武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝つ方法

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1八戸勝頼
語ってくれ。
2人間七七四年:2008/10/11(土) 21:31:43 ID:8epFrE5c
全くございません

糸冬 了
3人間七七四年:2008/10/11(土) 22:33:48 ID:PxTGY3+7
あったら教えてくれ。 勝頼
4人間七七四年:2008/10/11(土) 22:35:22 ID:37JHzw/n
武田家操作で織田家徳川家はCOM

〜完〜
5人間七七四年:2008/10/11(土) 22:35:49 ID:KDPmr9TM
戦をしないw
6人間七七四年:2008/10/11(土) 23:05:07 ID:Yv+BqKa2
あやまる
7人間七七四年:2008/10/11(土) 23:05:27 ID:4GGxcXNy
甲斐信濃駿河の人々の総ウンコを国境に放置(土塁)する。
少しずつ敵の領土に広げていく
敵軍が迫ってきたら内側から弓矢鉄砲で追い払う。
頃合を見て内側から大量に貯めた水を流し決壊させる。
敵が慌ててる間にウンコ堤を再築する
8奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/10/11(土) 23:09:10 ID:CQW0CRxk
姉小路頼綱に姉妹を嫁がせ、信雄に娘を嫁がせる。

あとは野となれ山となれ。
9人間七七四年:2008/10/12(日) 01:07:14 ID:6CtFDSEm
のぶといえやすの領地のみが震度8で壊滅する
10人間七七四年:2008/10/12(日) 01:30:31 ID:7sT0S2QV
>>9
奇抜な発想だな

そういうの好きよ
11人間七七四年:2008/10/12(日) 01:47:10 ID:/kTFRwBS
ドラゴンボールを集めて信玄を生き返らせる
12人間七七四年:2008/10/12(日) 06:27:03 ID:krRbSLpm
とりあえず、降伏して飛ばされてもじっと耐える。
医者に習って長寿養生に努め、時期が来るまで待つ。
例え幕末までかかろうと、霞みを食って羽化昇仙でもして待つ。
13人間七七四年:2008/10/12(日) 11:42:24 ID:uJyTUUNp
信玄の死を理由に謙信と同盟。
浅井朝倉がやられる前に美濃から侵攻し信長を挟み撃ちにする。
これで十分。
信長がやばいとなったら、徳川から離反続出、徳川攻略に一年も
かからないだろう
14人間七七四年:2008/10/12(日) 12:48:00 ID:7ODV5C+x
>>13
上杉と結んだら北条が離脱しますね。はい終了。
15人間七七四年:2008/10/13(月) 11:24:59 ID:gpvZYHXj
放火とか
武将暗殺など
武力で勝てないなら卑怯に戦うのが一番だ
16人間七七四年:2008/10/13(月) 11:52:37 ID:z12oR8AP
浜松まで坑道を掘るしかないな
17人間七七四年:2008/10/13(月) 12:23:06 ID:qlrtkay6
信玄が生きている間に、勝頼が信玄を暗殺して、信長に臣従する。
18人間七七四年:2008/10/13(月) 13:45:16 ID:6LiTuS2u
>>13
信玄の大軍ですら家康は裏切らなかったんだが。
謙信と同盟は実際に失敗したじゃん。
そして家康裏切らないから美濃ルートは危険すぎてできない。
19八戸勝頼:2008/10/13(月) 21:30:54 ID:RpBYkiOG
age

20人間七七四年:2008/10/13(月) 23:37:19 ID:LV6nA7hO
富士山に城建ててのぶが諦めるまで籠城
21人間七七四年:2008/10/14(火) 08:05:39 ID:Vk1Zm++H
なにはさておき
配下の武将たちとちゃんとコミュニケーションをとるべきかと。
22人間七七四年:2008/10/14(火) 14:28:18 ID:F/SnSVXh
川をせき止めてダムにして決壊させて押し流す
23人間七七四年:2008/10/14(火) 14:54:54 ID:fped/12T
普通に押し出しとけば良かったんだろう、信玄の遺言がうんちゃらとか言ってないで。
あのまま徳川食って地盤固めて、東海道と木曽から攻め入る。
そうすりゃ四方八方に敵を迎えてる織田がやられるのは理の当然。
浅井朝倉が滅ぼされるまでのん気にしてるのがやばすぎる。
国力劣るのに単独でどうこうしようとかありえんw
24人間七七四年:2008/10/14(火) 19:22:15 ID:RyLczuqh
いまだに信玄の遺言守ったとか信じてる人いるのか
大名が死ぬ前に家督継がせて、さらに万全の周りがためをしたとしても、継いだ直後からいきなり全員、全領土従うとかありえんよ
勝頼はむしろ素早く動けた方だろう。
外交策に関しちゃ、勝頼は色々がんばったじゃん、裏目にでて失敗したけど
25八戸勝頼:2008/10/14(火) 20:11:51 ID:9jEfSx7P
あぐぇ
26人間七七四年:2008/10/14(火) 20:40:53 ID:h8k/ZRpK
信玄の死を3年喪に伏せ内外に隠し内政に従事せよという遺言はあまりに無理がある
実際3年待たずして軍事行動に打って出たのは正解。
23の言うとおり三方ヶ原で徳川を破ったのだから織田との決戦は時期尚早としても
直後徳川攻略ぐらいはしておくべきだった
もたもたしてたから包囲網陣は次々に滅亡し徳川も息を吹き返してしまった。
打って出る機は十分にあっただろう。北条とは同盟関係、謙信も信長の頼みでも足利義昭が
敷く包囲網の邪魔立ては出来ないだろうし。
結論。
信玄死後すぐに包囲網陣と連携して軍事行動にでるべきであった。
というのが武田勝頼が織田信長、徳川家康に勝つ方法である。
27人間七七四年:2008/10/14(火) 20:48:16 ID:gnE9NxBw
だから
それが出来なかったから結果的に勝頼は滅ぼされたんでわ?
28人間七七四年:2008/10/14(火) 21:10:41 ID:F/SnSVXh
コレラとかの菌を信長と家康の領地にばらまきまくる
具体的には性病女を宿場町に流し込む
29人間七七四年:2008/10/14(火) 22:05:12 ID:kpDZom8H
>>28生物兵器ですな。
30人間七七四年:2008/10/14(火) 23:09:24 ID:52lwGQXD
相続を認めさせる足場固めの期間→喪に伏す
って電波を受信した宇宙人の犠牲者が多いな

家督が変わる時が一番危ないのに
当主あぼん→家中ゴタゴタ→家あぼんのコンボ例がどれだけあると思ってんだ
しかも勝やんは陣代だし、大変だっただろうな
31人間七七四年:2008/10/15(水) 23:19:19 ID:n/Y1Hedd
勝頼陣代説には同時代資料の裏付けはない。
逆に勝頼が家督を継いだことをあちこちに示したり
周りから家督継承をお祝いされてる書状ならいくつもある。
32人間七七四年:2008/10/16(木) 16:35:26 ID:8Erbcukc
老臣と呑みに行ってコミュニケーションを取る。長篠で負けない、または避ける。
北条、上杉景虎と結び付きを堅くし、景勝は見捨てる。
一向宗他、非織田徳川勢力と連携を強め、とにかくジリジリ押してく。難しいわw
33人間七七四年:2008/10/16(木) 17:05:36 ID:eE3zo41m
このスレ好きだ。
勝頼の勝ち目の無さが好きだ。
34人間七七四年:2008/10/16(木) 17:39:20 ID:3JTdyUtc
徳川領に頻繁に侵入する。
織田の主力が援軍にきたら決戦を避けて諸城に兵を残して防戦に専念。
織田は武田だけに主力を割けるだけの余力はまだ無い時代だから
徳川の要請にも次第にこたえられなくなる。
勿論、徳川領への侵入により、徳川の織田加勢もできないので
浅井、朝倉を攻め滅ぼすのも史実とは狂ってくるだろう。

徳川の織田に対する頻繁な援軍要請も次第に応えられなくなり
徳川は織田に対する不信感も増大。
家康は織田との同盟を断念し武田と講和。

35人間七七四年:2008/10/16(木) 21:36:54 ID:7rjmdG30
八丈島へ脱出

宇喜田と出会う

意気投合

大坂へ馳せ参じる

豊臣勝利

きたこれ
36人間七七四年:2008/10/16(木) 21:58:32 ID:6LAFvSHN
>>26
そうだな。徳川滅ぼして三河遠江を吸収するべきだった。
東海道抑えられれば織田も安閑としてられないだろう。
木曽口だけじゃ進入路として弱すぎる。
37奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/10/17(金) 00:10:31 ID:6Z5z3ZWW
>>35
日本一の老将になりそうだな。
38人間七七四年:2008/10/17(金) 00:29:31 ID:ri56J56i
>>34
史実でもかなり勝頼は積極的に、そして早い時期から戦仕掛けてたのに?
それに織田の浅井・朝倉攻めは信玄死んですぐだから、現実的に勝頼にどうこうは無理だろ
史実の勝頼ですらかなり早いのに、それ以上早くなんてしたら・・
39人間七七四年:2008/10/18(土) 18:02:26 ID:WnSiIkRg
信濃一国割譲条件を持ち出して北朝鮮と手を組め。
40人間七七四年:2008/10/18(土) 19:14:42 ID:IGYLejP1
当時はまず北朝鮮という国がない、というのはおいといても、当時の朝鮮なんて政治や文化もさることながら、軍事面においてもかなり低いレベルだよ。
結んでも益するところけがひとつもない。

というのはおいといても、謙信と結ぶのは事実試みて失敗してるからなあ・・
41人間七七四年:2008/10/18(土) 19:51:36 ID:c0Ua6rc6
雨の日に奇襲しかけりゃ武田騎馬軍団が輝くだろ。
42人間七七四年:2008/10/18(土) 20:32:28 ID:ViZKap54
雨の中、敵の目の前で渡河とかねーから。
奇襲なんて無理だから。
43人間七七四年:2008/10/18(土) 20:53:51 ID:PNGV83SS
宇宙人に力を借りればいいんだよ。
44人間七七四年:2008/10/18(土) 22:08:17 ID:mGKamS+j
>>1とは違うが、長篠で負け→厩橋か要害山に蟄居して
「他領地は信長にあげて家名を信勝(また信豊、信廉)に譲り軍門に下ります。
だから許してちょ><」
ってしてたらどうなってたかな?
んで家臣団は独立させて、恭順か抗戦かはそれぞれ自由に選ばせるとか
45人間七七四年:2008/10/18(土) 23:14:47 ID:b//Av7F5
まず養子縁組を持ちかけられて断ると普通に甲斐信濃衆を先方として織田軍が攻めてきて終了
領地あげるとかゲームやりすぎ
武田家を城持ちの状態では残さないよ。甲斐信濃衆が無傷降伏なら尚のこと武田本家は潰すよ
46人間七七四年:2008/10/18(土) 23:16:28 ID:mRqggE9z
武田・上杉・北条で新三国同盟を組む。
47人間七七四年:2008/10/18(土) 23:19:27 ID:FI2eS4yc
馬に催眠術をかけて
信長に献上して落馬させて殺す
48人間七七四年:2008/10/18(土) 23:48:07 ID:OtYOrcNk
>>41
重馬場だと走行性能がガタ落ち
雨中敵陣突撃→速度低下→衝力低下→立ち往生→あぼん
49人間七七四年:2008/10/18(土) 23:53:39 ID:ViZKap54
即席の空堀が、良い感じに水を含んで泥沼化しそうだなw
50人間七七四年:2008/10/19(日) 00:07:38 ID:pLcYcpLo
中華エディター使うしかないな。
51人間七七四年:2008/10/19(日) 00:10:04 ID:z0deD8Kg
>>46
それだと伊豆から加賀まで
ぐるりと武田が包まれて
パシリにされちゃうんじゃ
52人間七七四年:2008/10/19(日) 00:13:28 ID:z0deD8Kg
↑謙信逝去後の
景虎・氏政・勝頼の同盟のケース
53人間七七四年:2008/10/19(日) 00:19:17 ID:XhmAPlMc
そして、北条が景虎を引き込んで、兼ねてから交渉を続けてた織田・徳川と仲良く武田領を分け合うんですね。わかります。
54人間七七四年:2008/10/19(日) 00:27:15 ID:69WhDwq5
氏政はいずれ裏切ったんじゃない?そうなると景虎を支援してると最悪
それに景虎じゃあ越後はまとまらんでしょ
景勝支援したのは実に正解
55人間七七四年:2008/10/19(日) 02:57:36 ID:5I9ASkTv
>>53
織田・徳川と北条は別に御館の乱まで交渉してないはずじゃ。
>>54
氏政が武田を裏切る理由がない。実際氏政は武田を相手にした事で
数年間手こずらされ関東攻略が大幅に遅れた。
景虎にしても昔から冷遇されてたのにどこまで北条の為に働くか。
56人間七七四年:2008/10/19(日) 06:15:09 ID:XhmAPlMc
>>55
氏政が武田と手を切りたくないなら、冷遇してきた弟が継げなかったからって、速攻で断絶したりしないだろ。
本気で景虎を擁護して先につなげるつもりだったら、冷遇なんてしてないし、依頼した側が依頼された側より死ぬほど出兵が遅いとかねぇよ。
アレは、兼ねてから完全に織田と話がついてて、体よく切っただけの話。
57人間七七四年:2008/10/19(日) 12:38:12 ID:io/CyxIq
武田滅亡時に戦うことなく
信長に降伏した多数の武将が死刑にあってるなか
穴山倍説とか一部の武将は普通に存続しているのを
みると穴山倍説はかなり謀臣と思われる。

なら勝頼は穴山に嫌われてるのは事実だから勝頼は隠居して
息子に禅譲するとともに穴山を後見人に立てる。
元々勝頼は仮の当主なのだからこの人事は別に不思議でもなんでもない。

穴山ならどうするか。。。
降伏するか、戦いを挑むか。。
おそらくどちらにしても光明は見えてくる。
58人間七七四年:2008/10/19(日) 12:50:14 ID:wNZ+QC9w
織田・徳川よりもいっぱいの兵で鶴翼の陣で倒す
手紙でお互い鉄砲をつかわないように決めます
59人間七七四年:2008/10/19(日) 13:56:40 ID:+K3NtrYm
>>57
>武田滅亡時に戦うことなく信長に降伏した多数の武将が死刑にあってるなか
これ、デマ。
60人間七七四年:2008/10/19(日) 15:02:13 ID:enNOiSub
勝つよりがセブンセンシズに目覚めて
普通の甲冑がゴールドクロスになれば勝てる
61人間七七四年:2008/10/20(月) 00:10:22 ID:eA6+6d1x
桶狭間や厳島や川越夜戦を考えれば、不可能はないね。
62人間七七四年:2008/10/20(月) 00:14:07 ID:6J7wfsKL
>>61
そりゃあな

問題は、相手がその桶狭間やった側ってことだな。しかも似たような事ほかにもやってるしなあ
63人間七七四年:2008/10/20(月) 00:30:03 ID:NZyqbIEb
>>56
なんか妙な言い方だな。
もともと景虎は冷遇されていた子で
あちこちに人質に出されていた子だし、
それで越相同盟の時にも人質に出されただけ。
>>本気で景虎を擁護して先につなげるつもりだったら、冷遇なんてしてないし
だからこの部分は結果論から基づいた空想だろ。時系列がめちゃくちゃ。
北条はその時周囲との争いがあったし最後はちゃんと出兵して越後に踏み込もうとしてる。
なにより
>>アレは、兼ねてから完全に織田と話がついてて、体よく切っただけの話。
これには何の根拠も史料的裏付けもないだろ。
>>59
悲惨な落ち武者狩りや無抵抗の恵林寺焼き打ちしたり
降伏した小山田が殺されたりしてるのは事実だけど。
64人間七七四年:2008/10/20(月) 00:35:24 ID:7FLcnTbU
おだ領に中国産の食物を大量供給。
信長は珍しいの好きだから食うだろ。
徳川には天ぷら攻撃。
逆兵糧攻めでどお
65人間七七四年:2008/10/20(月) 21:34:30 ID:qWx7nSVI
戸隠忍を支援して暗殺部隊を養成
信長暗殺を企む
信長は歴史の教科書で「明智光秀に本能寺で暗殺された」
と言われるくらい暗殺に弱いから
成功の可能性が高い
66人間七七四年:2008/10/21(火) 00:12:28 ID:+lJpfX5h
>>65
あなたはどこの国の人ですか?
67人間七七四年:2008/10/22(水) 12:40:37 ID:dz0Eq0mc
考えれば考えるほど、勝頼の勝利って難しいな。
せめて徳川がもうちょっと優柔不断だったらね〜。
家臣の何人かは切り崩せて、綻びが見つかったんじゃないだろうか。
68人間七七四年:2008/10/22(水) 17:20:19 ID:zaxJPh2m
祈祷師に頼んで織田徳川の領地に天災を起こしてもらうとか。
そんなんしか浮かばんwww
69人間七七四年:2008/10/24(金) 23:34:51 ID:YG5FPl/m
最低でも北条とは同盟を結び共同で戦う、戦闘の指揮は真田昌幸にやらせる。これ位しか思い浮かばん、
70人間七七四年:2008/10/25(土) 00:21:04 ID:kGRy4Ufp
>>先頭指揮は真田昌幸
アホですか??
71人間七七四年:2008/10/25(土) 02:27:37 ID:wB5ttRWv
真田基地に向かって今更聞くなよw
72人間七七四年:2008/10/26(日) 22:40:51 ID:XvXjuFkd
高坂の言うとおりに北条に駿河譲ったらどうなったかな?
73人間七七四年:2008/10/27(月) 06:40:26 ID:4uuaxG9+
武田は財政的にさらに逼迫。
北条が関東で戦している間に、織田は木曽・飛騨から、徳川は飯田から進軍→終了
もしくは、北条その後離反→史実みたいに終了
74人間七七四年:2008/10/27(月) 18:35:20 ID:iNxztSWd
結局、信玄が遠江、三河蹂躙しておきながら帰った時点で終わってる。
あそこに人数留めて経営しながら尾張を侵食するべきだった。
金ないんだから生み出す方法とらないと。
東海道抑えれば楽になって来たのに。
75人間七七四年:2008/10/28(火) 00:49:05 ID:XReXYb7G
>>74
ずっと甲府にいたんだものな。
信長みたく本拠地を前線もしくは富んだ土地に移していたら
どうだっただろう?
駿府に本拠を移して自ら駿河経営していたら…
北信濃や上野への押さえは、甲府に一族衆を置いて
あたらせるとか。
76人間七七四年:2008/10/28(火) 04:01:09 ID:KztUdq9s
同じ甲斐に新府城を築くのさえ、非難囂々だったのに、簡単に移せるわきゃない。
77人間七七四年:2008/10/28(火) 06:59:20 ID:i2PGvH6X
あれは国力が疲弊してるのに無理に城をたてるなよ、って事で
非難ごうごうだっただけだぞ。
78人間七七四年:2008/10/28(火) 11:03:36 ID:mILF7veu
全部幸村になんとかしてもらえ

