1 :
人間七七四年:
足利将軍家御一家 吉良家
2 :
人間七七四年:2008/10/29(水) 18:01:34 ID:/cH2HejK
世田谷御所
3 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 09:33:27 ID:LPMK3Amf
吉良広義
4 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 14:41:44 ID:LPMK3Amf
キラヤマト
5 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 14:42:31 ID:LPMK3Amf
まいた
てらさきにうつった
6 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 15:55:48 ID:fzei4Osl
今川の扱いなんて上杉以下なのに、何で「足利に継嗣がなく吉良にも無ければ今川があとを継ぐ」
なんて伝承があったのやら。
7 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 18:31:01 ID:LwpsVdKn
端的かつ明確に言うと
ご先祖が頑張ったから
8 :
人間七七四年:2008/10/31(金) 19:52:57 ID:bqufmr2v
源頼朝も源氏の嫡流ではなかった…つまり、力があれば正統を語ってもいいのでは?
歴史なんてそんなもの
9 :
人間七七四年:2008/11/01(土) 10:28:41 ID:jCIlDFcQ
今川は副将軍をだしたから、上杉より格上
10 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 11:23:29 ID:QfIOjvLM
吉良からも副将軍をだせばよかった
11 :
人間七七四年:2008/11/03(月) 11:37:59 ID:M3/ugU1k
三河守護であったため、松平家の主筋にあたる。
徳川家康の父広忠は吉良持広の家臣であった。
12 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 07:23:42 ID:Qm+MDeEk
しかし、吉良の殿様(義央公)もお気の毒だよなぁ。
乱心した赤穂のDQN侍(しかも、男色家)に理由もなく斬りつけられた上に、
御家再興の望みを断たれて逆上した浪人どもに「喧嘩両成敗だろ!ゴルァ!」と
因縁をつけられて殴り込みに遭うなんて。
おまけに改易……悲惨過ぎる。
ちなみに乱心したDQNを羽交い締めにした梶川さんも悲惨だよなぁ。
ろくに事情も知らない連中に「武士の情けを知らぬ奴!」と罵られ、ついには
居たたまれなくなって早々隠居だもの。
どこまで他人様に迷惑を掛ければ気が済むんだ?赤穂の芋侍どもは。
13 :
今川氏真:2008/11/06(木) 07:28:39 ID:GuMLNfRK
宮中の有職故実もしらぬ芋侍にはまことに困ったものじゃ
14 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 12:29:07 ID:XD3awMaP
> しかし、吉良の殿様(義央公)もお気の毒だよなぁ。
物凄い嫌な奴だったのは確からしいぞ。赤穂事件の前に「あいつは俺がぶっ殺してやる」って
言われてた記録残ってるし。
15 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 12:47:39 ID:JFrwBXEx
>>11 吉良って三河守護だったのは鎌倉時代までじゃね?
室町期の守護は、一色→細川 で、吉良は京で将軍側近だったような(領地は三河にあったけど)
16 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 15:38:59 ID:hxop8zcP
お隣の遠江の今川了俊もよろしく
17 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 16:32:52 ID:clyEMUGw
>>14 本貫地の吉良では「赤馬の殿様」なんて呼ばれて評判が良かったらしいね。
当時は旗本が領地に足を踏み入れることは厳しく制限されていたから、上野介自身が領地を
訪れたことは生涯で数回しか無かったようだけど、それでも治水のために築堤事業をやったり
しているし。
実際は上野介の支持を受けた郷代官あたりが差配したんだろうけどね。
18 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:20:47 ID:sWNUv6yQ
吉良家は内紛が無ければもっと大身で残ってただろうに…
19 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:28:30 ID:9619QjZu
江戸時代の旗本の領国支配ってどんなんだったのかな。
府内を我が物顔でノシ歩く傾奇者も世相を茶化す戯作者も
代官所を通じてきちんと政治をやってたんだろうか?
20 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:31:52 ID:XD3awMaP
>>19 基本幕府の代官による統治。よほどの大身でもない限り、生涯自分の領地を見ることはなく
幕府から石高分の給金をもらうだけ。>旗本
21 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:34:24 ID:9619QjZu
なるほど、それじゃ御役目がなければヒマを持て余す訳だ。
22 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 20:41:28 ID:XD3awMaP
つーか、幕府に限らず、何処の藩でも大身以外はサラリー制になってる。
幕末くらいになると大身でもサラリー制は珍しくない。
23 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 23:13:24 ID:UDuz51o3
戦国時代の吉良ってどこで何をしていたのか全く分からない。
24 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 06:52:46 ID:OLyiXAXO
>>20 だね。
その代官も禄高150俵+代官領の石高に応じた役高(現金支給)という小身。
おまけに群代や勘定方への出世もほとんど望み薄。
天領の場合、農民の発言力が大名領に比べて強かったので、悪政をやると領民に訴えられて
罷免されてしまうという弱者ぶり。
25 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 17:29:59 ID:YM1SmIEb
>>23 領地の吉良町周辺で一定の勢力持ってて、戦国初期は飛び地を足がかりに遠州まで攻め込むほどだったらしいが、徐々に衰退。
もともと東条と西条の二家に分かれて抗争してたのが勢力低下の主因。
26 :
人間七七四年:2008/11/07(金) 17:33:15 ID:MdlAUSIF
三河一向一揆のとき、黒幕っぽいことやって、結局家康に追い出されているな。
27 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 04:25:59 ID:qOkrVdaC
桶狭間の後、斯波氏と組んで信長追放企んだりしてなかったっけ
28 :
人間七七四年:2008/11/09(日) 19:26:49 ID:DmSRkujZ
斯波といい、吉良といい、「落ちぶれ果てても元上流階級」の呪縛が強いなw
