毛利元就って明らかに実力未知数だよね

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1人間七七四年
弱小国ばかりの西国にあって、統治能力ゼロな隙だらけの大国を切り取った
からって何か評価の対象にでもなるのかなあ?
戦国末期の有力大名は全て東国(武田 上杉 北条 織田)にある以上これらの
大名と直接関わらなければ、評価のしようは無いのではないでしょうか?
2人間七七四年:2008/11/11(火) 10:35:33 ID:6ic9NrSE
(´゚ω゚`)
3人間七七四年:2008/11/11(火) 10:48:44 ID:A2m+ujD/
元就を破った大友宗麟は天才
4人間七七四年:2008/11/11(火) 11:44:59 ID:iyGkp1Fx
尼子に反乱されまくりで統治能力ゼロの糞爺がどうかしたって?
5人間七七四年:2008/11/11(火) 11:56:08 ID:9hp+Bqfx
だったら武田や伊達もUNKOだよNOW
6人間七七四年:2008/11/11(火) 12:14:18 ID:GkTEo/2O
>1
その弱小国相手にすら何度も戦で大敗をして
相手が寿命で死ぬか、降ったと見せかけて騙まし討ちにするかで
元就が目だった活躍なんかしてないのは有名だよ
厳島だって河野家(村上水軍は当時河野家所属)が陶軍を破ったのが本当のところだし
晩年の支配領土だって四方八方で叛旗を翻されて
実質完全支配してた領地なんて50万石くらいしかなかったんじゃないかな?
7人間七七四年:2008/11/11(火) 12:43:05 ID:nIfimvfw
だったらお前らが西国取ってみろ
8人間七七四年:2008/11/11(火) 13:03:03 ID:6ic9NrSE
謀略は実力に入らんとでも?
9人間七七四年:2008/11/11(火) 13:04:46 ID:UUJTQqkN
つまり吉川氏、高橋氏、尼子氏、武田氏、内藤氏などは
隙だらけの大国に対して指をくわえて見過ごした
未知数以下なわけだね>>1
10人間七七四年:2008/11/11(火) 17:01:30 ID:RF+JIdUm
光栄の元就の評価はすごいよな
知略 政治が全武将No.1だけどあれは妥当なの?
11人間七七四年:2008/11/11(火) 17:54:41 ID:GkTEo/2O
政治なんか評価されるようなことは一切やってない
毛利家の年貢の高さは、もはやお家芸の域で長年、民を苦しめて来たし
海賊衆に利権をやるから仲間についてくれという懐柔策をするくらいだから
信長のような新しい為政者とは真っ向から逆を行く旧来の政治家
頼みの石見銀山があったから何とか国としての形を留めただけで、要は資源頼みの政治
しかも、その銀山争奪にかけて本城氏如きの弱小豪族に何度も大敗して
最後は銀山の利権をあげるから味方についてくれと頭を下げる始末。
その後、味方についた本城氏を、ものの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁だけど、実際は「ただ約束を破った」だけ
12人間七七四年:2008/11/11(火) 18:40:41 ID:nIfimvfw
>>10
政治NO,1?
妄想でもしてんのか?


>>11
君、おもしろいな

「味方についた本城氏を、ものの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁だけど」

本城の件で謀略家としての評価を受けてるなんて
ボクは知らなかったなぁ〜
13人間七七四年:2008/11/11(火) 18:55:03 ID:yB9EYe5n
またメガ豚か
14人間七七四年:2008/11/11(火) 19:24:04 ID:yw+ncqz5
一代で自力で領地を何十倍にしただけで凄いと思うが。
信玄なんて甲斐1国ほぼ相続しながら信濃と駿河、周辺国の1部を増やしたくらいだし。
15人間七七四年:2008/11/11(火) 19:33:10 ID:mNXYxylo
>>14
なぜ信玄比べるのかは分からないが、元就が信玄より上なのは同意
16人間七七四年:2008/11/11(火) 19:39:03 ID:54ZVi3A+
なんだかんだでこの板では毛利元就の評価は高い
17人間七七四年:2008/11/11(火) 19:57:55 ID:9hp+Bqfx
そもそも相手が最悪の詐欺師って回りも知ってるのに相手が騙されるのが凄いんじゃない?

その状況を作れる事とかさ
18人間七七四年:2008/11/11(火) 21:22:41 ID:dnKEf4bN
>>17
それを言うなら、武田信玄もだな。
やっぱこの両雄はすごいよ。
19人間七七四年:2008/11/11(火) 21:45:54 ID:GkTEo/2O
信玄の場合は味方に引き込んでから約束破って謀殺とかないだろ
逆に真田とかでも旧今川家臣でも重宝して活用してる。
まさに人は城、人は石垣、人は堀なんだよ

元就は、その時利用するだけで最初から約束破って殺す気満々だからな
人はプレハブ、人は仮設住宅、人はレオパレスなんだよ
20人間七七四年:2008/11/11(火) 21:49:24 ID:nIfimvfw
[45:名無しさん@お腹いっぱい。≪sage≫ (2006/09/08(金) 21:40:01 ID:C4toyUnG) AA]

だから当時の評価では毛利元就が英雄だった。

これはマジ。信長の家臣や信玄の家臣などがこぞって元就こそ真の英雄と述べている。
21人間七七四年:2008/11/11(火) 22:12:22 ID:yB9EYe5n
信玄は盟約破りで有名じゃないの
22人間七七四年:2008/11/11(火) 22:14:52 ID:LJQUfw+C
戦国の英雄は謀殺が当たりまえ。
23たられば君:2008/11/11(火) 22:23:35 ID:UUJTQqkN
スタートが守護大名と国一揆の盟主という違いがあるから
対応に差があるのは責める材料にならんよね
24人間七七四年:2008/11/12(水) 02:47:02 ID:2f8nfXel

【捏造】兵力や戦果を捏造し過ぎだろ【辺境】
http://c.2ch.net/test/-/nanminhis/1210524233/1-
25人間七七四年:2008/11/12(水) 18:59:04 ID:mqQzeJDT
元就が本当に未知数でも、織豊系の家臣大名よりははるかにマシだろ。
信長・秀吉と関係が深かっただけで100万石とか、家康の娘婿というだけで大封とか。
26人間七七四年:2008/11/12(水) 23:36:25 ID:oobKtcF5
一国人から中国の覇者になった毛利元就は
誇張、講談を差し引いたとしても余りある偉業だろ?

相手の弱点や隙をつくのは兵法の基本
「謀り事多ければ勝ち、謀り事少なければ負け」
非難に全く値しない、むしろ凄い
常に周囲にアンテナを張ってなければ出来ない芸当だ

息子達も優秀、一族の結束も素晴らしい
27人間七七四年:2008/11/12(水) 23:56:01 ID:Hv85+yHD
謀り事にも良い悪いがあって
騙まし討ちってのは当時の侍の倫理観でも一番嫌われた部類なんだよね(マジで)

毛利といえば三本の矢の話がよく出てくるけど
あれも実際のところは
「俺は、いや、オマエらも含め毛利家は、ぶっちゃけ、みんなから嫌われる・・
 伸し上がるためにマジで手段を選ばずにエグイことばっかりやって来た
 だから・・オマエら兄弟だけでも力を合わせて、なんとか毛利家を守るんだぞ」
っていうニュアンスのものが後に美談化されただけなんだよ。

言うなれば、何でもありの下克上の世界においてさえ
当時の人々の感覚で元就は恨みを買ってた「下の謀り事」をしてた大名なんだよ

それを知らないから、今の感覚だけで推し量って
昔はそれが当然だった。とか無責任に言えるだけ・・ww
当時は全然、それが批難される対象だったの。素晴しいとか知ったかぶりにもほどがあるw
28奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/13(木) 00:54:35 ID:btiliOLu
生き残った奴が勝ち。
29人間七七四年:2008/11/13(木) 00:58:19 ID:+QJg4lOf
>>24
元就の無能さは過去にさんざん議論されて結果が出てたね。
元就は家康並みに長生きしたくせにあの程度。しかも息子達が成長する人生半ばまではショボイ存在だった。
地域の長老になった事で、たまたま養子話が相次いで来るまでマジ弱弱。
対武田戦などたまたま流れ矢が当たっただけで、あんだけ話を捏造(安西軍策には軍略など皆無で元就が単に血気に流行ったようにしか書かれてない)
30人間七七四年:2008/11/13(木) 00:59:28 ID:MO598MbZ
>>27
馬鹿じゃねえの三本の矢の話なんて講談なのは誰だって知ってるだろw
お前こそ知ったかぶりはやめろよ

お前、本城の件だけで鬼の首取ったみたいに
毛利関連スレを荒らし回ってる奴だろ?


卑怯とか子供かよ
正々堂々、一騎打ちってか?ww
31人間七七四年:2008/11/13(木) 01:00:07 ID:tm4C2Hg7
どの人物にもいえるが無能で生き残れるかってんだよ…
32人間七七四年:2008/11/13(木) 01:56:58 ID:qebxv0L/
>27
きみ、朝倉宗滴知ってる?
33人間七七四年:2008/11/13(木) 02:03:09 ID:+QJg4lOf
宗滴のあれは後世の捏造作り話説もあるわけだが。
34人間七七四年:2008/11/13(木) 03:05:29 ID:JVEHh0cC
>>30
元就を擁護してる人間は
三本の矢の逸話がどーして生まれたかも知らないで自称・元就厨だからw

これだから、元就擁護の人間は
いつまで経っても具体的な批判には話を濁すしか出来ない低能って言われるんだよw
35人間七七四年:2008/11/13(木) 04:58:09 ID:MO598MbZ
>>30
とにかくお前が必死なのは良くわかったww
36人間七七四年:2008/11/13(木) 05:00:00 ID:MO598MbZ
>>31

>>34
37人間七七四年:2008/11/13(木) 05:02:45 ID:MO598MbZ
35、36間違い


>>34
38人間七七四年:2008/11/13(木) 08:48:53 ID:eKYJl3sa
またメガ豚さんか
39人間七七四年:2008/11/13(木) 17:27:07 ID:i03vSpAV
>>24
なかなか良スレ
40人間七七四年:2008/11/13(木) 18:07:04 ID:/v9yz9Bf
元就を無能呼ばわりしてる奴は、同じ状況で大内・尼子を倒せるほど有能なのか?
41人間七七四年:2008/11/13(木) 21:05:40 ID:JVEHh0cC
>>35>>36>>37
いや〜さすがは毛利厨w天晴れwww

一人自滅して

まるで関ヶ原時の輝元、広家を見ているようだwww
42奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/14(金) 00:22:41 ID:DZiUk+9i
まず正嫡ですらない次男だったことから始めよう。
43人間七七四年:2008/11/14(金) 00:40:35 ID:y+7VLYXU
煽るアホが若干居るが
毛利元就を評価する奴が大多数なのが改めて証明されたスレだな
44奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/14(金) 00:44:05 ID:DZiUk+9i
特定大名アンチが何を基準に貶めたいのかが意味分からんのよ。

お前の生活の何に損があるんだと。
仮にも会社を経営しているくらいの人間が言うならまだ理解できるけどさ。
45人間七七四年:2008/11/14(金) 01:14:35 ID:utKrH12v
毛利や伊達ってマンセー史料たくさん残してるよな。
上杉・武田・北条・今川・徳川・佐竹とか
いろんな史料をつき合わせて矛盾修正もできないし。
46人間七七四年:2008/11/14(金) 06:33:31 ID:S6dAWNLe
>>45
えっと…武田のどの史料と比較検証しるのか説明しれ




ぷっ
47仙台藩百姓祭:2008/11/14(金) 08:00:36 ID:s67RGBJ5
>>45
武田、北条、佐竹も十分にマンセーしてるお( ^ω^)
徳川、上杉に至っては中国史に勝るような誇大妄想でもはや気狂いの類だお┐ (;´ω`) ┌
まあ、徳川は全国の頂点に立つ立場から政治的に不可欠な要素であったの言えるけど
上杉←こいつはただの見えっ張りの馬鹿
48人間七七四年:2008/11/14(金) 09:57:56 ID:50lFUCJr
2ちゃんねるは毛利マンセー厨多いよな。

厳島の戦いとか元就は何もしてないんだけどな。
49人間七七四年:2008/11/14(金) 10:44:42 ID:DXfaBK4M
>>1
尼子と大内が弱小ってアホか
市長か町長レベルの国人が数県の知事兼ねてる二大大名を手玉に取るって言うのが凄いんだよ
50人間七七四年:2008/11/14(金) 10:51:33 ID:7zuIvhsS
「いろんな資料を突き合わせて矛盾を修正」
この言葉を理解できないアホが多いなw
つか中国地方で見比べるに足る(国人レベルのショボイ資料じゃなく)他家大名の編纂した資料って何があるの?
51人間七七四年:2008/11/14(金) 10:58:18 ID:S6dAWNLe
>>50

と、信忠にほとんど燃やされて、徳川に作り直させて頂いた武田厨がほざいてみたのかな?
52人間七七四年:2008/11/14(金) 11:11:11 ID:3DqoJALn
>>49
手玉っていうか
毛利は暗殺・毒殺マンセーだから
暴力団に近いですね。
53人間七七四年:2008/11/14(金) 11:33:35 ID:7zuIvhsS
>>49
寄親寄子制度で、いい加減な統治機構が中国地方の特徴。
支配力も確立していないので、まともな行政実績はない。
国人達は地域の長老になった元就に従っただけ。
数県の知事なんて表現は失笑ものw
つか元就が尼子を利用した挙げ句に、領地増えたらたちまち裏切って大内に付くとか悪逆過ぎ。
54人間七七四年:2008/11/14(金) 11:34:16 ID:vOcenT62
>>45
その面子の中で佐竹みたいな田舎もん出すなよ
55人間七七四年:2008/11/14(金) 11:55:17 ID:S6dAWNLe
>>53
はい、正々堂々とやって伸し上がった大名家挙げてー
どっからどこまでが許されるか説明してみてー


できなきゃ笑ってやる
56仙台藩百姓祭:2008/11/14(金) 12:30:36 ID:s67RGBJ5
大内も尼子も勝手に自滅していっただけだおね┐ (´ω`) ┌
中国地方なら宇喜多の方が上手だと思うお( ^ω^)
57人間七七四年:2008/11/14(金) 14:14:51 ID:J/1pZ0Lq
元就以外はカスしかいないじゃんwwwwwwwwwwwwwwwww

小早川は裏切り大王

吉川は臆病者で徳川に一杯食わされる
58人間七七四年:2008/11/14(金) 14:31:46 ID:S6dAWNLe
>>57
んん?
なるほどなるほど
…では、君はどこの家臣団有能だと思うの?
簡単にでいいから説明してみて
59人間七七四年:2008/11/14(金) 15:08:56 ID:8PyPb7q+
まあ、大友と同レベル。息子は優秀だがな
60人間七七四年:2008/11/14(金) 15:09:26 ID:y+7VLYXU
>>57

申し訳ないですがスレ違いなので
ご退場願えますか?ww
61人間七七四年:2008/11/14(金) 16:00:20 ID:aNfsD/Vq
毛利スレはいつから荒れるように・・・
62人間七七四年:2008/11/14(金) 17:48:43 ID:HcSV3NtO
なにが、すごいってさ
ここで元就を擁護してる自称毛利厨の質w

批判レスをする人間に言い返すにも、
全部個人攻撃か罵倒レス、全く元就の功績を具体的に引き合いに出してないってところが
いかにニワカが、ただイメージ的に好きなったから擁護してます感が丸出しw

ぶっちゃけ批判してる奴の方がよっぽど具体的に元就の実績を語ってるし
なんで、こんな何も知らないニワカが元就を擁護しなければならないのか?と

元就が叩かれるのは一言。こんな歴史知らずの自称毛利厨のせいだよ
63仙台藩百姓祭:2008/11/14(金) 18:05:03 ID:s67RGBJ5
毛利ってライバル的な存在がいないからアンチすらろくに居ないのだお┐ (´ω`) ┌
加えて毛利の爺さんは中国地方に篭って一生を終えたわけだけど
他地方からしたら中国地方なんて興味ないしどうでもいいお( ^ω^)
64人間七七四年:2008/11/14(金) 18:15:00 ID:utKrH12v
毛利家の書は元就マンセー講談話ばっかりだし。信用できない。
65人間七七四年:2008/11/14(金) 18:15:31 ID:kAmXhf0A
>>62
信長や信玄や謙信はメジャーすぎて通っぽくない。
だから戦国屈指の版図を築いた毛利が一番なんだ。その毛利が好きな俺たちは通なんだ。



っていうのが多分に感じられる。
66人間七七四年:2008/11/14(金) 18:30:32 ID:HcSV3NtO
いるよな。そーいう厨二病の奴
自分は一味違う切り口で戦国時代を見てますから的な背伸びしたいタイプの奴
なら勉強しろよ。って話だよね
元就存命時の版図なんて、そこらで叛旗翻されて実質支配なんか出来てないし
元就死後にようやく鎮圧して実質領地化してんのに
ゲームとかだと、それが元就の領土として表現されてるから
そのまま鵜呑みにしてんだろーな
67人間七七四年:2008/11/14(金) 18:34:29 ID:utKrH12v
毛利厨は三好厨と同じ精神構造だな。
68人間七七四年:2008/11/14(金) 18:35:13 ID:y+7VLYXU
とアンチ毛利は自分は一味違う切り口で戦国時代を見てますから的に酔いしれる…プッ
69人間七七四年:2008/11/14(金) 18:36:16 ID:y+7VLYXU
誰かゲームの話したか?
70人間七七四年:2008/11/14(金) 18:39:54 ID:S6dAWNLe
>>55

この答えまだー?
できなきゃまとめて笑ってやる


ぷっ
71人間七七四年:2008/11/14(金) 18:40:38 ID:ncE0zEcB
屁でもこいてんのかこいつは
72人間七七四年:2008/11/14(金) 19:09:33 ID:aNfsD/Vq
三好は関係無いよな
73人間七七四年:2008/11/14(金) 22:39:02 ID:vJRM9z5y
大体武田信玄の凄い逸話とかあんまり無いだろ
支配体制の確立は信虎のときだし、信玄はそれにのった部分が大きい。
74人間七七四年:2008/11/14(金) 22:41:07 ID:kAmXhf0A
毛利厨って武田が敵なのか。


今川義元が好きな俺には関係無い喧嘩だな。
75たられば君:2008/11/14(金) 23:10:29 ID:54VFH+ox
>>1は「未知数」の意味を勘違いしているような気がしてならない
76人間七七四年:2008/11/15(土) 00:04:48 ID:pLY2dEwi
支配体制の確立は信虎って・・・

武田家が一枚岩とかとでも思ってたのか?
どんだけ家内豪族が力持ってたことか・・
小山田とか穴山とかなんて、ほとんど独立大名のノリだぞ
真田だって謙信の管領就任祝いかなんかに挨拶よこしてんし。

それくらい武田家も家中統制が難しい状況なのに上手く纏めあげたから
信玄は名将だと言われてるのであって
元就は厄介な家老を一族ごと誅殺したり、しつこいほど誓文書かせて家臣に誓わせたり
結局のところ息子を中心にさせて家臣団をまとめさせたり
支配体制の出来が信玄と元就じゃ月とすっぽんほども成果が違う
77人間七七四年:2008/11/15(土) 00:16:45 ID:3vDEhIEz
↑これは釣りかな?
78奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/15(土) 00:28:30 ID:oeN/fC4g
ああ、100%釣りだ。
79人間七七四年:2008/11/15(土) 00:34:31 ID:3/Wd8M92
>>77 >>78
まあ元就を叩き過ぎな傾向はあるが
武田関連に関しては嘘は言ってない。
信虎時代に支配体制が確立したというのはない。
信玄自身が長い時間をかけて権力拡大を目指したもの。
80奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/15(土) 00:43:14 ID:oeN/fC4g
穴山信君が信虎の孫だという視点は忘れていないだろうな?
81人間七七四年:2008/11/15(土) 00:52:41 ID:3/Wd8M92
>>80
もちろん。
そして信君が家督を継承するまでは晴信より16歳上の信友が1558年まで
当主だった事、さらに穴山氏が信虎時代には敵であったことも。
82奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/15(土) 00:56:36 ID:oeN/fC4g
だったら高橋三代の扱い方を評価しないわけはないと思うが。
83人間七七四年:2008/11/15(土) 01:05:28 ID:3/Wd8M92
>>82
ん?俺は元就を評価しないなんていってないぞ。
>>76の武田関連の書き込みは嘘がないといってるだけで。
あと俺は>>76とは別人ね。誤解されてたかな。
84人間七七四年:2008/11/15(土) 01:07:43 ID:zKntrtts
>>76
つまり、元就は策士でそれだけ一族の結束が強固だったんだろ
下克上お家騒動当たり前なあの時代で優秀な後継者達を育てておいたのは凄いよ
長男が内政を支えてくれたからこそ戦に専念できたし
吉川や小早川に息子二人を養子に送って手っ取り早く乗っ取れた
特に織田信長と敵対せず味方になって北条包囲網に参加したりと
天下取りを目指す戦国の若手武将達とのぶつかり合いを回避しながら
着々と周囲を支配していったのは賢いと思う


「三本の矢」の家訓は凄過ぎると思う
孫の輝元の代で危うくお家取り潰しになりかけたけど
吉川の方の孫の必死の嘆願でなんとか免れたし。
従兄弟同士がよっぽど仲良かったのか
それとも「三本の矢」の家訓が効いたのか・・・
個人的見解だけど、元就はこんな将来を予見していたのでは・・・
85奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/15(土) 01:10:08 ID:oeN/fC4g
>>83
うん。日付変わったから誤解してた。

>>84
似たようなもんでしょ。
8673:2008/11/15(土) 01:12:29 ID:Bu6lpdzz
信虎が城下町に家臣集住させたり、豪族を対外戦争に動員することで統制したりして、ある程度固まった権力基盤を、
絶妙のバランス感覚で運営したのが信玄だと思ってたんだが。
87奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/15(土) 01:26:10 ID:oeN/fC4g
>信虎が城下町に家臣集住させたり

その出典はよくわからんけどさ。
戦国の早い時期に集権を図った領主は大概失敗してる。
伊達稙宗みたいな例だろうか。
88人間七七四年:2008/11/15(土) 01:26:26 ID:3/Wd8M92
>>86
よく言われる信虎の中央集権化だの固められた権力基盤だのは
信虎追放で崩れている。
実際信玄初期では重臣である豪族達の影響力は強く、
その長である板垣・甘利の影響力は特に強く、板垣の専横を表す逸話や事績もいくつもある。
信玄はこの状況の中から自身の一族や息子を有力豪族を継承させたり、
信方死後の板垣氏の粛清などに見られる豪族達から影響力の奪取、
低い身分から家臣を取り立ててそれを枢要につける事で自身の権力を増大させていった。
89人間七七四年:2008/11/15(土) 01:49:27 ID:aF8F36U8
>>84
ツッコミどころ満載なんだが、君は素人か?ネタだよね?俺は釣られないぞ!
90人間七七四年:2008/11/15(土) 02:09:16 ID:Bu6lpdzz
崩れたというよりもそれは、中央集権体制内での勢力争いではないかい?
信虎は追放されたが体制のワクそのものは生き残って、内部改革で発展する政権のパターン。
91人間七七四年:2008/11/15(土) 03:50:06 ID:bIxV1HTQ
邪魔な信虎を追放して傀儡に晴信を擁立したつもりが
対村上攻めで板垣戦死などで
晴信が家中をうまく操縦し始めたってことだろ。
92ソータロウ:2008/11/15(土) 15:38:55 ID:SdOOPzJL
お前ら仕事は?
93人間七七四年:2008/11/15(土) 15:58:23 ID:pfAll9zD
国家公務員上級職
94人間七七四年:2008/11/15(土) 16:00:08 ID:OAAHZsfZ
>>92
ニートには曜日間隔が無い件
95奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/15(土) 16:00:48 ID:oeN/fC4g
きょう土曜日だから半休。
96人間七七四年:2008/11/15(土) 16:48:45 ID:F4clkMis
お家乗っ取りは信玄もお家芸。っというかどの家も当たり前にやる。
97人間七七四年:2008/11/15(土) 19:56:55 ID:aF8F36U8
>>96
龍造寺や長宗我部ら大半の大名はやってる。
98人間七七四年:2008/11/16(日) 01:47:54 ID:caO1Rz0o
やはりスレの流れ見てると毛利擁護の厨は酷い

>>73で毛利厨が無知曝け出すと、即座に武田家の実情を指摘される

>>77>>78で糞コテが自演レスで何一つ具体性のない文句だけ垂れるが
対極的に、武田家の説明をする者は具体性に飛んだ親切な説明をする

が、再び>>84が小学生以下の知識を披露して失笑を買う始末

後は毎度のニートトークで話題の矛先を変え、不利な状況をウヤムヤにしようと画策する

結論として、ここで毛利擁護してる毛利厨は、武田厨よりも、元就の知識に乏しい。
99人間七七四年:2008/11/16(日) 02:36:14 ID:NnTtnw8/
一々ageて煽るばかりのID:caO1Rz0oよりはマシだわな
100人間七七四年:2008/11/16(日) 02:45:12 ID:caO1Rz0o
ageとか一切、無関係なことでしか反論できない毛利厨

・・これで話題を濁したいみたいです。結局いつも逃げるだけ
101人間七七四年:2008/11/16(日) 02:49:33 ID:+PiJajPy
随分と日本語が不自由だなwwww
デフォルトで上がる仕様だから、わざわざ手打ちかsage設定しなきゃsageられない以上、一々で強調するならsage。
「一々」を「煽る」に掛けるなら「ageて」と「煽る」の間に挿入すべきだから、どっちにしろ日本語が不自由。
102人間七七四年:2008/11/16(日) 02:56:01 ID:caO1Rz0o
ていうか日本語でおkも、ここまで来ると
その「日本語でおk」という言葉も理解できるのか疑問に思えてくるわなwww
>>101
103人間七七四年:2008/11/16(日) 03:34:08 ID:0M7McJOR
卑下や煽る奴も漠然的に濁してうまく批判するだけで
「誰が」「何処で」「何を」を具体的に言っていない
多分あれの事か?と思うし、単に悪意で誇張しすぎだろ、とか思うが

一々、本人に確認

意見、反論

の流れが面倒なだけなんだよ


今度からきちんと「誰が」「何処で」「何を」
をきちんと書いたら具体的に突っ込んでくれると思うよ
104人間七七四年:2008/11/16(日) 06:32:09 ID:xzTR18Si
>>98
分かった分かった
信玄最強!
信玄完璧!
神だね信玄は
そして信玄を崇拝する人は素晴らしい
な?そう言えば君は満足なんだろ?
分かったからあっち行け

↓シッシッ ヾ(`ε´ )
http://speedo.ula.cc/test/r.so/gimpo.2ch.net/sengoku/1177336438/1-?guid=ON
105奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/16(日) 08:23:16 ID:28AI/CTN
どうでもいいが、一方を貶めて一方を持ち上げるのって何か得あんの?
106人間七七四年:2008/11/16(日) 09:21:40 ID:qiMiHBh3
便所の落書き
107人間七七四年:2008/11/16(日) 10:03:10 ID:caO1Rz0o
何がすごいって>>103>>106で、しつこく文句だけは言うくせに
やっぱり元就に関しては何一つ具体的な話にならないということw

てか元就厨でも何でもないだろ?コイツら・・
ただのアンチ武田とかそんくらいだろ
108人間七七四年:2008/11/16(日) 10:09:24 ID:caO1Rz0o
>>103
イチイチ相手に確認しなきゃならないとか言ってる時点でオマエが何も知らないだけだろ

手取り足取り書いてもらわなきゃググれないので反論もできない

だから、何時どこで誰がとかまで書けとか、もう自称毛利厨アホすぎw
109人間七七四年:2008/11/16(日) 10:59:11 ID:0M7McJOR
結局具体的に書けない
反論が怖いから

だから言葉を濁すわけだなww
110人間七七四年:2008/11/16(日) 11:52:13 ID:caO1Rz0o
そーいうことだなw

今まで毛利批判?してる人は皆、一様に具体的な事柄を挙げて理由としているのに
それに対して自称毛利厨の取る行動は「煽り、荒らし、個人攻撃、話を誤魔化す」こればっかり。
それどころか、「もっと事細かく誰にでも分り易いように具体的に説明してくれ」とまで言い出す始末・・

真性のアホと見たw
111人間七七四年:2008/11/16(日) 12:27:00 ID:0M7McJOR
だから具体的な事てなんだ?
前レスで良いからコピペしてあげてみ
112人間七七四年:2008/11/16(日) 12:31:43 ID:0M7McJOR
>>110

わりいわりい
それ(109)はアンチに言ってるんだけど勘違いさせたか?
アンチが漠然で具体的に言わないから反論に毛利ファンは困る
って事だ
113人間七七四年:2008/11/16(日) 14:51:05 ID:caO1Rz0o
>>112

わりいわりい
そんな猿の思いつく、毎度の『論点回避』には慣れてるから
俺も自称毛利厨のレベルに合わせてレスを利用させてもらっただけだが
オマエの意図が逆用されて迷惑したか?

でもね・・毎度毎度、オマエら(自称毛利厨)のやってることって、いつも一緒なんだよねw
だから、本当に反論したいなら自ら具体的な例題を引き合いに出して主張してみな。
それが、出来ずに、ずっと、相手の主張にばかり反論するスタンスを取ってるって
ただ、知識のない人が『突っ込まれるのにビビッて逃げてる』としか映らないよ。
ま、それが真実なのだから仕方ないけど・・w
114人間七七四年:2008/11/16(日) 15:15:20 ID:0M7McJOR
わりいわりい
日本語わからいみたいね?
115小笠原長時:2008/11/16(日) 15:34:41 ID:5b0iuX9i
煽るな煽るな
116人間七七四年:2008/11/16(日) 16:15:23 ID:caO1Rz0o
>>114
わりいわりい
ずっと張り付いてた訳ね?
で、その内容しか延々と言い返せないとなると
結局、バカが「何となく毛利好きで・・」
これが反論の動機ね。理解した

117人間七七四年:2008/11/16(日) 16:20:50 ID:0M7McJOR
>>116

自分の事を客観的に見られるって素晴らしいですね
元総理と同格です
118人間七七四年:2008/11/16(日) 16:24:12 ID:caO1Rz0o
で?

元就の功績に対する自称毛利厨の具体的な弁明が何一つ出されないのは何故なのか?
未だに、論点誤魔化して逃げる状況は変わらないんだが
いつになったら自分らから、その具体的な発表をしてくれるのかな?

もしくは、今、必死に図書館で調べてるのwwww?
119人間七七四年:2008/11/16(日) 17:57:51 ID:0M7McJOR
論点ごまかしてるのはそっちでしょ
評価は最初のほうに書いてあるじゃん
なんだかんだ言っても一国人から中国の覇者になっただけでも凄いってさ
それ以上の評価が何処にある?

アンチは卑怯だの漠然としてるだけじゃんか
そこらへんで反乱とか何処が具体的なの?

アンタはアホですか?
120人間七七四年:2008/11/16(日) 20:52:30 ID:3GslUpDd
そこらへんで反乱というのは確かに漠然としているし具体性に欠けると思いますが…
ID:caO1Rz0oはそういうのも自分で調べて反論してほしいのだと思いますよ。
というか毛利が好きな方ならばある程度知識があるでしょうから、調べるまでもなく見当がつくのではないですか?
もっと冷静になられたほうが良いと思います。間違っていたら申し訳ない。
121人間七七四年:2008/11/16(日) 21:07:18 ID:caO1Rz0o
>>120
ありがとう。日本語の通じる人がいてくれて安心したよ。
でも、もういいんだ。だって見てみなよ

>評価は最初のほうに書いてあるじゃん

上ってどこ?誰のレス?どれ? ってことだし

>なんだかんだ言っても一国人から中国の覇者になっただけでも凄いってさ

だから、その「なんだかんだ」じゃ分らないから具体的に言えと再三言ってるのにずっと、この調子

>それ以上の評価が何処にある?

なんだかんだが最高の評価らしい

とにもかくにも、ここには毛利擁護と呼べる人間なんて一人もいない。全員、自称毛利厨だけだよ
122人間七七四年:2008/11/16(日) 21:46:29 ID:U4xN9GcL
なんでこんなに荒れてんだ?
123人間七七四年:2008/11/16(日) 21:54:40 ID:I0L56JpL
どっか一つの大名がすげえって考えてる初心者が居るからじゃない
124人間七七四年:2008/11/16(日) 22:00:21 ID:rBBHCIiv
元就って手紙一枚で国を滅ぼしちゃった三国志のようなファンタジーなことやってのけた大名
125人間七七四年:2008/11/16(日) 22:00:26 ID:U4xN9GcL
元就の凄さってさ孫の輝元に天下とれないと断言してるとこだと思うけどな
126人間七七四年:2008/11/16(日) 22:03:31 ID:I0L56JpL
>>124
っていうふうに子孫が作り上げちゃった大名
127人間七七四年:2008/11/16(日) 22:10:16 ID:2Pg2jvoO
>>122
過去のスレを見ればわかると思うよ
128人間七七四年:2008/11/16(日) 22:19:54 ID:0M7McJOR
>>120
たしかにおっしゃる通りです
周防・山代一揆とか石見の福屋などありますが
ただ元就の死期には尼子の残党と対峙中だからその事かな?と思いますが
「これ」が「こう」で「こうだから」
と言ってくれれば
「確かに」とか「へぇーそうなんだ」と賛同出来たり
「いやそれはね」とスムーズ話がいくのですが
それだけ漠然と言われると「もしや煽るだけで適当に感覚でいったのかな?」
「ただ陥れたいだけじゃないのか?」とか先入観を持ってしまうんですよ
それで感情、中傷論になるんですよ
否定は結構だが漠然としてる事に問題なんですよ

>>121
誰が1番だと言ってるんだ
ここは毛利元就に関して評価出来るかどうかのスレだ
誰とも比べてないし、ただ元就は評価出来ると言ってるだけだ
話を誇張してしゃべるアンチの典型的タイプだな
129人間七七四年:2008/11/16(日) 22:23:07 ID:U4xN9GcL
流れからいつもどうりなんだけど信玄と比較するのはおかしいだろ
元就も信玄も名将だけど妙に人間らしさが好きなんだがな
130人間七七四年:2008/11/16(日) 22:40:58 ID:0M7McJOR
なんかもう疲れた
どうしても具体例だせ、てなら書くの面倒臭いから下の他スレで書いたやつ載せる
それで許してくれ

評価というより幕末の元就の影響だけど一例だと思って…
あとは好きにしてくれ
俺はおりる


家康が東照宮大権現なら元就は仰徳大明神と崇められてた
長州では神君である。
三子への教訓状や他の言行録は、元就の遺訓として
毛利氏主従の規範となった。
毛利家中興の英主、重就は遺訓をまとまて「御教戒」として君主のありかたを照らす鑑とした。
以後、これは代々藩主に受け継がれ座右の書となった。

やがて幕末、藩士、中村清旭は元就の遺訓を集大成して「大訓衍義」を著した。
高杉晋作の激文にも元就の名が出ており、長州藩士に多大な影響を与えている。
元就は勤皇あつく金がなくて即位式が出来ない正親町天皇に援助し即位させる
これにより毛利家だけは他の大名家と違い毎年の年始、年末はもちろん朝廷の吉凶事にさいしても朝廷への進献を許されていた。
この伝統と徳川へのうらみゆえに幕末の長州は勤皇に走った。
単なる結果論だし打算で援助したかも知れないが皮肉にもすでに元就の代に下地はできていた。


時代は違うが少なからず元就と幕末は無関係ではない。
むしろ絶対的な影響を与えている
最初に奇兵隊が攻勢に出て奪還目標は元就の墓所であり奪還に成功している
131人間七七四年:2008/11/16(日) 22:44:19 ID:O52qHiz3
答え
無能元就「そうせい」
息子たちががんばった。
132人間七七四年:2008/11/17(月) 01:08:42 ID:Cg3txyw5
わりいわりい
133人間七七四年:2008/11/17(月) 21:40:54 ID:PKv8SHBQ
8公2民と言われる伝説の圧政を敷いた事実があるからどうしても支持する気にはなれないな
政治家としても君主としての仁徳面も織田信長や北条氏康、徳川家康に後れを取り
戦術家としても上杉謙信や武田信玄、島津義弘には劣る
策略家としては一流、戦術家としても一流に近かったとけど政治家としては三流じゃないか?
134人間七七四年:2008/11/17(月) 21:45:08 ID:niQ1ISRn
元就の策略も戦略も講談話だけどな。
135人間七七四年:2008/11/17(月) 22:04:26 ID:PKv8SHBQ
豊富秀吉と比較すると策略面、戦略面は勝り政治面や仁徳面は秀吉と互角、謙信と比較すると毛が生えた程度だろな
有能な傑物には間違いないけど欠点もかなり多い
軍人としては有能だが統治者としては微妙
136人間七七四年:2008/11/18(火) 02:12:42 ID:XWzptz6p
欠点もふくめて好きなのさ
人間臭さがあって
しかも毛利は地味、でもそこがいい

三国志でも呉が好き
なんか地味さが毛利と似てるから
137人間七七四年:2008/11/18(火) 07:54:04 ID:VSoIQJpH
政治家や人物としては嫌いな部類だけど合戦の指揮官としては戦国屈指だろね。
自身が出陣した二百戦以上の大小含めた戦歴は不敗らしいし。
信長や家康は当然として、
武田信玄や上杉謙信、島津義弘、真田幸村でも確実に勝てる見込みはないと思う。
秀吉や政宗の場合だと全てに於いて元就以下で長宗我部は論外だね。

ただ戦国当時は元就こそが英雄、これが通説みたいな意見は大袈裟だと思うのだが。
138人間七七四年:2008/11/18(火) 09:34:58 ID:Pm0haDE1
絶倫なんだから英雄だろ男として
139人間七七四年:2008/11/18(火) 10:17:57 ID:XWzptz6p
やっぱり最大の評価は子沢山
しかも全員優秀な息子達

競馬でなら種付料は破格だと思われる
140人間七七四年:2008/11/18(火) 12:23:46 ID:oLeNm0Nl
競馬でいうなら元々地方競馬所属で5歳年末くらいまで泣かず飛ばず
どうみても馬肉です本当にあり(ry だったのが、6歳明けから条件戦を連戦連勝
思い出出走した地方G2に勝ち更に地方G1も連勝
明けて7歳
招待された中央重賞に勝ち、挙句の果てにはG1も獲る
ラストレースは有馬記念
5歳時に種付けしていた(競馬ではありあえないけど)直系仔馬数頭はデビューから
負けなしで早々に中央転厩
141人間七七四年:2008/11/20(木) 22:22:12 ID:2LNuLlcX
142人間七七四年:2008/11/20(木) 22:31:58 ID:K5cHXVE6
メイショウモトナリって馬いたよな。
143人間七七四年:2008/11/21(金) 00:10:24 ID:cI5HDKW0
地方所属なんだけど血統は零細(大江氏)ではあるが平安鎌倉以来の
きちんとしたサラブレッド
144人間七七四年:2008/11/21(金) 00:53:33 ID:BxQp6m0Q
>>142
メイショウドウサンてのもいたな。

>>143
どうでもいいんだが、平安鎌倉以来のきちんとしたサラブレッドてのに違和感を感じた。
いや、言いたいことはわかるんだが。
145人間七七四年:2008/11/21(金) 04:16:55 ID:hh6BRYCv
輝元も凄かったと言ってやりたい。
先ず毛利の動員力の凄さは他の追随を許さない。
毛利一族を考えた場合、1560代から1600まで毎年のように万単位の動員を
掛けている。これを他の大名家と比較した場合、匹敵する大名家は日本史
上皆無である。最大動員数は関ヶ原で一族や配下の大名家を合わせれば、
徳川家の動員数と匹敵する8万近い動員となる。
又、海上を利用し動員より僅か一昼夜で3万の軍勢を広島から大阪へ送っ
たのは見事といえる。(家康はほぼ同距離の名古屋まで10日を要した)
以上の事から解る事は、軍勢を支える財政、運用をするシステムが戦国
時代の最高位であったことを意味する。
146人間七七四年:2008/11/21(金) 06:12:43 ID:c6fB7yeB
>>140

五歳まで〜は違うと思うよ。

出るレースは勝ち続ける、しかし、次のレースが定まらず、ハンデを背負いながら、自己条件を勝ち、そして放牧調教の繰り返し。
147人間七七四年:2008/11/21(金) 06:13:57 ID:YyfByF2+
マキャベリを思い出すな。輝元の場合。

一匹の狼に率いられた100匹の羊の群れと
一匹の羊(輝元)に率いられた100匹の狼の群れとの
戦いについて。
148人間七七四年:2008/11/21(金) 06:55:21 ID:yqFLSyDl
北条氏は単独で5万の軍勢を動員してますが何か?
一番評価すべき点はそれだけの動員力を持ちながらむやみやたらに戦争しなかった事
七つの傷を持ち陣頭で力戦してるのは頂けないが不敗の名将と言われる猛将はただの猪武者ではないという事だ
早雲を凌ぐと言われる所以だが氏政は父親の何を見て何を学んだのか…
149人間七七四年:2008/11/21(金) 07:36:03 ID:hU09Sjhk
>>148
多分145が言いたいのは他は単発動員は出来ても毛利のように連年、継続は難しい、て事じゃないかな?
月山も二、三年包囲してるし
150仙台藩百姓:2008/11/21(金) 11:24:07 ID:3xQ9bSB1
織田なんて多方面に動員し続けてるお( ^ω^)
輝元などはその一方面担当の秀吉に駆逐されつつあったわけだしね( ^ω^)
151人間七七四年:2008/11/21(金) 12:19:52 ID:hU09Sjhk
織田だしてどうすんのww
織田は別格だろ
152人間七七四年:2008/11/21(金) 12:41:54 ID:cziAin4n
>>148
北条は合議制が出来上がっていたからねぇ、書状がないと兵は出せないし。
つか、親父から学ぶものって何かあったのか?
爺ちゃんならわかるが。

>>149>>150
毛利は豪族の寄り合い集団だから、継続的な軍事行動は難しいよね。
信長の凄いところは、多数の職業軍人を持ったってとこじゃないかな。
153人間七七四年:2008/11/21(金) 21:01:37 ID:lK6dir/K
そもそも事前の会議による合議もなしに、豊臣が拒否った代わりに西軍総大将に祭り上げられ有頂天になり軽はずみに大阪城に入城した輝元は、その後の家臣の単独内通を呼ぶ原因であり批判される対象なのにマンセーするとはw
大阪の気が変わらない内に急いで大阪城に入城しただけだし、動員だって大阪城の金や米に依存してた宿り木や寄生虫だった。
大阪城の養分を吸い取り尽くしてから明け渡し。
154人間七七四年:2008/11/21(金) 22:18:32 ID:hU09Sjhk
ここまでくるとキモいな
155奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/11/21(金) 22:48:22 ID:yMnBRBUO
とりあえず、スレタイは元就を対象にしているのであって輝元を取り上げてはいないな。
156人間七七四年:2008/11/22(土) 03:56:16 ID:WCGrln2N
>>153
なんか勘違いしてるんだけど、関ヶ原では豊家は金を出してません。
しかも、豊臣政権時代は毛利家が豊家の財政負担をしたことはあっても逆は無いだろ。
157人間七七四年:2008/11/22(土) 07:27:26 ID:UwtOtCjN
>>156
ウソつくな
158人間七七四年:2008/11/22(土) 11:28:19 ID:KxFLrGfr
実力うんぬんはともかく
よくもまあ西に東に毎年のように万単位で動員し続けて金がもったもんだと思う
よほど石見銀、鉄、美保関経由日本海交易、赤間ヶ関・厳島・鞆経由関瀬戸内海
海運の利が凄かったんだろうな

1560〜
筑前豊前での10年単位で万単位動員しての大友との争い
尼子月山富田城における年単位で万単位動員しての包囲
大内再興阻止
三村宇喜多騒動
本願寺への支援及び大坂湾での水軍戦
播磨三木氏の返り忠へ援助で羽柴軍の背後に逆上陸
鳥取城飢殺し後の山陰での巻き返し
上月城における尼子再興の粉砕と美作再侵攻
宇喜多寝返り後の備中でのにらみ合い
82〜
四国征伐への動員
九州征伐への動員
本拠地の移転普請(吉田郡山から広島へ
朝鮮出兵への動員
関ヶ原前後での動員
159人間七七四年:2008/11/22(土) 12:08:35 ID:X26RH9nC
8公2民
160人間七七四年:2008/11/22(土) 12:38:33 ID:Uzgu5gqY
毛利元就総合スレでも用が足りるのでは?
と思う今日このごろ…
161人間七七四年:2008/11/22(土) 17:30:34 ID:WCGrln2N
だいたい最近の地勢や江戸史観で西低東高のきらいがあるが、実際の歴史は
西高東低なんだよ。
織田家が主に動員した兵の分布図を見れば一目瞭然。特に地力が整った1570
年代以降からほぼ西に攻勢をかけてる。もうね9:1くらいの割合。
これをお前、東がめっちゃ頑張ったような扱いでやるから可笑しい。
動員回数や兵力の所在分布図規模を見れば毛利>武田+上杉が正直なとこだね。
162人間七七四年:2008/11/22(土) 20:30:53 ID:UwtOtCjN
関東甲信越は多くの他家資料を見比べて精度あげられるけど
毛利や伊達なんて比較対象がロクになくてマンセー講談レベルだけどな。
大内尼子蘆名は良質が資料ないし、おまけに大友佐竹資料とも大きく食い違ってるし。
伊達毛利は捏造資料だけ
163人間七七四年:2008/11/22(土) 21:04:01 ID:dtjxpbuu
所詮、八公二民で贅沢三昧子作り三昧のエロジジイだからなw
コイツの美談なんかあるんですか?
三本の矢は講談の創作だし何一つないよ。
164人間七七四年:2008/11/22(土) 21:05:21 ID:Uzgu5gqY
やっぱり勝ち組と負け組の違いじゃないか?
歴史は勝者によって作られる
毛利なんて他の家に比べると書状など残ってる資料は群を抜いて多いと言われてるし
敵対した勢力などは全部消えてる(大友、大内、尼子、宇喜多…)
他との照らし合わせが難しいのは当たり前
批判するなら「捏造だ」とか、推測で反論するしかないわな
しかし誇張や捏造があったとしても毛利が悪い訳ではない
中国地方では一人勝ちなんだから仕方ない
165人間七七四年:2008/11/22(土) 21:19:00 ID:Uzgu5gqY
美談て…ww
いい話のスレでも見れば?