>>74
兵農分離ができて無いから田植えの時期になったら帰らんとあかんがな
79人間七七四年:2008/10/28(火) 11:06:59 ID:4Fap6ZrL
べつに国府移す必要ないでしょ
上野の内藤や駿河の穴山みたいに馬場辺りに任せればよかった
もう時代として国にこもってる場合じゃないんだから、馬場山県出して織田を削り取らせて、合戦の機運高まったら
勝頼が本隊率いて出陣みたいな形にすれば、金回りが遥かに楽になったはず
織田領蚕食してその辺の空気も武田色が強くなってもいそうだし、いい事だらけじゃないの
80人間七七四年:2008/10/28(火) 17:09:43 ID:KztUdq9s
>>77
いや、古府中から拠点を移すということに反対もあった。
81人間七七四年:2008/10/29(水) 03:04:10 ID:GI9BbDXE
結局、急激に膨張した大名以外は、本拠地移転なんてしないものな。毛利とか徳川とか。
ただ、武田も甲斐と信濃抑えたくらいに、少しは拠点移動とかできればね。

まぁ、織田の
那古屋 → 清洲 → 小牧山 → 岐阜 → 安土
てのが異常と言えば異常なんだよなwww
82人間七七四年:2008/10/29(水) 13:59:11 ID:AISbYWKG
理想は古府中→諏訪→松本→駿府(?)って感じかねぇ。
せめて諏訪に移したかったな。
信玄ならまだしも、勝頼には100%無理なチョイスだがw
83人間七七四年:2008/10/30(木) 23:59:37 ID:R8Ghhjeu
>>81
ぶっちゃけた話、甲斐が武田領国の位置で中心なのに
移転する必要ないじゃん。
>>82
領国全体の統括をするには位置が偏りすぎてる。
つか諏訪に移す意味ってあんまりないと思うが。
84人間七七四年:2008/10/31(金) 00:16:26 ID:jXFk4lek
神様のご加護
85人間七七四年:2008/10/31(金) 00:28:37 ID:K69BpToi
>>83
山国の盆地の甲府では発展も限られてるだろ。
経済的発展を考えると、駿府なんてどうだったろう?
86人間七七四年:2008/10/31(金) 00:45:21 ID:oV8Vyy+H
>>85
だから勝頼は新府をつくろうとしたんじゃ。
駿府となると西上野、信濃のほぼ全土までまたがる武田領国の
中心としては南に偏りすぎてて、それらの動きに対応しにくいんじゃ。
87人間七七四年:2008/10/31(金) 01:15:26 ID:iANO/VjW
北は信頼できそうな人にでも任せて
上杉と北条とは同盟
駿府でひたすら徳川織田に対抗する
ただの今川だな
88人間七七四年:2008/10/31(金) 11:25:21 ID:f1zzptm8
オリジナルチート武将を登録して出す
89人間七七四年:2008/10/31(金) 12:50:26 ID:FoSGApgS
>>83
信濃に進軍してたころは、常に諏訪を一度は通っているわけで、北信を取る前なら十分に移す価値ある。
その後も西上野、飯田方面、岩村方面と、諏訪は交通の要だぞ。
位置的に、武田の所領を考えたらベストの位置だ。
90人間七七四年:2008/10/31(金) 14:25:39 ID:jXFk4lek
甲斐の守護職の武田家って観点が全く無いんだな
下克上でのし上がってる織田みたいに領地取る度あっちへ移動こっちへ移動なんて
あるわけないだろ常孝
91人間七七四年:2008/10/31(金) 14:42:31 ID:LPrsy4Wh
諏訪に移すのは危険すぎるだろ。
ただでさえ、勝頼の諏訪家譜代の諏訪勢と、信玄時代の旧臣との間で
揉める可能性があるのに。

諏訪に移したら、それこそ完全に、香坂・内藤とかあの辺の信玄子飼い系は
自分達の権力が奪われたと感じるだろう。

諏訪家を継いだ勝頼が、武田を継いだ時点で
諏訪への移転はありえない。
逆に、義信が継いでいれば諏訪への移転は、ありえたかもしれない。
92人間七七四年:2008/10/31(金) 16:41:44 ID:FoSGApgS
>>90
無理だって言うのは最初からみんな言ってるやん。
もし信長みたいに移せたらどう移すかって話だ。あくまで理想。
93人間七七四年:2008/10/31(金) 18:58:44 ID:Vl9R8All
信玄は本拠を伊豆に移そうというプランを持っていたと聞いたが。
94人間七七四年:2008/10/31(金) 21:49:00 ID:y5rQabJM
落雷の計を連発すれば勝てる
95人間七七四年:2008/10/31(金) 22:16:13 ID:mzXdYTmC
信玄のせいで既に詰みかかってるからな。詰みまで七手前ぐらいか。
少ない持ち駒でよく防いだ。どうしようもないからな、本当に。
飢饉と過酷な軍事行動で国はボロボロ。家中は未だゴタゴタ。
向こうに回しているのは天下。前当主がもう少しマシな奴ならな…。
96人間七七四年:2008/10/31(金) 23:00:36 ID:4pbYHRwY
>>89
甲斐はその時飢饉や水害やら国内統制やらで大変なんだけど。
諏訪に移ったら甲斐はどうなる。

>>95
どっからそんな発想が出てきたんだ。
領地内は別に信玄死去時は疲弊してないぞ。
家中も別にごたごたしてないし。
決め付けでいってないか?
97人間七七四年:2008/11/01(土) 00:02:54 ID:cz17pnr9
でも勝頼って悲惨な状況で当主になっちゃったよな
周りは織田、上杉、北条と強豪国ばかりで徳川も手強い
信玄の同盟破りまくりな外交のせいで他国から信頼がないし
最初から跡継ぎとして育てられた訳じゃないし
正式な武田の跡取りは自分の息子信勝だから
先代からの重臣や一門衆なんかにはなめられてうまくいってない
正直武田は織田と同盟結んだままで上杉や北条と
戦って勢力伸ばしてた方が良かったんじゃないかと思えるよ
信玄の負の遺産がかなりあるのに武田家の滅亡は
全て勝頼のせいにされてるのは可哀想だよね
98人間七七四年:2008/11/01(土) 00:15:14 ID:N9+z8Q2j
>>97
なんかずいぶん偏った考えだな。
その北条とは信玄死去の時は同盟中。
信玄は死去した時には同盟者はたくさんいるし。
勝頼陣代説には裏付けはないし
逆に勝頼があちこちに家督を継いだ事を書いた書状や
家督継承を周囲から祝われてる書状がいくつもある。
長篠で大敗北したのも御館の乱で失敗したのも財政疲弊したのも
勝頼の代なんだけど。
99人間七七四年:2008/11/01(土) 01:07:56 ID:phiXQk6G
>>95はバカのふり?
それとも全力でこれ?
100人間七七四年:2008/11/01(土) 04:22:55 ID:3SClkurw
パワーアップキットが出るまで粘れば勝てた
101人間七七四年:2008/11/01(土) 15:26:38 ID:5GtqCDj3
>>96 領地は疲弊してるよ。妙法寺記にも書いてあるだろ。
   暖冬で富士山の雪が融けて水害が起きたとか、四月に雹が降って
   農作物の収穫高が予想の半分だったとか、雨が降らず旱魃だったとか。
   小山田信有に軍役免除を許可したぐらいだ。

   甲州法度の追加部分だって、過酷な軍事動員によって疲弊した
   軍の中核である領主層が、軍備のために領民から徴発を繰り返し、
   そのため領民の他国への逃散が多発したので、それを防ぐために
   制定された部分が大きいのだから。で?領国はそれでも疲弊していないと?
   すさまじい国力だな。そんな国の領民がなぜ雑草や木の根を食うはめに
   なるのか、俺はバカなのでまったく理解できないね。上記はすべて 
   名将(笑)信玄の時代に起きたことだ。

   家中に紛争なしって、甲陽軍艦に出てくるような部将連中だけを指して
   「家中」としてんのか?なら話が噛み合うはずがないな。
   
102人間七七四年:2008/11/01(土) 16:00:36 ID:1GSid4LB
>>101
信玄の末期にはもうだいぶ疲弊してたみたいだもんな。

信玄が親父みたいに長命だったらどうなってたんだろう。
103人間七七四年:2008/11/01(土) 17:06:14 ID:5L/35oJc
>>101
甲斐が自然災害に悩まされてた事はよく知られてるだろ。
妙法寺記では信虎の代から自然災害のオンパレード。
でもそれは信玄のせいではないし、信玄はそれに対処もしてる。
他国を攻めて戦利品を獲得し、妙法寺記でもしっかりたたえられてるが。
>>95>>97の論旨では信玄のせいで、となっているが
信玄に雨を止めさせ、風を穏やかにし、気温を操れるとでもいうのか?
妙法寺記でも年を追うにつれて記述が穏やかになっていくし
信玄が領土を得て戦果を得て領内を整え家臣たちが恩恵を受けたのも史実なんだが。
確かにお前さんはお前さんが言うとおりとんでもない馬鹿のようだな。
人間が自然を操れると思ってるんだから。
当時が小氷河期で山国で生産性も低い甲斐はそれを一層ひどい形で受けたのは無視か。

んなら一門衆か?その他の武将か?とにかく具体的な例示をお願いね。
当時の勝頼継承時の書状を見る限りそんなものは見えないが。
>>102
だからどうしてそうなるのか。
勝頼がその後も何度も大軍動かしてるのは無視かい。
104人間七七四年:2008/11/01(土) 17:32:51 ID:0pE2g3fm
>>102
上杉や毛利みたく迫されて、なんとか甲斐一国を
保つのがせいぜいだったような。
信玄の力量の問題じゃなく、誰がやってもそうでしょう。
105人間七七四年:2008/11/01(土) 17:43:20 ID:5L/35oJc
>>104
あのまま西上して計画されてた一斉反撃をくらわせて
織田の勢いを潰し、包囲網勢を勢いづかせれば最終的な勝利が誰のものになるかは
わからないが、史実とは違う結果になっただろう。
106人間七七四年:2008/11/01(土) 18:28:49 ID:ezNPA/3u
信玄が病に倒れなかった場合、その後、どう進軍したかっていうのは、知りたいところだよな。
やっぱり、尾張に攻め入って、織田と一戦交えたのだろうか。
家康に対して城まで攻めなかったのも、そこで織田に勝てば、家康は反信長に加わると踏んでのことかね。
107人間七七四年:2008/11/01(土) 20:35:40 ID:phiXQk6G
要するに甲斐はショートしてあの常態なんだから、信玄が長命だったら領土増やして楽になったろ
回転し出したってやつだ
108人間七七四年:2008/11/01(土) 23:36:55 ID:5GtqCDj3
>>103 他国を攻めて戦利品を得たのは事実だな。だが領主層から
   さかんな替地要求が出ているんだが。つまり外征で得た土地は
   自然災害でめちゃくちゃになっていてとてもまとなものではなく、
   そんなところが領地になったところで軍役の負担には見合わない。
   甲州法度は替地要求の対応で躍起になっている。要は戦利品による一時の
   プラスより軍役のマイナスのほうが大きいんだよ。土地が痩せたのは
   信玄のせいではないよ、確かにな。だが痩せた土地を取りに行ったのは
   彼の意思だろう。戦果で領内が整ったわけじゃない、下から搾取して
   なんとかやりくりしてるだけだ。領民から棟銭を随時徴発してな。

   家というのは当主一門有力部将だけで構成されてるわけじゃない。
   部将にだって某という配下がいる。具体的には地頭・領主層だ。こいつらは
   上からの軍役要求と下からの年貢滞納に苦しまされ、逃散するやつ
   さえいる。信玄の外征のせいだろ。甲陽軍艦に出てくるようなやつらは
   指揮官クラスだから、不満なんて些細なもんだろ。記録には
   残らないぐらいのな。
   
  
109人間七七四年:2008/11/02(日) 00:16:33 ID:3Qcip6OI
>>108
戦果で十分甲斐は整っているんだが。
それから痩せた土地?どこの事をいってるんだ?
信濃は41万石で甲斐の倍、西上野20万石は甲斐に相当、
気候も温暖で海に面した駿河15万石、他にも三河・遠江・飛騨・美濃、
いずれも十分豊かな土地なんだが。
もともと甲斐は自然災害に悩まされ、他国を攻めて戦利品を獲る事が
生活の充実につながったからこそ家臣たちはそれに従い、
そして戦果を得た信玄をたたえたわけだが。
他国侵攻をやめた所でどうなる?自然災害による困窮は消えないし
他国から侵攻される危険は減らない。
苦しい甲斐だからこそ他国から踏み込まれるわけにはいかんのだ。
信玄は常に攻める状況を作り、信虎時代には何度も踏み込まれていた甲斐を
一度も敵に踏み込ませなかった。これは大きな恩恵であったし
戦功をあげれば将には領地を与え、兵たちには銭や黄金、食糧、望のものを与えた。
戦国時代で食うか食われるかの状況で常に敵を食う状況を作り続けた事は大きいが。
さらに信玄はその民政で治水・道路整備・伝馬・商人職人の保護育成・金山開発・貨幣鋳造
その他の様々な政策を行い武田領国を整備し発展させた。
これが業績でなかったとでも?

だから何度もいうがもともと自然災害に苦しめられてるんだから
外征しなければマイナスが続くだけなんだが。
そして他国から踏み込まれればさらに被害がでる。
そして信玄の内政や外征による戦果で武田領国は利益を得てるし発展もしてる。
軍役拒否は武田だけの現象でもないし。戦国時代ではよくあった事だ。
110人間七七四年:2008/11/02(日) 02:43:40 ID:C6uIwtWt
飛騨のどこが豊かなんだかwww
越中が上杉方なら物資(塩など)が入りませんよ
111人間七七四年:2008/11/02(日) 03:02:10 ID:lXQmUsSW
乗用車も、除雪車も、スイッチ1つで着く暖房もない時代の雪国……
ってだけで、そうそう豊かな都市が存在し得ないことくらいわかるだろ。
年間の数割が雪で閉ざされる商業都市なんて、無理。
112人間七七四年:2008/11/02(日) 03:02:44 ID:GaukSjQt
>>110
まあ飛騨はそうかもな。
ただ越中が上杉の手に落ちるのは信玄死後だし、
それまでは越中は信玄の味方の一向宗が支配してる。
それに飛騨はそういった朝倉や一向宗といった北陸関連の勢力とのアクセスでも
結構便利な価値を持つ。
113人間七七四年:2008/11/02(日) 03:04:31 ID:GaukSjQt
>>111
誤爆?越後の事を言ってるのか?
114人間七七四年:2008/11/02(日) 03:10:40 ID:lXQmUsSW
>>113
いんや、雪国全般の前提としてさ。
どうやっても、東海道や積雪の少ない地方と比べれば、大都市は存在し得ないって言いたかっただけ。
農業ならともかく、商業都市なんて、多くの人の往来がないと成り立たないものだし。
115人間七七四年:2008/11/02(日) 03:13:32 ID:GaukSjQt
>>114
いやさ、言いたい事はわかるんだけど、
武田の甲斐って雪国じゃないでしょ。
なんで雪国が出てきたのか不思議でさ。
116人間七七四年:2008/11/02(日) 03:25:31 ID:lXQmUsSW
信濃とか飛騨なんて、完全雪国だし。
甲斐にしたって、それなりに雪は降るし、駿河や小田原から距離がない分、流通経路としては適さない。
野宿が不能で雪かきわけて甲斐に入るよりは、東海道を西に行く。
117人間七七四年:2008/11/02(日) 03:32:12 ID:GaukSjQt
>>116
それなりに、で言ったら日本全国雪が降らない地域はないぞ。
信濃は北信濃はともかく南信濃はそうでもないと思うが。
実際信玄は路の整備とかを進めて、商人や職人の保護育成を行い
甲府は結構にぎわってたんだけど。
118人間七七四年:2008/11/02(日) 04:13:22 ID:KgRpQ3M7
だから武田は駿河の後、遠江、三河と獲って織田領に手を伸ばすべきだった
信玄にもう少し寿命があったらそれが出来て東海道抑てたろうな
そうすれば途端に金回りがよくなって織田はピンチだった
そもそも金に汲々しながらあれだけやってたわけだから、金さえ入れば水を得た魚って奴だ
東海道が生み出す金はでかいよ、東国と京都を結ぶ大動脈だ
119人間七七四年:2008/11/02(日) 04:16:07 ID:lXQmUsSW
>>117
積雪の量がまったく違うだろ、jk
120人間七七四年:2008/11/02(日) 04:20:23 ID:lXQmUsSW
山梨は除雪車が稼働するレベルで雪が降るんだぞ。
121人間七七四年:2008/11/02(日) 07:56:32 ID:9MkYh6qx
>>118
【武田】2万5千で上洛【信玄】その56
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222518983/
こっちで信玄が生きて入ればの妄想を披露していてくれ
122人間七七四年:2008/11/02(日) 09:55:10 ID:i9aC7X9W
>>109 他国からの侵攻を常に恐れるような事態にもっていったのは
   誰あろう、信玄だろ。奴が拡大政策を推し進めために
   数値(信濃41万石とかいうやつな)と実力がかけ離れた領地ばかりを
   得て領土が膨張し、大勢力と面することになったんだから。
   北条とは信玄のおかげで駿河に侵攻するまで味方だった。しかし信玄のせいで
   のちに敵対した。戦闘を優位に進めているから問題ないとかいう話じゃないぞ。
   彼は敵を作らない方法もあったが、あえて敵を作ったんだよ。 
   上杉にしてもそう。武田が北信濃に進出したから上杉が出てきたんだろう。
   上杉の主敵は北条なのだから、武田が進出しなければよかった。
   くどく言うがあえて敵を作っている。

   信濃41万石というが何度も言うように災害で荒れているんだよ。
   あなたは妙法寺記を読んでいるので分かるだろう。とてもまともな
   農耕ができる状態ではない。気候が安定し災害以前の状態に戻れば
   確かに額面どおり41万石の収穫があるかもしれない。しかし
   信玄存命時にそこまで劇的に回復した記録は見られない。穏やかになっては
   いるけど。石高が作られた時代と状況が違う。太閤検地だろうその数値は。
   甲斐・西上野も同様。駿河についてはきちんと領有しているので何も言わない。
   遠江は領有していない。占領はしたけれど。三河は領有していない。
   飛騨は一度占領しようとして失敗し、西上作戦の前に手を出したに過ぎない。
   美濃は影響力があったのは西の一部だけ。進軍困難な山岳地帯だ。
   濃尾平野に代表されるような美田は織田のものだ。
123人間七七四年:2008/11/02(日) 11:46:56 ID:GaukSjQt
>>122
本当にまともな感覚で文章を書いてるのか疑問なんだが。
結論ありきで文章書いてるだろ。
もともと甲斐は周囲から見て石高が低いから攻める相手は常に大国なんだよ。
第一お前さんはやせた土地を攻めた、とかいって非難してたのに
今度は実力とかけ離れた土地を攻めた、と非難するのか?いい加減にしたまえ。
領土が拡大し大勢力と接したというが、もともとそれ以前から多くの大勢力と接してるんだよ。
北条はもともと敵だったし、今川も当初は頭を押さえてくる相手だった。
上杉に関しては長尾上杉になる前の山之内上杉の時からもう敵だった。
そもそも敵をつくらないでどうやって領土を拡大すればいい?無茶としか言えんよ。
それから時系列でいうなら、北条は武田の味方だし、長尾上杉が北条を攻めるなら
どっちにしろ敵になってるんだが。くどく言ってる割には結論ありきで論理がめちゃくちゃ。
北条と武田の敵対は数年にわたって行われた今川・上杉も含めた複雑な外交の結果。
北条は塩止にも参加してるし、1568年末の状態では信玄も駿河を攻めざるを得ない状況になってる。

