戦国ちょっといい話

このエントリーをはてなブックマークに追加
1うんぴ p4158-ipbf01morioka.iwate.ocn.ne.jp
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220982424/


逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
2人間七七四年:2008/10/30(木) 00:42:17 ID:91RvCOW5
姉妹スレ

戦国ちょっと悪い話2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224755628/
3人間七七四年:2008/10/30(木) 10:28:22 ID:hLgdgFC2
即死回避がてら>>1
4人間七七四年:2008/10/30(木) 12:09:45 ID:XUqtuO60
>>1
5人間七七四年:2008/10/30(木) 12:14:39 ID:tcIVzFBB
ちょw
うんぴありがとう!乙!
6人間七七四年:2008/10/30(木) 12:30:45 ID:QmQn6cwM
大谷吉継と島左近の間のちょっといい話。

関ヶ原の戦いにおいて、大谷吉継の隊に島左近の息子、新吉信勝(一説には嫡子)が配されている。

小早川の裏切りを察し、それを迎え撃つべく布陣するまさに死地中の死地である大谷隊に、
なぜ大事な嫡男である新吉を預ける事にしたのか、父・左近の胸中はわからない。

がしかし、お互い立場は違えど三成を思いやる間柄だった吉継と左近。
自分と同じく三成の為に命を差し出してくれた、主の親友への左近なりの義だったのではないだろうか。

ちなみに新吉は藤堂高虎の従兄弟、藤堂玄蕃を一騎打ちで打ち取り、大谷隊の士気を上げるなど
多いに貢献、健闘したという。
その後、新吉は玄蕃の従者高木平三郎に討ち取られ己が役目を全うした。
7人間七七四年:2008/10/30(木) 12:52:20 ID:91RvCOW5
信長のシンデレラ

織田信長は合戦に出かける度に、一足の足半草履を太刀の帯取りに結び付けていた。
その訳は誰も知らなかった。

天正元年八月、信長は越前に攻め入り、朝倉軍と開戦した。
このとき兼松又四郎正吉は諸兵に先んじて進み、一番首の功名を上げた。

首実検の折、信長が一番首を褒めていると、正吉が裸足であることに気がついた。
信長は腰から草履を外し

「わしは多年、この草履を腰につけ、そなたのような勇者の現れるのを待っていた。
ようやく今日、この草履の主を見つけることが出来た。」

そういって与えた。

この粗末な草履は、「天下一の草履」と、皆の羨望の的となった。
8人間七七四年:2008/10/30(木) 13:19:12 ID:nOeEEH+X
信長細かい気配りだな
それがなんで最期に森一族みたいな(ry

さて前スレ
---------------------
999 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2008/10/30(木) 13:06:15 ID:X8F60q46
↓締めに一言
1000 名前: 人間七七四年 投稿日: 2008/10/30(木) 13:09:47 ID:Vsd5Aq36
ドドインドインドイーンwwwwwwwwwwwww
---------------------
orz
9人間七七四年:2008/10/30(木) 13:25:28 ID:MD76LBn2
前スレ1000は何をしたかったwww
10人間七七四年:2008/10/30(木) 13:30:05 ID:X8F60q46
>>1乙です

>>8
なんぞこれ…orz
11人間七七四年:2008/10/30(木) 14:39:58 ID:gxuM2hgq
>>8
土井利勝ヲタの犯行に違いない
12人間七七四年:2008/10/30(木) 14:49:22 ID:0FuHTx9Y
>>11
板的に、土居宗珊、の方だろ
13人間七七四年:2008/10/30(木) 17:50:53 ID:hw2Ik+om
日本史板にも欲しいスレだな
14人間七七四年:2008/10/30(木) 18:02:07 ID:91RvCOW5
めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの関ヶ原

関ヶ原合戦の時、家康の四男、松平忠吉が、敵の首を取ってきた。
家康は大いにこれを褒め、戦勝の祝いに集まっていた大名達も大いに賞賛した。

その場にいた又一さん

「上様、逃げ回る敵の手足を押さえて首を取ったくらいの事を、そんなにお褒めになられては、
忠吉様が、敵はいつも弱いものだと勘違いなさいますぞ?」

その場ドン引き。

家康、苦笑しながら「だからお前は出世出来ないのだ」
しかし家康はそんな又一さんを、生涯そばで使っていた。
15人間七七四年:2008/10/30(木) 18:04:46 ID:eMH2E2dN
又一さんって、ボクは良いことを言ってるんだ的な雰囲気がプンプンしてくるなw
16人間七七四年:2008/10/30(木) 18:09:57 ID:06+wu+AH
なんだろう又一そのうち「そんなの関係ねぇ!」とか言い出しそうな希ガス
17人間七七四年:2008/10/30(木) 18:24:27 ID:vGjhASWh
又一と政宗が話していたら面白そうだ
18人間七七四年:2008/10/30(木) 18:41:25 ID:hLgdgFC2
小栗又一、もう名前憶えそうw
本当にめんどくせえ野郎だなぁ、大好きだw
19人間七七四年:2008/10/30(木) 20:07:21 ID:u6Dm/1Qf
家康と又一のアッー!い信頼関係あってこそだよな
又市が墓穴掘って家康が突っ込み入れる二人で一つみたいな
20人間七七四年:2008/10/30(木) 20:16:46 ID:XFtmO6FW
又一と森ブラザーズの絡みが見てみたい
21人間七七四年:2008/10/30(木) 20:20:47 ID:1tV2tKRk
>>20
ガチの斬り合いになるだろうなw
そしてその現場を目撃した忠興さんがry
22人間七七四年:2008/10/30(木) 20:21:58 ID:vGjhASWh
>>20
又一「しかしそこらこれこれかくかくしかじ

鬼武蔵、面倒なのを動物的本能で悟り即座にバッサリ
23人間七七四年:2008/10/30(木) 20:22:38 ID:byHj0/8T
幕末の上野介の先祖ですよな?
また一番だから又一(家康が与えた名前)
24人間七七四年:2008/10/30(木) 20:40:27 ID:91RvCOW5
そう。又一さんこんなひねくれた人だけど、徳川家を代表する勇者の一人なんですよ。
家康が呆れるほど一番槍、一番首を取ってきた人です。



面倒くさい三河武士のキング、本多作左衛門のおはなし

ある時作左衛門が領内の検分をしていると、池鯉鮒(ちりふ)という所に瓜畑があり、
見事な瓜が作られていた。
それを見て作左衛門、「これは、誰の畑だ?」と尋ねたところ、その畑の番をしていた者が

「殿様の瓜畑です。」

それを聞いた作左衛門、怒ったの何の

「なんということだ!三河、駿河、遠江、三ヶ国の太守は、よりにもよって瓜作りになられたのか!?
お前たち、よーく聞け!武士と言うものは知行を頂きこれを管理はするが、百姓のいたす事を
真似はしないものだ!」

そう言うと畑に馬を乗り入れ、瓜を全部踏み潰してしまった。

畑の番人は慌てて家康の元に向かい、家康がどれほど怒るかとビクビクしながら
報告すると、家康、

「いかにも作左衛門だ」

と、大笑いしたと言う。
25人間七七四年:2008/10/30(木) 21:05:27 ID:WFQjD/7E
最近植えつけられたイメージ

三河武士=めんどくさい
森一族  =DQNのデパート
26人間七七四年:2008/10/30(木) 21:33:55 ID:u6SmTWgo
馬に乗ってぐちゃぐちゃにするってハッスルしすぎだろw
27人間七七四年:2008/10/30(木) 21:35:04 ID:ZpeSTpFX
まもらねば、さくさがしかる
28人間七七四年:2008/10/30(木) 21:36:42 ID:kcn5gb/8
馬に乗って破壊するもの

三河武士=瓜
森兄貴  =人間
29人間七七四年:2008/10/30(木) 21:39:07 ID:KTzUPbUN
瓜畑の番人マジ涙目
30人間七七四年:2008/10/30(木) 22:55:15 ID:vKcjBvD9
家康もこんな面倒くさい人間ども使って、よくぞ天下取ったなw
31人間七七四年:2008/10/30(木) 23:03:03 ID:kcn5gb/8
家康はそんなツンデレな三河武士に萌えていたんです。
32人間七七四年:2008/10/30(木) 23:08:17 ID:splRL6E4
○○だから仕方ない

入る名前によってまるで意味が変わる決まり文句
33人間七七四年:2008/10/30(木) 23:32:06 ID:eU9V/4h7
家康が人質だった頃は農耕してたくせにw
34人間七七四年:2008/10/30(木) 23:48:06 ID:B5gvSfQp
だってゆでだから
35人間七七四年:2008/10/31(金) 00:00:17 ID:FlnZby9C
>>33
だからこそなんだと思う
36人間七七四年:2008/10/31(金) 00:34:59 ID:rcKwU213
ジュニア

伊達忠宗の晩年、江戸藩邸で家臣同士のケンカが起き、死者まで出た。
この時、騒ぎの場から立ち去った者がおり、卑怯と見なした老臣により国許での蟄居が命じられた。
しかし忠宗は
「彼らが士道を知らぬはずはなく、己の義によって進退したのだろう。
私欲にふけり主君の禄を盗む者と違い、恩の返し所を知っているのだ」と言って許した。

一方、政宗は晩年、旗本を挑発しまくりケンカの種を振りまいた。


南国の銘酒が流行り、贈答用の泡盛が不足した薩摩藩では、薩摩焼酎と泡盛を混ぜて送り
その間に琉球に督促することを藩主・島津光久に上申した。
しかし光久は
「琉球にさらなる重課を求めるのはどうか。そもそも泡盛は、酒盛りで多量に飲む酒ではない。
少しずつ味わうことで身の養生にかなう酒だ。酒瓶を小さくして送れば良い」と言って許さなかった。

一方、忠恒は飲み過ぎで義弘から折檻状を食らっていた。


加藤家断絶後、肥後に入った細川忠利は初入国の際、清正の位牌を行列の先頭に立て、
さらに天守閣で「清正公の菩提所はどちらか?」と聞き、その方角に頭を下げた。
その謙虚さに幕府の上使も加藤の旧臣も感服したという。

一方、忠興は「加藤と黒田はシカト。守れないヤツ処刑。」と通達した。
37人間七七四年:2008/10/31(金) 00:39:31 ID:fzei4Osl
>>36
おもしろいw
なんとなく世代の違いで平和な世の中になったんだなって感じさせるし。

そういえば細川さんのところは熊本に入って、加藤は尊重したけど、小西に関しては
徹底的に存在の痕跡を排除しようとしたそうな。
まあ、キリシタンの問題があったせいなんだろうね。
38人間七七四年:2008/10/31(金) 01:07:56 ID:QJ0M1bYY
小西も「薬屋ですが何か?黒田さんちも目薬屋ですが何か?」」と開き直ってりゃよかったのにな
39人間七七四年:2008/10/31(金) 01:56:25 ID:7Zii7hWE
>>36
忠利については、親父の忠興があれで、かなりいろいろ口うるさく
手紙が送られてきてるし、「最近父上はますますこらえ性がなくなり」
とかぼやいている。そのせいか気を使いすぎて煙たがられるような性格に
なってしまっているんだよね。
40人間七七四年:2008/10/31(金) 03:47:03 ID:Xf7CsBYO
三河武士団のめんどくささに関して家康はたいてい笑って済ませているが、
実はもう笑うしかなかったという感もしないでもないなw

鬼作左とか又一とかまじパネェっす!
41人間七七四年:2008/10/31(金) 11:10:57 ID:J7hk8i01
うちの殿様戦に負けてクソ漏らしてやんのw超だせーw

なんて言っちゃう連中だからな
42人間七七四年:2008/10/31(金) 18:04:50 ID:fzei4Osl
まあ有名な話だと思いますが

徳川家康が将軍になった頃、山名豊国という老人が家康に目通りした。
ところが彼は、古く、うらびれて、ところどころ継はぎすらある羽織を着て現れた。
家康の家臣たちは「なんと無礼な」と、豊国に注意しようとしたが、家康はそれを止め

「その羽織は何か由来があるのか?」と聞いた。

すると豊国は
「我が山名家において、将軍様に拝謁する時は、この羽織を置いて他にありません。
これは、足利12代将軍、義稙様より拝領したものです。」

その旧恩を忘れぬ姿勢に家康もその左右の者達も、皆感心したとか。
43人間七七四年:2008/10/31(金) 19:08:52 ID:QctsjLW7
>>42
>その旧恩を忘れぬ姿勢
捉えようによっては「俺ん家は由緒正しい家系でこの羽織だって物凄い価値のある古着なんだぜw」
って自慢してるようにも見えるよなw
44人間七七四年:2008/10/31(金) 19:46:28 ID:WDq3X0BL
>>43
正則ならそう思っただろうな
45人間七七四年:2008/10/31(金) 19:51:17 ID:Gp/RFVCp
旧恩は忘れなくても家臣の忠義はキレイさっぱり忘れた件
経家さんに謝れよ…
46人間七七四年:2008/10/31(金) 20:38:49 ID:zV3tujK/
豊国って家臣に二度も城おんだされたのに
延命して>42を経て存続したんだよな。
案外すごい人なのかも。
47人間七七四年:2008/10/31(金) 21:40:18 ID:7Zii7hWE
で、結局豊国は自分を追い出した旧臣たちもまた家臣に加えてるん
だよね確か
48人間七七四年:2008/10/31(金) 22:14:07 ID:IheZ6e4P
>>42
でもやっぱり礼に反すると思うけど。
同じようなことを現代で天皇陛下相手にやろうと思っても宮内庁に追い出されるだろう。
49人間七七四年:2008/10/31(金) 22:50:54 ID:hQrnQBdO
服装とかが乱れてるからと合格取り消された高校のニュース思い出したwww
身なりってのもときと場合によるが、人によって考え方は様々だよね。
戦国時代ならそれを誇りといってくれる人が今よりはいたのかなと考えさせられた。
50人間七七四年:2008/11/01(土) 00:17:19 ID:wMjfCIt2
正則とか森兄弟なら『無礼な!帰れ、もしくは斬らせろ』になってるんだろうけど家康みたいに意味を聞いてくれる人間だからこその美談だな
51人間七七四年:2008/11/01(土) 01:03:28 ID:J1EDJFy1
家康はほんとにすてきすぎる
52人間七七四年:2008/11/01(土) 01:21:50 ID:AoD2RYXT
忠興だったら、普通に納得して室町幕府の話で盛り上がる
森兄弟だったら、足利将軍家?滅亡m9(^Д^)プギャーそしてKILL
正宗だったら、うちには奥州探題半万年の歴史を誇る甲冑があるニダ>突っ込まれてキレる
DQNな方の家久だったら、そんなことどうでもいいから酒飲もうぜ
53人間七七四年:2008/11/01(土) 01:23:37 ID:8otsF4EK
ダークサイドオンリーの良い子悪い子普通の子みたいになってるなw
54人間七七四年:2008/11/01(土) 01:34:06 ID:J1EDJFy1
家久が二重人格みたいな扱いで笑える
55人間七七四年:2008/11/01(土) 01:38:47 ID:8otsF4EK
しかし、切れずに人の話をきちんと聞く程度の事で、家康が善人に見えてくるのが
戦国時代の恐ろしいところだなw
56人間七七四年:2008/11/01(土) 01:41:22 ID:/iPXwuBn
そりゃ大小腰にぶら下げて、キレたらすぐ切っちゃう連中ばかりだしw
57人間七七四年:2008/11/01(土) 01:56:49 ID:raKeuvp0
現代でも話をきちんと聞いてくれる人はそんなに多くないしな
58人間七七四年:2008/11/01(土) 12:48:21 ID:/gMDF0Vt
山名豊国のちょっといい話

徳川幕府をうち建て、大御所となった家康は駿府城に山名豊国を
呼び寄せた。家康の前に現れた豊国の格好を見た家康は失笑する。
「豊国殿、ずいぶんくたびれた着物ですな。」
豊国の着物は所々がほころび、とても一介の武将が着る着物とは
思えず、質素を旨とする家康もさすがに笑った。新しく着物を仕
立てては?と問う家康に、豊国は笑って答えた。
「確かにみすぼらしい着物でお恥ずかしい。ですがこれは足利義晴
公より 拝領した着物でして、山名家の家宝です。大事の折は、必ず
これを 着る事にしているのです。」
家康は、なんと山名殿の殊勝な事だと、感心する事しきりであった。
世間では不評の豊国だが、家康は彼のこうした心意気を評価していた
のであろう。
(出典 岩淵夜話より意訳)
※足利義晴 室町幕府第十二代将軍(1521年〜1546年)
5958:2008/11/01(土) 12:57:14 ID:/gMDF0Vt
上で既出でした。申し訳ございません。
60人間七七四年:2008/11/01(土) 15:47:57 ID:8otsF4EK
天正二十年(1592)

朝鮮に渡海することとなった島津義弘が、その間人質として伏見に上ることとなった
妻・宰相にあてた手紙

「私の渡海の事なんかより、旅慣れないあなたに何か起こらないか、その事の方が心配です。
朝も夜も、あなたの事を思っています。

伏見に着いたなら、こちらへの便があり次第どうか、すぐに様子を知らせてください。
私からも手紙を送ります。」


(*´Д`)
61人間七七四年:2008/11/01(土) 16:08:28 ID:OOKNxvJp
秀吉なら絶賛した上で俺がいいのをくれてやる!

って金ぴかの趣味が悪いの与える。
62人間七七四年:2008/11/01(土) 17:30:32 ID:PSKTv4at
そして転売
63人間七七四年:2008/11/01(土) 19:24:13 ID:Izq/dYx4
政宗だからしょうがない。
64人間七七四年:2008/11/01(土) 21:33:13 ID:qLlFs+BC
>>63
政宗でてきてねーよw
65人間七七四年:2008/11/01(土) 21:36:39 ID:vH8Zvr8D
正則だから仕方が無い
66人間七七四年:2008/11/01(土) 21:50:24 ID:mPSko31Z
>>64

   {~タ-―=二、`ヾ、~l          なんという冷静で的確な突っ込みなんだ!!
 ,-r'"_,,........,__  ` -、 `i)                                           /|
 彡;:;:;:;:;/~__家久、_  `l、       ,.-=-.、.                           ,..ィ"~~~~~:::::ヽ
 7:;:;:;:;:/. `ー-ヲ t‐-、!`ヽi::r   ,:、 ,..ム.゚.,..゚..,.、l                         ,r'"::;;;_;;::::::::::__:::::::\
 ;:;:;:;:;/ /   ,.、 `!~|:::)::/   / :K"/ r:'" ,iii ~\         ,,...-,-、           /,.r''"     ヽ:::::::::::i!
 :;,;-〈 /  Fニニヽ | .|:::l:::ヽ   ラ-{ `"・ 正宗。 llL_/!      /-v"  `丶、       i" 忠興,.-。-ュ-.ヽ:::::::::;!
 '   fヽ  ヾ--"  l,/::/r'"  /`ー!: |~r-。、~`-、゚_  lソ     /  l      ` 、      i ,r・')、 |:`''''' " ヽヽ:::::::ヽ
   | ` 、___,..- '"|::::ゝ   /  l ノ i/`"'" ´゚-y' ./メ,      /  (鬼)`丶、    '''ヽ     l :~ ヽ! ,..-、  ヾ;:::::::::|
   ヽ   /    レ"`‐.、_./  .レ /:; r-ニ、 K ./ 「    r''  //~~`''ーヾ'ー、   ノ     l   f'" '"~ノ  l |::::::::L
 ヽ        _,.-‐−―`ー"ヽ_l ヾ `ー'",.! | |_/     |  /、,,..-i'''t=ニ;ラ",l|`ゝr'     ヽ   ヽ-‐"  //'"二
  `,.-―'''''''''''<.,_     i"   l  ヽ....,,-" く__/     `ヽy:|`T"~、.,,__  `,i|ヾ |       ヽ、 ,.:-‐-'',/,.r‐''"
 '' "        l     i.   `   /    |,~`-、      | :i|  F‐'''"|  ! |ヽイ、_     ,..-‐f彡ゝ--‐"
           |     `: 、_         ノ   ヽ    ヽ'、  l!;;;;;;;/  / /:::::::`t''''丶、
67人間七七四年:2008/11/01(土) 21:51:15 ID:8otsF4EK
>>66
ついにこんなものまでwww
68人間七七四年:2008/11/01(土) 21:53:21 ID:Xh92u2XN
休日出勤からようやく帰宅して一服中
近頃まともに喫煙できる場所も少なくなりました( ゚д゚)y─┛~~

一服の恩

真田信之の家臣に原郷左衛門という男がいた。家老・矢沢頼綱の孫という名門の出でもあったが
乱暴者として悪名高く、親類縁者からも嫌われ、信之からさえもロクに声をかけられない有様だった。

大阪夏の陣で毛利勝永の猛攻を受けた真田家は、前線が崩れかけた。
若殿・信吉が郷左衛門に出撃を命じたその時、小姓が持ったキセルが郷左衛門の目に止まった。

郷左衛門「一服吸わせろゴルァ」
小姓「若殿様のタバコを渡せるわけないだろ!何言ってんのコイツ!」
信吉「かまわん、郷左衛門に一服吸わせてやれ」

「うめェ・・・」一服した郷左衛門、袖でキセルの吸い口をキレイにふき取り、信吉に返した。
信吉が郷左衛門を見ると、目には大粒の涙が光っていたという。
それもわずかの事、ヒラリと馬にまたがると、郷左衛門は毛利隊に突進していった。

真田家は辛くも毛利隊をやり過ごし総崩れをまぬがれたが、多くの犠牲を出した。
犠牲者の中に原郷左衛門の名もあった。 「真田家武略記」は郷左衛門の死にざまを

「当家の者が討死する手本」(真田家之侍討死手負覚)とまで記している。
69人間七七四年:2008/11/01(土) 22:04:56 ID:Izq/dYx4
>>68
カッコイイ話だな。家臣が身命を賭して仕える話はなんともいえないものがある。
悲しいけどな。
70人間七七四年:2008/11/01(土) 22:11:57 ID:qPKD8uMH
>>68
DQNかと思いきや・・・すごくかっこいい話だ
71人間七七四年:2008/11/01(土) 23:39:06 ID:Onieiz9k
>>66
正宗は刀。
72人間七七四年:2008/11/02(日) 00:12:47 ID:FKIC0UqT
>>66
おまいらそう言いながら既に突っ込んだ奴斬るために刀抜いてるだろう?
73人間七七四年:2008/11/02(日) 01:32:30 ID:O1uOsHhC
伊達政宗、面倒くさい三河武士に出会う、の巻き


伊達政宗が大阪へと上る途中、相模の中原と言う所で鷹狩りをした。
ところがそこは徳川家のお鷹場であり、この地域の奉行の大岡伝右衛門は、その事を知ると、
なんと槍を手にして、政宗の元に物凄い勢いで走って来た。

怪訝な顔で大岡を見る政宗に、

「き、貴殿はここが、徳川家の鷹場とご存知で、この様な狼藉をなされているのか!?
私はここを守るように言われている身分です。このままでは言い訳が立たない!
早々に私の首を取って、家康公の前に持って行って頂きたい!!」

政宗は当惑した。この男、本気で首を取られる気になっているのだ。
さあ斬れ今斬れすぐに斬れと叫んでいる大岡に、政宗は

「いや、お前が責任取らなくていいように、俺が家康公には色々言っておくから、とりあえず
落ち着こうよ。な。
ここで鷹狩りしたのは俺が悪かったからさあ…」

何故か大岡をかばう羽目になった政宗。どうにかこうにかなだめ引き取らせた。
大阪についてから家康にこのことを話すと、家康も笑いながら

「まことに失礼たしました。どうか、大岡の無礼を許してやってください。
あ奴の家も安祥以来の譜代なだけに、主命を大事にしすぎまして…。」

すると政宗は、
「まあ、私も有名人だから、彼も張り切っちゃったんでしょう。」と、変な納得をした。
74人間七七四年:2008/11/02(日) 01:34:25 ID:XHiZSrGR
俺だからしょうがない、ですか
75人間七七四年:2008/11/02(日) 01:35:14 ID:FndNPCkD
三河武士だからめんどくさいな
76人間七七四年:2008/11/02(日) 01:40:22 ID:sS8i3VJd
三河武士はめんどくさいし政宗はいくつになっても自意識過剰の中二病丸出しだしややこしい事この上ないな
77人間七七四年:2008/11/02(日) 01:55:59 ID:S4H2sC0s
家康「あーもうコイツらまじめんどくせえ」
78人間七七四年:2008/11/02(日) 01:56:57 ID:FndNPCkD
三河武士「おまえはうんこくさいけどな」
79人間七七四年:2008/11/02(日) 02:35:45 ID:FMyHUW6K
一同「HAHAHAHA!」
80人間七七四年:2008/11/02(日) 02:40:57 ID:EQ+d/a0x
それをみて忠興も苦笑い
81人間七七四年:2008/11/02(日) 02:45:06 ID:1tUa/2HN
家康と政宗は何故か良い雰囲気だね。
82人間七七四年:2008/11/02(日) 03:15:58 ID:Dpany+Iw
いや待て
大岡は一つのDQN対策を我々に示してくれた・・・
森長可が橋を渡ろうとした時もこの方法で生存出来るのでは?
83人間七七四年:2008/11/02(日) 03:33:51 ID:1tUa/2HN
大岡「このままでは言い訳がたたない!早々に私の首を取って
家康公の前にもっ」森「そうする」


84人間七七四年:2008/11/02(日) 03:34:56 ID:S4H2sC0s
流れが鉄板すぎるw
85人間七七四年:2008/11/02(日) 04:07:13 ID:Dpany+Iw
  ∩∩ ぼ く ら の 春 は こ れ か ら だ !  V∩
  (7ヌ)                              (/ /
 / /                 ∧_∧            ||
/ /  ∧_∧     ∧_∧  _(´∀` )   ∧_∧   ||
\ \( ´∀`)―--( ´∀` ) ̄      ⌒ヽ(´∀` ) //
  \       /⌒   ⌒ ̄ヽ、長可 /~⌒    ⌒ /
   |      |ー、      / ̄|    //`i 忠政  /
    | 蘭丸 | | 忠広 / (ミ   ミ)  |    |
   |    | |     | /      \ |    |
   |    |  )    /   /\   \|       ヽ
   /   ノ | /  ヽ ヽ、_/)  (\    ) ゝ  |
   |  |  | /   /|   / レ   \`ー ' |  |  /
86人間七七四年:2008/11/02(日) 04:47:57 ID:p1Ab1W8S
森うぜぇwwww
87人間七七四年:2008/11/02(日) 11:24:59 ID:m8CA0Nus
たぶん慶長か元和ごろの政宗さん家中あて 森忠政書状

「今朝」は招待していただき、お茶ごちそうさまでした。
(中略)
本来出るはずのないお酒をいただいて、すっかり酔っ払ってしまいました。
(此の中下されざる大御酒、沈酔に及び申し候)

お礼にうかがうべき所、こんな始末で行くことができません。
簡単ではありますが、手紙で失礼します。またお会いしましょう。


冒頭のカッコは俺が勝手につけました。うん、まあ…平和になってよかったね
88人間七七四年:2008/11/02(日) 11:33:00 ID:vKGeiQLM
政宗とか森家の人々のネタだと今見てるのがいい話スレか悪い話スレか一瞬迷うw
89人間七七四年:2008/11/02(日) 12:11:41 ID:xzX1UHfJ
>>83

森「>>83…だそうです」
家康「誠ニ失礼致シマシタ。大岡ノゴ無礼許シテヤッテクダサイ。HAHAHAHAHA」

単純明快な森とめんどうくさい三河武士
90人間七七四年:2008/11/02(日) 12:26:05 ID:Krc3PSw+
>>87
アッー!
91人間七七四年:2008/11/02(日) 12:26:18 ID:O1uOsHhC
つーか、兄貴のほうの森なら、自分の前に立ちふさがった瞬間に首取ってるかもねw
92人間七七四年:2008/11/02(日) 14:39:36 ID:E7Hu1bbo
兄貴なら鷹狩じゃなくて自分で人間を狩(ry
93人間七七四年:2008/11/02(日) 15:15:35 ID:LDxrb7B4
鷹じゃ鷹じゃ、鷹に釣られて三河武士がやってきたわ!
いざ狩らん!!
94人間七七四年:2008/11/02(日) 18:49:06 ID:HzHKvaag
三河狩りテラオソロシス
(´・ω・`)
95人間七七四年:2008/11/02(日) 18:53:44 ID:1tUa/2HN
いい話スレなのに内容がアッチにwww

政宗は忠政に朝茶に招かれたのかな?
茶室で酒ですかぁ
96人間七七四年:2008/11/02(日) 19:04:53 ID:1tUa/2HN
あ、逆か。
97人間七七四年:2008/11/02(日) 19:12:53 ID:9OaRBUvK
瓢箪から駒のエピソードみたいに
絶妙のタイミングで酒を出して
忠政を感心させたんだろうな

結婚式とか仕切らせたら上手そうだ<政宗
98人間七七四年:2008/11/02(日) 19:44:25 ID:1tUa/2HN
政宗は企画系のものは心底楽しんでやりそう。
イベント好きそう。
騒動も好ry
99人間七七四年:2008/11/02(日) 20:17:38 ID:BKwdX2PF
結婚式とか企画させたら全体的には派手で盛り上がりそうだが
ウェディングケーキの一部にわさびを大量に仕込んで
当たった人が噴き出すの見て大喜びとかやりそうなイメージだ。
100人間七七四年:2008/11/02(日) 21:29:39 ID:p1Ab1W8S
森みたいなリアル鬼武者以外は四六時中DQNではないからな
いいとこの生まれなだけあって教養もあるしそれぞれ得意分野で
伸び伸びと任せたら以外に良い成果出しそうだな

政宗はアレだ文化祭とか運動会とか球技大会、遠足みたいなイベントの時
テンション上がって皆を引っ張っていく盛り上げ隊長ポジション
で、その分問題も起こす特典付き
101人間七七四年:2008/11/03(月) 00:17:02 ID:8Zx1ZJA3
で、先生に怒られてみんながシュンとなっているところに、
次はばれない様にうまくやろーぜとか言っちゃう、全く反省しないタイプだよなw
102人間七七四年:2008/11/03(月) 00:33:14 ID:lAom1O6c
そんな問題児が成長すると人に教えたり、指導する人物になってしまう不思議
103人間七七四年:2008/11/03(月) 01:31:16 ID:RKVg9yMB
橋休めに有名な話を

1600年三成挙兵のほうが届くと小山にて軍議が開かれる
家康「三成が挙兵しました。この中には諸事情によってそっちに付きたいのもいるだろうから
遠慮なくどうぞ。恨んだりしないし」と一同ある程度予想はしていた事態ではあるものの
大阪には妻子もいるしちょとざわつくがすかさず福島正則が
「おれはナイフにつくぜ!お前らもそうだよな?」と言ったため一同和してそれに賛同
その中で一人だけ異論を唱えた男がいた。岩村4万石領主田丸直昌。
伊勢北畠庶流で蒲生の与力大名から蒲生宇都宮減封を気に石田らの推挙もあり独立大名になった男である
(もっとも現在の岩村城主になったのは実は家康の推挙なのだが)
叔父具教とともに塚原卜伝に学んだ剣豪とも知られるこの男は
「正直なところ三成たちでは家康殿に勝てるわけがないと思うが私は彼らにも恩はあるし
なにより秀頼君を奉じている以上敵対することはできない。よって今より引き払って大阪に向かわせてもらう」と宣言
あまたの大名の中で敵対宣言とは状況によってはこの場でぶった切られてもおかしくない(家康は許可してたけどね)
家康は許可した手前か別にこんな小大名どうでもよかったのか
「立派な態度。これは手向けに」と刀を一振あたえて送り出した
(真田さん親子は実はこの会議には参加していない。親父と弟が途中で挙兵を知って引き返した)

直昌は本戦には参加せず大阪城守備の任についていたがご存じのように西軍は敗北
戦後は所領を没収され越後へと流される数年後春日山で死去
子のたちはただちに放免され蒲生家→前田家などを経て旗本や水戸藩士になった
水戸天狗党の頭の一人の田丸稲之衛門は彼の子孫である




で、実は若いころ北畠に対してすごい怨敵になりそうなことしてるのは内緒w
104人間七七四年:2008/11/03(月) 04:05:44 ID:A6W5pPNM
森が陣営にいたら確実に田丸さんは斬られてるんだろうな
むしゃくしゃしてやった
反省はしていない
むしろ敵を減らしてやったんだから感謝してほしいくらいだ
105人間七七四年:2008/11/03(月) 10:33:06 ID:LegjlQz7
当時、川中島13万7千石の忠政は上田攻めに参加してました。よかったね!田丸さん!!

労基法違反

海津城(松代城)の修築、相次ぐ出陣等、出費の続いた森家は家臣への俸禄が充分に払えなかった。
そのためついに上田の陣で、足軽たちが暇を請い帰郷をすると言い出してきた。

すると家老・林為忠が自分の具足櫃から黄金を三枚取り出し、
「相次ぐ物入りで、殿も不自由なさっているのだ。わずかだが、これを分けて堪忍してくれい」
と足軽頭たちに渡し、その後もさんざんなだめたので足軽たちは納得して支障なく働いた。(先代実録)

殿様の苦難を家臣が機転で救ったいい話・・・?
106人間七七四年:2008/11/03(月) 11:34:49 ID:JGU1GAUq
森家の家老が林さんなのかw
107人間七七四年:2008/11/03(月) 11:41:31 ID:jtmSWOvh
上杉家家臣甘糟景継の話。
甘糟景継は謙信時代から取り立てられ
第四次川中島でも活躍した勇将である。
景勝もこの老臣を重用し、会津においては
伊達政宗を抑える白石城を任せていた。
ところが関ヶ原の頃、甘糟は妻が会津で没したと聞き白石城を空けて
会津に戻ってきてしまい、空城となった白石を政宗に取られてしまった。
白石に戻ってきた甘糟は呆然、景勝はこの軽率な行動に怒り
彼の所領を2万石から6千石に大減封し、すっかり冷遇するようになった。
この話を聞いた家康は「甘糟ほどの武将がそれほど冷遇されているのなら
徳川家の旗本になりなさい。大禄を与えてやろう」と伝えたのだが
甘糟は「景勝様の怒りも私が悪いことなのですから当然です。
私は謙信・景勝の二代に仕えました。
今更二君にまみえる事は出来ませんのでこのまま上杉家に仕えます」
と断り、これを聞いた家康は
「そのような武将であるからこそ、家臣に欲しかった」
と言ったとされる。




しかしこの逸話には突っ込みどころ。
二万石から六千石に減らされたということだけ見たら確かに冷遇されているようだが
そもそも上杉家自体が会津120万石から米沢30万石に大減封されており、
禄高が1/4に減らされるのは何も甘糟に限らず家臣全員が受けた処置で、
その上前スレ>541で景勝が死ぬまで匿っていた甘糟右衛門は
この甘粕景継の子である。
どう見ても別に冷遇されていないので、逸話自体が全くの創作か、
例え実際にあったとしても家康・景勝の双方の面子のために
甘糟が「自分が悪い」としただけだろうと思われる。
108人間七七四年:2008/11/03(月) 11:52:04 ID:H3u3SC8L
他人の面子を立てた話かもしれないわけだな。
それもまたいい話だ。
109人間七七四年:2008/11/03(月) 12:24:49 ID:6dFXHFIn
>>107
前半だけ読んでバース思い出した
別に俺は虎党ではない
110人間七七四年:2008/11/03(月) 13:23:29 ID:RzBsBvF4
松永久秀、戦国信用出来ない奴投票をすればおそらくNo.1になると思われる人物で
織田信長が徳川家康に久秀を紹介する時に言ったとされる「三悪事」、
主家への専横、将軍弑逆、大仏殿焼き討ちは邪魔なものには
なんであろうと容赦のないという彼のキャラを端的に表すエピソードと言える。
しかし実のところ大仏殿焼き討ちについては幾つか異論があったりする。
というのも史料によって仏殿に陣を敷いていた三好三人衆側による失火や
合戦の時に鉄砲の火薬に引火した末のなどとするものもあるからだ。

ところで史料の中に久秀が故意にやったとも失火によるものともしない記述のものがある。
フロイスの書いた「日本史」だ。
曰く「仏教を敵視した勇敢なキリシタンがどさくさに紛れて放火した。」
つまり本国にキリシタンの手柄として報告しようとしたとさ。

以上、フロイスの(調子の)良い話でした。
111人間七七四年:2008/11/03(月) 16:39:11 ID:M/MdKGjh
どういうオチだよw

久秀の名前が出たあたりで誤爆かと思ったし、
読み進めていってもやっぱり誤爆としか読み取れなかったw
112人間七七四年:2008/11/03(月) 17:03:27 ID:tdPw+qRQ
だが濡れ衣を着せられて泣く久秀に萌えた
113人間七七四年:2008/11/03(月) 17:28:21 ID:YCB29JZU
>>110
まさか最後にフロイスが出てくるとはw


では珍しい(?)、鬼武蔵、森長可いい話

長可の馬備えをしている家臣に、井原小市という者がいた。ある時彼が帰陣の折、躓いて転倒した。
その時である、腰にさしていた大小の刀が、鍔の所からポッキリと折れてしまった。

実は井原、あまりに貧乏なため、刀の中身を売り払ってしまい、代わりに竹でこしらえを作って
それをさしていたのだ。皆の前で恥をかいたが、彼はそれよりも恐れたことがあった。

「もしこのことが、長可様の耳に入ったら…、私は!」

不安は的中した。間もなく井原の家に、長可からの呼び出しが来たのだ。

「殿は今日、酒宴を行われているそうだ…。そうか!殿はきっと、私の首を酒の肴にされるのだろう…・。」

井原は家族と今生の別れをし、覚悟を決めて登城した。
前に現れて平伏ばかりしている井原を怪訝に眺めた長可、大小をさしていない事に、

「お前は刀をどうしたのだ?」

彼がありのままに訳を話すと、長可は爆笑してこう言った

「お前は面白い奴だな。敵に会ったとき刀がなくてどうする気だったのだ?まあよい、これを使え」

そう言って自分の備前祐定の大小を、井原に手渡した。
殺されるとばかり考えていた伊原は、有頂天でこれを受け取った、とか。


まあ、これだけ家臣から恐れられていることが、良いのかどうかって話もありますがw
114人間七七四年:2008/11/03(月) 17:35:57 ID:xAomnEEf
>>107
甘糟が自害した件はどう説明するの?

また、前スレ>>541でも紹介された景勝のキリシタン保護自体、
当時のキリスト教国が世界各地を侵略しまくった際、
その先鋒として宣教活動があったことなどを考慮すると、
どう見ても「かなり悪い話」じゃないか?
115人間七七四年:2008/11/03(月) 17:44:09 ID:ipokTaci
>>113
ツボに入ったから許すって事なんだろうか?
それとも家臣だから許すって事なんだろうか?
116人間七七四年:2008/11/03(月) 17:47:22 ID:XBZL1i1Q
>>113
>「殿は今日、酒宴を行われているそうだ…。そうか!殿はきっと、私の首を酒の肴にされるのだろう…・。」
鬼武蔵ビビられすぎわろたw
117人間七七四年:2008/11/03(月) 18:37:13 ID:g3Sy/ZtA
懐の大きい話だな。
まあ、ただのDQNじゃ部下もついてこないだろうし。
118人間七七四年:2008/11/03(月) 19:22:40 ID:s/WftNiu
鬼武蔵はどう転んでもビビられるから面白いw
119人間七七四年:2008/11/04(火) 03:26:45 ID:Df36VSqJ
鬼武蔵の馬

鬼といわれた森長可には、セットのように言われる名馬があった。この名を「百段」と言う。
この名、金山城の石段を、百段も一気に駆け上がるので、そうついたそうだ。

さて、小牧長久手において、森長可は徳川軍の狙撃により斃れる。彼はこのときも
この百段の上にいた。
馬上から地面に斃れた長可の首を取るため、徳川軍の雑兵が殺到した。これに怒ったのが
百段である。この馬、徳川の雑兵たちと戦い始めたのだ。体に二箇所も槍傷を負いながら、
森隊の者が長可の死体を回収するまで守り通し、それを見届けると、傷を物ともせず、
豊臣軍の陣地に堂々と帰っていった。

この百段の活躍が、もう一度記録に現れる。それはこの小牧長久手から、なんと30年後。
大阪の陣である。
長可の弟、忠政をその背に乗せ戦場を駆け回り、主人と共に首級206を獲る大活躍を
なしたとか…。

このあと、百段は森家の所領がある美作において、老衰で死んだ。
忠政は祠を築いて、この名馬の死を悼んだ。

鬼の馬も鬼、と言うお話。
120人間七七四年:2008/11/04(火) 07:31:34 ID:FuvL04Xj
背中に乗り手がいない状態でも戦ったというのもすごいけど、
戦いに戦って大往生というのもまたあっぱれ
121人間七七四年:2008/11/04(火) 11:12:01 ID:VEcOPbDM
まさに鬼神の如し
122人間七七四年:2008/11/04(火) 11:33:50 ID:wMseyVHf
馬で30年以上現役で戦い続けるって化け物すぐるw
123人間七七四年:2008/11/04(火) 11:44:49 ID:ogwHAlaM
鬼は馬の方だったって話ですね
124人間七七四年:2008/11/04(火) 12:03:43 ID:uk7UqS9L
うわぁご先祖様、相当M体質だったかもしれん
某家家臣子孫
125人間七七四年:2008/11/04(火) 12:24:36 ID:poRauYrj
>>124
kwsk
126人間七七四年:2008/11/04(火) 12:35:56 ID:+Jk+/PYV
M体質=MORI体質
127人間七七四年:2008/11/04(火) 12:43:36 ID:uk7UqS9L
>>125
覚書きが残ってるんだが
Μ家には代々忠節を尽くしなさいうんぬんとね
御当主家同様、ほとんど討ち死にしてるのよ
養子でつないでまたつないでの繰り返しだから
家風が変わるのが嫌だったのかも
128人間七七四年:2008/11/04(火) 17:41:39 ID:Df36VSqJ
日本時計事始

織田信長が、南蛮人から南蛮時計を贈られた事があった。だが、当時の機械の事、すぐに故障した。
壊れた時計は、当然の事ながら日本人には修理できない。

「こんなもの役には立たない」

信長は南蛮人にこれを返し、代わりに南蛮帽子と孔雀の羽を譲ってもらった。

さて、慶長十年(1605)
徳川家康にも、南蛮時計が贈られた。もちろんすぐに故障した。
だが家康は、ここからが違った。「壊れたら、直せるようにすればいい。」
早速、当時細工で有名だった男が、家康のいる駿府に呼び出された。津田助左衛門政之。
京で牢人中だった。

壊れた時計を分解した政之は、たちまち仕組みを理解。その時計を直したのみならず、
さらにそのレプリカまで作り上げた。
家康は喜び、政之に褒美として時服をあたえ、御時計師として八十人扶持で召抱えた。

この「御時計師」は、幕府の技術職として定着する。
後、津田の一族が使えた尾張藩の史書「尾張志」はこう伝える

「自鳴磐、俗に時計という。常盤町津田助左衛門是をつくる。(中略)日本時計師の元祖ともいふべし」


ここに、和時計の歴史が始まったのだ。
129人間七七四年:2008/11/04(火) 18:34:48 ID:t6nO9oFk
それぞれ、当時の時代背景が感じられるいい逸話だね。
130人間七七四年:2008/11/04(火) 19:16:36 ID:81RWodG4
家康の株がモリモリ上がってる件
131人間七七四年:2008/11/04(火) 19:43:02 ID:lUBidacN
>>128
信長は宣教師から南蛮時計を寄贈されたけど「修理の仕方が分からないから」と言って
名残惜しそうにその場で返却したんじゃなかったっけか?
寄贈された南蛮時計をそのまま受け取って使用したという逸話もあるんだな。
まあ普通に考えて南蛮時計は当時は超ナウいブランド品みたいな物だから、
普通は修理なんて後先の事は考えずに喜んで受け取るだろうから、
信長も受け取ったという逸話の方が本当っぽいねw
132人間七七四年:2008/11/04(火) 19:56:21 ID:Zys66s1m
信長:壊すからそんなのいらない南蛮時計
家康:壊したら直せばいいじゃん南蛮時計
秀吉ならなんだろな
133人間七七四年:2008/11/04(火) 19:57:57 ID:lUBidacN
>>132
秀吉:壊したらまた買えば(貰えば)いいじゃん南蛮時計
134人間七七四年:2008/11/04(火) 19:59:21 ID:tSLmcVKv
壊したら獲りに征こうか南蛮時計
135人間七七四年:2008/11/04(火) 20:07:07 ID:0NMzpX5P
>>131
フロイス日本史には、宣教師が持ってた目覚まし時計を信長が非常に気にいってたので
「ぜひ差し上げます」と何度も言ったんだが、
「これを貰ってもいいが修理の仕方がわからない為すぐ駄目にしてしまうだろうから
私は受け取らないのである」とか言って貰わなかったと書いてあったよ。
以前に一度壊した事があったのかもね。
あとたくさんの献上品からも、いつも気に入ったものだけを受け取って後は返してしまうとか
合理的主義な信長らしいと思った。

ついでに個人的にウケた話
自ら食事のお膳を運んできてくれた信長、そんな父の見慣れない姿にキョドる奇妙丸。
感激したフロイス、お膳を頭の上に掲げて感謝を表した所、冷静に
「汁をこぼさないように持ちなさい」とツッコまれたとさ
136人間七七四年:2008/11/04(火) 20:07:28 ID:3SjvHYVe
しかし朝鮮で挫折
137人間七七四年:2008/11/04(火) 20:12:06 ID:OqDjoU8u
>>135
信長冷静わろすwww
138人間七七四年:2008/11/04(火) 20:15:23 ID:aW+THUK3
信長おかん説
139人間七七四年:2008/11/04(火) 20:21:05 ID:LzZnAf7R
こんなおかんはいやだw
140人間七七四年:2008/11/04(火) 20:57:36 ID:I0X2CAkz
信長「晩御飯カレーですリビングに集合汁」
信孝「詳細キボン」
信雄「玉葱は…」
141人間七七四年:2008/11/04(火) 21:05:04 ID:JdRsalq5
光秀「うはwwwうめぇwwwww」
142人間七七四年:2008/11/04(火) 23:06:49 ID:81RWodG4
平手政秀「イタいうつけがいるのはこの家ですか?」
信勝「氏ね」
信長「むしろゐ`」
143人間七七四年:2008/11/05(水) 00:01:25 ID:wJOYx2bk
信孝「それが我が家クオリティ」
信雄「玉葱うp」
蘭丸「ちょwおまwwww必死杉wwwwwwww」
144人間七七四年:2008/11/05(水) 00:09:09 ID:eqoRPomV
信長「蘭丸キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!」
光秀「蘭丸程度で騒ぐ奴は逝ってヨシ」
秀吉「オマエモナー」
145人間七七四年:2008/11/05(水) 00:10:16 ID:pEkWiaLv
なんだよこの流れ…
146人間七七四年:2008/11/05(水) 00:28:27 ID:jIZmJs9E
スルーしとけ
147人間七七四年:2008/11/05(水) 00:40:25 ID:AJ+hfKTl
随分古いネタだなw
148人間七七四年:2008/11/05(水) 00:41:09 ID:w/TEVTBv
真田信之の妻、稲姫(小松殿)

「一人くらい死ねばよかったのに」(大阪の陣で子供二人の無事を聞いて)

「義父上といえども我が殿の許可の無い者はこの城に一歩も入れません」(関ヶ原の前、孫に会いたいと
沼田城への入城を求める義父、昌幸に対して武装した姿で)

等々、猛将、本多平八郎の娘としての面目躍如たる小松殿。
この姫、関ヶ原の真っ最中にも、もちろん活躍している。


夫、信之も参加している東軍、中山道部隊による上田城攻め。このとき、沼田を守る小松殿は
一つの懸念があった。
同族である真田家が治める上田と沼田。沼田には上田城に篭城している者達の、親類縁者が
多くいた。

「上田城の篭城衆が、沼田のものに工作をしてくれば…
どうすれば?そうだ!