逆に武田、上杉、北条の方が少なくないか?
知ってたら援護してやれよ
俺は元就の話、三つ書いたよ
166人間七七四年:2008/11/23(日) 05:40:43 ID:L/UXu6xZ
1573年
長府毛利家文書
輝元が穂田元清に当てた手紙。

信長には強気な態度をとることが寛容である。
次は宇喜多直家に注意せよ。信長が敵となれば直家を先鋒として戦わせれば問題ないだろう。
兎に角毛利が織田を気にかけていることは絶対に直家には知られないように。

っとか割と輝元の方向性のない手紙が一杯あるぜ
167人間七七四年:2008/11/23(日) 07:28:42 ID:PlOi59Wv
毛利が信長にビビってるのを宇喜多直家に見事に見透かされて裏切られた毛利w
信長の先鋒が宇喜多www
168人間七七四年:2008/11/23(日) 07:38:59 ID:qZLozopU
まぁ毛利は不運と言うか唯一方面軍に敗北した地方大大名だもんな。
秀吉相手じゃ仕方ないが関東菅領の滝川は北条軍に大破され勝家も謙信に敗北したしな。
169人間七七四年:2008/11/23(日) 09:02:21 ID:PlOi59Wv
秀吉だから仕方がないってなに?
秀吉は毛利が背後を襲わないから明智や柴田や徳川に勝ったようなもんだし
四国や九州征伐なんかも毛利が先鋒やってんじゃん。
秀吉がすごいわけじゃない。
毛利が秀吉に天下をプレゼントしたアホなだけ。
家康は信長の背後を守り天下をプレゼントする寸前までいったが、のちに自分が天下をとってる。
毛利が秀吉と敵対してれば明智も柴田も徳川も北条も伊達もいろんな選択肢が生まれていた。
170人間七七四年:2008/11/23(日) 09:17:10 ID:cRi2xm6q
何という毛利史観
171人間七七四年:2008/11/23(日) 09:52:40 ID:qZLozopU
信長死亡が知れ渡る前から秀吉に白旗挙げたのは毛利だけだもんな
ファンとしては本当悲しいよ情けない
他の戦国大名は皆立派だったのにな
島津、武田、上杉、北条、伊達
長曽我部も格の低さを露見はしたが秀吉軍に破れたのは仕方ないよな
172人間七七四年:2008/11/23(日) 10:28:48 ID:sWHvzJUI
>>171
島津はたしか信長のことを手紙で「上様」って呼んでなかったか?
俺の記憶違いか…
173人間七七四年:2008/11/23(日) 10:43:46 ID:qZLozopU
いや知らなかった
政宗なら知ってるが
信長も若い頃、三好長慶の事を上様と読んでいたと何かの記事でも見た事あるな
だけど島津は秀吉に脅されて二回戦って二回勝ってるんだよな
174人間七七四年:2008/11/23(日) 14:56:29 ID:9mD4b1AV
島津は仙石に勝ったのは知ってるけど
あと一回は何?
175人間七七四年:2008/11/26(水) 15:52:59 ID:7IFWQtf4
戦術レベルと戦略レベル一緒にすんなよ。
176人間七七四年:2008/11/26(水) 15:57:32 ID:7IFWQtf4
>>1
そもそも元就が未知数ってww単純に嫌いなだけじゃねーかwww
177人間七七四年:2008/11/28(金) 10:33:03 ID:KUYvI62N
違うよ、スカウターがぶっ壊れるくらい凄すぎて
計測不能って事さ
178人間七七四年:2008/12/01(月) 14:30:01 ID:LO/M5hi1
そんな元就がスーパーサイヤ人とは思えんがなあw
179人間七七四年:2008/12/01(月) 21:37:10 ID:tZSklEuk
おっす!オラ元就
強え奴、見っとワクワクすっぞ

ぼ・う・りゃ・く波〜〜〜〜〜〜〜
180人間七七四年:2008/12/07(日) 05:48:01 ID:dxlFOFvK
いいれす
181人間七七四年:2008/12/14(日) 18:14:45 ID:wrXgiHHu
8公2民の重税に加えて今で言う闇金融すら赤子に見える過酷な取り立て
暴利を貪り尽くしていたのにも関わらす輝元の代には織田信長の一家臣に過ぎない羽柴秀吉に
終始圧倒されたのを見るとやはり元就の政治力は郡を抜いていた
武田や北条、上杉が織田家や豊臣家本隊と対等に渡り合えたのとは格が違うよな
182人間七七四年:2008/12/15(月) 20:56:38 ID:ITrEHr3X
無知ってさ
怖いよね〜
183人間七七四年:2008/12/16(火) 08:08:57 ID:1a44/aR2
>格が違う

>格が低いの間違いでは?
184人間七七四年:2008/12/18(木) 21:09:34 ID:Tdm4qoY1
政治家としては微妙なのかな元就は…
185人間七七四年:2008/12/27(土) 17:45:23 ID:MVJqmJUg
☆四奉行(元就奉行)
井上就重
児玉就元
児玉就忠
桂元忠

☆五奉行(毛利隆元)
児玉就忠
桂元忠
国司元相
栗屋元親
赤川元康

☆五奉行(毛利輝元)
○年寄
吉川元春
小早川隆景
志道通良
福原貞俊
○五奉行
赤川就秀
平佐就元
児玉就方
国司有相
粟屋元宗
(輝元の命を四人の年寄が五奉行にとどこおりなく伝達
五奉行が家中にゆきわたらせるシステム)

天文十九年(1550年)に毛利元就が打ち出した五奉行制度を整備したもの
家臣団統制が緩かったにもかかわらず毛利氏が広大な領国を支配しきっていた背景には
このような独特の政策があったのだ!



豊臣五奉行?知らんなぁ〜
やっぱ毛利五奉行でしょ
186人間七七四年:2008/12/27(土) 17:56:47 ID:AtmFL02r
つまり……
無惨に滅ぼされた武田よりは上ってことですね
わかります
187人間七七四年:2008/12/27(土) 18:51:59 ID:PSdAcq6A
美濃隣国の武田と一緒にしちゃダメでしょ。しかも敗れたのは勝頼だし。
毛利も輝元では、滅ぼされるか臣従するかしかない。

ただ、清水宗治みたいな人材が終期の武田にはいなかった。
188人間七七四年:2008/12/27(土) 18:58:30 ID:91kw06P8
>>187
仁科盛信
189人間七七四年:2008/12/27(土) 19:24:11 ID:Ap7vqW1S
吉川経家も忘れるな

毛利家臣団の団結は異常
190人間七七四年:2008/12/28(日) 02:26:34 ID:xOtOi3Rh
両川あっての家臣団だがな。
両川なけりゃ団結(笑)だけど。
191人間七七四年:2008/12/28(日) 22:40:03 ID:8s3mty7e
8公2民の元祖鬼畜王元就は改竄にも力を入れていた訳ですなw
192人間七七四年:2008/12/31(水) 20:59:21 ID:HF49tMq5
子供製造マシーン
193奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/31(水) 21:11:10 ID:zwZdAhh4
たかだか10男程度で。
194人間七七四年:2009/01/01(木) 00:54:40 ID:tck4fLi/
八公二民ってなんだよwボッタクリじゃねーか!
これだから欲の皮の突っ張ったエロ年寄りは…
子作りばかりしてねーで少しは織田信長を見習えよ!
195奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/01(木) 08:23:16 ID:e5Egnsln
いや、信長のほうが子供多いって。
196人間七七四年:2009/01/01(木) 18:51:24 ID:3EEzX9i/
元就非難に八公二民廚がいるよな

八公二民て根拠あるの?
ソースを教えて欲しい
輝元時代に重税掛けて「先代、元就公は〜」と文句言われてるのに
元就で八公二民だったら輝元はどんだけ搾取してんだよw
197人間七七四年:2009/01/02(金) 00:27:33 ID:jjN358pw
9公1民ジャマイカ
198人間七七四年:2009/01/02(金) 17:32:03 ID:A6FLuvT1
子供は作った時の年齢がアレなだけで・・・
199人間七七四年:2009/01/02(金) 20:36:00 ID:4Jv4EBkR
八公二民だったらとっくに地侍が裏切ってるわ
それこそどんな超人的な政治力だよ
200奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/01/02(金) 20:42:45 ID:kgf+LwBE
この統制力の勘違いってのはどこに起因しているんだろう。
201人間七七四年:2009/01/03(土) 11:52:54 ID:cWwUooBH
やっぱ金だろ金
交易と銀と鉄
極端な話、九州・明の物産を畿内北陸方面に流すだけの中継貿易でも利ざやが
充分稼げるのに自領で銀と鉄まで産する
202人間七七四年:2009/01/04(日) 11:02:42 ID:aewgETnV
>>199
そんな事、天下の元就公に通用すると思うか?
処刑だよ処刑
それに当時は毛利家に匹敵する勢力は近隣になかったしな
農民は生かさぬよう殺さぬよう
203人間七七四年:2009/01/04(日) 18:35:18 ID:BWA7iNrP
そんな悪政していたら簡単に大友、尼子、宇喜多に扇動されるか手を結び
面倒な事になるんじゃ?
204人間七七四年:2009/01/04(日) 19:23:37 ID:ZuNUhnL2
やっぱり某関東大名のとこで百姓やりたいわ
街まで囲んで護るとはのぉ
205人間七七四年:2009/01/04(日) 21:00:16 ID:aewgETnV
織田や北条みたいなヘタレに一緒にすんな!
他国の農民から擦り寄られて
「一生あなた様の領民でいさせて下さい」
なんて軟弱過ぎるだろ
元就公はなぁ例え拒否られても監禁するだろう
誰一人として決して手放さない
大友は知らんが宇喜多は悪政有名だろ
元就公みたいにスケールないから領民はおろか家臣にも憎まれていたが
206人間七七四年:2009/01/08(木) 22:23:35 ID:dbfLqt2z
ノブヤボ風に言うと織田、徳川、北条、長宗我部の民忠は高いはず。
207人間七七四年:2009/01/09(金) 23:19:59 ID:SQwE96W2
最上や三好もな。
宇喜多や松永、毛利、斎藤との違いは世間じゃ奸雄扱いでも
家臣や自領の百姓には情け深い殿様だったからな。
208人間七七四年:2009/01/11(日) 20:45:03 ID:S86CBOdG
おまえら百姓が何人飢えようともワシは飢えん!
おまえら百姓がどれだけ不幸になろうともワシが幸せならそれだけでいいんじゃ!
おまえら百姓はワシの幸せだけの為に死ぬまで年貢を納めればいいんじゃ!
ここは百姓の幸せの為の国では断じてない!
ワシ一人だけの国なんじゃ!
分かったら死ぬまでワシの為に働け働け!

元就
209人間七七四年:2009/01/12(月) 00:52:27 ID:oKYd41LU
>>208馬鹿じゃねえの?
210人間七七四年:2009/01/12(月) 10:56:21 ID:yRq+qpD9
昨日のあんみつ姫に出て来た悪代官見て不覚にも元就公を思い出して吹いたw
211人間七七四年:2009/01/22(木) 23:38:28 ID:fkTiMBel
小大名が乱立して、室町末期から断続的に小競り合いが続いてた地方だから
それを統治してくれる人間が出りゃ、自然と民忠は上がるんでないの?
212人間七七四年:2009/02/21(土) 14:26:28 ID:rlmaJolf
>>211
大内の支配下だったところは、統治末期までは平穏だった。
安芸以東は確かに不安定で小競り合いが続いていたけど、毛利支配下
になっても、意外と戦乱は収まってなかったり。

でも、八公二民って誰が言い出したんだ?
そんな一次資料は見たことがないんだが・・・
213人間七七四年:2009/02/25(水) 21:37:53 ID:oX1cH+/0
北条が5公5民なら織田や毛利はどのくらいなんだろな。
214人間七七四年:2009/04/12(日) 00:44:00 ID:o2x/O7b1
良スレ保守
215人間七七四年:2009/06/09(火) 20:13:50 ID:HMsR+BCM
>>134>>135

みんな↑見てやって(笑)さりげなく北条厨や上杉厨が無理やり
氏康謙信>>>>>>元就にしたがってる姿が滑稽wおよびじゃないよ。

元就と比較するにあたる人物は、信長か信玄ぐらいでしょ。
216人間七七四年:2009/06/09(火) 20:47:03 ID:hxsgYPJv
元就は織田家が主君の斯波氏を乗っ取って
滅亡させたのと同じことをしただけ

対近畿、対九州勢相手に結果を残せば評価は上がったと思うね
身内同士の争いに勝って、巨大勢力になっただけだな

この辺、東北の争いと似てる
東北の大名は、ほぼすべて姻戚関係で固められている
いわば身内同士の争いで、あまりに苛烈な追い込みで滅亡させることは
タブーで暗黙の了解、みな空気を読んで寸止めしていた
しかし、空気の読めない独眼竜がタブーを無視して暴れて欧州筆頭になったわけw

元就もいわばKY、信長もKY
空気を読まなかった奴が他を出し抜いて成功したのが戦国時代
217人間七七四年:2009/06/09(火) 23:38:41 ID:3hCG9pVX
元就は逆賊の陶を倒したっという見方が出来なくもないから信長のとは事情が違う。
218人間七七四年:2009/06/10(水) 08:41:29 ID:L5uxkkrF
陶の謀反の相談を事前に受けている元就が逆賊を倒したとかお前馬鹿過ぎだろ。
陶と元就は同罪だ。
しかも謀反仲間として元就を篤く信用していた陶が石見遠征に行った時にいきなり狼のように陶の留守を狙って裏切り行為を行った鬼畜が元就。
陶にしてみたら元就が裏切った理由すらわからないほど理不尽。
つまり元就は己の利益の為には真義を踏みにじり、大内、陶と主を二度相次いで裏切った悪党。
義隆と隆元、陶と元春や隆景はホモ愛人な間柄だったにも関わらず。
毛利は尻穴を売って抱き合い、体を売り充分に信用を得てから裏切る基地外一族。
だから陶の怨念や祟りを極度に恐れて自己正当化しつつ弔ったりした。
219人間七七四年:2009/06/10(水) 12:27:54 ID:Ii+4OUqn
>>218
馬鹿はお前だろ
陶との関係をぐだぐだ言ってるが全く無意味
「主家殺しを打つ」と言う大義名分があるだろが

大義名分がありゃいいんだよ

それに陶からしたら裏切られた意味がわからないとか
本気で言ってるのか?
毛利が自分の力で落とした鏡山城に城代いれて毛利から取り上げたり
安芸での毛利支配力が拡大しないようにいろいろ小細工してる
陶が毛利に恨みを買う理由はいくらでもあるだろが

無知はしゃべんでくれ
220人間七七四年:2009/06/10(水) 13:04:56 ID:Zg12GVVF
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。



221人間七七四年:2009/06/10(水) 15:44:29 ID:Ii+4OUqn
結局、毛利が勝ったという事だな

お前は何がいいたいのだ?ww
222人間七七四年:2009/06/10(水) 16:52:51 ID:qR+OnSSG
>>220
その水軍がどうやって陶本軍を8時間で壊滅させれるんだ?w
223人間七七四年:2009/06/10(水) 18:26:51 ID:Ii+4OUqn
>>220
ていうか毛利の資料はデタラメと言ってるのに

>そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。

こういうとこは採用する220のご都合主義に笑えたww

それに陸戦やらなきゃ勝敗つかんだろ
水軍だけで陶を壊滅させたのか?
海戦でもしなきゃ無理だろ

220よ。無駄な事はやめとけ
お前にゃ毛利を陥れるにはまだ早過ぎる
224人間七七四年:2009/06/10(水) 18:38:18 ID:xtJSYuUe
毛利家所蔵文書は江戸期に大幅に入れ替えがなされ、毛利子孫に都合よいように作られた逸話は有名

厳島や熊見川、三本の矢の教えといった毛利の作った妄想&捏造が、敵対勢力の生存がほぼなく、他大名との接点から遠かったため、
無批判で史実とされるにいたった


225人間七七四年:2009/06/10(水) 19:08:13 ID:L0DAPiNP
恐らく、陶軍は嵐に飲み込まれて死んだんだろうな
海の上の戦だと天候が大きく影響する
226人間七七四年:2009/06/10(水) 19:13:23 ID:L0DAPiNP
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話、三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家

227人間七七四年:2009/06/12(金) 16:24:55 ID:DN9z8hNf
戦闘してはいけない停戦日に奇襲して陶を騙し討ちした戦国最強の卑怯者が元就。
228人間七七四年:2009/06/12(金) 17:51:10 ID:Db4tKQsf
は?
229人間七七四年:2009/06/12(金) 18:49:37 ID:bn+0ksvW
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。


230人間七七四年:2009/06/12(金) 19:29:49 ID:Db4tKQsf
は?
231人間七七四年:2009/06/12(金) 21:20:16 ID:3t4x+/pD
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話、三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家

232人間七七四年:2009/06/12(金) 22:00:17 ID:Db4tKQsf
へ?
233人間七七四年:2009/06/13(土) 00:57:27 ID:DNXFPMuD
周りが究極の雑魚に見えるほど元就が優秀って訳か!うはwwwwwwワロスwwww
234人間七七四年:2009/06/13(土) 01:01:53 ID:tbnKUTdo
は?
235人間七七四年:2009/06/13(土) 01:51:03 ID:oxm42l5P
>>229
だからさ、水軍味方につけても陶本軍をどうやって壊滅させるの?
236人間七七四年:2009/06/13(土) 02:22:27 ID:e2XeZNiT
水軍が敵側に付き自軍が孤立したのを知った陶配下が動揺離散したんだろ
237人間七七四年:2009/06/13(土) 02:24:19 ID:pL0agkEG
陶は嵐に飲み込まれて勝手に死んだんじゃね?
238人間七七四年:2009/06/13(土) 02:55:11 ID:tbnKUTdo
何を言ってるの?
239人間七七四年:2009/06/13(土) 03:05:04 ID:oxm42l5P
やれやれ、陶にも水軍いるのにwあほかw
240人間七七四年:2009/06/13(土) 09:13:22 ID:WrV4cJwD
>>1
武田 上杉 北条 織田は統治能力ゼロな小国を切り取っただけの話じゃないの?
241仙台藩百姓:2009/06/13(土) 11:29:42 ID:B4JzEB/A
まあ、それが出来ない人達が大半だから彼らが勢力を伸ばせたわけだお( ^ω^)
毛利も大国になってから勢いが衰えたお( ^ω^)
そもそも国の大小よりも国内がどれだけまとまっているかが国の強さであり
兵の多寡よりも軍がどれだけ統制が取れているかが軍の強さだお( ^ω^)
関ヶ原で内部分裂を起こし、大国大兵力を有しながら
2、3万石の小大名より役に立たなかった毛利がよい例だお( ^ω^)
242人間七七四年:2009/06/13(土) 11:32:38 ID:NiCjWDwz
毛利の場合は統制云々以前に単純に戦闘力が低すぎるだけだろう
何せ秀吉送り込まれて以来大きなチャンスもあったのにことごとく逃し次々侵略されまくりだったし
寝返った南条や宇喜多(直家急死後)にすら大苦戦してたしな
最初の勢いはただ単に大内や尼子の内訌があっただけでしょ
243人間七七四年:2009/06/13(土) 11:36:26 ID:bbb4QrBJ
別所や播磨国衆が離反し秀吉窮地⇒もたもたしてて結局切り取られる
寝返ったのは南条宇喜多くらいで他は自力で侵略されまくりだしな
播磨や鳥取救援部隊も見事蹴散らされる
南条宇喜多にすら撃退される
いいとこなしの雑魚ゴミ大名
統制云々言うなら他の大名だってそこまで差ないだろ
244人間七七四年:2009/06/13(土) 11:40:03 ID:iudGri/m
国力や兵力に恵まれながら中央との戦いでいいとこなしなのは弱い証拠
中国はどうみてもレベルが低い
245人間七七四年:2009/06/13(土) 11:45:03 ID:y/DfNKN+
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家

246人間七七四年:2009/06/13(土) 14:00:48 ID:tbnKUTdo
釣りに掛からない毛利ファンは偉い!
247人間七七四年:2009/06/13(土) 14:10:43 ID:qO4Cdb0B
まともに反論できねえだけだろ
248人間七七四年:2009/06/13(土) 14:12:01 ID:XjKA3iKb
陰徳太平記や毛利家所蔵文書は、偽書。
249人間七七四年:2009/06/13(土) 14:13:37 ID:XjKA3iKb
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家


陰徳太平記や毛利家所蔵文書は、偽書。


250人間七七四年:2009/06/13(土) 14:20:35 ID:sGgZgVQ3
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。
251人間七七四年:2009/06/13(土) 16:03:20 ID:8JXKrhHC
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。
252人間七七四年:2009/06/13(土) 17:27:04 ID:e2XeZNiT
戦前の戦国史研究において毛利や島津をマンセーし持ち上げて藩閥政治で美味しい思いをしようとしたやつら大杉。
島津や毛利を批判することはタブーだった。
その悪癖がいまに至る。
253人間七七四年:2009/06/14(日) 00:14:37 ID:vlw2eR8W
>>250
結局おまえは何も答えないんだなw


222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 16:52:51 ID:qR+OnSSG
>>220
その水軍がどうやって陶本軍を8時間で壊滅させれるんだ?w
254人間七七四年:2009/06/14(日) 00:30:16 ID:TAsHUlUb


236 :人間七七四年:2009/06/13(土) 02:22:27 ID:e2XeZNiT
水軍が敵側に付き自軍が孤立したのを知った陶配下が動揺離散したんだろ


237 :人間七七四年:2009/06/13(土) 02:24:19 ID:pL0agkEG
陶は嵐に飲み込まれて勝手に死んだんじゃね?


255人間七七四年:2009/06/14(日) 03:17:00 ID:vlw2eR8W
>>254
www
256人間七七四年:2009/06/14(日) 12:09:45 ID:WxlxUure
257人間七七四年:2009/06/14(日) 17:46:19 ID:3HXa3HCG
>>256
寡兵で進攻する馬鹿はいねえだろ
ちょっと考えればわかる
こいつは真性の馬鹿だな
258人間七七四年:2009/06/14(日) 22:01:50 ID:JSflqZtQ
毛利家が動くと天下が動いてきた。
宝治合戦、関が原、明治維新
興隆と衰退を繰り返しながら最終的に天下に手が届かなかった理由は
何だったのだろう
259人間七七四年:2009/06/14(日) 22:10:28 ID:lYUR6RS5
そりゃ宝治合戦も関が原も負けた側だったからだろう
260人間七七四年:2009/06/14(日) 22:19:06 ID:JSflqZtQ
歴史のIFで関が原西軍勝利は語りつくされているが
宝治合戦は三浦氏、毛利氏勝利の可能性は関が原より高かったと
思われ。三浦が勝ち北条が駆逐されていたとしたら
毛利家がどうなったかには非常に興味がある。
261人間七七四年:2009/06/14(日) 22:23:30 ID:z+vihzxI
逆にチャンスたくさんあって何ひとつできずに大減封か大敗だから情けなさ過ぎる
国力や兵力に恵まれてるのに中央との接触で醜態さらしてるから酷すぎる
262人間七七四年:2009/06/14(日) 22:26:56 ID:gFkdVOfz
輝元時代の毛利っていわばでかいだけの無害大名だから両上杉とかの旧幕府勢力とか大内とか
ああゆうのと同類だわな
いざとゆう時は役に立たないデブみたいな家
263人間七七四年:2009/06/14(日) 22:31:59 ID:JSflqZtQ
大江広元が頼朝に仕えて勃興。毛利末光が宝治合戦で敗北して越後の小豪族に
雌伏300年元就が中国に覇を唱える。中央政界に再び進出して輝元が
五大老に。しかし関が原で破れ防長2カ国に押し込められる。
再び雌伏250年。明治維新で倒幕をはたす。しかし実権が家臣に移っていた
264人間七七四年:2009/06/14(日) 22:33:28 ID:WVMRQkhf
橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い、有田中井手の戦い

捏造ばかりの毛利家
265人間七七四年:2009/06/14(日) 22:35:28 ID:WVMRQkhf
陰徳太平記は、偽書
266人間七七四年:2009/06/14(日) 22:40:43 ID:WVMRQkhf
厳島の戦いや有田中井手の戦いは、毛利側史料にしかない。。

毛利の捏造だろこれ。。。。
267人間七七四年:2009/06/14(日) 22:43:07 ID:JSflqZtQ
宝治合戦で三浦が勝った場合は毛利家は安達家と同じ立場になるが
三浦氏が支配し毛利が重臣となる鎌倉幕府がはたしてどうなっていったか
どうやっても最終的勝利はおぼつかなかった関が原と違い
天下取り最大のチャンスだったんじゃね。
ここでの勝敗が引っくり返ると歴史が全て違ってくるんだよな
268人間七七四年:2009/06/14(日) 22:49:58 ID:lYUR6RS5
>>267
どーだろね・・・。
その安達氏も結局数世代後には霜月騒動で討たれてるしなぁ。



269人間七七四年:2009/06/14(日) 22:58:22 ID:JSflqZtQ
>>268
関が原の場合はどちらかというと経済的原理で必然として江戸幕府が成立したが
宝治の場合は人間の意志、偶然によって歴史が決まった稀有な例の一つだと思う
三浦泰村の意思ひとつで勝敗はどう転ぶか全く分からなかった
その後の歴史が全く異なってくるという意味でありえないほどの重大な場面
270人間七七四年:2009/06/16(火) 19:01:31 ID:eRkUHYrH
北条幕府(キタジョウ)ができたら紛らわしい。
271白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/18(木) 23:32:45 ID:cnQpH4fx
日本近代史板の最強師団、連隊スレのコピー元はここじゃったか。
ちなみに毛利側の『陰徳記』は後世の史料じゃが、古老の聞き取りの
フィールド・ワークをふまえた史料じゃけぇ、全部が史料価値が無い云う
ようなことにならんよ。『陰徳太平記』の秀吉の言で、東国兵が粘りに
欠け、中国者が長期戦でも士気に衰えが無いことは、近代郷土兵団の
関東兵団と広島師団の違いに反映されとるし。
まあ、東国のような弱兵を精強な中国地方兵と比べても意味がないが、
地域風土の違いを比較するんなら意味があろう。
http://jacoman.kitaguni.tv/e700381.html
http://www.k2.dion.ne.jp/~aduma/list/aki.html
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/2112/sing.txt
一番上の宮本常一氏の引用にあるよう、そもそも東日本の総領を
中心とした縦社会と、西日本の分割相続、お互いが平等の権利によって
連合組織をつくる民主的な横社会とは違うんじゃ。兵力の動員は
隷属縦社会の東日本の方が容易い。毛利輝元さんが秀吉に九州征伐で
兵力の動員が遅いと叱られたんも、国人領主に動員をお願いし、
国人領主は国衆に兵動員をお願いせにゃあいけん手間があったけんのう。
二番目のブログには、「中国者の律儀」について出とるが、
毛利は尼子や大友の降人も殺さんかったよ。近代郷土兵団でも
関東の兵団は敵側の戦死遺体回収時に敵兵を撃つ行為をしたが、
広島兵団は、敵側の遺体回収時は「情義」を持って見逃した。
最後の三番目のブログは、元陸軍大尉越智春海氏の『マレー戦記』の文で
あるが、文中の真ん中あたりの「昭南の逆転」に、重慶政府のスパイでも、
憲兵隊から匿うんも「情義」であり「中国者の律儀」じゃ。
敵のスパイ摘発であろうと、助けた者は救わにゃあ、広島人の「情義」が
成り立たんのじゃ。日本軍の軍命令たぁ、郷土の伝統とする「情義」の
方が大切じゃし、「情義」こそが、武人たる資格じゃないか。
272人間七七四年:2009/06/18(木) 23:48:21 ID:IgMSSAGD
つまり圧倒的兵力や国力に恵まれ強兵も持ってたのに雑魚秀吉にボロクソにやられた毛利最弱でFAってわけだ
273人間七七四年:2009/06/19(金) 00:28:20 ID:4pAUXMq5
厳島の戦いや有田中井手の戦いは、毛利側史料にしかない。。

毛利の捏造だろこれ。。。。
274人間七七四年:2009/06/19(金) 00:32:56 ID:4pAUXMq5
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された
275人間七七四年:2009/06/19(金) 00:34:04 ID:4pAUXMq5
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家

276人間七七四年:2009/06/19(金) 00:36:13 ID:lzPWj7gS
毛利の捏造ぶりにもみじ饅頭噴いたw
277人間七七四年:2009/06/19(金) 00:39:35 ID:zILJSi2U
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。



278人間七七四年:2009/06/19(金) 10:46:00 ID:vejjX5z2
結局毛利の前に武田は敗れた、といいたいのですね
わかりますよ
279人間七七四年:2009/06/19(金) 16:21:03 ID:uz3bP6Ma
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50〜60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50〜60倍以上なら被害差も50〜60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50〜60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利
280人間七七四年:2009/06/19(金) 16:22:20 ID:2a3idNgx
毛利は滅びろよ
281人間七七四年:2009/06/19(金) 19:10:22 ID:1yjp0CFC
毛利が雑魚評価なのは戦国全体を相対的に見渡せばわかる
282人間七七四年:2009/06/19(金) 23:20:24 ID:vejjX5z2
お前ら、いくら同族とはいえ武田違いだ
巣に戻って織田と争っておけ

ちなみに三方が原は勝って当たり前、負けたら恥
その程度の戦です
信玄には弱いものいじめ以外、特にこれといって戦績ないからな
三方が原と仁科で得意げになる武田厨のなんとあわれww
しかも弱い弱いとほざいてる織田に滅ぼされたら世話ないわww

ほんと武田ダセーな
283人間七七四年:2009/06/19(金) 23:24:15 ID:/Knds4OV
織田が武田に勝ったなんて事実ねえよw
圧倒的大軍で上村合戦東美濃攻防戦岩村攻囲戦高遠攻防戦と大敗をしまくり
長篠では勝頼の自爆があったのに1000程度しか討ち取れず織田軍は60000のうち30000討ち取られる大敗w
結局勝頼が発狂して家臣に殺されたから武田領一時的に抑えてただけw
結局圧倒的大軍持ちながら仁科以下が確定してる光秀に寡兵で殺された雑魚w
284人間七七四年:2009/06/19(金) 23:26:32 ID:/Knds4OV
斉藤に20回負けてクーデターが起きたから城のっとれたが結局畿内勢に大敗しまくり
武田との主力決戦20回全て全敗の織田w
285人間七七四年:2009/06/19(金) 23:27:44 ID:/Knds4OV
信長がまともに戦って勝った戦なんて一つもねえよw
相手の目に砂ぼこりが入ったか相手の兵士が穴にはまって死んだとか
そういうとかばっかだし斉藤に30回負けたけどクーデターに乗じて城のっとただけだし
戦下手だったから圧倒的大軍で寡兵の光秀(仁科以下が確定してる)にボロ負けして討たれたし

雑魚長は領土拡張率ゼロの雑魚w
武田との主力決戦10回全敗して勝頼が暗殺されたから倒したように見えるだけw


286白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/20(土) 00:22:44 ID:bQz5hEyj
>>276
捏造は権力の中枢にある者がするんが常じゃ。戦時中の大本営発表の
ように負け戦さが勝ちよるように発表するけんのう。日本の中枢で権力を
握った側の歴史なんかええ加減なもんじゃ。
そう云やあ、桶狭間の奇襲もほんまにあったかどうか判らんのう。

ほいで、ここは>>279のような甲斐武田厨が滅ぼされた劣等感で
毛利に嫉妬しょうるが、笠間良彦氏が「西の方と東国で、戦術に
大きな差がついてしまっているんですよ。」と云われたよう、
東国の田舎の甲斐なんか弱兵でしかないが。
しかも、毛利の捏造云うわりにゃあ、戦さの兵数自体に疑問を
持たんたぁのう。近代軍隊でも敵兵の数や敵の損害数なんか水増し加算
されとるんに、戦国時代に限って正直云うことはあり得んじゃろう。
戦さの成果なんか白髪三千丈の世界じゃけぇのう。
中国征伐する側の秀吉軍が寡兵のわけあるまいに。配下に加えた中国地方
東部勢を先頭に、傭兵を含め大量の兵力をつぎこんだじゃろうて。
権力に近い立場におれば兵力の動員で人海戦術を取るけぇのう。
287人間七七四年:2009/06/20(土) 00:36:32 ID:9dMCBdIW
ようは幕末までのこった権利者毛利に都合いいように捏造されたって事だろ

つまり弱兵で圧倒的強さで織田徳川に勝ちまくり大損害与えまくった武田最強で確定
強兵で圧倒的大軍で南条や宇喜多にボロクソに苦戦しまくった毛利雑魚で確定
288人間七七四年:2009/06/20(土) 00:43:18 ID:9dMCBdIW
武田軍は東美濃攻防戦や上村合戦で圧倒的大軍の織田に寡兵で大勝
岩村城攻防戦でも援軍全くだせない状況で圧倒的大軍の織田相手に半年近く持ち堪え最後は騙まし討ちでやっと落とされる
武田攻めでも50〜60分の一の兵で城外戦で一門の一人を討ち取り自軍より多くの被害を与え
最低4時間は戦ってたという戦術的大勝をする (ランチェスターの法則でいえば兵力差50〜60倍以上なら被害差も50〜60倍になるはず)
姉川で徳川以下の実力が露見した織田。その徳川を圧倒的勢いで勝ちまくり非常に軽微な被害で壊滅的損害与えたのが武田
よって武田>>>>>徳川>>>>織田
毛利は対織田戦や豊臣戦やら関が原やら圧倒的大軍や国力、鉄砲の豊富な動員にわりに
結局やられまくっただけだからな 織田が唯一兵数に頼らず楽に勝ててるのが毛利や島津といった雑魚大名
よって織田>>>>>島津>>>>毛利 以上をまとめると
武田>>>>>徳川>>>>>織田>>>>>島津>>>>>毛利 これが確定する
それぞれの合戦の戦闘結果から確定事項を抽出
信玄>>>>>家康 三方が原
家康>>>>信長  姉川
謙信>>>>柴田  手取川
謙信>>信玄    川中島
家康>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉  84年一杯の直接対決
柴田>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉     しずが岳
滝川>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉      伊勢での攻防
北条氏政、氏規>>>>>>>>>>>>>>>>>>秀吉   小田原征伐
織田信雄>>>>>秀吉            尾張や伊勢での攻防
北条氏直>>滝川            神流川
秀吉>>>>>>>>>>>>毛利一族   中国戦線
宮部>>>>>>>>>>島津       九州征伐
上杉景勝>>>北条氏照、氏邦       鉢方、八王子の攻防
上杉景勝>北条氏直            天正壬午
仁科>>>信忠  高遠の攻防戦(50〜60倍かそれ以上もの兵力差で織田方の損害の方が多く一門の一人戦死。最低4時間以上戦われる)
信忠≒光秀     二条城の戦い(圧倒的大軍で光秀は寡兵の信忠に何回も押し返された)
島津≒長宗我部     戸次川の戦い(兵力差あるとはいえ壊滅的打撃被った)よって
数的優位があるとはいえ滝川を野戦で見事な偽退却戦術で非常に軽微な被害で大破した上、
豊臣軍23万5千(陣立書だと21万5千だがこれには佐竹宇都宮里見那須結城といった反北条勢が入っていない)
にわずか34500で挑み緒戦の駿河伊豆国境の戦いで大勝し、伊豆韮山でわずか500の兵で豊臣2万を大苦戦させ
武蔵忍城では1000の兵で豊臣30000の包囲を受けながら結局落とされずわずか1000がこもっただけの本城小田原に手も足も
出させず4カ月も粘り、豊臣方兵站が壊滅する寸前という窮地に追いやり、かなり余力を残した状態で降伏した北条氏直
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
圧倒的大軍で滝川に大苦戦する秀吉の先遣隊の中の先遣隊に寡兵でやられまくった島津
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>圧倒的大軍持ちながら寡兵で送りこまれた秀吉軍にいいところなく
やられまくった毛利
289人間七七四年:2009/06/20(土) 00:45:33 ID:9dMCBdIW
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。
290人間七七四年:2009/06/20(土) 00:46:16 ID:qgD/sll3
そりゃ土下座して生き残った毛利は捏造し放題だろうな
291人間七七四年:2009/06/20(土) 00:46:57 ID:9dMCBdIW
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部はほぼ大内の支配下にあった
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときに、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっている




厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
まったくの大ウソ

宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。 省9

厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。

毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。
292人間七七四年:2009/06/20(土) 00:50:17 ID:9dMCBdIW
元就がまともに戦って勝った事なんてねえよw
圧倒的大軍で大友浦上山名尼子と大敗をしまくり
月浦合戦では敵の自爆があったのに毛利軍は60000のうち30000討ち取られる大敗w
結局一時的に中国抑えてただけであっという間に瞬殺されるが情けで残されるw
結局圧倒的大軍持ちながら東軍相手に寡兵で殺された雑魚w


284 :人間七七四年:2009/06/19(金) 23:26:32 ID:/Knds4OV
斉藤に20回負けてクーデターが起きたから城のっとれたが結局畿内勢に大敗しまくり
武田との主力決戦20回全て全敗の織田w


285 :人間七七四年:2009/06/19(金) 23:27:44 ID:/Knds4OV
信長がまともに戦って勝った戦なんて一つもねえよw
相手の目に砂ぼこりが入ったか相手の兵士が穴にはまって死んだとか
そういうとかばっかだし斉藤に30回負けたけどクーデターに乗じて城のっとただけだし
戦下手だったから圧倒的大軍で寡兵の光秀(仁科以下が確定してる)にボロ負けして討たれたし

雑魚長は領土拡張率ゼロの雑魚w
武田との主力決戦10回全敗して勝頼が暗殺されたから倒したように見えるだけw
293人間七七四年:2009/06/20(土) 00:52:18 ID:9dMCBdIW
毛利って正直戦国最弱確定だろw
戦に勝ったことねえしw
相手が自分で死んでそれとっただけw
294人間七七四年:2009/06/20(土) 08:03:46 ID:3RbRgBfM
熊見川は毛利の捏造。播州軍記にしかない

