ「水戸派」だった。
そのため彼らと系統の違う、井伊直弼以降の幕府の路線と対立したのであって、
彼らは改革こそ求めても、幕府を滅ぼそうなどとはカケラも考えてない。
明治維新が結果「倒幕」になったのは、岩倉、西郷、大久保の、ごく一部の人間による陰謀が
たまたま成立してしまった、ほとんど偶然の産物と言っていい。
「関ヶ原の以来の恨み」なんてのは、その「倒幕路線」の連中が煽ったプロパガンダに過ぎない。
「結果」から「原因」を類推する事くらい歴史を考える上で危険な事はない。
必ずそれは、「思い込み」が入り込んでくるからだ。
638 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 12:55:52 ID:Qbk18K1u
>>637 > 「結果」から「原因」を類推する事くらい歴史を考える上で危険な事はない。
いや、あんたこれはさすがに・・・
歴史学に限らず、人文科学はこれを科学的手法を用いて研究する学問なん
だが。
639 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 13:06:11 ID:4Y3q8HFR
>>637 詳しい説明ありがとう。
トップ周辺は自身の利益に結びつくほうに流れていくものなので
派閥多数、状況によってころころ変わってゆくことが多いけど、
そんな状況で、
さていざ倒幕、となったとしても完全保守な土地柄だったら
武家・民衆レベルをまとめあげることはできなくなるわけで。
要するに、そういうクーデターを起こす土壌が薩長にはあったんだろうな、と。
本当かウソか長州の年始の挨拶とか有名だし。
薩長が結果的に倒幕を果たした、これは偶然かもしれないけど、
それでもそこが面白い。
640 :
sage:2009/03/08(日) 14:42:54 ID:ANHD7m7W
>>637 こーゆう話は大好きだなあ
歴史ってのはそうなったって話だから、漠然と学んでると
年表覚えて、個人の経歴や物語調べて満足してしまうけど
偶然が積み重なってたまたまそうなったってのが実際だよね
三成や家康は特に思い入れ過多な「野望の為に豊臣を滅ぼした」
とか「家康の野望を食い止め豊臣家の為」みたいな主観が入ってる
人多いからな。
その時その時の判断の積み重ねで、なんだかんだで偶然こうなって
結果、歴史が続いていく物だと思う。
641 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 15:14:37 ID:Qbk18K1u
>>640 それも主観が入りすぎ。
人物主義というか、古典的歴史観というか、土台は君が批判しているもの
と同じ流れの上にある。
実際には地勢、社会構造、経済、自然現象等の影響を受けた必然的流れ
に、プレイヤーたる人間が「決定したように見える」という考え方もある。
どちらかが間違っているわけではなく、相互に関係し合っているわけだが、
それらの要因を無視して「結果」から「原因」を類推するのは危険、とか言う
のは暴論だ。
642 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 15:17:08 ID:7N4r7Ad1
三成が正義で家康が悪とはいわないが、家康の権力拡大を忌避するため活動し、
関ヶ原に豊臣家臣を動員できた三成の実力は無視できないし、
ただの権勢欲以外のものがなにかしらあったのだけは事実だろう。
家康=欲深、三成=忠義の硬直した概念化も無意味だが、
これを否定するあまり、そうした一面が皆無と決めつけても仕方ないんでないかい。
643 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 16:18:08 ID:3kdDyPn+
三成はそれこそ、家康の権力拡大の「サポート」しかやってない。
秀吉死後、三成は何かするたびに自分からコケて、そのたびに家康の権力が大きくなっている。
その集大成が関ヶ原。
忠義だけならどっちも言ってる。はっきり言ってそれに差なんてないよ。
結果豊臣家が滅んだ事を知っている後世の人が、双方の言い分には差があると思い込んでいるだけだ。
関ヶ原の結果は豊臣家が滅んだ事の「一因」ではあるが、「原因」ではない。
豊臣家の弱体化も滅亡も、さまざまな要因が複雑にからんでいる。
そう言うのを無視して「あの時豊臣家は三成を助けていれば」なんて発想は、典型的な
結果論でしかない。
関ヶ原にいたるまでの政治状況は、完全にパワーポリティックスで動いている。
義とか忠義とか、言葉でいくら装飾しても、その内実は極めて現実的、功利的なもの。
その「政争」を忠義などという観念的なもので把握しようというのは、はっきり言って無理がある。
644 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 18:29:40 ID:4Y3q8HFR
他人の結果論を否定してみたものの
自分の結果論に陥ってしまいました。
とはならないよな?
歴史とは何か、は行き過ぎるとどん詰まり
意外に単純なものが答えだったりすることもあるから、
けっきょく推測部分に答えなんかでてこない。
事柄・歴史は要因の積み重ね、なんてしたり顔でいわれても
「そりゃそうだろ」としかいえないし
こんなスレで語られても2ちゃんねらーの自己満足にしかうつらないって。
そういったもんは専門家の流行(気分)ってやつにまかせときゃいい。
645 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 21:54:54 ID:x5dugE9n
本当に豊臣を守るなら三成は秀吉が死んだら後追い自殺すべきだった
三成は秀吉の悪政の象徴的人物だから三成がいたら秀吉の負の遺産が残ったままとなり
恩義などの秀吉の正の遺産が機能しなくなってしまう
三成さえ死ねば豊臣政権への不満も解消されて存続可能だった
646 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 22:56:45 ID:Qbk18K1u
647 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 02:54:36 ID:WSJOHLvO
そりゃ本多のサドさんが死んでくれてりゃ徳川家の派閥対立が解消されて
武断派の諸将もみんなハッピーで幕府黎明期のゴタゴタも事件も全てなくなってて
大坂の陣も無かっただろうってくらい暴論だ。
徳川家との一番の違いは徳川政権に家康みたいな野心満々で実力別格の奴が居なかったことと
(残ってたのは精々が土下座外交の前田家とイタズラ好きな伊達家くらい)
豊臣政権は秀吉晩年の無茶苦茶で構造的に空洞だらけ、欠陥だらけだったってことだ。
あんな政権は家康のポジションに居た奴が力技で無理矢理押さえつけでもしない限り早晩潰れたよ。
648 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 06:17:44 ID:pGdVtdE0
天下一等のイヤミ男直江さんも残ってる分に入れてあげてください
649 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 09:02:10 ID:btH9lYz2
結果論だけど120万石を30万にしただけだよね
イケメン(笑)スイーツ(笑)大河の主役さんは
650 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 11:23:01 ID:nJTzn6uE
逸話とか見ると確かに忠臣だとは思うが、ものすごい嫌味な人間だよなあ>兼続
兼続のほうがイメージ上の三成に近い。
651 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 13:12:10 ID:Z6G43OPM
陪臣だからできる気軽さかもしれん。
652 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 13:36:09 ID:beJDQH6A
花の慶次で美化されすぎた
653 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 16:13:24 ID:1JBCeOmj
花慶の三成はなかなかの人物に描かれたり
突如メチャクチャ小物になったり、
よく分からない人物だった
654 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 16:13:31 ID:HtKgL8ov
直江も名家老なんだろうが、石田とは比べられないなぁ…
655 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 21:53:19 ID:HZZEc7C1
天下三家老の一人なのに2ちゃんですら全く話題の上ることの無い
堀直政さんの事もたまには思い出してあげてください。
656 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 22:18:17 ID:nJTzn6uE
657 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 10:59:04 ID:uxaklKN7
おまえら三成を評価するのなら、同じように武功派に排斥された細川頼之ももっと再評価してやってください。
658 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 13:04:55 ID:7DX+Mhzp
659 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 13:45:56 ID:o8Wlyn1Z
なんだ、てっきり前田玄以さんの事かと...
660 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 19:15:59 ID:tzN5GRIc
ついでに勢力がぐちゃぐちゃになってる
九州を任された今川了俊さんもお願いします
661 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 23:45:09 ID:M8HlujMe
豊臣秀吉
豊田佐吉
石田佐吉
662 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 23:07:35 ID:sBzKkZF8
秀吉から見たら可愛く思えたんだろうなぁ
663 :
人間七七四年:2009/03/24(火) 15:35:37 ID:84j4TCdO
豊田佐吉は真似かもね。
664 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 12:43:59 ID:0ZP2V/Bi
>>658 直江も最初はかなり強そうに書かれていたけど
佐渡の本間戦で一気に弱体化したよなぁ>花慶
665 :
人間七七四年:2009/03/30(月) 15:34:54 ID:iPbP5EdR
義風堂々で三成が登場するのが楽しみ
666 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 07:43:21 ID:qPxIEIXx
>>664 だってアレ北斗の拳だから慶次以外は雑魚でないと面白くないでしょ。
でも佐渡の敵役の武将がボクサーだったのには吹いたわw
667 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 08:03:48 ID:2Rs5dVtW
167 名無し曰く、 2009/01/07(水) 17:57:48 ID:8dUnnDdE
ケンシロウ『俺のバットがリン病になっちまったぜ』
668 :
人間七七四年:2009/03/31(火) 18:13:05 ID:l2ViCWTn
うめぇwww
669 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 07:18:17 ID:EPJFtEdb
大
一
大 大
万 吉
670 :
人間七七四年:2009/04/03(金) 22:31:25 ID:dqXskfJe
旗印かっこいいな
671 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 16:10:39 ID:JC2ZYgQU
三成ファン必見
今、俺の地元長浜市では三成関連で大々的にやってるよ
しかも三カ所で、、、、
千円出せばその三カ所他最大五カ所見られるんだ
全く関係ないけど海洋堂ミュージアムもはいれるよ
おいでませ長浜市へ
672 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 16:16:04 ID:JC2ZYgQU
しかもしかもしかもだ
その千円は三成手形といって立派な手形、、、、土産にもなる優れもの、、、おいでませ長浜へ
673 :
人間七七四年:2009/04/04(土) 21:16:42 ID:G4KpsUJ8
あー長浜前行ったけどショボイ町だったなあ
674 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 02:59:09 ID:cPtiyFV4
三成の地元の評判はどうなんだろ?
675 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 06:12:37 ID:VTL99H5M
地元のもんだがおれは大の三成ファンだが地元そのものはあまり人気ないのが現状だ
というのもこの長浜を繁栄させたのはhide、、楽市楽座や一定地域の税金免除、、(しかもそれはほぼ永久に保証されたもの、、石田時代はむろん井伊時代まで続いた)そのTOYOTOMIを滅亡に追い込んだ三成は地元なのに嫌われてるようだ
もっとも最近はかなり見直されて直江のドラマと言うこともあり大々的なイベントが開催されることになったわけだ、、、、因みに井伊を全面に押し出す(しかも三成は完全無視)の彦根とは完全に犬猿の仲?
万が一にも両市が合併する事は有り得ない
676 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 16:11:52 ID:rxgX8xIH
長浜かあ 去年行ったけどいい町だなあって思った
曳山博物館?とかあるとこだよね
こじんまりと整ってて歩きやすくて、地元の人にプライドがありそうなのが良かった
でも三成関連は…特に見なかったなあ
いまイベントやってるなら観に行きたいなあ
677 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 16:24:00 ID:rxgX8xIH
ちょっと気になって去年もらったパンフレットなど見直したら
「秀吉・三成出会いの像」にしか三成の文字はなかった
もっと前面にだして、三成プッシュした時代祭りとかいいんでない?
ところで、この評価は一般的なのか??
