92 :
人間七七四年:
ヤンデレ
信長が本能寺に散り、強力な同盟者を失った徳川家では一族譜代の政略結婚が相次いだ。
家康自身の次女・督を関東北条家へ、長男の信康の娘・登久を旧信濃守護・小笠原家へ。
本多忠勝の長女・稲も家康の養女として、いずこか他家へ嫁ぐことが決まった。
しかしこのアマ、黙って嫁に行くようなタマではなかった。
「ケッ!自分のダンナぐらい、自分で決めてやらあ!!」
稲は、おのれのムコ候補が家康への面会(という名のムコ審査)のために集まる広間へ
乗り込むと、平伏した若侍たちのマゲを引っつかんで(……)頭を上げさせ、顔を覗き見た。
「オラオラ、アタシの目にかなうイケメンはいねーのかよ!」
武士ともあろうものが稲の気迫に押されたか、養父・家康と東国最強の実父を恐れたか、
はたまた美女に手荒くされて喜ぶ性癖でも持っていたか、全員されるがままになっていた。
その時、「無礼な。」
逆に稲の手を扇子で叩いて、本多平八殿の娘御とも思えませんな、とばかりに睨み返して
来る若武者がただひとり、いた。
「こんな漢が…まだおったんかい……! /// 」
こうして稲はその若者・真田信之のもとへ嫁ぎ、『小松殿』と呼ばれるようになったそうな。
以上、「ヤンキーがデレた」話。有名な話だけど女性が強い話が続いたので。
鬼嫁にも乙女だった季節があるものなのです。
その後の夫婦の活躍は『殿といっしょ』でお楽しみ下さい。
93 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 00:55:32 ID:4rUzdP2l
>>92 その嫁、大阪の陣で自分の息子2人が無事帰還したとき
「2人いるんだからどっちか死んでもよかったのに」と言い放った鬼嫁だよな
94 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 00:58:10 ID:WEBcZuCH
>>93 旦那もそれ聞いて「さすが本多忠勝殿の娘だねー」ってケタケタ笑ってたんだけどねw
95 :
人間七七四年:2008/12/07(日) 01:55:22 ID:g7HM4QgP
>>93 実際にどっちか死んだほうが後年の家督争いは起きなかったわけでw