戦国ちょっと悪い話4

このエントリーをはてなブックマークに追加
1人間七七四年
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話(3スレ目)
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226423103/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228227497/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2008/12/03(水) 06:47:25 ID:hblRdKGn
>>1乙!
もう4スレ目か〜
3人間七七四年:2008/12/03(水) 09:49:25 ID:dJNurqbK
長可「>>1乙」
家久「>>1乙」
忠興「>>1乙」
政宗「>>1乙」
4人間七七四年:2008/12/03(水) 13:49:09 ID:tP31AB+K
>>1大儀である

DQN四天王がそなたの疲れを癒すためにいろいろしてくれるであろう
ついでに四天王とは言うが実は5人いるのじゃぞw
楽しみに待っておれよ!
5人間七七四年:2008/12/03(水) 15:34:11 ID:PQ1vIOYA
直家「>>1さん乙!今日から僕らは友達だよ!」
6人間七七四年:2008/12/03(水) 15:36:39 ID:hblRdKGn
>>5
これは怖いw
7人間七七四年:2008/12/03(水) 17:03:48 ID:Ik6OR7mt
影勝『…』
直江『親方様が申すに『>>1乙』だそうです』
8人間七七四年:2008/12/03(水) 17:24:02 ID:wCgrss0Q
正則「>>1乙!さあ一緒に酒を飲もうぜ」
9人間七七四年:2008/12/03(水) 18:30:51 ID:pzxpVKQl
>>8
秀家「ではご相伴をば・・・・」
10人間七七四年:2008/12/03(水) 18:32:17 ID:twjm/WxJ
その後、毎年秀家に酒を送り続ける事になる正則であった
11人間七七四年:2008/12/03(水) 18:39:02 ID:hblRdKGn
この辺に出てる武将はほぼ完全にキャラが完成されているのが凄いなw
12人間七七四年:2008/12/03(水) 21:02:55 ID:SAkvsRpu
埼玉県児玉町にある、雉岡城の夜泣き石。
とあるサイトよりコピペ

雉岡城の空堀の底に『夜なき石』という巨石がある。
横地忠春が身の回りの世話をしていた「おさよ」という
腰元を身ごもらせたところ、正室が嫉妬し、
おさよを井戸に落としてしまった。
翌日、城内の池の水が乳白色となり、
井戸の中からは大小2つの石が出てきた。
その石を城内に捨てたところ、夜な夜な赤ん坊の泣き声が
聞こえるようになり、正室は病で寝込んでしまうなど、
城中に不吉なことが起こるようになったという。
13人間七七四年:2008/12/03(水) 21:45:33 ID:v8kVnxlR
あとちょっとで「その時、歴史が動いた」の大友宗麟が始まるが、
どんな悪逆非道が描かれるのかを想像すると恐ろしくてたまらない。
14人間七七四年:2008/12/03(水) 21:47:02 ID:SAkvsRpu
>>13
生い立ちがトラウマになって、おかしな人格になった
悲劇の武将として描かれると予想。
15人間七七四年:2008/12/03(水) 21:53:49 ID:twjm/WxJ
予告で愛がなんたらかんたら言ってたから相当美化されると予想
16人間七七四年:2008/12/03(水) 21:57:51 ID:Uyk1ekhs
輝元「家臣の妻サイコーだお(;ω;)」
17人間七七四年:2008/12/03(水) 22:00:20 ID:kdykZAeO
ハジマタ
18人間七七四年:2008/12/03(水) 22:01:26 ID:bJtcmOm+
>>8
どこかの黒田家臣「次はナニをもらおうか…」
19人間七七四年:2008/12/03(水) 22:05:14 ID:HP75gIAF
武蔵と言ったら

一般人:宮本武蔵
ここのスレ民:森長可
20人間七七四年:2008/12/03(水) 22:11:14 ID:A9GXUkJ2
政宗と言ったら

一般人:独眼竜
ここのスレ民:DQN眼竜
21人間七七四年:2008/12/03(水) 22:17:19 ID:WjKPwv4S
秀吉といったら

一般人(関西):あかるい太閤はん
ここのスレ民:ラスボス、本当の地獄はこれからだ…
22人間七七四年:2008/12/03(水) 22:18:01 ID:FNmRi9DQ
太閤はんなんてよばねぇ
23人間七七四年:2008/12/03(水) 22:46:37 ID:bJtcmOm+
義光といったら

一般人:だれそれ?
此処のスレ民:鮭様
24人間七七四年:2008/12/03(水) 22:51:23 ID:hMPcejoh
一般人:「よしみつ?誰それ」
25人間七七四年:2008/12/03(水) 22:52:39 ID:7S7Uvref
>>23
中途半端に歴史を知ってたり、信長の野望好きな人:陰謀好き暗殺好きな腹黒野郎

来年の大河ドラマで鮭様はまた主人公たちを引き立てる噛ませ犬の腹黒野郎扱いされるんだろうなorz
26人間七七四年:2008/12/03(水) 23:18:15 ID:xzppYI1N
中途半端に史実再現されて長谷堂の戦いで撤退する上杉軍を追撃する先頭にたつ鮭様のもとに
銃弾が飛来して、落馬するシーンのあと出番無しよりずっとまし。
27人間七七四年:2008/12/03(水) 23:18:41 ID:GZxnu1Oz
えー、最上?マジキモ−イ!
義光って言ったら新羅三郎義光までよねー
28人間七七四年:2008/12/03(水) 23:19:20 ID:twjm/WxJ
999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 23:02:05 ID:iV8yY7ah
999ならパーマネントの仕事が見つかる

1000 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 23:02:44 ID:iV8yY7ah
1000なら、時間が8年半ほど戻る

ちょwwwww
意味が分からんwwwwwww
29人間七七四年:2008/12/03(水) 23:22:48 ID:a9atj0bX
ええい、毎度毎度1000がイミフなのは何の呪いだ?!
30人間七七四年:2008/12/03(水) 23:25:01 ID:iV8yY7ah
人生やり直したいって意味だよ
31人間七七四年:2008/12/03(水) 23:43:03 ID:wRpAfSoS
ドントドントドイーンwwww


だったよな前回の1000は…
32人間七七四年:2008/12/04(木) 00:00:24 ID:t9YIFKdB
長曽我部国親、嘆きの石牢の話。
罪人を石牢にほうり込み、一人ごとを盗み聞きしながら、悦に入りつつ、その一人ごとに基づき的確な裁きをしたという話
33人間七七四年:2008/12/04(木) 00:49:03 ID:QXKHsuQZ
慶長五年、徳川家康は、息子、結城秀康の、関ヶ原での戦功が莫大であるとして、
播磨か越前、どちらかの国を褒美として与えたい、と言ってきた。

これに結城秀康は、家臣を集め協議させたが、そのうち長谷部釆女が
是非越前を拝領なさいませ!と、熱心に言う。

しかし秀康は
「世の人は日本の国において、一が播磨、二が越前と言っている。やはり播磨が
良いのではないか?」
と、答えたが、長谷部は、
越前は大国で要害の地もございます。そのうえ江戸まで、播磨よりも近く、京都へ行くにも
便利で、北陸の中心でございます。越前を御拝領なさるのがよいでしょう。と、
あくまで越前を薦める。そこで秀康もその気になり、越前を拝領する事に決めた。



そして後日、冬のある日


結城秀康は長谷部釆女を呼んで、こう言った

「播磨か越前のどちらかを下し置かれるというので、相談したところ、お前は『越前をお望みなさるのが
よろしいでしょう』と言ったが…

お前の生れ故郷という理由で、こんな大雪の降る国へ移させたのだな!!」



長谷部さんそ知らぬ顔でソンナワケアリマセンヨHAHAHAHAHA
34人間七七四年:2008/12/04(木) 01:25:44 ID:VXCYDfUc
>>32
すまん、もうちょい詳しく頼む
35人間七七四年:2008/12/04(木) 08:50:10 ID:5GwCDZ+B
>>34
俺の予想では

罪人を捕らえて石牢にぶち込む
「何でこんな事したんだろ・・」と罪人が、およよとなってれば反省の色あり!で罪を裁く時に考慮する
勿論そんな姿を見て、プギャーm9ざまぁwwwするのも忘れない
逆もまた然り

こんな感じじゃないの?

36人間七七四年:2008/12/04(木) 10:28:37 ID:QXKHsuQZ
豊臣家三中老の一人としても有名な、讃岐十七万石、生駒親正、
彼がその領地にて、丸亀城を築城していたころのお話。

この城の石垣を造るにあたり、親正は、石垣造り天下一との評判の石工、羽坂重三郎に
依頼をした。重三郎の造営術はすばらしく、たちまちのうちに見事な石垣が完成した。
これには親正も上機嫌で

「実に天晴れである。流石は羽坂重三郎。お主の名声は伊達ではないわ。
これほどの石垣ならば、鳥でなくては登る事もかなうまい。」

と、喜んだ。

「そうでもありませんよ」

重三郎はふと、言った。

「余人では無理でしょうが、わたくしなら棒の一本もあれば、このくらいの石垣、登って見せましょう。」

親正も「な、ならば登って見せよ!」と、少々剥きになる。
すると重三郎、大工道具の中から一本の棒を取り出すと、それを石の隙間に差し込みながら、
するすると石垣を登ってしまった。

「この通りでございます」

大したものだ、流石は重三郎である。親正は彼をまた、褒めた。


さて数日後、親正はまたも重三郎を呼び出した。

「実はな重三郎、内々に城から井戸までの、抜け道を造りたいのじゃ。
おぬしの技術を見込んで、どこの井戸から道をつなげればよいか、調べてもらいたいのだ。」

重三郎は喜んでこれを受けた。城の周辺の、一つ目の井戸、二つ目の井戸、と調べていき、
三つ目の、二の丸の井戸の底に入った時


「重三郎、お前がこの石垣を登れるようでは、いざと言う時敵に内通されれば、この城の
致命傷となる。かわいそうだが…」

「と、殿様!?」

親正は家臣に命じ、井戸の中に巨石を落とした。


この、重三郎が巨石の下敷きにされた井戸は、今も「二の丸井戸」として、丸亀城に残っている

そして丸亀城の石垣は、その角度の美しさから「扇の勾配」と呼ばれ、訪れる人たちを今も、感嘆させている。
37人間七七四年:2008/12/04(木) 11:32:19 ID:CD2Fw4Pj
裁きの石牢って、石牢に放り込んだ罪人の嘆きを盗み聞きした国親
悦に入りながら背後関係まで把握の上処罰、千里眼と感嘆される。
あるとき嫡男元親の乳母子の親が罪を被せられ、石牢へ
ここで石牢の謎に気づいた親が、子供をすり替え、実は元親は自分の子供と告白
子供の頃の元親はおっとりしており、国親は
本当かも
と疑心暗鬼に。
そのため元親の初陣も、危険な部署に配置したり、元親の死を願うようになる
が、その事を元親に気づかれ、国親は元親に病気に見せかけ殺害された
という話だっけ?
38人間七七四年:2008/12/04(木) 12:23:08 ID:zWAASBGJ
>>37
戦国残酷物語
39人間七七四年:2008/12/04(木) 13:22:27 ID:MMA/wgCX
>>36
雉も鳴かずば撃たれまい

合唱
40人間七七四年:2008/12/04(木) 14:12:50 ID:vWTCcvQ+
ワワワワー♪
41人間七七四年:2008/12/04(木) 14:34:01 ID:cCP+Hu9o
そういえばもう「第九」の季節か
42人間七七四年:2008/12/04(木) 17:51:52 ID:dNWJllj0
気がつかなかった
合唱違いかァ

39さんっておもしろい人そうだね
43人間七七四年:2008/12/04(木) 19:30:35 ID:XKTyoZLp
>>28

ノストラダムスの予言でも信じて散財したんじゃね?
まさか・・・。寝坊して今頃地球に着いた大王、ってことは・・・?!
44朝倉の内輪もめ:2008/12/04(木) 20:08:51 ID:xWmOuAxJ
越前朝倉氏の当主朝倉孝景(義景の父)の弟に景高と景紀がいた。

景高は美濃境の大野郡の郡司となり、美濃土岐氏の内乱の際、大将として出兵、
一方、景紀は敦賀郡司朝倉宗滴の養子となり、宗滴とともに若狭や京都に出兵していた。
二人とも「当主は国外に出陣しない」という朝倉家の方針に従い活躍していたわけである。

ところが、その後景高は兄孝景と領地争いを起こし、郡司を罷免され京都に赴いた。
ここで巻き返しを図ろうとしたが、孝景の根回しにより幕府から追放命令を受けてしまう。
その後、朝倉氏と対立する武田氏や本願寺と手を結んで越前に攻め入ろうとするも悉く失敗、
最後は堺から西国へ没落することとなった。
朝倉宗滴は「右衛門大夫(景高)ほど心掛けの悪い者はいない」と口を極めて罵った。

この事件からおよそ25年後の永禄7年、朝倉義景は加賀攻めを決行する。
ところが、かつて宗滴が大将となり大戦果をあげた同じ加賀攻めにもかかわらず、義景は
宗滴の孫で敦賀郡司になっていた景?(かげみつ)を大将には任ぜず、こともあろうに
謀反人の子である景高の息子景鏡を総大将に選び出陣させた。

自分の言い分が聞き入れてもらえなかった景?は、思い余って加賀の陣中で切腹!親父の景紀激怒!
陣中が動揺して慌てた義景が自ら総大将となって加賀へ出陣する羽目となった。

こうして大野郡司家と敦賀郡司家の壮大な内輪もめが開始された・・・(続く)
45人間七七四年:2008/12/05(金) 02:07:48 ID:wKEAWBhZ
つ、続きは?w;
46人間七七四年:2008/12/05(金) 03:29:38 ID:wKEAWBhZ
文禄二年(1593)と言えば、秀吉の側室茶々が、秀頼を産んだ年である。
秀吉は、わが子の誕生に狂喜した。伏見城ではこの、幼い秀頼の誕生を祝い、
日本中の大諸侯を招いての、茶会なども開かれた。
秀吉は自分が年老いてより生まれた、この幼児を、まさに玉のように可愛がった。

さて、その年の冬。

秀吉の召し使っている下女の一人が、ある男と通じており、事実上の夫婦関係に
あることが解った。彼らの間には既に、幼い子供も二人、あった。

秀吉はこの事を知って激怒し、下女とその男はたちまち捕らえられた。


彼らは、首だけ出して土に埋められ、七日間、竹ノコギリで首を引かせ、殺した。

そして幼い二人の子供は、親の目の前で熱湯の中に放り込まれ、煮殺しにされた。
47人間七七四年:2008/12/05(金) 10:16:54 ID:GPEvdf2k
新築祝いでハッスル慶次

堂森村の旧家で太郎兵衛そいう肝煎(村長)がいた。
太郎兵衛が、身代も年毎に太ったので或る年古い家を建て替えて
懇意な人等や親戚などを招待して新宅祝をやった。
 このときに慶次郎は一番の上客として招かれて宴席に列なった。
太郎兵衛の挨拶があり、これから盛宴に移ろうとした時に、
座を立ち上がった慶次郎は改まって
「此家の新宅祝を開くに当たって御家繁昌、無病息災のまじないをしてつかわす」
そして勝手から一丁の斧を持ってくるように命じた。
 何をやり出すのか分からないが兎に角命じられるままに斧を差し出した。
すると慶次郎はズカズカと上段の床柱の前に進み出て、
エーッと一声高く叫ぶと見る間もなく件の斧を振り上げてその床柱の真中に伐りつけた。
一座は只々あっけにとられ、新築したばかりの床柱に大きな傷跡をつけるとは
いかな狂人でもめったにやる事でない。
中にもこの家の主人太郎兵衛は烈火の如く顔を真っ赤にして怒り出した。
 暫くじっとして一座の様子を眺めていた慶次郎はおもむろに口を開いて
「さて主人太郎兵衛よ、又一座の人たちもよく心を静めてわしの云うことを聞くがよい、
すべて世の中のことは満つれば欠けると云う事が間違いのない法則である。
この家の主人も近頃大分貯め込んで家を新築したことはまことに目出度い事に相違ないが、
扨て人間と云う者はその処が肝腎、何より大切のところである。
これで沢山だと安心した時は既に頂点でそれから後は運が傾く一方思いもかけない災難が
後から後から降りかかって来る、そしてアッとい間に身代がつぶれ
一家滅亡となるのだ。太郎兵衛よよくこの道理を考えよ、
決して有頂天になるな、いまこの傷ついた床柱を朝晩眺めてわしの言葉を思い出すがよい、
それこそ無病息災お家繁昌の基いである」
と懇々と説いたので主人太郎兵衛も成る程もっとも至極の御言葉と肝に銘じて忘れなかった。
太郎兵衛の家は其の後永く続いたと云われる。
48人間七七四年:2008/12/05(金) 10:54:22 ID:KwMfgUJZ
>>46
2回も妊娠してたのが解らなかったのか?
49人間七七四年:2008/12/05(金) 11:48:40 ID:CjcNezPV
>>48
何かしら事情つけて暇もらってたんじゃね?
50人間七七四年:2008/12/05(金) 11:48:41 ID:B35JoD52
慶次はきちがいなのか大物なのか判らんなw
凡人の俺には理解できないよ
51人間七七四年:2008/12/05(金) 12:14:13 ID:XVaOxtES
面白い人には違いないと思う
この人にまつわる話ってあんまり後腐れが無い様な
大体鼻につく嫌われ者にバシッと渇を入れてくれる
みたいなところが
どっかの閻魔様の人と違ってかっこいい
52人間七七四年:2008/12/05(金) 12:33:56 ID:UmFvcvqL
しかし側にいたら面倒くさい
遠くで眺めてるのが吉
53人間七七四年:2008/12/05(金) 12:52:17 ID:l0F6Nx3Q
>>45
長可「俺達の」
家久「戦いは」
忠興「これ」
政宗「からだ!」
市松「おっ・・・お〜」

                 未完
54人間七七四年:2008/12/05(金) 13:53:39 ID:hxqx2k0l
市松はなかなかキャラが立ってるのに、四天王に比べると扱いが不憫だな
彼にも何か称号みたいなのつけてやりたいけど、小物四天王くらしか浮かばない(´・ω・)

市松……可哀想な子
55人間七七四年:2008/12/05(金) 13:57:44 ID:LJyqsGWi
あと三人加えて「四天王セピア」
56朝倉の内輪もめ2:2008/12/05(金) 15:36:46 ID:SEMS2mlZ
自害した景みつの子はまだ二歳だったため、空席となった敦賀郡司には、僧籍にあった弟が
還俗して景恒と名乗り就任した。親父の景紀は入道して伊冊と名乗った。

永禄8年、将軍足利義輝が三好・松永に討たれ、弟の義昭はやがて朝倉氏を頼り越前へ向かった。
しかし、運悪く堀江景忠の叛乱ですぐに一乗谷に入ることができず、暫くの間、敦賀に滞在する
こととなった。

景恒の歓待を受けた義昭は、景恒に中務大輔の官途を授与した。まもなく朝倉景鏡が義景の代官
として敦賀へやって来て義昭に挨拶をした。義昭は景鏡にも式部大輔の官途を与えた。

叛乱鎮圧後、義昭は一乗谷へ赴くが、ここで両家は席次を巡って対立する。

永禄10年11月、景恒の案内により一乗谷に入った義昭は、翌月、義景を非公式に訪問した。
この時、伊冊・景恒を席次第1番としたため、景鏡は怒って顔を見せなかった。
永禄11年5月17日、義昭の朝倉館公式訪問の際、今度は景鏡が席次第1番に選ばれたため、伊冊・
景恒が顔を見せなかった。

不穏な雰囲気が高まり、それからおよそ1ヶ月後の6月25日、義景の嫡子阿君が急死。真相は不明
だが、何者かに毒殺されたとも伝えられる。

やがて、義昭は煮え切らない義景に愛想を尽かし、織田信長の許へ去ってしまう・・・(続く)
57人間七七四年:2008/12/05(金) 16:46:40 ID:wKEAWBhZ
どろどろしたお話でも

朝鮮役が始まったころ

秀吉の家臣に、明石左京亮登高(なりたか)という侍がいた。彼も秀吉に付き従い
肥前名護屋に赴き、朝鮮へと渡海する事になった。

さて、この登高には、藤井宮内少輔という友人がいた。この藤井は宮中に仕える、
いわゆる宮侍であり、無論、朝鮮役にも参加することはなかった。そこで登高は
彼に、留守中の京の家の事をよく頼んだ。そこで藤井は登高の屋敷に、何事かにつけ
顔を出し、登高の家臣たちとも心安くなった。

さて、この登高には、若い妻がいた。夫のいない家の寂しさを慰めに度々足を運んでくれ、
また、美男でもある藤井に、この妻は徐々に心引かれていった。
藤井もそれを心憎からず思い、ついに、不義の関係となった。

朝鮮に渡った登高からは、2年の間便りもなく、「きっと向こうで討ち死にしてしまったのだ」と
言っていた。が、その年、明との間に和議がなり、秀吉も名護屋の陣を引き払い、大阪に
凱旋した。

登高も、無事帰って来た。

二人は「これはどういうことだ」と慌てたが、とにかく登高の前で、そ知らぬ風に装っていた。

ところで、登高の家に、小さいという女がいた。この女、元は藤井の妻の下女として、この家に
入ったのだが、登高のお手つきとなり、今は側女となっていた。

彼女は「今の奥方がいなくなれば、私が正婦人となれる。」と企み、登高に、藤井と奥方の
密通の事、全て話してしまった。登高は、それが本当なら許せない!と、激しく怒った。
小さいは「ならば証拠をお見せしましょう」と、言った。

一両日後、藤井がいつものように屋敷に現れると、小さいがひそかに彼に近づき、こうささやいた
「奥様が、今夜は主人がおりません、お湯を用意しておきますので、どうか風呂場へと忍んで
来てください。こう、おっしゃっています。」

それから小さいは、奥方のところに行った
「宮内少輔様が今宵、風呂場へと忍んで行く、とのことです。」

小さいは奥方に長く、忠実に仕えていたので、両人ともこれを信じ、喜んだ。


さて、その夜、奥方と藤井が、風呂場へと忍び入った。これを見た登高は走り来て
風呂場の戸のかんぬきをかけ、釘で打ち付け、完全に閉じ込めると

「因果歴然、思いしれ!」

と、風呂場に火をかけた。


このあと、登高は大坂へと参り、幸蔵主を通じて、秀吉に報告したが、
「神妙にもはからひたり」
と言われ、何の御咎めもなく、禁裏にも伝奏から報告されたが、これも騒ぎ立てる事もなく済んだと言う。
58人間七七四年:2008/12/05(金) 19:40:51 ID:3VpJgmUj
いい話だな〜
59人間七七四年:2008/12/05(金) 19:43:29 ID:xUIPMrJn
小さいも正妻にしたいタイプじゃないなぁw
60人間七七四年:2008/12/05(金) 19:59:35 ID:h4sFkDte
だな

でも小さいも明石も、手際よく始末したのは評価できる
さすが明石だ
61人間七七四年:2008/12/05(金) 20:02:29 ID:KwMfgUJZ
小さい怖いよ小さい
62人間七七四年:2008/12/05(金) 20:47:16 ID:Qf3qrkCO
小さい?ちいさいって読むの?
63人間七七四年:2008/12/05(金) 21:01:40 ID:xUIPMrJn
他に「さい」さんがいたから小の字付けたんじゃね。
「おさい」て読むのかね?
64人間七七四年:2008/12/05(金) 21:05:58 ID:h4sFkDte
こさいかと思ってた
65人間七七四年:2008/12/05(金) 21:34:12 ID:fwtzWsw6
こさいだろうな
66人間七七四年:2008/12/05(金) 21:54:26 ID:QngZV3BA
宇喜多直家の毛利両川抹殺計画があったらしい…
67人間七七四年:2008/12/05(金) 22:23:20 ID:QqSzdjkJ
宇喜多ならやりかねんな。
68人間七七四年:2008/12/05(金) 22:31:33 ID:roGtqocc
元就「さすがの俺も引くわ」
69人間七七四年:2008/12/05(金) 22:37:13 ID:GWLUnSRh
松永「いるよね、こういう空気読めない奴」
70人間七七四年:2008/12/05(金) 23:00:35 ID:uj7Q4LOq
>>68-69
尼子経久「お前らが言っても説得力ない」
71人間七七四年:2008/12/05(金) 23:10:42 ID:4luyMmwU
自演くせえ
72人間七七四年:2008/12/05(金) 23:21:16 ID:hvvDDg4V
ここまで福島の自演
73人間七七四年:2008/12/05(金) 23:28:25 ID:w1eOryg9
市松さん…寂しいのかい?
74人間七七四年:2008/12/05(金) 23:49:38 ID:hSHXyrTQ
朝倉の話、続きまだ?
75人間七七四年:2008/12/05(金) 23:52:11 ID:wKEAWBhZ
ちょっとした連載ものになったなw>朝倉のお話
76人間七七四年:2008/12/06(土) 00:03:07 ID:kNWJ58W0
しかし朝倉が信長と戦う前にあんなにガタガタだったとは知らなんだ。
内部抗争で自害するわ、後継ぎは変死するわ…
77人間七七四年:2008/12/06(土) 00:41:45 ID:nxVq3Q6+
市松さんはラスト近くで鬼武蔵以外が正義側に寝返ったとき、
穴埋めとして四天王に昇格イヤッホウしたはいいが
やっぱり雑魚扱いのまま終わるタイプ
78人間七七四年:2008/12/06(土) 00:58:18 ID:JohwwVoT
市松はギルガメッシュってとこじゃね?
ただしFF5のギルガメッシュは最後に見せ場を作ったけど
最後まで見せ場無しのギルガメッシュ。
79人間七七四年:2008/12/06(土) 01:14:21 ID:LoW96ab4
忠興『あ…悪魔にだって愛情はあるんだ!』

長可『俺は神仏なぞ信じぬ性質でな、この世で信じるのは自分の力だけよ』

政宗『勘違いするな!!豊臣を倒したら次は徳川の番だ!!』

家久『悪即斬、この俺自身の正義のためだ』



番外編
謙信『退かぬ、媚びぬ、顧みぬ』
80人間七七四年:2008/12/06(土) 01:36:57 ID:QTT7YeEz
先頃のフィギュアスケートNHK杯で復活を遂げた
織田信長の子孫として有名な織田信成選手
そのお父上が怪我で入院したとき、お見舞いに
「桔梗の花」を貰ってしまってあらあらまあまあ
ということがあったそうな

逆のパターンで「木瓜の花」を贈れない家も多数ありそうだ
81人間七七四年:2008/12/06(土) 01:52:02 ID:VHhQsQmn
織田さんには桐の花を贈らないとね
82人間七七四年:2008/12/06(土) 02:10:56 ID:H4BX0uyG
>>80
贈ったのは母親だっていう話だっけ

83人間七七四年:2008/12/06(土) 02:11:35 ID:Gm31i4EM
【加藤明成と堀主水】
加藤明成はお金大好きで圧政を敷き一分金を収集しまくったので加藤一分とあだ名されるほど。
嘉明に采配を任されていた筆頭家老堀はそんな明成が大嫌い
明成は堀に嫌がらせ。堀も切れて「このバカ息子め」と面罵し一族郎党300人ひきつれ出奔
その時に若松城へ射撃し橋を焼き払い関所を破壊、家族を鎌倉東慶寺8幕府公認の寺)に預け本人は高野へ
明成、幕府へ「会津40万石に替えても堀の首をとることを許せ」と嘆願
堀はいろいろあって明成によって切腹、明成は東慶寺を軍事攻撃し堀の一族をとらえ全員処刑
幕府はこの幕府公認の寺への軍事行動を非難し加藤家一時終了

ちなみにこのとき東慶寺代表として加藤明成のことを幕府へ糾弾して
堀の家族を弁護し結果加藤家改易へのきっかけを作った天秀尼(俗名奈阿姫)は
何を隠そうかの豊臣秀頼の実の娘である(千姫の娘ではないが仲は非常によかったという)
彼女が37歳で死去し秀頼の血統は完全に絶えた
また幕府へと訴え加藤家を潰したことにより東慶寺は天下公認の男子禁制の縁切り寺となった
84人間七七四年:2008/12/06(土) 02:14:32 ID:VHhQsQmn
堀の気持ちもわかるが、ちょっとやりすぎたな
でもどうせ切腹になるなら、一合戦やらかすのも良かったかもね
85人間七七四年:2008/12/06(土) 04:56:28 ID:Gm31i4EM
>>36
丸亀城には築城時にたまたまそのあたりにいた豆腐屋をとらえて
人柱にしたため雨が降ると豆腐屋の売り声が聞こえるという話もあり
86人間七七四年:2008/12/06(土) 08:04:38 ID:1Q9ibytE
>85
プー
87人間七七四年:2008/12/06(土) 11:27:19 ID:3VjKgd03
>>83
オマケ。
加藤明成は堀一族を変わった拷問にかけて殺した。
それは座って眠るハンモックみたいなものに罪人をのせ、
居眠りしかけたらゆすって起こす。
強制的不眠症にするというもの。
これがじわじわ効くらしい。

こんな凝ったアフォなことやるところから、
粘着質なDQN気質がうかがいしれるw
お父さんはいいひとだったのに(涙
88人間七七四年:2008/12/06(土) 11:42:38 ID:hj6wHzlW
しかし40万石の大大名のとる行動じゃないよな
上のものは部下の家族の生活のことも考えて行動してもらいたいもんだ
89人間七七四年:2008/12/06(土) 11:55:14 ID:/4SlluE9
天秀尼の要請により義母が雇った片目の浪人の策略で減封されたんですね

わかります
90人間七七四年:2008/12/06(土) 11:56:33 ID:3VjKgd03
>>89
山田風太郎、乙
91人間七七四年:2008/12/06(土) 16:56:06 ID:nhLGCYwi
アレの加藤親子は最高だったw
92人間七七四年:2008/12/07(日) 00:17:46 ID:/5xmNyP9
ヤンデレ

信長が本能寺に散り、強力な同盟者を失った徳川家では一族譜代の政略結婚が相次いだ。
家康自身の次女・督を関東北条家へ、長男の信康の娘・登久を旧信濃守護・小笠原家へ。

本多忠勝の長女・稲も家康の養女として、いずこか他家へ嫁ぐことが決まった。
しかしこのアマ、黙って嫁に行くようなタマではなかった。

「ケッ!自分のダンナぐらい、自分で決めてやらあ!!」

稲は、おのれのムコ候補が家康への面会(という名のムコ審査)のために集まる広間へ
乗り込むと、平伏した若侍たちのマゲを引っつかんで(……)頭を上げさせ、顔を覗き見た。

「オラオラ、アタシの目にかなうイケメンはいねーのかよ!」
武士ともあろうものが稲の気迫に押されたか、養父・家康と東国最強の実父を恐れたか、
はたまた美女に手荒くされて喜ぶ性癖でも持っていたか、全員されるがままになっていた。

その時、「無礼な。」
逆に稲の手を扇子で叩いて、本多平八殿の娘御とも思えませんな、とばかりに睨み返して
来る若武者がただひとり、いた。

「こんな漢が…まだおったんかい……! /// 」
こうして稲はその若者・真田信之のもとへ嫁ぎ、『小松殿』と呼ばれるようになったそうな。

以上、「ヤンキーがデレた」話。有名な話だけど女性が強い話が続いたので。
鬼嫁にも乙女だった季節があるものなのです。

その後の夫婦の活躍は『殿といっしょ』でお楽しみ下さい。
93人間七七四年:2008/12/07(日) 00:55:32 ID:4rUzdP2l
>>92
その嫁、大阪の陣で自分の息子2人が無事帰還したとき
「2人いるんだからどっちか死んでもよかったのに」と言い放った鬼嫁だよな
94人間七七四年:2008/12/07(日) 00:58:10 ID:WEBcZuCH
>>93
旦那もそれ聞いて「さすが本多忠勝殿の娘だねー」ってケタケタ笑ってたんだけどねw
95人間七七四年:2008/12/07(日) 01:55:22 ID:g7HM4QgP
>>93
実際にどっちか死んだほうが後年の家督争いは起きなかったわけでw
96人間七七四年:2008/12/07(日) 02:03:55 ID:wKOD+v/p
まあ2人いた弟のうち1人は実際死んでるしな
97人間七七四年:2008/12/07(日) 02:48:54 ID:8ofcghO7
>>92
あの漫画、誇張じゃなかったのかw
つか信之最初はそんなだったのになんであんなざまに・・・・
98人間七七四年:2008/12/07(日) 08:50:46 ID:u8kh4Xa4
信幸から信之に改名した時に彼は変わってしまったのでした
99人間七七四年:2008/12/07(日) 08:55:48 ID:OqDH67BF
何百人もの家臣やその一家を養わなきゃならない責任を負ったら、そうそう反骨的な事はできないでしょ
同じような立場でも全く自重しないやつも多いけど
100人間七七四年:2008/12/07(日) 10:40:19 ID:PfygA25Q
>>99
政宗「だよなー。幕府ににらまれるようなことなんか慎まないとな!」
家久「おとなしく行儀良くしていなくちゃ駄目なんだよね、大名って
わがままできなくてつらいよねー」
101人間七七四年:2008/12/07(日) 11:30:39 ID:g2+S2FV2
正則「か、改易取り潰しなんて、へ・・・屁の突っ張りよ!」
102人間七七四年:2008/12/07(日) 11:34:40 ID:PCEKYydp
信之は常識人枠
103人間七七四年:2008/12/07(日) 11:47:16 ID:U/H1FwlJ
>>66
気になるんだが…誰かkwsk
104人間七七四年:2008/12/07(日) 12:23:00 ID:4bqjrifH
加藤清正「いざ徳川と戦となれば大阪に近い正則の助力が一番必要だと思うわけよ。
俺上洛に時間掛かるしさ。」
平野長泰「至極ごもっともだ」
清正「豊臣にいざって時は戦おう!って手紙を書いたから正則に渡してきてくれ」
長泰「心得たり」

長泰「っという訳です」
正則「そりゃ無理なはなしだな」
長泰「!?」
正則「いやだって俺が出世出来たのは家康、徳川家のおかけじゃん?
やっぱ徳川にも恩があるから豊臣一辺倒って訳にはいかないっていう」

長泰「っという返事ですが」
清正「正則は腰抜け侍の卑怯ものだ」
と激昂し以後二人は顔を合わせても挨拶もしない関係になった。
105人間七七四年:2008/12/07(日) 12:24:31 ID:WEBcZuCH
>>104
関ヶ原で家康の指揮下に一緒に戦った人間とそうでない人間の意識の違い、って部分もあるよね。
106人間七七四年:2008/12/07(日) 12:25:50 ID:bgYOYlvI
なるほど
くつわを並べりゃ普通は仲良くなるらしいしね
107人間七七四年:2008/12/07(日) 13:28:40 ID:xZ6iWl40
加藤清正は東軍につくか西軍につくかけっこう本気で迷ってたらしいって
前になんかで見たなー
黒田長政の逸話に、家臣から「加藤清正が今は天下太平だから武勇は
却って疑いのもとになるだけだろうと酒宴遊興して、時節を弁えていると
評判もいいようです」と言われて
「そういうふうにすれば聞こえがいいだろうということは前から思っていたが、
だからといって武備を怠って遊んで、もう年寄りの私はよくても私の子供が
これを見習ったら結局国のためにならないだろう」と諭したあと、

「自分は関ヶ原で無二の忠義を表した。家康公もそれをご覧になっている。
それで筑前を賜ったのだからあとは良い政治を行えばいい。
清正は私の父の如水に諌められて家康公にお味方したけれども
如水や私のように、元からの無二の忠義とは言えない。
だからああいうパフォーマンスをしなければならないのだ」
と付け加えたらしい。
108人間七七四年:2008/12/07(日) 15:04:57 ID:/5xmNyP9
>>103
天正6年(1578)4月、織田家を頼って上月城に籠城した尼子勝久を、毛利両川が攻めた。

この戦に、毛利の同盟者・宇喜多直家は、病と称して出陣しなかった。
尼子に奪われる前の上月城主は宇喜多家臣・上月景貞であったにもかかわらず、である。
要するに織田からの援軍が加われば、毛利に勝ち目無しと判断し、日和ったのだ。

しかし、織田からの援軍・秀吉は与力のサボリ等に手を焼き、決定的な敗北を恐れ、撤退。
同年7月、望みの絶えた尼子勝久らは自害し、上月城は落城した。
落城後の上月城に、病のはずの直家が戦勝祝いに訪れた。

直家「まずは勝ち戦おめでとうございます。それがし、岡山にささやかながら祝宴の支度を
    致しましたので、吉川様も小早川様もぜひお立ち寄りくだされ!」

ある方面で有名な男の宴とはどんなものか。あからさまな罠に尾高城主・杉原盛重などは
小早川隆景に直家の誅殺を進言したが、隆景は許さなかった。
ただし、毛利軍は岡山に立ち寄らず、まっすぐ安芸へ帰っていった。(備前軍記)


直家「えー?ボク、3年後の天正9年に死んだんだから、ホントに体弱ってたんだって!
    だいたい、ボクが謀殺する時は確実に殺れるように数年がかりだよ?
    そんなこと言って信じてくれないから、毛利さん裏切るハメになったんじゃん。





    …チッ」
109人間七七四年:2008/12/07(日) 15:21:46 ID:8ofcghO7
小松殿みたいなタイプかなり好み
110人間七七四年:2008/12/07(日) 16:08:25 ID:g7HM4QgP
>>108
松永久秀「日ごろの行いがものを言う」
111人間七七四年:2008/12/07(日) 16:25:14 ID:BPEZ7aS+
朝倉第3話まだ?
112人間七七四年:2008/12/07(日) 17:23:39 ID:U/H1FwlJ
>>108
ありがとう。

時期的に毛利から織田に鞍替えする寸前の出来事だなw
二人の首を手土産にする気満々だったみたいだな…
113人間七七四年:2008/12/07(日) 17:55:57 ID:GVQZIPLO
つか秀吉が撤退したのは播磨の別所が離反したからじゃなかった?
114人間七七四年:2008/12/07(日) 18:08:37 ID:vUyXSr/M
秀吉が撤退したのって信長による命令じゃなかったっけ

悪いスレは嫌いな武将を恣意的に貶めたい場所でもあるから
個人的な解釈に突っ込んでも仕方が無いんだけど
115人間七七四年:2008/12/07(日) 18:22:39 ID:WEBcZuCH
>>114
> 悪いスレは嫌いな武将を恣意的に貶めたい場所でもあるから

そう思ってるのは一部の変な狂信者だけだよ。
116人間七七四年:2008/12/07(日) 18:37:48 ID:7Hst7N00
上月城で秀吉の悪い話をするなら、むしろその前だよな


秀吉が上月城を攻めた際、赤松政範は降伏勧告に従わず、頑強に抵抗した
ついに抗し切れず政範は自刃、城兵はこの首を持参して降伏を請うた

しかし秀吉は降伏を認めず、生き残っていた城兵はことごとく斬首
さらに城内にいた婦女子200人は国境まで引き回した上で串刺し・磔に処した
117人間七七四年:2008/12/07(日) 19:02:44 ID:xWUZhD3j
対毛利戦のしょっぱなの戦闘だし国境にわさわざ
そうしたのは織田家に逆らうとこうなるぞ!
速やかに降参しろとのメッセージでしょ
惨い話なのはよくわかるけどね
118人間七七四年:2008/12/07(日) 19:06:34 ID:WEBcZuCH
秀吉は見せしめでも、女子供を捕らえて、しかも残虐に殺すのがな。
奴隷として売るような形でも、同じ効果は出るだろうに。
119人間七七四年:2008/12/07(日) 19:13:13 ID:WX3eegaq
別所長治、荒木村重が謀反、同時に毛利上月城に来襲