29 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 16:07:32 ID:Bbu9Wpti
>>28 斯波家なんてどこ行っちゃったんだろうね。。。
30 :
人間七七四年:2008/12/01(月) 17:11:24 ID:+d7KpX7y
>>29 津川と改姓して信雄の家臣になった一族がいて
小牧長久手の際に処刑された
31 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 17:53:50 ID:qJ5oeaGu
32 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 17:55:20 ID:BP3LXuXY
33 :
人間七七四年:2008/12/02(火) 22:55:47 ID:gdqST2Tv
そういや織田が天下を取ったら、松平のポジションに「津田」が来ていたんだよなあ。
34 :
人間七七四年:2008/12/03(水) 01:36:32 ID:C0HJSLTX
女婿の京極高知に所領乗っ取られてあぼーんでしたっけね。
35 :
人間七七四年:2008/12/08(月) 07:07:07 ID:mieCl5N4
>>30 暗愚な主君に仕えると大変だよなぁ。
しかも、信雄。。。
36 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 19:18:00 ID:r4VJmo7y
>>34 その京極も後年はあまり捗々しくないよね。
37 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 22:20:01 ID:zmvbDc2w
2008年12月14日 15:45
討ち入り、いざ出陣! 山科義士祭り
忠臣蔵にちなんだ義士祭りが14日、大石内蔵助のゆかりの地、山科区で行われました。
この日は、1702年(元禄15)に大石が、主君浅野内匠頭の仇である吉良上野介の屋敷に討ち入りした日。
祭りは討ち入りを決意する間、京都・山科に隠せいした史実にちなみ、大石をしのんで1974年から始められ
たもので、討ち入り装束に身を固めた47人の義士隊、幼稚園児による子ども義士隊、婦人舞踏列など約
245人が、10時過ぎに毘沙門堂を出発し、大石神社まで行進しました。
子ども義士たちは、「おー!おー!」と元気いっぱいのかけ声でお祭りを盛り上げ、沿道からは「かわいい!」
という声が聞こえました。
山科義士祭実行委員会の澤田清一さんは、「この祭りに携わって20年。赤穂浪士史実の伝承はもちろん、
地域の振興・交流も大切にしていきたい」と話していました。
ttp://www.kyoto-minpo.net/archives/2008/12/14/post_5173.php
38 :
人間七七四年:2008/12/14(日) 23:10:37 ID:wvNg8rEL
今ドラマでまさに討ち入ってる
39 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 00:03:13 ID:oAIMOJWp
いま、改易(リストラ)された連中が徒党を組んで人事部長やら企業を襲撃したらどうだろうか…
と、思ってしまった
40 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 00:07:25 ID:UJoWGjBx
吉良への赤穂浪士の討ち入りは、恨みを晴らすためではなく、
量刑のバランスを取るための物。そこを勘違いするとこの話がわからなくなる。
41 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 00:57:34 ID:rrqCkK1X
>>40 あとは当時から言われた事だけど、売名行為のような側面も
あるように思う。これによって、どっかに仕官出来ればという
もくろみもあったろうし
42 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 01:09:47 ID:UJoWGjBx
>>41 売名行為はそりゃあ個々の意識の中にはあっただろうが、それはこの件の本質ではない。
当時の人間の意識では
・殿中で抜刀+傷害 = 当人切腹+領地転封 or 削減(家自体は存続)
このくらいがバランスの取れた量刑
だが、実際には
・殿中で抜刀+傷害 < 当人切腹+「御家断絶」
こうされた。これに対して量刑のバランスを取るために
・殿中で抜刀+「致死」 = 当人切腹+「御家断絶」
これが事件の展開。この時代にはまだ濃厚に存在する「量刑相応」の考えを
把握しておかないと、赤穂浪士のやったことを、武士、町人問わず「義挙」とたたえた事の
理由が解らなくなる。
43 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:07:27 ID:ezN0bH18
内匠頭が網駕籠に乗せられて不浄門から出されたということが、幕府の刃傷事件に対する
見解を示しているんじゃない?
ただの罪人扱い。
ちなみに延宝8年、将軍家綱の葬儀の際、増上寺にて内匠頭の叔父にあたる内藤忠勝が
永井尚長に対して刃傷に及んで切腹・改易となっているので、内匠頭の切腹・改易という
処置は前例に照らしても妥当な判断だと思うけどなぁ。
44 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:14:57 ID:UJoWGjBx
>>43 内藤忠勝は殺しているもの。浅野は未遂。当然量刑も違ってしかるべき。
45 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:19:47 ID:ezN0bH18
>>44 逆に刃傷事件が減らないので、量刑を重くしようという流れがあったと聞くけどね。
46 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:23:40 ID:GONfpXUb
キラ・ヤマト
47 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:24:52 ID:UJoWGjBx
>>45 しかし浅野の事件に関して量刑が重くなることは、公的な方針と言うより幕府の、もしくは綱吉の
恣意的な法の運用だと、浅野家は勿論世間の多くもそう思った。だから四十七士のやったことは
「義挙」と呼ばれた。
法の公平性を回復したと理解されたからこそ、そう呼ばれたわけだ。
48 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:42:27 ID:UTwtzXZY
>>47 だからって徒党を組んで旗本屋敷に殴り込みを掛けちゃ拙いね。
義士とやらの切腹は妥当な判断。
49 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:59:41 ID:kCkN9MMd
>>48 別にその判断については誰も否定してなくね?
50 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 02:59:58 ID:rrqCkK1X
荻生徂徠や佐藤直方などは、赤穂浪士にたいしてはかなり厳しい
見解を示してるんだよな。
所詮は個人的な義理であり、「公論」からみれば、大法に背いた
罪人だという趣旨の事を両者とも言ってる。
ただ、浅野切腹→断絶の流れは綱吉が一気に決定したことだし、
綱吉の法運用の恣意性とか(綱吉の代で、勘気を被った側近は結構いる)
綱吉の治世に対する不満などが鬱積してたということもあって、
赤穂事件が「公」の世界を越えた所で、賞賛され世論を形成していった。で、『仮名手本忠臣蔵』が決定打になったという感じじゃないか?