だれか、城下に触れを出せ!」

しばらくして、上田城の真田昌幸の元に、こんな急報が届いた
「沼田にいる我ら篭城衆の親類縁者がみな、沼田の城に!」
昌幸「なんじゃとぉ!?」

小松殿は、「所持物騒な折、みなを慰めたいと思う。諸士の老母・女房・子供たちはみな、城に
登ると良い」と、触れを出した。
城下の者達は心細さもあり、次々と城に入った。こうして小松殿は逆に、篭城衆の人質を、
一手に握ってしまったのだ。

関ヶ原の決戦のあと、昌幸が戦うことなく上田城を開城した裏には、この人質の圧力も大きかったとか。


『関原軍記大成』にある、女傑の活躍のお話。
149人間七七四年:2008/11/05(水) 00:42:14 ID:pqprWB6K
大分古いな、昔FLASHとか見たわ。
150人間七七四年:2008/11/05(水) 00:44:38 ID:pqprWB6K
>148
色々な意味ですごいなぁ…>小松
151人間七七四年:2008/11/05(水) 01:25:04 ID:vpKS1lMg
親が親なら子も子だな
152人間七七四年:2008/11/05(水) 01:27:05 ID:XVj2CaNs
さすがホンダム娘
153人間七七四年:2008/11/05(水) 03:05:28 ID:PlZeqq1J
は?
154人間七七四年:2008/11/05(水) 13:53:25 ID:pqprWB6K
バサラ厨は自重しる
155人間七七四年:2008/11/05(水) 20:01:27 ID:rbUkpcwU
どなたか、南蛮時計が太陰暦の時間とあわないので使いものにならないから、信長か時計番の発案でなんとかした話の詳細を教えてもらえませんか

何かいい話だったような気が…
156人間七七四年:2008/11/05(水) 22:07:39 ID:w/TEVTBv
織田徳川が同盟を結んで、まだ間もない頃


家康の家来と信長の家来との間に、いさかいが起きた。
これがたちまち、徳川家と織田家との問題に発展した。
こうなると、どう裁いてもお互いにしこりが残る。そこで信長はこういってきた。

「鉄火(火起請)だ。
織田家、徳川家からそれぞれ一人ずつを選び、焼いた鉄を握らせ、神前に差し出させるべし。」

それでこの件の理非の決着をつけよう。神意であればしこりも遺恨も残るまい。そう言う理屈であった。

家康は思案した。彼の判断では、これは織田家の側に非がある事件であり、公正な裁判であれば
三河側が勝つものだ。それを鉄火で決めるというのは理不尽である。
しかし、これを拒絶すれば問題がさらに大きくなり、せっかくの同盟が崩れることも覚悟しないといけない。

悩んだ末、家康はこれを受け入れ、ある男を呼んだ。本多作左衛門である。

「そちに、頼む」

頭を下げそういった家康は、傍らにあった器から勝ち栗を取り出し、作左衛門の手に握らせた。
勝ち栗とは、出陣において渡される縁起物である。

作左衛門は承知した。

伊賀八幡宮と言う社の神前で、鉄火は行われた。焼いた鉄の棒を握り、神前に置いてある
棚まで戻せば勝ち。途中で投げ出せば負けである。

双方、真赤に焼いた鉄棒を、同時に握った。

数歩歩いたところで、織田家のものは鉄棒を投げ出し転げまわった。
この時点で徳川の勝ちである。

が、作左衛門はそのまま鉄棒を握り続け、棚の前まで歩き、そこに、静かに置いた。
彼の手は焼け爛れていたが、顔色一つ変えなかったと言う。

面倒くさい三河のへそまがりは、焼けた鉄くらいには負けないのだ。
157人間七七四年:2008/11/05(水) 22:13:16 ID:Vh9ubqLN
信長本人が出れば勝負はわからなかったなw
158人間七七四年:2008/11/05(水) 22:21:37 ID:m/lKZ0CC
頑固さと扱いにくさだけは日ノ本一の奴らだしなw
159人間七七四年:2008/11/05(水) 22:25:45 ID:wJOYx2bk
さくざvs信長見たかったなwwwww
しかし作左かっけぇ。
160人間七七四年:2008/11/05(水) 22:28:46 ID:i6Ea1ytk
>>156
当然負けた織田家臣は首チョンパですね
( ̄人 ̄)ナムナム
161人間七七四年:2008/11/05(水) 22:29:31 ID:5HwQusm5
秀吉vs花房でいう縛り首ENDになりそうw
162人間七七四年:2008/11/05(水) 22:30:37 ID:pEkWiaLv
>>156
信長と火起請の逸話って他にもあったのかw
つーか信長本人がやってたら勝利確実だっただろうにw
163人間七七四年:2008/11/05(水) 23:23:13 ID:m/lKZ0CC
空気読まずに勝ってしまう三河武士というのも浮かんだw
164人間七七四年:2008/11/05(水) 23:27:15 ID:t8HTOJN7
信長「うわっさくざだwwwwあんなのの相手したらこっちの手がいくらあっても足りねーよw他のやつに任せよwwww」
165人間七七四年:2008/11/05(水) 23:39:37 ID:kfXTFbom
>>148
流石、小松の親分さん
166人間七七四年:2008/11/06(木) 00:38:19 ID:si1q9C6/
でもこれは信長にとっても良い話だと思うな。
自分側の負けとはいえ問題は解決したわけだし、同盟を組んだばかりの徳川にも
それなりの人物がいて信用に足ると感じたんじゃなかろうか。
167人間七七四年:2008/11/06(木) 00:53:36 ID:XD3awMaP
では有名な、本多作左衛門の話も一つ

武田家が滅び、家康が新たに駿河を領有した頃の事。
新領地を巡回していた家康は、安倍川の川原で、巨大な鉄の大釜を見つけた。
それは「人煎り釜」と呼ばれる、人間を中に入れ焼き殺す処刑道具であった。

「信玄の置き土産か」

家康はそう言った。武田では、この大煎り釜を使った処刑が行われていたのだ。
この残酷な刑はまた、武田領内で法を厳しく守らせる事に、大いに役に立っていたとのことだった。

「これはよい物を見つけた。後で浜松に運んで置くように」駿河の奉行にそう命ずると、家康は帰っていった。

翌日、奉行は多くの人夫をそろえ、この巨大な釜の輸送を始めた。このことは既に評判になっており、
街道には、多くの人々が見物に群がっていた。そこに、馬に乗った侍が駆けつけてきた。
本多作左衛門である。三河で知らぬ者のない戦場で潰したドラ声で、叫んだ。

「その釜を、何処に送る気か!?」
「殿の上意により、浜松に送るところです」奉行はそう答えた。

「何?上意だと!?いやかまわん、わしが命ずる!この釜を砕け!」
作左衛門は人夫たちに勝手に命令を下し始めた。だら、人夫も奉行も、混乱するばかりで何も出来ない。

「ええい!こうやって砕くのじゃ!」

彼は人夫の一人が持っていた鉄槌を奪うと、大釜に振り下ろした!しかたなく人夫たちもそれに従い、
30分ほどでそれは、粉々の鉄くずになった。

奉行は青い顔をして家康の元にそれを報告した。
「わしの命をなんと心得ておるのだ!」家康は激怒した。作左衛門の処分は明日言い渡す!
大広間に召しだすように!家臣たちにそう命じた。作左殿も今度こそ切腹か、追放か、みなそう思った。

そこにおずおずと、駿河の奉行が口を出した、「作左衛門殿は、殿にこの様に伝えろと…

『帰って殿に申せ!釜で煎り殺すような罪人ができるようでは、天下国家を治める事は成り申さず!
そう言って作左衛門が砕いたと!』




翌日

家康と左右の者たちが撃ちそろう大広間に、作左衛門が召しだされた。作左衛門は申し開きもせず、ただ
押し黙っていた。家康が先に口を開いた。


「わしが、間違っていた。」


「作左衛門、その方が釜を砕いた折の口上、奉行から聞いた。
わしの間違いに気付いてくれた事を、かたじけなく思う。今後もどうか、そうしてもらいたい。」

なんと許すどころか、家康のほうが作左衛門に謝罪したのだ。
この言葉に、作左衛門は、体を震わしながらこう答えたと云う。

「ありがたき上意をこうむり、面目、見に余り候!」
168人間七七四年:2008/11/06(木) 00:59:41 ID:DXncR7wC
秀吉の母や妹を焼き殺そうとした男に似つかわしくないいい話だな。
169人間七七四年:2008/11/06(木) 08:18:11 ID:CwhRTHWp
それは言うなwwww
170人間七七四年:2008/11/06(木) 10:41:38 ID:oeyM8F/o
>>167
家康見事というほかない!
上に立つ人間が、一度強気に出たのに
間違いを部下たちが注視する前で、はっきり認めるってのは並の勇気の人間ができることじゃない
凡人は面子があるから強情に押し切るか、うやむやにするもんだからな・・・

自分が間違ってても、感情を害すると後からこっぴどい仕返しする秀吉w
171人間七七四年:2008/11/06(木) 10:53:31 ID:ZqvXzpv5
作左にへそまげられたらめんどくさいからな
172人間七七四年:2008/11/06(木) 11:32:14 ID:ZSz3DUYY
真っ赤な炭の上を裸足歩くのと一緒で汗っかきが火鉄を持っても100度までしか温度が上がらないんだろう
理屈上では・・・。
173人間七七四年:2008/11/06(木) 13:18:46 ID:anoWrLQI
まあ大抵は作り話か、大名権力がいかに脆弱だったかを証明する逸話なんだけどな>三河武士
174人間七七四年:2008/11/06(木) 15:58:05 ID:3Y+nM+lz
まぁ石川さん以外なら宗教関係ぐらいしか裏切られてないから統率はとれてたんじゃない
175人間七七四年:2008/11/06(木) 18:25:02 ID:nXayEXjD
石川さんの出奔した理由って結局なんなんだろうな
恩賞に不満とかではないと信じたい
176人間七七四年:2008/11/06(木) 19:17:18 ID:S0RRD3zi
水野信元をぬっ殺したあたりから立場が危うくなり始めたっぽい
177人間七七四年:2008/11/06(木) 19:22:54 ID:XD3awMaP
家康の母親の兄だからね>信元
家康が納得しててもその周りで色々軋轢が起こる。
178人間七七四年:2008/11/06(木) 19:30:45 ID:ETAfGEz/
数正出奔の理由で「家康が漏らした時、糞を舐めさせられたのを根に持っていたため」とかいうのがあってワロタww

まぁ勝てるわけないのに抗戦主張する脳筋ばっかだから折衝するのに疲れたんじゃないの?
179人間七七四年:2008/11/06(木) 19:39:57 ID:XD3awMaP
ウンコで笑っていいのは小学生まで。
180人間七七四年:2008/11/06(木) 19:41:27 ID:bSjySeFd
>>178
>糞を舐めさせられたのを根に持っていたため
それって逸話として存在してるんじゃないよな?…
181人間七七四年:2008/11/06(木) 20:56:21 ID:si1q9C6/
>>180
(常軌を)逸(した)話
182人間七七四年:2008/11/06(木) 21:45:44 ID:6Kapfabr
臥薪嘗‘糞’
183人間七七四年:2008/11/06(木) 23:57:11 ID:yvFcgmIF
悪い話の方じゃ又の槍左とかさんざんな扱いなんで、地元の殿様支援

小田原攻めの後、前田利家は自分が降した氏政の弟・氏邦の助命を秀吉に嘆願し、許された。
氏邦が金沢で死去すると、その末っ子が大徳寺の僧となっていたのを呼び出し、
北条庄三郎と名乗らせ、知行1000石と甥・利益の娘まで与えてやった。

それを聞いた徳川家康が、利家の長男・利長に意見した。
「北条家はすでに殿下(秀吉)が成敗された家であり、北条が絶えるならそれが自然であり、
末子は出家のまま差し置くのが筋ではないのか。」

利長はその通りに父に伝えた。 聞いた利家も返答する。
「いや、氏邦に関しては殿下が許して拙者に預けたものであり、その限りではない。
であるのに死後に跡目もないのは哀れゆえ、縁者を探したまでのことです。」

その後、家康に父の返答を伝えて、帰った利長を利家は呼びつけた。
「さても、うぬは智謀なき者よ。家康がああ申してきたら、いちいちわしに聞かず、
先ほどの返答ぐらいはその場で返せねばならぬ。

よく考えてみよ、普通に行けば我らと徳川はゆくゆく敵となる。その時のことよ、
関東は昔から恩を忘れぬ義理堅い土地じゃ。
我らが北条を押し立てて旗を揚げさせれば、関八州の大半は味方にできるわ。

好ク謀ル者ハ未ダ兆シナキウチニ慮ル、という言葉もある。
大志を抱く者は必ず心得ねばならぬ言葉ぞ。」
184人間七七四年:2008/11/07(金) 00:18:43 ID:MdlAUSIF
いい話というか、抜け目の無い話だな〜。

ベテラン武将の腹の探りあいみたいな話は面白いw
185人間七七四年:2008/11/07(金) 01:21:00 ID:MdlAUSIF
慶長十九年(1416)、徳川家と豊臣家が、いよいよ手切れという頃。
大阪の大野冶長の屋敷に、伝心月叟と言う山伏が尋ねてきた。
対応のものが「どちらから来れれたのか?」と聞くと
「大峰より参りました。私の名前を言えば、冶長様にはお分かりになると思います」と言う。

「そうか、あいにく今、冶長様はお出かけになっておる。帰ってくるまで向こうで待たれよ」
と、山伏は蕃所の脇の部屋に通された。そこには豊臣家が集め始めていた、若い牢人たちも
十人ばかり入れられており、彼らはそこで暇つぶしに、刀の目利きをしていた。

そのうちの一人が、入ってきた山伏も刀を帯びているのを見つけ、
「そなたの刀も拝見させてくれないか?」と、言ってきた。

「いやいや、私のような者の刀など、犬を脅すことくらいにしか使わぬものでござる。
お目にかけるような代物ではございません。」

しかし、どうせ暇つぶしである。ヘボ刀なら笑ってやろうと、若侍たちは無理にせがみ、その刀を
見せてもらった。
鞘から抜くと、驚いた。形といい光といい、見事な名刀であったのだ。

「これは…」唖然とした顔で山伏の方を向く若侍たち。そこに、扉を開けて大野冶長が入って来ると、
山伏に向かって、言った

「真田殿!」

「は、真田左衛門佐、幸村でござる。」

これが真田か!若侍たちは驚愕し、恐縮すること仕切り、だったと云う。


大阪の陣の千両役者らしい、かっこいいお話。
186人間七七四年:2008/11/07(金) 01:45:34 ID:1zckEEKV
足利幕府なんか怒れよ
187人間七七四年:2008/11/07(金) 01:58:29 ID:cWcPj1cx
それなんて武内宿禰?
188人間七七四年:2008/11/07(金) 07:48:49 ID:xuKhWmfh
>>185
「刀の目利きは上がったか」でしたっけ。
判官贔屓でも、個人的には真田さん達好きだなあ。
しかし> 慶長十九年(1416)てw
189人間七七四年:2008/11/07(金) 11:13:48 ID:M/8FGidV
>>185
俺は年数には突っ込まないからな
190人間七七四年:2008/11/07(金) 11:56:45 ID:uCTE2YYL
>>189
1616年でも実はおかしいんだよな。
1615年でないと。
191人間七七四年:2008/11/07(金) 14:56:15 ID:d5S4IwpC
プリクラを撮って「達者でな」と帰っていく信長
192人間七七四年:2008/11/07(金) 15:05:26 ID:xuKhWmfh
>>191
誤爆?
193人間七七四年:2008/11/07(金) 15:23:13 ID:MdlAUSIF
>>188-189

orz スンマセンデススンマセンデス>>188
1615年に脳内変換してくださいデス
194人間七七四年:2008/11/07(金) 15:30:12 ID:EWP//eGo
>>183
晩年利家は戦国一思慮深いな
老獪な政治家って感じがする、茶坊主斬った時とはまるで違うw
195人間七七四年:2008/11/07(金) 15:41:55 ID:uCTE2YYL
>>193
いやいや、よくあること。

したり顔で1615年とか言ってるけど、
そういえば冬の陣は1614年だから幸村の大坂入城は当然1614年なので、実は俺も間違ってた訳でw
196人間七七四年:2008/11/07(金) 15:42:37 ID:sOHABE07
成長したとは思うが戦国一は言い過ぎにも程があるだろ
197人間七七四年:2008/11/07(金) 16:43:56 ID:KvAsPINK
年をとって成長したんじゃない
198人間七七四年:2008/11/07(金) 16:46:24 ID:9li5c3G0
でも結局利長は…。
199人間七七四年:2008/11/07(金) 23:00:55 ID:MdlAUSIF
織田信長の武将として有名な稲葉一鉄の所で、下人の一人が罪を得、斬首にする、とした時の事。

その下人が「命が惜しい!ここで殺されるのは嫌だ!」と、泣き叫び暴れまわり、なかなか
斬首が出来ないとの事

これを聞いた一鉄が、どんな未練な男かと見に来ると、彼は下人に似合わぬ面魂をしていた。
それを奇怪に思った一鉄は

「何故そんなに卑怯未練に泣き喚く。そんなに命が惜しいのか?」と聞くと、下人は

「私は元々、あなたに謀略を持って殺された者の家臣だ。
主君の恨みを報じるため、あなたに一太刀でも加えようと、この様に身を落としてまで
生きながらえてきたが、つまらぬことで首を落とされることとなり、目的が果たせなくなった。

それが悔しくて、泣いたのだ。」

その言葉を聴いた一鉄は、家臣に彼の縄を解かせた。

「お前の忠魂に免じ、解き放つ。 わしを討てるものなら、討ってみよ。」
笑って言った。

「有難し」そう吐き捨てて、下人は立ち去った。



数年し、一鉄は病にかかり、やがて死んだ。
その少し後、あの下人が、一鉄の墓に詣でた

「私は、あなたに一太刀参らせんと狙い続けていましたが、ついに果たせず、
あなたは身罷ってしまいました。

これでは斬首の折に泣いた事、あれは命惜しさとのためだと思われてしまいます。

よって今、あなたの前で、相果てる」

そう言って、腹を掻っ切って、死んだ。
200人間七七四年:2008/11/07(金) 23:06:12 ID:qxFkmVRg
( ;∀;)イイハナシダナー
201人間七七四年:2008/11/07(金) 23:08:54 ID:FHJFcA8Q
>>199
潔すぎだろwww
武人ってすげえなぁ
202人間七七四年:2008/11/07(金) 23:09:32 ID:xuKhWmfh
>>199
双方男らしい話だなー( ; ◆ ; )
203人間七七四年:2008/11/07(金) 23:24:41 ID:SnUxpdSX
武人凄いな
農民の良い話は無いのか
204人間七七四年:2008/11/07(金) 23:37:58 ID:QDVpm69W
農民じゃないが、盲人と町民のおはなし。

最上改易後、庄内には酒井氏が入部。
一説では四公六民をエンジョイしていた民だったが、酒井氏は増税し
えらい負担がかかることになった。
酒井氏は最上最上uzeeeeeと関係書類の焼却を指示し、
「最上がよかったと言うの禁止な?」と強い態度をとった。

そんな中、殿様が領内視察中にひとりの盲人が歩み出て歌い始めた。
「最上源五郎(義光)は役をばかけぬ 今の殿様 雑魚・かじかこまで 役かける」
これにはさすがの相手も参り、「今は入部したばかりでものいりだから」と釈明したという。
酒田の豪商・三十六人衆は武士でもないのに最上改易後は
「おらたちは二君にまみえねっス」と仕官の誘いをすべて断ったと伝わる。

山形では…鳥居忠政の早死には祟りだザマアと町民が罵ったり、怨まれまくった。
一方で最上三十六観音の由来は最上家の美少女・光姫だと伝説を作ったり、
最上はえがっただなムードは地道に残った。
そのせいか代々の殿様は最上uzeeeeとけなしまくったから、
旧最上家臣はとても言いづらくなったともいう。

以上、領民の殿を慕うちょっといい話でした。
有名な話だが、義光は撫で斬り実績ゼロ、一揆派生ゼロの珍しい太守。

まあ、寒河江や谷地では義光、嫌われ者なんだけどね_| ̄|○
205人間七七四年:2008/11/07(金) 23:42:14 ID:d5S4IwpC
>>203
有名だけど農民のある意味いい話

関が原で破れた三成は、農民の格好をして伊吹山を彷徨していた。
三成は空腹の余り、山の田の稲穂をとり、石ですり合わせて籾殻をとり、
玄米のまま食べたので腹をこわした。体調を崩し、先に進めなくなった三成は
懇意にしていた自分の領国古橋村の三珠院に厄介になろうとしたが住職は後難を恐れ、
三成を門内に入れなかった。

そこで三成をかくまったのは百姓・与次郎太夫である。
与次郎太夫があえて危険を冒してそれをしたのは、
飢饉の際に三成より百石の米が村に施されたことに感謝していたからだといわれている。
村では緊急の寄り合いを開き、極秘に与次郎太夫の援助をすることに決め、
三成を匿うことにした

家康は三成追跡を近江出身で三成と親しい田中吉政に命じた。
直ちに吉政は在住の住民に対して、次のようなお触れを出した。
「三成を捕らえたものには永久に年貢を免除する。捕らえることかなわず、
討ち果たした場合には当座の褒美として金子百枚を与える。
もし、匿う者があれば本人はもとより、一族およびその村の者も厳重に処罰する。」

このお触れのことを知った三成は村の者に迷惑をかけることは自分の取るところではないと考え、
与次郎太夫にこれまでの行為を謝し訴人するようにと告げた。与次郎太夫は、それを拒み、
追っ手がかかる前に逃げることを薦めたが、三成の説得をうけ泣く泣く訴人をした。

また、三成捕縛は三成と与次郎太夫の合意訴人ではなく、他村から古橋村に来ていた
与次郎太夫の養子であったとも伝わっている。そして古橋村にはこのような言い伝えが残っていると云う。

・他村から養子縁組をしない
(三成を密告したのが他村からきた養子だったため。太平洋戦争終戦まで村で守られてきた。)
・味噌汁が沈殿する
(三成の最後の食事が味噌汁だったため)
・夏季には韮のオジヤを食べる。
(腸をわずらった三成公供養のため)

小説でもよく出てくる話
206人間七七四年:2008/11/07(金) 23:51:13 ID:Gj6fhBdu
>まあ、寒河江や谷地では義光、嫌われ者なんだけどね_| ̄|○
何でですか?
207人間七七四年:2008/11/07(金) 23:53:31 ID:QDVpm69W
>>206
寒河江と谷地は義光が領主を倒して領土に組み込んだから。
んなもんどこの大名もやっているんだが、義光の場合改易時期が早すぎて、
世論をいい方向に持って行けなかったのです。
谷地なんて義光の紅花奨励でがっつりうるおっておいて、そりゃないぜ…。
208人間七七四年:2008/11/08(土) 00:10:26 ID:DpC5k0pt
>>207
そうだったんですか…タイミング?が悪かったんですね。
詳しくどうもです。
209人間七七四年:2008/11/08(土) 00:54:34 ID:w+XFgYBi
今現在全体で3位、凄いな
http://a.hatena.ne.jp/booth/simple
210人間七七四年:2008/11/08(土) 02:19:10 ID:sA4+v3z1
>>205
古橋以外での三成と百姓

谷口村に残る伝承。
関ヶ原を落ち延びた三成が谷口村の庄屋宅を訪ねた。
突如現れた三成のその満身創痍の姿に驚いた庄屋は
急いで自宅の寝間の床板を破り、三成を縁の下に匿った
そこで1、2日を匿ってもらった三成は庄屋に感謝し
その別れの際に「鳩八の紋」と「石田の姓」と「短刀」を残して立ち去ったという。
その短刀はその後、自宅の天井に吊るしていたが第二次世界大戦中
軍需用に供給するのは畏れ多いと村の神社に奉納していたところ
なくなってしまったという。鳩八の紋と石田の姓は現在も使用されている
三成を匿った跡地には石田神社が祀られている。
現在の石田会館(三成出生地)近くにある石田八幡神社の神使は鳩であり
鳩八の家紋と関係があるかとも考えられる。

同僚には嫌われても領民には慕われていたようです
211人間七七四年:2008/11/08(土) 02:36:30 ID:U+d/o0yc
同僚
212人間七七四年:2008/11/08(土) 04:45:51 ID:KEmuJeEk
>>193
>>186-187は無視ですかそうですか
213人間七七四年:2008/11/08(土) 10:30:36 ID:CP+1fUXQ
>>212
誤爆と勘違いしたんだろ

1416年っておもいっきり室町時代じゃね?
信繁さん長生きSUGEEEEE!

っていうツッコミなんだけどな
ネタの解説してる俺もカコワルイ……
214人間七七四年:2008/11/08(土) 13:17:10 ID:K7Fugliw
>>205
・朝霧がなかなか晴れない
・密告した奴が金を受け取った橋が金遣橋(かねやりばし)→なまって金谷橋
とかもなかったっけ?
全部で7つ合わせて七不思議扱いされてた筈。
でもどの土地だろうが、味噌汁は放っておいたら沈澱しないか?
215人間七七四年:2008/11/08(土) 14:57:48 ID:Ps0FN2Gf
>>205
石田屋敷跡で買った本によると

古橋(三成が最後にとらえられた場所。ちなみに三成の母親の出生地)の言い伝え
1、養子をとらない(>>205
2、なわしろの種まきは午前中に行わない
 「午前中に種まきをしてた男が三成の件を漏らしたので、三成の怒りで風が吹き、
  巻いた種がみな土手に吹き上がってしまった」ので種まきは午後に行うようになった
3、古橋は朝霧がなかなかはれない(これも三成の怒りのせい)
4、腹痛には韮粥を食べる(三成が韮粥で腹痛を直したので)
5、金谷橋は「金やる橋」から
  田中吉政が「三成をとらえたやつには金をやる」立て札をこの橋に立てたので、
  村人がその橋を「金やる橋」と呼んだ
6、みそ汁のおりが沈む事
  三成がとらえられた日のごちそうがみそ汁だったので、三成の沈んだ悲しい心によって
  今でもみそ汁のおりが底に沈む
7、自然に生える茶の木が多い
  三成がお茶好きだったので古橋ではあちこちに茶の木が自然に生える

で七つ。
古橋では今でも三成にちなんで「三献茶」の飲める茶会が開かれてるそうだ
216人間七七四年:2008/11/08(土) 16:01:22 ID:X69blp+W
>>215
三成、微妙な嫌がらせしすぎだろw
217人間七七四年:2008/11/08(土) 16:15:43 ID:oQSEuymK
軽い反抗だよな
218人間七七四年:2008/11/08(土) 16:18:59 ID:w+XFgYBi
信じられぬ大人(家康)との争いの中で
一体何許しあい分かり合えたんだろう

抗い続け、あがき続けた、一つだけ解ってた事
この(徳川)支配からの、卒業
219人間七七四年:2008/11/08(土) 16:20:56 ID:oQSEuymK
>>218
尾崎豊後守乙
220人間七七四年:2008/11/08(土) 18:28:01 ID:K7Fugliw
>>216
佐和山ふもとの清涼寺(三成の家臣だった嶋左近の屋敷跡)じゃ
木に触ったら腹痛になる←三成の呪い
とか言われてるんだぜ。
戦に負けて残首だから怨念が強いと思われたんだろうが、呪い地味すぎて三成が憐れになってきたw

そういえば昔、三成が捕まったのは腹壊してンコ拭くのに紙使ったから
(当時紙は貴重品でケツ拭くのに使えたのは位の高い人だけ。農民は木の皮とか)
って話も聞いた事あったな。今思えば徳川時代に作られた創作なんだろうけど
当時から三成=腹下し野郎だったのかw
221人間七七四年:2008/11/08(土) 19:34:04 ID:qmBrDb9B
みちみちみっちゃんウンコして〜♪
っていう歌が小学生の頃に流行ってたけど、何か関係あるかな?
222人間七七四年:2008/11/08(土) 19:37:17 ID:SfpV/6uB
それは光秀だから関係ない
223人間七七四年:2008/11/08(土) 19:40:48 ID:QUaWg+T4
その話(三成が捕まったときに腹を下していた)には前フリがあるんだよ。
関ヶ原前夜〜当日未明まで結構雨が降っていて火が使えない状況だった。
火が起こせないので飯は炊けない、しかし腹が減っては戦は出来ないので白米をボリボリと食べる石田方。

一方、その時家康は全軍に下知していた。
「火が起こせないからって白米を生で食うなよ、腹を壊して下痢になるから。
 水に浸してふやけさせてから食べれば大丈夫だから、そうするように」
224人間七七四年:2008/11/08(土) 20:04:04 ID:Ou+8X72K
>223
さすが糞漏らしの代名詞は違うな。経験者ゆえの知恵か
225人間七七四年:2008/11/08(土) 20:04:05 ID:9OZohPcE
そんなお腹がデリケートな三成が関ヶ原頑張ってたと思うと母性本能っぽい何かが頭をもたげてくる
226人間七七四年:2008/11/08(土) 20:04:41 ID:VRulrMfw
さすが健康オタク
227人間七七四年:2008/11/08(土) 20:15:17 ID:51vq/SrR
そんなの待てねーよって食った奴も居るだろな
228人間七七四年:2008/11/08(土) 20:17:53 ID:CM5NTKhz
>>223
そんで川に米をひたしておいたら、血の色に真っ赤に染まってたというオチ
229人間七七四年:2008/11/08(土) 20:56:55 ID:ddxJjxiZ
ためしに台所に行って米をボリボリ食ってみたがこれは無理だろ。
230人間七七四年:2008/11/08(土) 21:06:34 ID:sA4+v3z1
俺も数十年前関ヶ原見学いった時に
三成がちょうど下痢で苦しんでた場所で
級にお腹急降下で間に合わずにその場の草むらでやったことがあるよ
あれも呪いだろうか
>>229
でも兵糧攻めのあとに降伏したはらすかし兵士が思わず食って
縮小してる胃腸が対応できず破裂して死ぬこととかもあったらしい
231人間七七四年:2008/11/08(土) 21:46:04 ID:AsWsCzen
>>230
間違いない、三成の呪いだ
232人間七七四年:2008/11/08(土) 22:06:01 ID:CLB8JfSy
そんな時こそ>>215の4を実行すべし
233人間七七四年:2008/11/08(土) 23:00:54 ID:BZsoJErC
しばらく見ないうちにスレの雰囲気が随分変わったな

悪い意味で
234人間七七四年:2008/11/08(土) 23:22:17 ID:Nic/X6B/
ネタ切れか
235人間七七四年:2008/11/08(土) 23:24:24 ID:MjT7CnT+
>>233
おとなしくまとめブログだけ見ていればいいのに。
236人間七七四年:2008/11/08(土) 23:58:32 ID:wk0N4DJ6
まとめブログにも余計なレスが入ってるから困る
いいけどね
237人間七七四年:2008/11/09(日) 11:35:28 ID:LlyetfG0
謙信の手紙。

一向一揆の篭る朝日山城攻めの折、
謙信は篭城側から撃ち掛けられる鉄砲に攻めあぐねていた。
ところで謙信の家臣に吉江与次という者が居り、
彼はまだ元服したての血気盛んな若者で恐れを知らず
謙信が再三止めるにも拘らず先陣に立って攻め込もうとするので、
困り果てた謙信は与次を家臣に命じて捕えて押し込め、国へ送り返してしまった。
そして謙信は与次の両親へと手紙を書き、
「与次は臆病だからではなく、あまりに勇猛であったため
若者を無下に死なせてしまっては老父母に対して面目が立たないと思い
このような処置となりました。与次を責めないでやって下さい」
と両親に対して理解を求めた。

その後、与次は中条家に婿入りして中条景泰となり、
謙信・景勝の二代に側近として仕え、
越中魚津城で祖父・父と共に本能寺の変の次の日に自刃して果てた。
景勝は彼の死を聞いて落涙したと言われる。
238人間七七四年:2008/11/09(日) 16:04:13 ID:fpLUCQGR
昔、越後においてのこと。山伏がある家に宿を借りた。
ちょうどその時、その家の亭主は、国入りする領主のお出迎えに出るところだったが、
山伏のさしていた刀が大変見事だったため、亭主はこれを借り受け、腰に挿して出かけていった。

するとその留守中に、越後一国に徳政の札が立った。

亭主は「徳政が出た以上、借りた者は返さなくて良い!」と、山伏に刀の返却を拒否。
これに山伏も怒りお上へ訴え出る。双方引かず、この訴訟はついに、江戸において
徳川家康の直裁を仰ぐ、という話になった。

ちょうどこの時、京都所司代、板倉伊賀守勝重が江戸に滞在していた。
家康からの「この訴訟いかがすべきか」という諮問に勝重は、「私にお任せください」という。
そして亭主と山伏を呼び出し、こう、判決を述べた。


「徳政の札により、刀が亭主の物になったことは間違いない。

ただし
同じく宿として借りた亭主の家は、山伏の物になったとする也。」


亭主は大いに慌て、謝罪し刀を返しさらに多額の金まで支払って、どうにか家を取り戻したとか。
239人間七七四年:2008/11/09(日) 17:46:53 ID:4ZvfhH/M
>>238
これはうまい裁定だな。
一休さんみたいだ。
240人間七七四年:2008/11/09(日) 21:38:26 ID:vCsz/nNZ
最上義光と天童

義光32歳のころ、彼は対立していた天童家を攻めるも決着せず。
天童家の娘を義光の側室として和睦が成立した。
が、それから僅か五年後、彼女は初産の直後亡くなってしまう。
これにより同盟は破棄され、最上天童間に緊張が高まった。

それからさらに二年後、義光39歳の頃。ついに天童頼久と対決することとなる。
義光は天童の重臣・延沢満延を寝返らせたがその際、延沢は
「頼久様は討たれませぬように」と条件に加えていた。
はたして天童城は落ち、天童頼久らは伊達領の親族を頼って落ち延びていった。

大人数での移動であり、追撃は楽なものだ。しかし義光は
「天童頼久は追わないように」と命令した。
延沢との約束のためか、それとも亡妻を思ってのことか、と現在の研究では言われている。
天童頼久は伊達家臣となって存続した。



と、ここで終わればいい話なんだけど。
山形市民から悪評高い『独眼竜政宗』では…
義光が天童の娘が美人だからと、無理矢理奪って義姫に「美人だろ」と自慢。
出産直後で天童夫人が苦しんでいる最中に、天童攻めを敢行し、
天童頼久を討ち取っている。そのため夫人はノイローゼになって死亡。
という改変を加えられていたのでした…NHK、なんてことしやがる。
241人間七七四年:2008/11/09(日) 21:48:31 ID:rzMZLlao
大丈夫だ
このスレの住人は鮭様の悪行はDQN政宗とその子孫が作ったってことはわかっているから
242人間七七四年:2008/11/09(日) 21:48:50 ID:ejrAKCqW
>>240
忠興「流石の俺も引くわ・・・」
243人間七七四年:2008/11/10(月) 00:43:52 ID:bZjlSHWJ
面倒臭いと評判の、本多作左衛門の有名な話でも。


天正13年のこと、家康は疔(ちょう)という腫れ物ができた。
近習に膿を押し出させたが、悪化するばかり。
激痛のあまり意識が朦朧とし、家康自身もすっかり弱気となり、これまでだと思った。

そこで作左衛門は
「私も以前同じ病にかかりましたが、ある医者によってすっかり治りました。
どうかこの医者にかかって下さい」
とすすめたが、
「これはもう仕方がないのだ」
と言って家康はそれをかたくなに拒んだ。

そんな家康を見て作左は怒り、
「良医の治療を拒否してまで死を願うとは、なんと勿体ない命であろう!
わかりました。
それでは、年老い、あとに残っても役に立ちそうにない私は一足先に冥土へ旅立つことにいたしましょう」
と言って御前から退出した。

この言葉に家康は驚き、
「作左を止めよ」
と近習の者に命じて走らせ、力づくで彼の帰宅を阻止させた。

「なぜ最後の暇を願い出た者を止めるのだ!」
と近習を罵りながらも再び病床の御前の前に座した作左に、家康は
「俺はお前らが生きていることを頼みとして、こうして死ねるのだ。
お前らは1日でも多く生きて若き者達を指導し、我が家の絶えないよう計らってくれ」
と懇願した。

これに作左は
「私は若い頃より多くの軍に従い、眼を射られ、指を落とされ、足を切られ、負わぬ傷はなく、世に交われぬほど体が不自由になりました。
その私が今こうして仕えていられるのは、殿のお陰です。
殿が亡くなられれば、北条がこの国を狙い、徳川家はたちまち滅びましょう。
このような身で命を永らえ路頭をさまよっても、あれがかつて徳川家の古老として活躍し、己が命惜しさに今も生き恥を晒している本多作左衛門よ、と後ろ指をさされてしまいます。
そのようにはなりたくありません。
殿に遅れて死ぬのも悲しく、我が身の果ても惨め。
そのため、一足先に死ぬことにしました」
と答えた。

これを聞いた家康は
「わかった、治療はお前に任せよう」
と観念。医者を呼ばせて治療にあたらせた。

その結果、病はたちどころに良くなり、そのことを聞いた作左は嬉しさのあまり大声で泣いたという。



ところどころ間違ってるかもしれんorz
244人間七七四年:2008/11/10(月) 00:54:34 ID:oyCBctU6
>>243
鬼作左はマジで忠臣過ぎるな。
もしも鬼作左の逸話が全部本当ならば、
鬼作左の息子の成重を厚遇してやれば良かったのに…
成重に与えた越前国丸岡てのは良い土地だったのかなあ?…
そして4代目藩主重益の時に改易になってるのが…
245人間七七四年:2008/11/10(月) 00:56:16 ID:JIlrQcCV
徳川は作左・彦右衛門と2世代にわたって
講談映えするガンコ親父がいるのがいいな
246人間七七四年:2008/11/10(月) 01:05:46 ID:7bBjzzTH
>>185
そこは信繁と名乗ってほしかった
247人間七七四年:2008/11/10(月) 01:27:05 ID:Mr/UK3Pz
>>244
作左衛門の息子の本多成重は、大阪の陣のとき、家康が真田丸に自分から仕掛けておいて、
撤退するのは見苦しいと批判された時

「俺は幕府の命令があったから進退しただけだ!それも18メートルだけ。撤退後はそこに
陣地作ってとどまり戦っている。今だって息子残して戦わせてる!嘘だと思うなら今すぐ検使送って
確かめろ!
批判するなら事実を認識してから言え!」

って、家康を怒鳴りつけてるんだよねw
まあ案の定、家康はそれを褒めちぎるわけですが。
248人間七七四年:2008/11/10(月) 01:31:37 ID:K2CytDCi
>>245
だって講談だもの
249人間七七四年:2008/11/10(月) 01:33:54 ID:4hUXkeMh
>>248
たまごが先か
鶏が先かみたいな事か?
250人間七七四年:2008/11/10(月) 01:38:21 ID:wXB3t4VL
作左さんとかは頑固な上に忠臣すぎて余計面倒臭い感じなんだろうなw
251人間七七四年:2008/11/10(月) 01:38:46 ID:Mr/UK3Pz
しかし講談にしてもああいう、へそ曲がりのガミガミ親父系の忠臣って、他の大名の逸話には
ほとんど出てこない。
作左衛門は実際にも、相当特異なキャラクターだったのは間違い無いと思うよ。
252人間七七四年:2008/11/10(月) 02:27:13 ID:2LzkHin6
武田の馬場とか
253人間七七四年:2008/11/10(月) 11:33:11 ID:IaJCZ8oT
馬場って信長に一国の大守に値するとかいわれてるけど勝手に独断で動き回るような奴は部下にはいらんだろ
254人間七七四年:2008/11/10(月) 11:34:54 ID:V49QtBE0
主君に平気で悪態付ける家臣を召抱えているのは名君の証だから
今の時代も一緒だけどね
255人間七七四年:2008/11/10(月) 14:46:15 ID:YNjwVva6
自分の方針を理解した上でそれに沿っての独断はOKな上司と
独断は何でも不許可な上司と居る。
256人間七七四年:2008/11/10(月) 19:26:13 ID:Mr/UK3Pz
西武の渡辺監督が信玄ファンだそうなので、日本一記念信玄のお話

元亀二年(1571)、駿河で武田と北条が戦った折の事。
北条の猛将、北条綱成が、戦場に軍機を捨てたまま撤退した。
朽葉色の絹に八幡の二文字を染め抜いた、有名な「地黄八幡」の旗である。
この旗を拾った武田の武士達は「なんと言う様だ」と、それをあざ笑った。

が、それを聞いた信玄は
「あの戦を見ていたところ、綱成は慌てふためいてはいなかった。撤退も次の戦を考えての
事であったのだろう。それに、旗を捨てたのは旗を持っていた物の罪であり、北条綱成の事を
笑うべきではない。」

と、言った。
この言葉は広まり、やがて綱成の耳にも入った。彼は

「信玄の言葉で救われた。恥辱を受けずにすんだ。」
そう、敵将ながら、その心遣いに深く感謝した。

ちなみにその地黄八幡の旗は、「綱就の武勇にあやかるように」と、彼の配下、真田幸隆の
末子に与えられた。

後の、真田昌幸である。
257人間七七四年:2008/11/11(火) 01:25:04 ID:lJWcy4my
元亀三年(1572)、武田信玄の軍が、ついに大挙して遠江に侵攻した。
その大波は遠江北部の徳川方の城を次々と攻略。平野重定の籠もる加茂砦にも、
川井助久朗直澄率いる数百の部隊が襲い掛かった。

川井の軍は、砦の奥まで攻め込んだ。だが、平野はじめ加茂砦の守備隊は良く持ちこたえ、
反撃に転じ、逆に河合の部隊を追い立てた。

ところがこの時、大将の川井直澄が、たった一人部隊の退却に遅れ取り残された。
余りに突出しすぎていたらしい。
追い立てられた川井は、砦の中にいた娘を見つけるとこれを捕まえ、卑怯にも己の盾とした。

「近づくとこの娘が死ぬぞ!」

取り囲む兵達は動けない。そして、駆けつけた平野は、その娘を見て驚いた。
彼の妹、おこんであった。

兄を見て、おこんは叫んだ

「兄上!私に構わず、突き刺すのです!」

平野は自ら、その手に持つ槍を、突き出した。
加茂砦は、武田の襲来を持ちこたえた。


おこんは平野家の家寺、静岡県磐田市にある大円寺において、今も、篤く供養されている。
258人間七七四年:2008/11/11(火) 09:55:35 ID:mlfxjT4k
それはむしろ信玄の悪い話じゃね?
259人間七七四年:2008/11/11(火) 12:40:14 ID:N04He6yr
なぜに?
260人間七七四年:2008/11/11(火) 16:59:41 ID:lJWcy4my
南部さんと鷹商

陸奥において、南部信直は、津軽為信や九戸政実との戦いに明け暮れていた。
ある時、かねがね懇意にしていた鷹商の清蔵という者がやってきて、こんなことを言った。

「かねがね疑問に思っていたのですが、大阪に豊臣秀吉公の中央政権が出来て、今
相模の小田原に大軍を出して、北条を征伐されております。
何故それを後ろ盾になさろうとしないのですか?」