120人間七七四年:2008/12/07(日) 19:15:38 ID:8ofcghO7
最初の戦闘で幸福受け入れずに抵抗した→見せしめ皆殺し
最後にこっちに降伏した→もう戦略価値ないしこれからの統治を考慮すると
                「主君を捨てて裏切った不忠者」として皆殺し処刑するのが吉
という判断はなにも秀吉だけじゃないかと
121人間七七四年:2008/12/07(日) 19:49:18 ID:WEBcZuCH
なんか荒れそうな雰囲気が出てきたので逸話投下


関ヶ原の戦功により、堀尾吉晴とその子忠氏は、出雲・隠岐24万石を与えられた。
出雲といえば神国。神異の場所、物が多くある土地である。

彼らが新しい居城の建設場所として決めたのは、亀田山であったが、
その近くにも、禁足地とされる池があることを、忠氏が知った。

そこに足を踏み入れれば、土地の神のたたりがある。
それを聞いた忠氏は一笑に付した。そんな馬鹿なことがあるものか、そこに私を連れて行け
迷信である事を証明して見せよう。

父、吉晴はそれを止めたが、忠氏は聞かず、その池に行き、一人踏み込んで行った。
やがて池から上がってくると


忠氏は紫色の顔をしており、そして、倒れた。
慶長9年(1604)、堀尾忠氏、急逝。まだ28歳であった。

地元ではこの事を、「出雲神の御乱と呼び、今も語り伝えている。
122人間七七四年:2008/12/07(日) 19:57:22 ID:II0fAfQN
出雲こえええええええええええええ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
123人間七七四年:2008/12/07(日) 20:01:19 ID:sUy+0kFe
今行っても同じようなことが起こるのかな。
124人間七七四年:2008/12/07(日) 20:18:25 ID:9kImQZhq
>>112
流石の直家でも暗殺するにはちょっと相手が悪いな。元春なんかは宴に軍勢連れて行って速攻かけそうだ。
125人間七七四年:2008/12/07(日) 21:43:35 ID:heByHeK4
小山評定で山内一豊にアイデアぱくられたり(俗説だが)、
若いのに神罰にあって命落としたりとなんか気の毒な人という印象だな>堀尾忠氏
評定の後でも一豊を笑って許したと言われるし、祟りを恐れないというのは
現代的な価値観で言うとむしろ好印象なんだけどなあ(まあガチで死んでるけどw)
友達になりたい
126人間七七四年:2008/12/07(日) 21:46:26 ID:PCEKYydp
見立て殺人でに2、3番目に死ぬいい人って感じ
「○○だって?馬鹿馬鹿しい。俺は帰るぞ!!」
127人間七七四年:2008/12/07(日) 22:14:05 ID:fdHBQWh/
山名豊国と側室
山名豊国には側室がいた。(ちなみに正室は祐豊の娘、すなわちいとこに当たる。)
元々流れ者(丹後で鹿之助と意気投合した話もあるほど)なので、
土豪との和睦を図る目的で長高連の娘を娶った。
ある日その側室は餅を苦しそうに食べていた。
それを見て一言「お前は餅が好きなんだなwwwww」
これ以降餅を食べなくなったといわれる

野田がアップを始めかねないちょっと(口の)悪い話であった
128人間七七四年:2008/12/07(日) 23:29:27 ID:7oNG8/Pz
>>125
この手の「禁断の地」は「なぜ危ないのかは見当もつかないがとにかく危ない」ことを
無理やり説明する場合の道具みたいなものだからな…
毒虫だのなんだのの群生地だったりガスの噴出孔だったり。
129人間七七四年:2008/12/07(日) 23:34:10 ID:bgYOYlvI
>>121
たとえば、毒を含むみずだとか、毒ガスが漂ってるとかかな
130人間七七四年:2008/12/07(日) 23:38:52 ID:bgYOYlvI
おっとすぐ上に書いてあった

>>127
野田がアップする、ってどういう意味?
131人間七七四年:2008/12/07(日) 23:41:41 ID:U/H1FwlJ
野田の聖子ちゃんは食べ物が喉に詰まる事に敏感です。
132人間七七四年:2008/12/07(日) 23:47:44 ID:O9gTYghg
>>125
ぱくった山内一豊は土佐一国を得て、ぱくられた堀尾は
出雲・隠岐を貰うにとどまった的に言われたりするけど、
俺が思うに当時の土佐より出雲・隠岐の方が恵まれている
気がするんだが。
当時の四国って、九州より遠隔地のイメージでしょ?
133人間七七四年:2008/12/07(日) 23:51:01 ID:bgYOYlvI
>>131

なるほど。
しかし

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1182442.html
>こんにゃく入りゼリーはだめで、モチは規制しなくてもいいのか−という問題だ。
>
>実際、10日の調査会でも谷公一衆院議員が「モチは昔から死亡事故が多い」と
>指摘した。一方、野田聖子消費者行政担当相は10日の会見で
>「モチはのどに詰まるものだという常識を多くの人が共有している」と強調したが、

らしい。


>>132
讃岐なら京の近くかもしれないけど、土佐なら遠そうだね
134人間七七四年:2008/12/08(月) 01:06:42 ID:WJIBpmuj
>>121
毒の沼地ですね、分かります。

ラーの鏡でも拾ってきたら英雄になれたのに。
135人間七七四年:2008/12/08(月) 01:22:56 ID:MUNQqzUm
>>132
長曾我部が土佐8万石って言って
家康がそう認識してたなら
山内さんは掛川6万石→土佐8万石で2万石ぐらい加増
堀尾さんは浜松12万石(親父の越前5万石)→出雲隠岐24万石で
加増は堀尾さんのほうが上だったのでは?
秋田さんが5万石って言ってたばっかりに東軍についたのに実質大幅減収だったり
佐竹さんは5万石程度に飛ばしたつもりだたのに21万石あってラッキーだったみたいな
136人間七七四年:2008/12/08(月) 02:02:09 ID:rPz5o/KT
秋田は初代の「女の子な安東愛季」スレで触れられたが戦後処理で鮭様にハメられたんだよな。

スレがまとめも無くて●なしではサルベージ出来ないが。
137人間七七四年:2008/12/08(月) 02:30:41 ID:T97I923j
小田原、朝鮮、関ヶ原でのちょうすがめの動員兵数から
家康のプッシー知らずも土佐の国力をある程度把握出来てたかもだ。
138人間七七四年:2008/12/08(月) 03:24:46 ID:kXxf3Sv8
一応言っておくが、佐竹は元々出羽では15〜20万石を知行する予定だったのだ。

佐竹が転封されようとしていたとき、その噂を聞きつけた細川精神年齢三斎が、
本多上野介正純に意見した。
「佐竹は昔っからの武家だし、郎党も多いんだから、せめて出羽一国くらいは
あげたほうがいいんじゃないスか?(こう言えば俺の株もあがるかも知れねーぜ、フハハ)」
しかし正純は即反論した。
「アンタ出羽一国じゃ石高が常陸一国とかわらないじゃない、ばかなの?しぬの?」
「あ、やっぱりそうですよね。ホントはそう思ってたんス(´ω`)y─┛…おまえが死ね)」

時勢も変わり、知ってのとおり宇都宮釣天井トラップに引っかかった正純は
1622年に出羽国横手に流罪となり、捨扶持1000石を与えられた。
「こんなことになるんだったら佐竹に出羽一国あげとけばよかったス、馬鹿ス、死ぬス」
横手では日頃このように話していたという。
そして配流された15年後、正純は復帰することなく横手で死んだ。

いっぽう佐竹は、いつのまにか宇都宮に5800石を加増されていた。

つーわけで
秋田の所領である檜山郡(=近世の山本郡)と秋田郡(純粋な秋田郡のみと思われる)は、
佐竹の所領である秋田三郡(=檜山郡+豊島郡+秋田郡)と
仙北三郡(=中世の山本郡+雄勝郡+平鹿郡)とは違うのだ。
したがって、よく言われる秋田の所領「実質20万石」は全くの勘違いで、
佐竹の所領はもとの秋田、戸沢、小野寺等々所領を合わせたものなのだ。
よく佐竹は秋田の所領にそのまま国替えされたと思っている人がいるから注意な。
139人間七七四年:2008/12/08(月) 05:57:38 ID:MbQyu129
精神年齢ワロタw
140人間七七四年:2008/12/08(月) 06:20:12 ID:AjAyyCpZ
>>134
ロトのしるしかもしれない
141人間七七四年:2008/12/08(月) 10:54:58 ID:j9Tf5Cpf
>>133
マンナンのこんにゃくゼリーで喉を詰まらせたと確定してるのはわずか2人のみとか。
他の20人のこんにゃくゼリー死亡事故はどのメーカーのこんにゃくゼリーで死亡したか公表されず。
しかし岐阜選挙区の野田は、群馬のマンナンのみを攻撃しイメージ悪化をはかる。
群馬選挙区の福田の首相退任で福田に力無し。
野田の背後には岐阜のこんにゃくゼリーメーカーがいて、マンナン商品撤去後には岐阜のこんにゃくゼリーがスーパーに陳列された。
糞女野田が完全に地元利益誘導を狙ったものらしい。
142人間七七四年:2008/12/08(月) 15:14:44 ID:gB32SBoZ
前田慶次、馬揃えに登場。

 ある日のこと、家中一統の馬揃えがあり、いずれも美しく着飾り、
日頃愛用の馬にも立派な装具を付け、どの者もこれ見よがしと競って参加した。
慶次はこの時、黒の粗服をまとい、一頭の牛に跨って悠々と出場。
これを見た人々は呆れ返って
「馬揃えに牛に乗ってやって来るとは!人を馬鹿にするにも程がある!!」
 と口々に罵った。すると慶次は口を開き
「我は小禄の分際であり、馬を飼う余裕がない。
よって牛を飼育しているのであるが、物の用にさえ立てば、馬でも牛でも同じであろう。
それを今お見せしよう」
牛に一鞭を加えると場内を縦横無尽に疾駆してその速いこと馬に劣らず、
人々はさすが前田慶次であると舌を捲いて驚いたという。

折角大事に着飾ったお馬さんに注目が集まらない悪い話。
143人間七七四年:2008/12/08(月) 15:53:05 ID:P8QJBcd/
多分、この為だけに牛を調教したんだろうなぁ
144人間七七四年:2008/12/08(月) 15:55:15 ID:P2tZzc4P
奴ならやりかねないなwww
145人間七七四年:2008/12/08(月) 16:00:40 ID:IIGpUyu2
中国には、牛に載って出陣して馬鹿にされた皇帝がいたなあ。
146人間七七四年:2008/12/08(月) 17:26:58 ID:MUNQqzUm
牛って長響次第では馬レベルに疾走できるの?
体の構造上無理なんじゃなくてあいつらさぼってるの?
人に飛べって調教してもとりみたいにはなれないしそれとは違うのか?
だってそれ和牛でしょ?バッファローとかじゃないでしょ?
147大人の名無しさん:2008/12/08(月) 17:51:06 ID:FUyvDH2D
>>146
ヒトは構造上飛べるわけないだろ
闘牛を見る限りではダッシュ力はありそうだけどな
148人間七七四年:2008/12/08(月) 17:54:42 ID:XMgeJ0az
牛車は許可が必要みたいだけど騎牛は良かったのかね
まああっても関係無いか。
149人間七七四年:2008/12/08(月) 18:05:42 ID:aDbFDruB
カバだって最高時速60キロで走れるらしいし牛だって
150人間七七四年:2008/12/08(月) 18:13:19 ID:rRHb/wA7
残念だがカバは地上最強
151人間七七四年:2008/12/08(月) 18:19:13 ID:8NBWkhFh
こういうときは、日本の馬はポニーだった(という人もいる)ことを思い出すんだ!
ポニーの中でも小型種に乗る大鎧完全武装の武者を想像すれば、
紙で出来た鎧を着た慶次郎の乗る牛の方が使えそうだろ?
152人間七七四年:2008/12/08(月) 18:41:09 ID:FMzOMg4V
立派な鎧じゃなくて粗末な衣服を着たってのも馬力の劣る牛に騎乗して
最高のパフォーマンスを見せるための慶次郎の計算かもね
そう思うとなかなか小賢しいなw
153人間七七四年:2008/12/08(月) 18:43:34 ID:8NBWkhFh
おお! ちゃんと読むと、武装もしてないんだな
154人間七七四年:2008/12/08(月) 18:48:27 ID:WJIBpmuj
松風「お…俺の存在は…?」
155人間七七四年:2008/12/08(月) 18:51:16 ID:Z1W0jqui
牛以下の馬
156人間七七四年:2008/12/08(月) 20:15:02 ID:SJpOlNlh
松風に角をつけて「これは牛だ」と言い張ったのかもしれん。
157人間七七四年:2008/12/08(月) 20:25:16 ID:MUNQqzUm
ああそうか、そうだよな
言われてみれば木曽義仲も牛で平家おっぱらたし
和牛って美味しいだけじゃなくて結構凄い動物なのかな
158人間七七四年:2008/12/08(月) 20:37:48 ID:8NBWkhFh
牛は雄限定で強い印象はあるな
普段は不思議なほど気が弱いけど
159人間七七四年:2008/12/08(月) 21:14:30 ID:9hUDJ4Cy
そういや竹中半兵衛も牛に乗ってなかったか
160人間七七四年:2008/12/08(月) 21:18:34 ID:qpQjmD6k
牛というとホルスタインのような牧場で乳搾りされてる牛をイメージする
馬というとサラブレッドをイメージする

野牛はけっこう速いよ
161人間七七四年:2008/12/08(月) 21:20:08 ID:Z1W0jqui
牛といえば徳本先生だけど、あの人はいい話スレ向けの人だからなぁ
162人間七七四年:2008/12/08(月) 22:16:34 ID:7e0WLOEz
>>151
それはアマチュアトンデモ歴史家の鈴木真哉が言ってるだけじゃねw
あれで変な誤解がどれだけ広まったことか・・・
163人間七七四年:2008/12/08(月) 22:24:01 ID:sRDzXhb5
>>136

慶長五年夏、会津討伐にそなえて奥羽諸侯が山形城に結集。
上杉攻めのため、最上義光を総大将とし誓詞血判を提出しました。
しかし急遽家康が反転し関西へ向かったと聞いた諸侯は、
血相をかえて自領へ反転、最上家はほぼ単独で二万の上杉勢を相手に
する羽目に。追いかけるぞと最上家臣たちは激怒しましたが、
義光は「いざとなったら逃げる奴らなんか当てにならん」と
追跡しませんでした。

秋田実季は「もう最上は駄目です」と徳川家臣榊原康政に書状を送信、
撤退の許可を得ました。
伊達政宗は「よーし独眼竜は日和見しちゃうぞー」と動かない。
それどころか味方の南部領で一揆をあおった。まあ、一応
伊達は援軍もちょっとは出したけれども。

だがしかし奇跡は起こった。最上家はなんとか上杉を退けたのです!

「あいつら…、よくも最上を見捨てたな。ゆるせねえ!」
やっと義光のターン、逆襲が始まります。まず義光は政宗が南部で一揆を
煽動していたかどうか聞かれたら「そうみたいですよ」
と幕府に返答! 政宗はなんだかんだで百万石のお墨付きをパーに。

そして秋田家反転を蒸し返し、さらに西軍・小野寺輝道との間に盟約があった
(最上と同盟して一緒に小野寺を攻めてるって)、
実季の手柄である城攻めは関ヶ原合戦以後(そんなこたーない)、
実季は上杉家臣の酒田城主・志駄義秀と密約があった(?)と密告したのです。

秋田家は焦って弁明につとめ、そりゃ嘘と誇張ばっかだからの最上家臣も
逆に質問されたとき答えにつまったりしてしまいます。
「一体どういうことなんですか?」
「こうなったら裁定で白黒つけようじゃありませんか」
そして江戸城での裁定の日を迎える…ところが!
当日家康と義光は鷹狩りに出かけていました。
こんなんで裁判もなんもあったもんじゃありません。
後日、秋田実季は常陸に転封が決定しました…。

まあしかし。最上家も関ヶ原合戦後一人勝ちしなければ、
あそこまで幕府に警戒されず、改易もなかったかもしれませんが…
歴史は皮肉です。
164人間七七四年:2008/12/08(月) 23:23:49 ID:MbQyu129
政宗自重w
165人間七七四年:2008/12/08(月) 23:38:10 ID:8NBWkhFh
ちとやりすぎたな、最上

>>162
馬(ポニーだったとしても140センチちょいあれば今見てもでかいよ)がよたよたすることなく、
戦場で結構走らせて使えたとは思っているけど、
馬から下りて戦うのが案外多かったって主張は信じてる。
少なくとも史料にはそってるみたいだし。
166人間七七四年:2008/12/08(月) 23:45:07 ID:sc9URXc3
>>165
あの説は、実証がほどんどされてなかった希ガス
騎乗の戦いは流鏑馬みたいなもんで、斬り合いになったら降りるってのは分からんでもないけど
167人間七七四年:2008/12/08(月) 23:46:37 ID:IIGpUyu2
>>165
しかし鈴木は極端すぎで、かつ恣意的。彼の言う事は話十分の一くらいの聞き方で充分。
168人間七七四年:2008/12/08(月) 23:52:08 ID:8NBWkhFh
うん、いかにも鉄砲で狙われているときとか混戦時がほとんどだろうけど。
軍記っぽい史料を読んでると、当然馬を走らせるシーンも多いけど、
武将クラスの徒立ちの闘いも結構多い事に気づくようになった。

たとえば、川沿いの闘いだったと思うけど、
鍋島直茂が足を滑らせて危険になったところを、百武賢兼が助けたとか。
169人間七七四年:2008/12/08(月) 23:57:54 ID:IIGpUyu2
そりゃ騎馬に適さない場所での戦なら普通に馬から降りたりしますわな。

「徒歩説」って、当然考えるべき戦場での「合理性」をはなから無視して、個々の事象を
恣意的にピックアップしてさも普遍現象のように言ってるから無理がある。
170人間七七四年:2008/12/09(火) 00:21:33 ID:AqfYjhkN
>>165
鉄砲が有利な状況の下馬戦闘はあったろうね。
あと騎馬の他に徒士というもともと徒歩の武者もいる。

英仏百年戦争でも、フランス騎士がロングボウの猛射に耐えかねて下馬歩兵となって戦ってるし、
戦国時代と同時期のヨーロッパでも長槍と鉄砲に騎士が敗れた
パビアの戦い以降はピストル騎兵主体になってしまって、
百年以上後の三十年戦争になってやっと騎馬突撃が復活するくらい。
日本でも信長の時代から集団で馬上から鉄砲を射つ戦法はあったけど。島津とかほとんどみんなピストル騎兵だからね。
軍役状だと意外に騎馬の鉄砲装備率が高いんだよなあ。
171人間七七四年:2008/12/09(火) 01:57:11 ID:lQTOxBOp
天文19年(1550)11月、フランシスコ・ザビエル一行は周防の国府・山口を訪れた。
この地に居を構え、『西の京都』と呼ばれるまでに発展させた大内義隆に
布教の許可を求めるためである。

教養豊かな太守はキリスト教に理解を示し、ザビエルはその教義と戒律を説いた。

汝、我以外を神とするなかれ。  汝、偶像を崇拝するなかれ。
汝、神の御名をみだりに唱えるなかれ。 安息日を覚えこれを聖なる日とせよ。
汝、父母を敬え。 汝、殺すなかれ。 『汝、姦淫するなかれ。』

「…え?側室とか衆道ダメなの?」
「Oh、ハーレムヤ、ウホッ、良クナイ行為デース。大罪デース。神罰ガ下リマース。
コノ罪ヲ犯ス者ハ、犬ニモ劣リ、豚ヨリモ汚レテイルノデゴザイマース。」


毛利隆元・小早川隆景兄弟、陶隆房・義清兄弟、相良武任、冷泉隆豊、etc etc

を食ったと言われる7ヶ国の守護は、ザビエルを文字通り叩き出した。



一応、翌年には寛大にも布教が許された、とフォローしておく
172人間七七四年:2008/12/09(火) 08:29:59 ID:hxwAf/xJ
>>171
大友宗麟「え、戒律なんてあったの?」
173人間七七四年:2008/12/09(火) 08:37:18 ID:UfP3ii/P
黒田如水「ry」
174人間七七四年:2008/12/09(火) 09:08:40 ID:xDDT8x00
怪力姫


池田輝政の妹は、怪力と勇猛さで有名であった。

輝政が三河吉田城主だったときの事。場内に乱心者が出て、多数の人を殺害したあげく
彼女の元にも斬り込んで来た。

このとき彼女は鉢巻をし袴の裾を高くからげ、大長刀を手にし、乱心物の前に立ちはだかった!
そのあまりの迫力に乱心物はおびえ、逃げ出した。が、姫はこれを追いかけ、大長刀を車輪のように
振り回すと、この男の体は、ばらばらになったという。


又ある時の事

吉田城内に化け物が出て、下女をさらっていく、と言う事件が起きた。
下女の生々しい骨なども見つかり、「化け物は外から来るのではなく、この城の中に紛れ込んでいるのだ」
と、皆、恐れおののいた。

そこで姫は考えた。
ある夜、怪物がよく現れるという場所で、下女の衣装を頭からかぶり、寝たふりをした。

しばらくすると、そこに、小ちくと言う名の下女が現れた。が、様子がおかしい。
まるで馬のように、しきりに鼻を鳴らし息を吐く。姫がそっと見上げようとすると―――

その瞬間、小ちくの相貌が一変、目が光り口は耳まで裂け、姫に飛び掛ると
衣装に包み込んで口にくわえ、外に駆け出そうとした!

が、姫は腕を伸ばし、化け物の頭をぐっと掴むと、そのままみしみしと押し伏せ、
化け物が牛のように咆哮するのも構わず、拳骨を握り、この物の怪の頭を、

殴り潰した。

死んだ怪物を見てみるとそれは、尾が二股に裂けた、体長1メートル半ほどの大猫であったと言う。


この姫、落飾後の法名、天久院として、その名が伝わる。
175人間七七四年:2008/12/09(火) 09:21:10 ID:oAF4SL0Q
アマゾネスもびっくり
っていうか泣いて逃げ出すw
176人間七七四年:2008/12/09(火) 10:33:34 ID:AeXIC/iW
>>174
しかし、そんな気違いや化け猫が現れる城の方が怖いんだが。
177人間七七四年:2008/12/09(火) 11:00:04 ID:zBBixb1s
日本にそんなでかいネコ科の動物いねえよw
178人間七七四年:2008/12/09(火) 11:13:07 ID:1o0rq8It
おそらく、そのお姫様の影響で怪異が多発しているものと思われます
179人間七七四年:2008/12/09(火) 11:16:38 ID:7bun+iWI
吉田城で核実験でもしてたのかもな
180人間七七四年:2008/12/09(火) 11:17:15 ID:bF3GPl4d
兄ちゃんも刑部姫の話とかあるしそういう体質の血筋なんじゃね?
181人間七七四年:2008/12/09(火) 11:19:43 ID:5yzV0AbL
刑部姫?
182人間七七四年:2008/12/09(火) 11:22:49 ID:VsnycZyG
そもそもあの鬼武蔵と縁組するような一族だぞ
183人間七七四年:2008/12/09(火) 11:24:21 ID:1MK4odWC
佐々木健介と北斗晶レベルか
184人間七七四年:2008/12/09(火) 11:52:35 ID:lysLUJP0
真っ先に疑われたから仕方なく
真犯人捕まえようとしたんだろうな。
185人間七七四年:2008/12/09(火) 12:08:25 ID:hxwAf/xJ
>>176
酒井忠次「わしが城主のころはry」
186人間七七四年:2008/12/09(火) 12:21:56 ID:Gegs8L8F
戦国武将の妖怪退治といえば多田満頼が有名だけど、
この池田さんの姫様みたいな妖怪、化け物退治の逸話のある武将って他にいるのかな?
187人間七七四年:2008/12/09(火) 12:32:13 ID:4ihEIBGe
薄田兼相とか有名だと思うが
188人間七七四年:2008/12/09(火) 13:04:38 ID:Sgt2M2CA
市松は、酒乱じゃない張飛
189人間七七四年:2008/12/09(火) 14:34:18 ID:xDDT8x00
>>186
塙団右衛門の化け物退治の話も残っているね

>>188
いや、市松さんは相当の酒乱…
190人間七七四年:2008/12/09(火) 15:27:30 ID:Sgt2M2CA
じゃあ

関羽 = お虎

張飛 = 市松

でOK?

えーと、劉備は・・・
191人間七七四年:2008/12/09(火) 15:34:54 ID:xDDT8x00
つーか、太閤記は、三国志を種本にしてて

劉備:秀吉
関羽:清正
張飛:正則
孔明:半兵衛

って感じに、意図的に構成してる。
192人間七七四年:2008/12/09(火) 15:36:27 ID:8vFPP0Q+
劉備役の実態は朱元璋だけどな
193人間七七四年:2008/12/09(火) 15:39:55 ID:xDDT8x00
>>192
いま話題の赤壁の戦いも、「?陽湖の戦い」をそのまま書いたらしいね。>三国志演義
194人間七七四年:2008/12/09(火) 19:48:48 ID:g/S180GW
細川三歳でちゅ〜

「可愛いから、なにをやっても仕方がない。」
195人間七七四年:2008/12/09(火) 20:42:19 ID:Sg8DqK7/
え?
196朝倉の内輪もめ3:2008/12/09(火) 20:45:30 ID:1aHMmuAa
やがて信長に奉じられ、義昭は将軍職に就くが、義景は信長の上洛命令を拒否し、対決姿勢を
固める。織田軍の侵入ルートを湖東からと想定し、近江国境に新たに城砦を築きはじめた。

元亀元年4月、織田軍は若狭方面より来襲。敦賀郡の司令官景恒は防戦するとともに、一乗谷へ
援軍を乞う。

が、援軍は来なかった。

総大将義景は途中まで出陣したものの、一乗谷に騒動(その内容は不明)が起きたため、引き返
してしまい、後を任された景鏡は府中まで来たものの、何かを待つようにそこで進軍を停止。
織田軍の猛攻により、天筒山城は陥落、景恒の籠もる金ヶ崎城は孤立無援となり、やむなく
開城、景恒は落ち延びていった。

それを待っていたかのように、浅井長政が挙兵、織田軍は撤退するが、追いすがる朝倉軍のため
少なからぬ犠牲が生じた。景鏡はその後、美濃・近江国境まで進出し辺りを放火して廻った。

敦賀郡は激戦により荒廃し、敦賀郡司家の家臣の多くが討ち死にした。更に景恒は朝倉一族から
「不甲斐無し」と非難され、永平寺に遁世。気欝のためか、黒い手が伸びたためかわからないが、
それから半年もしないうちに没する。親父の伊冊入道も景みつの子を連れて自領に閉じ籠もり、
敦賀郡司家は完全に没落した。敦賀郡は義景の直轄領に編入、景鏡の地位は揺ぎ無いものとなった。
197人間七七四年:2008/12/09(火) 20:49:05 ID:xDDT8x00
続きキタ─wwヘ√レvv〜(゚∀゚)─wwヘ√レvv〜─ !!
198人間七七四年:2008/12/09(火) 21:06:08 ID:lAdOTWCs
これで終わり?
ちょっと悪い話かこれ?
199人間七七四年:2008/12/09(火) 21:29:34 ID:TZM+BXYD
>>188

市松は、張飛じゃない酒乱
200人間七七四年:2008/12/09(火) 22:13:25 ID:a2twaNIv
>>174
小松殿がアップを始めましたw

しかしそのなんだ、胸毛姫といいこの姫といい、戦国鬼姫決定戦は乱戦になりそうだw
201人間七七四年:2008/12/09(火) 22:59:57 ID:4q6xCFsh
景鏡が結局何やったかを考えるとこんなの信用した義景のちょっと頭の悪い話かも
202人間七七四年:2008/12/09(火) 23:00:58 ID:MkVpM6S/
>>191
あー
豊臣政権は孔明が一番最初に死んじゃったのがまずかったのねw
203人間七七四年:2008/12/09(火) 23:52:39 ID:Z6Xr5aMX
鬼武蔵「孔明だなんて照れるなあ」
204人間七七四年:2008/12/10(水) 01:13:38 ID:ZevKbODn
だまれ王双
205人間七七四年:2008/12/10(水) 01:18:53 ID:QDhoCLso
「ちょっと」悪い話じゃないな
景鏡は
206人間七七四年:2008/12/10(水) 06:02:49 ID:LnAtUfsS
>>202
秀吉政権にとっての重要度から考えると、むしろ孔明=秀長のような気もする
207人間七七四年:2008/12/10(水) 06:24:24 ID:BwIqFhSK
半兵衛=ホウ統
官兵衛=孔明
で、孔明が腹黒かったのが問題なんじゃね?
208人間七七四年:2008/12/10(水) 08:00:15 ID:Uav3iYD3
関ヶ原合戦の前日、株瀬川の合戦において

自軍の旗色が悪いので家康は撤退させようと本多忠勝と井伊直政に撤退命令を
伝えるように言った
この時、二人とも小具足であったので直政が
「このままでは心もとないので具足付けてからにしない?」
と言うと、忠勝も
「そうだね」
と言って別れた

しかし忠勝は途中で思い直して、そのまま馬を返して撤退を指示し、これを成功させる
鎧を着てから来た直政は後からそれを聞き、慌てて駆けつけるもすでに撤退は終了した後、
一番乗りが大好きな直政はこれに相当、腹が立ったらしく忠勝に
「汚いぞ、これまで仲良くやってきたのも此れまで。もう口もききたくない」
と毒づいたとか
209人間七七四年:2008/12/10(水) 08:59:19 ID:zeTBILKr
出来心


徳川家康の近習から出世した、近江の膳所藩主、戸田氏鉄がある時、娘婿であり
当時、再建なって間もない大阪城代を勤めていた板倉重宗に使いを出した。

ここでお控えを、と使者が言われた大阪城の広間には、たくさんの大砲が展示されていた。

この使者の男、それを見てどうしても試してみたくなったのであろう、
大砲の砲口に、頭を突っ込んでみた。すっぽりと入った。
とりあえず満足したので頭を出そうとした。出そうとした。出そうとした。出ない。

義父の使者が、いくら呼んでもさっぱりやってこないのを怪しんだ板倉重宗が広間に行ってみると、


大変なことになっていた。


「誰か、誰かある!?」

城中のものたちが集まり、大砲に頭突っ込んでじたばたしている使者の体を
かわるがわる引っ張ったが、抜けない。
「無理に引っ張ると死ぬかも…」
どうにもならないので、とりあえず戸田氏鉄にこのことを通報した

「あの馬鹿者め!!!!」
戸田氏鉄、激怒。そりゃそうである。「あああ、わしは三国一の馬鹿を使者に立ててしまった…」
あまりに恥ずかしさにうなだれる戸田氏鉄に、家臣たちは、「しかし、いかがしましょう?」と
お伺いを立てるが、氏鉄

「死んでも構わん!首ごとひっこ抜いて参れ!!!!」

重臣一人に屈強の足軽4,50人をつけて大阪城に急行させた。
大阪城で彼らが見た物は、折り目正しく裃をつけ正装し、大砲に頭を突っ込んでいる使者。
困り果てた顔をしている板倉重宗。
くすくす笑っている板倉家臣。
戸田家の皆さん、穴があったら入って埋めたい心境である。
彼らはその憤りを、大砲に嵌っている馬鹿にぶつけた

「えいやああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

使者の体は物凄い勢いで引っ張られ、異様に伸びた!「ちぎれる?」と、思った瞬間


スポンッ


抜けた。耳も鼻も擦り切れ顔は傷だらけであったが、ともかくも命だけは助かった。


この使者の男、膳所に連れ帰ったが、戸田氏鉄は「こんな馬鹿、処罰する値打ちすらない」と、
髪も髭もそり落とし、ふんどしまで剥ぎ取って、丸裸で追放した。
210人間七七四年:2008/12/10(水) 09:10:20 ID:rEA3BTeJ
>折り目正しく裃をつけ正装し、大砲に頭を突っ込んでいる使者。
今までで一番ワロタw
211人間七七四年:2008/12/10(水) 09:16:53 ID:w78toD46
大阪から膳所って、今でも1時間ぐらいかかるぞ
何時間はまってたんだ。しっこも垂れ流しか?
212人間七七四年:2008/12/10(水) 09:49:52 ID:0wrN3gSJ
>>191
日本人って、昔ッッから
三国志の様式美が大好きだったんだなあw



いや、俺も大好きだけどさ
213人間七七四年:2008/12/10(水) 09:54:53 ID:9KLaR2vh
>>207
それ以前に劉備が黒すぎたのが原因だろ
214人間七七四年:2008/12/10(水) 12:00:27 ID:6fK0UPeh
>>209
これは久しぶりにワロタwwww

しかし頭が入るほどの大砲ってかなりデカイな
当時もうそんな大口径の砲があったのか
215人間七七四年:2008/12/10(水) 12:44:33 ID:tHiizrJ/
徳川の世でよかったな。
荒武者のとこだったらそのまま大砲ぶっ放せやといわれかねんぞw
216人間七七四年:2008/12/10(水) 12:45:43 ID:fYzVuyl0
>>209
穴があったら入りたい・・・
217人間七七四年:2008/12/10(水) 12:48:53 ID:exAOSaSC
>>215
当時の大砲っておそらく先込め式だし、ぶっ放したくてもぶっ放せなかったんだろうw
218人間七七四年:2008/12/10(水) 12:55:52 ID:Ww6ytjVy
かっこ悪いハナシダナー(;∀;)
219人間七七四年:2008/12/10(水) 13:27:48 ID:9HpluJ3M
遊就館でみた国崩しレプリカの砲口の直径は小さかった記憶がある
220人間七七四年:2008/12/10(水) 15:06:35 ID:whZ26dVb
>>209
爆笑させていただいたw
221人間七七四年:2008/12/10(水) 15:45:11 ID:sthcfZe6
>>216
.       ,、r‐''''''''''''''''ー 、
      ,r'         `' 、
     /             ヽ
.    / ,             ヽ
   ,,'  ;    ,、、,_  ニニ  ,、」、
   l.  :;;;i    ´ .._`ー   ‐''"....|
   l:,;'"`'、,    . ,;ィェ、..   ,rェ;〈
.   ';i l :::i;;,, ::' "......::'''ン  .., .:::'''"゙,
    l;゙、',.::l;;;i      r   ヽ.   l,
    l;;;;`‐;;;;;ヽ   . './'ー'''ー‐' ',  l;;;,,
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ  ,r";;二二二,ヽ, !;;;;:'     いい心がけじゃ
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン"  ̄二´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l  '';;;;;;;;;;;;;;'         ,イ l'''  l `
:.:.:.:| ','、  '''''''''   , ‐---,ェr'".l.|  |  |
:.:.:.:|  ゙、゙、       `''''''''"",ノ l l  .|  |
:.:.:.:.|  ヽヽ     `'---‐'" .//  !  |
222人間七七四年:2008/12/10(水) 16:09:26 ID:93fL3dM3
あぁでも褌までとられてポイされてかわいそう…だなw
223人間七七四年:2008/12/10(水) 16:28:22 ID:V2UWIjVp
ポイしないでくださいっ!><
224人間七七四年:2008/12/10(水) 19:46:46 ID:/C6GtQ2q
>>209
直江兼続の嫡男も本多正純の嫡男も戸田氏鉄の娘を娶っているね。
どっちもろくでもないことになってるんだが…ここでもかw
225人間七七四年:2008/12/10(水) 20:00:13 ID:V7b18soE
麻生太郎オフィシャルサイト
http://www.aso-taro.jp/lecture/kama/2005_6.html

>また織田信長と武田信玄の姉川の合戦で武田の騎馬軍団が
>織田の鉄砲隊に負けた歴史も知っていたと想像されます。
226人間七七四年:2008/12/10(水) 20:00:39 ID:ZkGsopLg
>>216
経験者?
227人間七七四年:2008/12/10(水) 20:03:13 ID:ZkGsopLg
>>225
鉄砲3000丁嘘説か?
細かい事いうなよ

と思ったら、ぜんぜん違った。
覚え間違いか、うっかりミスか、側近の陰謀か。
228人間七七四年:2008/12/10(水) 20:06:59 ID:3ovrzlUK
超時空武田騎馬軍団は姉川までいったのか
229人間七七四年:2008/12/10(水) 20:07:18 ID:pLzIjpIo
>>225
これは酷い…
例えば織田信長と武田信玄の長篠の合戦でry
だったら信玄と勝頼を書き間違えたんだなとまあギリギリ許容範囲内だけど
武田が一切関係のない姉川の戦いなんてどこから沸いてきたんだよ…
姉川と長篠を間違えるのはさすがに無いわ…
230人間七七四年:2008/12/10(水) 20:08:52 ID:J6NGzHP1
戸田氏鉄本人は幕政でも大垣藩政でもなかなかの働きをして
軍事面でも島原の乱で知恵伊豆さんと共に鎮圧に功を挙げた
やり手だが、使者の人選でこんな恥かしい思いをしたことが
あったとは…

どうでもいいがこの使者みたいに素っ裸にされ放逐されたら人は
まず何をするんだろう。
やっぱり身を被うものを探すんだろうか。
231人間七七四年:2008/12/10(水) 20:15:02 ID:pLzIjpIo
>>230
あの使者の人選で戸田氏鉄の人を見る目をどうこう評価するのは流石に可哀相だけどな。
多分使者もそれなりに出来た人物だったから使者に選ばれたんだろうけど、
たくさんの大砲を目の前にして思わずテンションが上がってしまったんだろうなw
そして運悪く頭が抜けなくなったと…
あそこで他人に見つかる前に自力で解決できてたら戸田家を支える武将へと成長していただろうに、まさに一寸先は闇だなw
232人間七七四年:2008/12/10(水) 20:23:55 ID:3nTjugdT
もし主君が四天王だったらどうなったろうな、その使者殿は……
233人間七七四年:2008/12/10(水) 20:38:01 ID:XRkyRB3H
四天王『中に押し込め』
234人間七七四年:2008/12/10(水) 20:40:36 ID:pLzIjpIo
>>233
そして次に火薬を押し込めるんですね。
235人間七七四年:2008/12/10(水) 20:42:32 ID:whZ26dVb
家臣「押し込みました」
四天王「んじゃ、点火よろ」
236人間七七四年:2008/12/10(水) 20:43:52 ID:sthcfZe6
武蔵ーー!!逆ーー逆ーー!!
237人間七七四年:2008/12/10(水) 20:47:08 ID:3ovrzlUK
何?体が大きすぎて入らない?
逆に考えるんだ、首を切り離してしまえば簡単だ、と
238人間七七四年:2008/12/10(水) 20:47:24 ID:HEtTagtQ
火薬に火をつけた家来は吹き飛び、使者の頭はさらに食い込むのですねwww
239人間七七四年:2008/12/10(水) 20:57:13 ID:6FuRmZ4K
>>209
細川忠興なら、首を一刀両断して大砲に残された
首を点火して吹っ飛ばして
「この大砲を首飛ばしと名づけよ」
とか言いそうな。
240人間七七四年:2008/12/10(水) 21:05:56 ID:J6NGzHP1
家康がもしその場に居たら
「一度は入りしものゆえ油など差し込めば抜くことも出来よう。
油まみれになった砲は責任をもって拭くのだぞ」

とかスマートに指示して解決して、謹慎とか蟄居とかで済ませて
ちゃっかりと恩を着せ忠臣ゲットとかなんて話になったかも知れぬ。
241人間七七四年:2008/12/10(水) 21:13:24 ID:pLzIjpIo
秀吉がその場に居たら
「とにかく助け出せ」
→美男だったら「お前に姉か妹はいるか?」
→フツメンor醜男だったらry
242人間七七四年:2008/12/10(水) 21:17:30 ID:cDcJmAb2
>>240
そんな話ありそうだ。
243人間七七四年:2008/12/10(水) 21:38:00 ID:yBmyIZnk
朝倉義景のいかにもな話

元亀元年8月、織田信長、河内・攝津に出陣。

姉川の合戦で苦杯をなめた浅井・朝倉軍は三好三人衆・本願寺等と
連絡しその背後を突いた!
浅井長政・朝倉景健率いる軍勢が坂本に出陣、宇佐山城を守っていた
森可成・織田信治を敗死させ、京都に迫る!
三好勢は摂津で踏ん張り、本願寺は全国に檄を発し各地で一揆勃発!
南近江で六角勢も気炎を上げる!
信長四面楚歌!

