1 :
人間七七四年:
足利将軍家御一家 吉良家
2 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 18:01:34 ID:/cH2HejK
世田谷御所
3 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 09:33:27 ID:LPMK3Amf
吉良広義
4 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 14:41:44 ID:LPMK3Amf
キラヤマト
5 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 14:42:31 ID:LPMK3Amf
まいた
てらさきにうつった
6 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 15:55:48 ID:fzei4Osl
今川の扱いなんて上杉以下なのに、何で「足利に継嗣がなく吉良にも無ければ今川があとを継ぐ」
なんて伝承があったのやら。
7 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 18:31:01 ID:LwpsVdKn
端的かつ明確に言うと
ご先祖が頑張ったから
8 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 19:52:57 ID:bqufmr2v
源頼朝も源氏の嫡流ではなかった…つまり、力があれば正統を語ってもいいのでは?
歴史なんてそんなもの
9 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 10:28:41 ID:jCIlDFcQ
今川は副将軍をだしたから、上杉より格上
10 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 11:23:29 ID:QfIOjvLM
吉良からも副将軍をだせばよかった
11 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 11:37:59 ID:M3/ugU1k
三河守護であったため、松平家の主筋にあたる。
徳川家康の父広忠は吉良持広の家臣であった。
12 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 07:23:42 ID:Qm+MDeEk
しかし、吉良の殿様(義央公)もお気の毒だよなぁ。
乱心した赤穂のDQN侍(しかも、男色家)に理由もなく斬りつけられた上に、
御家再興の望みを断たれて逆上した浪人どもに「喧嘩両成敗だろ!ゴルァ!」と
因縁をつけられて殴り込みに遭うなんて。
おまけに改易……悲惨過ぎる。
ちなみに乱心したDQNを羽交い締めにした梶川さんも悲惨だよなぁ。
ろくに事情も知らない連中に「武士の情けを知らぬ奴!」と罵られ、ついには
居たたまれなくなって早々隠居だもの。
どこまで他人様に迷惑を掛ければ気が済むんだ?赤穂の芋侍どもは。
13 :
今川氏真:2008/11/06(木) 07:28:39 ID:GuMLNfRK
宮中の有職故実もしらぬ芋侍にはまことに困ったものじゃ
14 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 12:29:07 ID:XD3awMaP
> しかし、吉良の殿様(義央公)もお気の毒だよなぁ。
物凄い嫌な奴だったのは確からしいぞ。赤穂事件の前に「あいつは俺がぶっ殺してやる」って
言われてた記録残ってるし。
15 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 12:47:39 ID:JFrwBXEx
>>11 吉良って三河守護だったのは鎌倉時代までじゃね?
室町期の守護は、一色→細川 で、吉良は京で将軍側近だったような(領地は三河にあったけど)
16 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 15:38:59 ID:hxop8zcP
お隣の遠江の今川了俊もよろしく
17 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 16:32:52 ID:clyEMUGw
>>14 本貫地の吉良では「赤馬の殿様」なんて呼ばれて評判が良かったらしいね。
当時は旗本が領地に足を踏み入れることは厳しく制限されていたから、上野介自身が領地を
訪れたことは生涯で数回しか無かったようだけど、それでも治水のために築堤事業をやったり
しているし。
実際は上野介の支持を受けた郷代官あたりが差配したんだろうけどね。
18 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:20:47 ID:sWNUv6yQ
吉良家は内紛が無ければもっと大身で残ってただろうに…
19 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:28:30 ID:9619QjZu
江戸時代の旗本の領国支配ってどんなんだったのかな。
府内を我が物顔でノシ歩く傾奇者も世相を茶化す戯作者も
代官所を通じてきちんと政治をやってたんだろうか?