橋津川対陣の逸話や三本の矢の教え、厳島の戦い。

捏造ばかりの毛利家


295人間七七四年:2009/06/20(土) 12:38:08 ID:38pIoGmQ
>>293
戦に勝たなければ領地なんてとれるわけないだろ
どれだけ馬鹿なんだ
296人間七七四年:2009/06/20(土) 13:22:54 ID:ozIkLD6E
元就が武田元繁を討ち取り武田衰亡→毛利の捏造→息子で英傑だった武田光和が急死後に内紛で衰退し大内に滅ぼされる。
元就が主家の義隆の敵討ちをして大内領を正当に継承→毛利の捏造→陶の大内義隆謀殺に元就も共謀後に石見国で苦戦中の陶を裏切り背後を襲う卑怯者が元就。
尼子晴久が暗愚で元就の謀略に引っかかり粛清をしたことで内部崩壊→毛利の捏造→晴久急死後に弱年の義久が出雲国譲渡で毛利と和睦したつもりで騙されたため。
297人間七七四年:2009/06/20(土) 13:32:55 ID:1Sb08zjc
毛利が領地とったことなんてねえよw
旧大内尼子領ひきついだだけw
298人間七七四年:2009/06/20(土) 14:05:12 ID:UMll7IaC
九州からたたき出されるあたりの手腕はお粗末すぎるな
しょせん相手の内紛にじょうじた火事場泥棒しかできねーおっさん
299人間七七四年:2009/06/20(土) 15:00:08 ID:gKhBX4Pl
馬鹿じゃねえの
九州も四国も手伝い戦なのに
それに大内、尼子の領地を引き継いだ、とかどれだけ阿呆なの?
他の奴らはどうした?
大内、尼子がいなくなったら毛利しかいないの?ww
武田厨てほんと馬鹿だな


しかも捏造、捏造って…
お前らの好きな武田も「最強騎馬軍団」とかありもしない捏造の恩恵受けてるだろ
世間的には武田強い事になってるけどさ
弱い者いじめとどんぐりの背くらべしかできない武田が現実なんだよな

しかし武田の滅びかたはブザマだよなww
旗色関係なく裏切ないものは裏切らないしな
武田がいかに情けないか、いかに慕われてないかが如実に表れた出来事だな

武田はブザマ
300人間七七四年:2009/06/20(土) 15:38:14 ID:b5zZjwlm
手伝い戦だろうと ブザマなのは毛利だろう
武田だったら周りを敵に包囲されてても九州を分捕ってたろうよ

土下座して命乞いした情けねー奴が毛利 武士の気概もないよね
301人間七七四年:2009/06/20(土) 15:55:35 ID:ozIkLD6E
長年に渡り盟友だった三村氏を裏切り宇喜多と同盟した挙げ句に宇喜多は秀吉に服属。
先がまったく読めないバカ毛利。
両川まで投入し全力で戦った挙げ句に、筑紫や秋月や宗像や麻生や立花らを見捨てて大雪の中で毛利全軍が敵前逃亡し、
道雪の鬼追撃で討ち死にしまくるだけでなく、息もつかせぬ急追で暖を取り休む暇が貰えず、
疲労と寒さで凍死者続出し負けた戦いを手伝い戦って言い換えるアホぶりが毛利厨w
西軍総大将だった関ヶ原も手伝い戦って言い訳ですか?
石田も大谷も宇喜多も立花も島津も長宗我部も上杉も佐竹も毛利のヘタレぶりに怒ってるでしょうねw
302人間七七四年:2009/06/20(土) 16:34:36 ID:38pIoGmQ
先がまったく読めないとか言ってるけど仮に三村と同盟し続けたとしても
宇喜多のように服属したかもしれないだろ
石田や大谷や宇喜多が毛利を怒る権利なんてないだろ
重要なことは相談せず決めておいて兵を動かしてもらおうなんておこがましいだろ
303白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/20(土) 23:42:14 ID:bQz5hEyj
>>298-301
毛利が九州からたたき出され云うて、大内輝広が大友の後押しで
謀反を起こしたけぇ撤退しただけで、九州での戦闘に負けて撤退したん
じゃあるまいし。立花文書の架空の多々良浜の戦いは、南北朝期の
多々良浜の戦いがネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう。
304人間七七四年:2009/06/21(日) 00:08:27 ID:y+whv3Iz
毛利文書の架空の厳島の戦いは、南北朝期の厳島合戦がネタ本のハッタリ文書だけは信用するんも
可笑しげなのう
305人間七七四年:2009/06/21(日) 00:16:28 ID:S0ZdZyHh
何言っても無駄だよ
武田厨は壊れたCDのように同じ事をコピペするしか能がないからね
とにかく理屈云々関係なくけなしたくなったらコピペ

これが奴らの手
306奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆36LfxCD/TI :2009/06/21(日) 05:09:10 ID:1OY9wAXN
>>303
下関は九州勢に占領されたことがあるん?
307人間七七四年:2009/06/21(日) 14:35:50 ID:h9xTquRU
>>302
全て相手のせいにするようですが、トロい豚毛利自らの政略や指導力や人望が欠如してるのを認めてるようなものですねw
>>303
外交力を駆使して将軍家から大内家相続認可状を出してもらうのに成功し豊前から3000の兵を山口に投入し大内残党を利用した知略の政戦略>>超えられない壁>>>匹夫の勇の毛利の屑戦術。
しかも戦術的撤退もできず、豊前覚書曰わく「其夜殊外之大雪ニ而候故落行候者骨身ニこたへ皆落行候由」な悲惨かつ必死な敗走をしてる毛利軍4万。
そもそも捏造してるのは萩藩閥閲録を編纂した毛利側の方がヒドい。
しかも毛利に見捨てられた寡兵の龍造寺軍は大友に徹底的に抵抗し、毛利敗走から3ヶ月後の今山合戦で大友に大勝し、
宗麟の名代として後詰めに来た大友親定を敗死に追い込んで筑後へ退却させてる。
この龍造寺の粘りのおかげで救われたのが毛利。
大友が政戦略で圧倒した敗軍毛利領への大友軍の侵略占領政策が実行できなかったのが悔やまれる。

まぁ龍造寺>>>大友>>>毛利って事だわな。
308人間七七四年:2009/06/21(日) 19:51:12 ID:V3gKSM0A
63 名前:仙台藩百姓祭[] 投稿日:2008/11/14(金) 18:05:03 ID:s67RGBJ5
毛利ってライバル的な存在がいないからアンチすらろくに居ないのだお┐ (´ω`) ┌
加えて毛利の爺さんは中国地方に篭って一生を終えたわけだけど
他地方からしたら中国地方なんて興味ないしどうでもいいお( ^ω^)
309人間七七四年:2009/06/21(日) 22:37:22 ID:S0ZdZyHh
>>307
>大友が政戦略で圧倒した

よっぽど贔屓かアンチ毛利でないと圧倒なんて言葉はでない
お前は捏造、編纂が酷い、などと言える立場の人間ではない事が証明された
310人間七七四年:2009/06/21(日) 23:45:43 ID:h9xTquRU
>>309
具体的反論がまったくできない無知低脳さん乙
311人間七七四年:2009/06/22(月) 00:03:12 ID:NhZYfloO
>>310
どこが政戦略圧倒なんだ?
毛利の調略で国人達を押さえるのに辟易してた大友のどこに圧倒した実績があるんだ?
北九州スレにでもいけよ
無知低脳さんww
312人間七七四年:2009/06/22(月) 00:03:31 ID:xae3cdpk
っかさ、普通に考えて九州より中国地方の方が毛利にとって重要でしょ?
多少追撃で痛い目にあっても逃げる方が特。
ただでさえ成り上がりの毛利には求心力がないのに遠征を仕掛けたのが失敗だった。
ただチャンスではあったけど。

大友も大友で対応が後手後手で動きが鈍い。外交は名門の力を見せつけたって感じだが。
313白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/22(月) 01:16:58 ID:Drzt8Na6
>>307
わしが、>>303で九州ハッタリ文書、南北朝期の多々良浜の戦いの投影を
指摘したら、ハッタリ文書の受け売りじゃけぇ、話にならんよ。
しかも兵数なんか、どう計算して毛利軍4万云う数字が出てくることやら。
毎度空虚な妄想ばっかししょうるのう。
314人間七七四年:2009/06/22(月) 03:17:04 ID:Cvn8m8Fv
中国線は毛利が圧倒したけど北九州戦では大友が勝ったでいいじゃない
中国戦は大内尼子の弱体化でわりかしスムーズに進んだけど北九州は大友の最盛期だし撃退されるのも仕方ない
撃退されたからったって毛利の評価が下がるわけでもなし
315人間七七四年:2009/06/22(月) 03:56:35 ID:NhZYfloO
大友が圧倒したとかほざく奴が馬鹿がいるから話がおかしくなる
316人間七七四年:2009/06/22(月) 08:42:53 ID:cMaGvFX6
確かに具体的反論は一切せずに毛利最強を喚く厨しかいないなw
やっぱり腰抜け毛利は一連の戦役に大敗したとしか思えないな。
ここの戦域での毛利はそれ以前にも大友尼子ラインの圧力の前に屈辱的な将軍家の和睦を受け入れて九州から撤兵に追い込まれている前例もあるしな。
毛利は大友のグランドデザインたる大戦略の前に終始圧倒されている。
317人間七七四年:2009/06/22(月) 10:42:50 ID:NhZYfloO
>>316
毛利最強なんて誰も言ってないだろうww
具体的もなにも北九州スレに行けよ

大友圧倒とかお前、頭おかしいだろ
大友は毛利領を侵略した事あるのか?
守勢はいつも大友だろが
318人間七七四年:2009/06/22(月) 12:22:02 ID:cMaGvFX6
>>317
毛利侵略?なに言ってんだ敗走してボロクソになってるところを、毛利が泣きながら逃げ出した時に見捨てたはずの龍造寺様に救われたくせにw
319人間七七四年:2009/06/22(月) 12:49:04 ID:NhZYfloO
1559年
毛利元就、吉川元春、小早川隆景が石見出兵中の隙をつき大友、豊前門司城を攻撃
門司救援に向かった毛利水軍の冷泉院元豊、赤川元徳らは柳浦で大友水軍に迎撃され敗死。
9月、毛利隆元が三千を率いて救援に向かい大友義鎮の軍勢を豊前門司城にて破る。
1561年
6月、大友軍が豊前に進撃開始。大友、毛利の全面対決が始まる。
8月、大友軍は毛利方の筑前、宗像氏貞を攻める
大友の吉弘鑑理、鎮信、鎮理親子勢一万五千は小倉表に着陣。
9月2日、戸次鑑連(立花道雪)、田原親賢、臼杵鑑速らは、和布刈神社近くの城下まで進出し城を攻めた。
また大友義鎮がキリスト教に友好的であっため、インドのゴアから来航したナウ型ポルトガル船が門司城に援護砲撃を行う
9月18日、門司城救援に水軍五百隻、一万の小早川隆景軍が赤間関に着陣。
八千の毛利隆元率いる本隊は防府、大専坊に本陣をおく。
堀立壱岐守、杉彦三郎ら毛利勢八百が関門海峡を突っ切り、門司城に入城
毛利の児玉就方、河内水軍を率い豊筑沿岸を襲撃
大友軍、豊前沼の毛利軍支隊を襲撃
10月、小早川隆景、門司城に入城
石見の福屋隆兼が毛利と大友の争いの隙をつき叛旗。吉川元春がこれにあたる。
10月9日村上武吉、大友軍の後方遮断にでる
同日、大友氏は門司城内の篭城兵の中に田北民部の縁の者、稲田弾正、葛原兵庫助を内応を試みる
しかし前日に発覚し二人は処分され失敗に終わる
10月10日、小早川隆景は前日に処分された二人が生きているように偽装、内応の合図の狼煙をあげ大友軍を誘き寄せる。
大友軍の総攻撃が始まると同時に小早川隆景は城外に出て奮戦。
浦宗勝、児玉就方らは毛利水軍を率いて門司沿岸に上陸、大友軍と激突。
浦宗勝と伊美弾正が一騎討ちを演じ、宗勝の勝利。
大友軍は小早川隆景の罠にはまり苦戦。臼杵鑑速が援護に行くが宍戸隆家に阻まれる。
竹田津則康、吉弘統清、一万田源介、宗像重正、大庭作介ら大友軍多数が討死。
毛利軍は海上から松山城(現在の苅田町)を攻撃
背後を毛利に断たれる事を恐れ大友軍は夜に撤退開始
撤退を察知した小早川隆景は水軍を率い、長躯迂回し黒田原・国分寺原で待ち伏せ。撤退中の大友軍に打撃与える。
大友は逆に松山城、香春岳城を毛利に奪われ豊前一帯は毛利領に
11月、毛利隆元、小早川隆景は門司から福屋攻めにあたっている吉川元春を支援に向かう

1562年
この年、元就は出雲洗合に本陣を移し半永久的な陣城を築き職人や商人を呼び城下町を建設
尼子義久の守る月山富田城の長期包囲作戦を開始する

1563年
1月、大友宗麟は松山城奪回に向かうが毛利軍はこれを撃退
3月、将軍、足利義輝の命で毛利と大友は和睦。
門司城は毛利領、松山城は大友に還付する事で合意。
8月、毛利隆元、急逝し幸鶴丸(毛利輝元)が毛利家当主となる

1564年
7月25日、毛利元就、元春、隆景と大友宗麟が講和の誓紙を交換

1565年
2月、幸鶴丸が元服し将軍、足利義輝から一字をもらい
毛利輝元と改名。

1566年
この年は長年に渡って包囲され続けていた月山富田城がついに開城。尼子義久は降伏する。

1567年
3月、伊予の河野道直の救援要請を受け吉川元春、小早川隆景ら毛利軍、二万五千は伊予に上陸し湯月城に入る
4月、毛利と大友の講和破綻。(毛利は大友から破った、とし大友は北九州の諸将の反抗を毛利の差し金だとした為)
毛利軍の先鋒石見国衆、豊前に侵入。(毛利の九州遠征開始)
24日、筑前立花城主、立花鑑載、毛利に通じる。
320人間七七四年:2009/06/22(月) 12:55:24 ID:NhZYfloO
立花の叛旗に秋月種実、宗像氏貞ら国人衆多数も呼応。
大友宗麟は元就のやり口に激怒し三万の大軍を立花城に向かわせる。
5月、四国、元春、隆景の両川は各所で宇都宮、四国連合軍を撃破し大洲城を包囲。
宇都宮豊綱は一条康定、長曽我部元親に援軍要請し篭城したが耐え切れず降伏。
豊綱は備後の三原に送られ幽閉される。
救援にきた一条、長曽我部の土佐勢も迎撃され敗退。
宇和の西園寺公広も降伏し伊予平定は完了する。
6月、吉川元春、小早川隆景は一旦軍勢を休めた後、九州へ発向。
7月、大友軍、筑前立花城を攻撃。
毛利の援軍が来るまで持ちこたえられず立花鑑載は自刃。毛利の将、清水左近は長門へ逃れる。
9月、吉川元春、小早川隆景は豊前三岳城を攻略。長野弘勝、自刃。
10月、立花城攻略に備え、筑前馬見城、笠木城を修築

1569年
4月、松山城も攻略した元春、隆景軍は三岳城を発す
帆柱・若松・芦屋を経て立花城へ向かう一方、水軍を名島に配す
毛利元就、吉田郡山を発し輝元と合流。
本営を長門の長府に設置し九州遠征の諸将を督励する
5月1日毛利軍、立花親続の守る立花城に総攻撃を開始。
宗麟、立花城救援に二万を派遣。
毛利軍と大友軍ついに激突する。
一進一退を繰り返していたが5月18日の戦いにおいて宍戸隆家、熊谷信直、山内隆通ら奮戦し戸次鑑連、五条鎮定らを撃破し大友軍の首級を数百上げる。これにより大友軍、後退。
閏5月3日(この年は閏の為、5月が二回ある)、立花城陥落。城兵全員を助命し退去を命じる。
桂元重が立花城の守備に入る。
6月、京都に潜伏中の山中幸盛(鹿之介)、立原久綱らが尼子勝久を擁立。
7月、尼子勝久、山中幸盛らが但馬より隠岐に入り隠岐氏の協力を得て出雲に侵入。
尼子家再興の激に尼子勢六千になる
元就、月山富田城主、天野隆重の求めに応じ糧食を搬入し鉄砲隊を城内に入れる。
尼子勢、月山富田城を攻撃。
城主、天野隆重はわずか三百の城兵を励まし奮戦し尼子勢を撃退。
尼子勢、月山富田城をあきらめて周辺の諸城を攻略する方針に変更
8月、尼子勢は神辺城を攻略。守城、杉原景盛遁逃。
樽崎豊景、村上亮康ら毛利軍はすぐに神辺城を奪還し井上晧玄を殺害。
8月、高瀬城の米原綱寛、尼子勝久に投降。
10月11日、大友宗麟は大内輝弘を援助しひそかに周防、秋穂浦に上陸させる。
大内軍、山口奉行・井上就貞と藤井淡路守を撃破
10月12日、大内軍、山口乱入。高嶺城を攻撃。
10月15日、九州の毛利軍は九州撤退を決意。
乃美宗勝、坂元祐、桂元重を守りに残し夜、立花城を撤退。
10月18日、毛利軍、長府の本陣に到着。
10月20日、吉川元春は福原貞俊、熊谷信道ら兵一万を率い山口に向かう。(小早川隆景は九州遠征の後処理の為、長府に残留)
10月21日、立花城守備隊も撤退。大友軍立花城奪回する。
大内軍は残党を糾合し五千を越す兵力になっていたが吉川元春が一万の兵で進軍中の報を聞くとたちまち戦意を失い逃亡者が続出。
10月25日、吉川元春、大内輝弘を浮野峠で破る。
大内輝弘、山口を脱出するが富海(防府市)の茶臼山に追い込まれ自刃。
大内の乱、一週間で終わる
10月28日、元就、輝元、隆景は長府の本陣を撤収し毛利の九州遠征は終了する。

1570年
1月、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景ら両川を率いて出雲へ


大友の圧倒的勝利で幕を閉じる
321人間七七四年:2009/06/22(月) 18:22:52 ID:eF4UBjRE
これのどこが大友の圧倒的勝利なんだ
大友は防衛に成功したんであって圧倒的勝利とは言いがたい
322人間七七四年:2009/06/22(月) 19:03:20 ID:NhZYfloO
>>321
318のような「大友が政戦略圧倒的勝利」とかほざいてる馬鹿に皮肉で書いたつもりだったのだけど?
マジで受け取られるとは思ってもみなかったよww

見てもわかるとおり、毛利にとっては大友より
尼子残党のほうが手ごわい相手なのがよくわかるね

大友は必ず隙をついて兵を繰り出すが最後は必ず蹴散らされる
毛利の進撃を阻む事は全く出来ない
立花道雪も何度も参加してるのに対毛利では全くイイトコなしです
多分、大内残党だけなら本国だけで対処出来て九州撤退はしなかったかもしれませんね
尼子残党によって大友が救われた事がよくわかるます
大友の政戦略ではなく尼子が蜂起してくれた運のお陰です
323人間七七四年:2009/06/22(月) 22:20:27 ID:cMaGvFX6
大内の養子に出した弟を宗麟は元就との盟約を尊重して切り捨てたのに、元就は約束を裏切り九州の大内領を奇襲したり、
将軍家の和睦に北九州の国人への調略の禁止がありながら元就は約束を破りまくる基地害だったから、
戦の準備が成されてない時期の大友との和睦の約束を破り攻めてる毛利のせいで序盤は大友が不利だが、
日本が真珠湾奇襲したが結局、アメリカに大敗した如く、終わってみたら毛利が九州で得た領土は寸土のみの惨敗。
劉邦が項羽を討った如く。
孫子の兵法でも小事で失敗するのは虚であり、あえて隙を見せて相手の注意を引いておいて伐つのを勧めてる。
上策とは相手の謀り事を伐ち、自分の謀り事で相手を圧倒すること。
要するに政治の延長たる戦だけが戦いでは無く、政治外交を駆使して相手を屈させるのが勝者なわけだ。
ヘタレ毛利は結局、戦略的不利を戦術で補うことに失敗したわけだ。
三国一の卑怯にして不義な裏切り者元就が惨敗し大友の圧勝だろうね。
324人間七七四年:2009/06/22(月) 23:52:05 ID:NhZYfloO
>>323
何、不意に奇襲されたので大友不利みたいに言ってんの?
先に攻めてんのはだいたい大友だろ?
隙を見ては門司を攻め、何度も撃退されてるだろ?
まだ大尼子健在で毛利は尼子を相手していて九州どころではないにも関わらず何度も大友は門司攻略失敗

毛利の四国遠征は河野救援が目的だが
その河野を苦しめてる一条を大友は支援してるんだぞ?
約定中にも関わらず明らかに敵対行為だろ?
しかも四国に遠征いってた連戦中の両川を全く大友は止められず次々と城を落とされてる
そもそも九州は国人達に「来てくれ」「助けてくれ」と言われて出兵した手伝い戦
みてのとおり毛利は門司以外保持してねえし保持しようとしてねえだろが
劉邦が項羽は討ったごとく、って全く討ててねえし
尼子残党が出て来た時、毛利元就はさっさと吉川元春に九州はもういいから帰国するように言っている
元春は「このままじゃ帰れない」「大友倒すまで帰らない」と元就の要請を断ってるが
結局、尼子の戦況がおもわしくなく、大内残党まで出て来た上、元就の再三の帰国要請もあったので兵を引いただけであって
毛利にとって九州はその程度の存在
最後の和議も苦しい大友から申し入れたもの
九州防衛には成功したがどこが圧倒なの?
何言ってるの?
馬鹿なの?
325白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/23(火) 01:00:38 ID:ahprHt4x
>>306
下関が戦闘して九州勢に侵されたことは無いねえ。
>>323
大友に苛められよる九州の小豪族の要請で行ったまでのことよ。
九州、四国の苛められよるもんを助けにゃあいけんけぇ、
一方面だけ征伐出来るわけあるまいに。どこが不義なんか。
太平洋戦争で散々にやられて降伏した事例は、甲斐武田氏の方が
あてはまるじゃろうに。
326奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆36LfxCD/TI :2009/06/23(火) 07:03:21 ID:AjaJWJgM
なるほど。
兵の強弱はまだしも、北九州と西中国の力関係は大体わかった気がする。
327人間七七四年:2009/06/23(火) 07:54:29 ID:+RFth85k
はいはい捏造毛利史観だとすべて助けを乞われたからw
思いっきり領土的野心で国人を煽ってたくせに。
結果的に領土が得られず大敗したら手伝い戦になるのかよw
麻生や宗像や秋月や筑紫とかはヘタレ毛利よりも、のちに助けてくだされた島津様の方が毛利より100倍頼りになったな。
島津>龍造寺>大友>毛利なのは確実だよ。
328奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/23(火) 07:59:23 ID:AjaJWJgM
不等号使うときは比較項目が何なのか明らかにしてからにすべき。
329人間七七四年:2009/06/23(火) 10:21:18 ID:wCkLWpH6
原爆奇形広島人晒しage
330人間七七四年:2009/06/23(火) 20:00:19 ID:dOrqSeCe
>>317
しろうまあおうし
331人間七七四年:2009/06/23(火) 20:53:16 ID:Sj/sUtaP
>>327
馬鹿まるだしだな

>麻生や宗像や秋月や筑紫とかはヘタレ毛利よりも、のちに助けてくだされた島津様の方が毛利より100倍頼りになったな。

麻生は毛利の支援のおかげで勢力拡大
宗像は毛利の支援で奪われた所領奪回してる
秋月も毛利に保護され、後に支援を受けて旧領回復
筑紫も山口に逃げて毛利の保護を受け、後に毛利の支援で元の所領に返り咲く
まあ毛利にも思惑はあるだろうがこれが手伝いと言わずになんぞや?
こんだけ国人が毛利の元に逃げ込んで懇願されたらしかたなかったのかもな

助けて下さった島津様?
麻生は島津にはおもいっきり抵抗しとるがなww
筑紫なんぞ島津と戦って幽閉されとる(秀吉の九州征伐の時に解放)

お前、馬鹿なくせ粘着力だけはスゲーなww
332人間七七四年:2009/06/23(火) 22:35:55 ID:wCkLWpH6
だまれチョン州人
333人間七七四年:2009/06/23(火) 22:40:05 ID:wCkLWpH6
毛利の捏造信じてるのか
さすがチョン州人w
334白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/23(火) 23:43:01 ID:ahprHt4x
>>326
大内氏時代から安芸を含む中国勢が九州へ遠征したことはあっても、
九州勢が中国地方を攻めるなんか無いし、その実力もないよ。
>>331
島津?西中国勢の毛利や東中国〜近畿勢の黒田に勝てん九州ローカルの
軍団でせいぜい四国の長宗我部勢でも相手がふさわしい。
335人間七七四年:2009/06/24(水) 08:59:56 ID:24J9eiat
>>331
それで毛利が多大な資材と兵力の犠牲を出しまくった挙げ句に大友からどのくらいの領土を奪い取れたの?
毛利は龍造寺や秋月や麻生や宗像らを見捨て敗走した後、一度は降伏した龍造寺が毛利の困難を助けるべく再挙兵し、大友の兵を分散してくれたし、
毛利への追撃を止めてくれたのも龍造寺だし今山合戦で大軍の大友を退けて毛利を救ったのも龍造寺。
毛利が逃げた後の宗像なんて道雪からフルボッコにされて人質を道雪の妾にされてるし。
毛利に見捨てられた緒氏はみんな悲惨な目にあって、立花城督の道雪や宝満城に高橋紹雲を配置し大宰府周辺をガッチリ固めて二度と卑怯者アホ毛利が手を出せないようにした。
これで約束は破る為にあるを信条にしてる狼毛利を排除した北九州での大友の覇権が確立したわけですが。
まぁ信用ゼロ毛利の不意の奇襲に備えて筑前をガッチリ固めたから、南が疎かになり島津に破れたわけだが。
336人間七七四年:2009/06/24(水) 09:10:49 ID:24J9eiat
>>334
そもそも大内が北九州も支配してたのに何ワケわからん事言ってんだバカか?
中国勢力は常に九州の豊かさを羨望し、九州勢は貧困で平地が少ない中国に価値を見い出さなかっただけじゃないかねw
大友が宇和郡を奪ったりしたから中国より四国の方が魅力的な土地だったかもね。
豊後沖には今は沈んだ島々でも海外貿易が頻繁に行われてたそうだし。
337奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/24(水) 09:37:26 ID:nrpjEiBc
とりあえず>>329だけは、人として撤回しておくべきだと思う。
338人間七七四年:2009/06/24(水) 09:48:33 ID:mUEOzlS8
九州から見事に追い出されてるな
自分から攻め込んどいて追い出されるとは どんだけ間抜けだよw
339奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/24(水) 10:07:25 ID:nrpjEiBc
小早川が食い込んで戦国は終わってるような。
340人間七七四年:2009/06/24(水) 10:16:57 ID:Ck6hC72N
糞コテぷらっと氏ね
341奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/24(水) 10:25:31 ID:nrpjEiBc
だから死んで欲しけりゃ殺しに来いというに。
342人間七七四年:2009/06/24(水) 10:31:52 ID:Ck6hC72N
糞コテは原爆奇形広島人の毛利信者だったのか
もしくは毛利の捏造を信じてホルホルしてるチョン州人か?w
343奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/24(水) 10:35:23 ID:nrpjEiBc
オレは朝鮮人の血をいくらか引いているのをわざわざ公表している国士コテなんだが。
344人間七七四年:2009/06/24(水) 14:53:42 ID:5Jiq7OyM
見事だ
345人間七七四年:2009/06/24(水) 17:24:57 ID:24J9eiat
だいたい毛利は人助けしただけみたいな表現して捏造してるが、
毛利は自分の利益しか考えてない二枚舌外交しかしてねーし。
例えば龍造寺が、毛利上陸軍を支援すべく挙兵して大友軍を引き付けて籠城してた時に
危機を迎えた龍造寺が毛利の支援をお願いした時の元就は
「龍造寺は筑紫を滅ぼしたがってるから、立場が悪くならないように支援しないこと」と内々に指示。
結果、龍造寺は大友に降伏和睦に追い込まれた。
ウソつき元就は筑紫にも龍造寺にも良い顔をして味方ぶってるが実際に援軍なんぞ一切出さずに利用して棄てただけ。
秋月だって途中から二枚舌外交の毛利の本性を察知して、徐々に毛利を頼らなくなってたし。
秋月は島津には、なついてたけどな…秀吉の大軍にビビッたけど。
346人間七七四年:2009/06/24(水) 20:33:57 ID:5WKV2a7k
>>335
>それで毛利が多大な資材と兵力の犠牲を出しまくった挙げ句に大友からどのくらいの領土を奪い取れたの?

被害は圧倒的に大友だ

>龍造寺が毛利の困難を助けるべく再挙兵し、大友の兵を分散してくれたし

龍造寺は毛利と大友が争ってる隙に自家の勢力拡大を図っただけ



そもそも勘違いしてねえか?
宗像は元大内家臣で毛利が長門をとる以前から反大友
毛利を当てにするのは宗像の勝手だがなんで毛利がそこまで国人達の面倒見てやらなきゃいけない?
支援したり所領回復させてやっただけでも十分だろ
それを見捨てただの言ってるが馬鹿じゃねえの?
あいつらは毛利がいようがいぬまいが隙あれば大友から離反しとる
質問だがお前は本国で問題があっても無視して遠くの国人を救けに行くの?
スゲーな、聖人君子だなww

>>336
ただ単に毛利水軍を撃破して中国地方に攻める事が出来ないだけだろ

>>342
言っていい事と悪い事がある

>>345
上記にも書いたが龍造寺、筑紫も毛利を当てにしといて毛利だけ非難するのは筋違い
龍造寺も毛利の九州進出に乗っかり勢力拡大を狙っただけだろ
なんで毛利だけ非難されなきゃいけないんだ?
じゃあ聞くが毛利との関係悪くならないのはなんでだ?
龍造寺なんぞ終始、友好的で松浦などと共に織田包囲網にも名をつらねてるぞ
秀吉の九州征伐でも毛利と龍造寺の友好的な関係があったからこそ龍造寺は毛利の説得に応じ
肥前、肥後方面はすぐに平定できた
秋月だって再興させてもらってなんで毛利を恨む事があるのだ?筑紫だってそうだ
第一なんで中国の情勢が安定してないのに無理してまで遠く九州にいちいち兵を出して助けねばならんのだ?
どの家でも本国が1番大事に決まっとる
無理ない範囲でやれる事をやる。
支援してただけでも十分だろが
利用するのはお互い様だ


お前らさ大友の話で反論出来なくなったら国人達を「裏切った」「見捨てた」って今度は中傷話かよww
哀れだね
だいたい外交をなんだと思ってんだ?綺麗な外交?夢みすぎだろww
お前らの好きな武田はどうよ?綺麗だったか?裏切ってないか?ww
347人間七七四年:2009/06/24(水) 20:36:57 ID:nT44mUsu
綺麗だろうと汚かろうと

外交で負けまくったのが毛利だろ アホかお前は
348人間七七四年:2009/06/24(水) 23:02:02 ID:5WKV2a7k
>>347
反論にもなってないし話のすり替えだ

外交で負けまくった?
アホかお前は?
349人間七七四年:2009/06/24(水) 23:33:06 ID:JnLJiXLv
>>343
あなたは素晴らしい。

朝鮮筋目であろうが蝦夷筋目であろうが、アイヌ筋目であろうが沖縄筋目で
あろうが隼人筋目であろうが、なんであろうが、
日本人として、天皇陛下を、天地を敬い人を愛する人はすべからく日本民族
であると考えます。

、天皇陛下を敬い、人を
350人間七七四年:2009/06/25(木) 04:17:28 ID:jZZV6KBi
>>269
宝治の時点では、泰村がより積極的に戦っていたとしても三浦の負けは覆せなかったんじゃないのかなぁ。
むしろタイミングとしては九条頼経が追放される前に、先制攻撃のクーデター起こす位しかなかったんじゃないかと思う。

まぁそんなIfを重ねるのが許されるのならば、
もっといえば、泰村の親父の時代に和田義盛と連合していれば、かなり高確率で北条を倒せたんじゃないのw
351奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/25(木) 04:24:44 ID:iRgq0fpG
泰村はギリギリまで義時を狙っていたと信じたい。
全てのタイミングで北条に負けてるけど。
352人間七七四年:2009/06/25(木) 04:40:45 ID:jZZV6KBi
よくよく考えてみれば、仮に宝治合戦で毛利季光が味方した三浦側が勝っていたら、
後世、元就の存在は無かったのかも知れないんだから、不思議というか面白いよな。
353人間七七四年:2009/06/25(木) 19:41:27 ID:xWFII3sd
毛利厨って本当に都合が悪くなれば武田に対して敵意むきだしになるんだねえ。
西国ファンから忌み嫌われてるという事にいい加減気がついたら?
武田ファンと九州のファンとの間で荒らし合ったことなんて無いんだよ。
354人間七七四年:2009/06/25(木) 20:50:33 ID:H6Dlp0eB
毛利厨は織田や武田に嫉妬するしか能がないからな
355人間七七四年:2009/06/25(木) 22:38:06 ID:qFt5Q5U4
敗戦した場合は
毛利が手伝い戦をしただけとか
助太刀してあげたとか捏造美化した挙げ句に論破されると
なんでそこまで毛利が善人な真似しなきゃならんと逆ギレw
実際の毛利は博多の富を奪い取る目的で侵略して見事に大友に阻止され敗走したんだろうが。
毛利の捏造史観から来る戦果を持ち出し大友の方が被害あったと喚き、毛利敗走した件は黙殺するアホぶり。
そもそも秋月や筑紫を再興してあげたとか恩着せがましいことを主張してるが、
毛利が秋月や筑紫を騙して挙兵させたくせに援軍を一切出さなかったから大友にフルボッコされ秋月や筑紫は滅亡したんだろうが。
大友は関係ない、大内残党が山口を襲ったからやむを得ず撤退とかアホなこと言ってるが、
そもそも宗麟の家臣で鶴崎千歳城主の吉岡越前守長増の秘計であり
豊前の城井や緒方ら3000と大内家督相続の将軍認可状をつけて山口に逆上陸させた大友の戦略に毛利は負けて大雪のなかを敗走したわけだが。
356人間七七四年:2009/06/25(木) 23:07:36 ID:qFt5Q5U4
堺に比肩された大商業都市の博多>>>越えられない壁>>>>中国地方

しかも当時の豊後もかなりの商業都市だった。
357人間七七四年:2009/06/25(木) 23:16:05 ID:cRAxEiiJ
は?逆ギレはお前らだろ?
次々と論破されて結局は抽象的な事しかいえないのか?
今まで何を見てきたの?
大友が圧倒的勝利とか基地外な事を言い出して
それに対して反論したのが始まりなのにさ、よほど悔しかったんだろね
次々とよくもまあ阿呆な事をww
ただ毛利を陥れたいだけで麻生、秋月、筑紫、宗像の関係をろくに知らない無知がほざくからこういう事になるんだよww

>大友は関係ない、大内残党が山口を襲ったからやむを得ず撤退

そんな事を言った覚えないしww
しかし撤退の最大の理由は尼子だろな
あんな一週間で鎮圧できるようなチンケな大友の策なぞ尼子の蜂起がなければ本国だけで処理できただろな

所で話そらさないでさ
大友の圧倒勝利とやらの主張をいい加減納得いくよう説明してくれよww
358白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/26(金) 01:23:01 ID:ApJ5k2Gv
>>352
元就さんが、おらんでも誰かが安芸国人領主の盟主となったろう。
元就さんはクジ運が悪うて、権力を握る立場に立っただけよ。
>>353
特に島津と武田は人身売買王国同士で、お互いの傷でも嘗めおうとるんじゃ
ろうて。
>>355
毛利側が九州の戦闘で敗戦したことなんかも無いんじゃけど。
>>356
都市じゃのうても、中継交易は美味しいけんのう。瀬戸内じゃあ
警固通交料は頂くわい。内陸の「関所」は場所が固定されとるが、
海民の「関」は自らが動いて徴収するもんじゃ。
359人間七七四年:2009/06/26(金) 01:23:59 ID:RNeBGDk+
はぐらかして解答から必死に逃げてるようなので、再度お聞きしますが毛利が多大な犠牲と資材を費やしてまで得た九州の領土はどれだけ手に入れたんですか?
費用対効果の観点から語ってください。
大友は秋月や龍造寺や島津に大敗して勢力が後退した記述ははっきりあるので、
毛利との戦いだけ必死に隠蔽してるとは思えませんがね。
毛利を追っ払った時点からが大友最盛期になったんですがね。
例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、
道雪が全軍追撃を下令し、毛利全軍が崩壊し立花城に逃げこんだ。
博多占拠どころかこんなにもミジメな状況を好転させることもできずに何言ってるんだか。
これにさらに大友が軍を割いて山口へ上陸する支作戦を展開して完全に毛利が詰んだわけだが。
そして10月12日に毛利は道雪の追撃を受けながら立花から芦屋まで敗走。
すでに道雪によって立花鑑載が降伏に追い込まれていたが、さらに毛利に見捨てられた毛利家臣の乃美兵部・桂左衛門尉・坂新五左衛門や高橋鑑種・秋月・原田・筑紫・宗像・麻生らが大友に一網打尽にされ降伏。
毛利はこんなにもひどい史上まれな大敗を喫して跡形も無く毛利陣営は崩壊したわけだ。
360人間七七四年:2009/06/26(金) 02:50:42 ID:BWlAp2oi
>>359
>例えば1569年5月18日の立花表長尾合戦では、毛利両川ら4万の軍勢に対して、1万5000の道雪・臼杵・吉弘らは猛然と反攻し、
毛利は支え切れず320メートルも敗走したので、


この戦いの後、翌閏月(閏月はわかるか?)の5月3には立花城を毛利は落としているのでこの時点で立花城は大友方
負けたなら立花城攻略はありえない
立花鑑載は1568年7月にすでに切腹してるのでこれもありえない
乃美兵部て乃美宗勝のことだよな?
宗勝が大友に降伏したのか?これは知らないから教えてほしい
立花城を守っていた乃美宗勝・桂元重・坂元祐は無事に帰還してると思うのだが?
毛利が大敗したならなぜ長府の本陣に戻ってきてからわずか一週間の早さで大内輝弘の軍を撃ち破り平定が出来たのだ?

君の話は全く信用出来ない
361人間七七四年:2009/06/26(金) 03:18:05 ID:V4sHF/IS
500年ぐらいも前に起こった出来事にこんなに熱くなれるってお前らすげーな。
362人間七七四年:2009/06/26(金) 04:00:11 ID:RNeBGDk+
吉川文書に閏五月廿八日元春卿銃手戦功注文に閏年の記述が出てくるね。
これが立花表長尾合戦におけるものと言われている。
つまり閏五月三日に立花城は毛利に降伏しているのは明白。
勝手に「この戦いの後」とか順番を逆に捏造してんなよ。」
1568年7月に立花鑑載と毛利の清水左近将監が敗走し立花城炎上落城・1569年が始まるや大友全軍は龍造寺攻めで佐賀城を攻撃
4月17日龍造寺降伏の一連の作戦で手一杯だったので立花城は食料の備蓄もなく餓死が出始め宗麟がひとまず開城を命じてる。
大友軍は盛んに宗像・芦屋表へ出兵し毛利軍背後の船荷補給ルートを荒らし回る。
そして真の狙いの毛利軍撤退路封鎖の山口急襲作戦の指揮のため宗麟が豊後へ帰った真意を測りかねている毛利軍は大友軍の余裕を感じて驚愕。
宗麟の手配を見事に決まり毛利水軍を撃破し見事に山口へ上陸成功し退路を封鎖される危機からパニックになり芦屋港まで敗走。
363人間七七四年:2009/06/26(金) 04:11:55 ID:RNeBGDk+
道雪らが12日夜大雪の中を凍死者まで出しながら撤退する毛利を鬼追撃し、翌日昼に芦屋に道雪らが到着まで毛利はまったく休憩すらできず悲惨な落武者狩り敗走。
そして宗麟さまが田北民部に肥後勢を指揮護衛させて降伏した乃美ら捕縛された毛利兵らを安全に芦屋まで送ってあげたわけだが。
364人間七七四年:2009/06/26(金) 04:51:09 ID:BWlAp2oi
お前が5月18日て書いておいて人を捏造呼ばわりするな
後で閏を書いて馬鹿じゃねえか
どうせ毛利史観と言われそうだから黙っていたが
5月18日の激戦は宍戸、山内などの奮戦で大友軍の首級数百あげて
大友が後退した事になってる

>1568年7月に立花鑑載と毛利の清水左近将監が敗走し立花城炎上落城

これがなんだ?前に自分で書いた文章を見ろよww

>毛利軍は大友軍の余裕を感じて驚愕。

なんだ?小説か?ww

お前の言うように毛利が悲惨な逃避、落ち武者がりにあってたらなんで兵を休める間もなく大内討伐したんだ?
立花から長府まで三日で帰還、すぐに元春は山口に向かってる
これにはいっこうに答えてくれないね?


最後でわかったわ
立花文書だろうが俺は無事に撤退した派だから
お前とは一生意見がずっと平行線だろう
俺も主張を曲げないし、お前も主張を曲げないだろう
話するだけ無駄だな
365人間七七四年:2009/06/26(金) 09:45:42 ID:RNeBGDk+
閏の事は知ってた上で時系列で並べて俺は書いてて間違ってねーだろが。
だいたい戦国板でわざわざ閏なんて書いてるやついねーだろアホか。
テメェが故意に順序を逆に捏造した事実は変わらんだろが。
萩藩閥閲録の捏造毛利史観なんて信用できねーんだよ。
立花文書や筑前国続風土記や九州治乱記など複数文書に立花表長尾合戦での道雪の活躍が記されてるしな。
立花鑑載に毛利の清水ら防長8000が籠った挙げ句に道雪に破られたのも事実だがな。
退路を封鎖される恐怖により立花から必死に逃げて、休む暇なく敗軍を山口へ向かわせるほど事態が悪化してた証拠だろがw
366奇矯屋onぷらっと@非常用PC ◆ZawoPLATttff :2009/06/26(金) 09:59:07 ID:tejLW0Bv
そもそも立花まで食い込まれているのはどうなんだろう。
大内残党の取り込みにおいて毛利と大友の比較。
367人間七七四年:2009/06/26(金) 10:48:15 ID:RNeBGDk+
つかよくよく考えてみると毛利厨の書いてることは毛利捏造マンセーアホ軍記の安西軍策にそっくりだな。
大友軍が豊後豊前筑前筑後肥後日向に幕下の龍造寺、松浦、島津からも兵を出させ12万8000で立花救援にきたのを両川はわずか4万で防いだ妄想戦記w
たしかにその妄想戦記では立花城は18日の戦いの後に毛利が落城させてるよなw
わざわざ同18日合戦とか単独の章を作って毛利マンセー記述をデッチ上げてるよな。
さらに妄想戦記では毛利撤退では道雪は追撃しなかったことにしてるしwww
お前の脳内は毛利マンセー軍記のせいで腐ってるな。
368人間七七四年:2009/06/26(金) 11:19:57 ID:RNeBGDk+
>>366
立花鑑載は軸丸右近と申す者の子なり秋月殿腹込の子とも申し候其故に此前秋月滅亡の時〜
と言うように
豊前の長野筑後守の反乱(秋月種実の弟)と共に秋月が関わってると思われる。
さらに宗麟は鑑載の謀反を許してやってる。
その後に高橋鑑種の兄を宗麟が殺して妻を奪ったために大宰府を統括していた宝満城で鑑種が挙兵。
秋月が休松合戦で臼杵吉弘の陣を夜襲し大友軍が混乱し道雪の陣へ雪崩れ込み同士討ちを誘発した大友敗軍を経て、
高橋鑑種が立花鑑載に誘いをかけて、再度鑑載が挙兵。
369人間七七四年:2009/06/27(土) 11:46:11 ID:HpxbRT2G
>>367
大毛利はこの時期、四国九州の全軍を同時に相手して寡兵で圧勝してたんだよ。
さすが両川は戦国最強!
370人間七七四年:2009/06/27(土) 13:04:38 ID:MZ0zhMvD
>>369
豊前と筑前で勝っただけで九州全軍に勝ったとかw
毛利厨の捏はハンパ無いな。
その後、宗麟時代の大友氏と播磨で秀吉にフルボッコと。
371人間七七四年:2009/06/27(土) 14:08:36 ID:HpxbRT2G
毛利の攻勢におののいた秀吉は泣いて逃げたわけだがw
372nomu:2009/06/27(土) 15:51:37 ID:OAj/7G8u
武田信玄と毛利元就では当時(永禄年間)の京都市民
の評価では格段に信玄が上だったのだろう!
永禄年間の京都市民の間では日本最強の大名は武田信玄
か上杉謙信のどちらかといわれていた!
傍目に観ると元就の方がその2人よりも実績が上に見える。
当時の京都市民の間で『所謂東高西低』だったのであろう!