>TOYOTOMIを滅亡に追い込んだ三成
678 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 16:49:17 ID:IInCYnOS
まあ、教科書等、世間一般は秀吉が死亡した後は
1600年に徳川家康が関ヶ原で豊臣の家臣石田三成を破り、
1603年に徳川家康が征夷大将軍になり、江戸時代へ、
1615年に徳川家康が大阪の冬・夏の陣で豊臣を破る。
となってる品。
1600年の関ヶ原では石田を破ったから、豊臣が弱体化し、1615年での豊臣滅亡の原因を作る
1603年に家康が征夷大将軍になった時点で江戸時代になり、豊臣の世は終わり、徳川最高!になる。
1615年にその時代遅れの豊臣に止めを刺した。
というのが一般的な見解。
歴史の授業もそんな深いところまでは追求せず「とりあえず教科書の内容を覚えればテストは大丈夫」
的な流れ出し。
679 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 20:07:59 ID:vdjzKIxf
全国に少しずつ領地を持ってたらしいね
全部合わせれば35万石前後とか
秀吉からの寵愛され具合がよくわかる
680 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 20:28:36 ID:VTL99H5M
675だが今、長浜では三成遊戯というイベントでやってる
しかもポスターはかっこいい三成イラストで婦女子メロメロ、、、しかし長浜も調子いいな、、、
地元豊国神社ではあの糞加藤もまつられてるのに三成無視、、、なのに、、、、
ちなみにあの美少年木村もまつられてるけどこれは納得
681 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 22:44:14 ID:+2EdjMki
>>679 問題は三成がその石高を周囲に納得させるほどの功績を示せなかったことだろうね
だから三成は秀吉に言葉巧みに取り入り他の大名の領地を盗んでいるという家康の主張に説得力を与えてしまった
折りしも朝鮮出兵で前線の武将が恩賞にありつけない中で三成の領地だけが増えているという状況だから
三成に対する奸臣討伐はどうあがいても不可避だったと思うよ
682 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 23:19:43 ID:V/vI7F8Q
三成も徳川幕府初期における本多正信みたいに、
官僚として大きな権力を握っていても、所領は控えめであったのなら
優秀な官僚として生き残れたのかなぁ。
683 :
人間七七四年:2009/04/06(月) 23:57:52 ID:16eqFhJO
一万石か二万石で甘んじる必要がある
684 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 00:50:15 ID:aGO7RFF5
でも屋敷が質素だったとか、禄は兵の増強などに使い切ることを説いた逸話もあるし
私腹を肥やそうとしたわけでもないしさ…
>>680 せっかく所縁があるんだから、遺構や縁のある場所の保護や調査も
含めて地元には期待してる
しかし、観光協会HPを見てみたけど、具体的なイベント内容がイマイチ分かりにくいな
685 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 00:55:14 ID:g/xrzW90
朝鮮出兵は負け戦
領地などもらえるわけないだろ
それを三成のせいにして情けない連中だよ
加藤、福島ならせいぜいサムライ大将止まり、、、勝ち馬に乗っただけだろ
たが朝鮮出兵じゃ貧乏くじ、、不満を持つ事自体腹立つ、、、
しかしGENKOUの時、恩賞を出せない不満で安達泰盛があおりを食ったのと似てるな、歴史は繰り返す、、、
686 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 00:57:19 ID:PqGHohK+
>>684 > でも屋敷が質素だったとか、禄は兵の増強などに使い切ることを説いた逸話
つーか、この時代の武将には常識みたいな話ばっかりだぞ、それ。
そう言う「質素伝説」みたいなのを持ってきて三成がえらいというのはどうにも違和感を感じる。
687 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 01:00:32 ID:PqGHohK+
>>685 負け戦でもその手柄によって褒賞は当然出る。
敗北をしてもそれは連帯責任ではないのだから。
三成などの奉行衆の間違いは、体制の動揺を恐れて全ての褒賞を停止した事。
逆にこれが武将と奉行衆の対立を激化させた。
688 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 07:56:27 ID:zNNjzJaT
とくダネage
見ろよ!
689 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 09:33:13 ID:VFltXAS+
690 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 09:35:51 ID:dQdkJHcq
とっくに知ってる内容ばかりだな、まあスイーツ(笑)には
目新しい知識なのかもしれんけど
691 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 09:40:03 ID:dQdkJHcq
おーい、この男「誰が見ても家康の勝ちだった」とか言ってるぞw
よくまあ先生とか言えるもんだ
692 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 10:22:20 ID:qCmkDHQ+
>>681 オレ会社で経理やってんだけど、別の部署の連中や一部の経営陣は
全く持って経理財務の重要性を理解していない
戦馬鹿には三成やその他の官僚陣の功績は全く理解されないだろうな
693 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 12:54:15 ID:rtuqrgKV
いくら35万石分持ってようが散らばってりゃ意味ないわな
かたまってれば関ヶ原のとき(三人役、単純計算で)10500人は動員出来たのにな
こんだけいれば戦局を左右できるんじゃね
694 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 15:25:26 ID:Cfuk+fsr
>>688 だろうね。
三点リーダの使い方も間違ってるし。
高校でレポートとか小論文ぐらい書かされなかったのかな。
学校で習わなくてもビジネス文書の書き方は入社時に叩き込まれるはずなんだが。
695 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 15:27:34 ID:aGO7RFF5
>>686 だから偉いって言いたいんじゃなくて、まるで腹に一物抱えて
溜め込んでたみたいな言いがかりつけないでよ家康さん。って言いたいだけ。
それに実際そうしない人がいるからわざわざ説いてたんでしょ。
696 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 15:34:20 ID:9BMJT/kj
ケチケチ伝説じゃ、家康には敵わないものな。
697 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 20:01:55 ID:qRI42GJE
698 :
人間七七四年:2009/04/07(火) 23:38:05 ID:IIinSt4s
>>685 >朝鮮出兵は負け戦
>領地などもらえるわけないだろ
>それを三成のせいにして情けない連中だよ
ところが三成自身は朝鮮出兵の功績で恩賞を貰っている
武功派からすれば兵站も講和も失敗した三成が恩賞を貰うことは理解できないだろう
それに個々の局地戦では勝利している以上、前線の大名にはきっちりと武功が発生している
彼らが納得のいく論功行賞をしてもらうためにはたとえ豊臣が崩壊してでも
家康に権力を握ってもらうしか方法がなかったのも事実だよ
699 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 08:07:44 ID:TfWHiOCA
>>689 つまり朝鮮で困窮した大名が恩賞をもらうためには秀吉の遺言を破り無効にする必要があった
もちろん普通の大名にはそんなことは無理だから家康にやってもらうしかない
家康の遺言破りはある意味で諸大名の総意でもある
三成がどれだけ建前をふりかざしても士気が低く家康に勝てないのは
本音では家康の行動が正しいとみんなが思っているからなんだよね
700 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 08:15:07 ID:nj9iAVLt
まあ三成がKY(もう最近使わないねこの言葉)だったって事だあね
701 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 23:05:28 ID:q1qi3Yua
石田が徳川の家来だったら全てうまく行って、、、秀吉という最終的には負け馬に乗ったのは彼の悲劇
実際問題、徳川幕府が行った政策のほとんどが三成のパクリ
もし三成が徳川に従っていれば加藤などのくずのような扱いはしないだろう
ちなみに徳川と石田はわずかな関係だけど(家康の側室の縁者と石田の重臣の子供が結婚)関係があり実は両者とも戦いたくはなかったかも、、、
実際、石田の遺児たちはとくに悲惨な末路をたどっていないし三成の孫が大名をついだりして徳川幕府にとってはそんなに三成を憎んだわけでは無い、、
702 :
人間七七四年:2009/04/08(水) 23:23:07 ID:B2U3FqeR
それって直江加熱具が家康に天下を獲らせるために自ら進んで生贄になったのと
似てる 石田と直江とも寛大に扱われてる
703 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 02:41:23 ID:N7MVuB9S
704 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 02:49:27 ID:NgTINPkm
石田と加藤もどっちかといや仲悪かった事には変わりはないが
従来言われてるほど不倶戴天の敵同士ってわけでもなかったからなあ。
705 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 18:51:32 ID:FN423NXi
706 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 19:06:49 ID:tJB/jzCD
前半は司馬の小説に同じような事を書いてあったぞ
707 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 20:48:50 ID:0cctAjMO
>>705 知ったかぶりが口はさまないでよ
俺は石田関係の本読みまくってんだよ
津軽藩の当主が三成の孫という事実は隠しようがないし
(徳川が石田嫌いならおとりつぶしするよ、幕府の情報網はあなどれない)確かに徳川は石田の墓をつくらせなかったが体制を維持したかっただけ
、、、影では石田縁者と血縁をつなげ
させたりしたらしい、、、石田の才能だけは買っていたよ家康は
逆に能無し糞馬鹿男の福島にはほんまうんざりしただろう
708 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 22:29:19 ID:QB51Dukn
家康にとって三成はただの踏み台でしかないわけだから好きも嫌いもないよ
709 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 23:21:10 ID:WJIF5i7E
710 :
人間七七四年:2009/04/09(木) 23:46:00 ID:0cctAjMO
図書館行け、、石田にかんしてはだいたい目を通した(ただ俺は基本的にバカだからだいたいしか頭に入ってない)
711 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 02:01:35 ID:Fnc88UHm
>>685 >>692 他の大名を罵らないと石田三成を評価出来ないんだな、可哀そうに。三成もお前の考え無しの頭も
712 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 15:17:09 ID:8zul3BD1
>>707 では石田三成の政策と幕府がそれをパクったってのを証明してくれ。
713 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 15:43:06 ID:k4fGND0y
徳川体制と言うのは豊臣と言うより、東国で実験された統治手段の全国化と言っていいから、
無論豊臣体制の影響はあるが、それを過大評価は出来ない。
むしろ関ヶ原以後の家康は、豊臣体制の持っていた矛盾を克服する事に大わらわだった。
714 :
人間七七四年:2009/04/10(金) 17:22:40 ID:7DwksCCY
抽象的な文言に終止してなんら具体的でないとこが底が知れるというかなんというか
715 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 08:48:35 ID:/Ot912Tu
つまり家康は豊臣(石田)のつくったものを参考程度にはしたけど
それ以上ではないってカンジ?
716 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 10:32:16 ID:reEl49IZ
別に豊臣の統治政策は三成が創ったわけではないぞ
本人はそう思い込んで吹聴していたんだろうが
周囲からすればそんな思い上がりは豊臣の支配者を気取る奸臣にしか映らないよ
もっとも創ったと言った以上は豊臣の失政に対する三成の責任も当然発生してしまうわけで
最後は自分が失政の責任を取らされてしまう羽目になったが
717 :
人間七七四年:2009/04/11(土) 16:47:01 ID:0VttbeS5
「関が原」から30年後に一心太助に笑いものにされた。
こうなるとは知らずに打って出るとは本当におマヌケ。
718 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 11:11:41 ID:VkitU4ze
石田三成研究は決定的な史料がでない限りむずかしい。
あの時代では重要人物だったにもかかわらず。
でもここ最近の三成は過大評価気味なので、
あるならば、なんらかの史料が何年後かにでてきそうな気もしないでもない。
719 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 19:18:43 ID:5QCniDFI
三成の地元だが近年の地元の三成の評価はうなぎ登り、
悪政の限りを尽くした井伊よりも善政
をしいた石田が評価されるのは当然、
、、ただ石田の資料が徳川によってほとんど消し去られたのは痛手、、
今の井伊一派が市政を牛耳じってる彦根市じゃ
石田を取り上げることはないが湖北地方では
石田をこれまで以上に取り上げようとする動きがあるのは嬉しい
石田が正義だと思わないが良いことを
したら報われる事があってもいいだろ
(三成が以前、津軽氏を助けた事から
関ヶ原後、津軽氏は三成の娘を嫁に迎
えその子に跡目をつがせ三成の子を家
老に就任させて恩にむくいた)
720 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 19:20:18 ID:qoP+6X7q
三成褒める奴ってどうして日本語が不自由なんだろう
721 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 19:51:06 ID:5QCniDFI
仕方ないだろ
2chやるまでは手紙書いた事ないから、、、ただ直接の話し合いならまけないよ
722 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 19:55:58 ID:5QCniDFI
ところで今日知ったんだが明治になるまで井伊は佐和山を関係者以外立ち入り禁止にしてたんだってね
よほど石田を恐れてたんかね、、女の風上にすら置けないな、井伊は
直弼が殺されたのも因果応報、自業自得、、
723 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 20:05:19 ID:i4/UmVj8
俺は三成好きだが、ID:5QCniDFIはアンチを量産しようとしてるようにしか見えない
724 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 20:28:59 ID:hKRTu110
アンチもなにも、厨二病すぎて生暖かい目で見守られるだけだろ・・・
725 :
人間七七四年:2009/04/13(月) 23:23:11 ID:127LebYy
地元では三成の悪い逸話はあるのかな?