20 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:31:52 ID:XD3awMaP
>>19 基本幕府の代官による統治。よほどの大身でもない限り、生涯自分の領地を見ることはなく
幕府から石高分の給金をもらうだけ。>旗本
21 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:34:24 ID:9619QjZu
なるほど、それじゃ御役目がなければヒマを持て余す訳だ。
22 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:41:28 ID:XD3awMaP
つーか、幕府に限らず、何処の藩でも大身以外はサラリー制になってる。
幕末くらいになると大身でもサラリー制は珍しくない。
23 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 23:13:24 ID:UDuz51o3
戦国時代の吉良ってどこで何をしていたのか全く分からない。
24 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 06:52:46 ID:OLyiXAXO
>>20 だね。
その代官も禄高150俵+代官領の石高に応じた役高(現金支給)という小身。
おまけに群代や勘定方への出世もほとんど望み薄。
天領の場合、農民の発言力が大名領に比べて強かったので、悪政をやると領民に訴えられて
罷免されてしまうという弱者ぶり。
25 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 17:29:59 ID:YM1SmIEb
>>23 領地の吉良町周辺で一定の勢力持ってて、戦国初期は飛び地を足がかりに遠州まで攻め込むほどだったらしいが、徐々に衰退。
もともと東条と西条の二家に分かれて抗争してたのが勢力低下の主因。
26 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 17:33:15 ID:MdlAUSIF
三河一向一揆のとき、黒幕っぽいことやって、結局家康に追い出されているな。
27 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 04:25:59 ID:qOkrVdaC
桶狭間の後、斯波氏と組んで信長追放企んだりしてなかったっけ
28 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 19:26:49 ID:DmSRkujZ
斯波といい、吉良といい、「落ちぶれ果てても元上流階級」の呪縛が強いなw
29 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 16:07:32 ID:Bbu9Wpti
>>28 斯波家なんてどこ行っちゃったんだろうね。。。
30 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 17:11:24 ID:+d7KpX7y
>>29 津川と改姓して信雄の家臣になった一族がいて
小牧長久手の際に処刑された
31 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 17:53:50 ID:qJ5oeaGu
32 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 17:55:20 ID:BP3LXuXY
33 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 22:55:47 ID:gdqST2Tv
そういや織田が天下を取ったら、松平のポジションに「津田」が来ていたんだよなあ。
34 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 01:36:32 ID:C0HJSLTX
女婿の京極高知に所領乗っ取られてあぼーんでしたっけね。
35 :
人間七七四年:2008/12/08(月) 07:07:07 ID:mieCl5N4
>>30 暗愚な主君に仕えると大変だよなぁ。
しかも、信雄。。。
36 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 19:18:00 ID:r4VJmo7y
>>34 その京極も後年はあまり捗々しくないよね。
37 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:20:01 ID:zmvbDc2w
2008年12月14日 15:45
討ち入り、いざ出陣! 山科義士祭り
忠臣蔵にちなんだ義士祭りが14日、大石内蔵助のゆかりの地、山科区で行われました。
この日は、1702年(元禄15)に大石が、主君浅野内匠頭の仇である吉良上野介の屋敷に討ち入りした日。
祭りは討ち入りを決意する間、京都・山科に隠せいした史実にちなみ、大石をしのんで1974年から始められ
たもので、討ち入り装束に身を固めた47人の義士隊、幼稚園児による子ども義士隊、婦人舞踏列など約
245人が、10時過ぎに毘沙門堂を出発し、大石神社まで行進しました。
子ども義士たちは、「おー!おー!」と元気いっぱいのかけ声でお祭りを盛り上げ、沿道からは「かわいい!」
という声が聞こえました。
山科義士祭実行委員会の澤田清一さんは、「この祭りに携わって20年。赤穂浪士史実の伝承はもちろん、
地域の振興・交流も大切にしていきたい」と話していました。
ttp://www.kyoto-minpo.net/archives/2008/12/14/post_5173.php
38 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 23:10:37 ID:wvNg8rEL
今ドラマでまさに討ち入ってる
39 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 00:03:13 ID:oAIMOJWp
いま、改易(リストラ)された連中が徒党を組んで人事部長やら企業を襲撃したらどうだろうか…
と、思ってしまった
40 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 00:07:25 ID:UJoWGjBx
吉良への赤穂浪士の討ち入りは、恨みを晴らすためではなく、
量刑のバランスを取るための物。そこを勘違いするとこの話がわからなくなる。
41 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 00:57:34 ID:rrqCkK1X
>>40 あとは当時から言われた事だけど、売名行為のような側面も
あるように思う。これによって、どっかに仕官出来ればという
もくろみもあったろうし
42 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 01:09:47 ID:UJoWGjBx
>>41 売名行為はそりゃあ個々の意識の中にはあっただろうが、それはこの件の本質ではない。
当時の人間の意識では
・殿中で抜刀+傷害 = 当人切腹+領地転封 or 削減(家自体は存続)
このくらいがバランスの取れた量刑
だが、実際には
・殿中で抜刀+傷害 < 当人切腹+「御家断絶」
こうされた。これに対して量刑のバランスを取るために
・殿中で抜刀+「致死」 = 当人切腹+「御家断絶」
これが事件の展開。この時代にはまだ濃厚に存在する「量刑相応」の考えを
把握しておかないと、赤穂浪士のやったことを、武士、町人問わず「義挙」とたたえた事の
理由が解らなくなる。
43 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:07:27 ID:ezN0bH18
内匠頭が網駕籠に乗せられて不浄門から出されたということが、幕府の刃傷事件に対する
見解を示しているんじゃない?