さあ、この時朝倉軍総大将の義景は何をしていたか!


竹生島参拝。


この後、堅田に行きましたけどね。
244人間七七四年:2008/12/10(水) 21:40:33 ID:zeTBILKr
>>243
流石すぎて逆に感心するw
245人間七七四年:2008/12/10(水) 21:40:48 ID:mGTGt8Ll
>>240
三河武士はめんどくさいから、
「勘違いしないでよね!抜けないんじゃなくて、抜かないだけなんだからっ!」
とか言って大砲被ったまま立て篭もるか、下手するとそのまま使者の仕事全うする予感。
246人間七七四年:2008/12/10(水) 21:44:19 ID:sthcfZe6
大砲で飛んで帰ろうとしそう>三河武士
247人間七七四年:2008/12/10(水) 21:45:57 ID:zeTBILKr
>>240
家康が若い頃なら、「馬鹿にしておるのか!手打ちにいたす!」って怒り狂ってるところに
本多作左さんあたりがやってきて「殿は大砲と人の命とどちらが〜」とか言い出して
しょうがなく引き下がる感じ。

年取った後の家康なら、使者の主君に知らせないようにして、どうにか引っこ抜いて
恩を売るだろうね。
248人間七七四年:2008/12/10(水) 22:18:35 ID:pLzIjpIo
>>247
ありそうだなw
若い頃の家康がぶち切れてるのを鬼作左に諌められるってのは様式美だよなw
249人間七七四年:2008/12/10(水) 22:45:00 ID:5oTps0ou
加藤清正の騙し討ち

木山弾正という弓使いの豪傑に清正は一騎討ちを挑んだ。
清正「一騎討ちを申し込む!潔く太刀で勝負だ!」
っと槍を投げ、抜刀する清正。
弾正も答えて弓を投げ捨て抜刀して狙撃していた丘を下った。
するとどうした事だろう。
そこには槍を握りしめた清正が待っていた。

清正「待っていたぞ弾正!」
弾正「謀ったな!この卑怯者め!」
清正「勝てばいいのよ」

しかし怒り狂った弾正に清正まさかの大苦戦。とうとう両槍の片槍を折られてしまう。

これが清正像が持っている片槍の生まれのエピソードである。
しかしとある伝承では片槍にされた挙げく焦った清正、伏せておいた兵まで参加させ漸く討ち取ったとかなんとか…
義に熱いとされた清正の意外なジャギ様な一面

しかしこの話しには続きがある。この弾正の子は親父の敵を殺るべく熊本城築城に参加する。
清正の命を付け狙うも中々機会が訪れず逆に見つかって捕らえられる。
清正は「俺の名を言ってみろ!」
っと言わんばかりに井戸に突き落としその井戸に石を敷き詰めた。

糸冬
250人間七七四年:2008/12/10(水) 22:49:40 ID:4DDmbQI6
井戸掘るのだって大変なのにまったく・・・
251人間七七四年:2008/12/10(水) 22:50:50 ID:zeTBILKr
>>249
もう出てるね、その話。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-52.html
252人間七七四年:2008/12/10(水) 22:51:02 ID:j34C9GdJ
…言いにくいんだけど

ネタ被りだよ。まとめ参照。
253人間七七四年:2008/12/10(水) 22:51:13 ID:F+nlcZhJ
>>243
景鏡の話の後で義景のこういう話聞くとほっとする。
いい人なんだけどね。
254人間七七四年:2008/12/10(水) 23:18:09 ID:auAT8ru3
>>225
ミンス工作員ですか 
確かに痛い間違いですが
前後の流れを無視して唐突に張り付ける+戦国ちょっと悪い話ですらない
のでライバル党イメージ低下の工作であることがバレバレですよ

スルーしようかと思っているけど、後で一緒に踊っている人がいたのでちょっと

255人間七七四年:2008/12/10(水) 23:35:36 ID:fYzVuyl0
ここまで伸びたらネタ重複はしょうがない気もする
256人間七七四年:2008/12/10(水) 23:37:09 ID:HV9/7rYO
まあ書く前にまとめで確認だ。武将別につくってくれてることだし
257人間七七四年:2008/12/10(水) 23:41:00 ID:zeTBILKr
有名どころは全部出た感じだしね。
探せばまだまだ、あるといえばあるんだけどね。

それにしてもまとめサイト、ある意味物凄い戦国の逸話のデータベースになってるなw
ホントに出版すればいいのに。
258人間七七四年:2008/12/10(水) 23:45:33 ID:j34C9GdJ
逆に有名過ぎてみんな書き控えてるエピソードとかも有りそう
259人間七七四年:2008/12/10(水) 23:49:42 ID:zeTBILKr
秀吉が信長の草履温めた話とかは、確かにまだないなw
需要があるのかどうかは知らないがw
260人間七七四年:2008/12/10(水) 23:49:44 ID:fYzVuyl0
>>257
ちゃんと裏とって解説載せてくれるなら1000円くらいは払うw
でも他のブログの丸写しの文章もあるから著作権的な意味で難しいかも。
261人間七七四年:2008/12/10(水) 23:53:04 ID:4DDmbQI6
いまさらへしきり長谷部の話とかしてもアレだしなぁ
262人間七七四年:2008/12/10(水) 23:55:11 ID:LVYbPeNY
知らないんで、ググッた
へえ
263人間七七四年:2008/12/10(水) 23:56:41 ID:zeTBILKr
>>261
需要あると思うぞw
264人間七七四年:2008/12/11(木) 00:29:16 ID:IwNKqgnS
じゃあ、へしきり長谷部

あの温厚な織田信長さん、茶を飲んでる時にで茶坊主にキレました。(原因不明)
まあ、信長さんがキレるのは逸話などでは良くある事なのですが、当然茶坊主は必死です。
茶坊主は恐れて逃げます。でも信長さん、刀を抜いて追っかけてきます。
でも、所詮狭い室内のこと、やっぱり簡単に追い詰められました。
で、追い詰められた茶坊主はどうしたかというと、棚の中に隠れたわけですね。
「これなら棚が邪魔で斬られんだろう。」
とでも思ったのでしょうか。まあ必死だったのでしょう。
で、信長は、棚にジャストフィットしている茶坊主を見つけるわけです。
このまま斬るには棚の上板が邪魔です。かといって棚ごと斬るわけにもいきません。
でも、普通ならわざわざ斬らなくても突き殺せばいいし、どうしても斬りたいなら棚から引きづり出せばいい。
しかし、そこは信長さん。どうしたかというと




刀を棚の上板と茶坊主の間に差し込んで、そのまま茶坊主を真っ二つに圧し斬ったんです。
振りかぶらずに押し切るなんて斬り方、よっぽど切味が良くなければできません。
っていうか、そもそもなんでそんな殺し方をするのかわかりません。
「よく斬れる刀だ。圧し切り長谷部と名づけよう。」
この刀、後に黒田家に伝わり、国宝となりました。

ちなみに長谷部は茶坊主の名前であるというのは俗説で長谷部国重銘だからです。
265人間七七四年:2008/12/11(木) 00:31:40 ID:1Y2UdkIb
おっとそういうことか
検索で最初にヒットしてきたところと、ちょっとちがうんだな
266人間七七四年:2008/12/11(木) 00:32:10 ID:HIajrCIQ
>>264
こう言うのも、いかにも信長らしいのがまた困ったものだw
267人間七七四年:2008/12/11(木) 01:00:44 ID:aw1QeX+9
信長ネタならねねに泣き付かれた信長の話も好きだ
268人間七七四年:2008/12/11(木) 01:02:22 ID:1Y2UdkIb
かなで手紙を書いてやるやつかな
あれは実に良い話だ
269人間七七四年:2008/12/11(木) 01:36:32 ID:B8IIbc5p
秀吉全く反省しなかったみたいだけどなw
270人間七七四年:2008/12/11(木) 01:58:31 ID:gJpr7h5/
有名な逸話は逆に皆書いてないっぽいな
さすがというか何というかw
271人間七七四年:2008/12/11(木) 02:24:29 ID:xRDRaWPe
「今更…」って感じで遠慮があるな、どうにも
272人間七七四年:2008/12/11(木) 11:13:31 ID:xY9UUKjy
塚原師匠の鍋蓋の話は有名+突っ込みどころ満載
273人間七七四年:2008/12/11(木) 11:29:34 ID:HIajrCIQ
では、あまり手をつけられない戦国初期くらいの逸話でも


寛正三年(1462)八月の事

京の警察業務を担当する侍所の京極持清が長福寺の僧侶数名を逮捕、処刑した、と言う事があった。
これに激怒したのが、有名な有力大名、山名持豊(宗全)である。何故なら長福寺は、山名家の
菩提寺であったからである。

「わしに無断で、長福寺に踏み込んだこと、これは許されん!」

これはたちまち山名、京極両氏の対立となり、京には両家の軍勢が集結!
一触即発、戦乱前夜の様相を呈した。

これを見かねた室町殿、足利義政は両者を仲介。結果、京極側の長福寺捜索の責任者、
多賀新左衛門という者が、責任を取って切腹する、と言う事で決着となり、双方兵を引いた。





しばらくすると再び両家の間がきな臭くなってくる。何故か?
肝心の新左衛門が、いつまでたっても切腹しないからである。

「拙者のやったことは正当な警察業務として行ったこと!それを切腹など
全く納得でき申さず!」

そうこうしているうちに京には再び、両家の軍勢が集結し始めた。戦乱は避けられぬのか?
ところが


それから八日ほどして突然、事態は収拾された。新左衛門が切腹したわけではない。
なんと、新左衛門の変わりに、この事件には全くかかわりのない、新左衛門の弟、
多賀将監と言う者が、兄に代わって切腹したのだ。

この切腹で何故か双方は納得し、危機は避けられた。

山名と京極はそれぞれ室町御所に参上し、御太刀を献上し、自分達の不始末をわび
義政の仲裁に感謝したと言う。
274人間七七四年:2008/12/11(木) 12:03:50 ID:OuhLynZQ
>>273
相手が福島正則だったらこうはいくまいw
275人間七七四年:2008/12/11(木) 12:18:40 ID:9P4hoQ6b
で、兄貴の新左衛門さんその後どうしたの?
276人間七七四年:2008/12/11(木) 12:38:25 ID:HIajrCIQ
>>275
記録にねえです
277人間七七四年:2008/12/11(木) 13:00:16 ID:Y2ilVD1R
京極と山名は出雲、隠岐守護がらみで
もともと仲悪いからなぁ
278人間七七四年:2008/12/11(木) 18:46:35 ID:xRDRaWPe
三管四職家はそれぞれ険悪そうだなw
279人間七七四年:2008/12/11(木) 18:48:08 ID:IwNKqgnS
まあ、仲良かったら良かったでアレな感じもするけども。
280人間七七四年:2008/12/11(木) 19:09:12 ID:HIajrCIQ
三管のみなさん


畠山「ウチは鎌倉以来の名門だっつーの。控えろ陪臣上がり」

細川「畿内はウチの縄張り。お前は大和に田舎にでも引っ込んでろ!」

斯波「何?関東や東北政策、俺無視して出来ると思ってんの?」


畠山・細川「お前は自分のところの守護代(織田朝倉甲斐)ちゃんと管理しろよ!」



四職のみなさん

山名「領土!拡張!領土!拡張!」

京極「ウチの領地掠めんな!死ね!」

赤松「全くだ!みんな死ね!いや殺す!」


山名・京極「お前はそうやって発作的に騒ぎを起こすな!!!」


一色「あの…」


山名・京極・赤松「あれ?一色君…、いたの?」
281人間七七四年:2008/12/11(木) 19:32:57 ID:CiS/yLob
たまには土岐さんにもかまってあげてください
282人間七七四年:2008/12/11(木) 21:07:30 ID:OuhLynZQ
>>280
細川には三好氏という優秀な家臣が…
畠山にも遊佐氏というこれまたすばらしい一族が…

結論…何処の管領家も家臣筋がすばらしすぎw
283人間七七四年:2008/12/11(木) 21:18:53 ID:HIajrCIQ
>>281
斎藤妙椿「こんにちわー!今日も元気に他領を横領!妙椿でーす!
      俺幕府の奉公衆だから土岐さんも手出しできないんだよね〜。
     義材将軍の後ろ盾になって一気に独立守護にクラスチェンジだ!死んだけど!その前に!」
284人間七七四年:2008/12/11(木) 22:36:50 ID:xRDRaWPe
浦上則宗「ヘッヘッヘッ…赤松の旦那ぁ。あっしは忠臣ですぜ?」
285人間七七四年:2008/12/11(木) 22:50:27 ID:aw1QeX+9
まともに生き残ったの細川さんちだけ?
286名無し:2008/12/11(木) 23:05:08 ID:vIJ6fkRl
上杉謙信は、男好きらしい。
287人間七七四年:2008/12/12(金) 00:43:33 ID:pcB9Ygpd
山名さんも
288人間七七四年:2008/12/12(金) 00:47:23 ID:Fk5iUxK4
政宗「ちょw男好きとかありえなくねw」
信玄「やだねー男色とかやだったらやだw」
289人間七七四年:2008/12/12(金) 01:06:07 ID:A26TPBrT
>>288
一番説得力のないお前らが言うなw
290人間七七四年:2008/12/12(金) 01:54:00 ID:3UpwJoH8
虎綱「男色してる奴って馬鹿なの?死ぬの?」
291人間七七四年:2008/12/12(金) 02:38:04 ID:c/ncRLy+
義隆「ですよねー」
292人間七七四年:2008/12/12(金) 07:04:50 ID:yaA+4LR5
ちなみに畠山さんも上条政繁が高家として生き残っているね。
293人間七七四年:2008/12/12(金) 07:18:30 ID:bLO+MiFo
三管四職のみなさんは案外生き残ってるな


細川(京兆家)→秋田家臣に
畠山(金吾家)→高家に
斯波(武衛家)→前田家家臣に

山名→交代寄合に
京極→大名として存続
赤松→徳川旗本に
一色→徳川旗本に
294人間七七四年:2008/12/12(金) 08:21:42 ID:/z95e5qj
>>292
149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/11(木) 10:39:48 ID:aw1QeX+9
義綱の弟で謙信の養子になった上条政繁の血筋とも
七尾落城後謙信に引き取られ謙信死後血縁の政繁の養子となった
畠山誰かさんの遺児(義春。春王丸の弟?春王丸本人という説も)の血筋とも。
謙信の北条景広宛書状に「畠山未亡人と結婚しませんか?息子は私が養子にします」と。
政繁と義春が混同されているためどっちがどっちやら。
295人間七七四年:2008/12/12(金) 08:54:46 ID:xDK1g7GZ
丹後一色家は金地院崇伝がおる
296295:2008/12/12(金) 08:58:15 ID:xDK1g7GZ
>>295
式部家でした・・・
297人間七七四年:2008/12/12(金) 12:02:15 ID:cg4RE8r2
>>290
信長「であるか・・・」
298人間七七四年:2008/12/12(金) 18:22:44 ID:bLO+MiFo
大阪冬の陣の、和議がなった頃の事

真田幸村は、武田の旧臣、原貞胤を招き酒宴を開いた。
最初は旧交を温めていたが、酔いが回ってきた頃、二人きりの場で、
幸村はふと、この先の事を、語り始めた。

「この和議は、一時的なことでしょう。再び戦になるのは間違いない。
私はそこで討ち死にしても、悔いはありません。」


しかし


「武士の習いとはいえ、息子の幸昌まで、14歳で命を落とさせるのは、不憫でならないのです。」
そう、涙ながらに語ったと言う。


日本一の兵(つわもの)も、人の親なのだ。
299人間七七四年:2008/12/12(金) 18:37:16 ID:B4YF+ICp
いい話なんだが

ここ悪い話スレ…
300人間七七四年:2008/12/12(金) 18:43:58 ID:bLO+MiFo
>>299
どっちか迷ったんだけど、いい悪いと言うより、やりきれない話だなあと思ったので、
どちらかと言えばこっちかな?と。
301人間七七四年:2008/12/12(金) 18:45:26 ID:yI7H2qDt
戸田家某<誰にでも間違いはある・・・
302人間七七四年:2008/12/12(金) 19:42:58 ID:KEP+Ja8+
豊臣家が滅亡し、家康も死んでしまった元和5年…1619年のこと。
豊臣の大重鎮であった福島正則は台風の被害をモロに受けた広島城を修理する為、
「お城を修理してもいい?」と、幕府の重鎮であるの本多正純に届出を提出する。
「幕府の権勢を握る本多正純に提出すれば、間違いなく許可されるはず」
そう思ったのか、許可が出されていないにも関わらず修理する気満々の福島正則であった。


しかし、幕府の権勢は、今は亡き神君家康公の側近である本多正純から離れて、
前々から徳川秀忠の側近として仕えていた土井利勝・酒井忠世の手の内へと完全に移ってしまっている。
権勢も威勢も無くなった本多正純の手の内にあるのは、福島正則から預かった「修理してもいい?」の届出だけ……。
本多正純が、届出を提出しようと頑張ったのか、頑張らなかったのかは不明だが、数週間が過ぎた……


福島正則が本多正純に届出を提出してから2ヶ月後、江戸へ参勤途中の福島正則に悲報が届いた。

「幕府の許可おりてないのに、あなたね……何を勝手に城を直しとるんだ! 謀反の心ありか!」

驚いた福島正則、さっさと広島城に使いを出して修繕部分を全面的に泣く泣く粉砕。
然れども「え? これ、どこ壊したの? 壊してないですよ」などと、破却不十分だと言われてしまう。

その後、福島正則は信濃国川中島の高井郡と越後国の魚沼郡へ改易された。45万石近い改易だったとさ。

なんか幕府権力争いの巻き添え喰らっただけの理不尽な話。正則の運が悪いと思う話
303人間七七四年:2008/12/12(金) 21:20:51 ID:cgGQSHdJ
米はうまそうだな。
304人間七七四年:2008/12/12(金) 21:32:48 ID:c/ncRLy+
まだ米の改良は進んでないんじゃないか?
魚沼あたりは謙信時代の上田長尾の勢力地だから
越後の中でも金山銀山があったり越後青その名産地だったり
関東との玄関口だったり山間だが結構肥沃な土地だったようだけど。
(正則の領地にそれらが入ってるかどうかは知らない)
305人間七七四年:2008/12/12(金) 21:36:22 ID:bLO+MiFo
つーか、正則の場合ホントに一回「城の破却すればOK」ってなったのに、
すげえおざなりな破却でごまかそうとして、周りの藩が「あいつ適当な事でお茶濁してますよ!」
って報告してきて、それで改易されたんだよね。

理不尽と言うより、状況把握が甘かったとしか言い様が無い。
306人間七七四年:2008/12/12(金) 22:07:48 ID:loJE49wV
氏康柱 〜英雄が残した刀傷〜

北条氏の拠点、小田原城内には「氏康柱」と呼ばれる柱があった。
後北条氏三代目当主の北条氏康が、謀反を企てた家臣を手討ちに
した。書院の間で切り捨てたため、勢い余って柱に刀が食い込んで
しまった。氏康の家臣達は柱を取り替えず、柱傷に蓋をして大切に
保存し、機会のある事に衆目に披露して、逆心の無い様に戒めていた。

時が移り、後北条氏は滅び関東には徳川家康が入封してきた。小田原
城は家康の家臣、大久保忠隣の居城となった。「氏康柱」の話を聞き
つけた家康は、上洛の途中で小田原城に立ち寄り、柱を見たいと忠隣
に所望した。だが忠隣は「その柱は書院があまりにも古くなっていた
ので、建て替えた時に捨ててしまいました。氏康の柱より、武勇に優
れると評判の鈴木大学の弓が玄関にありますので、ご覧下さい。」
と答えた。たちまち家康は不機嫌になり、忠隣を叱った。

「北条氏康と言えば早雲、氏綱と言う英傑の後を継ぎ関東八州に覇を
唱えた者である。若き頃は河越にて、八千の兵にて八万の上杉軍を
破ったと謂われる天下の傑物ぞ。その氏康が斬り付けた刀傷の残る柱
を若き武士達が見れば、武道の励みになる。それを古びたと言って捨
てるとは何事か!鈴木大学の弓など見たくも無いわ!」
忠隣は、ただ平謝りするのみであった。

後年、忠隣は本多正信の計略により失脚する。氏康に学べなかった者の
悲劇だったのかもしれない…
307人間七七四年:2008/12/12(金) 22:11:20 ID:bLO+MiFo
まあ家康にしてみれば、旧北条領の安定した統治のために、北条の旧臣たちの慰撫のためなら
なんでもしなきゃって状況なのに、占領軍気分丸出してその旧主を侮るような真似をしてどうするんだ!
って部分があったんだろうな、と思う。
308人間七七四年:2008/12/12(金) 22:17:02 ID:EneAQlng
「古いもの=ゴミ」としかみない人間には、価値を見出せないものもあるんだよなあ
309人間七七四年:2008/12/12(金) 23:24:52 ID:8g9+xRQ2
つまり歴史を学べないものには滅びが待っているということのようだな
な、総理?
310人間七七四年:2008/12/12(金) 23:51:31 ID:19PC2DLI
>>306
「捨てた」だけでも「あちゃー、やっちゃった」なのに、
その上「鈴木大学の弓をどうぞ」は駄目押しみたいで
間の悪さに笑える。
こういうさらに余計な一言を付け加える人っているけど、
大久保忠隣も空気読めない系かな?
311人間七七四年:2008/12/13(土) 09:03:39 ID:4ECnsU2T
政治的配慮なしでも氏康縁の品みせろ、鈴木大学とかどうでもいいわ、だからなぁw
312人間七七四年:2008/12/13(土) 11:47:40 ID:3VZnYgj6
>>306
>「鈴木大学の弓など見たくも無いわ!」 

「鈴木大学の弓?そんなものへし折って焚き火にでもくべてしまえ!」
だったような・・・
313人間七七四年:2008/12/13(土) 12:29:00 ID:bgq6DYcz
鈴木大学って誰?
314人間七七四年:2008/12/13(土) 15:21:41 ID:TWueYr4x
天下に名高い名城小田原城を手に入れて大久保さんも浮かれていたんじゃない?w
だから「柱が古くなっておるな…柱を取り替えれ!  ウフフw小田原城はわしの物w」
みたいに柱を変えちゃったんだろうなw
315人間七七四年:2008/12/13(土) 17:23:52 ID:sqbzCnpG
田峯城の惨劇

三河国奥三河地方に勢力のあった山家三方衆の一つ、田峯菅沼氏のお話。

田峯菅沼氏の4代目、菅沼定継は今川義元に属していたが、弘治2年(1556年)、同じ山家三方衆で
義弟の奥平貞勝とともに叛旗を翻した。ところが、実弟菅沼定直らは兄に従わず、肉親同士で合戦
する結果となった。

結局、半年後に奥平貞勝は降伏、菅沼定継は追手に追われ、居城に着くことも出来ず自害して果てた。
定継には小法師という幼児がおり、菅沼定直らは小法師を惣領にいただき従来以上に今川氏に尽した。

それから20年後、

小法師は成長して菅沼定忠と名乗り、武田勝頼に属していた。天正3年(1575年)、武田軍の長篠城
攻めが開始されると、定忠もこれに参加。5月21日の長篠の戦いで武田軍が大敗すると、疲労困憊の
勝頼に休息をとらせようと、田峯城に案内する。

ところが、城内では留守居役の叔父菅沼定直、重臣今泉道善が謀反を起こし、入城を拒否するだけで
なく、勝頼の首をとろうと出撃してきた。定忠らは大変な苦労のうえ、何とか勝頼を武節城経由で
信濃へ逃すことに成功した。この上ない屈辱を味わった味わった定忠は復讐を誓った。

およそ1年後、

天正4年7月14日早朝、軍勢を率いた定忠は田峯城を急襲。城にいた老若男女96名全員を殺戮。前年の
謀反首謀者である菅沼定直、今泉道善らに対しては、生きながら鋸引きの刑に処した。

定忠は最後まで勝頼に尽し、天正10年5月10日、信濃国知久平で戦死、田峯菅沼氏は断絶した。


現在、城跡には本丸御殿、本丸大手門、搦手門が復元され、付近には首塚や道善畑が残り、往時を
彷彿とさせます。設楽町へお越しの際は、是非お立ち寄りください。
316人間七七四年:2008/12/13(土) 17:25:42 ID:igyG50rS
行ってみたいけど楽しい気分には成れなさそうだw
317人間七七四年:2008/12/13(土) 17:46:21 ID:uUxvWZUl
なんとまぁ…
318人間七七四年:2008/12/13(土) 17:47:29 ID:54BG2who
こんなことがあったのに小山田を頼る勝頼って哀れだな
319人間七七四年:2008/12/13(土) 20:00:05 ID:bgq6DYcz
天正10年5月10日って武田滅亡後だなと思ったら、滅亡後に家康に赦免を
願い出たが許されずに殺されたんだな。このことがあったからなのかな。
320人間七七四年:2008/12/13(土) 21:12:14 ID:AWBdQMf0
伊達政宗( ●∀゚)「ほほう、これが天下一の墨蹟『流れ園悟』か…」

堺の豪商・谷宗卓「ええ、これを手に入れるにはえらい苦労しましたわー」

(ここから※まで読み飛ばして下さい)
宗卓「そもそもこれ書いた園悟克勤(えんご・こくごん)いうお方は、中国・北宗の禅僧で、
   『看脚下』(常に自分の足元を確認して生きなさい)と唱え、弟子に多くの名僧を持ち、
   その著書『碧厳録』は臨済宗のバイブルになってる『禅の巨人』ですな。

   それがなぜか、薩摩は坊津の浜辺に流れ着いたんを漁師が拾った。漁師は仏縁を
   感じ、京の名刹・大徳寺に寄進した。以来、大徳寺に秘蔵され、その不思議な由来から
   『流れ園悟』と呼ばれるようになったちゅうわけですな。

   わてら茶人の世界じゃ、茶祖・村田珠光があの一休宗純和尚に悟りの免状代わりに
   園悟の書をもろうたって逸話のおかげで、床の間飾りの名品第一となっとりますな。
   その中でこの『流れ園悟』こそが、由来もあって『天下一の書』と呼ばれるワケですわ。
   ※
   そんな次第で、いや、これを手に入れるんは、ホンマ金も手間をかかりまして
( ●∀´)「これよこせ」

宗卓「聞いてないっっ!!?」ガビーン

手に入れたばかりの『天下一の書』をハイドウゾとくれてやれるはずがない。
(一方だけ)困った二人は、共通の知人で政宗の茶湯の師匠・古田織部に相談した。

織部「いや、簡単なことです。こうすれば良いのでゴザルよゲヒヒヒ」

    ヂ   ョ   ッ   キ   ン

宗卓「アッ━━━━━━。・゚・(´Д`)・゚・。━━━━━━!!!!!」
( ●∀´)「さすが師匠!オレにもできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!
       あこがれるゥ!」

という訳で、天下一の書は二つにブッタ切られ、下半分は伊達家のものになり、
上半分はさまざまな人の手を『流れ』ることになる。
ジャンル限ればラスボス以外でも四天王より上がいる?というお話。
321人間七七四年:2008/12/13(土) 21:18:45 ID:uUxvWZUl
「人と違う事をせよ」という利休先生の教えを忠実に守る織部さんはやる事が豪快だな
322人間七七四年:2008/12/13(土) 21:21:30 ID:nbFgHpuc
政宗の師匠になっていて、しかも切腹(大坂の陣)前だから、非常に微妙な時期だよね。
政宗の地位は既に安定しているが、権を極めた織部は既に破滅に向かって突き進んでたんだろうか。
323人間七七四年:2008/12/13(土) 21:28:44 ID:gnhIHrMR
ゲヒ殿なにやってんだよw
324人間七七四年:2008/12/13(土) 21:43:53 ID:4UfaXeJx
ググったら

…え?国宝切っちゃったの?


ttp://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=B01&processId=01&event_id=4800
325人間七七四年:2008/12/13(土) 21:46:33 ID:WVqvJAGD
名物に纏わる悪い話って多そうだな
楢柴とかも有名だし
326人間七七四年:2008/12/13(土) 22:25:25 ID:Pt4hBNZM
織部さんはちょっとわざとらしいぐらいぶっ飛んだことするよね。
327人間七七四年:2008/12/13(土) 22:54:25 ID:gnhIHrMR
そのぶっ飛んだ話してくれよ
328人間七七四年:2008/12/13(土) 23:04:56 ID:fUmmzpze
宮中乱交事件

かの山科家の一門で、公家の中を美貌に関しては彼の右に出る者は居ないと謳われる左近衛少将・猪熊教利。
その彼の髪型や服装の帯の締め方は独特で、京都の民からは「猪熊模様」という流行語が生まれるほど評判だったとか。
しかし、一方で猪熊教利は女癖が大変悪く、「公家衆乱行随一」とも称されていた。

慶長12年(1607年)の2月。
調子に乗って当時の帝である後陽成天皇の寵愛を受ける女官と密通を通じていたのがバレてしまい、
猪熊教利は後陽成天皇の勘気に照らされ、京都を追放されてしまった。
これで、宮中も静かになろう。
誰もがそう思っていたら、そして気付いたら、猪熊教利は京都に戻ってきていた。
しかも、戻ってきてからがタチが悪い。
たまたま左近衛権少将・花山院忠長が帝の寵愛を受ける広橋局と逢瀬を繰り返しているのを聞いた、猪熊教利
とてもいいことを思いついてしまった。

「赤信号、皆で渡れば恐くない」

と、いうことで……
仲の良い公家や女官を手引きして、乱交を繰り返し始めたのだ。

慶長14年の7月。
無論、そんな大人数の乱交がバレないわけなく、このことをふと耳にした後陽成天皇はお怒りに。
犯人・共犯者全てを死罪に命じたのを一度取り消した後、幕府に事件の全てを一任して、ここで帝は一旦フェードアウト。
幕府側は京都所司代・板倉勝重らに宮中の調査を命令。
板倉勝重らの宮中調査の結果、乱交に関わっていたのは猪熊を除いた所を挙げれば、烏丸光広・大炊御門頼国
花山院忠長・中御門宗信・徳大寺実久・飛鳥井雅賢・難波宗勝・水無瀬・唐橋局・広橋局・中院局・讃岐などなど。
それらの公家衆と女官のそれぞれを幕府は適当な土地に流したが、
この乱交事件の原因である猪熊教利と下手人一人は常禅寺と川原にて死罪に処せられた。

賢き宮中での一大スキャンダルは、猪熊教利の死後も微妙に後を引きずっていた。
然るに、幕府の公家衆への処罰内容が乱交パーティ出席者の皆殺しを主張していた後陽成天皇の意に沿わないことから、
何もかもの権限が幕府へ吸い取られていく状況に憂鬱になり天皇が「朕、譲位しちゃおうかな」なんて本気で口にしたり。
329人間七七四年:2008/12/13(土) 23:05:42 ID:m09NLPpZ
>>319
家康公は基本的に、"武田滅亡時"に"徳川を裏切って武田についた連中"をほっとんど許していない

例外は奥平信昌の親類筋ぐらい
330人間七七四年:2008/12/13(土) 23:38:42 ID:EKXTX8xb
織田の源五は(ry
331人間七七四年:2008/12/14(日) 00:59:04 ID:5tlr3Y6S
>>329
小笠原長忠の末路なんかは、孕石元泰の最期なんかよりも
後味悪いしね・・・。まあ仕方ないといえばそうかもだが。
332人間七七四年:2008/12/14(日) 01:12:06 ID:BmtCvSMU
あれだけ援軍無しで耐え忍んだのに山岡荘八の「徳川家康」では
利に敏い裏切り者扱いされてる小笠原長忠は哀れすぎる
つうか人気有る武将に下手に関わると悪者にされて損だな
333人間七七四年:2008/12/14(日) 04:17:46 ID:MuFqdrv/
>>328
猪熊さんマジパネェっす!
猪熊さんと松永さんが手を組めばエロ方面じゃ怖いものなしっす!
334人間七七四年:2008/12/14(日) 07:24:55 ID:TEkxbKa6
>>331
孕石元泰ってよく見たら改名前の家康と名前の読みが同じなんだな。
「もとやす殿は立派なお方ですなあ。あ、いや、松平さんちの方ね。」
「おうコラ、てめえ俺と同じ名前なんて生意気なんだよ!」
みたいな事があったのかも。家康もそれで苦い思い出があるから元康を捨てて改名してたりして。
335人間七七四年:2008/12/14(日) 10:48:18 ID:F3pLsSYY
さすがに隣に住んでいた頃は竹千代だろう。
336人間七七四年:2008/12/15(月) 10:30:33 ID:nqAU5xmS
>320
ホント、ゲヒ殿はムカつく野郎だな…www
337人間七七四年:2008/12/15(月) 12:01:09 ID:UJoWGjBx
家康謀殺作戦


永禄十二年四月

徳川家康は駿河に出陣し、北条氏政と対陣していた武田信玄の背後を脅かして甲州に
撤退させた。その帰路の事。

この前年、遠州の国人、大沢左衛門尉は、家康に降伏し、服属していたが、家康に害意を持ち続け、
浜松城に帰城するこの機会に討ち取ろうと、仲間と語らい道の周りに密かに兵を伏せさせた。


しばらく待っていると、先ず、七騎ほどが走って来た。
「あれは先鋒の旗本であろう。かまうことはない、素通りさせよ」

もうしばらくすると、いよいよ本隊がやってきた。「あれだ」
よいか、狙うは家康の首一つぞ!そう言って、本隊を率いる大将を探した。いた!

が、「あれは石川伯耆守数正?まさか!」


そう、家康は先の七騎の中におり、既にここを突破していたのだ。
「七騎の武者など簡単に皆殺しに出来たのに!」大沢は地団駄を踏んで悔しがったが、後の祭りである。

この後、謀反の露見した大沢とその一味は落ちのびようとしたが、途中で家康の軍により
全滅させられたと言う。
338人間七七四年:2008/12/15(月) 12:43:46 ID:CMZN+1yr
数正の首が取られても徳川には十分すぎる痛手だと思うがな。
下手したら後々政権崩壊するかもしれん。
339人間七七四年:2008/12/15(月) 13:33:15 ID:QtoAI5XB
>>338
徳川四天王とか言われてるが、数正出奔が無かったら面子が変わってるか、
五○○とかだっただろうなぁ

それでなくともその時点で数正が消えたら酒井忠次の比重が重くなっていくわけで…

惜しいことをしたもんだ
340人間七七四年:2008/12/15(月) 13:40:01 ID:UJoWGjBx
つーか、家康を殺すと遠江における徳川体制が崩壊する可能性も高いが、
数正を殺しても徳川体制は動揺するかもしれないが崩壊する事は無く、
彼らはどうあっても家康に復讐される訳で。

その意味で数正の首を取っても意味はなく、家康の首を取れなかった時点で失敗なのよ。
341人間七七四年:2008/12/15(月) 13:43:40 ID:oFlNL9u/
仮に武田の刺客だったら数正でも狙ってたかもね。
余裕のない国人だから家康を狙うしかない。
342人間七七四年:2008/12/15(月) 16:52:07 ID:U5FVGrRQ
七騎の方も一味が先鋒だと思ったくらいだから、家康本人含め屈強な
武者ばかりだったのかも知れん。水野勝成とか。
343人間七七四年:2008/12/15(月) 20:13:57 ID:Akz7tLvy
勢いで同僚切っちゃうような奴は恐ろしくて近習にできんよ
344人間七七四年:2008/12/15(月) 20:18:07 ID:UJoWGjBx
家康もかなり早い段階から、旗本による常備軍を作り上げているんだよね。
本多忠勝や榊原康政はそこから出世した。
345人間七七四年:2008/12/15(月) 20:52:15 ID:UklbCeLI
家康と忠勝が一緒に出かけた時

忠勝「これ以上、進んではいけません」
家康「何故だ?」
忠勝「某、人糞を踏みましたが、これが細くて匂いもきつい
    これは近くに敵がいるに違いありません」

それを聞いた、家康はただちに引き返して難を逃れた
誰にとっても運の悪い話
346人間七七四年:2008/12/15(月) 20:53:49 ID:asWxBfr0
細さの理由がわからんw
347人間七七四年:2008/12/15(月) 21:01:44 ID:U5FVGrRQ
糞を踏んでさえ男前な平八郎に羨望の眼差し。
348人間七七四年:2008/12/15(月) 21:02:20 ID:ipRKF62C
正則「ケツの穴が小さく腹腐れしとる奴と言うことじゃろうな」
349人間七七四年:2008/12/15(月) 21:12:20 ID:xWdaGkdc
潜んでる敵がばれないように慎重に糞をする
           ↓
細い糞出来上がりって事だと思われ
350人間七七四年:2008/12/15(月) 21:16:03 ID:lzNuapD5
こんなにカッコ良くウ○コを踏んだ男は初めて聞いたw
351人間七七四年:2008/12/15(月) 21:20:32 ID:e1i+zz5A
むしろ潜む前にウンコぐらい済ませとけよ。
352345:2008/12/15(月) 21:27:58 ID:UklbCeLI
これ大日本史料にあったネタなんだけど
そこに「忠勝についての逸話は他にも多いが、信憑性が乏しいので省く」
ってこれを残す、東大の先生方は流石というしかない
353人間七七四年:2008/12/15(月) 21:41:50 ID:QtoAI5XB
>>351
現代でも外出する前にトイレは済ましておくのが心得だよなぁ
354人間七七四年:2008/12/15(月) 21:44:52 ID:SFRm2QVb
家康みたいにガクブルってる奴はケツの穴がゆるいから太い糞が
緊張したり殺気立ってる奴は
肛門締まってるから糞が細くなるって言いたいのかな?
355人間七七四年:2008/12/15(月) 22:01:40 ID:TuB1glV1
ワァーって極限状態で殺し合ってる時は
皆さん垂れ流しだったろうな
356人間七七四年:2008/12/15(月) 22:10:16 ID:asWxBfr0
つーか、極限状態だと便意を感じないw
357人間七七四年:2008/12/15(月) 22:12:06 ID:UklbCeLI
戦場用の袴は前後で合わせるので、そのまま大小便ができる
358人間七七四年:2008/12/15(月) 22:20:34 ID:v4mG81tR
戦でもらしたウンコを投げつけたりしたのかな?
359人間七七四年:2008/12/15(月) 22:25:17 ID:UJoWGjBx
>>358
籠城戦の時、攻めて来る兵に熱した糞尿をぶっかけたりした。
360人間七七四年:2008/12/15(月) 22:35:34 ID:T69t9kaQ
しかし熱してしまうと糞尿の有効成分である雑菌ばい菌の類が死滅してしまうのではないか。
361人間七七四年:2008/12/15(月) 22:36:21 ID:lzNuapD5
>>359
楠木正成もやった伝統の攻撃法ですな
362人間七七四年:2008/12/15(月) 22:45:00 ID:QtoAI5XB
>>360
においがきつくなるんじゃないのかな
あと火傷させることができるとか

どっちにしろ、食らうほうはかなりいやなわけで…w
363人間七七四年:2008/12/15(月) 22:49:26 ID:v4mG81tR
>>359
いや、戦中にもらしたものをって聞こうと思ったんだ。言葉足りなかったorz

>>361
うちの遠いご先祖様だぜ!
364人間七七四年:2008/12/15(月) 23:07:32 ID:UJoWGjBx
>>363
大楠公の子孫かよ!ロマンのある家系だなあ。
信長にも仕えてた人いるんだよね、楠木一族。
365人間七七四年:2008/12/15(月) 23:26:32 ID:v4mG81tR
>>364
もちろん本筋からはかなり遠いけどね。
俺はしがない留年生やってるし顔向けできんw
366人間七七四年:2008/12/15(月) 23:35:06 ID:UJoWGjBx
>>365
大楠公も若い頃はしがない河内の悪党ですよ。これからがんばれw
367人間七七四年:2008/12/15(月) 23:40:51 ID:U5FVGrRQ
糞尿攻撃は衛生面でも精神面でもダメージを期待できるので
攻城側も籠城側も常套手段だったみたいだね。

死体を投石器などで投げ入れたり、病人や弱った人を追い込めたり
城攻めもなかなかエグイ方法が多い。

というわけでこのスレ的には城攻めの大家、干殺・渇殺・水攻と
ちょっとどころで無い逸話もお持ちな太閤殿下の出番ですよ!
368人間七七四年:2008/12/16(火) 00:02:09 ID:I6CapkEp
糞を塗った矢でばい菌を送り込むというのもあったらしい
369人間七七四年:2008/12/16(火) 00:10:04 ID:rp9KGMpz
話が少しずれるけど、
ベトナム戦争のときに海兵隊を一番恐れさせたのが、
竹を斜めに切って尖らせて糞尿をなすりつけた罠を踏んでしまうことだったそうだね
370人間七七四年:2008/12/16(火) 00:46:27 ID:JUYfPi+b
>>368
アイヌの矢は毒矢だったらしいな

対処法は…
そこを、どく!