妙法寺記は基本的に甲斐の事を書いた記録なんだが。
信濃がどうなっているかは未知だな。西上野も同様だが。
さらに言っておくと当時は小氷河期でどこを攻めてもなにかしらの災害はあったんだが。
よっぽど恵まれた土地以外はな。災害があるから攻めません、なんていったらどこも攻められないし
その土地の敵が攻めてこないわけでもない。
遠江も三河もちゃんと領有してるぞ。全土とはいわんが征服した地帯はちゃんと領有してる。
知行あてがいとか行われてるから。
飛騨もちゃんと領有されてるだろ。時期に何の関係があるのか。
美濃岩村は織田も固執したくらい重要な所ではあるんだがね。

全体的に武田の土地だけ低く見ようとしすぎ。拡大しなければ
そもそも自然災害でマイナスだし敵が踏み込んできたら酷い目にあうといってるだろ。
124人間七七四年:2008/11/02(日) 12:53:10 ID:KgRpQ3M7
>>121
痛いから日本語理解できない馬鹿が間抜けなザマ晒して仕切ってるなよ
125人間七七四年:2008/11/02(日) 15:40:27 ID:i9aC7X9W
>>123 時系列はあえて説明しなくてもよいと思って書かなかった。
   北条も両上杉ももとから敵なのは知っている。しかし上杉と和睦
   しようとした跡は見られない。改善しようとはしなかったんだよ。
  >そもそも敵をつくらないでどうやって領土を拡大すればいい?
   だから何故領土拡大しなければならないんだよ。
  「なぜか甲斐は常に隣接勢力に狙われている、だから勢力を拡大して防衛能力をつけなければならない」
  という謎の前提があるとしよう。信玄になってからの甲斐へのある程度の規模の侵攻してきた奴等は、
   小笠原・諏訪ぐらいだろ。こいつらが攻め込んでくるので、やむを得ず討伐する、ぐらいなら
   分かるが、なぜそこから村上まで行ったんだ?自己防衛の域を超えてるだろ。
  領土を慰撫し国力を回復するという選択肢もあったが、選ばなかったんだよ。
  攻められる「かもしれない」という不確かな理由で敵を増やしていくのでは本末転倒だろ。
   
  当時が小氷河期なのは知っている。
  >災害があるから攻めません、なんていったらどこも攻められないし
  その土地の敵が攻めてこないわけでもない。
  攻めない、という方法がある。
  飢饉・疫病に際し氏康は領国内に徳政令を出している。足利義氏や葦名盛氏もな。
  どこぞの名将は領民から臨時徴税して北信濃出兵にそなえているがね。立派なことで。
  知行あてがいだけで領有したことになるのなら、どうやら「領有」の定義が違うようだ。
  景虎の関東侵攻で得た地域も「領有」になるんだろうな。その定義だと。
126人間七七四年:2008/11/02(日) 16:10:31 ID:GaukSjQt
>>125
言ってる事がめちゃくちゃすぎなんだが。
とりあえず一つずついこうか。
時系列書かなかったというかわからなかっただけだろ?ぶっちゃけ。
武田は今川・北条との戦いがあった時に両者の和睦をとりもっている。
この時に氏康と上杉方との和睦もとりもっているんだが。
つーか信濃を攻める時点で基本的に信濃に影響を持つ上杉との戦いは避けられないんだが。
志賀城をめぐって行われた小田井原を知らんのか?
後年の話になるが長尾上杉とも甲越和与を結んでいるな。言ってることめちゃくちゃ。
後言っておくと信玄は今川・北条の和議を取り持った時点で北条を山之内上杉が倒して勢力を拡大し
自分達を脅かす存在になる事をおそれ、それを踏まえて北条を山之内上杉にぶつけるべく
今川と北条の和議をとりもった。その事を今川に説明した書状がある。
当時はこんな時代。過ぎた大勢力が存在するのは自分の危険。
それを防ぐには強くならねばならんのよ。

何が謎で問題なのか。戦国時代は弱肉強食。弱ければ食い物にされ、食い物にされないためには
自身の力を高める必要があり、敵にやられるより先にやる必要があり、
それが領土拡大であったわけだが。実際問題として信虎の時代には甲斐は何度も踏み込まれている。
周辺に存在する今川・北条・上杉という大勢力が拡張していく中、自然災害に悩まされる甲斐20万石が
座視しているだけで安泰だったと考えるならそれは暴論を通り越しているな。
上の今川・北条和議の所でも書いたけど、座視してて周囲が巨大化すればそれは自身の危険なんだが。
つーかお前さんの理屈なら当時に存在していた多くの大名が馬鹿になるな。
第一甲斐に引きこもってたって自然災害は消えてなくならんし。

攻めない、なんて方法がナンセンスなのは上でさんざん説明してる。
周囲が勢力拡大してる中で座視なんかできるわけない。相対的に自己の力が小さくなり
どんどん不利になる。
氏康の場合はあの時の飢饉の影響が深刻だったし、上杉が襲来してくるから
それに備えて民を懐柔する必要もあったから徳政令出してる。
もっというならこれは氏康が同時期に氏政に家督を譲ってる事の付属物でもある。
それ言ったら信玄も信虎を追放したときに徳政令出してる。
特に問題はないようだが。
ならそっちの領有の定義あげてみ。知行あてがいしても領有じゃないなんて聞いたことないな。
景虎の関東侵攻で得た地域は少なくとも厩橋は確実に領有だな。
他の帰属してる連中も領有で言ってもいいと思うが。
第一お前さんの理屈なら織田領土もがらんどうだが。
127人間七七四年:2008/11/02(日) 17:41:43 ID:i9aC7X9W
>>126 時系列はわかっているよ。四家がいつどこと敵対し誰の仲介で和睦しているかも。
まあ分からないと思われても仕方がない書き込みだったかな。
>信濃を攻める時点で基本的に信濃に影響を持つ上杉との戦いは避けられないんだが。
 何度も言うが小笠原・諏訪を平らげたあと北信濃に進出する必要はなかった。
 そんなところまで勢力を伸ばしたら上杉が硬化するのは目に見えてるだろ。
 やむを得ず攻めたような書き方だが別に侵攻する理由はない。戦果拡大を狙っただけだろう。
 
 確かに勢力拡大しなければ危険だろう。だが余りに拙速すぎるんだよ。
 どんな大名だって領民から搾取せざるを得ないが武田は異常。
 なぜ民へかけている負担を無視するんだ?地図上の版図がいくら広がったところで
 実情は火の車なんだよ。そんな状態で勝頼に相続させたんだよ信玄は。

 領有の定義は、軍事面ではその地域からの恒久的な動員ができることだと
 思っている。武田でいえば甲斐、信濃。まあ西上野と駿河も入れていいだろう。
 しかし遠江は豪族連中を追い使っているだけで動員と呼べるようなものではない。
 最後になぜ織田が出てくるんだ?何か勘違いしているようだが、俺は別に
 織田方でもなんでもない。織田厨と思われては困る。 
128人間七七四年:2008/11/02(日) 18:03:32 ID:wXC6zODy
勝頼じゃ信長、家康に勝てないよ
兵力でも財力でも人材なんかでも負けてるんだから
武田独力じゃ絶対勝てない
謙信が長生きしての北条、上杉、武田の同盟が
長く続いて打倒織田に一致協力して動けば少しは
可能性があるかもってところじゃないの
まぁこれじゃ信玄が生きていればの妄想繰り返してる
死人頼みの上洛スレと変わらないな
129人間七七四年:2008/11/02(日) 18:07:03 ID:GaukSjQt
>>127
何度も言うが、とはいわないが、
上杉には長尾上杉と山之内上杉がいる事と
北信濃を支配する村上が小笠原をはじめとする信濃勢力と結んで武田と戦った事は
知ってるよね?なんで何度も戦ってる敵を放置しておく必要があるのかさっぱりわからん。
そもそも山之内上杉とは信濃侵攻の初期でもう激突してるし、それを引き継いだ長尾上杉とは
必然的に対立する事になる。さらには長尾上杉が同盟者の北条を圧迫し、武田の恐れる
上杉による関東覇権の成立を目指すならそれは明確に武田の敵でしかない。
仮に戦果拡大だとしても悪いことがあるのか、という気が。
上でも言ってるように村上は武田と何度も戦ってる敵だ。

だから戦国時代の大名は大抵民に負担をかけまくってるものだが。
それでも戦国時代だから勝たねばならないしまずなによりも領土に敵が踏み込んでくるのは
阻止して欲しい、というのが領民の正直な感想なんだが。
攻められ焼き打ちされた領民が恨むのは攻めてきた敵ではなく、守ってくれなかった領主だ。
これが当時の価値観。その中で信玄は敵に一度も踏み込ませなかったし、
勝利を得た事で戦利品をもたらし民からたたえられた。これをどうして無視するんだ?
信玄の治世で武田領国が発展した事、信玄が領国で崇敬された事、みな是史実なんだが。
実情は火の車?おかしなことをいう。勝頼が信玄の家督を継いでから何度も活発に軍事活動を
行っている事を無視して何を言っているのか。
勝頼時代に長篠の失敗で将兵を大量に失い、御館の外交失敗で多方面作戦を強いられた事で
国力の疲弊が起きただけだろう。
それまでの軍役問題ではどこの大名もみんな苦労してるんだから特におかしいとは思わんが。

なんで遠江や三河の領土を知行あてがいし豪族も使ってるのに動員じゃないんだよ。
めちゃくちゃだよ。抽象的にイメージで言ってるとしか思えない。
130人間七七四年:2008/11/02(日) 18:16:59 ID:0b4TCia2
武田はてっぽうを舐めすぎ
131人間七七四年:2008/11/02(日) 22:14:27 ID:E76CvBA8
将軍様と仲良くして核を融通してもらう
132人間七七四年:2008/11/03(月) 15:51:49 ID:fWtEixcP
桶狭間をやればいいんだよ。別に厳島でも河越でもいいが。
火事場泥棒みたいに目移りして、あっちこっちに手を出すから敵を増やすんだ。
どこか一つ敵対する勢力を絞って、そこを打倒すりゃ一気に伸びんだろうに。

まぁ、信玄にしろ勝頼にしろ、そんな博打に勝てるような、運も実力も無いのが一番の問題なんだけどねw
133人間七七四年:2008/11/03(月) 16:20:00 ID:Wtv8ouVz
桶狭間して失敗したのが勝頼じゃなかろうか
134人間七七四年:2008/11/03(月) 19:58:13 ID:Fl4TAZ9s
見てて痛いから知らないことに口出すなw
135人間七七四年:2008/11/03(月) 23:35:59 ID:MtLLltOB
戦国時代の大名はどこも火の車でしょ。
信長を除いて
136人間七七四年:2008/11/03(月) 23:47:03 ID:QsCuRTrx
テレビ朝日「TVタックル」でのビートたけしの発言(11月3日)
「みんな、国民はいらついてるよ〜ほんとにねえ・・選挙やったほうがいいと思うんだけどな〜」

国民の良心ビートたけしも早期解散しない麻生にあきれている!!!!!
今、いらいらしない奴って空気よめてね〜〜〜
さぁみんなーーー国民の良心ビートたけしに続けーーーーーーーーーーーーーーーー
草の根から早期解散を求める怒りの声をもっとあげるんだ〜!!ウォーーーーーーーーー!!!!!!

137人間七七四年:2008/11/04(火) 03:59:28 ID:9LIRBHYl
時間さえあればあのまま遠江、三河と領国広げていったんだろうけど、健康に不安あったから
一気に上洛軍起こしたんじゃないの?
虚弱だったらしいし、もしピンピンしてたら地道に拡大してそう。
138人間七七四年:2008/11/04(火) 04:40:32 ID:ZR72xN4T
勝頼のスレなのに
いつのまにか信玄生きてたらスレなってる
勝頼(´・ω・) カワイソス
139八戸勝頼:2008/11/15(土) 20:25:58 ID:Fk7fZ0gG
上げ
140人間七七四年:2008/11/16(日) 21:41:33 ID:jbEsBHPW
武田の埋蔵金なんて、なさそうだな。
最期は金もなくなってボロボロだったみたいだしw
141人間七七四年:2008/11/16(日) 22:14:00 ID:+IYXk1rM
武田バイク軍団を編成すれば勝てる。
142人間七七四年:2008/11/16(日) 22:26:54 ID:sC0Q0HDT
兵1で攻めこみまくる
143人間七七四年:2008/11/16(日) 22:51:43 ID:VJcSTyU/
本能寺の変の3年前に明智光秀を寝返らせる
144人間七七四年:2008/11/18(火) 00:23:46 ID:H6zwjHNS
信長に尻の穴を提供する
145人間七七四年:2008/11/20(木) 16:57:36 ID:ryso9Qj1
武田勝頼は元々信長と戦う気はなかったと考えてる。
ターゲットは信長最大の家臣だった 若き徳川家康。
家康の危険性に勝頼は気付いていた。まず家康を叩き潰し信長の右腕を無くする。
そして、後は信長が動くまで父信玄と同様 動かない戦略を考えた可能性が高い。
しかし、このすべての勝頼の戦略を信長は見抜いていた。
従って長篠の戦いでも勝頼は 家康打倒しか考えていなかった為、 鉄砲連続射ちの世界初の戦いに勝頼は壊滅させられてしまう。
すべては信長のワナだった。勝頼の長篠の戦いまでの戦さは全勝負け知らず。
これは、信長がワザと負けていたと考えられる。勝頼の士気力を高め 長篠におびき寄せてしまう 信長の恐るべき戦略が伺う。
つまり
長篠の戦い前の 全勝 勝ちまくりの勝頼が『何か 変だ?』気付き 信長家康連合軍の動きを 伺っていれば この勝頼の行動だけで
信長は勝頼を信玄と同じく脅威と考えたと 思ってる。
146人間七七四年:2008/11/20(木) 20:07:13 ID:eBcoXOuX
つっこみどころはおいといてあげるが、それにしてもお話的に見すぎだと思うぞ
147人間七七四年:2008/12/05(金) 06:18:37 ID:SIZ8DwRd
勝頼が長篠戦を避けた場合
信長の大軍は追ってくるのかな?
148人間七七四年:2008/12/05(金) 11:23:00 ID:/ohcG1Rc
問題は信玄が豪族の利権を取り上げられなかった処にある。
149人間七七四年:2008/12/05(金) 15:11:38 ID:qdf8WvG6
>>147
つまり長篠城攻略目前にありながら織田軍を恐れて撤退ということになるね
そうなればけっきょく武田を見限って、織田徳川に鞍替えする豪族が多く出ただろうね
歴史が変わるとしたら、長篠で死んだ武将の何割かが織田徳川の下で生き残る、ってくらいじゃね?
150人間七七四年:2008/12/06(土) 01:32:45 ID:Vre+MwOx
>>149
別に一回撤退したくらいでそんなに雪崩現象なんか起きやしない。
その理屈なら日本の戦国時代はあっという間に終了だ。
情勢不利とみれば城攻めをやめて引き返すなんてよくある話。
151人間七七四年:2008/12/13(土) 08:38:00 ID:RLJNTs+7
>>148

武田が豪族連合体だった話はよく言われていることだけど、それは大なり小なり戦国大名全員に言えることだよ。

そこでよく信長の革新性が言われるわけだが、信長だって晩年の絶頂期に入ってからも尾張や美濃の土地利権をめぐる争いを調停したりチマチマ苦心してるわけよ。
元々の本拠地でさえそんななんだから、それ以降切り従えた領地の情勢なんて想像つくでしょ。

日本って国は今も昔も強大な既得権層が国の半分くらいを何食わぬ顔で支配してる。
信長だろうと小泉だろうと、実際のところは氷山に爪を立てるくらいの存在でしかないよ。
152人間七七四年:2008/12/13(土) 09:17:39 ID:ayakBdSF
いや、元々の地盤だからこそ、そういう問題が残ってるんじゃね?
序盤の抱き込みが必要な時期より、強引に力で押し切りとった土地の方が、
元の支配層を追放できて、その手の問題が残るのは少なくなる。
153人間七七四年:2008/12/13(土) 19:00:59 ID:FktoeSQz
支配層追放って…
まさか農民町民の上に支配層ってのが1人いるだけと思ってるんじゃないんだろ?
束ねる人間根こそぎ切ったら領国津々浦々の個人個人をどうやって治めるんだ?
154人間七七四年:2008/12/13(土) 19:21:17 ID:ayakBdSF
>>153
んなもん、全部じゃなく、上からどれだけ切りつめられるかって意味に決まってるだろ。
美濃では、大名の斎藤家は追放できたが、調略を多用したから、織田の自由になった部分は少ない。
越前では、力押しが主、寝返った連中も拮抗している状況でなく負け戦が確定の中での投降だから、当然扱いも軽くなる。
155人間七七四年:2008/12/14(日) 09:10:18 ID:3leJmKpw
>>154

朝倉滅亡の顛末を見直したほうがいいよ。
電撃的に滅亡まで追い込むために大量の安堵状が出てる。

俺が言ってる既得権層というのは地域で名前のある武将クラスだけじゃないんだ。
例えば軍勢を召集する。税を徴収する。祭祀を司る。流通や土木を仕切る。などなど。これらを大名が一元支配できたわけじゃない。地域の名主、旧荘園、寺社、商人や工匠、ヤクザみたいな奴らも、そいつらが管理して大名を支えてる。織田だって基本は同じだ。
当然それぞれに利益を取られてから支配者にリターンされる構造は現代も変わらないね。