ただの罪人扱い。
ちなみに延宝8年、将軍家綱の葬儀の際、増上寺にて内匠頭の叔父にあたる内藤忠勝が
永井尚長に対して刃傷に及んで切腹・改易となっているので、内匠頭の切腹・改易という
処置は前例に照らしても妥当な判断だと思うけどなぁ。
44 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:14:57 ID:UJoWGjBx
>>43 内藤忠勝は殺しているもの。浅野は未遂。当然量刑も違ってしかるべき。
45 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:19:47 ID:ezN0bH18
>>44 逆に刃傷事件が減らないので、量刑を重くしようという流れがあったと聞くけどね。
46 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:23:40 ID:GONfpXUb
キラ・ヤマト
47 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:24:52 ID:UJoWGjBx
>>45 しかし浅野の事件に関して量刑が重くなることは、公的な方針と言うより幕府の、もしくは綱吉の
恣意的な法の運用だと、浅野家は勿論世間の多くもそう思った。だから四十七士のやったことは
「義挙」と呼ばれた。
法の公平性を回復したと理解されたからこそ、そう呼ばれたわけだ。
48 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:42:27 ID:UTwtzXZY
>>47 だからって徒党を組んで旗本屋敷に殴り込みを掛けちゃ拙いね。
義士とやらの切腹は妥当な判断。
49 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:59:41 ID:kCkN9MMd
>>48 別にその判断については誰も否定してなくね?
50 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:59:58 ID:rrqCkK1X
荻生徂徠や佐藤直方などは、赤穂浪士にたいしてはかなり厳しい
見解を示してるんだよな。
所詮は個人的な義理であり、「公論」からみれば、大法に背いた
罪人だという趣旨の事を両者とも言ってる。
ただ、浅野切腹→断絶の流れは綱吉が一気に決定したことだし、
綱吉の法運用の恣意性とか(綱吉の代で、勘気を被った側近は結構いる)
綱吉の治世に対する不満などが鬱積してたということもあって、
赤穂事件が「公」の世界を越えた所で、賞賛され世論を形成していった。で、『仮名手本忠臣蔵』が決定打になったという感じじゃないか?