726 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 02:15:52 ID:l/fblPW+
>>723 ・すぐに「○○は過大評価」といって無理矢理感のある貶しをする手合い
・歴史上の人物を感情的かつ品のない表現で罵って得意になっているやつ
・論拠も示さず「○○は捏造」といって得意がる
こういう手合いは例外無く、ろくでもない奴。
正直、見てて気分のいいものではないし、自分の贔屓の人物の
魅力を語るのに、その対立軸にいる武将などを貶せばいいというもん
じゃないと思うんだけどねえ・・・・。
727 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 02:19:56 ID:drNOKD2o
>>726 まあ、上っ面の知識だけで何かを褒めようとすると、そうなるのでしょうなw
かといってそれを指摘しても勉強する手合いではないだろうし、むしろ自分が頭の悪い事や
勉強しない事を、ひらきなおって自慢するタイプすらいるし。困ったものです。
728 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 20:01:09 ID:EOt43jM+
実際問題、長浜市とくされ彦根が仲悪いのは周知の事実、、、彦根もせっかくの石田ゆかりの地であるのに三成で盛り上げてるのは花しょうぶえん通りだけ、、、ちなみに今、幕末最大の悪役井伊直弼のイベントやってるけど空気読め
729 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 22:32:19 ID:+jAeu4Rc
アンチ三成な自分だけど、728みたいの見てると
まともな三成ファンって可哀想だなあと思うよ
730 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 23:22:58 ID:SBHQfRMI
俺はとりわけ三成好きでも嫌いでもないけど
アンチ三成ってぶっちゃけ加藤福島並みの
筋肉脳の奴が多いよな
思考回路が似てるんだろうなぁ
731 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 23:25:33 ID:5u3SBkXB
加藤福島はやさしい力持ちで子供に人気あるけど、讒言ばかりする卑怯者石田は人気が無い。
732 :
人間七七四年:2009/04/14(火) 23:30:07 ID:lBG/qqZY
三成に都合の悪い資料は全て徳川の捏造です
三成に都合の良い資料が全て徳川に抹消されました
という思考回路の方がおかしいと思うけどね
733 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 00:12:36 ID:mDx4GcMH
なんかageてる人のレスって殆どおかしなものばっかだね
734 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 00:13:51 ID:N7PIbVCe
おかしなものを書くからageるわけで
735 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 01:07:42 ID:Jk70JTgM
家康とガチンコしたことは凄いと思うし、肝は座ってたと思うけど
それで主家の豊臣家が222万石から65万石に落とされてるわけで
家臣としてその選択はどうなのか
秀頼が成長するまで待てなかったのかとかさ
身の危険とかを感じたのかなやっぱ
736 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 01:10:10 ID:N7PIbVCe
>>735 まあ何事もなく上杉征伐が行われれば、間違いなく上杉はつぶれていただろうし、
その後家康による論考が行われ、豊臣家臣団の、家康への「家臣化」が進むだけだからな。
737 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 01:36:12 ID:L2tpghdD
前に書いたが三成が兵を挙げなければ
家康は前田→上杉→毛利?と各個有力大名を
潰していって、三成相手に関ヶ原やるより
遥かにローリスクで家康の独壇場にしてただろう
気がついた時には家康に逆らう奴は皆無
738 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 02:11:28 ID:N7PIbVCe
>>737 いや、潰すまでもなく、家康の名でもって大名を動員し、その論功行賞を家康の主導で
行う事は、その大名を被官化するのと同じことなのよ。
これは源平の昔から一緒。武士の習性は犬に似ていて、一旦主人だと判断すれば
それに忠誠を尽くすようになる。
上杉征伐に動員した大名の数を見れば、これだけで家康が、豊臣政権を超えた権威を持つ
大名達の盟主になったと、高い確率で予想できる。
739 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 08:58:47 ID:/8167qpY
豊臣の名で上杉を征伐すると言っている以上、それに従わないのは豊臣に逆らうも同然だろ。
もちろん家康の声望の大きさもあったとは思うが、豊臣政権を超えた権威を持つ大名たちの盟主は言い過ぎ。
740 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 15:28:19 ID:N7PIbVCe
>>739 源義家は朝廷の名の下に東国武士団を動員したが、それにより武士を郎党化した。
つーか、関ヶ原も方理論的には豊臣家の名の下での軍事行動だが、その勝利と論功行賞が
家康に付いた大名を被官化したと言っていい。
741 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 15:45:13 ID:oOutfoYT
豊臣家に大阪城と222万石があれば家康でも簡単には手出しできない
関ヶ原を起こさないで秀頼を三成や秀家たちが補佐していくべきだった
742 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 17:23:05 ID:zp3860w9
そうしたかったけど、家康の分断工作で豊臣家が引き裂かれた。
743 :
人間七七四年:2009/04/15(水) 23:20:32 ID:z9C+4HOz
>>741 三成は蟄居させられちゃったから、もう政治に関われなかったよ。
関ヶ原やらなくてもそのうちなんだかんだで改易だったろうな。
他の豊臣中枢の権力者たちについてもいわずもがな。
744 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 05:46:15 ID:WJ7aDdz2
三成がもし家康になびいていたら政治の中枢を任されただろう、、家康の家臣の顔ぶれを見るととても政治力では対抗できる奴がいないもんな
戦争しか脳がない連中ばっかりで、、、、、ホンダ辺りがいるけど対抗できるとは思えないし、、、
745 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 06:39:57 ID:wMb0d7B3
大久保長安の功績は大きい
746 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 07:51:39 ID:f9G4jCVJ
>>741 それが出来なかったから関ヶ原の戦い起こしたんでしょーがw
747 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 11:50:47 ID:Re5zq7Eq
>>744 加藤福島家みたく利用されてポイだろう
常識的に考えて
748 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 18:54:19 ID:1OdTtVod
>>744 石田三成って基本的に事務官僚でしょ。事務官僚なら三成には及ばなくても、
本多正純や土井利勝や板倉勝重、ちょっと歳は下るけど酒井忠勝など、
徳川家にも優秀な人材は大勢いるけど。
政治闘争という事なら三成は本多正信の足元にも及ばないし。
他にも崇伝や天海といったわけわからん奴らまでいる。
749 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 19:52:00 ID:WJ7aDdz2
>>747 あんな体力馬鹿はともかく石田は重用されるかも、、、、ただ石高はやらないだろうけど
750 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 20:16:14 ID:FOt7tlOD
つーか、三成も文官として優秀だったとは思うが、そんな、一定の水準を飛びぬけて優秀というほどでも
なかったように思うが…。
751 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 20:45:50 ID:sGj+iCmJ
わりと風通しのいい豊臣家中でもカドを立ててた三成が
陰湿極まる徳川家でうまくやれるわけがない。
752 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 20:57:45 ID:FOt7tlOD
>>751 逆だよ。
風通しがいいのは徳川家。豊臣家は異様に陰湿で陰惨だ。
753 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 21:20:23 ID:WJ7aDdz2
農民、下級武士からの成り上がりや他家からの転出、などなど陰湿を極まる豊臣家、、、、
754 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 22:50:49 ID:wMb0d7B3
他家との結びつきが皆無に等しい人材を掘り起こして、豊臣家の譜代武将として新たに確立するつもりだったんだろうが・・・
秀吉そのものには絶対的忠義でも豊臣家そのものにたいしては無い。
755 :
人間七七四年:2009/04/16(木) 23:16:59 ID:7eXeXjzM
豊臣はほとんどが高額報酬に釣られて中途採用で来た人間だから
現代でいうならウォール街の金融機関みたいなもの
会社が傾けば退職金をもらっておさらばするだけだよ
退職金を支払うための費用で会社が破産したってなんの問題もない
それが恩顧と豊臣の間の契約なんだから仕方ないでしょ
756 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 01:53:33 ID:w2+RX9js
その豊臣の親戚筋がこうも使えないとは、、、、
秀次兄弟(所詮そんじょそこらの農民のせがれ)、加藤福島(親戚でなければ単なるサムライ大将、家康につく理由がわからん)、秀秋(兄達が石田についてるのに、、、自分の立場考えろ低脳)、浅野(長政が家康領に謹慎させられたのは仕方ないか)
757 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 01:58:07 ID:MC3q6x/Q
758 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 02:25:18 ID:w2+RX9js
少なくとも家康は建て前では豊臣に逆らう上杉、石田を叩くためといってるが内心、豊臣と戦争するつもりだろ
何を今更、、、大半の(低脳の福島、秀秋は除く)大名は家康の天下取りに知ってて加担した、、江戸時代の方ですか?
759 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 03:09:33 ID:ZYfRouFn
>>758 そこまで単純な問題でもないだろ。
まあ、家康が天下の実権を握らんという意図はあったろうけど、関ヶ原の
段階で豊臣家を討滅する意図があったとは思えんし、そんなことが出来た
とは到底考えられん
760 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 06:51:36 ID:w2+RX9js
いずれにしても豊臣から天下をぶんどる気は絶対にあった
ただ豊臣は馬鹿息子の嫁の姉が豊臣の母だし可愛い孫娘が豊臣の嫁、、、、秀信のように一地方の大名にとどまるなら滅ぼすつもりは全くなかったと思う
ただ膨大な西軍の残党が浪人であぶれてしまったのは家康にしては誤算だったかも
761 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 07:22:12 ID:MPMNpUIS
織田信雄が安土城につづいて大坂城も焼き払うべきだった。
762 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 07:26:31 ID:844Da8yf
確かにそれなら後腐れは少ないな
763 :
人間七七四年:2009/04/17(金) 21:03:49 ID:cj2kjVQd
>>758 信長・秀吉のような奇人・変人と付き合い続け
さらに三成のような石頭と付き合っていくことに家康も含めて多くの大名が疲れちゃったんだよ
天下取りなんてそれに比べれば些細な問題に過ぎない
764 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 00:51:20 ID:j68INBc9
>>756 家康が天下取ったという結果論甚だしいな...
石田儲は石田三成が正義の味方だとでも思ってるのか?
三成に関する盲目的な考え抜きにして関が原以前からの秀秋なり加藤福島の立場考えてみろ。
政権から追い出されて、クーデター起こした奴に味方する必要全く無い。
765 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 02:45:06 ID:SsBD4rrG
十人衆の内、逼塞の身である前田、石田、浅野と戦時である上杉を除いた全員が
家康弾劾状を発した上での蜂起なのに、それをクーデターとかw
766 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 02:57:09 ID:rL+U23HR
>>765 誰がどう見てもクーデターだが。
堂々とした弾劾なら留守を狙うようなケチ臭いまねはしない。
767 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 03:09:21 ID:SsBD4rrG
「堂々」とか頭大丈夫か?
768 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 04:29:47 ID:rL+U23HR
>>767 何にけちつけたいのか良くわからんw
だいたい弾劾と言うが、弾劾の有効性を認定する「豊臣家」が、その弾劾を認めてないんですけど?
株主無視して取締役の一部が錯乱したに過ぎんなw
769 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 05:01:20 ID:FaABs57C
有力武将こそがが株主だと思うけどな
だからこそ秀吉も家康生かして置いたら邪魔だと分かっていながら
問答無用に排除、が出来なかった・・・
最終的に家康に過半数を握られて
代表権を握っていた三成=秀頼が総会で否定された
770 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 05:13:47 ID:rL+U23HR
>>769 > 三成=秀頼
いとも簡単にこんな訳のわからんことを言えるのがすごいなw
771 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 11:51:45 ID:SsBD4rrG
>>768 は?豊臣家って一体誰の事言ってんだ?
6歳の秀頼とか淀殿とか言うなよw
最近、「豊臣」連呼する馬鹿が居るが、何が言いたいのか。
豊臣政権の政治決定は大老と奉行の合議で行う事は秀吉が決めた事だ。
現在決定権のある十人衆全員による弾劾状は正しく政治的手続きを踏んだ物。
それを「クーデター」だの「取締役の一部が錯乱」だの無知も甚だしい。
772 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 11:56:04 ID:SsBD4rrG
訂正
現在決定権のある十人衆全員→
十人衆の内現在決定権のある者全員
773 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 15:20:51 ID:rL+U23HR
>>771 君は根本的にわかってないな。
> 現在決定権のある十人衆全員による弾劾状は正しく政治的手続きを踏んだ物。
全員とかいってる段階で先ずアレだが
いいかい?十人衆の合意があっても、それに形式的であっても「秀頼の承認」がなければ、
豊臣家としての政策にはならないの。
家康のそれまでの施策、勿論上杉征伐も、秀頼の承認を得た上でやっている。
ところが三成たちはこれを得ていない。
これがどれだけ大きな違いか、ちゃんと認識した方がいいよ?
774 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 15:50:05 ID:SsBD4rrG
>>773 > 全員とかいってる段階で先ずアレだが
他に誰かいるとでも思ってるのか?
775 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 16:53:15 ID:rL+U23HR
>>774 前田は?浅野は?
いつ「十人衆」から排除された?
それより「秀頼の承認」を、形式上すら得られなかった「弾劾」に、どうして合法性があるのか
きちんと説明しなさいよ。
776 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 17:06:22 ID:SsBD4rrG
>>775 日本語読めないのかw
浅野も前田も逼塞の身だ。だから「十人衆の内現在決定権のある」
って親切に書いてるだろ、ボケw
無知にも程がある。
順番に答えてやるから慌てんなよw
一つずつ解決しないと無駄にレスが長くなるけだ。
777 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 18:43:23 ID:rL+U23HR
>>776 つまり十人衆のうち、前田と浅野は逼塞だから無効。
家康と景勝は紛争の当事者だから無効。
三成も隠居だから当然無効。
で、十人の内過半数に満たない、毛利宇喜多増田長束前田の五人だけの合議が
有効だと言うのですねw (三成は奉行に復帰していません)
778 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 19:00:34 ID:vR+oky5i
現代風に分かりやすく例えるなら
与党議員が出張している隙に野党議員が勝手に国会を開いて総理大臣の弾劾を決めた
参加議員の全会一致だからこの弾劾は有効なんて主張したところで
それはクーデターでしかない
779 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 19:44:35 ID:FaABs57C
定足数達していたら、一方の勢力が欠席してようが有効
>>776理論からみると、欠席ではなく無効だから
定足数下がるようにも見えるwww
ま、あの時代、数だけあっても無意味だけど
780 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 20:04:36 ID:1O1f+awD
>>773 「秀頼の承認」ってどういうこと?