一般会計(予算)の他に数倍の特定財源がある。ガソリン税みたいに何だかわからないうちに特定の層に金が流れるシステムがたくさんある。実際いくらあるか正確に把握するのは財務官僚でも難しいだろう(笑)
156人間七七四年:2008/12/14(日) 10:47:57 ID:7uEDvWLA
朝倉滅亡後、一向宗が暴れてた越前は、他とは支配体系が確かに違うと思うが
157人間七七四年:2009/01/01(木) 04:56:25 ID:jF33Zg7L
だね。越前については、結構違うと思う。
158人間七七四年:2009/01/01(木) 13:44:57 ID:466hys1E
現在の自衛隊を戦国時代に派遣して武田の味方にする
159人間七七四年:2009/01/01(木) 15:14:31 ID:88SZlrEQ
長嶋巨人軍に頼むしかないな
160人間七七四年:2009/01/02(金) 05:27:32 ID:p6pZ4jRi
元亀元年6月28日;織田信長感状、徳川殿。是より、家康の武名
いよいよ高く、今や世に海道一の弓取と、歌わる。姉川合戦での
大勝における徳川家康の抜群の武功を賞賛する。
高祖(劉邦)、張良、武門之棟梁など賞賛の言葉が並ぶ。
新井白石の『藩翰譜』に「海道第一と聞えさせ玉ひし弓取の、
御母にてましませば」と記述されている。
成島司直の『改正三河後風土記』に、「海道一の徳川殿」、
と記載されている。小牧・長久手戦役の項目で。
幕府編纂の東照宮御実紀(徳川実紀)巻三天正十二年の項で
「徳川を海道一の弓取とはいひしぞ」と記述されている、
豊臣秀吉との小牧・長久手戦役でのことである。秀吉の三河先入れ軍
が家康に大敗した報告を受けて、豊臣秀吉が「家康を名大将、
軍略妙謀まろの及ぶところにあらず」と言ったことになってる。

161人間七七四年:2009/01/28(水) 08:01:25 ID:ZXhnGS9q
「歴史街道」にのってたけど
勝頼は対北条ではかなり有利に戦を進めてたって本当?
たしかに甲州崩れ直前の版図をみてみると上野はほとんど武田が領有してるんだよね…
162人間七七四年:2009/01/28(水) 08:13:25 ID:4kRGJ7ar
上野の旧上杉系諸候が次々武田に寝返り下野の領主も佐竹方反北条連合へ離反しだし
武田が上野、伊豆、武蔵へ侵攻、佐竹方反北条連合も常陸土浦、下総古河、森屋、
下野小山など広範囲にかけて断続的攻撃を行われていたため
北条は戦力が集中できず苦しい状況だった。
81年になると北条も西上野の宇津木、白井長尾を調略し駿河長窪城を攻略、
沼津、天神ヶ尾城を攻撃する等反撃に出てるが。
163人間七七四年:2009/01/30(金) 09:07:23 ID:xiAmjpsB
>162
なるほどー

甲州くずれがおきなかったら伊達が佐竹に南下してきたり、いろいろ
面白そうな要因がたくさんあるけど
結局のところそういうのもアノタイミングで武田征伐を決定した
信長の慧眼なんでしょうねー
164人間七七四年:2009/01/31(土) 17:37:59 ID:1d1Yu+PT
長篠で決戦を避けても国力の差は開くばかり
やはり長篠級の兵力劣勢の決戦で信長を誘き出して、
総大将信長を討ち取るしかない。
討ち取っても天下に一番近いとは言い難いが。

信長にそそのかされて駿河を攻めずに、1568年ごろ完成していた武田・北条・越中一揆・本庄・葦名の
越後包囲網を生かして謙信を短期間でつぶすべきだった。甲・信・越後・西上野を領有できれば織田以外の近隣諸国との
国力差が大きくなり、越中能登豪族あたりは従属化できる。
越後の次は今川・北条の同盟を維持して織田・徳川を叩くか、
織田・徳川と組んで関東・東海を平定するか決めればいい。
165人間七七四年:2009/01/31(土) 18:26:21 ID:ABSS6Qox
>>164
そんで長篠で突っ込んで玉砕したじゃん。
兵力三倍以上の相手が野戦陣地つくってるとこに突っ込んでもそりゃ負けるよ。

信長が信玄に駿河攻めをそそのかしたなんてのは俗説だから。
実際は数年にわたる今川・武田の複雑な外交問題の結果。
166人間七七四年:2009/01/31(土) 20:19:59 ID:NvB8GVou
謙信を短時間で潰す?
またずいぶん都合の良い話だな。
167人間七七四年:2009/01/31(土) 20:57:44 ID:1d1Yu+PT
織田は同規模の斉藤をつぶして飛躍した
反乱のおこった越後と沼田だけの謙信をつぶすチャンスではあったかと

信長が信玄ならどうしたのだろうか
村上滅亡までは一緒と思うけどそこからどこに進行するのか興味がある
北信を上杉に譲って尾張と組んで美濃を攻めるのかな?
もしくは信濃は無視して早い段階で肥沃な関東に行くかな?
168人間七七四年:2009/01/31(土) 21:07:00 ID:95yX/e9X
関東って肥沃なの?一面湿地帯で川も治水未発達で暴れてる状態で
農業生産力はさほど高くなかったという話をよく聴くけど…
169人間七七四年:2009/01/31(土) 21:12:18 ID:NvB8GVou
農業生産力を検証したのが検地なのだから、その結果を見ればいいだろ。
170人間七七四年:2009/01/31(土) 21:23:12 ID:b66+Uzb7
>>164
今川領に攻め込む直前まで、信玄は蘆名が動いたとこで越後に攻め込もうと
狙っていたようだがね。葦名は動かなかったが。
171人間七七四年:2009/01/31(土) 21:34:10 ID:ABSS6Qox
>>167
その斉藤の当主は義龍が死んだ後の幼君だったんだけど。
義龍の時は勝てなかったわけだし。
謙信をやすやすと倒せるもんじゃない。
172人間七七四年:2009/01/31(土) 22:39:59 ID:Ok2iMh9G
幼君でも国内はまとまっていたわけだし、義龍生存中の信長は国内と対今川で
手いっぱいだったわけで、義龍に負け続けたなんてわけでもない。
173人間七七四年:2009/01/31(土) 22:44:39 ID:CjLOB+v8
敵前面で横隊変換、斜行機動して敵翼側を急速包囲奇襲。
長篠で勝つには斜行戦術しかなかった。
敵の銃撃で破れたかも分からないが、信長軍は敵の直線的な突撃に注意していたはず。
敵前面での大胆な斜行機動こそが勝利への唯一の道だった。
174人間七七四年:2009/01/31(土) 23:02:05 ID:ABSS6Qox
>>172
クーデター騒ぎまで起きてその犯人を処罰する事さえできない状態でしたが?
美濃攻めは調略で攻略されてるんですが?
桶狭間のあとも織田は義龍に手も足もでませんでしたが?
175人間七七四年:2009/01/31(土) 23:07:36 ID:b66+Uzb7
>>173
勝利の道が一つしかないなら、敵はそれに備えさえすれば負けないのだから
結局勝負はついてるだろう。
176人間七七四年:2009/02/01(日) 02:04:40 ID:+nvVXfqJ
>>174
>クーデター騒ぎまで起きてその犯人を処罰する事さえできない状態でしたが
犯人は責任とらせて隠居に追い込まれていますがなにか

>美濃攻めは調略で攻略されてるんですが?
その調略が成功し始めるのは信長の侵攻が進んでからですが?
信長の侵攻によって龍興体制が揺らいだのであって、義龍死後から信長が
侵略を始めるまでは、義龍が残した側近達による龍興体制はそれほどの
問題はおこしていませんよ。何をもって「幼君でグダグダ」なんて主張して
いるんですか?

>桶狭間のあとも織田は義龍に手も足もでませんでしたが?
対今川戦争は桶狭間で終わったわけではありませんがなにか?
その後も三河で織田と今川配下の松平との戦いは続いている。
信長が美濃を本格侵攻を始めるのは、松平と同盟結んでから。

例えば信長は群小豪族が割拠する伊勢を、1567年までは手を出さなかった。
それは東や北で手一杯だったからだが、これをもって、信長は伊勢の
豪族を恐れて手も足も出なかったんだよ!なんていえるのですか?
177人間七七四年:2009/02/01(日) 02:25:16 ID:URtpIQC0
>>176
一番の犯人である安藤はお咎めなしなんですがそれがなにか?

クーデター騒ぎが起きてその幼君が城から追い出された挙句
主犯の安藤を処分もできてない状態だからなんですが。
てか力攻めうまくいかないから調略に切り替えて加治田の領主が寝返った時に
信長が大喜びしてるんですけど。

「三河で」ね。途中から徳川は明らかに織田との戦いを手控えるようになるんですが。

いわないね。でも美濃には桶狭間の後で手を出そうとして失敗してるけど。
義龍に国内かき乱されてる事はあるけど攻めれてはいないね。
松平が途中から明らかに織田との戦いが控えめになるにもかかわらず。
178人間七七四年:2009/02/01(日) 14:08:51 ID:+nvVXfqJ
>>177
>一番の犯人である安藤はお咎めなしなんですがそれがなにか?
そりゃ、安藤は表向きには何もしていないもの。竹中に呼応して兵を挙げた
わけでもなく、同心して稲葉山城に入ったりもしていない。
明確に謀反に加わったという証拠もなく行動も起していないから、お咎めなし
ですましたのであって、処罰しようとしたけど勢力が大きくて泣き寝入りした
なんてわけではないんですが。

>力攻めうまくいかないから調略に切り替えて〜
信長は木曽川を越えて伊木山に砦を築き、鵜沼城を包囲する。城主観念して
降伏。次に猿啄城を攻撃、丹羽長秀が水の手を切り、攻撃を始めると城主の
多治見も降伏。
この後に加治田の城主佐藤のもとに丹羽を送り降伏を勧め、佐藤は応じる。

鵜沼も猿啄も軍事的に破れ、加治田まで進出されたので、勝ち目はないと
降伏に応じたわけです。
決してあなたが勘違いだか嘘だかは知りませんが言う様な、
「信長は力攻めが上手くいかなかったから調略に切り替え」たわけでは無い
のですよ。逆で、力攻めが上手くいったから、これは敵わないと調略に
応じたのです。

>「三河で」ね。途中から徳川は明らかに織田との戦いを手控えるようになるんですが
何が言いたいのかわかりませんね?信長は三河まで兵を進めていたから
美濃に攻め込む余力なんてなかった。それだけでしょう。松平が手控えた
からってなんです?それで信長が和議も結んでいないのに攻撃を手控える
理由がどこに?
179人間七七四年:2009/02/01(日) 14:29:53 ID:URtpIQC0
>>178
表向きに何もしなかった?
笑わせますね。稲葉山にもしっかり兵を率いて入ってますけど?
明らかに処罰しようとしたけでできなくて泣き寝入りなんですが。

笑わせてくれますね。どこの世界の話をしてるんですか?
信長公記では鵜沼も猿食も加治田の内応の後で攻略されてるんですが?
そっちの主張は何がもとなわけで?
加治田が内応したことでそこを拠点に2城を攻略しただけにしか見えないんですが?
それ以前にも14条で完敗してますしね。

松平が手を控えるのと織田と松平の交渉が始まるのは同時期なんですが。
全然時系列わかってないんじゃ・・・。てか信長は三河に出陣はしてなかったと
思いますが。織田に味方する勢力と松平が三河で戦ってただけで。
180人間七七四年:2009/02/01(日) 17:45:31 ID:+nvVXfqJ
>>179
信長公記首巻の記事は時系列に混乱がある。
公記では加治田が永禄八年七月。鵜沼猿啄は八年夏とある。
が、鵜沼猿啄は現地史料などから、現在では永禄七年に
比定されています。

>加治田が内応したことでそこを拠点
地理を知っていますか?加治田は鵜沼猿啄よりも奥。さらに信長公記の
記事を見ても、信長は木曽川を越えてつまり尾張から出撃している。
加治田を拠点にして鵜沼や猿啄を攻略した?
もう一点。あなたは力攻めで成功しなかったから調略に切り替えたなんて
いってますが、あなたの挙げた例はそれを否定していることに気付きま
せんか?
そもそも、力で攻めて負け続けているような勢力に、豪族がどうして
調略されて味方につくんですか?

>14条で完敗してますしね
十四条を挙げるのなら、それ以前の森部の勝利や、その後の軽海の引き分けも
あわせて論ずるべきでしょう。あなたのように、敗北だけを取り上げて信長の
業績を否定するのは一方的で恣意な解釈としかみなせません。

>松平が手を控えるのと織田と松平の交渉が始まるのは同時期なんですが
そして六十二年一月に清洲同盟。その後、信長は尾張の統一と美濃侵略
へと進む。
交渉が始まったら、それだけで軍を他へ向けられると思っているんですか?

>織田に味方する勢力と松平が三河で戦ってただけで
例えば信長は桶狭間以前、三河の水野氏救援で軍を出していますね。
水野氏が戦っているのなら、織田はまったく兵を出さなくていいとでも?
もう一点挙げれば、当時長島の服部党が今川について織田と戦っている。
その後も当然今川について織田とは交戦中。
また尾張国内にもまだ信長に抵抗する勢力は残っていた。
そういった障害を外交や軍事で排除して、美濃に本格的に侵攻を始めたのが
六十三年ないし六十四年から。その後の敗戦は、記録では河野島くらいしか
ありませんね。
何を持って信長は美濃攻めで大苦戦したとか、戦は負け続けで調略で攻略
したとか言うのですか?
181人間七七四年:2009/02/01(日) 20:19:07 ID:dhiqtpK4
つまらないし長いし読む気にならんわ
182人間七七四年:2009/02/01(日) 20:40:57 ID:xZSCqpVW
ここんとこ勝頼関連スレがどれもこれもスレ違いの話題でなあ・・・・
183人間七七四年:2009/02/01(日) 22:46:53 ID:URtpIQC0
>>180
現地資料ってなに?具体的に名前あげてもらえるかい?
まさかwikiじゃないよな?

実際信長公記には鵜沼猿食があって信長を苦しめていたが、
内応者を求めていた信長は必死でそれを工作して味方に引き込んだとあるんだが。

信長公記によれば鵜沼も猿食もともに攻略までに時間がかかっている。
7月に加治田が内応し、その後に鵜沼猿食に攻めかかったと見るのが妥当だが。
鵜沼猿食を攻めた日数の後で加治田内応させたら7月がとっくに終わる。

幼君に不安を感じてた事とさぞ金を積んだのだろうな。信長の大喜びから見てそれが妥当だが。

森部で勝って勢いに乗って攻めたら14条で完敗、それを追撃してきた斉藤勢となんとか
軽身で引き分け。このざまでどこを高く評価する。

尾張の統一自体は1560年の時点で大体終わってる。
14条で完敗して弟が死んだ信清が反乱するまではな。

実際に織田は三河にろくに兵をだしてないしな。徳川の丸取り状態だが。

てか桶狭間の後で美濃攻めが始まるのになんで桶狭間の前の事を持ち出すんだ?
頭大丈夫か?美濃をしっかりと1561年もせめて14条でも完敗してるのに
それは無視して1563年、1564年からスタート?馬鹿も休み休みいえよ。
義龍には勝てず、14条では完敗し、河野島でも痛い目合わされ、堂胴でも死人怪我人多数出して逃げ帰り、結局信長は力じゃなくて内応でなんとか追い出してるんだが。
どうみても苦戦しまくり。
184人間七七四年:2009/02/02(月) 01:51:47 ID:gMPyN4mW
>>183訂正
実際信長公記には鵜沼猿食があって信長を苦しめていたが、
内応者を求めていた信長は必死でそれを工作して味方に引き込んだとあるんだが。×

実際信長公記には鵜沼猿食があって信長を苦しめていたが、
内応者を求めていた信長は必死で加治田を工作して味方に引き込んだとあるんだが。○
185人間七七四年:2009/02/02(月) 17:50:51 ID:/OeprbGA
勝頼はまず謙信に泣きつくべきだった
その上で上杉、武田連合軍を築き、そこに北条を加えた
三国同盟形成に尽力するしか生き残る道は無かった
186人間七七四年:2009/02/03(火) 10:43:57 ID:AyXM7hrN
あれ?そういえば甲越同盟のとき北条はどうなってたんだ?
奇奇怪怪やねー

一枚岩になれないところが東国武士の限界か…
187人間七七四年:2009/02/03(火) 20:51:42 ID:PNgA808E
北条家が目指しているのは関東地方の制覇だけなので、
中央での覇権争いに介入しようって連中はどうでもいい。
関東の反北条勢力が誰と結ぶか?だけが関心事であって、
反北条勢力が結んでない奴と結ぶ。
188人間七七四年:2009/02/12(木) 17:49:35 ID:w9RgDwxI
北条早雲は、三河まで出兵して、徳川と交戦している。