切腹してきますorz
371人間七七四年:2008/12/16(火) 00:55:02 ID:ho8RtOlH
>>349
古い糞は臭いも薄くなり、風雨にさらされふやけて太くなる。
細く臭いと言う事はさっきまで人が居たという事。

忠勝の生涯数十度の戦いで手傷無しと言うのは、この様な注意深さゆえであり、
ただ闇雲に突撃する猪武者とは一味違う。
372人間七七四年:2008/12/16(火) 01:05:41 ID:uHUJbZb6
>>371
なるほど、良く理解できた。ありがとう。
373人間七七四年:2008/12/16(火) 02:18:14 ID:QKi/veYw
>>371
うん○の形状から危険を察知するとは
さすがですな
374人間七七四年:2008/12/16(火) 02:48:48 ID:QjHNXfky
>>373

いや、それ自体は当時は社会的常識に近いんじゃね?
今でもハンティングやってたり野生動物観察してたりする人にとって
糞は貴重な手がかりだし、当時は狩りをやらない人でも農民なら
田畑を荒らす野生動物とのファイトは割とよくあることなんで普通に
知ってることだと思う。
むしろあの忠勝でさえ踏むまでウンコに気付かない事があるんだと
いう笑い話と捉えるべきかと。
375人間七七四年:2008/12/16(火) 03:11:46 ID:QwxFIBej
和式の放置う○ちが異様にでかいのは、ふやけるからか…
376人間七七四年:2008/12/16(火) 08:55:24 ID:vkJxwN1+
匂いや形状、硬軟から正確に敵との距離を割り出すため
危険を承知で敢て踏み抜いたんだと思う
忠勝はそれくらいやる漢
377人間七七四年:2008/12/16(火) 09:04:13 ID:Rm0jZ7/L
つかゲームと違って当時は完全に安全な場所なんて無かったと思うんだよね
て事は近習てかお供の人とかは常に周りを警戒せざるを得ない、むしろそれが出来る人が選ばれるみたいな

そんな状況にも関わらずうんち踏んじゃった、やべぇ俺うんうん踏んじゃった忠勝オワタ\(^o^)/
どうしよう・・どうしよう・・・・そうだ!ごまかそう
殿、某先ほど人糞を踏みました(キリッみたいなさ
そんな感じじゃないのかね?
378人間七七四年:2008/12/16(火) 09:21:36 ID:JUYfPi+b
>>377
後年の平和なときの神君だったら「気にするな、わしはくそを漏らした」で済ましてしまいそうな…

379人間七七四年:2008/12/16(火) 11:32:20 ID:mpGCSvpQ
どこかの籠城戦で、竹筒にウ●コ詰めて太いウ●コ作って
「こんな太いウ●コする程の巨人が居るぞ!」
なんて策を採用した話無かったっけ?
380人間七七四年:2008/12/16(火) 12:29:13 ID:7NdBow47
>>379
アメリカ軍のラージサイズコンドームばら撒き作戦より効果ありそうwww
381人間七七四年:2008/12/16(火) 13:52:26 ID:mpGCSvpQ
>>380
冷戦時代の米ソのやり取りだっけ?
382人間七七四年:2008/12/16(火) 14:09:43 ID:7NdBow47
>>381
ベトナム戦争だったような?
間違ってたらごめん。
383人間七七四年:2008/12/16(火) 16:20:02 ID:Z4n/5jMn
おまいらいつまでウンコネタで盛り上がってんだw
384人間七七四年:2008/12/16(火) 17:24:27 ID:5TDX3ctj
信玄「君もお山に来ないか?」
385人間七七四年:2008/12/16(火) 17:27:36 ID:57UQE5j0
>>384
「山には草木が絶えませぬ」だっけ?
386人間七七四年:2008/12/16(火) 17:36:15 ID:uHUJbZb6
ちょっと前に、立花宗茂の育てられ方のお話があったけど、池田家の場合


あるとき、池田恒興が囲炉裏で栗を焼いて食べていると、側に十歳ほどの子供が座った。

そこで恒興はふと思い立ち、囲炉裏の中から焼けた栗を取りだし、その子供に熱いまま渡した。
ところがこの少年、それを手にとっても熱いとも言わず、そのまま皮をむいて食べてしまった。

それを見て恒興は、「こいつ、根性あるなあ〜。」と、感心した。

この少年、名は池田恒興次男、古新。後の池田輝政である。


なんかいい感じで〆られてるんだけど、いい話とは違うよなあと思ったのでこっちに書いてみたw
387人間七七四年:2008/12/16(火) 17:54:42 ID:J8XrLaMO
>>386
逸話を先に書いて名前を後で出すことが結構あるけど
この場合は意味もなくわざとらしい気がするなあ
388人間七七四年:2008/12/16(火) 18:46:19 ID:vNGregoV
出来ておる喃
389人間七七四年:2008/12/16(火) 20:04:27 ID:fcJl17wF
徳川三傑、本多・井伊・榊原には主君に対し不満があった

それは家康が彼らに与える所領が少ないことで、
榊原の「腸が腐りて云々」もこの事が不満であった

例えば関東入国時に三人は秀吉の命により、それぞれ
十万石を与えられたが、その時の縄打ちは広く開けて
行われていた
しかし、家康はこれを狭めて検地しなおし8万石の余分を
収用したのである

さらに家康は以前より天下を取ったら、一国を与えると
言ってた事に報いず、三者は常に憤慨していた
390人間七七四年:2008/12/16(火) 20:36:52 ID:5TDX3ctj
氏郷「タヌキ殿はケチンボゆえ」
391人間七七四年:2008/12/16(火) 20:38:14 ID:TyOVSe3X
自称でも大楠公の子孫と言えるなんて羨ましいぜ
俺の苗字なんて有名人いないもんな(´Д`)ハァ…
392人間七七四年:2008/12/16(火) 20:40:08 ID:uHUJbZb6
>>391
苗字から何氏の、何処で分かれた系統かはだいたい解るよ?
393人間七七四年:2008/12/16(火) 20:44:29 ID:uHUJbZb6
>>389
色々逸話を知っているつもりだが

> さらに家康は以前より天下を取ったら、一国を与えると
> 言ってた事に報いず、三者は常に憤慨していた

家康が自分の家臣に一国与えるなんて言った話は聞いたことが無い。これは何に出ている逸話?
394人間七七四年:2008/12/16(火) 21:00:02 ID:fcJl17wF
>>393
武家事紀
大日本史料の榊原康政逝去の項にあった
395人間七七四年:2008/12/16(火) 21:00:45 ID:wbi90TT5
>>391
有名人がいないなんて、超マイナー姓?
だったら、すごく面白い家柄かも
396人間七七四年:2008/12/16(火) 21:08:38 ID:uHUJbZb6
>>394
武家事紀って山鹿素行さんのアレか。武家事紀にそんな話があったんだ。
勉強になった。ありがとう!
397人間七七四年:2008/12/16(火) 21:27:13 ID:j/xWP112
彦左衛門と軍目付

島原一揆の折、戦場に軍目付が派遣されることになった。
徳川の侍たちは、
「歴戦の侍が目付として派遣されるだろう」と予想したが、実際に派遣された目
付は若い侍であった。

大久保彦左衛門ら古老の武士は、
「こんなガキが目付とは世も末じゃ。何を仕出かすか分かったもんじゃない。座
敷の上と戦場は全く違うのが分かっとらんからな。」と大声で嘲笑った。

それを聞いた新任の軍目付と彦左衛門が口論となり、酒井忠朝が仲裁に入った。
まず忠朝は、
「貴様が軍目付を拝命したのは、幕閣のお歴々が評議の上決定したこと。彦左の
言葉は気にするなよ。」と軍目付をなだめた。

次に、忠朝は彦左衛門にこう言った。
「あなたは老功ゆえに周りが甘いからと言って、ずいぶん言いたい放題ですな。
『若いから』と言う理由で抜擢することを止めれば、若い侍は手柄を挙げる機会
が全くありません。
たしか、彦左衛門様はガキだった16歳の初陣の際に敵城に一番乗りして手柄を挙
げたと聞きます。
かの軍目付に対する批判はご自身にはあてはまらないのですか?」
これには彦左衛門も答えようがなく、
「いや〜近頃の若い者は理屈がうまいわ。恐ろし恐ろし。」
と冗談まじりに返すのがやっとであった。
彦左衛門にとって(ばつの)悪い話
(翁草)

398人間七七四年:2008/12/16(火) 21:39:09 ID:uHUJbZb6
>>397
忠朝はさすが酒井忠勝の息子だね。感心した。
399人間七七四年:2008/12/16(火) 21:57:31 ID:wbi90TT5
酒井忠朝と彦左衛門では(大久保一門とはいえ)かなりの身分違いだと思うけど、
実際、経験豊富な古老に対する敬意をもって、>>397ぐらい丁寧な言葉を使ったのかなあ
400人間七七四年:2008/12/16(火) 22:07:18 ID:uHUJbZb6
>>399
彦左衛門は何のかんので戦国時代の現役世代だから、島原の乱のような合戦騒ぎには
その経験が重んじられたんじゃないかな?
401人間七七四年:2008/12/16(火) 22:17:27 ID:wbi90TT5
正直なところ、この頃には死んでると思い込んでたぐらいだし
この時代としては、トップクラスの経験だろうね。

大名クラスでは立花宗茂、鍋島勝茂あたりが、戦争の経験豊富なひとたちか。
政宗は……一年前に死んでるんだな。

この島原の戦いで投石で負傷した何某という旗本は、
その数十年後に「幕臣で唯一実戦経験のある武士」として、ちょいとした有名人になったとか。
たしか、柳生何某かも「この戦いで死にます」と遺言を残して死んだよね。
戦にあこがれる武士にとって最後のチャンスって事は、みんなうすうす察してたんだろうね。
402人間七七四年:2008/12/16(火) 22:24:36 ID:uHUJbZb6
>>401
忠興「フフフ…、わしはまだ生きておるぞ。」
403人間七七四年:2008/12/16(火) 22:43:16 ID:oIRt4fuX
秀家「天草四郎が豊臣の血を引くとの噂を聞き、八丈島より泳いで参った!!」
404人間七七四年:2008/12/16(火) 23:17:22 ID:UygEM7Od
>>403
どんだけ泳いでるんだよww
405人間七七四年:2008/12/16(火) 23:41:15 ID:JUYfPi+b
>>403
まさか薩摩まで泳いで逃げ…w
406人間七七四年:2008/12/16(火) 23:56:46 ID:e44qI+Ew
前から思ってたんだけど、関ヶ原を経験した有名武将で1番長く生きたのって誰?
ってここで聞くことじゃないな

それにしてもみんな良く知ってるなと感心しきりだ。
407人間七七四年:2008/12/17(水) 00:02:48 ID:eTaX/YyP
>>406
その長生きとは本人の享年的にか、関ヶ原〜没までの年数なのか、それとも享年時の年号的にか如何
408人間七七四年:2008/12/17(水) 00:09:06 ID:bET3jG8R
>>406
関ヶ原を広義に捉えれば石田重家。ただしもっと若年で死んだ可能性あり。
大名経験者でいえば泳いで参ったが多分最後じゃないかな。
大名以外なら真田信之の可能性もあるやもしれん。
409人間七七四年:2008/12/17(水) 00:12:11 ID:N0e4m/t7
>>406
多分一番遅くに没したのは泳ぎには定評のある宇喜多秀家
長生きしたのは知らん。
信之兄さんは出てないしなー。
410人間七七四年:2008/12/17(水) 00:22:02 ID:Pv7ERzlu
関ヶ原に参戦して、武将として島原の乱で現役で出てきている有名どころは

・水野勝成
・立花宗茂
・鍋島勝茂
・有馬豊氏

この辺かな?まあ、宮本武蔵なんて方もおりますがw
411人間七七四年:2008/12/17(水) 02:17:12 ID:QiXCB22u
>>406だけどみんなありがとう。
実際に関ヶ原に参戦してなくても、東軍か西軍どちらかについて戦った有名武将で、
1番遅くに没した人を知りたかったんだ…ごめん自分でも言ってる意味分からなくなってきたorz
でも総合すると宇喜多秀家が有名どころでは最後、であってるのかな。
412人間七七四年:2008/12/17(水) 02:26:19 ID:KhnbXw11
関ヶ原って言っても本戦だけなのか地方波及戦も含むのかで大分違うよね
413人間七七四年:2008/12/17(水) 04:24:20 ID:vXsG4+Hw
阿蘇家の筆頭家老として軍事外交両面において主家を支え
戦にかけては生涯不敗であったといわれる名将甲斐宗運

しかし阿蘇家への忠節を頑ななまでに貫いた宗運は
主家を裏切ろうとする者、主家の政策に背こうとする者は息子といえど容赦なく粛清した。
日向の伊東義祐への接近を試みた二男親正、三男宣成、四男直武をことごとく誅殺し
さらにこれに反発した長男親英までも手にかけようとする。
家臣達の嘆願により親英粛正を思いとどまったが親英の妻はこのことに大いに憤激する。

親英の妻は実父を宗運に粛正されており、宗運によって父を殺され、夫を殺されかけたのである。
夫の身を案じた妻は宗運暗殺を企む
しかし親英の妻は神の名にかけ「父の殺害を怨まず、宗運に復讐をしない」という旨の誓約をさせられていた
そのため娘に祖父宗運の毒殺を命じ、宗運は孫娘によって毒殺されてしまう。

甲斐宗運の死と共に阿蘇家は滅びの道を歩み始める
筆頭家老となった親英は阿蘇氏の本拠地矢部に篭り守勢に徹するべしとする宗運の方針を変え
島津氏の花の山城を攻撃、しかし反撃を受け肥後への島津軍本格侵攻を招いてしまう
阿蘇勢は総崩れとなり、わずか2歳の当主阿蘇惟光は降伏し戦国大名としての阿蘇氏は滅亡する。
414人間七七四年:2008/12/17(水) 08:35:09 ID:tAy/EWNv
2歳て・・イクラちゃんかよ
415人間七七四年:2008/12/17(水) 09:33:29 ID:TbnuoC0l
宇喜多直家『おーよちよち、オジちゃんが後見人になってお家を盛りたててあげまちゅよー』
416人間七七四年:2008/12/17(水) 09:57:59 ID:XtWNRHaf
阿蘇家は運が無かったというか何と言うか……
年表を見るだけで可哀想になってくる末路だ

1578 大友氏が大敗し、肥後国人が阿蘇家に敵対を始める
1581 相良氏が降伏、南から島津軍が迫る
1583 宿老の甲斐宗運が死去
    当主の阿蘇惟将が死去
1584 当主の阿蘇惟種が死去
1585 島津氏を攻撃、反撃を受けて滅亡
417人間七七四年:2008/12/17(水) 10:43:56 ID:Pv7ERzlu
阿蘇神社大宮司家。鎌倉どころか平安時代からの名家。

阿蘇惟光もこれまた最後は…( ´Д⊂
418人間七七四年:2008/12/17(水) 11:58:48 ID:56ytBu64
薩摩の大提灯、肥後の鍬形(腰提灯)

昔の人はよく例えて言ったものだな
419人間七七四年:2008/12/17(水) 14:06:16 ID:jHJ4Odue
>>401
>この島原の戦いで投石で負傷した

宮本武蔵「呼んだかね?」
420人間七七四年:2008/12/17(水) 16:04:59 ID:DhhR/ELM
げぇ!武蔵!!

…なんだ宮本か
421人間七七四年:2008/12/17(水) 18:13:38 ID:kAq8u1gt
鬼に比べたら可愛いもんだ
422人間七七四年:2008/12/17(水) 18:17:51 ID:SO8e54YO
このスレ読んでたら鬼武蔵だったら普通に宮本武蔵に勝てそうな気がしてしまうw
423人間七七四年:2008/12/17(水) 18:20:55 ID:JD/+H2z1
関所番の宮本武蔵vs馬に乗った鬼武蔵
424人間七七四年:2008/12/17(水) 18:40:36 ID:W5L7u4EU
鬼武蔵の愛馬、百段はガチ妖馬だから困る。
425人間七七四年:2008/12/17(水) 18:57:47 ID:DhhR/ELM
鬼「俺は二十だな」
武「む!?」
鬼「おい忠政、蘭丸
  お前らはどうだ?」
忠「そうですね…
  ざっと十」
蘭「拙者も十ですかね」
鬼「そうか、じゃ合計で四十か」

ぬっ

鬼「おお百段。お前を忘れておったか
  お前が十で合計五十か!!」
426人間七七四年:2008/12/17(水) 19:11:54 ID:TbnuoC0l
福島『や…奴ら何の話してるんだ?』
427人間七七四年:2008/12/17(水) 19:27:37 ID:/rs1i+Zz
お前は五くらいあるかもしれんが、胆力が0.6だから……
428人間七七四年:2008/12/17(水) 19:47:22 ID:jHJ4Odue
利家「どれどれ、ワシがソロバンで計算してやろうか?」
429人間七七四年:2008/12/17(水) 20:29:56 ID:Pv7ERzlu
北条氏直の旗本の武者奉行の一人に福島伊賀守道酔という者がいた。
あるときこの者が、相模川の下流、馬入川において鵜飼をしようとすると
地元の漁師がやってきて忠告した

「この川には最近怪物が住み着き、多くの人命を奪っております。どうか気をつけてください。」

いかなる怪物でも、この伊賀守ほどの者に手を出すような事はないさ。そう思って
気にせず、船を出し鵜を操った。
するとたちまち、中間が川の底に引きずり込まれた!

「すわっ!?怪物か!」

福島は脇差を抜き水中に潜った。そこでは二つの巨大な目が光っている物が、中間を食らっている。
彼は食うのに夢中になっている怪物の背中から近づき、後ろから羽交い絞めにして、脇差で
続けざまに五度、刺し貫き、この怪物を殺した。

引き上げてみるとそれは、なんと、長さ一間(180センチ)ほどの鱸であったそうだ。
そして中間は既に、死に絶えていたという。

小田原北条記より、馬入川の怪物のお話。
430人間七七四年:2008/12/17(水) 20:59:12 ID:HLRzCECk
鬼武蔵の話に飢えてきた。
何か無い?
431人間七七四年:2008/12/17(水) 21:36:46 ID:Pv7ERzlu
では、鬼武蔵甲斐攻め編

天正十年、織田による甲斐攻めの折、森長可と同じ信忠隊に配属された河尻肥前守と毛利河内守は、
長可を不倶戴天の敵と憎んでいた。何故か、

例の馬揃えの事件の被害者だったからだ。

さらにこの甲斐攻めの緒戦で鬼武蔵、一人で勝手に部隊を動かし抜け駆けの戦功を立ててしまった。
同僚の野二人への連絡など、勿論ありはしない。腸が煮えくり返るとはこのことである。

「武蔵め…!」

二人は報復を考えた。無論、直接戦うわけではない。怖いし。それよりも「奴が武功を上げたのなら、
こちらはもっと上の武功を上げればよいのだ!」と、これまた密かに飯田城に向かい、それを攻め立てた、

夜になって長可の元に、飯田で交戦中の報が入った。彼は急いで向かったが、城は既に降伏していた。

「おや、武蔵殿、ずいぶんと遅い到着でしたな〜」

二人にニヤニヤされた。

長可は自分の陣に帰ってくるなり、命令した
「これから大嶋城に急行し、乗っ取る!命令?無い!やる気の無いやつは構わないから帰れ!」
そうしておいて、織田信忠宛の書状を書かせた

「武田方の大嶋城を乗っ取りました」

乗っ取るどころか、まだ織田軍が近づいてもいない城である。斥候も出ておらず、大嶋城が
どんな防備体制かすら、織田軍はまだ把握していないのだ。
「こ、こんな書状出せるわけありません!だいたい落とせなかった時は嘘をついたことになるでは
ありませんか!」家臣は勿論、同じ陣にいた祖父の林新右衛門も、一生懸命長可を諌めた。

勿論聞かない

「”攻めている”では、ヘタに手間取った時奴らが援軍に来る可能性がある。そんな屈辱に耐えられようか。
先に報告しようが後に報告しようが、攻め取れば同じ事!」

鬼武蔵は心底怒っていた。出し抜く事は大好きだが、出し抜かれる事は大嫌いなのだ。
森軍は、夜を徹して駆け抜け大嶋城に向かった。
が、彼らがそこで見た物は!

なんと大嶋城、既に武田によって放棄された後であった。
結果、信忠に出した書状は嘘偽りの無い物となった。
しかし武功の上げられなかった長可自身は、大変機嫌が悪かったとか。
432人間七七四年:2008/12/17(水) 23:20:51 ID:Ua5PBpJ8
人斬り兵部 井伊直政の悪い話

徳川四天王の一人で「井伊の赤備え」で有名な井伊直政は、名将として小早川隆景らに
絶賛された反面、冷酷な性格で知られ「人斬り兵部」と陰口をたたかれていた。

部下のちょっとしたミスを許すことが出来ず、すぐに手討ちにしたため、彼の下に配属
された者たちは、毎朝出仕する際、水盃をしてから家の門を出たと言う。

井伊谷三人衆の一人、近藤康用は今川氏を見限って徳川家康の配下となったが、老齢で
戦傷により歩行困難でもあったため、専ら子の秀用が戦役を担っていた。秀用は姉川、
三方ヶ原、小田原征伐などで活躍し豊臣秀吉からも賞賛された。

やがて井伊直政が台頭してくると、地縁からかその配下に付くことを家康から命ぜられる。
しかし、秀用は直政の酷薄さに我慢できず、何とか家康の直臣に戻ろうとさまざまな形で
嘆願する。直政はこれをことごとく妨害、遂にキレて秀用の暗殺を計画するに至った。
さすがの秀用もこれはかなわないと、とうとう伊勢国に出奔してしまった。

井伊直政の死後、家康は秀用を直臣として呼び戻し、やがて秀用は井伊谷藩を立藩すること
となる。

近藤秀用以外にも井伊直政の性格を嫌う者は多く、ひとかどの侍は皆、井伊家ではなく、
本多忠勝のもとへ出仕したという。

そんな直政も関ヶ原の戦いで重傷を負ってからは、見違えるほど穏やかな性格になった。
怪我のため、心身ともに萎えたからだったらしい。
433人間七七四年:2008/12/17(水) 23:36:32 ID:SWxcgxqg
>>432
徳川家の家臣団の中では新参者だったから、がむしゃらに働いて自分の力量を回りに示す必要があったというのが…

ただ、直政は軍中食の汁の逸話で醤油を頼んだように、したの連中の暮らしぶりとかを思いやる事を人にいわれて気がついたと紹介されているように
生まれついての性格だったのかもしんない

434人間七七四年:2008/12/17(水) 23:58:17 ID:IxcWlthB
>>431
慌てふためく家臣の姿が自分の頭の中で鮮明に像を結びました。

鬼武蔵、こいつ可愛い。
435人間七七四年:2008/12/18(木) 00:28:46 ID:ou+F/5yl
良かった良かった
島津もたまには良いことするんだな
436人間七七四年:2008/12/18(木) 00:29:21 ID:ou+F/5yl
>>432
437人間七七四年:2008/12/18(木) 00:57:11 ID:pYEJZZ3L
こういうこともあって井伊直政が死んだとき、殉死者が一人も出なかったわけだな
438人間七七四年:2008/12/18(木) 01:17:07 ID:ou+F/5yl
へえ
あの時代の英雄としては珍しいな

鍋島さんちなんか、寄親に殉死した人すらいるのに
439人間七七四年:2008/12/18(木) 01:22:08 ID:d26opDn8
しかし直政の死後も、直政の作った家訓を忠実に守ってたりする>井伊家家臣団

殉死だけが忠義の形じゃ無いですわな。
440人間七七四年:2008/12/18(木) 01:41:26 ID:X8TCGrKd
中にはまだ幼い自分の子供の為に良い家臣を少しでも残そうとすごい遠回しに殉死を禁止した大名もいるしね


まぁその残した有力家臣同士がメチャクチャ仲悪くて弱体化招いたけどne!( ^ω^)
441人間七七四年:2008/12/18(木) 02:33:26 ID:dquN4t+k
宇喜多直家「死ぬ前に伊賀くんを次代の為に暗殺しておいたら
息子が毛利に出奔して大活躍でござるの巻」
442人間七七四年:2008/12/18(木) 10:02:00 ID:ASEMJPhg
>>435親父と従兄弟の手柄だけどなw
443人間七七四年:2008/12/18(木) 14:19:24 ID:XMbzPyLc
>>431
>勿論聞かない
ここで茶を吹いたw
444人間七七四年:2008/12/18(木) 14:37:51 ID:RPX0mpHN
>>443
きっと初代鬼武蔵も…
「良くぞ此処までろくでなしに育った」と喜んでいるに違いないsw
445人間七七四年:2008/12/18(木) 15:32:14 ID:JTQWkVrg
いかん、最近鬼武者が鬼武蔵に見えてしまうw
446人間七七四年:2008/12/18(木) 15:52:18 ID:AeD+RkE6
鬼武蔵は仙石よりもよっぽどヤンサン向けだよ
447人間七七四年:2008/12/18(木) 15:53:07 ID:AeD+RkE6
訂正 ヤンマガだった
448人間七七四年:2008/12/18(木) 16:39:00 ID:DzsXvbNt
>>446
キャラは漫画向きだろうけど、それだけじゃストーリー続かないわw
449人間七七四年:2008/12/18(木) 18:14:28 ID:N8d5m2Jq
鬼武蔵様は呂布ですか?
450人間七七四年:2008/12/18(木) 18:38:50 ID:wDLizqC2
漫画なら小牧・長久手以降も生き残る鬼武蔵が見れるな
451人間七七四年:2008/12/18(木) 18:47:28 ID:ASEMJPhg
そこは忠政に引き継ぐんだろ
452人間七七四年:2008/12/18(木) 20:24:24 ID:dquN4t+k
忠政って殴り合いの喧嘩して実家に送り返されてたお陰で本能寺で死ななかったんだよなw
453人間七七四年:2008/12/18(木) 21:35:01 ID:lxebP/V9
>>446
松本光司先生に漫画化させるんですね、わかります。
454人間七七四年:2008/12/18(木) 23:45:33 ID:Fo8bfJ4z
>>453
なるほど、鬼武蔵を倒すストーリーだな。
だがいくら頑張っても、鬼武蔵が倒せない。
455人間七七四年:2008/12/18(木) 23:50:07 ID:d26opDn8
たーおーせーないよー
456人間七七四年:2008/12/18(木) 23:57:50 ID:dquN4t+k
まず百段が倒せない
457人間七七四年:2008/12/19(金) 00:07:48 ID:0qsVWCD9
>>453
その鬼武蔵だと丸太振り回して無双しそうで怖いw
458人間七七四年:2008/12/19(金) 00:09:53 ID:BEZ0P6ve
大黒様のスペック

大黒と光秀

明智光秀が越前を放浪していた頃、大黒様の木像を拾った。
光秀は、「大黒様は福の神だ」と喜び神棚に祀って毎日拝んでいた。
それを見ていた友人は、
「光秀殿はめでたい物を得ましたな。大黒様は千人の上に立つ神様です。ますま
す信心すれば必ずや出世しましょう。」と言った。

それを聞いた光秀は、顔色を変えて大黒様の像を捨てた。
「この乱世、凡夫でも千人の長になれる時代じゃ。ワシの野望はそんなちっぽけ
な物ではない。
大黒はワシの願いを叶えるに足りる神様ではないわ。」と言い捨てたという。
(名将言行録)


大黒と秀吉

本能寺の変で信長の訃報を聞いた秀吉は、中国大返しにより姫路城に帰還した。
翌日京都に攻め上る途中、側近が木像を拾った。
それを見ていた秀吉が、
「何の像を拾ったのだ?」と聞くと大黒様の木像だと答えた。

それを聞いた秀吉は大黒様の木像をひったくり、脇差で真っ二つに叩き割った。
「ワシは今、この戦に勝って天下を得る野望を持っておる。大黒はたった千人の
長にしかなれない神様じゃ。
縁起が悪すぎるわ。」と言い捨てたという。
(武将感状記)
459人間七七四年:2008/12/19(金) 00:13:17 ID:BEZ0P6ve
道化者

斎藤家の家臣に道化(道家とも)六郎左衛門という侍がいた。

道三は息子の義龍と不和になり、やがて家を二分した争いになった。

義龍は戦いに望んで自ら剃髪し、
「ワシに味方する者はみな剃髪せよ。」と言った。

そんな中、六郎左衛門は珍妙な髪型で義龍に挨拶に来た。

義龍は六郎左衛門のヘンテコな髪型の理由を尋ねると、
「殿様は道三様と親子ですから、斎藤家の家臣としていずれを味方、いずれを敵
と決めることはできません。
ゆえに頭髪の半分だけ剃髪したのです。」

六郎左衛門は頭髪の右半分はフサフサ、左半分がツルツルの訳をこう説明したの
だ。

結局、六郎左衛門は義龍の勧誘を断り、道三に味方して討ち死にした。
「道化者」の語源はこの逸話に由来する
(世に異装の者を称し道化というは是なり)。
(武家事紀)

(かっこ)悪い髪形の話
460人間七七四年:2008/12/19(金) 00:44:12 ID:4gOWRL0e
髪形はかっこ悪いかもしれんが、かっこいい話だな
461人間七七四年:2008/12/19(金) 01:11:43 ID:3rQfII8r
>>458
しかし本能寺の変直後はまだ誰が次の天下を握るか分からない状態、
秀吉も必ずしも勝てるとは思ってなかっただろうから、
この時点ですでに天下を意識してたというのはどうも違和感があるな。
462人間七七四年:2008/12/19(金) 01:17:22 ID:1/mkjCnL
猿「あれ?天下とれるんじゃね?」
みたいな感じだったか、黒田パパの影響か
463人間七七四年:2008/12/19(金) 01:34:52 ID:T7DO1yaf
>>461
っつーか既に1000人以上の大将だからな
464人間七七四年:2008/12/19(金) 01:38:51 ID:glm2gws2
でも、千人の大将ってなんか日本的じゃないね。
中国的な感じ。不思議な感覚だ。
465人間七七四年:2008/12/19(金) 02:10:10 ID:/G0Q5Ucy
>>459

民明書房のような終わり方に吹いてしまったw
466人間七七四年:2008/12/19(金) 05:57:16 ID:1ZlhCNPE
梟雄の弟

宇喜多直家が毛利を裏切り織田家に帰順した後
宇喜多に裏切りを後悔させてやろうと毛利軍は宇喜多領国へ次々と進軍
美作の地では毛利の吉川元春の軍勢が宇喜多諸城を次々と落とし、
南の備前には小早川隆景が大軍を率いて備中から進軍してくる。

この時の宇喜多の状況はというと
当主直家は病に冒され戦など出来る容態ではなく
嫡男秀家はまだ幼く戦など到底無理
織田中国方面軍の秀吉も三木城を攻撃中であり援軍は期待できないという
宇喜多オワタ\(^o^)/な状況であった。

宇喜多軍は兄直家の前じゃ死を覚悟するビビリの弟宇喜多忠家を頼りないが総大将とし迎撃する
しかしこの時の辛川合戦は初陣であった戸川達安の活躍などもあり小早川隆景を相手になんと大勝
穂井田元清相手の八浜合戦においても宇喜多基家を討たれながらも
八浜七本槍の活躍により毛利を撤退させるなど奮闘し宇喜多忠家は兄に劣らぬ名将ぶりをみせる。

しかし毛利軍相手に一歩も退かない将も兄直家の前ではガクブル((((;゜Д゜)))なのである。

忠家がなぜ兄の前では死を覚悟するようになったかというと
その昔直家のお気に入りだった家臣を誤って切り殺したため直家は怒り
忠家はこれで絶対殺されると恐れて居城に篭もってしまいお家騒動になった事が
この時は戸川秀安の説得と起請文を書くことで和睦し事なきを得たが
この事件以来忠家はいつかきっと直家に殺されると怯えるようになったのだ。
ちなみに忠家は直家も死に秀家のおもりもお役御免となると剃髪して宇喜多安心と改名する。
その後の宇喜多家は全然安心ではな(ry
467人間七七四年:2008/12/19(金) 06:23:53 ID:3rQfII8r
>宇喜多安心

ちょwネーミングワロタ。
兄貴は周囲を不安に陥れまくりだったからってw
468人間七七四年:2008/12/19(金) 06:33:50 ID:rP7zKicE
>>448
4コママンガならイケる!
469人間七七四年:2008/12/19(金) 06:40:15 ID:glm2gws2
オチが毎回スプラッターになるからワンパターンすぎるだろw
470人間七七四年:2008/12/19(金) 07:04:55 ID:dARnXrmj
>>458
家康は大黒の夢を見てそれを模した鎧を作り、着用した
ttp://www.yoroi.co.jp/english/english/e-img/p1/s11b.jpg
471人間七七四年:2008/12/19(金) 07:08:51 ID:glm2gws2
前立て超かっこいい
472人間七七四年:2008/12/19(金) 09:32:37 ID:65HnDdNN
>>458
大黒様は大国主にも見立てられるから"国津神の王"とも取れるべき存在なんだが…
と、思ってみるw
473人間七七四年:2008/12/19(金) 18:04:18 ID:hKNsI1Lu
それにしたところで、国譲りを強制されるという不吉な予感…
474人間七七四年:2008/12/19(金) 18:05:49 ID:uv01VBAh
光秀も秀吉も、大黒様を馬鹿にしてばちが当たった説。
475人間七七四年:2008/12/19(金) 18:17:44 ID:8clQnYBd
もともとオオクニヌシと大黒様は別の神様なんだよね。
大黒=マハーカーラ=シヴァ神の暗黒面と考えれば、第六天魔王以上の破壊神だし
476人間七七四年:2008/12/19(金) 18:20:19 ID:hKNsI1Lu
シュウの息子か…
477人間七七四年:2008/12/19(金) 18:21:58 ID:AOky4Jb2
家康は意外にセンスいいと思ってる自分
478人間七七四年:2008/12/19(金) 18:27:19 ID:uv01VBAh
いわゆる三英傑の中では、家康の鎧はダントツでかっこいいと思う。
(まあ信長のは殆ど残ってないので良くわからないが)
479人間七七四年:2008/12/19(金) 18:34:05 ID:Edx8I1Xs
>>470
>>471
この前立って五月人形には付いてるけど
本物には付いてなかったような
写真で実物を見た時は前立は無くて
この変な形をした鉢だけだった気がする
480人間七七四年:2008/12/19(金) 18:38:25 ID:uv01VBAh
481人間七七四年:2008/12/19(金) 18:43:30 ID:hKNsI1Lu
そういえば、俺が見た写真も前立が無かったな
482人間七七四年:2008/12/19(金) 18:48:40 ID:dARnXrmj
>>480
遺品としては残ってる
ただし、後代の補修で兜の前立の取り付け部が失われたようである
483人間七七四年:2008/12/19(金) 23:02:39 ID:FIIpyOjs
>>470
しかしこんな鋼鉄重装甲で体中覆って戦うんだから、すごい時代だよな
484人間七七四年:2008/12/19(金) 23:11:34 ID:ks54dbSc
義景相談  悪い話

越前ではかつて会議が紛糾して物事がなかなか決まらない「小田原評定」のことを
「義景相談」と呼んでいたという。

天正元年7月、近江の浅井長政より信長出陣のため、援軍要請来る。

義景「景鏡に出陣を命ぜよ」
景鏡「ここんとこ出陣が多くて疲れちゃって・・・」
義景「じゃあ魚住景固、代わりに」
魚住「この前、近江で城番したばかりで人も馬もくたばっちゃいまして・・・」
義景「チッ仕方ない。わし自ら兵を率いていくわっ!馬をもて!」

全軍率いて先ずは敦賀に到着。
義景「敵は大軍、だが、このままだと浅井が危ない。近江へ出陣すべきかどうか・・・」
宿老「兵が少のうござる。敦賀に留まった方が賢明でござる」
側近「浅井との義理を重んじ行くべきです」
義景「う〜ん・・・・・・・・よし行ってみよう!」

8月6日、近江柳ヶ瀬着陣。続いて地蔵山に移る。
(先に近江入りしていた)山崎吉家「え?お館様ご出陣?まずくないか?」
物見「浅井方の阿閉淡路守、浅見対馬守、月ヶ瀬忠清が裏切りました!」
物見「我が方の大嶽城、丁野城、敵の急襲で落城しました!」
義景「いかん!浅井との連絡が完全に断たれた!陣を立て直さねば・・・兵を引くぞ!」