373白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/28(日) 00:57:18 ID:+KsClOED
九州の朱子学的白髪三千丈は兎も角、>>372のような、架空の京都市民の
評価も出て来るのう。ありゃあ、武田信玄厨の笠間良彦氏は、
西高東低とされとるけど。戦闘技術が東から流入した事例なんか
知らんよ。
374人間七七四年:2009/06/28(日) 16:34:58 ID:Gwq8Lgyr
そもそも日本刀からして蝦夷民の技術をパクったことからはじまったわけだが。
375人間七七四年:2009/06/29(月) 10:39:01 ID:5gQ6Syhy
大毛利のおかげで弱島津ごときが九州で覇権を握れた。
大毛利が来ると弱島津は必死に逃げ出した腰抜け。
376人間七七四年:2009/06/30(火) 01:06:25 ID:fy/lzgfX
>>372
悪いがまるっきり逆だわ。当時でいう英雄は元就。
輝元がちょろくて毛利株が落ちて上がった武田が抜いたって話し。
どの時代かにもよるな。
戦国末期なら英雄は信長だな
377人間七七四年:2009/06/30(火) 14:47:41 ID:zM0fstg2
>>375
いつ逃げ出したの?そもそも島津と毛利がいつ戦ったの?w
島津が肥後と日向北部に向けて北上始めた1575年頃に毛利は九州に領土持ってないですし。
毛利厨の脳内妄想は武田信玄厨より酷いですな。
朝鮮が近いだけあって捏造だけは天下一品。
378人間七七四年:2009/06/30(火) 18:30:23 ID:YsJ0P4TO
>>376
お前、日本語でおk
379人間七七四年:2009/07/01(水) 13:28:22 ID:RQdlt7x1
本城常光との戦いで氏ねば良かったのに元就
380人間七七四年:2009/07/01(水) 17:16:17 ID:oNbwmEML
大毛利が単なる北九州の強盗で荒らし回った挙げ句に大友に叩き出されて敗走したが、
おかげで大友も国人離反が相次いで、
それら国人が島津へ寝返るキッカケを作り大友が島津に破れる遠因になったってことでは?
島津が筑後筑前侵略において、大友の大きな抵抗にあい、小早川らが大毛利って言うか大友外交の結果、豊臣軍として門司に上陸してくると
(皮肉にも九州撤退の時に立花道雪から大追撃をされて悲惨な逃避行をした毛利が立花城救援に行かされるハメになる。)
立花城攻略を諦めて撤退したことを言ってるんじゃないのか?
まあ毛利も島津も目くそ鼻くそで、外交力を発揮した大友宗麟が凄いってことだわな
381人間七七四年:2009/07/01(水) 18:42:49 ID:sXxTp57d
読みづれぇ文章だなぁ・・・

文章作成能力が無いのは仕方ないにしても、
それならそれで、書き込む前に推敲くらいすれば良いのに。
382人間七七四年:2009/07/01(水) 20:10:49 ID:nJBSLHle
そうだね
彼は来る所を間違えたね
まずは日本語の勉強だ!!
383人間七七四年:2009/07/07(火) 14:45:43 ID:k960LZDN
>>380
西国最強は大友なのは間違いないね。
島津は単なる漁夫の利
毛利は約束破るのが当たり前の大ウソつき
384人間七七四年:2009/07/08(水) 20:25:57 ID:MgXZfDtH
龍造寺、島津、毛利にまともに勝てない大友が最強とな?

漁夫の利?
弱いから漁夫の利になるような状態になったんだろがww
385白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/10(金) 00:40:28 ID:P/2R2K+X
>>380-383
北九州の強盗は、大友側で、毛利は現地小豪族の要請で大友を叩いた
だけじゃ。同じ図式は四国でもじゃけぇ毛利側は忙しいよ。
ほいで、毛利側は、立花城に籠城した将兵も落城した後大友に返還しとる。
それが「中国者の律儀」じゃ。
約束を破るじゃあ、大ウソつき呼ばわりされる筋合いも無いど。
386人間七七四年:2009/07/10(金) 09:38:19 ID:V4fpARyJ
敗走した毛利軍を追撃して海に追い落とした後、孤立した立花城の毛利軍が降伏した際に、大友は護衛までつけて毛利兵を安全に送ってあげたのだが、そこは無視か。
青牛は相変わらず都合がよいな。
そもそも毛利は旧大内領の継承とか言って野心バリバリだったくせに。
北九州で成功してたら現地小豪族も被官化しようと思って利用してたくせによく妄言吐けるな。
中国の律義とは約束は破るためにあるってことだろ。
387人間七七四年:2009/07/10(金) 12:40:52 ID:o2FvyDpn
「中国者は律儀」
実際にある言葉なのに↑は知らないらしい
388白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/10(金) 23:13:57 ID:P/2R2K+X
>>386
また、九州の嘘こきか。大友三将の戸次鑑連、臼杵鑑速、吉弘鑑理は、
麻生隆実さんに立花城より下山した浦宗勝ら討ち取れ云うとる。
じゃが、麻生隆実さんは、三将の姑息な調略で武士道を汚す行為に服さず、
毛利側に報告したわ。麻生隆実さんに対して小早川隆景さんの感状に、
「殊従豊州三老之調略状 具令披見候」とある。
まあ、九州勢は律儀や節操がのうて、勝つためにゃあ手段を選ばん性質が
強いが、麻生隆実さんは例外的に筋を重んじたのう。
約束を破りよるんは大友側で。何妄言云うとんなら。じゃけぇ九州人は
安易に信用ならんのじゃ。
389人間七七四年:2009/07/11(土) 15:15:51 ID:7+BwYM0T
宗麟は大内を攻める元就との話合いで
義長を見捨て支援しないから元就は九州に手を出さない約束をしたのに元就は一方的に破棄し奇襲上陸して少ない守備兵だけしかいなかった要害の門司城を奪ったり
その後に将軍が斡旋した和睦を破って奇襲攻撃をまたやったり、しかも将軍との和睦条件に北九州の国人を援助しない約束があったのに無視し続けていた。
北九州に野心を持ち隙あらばと約束を常に破り続けてるのは毛利側。
そもそも北九州の豪族が救いを求めたから仕方なく手伝いしてやった正義の味方って言うなら、なぜ毎回彼らを最後は見捨ててるのか?
彼らは大友にフルボッコされるわけだが。
利用した挙げ句に棄てたに等しい鬼畜行為に見えるけどね。
390人間七七四年:2009/07/11(土) 16:58:15 ID:ayDwXBNi
弱小国相手にすら何度も戦で大敗をして
相手が寿命で死ぬか、降ったと見せかけて騙まし討ちにするかで
元就が目だった活躍なんかしてないのは有名だよ
厳島だって河野家(村上水軍は当時河野家所属)が陶軍を破ったのが本当のところだし
晩年の支配領土だって四方八方で叛旗を翻されて
実質完全支配してた領地なんて50万石くらいしかなかったんじゃないかな?
政治なんかも評価されるようなことは一切やってない
毛利家の年貢の高さは、もはやお家芸の域で長年、民を苦しめて来たし
海賊衆に利権をやるから仲間についてくれという懐柔策をするくらいだから
信長のような新しい為政者とは真っ向から逆を行く旧来の政治家
頼みの石見銀山があったから何とか国としての形を留めただけで、要は資源頼みの政治
しかも、その銀山争奪にかけて本城氏如きの弱小豪族に何度も大敗して
最後は銀山の利権をあげるから味方についてくれと頭を下げる始末。
その後、味方についた本城氏を、ものの見事に約束破って謀殺してるところは
謀略家としての高評価を受けてる由縁だけど、実際は「ただ約束を破った」だけ
391人間七七四年:2009/07/11(土) 17:41:18 ID:HWq4Mg/M
>>389
鬼畜行為なら何故毛利と国人達の関係が悪化しないのだ?
見捨てた毛利の元になぜ逃走してくるのだ?
なぜ頼るのだ?

お前は自分の家に空き巣が入っても友達が「帰らないでくれ」と言ったら帰らず友達の家に居座り続けるのか?
もっともらしい事いって印象操作してるけどさ
国人達に反抗されっぱなしの大友てどうなのよ?
お前の論理でいえば鬼畜行為の毛利を頼らざるおえないほど大友は酷いのかww

弟は捨て駒
家臣の奥さんに手をだす
国人達に反抗されっぱなし
宗教馬鹿で国を傾ける
そんな大友より毛利は酷いですか?ww


※中国者の律儀
「起源は毛利説」を無知のお前に話してやろう
「毛利と同盟を組めば裏切られる事はない、安心だから」だそうだ
この件に関しては反論するなよ
実際に使われてる言葉だし俺が作った話じゃないから文句言われても困る

しかし河野の為に伊予を平定して敵を追っ払ってやる家なんて普通いねえぞ?領地が手に入る訳でもないのに
まあ国人盟主たる立場上救いを求めて来た者を助けないと国内に示しがつかないためだろうな
毛利が助けないとなると国人達の間で「いざというとき毛利は助けてくれないんじゃないか?」と疑心暗鬼となり統制が取れなくなるからな
嫌々でも助けざるをえない立場なのさ
392人間七七四年:2009/07/11(土) 17:59:57 ID:7+BwYM0T
長年盟友関係だった三村氏を切り棄て、宇喜多と手を結び三村氏を滅ぼして備中を奪い盗った毛利が律儀なのかねぇ。
備中争乱は三村一族滅亡の悲劇として備中松山城でも幼い嫡子も殺されたとビデオ放送してるくらいなのに。
393人間七七四年:2009/07/11(土) 22:31:10 ID:36BXPAZF
>>391
誰が言い出したんだ。
出典は何だ。
そして、それは実際の行動と符合しているのか。
394人間七七四年:2009/07/11(土) 22:39:10 ID:HWq4Mg/M
基本的に中国者は律儀て事だろ
大返しの話も「中国者が律儀」が前提だからこそ出来た話みたいだし
どこにだって律儀者もいれば不律儀者もいる。細かい事例をもちだすお前はナンセンス
そんな事したらどんな国にも当て嵌まらない

>宇喜多と手を結び三村氏を滅ぼして備中を奪い盗った毛利

お前はちゃんと過程をしゃべれ
毛利は最初から宇喜多と手を結んで三村を滅ぼす気だったのか?
そんな事じゃ印象操作と言われてもしかたない
三村を毛利が切り捨てた訳ではない
原因は毛利にもあるが家中分裂してまで織田に通じて反旗を翻したのは三村
私怨を捨てきれず滅亡の道を選んだのは三村
三村の気持ちも解るがそこは堪えるべきだった
そしたらいずれ宇喜多と戦える機会があっただろうに…
395人間七七四年:2009/07/11(土) 22:46:01 ID:36BXPAZF
だから、どこでその文言を目にしたんだと聞いてるんだ。
白馬青牛文書か?
アホめ。
396人間七七四年:2009/07/12(日) 00:53:53 ID:8lJ7/GlF
自分で調べられないなら頭を下げて聞けよ
それが聞く態度が?
自分でクグレよ馬鹿め
397人間七七四年:2009/07/12(日) 01:37:57 ID:8lJ7/GlF
あ、そうそうお前らがどうほざこうが今現在でも実際に存在するし使われてる言葉だからさ
気にいらないなら「中国者は嘘つきだ!」と全国に風潮しまくれば?ww

知ってる人は知っている
知らない人は知らないww
398人間七七四年:2009/07/12(日) 02:15:39 ID:mDsGPEz5
全国区の言葉じゃない。単なる秀吉マンセー明治維新マンセー司馬の造語。
毛利が本能寺で追撃しなかったから秀吉が天下を取れたと言うことで中国者は律儀と言われた一方で幕末に水戸などで長州人は怜悧(ずる賢い)とも言われた。

誰が使ったのか用法すら見られないからまったく浸透してない言葉だし、どうせ毛利あたりが自分で吹聴したんじゃねーのこれ。

毛利が備中欲しさに備前の宇喜多と結んで長年の盟友だった三村を切り捨てたから、追い詰められた三村は織田と手を結ばざる負えなかっただけだが。
まぁその宇喜多に毛利は裏切られるわけだがw
長年の盟友だった三村と共同して宇喜多を討って備前に進出してたら秀吉とも万全の戦いができたかもしれんのにバカだな毛利は。
399奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/12(日) 07:33:16 ID:mvyb8HID
投げっぱなしの理屈になって悪いが。
安芸の国人一揆の首魁と赤松氏を傀儡にした土豪の両者には、
正統性で判断する術などないだろうに。

タイミングの話題は論外な。
400人間七七四年:2009/07/12(日) 09:21:19 ID:8lJ7/GlF
>>398
お、調べたか?
よかったな知識が増えて
少しは成長したな
しかし悪意見え見えの文だねww
実際にあったが「なんとか言い返したい」「一言いわずにはいられない」て感じだなww
お前みたいなのが一番タチが悪いな

>毛利が備中欲しさに備前の宇喜多と結んで長年の盟友だった三村を切り捨てたから、追い詰められた三村は織田と手を結ばざる負えなかっただけだが。

前文にも書いたが理解できんか?
備中の国人で毛利に味方した者もおるし
だいたい三村一族が割れてる
宇喜多に対する私怨を捨てきれなかっただけだろ
追い詰められてるなら何故一族が割れる?
毛利の備中ほしさ?
元就の生前から「備中は三村に任せる」の方針は変わらんはずだが?
吉川元春が説得に行こうとした時点で備中欲しいはありえんだろ
捏造乙ww
401人間七七四年:2009/07/12(日) 14:51:15 ID:mDsGPEz5
宇喜多直家は元親にとっては親を暗殺した仇なのに私怨を捨て耐えるべきとか無理なこと言ってんなよ。
親が暗殺されたり殺された人間の気持ちもわからんのか?
しかも元春が小早川に「宇喜多は表裏あって信用できない」
「歴代忠孝を働いてきた三村を蔑ろにする獣にも劣る義に外れる外道行為」と反対したことから判るように三村にとっては絶対受け入れられない決定だったわけだ。
さらに三村討伐決定の際にも元春は「自分が直接元親に会いに行って説得したい」って言うが拒絶され
「信義を捨てた毛利の将来は暗い」と言ってるわけだ。
元親の妹の鶴姫以下三村一族が追い詰められ最後に籠もった常山城では女子供まで裏切り者毛利に降伏するを潔しとせずに徹底抗戦して撫で斬りされたわけだ。
これが三村が悪くて毛利が正しいだと?
402人間七七四年:2009/07/12(日) 17:09:39 ID:8lJ7/GlF
都合が悪くなったら話すり替えて最初の話にループか?
お前は馬鹿か?
前レスよめよ
どこに三村が悪くて毛利が正しいなんて書いてんだ?ww

それに鶴姫なんて謀反した後の話じゃん
謀反したなら征伐は世のならいだろ
焦点ずれてるぞww

私怨を捨てきれずの気持ちはわかると言ってるじゃん
俺も三村はかわいそうだと思うよ
でも一族の反対を押し切り謀反したのは三村だろ?
そりゃ織田と手を組めば毛利は国人達へのみせしめとして赦す訳にはいかないよな?
実際三村は滅亡してないし残った叔父も謀反を止められなかった事で減封
これで備中を毛利が狙って三村を騙したのはお前の捏造だという事がハッキリした

しかし悔しいからといってまた話を振り返すのは正直感心しないなぁー


毛利は不律儀で酷い悪党→毛利は備中を取りたかった→毛利は不律儀で酷い悪党(また最初)

無限に続ける気か?
だったら付き合ってられないから俺は遠慮しとくわww
403人間七七四年:2009/07/12(日) 20:44:11 ID:2hwBFanV
>>402
なにぬかしとんじゃ。
おどりゃあ、ぶちとれえのう。
自分のレスを見直してみい。
404白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/12(日) 23:03:28 ID:o8RFC/ns
>>390
東国の主従性の色眼鏡を持って、西日本に適応しても意味があるまい。
河野氏が水軍衆から陸上がりした時点で、瀬戸内水軍衆と縁が薄うなったん
じゃ。現代でも愛媛県でも広島側に向いとる地域は関西アクセントじゃ
のうて、広島弁に近いが、伊予に近い来島と能島、広島県の因島じゃあ、
それぞれ違うわいのう。
毛利氏が、民を苦しめた根拠たぁ何なら。根拠を提示せぇや。
>>395
浦宗勝さんの史料から、「隆景卿伝」「浦備前覚書」じゃが、
立花道雪つまり戸次鑑連ら大友三将は、浦(乃美)宗勝さんの、籠城長引き
策に業をにやしとったけんのう。じゃが麻生隆実さんを唆して、浦宗勝
さんらを討ち取ろうとする姑息さよ。
405白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/12(日) 23:50:10 ID:o8RFC/ns
>>398
司馬遼太郎氏は、長州人が金に弱く、薩摩人が女に弱い対比で面白
可笑しゅう書いておられるが、実際女を強姦し、金欲が強いんは
薩摩の方じゃ。
今東光氏は、鹿児島人の脅しの投降に対し「ついでに鹿児島人の
一番悪いことを言っといてやろう。鹿児島県人は金に弱いんだ。
生意気なことぬかすな!きさまらの先輩の海軍軍人でござれ、
政治家でござれ、もう実に金に弱いんだ。だから律儀者の山口県人は
鹿児島人を長く信用しなかった。薩はいつ金で転ぶかわからない
から、長の方じゃ信用してなかったんだ。」
対談集から大石慎三郎氏が西郷隆盛について「非常な策士ですね。」
に対し津本陽氏は、「長州の方がまだ鹿児島に比べると一本気の
ような感じがしますね。」
司馬遼太郎氏と鹿児島人の海音寺潮五郎氏の対談で、薩摩の節操の
無さについて海音寺氏は、「薩摩人の頭の悪さによるもので、
えらい奴が出て来て号令をかければ、その通りに動くという行き方
ですね。薩摩人は現実的過ぎてやることに全然筋道が通ってないから
嫌いだが、有馬新七だけは大好きだといって大変賞める人もあるの
です。三田村鳶魚翁がそうでした。」とされるが、鹿児島人や
薩摩人的な九州人に節操を求めても、寝返るんがオチじゃけんのう。
>>401
三村氏の婦女子軍には相手出来んと退却したよ。毛利勢は。
撫で斬り云うて誰がや。提示せんかい。
406人間七七四年:2009/07/12(日) 23:56:13 ID:8lJ7/GlF
>>403
おいコラ、お前こそ何をほざいとるんじゃボケが!
394に原因は毛利にもある三村の気持ちもわかると書いとるだろが!
お前の目はふしあなか!

素直に謝りゃいいんだよ
「言葉を知らない無知でした」
「備中兵乱を捏造してスイマセンでした」てなww
吠える事しか出来なくなったか?負け犬がww
407人間七七四年:2009/07/13(月) 04:09:33 ID:PEJY3EK6
やはり広島人は日本最大の基地害だな。
自分たちが絶対に正しいと信じて疑わない。
ああ言えば上佑みたいなヤツらだ。
いや萩など山口人も基地会だから
毛利関係者と言うべきか。
408人間七七四年:2009/07/13(月) 10:39:44 ID:lHzb3PWx
(笑)
409人間七七四年:2009/07/13(月) 15:15:23 ID:kKvQS80l
頼むから標準語で書き込んでくれ
読む気失せる
410白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/13(月) 23:55:56 ID:2rg/JUaj
>>407
広島人は戦闘やらしたらキチガイにもなるが、軍紀における自己抑制も
同時に強い。あんたんは、戦勝の為には手段を選ばす、負け戦さを隠蔽し、
戦後も自部隊の正当化をする九州人に云うべき台詞じゃないか。
ほいで>>405の今東光氏は、神戸育ちで両親が津軽藩士。津本陽氏は
和歌山県人。大石慎三郎氏は愛媛県人で、山口県人の意見じゃないど。
411人間七七四年:2009/07/14(火) 20:32:47 ID:kf1wyJkE
文章を方言まじりで書くやつはアホなのか?
それが専門的で素晴らしいものでも、ただのうざいレスにしかならない
412人間七七四年:2009/07/14(火) 22:49:01 ID:I7XEFrWc
>>406
お前はずっと何を言ってるんだ。
俺は三村のみの字も言ってない。
あたま、ぬくいんか?

>>404
> 浦宗勝さんの史料から、「隆景卿伝」「浦備前覚書」じゃが、
これは毛利の自画自賛と捉えてもいいのだろうか。
> 立花道雪つまり戸次鑑連ら大友三将は、浦(乃美)宗勝さんの、籠城長引き
> 策に業をにやしとったけんのう。じゃが麻生隆実さんを唆して、浦宗勝
> さんらを討ち取ろうとする姑息さよ。
これは律儀な九州人、麻生隆実を褒め称えている事例だろうか。
上手く謀殺できなかった失敗例を出し、九州人の謀略の拙さを嘲笑い、
その反面として毛利元就のような手際のよさを褒め称えているものだろうか。
413人間七七四年:2009/07/14(火) 23:11:29 ID:JI+qMy2x
>>412
お前はかなり頭がぬくいようだな
今更なにいってんだかww
414人間七七四年:2009/07/14(火) 23:15:14 ID:rcUbpbbd
牛の相手はよせ
あいつはドコの板でも
ウザがられている
真性基地害
415奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/15(水) 07:31:53 ID:PSChHRPG
オレの板では大事な論客だぞ。
416白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/16(木) 01:42:02 ID:rsaFRikb
>>412
浦宗勝さんは、以前立花城の城兵の降人を丁重に扱い志賀島まで送り
届けとる。「降人をなだむるは つはもの(兵)の道なり」よ。
中国者が戦闘の礼を守る性質と九州の大友三老の姑息な礼に反する汚さとの
違いで、九州でも麻生隆実さんに限っては、つはものの道を知っておった
云うだけのことよ。
浦宗勝さんに籠城させたんは、元就さんか隆景が選んだかまで解らんが、
浦宗勝さんは、水軍衆を率いて、兵糧や軍需品の海上輸送を担っとったけん
のう。浦宗勝さんらの籠城が長引くと、大友側の在陣が長引くことでも
あるけぇ、囲む大友側の戦費を使わせることになる。
浦宗勝さん自身が戦費や状況の把握に長けておったゆえの人選でもあろう。
417人間七七四年:2009/07/16(木) 13:28:13 ID:koMrtPYh
毛利の周辺大名はみんな滅亡や改易でいないから、毛利が作った毛利マンセー史料ばっかだしアテにならんよ。
418人間七七四年:2009/07/16(木) 14:46:28 ID:lQTn/m7m
「明らかに未知数」って日本語としておかしくないか?
419人間七七四年:2009/07/16(木) 15:45:50 ID:i0CxQMUR
立花も立花文書とか地元のマンセー史料
420奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/17(金) 07:05:15 ID:qukxIoGr
因幡は池田。
出雲は越前松平。
石見は越智と亀井。
美作は森・越前松平と三浦。
備後は浅野と水野阿部。
安芸は浅野。

亀井と森を除けばみんな松平の、三浦を避ければ全て家康の子孫。
江戸時代を通して見るに、毛利マンセーな史料が周辺でのこりやすい状況だっただろうか。
421人間七七四年:2009/07/17(金) 08:28:15 ID:uH/yOUDc
立花文書は残った書状なんだから別にマンセーにならんだろ…
422人間七七四年:2009/07/17(金) 10:40:58 ID:M/G8rBuD
なら毛利家文書はOKなんだな?
423白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/19(日) 01:52:57 ID:jZ7VHEvy
>>417
一番権力の座にあった幕府側の史料なんかどうなるんなら。
>>420
浅野藩でも、毛利の史料の『陰徳記』に出とる百姓家は、
先祖の武勲から、浅野藩武家の養子に望まれる現象も出てきたよ。
>>421
九州の史料は、朱子学の影響かどうか白髪三千丈が激しいけんのう。
薩摩の泗川の戦いもハッタリじゃが、近代の熊本兵団や久留米兵団の
戦史も都合の悪い事例は隠蔽で、強がりや権威だけは張るわい。
日本の史料でも、その土地の郷土の人が書くわけじゃけぇ、
地域の性質や類型構造から史料を考察した方がえかろうに。
424人間七七四年:2009/07/19(日) 08:37:46 ID:bdteOQcS
>>422
ふざけんな!
2ちゃん毛利スレ読んでると
毛利側なんて
元就マンセー歪曲ネタ本の安西軍策から
さらに捏造改良を加えた陰徳太平記からの引用ばかりだろがw
425人間七七四年:2009/07/19(日) 14:28:52 ID:qLLfs3q5
毛利側は信用できず大友・立花側は信用できると?
どっちがマンセーなんだかww
426人間七七四年:2009/07/20(月) 08:00:06 ID:yRu2qDu3
大友は美化捏造ストーリーを編纂する以前に滅亡してしもうたからなあ。
毛利は明治維新から戦前まではさらに歪曲を繰り返して、その歴史観を完全に定着させるのに成功した。
427人間七七四年:2009/07/20(月) 17:33:12 ID:QWQM7L7M
立花は残ってる
428人間七七四年:2009/07/21(火) 00:59:11 ID:jH7tIrfg
>>426
明治維新から戦前まで歪曲を繰り返し?
長州主導で全国民に定着させたという事?
429人間七七四年:2009/07/21(火) 01:02:32 ID:K3jN5hSg
全国民に知られるほど浸透していない。
430人間七七四年:2009/07/21(火) 20:23:39 ID:LJswWXqE
>>429
その微妙な知名度こそが捏造にとって都合がよい。
431人間七七四年:2009/07/22(水) 03:19:41 ID:fXKiJJKx
むしろ戦前は毛利の宿敵、山中鹿之介幸盛のほうが定着していた
江戸時代の太閤記では最も紙数をとってたし戦前の教科書にも載ってた
戦前の人なら授業で習って誰でも知ってるぐらい有名人
長州が毛利捏造するなら山中を英雄視するような事はさせないのでは?
432人間七七四年:2009/07/22(水) 05:23:24 ID:2vj6wPBT
山中は別格だろ
当時の時代背景から忠義を吹聴し
国民国家形成のための洗脳してたしな。
433人間七七四年:2009/07/22(水) 14:38:16 ID:+2svI7nq
別に山中じゃなくても良くね?と宗茂のお父様が仰ってます
434人間七七四年:2009/07/22(水) 19:51:15 ID:fXKiJJKx
そうだな
山中の代役なんぞいくらでもおりますな
伊東の家臣なんか個人的にいいな
435白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/23(木) 00:33:02 ID:0WyPxAb3
>>432
近代合理主義、特にクラウゼビッツ戦争論の洗脳じゃあ織田信長よのう。
436人間七七四年:2009/07/23(木) 08:39:01 ID:gF6gVacd
やっぱりドラマチックじゃん
月に変わってお仕置きよって月から公認受けたり、
我に艱難辛苦を与えたまえ!我が人を欺くとも人、我を欺くこと許さずとか。
もうパクり放題。
そりゃ厨房には憧れの100万パワー超人ベンキマンですよ。
437人間七七四年:2009/07/23(木) 12:35:20 ID:2uFdZfnT
ほんとは略奪、放火、なんでもありの
単なるテロリストなんだけどな
438人間七七四年:2009/07/24(金) 08:38:21 ID:CsJq2+Lx
>>437
そりゃ中国毛利視点ならの話だろ
チベットやウイグルら亡国再興にかける想いを軽んじてはならん。
439人間七七四年:2009/07/24(金) 10:39:55 ID:bFfLIuGF
山中は普通に村に放火や略奪してるぜ
440人間七七四年:2009/07/24(金) 11:21:18 ID:CtAqVa/t
>>439困ったときはみんなそんなもん。所詮893
441人間七七四年:2009/07/24(金) 13:23:32 ID:CsJq2+Lx
戦国時代唯一毛利だけは略奪や村に火をつけない正義の軍ですwww
442人間七七四年:2009/07/24(金) 15:51:12 ID:bFfLIuGF
>>441
は?
山中がテロリストて言っただけで何故そうなる?
誰か毛利が正義の味方とでも言ったか?
過剰反応しすぎだろww
443白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/25(土) 01:24:11 ID:V0IWIy6M
>>441
軍勢狼藉の禁止は、弘冶三年(1957)十二月二日、安芸国人衆の連判状で
決められとったね。
444人間七七四年:2009/07/25(土) 07:41:33 ID:cmaAMPKi
>>443
第二次大戦後ですね。
さすが義と愛の戦士たる毛利。
445人間七七四年:2009/07/25(土) 23:59:23 ID:girHnxil
長男の隆元が長生きしてたら織田に対抗できてたかな?
446奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2009/07/27(月) 06:55:11 ID:Stu98tza
大して差はないと思いつつ・・・
元就・隆元・輝元と家督三代が揃う時期が長いぶん、戦略的に自由度が高まるから
多少は史実よりも強大になっていたのではないかと。
447白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/28(火) 01:28:06 ID:F2hicA88
>>446
義と愛云うたら、大河ドラマの天地人じゃけど、奇麗事に描いとっても、
残忍な信長や出世欲の秀吉のドラマより余程面白いですわ。
NHK大河ドラマの毛利元就は元来「義」と「情」をテーマにすべき
じゃった。諜略のイメージばっかし、うえつけよりましたねえ。まあ、
越後は人身売買の盛んでしたけど、戦場の礼は持っておったでしょう。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/417_1.html
関東兵団出身の伊藤桂一氏の文中の「戦記は同世代のための呼応の文学」に
造兵団が「逃げる敵は背後からは撃たない、という原則を持っていて、
立派だな、と思う。」と、書いておられるが、造兵団は東北、越後の兵が
多かった部隊で、関東地方の兵団と違い、戦場の礼を守る伝統があったん
でしょう。東北の伝統か?越後の伝統か?何れかになります。
「戦記も一般の日本史の中に繰り入れられそうに」では、広島師団の
特に山口、浜田の聯隊が激闘した「崑崙関」の戦いが話題になっとります。
敵の広西軍は、阿片戦争で英国軍を「崑崙関」撃退した地ですからねえ。
広島師団を武田勝頼軍、前線の広西軍を含めた中国軍を織田・徳川連合軍
にしとってじゃが、広島師団は四面楚歌に包囲され、弾薬が底をつき、
竹槍を造って敵兵を刺殺して武器を奪い、糧量も底をつき、飢えに耐え
ながら、激闘した。旅団長の戦死し、玉砕全滅するのは時間の
問題とされた中、福山41iの奇襲が成功したりして、奇跡的な逆転で
武田勝頼軍と同様にならずに済んだんです。長篠と崑崙関は逆の
結果ですからね。
やっぱし、信長・秀吉に対し毛利側の粘り強い戦闘が伝統として、
郷土広島師団に受け継がれたんじゃと思いますよ。
448人間七七四年:2009/07/28(火) 06:32:50 ID:w/JuIX80
基地害白馬青牛は巣に帰るべき
449人間七七四年:2009/08/02(日) 03:20:25 ID:Ujt49fco
外交的謀略で状況を操る政戦略の大友>>>越えられない壁>>>>>蛮族の酋長島津兄弟>>>>>越えられない壁>>>>>有力者が死ぬのを待つだけの人生80年元就
http://c.2ch.net/test/-/history/1182505705/232

毛利捏造伝説
http://c.2ch.net/test/-/nanminhis/1210524233/43
450人間七七四年:2009/08/02(日) 03:26:02 ID:Ujt49fco
>>380
対毛利戦では大友や尼子をさんざん利用した大友。
島津の北上ではその毛利や長宗我部までも味方にする宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。
しかも大友軍はまったく戦闘参加せず無傷のまま高みの見物をし、
千石らが大敗し長宗我部の衰退のキッカケまで作る宗麟の奇策。
451人間七七四年:2009/08/02(日) 11:13:23 ID:Ab08u+Y2
>対毛利戦では大友や尼子をさんざん利用した大友。

今だに「大友が尼子を動かした」とか思ってる馬鹿がいるのは驚きだね
なるほど大友が大友を利用したのかww

>島津の北上ではその毛利や長宗我部までも味方にする宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。

大友が島津に手も足も出ずに守勢を取るしかなかっただけだろ
確かに島津に勝てないので秀吉に泣きついて
土下座服従を示した宗麟の鬼謀外交術は素晴らしい。
452人間七七四年:2009/08/03(月) 19:50:21 ID:jabTt11T
2ちゃんのアホ毛利厨だけが大友が尼子残党と手を結んでないとバカな主張するよなw
そんなに大友に大敗したのが悔しいの?
453人間七七四年:2009/08/03(月) 20:51:31 ID:tHpmVxug
手を結ぶ、と動かした
の区別もつかんとはww
馬鹿だねぇ〜
454人間七七四年:2009/08/03(月) 21:32:47 ID:rA4D+txo
>>jabTt11T
あれ?
今度はこっちのスレで頑張るんですか?
ご苦労様です。
455人間七七四年:2009/09/23(水) 09:42:54 ID:TPMsW4lq
元就死去寸前は大友に破れ
大内に大都だった山口を荒らされ
尼子や宇喜田に東部を切り取られ滅亡寸前だった。
元就超絶無能。
456人間七七四年:2009/10/13(火) 19:31:06 ID:2jvNjwGo
美伊よぉ。 ワシャがんばっとるのに皆がいじめるんじゃよぉ。
なんとかならんものかいのう・・・。
457人間七七四年:2009/10/16(金) 12:32:20 ID:x/6BoVJ+
しおしおなさいますな
458人間七七四年:2009/10/16(金) 14:36:02 ID:wa/XwDfe
道雪に皆殺しされたら良かったのに毛利家
459人間七七四年:2009/10/16(金) 14:55:34 ID:kX0IOcJv
大国になるまでの評価はないのか
460人間七七四年:2009/10/16(金) 23:25:15 ID:vWhsvcqe
三本の矢を束ねたら、
折れないが遠くにも飛べなかった毛利。
461人間七七四年:2009/10/17(土) 02:32:33 ID:/kHdpcE1
久々に覗いたけど相変わらずの過疎り具合で・・・
462人間七七四年:2009/10/23(金) 23:49:14 ID:1nbiTzx6
>>447
バカがきた
463人間七七四年:2009/11/07(土) 11:39:01 ID:ucRm6jPp
ぼくのひゃくせんむはいのもとなりがまけるわけないよ。
おおともやちくぜんのしるしたしりょうはぜんぶつくりばなしにちがいないよ
464人間七七四年:2009/11/07(土) 22:46:36 ID:fLlRZnOP
>>456
くやしいのうwwwwくやしいのうwwww
465人間七七四年:2009/11/12(木) 23:23:30 ID:wz7c6zrt
さいきょうのおおともがまけるわけないんだ
つよいからしまずにめつぼうすんぜんにおいこまれたり
ひでよしにどげざでなきついたり
さいごはもうりにすてごまみたいにつかわれることになったなんてありえないよ
おおともはつよいんだ
466人間七七四年:2010/03/12(金) 13:54:10 ID:2qF6x7IO
>>452
吉岡長増について
毛利の主力軍が筑前に集結しているのを見て尼子の遺臣山中幸盛に
弾薬、鉄砲資金を援助して尼子の侵攻を手助けし、
毛利に下っていた尼子旧臣の米原綱寛に山中幸盛に合力するよう促し成功。
長増は輝弘を送るにあたり、小早川指揮下で周辺海域を支配している村上水軍の村上武吉を
筑前方面の通行税を取る権限を餌に寝返らせるが、
この寝返りを毛利元就の策略と疑い、
8月9日に大友水軍の若林鎮興に筑前の毛利軍に送る食料補給基地(周防にある)を
襲わせて村上の出方を伺った。すると確かに武吉は見て見ぬ振りをして、鎮興の攻撃は成功した。
大内旧臣たちに大内輝弘に協力するよう調略を開始し、
さらに豊前小倉城を攻めると流言を流してわざと毛利氏につかませ、
10月9日に田原親宏に小倉城を攻撃させて吉川元春、小早川隆景の注意を釘付けにし、
同日、輝弘に兵を与えて筑前に出兵中の隙を突いて毛利領の周防国に侵攻させた。
毛利氏の強みは村上水軍に守られ、大友が周防.長門を攻撃できないことであった。
これを突破したことは長門に本陣を構える元就を驚愕させる。この策は見事に当たり、
兵がいない周防は輝弘によって次々と侵食されてゆき、驚いた元就は主力軍を全て筑前から撤退させた。
467人間七七四年:2010/03/23(火) 17:14:43 ID:YMdPxeJh
468人間七七四年:2010/03/24(水) 10:36:33 ID:6G7q85gN
仮に周囲が弱小だったとしても英雄なんて運要素も含まれるんだから
あれだけでかい領土まで広げた元就が雑魚ってのはないだろう
んなこといったら政宗・早雲・道三等等といったやつらが皆雑魚になるわ
469人間七七四年:2010/03/25(木) 14:23:35 ID:IDvOsOVE
元就嫌いな奴がただほざいてるだけだから気にするなよ

2Chでは通用しても世間では通用しない奴らだから
470人間七七四年:2010/03/31(水) 02:48:59 ID:KO9GMoFY
2chも通用してないがな
471人間七七四年:2010/03/31(水) 18:51:17 ID:YxG3+NuN
>>462
なぜ中世の広島県民は戦争が弱かったのか
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1261316855/
472小倉兵長:2010/03/31(水) 20:03:18 ID:SJYGYvue
やっぱし、信長・秀吉に対し毛利側の粘り強い戦闘が伝統として、
郷土広島師団に受け継がれたんじゃと思いますよ。

なんじゃこりゃ?
信長・秀吉に対し一戦もせず。
三木・鳥取を見殺しにして運良く生き延びたのが粘り強い?
意味不明だな‥
473人間七七四年:2010/03/31(水) 20:06:58 ID:SOhjx+jB
 このスレ立てる前に、いろいろな文献を調べてみようと思わなかっただろうか。
 戦いを挑むのにそれ相応の準備をしてから、挑むわけだが、
 無防備で戦いの仕方も知らない人間が、大衆の面前で「チェストー」
 って叫んでも「なんだあれ?」と思われるだけだと思うが…。
474小倉兵長:2010/03/31(水) 20:26:42 ID:SJYGYvue
毛利元就は陶軍を宮島で撃滅させた。
これは評価して良いだろう‥
じゃが、撃滅させたのは明らかに戦略ミス。

殺すのは陶軍の大将各の武将だけで良かった‥
その後領土の広さに比べ、動員兵力が著しく低下し‥
北九州攻略失敗の遠因となり、織田(秀吉軍)へも対抗出来なくなった。

元就が中国地方の守りに専念せよ。と語ったのは兵力不足である事を裏づけている。
475す@死:2010/04/01(木) 02:55:40 ID:rigc4iQc
尼子と大内の強大な勢力に挟まれて生き延びた手腕は評価されるべきでしょう
キツイよこれ

島津の方が楽勝なんじゃないのか、弱小九州の覇者
476小倉兵長:2010/04/01(木) 03:08:55 ID:vg8dlZQJ
戦国時代初期頃、島津家は分裂状態にあり‥
戦争状態で周辺国より不利な状況にあった。
477人間七七四年:2010/04/01(木) 18:11:42 ID:pOcFFgCi
>>475
毛利は代々の安芸における一揆の盟主の家柄であり
武田が大内の支配に協力しないとわかると
毛利を保護し、海側に領地をやったりと厚遇していた。
尼子も安芸を握るポイントを一揆の盟主の家柄である毛利と踏んで好条件を提示したりしており
二股をかけて利益を得ていた毛利の肥え太り。
大内も尼子も毛利を滅ぼそうとしたことなど一度もない。
ただ自陣営側に引き入れたいだけだった。
元就はなんら策なく、ただSEXに励んでいただけ。
策はなくとも裏切り人生だけは持っていたので長女を生贄にして
裏切り急襲など、裏切りには暇が無い。
478す@死:2010/04/01(木) 18:27:40 ID:8jxvD4Mu
尼子と大内飲み込んだんだから大したもんだよ毛利は
479人間七七四年:2010/04/01(木) 18:59:54 ID:pOcFFgCi
尼子と大内が自滅しただけ。
敵失を評価することはできない。
しかも陶や義久は元就を信用していたのに
完璧に裏切られたように
信義の欠片すらないキチガイをどう評価できるのか?
さらに大友に敗北し、大内残党には山口を焼かれ
尼子残党には東側を侵食されまくられ
元就死去前後の毛利の領地消失率で考えれば
滅亡の寸前の瓦解がはじまっていた。
元春の働きがなければ
義隆や義晴の死去時の瓦解開始と似た条件が揃っていた。
480人間七七四年:2010/04/01(木) 19:01:39 ID:pOcFFgCi
×義晴
○尼子晴久
481人間七七四年:2010/04/02(金) 02:26:00 ID:HrL1W4/R
>>479
大丈夫、自滅の一言で簡単にかたずける君がどう思おうが世間は評価してるから
482人間七七四年:2010/04/02(金) 10:38:56 ID:PsptJC7X
>>481
毛利厨はソース皆無のマンセー捏造軍記でも読んでオナヌーしてろw
483人間七七四年:2010/04/03(土) 22:39:22 ID:+McktuYs
>>482
お前はいつもニチャンで自慰行為だもんなww
484人間七七四年:2010/04/09(金) 11:20:46 ID:iI2sK1nr
毛利厨って基地害過ぎだよな。
元就だけでなく隆元や隆景まですげー過大評価しまくりだし。
元春だって九州で殿と言う最も軍事的才覚と指揮と統帥と組織力が要求される戦略的撤退において大失敗して立花道雪らにフルボッコされて軍隊として崩壊した挙げ句に長駆大敗走してるし。
485人間七七四年:2010/04/09(金) 18:09:30 ID:Jv0vb7Il
元春って陶に掘られたんだよな。
隆元は義隆に掘られたし
兄弟そろって尻の穴がユルユル
486人間七七四年:2010/04/10(土) 08:30:42 ID:iDOHC/bn
隆景も義隆にホラれてるぜ。
487人間七七四年:2010/04/12(月) 00:33:10 ID:nMBOajpV
mjika
488人間七七四年:2010/04/16(金) 23:04:14 ID:gVpulmBL
大内仕込みのテクで兄弟同士で男色やってたっぽいな
大内義隆はザビエルに男色を非難されて席を蹴って出ていったくらい男色大好きだしな。
489人間七七四年:2010/05/02(日) 03:22:39 ID:S+WXPwNg
隆のトコだけなぜかホモと連呼します!