北条氏綱から、関東のみの狭い視野になった。

家康は、その東海と関東を結びつけて、天下を取った。

北条氏綱以降は凡人。
189人間七七四年:2009/02/12(木) 18:09:54 ID:a2oW1BBG
地方大名でブロック統一視野の所なんて他にもいるし

凡人呼ばわれされる謂われはない。
190人間七七四年:2009/02/12(木) 18:13:29 ID:JT6knAHz
信玄なら長篠を持久戦に持ち込んで、秋山高坂に岐阜を突かせていただろう。何故陣城に籠る倍の敵に突撃を仕掛けるようなことをしたのか。
191人間七七四年:2009/02/12(木) 19:16:27 ID:KJtbOieZ
信玄がウンコ過ぎたからな。。。
早いうちにでかい厠に流しとけばよかったのに
悲劇の名将だな勝頼は
192人間七七四年:2009/02/12(木) 23:07:17 ID:nfZhEr3u
本能寺の変を10年早く起こせば勝てるよ
193人間七七四年:2009/02/12(木) 23:22:35 ID:mpQVvqqM
>>190
持久戦って・・・あの状況で、兵糧どうすんのよ。
194人間七七四年:2009/02/12(木) 23:35:24 ID:cFvifVCR
三方ヶ原で浜松は落としておくべきだった
195人間七七四年:2009/02/13(金) 01:13:54 ID:uQNxB/Bs
>>191
意味わからんな。
>>193
鳶の巣が攻略される前なら大丈夫そうだけど。
確か武田側の案として長篠を攻略してそこを拠点として固めて持久すれば
織田の兵糧が持つまい、ってのがあったような。
196人間七七四年:2009/02/13(金) 01:39:38 ID:X8cqH70K
鳶の巣が攻略されないようにするには、本隊の数を削って、その方面に兵を削かなければならない。
長篠を落とすまで、織田・徳川本隊が黙って待機して、城攻めを見守ってくれるとは思えない。
ただでさえ数に劣るのに、鳶の巣・長篠攻撃・織田本隊備えに分散なんてしたら、各個撃破されるのがオチ。
長篠を落とせたとしても位置からして、兵糧供給に困るのは、どう考えても武田側。
197人間七七四年:2009/02/13(金) 12:25:54 ID:gMbsDuZp
>194
家康を討ち取っておけば。
198人間七七四年:2009/02/13(金) 18:46:45 ID:s2GgRRea
長篠を落とした後に屯田で補給
199人間七七四年:2009/02/13(金) 18:56:42 ID:dxSScKLW
信玄ってもしかしてすごく美味しい時期に死んじゃって後世に美名を残せた勝ち組?
200人間七七四年:2009/02/13(金) 20:36:04 ID:XGeqUnhY
>>199
いや。あと半年だけ生きてたら家康をぶっ殺して三河までは手に入ってたよ。
しかし、あと3年生きてたら信長に叩かれてたかもしれない。
死んだタイミングはベストではない。
201人間七七四年:2009/02/13(金) 21:22:38 ID:s2GgRRea
有名武田一族の中ではベストな死に方だろ
安国寺恵けいなんて斬首だし
202人間七七四年:2009/02/13(金) 22:49:36 ID:ti/jO9Pt
>>201
地味だけど武田高信は謀殺
203人間七七四年:2009/02/14(土) 07:28:10 ID:wbzT0SrD
家康撃破したあとそのまま城攻めしちゃえばよかったんだよ
204人間七七四年:2009/02/14(土) 07:41:14 ID:moicCNzb
>>196
だからそれ以前に長篠近辺を固めておけば問題なかったんだって。
信長公記にもしっかり書いてるぞ。
「のこのこと原まで出てこなければこちらはどうしようもなかったのに」ってな。
位置からして困るとは思えんが。
205人間七七四年:2009/02/14(土) 07:42:09 ID:moicCNzb
>>199 >>200
とてもそうではないな。
失われた可能性がもったいない存在ではある。
206人間七七四年:2009/02/14(土) 10:33:01 ID:9jZKQyoD
>>204
長篠近辺を固めるって、城すら落とせてないのに、どこをどう固めるの?
鷲ノ巣砦を取られている状況で、兵糧はどのルートで長篠に運び入れるの?
207人間七七四年:2009/02/14(土) 10:39:26 ID:moicCNzb
>>206
そのまま、原までいかないで主力軍を配置したまま守りを固めればいい。
簡単な話。鷲ノ巣砦まで織田がいけたのは武田主力が原まで出ちゃったから。
武田主力がいれば別働隊はそもそも鷲ノ巣砦さえ攻略できんよ。
208人間七七四年:2009/02/14(土) 10:40:46 ID:moicCNzb
>>206
ああ、あと武田の案としては長篠を力攻めで攻略して
一門は城に入り周囲を固めるという案もあったな。
209人間七七四年:2009/02/14(土) 11:35:46 ID:ns5NRzdq
城攻めしてる最中に後巻きが来たっていうのに、何もせず守りだけ固めるなんて選択肢があるわけないだろ。
城攻めを続行したのなら、織田方は陣城を捨てて出て行かなければならないだろうが、
数に勝る織田方が有利である事には変わりない。
っていうか、いつ攻めてくるか分からないのに城攻めに集中するなんて出来るわきゃないけどね。
210人間七七四年:2009/02/14(土) 11:43:12 ID:moicCNzb
>>209
あるんだよ。
実際信長公記にさえ相手が攻めてこなければどうしようもなかったと書いてあるし。
地形は狭く、河も入り組んでる。
武田が攻めた地形が今度は織田を阻む事になるだけ。
陣地で守りを固めた武田に無理にせめても長篠の逆になりそうだな。
城攻めも距離から考えて、さらには長篠城の残り戦力から考えて
強行に武田主力で攻めれば短期に攻略できるだろうよ。
211人間七七四年:2009/02/14(土) 11:57:01 ID:ns5NRzdq
だからさ、単純に守りを固めてどうすんのよ。
何がしたいんだっての。

城攻めが続行されたと見れば織田方は即座に攻勢に出なければならない。
ある程度の損害は覚悟しなければならないが、それでも数に勝る織田方が有利なのには変わりない。
当然その程度の期間くらいは城方も持つわな。
212人間七七四年:2009/02/14(土) 12:09:59 ID:9jZKQyoD
織田方が兵糧に不安があって、長期戦になって困るんだったら、野戦築城なんてするわけないことくらい、普通に考えればわかるだろう。
織田からすれば、長篠を落とされても、野戦築城が万全になれば、武田はいずれ撤退するしかなくなるとわかっていただけ。
織田側は、決戦する必要はなかったし、牽制して長篠から撤退させれば、それで十分。
信長公記の「負けなかったのに」は、長篠から攻めてこずに撤退すればよかったのにって意味に過ぎない。
213人間七七四年:2009/02/14(土) 12:19:44 ID:moicCNzb
>>211
長篠城を攻略する。それで織田は撤退せざるを得ない。それだけの事。
距離から考えても守り固めてる武田主力を一気に突破はできんぞ。
長篠城はあと200程度なんだから楽に攻略できるわな。
214人間七七四年:2009/02/14(土) 12:22:59 ID:ns5NRzdq
>>213
守りを固めてんのか城攻めしてんのかどっちだよw
守備隊と攻城隊と別れて大兵力の織田を撃退しようとでも?
215人間七七四年:2009/02/14(土) 12:25:18 ID:moicCNzb
>>212
>>信長公記の「負けなかったのに」は、長篠から攻めてこずに撤退すればよかったのにって意味に過ぎない。
それは嘘。そのまま出てこなければ負けなかったのに、てな風に書いてるぞ。
もともと信長は勝頼が近くまで進出してきた事をもって天佑とし、策をめぐらせたとある。
そしてそこから別働隊作戦が始まる。

216人間七七四年:2009/02/14(土) 12:28:03 ID:moicCNzb
>>214
城攻めのセオリーパターンではあるわな。
分かれて後詰を阻み、一方で城攻め継続ってのは。
まあ別に織田主力を警戒しつつ、陣地を固めてじわじわ攻撃すれば
長篠城はあと少しで攻略できる。
217人間七七四年:2009/02/14(土) 12:31:18 ID:ns5NRzdq
>>216
だから、半分程度の武田方が兵力を分散させてどうやって織田方を防ぐんだよ。
戦力差ってものを考えろよ。
218人間七七四年:2009/02/14(土) 12:36:34 ID:moicCNzb
>>217
守る程度なら十分だろ。陣地にこもって待ち受ける相手を倒すには
3倍は必要だぞ。まして相手の織田が「固められたら手が出せない」というような
地形だし。
219人間七七四年:2009/02/14(土) 12:43:27 ID:ns5NRzdq
>>218
三倍ってーのは城攻めの定石な。
いくら陣城って言っても流石に普通の城みたいに堅固には出来んよ。
で、武田はどこで守りを固めるんだ?
織田方はどこから攻めて来るんだ?
220人間七七四年:2009/02/14(土) 12:47:43 ID:moicCNzb
>>219
野戦陣地でも3倍は常道だが。

信長公記の記述に従うなら
寒挟川と大野川を2重の堀とし鳶ノ巣山を中心拠点として固めれば
織田は攻められなかったそうだ。
ま、ちょうど織田が武田を迎え撃ったのの逆パターンになるわな。
221人間七七四年:2009/02/14(土) 12:58:14 ID:dE2IvJhp
長篠で負けても滅亡まで7年。

一戦無用で撤退して、国力差がついたとしても
差が開くということは、反発分子も増えてそれを取り込むことで
差を埋めることも可能。
甲相同盟(最大動員兵力12〜3万)の維持と謙信との対立回避で、20年は保つ。
働き盛りの真田幸村が武田軍の中から出撃する姿が見たかったな。
222人間七七四年:2009/02/14(土) 13:04:45 ID:ns5NRzdq
>>220
ドイツ軍の攻者三倍の原則が元だと思うが、それは守備側が十分な守備体系を築いた場合の話。
急造の陣城では当然それに当て嵌まるものではない。
で、鳶ヶ巣山砦で防備を固めるの?
だと城攻めの守備にはならんのだけど。
そこで防備を固めても織田方が城攻め部隊に攻撃を掛けて来たら、結局武田は陣城を出なきゃならん。
223人間七七四年:2009/02/14(土) 13:11:50 ID:moicCNzb
>>222
山を中心拠点にし2重の堀で待ち受ける相手は簡単に倒せると思えないが。

>>そこで防備を固めても織田方が城攻め部隊に攻撃を掛けて来たら、結局武田は陣城を出なきゃならん。
どうやって?
鳶ノ巣は中心拠点だといってる。そこを要として長篠城を取り囲み、周囲の川の渡河地点を押さえて
守りの体勢を作れば十分だろ。
224人間七七四年:2009/02/14(土) 13:14:37 ID:ns5NRzdq
>>223
お前、地図見た事あるか?
鳶ヶ巣山は長篠城よりも後方にあるんだけど。
そこで防備固めてどうすんのよ。
225人間七七四年:2009/02/14(土) 13:31:10 ID:moicCNzb
>>224
だから、そこは中心拠点だといってるだろ。
中心拠点って意味わかるのか?
226人間七七四年:2009/02/14(土) 13:34:06 ID:ns5NRzdq
>>225
じゃあ、その中心拠点は何の役にもたたんな。
そこを無視して城攻めの部隊を攻撃すれば良いだけ。
227人間七七四年:2009/02/14(土) 13:39:11 ID:moicCNzb
>>226
>>223のレスをしっかり見ろって
川を隔てて対峙して防御部隊を配置し、鳶ノ巣を本陣として全体を俯瞰し、
要所要所で部隊を進退させて守れば堅いもんだ。最悪でも大敗はないな。
川を隔てた対峙で相手が撤退した事例なんかいくらでもある。
228人間七七四年:2009/02/14(土) 14:01:51 ID:ns5NRzdq
>>227
織田方が攻めてくる可能性があるのは
平野部を豊川沿いに攻めてくるパターンと
一直線に山越えをしてくるパターン、
寒狭川を越えて決戦前の本陣である医王寺川から攻めてくるパターンが考えられる。
元々半分程度の兵数で攻城部隊と鳶ヶ巣山砦の部隊、
それぞれの攻め手に対応する部隊に兵を分けるのか?正気の沙汰じゃないな。

信長公記で言う、
「武田四郎鳶の巣山に取り上り、居陣候はば、何れともなすべからず候ひしを」
っていうのは、そこで陣を張れば織田方は武田軍に対して攻撃するのは困難で、
殲滅戦を仕掛けるような事はなかった、というだけの話で
長篠救援が出来なかったというような事じゃない。
229人間七七四年:2009/02/14(土) 14:41:23 ID:moicCNzb
>>228
「何れともなすべからず候ひしを」
だからどうしようもなかったって事だろ。

地形効果を考えれば十分だろう。
もともと史実での長篠城の押さえに割いた兵でさえ長篠城の守備兵をはるかに上回る。
こいつらに攻めさせつつ、主力が守りを固めればいい。
川を無理に渡ってそこで守りを固める敵を攻めるのがどれだけ大変かわかるだろう。
短期でつぶせるもんじゃないな。その間に長篠城は攻略できる。
230人間七七四年:2009/02/14(土) 14:59:39 ID:ns5NRzdq
>>229
それに続いて「天のめぐみだから、ことごとく討ち取るべきである」
って言ってる訳。
鳶ヶ巣山に砦を築けば、そこを攻める事は困難で、
そもそも殲滅戦を仕掛けられるような事じゃなかったって事だ。

地形効果?どこの?
で、主力が守りを固めるのはどこよ?鳶ヶ巣山じゃ意味無いぞ。
231人間七七四年:2009/02/14(土) 15:26:13 ID:moicCNzb
>>230
だから結局鳶を守りの要にしてればどうしようもなかったって事だろ。

長篠城を前にして川沿いに軍を展開させればいい。
公記にもしっかりかいてあるだろ。この二つの川の説明がな。
鳶ノ巣山を本営にして川沿いに布陣して守り固めれば織田は渡れんぞ。
232人間七七四年:2009/02/14(土) 15:41:50 ID:ns5NRzdq
>>231
だからそこには攻め込めなかったってだけの話だっつーの。

成る程、鳶ヶ巣山を中心に大野川と豊川(のりもと川)で守りを固めれば良いのか。
確かにな。これで鳶ヶ巣山の守りは万全だ。
で、長篠城の攻撃部隊はどうやって守るの?
こんな所守ったって長篠城攻撃部隊の守備にはならんのだけど。
233人間七七四年:2009/02/14(土) 15:48:00 ID:moicCNzb
>>232
攻め込めなかった、で十分だろ。

だから、長篠城のすぐ前に川があるんだけど。地図では豊川となってるか?
そこに部隊を配置すればいい。
文字通り川沿いに織田の侵攻を防ぎ、長篠城も防げて1石2鳥だろ。
渡河点に備えて前線に砦を置いてもいい
234人間七七四年:2009/02/14(土) 16:02:36 ID:ns5NRzdq
>>233
だから「そこには攻め込めなかった」ってだけの話で誰も長篠城救援が出来なかっただなんて言ってない。
勝手に拡大解釈すんなっつーの。

あのなぁ、鳶ヶ巣山は大野川と豊川に挟まれてる。
長篠城は寒狭川と大野川に挟まれてる。
織田軍が長篠城救援に向かう場合、大野川も豊川も渡る必要は全く無く、
そこに陣を張るというなら鳶ヶ巣に陣を張っても何の意味もない。
また、寒狭川を渡らせない為に、寒狭川全域を防備するなんてのも現実的じゃない。
235人間七七四年:2009/02/14(土) 16:09:25 ID:moicCNzb
>>234
そっちこそ長篠救援にできるなんてのは拡大解釈だろうが。

だから長篠城をはさんで前面に張られている川、これが寒挟川か?
を防御すればいい。
要諦として各渡河地点に部隊を配置し守りを固め、後方に本営を置いて予備隊とし
戦況に応じて前線を増強または転進させる。要所としたいところには砦を築いてもいい。
これで十分防げると思うが。
川を隔てて対陣して相手がわたらずに引き上げるケースなんてありふれてるだろ。
236人間七七四年:2009/02/14(土) 16:28:37 ID:ns5NRzdq
>>235
だから、長篠城救援も出来なかったなんてどこに書かれてんだよ。

寒狭川を防衛するなら、鳶ヶ巣山は更に大野川を挟んだところにあり、
長篠防衛の意味は全く為さない。
寒狭川を防衛すると言っても、渡河地点がどこになるかは分からない。
そこを少数の武田が兵を分散させて防衛させるだなんて不可能。
237人間七七四年:2009/02/14(土) 19:49:32 ID:zTQfc/EL
北条早雲は、三河まで出兵して、徳川と交戦している。

北条氏綱から、関東のみの狭い視野になった。

家康は、その東海と関東を結びつけて、天下を取った。

北条氏綱以降は凡人。
238人間七七四年:2009/02/14(土) 20:49:26 ID:9jZKQyoD
長篠を落とせば、織田が撤退するなんて、無理がありすぎる。
長篠を落としたとして、織田は野戦築城を進めて余裕で長期布陣できるけど、
武田もそれにつきあって、長篠に何ヶ月も大軍で布陣できるわけがない。
引き上げようとしたら、そこを狙われるのがオチ。
239人間七七四年:2009/02/14(土) 20:55:19 ID:9jZKQyoD
数に諸説あれど、3倍の兵力差があるんだから、長篠城は関係なく、普通にぶつかるだけで、余裕で負けるレベル。しかも敵地。
城攻めに全力で落とせなかったものを、3倍の織田軍を警戒しつつ、攻撃して落とすなんて楽観を通り越して無謀。
それに、決戦に持ち込めただけマシと思っている自分としては、
仮に長篠を落として、織田が撤退したところで、武田が兵を引き上げたら即時、徳川がちょっかいかけてくるだろうし、
長期的に長篠を維持できたとは、到底思えない。
ついでにいえば、岩村から秋山と高坂に突かせるなんて、そんな兵力があるわけがない。
高坂は、そもそも上杉の抑えで残されたのに動かせるわけがないし、
秋山が動かせる兵力で、織田領に攻め入って城攻めなんて無謀もいいとこ。
240人間七七四年:2009/02/14(土) 21:08:29 ID:9jZKQyoD
つうか、少なくとも戦人としては決して無能ではない勝頼が、実際に史実として選択してるんだ。
長篠を攻略できて、そのまま織田が撤退して、長篠の一帯を確保できる状況だったなら、それを選んでるだろ。
そう選択しなかったからには、何らかの理由があったはずと考えるのが普通で、攻めなければ良いのに攻めたで片づけるのはないわ。
何もできなかったとかいうのも、高天神の時の天下の面目を失ったと同じで、勝頼の失策とすることで内部崩壊の布石としたとも考えられる。
241人間七七四年:2009/02/15(日) 00:17:25 ID:OKXXtyKH
織田信秀が長生きする
242人間七七四年:2009/02/15(日) 09:50:01 ID:L+gUwdVR
実際の寒狭川を見れば分かるが、
あれを前にして武田は陣をはれば
2〜3倍の織田・徳川軍を充分防げると思う。

仮に、そういう状況になって織田・徳川軍が
攻めれば大損害をこうむる。

そんな事をしてまでも攻めるとは思わないなぁ。
243人間七七四年:2009/02/15(日) 09:56:33 ID:lwPZsbyx
>>236
だから長篠を救援できるなんて書いてないだろうが。

いい加減にしろっての。
中心拠点だっていってんだろ。全体を俯瞰できればそれでいいんだよ。
兵力の分散が不可能?何を言ってるんだ?どんな防衛線でも分散して守り
中央に予備隊を配置して増減すれば十分守れる。
渡河地点はそれになりうるところに配置すればいいだけの話。
そもそもお前の理屈なら史実の長篠も無理になるんだが。
>>238
なんで織田が長く布陣できて武田ができないと?
武田が長篠を得たのなら拠点を得るのだから織田よりはるかに
長く布陣できることになる。
なんでできないのか理由をあげてみて。
244人間七七四年:2009/02/15(日) 10:42:56 ID:L+gUwdVR
>>239
>仮に長篠を落として、織田が撤退したところで、武田が兵を引き上げたら即時、徳川がちょっかいかけてくるだろうし、
長期的に長篠を維持できたとは、到底思えない。

徳川単独では長篠城は落とせないだろ。
ましてや二俣、高天神と主要拠点を失っている状態の徳川では。

長篠城が落とされたら徳川は滅亡寸前の状態になるだろ。

245人間七七四年:2009/02/15(日) 19:28:15 ID:tDmcxO5M
ブッシュに尾張三河を空爆してもらう
246人間七七四年:2009/02/16(月) 11:44:14 ID:h3dOKrWf
織田信秀、松平広忠を生き返らせて信長、家康を廃嫡させる
247人間七七四年:2009/02/16(月) 18:28:36 ID:0rIt7lhU
土屋養成学校を作って千人切り出来る人材を大量育成する
248人間七七四年:2009/02/16(月) 23:41:47 ID:28fnbU6L
織田信広が織田家を・・
249人間七七四年:2009/02/16(月) 23:50:51 ID:+AjQCq4t
信長に高坂弾正を献上する
250人間七七四年:2009/02/17(火) 00:05:34 ID:D0ErBRRK
本拠を箕輪に移して関東経営に乗り出す。
関東の中では山がちな上州の、さらにその西半分だけでも甲斐一国に匹敵
する石高があるので経営しがいがある。
251人間七七四年:2009/02/18(水) 22:29:23 ID:zhoTkBCl
タイマン勝負を申し込む
勝頼VS信長
昌幸VS家康
252人間七七四年:2009/02/19(木) 19:59:35 ID:k2ZtGAAM
分別ある老臣や、昌幸もいた本陣の連中が突撃を試みたのは、
織田方が、孫子の旗のレプリカを燃やしたとか、信玄の墓標を作って足蹴にしたとか
武田側の神経を逆撫でするようなパフォーマンスがあったのかも知れないな。
253人間七七四年:2009/02/20(金) 10:48:14 ID:9ngB6gjT
はいはい
254人間七七四年:2009/02/20(金) 11:02:01 ID:YwTkuz8E
>>251
魔王倒すのにパーティ一人じゃ無理です
255人間七七四年:2009/02/20(金) 12:00:44 ID:Gg1gQHel
正面から突撃するより、迂回して奇襲かけてたら良かったと思う。またはとっとと長篠城を落として戦争目的を無くさせるか
256人間七七四年:2009/02/21(土) 08:16:19 ID:ovj6xrIl
愛について語る
257人間七七四年:2009/02/21(土) 13:51:52 ID:cR5HS9nK
小牧長久手で、家康が秀吉の別働隊を攻撃したように、
酒井の別働隊を殲滅して、あとは地理的有利な場所に陣地を築けば
にらみ合いなるだろう。