8月12日深夜、大雨の中、朝倉軍撤退。柳ヶ瀬へ向かう。
義景「さて、ここで陣を立て直しt「敵襲!敵襲!敵襲!」エッ?や、山崎、如何する」
山崎「敦賀におればお館様を止めておったに・・・殿軍仕ってお館様を逃しまする!」
義景「あ、もう行っちゃった・・(おろおろおろおろおろおろ)た、詫美越後はどう思う?」
詫美「漢詩を書きましたので読んで下さい。さらば殿!(席を立つ)」
    萬恨千愁有驀然 誰図今夜溺黄泉
    古郷公莫成愁涙 屍曝戦場野外辺
義景「またこのような縁起でもない詩を詠みおって・・・(おろおろおろおろおろおろ)
   朝倉掃部助、如何いたそう?」
掃部助「追手はすぐそこに迫っています!こう長々と評定しても無駄かと!
    早く疋田の城まで退くべきかと!」
義景「う・・・(おろおろおr掃部助「早く殿!」)そ、そうする。馬引けい」

貴重な時間を無駄にして、結果、大将は退く、部将は立ち向かうで朝倉軍は大混乱となった。
山崎、詫美、掃部助らは奮戦したものの討死。
途中、織田軍をかく乱しようと軍勢を二手に分け、雑兵を別ルートで退かせたが、織田軍
その手に乗らず、本隊とともに退いた義景を目指して一直線。
兵力が減じたところに突撃され、朝倉軍の中核3000が斃れた。

義景「木の芽峠まで退いて全軍集結!天嶮に拠って反撃する!」
朝倉景綱「われらはもう殿の分別についていけません。これにて御免」

景綱の言葉に吊られて軍勢離散。わずかに伴廻り5、6騎。
最早、組織的な反攻を行えず一乗谷へ逃れ、その後、景鏡に騙されて大野で自害。

柳ヶ瀬でああでもないこうでもないと議論などせずに、真っ直ぐ敦賀まで撤退していれば、
たとえ敗れるにしても、もう少しまともな形で敗れたであろうと後世の人は思うのでした。

「変ニ望ンデモ事ノ決断モナク、世ニ云義景相談トテ日ヲ送リ、其内ニ兼テ諸家中モウトミ果テ」
(『越藩拾遺録』より)
485人間七七四年:2008/12/19(金) 23:18:00 ID:FIIpyOjs
レプリカ鎧だけどドゾー

後光が射してる!!太閤秀吉さん
ttp://www.yoroi.co.jp/english/english/e-img/p1/s10b.jpg

増毛兜信玄さん
ttp://www.yoroi.co.jp/english/english/e-img/p1/13b.jpg

弦月の前立で有名なDQN政宗さん
ttp://www.yoroi.co.jp/english/english/e-img/p1/s15b.jpg

数珠でかすぎ本田忠勝さん
ttp://www.yoroi.co.jp/english/english/e-img/p1/s17b.jpg

レッド突撃隊井伊直政さん
ttp://www.yoroi.co.jp/english/english/e-img/p1/s16b.jpg
486人間七七四年:2008/12/19(金) 23:21:41 ID:uv01VBAh
>>484
心底イライラするお話ですな〜(;´Д`)
487人間七七四年:2008/12/19(金) 23:36:11 ID:dOxp4x2g
まあ重装備でも大将は直々に戦う訳じゃないし。
政宗の前立てによく似た謙信の前立てなかったっけ。
弦月ってよく使われたモチーフなんだろうか。
488人間七七四年:2008/12/19(金) 23:39:59 ID:uv01VBAh
景勝の兜の前立ての、日輪はやりすぎだと思うw
489人間七七四年:2008/12/19(金) 23:43:11 ID:XE2kZvFg
>>488
ああでもしないとほら、執政が…
490人間七七四年:2008/12/19(金) 23:52:33 ID:kTyGSPi9
ただでさえ無口で小柄だから目立てないもんね…
491人間七七四年:2008/12/19(金) 23:57:07 ID:uv01VBAh
しかしまあこれは、「うおっ!?まぶしっ!」って感じですなw>景勝の兜
http://www.nbz.or.jp/jp/josetuten/ayumi/kagekatsu2.jpg
492人間七七四年:2008/12/20(土) 00:00:53 ID:hcDNkZU5
世界征服をたくらむまんじ党首領にしか見えないんだが
493人間七七四年:2008/12/20(土) 00:01:46 ID:5OUBLjap
景勝は大日輪の奴のインパクトが強すぎてアレだが
端鳥の前立ての奴は普通に格好いいと思うぞ。
494人間七七四年:2008/12/20(土) 00:04:30 ID:5OUBLjap
>>491
それじゃなくてもうひとつのお盆の奴だと思う。
卍の奴は謙信に貰ったもので若い頃に使ってたって話じゃなかったっけ。
495人間七七四年:2008/12/20(土) 00:04:56 ID:e8LDmzQ1
>>491
手の位置のせいで乙女チックに見える…
496人間七七四年:2008/12/20(土) 00:08:56 ID:y2zl3R4u
>>484
戦国時代を生き抜くリーダーとして致命的な欠陥を持ってるなぁ
497人間七七四年:2008/12/20(土) 00:14:13 ID:V/UtkzH+
>>487
へんなところで、最上義光の元服時着用甲冑の前立ても弦月だったりする。
義光のあの弾丸ぶちあたり兜は信長にもらったものを改造しているのだが、
そのデザインがちょっと甥御のものに似ているらしい。
ちょっと血のつながりを感じるw
498人間七七四年:2008/12/20(土) 00:15:59 ID:fGfzgCpi
>>484
まあ戦った相手が悪かったんだがな


ところで朝倉義景はどんな兜だったんだろうな
499人間七七四年:2008/12/20(土) 00:34:40 ID:5OUBLjap
>>498
tp://www2u.biglobe.ne.jp/~sanada/sanada/ten/nishiyama.html
頭の上にネコミミみたいのが乗ってる奴
500人間七七四年:2008/12/20(土) 00:37:09 ID:1/qKHkg8
>>499
おお、なかなかかっこええ
501人間七七四年:2008/12/20(土) 00:38:06 ID:zv/ADVtJ
>>499
これはちょっとかっこいい…というか萌えるな。
502人間七七四年:2008/12/20(土) 00:38:51 ID:w7cvbDhG
>>499
予想以上のかっこよさに吹いたw
503人間七七四年:2008/12/20(土) 00:51:16 ID:6HKJG79t
>>499
「はうぅぅぅ……どうしようどうしよう?」
504人間七七四年:2008/12/20(土) 01:10:08 ID:yqNrgdN2
ネコミミ君主と聞いて(ry
505人間七七四年:2008/12/20(土) 01:10:46 ID:+6APEvZH
>>493
これは俺も好き
ttp://www.tentijin.jp/siseki_img/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E4%BA%BA-04.jpg
鳥の尾を鍬形にあしらうなんて御洒落だよな
なんとなく上杉らしい
506人間七七四年:2008/12/20(土) 01:18:37 ID:+6APEvZH
507人間七七四年:2008/12/20(土) 01:50:18 ID:a9kBK4Ya
兜と言えば立花宗茂と直江兼続あたり
特にが有名じゃない?
昔、某漫画で見たときのインパクトは忘れない
508人間七七四年:2008/12/20(土) 01:51:42 ID:bbc37Dvm
役どころが悪い?話

あるとき、某博物館に一本の国際電話がかかってきた。
「私はアメリカの映画製作スタッフですが、今日はお願いがあってお電話しました。
お手数ですが、資料として伊達政宗公の鎧の写真を送っていただきたいのですが?」
博物館の職員は訝しがりながらも承諾し、資料をアメリカに送った。

・・・後にその映画は完成したが、
なんと敵役の、悪の首領のデザインに政宗の鎧が使われていたのだ。

なんとも失礼な話だ。

映画はスター・ウォーズとかいうB級臭がプンプンするタイトルで、
それも悪の首領はダース・ベイダーなんて安っぽい名前。

ああ、こんな映画で悪役に使われるくらいなら断ればよかった。

が、その映画は大ヒットし、SF映画の金字塔と言われるまでになってしまった。
当地で出版されたファンブック、STAR WARS−THE MAGIC OF MYTH−には、
ダースベイダーと並んで政宗の黒漆五枚胴具足の兜の写真が載っている。

政宗はポジション的に、ルーク・スカイウォーカーよりはベイダーになれて喜んでるだろうがw
509人間七七四年:2008/12/20(土) 02:00:55 ID:a9kBK4Ya
あの話ホントだったのかw
しかし外人はほんとにSAMURAI好きだなw
510人間七七四年:2008/12/20(土) 02:02:01 ID:V/UtkzH+
「ハンニバル・ライジング」でも伊達の甲冑出てたっけ。
511人間七七四年:2008/12/20(土) 03:18:06 ID:C1gAesP6
政宗のあの甲冑のセンスは好きだな。
真っ黒の甲冑に巨大な弦月の前立はシブイ。
512人間七七四年:2008/12/20(土) 08:22:11 ID:hcDNkZU5
言っちゃなんだが、>>485なんか見てると全員中二病患者って気がしなくも無い。
513人間七七四年:2008/12/20(土) 09:45:53 ID:A85X/Ldp
政宗の黒装束は李克用の黒鴉軍を意識しているんだっけか。
514人間七七四年:2008/12/20(土) 11:14:04 ID:0Nq6hQyu
みえ だろうからね
将校級でも、あの兜と鎧を着てるのは○○と味方はもちろん敵にも知れ渡るように
なれば充分に武者の誉れ(売名にもなる)
活躍すれば目立つので手柄の横取りもされにくいし、逆に無様な事は出来ないと
自らへのプレッシャーにもなる
大将級なら旗色悪くなって落ち延びる時には誰かがその兜と鎧を着用して
身代わりになればそちらに敵がどっと押し寄せるので無事に撤退しやすい
515人間七七四年:2008/12/20(土) 11:17:49 ID:N+4RJg9E
516人間七七四年:2008/12/20(土) 13:47:44 ID:6UFcxBhN
>>513
それ知らなかった。まじすか。
黒地に金で抜くのはいいセンスだと思う。
あと水玉模様のカラフルな陣羽織が面白かったw
517人間七七四年:2008/12/20(土) 14:12:57 ID:NUOXw8VZ
白石宗実は黒地に銀の「也」の前立

これもイイ
518人間七七四年:2008/12/20(土) 15:54:05 ID:4XQ58GxZ
黒地に赤とかのほうが生えそうなもんだけどなぁ
519人間七七四年:2008/12/20(土) 16:16:15 ID:5jhQx/8u
幕末のモノだけど島津家伝来 白紫糸段威大鎧
ttp://image.blog.livedoor.jp/takuji007/imgs/3/0/309ad720.JPG
前立てのところにいるお稲荷様が可愛い

鎧兜のレプリカ値段ググってみたけど具足一式でやっぱ軽く100万は超えるんだね
520人間七七四年:2008/12/20(土) 16:53:46 ID:LtDWDnPz
そろそろこちらへ移動したほうがいいかも

当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1181291635/
521人間七七四年:2008/12/21(日) 13:53:44 ID:HJ84/qNw
武将の軍装

摂津武将、松山新助の家臣に、中村新兵衛という者がいた。
この新兵衛、戦場にはいつも、唐冠の兜に猩々緋の陣羽織のいでたちで現れ、
合戦のたびに目覚しい活躍をしたので、やがて敵味方から「鬼中村」と呼ばれるようになり、
敵は彼の唐冠と猩々緋の陣羽織を見ただけで

「すわっ!鬼中村が出たぞ!」

と、逃げ出す有様であった。

ある時、家中の者の一人が、この中村の武勇にあやかりたく、彼の有名な兜と陣羽織を
譲って欲しいと言ってきた。
中村はこう言うものに頓着しないたちで、喜んでこれを譲った。

さて、そのあとの合戦での事

いつものように武勇を示す中村新兵衛であったが、戦場の雰囲気がまるで違うことに気がついた。
敵が中村の事を恐れず、果敢に向かってくるのだ。

そう、敵はいでたちが変わった中村を、あの「鬼中村」だとは認識せず、よって、立ち向かう事に
恐怖を感じなかったのだ。

中村は兜と陣羽織を譲ったことを後悔したが、遅かった。
その戦で中村は、名もない雑兵に討ち取られた。

合戦では、実力は勿論だが、敵を威圧する軍装も大切なのだ。と言うお話。
522人間七七四年:2008/12/21(日) 15:42:37 ID:dLqAkb9N
これはカッコ悪いな
523人間七七四年:2008/12/21(日) 16:05:49 ID:c2hkJU1k
「形」じゃねーかw
524人間七七四年:2008/12/21(日) 16:25:34 ID:wciIt+BM
ん〜、俺が読んだ話だと。この中村って侍、
自分が守役だった若様の初陣に、自分の鎧を貸して戦死したって話だったんだけどな。
525人間七七四年:2008/12/21(日) 16:29:15 ID:HJ84/qNw
>>524
色々バージョンあるのかな?
ちなみにこれは「明良洪範」にあるもの。
526人間七七四年:2008/12/21(日) 16:48:55 ID:SEFG7cel
流れは装備の話か

木村常陸介重茲の大名行列が領国の越前府中から、京へ向かっていた時のこと。

行列に加わっていた鉄砲奉行の槍が、道端の松の枝に引っかかり、槍の鞘が外れて
抜き身になってしまった。槍の先はサビが浮いていた。

「プッ」「何あれ・・・」「あれでも武士かね・・・」「いざという時どうすんの・・・」 ヒソヒソ・・・

これを聞きつけた常陸介、かの鉄砲奉行を呼びつけ、さんざん叱りつけた。

「侍たる者が、何たる不心得か!恥ずかしくないのか?!我が愛槍を見よ!!」
常陸介、自分の槍を取り寄せ、抜き放った。


赤い。 一面サビだらけで、真っ赤になっていた。

「ヲイヲイ・・・」「え?ネタ?・・・」「どうすんだコレ・・・」 ざわ・・・ざわ・・・・・・

コホン。
「分かったか? ふだん槍を使う必要のない大名の槍がサビていて、この騒ぎだ。
仕える身のおまえたちは、なお油断してはならぬ。以後、注意して槍を手入れせよ。」

そう言って、足早に立ち去った。 (武辺咄聞書)

重成が大阪の陣であんなにがんばったのは、オヤジがこんなだったからかなー
とか思ったり。
527人間七七四年:2008/12/21(日) 16:58:48 ID:HJ84/qNw
吉本新喜劇みたいだw
528人間七七四年:2008/12/21(日) 17:47:33 ID:Qj1DsIJE
顔真っ赤だったろうなw
529人間七七四年:2008/12/21(日) 18:07:53 ID:wciIt+BM
>>525
524は確認してみたら、中学の古典の教科書に載ってたバージョンだった。
530人間七七四年:2008/12/21(日) 18:09:56 ID:HJ84/qNw
槍の手入れといえば結城秀康の
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-542.html

この話思い出した
531人間七七四年:2008/12/21(日) 18:22:49 ID:sXBZugR4
>>530

>>526から考えると市松は家康公のご子息が恥かいちゃいけない
ってんでチェックしてあげた

と好意的に解釈してみるw
532人間七七四年:2008/12/21(日) 18:42:54 ID:HJ84/qNw
>>529
中学の古典の教科書にも、こんな話載っているもんなんだね〜。
533人間七七四年:2008/12/21(日) 19:11:04 ID:wciIt+BM
地元だからかな??
534人間七七四年:2008/12/21(日) 22:23:49 ID:FwiWxF20
>>526
コレが本当の朱槍とでもいえばよかったのにw
535人間七七四年:2008/12/21(日) 22:34:27 ID:smCoCUBP
大名って自分の武具の手入れは自ら行うもんなのか?
あげたりもらったりするから結構な本数持ってそうな気がするが。
536人間七七四年:2008/12/21(日) 22:37:48 ID:HJ84/qNw
>>535
贈答用は、それ専門の人間に管理させるんだろうけど、自分の武器としてのものは、
自己管理する人間もいたんじゃ無いかな?
まあ、人にも時代にもよるんだろうけど。
537人間七七四年:2008/12/21(日) 22:48:48 ID:FwiWxF20
>>530
その話で思い出したが…
正則たんは、こう思ったに違いない

何とかして秀康と飲み比べをして、勝利の品としてこれをもらえないだろうか、と

結城秀康の槍は蜻蛉斬、日本号と並ぶ天下の名槍だったらしいからw
538人間七七四年:2008/12/21(日) 23:56:59 ID:aBDUc5+P
御手杵という名だったか
539人間七七四年:2008/12/22(月) 00:26:01 ID:IvBtJkC9
昔からこう言う趣味の方がいらっしゃったと言うお話


山城の国、伏見に、阿波介という男がいた。

この男、いつも人を騙し悪事をたくらむ、酷い男であったが、非常に裕福で、
妻妾を七人もそろえていた。

阿波介は毎日、その女達の衣服を剥ぎ取り裸にして七本の柱に縛りつけ、片端から
杖で叩き、責めさいなんだ。

女達がばらばらに泣き始めると

「一人ずつ泣くのは不愉快だ!皆、声を合わせて泣け!」

と罵り、七人を叩き続け、責め苦に耐えかね女達が一度にわっと泣くと大いに喜び、
それを肴に酒を喰らうという変態であった。


「鎮西禅師絵詞伝」より
こんな事細かに変態行為が記録されているってのも、それもまたおそろしい話ですがw
540人間七七四年:2008/12/22(月) 00:35:59 ID:bYY5R6+6
>>539
これはマジで変態だなw
541人間七七四年:2008/12/22(月) 00:42:56 ID:PbbngATF
特殊な性の営みに松永先生が興味を示したようです
542人間七七四年:2008/12/22(月) 00:43:22 ID:Aegelv+7
正に変態。
543人間七七四年:2008/12/22(月) 00:46:19 ID:OOp8Om9O
でも松永先生は優しい。性行為に限り。
544人間七七四年:2008/12/22(月) 00:46:32 ID:MAjscHCK
もっと!もっとエロイ話を!
545人間七七四年:2008/12/22(月) 01:04:36 ID:abbA/w/b
>>532
菊地寛の「形」としてじゃね
しかも古典の教科書じゃなくて普通の国語の教科書で出てたはず
546人間七七四年:2008/12/22(月) 10:18:17 ID:GSfAV4so
いや、これエロイか?w 変体であることは間違いないが
547人間七七四年:2008/12/22(月) 11:49:43 ID:XqxLz6B1
すでに変態すぎてエロスを感じねえw
548人間七七四年:2008/12/22(月) 12:06:34 ID:L0r5UP8T
確かに、はたからみる限りだと性行為というより過激なバラエティー番組収録中の若手芸人のノリだよな。
549人間七七四年:2008/12/22(月) 22:05:12 ID:MprPnWW/
>>546
その杖がじつは欲棒だったら…

なにこんなことを朝の8時に書いてるんだ、俺…orz
550人間七七四年:2008/12/22(月) 22:07:36 ID:IvBtJkC9
>>549
海外?
551人間七七四年:2008/12/22(月) 22:08:15 ID:Sv1CMWVd
552人間七七四年:2008/12/22(月) 22:36:08 ID:PbbngATF
時差14時間…

さては…メリケン!?
553人間七七四年:2008/12/22(月) 23:00:01 ID:MAjscHCK
アメリカで思い出したが支倉使節団がアメリカ大陸にあるメキシコ経由でスペインに行ったが帰ってきたのは
二十数名中半数だけだった
その大多数は長旅による病ではなく現地の女に溺れて
家庭を作ってしまったため日本への帰省を拒否したからだとか
その影響でメキシコにはそのときの日本人の子孫が住む町がありスペインにはJAPONという姓が生まれた…
ラテン系の女は昔から凄かったんだろうか?女癖の悪い話
554人間七七四年:2008/12/22(月) 23:18:59 ID:IvBtJkC9
>>553
朝鮮の役の時の「沙也可」も、朝鮮に投降した理由が「現地に家庭を持ったから」だったなあ。
むしろ日本人に現地に溶け込みやすい何かがあるのかもしれないな。
555人間七七四年:2008/12/22(月) 23:51:01 ID:hqIEygtQ
一年以上もいれば情も移るかも
556人間七七四年:2008/12/22(月) 23:55:09 ID:5bYHOul9
♪どぉこぉか 遠くへ いぃきぃたぁあい〜
557人間七七四年:2008/12/23(火) 00:18:42 ID:FxRkBikI
>>553
それなんて佐藤賢一…というか
ハポン姓は複数の説があるから言い切れないけど、メキシコにいついた人も多かったみたいね。
ただしエロとかうんぬん以前に、旅がつらくてリタイアした面々も多かったみたい。
558人間七七四年:2008/12/23(火) 00:26:20 ID:0eSpodTC
第二次大戦中にも逃亡や負傷中のドイツ兵をかくまって
戦後そのまま結婚したロシア女性が結構いたらしい
559人間七七四年:2008/12/23(火) 00:58:31 ID:ISVvm/lL
片倉小十郎の二代目、片倉重綱(後に重長)が出陣した大坂夏の陣で、
伊達軍と後藤又兵衛・薄田隼人が激しくぶつかった道明寺の戦いでのこと

乱戦につぐ乱戦で、重綱自身も組み伏せられて大ピンチ
やべっ死ぬと思った瞬間、味方の足軽が二人登場して敵を押さえつけた
(この二人は兄弟で、小室彦七郎・惣右衛門という名前が残っている)

が、押さえつけただけで助けようともしない
足軽が一言言った。「いくら出す?」

重綱「・・・一貫」
足軽「安すぎ。十貫」
重綱「高いだろ。・・・二貫」
足軽「このけちんぼが。・・・五貫」

五貫は高いと思ったものの、渋々了承する重綱
その場はなんとかおさまった

しかし、地元に帰っていざ恩賞を渡すとなると「一人五貫は高すぎだろ」と惜しくなる
しかし約束した以上、払わなければいけない

そこで苦しまぎれにこう言った
「一人五貫って言ってねえからな。一人二貫五百文、二人合わせて五貫払ってやんよ」
DQNの家臣もまたDQNであった

ちなみに、伊達軍はこの戦いで抜群の功績を挙げたが、味方である神保隊を撃ち散らしたり、
政宗の娘婿である松平忠輝の消極的な戦いぶりなどといった禍根を残すこととなる


この戦いの後、どういった経緯かは不明ながら真田信繁の娘お梅をゲットするも
父親に「将自らチャンバラなんて馬鹿じゃないの?死ぬの?」と怒られてしまい、
いまいちついてない重綱であった
560人間七七四年:2008/12/23(火) 00:59:13 ID:FxRkBikI
シベリア抑留中にソ連女性とできた日本人も結構いたんだよな。
561人間七七四年:2008/12/23(火) 01:07:30 ID:CR0b1Kce
大将自らチャンバラして怒られる話多いよなー。
謙信は自ら太刀を振るって古今無双の武勇だと称賛されてんのに。
562人間七七四年:2008/12/23(火) 01:10:13 ID:h2lKSac+
いい大人が戦隊ヒーローの真似スンナ
ってかんじかな?
563人間七七四年:2008/12/23(火) 01:21:15 ID:fpr5s4KR
その理屈はおかしい。
564人間七七四年:2008/12/23(火) 01:22:54 ID:vCkYmQ0C
地域差や世代差もあるんじゃないかな。
565人間七七四年:2008/12/23(火) 01:30:04 ID:dh5/KEGq
黒田長政もそれでパパに怒られてるな
566人間七七四年:2008/12/23(火) 02:07:39 ID:Hx8qK4B1
鮭様もおこられたなぁ…
567人間七七四年:2008/12/23(火) 02:20:32 ID:/ORFaEyP
戸沢盛安くらいの身であれば、鬼九郎とか言ってもらえるけどね・・
568人間七七四年:2008/12/23(火) 02:28:22 ID:sd/V1of6
他所の武将なら勇猛で済むけど自分の息子とか主君がそれじゃたまったもんじゃないからな
569人間七七四年:2008/12/23(火) 03:06:24 ID:MixnlFLZ
親の心子知らず
570人間七七四年:2008/12/23(火) 04:32:20 ID:fFsmhJuV
小早川秀秋「ですよねーw」
571人間七七四年:2008/12/23(火) 05:46:59 ID:wDklAIuL
ちょwww
572人間七七四年:2008/12/23(火) 06:15:10 ID:SZxkKyda
美濃の小大名である徳永寿昌、彼は関ヶ原の際にわずか2000足らずの兵で大暴れした。
高須城を攻めた時、守将高木盛兼の手元にはわずか200の兵しかいなかった。
徳永は隣人であり、既知でもある、同じ美濃の小大名の縁で開城を勧告した。
「そう言われても一戦も交えず降伏じゃ武名に傷つくしなぁ」と言われたため、
「お互い空鉄砲で戦うふりだけでもしましょう」と使者を送る。
それじゃと高木さん、翌日は空鉄砲で適当に戦う振りだけをした。
一方徳永さんは「俺はいつでもガチだぜ!」と猛烈に攻めかかる。騙されたと気付くも時遅く、高須城は徳永の手に落ちた。
後年この事を聞かれると「不思議なことに下まで命令が届いてなかったようで」と言い切ったという。
573人間七七四年:2008/12/23(火) 07:36:06 ID:x+g4Pdnd
こりゃ悪いw
574人間七七四年:2008/12/23(火) 08:51:13 ID:5qzhbDW1
不思議なこともあるもんだなー(棒
575人間七七四年:2008/12/23(火) 09:29:34 ID:XrIlcYD0
正統派の小悪党きたなw
576人間七七四年:2008/12/23(火) 09:52:39 ID:OA8VQd9A
>>559
お梅ちゃんって、死ぬまで「上方にもどりたい…」ってぐずぐずしていて、
そのせいでたしか墓が関西方面に向いているとかいう伝承あったよね。
577人間七七四年:2008/12/23(火) 11:15:00 ID:jqxvnMC/
あくまで伝承なんで…

【小松伝説】

家康死後に真田家が松代に国替えされる前のお話
加賀前田家の荷駄隊が将軍献上品を江戸に運ぶ為に上田領内を追加していた

小松「よお、なんか景気良さそうじゃんか」
「こ、これは真田の奥方様」
小松「お、これ丁度欲しかったんだ〜」
「あ、これは将軍様(秀忠)への献上品で…」
小松「(∩゚Д゚)アーアー聴こえない〜」
「困ります。我が前田家が将軍様のご不興を被りかねません」
小松「おいおい、俺は大御所の養女だぜ?秀忠なんぞ目じゃねーよ」
「なっ」
小松「しかし、貴様の言い分はもっともだ」
「で、では…」
その場で小松は書状をしたため
小松「代わりに此持って行きな、じゃな〜」

〜江戸〜
前田家の使者から荷物と共に小松の書状を受け取った秀忠は絶句する
‘加賀前田家の荷駄は本多平八郎が娘、徳川家康が養女、小松が確かに受け取った’
‘幕府にではなく将軍家への献上品を将軍家に連なる私が得て何の不都合がありましょうや’
‘前田家の臣は確かに将軍家へ献上品を届け給うものなり’
結局、前田家、真田家共におとがめ無し

〜駿府〜
家康「さすが平八郎の娘www」
578人間七七四年:2008/12/23(火) 11:20:44 ID:5ooCPZQM
こんな女、一発殴りたい
579人間七七四年:2008/12/23(火) 11:24:02 ID:OA8VQd9A
>>578
返り討ちにされんぞw
580人間七七四年:2008/12/23(火) 11:25:27 ID:5qzhbDW1
平八郎ってこんなゴリ押しDQNキャラじゃなかったような・・・
581人間七七四年:2008/12/23(火) 11:40:49 ID:qV9dyXJ7
なんか「政宗だからしょうがない」に近いノリだな>小松
582人間七七四年:2008/12/23(火) 11:57:39 ID:obcImnXp
信之も大変だな
583人間七七四年:2008/12/23(火) 12:09:42 ID:FOb2kFiF
>>572
カッコイイww
584人間七七四年:2008/12/23(火) 12:21:14 ID:lit5DyM5
>>582
信之「おかげさまで寿命の縮まる思いですよ」
585人間七七四年:2008/12/23(火) 12:45:41 ID:Q9vXw7xF
>>584
おい当時屈指の長寿大名
586人間七七四年:2008/12/23(火) 13:49:57 ID:Jpy/cq/i
587人間七七四年:2008/12/23(火) 14:22:13 ID:pFMBpX0U
しつこい家康のかっこ悪いふられ方

小西行長が朝鮮で拾って帰った孤児、ジュリアおたあ。
彼女は養女として小西家で大事に育てられ、美人で頭も良い評判の娘に成長した。
関ヶ原の後、家康はそんなジュリアおたあに目をつけ、侍女にして寵愛、
「側室にしてあげちゃうよウヘヘ」と迫った。
しかしジュリアの方は養父を殺した家康が嫌いだった為家康の熱い想いをスルー、断固拒否。
袖にされて怒った家康、ジュリアがキシリタンだったこともあり信仰を捨てない事を名目に島流しに。
でもやっぱりジュリアを忘れられない為、何度も「側室になるなら帰って来てもいいんだからね!」
と必死にアプローチ。しかし「だが断る」と拒否られ続け、最後まで受け入れられる事はなかった。

ジュリアは家康に反発するたび、いろんな島を点々と流され続けたが、どの土地でも熱心に信仰を守り
島民たちに献身的につくし尊敬を集め、その生涯を終えたという。
588人間七七四年:2008/12/23(火) 15:29:56 ID:NIlkgu5N
『俺はDQN四天王の一人!福島正則だ』

『四天王…?』

『このDQN帝公認の【DQN四天王】にぶつかってなんの用だとは…ずいぶん俺もなめられたもんだ』
『な…何!?』
『馬鹿が』
『う…』
『これからはよく相手を見てからケンカを売るんだな』
『がはっ!ぐぁっ…うぎゃあっ』

『強い…あの人がもう一人の四天王!!』
『ああ…市松君ね』
『えっ…知っているんですか?』
『最近突然現れたんだよ、羽柴家子飼いの福島正則』
『今までは森家の次男が四天王の一人と言われてたんだけどあの市松君が四天王の名を欲しさにその人の死後DQNなふりしたんだ、ウワサによるとその人の陣容を徳川に流したらしいけどね…それで新しい四天王になったわけさ
だから彼の場合伊達や島津と違って【実力】も【格】もいまいち弱いんだよ、ケンカは強いけどそれは素人相手にだけ、まっ他の四天王と揉め事がない分平和でいいんだけど…秀吉様や他の四天王と鉢合わさないようにさけまくってるらしいし』
『今までの四天王はこれでもかってくらい秀吉様とぶつかってましたからね』
『本当、逆にあれくらいの四天王がちょうどいいよね』
589人間七七四年:2008/12/23(火) 15:32:21 ID:Q9vXw7xF
>>587
それはキリスト教徒の作った伝説だけど、負けた側の勢力の女性が勝者の後宮に入って、
勝利者を貶めたり殺したりする伝承って、世界中にあるよね。
アッティラとかチンギスハーンとかも、後宮に入れられた侵略された民族の王妃が
殺した、なんて伝説が残ってる。

こう言うもののテンプレってあるんだろうね。
590人間七七四年:2008/12/23(火) 15:45:43 ID:5qzhbDW1
ユリア表記だったらさらに妄想が膨らむなぁ
591人間七七四年:2008/12/23(火) 15:47:48 ID:Q9vXw7xF
>>588
そのままマンガにできそうだなw
592人間七七四年:2008/12/23(火) 16:00:33 ID:Y9cJnLX0
>>591
明稜帝梧桐勢十郎のパロディだと思う
593人間七七四年:2008/12/23(火) 16:33:45 ID:YYQ+Y1er
1613年なのでぎりぎり戦国か
日 時・・・10月24日
場 所・・・江戸城西の丸
裁判官・・・徳川家康・徳川秀忠
原 告・・・坂崎直盛(石見津和野藩主)
被 告・・・富田信高(宇和島藩主)
内 容
1605年に直盛の甥っ子が男色をめぐり、直盛激怒。
甥っ子は祖父(直盛の父)の安心入道のもとに逃走。
安心入道が女婿の信高のもとに甥っ子を逃がす(さすが安心入道)。
直盛、追跡するばかりではなく、甥っ子を保護した信高の家臣を人質に。
結 果・・・信高敗訴、改易

直盛のその後・・・千姫救出のうわさ


ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1229592191/
ttp://www.daily-tohoku.co.jp/news/2008/11/25/new0811251101.htm

スレ違いだけど現代のちょっと悪い話
中世や近世が今でも続いてる感じだな

我らの四天王+1ならどうする??
594人間七七四年:2008/12/23(火) 16:38:27 ID:Q9vXw7xF
>>593
坂崎直盛はホントにどうしようもないなあw
595人間七七四年:2008/12/23(火) 17:03:15 ID:nM+73+1O
>>592
懐かしいなw
596人間七七四年:2008/12/23(火) 17:06:38 ID:NIlkgu5N
>>592わかってくれる人がいてうれしいw
剣持君のキャラがまんま福島だったから浮かんだ
597人間七七四年:2008/12/23(火) 23:45:59 ID:jqxvnMC/
たまには兄ちゃんの話

【信之キレる】

幕府から松代へ転封の知らせがあった
真田は信繁KYの為に依然微妙な立場であり、やむなく上田退去の準備を始めたのだが…

退去時に藩の検地資料や人口資料、産業分布等の藩政書類を全て焼き捨てたw
上田城藩邸(当時の上田城は第二次上田合戦の報復で天守が無い)の灯籠や植木まで持ち去ったw

後任の仙石忠政は藩の掌握に手間取ったという

但し、この転封には忠政が肥沃な上田藩を望んだのを真田を快く思わない秀忠が承認したからとの説がある
因みに忠政と秀忠はホモダチ説もあったりする
これらが事実なら信之がブチ切れるのも当然である
外様であっても家康養女小松の嫁ぎ先たる真田家は池田家同様の別格扱い
それが純外様の仙石に追い出されたんだから尚更であろう
598人間七七四年:2008/12/23(火) 23:49:39 ID:SBxfSYN3
クリスマスが性夜になった理由の一つに仏教の愛の概念とキリスト教の愛の概念が違うってのがあるらしい
仏教の愛は愛欲、つまり性愛のためキリスト教のアガペーが翻訳で愛の字に当てられてしまった為
愛を唱えるキリスト教の行事ならエロイものに違いないと勘違いした説
もしそうならば戦国の愛というものは性愛の意味が強いものであり兜に愛の字をつけた直江兼続は
現代で言うならばFuckTシャツ付けてるのと同じ感覚だったかもしれない
ようは店も予約してアクセサリーも用意して有るのに前日にいきなり別れを告げられるような奴が出るんだから
クリスマスなんて中止されてしまえ
599人間七七四年:2008/12/23(火) 23:56:47 ID:5qNUIQvW
>>598
今日だけは鬼武藏となることを許そう
600人間七七四年:2008/12/24(水) 00:13:41 ID:ewpY07Uj
あれ?鬼武蔵って俺らの味方じゃね?
601人間七七四年:2008/12/24(水) 00:13:56 ID:Xpo+7ENS
馬鹿だな
最初から付き合わなきゃいいのに
602人間七七四年:2008/12/24(水) 00:21:00 ID:Qon96b1C
正則「辛い時は呑めよ」
603人間七七四年:2008/12/24(水) 00:24:12 ID:6GX+Hv5M
>>598
忠興「その女、心の中で一度目、二度目と数えていたのかもな。
まあ女の子にはやさしくねっ!」
604人間七七四年:2008/12/24(水) 00:24:49 ID:gfYm+luW
>>597
でもその程度の嫌がらせで済ませるところが、良くも悪くも常識人だよねお兄ちゃんw
605人間七七四年:2008/12/24(水) 04:03:39 ID:expwozpP
ここでキレなかったら80で死んじゃったかも
606人間七七四年:2008/12/24(水) 09:11:44 ID:jVXYMSvS
>>604
神君の御長女も似たようなことをしたw

畳から障子、庭木にいたるまですべて持ち出そうとして本多っちにとめられてさらに怒りを増大させたらしいw

>>598
皆が許すT_T
607人間七七四年:2008/12/24(水) 10:08:09 ID:e/EMo1jF
>>598
謙信「わしとともに魔法使いを目指さないか」

っ春日杯
608人間七七四年:2008/12/24(水) 11:48:04 ID:gx0UJEph
紳助 さんちゃん 寒いよ くるくるくるくる
609人間七七四年:2008/12/24(水) 12:21:48 ID:OkKgT4RU
坂崎直盛は友達にしたくないタイプ
610人間七七四年:2008/12/24(水) 13:16:37 ID:mMLu2prJ
>>606
本来は私物以外残すのが決まり
しかし、幕府成立以前からの上田領主信之は全てを私物として適正に処理したから幕府側が文句を言えなかったらしい
植木とかは「父が苗木より育てた松なれば」ってな具合かな
611人間七七四年:2008/12/24(水) 13:27:33 ID:gfYm+luW
>>610
こう言うの見ると、私権の蔓延した戦国の後に、公共的な社会のルールを作るために、
幕府も物凄い苦労をしたんだろうなってしみじみ感じるわw
612人間七七四年:2008/12/24(水) 13:52:37 ID:18XEt6fK
まぁいろいろあって幕末に寝返ったことで
「先祖高虎の血は争えん」と言われてしまった藤堂家
藤堂が寝返ったんで敗走した幕府軍は手近の淀藩の淀城へ
しかし淀藩は一切城門を開かなかった
どうしようもなくなった幕軍はさらに潰走することになってしまった
淀藩10万石の藩主は稲葉家
平岡さんと一緒に小早川秀秋の内通の実務をとりもった稲葉正成さんの子孫です
ただそれだけのなんてことはないお話ですけどね
613人間七七四年:2008/12/24(水) 15:00:19 ID:KvThgn2g
稲葉家相当ご恩受けてたのにひどいな
614人間七七四年:2008/12/24(水) 15:38:41 ID:Bwj6uStI
先祖とか関係なくね?
615人間七七四年:2008/12/24(水) 16:27:21 ID:7WjCDAFJ
封建社会だから仕方ない
616人間七七四年:2008/12/24(水) 16:29:37 ID:gfYm+luW
まあ今でも、麻生を先祖の事で叩こうとしている人間もいるし。
617人間七七四年:2008/12/24(水) 16:40:35 ID:PpmeDqEt
先祖のことで叩くのはなぁ…
618人間七七四年:2008/12/24(水) 18:08:07 ID:XvW1qlbO
さすがに同時代に生きてすらいない人のことは、責任持てんわな
619人間七七四年:2008/12/24(水) 21:15:54 ID:jVXYMSvS
有名だけどまとめサイトに無かったので
竹中半兵衛

播磨小寺家の家臣・黒田官兵衛が織田家に臣従するにあたって、黒田の跡取り・松寿丸を人質にだした。
松寿丸は近江長浜城で人質ライフを楽しむことに。

しばらくたって、摂津で荒木村重が織田家に反旗を翻した。
官兵衛と村重は親しい間柄であったので、謀反を翻意するように説得に出かけた。

が、石牢で幽閉ライフを楽しむことになってしまった。

いつまでたっても戻ってこない官兵衛に、「アイツも裏切りやがった!?」と猜疑心をもった信長公は、すぐさま人質を殺すように長浜城主・秀吉に命令する。
官兵衛の無実を信じる秀吉だったが、信長公の命令を断りきれないので竹中半兵衛に相談して何とかしようとした。
半兵衛はこれを聞くとすぐさま安土城に出かけ信長を諌めたが、信長公は性格上、引き下がるようなお方ではない。
あくまでも斬れと言い張る。
すると半兵衛は
「分かり申した。不憫ではござりまするが殺しましょう。」
と答えて長浜城へ行き、松寿丸をこっそり自分の領地にてかくまい、信長公には切り殺しましたと報告をする

村重が逃亡し、有岡城は落城して官兵衛は助け出されたが、牢獄での南京生活は官兵衛をぼろぼろにするに十分であった。
信長公はこのような姿になっても村重に組せず、織田家への忠節を尽くした官兵衛をみて
「やっちまった…」と思ったがやっちまったものは仕方がない。

が、そのとき半兵衛から「あれはうっそぴょん♪本物は私の城にいます」との報告を受けて喜んだ。
もちろん、その場に居た官兵衛も喜んだ…筈である。

黒田家はこういったいきさつもあってか、後に竹中家の家紋を貰い受ける。
このときに助かった人質こそ、後の黒田長政である。

さて、大切な黒田家の跡取りだった長政であるが関ヶ原の際に家康公から手をとってお褒めの言葉をいただいたことを官兵衛に報告する

そのときに言われた言葉
「お前の空いたほうの手は何をしていやがった?」

(あの…家康公を刺したら、俺もその場所で殺されるんですけど…そんなに俺が嫌いですか?)
と、思ったかどうかは定かではない
620人間七七四年:2008/12/24(水) 21:19:56 ID:DkmDiC6I
戻ってきたときはもう半兵衛死んでてお礼も言えなかったんだっけ。
621人間七七四年:2008/12/24(水) 22:37:32 ID:4+qmB9Fg
この調子で誰もが知ってる有名な逸話でもどんどん投稿してほしいなw
622人間七七四年:2008/12/24(水) 22:52:03 ID:rctsiAAE
細川忠興の空気読んでいるような読んでない話(細川史を忠興の立場で解説)
小牧長久手の後始末として十万の兵を動員して佐々討伐に遠征した秀吉
頭を丸め薄着で降伏した佐々内蔵助でしたが秀吉軍の諸将からは暖かく迎えられた
沙汰を受け本陣から出てきた佐々を待ち忠興氏郷信雄等が楽しく雑談していた所そこに秀吉が入ってきた
忠興等一同は秀吉の自慢話を聞くのが大嫌いだった
秀吉「内蔵助は確かに強い、戦にならずその方たちも命を繋いだの」
氏郷「まことに」
秀吉「誰のおかげで合戦にならずに済んだと思う?」
忠興「信雄様ですな」
秀吉「お前達が尊敬する内蔵助もこの太閤秀吉が相手では降伏するしかないの」
忠興「・・・・」
秀吉「余の前にもうさしたる敵はいないわ」
秀吉の自画自賛が続く(忠興等はもう話を続けたくなかった)
忠興「内蔵助殿が寒がっておられます」
秀吉「越中は冷えるの、だが他にわしを震えさせる者はおるか?」
氏郷「殿下、ここで長話しは内蔵助殿の体が冷えてしまいまする」
秀吉「そうか、ならば内蔵助にわしの羽織をやろう、これは暖かいぞ」
忠興「そう言う意味では・・・」
秀吉「では内蔵助は今後大阪に居を構え余の側衆として出仕せよ、向こうはここまで冷えぬ」
忠興「いや、そうではなく・・・」
秀吉「引越しに掛かる費用の事を言っているのか、引越し代として所領とは別に一万石やろう。成政よそれでよいか?」
成政「御意に」
忠興「殿下!某の身体も冷えてきたでござる。引越し代を」
秀吉「・・・」
その後も秀吉との噛み合わない話は続いたとさ
623人間七七四年:2008/12/24(水) 22:56:43 ID:9+KTT/bD
>>622
成政スキーにはたまらん話だ
会話に絡んでないところがまた良い
624人間七七四年:2008/12/24(水) 22:58:02 ID:gfYm+luW
>>622
面白いw
秀吉ってこんな感じだったんだろうなって思ってしまった。
625人間七七四年:2008/12/24(水) 22:59:23 ID:FzztIAR/
>>622
秀吉uzeeeeee!
626人間七七四年:2008/12/24(水) 23:00:29 ID:dZfPUXC/
>>622
流石忠興、面白いw
627人間七七四年:2008/12/24(水) 23:03:28 ID:XvW1qlbO
空気を読んでないような話なら、こういうのがある

諸大名がひそひそと噂話。
内容は「九州の連中は、何か魂が足りないんじゃないの?」って悪口。
それを後ろで聞いていた、我らのヒーロー鍋島勝茂公!
「確かに九州者には足りない魂がある。 それは臆病魂だ。」
と高らかに宣言なさった!!

