1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 02:06:05 ID:gV5QH9Ep
3 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 02:20:03 ID:Iz0ZnmJ+
4 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 02:20:59 ID:DqdZ+wyd
5 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 02:43:41 ID:C+oBQFwe
6 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 07:57:29 ID:zzelLDNd
iーj;二二;,__r‐、 何という基地外でDQNなスレ立てなんだ!
{~タ-―=二、`ヾ、~l
,-r'"_,,........,__家久 -、 `i) /|
彡;:;:;:;:;/~_Z_ ̄`ー、_ `l、 ,.-=-.、. ,..ィ"~~~~~:::::ヽ
7:;:;:;:;:/. `ー-ヲ t‐-、!`ヽi::r ,:、 ,..ム.゚.,..゚..,.、l ,r'"::;;;_;;::::::::::__:::::::\
;:;:;:;:;/ / ,.、 `!~|:::)::/ / :K"/ r:'" ,iii ~\ ,,...-,-、 /,.r''" ヽ:::::::::::i!
:;,;-〈 / Fニニヽ | .|:::l:::ヽ ラ-{ `"・ 政宗。。 llL_/! /-v" `丶、 i"忠興,.-。-ュ-.ヽ:::::::::;!
' fヽ ヾ--" l,/::/r'" /`ー!: |~r-。、~`-、゚_ lソ / l ` 、 i ,r・')、 |:`''''' " ヽヽ:::::::ヽ
| ` 、___,..- '"|::::ゝ / l ノ i/`"'" ´゚-y' ./メ, / (鬼)`丶、 '''ヽ l :~ ヽ! ,..-、 ヾ;:::::::::|
ヽ / レ"`‐.、_./ .レ /:; r-ニ、 K ./ 「 r'' //~~`''ーヾ'ー、 ノ l f'" '"~ノ l |::::::::L
ヽ _,.-‐−―`ー"ヽ_l ヾ `ー'",.! | |_/ | /、,,..-i'''t=ニ;ラ",l|`ゝr' ヽ ヽ-‐" //'"二
`,.-―'''''''''''<.,_ i" l ヽ....,,-" く__/ `ヽy:|`T"~、.,,__ `,i|ヾ | ヽ、 ,.:-‐-'',/,.r‐''"
'' " l i. ` / |,~`-、 | :i| F‐'''"| ! |ヽイ、_ ,..-‐f彡ゝ--‐"
| `: 、_ ノ ヽ ヽ'、 l!;;;;;;;/ / /:::::::`t''''丶、
l ~ '' ー― '' " /"`'' -、 r|ヽ ,......,,..;:"/:::r:、:::::::ノ
(O)_
l
>>1乙`l
| |___| |
Ur、_,ヘU
| | |
( ̄| ‖ | ̄)
7 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 08:07:02 ID:vaOopSzr
8 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 09:16:47 ID:1Oa0I3HF
9 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:01:03 ID:67KCDdeE
ところで何でスレ番号つけないの?
>>1 何か理由あんのかね
10 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:04:25 ID:7dF+dqPR
11 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:31:32 ID:T99wyy94
乙!にて候
12 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:36:32 ID:7cZfmOuK
>>1乙ではあるが、何たる粗忽者じゃ
手討ちにいたす!
13 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:40:49 ID:DqdZ+wyd
14 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:43:11 ID:HBROeFFd
>>1のミスについて四天王が事情聴取に向かいました
15 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:50:32 ID:vaOopSzr
ついに37人目の被害者が・・・・
16 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 12:53:24 ID:pyAIeg9l
忠興は嫁関係以外の失敗は3回目まで許してくれるけど…
忠興…まぁ一回目だし、次は気をつけろよ。三十七歌仙じゃサマにならんからな
家久…そんなことより酒飲んで蹴鞠しようぜ
政宗…いやいや家久ん家の家宝の刀あったろ、あれの試し切りしようぜ
鬼武蔵…よっしゃあああああああああああああ
ハ,,ハ
>>1 ( ゚ω。)
~~~~~~
17 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 13:31:16 ID:zlzPL/VY
なんかもう異名にされてる鬼の方がかわいそうになってきた
18 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 13:57:49 ID:GByizxGN
19 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 13:59:46 ID:1O5SNLvC
鬼にも良い奴がいるもんな
これからは鬼のことを長可と呼ぶことにしよう
20 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 14:04:48 ID:vAxiU1qu
当時女の書く文って当時平仮名が主流で濁点とかなかったんだよな
で、秀吉も平仮名の手紙が多かったって何かで見たような気がする
するってえと鬼宛の手紙は
21 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 14:06:28 ID:axfKA8QP
なかよしへ
ひてよしより
22 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 14:11:30 ID:XTTqH8jf
鬼といえば鬼武蔵が可児川にある鬼ヶ島に鬼退治しに行ったという話があってだな…
真に退治されるべきは退治しに行こうとしグゲッ
ハ,,ハ
( ゚ω。)
~~~~~~
23 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 14:36:08 ID:xeONfFw0
>>17 リアル鬼(海賊?外人漂流者?)の方が話せばわかるだろうなw
24 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 14:51:31 ID:q3Rac606
>>1は乙すぎるから仕方がないよね
25 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 15:56:21 ID:Iz0ZnmJ+
某やる夫が真田家に生まれたスレで、鬼武蔵の鬼っぷりにみんな驚いているのに
逆に驚いた。
このスレにいると、ちょっと感覚がおかしくなるなw
26 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 16:54:17 ID:lqeiFGRN
>>1乙
鬼武蔵つながりで新納カワイソスってことで。
27 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 19:06:48 ID:so0jqpVw
新納さんは親指武蔵って呼んだら?
ところで前スレで秀吉の小田原関連の悪い話いくつかあったよね。
秀長が病気にならずに出陣できてたら起きなかったのかな……。
28 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 19:18:37 ID:Iz0ZnmJ+
秀吉が残酷なのは、年取ってからって訳じゃ無いからなあ。
29 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 19:45:47 ID:Iz0ZnmJ+
前スレ1000
> 1000 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 19:41:35 ID:Luy+A0Dm
> ドドインドインドイーンwwwwwwwwwwwww
またかよ!何のおまじないだ!?
30 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 19:51:35 ID:yiCcZuqf
正則「ドドインドインドイーンwwwwwwwwwwwww」
31 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 19:52:33 ID:vAxiU1qu
正則なら仕方が無い
32 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 19:56:32 ID:Di7m2R8Y
最近首飛ぶペースが早すぎて困るw
33 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 20:19:21 ID:fYhUk0G7
時代が戦国ではないけど日本史いたにあったんで転載
・池田の鬼姫
六姫。池田光政6女。光政が徳川からきた正室に遠慮して生母を侍女のままの身分にとどめたので
5歳まで祖父母の家で育つ。14歳で仕置家老池田出羽の 嫡男由貞に嫁ぐ
異常に嫉妬深く夫が出かけるときは場所と帰宅時間をしつこく聞きすこしでも
帰宅が遅れたら家の中の家具が破壊されていた。由貞の妹と由貞が会話をしてるとぶち切れ
「由貞は私の夫、妹であろうと親しく話すな」と両者にいいはなち妹をたたきだす。
由貞は仕方ないので外出しないで六姫と過ごすようになるが一年後やつれきり隣家の池田伊賀の娘
(本来彼は彼女と結婚する予定だったのだが六姫の縁談がごり押しされ破談になった)の奏でることの音色に
懐かしげな表情を見せたところ六姫が厳しく詰問。由貞はしらを切ったがその夜ふと目を覚ますと
寝ている彼に覆いかぶさり胸に短刀を突き付ける六姫の姿が!そんなこんなで由貞ついに逃亡。しかし補縛され切腹
それを聞いた六姫は「当然の報い」と一言憎々しげにいいはなっただけだった(このとき六姫15才)
その後家中の滝川一益の子孫義太夫に一目ぼれして結婚。息子(2年後死去)と娘吉姫をを生むが
数年後28歳の時義太夫が部屋で別の女と義太夫が会話しているところを目撃し逆上、彼を殺害してしまう。そこにいた女は口封じに
義太夫の父に処分され「義太夫は乱心して自害したのでお城で姫を引き取ってください」と城に姫を送り返した
もうこの時点で六姫の本質はしれ渡っており夫を殺しても露ほども悪びれない六姫は「池田の鬼姫」とある意味有名人に。
彼女は娘と光政と一緒に西の丸に住み1679年に34歳で死去した
和意谷池田家墓所七の山に墓所がある
いや、ヤンデレ女は怖い
34 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 21:29:59 ID:NKSZQHqN
ガクブルですな
35 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 21:40:15 ID:MhCeFiA4
戦国板にルイズ顔負けの姫が紹介されてたw
ルイズも下手したら六姫みたいになってたのか…
しかしこんなリアル鬼姫が実在してたとかマジでフイタ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E5%A7%AB 33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/12(水) 20:19:21 ID:fYhUk0G7
時代が戦国ではないけど日本史いたにあったんで転載
・池田の鬼姫
六姫。池田光政6女。光政が徳川からきた正室に遠慮して生母を侍女のままの身分にとどめたので
5歳まで祖父母の家で育つ。14歳で仕置家老池田出羽の 嫡男由貞に嫁ぐ
異常に嫉妬深く夫が出かけるときは場所と帰宅時間をしつこく聞きすこしでも
帰宅が遅れたら家の中の家具が破壊されていた。由貞の妹と由貞が会話をしてるとぶち切れ
「由貞は私の夫、妹であろうと親しく話すな」と両者にいいはなち妹をたたきだす。
由貞は仕方ないので外出しないで六姫と過ごすようになるが一年後やつれきり隣家の池田伊賀の娘
(本来彼は彼女と結婚する予定だったのだが六姫の縁談がごり押しされ破談になった)の奏でることの音色に
懐かしげな表情を見せたところ六姫が厳しく詰問。由貞はしらを切ったがその夜ふと目を覚ますと
寝ている彼に覆いかぶさり胸に短刀を突き付ける六姫の姿が!そんなこんなで由貞ついに逃亡。しかし補縛され切腹
それを聞いた六姫は「当然の報い」と一言憎々しげにいいはなっただけだった(このとき六姫15才)
その後家中の滝川一益の子孫義太夫に一目ぼれして結婚。息子(2年後死去)と娘吉姫をを生むが
数年後28歳の時義太夫が部屋で別の女と義太夫が会話しているところを目撃し逆上、彼を殺害してしまう。そこにいた女は口封じに
義太夫の父に処分され「義太夫は乱心して自害したのでお城で姫を引き取ってください」と城に姫を送り返した
もうこの時点で六姫の本質はしれ渡っており夫を殺しても露ほども悪びれない六姫は「池田の鬼姫」とある意味有名人に。
彼女は娘と光政と一緒に西の丸に住み1679年に34歳で死去した
和意谷池田家墓所七の山に墓所がある
いや、ヤンデレ女は怖い
36 :
35:2008/11/12(水) 21:40:53 ID:MhCeFiA4
誤爆したorzスルーしてくれ…
37 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 21:43:05 ID:5L3T/M4b
みんな同じスレ見てたのかw
取りあえずおまいらケコーソ汁
38 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 21:51:25 ID:NKSZQHqN
びょうきであばた顔になった娘・ぎん千代を、宗茂にやるのは悪いと思った立花道雪。
それに対する宗茂の「娘の器量など関係ない、あなたの娘だから貰うんだ」という答え。
これって、女の視点からすると、ちょっと悪い話なのかな。
39 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 21:55:47 ID:zzelLDNd
ケコーンから一年後、そこには嫉妬深いヤンデレ嫁に自害させられるた元気な
>>35の姿が!
40 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 21:57:22 ID:23z2yCjz
41 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 21:57:59 ID:CyXGtgYj
42 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:02:01 ID:yxs97aC2
政宗「新スレ一番槍は、せっかくだからこのオレの切り札を出すぜ!」
政宗最後の天下取りの切り札、慶長遣欧使節。
弁舌にすぐれた宣教師ソテロにあおられた政宗は、罪人の子である
支倉常長を「罪を許すから死ぬ気でいってこい」と送り出した。
しかしノリはいいが情報網の遅かった政宗は知らなかったが、当時の欧米では
すでに日本での切支丹弾圧はおおっぴらに広まっていた。そのため、使節団は
メキシコでもヨーロッパでも「カエレ!」と冷遇され、しまいには路銀が尽き果て、
使節団は飢えと病に苦しみぬく。それでも支倉は武士として、
そして信仰のために耐え抜いた。
しかしこの使節、は幕府の目を盗んでと言われているが、実は幕府公認、
伊達と徳川の共同プロジェクトのようなものであり、
政宗の不穏な動きは筒抜けであった。
柳生宗矩あたりから「切支丹まじめに取り締まってますかあ?」と聞かれたり
して、政宗は焦り始める。
「あーあ、ヤバイよな。いっそ支倉途中で氏ねばいいのになあ」と彼は愚痴った。
が、忠義にあつい支倉は帰国。帰国しまもなく彼は失意のうちに亡くなり、
その子は切支丹として処刑され、支倉家は断絶した。
あ、でもフォロー入ったって思う人いるでしょ?
支倉家はその後再興されはしたが政宗の死後三十年後ね。
政宗本人はしてないよ?
ちなみに、大坂の陣でてっきり政宗はキリシタン贔屓と思った宣教師が
伊達に逃げ込んだが「ちょwキリシタンとかなんで助けなきゃいけないのww」
と追っ払ったという逸話もある。
そんなところも含めて、政宗も博打半分だったんじゃないかねえ。
ちなみに有名な支倉の肖像画は、加筆疑惑や贋作疑惑があって
まるまる数冊の本になるほど物議をかもしている。
なんでも元の絵だと支倉があまりにやつれているから、誰かが
堂々と見えるように加筆した云々。
一部の学者は「もうねw金ばらまいて捏造をもとに船復元とかバカスw」と言っているとか。
死後、ここまで論争を巻き起こす戦国大名はおるまい。
DQNオブDQNこそ、死後でもここまで暴れられるのだ。
政宗公、彼こそ伝説である。
43 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:08:15 ID:V9u6WLyq
>>28 かつて仕えていた岡部を探し出して城持ち大名に
してあげたのはちょっといい話だが、自分に意地悪した
岡部家中の連中を探し出さなかったのか、気になる。
あの人なら何かやりそうだ。
44 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:09:27 ID:Iz0ZnmJ+
政宗が面白いのは、他人が追随出来ない、大規模な無駄をやっちゃう事だなw
45 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:15:57 ID:ZUCdftzC
支倉一行はあっちで大方歓迎受けてたようだけど
批難轟々の説もあんのか。
しかし江戸時代キリシタンは可哀相だ…。
>>35 リアルヤンデレ怖すぎる。凄い15歳だな…洒落にならん。
46 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:17:30 ID:b7KpOziO
>>42 半分どころか普通に博打だと思ってたと思う。
手間はかかったけど、所詮は博打だから失敗したらしゃーない、みたいな。
自分の打った策に対して未練を残さないのは、政宗が何だかんだと生き残った理由の一つだからな。
47 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:20:33 ID:sFnNwvL0
>>45 その大歓迎、ということ自体かなりあやしい。
時代背景からして、天正少年使節のころは「日本布教がんばれ」ムードだったが、
政宗のころは秀吉の禁令・弾圧を経てだから「今更何しに来たの?」ってかんじだし、
政宗が本当は貿易やりたいだけということも、相手にはバレバレだった。
(ヨーロッパに残された文献にそういう記載がチラホラ)
どうしようもなくなって、メキシコから引き返すことすら検討されていたらしい。
じゃあなんで大歓迎かってことになっているかというと、明治以降政府の海外進出の
マスコットみたいな扱いになったからみたいよ。
まあ戦前は秀吉の朝鮮出兵が絶賛されたみたいなもん。
48 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:24:27 ID:YhzxIuRu
>>35 ヤンデレ過ぎる・・・
細川忠興と結婚させてみたいな
49 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:27:34 ID:ZUCdftzC
なるほどそういう説もあんだね。
しかし規模でかい博打だな。やっぱまともな神経じゃねーw
50 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:31:26 ID:NKSZQHqN
51 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:33:30 ID:b7KpOziO
52 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:34:03 ID:NKSZQHqN
忠興は浮気はしなかったのかね???
53 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:35:04 ID:ZUCdftzC
54 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:35:52 ID:c8kJVxWu
>>52 ガラシャ幽閉中に側室作った
大名が側室持つのを浮気というかはわからんが
55 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:36:56 ID:7KGB7T+o
>>42 >一部の学者は「もうねw金ばらまいて捏造をもとに船復元とかバカスw」と言っているとか。
この辺りから伊達に対する悪意が感じられた。
56 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:37:09 ID:SVn2A4hj
>>48 まったく同じことを思った。時を越えてふたりが結婚すれば丸く収まるのに。
しかし俺の中で戦国・江戸初期の新アイドルが誕生!
そういえば前スレあたりで家臣の妻を奪う話があったけど、大友宗麟が有名だね。
信長の野望 烈風伝で浪人に仕官をもちかけると、
「大友宗麟殿といえば家臣の妻を強奪したお方と聞く。さようなお方に仕える気はありません」
と言われて仕官を断られることがあって笑った。
この台詞を三好義賢や鳥居元忠あたりに言われると「おまえが言うな」って感じでさらに笑える。
57 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:39:02 ID:ZUCdftzC
>>48忠興と六姫の組み合わせは政宗が引くほど濃いな…
58 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:39:02 ID:sFnNwvL0
政宗のキリシタン絡みで補足。
政宗に南蛮人の側室がいた、という話の元ネタは宣教師が
「政宗には外国人の側室がいて、彼女の病気を宣教師が治療したところ、
おおいに心動かされていました」
と記録していることから。だが、西洋人女性が当時日本まで航海した事例はないので、
可能性としては朝鮮人か中国人のほうがまだしも高い。
それより何より、ただの宣教師のフカシである確率が一番高いと思われる。
ロマンが壊れたな、スマン。
59 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:44:45 ID:ZUCdftzC
大友の女色は家臣から怒られるくらい目に余るものだとな…。
九州あたりの外国がらみだと奴隷売りだけど、ちょっとどころじゃ
なく悪いかもだからあんまこのスレには向かないね。
60 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:45:06 ID:NKSZQHqN
61 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:50:19 ID:ZUCdftzC
大名は子作りも仕事のうちだからな…。
淡白な人にはしんどそうだが。
62 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:51:03 ID:b7KpOziO
>>58 朝鮮行ったときにそこの女連れ帰っただけじゃね?別にフカシにする理由も無いような。
63 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:51:50 ID:cl7jRX1Q
>>58 えーと、中国には昔っからイスラム系の人間が住み着いていてですね、
イスラム系っていうとギリシャ系の血が混ざっていましてヨーロッパ人と見間違う
人間も沢山いるわけですよ。とすると西洋人女性っぽいのが政宗の側室にいても
おかしくは無いわけなんですな。
まあ、実際はどうだか知りませんが…
64 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:53:18 ID:zNXwFjLW
>>62-63 ん、あ、いや、ソテロという宣教師は言うことがフカシが多すぎて、
あっちの連中からも「ソテロはもうねw」な人だったんで。
65 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:53:53 ID:NKSZQHqN
なるほど、西川口で会ったあの娘さんは、ギリシャの血が混じってたのかな
66 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 22:56:54 ID:ZUCdftzC
外人側室は浪漫っちゃ浪漫か。
伊達側室は皆子供いるな。絶倫かと。
67 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:06:21 ID:7KGB7T+o
知名度の高い武将で子供が少ないのは秀吉ぐらい?
68 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:06:56 ID:XTTqH8jf
上杉さんとこなんか居n
69 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:07:26 ID:zlzPL/VY
朝鮮だか中国だかの女性を妻にして
親父に勘当(廃嫡?)された武将いなかったっけ?
70 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:09:06 ID:FsNkUgOV
>>59 大名が南蛮との奴隷貿易に関与してたってよく書いてるのみるけど
本当なの?日本商人と外国人商人が勝手にやってたんじゃないの?
71 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:09:18 ID:vaOopSzr
>>45 こいつらキューバあたりでは歓迎されてなかったか?
72 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:13:45 ID:xeONfFw0
>>70 戦国大名って現代のヤクザみたいなもんだからなぁ
領内で勝手に商売なんて出来ませんよ
73 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:15:35 ID:b7KpOziO
>>71 ヨーロッパでも教皇に謁見したりして、一通りは歓迎されている。
ま、海外活動の効果はあんまりあがらなかったけど。
74 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:16:59 ID:ZUCdftzC
朝鮮出兵の時三成に人身売買禁止ですからって怒られたのは
皆の大好きな島津さんだっけ?
75 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:18:36 ID:zNXwFjLW
>>71 >>47参照
ソテロが結構ぼんぼんだったので、その周辺では一応歓迎されてはいる。
メキシコでどうしようもなくなった一部は、現地にいついたという。
あと、スペインのハポン姓の人は支倉一行の子孫というのも、
実はちょっとあやしいと最近の研究では言われている。
このへんはそれこそ学者間で侃々諤々だが、
NHKの歴史特番で持ち上げるほどのものではなかったんじゃないか、
というようなところに落ち着くんじゃないかと。
76 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:18:56 ID:cl7jRX1Q
島津さんとこは奴隷輸出の一大拠点ですから
77 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:21:34 ID:Iz0ZnmJ+
朝鮮の役の頃は、平戸や長崎は、東アジア最大の奴隷市場だったらしい。
78 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:23:45 ID:ZUCdftzC
インドあたりで下半身裸の日本人が奴隷市場にいたって記述は
何に残ってんだっけか…
79 :
人間七七四年:2008/11/12(水) 23:26:15 ID:vaOopSzr
>>75 良く考えたら餓えて病気になり使命も果たせず女を抱くってちょっと悪い話だな
80 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 00:16:05 ID:Tvz8lffi
>>72 そりゃさすがに大名・武士に対して失礼。
あと当時の大名権力を過大評価&商人の力を過小評価しすぎ。
81 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 00:33:58 ID:F16bSBj4
>>80 えーと、松浦党あたりが倭寇をやって中国や朝鮮からひっ攫って来たり、
大名が敵の領民を攫ってきて奴隷にしちゃったりするから、
大名・武士が奴隷の供給源だったりするんですよ。
82 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 01:01:29 ID:se1gbUF6
細川父子スレでも話題になっていたけど、忠興と何だかんだいって夫婦を
やっていけた玉さんもちょっと狂気だと思うんだ。
あと、女に対しても男に対しても絶倫だった政宗と一度不仲になったあと
寄りを戻して、それから嫡男忠宗始め四人の子を授かった愛さんも結構
凄い人だと思うんだ。
いや、別に全然悪い話じゃないけど、DQNな彼らの心を掴んで離さなかった
彼女らって何か凄いよなって。
83 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 01:03:41 ID:SFXnTGwv
奴隷と言えば、朝鮮の陣の事だけど
島津軍の武士、大嶋忠泰が、朝鮮から薩摩の家族の下に出した手紙
「今度、家来の角右衛門が日本に帰るので、テルマ(下女にする奴隷)とカクセイ(美形の女奴隷?)を
お土産に届けさせました。もう無事に届いたかな?
そのうち、コカクセイ(美形の子供の奴隷?)は、娘にやってほしい。
私も戦場で十一歳の子供を手に入れて召し使っていますが、酷い病気持ちで困っています。
いずれ娘にも、テルマを一人手に入れて贈りますね。
あと、拾左衛門尉殿にも下女に出来そうな子を一人手に入れて、お土産にしようと思います。
今は加徳という島の暮らしで、食べるのがやっとの暮らしなのですが、
どうにか手のものをつかって、送りたいと思います。」
まあこう言うのが戦国の戦場の現実。
84 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 01:28:15 ID:aeL8PtOS
>>82 ガラシャは「鬼の女房には蛇がふさわしゅうございます」なんてのたまった人だしな。
ただあの人の人生を考えると狂気入っちゃうのもやむなしだと思う。
父は謀反人、夫から遠ざけられ監禁されたのちに病み入った溺愛……
85 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 01:47:57 ID:SFXnTGwv
鬼武蔵もはだしで逃げ出しそうな、「甲陽軍鑑」に出てくる上杉謙信
大田三楽(例の三楽犬の人)が支配する松山城を、北条武田の連合軍が攻め、
三楽は上杉謙信に救援を依頼するが、謙信到着二日前に、松山城の上杉友貞は降伏。
そして三楽の前に現れた謙信は…
「わしの到着前に落城とは何事か!」と、先ず三楽を殺そうとする
三楽「ストップ!ストーーーップ!、降参した友貞の子供と弟を人質に取ってあります!」
「それを早く言え」
謙信公、人質の頭を左手でつかみ上げ、右手の刀で真っ二つ。」
まだ気の収まらない謙信公、「この辺に氏康方の城はないか!?」
三楽「えーっと、三十里ほど先に山の根要害ってのが…」
「そうか!」
聞くや否や、挑発ついでに北条武田軍の向かい側をわざわざ通って、要害に直行、
そこに篭っていた老若男女3000人を皆殺し!
さらに、山の根要害への道案内をしなかったと言う理由で、前橋城主、長尾謙忠を成敗!
ついでにその家来も2000人ほどジェノサイド!
そうしてどうやら気の収まった謙信公、越後に帰っていきましたとさ。
そんな、「甲陽軍鑑」の謙信ですが、武田旧臣の書いたものだから、謙信を貶めてこう書いて
いるのかと言うと…
実はこれ、褒めてるんですよ…。
86 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 01:48:00 ID:wkIgVzJu
話の真偽論争からここまで盛り上がれる逸話があるなんて
さすが最凶DQNの政宗公でござる
※当スレ的には誉め言葉
87 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 01:55:51 ID:CJNTjJnB
上杉さんはまさに
引かぬ
媚びぬ
顧みぬ
がよく似合うお人だな
88 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 02:05:56 ID:unRiMN8X
>>85 これ良く見たら「雪の峠」の話ジャマイカwww
89 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 02:26:41 ID:uy5kqUrz
謙信つぇええ
90 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 02:28:08 ID:JGva0xzj
松山城落城の一件は「雪の峠」の元ネタだよね。
あの作品の、旧い世代の、何とも言えぬ寂寥感は好きだな。
91 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 02:50:59 ID:uhtODn/W
>>85 Yabeeeee!!!
軍神様かっこよすぎwwwww
92 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 02:59:01 ID:uy5kqUrz
なんかもうここまでの爆発力だと確かに「軍神」だわな。
93 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 03:06:09 ID:mVAZUkI9
謙信の逸話を読んだあとに読む正則の逸話の小物っぽさがたまらない
正則の逸話はもう無いのか
94 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 03:16:19 ID:Aqbcjrc/
>>85 原哲夫絵でぬぅん!とか言ってる謙信が浮かんだw
95 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 11:49:47 ID:L5t31JVS
>>47 それなりに歓迎ムードじゃなきゃあ、流石にローマ法王謁見てところまでは行きませんよ。
政宗の使節の資金不足にはまた別の原因があって、
古来中国への朝貢使節は全て費用は中国持ちだった。
わざわざ徳を慕って来るものの面倒を見てやらずしてどうするんだという発想。
政宗も幕府側も、中国への朝貢使節と同じように費用はスペイン側が持ってくれると思ってた。
ところがヨーロッパにはそんな慣習はなく使節の費用は自前で払うのが基本
それを知ったスペイン側はエェー聞いてねぇよと大騒ぎ
ドーバー海戦で負けて以降下り坂のスペインにそんな余裕はない。
使節側としても、そんなこと言われても用意してねえからしょうがない。
遣欧使節滞在中のスペイン帝国議会での議題は、
ほとんどが莫大な遣欧使節の費用問題に関することだった、とか
最終的にどっちが払ったのかは不明だが、、、
慶長遣欧使節はある意味スペインにとっても壮大な嫌がらせだったのだ。
96 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 12:14:18 ID:wkIgVzJu
スペインの凋落に我が国が誇る戦国DQN帝王・政宗公が一役買ったということですね分かります_
つか、近年の説である慶長遣欧使節に家康も一枚噛んでいたとしたら
「本命のエゲレス・オランダをうpさせるためにこの使節送ったんだよ!計算通り!」(デスノートAA略)
という風にも考えられ・・・権現様テラコワスw
おまけ
>古来中国への朝貢使節は全て費用は中国持ちだった。 (以下省略)
同じ発想で江戸時代の朝鮮通信使は行っていたから
双方の目的をある程度達成した江戸中期以降は
「予算削減!」という幕府側と
「おまいらこっちはわざわざ来てやっているんから歓迎汁!」という朝鮮側で
無茶苦茶もめたあげく、
最終的には「一番の利益受諾者である対馬藩でどーにかしろよ」と対馬Uターンが定番コースに。ヤレヤレだな。
97 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 12:34:09 ID:bBShDXUK
忠興のDNA
細川忠興の嫉妬深い性格を一番受け継いだのは、松井興長に嫁いだ娘・
細川古保(こほ)であろう。
宿下がりしてた侍女が戻って来た時に、興長と侍女が密会していてたこ
とを暴き出した。
こほは、火鉢に刺さってた焼けた火箸を取り出し、火箸で侍女を何度も
何度も突き刺して、ついには殺してしまったそうな。
98 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 13:28:50 ID:/3a4wEvO
阿部定「さすがの私もそれはひくわ」
99 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 14:00:26 ID:MzQ5qfhG
>>82 その愛姫は自身の末子、松竹丸を40歳で生んでる。
不仲は、愛姫の実家の田村氏が政宗の暗殺未遂に関与したという噂で
怒った政宗が愛姫の乳母や侍女を処分した、っていうのが原因らしい。
乳母・侍女殺された、政宗の暗殺未遂が1590年。
長女・五郎八姫が生まれたのが1594年。
伊達成実が伊達家の家紋を使ってたのを見て政宗が咎めたら
「これは元々うちでもらったもの。それをそっちが使いたいってういから
くれてやっただけだし、俺が使って何が悪い!」
って逆にキレられて、政宗が謝ったって言うことがあったらしい。
謝ってすむことでもないだろうけど、愛姫の件も案外
政宗がこっそり愛姫に頭下げたのかもね。
ちなみに、伊達成実から献上された現在の伊達家の家紋は
もともとは成実の父親が上杉家から貰ったものだそうな。
(成実父が上杉家に養子に入る話があって、その時に貰った。
養子の話は後に解消されてる)
100 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 14:11:43 ID:fxGF3E4O
伊達成実は上杉景勝から法外な恩賞(5万石といわれる)を条件に上杉氏の家臣となるように誘われたが、成実はこれを拒絶している
(「本来ならば家臣筋の家に仕えるつもりはない」と断ったと言われている)
上杉景勝の養父上杉謙信は元々越後上杉家の守護代である越後長尾氏の出身
養子縁組が成功していれば越後上杉家の当主になり、上杉景勝は上杉宗家を継承できずに越後上杉家の守護代長尾氏の当主として成実に仕えていた筈である。
101 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 14:24:50 ID:SFXnTGwv
まあ、その養子を出す出さないで、越後じゃ本庄房長の乱、伊達の方じゃ天文の乱が起こって
北日本がえらいことになるわけだが。
102 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 14:32:04 ID:uy5kqUrz
>>97 まじめに怖いわー…。
激情家もここまでくるとな。
103 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 16:07:58 ID:fxGF3E4O
>>101 養子を出す出さないで争った結果
謙信は上杉家を継承し、越後掌握。
伊達は弱体化、最上独立
政宗の爺ちゃんが反対しなければなぁ
104 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 17:54:37 ID:SFXnTGwv
外国人から見た市松さん
老三ヶ(頼照)殿の息子マンショ(頼連)は、はじめ伊予の国で、関白の甥にあたる
きわめて残忍な性格の男(福島正則)とともにいた。
この男は、ごく些細な理由でマンショを朝鮮で殺そうとしたことがある。そのため彼はこの男の許から
身を引き、アゴスチイノ津の守殿に仕え、剃髪して彼とともに日本に帰った。
その妻子は伊予国に残っており、かの残忍な男は、もとより彼らを皆殺しにするように命じていたから、
マンショは密かに伊予に赴き、夜分、気づかれることなく妻子を乗船させ、無事に連れ戻すことが出来た。
暴君の家来たちは、ただちにマンショの後を追ったがマンショらは巧みに敵の目をくらまし
身を隠したので、発見されずにすんだ。
フロイス『日本史』より
105 :
大人の名無しさん:2008/11/13(木) 18:24:13 ID:2AhTGECl
沖田合戦にて
島津家久の奇襲に遭い、主の竜造寺隆信を失った
竜造寺四天王の一人、江里口信常は
敵軍の中を味方と偽り本陣まで突進!
ついには家久の元まで辿り着き切りかかる・・だが
悲しくも足を切り付ける程度に終わってしまい
その場でなぶり殺されてしまう。
家久からは「無双の剛の者」と称えられ、一族を召抱えたいとまで言わせた。
106 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 18:29:04 ID:P0emGFJG
家久は家久でも、DQNじゃない方の家久か…
107 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 18:37:13 ID:3xI5Eivg
>>99 伊達の家紋もそうなんだ
やる康スレで見た記憶があるんだが
本多忠勝の家紋が葵で徳川が天下を取ったとき他の葵の紋を持つ大名は遠慮してこれを変えたが
忠勝だけは頑としてこれを変えなかった
家康が「なぜ忠勝は紋を変えぬのか?」と問うたとき
忠勝は「元々葵の紋は我が本多家のもの、それに我が家の紋は上様が葵の紋に変えられる前からのものであり、我が葵には幹がありもうす」と言ってきかなかった
家康はこれには閉口して葵の紋を持つことを許した
以後、葵の紋を持つ家は本多と徳川一門だけになったって話
スレ違いっぽいが
あえて言うなら忠勝の往生際が悪い話しってことなんだが記憶違いもあるかもしれん
108 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 20:33:17 ID:xFv3et71
なんか謙信は別格だな
四天王ですら霞むほどに ひどい 。
109 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 20:36:25 ID:b6EviZvI
DQNの方の家久は忠恒って呼ばないか?
紛らわしい。
110 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 20:48:11 ID:PakGb50I
細川家のDNAといえば、幽斎の長女も凄かったんだっけ
111 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 21:28:59 ID:Y6bnWng9
豊臣秀次の検死をつとめたときにぼろ泣きしたという福島正則さん。
正則は男子に恵まれず、姉の息子を養嗣子にしていた。
福島正之である。
正之の妻は家康の養女(姪)満天姫、
某秀吉の遺命破りで結ばれた2人だが、なんと!
2人が婚約した年、正則に実子・忠勝が産まれたのだった。
忠勝が成長するとともに正之を疎んじはじめる正則。
正之もそんな正則の思いに気づき、真偽は不明だが、
酒に溺れ、百姓に鉄砲を撃ち掛けたり正則の葬列もどきを
行うなど、異様な行動が目立ち始めたといわれる。
そうこうしているうちに、正則は正之を
「狂乱の相あり」と幕府に訴え廃嫡、幽閉してしまった。
正之はそのまま餓死し、満天姫と生まれたばかりの男子も
実家に返した正則は、無事に実子の忠勝を嫡子に据えたのだった。
112 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 21:31:00 ID:MlnmhPUr
謙信て京だか毛利だかからの使者の坊主が謙信の容貌を見て、
あまりのいかつさに腰を抜かしたという話があったと思う。
113 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:02:02 ID:igX6+0pN
DQNまるみえ! 戦国特捜部。今回は「血染めの桜」でーす。
ではVTRを御覧下さい。
最上家は代々羽州探題の家柄だが、下克上がすすみ義守・義光のころには
小野寺や白鳥といった周辺大名までその地位を脅かすようになっていた。
中でも白鳥長久は信長に対して羽州探題として交渉を始めたので、義光は
そのあと速攻で信長に面会したりした。(近年、面会を記録した書状発見)
なんだかんだで表面上はにこやかで、「サシで話そうぜ」
なんて手紙で言ったりしているけど、義光は「いつか奴をやる!」
と思っていた。そこで義光は嫡子と白鳥の姫婚約を成立させるも、
白鳥は用心深くなかなか城に来ない。そこで家臣・氏家守棟が計略を提案。
氏家「まずは白鳥をおびき出すことが大事だと思いました」
白鳥長久のもとに義光危篤の知らせが届く。
「倅の義父である白鳥さんに、最上の羽州探題職と家系図を託します、ゲホゴホ」
白鳥はあやしんだが、それ以上にwktkしながら山形城に向かう。
これが計略だということにまったく気付かないターゲット!
と、そこにはすっかり元気になり、パジャマ姿で刀を構えた義光の姿が!