秀頼およびその近辺から、私婚問題から西の丸入城、上杉討伐など
家康の一連の動向について、それを承認するという意志が、書状など何らかの形で
示されたということかな。前田利家の生前には両派が屋敷に参集する事態にまでなっているけど、
それについては?
少なくとも秀頼本人に発言する力は無かっただろうけど、「秀頼を奉じる」という名目が
明示されていたということ?
たしか上杉討伐の時は、三中老などが「直江は田舎っぺですから・・・」とか
「秀頼を見捨てるのかと思われますぞ」と反対しているのを押し切る形で断行された
ものだったはずなんだけど。
781 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 21:07:09 ID:88heg+wS
秀頼の承認の有無かぁ・・それは関係ないだろ
何もワカラン子供だぜ子供
782 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 21:55:14 ID:vR+oky5i
よく秀頼はなにも分からない子供だからと言われるけど
7歳とはいえ豊臣がどういう存在でどういう状況に置かれているかくらいは当然教わっているだろ
武器を取ったり指揮采配を振るうことは不可能だけど
豊臣の政治的状況を理解することは十分に可能だし
それを理解したうえで家康敵視・三成支持の発言をすることも不可能とまではいえない
むしろ子供の方が思ったまま正直な発言をしがちなものだし
秀頼を完全な無能力者扱いするのも問題だよ
だいたい家康は7歳の時点でも松平の政治的立場を理解できていたというし
年齢ではなく個人の器量の問題だと思うよ
783 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:15:08 ID:FaABs57C
>>782 それは家康偉い!という政治工作の可能性も
784 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:17:35 ID:rL+U23HR
「秀頼」と言う名前での豊臣家による承認に決まってるだろ。
秀頼は子供で云々とか言ってる連中は、どれだけファンタジーな思考なんだ?
785 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 00:52:25 ID:L33zhVMn
>>784 じゃあその「秀頼」の意志を形成していたのはどんな連中なんだい?
そして、その意志はどのような形で示されたのか。そこんとこの見解は
いかに。
786 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 01:07:02 ID:AU3TS5xe
>>785 当時の「豊臣家」は、北の政所、淀殿、秀頼守り役を中心とした
大阪城内のグループでしょうね。
> そして、その意志はどのような形で示されたのか。
例えば家康の上杉征伐に関しては、秀頼の名前で、黄金2万両と米2万石の下賜と言う形で
その行為を承認しているね。
787 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 02:06:09 ID:L33zhVMn
>>786 「豊臣家」の意志も一枚岩じゃないんだよなあ。北政所は西軍寄りの行動をとっているし、
秀頼の旗本部隊の中でも西方へ参加したようなやつもいるし、微妙な問題だよね。
正直、豊臣家の総意としてどちらかを明確に支持していたとは言いにくいと思う。
まあ、三成の謀議も大谷吉継といろいろ画策してた段階では、淀殿も三奉行も関与しておらず、
淀殿と三奉行は家康や輝元に、事態の収拾を図るべく上洛するよう働きかけている。
この段階だったら、まあただのクーデターといってもいいのかも知れんけど、結局浮田どころか、
三奉行や毛利輝元が揃って家康の糾弾を行い、秀頼を奉じてしまったわけで、そうなると
三成およびその与同者の行動もまた「公儀」の意思ということになる。
788 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 02:50:06 ID:AU3TS5xe
>>787 勝手に秀頼を奉じた所で、その「秀頼および豊臣家」は、積極的な三成への加担を
最後まで宣言しなかったわけで。(裏でどう動いていたかはともかく)
これはとても公儀の意思とはいえないよ。
789 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 06:40:56 ID:9t5JEE5c
幼君を武力で強奪した奸臣の集まりに見える
790 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 07:11:30 ID:Gt6eQC31
「豊臣家」としては、西軍に対し黙認はするものの正式なお墨付きは最後まで与えていない。
事実、三成の軍資金要請を断っている。
一方で豊臣家の旗本の一隊が関ヶ原に参戦している(勝手に参戦した、ということになっている)
つまり、東軍が勝っても西軍が勝っても申し訳が立つようにしたということだな。
791 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 09:53:00 ID:AIZ7POUB
なんか、無茶苦茶な論争してるな。
豊臣家の意思に秀頼とか淀は関係ないだろ。
秀吉が秀頼成人までは10人衆が代行すると規定しているのだから、
豊家の意思は10人の政務機関によって決定される。
(実戦力を持たない子供の意思なんてどの大名も屁とも思わん)
奉行は三成と浅野が除かれ、増田・長束・前田の3名。
大老は徳川・前田・毛利・上杉・宇喜多の5名。
前田は事実上失脚、徳川と上杉は実質交戦中。
その中で毛利・宇喜多・増田・長束・前田の全員が挙兵したのだから
豊臣家としての徳川征討戦として位置付けるのが自然だ。
上杉討伐は豊家の命を受けた形になっているが、弾劾状の発行、
豊臣家の私的機関である奉行衆(浅野・三成・増田・長束・大谷の過半)と
一族である宇喜多の挙兵により対上杉戦の正統性は否定されたと考えるべき。
蜂須賀と清正が日和ったのも当然だと思う。
三成が好きか嫌いかは別の問題だ。
792 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 10:28:37 ID:trAgcvBQ
そこまでやって負けるなんてみっともないね
793 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 10:38:37 ID:Gt6eQC31
君の言う「豊臣家」は、家臣同士の内紛であると認定しているわけで。
関が原の合戦が豊臣家による徳川征討戦だったら、戦後豊臣家は家康に滅ぼされても文句言えないよね。
豊臣家と豊臣政権は違うしね。
秀吉の生前は両者はイコールだったが、秀吉の遺言により豊臣政権の運営は家康を筆頭とする
奉行・大老に委任されている状態。
一方の豊臣家の運営は後見役の前田利家によって行われる(利家死後は秀頼の側近)。
上杉征伐は豊臣政権の意思の執行であり、豊臣家の承認も得ている。
関が原の合戦の西軍は、(家康不在の)豊臣政権の意思の執行ではあるが、豊臣家の承認は得られなかった。
つまり秀頼の側近達は、家康が景勝に勝つのは間違いないが、家康と三成が戦って
どっちが勝つかは予想できなかった。どっちに転んでもいいように二股かけたということだろう。
794 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 12:30:48 ID:BeISJE5M
> 関が原の合戦が豊臣家による徳川征討戦だったら、戦後豊臣家は家康に滅ぼされても文句言えないよね。
んな事したら、自分が反逆者だって認める事になるだろ。
飽く迄、家康は三成が秀頼を謀って挙兵したという事にしなくてはならないのだから
事実がどうあれ豊家を処罰する事なんて出来る筈も無い。
利家は秀頼の傅役であって豊家の運営を任されていただなんていう事はないぞ。
家康は秀頼の妻の祖父、秀忠は舅、利家と利長は傅役とする事で
秀頼と縁戚関係にある徳川に対して、バランスを保たせようとしただけ。
利家死後は秀頼の側近が後見?誰の話だ?
傅役は利家生前から利長も任ぜられている訳で。
795 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 16:36:04 ID:t/U9j/jI
皆難しい事知ってるなあ
796 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 19:28:23 ID:gYVvA4V/
あのー石田三成の話をしょうよ、、、
797 :
人間七七四年:2009/04/19(日) 22:49:59 ID:AIZ7POUB
>>793 豊臣家と豊臣政権が違うという点について、説明してくれ。
798 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 00:19:50 ID:N+bedgfM
>>791 >豊家の意思は10人の政務機関によって決定される。
どうも誤解されているようだが、秀吉は10人の政務機関で合議制をしろなんていっていない
あくまでも徳川と前田の二頭政治を基本として他の連中は補助的な役割を与えたに過ぎない
だから前田の死後に徳川が独裁を強いても秀吉の遺言に直接背いたことにはならない
逆に自分と徳川を同等の関係にして合議しろという三成の方がむしろ秀吉に背いている
なぜなら秀吉の作ったシステムがそもそもダメなシステムなのだから
だから三成側は秀吉の敷いた政治体制を改革すると主張すべきだった
そうすれば補助要員からもあぶれた武断派や小早川などの支持も期待できたのに
あくまで秀吉の政治体制を守ると主張して彼らを除外したままにして
自分たちの決定だけが豊臣の意思だから黙って従えというような真似をしたため
西軍の正当性が否定されて最終的には単なる補助要員の反乱に成り下がった
799 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 01:03:15 ID:kNxt8J47
>>797 分かりやすく説明するなら天皇家と日本政府は違うだろ
天皇家を守るといって総理大臣を殺しに行ったらそれは日本政府への反乱だ
たとえその総理大臣が天皇への忠義など皆無で共和制にして自分が大統領になろうとしても
殺しに行っていい理由にはならん
800 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 05:12:42 ID:lSisupTw
>>797 政権、というか大名には奥と表があってだな。
奥の主人が表でまつりごとを行うとは必ずしも限らないでしょ?
801 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 06:19:14 ID:wfWC0N8l
三成の父親の正継や兄の正澄も相当優秀な人物だったんでしょ
802 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 10:24:09 ID:uTJheJ6n
何をもって優秀とするかによるだろうな
803 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 23:24:34 ID:N+bedgfM
>>791 >その中で毛利・宇喜多・増田・長束・前田の全員が挙兵したのだから
増田・玄以は勝手に名前を使われただけで挙兵もしていない
むしろ家康に内通しているぞ
>豊臣家の私的機関である奉行衆(浅野・三成・増田・長束・大谷の過半)と
大谷は奉行衆ではない、奉行衆で挙兵したのは失脚組を含めても石田と長束のみ
したがって過半数ではないから正当性もない
>一族である宇喜多の挙兵により対上杉戦の正統性は否定されたと考えるべき
秀家を豊臣の一族扱いするなら秀康だって秀秋だって豊臣の一族になるぞ
家康に味方した一族の方が多いんだから正統性は家康の方にあるな
>蜂須賀と清正が日和ったのも当然だと思う。
両方とも明確に東軍に属しているのだが?
西軍を正当化しようと詭弁を繰り返しているけどもう少し勉強した方がいい
804 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 03:02:53 ID:JSVruoR+
>>803 確かに三奉行は、当初の段階では三成・大谷に加担するどころか、事態収拾を図ろうと
しているけれど、その後で、増田と前田が名前を使われただけってことは無いと思うが。
当初は家康も、三奉行は自分と同一の立場であると最上義光などに知らせて
いたようだけど、7月末には「奉行衆別心」と黒田長政や、諸方に出した
書状で言及しており、奉行衆が敵に回ったと述べている。
(長束はともかく、増田と前田がかなりブレた行動をとっているのは事実だけどね)
増田・前田が名前を使われただけと言及している史料があったり、研究者がいたりするなら
紹介してもらえると嬉しい。
「豊臣家」の意思云々についても、「豊臣家(
>>786の定義に従う)」内部のみで
考えても、片桐且元のように家康に比較的近い連中もいれば、高台院のように寧ろ
西軍に近かった人もいるわけで、豊臣家の意思はどこにあったと、明確に言えないんじゃ
ないか?例えば、「豊臣家」が明確にどっちかにつけと言ってるんならともかく。
正直、どちらも「豊臣政権に背いた、害を成す謀叛人を討つ」という名分で動いており
正統性云々という以前に、それほど変わりはないんじゃないか?
805 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 06:22:48 ID:jE7qenjn
さっきからきれい事書いてるけどどこでどう見ても家康が天下をぶんどる為、強引に物事を進めやむを得ず三成が毛利などを説得して動いたという感じなんですけど、、、
戦争にきれい事なんかほざくなよ、、、所詮勝てば官軍、、、アメリカ中国が正義だとおもってんの、、、
806 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 06:25:53 ID:7xBQMDXP
先に秀吉の遺命破って政権の主導権を握ろうとしたのは三成の方なんだけどね。
807 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 08:23:31 ID:mB8UyX4h
ただの権力争いだからなwww三成だって慈善事業や義のために立ったわけじゃないしなwww
いきなりアメリカ中国とか言い出すあたり
>>805はただのバカだろうけどwww
808 :
sage:2009/04/21(火) 09:41:09 ID:ygMckjx+
石田三成がどういう理由で挙兵したかなんて結局は誰にもわからないだろう。
石田三成の心の中を読めでもしない限り。
義が理由で挙兵したのかもしれないし、権力を欲しがっただけかもしれない。
誰にもわからないことを議論して意味があるのかい?