赤穂浪士が賞賛されるに至った背景は複合的な要因が有ると思うよ。
51 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 03:06:36 ID:UJoWGjBx
室町から戦国時代にかけては、家同士の紛争の場合
刑量の「相応」「同等」というものが強く求められてて、それがどちらかに偏っているとみなされた場合、
もう片方から、紛争には直接関係の無い「解死人」と呼ばれる人物を差し出し、これを切腹させる事により、
刑量を「同等」にする、と言う事まで行われた。
赤穂浪士事件の当時、こういった意識がまだ色濃く残っていた時代であり、幕府がその
量刑過剰を改めなかった以上、彼らがなすべきことは、吉良側の被害を浅野家が受けた
量刑と「同等」にする、ということ。
その意味で吉良家を襲撃することは、間違った行為ではない。
綱吉はインテリで濃厚な近世人だから、そういった考え方、意識は嫌いだったのだろうが、
ともかくも本来的な武士のあり方とは、そう言うものなのだ。
あと、「切腹」とは武士として名誉ある死に方であり、現代的な感覚で言えば死刑ではなく
情状酌量された上での懲役刑に近い。
「処刑」と「切腹」に対する武士の意識の違いは戦国時代に宣教師も指摘しているところ。
武士は主人から罰を受けると聞いたときは命がけで抵抗するが、「腹を切れ」と言われた時は
これは名誉ある死に方なのでおとなしく従う、と。
四十七士に磔ではなく「切腹」を命じた時点で幕府は、彼らの主張をおおむね認めたと言っていい。
罪人に適応される「連座」も行われなかったしね。
一応断っておくけど、この件に関して吉良が、もしくは浅野側がいいとか悪いとかを
言っているわけではないよ。
当時の武士、もしくは世間の意識として、そう言うものだったのだ、と言う事を言いたいだけ。
その意識に照らし合わせれば四十七士のやったことは、充分に合理的なのだ。
52 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 03:12:34 ID:kCkN9MMd
確かに戦国法にしてもその後の法にしても、自力救済の否定から始まるわけで、
こういう行為は法の根本を揺るがす問題だよな。
閣内で賛美された背景があったから切腹で済んだんだろうけど、
そう考えたら綱吉への反発がそのまま形になったのかね。
ちなみに
>>49はこのスレでの話。当時から切腹じゃなくて斬首を訴える人はいたらしいし。
53 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 09:53:09 ID:AwR6szgk
浅野氏の浅野長政って安井重継って人の子供らしいけど、
安井重継って畠山庶流の安井氏なの?
そうすると高家畠山氏とかと同族ですよね
吉良家とも同じ足利一門ですけど、
「私、あなたたちと同族なので、教えてください」とか
いわなかったんすかね
54 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:56:48 ID:SS6ed8tx
家柄は大事です。
タメ口を叩いてはいけません。
55 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 13:01:31 ID:wzW+AP/E
吉良大和
56 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 01:51:28 ID:FnUWgRJ6
芋侍め。。。
57 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 01:19:16 ID:wDokp6CH
家綱以降、近親に名跡継ぐのが許可されるのが通例だったのに綱吉が激怒したから旗本としての存続も駄目だったてマジ?
58 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 03:44:49 ID:JGmotJJs
赤穂浪士の事件は綱吉というか、幕府は結構前から掴んでいた上、討ち入りの時も動きは完全に幕府の監視下にあったって説あるよな。
やっぱり幕府側のガス抜きの側面が強かったのかね。
59 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 00:25:07 ID:IBBr8ayH
掛け値なしの源氏の名門がどこの馬の骨とも知れぬ偽源氏の捨石にされたとは哀れ。
60 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 07:17:12 ID:nUqXK7Wg
61 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 06:43:10 ID:SMTtsc9F
62 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 17:35:11 ID:Dv21sUHW
>>36 京極高知は、関ヶ原の最激戦地で戦功をあげ、丹後一国の国持大名になったんだけど。
娘は天皇の近親の宮家に嫁いだし・・・。意味がわかりません?。
63 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 21:14:54 ID:By6eGRhz
sage
64 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 01:36:01 ID:Tq1qDXhc
京極や小笠原はむしろよくやった方だろ
復活とかすげぇ
65 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 04:02:59 ID:p062O6Wx
そこが名門の強み?
66 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 12:41:22 ID:ydKUGfIY
>>65 徳川の名家好みと当事者たちの執念の賜物かw
67 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 14:17:36 ID:1wRciNKC
今時徳川が名家好みってw
68 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 00:48:42 ID:WRCm0P6Q
笑うところなのか?
69 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 09:53:48 ID:0CtVCest
別に好みで集めてたわけでもあるまい
70 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 14:52:24 ID:9XQJ3QMR
血統の正統性を示すための小道具ってのが正しいところだろう。
71 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 15:17:37 ID:eDN+YJBw
後家好みと勘違いした
72 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 16:44:37 ID:VeZTkEFI
73 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 11:03:05 ID:7PuRhRg5
sage
74 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:53:35 ID:9HrBdwQo
所詮、浅野は芋侍
75 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 22:09:48 ID:9j4UcBMw
それを島津に言ってみろ。
76 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 14:07:06 ID:kabHG8lw
吉良氏はいつまで足利姓を名乗ってたの?