赤穂浪士が賞賛されるに至った背景は複合的な要因が有ると思うよ。
51 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 03:06:36 ID:UJoWGjBx
室町から戦国時代にかけては、家同士の紛争の場合
刑量の「相応」「同等」というものが強く求められてて、それがどちらかに偏っているとみなされた場合、
もう片方から、紛争には直接関係の無い「解死人」と呼ばれる人物を差し出し、これを切腹させる事により、
刑量を「同等」にする、と言う事まで行われた。
赤穂浪士事件の当時、こういった意識がまだ色濃く残っていた時代であり、幕府がその
量刑過剰を改めなかった以上、彼らがなすべきことは、吉良側の被害を浅野家が受けた
量刑と「同等」にする、ということ。
その意味で吉良家を襲撃することは、間違った行為ではない。
綱吉はインテリで濃厚な近世人だから、そういった考え方、意識は嫌いだったのだろうが、
ともかくも本来的な武士のあり方とは、そう言うものなのだ。
あと、「切腹」とは武士として名誉ある死に方であり、現代的な感覚で言えば死刑ではなく
情状酌量された上での懲役刑に近い。
「処刑」と「切腹」に対する武士の意識の違いは戦国時代に宣教師も指摘しているところ。
武士は主人から罰を受けると聞いたときは命がけで抵抗するが、「腹を切れ」と言われた時は
これは名誉ある死に方なのでおとなしく従う、と。
四十七士に磔ではなく「切腹」を命じた時点で幕府は、彼らの主張をおおむね認めたと言っていい。
罪人に適応される「連座」も行われなかったしね。
一応断っておくけど、この件に関して吉良が、もしくは浅野側がいいとか悪いとかを
言っているわけではないよ。
当時の武士、もしくは世間の意識として、そう言うものだったのだ、と言う事を言いたいだけ。
その意識に照らし合わせれば四十七士のやったことは、充分に合理的なのだ。
52 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 03:12:34 ID:kCkN9MMd
確かに戦国法にしてもその後の法にしても、自力救済の否定から始まるわけで、
こういう行為は法の根本を揺るがす問題だよな。
閣内で賛美された背景があったから切腹で済んだんだろうけど、
そう考えたら綱吉への反発がそのまま形になったのかね。
ちなみに
>>49はこのスレでの話。当時から切腹じゃなくて斬首を訴える人はいたらしいし。
53 :
人間七七四年:2008/12/17(水) 09:53:09 ID:AwR6szgk
浅野氏の浅野長政って安井重継って人の子供らしいけど、
安井重継って畠山庶流の安井氏なの?
そうすると高家畠山氏とかと同族ですよね
吉良家とも同じ足利一門ですけど、
「私、あなたたちと同族なので、教えてください」とか
いわなかったんすかね
54 :
人間七七四年:2008/12/24(水) 01:56:48 ID:SS6ed8tx
家柄は大事です。
タメ口を叩いてはいけません。
55 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 13:01:31 ID:wzW+AP/E
吉良大和
56 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 01:51:28 ID:FnUWgRJ6
芋侍め。。。
57 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 01:19:16 ID:wDokp6CH
家綱以降、近親に名跡継ぐのが許可されるのが通例だったのに綱吉が激怒したから旗本としての存続も駄目だったてマジ?
58 :
人間七七四年:2009/02/06(金) 03:44:49 ID:JGmotJJs
赤穂浪士の事件は綱吉というか、幕府は結構前から掴んでいた上、討ち入りの時も動きは完全に幕府の監視下にあったって説あるよな。
やっぱり幕府側のガス抜きの側面が強かったのかね。
59 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 00:25:07 ID:IBBr8ayH
掛け値なしの源氏の名門がどこの馬の骨とも知れぬ偽源氏の捨石にされたとは哀れ。
60 :
人間七七四年:2009/02/07(土) 07:17:12 ID:nUqXK7Wg
61 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 06:43:10 ID:SMTtsc9F
62 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 17:35:11 ID:Dv21sUHW
>>36 京極高知は、関ヶ原の最激戦地で戦功をあげ、丹後一国の国持大名になったんだけど。
娘は天皇の近親の宮家に嫁いだし・・・。意味がわかりません?。
63 :
人間七七四年:2009/02/14(土) 21:14:54 ID:By6eGRhz
sage
64 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 01:36:01 ID:Tq1qDXhc
京極や小笠原はむしろよくやった方だろ
復活とかすげぇ
65 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 04:02:59 ID:p062O6Wx
そこが名門の強み?
66 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 12:41:22 ID:ydKUGfIY
>>65 徳川の名家好みと当事者たちの執念の賜物かw
67 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 14:17:36 ID:1wRciNKC
今時徳川が名家好みってw
68 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 00:48:42 ID:WRCm0P6Q
笑うところなのか?
69 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 09:53:48 ID:0CtVCest
別に好みで集めてたわけでもあるまい
70 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 14:52:24 ID:9XQJ3QMR
血統の正統性を示すための小道具ってのが正しいところだろう。
71 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 15:17:37 ID:eDN+YJBw
後家好みと勘違いした
72 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 16:44:37 ID:VeZTkEFI
73 :
人間七七四年:2009/04/12(日) 11:03:05 ID:7PuRhRg5
sage
74 :
人間七七四年:2009/04/18(土) 22:53:35 ID:9HrBdwQo
所詮、浅野は芋侍
75 :
人間七七四年:2009/04/20(月) 22:09:48 ID:9j4UcBMw
それを島津に言ってみろ。
76 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 14:07:06 ID:kabHG8lw
吉良氏はいつまで足利姓を名乗ってたの?