ここでネタ晴らし。
「ちょw病気じゃなかったの」
それにしてもこの義光、ノリノリである。
「おまえは勝手に羽州探題を名乗った、生きて山形から帰れると思うなよ
ぶち殺すぞ白鳥!!」
義光はバッサリと白鳥長久を斬り殺す。その血がかかった桜の木が「血染めの桜」。
政宗「さてスタジオの皆さん、いかがでしょうか」
家久「はいはい、ちょっと気になるんだけど、白鳥の娘どうなったの?」
政宗「それがですね、義康に嫁いだのですが夫の暗殺後は尼となって、
ひっそりと庵を結んだというんですね」
忠興「さすがのオレもひくわ…」
義光「ちょっと待ちなよ、そのころうちの子はまだ十歳くらいで、
婚約しただけだよ。そもそもそのあと姫がどうなったか、記録にないよ!?」
正則「ツマンネ」
義光「そもそも義康の妻は別人だしさあ。この話って民間伝承とごっちゃに
なっているんだ。だいたい政宗、おまえ白鳥征伐おめでとうってお祝い
くれたじゃん!?」
鬼武蔵「ますますくだらん、その程度で悪人とか言って恥ずかしくないのか!?」
」
義光「うっ…別に。血染めの桜って名前も大正時代くらいからの創作なんだ。
桜の季節に斬ったかも不明なんだよ!」
家久「んだよー、政宗のおじさんっていうからもっとヤバイかと思ったのに」
忠興「これだから常識人は、気取りやがってw」
政宗「というわけで、今日のゲストはスカしたDQNになりきれない、義光
おじさんでしたー」
114 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:11:13 ID:v3m3kumJ
甥っ子が止め刺した
115 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:25:37 ID:8mEAorT+
>>112 やっぱり某世紀末覇者みたいな風貌だったのだろうかw
116 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:29:50 ID:0ushH+4Y
葵の御紋の裏話
山背(平安遷都以降は山城)にある賀茂神社は賀茂氏の氏神様なんだな。
これ源平藤橘に比べればマイナーだけど神代から続く氏族なのよ。
本多家はこの賀茂氏の流れで御先祖様は賀茂神社の神官を務めてたんだ。
一般に賀茂神社といえば葵祭が有名だけど本多家も家紋に葵を用いていた。
で南北朝時代にどこの馬の骨とも知れぬ徳阿弥なる人物が諸国流浪の末に
三河の松平郷に定住して松平家を興すと本多家もそれに臣従したんだ。
すると氏素性も定かでない主家と明らかな家臣という逆転現象が起きる。
そこで松平家は本多家から家系も家紋も分けてもらい賀茂氏を私称する。
当時はそれで良かったんだが松平家が代を重ねる度に勢力を増してくると
欲が出てマイナーな賀茂氏よりも源平藤橘になりたいと夢想するんだ。
所詮は偽者なので氏は受け継ぐ物ではなく飾り立てる道具程度の認識だな。
まず賀茂氏を藤原氏に替えてやがて清和源氏新田流に成りすますんだ。
家系と違い家紋においては葵への愛着も深くて替えずに使い続けたが
逆に松平一門での独占を企み本多家の家紋を替えさせようと圧力を掛ける。
だけど本多家にとっては家系も家紋も御先祖様から受け継いだ本物なので
たとえ主家であろうと偽者相手には断固として引かなかったんだ。
117 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:48:57 ID:v3m3kumJ
徳川と本多って微妙に違わなかったけ?
118 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:51:28 ID:SFXnTGwv
119 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 22:57:07 ID:v3m3kumJ
>>118 微妙どころか全然違うな
本多の印籠出ても二度見するよ。
120 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 23:15:32 ID:MzQ5qfhG
「葵」を含む意匠の家紋全部について
使用を自粛するようにっていう空気だったんじゃないのか
>>107の話だとそんな感じがする
121 :
人間七七四年:2008/11/13(木) 23:18:18 ID:F+CHcVKI
122 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 01:06:26 ID:2CvjF4cT
微妙な違いといえば、尾張、紀伊、水戸で微妙にちがうとか。
葉の柄とか葉脈のようなものの太さとか
123 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 01:57:27 ID:qjZnbv4w
>>120 酒井だっけ?葵が被ってるという理由でカタバミに変えたのは
>>122 歴代の将軍によっても多少違うしね。
124 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:07:51 ID:sV/fa3ik
>>85 これ武辺咄聞書で
『甲陽軍鑑には上杉友貞って書いてるけど、そんな人物は上杉一族に居ないよ』
『この時の松山城城主は上杉憲勝だし・・・甲陽軍鑑は偽りが多いネ』って言われてる話だね
逆に関八州古戦録の謙信は、この人質を斬らず助けてるw
しかも上杉憲勝が差し出した人質自体、実は系図にすら載っていない
いずれにせよ、歴史家からも信憑性が薄いとされている「物語」
長尾謙忠という人物も甲陽軍鑑にしか出てこない架空の人物
厩橋謙忠の間違いかも知れないけど、この人の死因は成敗された訳ではなく、病死
後北条に厩橋城を奪われ、放浪していた所を謙信に城を奪い返してもらってる
山の根要害は騎西城だし
その陥落の際、女房達が犠牲になった具体的な逸話も有るが、それも内容が全然違うしね
要するに謙信に関する逸話の殆どは、創作された部分が非常に多く「作り話」の域を出て無い
125 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:28:28 ID:yzAbv0Vu
そのあたりも含めて「『甲陽軍鑑』の謙信」なのかね
しかしDQN四天王には誰も勝てないのか・・・秀吉以外
126 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:35:45 ID:9D9DDU/O
127 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:42:33 ID:kbXyhHxK
ラスボス
128 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:48:14 ID:cjnAwfZy
を操る第六天魔王 織田信長
129 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:49:46 ID:RYYZqBY3
でもゲームとかだと大抵、四天王→ラスボスと行くと、
ラスボス倒したあと
「ふふふ、私ごときを倒して何を喜んでいる、真の恐怖はここから始まるのだ…
あの方の手によってな!」
ΩΩ Ω<ナ、ナンダッテー
と、なるものだが、この場合「真ボス」は、誰だ?
130 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 02:50:23 ID:RYYZqBY3
おうわ、既に答えが書かれていたw
131 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 03:06:21 ID:kbXyhHxK
クリアできね(´Д`)
132 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 03:13:38 ID:l6pY+QGh
>>99 愛姫は辛抱強い美人なだけのイメージがあるが
どこかに、侍女鉄砲隊率いて輝宗もろとも畠山義継を撃ち殺したのは愛姫っていう
軍記かなんか資料がなかったっけ。戦国板見てるとたまに見かけるんだが、、、
事実だとすると東北の女は恐い。
133 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 03:26:05 ID:4aMn9YMq
>>132 その話は眉唾としても、何もできないお姫様じゃなくて
戦国の武将の妻としてはやるこたやってたでしょうね。
秀吉の時代に京都に送られていた頃の愛姫は
伊達家の外交官の役目を積極的に果たしてたらしいし。
134 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 03:48:34 ID:FBGLBs4/
>>132,133
眉唾ものだとしても格好良すぎるw
義姫は「喧嘩すんなー!」って輿乗って戦場くるし
主が居ない間城を死守した妻って話もいくつか聞くし
東北の女が怖いんじゃなくて、家康の言うとおり「戦国の女」は
>>133の「武将の妻として」ってくらいみんな恐ろしく根性入ってて強いんだろう
135 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 03:54:18 ID:8FWj4VWy
吉川英治は「新書太閤記」を秀吉の天下統一以前で打ち切ってるんだが、
秀吉を人格者として書き続けたのに現実の秀吉は天下統一のあたりから
DQNっぷりが際立ち、小説上の人格との乖離が覆い隠せなくなってきた
のに嫌気がさして筆を投げ出したんだろうなぁ。
もっとも、この「新書太閤記」に出てくる秀吉も別の意味で無茶苦茶だが。
なにせ、清洲城の城壁修理では大工の棟梁やら何やらを呼び集めて
祖国防衛の危機であることを説くと皆号泣して「私が間違っておりました」
と修理に全力を挙げることを誓い、見事期日までに修理できましたとか、
鵜沼の大沢次郎左衛門を調略したときは、大沢が改めて織田に安堵して
もらわんでもここは元々俺の領地だと言うのに対して、そういう考え方は
間違いだ、日本の土地は全て天皇陛下の領地ではないかと叱りつけ、
その場では喧嘩別れに終わったが、後に大沢が知り合いの僧侶に説得
されたこともあって自分の考えは間違いであったと認めたとか、そんなん
ばっか。
忠君愛国物語にしたいのは分かるが、そこまで嘘臭いこと書いちまったら
逆効果じゃなかろうかと思うんだがなぁ。
136 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 04:01:21 ID:RYYZqBY3
137 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 05:41:39 ID:tb/zu27A
>>124 厩橋謙忠じゃなく厩橋賢忠だな
一応北条に通じた疑いを持たれたのと、松山城を救援しなかったので断罪されてる
病死が有力視されてるけど、これも本当かどうか分からない
謙信に限らず武田、北条、伊達も誤った逸話が多いからな
政宗も成実が出奔した後の城を屋代に攻めさせ、妻子を殺したなんて逸話が有る
大河「独眼竜政宗」でも採り上げられた逸話だが
これも嘘だと判明した
138 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 06:41:25 ID:Gjdz66GE
>>137 >>政宗も成実が出奔した後の城を屋代に攻めさせ、妻子を殺したなんて逸話が有る
>>大河「独眼竜政宗」でも採り上げられた逸話だが
>>これも嘘だと判明した
まじか。
まあ、逸話なんてそんなもんだよね。虚実入り混じっているからこそ、またそれなりの楽しみ方もあるといえる。
139 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 06:56:22 ID:cjnAwfZy
当時成実の正室は既に他界しており、他に妻子が存在したという資料はない
別説もあり、成実の家臣、遠藤、内ヶ崎、白根沢等が岩出山留守居役屋代景頼に内報し、屋代景頼が急襲したとの説もある
140 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 07:23:06 ID:DJT4reer
141 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 12:11:05 ID:4s++x4Sf
あんだけやって秀頼だけとは残念すぎる
142 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 12:55:56 ID:3HDigU0x
発射しすぎて薄まってたんじゃねーか?
143 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 13:59:09 ID:SFE+hfRb
おまえら聞いてくれ。
政府は二重国籍も認めたいという方針も出している。
もしこの国籍法とセットになれば帰化した外国人がバイト代わりに
外国の親戚たちを合法な上で子供を認知すれば大量に子供とセットで
さらにその親(母親)が押し寄せてくる。しかも子供は20歳までという緩い制度だから
数年で劇的に外人が増加する。
そうなれば今現在の純日本人は少数となり、間違いなく逆差別が広がる。
事実上日本人だが民族対立が始まるだろう。
もう日本人から搾取できないと経団連は判断している。
国籍法のDNA鑑定だけでもセットしないと派遣だから就職難だからやな国とか
そういうレベルじゃなくなるぞ。チベット化だ。
ただでさえ日本人は高齢化している。民族間暴動になったとき絶対勝てない。
協力してくれ。
【議員署名を】国籍法改悪 外国人が大量帰化【今日中!大至急!】
http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1226635676/
144 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 14:56:52 ID:WxAizyGz
かぶき者の入浴
前田慶次が上杉景勝のお供で江戸に行った際に、同輩と銭湯に行くこと
になったが、慶次は銭湯の風呂にふんどしに脇差を差したまま入った。
それを見た同輩は、
「あのかぶき者が脇差を差したまま風呂に入ったぞ!!」
と言い、後から入った同輩も慶次のオサレをマネして、ふんどしに脇差
という格好で銭湯に入った。
その慶次は風呂に入ったあと、板の間にでてその脇差をスルリと抜いた。
なんと、脇差の中身は竹のへらで、それをもって足のうらの角質をこそげ
ているではないか。
他の者の脇差はみな本物なので、刃物・つか・下げ緒もびちょびちょにな
ってしまった。
同輩は「また慶次にだまされた。」と怒ったが、慶次のオサレをマネした
という後ろめたさもあり、誰も慶次に文句は言えませんでしたとさ。
出典「翁草」
145 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 15:01:20 ID:RYYZqBY3
>>144 慶次はこの手の、自分がファッションリーダーと認識されていることを、利用した悪戯が好きだよねw
146 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 15:34:27 ID:FzaDMd7t
ファッションリーダーだから騙されていたりほのぼの系の逸話が多い?から好きだなw
147 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 16:50:08 ID:3HDigU0x
謙信の持つ刀に「竹俣兼光」という刀があった。
元々は一農民の持つ刀だったのだが、
ある時雷雨が起こりこの農民が刀を頭上に捧げもつと
刀に雷が落ち、すると途端に雷雨が止んだ。
無傷だった農民が辺りを見ると、刀に血がついている。
雷神を斬ってしまったのだった。
という逸話のある刀で、この刀は領主の竹俣氏の手に渡り、
「竹俣兼光」の名で更に竹俣氏の主君である謙信の手に渡った。
謙信はこの刀を愛用し、第四次川中島にも持っていった。
そして合戦の折、謙信は一人の武将を一刀の元に切り伏せた。
甲斐軍の兵たちがその切り倒された武将を見ると、彼らは震え上がった。
なんとその武将は兜も鎧も断ち切られており、
更にその武将の持っていた鉄砲も銃身から真っ二つにされていたのである。
この刀は謙信の死後愛刀家であった景勝が保存し、
そして豊臣家へと献上された。
しかし大坂城落城の際に一人の落ち武者がこの刀を持ち出して逃げ、
ついにこの名刀はどれほど捜しても見つからず行方知れずとなってしまった。
148 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 16:57:12 ID:RYYZqBY3
>>147 これもそうだけど、謙信は自分の手で人を殺したり殺そうとしたりする逸話が、異常に多い大将だね。
149 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 17:22:51 ID:x2p89cHo
自ら先陣に立って太刀を振るうことが珍しくなかった大将だそうだからなあ。
馬術が得意だったらしい。
ただし晩年は怪我か酒の飲み過ぎか不自由な体になってたようだが。
150 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 17:28:35 ID:WxAizyGz
>>147 >竹俣兼光
確か、景勝の時代にこの刀を研ぎに出したら研ぎ師に偽物にすり替えられた
って逸話(「翁草」)もあったな。
なんでも、竹俣兼光の刀身には小さな穴があいていたので、すぐに偽物と見破
れたとか。
当然、だました研ぎ師はこの刀の餌食にw
151 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 17:36:22 ID:+2S3i6Sj
兼光って備前長船兼光かな、そんな物を農民が?
152 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 18:19:00 ID:RYYZqBY3
お稲荷さんと狐さん、危機一髪!
有名な秀吉の養女、豪姫。
彼女があるとき「狐憑き」の状態になった。秀吉は大騒ぎ、
そして秀吉は考えた、狐といえば稲荷社、その稲荷社の総元締めといえば
伏見の伏見稲荷大社である。
「三成を呼べ!」
そうして、こんな書状を書かせた
『伏見稲荷大社へ
我が娘、豪に、狐が憑いた。これは伏見稲荷大社の管理不行き届きである。
もし、豪が死ぬようなことがあれば、
諸国の稲荷社を全て取り潰し、さらに全国の大名に命じて、狐を狩りつくし絶滅させる!
そう心得よ!!
秀吉』
伏見稲荷大社もこれには困り果てたが、幸いにも豪姫は狐憑きから回復し、
稲荷社と日本の狐は絶滅せずに住んだ。
さてこの逸話、最近の研究の結果、なんと史実であったことが判明。
もしあの時豪姫が死んでいたら、日本は本当に狐のいない国になっていた、かもしれない。
そんなお話。
153 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 18:39:28 ID:ZudQXw65
>>152 日本の生態系まで変えようとするなんて流石は本物の殺生関白だぜ
154 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 18:41:12 ID:uCPiuD8Q
やはりボスキャラは格が違った。
流石の四天王もこれは引かざるをえない。
155 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 18:41:25 ID:8ykNATa7
156 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 18:43:36 ID:x2p89cHo
狐の呪いで豊臣家滅んだんじゃないか?
157 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 19:01:37 ID:zxUhZ8VQ
キタキツネはさすがに大丈夫だろう
る〜る〜るるるる〜♪
158 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 19:24:48 ID:kbXyhHxK
関白殿下はやばいな…
四天王「さすがの俺たちもひくわ…」
159 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 19:47:01 ID:pRMaT4NC
毛沢東スレスレだな。
しかし毛沢東は害鳥駆除という一応納得できる建前があったが、
これは完全に八つ当たり…。
160 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 20:03:26 ID:DLvwhGWw
政宗や長可は何故か大して腹が立たないが秀吉はなあ……
仮想戦記もので秀長死亡後の奴が殺される展開がある小説か漫画はないのかなぁ
161 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 20:06:14 ID:pRMaT4NC
四天王は天然入ってるから許されるんだろ。
秀吉はなまじ頭いいことは誰でも認めることなので、天然でやっちゃった感がないんだな。
162 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 20:12:54 ID:WxAizyGz
屁に殺された男の話
千葉邦胤は正月に家来を集めて宴会していたところ、近衆の鎌田万五郎が配膳の際に、邦胤の御前で
思わず2度も屁をこいた。
邦胤「このめでたい席に屁をこくとは何事かっ!!それも1度ならともかく、2度もこくとは余をないが
しろにしてのことか!!」
鎌田「いや、そのようなことは。思わず…」
邦胤「「思わず」とは何事だ。思って屁をこけば大逆の大罪である。余に遺恨あってのことか!」
鎌田「屁をこいたのは手前の不覚。世に「出もの腫れものところかまわず」といいます…」
邦胤「口応えするなっ!!」
激怒した邦胤は鎌田を蹴り飛ばし、脇差に手を掛けた。重臣たちはおどろいて鎌田を宴会場から引きずり出し、
邦胤に助命を嘆願したのでことなきを得たが、半年間蟄居の処分となった。
しかし、万座で恥をかかされた鎌田はその恥辱を抑えることができず、7月のある晩に邦胤の寝所に忍びこみ、
邦胤を刺し殺した。
家来たちは虫の息の邦胤から鎌田が犯人であることを知りしらみつぶし捜索し、もはや逃れることはできないと
悟った鎌田は切腹して果てた。
出典「関八州古戦録」
163 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 20:14:57 ID:kbXyhHxK
一応このお稲荷様の話は、秀吉のいつもの
「ちょっとどころじゃない悪い話」ではないんだけど、
なんか、引くんだよね。
164 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 20:18:27 ID:RYYZqBY3
秀吉はこのほかに、竜宮に手紙出した話や、頼朝の木像と語り合った話、地震を防げなかった
大仏に罰を与えた話など見ると、信長の神格化の話はよくされえるんだけど、
秀吉の場合、健康を害するまで、実際に自分のことを神、もしくは半ば神に近い存在だと、
信じきってたきらいがある。
彼は生前既に、自分は死後、「新八幡」になると言っていた、って話もあるしね。
なんというか、日本の中世的な土俗的迷信を、そのまま持って権力者になったような、そんなイメージ。
165 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 20:49:44 ID:hODGc8rz
166 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 21:09:56 ID:M1IReFsI
>>165 そりゃ幾らなんでも秀吉に失礼過ぎるだろ・・・
167 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 22:14:01 ID:ZWA+CPVa
いや、こういう馬鹿話はどう考えても秀吉の諧謔だろ…。
おはなしをストレートに受け取りすぎだべ。
狐つきの話も本当は豪の奇行を嗜めるために、
半ば冗談風味にやったと考えるのがこの話の見かただと思うが。
大仏も態と大仏をしかるということをして滑稽さを演出して見せ、
地震で暗くなった世相をちょっとでも明るくしようとしたんだよ。
よく晩年の秀吉は頭がおかしくなったと言われるが、
そういうストレートな見かたしかできないほうがおかしい。
むしろ「ひとたらし」と言われた秀吉の面目躍如だべ。
168 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 22:17:12 ID:zxUhZ8VQ
狐憑きって
「ぐわ!私の中のもう1つの人格が・・・あああぁぁぁぁ!!!
ふぅ・・・ふぅ・・・なんとか抑えることが出来たか・・・」
みたいなもんだろ
今でもたまにいるじゃん
169 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 22:18:21 ID:PHHn8Q/q
俺の黒歴史を抉るレスがあると聞いて
170 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 22:31:14 ID:/VRCjdfV
なんかで聞いたが狐憑きとか悪魔憑きって今で言う脳炎ってのが多いらしいね
当時はそんな知識はないだろうけど
171 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:14:19 ID:mtz88MZm
秀吉は一般人の尺度で見たらダメな気がする
鶴だかが逃げて、逃げた先が国内なら日本はオレのものだから別にいいよとか
鷹狩で九州・島津と東北・安東に鉄砲ぶっぱなさせて鳥を追い払ってくれ、オレは京都でそれを狩るからとか
とにかく冗談のスケールのでかいから、凡人からしたら「この人ちょっとキチガイなんじゃないかな」
って思っちゃうとこはあると思う
172 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:21:40 ID:kbXyhHxK
まぁカラカラ笑いながら言ったりやったりしてそうだもんな。
173 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:23:19 ID:OW1wZquN
カラカラ笑いながら「お前の娘? 殺すけど」とか言ってたんだろうな…
174 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:23:50 ID:4s++x4Sf
キツネ耳の娘を想像してしまった」
175 :
人間七七四年:2008/11/14(金) 23:48:03 ID:7BN0LaUn
旧日本軍で兵隊やってたどっかの爺さんが、戦後諸外国にいいなりの日本を見て
「戦争で300万人死んだくらいで何を怖気づいてるんだ?」
って言った話があるなw
動乱の時代は秀吉や森某みたいなのを生むんだろうな
176 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 00:10:06 ID:9asq2qiY
森某「戦場で切るのもそれ以外で切るのも大して変わらんだろ?」
177 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 00:41:17 ID:ajLAlSvO
>>175 ドイツ、ソビエトは1000万人から死んでるんだよな。
それに比べたらまあ、ましとは言えるが。
178 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 02:16:31 ID:3WAZLJD1
そんなに死んでたのか……
本土決戦は回避して、本当に良かった
179 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 02:36:27 ID:mumHIUK+
ソ連は実際に戦闘で死んだ人より飢死が多いと言われている。
日本も南方戦線の惨状見ると人のこと言えないが。
180 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 02:39:52 ID:3WAZLJD1
牟田口廉也死ねよ
死んでるけど
181 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 02:51:20 ID:ajLAlSvO
>>180 その人はちょっとどころじゃなく悪い人なので。時代も違うし。
182 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 02:58:51 ID:TrUyDsco
183 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 05:07:52 ID:32XdfTbo
赤い国は戦争してた方が人口減らないしなあ。
184 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 08:09:16 ID:afFQ41G1
丹波、丹後の逸話知ってる人いますか?
185 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 11:49:36 ID:gKQOah+3
一色の家臣に稲富佑直というのがいたのは有名だ。
この男、天橋立で鉄砲の練習をしていたのだとか。
25歳のとき天橋立にある智恩寺の文殊堂で17日間願をかけた。
そして練習をすると暗闇でも犬や猫をその鳴き声だけで撃ち抜き、
飛ぶ鳥も射落とすことができるようになったという。
後に弓木城に篭った一色義定と佑直の主従に細川親子は大変苦戦したそうな。
ちなみに今の智恩寺には猫が住んでいる。
(動物愛護的観点で)ちょっと悪い話し。
186 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 11:52:02 ID:RIsBwzl1
いよいよ 投稿者:スヒョン 投稿日:2007年 7月30日(月)04時32分31秒 返信・引用
計画通り民主党が参院選で過半数を獲得。いよいよ始まりますね。
自民党独裁弾圧政治の終わりの始まり。
我々虐げられてきた在日同胞の権利拡大の始まり。
最近はネットのおかげで90年代以前なら使えたネタが通じにくいですが
民主党さんにはがんばってもらいましょう。
まず短期的には在日同胞のお年寄りへの年金支給実現が急務です。
生活保護だけでは本当に最低限の生活しか補償できないのが現実です。
差別と弾圧の苦難の時代を乗り越え、我々三世四世が暮らせる基礎を
気づき揚げてきたアボジたちに、豊かな老後生活を提供しなければならないですね。
多くの日本人同様に税金をしっかり払ってきたわけだし、これまでの差別の歴史を
考えてみたら我々にも年金をもらう資格はあるし日本政府にもその責任があります。
在日同胞への年金支給がいちばんの優先です。
その次は地方参政権獲得へと山を作っていきましょう。
各地のコリアンタウンを基点に、組織的に民主党議員を支援していく体制は
すでに整っていますが、足りないものがあれば、各支部ごとにまとめて本部に
頼んでください。
民主党の中での雰囲気醸成や意見の舵取りなどは、同胞議員の先生たちが
きちんと動いてくれる予定ですから心配ありません。
また北韓同胞との連携も必要になってきますので、支部長レベルでの会合等調整をお
願いします。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=5&board=552022058&tid=cf9qa4nhbfffca5ga5b&sid=552022058&mid=83344
187 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 12:11:50 ID:oZrO8AEL
>>162 Wikiでは、屁をこいたのは桑田万五郎とあるね。
結局、邦胤の早死が原因で千葉家は北条家に乗っ取られるんだよな。
188 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 12:36:17 ID:oZrO8AEL
>>184 んじゃ、丹波の話
貂の皮
「丹波の赤鬼」赤井悪右衛門直正は夜な夜な現れ人々を悩ましている怪物を退治した。
怪物とは大きな貂(イタチ科の動物)で、直正は早速この皮を使った槍の鞘を作り家宝と
した。
この武勇伝には後日談があり、天正6年羽柴秀吉の家臣で黒井開城の降伏勧告の使者とな
った脇坂安治の勇気と厚意に此の家宝の毛皮を与え、以降貂の皮は脇坂家の家宝となった
という(Wikiから引用)。
俺が読んだ話はちょっと違っている。
もともと貂の皮は二対あって、それぞれを赤井・脇坂が所有し旗指物としていた。
そして、脇坂が赤井を討ち取った際に、赤井が形見に貂の旗指物を与え、以降脇坂は2対の貂の
皮の旗指物をはためかせて戦場を駆け巡ったという。
189 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 13:34:03 ID:1y4u8htk
大坂冬の陣で。
家康は大和川の両岸に上杉軍・佐竹軍を配置、
その後方に丹羽軍・堀尾軍をつけて後方支援に当たらせ
「明朝から上杉・佐竹は同時に攻撃を開始し豊臣軍を撃退せよ」と命令した。
戦いの内容は中略するが、上杉軍の方は無事豊臣軍を撃退。
明朝から戦っていた上杉軍を気遣い家康は「堀尾軍と代われ」と命じたが、
景勝は「身を粉にして戦って取った陣地を、
他人に任せることなど出来ない」と堀尾軍との交代を拒否、
次に丹羽長重が来たのだが、景勝は長重に見向きもせずガン無視。
長重はその無言の様に景勝の決意を悟り、後日その姿を大いに褒めた。
ところで上杉に陣地交代を拒否られた堀尾忠晴は
対岸の今福で苦戦中の佐竹軍に救援をしたのだが、
戦が終わると佐竹からの使者が来て
「あれは苦戦してたんじゃなくて
敵を引付けるために苦戦してるフリをしてただけなんだから
勝手に敵を攻撃したりしないでよねっ!
お陰で作戦が上手くいかなかったじゃない!」
と感謝されるどころか文句を言われた。
(え?佐竹って上杉には救援要請してなかったっけ?)
秀忠からは今福の戦いでの戦功を称える感状を貰ったのだが
後日軍使が来て「確かに頑張ったみたいだけど
佐竹の作戦の邪魔したらしいじゃん。
こういうのは軍令違反だから今後はもう勝手な真似しちゃダメ」
と、やっぱり注意を受けた。
これに忠晴は「目の前の敵を、コレは別の人の相手だからと
見逃すような真似は出来ないので、ご容赦ください」と答えたという。
190 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 14:06:45 ID:JUL2/4z8
>>189 徳川もあっちゃこっちゃで言い分が違うから、大変だっただろうなw
191 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 14:40:22 ID:T2f0bm5i
>>188 司馬遼太郎の短編「貂の皮」は個人的にお気に入りだ
でもここ悪い話スレなんだよなw
192 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 18:14:32 ID:mumHIUK+
珍しい島津義弘の悪い話
義弘には
・北郷忠孝の娘
・園田清左衛門の娘(広瀬氏の娘とも言われる、宰相殿といって「いい話」で頻出したラブレターで有名w)
の2人の妻がいたことが島津氏側の系図には書かれている。
が
実は他にも知られざる妻がいたらしい。
義弘は隣国・肥後の相良氏から嫁を取った。たぶん99%政略結婚だったと思われる。
時期もはっきりしないが、おそらく義弘が島津豊州家との養子縁組を解消し最初の嫁と離婚したころであろう。
ところが、そのうちこの相良氏の嫁とは離婚してしまった。
この時期もはっきりしていないが、相良氏と島津氏の抗争が再び勃発したことが原因であったと思われる。
気の毒なのはこの嫁。事情ははっきりしないが実家の相良家に帰ることも出来ず、
帖佐の辺川と言う所に屋敷と堪忍扶持を与えられ「辺川殿」といわれていた。
しかし、そのうち、彼女が島津側の情報を逐一相良側に通報しているという噂が立った。
義弘は当然怒り狂い、辺川殿とお付きの女中を「たまには息抜きでもどうですか」と誘い出した。
長い幽閉生活に疲れ切っていた辺川殿一行は義弘が怒り狂っているとは知らずこの申し出をうけた。
辺川殿一行は駕籠に乗せられて遠くに連れていかれた。
そして最後は須木村(宮崎県西諸県郡あたり)の山中に突如放置され、
駕籠かきやお付きの侍は逃亡してしまったのだという。
地理も分からぬ山中に放置された辺川殿一行は何とか下山しようと様々努力を重ねたが、
遂に遭難し、全員が餓死したという。
そのうち、無念の死を遂げた辺川殿一行は島津氏に祟りを為すようになり、
それに悩まされた義弘・家久(DQNの方)親子は加治木に神社を造られ奉られるようになった。
---------------------------
上記の話は主に『加治木郷土誌』の「隈姫神社の話」を参照。
ただし、辺川殿なる女性は肝心の相良氏側の史料には出てこない、
また、「辺川殿は離縁後相良氏に返してもらえなかったことを遺恨に持ち、義弘を呪ってやると願を掛けて
腕にお灸をすえ続けて、最後は全身火傷して死んだ」
という説もあり、いろいろと謎が多い・・・。
193 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 19:19:03 ID:DOGnE/PI
野暮ですまんが、赤井直正は病死が史実なので、討ち死に云々は
司馬の創作。こっちが史実として流布しちゃってるが。
貂の皮自体の話は面白いとはおもうけどね。
194 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 19:51:30 ID:T2f0bm5i
ほんとに野暮だぜ
小説と史実の区別くらいはつけてる
195 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 20:58:47 ID:JUL2/4z8
井伊直政がまだ小身だった頃、彼は家康に是非にと、家康の持つ栗毛の名馬をねだった。
直政が余りにそう望むので、譲ってやったところ、今度は家康に、本多作左衛門が噛み付いた。
「あのような名馬を、万千代のような子倅にくれてやるとは!殿も目が暗くなったのではないか!?」
この放言は家中に響いた。無論、直政の耳にも聞こえた。
さて、時は過ぎ、家康は関東に入る。このころ直政は、家臣団の中でも最大の大身となっていた。
ある時直政は、作左衛門とばったり顔を合わせた。すると直政は彼に言い放った
「昔、殿が名馬を下さった時に、あなたは私の事を、子倅だの何だのと馬鹿にしたが、今、このような
大身になったのは、私が名馬に違わぬ働きをしたからだ!
目が暗かったのは貴殿の方であったな!」
その言葉を作左衛門、黙って、ニヤニヤしながら聞いていたとか。
196 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 21:16:25 ID:MWUzMPlY
>>195 作左衛門が直政の奮起を促すために侮辱したって話でおk?
197 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 21:22:03 ID:JUL2/4z8
198 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 21:50:33 ID:2OCo34it
199 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 22:16:43 ID:qysllS+v
200 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 22:18:43 ID:Xj24TZsW
201 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 22:19:37 ID:KCTzr6xM
>>195 奮起と、周りへの牽制かね?
殿にものねだったらもらえるっていう先例を他が真似ないように
いい話でも良かったんじゃって思うけど
確かに解釈しだいかなあ
でもさくざなら「実はちょっと羨ましかった」って言っても許すw
202 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 22:20:57 ID:2OCo34it
素で間違えてた
203 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 22:32:03 ID:ZHIATLsh
さくざさんはとりあえずケチつけてみたんだよ
言い返された時は「俺のキャラ的においしいからおk」ってニヤニヤしてたんだよ
204 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 22:32:07 ID:EALs0I0q
205 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 22:36:38 ID:2OCo34it
テンたまに轢かれてるから悪い話ということで
206 :
人間七七四年:2008/11/15(土) 23:43:55 ID:RvrpN1z0
作左はほんと三河武士の典型というかなんというか
いいキャラクターしてるよな。なんとなく憎めないし
207 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 00:03:37 ID:OL/FwyZe
さくざは「どういう顛末になろうが殿にとっては悪い話じゃないし、リスクは自分の評判が悪くなるか、最悪自分一人が処罰されるだけだから別にオッケー」的な逸話が多いのが好印象。普通の人には真似出来ないけど。
208 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 01:41:11 ID:wiwW3zn5
井伊は、家康から与えられた名馬に跨った。
一方、家康は井伊に跨った。
209 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 03:01:53 ID:sNY1mAk1
ウホッ!
井伊の赤尻!
210 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 03:22:16 ID:eVbAQ5Jg
むかしむかし、安芸の国の仲之町、賀羅加波(からかわ)神社の境内に、巨大な楠があった。
四方に延びた枝はひと山を越え、谷まで陰を落としていたそうな。
ある時福島正則が、この大楠を伐採して船を作るよう命じた。しかし仲之町の住民は皆、
神の怒りを恐れ、それに従わなかったので、福島家中で剛の者と呼ばれる、鬼源兵衛という
侍が、伐採に当たる事になった。
鬼源兵衛は楠を伐り始めたが、とても一日では終わらない。途中でやめ自宅に帰り、
翌朝作業を再開しようとすると、不思議な事に切り口が元に戻っていた。
伐っても伐っても、翌朝になると、どうやっても元に戻る。数日もそれを繰り返し
途方にくれた鬼源兵衛に、一人の老人が言った。
「伐った時に出た木屑が、夜の間に元に戻るようです。ならば木屑を燃やしてしまえばどうでしょうか?」
早速そうしてみると、翌朝になっても、木の伐りあとは元に戻っていなかった。
鬼源兵衛は無事この楠を伐り倒し、正則から大いに賞賛された。
が、
間もなく、鬼源兵衛は一家全員が死に、大楠で作った船も、沈んでしまった。
「神の怒りに触れたのだ」そう、噂されたという。
広島県の三原に、今も伝わる昔話。
211 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 04:09:47 ID:1s7Ofo79
桂川原の戦いで敗れた管領・細川元国。
この恨み晴らさんとあちこちに助力を求めていたが、
遂に備前の浦上村宗が手を貸してくれることになった。
播磨を荒らした細川・浦上連合軍は、満を持して摂津に侵入。
京を占拠するなど、その破竹の勢いに、堺公方を擁する細川晴元軍も苦戦を強いられたが、
三好元長の奮戦、赤松政祐の奇襲もあって、連合軍は野里川が死体で埋まるほどの大敗を喫する。
これが世に言う「大物(おおもつ)崩れ」である。
頼りの村宗は討ち死にし、味方の兵という兵が播磨を目指して散り散りに逃げ出したため、
元国は戦場にひとり取り残されてしまった。
もちろん彼も逃げようとしたのだが、最寄りの大物城には敵の手が回っており、
町の辻辻には赤松方の兵が立っている。文字通り蟻一匹這い出る隙間もない。
いよいよせっぱ詰まった高国は、京屋という藍染屋に逃げ込み、
店内にあった大きな壺をひっくり返してその中に隠れた。
212 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 04:20:20 ID:eVbAQ5Jg
>>211 > 桂川原の戦いで敗れた管領・細川元国。
細川高国じゃね?
213 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 04:26:31 ID:1s7Ofo79
さて一方の三好軍。敵の大将(高国)の行方を捜すが一向に見つからない。
これはひょっとすると逃がしてしまったかと地団駄を踏んでいると、
三好一秀なる将が「私にお任せください」と名乗りを挙げた。
一秀、まず市でまくわ瓜(メロンのような果実、当時の高級デザート)を買い求めると、
近所で遊んでいた子どもたちを集めてこう言った。
「よい子のみんな! ちょっとおじさんを助けてくれないかな?
今かくれんぼをしているんだけど、ひとりなかなか見つからなくて困っているんだ。
もし見つけてくれたら、この美味しい瓜をあげるよ」
子どもたちは勇んで駆け出していき、なんなく高国を見つけてしまった。
子ども「あ、おじさんみーっけ!」
高国「!」
一秀「おやおや高国はんそんなところで何してはるんでっかwwww」
子どもたちはごほうびの瓜をもらい、高国は広徳寺に連行されて自害させられたとさ。
214 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 04:27:21 ID:1s7Ofo79
>>212 まとめサイトでは直しておいてください。(ノД`)
215 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 05:03:39 ID:1IdxUi6U
いいれす
216 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 07:00:12 ID:YVti/eZX
>>210 >翌朝作業を再開しようとすると、不思議な事に切り口が元に戻っていた。
この辺でヤバイ木だと気付くべき
どう考えても怖ぇよw
217 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 10:10:25 ID:6+3fikVx
かごしまじょうができるまで?
慶長7年(1602)、加治木でゆっくり隠居の義弘のもとに、息子・家久から書状が届いた。
「(=゚ω゚)ノぃょぅパパ
ダチは青葉城とか小倉城とかカコイイ城持ってんのに太守のオレがボロ城とかねーよwww
防衛上も(・A・)イクナイ!! んで、瓜生野(現九州道桜島SA北部)でビッグな築城予定ヽ( ・∀・)ノ
徳川に申請するんでアドバイスヨロ」
また余計な知識仕入れやがって…と思っただろうが、隠居は当主に答えた。
「築城自体ダメだろ。理由は
1、瓜生野なんて台地で要害だけど、崖が多い上に水不足で、生活できません。
2、庄内の乱や関ヶ原とか大戦が終わったばっかでよそを刺激したり、領民に負担かけんな。
3、ウチの菩提寺とかってみんな鹿児島にあるけど、本拠地移転だからそれも全部移転
させるんだよな?いくらかかる?」
だが島津家久が、いまさら親の言うことなど聞くはずがなかった。(島津世家)
家久「徳川さんに『ブラック大名が要害に築城とかナメてんの?』って却下されますたサーセンwww」
義弘「だから言っただろ!これに懲りて 「と言う訳で鹿児島は鶴丸山DE築城に大・変・更☆」
「…さらにダメだろ常考
1、あの地形と土壌じゃ、キミがお望みの巨城普請とかデキマセン。
2、家臣だって自分らの引越しもあるから、普請の手伝いとかムリだよ?