大内義ホモ
陶ホモ房
毛利ホモ元
小早川ホモ景
490人間七七四年:2010/05/17(月) 23:11:54 ID:Hz0ld97b
なるれす
491人間七七四年:2010/06/04(金) 12:23:17 ID:wHaTZjp+
>>489
汚いホモ4兄弟。
492人間七七四年:2010/06/25(金) 15:19:10 ID:iNAWPhTA
隆景って正妻に会う時、
よそよそしくて
しかも服装もしっかり正装して
辞宜までして接してたって言うから
完全に重度同性愛者だよね。
子が生まれないのも当然だ。
そもそも側室を持たないのも上記の話を聞けば
当然なことなんだよね。
これを歪曲して女性に対しても誠実だったとか書くバカは
脳が腐ったスイーツすぎだよな。
493人間七七四年:2010/06/29(火) 05:49:57 ID:n+9rK2ue
謙信VS元就 どっちがスゴい!?スレ
越後39
越中38
能登21
加賀35-5=30
佐渡1
上野49-34=15
信濃+出羽+飛騨+下野=6
かなり小さく見積もって150万石ってところか。
あまりに小さく見積もりすぎて削りすぎかな???
さすがに上野は削りすぎかも・・・
加賀も削らなくても良いのかも知れんね。
+10の160万石でもぜんぜんおかしくないような気がする・・・

門司城攻防戦
宗麟との同盟軍の尼子軍が後方で侵攻開始し
宗麟が政戦略外交を駆使して毛利を屈服させ香春岳城・松山城・門司城を大友に返却し和議させる。
この際に宗麟は自分から将軍に大金をつんで和議斡旋を頼んでおきながら元就が困って和議を受託しようとしたら
条件を次々に出してなかなか和議を結ばないという卓越した外交交渉をしてのけたので元就の一方的譲歩になった。

1566年尼子滅亡

多々良浜の戦い1569年
宗麟の謀略として大内輝弘の逆上陸が開始され
後方では隠岐国から上陸した尼子残党が出雲一国をほぼ奪回寸前になり
毛利軍は多大な犠牲と苦戦の末に落とした立花山城を大友に返却し撤退。

1571年に元就死去。
1574年山名氏から援助を受け尼子軍が因幡国より出雲侵攻。
1577年織田軍に参加した尼子残党が播磨上月城を攻略
494人間七七四年:2010/06/29(火) 05:50:53 ID:n+9rK2ue

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 01:35:52
宇喜多直家は勇武で鳴る三村家親を暗殺し翌年1566年7月には息子三村元親を明善寺合戦で破り
備前西部・美作から三村氏を追い払い備中深くまで侵入し
1568年には撫川城(備中南東)・猿掛城(備中南西)・斎田城(美作・備後国境沿い)と宇喜多の前に次々落城し、
最後の仕上げとして直家の調略で備中の名族庄氏が裏切り備中中枢の松山城の居城を奪われ三村氏は崩壊。
三浦氏(美作西部の有力者)も三村氏より美作西部の要衝高田城を奪還。

1569年元就が対大友戦で長府へ(翌年正月に輝元をおいて元就は吉田へ帰る)
大友との多々良浜の戦いが開始され大友に支援された大内軍が後方の周防国へ上陸し
破竹の進撃を開始しついに山口攻撃を開始し無視できない状況に。さらに尼子残党が隠岐より上陸し出雲一国をほぼ制圧してしまう。
毛利は大損害を出しながら何とか確保した立花城さえ大友に譲渡し九州完全撤退を決意し交渉に入る。
毛利軍が備中猿掛城を落城させるも備中斎田城で宇喜多勢に大敗。毛利方香川春継が尼子・三浦氏より高田城奪取。

1570年2月尼子残党の月山富田城攻略失敗。尼子と宇喜多直家は手を結ぶこととし、
尼子勝久・山中幸盛らは備中より美作へ1000の援軍を派遣し三浦氏を支援し10月には毛利軍を破り高田城は落城。
尼子勢は備中を次々に降し幸山城(倉敷北方)・松山城などの諸氏は尼子に降り毛利方の城攻めを開始しほぼ毛利は備中失陥。
同年に宇喜多配下の花房職秀は荒神山城を築城し美作支配の拠点とする(宇喜多が美作をほぼ制圧完了)
9月に元就重症の急報あり尼子残党を元春に任せ、輝元と隆景は大友の動きを警戒しながら元就のもとへ急行。

1571年6/14元就死去。
8月に新山城で山中幸盛を元春が捕縛するも逃げられる(尼子勢力が減退し始める)
毛利が備中中部で反撃を開始し松山城落城させるも備中幸山城が備中北部を制圧していた尼子に攻められ降服。

1572年毛利の支援で三村元親が佐井田城を奪取し松山城に居城を移す(備中の軍事バランスが毛利方へ)
宇喜多と毛利はこの後も一進一退の抗争を繰り返す。

1574年対織田で宇喜多・毛利は同盟し毛利の背反に激怒した三村氏は織田へ。
1575年毛利が松山城や猿掛城を落城させ三村氏を滅亡させ備中平定に成功。
1576年毛利氏が美作高田城奪取。
1577年宇喜多によって浦上は滅亡へ。
495人間七七四年:2010/06/29(火) 05:51:57 ID:n+9rK2ue

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 01:38:25
周防16
長門13
石見11
出雲18(尼子残党が暴れていたが詳細不明につき削らない事にする)
備後18
安芸19
備中17-10=7(尼子残党とそれを支援する宇喜多同盟軍がかなり攻勢に出ており三村滅亡寸前だが元就死去後には挽回し始めている)
隠岐4(尼子残党の拠点になったりしてるので元就時代に領有してたか不明だが+する)
美作と備前(元就死去時はほぼ宇喜多支配下)

毛利元就死去時の石高は106万石
九州(大友の四国侵攻による宇和郡領有による伊予での河野氏支援も含む)と中国東部での無意味な二面作戦という愚策で
東部・西部ともに劣勢に追い込まれるが死去寸前に愚かさを悟り九州から完全撤兵(健康への不安からか?)
謙信が関東を放置し上洛戦で北陸に戦力集中したのと違い元就は戦略変更が遅すぎて宇喜多や大友の支援で尼子残党が巨大化してしまった。
元就死後に中国東部のみに敵を絞り込み反攻しある程度の成功を収めてるところを見ると老害が出始めていたかも。


伯耆(10万石)因幡(8万石)情勢

1564年 西伯耆の要衝たる尾高城は毛利方の杉原盛重が派遣される。

1568年 毛利氏の九州出陣で伯耆の領主たちが九州に赴いた隙を狙って
    尼子勝久・山中幸盛らによる尼子再興戦が開始され伯耆各地を奪回し始める。

1569年 山中幸盛らの尼子残党に尾高城を奪われる(陰徳太平記)

1571年 毛利と同盟して因幡を乗っ取った武田高信が但馬侵入するも山名氏の塩冶高清に大敗。
    西伯耆の浄満原で杉原盛重が尼子氏残党(信長の支援で但馬因幡の山名氏を復興させた)と戦う(陰徳太平記)

1572年 因幡国人の大半が山中幸盛側になびき武田高信の大敗で鳥取城陥落し因幡が完全に山名領国化。

    西伯耆と分断された東伯耆の国人の南条宗元は毛利と同盟しているが
    孤立無援の中でかなり苦戦してると思われる(毛利に援軍派遣の余裕はない)

※陰徳太平記は毛利氏によって編纂されているので毛利贔屓になっている。
よっておそらく杉原盛重は浄満原で負けていると思われる。
496人間七七四年:2010/06/29(火) 05:53:00 ID:n+9rK2ue

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 01:42:20
元就死後に元春のがんばりで対尼子の出雲情勢が好転してくる状況で、なおかつ美作国方面はほぼ宇喜多の手に落ちている。
よって伯耆以東は尼子の勢力圏化が進み連絡線も断たれ孤立した各国人が独自の防衛政策で必死に守っており
毛利の軍事プレゼンスも期待できない以上は影響力が皆無に等しく毛利領と見なすのはかなり無理がある。
しかも出雲・隠岐もかなり尼子に蹂躙されているが>>693ではまったく石高を削っていない状況なのでさすがに伯耆分は追加不能。
厳密に計算したら元就死去時の石高は、ほぼ100万石くらいまで落ちる気がする・・・がそんな事したら毛利厨が過小評価だと騒ぎ出しそうだし遠慮しとこう。
>>645>>650
微妙なところなんで謙信の場合はあいだをとって155万石とするか・・・160万石でもおかしくなさそうだがそんな事したら毛利厨がヒイキとか騒ぎ・・・w

やはり隠岐は毛利領から石高削るべきだな
隠岐は現在こそ島根県だから近いように感じが実際は出雲と伯耆の境目の北海上にある。
また山中鹿之助が拠点を置いていたのは新山城といい松江市の北だ。
とするとさらに背後にある隠岐はまだ安全圏だろうし新山城の位置から万が一には隠岐に脱出するルート保全もあったと思われる。

ちなみに羽柴秀吉の中国遠征軍(てきとうに概算)
播磨35万石
但馬11万石
因幡8万石
伯耆10万石のうち東部3郡羽柴方の南条6万石
宇喜多備前22万石+美作18万石
合計100万石

あーもう石高で同等に追いついちゃってるよ・・・
これじゃ毛利軍はどうあがいても100%かなわないわ。
そういや他にも近江長浜からつれて来てる兵や信長からも与力つけてもらってるし
淡路6万石
長宗我部に侵攻され滅亡寸前の三好讃岐領もあるんだよな。


39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 04:44:52
毛利元就200万石って大ウソなんだな…85歳って天下統一した家康の年齢と同じだけ生きたのに50歳過ぎでやっと安芸一国統一レベルじゃな…
497人間七七四年:2010/06/29(火) 05:56:25 ID:n+9rK2ue
昨年の歴史読本6月号だったか!? 
に歴史学会の新説についての特集が
あり、そこでは厳島合戦での陶軍の
兵力は8千人との新説が紹介されていた!
それによるといままでいわれていた2万
の兵力は陶側が各地の戦線に配置した総数
とのこと(いわゆる桶狭間の今川軍が2万
5千人中の5千人のようなもの)

オマエら難しく考えすぎw
簡単な話なんだよ。単純に周防17万石VS安芸20万石の戦いだよ。
陶は大内義長を自分の手のうちに収めるために手勢を置くだろうし
北九州にも備えが必要だし、内藤氏の内紛でも援軍を送らないとだし
石見にも和睦したとは言え多少の駐留軍が必要だが
毛利は全軍を投入できる。よって陶軍が寡兵で毛利軍の方が多かった。

陶の視点からだと毛利の事をどう思ってんだろ。
郡山城攻防戦の時に隆元とともに陶は援軍を派遣するように大内義隆を説得する助太刀してたし
陶と元春は武勇バカ同士でホモ文通するくらい仲が良かった。
陶が謀反する時は事前に毛利に知らせて同意を得ているし
謀反成功後は毛利に安芸は好きなようにしていいよって言ってる。
陶からしてみれば毛利に裏切られ火事場泥棒される理由が見当たらないんだよな。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 17:15:38
過大評価って戦国大名にはつきものなのか、とも思うね。
「来島扶持を以て隆元、我ら頸をつぎたる事に候」(永禄十一年 元就書状)
厳島の戦い後、十三年経っても、あの戦いは来島水軍の助力がなければ、毛利家滅亡の危機
であったことを元就自身が白状している。現に合戦当時、厳島の宮の城から隆景に「来島が
来てくれなければ万事休す、何としても助力が得られるよう交渉しろ」と、哀れなほど追い
詰められた書状も出している。これらは、毛利家文書、小早川家文書に現存しているよ。

何が起こるか予想のつかない現実の戦場で、講談のごとく、何から何まで計算通りにいく、
なんてあるわけ無いでしょ。

折敷畑合戦はなかった
tp://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscoverofhistory-thebattleofoshikibata.htm
1554年9月15日とされている折敷畑合戦を証拠立てる文書とは、
この合戦に関して発給されてたとされている感状である。全部で五通あるが、
そのすべてが偽造、もしくは限りなく黒に近い偽造文書であると結論
498人間七七四年:2010/06/29(火) 05:57:54 ID:n+9rK2ue
有田中井手の戦いもウソ臭い。従来よく言われるのが元繁が討ち死にし武田氏は衰退滅亡したということ。
だが実際には跡を継いだ武田光和は勇猛な英主で、父の死去の影響はまったくない。
1524年、大内義興・義隆親子は3万余の大軍を率いて、武田光和の居城佐東銀山城を包囲したが徹底的に抵抗し
尼子経久の援軍が来るまで持ちこたえたし、厳島神主家の後継者争いにも介入し勢力を拡大し続けた。
父が毛利に敗退し衰退してる姿など微塵も感じられない。
熊谷信直の討伐を進めていた矢先に33歳の若さで嫡子を残すことなく急死した事で事態は急変。
若狭守護武田氏の養子をもらう事で重臣の主導権争いが勃発し内紛により武田信実が若狭に逃亡し衰退したのだ。
それでも安芸における更なる拡大を目指し尼子詮久に毛利攻めを要求し実際に毛利攻めの際の武田氏は佐東銀山城に集まり、
大内の大軍の猛攻を支え続ける勇猛ぶりを発揮し毛利への援軍を阻止し陶の別働隊を組織し毛利援軍へ派遣せざるおえなくなる。
毛利が尼子の軍を相手に籠城したことばかりを過大に宣伝するバカがいるが
実際には大内領に隣接した武田の士気の高さと防衛ぶりの方がすさまじい。結局、尼子の撤退で孤立無援でフルボッコ。
なおも耐えていたが尼子経久の死去に伴い尼子派国人領主が大量に大内氏へ寝返ったため完全に孤立し滅亡した。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 19:28:38
厳島合戦で毛利が勝ったのは
能島村上水軍が陶
因島村上水軍が毛利
そして来島村上水軍がどっちに付くかで毛利は来島水軍が味方についてくれなきゃ終わりだと言ってた。
瀬戸内海の水運権益を手放して大幅常歩した結果、来島水軍が味方になり毛利が勝っただけ。
毛利は何もしてない。
60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 14:28:50
>>43
毛利の資料ってほんとデタラメだよな。
武田もそうだけど尼子も経久死去した後に晴久が暗愚だったから新宮党を虐殺し衰退したみたいに書かれてるけど
実際は晴久時代の尼子が最盛期なんだよな。
晴久の急死後に20歳の義久が石見銀山ごと石見国を毛利に譲渡する和睦を結んだのが致命傷になっただけで。
大嘘つきの元就が見事に約束を反故にして出雲の国人を次々に切り崩して月山富田城まで侵攻された。
499人間七七四年:2010/06/29(火) 05:58:41 ID:n+9rK2ue

大内と尼子の自爆待ちで
気付いたら当時の平均年齢50歳でみんな死んでて
自分が地域の長老になってたので
死んで他に誰もいないのでやむをえずみんなに推戴され
(元就視点ではもともと安芸の国人一揆の盟主の家柄だし当たり前じゃボケ国人どもめ!)
吉川も小早川も普通に跡継ぎいないから次男か三男くれない→いいよ別に!
大内義隆が陶の謀反を知り調伏の護摩焚いてたらマジに陶が殺しにきた→陶が山田事件起こす→石見国人謀反→討伐中に元就火事場泥棒→
厳島でなにやら占いや気をみたりする陶がここ数日は大凶だから休戦日だな!→大凶?関係ねーよと元就襲撃→卑怯なり元就ぃ!
→石見銀山ゲット!ってあれ晴久突然死→20歳義久は毛利をビビリ石見を毛利にプレゼントするから和睦しよ♪→石見の国人見捨てられる→
うっひゃひゃ銀を出雲国人にばらまけ和睦なんて関係ねーし侵略じゃ!

実際は水上兵力を含めれば毛利より少なかったりしてなw
なんせ当主を殺してしまったので主従が疑心暗鬼になり、まとまりにかける陶軍は石見で大苦戦して和睦せざる負えなくなったくらい追い詰められた軍だし
石見から強行軍で中国地方を縦断して進軍してきたら使役の割に褒美がもらえるかもわからんし部下も離散するだろう。
長門守護代の内藤氏すら甥と叔父が内紛中だし。
周防の残留軍は火事場泥棒した毛利にすでにやられてるし北九州にも一応は備えないとだし石見にも兵力を拘置しなきゃならん。
陶は背後に多くの火種を抱えて戦力集中はできないのは明白。周防の石高から6000も動員できないんじゃないか?
元就の壮年期はセックル大好きでひたすらガキを作りまくって成長後には親戚作りをやってたんだろう。
外交的にはことなかれ主義で主に大内の庇護と援助をうけていた。
家督問題介入で怒ってたが尼子にも良い顔をしたりと卑屈だが八方美人をしてた。
大内としても安芸守護武田の支配に対して昔から反抗していた国人一揆の議長役をしていた毛利を通して安芸支配を固めていた。
尼子も武田がダメなら安芸支配のポイントは毛利だとして吉川氏経由で支援して優遇していた。
要するに大内と尼子の勢力圏の緩衝地帯に毛利がいたってわけ。
だから双方の傘下に両属し厚遇された毛利はけっこう美味しい地位にいたし力を蓄える事ができた。
またセックル好きのおかげでガキに恵まれ自身も地域の長老になるとかなり有利になった。
毛利は典型的な他力本願タイプで寄生虫・宿り木・小判鮫をして主家が衰退するのを待って地位を簒奪したと言える。
毛利家は代々の安芸国人一揆の議長役という地位が非常に有効になったんだろう。
500人間七七四年:2010/06/29(火) 06:00:35 ID:n+9rK2ue

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 18:58:20
周防も安芸も同じ瀬戸内海だから平等な土俵じゃないか。
水運経済は水軍に依存しており毛利だって小早川水軍を持ってたから通行税やら湊使用料を同じように取ってたろう。
だったら差を分けるのは地力
瀬戸内海があるから比較できないなら琵琶湖水運があるからとか日本海貿易があるからとか
伊勢湾があるからとか河川流通があるからと何一つ比較できないだろが。
毛利厨だけがそうやっていつも逃げるんだよなw
陶は大友にもある程度備えないとだし
陶が支配の正統性の象徴である傀儡の大内義長が拉致られないよう兵を置かなきゃならん
長門の内藤氏の内紛にも兵を出し介入し自派に勝って貰わなきゃならん。
石見で苦戦しまくり和議したものの破棄して背後を襲ってこないようにある程度の兵を置いて備えなきゃならん。
安芸に振り分けられる兵力なんてごくわずか。

>小早川は別家で関係ねーよ。毛利は安芸の大内陶派を討って安芸をほぼ統一したのが厳島の数ヶ月前
1年ほど前までは安芸の中枢部沿岸部すら大内の支配下にあったから水運経済なんてねーよアホか。
→元就が尼子から大内氏に寝返ったときにの条件として、大内氏から広島湾に近い飛び地の所領数カ所をもらっています。

>毛利の影響下にあるのは山間部ばかりって言えるし財政的にも弱い弱小勢力だったのに。
→山間部でも相当な収益を上げていました。毛利氏の足元の安芸吉田で駒足銭という通行税を徴収する権益を井上氏は持っていた。
吉田は出雲街道の要衝にあり石見銀山や石見、安芸の国境地
帯に広がる当時我が国最大の一大製鉄「工業」地帯に往来する商人達の通行が
多く駒足銭の徴収権は重要な経済的な権益だったが井上を滅亡させ元就は横領した。
また正妻の実家である吉川氏を奪い貴重だった鉄の生産地も手に入れ(謙信も毛利から鉄を買っていた)
元就は高橋氏に出した人質の娘を見殺しにして高橋氏を滅ぼし木材売買も手に入れた。

>まず義長が大内にいるのに大友に備えてというのは不自然。 これでは義長がいる意味がない。
それと大友義鎮の書状で「義長に援軍頼まれたけど毛利との約束で自分は泣く泣く弟を支援しなかった。
その辺のことを考えて、九州の大内領は大友が継承するのを認めてね。
あと秋月とか筑紫が反大友で騒いでるけど支援しないでね。」みたいな文書が残ってる。以上から大友に備えてと言うのは不自然
→これは大友が筑前豊前権益のため義長を犠牲にして毛利に内通してることを現しているって事です・・・
だから陶はそちらにも兵力を置いて牽制しなきゃならんのです。
それに基地害になった陶は野上房忠に命じて筑前守護代杉興連を殺害し豊前守護代杉重矩も殺したり宗像騒動で北九州情勢は不穏です。

>義長が拉致されないようにと言うけど、厳島合戦に参加しなかった多くの大内氏家臣や内藤隆世は守ってくれてるはずだろ?
→ 娘婿である毛利隆元とその父元就を支持する五男・隆春派と内紛中で山口にまで抗争は波及してます。
501人間七七四年:2010/06/29(火) 06:02:43 ID:n+9rK2ue

>毛利だって尼子に備えて兵を置かなければならず、宍戸隆家が残ってるだろうが!
→当時の石見も備後も大内領国化していて安芸は安全圏になっています。下記年表をご確認ください。
尼子晴久の戦力集中は東側で1551年〜1554年に渡り備前に出陣し播磨の浦上政宗と結んで宗景の居城である備前天神山城・沼城まで進出
1553年4月備後北部の三次盆地に勢力を持つ江田氏は毛利氏を中心とした大内氏方国人の攻撃を受けた。
江田氏を支援するため、晴久は自ら備後国高へ出陣して萩瀬にて毛利の援軍の陶晴賢率いる大内軍と激突したが勝敗つかず、
10月には江田氏の居城・旗返山城は落城し山内氏も大内方へと下った。尼子側国人宮氏も滅亡し備後は大内氏側へ。
1554年新宮党を謀殺する。この年の前後には相変わらず浦上氏と敵対し尼子の戦力は備前へ。
1555年に厳島合戦により石見の大内勢力が大減退によりやっと尼子が石見に再進出。
1556年に毛利軍を忍原にて撃破(忍原崩れ)9月には石見銀山を奪取する→尼子晴久急死
→尼子義久20歳が銀山ごと毛利に譲渡し和睦を願う→元就が約束を裏切って銀山収入を使って出雲国衆を裏切らせる。

>対する陶は大内全体の軍事指配を行っていた豪腕の持ち主で、当主義隆を討った後に家中をまとめあげ、更に大友家から当主養子を
迎え実質的に九州からの脅威を排除するという政治的センスもある男で今項羽とか西国無双として中華まで知れ渡ってた男だ。
→陶は北九州を混乱させ恐怖政治の殺戮だけでなく無能の石見守護代の問田隆盛を信任して
石見の吉見正頼の謀反が鎮圧できず津和野三本松城の戦いなどで陶自らが周防から遠征し大苦戦し実質敗北の失策続き。
そもそも陶は実力でのし上がってきた男ではありません。少年時から美男で義隆に寵愛されただけ+父の威光の七光りの無能。
直情型で独断専行な性格で文官の相良武任との政争に負けた挙句に追い詰められ破れかぶれの無計画な謀反です。
陶は主家殺しで疑心暗鬼になり片っ端から有力大内家臣団を虐殺し自らまわり中に敵を作りまくり自爆した。
末期症状で自分の領国の周防さえ満足に統治できなくなってたろう。
陶の主力となった元就をよく知る勇将江良房栄の殺害を安芸守護代弘中隆兼に
身の潔白を示すために殺せと命じ軍のさらなる不和を演出w
さらに慎重論を進言し再三諫めたら弘中隆兼を臆病者呼ばわり。
渡海後に弘中隆兼が武王の例を引用し宮尾城の準備ができてないので運気や占いを信じずに今すぐ落城させろと
陶に進言するも大凶日は休戦日として軍備を解き無駄に日数を費やすアホぶり。
今項羽とか西国無双もそんな厨っぽい記述は一次史料にありません。

>>厳島に囮として宮尾城を築城し桂元澄が陶に偽りの内通をさせて郡山城に行かせずに宮尾城に誘き出した。
→まったくの大ウソ
宮尾城は以前から厳島に存在してたし桂元澄内通の偽起請文なんて存在してないデタラメだし、
1540年に陶が郡山城を救援しに行った時も岩国から厳島に渡海してる交通路。
しかも厳島合戦に従軍した名前に内藤や杉の名前はなく戦死者の名前も陶氏の家臣や周防南部の武士ばかり。
どう考えてみても周防からの動員数しかいない。

はっきり言って毛利の記録は捏造歪曲と自己正当化のウソばかりで信用できないシロモノです。
502人間七七四年:2010/06/30(水) 20:22:53 ID:xJl72lPw

明治政府によって毛利元就は献金の功により正一位を授与された
他にも捏造した講談で人気があるが、史実では略奪ばかりで国内を疲弊させただけの大名連中も高い官位を授与されている

それに引換え、国内の商業・産業の発展に寄与し
多額の献金で朝廷や寺社を支援した大内義隆は全く評価されずに従二位のままだ

長州藩により防長の領民を、長州閥により全国に「大内義隆は暗愚、だから毛利の簒奪は正当」
という教育が行われてきたんだよな
いまだに信長の野望では毛利は大内から独立した大名だし。
503人間七七四年:2010/06/30(水) 22:10:16 ID:A2H6Iwv0
>>502
陶を無能とする事で毛利を無能にしようと必死w
まあ陶は実際大した戦功もないんだがな
何にせよそんな元就にまんまと領土奪われ滅ぼされた大内尼子はド屑の集まりですね
504人間七七四年:2010/07/01(木) 01:43:57 ID:ecj0up5K
大友ごときにボロクソに負けた毛利。
よっぽど中国地方のレベルが低すぎるんだろうねぇ。
畿内からやってきた秀吉にもボロクソ。
日本で一番レベルの低い争いをしてたとしか思えんねぇ。
505人間七七四年:2010/07/01(木) 17:24:37 ID:SgGQRnMK
>>502
前に戦中に出版された
現在の毛利関連本や毛利親子の評の元ネタとも言うべき元就や元春の本を読んだけど
さすが戦中だけあって気持ち悪いくらい軍国教育研究の成果が反映されてた。


もう私利私欲の公私混同で長州閥が官位位階までいじってるのが明白だよね。
贈正一位 毛利元就 明治41年4月2日 従四位上
贈正三位 吉川元春 明治41年4月2日
贈正三位 小早川隆景 明治41年4月2日
贈正三位 毛利隆元 明治41年4月2日

ちなみに
贈正一位 豊臣秀吉 大正4年8月18日 従一位
贈正一位 織田信長 大正6年11月17日 正二位
506人間七七四年:2010/07/02(金) 10:27:49 ID:75icAsvD
つまり元就>信長という事か
何という捏造勝ち
507人間七七四年:2010/07/02(金) 15:21:03 ID:v/QV6gZp
輝元は?
さすがに長洲閥のゴリ押しでも暗愚輝元には贈れなかったのか
508人間七七四年:2010/07/02(金) 17:05:05 ID:vJ2L0LCw
さすがに家康に騙され実質改易の刑で出家した輝は難しいだろ。
なんせ周防・長門2カ国は秀就を宛名として
新たに家康が与えたもんだから
現役当主のままだった上杉景勝などよりよっぽどダメダメな結末。
509人間七七四年:2010/07/03(土) 01:21:58 ID:sGe2D/zM
輝元は劉禅以下の能力だからなぁ。
隆景に折檻体罰を受けまくってたから
頭を強く打ってしまい池沼になっちゃったんだろ。
510人間七七四年:2010/07/03(土) 02:38:37 ID:5PoOXxAo
>>505
毛利家四人しかもらっていないならともかく
他の偉人たちも官位をもらっているじゃないか
伊達政宗や上杉謙信なんかは毛利兄弟より上の従二位をもらっている
それに私利私欲の公私混同ならもっと早くにあげてもいいし
他の毛利家の人間にもあげていてもよくないか
そもそも早くもらったからどうとか遅くもらったらどうとか何か関係でもあるのか?
結局はもらっているわけだし、元就と信長のもらった年数の違いも9年しか違わない

>>507
あの時の毛利家当主は輝元の子孫じゃなくて秀元の子孫だからじゃないかね
島津家も義弘は正三位をもらっているが義久はもらっていない  

                           >>505
毛利家四人しかもらっていないならともかく
他の偉人たちも官位をもらっているじゃないか
伊達政宗や上杉謙信なんかは毛利兄弟より上の従二位をもらっている
それに私利私欲の公私混同ならもっと早くにあげてもいいし
他の毛利家の人間にもあげていてもよくないか
そもそも早くもらったからどうとか
遅くもらったらどうとか何か関係でもあるのか?
結局はもらっているわけだし元就と信長のもらった
年数の違いも9年しか違わない

>>507
あの時の毛利家当主は輝元の子孫じゃなくて秀元の子孫だからじゃないかね
島津家も義弘は正三位をもらっているが義久はもらっていない

>>509
戦にも出ていた輝元を劉禅と比べちゃだめじゃね
それに頭を強く打ってしまったという一次資料でもあんの?                                                                                      
511人間七七四年:2010/07/03(土) 02:54:37 ID:sGe2D/zM
そりゃあ毛利親子を長州閥が無理矢理、
位階を引きあげて悪しき前例を作ってしまって以来、
みんな濫発するようになったからね。
正直、毛利親子の位階が無茶な昇進した日を境に
位階制度は骨抜きにされ、戦国安土桃山時代の人物の贈は
なんらの価値もないものにされたよな。
512人間七七四年:2010/07/05(月) 01:26:11 ID:R/m+KfyY
>>496
毛利厨って元就は信長や謙信や信玄より上とか言ってたけど
実際は宇喜多や長宗我部よりも下じゃんw
元就死去前後の毛利って元就の戦略ミスのせいで
一歩間違えたら滅亡もありじゃん。
513人間七七四年:2010/07/05(月) 01:59:14 ID:R/m+KfyY
>>508
しかし輝元って馬鹿だよねぇ。戦国の常識もわからんとはね。
例えばこんな話がある。

伊達が田村支配を狙って侵攻した際に
邪魔をして挙兵した石川弾正。
その弾正の討伐に向かう伊達軍の邪魔をするべく
大内備前も背後で挙兵し、成実の城などを次々と落城させる。
困った政宗は大内兄弟に土下座し自陣営にくるよう頼む。
すると大内兄弟は領地を与えろなど次々要求。
政宗がそれを飲む返事を出す。
しかし大内は「いやいや、口先だけの約束とかまったく信じられないからw」
「グダグダと言ってないでさっさと政宗に直筆の書状を書かせて持ってこいや」
そして政宗はやむなく自ら書いた書状を持たせた。

大内定綱でさえ自筆の書状じゃなきゃ信じねぇって言うくらいなのに
輝元は黒田や井伊が「家康公は毛利領を安堵してくれる約束してるよ♪」
輝元「ほ、ホントに!さ、最初からナイフ様に逆らうつもり無かったの信じてくれたんだ」
なんて簡単に騙されるとか愚者すぎだろwww
514人間七七四年:2010/07/05(月) 02:55:25 ID:tLaLz2BU
>>494
元就のおかげで
宇喜多大分得してるな
515人間七七四年:2010/07/05(月) 11:00:19 ID:9X8StlOy
壊れたテープレコーダーさんは大変だなwwwwwwwwwww
複数スレにおいて深夜の布教活動乙でありますwww
516人間七七四年:2010/07/06(火) 02:55:14 ID:Q2uyP0aH
皮肉なことに
毛利の戦略的失敗の連続が
宇喜多を育てたようなもんだからね。
517人間七七四年:2010/07/07(水) 11:40:06 ID:C+yXeGMk
毛利元就はなぜ山口を本拠地にしなかったのでしょうか?
また、支配者が代わると前政権の否定をするのが常なのに
陶隆房や毛利元就は大内の方針を継承していました。
ところが毛利輝元の代のいつ頃かわからりませんが大内の方針を全否定しています。
高麗版大蔵経(一切経)を惜しげもなく三井寺に寄進しています。
大蔵経といえば歴代の権力者が欲した貴重品。
その他にも厚狭の干拓事業も三年寝太郎というお伽話にすりかえられたり
大内の実績をもみ消すのに必死になっています。
518人間七七四年:2010/07/07(水) 16:09:10 ID:u3NsjA8h
国人衆の集いだからな
変えたらただでさえ不安定になのに崩壊するかもわからん
519人間七七四年:2010/07/12(月) 09:12:51 ID:DcaQQkTR
>>517
山口を拠点にしなかったのではなく復興に失敗して出来なかった。
武田が駿府を活用できなかったのとおなじ。
大内路線を継承したのは大友氏と遺領争いを繰り広げていたことや
日明日朝貿易の利権を継承を目論む目的があった。
毛利輝元も当初は大内路線だったが関ヶ原で大減封されて防長に移ると家臣の整理を行ったが、
他所から従って来た家臣は覚悟はできているが、元々防長土着の国人衆や民は重税で苦しむことになった。
当然、裕福だった昔の大内と重税の今の毛利を比較されるので大内の大否定を計った。
一切経の園城寺(天台宗)への寄進も関ヶ原の後に行われているが
当時徳川家康のブレーンとなっていた天台宗の南光坊天海に関係する政治工作に利用されたという見方もある。
寄進は大内が神仏に手厚いという事実をもみ消しつつ、天海に取り入ることができるという一石二鳥だったわけだな。
520人間七七四年:2010/07/12(月) 17:34:05 ID:ZiHGfqpb
>>512
毛利は大友戦で働いたものへの加増ができず
財政が悪化しまくってしまったようだよ。

信長との戦いも動員兵力がどんどん下がったのも財政が原因。
秀次に大金を借りていたのもそのためだそうだ。
521人間七七四年:2010/07/12(月) 21:39:11 ID:q2V4kCUG
毛利一族で優秀な奴は皆無だよな
戦国随一のヘタレ大名揃いじゃないのか?
元就は多少ましだが、後は最悪の屑しかいない
輝元なんて知性も無なくヘタレだし最悪だろう
522人間七七四年:2010/07/13(火) 00:07:48 ID:BcnKF95/
>>513
政宗がただ自筆で書いただけの書は拒否ってる。
ちゃんと神仏に誓った当時としては
臣下の身分に出すような書状形式ではなく
実質的に政宗の方が頭を下げているレベルを
要求して呑ませてる。
523人間七七四年:2010/07/14(水) 18:59:13 ID:0mPtIgJU
神仏に誓うなんてよっぽどの交渉事じゃないと書かないもんね。
例えば大名と大名との間の重大な和睦交渉で稀にやるくらいだよね。
524人間七七四年:2010/07/15(木) 21:54:23 ID:5Y0aWKvE
>>521
そもそも元就以前は地方の一国人にしか過ぎなかったしな
525人間七七四年:2010/07/16(金) 23:39:06 ID:xTg9RfVr
寧ろ毛利氏にとって元就の存在自体が奇跡のようなもんだからな
526人間七七四年:2010/07/17(土) 02:08:49 ID:s38xNZ8S
そうだよね。
裏切りだけが得意な無能だけどライバルが自爆しまくるなんて
運だけは良かったもんな。
あとはこの地域一円の一揆の盟主の家柄ってのはデカかったな。
おかげで尼子も大内も自陣営に加えたくて厚遇してくれたもんなあ。
527人間七七四年:2010/07/17(土) 16:36:13 ID:CdR29Mrw
595:人間七七四年 07/15(木) 14:19 TRfU3i4p [sage]
毛利輝元以降の毛利氏によって大内義隆は文芸に溺れた暗愚な当主とする風潮が広まってしまいましたが

・備後における神辺合戦のように軍事活動も成功している
・一揆の拠点にされやすい寺社を復興させることは民衆の一揆抑止に役立った
・公家を迎えることは地方の山口において機密情報入手の手段としては適切
・文化人を招いたり、産業を奨励したことは領内における輸出物品の生産という結果をもたらし、投資として成功している
・経典を積極的に求めることは現在人からみれば散財に過ぎないが、当時は四書五経の知識量で人物の優劣を決める経典主義だった
・この方針は中国では1905年まで続いていた。(現在の受験戦争において良い塾に通わせるようなニュアンス)
・出雲遠征以降衰退したとされているのに倭寇取締に支障をきたすこと無く、明王朝から国王として認められ続けている
・同じく衰退しているはずなのに朝廷も従二位を授けている。
・死後、倭寇の台頭。倭寇衰退後の日明貿易途絶と国内通貨危機。それによる南蛮人によるボッタクリなど日本経済の打撃。

略奪や労役で軍事施設を作り国土と民を疲弊させただけの地方豪族達が
合戦の結果だけで戦国大名として優秀と言われていますが
大内義隆を評価できる面は多々あります。
山口県は縁の薄い毛利元就を広島から横取りして戦国ブームのネタにしようとしていますが難しいでしょう。
そろそろ大内義隆を再評価させていくべきではないでしょうか?