77 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 17:43:28 ID:D5XZkSbH
勅使饗応役が接待の場で接待監督者への殺人未遂やらかすというのは
造反活動にも等しいので御家断絶は当然。
吉良家への討ち入りは、これを私闘という次元に位置付け直す効果を狙ったもの。
日本人は執念の度合いをもって真実を推しはかる所があるからな。
78 :
人間七七四年:2009/05/10(日) 20:23:24 ID:S9tdcIhc
いい加減戦国時代に戻れよ。
79 :
人間七七四年:2009/05/11(月) 19:55:40 ID:UiVMv6F5
>>77 全然違う。
御家断絶が当然なのは殺人未遂では無く殺人の場合。これは判例があるから当然と言える。
殺人未遂の場合ならちゃんと裁判をやるべきだった。
造反活動に等しいのか、もしかして吉良に襲われて正当防衛なのかもしれないし。
それが無かったのだから損した側は殺人未遂→殺人にすり替えてトントンに持ってくしかないだろう。
80 :
人間七七四年:2009/06/05(金) 10:29:32 ID:leQmpwpK
81 :
人間七七四年:2009/06/06(土) 00:06:43 ID:WEjlPPGK
82 :
人間七七四年:2009/06/08(月) 23:07:42 ID:Jh9dANvo
83 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 22:03:24 ID:Xa7ahdx1
吉良家のおかげで上杉家において「上杉の血」が復活した
84 :
人間七七四年:2009/06/14(日) 10:41:17 ID:Vu7lmleh
だから滅んだ
85 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 08:57:24 ID:Su47Vj3M
戦国時代に話を戻すけれど、
今川の支援を受けた吉良義昭が尾張守護斯波義銀と対面したのは何年ですか?
86 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 13:22:04 ID:DKCv2zF+
>>85 信長公記によると、弘治2(1556)年とされてますね
ただし、実際にきちんとした対面というものでもなく、
ともに足利一門であることから席次でもめて、
結果、互いに近づいて顔見せただけで終わりぐらいのものでしかなかったと書かれているようです
87 :
人間七七四年:2009/07/02(木) 22:03:01 ID:3iRJgvxA
>>86 吉良「足利家に嫡子なくば、うちが将軍だぞ」
斯波「アホか。んなもん永遠になれんわ。うちらは(元)管領だぞ」
てな光景が浮かんだw
高家として残った家は疎かにしてはいかんと思うんだ。
89 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 20:29:04 ID:AIXepShA
会見後は信長打倒の為に意気投合してたよね
90 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 20:58:37 ID:lPEBaQpP
その場で意気投合したからというよりは、その時に縁故ができたことが生きたって形でしょう
対面自体、あくまで信長が義銀を傀儡として使ってるようなものなので、
(清洲城も表面上は譲られたとはいえ、もはや実権は信長が握ってたわけで
織田家が主家である斯波武衛家をないがいしろにしているという批判をかわすための方策だった感が強い
あの対面自体、織田は斯波を、今川は吉良を引っ張り出しての虚構的な代物だろうしね)
それに対する反発はあっただろうから、そこで吉良-今川と再度つながりが生じたのかと
91 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 07:47:53 ID:HOWzUmWw
ふむ
92 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 15:24:16 ID:BnMhDK1i
斯波あたりはむしろ将軍家なんかよりうちらこそが源氏嫡流と思ってそうだ。
執事となるは家の恥
94 :
人間七七四年:2009/08/21(金) 23:56:08 ID:Be3Mw88Y
何だかんだで大名家として上杉家に血を残せた
95 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 01:10:58 ID:zSi6NAyR
カッコウかよ。
96 :
人間七七四年:2009/08/22(土) 11:32:20 ID:NKuwUnNA
そういえば斯波武衛家はどうした?
97 :
人間七七四年:2009/08/28(金) 20:58:27 ID:XwWjT4eV
98 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 10:22:23 ID:FKwjK4yS
斯波義銀の弟たちは織田家の中でどういう扱いなのか?
公家衆のような扱いか?
単なる家臣か?
99 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 19:35:02 ID:/lhercOR
3管領家ってどれもろくな末路を辿ってないな。
100 :
人間七七四年:2009/08/29(土) 22:44:59 ID:q+6bCjyu
細川は分家が繁栄してる
熊本のか。
102 :
人間七七四年:2009/09/29(火) 19:35:54 ID:ITS5swJ2
兄の切腹は当然だが浅野大学の方を旗本として残しとければよかっんだよな。
吉良の方も病気になって時刻変更て過失あるがどっちにしろ綱吉のぶち切れの巻き添え。
ちなみに畠山は一応高家として政長流が存続している。斯波はなぜか最後に男爵になれた。
103 :
人間七七四年:2009/09/30(水) 10:44:14 ID:+4aY1rQo
斯波はなぜか最後に男爵になれた。
だれのこと?
104 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 16:44:34 ID:K1gmnFxA
ウィキペディアによると斯波蕃
105 :
人間七七四年:2009/10/17(土) 21:17:06 ID:3HIcqdkL
>>98 単なる家臣
武田征伐後に飯田もらった毛利秀頼と、小牧のときに信雄に斬られた津川義冬
106 :
人間七七四年:2009/11/06(金) 02:18:53 ID:HXHEt1hi
>>104 加賀藩の家老だって人か。斯波義近の子孫らしいが・・・
107 :
人間七七四年:2009/12/29(火) 23:31:03 ID:LV9Ann1Q
>>102 大学長広はそもそも分知(3,000石)を受けて交替寄合に列していたんだけどね。
兄の刃傷沙汰に連坐して浅野本家に預けられたけれど、綱吉の死後、赦免されて500石取の旗本になっている。
実は、所領とは別に浅野本家からも300石の禄米を支給されていたとか。
108 :
人間七七四年:2010/03/07(日) 09:32:53 ID:nq5tyEXz
>>107 一度家を興してしまうと、そこから養子に入るのって嫌がられるよね。
大学+旗本浅野家臣まで引き受けないといけないし。
109 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 14:12:07 ID:nPy1rtPn
将軍家?
110 :
人間七七四年:2010/05/21(金) 14:17:05 ID:nPy1rtPn
副将軍家?
111 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 14:36:06 ID:mtGDxkfR
きらやまと?
112 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 14:37:21 ID:mtGDxkfR
吉良家(義継系)はどうなった?
113 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 14:38:53 ID:mtGDxkfR
高家の吉良家
114 :
人間七七四年:2010/09/27(月) 21:17:46 ID:v2TnCabP
>>112 高家蒔田家(世田谷吉良家)
吉良の子孫て米沢上杉家以外に著名人いる?
黒田から血は消えた
115 :
人間七七四年:2010/09/28(火) 10:41:25 ID:UEssF+Nl
黒田?