3、鹿児島湾のすぐ近くとか背水の陣なの?玉砕するの?
4、清水城(現清水小学校)や東福寺城(現多賀山公園)が近いし、その辺り増築すれば?
築城中止すると太守のメンツに係わるってんなら、龍伯様(義久)の命令でやめたって
ことにすれば、お前さんのメンツも
っていねぇし!親の言うことぐらい聞けよ!!」
だが島津家久が(ry
こうして4年後の慶長11年(1606)、鹿児島城は完成
義弘「書院だの数奇屋だの趣味の部屋ばっか出来てて フ ロ が な い たぁどういう事だゴルァ!!!!!」
してなかった。(旧記雑録)
公共工事なんてどんな理屈こねようとトップの意思に左右されてる、という話。
この話のせいで、俺の中じゃ家久は汗臭いヤツ。
218 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 11:38:40 ID:9MvM4V2r
>書院だの数奇屋だの趣味の部屋ばっか出来てて
このへんに力を入れるあたり、やっぱ政宗や忠興と似てるんだな。
219 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 13:43:17 ID:bDrC6Q9V
おかげで薩英戦争の時には城から避難するはめに。
つーか、いくら技術革命があったとはいえ、本来避難所であるはずの
城から避難ってこれいかに?
220 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 15:53:10 ID:9+4D30vy
結局意味がない城を作ったわけか
さすが家久www
221 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 16:01:05 ID:gyTcQGMr
いや、少なくとも雇用拡大の役には立っただろ。
おまけに住むことだって出来るんだから全くの役立たずではない。
その点、現代の熊か狸くらいしか利用しない国道建設よりはまだまし。
まぁ防衛設備としてはどうかと思うが。
222 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:20:09 ID:eVbAQ5Jg
まあ、その築城費用で薩摩の農民は、ただでさえ高率だった税に加え、さらにおっそろしく
搾取されるんですけどね。
223 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 17:58:49 ID:xI/IOVT1
なんという聖帝十字陵w
224 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:16:51 ID:4WHLoVtZ
忠興『お前もまさしく強敵だった』
225 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:20:16 ID:jt7OK7mq
秀吉『我が人生に一編の悔いなし!』
似合わんな
226 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:23:01 ID:9MvM4V2r
福島正則「俺の名を言ってみろー!」
227 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:30:34 ID:9+4D30vy
長可『汚物は消毒だ〜!!』
あ、もう既にそういうポジションか
228 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:45:44 ID:o5/oXL1L
市松「ひかぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」
229 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 20:50:22 ID:icfw/KV7
点火作業を終えて
久秀『我が人生に一片の悔いなし!』
230 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:10:50 ID:o5/oXL1L
政宗「兄より優れた弟など存在しねえ!」
231 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:20:57 ID:E2CIaMvh
忠興「さすがの俺もこの流れには引く」
232 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:27:23 ID:o5/oXL1L
某スレで出ていたので、悲惨すぎる最上ネタ。
最上義光の後継者は嫡男義康であった。一方で二男家親を
小姓として徳川家に預けていた。
義光は関ヶ原後、本格的な領内統治にのりだし家督相続が遅れる。
そこにつけ込んだ徳川家と密着した一部家臣(里見民部、
家親の世話役として徳川と接触があった)は、義康を廃嫡し
家親を嫡男とすればさらに権力を把握できると考えた。
彼らは盛んに讒言し父子の仲を悪化させた。
そんなある日、うっかりした事故で義康が怪我をしてしまった。
これを家臣は「義康は家督相続が遅いと不満をいい、切腹未遂をした」
と義光に讒言した。
江戸に参勤した義光はこうしたことを家康に相談してしまった。
すると家康は、
「そんな不届きな嫡男は駄目だ、廃嫡しろ。家親を後継者にせい」
と返答。義光は愕然とするも既に遅かった。
国元に戻った義光は義康廃嫡を決定、出家するよう告げた。
義康は泣く泣く高野山(行き先諸説あり)へ向かうが、その彼を
弾丸が襲った。義康はわけのわからぬまま、一斉射撃を受け死亡。
実行犯は父子間離間をはかっていた里見ら家臣であった。
(黒幕は義光という説が有力だったが、不可解な事柄が多く
現在では否定されている。ちなみにこの犯人里見一族は、
義光にしては珍しく一族ごと誅殺されていて、分限帳には
「成敗」とされているので注意)
義光は義康遺品から、父子和解を願う日記を見つけ号泣憔悴、
義光山常念寺という菩提寺を二箇所に建立し弔った。
義光は愚痴っぽい性格だが、それがまさか息子の死につながるとは
思わなかっただろう。口は災いのもとだが、それにしても…。
そしてとどめは義光死後九年での改易。
この裁定がまた、江戸初期改易ラッシュの中とはいえ、あれだけ
忠誠を尽くした割にはさほど大きな問題ではなくの取りつぶしであり、
みせしめ色が濃いものとして数えられるのだから…ちょっとどころ
じゃなく運が悪い家の物語である。
233 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:31:53 ID:43XhxwaI
里見民部って長谷堂合戦の時に活躍したやつじゃなかったっけ?
234 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:38:26 ID:SkKwbIbg
改易までの流れはアレよアレよという…。
里見成敗に関してもそうだが謎が多いというか史料が少ないんだよなぁ最上タンは
235 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:42:14 ID:eVbAQ5Jg
>>232 それはおそらくWikiペディアの最上義康のページを小説的にまとめているだけだとおもうが、
最上家の中で相続争いがあったこと、家康が家親をお気に入りだった事、
義康が義光と上手く行っていなかった事、義光が家康に相談した事、ここまでは事実なんだけど、
家康は最上の相続に介入した記録は無いよ。ましてや命令なんてない。
つーか、義康に廃嫡の事実は無かったはず。
236 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:42:37 ID:dGl7oKFu
>>233 上山城将。
慶長出羽合戦前夜、最上義光は上山城主・里見民部が直江兼続に内通していると
報告を受けた。しかし義光は里見の配置をかえず、かわりにその父親を
山形城まで引っ張って拘禁した。
「里見がんばれよー、おまえまじめにやらんと親父がどうなるかわからんぞ。
内通したかったんだって? してもいいよ。フリだけならなー」
「((((;゜Д゜)))」
追い詰められた里見民部は、内通するフリをして敵にに奇襲をかけた。
結果、上山勢500は八倍の4000いる上杉勢をさんざんに倒しまくり、
撃退に成功した。最上家宝・上杉軍かりがねの軍旗はここで
奪ったともいわれている。
ここで上山勝利、里見が討ち死にしていれば…。
そもそも里見民部は昔、主君の首持参で最上に来た奴だから、
くせがあったんだろうね。
義光がヌルいから寛大過ぎたから最上が滅びた、
というのは結構だが戦国にこんな男がいても
いいじゃねーかと思うオレ…。それに上山陥落していたら、
長谷堂がふんばっても山形陥落していただろうしー。
237 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:43:41 ID:dGl7oKFu
>>235 ここは逸話検証スレじゃないと何度(ry
238 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 21:44:48 ID:eVbAQ5Jg
>>237 ごめんな。でも逸話とはちょっと違うものかな、とも思ったので。
239 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 22:31:50 ID:eVbAQ5Jg
申し訳ないので逸話投下
竹の皮の城、再び
尼子義久が篭る月山冨田城を、毛利元就がついに攻め滅ぼそうとしていた。
が、要害である冨田城は攻めるに難く、さらに、頂上までの山道には
兵「大変です!竹の皮が敷き詰められていて、つるつる滑って登れません!」
尼子さんも、敷き詰めちゃっていたのである。
しかし智将毛利元就、こんな事には動じない。
「火をつけろ」
まことに冷静で的確な判断である。毛利軍、早速竹の皮に火をつけた。
ところがこの時、毛利軍に衝撃が走った。天にわかに曇り、たちまち豪雨となり、
火はたちどころに消されてしまった。
報告が入った。「尼子は、竜神を味方につけているようです!」
Ω ΩΩ<な、なんだってー!
毛利元就も動揺した。「どうしろというのだ」
流石に皆、頭を抱えた。その時である。
「ワシが、城までの道を教えちゃる」
謎の老婆が現れた。「尾根伝いに城までいける道がありまっそ。」
毛利軍の参謀達は怒り出す、「いい加減なことを言うな!我々が散々調べてもそんな道は…!」
「当たり前じゃ!」参謀叱り飛ばされる。
「ワシと息子しか知らん秘密の道じゃ。この道の事を教えなかったせいで、わしの息子は尼子に
殺されてしもうた。
かたき、とってくれ。」
毛利軍はこの老婆の教えてくれた道を利用して、冨田城を夜襲。
ついにこれを落とした。
さてこのあと、この老婆が、赤穂の佐方の者だったというので、その後、佐方の人と、
尼子の味方をしていた高野の人は、縁組しないというほど、仲が悪くなったそうな。
そして、尼子に竜神が味方したというので、このあたりでは雨が降ってほしい時には、
冨田城の跡で、雨乞いが行われるようになったとか。
播州赤穂に伝わる昔話。
240 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 22:39:46 ID:U4xN9GcL
なんか竹皮は馬鹿な代名詞になりそう
241 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:06:43 ID:7nvLLwPR
老婆がなんかの化身なのかと思った
242 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 23:39:39 ID:SOS8wchW
赤穂に忠臣蔵以外のお話も伝わってたんだな
忠臣蔵一色で、それ以外の諸々は忘れ去られた物かと思ってました
243 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 00:47:53 ID:Uz1TblsE
>>228 > 市松「ひかぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」
いや、あんた嫁さんに切りつけられて逃げ出してるし。
244 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 01:24:33 ID:GSrUaxpw
市松はジャッカルがお似合い
245 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 12:29:11 ID:HgMQvI7D
正則はせいぜいスペードあたりが限界
246 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 12:30:14 ID:6G9KjDGm
何事も過激すぎるんだよな
247 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 13:09:55 ID:5CZLbIUz
248 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 13:34:33 ID:x1bLlxO8
鬼武蔵は聖帝だな
249 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 14:38:05 ID:rYjcfHjN
>>228 > 市松「ひかぬ! 媚びぬ! 省みぬ!」
退かぬ、媚びぬ…は謙信さんあたりがすごく似合うと思うんだ。
250 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 14:49:39 ID:6G9KjDGm
引く時も後ろに向かって前進だとか言いそう
251 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 15:48:11 ID:kjH2eVn0
清正「てめえらの血は何色だー!」
252 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 15:54:13 ID:NJa4M+jP
家久「てめえらの血は何味だー!」
253 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 16:43:05 ID:6G9KjDGm
直家「試してみる?」
254 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 16:44:59 ID:kjH2eVn0
義姫「軟弱者!それでも男ですか!」
255 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 16:53:15 ID:TouXRTvU
アニヲタ自重
256 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 18:19:55 ID:v/ar4h6r
政宗「何色の血なのか賭ける?」
257 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 18:26:56 ID:vHMn9aBk
>>249 関東諸侯にも
「佐野さん、援軍が間に合わず、一人で戦わせて御免なさい。私恥ずかしいです。」
「簗田さん、私は関東の仕来りが分からないので、どうか色々教えて下さいね。」
「宇都宮の奥さん、佐竹との擦れ違いは、私後悔してます。
でも、互いの心がこれ以上離れる事はないわ・・・。という貴方の御意見、私だって同じです。」
配下の武将にも
「北条景広さん、私は僧侶の身でありながら、こんな事を言うのは憚られますが・・・
そろそろ結婚を考えたらどうですか?」
「御両親、どうか与次を責めないでやってください。
この若者は勇猛すぎて、いつ無下に死んでしまうかも知れず、
そうなると御両親はどんなに悲しむだろう・・・と私は思いまして、国へ帰したのです。」
謙信は媚び媚びというか、おしとやかというか
やたらと相手に気を使ってる文面が多い
逆に親父の為景は、同盟相手(北条氏綱)だろうが配下だろうが
書状内容は横柄で傲慢な物が多い
258 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 18:52:12 ID:/IYWI9m+
担任の先生orオカンかよw
259 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 19:07:40 ID:Lu8CAH9Z
景勝相手には「雪が降るから早く戻っておいで」とか
「こっちは寒いからちゃんと準備して馬廻りの皆と一緒に来るんだよ。
途中まで迎えをよこすからね。こっちに来たら一緒に遊ぼうね」とか書いてるし
謙信はガチおかん。
260 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 19:22:24 ID:7YCcNIqn
お・・・お母さん・・・!
261 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 19:44:29 ID:EOB5isa0
そりゃあ謙信女性説なんてのが出てくるよ
262 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 19:59:06 ID:VP0/gLMU
度重なる川中島の戦いは
信玄から謙信へのプロポーズ合戦だったのだ
263 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:18:56 ID:SQbVZL/s
いよいよもって殿といっしょの世界になってきたな
ワタクシ実家に帰らせていただきます
264 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:25:16 ID:tWmFFrk9
>>259 その手紙を出した時、景勝は少なくても16才(満年齢)超えてたんだよね
265 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:28:27 ID:ZDlEkbdP
上杉謙信といえば、能登に伝わるお話に、
謙信の軍が能登に乱入してきた時、夜になって住民達が、大勢でお化けの扮装をして、
太鼓なんかの楽器を一斉にかき鳴らしながら「ウガアー!」ってやったら、
上杉軍が「化け物が出た!」って驚いて、慌てて撤退した、ってのが残ってるな。
かっこ悪いお話。
266 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:56:23 ID:S59q+rmp
そんな和式ハロウィン、夜襲に間違われて撃ち殺されるわなw
267 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 20:59:56 ID:W0ZxtxY9
住民達の後ろに本物が見えたのかもよw
268 :
人間七七四年:2008/11/17(月) 21:40:50 ID:t8TuryUo
>>265 敵には強いけどオバケには弱い上杉謙信を想像して萌えたw
269 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 00:07:55 ID:OMsHQFF9
270 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 00:13:25 ID:YrNcLVOS
誰か言うかと思ったけど誰も言ってないな。
>>257 >そろそろ結婚を考えたらどうですか?」
謙信に言われたくNEEEEE!
271 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 00:30:16 ID:vu+4blV7
忠興の父、戦国時代のインテリ良識派、細川幽斎こと藤孝さんのお話
あるとき細川藤孝が、織田信雄の屋敷を一人で尋ねた。ところがこの屋敷の門番が彼を不審がり
頑として入れようとしない。どころか、怪しい者として取り押さえようとすらした。
かかってくる門番の手を藤孝、とっさに取ってしまった、すると
「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??」
門番は、あまりの力の強さに悶絶して倒れ、そのまま動かなくなった。
藤孝「いやあ、すまんすまん。ちょっと強く握りすぎたかな?」
この門番、このときの痛みがなかなか取れず、有馬温泉に湯治に行く羽目にまでなったとか。
実は相当の武闘派、藤孝さんの、門番に悪い(ことしちゃった)話。
272 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 00:31:27 ID:GKUtim9A
273 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 01:22:48 ID:i9AcePYZ
だめだwww
花山薫で脳内再生されるwwwwwwwww
274 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 02:03:15 ID:0R4w5Hxv
さすが牛殺し・・・
275 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 03:05:25 ID:kiuLMHkU
信雄「さすがの俺もそれは引くわ・・・」
276 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 07:39:10 ID:Z7tquiri
旧明智家臣の安田作兵衛は強者として知られたが、本能寺の変で信長に一番槍をつけ、
森蘭丸を討ち取ったなどという武功をいつまでも鼻にかけたため、上方の武士から敬遠され
九州で仕官を行った。 運良く立花宗茂からお呼びがかかった。
宗茂「さて、具体的な話に入ろう。知行はいかほどが望みかな?」
作兵衛「左様ですな、1万石いただきたい。1石欠けてもお仕えできませぬな。」
福島家の槍名人、可児才蔵で1250石。作兵衛が1万石など、ボッタクリにも程がある。
宗茂「…そう申すからには、お主は槍の他に特技でもあるのか?」
作兵衛「特に何も。ただ、いかなる戦場でも一番槍をつけるのが拙者の特技ですかな。」
さすがの宗茂もこの減らず口には腹が煮えたが、一応老臣たちと合議した。
家老・十時摂津の従弟で生涯に感状数十枚という十時伝右衛門は作兵衛を罵った。
「関白殿下に『鎮西無双』と呼ばれし当家に何たる言い草!!
しかし、呼んでおいて帰れではあのような男、諸侯にどんな噂を吹いて回るか分かりませぬ。
ここはひとまず召抱えておきましょう。」
宗茂「お主を召抱えてやろう。ただし、その『特技』とやらは必ず使ってもらうぞ。」
作兵衛「言われるまでもなく、一番槍を逃せば即刻、牢人いたしましょう。」
文禄2年(1593)、碧蹄舘の戦いで立花家は大将・李如松の軍と戦った。
安田作兵衛も参戦し、「立花家に俺ほどの剛の者はおらぬぞ!」と相変わらずの減らず口で
馬にムチをくれ、駆け出した。単騎駆け抜けた作兵衛が一番槍を突き刺さんとしたその瞬間、
「一番槍、十時伝右衛門なり!!」なんと作兵衛の後ろに隠れていた伝右衛門の槍が伸び、
敵兵を突き倒してしまった。
作兵衛は即日クビになり、旧知の寺沢広高に拾われ失意のうちに死んだ。(近古武事談)
どっかのカブキ者みたく皆朱の槍とかそのへんでガマンしときゃいいのに…
277 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 08:18:24 ID:Wqu/mvrQ
侍大将とかでなくただの武辺者として一万石なら非常識だよな。
278 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 08:24:49 ID:GNE2a/Bj
藤堂高虎にポンと2万石貰った
渡辺勘兵衛とは大違いだw
279 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 09:06:47 ID:psgTLmkv
その人寺沢広高に言われて立花家の朝鮮でのあれこれを立花朝鮮記にした人だよね?
最後のくだり「他家について書いたものを見るとでたらめも多いけど俺のは全部マジ!」とか書いてて
減らず口は健在の模様w
280 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 09:11:00 ID:YrNcLVOS
渡辺勘兵衛は幾度もの槍働きだけじゃなくて一度任せた仕事に対しての
忠勤ぶりも評価されての二万石だし…。
281 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 09:39:30 ID:Pm0haDE1
巧く使えたら活躍しそうなんだけどね、殿とか
282 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 11:03:16 ID:zXakbfjM
>>281 一万石の捨て駒w
もったいないなwww
283 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 11:07:09 ID:1d89F2/T
関ヶ原のときの対応とかね。
主君増田長盛は西軍について、負けた。
このとき長盛の大和郡山城の留守居役だったのが勘兵衛。
藤堂高虎が郡山城の接収に赴いて、西軍は負けたから開城するようにとせまった。
しかし勘兵衛「主君以外の命令なんぞ聞けるかボケ!どうしてもほしいなら力ずくでこいや!」と開城に応じない。
困った高虎は、長盛を探して、郡山城開城の命令書を発してもらい、
それを受けてようやく勘兵衛は開城に応じた。
増田長盛は面目躍如し、渡辺勘兵衛は名を上げたという話。
284 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 11:15:59 ID:Pm0haDE1
>>282 そんだけの首だから敵がわんさか来て俸禄払う前に消えてもらうんだよ
285 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 16:44:44 ID:ez6AG+4k
安田作兵衛の最後
最終的には唐津藩8万石藩主寺沢広高の元に身を寄せ、8千石の録を貰った。
なんでも、広高と作兵衛は長年の友人で、「先に大名になったほうが、相手に石高の10分の1
を与えることにしよーな。」と約束をしていたそうな。
しかし、作兵衛は頬に酷い腫れ物を患ってしまう。腫れ物を琴の糸で縛って3度抜き取ったけど
治らず、そんな自分に怒って自害したという。
作兵衛が自害した時は奇しくも6月2日で、なんと本能寺の変の起こった日である。
人々は信長や蘭丸を殺した酬いだとか呪いだと噂したという。
ちなみに、作兵衛は朱槍はもっていないが、菅槍というのを持っていて現在は
「作兵衛の菅槍」として唐津城に展示されている。
286 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 17:10:51 ID:vu+4blV7
>>285 そういえば安田作兵衛、蘭丸を討ったのに、後に、よりにもよって森長可に仕えているんだよな。
弟殺した奴を雇う方も、鬼武蔵らしいと言えばあれだがw
287 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 17:41:43 ID:pXuu0wv9
細川忠興「それはさすがの俺でも無理だわ」
288 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 17:43:02 ID:Lxw0Vk2G
>>286 政宗「弟の仇を召し抱えるなんて、さすがの俺もそれは引くわ・・・」
289 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 18:11:10 ID:inwa7dja
いいか、みんな
(゚д゚ )
(| y |)
細川忠興とガラシャ、一人一人は火だが、
火 ( ゚д゚) 火
\/| y |\/
二人合わされば炎となる。
( ゚д゚) 災
(\/\/
炎となった夫婦は無敵だ!
寄り付くものは全て滅ぼせよう!
( ゚д゚ ) 災
(\/\/
290 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 18:26:21 ID:5xgngQzA
291 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 18:29:09 ID:c/9zIJq7
盛親なら弟の仇を雇うことに異を唱えられる!
292 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:00:48 ID:Z7tquiri
伊達政宗・敗れる!!
関ヶ原の戦の記憶も薄れ、江戸と大阪で冷戦を抱えながら世が平和に慣れだした
慶長10年代。 力を持て余した傾き者の間で、度胸試しとして『ゲテモノ食い』が流行した。
荒大名として知られた政宗もこのビッグウエーブに乗り、その日も挑戦者が現れた。
MASAMUNE.D vs UNKNOWN(書いてないんだって)
ROUND 1 『子ネズミの味噌汁・特濃』 (原文>鼠の赤子ヲ濃キ味噌汁ニテ煮テ…)
負けた。
それどころか、食あたりを起こして江戸藩邸に担ぎ込まれ、危篤状態に陥った。
「…Ohイエー川向こうから父上が石投げてくんぞ…」
「いやそれ渡っちゃダメだから!故人も必死で止めてるから━━━━━━!!」
間一髪で、高屋喜庵という医師が作った薬剤が効いて助かった。
褒美として喜庵は仙台藩の御用医師となり、代々禄が与えられたという。(安斎随筆)
伊達政宗敗れるの報は諸侯を震撼させ……たりしてません。
293 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:06:30 ID:1aUKsZt4
バカすぎるw
294 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:19:21 ID:YrNcLVOS
生まれついてのお殿様じゃ他のかぶき者よりお腹の耐性低そうだが
しかし勝負でゲテモノ食いに挑戦して食中毒であぼんしてたら
末代までの恥になるところだったなw
アホ過ぎるw
295 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:26:45 ID:0JjamNdK
まったくだw
鯛のてんぷらどころじゃねぇな
296 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:46:05 ID:07gUQXLe
これはいいDQN
297 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:50:57 ID:Jmhj0cDq
政宗の趣味の一つに料理があったよね?
まさか、この味噌汁、自分で作って食べたとか?
298 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 20:55:10 ID:5xgngQzA
すげーツボるw政宗自由すぎるだろw
なんだこの突き抜けた感じは。
299 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:01:03 ID:QlGiiCw1
政宗フリーダムだなwwwここまでくると清々しいw
300 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:03:53 ID:GbvSmNb5
アフォww
お殿様の胃袋にゃ受け付けんだろw
301 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:16:59 ID:c/9zIJq7
幕府に対し間抜けを演じるための・・・ってな事はないな。
302 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:19:21 ID:07gUQXLe
正宗公はいつでも‘ガチ’だぜ・・・?
303 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:21:24 ID:pXuu0wv9
片倉小十郎「殿・・・・・」
304 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:36:55 ID:rPcYgz0y
義姫「息子の教育、どこで間違えたのでしょう。あのひねくれ和尚のせいかしら?
私のカワイイ梵天はどこへいっちゃったの…」
305 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:46:56 ID:7xGhvRFY
306 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 21:48:50 ID:z3siFRYu
何やるにも真剣なんだな政宗公。
悪く言うと、すごくガキっぽいw
307 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 22:22:02 ID:12j58HEG
これで政宗死んでたら、対戦相手は独眼竜を(味噌汁で)討ち取った男として名前を残せたのに・・・。
308 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 22:37:32 ID:9bnUxwR6
見えない敵と戦う鬼神政宗
309 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 23:19:37 ID:DH0iupvG
流れを鬼武蔵してスマンが
だれぞ曽呂利新左エ門の頭播磨に尻は備中と言う逸話を存じ上げぬか?
310 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 23:36:34 ID:vu+4blV7
>>309 それ落語だね>頭播磨に尻は備中
ある時、豊臣秀吉が、一番「大きな狂歌」を詠んだ者に賞金を出す、と言い出して、
片桐且元、福島正則、加藤清正が次々に歌を詠む
そこに曽呂利新左衛門が現れて、「天地を丸めて呑み込む」という歌を詠み、
これは大きい、これが勝ちだ、と、みんなが思っていたら、細川幽斎が、
「天と地を団子に丸め呑む人をくさめの風で吹き飛ばしけり」
と詠んで、これで勝ちを収める。今度は秀吉「小さい狂歌」に自分の印籠を与える
と言い出す。これも幽斎が
「蚊のこぼす涙の海の浮島に砂子拾ふて千々砕くなり」
と詠んで勝つ。曽呂利新左衛門は物凄い悔しがって、狂歌合わせをしましょう!
と言い出し、幽斎に意味不明の句を次々に出すが、どれもさらりと次の句をつけられ
完全にへこむ。
そのうち秀吉が退出する刻限になって、出て行こうとすると、新左衛門がオナラをプゥとやった。
こりゃ無礼者と、秀吉が新左衛門の頭を叩くと、もう一発プゥ。
秀吉「新左衛門、即吟申せ」
新左衛門「おならして国二ヵ国を得たりけり頭播磨(張りま)で尻が備中」
この句の褒美に新左衛門、播磨と備中のうち二千石を頂いたとか。
今はこの落語の演じ手はいないらしいですが。
311 :
人間七七四年:2008/11/18(火) 23:39:34 ID:DH0iupvG
これ落語でしたか昔なんかの本に載っていた奴のうる覚えなので
長年のもやもやが晴れました
312 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 01:58:33 ID:5SwTNtPs
313 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 08:44:34 ID:FPXSPF6b
>>217 島津義久の居城の門の茅葺が乱れていたので家臣が
「せっかくだから修理ついでに門構え立派にしましょうよ。
大大名なんだから何時までも小汚い門じゃ他国の使者に馬鹿にされますよ」
と進言したが義久は
「使者に成れるほどの教養ある人物なら城に来るまでに見れる領民の豊かさの方に目を向けるだろ常考
そっちの方が大事だから門なんて適当でいいよ」
と返したらしいがまるで受継がれていない…
314 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 10:55:30 ID:zehEGwSc
>>313 おお、義久(かっこ)いい話だな。
それに対し家久…ww
315 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 11:01:47 ID:Decq1MuY
村上水軍というものはご存じでしょう(メイドさんのほうではない)
出自は諸説ありますが古くは平治の乱とかそのへんから活躍し
日本でも著名な水軍です。1300年代に3家に分かれそれぞれ拠点の能島水軍、因島水軍
来島水軍とあわせて3島村上とよばれ瀬戸内の伊予と周防安芸の間あたりを中心に制海権を得て繁栄しました
戦国になると因島は毛利、来島は河野、能島は河野よりだけど完全に臣従はせずとなり
厳島の戦いなどに参加。大活躍しその名を水軍仲間にとどろかせました
そして戦国も終わり彼らは因島、能島は毛利家臣へと組みこまれ来島は
秀吉の毛利攻めの時当主通総(慶長の役で戦死)が織田方へ寝返り上手く泳ぎ切ったため
独立大名として生き残りました。のちに西軍についちゃったせいで父祖の地伊予を追われ
内陸の豊後森へ転封、九鬼同様理由をつけられ山へあがった水軍とされてしまいました
彼らはそれでも水軍の誇りを忘れずわざわざ池を作り船を浮かべていました
なにはともあれ改易も減封もなく(分知したので若干減りましたが)森藩1万4千石は無事維新を迎えました
さて参勤交代の時の森藩のルートは藩の飛び地である別府頭成から出港
瀬戸内海を船で渡り江戸へ向かうものだったのですが
1663年4月12日3代藩主通清のころ古巣の周防大島沖に差し掛かった時
おりからの春の大時化に遭遇こともあろうに船団は遭難
藩主の弟と家臣たち11名が乗った御座船が磯の岩に激突沈没
彼らの全員が溺死するという参勤交代史上稀なる海難事故を
かつての水軍の雄村上氏自ら起こしてしまったのです
特にオチはなくこれで話は終わりですが
水軍の雄の子孫たちのちょっと(かっこ)悪い話でした
316 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 12:28:27 ID:jJzR1BW0
その調子で松浦水軍の歴史についても語ってくれ
317 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 13:52:32 ID:uSkWsZHF
>>313 門構え所か城がボロいのに気に入らなくて新築、家久がその後領民に重税掛けてるのを見るとホント何も受け継がれていないな…
後世薩摩藩では見栄張って領民の困窮を他の藩に知られまいと色々してたそうだが義久見習えよ…
318 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 13:54:25 ID:uSkWsZHF
>>313 門構え所か城がボロいのに気に入らなくて新築、家久がその後領民に重税掛けてるのを見るとホント何も受け継がれていないな…
後世薩摩藩では見栄張って領民の困窮を他の藩に知られまいと色々してたそうだが義久見習えよ…
319 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 14:36:08 ID:neVcOpC7
大事なことなので二度言ったのですね
でも鬼武蔵による手討ちですね、分かります
320 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 15:08:54 ID:4QVatuDd
三回までは許してやれよ…
321 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 16:25:01 ID:XDH7lFmu
322 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 16:30:02 ID:5SwTNtPs
ここは戦国時代のルールが生きているスレですね。
323 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 17:38:11 ID:B0gnzss9
騎手の落馬で今日は背中が軽い!!
∧ ∧
+. / ヽ‐‐ ヽ +
+. 彡 ヽ +
彡 ● ●
キタ━━━━彡 ( ::::: :::::l━━━━!!!!
+ 彡 ヽ | +
彡 ヽ l
彡 (__人__)
+ / ` |r┬-| +
/ __ `ー'´
_|\∧∧∧MMMM∧∧∧/|_
> <
/  ̄ ̄ /_ ──┐ヽ| |ヽ ム ヒ | |
 ̄/ ̄/  ̄ ̄7 / ̄ / / | ̄| ̄ 月 ヒ | |
./ / / _ノ \ / | ノ \ ノ L_い o o
40億円が2秒で紙屑
http://mamono.2ch.net/keiba/
324 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 18:05:59 ID:sub+1cFr
325 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 18:11:23 ID:C4tGYSLQ
新皇帝アンジロー(ヤジロー)1世の天下を見たかったなぁ。
弥助は名をハンニバルと改めて元帥兼宰相の公爵。
326 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 18:59:21 ID:LnQfn1/p
>>315 村上水軍ネタとはチャレンジャーだな。
村上水軍ってショボい話は有っても悪い話スレ向きのは無いと思ってた。
327 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 19:43:44 ID:FPXSPF6b
手討ちにされる
>>317-318にこの句を
いにしえの 道を聞きても 唱えても、我が行いに せずば甲斐なし BY 島津日新斎
…これを学んで開き直ったのが後の家久なのかもしれんが<忠恒
328 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 20:21:37 ID:XtVtOgWE
>>294 いやいや、義姫心尽くしのトリカブトを退けた胃袋がそんなヤワな筈はあるまいw
遅レス恐縮にて候
329 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 21:49:16 ID:anuO92eP
>>328 義光「おっとオレの妹の悪口は(ry」
義姫と政宗と義光と。せっかくだからこのキモイ三人をまとめておく。
スペック
義姫:義光より二歳下、『伊達秘鑑』によればたいへんな美人であったらしい。
残された手紙を読むと、戦況把握能力等女性離れしたものがあったようだ。
義光:出羽のシスコン大名。妹に泣かされた記録をもつ。
妹宛の手紙が大変キモイ。妹のせいで伊達にとどめを刺せなかった。
政宗:陸奥のマザコン大名。ママンあての手紙が多数残る。
ツンデレのため「母上には恨みがあるからね!」と記録に残すが、
その実大量のママンへのレターやお土産記録がある。ママンの位牌はお手製。
・この三人の意外な共通点は「手紙が長いこと」らしい。
・ちなみに例の毒殺事件は最近の研究では否定が優勢。
義姫出奔も小次郎死後五年後のため、彼女が関与した可能性は低い。
義光はこの頃、小田原に向けてテンパっていたので、指示が出せた
状況ではない。てか政宗殺しても伊達乗っ取りとか無理だし。
・長谷堂のときにママンのために政宗援軍決意はビミョー。
そのわりに牛歩戦術でやる気がない。てか援軍要請きたとき片倉が
「ママンほっとけ」と言ったというが、政宗と片倉はこのとき一緒じゃなかったとも。
・義姫は兄の死後、「もう兄上のいない最上なんていや!」と仙台に行きたかったという。
でもなぜか伊達家行きは最上改易後である。
・母子再会の歌。
政宗:年月久しう へたたりける母にあいて
あいあいて 心のほとや たらちねの ゆくすゑひさし 千とせふるとも
保春院:母ノ返し
二はより うへしこまつの 木たかくも えたをかさねて いく千世のやと
・政宗が母の死を悼んだ和歌。
鳴く虫の 声をあらそふ 悲しみも 涙の露ぞ 袖にひまなき
七周忌に詠んだ歌。
七夕の 逢瀬(おうせ)ながらも 暁の 別れはいかに 初秋の空
義光「来年の大河でもオレのお義が鬼母になるらしいけど、信じるなよ、
いいな、鵜呑みにするなよ!?」
330 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 21:56:04 ID:E1G7sTgs
>この三人の意外な共通点は「手紙が長いこと」らしい。
変なとこに共通点あるな やっぱり腐っても親類ということかw
かたや常識人でかたやDQN、2人を繋ぐのは義姫と
何か不思議w
331 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 22:18:29 ID:yN7ev/xF
なんだかなぁ…。
332 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 22:26:34 ID:yN7ev/xF
誤爆った。スマン
333 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 22:41:27 ID:osgUCGaG
このスレに阿藤快が降臨しました
334 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 23:55:28 ID:m5BBQQVj
本当に誤爆か?
335 :
人間七七四年:2008/11/19(水) 23:56:52 ID:anuO92eP
誤爆は許さないと森武蔵がいってます。
336 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:04:23 ID:XrqmOv+Y
ふと思ったんだが月代を剃るってもともとは権力者のハゲ隠しじゃないの
337 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:22:40 ID:b+c3bB9o
さらに生え際が進行すると入道するわけですね・・・ってなぜ突然そんな話が
338 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:30:57 ID:uUJ+sXDV
お父さんは心配性
元和六年(1620)、江戸にて、細川忠利が、友達の大名本多忠政を連れて、島津家久の屋敷に
遊びに行った。その事を知ったお父さん、細川忠興
「家久殿のところに遊びに行ったということだが…
お前があまり家久殿と仲がいいところを見せ付けると、変な誤解を受けかねない。
付き合うなとは言わないが、世間の目をちゃんと気にして、普通の友達らしく
付き合うように!この事は島津の家老の方にも言っておいたから!わかったな!
父より」
まあ、要は幕府の目を気にしろってことなんだが、家久の変な影響を受けるなよ、って部分も
あるんだろうな、と思わせないでもないw
339 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:33:33 ID:UwtSQdEX
>>338 ではみなさんご唱和を
いっ せーの
「お前が言うな!」
340 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:33:42 ID:SWbNwVpk
忠興「さすがのオレも家久にはひくわ…」
341 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:53:19 ID:vSLFEFr+
なんてったって自分の息子、忠利にもDQNの素質があってもおかしくない
家久なんていう超A級DQNと交わればその才能が開花してしまうかもしれない
忠興が焦るのも頷けるぜ
342 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:56:44 ID:SWbNwVpk
つまり
忠興「私は自分を客観的に見られるDQNなんです! あなた(家久たち)とは違うんです!」
みたいな?
343 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 00:57:07 ID:2tX6gb2m
忠利「これが・・・俺のDQN(チカラ)・・・!?」
344 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 01:24:49 ID:q8UwFB10
>>343 忠興「駄目ー!その力は目覚めさせちゃ駄目ー!」ですねわかります
345 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 04:49:45 ID:pTwK4+ee
忠利「っは……し、静まれ……俺の腕よ……怒りを静めろ!」
346 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 09:10:32 ID:ay9/3h54
何という邪気眼w
……ハッ、政宗の封印された片目とはもしや(ry
347 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 09:24:28 ID:dvcos8P1
政宗はどのゲームでも厨二だよなw
348 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 09:41:18 ID:jqIdw0Cz
今更渡辺謙が演じた「独眼竜政宗」だかを見たくなってきた。
349 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 10:23:02 ID:HpHnuvhx
>>347 どう考えても本人のエピソードが厨2病のまま死ぬまで押し通しました、なんだからしょうがない
350 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 10:29:17 ID:0ydA9JZ3
忠興など我々の末席に過ぎない…!