こうやって場をしらけさせる辺りが、魂が足りないということでしょう。
628人間七七四年:2008/12/24(水) 23:15:24 ID:GIiHVL7w
>>622
さすが秀吉公、すでに太閤殿下気分ですか。
629人間七七四年:2008/12/24(水) 23:22:25 ID:gfYm+luW
>>627
かっこいいじゃ無いか九州男児らしくてw
630人間七七四年:2008/12/24(水) 23:28:01 ID:GRFuC1g2
化け猫魂なら満ち足りてるのにな
631人間七七四年:2008/12/24(水) 23:35:17 ID:FzztIAR/
家久「俺はピュアソウルでみちあふれてソウルフルなんだぜ!」
632人間七七四年:2008/12/25(木) 03:15:47 ID:4B+nrRp4
大友義鎮(宗麟)は羨ましかった。お隣の大内さんが、である。

朝廷や将軍との近しい関係から、官位や官職を次々と得、西日本王とも言うべき権威と権力を
得ていたからだ。

聞くところによると、大内さんは莫大な献金によりその地位を得ていると言う。
ならば、俺もやってみよう。
義鎮は天文二十三年(1554)、将軍足利義輝に莫大な献金をした。

効果はてきめんであった。

義鎮はその褒美として肥後守護織に任じられた。
大友氏は肥後支配の正統性を手に入れた。

『大友義鎮の権威が上がった。国衆たちの義鎮を見る目が変わった。
大友義鎮の支配力のレベルが上がった。』

「これだ!」
権威は金で買えるのだ。もっと!もっと支配のための権威を!

義鎮は京にプレゼント攻勢をかけた。
金銭は勿論の事、記録に残るだけでも、緞子、白糸、黄金、絵画、手火矢、南蛮鉄砲、石火矢、種子島筒、
えとせえとせ。
とにかく身の回りにあるもので珍しい物、価値のありそうな物は、すべてといっていいほど送った。

結果

天文二十三年(1554)、肥後守護織
永禄二年(1559)、豊前、筑前、筑後守護織、九州探題織、大内家家督
永禄三年(1560)、周防、長門守護織、左衛門督叙任、桐の紋を授与

なんと義鎮は瞬く間に、制度的、名目的には島津守護職薩隅日を除いた九州全土、
そして旧大内領すべての支配権をその手にした。
彼は、かつて羨んだ大内をすら越える、西日本王の地位に、今まさに立ったのだ。

そう。あくまで名目的に。

島津「京から貰った権威?」
龍造寺「そんなもの」
毛利「知るか!」

『権威の効かない連中が現れた。大友義鎮は動揺している。』

彼が大金をかけて得た権威は、彼の権力を保障してはくれなかった。それどころか
その名目上の権限を守るため、泥沼のような争いを強いられる事になったのである。

身の丈に合わぬ権威を求めると、その権威に「位打ち」されることもある。
そんなお話。
633人間七七四年:2008/12/25(木) 05:43:07 ID:3cKlJeKE
>>632
宗麟が悪いっていうより、毛利、竜造寺、島津が悪いようなw
634人間七七四年:2008/12/25(木) 07:20:14 ID:R9di+Qzx
何か宗麟って適度というものが無いイメージがあるな・・・
635人間七七四年:2008/12/25(木) 10:52:00 ID:n0El7Z/U
>>622
引越し代ワラタw
細川家は江戸時代にはいって"暖かい熊本(旧佐々領?)"にうつっても懐は寒いままだったしな…--;

>>632
大内さんの官位のための献金には時の帝ですら呆れて、官位授与を取りやめるように言ったほどだw

636人間七七四年:2008/12/25(木) 11:52:45 ID:fMNK1sc+
>>635
そこで貰っておけば、三代計34年間の即位式の延期もなかったかもなw
637人間七七四年:2008/12/25(木) 11:54:40 ID:SPAWZvJg
俺も内蔵助スキー
内蔵助の逸話ある?
638人間七七四年:2008/12/25(木) 14:29:43 ID:nuOGg886
おのおの方、討ち入りでござる
639人間七七四年:2008/12/25(木) 14:31:56 ID:4B+nrRp4
>>637
何故かあまりメジャーになってないものだと、信長暗殺しようとしたお話とかかな?
640人間七七四年:2008/12/25(木) 14:37:53 ID:iUEU7n0U
蛸に救われたのは中村一氏だが、こちらは蛸に殺されかけた人の話

寛永4年7月14日……1627年8月24日。
上田七本槍の一人で、佐渡奉行の鎮目市左衛門惟明が御逝去なされた。享年64歳。
市左衛門惟明と申せば、大久保十兵衛長安の手腕により全盛期を過ぎた佐渡金山を復興させた名奉行である。
その仕事先である佐渡での金の総生産は4000kg 銀の総生産は50tという業績が残されている。

そんな彼が死んだ理由には、ある一説が考えられている。

相川・吹上ヶ浦で市左衛門惟明が趣味(?)の釣りを楽しんでいた所、蛸が釣れた。
しかしその蛸、遠くから見ていても、手に持ってみてもかなり大きい。

惟明「重い」

惟明が、重いなあ。と感慨深く思っていたのも束の間。

大蛸「一人でも多く、海へ引きずりこんでくれるわ!」
惟明「危ない危ない危ない危ない危ない………!」

これまで大人しかった大蛸が惟明とお手手を繋いで海の中へズルズルと引き返し始めたのである。
お手手を繋がれた惟名も、このままでは海に引きずりこまれて溺死してしまう。
何と言うべきか、溺死だけは避けたい惟明、とっさに刀を抜いて蛸の足が絡まっている腕を一刀両断。
腕は綺麗に切断され、そのことに気付かない蛸は惟明の腕の先っちょだけを引きずって、海へと帰っていった。

さて。
残されたのは、腕を切断した為に重傷を負ってしまった名奉行・惟明。
惟明はこの傷が元で死亡したとか。実にやりきれない。
641人間七七四年:2008/12/25(木) 14:52:36 ID:+XUUNRjn
戦国時代の蛸はいったい何なんだ
642人間七七四年:2008/12/25(木) 15:01:16 ID:4dxhZQAE
643人間七七四年:2008/12/25(木) 15:09:58 ID:xOu1dW8e
宗麟じゃね?
644人間七七四年:2008/12/25(木) 17:12:31 ID:0HrxbW9k
聖夜に心温まる愛の話

武田信玄の御持僧を務めていた円昌坊教雅という人が1576年(信玄死後3年)に、彼の友人に宛てた文書

拙者が武田に勤めていたとき、信玄は彦吾郎(フルネーム不明。おそらく一門衆)にのめりこみ、拙者を侮辱しだした。
(彦吾郎の讒言かと思われる)
拙者は我慢ならず寺に帰ったのだが、その後聞いたところによるとなんと信玄は拙者を調伏という手に訴えて呪い殺そうとしたそうだ。
そんな意地の悪いことをしているから、本来は65まで生きられたものを、13年も寿命を縮め53で死んでしまった。哀れなお人だよ。
(歴代古案 所収文書より。文の訳は一部、鴨川達夫氏著・「文書に見る戦国大名の実像」より抜粋)


愛する人の為ならどんな手も使える真の漢・信玄公。
645人間七七四年:2008/12/25(木) 20:04:41 ID:yL59nDkL
>>640
蛸の足切ればよかったのにな
646人間七七四年:2008/12/25(木) 20:05:02 ID:uzUPnzHK
>本来は65まで生きられたものを
これって「あなたの寿命65まで」みたいに言われたことがあったのだろうか?
それとも「無茶な理由で呪うと寿命が13年…」みたいな話があったのか。
647人間七七四年:2008/12/25(木) 20:15:15 ID:n0El7Z/U
>>644
やっぱ、わら人形に五寸釘?w
648人間七七四年:2008/12/25(木) 20:27:16 ID:oVRBARmE
>>646
原文には「武信の命期(めいご)は六十五にて候き、十三年命をつづめ候」とあるから
あなたの寿命は〜 とあらかじめ言われていた可能性もあると思う。
教雅自身が占いかなんかでそう予想してたのかもしれない
649人間七七四年:2008/12/25(木) 20:56:49 ID:G43rdRpa
信玄にあと13年の寿命があったら戦国史はどう変わっていたことやら
650人間七七四年:2008/12/25(木) 21:28:49 ID:GNeXP7Jo
流石に変わらないだろ
651人間七七四年:2008/12/25(木) 21:30:10 ID:x7hOPVoG
織田の東の圧力が強まるぐらいか
もしかしたら徳川滅亡してるかもしれないが
652人間七七四年:2008/12/25(木) 22:37:22 ID:z90pjfT5
>>647

拙者の五寸釘が貴殿の・・・
653人間七七四年:2008/12/26(金) 00:04:43 ID:toSN/vQq
>>649
わからんけど、少なくとも信長はもっと苦労する羽目になったろうね。
家康は・・・・涙目としか。

654人間七七四年:2008/12/26(金) 00:12:52 ID:t9ZMsFqg
>>652

アーッ!!
五寸釘ってそっちかよw
655人間七七四年:2008/12/26(金) 02:23:08 ID:+0FpMWSI
家康が病に臥せっていた時の話である。
見舞いに訪れた藤堂高虎は
「私も老いました。そして私の見るところ後継ぎの高次には伊勢・伊賀を治めるだけの器量がありません。
私の死んだ後は速やかに国替えをお申し付けますように」と言った。

それを聞いた家康は、
「それは許さん。たとえお前が死に、高次にその領地を治めるだけの器量がなかったとしても
お前が長年にわたり育ててきた家臣共がいるではないか。国を治められぬと言う事はなかろう。
我が家があるかぎり未来永劫、伊勢・伊賀は藤堂家のものである」と言った。

この一言のおかげで藤堂家は明治維新まで減封、転封が一切なかったという。

この話自体はいい話に入るかも知れんが、この話には続きがある・・・
656人間七七四年:2008/12/26(金) 02:23:49 ID:+0FpMWSI
・・・時は流れて寛永4年
加藤嘉明は満足げにひとりごちていた。
関ヶ原で加増されてから、25年もの長きに渡って築いていた松山城が、もう少しで完成と言うところまでこぎつけたからであった。
嘉明「長かった・・数々の天下普請の合間を縫ってコツコツと続けてきた城作りもようやく完成が見えてきたな。
今治よりも、篠山よりも、伊賀上野よりも、津よりも立派な城がもうじき完成するわww」


そこへ使者が飛び込んでくる
使者「お喜びくださいませ、加藤左馬助様は会津40万石に加増転封が決定いたしましたぞ」
嘉明「なんと!!なぜだ?」
使者「大御所様(秀忠)は最初は藤堂和泉守様に転封を命じましたが、権現様のお言葉があると言う事で辞退なされたそうです」
嘉明「・・・・して何故この私が?」
使者「なんでも和泉守様がご推薦なされたとか言う話で御座います」
嘉明(なに!?高虎が・・・だと?この俺が心血を注いで作った松山城が完成間近なのを知って、会津に飛ばそうと言うのか?そうはいかん!)
嘉明「この話、お断りします」
使者「な、なにゆえで御座いますか」
嘉明「私も年老いたし、家中には武勇の士も絶えて会津を治めるほどの力はないからでございます。大御所様にそうお伝えくだされ」

しかし、その願いは受け入れられず、嘉明は城の完成を見ることなく、泣く泣く会津へ赴くこととなる。


その頃高虎は
「うはww孫六wwざまあwwwあんな寒いトコになんか行きたくないわなwww
ご立派なお城も完成間近だったのにwwwwwwくやしいのうwwwくやしいのうwwww
それにしても権現様のお言葉ってやつは効果抜群だなwwwwww」m9(^Д^)プギャー
とか言ったとか言わなかったとか。



いい話スレで既出の話だが、見方を変えると悪い話になるというおはなし
657人間七七四年:2008/12/26(金) 02:29:22 ID:69ee0dAC
その後松山城入りしたのがあの蒲生氏郷の孫である蒲生忠知だったり…
658人間七七四年:2008/12/26(金) 04:52:19 ID:lJYaR6I2
つーか、東北の最重要拠点である会津を馬鹿にした話でもあるな。
どうもこの逸話は、東北への蔑視が基礎にあるように感じて好きになれないんだよなー。
659大人の名無しさん:2008/12/26(金) 07:40:14 ID:3GwXry3V
九州在住のオレからすれば、寒い東北転勤なんて悪夢でしかない
660人間七七四年:2008/12/26(金) 07:54:44 ID:EMXcGv3w
>>658
元々寒いとこの人じゃないからねえ
661人間七七四年:2008/12/26(金) 09:44:49 ID:mMvyf5r1
>>658
まあ仕方ないんじゃないか。現代はともかく、当時は東北ってほんと米が取れにくい土地柄だし。

表高で加増ったって素直に喜べないよな。
662人間七七四年:2008/12/26(金) 09:55:15 ID:KRitudhH
会津に転封されて4年後に死んでるんだよな嘉明
やっぱ25年も心血注いで築いた城を完成目前で掠め取られたのがショックだったんだろうか
663人間七七四年:2008/12/26(金) 11:21:51 ID:0POti0BX
同じ北国越後から会津に入った上杉でさえ
「耕せる土地がNEEEEE!」って困ってました。
664人間七七四年:2008/12/26(金) 11:43:27 ID:qz2iX0Qf
東北は山ばかりで平野が少ないんだよな。
俺は岩手の沿岸部の出身で、そういうと
「いいところだ」
とお世辞を言われるんだが、実際は海と山に囲まれた
わずかの平地に人間が住んでいるに過ぎない。
耕せる土地が少ないから、意外と農家も少ない。
クラスで1人程度じゃなかったかな。
665人間七七四年:2008/12/26(金) 12:00:47 ID:R7uzhAB+
畿内と東北じゃ、生産力に絶望的な差があるし
当時の畿内人が東国を蔑んでたのは事実だから、美談じゃないぶん、本音を写してるんだろう
南部信直も馬鹿にされてホームシックになってたが…
666人間七七四年:2008/12/26(金) 12:26:32 ID:9Sxrh9g+
ってか老齢に雪国は辛いだろ…
歳食ってくると暖かさを感じなくなっていくのにその上雪国じゃ体に良くないわな
667人間七七四年:2008/12/26(金) 12:32:39 ID:1Uk+kjDn

【凄く反省してます】

関ヶ原後、徳川に反抗した真田昌幸・信繁は真田信之・本多忠勝(井伊直政・榊原康政との説も)の助命嘆願により死一等を免ぜられた
家康は高野山への蟄居謹慎という流罪を決める
しかし高野山は女人禁制…

「ヤダヤダ!奥さんと子供と離れるの絶対 イ ヤ 〜 ! 」

結局、九度山に配流替えとなる
昌幸は妻を信之に預け、頑なに随行を求める数名の家臣を伴って
信繁は正室と側室二人、息子一人(一説には二人)と娘二人を伴って…

九度山での生活は窮乏を極めた
流罪なれば当然である
信之からの援助が彼等の生活を助けていた
それでも足らずに昌幸は真田紐を編んで生活費の足しにした
何故ならば…

「で、何人目じゃ?」
「こちらに来てから5人目です」

九度山配流中に信繁は息子4人(内二人は大阪落城後に出生)娘5人をもうけた
食い扶持が増えれば生活費が嵩むのは当然である

「謹慎の意味を知っとるか?」
「(∩゚Д゚)アーアー聴〜こ〜え〜な〜い〜」
668人間七七四年:2008/12/26(金) 12:33:56 ID:v3AaYcCc
貧乏子沢山

他にすることが無かったんだろうな・・・
669人間七七四年:2008/12/26(金) 12:42:37 ID:apiIL3Ah
自分も岩手(ただし内陸)の出身だけど、この時代の常識考えれば
この手の話における飛ばされる側の反応は仕方ないよなーと思える
戦国生きた人間なら、米の生産=大人数を養う基本=国力という感覚なんじゃないかな

高虎や加藤嘉明の生きてた時代ぐらいだと
まだ「風土に合わせた特産物で産業奨励」という発想にまでは至ってないのか、
とも受け取れるから興味深い
あ、実際どうだったのかは知らん。すでにそういう風潮があったっていうならすまん
670人間七七四年:2008/12/26(金) 13:58:49 ID:t9ZMsFqg
>>661
あれ…江戸時代の江戸近辺の米は東北産だって聞いてたけど…
671人間七七四年:2008/12/26(金) 14:30:05 ID:p7x6Ttuy
転封ってさ、なついた領民と別れるっていう面でも嫌だって話を聞いたことがある
新領地では前領主とくらべられたりするとかなんとか

税制や法制、習慣等細かな違いやらなんやらを
前の殿様はどうたらとか言われちゃうんだぜ
ましてや会津なんて前の殿様がチート野郎の
蒲生や上杉だろ
心労も半端ねぇと思う
672人間七七四年:2008/12/26(金) 14:37:37 ID:xfenYw8f
領民的にはどっちも大した領主じゃない気もするw
673人間七七四年:2008/12/26(金) 14:47:18 ID:v3AaYcCc
蒲生はともかく上杉は・・・
674人間七七四年:2008/12/26(金) 15:39:11 ID:gh8BgmOp
>>667
兄ちゃん、こいつ一回ぶん殴んなきゃだめだ
山手さんは昌幸が死んですぐお亡くなりになったみたいだし仲はよかったのかしら
675人間七七四年:2008/12/26(金) 15:56:35 ID:cmq6wA9+
>>670
それは東北産というか、仙台産じゃないかなあ
仙台平野と、会津や仙台以北の米の生産力は雲泥の差があると思う
(山形あたりはどうだか知らないが)

関係ないけど、なにかの本で
「日本人の米に対する執念はすさまじい。
明らかに水稲栽培の向いてない東北地方でも稲作やるんだっていって
本当になんとかしたんだから」
ってのを読んだ
米ありきっていう考え方は、戦国〜江戸に培われたもんなのかね
676人間七七四年:2008/12/26(金) 16:00:51 ID:lJYaR6I2
>>675
米がいろんな価値の中心なのは、少なくとも平安時代からだね。
農民の側の価値観からして、米栽培こそが農作の本道って意識があった。

まあ、何故なら経済的に一番高く売れるのが米だったから、らしいのだが。
江戸期はむしろ、米以外の作物栽培が奨励され、農民が米を作らなくても
生活できるようになった時代。
677人間七七四年:2008/12/26(金) 16:07:46 ID:csemcjlH
>>671
越後は米よりも青そと日本海交易と金山銀山の売り上げが
凄かったから越後から切り離されて上杉マジ涙目。
(謙信の代では金山運営はあまり関係なかったけど
景勝の代では佐渡の金を別にしても日本一の産出量)
上杉が越後に固執したのも頷ける。
青そ栽培は米沢に移って以降も奨励して
しまいには米沢から越後に青そが輸出されるようになっとる。
678人間七七四年:2008/12/26(金) 18:42:55 ID:0POti0BX
会津にはなんか特産品なかったんか?
葦名もあんま内政面評価聞かないが。
679人間七七四年:2008/12/26(金) 20:37:23 ID:F/ouuDU7
暴走

朝倉義景滅亡後、越前では前波吉継が権力を握った。信長より越前守護代に
命じられたのである。彼は名前も桂田長俊と改め、一乗谷を本拠とした。

これに反発したのは、富田長繁である。彼は前波からわずか一日遅れで織田軍に
寝返り、朝倉攻めでも粉骨砕身した。彼もまた、名乗りを富田長秀に改め、府中を
与えられそれなりに遇されていたが、前波との差がとにかく面白くなかった。

まもなく前波改め桂田長俊は眼を病み、瞬く間に失明してしまった。
これを好機と捉えた富田長秀は、越前国内の一揆をそそのかし、桂田の拠る一乗谷に
共同で攻め入った。失明のため満足に指揮も取れず桂田長俊は一族とともに滅亡した。
これが天正2年1月20日のこと。

それから4日後、1月24日。富田長秀はこれも義景滅亡時に織田に降った魚住景固
を朝食に誘った。魚住は次男彦四郎と共に赴いた。食事が終わり、酒を酌み交わした
ところで、今度は義景秘蔵の中村太刀をご覧に入れよう、といって奥へと案内する。
魚住が何の疑念も抱かず太刀を見に行くと、いきなり斬りかかり首を落としてしまった。
驚いた彦四郎が刀を抜きかけたが、これも斬殺。
翌日、鳥羽の魚住館に攻め寄せ、残る長男の彦三郎も滅ぼした。

わずかのうちに、義景の元重臣の家を二つも滅ぼしたのである。

富田長秀は、弟を岐阜へ人質に送り、信長から越前守護の朱印をもらったと吹聴したが、
嘘か真かはわからない。

富田長秀が魚住を殺した頃、一揆も他の旧朝倉家臣を個別に攻撃し始めた。
2月に入ると、一揆と富田長秀の手切れとなり、富田の与力である増井、毛屋の二人が
一揆に攻め殺された。
2月14日、ついに富田長秀と一揆の戦いが始まる。富田は敵陣に突っ込み大軍の一揆
勢を蹴散らしたが、何を思ったのか、近くの山で形勢を観望していた朝倉景健・景胤の
軍勢にも襲い掛かった。(もう誰が誰だかわからなくなったか?)

見る者全てを敵と看做し攻撃する富田に呆れ果てたか、富田陣中にいたこれも朝倉の降将
である小林吉隆がいきなり背後から鉄砲で富田を射殺、首を挙げた。

桂田長俊滅亡からわずか20日余、義景滅亡からおよそ半年。
越前を血に染めて太く短く生きた富田長秀、享年24歳。

鮮やか過ぎて、何かすかっとした感じがする生き様です。
680人間七七四年:2008/12/26(金) 21:20:00 ID:pFD7Tabz
24歳!
しかし何というか戦国時代をよく表した青年だな。
681人間七七四年:2008/12/26(金) 21:22:18 ID:STgjDXjG
ぜったいヒャッハーて叫びながら人を殺してたよなコイツ
682人間七七四年:2008/12/26(金) 21:49:34 ID:EMXcGv3w
実力あるキチガイはマジでタチが悪い…
好きな武将だけどw

小林吉隆は自らの卑怯な振る舞いを恥じてその後隠遁したんだっけ?
従ってるときはさぞや胃が痛かったろうなあ
683人間七七四年:2008/12/26(金) 21:59:49 ID:+SArt3TJ
もう少し長生きしたら四天王並みに逸話を残したかも知れんw

しかし義景の治世が続いてたら出世は出来なかったろうな
684人間七七四年:2008/12/26(金) 22:56:47 ID:3PSCjPh1
主家滅亡直後に同じ主君を戴いた家臣同士で殺し合いか。
恐ろしいな。
685人間七七四年:2008/12/26(金) 23:58:25 ID:0ItkL0TT
鬼武蔵の初陣

1574年、伊勢長島の一向一揆討伐に向かう織田軍の中に一人の若武者が居た。
彼の名前は森長一。数え年で17歳の森少年は織田信忠の部隊にいた。

やがて進軍するうちに信忠の部隊が一向衆と交戦に入る。
その時、信忠の近くに居た森少年は信忠の独り言を耳にする。

信忠「アイツ等邪魔だなぁ…(ボソッ)」
これを聞いた森少年はこそこそと持ち場を離れると小舟に乗り込み自分で舟を漕いで対岸へと上陸した。
…一向衆だらけの対岸へと単身で。

小舟から降りると目に付く連中から手当たり次第に斬りかかり始める森少年。
一向衆もまさか小舟で一人で乗り込んで来るアホが居るとも思わず流石に混乱状態に。

その頃、対岸が騒がしいなと思ったら森少年が消えている事に気づいた森家家臣団の皆さん。「なんてこったい」と大慌てで渡岸。
先に乗り込んできた変なガキに面食らっているうちに
血相変えた森家の皆さんの攻撃を受けた一向衆は混乱しながら撤収。
こうして信忠が目障りに思っていた一向衆は片付いた。

この時、森長一は初陣にして27もの首級を挙げたという。
686人間七七四年:2008/12/27(土) 00:01:32 ID:do1rdGr+
信忠の言葉とかは後付で実際には早く人斬りたいから単身で乗り込んだんじゃないかこれw
687人間七七四年:2008/12/27(土) 00:05:09 ID:n225EvTA
凄いな。真似しようと思っても普通できないよ
688人間七七四年:2008/12/27(土) 00:27:08 ID:bBYOBzey
なんというリアル戦国無双w
689人間七七四年:2008/12/27(土) 00:32:02 ID:iGvMrfu1
蘭丸より長可をだすべきだなw
690人間七七四年:2008/12/27(土) 00:58:54 ID:3q9kTAk3
荒武者とかそういうレベルを超えてるな
信長が別格扱いするのも頷ける
691人間七七四年:2008/12/27(土) 01:27:06 ID:lWJ1beSA
マジで無双の世界だなー
こんな奴が実在したのかw
692人間七七四年:2008/12/27(土) 02:11:28 ID:AbtqFBcN
こんな奴でも鉄砲で殺されちゃうんだなww
693人間七七四年:2008/12/27(土) 02:22:08 ID:999biUfs
鉄砲に殺されたんじゃなくてそろそろ天国で暴れたいから死んだふりを。。。
694人間七七四年:2008/12/27(土) 02:38:37 ID:OM1ZodMa
鬼武蔵は現代に生まれていたら、バリバリの営業マンで
他社はおろか自社の別部門やついには同僚の受注まで
強引に横取りする、辣腕だが憎まれ者イメージ。
細川忠興はおぼっちゃんで温厚そうな
エリートリーマンだが、家に帰ればDV男。
伊達政宗はみのもんたばりに空気が読めるテレビ司会者。。
こんなイメージがある。
695人間七七四年:2008/12/27(土) 03:18:32 ID:usfES8RX
秀忠、信之、市松=木下博勝or佐々木健介
嫁達=ジャガー横田or北斗晶
696人間七七四年:2008/12/27(土) 04:35:21 ID:10KCYVNY
>>685
人間捨ててやがるw
697人間七七四年:2008/12/27(土) 07:51:51 ID:do1rdGr+
>>694
家久は?
698人間七七四年:2008/12/27(土) 08:04:47 ID:9K28RCrB
>>697
父親である社長のつくった財産を趣味のために使い込むDQN御曹司。
699人間七七四年:2008/12/27(土) 10:39:28 ID:9vi8UcUx
>>694
カノッサネタだけど独眼流タモリでおk?
700人間七七四年:2008/12/27(土) 11:40:10 ID:KYsVSV7c
>>699
www
701人間七七四年:2008/12/27(土) 12:42:49 ID:RIIhWHUv
>>670
実はDQ眼竜政宗や伊達さんの功績なんだよな。
仙台で開墾しまくって、表高より大幅に収穫量増えた米を江戸に売っていたんで
702人間七七四年:2008/12/27(土) 12:59:45 ID:y2RDjlcs
というより子々孫々開墾し続けた結果だね。
伊達氏全体の功績なんで個人に帰すもんじゃない。
703人間七七四年:2008/12/27(土) 13:17:27 ID:5KrrEOIb
>>702
ちゃんと伊達家全体を評価してるように見えるんだが
>DQ眼竜政宗や伊達さんの
704人間七七四年:2008/12/27(土) 13:42:33 ID:FkPlUXh9
秀吉が秀次を憎んだ理由


ある時の事、聚楽第の奥で大切に飼われていた猿が、どういうことか檻を抜け出し、たまたま近くを
通りかかった秀次の愛妾の一人を、後ろから襲った。

この人は御小督前(おごうのまえ)と言い。大変な美女であったがそれだけではなく、武芸にも優れ、
男にも勝る胆力を持つともっぱらの噂であった。
この時も彼女は少しも騒がず、後ろから抱きついてきた猿の肘を締めると、その痛さに猿は気を失い、
御小督前はそのままその場を逃れた。

少しして肘を痛め失神した猿が見つかり、その事が秀次に報告された。大切にしている猿である、
何者の仕業かとすぐに取調べが行われたが、御小督前が「わたくしです」と、申し出、これこれと
理由を語った。
それが嘘かまことか、彼女の前に件の猿を連れてくると、御小督前を見たとたんおびえ恐れた。
これにて偽りなしとわかり、御小督前は許され、このことは聚楽第での大きな話題となった。



そしてそれは、秀吉の耳にも入った。

「関白は、猿を飼って女どもになぶりものにさせておるのか…。」

もちろんゆがんだ形で。

「これはわしの幼名が猿ゆえ、わしをなぞらえての事であろう…。
わしを女にいたぶらせて喜んでいるとは…おのれ秀次!」

後に秀吉が三条川原で秀次の妻子、子女まで三十余人を斬首したのは、この一件以降、
秀次のみならす、その女中たちまで深く憎んだ事によるそうだ。
705人間七七四年:2008/12/27(土) 13:47:22 ID:5KrrEOIb
>>704
面白かったけど

「わしの幼名が猿」

この部分おかしくないか?
706人間七七四年:2008/12/27(土) 14:02:04 ID:FkPlUXh9
>>705
そこはこの逸話の原典の、続武将感状記の記載に準拠したので、
あんまり突っ込まないでくださいw

秀吉の幼名って実は、信憑性のあるものは一切伝わっていないしね。
707人間七七四年:2008/12/27(土) 15:05:43 ID:d7hJmnEI
藤吉郎の前は何て呼ばれてたんだろうな
708人間七七四年:2008/12/27(土) 15:12:38 ID:usfES8RX
>>707
日吉
709人間七七四年:2008/12/27(土) 17:01:53 ID:kXAzeYI/
>>708

それはどうも太閤記の創作っぽいって事で
現在は定説無し。
710人間七七四年:2008/12/27(土) 17:35:05 ID:6FosQ33E
どこまで猿っぽかったのかな?
禿鼠って呼ばれてたって話もあるし、実際はどんな感じだったんだろ
711人間七七四年:2008/12/27(土) 17:38:35 ID:5KrrEOIb
>>709
自称太陽の子だもんな
太陽=日+藤吉郎の吉で日吉でしょ?
かなり嘘くさい
712人間七七四年:2008/12/27(土) 18:01:17 ID:HqI+4l0y
>>711
それもあるかも知れんが、どっちかというと日吉大社=猿田彦だと思うんだよね。
「猿」というあだ名も、実は秀吉自身が自分でつけたんじゃねーかと。
713人間七七四年:2008/12/27(土) 18:34:13 ID:10KCYVNY
>>710

腐れ鼠への面当てなら、鼠を大量殺戮すればよかったんだよw

穀物を守るためにやりました、と言い逃れもできるだろうしw
714人間七七四年:2008/12/27(土) 18:45:55 ID:Kipu66Xe
信長からは禿げ鼠とは言われていたけど猿とは呼ばれてなかったと聞いたけどな。
715人間七七四年:2008/12/27(土) 19:04:51 ID:5KrrEOIb
>>712
なるほど
ぐぐったら面白いサイトを見つけた
日吉大社を意識してたのは確からしい
ttp://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_hie.html
716人間七七四年:2008/12/27(土) 19:55:12 ID:wb5MTOG7
>>714
禿げていて身長が低い男と言った所か
717人間七七四年:2008/12/27(土) 20:03:58 ID:FkPlUXh9
とりあえず、羽柴秀吉時代に、宣教師や毛利家の記録に「猿に似ている」ってのがあるので、
実際に当時から猿呼ばわりされていたのは間違いないようで>秀吉
718人間七七四年:2008/12/27(土) 20:16:12 ID:v9LpJJsR
家臣たちよ、妻を隠せ!
女たらしのハゲ鼠が帰ってきたぞ!!
719人間七七四年:2008/12/27(土) 20:22:41 ID:RIIhWHUv
>>293
蛍大名京極さんカワユス

あれでも「バサラ」佐々木道誉とかの縁なんだぜー
にしても近江源氏は支族よっけおるね・・・
720人間七七四年:2008/12/27(土) 21:16:12 ID:RIIhWHUv
>>521
きちく寛(なぜか変換できn)もモチーフにした「形」ネタやね。槍中村だっけ
721人間七七四年:2008/12/27(土) 21:36:16 ID:bBgORpvh
>>714
信長が出した書状でおもいきり文頭から「猿帰り候て〜」て秀吉の事書かれてるよ
宛名が長岡兵部大輔(細川幽斎)、惟住五郎左衛門(丹羽長秀)、滝川左近(一益)、
惟任日向守(光秀)のやつ
722人間七七四年:2008/12/27(土) 21:43:22 ID:BVlGfYjj
>>718
カエサルなら笑って済ますけど秀吉に言うと殺されるだろw
723人間七七四年:2008/12/27(土) 21:45:07 ID:FkPlUXh9
まあ、信長の付けた「ハゲ鼠」が独創的(もしくはあだ名として酷すぎ)だっただけで、基本的には
誰が見ても第一印象が「うわ、猿だ」って容姿だったようねw>秀吉
724人間七七四年:2008/12/28(日) 00:35:22 ID:MyyPcZhH
>>718
カエサルと腐れはげ鼠の違うところは、自分の魅力か権力による力ずくかの違いだw
725人間七七四年:2008/12/28(日) 00:37:04 ID:Qoev2pa3
中川清秀は秀吉に正面切って「猿め!」と言い放った事がある。するとこうなる。

1582年、山崎の戦い
最前面に配され明智隊と正面からがっぷり四つ。消耗度大。

1583年、賎ヶ岳の戦い
 戦 死
726人間七七四年:2008/12/28(日) 00:39:13 ID:xv/zPGOg
>>725
そういえば賤ヶ岳の時の中川は、高山右近にはめられた、って説があるな。
727人間七七四年:2008/12/28(日) 01:35:27 ID:omx2MqbP
まあ個人的な遺恨か自分(羽柴政権)に反抗的な分子の粛清か、あるいは
その両方か、といろいろ考える事はできるけどな。
728人間七七四年:2008/12/28(日) 01:39:48 ID:Qoev2pa3
賎ヶ岳で死んだのは偶然だと思うがなw

かなり奥面に配置されていたのに死んでしまった。
729人間七七四年:2008/12/28(日) 01:43:13 ID:xv/zPGOg
良く家康が、大阪の陣に至る過程で、豊臣恩顧の大名が都合よく死んだ、なんていわれるけど、
実は秀吉も天下取りの過程で、「信長恩顧」は都合よく次々と死んでいるんだよね。

まあ、天下人になるための「運」とは、そう言うものなんだろうな。
730人間七七四年:2008/12/28(日) 01:46:29 ID:K49GdaWf
直家「ぼくも運は良かったよ!」
731人間七七四年:2008/12/28(日) 07:41:59 ID:xolXq4w5
松永久秀「主家の有力者たちがいつの間にか死んでいました」
732人間七七四年:2008/12/28(日) 07:46:49 ID:bicA+F9P
元就「勝手に周りが弱体化していきました」
733人間七七四年:2008/12/28(日) 09:03:26 ID:WgfTCvW0
>>730
>>731
>>732