116 :
人間七七四年:2010/09/29(水) 20:27:52 ID:BSkUjuTp
>>114 長男(綱憲)→米沢上杉家相続
次男(三郎)→夭折
長女(鶴姫)→島津綱貴室。離婚、子供なし
次女(振姫)→夭折
三女(阿久利姫)→津軽政兕室。娘のみ、婿養子との間に嫡男あり
四女(菊姫)→酒井忠平室(死別)→大炊御門経音室。経音との間に大炊御門経秀、鷲尾隆凞が
誕生
孫世代以降は限が無いため不明
117 :
人間七七四年:2010/10/01(金) 18:09:23 ID:Boitwe01
ウィキに吉良義尚が将軍不在位時に将軍の代行してたかも
とか書かれてるけどこれって眉唾?
118 :
人間七七四年:2010/10/11(月) 18:57:55 ID:jZmxK3S8
119 :
人間七七四年:2010/10/14(木) 10:42:24 ID:zYqJk1E0
分家の一色家と荒川家は元気なのだろうか?
どうして吉良本家を継承しなかったのだろうか?
120 :
人間七七四年:2010/10/14(木) 10:51:31 ID:zYqJk1E0
吉良家のその後は?
121 :
人間七七四年:2010/12/23(木) 00:09:35 ID:nQcs2uTT
ん?
122 :
人間七七四年:2010/12/26(日) 21:45:23 ID:VoMKPKuW
>>120 弟で分家東条家を起こしたものの子孫が一般中級旗本として復姓した。
ただし大正時代に断絶。
上野介直系は
>>116
123 :
人間七七四年:2010/12/30(木) 16:41:07 ID:CynX9kRV
江戸後期、上杉から某旗本に養子にいった上野介直系にあたる人、
なんと大石の大叔父の子孫にあたる旗本浅野家と婚姻してるね。
もっとも、上杉本家が浅野本家から嫁もらってるけど。
124 :
人間七七四年:2011/04/19(火) 21:57:30.48 ID:WIvXuDQY
成程・・・。
125 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 11:13:51.81 ID:z7ku0wmy
そうなのか
126 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 13:06:48.25 ID:5kTHlzzI
127 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 15:49:58.10 ID:eFFDk8yc
>>126 松野だよ
斉定の弟が養子に行ってる
日本画家松野霞城は吉良と大石の大叔父と浅野の叔母の血引いてる(多分)
128 :
人間七七四年:2011/07/02(土) 17:41:49.66 ID:5kTHlzzI
松野霞城
1867〜1927
慶応3年11月9日、江戸牛込生れ
本名順、字尚賢、通称勘之助、
号蕪園処士・流芳堂・双山堂など
母は椿椿山の門人
野口幽谷に師事
幽谷塾和楽堂の塾長をつとめる
日本画会委員
昭和2年7月7日、東京中野で歿。享年59。
って人ですか。全く知らなかった。
高家以外の一般旗本への養子があったのすら知りませんでした
どんな家柄かご存知でしょうか
129 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 09:42:13.22 ID:VmWs2rVy
石高はわからないけど、養子にいった助敬は御小姓組に入っているようです。
間違ってるかもしれないけど、以前どこかでみた系図によれば、
助敬の息子、助道の妻が浅野長祚の娘です。浅野長祚は大石良重の直系の末裔にあたります。
椿 椿山の弟子、浅野梅堂としても有名な人です。
この二人の間に生まれたのが霞城で、これまた親戚の日野家の女性と結婚していたと思う。
ちなみに、霞城のおばで長祚の娘、花は有名な川路聖謨の嫡孫の妻です。
たしか花さんも絵心のある人で、明治維新後美術学校で学んでいた記憶が。
この花さんと同級生だったのが大鳥圭介の娘ひな子で、後に上杉勝賢と結婚します(離婚しちゃうけど)
上杉勝賢も日本画をたしなんだ人なんでしょうか。数年前ある展覧会で司馬江漢、椿 椿山と並んで
展示してあったのを見た記憶があります。すばらしい花の絵でした。
130 :
人間七七四年:2011/07/07(木) 15:57:15.23 ID:610EuKyb
荒川義広、吉良義昭のその後が気になる
131 :
人間七七四年:2011/07/14(木) 00:33:10.62 ID:0dtuFiFK
上杉勝勝
132 :
人間七七四年:2011/07/14(木) 14:52:29.46 ID:CRiQPiFu
左兵衛督いますか?
133 :
人間七七四年:2011/07/19(火) 21:29:23.45 ID:0COZWrLO
わたしが、左兵衛督だ。
134 :
人間七七四年:2011/07/26(火) 01:30:22.68 ID:6LbDgIy2
そうかそうか。
135 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 12:42:56.19 ID:GkWfWzWd
捕手
136 :
人間七七四年:2011/07/29(金) 13:17:12.02 ID:BJmHSJfI
左兵衛督ってえらいんだよな。
137 :
人間七七四年:2011/08/01(月) 15:13:58.25 ID:S+0Zz6kk
保守
138 :
人間七七四年:2011/08/10(水) 10:19:06.69 ID:5ua2mPQA
うんも
139 :
人間七七四年:2011/08/14(日) 03:15:08.10 ID:M5RDWn+B
西尾氏
140 :
人間七七四年:2011/08/18(木) 21:48:14.18 ID:JZ+QGsBL
週末、天気良ければ東条城へ行って来よう
141 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 01:01:08.03 ID:7cJTMLZh
吉良長氏の母親は何者?
側室腹にしても一色や岩松と扱い違いすぎる
長氏だけなら承久の乱の儲けで分家作れたと言えるが末子長瀬義継もだし
142 :
人間七七四年:2011/08/22(月) 22:17:34.49 ID:GozTgEYl
>>130 荒川氏は嫡流は一時家康の甥が継いだが、松平に戻っちゃったんで尾張藩に仕えた次男の家系がある
143 :
人間七七四年:2011/08/23(火) 06:48:16.21 ID:zaT71yoz
>>141 可能性として高いのは公家の娘か徳宗家にちかい北条氏一門の女性だけど、
家女房とあるから、京都下向の公家の娘かなにかではないか。
名越北条などの可能性もあるが、それだと名前が残ってるだろうしな。
144 :
人間七七四年:2011/11/12(土) 21:16:00.93 ID:MqtbNFZl
中級御家人かな
145 :
人間七七四年:2011/11/18(金) 09:20:28.59 ID:UROhknoZ
右兵衛督様いますか?