「ええっ!?そんなことになってたの!?」

信直は知らなかったのだ。
じゃあ早速使者を出そう!と思ったが、やっぱり躊躇してしまった。

「ホラ、うちには向こうに繋がりがつけられるような人脈ないし、それに田舎ものだから
中央の礼儀とかわかるような家臣いないし、なまりとかも馬鹿にされそうだし…」

東北の人は、昔も今も奥ゆかしいのだ。
無性にイライラしてきた清蔵さん、信直に向かってこういった

「あ〜、もう!それじゃあ、私が行きますよ!」
「そうしてくれる!?」

信直大喜びで、清蔵に従者をつけ土産物を持たせ、小田原に向かわせた。
このおかげで、南部氏は所領が安堵され、津軽などとの争いも収まり
領国安泰となったとか。
261人間七七四年:2008/11/11(火) 17:42:23 ID:u85QhhC0
>>260
「そうしてくれる!?」じゃねーよw
なぜかのぶやぼの隈部のあの顔で想像しちゃって
笑いが止まらねーじゃねえかw
262人間七七四年:2008/11/11(火) 18:14:24 ID:Wta9mAZK
清蔵さんはなんだかんだ言ってもちゃんと他人の事を考えてくれる良い人っぽいな
263人間七七四年:2008/11/11(火) 18:30:34 ID:FP1WmTa0
つうか本領安堵なんかの大事を鷹匠に任せるとは…
まぁ鷹匠GJ
264人間七七四年:2008/11/11(火) 19:12:04 ID:yGEcLRLW
ある時、福島正則は近習の武士の小さな罪を咎め、広島城の矢倉に押し込んで食物を与えずに餓死させようとした。
ところが以前その武士に恩を受けていた茶坊主はこれに心を痛め、密かに焼き飯を差し入れたが

武士「私は罪があってこうなったのだ。このような振る舞いが殿に知れれば
    私よりも罪が重くなろう。それに飯を食ったとて命が助かる訳でもあるまい。早く帰れ」

茶坊主は「たとえ同じ罪に問われても後悔はしません。私も以前死罪になりそうなときに
      あなた様に助けていただきました。恩を受けてそれを返さないのでは人とは言えません
      そのような弱気なことを言われて私の志を無にする事こそ口惜しゅうございます」

武士はそれならばといって喜んでこれを食べた。
しばらくたってそろそろ死んでいるだろうと正則が矢倉に行くと、武士は少しも衰えていない

正則「だれか飯を差し入れてる者がいるんだろう!誰だ!(`・ω・´)」

茶坊主「私が差し入れをしておりました」

正則「なぜこんな事をした! 頭まっぷたつにしてやんぞ!(`・ω・´)」

茶坊主「むかし罪を得て水責めにあい、殺されようとした時に
     あの方が申し開きして下さったおかげで今日まで思いがけず生きてくることができました
     その恩を返すため毎夜こっそりと飯を差し入れていたのです」

正則「(`・ω・´)・・・・・・・・・・・・・・(´;ω;`)ブワッ」

正則「感動した!恩義を大切にする心意気に感動した!
    許す!二人とも許すよ!(´;ω;`)」
 
そのまま矢倉の戸を開いて武士を解放し、二人の罪を許したという
265人間七七四年:2008/11/11(火) 19:47:43 ID:lJWcy4my
しかし、武士を餓死させようとするってのもまた、とんでもない罰だな。
266人間七七四年:2008/11/11(火) 19:55:54 ID:ajY1xSrk
>>260-263
鷹匠の清蔵さんにお役目ふっちゃったのは
「げ、気が付けばうちとこの家臣に関西弁しゃべれる奴が一人もいねー
・・・助けて清蔵さーん」
と、いう異説もありますなw
267人間七七四年:2008/11/11(火) 21:27:10 ID:F0RZ76eb
>>257
義光「それはオレには無理だわ…」
268人間七七四年:2008/11/11(火) 21:55:03 ID:F0RZ76eb
奥羽小田原参陣前夜といえば…

津軽為信「やべーよ、うち南部とモメてるしツブされる。そうだ。最上さんちにきいてみよ」
為信はむかし、義光に情報提供を頼んでいた。
義光は快諾したうえにお土産までくれたという。
(※ただし年代的に義守時代だし、本当は小野寺あたりではないかという説あり)

最上義光「なになに、困ってるの? いーよ、なんでも聞いて。
中央と交渉するなら石田三成さんとかオススメ! うちは上杉に先越されたけどね」
為信「お、トンクス! マジ助かるわw」

こうして情報と石田三成の心をバッチリを掴んだ為信は本領安堵。
小田原参陣でとりつぶされた奥州(日本海側)大名が多いのに対して、
日本海側羽州は無事だったのは、海運による情報網の差があったからではないかと
言われている。


余談だが、小田原前夜、義光から秋田家への手紙。
「うちは伊達の監視があるから遅れることを関白から許可もらってます。
政宗のキチガイ沙汰は知ってますよね(※たぶん小次郎殺害事件)。
いやーもう、DQNが親戚だと迷惑ですよ」
269人間七七四年:2008/11/12(水) 01:24:06 ID:Luy+A0Dm
有馬氏との戦を終えた龍造寺隆信は、家臣・石井忠常の居城に昼メシをたかりに行った。
忠常は、とりあえず大量に買えたイワシを焼いて出すことにしたが、隆信の供回りは200人程
来ていて、焼いても焼いてもラチが開かない。見ていた忠常の娘・彦鶴が立ち上がった。
「要領が悪いわね〜!あたしに貸しなさい!」

彦鶴、炭火を庭にぶちまけて、その上にイワシを並べて焼き始めた。
焼き上ったイワシはザルに揚げて、炭を振るい落として炊き上がった飯と一緒に出す。
こうして隆信一行は満足の行く昼食にありついた。 だが、

「頭が良くて台所仕事が得意な美女…ゴクリ」 龍造寺の家老、鍋島直茂が彼女に目をつけた。

結局、直茂は手っ取り早く石井家に夜這いした。彦鶴も彦鶴で、受け入れた。
毎日のように夜這いに行ったから、ある夜見つかった。

石井忠常「曲者だーっ!出会えぃ!!」
直茂「ちょ、違います、お義父さん誤解なんです」
忠常「なにが誤解じゃ!!槍を持てい!!!」
直茂「アッ━━━━━━!!!!!」

逃げ切れず、足の裏を刺された。それでもあきらめず、ついに結婚にこぎ付けた。(葉隠)

「戦国時代に珍しい恋愛結婚」なんて作家に書かれたりする、馴れ初めの話。
まとめブログの粥の話とか、直茂の逸話には「カーチャン聞いてよ〜」(嬶あ、聞きやれや)で
始まり、彦鶴にグチこぼす話がけっこうあったり。
270人間七七四年:2008/11/12(水) 01:31:13 ID:Iz0ZnmJ+
>>268
当時北日本の太平洋岸は、地形の複雑さもあって、ろくな港が整備されてないからなあ。

>>269
確かその時出戻りだったんだよな、彦鶴w
271人間七七四年:2008/11/12(水) 01:48:07 ID:zlzPL/VY
まぁ誤解ではないよなたしかにww
272人間七七四年:2008/11/12(水) 02:02:36 ID:DqdZ+wyd
足の裏刺されたのかw
地味にいてぇw
273人間七七四年:2008/11/12(水) 02:55:07 ID:Iz0ZnmJ+
最上義光と家康のお話

天正18年(1590)、秀吉の小田原攻め。伊達への監視などから参陣の遅れた、最上義光をはじめとする
最上勢が小田原への道を急いでいると、徳川勢が、酒匂川まで出迎えに来ていた。
彼らの歓迎を受けた義光は驚いた、なんとそこに、駿河大納言、徳川家康自身がいたからだ。

「よく参られた。ここからは我らがご案内いたす。」

家康はかねてからこの、最上義光という武将に、好感を持っていた。義光は家康の心遣いに
恐縮し、感謝した。


さてこの時、義光は上杉景勝との間に紛争を起こしていた。庄内の領有をめぐる問題である。
かの、「豊臣惣無事令」以前に最上領となっていた庄内だが、上杉の援助を受けた本庄繁長の
不意打ちにより、最上から奪われた状態になっていた。

「これは惣無事令違反である!」秀吉の前でそう主張した義光であったが、早くから秀吉に従い、
また石田三成など、秀吉側近の多くを味方とする上杉の影響力は強く、新参者に過ぎない
義光の言い分を、誰も取り上げようとはしなかった。

そんな中、たった一人、義光の弁護をした者がいた。徳川家康である。

「義光殿の言い分こそ正しいではないか!このような仕置きは禍根を残す!」

これにより、本庄繁長の処分だけは行われたものの、それと引き換えのような形で、庄内は結局、
上杉領とされた。
しかし義光は、家康を深く信頼した。


慶長元年(1596)、近畿に大地震が起こった。「地震加藤」の逸話などがあった、あの地震である。
諸侯は真っ先に、秀吉を見舞いに行った。

最上義光ただ一人は、秀吉の元ではなく、家康の屋敷に駆けつけた。

関ヶ原はまだ5年ほど先、と言う頃であった。
274人間七七四年:2008/11/12(水) 04:34:31 ID:0EgWa1uk
>>273の補足というか

ちょうど悪い話スレの方でも出てた、義光の娘・駒姫が秀次の事件に巻き込まれて
処刑されたのがこの話の1年前、1595年。

外交とかもそつなくこなしそうな鮭様が、秀吉じゃなくて家康のところへいったってのは
(家康への敬意や尊敬の念を持ってたっていうのもあるんだろうけど)
よっぽど悲しくて、秀吉のことが許し難かったんだろうな。
275人間七七四年:2008/11/12(水) 12:14:07 ID:hGUPfQmH
フェロモンで敵を撃退した話

羽柴秀吉と別所長治との戦いの時、長治の被官の淡河城主・
淡河定範は、足軽人夫らを集めて、城の周りに車菱を敷き防
備を固めた。また、近在より牝馬を集め、防戦の準備を整えた
ところで、「淡河の城では、連日のように城外に出て作業をして
いる」という噂を流した。

これを聞いた寄せ手はチャンス到来とばかりに、羽柴秀長が
500騎を二手に分けて攻め寄せた。ところが、淡河城の車菱に
足を痛めるものが続出した。

定範は混乱する羽柴軍めがけて、かねて集めていた牝馬を秀
長勢のなかに放った。牝馬に反応した牡馬が狂奔したことで
寄せ手は大混乱となった。
当時の戦場を駆ける馬は全部、オス馬ばかり。そこに目を付け
て、この戦場にメス馬5〜60匹を放ったのだ。秀長の武将達
が乗った馬は、メス馬のフェロモンに発情して跳ね回り馬上の
武将は振り落とされ、羽柴軍は大混乱に陥った。

そこを淡河勢本隊が襲いかかり、僅か300人で数千人の敵を見事
に撃退しましたとさ。
276人間七七四年:2008/11/12(水) 12:24:32 ID:hGUPfQmH
北条早雲と馬泥棒

小田原城下で馬泥棒が捕まって、北条早雲の前に引き出された。役人が尋問
すると、馬泥棒は平然とこう答えた。
「いかにも手前は馬を盗みました。馬泥棒に相違御座いませんが、手前の罪など
軽いもの」と言って早雲を指さし、
「あのお方は、国を盗みなされた。あのお方のほうが、罪が大きゅう御座います」
早雲は怒るかと思いきや、
「まことに、その通りじゃ」と笑って馬泥棒を許した。
これを聞いた領民達は、「さすがに一国の主になった武将」と、その豪傑ぶりに感心
したという。
277人間七七四年:2008/11/12(水) 12:30:48 ID:bUrt1WPh
>>276
こういう話良く聞くけど国主の国泥棒とか人殺しあげつらって許してたら治安悪くなりそう
278人間七七四年:2008/11/12(水) 14:01:21 ID:XTTqH8jf
微罪だからわざわざ喧伝してるんであって二番煎じや重罪の奴はあっさり殺されてたりするんだろう。
279人間七七四年:2008/11/12(水) 14:04:44 ID:axfKA8QP
筋が通ってるかどうかよりも、とっさにそういうことを言える機転の良さと豪胆さが重視されたんだわな。
280人間七七四年:2008/11/12(水) 17:14:45 ID:QdUcez6V
>>275
こういう、身近な(でもないかも知らんが)ものを使って
大勝利ってかっこいいよなあ。
戦争のこと考えてて、そこから「牝馬けしかけてフケ起こさせよう!」と
出てくる発想がすごい。良く思いつくよ。
281人間七七四年:2008/11/12(水) 17:17:58 ID:mYXxu1DQ
失敗すると悪い話スレの竹の皮になるんだけどなw
282人間七七四年:2008/11/12(水) 17:29:55 ID:oi8+Ml9R
ホタル鳴く

太閤秀吉が連歌を盛んに練習していたある時、連歌の師匠である里村紹巴と
細川幽斎の前で「ホタルが鳴く」という意味の句を作った。
紹巴はホタルが鳴くはずがないと思い、
「殿下の句は間違っています」と秀吉をたしなめると、途端に秀吉の機嫌が
悪くなった。
すかさず幽斎は、
「ホタルが鳴くという句は「千載集」の古歌に2首ありますから、殿下の句は
結構でございます」といい、その古歌を2首詠み上げた。
すると、秀吉の機嫌はみるみる良くなり、その日の連歌の講義は終わった。

しかし、連歌の最高権威である紹巴は、幽斎の詠んだ歌が千載集に載っていな
いのは当然知っていたので後日、
「なんで、殿下にあんなデタラメを言ったのですか」と幽斎をなじると、
「無学な殿下が連歌を気にいってあんなに熱心に稽古しているのに、最初から
規則やら何やらうるさく言うと結局連歌を気に入らなくなり、果ては「連歌禁止
令」も出るかも知れませんよ。
そうなると、連歌で生計を立てている貴方の稼業もなくなってしまうではありま
せんか。それでもいいのですかw」と幽斎が答え、これには紹巴も返す言葉がな
かったという。
283人間七七四年:2008/11/12(水) 17:33:01 ID:Iz0ZnmJ+
>>282
いつも思うけどこれって実は、幽斎の京都人らしい底意地の悪さそのものだよなあw
わかる人はみんな「そんな句ねーよ」って解ってる訳で。
284人間七七四年:2008/11/12(水) 17:35:44 ID:oi8+Ml9R
下ネタ禁止の話

ある時、秀吉が細川幽斎・金森法印・桑山法印・宮部法印と雑談していた際に
「いまから面白い話を聞かせよ。但し、腰から下の話は禁止じゃ。罰金は小判
1枚とする。」と秀吉が言った。
そして、幽斎が最初に面白い話をすることになった。

幽斎「昨日東山に参拝した帰り、実に見事な茶釜を見ました」
秀吉「一体どんな釜を見たのだ」
幽斎「参拝の帰りにのどが渇いたので茶屋で茶を注文したところ、茶屋のおやじ
が使っている釜が鉄製に見えないので、おやじに「あの釜は鉄か唐カネでできて
いるのか」と聞きましたところ、
おやじは「あれは鉄でも唐カネでもございません。実は楠で作った木製の釜でござ
います」と言い、そんなバカなと思って近くで釜をみるとやはり楠でできた釜でした。
あれほど見事な釜は見たことがございません。」

それを聞いた秀吉は思わず
「そんなアホな。茶を沸かそうと楠の釜で火を焚けば、釜の尻が焦げて役に立つまいが。」
とつっこんだ。

幽斎はすかさず、
「尻は腰より下ですから、どうか罰金の小判を払ってください。」と言った。
秀吉はこりゃ一本とられたと大いに笑ったということである。
285人間七七四年:2008/11/12(水) 17:38:48 ID:ZCs1JtN6
幽斎は底意地悪いっていうかクレバーなんだよな
どこでどう立ちまわればいいかよく知ってる
そういう面を幼い頃からよく目にしたから息子があんなのになったのではないか
286人間七七四年:2008/11/12(水) 18:29:16 ID:sWZutTTd
幽斎が若いころからずっと我慢してたDQNアクションを
息子である忠興が全て代わりにやってくれたんだよ
287人間七七四年:2008/11/12(水) 20:39:17 ID:rESinSxb
>>282
この逸話は紹巴空気嫁って話だろ?
せっかく藤孝が機転を利かせて秀吉が人前で恥をかかずに済んだのに・・・
288人間七七四年:2008/11/12(水) 20:53:55 ID:23z2yCjz
それでも譲れない一線とかあるからな・・・
利休が金の茶室見て絶望したみたいに
289人間七七四年:2008/11/12(水) 21:44:38 ID:yxs97aC2
>>273
補足。
秀吉最晩年、家康は秀吉から茶の湯に招かれた。
断るわけにもいかないず、家康は出掛けたが、
茶にかこつけて暗殺するつもりではないか、との声があがった。
徳川家中はなすすべもなく、おろおろするばかり。

と、茶席の最中に急な来客があり、中の間に家康が呼び出された。
なんとそこには義光がいるではないか。義光はそっと耳打ちした。
「風流や人付き合いも大切ですが、今は御身こそが大事ですぞ、
ご自愛くだされ。もっとも今日は義光がこれにおりますゆえ、
何の心配もござらん」
家康は義光に感謝した。茶席は無事終わった。
もう義光、このあたりあからさまに豊臣政権に喧嘩売ってるよな。

こんなに家康大好きなのに、なのに某ゲームでは義理2なんだぜ_| ̄|○
もう義理=西軍贔屓値にすべきだと思うんだ
290人間七七四年:2008/11/12(水) 21:45:03 ID:5L3T/M4b
逸話の真偽はともかくとして

里村紹巴は後に秀次事件に連座して蟄居させられてるから
秀吉にとっては鬱陶しい香具師の一人だったのは確かなんだろう
291人間七七四年:2008/11/12(水) 22:09:28 ID:sFnNwvL0
>>290
同じく秀次事件に連座した最上義光は、妻子の喪失感を忘れるためか、
せっせと連歌解説書を執筆し、互いに蟄居していた紹巴に添削指導をお願いしていたらしい。
292人間七七四年:2008/11/12(水) 22:36:43 ID:FtNLS1pp
>>286
幽斎も若いころは牛と力比べしたりしたからな…
老いてからも自分を止めた門番の腕の骨を砕いた、なんて話があったり
293人間七七四年:2008/11/12(水) 22:37:57 ID:b7KpOziO
>>292
えらいパワフルだなw
294人間七七四年:2008/11/12(水) 22:40:24 ID:sFnNwvL0
>>292
へうげものだなw
295人間七七四年:2008/11/12(水) 22:42:17 ID:ZCs1JtN6
>>289
そのセリフで畏怖を撒けるのは暗殺を専らとしてきたからかな
できるとすれば義光のほかに松永弾正、宇喜多和泉守くらいか
296人間七七四年:2008/11/12(水) 22:42:40 ID:XTTqH8jf
>>289
正直事件以降は最上義光がどんなに豊臣政権に喧嘩売るような行動とってもしょうがないと思えるからねぇ…。
297人間七七四年:2008/11/12(水) 22:45:41 ID:zNXwFjLW
>>295
義光が確実に暗殺したと言い切れるのは、実は白鳥長久だけ。
あとは離反ついでに家臣が主君の首を持参したケース。
義康暗殺は義光実行犯説に最近疑問符がついている。白鳥の件も、勝手に出羽探題を
名乗っていたり、義光自ら斬っていることや、周囲からおめでとうコールまであるので、
当事者としては暗殺よりも「成敗!」のつもりだったろう。
まあ、暗殺っちゃ暗殺だが。
298人間七七四年:2008/11/12(水) 22:57:15 ID:b7KpOziO
ま、義光はごく普通の「優れた戦国武将」なだけっしょ。領民を善く治め、外敵を潰しながら勢力を拡大する、という意味で。
格別目に付くのはシスコンであることくらいか。
299人間七七四年:2008/11/12(水) 23:01:42 ID:Iz0ZnmJ+
ごく普通じゃ、一代で実質百万石まではなりあがれないよ>義光
300人間七七四年:2008/11/12(水) 23:10:06 ID:b7KpOziO
>>298
だからごく普通の 『優れた』 戦国武将と書いたつもり。
能力的には優れていて、性格や振る舞いについては当時の戦国武将のスタンダートからそう逸脱したものではない、ということ。
地元の人にとっては名君だったと思うよ。
301人間七七四年:2008/11/12(水) 23:24:13 ID:ckC+/g4t
何故最上は擁護が多いのだろうか
いや特に意味は無いが
302人間七七四年:2008/11/12(水) 23:26:44 ID:zNXwFjLW
>>301
信長のほうが多いだろ
303人間七七四年:2008/11/12(水) 23:32:32 ID:Iz0ZnmJ+
信長と謙信は、なんか書いたら変なのに噛み付かれるイメージ。
304人間七七四年:2008/11/12(水) 23:36:55 ID:QdUcez6V
>>301
鮭だから?
305人間七七四年:2008/11/12(水) 23:39:43 ID:MhCeFiA4
>>301
鮭の逸話、シスコンな逸話、駒姫の悲劇等々
戦国の世には珍しく人間味を感じさせてくれる逸話が豊富だからじゃね?
306人間七七四年:2008/11/12(水) 23:48:17 ID:23z2yCjz
上杉家の悪口はガチでやばい。
直江スレ見ればわかる
307人間七七四年:2008/11/12(水) 23:49:37 ID:zNXwFjLW
>>306
でも景勝の悪口はみんな平気なんだよな…
308人間七七四年:2008/11/12(水) 23:53:16 ID:23z2yCjz
>>307
御館の乱に勝っただけでも非凡なものを感じるんだけどね。
上杉は気持ち悪いファンが多いんだろうな。
309人間七七四年:2008/11/13(木) 00:25:50 ID:Tvz8lffi
>>296
それはさすがにひいきしすぎじゃね?

秀次事件の顛末を思えば感情からして仕方ないとも言えるが、そんなあからさまに
秀吉への敵愾心と家康への忠誠を見せ付けたら、家康の立場だって悪くなるし、仮に
家康が負けていたら、義光は「感情に走って家を潰した」と非難もされただろう。
少なくとも義光にとっても恩人家康にとっても、あまり褒められる行動じゃない。
310人間七七四年:2008/11/13(木) 00:28:21 ID:vqAldmTn
>>309
市松は三成への個人的嫌悪から家を潰したなんて言われてるか?

・・・・言われてるな
311人間七七四年:2008/11/13(木) 00:30:20 ID:YCwDwgBk
>>309
確かに、秀吉がボケかけていなかったら家康ともども誅殺もんだと思う。
換言すれば、そんなことができるほど秀吉晩年から
豊臣政権はボロが出始めていたんじゃないかな、とも。

そんな義光も、関ヶ原ではさすがに上杉相手には「ボクたちは西軍ッス!」
アピールをして三週間も決戦回避していたわけだし。
空気はある程度読んでいたんだろうな。
312人間七七四年:2008/11/13(木) 00:32:45 ID:1XVt/2Rt
秀吉はボケ掛けてからの方がやばい気がするが
313人間七七四年:2008/11/13(木) 00:34:20 ID:YCwDwgBk
>>312
いやいや、失禁しはじめてもう何もできなくなっていた、くらいなんで
ボケボケになってからか
314人間七七四年:2008/11/13(木) 00:34:26 ID:aisoCu4u
最終的に家康が天下を奪った形になってるからあれだが当時はまだ家康は秀吉の家臣だったから
家臣同士仲がいいね、で終わりだろ?
315人間七七四年:2008/11/13(木) 00:39:38 ID:1XVt/2Rt
>>313
ああそんな頃の話なのかwすまん
316人間七七四年:2008/11/13(木) 00:50:42 ID:SFXnTGwv
まあなんというか、秀吉の晩年は悲壮な感じだよね。

秀吉は
「秀頼をお頼み申す、お頼み申す」
って死んで行ったけど、

家康は
「秀忠が将軍の器で無いと思ったら、構わないから攻め潰せ。出来るものならな。」
だったからね。

コントラストが違い過ぎて余計にそう感じるわな。
317人間七七四年:2008/11/13(木) 01:17:37 ID:xgQ0EfZG
上杉家中にあって、深沢・九鬼の両名はたびたび家中の法度に背くことがあった。
規律に厳しい謙信は業を煮やし、ついに両名の誅殺が決まったが、剛勇をもって知られる
両名にあたるには相応の人数と準備が予想され、なかなか処断できなかった。

これを聞きつけた謙信の甥・喜平次が名乗り出た。「我に、その者共の成敗をお任せあれ。」
これに謙信は、
「あやつらは数々の戦で働いた豪の者であり、一人につき三人向かわせても討てるか危うい。
まして幼いお前に任せるなど思いも寄らぬ。しかし、その志は勇敢であり、見事だ。」
と、申し出を褒めはしたが許さなかった。
だが喜平次は、「成敗し難い罪人を斬れば、無断で斬ってもむしろ手柄となろう…」
あきらめず、剛勇の二人を斬る策を練った。

9月9日の重陽の節句を祝うため、家中の士の総登城が命じられた。当然、深沢と九鬼も
登城し、偶然かこれも喜平次の仕掛けか、両名は近くの席に座った。

喜平次はその場に近づくと、まず深沢に声をかけた。
「その方、目を患っておると聞く。御実城様の耳にも入ったぞ。私に目薬を賜り、その方の
目に薬を差し、具合を尋ねてまいれとの御意じゃ。ありがたく受けよ。」

そう言って深沢を仰向けに寝かせ、唐辛子をその目に振り掛けると、「上意なり!」
叫んで脇差を抜き、苦しんでいる深沢を突き刺した。
「何をしている!上意であるぞ九鬼、加勢せよ!」突然の出来事に呆然としていた九鬼は、
喜平次に声をかけられ、反射的に未だもがいている深沢に斬りつけた。
九鬼の振り下ろした刀が深沢の体に存分に食い込み、とどめを差したのを見届けた瞬間、

喜平次は脇差を持ち替え、深沢に刀を食い込ませたままの九鬼の胴を一気に切り裂いた。

謙信はこれを大いに褒め、預かっていた喜平次の父・政景の所領をことごとく返してやった。
のちの景勝の初手柄の話。ときに14歳のことだという。(名将言行録)
318人間七七四年:2008/11/13(木) 01:21:54 ID:SFXnTGwv
子供の癖におっそろしい事してるし、それをほめる謙信もどうなんだって気がするけど、
甲陽軍鑑あたりに出てくる謙信なら、こう言うの大喜びしそうだから怖いw
319人間七七四年:2008/11/13(木) 01:23:40 ID:aeL8PtOS
景勝こええ
320人間七七四年:2008/11/13(木) 01:24:01 ID:YCwDwgBk
>>317
スゲエ、スパルタだわw
321人間七七四年:2008/11/13(木) 01:28:21 ID:/NnHNz9M
胡椒だと思ってた。どのみち香辛料イテェ
322人間七七四年:2008/11/13(木) 01:32:25 ID:vqAldmTn
義の欠片も感じられんなw
こっちの方が好きだけど
323人間七七四年:2008/11/13(木) 01:36:37 ID:aeL8PtOS
「義」というか、古代中国の「義侠」の人たちっぽい感じはする
三国時代に生まれてれば確実に劉備一家の鉄砲玉ポジション
324人間七七四年:2008/11/13(木) 01:41:18 ID:unRiMN8X
義に背く輩はどんな外道な方法で殺っても構わねえんですね
わかりますwww
325人間七七四年:2008/11/13(木) 01:45:59 ID:0ROnYUjG
>>303
謙信、信長あたりは文書が残ってるから
ここ数年、後世歪められたイメージを払拭する動きが盛ん
学者もファンもね
今更軍記や古い解釈を持ち出した所で
それがいい話であれ、悪い話であれ、即訂正が入るわな
特に謙信は、軍神だの内政下手だの手討だの・・・実像と違う逸話が多過ぎる
そんな逸話を挙げてもあまり意味がない
326人間七七四年:2008/11/13(木) 01:59:18 ID:SFXnTGwv
>>325
このスレがどういうところかを理解してないのが、非常に良くわかる書き込みだな。
327人間七七四年:2008/11/13(木) 02:07:25 ID:vqAldmTn
>>326
いかに上杉厨が(ry
328人間七七四年:2008/11/13(木) 02:19:29 ID:unRiMN8X
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れ
るもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
329人間七七四年:2008/11/13(木) 02:34:38 ID:uy5kqUrz
織田上杉に限らずファンが多いほど突っかかりもあるわな。

そういや武田関連少ないな。よい話悪い話両方。
330人間七七四年:2008/11/13(木) 02:37:39 ID:iwi0DaDR
>256
誰も突っ込みいれずにスルーされてたので。
昌幸は末子じゃなくて五子の中の三男。
地味だからって信伊と金井高勝を忘れないでください。
信伊は信之側の人物として重要だと思うsage
331人間七七四年:2008/11/13(木) 02:41:07 ID:SFXnTGwv
>>330
「当時」末子だった、って事じゃ無いかな?とも思った。
332人間七七四年:2008/11/13(木) 02:41:39 ID:QDzNGeWz
いささか亀だが、

>>307
景勝は戦国ファン、特に上杉ファンにとってのサンドバック役。

しかしそれは裏返して考えると、
率直に言って景勝への「甘え」「ツンデレ」「ヤンデレ」
ともある意味で言い得るんだな、これが。
333人間七七四年:2008/11/13(木) 02:43:50 ID:SFXnTGwv
景勝って、とらえどころが無いんだよね。
逸話や史実見ても、有能なのか無能なのか、善人なのか悪人なのか、さっぱり解らん。
334人間七七四年:2008/11/13(木) 02:54:52 ID:uy5kqUrz
当主がサンドバックになってるのか。
涙ぐましいもんだな。だがそんな上杉も嫌いではないw
とあまり仲良くないと言われるDQN厨が言ってみる。

無能有能なんて両極端な。つか無能で上杉家まとめられんさー。
335人間七七四年:2008/11/13(木) 03:22:34 ID:Mhdp6DMJ
しゃべらない、笑わないじゃ人物像はわからんわな
336人間七七四年:2008/11/13(木) 03:24:03 ID:SFXnTGwv
>>334
まあ、あくまで程度問題ね>有能無能
直江たちにいいように操られている印象も、逆に直江たちをうまく使っているって印象も、
どっちも感じさせるんですわ>景勝
337人間七七四年:2008/11/13(木) 03:27:24 ID:qI4tlJSh
景勝は春日山城内での山崎秀仙殺害事件の時
騒ぎを聞き付け自らやってきて秀仙や信綱を殺した毛利が
岩井や登坂に成敗されるのを襖の影からじっと見てたって話もあるな。
何するでもなくじっと見てたってのがなんか怖い人だと思った。
善人悪人というか理想主義を志すリアリストっぽいイメージだ。
338人間七七四年:2008/11/13(木) 04:11:52 ID:0ROnYUjG
>>327
基本北条厨だけどなー
氏政が汁かけ直したんで無能だって逸話を今更出されたら、辟易するし
それを元に「氏政アホスwww」「さすが北条を滅ぼした無能」なんてレスがついたら
訂正したくもなる
逆に氏康のいい話を出して、持ち上げ過ぎるのもなぁ・・・
北条記が喧伝したがってる「氏康は神、氏政愚鈍」の狙いに嵌ってるようで好かん

その気分は上杉厨も似たようなもんだろうと
339人間七七四年:2008/11/13(木) 07:07:39 ID:+e5EU5YZ
厨なんて言葉を使ってると御贔屓の陣営の評判を落としますよ
340人間七七四年:2008/11/13(木) 08:37:48 ID:5jBomrs1
で、雑談でスレ潰し。と。
341人間七七四年:2008/11/13(木) 08:49:26 ID:pf9rVQfx
>>320
イヤ、この話だと謙信はちゃんと「子供はダメ」って言ってるじゃないか。
しかも上杉家全家臣の前で「上意である!」と叫んで討ってるから、
甥が可愛ければ叱る事は出来まい。
スパルタというより単に甘かっただけでは?
342人間七七四年:2008/11/13(木) 11:37:58 ID:unRiMN8X
>>341
スパルタ教育じゃなくて、その元ネタのことを言ってるんだよ
古代ギリシアのスパルタ貴族は子弟にスリ等をさせて機転を養わせ、
独りで野に放り出して狩りをさせ、サバイバルと戦闘術を養わせた。
343人間七七四年:2008/11/13(木) 11:47:55 ID:unRiMN8X
おかげでスパルタ軍人は新兵でも抜け目がなくてそこそこ戦えたって話。

途中で書き込んでしまった
スレ汚してスミマセン
344人間七七四年:2008/11/13(木) 15:11:47 ID:IJ6o46VU
こんなこと、ここの皆様にお聞きするのは
筋違いかもしれませんが

宇喜多秀家が八丈島の代官におにぎりを馳走してもらった話
を教えてください
345人間七七四年:2008/11/13(木) 15:13:58 ID:ffgx62W4
景勝って、政治家としても戦略家としても二流だったが、
将器だけは途方も無く大きかったような印象がある。
346人間七七四年:2008/11/13(木) 15:28:55 ID:n+andFa9
>>344
まとめの中に確かあった様な
>>345
そうだけ聞くと劉備みたいだなw
347人間七七四年:2008/11/13(木) 15:32:04 ID:SFXnTGwv
>>344
これかな?お握りじゃ無いけど
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-302.html
348344:2008/11/13(木) 16:07:52 ID:IJ6o46VU
>>346>>347
ありがとうございます
おにぎりじゃないから違うと思ったw
ご迷惑をおかけしました
349人間七七四年:2008/11/13(木) 16:45:34 ID:7i9gtQ17
上杉景勝と前田慶次

ある時、豊臣秀吉が伏見城(または大阪城)にて、大名たちを呼んで宴を開いた。
そこに慶次は呼ばれてもいないのに勝手に紛れ込んだ。
宴もたけなわになった頃、慶次は猿の面を被り手ぬぐいで頬被りをし、
踊りながら大名たちの膝の上に次々と腰かけ、猿真似をして面白おかしく振舞った。
宴の席なので誰も怒るものはいなかったが、景勝の前へ来ると慶次は景勝を華麗にスルー。
次の人の膝の上に腰掛けた。
景勝の威風凛然とした態度を前にして、どうしてもその膝に乗ることができなかったらしい。
その後、歌舞伎者として名の知れていた慶次はたびたび仕官話が持ち上がっていたが
それらをことごとく断り、直江兼続を通じて景勝に仕官する。

慶次は後に「天下広しといえども、真に我が主と頼むは会津の景勝をおいて外にあるまい」と語ったという。
350人間七七四年:2008/11/13(木) 18:07:54 ID:bBShDXUK
淀の渡し

千利休は例の木像が不謹慎だとして突如失脚した。
びっくりした利休は細川忠興・芝山監物らに頼んで、必死になって弁明に努めるが、
監物がもっとも頼みとした蒲生氏郷にまで、「一笑一笑(もうむだだの意)」と断ら
れる始末。
堺の会合衆仲間住吉屋宗無・万代屋宗安も利休の手紙を無視し、あれほど利休の周り
に群がった人も,かかわりあいになるのを恐れて誰も利休に近づかくなった。

2月14日に秀吉は利休を堺に追放する。当然、時の最高の権力者から睨まれてまで切腹
を命ぜられた利休を見送りに行く者はいなかった。
そんな中、淀の渡しに見送りにきたのは、細川忠興と古田織部のたった二人だけであった。

利休はこの2人に感謝をしてそれぞれに自作の茶杓を進呈した。織部はこの茶杓に「泪」と
名づけ、忠興は「ゆがみ(命)」と名付けた。
「泪」と「命」の茶杓はこれから先、利休の遺品として重宝されてゆくことになる。
351人間七七四年:2008/11/13(木) 18:14:42 ID:SFXnTGwv
352人間七七四年:2008/11/13(木) 18:46:28 ID:/NnHNz9M
>>349
猿の景勝真似には笑ったのに
慶次の猿真似はつまんなかったんかw
353人間七七四年:2008/11/13(木) 18:52:25 ID:GtxevJCd
景勝は猿が大好きだったんだろう。
好きな歌手のモノマネとか採点が厳しくなるからな。
354人間七七四年:2008/11/13(木) 19:03:51 ID:uy5kqUrz
>>351
利休タン……(・ω・
355人間七七四年:2008/11/13(木) 19:36:48 ID:ADvr8Kuq
ちなみに慶次は仕官する際にも「穀蔵院ひょっとこ斎」と名乗ったりしてかぶいていたが
景勝に「うちはカブキモノなんぞイラネ」とダメ出しされてる
356人間七七四年:2008/11/13(木) 19:50:39 ID:SFXnTGwv
>>355
景勝くらい冗談の通じなさそうな大名も居ないよね。

たしか景勝が秀吉に臣従して、始めて大阪城に登った際、秀吉主催の歓迎の宴会で、余りにも
無表情で黙りこくっているので、秀吉は大阪までの接待をした利家や三成なんかを呼び出して

「おまえら道中、景勝殿になんか失礼なことでもしたのか?」

って聞いた、って話があったなあ。
直江が「いつもああだから気になさらないように」と、言ったとかどうとかw
357人間七七四年:2008/11/13(木) 20:42:37 ID:aeL8PtOS
景勝(……正直、気の利いたリアクションが思いつかないだけなんだけどな)
358人間七七四年:2008/11/13(木) 20:47:09 ID:/NnHNz9M
当人はろくに喋っていないまままわりのリアクションで逸話ができあがるのは凄いのかもしれない
359人間七七四年:2008/11/13(木) 20:48:42 ID:+e5EU5YZ
直江は通訳か何かかw
でも景勝は筆まめだったと聞いた
360人間七七四年:2008/11/13(木) 20:53:41 ID:3xI5Eivg
お前らと一緒で人前じゃ喋れなかったのかもしれんな
ネットじゃ多弁なのに
361人間七七四年:2008/11/13(木) 21:06:21 ID:/3a4wEvO
一連の景勝の話読んでると利まつの里見's景勝を思い出した
362人間七七四年:2008/11/13(木) 21:19:28 ID:wkIgVzJu
この流れなら言える
「景勝は2ちゃんねらー」
363人間七七四年:2008/11/13(木) 21:26:11 ID:fiqJLMQt
メールだと軽いノリなのに実際に対峙すると重圧感ある人っているよね。
364人間七七四年:2008/11/13(木) 22:26:56 ID:uhtODn/W
逆にメールだと常にキレ気味でズバズバと攻撃的に書く人が、
実際にあってみると穏やかで常に気配りをしてくれる人だったりするから
世の中わからん。
365人間七七四年:2008/11/13(木) 23:34:04 ID:HIFezZPh
前田の両腕(一)

信長の美濃攻めのころ、若き前田利家の姿もその軍勢の中にあった。
しかし、信長の近習を斬っての逐電から帰参を許されたばかりの利家に従う者と言えば、
若党の長八郎ただひとり。

利家「とは言え、わしは初陣の折、父上よりいただいた金子が未だふところにある。
    いざとなればこの金で人を雇うなり、武具を新調するなりして功名をあげてやるわ。」
長八郎「それは良きお心掛け。実は、わしもいささかの貯えを常に持っております。」
利家「ならばお互い、いくら持っているか比べてみるか」 長八郎「応よ」

利家が4両3分、長八郎が2両1分持っていた。だが長八郎の知行など、利家の1/4も無い。
「すれば長八、割合で行けばうぬの方がわしより金持ちではないか!」 「( ̄ー ̄)ニヤリ」
大いに笑いあった。

それから利家は立身を重ねたが、折に触れ長八郎に
「2両1分を持っているか?わしは4両3分をまだ持っておるぞ」と話しかけ、長八郎こそが
自分の一の家臣であることを周りに伝えることを忘れなかった。

長八郎も良く恩に答え、浅井・朝倉との戦では利家をかばって銃弾を受けたり、
長篠の戦いで敵に足を斬られた利家のもとに駆けつけこれを救うなど利家の盾となり戦った。
やがて、利家の「又左衛門」より一字授かり又兵衛と名乗り、
さらに 村井豊後守長頼 と名乗り、利家の筆頭家老として天下に名を知られた。

長頼の子は利家の娘を妻に迎え、その子孫は加賀百万石の重臣団「加賀八家」にあって
松根城代として1万6千石を受け、代々年寄職を務めた。
366人間七七四年:2008/11/14(金) 00:15:09 ID:6R1D7/E5
前田の両腕(二)

永禄12年(1569)、信長は荒子城主・前田利久を「武者道少御無沙汰」の故をもって、その弟である
利家に代えることを命じた。
利家が荒子城の受け取りに向かうと、門は閉ざされ、その前に立ちはだかる者がいる。

「織田の大殿がなんと言おうと、この城は利久様のもの。利久様の命あるまで、城を
明け渡すこと、まかりなりませぬ!」前田家に代々仕える、奥村助右衛門であった。

利家も事を荒立てず、利久から譲り渡しの誓紙を取り、筋を通して門を開けさせた。
助右衛門はなおも己の意地と忠義を通し、前田家を出て牢人した。

天正元年(1573)、利家は、越前攻めに向かう家中に見たようなみないような顔を発見する。
なんと、いつの間にか奥村助右衛門が騎馬武者隊に紛れこんでいた。
利家は黙ってこれを見逃した。助右衛門もこれに答え、刀根山の戦いで功を上げ、
正式に帰参が許された。その後、末森城を文字通り死守したのはあまりに有名。

子孫は本家に1万2千石、分家に1万1千石と、「加賀八家」でも破格の待遇を受けている。



時ははるかに過ぎ去り

明治天皇が東京本郷の前田侯爵邸に行幸された時のこと。
侯爵邸の玄関に入ると、いきなり二組の古めかしい甲冑が飾ってある。
天皇が由来を尋ねると、

「これは当家代々の家臣、村井家と奥村家のものです。両家の長年の功労に報い、ともに
晴れの行幸の名誉を分かつため、ここに飾り置きました。」
侯爵前田利嗣は、胸を張って答えたという。
367人間七七四年:2008/11/14(金) 00:34:09 ID:RYYZqBY3
お家創世神話だねえ。時を越えて大事にされている、いい話だ。
368人間七七四年:2008/11/14(金) 00:34:18 ID:LknjYju/
>>366
イイハナシダナー( ;∀;)
369人間七七四年:2008/11/14(金) 00:37:21 ID:RYYZqBY3
秀康の槍


結城秀康と福島正則、この二人、気が合ったらしく、よくお互いの屋敷に遊びに行っていた。

さて、ある時正則が秀康の屋敷を尋ねた折の事。奏者が秀康に取り次いでいる間に、正則は
玄関に掛けてあった秀康の槍を何気に手に取り、鞘を外し、刃を爪にかけて見入ってしまった。

これを秀康の目付けが見てしまった。彼はすぐさま秀康に報告した。
たちまち、秀康の顔色が変わった。

他人の槍を鞘まで外して勝手に見ることは、武人の礼に外れた事である。しかも大名の槍であればなおさらだ。
秀康もこんなとき、黙っている男ではない。

「わしの愛刀、新藤五三桐を持って参れ!」

これは血を見る。近習の一人が気を利かせ、秀康に黙って御前を離れ正則の下に行き、
「あなたが槍を見たことを秀康様がお知りになり、ご機嫌が…」と、耳打ちした。

すると正則
「…うっ!突然持病の発作が!すまぬが今日はこれにて!」

帰った。



さて、問題はまだ残る。主君の槍を他人に勝手に見られたこと、これは重大な管理責任である。
秀康の槍の管理を任されていた金左衛門という侍が、御前に現れた。

無論、切腹を覚悟の上である。


秀康はその槍をじっと眺めながら、金左衛門に言った。

「正則に爪をかけられたことは、恥ではない。だがこの刃に塵の一つでもついているようなら
お前を串刺しにしてやろうと思っていた。

…が、金左衛門、お前がどれだけわしの道具を大切に扱っているか、この槍を見て良くわかった。
お前は、俺が見込んだだけの男だ。」

そう言って、新たに百石を加増した。



さて正則、その後秀康が顔を合わせるたび

「先日はせっかく来ていただいたのに、会えなくて残念だったよ。病気はもう良いのかい?」

と聞くので、ほとほと困ったとか。
370人間七七四年:2008/11/14(金) 00:44:13 ID:LknjYju/
※市松パターン

市松が最終的に焦ったり恥をかくパターンである
市松はこのパターンになる機会がとても多く一般化してしまい
焦りっぷりも忠興のヤンデレ時とのギャップに遠く及ばないため、四天王落ちしたと一説に言われている
371人間七七四年:2008/11/14(金) 00:55:28 ID:P8xvgkor
つーか玄関に無造作に掛けてる
秀康にも過失あるだろw
372人間七七四年:2008/11/14(金) 01:00:08 ID:B1tE+2mw
>>370
逸話の最後が「…って正則が言ってた」とか「…と○○が切り返したので皆で笑った」とか
だったりするので自虐ギャグ使いか…と思ってた
373人間七七四年:2008/11/14(金) 01:05:55 ID:WOvO+jUq
人の家の冷蔵庫を勝手に開ける育ちの悪い友達みたいだw
374人間七七四年:2008/11/14(金) 01:06:30 ID:Ls18CP//
結城秀康にもわりとDQNなイメージがある。小説のせいかもだが。
375人間七七四年:2008/11/14(金) 03:58:29 ID:l6pY+QGh
キングオブDQNとしてこのスレでは有名な政宗だが
実はおばあちゃんッ子だという意外な側面があった。おばあちゃんとは勿論
輝宗の母親であり、岩城重隆の娘、かつて晴宗が婚礼前に拉致して強引に
妻にしたという逸話をもつ久保姫である。幼少の頃、眼を失って醜い容貌に
なってしまった後、母親の義姫は政宗を疎んじだしたようだが、
容貌も気にせず、自分をとても可愛がってくれた優しいおばあちゃんの久保姫を、
政宗は終生慕っていたようだ。

米沢から岩出山に移封された際、おばあちゃんの久保姫は根白石という場所に移った
ここは久保姫の故郷の岩城に似ていたらしく、政宗に「おばあちゃんはここが気に入ったの
死んでもぜったいここを動かさないでね」と遺言して亡くなり、根白石に葬られた。
政宗はおばあちゃんのために根白石に宝積寺という寺を建てて供養した。