ただの煽りあいにしかならないよ。
809 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 09:50:07 ID:7xBQMDXP
夢を壊して悪いけど、義は無いわ。
810 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 09:54:42 ID:mpbs3+P4
小早川…
歴史に名を残すほどの日の本一のヘタレ…
811 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 12:20:23 ID:d0RYBvBg
812 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 12:49:48 ID:J3YosQ58
俺は家康が豊臣政権を牛耳るために動いてて干されて捨てるものがない三成が
一か八かで漁夫の利を狙った戦いだと思ってた
ここでひっくり返せてれば面白かっただろうになあ
変に三成を崇めて話をおかしくするやつも減っただろうし
813 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 12:56:06 ID:+lP57ylz
日本国安寧のために尽力注いでた内大臣に歯向かう奸人三成は成敗されて当然
814 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 13:44:44 ID:/6twH2Na
勝つ気満々でしょ。数だけは家康より集めたわけだし、畿内も制圧している。
ただ、結果は見ての通りだけど。
計算高ければ秀頼が成人するまで待つけどね。家康が死ぬまで待てばなお良い。
ただ、三成としては、秀頼が成人になっても、自分が復権できるかどうかというと、
必ずしもそうではないのが痛いところか。
奸人だとか、正義だとかいう言い方はあまり好きではないな。
日本を真っ二つに割って覇権を狙ったというのは恥ずべきことでも悪いことでもあるまい。
815 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 14:22:12 ID:pKtIY3gI
佐吉の一世一代のがんばり物語。
816 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 14:31:54 ID:wBP6Ilp7
秀吉もそうなんだが、三成は手紙に詳しい内容を書き過ぎている
細かな兵数や作戦、自軍の状況なんかを細かく記述しており、官僚らしいといえばそうだが
これは使者が捕まった場合に、内情がだだ漏れになるという大問題があり、現に書状が家康に
渡って、それが関ヶ原決戦を家康に決断させたと言われるくらい
普通は書状には簡単なことだけを書き、後は使者に口頭させるのが基本なんだが、この重要性を
認識していないならば、その人物は指揮官としては三流以下と言えるだろう
817 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 16:44:10 ID:KYPMW5wx
自分を取り立てて重く用いてくれた豊臣家をなんとか救いたいって気持ちが三成にあってもおかしくない。綺麗事に聞こえて嫌な人もいるだろうけど
818 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 16:47:11 ID:2kQ+PnJ0
結局はその豊臣の力を削ぐだけだった
819 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 17:01:15 ID:7xBQMDXP
つーか、三成がいなくても豊臣家の奉行システムが生きていれば、摂可泉以外の
全国に広がっていた蔵入り地の管理もでき、日本全体を把握した豊臣家による支配システムも
それなりに機能したんだよ。
この奉行システムは、平時なら、家康の権威権力がどれほど大きくなろうと
手を出せるものではない。
豊臣家が天下を失ったのは関ヶ原の結果、この奉行システムが崩壊したため。
状況から見れば、三成は豊臣家、豊臣政権がどうこうすることではなく、
自身の権力者としての返り咲きを狙ったから挙兵したのだと断言していい。
820 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 18:20:08 ID:sEgCSW4j
豊臣家というより豊臣の権力をだな
821 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 18:40:14 ID:KYPMW5wx
豊臣の蔵入地は家康によって勝手に他大名に割譲されてるから磐石とは言えない。奉行システムだって家康が理由をつけて奉行を蟄居処分にしたりしたから弱体化してる
このままだとホントに乗っ取られるのでは!?
822 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 19:33:36 ID:7xBQMDXP
>>821 しかし奉行システムが完全に崩壊し、直轄領である摂河泉を除く全ての蔵入り地が消滅するような
状況にいたったのは、関ヶ原が起こったせいだよ。
823 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 20:07:43 ID:+lP57ylz
消滅じゃなくて奸人三成を成敗した侍達に褒美としてやっただけだよ。
日本国内史上最大の戦闘なんだから。
824 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 20:41:48 ID:KYPMW5wx
>>821で言ったのは関ケ原前のことね。こういった家康の専横に対して三成が挙兵しなけりゃ家康に豊臣家が乗っ取られてるよ
825 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 20:52:34 ID:Z0GZO6g4
暗殺未遂でお咎めなしのほうがおかしいだろ
826 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 20:53:14 ID:GERmdOXB
>>819 利家が死亡の直後に家康の最大の対抗馬である前田家が討伐寸前にまで追い込まれている状況だったんだから
これで危機感感じない方がどうかしているだろう
827 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 21:48:10 ID:t/qnBQHV
828 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 21:49:26 ID:keDnLT8Z
あれだけあからさまに天下取りへの野心見せてるのに当時は豊臣政権内の権力争いって見方が多かったのかなあ
829 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 22:42:30 ID:c54tJwIp
>>824 大老・奉行に選ばれた連中以外は豊臣の政治に参加できないわけだから
家康が豊臣を乗っ取ったところで大半の大名には直接的な被害はない
三成は仕事がなくなって困るだろうけど三成の仕事のために戦う義理もないわけだし
逆に家康が乗っ取ってくれた方が恩賞が大盤振る舞いされるメリットを享受できる大名もいる
いくら三成がこのままでは豊臣が乗っ取られると叫んだところで
乗っ取りを防ぐことのメリットを諸大名にきちんと説明できなければ士気も上がらないし負けて当然だよ
もっとも秀吉の晩年にあれだけの醜態を見せては豊臣を守るメリットなど説明しようがないけどね
830 :
人間七七四年:2009/04/21(火) 23:04:02 ID:7xBQMDXP
>>827 デマなんて証拠は一切無い。
デマって言うのは「徳川謀略史観」以外の何者でもない。
831 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 01:24:04 ID:LNZhmGAA
豊臣に恨まれないかたちで徳川に鞍替えするために
双方で示し合わせた出来レースだよ
832 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 07:28:32 ID:NnvaMD9b
その発想は無かった
833 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 07:30:56 ID:Hwo/glae
外征に失敗して政権崩壊や、後継者が幼君で乗っ取られたりとかは古今東西よくあることだから
全部秀吉が悪い
834 :
人間七七四年:2009/04/22(水) 12:27:35 ID:BFhUalMo
過大な封地に、将としての名声、執政としての大老、ついでに次世代の外戚(予定)なのだから、
どうぞ乗っ取ってくださいと言わんばかりではある。
ただ、乱が起こらないと形式上の主家としての豊臣の地位を揺るがすのは大変ではあるが。
奉行システムそのものは、執政が居てはじめて機能するものだから、秀吉の死で既に崩壊している。
835 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 03:53:37 ID:Nc33hllN
家康には反乱覚悟でもっと強圧的に対処するべきだった、、、
義満が大内、今川、山名に対してやったみたいな
朝鮮半島なんざ物乞い国家を攻めてる場合ではなかった、、、信長ならそうしてるよ
所詮hideは天下とる器ではなかったという事
836 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 06:25:08 ID:Nc33hllN
hideの失態をミッチーが被った感じ、、、しかしhideって馬鹿?
江戸100万石程度やってその隣に上杉とかを配置するべきだったのに
837 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 09:16:20 ID:QvZ8ISGf
838 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 10:41:57 ID:SujkZG7R
古代中国みたいに秀吉が家康に禅譲していればよかった
839 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 17:51:58 ID:Nc33hllN
>>836 家康は北条と政略結婚していたのでさんざんスパイ呼ばわりしておとり潰しにするぞと脅せばいいだけ、、
人質に出した母妹はすでに死んでるので遠慮するべきではない
840 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 19:38:47 ID:QvZ8ISGf
それで家康ぶち切らせて、敵に回す根性は秀吉にはない
841 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 23:10:51 ID:dJu+lk8t
>>839 時系列が滅茶苦茶だぞ
母妹が既に死んでるということは朝鮮出兵が泥沼化した時なので
家康に強硬的な態度なんて取りようがないだろ
842 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 00:46:39 ID:DNWwyNVd
そうだったね、、まだ母妹は生きていたよね、、、
ましてや秀長も、、、ただその当時の段階で全国ほとんどの大名が従っていたのでもう少し強気でいけたはず、、
、義満がほかの大名にした事を考えれば甘すぎる、、、
江戸は将門という神がついてる土地、、、
ここをホームにさせるとはhideも歴史を知らなすぎる
843 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 11:43:38 ID:xzgS42UM
義満とて息の根は止めていない。その意味では秀忠が凄い。
844 :
人間七七四年:2009/05/04(月) 00:58:45 ID:nsx0BhTD
今日長浜行ってきた
戦国武将には全く疎いが良いところでした
知識があればもっと楽しめたかもと思い、色々本を読んでみるつもりです。
845 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 08:27:15 ID:VHNWAKRC
いずれにしてもミッチーはhideの尻拭いをしたという感じ、、、、無能福島、金吾らを大名にするわ家康をのさばらすわ、、、、反乱をでっち上げて家康を討ち死させ秀忠に20万石うけつがせばいいのに、、、
846 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 18:29:29 ID:v94hhuEt
関ケ原の戦いなんてやらないで、
家康が死ぬのをじっくりまってるしかなかったかな。 豊臣家は金があるんだから、どっしりと構えてさ。 その間に秀頼も大きくなるだろうし。家康が死んだら徳川は百万石に削ってしまえば、あとは上杉がしっかり押さえ込んでくれる。
847 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 20:18:08 ID:YKNB4GTP
それ以前に上杉滅びますが?
848 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 20:31:00 ID:i+8UkPpU
つーか三成の挙兵は豊臣家のためじゃねえっつーの
849 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 20:59:06 ID:v94hhuEt
なんで上杉が滅びんの?
850 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 21:12:40 ID:op98t9O3
>>819 その奉行システムとやらを指をくわえて見ている家康ではないでしょう。
>>826さんの見方が一般的ですね。
851 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 21:55:52 ID:33yUXmCv
852 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 21:59:18 ID:i+8UkPpU
>>851 自分の権力中枢への復帰の為に決まってるだろ。
853 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 23:11:30 ID:Fw5vK0Tk
嘘でもいいから「たとえ家康を倒しても政権には復帰しません。戦に勝ったら隠居しますから私を嫌う人も協力してください」
くらい言えばいいのにね
三成は自分の欲望に忠実すぎたんだな
854 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 23:22:11 ID:i+8UkPpU
儒教道徳のいきわたった江戸期の侍じゃ無いんだから、「主家の為」とか、そんなくだらない理由で
戦争起こすとか、三成のことを馬鹿にしすぎだわ。
三成はもうちょっとスケールの大きい男だよ。
855 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 23:44:56 ID:33yUXmCv
じゃあ自分で天下とるつもりだったの?
856 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 23:47:00 ID:i+8UkPpU
そりゃ取れる状況になれば取るだろ。当然。
857 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 23:53:44 ID:33yUXmCv
三成自身が豊臣家を潰しそうなそぶりもあったの?
858 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 00:50:34 ID:6yntLxks
三成の権威は家康よりもずっと豊臣に依存してるから利用する方がよさそうだけど
859 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 01:27:35 ID:jPagyO9i
>>857 家康が関ヶ原の段階で豊臣家を滅ぼすそぶりがあったとでも?
860 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 11:21:42 ID:Bg+RU4uA
>>859 滅ぼすつもりが無くても、豊臣の影響力を削ごうとはしていただろうね。
出なけりゃ論功であそこまで豊臣の領土を削らない。
861 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 22:38:38 ID:QP5zu2LV
三成の能力なら、家康と仲良くしとけばそれなりのポジションにいられただろうからね
家康の風下に立つくらいなら死んだ方がましだと思って挙兵したって理由の方が面白いかな
862 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 23:11:14 ID:Tx3YJhNf
もし三成が挙兵しなかったら、、、
上杉滅亡→毛利土下座屈伏(因縁つけられて40万石に削減→石田、東北に左遷などなど→結果、秀頼成人までの間に家康の天下は確定→しかし家康死後能無し秀忠の能力では天下を保てず再び戦国に逆戻り、、、室町以下の脆弱政権か、、、東西日本に別れるかも
863 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 23:14:39 ID:iNi6+8xf
>>862 > 秀頼成人までの間に家康の天下は確定
こうなるなら、秀忠は史実通りの豪腕ぶりを発揮して、まさに史実と同じ流れ
になるだろ。家康の死後に不安定になる要因など無い。
864 :
人間七七四年:2009/05/12(火) 23:22:56 ID:6nBlsbYI
>>860 それでも約束分より少ない恩賞だからな。
背に腹は代えられまい。
がんばった自分へのご褒美も必要だし。
865 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 02:54:20 ID:uKp9vg+s
test
866 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 02:56:16 ID:uKp9vg+s
関が原で島津とか猛将系を最前線に配置して後先考えずに速攻で
思いっきり東軍を押し込む作戦で小早川を日和見逆寝返りさせてたら勝てなかったかな?