146 :
人間七七四年:2011/12/13(火) 08:51:22.87 ID:UdeiTYln
左兵衛助様いらっしゃいますか?
147 :
人間七七四年:2011/12/31(土) 17:20:13.02 ID:j+9zHoAc
キラヤマトって吉良大和?
148 :
人間七七四年:2012/01/01(日) 00:25:20.92 ID:52VBD7dX
観応の攘乱時は直義方だっけ
149 :
人間七七四年:2012/02/22(水) 10:43:09.12 ID:AnedeoOl
足利将軍家御一家、吉良義尚は将軍の代行をしてたらしいからな。
足利長氏の母?はお公家さんかもな。
北条得宗家の女よりも身分が高いから、表向きにできなかったのでは。
そんで家女房という隠した肩書きしか残さなかったのではないか?
150 :
人間七七四年:2012/02/22(水) 10:52:14.05 ID:AnedeoOl
室町幕府の副将軍みたいなもんだからな。吉良家。
151 :
人間七七四年:2012/02/29(水) 14:38:46.66 ID:VlDBBY7r
AGE
152 :
人間七七四年:2012/03/02(金) 11:07:41.32 ID:tvxH2aNO
室町幕府の将軍
153 :
人間七七四年:2012/03/03(土) 08:10:08.32 ID:uLwCquW3
154 :
人間七七四年:2012/04/24(火) 16:29:35.81 ID:EfDpyVmW
得宗?
155 :
人間七七四年:2012/05/07(月) 08:20:02.83 ID:SLpV4kH8
あげ
156 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 11:11:22.40 ID:8Hg7aX5g
あげ
157 :
人間七七四年:2012/06/14(木) 16:07:26.21 ID:BQ1uAtf3
今川家は足利氏御一家・吉良家の分家にあたる
158 :
人間七七四年:2012/06/18(月) 11:00:23.06 ID:efCbn5Be
喜連川家に養子に入ればよかったのにな、吉良家と今川家。
159 :
人間七七四年:2012/08/30(木) 13:35:34.24 ID:kj9kKu3B
160 :
人間七七四年:2012/09/01(土) 20:21:15.93 ID:ndoq4HgG
御一家の石橋氏は斯波氏の庶流だから
斯波氏は御一家よりも家格が高いんだろうね
161 :
人間七七四年:2012/09/21(金) 09:50:05.27 ID:IcrU6Agc
吉良義継の子 小柴義春の子孫はどうなった?
吉良貞義の子 荒川貞弘の子孫はどうなった?
吉良貞義の子 吉良助時?の子孫の羽隅氏はどうなった?
吉良満義の子 吉良有義の子孫はどうなった?
162 :
人間七七四年:2012/09/21(金) 10:11:27.58 ID:IcrU6Agc
実相寺統国 (?〜1586年)
天正年間頃、武山城主八百貫。太郎右衛門。三河吉良氏の家系と言う。天正十四年、島津家に攻められ三百余名で籠城。
この人だあれ?
163 :
人間七七四年:2012/09/21(金) 10:13:40.29 ID:IcrU6Agc
164 :
人間七七四年:2012/09/24(月) 21:55:55.95 ID:8bAj+p/o
165 :
人間七七四年:2012/09/25(火) 07:23:21.45 ID:kbvqZ2gG
上杉氏レベルかどうかはわからんが、九条頼経といっしょに京都から下向
してきた公家か、またはその関係者の娘のだれかを想定している。
漠然とだけど。
166 :
人間七七四年:2012/09/25(火) 21:14:43.37 ID:dy/qeOs0
「北条得宗家の女よりも身分が高いから、表向きにできなかった」というような例は聞いたことない
167 :
人間七七四年:2012/10/20(土) 13:33:26.12 ID:hOZWm+7N
苗字が蒔田だけど遠い先祖は農家かと思ったわ
田に蒔くなんてさ
じいさん子供の頃に戦争で家族なくしてるから自分ちのルーツもよくわからんし
168 :
人間七七四年:2012/10/23(火) 15:27:20.34 ID:ZRo+VP9n
>>167 神奈川県横浜市内の地名
こちらを参照。
駅名の由来
駅所在地の古来の地名「蒔田町」から採ったもの。『更級日記』の文中にある武蔵国の「あすだ河」が大岡川であるとされ、「あすだ」が「明田」に転化して、さらに「まいた」に転訛し「蒔田」の字を当てたとされている。
169 :
人間七七四年:2012/10/27(土) 13:31:46.85 ID:PLSv/o3X
>>168 読みは「まいた」じゃなくて「まきた」なんだけど同じなのかな
孤児になる前は結構な坊っちゃん育ちで
習いごとはバイオリンとか言ってたから
爺さん世代でバイオリン習えるような家なら
農家じゃないんだろうとは思ったけど
下の名前に代々義の字つくし
170 :
人間七七四年:2012/10/27(土) 13:45:18.85 ID:PLSv/o3X
×爺さん世代でバイオリン習えるような家なら
農家じゃないんだろうとは思ったけど
○爺さん世代でバイオリン習えるような家なら
農家じゃないんだろうと、その話を聞いて思ったけど
まあ今更わからんことだけど
証明するものもないし
神奈川の蒔田出身の人に「まいたさん」って呼ばれたことがあって
初めて蒔田なんて地名があるのを知ったわ
「まいたって地名があるから蒔田さんはまいたって読むのかと思った」
と
一発で「まきた」と読んでもらったことがなくて
大概皆読めなくて「ときた」か「ふじた」と読まれる
ときたはわかるがふじたはねーだろ、と
蒔絵とか種を蒔くって言葉を活字で見たことないのかな
スレ違い失礼しました
171 :
人間七七四年:2012/10/29(月) 03:39:00.10 ID:lrjK18kf
この板的には蒔田淡路守で有名だよ!という程メジャーな人物でもないなw
172 :
人間七七四年:2012/11/08(木) 10:38:35.37 ID:JezFYsXF
>>169 末裔は千葉にうつったとあるから、千葉なら可能性が。
173 :
人間七七四年:2013/02/19(火) 15:12:28.83 ID:JIZmSKrC
吉良家で従三位のひといたな。
174 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 13:32:29.90 ID:041uqNQD
>>160 足利将軍の宴席では公家は摂関、大臣、門跡などは四方のお膳
武家は足利将軍と吉良家だけは四方のお膳
三管領家でも三方のお膳
それ以下は平膳
175 :