さて、根白石は岩出山からはかなり遠く、仙台に城を移してもまだ遠い場所だった
ちょくちょく墓参りもできないなと思った政宗だが、おばあちゃんの遺言もあるから
墓を移すこともできない。

ということで、なんともう一つ、仙台城下にも寺を建ててしまった。

政宗は、仙台にいる間は朝夕、城から寺の森を目印にして手を合わせていたという。
376人間七七四年:2008/11/14(金) 04:30:21 ID:KGbLs6l4
>>350忠興にも優しい感情があったんだな
377人間七七四年:2008/11/14(金) 05:37:49 ID:Gjdz66GE
>>375
おばあちゃん子だなぁwほほえましいw
378人間七七四年:2008/11/14(金) 05:51:34 ID:9D9DDU/O
政宗「DQNがたまにいいことすると凄くいい人に見えるよね。」
379人間七七四年:2008/11/14(金) 08:15:51 ID:Xi3U599S
「爪にかけて/爪をかけて」ってどういう意味なの?
380人間七七四年:2008/11/14(金) 09:09:01 ID:HbDFpA5X
>>371
なんで秀康に過失があるんだよw
玄関に槍を掛けておくのは当時は一般的なことだったんだろうよ。
381人間七七四年:2008/11/14(金) 10:46:51 ID:vYdxJ9pj
名人久太郎

堀秀政が越前北の庄城主に栄転してしばらくの頃、城下の辻々に
「左衛門督(=堀秀政)の悪政の数、20以上あり」との前置きをして、秀政の政治を20か条
にわたり弾劾する立て札が立てられた。
家来たちはその立て札を持ってきて、
「立て札を立てた不届き者の犯人を見つけ出し、重罰にすべきです」と秀政に進言した。

その報告を受けた秀政は立て札の条文を何度も読み返すと、なぜか正装に着替えて口をゆすぎ
三度も立て札を押し頂いて、
「まことにありがたい忠言である。これはまさに天からの下されものである。直ちに、諸役人
を呼べ。」と言った。
秀政は集まった役人に、
「この立て札に書いてある条文の内容を直ちに糾明し、過酷な政策は削り、領民に煩わしい政策
はは直ちに廃止せよ。ともかく旧弊はすべて改めるのだ!」と命令した。

領民たちは、この秀政の善行を大いに喜んでのちのち秀政のことを、「品行(=名人)左衛門督」
・「名人久太郎」と、ほめ称えたという。

出典「藩翰譜」

382人間七七四年:2008/11/14(金) 11:13:44 ID:vYdxJ9pj
上手な金の借り方

島左近は筒井家を出て牢人となったが、収入がないので生活が苦しくなった。
左近には、吉野に住んでいる金持ちの親戚がいて、この者に借金を申し込んだが
この親戚は欲深のドケチで、冷たく断られた。

そこでいろいろ思案した左近は、口のうまい人を探し出し次のような口上を述べ
させることにした。
「この前に借金を申し込んだけど、貸したくないなら貸してくれなくても結構だ。
しかし、オレが借金を申し込んだのは、あなたが大切な親戚だからなのだ。
そもそも、金銀財宝を人に施すものは、子孫が永久に繁栄し家がますます栄える
ものだ。逆に、施しをしないものは、災害をかならずこうむるというジンクスがある。
その話を聞いたゆえに、あなたに災害が被らないように借金を申し込んだのだ。」

それを聞いた親戚は欲深の性格だったので、使者の口上にコロリと参って左近に十分
過ぎるほどの金を貸したという。
383人間七七四年:2008/11/14(金) 12:17:42 ID:F6lP/gSN
>>365
>>366
いい話しだなあ
奥村は末盛の時に利家の黄金烏帽子の甲冑貰ったんだよな
384人間七七四年:2008/11/14(金) 14:50:59 ID:RYYZqBY3
>>379
おそらく、刃の部分を「爪でカリカリしながら」って事だと思われる。
385人間七七四年:2008/11/14(金) 15:04:49 ID:WxAizyGz
>>381
確か、家来の反対を押し切って泣き虫の家来を召抱えて冠婚葬祭の使者として
重宝したとかいう逸話もあったよな。
386人間七七四年:2008/11/14(金) 15:11:00 ID:XVXrg1mp
何その適材適所の王道ww流石Q太郎
387人間七七四年:2008/11/14(金) 15:41:31 ID:KGbLs6l4
それ道雪じゃなかった?
388人間七七四年:2008/11/14(金) 15:44:13 ID:RYYZqBY3
>>382
この逸話は何度読んでも、この親戚が欲深いようには見えないので解釈に困る。
ある種の宗教詐欺なんじゃ無いかとすら思えるw
389人間七七四年:2008/11/14(金) 17:22:05 ID:WxAizyGz
>>388
金を貸すことで家産繁栄するなら、貸した金がそれ以上になってリターンされる
ってことで、欲深が飛びついたって意味じゃね?
390人間七七四年:2008/11/14(金) 17:40:02 ID:RYYZqBY3
>>389
この親戚が、例えば左近が筒井家に仕官していた時代に散々世話になっていたけど、
いざ牢人となったら冷たくした、なら、「強欲」ってのがすんなり入るし、因果応報的な
逸話として納得できるんだけど、その前提が全く無い、突然現れたわけのわからん親戚が
金せびりに来るって、断られて当然のシチュエーションじゃないですかw

そこがどうも引っかかるのですわ。
391人間七七四年:2008/11/14(金) 18:56:36 ID:WQWurEDA
>>390
「吉野に住んでいる金持ち」なら筒井家に仕えていた左近を知らないはずがない。
「突然現れたわけのわからん親戚」ではないはず。

浪人すれば困窮するのは当たり前
そんな親類に借金を申し込まれたらいくらかでも貸すものではないかと。
欲深というか吝嗇
392人間七七四年:2008/11/14(金) 19:24:39 ID:CdiTzAFN
現代的な発想だとは自覚しているが

「親戚なら金を無心されたら出して当然」ってDQNの言い分だと思う。

親戚を友人とかに変えても同じだが。

「金を借りる側は断られて当然、貸してくれたら望外の恩」なのであって
「要求されたら無条件で金を出して当然、出さないのは人格がおかしい」って、
そんな発想の方がおかしいと思う。
>390のように、以前に何かしらの恩義を受けていたというのならともかく。
393人間七七四年:2008/11/14(金) 20:01:32 ID:9QD1BXXA
>>392は何でこんなに必死なの?
394人間七七四年:2008/11/14(金) 20:03:51 ID:I61EeN3m
別に必死には見えないが
395人間七七四年:2008/11/14(金) 20:05:32 ID:zxUhZ8VQ
貸したら返してくんなかったんじゃない?
借りるときは「頼む!絶対返すから!」で返すときは渋るヤツ多すぎる
俺も20万踏み倒されてからはもう人に金貸さんと決めたから気持ちはわかるがいちいち書くことじゃねえな
396人間七七四年:2008/11/14(金) 20:10:06 ID:WxAizyGz
馬の糞に救われた男の話

武田軍が松山城を攻撃した時、武田の武将・米倉種継が敵の銃撃を受け、
弾は腹から背中を貫通した。肺に血がたまり、もはや米倉の命もこれまでか
と思われた。
そのときだれかが、
「葦毛の馬のふんを水にとかして飲めば肺にたまった血が降りて助かるぞ」
と言った。
それを聞いた米倉は、
「戦場で死ぬのは武士の習わし。馬のくそまで飲んで助かりたいとは思わな
い。」と頑なに拒絶した。

すると、米倉の同僚の甘利信景が、
「貴様の言うことはもっともだ。しかし、あくまでも命を大切にして主君の
ために働き、功名手柄をあげることは武士の本分ではないか。この糞汁は貴
様にとっての妙薬だぞ。何を恥ずかしがることがあるのだ。おれが先に飲んで
やろう。」
と言いながら、糞汁をさもうまそうにゴクゴク飲んで舌鼓を打ってみせた。
「けっこういけるぞ。」

それを見た米倉は、甘利の志に感じ入り、深くうなずいて糞汁を飲みほした。
すると、糞汁の効果で肺にたまった血が降り、気力が回復した。その後養生に励み、
もとの体に戻ったという。
また、甘利の機智と才気は、以後武士の鑑として長く褒め称えられたという。

出典「関八州古戦録」

397人間七七四年:2008/11/14(金) 20:13:00 ID:BMRLUHYA
>>375
義光「おっと、オレの妹の悪口はそこまでだ」

政宗はおかんの位牌手作りしたり、朝鮮から土産送ったり、
かなりのシスコンだと思うが。
あと義姫が疎んじだしたのは容貌じゃなく、成長にしたがってDQN元服デビューした
政宗にあきれたんじゃないかとこの頃思うw
398人間七七四年:2008/11/14(金) 20:17:54 ID:CSxyczZI
このごろ寒くなってきたので鍋島直茂のいい話

ある寒い日の夜に鍋島夫妻が火鉢の前で
「今日は火鉢に当たっていてもとても寒い。領民はどうすごしているのだろうか?
百姓はわらを燃やして暖を取っているのだろう。しかし、牢に入っているものたちは
温まる術が何もなくさぞ辛いことであろう。」
といったことを話し合っていた。

翌日、家来が夫妻のところに呼び出され、
「領内の牢屋に入っている罪人の数を至急調査しろ」と命じられた。
家来は不思議に思いながら、とりあえず急いで調べ上げて報告すると、夫妻は
「その人数分の粥を作らせ、冷めないうちに牢屋に運んで罪人たちにふるまえ。」
と命じた。粥はすぐさま罪人たちの元へ運ばれ、罪人たちは夫妻の暖かい心に触れて
涙を流しながら粥を食べたそうな。
399人間七七四年:2008/11/14(金) 20:21:40 ID:RYYZqBY3
>>396
馬糞の効能はともかく、なんか「戦友」を感じさせる、いい話だなー。
400人間七七四年:2008/11/14(金) 20:23:15 ID:aqSlg9dN
>>397
義光「それシスコンじゃなくてマザコンだろ・・・」
401人間七七四年:2008/11/14(金) 20:42:46 ID:hODGc8rz
>>395さんの発言が男らしくてドキっとした。

今日はIDが他の人と重なるし不思議な日だわ。
402人間七七四年:2008/11/14(金) 20:46:28 ID:aqSlg9dN
「友人に金を貸す時はあげちゃった気持ちで」
財産使い果たした爺ちゃんを見てきた婆ちゃんの忠告
403人間七七四年:2008/11/14(金) 21:06:31 ID:dQWIoveL
俺「ウチって借金あるの?」
父「貸してる金ならあるな」
母「いくらだっけ?」
父「さあ?」

俺と両親の会話だがこんな感じで良いと思う。
貸した額が一千万近い(調べた)という事実を除けば。
404人間七七四年:2008/11/14(金) 22:28:55 ID:eIGgV9Nf
>>402
高橋是清が似たようなこと言ってたような…
405人間七七四年:2008/11/14(金) 23:01:29 ID:ByK0O/iq
>>403
なんつーか、豪胆なご両親だなwwwww
406人間七七四年:2008/11/15(土) 00:29:09 ID:mumHIUK+
たぶん>>403家には
『なんでも鑑定団』のネタになりそうな「借金のカタ」がごろごろしてそうな希ガス
407人間七七四年:2008/11/15(土) 00:33:25 ID:JUL2/4z8
信長と貧者


織田信長があるとき、自分と同じ年、月、日の生まれの人間を探させた。
すると、一人の男が見つかり、御前に引っ張り出された。
大変貧しい男であった。

信長はその男を見て、不思議そうに尋ねた。

「わしとお前は全く同じ時に生まれたのに、わしはいまや天下をつかみ、
お前は貧困に苦しんでおる。どうしてこれだけの違いが出来るのか?」

貧者は言った「いいえ、そんなに違いません。」

「なんだと?」

「たった1日の違いがあるだけです。」

「1日?」


貧者は言う
「はい、あなた様が富貴であり、私が貧困に苦しんだ昨日までは、既に過去の事。
私と信長様に、差があるのは、今日一日の事でしかありません。

そして信長様、あなたも、明日はどうなるか、誰にもわかりません。」


信長は一瞬苦い顔をしたが、思い直し、その貧者に褒美を与え、返した。


同じ時に生まれた信長と貧者の、なんだか不思議なお話。
408人間七七四年:2008/11/15(土) 00:36:27 ID:o7aArdtH
DQNを発生させない家造り、最上家の場合。


「最上家の掟」


女、子供、病人をみだりに殺さないこと。

敵の領地でも田畑を荒らさない。勝手に放火しないこと。

衣服は質素に。ただし武具は身分以上のものを背伸びしてでもいいものを
揃えるのが好ましい。

喧嘩はだめ。酒の飲み過ぎはいけない。

他家の使者を勝手に討ち取ったりしないこと。

人をだまして手柄を立ててはならない。
宇治川合戦で佐々木高綱が梶原景季を騙して手柄をたてたような行為は、
他はともかくうちでは絶対に駄目。

同じく佐々木高綱が、藤戸の渡で浅瀬を教えてくれた民を殺して、
自分だけ先に渡って手柄を立てようとした。こういう行為をする
卑劣な者は、場合によっては死罪とする。




最上にはこんなルールがあった。DQNを発生させないためには、
上がこういう 常 識 的 な ルールを決めるのがコツだろうか。
あと民間人殺傷や、騙し討ち禁止はなんかいい人ぽいですね。
409人間七七四年:2008/11/15(土) 00:37:38 ID:c16naHzT
>>406
松尾「ジャガジャン! 残念! 3000円! いやー高そうだと思ったんですがね」
410人間七七四年:2008/11/15(土) 00:46:15 ID:aM0a62qd
鮭オタってやけに力入れて書き込むよなぁ…
411人間七七四年:2008/11/15(土) 00:46:25 ID:ea82qdDL
>>408
鮭様は本当に人格者だな。
>他家の使者を勝手に討ち取ったりしないこと。
この項目が気になったんだが、最上家以外では他家の死者を勝手に討ち取ることがあったわけなの?
412人間七七四年:2008/11/15(土) 00:52:20 ID:JUL2/4z8
>>408
つーか、基本的には伊達家の分国法である「塵芥集」を基にしたものだよね。
最上のも。
413人間七七四年:2008/11/15(土) 00:57:12 ID:E9WOcse7
>>410
そんなに力入ってるか?普通だと思うけど

>>407
>明日はどうなるか、誰にもわかりません。
確かに明日ってどうなるか分からないよな、変わらない明日が来るって確定されてないし。
考えさせられるなぁ
414人間七七四年:2008/11/15(土) 00:57:25 ID:c16naHzT
>>412
なのになんでDQN大名が生まれたんだろうな
415人間七七四年:2008/11/15(土) 01:00:06 ID:o7aArdtH
>>414
政宗「オレがルールだからだ!」
416人間七七四年:2008/11/15(土) 01:01:20 ID:QvW46ON0
>。407
そこで一理あると思えるあたりが信長らしいかな
まずいのに当たると減らず口を利くなでバッサリ
417人間七七四年:2008/11/15(土) 01:09:00 ID:cKjR9E3+
慶長3年(1592)、大聖寺城主・溝口秀勝は堀秀治の与力大名として新発田6万石に栄転になり
新たな領土に向かった。
途中、寺泊まで来ると、上杉家が去ったスキを狙って暴れていた野武士団200人ほどに
不意を突かれ襲われた。引越し中の秀勝一行はロクな装備も無く、窮地に陥った。

その時、野武士に背後から別の集団が襲い掛かった。秀勝一行は、この謎の一団と組んで
野武士を挟み撃ちにすることで撃退することが出来た。
事が決すると、一団の頭が名乗り出た。「手前は寺泊の商人、菊屋新五郎と申します。」
治安悪化の時節、傭兵を雇って巡回していたこの男に秀勝は救われた。

関ヶ原の戦の際、堀久太郎は上杉の扇動による一揆に悩まされた。私兵すら持つ菊屋も
上杉との関係を疑われ、春日山に連行された上、牢に囚われ、死罪と決まった。
ひそかに面会に来た手代・新吉に新五郎は伝えた。
「かくなる上は貸しのある溝口様を頼る他ない。済まぬが、新発田へ走ってくれ。」

新吉の訴えを聞いた秀勝は驚き、すぐに春日山へ行き、久太郎に新五郎の解放を頼んだ。
しかし、一揆に苦しめられ、疑心暗鬼の久太郎は菊屋を許そうとしなかった。
「ええい!この上は是非もないわ!」そう言い捨て、秀勝は去った

と見せかけ、手勢を率い押しかけ、牢を囲んだ。これ以上の騒動を避けた久太郎側が折れ、
菊屋新五郎は秀勝によって新発田に連れ出された。(菊屋五十嵐家家系由緒書)

Q太郎と貸し借りの話が出たので。で、この恩を感謝して、新発田じゃ秀勝の官名(伯耆守)に
遠慮して「ホウキ」(掃除道具)のこと「ナデ」って呼ぶって本当でつか?>新発田の方
418人間七七四年:2008/11/15(土) 01:20:47 ID:x3u//9pd
>>408
藤戸は兄の盛綱じゃない?
419人間七七四年:2008/11/15(土) 01:25:22 ID:cKjR9E3+
>>414
そもそも、塵芥集を制定した

その稙宗がDQN
その息子もDQN
その息子もDQN
その息子が政宗
420人間七七四年:2008/11/15(土) 01:27:27 ID:ZNYSnTuU
>>419
輝宗ってDQNだっけか?
421人間七七四年:2008/11/15(土) 01:36:03 ID:mumHIUK+
輝宗は伊達家では希少種の非DQN
むしろおとなしかったので伊達家の弱小化を招いたと言われるくらい

んでもあの悲劇の死の後に何人もの重臣が殉死したことで人望は察してあげて下さい
「俺が死んだら何人殉死してくれるかなー みんな殉死してくれないかなー ボク一人で死ぬの寂しいよ」
・・・と始終家臣にいってたという息子とはえらい違いだw
422人間七七四年:2008/11/15(土) 01:44:01 ID:4zLw/RMn
じゃあこうなるのか

そもそも、塵芥集を制定した

その稙宗がDQN
その息子もDQN
その息子はどこで間違ったのか非DQN
でもその息子は政宗
423人間七七四年:2008/11/15(土) 01:50:33 ID:JUL2/4z8
つーか、法ってものの偉いところは、法を作ると法務官僚層が形成されて、
軍事はともかく国内統治に関しては、当主がどうであろうと彼らによって、
割合安定して運営されるところなんだわ。
424人間七七四年:2008/11/15(土) 01:58:04 ID:cKjR9E3+
中野・牧野が党類、事急なるに因テ妻子を退るに不及して小松に籠城す。
逆徒、退散ノ後公彼等が妻子を殺さんとす。遠藤基信諫て止む。(治家記録)

中野宗時の乱が静まった「後に」その家族を殺そうとした。遠藤さんが止めなきゃジェノサイド。

永禄9年、小泉城攻めのとき、支倉時正(常長の養父)に、鍬を大量に用意させてる。
要するに刈田だけじゃ飽き足らず、百姓の苦労よそに根っこから掘り返して絶やしてる。

天正2年、鮭様パパから遠藤基信あて書状
「一最上へ御加勢に候哉、御自身御出馬候哉、此度可示給候」

当然、天正最上の乱の仲裁名目で出馬したんだろうけど、相手にハナから信用されてない。
>輝宗
425人間七七四年:2008/11/15(土) 02:03:12 ID:JUL2/4z8
ID:cKjR9E3+は少し落ち着いた方がいい。
伊達憎しみたいな気持ちが先に来すぎてて、かえって変な方向に言っちゃってる。
426人間七七四年:2008/11/15(土) 02:09:17 ID:JUL2/4z8
>>424
> 中野宗時の乱が静まった「後に」その家族を殺そうとした
乱の静まったあとに見せしめの処分を行うのは、珍しいことではない。

> 要するに刈田だけじゃ飽き足らず、百姓の苦労よそに根っこから掘り返して絶やしてる。
これも戦国時代のごくありふれた戦術。伊達に限らず武田も上杉も北条も織田も毛利も、
みんなやっている。むしろ伊達のやり方は甘いくらい。

> 当然、天正最上の乱の仲裁名目で出馬したんだろうけど、相手にハナから信用されてない。
これは信用云々以前に、利権確保の理由が大きいのでは?
戦国はパワーバランスの世界。力があれば信頼がなくてもかまわない。


これらをもって伊達をDQNだと言い張るのは無理がある。
427人間七七四年:2008/11/15(土) 02:26:16 ID:X9eZtXLh
これが伊達厨か
428人間七七四年:2008/11/15(土) 02:27:54 ID:JUL2/4z8
○○厨とか荒れる元だから他所でやってくれ。そもそも、全然いい話じゃ無いし。
429人間七七四年:2008/11/15(土) 02:50:00 ID:bVK9Q5td
いい話スレでこの貶し様はなぁ…。
悪い話スレで楽しくDQN言うのがいんだよこの兄弟スレはさ。
430人間七七四年:2008/11/15(土) 03:35:57 ID:5iZWJ/2j
>>407
おお・・・その貧者はすごい感覚の人だな
400幾年前の人の意見なのにすごく新鮮な視点だ
431人間七七四年:2008/11/15(土) 03:37:40 ID:5iZWJ/2j
>>408
安心の最上クオリティはこういった背景から成り立ってるんだなぁw
432人間七七四年:2008/11/15(土) 06:37:29 ID:aZP54nHI
伊達がDQNってのを真に受けるヤツが増えてきたw

ここで使ってるDQNと今いるDQNじゃ質が違うだろ
本物のDQNなら空気読めずに家潰してるっつーの

ここで使ってるDQNはある意味褒め言葉だぞ
長嶋茂雄タイプの微笑ましい方のDQNな

おっと、めんどくさくなるから
「微笑ましいヤツが人殺しなんてしねーよ!」なんてのは無しな
433人間七七四年:2008/11/15(土) 07:13:43 ID:6o/9H0sJ
DQN四天王は全員できるDQNだから、そのギャップが笑えるんじゃないかw
できないDQNなんてキチガイだぜ。
434人間七七四年:2008/11/15(土) 09:10:28 ID:aU/BU1hp
お前ら少しDQNDQN言い過ぎじゃない?
お前らと違って歴史に名を残した人物だぞ?
もっと敬った方がいい
435人間七七四年:2008/11/15(土) 09:10:34 ID:1p6bkivr
市松「お、俺はできるDQNだよな……?」
436人間七七四年:2008/11/15(土) 09:12:45 ID:suzCvvI+
437人間七七四年:2008/11/15(土) 09:15:08 ID:1nyTKsGi
>>426で言うような当たり前を、当たり前とせず敢えて禁止しますが
>>408のキモだな。こういう掟があれば鬼武蔵みたいなのは居づらくなるし。
438人間七七四年:2008/11/15(土) 09:27:59 ID:A+p4MmYg
喧嘩売らない
喧嘩買わない
このスレのお約束
439人間七七四年:2008/11/15(土) 10:04:04 ID:+WbZuhmD
>>407
信長はなぜ同じ生年月日の人間を探したのか気になる。
440人間七七四年:2008/11/15(土) 10:19:22 ID:IXK1It8Z
>>396
去年の大河ドラマ「風林火山」で同じような話があったな
糞汁飲んだのは山本勘助だけど
441人間七七四年:2008/11/15(土) 10:41:22 ID:qysllS+v
>>439
暇潰しか興味本位で家臣を動員しちゃうなんてちょっと悪い話にぴったりだよなwww
442人間七七四年:2008/11/15(土) 10:59:28 ID:b7Xj5tCt
関が原合戦余話。

関が原前の伊予国で、国主の高虎不在に付け込んで、三瀬六兵衛が農民を扇動して一揆を起こした。
この一揆を鎮め首謀者の三瀬六兵衛を切り殺したのは、芦尾庄九郎だった。
この芦尾庄九郎こそ、かの津田信澄の忘れ形見であった。
本能寺の変のおりに謀殺された旧主の妻子を、高虎が庇護していたのだ。

後に千姫が秀頼に嫁ぐと、明智光秀の娘である庄九郎の母は奥女中として千姫に付き添い、
その縁で庄九郎も秀頼に仕え、織田主水正と改名した。

さらにその後、大坂の陣でも戦功のあった主水正は、幕府旗本に取り立てられる。
ここでも高虎の口添えがあったのではないかと言われている。
443人間七七四年:2008/11/15(土) 11:34:51 ID:X9eZtXLh
>>442
こういう一面とか、丸餅の旗印の逸話とかあるのに
何で高虎って信用できないクセ者扱いなんだろ
444人間七七四年:2008/11/15(土) 11:53:51 ID:aZP54nHI
徳川の世になっていくつも主君を変えるのイクナイって風潮になって信用出来ないクセ者ってイメージ着いたんだよ
智恵者ではあるが変節漢でもなけりゃクセ者でもない
むしろ律義者

若い頃の高虎は浅井家の陪臣としていくつかの家を転々としていた
浅井が滅びると浪人することになる
ここで羽柴秀長と出会い仕えることになった
秀長が死に、秀保の代まで仕えたがこれが取り潰されると秀長を弔うために高野山へと登る

が、高虎の才覚を見抜いていた秀吉はこれを召し出し伊予に大名として取り立てた
しかし高虎は秀長の後継問題や秀吉の残虐性を嫌っていたので心服して仕えることになったわけじゃない
時の権力者である秀吉に逆らうことの出来る人間などいない
だから仕えた

築城の才については若い頃、自分に何が出来るかを考え特技を身に着けることで他人と差をつけようと考えて勉強した結果でもある

高虎は後、家康に仕えることになるが家康は高虎を重く扱い
高虎もまたこの信頼に死ぬまで応えることになった
445人間七七四年:2008/11/15(土) 12:07:06 ID:EALs0I0q
>>440
大河は逸話の少ない武将だと平気で人の逸話を取るからな
功名が辻でも関ヶ原の後一豊が三成に羽織かぶせてたしw
446人間七七四年:2008/11/15(土) 12:08:15 ID:oZrO8AEL
取材拒否した話

小瀬甫菴が「太閤記」の編集に際し、立花宗茂に「貴殿の記録を。」と求めた。

すると宗茂はからからと笑って、
「拙者のしたことは天下の公論に基づいたもの。どうして名をあげる
ために、その功績を記録するようなことがあろう。」
と言って、何も情報を与えませんでしたとさ。

447人間七七四年:2008/11/15(土) 12:29:30 ID:b7Xj5tCt
秀吉政権下では、子飼いの清正や三成たちが上にいる。
(豊臣ナンバー2秀長の筆頭家臣て、豊臣政権全体ではどれくらいの位置なのかね?)
徳川政権下でも、三河譜代の臣がいる。
基本的に傍流なんだよね、この人。
それであそこまで成り上がったから、やっかみも多かったんじゃないかな。
家康に先鋒任された話なんて、
三河譜代の臣からみたら余所者に取られて面白くなかったと思う

で、その高虎と家康のファーストコンタクトの話。

小牧対陣前夜の事である。
太閤の内命により敵地を密偵するために、
高虎は土工夫に変装し籠を担いで浜松城の付近を歩き回っていた。
物を見る判別に優れた家康は怪しく思い、近臣に調べるように命じた。
高虎は巧みにとぼけて適当に挨拶し、急いで立ち去って帰陣した。
その後、家康が上洛し高虎が家康に拝謁したとき、
私は以前浜松城下で籠を担いでいた者であると申し出たので、
家康は大いに驚いたと言う。

ま、これは伝説だと思うけどね。
籠を担いで城下を徘徊する、人並みはずれた巨漢……怪しいよなあw
448人間七七四年:2008/11/15(土) 12:44:48 ID:oZrO8AEL
>>442
津田昌澄(織田信勝の孫)のことやね。
彼は大阪冬の陣で大坂方として奮戦し、敗戦後家康のもとに自首したんだが、
その豪勇っぷり・潔さを惜しんだ高虎が助命嘆願した話は「寛政重修諸家譜」
にも書いとるな。
449人間七七四年:2008/11/15(土) 14:22:09 ID:3hDQyDFK
>>439
「誕生日で運命決まるなら、オレと同じ誕生日の奴って成功してるはずじゃね!?」
と思ったんじゃなかったっけ。
450人間七七四年:2008/11/15(土) 14:33:47 ID:PNqwV88o
信長って占いとかちゃんと確かめようとするね
451人間七七四年:2008/11/15(土) 14:35:09 ID:xPvUyoHu
信長は頭から否定するタイプだと思ってた
452人間七七四年:2008/11/15(土) 14:37:33 ID:JUL2/4z8
信長は不思議な事を聞くと、我慢できず確認しに現場へすっ飛んでいくMMR体質。
453人間七七四年:2008/11/15(土) 15:05:14 ID:CUrOLZIu
信長「比叡山を焼き討ちにするんだよ!!」
柴田・丹羽・佐久間「な、何だ(ry
454人間七七四年:2008/11/15(土) 15:52:37 ID:sEUc/AFw
先鋒大将の心得

ある戦で、信長は柴田勝家を先鋒大将にしようとした。
勝家はしきりに固辞するも、信長があまりにしつこいので、
「それでは先鋒大将を仰せつかります」と答えた。
数日後、安土の城下で勝家と肩がぶつかった信長の家来の無礼を咎め、勝家は
その侍を斬り捨てた。
信長はその報告を聞いて激怒して、勝家を呼びつけた。
勝家は、
「だからこそ、先鋒大将の申しつけを強く辞退したのです。理由もなく辞退した
わけではありません。先鋒大将たるもの相応の威厳がないと、命令することもでき
ません。いかがでしょうか。」と答えた。
これには信長も返す言葉がなかったという。(名将言行録)
455人間七七四年:2008/11/15(土) 15:58:41 ID:ZNYSnTuU
>>454
権六は先鋒大将じゃなかったら駄々をこねるタイプだと思ってたのにw
456人間七七四年:2008/11/15(土) 16:09:07 ID:E9ZWOYum
織田家中で俺に先鋒させないなら行かねーよなのは
佐久間佐々池田と蒲生かな
457人間七七四年:2008/11/15(土) 16:39:35 ID:JUL2/4z8
大阪冬の陣が始まろうという頃

杉野右馬允の家臣に山本才助という者がいたが、その才介の召し使っている老女に、
この年18になる、三之助という者がいた。この若者が、主人が出陣するのなら、自分も是非
連れて行って欲しいと、そう言って来た。

才介は「年老いた母がいるのだ、国元に居ろ」と言ったが、その母も

「武家に奉公している者は、戦の時は主人の共をして出陣するものです。私の事は心配せずに、
銅か息子の願いを聞いてください。」

そう頼むので、従軍する事となった。
そして大阪に着き、合戦が始まった。大阪城から数百丁の鉄砲が、一斉に放たれた。とたん三之助は、

逃げた。

初めての戦場と大量の鉄砲の音、緊張と恐怖でわけがわからなくなり、戦場から逃走したのだ。


故郷の屋敷に、ボロボロの姿で現れた三之助を見た母親は驚いた。
「もしや、ご主人が討ち死になさったかい!?」

「いいや、ご主人にはなんにもなかったけど、大阪城からの鉄砲の音を聞いて、天地が崩れるかと思って
一目散にここを目指して逃げてきた。途中で金がなくなり、乞食をしながらやっと帰りついた」と、答えた。

母は最初の驚きが過ぎると、だんだん腹が立ってきた。
「お前のような者とは親子の縁を切る!これが今生の別れだ!」と、金を渡して屋敷を追い出した。

大阪冬の陣は、和議が成った。
杉野軍も国許に戻った。さて、母に追い出されて十日後、あの三之助がまた屋敷に戻ってきた。
母はまた彼を叱り飛ばし、追い出そうとしたが、屋敷に帰っていた山本才介がそれを聞きつけ、
三之助を呼んだ。

「お前はどうして逃げたのだ?」

銃の音で怖くなって逃げた。その顛末を正直に話した。「追い出されたけど、どこにも行く所はありません。
お手打ちも覚悟の上で戻ってきました。」

山本才介は何も言わず、三之助を元のように召抱えた。


さて、和議は壊れ、夏の陣が起こる。杉野家も出陣が決まった。

三之助はまた、従軍を願い出た。「また鉄砲が鳴るぞ?」才介は笑って言った、母も今度は強く反対したが、
三之助は真剣だった。才介は、従軍を許した。


天王子、岡山での最後の決戦、山本才介と三之助、そしてもう一人の従者は、城に引き上げようとしていた
敵の騎馬武者三人に追いつき、攻撃を仕掛けようとした。しかし城内から鉄砲を撃ちかけられ、従者が
腰を撃たれ、斃れた。残るは、才介と三之助の二人だけである。才介は勇敢に騎馬武者に向かっていったが
ついに取り逃がしそうになった。その時、

三之助の猟銃が放った弾が、騎馬武者の一人に当たり、落馬させた。

山本才介はその首を取り、見事、手柄を上げた。

冬に逃げた三之助が、それを許した恩に報い、夏に主人に手柄を上げさせた。そんなお話。
458人間七七四年:2008/11/15(土) 16:40:24 ID:uFO3SteK

あてつけに切捨てられた侍カワイソス
459人間七七四年:2008/11/15(土) 16:49:00 ID:5JlAEyrA
>>457
ハラハラしながら読んだ
最後は三之助死ぬかと思ったけど
良かった〜
460人間七七四年:2008/11/15(土) 17:35:21 ID:LxXKE4Zl
>>450
池に大蛇がいるか確かめるために、池の水をすべて抜いたとかいう逸話あたりか。
461人間七七四年:2008/11/15(土) 18:22:50 ID:4L5LcCpC
無辺のエピソードなんかも、まず確認から入っているからね>信長

>407のエピは、そういう運命論に対する確認でしょうな。
462人間七七四年:2008/11/15(土) 18:47:01 ID:bKVbKY/f
>>457
これはいい話。ホロリとしたよ。
463人間七七四年:2008/11/15(土) 19:28:08 ID:g3Bx9li2
>>432
>本物のDQNなら空気読めずに家潰してるっつーの
おっと!最上義光の息子の悪口はそこまでだ!
464人間七七四年:2008/11/15(土) 19:38:50 ID:JUL2/4z8
>>463
孫じゃね?最上義俊。この人はどうも、家を潰したいとしか思えないような行動をしてる。
有名戦国大名の子や孫には、ホントにどうしようもないDQNがいるんだよねー。

最上義俊(最上義光孫)、加藤明成(加藤嘉明息)、加藤光広(加藤清正孫)
こいつらはリアルな意味で、ごく潰しのろくでなし。
465人間七七四年:2008/11/15(土) 20:00:54 ID:ntcpmpTb
>>457
鉄砲にびびってたのが、鉄砲でしとめるようになるとは。
戦国のブルース・ウェインだな。
466人間七七四年:2008/11/15(土) 20:33:57 ID:sgtEFra2
>>465
三之助死亡フラグwwww
とか思って読んでたら普通にいい話でワロタww
467人間七七四年:2008/11/15(土) 22:33:04 ID:NZHzcBjd
>>464
んー、でも義俊って福島家改易の接収時の態度が幼いながら立派だったということで、
秀忠から刀をいただいたりしているんだよね。

改易後も最上家再興のため文書を発給したりしているし、無能は『藩翰譜』あたりで
後世で強調されすぎているかんじ。
十三歳かそこらで五十七万石継いだらいろいろキツイだろうし、
そこは家臣がサポちゃんとやるべきだったろと思う。

義光の後継者選びの失敗も自業自得呼ばわりされがちだし、
家親も妾に刺し殺されたとかガセネタ広まっているんだけどさー。
最上の改易って最近の研究では土井・本多の幕府内権力抗争に巻き込まれた、
不手際より見せしめの要素が
強いんじゃないかなんて言われるようになってる。
元和偃武期の改易って、理不尽なものが多いからそこんとこ微妙だわな。
468人間七七四年:2008/11/15(土) 22:37:02 ID:smRP4BBK
不仲すぎて
政宗「計画通り」
って笑ってたんじゃないかと勘繰ってしまう
469人間七七四年:2008/11/15(土) 22:47:09 ID:TZMvw93X
>>467
最上の改易は、義俊個人の資質はともかくとしても、重臣たちが
勝手に過ぎた結果だろうね。幕府も一度は裁定をくだしているのに、
それを潰してしまった。
470人間七七四年:2008/11/15(土) 23:31:56 ID:RvrpN1z0
よくも悪くも急成長しすぎたのが最上だからな。
人材マニアが色々集めてきたはいいけれど、当の人材マニアが死ぬとガタガタって辺りは
曹操が死んだ後の魏を彷彿とさせるところがあるな
471人間七七四年:2008/11/15(土) 23:35:22 ID:uiVq/oQG
蒲生さんもそんなイメージ
472人間七七四年:2008/11/15(土) 23:36:06 ID:NZHzcBjd
伊達みたいにもともとデカイ家なら、土台しっかりしていたんだけどな。
473人間七七四年:2008/11/15(土) 23:36:34 ID:aM0a62qd
織田さんもそんなイメージ。
474人間七七四年:2008/11/16(日) 00:13:53 ID:SkKwbIbg
組織維持ってむずかしい
475人間七七四年:2008/11/16(日) 00:27:37 ID:quB7RY6b
>>472
でも同時期の伊達騒動もかなりヤバかった筈
伊達の重臣達が大騒ぎした所を幕府に睨まれ、潰される寸前まで行った
あと少しで最上同様、伊達も改易になってたのでは
476人間七七四年:2008/11/16(日) 00:29:47 ID:NfrMPiD2
>>475
結局運だな。政宗があと十年早く生まれていたら、天下を取らずに改易されていたかもしれんね。
477人間七七四年:2008/11/16(日) 00:34:32 ID:SkKwbIbg
改易ラッシュ時の良い鴨に。
幕府の裁定無視したのは痛いなぁ…。勿体無いなぁ…。
478人間七七四年:2008/11/16(日) 01:38:32 ID:SEVaL8yv
最上の場合はね、地理的要素もでかいと思うんだよ。
当時の東北の状況は、主だったところだけでも、
佐竹20万石、伊達62万石、最上57万石、上杉30万石、蒲生60万石とこれだけでも230万石。
全て外様な上に佐竹、伊達、上杉と危なっかしいやつらがいっぱい。
んでこのほかにも徳川とは縁の薄い外様が色々。
こういうのが幕府お膝元の関東のすぐ上にいるってのは、気味悪い。
そんな中、外様とはいえ義光がかなりの親徳川で、次代の家親は家康の小姓。
山形は秋田・仙台・米沢を牽制できる位置にあり、最上家の存在は、
他の外様家を牽制する上でも重要なポジションだったと思うんですよ。
実際、最上家改易後しばらくは有力外様が配置されてるし。

で、何が言いたいかと言うと、最上家に期待された役割は単なる外様以上に親徳川
であることであり、義俊の時の騒動は、そういう役割を果たせなくなったと思われたことも
一因ではないかということ。

長文スマソ
479人間七七四年:2008/11/16(日) 01:48:04 ID:eVbAQ5Jg
鬼を継ぐ


天正12年(1584)、小牧において、羽柴秀吉軍と徳川家康軍は、焦れる様な対峙をしていた。

4月6日夜、ついに羽柴軍が、動いた。
池田恒興、森長可を中心とした部隊が三河に向かっている。
これを察知した家康は、彼らを殲滅するため兵を出した。

強敵、鬼武蔵こと森長可の部隊の相手を任されたのは、家康により武田の遺臣たちを任された
若干23歳の青年、井伊直政である。鍛え抜かれた、赤一色に統一された部隊がついに動く。
彼は、逸った。

一人突出しようとする大将、直政に、三科形幸は忠告する
「まっすぐ突っかかろうとしてはいけませぬ。地の利をはかり迂回して敵の背後を突くべきです!」

しかし直政は止まらない。

広瀬美濃が駆けつける。「無理はなさるな、御自重あれ!」

邪魔だとはねつける。

ついに譜代家臣、井伊谷三人衆の一人近藤康用が、直政を後ろからわしずかみにして止めようとする
「大将が備えを捨てて単騎駈けされては、下地は誰がするのでござるか!?」


直政は、叫んだ

「この戦は荒くあてがえとの、殿からの仰せである!邪魔立ていたすと斬り捨てる!

良いか皆のもの!我に遅れるような奴は、男ではないぞ!」


そして、駆け出した。配下の者達も、一斉にそれに続いた。戦場に、赤い津波が押し寄せた。




鬼武蔵、森長可を銃撃により討ち取ったのは、武田の遺臣で井伊家家臣 、柏原與兵衛であったという。
柏原家には今も、このときの長可の着用していたと言う兜が伝わっている。

そしてこの戦より、井伊直政はこう呼ばれるようになった。

曰く、『井伊の赤鬼』
480人間七七四年:2008/11/16(日) 02:05:05 ID:SQndR7ja
松永久秀→伊達政宗→徳川頼宣
反骨路線は時代が進むに従って地味になってくな
481人間七七四年:2008/11/16(日) 02:13:50 ID:SkKwbIbg
平和な時代到来って感じ。
482人間七七四年:2008/11/16(日) 02:15:58 ID:SkKwbIbg
>>479
カコイイ(・∀・)!
483人間七七四年:2008/11/16(日) 03:21:22 ID:7gr588y8
勝ったからかっこよく思えるけど、負けたらただの馬鹿扱いだからなw
家臣としては冷や汗ものだろうw
484人間七七四年:2008/11/16(日) 08:55:30 ID:kH6cXpiW
長可は閻魔大王に天国に逝くように土下座されていそうだ
485人間七七四年:2008/11/16(日) 08:56:57 ID:jt7OK7mq
天国行ったら行ったで神様に封印されそうだ
486人間七七四年:2008/11/16(日) 09:34:44 ID:m3lNDK2y
>>485
大罪犯した天使か名のある悪魔のようだwwwww
487人間七七四年:2008/11/16(日) 10:32:07 ID:Ehw0VMMR
そりゃあ第六天魔王様が目を瞑る鬼武蔵だからなw
488人間七七四年:2008/11/16(日) 10:50:34 ID:tdxjoFMh
>>478
一応
蒲生さんは家康の娘婿でだいぶ贔屓されてるから外様扱いはカワイソス
489人間七七四年:2008/11/16(日) 10:56:07 ID:jt7OK7mq
秀郷さん個人は信長に愛され秀吉さんに気に入られ家康さんに贔屓されたけど
家を贔屓されたわけじゃないよ
最上さんちも義光さんは家康さんに贔屓されたけど家を贔屓されたわけじゃないから
どっちも家格は外様で会ってるしょ
490人間七七四年:2008/11/16(日) 11:03:06 ID:4G0tUxNx
氏郷?
491人間七七四年:2008/11/16(日) 11:09:13 ID:aq5AP9hL
銀の鯰尾兜

蒲生氏郷は、新参者には「銀の鯰尾兜をかぶって奮戦するものを見かけたら、
それに劣らぬ働きをせよ」と励ますのが常であった。
新参者が実際に戦場に出てみると驚いた。 この銀の鯰尾の冑の勇者はなんと
蒲生氏郷その人だったのだ。

氏郷はこうやって侍はこうあるべきと自ら手本を示したのである。
(名将言行録)
492人間七七四年:2008/11/16(日) 11:20:57 ID:jt7OK7mq
ああごめん氏郷さんだ
藤原さんちの秀郷さんと混同した
493人間七七四年:2008/11/16(日) 11:36:55 ID:aq5AP9hL
負けず嫌い

関ヶ原の合戦での西軍の島津軍の敵中突破は有名だが、島津軍が福島正則の軍勢の側を
突破しようとした。
福島正則は、「島津このヤロー!!」と島津軍に攻めかかろうとしたが、島津軍の必死
の覚悟をみた重臣が、
「もう勝敗は東軍の勝利に決しました。今更、攻めかかっても意味ありません。それに
島津軍のあの形相を見てください。あの軍にいま攻め込めば我が軍は大損害を被りましょう。」
と必死に正則を止めた。
それを聞いた正則は「むむむ」と歯ぎしりしつつ、
「さりとて絶対に敵に後ろは見せたくない!」と言って馬上で体を180度ねじって、上半身だけ
島津軍に向けたのまま、その場から離れましたとさ。
(名将言行録)
494人間七七四年:2008/11/16(日) 11:39:26 ID:Q1nJXvEB
想像してワロタ
495人間七七四年:2008/11/16(日) 12:00:50 ID:SQndR7ja
宇喜多に押されてる時に「東進せよ!」って命令したんだっけ?
下がれとか引けって言いたくないから
496人間七七四年:2008/11/16(日) 12:41:11 ID:SOS8wchW
>>493
正則からだは柔らかかったんだな
497人間七七四年:2008/11/16(日) 13:06:45 ID:s1Sv9OxN
馬に逆向きに乗って退却したんだと思ってたわ
498人間七七四年:2008/11/16(日) 15:13:30 ID:7nvLLwPR
精神年齢がかなり低めだ
499人間七七四年:2008/11/16(日) 15:21:25 ID:dRcFWqPy
要するに後ろ身ながら逃走って事でしょ
余計かっこわるくね
500人間七七四年:2008/11/16(日) 15:46:39 ID:g00q87oQ
>>498-499
まあ所詮正則だからな・・・
501人間七七四年:2008/11/16(日) 15:47:54 ID:E2CIaMvh
個人としては子供っぽいことだけど、将としては良い話だな。
部下の気持ちになって考えてみれば、
戦場で稚気を発揮できる余裕とか豪胆さがある主君は頼りがいがあると思うぜ。
ぷ、うちの殿様バカだwww と周りを見る余裕も出るだろうしな。
もしケツまくって逃げるだけなら、兵も逃げることだけに集中してしまうだろうし。
502人間七七四年:2008/11/16(日) 15:49:14 ID:kzh+iEcz
撤退ではない、転進である!!
まぁナンだ、その心意気は後の大本営に受け継がれ(ry
503人間七七四年:2008/11/16(日) 17:59:23 ID:KD/UMN7Y
これも一種の市松模様(パターン)w
504sage:2008/11/16(日) 18:08:54 ID:tvgfkUk8
戦国トイレ事情

鎌倉、室町時代に全数の影響により書院造りができたが、
トイレが雪隠と称し独立した部屋として造られはじめたのは戦国のはじめの頃だった。
雪隠というものは「孤独感」や「安心感」を得られる独特の居心地のよさがあり、
中には、雪隠を広めに造り畳を敷くなど、当時のVIPルームとして凝った造りにした武将もいた。

北条早雲は清掃を厳命し雪隠を清潔に保ち続けた。また、臭いを消すため香を焚いていた。
伊達政宗は巻物や書を携え雪隠にこもり読書をするのが好きだった。
嫌なことがあると雪隠に逃げ込むこともあった。
武田信玄は雪隠をとても気に入ったらしく、中で一日過ごしたこともあったという。
その際、部下に指示を与えるのも雪隠の中からだった。

その他、お尻に事情持ち(男色的な意味で)の武将たちも雪隠を愛用したという。
戦国武将にとっての雪隠は、単なる便所ではなく憩いの場のひとつだったのかもしれない。
505人間七七四年:2008/11/16(日) 18:11:51 ID:jt7OK7mq
武田信玄が便所飯の元祖だったって話
506人間七七四年:2008/11/16(日) 18:12:43 ID:Q1nJXvEB
まさにレストルームですな!
507人間七七四年:2008/11/16(日) 18:22:39 ID:L0j1Nsjl
政宗に親近感わいた
トイレで漫画読むのいいよな
508人間七七四年:2008/11/16(日) 18:28:50 ID:43XhxwaI
信玄はトイレを「山」という隠語を使って表していたんだって

で、近習達が「山には草木(臭き)が絶えぬのうww」とかこっそり言ってたとか
509人間七七四年:2008/11/16(日) 18:31:59 ID:eVbAQ5Jg
トイレといえば、
武田信玄は、トイレの事を『山』と呼んだ。だが、何故そう呼ぶのかの理由は、誰にも言わなかった。

そこで、甲州ミステリーハンター達は推理した!