351 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 10:32:35 ID:AC2GFp8O
>>350 政宗達はあっさりやられて太閤殿下のご出陣ですね
352 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 13:43:56 ID:87a4CDPD
>>348 こないだレンタルDVDを借りて全巻観てみた
面白かったけどむっちゃ長くて後半ダレた・・・
353 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 17:48:57 ID:hbS2U/gv
有名な話だが…
川中島の対陣の折に上杉家臣・鬼小島弥太郎は、武田信玄のもとに使者に立った。
信玄は弥太郎を苦しめようと、「人食獅子」といわれる猛犬を縁の下にひかえさせた。
犬は猛然と弥太郎の手に喰いつくも、弥太郎は顔色も変えずに主君・謙信の口上を述べ
役目を果たした。
そして、帰りぎわに腕を一振りして犬を庭先に投げつけ、犬は血反吐を吐いて死んでしま
ったという。
354 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 18:42:06 ID:uUJ+sXDV
>>353 信玄に口上を述べる最中、ずっと噛み付かれたままだったのかw
355 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 18:43:22 ID:byzkjeHH
>弥太郎は顔色も変えずに
鬼小島 「やっべぇぇ、武田に捕まって人質になったとき自害するために、
塗っておいた毒の部分に、この馬鹿犬噛み付きやがったよw」
そうだ!、庭に投げておけば、投げられたから死んだように見えるかも。
356 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 19:13:53 ID:fWk751jb
>>353 鬼小島さんはこの猛犬といいい義輝の大猿といい、なぜか動物ネタ多いなw
おまけに通り名が「鬼小島弥太郎」だから日本むかし話を連想させて困る
357 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 19:25:29 ID:ZclFbCvS
犬けしかけるとかねーよwww
これは吹いたわwwwwwwww
358 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 19:26:37 ID:QvHuzcCx
どっちかというと、武田信玄のちょっとDQNな話だな。
359 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 19:58:07 ID:L8AWY6pW
お兄ちゃん、どくな!
天正10年(1582)10月、本能寺の変後の混乱が続く中、細川忠興は妹婿の一色義有を
宴席に招いた。義有は義兄を全く信用しておらず、騎馬隊35騎、兵300人を連れて行ったが、
宴席は密室にされ、忠興は義有を暗殺。主不在の動揺を忠興に突かれた一色氏は滅んだ。
忠興の妹・伊也は一色残党から救い出され、忠興は久しぶりの兄妹対面の席に向かった。
席に着いた瞬間、伊也の懐剣が忠興の首を目がけて走った。
戦場斬り覚えのカンでとっさに身を引いたが間に合わず、鼻筋をを横一文字に切り裂かれた。
あわてて忠興は控えの間に逃れ、伊也は家臣が取り押さえ、何とか事は収まった。
忠興は初陣の城攻めで一番乗りを果たして信長より感状をもらっており、その時に投石で
できた額の傷を自慢にしていたが、伊也の恨みのこもった鼻の傷が残って以降、諸大名の
間では忠興の前で顔の傷のことを話題にするのはタブーとなった。(細川家記)
有名な話だけど、まとめに上ってなかったんで。
幽斎・実弟と不仲、長男追放、次男に切腹命令と身内にキビシイ忠興にしては、伊也に
報復を行った形跡がありません。
同じヤンデレでも、やはり女性の方が強いのか?
360 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 20:04:33 ID:fWk751jb
>>359 細川家の血筋と森家の血筋だけはガチ
とっさに避けるとか忠興の体術すげーなしかし
361 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 21:08:25 ID:8I5u83v4
犬も猿もダメであったか
だれか!雉を持ていィ!なんとしても鬼小島に一泡吹かせるのじゃ
362 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 21:22:56 ID:ZclFbCvS
363 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 21:44:32 ID:Lixrx8z8
義光「さすがのオレもひくわ…」
364 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 21:59:09 ID:b+c3bB9o
>>361 そういえば鬼武蔵の弟は桃で死んだんだっけ
365 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 23:37:39 ID:uUJ+sXDV
元和二年(1616)、家康亡き後黒田長政は、将軍秀忠の側近、土井利勝への接近を謀った。
ところがこの事が、かねてより黒田家と親しい幕府年寄、安藤重信を不快にさせ、彼が病気に
かかったので見舞いに行っても会おうともしない、しかも悪い事に土井利勝側からも
相手にしてもらえない、と言う非常によくない事態に陥った。
これを聞いて喜んだのが細川忠興!早速息子に書状を書いた。
「大体あいつは、昔からあんな策謀ばっかりやってた男だけど、とうとう尻尾だしやがった!
テラワロスwwwww」
(惣別かような才覚前々より上手にて候が、今度は尾が見え候や、笑止に存知候。)
久々に胸のすく思いの三斎公であった。
366 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 23:45:37 ID:0surI2ba
親父のこんな話ばっか聞かされる息子の方も大変だろうな。
367 :
人間七七四年:2008/11/20(木) 23:50:18 ID:SzKYVqJU
確か政宗の大坂陣後の書状でもこんなのなかったっけ?
淀ざまあwテラワロスwみたいなやつ
368 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 00:13:08 ID:kADRfsgs
>>366 忠利が藩主になってからの二十数年で
忠利宛て忠興書状 1820通
忠興宛て忠利書状 1084通(返事出さないと三斎様キレる)
長男光尚宛て書状には必ず「ところでママ元気?」
幕府のウケも良く家久当たりにもソツなく対応
島原の乱じゃ細川藩が本丸一番乗り&天草四郎を討ち取る
細川忠利マジ名君
369 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 00:46:53 ID:TdWTLT8d
なんという隔世遺伝これは間違いなく幽斎の血
370 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 00:48:33 ID:+l5NO4zd
忠利の死んだときの忠興の書状、すっげー悲しいんだよね…( ´Д⊂
371 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 01:28:25 ID:JWjcaqv+
>>368 両親はじめ、よくも悪くも強烈な人間が揃った中で、
この人は珍しいくらいに常識人という印象をうける
372 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 02:15:08 ID:uFqafHON
>>370 これかな?忠利死亡三日前、孫の光尚あて忠興書状
越中煩い、この中我々にかくし候て、よき々々とばかり申すに付き、
左と存知候てこれある内に、今日十四日俄につまり候由申し越し候間
(中略)
我々事の外困り、正躰なく候間、わけも聞こえ申すまじく候、恐々。
(忠利のヤロー、ず〜っとオレらに病気隠して『健康です』とか言ってたから、そうかと思って
安心してたら今日になってイキナリ危篤とか言って来やがった。ナニソレ?
夜、熊本に着いて忠利見舞ったけど、オレのことも分かんねーみたいだし、目も開かん。
これはもうだめかもわからんね。 …ああゴメン、頭にまともな言葉が浮かばねーんだわ。
とにかく老中の酒井さんか、大目付の柳生に頼んで大急ぎで帰国してくれや。
頼むよ、爺ちゃんだけじゃ悲しくて辛くて、もう何したらいいか分かんねえんだよ!!)
373 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 02:33:21 ID:+l5NO4zd
>>372 それだ。インテリで強がりな忠興が、本当に途方にくれていて、
なんか肉声を聞いているような気分になるよ。
374 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 02:39:30 ID:pS99IO8b
375 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 02:45:40 ID:u6lXg7o5
他の息子への態度とまったく違いそうなのはなんでだろう?
376 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 03:52:41 ID:Cm6yPJ3Z
ヤンデレ
ヤンキー
厨二
鬼
四天王はほんとキャラ立ってるなあ
377 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 07:05:01 ID:WpjqiV+M
正則「主役の俺は?」
378 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 07:22:17 ID:TdWTLT8d
ヘタレ
379 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 09:18:07 ID:y+KTY77U
ドラゴンボールでゆうと四天王→ギニュー特戦隊
正則→ラディッツ
くらい差あるからなぁ
380 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 12:11:26 ID:4PvuRnbe
正則はヤムチャがよく似合う。
381 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 12:24:19 ID:yTUndqq6
ヤムチャに失礼だろ、なんぼなんでも。
どっちかって言うと秀吉に量産されたサイバイマンってとこだろ。
382 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 12:26:54 ID:y+KTY77U
383 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 12:39:44 ID:wNK7FTrO
秀吉が量産したサイバイマンってっと七本槍あたりか?
でも清正も嘉明もこちらの住人じゃないし
384 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 13:10:37 ID:3FWeuKDV
>>375 別に忠利だけを可愛がってた訳じゃないと思うよ。長男忠隆とは、廃嫡はしちゃったものの、後に何とか和解しようとしてる。結局上手くいかなかったが。次男の方は大阪の陣で豊臣方に加担して戦う様な奴だけにどうしようもない。
385 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 13:49:14 ID:ba3mpai9
-‐ '´ ̄ ̄`ヽ、
/::::::::::、::::::::::::::/ て
∠/::::::::/'´ ̄ ̄`` ヽ
ノ//::::/ シ .ヽ、ヽ |
イ /: :从 (●)(●) レレ|
. |ハ | (__人__) ./ノ
イ| ` ⌒´ ノ。 常識だけはなくすなって
ヽ .川 .} 言われてそだったんで
ヽ_/ } . ノ
/、 〈 く
ハ ヽ Y`ー.、i
{ ヽ_ゾノ-‐1
`¨´┬' . |
-‐ '´ ̄ ̄`ヽ、
/::::::::::、::::::::::::::/ て
∠/::::::::/'´ ̄ ̄`` ヽ
ノ//::::/ シ .ヽ、ヽ |
イ /: :从 (●)(●) レレ|
. |ハ | (__人__) ./ノ
イ| ` ⌒´ ノ。 ウィッシュ
ヽ .川 .}
ヽ_/ } . ノ
/⊂ \∩ノ ⊃
(〆 ⊂ / _ノ |
.\ “ /_ /
\ /__/
386 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 17:24:05 ID:+l5NO4zd
こんな形も忠義の心
大阪の陣の後、長宗我部盛親は行方をくらましたが、このとき長宗我部家の譜代家老、
中内弥五左衛門が彼をひそかに葦原隠して生活させていた。
ところがこの弥五左衛門が、大仏前で餅を買っていたところ、蜂須賀家の手の者達が彼を怪しみ
大捕り物の末、捕縛された。そうして、藩主蜂須賀至鎮が直々に尋問する。「お前は何者か?」
無論、素直にしゃべるなどとは思っていない。が、
「私は長宗我部家家老、中内弥五左衛門。主人盛親は小倉堤に隠れている」
なんと自分の事のみならず、盛親の居場所まで、詳細に話しはじめたのだ。
これには蜂須賀家の者達も思わず笑ってしまった。
「自分の事だけならまだしも、主人の居場所まで教えるとは、なんと卑怯千万な。」
しかしこれに弥五左衛門、涙を流しながら言う。
「そうは言うが、我が主人盛親は今、私一人に頼って生きているのだ。
もし私が帰らなければ、あの方一人では、日常生活の才覚に乏しいのでたちまち餓え、
乞食などに身を落とし、最後は惨めな死に方をするだろう。
それならば、今捕まり、大将として処刑された方がいい。そう思って話したのだ。」
その弥五左衛門の姿に、蜂須賀家の者達も皆、感涙したと言う。
そしてよくよく考えると、盛親に酷い事言っている弥五左衛門さんなのであった。
387 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 17:58:32 ID:hEGWBKTh
たしかその中内某という武将、餅買うときに小判使って
店の人に怪しまれて、そこからバレちゃったんじゃなかったっけ
ぶっちゃけ主君を世間知らずと言えるほど才覚があるわけじゃない様な
388 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 18:08:56 ID:4PvuRnbe
それ以上に世間知らずだったって事なんだろうが・・・
389 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 18:11:38 ID:EC6YB/Gm
駄菓子屋でゴールドカード出すようなもんか
390 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 18:20:44 ID:pbawBMLS
しかし、それでひっ捕らえられて、首を落とされた盛親さんに
してみれば忠義もへったくれもない罠。弟を殺した所為で土佐
を失い、大坂の陣で元家臣と正面衝突して、最後は家臣の密告
で捕縛されて処刑。
一体何を思って逝ったんだろうな。
391 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 18:28:47 ID:EC6YB/Gm
ん?弥五左衛門じゃなくて惣右衛門じゃない?
弥五は惣右の子で大阪で戦死したんじゃなかったかな
392 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 19:01:26 ID:hEGWBKTh
393 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 19:11:28 ID:+l5NO4zd
まあ、
>>386は難波戦記ソースなんで、あんまり突っ込まないでくださいw
これは盛親の話だけど、関ヶ原の後の宇喜多秀家は最初、京か大阪に潜伏しようとしたけど、
家臣が
「この人、お金の使い方すらわかってないくらいの世間知らずだから、街中なんかに置いたら
絶対変に目立って見つかる!」
って、無理やり船に載せて薩摩に送り出したって話があった。
しかも、こっちはどうやら事実らしいw
394 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 19:24:13 ID:Cm6yPJ3Z
>>390 世間の荒波にもまれた後の盛親ってどうにも憎めないイメージがある
なんか、苦笑いしてそうなんだよなあ、
>>386に関しては
395 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 19:38:35 ID:cI5HDKW0
でも盛親って改易後は京都で所司代監視付きの生活だったけど
寺子屋の師匠をしてたって話もあるくらいだからそこそこ世間ずれしてそうな気もする
396 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 19:58:48 ID:uXhXBO9m
>>286 弟の仇なら腐るほど召抱えてるが…By信長
397 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:13:10 ID:uXhXBO9m
鬼作左の心温まるいい話
結城秀康に自分のところから付家老を出すように命令されたとき、
実子ではなくすでに死んだ自分の兄の子供を推薦した
秀康は家康の次男でそこの付家老ともなれば名誉ある職
それに自分の子供ではなく甥っこを推薦するなんてすばらしい人物です
さらに数年後、自分の実子をそれより石高を上の付家老にして甥っ子の負担を軽減させてる
実子の系統は忠直改易の際に独立藩主になるが、後に改易
甥っ子の系統は越前松平家の付家老として明治維新まで存続してる
398 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:21:03 ID:+xIS9Bqh
399 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:27:37 ID:tVhMjdoB
どう見ても皮肉ですww
400 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 20:48:32 ID:CHfjyauG
>>397 普通に見たらどうってことない話なのに、おまいのセンスに笑ったwww
401 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 23:40:50 ID:Z92gi3+B
≫397はさくざに何か恨みでもあるのかww
さくざの逸話って自身は切腹だの改易だのどうなってもおkってな感じのが多いけど、息子のこととなると話は別みたいだね。
402 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 23:43:10 ID:7yzyH4Sg
403 :
人間七七四年:2008/11/21(金) 23:50:08 ID:+l5NO4zd
>>401 秀康は徳川家を離れた形だから、作左衛門の徳川中心主義から考えれば、
そこに深く係わるという発想は出てこないんじゃないかな?
404 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 01:57:35 ID:biAugwez
陪臣は嫌ってことか。
405 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 02:21:13 ID:WkcwqPKN
>>404 陪臣云々って、そう言う見栄や栄誉の問題じゃなくて、作左衛門って人は、あくまで「徳川家」と言う
共同体を守り立てることを、信念にしている人だから、忠誠の主体はその共同体の要となる
徳川宗家だよね。
主君の息子でも、「徳川宗家」を離れた形で一家を形成している人物に、作左衛門は自分の家が
主体的に係わる必然性を感じないのでしょう。
406 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 10:27:42 ID:X9iP8C1u
めんどうくさい家老
元亀元年(1570)6月、姉川の戦いの前日、軍議において池田恒興が先鋒と決まった。
「我ら先鋒のみで浅井を撃破して見せましょう!後ろまで敵を行かせませぬぞ」
と、恒興は意気込みを語ったが、酒井忠次は
「そのような話は明日の戦が終わってからにせい!」と言い捨てて軍議の席を立った。
当日、戦が始まると池田隊は浅井の猛攻を支えきれず後退し、後ろにいた忠次の備えまで
逃げ込んできた。忠次は逃げてきた者の中に恒興を見つけると
「昨日の話と違うではないか!」と怒り、刀の鞘の先で恒興の馬を打ち、恒興を落馬させた。
(落穂集)
家老クラスでも三河武士に冗談とかハッタリとか通じない、という話。
407 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 11:10:56 ID:DiEZmPYQ
>>406 恒興の面目丸潰れだけど言ったからには実行しないとな
さすが忠次、信長に認められた男だな。晩年は不遇だったらしいけど
408 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 12:40:19 ID:20bfh2Rk
さすがにこうなんていうか
一発で後世の作り話と判るようなシロモノは読んでいてげんなりするな
409 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 12:54:43 ID:Cl3h6nMH
言わんとする事は分かるがそれ含めて逸話だから仕方あるめえよ
好きになれとは言わんけど受け流すくらいの余裕はもっといたほうが懸命だと思うべ
410 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 13:35:28 ID:gg+qQ+Lp
>>408 君にこのスレはあってないから
毒吐くヒマがあったら他のスレに行ったほうがいいと思うよ
411 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 14:21:45 ID:bgzeDLJZ
まあ分からんでもないがな
姉川の布陣なんて考察しつくされてて織田軍の後ろに徳川軍とか無理ありすぎる
まあでも別に目くじら立てるようなことでもないが
412 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 14:26:21 ID:FzrjT/CB
あのさ、このループもういいよ
そもそも有名無名に限らずちょっと悪い逸話を拾ってここで披露してるわけだろ
逸話だよ逸話
逸話が何かを考えてからもっかいレスしなよ
413 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 14:47:20 ID:V+L0wGJ7
414 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 14:52:06 ID:bgzeDLJZ
うん、まあ事実がどうこうって無粋だとは思うが
書いた人(>406じゃなくて)はヘタクソだなあと思う
もうちょっと違う戦使うか、違う人や場面を使えば違和感を感じる人少なかったのに、と
415 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 15:08:40 ID:dHKBz4oQ
それなら自分でネタ書き込めとオモタ
416 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 15:14:24 ID:TaY7+cgv
名将言行録の悪口はそこまでだ
417 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 15:27:36 ID:NCuGVg9q
この時池田の後ろだった秀吉部隊のほうも崩壊して生き残りが横から石投げていた話もあるからな
しかし逸話なんて所詮主観の差があんだから軽く読み流せない奴は読まない方が良い
418 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 15:44:50 ID:qKeuT5vx
2ちゃんねると中世日本史研究学会の差だな
419 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 16:04:52 ID:sGi5+gEm
なに趣味板で書いてられるんですか プニュ( ´∀`)σ)Д`)ノシ
つか「中世日本史研究学会」ってなに
ぐぐーる先生に聞いても引っかからないんだが
420 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 16:17:26 ID:FyktoDBb
明らかに嘘な逸話って「後世にどういうイメージで伝えたかったか」ってのがわかって面白いんだけど。
逸話じゃないけど「秀吉の母は皇室で侍女してた(もしかして天皇の御落胤?)」なんて情報操作も残ってたりする。
「嘘だ」って切り捨てることもできるけど「秀吉は高貴な血筋に憧れがあった」と解釈することもできる。
だから嘘逸話も楽しんじゃおうよ。
421 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 16:27:55 ID:20bfh2Rk
別にウソ逸話でもいいんですよ。ぶっちゃけて言ってしまえば、絶対に実話だと
証明できるような逸話なんてほとんどないのだから。
ただ>406のような、明らかに誰かを貶めるための作り話というのは読んでいても気分の
いいもんじゃない。考察に使えるかどうかとは別にね。
422 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 16:44:07 ID:lykpy9z9
いきなり毒づくから話がややこしくなるんだ。
恒興と忠次の配置は史実ではあり得ないけど
小牧・長久手での頓死のイメージなんかで
恒興が損する役回りになったんだろうね
みたいな感じでフォローすればいい。
これなら逸話の成立過程を考えたり
色々話が発展しそうジャマイカ。
423 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 17:32:48 ID:gg+qQ+Lp
>421
まだいたの?
あんた一人が気分の悪さをブチまけたおかげでスレの流れまで
悪くなったことにそろそろ気づいてくれよ
ここは逸話を楽しむスレで考察したり揚げ足とったりする場所じゃないってのは
何周もしてる議論だしテンプレにもあるんで守れないならせめてROMってくれ
424 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 17:47:28 ID:SnS4OGtG
史実がどうのこうのっていう指摘があってもいいと思うけど、それなら逸話以上に面白いことを書いて欲しい。
こっちの方が面白いだろって通説を紹介したりさ。
「史実じゃないし不愉快だ」ってだけのつまらんレスされてもスレの雰囲気が台無しになるだけ。
こっちのほうが不愉快になるよ。
425 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 18:40:37 ID:NQLSM4cI
不愉快ならば、再び愉快な四天王について語り合うのみ。
426 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 19:02:31 ID:u4eRt8O0
別に史実はこうだって指摘するのも悪くないと思うけど
変なイメージついて一人歩きするよりはよっぽどいい
427 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 19:12:08 ID:7BQLGGWi
史実は〜って言われたら
「ふーんそうなんだ」って流せばいいだけじゃなかろうか
個人的には逸話も史実での話も見れるのはお得だなと思う
ただし、それで議論すんのはやめてほしい
しつこく「でも史実は」って言い続けるのもいらん
428 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 19:12:51 ID:Cl3h6nMH
言う事自体が悪いんじゃなくて言い方が悪いんだって何度言ったら(ry
429 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 19:16:58 ID:X9iP8C1u
なんかアレで申し訳ないんで、もうちょっとまともな話を。
慶長のころ、島津家久(忠恒)がどこへ行くとも言わず、船で鹿児島湾を北に向かった。
供の者たちはどうするのかと不思議に思っていたが、加治木の方から1隻の船が
近づいて来る。よく見ると、その船には義弘が乗っていた。
「ついに家久様は口うるさい親父を消すことにしたんだなヒィヤッハー!!」
「維新様…とうとうバカ息子を粛清するご決意を……!!」
家臣たちはお互いをにらみつけ拳を握りしめたが、2隻の船は連れ立って浜之市に
上陸し、今度は義久のいる国分新城(霧島市国分小付近)へ向かった。
義久の隠居領には薩摩藩国境とは別に関所があり、家久・義弘であっても通さない。
またにらみ合いとなり、刀の柄に手を伸ばす者までいたが太守直々の説得で門は開いた。
家久・義弘は二人だけで城に入ったため、家臣団は青ざめた顔で一言も発せずに
待ち続けた。しばらくして城の書院から「♪高砂や〜尾上の松も年ふりて…」
と三人の殿様の楽しげな謡が聴こえてきたので、やっと一同緊張を解いた。
殿様三人の不仲が家臣に伝わり、一触即発になったのを解消するために家久と義弘が
仕組んだパフォーマンスだった。(山田四郎左衛門聞書)
近所に住んでる肉親同士で政治外交やってる、親子兄弟で(仲が)悪い話。
430 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 19:23:59 ID:WkcwqPKN
>>429 これも外交ってものなのかねー?
しかしまあ、いかにも戦国時代だw
431 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 19:41:16 ID:bul4Owmm
どっきり!大!成!功!
432 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 19:44:58 ID:XflF/2k5
家来同士が斬り合う寸前になるまで悪化してたんだなぁ
関ヶ原での島津家も、家中が全然纏まってないように感じるし
義久自身に纏める力が無かったのかね
それとも義弘の不徳(息子への教育含め)が原因か
433 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 20:30:51 ID:KJKxmP3l
戦国時代で親兄弟が仲悪いなんて普通だし
有名どころの大名で親か兄弟殺してない奴の方が珍しい
434 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 20:32:30 ID:p8vt5fwp
>>432 義久時代には4兄弟それぞれに与党がいてまとまりが悪く、
DQN家久時代には3派に分かれて対立。琉球征伐前には尚氏が義久党を頼って
(家久・義弘が琉球征伐派だったので)対島津工作をしてたなんて話も有るくらい。
435 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 21:58:47 ID:sGi5+gEm
>>434 ソースだせ
なんてゲスな事は言わない。日本史板ならともかく、戦国板だからなw
でも
>>434いうところの「まとまりの悪い」はずの集団に蹴散らされた龍造寺とか大友とか伊東の立場は・・・w
436 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 22:09:35 ID:WkcwqPKN
>>435 貿易や内政問題ではまとまりが悪かったが、こと域外膨張に関しては利害が一致していた。
島津家にとって戦争とは、領地を広げるだけではなく、略奪や「人狩り」などを通して
「儲かる事業」だった。
つーか、戦国大名って拡大している間は内部矛盾を抱えていても何とかまとまって
敵に当たる事ができるものなんだよ。
上杉や武田、長宗我部、あと織田だってそうでしょ?
437 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 22:43:11 ID:h2vSYwHt
敵が居る時にまとまれない状況って末期だしな
438 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 23:04:03 ID:FyktoDBb
島津家って豊臣の脅威が迫るまでは上手くいってたんじゃないのか?
対豊臣非戦派の義久、歳久と主戦派の義弘、家久。
439 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 23:16:47 ID:WkcwqPKN
>>438 対外的に上手く行っていることと、内部に問題を抱えている事は別問題だから。
まあ、九州の大名全体にいえるんだけど、一族や国人の在地性、独立性が強くて、
勢いがあるときはいいんだけど、一旦だめになると簡単にその指導力が崩壊する危険性も
併せ持ってるわけで。
440 :
人間七七四年:2008/11/22(土) 23:23:07 ID:V+L0wGJ7
内部矛盾はどこでも抱えるもの
徳川家とかもね
441 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 00:38:42 ID:i7/pYlCs
>>439 今川なんか典型的だな
一族で何度も相続争いしてるし武田に寝返った家臣のほとんどが家臣化した国人
442 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 00:56:49 ID:xyvDeahL
北条氏政は疑っていた。
天正十年、織田信長の軍勢が甲斐に乱入する、という「噂」が、流れているのだ。
しかし信長の下から、氏政には何も言ってきていない。同盟者であるのに。
氏政は北條家上野方面の総司令官、北条氏邦に書状を出した。
「武田の領国から当方に逃げ出してきているものはまだ一人もいません。
武田の領国内の警備体制がどうなっているのかも、皆目わかりません。
上州にある半手(北条、武田両属の領土)で、どうにか情報を得てください。」
「先に届いた注進状によると、木曾が裏切ったという話ですが、どれも確信の持てる情報では
ありません。木曾の敵対が事実なら、武田の防衛はかなわないでしょうが…
兵を出すかどうかはとても大事な事なので、努力して情報を聞き出してください。」
実はこの書状が行き来していた頃既に、織田は木曾どころか、甲斐深くにまで侵入し、
駿河はその大半を徳川が確保していた。
氏政のころの北条の、西方に対する諜報力の低さが如実に現れたお話
(まあ、勝頼が北条の参戦を警戒して、強力な情報統制をしたという話もあるのですが。)
443 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 01:01:28 ID:/SXknlQm
>>442 それでも本能寺の変は滝川より早く知ったよね。
444 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 01:04:31 ID:615dDBsN
正直飯の汁がどうとかよりはるかにキツい話しだな。
445 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 01:04:44 ID:xyvDeahL
446 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 01:51:40 ID:4z0JtVRJ
本能寺後の氏政の旧武田領侵攻の素早さはすごいよね。
俺だったら織田家の混乱収束後のことが怖くてそんな真似はできないな。
447 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 07:51:41 ID:xyvDeahL
大阪冬の陣もそろそろ和議の交渉が始まった慶長19年(1614)12月4日、
秀頼の直属部隊である七手組は、長宗我部盛親の担当部署に懸念を持っていた。
長宗我部隊は長曽我部旧臣で組織されいるが、数が少なく、持ち場全体の防衛には足りない、
というのである。そこで数の大きい浪人部隊を組織している、伊達家牢人、北川宣勝の指揮下に
長宗我部隊を置こう、ということになった。そして、木村重成・渡辺糺が使者として先ず、盛親の
元に行った。
盛親は「指揮が行き届かないように見られたのなら、それは私の力が及ばなかったのでしょう。
北川殿の指揮下に入ります。」と、従った。
そこで木村、渡辺はその事を北川に伝えた。が、北川は
「そんなこと出来るわけないでしょう!
私は所詮伊達家の元家臣で、長宗我部殿は元は国持大名ですよ?身分が違いすぎる!
いくら長宗我部殿が納得したからって、彼の家臣が納得するわけが無い!私の命令なんて
聞きゃしませんよ。
こう言うのはむしろ長宗我部殿を頭に立てて、私が彼の指揮下に入るべきなんだ。
何で先にこっちに聞きに来ないかなあ?」
そう言われてしかたなく、また盛親の元に行った。北川殿はむしろあなたの指揮を仰ぎたいと…
が、遅かった
「いまさらそんな事言ってなんですか!北川殿が納得しないというのなら、私は切腹します!」
拗ねていた。
二人は北川の元にとんぼ帰り「長宗我部殿があなたが指揮しないと切腹するって行ってますが…」
北川「ほら、もう話がこじれてるでしょ?無理なものは、無理!それに切腹!?迷惑だ!」
進退窮まった渡辺と木村、豊臣秀頼と七手組に、何とかしてくださいと泣きついた。
秀頼も困って、「とにかく、長宗我部と北川の二人で話し合って、それで上手く決めてほしい。」と
なんとも消極的な指示。そこで木村渡辺、北川と盛親を呼んだが、盛親
「いまさら相談なんて、ホントはお断りしたいのだけど、それでは北川殿に迷惑をかけるし…」
泣き出した
このウジウジした盛親の態度に切れたのが、よりにもよって使者の木村と渡辺である。
「我々はもう知らん!勝手にしてください!」と、部屋を出て行ってしまった。
残されたのは泣いてる盛親と、北川。
北川さん、盛親に、「えーっと、私と盛親殿の持ち場は、合計して1キロほどありますよね?
長宗我部隊の規模なら、そのうちの30メートルくらいなら、私の指揮下に入らなくても、
単独でやりくりできますよね?
…そ、それでいきませんか?」
盛親、コクリ。この騒動、どうにか治まった。
組織の頭が最初にボタンを掛け違えると、現場がいろいろ大変だ、と言うお話。
448 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 08:35:23 ID:UpSmEWx9
盛親が脳内で美少女に変換された。
449 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 10:46:51 ID:KdZr0fAU
親父は姫若子だしな
450 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 11:32:02 ID:uaI3aDeR
451 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 11:42:55 ID:fho5gRug
>>447 長宗我部隊はどれだけ数が少なかったんだよ。
5千くらいいなかったのか?
452 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 11:47:03 ID:u7eUPSog
453 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 12:51:07 ID:iQduHtqw
454 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:05:33 ID:sscgvXMJ
ゴツイwww
455 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:10:36 ID:4DfvUJpd
>>453 田亀源五郎先生の漫画に出てきそうなイケメンですね。
456 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:35:32 ID:7ErZxTHF
北川の考えはもっともだけど、モリチカも「それじゃあ」って態度を変えるのもやりづらいかもなあ。
しかし、いずれにしても「俺が俺が」って戦国武将のイメージから外れるね。
モリチカは育ちがおぼっちゃんってのもあるんだろうけど、北川さんって普通の土豪・武将だよね?
457 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:37:11 ID:cxekUhW3
黒田長政が音痴なのはよく知れた話だ。
なぜなら黒田家譜という黒田家の来歴と活躍を示す書物に堂々と、黒田長政が
偉い先生(観世太夫)にほめられた!と家臣を集めて自慢げに歌った謡が調子っ
ぱずれだったと書かれているからだ。
もうここからかわいそうだと思う。なにも黒田マンセーな本でまでこんなこと書か
なくていいのに。
それを指摘したのは母里太兵衛という家臣で、これは黒田節などで有名なあの
飲み取り太兵衛のことだ。
「決してお前の歌に感動して泣いたとかじゃないから勘違いすんなよ!
この下手くそが師匠がほめたのをお世辞だとも気づかず調子に乗って、
それを周りの重臣が機嫌を取ろうと持ち上げおって、もう黒田家はおしまいだ!
そう思ったら涙が出るわ!」
最初の一言は言う必要あるのか?俺はそれを疑問に思う。
ちなみにこの逸話自体は長政が母里太兵衛の忠心を泣いて喜び脇差を与えて、
なんとなくいい話っぽい雰囲気で終わる。
俺はこの、とりあえずいい話でまとめる黒田長政の能力を評価したい。
この話は江戸時代に入ってからのことだが、黒田家譜ではこれについて
「治世では主君が楽をして怠け心を起こし国が乱れるものだが、敢えて厳しく諫言し、
主君に善心を起こさせて国をよく治めさせる母里の言葉こそ乱世の言葉である」
と誉めたたえている。
さて、俺はこないだ福岡県地域史研究という雑誌に載った能役者喜多七太夫について
書かれた文章を読んだ。
この喜多七太夫は大坂の陣で豊臣家につき、陣後は(諸説あるが)黒田長政に匿われ、
その斡旋で役者として復帰したと言われている。
黒田家と能との関わりを示す資料として、例の母里太兵衛に黒田長政がこれでもかと
音痴を指摘される場面が引かれていた。
こんなとこでまで晒されるのか。俺は自分も音痴なので黒田長政に対して同情した。
なぜこの場面かというと、母里太兵衛は能の心得があり、そこで謡にも一家言あったのだ。
つまり歌が上手い奴が音痴に身の程を知れ音痴!と言ったのだ。
なんてひどい話だ。
ところでこの母里太兵衛という男は黒田家の三老と言われていた男で、指折りの重臣だ。
武功も家中で群を抜いていて、自分の留守中に長政が戦で苦戦したと聞いて、自分で
「それはいつもと違って俺がいなかったから特別強敵だったように思うだけですよ」と
言っちゃった野郎だ。
その上、非常に体格に恵まれ、それでいて顔は人形のようだったという。
地位も権力もあってスポーツ万能でイケメンで、そして芸術的素養もあるのだ。
なんだそれ死んでしまえ。俺は思った。
そんな母里太兵衛の、長政の音痴と不明を罵る長台詞がその文章では黒田家譜から
引用されていたわけだが、よくよく見ると「節・拍子ちかひたるやうにて、更に面白くも
無御座候。」の部分に鉤カッコしてあり、小さな注釈がついていることに俺は気づいた。
(朱書)
……つまりなんだ。黒田家譜は、少なくともこの文章の筆者が底本にしてる写しは
(新訂黒田家譜一巻だそうだ)母里太兵衛の「殿の音痴!」という台詞をわざわざ
赤字で強調してるとこういうことか?
ひでえ…ひでえのは知ってたけど想像以上にひでえ……。
あれか?筑前は鬼の棲む地か?
音痴は好きで音痴をやっているわけではない。
長政などは一流の師匠について訓練しても矯正できないレベルの究極音痴なのだ。
それをこうまで晒し物にしようというのか。
俺は泣いた。
458 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:37:58 ID:7ErZxTHF
へえ、ぐぐって知ったけど、戦後許されて主持ちにもなれたのか、北川さん。
大阪のあとは根絶やしの印象があったけど、武将クラスでも堂々と許された人っていたんだなあ。
459 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:41:15 ID:7ErZxTHF
>>457 笑った
非難をものともしない長政の度量に感服してやれよ
しかし長政って、家臣から見るとそんなに頼りなかったのかな
460 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:50:03 ID:J96r1BBY
先代が頭ぐりぐり回る隙のないタイプだからなー
461 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 13:58:40 ID:7ErZxTHF
忠興とかみたいな偉大な親父を持つ連中で、
“家来から”ここまでボロクソに言われている人っているのかな。
462 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 14:04:39 ID:P/8H+qXu
関ヶ原の戦いで福島他の東軍参加や、小早川の裏切りを根回ししてたり
親父ほどじゃなくても、なかなかの器量があったのは確かなんだけどなあ。
まあなんだ、ジャイアンリサイタルがよっぽどウザかったんだろ
463 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 14:13:09 ID:6gIDOox2
家臣に罵倒されながら涙目で能を舞う長政w
464 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 14:28:09 ID:cxekUhW3
>>459 母里太兵衛ははっきり言って別格。
秀吉にも欲しがられた剛の者だし、空気読まないのが本領の戦国武士らしい戦国武士。
元々父親の黒田孝高に仕えていた頃からの重臣で、黒田長政も武功にこだわりのある
気の強い大将だったからよくぶつかってるが割と上手くやってる。
いつも黒田長政が折れる形でだがw
母里太兵衛が同僚の桐山孫兵衛と大喧嘩したことがあった。
というか発端は孫兵衛の失策だったんだが、それを太兵衛が何度謝罪しても許さず
決して口をきかないという報復に出たため孫兵衛の方でもさすがに腹をたてた。
それを知った長政が孫兵衛をなだめるためにかけた言葉が
「太兵衛はああいう無分別者だが、俺でも我慢してるんだからお前ももっと頑張れ」
だったことからもその苦労がうかがえる。
結論として太兵衛と孫兵衛はその後三十年間口をきかなかった。
またこの喧嘩騒ぎによってこの時代既に関西地方において「どたまかち割ったる」
(あたまを切割るべし)という罵言が用いられていたことが確認できることについても
留意されたい。
謡の逸話では一応黒田長政の事も
「長政は普段このように正直な諌言を好んで、この件に限らずよく聞き入れた。
滅茶苦茶なくらいきつい言い方をしても却って大切にした。実に明君である」
と誉めている。
ただし脇差取りに行く時すげー不機嫌そうな顔だったこともしっかり記録されちゃってるけどな!