人間七七四年:2013/02/23(土) 23:24:29.47 ID:XPJpE0jh
斯波はあまりに家格が高く将軍家にとって危険だったから
御一家作って将軍継承権から遠ざけたんだろ
176 :
人間七七四年:2013/02/24(日) 10:07:38.52 ID:QqbcNqzp
でもそれなら渋川はなぜご一家に。
血筋も斯波と似たようなものなのに。
177 :
人間七七四年:2013/03/05(火) 14:43:03.52 ID:JSro5b/s
鎌倉公方は御一家衆からはずされるのか。
将軍家と一体なのに。
178 :
人間七七四年:2013/03/06(水) 22:07:24.25 ID:bmvIlFy/
もはや敵ですから
179 :
人間七七四年:2013/04/26(金) 09:13:56.72 ID:pHO02lvD
あめちゃん
180 :
人間七七四年:2013/04/30(火) 08:59:50.39 ID:YIz52jGC
>>175 なんたら公方の跡継ぎにはなっているよね?
181 :
人間七七四年:2013/05/08(水) 10:58:55.89 ID:NspgT2o7
はいよぉ!!けいおんぶでーすw
182 :
人間七七四年:2013/06/13(木) 14:27:22.75 ID:mnVoZCX2
副将軍になればよかったのにね。
183 :
人間七七四年:2013/06/18(火) 07:59:25.07 ID:4q51Oa1n
うん、そうだよね。
184 :
人間七七四年:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:N/duwJzk
荒川貞弘の末裔の矢頭氏って何?
吉良義継の末裔の小長谷氏って何?
185 :
人間七七四年:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN ID:N/duwJzk
いろいろいるよね。
186 :
人間七七四年:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN ID:hG15I3ts
187 :
人間七七四年:2013/08/07(水) NY:AN:NY.AN ID:O/mldRRU
188 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:J2Yswe6T
>>40 公儀もそれは暗に認めていて、襲撃に際して周囲に被害が及ばないように吉良の
屋敷を本所に移している訳だね。
189 :
人間七七四年:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:J2Yswe6T
>>51 ヤクザみたいだな。“血のバランスシート”だ。
190 :
人間七七四年:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:X2cys4Lq
191 :
人間七七四年:2013/09/24(火) 06:26:01.54 ID:jHVx+lDG
ねたはないのか?
192 :
人間七七四年:2013/10/04(金) 17:46:42.22 ID:iqYF9H8C
>>175 >>177 御一家が決められた理由が鎌倉公方と斯波氏の排除のためだから
吉良や渋川は家格が高いだけの小領主だし
石橋は領地は東国で京にいない
かりに足利宗家をついでも幕臣から見れば扱いやすい
193 :
人間七七四年:2013/10/18(金) 00:30:02.67 ID:BB7OPLOo
うちの家系図にで調べてるんだけど日野富子と松野霞城が母方の御先祖に出てきてるんだけどこの間がどうなってるのかさっぱりわからない・・・
作ったやつ、かなり手抜いたな
194 :
人間七七四年:2013/10/18(金) 00:39:10.25 ID:hl5CMalm
手を抜いたというか御先祖さんの金払いが悪かったんだろ
195 :
人間七七四年:2013/11/07(木) 07:17:10.69 ID:D1UGeYSZ
あげ
196 :
人間七七四年:2013/11/11(月) 08:48:48.80 ID:9+kfr3JU
吉良家はんあんで正三位になれるのひょ。
197 :
人間七七四年:2013/11/14(木) 13:47:52.59 ID:PqM3JFnO
吉良→上杉→畠山と子孫がいるのね。
そのあとはどうなんだろうね。
198 :
人間七七四年:2013/12/25(水) 12:17:34.55 ID:S//syQD5
吉良家は正三位までのぼれるのかよ。すごいな。
199 :
人間七七四年:2014/01/07(火) 11:16:02.32 ID:29UFYtoh
なんかすごいな吉良。
200 :
人間七七四年:2014/01/07(火) 11:54:51.62 ID:tdCoKsvH
世田谷吉良氏の存在感のなさは異常
201 :
人間七七四年:2014/01/08(水) 08:06:04.69 ID:vDESauCe
吉良頼康のこどもってどうなった?養子じゃないほうの。
202 :
人間七七四年:2014/01/23(木) 13:31:51.69 ID:fZMUWX1p
斯波家は北条における名越家や、徳川における越前家、尾張家みたいなポジション。
本家にとって扱いにくくめんどくさい存在。
吉良家は北条における金沢家や、徳川における清水家、田安家みたいなポジション。
基本毒にも薬にもなら無そうな存在
203 :
人間七七四年:2014/01/23(木) 19:36:11.25 ID:St/9B4XB
共産党議員の吉良よし子は土佐出身。
204 :
人間七七四年:2014/02/05(水) 02:05:29.84 ID:IS8FwPag
205 :
人間七七四年:2014/02/20(木) 09:55:48.02 ID:l5pAX+70
花岳寺の前住職で「実像吉良上野介」などの著作がある鈴木悦道氏が亡くなられました。合掌。
206 :
:2014/03/07(金) 03:53:46.33 ID:ql7rIRYv
朝廷の官位だけからみると関東公方と斯波家が副将軍(御三家)の家格だね
今川や吉良って、一人二人高位の者がでてるけど世襲されてないからなあ
関東公方と斯波家に対する当て馬っぽいね吉良家は
207 :
人間七七四年:2014/04/14(月) 13:39:49.29 ID:DF4JK7Y7
あげ
208 :
人間七七四年:2014/05/08(木) 14:30:14.22 ID:2+lSL87C
吉良家いいよな。
209 :
人間七七四年:2014/06/01(日) 10:01:41.68 ID:2qhX1NF+
膳場貴子の先祖は吉良家の家臣らしいけど世田谷の吉良氏っていつどうなったの?