・近習、曽弥与一ノ助の推理
「ほら、(山に)登れば、あとは(腹が)下るだけじゃないですか。それじゃないかな?」

・近習、日向藤九郎の推理
「山の難儀は、荷負うて(臭うて)下る事だから、だよ。」

・長坂源五郎の推理
「山には草木(臭き)が絶えぬから。」

・小山田彦二郎の推理
「山道は、荷負う(臭う)(人夫たち)が、絶えないから。」

・小宮山内膳の推理
「わかった!山の荷負い(臭い)をすれば、焼き物が欲しくなるからだ!(焼肉のことと、香を炊く事をかけた)」


さあ、真実はどれ!?答えはCMのあとで!
510人間七七四年:2008/11/16(日) 18:58:38 ID:43XhxwaI
色々と話があるんだな
興味深い
511人間七七四年:2008/11/16(日) 19:28:22 ID:6P3pqRjV
昔の日本人の言葉遊びのセンスには感心させられるな
今ではあんまりそういうのを感じなくなってきた
512人間七七四年:2008/11/16(日) 19:30:53 ID:42a2BwsS
長坂源五郎の奴は知ってたけどほかの近習のもあったのか
513人間七七四年:2008/11/16(日) 20:10:33 ID:4WHLoVtZ
>>502退却ではない
未来への進軍である
この台詞思い出した
514人間七七四年:2008/11/16(日) 20:38:50 ID:URFsY3jC
>>513
何の台詞?
515人間七七四年:2008/11/16(日) 22:10:32 ID:rwPFoP3w
スレ違い申し訳ないですが

うちの近所(茨城)に鮭延寺って寺があって山形の武将?を埋葬してあるらしいんですがこの武将って有名なんですかね?
516人間七七四年:2008/11/16(日) 22:11:19 ID:c8Cm5nxe
何故このスレで質問しようとしたのかが謎
517人間七七四年:2008/11/16(日) 23:01:21 ID:hDIr/35b
>>514
三国無双4での袁紹が敗走した時のセリフ
518人間七七四年:2008/11/16(日) 23:42:40 ID:SQndR7ja
>>493が早速続・妄想に掲載されとるわ
519人間七七四年:2008/11/16(日) 23:46:56 ID:eVbAQ5Jg
掲載する時は「するよ」って、言ってくれるといいのにな。
520人間七七四年:2008/11/17(月) 10:02:38 ID:YhqBQFKz
遊郭と家康

駿府の城下町に遊郭ができ、徳川家の旗本御家人に大人気となった。
家康は内心御家人の遊蕩を苦々しく思ったが、遊郭が城下町の繁栄に貢献してい
ることもあり、特に取り締まりはしなかった。
しかし、家康が遊郭を放任したことで、御家人の中には遊郭の借金で首が回らなく
なる阿呆が出る始末。
そこである作戦を考えた。

ある時駿府町奉行から、
「上様が遊郭の遊女の踊りを御覧になりたいので、上様の御前で選りすぐりの遊
女による踊りを披露せよ。」とお達しがあった。
数日後遊女たちは家康の御前で見事な踊りを披露し、家康は遊女一人一人に菓子
を自ら与えるほどの上機嫌ぶり。
そして、遊郭に帰ろうとする彼女たちに町奉行はこう言った。
「上様はそなたたちの魅力にメロメロになられたそうだ。そなたたちの内から上
様のお側仕えに何人か召し出されると思うので、その準備だけはしておれよ。
但し、この話は内密にな。」
この話を聞いてすっかり有頂天になった遊女たちは、早速客の御家人たちにその話
を自慢した。

それを聞いた御家人たちは、
「こんなに口が軽い遊女たちが上様のお側仕えになれば、俺たちの遊蕩も洗いざ
らい上様にばれるに違いない。」とすっかりブルッてしまい、その日を境に御家
人の遊郭通いはピタッとなくなりましたとさ。
(名将言行録)

521人間七七四年:2008/11/17(月) 10:26:05 ID:xshHLVed
回りくどいな
522人間七七四年:2008/11/17(月) 10:54:40 ID:ahT/X0P/
これ家康の取った行動と結果が必ず一致するとは言えないよな
523人間七七四年:2008/11/17(月) 11:23:21 ID:zcIhUHAo
遊女を通じて家康に自分のいい話を伝えようとは思わんのか
524人間七七四年:2008/11/17(月) 12:04:52 ID:lHB0fodC
初鹿野伝衛門の陣羽織

武田信玄の使い番に初鹿野伝衛門という勇者がいて、背に「香車」と書いた陣羽織
で有名であった。
信玄は「自ら「香車」と名乗る伝衛門は思い上がった男だ。」と彼を叱ったことも
あるが、猪突猛進する伝衛門の働きは正にその異名に恥じないものであった。
しかし信玄は「前ばかり行って戻らないのでは真の勇者とは言えまい。戻ってきて
こそ真の勇者であろう。」となお渋いことを言う。
それを聞いた伝衛門はさっと陣羽織を裏返してみせ、
「金になって戻って参ります。」と返答した。

伝衛門の陣羽織の裏には「金」の文字が書かれていたのだ。
これを見た信玄は満足そうにうなずき、周りの武将もドッと笑いましたとさ。
(関八州古戦録)
525人間七七四年:2008/11/17(月) 14:16:42 ID:woz2JHzJ
誰が上手いこと(ry
526人間七七四年:2008/11/17(月) 17:32:11 ID:ZDlEkbdP
岡佐内それから


質実剛健の上杉家の侍ながら、守銭奴と罵られるほど金を貯め、しかし関ヶ原の時
その金を全て主君景勝に差し出した。

こんな逸話で有名な岡佐内。彼は関ヶ原の後、減封された上杉家から身を引き、牢人となった。

この左内には関ヶ原での武勇から、召抱えを望む大名は多く、特に、直接に戦った伊達政宗は
熱心に誘った。

「三千石でどうか?」

破格の条件である、が、左内は断った。「わたくしには多少のたくわえもあります。
今後は仕官することなく、悠々自適に暮らしたいと思います。」

この言葉が世間に伝わり、恐慌に陥った家があった。上杉家である。
上杉家には、ただでさえ左内から借金をしている者が多くあった。しかも関ヶ原の敗戦による
減封、転封で、みな、経済的に苦境に立たされている。

「左内の”たくわえ”とは、われらの借金の事だ。左内が借金を取り立てに来るのだ」

領内の動揺は大きく、ついに家老、直江兼続が直々に左内の元に訪ねて行く事態となった。
兼続は、佐内に聞いた。「わが家中の者達の借財を、どのようにするつもりか?」

佐内は兼続を、屋敷の庭に案内した。焚き火が焚かれていた。

「こうします」

その火の中に、借用書をことごとく、投げ入れた。
また、自分が仕官しなかったことが、上杉家の人々を不安にさせたことを恥じ、蒲生家への
仕官を決めた。


兼続は、「何故あれほどの男を手放してしまったのだろう。彼のような男こそ、本当に必要なのに。」と、
後々まで語ったとか。
527人間七七四年:2008/11/17(月) 17:38:01 ID:7YCcNIqn
>>524
うめぇwwwwwww
どんだけ仕込んで来てるんだwwwwwwwww
528人間七七四年:2008/11/17(月) 17:38:53 ID:EOB5isa0
かっこいーなー
普段は締めて(でも同僚に金貸してやってる辺り、守銭奴っていう評価はひどい)
本当に必要なときには直接自分のためでなくても金を惜しまないって
言うのは簡単だけど実行するのは簡単じゃないよな
529人間七七四年:2008/11/17(月) 17:54:48 ID:ZDlEkbdP
うは、いくつか佐内に変換ミスしてる。”左内”に直してください…orz


>>528
自分の部屋に大量の銭敷き詰めて、その上でゴロゴロ寝転がる、なんてことしてたからねw
守銭奴呼ばわりされても仕方ない部分もある>左内
530人間七七四年:2008/11/17(月) 17:59:35 ID:gZQoYVdW
【隠された死因】
政子との倦怠期に突入していた頼朝
政子の愛を確認するために美形で有名な御家人の名前をかたって闇夜に夜這い
ところが政子は「アタクシの肉体は頼朝のものなのー」と武器を取って攻撃
頼朝は「おぬしの気持ちはよくわかった」と言おうとしたが政子が凄く強かったので
「ちょと、待ちたまえ、おちつギャー」と殺されてしまった
灯りをつけた政子は超びっくりして親父と相談
「安徳帝のお化け見て落馬ってことにしとこう」となりました

落馬と教えられた家康は「武家の棟梁がそんな死に方してたらしめしつかん」と
記録を封印嘘を補てんする嘘が嘘を呼びいまや真実は闇の中


という珍説があるので
戦国大名の死因不明な人も奥さんとの関係を要チェック
531人間七七四年:2008/11/17(月) 18:11:43 ID:Zh1XKBpg
左内は自分の部屋に大量の銭敷き詰めて
その上を裸でゴロゴロ転がる趣味があるので
同僚達から気持ち悪がられていた反面
大事が起きたという報告が入ると敷き詰めた銭をそのままに
駆け出すという一面もあり。
お金が大好きで大好きで仕方ないが
お金より大事なものもちゃんと分かってるって感じだな。

左内は松川の戦いで政宗に斬り付け陣羽織を奪ったという逸話もあったりして、
関ヶ原のあと景勝から「越後」の名を貰う。
そんな左内さんは元々蒲生家臣なので蒲生転封に際し
会津に入ってきた上杉家に仕えたが蒲生家に出戻ったということさ。
532人間七七四年:2008/11/17(月) 18:21:37 ID:EOB5isa0
>>529
>>531
なんだとw
それはあれか、ちょっとお金貯まっちゃってテンションがあがりすぎたとか
周りの評価は守銭奴だけど、実際は趣味と実益を兼ねたお金限定蒐集家w
その後の行動といい、良いキャラだなあ
533人間七七四年:2008/11/17(月) 18:42:05 ID:Tj5L4oqP
妙に濃ゆい人材が集まる上杉
類は友を呼ぶのか
534人間七七四年:2008/11/17(月) 18:48:34 ID:POvaT1GA
札束風呂に入って「ヴェッヘ〜」みたいな邪悪な笑み浮かべてる奴を
時々雑誌の広告ページで見ます
535人間七七四年:2008/11/17(月) 18:52:03 ID:ak/hjJxq
金持ちになったら、全財産を一円玉に換えて銭の海で泳ぎたい
そんな夢を子供のころに持っていた
536人間七七四年:2008/11/17(月) 18:57:29 ID:Lu8CAH9Z
直江が政宗の渡した大判を手で取らなかった理由が分かった。
左内が大判小判の上をマッパで転がってたのをつい思い出して
「誰が触れてるか分からないしキモい」だったんだな。
537人間七七四年:2008/11/17(月) 19:00:36 ID:FglziSI3
今の硬貨や紙幣なんかも誰がどんな汚い手で触れてるかなんてわからんよね
538人間七七四年:2008/11/17(月) 19:02:55 ID:7YCcNIqn
左内「銭は飲み物」
539人間七七四年:2008/11/17(月) 19:11:59 ID:2HjFtZuv
カラスみたいにキラキラ光るモノが好きで集めてたような気がする。
540人間七七四年:2008/11/17(月) 19:32:39 ID:lHB0fodC
>>527
槍の又左っていう武将の陣羽織は、表も「金」・裏も「金」だったらしいぞw
541人間七七四年:2008/11/17(月) 19:33:37 ID:ErR2AV9V
>>537
海外旅行いくと紙幣の汚さに驚くよ。
日本じゃありえないレベル。落書き(メモ?)とかしてあるのも普通だし。
542人間七七四年:2008/11/17(月) 19:41:21 ID:45DBet2r
>>540
又左は金の使いどころ間違ってるよな
543人間七七四年:2008/11/17(月) 19:47:11 ID:SQbVZL/s
お金の為だからって
犯罪は岡左内
544人間七七四年:2008/11/17(月) 19:48:07 ID:7YCcNIqn
>>543
ちょ・・・
545人間七七四年:2008/11/17(月) 22:03:21 ID:UHhdjKza
>>535
今なら1アメリカドルあれば札束風呂が出来るぞ
ジンバb
546人間七七四年:2008/11/17(月) 22:06:16 ID:Eh6p4W8a
ジンバブエだっけか?何処かの国でお札の金額がもの凄いことになってるんだよね
547人間七七四年:2008/11/17(月) 22:17:35 ID:ZDlEkbdP
戦国時代の日本にも、実は通貨危機があった。

正確に言えば、明の国力衰退がはじまり。明銭の質が落ち、独自に通貨を発行せず
中国からの輸入に頼っていた日本で明銭への信用不安が起き、その分過去に輸入してあった
宋銭の価値が高まってその交換率やなんやらでかなりの経済混乱が起こった。
何処の大名も通貨政策でえらく頭を悩ましている。

江戸期になって土地の生産量をあらわすのに、それまでの貫高から、米の生産量を基礎とした
石高制になったのは、貨幣価値が安定していない現実を踏まえ、主食である米を基準とした方が
全国統一の規格としてふさわしかったため。

その後徳川幕府の統治下で、独自通貨の発行が進み安定した貨幣経済が復活するんだけどね。
548人間七七四年:2008/11/17(月) 22:37:39 ID:8h7JBwTt
>>531パタリロ?
549人間七七四年:2008/11/17(月) 23:16:15 ID:GSrUaxpw
裸で銭布団の上ゴロゴロとかどんだけ〜w
きっと
「これだけあれば皆が困ったときに諸々用立てられるぞひゃっほ〜い♪」
とか言いながら転がってたんだろうな
岡左内、好きだなーこういう人物
宗茂さんとこにも似たような人いたような気がするな

550人間七七四年:2008/11/18(火) 00:45:06 ID:riEYLL/8
>>543
お前の勇気は認める
551人間七七四年:2008/11/18(火) 01:30:09 ID:l/u/SCTh
俺は他人にお金を貸さない。
552人間七七四年:2008/11/18(火) 04:50:12 ID:Rc4tK4+2
>>536
小判ポンポンの逸話、うーん?と思ってたんだけど凄く納得した
そうだよなぁなるほどなぁw
553人間七七四年:2008/11/18(火) 05:17:13 ID:vu+4blV7
小判と言うと、家康の話でこんなのがあるな。

家康のお伽衆で、「たんはん」と呼ばれる男がいたんだけど、この人が、家康が戯れに投げた
黄金を巧みにキャッチしたので、家康が面白くなって、手元にある黄金袋から次々に投げてみると
たんはんさん、それらを全てすばらしい守備力でキャッチ&ゲット。
家康が「もう良い、ここまで。」と言って奥に下がると、側にいた本多正信が、

「黄金袋の中にまだ黄金が残っているぞ!たんはん、上様を追いかけるのだ!」

承知!とたんはん、家康を追跡!それに気がついた家康、「捕まってなるか!」と
ダッシュ!城の中で家康とたんはんさんが猛烈なデットヒート、

「上様は敵に後ろを見せられるか!」との、たんはんの挑発にも、一気の逃げ切りを図る家康だったが
ついに行き止まりに追い詰められ、「年寄にあまり無理をさせるな」と、黄金袋をたんはんの前に放り投げ

「全てお前のものだ」

と、負けを認めたとか。
大喜びのたんはんを背に家康、けしかけた本多正信に向かって、「ま〜さ〜の〜ぶ〜」、と
文句を言いまくったとか。


非常に珍しい、はしゃぐ家康の逸話。
554人間七七四年:2008/11/18(火) 06:21:03 ID:gtx4AjWS
けしかける本多正信も随分はしゃいでるよなw
これが本当だったらなんとのどかな江戸(駿府?)城
555人間七七四年:2008/11/18(火) 06:22:09 ID:Z+e2Jwsc
江戸城大広間で謁見の順番を待っていると、じっと政宗の顔を見る武士がいる。
その武士に「なぜそんなに私の顔を見るのか」と聞くと、
「自分は水戸家の家臣で『鈴木石見』と申す者です。
主君(徳川頼房)のお供で来たのですが、奥羽の太守殿にお会いするのは
 初めてなのでお顔を忘れないようにと思いまして」
と答えた。
政宗は気になったので更にわけを聞いてみるとこう言った。

「水戸は奥州の先手であるので、逆心を抱く者に備えねばなりません。
 ご公儀に背く者があるとすれば貴方様をおいて他にはおりませんので、
 よくお顔を覚えておいてぬかりなきように心がけているのです」

彼の大胆な物言いに感じ入った政宗は
「全くその通り、背くとすれば私をおいて思い当たる者は他にないだろう」
と大笑いし、後で頼房に
「目利きの家臣をお持ちで羨ましい。あの者と是非話をしてみたい」
と告げ、後日頼房に断って鈴木石見を屋敷に招き夜通し語り合ったという。
556人間七七四年:2008/11/18(火) 06:55:06 ID:RErQlLbQ
やっぱこういうの見ると政宗ただもんじゃないよな
とにかく器が凡人じゃ量り知れなくて良い意味でも悪い意味でもスケールがデカイんだろうな

うん。やっぱ政宗の『DQN』は褒め言葉
557人間七七四年:2008/11/18(火) 08:50:57 ID:dOM5GLfG
政宗は常にべジータポジションを狙ってるよな。
「いつ謀反を起こすかわからない俺かっこいい」っていう中二病的な露悪癖全開。
そういうところが好きだ。
558人間七七四年:2008/11/18(火) 09:01:20 ID:3xzjixkq
>>557
るろ剣の宇水思い出した。
559人間七七四年:2008/11/18(火) 09:25:11 ID:RErQlLbQ
政宗「鬼武蔵・・・お前がNo1だ(さすがの俺でも引くわ」
560人間七七四年:2008/11/18(火) 09:31:30 ID:GbvSmNb5
個性強いわな伊達は。良いね。


そしてはしゃぐ家康に萌えまくったー
561人間七七四年:2008/11/18(火) 11:06:39 ID:dqlZQ2vG
>>553
家康も正信もなにやってんだwww
なごむわーww
562人間七七四年:2008/11/18(火) 11:10:53 ID:aKADCwM4
家康可愛いなぁwww
563人間七七四年:2008/11/18(火) 11:44:10 ID:NIKX9EB9
家康「ちょwwやめーやwwww」
564人間七七四年:2008/11/18(火) 12:14:51 ID:07gUQXLe
東京ヤクルトスワローズ

   6順目指名選手

    たんはん

   家康御伽衆

     内野手
565人間七七四年:2008/11/18(火) 16:01:44 ID:12j58HEG
>>557
ある意味、天下取るより美味しいポジションだと思ってそうだよな
566人間七七四年:2008/11/18(火) 16:33:38 ID:ez6AG+4k
宝物を託す

明智光秀が山崎の合戦後に土民に殺され、娘婿の明智秀満は最期の一戦をするた
め坂本城に籠城し、寄せ手の堀たちは大軍でたちまち城を包囲した。
自刃を覚悟した秀満は、天守閣に秘蔵していた国行の刀・吉光の脇差・虚堂の墨
跡などの名宝を風呂敷に包ませ、寄せ手の武将・堀監物に軍使を遣わし口上を述
べさせた。
「寄せ手に申し上げる。この道具は私物としてはならない天下の宝物ゆえ、城も
ろとも焼いてしまえば天下の物笑いとなろう。ゆえに監物殿にお渡しいたそう。」
しばらくして、監物からの使者が来た。
「確かに、宝物を受け取りました。しかし、明智家の秘宝中の秘宝の郷吉弘の脇
差がないのはどうしてですか?」
対する秀満の返事は、
「その道具は主君・光秀様の愛用の刀で、いつも肌身離さずお持ちであった。
しかし、光秀様は心ならずもこの刀を置いたまま冥土に旅立たれてしまった。ゆえ
にそれがしがこの刀を持って冥土に出向き、冥土でお待ちの光秀様にお届けせねば
ならんのだ。ご了解あれ。」

坂本城の天守閣が炎に包まれたのは、それから間もなくのことであった。
(川角太閤記)

567人間七七四年:2008/11/18(火) 16:58:16 ID:vu+4blV7
忠臣すなあ。
568人間七七四年:2008/11/18(火) 18:06:45 ID:vu+4blV7
彦根城の人柱

慶長八年(1603)、家康の命により築城の始まった彦根城。工事は順調に進んだが、
天守の築造にいたってとたんに進捗が滞った。どうやっても上手く行かないのだ。
これに、工事関係者は「人柱を用いるべきではないか?」
と、ささやき始めた。この声は藩主、井伊直継にまで達したが、直継は

「人柱など立てても、工事が進むわけではない。人命を無駄にしてはならぬ。」

と、それを認めなかった。しかし、工事は遅々として進まない。
責任者の普請奉行は、深く悩んだ。自宅でも工事の事ばかり考えていた。どうすればこれを打開できるか…
父の悩む姿に、その娘、お菊が、思いつめた顔で言った

「父上様、私を人柱にしてください!」

唖然とする父、そして母。だがお菊は言う、「父上はいつもおっしゃっているではないですか、殿様が
お困りの時は、命を捨ててご奉公しなければならない、と。」

「だが、それは…」

「今こそわたくしが、殿様のお役に立てるときではございませんか。そのために投げ出す命なら、
本望でございます!」

娘に説得され、翌日普請奉行は直継にこれを進言した。
「なんと…」

直継はしばらく考え、言った
「お主の娘の忠心、感じ入った。このとおり、礼を申す。」

主君であるにもかかわらず、直継は普請奉行に深々と頭を下げた。お菊は、人柱となることになった。

数日後、白装束に着替えたお菊は、白木の箱に入り、埋められた。「殿様のお役に立ってまいります。」
それが最後の言葉だった。
普請奉行は、娘が埋められるところを見ることが出来なかったと言う。

お菊の埋められた数日後、天守は無事、天守代にすえられた。工事は成功した。


直継から、普請奉行の元に書状が届いた。お前達には、この工事の事で特に礼を言いたいので、
内儀と一緒に屋敷に来て欲しい、と。
夫婦二人、御前にまかり出た。平伏していると、直継が入ってきた。「顔を上げよ」
視線を上に上げると



「あっ!」



「父上様!母上様!」、お菊がいた。

「わしはな」仰天している普請奉行夫婦に、直継は言う「最初から、人柱などするつもりはなかったのじゃ。
だが工事の者達はもはや、人柱をしないと納得できないようであった。だからお主の娘を埋めると見せかけ、
こっそり空の箱と取り替えたのだ。
みな、人柱があったと思い、おかげで工事は順調に進んだ。
黙っていてすまなかった。礼を申す。」

普請奉行は涙を止める事ができず、ただただ体を震わせながら平伏していた、と言う。
569人間七七四年:2008/11/18(火) 18:24:58 ID:07gUQXLe
( ;∀;)ガチデイイハナシダナー
570人間七七四年:2008/11/18(火) 18:31:26 ID:YrNcLVOS
なんというガチで良い話
571人間七七四年:2008/11/18(火) 18:37:00 ID:AVjTZNUZ
普通にいい話じゃねえか・・・流石井伊直政の息子。
572人間七七四年:2008/11/18(火) 18:38:33 ID:uWmg88lv
秀吉や家康なら救った上で娘に手をつけてるところだが
573人間七七四年:2008/11/18(火) 18:53:12 ID:TcsxoICj
せっついてた奴らに生きてること知られたらすっごい気まずくなりそう
574人間七七四年:2008/11/18(火) 20:41:17 ID:sFSaELRM
さすがは井伊の殿様じゃー!
575人間七七四年:2008/11/18(火) 21:34:32 ID:rPcYgz0y
>>555
でも片目だし政宗をのせているような気がするなあw

「おいおまえ、政宗どうだった!?」
「マジDQN、目がイッチャってたw」
「やっぱりw」
「てかああいうこと言っておだてておけばむしろ安心だよなw」

みたいな
576人間七七四年:2008/11/18(火) 21:59:26 ID:rPcYgz0y
>>555
もしそれが伯父さんあたりの常識人だったら…
「水戸は奥州の先手であるので、逆心を抱く者に備えねばなりません。
 ご公儀に背く者があるとすれば貴方様をおいて他にはおりませんので、
 よくお顔を覚えておいてぬかりなきように心がけているのです」

「……ご安心めされよ、うちはそんなことしません」

「ですよねー」

終 了 


常識人ってホントつまんねーな
577人間七七四年:2008/11/18(火) 22:07:03 ID:0kFFzZpj
>>572
これが黒田長政の逸話なら最強だった。
578人間七七四年:2008/11/18(火) 22:17:09 ID:Zk7YIzxe
>>576
もし
忠興なら…その場は黙って堪えて後に刺客を派遣
森なら…殿中での惨劇発生
福島なら…ガチで狼狽えて「え、こいつマジで?」と疑われるくらい?
579人間七七四年:2008/11/18(火) 22:24:53 ID:07gUQXLe
>>578
もし森忠政だったら、鈴木石見が忠政の顔じっと見てるうちに我慢できなくなってプニプニしだす
で、キレる
580人間七七四年:2008/11/18(火) 22:28:45 ID:Jmhj0cDq
そして、小松殿が鈴木の腕をへし折るんですね。
581人間七七四年:2008/11/18(火) 22:54:54 ID:wqiPXjCZ
>>568
父と弟の陰に隠れがちな印象がある人物ですがこんないい話があったんですね
それがかえって周囲には柔弱に映ってしまったんでしょうか。
582人間七七四年:2008/11/18(火) 23:05:20 ID:DdNGnUEO
ひこにゃんの上司の兄
583人間七七四年:2008/11/18(火) 23:22:20 ID:l+RIDkaW
>>578
市松さんはキョドりそうだよなw
584人間七七四年:2008/11/18(火) 23:25:19 ID:tWIs8S7F
市松さん、来年の大河では石原ヨシズミなんだってな
585人間七七四年:2008/11/18(火) 23:26:47 ID:sFSaELRM
すぐテンパる市松か
このスレ的にはぴったりだね
586人間七七四年:2008/11/18(火) 23:27:15 ID:tWIs8S7F
ちなみに伊達政宗は松田龍平だ
587人間七七四年:2008/11/18(火) 23:29:56 ID:rPcYgz0y
>>586
窪塚とかお塩先生とかそのへんがハマってそうだけどなあ
588人間七七四年:2008/11/18(火) 23:32:26 ID:9bnUxwR6
ホンモノのDQNじゃねーか
589人間七七四年:2008/11/18(火) 23:37:15 ID:GNE2a/Bj
独眼竜ウィッシュでいいよもう
590人間七七四年:2008/11/19(水) 00:03:53 ID:osgUCGaG
「おじさんがー、チョー常識人なんでー、俺ガチで仲悪いんすよー」
591人間七七四年:2008/11/19(水) 00:20:28 ID:d1xFArrz
嫁馬鹿DQNは誰なんだろう?
592人間七七四年:2008/11/19(水) 00:26:26 ID:gKlt7FDT
利休の娘が出るってことは利休も出るのか?
利休が出るってことはヤンデレも出るのか?
ヤンデレが出るってことh(ry
593人間七七四年:2008/11/19(水) 00:28:34 ID:vC5Fk8pu
七夕出羽ラブソング合戦!
来年大河でも激突予定の両者に七夕をテーマにしたラブソングがあったので、
対決させてみます。いい話かはビミョーですが。
力一杯意訳なので、ちゃんと知りたい方は自分で調べよう。


 
直江兼続

 「織女惜別(グッバイマイ織姫)」
            
  二星何恨隔年逢 彦星と織姫がまた会えるのは来年だけど、恨むなよ
  今夜連牀散鬱胸 今夜は同じベッドでとことん話そう
  情話未終先灑涙 二人だけの話が終わらないうちに朝が来て、涙が流れるよ
  合歡枕下五更鐘 楽しみ寝乱れたベッドで夜明けの鐘を聞くのさ

側室がいないことで有名な割に、ロマンチックかつエロチックな漢詩ですね〜。
彼の織姫って誰でしょうか。
 
最上義光

 「七夕も逢ふ夜となれば偲ぶかな阿古耶の松の木がくれにして」
(星の出会う七夕の夜となれば、私も懐かしいあのひとを思い出します。
そして私は、あこやの松の陰に隠れています……)

余談ですが義光はこの数年前に正室を失っています。
懐かしい人とは誰のことでしょう。ちょっと悲しいですね(⊃ω・`。)
594人間七七四年:2008/11/19(水) 00:46:29 ID:gKlt7FDT
彼の織姫が未亡人だった小説を読んだ事があるな
595人間七七四年:2008/11/19(水) 09:12:42 ID:+q7p/4yg
>>566の逸話で気になるんだけど、っても別に本当?とかそういうのじゃなくて・・

仮にも光秀は織田家でもかなりの実力者の部類と思うんだ
と、なると宝物と言えばたーくさんあったと思うのよね?
そいで秀満さんが
「俺達死ぬし、失っては勿体無いこれはアイツらに託し後世に・・」的な感じで渡した訳じゃない?

軍使を使わせてって事は時間もそれなりに開いたと思うんだ
その上で宝物の確認作業、これをしてるって事だよね?

A「アレはあるな、コレもあるし・・と」
B「明智家にはアレもあるそうですぞ」
A「あったあった、これな?」

A「あれ・・・?郷吉弘の脇差がねーよ!あいつ、ペチる気か!?」

で、おかしくない?って言いに行って
いえいえ、これは・・・みたいな感じで話をしたと
そいでやっとこさ炎が上がり、秀満さん達は自害しましたって事だよね?

待ってたの?今から死ぬよ!って覚悟を決めてからどんなけ時間経ってるんだよ、正に生き地獄じゃないか
そして堀さんどんなけ郷吉弘の脇差が欲しかったんだよ!って・・・
今から死ぬって人に「脇差し無いよ?」て言えるか?普通言えないだろ?
敗者は全てを失うのが戦国時代とは言え・・
多分秀満さんも思ったと思うんだ、堀は宝物チェックしたんか?って
今から死に往く人間に、何て言うか強欲な汚い部分見せたよね

そう気付いて、いい話〜とパッと見て思ってたんだけど、これは残酷じゃないか・・・・
596595:2008/11/19(水) 09:15:20 ID:+q7p/4yg
ゴメン乱文な上に長文で、しかもスレ違いだしw
何かそんなだったのかなぁ?って秀満氏の最後を思うと切なくなっちゃってorz
597人間七七四年:2008/11/19(水) 09:26:02 ID:5FIfL0lL
その短い間に鬼武者になって第六天魔王倒してたんだろうよ

第六天魔王って仏教側から見たとんでもない破戒者って意味で”悪”なわけじゃないぞ
ドラゴン側から見たドラゴンスレイヤーみたいなもんだな
598人間七七四年:2008/11/19(水) 09:30:58 ID:5SwTNtPs
>>595
大名家には、基本その家の宝物の「目録」が存在する。この時宝物は、
目録と一緒に渡されているはずだから、目録と宝物を比較すれば、
何があって何が無いかなんてすぐにわかる。
特に「明智家と言えばこれ!」みたいな宝物が無いなら目立つし。

まああと、こういっちゃなんだが、川角太閤記は、江戸初期の歴史小説だ。
あくまで秀満の悲壮さ、忠誠心を強調する演出なので、あまり深刻に考えない方がいい。
599人間七七四年:2008/11/19(水) 09:34:11 ID:Vn0hybzm
>>595
まず使者が来て趣旨聞いた時点で寄せ手側が無理攻めする理由なくなるわけで
脱出許さない態勢だけとってれば自害までの間は最後の別れの宴でも、ってあたりじゃないの。

そもそも宝物渡します、って言われて何もチェックせずに持ち帰ったらガキの使いじゃん。
一番の名宝だっていうならそれを渡すのを忘れた(実際はそうじゃないのにそういう扱いされちゃう)秀満も
受け取った本人も間抜け扱いだぜ?
600人間七七四年:2008/11/19(水) 09:44:03 ID:J1ItpsKN
凄くどうでも良いが、>>595文才あるな
さらっと読めるから何かいい話書いてくれよwww
601566:2008/11/19(水) 10:21:30 ID:MzH9oAYH
>>566
実は、この逸話には続きがあって、堀さんは坂本城の焼け跡から郷吉弘の脇差を探させたんだ。
「どんだけ欲しいんだよっ!」て言いたいとこだけど、実は秀満が託した宝物の一部(大半?)
は安土城からの奪略品でつい2週間前までは信長のものだった。
しかも、安土の金は光秀が家来・朝廷・京都五山に残らずばらまいたことは史実だから、秀満も
宝物を城ごと燃やすのには抵抗あったんじゃないかな。

興味深いのは、秀満が義弘を渡さなかったこと松永久秀の平蜘蛛の爆破とダブらせている点かな。
一方で、別の本(武者咄聞書)では、「秀満と久秀の対応は雲泥の差だ」って言っている。
江戸時代から、秀満の対応には二通りの評価があったんだよ。
602人間七七四年:2008/11/19(水) 10:43:32 ID:kmZgRTKJ
>>594
われ、謙信なりせば かな?
603人間七七四年:2008/11/19(水) 11:22:11 ID:5SwTNtPs
小田原の陣の赤鬼

小田原陣において徳川軍は、先陣を榊原康政と決めた。ところがこの時、いつも、先陣は是非自分に!
と言って来る井伊直政が、このときは何も言わず黙って受け入れている。

逆に不気味に思った家康、直政に確認してみた

「今回はおぬしが先陣ではないが、それでいいのだな?」
「ええ、もちろん!」

自信満々に直政は答えた

「つまり私は、小田原にわずかな人数でのこのこやってきた秀吉をぶっ殺す役目ですね!
その役目、喜んでやらせていただきます!」

家康、頭を抱えて「ちーがーうー。」


「え?秀吉殺さない…?



やっぱり、先陣がいいです!」


家康公も、色々気苦労が多いのだ。
604人間七七四年:2008/11/19(水) 12:12:53 ID:dyVvQU0D
斜め上にやる気だしてたのかw
605人間七七四年:2008/11/19(水) 12:15:24 ID:OOGEGH+t
初めて直政がかわいいと思えたwにしても先陣大好きだな〜
606人間七七四年:2008/11/19(水) 12:34:32 ID:N2AwYJWB
一方水野は説教された
607人間七七四年:2008/11/19(水) 13:04:47 ID:zucIB4uk
一方政宗は遅刻した
608人間七七四年:2008/11/19(水) 14:53:49 ID:/nhRi3Ta
逆方向に血気盛んでワロタw
609人間七七四年:2008/11/19(水) 15:13:14 ID:4QVatuDd
戦国ちょっと井伊話か
610人間七七四年:2008/11/19(水) 16:27:08 ID:Bqx15HbF
>>603の直政がひこにゃんで脳内再生されたw
611人間七七四年:2008/11/19(水) 18:45:23 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ一)

人使いが巧く、「名人久太郎」と呼ばれた秀政。
戦場でも彼はその才能を発揮していた。

合戦での陣中の夜間、特に風雨の強い時などは
「陣泥棒」と言う、武具や糧秣を盗む盗賊が
いて、当時の武将達は常に警戒していた。だが
秀政の陣では「陣泥棒」にやられる事が無かった。
秀政は見張りの兵達に、こう申し付けていた。
「今宵は風雨が強く、泥棒には絶好の機会だ。もし
『陣泥棒』が来なくても、わしがスキを見て泥棒に
入るので、気をつけておけよ。」
大将にこう言われては、厳しく警戒せざるを得ない。
秀政はこうして「陣泥棒」を防いだのである。

612人間七七四年:2008/11/19(水) 19:19:38 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ二)

秀政が秀吉の配下として九州平定戦に従軍
していた時の話である。

秀政は城を攻めていた。城方から勇敢にも
討って出てきた、敵兵五十人ほどを生け捕り
にした。秀政の前に引き出された敵兵達は、
見せしめの処刑を覚悟した。
秀政は敵兵達に言った「九州に来てから城攻め
ばかり。攻めた城はどこも一日で落城し、わし
は次々と行軍せねばならず、本当にきついのだ。
そこでお前達に頼みがある。このまま城に帰って、
せめて後三日は持ちこたえてくれないか?対陣して
いれば軍を動かさずに済むからな。」
と言って敵兵全員を解放した。すぐさま城に逃げ
帰った兵達は、とても敵う相手ではないと悟り、
城方は即座に降伏した。「名人久太郎」の面目躍如である。

もっとも、秀政は本当に休みたかったのかもしれないが…
613人間七七四年:2008/11/19(水) 20:02:42 ID:pNmaPFda
秀政の器のデカさが窺い知れる逸話だな。
生きてれば、関東に入れられたというのも頷ける。
614人間七七四年:2008/11/19(水) 20:14:41 ID:5SwTNtPs
久太郎さんはどの逸話も優等生過ぎるのが、良くも悪くも彼をマイナーにしちゃってる気がする。
615人間七七四年:2008/11/19(水) 21:22:55 ID:7jr2svV7
堀秀政のちょっと良い話(政務編)

ある時、堀家では論争が起きた。それは
「荷駄を運ぶ際、荷駄の数を決める勘定役と、
荷駄を運ぶ担ぎ役とではどちらが偉いか?」
と言うものであった。現代風に言えば経理担当
と現場担当どちらが大変か?と言う感じである。
これを聞いた秀政は勘定役、担ぎ役の双方を集め
こう言った。
「わしはかつて、蔵入り奉行(経理担当)をして
いたので、勘定役の苦労はわかる。だが担ぎ役は
したことが無いゆえ、今からやってみる。荷駄を
用意してくれ。」と言って荷駄を用意させ、自ら
荷駄を担いで小高い山を乗り越えた。
そこで一緒に着いてきた勘定役と担ぎ役の双方に言った。
「わしも戦で鍛えたゆえ、荷駄ごときと思っていたが、
間違いだった。ここに運ぶまでにヘトヘトになってしまった。
担ぎ役達には、いつもこの様な苦労をさせていたのだな。
本当にありがたい。これで勘定役も荷駄を運ぶ苦労がわかったで
あろう。お互いが苦労をいたわれば良いのではないか。」
勘定役、担ぎ役の双方は秀政の体を張った説得に感動し、和解した。
以後論争は無くなり、家中の団結は一層強くなったのである。
616人間七七四年:2008/11/19(水) 22:22:45 ID:SrADe6IH
>>614
確かに政宗さんも忠興さんも忠恒さんも森さんも一度聞いたら忘れられない話が多いね。
617人間七七四年:2008/11/19(水) 22:25:07 ID:k/w0jHuB
なにこの今すぐに上司になってほしいタイプ
618人間七七四年:2008/11/19(水) 22:56:55 ID:FbgSAwKY
堀が活躍する漫画誰か描いてやれよ
619人間七七四年:2008/11/19(水) 23:05:39 ID:FPXSPF6b
漫画にするには華がないと駄目だろ
620人間七七四年:2008/11/19(水) 23:12:31 ID:ARk9iP0d
>>616
「こいつやりやがったー(ガビーン)」って話が多いからなあ
Qさんは「出来たお人だねえ」で終わってしまうのが原因か?
621人間七七四年:2008/11/19(水) 23:39:22 ID:SrADe6IH
Qさんは漫画の主人公よりも、コンビニで売ってるサラリーマン向けの「良い上司悪い上司」みたいな本の「良い上司・中間管理職」の例として出てくるのが似合うタイプ
622人間七七四年:2008/11/20(木) 00:06:51 ID:sSGXzlXf
>>621
なんか核心突いてるな。
良い人であることは間違いないけど、トップに立つ人でもない、と。
623人間七七四年:2008/11/20(木) 00:11:41 ID:+orAGmcq
>>620
ガビーンってww
それ使う人久しぶりに見たわ
624人間七七四年:2008/11/20(木) 00:23:22 ID:QPbv1FTA
まあ、三十八歳で夭折したのが痛いな。
長生きしてれば、石田三成以上にメジャーな武将になれただろうに。
625人間七七四年:2008/11/20(木) 00:37:35 ID:uUJ+sXDV
長生きも武将の器量だからねえ。

たとえば塙直政が戦死せず長生きしたら、堀どころか、秀吉も光秀も出番がなくなるような
武将になっていただろうし。
626人間七七四年:2008/11/20(木) 00:48:18 ID:2tX6gb2m
原田さんってそんなに有能だったの?
627人間七七四年:2008/11/20(木) 00:57:32 ID:vSLFEFr+
HORI → 理想の上司タイプ
MORI → 一生関わりたくないタイプ
628人間七七四年:2008/11/20(木) 01:00:58 ID:Speu4obo
>>615
勘定役と比べる対象って担ぎ役なのかな?
担ぎ役って人夫でしょ
荷駄の数を決めるような上級な地位にない筈
道中、荷駄隊を差配する者こそ勘定役と比肩する役職なのでは
山賊や敵から荷駄を守らないといけないし
荷を奪われたらその責任を問われる

勘定役も荷の数が余計だったり、少なかったら無能呼ばわりされる
629人間七七四年:2008/11/20(木) 01:20:20 ID:q8UwFB10
>>627
一字違いでなんという違いww
630人間七七四年:2008/11/20(木) 01:22:03 ID:uUJ+sXDV
>>626
有能だったし、何より秀吉や光秀なんかに比べても、信長の信任が段違いだったと思われる。
631人間七七四年:2008/11/20(木) 07:25:04 ID:QPbv1FTA
>>628
戦国期の話だからね。たとえ末端の人夫(農民)とは言え、それなりの権利は有る。
現代みたいに派遣とか下請けとか、そんな感じで人夫を使えば、労使交渉とか
穏便な事では済まない。荷駄隊を会社としたら、勘定役=総務部、担ぎ役=営業部、みたいなものか。
当時の農民は江戸期みたいに、武士階級に支配されてる様な、おとなしい連中じゃあ無いよ。
632人間七七四年:2008/11/20(木) 08:26:44 ID:uUJ+sXDV
>>631
いや、権利と言う意味で言えば、やはり江戸期の農民の方がずっと持ってる。
戦国期の農民には、一部の天皇や公家、寺社領などを除けば、生命財産の保障すらなかった
(だから惣村を作り自力救済に及ぶのだが)

つーか、この場合の「人夫」は、徴発された農民ではなく、武家被官、もしくは軍の臨時雇いとしての
「小物」なんじゃないか?非戦闘員ではあるが軍役に当たる人たち。
633人間七七四年:2008/11/20(木) 12:20:20 ID:FKf0dJI2
初鹿野伝右衛門の旗指物

武田信玄の12人の使番は「白地に黒のムカデ」を旗指物とするきまりで、彼らは
「ムカデ衆」と呼ばれた。
しかし、ムカデ衆の1人・初鹿野伝右衛門だけは白地の旗指物を用いていた。
それを見た信玄は、
「ムカデ衆の中で白地の旗を指している奴は誰じゃ?なに、初鹿野伝右衛門じゃ
と。またアイツか。伝右衛門を呼び出せ!」とご立腹の様子。
「貴様は、ムカデ衆は「ムカデの旗指物」とする武田家の軍法は知っておろう。
なぜ、軍法違反したのじゃ!!」
それを聞いた伝右衛門は、
「ちっとも軍法には違反してません。」と言い旗指物を信玄に見せた。なるほど
、旗指物の隅っこに小さなムカデが描いてある。
これを見た信玄は、
「…。でもずいぶん小さいな。なぜ、他のムカデ衆みたく大きなムカデを描かな
いのだ?」
伝右衛門は、
「他の人と同じムカデを描いたのでは、戦場において、それがしの手柄が他の人
とまぎれてしまいます。ゆえに、わざと小さなムカデを描きました。」と平然と
答えた。
信玄は、それを聞いて大笑いしたという。
(武者物語)

634人間七七四年:2008/11/20(木) 13:00:51 ID:HpHnuvhx
香車成香といいユーモアセンスありすぎだろうw
635人間七七四年:2008/11/20(木) 16:25:33 ID:VpPbkZI6
主君が物わかりが悪いと打ち首になりそうで怖い。
636人間七七四年:2008/11/20(木) 17:18:34 ID:fdP2YqnK
ただ当時は農民も武装してたからな・・・
他に寺や神社もでかいと自治武装勢力だし、
地侍や一向宗と組んで国一揆なんかか起こされたらたまらん
637人間七七四年:2008/11/20(木) 17:53:03 ID:Nc3xkYx3
四天王でも長可以外はいけるな
638人間七七四年:2008/11/20(木) 19:07:22 ID:fWk751jb
>>627
「H&M」とかいうタイトルで森と堀ダブル主人公の戦国漫画を誰か書けばいいと思う
639人間七七四年:2008/11/20(木) 19:20:18 ID:7fqaC7wj
夢がMORIHORI
640人間七七四年:2008/11/20(木) 19:33:40 ID:ZclFbCvS
初鹿野伝右衛門の仕込みは異常
641人間七七四年:2008/11/20(木) 19:50:13 ID:GyS5y5tz
>>639
そんな山田雅人の相方なんて誰も知らねーよ。
642人間七七四年:2008/11/20(木) 20:31:47 ID:1gwDTbIl
>>640
伝右衛門全身これネタなり
643人間七七四年:2008/11/20(木) 20:34:44 ID:b+c3bB9o
>>638
「へぇ、あんたも“ORI”っていうんだ」
理想の上司になるために仕官したHORIと、人を斬るために生まれてきたMORI。
ひょんなことから二人の“ORI”は同居することになる。
さらに、HORIの所属するいい話スレと、MORIが所属する悪い話スレ、
2つのスレのメンバーたちを交え物語は進んでいく。原作:矢沢あい
644人間七七四年:2008/11/20(木) 20:44:44 ID:ZclFbCvS
森と堀が二人で階段から転げ落ちて精神が入れ替わる話でもいいね

いつもの優しい堀Qだと思って家臣が近づくといきなり斬られて・・・!?
645人間七七四年:2008/11/20(木) 20:46:08 ID:uUJ+sXDV
加藤嘉明の家臣に、河村権七という者がいた。

彼は関ヶ原でも大功をたてた者であったが、生来頑固であり、あるとき、嘉明と行き違いで口論となり、
腹立ちのあまり加藤家を出奔することにした。
が、出奔した後「あいつは他の家に、今より良い条件で仕えるために出奔したのだ。不忠者だ」などと
言われるのも片腹痛い。そこで、書置きを残した。

「この度お暇を頂くのは、他家に仕えるためではない。例え放浪の身になっても、加藤家以外に
仕える事はない。今後加藤家に大事があったときには、何処にいようと掛けつける。」

そうして、出て行った。これを知った嘉明は渋い顔をしたが、そのままほおって置いた。

14年の時が過ぎ、大阪の陣となる。
この時、豊臣恩顧の大名の多くは、江戸に留守居として抑留された。無論嘉明もそうなった。
そしてこんな噂が流れた。江戸に抑留された大名達は皆、改易されるのではないか?