運が悪いことに、「大内滅亡を予期していた」と各地の武将に後出しで言われた為に不当に世間の評判が低くなっています。
これらは朝倉宗滴や山本勘助の人物像を高めるために講談で利用されている側面もあります。
佐藤藍子的な後出しであることを各方面に抗議していく必要があると思います。
528人間七七四年:2010/07/17(土) 19:29:02 ID:KOxNmZ0D
コピペ張るだけとかバカの極みだな
529人間七七四年:2010/08/04(水) 21:20:43 ID:S2UJl71I
なんか派手さ少ないから、今まで注目してなかったんだけど、
九才あたりで領地追い出されて天涯孤独な状態から、10カ国の領主ってのはすごいよね。
六分一殿だよ。
秀吉が全てにおいて目立ちすぎるからかな
530人間七七四年:2010/08/10(火) 00:13:07 ID:7TlkjP7v
秀吉や天涯孤独から将軍になった家康よりはショボイけどな
531人間七七四年:2010/09/02(木) 01:32:55 ID:7D/qM6U8
毛利信者が元就が大軍で負けた戦いスルーするのは何で?
532人間七七四年:2010/09/02(木) 23:28:51 ID:YrPZ5Cdb
>>531
どこで無視したの?
533人間七七四年:2010/09/05(日) 17:00:42 ID:SIHW+011
相変わらず嫉妬の酷いスレだ
534人間七七四年:2010/09/05(日) 23:51:18 ID:d2wv57Pv
糞スレなだけにshitなんちってw
535人間七七四年:2010/09/09(木) 12:27:57 ID:tItGgBX1
>>529
そもそも生い立ちが嘘くさい。
だいたい井上を悪く書いてのちに井上を謀殺する理由を作ってるみたいだし
井上によって少年元就が追いやられるとかあまりにも有り得ない話。
だいたいその期間の福原とか元就を助けず何をやってたんだって話になる。
元就は幸松丸暗殺の下手人の可能性も高いし。
536人間七七四年:2010/09/09(木) 14:30:00 ID:Zb/EWet+
長州閥が政権を握ったせいで神格化されているんだよな
537人間七七四年:2010/09/10(金) 20:14:11 ID:48WJIkHS
>>535
そこら辺りの記述自体が一次史料じゃないしね。
538人間七七四年:2010/09/30(木) 21:05:06 ID:WVdjIXGB
>>535
>だいたいその期間の福原とか元就を助けず何をやってたんだって話になる。
丁度その頃は兄興元が大内義興に従って上洛してた時期だと思ったが
多分他の家臣も付いていったとは思うけど果たして誰が行ったのやら
ちなみに外祖父の方の福原広俊はこの頃は既に死んでるとも言われてるな
539人間七七四年:2010/09/30(木) 22:21:55 ID:oWCRS6eW
毛利一族も福原一族もみんな一族揃って上洛して、
安芸には井上の息がかかった奴しか残留してなかったの?
じゃあ井上の支配されて毛利一族も福原一族も安芸に帰れなくなったんでない?
だって当主の実弟の元就まで城から追放した挙げ句に幽閉してるほどの支配を確立してんだろ。
540人間七七四年:2010/10/01(金) 05:41:02 ID:eOGrhuLs
少なくとも井上に文句言えるほど力のある人は安芸残留組の毛利一族にはいないでしょ
父親は既に死んでるし一族内の名前も分からないような人ではそんな力ないでしょうし
一族以外の家臣達は11歳の小僧とどっちにつくかという事になると井上の方につくでしょ
(と言っても見て見ぬふり程度でしょうけど)
勿論この人達は興元が安芸に帰ってくれば掌を返して毛利の方につくでしょうね
それにしても一体何処から幽閉という言葉が出てきたんだね?
追放と幽閉では全然意味が違うが
それに城と言っても当時元就がいた城は吉田郡山城ではないし
541人間七七四年:2010/10/01(金) 06:29:00 ID:X4XeYP/a
>>540
そんな非現実的なストーリーは有り得ないな。
やはり造り出されたデタラメ話に過ぎんな。
興元が戻ってきたら井上から離れるなら、
バカじゃないんだから最初からそんな愚かなことをやって後難を受ける恐れを慮外するわけないだろ。
しかも大内様が明らかに激怒する話じゃねぇか。
明らかにそのデタラメ話を成立させる事は無理がある。
542人間七七四年:2010/10/01(金) 07:06:26 ID:eOGrhuLs
>>541
>興元が戻ってきたら井上から離れるなら、
>バカじゃないんだから最初からそんな愚かなことをやって後難を受ける恐れを慮外するわけないだろ。
そりゃあ家臣達は見て見ぬふりしてただけで表立って井上に鞍替えはしてないでしょ
それに横領した領地はあくまでも多治比の分家の方であって毛利本家の方ではないし
543人間七七四年:2010/10/01(金) 07:20:08 ID:X4XeYP/a
現実問題として分家だと言っても先代の息子であり
現在の当主の弟をそんな粗末にできるわけねーよ。
見て見ぬふりとか完全に妄想過ぎてワロタw
そんなデタラメぶりなら、
そもそも毛利自体の統治能力が
まったくないとしか思えないし
京から帰る場所なんてないだろ。
544人間七七四年:2010/10/01(金) 09:00:47 ID:eOGrhuLs
>分家だと言っても先代の息子であり現在の当主の弟をそんな粗末にできるわけねーよ。
毛利本家にとってはそうかもしれないが他の家臣にとってはあくまでも一領主でその限りではないけどね

>そもそも毛利自体の統治能力がまったくないとしか思えないし
当時は戦国初期で家臣と言えども各々半ば独立した領主の集まりだけどね
少なくとも戦国時代と聞いて思いつくような強固な関係ではないし
強固な関係になったのはそれこそ井上一族粛清後の話だから

>京から帰る場所なんてないだろ。
必ずしもそこまで乗っ取る必要は無いけどね
それに元々井上氏は毛利氏とは全く別の国人領主でその後井上氏が毛利氏に歩み寄ってきたようなものだから
545人間七七四年:2010/10/01(金) 12:06:34 ID:X4XeYP/a
結局、通商利権が欲しくて欲しくて仕方がない元就が
卑怯にも井上を暗殺したと言う暗部を正当化する為に
井上が悪人だったから殺されて当然とする捏造が必要とされた。
史実の井上は当時の毛利家には新参者で、
毛利家内での井上への支持も信頼もまだなく
毛利家内での地位と信頼を勝ち取るために毛利家のために多大な財政援助をして忠孝を示していたのが真実だろう。
そもそも一次史料には井上が興元が留守中に毛利家臣を支配し専横を極めて元就を迫害してたなんて裏付けはまったく無い。
546544:2010/10/01(金) 13:49:52 ID:TrmFhcnq
>史実の井上は当時の毛利家には新参者で
それは最後に毛利氏に歩み寄った総領家の話であって
それ以外の井上庶家はかなり昔から毛利氏や高橋氏に仕えていたんだけどね
>興元が留守中に毛利家臣を支配し専横を極めて
多治比の三百貫横領しただけなのに勝手にそこまで話を誇張させないでよ
547人間七七四年:2010/10/01(金) 15:06:51 ID:bw315yRD
LLPLP
548人間七七四年:2010/10/01(金) 16:37:28 ID:5Jmh/wrt
そもそも三百貫横領という大事件自体が一次史料にない
完全なデッチあげな罠w
それどころか三百貫も一次史料にない。
かんぜんに元就の若い頃の話は創作であり
興元や幸松丸や弟の相合元綱の暗殺をしていた可能性が高い。
それどころか高橋氏の領地が欲しくてたまらない元就は
長女を人質に出して信用させて力を蓄えておき
用済みになった兄嫁を暗殺。
そして高橋氏奇襲し長女を見殺しにしている。
549人間七七四年:2010/10/01(金) 17:50:40 ID:jwjqhb16
史料にないからと否定しつつも、同時に していた可能性が高い と史料準拠ではなく
ただの憶測に基づいた自論を述べるというダブルスタンダードのお手本のような姿勢は
いかがなものかと
550人間七七四年:2010/10/01(金) 21:24:54 ID:X4XeYP/a
明らかに不自然過ぎる死が相次いで起きてるし
それによって誰が一番得するか?で判断すれば
自ずから暗殺犯が元就であると容易に察することができるよな…
元就にとって暗殺実行することは、
全てを手に入れるか全てを失うかだもんな。
551人間七七四年:2010/10/02(土) 01:26:21 ID:NGThIP98
>>550
まぁ陰謀家だもんな。
552人間七七四年:2010/10/02(土) 07:53:38 ID:HtXjbC1r
>>550
少なくとも興元を暗殺しても元就には何の得も無いと思うが
幸松丸が当主になったら高橋氏が外祖父として毛利家に干渉してきたんだから
553人間七七四年:2010/10/02(土) 09:23:12 ID:3yJAYr1t
>>1
>弱小国ばかりの西国にあって
>有力大名は全て東国(武田 上杉 北条 織田)
は?戦国の超大国だったのは尼子大内なんですけど
どこが弱小なんだ
それを倒した元就の実績を超える武将は東国にはいない
554人間七七四年:2010/10/02(土) 12:56:41 ID:zvQlqycg
>>552
のちに高橋氏を裏切って奇襲かけて滅亡させた悪行を正当化するために
幸松丸を利用して高橋が専横したとする捏造まで
でっち上げて毛利が必死に歪曲してるのが痛いわ。
基本的に相手が悪いから元就はやむを得ずやったが徹頭徹尾貫かれた軍記妄想が毛利厨のソースだからどうしようもない。
>>553
尼子も大内も衰退期だったが
武田も上杉もまさに勃興期だったじゃんw
555人間七七四年:2010/10/02(土) 12:58:56 ID:tgfr8gKe
>>553
おいスレタイ見たらココがどんなとこが解るだろ
556人間七七四年:2010/10/02(土) 13:04:32 ID:WwLsM/FK
>>554
大内は大寧寺の変以降分裂状態だったからなあ
ただ出雲遠征失敗以降大内が衰退した
とか新宮党粛清以降尼子が衰退した
というのは毛利による捏造で実際は衰退どころか領土伸ばしている
557人間七七四年:2010/10/02(土) 13:21:26 ID:zvQlqycg
>>556
当主がころころ代わるようになった国は劇的に弱体化するのは葦名を見てもわかるじゃん。
元就は代々の安芸一揆の盟主の家柄と
幸運にも長生きできただけで
その地域の長老として敬われ
おいしい思いができた。
558人間七七四年:2010/10/02(土) 14:47:12 ID:R2OBsj8K
>>554
アンチはソースすら出さないで捏造だのでっち上げだの騒ぐだけだね
しかも碌に検証もしないで自分勝手に決め付けるだけだから余計にタチが悪い
それにしてもアンチの言い分を総合すると元就に関係する人物は揃いも揃って不自然なくらいにお人好しな者ばかりみたいだね
559人間七七四年:2010/10/03(日) 12:21:44 ID:5UDGsQSY
むしろ毛利厨は過去に一度たりともソースを出したことがない。
それどころか毛利厨や隆景厨はWiKiから拾って書いた自分のレスの出典先すら知らず
アンチから軍記の内容だろwと教えて頂くほどに
まったく知らないのが露呈している。
560人間七七四年:2010/10/11(月) 04:09:00 ID:Qw3fX5fB
よく分からないけど凄いでよくね?
毛利氏は知らんうちに大勢力になってました
561人間七七四年:2010/11/20(土) 15:03:01 ID:Re4gl6z0
運だけで拡大した毛利領は大友に大敗北し借金だらけで破綻寸前だったけどな。
562人間七七四年:2010/11/20(土) 16:02:22 ID:RyPlF0gX
大友も二階崩れでボロボロだったところ
陶の決起で大内の北部九州の利権が手に入って盛り返すきっかけになってるし
やっぱ運は大事じゃね?
563人間七七四年:2010/11/20(土) 16:06:40 ID:RyPlF0gX
もちろん大内の家督と遺産を手にしたのは大友家中の努力の結果でもある。
しかし大内義隆が滅し、大友晴英が継承しなければ大内の遺産を手にすることもできなかった。
564人間七七四年:2010/11/21(日) 18:23:43 ID:faOchuNN
いやいや大友が真の意味で遺産の領有化に成功したのは
遺産継承を巡り毛利が攻め込んで来たのを
軍事力で九州から叩き出してからだから大友の実力で領有したと言える。
565人間七七四年:2010/12/31(金) 19:03:33 ID:HxDVPrAZ
元就って超ケチで悪質な卑怯者だよね。
高橋を滅ぼすために高橋弾正左衛門盛光に褒美を餌に内応させて
備後三吉氏を攻略して凱旋中の高橋興光を待ち伏せして殺した盛光を
謀反人とか言って殺すし
鏡山城でも城将・蔵田房信に謀反したら蔵田の家督は直信に継がせると約束しておいて
城内に手引きさせておいて、反故にして殺しているし。
しまいにこの時に毛利幸松丸を殺して弟・相合元綱まで暗殺してるし。
566人間七七四年:2011/01/19(水) 10:19:32 ID:n5YJv665
>>556
そこんところを毛利が捏造しても、なんの利もなくね?

>>564
上の人は大内が健在なら、当時ボロボロの大友があちらに勢力伸張するのは
難しかっただろうと言ってるようだが、まぁ何にせよ大友は頑張ったよね。
あれで晩年まで素行が良ければ問題なかったんだが。
567人間七七四年:2011/01/20(木) 16:22:21 ID:aD8sejYD
>>566
>>なんの利もなくね?
毛利の捏造軍記の安西軍策は元就の偽書で新宮党粛清に至ったと自慢してるw
>>大内が健在なら
実際、家臣がまとまっていた時期の大内は
非常に強かったから大友は北九州で押され気味だった。
まぁ北九州の国人達の大半が大内側だったしね。
>>晩年まで素行が良ければ
宗麟の素行は非常に良いよ。毛利の捏造軍記の大ウソに騙されんなよ。
義統が無能を超えて害悪に近い人格者だったのが原因。
568人間七七四年:2011/03/14(月) 14:40:47.75 ID:8QghvMBY
まあ本人がはっきり「運が良かったから」と自著してるくらいだからそうなんだろw
あえて言えば大名になった時にもそういう風に
自分を冷めた目で見れるほど客観視出来るのが
成功の秘訣、ってくらいか
569人間七七四年:2011/03/14(月) 15:53:11.36 ID:49oTPBZx
>>567
宗麟って焼き討ちとか過激な印象つよいけど
普段は意外と穏便なんだよな。
もう少し好戦的なら九州を統一できていただろうに
570人間七七四年:2011/03/18(金) 16:31:16.51 ID:L5SJhbEh
>>569
非常に病弱だったから自分で軍を率いないで将を派遣するタイプだしね。
宗麟はかなり誤解されてる原因は毛利のせい。
毛利の捏造軍記だと史記の悪王テンプレに沿ったような宗麟像を作り上げてる。
宗麟が絶倫暴君で太田道灌が知略を以て将軍の猿を折檻した逸話を盗用改悪して
愚主宗麟が遊興に耽り猿を使って人を襲わせて遊んでいたが
道雪が猿を叩き潰して「人を弄ぶと罰が落ちる」と諫められたが遊興を止めなかったとか
北九州国人達が元就に助けを求めまくった理由としてウソを書いて貶して元就が助けてあげるために出兵した理由にしてる。
ちなみにこの猿の逸話をさらにパクって政宗ネタにしたのが仙台藩。
571人間七七四年:2011/03/18(金) 20:58:00.81 ID:VwXn9dtv
毛利って周囲全部ボロクソに書いているからなあ。
明治の長州閥のせいで歴史も修正し放題だし
572人間七七四年:2011/03/19(土) 18:35:38.33 ID:BIO7lNgr
実際、大友家の統治システムは加判衆が政治をやっていて
宗麟が独裁やってたわけでもねーからね。
耳川の戦いで失った加判衆の補填を義統がやらずに独裁し始めて家臣の離反と謀反が始まり
困った末に宗麟の再出馬が要請されたくらいだし。
573人間七七四年:2011/03/19(土) 19:05:21.89 ID:jDcVvlxg
大友宗麟は自身の武勇があるわけでもないし、戦争が強いわけでもない。
でも版図を広げられたのは頭が良かったからだな
574人間七七四年:2011/03/19(土) 22:12:20.15 ID:iYLKJHRG
お前ら毛利の捏造、捏造って毛利、長州を過大評価しすぎじゃね?
そんなに影響力あんのかよ?

ほとんどの人間は大友なんて存在すら知らん
親戚、知人が大分にいるが知ってるほうが珍しいし知ってても名前を聞いた事があるレベル
575人間七七四年:2011/03/19(土) 22:33:20.71 ID:BIO7lNgr
大友、大内、尼子、宇喜多、三村等の滅亡した家々に汚名をかぶせて
毛利は悪くないむしろ正義って話しを江戸期間を通じて浸透させることに成功してんじゃん。
576人間七七四年:2011/03/19(土) 23:38:02.06 ID:jDcVvlxg
会津も悪者にされているよ
577人間七七四年:2011/03/20(日) 12:35:08.41 ID:gh2yQwC0
>>575
汚名てどんな汚名よ?
毛利が正義?
そいつらのどこが悪なの?
聞いたことないよw
578人間七七四年:2011/03/20(日) 12:35:16.72 ID:Ma7VqMVX
今も昔も会津は悲惨だよなw

579人間七七四年:2011/03/20(日) 14:10:31.35 ID:gh2yQwC0
会津と山口が仲がよろしくない話は聞いた事がある
なんか昔「両者和解」なんてニュースもテレビだったか忘れてたけど聞いた事あるような…

今もわだかまりがあるのだろうか?
580人間七七四年:2011/03/20(日) 14:14:01.06 ID:zpF9a7nE
会津若松市商工観光部長 宮崎十三八が中心となって中村彰彦、星亮一、司馬遼太郎らに
会津を正当化する小説を書かせて長州を悪とするデマを広めただけ。
山口県側が相手にしない(大人の対応)をしているうちに白虎隊がドラマ化され
世間に会津は被害者という印象がついてしまった。
581人間七七四年:2011/03/22(火) 00:12:10.89 ID:kgkeH/Eh
>>576
脱線するからそれは置いとけ。
少なくとも戦国時代にも、毛利家にも関係ない。
日本史板のゴタゴタを持ち込もうとするな。
582人間七七四年:2011/04/03(日) 06:35:55.68 ID:iUPXuSz+
少なくとも尼子晴久がもう少し長生きしていたら元就では尼子を滅ぼすのは
無理だったと思うんだがどう思う?というか最期まで国人の連合体だった
毛利と着々と中央集権化を進めていた晴久体制だったら逆に毛利が尼子に
滅ぼされていてもおかしくないよな。
583人間七七四年:2011/04/03(日) 10:01:17.86 ID:9gUms4wk
そりゃあそうだろ武略政略なら晴久の方が上なのは明白でしょ。
銀山争奪でも元就親子は晴久にボロ負けだったし。
月山富田城攻め大敗以降の大内が弱体化して脅威が無くなってたから
晴久も背後を気にせず安心して上洛戦を繰り広げて播磨へ進出していってたから元就は延命してただけだし。
義久がバカ過ぎて尼子は崩壊したけど、
山中鹿介ら残党軍があれほど広範囲に渡り長期間毛利を苦しめたのは
中央集権を進めて在地領主と尼子当主の間に直接の主従関係を構築する方向で晴久がしっかり地盤固めをしつつあったおかげだし。
毛利は所詮、婚姻親戚一揆連合の指導者でまとめた烏合の衆でしかないから織田軍とまともにやり合えない。
584人間七七四年:2011/04/03(日) 15:35:54.51 ID:iUPXuSz+
>>583 そうなんだよな。大内を弱体化させたのも結局晴久なわけだし
尼子は播磨まで勢力圏があったんだから彼が長生きしていたら信長最大の
ライバルとして歴史に名が残ったかもしれん。そう考えると本当に惜しい
とこで死んだと思うよ。個人的な意見だと彼は2代目戦国大名の中では
もっとも過小評価されてると思う。ちなみに過大評価第一位は斎藤義龍ね。
585人間七七四年:2011/04/03(日) 16:43:18.79 ID:3SeYfD68
>>584
義龍が過大評価?

それはともかく、山中鹿助の再興運動は参加した諸豪族の思惑でけっこうぶれまくってるよ。
出雲の三刀屋が合流したいと申し出てきたのを、恩賞が減るのを嫌った豪族の反対で断ったり。
尼子との封建的主従関係で集まった、というのは無理があるんじゃないかね?
あくまで毛利の旧尼子系豪族への対応が悪かった、ってだけだろう。
第2次月山富田城で尼子を見捨てて逃げ出して、再興運動が始まると合流して、
結局また寝返る、とかごろごろいるし。
586人間七七四年:2011/04/03(日) 17:08:30.09 ID:iUPXuSz+
>>585 それにしたって戦国期に一度滅びた家の残党があそこまで粘った
ケースはないわけだからなあ。それと何で義龍に食いついた?
587人間七七四年:2011/04/03(日) 18:08:34.95 ID:9vmN0zmD
横槍だが義龍が評価されているという場面自体見たことないなw
588人間七七四年:2011/04/03(日) 18:14:00.49 ID:EspPTfbp
>>585
豪族にも利害対立はあるんだから反対されたりは当然まったくないわけじゃねーべ。
だからと言って尼子との封建的主従関係が進みつつあったことを否定する材料にはならないだろ。
斎藤義龍はむしろ過少評価だと思うが。
589人間七七四年:2011/04/03(日) 18:21:19.85 ID:iUPXuSz+
>>587 義龍が長生きしたら信長は美濃が抜けなかったっていう話聞かない?
590人間七七四年:2011/04/03(日) 19:59:01.95 ID:9gUms4wk
>>589
それは事実だろ…
591人間七七四年:2011/04/03(日) 20:55:14.90 ID:iUPXuSz+
>>590 んなこたーないと思うんだけどな。
592人間七七四年:2011/04/27(水) 17:09:06.72 ID:15+20429
家臣に稲葉山城を乗っ取られるアホ幼君の龍興にさえ
信長は苦戦しまくって、市を実際に浅井に輿入れして
浅井か斉藤への軍事的圧力を背景にして
やっと信長は秀吉のおかげで西美濃や中美濃の調略に成功して
稲葉山城攻略が可能になったほどにボコボコだったしな。
父の信秀なんて普通に稲葉山城を攻城してたはずなのに退化させてるし。
593人間七七四年:2011/04/29(金) 09:43:34.87 ID:o7hj7FD1
宣教師は大内義隆のホモっぷりを
悪魔の所業と罵り義隆を不興にさせた。
その宣教師が元就を
野蛮な方法で大内義隆を滅ぼした暴君元就とさらに悪人呼ばわりしてんだよな。
どんだけ最低最悪の悪党なんだよ元就って。。
594人間七七四年:2011/05/02(月) 11:13:26.35 ID:9umVhkrW
元就が死んだ頃は美作や備中の大半も織田に支援された宇喜多らに支援された尼子残党に奪われるなど
毛利版図は大縮小して追い込まれてたんだよな。
元春も元就の葬儀に参列せずに山中鹿介追討の遠征してたくらい危機的だった。
武田北条の和睦が成立以後の義昭による織田包囲によって
西国への支援不可能になった織田を離反した宇喜多が
尼子残党支援を止めて毛利側に寝返ったりで
戦線を但馬播磨ラインに前進させている1572年〜1573年信玄死去までの期間の
元就の失敗遺産回復とも言うべき毛利の起死回生の急拡大ぶりは凄まじい。
義昭のおかげで毛利は浦上とも停戦させてるようだし。
史実では信玄死去したことで反撃に転じて朝倉浅井を滅亡させるや
信長が安国寺へ浦上を支援し播磨、秀吉を但馬へ出兵宣言すると
義昭が中国にやって来ないように心を砕くなど毛利の織田に対して低姿勢の豹変ヘタレ外交ぶりは異常だからなあ。
それを見た三村も毛利・宇喜多とのうやむやの関係を清算すべく織田へ寝返っちゃうし。
そのヘタレ外交に変化が起きるのが丹波の赤鬼により光秀撃破。
これで織田に支援された但馬因幡両山名が再び毛利方に転がり元春の再但馬進出がなった。
毛利はやっぱり他力本願なんだよなあ。



595人間七七四年:2011/05/28(土) 09:47:46.05 ID:au8mAO0t
毛利元就が三本の矢を豪快にまとめてへし折ってる画像あったんですけど、
誰か持ってませんか?
596人間七七四年:2011/06/16(木) 00:08:55.64 ID:eFcLXBkU
それにしてもおまいら晩年や死後の話ばかりで若い頃の元就の話はしないんだな
597人間七七四年:2011/06/17(金) 18:07:58.29 ID:mu4/77fr
所詮みんなが興味ある戦国時代は信長が生まれた以後の時代だけですから
598人間七七四年:2011/06/24(金) 11:52:03.62 ID:kItyo8g5
>>596
若い頃の話は捏造だらけで信憑性皆無だから語りようがない。
599人間七七四年:2011/06/25(土) 14:51:23.47 ID:Ql1YnTOX
長州閥が政権取ったから過大評価されるようになったのだろうか
600人間七七四年:2011/06/25(土) 15:42:33.82 ID:jLRe8hfP
>>599
毛利元就への正一位贈位なんてまさに長州閥の尽力だし・・・
幕末の藩主・毛利敬親への正一位贈位は理にかなっているが
正親町天皇への多額の献金を理由に先祖にさかのぼって贈位されているのは不自然。
(不自然を隠すために他の人気有名大名にも贈位が行われている)

なお、後奈良天皇へ莫大な献金を行い続けた従二位の大内義隆へは
死後の贈位はされていないので逆転している。
601人間七七四年:2011/06/25(土) 22:12:07.90 ID:5OcS37XB
信長・秀吉より先に元就に正一位は明らかにオカシイ
長州閥のゴリ押し気持ち悪
602人間七七四年:2011/07/04(月) 00:21:17.13 ID:frzfPs4d
>>598
若い頃のエピソードが胡散臭いものばかりなのは全ての戦国大名に共通して言える事だけどね
他人はおろか自分ですら若い頃の段階でまさか将来大きくなるとは思わないから
誰も事細かに記録を残してくれる人はいないから
603人間七七四年:2011/07/05(火) 00:11:11.73 ID:uQdMiMQQ
秀吉は信長配下で軍事的に活躍するまでは謎だしね。
蜂須賀とか松下とかに仕えていた、とか草履取りや台所奉行として活躍したなんて講談
でしかない。
信長の若い頃も意外と不明。道三娘とか生駒氏とかの関係とか。平手政秀の死の理由とか。
604人間七七四年:2011/07/11(月) 12:13:31.28 ID:Iw2TtEXi
元就の場合は本人自らが文書において過去の履歴を捏造しまくってるからタチが悪過ぎる。
そこが根本的に他大名とは決定的に違う。
605人間七七四年:2011/07/11(月) 15:35:34.71 ID:f32kAmG+
>>604
で、その他大名が本人自らが文書において過去の履歴を捏造してない事を裏付ける根拠は何処にあるんだね?
606人間七七四年:2011/07/15(金) 23:35:27.08 ID:P/Yl3HFk
>>605
その他の大名って例えば誰を指してるのか明示しろよカス
607人間七七四年:2011/07/16(土) 15:15:52.27 ID:whnG6D2q
>>605
元就以外で本人自らが文書において過去の履歴を書状に書き記してる大名が誰なのか教えてくれないかね?
608人間七七四年:2011/07/17(日) 20:43:48.80 ID:aGagRqBk
>>606-607
そういう事は「そこが根本的に他大名とは決定的に違う。」と言い切った
言いだしっぺでもある>>604に聞いた方がいいんじゃないの
そうでしょ、604さん?
609人間七七四年:2011/07/17(日) 21:51:32.21 ID:39kboqp6
>>608
あんた日本語不自由過ぎるだろ…
610人間七七四年:2011/07/18(月) 01:38:31.84 ID:B0XW34T6
>>608
過去の履歴を本人自ら捏造してるヤツは元就くらいと>>604は書いてるだろ。
それに対してお前は>>605において反論してるから誰のことだ?と回答が求められているわけだが?
611人間七七四年:2011/07/18(月) 23:56:10.41 ID:7MTG3TK6
何処をどう見ても605は604に対して質問をしてるようにしか見えないが
それなのに何処をどうしたら606や607は質問をしてる側の人に質問をしてくるという頓珍漢な真似が出来るのかね?
それにしても608を605と同一視するなんて610は余程精神的に病んでいるのだろうな
612人間七七四年:2011/07/19(火) 01:14:07.20 ID:lot6Vr+h
>>611
ちゃんと理由が>>610に書いてあるだろ。
やっぱりお前は日本語が不自由なんだな。
613人間七七四年:2011/07/19(火) 02:18:29.71 ID:dz67+TZl
その>>610の認識自体が間違いと言われてる事を理解してないなんて>>612は読解力が無いんだな
614人間七七四年:2011/07/19(火) 19:31:11.63 ID:aBggM2ID
>>613
逃げ腰乙w
615人間七七四年:2011/07/19(火) 23:14:40.06 ID:hOah49kv
>>614
負け惜しみ乙w
616人間七七四年:2011/08/17(水) 15:40:21.47 ID:1Yt09h4a
相手が飽き飽きして嫌気がさすまで
ひたすら執拗にレスする無職ストーカーって
一番最後にレスしたら勝利だと盲信してんだろうな。
そんな社会的ルールなんて存在しないんだけど。
かわいそうだけどこう言う偏執的粘着体質って脳の病気だよな…
617人間七七四年:2011/08/17(水) 16:54:58.24 ID:I1yJ6XjD
>>1がゲーム脳すなぁ
618人間七七四年:2011/08/18(木) 09:38:49.28 ID:NbwgiJ+h
毛利厨=在日はしつこさだけは織田厨並みの無職だからねぇ。
619人間七七四年:2011/08/18(木) 22:50:21.11 ID:EOTmVplb
在日会津人は明治政府へのうらみから長州に少しでも関係のあることは貶めないと気が済まないからね。
さっさと日本から出て行けと言いたい。
620人間七七四年:2011/08/19(金) 03:45:34.08 ID:0R8q54gQ
層価毛利の捏造ぶりは異常
621人間七七四年:2011/08/25(木) 00:01:46.01 ID:206ZWsrz
元就が当主になったときの尼子を切って大内と組む決断を見たら
彼がいかに英雄だったかがわかるだろ
スケールとしては天下を取るという目標を最初から掲げていた信長に次ぐ英雄だと思う
622人間七七四年:2011/08/25(木) 00:05:46.38 ID:Oqs5og4q
>>621
尼子を切るどころか
元就は事前に尼子から毛利当主になる許可を得て後ろ盾になってもらってるだろ…
のちには尼子晴久と義兄弟の誓いまでしてるし。
623人間七七四年:2011/08/25(木) 00:12:34.35 ID:206ZWsrz
>>622
元就が家督を継いだ直後に行った決断が当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった尼子との手切れだったはず
624人間七七四年:2011/08/25(木) 06:29:22.88 ID:ABkqEWRa
>>623
当主になる→尼子陣営で大内と戦う→晴久と義兄弟になる
→隆元を山口に送り、富田の人質を逃亡させて尼子と手切れ

の流れでしょ? 手切の時の理由に当主になった時の反乱未遂
を尼子が扇動していた事を掲げてるけど。
625人間七七四年:2011/08/25(木) 08:01:15.36 ID:Oqs5og4q
>>624
反乱未遂を尼子が扇動なんて書いてないだろ?
確認するから該当書状の毛利家文書ナンバーを教えて欲しい。
626人間七七四年:2011/08/25(木) 12:09:52.38 ID:QLC6EpDq
尼子のおかげで当主になる→尼子陣営で大内と戦う→大内が大友の援軍を連れて来るので尼子を裏切る
→義興が死んで義隆になったので大内に内緒で晴久と義兄弟になる
→隆元を山口に送り、富田の人質を逃亡させて尼子と手切れ

627人間七七四年:2011/08/25(木) 17:06:28.22 ID:Oqs5og4q
>>613
お前はバカか?元就以外に本人自らが文書で
過去の履歴を捏造して書いてる大名はいないと>>604で書いてるんだから、
過去を本人自ら書いてる大名がいない以上、>>605の質問に対して該当する大名がいない以上は提示できないわけで

それに対して>>606>>607>>610>>612>>614らが主張するようにお前が過去の履歴を書いてる大名をちゃんと提示し自分の指摘の論拠を提示できなければ
お前には論拠もロクになくただ単にケチを付けただけの話で追及されるや逃げまくりと判断されるに決まってるだろうが。
628人間七七四年:2011/08/25(木) 17:16:27.14 ID:DOPZyZ+K
1ヶ月も前のレスに627はどうしてこうも必死になってるのだろうか?
629人間七七四年:2011/08/25(木) 23:19:03.73 ID:206ZWsrz
>>626
尼子の庇護どころか逆に元就が頭首になるのを尼子経久は相合元綱を使って阻止しようとしたんじゃなかったけか?
630人間七七四年:2011/08/26(金) 14:07:49.04 ID:4Nun+1uk
そもそも元就と晴久が兄弟の契りを結んだのは元就が尼子と手を切り大内方へついた後の話だが
631人間七七四年:2011/08/26(金) 17:22:29.03 ID:BIZV8G5E
>>629
尼子が相合元綱を使ってってのは捏造だから。
>>630
晴久と義兄弟になった時の元就は
明確に大内と手を切った宣言はしてない。
その後、再度尼子を裏切った後に吉川経由で元就がまた尼子と同盟しようとしたが
尼子側から毛利はもう信用できないと拒否られてる。
ちなみに同盟を繰り返すごとに毎回元就は褒美として領地を貰い続けてる。
632人間七七四年:2011/08/26(金) 20:14:24.54 ID:4Nun+1uk
>明確に大内と手を切った宣言はしてない。
毛利氏に限らず面と向かって縁切り宣言する奴なんて普通いないが
633人間七七四年:2011/08/26(金) 21:55:17.72 ID:RUc1Ihvv
>>631
>ちなみに同盟を繰り返すごとに毎回元就は褒美として領地を貰い続けてる。
確かに手形はもらってるけど世の中には「空手形」というのもある。
実は敵対勢力の領地で「攻め取ったらあげるよ」的なものもあるんではなかろうか。
そうそう、無主の領地なんてないと思うが。
634人間七七四年:2011/08/27(土) 00:00:04.81 ID:aXd/DrVu
当時としては尼子に勢いがあったにも関わらず大内に隆元を送ったのは英雄の決断だろ
635人間七七四年:2011/08/27(土) 00:17:46.59 ID:C6GbRzni
>>632
同盟破棄が決定するとすぐに相手に出した人質が逃亡するから宣言するのと変わらん。
>>633
空手形じゃなくて実際にかなりの加増を毛利は受けてるわけだが。
攻め取ったらあげるよと毛利が言われた土地はわずか一箇所だけ(大内から)
しかもその地を元就はそのまま熊谷にやると言って投げた。
>>634
尼子と内通をはじめてると気づいた大内が隆元を山口へ寄こせと要求しただけ。
636人間七七四年:2011/08/27(土) 00:40:58.70 ID:vioMhoaW
毛利隆元を差し出した頃はすでに少弐が敗れ去り、大友も和睦して大内包囲網が瓦解していたしな。
大内側に与したのはもっと前の義興存命中の1525年くらいだっけ?
637人間七七四年:2011/08/27(土) 20:23:07.91 ID:B9G+kzmL
隆元が人質として山口へ送られたのは1537年だし
幕府が大内氏に上洛を要請して了承した大内氏が留守を襲われないよう人質を出させたんだろ
それにこの時隆元の他にも天野隆重や阿曽沼元秀も人質として山口に送られてるから
638人間七七四年:2011/08/28(日) 22:13:36.56 ID:EsMLpMg9
そもそも何を以って元就は尼子のおかげで当主になれたと主張してるの?
幸松丸死後順当に物事が進んでたとしたら元就より元綱の方が当主になる可能性なんてあったの?
639人間七七四年:2011/08/31(水) 20:52:00.39 ID:X+qoPoyA
元就の異名の「謀神」っていつごろから言い出したの?
戦国無双3が最初?
640人間七七四年:2011/09/01(木) 21:15:39.35 ID:G6S1oyG1
尼子の後押しを受け大内派の家臣団に擁された幸松丸を殺害した元就
641人間七七四年:2011/09/02(金) 07:11:03.55 ID:IaNqQLCp
>>640
お前さー、毛利の資料は捏造ばかりとか主張にするわりに、自分は思いつきで書きこむのって、
NASAは宇宙人の情報を隠蔽してる!(キリッ)とか言ってるのに、宇宙人存在の証拠はNASAの写真
って奴らと同レベルだぜ?
642人間七七四年:2011/09/03(土) 12:24:03.89 ID:Kmg1P4dm
毛利って分国法すら編纂されてない内政・裁判すら明文化がなされてないと言う
ロクな政治体制すら確立されてないダメ大名だったからな。
関が原で負け組になってからやっとそういうのを整備し始めた。

のちに高橋氏を裏切って(長女見殺し)奇襲かけて滅亡させた悪行を正当化するために
幸松丸を利用して高橋(杉の大方の出身家)が専横したとする捏造まで
でっち上げて毛利が必死に歪曲してるのが痛いわ。
基本的に相手が悪いから元就はやむを得ずやったが徹頭徹尾貫かれた軍記妄想が毛利厨のソースだからどうしようもない。

7/15に幸松丸が突然死して
7/19には元就擁立決定。 動けるのは実質たった3日しかない。
その間に元就擁立を確定づけたのは
たまたま上洛し神仏詣をしていた栗屋元秀が将軍から相続許可を貰ってタイミングよく帰ってきたことと
尼子から家督を継ぐことを元就が認められたことがある。
明らかに3日の間に相合元綱を出し抜いてる。
どう考えても幸松丸死去以前から家督奪取へ向けて計画し動いていたとしか理解できないし
元綱がいつ死んだのかもわからないどころか元就自身が天涯孤独だと言って元綱の存在自体を抹消してる。
元就の人生は怪しいことばかりだからね。

柒谷宛て児玉就忠・桂元忠連署書状で
尼子家との今までの経緯を説明する中での冒頭に
尼子方として西条陣に出陣した幸松丸が死んだことに触れられ
毛利之家督を元就可存之旨、従與州被仰候て、事を存候処に、
其以後渡辺之者共能州(尼子筆頭家老亀井秀綱)へ色々頼申故、不被打置、
荷擔(負担を尼子が担がされる)させられ候つる、其外御取扱無曲子細敷多候に付、
しかるに防州へ仕えたと、元就が尼子へ渡辺を派遣して懇望してくるので尼子も捨て置けず荷物になるが
元就を後援してやったが元就が尼子を裏切り大内に仕えたと経緯を説明してる。
その後の文章は塩冶興久と経久の対立における毛利の対応についての弁明が続く。
643人間七七四年:2011/09/03(土) 21:42:22.77 ID:wGoaRyOq
そういえば大内の関係者を吸収した割に分国法がないね。各地の国人衆を縛るのは難しかったのだろうか?
644人間七七四年:2011/09/03(土) 22:03:00.29 ID:+BT29ZcG
>>642
その毛利家が中国王となり300年後天下を取ったわけだが、お前はどこの雑魚大名なんだ?
645人間七七四年:2011/09/04(日) 02:05:38.52 ID:OuwcH/Nk
アンチって誰も主張してない事をさも主張したかように捏造するのが好きだな
646人間七七四年:2011/09/05(月) 20:55:30.52 ID:NVvH4kTa
元就は隆元への書状で
自分はみんなから恨まれているから
いつ一家皆殺しにされるかわからないと書いているように
周囲から怨恨を買っているのを自覚してんだよね。
余程にあこぎな真似をしてきたんだろうな。
隆元の死も元就への憎しみの結果だろう。
647人間七七四年:2011/09/05(月) 23:12:32.66 ID:JtY/OIZs
馬鹿だな、それだけ今の時代は厳しくてシビアにしないと生き残れないぞという親父からのメッセージだろ
648人間七七四年:2011/09/05(月) 23:40:56.91 ID:clNn+OAL
そもそもあの手この手で他の大名を攻め滅ぼす行為は何も元就に限った事ではなく戦国時代の日本全域で起きてた事だし
649人間七七四年:2011/09/06(火) 08:04:00.52 ID:HGKNtdNV
誰からも恨まれずに大大名になったのが誰かいんのか?
650人間七七四年:2011/09/06(火) 20:33:33.57 ID:foZgxDgZ
時空太閤スーパーHIDEYOSHI様とかじゃね?
651人間七七四年:2011/09/06(火) 21:26:38.89 ID:g7PY6DVG
まあ隆元は元就が暗殺したんだけどな
隆元暗殺下手人をすぐに罰しなかったし。
652人間七七四年:2011/09/07(水) 02:03:55.37 ID:zGfJfe3L
>>651
お前の与太話はいい加減聞き飽きたから
653人間七七四年:2011/09/07(水) 22:35:38.13 ID:5BzTATaf
じゃあなんで元就は隆元を暗殺した下手人をすぐ捕縛して殺さなかったの?
654人間七七四年:2011/09/07(水) 23:03:17.80 ID:+OSj5S4x
元就が隆元を殺すメリットが全く見えないんだが
それに、この場合は元就が殺した証拠を提示するのが筋だろ?
655人間七七四年:2011/09/08(木) 23:13:04.58 ID:Tw6rEOXA
>>654
>>653
兄弟仲悪すぎて
隆元はみんなからシカトされてたから
隆元が生きてたら毛利は元就が死んだ途端に崩壊してただろうね。
656人間七七四年:2011/09/08(木) 23:20:51.63 ID:4clPeQmI
>>655
お前の妄想はいいからソースを出せ
657人間七七四年:2011/09/09(金) 02:34:28.05 ID:4CAkfwT9
お前は矛盾してる
妄想ならソースなんか出せないだろ
658人間七七四年:2011/09/09(金) 03:03:47.94 ID:4DAQgYt0
ついに妄想だと自白しやがった
659人間七七四年:2011/09/09(金) 20:39:58.40 ID:Zs7aZw6y
毛利兄弟が仲が悪いの有名じゃん。
しかも次女は次男の嫁イビリまでしてたし。
あまりに仲が悪過ぎて元就が三子教訓状まで出さざる負えなかったし
それでも仲違いが酷くなり
最後は元就がちゃんと返事を書けと要求したが兄弟は完全に元就までシカトしてたし。
660人間七七四年:2011/09/10(土) 00:51:37.36 ID:y14gFFRp
暗殺説の話が都合が悪くなったからって論点をすり替えてんじゃねえよ
661人間七七四年:2011/09/10(土) 02:42:22.36 ID:bYBUuqS1
すり替えどころか>>659も突っ込みどころだらけだしwww
662人間七七四年:2011/09/10(土) 13:14:08.81 ID:Z1N12/cC
詭弁のテンプレのようなやつだなw
663人間七七四年:2011/09/11(日) 01:18:02.87 ID:xlbodad+
そういやNHKの番組でも毛利兄弟がむちゃくちゃ仲が悪い話をいろいろと紹介してたぞ。
元春の妻と元就の次女が仲が悪すぎて
仲裁に入ったはずの隆景が激怒して元春との仲が最悪になったとか
隆景が隆元に屋敷を要求したが隆元がお前だけ贔屓目できないと拒否したら隆景が激怒して元春と一緒に隆元をシカトしたら
隆元が父にチクったとかいろいろ放送してたぞ!
NHKがデタラメを放送してたとは思えないが…
664人間七七四年:2011/09/11(日) 01:30:16.25 ID:UchGhnBY
弘中隆包みたいに偉そうだと言われたのは
どの女だっけ?
665人間七七四年:2011/09/11(日) 06:20:50.31 ID:KEcK0/d/
>>664
ブス。

それはそれとして、>>659と>>663ですでに話が変わってるの気がついてるか?www
666人間七七四年:2011/09/12(月) 02:35:51.84 ID:B3Wu6Wod
>>663
そのデタラメを放送してたとは思えないNHKが
元就による隆元暗殺説を主張してないから暗殺説は間違いという事でいいんだな
667人間七七四年:2011/09/12(月) 02:51:56.37 ID:j3bi6vuF
>>664
人質だった長女は元就に見捨てられて惨殺されてる。
宍戸の息子を尻に敷いて三子教訓状にも出てくる暴君と呼ばれた次女の龍だろ。
龍は毛利一族から嫌われまくって墓まで不明にされた挙げ句に毛利捏造軍記ですら美談を創作されなかったほど毛利の政治に顔も口も出した。
元就は男に生まれてたら隆元を廃して後継者にしてたと言ってる。
668人間七七四年:2011/09/12(月) 07:00:38.04 ID:o+AcbOVE
>>667
次男の嫁のブスの話だってのがわからねえの?
669人間七七四年:2011/09/13(火) 21:23:26.45 ID:XhHfNgPq
龍がいびってたのが元春の妻で
さらに彼女らと仲違いしたのが隆景で
結局、隆景と元春の間まで険悪化した
元就も元春や隆景に対して怒ってて、あいつらはみんな他家の人間だから期待すんなと言ってるし。
670人間七七四年:2011/09/17(土) 19:57:28.66 ID:qelSa8AD
戦国時代の覇者は信長、元就はそれに次ぐ実績だから戦国2番手の英雄と見て間違いない
信玄も謙信も氏康も元就のスケールには及ばない
671人間七七四年:2011/09/17(土) 20:27:44.96 ID:in8Itlvv
北条や武田は最大版図の石高の話がよく出るけど
大友や毛利(大内)って最大版図の石高ってどのくらいなんだろう?
672人間七七四年:2011/09/18(日) 02:21:37.17 ID:bhNzTs6y
分家(吉川と小早川)まで併せたら結構ありそうね
673人間七七四年:2011/09/18(日) 14:40:56.61 ID:SKtlWOcj
>>670
えっwwwただ長生きしただけじゃん。
>>671
そもそも傘一揆連合で主従関係すら曖昧で
しかも寄親寄騎制度の風土であるので
直轄と同盟関係の線引きすらできない毛利領で最大石高なんて出せと言う方が無理。
毛利を大破して大友最盛期の宗麟は160万石前後だろうね。
すぐ耳川で敗北して60万石レベルまで落ち込むけどね。
674人間七七四年:2011/09/18(日) 14:49:10.29 ID:pimA726m
東日本は経済が発達していないから石高で得意になっているけど
西日本では石高よりも経済力のほうが重要。
大内なんか通常の国持大名と比較して収益が桁違いだったからなあ。
675人間七七四年:2011/09/18(日) 18:05:38.85 ID:SKtlWOcj
大内の勘合貿易を継承しようとして主を滅ぼした謀反人として拒否られたのが毛利だけどな。
さらに毛利が焼いた山口を復興するのにも失敗し
やむなく博多を奪おうとして大友に大敗。
大友と尼子残党と宇喜多と織田にフルボッコされる中で
絶望の中で「お前達は天下を望むな」と嘆息しつつ憤死したのが元就。
676人間七七四年:2011/09/18(日) 20:06:55.35 ID:pimA726m
ちゃんと山口を復興させていれば山奥の萩なんかに行かずに済んだのにな。
萩といえば、政治工作として一切経を天台宗に寄進して「三田尻」になるように保険をかけた後で
出来レースのつもりで○三田尻、△山口、×萩の伺いを幕府にたてたところ、
天台宗の窓口に南光坊天海を通さなかったことから天海の怒りを買って「萩」にされてしまったとか。
677人間七七四年:2011/09/18(日) 21:33:48.03 ID:SKtlWOcj
そういや山室恭子が
元就による自己正当化目的での「歴史の偽造」を告発してたが
鴨川氏も元就の家督の簒奪に同意してるな。
元就に当主になってもらいたいと書く
本家重臣15人の署名のうちに井上就在や赤川就秀ら「就」の字がつく
元就子飼いで息がかかっていた人物らが本家重臣にすでに送り込まれていた事実から
彼らが主導してこのような書状を作成し反対派にムリヤリ署名を強要したとしか思えないのでよほど元就には人望が無かったのだろうと指摘してる。
678人間七七四年:2011/09/18(日) 22:13:44.21 ID:bhNzTs6y
一台で築いた版図を見たら猿でも元就>晴信、謙信、氏康と判断する
アンチ元就は必死すぎて見ていて哀れだわ
古代から英雄の条件は最大版図を築いた者と相場が決まっている
679人間七七四年:2011/09/19(月) 00:06:33.95 ID:UhCeUBB6
寄親寄子の緩慢な一揆連合風情で版図とかwww
毛利厨が哀れでならない。
厳島でも村上水軍に泣きついてて他力本願だったくせにw
680人間七七四年:2011/09/19(月) 00:48:05.82 ID:GtWgrOLh
連合すらくめなかった雑魚大名に言われる筋合いはないなw
681人間七七四年:2011/09/19(月) 01:27:20.27 ID:NDsGvCdq
大内は時間をかけて有力者を一族に取り込んだり、利権で懐柔したり、武威で屈服させ勢力を増やしていった。
さすがにとってかわって日が浅い毛利では大内のようにはなれまい。
682人間七七四年:2011/09/19(月) 01:40:47.08 ID:GtWgrOLh
大内家が名門中の名門なのは認めるが、大内家が室町以来何代もかけて築き上げた事を
元就一人に背負わせるのは論点がずれすぎていると思うぞ?
それでも最大版図は元就なのだから、間違いなく元就は戦国時代の英雄の一人だな
683人間七七四年:2011/09/19(月) 02:57:47.59 ID:rStPH/rP
>>675
>大内の勘合貿易を継承しようとして主を滅ぼした謀反人として拒否られたのが毛利だけどな。
勘合貿易の件はその前の陶隆房改め陶晴賢に擁立された晴英(義長)の時点ですら拒否られてたけどな