258人間七七四年:2009/02/21(土) 14:22:21 ID:YQUY7hYm
酒井の別働隊は武田本隊があるみ原まで出張って来たのを見て豊川を渡り、
鳶ヶ巣山を攻撃したんだぞ。
武田本隊が一体どうやって眼前の織田軍を横目に対岸を進む酒井隊を殲滅するのか。
259人間七七四年:2009/02/21(土) 15:13:53 ID:Wwo5Cn3o
本体全体を織田軍に晒さず、夜中に篝火だけ残して移動、追撃。
260人間七七四年:2009/02/21(土) 15:43:03 ID:YQUY7hYm
追撃って事は織田軍を眼前にしながら豊川を渡って追いかけるって事か?
アホ過ぎる。
261人間七七四年:2009/02/21(土) 16:27:58 ID:r9u1USPT
しかしそれをやったのが家康の小牧長久手
262人間七七四年:2009/02/21(土) 16:43:15 ID:YQUY7hYm
敵の眼前を渡河して追撃するだとか、
夜半に出発し、翌朝には目的地に到着した別働隊を追撃しただとか
一体いつ家康がそんな事をしたというのか。
263人間七七四年:2009/02/21(土) 18:37:26 ID:Kw1PrPXm
眼前を堂々と、酒井を追ってもいいんじゃない?
それを信長が追ってきたら、馬防柵なしに戦える。
264人間七七四年:2009/02/21(土) 18:39:11 ID:7Qj3yZSY
武田軍は酒井の別働隊の存在を知らなかっただろ。
もし知っていたら、監視隊が酒井隊が来る道を封鎖すれば
酒井隊を追い散らせるだろ。

監視隊が1千、酒井隊が4千だとしても
酒井隊の通った道は狭いのだから。
265人間七七四年:2009/02/21(土) 18:52:49 ID:YQUY7hYm
>>263
誰が好き好んで、少数の部隊を討つのに困難な撤退戦を繰り広げんだよ。
しかも、大軍の眼前で渡河だなんてアホ過ぎる。
>>264
武田軍が20日に前進してきたのを見て別働隊による急襲を決定。
その日の夜に進発して翌朝には鳶ヶ巣山に着いてんだ。
知ってるも糞も決まったのが当日。
266人間七七四年:2009/02/21(土) 18:58:09 ID:Kw1PrPXm
>>265
あなた馬鹿?
267人間七七四年:2009/02/21(土) 19:03:38 ID:YQUY7hYm
恥ずかしい意見言っておきながら具体的な反論も出来ずに「馬鹿」だとは恐れ入った。
268人間七七四年:2009/02/21(土) 19:17:49 ID:QEu3DqF7
いるんだよ、会議でアイデアも出さずに人の意見を批判するだけの奴。
恐れ入ったなら、すこんでろよ。
269人間七七四年:2009/02/21(土) 19:34:16 ID:zgeMn8vK
困難な撤退戦?大軍の眼前で渡河?酒井を追うと言っただけで、よくもまあ都合よく。。。
妄想力のたくましさを、馬鹿?と聞いたまでです。
陣城の中から柵と鉄砲の組み合わせで戦いたい信長の思惑を崩すだけでも、
結果は違ってくるだろうと思いますね。
設楽に進出してきた道を引き返すだけでも、大きく迂回する酒井隊に追いつけるしね。
270264:2009/02/21(土) 20:06:28 ID:7Qj3yZSY
>>269

酒井隊の存在を知っていたら鳶ヶ巣山は落ちないって。
1千でも充分守れるさ。
271人間七七四年:2009/02/21(土) 20:43:47 ID:qGCrg5UD
では、スレタイの「勝つ方法」は、酒井隊の動きを察知すること。
で、よろしいですね?
272人間七七四年:2009/02/21(土) 21:22:12 ID:Tz1Tg47u
【政治】民主・社民・国民新、連立政権に向け「大枠の政策合意」を作ることで大筋合意

http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1235216078/
273人間七七四年:2009/02/21(土) 22:08:00 ID:WWm8osAM
正直、酒井隊をどうにかしたとしても
数の差が酷過ぎて話にならないよね
274人間七七四年:2009/02/21(土) 22:44:24 ID:sw82E4kJ
>>269
> 設楽に進出してきた道を引き返すだけでも
結局織田軍に背を向けてんじゃねーかw
275人間七七四年:2009/02/21(土) 23:18:05 ID:MqEII05L
>>252 設楽原の決戦場で、信長と家康が指揮をとった茶臼山は標高差20メートルほどの小さな丘。ここに立った二人の姿は、武田方から目視できた。馬験と鎧でそれが誰かは分かっただろう。
武田方は、敵の大将の姿を目にして、引き下がることはできなかっただろう。
276人間七七四年:2009/02/22(日) 06:10:16 ID:pN4hzgN5
いくらなんでも鎧を目視して、誰か判断なんて無理w
277人間七七四年:2009/02/22(日) 09:26:11 ID:oCmrMydl
長篠の戦いのみをとらえて言うならば、どんなありえない意見だろうと
主要家臣がことごとく討ち死にして壊滅した史実よりはましな結果しなるだろう。
あれよりひどい結果になるなんて勝頼が戦死するくらいしかないぞ。
278人間七七四年:2009/02/22(日) 09:33:54 ID:6kG2zmFI
こっそりと徳川の重臣連中に村正を贈るとかどうよ
279人間七七四年:2009/02/22(日) 09:57:22 ID:pN4hzgN5
>>277
将も大事だが、兵まで殲滅されたら、洒落にならない。
280人間七七四年:2009/02/22(日) 10:12:21 ID:zWyuelod
手取川みたいに、織田の斥候を一人余さず討ち取り、後詰めが来る前に城を落とし、
その後休むことなく応戦準備が整わない敵陣へ、
雨間の夜襲を仕掛ければ圧勝。

つか、これの出来た謙信って、やっぱすげーわ。
281人間七七四年:2009/02/22(日) 10:21:23 ID:oCmrMydl
あの時代の戦としては十分過ぎるほど兵まで殲滅させられたが
282仙台藩百姓:2009/02/22(日) 10:26:05 ID:YGcgC2GZ
>>280
上杉みたいに妄想でなら何でもできるお( ^ω^)
283人間七七四年:2009/02/22(日) 11:15:04 ID:pN4hzgN5
>>281
貴方の中では、どれだけの兵が死んだことになってんの?
284人間七七四年:2009/02/22(日) 13:58:21 ID:b1eXpXlZ
1万
285人間七七四年:2009/02/22(日) 20:44:55 ID:e+ZLNFag
3段撃ちは完全否定が通説となったと思うのだが
小説、ドラマ、漫画では根強く定着しているね。
何でだろ?
286人間七七四年:2009/02/22(日) 21:40:46 ID:b1eXpXlZ
ちょっと考えれば非現実的だとわかるけど
信長=革新的というイメージと三段撃ちしたら火縄銃の欠点が補えるw
というわかりやすさが原因じゃない?
287人間七七四年:2009/02/22(日) 22:30:28 ID:e+ZLNFag
>>286

なるほどね。

でも3段撃ちを見るとげんなりするね。
天地人もがっかりだよ。
288人間七七四年:2009/02/25(水) 09:44:08 ID:FJ9B+uhC
3万8千対1万5千が誇張というのも通説になりつつあるが、
2万対6千くらいの戦いであったなら、大半を打ち取られても、
武田に十分復活の機会はあったろうな。
289人間七七四年:2009/02/25(水) 10:31:38 ID:7kZXPHv3
夜陰に乗じて寝所に乗り込みズッコンバッコンしちまえばいい
290人間七七四年:2009/02/25(水) 21:28:21 ID:3uKKcpEF
家康・・・三方が原の大勝の後、浜松嬢に攻め込んで討ち取る
信長・・・雑賀孫市と杉谷善住坊を配下にして暗殺
291人間七七四年:2009/02/25(水) 21:33:13 ID:YXE1M0hX
>>288
>3万8千対1万5千が誇張というのも通説になりつつあるが

誇張説は今の設楽原の地形を見て3万8千&1万5千も
収容不可能との判断によるものだが、当時の設楽原の
小高い山には木が生えていなく丘陵な感じだったと思われる。

なぜなら信長や家康が陣を張ったといわれる山に行くと
こんな所に布陣できるのか?と思うほど木があるわけで。

だから3万8千対1万5千の人間を収容する事はでき、
誇張でもないと思うけどね。
292人間七七四年:2009/02/26(木) 01:19:09 ID:nJenamQg
3千丁3段撃ちが創作だってのはわかるが実際3千丁の用意は出来たよな
信玄の時代の武田軍すら500は所有してたっていうし
実際信長は何丁用意したのかはわかってないよな?
293人間七七四年:2009/02/26(木) 02:21:09 ID:rmVBHTmJ
とりあえず長篠の戦いにおける鉄砲の記述を総計すると
1500くらいみたいだが。
294人間七七四年:2009/02/26(木) 08:03:01 ID:lRaclu7S
>>288
その後、大して間もおかずに戦しているし、1万だの5千だの討ち取られているわけがないと思われ。
295人間七七四年:2009/02/26(木) 09:45:42 ID:6P1RSYf1
では、設楽から引き返し、酒井隊を待ち伏せして撃破後、鳶巣山に陣を張るか、
それで勝ち戦として、撤退するかでよろしいですね?
296人間七七四年:2009/02/26(木) 09:50:08 ID:lRaclu7S
織田も勝ったって主張するだろうな、そうしたら。
そして、世間から見れば、当然、現地を確保した織田方の勝利と見るのが普通で、
武田は逃げた臆病者とされ、高天神より前に天下の面目を失うと。
297人間七七四年:2009/02/26(木) 10:59:16 ID:6P1RSYf1
川中島を確保出来ずに撤退した上杉は面目を失ってませんね。
298人間七七四年:2009/02/26(木) 12:25:34 ID:oLWppRpA
無いものは失いようがないですからね
299人間七七四年:2009/02/26(木) 13:16:40 ID:oTjB7ekW
逆に、武田に撤退されたら、3倍の兵力で来たにもかかわらず、
襲い掛かるも出来なかったと、信長の方が、明知城に続き面目を失い、
徳川も失うだろうな。
300人間七七四年:2009/02/26(木) 13:38:26 ID:oLWppRpA
それはないですね
301人間七七四年:2009/02/26(木) 13:57:05 ID:ITTHJUbK
撤退して追撃してきた織田を待ち伏せて山岳戦に持ち込む

局地戦では勝てるけど大局は変わらないよね
決戦で勝たないと結局はジリ貧で終わる
日米戦争みたいなもの?差し詰めミッドウェー海戦なものか
302人間七七四年:2009/02/26(木) 15:04:01 ID:oTjB7ekW
長篠で負けないことで大局も変わるかも。
そのことで、謙信の上洛戦が数年早まれば、包囲網も強固だし。
303人間七七四年:2009/02/26(木) 19:36:48 ID:KlFOftkC
金が無いのも問題
304人間七七四年:2009/02/26(木) 21:04:52 ID:DXELovLS
しかし、いつも北条は役に立たないか、邪魔になるかだな。
305人間七七四年:2009/02/26(木) 21:50:43 ID:Mje4+naN
長篠より前に決戦するとしたらいつ頃?
信玄生きてる時代も含めて考えると。
306人間七七四年:2009/02/26(木) 21:56:30 ID:KZDMUm14
>>294

勝頼が長篠の敗戦直後に動員した兵士は
出家者を連れ戻したり、農民兵ばかりだという事が
三河物語や信長公記に書かれている。

1万5千のうち死者が1千だとしても
一生戦闘不可能なくらいの重傷者は5〜6千はいたのではないか?
特に鉄砲の一斉射撃を食らえば、従来の弓や槍の
負傷とは全然違うだろう。
307人間七七四年:2009/02/26(木) 22:01:59 ID:KZDMUm14
>>295

武田軍は酒井の別働隊の存在に気がついていないよ。
気がついていたら、長篠城の監視隊、1千人で待ち伏せすれば
良いのだがら。

ところが実際は奇襲攻撃を受けているわけで。

>>301

同意ですね。

308人間七七四年:2009/02/26(木) 22:04:32 ID:KZDMUm14
>>305

信玄時代は最後の西上がチャンスだったと思う。

おそらく信玄としては、さっさと徳川を降伏させて
御親類衆に加えて(木曽と同じパターン)、
信長と一戦を構える気だったと思う。

しかし予想以上に徳川が粘ったと、俺は評価するね。

勝頼時代になってからは、
長島一向一揆が健在なうちに、長島一向一揆、本願寺と
もっと連携して決戦を挑むべきだったと思うね。

浅井、朝倉は信玄死後1年以内に滅ぼされたから
致し方ないけど、それ以降の外交戦略は感心できないな。
309人間七七四年:2009/02/26(木) 23:45:17 ID:WoDjT9d0
なぜ、同じ敵なのに謙信には嫌悪感を感じないのだろう。
310人間七七四年:2009/02/27(金) 00:31:30 ID:zOPSIdlm
>>306
長篠の戦いは鉄砲戦闘というより陣城を舞台にした消耗戦。
織田方も兵を繰り出して武田と激しくやりあってる。
武田は随分奮戦したみたいだ。
また鉄砲の活用は武田をはじめとして東国でも盛ん。

最近言われてる武田の兵力が7千と考えれば1千の死亡は結構なもんじゃ。
>>307
勝つ方法があるとすれば、ってことでしょ。
311人間七七四年:2009/02/27(金) 09:12:22 ID:KYQuuJFO
>>294
そんなの根拠にならないよ。
まさか国空っぽにして呑気な攻城戦やってたと思ってるわけじゃないんだろ?
そして織田徳川軍に大敗喫したと喧伝された後に領土の周りでちょろちょろされて黙ってたらもう終わり、
弱み見せたら一気の戦国時代なんだからさ。
無理してでも人数かき集めて戦える所見せるのは当たり前の話。
312人間七七四年:2009/02/27(金) 09:57:31 ID:aLC6fh+G
では、信玄死後すぐに謙信と同盟、楽市楽座同様の政策実施、
駿河湾を貿易の拠点とし、年貢や金産出以外の商業発展による収入増。
対信長戦は、必ず北条の加勢を含めた同兵力で望み、
本願寺他との同時作戦を行う。
勝算の大きい戦以外は避け、本能寺のような織田家内部崩壊を待つ。
で、よろしですか?
313人間七七四年:2009/02/27(金) 14:47:04 ID:7tf4U+J1
>>311
その寄せ集めで普通に戦えて
北条相手には優勢に進めたりもしてるから
張り子の虎じゃないと思うけど。
>>312
商業発展は信玄の時代から図られてるし
楽市楽座は織田の領内でもごく一部。
そもそも条件があるから武田領内でやっても有効かは微妙。
後はだいたいいいんじゃまいか。
314人間七七四年:2009/02/28(土) 13:09:45 ID:NcnjzIQ+
>>275 遠方からも誰かが分かるように馬験は立てられる。それが立った場所、周辺の人の動きからでも、総大将、つまり信長と家康であると判断することは可能。
武田と織田、徳川軍の間、100メートルもない。
315人間七七四年:2009/02/28(土) 13:13:57 ID:tS7K3imq
>>312
>謙信と同盟
北条が納得するの?北信濃の割譲etcは求められないの?

>対信長戦は、必ず北条の加勢を含めた同兵力で望み
相手が多かった場合は、何度も敵前撤退繰り返すの?
毎度毎度、北条が援軍出してくれるの?