そんな嘉明の江戸屋敷に、汚い身なりをした修験者が現れた。「どうか殿にお目通りを」
河村権七であった。

嘉明は驚き、対面した。「加藤家改易の噂を聞き、いても立ってもいられず参上いたしました。」

「…よく来た。書置きのとおりにいたしたな。」

嘉明はそれを喜び、河村を、元のように八百石で召抱える、戻って来い。と言った。
最初権七は恐縮したが、ついにこれに応じた。


「よし…。ではこちらに来い。」

嘉明は権七を、屋敷の一室に連れ出した。その部屋には、紫の布に覆われた、山のようなものがあった。
これはなんだろうと、権七が不思議な顔をしていると、嘉明は家臣に命じその布を取らせた。
その下には、莫大な金銀があった。

「権七、お前の俸禄じゃ。」

権七は混乱した。たった今八百石で仕えるとは言ったが、それが何故このような大金になるのか。
すると、その布を取った家臣が言った。
「これは河村殿が、『見聞の旅』に出ている間の俸禄を、殿の仰せで積み立てておいたものです。
14年分で一万一千二百石。どうぞお納めなされ。」

「お前は14年前、言ったな」唖然とする権七に、嘉明は語りかけた

「他家には仕えぬ。わしの一大事には駆けつける。お前の忠心を思えば、わしにはおぬしの俸禄を、
横領することなど出来なかった。そして今、その通りにしてくれた。

権七、またこの嘉明に、力を貸してくれ。」


権七はただただ、感涙にむせんでいた。

大阪の陣の後、会津四十万石に加増された加藤家において、河村権七は良く、嘉明を支えたという。
646人間七七四年:2008/11/20(木) 20:54:18 ID:WCRE5V7t
俺の顔面から今、熱涙が垂直に飛び出してきた・・
647人間七七四年:2008/11/20(木) 20:58:53 ID:sSGXzlXf
嘉明すげー!

塙直之の話があるから意外なイメージ。
648人間七七四年:2008/11/20(木) 21:13:47 ID:lhAliZ52
目から、目から水が…
649人間七七四年:2008/11/20(木) 21:43:15 ID:Lixrx8z8
イイハナシだなー!
650人間七七四年:2008/11/20(木) 22:57:16 ID:G7jG2XXa
ほおって
じゃなくて
ほうって
651人間七七四年:2008/11/20(木) 22:59:57 ID:VpPbkZI6
この主君にしてこの部下ありだな。
652人間七七四年:2008/11/20(木) 23:14:29 ID:ZclFbCvS
紫の布が一瞬紫の布団に見えてまさかの展開かと思って焦った
653人間七七四年:2008/11/20(木) 23:32:11 ID:yhffuRKw
>>645
どっかで見たことある名前だと思ったらこれか

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 12:23:21 ID:O1uOsHhC
関ヶ原の、奥方衆を守った話といえば、加藤嘉明のところの河村権七郎が、
嘉明の命で、苦労の末大阪の加藤屋敷に潜入して、屋敷に井楼まで組み上げて武装して
奥方を守り通したのだが、戦後、嘉明がこの功に200石の加増を言うと
河村「オレがどれだけ苦労して奥方守り通したと思ってるんですか!それをたった200石!?
オレの功を関ヶ原で訳のわからん首取った連中と一緒にする気か!あんた何にもわかってないよ!!」

って言って大喧嘩になって、結局河村出奔、ってのがあったなw
654人間七七四年:2008/11/21(金) 01:44:57 ID:9hVb0Hg0
>>645の口論の理由が>>653なのかな?そうすれば綺麗に繋がるような。
655人間七七四年:2008/11/21(金) 04:48:27 ID:CHfjyauG
>>645で感動したんだが>>653と併せて読んだら加増は結局200石止まりなのか・・・
656人間七七四年:2008/11/21(金) 05:13:37 ID:PPSdFcBT
一万石分の俸禄って現代の価値に換算すると数億円分になるはずだけど
いったい河村さんはその大金を何に使ったのだろう
657人間七七四年:2008/11/21(金) 06:55:08 ID:WpjqiV+M
家を買ったり色々使っても結構残りそうだ
658人間七七四年:2008/11/21(金) 07:20:51 ID:jypY5W5E
年俸200万で足軽100人雇えば2億消える
659人間七七四年:2008/11/21(金) 14:03:15 ID:DmGvCfZJ
曲淵と訴訟(その1)

曲淵庄左衛門は板垣信形の草履取りから、板垣衆の武将に成り上がった勇将であったが、
生来協調性に欠けトラブルメーカーであった。さて、板垣信形が討死したあと息子の信憲
が後を継ぎ、庄左衛門は信憲の寄子となった。
信憲は父同様に寄子から段銭という年貢を徴収した。段銭とは軍役のために寄親が寄子に
課す税金であるが、父・信形は庄左衛門をかわいがっていたので特別に徴収を許されていた
という事情があった。ところが板垣信憲はこれを強要したのだ。

信憲の言い分はこうである。
「他の寄子が払うのに、庄左衛門だけが払わないのはおかしい。父が目をかけていたとはいえ、
この度からは違う。わがままを言うのにもきりがある。」
すなわち、租税賦課の平等適用を主張したのである。

すると庄左衛門は、カンカンになって主人の板垣信憲を怒鳴りつけた。
対する庄左衛門の言い分はこうである。
「先代の殿様の仕方を尊重するのが子としての筋であろう。わしはビタ一文たりとも払わねえ!!
どうしても払えと言われるのなら、貴様の首を打ち落としてやるぞゴルァ!」
すなわち、租税免除の慣習法の適用を主張したのである。

 困った信憲は家老の山県・原に、
「信玄公に申し上げてらちをあけてくれるように協力してくれ」と頼んだが、
両人は「また、例の庄左衛門の病気かwww面倒に巻き込まれるのはやだよ。」と取り合わなかった。
仕方ないので、長坂と跡部に助力を依頼し、やっとこさ信玄にこの紛争を取り次いでもらうことが
できた。

両者の言い分を聞いた信玄は、腹を抱えて笑い出した。信玄がこれほど笑ったことがないと言う程に
大笑いした。
「曲淵めはものを知らぬやつだ。犬のような奴ではないか。犬は花壇を踏み荒らし、棒で追われると
その人に吠えつくモノだ。
しかし、鹿や狐を追わせると他の者ではまねができない。ああいう変わり者を家中に1人や2人いた方が、
面白いではないか。
曲淵は20か所の戦傷のある歴戦の勇者であり、彼ほどの勇者だからこそ広言を吐けるのだ。ゆえに、この件
で曲淵を許してもだれも税金支払い拒否のマネはしないであろう。」

結局この紛争はうやむやになったという。
(甲陽軍鑑)
660人間七七四年:2008/11/21(金) 14:20:31 ID:DmGvCfZJ
曲淵と訴訟(その2)

庄左衛門は無類の「訴訟マニア」で、気に入らないとすぐ難癖を付けて公事奉行所に訴えるという
悪癖があり、なんと、43歳までに訴訟提起は75回にも及んだ。
しかし、そのほとんどが「いいがかり」であったから、勝訴1回・和解1回あっただけで後は敗訴73回
という有様であった。

ある時、庄左衛門はいつものようにいいがかり訴訟を提起して案の定敗訴した。
敗訴した庄左衛門は、
「今度のは負ける訴訟ではなかったが、負けたのは、奉行に賄賂をしなかったせいでござろう。わしの
在所にはさらし柿がどっさりあるから、この次はその柿を賄賂としてもって参りましょう」
と公然と奉行を侮辱した。
公事奉行の一人の桜井安芸守はその侮辱に対して、
「曲渕殿の言い分は信玄公を軽んじるものであろう。われわれは上様が定めた法度にしたがって裁いて
おる。再度訴訟を提起するならば、今度は正しい理屈をもって参られたい。
たとえ賄賂を山ほど積んで参っても負けは負けというもの。お分かりであろうな?」
それを聞いた庄左衛門は、
「それがし小身にて桜井殿には地位や肩書きではたしかに負けます。しかし、斬り合い
ではそれがしの勝ちですぞ。口惜しく思いなさるなら、勝負してやろうか。またたくまに、
貴様の頭を切り砕いてやんぞ。わかってんのか、ゴルァ!!」
と言って脇差に手をかけた。

奉行衆は青ざめて一言も発せず帰宅したが、これほどまでに侮辱されて泣き寝入りはできず、
信玄のもとに庄左衛門の所業を訴えにいった。
桜井は悔し涙を浮かべて、
「法の正義もあったものはありません。あんなモンスター原告の庄左衛門を成敗しないかぎり
奉行をやめたいです。」

それを聞いた信玄は、
「たしかに、そちたちの言い分は正しい。曲渕めはけしからん。神聖なる法廷でそのような侮辱
をしたということは、法度を制定した、わしをも軽んじたことになる。
しかし、まあ聞いてくれ、わしが前に板垣信憲を寺に押し込めたのは皆も存じておろう・・・
といって庄左衛門の昔話をはじめた。

庄左衛門の主人・板垣信憲は郡内の仕置きも余りよくなかったため寺に押し込められ、板垣衆は
解隊された。
ところがアイツは、山県隊への転属を命じたにも関わらず、信形に世話になったからその恩は忘れ
られないと申し、バカ息子の信憲を守護して寺にいた。ろくでなしの信憲でも主人と思ってな。
そんな折り、信憲はたまたま用事で来た本郷八郎左衛門とトラブルになって本郷に切り殺された。
本郷に聞いてみると、切られた信憲の方が悪いことが判明したので本郷を特に処罰しなかった。
しかし、曲渕は何を勘違いしたのか、本郷がわしが差し向けた刺客と勘違いして、主人の仇討のため
に、このわしを付け狙いおったのだ。
そのとき、流罪にでもしようかと思ったが、わしは正左衛門を呼びつけて叱っただけで済ませた。利に
付かず、よく信形の恩を忘れぬ心根にわしはひどく感心したのだ!

あのようなものはまるで猫のようなものじゃ。猫というものは飼い主にも心なつかず、きれいな部屋の
中にも平気で糞をするというわるさをする。しかしネズミを良く捕って役に立つ。
ネズミもとりつくすと猫は自分のわるさを忘れて主人に重宝されていると傲慢になるものじゃ。
曲渕も猫じゃ。合戦の功名はネズミにとるのに等しい。そして、アイツの手柄は歴戦の勇士というにふさ
わしい。
ああゆうやつもいなくては、我が家は大きくなりえないであろう。

どうだ、わしに免じて許してやってくれ。わしからその方たちに頭を下げて頼む。
古より「良匠は材をすてることなし、明君は士をすてることなし」というではないか。勘忍の2字で考えてくれ。」
といった。

こう言われては、さすがに庄左衛門を成敗を要求できず、とうとう許したという。
(甲陽軍鑑)
661人間七七四年:2008/11/21(金) 16:18:37 ID:EC6YB/Gm
ゴルァとかいらん
662人間七七四年:2008/11/21(金) 16:28:15 ID:jypY5W5E
曲渕は犬ともいへ猫ともいへ
663人間七七四年:2008/11/21(金) 18:14:07 ID:pbawBMLS
ぶっちゃけそういう執念深い性質だったから下手に改易したりすると
命狙われそうで持て余してたんじゃね信玄さん。
664人間七七四年:2008/11/21(金) 18:35:46 ID:y+KTY77U
>>658それでも8億残る
665人間七七四年:2008/11/21(金) 18:41:25 ID:y+KTY77U
ゴルァとか本当に面白いと思ってつけてるのかと小一時間問い詰めたい
666人間七七四年:2008/11/21(金) 19:45:17 ID:7krDc8i/
ゴルァに突っ込みつつ小一時間問い詰めたいとかないだろ‥JK
667人間七七四年:2008/11/21(金) 20:21:00 ID:oZXwOJ6h
>>659-660

正則「いるよねこういう空気よめないで粋がる奴www」
668人間七七四年:2008/11/21(金) 20:33:05 ID:/vPzclP7
家久「お前が言・・・ん?なんだっけ」
669人間七七四年:2008/11/21(金) 20:36:25 ID:+l5NO4zd
曲淵の逸話はいつも、最終的に頭のいい人に言いくるめられるってパターンだよなw
670人間七七四年:2008/11/21(金) 23:18:11 ID:+l5NO4zd
いい話なのか、悪い話なのか迷ったが…

天正十年の初鹿野伝右衛門さん


織田徳川の甲州攻めが始まり、武田家がついに崩壊する、と言う頃。
初鹿野伝右衛門は自分の領地の村人達に、こう言った。

「わしは勝頼様に合流し、運命を共にする。お前達は自由にせよ。」

これに村人達は驚いた。伝右衛門様は我々を見捨てるのか!伝右衛門様がいなくては、
我々はどうしていいか解らないでは無いか!もう武田の家は終わりだ。どうか武田を離反してください。
村人の多くが集合し、大騒ぎとなった。

しかし伝右衛門は考えを変えない。

「武田家への忠義のためだ。…ゆるせ、皆の衆。」

村人達は落胆した。「そこまで言われるのなら…

我らにも考えがあります。」


「え?」


「行け!皆の衆!」村人達は伝右衛門の屋敷に乱入した!そしてなんと、伝右衛門の
妻女を人質に取った!

村人「フフフ、伝右衛門様?あくまで勝頼様の元にいくというのなら、この人質がどうなるか、
わかっておいででしょうな!」

伝右衛門さん「工エエェェ(´д`)ェェエエ工」


これによって伝右衛門さん、勝頼の下に駆けつけることが出来なかったとか。
671人間七七四年:2008/11/21(金) 23:23:16 ID:CLwR1n/B
これはまた、なんというか・・・
672人間七七四年:2008/11/21(金) 23:28:56 ID:wVJOSfbX
>>659
>>660
信玄の例え話能力は異常
673人間七七四年:2008/11/21(金) 23:32:16 ID:wVJOSfbX
>>670
確かにいい話かどうか分からんねw
領民も強引な手段に出たものだ
674人間七七四年:2008/11/21(金) 23:52:28 ID:u1QbGKTe
>>670
勝頼の元へ向かわなかった言い訳(作り話)っぽいな
滅亡目前の武田と命運を共にするなら
妻子も生き残れないだろうし、構っていられない筈
中には妻子を刺殺した後、勝頼に従って討死にした家臣も居たんじゃないか?
例えば大熊とか
675人間七七四年:2008/11/22(土) 00:08:43 ID:TaY7+cgv
小宮山もわざわざ駆けつけて討ち死にしたよな
天正の地震加藤だ
676人間七七四年:2008/11/22(土) 05:31:35 ID:FzrjT/CB
>>670
これは確かに迷うなw
村人w
677人間七七四年:2008/11/22(土) 11:15:19 ID:DiEZmPYQ
>>670
まさか村人達を煽動したのは伝右衛門の手の者 …じゃないよね?
ここ良い話スレだしそんなオチは無いよ…ね。。。
678人間七七四年:2008/11/22(土) 12:56:16 ID:W/c8/+US
>>670
一揆に阻まれて勝頼に合流できなかったのは知っていたがそんな裏話があったのか。

伝右衛門が刀を踏んでしまって、ペコペコ頭を下げた逸話しらないか?
679人間七七四年:2008/11/22(土) 14:12:09 ID:U44SoZA8
酒と泪と男と女

丹羽長重の家臣、江口三郎右衛門の家来に出口という60才の老将がいた。
出口は数々の武功を挙げたが、酒乱が災いして200石の薄禄に甘んじていた。

関ヶ原の合戦で、丹羽長重が大聖寺を攻撃した際、出口は江口隊として従軍した
が、歳のせいでへばってしまい暫し休憩していた。

そこに、腰に短刀、片手に瓢箪を持った老女が江口の陣に向かって歩いて来た。
よく見れば、自分の妻ではないか。
「おーい、こっちだ!好物の酒を持ってくるとは感心な妻じゃ。」ところが妻は
夫を無視して、江口の陣に向かう。
妻は江口の陣につくと、陣の外でへばっている夫を指差し、
「あそこにいるじじいは私のダンナです。戦場で昼間するような男に酒を飲ませ
るバカはいません。あなたたちも、あんなろくでなしにならないよう、必死で戦
いなさい。」と励ました。
そして、妻は浅井山によじ登り、前線にいる大将の江口に陣中見舞いの酒を届け
た。
よろこんだ江口は酒を飲み干し、見事敵将を討ち取った。

さて、妻にバカにされた出口は奮起して、こちらも見事首を取った。
「ばばあ、首を取ったぞ。早く酒を飲ませろ。」
それを見た妻は笑い、
「あなたは酒飲みたさに奮起しただけでしょう。その首を取った手柄はあなたで
はなく、この瓢箪と言うべきでしょうが。」
とカラの瓢箪を振って見せた。
「くそ〜、あのくそばばあに騙された。せっかくの首もムダになったわい。(あ
の古嫗に誑かされて、あだ骨を折りつる事よ)」と非常に悔しがった。

そんな夫婦のやりとりを見ていた江口たちは大笑いしたという。
(武将感状記)

680人間七七四年:2008/11/22(土) 14:16:45 ID:TaY7+cgv
いい夫婦の日にふさわしい逸話だなw
681人間七七四年:2008/11/22(土) 17:15:07 ID:7BQLGGWi
一番手柄はその奥さんだな
682人間七七四年:2008/11/22(土) 17:58:48 ID:Yg7YW6L4
これは良い夫婦ww
683人間七七四年:2008/11/22(土) 18:01:18 ID:ppor7IMx
>>681
奥さん「べっ、別に私の手柄じゃないんだからねっ!褒めるなら瓢箪を褒めてあげてよねっ!」
684人間七七四年:2008/11/22(土) 19:01:08 ID:u4eRt8O0
なかなか剛毅なババアだなw
685人間七七四年:2008/11/22(土) 20:56:45 ID:WkcwqPKN
守護大名の追い払いかた


国人と土民が結束し、守護大名畠山氏を排除し、大名なき自治を実現したことで、
日本史の教科書にも必ず載っているほど有名な、文明十七年(1485)の「山城国一揆」

その一揆は、どのように、戦争中の畠山義就、畠山政長を追い出したのか?
その交渉の様子。

一揆代表「義就はん、長政はん?あんたら、いつまでも戦しとっても、金ばっかりかかるやろ?
わしらも迷惑しとるわけで。で、どうやろか?今引けば、出しまっせ、金。
示談金を一揆の方で用意させていただきますよって、ここで双方、引き下がってもらえまへんか?

ただ、もしどちらかが嫌だとおっしゃれば…、わしら、もう片方にお味方して、その人を
攻め滅ぼします。

さ、金か滅亡か、どっちになさいます!?」


両畠山、ほうほうの体で南山城より撤退。守護大名相手に、飴と鞭で巧みな交渉をする
一揆衆であった。
686人間七七四年:2008/11/23(日) 01:14:50 ID:V4uJMFwi
うめぇw
その一揆のブレーンは、生まれが違えばあるいは名将として知られていたかもしれんな。
687人間七七四年:2008/11/23(日) 01:21:06 ID:xyvDeahL
つーか、この山城一揆の中心にいた三十六人衆は、全員細川京兆家の被官だったわけで、
この交渉も、京兆家の力をバックに成立しているんだよね。

ただの国人、土民の集まりじゃ不可能。
688人間七七四年:2008/11/23(日) 15:18:22 ID:8ANMTsl0
ところで散々既出の、大谷義継と三成の茶会での鼻汁の話で。
あれは鼻水だったとか膿だったとか言われてるわけですが、ハンセン氏病患者の症状の一つに
異常な多汗があります。皮膚と同時に汗腺もやられるので、滝のような汗をかいてしまうのですね。
この汗だった可能性もあります。

実際、最近までのハンセン氏病患者の悲劇は聞くものの、病気自体の理解は進んでませんよね。
自分もですが。
689人間七七四年:2008/11/23(日) 19:13:54 ID:pB9cxywG
>>685
>>687
官位だけでもダメだろうし、金と権力揃って出来たことだよな。
でも、それを効果的に運用(?)するのにも頭が必要なわけだし
良い手腕してたんだなあと思うわ。

そしていつの世でも金は最高の武器の1つだな・・・
690人間七七四年:2008/11/23(日) 20:11:02 ID:xyvDeahL
永禄5年(1526)、徳川家康はついに今川と断交する。

これに怒った今川氏真は、二万余という大軍を率い、徳川家譜代、本多百助の籠もる
東三河、一ノ宮城を包囲した。
岡崎城の家康はすぐに駆けつけようとしたが、家臣たちの猛反対を受ける。

「敵は大軍、それに対して我が方は三千しかおりません。それに酷な話ですが、一ノ宮城は
今の徳川家にとって重要な城とは申せません。
本多のかたがたも、百助を見捨てる事は納得しておられます。どうかここは、涙をのんで
諦めて下さい!」

しかし家康は言った

「一ノ宮城を落とし、あの城に百助を入れたのはわしだ。そうしておいて今更、
敵が大軍だからと言う理由で見捨てるような、そんな道理があるか?

主君が危機の時は家来が助け、家来が危機になれば主君が助ける。これが武門の習いではないか。
百助を救いに行く事でこの家康が斃れるなら、むしろ本望である。」

これを聞いて岡崎衆は、心を一つにした。
一ノ宮城を囲む今川の大軍に、錐のような突撃をかけ、その壁を突き破り一ノ宮城にたどり着いた。
そうして百助ら籠城衆を回収すると、城を捨て一目散に岡崎城へと帰って行った。

徳川家康、この時22歳。


家康はその後の人生の中で、家臣を見殺しにせざるを得なくなることも、また、あえて見捨てる事もする。
だが、家臣たちは、こういった家康の姿を知っていたからこそ、彼に付いて行ったのだろう。


ちなみにこの本多百助、後世、「上杉には川田監物信親あり、福島正則には長尾隼人、
武田信玄には山県三郎兵衛尉昌景、そして徳川家康には本多百助正広あり」と、呼ばれ
勇将として天下に名をはせ、良く家康の覇業を助けた。
691人間七七四年:2008/11/23(日) 20:16:19 ID:a0fpoB0V
>>690
つ・・・突っ込まないぞ!
692人間七七四年:2008/11/23(日) 20:19:10 ID:xyvDeahL
>>690
すいませんすいません

永禄七年でしかも1564年です。間違いすぎorz
693人間七七四年:2008/11/23(日) 22:50:46 ID:4DfvUJpd
というか見たことある。
694人間七七四年:2008/11/24(月) 07:57:50 ID:lxsolRII
>>693
長生きしてるんだね。
695人間七七四年:2008/11/24(月) 08:00:14 ID:oqo/Se5c
リアルタイムで見てんのかwww
朝から声上げて笑っちまったじゃねーかwww
696人間七七四年:2008/11/24(月) 08:27:26 ID:1UgCzC0o
死の茶会

稲葉一鉄は織田信長に降参したが、信長は一鉄の忠誠心を疑い、茶室に招いて暗
殺する計画を立てた。

茶室に一鉄と三人の織田家の侍が入り、侍が一鉄の油断を誘おうと茶室の掛軸
の画讃の意味を問うた。
僧侶出身の一鉄はよどみなくその讃を読み、意味を説明した。

隣の部屋でそれを聞いていた信長は一鉄の知識の深さに驚き、茶室に入ってこう
言った。
「実は、今日の茶会は貴殿をもてなすものではなく、暗殺するためのものじゃ。
しかし、貴殿の博識に免じ命を奪うのはやめた。これからはわしの謀臣として仕
えてくれ。」
と、三人の侍の懐刀を一鉄に見せた。
一鉄は信長に助命の礼を言ったあと、
「実は、それがしはこの茶会が自分を殺すためだと薄々気付いてました。その際
には一人でも多く道連れにしようと懐刀を忍ばせました。」
と、懐中から短剣を取り出して信長に見せた。

信長は一鉄の覚悟を大いに誉めたという。
(武将感状記)

697人間七七四年:2008/11/24(月) 10:26:51 ID:dkjmnYRj
互いにカコイイ話だな〜
698人間七七四年:2008/11/24(月) 13:14:14 ID:X89kdMUf
でも、暗殺されそうになった原因についてはなんら解決されてない気がw
699人間七七四年:2008/11/24(月) 13:28:48 ID:kk5WKUU7
戦国ってこんな時代だしなw


「彼ら(日本人)は鞭で人を罰することをせず、もし誰か召使が主人の耐えられないほどの
悪事を働く時は、彼(主人)は前もって憎悪や激昂のしるしを表すことなく、彼ら(召使)を
殺してしまう。
何故なら、召使は嫌疑をかけられると、先に主人を殺すからである。」

宣教師オルガンティーノの報告書より
700人間七七四年:2008/11/24(月) 13:33:10 ID:5SZ5LKxF
殺られる前に殺れ!
701人間七七四年:2008/11/24(月) 13:46:27 ID:dtojlPFU
ヤクザの抗争と変わらんもんなあ・・・戦国時代って。
702人間七七四年:2008/11/24(月) 16:41:25 ID:0lJ3YGg0
戦国時代を行状を記した海外文献もかなり面白いよね
703人間七七四年:2008/11/24(月) 21:30:05 ID:fatzJk/C
>>696
義光の場合、ターゲットの鮭の食べ方が気に入って中止したんだっけ。
704人間七七四年:2008/11/24(月) 21:49:52 ID:En7Eo2XZ
               。    _|\ _
            。 O   / 。  u `ー、___
          ゚  。 \ヽ / u ⌒'ヽ゛  u /   ゚
          -  ・。 / ; ゚(●)  u⌒ヽ i   @ 。
        ,  ゚ 0 ─ { U u r-(、_, )(●) .| / 。  ,'´ ̄ ̄`',
         ゚ ,,、,r-'⌒l u //トェェェ、 ) 。゚ / o    ,! ハ ハ !
      。 ゚ r-'⌒`ー-'´ヾ,. ir- r 、//u / 。 ・゚  l フ ム l
        ヾヽ、_,,,、-、/ミ,ヽヽ/ ノ_, -イ-、\   ∠  ハ ッ j
          ー = ^〜、 ̄r'´ ̄`''jヽ、  〃ヾ ゚ 。 ヽ フ   /
 jヽjvi、人ノl__     / /  ヽ´{ミ,_   ̄`'''-ヽヾ    ` ̄ ̄
 )   ハ   7      /  / `'='´l  ̄i'-、_,,ン ノ 。
 )   フ    て   /  /   !。 l  l  - ニ
 7   ッ    (  __ヽ、__l ___ .!。 l__l__,-=-,___
  )   !!     ( ,-=-, ∠ヾゞゝヽ ,-≡-,l  l-=二=-,
  ^⌒~^⌒^~⌒^└==┘   ̄ ̄ ̄ ヽ==ノヽ=ノ\__/
705人間七七四年:2008/11/24(月) 22:26:49 ID:kk5WKUU7
黒田如水が、福岡城を築城していた頃

建築現場から、木材が盗まれるという事件が頻発した。それがあまりに続き、工事の進捗にまで
影響をし始めた。それを聞いた如水の命で張り込みが行われ、やがてそれが功を奏し犯人を逮捕できた。
大工の一人だった。

報告を受けた如水は、その場に大工や左官どもを集めておくように、と言い、捕縛された
大工の元に駆けつけた。そして大工や左官達の前に犯人を引き出すと、いきなりこれを、
罵倒し始めた。

「この材木泥棒め!お前は泥棒などして恥ずかしいとは思わぬのか?大うつけが!」
そして扇子で犯人の頭をぴしゃりと叩き、「恥を知る頭もないか」と罵った。

やがて大工や左官達に振り返り、「よいか皆のもの、この男は盗人である!その罪により打ち首といたす!」
そしてこの男は一旦、石牢に入れられた。


そして数ヶ月がたった。


あの犯人は、そのまま石牢に入れられていた。如水から、刑執行の命令が無いのだ。
もしや大殿はあの罪人の事をお忘れになっているのでは?そう思った家臣達は、如水に尋ねた。
「どうでしょう、明日にでもあの罪人を打ち首になされては…?」


「ばかもの!」如水が怒鳴った「お前達は命の大切さを知らぬのか!?」

殿が打ち首にせよと言ったのではないか、そう思い唖然とする家臣たちに如水は

「よいか、大将たる者、理非賞罰の心構えがなくてはならぬ。お前達は、あの時大工を集めたのは
見せしめのためだと思っておろう。それはその通りじゃ。大工達を戒めるため、あの場に集めた。

…が、犯人を殺すかどうか、これは別じゃ。人間は、誰しも何かの役に立つ。だが、盗まれた
材木に衣服を着せても、あの犯人の大工と同じ役に立とうか?出来まい。
かように、人の命とは大切なものだ。みだりにこれを奪ってはならぬ。

お前達は、人の上に立つ者達だ。最初に盗まれた時、『再び罪を犯せば次は無い』、そう知らしめ、
同じ事を繰り返さぬようすることが役目であろう。
それを、何度も盗まれていながら、捕まえたから首を斬る。これではあまりに浅はかであろう。
あの犯人を放って置いたのは、お前達の誰かがこのことに気がついて、防犯を徹底できなかった
自分達も悪い。このたびだけは許してやってほしい。そう言いに来ないかと、それを待って
いたからなのじゃ。

よいか、この事をどうか、よく考えて欲しい。そしてあの犯人は、今回だけは許してやるのだ。
『この次は無いぞ?』と言ってな。」


治世を為す者は、罪を犯したものを憎む前に、その罪を犯させてしまった自らを省みよ。
そんな事を伝えた、黒田如水のお話。
706人間七七四年:2008/11/24(月) 23:16:32 ID:EIhlX3Gh
天才肌ってすげぇわぁ
707人間七七四年:2008/11/24(月) 23:29:32 ID:v0sT92c4
惚れた
頭が切れるだけじゃなく好感が持てる頭のよさって憧れるわ
708人間七七四年:2008/11/24(月) 23:39:45 ID:7sqKLbDt
現代でもやっていけるな<如水
709人間七七四年:2008/11/25(火) 00:21:57 ID:Ea8gOM+e
これの後じゃ息子が苦労するわけだ。
決して出来悪くないのに
710人間七七四年:2008/11/25(火) 00:28:21 ID:GpLQWVo9
同時代の武将で比べたら傑物の部類だよなぁ。長政
711人間七七四年:2008/11/25(火) 00:30:54 ID:NCPLwd65
常識人:偉大な父に苦しむ
DQN:偉大な父の業績を無視

忠興「父親ごときに萎縮するあたりがもうねw」
家久「ハジケちゃえばいいじゃないw」
政宗「我が道をいけばいいだけだよなw いざとなったら撃ち…」
712人間七七四年:2008/11/25(火) 00:57:14 ID:czczN6yL
しかし この3人の奥方は結構大変な思いをしただろうな
添い遂げたのは政宗だけか・・・

誰も知らないだけで
もしかしたら政宗ってまともな常識人だった?
713人間七七四年:2008/11/25(火) 01:03:22 ID:XZnZyHjX
>>712
愛姫の苦労。
・嫁いだらいきなり乳母と侍女が政宗暗殺容疑で誅殺される(ことの真偽は不明、
ただ同盟者田村が伊達を殺したら庇護を失ってとんでもないことになると思うんだが)
・夫が同性愛にハマっていたのもあってか、なかなか子供ができず
・側室との間に先に子を作られる
・田村家は伊達家が奥州中に敵を作ったため、周囲から攻められとんでもない苦労をする
・実家が伊達の指示に従い、小田原参陣しなかったため取りつぶされる。
が、政宗フォローせず田村家中は大激怒。
(田村家再興は政宗死後、愛姫の嘆願によって)
・死の床についた政宗にせめて逢いたいと懇願するも「だが断る!」と言わて最期はあえず仕舞い。


まあそれでも、政宗の手紙をとっておいたり木像作ったり、彼女は夫を愛していたみたいだが。
714人間七七四年:2008/11/25(火) 01:09:34 ID:XbDE+kCF
>>713
「最期にみっともない姿さらしたくない」というのは、
政宗らしいっちゃ政宗らしいエピソードではあるんだけどね。
そのくせ、越後高田城を普請していた時期に「越後で寂しくなった
ので」愛姫に宛てて書かれた長い手紙が残ってたりするw
715人間七七四年:2008/11/25(火) 01:11:41 ID:XZnZyHjX
義姫に対してもだが、政宗は愛情表現がわがままだw
甘えたいときは甘えて、そうでないときは相手をつきはなすみたいなかんじか。
716人間七七四年:2008/11/25(火) 01:22:04 ID:U4xanvj/
俺は亀寿が一番不憫に思う。
家久、義弘の子とはいえ婿養子であれかよ。
717人間七七四年:2008/11/25(火) 01:38:17 ID:XbDE+kCF
>>716
政宗と愛姫の関係は、わりと良好なものであるけど、家久の場合は
本当に笑えないというか、救いの無い話が多い。
義久の他の娘の行く末もアレだしね。
718人間七七四年:2008/11/25(火) 01:39:21 ID:mi7tHH/v
>>715
ツンデレのイタズラ坊主、それが政宗

719人間七七四年:2008/11/25(火) 02:53:31 ID:PvJ8OYoh
>>713
列挙された苦労の数々を読む限り
愛し、愛されるというより、完璧な主従関係のように感じる
主人がどれだけDQN行為を働いても、とにかく耐え忍ぶしかない
嫁いですぐ乳母・侍女を皆殺しにされたのが、結構効いたんだろう
そこまでされたら己の立場を嫌でも悟る
書状の保管や木像作成には、政治的意味合いが込められてただろうし
その行為は、愛姫自身の立場を守るということにも繋がる
賢明な女性だけど、どこか哀しい
DQNの奥さんは気苦労が耐えないね
720人間七七四年:2008/11/25(火) 02:55:35 ID:rTEM3abl
>>715
それなんていう俺orz
721人間七七四年:2008/11/25(火) 03:05:25 ID:0EX8sEO9
結構な歳で愛姫も子供産んでるし、普通に特別な存在なんじゃね
忠興と玉子は…きっと常人ではわからない絆の強さ
とかあるのだろう。
戦国の女は強くて美しいな
722人間七七四年:2008/11/25(火) 03:18:09 ID:G3t23vu7
愛姫は政宗のいない間は京や伏見の伊達屋敷を仕切っていて、豊臣政権や他の大名との
交友や外交もやってる。それがまかされているって事は、政宗からそれだけの信頼を得てたって事。
形はどうあれ、政宗にとって重要なパートナーだった事は間違いないよ。
723人間七七四年:2008/11/25(火) 03:19:03 ID:dLREJ1+T
愛姫と娘の五六八姫はキリシタンだったんだよな
政宗も発掘された遺骸から金のロザリオが出てきて、キリシタン説がある

つーか信者でもない奴が、自分の墓にキリストの十字架なんて入れなくね?
DQNでしかも隠れキリシタンってw
724人間七七四年:2008/11/25(火) 03:24:45 ID:G3t23vu7
>>723
> つーか信者でもない奴が、自分の墓にキリストの十字架なんて入れなくね?

それは違う。当時宣教師はロザリオを、「戦場での弾除けに聞くお守り」として宣伝した。
そのため多くの武将が、キリシタンでなくてもロザリオを宣教師に求めたそうだ。

だから政宗の十字架も、政宗自身がお守りとして手に入れたか、もしくはキリシタンであった五六八姫が
父の身を心配して渡したものであろう。
725人間七七四年:2008/11/25(火) 04:32:01 ID:dLREJ1+T
>>724
このロザリオは支倉常長がイタリアから持ち帰ったものみたい
戦もなくなり禁教令出てしばしの1636年にもなってまだ持ってるもんなのかねえ
一般人は十字架や聖母子像持ってるだけで十分捕縛の対象になる
政宗隠れキリシタン説は現伊達家でも話題に出してるし
726人間七七四年:2008/11/25(火) 04:38:16 ID:dLREJ1+T
政宗は宣教師ソテロの助命を嘆願し処刑を中止させたりもしている
ただ幕府に促され領内のキリシタンを処刑もしているので
それがキリシタンとしてのツンデレ行為かキリスト教の信仰を持っていなかったのかはわからないw
727人間七七四年:2008/11/25(火) 07:01:51 ID:l46Yldif
>>722
水を差すようで悪いが、家を仕切るのは大名の正室としてあたりまえの責務だ。
いい歳こいて子ができたのは確かに仲がいい証かもしれんがw
それだけ相性がいい、また政宗と愛姫のあいだの子は田村の後継者にも
なるとりきめなのに、まったく若い頃子ができていないほうがむしろ重要かも。
政宗は田村はわりとどうでもよかったんじゃないだろうかw
田村側は弱小勢力として、伊達に頼るしかなかったんだけどね。

愛姫は婚家・実家の命運を背負って大変だったと思う。
田村取りつぶし後も、自分の立ち回りで実家再興ができるかもと望みをつないで、
従順で賢い立ち回りをしていたんだろうね。

で、
同じことは義姫にも言えて、吹けば飛ぶような義守時代に最上外交の切り札として
嫁いだのだからで立場はかなり弱かっただろう。
なかなか懐妊しないとあせって祈祷していたともいうし。
言われているようなDQN鬼母行為を本当にしていたら、離縁されついでに実家も攻められ
あぼーんしていたんじゃないかな。
そんな状態で輝宗に涙ながらに、「お兄ちゃん殺さないで」交渉しているあたり、
魔性の女なんじゃないかと思えてくる。

>>726
大坂の陣で逃げ込んできたキリシタンを「うちに来ないでください、サーセンw」って
追い払ったりしているんだろうな…
728人間七七四年:2008/11/25(火) 07:03:47 ID:l46Yldif
>>727
だろうな→だよな
です、ごめんなさい
729人間七七四年:2008/11/25(火) 09:57:16 ID:0Geqgp4j
>>711織田家中『親父殿はまともで厳しさの中に優しさを感じさせる勇猛な士であったのに…』
730人間七七四年:2008/11/25(火) 10:51:51 ID:xAhvkonk
>>727
どうでもいいような家の娘を正室にしないだろ。
あと義姫は政宗が追い詰められた時にも強硬手段で義光止めてるから
単純に家族同士の争いが嫌だったのかもよ。
731人間七七四年:2008/11/25(火) 15:11:34 ID:0EX8sEO9
仲良いネタもあんだし、愛姫は愛されてないとか
いい話スレで言わんでもええじゃないw

ありえないと思ったのは亀寿だが、これもいい話スレじゃないさ…。
なんか亀寿は洒落にならん程アレです。
732人間七七四年:2008/11/25(火) 18:14:45 ID:IQ3uRORH
ロザリオは当時、歌舞伎者たちのオサレアイテムでもあったらしいぞ
現代人が信者でも無いのに、クロスモチーフアクセ付けてる感覚
政宗なら単にカッコイイから、で持ってたかもしれん

キリシタン大嫌いな忠興も、流行ってたからローマ字の印鑑作ったり
ブラウスみたいな南蛮服風具足下着持ってたりしたし
733人間七七四年:2008/11/25(火) 18:33:37 ID:UR7XxxWB
ヤンデレって利休七哲だよな?
んな詫びてないもんに被れてていいんだろうか…
734人間七七四年:2008/11/25(火) 18:34:50 ID:G3t23vu7
>>733
ある意味侘びすぎた。
735人間七七四年:2008/11/25(火) 20:21:26 ID:+qL1q+7G
>>733
マジレスすると、利休は模倣より独創を評価したので
近しい優れた茶人はむしろ利休の侘びと別路線を目指した。
‥もっとも忠興は利休にとことん心服していたらしく
そのまんま利休好み道を突っ走ったので、本人にやや引かれたらしい。
736人間七七四年:2008/11/25(火) 20:30:58 ID:G3t23vu7
ただ、忠興の芸術センスは間違いなく一流。
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/teconomy/3554000/20080525121169454198071900.jpg
http://www.yoroi.co.jp/gazou/topics/2007/oyama/hosokawa.jpg

こういう造形を作り出せるのは、やっぱり天才だと思うよ。
737人間七七四年:2008/11/25(火) 20:41:20 ID:5yRvk5Sp
>>736
なんだこのツインテール+モヒカンみたいな兜は・・・

まぁ冗談はさておき、この甲冑カッコイイなぁ
細かい色使いがすげぇ
738人間七七四年:2008/11/25(火) 20:57:07 ID:0EX8sEO9
ぶっとんだ感がある兜…
感性豊かなんだろうなぁ。豊か杉だよ忠興様
739人間七七四年:2008/11/25(火) 20:57:15 ID:rTEM3abl
忠興「汚物は消毒だ〜〜〜」
740人間七七四年:2008/11/25(火) 20:58:23 ID:KLvgjXZq
細川元総理も陶芸家になったしね。
そういう血筋なんだろう
741人間七七四年:2008/11/25(火) 21:21:41 ID:SqTbIyuI
>>730-731
ヤボとしりつつ突っ込み。
そういうどうてもよくない家出身の正室なのに、そういう扱いしちゃうところが
政宗公のDQNたるわけでw(ちゃっかり田村領を伊達に組み込んじゃってるしなあ)
愛姫が理想の戦国女性というのは頷けるんだけども、
政宗と愛姫がベストカップルと言われるのを聞くとなんか複雑だわな。

あと義姫は、妹大好きシスコンバカ兄貴相手の交渉であった大崎合戦と、
そのまえの輝宗相手の交渉じゃ難易度違うわけよ。

まあ

愛姫、ガラシャ、亀寿と三者三様に苦労していそうなところは、
さすが四天王というかんじだなw
742人間七七四年:2008/11/25(火) 21:57:49 ID:mmYQR48A
名前すら出てこない森さんの嫁は勝ち組             なのかな?
スレ違い失礼
743人間七七四年:2008/11/25(火) 22:11:06 ID:G3t23vu7
>>742
鬼武蔵さんの正室は、長可の死後中村一氏(例のタコの大群に助けられた人)と再婚して、
後の米子17万石、中村一忠を産んだ。

いい話、かな?
744人間七七四年:2008/11/25(火) 22:16:21 ID:mmYQR48A
あ、何年か前の大河で三原じゅん子がやってた役は
鬼武蔵の奥さんだったのか〜

戦国ちょっと賢くなった話
745人間七七四年:2008/11/25(火) 22:20:33 ID:56mMzOYk
>>713
もっとすごいひどいことがあるのかと思った。
最後のは面白い。

746人間七七四年:2008/11/25(火) 22:24:51 ID:Qm+ePZCi
>>743
へぇ〜
747人間七七四年:2008/11/25(火) 22:30:18 ID:0EX8sEO9
戦国ちょっと○○スレにくるといつも思うけど
皆よく知ってるなと関心するさ。
748人間七七四年:2008/11/25(火) 22:52:27 ID:vJQHfVjC
>>741
嫁のものは俺のもの俺のものは俺のもの息子のものも俺のもの母のものm…母のもの
749人間七七四年:2008/11/26(水) 00:48:04 ID:YSPzTAwh
愛姫の結婚といえば、
伊達家が田村家に「お嬢さんを愚息の嫁にください」と頼んだわけじゃなく、
愛姫の父が政宗を
「間違いねぇ、こいつは将来デカイ奴になるぜ……!」
と見込んで「娘を貰ってください」と頼み込み
十代前半の若さで嫁ぐことになったとか何とか。
劉邦・呂后結婚話の日本版か。
750人間七七四年:2008/11/26(水) 00:51:40 ID:BN2Bc0iN
>>749
単に外交的に伊達の庇護下に入ればいい、ってことじゃないの?