>>677
その重臣15名のうち「就」が付く人は井上就在と赤川就秀だけだね
それにしてもそこまで家格が高いわけではない2人だけで丸め込むのは幾らなんでも無理だろうし
丸め込めるほど子飼いがいるのに元就には人望が無いというのも変な話だな
684人間七七四年:2011/09/19(月) 13:12:08.98 ID:UhCeUBB6
>>682
それをやったのが戦国大名であり
元就は単なる雑然たる一揆連合止まりであり
戦国大名ですらない。
>>683
陶も元就も忘恩の徒党だから中華帝国から人倫の無い畜生以下の人間として価値のない相手とされてたからな。
本当に元就に当主になってもらいたいと望まれてたなら
そもそもそんな書状を書かせる必要性などまったく無いからな。
685人間七七四年:2011/09/19(月) 14:49:08.55 ID:rStPH/rP
>それをやったのが戦国大名であり
>元就は単なる雑然たる一揆連合止まりであり
>戦国大名ですらない。
それを言い出したら三英傑を除いて誰も戦国大名とは呼べなくなるな
当然国人の盟主的存在であった大内や尼子も

>陶も元就も忘恩の徒党だから中華帝国から人倫の無い畜生以下の人間として価値のない相手とされてたからな。
そりゃあ明からしてみればそれまで担当してた幕府細川氏大内氏以外に対しては陶や毛利に限らずそういう認識だろうね

>そもそもそんな書状を書かせる必要性などまったく無いからな。
当時は戦国初期の一領主単位で利権が複雑に絡み合う時代で起請文の存在はかなり重要なのに
それを必要性などまったく無いと言い切るなんてこいつ無知にも程があるな
686人間七七四年:2011/09/20(火) 00:34:32.30 ID:xZcx+/n5
>>684
百歩譲って(アンチのいいがかりだけど)その一揆連合でもいいから
一代で元就ほどの勢力を拡大できた大名が信長以外に居るのか?
687人間七七四年:2011/09/20(火) 16:14:03.93 ID:gR43ivPZ
>>686
戦国初期を語る上で必要不可欠な知識を知らない知ろうともしない奴に何を言っても無駄だよ
688sage:2011/10/01(土) 12:02:47.00 ID:gHZU+TeT
>>685
一揆連合は戦国大名ではないよ。
大内は守護大名だし
尼子も守護代から守護大名化を目指して
有力な叔父を討つなど戦国大名化を目指して権力掌握を進めた。
しかし元就はそんなことはしてないから
元就曰く「まわりの国人たちは毛利を好ましく思ってない」とまで言ってる。
単に一揆連合の盟主の家柄だと言うだけのこと。
だから毛利勢力圏と呼べるのは安芸と備後で半国くらい
あとは他人の土地
689人間七七四年:2011/10/01(土) 21:45:16.98 ID:hsuK7yJ7
>尼子も守護代から守護大名化を目指して
>有力な叔父を討つなど戦国大名化を目指して権力掌握を進めた。
結果関係なく目指すだけで戦国大名を名乗れるなら誰だって戦国大名になれるねw
690人間七七四年:2011/10/01(土) 23:09:24.09 ID:BbXI9jvq
>>688
>元就曰く「まわりの国人たちは毛利を好ましく思ってない」とまで言ってる。
この言葉だけを鵜呑みにして元就は嫌われていたと解釈するほうが阿呆
戦国時代、油断したらやられていく世の中だから油断するなという親からの戒めだろ
一揆連合(アンチ曰くだが)なのに嫌われていたら一揆にすらならない、お前の言っている事は矛盾している
一揆の意味をもう一度辞書で調べてきてください
691人間七七四年:2011/10/01(土) 23:15:26.40 ID:hsuK7yJ7
>>690
正室の子以外は虫けら扱いと都合良く曲解してる奴に何を言っても無駄だから
692人間七七四年:2011/10/02(日) 00:03:27.43 ID:rnZxYdbo
>>688
ほうほう、戦国大名である尼子家の領地は全て直轄だったのですね
毛利家も一時は尼子に直轄されていたわけだ、勉強になります(プ
693人間七七四年:2011/10/02(日) 00:29:18.41 ID:l79fltxl
つーか、大内氏はどう見ても一門・重臣の力強すぎじゃん。
相良を抜擢したりして、中央集権に移そうとしてたのは評価できるが、
それが完成していたとは到底思えん。
694人間七七四年:2011/10/02(日) 00:52:58.00 ID:mfwNls46
>>663
ヒアハ〜 ホワホワ〜 フワホ〜ワホワホワ〜
っていう曲が流れる番組のことですか?
695人間七七四年:2011/10/02(日) 01:09:04.94 ID:458K8UAb
毛利厨は単なる一揆の盟主の家柄と守護大名の違いも理解できずに
同一にごちゃ混ぜにしちゃうほど無知ワロタw
696人間七七四年:2011/10/02(日) 01:30:13.56 ID:rnZxYdbo
>>695
お前の大好きな「戦国」大名は一代で元就より版図を広げられたんだな?
いいから名前を挙げてみろよw
そしてお前の言う戦国大名の定義を述べてみろ、話はそれからだ
697人間七七四年:2011/10/02(日) 01:53:08.15 ID:458K8UAb
元就の版図って安芸半国と備後半国くらいがせいぜいだろ
それ以上の石高の版図なんて
楽勝じゃん
698人間七七四年:2011/10/02(日) 02:00:48.54 ID:rnZxYdbo
>>697
もしや元就に滅ぼされた尼子の残党ですか?w
まあ信玄や謙信あたりでも「一代」で中国八カ国の「戦国」大大名にのし上がった元就には及ばないがな
699人間七七四年:2011/10/02(日) 02:01:23.84 ID:EpA0mT4z
大内義隆ひとり死ぬだけで利害調整が出来ずに内部崩壊。
なんだかんだいってヤル気がないといえど名門の当主ってのは影響力大きかったんだな。
700人間七七四年:2011/10/02(日) 02:33:45.81 ID:458K8UAb
元就が八カ国とかwww
毛利厨バカ過ぎワロタ
701人間七七四年:2011/10/02(日) 02:41:11.42 ID:XBEW7YY6
そりゃそうだろ…。

織田家だって信長信忠と死ねばその後はやりたい放題だし。

基本当主の死は敵対する勢力や野心家が勢力を延ばす最大のチャンスだし。
大内尼子長野葦名と権利移譲に失敗したり権力バランスに失敗して滅んだ家は少なくない。
702人間七七四年:2011/10/02(日) 07:54:51.67 ID:RUhJUJsd
>>700
お前が馬鹿なのは良くわかったから失せな、雑魚大名君w
703人間七七四年:2011/10/02(日) 08:02:43.72 ID:rnZxYdbo
>>ID:458K8UAb
元就の最大領土は安芸半国と備後半国であるキリッ!
こんな馬鹿、初めて見ました
704人間七七四年:2011/10/02(日) 08:08:32.28 ID:puUUNT7y
えっ?じゃあ安芸や備後以外も元就の領土だと証明してみせろよwww
不可能だろうけどなwww
もっとも安芸や備後ですら大内や尼子から貰った領地ばっかりで自分で切り取りした地なんてほとんどないしな
705人間七七四年:2011/10/02(日) 10:17:13.42 ID:SpA2YS9Q
つーか、直轄領以外自分の領土じゃない、なんて言ったら日本中の大名が半国も領地ないと思うが。
例えば甲斐武田でも真田家・木曽家とかの領地は武田の領土じゃない、って主張なんだよね?
徳川なんて関東入府まで直轄領があったかどうかも怪しいな。
706人間七七四年:2011/10/02(日) 10:42:01.62 ID:EpA0mT4z
徳川宗家も最終的な直轄的な領土は静岡藩だけだしなあ。
707人間七七四年:2011/10/02(日) 11:19:06.43 ID:3TMbBL4P
元就は国人たちによる連盟の単なる盟主でしかない。
言わば主従関係は成立してない同格の連盟。
守護大名や戦国大名の支配領域とは根本的に違うことも知らんとは無知過ぎてワロタ
708人間七七四年:2011/10/02(日) 11:36:55.72 ID:PZFbyfYa
>>707
それは尼子や大内にも言えることだね
709人間七七四年:2011/10/02(日) 12:34:23.72 ID:jJXvuh5t
>>708
武田を仲間外れにするな(`ε´)
710人間七七四年:2011/10/02(日) 13:49:43.95 ID:XBEW7YY6
外様、譜代領は自国領じゃありませんからーって斬新すぎてワロタw

まさに天才…
711人間七七四年:2011/10/02(日) 18:19:46.60 ID:C9Oq+awY
元就の領国は家中の者の範囲だけだろうね。
国衆の統制に苦労してる元就は
「毛利のことをよく思う者は他国については
言うまでもなく、地元の安芸の国衆にも1人もいない」と言っているし
大内を滅亡させたのちですら一揆的結合と指摘される傘連判で
国衆はみんな序列もなく署名し、兵達の狼藉ですら毛利が勝手に処分できず
一揆構成メンバーの相談の上で討ち果たすことを取り決めてる。
元就はコミュニティーの議長の家柄であっても指導者では無いのが史料からわかる。
また元就の兄弟と宍戸に嫁いだ次女の仲が険悪なので教訓状を元就は出しているが
兄弟が隆元へ服従することを元就が要求した返書を完全に無視したと山室恭子も指摘してる。
つまり吉川も小早川も宍戸も元就の命令すら無視していて
元就が再度の要求をするもこれまた無視。
地域コミュニティーすら元就とは同格の連合相手であって主従関係では無いのがわかる。
安芸すらロクに掌握できてないのが元就。
712人間七七四年:2011/10/02(日) 18:25:28.30 ID:C9Oq+awY
訂正
×また元就の兄弟
○また元就の息子兄弟
713人間七七四年:2011/10/02(日) 20:05:08.58 ID:PimrdnBO
つーかさ、戦国大名の支配体制って「領内」の大小の武家が自分の領地と軍勢を持ったまま
大名の統治組織に組み入れられるのが普通だろ。
だからこそ、計略でそのエリアまるごと寝返ったりするわけで。
「そうじゃない」と明確に言える大名家ってどこさ?

あ、逆に本来の守護大名は幕府から領内の小領主に対する統治権を幕府から与えられてる
わけだから、すべて主従関係においている、と言ってもいいか。
ただ、それに実効性が無くなったから戦国時代なわけで。
守護大名だから領内の小領主全てに対して主君として統制できていた、とか言われても
笑うしか無い。
714人間七七四年:2011/10/02(日) 23:40:14.52 ID:rnZxYdbo
すげえ、アンチ元就の主張ってキチガイすぎて清清しいくらい
全て直轄領でないと認めないとか、信玄も謙信も完全にアウトだわw
715人間七七四年:2011/10/02(日) 23:50:12.11 ID:Vd4Js1Bp
>>713
>「そうじゃない」と明確に言える大名家ってどこさ?
信長以降じゃないの?
716人間七七四年:2011/10/03(月) 02:13:34.16 ID:HHEXtUlI
このアホの理屈だと織田家の羽柴や柴田の所領持ちも他大名扱いで織田家の勢力とは関係ありませーんwww

って言ってるようなもんでしょ?

マジキチ!
717人間七七四年:2011/10/03(月) 06:55:34.98 ID:9U76bQGT
>>715
ノブだって配下の各武将は独立採算で、自分の領地は自分で支配してるでしょ?
こいつの理論だとそれもアウトだから、織田の領地もめっちゃ狭いよ。
近畿圏でさえほとんど明智の領地ってことになるからね。
718人間七七四年:2011/10/03(月) 07:37:35.83 ID:Ajt017hl
単なる一揆連合の長で序列も主従関係もない地域コミュニティの同格連合と
守護大名や戦国大名を同列視する馬鹿な毛利厨ワロタ
秀吉一人に軽く追い詰められたのも
元就の負の遺産と元春らの独立志向を背負うハメになっていた輝元時代になっても
いまだ主従関係が曖昧だったから。
719人間七七四年:2011/10/03(月) 08:44:11.30 ID:zyabBTjZ
>>718の意見によると、
戦国大名と呼べるのは徳川家康だけ?

あ、戦国時代は無かったの人か?
720人間七七四年:2011/10/03(月) 09:34:51.75 ID:Ajt017hl
現実見ろよ毛利厨くんw
元就は言わば一揆の持ちたる国加賀と似たようなもんだ。
まあ加賀は宗教を媒介にした強固な絆がある分、マシだけどな。
言って見れば
1400年に成立した信濃大文字一揆
1404年の伊東ら国人20国人による仙道一揆
1410年の相馬や岩城ら国人10人の海道五郡一揆
1417年の岩崎ら国人による海道一揆と同じ
相馬らの傘連判による一揆契約を読むと
一揆構成員の相互援助
談合による上部権力への対処
所務相論の解決
(逃亡百姓の返還要求など)
これら一揆連合は戦国時代の荒波に瓦解していった。
しかしぬるま湯の安芸ではいまだ1400年代の百姓の逃領主の地位確保の保身一揆連盟が行き続けただけのこと
721人間七七四年:2011/10/03(月) 09:41:32.72 ID:D8/4Y4Hy
KY石田三成キモ厨くんが出張してきましたよw
722人間七七四年:2011/10/03(月) 10:50:53.74 ID:m22Zpt0H
>>720
加賀も本願寺顕如の言うことを聞かなかったから
まとまりがなかったなあ
723人間七七四年:2011/10/03(月) 20:58:27.84 ID:OBn5W2e0
こいつの理論だと、守護大名の大内氏も戦国大名の尼子氏も国人一揆の毛利氏に滅ぼされたわけだな。
尼子と大内雑魚すぎじゃんwww
724人間七七四年:2011/10/03(月) 22:22:57.54 ID:ARZTgdJM
>>718
守護や守護代という超恵まれたスタート地点に立っていたにも関わらず
安芸の山奥の小規模な国人領主という厳しい条件でスタートした元就に
蹴落とされた大内や尼子がいかにみじめで、元就がいかに天才だったか
褒めてくれているんですね、ありがとうw
725人間七七四年:2011/10/04(火) 11:06:31.55 ID:s8m1/X+N
守護や守護代が超恵まれてたなんてお前単純すぎてアホが突き抜けてるなw
毛利は一揆の盟主の家柄であり安芸や備後に所領を持つ最有力国人じゃねぇか。
一揆は大内ら上部権力に対して抗弁するために組織されたものであり
大内といえどもその集団意向を無視できなかった。
毛利が三千貫しか領地が無くて貧弱だなんて捏造もはなはだしいわ。
それに大内を事実上滅ぼしたのは陶だし、その陶の味方をして大内を裏切ったのが毛利。
その陶が石見で苦戦してんのを見て奇襲かけて裏切ったのが毛利だろ。
厳島では完全に村上水軍への他力本願で実際には毛利は何もやってないし
陶を予定戦場の厳島へ元就が誘導したってのも捏造。
尼子晴久には連戦連敗してるのが元就だし、その晴久死去後に
将軍家から毛利と尼子の和睦の話が出た際に
石見銀山を含む石見の毛利への譲渡が尼子から持ち出され和平が結ばれたのに
石見銀山を受け取った半年後に、さっそく和平を破棄して尼子へ奇襲かけて
銀山の軍資金をばら撒いて内応させまくりして尼子を追い詰めただけ。
本城常光はのちに暗殺して元就所有にしちゃってるしな。
のちに輝元が銀山資金を使おうとした時に元春が
「銀山の収入は軍事目的でしか使っちゃならんって死んだ祖父が言っただろうが」
って激怒してるくらい銀山収入は軍事的に優位になるシロモノ。
異常なまでに卑怯な意味では元就はたしかに天才だ。
山室氏も鴨川氏も元就が歴史の捏造してるのを指摘してるしな。
726人間七七四年:2011/10/04(火) 11:49:53.31 ID:pr4IeHl1
>>725
元就の謀略が天才的なことは良くわかった
元就が大内家の立場だったらそれこそその謀略で天下を取っていただろう
元就の恐ろしい所は、その思惑通りにことを進める才能と決断力だろうね
727人間七七四年:2011/10/04(火) 11:58:42.42 ID:JtaKLZ7B
元就は尼子を見限って大内と手を組んだ時点で中国王になる野望を持っていた
陶が義隆を討ったとき、元就も陶と結託していた
主家である大内家を表立って討てば反発は大きいが、主家を裏切った陶を討てば
大義名分を得ながら大内家を吸収できる、まさに天才だな
728人間七七四年:2011/10/04(火) 13:27:09.14 ID:s8m1/X+N
>>726>>727
なにバカな妄想してんだw
>>思惑通りにことを進める
グチと弱気発言ばかりの元就なのにwww
だいたい陶も毛利も同じ主家裏切り者同士であり
どっちも同罪じゃんw
それに陶を対決するか悩んでる時の元就は
なんとか大内義長をこちら側に引き入れられないかと嘆息してるように
大義の面でも陶より劣っている点を元就自身が上げているのも知らんのかw
729人間七七四年:2011/10/04(火) 14:59:52.40 ID:JtaKLZ7B
>>728
ほんと馬鹿だなお前
質問するが、義隆を謀反で討ったのは誰で、その謀反人を討ったのは誰だ?
730人間七七四年:2011/10/04(火) 15:12:37.07 ID:sDvPkJ+D
>>729
ほんと馬鹿だなお前
731人間七七四年:2011/10/04(火) 15:36:43.12 ID:KbYlp2/l
>>725
>安芸や備後に所領を持つ最有力国人
具体的にどれくらい?
勿論元就が当主になる前の時点で
732人間七七四年:2011/10/05(水) 11:36:35.69 ID:l92RR7yx
渡邊世祐氏によれば1517年の毛利所領は40余りの荘を保有し判明している7荘だけで5700貫に上るとしていた。
毛利家文書151・252号によれば1475年備後国伊多岐・重永・山中など世羅台地にも毛利は3000貫を獲得し備後国にも発言力を持っている。
つまり毛利の3000貫しかなかったってのはそもそも大ウソなんだよw
そんで大内と尼子の間をくるくると渡り歩いているのは

安芸可部七百貫・温科三百貫・深川上下三百貫・玖村七十貫等の地を
大内から加増してもらった大恩を忘れ大内を裏切り元就が晴久と義兄弟にまでなっている事実・・・
1541年大内から佐東や安南に合計1000貫の所領をもらい
翌年には武田の一族判氏の遺領である判の地も貰い武田の佐東川川口の川内衆水軍をもらう。
(大内は備後北半七郡直接支配は元就に委ねている)
陶の謀反に同調した元就は陶が厳島接取した同日8/20金山城(武田の主城である佐東銀山城)を手に入れ、
陶から己斐河以東の左東郡を与える約束をしてもらっている。
また9月には義隆側の孤立無援の西条槌山城も手に入れる。
(大内が安芸東部支配の牙城にしていた西条鏡山城を廃して新たに築城した)
周防16・長門13
備後18・安芸19
だもんな。しかも陶は周防からしか動員できないし。
そもそも中国地方なんて石高の低いしょぼい戦しかないだろ。
鴨川氏も港湾収入なんて、それまでの徴収者が据え置かれてるから
港湾地域を支配に加えても毛利の収入はそれほど増えなかったとしてるし、
瀬戸内海での港湾からの上がりも期待できなかっただろうし。
733人間七七四年:2011/10/05(水) 13:14:12.84 ID:RyZiW/X9
サブっぽいレスだなあ

識者の論考を引いているつもりなら、きちんと出典を出す!勝手に要約しない!
734人間七七四年:2011/10/05(水) 16:01:26.42 ID:biUvn4kj
中国地方は石高は低い代わりに大内の影響で貨幣経済は浸透していたからなあ。
山陽・山陰ともに水軍が活発だったのは大陸からの交易を担っていた影響なので
日明貿易が活発な頃は裕福だったと思う。
735人間七七四年:2011/10/06(木) 01:47:47.80 ID:TlENVuml
論文を引用する場合は
著者名「論文タイトル」『学術雑誌名』巻号、出版年、引用ページでお願いします。
736人間七七四年:2011/10/06(木) 08:23:42.95 ID:xfqY9lbP
だが、断る
737人間七七四年:2011/10/06(木) 08:45:47.91 ID:W91ALo90
基本的知識すらない毛利厨の事実上の降伏宣言か。
胸熱だな。
738人間七七四年:2011/10/06(木) 08:48:32.61 ID:zZWBHoNI
>>726
大友にボコボコに負けてる時点で三流だろ 元就なんて
739人間七七四年:2011/10/06(木) 10:01:36.83 ID:M2Zfb1P9
つっこまれるといつもの逃亡ですか、サブおっさんw
740人間七七四年:2011/10/06(木) 23:39:57.65 ID:JMf/Pljj
本国を海で隔てられている毛利の方がに不利だろ
もっとも宗麟も最大で九州6カ国を支配下に治める英雄の一人
元就の一代で中国8カ国のスケールには及ばないがたいしたもんだな
741人間七七四年:2011/10/07(金) 03:14:24.80 ID:yJRZ2NTG
元就が八カ国支配してたソースください。

ちなみに門司海峡はむちゃくちゃ狭いので兵站は毛利の方が圧倒的に有利だし、国人達は親毛利勢力ばかり。
大友は豊後から険しい山間を長躯、敵地を通過しないとならないので著しく大友側が不利。
742人間七七四年:2011/10/07(金) 13:31:28.36 ID:SqwTR2aV
>>741
盛り上がってるところ悪いんだが
戦場はどっちの勢力圏なんだ?
大友領で兵站がどうのってなりゃそれこそ無能だろ。
当時のまして日本に、陸地を砲撃できる軍艦でもないかぎり、海を渡って攻め込む側が不利なのは間違いない。

元就公をdisりたくて頭に血が昇ったか、大友が好きで発狂したのか?
743人間七七四年:2011/10/07(金) 13:48:20.13 ID:n1mPO3pH
戦域は親毛利国人々だらけ
(もともと大内側で大友と戦い続けてた)
毛利が制海権を握ってたから
大友は陸路で敵地を進むしか無かった。
744人間七七四年:2011/10/07(金) 15:33:05.91 ID:SqwTR2aV
>>743
大友が毛利領に侵攻してボロ勝ちしたってことか?

そのわりに大友領が関門海峡を越えたとは聞かないが?
745人間七七四年:2011/10/07(金) 17:50:15.15 ID:r0motI9+
>>744
無知すぎだろお前・・・
746人間七七四年:2011/10/07(金) 19:36:30.80 ID:SqwTR2aV
無知だろうな、歪んだ歴史通からすりゃ?
どっちが攻め込んだって話で周りが毛利方なんて気の狂った説明する通からしたら。

前線基地もなく、敵が乗り込んで、近隣を制圧してからノコノコ行く馬鹿が大友って書いてるようなもんだろ?

海越えて攻め込んでるんだ、まして豊後水道を押さえてるわけでもないのに
一つ間違えれば乗り込んだ側は全滅するのが筋。

別に毛利が特に弱いわけでもない。
海の向こうから良く足掛かり作っただけでも毛利にしちゃ大したもんだ
747人間七七四年:2011/10/07(金) 19:56:17.97 ID:/68WX27k
大河でも九州での大敗は全スルーだったな

人生の最期で無様な姿を晒して終われなかったんだろうがw
748人間七七四年:2011/10/07(金) 19:58:27.77 ID:r0motI9+
そこまで主張するなら筑前と豊前で大友側に付いた国人を上げてみろよ。
あと該当戦域と豊後水道なんて
まったく関係ないじゃん。
地理も理解できないのか…
749人間七七四年:2011/10/07(金) 22:16:04.44 ID:0VsohgIi
>>741
wikiに書いてあるんじゃない?その程度のこと
否定するなら否定するソースをよろ
ああ、お前の妄想はいらないからね?
750人間七七四年:2011/10/07(金) 22:33:22.53 ID:AVw9fuY6
豊予海峡大橋さえ着工すれば・・・
751人間七七四年:2011/10/08(土) 01:17:51.50 ID:ilA/Jf5B
>>747
大友氏や尼子氏が主役の大河ドラマが作られるようになるといいねw
752人間七七四年:2011/10/08(土) 01:34:40.25 ID:SzO6xT3y
尼子なら経久が主人公でないと結局毛利物語で終わる予感
宗麟は侵略の尖兵である宣教師に完全に洗脳されているから
主人公として扱いにくいのでこれまた微妙
753人間七七四年:2011/10/08(土) 08:44:22.62 ID:9BPojUfM
経久だけだと?毛利を圧倒した晴久がいるし
宗麟は宣教師に洗脳されてねーし。
大友が直轄地がほとんど無いから褒美不足な為に
寺社領の没収や海外貿易のためにキリスト教を利用者していただけ。
むしろキリシタン信者エリアの対島津徹底抗戦ぶりはすごかった。
754人間七七四年:2011/10/08(土) 12:52:44.83 ID:t9oxuY8t
>>749
えっ?wikiってwww
キチガイ毛利厨が捏造編集した内容を読むほど暇じゃねぇ。
755人間七七四年:2011/10/08(土) 13:09:07.84 ID:ilA/Jf5B
>>754
気持ちは分からんでもないが取りあえず肩の力を抜けやw
756人間七七四年:2011/10/08(土) 20:02:26.03 ID:fHOhlIZO
>>754
いや、お前の便所の落書き以下のここでのレスよりはよほど信憑性が・・w
757人間七七四年:2011/10/09(日) 09:14:32.22 ID:d3ln5Fo0
毛利のwikiが軍記講談準拠で超爆笑したwww
アホにつける薬無いな…
758人間七七四年:2011/10/09(日) 12:33:50.95 ID:dnGJ0k+z
>>756
馬鹿なんだからほっておいてやれ、所詮負け犬の遠吠えです
>>757
煽り乙w
759人間七七四年:2011/10/09(日) 22:15:25.95 ID:szDjO7ag
元就八カ国支配人にソースなんてあるわけないわな。
デタラメ捏造なんだから
760人間七七四年:2011/10/09(日) 22:27:43.09 ID:odL+jCNz
尼子氏も11ヶ国を直接支配してたわけではないんだよね
761人間七七四年:2011/10/09(日) 22:51:24.58 ID:0+ALqXhe
信長も軍団制で直接支配した直轄地はごく僅かだからなぁ
762人間七七四年:2011/10/10(月) 01:04:57.33 ID:H/ek3npq
長門、周防、安芸
備後、石見の5カ国だけだろ。
隠岐の島は尼子再興軍の策源地だし
出雲、備中は宇喜多や大友や暗に織田も後援してた尼子再興軍が優勢なまま
元就憤死したし。
763人間七七四年:2011/10/10(月) 02:32:52.39 ID:kb2N/RxB
安芸・周防・長門・備中・備後・因幡・伯耆・出雲・隠岐・石見の10カ国
一代でこれだけの領土に支配力をもった元就ってやっぱスゲーわ
764人間七七四年:2011/10/10(月) 10:28:25.47 ID:E42Kiivr
>>763
みんなが指摘してるように毛利厨がクソ以下なのが理解できたわ。
765人間七七四年:2011/10/10(月) 11:03:58.15 ID:/ZpCz9x1
>>764
>>760に対して反論出来ないんだね
766人間七七四年:2011/10/10(月) 11:15:07.99 ID:E42Kiivr
反論も何も誰もそんな主張してないだろ。
頭大丈夫か?
767人間七七四年:2011/10/10(月) 11:36:00.87 ID:/ZpCz9x1
>>766
そうだね
尼子氏の支配地域が実際は殆どが流動的だったなんて恥ずかしくて主張できないよねw
768人間七七四年:2011/10/10(月) 13:17:16.15 ID:E42Kiivr
尼子は守護代から戦国大名への転換を図ったから
国人たちとの主従関係が成立しており
経久時代はまだしも
晴久時代も流動的は言い過ぎ。
晴久が元就に圧勝しまくりなのもきっちりした体制作りをしたからで
叔父を殺したりして
その勢力を解体したりしたのもその流れ。
769人間七七四年:2011/10/10(月) 13:20:55.94 ID:LZX16cyP
大友がアホなことしなけりゃ尼子晴久が上できていたかもしれないしなあ
770人間七七四年:2011/10/10(月) 13:21:19.47 ID:LZX16cyP
大友がアホなことしなけりゃ尼子晴久が上洛できていたかもしれないしなあ
771人間七七四年:2011/10/10(月) 13:51:42.65 ID:lW2rUiPp
確かに晴久はもう少し評価が高くてもいよな
信長の野望なら平均80以上はある島根の英雄だと思う
772人間七七四年:2011/10/10(月) 13:52:21.62 ID:E42Kiivr
>>770
意味わからん。
大友と大内の和睦のことなら
義晴の上洛要請の和睦斡旋なんだが。
773人間七七四年:2011/10/10(月) 14:04:34.37 ID:LZX16cyP
>>772
やっぱり大友厨かw
なんでも大友の都合がいいように考えるその脳味噌を精神病院で検査してもらうことをおすすめする
774人間七七四年:2011/10/10(月) 14:24:55.81 ID:E42Kiivr
大友厨なんて世の中にいんのかよワロタw
775人間七七四年:2011/10/10(月) 15:38:09.82 ID:9292VdDU
まぁ元就の死んだ時の石高なんて100万石前後レベルだから
大したことないな。
家康みたいに天下取れるレベルの75歳まで
無駄に長生きして、その程度の結果しか残せないんだから。
776人間七七四年:2011/10/10(月) 21:39:17.36 ID:E6I2iIei
おいおい、さすがに元就が家康と同格とまでは思っていないぞw
家康は天才的な保守派だからなぁ、それでも毛利と島津を潰さなかった点では甘かった
300年後に恨みを爆発させて徳川家を滅ぼす事になったのだからね
徳川家に忠誠を誓わせるために導入した朱子学が、真反対の効果を生む事になるのも歴史の皮肉
777人間七七四年:2011/10/10(月) 22:01:47.78 ID:1Zi5PiN5
チャンネル銀河の実況ってないんだな。
これから毛利元就はじまるのに
778人間七七四年:2011/10/10(月) 22:19:47.53 ID:pYl7ZSG2
家康は運だけの男だろ
779人間七七四年:2011/10/10(月) 23:29:56.15 ID:E6I2iIei
>>778
運だけな訳あるかいw
780人間七七四年:2011/10/11(火) 01:15:00.73 ID:M66YykWH
781人間七七四年:2011/10/11(火) 09:05:06.81 ID:DuprFdW6
300年後に恨みを爆発

そこまで恨んで生きていたなんて見下げた奴らだな
家康生きてるうちにとっとと襲いかからんかいヘタレ
782人間七七四年:2011/10/11(火) 10:30:31.66 ID:pykySuGl
もし佐野道可の代わりに大村益次郎が大坂の陣に参陣していたら
家康はあっけなく戦死していただろう
783人間七七四年:2011/10/11(火) 18:24:11.99 ID:gjBmZS0y
>1
とりあえず
俺は毛利ファンじゃないが

当時は、尼子家と大内家と言う超巨大な家があってなぁ
784人間七七四年:2011/10/11(火) 18:38:14.65 ID:HrRDQDqK
>>783
大内義隆も尼子経久も
寄親寄子のいい加減な統治しかしてねーじゃん。
しかも毛利は大内か尼子にいつも保護されて
どっちかに主を変えるごとに加増してもらいまくりで
一番おいしい立場で肥え太ってただけじゃん。
785人間七七四年:2011/10/11(火) 22:14:10.36 ID:REEFa4ke
>>784
お前が元就だったら、その美味しい鞍替えを一度でも行ったら
旧主家から狙われて即滅亡だなw
超大国に挟まれた弱小国家が天下を取ることがどれだけ偉大な事か
凡夫には理解できない、天才の行動のすごさは理解できない
786人間七七四年:2011/10/11(火) 23:22:20.64 ID:BmZEgd+D
大内も尼子も幾ら名門の家だろうが少なくとも無能な奴には加増しないからな
裏切られても尚敵にしたくないと思われるくらいだから並の器量ではないしね
でなければ目測を誤り大内に反旗を翻し結果滅亡した厳島神主家のような末路を辿るから
787人間七七四年:2011/10/12(水) 12:40:17.42 ID:wQ0rxzqL
大内や尼子が安芸一揆の代々の盟主の家柄を滅ぼすわけねーだろアホw
そんなことしたら安芸の統治を諦めることを意味するわ。
788人間七七四年:2011/10/12(水) 14:17:44.46 ID:idSTlBvR
尼子に寝がえりかましても
大内から毛利はペナルティを負うどころか
大内に戻る時に加増してもらってるしなー。
さすがに最後には尼子も義兄弟の元就は全く信用できないから、いくら親類の吉川からの斡旋でも騎下にしたく無いと言ってるが。
そういや義昭も元就は信用できないし超ケチと言ってるんだよね。
789人間七七四年:2011/10/12(水) 16:11:34.19 ID:gg64TMtY
毛利って朝廷にはいい顔してるけど、幕府にはあんまりかかわり持たないようにしてるよね。
鞆まで押しかけてこられてしょうがなく相手してるうちにその気になってるけど。

ところで、いつものアンチの人がちょっと前のスレでは戦国大名や諸語大名として国人一揆
の毛利とは比べ物にならない、とか大内・尼子を持ち上げてたのに、一瞬で手のひら返した
のにワロタ
790人間七七四年:2011/10/12(水) 16:50:57.50 ID:HgGFtKjA
>>787
裏切り者を放置する方が統治に支障をきたす
アンチは馬鹿過ぎて話にならんのう
791人間七七四年:2011/10/13(木) 09:06:01.50 ID:mhrpnH3D
>>790
元就がクソ人格だから
大内が隆元を人質に取ったんじゃねぇか。
おかげで郡山合戦で尼子の威嚇に元就が再度、尼子に土下座しなかったから
義隆もよく元就のクソ人格を理解してたよ。
ただ武田を滅亡させた後の論功行賞で隆元を返したのはダメだったな。
義隆が隆元をしっかり押さえてれば
陶と一緒に元就が義隆を裏切らなかったかも知れないからな。
陶の背後を毛利が固めてれば陶も裏切りできん。
>>789
国人傘一揆同格連合勢力圏の傀儡御神輿の元就死去時が
100万石前後と言うのは同意だが。
792人間七七四年:2011/10/13(木) 09:11:22.48 ID:Vfaupxbl
当時大内には人質が隆元の他に天野隆重や阿曽沼元秀もいた事は>>637で既出なのに都合が悪いからまた無視するんだな
793人間七七四年:2011/10/13(木) 09:41:38.98 ID:mhrpnH3D
>>792
阿曽沼と天野が尼子側に行った時に
毛利は大内側で
天野と元就が一揆同盟を結んで
大内側にして阿曽沼わや誘降させたのに
しかも阿曽沼は再度尼子側に寝がえりかましたのに
元就があまりに人格がヤバイから
彼らと同一視して扱いが一緒w
794人間七七四年:2011/10/13(木) 09:51:46.27 ID:mhrpnH3D
>>789
元就は和睦してもらう為に散々幕府を利用してるだろが。
幕府には謝礼しないどころか
幕府の顔を潰してすぐに和睦を一方的破棄して奇襲してるし。
それに義昭が押しかけたんじゃなくて
義昭は毛利が信長にビビっているのに失望し
東国へ移動するために
謙信と連絡を取っているのを知って
毛利の威信にかかわるので焦って元春主導で
義昭を毛利領へ呼んだだけ。
勝手に捏造すんなカス
795人間七七四年:2011/10/13(木) 10:04:28.98 ID:mhrpnH3D
>>786
大内が厳島神主家に後継を認めず直轄下したから
武田の後援で反抗するしか選択肢が無かっただけだ。
目測も何もねぇよ。
796人間七七四年:2011/10/13(木) 18:43:57.48 ID:o+G7aNHm
血液型の問題
どんどん他国を侵略して領地を広げ地位を上げたがる考えはA型とO型の武将しか持っていない
B型(毛利元就、伊達政宗)AB型(武田信玄、上杉謙信)は領地の拡大には興味は持たなかった
自国の保守に力を入れて戰より趣味などに力を入れていた
797人間七七四年:2011/10/13(木) 23:02:23.55 ID:pCs8KF7U
元就も正宗も領土欲満々じゃねえかw
謙信だけは本当に義で動いていたっぽいけどな
798人間七七四年:2011/10/16(日) 12:52:49.99 ID:1jl+/a2q
謙信は150万石
799人間七七四年:2011/10/17(月) 00:59:02.62 ID:NuiqlZvo
>>795
その件と滅亡する件は20年も開きがあって全然別物だね
幾らなんでも時系列を有耶無耶にして捏造するのは良くないよ
800人間七七四年:2011/10/17(月) 09:20:49.80 ID:MCpolQAQ
>>799
別じゃねぇよw
801人間七七四年:2011/10/17(月) 11:06:45.00 ID:GjEyi10G
たしか神主家の後継争いに負けたほうが吉田郡山城の戦いに呼応してその後滅ぼされたんだっけ?
後継争いに勝ったほうはどうなったの?
802人間七七四年:2011/10/17(月) 12:51:30.03 ID:ZUYs4MMG
負けた方とか勝った方とかではなく、
そもそも大内対神主家だから。
大内は武田攻略の橋頭堡としての直轄領化しか考えてない。
803人間七七四年:2011/10/17(月) 14:57:35.94 ID:MlD7xqcF
毛利家って戦下手な大名なのは確かだろうなぁ

元就が自分が死んだのち、領土だけ守れみたいな事いっただけある
関ヶ原の体たらくや、毛利家の戦はどれも微妙、大友家にすらフルボッコ、秀吉隊にもフルボッコ

元就自身も戦下手っぽいしな、謀略であれだけの領地切り取ったと考えればある意味すごいけど
804人間七七四年:2011/10/17(月) 15:21:48.55 ID:iUyQ7Eot
戦い<<<戦略な
戦略パーツの中でも金や人員を無駄に使う戦いなんて選択は下の下

戦略でどうしても片付かない問題を強引に解決するのが戦闘だ
805人間七七四年:2011/10/17(月) 16:03:41.61 ID:GjEyi10G
>>802
なるほど。一族間の後継争いというよりも
大内が送り込んだ人間と争ったわけか。
小早川や吉川もそうだが、のっとりが成功するとおいしいからなあ。
乗っ取っても大きい勢力だと菊池義武みたいによそと結ぶ人もいるから油断できないが。
806人間七七四年:2011/10/17(月) 19:44:34.38 ID:SSbJsGfa
実際は乗っ取りでも何でもないべ。
吉川や小早川の都合で元春や隆景は動いていて
隆元や元就と険悪になっていっただけだし
元就も隆元に
「お前が怒るのはもっともだ。私ですら隆景には
何度と無く腹を立ててるんだから!元春に関してももう諦めろ」
と言ってるくらいで、
元就が「兄弟は協力して毛利本家を守り立てるよう誓約だせ」と要求しても元春と隆景は黙殺し、結局、隆元だけが署名しただけだし。
807人間七七四年:2011/10/18(火) 08:23:32.02 ID:yyXQ/cJY
まああくまで同格の一揆連合であって主従関係ではないからね。
隆元も弟たちは私を盛りたてる気はないと元就に愚痴ってるし、
輝元時代になるとますます仲が悪くなった
元春と隆景が常に正反対の意見を強硬に主張して輝元を困らせてるし、
隆景は輝元をガチでフルボッコしちゃうし。
もうみんなバラバラだから織田と戦ってる場合じゃない。
808人間七七四年:2011/10/18(火) 11:57:20.37 ID:Qr1uVJaz
>>803
>>謀略であれだけの領地切り取った
漫画読みすぎじゃね・・・
>>804
元就って行き当たりばったりで、いつもグチってマイナス思考なんだが。
809人間七七四年:2011/10/18(火) 14:35:13.05 ID:UbwSXsg5
>>808
>元就って行き当たりばったりで
具体的に何処が?
810人間七七四年:2011/10/18(火) 19:39:33.90 ID:Hg/6di4H
弱小勢力がいきあたりばったりになるのはいたしかたないかと
811人間七七四年:2011/10/18(火) 20:17:36.54 ID:jUmPHSVy
>>807
アンチの大好きな「一揆連合」あの時代は全ての勢力が一揆連合ですからねw
812人間七七四年:2011/10/18(火) 21:57:19.80 ID:NRWSxFvI
中国地方と違い畿内東国と違い遅れてた。