お前らww
734人間七七四年:2008/12/28(日) 10:07:30 ID:z5VTXpja
織田信長の娘に永姫と言う名の姫がおりました
彼女は後の加賀藩主前田利長に嫁ぎ夫婦仲も良好
が、二人は子宝に恵まれませんでした
唯一生まれた娘は早世
嗣子がいなければお家の存続もままなりません
結局、利長は弟利常を養子にして前田家を継がせました
永姫には相当のプレッシャーがかかっていたのでしょう
利常の生母で利家側室の寿福院が利長生母で利家正室の芳春院と仲が悪かったとされる事も影響しているかもしれません
前田家の文章には
「どんな女でも良いから夫の子を生んで欲しい」
との永姫の悲痛な発言が残っています

御家第一、そんな戦国女性のお話


芳春院は賢妻とされているのでマイナスイメージのある寿福院との対立は創作では抹殺されている
まあ、他の側室とは仲が良かったらしいけどね
歴史という物の悪い部分
735人間七七四年:2008/12/28(日) 10:14:29 ID:MyyPcZhH
>>734
露出狂の利常はなんやかんやで芳春院血統を冷遇したわなw
736鼻毛の殿茶魔か:2008/12/28(日) 10:55:13 ID:ybm5eBCO
>>735
ともだティンコー! とフラッシュ(露出)して幕閣にも恐れられたという

だが加賀百万石の外様大名に対する警戒感は和らいだ……のか?
737人間七七四年:2008/12/28(日) 11:14:13 ID:PyzU9aze
738人間七七四年:2008/12/28(日) 11:51:07 ID:ybm5eBCO
> 737
DQ9? 「DQN九大天王」の略でしか。
739人間七七四年:2008/12/28(日) 12:01:30 ID:Qoev2pa3
9人選抜してみようか

森長可
伊達政宗
細川忠興
島津家久(忠恒)
福島正則
豊臣秀吉
織田信長
水野勝成
大友宗麟

こんなところか
740人間七七四年:2008/12/28(日) 12:09:18 ID:qCjVwgRK
福島か輝元かで悩むな。
他の面子はガチなんだか・・・。
741人間七七四年:2008/12/28(日) 12:41:22 ID:50KqSsRF
富田長繁と森長可と福島正則を陣中に並べたい
742人間七七四年:2008/12/28(日) 12:44:45 ID:O4FZVo/f
まとめ見てると忠恒の話が割りと少ないな
義久長女の亀寿いびった話は有名だが次女の新城への嫌がらせも相当なモンだw
743人間七七四年:2008/12/28(日) 12:45:27 ID:jgzFrhXW
福島正則は最初に倒された挙句、他の面子から
「ふっふっふ、奴は九大天王のうちでも最弱・・・」とか言われそうだ
744人間七七四年:2008/12/28(日) 13:22:46 ID:GIHgFT8N
誰か書いてたが、富田は覚醒した既知外だな。始末におえん。
745人間七七四年:2008/12/28(日) 13:44:19 ID:ybm5eBCO
>744
越前の富田氏は他(別家)にいい人もいっぱいいるんだが、なんかどっかでゾォーンに入っちゃったんだな……
746人間七七四年:2008/12/28(日) 14:06:11 ID:QFPS+jH1
正則は素面だと激情家の反面、存外物分りが良くて度量を示せる奴だからな。
酒が入ると理性が吹っ飛ぶけどなw
747人間七七四年:2008/12/28(日) 14:08:15 ID:DsF7YfxN
>>743
言われそうというか、その役の為に選ばれたとしか…
748人間七七四年:2008/12/28(日) 14:15:00 ID:50KqSsRF
>>744
味方に裏切られて「良かったー」って思える奴も珍しい
あのまま勝ってたらコトだよほんと
749人間七七四年:2008/12/28(日) 15:43:24 ID:d5cZC3It
富田長繁がDQN九大天王にいないのは突き抜けすぎたからか?w
750人間七七四年:2008/12/28(日) 15:52:25 ID:lhRnSbnN
>>749
DQNたちとは話し合いの余地があるし納得すればちゃんと理性的な行動も取れるが
富田長繁にはそんな余地ないからなw
751人間七七四年:2008/12/28(日) 15:56:25 ID:/nAIdePD
富田長繁は会うだけで死亡フラグ
752人間七七四年:2008/12/28(日) 16:04:20 ID:jgzFrhXW
地位は五車星クラスなのに行動はヒャッハーだからな
753人間七七四年:2008/12/28(日) 16:07:55 ID:MyyPcZhH
DQNの王は誰だYOw
754人間七七四年:2008/12/28(日) 16:28:20 ID:0MqldXou
>>738-739
戦国常識人十傑集も必要になるぞ、それw イイハナシダナースレなら候補がいるかも
755人間七七四年:2008/12/28(日) 16:29:57 ID:5QmjErKu
大晦日には紅白DQN合戦が出来そう。
いや、東西DQN合戦の方がいいか
756人間七七四年:2008/12/28(日) 16:33:57 ID:qCjVwgRK
ん、東西DQNの逸話を交互にレスしてどっちが勝ちかを競うのか?
面白そうな企画ではあるがなw
757人間七七四年:2008/12/28(日) 16:37:33 ID:5QmjErKu
と思ったけど

東の伊達政宗
西の細川忠興

尾張の鬼武蔵がどの陣営に入るかで勝敗が大きく左右されそう
758人間七七四年:2008/12/28(日) 16:38:36 ID:+Ft7FFFg
富田って、このスレにすでに書いてあること以上に、何かとんでもないエピソードがあるわけ?
まとめブログには>>679のしか見当たらないみたいだけど。
759人間七七四年:2008/12/28(日) 16:38:48 ID:Gml/xgZN
>>755-756
そうだ、このNHKホールの観客の首どれだけ挙げれるかで決めようぜ!
と観客席に踊りこむ鬼武蔵と富田の姿が浮かんだ
760人間七七四年:2008/12/28(日) 16:56:25 ID:K49GdaWf
>>754
信之兄ちゃん
鮭様
権現様
蒲生氏郷

あと6人
761人間七七四年:2008/12/28(日) 17:06:57 ID:JAEcrgB8
戦国のDQNスレを新たに立てれば?
このスレのクオリティーがどんどん下がってるし。
762人間七七四年:2008/12/28(日) 17:14:11 ID:Sn+iaYzt
クオリティが下がってるというか、密度が薄くなったよね。
763人間七七四年:2008/12/28(日) 17:14:50 ID:xv/zPGOg
色々あるのが掲示板ですよ。そんな目くじら立てるほどでも。
クオリティーが気になるなら、あなたが思う「クオリティーの高い」逸話を投下すれば、それでいいのです。
764人間七七四年:2008/12/28(日) 17:24:29 ID:ZxDvoxgP
>>742
kwsk!

>>760
あと毛利元就、立花道雪とかいれたいな。
ところでDQNって常識人とセットにするといきてこないか?

立花と大友
伊達と最上or蒲生
とかさ
765人間七七四年:2008/12/28(日) 17:26:08 ID:y/t6ijHW
>>760
名人久太郎
766人間七七四年:2008/12/28(日) 17:33:17 ID:PyE75KIO
>>739
信長は選抜するほどDQNじゃないんじゃないか?w

>>760
鬼作佐とかどうかな?
若かりし頃は激情しやすかった家康を鬼作佐が諫言するってのがいい話スレでは様式美となってるしw
767人間七七四年:2008/12/28(日) 17:38:48 ID:+Ft7FFFg
天下人の母親を焼き殺そうとする常識人…
768人間七七四年:2008/12/28(日) 17:43:26 ID:zM9fPzIP
>>760
島津義久も
769人間七七四年:2008/12/28(日) 17:54:40 ID:/nAIdePD
>>760
北条氏康とか
770人間七七四年:2008/12/28(日) 18:13:45 ID:GIHgFT8N
朝倉義景の立ち位置も確保して欲しい。
771人間七七四年:2008/12/28(日) 18:16:05 ID:ybm5eBCO
>>760 >>764-765
毛利は最上さんと同様、家風でDQN発生率を抑制している感じだな…輝元('A`)
ベッキー(道雪)さんは主君がアレだから武人ぷりがよけい際立つw
名人Q太郎か……織田家中じゃ貴重な人材かもしらん。

鍋島さん家はどうだろう。本人より竜造寺隆信が893過ぎるから相対的にマシに見えるだけか?


>>767
のちのひでよしを考えれば むりもない
772人間七七四年:2008/12/28(日) 18:16:34 ID:hiuYc81M
>>760
武田信繁とか
773人間七七四年:2008/12/28(日) 18:21:52 ID:5QmjErKu
元就は常識人と言うより直家と同じ分類な気がする。
インテリDQNと言うか何と言うか・・・
774人間七七四年:2008/12/28(日) 18:25:00 ID:z5VTXpja
羽柴秀長とかは?
775人間七七四年:2008/12/28(日) 19:33:53 ID:xqSVRLMC
加藤嘉明は常識人というかなんというか
776人間七七四年:2008/12/28(日) 20:43:30 ID:tF2Ya4Hv
この時期は忘年会、年が明ければ新年会など、宴会の多い季節。
不景気に傾きつつある世相もこの時ばかりは脇において楽しいひと時を過ごしたいものです。

時は1593年、前年に開始した唐入りは経過はかばかしくなく士気もいまひとつ
そこでお祭り好きの総大将・秀吉は、名護屋城近郊において大々的な仮装パーティーを催し
景気づけを図りました。
思い思いの扮装をした諸将が堂に入った演技を披露します。

秀吉「おいしい瓜はいらんかいねー」(瓜売り)
丹羽秀俊「お漬物いかがっすかぁ〜」(漬物売り)
織田信雄「ナンマイダーゴジュウマイダー チーン♪」(修行僧)
前田利家「大仏建立の勧進お願いしゃーす」(高野聖)
三上与三郎「はいはいはい社長さん社長さんいいコいるよいいコいるよ!」(茶屋亭主)
秀吉「ム、これは美味い茶じゃ」
蒲生氏郷「極上のお点前にありますれば」(茶の担ぎ売り)
秀吉「ほほう、で、お代はなんぼじゃ」
氏郷「100まんえんになります」
秀吉「( ゚д゚)ポカーン」
一同(爆笑)

こんな和やかなムードの中に現れたある姿に、座は凍りつく。
「一心に念仏を唱えなさい…そうすれば仏になれるのよーんキャハッ☆」

『戦国のIKKOキタ━(;゚Д゚)━(Д゚ )━(゚  )━(  )━(  )━(  ゚)━( ゚Д)━(゚Д゚;)━ !!』

比丘尼に仮装したのは山本昌似ともっぱらの評判の前田玄以。
そのキモさにドン引きする一同をよそにしなを作って説法してまわりご満悦だったとか。

宴会芸は空気を読んで決めましょう。
五奉行のひとり、前田玄以の(気味の)悪い話。
777人間七七四年:2008/12/28(日) 20:52:54 ID:K49GdaWf
有名どころ着たな
げwwwwwwんwwwwwwwいwwwwwwwww
778人間七七四年:2008/12/28(日) 21:33:52 ID:Qoev2pa3
玄子ちゃん…おぇ
779人間七七四年:2008/12/28(日) 23:12:30 ID:jgzFrhXW
不景気な顔してるなぁ玄ちゃん
http://www.tabiken.com/history/jpeg/R/R121R101.jpg
780人間七七四年:2008/12/28(日) 23:33:44 ID:MyyPcZhH
>>776
そんなことしてるから息子が非行(キリシタン)にはしったんだなぁw
781人間七七四年:2008/12/29(月) 00:25:13 ID:NuKfT+wp
>>780なんで倅は切支丹になったんだろうね。そういうエピソード残ってないかなー…

パパンがやたらフランクな坊さんだったのか。よほど厳しく躾けようとして反逆されたのか
782人間七七四年:2008/12/29(月) 00:34:33 ID:wEkevAin
ババアに扮装とかwww
783人間七七四年:2008/12/29(月) 00:51:05 ID:4EZpoSEH
道雪、騙される!

1578年10月大友家は耳川の戦いで島津にやられ衰退する。
筑前では、秋月・原田・宗像・筑紫などが一斉に離反した。
その時筑紫広門は道雪に計略をもって偽り和議申し入れようと、家臣の島珍慶を立花山城へ遣わした。
珍慶は城内渡りの間で道雪と対面した。味方の少ない時、筑前側の申し入れに道雪は喜んだ。
急ぎ珍慶にお膳が用意され、さらに引出物として床上に掛けてあった長盛作の名刀壱振を彼に与えた。
また、筑紫広門への贈り物として大鉄砲10丁、火薬10瓶を 川上まで運ばせて珍慶を見送らせた。
立花山城から刀と鉄砲をせしめた珍慶は博多へ走り市中にある道雪管理の物質貯蔵庫をわざと使用できないようにした。
この変事を博多にいた年寄衆から聞いた道雪は血相を変えて珍慶を追ったがすでに珍慶は味方の武蔵城へ逃げていた。
以後道雪は筑紫広門と戦う時彼を「鉄砲盗人」と呼ぶようになった。

家臣「道雪様ヤツはとんでもない物を盗みました、それはあなたの鉄砲です」
道雪「な、なんだってー!」
784人間七七四年:2008/12/29(月) 02:36:44 ID:nXESr98R
喜びようが尋常じゃ無いなぁw
785人間七七四年:2008/12/29(月) 02:58:09 ID:R9pL630f
>>784
地図にでも描いてみろ
大友家がいかに追い詰められていたか分かるから
786人間七七四年:2008/12/29(月) 05:04:13 ID:gidbdV2W
最終的には数郡程度に押さえ込まれてるんだっけ?
787人間七七四年:2008/12/29(月) 05:52:03 ID:9e/KScuF
そういや大河「天地人」で市松を良純がやるんだよな。どんなのになるのか楽しみだw
788人間七七四年:2008/12/29(月) 05:54:57 ID:JyFtl4fK
>>787
何故か神無月のモノマネで再生されたww
親戚に権力者がいるってのは共通してるね。
789人間七七四年:2008/12/29(月) 08:26:20 ID:nXESr98R
正則「なんだよ〜三成!」
790人間七七四年:2008/12/29(月) 10:12:14 ID:NuKfT+wp
>>783
筑紫広門は後年、高橋紹雲のとこに駆け込んで大友側に戻ったんだっけ。
高橋統増の嫁取り?は既出だったね

向背常なき、ってそのままの筑紫さんでした
791人間七七四年:2008/12/29(月) 14:09:06 ID:8DNhyi9H
そうは言っても自分の価値をちゃんとわかってる点は凄い
秀吉に美姫差し出したり茶器で釣ったりと世渡りは一流だな
792人間七七四年:2008/12/29(月) 14:10:01 ID:YJG/Gwcy
>>783

ベッキーを騙すなんて筑紫、てめぇの血は何味だぁ!
793人間七七四年:2008/12/29(月) 14:32:00 ID:4EZpoSEH
広門「騙される方が悪いのですよ」
794人間七七四年:2008/12/29(月) 14:33:42 ID:EWmtZ4Tv
筑紫さんは騙した相手が鬼武蔵とかじゃなくて良かったよな
795人間七七四年:2008/12/29(月) 14:38:07 ID:fOwoVBv1
広門「武士の嘘は武略」
796人間七七四年:2008/12/29(月) 14:42:43 ID:W15EfCbc
でも筑紫広門って結局最後まで立花や高橋と行動共にして
西軍について改易されたんだよね
黒田長政に娘を側室としておっつけてたり相変わらず世渡り上手そうなのに
なんか不思議だな
797人間七七四年:2008/12/29(月) 15:03:51 ID:4EZpoSEH
おまけ情報として筑紫広門の奥さんは紹運の奥さんと姉妹なんだよな。
798人間七七四年:2008/12/29(月) 15:06:52 ID:fOwoVBv1
東北もそうだが九州も、血縁関係が錯綜しすぎw
799人間七七四年:2008/12/29(月) 16:09:57 ID:jvPqeAfP
九州は島津だけでお腹いっぱい
同じ島津家で結婚しすぎだろjk…
800人間七七四年:2008/12/29(月) 16:30:56 ID:izZtOpW7
>>799
義久たんの奥様は"おば"だからなぁw
801人間七七四年:2008/12/29(月) 16:37:05 ID:/kJAHXGo
筑紫広門と言えば勝尾城での弟・筑紫晴門と
龍造寺隆信の首級を挙げた島津軍・川上忠堅の一騎討ち

決着は相討ちにより双方死亡と伝わっていることが多いが
実際には深手を負いながらも川上忠堅が討ち取った形となった
城攻めの最中であったが晴門の遺骸は丁重に筑紫側に返されたという

その後すぐに川上忠堅はこの時の深手が元で亡くなってしまう。享年29
この忠堅の次男が忠兄である。川上忠兄と言えばそう、関ヶ原の退却戦で
井伊直政を銃撃し落馬させ、「川上四郎兵衛、討ち取ったり!」と大声で叫び
その名を知らしめたことで有名である

…が、実際に狙撃し叫んだのは川上忠兄の郎党・柏木源藤だった。この時22歳。
思わず主人の名を叫んだのは郎党である自分が名を名乗るのは憚られた為ではないかと言わていれる

郎党ゆえの悲哀を感じるちょっと(カッコ)悪いお話
802人間七七四年:2008/12/29(月) 16:48:37 ID:NuKfT+wp
>>796なんか思うところあったんだろうな。
高橋紹雲と立花宗茂の人柄にでも感化されたのか、嫁さんや娘に仲良くしろって言われてたとか。<義や小松さん系の愉快エピソードはないのか?

まあ大友島津の九州争覇は自分と一族の生死に次の日にも関わってくるけど、
海外や天下の穫りあいは他人事で。自分や子息がその場で死ななきゃいいや、って冷めてたのかも。

>>800総領の甚六、賢弟愚兄の見本かといわれつつ
日新の爺様が義久を高く買っていたんだっけ。

わざわざ初名に日新斎と同じ「忠良」名乗らせてるし……

それで娘に嫡孫のドゥーティーを食わせた心情はよくわからんけど((
803人間七七四年:2008/12/29(月) 16:49:43 ID:/kJAHXGo
○思わず主人の名を叫んだのは郎党である自分が名を名乗るのは憚られた為ではないかと言わていれている
×思わず主人の名を叫んだのは郎党である自分が名を名乗るのは憚られた為ではないかと言わていれる
804人間七七四年:2008/12/29(月) 16:54:05 ID:fOwoVBv1
>>803
○と×逆じゃね?w
805人間七七四年:2008/12/29(月) 16:59:57 ID:B3+6Wb/v
言われている

これが正解だなw
806人間七七四年:2008/12/29(月) 17:05:26 ID:/kJAHXGo
訂正したのに間違ってるじゃねえか俺ww
807人間七七四年:2008/12/29(月) 18:34:21 ID:R9pL630f
どこが訂正されているのか、3回くらい読み直したぞww
細かいミスは気にすんな
808人間七七四年:2008/12/29(月) 19:46:15 ID:l4uDTCaP
>>802
>総領の甚六、賢弟愚兄の見本かといわれつつ
派手に有能な弟を持つと地味に有能な兄は損するよなあ…
毛利さんちの長男とか


ついでに言うと、島津義久の第二夫人は鉄砲でおなじみ種子島時尭の娘。
そんな種子島時尭のちょっとばつが悪い話

島津日新斎の娘を娶っていた種子島時尭、
女子二人には恵まれたものの男児にはなかなか恵まれなかった。
そんな中
時尭が嫁に内緒で、当時島津家と敵対していた大名・禰寝氏から側室を迎え
しかも男児まで出来ちゃってたのが嫁にばれてしまった(ノ∀`)

怒った嫁さんは娘二人を連れて実家に帰ってしまったそうなー
809人間七七四年:2008/12/29(月) 19:56:15 ID:of8F0vfQ
              僕らはすっと友達だ!!
  ∩∩      ________ _______  V∩
  (7ヌ)                  V            (/ /
 / /                 ∧_∧             ||
/ /  ∧_∧     ∧_∧  _(´∀` )   ∧_∧   ||
\ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄      ⌒ヽ(´∀` ) //
  \       /⌒   ⌒ ̄ヽ、信之 /~⌒    ⌒ /
   |      |ー、      / ̄|    //`i 義久  /
    | 信広 | | 隆元 / (ミ   ミ)  |    |
   |    | |     | /      \ |    |
   |    |  )    /   /\   \|       ヽ
   /   ノ | /  ヽ ヽ、_/)  (\    ) ゝ  |
   |  |  | /   /|   / レ   \`ー ' |  |  /
810人間七七四年:2008/12/29(月) 20:22:13 ID:Z0St9hj7
義久は認めてやれよ…
合戦での知名度は弟達に劣るが内政的にも教養的にも兄弟一だぞ
あの家は兄弟で分業されてるんだし
811人間七七四年:2008/12/29(月) 20:27:30 ID:yw+i+xaq
>>809w スットて なんやねんw

>>808相当な大金出して鉄砲をガメたのは、嫁の実家に攻められるという恐怖の反動か?!

しかし思慮深くて大人しかったて、武家のそれも若いウチは余計に目立たんよな義久。
ただでさえヤンチャで武略絶倫な弟や知謀キレまくりの弟が合戦に出てはジャンジャンバリバリ活躍すんだから・・・
老成して、しかも島津家が大きく伸張したからようやく認められたのであった。まあ目出度い話だな。

……毛利隆元もマジそんなかんじやね。大内義隆の元で優雅な人質生活を送った影響も大きいだろうが
けど厳島の合戦では無茶苦茶勇敢に戦ったて話もあるんだよな、
風雨と波浪にビビって逃げ出そうとする郎党のケツを蹴飛ばすようにして、真っ先に舟に乗り込んだとか
812人間七七四年:2008/12/29(月) 20:35:23 ID:of8F0vfQ
初陣で上杉撃退したらしいし、第一次上田合戦には参加してる
なのに弟の評価のせいで中途半端に日本史知ってるようなやつには裏切り者とか言われてるんだぜ?
親父と弟の尻拭いもしてやったというのに…
813人間七七四年:2008/12/29(月) 20:38:28 ID:fOwoVBv1
毛利隆元もホントに優秀だよ。
急死した時、隆景は文字通り錯乱したし、毛利家自体も財政を回してくれる人間がいなくなって
大混乱した。
814808:2008/12/29(月) 20:57:26 ID:l4uDTCaP
むむむ808ですが何か語弊を招く言い方をしてしまった気がするので
追記させてくれ

「派手に有能・地味に有能」っていうのは
有能さの度合いを指して言ったつもりでなくて
派手に有能→合戦向きに有能
地味に有能→内政・外交向きに有能
って言う意味なので、そういう風に読み変えて下さい

個人的に島義久とか隆元とか、能力の割に
不遇なお兄ちゃんズはもっと評価されてほしいと思うわ…(´・ω・`)
815人間七七四年:2008/12/29(月) 21:04:00 ID:Z0St9hj7
島津で不憫なのは家久だろう
自分のほうが本家なのに厨二と同一視されてるんだぜ?
816人間七七四年:2008/12/29(月) 22:13:39 ID:i3zetSJa
四兄弟で一番は歳久だと思うけど。
もうちょっと畿内寄りに生まれてたら小早川隆景になれた
817人間七七四年:2008/12/29(月) 22:47:19 ID:3400oSiD
>>814
なにがむむむだ!
818人間七七四年:2008/12/29(月) 22:56:12 ID:NuKfT+wp
>>814
ここ見に来るヤシならニュアンスはちゃんと伝わってると思うよ。

人間、空気がないと生きられないのと同じ。武張ったり才気走ってややもすると我の強い弟をまとめるのは血縁や人柄だけじゃない力、一種の政治力じゃないかな。
819人間七七四年:2008/12/29(月) 22:59:44 ID:ubSWlz87
隆元兄ちゃんは歳入を安定させたり兵站に優れていただけでなく
大内家での生活で培われた外交手腕もなかなかのものなんだぜ。

厳島の合戦の後、守護職や官位を迅速に整えられたのも隆元を
通じた大内系の朝廷人脈、幕府人脈あってこそさ。
本来なら1570年くらいから隆元大活躍のターンがあったはず。

以上、死んだ時期がちょっと、いやだいぶ悪かった話。
820人間七七四年:2008/12/29(月) 23:17:26 ID:RGnIA0lh
>>809
ところで左端の信広さんて伊勢長島で死んじゃった信広さん?
821人間七七四年:2008/12/30(火) 00:21:36 ID:2cXCuUzV
信広兄さんは庶兄だから最初から家督を継ぐ権利が無かった。

かわいそうな信広兄さん
822遅レスだが:2008/12/30(火) 00:28:05 ID:wHzdJG+h
>>758下ってから一向一揆討伐で盛大にヒャッハァー!して織田家中に認められたというから……たぶん根切りをやらかしたんじゃね?
まあ富田長繁一人でなくて、当時の織田軍団みなやってたんだけどね。
信長の「まことに気を散じ候」ってヤツ。爽やか〜に一揆衆を37564

>>759俺知ってる。それ、和尚さんが言ってた「阿鼻叫喚」ていう地獄の様だろ...('A`)
823人間七七四年:2008/12/30(火) 00:33:48 ID:yinZqeRp
常識人枠に板倉勝重の推挙を何卒
824人間七七四年:2008/12/30(火) 00:39:05 ID:07pu3Pg/
家臣クラスまで広げたらもっといるかな、地味な長男と派手な次男の兄弟。
825人間七七四年:2008/12/30(火) 00:43:45 ID:QUk8SK90
井伊直勝「病弱だし、父と兄が強烈なので歴史上殆ど印象に残ってません〜。小説やドラマでも
      良くスルーされます〜。でもいい人なんです〜。」
826人間七七四年:2008/12/30(火) 00:57:31 ID:2cXCuUzV
丹羽長秀や金森長近が次男坊だと即座に答えれる奴は相当なマニア
827人間七七四年:2008/12/30(火) 01:11:32 ID:QUk8SK90
「養子のおかげで多少メジャーに成れました!前田利久です。」
「嫁が母上見捨てて逃げたので廃嫡されました。細川忠隆です。」
828人間七七四年:2008/12/30(火) 02:02:39 ID:6lW2lY3B
「兄貴に遺言でお前には家を継がせねえと言われた森忠政です」


その忠政が美作一国を拝領し津山城を築城した時のお話

美作国主となった忠政は、持てる技術の全てを投入して五層天守の壮麗な城を完成させた。
忠政得意満面で城の絵図を幕府に提出。が、丁度その頃江戸城にも五層の天守が建ったばかりだった。

「将軍様と同じ高さの天守建てるなんて森家は何考えてんの?福島家みたいに潰されたいの?」
と絵図を見た幕閣おかんむり。早速老中から呼び出しを受ける忠政。

そんな事も知らずに素直に出頭してきた忠政、天守の事を詰問されて大慌て。
そこで忠政の口から出てきた言葉は
「あーこの絵図間違ってますね。うちの天守五層じゃなくて四層すよ。まさか将軍様と同じ高さの天守なんて建てる訳無いっすよ」
と無茶苦茶な言い訳。だが何故か老中納得してその日は無事にやり過ごせて忠政ラッキー

だが、「一応念の為確認しとくか」って事で結局幕府の使者が津山へ検分へ行く事になって大ピンチ
しかも検分がある事を知ったのは幕府の使者が江戸を経って数日後、もう絶体絶命。

もう俺ダメかもと一度は覚悟した忠政だったが、ふと家臣の中に仙術を学んだという伴という男がいるのを思い出し
「お前あの使者より先回りして津山まで行け。何が何でもあいつらより先に着いて検分の事知らせろ!」と無茶な命令。

その後、何故か使者より速く津山に着いちゃった伴からの知らせで城を急遽突貫工事。
天守四層目の屋根「だけ」切り取り、やけに間延びした四層天守の出来上がり。
ほらこの城屋根4つしかないでしょ?五層の天守なんてうちには無いよ!と使者の目をごまかして、無事に事なきを得たのでありました。


森家の話なので無条件で悪い話の方へ書いてみた




829人間七七四年:2008/12/30(火) 02:41:49 ID:3t8rNmQr
まあかっこ悪い話だなw
830人間七七四年:2008/12/30(火) 02:45:27 ID:2cXCuUzV
仙術使いの凄い話だな
831人間七七四年:2008/12/30(火) 03:01:13 ID:5Te8cK9D
832人間七七四年:2008/12/30(火) 03:57:26 ID:OrWxuWAi
仙術使えるクラスじゃないと森家の家臣はやっていけないんだろうな
833人間七七四年:2008/12/30(火) 04:04:47 ID:zVZXJvl1
>831
カコイイ
834人間七七四年:2008/12/30(火) 04:42:15 ID:y9Ryoh03
柏木源藤のその後

直政の負傷で井伊軍は追撃を停止、義弘主従は九死に一生を得た
井伊軍の追撃を断念させたのは柏木源藤の殊勲と言っても良い
戦後、源藤は義弘の隠居地でもある加治木に主の川上氏と共に移り住んで
子宝にも恵まれ平穏無事に暮らしましたとさ

……とは行かず、『本藩人物誌』によれば
「逼迫して町人にまかりなり、子孫断絶いたし候」とある
源藤は何故ここまで落ちぶれたのか?

『旧南林寺由緒墓志』では、こう書かれている。
「弔死の志をもって墨染の法衣を身にまとい、廻国修行に郷関を出しが、また帰らず、
その終焉の地、果して何処なるか、勇士の末路、憐れにもまた遺憾なり」

勇壮で知られた井伊直政が自分があの時放った銃撃の負傷が癒えずに
一年半後に亡くなったことを知り、悔いたのか哀れんだのかは分からないが
世の無常を感じその後入道となり各地を放浪したと言う


いい話なのか悪い話なのか良く分からないとある郎党の話
835人間七七四年:2008/12/30(火) 08:43:32 ID:Rm2cQLco
熊谷次郎直実みたいなお人だな〜
836人間七七四年:2008/12/30(火) 08:46:05 ID:KVxVhMWC
>>828
>天守四層目の屋根「だけ」切り取り、やけに間延びした四層天守の出来上がり

これ使者は分かってたろ絶対w
津山城って忠興の小倉城を偵察しにいってバレて図面貰って作った城だっけ
837人間七七四年:2008/12/30(火) 08:54:52 ID:3S8BkmB3
>>828
福島家のような不手際やゴタゴタがあるわけでなく、江戸城と同じ五層だったというだけで
取り潰されちゃうのかな?

まぁその気になれば取り潰されちゃうんだろうな・・・
838人間七七四年:2008/12/30(火) 09:53:07 ID:zn4CjfKw
>>837
幕府なんて幕末を除けばその気になればいつでも取り潰す気満々だからな。
839人間七七四年:2008/12/30(火) 10:09:42 ID:wHzdJG+h
>>828神行太保おつ

というか、仙道って波紋法をつかt
840人間七七四年:2008/12/30(火) 10:13:11 ID:Rm2cQLco
先の将軍様も使えたと言う縮地法をつかったんじゃないかな
841人間七七四年:2008/12/30(火) 12:13:24 ID:3jUbagRd
伴「なにが何でも早く着かないと命がないですゆえ」
842人間七七四年:2008/12/30(火) 12:25:29 ID:NdYe4NRh
ロープの反動を利用したんだよ
843人間七七四年:2008/12/30(火) 14:02:10 ID:YhQ6dDET
まぁ幕府の使者つっても急ぎの旅でなし、のんびり行ったんだろな。
早馬を乗り継いでけば割と簡単に追い越せるんじゃね?
844人間七七四年:2008/12/30(火) 14:04:50 ID:nPMuurim
公費だしな
接待とかありそう
845人間七七四年:2008/12/30(火) 14:20:33 ID:lImsXF9H
百段の霊が乗り移ったので
846人間七七四年:2008/12/30(火) 14:21:31 ID:DHDLdsKy
>>845
リアル松風乙
847人間七七四年:2008/12/30(火) 14:21:57 ID:lImsXF9H
いや百段生きてるな。
848人間七七四年:2008/12/30(火) 14:27:35 ID:DHDLdsKy
なんと、大阪の陣両方出てんのかこの妖怪馬
849人間七七四年:2008/12/30(火) 14:31:45 ID:K8wjSXMm
二代目とかじゃ ないよな…
850人間七七四年:2008/12/30(火) 14:40:02 ID:Epq7Hp92
赤兎なんかもそうだけど、ジュニアじゃないのかなあ。
851人間七七四年:2008/12/30(火) 16:23:44 ID:Rm2cQLco
2代目はだいたい造形がちゃちになっているからすぐ分かる
852人間七七四年:2008/12/30(火) 16:47:19 ID:wabmv0wa
>>838
幕末でも慶喜は松平頼徳を改易してるけどね
一部例外を除いて統治機構自体は最後まで機能していたからこそ植民地にならずに済んだ
853人間七七四年:2008/12/31(水) 00:43:13 ID:Nvhgt0Ef
>>825 >>827
岩城親隆「某DQNの伯父の俺を忘れるなよ」
854人間七七四年:2008/12/31(水) 01:16:05 ID:8qM4Kd/I
久秀「DQN四天王?そんな奴等よりもわしの方が凄いぞ」

三好長慶の妻

三好長慶が亡くなる直前のころ松永久秀は長慶の妻である左京大夫局を奪って自分のものとした。
ある日久秀は果心居士を招いて会話をしていた。
その中で「自分は、生きていて一度も恐怖を感じたことがない。そなたの術はわしを恐怖させることが出来るか?」という話になった。
それを聞いた果心は久秀に人払いをさせ、灯りを消した。
すると、突如として雷雨が降り始め、雷がなった瞬間、久秀の目の前に一人の女性が現れた。
それを見た久秀は真っ青になった。その女性は、すでに亡くなっていた左京大夫局であった。
左京大夫局は長慶の名を口にしながら、ゆっくりと近づいてきたので久秀は思わず「もう止めてくれ」と叫んだ。
すると左京大夫局は消え、雷雨は止んだという。

悪い話をダブルで入れてみました。
855人間七七四年:2008/12/31(水) 01:36:36 ID:GuyxrfSY
これに懲りてフェミニストになったんですね。わかります。
856人間七七四年:2008/12/31(水) 04:06:58 ID:TofpZGwC
戦国初期の懲りない止めない諦めない、ミスター3無い運動こと長尾景春。
永正6年(1509)、上杉顕定が長尾為景に敗死し、上杉氏が混乱すると、景春さん、
またもや騒乱の虫が疼き出した!

「今こそ好機!山内も扇谷もぶっ潰すぜ!」

が、兵が足りない。今までの反乱のケチが重なって関東での協力者もいない。
さて、どうしよう?そういえば最近今川の勢力が伊豆まで進出して景気がいいな。
よし!あそこの守護代に一つ協力を頼もう!

景春 「ハロー宗瑞さん!
    で どんな顔ぶれの大物今川武将をよこしてくれますか?」

宗瑞 「それが………
    いいかカゲハル冷静にきけよ
    誰ひとりきみの反乱軍に参加するのをオーケーしない
    幕府の承認すらもない新団体では不安だ
    それに長尾景春の反乱に参加したら最後
    もう二度と鶴岡八幡宮に参拝する事を許さんという」

景春 「ウ〜〜〜ヌ!!
    関東管領のワル幹部どもが
    今川の武将たちに手をまわし圧力をかけたな!」

宗瑞 「どうやらそのようだが
    感情的になったら負けだぞカゲハル
    長尾景春の反乱は立派にやれるッ!
    一人の超大物武将が相模へいき
    扇谷上杉と戦うからな!」

景春 「エッ……そ その超大物とは!?

