>>837 君はなかなかのセンスの持ち主だね。もう少し学べばモノになる。
>>828同様に以前に伊達厨を論破した公式を下記に転記しておこう。
甘粕は葬儀&甘粕の甥で婿→会津陣物語 甘粕は軍議&甘粕舎弟→奥羽永慶
どっちも完全なデタラメなのにバカ無知低脳伊達厨必死乙www
伊達の資料は基本的にいろんな書を熟読した後に書いてるんだな。
会津陣物語を手本として明らかに熟読してから書いてるのが、奥羽永慶と伊達家資料。
ププまた間違いを素直に認めず伊達厨得意の言い換えが始まったw
登坂が存在しないなんて一言も言ってないわけだがw
誰が登坂を創作したなんて書いた? ほんと伊達厨って基地害だな。
白石城攻防は講談話準拠で一次史料には存在しない。 伊達と上杉の自作自演を演出するために作られた講談話。
白石城の無償譲渡で西軍内通しかし政宗は欲をかいて違約し桜田元親を川俣城へ派遣して奪い取ります。
違約に怒った寡兵の上杉軍は直ちに出陣して川俣城を奪い返して桜田を瞬殺し密約による国境まで押し戻す。
これに恐れた政宗は福島への野望も消え去り、さっさと北目へ逃げ帰った。
兼続は白石より南下した場合は自ら政宗を討つとたびたび表明し政宗を挑発していたが、政宗はビビってやってこなかったどころか、
家康がいなくなった後は、いよいよ恐怖し最上に上杉が攻めることを望み、
白石返還と南部侵攻で上杉に敵意がないことを表明。直江は白石を奪回する行動は一切してないのは密約国境線を容認してた証拠。
また上杉一次史料に白石攻防に関わる書状はない。 伊達→村越直吉への書状でも 将が降伏→数百人討取りと書かれている
つまり戦わずに白石城将らがさっさと降伏している記述なのだ。
しかも落城させて自らが支配してるのに具体的数字もなく数百人などといい加減で抽象的な表現をしてるのは架空数字だから。
これは伊達のいい加減な報告を受けただけで、未確認の秀忠の返文でも同じように将が降伏→数百人討ち取りと書かれている
(子細は書状を届けた使者が語っているはずなのに同じ数百人w)
川俣城の存在も知らなかったくせに何言ってんだか。 川俣城は白石より前に落ちた?そんなことねーよ。落城は同日だわ。
上杉側は白石が落城して無念とかそういう発言もないし。
直江は公儀(秀頼)優先で白石は忘れろ(譲渡したんだから)って書いてるだけ。
もし騙され奇襲された挙げ句に力攻めで死傷者続出の上、落城し数百人撫で斬りされてたら「忘れろ」はないわw
24日に刈田郡の白石に続いて、さらに奥の伊達郡の川俣に伊達がやってきたから
24日のうちに本村らは近隣の福島城より、石栗らは二本松城から川俣へ出陣したわけだが。
奪回報告を直江は27日に受けて早速に書をしたためてるわけだが。 伊達郡から伊達を敗走させて譲渡ラインを明確に線引きしている。
村越宛には「二三の丸迄取破申候、本丸迄ニ仕候処、城中より頻降参」と無抵抗なまま進撃してるだけで、血が出るような戦をした形跡がまるでない。
また降参した将を「我等手前抱置候」とおよそ、敵将として扱ってるような描写もない。
白石城攻防の様子は完全に会津陣物語のデタラメを間にうけて拡大解釈されたものでしかない。
上杉120万石のうち、わすが実高16000石しかねー刈田郡なくせに 白石城は上杉領から突出しすぎていて守りにくく、迎撃包囲がかけずらいので
白石城は最初から捨てる予定だった。釣り込まれて福島城へノコノコと政宗がやってきた時に、
各地から兵力が集結し福島城を基点に伊達軍を包囲するための餌でしかない。
こんなのは軍事教練のマニュアルに載っているような軍事的常識レベルの模範的な話で、直江も再三にわたり、政宗がやってきたら討つと書をしたためている。
家康に対しても白河へ釣り込み自領を主戦場に包囲をやろうとするなど共通点も多い。