名君として振舞おうと努力はしてるけど本来の性格が邪魔をする、そういう人だったんだろう。
465 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 14:41:06 ID:KdZr0fAU
後藤又兵衛と母里太兵衛の違いはなんだったんだろう
466 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 15:20:14 ID:kC0H/L0f
こんなこと許されたのは黒田家くらいなんだろな
467 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 15:33:44 ID:iQduHtqw
>またこの喧嘩騒ぎによってこの時代既に関西地方において「どたまかち割ったる」
>(あたまを切割るべし)という罵言が用いられていたことが確認できる
普通に10へぇ〜(古)
468 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 15:37:24 ID:D+qmuItF
469 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 15:38:13 ID:6gIDOox2
470 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 15:56:19 ID:7ErZxTHF
主君に文句をたれたわけじゃないけど、わがまま。
小説「死ぬことと見つけたり」の主人公の親父(だったと思うが祖父か?)、斉藤用之助(襲名される名前らしいけど)の話。
江戸時代に入り、鉄砲を扱う下士を集めて教練が行われたが、斎藤も参加させられた。
若侍と同様に扱われることが気に食わず、的では無く空に向かって発砲。
なぜまじめに撃たないかととがめる上役に対し
「俺の鉄砲の腕は、大殿様(鍋島直茂)が生きてることで証明されている」
とかほえた。
もう少し後、年末に年越しのためのたくわえも無く、ひもじい状態。
自殺して果てようかとかやばい状態になって、どうせ死ぬならと立てた一策。
というのが、年貢納入に運ばれている米を強奪するという……。
百姓に白刃を突きつけ「どうせやがて俺たちが禄としてもらう米だから置いていけ」ととりあえず成功。
そして楽しい正月を送りました。
当主である勝茂によって、後者は問題なく死罪、前者も確か何らかの処罰の話が上がったと思うが、
勝茂の偉大な父・直茂の泣き落としによって、鉄砲の件は不問、米強奪の件すら命を助けられている。
471 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 16:04:15 ID:7ErZxTHF
ぐぐってる間に思い出した、用之助の鉄砲の件。
泣き落としどころじゃなかった。
勝茂が直茂に話を伝え処罰を求めると
「おう、切腹だ切腹。用之助にそんなことをさせた上役は切腹だ!」
という話になって、攻守逆転。
勝茂がその上役をかばうために平謝りしたとか。
家久「タイ捨流パネェww手討ちサクサクwwマジハマるわwww」
近習「あ、でも最近この辺じゃ示現流ってのが流行りらしいッスよ」 「!!?」
というわけで慶長9年(1604)、東郷重位は家久お抱えのタイ捨流師範、東新之丞との
立合いを命じられた。新之丞の父・東権右衛門は重位が示現流を学ぶ前の師である。
タイ捨流を習う家久の仕組んだイヤがらせ以外の、何ものでもない。
太守屋形で家久ら注視のもと、新之丞と重位は向かい合った。重位が木刀を額の
あたりで水平に構えると、新之丞は重位の気迫に圧倒され、動けなくなった。
家久「どうした新之丞!打てや!打たぬか!!」
勝手に言ってくれる…新之丞はそう思っただろうが、家久の催促とあってやむを得ず、
気合を込めて重位に打ち掛かった。
「チェストォォォォォ━━━━━━━━━━━━!!!」
観衆の腹まで響く掛け声とともに重位が動くと新之丞の木刀は真っ二つに折れ飛び、
新之丞当人は腕を伸ばしたまま、へたり込んだ。
家久「なにをしておる?!今一度木刀を取り、立ち合えい!!」
しかし、木刀が折れ飛ぶほど打たれた腕など、もはやシビれて使い物にならない。
勝負あった。 家久は機嫌を損ね、奥座敷へと引っ込んだ。
汗の引いた重位は、小姓に奥座敷へと案内され、家久の御成りを待った。
まあ、あの様子で褒美などあるまい。イヤミを言われるか、お叱りが降って来るか…
真剣が降って来た。
473 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 18:05:09 ID:lWl7Z291
>>447 寺小屋で子供に慕われてたり関所抜ける際に機転利かしてさくっと抜けたりする逸話がある一方、こんな風に妙に締まらない逸話もあり・・・
捕えられた後牢番にからかわれてとんでもないこと言い放ってる癖に、隠れ場所ばらした家臣はあっさり許したり・・・
盛親が「井伊殿は変わったお人だな」って言う話があった気がするが、どっちかっていうとお前さんのが変人だろうとw
「東郷、オレと勝負だ!参れ!」叫んで、家久が真剣で斬りかかって来た。
落ち度のない者を『成敗』する訳にも行かず、ムリヤリ立合いの形をとろうというのだ。
太守お目見えとて両刀は預け置き、木刀もすぐ手元には無い。
とっさに腰に差していた扇子で家久の左手を打った。扇子は折れたが家久はひるみ、
斬撃をそらすことができた。(この扇子、今も東郷家が保管しているという)
「!…伊集院をも斬ったオレの剣を…やるなフフフ……」
家久がなんか言っていたが、あまりの事に久々にキレちまったので木刀を拾い、
「お相手仕る。」 本 気 に な っ た。
重位はいわゆるトンボの構えをとった。この構えから最小限の動作で繰り出される
最速の剣こそ、示現流奥義『雲耀の太刀』である。
自分が何と対峙しているか気づいた家久は刀を落とし、座敷の隅に逃げ込んだ。
家久「〜〜〜ととと東郷!オレはオマエの主君ぞ!?忘れたか!!!!!」ワスレテナイヨネ?
ヒィー((((;゚Д゚ ))))ガクガクブルブル
重位はすぐさま三間あとずさりして
「拙者、家久様の剣気に打たれ、覚えず当流儀の意地を出したまでにございます。
主人を忘れたわけではありませぬ。」と、頭を下げてその場を去った。
家久「………すごいや!示現流すごい!!」(;゚∀゚)=3ハァハァ
こうして示現流は御家流儀として栄え、幕末にその凶剣は猛威を振るった。
その後、重位は家久の命で19回の上意討ちを果たし、柳生の門人と立合って勝ち、
報復を避けるため一生国許で隠れて暮らした。(三州遺芳)
アレな主君と遊んであげたら悪い意味で気に入られた、そんな剣士のお話。
475 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 18:12:11 ID:lWl7Z291
>>472 >>474 書き込む前にちゃんとリロードしてなくてすいません・・・
流石は忠恒公・・・しかし東郷さんが扇子持ってなかったらと思うと笑えない逸話だ・・・
476 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 18:52:48 ID:iQduHtqw
>>472 >>474 アニメ化決定(PG15指定) しませんw
ついでに重位さんはそんなにDQNに気に入られた割には実は島津義久配下
義久没後には隠れて暮らすどころか密貿易のメッカであった坊津の役人になるなど
かなり重要な役割を果たしている
・・・
とここまで書いて、やはりキグルイとは離れていたかったのかとも考えた。
477 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 18:58:02 ID:xyvDeahL
>>472 >>474 不意打ちするのがいかにも忠恒らしいw
そういえば忠恒の時代の、江戸の薩摩屋敷でこんな事があったそうな。
ある日の、まだ薄暗い早朝、薩摩屋敷の門を「ドンドン!ドンドン!」と叩く音が聞こえる。
寝ぼけまなこの門番が何事かと聞くと、
「幕府の大目付の者だ!火事だ!」
「火事?この近所で?」
するとこの大目付の者
「この薩摩屋敷がだ!」
驚いて屋敷を見回すと、奥の方で失火していて、危うく燃え広がるところだった。
慌てて鎮火した頃には、大目付の者と名乗った人物は、何処にともなく消えていた。
「しかし何故、幕府の大目付が屋敷の中の事を…」
薩摩藩邸の人たちは、この上なく不気味に思ったとか。
鹿児島城の蘇鉄の話とか(これは徳川家治の時代だったかな?)
島津はこう言う、徳川の諜報機関にしてやられる話が多いねw
478 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 19:10:40 ID:pB9cxywG
479 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 19:19:22 ID:n3WIME8e
>>474 改めて手討ち三十六歌仙やっちゃった忠興はやばいと思った・・・
480 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 19:38:53 ID:P/8H+qXu
忠興さんは小次郎や武蔵にケンカ売るようなアフォな真似しません
481 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 19:58:27 ID:jnInD/H+
忠興さんはリスペクトするときも全力だからなあ
482 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 20:15:35 ID:iQduHtqw
>>478 正解
>>480-481 忠興>>>>>>>>(遙かに乗り越えられない壁)>>>>>>>>家久(忠恒)
・・・と事実上宣言してしまったそなた達の元にまもなく家久(忠恒)公自らがお手討ちに向かわれるであろう。
でも、まあ上記のレベルの剣術のようなので万が一にも逃れられる可能性があるかも知れない
なんて書いてみておくw
483 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 21:13:13 ID:P/8H+qXu
>478
とんでもない!
DQN四天王「だが〇〇は我らの中では一番の小者!」
の〇〇の部分が決まったなんて思ってません!
484 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 21:13:23 ID:fzIYFXop
>>477 「してやられる」というか、徳川スパイすげーよww
485 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 21:16:58 ID:P/8H+qXu
安価ミスった!>482でしたw
486 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 21:30:01 ID:9bjK38ix
487 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 21:37:43 ID:4qAVFr69
>>472 >>474 日本には他国みたいな暴君って言えるようなのが居なくてつまんねーなって思ってた時期が俺にもありました
なんでこんなのを当主にしたんだw
488 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 21:54:41 ID:+iWWIOG7
>>487 そうは言っても家久は一応理由なく手打ちには出来ないとか考えてる分かわいいもんだろ
海外のDQNなんて生ぬるい表現の似合わない鬼畜どもと比較してやるのはかわいそうだ
489 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 22:01:08 ID:xyvDeahL
>>488 君主の悪口を言った人間は、君主を侮っているので死刑
君主を褒めた人間は、君主を批評しているので死刑、だっけ?w
490 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 22:05:29 ID:QC3Wb6Eh
「人殺すのに刀抜くとか……空の食器贈るだけで十分だろ常考」
491 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 22:07:28 ID:J96r1BBY
凌遅三z(ry
492 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 23:27:51 ID:4qAVFr69
雄略天皇ぐらいか?張り合えそうなのは?
雄略天皇は外征で領土を得てるが戦国の大名は暗愚では生き残れないのか…
493 :
人間七七四年:2008/11/23(日) 23:34:11 ID:PrCgan97
494 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 00:01:30 ID:YtrlosY8
>>492 武烈天皇じゃないの?
とおもったら、同一人物説もあるのか
495 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 00:11:03 ID:Br+2r7Ad
古代の帝王と同レベルとか言ったら、むしろカッコ良くなっちまうジャマイカwww
496 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 00:29:15 ID:pIbpd6lp
ガラシャが些細な失態をした奉公人を庇ったら「俺以外の男を庇った!」とぶちキレてその男を殺した挙げ句、その首をガラシャに投げつけた忠興さんは残虐カコイイ
497 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 00:31:54 ID:kk5WKUU7
>>496 ガラシャ「忠興を怒らせるためわざと庇いましたが何か?」
498 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 00:37:09 ID:4eEiUFbD
奉公人カワイソス
499 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 01:08:49 ID:pIbpd6lp
>>498 ちなみに詳細は細川親子スレにあるので良かったら見て欲しい。
あのスレを見て「忠興はやはり四天王の名に恥じぬ男よ」と思った。
500 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 01:23:11 ID:j1ps7IKD
むしろ恥じろよw
501 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 04:14:11 ID:Eqg7HgB6
502 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 11:09:41 ID:PQ9k+WF5
503 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 14:40:06 ID:E96GWOeb
スレチかも知れんが
家久の子供の数すごいな
504 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 14:40:50 ID:kk5WKUU7
正妻へのあてつけに近いからなw>家久の子作り
505 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 17:08:58 ID:ZifZ8bSf
>>487 どうかなぁ。
ヨーロッパの貴族だと捕らえた政敵をずっと自邸内の檻に閉じ込めておいて
なぶりものにして楽しむってな話があるし、中国だと両手両足切り落として
目も耳も潰して便所豚にするって話があるわけだが、さすがの四天王もそれ
にはひくだろ?
506 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 17:11:51 ID:X89kdMUf
四天王はあくまで四天王で上には上がいるのだよ。
でも、悪すぎてちょっと悪い話スレでは取り上げにくいw
507 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 17:31:12 ID:j/K12AcC
>>503-504 DQN家久の息子の光久はもっとすごいぞ しかも相手選ばずだしw
話題を戻して
「島津家の歴史は繰り返す」編
前スレで登場した「調子のって浪費しちゃいました」家老・伊勢貞昌から
>>472 >>474 でDQN家久とのダブル主演を果たした東郷重位への愚痴手紙
------------------
又八様(=QN家久の次男)には加治木に領地を2万石ほどわけようとしてますが
既に1万石もらっているのに、更に家臣をつけると2万石じゃ済まないんですが(涙)
また薩州様(=DQN家久の長男・光久)に国を譲ったら、自分は隠居分で2万石もらって
自分が死んだらそれを又八様に譲るなんて言ってるんですが、
隠居領は本来当主に戻すべきもんでしょ(涙)
功績の大きかった惟新様(=島津義弘のこと)ですら、名目は3万石の隠居領でも
最後は家久(DQN)様のお蔵入りに2万石取り上げられて1万石でやりくりされてましたが何か(涙)
…もうね、こんな身びいきやってるから、
藩の財政は悪化するし、どんどん家久様のお子さまの兄弟仲は悪いと言われるし
世間では
”お殿様(DQN家久)の本命は薩州様じゃなくて又八様だ”
なんて噂たてられるわけですよ、全く(涙)笑い事じゃないですよ(涙)
---------------
(「薩藩旧記雑録」後編5-1000 抜粋の上、超意訳)
自分は(悪業も起因しているとはいえ)義父の義久に廃嫡されかけたらしく苦労???したのに
今度は自分の長男を廃嫡しようとしたように思われる行動をとって藩内に動揺を広げた模様です。
全く浅はかですね おっと、これは誉め言葉です_@TBS
508 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 17:41:42 ID:MBzph8Nx
さすがDQN家久
歳を重ねても自由な心は健在だぜ
509 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 18:01:12 ID:GE9dM6Hb
510 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 18:23:04 ID:ehBW+9O/
家久「島津に暗君無し」
511 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 18:26:16 ID:kk5WKUU7
「暗君」ではないんだよな。ちょっと自分に素直なだけでw
512 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 18:27:06 ID:E96GWOeb
全盛期の森兄弟伝説
3ヶ月5人は当たり前、3ヵ月8人の時も
一振りでで太刀が三本に見える
木刀で一刀両断
町を歩くだけで刺客が泣いて謝った、心臓発作を起こすものも
キツネを一睨みしただけで失神させたことがある
刀使わずに素手で切り捨てたことも
長可と立ち合った武将と、それを見届けようとした家臣三人ともども墓地送りさせた
重臣たちの説教に反論しながら背面斬り
グッとガッツポーズしただけで城が建った
ひと振りでかまいたちが起きたことは有名
全盛期の長可が討った武将の首を後ろでで見ていた足軽が捕ったんだが、すでに洗ってに化粧がしてあって驚いたそうだ
513 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 18:41:28 ID:78PEYijR
ヨハネスブルグのテンプレもびっくり
514 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 18:43:29 ID:kk5WKUU7
> 長可と立ち合った武将と、それを見届けようとした家臣三人ともども墓地送りさせた
ここで爆笑してしまったw
515 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 19:05:47 ID:Br+2r7Ad
家久2号「家臣と立ち合って負けたオレなんかカワイイもんだな」
61歳で柳生の若手二人と立合い命じられた剣豪「……………」
516 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 19:09:50 ID:kk5WKUU7
秀忠だっけ?剣術の指南受けて、気を失うまでフルボッコにされたのは。
517 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 19:44:52 ID:YtrlosY8
さすがにやりすぎだろそれ…
柳生何がしは「俺も剣豪将軍作ろう」とでも思ったのか
518 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:18:16 ID:CPFr4F+G
剣豪将軍ほしかったら忠輝に譲位でOK
名前も似とるw
519 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:26:53 ID:kk5WKUU7
あ、間違えた。剣の修行で気絶するまでフルボッコにされたのは確か若い頃の家康だわ。
家康は若い頃、上泉伊勢守秀綱の門人、奥山急加斎(休賀斎)に神蔭流剣法(奥山流)を
七年間みっちり学んでる。この時気を失うほどの修行を受けたとか。
(奥山神影流は現在の直心影流や鹿島神流の系統)
ちなみに家康、
弓は竹林派の石堂藤右衛門の免許。
馬術は大坪流、八条流共に印可皆伝。
鉄砲は稲富流免許
剣、薙刀は新当流(有馬流)の奥義皆伝
最後の新当流(有馬流)にいたっては、三年間の修行の後、家康に奥義皆伝をした有馬大膳が
間もなく死んでしまい、なんと家康がこの流儀の宗家になってしまった。
それで大膳の庶孫に当る有馬豊前秋重が、家康に「入門」して稽古を受け、数年の修業の後
家康から皆伝を授けられている。
520 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:30:29 ID:5SZ5LKxF
義理許しではないのかな?
521 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:35:05 ID:kk5WKUU7
>>520 家康に関しては全部マジ免許マジ皆伝。
鉄砲とか家康が家臣に使い方指導したりしてるし。
522 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:35:42 ID:E96GWOeb
こんな人間が糞漏らすなんて
三方ヶ原の恐怖は尋常じゃなかったんだな
523 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:40:23 ID:oqo/Se5c
若さゆえの過ち
524 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:53:14 ID:ehBW+9O/
怒涛のように流れ込む赤揃え見たら失糞もするわ
家康が一騎当千の武者だったとしても多勢に無勢だもん
525 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:54:57 ID:1iZJ4O8f
DQN四天王って、忠恒と忠興は親交関係あった筈だし
政宗も一応同時代(但し↑が大坂の陣の味方殺し疑惑を批判)だけど
長可だけ別時代なのか
526 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:56:25 ID:kk5WKUU7
>>525 鬼武蔵が蒲生氏郷にケンカ売ったときにその場にいてびびってた>忠興
527 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 20:58:34 ID:1iZJ4O8f
>>526 あっそうか、忠興はそこに被る世代だったな
528 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:03:08 ID:7sqKLbDt
四天王序列
森 長可
伊達政宗
細川忠興
島津忠恒
大体年齢順になってる?
529 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:05:29 ID:ehBW+9O/
どうしても四天王に市松を入れたいんだけど・・・
530 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:06:48 ID:oqo/Se5c
森長可 パワータイプ
伊達政宗 謀略タイプ
細川忠興 魔法剣士タイプ
島津忠恒 魔法使いタイプ
531 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:07:15 ID:E96GWOeb
DQN四天王
森 長可 伊達政宗 細川忠興 島津忠恒 福島正則
532 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:08:49 ID:7sqKLbDt
龍造寺四天王も5人いるから構わないとおもうけど明らかに他四人に比べて劣ってる
533 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:13:15 ID:npnKG4Xa
忠興より政宗のほうが5歳くらい若くなかった?
534 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:15:59 ID:oqo/Se5c
市松はDQN四天王にしては詰めが甘すぎる
四天王に入りたがっている雑魚キャラ的扱いでいいんじゃまいか
535 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:19:42 ID:j1ps7IKD
市松はなあ・・・
なんかかわいいからなあ・・・
長政
正則
盛親
あたりでアイドルユニットでも作るか
羞恥心的な
デビュー曲「部下が酷くて(強くて)困ってます」
536 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:19:51 ID:Hd/uNZDn
市松さん…(・ω・)
537 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:22:13 ID:7sqKLbDt
(2)・・・二王、二強、ニ聖、二尊、二天王、
(3)・・・三傑、御三家、御三卿、三神、三尊、三羽烏、三大美女、三勇士、三銃士、ベスト3
(4)・・・四天王、四神、四君子、四傑、四聖、四大家、四智、ビッグ4、ベスト4、
(5)・・・五大明王、五人男、五人女、ゴレンジャー、五家、五山、五摂家、五大尊、
(6)・・・六歌仙、六地蔵、
(7)・・・七雄、七本槍、七賢、七賢人、七人の侍、
(8)・・・八部衆、八犬士、八家、八王、八大竜王、八大明王、八将神、八仙、八天狗、ベスト8
(9)・・・九哲、
(10)・・・十勇士、十才子、十哲、ベスト10
やろうと思えば幾らでも
538 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:26:05 ID:kk5WKUU7
年齢順。AAは適当に作ってみた。
森 長可( ▼皿▼) 1558生まれ。豪腕
細川忠興( -・- Д -・-) 1563生まれ。ヤンデレ
伊達政宗( ●∀´) 1567生まれ。天然
島津忠恒( `皿´) 1576生まれ。陰険
539 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:28:46 ID:7sqKLbDt
忠恒は厨二だろ
540 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:36:37 ID:j/K12AcC
541 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:42:31 ID:1iZJ4O8f
>>538 島津義久スレでは一行AAで
>島津忠恒(DQN) ( ´,_ゝ`) or (゚听)
になってる。参考まで
542 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:46:29 ID:En7Eo2XZ
>>517 秀忠フルボッコにしたのはもう片方の指南家の小野忠明じゃないか?
543 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 21:53:29 ID:YtrlosY8
なるほど
じゃあ小野家の野望か
544 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:07:50 ID:fatzJk/C
>>529 【審議中】
|∧∧| (( ) ) (( ) ) ((⌒ )
__(;゚Д゚)___ (( ) ) (( ⌒ ) (( ) )
| ⊂l l⊃| ノ火.,、 ノ人., 、 ノ人.,、
 ̄ ̄|.|. .|| ̄ ̄ γノ)::) γノ)::) γノ)::)
|.|=.=.|| ゝ人ノ ゝ火ノ ゝ人ノ
|∪∪| ||∧,,∧ ||∧,,∧ || ボォオ
| | ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
| | ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
~~~~~~~~ | U ( ´・) (・` ). .と ノ
u-u ( ) ( ノ u-u
`u-u'. `u-u'
545 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:12:29 ID:WDrOeJnm
市松さんはうっかりはちべえの役回り
546 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:13:38 ID:NpqruBdV
流れがキモい方向へ行ってるな…
547 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:17:11 ID:xqxnDmBm
このスレを見る限り、
島津忠恒って戦国時代真っ只中に生きてたら
一条兼定と同格の評価だろw
548 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 22:36:49 ID:tlV/30w1
我らの氏真公が江戸中期の殿さまだったら
文化的な名君として名を残したであろうと同じか
549 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:01:02 ID:78PEYijR
現代の静岡に生まれてたらサッカー界の花形満です
550 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:28:44 ID:ehBW+9O/
島津の血は乱世でこそ生きるけど治世では生きないんじゃないのか?
戦国真っ只中に忠常が生まれてもそこそこ活躍したんじゃなかろうか。
551 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:34:39 ID:5RkkejsT
家康が蹴鞠を推奨してくれれば今頃日本は蹴鞠が第二の国技に。
552 :
人間七七四年:2008/11/24(月) 23:36:44 ID:v0sT92c4
>>549 つまりそのころからすでにサッカー王国となる土壌があったとw
553 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 00:23:47 ID:nwTkmx/s
短パン
554 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 01:44:17 ID:jEORygvn
流れはスポーツか。みんなもスレに張りついてないで、たまには外でスポーツしようぜ!
そう、ハンティングとか…
【現実】
文禄の役の時、加藤清正の陣が虎に襲われ清正の小姓・上月左膳までが食い殺される
惨事となった。激怒した清正は山狩りを行い、一頭を誘い出すことに成功した。
十分引き寄せて、虎が口を開けて駆け出した所へ鉄砲隊が撃ちこみ仕留めた。(常山紀談)
清正自身が関わる虎狩り記録はこれだけ。講談のヒーローの現実はショッパイ。
【成功例?】
同じく文禄の役で、黒田長政の陣が虎に襲われた。足軽一人の肩を噛んで投げ捨てた上、
もう一人も腕を噛まれて倒された。そこへ黒田二十四騎の一人・菅正利が駆けつけた。
正利は虎が飛びかかった瞬間、自らも飛びこみ虎の腰を斬ることに成功。
まだ虎が吠えて威嚇するのでもう一撃入れ、ようやくとどめを差した。(菅氏世譜)
ちなみに菅正利さんは武蔵の父親、無二斎の弟子だそうです。
【失敗例?】
またまた文禄の役で虎狩りをしていた島津義弘隊は、1頭を誘い出すことに成功。
格闘の末、安田次郎兵衛が太刀を虎の口に突っ込み、なんとか仕留めた。
が、そこで安心していた所へ別の巨大な1頭が出現。上野権右衛門が斬りかかったが、
あっという間に食われて即死。次に挑んだ帖佐六七も、太腿を噛まれ危険な状態に。
なおも暴れる虎の尾に福永助十郎がしがみつき、その尾を木の枝に引っ掛けて
虎の動きを止めた所を、長野助七郎が太刀で虎の右脇から背中にかけて斬り裂き、
猛虎を討ち取った。太腿を噛まれた六七はその後、息を引き取った。(島津勢虎狩絵巻)
朝鮮の陣から、スリル満点のスポーツの話題でした〜〜(楠田枝里子調に)
555 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 01:45:57 ID:mi7tHH/v
ある日政宗は、縁側で家宝の天目茶碗を手にとって眺めていた。
そしてうっかり手を滑らしてしまったが、なんとか茶碗を落とさずにすんだ。
冷や汗を流した後、ホッと息をついて小考。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何を考えたか、天目茶碗をわざわざ庭石にぶつけて粉々にしてしまった。
「ええい!茶碗ごときがわしを脅かすとは!」
と叫びながら・・・・・・・・・・・・。
政宗のちょっと(かっこ)悪い話
556 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 02:48:41 ID:0EX8sEO9
まぁ、愛でる対象のものに自分が振り回されちゃ
どうしようもないということか
でも、もったいない。(と思うのは小市民だからなのか…?)
557 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 07:03:04 ID:l46Yldif
>>556 女や小姓に対する行動もそういうかんじなのかなw
558 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 07:33:19 ID:E0VXyU9o
自分が焦らされた事に対して一々キレてたらキリがないよ
忠興は何回政宗斬らないといけないんだよって話だ
559 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 09:47:05 ID:G3t23vu7
福島正之という若者がいた。
別所重棟と福島正則の姉との間に産まれた子で、
子の無い正則の養嗣子となった。
正則は秀吉が死んだ後、家康の養女と政略結婚を結び、三成たちを怒らせたが、
その結婚相手こそ、この正之である。
彼は性格もよく、福島家中から大変に愛されていたそうだ。
そして武勇にも優れ、関ヶ原の時の、竹ヶ鼻城攻略・岐阜城攻略において、若干16歳にもかかわらず
人の驚くほどの殊勲を挙げたと言う。
家中の人気、武勇、そして家康とのつながり。
誰が見ても順風満帆な、堂々たる福島家の跡継ぎであった。
だが。
慶長4年(1599)、正則の「実子」正勝、また慶長6年(1601)にも「実子」正利が産まれる。
慶長12年(1607年)、正之は、「狂乱した」と言う理由で、突然幽閉される。
「慶長見聞録」にはこの理由として、往来の人々に理由も無く鉄砲を撃ちかけた。父、正則の
葬式の真似事をした、などの行為があったため、とある。
幽閉の翌年、餓死。
一説には同情した家中の者が密かに食事を運んでいたが、絶望し割腹した、とも言う。
享年、24歳であった。
560 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 10:11:39 ID:0Geqgp4j
正則入れたかったらDQN24桀くらい増やさないと無理
俺的に森忠政、一条兼定、大友宗鱗、龍造寺隆信、後藤又兵衛、七里頼周、上杉謙信、あたりも入れたい
561 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 11:25:28 ID:vazmDtKx
562 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 11:30:11 ID:y7T78pov
正則はポジ的にキイレンジャー
563 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 11:32:34 ID:J1SbBHut
カレー好きそうだな
564 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 11:36:42 ID:vazmDtKx
>>563 いまのカレーが戦国時代にあったら、軍の食事として定着したかもな
565 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 11:43:44 ID:KLvgjXZq
クレヨンしんちゃんでも好評っだったしな
566 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 12:04:22 ID:XY/H0xAI
戦国DQN108星が集まりそうな悪寒がする
567 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:15:54 ID:4vy5RR/O
>>560 上杉謙信入れてしまうと一気に質が落ちるな・・・DQN的な意味で
「謙信が味方の城を攻めた」とか言うのも、調べてみたら
当時四歳の直江兼続が、この和田城攻めに参加してるようなトンデモ軍記だった
別の記述には長野業正が第四次川中島に参戦w→なんと八幡原にまで来ちゃってる
能登の寺を焼き討ちにした話も、実は畠山義統が犯人なのが判明したと
能登戦国史を紹介してるサイトに書いてあった
謙信によるDQN話は近年否定されてる物ばかりで、つまらん
568 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:22:50 ID:GpLQWVo9
また史実か。うぜー
569 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:28:42 ID:6BO9wIrJ
別にそれで悪いとか言ってるんじゃないだろ
実際はこうだったんだなっていう記述すらしたらダメなのかよw
570 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:29:49 ID:KkdwNYv9
正直まとめサイトで上がってる逸話見ても
謙信はイマイチ。
571 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 14:53:43 ID:F3dnygiI
七里ってなんかあったっけ?
572 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:28:41 ID:GpLQWVo9
>>569 史実と違うからつまらんとかはいらない。
573 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:35:37 ID:KLvgjXZq
上杉厨が煽り耐性低いってわかっただけでいいじゃないか。
直江スレなんて酷いもんだぜ
574 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:42:07 ID:J1SbBHut
米沢での景勝公の扱いヒドスw
謙信と鷹山には「公」を付けるように小学校で教育してんのに
景勝は呼び捨てwwww
しかも米沢に行っていない謙信を米沢上杉初代に数えるってどういうことw
上杉の初代だからってのが理由らしいんだが
それを言い出したら山内上杉の立場が無いじゃないかw
575 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 15:58:44 ID:0EX8sEO9
景勝の可哀想な話ですか…。
まぁ、謙信が強烈な分物足りなさを感じるのは
あるかもしれん。
猿、好きなんだっけ?なんか、不思議な人だね。
576 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 16:09:06 ID:0EX8sEO9
市松を四天王入りさせるとなると、他大勢も入るから難しいな。
ブッチギリ秀吉が頂点、何しても決して越えられない壁があって四天王、
越えられそうで越えられない壁があって市松様、
越えられるけど超えたくない壁があって謙信その他というとこですか
577 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 16:13:23 ID:5yRvk5Sp
その他大勢組の一位は毎シーズン終了後に市松さんと昇格決定戦だな(市松さんは降格戦)
でも市松ポジションからは絶対に上には行けないピラミッド社会
四天王の壁は、厚い
578 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 16:14:36 ID:qW/J3PDB
どうでもいいからVIPでやんな
579 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 16:20:22 ID:esNcsaLy
秀吉>>>>>>>>何やっても越えられない壁>>>>
>>四天王>>越えられそうで越えられない壁>>市松>
>越えられるけど越えたくない壁>>その他
VIPと化してきたからそろそろ正常化wしようか
580 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 17:45:48 ID:dM/sJHjm
>>571 とりあえず門徒衆には人気がなかったから下間頼廉に
「ちょっとあの人もういやなんで御本山の力で潰してください」的な弾劾状が贈られた程度の人望
581 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 17:59:59 ID:lNdgZkfm
でも天然物と養殖物の違いは大きいしな
いや、本物のネギトロと、ラード使った偽ネギトロくらい差がある
四天王+市松と、後世の作り話(謙信ほか)とはな
本物か紛い物か見分ける眼力も、DQNフェチなら身に付けたい素養
なるべく戯作者なんぞに騙されず、天然のDQNに舌鼓を打ちたいものだ
582 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:00:18 ID:KLvgjXZq
市松は四天王末席に相応しい小物臭が堪らないんだよ
スレが変な方向に行きそうなんでこの辺で
583 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:15:38 ID:ofBtJl5g
大名時代は配下を城に平然と呼び出して誅殺しまくりなのに、
掛川開城後は早川殿に死ぬまでべったりな氏眞公は二重人格かな
三遠駿は良くも悪くも猛者が多いから大名なんか廃業した方が幸せだったんだろう
584 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:32:10 ID:UR7XxxWB
>>580 本人が具値的に何かやったって話じゃなくね?
585 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:42:37 ID:G3t23vu7
このスレも最近新しく来た人って多そうだなーって、ふと思った。
586 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:42:53 ID:lNdgZkfm
最近なんとなく思うのは
元亀以前に活躍した群雄割拠時代の地方大名は、後年作られた逸話が殆どで
実話だと思われる話が少ない
逆に上方で活躍したり、豊臣か徳川に臣従する頃の大名は比較的良質な情報が残ってる
いい話&悪い話スレ両方とも桃山時代〜江戸初期の話が多いな
587 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 18:48:21 ID:G3t23vu7
戦国初期なんて当時の事は京都周辺で記録がそれなりに残っているくらいで、地方とかになると
もうさっぱりだからねえ。北条早雲ですら伝説伝承にとりまかれてる。
588 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:03:40 ID:G3t23vu7
あんまり雑談ばっかりなのもアレなので投下!
伊達政宗は、関ヶ原の折、福島の合戦で、岡佐内と戦って軽い怪我をした。
戦後間もない頃、政宗が馬に乗って移動していると、結城秀康にばったりと出合った。
すると政宗、馬に乗ったまま秀康に
「ほら、見て見て!こないだの戦でこんな怪我しちゃってさ!
いや〜、おかげで下馬するのも難しいの。なので馬の上から無礼してごめんね!
じゃ!」
と言って、下馬して挨拶せずすれ違って行った。
秀康、笑いながら
「あいつ、なんでもない怪我を、さも大怪我のように言って、俺の前で下馬しないで済ませやがった。
今にはじまったことじゃ無いけど、ホントに根性曲がってるなあ。」
と、仰せになったとか。
589 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:07:25 ID:q7znD0Qv
流石、秀康はわかってるなw
つーか政宗に甘すぎだぞ徳川一族w
590 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:13:56 ID:0Geqgp4j
>>584具体的にではないが指揮官としてだけでなく指導者としてあまりにアレなんであげてみた
591 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:28:33 ID:F5h9Eouo
徳川家は政宗の事をペットの珍しい生き物みたいに思ってたんじゃないか?w
592 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:46:25 ID:0EX8sEO9
戦国ちょっと甘いスレがあれば間違いなく載る
593 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 19:52:01 ID:mi7tHH/v
家康も秀吉も幼い信長みたいで面白かったのではないだろうかw
594 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:08:32 ID:kXIwbf1r
>>589のツッコミ見てて思ったけど
徳川家にとっての政宗って
親戚に1人はいる変わり者のオッサン、みたいな立ち位置に見えるw
戦国期が続いてたらそれどころじゃなかったろうけどなあ
595 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:14:11 ID:+qL1q+7G
それいったら織田家にとっての松永久秀も
親戚に1人はいる変わり者のオッサンぽいな。
596 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:19:13 ID:LSWiFdN+
>>588 >『伊達政宗は、関ヶ原の折、福島の合戦で、岡佐内と戦って軽い怪我をした。』
これって以前政宗ファンが必死になって否定してた逸話だ〜
俺も半分嘘だろうなと思ってたけど
まさかそこから派生した逸話が有ったなんて驚き
出典知ってたら教えて下さい
597 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:25:56 ID:mi7tHH/v
598 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:27:14 ID:DeOPHh9h
政宗があまりに小者過ぎて可愛かったのかも
自分が死ぬか生きるか分からない時に出会ったら
容赦なく殺すべき相手だが天下とって気持ちに
余裕が出来ればこの種の奴を愛でる気持ちも
分からないわけじゃない
599 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:34:00 ID:G3t23vu7
>>596 「徳川諸家系譜」に収録されている、「浄光公(秀康)年譜」>出典
600 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:34:24 ID:mi7tHH/v
何かあったらすぐ処分できるし、面白いから飼っておこうって事か
政宗はそこを狙ってやってそうだがw
601 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:41:16 ID:56mMzOYk
あー、政宗ってキャラで許されちゃう感じがあるんじゃないの。
基準がわからないけど政宗が小者だとは思わないなあ。
つうかあれだけいろいろやっといて
ほんとに小者なら62万石は残せないでしょう。
602 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:44:51 ID:0EX8sEO9
甘くて和むが、普通はできんな。まぁ逸話だから別にいいんだろうが(w
603 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:45:21 ID:LSWiFdN+
604 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:48:41 ID:KLvgjXZq
「政宗みたいなクセのある奴も使いこなせる俺すげぇ」
ってな感じで自分の器量の大きさを宣伝するために利用したんじゃないかな?