210 :
人間七七四年:2014/07/19(土) 22:33:24.87 ID:zGODM8Ac
211 :
人間七七四年:2014/09/08(月) 15:27:45.79 ID:0rnWCkZc
212 :
人間七七四年:2014/09/08(月) 16:02:58.87 ID:kEss17W3
なりきりスレかと思った
213 :
人間七七四年:2014/09/10(水) 08:30:47.42 ID:p4/7xgq1
なんだそれは?
214 :
人間七七四年:2014/10/24(金) 21:24:08.02 ID:K+0G/+nF
吉良義央の名門感は三河出の名族ってとこと徳川氏別流で大老(格)の酒井忠勝の親族ってとこからくると思う。
足利一門で吉良氏ていどの家には畠山、一色、最上etc.いっぱいあったが
徳川の三河とは無縁の国の家々。足利よりも徳川との関係の濃さがブランドだったように思われる。
215 :
人間七七四年:2014/10/25(土) 00:50:00.81 ID:a4luhafd
一色が三河と無縁とはギャグ?
源姓畠山の初代は三河生まれ説が有力
最上氏もこーだけど
大崎氏・最上氏の祖
http://www.inn-suzuki.com/info.html >中新田城
>斯波家兼が奥州探題に任ぜられ、三河の国からこの地方に赴任
斯波家兼
父:斯波宗氏
母:長井時秀(大江広元の曾孫、室は安達義景の娘(安達泰盛の姉妹)の娘)
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。
216 :
人間七七四年:2014/11/14(金) 13:13:15.85 ID:DbrKFrVe
つっこみ所はむしろ
>足利一門で吉良氏ていどの家には畠山、一色、最上etc.いっぱいあったが
こっちじゃないか?
217 :
人間七七四年:2014/12/17(水) 10:03:52.92 ID:yiEbr5ak
普通に徳川家康と親戚になったからじゃないの?
218 :
人間七七四年:2014/12/22(月) 08:21:47.11 ID:7sxHfHYx
>>217 その親戚話はかなり怪しいんじゃなかったか
松平信忠の正室には吉良家の家臣の娘がなってるのは資料で証明されてる
その娘や孫が吉良家の正室になるのは、家の格を考えるとありえないと研究家は言ってるらしいよ
またその徳川の姫で吉良の正室になったという女性の墓も残ってるが、法号を調べると清康の叔母で吉良の家臣の妻だった
徳川の世になってから系図に脚色がされたんじゃないかって言われている
219 :
人間七七四年:2014/12/22(月) 20:28:56.86 ID:Z+Eo96BX
>>92 斯波家
石橋家
渋川家
この三家は足利将軍家の兄の血筋として優遇されてたそうだ
徳川の越前家、三河守家みたいなもん
220 :
人間七七四年:2014/12/23(火) 13:53:36.78 ID:m3VMbrqI
>>219 斯波氏と渋川氏の地位って吉良氏より遙か上位ですよね。
軍事力も無く、幕府の要職に就いたでも無く、将軍家姻族でも無い吉良氏
の偉さがよーわからん。
「将軍家の兄の血筋云々」は今川氏の貞世の語った話ですよね。
今川の宗家にあたる吉良氏も斯波氏と渋川氏の家格は気にしていたと思いますよお。
221 :
人間七七四年:2014/12/23(火) 17:44:51.69 ID:aaOtMEkP
家格の高さは、吉良家が鎌倉時代に斯波家とともに本家並みの扱いを受けてた名残じゃないの?
吉良家のその後の不運は当主が直義派の重鎮として活躍し、結果二家に分裂してしまったのもあるよな
222 :
人間七七四年:2014/12/23(火) 19:05:45.63 ID:FMwRrZ37
>>221 鎌倉時代や室町初期は有力氏族だったかもだけれど
室町時代全般に吉良氏は振るわないね
>>220がいうように渋川や斯波のほうがよほど格式が高い家のように思う
三河の吉良って一荘園領主って感じ
三河の田舎武士
223 :
人間七七四年:2014/12/24(水) 13:16:41.20 ID:e9K4UyHX
吉良満義 正三位 左兵衛督
これじゃね?
224 :
人間七七四年:2014/12/26(金) 20:07:27.40 ID:udQh4OkU
>>222 吉良当主(西条)は在京じゃなかったっけ
研究者によれば足利御一家は徳川の御三卿みたいなもんらしい
225 :
人間七七四年:2014/12/30(火) 16:27:25.83 ID:htAZ3dYD
>>224 在京してないですね。
三河は比較的京都に近いからタマニ往復していただけです。
建前上は、守護大名も奉公衆も、すべて在京してなくてはだめですけど。
226 :
人間七七四年:2015/01/05(月) 15:11:55.74 ID:8lA6Gi1U
>>223 近世系図には記されてるけど、同時代史料じゃ確認できないね
後代になってから、満義が東西吉良家の祖として尊崇されるようになった証かも
研究者によれば、三位になった可能性があるのは満義の玄孫、吉良義尚らしい
義尚の時代、吉良家は「御一家」筆頭の地位を確立し、斯波家と同等以上の扱いを受けてる
既に従三位となっていた従兄弟の斯波義重に対抗してか、義尚自身も三位を望んでいることが中山定親の日記に記されてるとか
227 :
人間七七四年:
そもそも斯波家は格が高すぎたから足利将軍家が積極的に引き摺り下ろされているよな?
高・仁木・畠山・細川と同格の管領職にされて