>勝算の大きい戦以外は避け
後詰めしても勝算がない場合、見捨てまくるの?
316人間七七四年:2009/02/28(土) 13:56:04 ID:uV2IcfID
最も不利な状況である寡兵による撤退戦でも待ち伏せすれば勝てるだの、
多勢で尚且つ多数の鉄砲を持つ酒井隊に対して、急襲されたとは言え
史実で何も出来ずに撃退された攻城部隊が、その存在を察知したからと言って
防げるだなんてあまりにも短絡的だな。
何の根拠も無い。
317人間七七四年:2009/02/28(土) 14:16:15 ID:ugMQMG3b
>>315
実際謙信と武田の和議は成立してる。
三国同盟においては北条も上杉も勝頼に対していい返事を送ってる。
謙信はこの時北信濃の割譲は求めてない。
ただ北条と上杉の中が悪すぎて同盟にはいたらなかったが。

対峙戦に持ち込んで勝負をずらせばいい。

当時は織田も東の武田を攻める動きはできない。
主な相手は徳川だが、武田の城を徳川が攻めるならもっけの幸い。
武田単独でも殲滅できる。

>>316
実際武田側ではその案は出ている。
一時撤退し敵を山岳地帯まで引きずり込み全滅させるという案だ。
織田陣地と武田陣地は結構距離あるし武田が戦力を残した状態で戦わずに
一気に引き上げるならできないことはないかと。
318人間七七四年:2009/02/28(土) 14:28:52 ID:tS7K3imq
>>317
武田・上杉・北条の同盟が成立するなら、普通に史実で成立されてるっての。
>ただ北条と上杉の中が悪すぎて同盟にはいたらなかったが。
つまり、無理だったってことだろうが。
319人間七七四年:2009/02/28(土) 14:32:23 ID:ugMQMG3b
>>318
和議は成立してるっての。
それでひとまず十分だろ。
御館の時に間違えなければ三国同盟成立だが。
320人間七七四年:2009/02/28(土) 15:02:11 ID:zQz2lpiw
武田四天王のうち3人までもが一度に戦死。
さらに真田家当主とその弟も戦死。原も土屋も戦死。
その他これまで各地を転戦してきた歴戦の家臣とその兵卒も、多くが戦死。
のぶ・やす連合軍の損害は軽微。わずかな戦死者も雑兵や傭兵。
自軍の数倍の敵の、さらに大規模野戦陣地を構築し大量の鉄砲を構えて
待ち構えているなかにバンザイ突撃とか、狂気の沙汰だ。
のぶ軍でいえば一度の戦いで秀吉・勝家・光秀・丹羽・滝川あたりが
そろって討ち死にするほどありえない敗れ方だ。
勝頼が一人でのぶの陣地を訪れて暴れまわった方がましくらいにありえない。
321人間七七四年:2009/02/28(土) 15:06:31 ID:Qt3s2FZ0
>>315
>>316
だからぁ、勝つ方法を考えるスレなんだから、
馬鹿でもできる批判のみを偉そうに言うのはやめようよ。

三倍の兵力で三千丁の鉄砲構えた陣城へ、武田が都合よく突っ込んで
来てくれると思ってるの?とかいう貴様のような馬鹿家来は信長に殺されてたろうと思うぞ。
322人間七七四年:2009/02/28(土) 15:08:46 ID:tS7K3imq
>>319
間違えなければって、だからそんなに北条が武田・上杉との同盟を欲してたなら、景勝が継ごうが同盟してる。
323人間七七四年:2009/02/28(土) 15:19:10 ID:zQz2lpiw
とりあえず長篠においては、史実通りの突撃策はのぶからしてみれば
まさに飛んで火にいる夏の虫、ウハウハ状態だったということだけは言える。
324人間七七四年:2009/02/28(土) 15:20:04 ID:ugMQMG3b
>>322
北条にしてみれば、自分の一族が継いだ上杉家と同盟したかったわけで
それを攻め殺した景勝と結びたかったわけじゃないだろ。
景虎が継いだ上杉家とそれに協力した武田となら喜んで三国同盟だったろうよ。
325人間七七四年:2009/02/28(土) 15:22:09 ID:2NADaNha
雨が振るまで待てばよかっただけ。
謙信はこれで信長を破っている。
326人間七七四年:2009/02/28(土) 15:30:07 ID:zQz2lpiw
雨が降ると両軍の間の泥炭地が沼状になって攻撃するのはより困難を極める。
それでも史実よりかはましな結果になるだろうけどね。
327人間七七四年:2009/02/28(土) 15:30:32 ID:2NADaNha
勝頼が馬鹿で猪突猛進しなけりゃ勝てた。

馬鹿な社長の号令で突撃して戦死するサラリーマンと同じ。
専務、常務、統括部長をことごとく戦死させたようなもの
328人間七七四年:2009/02/28(土) 15:32:01 ID:2NADaNha
最後は支店長クラスに、我が支店に一旦お戻り下さいと言って
そこで裏切られる始末。。
329人間七七四年:2009/02/28(土) 15:40:58 ID:G74qpMYn
>>313

でも遠州、近江、三河では負け続け、ジリ貧だったし。
330人間七七四年:2009/02/28(土) 15:48:39 ID:ugMQMG3b
>>329
いや実際頑張ってるよ。徳川を撤退させた事も何度もあるし。
途中から北条が武田の敵に回って、武田の主戦線が関東に移るから
徳川方面がおざなりになるわけで。
てか近江は別に戦ってないと思うけど。
331人間七七四年:2009/02/28(土) 16:40:25 ID:Nl+GYiSf
本拠地浜松から程近い高天神城落とされるまで長篠から六年も要してるしな
しかもそのときは信忠が尾張まで来て水野守隆、水野忠重、大野衆を援軍として
派遣してるくらいだし。
332人間七七四年:2009/02/28(土) 17:24:23 ID:POZr6yrE
みなさん、信玄死後、長篠前までの勝頼はおK?
333人間七七四年:2009/02/28(土) 17:32:54 ID:tS7K3imq
>>325
大河ドラマw
334人間七七四年:2009/02/28(土) 18:19:06 ID:G74qpMYn
>>330

高天神城がまだ徳川だった頃、
勝頼は高天神城を奪取するために
諏訪原城を築城した。

しかし長篠の敗北の年に徳川に奪われている。
以後、武田勝頼は諏訪原城を奪え返す事ができていない。

高天神城は長篠の敗北から6年間もったけど
孤立状態でいつ落ちても仕方なく、ジリ貧の状態。

まさに武田家を象徴するような存在だった。
335人間七七四年:2009/02/28(土) 18:22:09 ID:fbZMMFAV
設楽からの撤退及び、酒井隊攻撃作戦は良いと思う。
敵に背を向けてからの反転攻撃は三方が原で経験済み。
20日(21日になってる)深夜に、段取り整えて長篠城方面へ引き返す武田軍を
大雨で真っ暗闇の中、織田の大軍が追ってきたとしても陣城の優位は半減するだろう。

あるみ野の武田陣後方にはもうひとつ原があり、そこが深夜の戦場になったとしたら、
鉄砲使えず、陣城使えずの織田徳川軍との野戦になるわけで、史実よりは結果は良いと思う。



336人間七七四年:2009/02/28(土) 18:57:17 ID:G74qpMYn
>>335

そもそも武田は別働隊の酒井の存在に
気がついていないのに、攻撃しろなんて

>>325

一般的に普及している手取川の戦いって史実?
337人間七七四年:2009/03/01(日) 00:12:16 ID:uf4JIhQd
>>334
おいおい。妙な事いうね、君。
長篠が攻略されたから諏訪原城は落とされたんだろ。
そんでその8月には小山城を徳川は攻撃したが
勝頼の後詰が来て退却。
高天神が孤立状態というのも嘘。
勝頼は何度も高天神まで出向いて徳川方の横須賀城を攻めたり
徳川と対峙戦をやったりしてる。
黄瀬川では勝頼が来そうになっただけで家康は撤退してる。
十分いろいろやってるよ。
338人間七七四年:2009/03/01(日) 05:29:22 ID:VJEsTN/d
穴山が裏切ってなかったら、もう少し武田家はもっただろうな。
339人間七七四年:2009/03/01(日) 07:39:50 ID:/hQj7Lmh
陰陽道に改宗して織田信長を呪殺する。
或いは、織田信長の通り道を待ち伏せして鉄砲で射殺する。
340人間七七四年:2009/03/01(日) 09:10:54 ID:kUQqoug2
>>337

お前は諏訪原城の位置を確認しろよ。

小山城−田中城−諏訪原城−高天神城

と武田の東海道沿いのラインのうち
諏訪原城が落とされたのだよ。
この意味は理解できるよね?

家康が撤退したのは勝ち負けに関わらず主力決戦を
したくなかったからだ。

戦国時代では珍しくもなく通常、よくある行為。
主力決戦をすれば勝ち負けに関わらず
自軍の兵が死ぬ事になる。

自軍の兵、その多くが農民である以上、
自軍の兵が死ねば自国の経済にマイナス面を及ぼすからだ。

>勝頼は何度も高天神まで出向いて徳川方の横須賀城を攻めたり

それで戦果は?

長篠の敗戦前では足助、明智城、高天神城など
戦果は多かったが。
341人間七七四年:2009/03/01(日) 09:59:50 ID:MhTez+YO
>>339
マジでそれしか勝ち目がねーもんなぁ
342人間七七四年:2009/03/01(日) 12:24:10 ID:uf4JIhQd
>>340
その後もしっかりと武田が徳川を撤退させたり
小山城を確保したり高天神に入ったりしてるんだけど。
全然孤立してないだろ。

武田が徳川と戦わなかったと主張して孤立無援だの
長篠後の武田を象徴してるだの言っておいて
武田が後詰に来てて徳川が撤退してるといったらその解釈なのか?
武田はちゃんとやってるだろ。

遠江方面での徳川主力軍撃退。
上野方面での北条領征服。上野方面が主だから遠江がおざなりになってるって書いたでしょ。
343人間七七四年:2009/03/01(日) 14:40:39 ID:G0Bzt+M+
>>342

諏訪原城が徳川に奪われてからは
田中城経由の後詰、物質の輸送は苦しくなったのだよ。

>武田が徳川と戦わなかったと主張して孤立無援だの
長篠後の武田を象徴してるだの言っておいて
武田が後詰に来てて徳川が撤退してるといったらその解釈なのか?

そんなのは当たり前の話で、当然の解釈。

戦国時代は対陣してからの
主力決戦なんて限られていているのだよ。

お前さんの知識が足りないだけだろ。

武田勝頼は長篠での敗北以前は徳川の城を奪えたのに
敗北以後は奪われるだけで。

この事実をどうやって解釈するのやら?


344人間七七四年:2009/03/01(日) 22:35:12 ID:uf4JIhQd
>>343
苦しくなってないんだが。
実際問題として武田が何度も高天神入ったり出たりしてるのを見ないで
何を言ってるのやら。

全然解釈の説明になってないぞ。
ただ主張を変えてるだけにしか見えん。

徳川が有利なんだろ?その割には徳川逃げてるな。

どこら辺の知識が足りない?説明してもらえるか?
知識が足りないという以上ちゃんと事例をあげて説明してもらえるんだよな?

簡単な話。北条戦線に主軸がシフトしたから。
北条戦線では城を奪いまくってる事実をどう解釈するのやら?
345人間七七四年:2009/03/01(日) 23:05:22 ID:o14OUGeo
>>344

長篠の戦以前は、高天神城の東北に諏訪原城、東に滝堺城、
さらに東にいって小山城、田中城が武田の勢力圏だった。

一方で徳川側の城としては高天神城の北に掛川城があるのみ。
50kmほど西に行くと浜松城があるけどね。

長篠の戦以前では高天神城に行くには諏訪原城経由と滝堺城経由の
2ルートがあった。

ところが長篠での敗北直後に高天神城の東北にある諏訪原城が
徳川に奪われた(以降、武田勝頼は奪い返す事ができていない)。

そして高天神城の西には横須賀城が築城されて、
高天神城は横須賀城、掛川城、諏訪原城の3方から囲まれた。

武田勝頼が高天神城に行けるのは滝堺城のみ。

これで苦しくないとも言うのかね?

そもそも高天神城に物質を補給するのに何で勝頼が自ら出陣?
大部隊を組まないとまともに捕球が出来ない状態なんだよ。

346人間七七四年:2009/03/01(日) 23:08:22 ID:o14OUGeo
>徳川が有利なんだろ?その割には徳川逃げてるな。

だから、徳川は勝っても主力決戦をしたくないわけ。
高天神城を3方から囲んで戦略上有意に進める立場なのだから
主力決戦など不要だ。

だまって自落するのを待てば良い。

>どこら辺の知識が足りない?説明してもらえるか?
知識が足りないという以上ちゃんと事例をあげて説明してもらえるんだよな?

典型的なのは川中島だろ。
主力決戦が行われたのは第4回くらいだ。

>北条戦線では城を奪いまくってる事実をどう解釈するのやら?

常陸の佐竹との同盟が上手く機能したこと、
上杉との同盟により信濃方面の部隊を北条に振り向けられた事だ。


347人間七七四年:2009/03/01(日) 23:10:27 ID:uf4JIhQd
>>345
都合のいいところだけ抜き出すなよ。
高天神の援護には何度も出向いてるし
小山城の後詰にも出向いてる。
さらにいっておくと徳川を何度も撃退してるばかりか
逆に徳川の城を攻めたりしてる。

そもそも補給に行ったんじゃなくて後詰にいってるんだよ。
てかお前さんの主張は孤立無援で武田が助けられなかった、だろ。
全然矛盾してるだろうが。

てか北条戦線で武田が勝ちまくってるのは無視かい。
348人間七七四年:2009/03/01(日) 23:15:18 ID:uf4JIhQd
>>346
主力決戦など不要だ!
といいつつ何度も大軍で攻めて武田の大軍が来る度に撤退してるって
どんな口だけ番長だよ。
自落するのをまてばいいで6年待ち、その間に何度も大軍率いて攻め落とそうとし
武田の大軍が来て引き返すを繰り返し続けるわけですか。
どう見ても「撃退されてる」としかみえんのだけど。

ダウト。川中島では多くの戦いが起きてるんだがな。
高天神とはわけが違うのだが。
第一徳川は6年間高天神を攻略できてない。

佐竹、じゃなくて普通に武田が侵攻して上野方面を攻略しまくってるんだが。
なんだって佐竹がそんなに大きくなるんだか。
てか信濃方面の部隊使えれば強いというなら徳川方面にも使えるから
十分強いって事だろ。
349人間七七四年:2009/03/01(日) 23:40:17 ID:o14OUGeo
>さらにいっておくと徳川を何度も撃退してるばかりか
逆に徳川の城を攻めたりしてる。

だから戦果は何かあったの?
長篠の戦以前のような戦果はあったのか?

>てか北条戦線で武田が勝ちまくってるのは無視かい。

だからさ、佐竹と同盟し、さらに佐竹経由で里見とも同盟ができたからさ。

>といいつつ何度も大軍で攻めて武田の大軍が来る度に撤退してるって
どんな口だけ番長だよ。

「口だけ番長」なんてお前の主観論で言われても困るよ(w

徳川は高天神城を北と東と西で封鎖して、
戦略上優位な立場にあるわけ。

>ダウト。川中島では多くの戦いが起きてるんだがな。

大規模な決戦は第4回のみだ。
そして

>第一徳川は6年間高天神を攻略できてない。

高天神城を奪うために大規模な決戦を行いたくないわけ。
勝っても自軍の兵が死ねば自国の経済に悪影響を及ぼすからだ。
だいたい戦略上優位な立場にあるのに
自軍の兵を殺す主力決戦などする必要はない。

>佐竹、じゃなくて普通に武田が侵攻して上野方面を攻略しまくってるんだが。
なんだって佐竹がそんなに大きくなるんだか。

佐竹と北条が対立しているのは知っているよね?

350人間七七四年:2009/03/01(日) 23:44:09 ID:o14OUGeo
>>348
>てか信濃方面の部隊使えれば強いというなら徳川方面にも使えるから
十分強いって事だろ。

意味不明だ(w

強い、強いというなら
何で長篠の戦以前のような戦果は徳川に対して無いのだ?

俺はお前さんの質問に答えてきたけど、
お前さんは答えないままか?
351人間七七四年:2009/03/01(日) 23:51:45 ID:uf4JIhQd
>>349
徳川主力軍撃退成功。主軸が関東戦線だから十分な戦果だな。

だからなんで佐竹と里見のおかげになるんだ。
佐竹も里見も武田を強い勢力と見たから同盟結んだし頼りにした。
第一弱けりゃここまでかてんっツーの。徳川勝ててないだろ。

戦略的優位とか言いながら何度も大軍率いてきて何度も撤退してるんだといってる。
撃退されてるだけだろ。これをそう見ないのがお前の主観にすぎん。

結構武田や上杉のかなりの部隊が衝突してる戦いはいくつもあるぞ。
知らなかったろうがな。

それで6年間大軍率いてきては追い返されるを繰り返してると。
何しに来てるんだとしか。普通に攻めて力及ばずなだけだと思うが。

知らないわけないだろ。馬鹿らしい。
なんで100万石を超える大大名の武田より佐竹の存在がそこまで大きくなるんだといってるんだよ。
武田が勝てたのは全部佐竹のおかげ!って佐竹はそこまですごいとは思えんが。
352人間七七四年:2009/03/01(日) 23:54:13 ID:uf4JIhQd
>>350
意味不明というなら頭重症だな。
お前が信濃の部隊を使えれば大敵である北条にも勝てるというなら
徳川戦線でも使えるんだから武田は強い事になるんだが。

主軸が北条戦線にシフトしてるからだと何度も言ってるだろうが。
高天神が攻略された時だって勝頼が北条と戦ってて援護いけなかったからなんだが。

お前の質問にはあらかた答えてやってるが。
後何がある?お前の勝手な妄想は勘弁してくれ。
353人間七七四年:2009/03/02(月) 00:04:33 ID:oziMtkyZ
>>351
>だからなんで佐竹と里見のおかげになるんだ。
佐竹も里見も武田を強い勢力と見たから同盟結んだし頼りにした

地理的に挟撃ができるから同盟を結んだのだよ。

>徳川主力軍撃退成功。主軸が関東戦線だから十分な戦果だな。

徳川の城を一つも取れず、
さらには高天神城は北と東と西で
包囲されている状況なのに十分な戦果?
持論を通すにも無理があるぞ(w

>戦略的優位とか言いながら何度も大軍率いてきて何度も撤退してるんだといってる。

徳川からすれば戦略的に優位な立場にあるのだから
無理して決戦を挑まず、引き続き西の横須賀城、
北の掛川城、東の諏訪原城を確保できれば、それでOK。

遠路はるばる山を越えてくる勝頼と岡崎城、浜松城から
平地で来る徳川では出費が全然違う。

ボディーブローのように効いてくる。

>知らないわけないだろ。馬鹿らしい。

北条からすれば佐竹と勝頼そして里見と戦わなければならず
3方面で戦わなければならない。

勝頼からすれば戦略的に有利な立場になるわけ。
354人間七七四年:2009/03/02(月) 00:08:23 ID:oziMtkyZ
>>352
>お前が信濃の部隊を使えれば大敵である北条にも勝てるというなら
徳川戦線でも使えるんだから武田は強い事になるんだが

あのさ、北条に対しては

信濃の部隊を向けられたのと佐竹あと里見との同盟の
2つが機能したから。

信濃の部隊だけではないよ。

>高天神が攻略された時だって勝頼が北条と戦ってて援護いけなかったからなんだが。

北条戦線にシフトする以前に徳川に対して戦果があったのか?
355人間七七四年:2009/03/02(月) 00:25:34 ID:/+bu+BeX
>>353
だからそれだけなら武田が戦果上げてる説明にならんのだけど。
弱小勢力でいいなら関東諸侯は多方面から攻勢しかけてる。
それでも北条に押されてたわけで。武田という大勢力の戦果はその力によるもの。

実際勝頼は北条戦線にシフトして以降、織田徳川との和睦を模索してるからな。
逆に徳川はこの状況で何度も武田に跳ね返されてるんだが。
いい加減馬鹿みたいな事言ってると思わないか?