>>601 もっと小物な前田利家なんて100万石も残してます。
あんま大人物過ぎると取り潰されるか減封食らうんじゃないのかな。
政宗は受け継いだものも大きいしね。
そういう意味で市松は・・・
605 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:50:07 ID:pqJ2/LqS
市松の一物
606 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:50:34 ID:0EX8sEO9
>>601 許されキャラ何となくわかるな。
特だわ。
607 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:52:33 ID:0EX8sEO9
608 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:56:01 ID:kXIwbf1r
「政宗だから仕方ねーな」ですね
>>607 そっとしとこうぜ
609 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 20:57:48 ID:pqJ2/LqS
早漏で候
610 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:01:49 ID:rTEM3abl
政宗が良くも悪くも平凡な器に留まらないのは確かだが、
それを認めることができる人物ってのも大した器なんだよな
ただのキチガイと見るか、非凡な人物と見るか
その見極めは凡人には難しいね
611 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:14:36 ID:G3t23vu7
前田家と言えばこんな逸話があるな。
徳川家康がいよいよ寿命が尽きる、と言う時に、何人かの大名を一人一人枕元に呼ぶ、
って事があって、前田利常もその場に呼ばれた。そこで病床の大御所、徳川家康は
利常を顔近くまで寄せて、こうささやいた
「お前だけは殺そうと思っていた。」
青ざめる利常に、
「利常殿、わしはお主を信用できず、何度も殺そうと思っていた。
だがそのたびに秀忠が反対した。利忠殿は信頼できる方です。かの者を殺してはなりませぬ!と。
秀忠があまりにそう言うので、わしも、お主を殺す事をあきらめた。
つまり、秀忠はお主の命の恩人じゃ。この秀忠の恩、忘れるなよ。」
そう言って、下がらせた。
まあ、この逸話は、後年秀忠が危篤になったとき、前田家謀反の噂が流れて、その時
前田家が「こんな事があったから秀忠様を裏切って謀反なんかする分けないよ〜!」って
言いふらした話なんで、実際あったのかどうかは微妙だけどねw
ちなみにこの話、利忠が下がった後、次に控えの間で待っていたのは福島正則で、出てきた利忠に
「どんな感じだった?どんな事聞かれた!?」ってうるさく訊ねて来て、利忠が、
「うるせえ!いきゃあ解るだろ!」って邪険にされたってオチがあるw
612 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:16:50 ID:G3t23vu7
すいません8行目直しておいてください…orz
×>利忠殿は信頼できる方です
○>利常殿は信頼できる方です
613 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:22:36 ID:SqTbIyuI
>>605のもとにくだらんダジャレは許せんと、鬼武蔵が走っていきました。
614 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:26:30 ID:AB9FXrZh
>>611 良い話っぽいが
最後にやっぱり市松のこまさがにじみ出てる
615 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:28:19 ID:J1SbBHut
細川忠興「ID:pqJ2/LqS、三度目は無いぞ」
616 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:28:59 ID:0EX8sEO9
>>611 市松様…ここでもか!
利常は法号が 微妙院殿 なんだね。はじめて知った時
お茶吹いた。
幕府連中に陰嚢晒すくらいだからこいつも凄いやつだとは思うが…
617 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:31:48 ID:FpH5b+x7
618 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 21:34:02 ID:xVrw6ET1
市松も3馬鹿に入れてやってくれ
ガチキチ
619 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 22:16:35 ID:U4xanvj/
>>574 謙信を初代扱いするのって景勝の意向なんじゃなかったっけ?
景勝は軍旗も謙信のものの直球アレンジだったり
法名も謙信がかつて使った法名をまんま貰ったり
謙信に小さい頃してもらったことをそのまま息子にしてやってたり
正統性以前に重度の叔父コンプレックスっぽい。
620 :
人間七七四年:2008/11/25(火) 22:16:47 ID:Qm+ePZCi
3馬鹿ってあと2人はだれだよw
621 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 00:34:04 ID:uZOcIs/P
DQNじゃなくて馬鹿なら薄田さんは?
622 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 00:41:01 ID:lqTHqtiI
弁護が難しい馬鹿殿と言えば伊東さん
623 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 00:52:23 ID:T+BFXNiF
日向の王様な俺かっけーwww
↓
は?島津?兵300人?ボコボコにしてやんよwww
↓
ボロ負け。名のある大将討ち死にしまくり
↓
伊東家衰退・流浪・堺の町で野垂れ死に寸前のところを保護される
伊東さんかわいそうです(´;ω;`)
624 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 00:57:36 ID:7mlAR6w0
戦国の馬鹿と言うと、一般的にはこんなもんか?
・今川氏真、武田勝頼、北条氏政!親の時代は最盛期だったのに自分が継いでぶっ潰したでござる
カルテット!しかも親戚同士!
・外国人にまでストレートに「あいつ馬鹿だから」って記録されたでござる!織田信雄!
・親もアレだが子はもっとアレだ呼ばわり!大友義統!
・戦ってる最中に猿楽楽しんでて、気がついたら敵に囲まれて切腹したでござる!大内盛見!
戦国よりはちょっと前だけどな!
625 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:00:12 ID:i3SkudBY
626 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:03:48 ID:SdTHP6ip
俺的には政宗・正則・義統だな。
戦国おばか三銃士。
627 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:32:37 ID:TlwAUz55
>>624 イメージとしてはそんなもんだろうね、検証スレじゃないから細かいことはどうでもいいしね。
だけどこれだけは言わせて貰いたい。
カルテットは四人組の事だw
628 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 01:45:40 ID:7mlAR6w0
>>627 素で間違えた!
…上杉憲政でも入れるか
orz
629 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 02:11:07 ID:iC6Rnem8
>>628 上杉憲政の場合最盛期はずっと前の事になるから、朝倉義景辺りが調度いいんじゃね?
630 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 02:14:27 ID:LLmG9u4z
面白いスレだな。
631 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 02:20:32 ID:YqpZ0da7
憲政以前に山内上杉は扇谷上杉と親戚同士で縄張り争いして
急成長した北条に付け入られるスキを作ってるからなぁ、血だといえばそれまで
632 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 02:21:51 ID:vGHXaQck
>>629 斉藤龍興あたりじゃね?
実像はどうあれ通説では放蕩三昧で部下に城乗っ取られたり
した挙句、信長に追い出された馬鹿殿になってるし。
633 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 02:41:59 ID:LGnJsFRz
>>632 斉藤龍興はむしろ追い出されてから真価を発揮してるから該当しないだろ
ここは一条 兼定をおす
634 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 03:07:44 ID:0dVuzzOD
小野寺義道
武田元明
一条兼定
635 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 06:49:04 ID:KCfa9dBc
一条兼定は長曽我部のネガティブキャンペーンの被害者なだけ…
実際は四国復帰したとき3500の兵が志願した程人望があった。負けたけど
636 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 07:43:56 ID:iFfzlCu4
あの一戦だけ見れば相手が悪すぎたとも言えるか
僅かな間に二倍強の兵士集められちゃねえ
本山や安芸が健在なうちに動けてりゃ、評価も少しはマシだったろうね
637 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 13:04:40 ID:BjFs/IWT
>>612 最近やたらと年号やら名前をサラっと
間違うやつが頻出してるが全部おまいさんの仕業かぁ?
斬ればいいんだな?
斬れば解決するんだろ?
もう斬っていいか?
斬るぞ
639 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 14:29:44 ID:WIAqF8ii
>>624 静岡サッカー王国の基を築いた御仁とその他二人を一緒にしては・・・
二人は家は潰したかも知れんが、取り敢えず滅びる前には親の代より版図を広げてるんだし・・・
640 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 14:38:49 ID:mXanWw+C
>>639 親の代より版図を広げたんなら
父親が落とせなかった高天神城を落としたあの御仁もそうだぞ!
味噌汁をご飯に二回もかけた人と一緒にされるのは心外です!
641 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 14:56:30 ID:JvcG7fxa
汁かけ飯の人はそこまでバカ呼ばわりされてない気がするが
単に影が薄いだけかもしれない
北条って地味なんだよな
642 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 16:01:32 ID:dju9BTJO
謝れ、小田原城内の学校に通ってた俺に謝r
643 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 16:03:30 ID:M4aI4uPP
なんで小田原城内に動物園なんてあるんだろうな。
644 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 16:18:55 ID:w7M4dUnu
小田原城内には象もいるし、甲冑を着た気の良いお爺さんもいるよなw
645 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 16:40:47 ID:i3SkudBY
北条氏政を擁護してみる
実は関東を家康に明け渡す為にわざと秀吉に喧嘩を売ったんだよと、好意的に評価してみる
646 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 16:58:09 ID:dju9BTJO
>>643 昔はライオンやクマもいた
観覧車もあったw
647 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 17:08:50 ID:QIeTmmhq
小田原城ってなんなの? ドリームランド?
648 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 17:11:32 ID:uRLGxOeW
マイケル○ャクソンの夢が詰まったお城みたいだな
649 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 17:25:42 ID:ORsZLiCC
あぁ、戦国時代は男色が普通ってそういう…
あれ?ロリ殿様の立場は?
650 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 17:55:13 ID:EfbmN43o
懐古園にだって動物園くらい……
651 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 18:19:18 ID:GJWicjQv
地位の高い武士と坊主にしか男色は流行ってなかったんじゃねぇの?
猿は農民出身だったから男色が理解できなかったとか
652 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 18:23:01 ID:LGnJsFRz
猿は男色より子供欲しかったもよう
653 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 19:25:14 ID:XsonK4Rv
忠興さんも男色嫌ってなかったっけ
654 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 19:29:38 ID:H+v+S1tJ
>>651 なるほど、駿府城跡がホモの出会いスポットになってるのは高貴な今川殿からの伝統だったのか
655 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 19:33:50 ID:8rLwAjls
>>654 静岡市民から言わせて貰えば
現駿府城跡は石垣しか残ってなくて、中には県庁ビルがそそり立ってるんだ
多分それが男根の象徴に見えるからそういう人が集まるんじゃないかと
今川さんは関係無いと思う
656 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 20:06:24 ID:vIb6+sg9
・・・ぼつぼつおまいら男色大名信玄公スレに移動した方が・・・w
657 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 20:31:35 ID:H+v+S1tJ
>>655 俺も静岡市民だが駿府公園内にある紅葉山庭園の池に大きいビルが一つ映っていて男根を連想した。
案内音声は、古来と現代が融合した美とかわけわからんことほざいておりましたが。
>>656 おk
自重する
658 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 21:26:38 ID:BIp38Ira
>>653 そんなものにうつつを抜かしてる間に奥方に近寄る不届き者がいたらと思うと…
嫉妬する忠興は切なくて不届き者のことを思うとすぐ手打ちしちゃうの
659 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 21:52:52 ID:c5Kig2qn
可愛く言っても駄目!
660 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 21:56:16 ID:rSVJYIUR
>>640 勝ちゃんの事も含めて言った積りだったんだが・・・書き方悪かったかな?スマン
661 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:02:36 ID:KCfa9dBc
家久「とおくにとんでもなくでかい気を感じる…!!こ こいつが秀吉って化物か…!?
その近くにもでかい気がみっつ…!こいつが政宗たちだ……!」
662 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:12:59 ID:LGnJsFRz
お前ら、NHK見ろ
色々ネタがありそう
663 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:26:34 ID:c5Kig2qn
みとるよ大坂の陣特集
664 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:30:35 ID:J0S2pGgi
この屏風書かせたのって市松タソだっけ?
665 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:32:54 ID:J0S2pGgi
ちげぇや黒田さんとこの長政君だった
666 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:46:57 ID:y5W7pQgw
上杉憲政は馬鹿の上に息子を置き去りにして逃げ出し残された息子は
北条に殺されている救いようのないヘタレ。同じ家を潰したにしても
武田北条とは比較にならないレベル。
667 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:47:56 ID:1gnt7zjq
そろそろネタを投下しろと鬼武蔵が怒っています!
668 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 22:48:37 ID:7mlAR6w0
ある時の事、豊後の大友義鎮(宗麟)が可愛がっていた鷹が、突然行方不明になってしまった。
その鷹は、島津領である日向宮崎の国人、久保山治郎という者の在所に飛んできた。
久保山はこれを義鎮の物とは知らずに捕らえ、島津義久に贈った。
が、やがてこの事が義鎮の耳に入った。義鎮は怒り、手の者を出して久保山を捕らえてしまった。
これに驚いた義久は義鎮の元に、鷹も持たせた使者を出した。
「大友のお屋形の鷹であると知っていたなら、私も受け取らなかっただろうし、久保山も
こちらに持ってくるようなことはせず、すぐにお屋形にお届けした事でしょう。
彼も知らなかったのです。鷹もお返しします。
どうかこの義久に免じて、彼をお許しいただけないでしょうか」
そう口上させて、懇ろに謝罪した。ところが、義鎮はますます怒り、使者の前で
久保山の首を刎ねてしまった。
この事があってから九州の人々の心は、次第に大友から離れて言ったとか。
669 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 23:59:55 ID:/WXH61Rb
ひでえ
と思わせるために、島津が挑発的な手紙を送ったんだろうな
「大友の御屋形の鷹と知っていたら、そんな汚らしいものは受け取らなかったでしょう」とかニュアンスを含めて
670 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 00:06:20 ID:k463kQd+
こんなフィンガーテクがあっては手放せんな
671 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 00:32:19 ID:YXQ/hGHy
義久にそんな知略が働くんだろうか?
教養人ではあるのに弟達に比べて陰が薄いし
672 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 00:57:14 ID:69DUr/TM
宗麟から人心が離れ、凋落した原因はまだまだ沢山あるしね
そのほぼ全てが宗麟による悪行、悪癖、自業自得
673 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 01:06:39 ID:HNdOoKfm
宗麟のひどいエピソードって、島津や竜造寺・鍋島系の史料に残ってるんだろうか?
旗本として残った大友家にも、宗麟のよろしくない行状の記録って残ってるのかな
674 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 01:07:26 ID:2msytMe2
>義久にそんな知略が働くんだろうか?
さすがにそれは義久を侮りすぎ。
よく戦う者の勝つや、智名も無く勇功も無し。
675 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 01:08:32 ID:cM5xC/Mr
来週のその時歴史が動いたは宗麟だね。
676 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 01:14:04 ID:HNdOoKfm
今日の「その時」は、家臣の妻を手にかけることに成功したその瞬間です。
677 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 01:20:39 ID:KlC+SqFo
大友といえば、大友側の記録に、耳川合戦の時に島津に負けて壊走したとき、
大友の家臣の奈多鑑基(なだあきもと)が敗走の最中に謎の山伏に出会い、
その山伏が
「大友は日本古来の神仏を迫害したのでこの戦で負けたが、お前はいつも神仏を尊ぶ気持ちを
忘れなかったので無事逃がしてやろう」
と言って、鑑基は次に気がつくと豊後国の臼杵にいた、って話が残ってたりする。
678 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 02:02:43 ID:WD4OWZGk
しかし大名は数多くいるが、
こういう中国の史書に出てきそうな悪事が沢山残ってるのは
宗麟ぐらいじゃないか?
679 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 02:39:33 ID:q6YeYMyd
680 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 02:44:16 ID:JpaRY++I
681 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 09:06:48 ID:DMTbL/Nj
682 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 09:38:03 ID:zzKFLue0
武田信虎とかも中国故事まるパクリの悪事あるな、テンプレ過ぎて後付けだろうが
683 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 09:55:16 ID:XzmIzxsS
「妊婦の腹を裂いた」って奴だな。
たしか信康も似たような濡れ衣着せられてなかったかな?
684 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 09:57:40 ID:KlC+SqFo
たしか秀次も>妊婦の腹
685 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 10:29:05 ID:yZ+s5QpQ
686 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 11:06:05 ID:wWSLrie6
そういうどうみてもテンプレなのは後付けだな、と思えるが
宗麟は中国でありそうな、であってテンプレどおりじゃない話ばっかだから駄目だなw
687 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 12:43:31 ID:ZpEsb4SV
688 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 12:55:49 ID:yZ+s5QpQ
>>687 杉元宣「御先代様方は家臣の妻の略奪どころか側室すら置かなかったというのに…」
689 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 13:02:21 ID:RWRp/PUo
690 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 13:56:12 ID:0DdJZXKg
では宗麟関係の悪い話 まだ投下されてないようなのを見つけた
------------------------------
天正5年(1577年)
木崎原の戦い以降、国人たちはおろか家臣達も次々と離反、伊東氏も遂に1城も支えきれない事態となり
伊東義祐は息子の嫁の父(ややこしい…)にあたる大友宗麟を頼って日向を逃亡した。
伊東氏の人々は、宗麟に故国回復を訴えた。
そして、宗麟は日向攻撃を決意する。伊東さん達の訴えが届いた・・・からではなく、
日向の北部の無鹿にキリシタンの理想都市を築くのが目的だったからとも言われる。
天正6年(1578年)
大友軍は日向を攻撃。
ところが、高城川まで来たところで島津軍の返り討ちに会い、総崩れとなってしまう。
そればかりか、多くの名のある武将を大友氏は失ってしまった。
天正7年(1579年)
日向に領土を広げるどころか、武将の多くを失い衰亡の兆しさえでてきた大友家中から
当然今回の戦のきっかけを作った伊東家に対して風当たりがきつくなってきた。
ところで、大友宗麟には吉統という息子がいたが、これが好色物で
義祐の嫁(義祐の息子・祐兵の妻、実は義祐の息子で故・義益の娘でもある)が
たいそうな美人であることに目を付けた。
そこで吉統は伊東氏に不満を持っている家臣達に語らい、
密かに伊東家の人々を殺して嫁を横取りする作戦を立てた。
が この作戦はばれた。
祐兵は身の危険を感じ、豊後から脱走することにする。
しかし問題があった。
義祐の嫁は宗麟の屋形にいる母(先述の宗麟の孫、義祐の息子の嫁)を訪問して以来
大友家の家臣に何かと言いくるめられて逗留が長引き、家に帰してもらえないのである。
結局、ある日の夜。屋形のゴミ捨て場から脱出し、ゴミ収集夫に化けた伊東家臣が嫁を回収、
その日の内に伊予国に向けて脱出したという・・・
----------------------------------
以上は伊東家が江戸時代にまとめた『日向記』に載っている話です。
ただし、実際は大友義統@嫁泥棒は既に重臣・吉弘氏を妻に迎えていることや、
逃亡した嫁の実母とその子である伊東義祐の孫2名は脱走せず、
その後も大友氏で厚遇されていることなどを見ると
大友家が改易されたことに乗じてあること無いこと書いている可能性も棄て切れませんが・・・
691 :
690:2008/11/27(木) 14:20:43 ID:0DdJZXKg
あ、変換ミスが
大友義統=大友吉統 です。
ちなみに天正7年前後は「義統」です。
混乱させてスイマセン
692 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 15:17:34 ID:KlC+SqFo
大友に関しては、寺社破壊の事もあって九州では相当恨まれてたらしいから、たしかに
改易後は言われたい放題だったみたいねw
693 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 16:02:02 ID:xfPPak9h
あまりにも特定の大名に悪い話が集中すると
貶められたのではないかと思いたくなる
694 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 17:42:37 ID:yZ+s5QpQ
>>693 島津軍が豊後府内に侵攻してきた時の、その"特定の大名"の悪い話
大友家当主義統は居城の府内城を捨てて真っ先にとんずらこいた
逃げ延びた後に大事な側室を忘れてきたことを思い出しちゃったので腕の立つ家臣に救出を命令
家臣は命令に従って救出してきたから義統、大喜びで恩賞を与えようと言った
腹に据えかねるものがあったのか、その家臣は
「俺は女を1人助けただよ。今回腐るほど戦死者でてるのに、そっちは無視ですか?
で、俺にだけ恩賞を与えるって?てめぇのような腐れた性根の持ち主は、主人じゃねえわ」
とぶちまけて、大友家を去ったそうな
まぁ、大友義統の単騎逃亡は流石に誇張はいってると思うが、
朝鮮出兵でも逃亡した御仁だから、嘘とは言い切れないw
695 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 17:48:24 ID:fjDXLW1M
それ既出の話だったと思う。
696 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 18:01:14 ID:xfPPak9h
697 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 18:09:16 ID:y4UrGMI3
>>693 市松の話も幕府が貶めた可能性が高いと思う。
698 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 18:43:58 ID:q2QbPbnd
それがs・・・伊達政宗の話も幕府が貶めた可能性が(ry
699 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 19:13:43 ID:KWG5PbTz
>>693 でも異常性のある犯罪者って同じような事件を繰り返すしなぁ
出所しても懲りずに再犯→更にエスカレートしていくケースも多い
宮城県仙台市で小さい子を暴行し続けた青年なんて余罪が200件以上もあるとか言われてる
一度癖になると、その人の中で様々な常識が下がるんだと
専門的には「域値が下がる」というらしい
大友による女癖の悪さ、人妻略奪もそんな所だと思う
同時代同地域に広まってる悪い逸話は、なにも大友だけでなく龍造寺だって沢山あるし
九州一帯の家臣、国人達は本当に苦労してる
700 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 19:26:10 ID:5RJBIGDl
宗麟も日本のカエサルも暴君ではあったが君主としての資質はあったからな。
701 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 19:35:26 ID:PMw1a0M4
優秀じゃないと暴君になれないからな。
702 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 19:43:00 ID:hRHVFid7
龍造寺隆信もだね
かなり不遜で傲慢だったらしく最期は家臣に戦場に置き去りにされて首級をあげられちゃった
キリスト教の味方だった大村、有馬と戦ったからフロイスにキリスト教の敵としてぼろくそに書かれた部分も多々あるらしいけど
703 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 19:44:53 ID:f4h2GBJg
うろ覚えで、すみませんが
公家を犬呼ばわりして、弓を引いて結局切腹になったDQNがいたんだけど
知っている方いますか?
ソースは1年前に見た新人物往来物だったような…
704 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 20:15:15 ID:hn3Br13y
705 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 20:15:21 ID:RAFG9pwG
706 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 20:29:12 ID:LWOdJBoh
いきち
とも読むから
>>699は多分変換ミスじゃないかな
707 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 20:35:26 ID:4JMMaVO6
>>702 たしか、竜造寺隆信の軍団は『退けば理由の如何を問わずとにかくぶっ殺す』
と言う鉄の規律だったので、相手がどんなに強かろうが、退却して殺されるより敵に遮二無二突っ込んで
討ち死にを果たした方がマシ(結果勝てば恩賞が期待)・・・と言う按配だと思ってたけど
沖田畷での壊乱振りを見るとそうとも限らない気がするなあ・・・
708 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 20:36:45 ID:LWOdJBoh
赤信号みんなで渡れば怖くないの論理
709 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 21:13:28 ID:IlK8tujU
>>707 隆信は「さがれ!」って叫んだのに、普段「かかれ!」って
言われ続けてた部下たちが、勘違いして敵陣に突っ込んだ…
って説があって、冷静だった鍋島直茂はすぐ退却して事なき
を得たとか。まあ、大将討ち取られてるんで、かなりの混戦
だったんだろうね。
710 :
東昏侯:2008/11/27(木) 21:35:54 ID:hWj6T2WH
>>701 朕を優秀だと認める東方の蛮族が居ると聞いて中国英雄板から飛んできますた
711 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 21:52:51 ID:KlC+SqFo
いい話スレで名前が挙がってたので、宇喜多直家さん、華麗なる暗殺、粛清遍歴
中山備中…酒宴や狩猟を頻繁に行う仲になり近づき油断したところを直家が直接殺害。
島村貫阿弥…中山備中殺害時に主君との謀計により誘き寄せ少人数で沼城に入ったところを殺害。
禾最所元常…男色の気がある元常のもとに岡剛介を送り込み仕えさせて暗殺。
三村家親…日本初の狙撃による暗殺。
宇垣与右衛門…直家も参加した鹿狩りの時に鹿と間違われて何者かに討ち殺された。
伊賀久隆…直家が饗応した時に毒を盛る。
松田元輝…直家に内応した家臣伊賀久隆の鉄砲隊に撃たれ討死。
金光宗高…家臣殺害を理由に切腹させる。
浦上宗景の嫡子与次郎…城に招待し毒を盛る。
浦上久松丸…対浦上宗景のため擁立したが、後に直家に毒殺。
えとせえとせ
とりあえず直家さんが仲良しのそぶりを見せてきたら要注意だ!
712 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:05:11 ID:THjearLB
毛利元就「まったく信用ならんヤツだな」
松永久秀「主君の子を殺すとかねーわw」
斎藤道三「謀殺なんて卑怯すぎるだろ…」
713 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:05:46 ID:S3mAGxcL
猿「え、マジ?」
714 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:34:45 ID:KlC+SqFo
>>712 この三人のような、圧倒的な不気味さは流石に直家には無いなw
715 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:39:30 ID:xfPPak9h
宇喜多直家は早死にしすぎた
直家爺さんがいればとんでもない事になりそう
716 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:40:17 ID:LPrYsIEW
歴史物のifは面白いよね
717 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:41:03 ID:cRSDBRob
>>711 直家の場合、数年かけて謀略するから恐ろしい。
現代で言ったら
入学式で声をかけられ知り合う
(気さくに話しかけてくれていい人ダナー)
↓
3年間を通して交流を深める
(こいつとは一生の友達になるかも知れん)
↓
卒業式でいきなり刺される
(な、なぜ!!)
みたいなもんだもん。
718 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:41:53 ID:xcSO0izu
>>711 この直家の子が秀家なんだからより引き立つ
719 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:42:39 ID:S3mAGxcL
もしかしたら死亡報告も
謀略だったりするかもなw
720 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:44:04 ID:5RJBIGDl
こんだけ殺しまくってるのに信用されるってのは凄いよな。
普段は物凄くいい奴だったんだろうな。
721 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:49:32 ID:KlC+SqFo
(本人の安全のため映像と音声に加工してあります)
某弟『兄の前に出る時はですねー、常に死を覚悟して、帷子を着込んでいたんですねー』
722 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 22:49:54 ID:2msytMe2
忠家「いつか絶対、兄貴に殺されると思っていました」
723 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 23:17:38 ID:0MI3kbzS
兄貴が生きていた時は暗殺に脅え、その息子の代になったら自分の息子が主君と喧嘩することを恐れて両者の調整に奔走。頑張ったのに本家は潰れ自分の息子は自害。本当に報われない人だ。
724 :
人間七七四年:2008/11/27(木) 23:49:18 ID:eX2+qljg
忠家も結構出来のいい人だと思うのだが気の毒な人なのは否定できないw
725 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:12:42 ID:WBe8c8bb
農民三右衛門と且元
摂津国野里村に三右衛門という血の気が多い農民がいた。
大坂冬の陣で、片桐且元が秀頼を裏切り茨木城に帰ると、且元は大坂方に攻撃さ
れている堺に200の援軍を派遣した。
それを聞いた三右衛門は、近隣の農民を召集して義勇軍を結成し、且元の軍勢と
交戦した。且元は「農民ごときに負けられるか!」と歯噛みしたが、且元の援軍
は農民軍に壊滅させられた。
大坂の陣も終結した後も且元は三右衛門への恨みを忘れられず、ついに決断所に
訴訟を提起した。
被告の三右衛門は原告の且元を睨み付け、
「旦那様は太閤様に恩を受けながら、土壇場で殿様を裏切った。旦那様は真のさ
むらいでねえ。偽物のさむらいを討ち取っても罪にはならんじゃろが。
それどころか、旦那様は自分を恥じることなく、おらを訴えた。ホンマに面の皮
の厚い旦那様じゃな。」と憚ることなく言い返した。
これには且元も答えようがなかったが、その様子を見ていた家康は大笑いして、
「三右衛門は農民ながら勇気もあり、さらには弁才もあるではないか。こやつは
只者ではないゆえ、許してやれ。」
と言ったという。
(武将感状記)
戦も訴訟も農民に負けた且元のかっこ悪い話
726 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:15:51 ID:WBe8c8bb
制札を嘆く
北条氏政の時代、ある僧侶が小田原に立ち寄り、制札を見てこう嘆いた。
「ああ、北条家も末か、滅亡の兆しが見えておる。」
僧侶の嘆きの報告を聞いた町奉行はこの言葉の意味が分からず、僧侶を奉行所に
呼んだ。
「実は貴僧がしかじかの嘆きをしたとの報告を受けたが事実か。」
「事実です。」
「制札の条文に誤りがあるのでしょうか。」
「いいえ。条文自体誤りはありません。」
町奉行は条文に誤りがないのに「北条家滅亡」を公言した僧侶の言葉にはよっぽ
どの理由があるに違いないと思い、
「愚かな私には制札が悪い理由が分かりません。ぜひ貴僧の道理でその疑問を解
消して下さい。」と頼んだ。
「実は、拙僧は30年前の氏康公の時代に小田原に立ち寄ったことがありました。
その時の制札は僅か5条でした。ところが、今日見た制札は実に30条も有りました
。
そもそも、名君の威には民は心服しますから、法度でわざわざ規制する必要は有
りません。逆に、主君の威が衰えると、民の心が離れ法律の威を借りる必要が出
ます。
だからこそ、制札の条文の多さに北条家の威の衰えを感じ、御家も末だと嘆いた
のです。」
それを聞いた町奉行は感服して、僧侶の言葉を記録したという。
(武将感状記)
727 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:19:31 ID:DLoK/ePo
話題は変わるけど水野勝成って話題にあがらないね。若い頃は自分の家の重臣殺害を皮切りに仕官→暫くして同僚と喧嘩して殺害→お咎め喰らう前に出奔→また仕官→また喧嘩してのループで四天王に匹敵するDQNぶりなのに。やっぱり年とってから丸くなったのがマイナスかな。
728 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:22:34 ID:8dlpSqCc
水野はなかなか頭に浮かばないな
統治者・軍の統率者としてのイメージがないからかな
729 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:22:40 ID:deBa+BAm
>>726 氏政ががんばって法律整備した、と考えられなくないかな。
なんて弁護してみる。
でもこれ、四天王だったら僧侶首とんでそうだな。
>>727 カッちゃんは微妙だなあ。市松レベルか。
730 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:31:55 ID:seJkxRO/
市松よりは上だろう
ヘタレではない
731 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 00:33:56 ID:7fqsM08T
>>729 つーか、後北条氏は近世的な文書行政と法治主義の権化だからなあ。
そういうものが煩わしい、慣習法でいいだろ、と思う世論があってもおかしくはない。
この時代の僧侶って、主君に領民の不満を伝える役割も持っているから、こういう
逸話があっても、まあおかしくは無いね。
>>727 水野勝成の悪さって、まだチンピラレベルなんだよね〜。正直あの程度なら、戦国時代には
無数に類例がある。
彼が小説などでよく取上げられるのは、家康って言う大立者が可愛がっていた事と、
最終的に大きな大名になって、歳を取ってからは毒気が抜けて普通に名君になったからだろうね。
732 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 01:07:42 ID:zn5fIp4W
>>721-724 俺、忠家は兄のためなら自分の身体を盾にする覚悟で鎖帷子をいつも着込んでいると思ってたけどT_T
733 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 10:15:43 ID:EBP0y7lq
>>726 この逸話も、かの汁かけ飯話のように
氏政を貶める為の捏造話だと思ってた。
734 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 10:58:56 ID:R8r+45k4
法ってのは最初は単純、後々になって抜け穴を通って悪さする奴が
出てきて複雑になっていくのが常だから、先代<次代になっていく
のは仕方ない。特に北条みたいなシステマチックな運営だと。
その坊主は威権主義者で氏政は法権主義者、それだけの違いかと。
法の中身がずれたものでないのならね。
735 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 11:01:54 ID:7fqsM08T
>>733 最終的に話を聞いている逸話は、貶めのための物ではない。
文句言うやつを問答無用で牢に入れたり殺したりすると貶め。
736 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 12:53:21 ID:EHmK17p9
女癖の悪い話ってない?
737 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 13:14:45 ID:V7raxxyM
じゃあ宗麟の女癖のなれのはて?な情けない話
すでに書かれてるように宗麟は女癖が悪すぎた為、妻・奈多夫人との仲は最悪だった。
奈多夫人はキリシタンでは無いが、逆にキリシタンを迫害しまくったキリシタン嫌いだったため、
宣教師達につけられたあだ名がイザベル(聖書に出て来る預言者エリヤを追放した悪女の名前)
んでそんなイザベルの宗麟への攻撃、国中の山伏やらを集めて宗麟を呪い殺そうとした。
それにビビった宗麟、あまりの恐怖でノイローゼになりなんと家出して行方不明に。
そして家臣に捜索され数日後、城下町のはずれで一人しゃがみ込んでる所を発見される。
しかし「大友屋敷にだけは帰りたくない」と繰り返すだけで結局家には帰らず、丹生島城に引きこもった。
他にも宗麟は家督相続してから何度も暗殺をされそうになってるんだが、その度に丹生島城に逃げ込んだとか、
毛利との戦中、なぜかいきなり行方不明になったので国中を捜索したら
府内のはずれの浜辺のあばら屋にたった一人で孤独悄然として佇んでいた、などという話しもあったりで
なんとも精神薄弱で不安定な所があるんだが、その原因の一つとして父・義鑑と母の不仲によるとの説がある。
息子の義統も相当不安定な所があるのも、宗麟と奈多夫人の険悪な仲に振り回された背景があるかと思うと
負の連鎖ってあるんだね、ってなまるで現在の家族問題みたいなお話。
738 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 13:32:06 ID:EHmK17p9
それマジで呪われてるじゃねぇかw
739 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 13:41:15 ID:DLoK/ePo
>>737 情けないというか宗麟は何かおかしい所があるんだよな。有能なのは間違いないけど何処か壊れてる。ついでに小説だけど白石一郎の「火炎城」とかはマジで紙一重な宗麟が書かれてて面白い。
740 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 14:57:22 ID:cZ6RO2XP
太閤様の悪い話が聞きたい。
741 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 15:14:04 ID:gHofeyg2
幼少期不安定に育つとどうしても
人格形成で突出した部分と
駄目な部分が極端になりやすいのよね
742 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 16:40:13 ID:tzNS40fn
DQN的行動は別としても、ちょっと精神病っぽいな、宗麟
743 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 17:23:28 ID:BbAogG0O
>>741 忠興もそんな感じなんだっけ?
幼少時には父藤孝は将軍家のために奔走していたため
忠興を家臣の家に預けていたとか
744 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 17:44:38 ID:gHofeyg2
>>743 忠興公は橋の下で…
宅配便が来たからちょっと失礼
745 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 18:11:21 ID:PxoOmpU1
三十六歌仙に刻まれたキルマークがひとつ増えました。
746 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 20:27:19 ID:J4KOnqgx
>>739 そういうひとの魂を救うためにこそ、宗教はあるんだよ…とマジレス。
747 :
703:2008/11/28(金) 20:30:28 ID:TyJP6UkK
>>704 情報ありがとうございます
・飛喜百翁ネタでひとつ
飛喜百翁という者が利休を招いたが、そこに出されたのは砂糖がかかった西瓜
利休は砂糖のかかっていないところだけを食べその後、家に帰り利休は門人に
「あいつは、わかってねぇな。西瓜には西瓜のうまさがあるのによぉ」
とぼやいたらしい
贅を尽くしたもてなしが裏目にでた話でした
「美味しんぼ」でも出た話だから割と有名かもしれないけど、出自が『雲萍雑誌』しかないのでどうも…
748 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 23:19:33 ID:3xXR5b/D
>>736 いい話スレに誤爆されてた秀吉、足利義満の話はだめ?
749 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 23:42:26 ID:7fqsM08T
秀吉の女癖の悪い話というか…
秀吉の側室、摩阿姫。
彼女は元々柴田勝家の家臣、佐久間十蔵と婚約していたが、十蔵が天正11年(1583)
賤ヶ岳の戦いの、柴田軍敗戦の折、自害。彼女は前田家に戻り、天正13年(1585)、秀吉の
側室となった。
この時摩阿姫、13歳。
秀吉、48歳。
年齢差、35歳。
そんな秀吉が、側室となった摩阿姫にわたした書状が残っている。
「お土産に送った鶴は気に入ったかな?ところで今晩、ボクのベットにおいで?」
なんとこの時秀吉、この誘いを断られているw
750 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 23:46:31 ID:P8aCcDVi
秀吉は摩阿姫には色々と気を使ってたがどうも姫には嫌われてたようで、
しばしば病弱を理由に同衾を拒まれてるよね
最初は前田との関係も有って丁重に扱ってた秀吉も
面倒臭くなったのか最後は適当な公家に払い下げてる
751 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 23:46:32 ID:j9jy/bCc
秀吉きめえwww
752 :
人間七七四年:2008/11/28(金) 23:47:17 ID:AAN2oqos
>>749 摩阿姫を側室にするくだりは、山風の妖説太閤記だと反吐が出そうなほど外道
描写されていたな…
753 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:37:47 ID:pdIDB95g
秀吉は有名だけど
秀次もすごくなかったっけ?
754 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:51:40 ID:0uok0+HD
>>753 どっちも有名。
ただし秀吉は子が少なかったが、秀次は多い。
秀吉はキモメンオッサン、秀次は若くてイケメン。
秀吉は上流好みでロリコンだが、秀次はストライクゾーンが広い。
秀吉はノンケ、秀次はバイセクシャル。
一番二番の違いから、秀吉は秀次に嫉妬みたいなものも
あったんじゃないかとも言われている。
側室ごと秀次の胤を消したいなら、妊娠しているかどうか数ヶ月待てばいいだけ。
秀次の妻子を連座させて殺すのはあまりに異常なので、そういう意見もあるそうだ。
755 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:52:55 ID:oUqpV9uM
13歳といえば、女の盛りパート1だからなあ
756 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:54:04 ID:ud5UprBS
>>753 母と娘をともに側室にしたとか、あのへん?>秀次
秀次が女好きじゃ無かったとは言わないけど、秀次の側室に関する逸話は、
他の暴虐な行いも含めて、典型的な「暴君譚」のテンプレそのものなんだよね。
中国の古典に出てくるような。
秀吉のこの手の話に出てくるような、生々しい感じが無くて、個人的には
秀吉周辺によるプロパガンダであった可能性が強いと思ってる。
757 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 00:56:48 ID:oUqpV9uM
13歳の娘と33歳の母親かあ
女の盛りパート1とパート2のせっとか
そりゃああこがれるなあ
758 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:11:54 ID:pGx8xTkj
秀次が若くてイケメンとか上でも出た妖説太閤記の創作じゃんw
秀吉が容姿の冴えない小男だったのは史書に残ってるが、
秀次の容姿に関しての記録は見たことが無いよ
秀吉は秀次に関白職を譲る時に彼の好色を危ぶんで
「関白になったらスケベは程々にしろよ、自分の真似はするな」なんて訓戒状を出してる
自分のことを棚に上げる養父も笑えるが、その訓戒を聞かず側室集めまくった秀次も何というか
色好みは羽柴一族の特色だったんじゃないかと
759 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:15:06 ID:0uok0+HD
瑞泉寺由来から抜粋。
・処刑される秀次の妻子は、獣のように車に押し込められて引き回された。
殺されると知らない子供たちは母親に甘えていて、都人はそれを見て涙した。
・処刑場になった三条河原には、秀次の腐り始めた首がある。
妻子たちはそれを拝むと、順番に首をはねられた。
・姫君のひとりが処刑を見ていった。「私もああなるの?」母は応える。
「念仏を唱えれば父上に会えますよ」。それを聞いた処刑人は「叶わぬ望みよ」
と姫を引きずり出し刺し殺した。亡くなった子供は上は九歳、下は三歳五名。
・殺された妻妾は三十四名。上は尼僧68歳、下は12歳。
おそらく唯一、処女のまま殺されたのが有名な駒姫十五歳。
駒姫は、静かに座り落ち着いてみずから首をさしだした。
罪なき身も世の曇りにさへられて、ともに冥土に趣かば、
五常の罪も滅びなんと思ひて 伊満(いま)十五歳
罪を切る弥陀の剣にかかる身の
なにか五つのさわりあるべき
(罪のない私ですが、世間のいわれない誤解から皆とともにゆきます。
ありがたい阿弥陀様の剣にかかる私です、どうして往生できない五つの罪があるでしょう)
・彼女らの死骸は、犬のように転がされてひとつの穴に捨てられた。
その上には「秀次悪逆塚」ときざまれた碑が置かれ、ひとびとはいつのまにかそれを
「畜生塚」と呼ぶようになった。
・都には夜のうちに貼り紙がなされた。
「今日の狼藉は、あまりにひどい、こんな政権は滅びてしまえ。
ああ、因果のほどを覚悟しろ」と。
秀次に連座した大名は最上義光、伊達政宗、細川忠興らがいる。彼らはのちに
東軍につく。確かに因果はめぐったのだ!