あと愛姫が田村御前と名乗って騎馬鉄砲隊を率いていたともいうが…
まさかそれはないだろうな。
751人間七七四年:2008/11/26(水) 00:53:01 ID:BN2Bc0iN
>>749-750
ごめん、書き方ちょっと不親切だわな。
伊達みたいにデカイ家が「お嬢さんを愚息の嫁にください」と言うのはちょっと不自然じゃね?

確か愛姫しか子供がいないから、ビッグな伊達と結婚して、
娘と婿の間に生まれた子を世継ぎにすればウマーだったと思う。

逸話スレで無粋突っ込みすまん。
752人間七七四年:2008/11/26(水) 01:31:01 ID:LGnJsFRz
>>751
突っ込みというか>>749の文をもう一度よく読んでみようぜ
753人間七七四年:2008/11/26(水) 05:52:38 ID:AEYDmKjw
>>713

>・嫁いだらいきなり乳母と侍女が政宗暗殺容疑で誅殺される(ことの真偽は不明、
ただ同盟者田村が伊達を殺したら庇護を失ってとんでもないことになると思うんだが)

真偽不明で、お前さんが否定的見解なら、
「苦労話」に入れて紹介たら駄目だろ。
754753:2008/11/26(水) 05:56:16 ID:AEYDmKjw
打ち間違えた。

×紹介たら
〇紹介したら

でつ。申し訳ない。
755人間七七四年:2008/11/26(水) 06:43:38 ID:YvpuWf0L
>>753
この場合の「こと」は乳母たち殺しじゃなくて、乳母たちが政宗暗殺を企んだか、ね。


つか政宗と愛姫を理想カップル扱いしたい人多いよな…
無双に愛姫だせとか言う人が多い理由がわかったわ。
いまだにゴクミの印象あんのか?
756人間七七四年:2008/11/26(水) 07:00:09 ID:7mlAR6w0
つーか、何故政宗と愛姫の話がこんなに引っ張られているのかがわからん。
いい話でもなんでもないし。
757人間七七四年:2008/11/26(水) 07:46:00 ID:Dgq+TmKm
>>756
だよな
政宗が奥州中敵に回して田村が苦労したってのも撫で斬りが関わってるし
小手森の後も高玉、佐沼などでも女子供を問わず、犬まで撫で斬り
愛姫の乳母や侍女など、女を殺しまくるなんて実質DQN政宗の初陣みたいなもん

むしろ悪い話
758人間七七四年:2008/11/26(水) 07:47:25 ID:7mlAR6w0
政宗を批判したいだけなら他所でやってほしい。スレ違いだろ流石に。
759人間七七四年:2008/11/26(水) 08:08:54 ID:z3HP+4fv
スレ違いお構いなしで嫌いな武将叩きとか。きもちわるい。
760人間七七四年:2008/11/26(水) 22:15:36 ID:7mlAR6w0
関ヶ原の時の事


家康が小山の陣を引き払った後、下野では上杉襲来の風聞があり、動揺が大きかった。

さて、この時家康に後を任されたのは、結城秀康である。
彼は上杉景勝に書状を出した

「この度、上方に兵乱が起こったため家康はここの陣を引き払い、私が留守居を任されております。
ですが、ここでダラダラすごすのは退屈で仕方がありません。そこで、

戦争でもしましょう。

もしご同意なされるなら、構わないので、 ど こ か ら で も か か っ て こ い !」


景勝から返書が来た。
「御使者、ありがとうございます。内府は引き払われ、あなたが留守居との事。私に何か
できることがあれば、何でも承りたいと思います。

さて、合戦の件ですが

我らは謙信以来、人が留守しているところに攻めかけたことはありません。
内府がお戻りになりましたら、どうぞ、先手になってかかっていらっしゃい。その時はいくらでも
相手になりましょう。

あなたのような若者が留守をしているところに合戦を仕掛けるなんて我々には
 思 い も よ ら な い こ と で す !」

この書状の内容が広まると、上杉襲来の風聞はピタリと止んだとか。


が、ぶっちゃけて言えば、
秀康「つまんねーからケンカしよーぜー」
景勝「お前みたいなガキ相手になるかバーカ。親父連れて来い!」

と言う書状の内容。秀康は侮られたと不満だったとか、どうとか。
761人間七七四年:2008/11/26(水) 22:19:48 ID:c5Kig2qn
景勝手紙だと饒舌でカコイイじゃないですかw
762人間七七四年:2008/11/26(水) 22:26:39 ID:wOBPu57f
そういう返答が来ると見越しての手紙の可能性もあるかもな。
763人間七七四年:2008/11/26(水) 22:30:11 ID:7mlAR6w0
>>762
まあ、景勝が合戦を受けるにせよ受けないにせよ、方向性が定まって無駄な動揺を
抑えることが出来る、って計算はあっただろうね。
764人間七七四年:2008/11/26(水) 22:40:40 ID:SdTHP6ip
結城秀康は確か関ケ原後家康に上杉存続を働きかけてたんだよな。
765人間七七四年:2008/11/26(水) 22:57:18 ID:1gnt7zjq
義光
「そんなカコイイこと言っておいて、圧倒的劣勢で攻撃もしていないうちに攻め込むのは、
弱い者いぢめだと思うんです! せめて伊達を攻めろよ!
べっ、べつにうちはそちらに攻め込もうなんて思ってなかったんだからねッ!」
766人間七七四年:2008/11/26(水) 23:17:15 ID:DwhDeG9i
景勝「…」
直江「御屋形様は「最上殿は年上だし
留守でもないから攻めてもおk」と言っておられます」
767人間七七四年:2008/11/26(水) 23:20:00 ID:OZc6Tdbd
義光「せめて伊達を攻めろよ!」

景勝「…」
直江「伊達さんの所には留守さんがいるのでダメです」
768人間七七四年:2008/11/26(水) 23:30:27 ID:d4TIZ9WH
イイハナシダナーと読み進んできたら最後はこれかよ・・・
769人間七七四年:2008/11/26(水) 23:32:11 ID:p98KVlPv
ワロタw
770人間七七四年:2008/11/26(水) 23:34:16 ID:LGnJsFRz
留守「見てるだけなんで攻めていいよ」

義光「ちょwwおまwww」



771人間七七四年:2008/11/26(水) 23:46:12 ID:7mlAR6w0
直江は景勝の、どんな翻訳機能を持っているんだw
772人間七七四年:2008/11/26(水) 23:59:10 ID:ky3JRudG
>>767は御屋形様の曰くではないのだな
773人間七七四年:2008/11/27(木) 00:03:51 ID:DMTbL/Nj
景勝「…」
直江「御屋形様は「石田殿との友誼を重んじ兵を出すので
徳川さっさとかかってこいや」と言っておられます」
774人間七七四年:2008/11/27(木) 00:15:46 ID:cM5xC/Mr
景勝「…(ピキピキ)」
直江「御屋形様は…え? 最上攻めは私がやれと?!」
景勝「…(ピキピキピキピキ)」
直江「あ、当たり前です! 最上なんてソッコー落としますって!
じゃ、ちょっとこれから攻めまーす」

775人間七七四年:2008/11/27(木) 00:30:26 ID:cM5xC/Mr
新米の季節なので。「米どころ庄内ビギンズ」

慶長出羽合戦のあと、最上義光は庄内領有に成功。
これでやっとねんがんの鮭がたべられるぞ! と喜んでいた。
(義光の庄内への野望は、鮭食べたさという伝承が山形にある)
しかし最上家中にひとり、複雑な気持ちのものがいた。北楯大学利長である。
彼は庄内の民が餓えているのを見て不思議に思った。
「なぜ平地なのに稲がないのだ?」「水がひけなきゃ稲作なんか無理ですって」
「そうか…水がないのが悪いのだな」
当時の庄内平野は広大だが水回りが悪く、荒れ地が広がるばかりだった。
大学はそれから日夜庄内を見回り、どうすれば水をひけるか考え抜いた。
彼の熱心さは周囲に奇妙にうつり、農民すら陰では彼を「水馬鹿」と呼んでいた。
それから十年近く経過した。

調査結果をたずさえ、北楯が山形に登城した。彼は庄内開発の利をとくが、
身分の低さゆえに誰も相手にしない。
義光はかねてより、北楯に好感を抱いていたこともあって前向きだった。
北楯に目だった武功はなかったが、義光はかつて彼の居城・狩川城を視察し
武具点検をしたが、装備が見事に揃っていることに感心した。
それ以来義光は北楯に目をかけ、細やかな気遣いを見せる書状を送り続けていた。

だが、主君の寵愛だけで藩を左右する工事は決定できない。
義光は事業が可能かわからず態度を保留した。そしてひそかに大工をやり、
北楯のプランが実行可能か調べた。
結果、「見事な設計、工事可能」という結果が出たため義光は工事許可を出した。
しかし北楯を侮る者は多く、妨害がたえない。義光はこまめに手紙で励まし、
北楯に異例の権限をあたえて工事をすすめた。義光や北楯は、埋蔵金と
いつわって金壷を埋めておいたり(まとめ参照)、上戸には酒、下戸には菓子を与えるなど、
細やかな気遣いで作業員をいたわった。途中、死亡事故が起きるなどしたが、
工事は予定より早くすすんでいった。

ところが最後の難所、青鞍之淵を埋めようとしたところ、水の流れが強すぎて
いくら土をいれてもおさまらない。困る北楯に彼を妬む同輩はいった。
「貴殿は工事がならなければ切腹する覚悟だったな?」
北楯はこの言葉に死を覚悟し、愛馬の鞍をはなつと祈りながら淵に投げ入れた。
すると不思議なことに、流れはぴたりとおさまった。皆喜びここに土を投げ入れた
ところ、淵はあっという間に埋まった。
こうして四ヶ月に及ぶ工事はやっと終わった。

艱難辛苦をへて、大堰と呼ばれる用水路が完成した。
これにより庄内平野の収穫高は十倍にふくれあがった。米どころ庄内のはじまりである。
義光は北楯大学の功績を喜び、
「きっと将軍家にも伝えて代々残るようにする。庄内末世の宝である」と絶賛した。
北楯大学は死後も水神として、庄内のひとびとに敬われた。

のちに明治になって、北楯大学の功績を賞した住民たちは「大堰」を「北楯大学堰」と
改称した。四百年を経てなお、北楯大学堰は庄内平野をうるおし続けている。
ちなみに北楯大学の肖像画や銅像が頭巾をかぶっているのは、義光が
「川風が寒かろう、これをかぶればいい」と頭巾を贈ったことからである。

…そして北楯大学が義光からもらった「鮭トンクスウマー」書状が、後世に義光の鮭中毒ぶりを
詳しく伝えることになった(ちなみに義光はフルーツも好きだったらしい)。
776人間七七四年:2008/11/27(木) 00:36:05 ID:2msytMe2
好きな流れではあるけど、そろそろ自重しようぜ。
777人間七七四年:2008/11/27(木) 00:41:15 ID:KlC+SqFo
めちゃめちゃ有名な話だけど、まだ出ていなかったので投下してみる


ある時黒田長政が、福島正則の下に、家臣、母里太兵衛を使者に出すことにした。

が、福島正則といえば有名な酒豪。また母里太兵衛も黒田家屈指の酒飲みであり、
太兵衛が酒で役目をしくじる事を心配した長政は、
「正則から酒を進められても、決して飲まぬ事」と禁酒を厳命し送り出した。

さて、太兵衛が福島正則の下に赴くと、案の定、朝から酒宴を張っている。
彼は太兵衛の到着を喜び、「用件は後でよい、先ずは一杯」と、酒をなみなみと注いだ大杯を
進めてきた。酒好きの太兵衛、これにはグラリと来たが、主君の厳命がある、飲めない。

「そ、それがし酒は無調法でして、どうかご容赦を…」

しかしそこは酔っ払っている正則。聞きゃあしない。
「良いから飲め!そちがこれを飲み干せば、望みの物を何でも取らせようぞ!」
「いやしかし、主君からも酒は飲むなと…。」

こういわれると正則はエスカレートしてくる。酔っ払っているだけにノンストップだ。

「わしの酒が飲めないとあれば!お主の口を割ってでも飲ませようぞ!」
「例え八つ裂きにされても飲め申せず!」

すると正則、突然大笑し
「天下に名の知れた母里太兵衛ですら、たかが一杯の酒に後ろを見せるとは、
黒田家は腰抜け侍ばかりの、豆腐同然の骨も筋もない、弱虫藩じゃのう!」

ここまで言われては武士の面目にかかわる。ついに太兵衛は承知する。

「ところで先ほどの、これを飲み干せば望みの物を何でも取らせるとの仰せ、
よもやお間違いはありませぬな?」

正則はいい気になっている「おお、勿論じゃ!」

すると太兵衛は朱塗りの、直径一尺(約30cm)の大杯に並々と注がれた酒を、
立て続けに三杯飲み干した。
そしてうろたえる正則から、福島家秘蔵の品、名槍・日本号を取上げた。

太兵衛はこの槍をかつぎ、黒田藩歌「筑前今様」を吟じながら、悠々と帰っていったという。


黒田節として今に伝わる、母里太兵衛日本号を頂くの一席ににて候。
778人間七七四年:2008/11/27(木) 00:46:17 ID:0Mocvpzj
>>775
義光が褒美として300石加増の他、
「この堤の御蔭で増える新田が何万石に成ろうと、全てを北楯の知行とする」って証書を与えてるのが凄いわな。
正に絶賛。
779人間七七四年:2008/11/27(木) 00:53:41 ID:69DUr/TM
>>775
うわこれは凄い・・・「ちょっと良い」どころじゃない
知らないだけで偉人ってのは居るもんだな
780人間七七四年:2008/11/27(木) 01:02:03 ID:yZ+s5QpQ
>>778
最上家が存続してればT_T
彼を登用した鮭様こそ名君に相応しいな
781人間七七四年:2008/11/27(木) 01:11:40 ID:0Mocvpzj
>>780
因みに最上家改易の後、代わりに入って来た酒井家が召抱えようとするのを固辞し、
息子を300石で酒井家に仕官させて、本人は浪人として静かに余生を送ったらしい。
782人間七七四年:2008/11/27(木) 01:13:29 ID:c7s1WjCd
成富茂安、大谷休伯とならぶ隠れた内政家だな>北楯大学
783人間七七四年:2008/11/27(木) 02:01:06 ID:2HnGsX4Y
伊達政宗は夜寝るとき以外は横にならなかった。
って話なにかで見たけど、なにがきっかけでそうなったか忘れてしまった。
覚えてる人いる?
784人間七七四年:2008/11/27(木) 03:09:33 ID:q6YeYMyd
豊臣秀吉が多くの側室を持っていたのは有名な話で、
淀殿、松の丸殿、加賀殿、三条殿、三の丸殿、姫路殿などなど
十本指に余ります。

さて、その甥にして、後に悲劇的な最期を遂げることになる
秀次さんもまた、大層な色好みで、母子の両方ともを側室に
召したという話が残っております。
そんな秀次さんが関白になったときのお話。

「茶の湯、鷹野の鷹、女狂いについては、わしの真似をしないように」

秀吉だからこその諌言なのかどうなのか。
秀次が自害すると、その「女」たちも殆どが処刑されるのですが。


戦国時代じゃないけど、足利義満も凄い。
公卿中山親雅の妻、弟満詮の妻を側室として召し上げ(夫は勿論存命)、
さらに自分の正室の日野康子の母と思われる「池尻殿」にも子を
生ませている。
そして、朝廷の女官とも関係があったと噂され、日頃の圧力に加え
寵妃を寝取られたのではという疑いから時の帝はノイローぜ状態。

個人的にはこの人が日本史上最大の色好みだと思う次第。
ではと
785人間七七四年:2008/11/27(木) 03:10:36 ID:q6YeYMyd
↑すまない、悪い話スレと間違えてしまった・・・・
全然いい話じゃないな・・・・。
786人間七七四年:2008/11/27(木) 03:16:10 ID:EEb/vENH
>>781

酒井家は肥沃になった土地をただで手にいれてウマーなのに
功労者の北楯の子にたった300石とか・・・
787人間七七四年:2008/11/27(木) 05:42:34 ID:inr4++4V
酒井忠次「お前も我が子が可愛いか!」
788人間七七四年:2008/11/27(木) 08:15:14 ID:yZ+s5QpQ
>>787
本多重次「オマエモナー」

>>784
花山天皇「こまった関白だな」
天智天皇「こまった将軍だな」
789人間七七四年:2008/11/27(木) 09:34:30 ID:zqby/RLA
>>781
それもまたいい話だなあ
790人間七七四年:2008/11/27(木) 10:28:59 ID:hn3Br13y
>>786
庄内酒井藩は最上の旧領のうち一部をもらっただけ。収入は限られる。

しかも普通、家老クラスで表高の1/100の禄なんで、14万石の庄内藩が
外様に300石出してんだからむしろ妥当。
791人間七七四年:2008/11/27(木) 10:35:28 ID:KlC+SqFo
よっぽどの大藩でも、1000石以上なんて、お目見え以上(幹部クラス)だしね。
戦国時代の感覚で石高を見ちゃいかん。
792人間七七四年:2008/11/27(木) 10:52:08 ID:yZ+s5QpQ
>>791
加賀本多家(正信流本多家:陪臣)の五万石なんてのは極めて特殊な例だからなぁ

そういや、美術館にはそれを藩主にわたせば10万石にしてやるといわれた壷が展示してあったな
今度見てくるわ
793人間七七四年:2008/11/27(木) 13:40:03 ID:TDutbSxS
うちの先祖が仕えてた藩は5万石だが、千石取りなんて江戸中期に800石から加増された家老の本家だけ。
家老を持ち回りで勤めてた他の家は軒並み200〜500石程度。
藩の石高の内の割合なら大体100石が同等だがこれもたまに家老を出す家柄だけ。
794人間七七四年:2008/11/27(木) 14:19:32 ID:Yp2oDNoT
騎乗身分ってやっぱりすげぇなぁ、と思ってしまうな
795人間七七四年:2008/11/27(木) 15:13:17 ID:S3mAGxcL
騎乗身分ってなんかエロいなぁ、と思ってしまうな
796人間七七四年:2008/11/27(木) 15:15:55 ID:KlC+SqFo
宇喜多秀家と前田家ちょっといい話

宇喜多秀家は八丈島で、浮田苫という苫製品を製造、販売して生計を立てていた。
生活のすべを何も持たないお殿様ではなかったわけだ。

ちなみに宇喜多家、八丈島で秀家の死後七家に、後には二十家にまで分かれて繁栄した。

前田家は宇喜多秀家に毎年、米七十俵、黄金三十五両、衣料等を送り続けた。
それは秀家の死後も続き、なんと明治二年、新政府による宇喜多家放免まで続いた。

なんと言うか、封建時代っていろんな意味で凄い。
797人間七七四年:2008/11/27(木) 16:58:35 ID:wELQVAI/
憧れの騎乗死     いえ言ってみただけです
798人間七七四年:2008/11/27(木) 17:45:06 ID:SreTYZNK
>>796
ありがとう・・・
中納言様を支えた前田ありがとう・・・うう・・・
799人間七七四年:2008/11/27(木) 18:03:32 ID:CAZ5n0h9
一方、福島正則は酒だけを送った。
800人間七七四年:2008/11/27(木) 18:07:10 ID:SreTYZNK
いや、嬉しいよ?酒も
サンキュー、市松
801人間七七四年:2008/11/27(木) 18:46:54 ID:fxanGVbd
生活支援もあって下手な大名より
良い暮らししてたらしいもんな秀家公
かなり長生きしてるし
802人間七七四年:2008/11/27(木) 19:01:30 ID:S3mAGxcL
生活支援頑張って、お家騒動まで起きたのに
90超えた人もいたけどな
803人間七七四年:2008/11/27(木) 19:20:16 ID:KWG5PbTz
>>801
いや島の奉行所だったかに呼ばれて御馳走を振舞われたとき
秀家がコソコソお持ち帰りしようとした時
奉行が「どうなされた?」と聞くと秀家は
「家臣達にも食わせてやろうと思いまして」と答え
恥ずかしそうに照れ笑いをした、とかいう話が有ったような
そんな秀家が哀れで奉行が泣いてしまったとか
804人間七七四年:2008/11/27(木) 19:31:04 ID:hRHVFid7
>>797
討ち死にじゃねーかw
805人間七七四年:2008/11/27(木) 20:05:13 ID:AgIGQxq+
>>802
信之兄さんですか。
806人間七七四年:2008/11/27(木) 20:08:00 ID:p2dZFX8r
>>802
相続争い調停してすぐに亡くなったんだよな
壮年期からずっと心労半端なかったろうに凄い人だよ
807人間七七四年:2008/11/27(木) 20:13:57 ID:fxanGVbd
>>803
その話が上役に伝えられて
宇喜多家が生活に困窮しているとわかり
前田家や花房家の支援が始まったんじゃなかったけ
808人間七七四年:2008/11/27(木) 20:19:33 ID:yNi6qKOf
うーむ・・・
秀家殿のつめの垢を飲ませたい御仁がおるのじゃが・・・
809人間七七四年:2008/11/27(木) 21:15:24 ID:rdnKNKQ9
秀家殿は戦国時代には向かない人なんだろうな。
親父さんなら関ヶ原で小早川より早く寝返ってると思う。
810人間七七四年:2008/11/27(木) 21:17:09 ID:Yp2oDNoT
親父さんなら戦場で寝返るなんて下手なことせずに、
どっちが勝っても美味しい立ち位置に居ようとすると思うw
811人間七七四年:2008/11/27(木) 21:20:03 ID:KlC+SqFo
親父さんなら関ヶ原なんて起こすまでもなく家康か三成を暗さ…(ry
812人間七七四年:2008/11/27(木) 21:21:40 ID:gt/rmCoj
宇喜多直家って若いときにかなり苦労してるんだよなぁ・・・
抜け目無い、節操の無い策謀家のイメージが一般的だけど
若いときの苦労が影響してるんだろう、と思ったり
813人間七七四年:2008/11/27(木) 21:39:31 ID:Ngq4Sg17
策謀家と言われている武将は低い身分から苦労して這い上がった奴ばかりだよな。
大大名のボンボンに生まれたくせに策謀大好きな中二病患者もいるが…。
814人間七七四年:2008/11/27(木) 22:04:27 ID:xKOlzuyi
>>780
亀レスだが、義光の北楯宛て書状に
「いい季節だし、工事を見に行けばみんな喜ぶだろうから、是非そうしたいけど、
病気で行けなくてとても残念だ」
とあってせつない。
義光はこの頃、病で体力的にかなりつらかったらしい。死ぬ僅か二年前です。
815人間七七四年:2008/11/27(木) 22:08:02 ID:2msytMe2
若い頃の直家の振る舞いは常軌を逸しており、
近隣の住人はもとより、一族までドン引きするほど。
見かねた母が涙ながらに直家にもう少し落ち着いて欲しいと説いた。
周りに誰もいないことを確かめた直家が小さな声で、
「あれはうつけの真似事です」
「うつけが自分の事をまともだと言うか」
「祖父の仇・島村を討つためです。もし俺が賢いと評判になれば島村は警戒して俺を殺そうとするでしょうから。その為にうつけを演じ、策を練っていたのです」
母は突然のことで驚きながらも、喜んで直家の言うとおり浦上宗景に仕えられる様に計らった。
直家はそこで賢しく立ち回り宗景のお気に入りになった。
ある時、宗景が思い悩んでいたので訳を聞いてみると、
「お前のさー、舅の中山いるじゃん?あいつ最近調子に乗ってね?お前に言うのもなんだけどさ」
「いえいえ、私は殿への忠義が一番ですよ。なんならサクっと殺っちゃいますぜ」
「え、マジ?」
「その代わりといっては何ですが、島村いるじゃないですか。あいつ祖父の仇なんで殺りたいんですけど」
「あいつもなー、俺が小さいことを良いことに好き勝手やってたんだよなー。いいよ、殺っちゃえ☆」

こうして浦上宗景のお墨付きを得た直家は見事祖父の仇を討ち、一族の恨みを晴らすことに成功した。

途中までは良い話だと思うけどねw
816人間七七四年:2008/11/27(木) 22:08:19 ID:7EHB1vtg
家康の前田征伐に対し前田家は交戦の態度をとる。
そして豊臣家や各諸候に支援を求めるが豊臣家は前田に加担する事を渋った。
前田家としては豊臣の為の戦なのになぜ豊臣が前田を支援しないのかと急激に交戦の意識は失せていった。
この状況下積極的に前田家を助けたのが宇喜多秀家である。
豊臣家の内情、徳川家の動きなどを前田家に伝え続けたのである。

前田家が折れて前田征伐は中止となるが前田家は秀家に深く感謝し以後宇喜多家を家の恩人とし
秀家の助命、宇喜多家再興、宇喜多家支援と明治まで続ける事となる。
817人間七七四年:2008/11/27(木) 22:14:10 ID:KlC+SqFo
>>816
申し訳ないがそれは、何に出ている逸話?
前田家が秀家を助けたのは、秀家の妻で、前田家出身の豪姫が、八丈島での秀家の窮乏を知り
実家に援助を依頼したから、ってのが一般的だが、前田征伐に絡めた物は聞いたことが無いので。
818人間七七四年:2008/11/27(木) 22:16:27 ID:gt/rmCoj
爺さんが浦上家中の宿老格で幅を利かせる
 ↓ 
嫉妬した同僚の島村観阿弥が奇襲を仕掛けてきて爺さん自刃
 ↓
逃げ延びるけど親父が遊んでばかりで敵討ちできない
 ↓
色々あって浦上家に仕えるようになるものの、治安も悪く荒地で収穫なんてほとんどない城を預けられる
 ↓
泥にまみれて節約などしてひたすら耐える
 ↓
色々あってようやく島村を討つ
 ↓
直家の謀略家人生はまだ始まったばかりだ!!
819人間七七四年:2008/11/27(木) 22:35:42 ID:SreTYZNK
>>818
wwwwwwwwwwww
途中で打ち切りになった週間連載の熱血マンガかよw
820人間七七四年:2008/11/28(金) 00:14:42 ID:WBe8c8bb
世巧者高虎

藤堂高虎は、あるとき書院に箱を置いて、
「ワシが死んだ時に殉死したいと思うものは、名前を書いてこの箱に入れよ。」
と言った。箱には70名の殉死志願者の名が集まった。
高虎はその箱を持って駿府の家康に拝謁し、「我が家中にはこれだけの忠義の家
臣がいます。彼らは子孫の代まで上様の先鋒として役立つ侍ですから、上様の上
意をもって彼らの殉死を禁止し先鋒を申し付け下さい。」と言った。
家康は高虎の望みをかなえ、藤堂家では殉死を禁止すること・藤堂家は徳川家の
先鋒とすることを命令した。

またある時、老境の高虎は家康に拝謁してこう言った。
「せがれの大学頭は不肖の子ゆえに、伊賀の本領を国替して下さい。伊賀は要衝
の地ですが、せがれでは上様のお役にたてません。」対して家康は、
「そなたは先年殉死者名簿をワシに提出し、彼らの殉死を禁止したことがある。
彼らのようなよき侍が多ければ、せがれの出来が悪かろうと立派に奉公できるで
あろう。伊賀は子孫末代まで藤堂家に任せる。」と言った。

こうして高虎は、先鋒大将とすること・国替はしないことの家康じきじきの言質
を得ることに成功し、幕末までそれが破られることはなかった。
(武将感状記)

821人間七七四年:2008/11/28(金) 00:17:14 ID:WBe8c8bb
召し使いの女

清洲城主・福島正則の家来に、大崎玄蕃という銭勘定に無頓着な武将がいた。
ある時、賤しい格好をした女が武家奉公をするために清洲に来たが、誰も召し抱
えなかった。ところが、玄蕃は家来の反対を押しきって召し使いとして採用した

以後女は陰日向なく21年間働き、玄蕃も2万石の身上まで出世した。
ところが、福島家が改易されるや家来・奉公人はことごとく退散し、残ったのは
玄蕃の家来3人と召し使いの女1人だけとなった。
「かつて2万石の身上だったワシも、いまやすかんぴんじゃわい。」と玄蕃が自嘲
すると、
女は庭石を動かし穴の中から、金5000両・銀2500枚を取り出して玄蕃に献上した

「このような大金をどうしたのじゃ?」と驚いた玄蕃に対して、
「旦那様は銭勘定に無頓着ですから、万が一のことを考えて旦那様の収入の一部
をコツコツ蓄えておきました。旦那様の金ですからお役立て下せえ。」
玄蕃は女の機知に驚いたが、互いに「金は受け取れない」と押し問答になりそう
なので、
「ではこうしよう。銭の山を交代でひと掴みしあいワシとそなたで山分けしよう
ではないか。」
女はその提案を承諾し、玄蕃と金を山分けした。
玄蕃は後に徳川頼宣に仕官できたという。
(名将言行録)

822人間七七四年:2008/11/28(金) 00:23:20 ID:deBa+BAm
>>821
おお、いい話だね! これぞ恩返し
823人間七七四年:2008/11/28(金) 00:24:04 ID:7fqsM08T
>>821
大崎玄蕃は、福島家が改易されてからその逸話にいたるまでの、おっそろしい頑固貧乏話が
面白いよねw
824人間七七四年:2008/11/28(金) 02:31:35 ID:WGxiGAE4
ほう、福島にもまともな家来がいたんだな
825人間七七四年:2008/11/28(金) 03:06:26 ID:7fqsM08T
>>824
正則の家臣はむしろ、超まともなのが多い。
826人間七七四年:2008/11/28(金) 03:24:20 ID:+DWdb5z7
例の酔った勢いで切腹させられた家臣もまとも故だろうな
あの時代、主君の切腹命令はそりゃ軽いものじゃないだろうけど
それでも市松の酔いが醒めるまで適当に誤魔化して時間稼ぎせず
家臣としての勤めを果たす

・・・もう少し不真面目というか要領良く立ち回っていい気がするよ
827人間七七四年:2008/11/28(金) 03:32:40 ID:7fqsM08T
>>826
> それでも市松の酔いが醒めるまで適当に誤魔化して時間稼ぎ

本多正則あたりはそうしそうだな、と思った。
828人間七七四年:2008/11/28(金) 03:33:13 ID:7fqsM08T
ああ、まちがえた。>>827は「本多正信」w
829人間七七四年:2008/11/28(金) 10:45:57 ID:RDSDbmol
>>817マジレスすると前田家から望んだ援助ではなく
徳川からの依頼というか命令の下で行われた援助(拒んでないと言う意味だとある意味望んでたともいえるけど)
物資の量や運搬人足の数やルートまで幕府命令により細かく決められている
逸話では美談になっているが加賀の民衆にとっては意味不明な増税で悲しいお話
830人間七七四年:2008/11/28(金) 12:44:40 ID:r8fkCQQi
島津が宇喜多秀家匿った逸話とかあんの?
戦後は交渉の道具になってるし島津と宇喜多って
あんま仲良いイメージなかったけど
831人間七七四年:2008/11/28(金) 14:02:53 ID:0bglcHyG
匿うというか、秀家自身からロクに接点もない薩摩に転がり込んだんだから
交渉の道具にされても文句言えんだろ。
832人間七七四年:2008/11/28(金) 14:53:13 ID:3MyxB4A9
島津は端っこなせいか色んな人が逃げていった話があるような気がする
833人間七七四年:2008/11/28(金) 15:57:26 ID:j0+b9FlZ
宇喜多直家のちょっと良い話

直家が勢力の拡大を始めた頃
宇喜多衆は能家時代の旧臣、所領以上の兵卒を集めていたため
兵糧が乏しく、秀安、貞親、利勝らをはじめ家臣の者達はみな自ら耕作し、
それを兵糧とし城内に蓄え、ときには敵地の兵糧を奪いまでして兵糧を蓄えたという。
それでもなお兵糧が不足し、直家はじめ家臣一同が、1ヶ月に数度は失食と称して絶食した。
直家はこの乙子城時代の貧窮により家臣団との結束を高めることに成功したのである。


蛇足
息子秀家は贅沢三昧な生活へ家臣の諌言やキリシタン問題により
お家騒動に発展、直家以来の家臣ほとんどに出奔される
834人間七七四年:2008/11/28(金) 16:01:25 ID:C25S2zwG
対石舟斎に三戦三勝と伝わる文五郎さんのお話

関白が豊臣秀次であったとき
当時剣術指南をしていた、上泉信綱の甥の疋田景兼に対し
富田流・長谷川宗喜と他流試合をする様命じる。
しかし景兼はそれを拒否。それを見た側近たちは
「疋田は臆したのではないか」
と噂した。これを聞いた景兼は
「臆病者というならそれでいい。竜虎相打つときは、必ずどちらかが傷つくもの。
剣術は遊戯ではないので、軽々しく命を賭けて、試合するわけには参らない」
といって気にかけることは無かった。
835人間七七四年:2008/11/28(金) 17:46:46 ID:CwBe2RcI
>>833
関ヶ原時の宇喜多軍は抜け殻状態だったのか。
836人間七七四年:2008/11/28(金) 17:59:19 ID:bZK31i09
そんな状態の宇喜多に撃退される市松・・・
837人間七七四年:2008/11/28(金) 18:08:15 ID:kIhadbyd
>>835
その出奔した連中は見事に家康側に持ってかれたんだ。
大谷が調停したけど家康に横やりされてダメになった、というか
家康に都合のいいようにされてしまった宇喜多騒動な。
838人間七七四年:2008/11/28(金) 18:11:00 ID:pBU/5Cyx
いやいや、宇喜多の先手は明石全登だから仕方ない。
839人間七七四年:2008/11/28(金) 18:19:14 ID:E6k8mUDg
島津奔るだと、
宇喜多家の家臣を一本化する為の
石田・大谷の策だったって書いてあったなw
840人間七七四年:2008/11/28(金) 18:40:30 ID:Bo+C8MvH
老臣の長船が暗殺されたという風聞を聞いて彼の政敵の戸川達安(だったっけ?)に刺客を
送った話をどっかで耳にし、ああやっぱり親子だと思った俺。
841人間七七四年:2008/11/28(金) 19:11:57 ID:2CZWoru4
>>835
・宇喜多忠家(直家の弟)、お家騒動後、出家
・宇喜多詮家(忠家の弟)、元々秀家と対立してた
・花房正成、高松2万8000石の領主、お家騒動後浪人、関ヶ原後徳川で5000石


織田家で言えば桶狭間の前に柴田、佐久間、丹羽、秀吉らがいなくなり、明智のみ
徳川家で言えば四天王が出て行って本多正信のみいる状態





842人間七七四年:2008/11/28(金) 19:20:43 ID:6itW+ap3
>>821
これ、いい話なんだけどさ、
もし万が一なことが起こらないうちに蓄えてた金が見つかったら、
召使のクビ飛ぶよね(文字通りの意味で)

大崎「貴様、俸禄を着服しておったのか!!ワシが雇ってやったにもかかわらず!」
召使「いえいえ、これはダンナ様に何かあったときのために・・・」
大崎「問答無用!!」
スパーン
843人間七七四年:2008/11/28(金) 19:27:02 ID:pU7H+KTC
>>842
確かにw
主の銭勘定への無頓着さを信頼してたんだろうか
844人間七七四年:2008/11/28(金) 19:33:28 ID:E6k8mUDg
>>841
詮家ことガッキーは忠家の息子だぜ
845人間七七四年:2008/11/28(金) 19:52:20 ID:2CZWoru4
>>844
(直家の弟)をコピペして後ろの部分直すの忘れてたぜ
846人間七七四年:2008/11/28(金) 19:53:42 ID:2CZWoru4
算術が得意な大名で逸話になるのは利家の他にいたっけ?
847人間七七四年:2008/11/28(金) 20:40:40 ID:SOl52rP8
黒田さんちは親子揃って貰いものの調理法にまで口出すことで有名だが…
848人間七七四年:2008/11/28(金) 21:35:34 ID:0hz7nQKK
>>846
北条氏直くらいかな…有名じゃないけど。
特にいい話でもないので詳細は控える。
849人間七七四年:2008/11/28(金) 22:56:18 ID:7fqsM08T
>>821の大崎玄蕃、再士官のときのお話


福島家が改易される時、人材マニアとして有名な紀伊藩、徳川頼宣は

「福島左衛門大夫はよき侍を数多く召抱えていた。そのうちにて名の知られている者であれば
幾人であっても我が家に召抱えたいものだ」

と、語り、熱心に勧誘して、世間にも名の聞こえた大崎玄蕃長行・村上彦右衛門義清・
真鍋五郎右衛門貞成の3人を召抱えた。

その年の冬の事、頼宣はこの三人に御茶を下される事となった。
ところが、大崎玄蕃には頼宣御手前にて御茶を下され、彦右衛門と五郎右衛門には
茶道の千賀道圓の手前にて茶を下された。

彦右衛門と五郎右衛門の両人は、
「なぜ玄蕃には君自らの御手前でわれらには茶道の手前であるのか心外である!
このようなことではお暇をいただき申す」

と、憤った。

これを聞いた頼宣は

「大崎は元は備後国鞆の城主で、福島家の家老までやった、お前達の先輩じゃ無いか。
こっちでの仕官は横一線で一緒だけど、こう言う所で昔の先輩を立ててやってもいいだろ?」

と、体育会系によくある理論で諭す。

彦右衛門と五郎右衛門も、

「言われてみりゃその通りですね。」

と、納得。さすが福島の旧臣たちであった。
850人間七七四年:2008/11/28(金) 23:00:03 ID:pU7H+KTC
>>849
聞き分けがいいなぁ、二人
851人間七七四年:2008/11/28(金) 23:20:08 ID:8sQIaTO6
>>849
家臣は結構良いのが揃ってたのになあ福島家は
852人間七七四年:2008/11/28(金) 23:23:55 ID:vNPqCRkP
>>821
年間あたりおよそ金250両前後、銀125枚前後もの大金を
21年もの間露見せずに侍女が抜き取れてたとか銭勘定に無頓着とかってレベルじゃねえww
もしかして金500両、銀250枚の間違いでね?
それでも1年あたり金25両前後、銀12枚前後と侍女が抜き取るには額がでかいw
853人間七七四年:2008/11/28(金) 23:26:49 ID:7XDvnTI8
今だったら横領罪で告訴されるレベル
854人間七七四年:2008/11/28(金) 23:34:23 ID:Jztf0SU9
抜き取ると云うよりも
例えば銀1枚も要らない程度の支払いに
玄蕃「これで払っといて」と適当に銀1枚出して
その女がきっちりお釣りは取っておく

みたいなのが積もり積もってじゃないのかな
流石に主人が出した額以外に色々抜くのは
他の奉公人の目もあるから難しいと思う
855人間七七四年:2008/11/28(金) 23:42:09 ID:QU9s18zN
家計簿つけたら支出が十分の一に!
とか馬鹿な事態が起こりそうw
856人間七七四年:2008/11/28(金) 23:42:56 ID:btaS0tkw
主人が出した額:これで今月の支払い全部やっといて、と手持ち全部

とかかもしれんぜw
857人間七七四年:2008/11/28(金) 23:46:49 ID:vNPqCRkP
>>854
どうだろうな。
大崎家は2万石と小大名並の所領を持つ家だから当然勘定方がいるんじゃね?
だから、仮にその女が代金を支払うとしても勘定方を介して金を受け取るだろうから、
毎回毎回お釣りをちょろまかすなんて無理な気がする。

まあ真面目に考察しすぎるのも野暮かも知れんけど、
どうやったらそんなウルトラCを決められたのかどうしても考えてみたくなるw
858人間七七四年:2008/11/29(土) 00:19:07 ID:WI1OKLo+
あんまり言うと真偽論争みたいになって嫌なんだけど実際はそんなに無かったとか。
859人間七七四年:2008/11/29(土) 00:22:54 ID:ud5UprBS
まあ、こう言う話はどうしたって数字は大きくなる物だからねw
860人間七七四年:2008/11/29(土) 00:25:54 ID:bw3zfYV+
>女は庭石を動かし穴の中から、金5000両・銀2500枚
これだけの量を収納できる穴を用意、隠し通した事の方が
すごいと思ったり(笑
861人間七七四年:2008/11/29(土) 00:27:26 ID:WI1OKLo+
侍女「FXで運用してました」
862人間七七四年:2008/11/29(土) 00:29:22 ID:pN5+5YPe
だよなw5000両と銀2500枚だから千両箱7,5個分考えれば良いのか?
結構でかい穴だなw
863人間七七四年:2008/11/29(土) 00:46:22 ID:WI1OKLo+
銀一枚一匁として1600年頃の頃のレートで大体一石=25匁=0.5両
5000両と銀2500匁は米換算で合計11000石相当
勤続21年だから一年当たり平均523石相当を貯蓄に回していたと推測
まあ常識的な範囲とも取れる

ソース
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J029.htm
864人間七七四年:2008/11/29(土) 00:49:02 ID:pN5+5YPe
ちょwww523石って芸州浅野家なら上士五人雇えるw
865人間七七四年:2008/11/29(土) 00:49:58 ID:5DXt8oUn
荒木村重と餅

荒木村重が信長に臣従し、信長に拝謁した。
信長は「褒美をやる。」といい、
脇差に餅を突き刺して村重に向けた。

村重は平然として、
「ありがたき幸せ」と言い脇差に口を向けてパクリと餅を食い、袖で脇差しを拭
って信長に返した。

村重の剛胆に驚いた信長はニコっと笑い、
「この脇差も褒美に取らせる」と言ったという。
(備前老人物語)

866人間七七四年:2008/11/29(土) 00:50:19 ID:pN5+5YPe
いや、知行取りだから五公五民なら十人?とんでもねぇな
867人間七七四年:2008/11/29(土) 00:52:41 ID:5DXt8oUn
>>823
>おっそろしい頑固貧乏話が
たぶんこの人の話↓


吉村又右衛門物語

福島正則の家臣に、吉村又右衛門という武将がいた。
福島家改易により又右衛門は妻子と伊勢の関に寓居した。
寓居中の貧窮ぶりはすさまじく「女房は丸裸に、娘は泣き伏して飢えに及ぶ(原
文より)」という有り様。

そんな中、福島家の同僚・大崎玄蕃が訪ねてきた。要件は、紀州に仕官できそう
なので又右衛門に紹介状を書いて欲しいというもの。
又右衛門は快く紹介状を書いてやり、
「玄蕃殿は路銀をお持ちかな?」と聞く。
玄蕃がないと答えると、具足櫃から金50両と銭1貫を取りだし玄蕃に与え、玄蕃は
喜んで帰った。
それを見ていた女房は「家族を飢えさせながら、他人に大金を与えるなどあり得
ない!」と激怒した。
対して又右衛門は、
「武士はそろばん勘定はしないものだ。あの金は我が武名を落とさないためのも
のじゃ。そんなことも分からないのなら武士の女房とは言えぬ。離縁申し付ける
。」と言った。

さて、又右衛門の武名を聞いた松平定綱から仕官話が来た。
又右衛門はボロの着物のまま定綱に会いに行こうとした。
定綱の使者が「せめて馬か駕に乗って下さい。」と頼んでも、
「浪人は恥ずるものではない。」と一向に聞かず徒歩で登城した。

めでたく仕官がかない又右衛門は定綱の重臣になったが、連日ボロ具足・古葛籠
を担いだ百姓が広島からやって来た。
あまりに異様な光景に定綱の家臣が驚いて又右衛門に理由を聞くと、
「彼らは皆ワシの譜代の家臣じゃ。再起の時のため広島の村々に預け百姓をさせ
ていた。彼らをいつか役立てようと浪人中も彼らに隠し扶持を与えていたのだ。
」と答えた。

そんな又右衛門が子供に残した遺言は、
“ワシは武功を持って大禄を得た。しかし、貴様には武勇武功もない。よってワ
シの所領は殿様に返上せよ。
もし貴様に新たな所領が与えられたなら、小禄でも文句を言ってはならんぞ”
(名将言行録)
868人間七七四年:2008/11/29(土) 00:54:39 ID:h1MF+XUg
>>863
大崎家の所領は2万石。
2万石と言っても年貢収入で年間2万石を得られるというわけではなく、
2万石程度の収穫を見込める領土を与えられてそこから年貢を徴収する。
そして6公4民だとすれば年間1万2千石程度を年貢米として徴収というわけ(豊作や凶作等で年貢米は変動)
1万2千石から更に大崎家に仕える者への俸禄を支払うから大体多くて4割程度(5千石前後)が大崎の手元に残るはず。
大崎家が1年間に自由に使えるのが5千石前後ならば、1年当たり523石相当は相当の額だと思うんだが…
869人間七七四年:2008/11/29(土) 01:03:06 ID:WI1OKLo+
>>868
そのへんのやりくりが上手だったんだろうなぁ・・・と思った。
純粋な大崎の収入も5000石も無かったかもしれんし最初から2万石貰ってた訳じゃない。

でも小遣いの1/10程度なら常識的な貯蓄と言えるしあまり常識的な話だと逸話にすらならないから。
まあどう解釈するかは各々でw
870821:2008/11/29(土) 01:05:21 ID:5DXt8oUn
>>852
逸話の真偽はともかく数字はガチ。
ちなみに、庭石を動かしたのもこの召使い。
玄蕃はこの女を採用する際に家中の侍と相撲をとらせて、
女が14人勝ち抜いたのが採用の決め手になったそうで…
871人間七七四年:2008/11/29(土) 01:18:27 ID:H657N+pQ
>>867
このあたりがなんというか、安土桃山以降江戸時代の武士の価値観になるのかね。