867 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 03:05:53 ID:96PjfRNA
>>866 その猛将達がまったく動かなかったのは史実の通りで無理。
868 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 00:06:52 ID:CpsMh/1W
島津とかはやる気はあったけど、石田があまり丁重に扱わなかったり
なかなか有用な提言(夜襲かけちゃおうZEとか)を無視したからじゃなかったっけ?
ってことは彼らを丁重に扱っておけばいい働きしてくれたんじゃない?
小早川がどっちにつくかヤバイ上に小早川が裏切った時点で乙ってのは
既に薄々分かってたからそこら辺を加味して最初に一気呵成に責めないといけないのと
それにあわせて先人を切る猛将達を徹底的にヨイショしないだろうとは思わなかったのかな?
869 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 00:14:20 ID:CpsMh/1W
もう一つ質問だけど、毛利、吉川、小早川は一番強大な家康を関が原で
ぬっころしておけば石田はおいおい料理できるし、天下を前に残る
邪魔者もせいぜい前田か上杉とか手に負える程度の相手だし、
秀頼を形だけ立てといて裏から牛耳るとかもできたのになんで
ガチで家康を殺しに行かなかったんだろうか。毛利はやる気だったみたいだけど。
そういう意味でも小早川は暗愚だったのかな。
家康からすればどう考えても毛利系は当時一番邪魔な相手だろうから
寝返ろうが何しようが遅かれ早かれ切りかかってくることは分かるだろうに。
870 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 00:24:11 ID:pMMSnyEC
>>868 > 島津とかはやる気はあったけど、石田があまり丁重に扱わなかったり
> なかなか有用な提言(夜襲かけちゃおうZEとか)を無視したからじゃなかったっけ?
> ってことは彼らを丁重に扱っておけばいい働きしてくれたんじゃない?
それは後年、島津が自分を正当化するためにでっち上げた作り話。
そういうのを素直に信じなさんな。
871 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 01:03:31 ID:CpsMh/1W
じゃあ島津は何しにきたんだ?
>>870 いや普通に歴史の本とかに書いてあるからな。そこまで歴史オタクじゃないからわからんよ。
どの本の記述がでっちあげで、どの本の記述が正しいのかカンペキに見抜けるなんて奴の方が
少数派でしょ。あんたの知識はたいしたもんだがオタク度数の高さをひけらかすように
>>そういうのを素直に信じなさんな。
こういうムカつくコメントはつけないでくれ。
872 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 01:24:39 ID:SYBaIavo
>>871 知識があれば見抜ける話なんだと納得するなら素直に忠告として受け取っとけ
こんなもんでいちいちムカついてちゃオタクしかいない板で会話できねーよ
873 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 01:46:54 ID:EFpV34iU
長政記によると、石田が島津を先手としようとした所、島左近が反対したので
島津を横撃に廻したという事になっている。
島津の位置は史料により二備、四番備、後備などと書かれており、
正確な配置は分かっていないが、後方の備として扱われていた事は間違いない。
合戦の最中にも石田隊に家臣を派遣し、作戦を練っている。
また、鉄砲衆も派遣したが、辿り着く前に先手が崩れてしまった。
三成の要請を断ったのは小早川が東軍へ加わり、敗色濃厚になってからの事で、
この時点で自らが生き残る為に独自に行動しようとしたのは仕方の無い所。
夜襲を断ったというエピソードは江戸後期に書かれた「西藩野史」にあるが、
信憑性が乏しく、創作であったと考えられる。
また、墨俣からの退却時に心配した石田が供回りも連れずに島津を出迎えに来たと
「神戸久五郎覚書」にあり、粗略に扱っていたとは思えない。
874 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 07:45:23 ID:pMMSnyEC
>>871 自己正当化っぽい言説は先ず疑ってかかれ。特に負けて生き残った側の物は。
875 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 23:33:56 ID:hnSC7Erf
じゃあ島津の戦場のど真ん中を突っ切って逃げたってのもねつ造?
876 :
人間七七四年:2009/05/14(木) 23:40:42 ID:pMMSnyEC
>>875 ありゃ人のいないほうへ逃げてたら、たまたま中央突破みたいな形になっただけだ。
戦国大名は意地とか名誉とか、そんなものの為に危険に身を晒すような馬鹿な事はしない。
877 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 23:38:42 ID:8aTJRgBf
>>876 逆。
武名には異常に拘るだろ。
主君を変えることは躊躇しなかったが、命より武名が大事。
自分一人の問題じゃなくて、その後の子供や家の地位に関わるからな。
878 :
人間七七四年:2009/05/16(土) 23:43:35 ID:LrzJ8vOo
>>877 > 武名には異常に拘るだろ。
> 主君を変えることは躊躇しなかったが、命より武名が大事。
そちゃ一騎掛け連中の考える事。大名は自己保存が最大の目標。
879 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 00:13:57 ID:8R1265Aw
自己じゃなくて家だろ。
家臣にそう調教されている。
880 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 04:52:37 ID:EX6RyBOL
島津にやる気があれば、臍曲げなければとか言ってるのよく見るけど
たかだか1600の義弘の私兵に何を期待しているんだろうか。
小早川と毛利と増田が足引っ張るのは決定事項だから、
立花はもとより、鍋島とか丹後に行ってた小野木とか谷とかが参陣してなきゃどうにもならないのでは。
更に言うなら小早川が怪しい行動しだして、岐阜が秀信のミスで落城した時には
西軍が後手後手ばっかりで防衛線は後退、内情は黒田と藤堂の調略でゴタゴタ、
島津の小勢なんてどうでもいい位どうしようもなかったと思う。
881 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 06:12:15 ID:yFmimMj5
加藤が西軍に加わっていれば勝っていたかも
加藤に攻め込まれる心配ないから死MAZUからもさらに5000人くらい加わり加藤五千、、さらに加藤が加わるなら脇阪あたりも裏切らずあの馬鹿も裏切らなかったかも、、、石田、加藤という強力タッグ結成なら必ずかっていたよな
問題はその後、、、、再び戦国突入か
882 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 07:52:31 ID:/uNHJfoS
>石田、加藤という強力タッグ結成なら必ずかっていたよな
その強力タッグを解消したのは三成自身だろ
883 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 08:00:14 ID:yFmimMj5
どう見ても加藤だろww
いくら朝鮮の時のいきさつがあったからって、、徳川が天下ぶんどるつもりなのは誰の目にも明らか、、、徳川を潰してからでも石田は倒せるだろうに、、、
884 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 09:23:09 ID:idtIRMUM
加藤か小西かというところで、小西を取ったのが三成だ。
885 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 09:38:54 ID:8R1265Aw
>>883 輝元が家康になろうと思って西軍盟主になったのも明らかだろ。
886 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 09:54:45 ID:yFmimMj5
TERUでは天下取りは不可能、、、せいぜい千姫を追放(徳川は20万石に降格)して自分の血縁の娘を秀頼の正室にするのが関の山、、
887 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 10:12:44 ID:xijt5fV2
>>883 加藤にとっては三成が朝鮮でしたことは、対家康で取るかもしれない行動だろ
戦に行き詰まったらまた加藤の意見を無視していい加減な講和を結ぶかもしれない
そんな危険な相手とタッグなんか組めるわけがない
888 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 10:16:38 ID:idtIRMUM
まあ、三成小西安国寺を、関ヶ原の首謀者扱いしたのも、
事態を矮小化させて早期の収拾を図ろうとした家康の目論見だしねえ。
889 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 11:08:06 ID:yFmimMj5
朝鮮はどう考えても支配できる土壌ではない、近代ですら手に負えない感じなのに
だからさっさと引き上げるしかないんだよ
それを加藤とか馬鹿どもが未練たらしく、、、現実もわからんのか?
ましてや家康に自分が味方したらどうなるか、、、それがわからんとは所詮戦さ馬鹿、、、東条hideと同じ頭脳レベル、、、
大陸出兵がなければ豊臣の天下は続いていたのは間違いないよ、、、
ただhideに漢の高祖のようになりきれば、、、
890 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 11:09:45 ID:idtIRMUM
891 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 11:14:11 ID:yFmimMj5
少なくとも三成ファンスレで三成批判はやめてもらえない?
三成を叩けばかっこいいとおもってるんだろうけど、、、、三成本を片っ端から読んでる俺には通用しないよ、、、
892 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 12:41:31 ID:89PbClPu
では質問
三成の挙兵の動機は??
893 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 12:46:03 ID:idtIRMUM
宇喜多秀家の暴走に引きずられたため。
894 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 12:53:40 ID:89PbClPu
いきなりショボくなるなあ
895 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 14:32:45 ID:idtIRMUM
その、はっきりいって準備不足の段階から、あそこまで巨大な乱を作り上げた三成の手腕、構想力を称えるべき。
896 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 14:44:52 ID:vbpcyLc5
維持が出来なかったのは切ないな
897 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 16:31:04 ID:yFmimMj5
前田が家康傘下入りするわ浅野も幽閉された挙げ句傘下入り、親友金継ぐは因縁つけられ滅亡決定、、これでアクションおこさなければ一生チキン呼ばわり、確定、、
、ま豊臣は徳川一族にくみこまれて永続してただろうけど、、
、家康が秀頼成人までおとなしくするわけないだろう、、
、福島加藤って馬鹿?
898 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 17:01:36 ID:vbpcyLc5
家を持つようになって豊家よりそっちを守る事を優先しただけじゃないの?
899 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 19:37:15 ID:lE0yqNHv
親友金継ぐは因縁つけられ滅亡決定
この状況としては、三成としても何かやらざるをえないな。
上杉への遠征で、三成は和平の使者をやるというのが、無難だったかも。
900 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 20:23:52 ID:xijt5fV2
>>897 危険を犯して家康を倒したところで加藤も福島も大老に入れてもらって政権運営に参加できるわけじゃない
豊臣が徳川に組み込まれたところで大老でも奉行でもない連中には直接に失うものはない
ならば家康から恩賞もらって豊臣を家康の家臣にすればみんなが幸せになれる
実際途中までは完璧にうまくいっていたのに豊臣が権力に固執するから加藤も福島も迷惑を被ることになっただけだよ
豊臣政権がなくなったら仕事がなくなる三成とは立場が違うのだからそこをわきまえた方がいい
901 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 20:43:30 ID:lE0yqNHv
西軍が負けて豊臣政権がなくなって、領地没収となって
毛利も上杉も120万石が30万石に減ったが、
一番減ったのは、豊臣家。
250万→60万で200万石もの失いっぷり。
902 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 20:45:10 ID:lE0yqNHv
いや、確か関ヶ原の戦い以前でも、秀吉は自分の領地よりも広い領地を
家康に与えているから(!)、
家康が250万石だったらしいから、豊臣家は200万石ぐらいか。
903 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 20:49:29 ID:/eCl93iV
>>902 豊臣家のは全部蔵入地で、家康の蔵入地は百万石程度
もっとも領国の割合から言えば家康の4割は当時としては異常の域ではある
904 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 21:09:30 ID:lE0yqNHv
家康の蔵入地は百万石程度
とは初耳だな。このスレには専門家がいるのか?。
確か北条、武田、上杉がいずれも100万石相当だったそうだから、
北条の末期の領地をもらった徳川は、そのままで120万石として、
他に蔵入地は百万石程度とすれば、確かにつじつまが合う。
>>903スゲエ
905 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 22:03:16 ID:Vl5dmF7u
というかさ、
>>903の比較法(最近よく見る)にはどうも違和感を禁じえないんだわ。
比較の基準がずれてると言うか。
日本の武家政権の構造上、天下人だって一大名であるという特性を捨てきれないわけ。
徳川家という大名家が、その他の大名諸侯に盟主として君臨したのが江戸時代であるわけでしょ。
大名としての徳川家の領土(天領+旗本知行地)と加賀前田藩の石高を比べようとして、
「加賀百万石のうち当主の蔵入地は何割にすぎないから・・・」って考えるか?