その塚はしばらくそのままで、洪水で破壊されていたが角倉了以が慶長十六年、
高瀬川改作のさいに瑞泉寺を建立し菩提をとむらった。
これが瑞泉寺の由来である…
ちょっと悪い話じゃねえ!
関連エントリ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-514.html
760 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:17:17 ID:5zgCib3e
>>157 でも秀長はそういうのはない気がする。
秀吉は成り上がり者だし秀次は若いからな…権力のこわさかも。
761 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:19:22 ID:0uok0+HD
>>758 んー、オレはうろおぼえだけど小説以外で
秀次イケメンってみたけどな。肖像画も結構立派な顔だった。
762 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:41:40 ID:WkndspAo
>>757 そのパート1とパート2の定義はおかしい
763 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:42:16 ID:ud5UprBS
764 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 01:46:52 ID:0uok0+HD
あ、思い出した。
宣教師の記録では優雅な美男だった希ガス>秀次
765 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 02:17:26 ID:an320nMw
>>760 秀長はめちゃめちゃ常識人だからな。
破天荒な兄を支えるのはそういう人物じゃなくちゃ駄目だったんだろう。
766 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 02:49:45 ID:ud5UprBS
秀長のごく普通の日常
天正十六年(1588)、
九月四日:午後二時、京から大阪入りするにあたり大和に寄った毛利輝元を出迎える。
そのまま宿舎の別邸に案内。終日酒食の饗応
九月五日:午前八時、輝元を郡山城にご招待。進物の儀の後、宴会。参加者は毛利一族のほか
細川幽斎、黒田如水、安国寺恵瓊、大谷吉継など。
正午より金春太夫らによる十二番の能。午後10時まで続く。
九月六日:午前八時、輝元の宿舎で家臣一同で出立を見送り。
午前十時、輝元出立。秀長はそのまま輝下についていき、奈良見物の案内。
午後二時、成身院にて昼食のお振る舞い。
午後十時、秀長の宿舎にて宴会、金春太夫による囃子や謡、鼓。
零時ごろ輝元帰宿
九月七日:午前六時、輝元を招いて朝食。
午前八時、奈良を出立した輝元と別れる。
諸侯が畿内に出入りするたびに秀長、こんな感じで接待していたらしい。
ちなみにこの数日前には家康を、その少し前には秀吉との交渉に来た北条氏規を接待していた。
そりゃ早死にするわ。
767 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 02:58:23 ID:oUqpV9uM
768 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 03:06:34 ID:mhPJ9fWS
>>759 >上は尼僧68歳
( Д )゚ ゚
オールマイティーにも程があるわ……
それともいわゆる、乳母→愛人の類なんだろうか…
769 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 04:38:19 ID:ohM7/F59
>>717 漫画にしたらさぞいいラスボスになれただろうなw
770 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 05:23:02 ID:30YHYRZs
771 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 06:47:51 ID:pznnB/z7
>>769 彼を倒して全てが終わったと思ったら真の黒幕がいた……というパターンのが似合うと思う。「直家など前座にすぎんわ…脆弱な武士どもよ―!支配してやるぞ―!この太閤秀吉がなぁ―!」とか
772 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 06:57:50 ID:ud5UprBS
>>771 秀吉の「悪」って、特に権力を握ってからは、直家みたいな目的意識のはっきりした物じゃなくて、
気分で人を虫けらのように握りつぶすような、そう言うものだからなあ…。
773 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 08:28:55 ID:0Ju2RQxV
>>771 何処の犬型○○○魔族だw
>>770 花山法皇は
愛妾の母子そろって孕ましたつわものだったらしい
774 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 11:11:17 ID:kIIxhFu5
関白の何が怖いって、山風の妖説太閤記が
一番実情に近かったんじゃないか、って思わせるところが怖い。
775 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 11:18:19 ID:JyVWtYes
直家をはじめ、梟雄と呼ばれる奴らは統治面だと非常に優秀というケースが多いからな。
あくどいとされている事ははっきりと目的を持って、いわば必要悪として行っている。
DQN四天王や関白は、その目的がすっぱりと無いんだよな。
776 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 12:13:17 ID:mo8Qyyq5
四天王も感情の発露が過激なだけで為政者としては優秀、とフォローしておく
細川忠興が小倉に移封されたばかりの頃、九州で飢饉が起きて餓死者まで出た。
事態を憂慮した忠興は、幽斎より継承した名物茶器を残らず家臣に持たせ、
京で売り払ってその金で食料を買って領民に配るよう命じた。
茶器はいずれも天下の名物ばかりなのに、まったく買い手がつかなかった。
いよいよ重い事態に心痛すらおぼえた忠興は、京都所司代・板倉勝重に相談した。
「いや、簡単なことです。こうすれば良いのですよ」勝重はそう言って、高札を立てた。
『このたび売りに出された茶器は、細川家所蔵の由緒ある品ばかりです。
購入希望者は望みの金額で買い取り、所司代に見せにきてください。
名前しか聞いたことのない名物を、実際に見るだけでも幸いです。 勝重 』
豪商が争って買い求めて来た。要するに、
「あの細川がこれだけの名物、売りに出す訳がねー!ニセモノだ!!」
「あの細川の売り物?買ったらあとで何言われるか…」((;゚Д゚)ガクガクブルブル
と思う者ばかりだったのが、勝重の保証がついて始めて買いに来たのだ。
忠興の家臣は集まった金を持って大阪へ行き、米・麦を山ほど買って、船で
小倉へ送って領内に配り、多くの者が助かったという。(提醒紀談)
777 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 12:16:26 ID:eLyIJcrm
×四天王も
○四天王の一部も
明らかに優秀じゃないのが一人まj
778 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 12:38:47 ID:p/jMfdmd
>>775 場当たり的な犯行、むしゃくしゃしてやったってかんじが多いんだよね。
そのあとでどうなるかまで、考えてないというか。
>>776 いい話だけどビビル京都市民にワロタw
779 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 12:55:38 ID:Zhu26wbw
名品を売って領民を助けるって忠興も人間だったんだな
安心した
780 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 12:57:02 ID:pN5+5YPe
こんな人間らしい人間も珍しいと思うが・・・
781 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 12:58:10 ID:BG0nf94n
元々偏執狂モード発動してないときの忠興は判断狂わせるタイプじゃないと思うが
782 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 13:06:30 ID:0Ju2RQxV
>>779 名物うって領民助ける話
金森か稲葉でも似たような話なかったっけ?
783 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 13:24:29 ID:BG0nf94n
弟いらねーから名物寄越せの人の立場は
784 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 13:42:43 ID:yHGVPHHR
>>782 金森長近の孫、重頼の話。
長近は利休も認めた名品『雲山肩衝の茶入』を持ってたんだけど、家康に献上した。
それを秀忠が「天下の名器、ふさわしい者が秘蔵すべし」と言って、重頼の家督相続祝いに返してやった。
寛永になって領内飢饉の折、かねてより所望していた京極高広に三千両で売り、領民を救済した。
名品より民を取った重頼は男を上げ、人の弱みにつけ込んだ京極はまたまた男を下げた、というお話。
785 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 13:53:19 ID:IimGoItc
786 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 14:42:53 ID:ud5UprBS
江戸期の島津さんところは、後世に評判のいい「開明的君主」の時代の方が、
実は領民には大迷惑な存在だったりするのはここだけの話だ。
787 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 15:24:26 ID:z+qBnx9C
重豪さんなどまさにそういうタイプだよね。
788 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 16:50:09 ID:kH06f4Mz
いや、一将功なって万卒枯るというように英雄が登場した時代の一般民て大体苦しんでる。
現代だと小泉人気の影で非正規雇用や社会保障崩壊がいっそう進み、
辞めてから一気にしわ寄せがやってきたようにw
789 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 17:09:50 ID:HfZRHPpU
明治時代なんかも軍隊と産業を支えるために庶民は重税と貧乏暮らしを
強いられたからな。『改革には痛みが伴う』ってのは確かだ。
その方向を間違えると痛いだけに終わるがなw
790 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 17:16:59 ID:RA3xxelO
>788
ブッシュ政権の8年間みたいなもんか。
791 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 17:29:11 ID:ud5UprBS
1575年、長篠の戦の折りの事、
武田勝頼は、長篠城から重囲をくぐり抜けて、信長のもとへ援軍の要請をしに行った
鳥居強右衛門を、その帰りに捕らえて磔にした。
これを聞いたときの家康の反応。
「勝頼には大将の資格が無い!強右衛門のような者は、敵であっても命を助けるべきなのだ!
そうすれば味方にも、忠義とはどういうものかを教える事ができるではないか。
自分の主君に対して忠義を尽くした者を、憎いからと言って磔にかける馬鹿がいるか!
…勝頼め、今に見ていろよ。お前が滅びる時は、譜代の家臣たちも心変わりして皆裏切るような、
そんな滅び方をするだろう!」
そう吐き捨てて、勝頼の事を本気で軽蔑したと言う。
家康が素の感情を露にして怒っているのが、ちょっと珍しい、
(家康にとって勝頼の大将としての心構えが)悪い話。
792 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 17:48:53 ID:pGx8xTkj
いかにもな権現神話で萎え
793 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:04:31 ID:Lg06I3sC
>>792 何だそれ、家康の逸話は極悪な物でない限り紹介するなとでも言うのか?アホらし
794 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:07:04 ID:pdIDB95g
三方ヶ原以来これと直江状くらいか?
本気で怒ったのは
795 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:08:26 ID:DgJzdk1g
秀忠遅参も相当怒ったんじゃないかな
796 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:09:51 ID:pN5+5YPe
関ヶ原でも切れてたよねw
797 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:13:35 ID:DgJzdk1g
あと数正離反も怒ったんじゃないか
あの大事な時期に軍制を武田式にしなきゃいけなくなったんだし
やる康スレみたいな見解もあるけど
あの大事な時に抜けられちゃ怒るだろ常識で考えて
798 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:18:33 ID:R2iNwcDY
軍制筒抜けになってどうやって戦えと
どうやって取り込んだかはよくわからんが
疑心暗鬼で戦ができんようになったから
効果絶大だな
799 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:18:54 ID:5zgCib3e
重役が機密データ全部持ってライバル会社に、みたいな状況だからな…
800 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:28:39 ID:pdIDB95g
叩き斬られても文句言えんな…
801 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:36:42 ID:R2iNwcDY
以前勤めてた会社で営業部率いてた部長さん
引き抜かれたらガタガタになったなぁ
懐かしい…
802 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 18:54:32 ID:5SSZYicw
高天神城を落とした際、武田側の生き残りの中に、今川人質時代に自分を虐めてた奴がいたんで
そいつだけは容赦なく処刑したって話もあるな>家康
忍従の人ではあるが爆発する時は爆発するんだな
803 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 19:24:17 ID:bw3zfYV+
細川幽斎・忠興が丹後を統治していた頃のお話。
ある年凶作となり、このままでは飢饉だ餓死だと恐れた領民は
おらが殿様に検見を願い出た。
田畑の実態をつぶさに見てもらい、年貢減額を期待したのだ。
ところが期待とは裏腹に「検見はしないし、年貢も例年通り」との
冷たい言葉が返ってきただけだった。
裏切られたと感じた領民、普段教養人ぶってるくせに
実際にはこうかよと憤激し、恨みをこめて次の狂歌をつくった。
秋の田を からでそのまま ただおきの 心なかおか 何をいふさい
(忠興) (長岡) (幽斎)
細川親子のちょっとバツの悪い話
804 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 19:44:04 ID:yHGVPHHR
マヂレスすると、細川の丹後時代なんて信長・秀吉からの軍役軍役また軍役で
余裕なんてまったくない件
まあ付き合わされる農民はたまったモンじゃなかったろうが
805 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 20:39:56 ID:kH06f4Mz
>>802 元来家康は短気な性分。
人質時代の子供の頃、居並ぶ今川家臣団の中、今川屋敷の庭で小便したとか。
806 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 20:43:34 ID:L3T7gbbi
807 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 20:56:17 ID:56rRGGsu
おしっこ我慢出来なかっただけだったり
808 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 20:58:39 ID:oUqpV9uM
若いときからトイレが近かったというエピソード
……と書いたら、三方が原のときのエピソードを思い出したけど、
元々ウンコをしたくて我慢してたんだろうな、あの時は。
809 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 22:02:54 ID:/DyB7thl
>766
そういや、秀長の悪評って聞いた事が無いな。
俺が知らないだけかもしれないが…
810 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 22:09:59 ID:rWcVQSbw
悪評というか検地やら何やらで奈良の既得権をもっていた層には嫌われてて、
多聞院だかなんかの日記で秀長が死んだという記事の後で蓄えてた金の重みで
建物が壊れたことについてふれて、
「意地汚く蓄えてても使うこともなく死んでは蓄えた甲斐もない、おろかなことだ」
というような感想を残してた記憶がある。
811 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 22:10:58 ID:5bnxW/kB
秀長は、島津の家久(貴久の4男の方)を毒殺したって説があるな
秀長一代の失策とかなんとか
812 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 22:13:35 ID:DgJzdk1g
秀長が若い頃
足軽や組下を集めて賭博詐欺で巻き上げてたらしいな
まあ金銭感覚を養わせるためにやっていたとかって話だけど
恐らくは巻き上げた金の一部はそのまま羽柴軍の軍資金になってたんじゃないかと思う
まさに『”ちょっと”悪い話』だと思うが
813 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 22:14:36 ID:HfZRHPpU
まあ苛々して旗本の背中につけてる旗を切り飛ばしたり、自分に諫言した
医者をクビにしたり、窮地に陥った時に死にたがったりと頭に血が上ると
抑えの利かない性格だったっぽい。
>>809 出典は出せないが、金に五月蝿い人だった、とかいう話は残ってる筈。
あと、紀州統治時代に地元の寺社に対してキッツイ要求をして困らせた、
とかも。寺社勢力を削ぐために必要な事だったんだろうけど。
814 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 22:19:34 ID:3CabhQGu
秀長は金に汚いじゃなかったっけ?
材木を売らせて代金着服とか。
815 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 22:21:24 ID:pdIDB95g
そういうとこが兄弟だなぁ
816 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 23:04:59 ID:wLiGhTck
腹切岩
筑前国に秋月氏と言う豪族がいた。秋月氏は機を見て毛利、
大友、竜造寺、島津と恭順を重ね、自領を保っていた。
戦国の末、豊臣秀吉は九州制覇を志し、大軍を率いて西下していた。
この時、秋月家当主、秋月種実の命を受け家臣、恵利暢尭は、敵情
視察のため広島まで出向いたのであったが、秀吉軍の装備の素晴らしさ
を目の当たりにして大いに驚き、急ぎ帰って和睦の賢なることを勧めた。
だが秀吉軍の力を侮った種実は「さても暢尭、臆病な事よ。はや秀吉の
家臣となったか。」と嘲り、他の重臣達も暢尭を笑い飛ばした。
己の言が受け入れられぬと悟った暢尭は、妻と子供を城の側にある大岩に
集め、「もはや秋月もこれまで」と妻子を刺殺し、自らも切腹。諌死した
のである。享年三十八歳の若さであった。
ほどなくして秋月種実は、秀吉にひざを屈する。待っていたのは、必死に
守り抜いてきた先祖伝来の地、筑前秋月より日向財部への転封であった。
転封が決まり、その地を離れる事になった種実は、恵利暢尭一家が諌死した
大岩の前で下馬し、落涙しつつ手を合わせて去っていったと言う。
後年、筑前黒田藩藩主、黒田長與は恵利暢尭の忠節を称え、大岩の近くに
鳴渡観音建立した。今も大岩は「腹切岩」と呼ばれ、秋月城の側にひっそり
と佇んでいる。
817 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 23:08:37 ID:Lg06I3sC
>>816 うーむ、良い話・・・のような気もするな
818 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 23:19:22 ID:9LeTvMWu
>>816 部下の進言を聞かない、悪い上司の顛末って事か。
819 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:06:41 ID:USPqsPIG
いい話の匂いがするぜぇ
820 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:09:43 ID:TgJ0zPdG
書き方次第でいい話にも悪い話にも。
恵利切腹→秋月転封で筆を下ろしてれば文句無しに悪い話。
最後まで書いたのは
>>816の人の良さ
821 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:15:20 ID:JhZGIOWw
でも秋月もがんばった方だよな
中国地方と九州地方が入り乱れる北九州で
しっかりと生き残り、勢力を地道に拡大している
九州征伐時の判断ミスが悔やまれる
822 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:19:58 ID:USPqsPIG
>>821 うん
あの位置で残ったのは普通に凄い
しかも江戸も最期まで家名存続してる
823 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:20:13 ID:WjKPijrF
やっぱり先祖代々の地って意識すると、どうしても愛着がわくよなあ
824 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:32:43 ID:TasmC73r
秋月は後に江戸時代最高峰の人物を輩出してるしな
そんな彼が偉人足り得たのは秋月家で受けた教育が大きかった
825 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:36:17 ID:AT92ERyD
逆に立地は恵まれてたのに滅んだ北条、三好はアホだな
826 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:41:32 ID:nqrYyq6/
>>816 一応訂正、黒田長興は筑前秋月藩(本家黒田藩の支藩)の藩主です。
…もしかして黒田だから黒田藩でいいのかも?そうだったらすみません。
黒田長政の息子で、忠之の弟ですね。
黒田長政は亡くなる時、この長興と、その弟高政にそれぞれ五万石と四万石を 分けて与えました。
827 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:41:56 ID:jmeNcU6s
この流れは宇都宮家滅亡と黒田官兵衛・長政親子の話をだせ!・・・ということか
と思ったが、既出だっけ・・・
828 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:44:20 ID:0FqizbSX
829 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:45:23 ID:nqrYyq6/
一説によると長政は嫡男忠之の放埓な性格を危惧していて、本藩が万が一
改易ということになっても家が残るように支藩を作ったということです。
この長興は遊び好きで怒りっぽかった忠之と違い温厚で沈勇の人だったと
言われ、長政は忠之を廃嫡して長興にあとを継がせたかったらしいのですが、
家臣の反対もあって実現しませんでした。
こういった経緯もあって長興を警戒していた忠之は、父の遺命に背いて
長興を家臣並の立場に留めたく思い、独立した藩主として将軍に直接
お目見えするのを阻止しようとしました。
五万石を十万石にしてやるなどの甘言も用いたのですが、長興とその
家臣団は承知しませんでした。
そこで忠之は自身が江戸に参勤する際、長興をなんとしても秋月に留めるよう
自分の家臣たちに命じて国を出たのですが、長興は正月で見張りの気が緩んだ
隙をついて少数の家臣だけを連れて小舟で国を脱出。
江戸にたどりついて一年間の雌伏の後ついに将軍家光に拝謁を果たし、晴れて
本家から独立性の強い支藩の藩主としての立場を確立します。
黒田忠之の往生際が悪い話。
830 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:49:26 ID:nqrYyq6/
リロ忘れすみません。829は826の続きということでお願いします。
831 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 00:56:52 ID:TasmC73r
832 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 01:22:45 ID:C97ztUDj
秀吉、信長への恩
本能寺後、天下の主導権を握った秀吉が信長の葬儀を主催し、その菩提寺として
紫野大徳寺塔頭、総見院を建立した。
が、それだけではない。秀吉は、紫野大徳寺を上回る規模の、壮大かつ壮麗な信長のための寺院、
「新紫野・天正寺」の建設を進めていたのだ!
この建設は織田信雄と対立していたころより始められ、小牧長久手で敗戦をこうむった後、
さらに加速された!
「我こそは信長公、そして織田家の恩を最も受けた者。その真心は今建設中のあの寺院を見よ!」
そう、世間に訴えているようであった。
そしてその真心が通じたか、ついに信雄との和解がなった!すると…!
新紫野・天正寺の建設工事中断。そのまま、放置。
833 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 01:29:13 ID:lV+a/xFh
>>802 この時処刑された孕石は、家康には逆らったが主家武田には忠臣だったわけで。
つまり家康は個人の感情で敵方とはいえ忠臣を殺したわけだ。
>>791のエピソードで勝頼をどうこうは言えないよなあ。
834 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 02:11:27 ID:94fzKXbj
今川から武田に移ってるけどな
まぁ岡部みたいな例もあるからどうも言えんが
835 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 02:19:10 ID:94Fjm6vC
「忠臣だから敵方でも生かしとけ」なんて明らかに戦国時代の発想じゃないし、
鳥居強右衛門を殺したことと勝頼の滅亡を無理やり関連付けてるのも彼の末路を知っての後付臭い
家康本人が矛盾した言動をしてるわけじゃなくて、
御用学者が適当な話創作しただけじゃないの
836 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 02:26:47 ID:C97ztUDj
理屈とか矛盾云々以前に、自分に忠義を尽くしてくれた人間を殺されて、その殺した人間を恨むのは、
ごく自然な人間の感情だと思うが。
そんなおかしいか?
837 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 02:46:11 ID:sDGlkd+6
恨むのは勝頼じゃなくて信長のほうでしょ
散々援軍要請をスルーされてきたわけだし
838 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 03:03:29 ID:C97ztUDj
>>837 だからそれは理屈であって、この場合の感情はまた別でしょ?
839 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 05:23:54 ID:mRChzFpc
>>805 ちょっといい話の方で出てるな
尿意我慢してた姿を気圧され萎縮しているせいと勘違いされ笑われたからキレたって感じ
840 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 05:58:53 ID:JhZGIOWw
イライラして爪を噛む癖があったと言われているね>家康
それでも自分をコントロールするのは上手かったんだろうな
秀吉に見習ってほしい
841 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 08:09:36 ID:q26MpYtI
正則が尾道に雁木を造ったのって史実なのか
842 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 09:09:49 ID:nX3GGwfB
>>820 「筆を下ろす」?
そういう場合、「筆を置く」なのではなかろうか?
「筆を下ろす」だと普通は違う意味だと思うのだが……
843 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 10:51:28 ID:Z12b23Mg
筆を下ろすって言うのは「書き始める」ことだわな
844 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 11:49:22 ID:WjKPijrF
へえ、そういう意味なんだ
俺はてっきり(略)
845 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 12:08:06 ID:AUVB1Rfz
846 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 12:13:49 ID:C97ztUDj
久々に鬼武蔵さんのお話。
天正十年6月2日、本能寺の変が起こる。
ご存知のように、森長可の弟達、乱丸、坊丸、力丸、も討ち死にをした。
そして6月22日、森家において、彼らの葬儀が営まれた。喪主は長兄、長可である。
葬儀も一段落ついたころ、一旦奥に引っ込んでいた長可が出てきた。
鎧を着込んで。兵を引き連れて。
そ、そのお姿は!?驚く葬儀の参加者を前に鬼武蔵
「我が森家はかねてより、馬串山米田城主、肥田玄蕃と領土紛争を起こしていた。
さて、今日は我が家の葬式である。肥田玄蕃も、よもや葬式の日に攻めては来ないと、
油断しているに違いない。攻めるは今だ!行くぞ者ども!」
と、怒涛の気負いで出陣、当然のように油断していた米田城を、攻め落としてしまわれた。
鬼の呼び名は、伊達じゃ無い。
847 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 12:16:32 ID:k80jxHMi
>>846 これは武将として"いい話"じゃないのかw
848 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 12:19:32 ID:AT92ERyD
卑劣っちゃあ卑劣だけどなw
テト攻勢みたいなもんか
849 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 12:23:43 ID:WjKPijrF
相手の葬儀中ってわけでもないし、別にやっても構わないことよの
850 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 12:26:55 ID:C97ztUDj
まあこの領土紛争自体、鬼武蔵が最初に「お前のとこの馬串山よこせ」って、
一方的に要求してきたところから始まるんですけどねw
851 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 13:01:54 ID:BLMC+1se
戦国武将らしくて素敵
852 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 14:15:38 ID:AjRNNcOE
こんなとんでもない奴を討ち取った徳川は凄いな。
853 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 14:35:56 ID:C97ztUDj
山中鹿介が伯州末石城に篭城していた時の事。
吉川元長率いる毛利軍3万がその城を囲んだ。さて、その軍勢の中に今田源右衛門という者があった。
彼がこの付近を行軍している最中、山際に茂みの中に、牛馬の屠殺業者の作業場があった。
そこには母牛と、母の乳を飲んでいる仔牛、そしてその牛をこれから屠ろうとしている業者の男がいた。
源右衛門がそれを眺めていると、業者の男が刃物を用意した後、他の作業のため牛から目を離した。
すると仔牛が、賢くもその刃物を口でくわえ、少しはなれたところに穴を掘り、その刃物を埋め、
帰ってまた、そ知らぬ顔で乳を飲み始めた。
さて、業者の男が刃物が無いことに気がつき、大慌てで探し回る。
源右衛門はそれが可笑しくなって、その男の元に行き、先ほど見たことを全て話した。
男は刃物を見つけ出し、源右衛門に感謝した。
牛の母子はすぐに、まとめて屠られた。
それから少しの後、毛利軍による城攻めが始まった。
源右衛門の部隊も攻め込んだが、城方の逆襲にあい、逃れる時に川に入り、
そのおり源右衛門は早瀬に足を取られ、おぼれて死んだという。
人々は、源右衛門は慈悲の心を知らず、言わなくても自分の損にはならない、仔牛の隠した
刃物の事をわざわざ教え殺させた。その報いを受けたのだ。と、言いそやした。
854 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 14:42:02 ID:94fzKXbj
なんか動物愛護団体の作り話みたいだなw
855 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 15:22:07 ID:WjKPijrF
でっちあげなかんじがあるけど、類例の見つかりに無いオリジナリティーあふれるはなしだ。
856 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 16:39:02 ID:jmeNcU6s
>>852 むしろこんな香具師がのうのうと安土桃山→江戸と生き延びていたら
それこそ世間の常識という物が斜め上にぶっ飛んだあげく
歴史がねじ曲がっていた可能性もあるわけで
我らは権現様にめっちゃ感謝しないといけないかも知れませんのう
857 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 16:49:52 ID:Co/d3am3
858 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 16:52:01 ID:EgpDnLa+
戦国期の馬はポニーだったらしい
じゃあ鬼武蔵の百段はガチで化け物だな
859 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 16:57:46 ID:DrXArrAS
ポニー←→化け物
なんか話がつながってない
860 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 17:07:36 ID:E7rn5gQ5
ライオンや虎が人を食い殺してもフーンだけど
猫が人を食い殺したら「化け猫じゃー!」みたいな感じ?
861 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 17:14:18 ID:EgpDnLa+
いや、まとめで見た百段の逸話みたらさ…
862 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:53:33 ID:TGQ9wVVe
>>858 ポニーとは言いますが、
戦国期の馬は、モンゴルや中世欧州の騎馬と同じくらいのサイズなんですよ。
サラブレッドを基準にすると誤解する。
863 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:56:26 ID:xK97llqq
昔描かれた絵巻物はどれも馬の体格が良いけど
あれは誇張されたものなのかな
保元・平治の乱や元寇などで描かれてる馬は大きいし
筋肉隆々
ほんとに小さかったのかなぁ
864 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:57:45 ID:WjKPijrF
ポニーとしてはでかい馬に、
現代よりも小さな日本人がまたがったとしたら、
びっくりするほどの誇張ではないかもしれない
865 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 18:57:48 ID:l6a8IzRu
出てくる人間も小さいってことを忘れちゃいけない
866 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 19:01:05 ID:WjKPijrF
馬の肩の高さで130センチ以上らしいから、やっぱりそれなりにでかいよ
867 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 19:10:52 ID:l6a8IzRu
868 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 19:13:51 ID:xK97llqq
>>865 平安末まで=地球は温暖で飯うま状態 体格は結構いい
鎌倉=小氷期スタートで飢饉増える 体格ちょっと悪くなる
室町末(戦国)〜安土桃山
=小氷期少しお休み、戦国大名による富国強兵政策 猪、雉、犬、馬、牛など肉食いまくり
体格がよくなる
江戸=小氷期復活、廻米制などの政策で飢饉に拍車がかかる、大飢饉連発
獣も食わない
体格はどうしようもないくらい悪くなる
日本人の体格の変遷はこんな感じでしょうか
869 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 19:41:19 ID:AynvWNoK
日本人の体格については研究によって
サンプルが一部地域に偏ったり特定の階級に偏ったりしてることもあるみたい。
現代を除けば古墳時代が大きかったらしいね。160ちょっと。
後の時代は大きくても150センチ台ってとこだとか。
現代の平均身長はずば抜けて高いんだとか。
870 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 20:21:05 ID:jmeNcU6s
ネタ投入。
まとめスレをざっと見た限りでは出てなかったようなので
知られざる戦国の鬼姫?物語(1)
徳川家康の曾孫に国姫という姫がいた。
今後 重 要 な 参 考 になるため、ちょっと細かく家系を説明すると
徳川家康−信康
|−−−熊姫
織田信長−徳姫 |
|−国姫
|
本多忠勝−−忠政
となる。父方のおばさんには あ の 小松姫 などもいる。
国姫の パッと見た目 は母親の徳姫経由で織田家の血を引いていたためかどうか
相当な美人だったらしい。
しかも、祖父に当たる信康の不幸な死などもあってか家康に非常に溺愛されたそうだ。
さて、この国姫。家康の血をつぐ曾孫となれば、政略結婚のけっこーな駒として使い勝手良いことこの上ない。
ということで、曾祖父の命令で、曾祖父家康の養女となり、越後の大名・堀忠俊の元に嫁ぐことになった。
忠俊は「いい話」スレ常連の”名人”久太郎”秀政の孫で、
領地も越後1カ国45万石というから家康養女の嫁ぎ先としては十分釣り合いのとれるところであった。
が、ケコーンしてからわずか4年目の慶長15年(1610年)。
堀家はあっさり改易されてしまう。忠俊と国姫の間に子供はおらず、国姫は江戸に帰されてしまった。
通説では、堀家の改易は家老どうしが主導権を巡ってケンカしたのが原因とされる。
しかし、この諸悪の根元とも言える家老は後に徳川幕府によって大名に取り立てられるなど不審な点がある。
(続く)
871 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 20:22:32 ID:jmeNcU6s
知られざる戦国の鬼姫?物語(2)
さて、こうして江戸に返されて肩身が狭い・・・どころか、曾祖父・家康の溺愛のもと、
のびのびバツ1生活を楽しもうとしていた国姫に再びケコーンの命令が下った。
堀忠俊の離婚と同年(!)慶長15年(1610年)のことである。
相手は九州の小大名の世子・有馬直純である。
今度は肥前の島原辺りで約4万石。堀氏と比べると一気に石高1/10である。
国姫はどう思ったか分からないが、バツ一だから文句は言えなかったと思われる。
更に、直純も実はバツ一であった。というか、国姫と再婚するためにバツ一にさせられたのである。
直純にはキリシタンの正室がいた(小西行長の姪・マルタといわれる)が、
この頃キリシタンの規制が一段と厳しくなったため、キリシタンに固執した父・晴信とは異なり直純は棄教したのである。
そして、ほんとーに棄教したかどうかをちゃんと証明するためにこの正室との離婚+国姫との再婚を求められたのである。
結婚初夜。
今更お互いにバツ一だし、ときめく物もないし、でも確かに国姫は美人ではあるし
家康公の機嫌を損ねないためにもやることはやらなきゃいけないなぁ・・・
と、国姫の寝間着を脱がせた直純は、そこに見た物を見て仰天した!
(続く)
872 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 20:23:26 ID:jmeNcU6s
知られざる戦国の鬼姫(?)物語(3)
なんと国姫の豊かな乳房は、それを覆わんばかりの
クマーのような剛毛
に覆われていたのである!!! ( Д)...。。
・・・直純は(こんな事と知っていたら、せめて、せめて別の姫を所望したのに!)・・・と思ったことだろう。
でも、こうなってしまっては仕方ないのである。直純は萎えた物を(御家のため)とそれこそ血の出るようなおもいで
奮い立たせ、なんとか事を済ませたのであった・・・
直純は国姫、いやそのバックにいる幕府をおもんばかって
キリシタンであったころ以上に、過度の禁欲生活を強いられること 3 1 年。
頑張って2男3女を作り、寛永18年(1641年)参勤交代中に急死した。
ちなみに後世のキリシタン関係史料などではこの国姫のことをこう評している
「有馬晴信を讒言して処刑させたのも、その遺児(直純の異母弟2名)を処刑させたのも
ぜーんぶぜーんぶ国姫が夫・直純をそそのかしたから!
ついでに、堀家が滅んだのも国姫が堀家のことを無いこと無いこと家康にちくったから!まちがいない!!!」
(レオン・パジェス『日本切支丹宗門史』 意訳)
また、日本側の史料でも国姫についてはこう書いてある
「国姫の人となりですが、
剛毅にして技撃(おそらく槍とか長刀などの武芸だろう)に通じておられ
容貌は端麗で 胸 毛 が 非 常 に 立 派 な お 方 でした。
立ち居振る舞いも立派な武将のようでありました。」
(『国乗遺文』有馬氏関係の史料)
********************************************
祖母・徳姫のちくり体質とか(濡れ衣説もあるが)
伯母・小松姫の凶b・・・いや武芸に練達した性質とか
でも 見 た 目 だ け は 綺 麗 というから
いろんなご先祖様の悪い部分だけを抽出したらこうなっちゃいましたというか・・・
ちなみに国姫実母の名前は「熊姫」といいますが、
この人が名前の通りクマーのような剛毛だったかどうかは史料が無く不明のようです・・・
<蛇足>その後有馬家は先祖伝来の島原から日向国の県(今の高鍋)に加増されて転封されましたが
その後、領民から過酷な取り立てをしていたのがばれて、
なんと堀家の元領地であった 越 後 国 糸魚川に飛ばされたそうです。 これも因果?
873 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 20:50:03 ID:lqYVVRjY
これ面白い話だな
長くてまとめにくい話を分かりやすく書いてくれて乙
個人的には超美人で胸毛ありとか逆にイイかもしんねぇッス
874 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 20:51:01 ID:WjKPijrF
わ、わからねえ
でも首から下を見なければ、やれるんだろうね
875 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 21:12:58 ID:s4fX+N3t
亀だが、久々の鬼武蔵話に心が和んだ。
弟の葬儀でも、悲しむどころか、戦のチャーンス!