戦国までの武士は一族郎党家族家来を養い保護するのが第一義。
872人間七七四年:2008/11/29(土) 01:20:17 ID:EOVlBM6j
なんだその天下無双はw
女を採用するのに相撲取らせるってそれ本当は雇う気無くて
追い返すつもりだったんと違うか。
873人間七七四年:2008/11/29(土) 01:22:40 ID:0uok0+HD
>>872
その女は花山薫か何かですか?
小松殿の女中とキャットファイトしろ!
874人間七七四年:2008/11/29(土) 01:27:13 ID:bw3zfYV+
>>870
なるほど、それほどの豪の者なら
穴も一晩で掘ったに違いない。
875人間七七四年:2008/11/29(土) 01:31:49 ID:0uok0+HD
その侍女はジョバンニだな
876人間七七四年:2008/11/29(土) 02:02:33 ID:0Ju2RQxV
>>865
このとき、脇差を突きつけられたことに遺恨を持って後年謀反おこしたのかもなw
877人間七七四年:2008/11/29(土) 10:05:13 ID:Zhu26wbw
正則より強そうだな
878人間七七四年:2008/11/29(土) 10:15:58 ID:ud5UprBS
正則は強いのは強いんだよ。ただ、群れずに一人で判断を迫られると、肝心なところでへたれるだけで。
879人間七七四年:2008/11/29(土) 10:18:45 ID:f5OlsvW/
正則のDQNぶりは「俺が支えてやらねば」心をくすぐるので、家臣、友人には恵まれる。
そこが四天王との違い棚。
880人間七七四年:2008/11/29(土) 13:14:43 ID:BVStxWQJ
その市松さんが家臣に慕われてた話。

藤堂高虎が福島浪人久留島彦左衛門に使番を遣わして
一万石で召抱えようと伝えた。
しかし、久留島は答えて
「旧主福島左衛門太夫が和泉殿と不和の事は衆知の事実である。
 私は扶持米を受けるために元の主人の敵に仕える事は義理においてできない。
 よろしく御断り申し上げる」
と言った。
高虎はそれを聞いて、やっぱり豪傑なんだ、惜しい事よと断念が、数日の後、
久留島は紀伊国に遠ざけられて一万石を与えられた。
久留島は、これは全く高虎が人を見定める力の賜物として、
書状をもって恩を感謝したという。

(開国遺事)
881人間七七四年:2008/11/29(土) 21:51:21 ID:xn9N/FGw
竹千代と名乗っていた駿府での人質時代のある正月の事、今川義元の屋敷に恒例の新年の挨拶に出かけた。

今川氏は当時、有力の大大名であったので、新年の挨拶に家臣や豪族たちが大勢集まっていた。正月の寒い日のことで、
しかも座敷には火の気すらなかったので、誰もが寒さのために尿意をもよおしたが、
いつ自分の順番になるかも知れなかったので座を立つわけにもいかず、
じっと我慢していた。もちろん家康公も同じである。

そのうちに、あまり見かけた事のない少年が控えているのを見た家臣たちの中から
「あの子倅は誰だろう?」という声が聞えてきた。「あれは三河の松平清康の孫だということだ」と答えた者もいた。
だが中には、「剛勇で鳴らした人物の孫とはいっても、父が意気地がないので人質に出され、今はあのようにして畏まっているただの子倅よ」
と没落した松平家を嘲笑う者もいた。

このやりとりを耳にした家康公はふっと座を立ち上がり、腹が立ったのか、単に目立ちたかったのか、
縁側まで行き、前をまくって何とジャージャーと立ち小便を放ったのである。
用を足し、また元の座に戻り、平然としている。
この家康公の大胆な行動に、義元や家臣一同はただあっけにとられ、その成り行きを見守るしかなかった。
「やはり清康の孫だ・・・」と、家臣たちはヒソヒソと話し合ったという。
882人間七七四年:2008/11/29(土) 21:53:43 ID:L3T7gbbi
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
883人間七七四年:2008/11/30(日) 00:11:16 ID:JhZGIOWw
家康は地味なくせに目立とうとするよな
884人間七七四年:2008/11/30(日) 00:12:39 ID:TgJ0zPdG
家康は元々DQN体質なのに強靭な意志力でそれを隠してる印象
885人間七七四年:2008/11/30(日) 07:37:21 ID:tgeVnW4b
>>874
たしか大石臼を軽々持ち上げるだとかいう怪物女だからありえるな
しかもこの話、主を晴れやかに送り出した後小船に乗ってどこぞへ去るとかいうやたらかっこいいシメだったような
886人間七七四年:2008/11/30(日) 08:32:11 ID:B5pF1AIL
>>884
子供達もね
秀康と忠輝は言うに及ばず、信康も本当はDQNだったらしい
887人間七七四年:2008/11/30(日) 08:55:18 ID:CGWHaLfp
水戸家を継いだ子も忠輝に性格が似てたらしいから
家康の血なんだろうね
律儀な3男はオロオロしながら押さえ込んだんだろうね
かわいそうに
888人間七七四年:2008/11/30(日) 13:04:31 ID:kMKZ6V63
蒲生再生工場(一)

松倉右近と言えば『筒井家の右近左近』と呼ばれ、島左近と並び称された士だったが、
その弟の権助秀政はなにが原因か、臆病者として隣国まで知られた存在だった。

家中の陰口に耐え切れなくなった権助は、筒井家を出て蒲生氏郷に仕官を申し出た。
「それがし臆病者と言われてはおりますが、そのような者でも、良将ならば使い道が
あろうかと存じます。なにとぞ、召抱えていただきたい。」

蒲生の重臣達は失笑をこらえた。そもそも筒井家など松永久秀に押しまくられた上、
『洞ヶ峠』などという日和見の代名詞になった逸話を持つ家である。
そんな武辺のまずい家で臆病者と呼ばれた男、役に立つわけがない。

しかし氏郷は、権助の口上の不敵さに見どころを感じ、彼を採用した。
果たして、まもなく起きた戦で権助は奮戦し、兜首を二つも上げる手柄を立てた。

「おれの目に狂いはなかったわ」喜んだ氏郷は権助に2千石を与え、物頭に取り立てた。
感激した権助は、次の戦でも先陣を切って戦ったが、深入りしすぎて討死にした。

「権助は剛勇にして大志があり、人の上に立つべき男だった。ゆえに早く取り立てたが、
いま少し出世を遅らせておけば無理な働きなどせず、討死にすることもなかったろうに
おれの過ちで、あたら良き武者を失ってしまった…」

氏郷は、そう言ってはらはらと涙をこぼしたという。
889人間七七四年:2008/11/30(日) 13:05:40 ID:kMKZ6V63
蒲生再生工場(二)

松田秀宣という侍がいた。
ある時、町人とケンカになり、さんざん殴りあった末、逃げ出してしまった。
屈辱のあまり切腹しようとしたが周囲に止められ、以来おのれへの戒めに鎧の背中へ

『天下一卑怯者』 と大書して各地を転戦した。

背中の字を見て秀宣に興味を持ち、近づいて来る者もいたが、その由来を知ると
あざけりの笑いを浮かべて去っていった。 ただ一人を除いて。

氏郷「お主の背中に書かれている字の由来を教えてくれぬか?」
秀宣「書いてある通り、わしは天下一の卑怯者にござる。」背中の字の由来を語った。

「ですが、こんなわしでも役に立つ事もあるやも知れません。かなうならば、氏郷様が
召抱えて下され。落ちる所まで落ちた身、せめて名将のもとで己の運命を占いたい。」

偽りなく己の不始末を語り、正直を好む所に尋常の者とは違うものを感じた氏郷は
彼を召抱えた。秀宣は戦のたびに戦功を上げ、鉄砲頭にまで出世した。

秀宣は氏郷の死後、長束正家に仕えた。関ヶ原では水口へ退却する主君の殿を
つとめて、『卑怯者』は池田輝政隊に突撃し見事に散った。
890人間七七四年:2008/11/30(日) 13:07:24 ID:kMKZ6V63
蒲生再生工場(三)

佐久間盛政の弟、久右衛門安政は天下の猛将である兄のもと、武辺者として
知られたが、賤ヶ岳の戦いの後、没落して各地を転々としていた。
ある日、会津へ移封され、新しく家臣を求める蒲生氏郷の誘いを受けた。

目通りの当日、貴人と面会するのも久しぶりの安政は緊張のあまり畳のへりにつまづき、
派手に転んでしまった。氏郷の小姓たちは笑いをこらえきれず、吹き出した。

「汝ら若造が、なにを笑う!!」氏郷の鋭い叱責が飛んだ。

「久右衛門は汝らのように畳の上で行儀良くするのが、奉公ではない。戦場を駆け抜け、
敵を討ち取るのが奉公よ。汝らは戦場で久右衛門に笑われぬ自信があるのか?!」

自分の恥を消して余りある氏郷の言葉に、安政は涙を流して感激し、採用された後は
大いに働き、葛西大崎一揆の鎮圧に多大な功績を上げ、一城を与えられた。

氏郷の没後は蒲生家から独立、関ヶ原で東軍に味方して、最終的に飯山3万2千石の
大名にまでなった。


同輩斬って逐電中のキミ!家中で悪い噂が立って浮いてるアナタ!
蒲生再生工場でもう一旗あげてみないか?!m9(・∀・)ビシッ!!
891人間七七四年:2008/11/30(日) 13:37:13 ID:k80jxHMi
>>890
主君の弟を暗殺して、大仏焼いたり、将軍暗殺して悪いうわさ立ってますが再生していただけるでしょうか?w
892人間七七四年:2008/11/30(日) 13:43:18 ID:zFxwbE4n
>891
お前はもう無理だwwww



蒲生は人を使うのがうまいな
早くに亡くなってしまったのが悔やまれる
893人間七七四年:2008/11/30(日) 13:49:20 ID:Z12b23Mg
>>892

直江「どれどれ貴殿には拙者が仕官先を紹介して進ぜよう
   この書状を持って閻魔大王に会われるが良い」
894人間七七四年:2008/11/30(日) 13:53:05 ID:g3Ae8TId
>>890
怒りに任せて兄貴分の茶坊主を斬っても仕官できますか?
895人間七七四年:2008/11/30(日) 14:00:42 ID:/WdkTV3o
>>894
ソロバンはじいて蓄財に励む小者になれば大丈夫だと思うよw
896人間七七四年:2008/11/30(日) 14:14:38 ID:94fzKXbj
なんという懺悔室
897人間七七四年:2008/11/30(日) 14:17:10 ID:5vJWsrnp
父を射った。
弟を斬った。
母は歎いて家出した。
家臣も歎いて出奔した。
神保隊が邪魔だったので一斉射撃した。


でもかわいいからってみんなゆるしてくれるんだ。
カワイイは最強!
898人間七七四年:2008/11/30(日) 14:35:55 ID:/WdkTV3o
>>897
氏郷「オマエだけはお断りだ!!」


いちいち真面目にこんな奴らの相手してれば、そりゃ早死にするよな氏郷
899人間七七四年:2008/11/30(日) 15:14:45 ID:WrTjSKKI
あの忠興とも友達だったんだろ?氏郷

そしてこの一連のアホな流れがだいすきだwwwww
900人間七七四年:2008/11/30(日) 15:16:11 ID:k80jxHMi
蒲生家が断絶してしまったのが惜しまれるという奴だな
江戸初期の信長と家康の両方の子孫なんてのは小笠原と本多と蒲生
901人間七七四年:2008/11/30(日) 19:57:25 ID:KaJVZ54w
蒲生家って再生工場の2人とか、横山喜内とか氏郷没後家臣がたくさん去ってるんだよな
お家騒動が原因なのか、減封されてリストラされたのかどっちだろな
902人間七七四年:2008/11/30(日) 20:40:08 ID:id/Rdmlc
畳の上の奉公

鬼玄蕃の弟・佐久間安次が蒲生氏郷に仕官することとなり、主君・氏郷に拝謁し
た時の話。
安次は拝謁する際に、畳の縁につまづいて思わず転倒した。
安次の無様な拝謁を見た氏郷の小姓は、目配せして笑った。
氏郷はそんな小姓に激怒して、
「貴様らは未熟者の癖に無礼なヤツだ。安次は戦場でこそ映える侍で、戦場での
奉公人である。
貴様らのような畳の上の奉公人ではない。畳の上の奉公を第一とし、安次を笑い
者にする貴様らの考えは大いに間違いだぞ!」
と叱りつけたという。
(名将言行録)
903人間七七四年:2008/11/30(日) 20:50:24 ID:8MI54Pz6
904人間七七四年:2008/11/30(日) 20:54:36 ID:tGtrAH6T
半年後、某すぐ上の書き込みも見えない愚か者ですが名将の下でなら働きどころが!と氏郷に売り込む902の姿が!
905人間七七四年:2008/11/30(日) 20:56:01 ID:lqYVVRjY
しかし氏郷は、902の口上の不敵さに見どころを感じ、彼を採用した。
906人間七七四年:2008/11/30(日) 21:05:51 ID:AT92ERyD
逆に氏郷が嫌いな奴ってどんな奴なんだろ?
やっぱ政宗?
907人間七七四年:2008/11/30(日) 21:12:42 ID:CL3CUPVJ
>>902は戦場でこそ映える侍で、戦場での奉公人である。
貴様らのようなネットの奉公人ではない。畳の上の奉公を第一とし。>>902を笑い
者にする貴様らの考えは大いに間違いだぞ!」
と叱りつけたという。
908人間七七四年:2008/11/30(日) 21:51:26 ID:qJqehHyB
>>854
野球の長嶋茂雄はどんな小額でも一万円札で支払うらしいね。
もちろんお釣りなんて受け取らない。
909人間七七四年:2008/11/30(日) 21:55:11 ID:/WdkTV3o
おまいらの優しさにワロタww氏郷見習えwww

ンなわけないと思うが>>902がわかってないと遺憾からあえて言っとくと
鬼玄蕃=佐久間盛政な

>>906
苦労人がお気に入りみたいだから、好き勝手してる奴が嫌いだったんじゃね?
まとめに上がってる逸話でも鬼武蔵さんとケンカ寸前になってるし
910人間七七四年:2008/11/30(日) 22:15:26 ID:BLMC+1se
氏郷は人間できてるからやたら誰彼が嫌いだとか言わない。
911人間七七四年:2008/11/30(日) 22:34:35 ID:dyOdPSFx
西の道雪に東の氏郷。
仕えるならどっちだろう。
912人間七七四年:2008/11/30(日) 22:35:32 ID:xw44/Vpg
氏郷は 人間が出来ているから おやつは300円まで
913人間七七四年:2008/11/30(日) 22:44:20 ID:8MI54Pz6
先生!バナナは先生に入りますか?
914人間七七四年:2008/11/30(日) 22:52:59 ID:vVQ4Ow9F
氏郷は委員長

政宗は不良
915人間七七四年:2008/11/30(日) 23:18:39 ID:BLMC+1se
忠興政宗ボンボン不良ペアで学級崩壊
916人間七七四年:2008/11/30(日) 23:33:20 ID:AT92ERyD
忠興は普段は出来てる人だから
不良コンビなら政宗と家久
917人間七七四年:2008/11/30(日) 23:55:52 ID:q26MpYtI
>>690
上杉、武田、徳川に福島を並べるのか
918人間七七四年:2008/12/01(月) 00:14:35 ID:U+wtbFDC
>>911

傷が膿んだら吸出してくれそうな道雪に一票
919人間七七四年:2008/12/01(月) 00:15:33 ID:S3V0E4Y0
>>913
先生、名古屋山三郎とアッー!だったから入っちゃうんだよね〜
920人間七七四年:2008/12/01(月) 00:31:03 ID:AWcVIJQq
>>916
上級生の片倉さんが常に監視しています
921人間七七四年:2008/12/01(月) 01:19:19 ID:UUV4xK/3
>>20
なら辛うじて平和だ


スレが変な流れにいきそうな気配だwいかん。
922人間七七四年:2008/12/01(月) 03:18:39 ID:11tDV4vR
取り巻きの福島

つか四天王ってよく国潰れなかったな
923人間七七四年:2008/12/01(月) 15:30:08 ID:naqKX/y+
>>922
鬼武蔵はちょっと時代が違うし、忠興は父親譲りの政界遊泳の達人なので
アレだけど、政宗と忠恒はホントに、いつ潰されてもおかしくなかった。特に豊臣時代は

そんな忠恒さんのちょっといい話

文禄五年(1596)一月二十三日

島津忠恒は島津義久に、朝鮮在陣の者達への加増を願い出た。
島津家はかねてから、朝鮮に従軍した者達への加増を約束していながら、
それは全く果たされていなかったのだ。

しかし、義久にはそれを認可する事ができない。このころ島津家は
家臣団ごと義久、義弘、そして忠恒系に分かれており、家中の混乱極まりなく、
家臣への加増なども、島津家中では調整する事ができない状況だったのだ。

では何処ならばその調整がつけられるのか?無論島津の上級権力である、豊臣政権である。
忠恒はならばと、豊臣家において島津の申次ぎ役であった石田三成の家臣で、実際の
島津担当官であった安宅秀安に加増の許可を願った。

「朝鮮に、もう数年在陣ている家臣たちは、もはや不自由と言う以上に、見苦しい有様です。
朝鮮布陣のほかの大名衆に出会うときにはあまりにみっともなく、一刻も早く加増して
やりたいのです…」

が、この願いに安宅は苦い顔をする。
「島津は統治がきちんとなされていません。前に領地の取り決めをしたときですら、
訴訟や嘆願が引きも切らず、いまだ分配の確定にいたっていません。
三成ですらあきれ果て、島津への係わりをあえて避けているような有様です。
そんな状況で個々の加増など…、
私からそんなことを三成に取り次げません!どうしてもと言うのなら直接言いに言ってください!」

けんもほろろとはこの事である。おまえらめんどくさいからもう知らん。
そう言っているのだ。あんたらが今の領土に押し込めたせいなのに。


それでも、忠恒はあきらめずに運動した。自分がそう約束したのだ。
最初の書状からほぼ1年の慶長二年(1597)一月十九日、義久から忠恒についに、こんな書状が来た、

「加増についての執行を早々に行えと、京都から承りました。
義弘と相談し、あなたの希望も入れて、決定したいと思います。」

若殿が粘りに粘って、複雑に入り組んでどうにも動かしようが無いものを、なんとか動かした。
そんなお話。
924人間七七四年:2008/12/01(月) 16:21:20 ID:lYOnLM4r
>どうにも動かしようが無いものを、なんとか動かした。

どうにも動かしようが無いものを、なんと殺した。
に見えた人はDQN四天王ウィルス感染者
925人間七七四年:2008/12/01(月) 18:57:55 ID:/dQBMCbN
この鬱憤が親豊臣派筆頭の伊集院さんに向けられるんですね。
926人間七七四年:2008/12/01(月) 21:24:36 ID:+otYhP+i
いい話でもないが、公家の逸話がないので気にせず投下

勇敢な公家の話

正親町中納言季秀は羽林家の公家であるが、織田信長の陣参公家衆として甲冑を
着込み信長の合戦に従軍した。
本能寺の変で信長が倒れると、嫡男信忠は誠仁親王が住む二条城に立て籠った。
二条城を囲んだ明智軍も皇族を攻めることはできず、
「親王・公家・女が退去するまで一時休戦する」との協定を信忠と結んだ。
信忠は公家である季秀に退去するように言ったが、信長の恩が忘れられない季秀
は退去を拒み、立て籠った信忠の家来に菓子や昆布を配って勇気付けた。

親王らが無事退去すると合戦が再開され、季秀は信忠らとともに二条城にこもっ
て明智方と戦った。
しかし、いかんせん多勢に無勢なので、季秀は二条城から脱出することにした。

季秀は矢弾が飛び交う中、隣家の公家屋敷に逃れて公家の装束を着込み誰何する
明智兵に、
「麿は公家だ。」と言い訳し辛くも難を逃れたが、さすがに無傷で済まなかった
らしく2・3箇所手傷を負ったという。

ちなみに、息子の持明院左中将基久は豊臣方として孫の侍従基征とともに大坂城
に入城し、大坂夏の陣において天王寺で戦死している。

(晴豊記・老人雑話・系図纂要)

927人間七七四年:2008/12/01(月) 21:39:24 ID:fwYz/tyD
>>926
なんとなくその公家が成田三樹夫で脳内再生されたw
928人間七七四年:2008/12/01(月) 22:36:37 ID:+d7KpX7y
>>926
織田有楽「最後まで戦えよw」
929人間七七四年:2008/12/01(月) 22:55:14 ID:5nfR/Jdo
やるねぇ、お公家さん
930人間七七四年:2008/12/01(月) 23:02:53 ID:OFn9dLE6
最後ヘタレてんじゃねーよ。
931人間七七四年:2008/12/01(月) 23:56:24 ID:P5KrVE+v
>>928
織田信雄「叔父上が申されるなw」
932人間七七四年:2008/12/02(火) 00:01:53 ID:pnG8ccRe
安藤帯刀三連発

(1)盗人侍を許す

安藤帯刀は銀拵えの槍を持っていたが、ある時、帯刀の槍持ちの侍が銀の細工を
盗んだ。
この家来を捕まえた家来は、
「殿から預かった槍を盗むとは言語道断。成敗すべきです。」と進言した。
帯刀はその進言を退け、その侍を自ら尋問した。
「貴様は妻子がいるのか?」
「はい。子供は4人います。」
「禄はいかほどじゃ?」
「15俵です。」
それを聞いた帯刀は
「それなら日々の生活は苦しいのは当然じゃ。15俵の給料なら子供一人分不足だ
。子供が飢えれば親が盗むのは仕方ないこと。
されば、不足の5俵を加増しよう。」
といって盗人侍を許したばかりか加増したという。
(翁草)

933人間七七四年:2008/12/02(火) 00:03:58 ID:pnG8ccRe
(2)遠眼鏡を砕く

ある時、徳川頼宣は父から遠眼鏡を拝領し、毎日城の天守閣から城下町を覗いて
楽しんでいた。
それを知った安藤帯刀は、頼宣から遠眼鏡を奪いこなごなに砕いた。
びっくりした頼宣が帯刀に遠眼鏡を破壊した理由を聞くと、
「遠眼鏡は戦場の偵察、自然の景色を楽しむためにあるものです。しかし、殿は
遠眼鏡で毎日城下町をご覧になっておる。
下々の者が殿様に日常を監視されていると思うと、彼らは息を抜くヒマがありま
すまい。彼らもこの帯刀も、酒を飲んでばか騒ぎすることもあります。
名君という者は家来領民のすべてを直視してはならず、適度に息抜きさせるべき
です。」と答えたと言う。
934人間七七四年:2008/12/02(火) 00:05:58 ID:pnG8ccRe
(3)帯刀の形見

徳川頼宣が若年の頃、自分のわがままで近習を殴り付けた。
それを聞いた守役の安藤帯刀は、頼宣の膝頭を力いっぱい両手で押さえつけて頼
宣が過ちを認めるまで諫言した。
頼宣が非を認めると帯刀はようやく手を離したが、頼宣の袴は破れ膝頭には黒ア
ザが残った。

頼宣は帯刀が死んでからも、行水の際には黒アザの部分に湯を掛けないようにし
た。
近習は「黒アザはまだ痛むのですか?」と聞くと、
頼宣は、
「今日のワシがあるのは帯刀のじいのおかげじゃ。この黒アザはじいの残した形
見ゆえに、生涯アザが取れないようにわざと湯を掛けないのじゃ。」と言ったと
いう。
(名将言行録)
935人間七七四年:2008/12/02(火) 00:14:31 ID:6XtV198e
>>923
この根気強さ、どこに行っちゃったんだろう・・・
ヤパーリ半島にポイしてきたんだろうなぁ・・・
それとも中の人が入れ替わった(ry
936人間七七四年:2008/12/02(火) 00:23:46 ID:/zaUk/5r
毛利元就の座敷で雪合戦はいい話かな?
937人間七七四年:2008/12/02(火) 00:36:57 ID:pTMjxlUY
>>934
こういう話大好きだ
938人間七七四年:2008/12/02(火) 00:53:09 ID:ujM+tGaQ
徳川頼宣って人間通で知られてるけどこういう人にいい影響を与えられたんだろうね
便乗して徳川頼宣の話

年をとったので頼宣は息子の光貞に家督を譲ることにした
息子の政治が始まると言った
頼宣「わしの方針を変更したいと思ったらわしが生きてるうちに変更しなさい」
光貞「いえ、そんな恐れ多いことはできません」
頼宣「いや、わしが生きているうちに変更したならわしが許可したこととなり問題ないが
    死んだあとに変更するとわしの意向に背く親不孝者と思われかねないぞ」


晩年領内の獄中には一人も囚人がいなかったという
ちなみに頼宣の孫は八代将軍・吉宗
939人間七七四年:2008/12/02(火) 00:59:43 ID:6XtV198e
頼宣って由比正雪事件の黒幕とも言われている。
なかなか興味深いお方。
940人間七七四年:2008/12/02(火) 01:46:39 ID:gdqST2Tv
人間通と言うか、人材マニアと言うか、奇人変人大集合というか…w>徳川頼宣

個人的な彼のイメージは、戦隊ものとかの悪の総統w
941人間七七四年:2008/12/02(火) 02:07:22 ID:EyV4nbP7
便乗三連発

(4)功を誇らず

長久手の戦で、安藤帯刀は池田恒興を槍で突き伏せた。しかし、近くにいた若武者を
手招きした帯刀は、その若武者に恒興の首を取らせ、手柄を譲ってしまった。

首を持って本陣に駆け込んだその若武者・永井直勝は家康から褒められたが、
「実はこの首は、安藤殿が討ち取ったものです。」と、正直に申し出た。

そうとは知らぬ帯刀は、後から恒興の子・元助の首を持って家康の前に進み出ると
「先ほど、恒興を若武者が討ち取るのを見ましたぞ!いや〜見事でござった〜!」

クサイ芝居に苦笑しつつ、帯刀と直勝の心意気に感じ入った家康は、それぞれに
褒美をやった。特に帯刀には日ごろ愛用の弓を与えて、激賞した。(三河後風土記)
942人間七七四年:2008/12/02(火) 02:09:29 ID:EyV4nbP7
(5)将の顔 親の顔

安藤帯刀の子・彦四郎重能は、老練な父に似ず、血気にはやる猪武者だった。

大阪夏の陣で、重能は
「一番に首取ったと言わば彦四郎と思え、一番に討死にと言わば彦四郎と思え!!」
と、叫んで敵陣に駆け入って本当に討死にしてしまった。

父・帯刀の所へ近習が重能の死を知らせたが、「主君のため死ぬは、武士の本懐よ。」
と、まったく動揺しなかった。

重ねて近習が
「若様のご遺体はいかが致しましょう?」と尋ねても、「犬死にせし者、犬に食わせよ!」
と言ってまったく取り合わなかった。


大阪落城時、帯刀はいずこかへ消えた。
近習がようやく探し当てると、そこには地に伏し慟哭する帯刀の姿があった。(明良洪範)
943人間七七四年:2008/12/02(火) 02:20:14 ID:EyV4nbP7
(6)ドンブリメシでもいけるよね

頼宣に従って紀州に入った安藤帯刀は、知行として田辺3万8千石を授かった。
しかし、田辺の地は痩せて作柄も悪く、領民は貧困にあえいでいた。

考えた帯刀は、痩せた土地の税を免除し、その土地に梅の木を植えることを奨励した。
痩せた土地で取れる梅の実は『やぶ梅』と呼ばれ果肉も薄かったが、梅干しにする等して
領民は飢えをしのぐことができるようになった。

田辺の民は、苦しかった日々を忘れず、梅の品種改良に取り組んだ。
元禄のころには、すでに江戸でも紀州の梅は名産として知られていた。
徳川吉宗も、わざわざ紀州の梅干を取り寄せていたという。

帯刀が始めた紀州梅および梅干しは、現在でも全国一の量・質を誇っている。
944人間七七四年:2008/12/02(火) 02:51:55 ID:gH7JeYLE
ここではまだ、紹介されてないみたいなんで。

前田慶次、ひでぶー御仕置き

慶次郎が京の室町通りを歩いていると呉服だなの店先で、
大柄の太った主人が片足を店先へ投げ出し、脇の者と雑談している。
積まれた反物の間にある主人の足は、買物しようとする人にとって邪魔だった。

 慶次郎は店に入ると
「おいオヤジ、この足も売物だろうな?この足買いたいのだ」
 と言った。主人はえへらえへら笑いながら「百貫で売り申す。」
 慶次ニヤリと笑って
「よし、買った!」
 慶次の豪腕に膝を抑え付けられた主人は足を抜こうにも抜けずにいる。
 慶次郎は主人に
「この足を百貫文で買ったのだ。おれはこの脚を斬ってさらしてやる。
この迷惑な足百貫文也と立札たててなぁ」

 この言葉に主人は身体を震わせ、ついに泣き喚いた。
群れている人は誰も助けようとしない。騒ぎを聞きつけて
町役人や町奉行もかけつけやっと、町中の詫び言で一件落着となった。
それ以来、京では足を投げ出すことは禁制になったという。
945人間七七四年:2008/12/02(火) 03:12:23 ID:Xw7C+ne+
花の慶次では200両だっけ。すんげぇインフレだなw
946人間七七四年:2008/12/02(火) 03:22:30 ID:gdqST2Tv
>>944
忠の教訓譚ではなく、京都の法律になってしまうのが慶次のスケールの大きさだなw
947人間七七四年:2008/12/02(火) 05:45:31 ID:/nfrcFb3
>>933
頼宣はそれで覗きをしてたんだなw
948人間七七四年:2008/12/02(火) 10:27:11 ID:ZU8Flr8a
鬼武蔵だったら、バッサリやってから「ではこの足は貰っていくぞ」というオチになりそうw
949人間七七四年:2008/12/02(火) 10:53:32 ID:/nfrcFb3
>>945
そんな汚い足の為に奥村タンがくれた黄金を使いやがるカブキ者w
950人間七七四年:2008/12/02(火) 11:07:00 ID:w8MzZQuO
>>948
忠興「(ry」
政宗「(ry」
忠恒「(ry」
951人間七七四年:2008/12/02(火) 11:13:22 ID:gdqST2Tv
>>948
羅生門の鬼見たいな話に発展しそうだw
952人間七七四年:2008/12/02(火) 11:30:13 ID:w3GjDeGN
忠興と政宗ってそんなDQNだったのか。
忠興は嫉妬深すぎてちょっと変なイメージだったが・・・。
ちょっくらネットの海をさまよってくるわ。よかったら、いいDQNエピソードの載ってるところあったら教えてくれ。
953人間七七四年:2008/12/02(火) 11:31:31 ID:gdqST2Tv
…まとめサイト見ればいいような。
954人間七七四年:2008/12/02(火) 11:49:23 ID:w3GjDeGN
すまん、1すら見てなかったわ。あほかおれは。ちょっくらまとめサイトで斬られてくるわ・・・。
・・・氏郷さん・・・助けてくれないかな。
955人間七七四年:2008/12/02(火) 11:53:55 ID:OAFhpW28
>>942
子供を失った親が周囲を気にして気丈に振舞うも
後でひっそりと慟哭する話を聞くと自然と涙が・・・
戦乱の時代ってこういう話多いよね・・・
956人間七七四年:2008/12/02(火) 15:10:51 ID:LOO5Wx38
>>944
足は売ったが血は売っていないので血を流さずに切り取るように
957人間七七四年:2008/12/02(火) 15:16:12 ID:/nfrcFb3
>>956
何処の国の商人の話だw
958人間七七四年:2008/12/02(火) 15:33:23 ID:++jyA52h
油田屋乙www
959人間七七四年:2008/12/02(火) 16:04:59 ID:l54z211s
>>956
一休さんにもつながりそうだな(ww
960人間七七四年:2008/12/02(火) 18:37:31 ID:LlL3LdNp
鬼武蔵「首刎ねて血抜きしてから足斬ればよくね?」
961人間七七四年:2008/12/02(火) 18:41:46 ID:Xw7C+ne+
その発想はなかったわw
962人間七七四年:2008/12/02(火) 19:16:28 ID:aGp0KHNP
>>960
その発想のぶっ飛び方からすると、本物の鬼武蔵様ですか?
963人間七七四年:2008/12/02(火) 19:49:55 ID:ujM+tGaQ
>>956
どの逸話?
964人間七七四年:2008/12/02(火) 19:55:10 ID:T80ib6XK
紅巣の商人、油田屋車意六のことだよw
965人間七七四年:2008/12/02(火) 20:14:24 ID:ujM+tGaQ
おk把握
966人間七七四年:2008/12/02(火) 20:27:24 ID:ReNWe8eD
真田地蔵  〜真田信繁を討った男〜

大坂夏の陣、それは戦国最期の大合戦。この合戦のヒーローと
言えば、真田信繁(幸村)であろう。現代でもその名をとどろ
かせている彼だが、では彼を討ち取った人物は?と訊かれて、
即答できる人は、何人居るだろうか…

男の名は西尾仁左衛門宗次。結城秀康に仕え、二代目の松平忠直
の時は七百石取りの下級武士であった。
講談では彼の評価は散々である。家康に首実検の際、あまりに戦果
を粉飾したため不興をかい、「お主のような端武者に討たれる将で
はない!大方、拾い首でもしてきたのであろう!」と罵られ、主の
忠直と宗次には、ほとんど恩賞を与えなかったとされている。
だが宗次については別の言い伝えがある。首実検の際、彼は家康の
問いにまったく応じず、ただ黙って平伏し、むしろ忠直が多弁だった
為、主従共々不興をかった、と言う物だ。いったいどちらが真実か…

宗次の菩提寺には「真田地蔵」という地蔵がある。
大功を挙げるも、大した恩賞を貰えず国許に帰った宗次は、己の菩提寺
に地蔵を建立して懇ろに供養し、それは今も続けられている。地蔵の下に
幸村の鎧が埋められていると伝えられ、宗次は武士として礼を尽くし、
代々の西尾家当主も、これを黙々と受け継いできたのである。

宗次は1635年に病没。世間は「幸村の祟り」と嘲った。戦国一の勇将と
して後世まで名を残した真田信繁。一方、彼を討ち取り、世間で悪者に
されながらも、黙して菩提を弔い続けた西尾宗次。彼こそ戦国で「実」
のある武士だったのではないだろうか。「真田地蔵」こそ、戦国に二人
の素晴らしい武士が居た事の証しである。
967人間七七四年:2008/12/02(火) 20:30:17 ID:Xw7C+ne+
七百石取りって下級武士?
968人間七七四年:2008/12/02(火) 20:32:41 ID:aGp0KHNP
へえ
真田地蔵なんてあったのか

きちんと伝承されてなかったら、何かよく分からん古い墓を一つのでかい墓まとめるとかやっちゃいそう。
969人間七七四年:2008/12/02(火) 20:36:12 ID:aGp0KHNP
>>967
相対的なもんだろうけど、たしかに下級とは言いがたいな。
でも世間的には、上級=殿様・家老クラス、中級=武将、下級=それ以下かもしれんね。

こんな記述を見つけた
ttp://ziddy.japan.zdnet.com/qa1892868.html
>今日付けのある地方紙に「ここ手取は二百石から三百石の知行取りの下級武士の住まいだった・・・」とありますが、正しい記述でしょうか、お尋ねします
970人間七七四年:2008/12/02(火) 20:44:53 ID:Xw7C+ne+
ttp://www.page.sannet.ne.jp/kuranosuke/bugen-t.html
忠直の家臣で700石って結構凄くね?と思って調べたら、こんなだった。
つか、これ、藩の財政大丈夫かw?
971人間七七四年:2008/12/02(火) 20:48:40 ID:jGzSQ5WP
徳川本家からすると西尾宗次は陪臣だし
徳川の旗本連中なんかと比べると下級にあたるんじゃないかな
旗本は数千石もらってるのが多いし
972人間七七四年:2008/12/02(火) 20:51:14 ID:aGp0KHNP
万石取が多いな
本多は付家老かもしれないけど、他のやつらは付家老や元・与力、一門とかじゃないよね
973人間七七四年:2008/12/02(火) 20:59:44 ID:inoB5iZ3
西尾宗次って確か、足軽大将だから正確には中級武士か。
でもこの階級の武士って今で言う、下士官だろ?>>966の表現も、まあ一般的な感覚だし、
重箱の隅をつつく程の事では無いな。良い話だと思うよ。
974人間七七四年:2008/12/02(火) 21:07:41 ID:Xw7C+ne+
>>971
まあ、相対的にはそうなのかなぁ。
700石の騎士が端武者扱いか・・・。なんか悲しいね。

>>973
いや、下士官でなくて一応士官と考えてもよいかと。
別に文句つけてるわけじゃないんだ。興味をもっただけ。
話自体文句なしのいい話だよ。
975人間七七四年:2008/12/02(火) 21:47:18 ID:TQ/E5puk
700石なんて上級だぞ
976人間七七四年:2008/12/02(火) 22:04:00 ID:KphK7Fvx
例えると、県の係長は公務員全体から見て下級か?ってのはどうかな。
県の中では上級だが、国全体で見たら微妙という。
個人の主観によってまちまちだと思う。
977973:2008/12/02(火) 22:21:07 ID:inoB5iZ3
>>976に同意
>>975
そんなにこだわる事かな…?まあこれ以上はスレ違いだから、他所でやってくれ。
978人間七七四年:2008/12/02(火) 22:27:05 ID:zBh5HXIf
なんかの本で読んだが50石ぐらいが上級武士と呼べるギリギリの線らしい。
979人間七七四年:2008/12/02(火) 22:27:37 ID:gdqST2Tv
そろそろ次スレだな。980あたりでスレ立て宜しく

↓スレタイ。気をつけて!

戦国ちょっと悪い話4


↓テンプレ

戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1225294776/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1226423103/

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
980人間七七四年:2008/12/02(火) 22:55:51 ID:a1N9QHxV
>>979
まずお前がスレタイ気をつけろコピペミスってんぞw
981人間七七四年:2008/12/02(火) 22:59:07 ID:gdqST2Tv
>>980
orz スマン スレタイ「 戦国ちょっといい話4 」


そして、スレ立てよろ
982人間七七四年:2008/12/02(火) 23:16:19 ID:i8dRXk1T
>宗次は1635年に病没。世間は「幸村の祟り」と嘲った

随分しょぼい祟りだなw
時間かかりすぎだろう
983人間七七四年:2008/12/02(火) 23:16:56 ID:gdqST2Tv
>>980の反応が無いようなので、スレ立て行ってくる
984人間七七四年:2008/12/02(火) 23:19:10 ID:gdqST2Tv
できた

戦国ちょっといい話4
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1228227497/

こっち埋まったら移動してください
985人間七七四年:2008/12/02(火) 23:20:40 ID:/nfrcFb3
>>970
越前松平の場合は財政よりも派閥争いのほうが深刻

永見派(親族)やら旧結城家臣派閥やら秀康が後のこと考えずにかき集めた家臣とかに
幕府付家老派やら…

そら、忠直も乱行したくなるだろうw

孕石一宿…神君に切腹させられた輩の縁者なのかと思うがどうなんだろ
986人間七七四年:2008/12/03(水) 01:22:13 ID:ATayEmhX
悪い話スレでわだいになってる人と同姓か
面白いところに気づいたね
987人間七七四年:2008/12/03(水) 06:44:55 ID:hblRdKGn
では、埋めがてらに


天正14年(1586)、豊臣秀吉の九州征伐での出来事。
前線において先鋒、蒲生氏郷は大活躍。厳石城を落とし軍の士気は上がっていた。
が、一人打ちひしがれている物がいた。後軍に配置された、結城秀康、12歳。
このとき初陣であった。

佐々成政が、どうしたのかと訊ねると、秀康は

「氏郷殿の活躍に比べ、自分には何の戦功も無いのが悔しくてなりません。」

と、涙を流しながら語った。これに成政は、何をおっしゃる、あなたはまだ若い。
戦場で功を上げる機会はこれからいくらでもあるではありませんか。と、慰めたが

「この、無念を抱いた今日と言う日は、取り返したくても、もう来ないではありませんか!」


この答えに感心した成政は、秀吉の陣でこの事を語った。
あの御気性、流石は徳川家康殿のご子息である事よ。よく似ていらっしゃる。

これを秀吉が聞きとがめた「それは違う。わしだ」

「は?」

「秀康はわしの養子になったから、武勇も気性も、わしに似たのさ。そうであろう?」

そう、答えたと言う。
988人間七七四年:2008/12/03(水) 06:56:15 ID:ZSW7lu62
秀吉の場合マジで言ってそうだからな、佐々もリアクションに困ったろう。
989人間七七四年:2008/12/03(水) 07:25:38 ID:CoeBo+Rp
>>956
水野勝成「血の無い足は足に非ず。そこまでいうなら桶を持て。そっくりそのまま絞り出す。」
990人間七七四年:2008/12/03(水) 09:52:40 ID:iydbbjsw
>>985
可能性はあるんじゃないかな。>孕石一宿
遠州ではそれなりに栄えていた家のようだから。

孕石氏のその後だけど
例の孕石さんの子である元成は小田原攻めで井伊直政に従い、そのご大坂夏の陣で戦死している。その子孫は彦根藩に仕えた。
もう一つ例の孕石さんの孫が孕石村のある掛川を領した山内一豊に仕え、その子孫は土佐藩に仕えた。
孕石氏自体が邪険に扱われたわけではないんfだよね…それなりにいい話?
991人間七七四年:2008/12/03(水) 11:40:19 ID:/5Ykm4y5
梅ついでに前田慶次、僕を諭す。

慶次郎が米沢の堂森で使っていた僕に吾助という若者がいた。
従順であったがあまりに仏教に凝りすぎて、寝ても起きても「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
と念仏を唱える癖があった。慶次郎はこれがうるさくてたまらず、
かといってガミガミと頭から叱りつけるのもおもしろみがない。
 そこで一計を案じ、格別用事がないのに朝から吾助、吾助と呼びつける。
吾助は「ハイ、何御用でございますか」と返事をすると慶次郎は別に用はないと答える。
そしてまた吾助、吾助と呼びつけるのだった。
さすがに吾助もこれには全く困り果て、ある日改まって
「旦那様、私の名を御呼びになるのは結構ですが、
格別用もないのに御呼び続けになるのには全く閉口致します。
これからは御用もないのに名を御呼びになるのはやめていただくよう
御願い申し上げます」と申し出た。
 すると慶次郎は
「そんなら拙者からも云うて聞かせることがある。
お前が仏様を信心し、御念仏を唱えるのはよいが、
寝ても覚めても御念仏を唱えてはさすがの阿弥陀様も返事がしきれないであろう。
阿弥陀様に御迷惑を御かけしてもよいのか、どうじゃ吾助、この道理わかったか」
 と丁寧に諭したので、
「ハイ、分かりましてございます、以後気をつけますからこれまでの事はどうぞ御許しください」
 と答えて、それからはぴたりと念仏を唱えなくなった。
992人間七七四年:2008/12/03(水) 12:32:59 ID:XJbX7Nim
しかし凄い名だな孕石って
993人間七七四年:2008/12/03(水) 12:37:25 ID:p44IL8pH
>>991
たまには念仏唱えてもいいだろw
994人間七七四年:2008/12/03(水) 12:43:33 ID:vD9T9ElY
南無阿弥陀仏と言う宗派は死ぬ直前に一回唱えれば極楽へいけ(ry
995人間七七四年:2008/12/03(水) 12:50:05 ID:hblRdKGn
軽くいい話

徳川家康が駿府の城にいたある夏、天にわかに曇り、激しい雷雨となった。
この雷が鳴り響く中、家康はお伽衆たちと広間にいたが、かれらにこう尋ねた

「地震などは家を頑丈に作ったりと、まだ用心のしようもあるだろうが、
雷だけはどう用心しても、何処に落ちるかわからないのだから難を避ける事は難しい。
何か雷を避ける方法はあるか?」

お伽衆たちは頭を悩ませたが、結局皆、上様のおっしゃるとおり、雷だけは用心の方法ありません。
と、答えた。

ところが家康は「いや、雷にも用心の方法はある。」

それはいかに?と問われれば

「雷が鳴っているときは、広い屋敷でも狭い小屋でも構わん、親子兄弟、それぞればらばらの場所に
いることだ。そうすれば、一家が全滅する事はない。

雷に当たって、個人が死ぬのは、それはその本人の運命とあきらめるしかないだろう。
だが、一家が一つところに固まって、そのたった一人に運命に合わせて全滅しては、愚かとしか
言い様が無いではないか。

避けられぬ物への用心は、こうするのだ。」



これは戦国乱世の知恵だなあ、と思ったお話。
996人間七七四年:2008/12/03(水) 13:29:16 ID:02IHTHpJ
内ヶ島「…」
997人間七七四年:2008/12/03(水) 13:31:58 ID:bJtcmOm+
>>995
本能寺で、信長・信忠父子がそろって死んだことを皮肉ってるよね

>>991
鬼武蔵ならうるさいと思ったら以下省略
998人間七七四年:2008/12/03(水) 13:52:37 ID:tP31AB+K
>>995
俳優の高島一家の「海外旅行に行くときの知恵」を思い出した
家族バラバラの便に乗って現地集合するんだと
そうすれば何かあっても誰か一人は助かって遺産処理とか葬式とか出来るからってw

忠夫がうつ病で倒れる前の話。
999人間七七四年:2008/12/03(水) 15:11:41 ID:CLY/H62I
ラス2
1000人間七七四年:2008/12/03(水) 15:12:22 ID:+JX+yfdd
1000なら秀吉復活
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
   '、 `'ー‐''"    / lzュ、__
---‐ヽ  -'     /  〃ィ ヾ'‐,--        
 / | |iゝr;ァ--‐''"   〃/./  l  |         戦国時代(仮)@2ch掲示板
./  | | ',ヾ゙      / / /  /  l        http://hobby9.2ch.net/sengoku/