77 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 17:43:28 ID:D5XZkSbH
勅使饗応役が接待の場で接待監督者への殺人未遂やらかすというのは
造反活動にも等しいので御家断絶は当然。
吉良家への討ち入りは、これを私闘という次元に位置付け直す効果を狙ったもの。
日本人は執念の度合いをもって真実を推しはかる所があるからな。
78 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 20:23:24 ID:S9tdcIhc
いい加減戦国時代に戻れよ。
79 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 19:55:40 ID:UiVMv6F5
>>77 全然違う。
御家断絶が当然なのは殺人未遂では無く殺人の場合。これは判例があるから当然と言える。
殺人未遂の場合ならちゃんと裁判をやるべきだった。
造反活動に等しいのか、もしかして吉良に襲われて正当防衛なのかもしれないし。
それが無かったのだから損した側は殺人未遂→殺人にすり替えてトントンに持ってくしかないだろう。
80 :
人間七七四年:2009/06/05(金) 10:29:32 ID:leQmpwpK
81 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 00:06:43 ID:WEjlPPGK
82 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 23:07:42 ID:Jh9dANvo
83 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 22:03:24 ID:Xa7ahdx1
吉良家のおかげで上杉家において「上杉の血」が復活した
84 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 10:41:17 ID:Vu7lmleh
だから滅んだ
85 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 08:57:24 ID:Su47Vj3M
戦国時代に話を戻すけれど、
今川の支援を受けた吉良義昭が尾張守護斯波義銀と対面したのは何年ですか?
86 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 13:22:04 ID:DKCv2zF+
>>85 信長公記によると、弘治2(1556)年とされてますね
ただし、実際にきちんとした対面というものでもなく、
ともに足利一門であることから席次でもめて、
結果、互いに近づいて顔見せただけで終わりぐらいのものでしかなかったと書かれているようです
87 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 22:03:01 ID:3iRJgvxA
>>86 吉良「足利家に嫡子なくば、うちが将軍だぞ」
斯波「アホか。んなもん永遠になれんわ。うちらは(元)管領だぞ」
てな光景が浮かんだw
高家として残った家は疎かにしてはいかんと思うんだ。
89 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 20:29:04 ID:AIXepShA
会見後は信長打倒の為に意気投合してたよね
90 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 20:58:37 ID:lPEBaQpP
その場で意気投合したからというよりは、その時に縁故ができたことが生きたって形でしょう
対面自体、あくまで信長が義銀を傀儡として使ってるようなものなので、
(清洲城も表面上は譲られたとはいえ、もはや実権は信長が握ってたわけで
織田家が主家である斯波武衛家をないがいしろにしているという批判をかわすための方策だった感が強い
あの対面自体、織田は斯波を、今川は吉良を引っ張り出しての虚構的な代物だろうしね)
それに対する反発はあっただろうから、そこで吉良-今川と再度つながりが生じたのかと
91 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 07:47:53 ID:HOWzUmWw
ふむ
92 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 15:24:16 ID:BnMhDK1i
斯波あたりはむしろ将軍家なんかよりうちらこそが源氏嫡流と思ってそうだ。
執事となるは家の恥
94 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 23:56:08 ID:Be3Mw88Y
何だかんだで大名家として上杉家に血を残せた
95 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 01:10:58 ID:zSi6NAyR
カッコウかよ。
96 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 11:32:20 ID:NKuwUnNA
そういえば斯波武衛家はどうした?
97 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 20:58:27 ID:XwWjT4eV
98 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 10:22:23 ID:FKwjK4yS
斯波義銀の弟たちは織田家の中でどういう扱いなのか?
公家衆のような扱いか?
単なる家臣か?
99 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:35:02 ID:/lhercOR
3管領家ってどれもろくな末路を辿ってないな。
100 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 22:44:59 ID:q+6bCjyu
細川は分家が繁栄してる