という鬼武蔵どのが素敵過ぎる。
876 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 21:15:45 ID:mjxXF6CV
877 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 21:31:51 ID:51s5Tdw2
胸毛まであるんじゃ、なんか別のものまで生えていそうだよな…ゴクリ
878 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 21:46:08 ID:zyZyQFKS
>>867 サラブレッドは近代に成立した種で競争用なんだよな。
怪我が多くて軍用には使えたもんじゃない。
騎馬隊否定説っていうトンデモ説があったがもはや過去のもの
879 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:03:31 ID:jmeNcU6s
>>873 ありがとうございます
塚、もっと短くまとめるつもりが削りに削ってこのていたらくで申し訳ない(汗
>>877 有馬家史料の『国乗遺文』の記述なんか見ると
明らかに「見た目は女だが、実際は男だろこれ」といわんばかりの書き方で
ホルモン異常orトランスジェンダーだったんじゃないかとも思われますね>国姫
ちなみに国姫の別名は「百合姫」とも言うらしいです
ホントに見かけだけはすごかったのかも 見 か け だけは・・・
でも脱いだら 別 の 意 味 ですごいんです_
880 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:09:09 ID:wMx6N9Yh
岡本大八事件を乗り切れたのにはこういう裏側が…
881 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:13:27 ID:H43eQWxN
この話聞くたびに、心臓に毛が生えてる的な表現なんじゃないかなと思う
この頃の服装だと胸元が見えることはます無いし
882 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:26:36 ID:51s5Tdw2
>>881 いやそれが、日本人は胸元が見えることに羞恥心を長らく感じなかったし、
昔の気付けってかなりゆるいんだ。時代劇みたいにギチギチ着付けていたら、
息詰まって生活できんもん。上も下もポロリが結構あったんだよ。
乳母はいただろうけど、子供を泣き止ますために乳首を人前で
ふくませるとかあったっちゅうしね。
883 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:32:50 ID:H43eQWxN
庶民はかなり大らかな感じだったのは知ってるが
上流階級もそうなのか?ふむ
884 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:40:08 ID:/NQ8e+ji
よし、ちょっくら戦国時代にいってくる
885 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:40:20 ID:51s5Tdw2
侍女A「ちょっと、あの奥方の胸元みた?」
侍女B「えー、マジー!?」
侍女C「うそー!」
みたいなかんじで、噂がもれたのかもなとも思う。
886 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:43:20 ID:lqYVVRjY
>>885 もし細川家なら侍女三人共・・・なシチュエーションだな
887 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:48:33 ID:ykQq2gGl
中国人が「日本人マジしんじられねー、
あんなすぐやれる服を着ているのかよ…」
と驚いたという話もどこかで読んだが、女性の下半身でめくれば
いつでもつっこめる=ヤレるのは襦袢くらいじゃないかなと。
ふんどしもずらせばいつでも臨戦態勢だしなあ。
888 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 22:51:08 ID:BLMC+1se
ガラシャの体毛見ようもんなら…
889 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 23:33:49 ID:WjKPijrF
>>880 なるへそ
行き場の無い娘を引き取った代償か
890 :
人間七七四年:2008/11/30(日) 23:47:49 ID:C97ztUDj
891 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 00:11:21 ID:S3V0E4Y0
>>889 家康「堀め、ワシの国タソに『オレ剛毛属性ないから』だと…改易だ!」
「有馬め、ワシのワイルドベアーと毎日ギシアンだと………加増したるか…」
こうですか?
892 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 00:18:19 ID:U+wtbFDC
晩年のょぅι゛ょ狂いは国姫への劣情が募って・・・か
893 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 00:18:59 ID:d60tO7I+
腋毛に萌えるやつだっているんだから
胸毛に萌えたっていいじゃないか。
894 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 00:45:11 ID:6IfmORhz
有名な話だけどまとめに無いようなので
「口の」悪い話でいいのかなこれ
晩年は政治の中枢から遠ざけられていた本多忠勝と榊原康政の死に際の一言
病床の忠勝に、将軍秀忠と大御所家康からそれぞれ見舞いの使者がやって来た際
将軍家からの使者に対しては作法に沿った丁重な挨拶をしたが、家康の使者に対しては
「本来は見舞いの御礼に参らなければなりませんが、近頃は腰が抜けて行く事が出来ません」
同じく病床の康政も、見舞いにやって来た家康の使者に対して
「私も最近は腸が腐ってこのような体になってしまいました」
■参考
腰が抜けて=「佐渡の腰抜け」
腸が腐って=「腸の腹腐れ」
どちらも本多佐渡守正信の事を馬鹿にした悪
そして、その正信を重用する家康への文句・皮肉も込めた返答
895 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 01:23:27 ID:naqKX/y+
戦国の馬について
> 【質問】
> 戦国時代の馬って小さかったの?
>
> 【回答】
> 「戦国時代の馬はポニーと同等以下の大きさ」というのは,それを言った歴史研究家が
> 日本の在来種である木曽馬が「ポニー」に分類される大きさというだけで小さいと早とちりして広めた話.
> 実際には木曽馬はポニーに相当すると大型の部類ということになるサイズだし,一般に
> ポニーとしてイメージが定着している種類は,ポニーの中でもかなり小型の部類の特定の一種の事.
>
> でもって,発掘された戦国時代の馬の骨の復元からすると,当時の馬は木曽馬よりも大型だという
> (つまり,違う種類というわけで…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22.html#09398
896 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 01:33:23 ID:MbC82PSR
江戸時代は武士以外の騎乗が禁じられたため
馬は「ひくもの」になった。
結果扱いやすい小型の馬が好まれるようになり江戸時代を通して小型化が進んだ。なんて話もあったな。
897 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 01:48:26 ID:TJM2PWyj
>>894 本多正信って秀忠付きじゃなかったか?
まあ親子で家康秀忠に重用されたのは変わらないが。
898 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 01:54:38 ID:naqKX/y+
まあ、忠勝や康政がこんな態度を取るのは、例の大久保派粛清を批判しているからなんだけどね。
それにしてもこの程度の嫌味で済んでいるんだから、徳川家の被官の統率は凄かった、と、
解釈する事もできるね。
899 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 11:19:27 ID:lYOnLM4r
どこの家も武断派と文治派は仲悪いんだな
平和になると特に
900 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 11:27:08 ID:jIDmwLK6
ノブヤボやってても後半武断派は余ってくるからな
重用するのは文治派だし確かに武断派は面白くないだろうな
序盤は中途半端な武断派でも大活躍なのに
901 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 11:38:39 ID:uEBCqdre
ノブヤボとか戦国シュミレーションやってると端の大名は有利だけど現実はそうでもないよな
902 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 11:53:56 ID:MbC82PSR
中央の方が政治的にも経済的にも有利だからね。
信長が奥羽に生まれていたらどうなっていたことやら。
903 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 12:17:56 ID:uEBCqdre
本能寺後の中央の趨勢がもう少し長引けばなぁ…
九州統一した島津、関東統一した北条、奥州統一した伊達、その他大大名が跋扈して面白くなったのに…
904 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 13:20:50 ID:/cBz23cb
>>902 信長がDQN四天王の一人・政宗に転生したことで分かりますこうですか_
905 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 13:31:03 ID:AWcVIJQq
>>903 中国統一した毛利 四国を統一した長宗我部、北陸統一した上杉
906 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 13:54:45 ID:+d7KpX7y
>>901 島津は内紛やってたし、東北はみな親類のような状態だった
土佐一条は名君誕生で外征どころではなかった
能登畠山はお家芸の内紛がw
907 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 13:58:53 ID:jIDmwLK6
>>903>>905 ┌─―─┐
│ 伊達 └┐
├──┬─┴┐
│伊達│伊達│
├──┼──┤
│伊達│伊達│
┌─┐ ┌┴┬─┴──┤
│上│ ┌┘上│ 伊 達 └┐
┌──┬──┬──┬┐ ┌──┤杉├──┬┘杉┌┴─┬──┬┴┐
│毛利│毛利│毛利│└┐ │羽柴│ │上杉├─┬┘徳川│北条│北│
┌──┬──┐└┐ ├──┼──┤ └┬┴─┬┴─┼──┤徳├──┬┴──┤条│
│島津│島津│ └─┤毛利|毛利│羽柴│羽柴│羽柴│徳川│川│徳川│.北 条.├─┤
├──┼──┼──┐└─―┴─―┴―┬┴─┬┴─┬┴─┬┴─┼──┴┬──┤北│
│島津│島津│島津│┌──┬───┐│羽柴│羽柴│徳川│徳川│北 条│北条│条│
└─┬┴──┼──┤│長宗│我 部 │├──┴┬─┴─┬┴──┴───┴──┴─┘
│鬼島津│島津│├──┴┬──┤|羽 柴 │羽 柴│
└───┴──┘│姫若子│元親│└───┴───┘
└──―┴─―┘
こんな感じかな
908 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 14:39:30 ID:byYZb4Cg
>>907 北信濃上田〜北上野沼田は真田が上杉とくっ付いて徳川・北条を撃退してるな
伊達は最上や津軽を併呑出来たかどうか?
かなり難しいぞ
出羽庄内を最上義光から切り取った上杉(本庄)を政宗は支援していたようだが・・・
909 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 14:42:32 ID:xSOzbRug
義姫「最上を併呑するとな?」
910 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 14:43:05 ID:naqKX/y+
>>908 中央の混乱が長引けば、真田は北条か徳川、どちらかに吸収されるしかないよ。
真田が徳川に対抗できたのは、中央の豊臣政権のバックアップがあったから。
911 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:14:43 ID:M6itJcdr
確かに、後ろ盾も無しに抵抗するほど
昌幸は馬鹿じゃないな
912 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:23:37 ID:U7w5Nu7k
>>898 正信本人はあくまでも徳川家のために働いていて、私利私欲には薄かったという点も理由になるだろう
息子の方は欲かいてあっさり潰されたし
913 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:26:45 ID:5nfR/Jdo
確かに伊達の奥州統一はまだまだ時間が掛かりそうだ
914 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:31:31 ID:AWcVIJQq
政宗としても南奥州を統一したら北条とともに佐竹を挟撃して北関東くらいは取りそう
北より南志向じゃないか
北は南部、安東らが統一しそう、その後、伊達、最上連合軍と北奥州組で決戦という流れ
915 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:34:05 ID:c+eVEQD2
スレ違い以前にこの話題なんか恥ずかしい
916 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 15:56:14 ID:naqKX/y+
流れを変えるため、謙信公の逸話でも。
上杉謙信が関東に出兵した折の事
二千騎余りの人数が、下野国の広沢・境野の原を通って、足利八幡へ向ったが、
このとき道案内も充分でなかったので、左右の山すその田畑を踏みつけるなど、狼藉が多かった。
そこでこの地を治めていた新田氏の家臣、金井太左衛門が軍勢の前に現れ、こう言った。
「それがしは新田の家人、金井太左衛門と申し、この山の在番をつかまつっている者です。
ここから足利までは由良長尾一家の支配の地でございますから、御家人、外様の面々が
狼藉せぬよう申し渡していただきたい。」
さて、この事は先陣のものから、謙信に連絡された。
このとき謙信公、非常に機嫌がよく、金井太左衛門な無礼な物言いにも、大笑いされ、
にこやかな顔で、こうおっしゃった。
「いやあ、面白い事言うなあ。じゃあ、そいつも含めて、新田、足利の連中、皆殺しにしろ。
一 人 も 逃 さ な い よ う に な ! 」
ジェノサイドスタート。
謙信公の軍はとりあえず七、八十人を撫で斬りにしたところで、新田の砦の銅鑼や鐘が鳴り響き、
そのあたりの地域の国人たちが救援に駆けつけてきたので、全員虐殺はあきらめたらしい。
「新田老談記」に、本当に載っている話。「機嫌がいいから皆殺し(撫で切り)」なんて描写、始めて見たw
917 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 16:00:44 ID:+d7KpX7y
918 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 16:17:02 ID:lYOnLM4r
機嫌が良いと皆殺し
機嫌が悪くなると家出
四六時中酒を呑み
自分は毘沙門天の生まれ変わりと言い張る
これどう扱えばいいんだ
919 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 16:28:44 ID:naqKX/y+
あくまで、後世の軍談などでの描写なんだけど、
上杉謙信はこう、軍の進行を邪魔されたり、自分の作戦を不発にされたり、何か
気に入らない事が起こったりすると、敵、味方、中立問わず、つい勢いでジェノサイドしちゃうねw
ああ、だからこそ「軍神」って考えもあるか。
920 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 16:39:36 ID:U7w5Nu7k
本当に機嫌よかったのかこれw
921 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 16:48:20 ID:ZLrz5/OK
一応「このような無礼者を送ってくるとは、新田が我らを試しているんだろう。
可哀相だがこのような真似を放置しては侮られ無礼な真似をするものが増えて
問題になるから 皆 殺 し 」という話らしい。
922 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 19:30:43 ID:U+wtbFDC
謙信ってまさにリアル拳王思考だよなw
923 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 19:48:26 ID:PNXApvyK
ガクブル
信玄公や家康公が本当に仏様のように思えてきたよ
924 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 20:27:41 ID:S8xot8sz
>>916 軍記物はファンタジーよなぁ
あるサイトで「新田老談記」読んできたけど
ここまで史実と相反する妄想ばかりだと逆に爽快だわw
自分達の祖先は風見鶏じゃなかったんだ!と、なんとか捏造したい意図が泣ける
でも真っ先に参陣した筈の箕輪衆や、由良成繁が上杉軍に攻めかかろうとしたり
初めから顕長がちゃっかり館林城主に収まってるあたりは・・・w
流石に読んでてコーヒー吹きそうになった
925 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 20:48:37 ID:KtEWUCsk
また変なのが沸いた
926 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 20:57:32 ID:sQVL6U2U
次スレになったらネタ投下しよう
927 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 21:07:52 ID:ZLrz5/OK
謙信もネームバリューがあるおかげでやたら神格化される反面
妙な創作話も付けられるってことだろ。
歌舞伎の世界では娘がいることになってるしw
928 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 21:24:31 ID:2bQHUelD
永禄三年 九月二十七日
景虎は総社、白井、箕輪のコン望(懇望)により初めて関東へ入る
上野の明間、岩下、沼田、厩橋、那波の城を九月中に落とし
北条孫次郎はじめ数百人を討ち取る
この時の那波城攻めに由良成繁が参陣
成繁は謙信から那波城を与えられる
永禄四年 二月
景虎は武州松山城に着いた
三月までに集まった武士達を書き上げた「関東幕注文」が完成
この「関東幕注文」には由良氏、長野氏も当然記載されている
永禄五年 二月十六日
景虎改め輝虎は館林城を攻め、赤井氏を追う
(館林を十年支配していた赤井氏は関東幕注文に名前が無く、一貫して北条方)
輝虎は館林城を由良成繁三男・長尾顕長に与える
〜ここまでが史実
「新田老談記」
謙信は厩橋城・松山城攻略後、北条ではなく由良や足利を攻めようと準備した(ありえません)
その前年、謙信は(永禄三年か)箕輪の境界を御巡見、箕輪の者共は
「馬を進め、駆け合わそうとした」が、「謙信公の勢いを見て野心も失せ、そのまま引き退いた。」
この際、長野業政配下の上泉信綱は退却が後れ危うい所だった(ギャグとしては面白い)
929 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 22:08:53 ID:cLmjuE0+
変なのが住み着いたな
930 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 22:14:42 ID:fwYz/tyD
忠興「まったくマナーがなってない奴だなw」
家久「ギャグとしては面白いとかいきがって何?
ップ、おまえの存在のことですか?」
政宗「これだから上杉厨はw 伊達厨の爪の垢せんじて飲んでくださいww」
鬼武蔵「斬るよ、マジでw」
市松「そんなにオレ様に斬られたいんでちゅかw」
931 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 22:33:31 ID:UUV4xK/3
>>930 とりあえず市松が入ったことに感動したwww
あと謙信の逸話はぶっ飛んでるってわかってんだから
あんま史実と違うとか何とか過剰反応すな
932 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 22:50:06 ID:dkChs8g2
とりあえず話を変えるために、手元の本を開いて一番最初に目に入ったエピソード
竜造寺一族を謀殺した馬場頼周は、やがて竜造寺家兼らによって討伐され殺された。
頼周の死に際して、家臣の薬王寺隼人は遠方に行っており、そのまま剃髪し高野山に入ると宣言した。
しかし実際は肥前に帰り、仇を討たんと潜伏し隙をうかがった。
ところが事は露見、隼人は家兼の前に引き出された。
家兼は「なき主君に忠義を尽くすのはあっぱれ」とし、恨みを忘れて自分に仕えるようにいった。
しかし隼人は「一度は有り難く御仕えしても、仇を討ちたい心がなくなることは無いでしょう」といい、
旧主・頼周を追って切腹した。
家兼は、その幼い息子・市之丞を召出し、食禄を与えたという。
以上、息子が親の遺志を継がなかった悪い話?
すみません、どうせ無理やりですよ。
933 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 22:51:03 ID:qs8fCqaz
やたらとそいつらにリアクションさせる流れいい加減あきた
なんでもかんでもDQNDQNいう流れも
934 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 22:52:54 ID:W6tnNp6H
まあ言っていることはわかる。でも正直史実史実へんなのが住み着かれて
ギスギスするから流れを変えようと思って書いたんだ、ごめんな。
935 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 23:16:27 ID:0QV/dilp
936 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 23:21:05 ID:+d7KpX7y
>>932 いい話だなぁ
竜造寺は家兼があと10年生きて隆信を教育しておけばああいう末路にならなかっただろうなぁ
937 :
932:2008/12/01(月) 23:45:04 ID:dkChs8g2
江戸期の伝記系の本には、やっぱりお家万歳系の良い話が多いね。
でも良く見ればすぐ近くに、悪い話として書けることがあった。
話の概略を知っている人は*印まで飛んでください。
そもそも事件の発端は、少弐が家来である竜造寺の隆盛を危険と感じたのか、
同じく家来である馬場がねたんだのか。
弐の命により、西肥前の軍勢を中心に竜造寺の居城・佐賀城を包囲した。
馬場は、竜造寺勢に対し、開城して、孫を謝罪の使者とし、その他は筑後・筑前に退くことを勧告した。
竜造寺家兼はこれを飲み、一族はバラバラに行動。
少弐・馬場はこれを強襲。
竜造寺一族や郎党の多くはうたれ、家兼は命からがら筑後へのがれた。
*竜造寺一族6人の首は実験にかけられたのみならず、城門に埋めて、往来の人々に踏ませたという。
なお後に頼周父子を討った家兼は、頼周らの首を同様に佐賀城に埋めることを家来に提案されたが、
「人倫の所業にあらず」として退け、萬寿寺、高城寺にて供養している。
938 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 00:11:42 ID:6XtV198e
>>936 ・・・家兼の当時の実年令知ってる上で書いてるだろw
939 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 00:17:10 ID:VmdGbFYL
数えで92歳だね
940 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 01:14:26 ID:1XtRcydq
>>906 蠣崎さんの攻め込まれようのない地理的条件を忘れてるぜ?ww
そして能登畠山の内紛は異常。小大名の内紛なのに五千とか軍勢動いているのは何なのかと。
そして大乱起こしたのに平然と元鞘に戻ってる七人衆はどうなっているのかと(ry
941 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 01:40:23 ID:ssW3oQgl
>>933 ID変えて必死ですな嫌なら来るなって言う
942 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 01:44:56 ID:gdqST2Tv
もうすぐここも、いい話スレも4スレ目か。
基本マッタリの戦国板の中にいると、ここは異様に早いと感じてしまうw
943 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 02:37:51 ID:pTMjxlUY
かなり流れ早いな。
よくネタが尽きないと思うよ。自分が知ってるネタなんて
もうほとんど投下されてるw
944 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 02:46:19 ID:gdqST2Tv
でも実は基礎的というか、戦国好きな人なら「そんなの常識だよ」って感じの逸話は、
そんなに投下されてないんだよねw
まとめスレの拍手の数とか見ると、ネタによってはこのスレとの温度差に驚くことがある。
向こうはけっこうメジャーな逸話が人気があるというか。
945 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 02:55:48 ID:KhOHgihY
メジャーな逸話=よくできた逸話
だからな。
946 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 03:22:33 ID:gH7JeYLE
前田慶次の悪い話。
慶次が昔、熊野の山中に2・3ヶ月いた時に、祈祷を生業とする巫女がいた。
人々から崇拝されていた巫女に一体どのような呪文を唱えているか聞くと
「何て事ありません、王の袖は二尺五寸と一心不乱に繰り返し唱えます。
そうすれば、どんな憑き物もお祓いできます」と答えた。
慶次は笑って
「王の袖は二尺五寸ではなくて、応無所在、而生其心であろう」
と、その意味をも説いて聞かせた。
それから3・4年経て、再び熊野へ下った時に巫女のことを聞くと、
この年月祈祷が利かなくなって、それで他国へ移りました、とのことだった。
自分が余計な事を言ったが為に巫女は祈祷が出来なくなり、
後悔した慶次は、その後は祈祷師や胡散臭い僧侶の言う事にも耳を傾けるフリをしていたという。
947 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 03:29:13 ID:gdqST2Tv
>>946 前田慶次が生きていた当時から人気があるのって、豪傑だからってだけじゃなくて、
高いインテリジェンスの持ち主だからって言うのも、大きな理由だよね。
948 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 05:04:22 ID:gdqST2Tv
酒屋さん、侍所と戦う。
応仁の乱も終わり、ようやくの平和を謳歌しだした京の都。
文明十一年(1479)五月、五条坊門油小路にて、とある殺人事件が起こった。
五条烏丸にあった梅酒屋という酒屋の主人が、その妻と甘草某という男が密通している事に気がつき、
この甘草と言う男を殺害したのである。
が、この当時の慣習では、これは犯罪ではない。
妻を寝取った間男を、その夫が殺害する事は「妻敵討(めかたきうち)」と呼ばれ、社会的に
許容される行為であった。
が、それも人による。この殺された甘草が、当時の京の治安維持機関の最高責任者、
侍所長官である赤松正則の被官であったのだ。この時代、侍でなくとも武家などの有力者の
被官になるのは普通の事であった。
赤松正則は被官を殺された事に激怒。「たかが酒屋の癖に我が被官を殺すとは不届きな!」
彼は副長官の浦上宗則に命じ、梅酒屋の主人を捕らえるため軍勢を梅酒屋に向かわした。
たかが酒屋に、である。
五条烏丸に向かい来る、武装した大勢の侍達。応仁の乱の記憶もまだ浅い京の市民達は、それを
不安げに眺める。
が、梅酒屋で彼らが見た物は!
ここで梅酒屋について説明しよう。この酒屋、ただの酒屋ではない。
当時、京都第二の規模を誇る、大酒造メーカーだったのだ。そしてこの大店の息子は、
幕府前管領、斯波義廉の重臣、板倉氏の被官でもあった。
先にも言ったようにこの当時、侍でなくとも有力者の被官になるのは、普通の事なのだ。
板倉氏は侍所の動きを知ると、被官である梅酒屋を助けるために駆けつけた。
しかもそれだけではない。この板倉氏、有力大名である山名政豊の家臣、垣屋氏や太田垣氏、
塩治氏といった錚々たる人々と、親戚であった…
そう、侍所の軍勢が見た物は、梅酒屋を守る、斯波氏、山名氏の被官たちの大軍勢だったのだ!
彼らはこの、想像を絶する光景に驚愕し、何も出来ずに慌てて撤退した。
いつの時代も、コネのあるものは強いのだ。
949 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 05:42:06 ID:/nfrcFb3
>>938 あたりw
まぁ、冗談はおいておくとして家兼ほど高齢で逆転に成功した武将はそうはおらんだろうなぁ
950 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 07:13:41 ID:KphK7Fvx
>>948 これは素晴らしい。
甘草側にとってはかっこ悪い話だけど、酒屋側にとってはかっこいい話だな。
951 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 09:50:17 ID:hIYnjN9r
>>948 政豊と政則ってつくづく天敵同士だなー
こんなとこでも揉めてるのかよ・・・w
赤松政則って結構面白い人だよね
952 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 09:54:56 ID:gdqST2Tv
>>951 細川政元の姉を娶った時の話が…w>赤松政則
大名としてよりも、刀工としての方が有能だったりw
953 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 17:05:42 ID:VgyC8xKU
>>951 >>952 ちょいとお二方、その政則公の逸話とやらを話してはくれまいか。
名字が同じで他人とは思えないんだ。
954 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 18:48:17 ID:hFBaBQ6Y
既出かもだけど
むかし子供向け伝記の世界の偉い人シリーズみたいので読んだんだが
人質時代の東照大権現様がタコ遊びをしていたら孕石さんの家にタコが落ちて
取りに行ったら孕石さんに怒られました
大権現様は子供として当然の遊びをしていただけで怒られたという
その理不尽な悔しさを忘れず後に幕府をひらいたとき
孕石さんを呼び出して切腹させました
因果は人に報いるのです。悪いことはやめて人には優しくしましょう
というような内容が全部平仮名で逆境に耐えた大権現様の美談としてのってたのだが
小学生ながら何となく納得いかなかった
というかこれ適当に編集者がつくったんじゃないの?ってレベルの話なんだが・・・
955 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 19:14:14 ID:aGp0KHNP
足腰も立たないぐらいの折檻を受けたとかなら理解も出来るが、
報復がちと厳しすぎるね。
956 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 19:27:04 ID:LDIhinpL
お隣さんだったそうだからそれ以外にも色々とあったと思う。
人質時代の屈辱の象徴だったのではなかろうか。
957 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 19:27:58 ID:Fbs+rl0S
幕府を開く前の武田攻めの時に切腹させたんだけどな
958 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 21:21:59 ID:EaPcb3CB
>>954 人質時代の竹千代は鷹狩りが好きだったが、よく鷹が隣家へ行ってしまう
ことがあった。その隣家が孕石主水で、鷹を取りにくる竹千代を迷惑がり、
今川家中で「三河の子倅には飽き飽きするわ」と放言、さらに事あるごとに
嫌味を言った。
時は流れ、家康が高天神城を落としたとき、捕虜の中に武田方としてはたらいていた
孕石主水の姿があった。孕石は旧知のよしみで助命を嘆願したが、家康は
「そちは昔、三河の子倅には飽き飽きすると申しておったが、わしもそちの顔には
飽き飽きしたわ」と許さず、切腹を命じた。ちなみに他の捕虜は全員助命された。
まあ、幼少期のイジメによる傷は深いよなあ。気持ちは良くわかるぞw
959 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 21:23:37 ID:EaPcb3CB
×子倅→○小倅
960 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 22:30:42 ID:gdqST2Tv
961 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 23:29:04 ID:EyV4nbP7
幼時体験とかしつけとか、教育って大事だよね
毛利元就から長男・隆元あて手紙
この書状も読んだ後、返事をもらいたい。
三子教訓状の中で言うのが筋なのだろうが、これから言うことは重要だから聞きなさい。
(以下、訳にして20行ぐらい説教&小言なので略)
今のように本家・両川が無二のごとく一体ならば、本当に予見するだけでも恐れ多いが、
国中の誰にもスキを突かれるようなことはないだろう。
(以下(ry
おまえからの返事を受け取り、吉事を幾重にもしたい。
追伸:ママ(正妻)が生きてたら、ワシがこんなこと言わなくても済むのに。
とにかく、自分たち以外に味方などいないと思い、注意するのが肝心である。
んで、日々オヤジからこんなこと言われた息子がどんな人間に育ったか?
毛利隆元から竺雲恵心(安国寺恵瓊の師)あて手紙
生まれ変わったらもっとマシな所に行きたいので、できる限り善行を積んでおります。
現世で良いことが一つも無くても何も恨むことはありません。
前世の報いだと覚悟しており、今さら心に引っかかることなどございません。
(以下、訳にして40行ぐらい鬱&ザンゲなので略)
盛者必衰 生者必滅 会者定離
これらの悟りを確信し、もはや迷うことはありません。
今後のことは輝元たちの世代に任せましたので、くれぐれもお願い致します。
ちなみに、これは天文23年(1554)に出した手紙なので 遺 書 で は な い 。
だけど、だけど 生まれて来てサーセン……
962 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 23:35:59 ID:gdqST2Tv
>>953 赤松政則というか、その妻の逸話と言うか、
彼の妻は、当時幕府最大の実力者、細川政元の妹である「めし」と言う人なんだが、
この人、不器量で有名だったそうで(そのせいで嫁ぎ先がなく尼になってたって伝説があるくらい)
それが(明応の政変ための工作だったと言われるが)還俗して有力大名である赤松に
嫁ぐ事になった。このとき赤松政則は堺に滞陣していたのだが
「天人と思ひし人は鬼瓦 堺の浦に天下るかな」
なんて、酷い落手が京に張られたそうなw
この婚儀の二日後、明応の政変が起こる。
ただ、このめし殿、賢婦人で、政則の死後、義子・赤松義村の後見人となり
戦国初期の赤松家を、実質上の赤松家当主として支えきった、
この時代を代表する女傑。
963 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 23:36:54 ID:VNCjTR6W
そういえば、夜食を食いたくなった
964 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 23:59:03 ID:LlL3LdNp
そしてこの数週間後、週間少年漫画誌のハーレム漫画に
鬼瓦が新ヒロインとして登場するのである……
965 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 00:06:25 ID:ATayEmhX
おっと最後の三行を読み飛ばしてたぜ
立派な女じゃないか
966 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 00:17:24 ID:PKaEZ5TY
>>958 現代で言えば、野球していてちょくちょく隣家にボールが
飛び込んで、取りに行くたびに嫌味を言われるようなもんかな。
おまけに鷹ならフンも落としそうだし、孕石がうんざりする
気もわかるが。
967 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 00:22:51 ID:hblRdKGn
赤松政則は、応仁の乱でせっかく勝ち組にまわって、嘉吉の乱以来の赤松家負け組み街道から
ようやく逃れたと言うのに、いざ領土が広がってみたら、領地を占拠された山名政豊と戦争になって
一時は領地を追い出されてみたり、
すごい文化人なんだけど、猿楽師を家臣にしようとして、家中から総スカンを食らったり、
大名なのに、名工・長船宗光に弟子入りして、後世に残るほどの名刀を打ってみたり、
まあ、いろんな意味で個性的な人ですわなw
968 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 00:33:13 ID:c8wz6GLZ
細川政元といい赤松政則といい変なのが多いな。
969 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 00:35:47 ID:tP31AB+K
変人が多かったから室町幕府の混迷が更にgdgdを加速させ
戦国時代が初期消火できずに収拾付かなくなったとも言える
970 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 00:50:05 ID:bJtcmOm+
>>961 毛利隆元がますます好きになったじゃないかw
元就が悲しんだ理由はもしかして、隆元だけが(しかたなく)愚痴に付き合ってくれてたからかw
971 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 01:21:41 ID:d+8he7Hv
>>962 確か嫁入りした時30超えてたんだよね
>>967 自分の作戦に固執するあまり重臣から総スカン食らったり・・・
決して無為の人ではないのだけれど、なんとも評価しづらいw
972 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 01:22:21 ID:B4xeEe+I
南の方の武蔵の話。
揉めに揉めた豊臣と島津の間でようやく和議が締結された。
秀吉がこの帰路の行程で曽木の滝を見物することになったのだが
これを案内したのが新納忠元。
(曽木の滝周辺の地頭だったから案内したらしい)
新納さんは豊臣との徹底抗戦を主張した武闘派。
これはなんて素晴らしい機会!ってことで、秀吉を滝壺に突き落として殺す気満々。
しかし秀吉も、忠元の殺気を感じ取ったのか、忠元の服の袖をしっかり掴み
身体をすり寄せて一時も離そうとしなかった。
何が悪い話と言われると困るけど、
オヤジ2人が滝を見ながらぴったりくっついている光景は
悪いわけじゃないがちょっと微妙かと思って悪い話の方へ投げてみた。
973 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 01:24:09 ID:QMslh/8n
やっぱ所詮は鬼武蔵か…
974 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 02:02:47 ID:a9atj0bX
デ新納武蔵さんは歳久と同じで秀吉が嫌いなだけなんだよ
>>972の後で秀吉から直臣になるよう誘われて
「オマエなんか義久様からGOサイン出ればいつでも殺ってやんよ」(意訳)
薩摩で太閤検地が始まって
新納「先祖代々の土地をサルの手下に荒らされるとか、耐えられないんでテロっていいっスよね」
義久「ちょwオレ、娘を人質に出してんだけどww」
新納「そこはホラ、病気かなんかで死んだと思って…」
歳久に切腹が命じられて
「反乱起こしましょーよ、反乱。弟見殺しにしてサルに尻尾振ってお家安泰とか、何が楽しいんスか?」
975 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 02:08:14 ID:xCBPO6rz
新納はもっと、なんか、こう、ホラ、
無口で、誰よりも自分に厳しくて、
なんつーか典型的な武人ってイメージを勝手に抱いていたんだが…
976 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 02:11:46 ID:wRpAfSoS
今日 鬼武蔵 って名前の杏酒を呑んだ
とても甘美であった
977 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 02:16:57 ID:B4xeEe+I
>>975 ある意味、典型的な武人の反応ではなかろうか
苛烈っていう意味で
978 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 02:25:36 ID:39SYP/uT
>>976 主君の名が入った酒を飲むなど無礼千万
と鬼武蔵様がそちらに向かっています
979 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 03:03:29 ID:d+8he7Hv
親指武蔵はリスペクトも全力だから格好良い
まとめにある土佐の忠兵衛さんとの話とか
980 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 04:03:29 ID:kdykZAeO
一応新納は教養高かったからな
981 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 05:49:48 ID:hblRdKGn
新スレ立ててみる
982 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 05:55:28 ID:hblRdKGn
だめだったorz 誰か後頼む。
983 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 06:25:02 ID:M9GdJxbz
984 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 09:48:10 ID:bJtcmOm+
>>972 宇佐美「男同士密着して舟遊びを楽しみましたが何か?」
985 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 09:59:30 ID:a9atj0bX
あんたは成功してる分もっとタチ悪いわww
986 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 12:29:30 ID:8KylIUdn
>>946 あえて好意的な目でみなけりゃ基本は嫌な爺だからな
987 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 14:42:20 ID:3/OdwEw7
>>946とかは人によって印象まるで変る話だからねぇ。
本多正信あたり主人公に差替えて見たら
なんだこの嫌味なインテリはと叩かれまくる逸話になるだろ
988 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 14:54:36 ID:hblRdKGn
なるほどこれはヤバイと思ったので転載
303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/18(火) 22:17:59 ID:pK8dkZf4
ヤバイ。湖北ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
湖北ヤバイ。
まず仏像。もう多いなんてもんじゃない。超多い。
あと伊吹山。標高1377.3m滋賀県最高峰。積雪11.82mは世界記録。ヤバイ。積もりすぎ。かまくら作る暇もなく死ぬ。怖い。
それに超何も無い。超ガラガラ。それに超のんびり。白猪とか平気で出てくる。白猪て。ヤマトタケルでも勝てねぇよ、最近。
なんつっても湖北は雪が凄い。50cmとか平気だし。
うちらなんて雪とかたかだか5cm積もっただけで上手く歩けないから転倒したり、電車遅らせてみたり、ホカロン使ったりするのに、
湖北は全然平気。雪で屋根が潰れるとか茶飯事。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、湖北のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ湖北でのし上がった浅井とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。
989 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 18:46:15 ID:tP31AB+K
悪い話じゃなくて
過酷な環境でがんがった浅井エライ!という
いい話向けのような気がしますな
>>988
990 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 18:57:29 ID:hblRdKGn
(環境が)悪い話ということで、どうかひとつ。
991 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 19:34:20 ID:FtD6sOXs
伊吹のふもとで特別に栽培した大豆とやらで作った豆腐が、べらぼうに美味かったよ
味が濃くて、大豆の香がするんだよ
992 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 19:52:20 ID:FtD6sOXs
登場人物も時代も詳細不明だけど、埋めついでだから生ぬるい話でも良いだろう。
登場人物は姫様と呼ばれる女と、それとは別勢力と思われる殿様。
その二人が山口あるいはその極近辺に居たようなので、江戸時代よりは前のことだと思われる。
「山口の姫山にまつわる話」
後に姫山と呼ばれることになる山口盆地の小高い山に、美しい姫様が住んでいた。
その美しさを聞いたそのあたりを領有する殿様が、姫様に求婚した。
しかし姫様には許婚者がおり、別れたくは無いので、殿様の要求を断った。
しかし殿様のはあきらめない。
執拗かつ強圧的な要求の結果、姫様は
「美人に生まれたゆえに不幸になった。この山から見える範囲には美人が生まれないように。」
と祈って死んだ。
怒った殿様が姫様を山の井戸に落として殺したとも、
姫様が自発的に井戸に身を投げたとも言う。
平成の世になり、姫山の近くのY大学に通っていた学生はこの話を知ったとき
「この大学に美人が居ないのはこの呪いのせいだろうか」と隣に居た友人と語り合ったという。
993 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 21:20:53 ID:KbUWb2IL
富士山の見える地方に美人は生まれないって話なら聞いたことあるな。
富士山は女神なんで嫉妬するらしい。
994 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 21:25:10 ID:WjKPwv4S
仙台は佐竹が秋田に美人を連れ去ったから少ない、という伝説があったな。
995 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 21:39:22 ID:BrTuZofF
>>916 最近関東戦国史に興味持ったんで色々読んでるんだが
そんな俺でも酷いデタラメだな〜と思った
でもこういう意見もあって少し納得
>>>>>>>>>>
650 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2008/12/03(水) 19:30:39 ID:9w6NaZEY
>>649 この逸話の前後に書かれてる話が大嘘だらけだし
所謂、後世の創作物なんだけどね
ただ、読む方が勝手に修正してみると案外まったくの嘘とも言い切れない
この逸話内では謙信と新田(由良)とが面識無いような台詞が見受けられる、が
そこらへんは作り話だろうから割り切って無視
新田(由良)が謙信を離れた後の話だと仮定した場合
越後の軍勢が由良長尾の畑を踏み潰していくのは当然だし
敵対しておきながら「狼藉は止めていただきたい」と要求してくるのは笑い話
謙信が怒るより笑い出してしまった反応も頷ける
新田から足利の連中を皆殺しにしろ!という勢いで
かつて謙信が由良に与えた領地・・・那波や女渕それに山上あたりを召し上げた天正年間
その前後に起こった出来事かもね
実際厩橋に由良方の首が数千送られたりしてるので
>>>>>>>>>
本来実像と虚像は分けて考えるべきだけど物語の全てが嘘ではないのかもね
996 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 22:04:30 ID:bJtcmOm+
>>992 後にその学生は学内で不審な死をとげることに…w
997 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 22:17:58 ID:iV8yY7ah
ガクブル
恐ろしくてもう母校には戻れない
998 :
政宗:2008/12/03(水) 22:56:37 ID:hMPcejoh
2get!!!
∧∧ ) ≡≡("
⊂(゚Д゚⊂⌒つ ≡(⌒;
(^(⌒;
ズサササササーーーーーーーーー!!!
999 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 23:02:05 ID:iV8yY7ah
999ならパーマネントの仕事が見つかる
1000なら、時間が8年半ほど戻る
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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