1500年代中期に入る前に
もはや時代遅れの一揆連合なんて
弱肉強食の畿内東国では戦国大名によって解体されてるよ。
中国地方はいまだ
怪力乱神を語って祟りに怯える風俗があったぬるま湯地域だから一揆連合が生き残れた。
813人間七七四年:2011/10/19(水) 00:21:00.42 ID:r/61G3d3
一揆勢力である武田家も北条家も皆やられてしまった
戦国大名恐るべし!
814人間七七四年:2011/10/19(水) 01:19:37.60 ID:ZEoZi3pF
しかし、元就ってすごいな。
500年経ってもまだこんなに議論されてるとは!
アンチが必死に、「無能だ〜、何もしてない!」って、わめいたとしても、
あと、何百年も語り続けられ、ドラマになったり、本になったり、ゲームになったりするんだろうね。
815人間七七四年:2011/10/19(水) 01:27:23.92 ID:lR6S3436
>>813
自殺レベルの恥ずかしい無知っぷりだなワロタ
816人間七七四年:2011/10/19(水) 02:54:02.14 ID:tby7E/eo
>>814
キチガイみたいなアンチが居ることも英雄の宿命なのかもなw
戦国レースの優勝は織田信、準優勝は毛利元就で決まっている
817人間七七四年:2011/10/19(水) 12:45:45.48 ID:0xb46DuS
>>816
早く夢から醒めると良いなw
818人間七七四年:2011/10/19(水) 22:28:43.29 ID:r/61G3d3
>>817
お前こそさっさと現実を直視しなよ、粘着アンチクンw
819人間七七四年:2011/10/19(水) 22:53:41.64 ID:ZEoZi3pF
マジレスすると、生まれや運も実力のうちでしょ。
信玄が大名の後継者とか、秀吉は信長のおかげとか、家康は長生きしただけとか、

元就は頑張ったほうでしょ?
引き継いだ領地が20000石程度で、あそこまで広げたら英雄レベル
820人間七七四年:2011/10/19(水) 23:09:03.03 ID:hdeoeDgd
2万石のソースくれ
821人間七七四年:2011/10/20(木) 08:55:54.09 ID:G5zxedZK
あるわけないじゃんウソだもん
822人間七七四年:2011/10/21(金) 00:28:48.75 ID:iG3G4Pp7
そもそも毛利はなんで秀吉に従ったんだろうな

当時はまだ秀吉の勢力はたいした事なかったのに
毛利が下ったせいで一気に秀吉に世が動いた

毛利が下ったのは織田家にであって秀吉にではないっとか言って毛利が後ろから攻めれば
明智との戦いの際でも、柴田との戦いの際でも、小牧長久手の戦いの際でも
いつでも秀吉を葬れたのに
823人間七七四年:2011/10/21(金) 01:04:22.82 ID:5Est1Zxu
>>822
秀吉の力量を一番戦う期間が長かった毛利家(隆景と言うべきか)が理解していたからじゃない?
次の天下人は秀吉だと思ったから、秀吉株に先行投資したんだと思う
万が一光秀が天下を取っても、将軍を庇護していたという建前と秀吉と激戦を交わしていた事実があるので
光秀政権?ともやっていけるという計算もあったのかも
824人間七七四年:2011/10/21(金) 01:34:54.06 ID:o7/BNFwZ
本能寺の変後の追撃
柴田と同盟
これ元春が主張してたよ。
実際に、秀吉と勝家の双方に
戦勝祝いの書状をあらかじめ作っていた。
おそらく元春は光秀とも書状交換してたと思うよ。
毛利は常に元春と隆景が仲が悪い為に
結果として二股外交やってるから。
825人間七七四年:2011/10/21(金) 01:40:25.82 ID:5Est1Zxu
>>824
元春が追撃を主張したことは分かっている、その上で智略の事なら隆景という事で隆景の意見が通ったのだろ
元春が主張した事を実行した事を混同していては話にならないぞ?
それにあの時代、権謀術数のひとつの手段を二股外交と意図的に貶める言葉に置き換えている時点でいつのアンチと言う事がバレバレw
826人間七七四年:2011/10/21(金) 02:36:54.57 ID:o7/BNFwZ
>>825
決戦する双方の陣営用に戦勝祝いを書いておいた大名が他にいたならぜひ教えてください。
方針対立では元春が多数派工作で負けただけだろ。
この対立体質が関ヶ原の大失敗に至る病なんだな。
827人間七七四年:2011/10/21(金) 04:31:59.13 ID:ykFU8/fJ
そりゃ両方用意しといて勝ち馬に乗るのが一番じゃん。常識的に考えろよ。

旗色片一方に鮮明して成功すればでかいが失敗したら立場が悪くなるだけだし。

無論、日和見では得られる物は大きくはならないし下手すれば不信も買うがな。
828人間七七四年:2011/10/21(金) 07:17:26.95 ID:WlvAoQMT
関ヶ原や大坂の陣でもそうだったしな
佐野道可とかリスクしか無いだろうに・・・
829人間七七四年:2011/10/21(金) 09:35:46.48 ID:1hIQiFjh
>>827
書状を双方に用意しておくような大名はいないだろ。
基本的に大内と尼子のどちらにも顔をつなげて保身を図る毛利のやり方なだけ。
>>828
関ヶ原も大名たちは親兄弟を分けるなど、
明確に旗色をわけている。
毛利みたいに西軍総大将やりながら、
裏で東軍にも書状を出し内通しておきながら
西軍内の内通者を探しだすように捜査を命じたりしない。
佐野道可も偽名で毛利との関係を隠させてるし。
そういうぬるま湯の中国地方でしか通用しないやり方が毛利を自爆させてる。
830人間七七四年:2011/10/21(金) 10:03:04.47 ID:iG3G4Pp7
ようするに
毛利家はコウモリみたいなもんかwww
831人間七七四年:2011/10/21(金) 10:21:56.75 ID:WlvAoQMT
まさにコウモリ
幕末真っ向から幕府に喧嘩を売った連中とは思えない卑劣さだ
832人間七七四年:2011/10/21(金) 10:47:20.10 ID:0/dXXvuW
関ヶ原があったからこそ、幕末につながっているんだろ
関ヶ原で上層部の意思統一が出来ていなかったこと(これは事実)
そして安易に家康を信じて妥協して(広家、大阪城での輝元)騙されてしまったこと
その反省があったからこそ幕末は関ヶ原の二の舞は避けようと徳川家とはとことん妥協せず
上層部も常に意思統一しようという行動に繋がった
歴史は繋がっていることがよくわかる話だな
833人間七七四年:2011/10/21(金) 12:08:59.32 ID:iG3G4Pp7
つまり
逆ギレして徳川を怨んでたとw
834人間七七四年:2011/10/21(金) 12:12:12.39 ID:0jjSR6LI
テロリストだらけの長州。
薩摩と土佐がいなかったら
消滅してたバカ
無計画の一億総特攻玉砕の元祖
835人間七七四年:2011/10/21(金) 12:32:35.16 ID:0/dXXvuW
封建社会では恨みは世襲するんだよ
島津のチェスト関ヶ原という合言葉もいい例
836人間七七四年:2011/10/21(金) 13:21:00.44 ID:WlvAoQMT
>>832
実は藩主の毛利敬親自体はその時の有力家臣の意見に従い
コロコロと立場変えているから本質は変わってねえw

>>834
最近の調査では池田屋の放火疑惑は倉庫から御所を襲撃するには貧弱な武装で
幕府側の思惑(功績を吹聴するため等)誇張・捏造したことがわかっている。
禁門の変の京都大火も長州が撤退時に放火したせいではなく
会津と新選組による民家砲撃が原因と判明した。
そもそもテロを行なっていたのは正規長州藩士ではなく諸藩脱藩浪人であり、
長州=テロという主張は星亮一という作家が広めたデマ。
837人間七七四年:2011/10/21(金) 13:37:57.77 ID:5Est1Zxu
>>836
組織が右向け右と言ったときに全員出来るかどうかが重要
組織自体は右を向くこともあれば左も向くことがあるでしょ
部下が優秀な場合は、下手な殿様よりもそうせい公みたいな殿の存在の方が良かった
838人間七七四年:2011/10/22(土) 09:55:09.46 ID:C9N6JKR1
元就はスタートが一国人でしかも周囲は超大国・大国・守護・名家に囲まれてて
味方と言えば協調性皆無ですぐ裏切る安芸国人の皆さんで200回以上合戦出て結局全部飲み込んで最後まで生き残ってんだもんな
早雲や元親やクマーもそうだけど寡兵から始めて遙かな格上達を倒していくのはやっぱりドラマ性あるし格好いいと思ってしまうわ
839人間七七四年:2011/10/22(土) 10:06:08.55 ID:bXFb96j3
>>838
何一つとして本当のことが、
一切書いてない駄文過ぎてワロタw
840人間七七四年:2011/10/22(土) 10:24:22.49 ID:T5N0gk1s
>>838
かなり誇張している部分はあるけど、スタート時の規模と最終的な戦力範囲を見たら
間違いなく信長の次に成功した大名であることは間違いない
841人間七七四年:2011/10/22(土) 11:11:47.40 ID:b4cQhdmT
>838
でも華やかさはないよね

婚姻と謀略でしか領地拡大できないし、戦闘するとたいてい負けてたしw
842人間七七四年:2011/10/22(土) 11:23:51.15 ID:h2LmZsZK
>>841
元就の勝率は戦国大名の中でも高い方です
勝率は7割以上で戦国大名屈指です
843人間七七四年:2011/10/22(土) 11:58:41.78 ID:5s6ykzg3
ブリュッヒャーみたいに負け続けても最後に笑えば勝ち組さ
844人間七七四年:2011/10/22(土) 20:28:33.29 ID:8Q4zD1gS
>>840
また捏造に捏造を重ねてマンセーか。気持ち悪い。
>>842
ソース出せよw
>>843
元就は宇喜多直家の謀略と尼子残党の攻勢にさらされ、
ついには前線が後退しまくり
なんと備中失陥寸前まで悪化し、
毛利滅亡を憂いながら憤死しただろ。
845人間七七四年:2011/10/22(土) 21:14:32.84 ID:h2LmZsZK
>>844
アンチの遠吠え、いいかげん粘着はやめて他スレに言ったら?
そろそろ誰にも相手にされなくなるよ_
846人間七七四年:2011/10/22(土) 21:31:54.03 ID:0OfKL/78
>>844
憤死って、、、
あの時代ではすごい長寿だろ。
847人間七七四年:2011/10/22(土) 23:12:04.45 ID:Dp49ivPX
>>846
あの時代の中国地方には元就以上に長寿の奴が多くいたから元就は長寿に相当しないと言いたいのでしょう
848人間七七四年:2011/10/23(日) 02:15:48.22 ID:CcbPCTxm
ちょっとググっただけでも元就の勝率が高いことが分かるんだけど、>>844はキチガイなの?
849人間七七四年:2011/10/23(日) 07:13:50.60 ID:DDGd8F14
>844は前から、「元就の勝ったって記録は全部嘘で、負けたって記録は本当はもっと負けてる」って
主張してる人だよ。
常識で考えて、そんな負けっぱなしの人が巨大勢力を作り上げられるわけがないんだが。
850人間七七四年:2011/10/23(日) 11:36:48.13 ID:7bQ/wnp3
で、勝率のソースは無いデタラメと言うことか。
851人間七七四年:2011/10/23(日) 18:09:37.39 ID:uY12O8IV
>>846
まぁ西では宗麟に大敗し
博多が取れずに財政崩壊。
東では宇喜多&尼子残党にフルボッコされて
親毛利の備中三村滅亡寸前・・・
失意のうちに憤死したとの表現は間違いじゃないな。
>>848
大ウソはいけないなぁ。それとも出典はコーエー武将ファイルかねw
>>849
つかお前どんだけ田舎に住んでんだw
444 :人間七七四年:2011/10/23(日) 07:11:58.87 ID:DDGd8F14
20kmぐらいたいしたことないだろ。
うちの高校は深夜40km遠足とかしてたぞ。
852人間七七四年:2011/10/23(日) 19:23:25.92 ID:MeUbARjr
>>851
他スレのことは他スレでレスしてくれや
853人間七七四年:2011/10/23(日) 22:18:47.04 ID:2ElBqzJ5
アンチはスルーで
854人間七七四年:2011/10/23(日) 22:45:28.68 ID:yX59Ndqo
>>851
コーエー出典って何だよ?少しでもググレは現実が見えるだろクソアンチ君
それでもお前の落書き以下のレスよりはコーエーの方がよほど説得力あるけどw
855人間七七四年:2011/10/24(月) 00:16:40.12 ID:Wp5nYg0G
>>834
無計画の特効玉砕の元祖は会津じゃん
長州は武備を近代化し、土佐浪士を使い計画通り薩摩を不参戦にした上で幕府に喧嘩売らせた
856人間七七四年:2011/10/24(月) 09:07:05.61 ID:5lfcAUKF
ググってもソースも出典先もまったく書いてない。
完全な捏造ワロタw
857人間七七四年:2011/10/24(月) 12:55:16.32 ID:kevuTZz8
>>856
おはようアンチ君
完全ソース無しの電波を今日もよろしく
858人間七七四年:2011/10/24(月) 19:23:02.58 ID:gq9tH6Y4
ほう!
元就は75歳で死んだのか
あの時代の寿命は50歳くらいでしょ?
859人間七七四年:2011/10/24(月) 21:45:01.51 ID:QtDBFtB+
>>858
元就の重臣志道広良は91歳まで生きたから全然大した事ないね

と誰かさんは言いたいのでしょう
860アンチ元就だかかってこい:2011/10/24(月) 22:49:24.28 ID:+HMDJjSF
そりゃあ、元就は大した事ないよ
生涯連戦連敗、息子たちの兄弟仲も悪く、主家の毛利家を支えるつもりなどまるで無いありさま
本家が取り潰されそうになったら喜んでその遺領をもらいうけるほどの人でなしばかり
しょせんは一揆連合の酋長だから一流の戦国大名に挟まれてなすすべも無く滅ぼされる
無駄に長生きだけど、何も見るべきところの無い人生を送った人物が元就です
861人間七七四年:2011/10/25(火) 00:12:36.50 ID:hpMEmdii
つまりそんな毛利氏に滅ぼされた大名たちはそれ以上に糞だったわけか
862人間七七四年:2011/10/25(火) 01:30:34.58 ID:m2UVaZt8
何を言っているのだ、毛利家は一揆衆だけど、大内家や尼子家は守護や守護代上がりの超名門で一流の戦国大名
連戦連敗の毛利家が中国を支配しただなんて迷信を未だに信じているとかワロス
863人間七七四年:2011/10/25(火) 09:52:06.63 ID:tGuRkaFQ
尼子経久84歳も元就に似てるよな。
この爺さんも55歳くらいに、
大内から反旗するまでグダグダ。
しかも負けまくるから勢力圏もよくわからない。
その曖昧デタラメぶりを
きっちりさせたのが、孫の晴久。
輝元は晴久を見本にすべきなのに、
隆景が暴力を背景に
間違った教育をした。
864人間七七四年:2011/10/25(火) 14:20:08.40 ID:a0c973IU
マイナーだが南条宗勝は78〜80で死んだと言われてるが、
69歳でやっと旧領回復してから運が開き、
伯耆統一に成功してんだよね。
865人間七七四年:2011/10/26(水) 08:53:03.55 ID:+ViNphed
地域の長老に優しい中国地方の戦国。
866人間七七四年:2011/10/26(水) 11:12:12.71 ID:adZo6Lz5
四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。
867人間七七四年:2011/10/26(水) 11:58:25.62 ID:PIBWRTFp
と言うか何であの地方は一領主や家臣に過ぎない奴まで長生きの奴がざらにいるんだよ
絶対密貿易とかで中国から長寿の秘薬でも仕入れてただろ
衣食住が満足に行き渡ってれば早死にはしないと言う人はいるがそれでも他の地方に比べれば長生きが多過ぎだろうて
868人間七七四年:2011/10/26(水) 12:51:09.84 ID:+ViNphed
八丈島が楽しかったのか宇喜多秀家83歳
869人間七七四年:2011/10/26(水) 13:05:27.27 ID:YFRL0k7Q
秀家の関ヶ原での活躍っぷりはもっと評価されていいと思う
870人間七七四年:2011/10/26(水) 16:52:09.11 ID:WbU/j/QV
ただたんに西国は暖かいから長生きなんだろ
871人間七七四年:2011/10/26(水) 18:19:32.05 ID:xsMFpwuL
九州どころか畿内・東国にも存在しない
西国だけに存在する酒毒なる
毒入り酒を飲んで死んだバカ以外は長生き。
872人間七七四年:2011/10/29(土) 13:56:56.79 ID:JCr0VA1y
畿内の足利義尚も東国の蘆名盛興も死因が酒毒だと言われてるね
873人間七七四年:2011/10/29(土) 21:28:59.33 ID:qxlDkG4y
アル中で肝硬変? ビール腹+脂肪肝の俺は気を付けないとなー
874人間七七四年:2011/11/02(水) 09:00:03.52 ID:RoKb08WA
>>872
義尚は脳溢血だし、
盛興は単なる病死だよ。
それに酒の飲み過ぎで死ぬのを酒毒なんて言わない。
そんなことが書いてある一次史料はない。
これ毒殺の表現だよ。
875人間七七四年:2011/11/04(金) 09:45:20.26 ID:ULnQVOGu
まあ毒殺による簒奪だろうね。
家督争いは戦国時代じゃ当たり前の行為だし。
876人間七七四年:2011/12/07(水) 01:47:34.05 ID:7FeM26cE
877人間七七四年:2011/12/07(水) 01:47:46.48 ID:7FeM26cE
878人間七七四年:2012/01/04(水) 17:57:29.98 ID:364qaM1a
毛利は国人合議の一揆連合から脱皮出来なかったから、
柴田に勝った秀吉に対して、
天正11年12/15に安国寺が、
毛利の一方的譲歩で和睦決断するように、
輝元、元春、隆景に問題を先送りして正月に休んだりしようとしてる場合じゃないと、
強く決断を促す時に、
上方衆は10日15日で罷り出れるが、
輝元、元春、隆景らは中途までうち出すのすらも50日や30日はかかると書いて動員の遅さを挙げてる。
冷静に考えて、よくそんな鈍臭い動員で、
織田と戦う気持ちになったわ。
これでは秀吉に一方的に押し込まれるはずだし、
宇喜多にも裏切られるはずだわ。
879人間七七四年:2012/01/05(木) 13:15:30.26 ID:RLGH6KPC
一揆連合の首長なのに関が原西軍の総大将
西軍=一揆連合というわけですね(笑)
880人間七七四年:2012/01/05(木) 18:18:18.68 ID:S6oQpSvN
生年が40年近くも違う者同士を比べられてもねえ
そもそも三英傑はチートレベルだから如何なる戦国大名であろうとも見劣りするでしょ
881人間七七四年:2012/01/07(土) 01:25:40.90 ID:qFZuJEBZ
>>878
一国人の分際から一代でほぼ一地方を勢力下に治める事に
成功した元就がいかに天才だったかよくわかりました、ありがとう
882人間七七四年:2012/07/14(土) 09:15:33.65 ID:61wPxEL0
毛利は治世家としては最低レベル
江戸の荒地開拓して現在まで続く大都会・首都の原型作り上げた家康は別格として
同じ100万都市の原型作り上げた伊達政宗や黒田長政と比べても政治低い。
毛利の統治で糞都市になった山口や萩・・・
対岸の福岡県を作った黒田に大きく劣る。
883人間七七四年:2012/07/14(土) 14:22:58.00 ID:ly3ULYNK
>>882
山口の瑠璃光寺かどっかが持ってた秘宝を奪って
よその寺(滋賀の三井寺とか)にばら撒きやがったからな。
884人間七七四年:2012/07/14(土) 16:19:45.12 ID:zuxhx0NJ
>>862
毛利は名門の大江氏出身だよ。
先祖は源義家や楠正成に兵法教えたという伝説があったり、源頼朝の右腕だったりだね。
あと、大江氏は百人一首の中にも何人も名前がある。
885人間七七四年:2012/07/14(土) 16:22:52.56 ID:zuxhx0NJ
>>884 wikiより
大江氏には優れた歌人や学者が多く、朝廷に重く用いられた。
中古三十六歌仙と呼ばれる和歌の名人三十六撰に、大江氏から大江千里、大江匡衡、大江嘉言、女性では和泉式部、赤染衛門らが選出されている。
大江匡衡の孫に、平安時代屈指の学者であると共に河内源氏の源義家(八幡太郎)に兵法を教えたとされる大江匡房がいる。
886人間七七四年:2012/07/14(土) 16:23:56.56 ID:zuxhx0NJ
>>884 wikiより
1184年に河内源氏の棟梁の源頼朝に仕えた大江広元は大江匡房の孫であり、頼朝の覇業を内政面で支える。
頼朝が鎌倉幕府を開くと、広元は幕府の中枢にまで昇りつめた。
このことから大江広元の系統は、武家の大江氏として毛利氏をはじめとする武家の祖となる。
887人間七七四年:2012/07/14(土) 16:28:03.15 ID:zuxhx0NJ
>>885
大江 匡房(おおえ の まさふさ、長久2年(1041年) - 天永2年11月5日(1111年12月7日))は、平安時代後期の官僚、儒学者、歌人。大学頭大江成衡の子。正二位・権中納言。江帥と号す。
888人間七七四年:2012/07/14(土) 16:29:58.75 ID:zuxhx0NJ
>>886
大江 広元(おおえの ひろもと)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての朝臣。はじめは朝廷に仕える下級貴族(官人)だったが、鎌倉に下って源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当をつとめ、幕府創設に貢献した。
889人間七七四年:2012/07/14(土) 22:05:12.01 ID:bDb5cixR
>>882
広島は無視ですかそうですか
890人間七七四年:2012/07/14(土) 22:14:33.31 ID:JWOPWzJq
>>885
義家玄孫の頼朝が、匡房曾孫の広元をブレインとして奥州藤原氏を滅ぼすにいたる
というのは偶然とは言え面白いな

広元が守護地頭を献策し武家政権成立→子孫の桂小五郎が廃藩置県を主導し武家政権崩壊
てのもなんだか歴史の皮肉
幕末長州が朝廷贔屓だったのは大内家やそれに倣った元就からの影響なんだろうな
891人間七七四年:2012/07/15(日) 09:22:27.92 ID:Gf4bmRXN
明治期に長州閥に過剰に持ち上げられたからね
892人間七七四年:2012/07/15(日) 09:54:08.34 ID:uowk1SXf
毛利と北条ってどちらが主家に近かったのかな?
893人間七七四年:2012/07/15(日) 11:52:38.50 ID:UD9oXEwJ
武田、上杉を過剰に持ち上げすぎってだけだろ。
894人間七七四年:2012/07/29(日) 07:30:15.99 ID:n+J2+2oy
毛利家が大内家の直参家臣なら大内家は天下を取ったろうな。
895人間七七四年:2013/02/12(火) 01:00:40.85 ID:MKrRYBTD
疑問なんだが元就って200万石もあったのか?
896人間七七四年:2013/02/16(土) 09:13:14.35 ID:RAFK97Gr
>>884
元就の元は広元の元だしな。
897人間七七四年:2013/02/16(土) 12:09:46.15 ID:ui9M229m
>>896
代々の嫡男が○元で、それ以外の男は元○って名前なんだよな

これいつまで続いたんだろ
898人間七七四年:2013/03/15(金) 15:01:09.12 ID:QlFufmsS
>>895
旧大内領を接収して北九州にも飛び地の所領があったから
管理しにくかったのか次の代では失ったけど
899人間七七四年:2013/03/15(金) 16:26:21.07 ID:SQ+KWBzj
>>898
北九州の領土は元就の代で失ってるよ
道雪に追撃され殿の吉川元春も敗走し大友勢に九州から追い出された
900人間七七四年:2013/04/03(水) 10:45:30.94 ID:OHLihrjZ
一応九州国割まで毛利家は門司城周辺は領有し続けたけどね
要衝だけど石高にすれば微々たる量
901人間七七四年:2013/05/04(土) 12:53:20.48 ID:5ps11HRy
>>40
>元就を無能呼ばわりしてる奴は、同じ状況で大内・尼子を倒せるほど有能なのか?

まさしく、この一言だな。
大内も尼子も100万石級で名門一族だ
運もあるけど、チャンスを掴み取って、領土を広げたのは素直にすごいよ。
902人間七七四年:2013/05/04(土) 12:54:39.31 ID:5ps11HRy
>>895
銀山だけで50万石らしい
903人間七七四年:2013/05/04(土) 13:32:03.14 ID:5ps11HRy
>>837
土佐の容堂公がそれだな。
なまじ優秀だったから、武市が自害して、龍馬が脱藩、、、
904人間七七四年:2013/05/05(日) 17:27:57.69 ID:ovYAOkUw
>>902
>銀山だけで50万石らしい

ほー石見の銀山ってさぞかし美田だらけなんだろうな(棒)





(○○万貫、ならまだしもw)
905人間七七四年:2013/05/17(金) 01:51:02.67 ID:s0TgPxId
>>904
50万石相当の収入があったという事だろ、そう揚げ足とらんでもいいだろw
906人間七七四年:2013/06/06(木) 15:48:06.56 ID:1luKhdZ1
天候による不作知らずだし、50万石に相当する田畑を有する領域への人員差配を
考えれば、銀山が10万石相当であろうとも十分に大きいわな
907人間七七四年:2013/06/06(木) 19:52:14.39 ID:ZZfGMIa+
元就の代で百数万石で輝元が二百万石近くいったんだっけ?
908人間七七四年:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:WVNwzxQ4
贈位が行われた明治・大正にかけては長州閥の政治権力が強大であった為、
一部で不公平も見られる。例えば長州藩の祖である毛利元就に正一位、三兄弟に正三位が授与された。
これは正親町天皇即位式の功が理由とされる。
一方でその元主君大内義隆は後奈良天皇の即位式だけでなく日常的に朝廷や公卿への貢献が抜きん出ていたが
明治政府からの贈位を見送られた。この差は「毛利元就の献金は勤王だが、大内義隆の献金は
猟官運動目的であり勤王によるものではない」という見方による。
長州閥が毛利元就の下剋上を正当化する為には大内義隆の評判が悪いほうが都合が良い事情もある
909人間七七四年:2013/08/08(木) NY:AN:NY.AN ID:8ErSUXaY
>>907
吉川・秀元・両小早川(秀包・隆景)・安国寺・偽毛利(旧姓森・豊前)
まで足せばそのくらいかねえ
910人間七七四年:2013/09/22(日) 20:02:13.91 ID:AnC5gjXE
老後の趣味で中世城郭模型を製作しています。
来年の大河ドラマは軍師黒田官兵衛。
備中高松城の水攻めを羽柴秀吉に献策したのは黒田官兵衛とのこと。
大河ドラマにちなんで備中高松城の水攻め復元模型を製作した。
何れみなさんにお見せできる機会があると思います。
http://mirai660.net/castle/
911人間七七四年:2013/09/29(日) 16:24:44.08 ID:qR0bCyhe
912人間七七四年:2013/10/02(水) 07:37:07.65 ID:igEQ/x7H
元就はわからないが、子孫の桂小五郎が文武両道できたから優秀なんだろうなぁ
913人間七七四年:2013/10/02(水) 11:28:12.18 ID:K+y2GQUw
アホの元就がキリスト教禁止で、自分の領地に宣教師が入ったら即殺せと命じていた。
そんな元就が病で曲直瀬道三の診察を大喜びで受けていた。
しかし信長が天罰を喰らって肉体を完全抹消デリートを喰らったのち、
曲直瀬道三は洗礼を受けてベルショールとなったのであった。
914人間七七四年:2013/10/02(水) 21:22:29.88 ID:Z81XAiKz
915人間七七四年:2013/10/02(水) 21:23:31.57 ID:5ZfU1WBA
菅沼遼太君いわく、毛利は無能らしいでw
916人間七七四年:2013/10/04(金) 16:27:53.98 ID:w21+JKWP
大馬鹿レベルを相手に無能が勝っただけのことです
917人間七七四年:2013/10/15(火) 09:44:23.99 ID:ltJ5vcWz
やっぱ大河って癌だわ
918人間七七四年:2013/10/16(水) 23:45:26.14 ID:0O0kv6Us
>>908
そんなの、大内は落ちぶれたけど、毛利は、五大老、長州藩主、公爵、と繁栄したから誰もが納得するだろ?

それに下克上も、反逆したのは末だから、イメージは悪くない。
919人間七七四年:2013/10/16(水) 23:45:57.69 ID:0O0kv6Us
>>918
末じゃなくて、陶ね。
920人間七七四年:2013/10/17(木) 15:10:38.07 ID:Kv/M/Yd/
陶は毛利に謀反を打ち明けて
毛利も旧武田領で分け前を貰うために
謀反実行に同意してるんだから同罪だろ・・・
921人間七七四年:2013/10/17(木) 21:26:44.87 ID:g6i9GmSs
>>920
事後承諾だろ?

すぐには勝てないから、利用して勢力を拡大して、後で倒したんだろ?
賢いじゃないか?
922人間七七四年:2013/10/17(木) 23:36:02.09 ID:j9vctEkk
大内家をそのまま討つと大義名分が得られず抵抗がより大きくなる
そこで大内を倒すために陶に謀反を促し、謀反人を討つ名分で陶(大内)を滅ぼした
こういう戦略が元就の凄みだろ
923人間七七四年:2013/10/18(金) 11:02:23.05 ID:hz0WLdSj
>>1
ただの勉強不足の糞ヘタレだろ。

毛利元就が評価される理由。
差別されながも下剋上していく過程や、
大内や尼子との宿縁や史実が面白い上、謀神なのが魅力的だからだろ。
獲られ獲りかえし、謀り合うところが面白い。三国志でいうと、魏みたいな。

野心まみれで苛烈な織田信長はまだしも、
筋肉ごりごりで、金と力押しの、頭の悪そうな、
最初からでかい武将には興味沸かんわ。
カタルシスがない。

平和支配基準なら、日本全統治+世界トップレベルの平和実現してる総理や官僚のが
よっぽどすごいしな。武田より吉田茂の勉強したほうが面白い。
924人間七七四年:2013/10/18(金) 14:54:45.86 ID:S7OV0F3K
>>921>>922>>923
根拠のない妄想ばかり書いて何が楽しいの?理解に苦しむ。
925人間七七四年:2013/10/19(土) 02:21:07.45 ID:iieHP04h
>>924みたいな荒らしって居るよね
現実を認めない朝鮮人みたいな奴がさw
926人間七七四年:2013/10/19(土) 11:47:31.35 ID:H/4Bm5me
>>925
へぇ。じゃあ一次史料を根拠として出して
具体的内容を論拠に証明してください。
927人間七七四年:2013/10/20(日) 08:59:29.82 ID:k/xWjvc7
>>926
出た!一次資料廚
こういう話になると、苦し紛れに必ず出るんだよな。
言い出しっぺのお前が先に出せよ。
全部論破してやるからw
928人間七七四年:2013/10/20(日) 12:29:38.67 ID:Qrnkk9ss
つまり根拠ゼロで>>923のような願望妄想を書いていただけなのが判明www
929人間七七四年:2013/10/20(日) 21:58:00.08 ID:SAz29i0q
>>926
一級資料を引用してはよ論破してくれよ、朝鮮人さんw
930人間七七四年:2013/10/20(日) 23:17:22.81 ID:YWt/qsSO
>>925
もしかしてコイツ?
なんか色んなとこで長々と、誰も読まない必死文章書いてるやつってw
まとめる能力皆無過ぎるだろ…

>>928根拠ゼロってw
おまえの家にはインターネットがないのか?
戦績や戦に関する逸話なら、ネットでいくらでも見れるんだから、自分で見に行け。
地域には図書館ないの?
そもそも、2chで一次資料をヒッシで探してる時点でアタマ悪すぎだろw

文句しか言わず、学べる方法があるのに学ばず、
世間でとっくに認められてるものでギャーギャー騒ぎ、
一次資料を2chでw求め、
必死に他人が答えてくれるのを待っている。
931人間七七四年:2013/10/21(月) 15:08:59.58 ID:b7gt3k7J
バカしかいない
932人間七七四年:2013/10/22(火) 17:34:45.88 ID:XaNn1MJQ
↑馬鹿代表

このスレ自体が荒らしスレだし、さっさと落とすが良い。
933人間七七四年:2013/10/23(水) 20:23:17.22 ID:ZZqCBgo7
お前ら全員気持ち悪いw
934人間七七四年:2013/11/02(土) 01:38:43.34 ID:lBbbTk4S
このスレをはじめから読むとだな
ここ数年の戦国板の水準の劣化がすごくよく分かる
コテのぷらっとがいた頃まではそれなりにまともな議論なんだよなぁ
935人間七七四年:2013/11/02(土) 01:59:48.76 ID:RZ+B0zpx
牛とかぷらっととか百姓がいたころなんて史料提示皆無の織田厨の妄想ばかりまかりとおってた戦国スレの暗黒時代じゃん
936人間七七四年:2013/11/02(土) 02:07:30.54 ID:lBbbTk4S
そう?
コピペ荒らしが跳梁跋扈し、まともな議論が成り立たないスレが多い
いまの戦国板の惨状と比べると数倍ましに見えたのよ
自分は織田厨どころかむしろ毛利がかなり好きだけどね
937人間七七四年:2013/11/02(土) 02:21:18.66 ID:OBvjABVF
コピペが概ね史料や論文の書写をしただけの物や、同じ話題の繰り返しを避けるためにテンプレ化した物が大半なため
議論を進ませる効果はあっても、後退させる心配はない。
逆にコピペなしの昔の牛とかぷらっととか百姓の妄想短文とかは議論する上で論拠となる史料も論文もあげられていないし
議論の上で不要としかいいようがない。
昔うじゃうじゃ沸いてた毛利厨の妄想なんかがその典型だな。
938人間七七四年:2013/11/02(土) 02:36:42.06 ID:z2OHQSvJ
そもそも牛とかぷらっととか百姓とか糞コテが沸いてた時代にまともな議論なんて言葉は存在してなかったと思うが
939人間七七四年:2013/11/02(土) 10:43:38.04 ID:Xg4EEtHn
論破された側はテンプレを
「コピペだから議論する価値がない」
とか
「とっくの昔に論破したコピペは無視」
とかレッテル名をあげて人格攻撃を開始したり・・・

などとアホなことを言って単発ID自演で
一次史料なしの攻撃的悪口レス大量投下で逃げるんだよなw
940人間七七四年:2013/11/02(土) 21:43:34.10 ID:luDrQqhh
いずれにせよ菅沼遼太が消えれば平和になることは確実
941人間七七四年:2013/11/03(日) 19:03:31.05 ID://fKCulS
引退したぷらっとは家系図については詳しかったし確か大学で
日本史専攻だったから古文書もきちんと読めてた
いろいろ勉強になったこともある

だがのようなおかしいやつと一緒にしてはいけない
942人間七七四年:2013/11/04(月) 01:51:12.15 ID:C4h2C/ef
ぷらっとのレスでまともに古文書を引用したり史料を提示してたレスなんぞないだろ。
牛とか百姓もそうだが。
943人間七七四年:2013/11/04(月) 23:43:53.54 ID:oh5uIShL
戦国板は昔からコテは叩かれる板だったけどさぁ。
でもぷらっとも牛も百姓も、菅沼遼太に比べればどう見てもまともです。
本当にありがとうございました。
944人間七七四年:2013/11/05(火) 02:50:42.83 ID:xbJs9dYb
ぷらっとも牛も百姓も史料を提示なんてしないし
妄想しか書かない時点で、彼らより下の人間なんぞおらん
945人間七七四年:2013/11/05(火) 23:00:21.19 ID:NaSfUcsy
いる
だがとsubと菅沼遼太
まぁ3人とも同一人物なわけだが
946人間七七四年:2013/11/06(水) 11:12:26.79 ID:IE5wfKRE
みんな織田チョンよりマシだったけどな。
つかお前が粘着自演で追い出したんだろwww
947人間七七四年:2013/11/06(水) 11:30:19.40 ID:Ac21woaP
ぷらっととか牛とか百姓とか史料を出さず妄想しか書かない馬鹿より下の人間なんぞおらん
948人間七七四年:2013/11/06(水) 16:22:36.71 ID:o05p/3DW
つか、全員織田厨のファンネルコテじゃん
949人間七七四年:2013/11/25(月) 18:50:34.49 ID:N78oF6oH
s
950人間七七四年:2013/11/26(火) 20:04:40.39 ID:k35iQE2N
菅沼遼太は板住人全員から嫌われていることを自覚すべき
951人間七七四年:2014/01/11(土) 17:57:06.28 ID:zcEOzFo9
>>1
広島大学の成績1位と2位の差が圧倒的な場合と
静岡大学の1位と2位の差が僅差で1位と2位が常に入れ替わったりしてると
静岡大学の方がレベルが高く感じるが
実際は分からないだろ
>>1の理屈はそれと一緒で見てる分には静岡大のデッドヒートが面白いけど
実力はわからない、鳥無き島の蝙蝠とか言われてる人もそう
952人間七七四年:2014/02/26(水) 20:30:28.88 ID:nsJ+Xbd3
元就の晩年の事業の
ほとんどは息子隆元が
成し遂げたもの。
953人間七七四年:2014/02/26(水) 22:28:48.87 ID:kifZllEs
毛利元就は今川義元や伊達政宗と同格くらいでしょ。
そこそこの名将レベル。
954人間七七四年:2014/03/04(火) 12:07:32.90 ID:2DcQiCSw
切り取った領地の規模考えれば信玄よりは遥かに格上。
955人間七七四年:2014/03/06(木) 08:50:13.43 ID:wnBpjvpF
それまで日本有数だった大大名を2家も滅ぼしたのは快挙
しかもかなり不利な立場の安芸の弱小国人から一代で伸し上がってここまで勢力広げたのは例を見ない
956人間七七四年:2014/03/08(土) 11:13:39.30 ID:8vbPAS4A
火病を起こすニシチョンバカンサイ哀れよのwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
西国取れ(キリップッバカジャネーノwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
もっと身のある反論しろよチンカスマンカス
ならてめぇの批判する武田の
甲信取ってみろよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
西国ニシチョンバカンサイは池沼だらけンゴwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
957人間七七四年:2014/03/08(土) 13:14:37.57 ID:3Z8a5RPz
そもそも安芸の弱小国人ってのが大嘘だからなwww
958人間七七四年:2014/03/09(日) 10:18:46.17 ID:p7Fd2P7h
>>955
地道に着々と下積みを重ねチャンスが来たら一気に勢力広げた感じだね
ただやっぱり国人組合の体質をあまり改革できなくて大国のジレンマに陥っちゃったのが残念
隆元が長生きしてたら順調に改革進んでたかも
959人間七七四年:2014/03/09(日) 14:30:12.96 ID:uZ7bVBTu
毛利は反上位権力国人一揆のリーダーとしてその婚姻関係をフルに使っている為に
保護者である大内も尼子も一目を置かざるおえない強固な立場で両天秤にかけてちょくちょく加増してもらう楽な立場。
そもそも毛利は安芸に鎌倉時代から割拠して代を重ね、1404年一揆契約においては
総領光房以外に毛利は4人も連署に加わったほどの発言力で安芸一揆の盟主の地位が毛利家。
毛利光房・平賀妙章の一揆中心人物が義満の一揆討伐軍派遣を逃れる為に降伏交渉しており
山名氏を通して降伏し七通の赦免の御教書を出してもらう予定だったが時期に恵まれず
特に毛利光房がたびたび懇願していたのにも関わらず義満が死去で沙汰止み。
ちなみに元就マンセー論では一揆を対等な同盟と捏造してるが
本来は首謀者がわからないように傘連判の形式にしているだけ。
渡邊世祐氏によれば1517年の毛利所領は40余りの荘を保有し判明している7荘だけで5700貫に上るとしていた。
毛利家文書151・252号によれば1475年備後国伊多岐・重永・山中など世羅台地にも毛利は3000貫を獲得し備後国にも発言力を持っている。
つまり毛利の3000貫しかなかったってのはそもそも大ウソなんだよw
そんで大内と尼子の間をくるくると渡り歩いては加増してもらってる。
安芸最大勢力の傘連判一揆は、代表の毛利と通じて直接、幕府に意見を言えるし、
一揆で結合して、上位者の大内へ意見を言ってくるので、大内もそれを無視できない。

安芸可部七百貫・温科三百貫・深川上下三百貫・玖村七十貫等の地を
大内から加増してもらった大恩を忘れ大内を裏切り元就が晴久と義兄弟にまでなっている事実・・・
1541年大内から佐東や安南に合計1000貫の所領をもらい
翌年には武田の一族判氏の遺領である判の地も貰い武田の佐東川川口の川内衆水軍をもらう。
(大内は備後北半七郡直接支配は元就に委ねている)
陶の謀反に同調した元就は陶が厳島接取した同日8/20金山城(武田の主城である佐東銀山城)を手に入れ、
陶から己斐河以東の左東郡を与える約束をしてもらっている。
また9月には義隆側の孤立無援の西条槌山城も手に入れる。
(大内が安芸東部支配の牙城にしていた西条鏡山城を廃して新たに築城した)
周防16・長門13
備後18・安芸19
だもんな。しかも陶は周防からしか動員できないし。
そもそも中国地方なんて石高の低いしょぼい戦しかないだろ。
鴨川氏も港湾収入なんて、それまでの徴収者が据え置かれてるから
港湾地域を支配に加えても毛利の収入はそれほど増えなかったとしてるし、
瀬戸内海での港湾からの上がりも期待できなかっただろうし。
960人間七七四年:2014/03/10(月) 01:18:06.96 ID:MUWH8LB7
まーた大嘘つき菅沼の長文荒らしが始まった
961人間七七四年:2014/03/10(月) 17:40:01.08 ID:yFC3TBAq
無能元就のせいで、
一揆の指導者の立場を失い、
一揆連合内で毛利が同格に地位が下がってしまった為に、
秀吉が輝元を清華成させることで、
毛利宗家の家格を殿上人に引き上げ、
当主と家臣の立場をハッキリさせてあげた。
962人間七七四年:2014/03/13(木) 22:13:11.40 ID:KNQjcw/3
>>955
毛利の地元って地理的にまともな産業なかったのにね
それであの成果はすごい
963人間七七四年:2014/05/14(水) 08:26:50.01 ID:EIE39kU8
毛利は大内と尼子の内紛にかこつけて、謀略で火事場ドロボウを繰り返しまくってた。
964人間七七四年:2014/09/11(木) 15:45:00.10 ID:VEbx+bSi
同じ母親から生まれてるのに、元春と隆景はなんであんなに正反対な属性なんだろうな
965人間七七四年
萩藩 在郷諸士/陪臣データベース
http://cgi.geocities.jp/furi_316/aaa/cgi-bin/tyusin-db.cgi
で調べたら先祖が国司元相の陪臣だった