906 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 22:10:22 ID:idtIRMUM
>>905 豊臣家を家康と同じ計算方式で図ろうとすれば、豊臣家の蔵入り地である約220万石に加え、
譜代格の大名の領地もすべてあわせる事になる。
その場合、どこを譜代格とするかに議論はあるとは思うが、3〜400万石くらいになるでしょ。
907 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 22:46:54 ID:/eCl93iV
>>904 参謀本部の関原役でも家康の蔵入地は100万石とされていたが
908 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 23:24:13 ID:5b1eIlUZ
三成は鶴松が死んだあたりから秀吉がボケてるのを承知してたから、無謀な朝鮮出兵にも反対だった。しかし、ボケた秀吉が怖くて言えなかったんだろうな。 家康だって豊臣は一大名として存続させることを考えてたのに、淀が承知しねーしさ。
909 :
人間七七四年:2009/05/17(日) 23:29:35 ID:/uNHJfoS
>>908 三成が朝鮮出兵に反対だったというのは何を根拠にしている?
少なくとも文禄の役の前から三成が反対していたなんて記録は見たこともない
910 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 00:47:51 ID:kbmQa7wc
小西を一軍の大将にすえたのが三成、、、頭の切れる三成が見抜けない分けないだろう、ま大名達の不満をそらすという意味では少々は賛同したかもしれないが、、、、
途中で講和に入ったのは三成の策略、、、わからないのかな、、、頭の悪い連中にかき乱されたな三成さんは、、、
911 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 04:50:45 ID:kbmQa7wc
ちょっと日本語おかしいけど勘弁してwww
912 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 05:01:21 ID:CvrgOrH6
>>906 大名としての豊臣家220万石と大名としての徳川家250万石を比較してるところに、
なぜ譜代格の大名が・・・とか言い出す。
譜代格の大名はそれぞれ独立した大名であって、それを豊臣家の所領に組み込むのはおかしい。
江戸期において、譜代大名の所領を徳川宗家の所領に組み込むようなもの。
譜代格の大名だけを組み込むのもおかしいし。譜代も外様も豊臣家の家臣であることに違いはない。
そのように言うなら、いっそのこと豊臣家の所領は六十余州全てですとした方がすっきりする。
913 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 06:08:47 ID:jlHPIbvl
>>912 徳川家は家臣の領地込みの石高で、豊臣家は単独の石高しか認めないのですね?
914 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 07:12:40 ID:OtBybC9v
豊臣家の家臣分も併せようぜってなったら
何のことはない、日の本全部になるんだけど
915 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 17:54:22 ID:kbmQa7wc
実際問題、企業として戦国武将の中で一番使えるのは石田三成だろう
使える上に憎まれ役も引き受けてくれるし、、、、ただ一番トップに添えたら企業は内部崩壊、、、万年専務なら使えるわな、、三成さんは
福島、脇坂などの戦さ馬鹿はヤクザにしか使えへん、、、
916 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 18:07:15 ID:BLAZTb+r
なんといっても、経理や事前準備(兵糧攻めは特に。)
などは、石田三成の才能が必要だよね。
この才能は、最前線の武将からは見下されやすい。
そんな才能を最大に理解して、高く評価してくれたのは秀吉。
その秀吉が死んだ。可哀想な石田三成。
917 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 18:22:36 ID:MmPV2vpZ
918 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 00:32:26 ID:fEWbTo7r
徳川家の本多親子(カトンボ切りとか作左とかの家じゃなくてサドさんの)みたいなもんだな。
あの親子も武断派に随分憎まれてたらしいね。
でも家康の天下取りとその後の経営には必須だったし(その後は土井の台頭でポイされちゃうけど)
大久保家との抗争には勝っちゃったね。
三成の不幸は本多親子と違って、秀吉がそこいら辺の内部抗争を放っといたまま死んじゃった上に
秀次の粛清の結果残ってるのは赤ん坊。庇護してくれる主君が居なくなっちゃたってことでしょ。
919 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 05:07:47 ID:YEc7wrRV
結局、能無し秀次が全て悪いんだよ
秀次が三成に近づいて土下座してでも仲良くして伊達などのような愚連隊とは縁を切りクーデターの計画はやめて(五右衛門にhide暗殺を依頼して失敗するは山内などにクーデターをちくられるは)
三成は秀次粛清の張本人とされてるが秀次を残そうとしていたのは事実、、、
それを秀次のアホがきは、、、秀次など所詮うだつの上がらん農民のガキ、、
たまたまhideが天下を間違えてとってしまったために、、、
三成がhideの甥なら天下は永続したかもね
920 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 05:21:37 ID:iYf+/tGg
921 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 20:45:44 ID:X4kuws+T
太田浩司『近江が生んだ知将 石田三成』(サンライズ出版、2009年3月1日発行)
922 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 20:59:32 ID:6Mt7N3Nr
秀吉が死んだあとのイケイケの家康に戦を挑むなんて相当の胆力がないとできん。前田利長なんて少し威されたら松を差しだして忠誠誓うんだから。三成はよく戦った。
923 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 21:28:09 ID:f6Fit6pX
一人じゃ出来ないからお友達集めて何とか対抗しようとしたんだけどな。
あと無理やり従わせたり。
924 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 22:12:56 ID:YEc7wrRV
結局、hideは天下とるべきじゃなかった、、、一番使える弟はすぐ死んだしおいの秀次三兄弟はくず共だし親戚連中はそれこそごみくずども、、、いっそ三成を養子に迎えるべきだったか、、せめて長浜時代に作った秀勝が成人していたら、、、
925 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 22:36:23 ID:gOr0AW5b
>>922 誰も三成に胆力なんて要求していないよ
周囲が三成に要求したのは協調性と謙虚さだから
それがないから努力賞で終わってしまう
926 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 22:40:08 ID:6Mt7N3Nr
秀長が生きてれば少しは長く続いたかもな。人望もあったようだし。それでも秀吉が死んだら徳川が豊臣より上になるのは変わらんだろうな。
927 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 22:44:00 ID:f6Fit6pX
秀長は秀長で過大に評価されすぎだな。しかもその評価の元の殆どは
今では偽書である事がはっきりしてる武功夜話だし。
928 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 23:04:35 ID:6Mt7N3Nr
家康相手に戦をするなんて普通に尻込みするだろ。三成にはそれを実行する胆力があったってことだ。金吾ぶん殴ってでも勝たせてやりたかったけど。三成に付き合った刑部にも家康は驚いたらしいな。
929 :
人間七七四年:2009/05/19(火) 23:45:55 ID:Jb7WASc8
まあこれ全て故太閤ではなく淀君と秀頼のためですから
930 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 02:00:26 ID:5NaVZLfc
俺の妄想だけど、三成って密かに家康に媚売ろうとしていて相手にされなかった逆恨み
で挙兵したんじゃない?いくら豊臣の為とはいえ諸侯最大の家康を三成が恨む理由がない
と思うんだよね
931 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 02:10:05 ID:0JgEhav0
個人的に恨む恨まないじゃ無いからなあ、権力闘争って。
932 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 02:52:13 ID:MzptDL29
>>928 ただ単に状況が理解できてないだけじゃないか
自分が中心になって事を起こせばどういった状況になるか理解せず
本来なら味方にできたかもしれない四万ちかい兵は敵になり
味方になってくれた兵もその半数近くは三成の総大将ずらした
態度や行動に嫌気がさし行動してくれなかった
933 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 05:19:40 ID:cShZeuRZ
>>930 完全に妄想です、、、ま豊臣のためにある程度媚びを売る必要があったかもしれないが親友のカネ継ぐに因縁つけた挙げ句、オーナー代理の分散で上杉征伐、、、堪忍袋の緒が切れたという感じかな
934 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 07:40:33 ID:9AdZH15d
三成はその代理以下な訳で・・・
935 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 21:57:41 ID:1M7oqSZb
政治家として世間での評価の高い順
本多正信≧本多正純>>>直江兼続>>石田三成
936 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 23:06:05 ID:ynnsiyRa
↑反対だろ
とくに正信とか正純なんて評価されることないだろ
937 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 23:07:25 ID:0JgEhav0
いやあ、普通に本多親子の方が評価高いだろ。
938 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 23:37:15 ID:cShZeuRZ
いるんだよね
三成を叩けばかっこいいとおもてる奴が、、、ホンダ親子など単なる策謀家、仕事がダントツでできる三成を評価できないのかね、、、升や計りを全国統一したの誰だっけ、、、、家康が一番部下にしたかったのは本音だろな、、福島などのような連中は所詮使い捨てだけど
939 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 23:47:21 ID:25k9sN3B
三成sageなんて400年続いてきたことだし今更ムキになることでもないね
940 :
人間七七四年:2009/05/20(水) 23:56:51 ID:ynnsiyRa
そうそう、領民にもやさしく、士卒を大切にする。妻を愛し。友との深い絆。そして、真っすぐで不器用。 単なる知恵者ではないよ、三成は。確か水戸の黄門なんかも高く評価してたな。
941 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 00:05:41 ID:yHiMjF05
三成はあくまでも試験を通過する官僚タイプであって選挙を勝ち抜く政治家というタイプではないな
だから政治家としての評価は低くてもしょうがない
942 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 00:46:05 ID:zWi1uDRH
三成をことさら持ち上げるのも貶めるのと同じくらい痛いって事だ
943 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 04:21:35 ID:3Y2fh5XA
>>938 三成をもちあげればかっこいいとおもっている奴のほうが多いんじゃない
むしろホンダ親子を単なる策謀家と評している時点で
その叩いている奴と同じ事をしているじゃないか
政治に関してもなんでもかんでも三成がやってたわけではないわけだし
すべての事を三成のおかげと評価するべきではない
>家康が一番部下にしたかったのは本音
これってただ単に>938がそう思っているだけであって家康が
そう思っていたかどうかなんてだれにもわからし
>福島などのような連中は所詮使い捨てだけど
家康は自分が死ぬ時までは彼らを改易などせず
使い捨てなどしていないんだけど
944 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 04:32:56 ID:I75Y/a/p
945 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 05:50:41 ID:0emC7CvG
石田三成にきまってるだろ、、
徳川の時代も採用されたかどうかは?だが、、それまで地方別で規格が違っていたのは事実だが、、、
あと家康は誰も改易してないってwwww
福島など改易同然じゃん
あの金吾なんか徳川に暗殺されたというのがもっぱら噂だし、、最初から自分が天下とるための道具としか考えないんだよ
ちなみに三成がとらわれた時に家康が「さすがは日本の政治を取り仕切った男、、」とかのコメント残してるし政治家として非常に高い評価してるし三成が行った政策をパクリまくりという事実はどうだ、、、
現代社会ならヤクザしか使い道が無い大名がほとんどの中、三成などは政治家として任せられると思う
つまらない妬みで書き込みしないでもらえない?
946 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 06:23:01 ID:I75Y/a/p
京升、秤への統一は信長の頃から行われてるのだが、
三成が発案した統一したと誰が主張してんの?
947 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 06:30:41 ID:0emC7CvG
石田升とか現存してるわけだがwww
それと信長、、、天下統一してないんだけど、、、、三分の一も支配してないでしょ
948 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 07:27:49 ID:GNkGt987
三成の政策じゃなくて秀吉の政策じゃないの?
949 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 08:41:44 ID:I75Y/a/p
石田升が現存してるから?それが何か?
信長が統一してないが、領内は京升に統一してたのは事実だぞ?
秀吉はそれを継承して、その規模を全国にしたのだが
秀吉は政策の面でほとんどを信長政権の継承しているのだが…
それに家康が石田三成の模倣していたとか言うが、何を模倣していたのか?
また豊臣政権での施政で三成発案と言うのは何を指すのか?
950 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 22:04:49 ID:SzaIKQeH
領内の度量衡の統一とか、武田や北条だってやってる罠。
確かにそれを日本全土レベルに拡充したのは画期的なことだが、
政策的にはそれら(戦国大名による一円支配)の延長線上。
951 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 23:46:10 ID:dYJHGg+m
佐吉ほど有能な能吏はおらんね。秀吉亡き後、あの家康に戦を挑むなんて怖くて中々できないことだろ。そりゃー家康もほめるわな。
952 :
人間七七四年:2009/05/21(木) 23:49:58 ID:+oTf02Se
おかげで天下取れたからな
953 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 00:33:41 ID:aKalcR4C
>>948 豊臣の良い政策は全て三成の政策、豊臣の悪い政策は全て三成以外の人間の政策
がここの考えだからな
954 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 06:15:49 ID:0JfyBrO2
>>951 怖くて戦えないから毛利や宇喜多など力の強いものに頼って兵をあげている
あと有能な能吏て好き嫌いの激しい人間は能吏として失格だと思う
955 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 10:57:26 ID:5IW2j+em
好き嫌い激しいって三成は誰がきらいなんだ?