宗瑞 「わたしだよ
    それとも伊勢宗瑞(北条早雲)は超大物ではないかな?」

景春 「そ……宗瑞さん!(感涙)」


まあ結果、宗瑞さんにおいしいところ全部取りされたんですけどねw
857人間七七四年:2008/12/31(水) 04:22:36 ID:qkEJ3BVe
景春はこの時もう還暦とっくに過ぎてるのに…w

丸くなるという事が終生無かった
858人間七七四年:2008/12/31(水) 04:25:12 ID:AIf2ccRG
プロレススーパースター列伝ネタかよw
859人間七七四年:2008/12/31(水) 06:02:44 ID:U0osLOdS
>>856
越後守護代家の為景パパンもかなりイケイケドンドンな人だったなぁ。

息子のうち、お兄ちゃんは地味で病弱、坊主になりかけてた弟が跡目を継いで武装カルト「マル毘団」の親玉になってしまいますた
860人間七七四年:2008/12/31(水) 07:45:34 ID:Emzv7ZTc
マル毘団w
謙信がいるせいで長尾上杉は清廉潔白な家のイメージだけど、
為景父ちゃんはかなりはっちゃけた人だよなあ。
他の一族から考えても、むしろ謙信が変わり者っぽい。
戦好きの血はしっかり受け継いでるけどw
861人間七七四年:2008/12/31(水) 07:54:17 ID:4NSdVyME
謙信は潔白っていうか、自分が裏切る余裕も相手もいなかっただけって気はする
敵を叩きのめしてすぐ帰る→敵復活→叩きのめすの無限ループな人生だし
862人間七七四年:2008/12/31(水) 08:16:19 ID:vP3UYMA8
謙信は戦後統治能力に欠けるから大きくなれなかったんだと思うけどな。
もうちょっと天下が纏まって秀吉、家康配下に生まれてたら良かったのに。
863人間七七四年:2008/12/31(水) 11:36:22 ID:osVjMOKB
領土欲がなかったとよく言われるけど実際あんまり意識してなかったんだろうな
越後一国だけで分国持ちと互角だったし
その越後が強くなったのも為景の越後統一への執念の賜物だな
864人間七七四年:2008/12/31(水) 11:58:57 ID:U0osLOdS
>>860
なんか斎藤道三や松永弾正が下克上の典型ていわれるけど、長尾為景もね。

為景パパン=越後守護代
→一向一揆や国人反乱の度に合戦して合戦して合戦しt(×延々繰り返し)、越後国外へも遠征しまくり
→「なあ、越後守護の上杉って役に立ってなくね?」キュピーン!
→怒って為景を成敗すべく下向してきた守護を爽やかに返り討ち、下克上完了


織田信貞(信定)・信秀の弾正忠家も二代でかなり力を蓄えて信長に引き継がせてるっしょ。
守護代の奉行とはいえ陪臣あがりから、守護や守護代抜きに活動できる経済力と、
弾正忠家譜代の直臣が代を重ねてそっちも力をつけてるし。
865人間七七四年:2008/12/31(水) 17:27:55 ID:eNiVK7/0
越後守護をぶっ殺す→弟を殺され怒った関東管領の大軍に佐渡に追われる→
越後に舞い戻ってきて関東管領を打ち破る。も追加で。

そんな男の末息子が関東管領に頼られ関東管領そのものまで貰っちゃった世の不思議。
866人間七七四年:2008/12/31(水) 18:13:49 ID:m6NLi7+t
話は逸れるがそんな越後の村上藩の話。
丹羽長秀の家臣から大名にまで成り上がった村上義明は家臣に「夜の性活」を制限する禁令を出していた。例えば旧暦五月の五、六、七のつく日は性行為禁止というように。家臣はたまらんかったろうな
867人間七七四年:2008/12/31(水) 19:07:09 ID:SI43DSvR
>>866
わしの書いた本を読めば夜の性活は楽しいものになるのじゃがなぁ…
と、854の方が申しております
868人間七七四年:2008/12/31(水) 21:07:14 ID:m6NLi7+t
ついでに村上義明が禁欲日と決めた日付は陰陽道の思想に影響を受けたものだったそうな。とはいえ旧暦だと夏の盛りの時期なので「糞暑い時期だけにヤリすぎたら疲労で足腰立たなくなったり病気になるかもしれないから自重しる!」という事だったのかも。
869人間七七四年:2008/12/31(水) 22:42:41 ID:U0osLOdS
紅白DQN合戦、蝦夷地に飛び火しとります
870人間七七四年:2008/12/31(水) 23:51:53 ID:EHqas3Uq
つわものの肝


蒲生忠郷の家来が、わけあって切腹することとなった。

この男、普段より豪胆なことで有名で、いざ切腹というこの時も、検視に向かって

「わしには、風呂上がりにはひと眠りする習慣がある。
この世の思い出に寝かせてくれないか?」

と、のうのうと言いはなち、たちまち高いびきをかいて寝てしまった。
しっかり睡眠をとってから目を覚まし、起き上がると、呆れている検視達に今度は

「昔より、つわものの肝には毛が生えているという。これが本当なら、わしの胆にも
毛が生えているはずだ。あとで必ず確かめてくれ。」

そう言い残して腹を切った。

約束通り、検視の者たちが腹の中の肝臓をみると、確かに毛が生えていたと言うことだ。
871人間七七四年:2009/01/01(木) 00:43:08 ID:3KanX9Tn
>>870
手触りが気持ち悪そうだ
872人間七七四年:2009/01/01(木) 02:27:13 ID:kqXPdm4E
>854
それでNINJAを雇って果心居士を襲わせたのですか、久秀師匠ー (なんか違う
873人間七七四年:2009/01/01(木) 10:03:07 ID:ObqKpNlq
>>871
約束守った連中に乾杯w
874人間七七四年:2009/01/01(木) 17:58:03 ID:QGmDuU5g
>>870これが転じて現代に伝わるキモメンとなった。 ※民明書房刊「百連発イイハナシダナー」
875人間七七四年:2009/01/02(金) 01:52:30 ID:OgZqZywc
>>828
持てる技術って…忠興たんに図面もらったからだろうがw
876人間七七四年:2009/01/02(金) 08:23:20 ID:zoYL/XeR
持ってる図面 ワロタ
877人間七七四年:2009/01/02(金) 15:25:06 ID:AP5QUst5
>>875
(細作が)持てる技術を総動員して…… ってバレてまんがな
878人間七七四年:2009/01/02(金) 16:35:07 ID:IjlXzqXm
誰か今年一発目のネタを・・・
879人間七七四年:2009/01/02(金) 17:13:50 ID:OI+KgOFr
盗人猛々しく

応仁の乱の終わった頃の京都。

ここでは、長引いた戦乱からの復興もままならぬまま、徳政一揆と称する、ゴロツキの集団
による略奪騒ぎが相次いだ。
これに業を煮やした幕府は、細川政元、一色義直、所司代多賀高忠の連合軍を編成、
一揆の大将、三好之長へ攻撃を行った。

しかし、それを察した之長は、一足先に阿波細川家、細川政之の屋敷に逃げ込んだ。
そう、この土一揆の大将、なんと阿波細川家の被官だったのだ。
当然引渡しを要求する幕府軍。が、この細川政之

「徳政一揆を行っているのは我が被官だけではない!京兆家や備中細川家の被官も
それに参加しているではないか。彼らを処刑するというのなら、こちらも三好を処刑しましょう。」

そう言って、之長をかたくなに引き渡そうとしない。
幕府軍は大軍である、この屋敷を攻め取るのは容易であっただろう。だが、そうはいかない。

大名の屋敷とは、現代の大使館のように、独立した法圏であり、幕府であっても簡単に介入することは
許されないのだ。そしてそのことが解っているからこそ、細川政之はこれほど強い態度に出るし、
三好之長もまた、主家の館に逃げ込んだのだ。

この態度に幕府軍はなすすべがなく、結局、仕方なくその場を撤収せざるを得なかった。

その同じ日の晩にはもう、平気な顔で京の街を歩き回っている、三好之長の姿が、諸方で
目撃されたという。

ちなみにこの三好之長、かの三好長慶の曽祖父に当たる。
880人間七七四年:2009/01/02(金) 18:16:51 ID:AP5QUst5
>>878ベッキーさん(立花道雪)の正月話とかかな。悪いというより悲しい話。
戦国時代スキーには既出もいいところだしょうが、一寸お目汚しをば。


ある年、対陣が長びいて越年してしまった大友軍。西国九州とはいえ大陸からの風雪も来る前線の冬はわびしいひもじい。
とうとう「せめて正月は…」と無断でこっそり陣中から抜け出て実家に帰った家士が現れた。
そりゃもう軍令違反なんだけど、つい里心ついちゃったんですな。で、やっぱりバレました。

この時、指揮官の戸次鑑連(立花道雪)さんが何をしたかというと……
“本国まで討っ手を差し向けて、陣を抜けた本人だけでなく実家の親まで悉く討ち果たしました”

血の正月、慄然とする大友軍将士。……一番ビビったのは、日頃の行状を散々お説教されていた宗麟殿だろうが。

だがベッキーさんは言い訳めいたことは一切抜きに「無断の陣払いは敵前逃亡、軍法に照らして死罪だ。子を追い返さなかった親も同罪!」と言い放ったそうな。

むごいけど正論。だいいち普段から信賞必罰・公正無私(今回の成敗も依怙の沙汰は一人もなく、カッキリ皆殺しという)のベッキーさんを家中の誰もが知っているだけに誰も何も言い返せなかったとか。



……ラスボス秀吉は、意外と寛大な信長殿に仕えていてよかったね?という話。かなぁ(´Д`;)
881人間七七四年:2009/01/02(金) 20:30:38 ID:OI+KgOFr
>>880
そういえば謙信が越山して長引くと、必ず無断で国に帰る連中がボロボロ出て、
それで軍が維持できなくなるってある種のパターンみたいなのがあったなあ。
882人間七七四年:2009/01/02(金) 21:36:39 ID:lK7At2+q
>>880
普段は部下を労わりかといって馴れ合いではなくルールからはみ出したら罰を与える
ホント理想の管理職だな
883人間七七四年:2009/01/02(金) 22:20:20 ID:CvsKKCVx
軍法違反した家臣が悪い話だな。
884人間七七四年:2009/01/03(土) 03:20:39 ID:ZaxjalTg
>>879
そりゃあ酒屋も有力守護や幕臣の被官になるわけだ……

(第二次大戦)戦後も京都で「前(さき)の大戦」といえば応仁の乱のことだったりして。
当時は世ン中荒れ放題、ボヤボヤしてっと後ろからバッサリだったんですな〜
885人間七七四年:2009/01/03(土) 05:44:02 ID:Qnu7Nug1
幕臣ガーかw
886人間七七四年:2009/01/03(土) 09:48:18 ID:tt0MEuIC
>>884
京都の人間に聞いたところ、『「前(さき)の大戦」といえば応仁の乱』は京都人を貶めるための大阪人のデマらしい。
本当のところは、『「前(さき)の大戦」といえば禁門の変』らしい。
887人間七七四年:2009/01/03(土) 09:56:30 ID:/gqYNJVm
細川元総理がギャグで応仁の乱って言ってたぞ
888人間七七四年:2009/01/03(土) 10:32:47 ID:YUN/8JhH
あの人は熊本人じゃね?
889人間七七四年:2009/01/03(土) 10:36:03 ID:qLsNUEZV
細川藤孝のころの話だったり
890人間七七四年:2009/01/03(土) 10:40:22 ID:ZaxjalTg
>>885バクーフっすから、マジっすよね(

>>886アッー!
薩摩とちょーしゅーのいや〜んな喧嘩を忘れていたわ・・御所を巻き込むなよ勤皇だろがきさんら('A`)

しかしリアルタイム幕末じゃ京の町童に評判悪かった会津保科家(松平ね)や壬生の新撰組に同情的な人もけっこう増えたような?
891人間七七四年:2009/01/03(土) 11:21:13 ID:LdJJ7leq
家康、注意される

慶長4年家康は、学者藤原惺窩の講義を聴く為彼を京の伏見屋敷へ招いた。そこである事を注意される。
家康「センセーお願いシマース」
惺窩「…」
家康「センセー、どうしたんデスカ」
惺窩「貴様、今どういう格好をしてる分かってるのか」
家康「へ?」
惺窩「貴様学問をなめとんのか、身がきっちとしてねーやつに賢者の道を教えても意味ねーんだよ、分かったか」
家康「ス、スイマセ−ン、((((;゚Д゚ ))))」
藤原惺窩は明の官服みたいなのと唐冠という堅い格好に対し家康はものすごーく楽チンな格好をしてた。
惺窩にしてみればだらしない格好と思っただろう。
そして怒鳴られた家康は着替えて講義を受けたとさ。
892人間七七四年:2009/01/03(土) 11:35:35 ID:9W+yStH0
ファッションの講義かよ
893人間七七四年:2009/01/03(土) 11:41:45 ID:GNqkJYIz
講義を聴く覚悟が無いって話だろ
ただ講義を聴いていても身にならん
覚悟が服装に表れてるって話
894人間七七四年:2009/01/03(土) 12:04:48 ID:uDzw+lCg
その手の話、劉邦以来腐るほどある気が…
最早、テンプレ
895人間七七四年:2009/01/03(土) 12:11:33 ID:LdJJ7leq
藤原惺窩は儒学者で林羅山の師匠デス
896人間七七四年:2009/01/03(土) 12:59:17 ID:jB5xJTyh
明と朝鮮に日本を占領して欲しいと言うほどの明スキー>惺窩
897人間七七四年:2009/01/03(土) 14:57:22 ID:pCwaVxZQ
松江城物語

関ヶ原の戦功によって出雲・隠岐24万石を与えられた堀尾吉晴は、自らの居城として
松江城の建築を進めた。
だが、石垣が何度も崩れ、工事はなかなかはかどらなかった。
築城を急ぎたい堀尾吉晴は、天守の予定地で盆踊りを開催した。
そこに集まった領民の中から娘をさらい、密かに城の人柱として埋めた。
このようにして完成までの2年間に、3人の娘が人柱とされた。

しかし、それほどまでに城の完成を望んだ堀尾吉晴は、その完成を見る前に病死し、
堀尾家も犠牲になった娘の数と同じ、三代で断絶した。
また、天守近くで盆踊りを催すと、城が震えだし、これは人柱となった娘たちが
生前を懐かしんで踊っているのであろうと言われ、これを防ぐため松江では
盆踊りが禁止されたとも言う。

時は下って嘉永15年(1638)、新たな松江城主、松平直政が天守の天狗の間に入ると
そこに美女が佇んでいた。直政が「何者ぞ!?」と問いかけると、この女は
恐ろしい形相で振り向き、「この城はわらわのものぞ!」と、答えた。
そこで松平直政はとっさに、「コノシロ(鮗)が欲しければ漁師に取らせて与えよう!」と、
言うと、この美女は霞のように消えた。

翌日の夕刻、直政がコノシロを天狗の間に持参すると、再び美女が現れ、
柔和な顔で魚を受け取ると、また、霞のように消え去り、そして二度と
姿を現すことはなかった。

この美女は人柱にされた娘たちの一人、お鶴であったと伝わる。



コノシロについてはこちら↓
http://uomi-online.kir.jp/zukan/konoshiro.html
898人間七七四年:2009/01/03(土) 15:33:11 ID:SyjHJgp9
なんだよその戦国小話w
899人間七七四年:2009/01/03(土) 15:36:06 ID:IISzJVvJ
ダジャレかよw
900人間七七四年:2009/01/03(土) 15:44:43 ID:qLsNUEZV
コノシロで納得して素直に消えちゃうお鶴タン萌え。
901人間七七四年:2009/01/03(土) 17:03:27 ID:ogmJfAWw
きっと物凄い真顔で言われてツボに入ったんだろう。
902人間七七四年:2009/01/03(土) 17:17:07 ID:PI9ytKkE
村娘なのにわらわ?
903人間七七四年:2009/01/03(土) 17:25:55 ID:gz5kZwUS
今で言えばニコ厨やVIPPERくらいの年齢だったのじゃろう
お鶴「このしろwwwwwまじうけるんですけどwwwww」
904人間七七四年:2009/01/03(土) 17:41:27 ID:zeeJ0qbl
>>891
>>894
腐れはげ鼠だったら冠をひっぺはがしてそんなかにゆばりを…

それ以前に藤原惺窩だったら、腐れはげの前に出てこんかw
905人間七七四年:2009/01/03(土) 17:59:33 ID:mMBECw/Q
>>904
あれ?俺いつの間に書き込んだんだ?
906人間七七四年:2009/01/03(土) 20:52:20 ID:YJqxWenb
  ∧l二|ヘ
  (・ω・ )  ←に土産を持たせてどこかのスレに送ってください
 ./ ̄ ̄ ̄ハ
 |  福  | |
 |  袋  | |,,,....
   ̄ ̄ ̄ ̄

【現在の所持品】
帽子 老眼鏡 爪楊枝 ステテコ コタツ 仲村みうのDVD「卒業」 東名
オプーナ オプーナ オプーナ 株券 オプーナ 信長の野望online争覇の章 いづおロール 犬上小太郎
神藤美香のDVD(赤) ( ´;゚;ё;゚;) FF11アルタナの神兵追加ディスク 、FF11ジラートの幻影追加ディスク、xbox360エリート
もんもん ネコ ミカン DDR2 32G分 E8500 トイレ 精力剤 GV-MVP/HS2 ヘンシェル λ ID:x9wfJxWn 
敵の潜水艦 AIR セガサターン白 お寿司 味噌カツ 4等当選年末宝くじ RG125γ
907人間七七四年:2009/01/03(土) 22:57:13 ID:jB5xJTyh
>>906
このしろでも持ってけ
908人間七七四年:2009/01/03(土) 23:34:29 ID:BUFXOECC
>>898-899
呪術的には言葉遊び的なものもありだと思う
909人間七七四年:2009/01/04(日) 00:02:05 ID:5VfqAVxT
910人間七七四年:2009/01/04(日) 00:26:55 ID:1brmm5gP
鬼武蔵を入れて送るところだった
911人間七七四年:2009/01/04(日) 00:28:26 ID:+xI16PLc
送ったスレが潰されちゃう。
912人間七七四年:2009/01/04(日) 00:29:47 ID:3kjl7ABA
折れた弓…鈴木大学の弓かw
913人間七七四年:2009/01/04(日) 00:41:31 ID:0yoNqi2G
  ∧l二|ヘ
  (・ω・ )  ←に土産を持たせてどこかのスレに送ってください
 ./ ̄ ̄ ̄ハ
 |  福  | |
 |  袋  | |,,,....
   ̄ ̄ ̄ ̄

【現在の所持品】
帽子 老眼鏡 爪楊枝 ステテコ コタツ 仲村みうのDVD「卒業」 東名
オプーナ オプーナ オプーナ 株券 オプーナ 信長の野望online争覇の章 いづおロール 犬上小太郎
神藤美香のDVD(赤) ( ´;゚;ё;゚;) FF11アルタナの神兵追加ディスク 、FF11ジラートの幻影追加ディスク、xbox360エリート
もんもん ネコ ミカン DDR2 32G分 E8500 トイレ 精力剤 GV-MVP/HS2 ヘンシェル λ ID:x9wfJxWn 
敵の潜水艦 AIR セガサターン白 お寿司 味噌カツ 4等当選年末宝くじ RG125γ 折れた鈴木大学の弓
鬼武蔵
914人間七七四年:2009/01/04(日) 00:47:54 ID:rJ2s8EfV
だれだ鬼武蔵入れて向こうのスレから送ってきた奴

ここの住人殺す気か
915人間七七四年:2009/01/04(日) 00:49:20 ID:3kjl7ABA
返却されてきたのかw
916人間七七四年:2009/01/04(日) 01:26:46 ID:Nzuh8kUR
とりあえず別の板に送ってみた
917人間七七四年:2009/01/04(日) 01:27:30 ID:+xI16PLc
柿と三成と忠興

石田三成と細川忠興は、仲が悪かった。当の石田三成自身が
「幾らなんでも仲悪すぎじゃね?」と思うほど悪かった。

そこで三成、殊勝にもこう思い立った。「そうだ!仲直りをしよう!」

三成は前田玄以に仲介をしてもらい、忠興と一席を設けて仲直りをすることとなった。

さて、その席でのこと。
忠興が先に着座していると、三成が入ってきた。手に盆を持って。
その盆には柿が載せてあった。

そして仲直りの挨拶もせず、おもむろにその盆を忠興の前に置き

「越中守は柿が好物だと聞いたので、持参いたした。それがしのことは気にせず、食して頂きたい。」


忠興は真っ赤になって怒って出て行った。
残されたのは、何で出て行ったのかまるで解ってない三成と、あまりの三成の行為に頭痛がしてきた
前田玄以であった。
918人間七七四年:2009/01/04(日) 01:29:08 ID:1G+Z7vV7
>>913
怖すぎるガクガク(((( ;゚Д゚))))ブルブル
919人間七七四年:2009/01/04(日) 01:35:54 ID:KWgHF/J3
>>917
三成w

痰の毒の逸話のせいで三成は柿嫌いなイメージがあったけど、
こんな話もあったんだな。
920人間七七四年:2009/01/04(日) 02:05:10 ID:3kjl7ABA
不器用なヤツだなぁ
921人間七七四年:2009/01/04(日) 02:12:01 ID:XVdAqA46
コミュニケーション能力って何よりも大事だよな
922人間七七四年:2009/01/04(日) 02:12:17 ID:V5g8E66C
誰かが「あいつ悪いヤツじゃないんだけど」って
フォローするヤツがいないと誤解されっぱなしになる典型だなあ、三成・・・
923人間七七四年:2009/01/04(日) 02:12:57 ID:1nk9fe/p
>>917
人の気持ちってのを考えられないんだろうか…
いきなりそんなこと言われたらどう考えたって…
924人間七七四年:2009/01/04(日) 02:21:42 ID:KWgHF/J3
忠興は本当に柿が好きだったのかな?
925人間七七四年:2009/01/04(日) 04:27:40 ID:3kjl7ABA
忠興「実はそれがし、柿が大嫌いでして…」
家康「ほうほう…」

家康「治部殿、忠興殿は柿がお好きらしいですぞ」
三成「それは良いことを聞き申した!」
家康(…離間の策、かかった!)
926人間七七四年:2009/01/04(日) 06:10:19 ID:6w3apAXs

政宗「越中殿には『これだけは死んでも喰わぬ!』という物はおありかな?」
忠興「柿ですな。それがし柿がこの上なく嫌いでござる」
政宗「うむうむ、よく分かりますぞ。宴席に柿を出すような奴は最低のクズですな」

政宗「治部殿、忠興殿は柿がお好きらしいですぞ。近く一席設けて和せられては如何かな?」
三成「それは良いことを聞き申した!早速仰せに通りに致しまする!」

政宗(…これでまた天下が荒れる!)
927人間七七四年:2009/01/04(日) 06:23:10 ID:5ddhJyLF
>>926
なぜか美味しんぼ思い出した
928人間七七四年:2009/01/04(日) 06:26:15 ID:n+ORae1S
まあ確かに利休の侘びさびとかとこじつけて、美味しんぼなら>>917で和解しそうだなw
929人間七七四年:2009/01/04(日) 07:34:53 ID:YM9NvZDy
>>917でなぜ怒って帰ったのかよくわからん
実は柿が大嫌いだったってこと?
930人間七七四年:2009/01/04(日) 08:00:53 ID:ClrhVe5h
>>929は三成
931人間七七四年:2009/01/04(日) 08:08:35 ID:TqKf9tOx
>>929
柿は実際に好きだったらしい
ただ、待たせた挙句に挨拶もせず「柿食え」って対応にキレた模様
俺も三成だから良く分からん
932既出なら御免:2009/01/04(日) 08:23:47 ID:DkMfgPLi
中国の大名、大内義隆が妻に内緒で通っていた女性がいた。
その女性に送ったつもりの恋文だったが、使者のものが間違え、
うっかり義隆の正妻に持っていってしまった。

正妻はこの恋文をみ、歌を詠んでこれをその女性に送った。

「頼むなよ 行く末かけて替らじと 我にもいひしことのはのすえ」
(期待してはいけませんよ。
いつまでも君への気持ちは変わらないって、それは私にも言っていたことなのですから)

(武者物語より)
933大人の名無しさん:2009/01/04(日) 08:42:07 ID:lMX4GN3+
オレもメールを誤送信したことあるなぁ・・・orz
934人間七七四年:2009/01/04(日) 08:45:57 ID:CX9MnI11
>>917
そこで玄以たんが女装して忠興をなだめればよかったんだよw
935人間七七四年:2009/01/04(日) 09:21:30 ID:a6Cr6k2J
大谷吉継か島左近あたりが一緒に仲直りの席に居れば、良かったのにね。

そんなんだから、
『三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城』
って嫌味言われるんだよ。
936人間七七四年:2009/01/04(日) 09:29:43 ID:xR+Tlsy+
大内義隆は両刀使いのうえ浮気もするのか・・・
当時ならそんな珍しくなかったのかな。
937人間七七四年:2009/01/04(日) 10:11:15 ID:HkIrpf2e
>>917
治部……('A`) 少しは社交辞令とか世間話もしろよw

「過日のことはすまんッスよ」とかでも何とかなりそうなのに人情の機微にちと、疎い。
真面目で仕事熱心なんだろうが端からは「頭が高いヤツ」って思われるよなぁ…
938人間七七四年:2009/01/04(日) 10:20:11 ID:8CqKzodZ
>>932
できた女房だな
939人間七七四年:2009/01/04(日) 10:49:18 ID:T7iXK2vT
三成は上司に使ってもらえて初めて輝けるタイプだな。
使ってくれる上司がいないと仕事は出来るが
同僚や相手先に一緒に仕事するの嫌がられて回らなくなるな。
940人間七七四年:2009/01/04(日) 11:08:55 ID:+xI16PLc
>>929
順番が逆なのよ。

先に仲直りの挨拶をしてから、「そうそう、実は忠興殿がこれをお好きだと聞きまして
持参いたしました。この度の仲直りのしるしにどうかご賞味くださらぬか?」

ってやればキレイで自然な流れなのに、いきなり「柿好きなんだろ?喰え」、じゃ
忠興としては

「食い物でなだめられる、クズってる子供かオレは!?」

って事になるでしょ?
この部分の心遣いなんですよ。
941人間七七四年:2009/01/04(日) 11:34:20 ID:EB+rxSeZ
しかも三成の方から誘っといてこれだもんな
942人間七七四年:2009/01/04(日) 11:40:25 ID:IeltS8FZ
>>917
三成やっちまったなぁ…。
秀吉と初めて会ったときの、お茶を三段階に分けて出したっていう心遣いは
たまたまそうしただけだったのか、それともそんな心遣いの気持ちは
とうの昔にどっかへ置き忘れてしまったのか…。
943人間七七四年:2009/01/04(日) 11:44:10 ID:+0wqX634
>>917
>それがしのことは気にせず、食して頂きたい。
これ言ったとき本人は俺今すっげ気を遣ってる!って思ってたんだろうな
944人間七七四年:2009/01/04(日) 11:52:32 ID:dtgvMJOL
仲悪いのにいきなり自分は喰わないけど柿喰えなんて言われたら毒殺されると思うだろ…
945人間七七四年:2009/01/04(日) 11:54:13 ID:eKvE5yIY
まあ実際仲悪い相手にこんなふうに見下し視点で出されたら
どんなに滅多に食べられない好物でも、かえって「ぜっっっ、てーくわねー!!!」ってなるわな。
忠興自身が高名な茶人で、いわゆる気の利いたおもてなしのプロなわけで
そういう意味でも恐いもの知らずというか。
946人間七七四年:2009/01/04(日) 12:12:28 ID:CX9MnI11
>>942
おべっか使いだと思われても仕方が無いわなw
947人間七七四年:2009/01/04(日) 12:26:18 ID:t1OMvJMo
>>917
もう空気が読めないとかのレベルじゃないw
これじゃアスペルガーとかの発達障害だろww
948人間七七四年:2009/01/04(日) 15:26:24 ID:BjWdJAwK
仲の悪い奴から珍しく誘いがありました
乗ってきてみたら誘っておきながら奴は遅刻してきました
来るなり挨拶も遅刻の詫びもなくいきなりお前の好物もってきたから食えと言われました。

おちょくってんのかこの糞野郎、になるわな。
挨拶して呼んだ趣旨述べてから心づくしです、って言って柿出せば仮に内心疑っても食うだろうにw
949人間七七四年:2009/01/04(日) 15:44:54 ID:jaNzyihf
>>942
むしろお茶の件で「人心掌握は食に限る!」と思ったんじゃ。
柿にもなんか工夫があったのかもしれない。
一口でも食べてもらえれば・・・。
950人間七七四年:2009/01/04(日) 15:54:15 ID:qH1lGcrv
>>947
確かに天才肌の人が見せる奇行のレベルだよな。
つか、そうとでも解釈しないと説明できんわなw
951人間七七四年:2009/01/04(日) 15:57:53 ID:2ACDqmF4
>>949
一個目の柿は大きめでジューシー
二個目の柿は小ぶりで上品な味
三個目の柿は最高級の干し柿で濃厚

とか?
952人間七七四年:2009/01/04(日) 16:01:08 ID:rJ2s8EfV
>>949
忠興「ぬう・・・この柿は・・・なにかしかけがしてあるな
    治部めこの越中を試そうというのか、小癪な奴よ

どうみても美味しんぼですありがとうございました
953人間七七四年:2009/01/04(日) 16:11:19 ID:ClrhVe5h
包丁人味平だったら「なぜかどんどん食べたくなるブラック柿」で友情回復できるのにな
954人間七七四年:2009/01/04(日) 16:24:44 ID:xm9HgLyD
美味しんぼだったら、忠興が乳母に預けられていた頃に住んでた家の柿を用意して忠興に食わせる
三成「ちょっとまってくれ、細川さん。立ち去る前にその柿を一口食べてみてください」
玄以「そうよ、細川さん。一口も食べないで判断するなんて失礼だわっ!」
忠興「ふん、何を申すこんななりの悪い柿など・・・(パクッ)、うわあ、石田はん、あんたなんちゅうもんを食わせてくれたんやああ(号泣)」
955人間七七四年:2009/01/04(日) 16:28:36 ID:UuipDDzt
>>954
玄以がクリ子役なのかw
956人間七七四年:2009/01/04(日) 17:41:53 ID:Qk5ARsKZ
治部殿が最期に柿を食わなかったのは痰の毒とかじゃなくてトラウマ
刺激された所為だったのかもしれんね。

そういえば、遥か後年の薩長同盟の時も、長州代表、薩摩代表ともに
出された豪華なご飯を食べるだけで仲直りしようね、とは言い出さず
仲介人が来るまでまるで話が進まなかったとか。

険悪な関係の改善はどっちかが折れないと、どんなご馳走を挟んでも
話が進まぬようで。
957人間七七四年:2009/01/04(日) 18:12:39 ID:2wtwaDSo
幕末でも、「湯豆腐」で暗殺されちゃった人いたなぁ
958人間七七四年:2009/01/04(日) 18:15:32 ID:5VfqAVxT
でも>>917の場合、三成が折れてるよな
959人間七七四年:2009/01/04(日) 18:59:27 ID:mhkX/6hI
たしかに三成本人としては折れてるつもりなんだろうけどねえ
それが相手にも周囲にも全然伝わらないという罠
960人間七七四年:2009/01/04(日) 19:41:21 ID:w/e6+Y2O
お正月もそろそろ終わりです・・・





北畠具教が国司をつとめる伊勢に公用で出かけた山科言継

大の酒好きな言継殿
早速酒でも呑もうかと思うが伊勢一帯に禁酒令が出されているのを知り、

とりあえず日記に書き残す

別の宿に泊まった再、宿の亭主が甘口の白酒を隠れて持って来るのを知って、事実であると知る。

更に密かに酒を売った者12〜13人が財産をボッシュ〜トされ、その内一人は処刑されたことを聞いて
『これは京に帰るまで酒にはありつけんな・・・ハァ〜』と絶望する。

もうとっとと京に帰りたい言継殿、しかし公用の旅である以上仕事はしなければならないので嫌々ながらも
北畠具教の国司の舘に辿りつく・・・・・・・





しかし天は彼を見放しはしなかった
一年にわたった伊勢の禁酒令は言継殿が国司の舘に到着する直前に解かれ
北畠具教は歓迎の宴を開催、言継殿は無事に酒にありつけましたとさ。


左党(酒好き)にとっては悪い話






自分も禁酒令出されました、いつ解けるかは未定・・・・orz
961人間七七四年:2009/01/04(日) 20:19:55 ID:Erw1stmZ
オチは自分かよw

ところでなんでその時代に禁酒令なんか出てたんだろ
962人間七七四年:2009/01/04(日) 20:25:46 ID:+xI16PLc
>>961
このときの理由はわからないけど、稲が不作になると、少しでも食用にまわすため、
酒の醸造を禁止することはよく行われていたから、もしかするとその一環じゃないかな?
963人間七七四年:2009/01/04(日) 20:29:21 ID:UuipDDzt
>>961-962
後奈良帝の平癒祈願の為っぽいよ。
伊勢の人々にとってはいい迷惑だったろうな…
964人間七七四年:2009/01/04(日) 20:35:58 ID:Erw1stmZ
>>962
>>963
なるほど、ありがとう
稲が不作でも禁酒、偉い人が俺のために祈れっていったら禁酒か
前者は仕方ないのかも知らんが

しかし、何か聞くと即答えてくれるこのスレの住人が時々怖いw
みんな良く知ってるなー
965人間七七四年:2009/01/04(日) 20:36:56 ID:5VfqAVxT
戦国板じゃよくあること
966人間七七四年:2009/01/04(日) 21:09:48 ID:HkIrpf2e
>>964-965

早く且つ正確に答えないと四天王、場合によっては九大天王?の刃が降ってきそうだからねー
967人間七七四年:2009/01/04(日) 22:30:23 ID:EzGcEfPp
>>801
良い話じゃないか
968人間七七四年:2009/01/04(日) 22:47:44 ID:gXQZO9YE
山科言継の場合大名と酒飲んで人脈増やしてた。禁酒令は死活問題に当たるはず。
969人間七七四年:2009/01/04(日) 23:04:24 ID:3kjl7ABA
山科さんはアグレッシブな公家
970人間七七四年:2009/01/04(日) 23:11:01 ID:EYS3eJSE
>>917
そういえば小説などでは朝鮮帰りの諸将をもてなそうとして
清正あたりにどやされるのをよく見かけるがそっちは史料逸話あんのかな?

三献茶は黙って出すモノに気遣いをこめればいいが饗応と言うのは会話がいるぞよ佐吉はん
971人間七七四年:2009/01/04(日) 23:21:18 ID:+xI16PLc
>>970
自分の知ってるのは、「清正記」に出ているね>朝鮮帰りの諸将をもてなす話
972人間七七四年:2009/01/04(日) 23:48:40 ID:FxDxEL9L
秀吉にお茶を所望されて、一杯目にはぬるいお茶、二杯目にはちょっと熱いお茶、三杯目には熱いお茶を出し、
秀吉にどうしてそうしたのかと聞かれた光成。

お茶を入れようとしてお湯を沸かしたんだけど、
一杯目にはほとんど沸いてなくて、
二杯目にちょっと熱くなってきて、
三杯目にやっと沸騰したんです。
だったんじゃないかな〜。
973人間七七四年:2009/01/05(月) 00:16:12 ID:nW+9n5sH
>>972
熱さもだけど、量にも工夫したんじゃなかったっけ?
一杯目は多めに、二杯目はその半分で、三杯目はちょびっとだったとか

最初っから三杯所望するって予想してなきゃできない気配りだよね
まぁ創作なんですけど
974人間七七四年:2009/01/05(月) 00:48:08 ID:Li/KRO/Y
確か量は逆だったと思う
975人間七七四年:2009/01/05(月) 01:03:28 ID:RQbriG86
量は>>973で正しいだろ
976人間七七四年:2009/01/05(月) 01:20:26 ID:pEwLsi2B
次スレ頼マース >>980-990あたり
977人間七七四年:2009/01/05(月) 01:43:21 ID:S726T8jt
黒田長政の話。まあ、親父も絡んでると思うけど。

1・九州征伐後、城井宇都宮氏の一揆発生。

2・長政「よし、俺が蹴散らしてくる。親父は来なくていいよ」→惨敗。

3・親父と共に再度攻め込むも、
地の利を生かした城井宇都宮の抵抗は激しく、攻略は捗らない。

4・長政の妻に城井鎮房の娘(13歳)を迎えるから和睦してくれまいかと提案。

5・鎮房承諾。従者1人と共に降伏の宴席に招かれるが、騙まし討ち。
でも、丸腰だった鎮房と、従者1人相手に19人の死傷者を出す。

6・鎮房の息子、先述の13歳の姫、その侍女も処刑。

7・鎮房の幽霊が出るって怯えて城井神社作る。
978人間七七四年:2009/01/05(月) 02:24:05 ID:pEwLsi2B
>>977
あほな暗殺をしたもんや。 城井さん親子と家人さんに…柏手?ヨウガンバッタヨ(´;ω;`)ウッ...
979人間七七四年:2009/01/05(月) 07:42:28 ID:XlPDiVQQ
この時代は、女子供の磔刑が多いよな……
980人間七七四年:2009/01/05(月) 08:12:28 ID:ydB67Dc7
>>978
時代を読めなかった城井宇都宮氏にも落ち度はあるんだがな
腐れはげ鼠の伊予転封を断ったりして改易命令を食らったはず

宇都宮氏は東西問わずこの時期に没落w

で、一応補足を入れると

8.鎮房の息子の妻は当時妊娠中で後に出産してます
流石に、それまで殺すことはなかったということで…
981人間七七四年:2009/01/05(月) 08:17:29 ID:XlPDiVQQ
>>980
逃げたんじゃなかったっけ?
捕まえてたら殺してたと思うなー

次スレ、自分は立てれませんです
誰かよろしく
982人間七七四年:2009/01/05(月) 08:55:52 ID:hTrcv3aI
983人間七七四年:2009/01/05(月) 10:12:29 ID:PrHsHhxy
宇都宮謀殺は秀吉が指示したものじゃなかったかな
秀吉が如水に宛てた書状が残ってたはず
984人間七七四年:2009/01/05(月) 10:46:05 ID:pEwLsi2B
>>980
そりゃあ、ラスボス太閤の仕置きに公然と逆らっちゃ…ね
985人間七七四年:2009/01/05(月) 12:45:36 ID:+TdA7T+/
>>982
スレ立て乙&ありがとう
986人間七七四年:2009/01/05(月) 13:19:00 ID:UPlBf2CE
北九州はムゴイの多いなぁ。なので北九州の宗像氏に関する話を。

宗像氏80代宗像氏貞は1569年大友氏に降伏。
彼は宗麟の養女を妻にしたり家臣の殺害要求をのんだりしたりして大友氏と関係を深めていった。
立花道雪が立花山城の城主になった時氏貞は妹の色姫を道雪の側室にした。
ただしこれは人質的側面があった。
この時、氏貞が化粧料として、色姫につけた西郷庄300町の土地が思わぬ争いの火種となる。
それは大友氏が耳川の戦いに敗れた後の事、鷹鳥山城の飢饉を救う為米を輸送した時に起きた。
若宮郷士による戸次米輸送隊への襲撃に端を発する「小金原の戦い」である。
襲撃をしたメンバーは旧西郷庄の郷士であったが、色姫が道雪の側室になる時土地を追われた。
そのため道雪に深い恨みをもっていた。
この戦いは熾烈をきわめ秋月勢らも駆け付けた。
宗像氏の裏切りに怒りを覚えた道雪は宗像氏討伐を決行した。
この時道雪と宗像氏の対立に心を痛めた色姫は天正12年に自害した。
987人間七七四年:2009/01/05(月) 16:16:22 ID:2yk0bT16
>>982
スレ立て乙ですー

>>986
せっかく友好の為側室になったのに、切ない話やな〜(ノД`)
988人間七七四年:2009/01/05(月) 16:27:08 ID:oYjiARSv
宇都宮って麻生の先祖だな
989人間七七四年:2009/01/05(月) 16:31:26 ID:IBQWrGTi
>>986
中東とか東欧あたりで今でも普通にありそうで切ねえ話だな…
990人間七七四年:2009/01/05(月) 16:35:05 ID:9OcRZZf7
       ____
     / TERU \
   /  _ノ  ヽ、_  \    むごい話だお…
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \  側室という体裁を整えて化粧料なんかださければ
  |     (__人__)    |  こんなことにならなかったはず…
  \     ` ⌒´     /  人質は人質としてあつかえばいいんだお…

       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   だから側室は家臣の妻奪うのが正しいんだお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /
991人間七七四年:2009/01/05(月) 16:38:31 ID:qxv4owyd
>>990
大友宗麟「だよな」
992人間七七四年:2009/01/05(月) 16:51:48 ID:UPlBf2CE
>>990
>>991
おまいらwww
993人間七七四年:2009/01/05(月) 16:56:03 ID:7gMoQ3Hz
>>990
お前の親父と叔父さん達、お祖父さんに会わせてやりたい
994人間七七四年:2009/01/05(月) 17:06:10 ID:2yk0bT16
輝元にコレだけ明確なキャラ付けがされているのは、世間広しとはいえ
いい悪いスレだけだろうなw

しかしやる夫に置き換えてこれほど違和感のない戦国武将もちょっといないなw
995人間七七四年:2009/01/05(月) 18:33:04 ID:2yk0bT16
埋め代わりになんかこう面白かったので転載

548 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/05(月) 15:56:34 ID:9mxzZfPm
忠興の性格について家族よりコメント
「性格が豪強」父・幽斎より
「引くことを許さない人」妻・玉子より
「人の言うことを少しの疑いもなく受け入れ、
感じたままを受け入れる人」息子・忠利より
996人間七七四年:2009/01/05(月) 19:36:16 ID:/GsAxnJC
できれば忠利のコメントについて解説を願いたい
997人間七七四年:2009/01/05(月) 20:36:09 ID:IQdq467n
>>986
この頃立花家の養子に来ていた立花宗茂は色姫の境遇を不憫に思って
いろいろと元気付けていて、死後も色姫付の宗像の家臣達を慰めたらしい。
998人間七七四年:2009/01/05(月) 21:44:10 ID:teO1iXIi
いろいろと…
999人間七七四年:2009/01/05(月) 21:58:52 ID:2yk0bT16
■披露宴で甲冑をまとう現代のサムライ達へ披露宴成功へのアドバイス

 一つ 武士に成りきり威厳を持って堂々と
    (必要以上に照れない オチャラケない。少しくらいはご愛嬌)

 一つ 何故 甲冑をまとったのか自分の意思をしっかり皆さんへ伝えるべし

 一つ 披露宴会場では刀は抜くべからず(もし抜く時は(ケーキ)斬る時のみ)
http://www.rakuten.co.jp/yoroi/409726/184532/
1000人間七七四年:2009/01/05(月) 22:03:44 ID:/GsAxnJC
>>998
何かエロいぞ
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/