正則とか清正をはじめとするいわゆる武断派とかのことか?
956 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 10:58:34 ID:KNqx3nK9
参謀が首謀者になってはいけない典型的な例かと
957 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 11:08:54 ID:Gkwph8I+
>>955 >好き嫌い激しいって三成は誰がきらいなんだ?
家康
958 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 11:19:53 ID:1M/qbpsf
奥州仕置きや蒲生処分で、三成は普通に家康と協力して仕事してる。
だいたい三成は好き嫌いで物事を判断するようなバカじゃ無い。
959 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 13:44:36 ID:aKalcR4C
>>958 少なくとも朝鮮出兵では好き嫌いで判断しているだろ
行長なんて処刑されても不思議じゃないほどの失態を犯しているけど三成は無視しているし
清正や秀秋にはどうでもいいことを持ち出して叩きまくっているからな
好き嫌いで物事を判断するバカだったから敵を作り、関ヶ原でそのツケを払わざるを得なかった
960 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 15:12:03 ID:+LdIxP25
黒田や蜂須賀を失脚させたのも政治的対立では?
少なくとも、単に好き嫌いではないかと
961 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 15:25:58 ID:1M/qbpsf
>>959 朝鮮のも好き嫌いじゃなくて方針上の対立じゃん。個人的関係とは無関係だ。
無論政治的なものから個人的な対立に至ったかも、と言う所までは否定しないが、
どちらにせよ順番として感情が先に立つ訳ではない。
つーか、三成が感情を優先するような小さい人間なら、先ず秀吉が重用しない。
962 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 15:34:01 ID:nVA9XjKq
そうする方がドラマチックで面白いって気持ちもわからなくもないけど
派閥の問題を個人間の感情に置き換えるのはどうかと思う
>>961にあるように政治的対立の結果個人的にも仲が悪くなったってことは当然あるだろうけど
963 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 19:07:52 ID:5IW2j+em
朝鮮出兵での清正の行動は軍律違反だろ。軍監である三成が怒るのも当然。清正は戦全体がみれないから自分の功名ばっかり考えてたんだろ。
964 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 19:13:30 ID:1M/qbpsf
つーか功名を優先するのは当時の武士としてはむしろ当然のことで、それを、
部将がやる気を無くさないように、かつ全体に齟齬が出ないように上手く調整するのが
大将の器量。現地の感覚として、そう言う調整がうまく行っていないと考えられていたのは
確かだろう。
まあこれは、当然秀吉の役割なんだが、秀吉が現地に居ない以上、その正式な情報ルートであった
三成に批判が集中するのは当然のこと。
965 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:17:55 ID:5IW2j+em
いやいや、清正は常識はずれなんだよ。講和しようとしているのに、突然攻めたりして。豊臣の性はかってになのるわ。もうやりたい放題。だから三成は秀吉に報告したんだわ。それを清正は根に持って。豊臣を潰したのは清正がアホだったから、家康に付け入るスキを与えたな。
966 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 20:21:49 ID:1M/qbpsf
>>965 そこにいたるまでのボタンの掛け違えがあるって事だ。
そして多くの朝鮮陣参加諸侯は清正の行動を非とせず三成を非とした。
これは三成の不徳とされてもしょうがあるまい。
967 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 22:16:53 ID:ajnsZzMh
三成の徳の無さをもって、清正の行動を正当化できないし、
だからといって三成の、行長の件とかを弁護できない。
968 :
人間七七四年:2009/05/22(金) 22:50:45 ID:5IW2j+em
浅野が自分の地位を脅かす三成を疎ましく思って、アホな清正や正則を煽った。 どっちにしても、豊臣家は秀吉がいなくなったら誰もまとめることはできないから、徳川の世になるのはしゃーないわな。他に誰もいねーんだから。
969 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 08:56:31 ID:MWrgHddG
毛利は無視か。
970 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 08:57:35 ID:VgAOAPU2
毛利は君主権が弱い
971 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 10:18:33 ID:TSapI9oL
隆景死後の毛利はヘタレの化身
972 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 13:29:47 ID:BGYfykp5
>>971 関ヶ原の事でヘタレだと思ってるならお門違いだと思う
あれは出られるのに出なかったわけでなく出れない状況だったわけで
篭城しなかったのも豊臣家が協力してくれそうになかったから
何々をしなかったらすぐにヘタレとかいうのはよくないと思う
973 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 19:16:39 ID:8u8+RNC1
んなもんいい訳だろw
圧倒的大軍持って大減封だけ喰らった様はゴミすぎる
974 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 19:35:46 ID:V+/MZssr
たぶん輝元はなにも自分では決断できないお殿様だったんだろうな。幼少期より苦労してきた家康に刃向かうなんて無理。祖父の元就もがっくりだ。戦って削られるならまだしも。
975 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 21:25:57 ID:sc67lP3H
>>972 出れない状況になったのは輝元が悪い
豊臣家が協力してくれそうになかったのも輝元が悪い
総大将というのは戦の全責任を負わなければいけない立場だから
いかなる理由があれど情状酌量など認められない
976 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 22:53:35 ID:h4r4nBtN
結局、豊臣サイドが全て悪い
マジで豊臣サイドが何もしなければ秀頼が天下人に返り咲くと考えていたようだな、、、、片桐など三成に一円の銭すらださなかったようだし彼らは更に三成らの行動を家康にばらし、、、、それであの小心者のチキン野郎家康が強気に出てきて勝ったわけだ
あと1ヶ月くらい江戸に籠もっていたら清洲あたりまでは完全に西軍のものになって状況が悪化してたのは間違いない、、まさにアホ軍団だね
豊臣サイドは(石田らは結局よそ者)、、、これでは三成らも浮かばれない
とんだ寄生虫だなゴミ糞片桐は(当時豊臣の家老、)。、、大野が家康に人質にとられなければ、、
977 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 00:36:14 ID:GZreBjIk
失脚した元奉行と大老の筆頭格と目される男どっちを支持するといったらねぇ・・・
978 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 06:16:20 ID:jpL/6pBp
979 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 06:29:11 ID:BAp8xhap
太平洋戦争の時の日本と関ヶ原の時の三成の状況はくりそつだと思う
もしどちらもあのまま引き下がってたらヘタレ呼ばわりされてただろ
三成は戦わずに改易されやすやす家康に天下とられ 一方日本は朝鮮台湾満州などを戦わずにとられ、、、、
いずれも後世の歴史家から笑われただろ、、、、
ま、ヘタレ呼ばわりされても引き下がった方が賢かったけど、、
980 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 07:56:40 ID:GZreBjIk
三成が改易?ないない挙兵しないんなら理由が無い
既に失脚してんのに
981 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 09:09:09 ID:cv8S2gap
大体三成自体は、東軍に息子を参加させているほどなのにねえ。
秀家の暴走がなかったら石田家は分裂してたし、ヘタすると三成も含めて
東軍に付いた可能性すらある。
982 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 11:03:14 ID:9ap1lAbF
>>979 >太平洋戦争の時の日本と関ヶ原の時の三成の状況はくりそつだと思う
全然違うよ
三成の状況を近代に例えるなら、日本は自分で戦争をやめて朝鮮を放棄している状態だ
三成は帰国兵士に対する恩給を拒否したため抗議デモにあって失脚しただけ
関ヶ原の時点ではもう家康というGHQによる改革が始まっている段階なんだよ
三成の立場は言うなればポツダム宣言受諾後にもまだ一億玉砕を叫ぶ過激派にすぎない
大多数の人間がもう豊臣万歳を叫んで戦うことに飽き飽きしているから過激派がクーデターを起こしても失敗したわけ
983 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 11:16:59 ID:YUiNv8tH
逆だろ。過激なのは清正や正則とかだろ。
三成にすれば朝鮮出兵なんて反対だったのに絶対権力者たる太閤がボケてはじめたことだろ。太閤死んだらみんな帰国できてよかった。しかし、豊臣に恨みは残った。それを太閤側近だった三成に向けられた。よくあることだ。
984 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 20:58:33 ID:OnvfMwfT
「近江が生んだ知将 石田三成」の書評をお願いします。
985 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 21:28:55 ID:88Fnxtah
986 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 23:33:04 ID:BAp8xhap
かすって、、、毎日書き込みしてんすけど、、www
知ったかぶりはお互い様、、
相変わらず三成叩けばかっこいいとおもてるの???自分の方が薄っぺらい知識ひきひらかしてる感じ、、、
987 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 00:30:05 ID:YkI6NI2C
>知識ひきひらかしてる
これ正しい日本語?
988 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 11:09:32 ID:RbcXuDii
>>986は嘘・捏造しまくり、突っ込まれたらスルーだしな。
基本放置。
989 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 17:50:18 ID:zNu2kRke
十万以上を集めた三成。家康はせいぜい二万ぐらいだと思っていたのに。三成はよくぞあれだけの大規模な戦略をたてたもんだ。あの時代の天才。勝てたのに負けたのは、家康ほどの腹黒さがなかったこと。あとは時の運だから仕方がない。最後まで自決しなかったのも立派。
990 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 18:01:52 ID:Dx721VtV
んなわけあるかw
集めた後が一番大切に決まってるだろ。
例えて言うなら箱物だけ作って集客の方は運任せの公共事業みたいなもんだ。
991 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 18:05:55 ID:KHBOeO1q
>>988 捏造も何もただ思い込みで書いただけ、、、
全く当たってない事はないだろう、、
実際、三成と東条を比較するスレもあるくらいだし、、、ここは個人を叩くスレではなくあくまでも三成さんをどう評価するというスレ
スルーするならいくらでもスルーしてくれ
992 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 21:32:57 ID:pWJRk86f
石田三成の不幸は豊臣家にまともな後継者がいなかった事
豊臣家に跡を継いで政務を見れる2代目がいれば
内政に辣腕をふるう実務家でいれたろうに。
有能だが敵が多くカリスマ性に欠ける三成は
誰かに仕えてこその人材であって
組織人として上に立てる人間じゃなかったんだろうな。
処刑前の柿の話やお茶の話、実話かどうか知らないが
関ヶ原後の東軍諸将との会話とか個人的には好感を
持ってる人物なんだが。
993 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 22:32:47 ID:KHBOeO1q
>>992 こういう書き込みばかりならいいんだがただ単に石田人気に嫉妬して批判ばかり書き込みする方がいるのにはウンザリするよ
話はかわるが石田は今の日本の政治の方が実力を発揮しそうだな
今の能なしアホコネヤクザ政治家では石田にかなわないと思う、、、
韓国大統領みたいに不正して私腹を肥やす事は絶対しないし言いたい事はキッパリと言う立派な政治家になってそう
994 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 01:35:51 ID:fIM4Zo2L
石田に批判的な人間は石田に嫉妬しているからだ!
という、この思考回路がわからない。
995 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 02:12:31 ID:7bCeYxoD
>>992 朝鮮での戦争で武将たちがお金に困ってるときに
三成たちは商人と武将の仲介をして莫大な利益をあげてるんだけど
そのせいで武将たちは借金に苦しむことになった
むしろこちらの恨みのせいで関ヶ原の戦いは負けたんじゃないか
996 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 02:24:34 ID:rug9CsK4
三成は関ヶ原がなくても、殺されていただろうね。三成をかばってくれる、秀吉や利家がいないし、宇喜多や上杉では力になれないからな。どっちにしろ長生きできない畳の上では死ねないタイプ
997 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 06:05:27 ID:OpV2sdCY
>>995 関ヶ原後、佐和山陥落したとき城には全く財産など無く空っぽの状態だった、、関ヶ原での戦費に多少はつこただろうけど利益の大半は豊臣に還元してるはずだ、、やたら歴史を勉強しろって言う人がいるがお互い様だろ
三成は馬鹿正直で頑固で清廉潔白、そして戦争嫌い(いまだに戦したがる戦馬鹿にはかなり嫌っていただろ)だからこそ敵を作り味方も多かった、、お互いもう少し歴史勉強しょうよ、、、
998 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 07:19:17 ID:C2UsJEUa
999 :
人間七七四年:2009/05/26(火) 07:35:46 ID:JfOMfdCb
つーか知識云々以前に、
三成が商利益を得る→他の武将借金、とか飛躍にも程があるだろ
思考回路自体がお粗末だ
思い込みで嘘八百書いときながら、お互い勉強しろはないだろ
佐和山城陥落に際してからっぽだった??
そんなのどこにも書かれてないがな
戦争嫌いとか朝鮮派兵に反対だったとか、
トンデモ唱える前に己が勉強しろ
根拠もない事言い出して、批評も糞もあるかアホ
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
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