結局大軍率いて何度も攻め込んで撃退される理由になってないんだが。
それなら持久戦に持ち込めばよかったんだがな。
結局高天神周囲の城を攻略しようとして何度も失敗するわけだが。

そんな当たり前の事書いてどうするんだよ。馬鹿らしい。
それでも武田に力が無いなら武田が領土拡大できるわけないだろ。
北条だって武田を大きく警戒して戦ってるんだが。
>>354
北条に対してそれで勝てるなら、北条よりずっと小さい徳川相手なら
信濃の部隊加えれば十分という事になるが。
実際何度も撃退してるしな。

長篠合戦直後でさえ小山城攻めてきた徳川を撃退してるな。
徳川もこれにはびっくりして「勝頼の武略はたいしたものだ」とほめてるな。
356人間七七四年:2009/03/02(月) 17:46:28 ID:/iy5qyWc
>>355
>だからそれだけなら武田が戦果上げてる説明にならんのだけど。
弱小勢力でいいなら関東諸侯は多方面から攻勢しかけてる。
それでも北条に押されてたわけで。武田という大勢力の戦果はその力によるもの。

困ったやつだな。
勝頼が北条に対して有利に進められたのは「北条包囲網」が形成できたから。
これは信玄が信長に対して行ったのと同様な手法。

>逆に徳川はこの状況で何度も武田に跳ね返されてるんだが。

だからさぁ〜跳ね返しているといっても
これといった戦果は何もないのだよ。
首級はなし、奪取した城もなし。

高天神城は3方向から包囲されている状況も変わらない。

これこそ「口達者」だわな(w

>結局大軍率いて何度も攻め込んで撃退される理由になってないんだが。

何回も書いたけど撃退はしていないって。
いいとこ小競り合いで、徳川は退却した程度。

>それでも武田に力が無いなら武田が領土拡大できるわけないだろ。

いつの事?
勝頼は、長篠の戦前での徳川に対しては城を取れたけど
長篠の戦以降では城は何も取れていない。
取られた城はたくさんあるけどな(w

これについてお前さんは「撃退した」の一言で済ませているが(w

357人間七七四年:2009/03/02(月) 17:51:57 ID:/iy5qyWc
>北条に対してそれで勝てるなら、北条よりずっと小さい徳川相手なら

だからさぁ、北条に対しては「北条包囲網」ができたけど
徳川にはそれが出来ていないからだよ。
徳川に対しては単独で挑むしかできなかった。

長篠前では単独でも城を奪えた戦力が勝頼にはあったが
長篠後では単独では城を奪える戦力が勝頼には無かった。

>長篠合戦直後でさえ小山城攻めてきた徳川を撃退してるな

小山城に攻める徳川は、その直前に諏訪原城を奪取している。
その勢いで小山城に攻めたが、勝頼が出てきたわけだ。

徳川からすれば、無理して自軍を減らしてでも
小山城を奪うよりも諏訪原城を奪取できて御の字。

高天神城の東である諏訪原城を抑えれば戦略上充分、優位だからだ。

ちなみに小山城の後詰に来た勝頼は諏訪原城を奪取することなく撤退している。
358人間七七四年:2009/03/02(月) 17:58:26 ID:/iy5qyWc
>徳川もこれにはびっくりして「勝頼の武略はたいしたものだ」とほめてるな。

その一方で徳川には「出家者を連れ戻したり、
12,3歳の男子で穴埋めをしている」(三河物語)
と質の低下を看破されているけどね(w

信玄時代には百姓や職人を動員すると謀反の原因になるから禁止していた。
しかし長篠の戦以降では、勝頼はこの原則を破ったわけだ。
それほど勝頼は窮地に立たされていたのだ。
359人間七七四年:2009/03/02(月) 20:38:39 ID:1MIIMKFh
佐竹に関して言及しとくが北条が榎本、小山を攻略し房総を平定した
1577年に関東の佐竹、結城、宇都宮、那須等の反北条勢力が結集し
互いに婚姻関係を結び反北条連合を形成してる。さらに
葦名、白河、石川、二階堂、畠山等と和睦・同盟し南奥州連合を形成してる。
勝頼と結んだ時期は積極的に戦い始める。79年には皆川を調略し味方につけ
80年には壬生、佐野をも味方につける。反北条連合は
勝頼と結んだ時期には常陸土浦、下総古河、森屋、下野足利、小山、榎本
さらには上野館林など非常に広範囲に断続的攻撃を行っていたため
北条側は兵力の分散化は余儀なくされていた
360人間七七四年:2009/03/03(火) 02:45:01 ID:8ojjDl/o
>>359
読みにくくて仕方ねぇ
361人間七七四年:2009/03/03(火) 18:28:04 ID:s7yC+leW
>>359

北条は「滅亡に向かっている」という当時の書状が残っているね。
国境を接している国が全部、敵だからな。
362人間七七四年:2009/03/03(火) 20:51:52 ID:zuENyHUL
>>360
  に  し       が




8
363人間七七四年:2009/03/03(火) 21:38:35 ID:S7eNqS82
>>356
困った奴だというのはこっちなんだが。
それでも武田が弱い状態なら北条から領土取れるわけないだろ。

だ・か・ら、その強い強い徳川様は何度も大軍で攻めてむなしく帰ってるんだよ。
これこそ口達者だわな。
孤立も何も何度も武田が入ったり出たりしてるといってるだろ。
いい加減見ろよ。

攻めてきて武田主力の前に逃げ出してるなら武田側から見れば
撃退以外の何者でもないが。

北条戦線の事な。領土を大規模に拡大してるといってんだろうが。
これに対してはお前は無理やり無かった事にしようとしてるみたいだが。
364人間七七四年:2009/03/03(火) 21:41:27 ID:S7eNqS82
>>357
だから武田の主力はもともと北条戦線にシフトしてるといってんだろうが。
主力で攻める状態に無いのに城取れてないからとかわけわからんが。

その割には徳川は撃退され武田は高天神に入ったり出たりをその後も
繰り返し結局6年かかるんだけどな。落城まで。全然孤立してないんだが。
小山攻めも結構力入れて攻めてるしな。徳川は。

>>358
長篠直後なんだから当然だろ。
365人間七七四年:2009/03/03(火) 23:48:37 ID:s7yC+leW
>>363

あのさぁ、何回も書いたけど
武田が北条に対して優位に進められたのは
「北条包囲網」が形成できたから。
ジリ貧の状態の武田でも佐竹他、北条と国境を接する国と
同盟を結んで包囲網を形成できたから、北条に対しては
優位に進められたわけ。

>だ・か・ら、その強い強い徳川様は何度も大軍で攻めてむなしく帰ってるんだよ。

だからさぁ、徳川は横須賀城、掛川城、諏訪原城を押さえれば何ら問題はないわけ。
むなしく帰ったというなら、それこそ横須賀城を攻めても戦果の得られなかった
勝頼は撃退されてむなしく帰った、となるが(w

>その割には徳川は撃退され武田は高天神に入ったり出たりをその後も
繰り返し結局6年かかるんだけどな。

徳川は自軍の兵の死者数を最小限に抑えて、高天神城を
奪取したかっただけ。ましてや難攻不落と言われた高天神城ならばね。

今の視点でも実に理に適っている。

>長篠直後なんだから当然だろ。

長篠直後どころか、それ以降も変わらずだが。
ましてや徳川の城は奪えなかったよねぇ。

>これに対してはお前は無理やり無かった事にしようとしてるみたいだが。

あのさぁ、日本語読める?
別の人も指摘しているけど、北条に対しては
北条包囲網とも言える同盟が出来たから優位に進められたわけ。
366人間七七四年:2009/03/03(火) 23:51:23 ID:s7yC+leW
>攻めてきて武田主力の前に逃げ出してるなら武田側から見れば
撃退以外の何者でもないが

長篠前に足助、明智城、高天神城を攻めた勝頼に対して
もたもたしていた信長は、勝頼に撃退された、というわけ?(w
367人間七七四年:2009/03/03(火) 23:53:45 ID:s7yC+leW
>>363
>困った奴だというのはこっちなんだが。
それでも武田が弱い状態なら北条から領土取れるわけないだろ。

補足するが、弱いからこそ、他国と同盟を結んで挑むんだろ。
そんなの当たり前すぎる戦略だ。
368人間七七四年:2009/03/04(水) 00:01:37 ID:SNKTBU69
>だ・か・ら、その強い強い徳川様は何度も大軍で攻めてむなしく帰ってるんだよ。

長篠前後で高天神城を巡る事実を確認しておこうか。

【長篠前】

徳川の城は北に掛川城があるのみ

【長篠後】

徳川の城は北に掛川城、西に横須賀城、東に諏訪原城と
3方から囲まれた。そしてこの状況は武田家滅亡まで変わらず

この事実を持って何を言うかだな。

【俺】

勝頼はジリ貧になって、後詰を出して高天神城を維持するのが精一杯。

【364】

勝頼は積極的に後詰を出して徳川を撃退した!

口達者はどたらだろうねぇ(w
369人間七七四年:2009/03/04(水) 02:15:11 ID:cxN0bCuu
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370人間七七四年:2009/03/04(水) 18:49:26 ID:r16CWJEw
>>364
だからなー。
普通に武田が自ら軍を率いて北条と対峙したり
北条の城をいくつも抜いたりしてるって書いてるでしょ。
いい加減現実から目を背けるなよ。佐竹その他も北条と比べれば小さい勢力。
包囲網の核となる武田がしょぼければうまくいかんて。

だからさあ、武田は北条に主戦線がシフトしてんの。
織田徳川方面では和睦さえ模索してる状態で現状維持できれば特に問題ないの。
相変わらずこの状態で攻勢に出てる徳川が撃退されまくってるのは無視すんのな。

結局取れるだけの力が無かっただけだって。最後の高天神攻略したときは織田の部隊も援軍着てたし。

徳川も何度も攻めて何度も撃退されまくってるな。
そちらの言い方をすれば「武田は北条に集中したかっただけ。北条に集中するために
徳川戦線は現状維持を目指し徳川を撃退するにとどめ、和睦を模索しつつ北条に向かった
現代の視点から見てもry」となるが。

お前さあ状況と石高わかる?
北条包囲網にしたって核となる最大勢力の武田が強くなきゃどうしようもないんだけど。
佐竹や里美だけじゃどうしようもないな。
実際武田がいなくなった後は押されてるしな。
371人間七七四年:2009/03/04(水) 18:50:46 ID:r16CWJEw
>>370訂正
>>364×
>>365
372人間七七四年:2009/03/04(水) 18:52:50 ID:r16CWJEw
>>366
全然たとえが不適当だと思うが。
この場合徳川が武田を攻めてきてるから
武田主力の前に追い返されてるのは「撃退されてる」だろ。
お前の理屈だと長篠の戦いで織田徳川は武田を撃退してない事になるんだが。
373人間七七四年:2009/03/04(水) 18:55:12 ID:r16CWJEw
>>367
弱かろうが強かろうが包囲戦略は自然な戦略に決まってんだろ。
織田でさえ本能寺の直前に毛利を大友と挟み撃ちにする戦略を立ててる。
対武田でも織田・徳川・北条での三方向からの包囲戦略だからな。
これだと織田は武田や毛利より弱かった事になるが。お前の理屈だと。
374人間七七四年:2009/03/04(水) 19:06:45 ID:r16CWJEw
>>368
歪んだ色眼鏡で大変にごった認識だな。しかも間違ってる。
正しい事実を書いてやろう。

「事実」
長篠後:@武田は高天神に何度も入っている。(孤立はしていない)
A徳川軍が何度も攻めてきても撃退。
B徳川が高天神を攻略するのは6年後。しかもこの時は織田の部隊が入ってる。
C武田は北条との戦いに主戦線をシフトし、順調に領域を拡大。
D北条も滅亡の可能性も考えるくらい押されている。
E武田が滅亡して抜けた後の関東戦線で北条は優位に立ち関東諸侯は押されている。
F武田は北条戦線に集中するため織田徳川と和睦の可能性を模索してる。

この事実を持って何をいうかだな。
お前:徳川は武田に撃退なんかされてない!武田は弱体化!
北条戦線で勝てたのは佐竹とかのおかげ!

こちら:武田は北条戦線に集中するため、徳川戦線は撃退による現状維持を主眼とし
和睦を模索している。
武田の主力は関東戦線で活動しており、そこでは武田は順調に領域を拡大している。
375人間七七四年:2009/03/04(水) 19:36:24 ID:hXQ1G1Q7
武田が依然として手強かったというのは同意しとくが佐竹方反北条連合は
侮れない勢力だよ。絹川対陣の時も北条に踏みとどまらせたし佐竹は常陸53万石のうち
南部の一部を除き勢力下だし奥州・下野にも分国がある。これに結城、那須、宇都宮、皆川、
佐野、壬生が加われば相当の規模になると思われる。
376人間七七四年:2009/03/04(水) 19:39:49 ID:vgVsynJd
>>370
>だからなー。
普通に武田が自ら軍を率いて北条と対峙したり
北条の城をいくつも抜いたりしてるって書いてるでしょ。
いい加減現実から目を背けるなよ。佐竹その他も北条と比べれば小さい勢力。
包囲網の核となる武田がしょぼければうまくいかんて。

ほんと、困ったやつだな。
お前の理論で行けば、第一次信長包囲網、第二次信長包囲網は
どうやって説明するのだ?

石高が信長よりも劣る信玄が取った戦略は、周辺国と同盟を結び
信長の兵力を分散化させる事。

これと同じ事を勝頼は北条に対して行ったわけ。

>だからさあ、武田は北条に主戦線がシフトしてんの。

長篠の戦直後から上野に出兵するまで3年間あるが、
その間、徳川に対しては城を何も奪えていないわけ。

これは弱体化以外の何物でもない。

くどい様だが、北条に対して優位に進められたのは
包囲網ができたから。

>この場合徳川が武田を攻めてきてるから
武田主力の前に追い返されてるのは「撃退されてる」だろ

おいおい「勝頼は横須賀城を攻めた」のだろ?
その結果、何が得られたの?
何も得られず甲斐に戻っただけだろ。

>>374

おいおい、長篠の戦「前」と「後」を比較しろよ(w

俺は「長篠の戦により武田は弱体化した」と主張し、
お前さんは、それを否定しているのだから
当然のように、長篠の戦前後で比較しろよ(w

都合の悪い長篠の戦「前」の事実はスルー?
377人間七七四年:2009/03/04(水) 19:45:51 ID:vgVsynJd
>>374が答えられず逃げている事実を書いておこう。

武田勝頼が長篠の戦直後から3年の間に徳川に奪われた城

足助城、二股城、光明寺城、犬居城、諏訪原城。

何れも戦略上、重要拠点だ。
この3年の間、武田勝頼は北条とは同盟であり
対徳川が主戦場であるにも関わらず、奪え返す事ができていない。
378人間七七四年:2009/03/04(水) 20:17:11 ID:vgVsynJd
>お前さあ状況と石高わかる?

石高というなら勝頼が上野に進出したときの
武田の石高と北条の石高を比較してみろよ(w

何で石高で劣る武田が北条に対して優位に進められたのか?
テレビや漫画のように武田軍は強兵だったのかな?(w
379人間七七四年:2009/03/04(水) 20:50:04 ID:r16CWJEw
>>376
なんだかな。
弱者が強者に挑むための戦略として包囲戦略は使われる、と
弱者じゃなければ包囲戦略は使わない、は
まったく別物なんだが。
上にもあげたが織田も毛利や武田に包囲戦略使ってるから
お前の理屈だと織田はこいつらより弱かったのか?

くどいと自分で言う割には中身がないな。
城を奪われたのは長篠直後に集中してる。
そしてその後は武田と徳川の一進一退が続くわけだ。
そして謙信死亡からの家督継承への介入も始まる。
それが終わった後での北条戦線が主戦線にシフトするわけ。
だから弱かったらそもそも武田が北条相手に拡大もできないっての。
石高で言えば北条のがおおきいんだからな。

横須賀だけ取り上げるなよ。第一弱体化の一途じゃなかったのか?
攻勢に出られてるんだよ。勝頼は。
はぐらかしてるつもりだろうが、小山を攻めては武田主力の前に撃退され、
何度も高天神を攻めたらこれまた武田主力の前に撃退され、
黄瀬川では北条戦線にシフトした後も徳川は武田主力が来ると知ったら
一目散に逃げてるな。どう見ても撃退されてる。

長篠前も城取ってる。長篠後は北条戦線にシフトして上野でたくさん城を取っている。
これだけのことなんだが。
随分と盛大にスルーしまくってるが、上野で武田がたくさん城とってるのはスルーか?
他にも関東諸侯は武田抜けた後に押されてる事をはじめとした数々の事項はスルーか?
答えてみろよ。
380人間七七四年:2009/03/04(水) 20:55:49 ID:r16CWJEw
>>377
お前が逃げ回っているのかたぶん知らないだけな史実をあげておこうか。
>>足助城、二股城、光明寺城、犬居城、諏訪原城
これらが攻略されたのは長篠直後から半年以内なんだが。
残り2年半、お前の理屈によると大層弱体化したらしい武田に対して
徳川様は随分消極的なんだなw
しかも国内の問題や関東関連、さらには上杉のお家騒動とかにも武田は
忙しいんだけどなw知らなかったか?w
381人間七七四年:2009/03/04(水) 20:57:45 ID:r16CWJEw
>>378
北条包囲網と武田の強さ、この二つだな。
少なくとも膳城素肌攻めとかは武田の強さをしっかり示した戦いだなw
お前の言うとおり関東諸侯が強大なら
武田抜けてからも押されたりしないよな?w
382人間七七四年:2009/03/04(水) 21:05:40 ID:vgVsynJd
>>379

あのさぁ、何回も書いたけど、
武田が長篠以降も徳川に取られた城を奪い返していないのだよ?
長篠の戦前は、城を取れたのにだよ?

武田勝頼は長篠の戦後に弱体化した何よりもの証拠だ。

>横須賀だけ取り上げるなよ。第一弱体化の一途じゃなかったのか?
攻勢に出られてるんだよ。勝頼は

長篠の戦前には難攻不落と言われた高天神城を奪えたのに
それよりもランクが下がる横須賀城を取れないのは何故?

>そしてその後は武田と徳川の一進一退が続くわけだ

長篠の戦前には武田勝頼は徳川に対して押す一方だったよな。
それが長篠の戦後には一進一退になるのは、
長篠の戦後に弱体化した何よりもの証拠。

>弱者じゃなければ包囲戦略は使わない

お前、落ち着けよ(w。

俺は上のような事は何処にも書いていない(w

>小山を攻めては武田主力の前に撃退され、

だからさぁ小山城を攻める直後には諏訪原城を奪取しているのだよ(w


383人間七七四年:2009/03/04(水) 21:07:42 ID:vgVsynJd
>残り2年半、お前の理屈によると大層弱体化したらしい武田に対して
徳川様は随分消極的なんだなw

徳川は、長篠の戦前は、武田勝頼に城を取られていたけど
長篠の戦以降はそれがない。

これは武田の弱体化の証拠だね。

>お前の言うとおり関東諸侯が強大なら
武田抜けてからも押されたりしないよな?

北条は多方面作戦が解消されたからだよ。
武田勝頼に向けていた戦力を関東諸侯に向けられたから。
384人間七七四年:2009/03/04(水) 21:10:44 ID:vgVsynJd
>長篠前も城取ってる。長篠後は北条戦線にシフトして上野でたくさん城を取っている。
これだけのことなんだが。
>随分と盛大にスルーしまくってるが、上野で武田がたくさん城とってるのはスルーか?

ほんと、困ったやつだ。他の人が書いた内容をよく読め。
いいかい、武田勝頼が上野で城を取れたのは佐竹などと
北条包囲網を形成できたから。

木を見て森を見ずとはお前の事だ。
局所的な事(高天神城を維持した、上野の城を取れた)しか見ないで
全体を判断するなよ。
385人間七七四年:2009/03/04(水) 21:13:54 ID:r16CWJEw
>>382
北条戦線にシフトして上野方面では城取り捲ってるのにか?
敗戦直後はそりゃ打撃はあるだろ。
最盛期よりはそりゃ弱体化もあるだろうがそこまで一気に下がったとは思えんな。

遠江方面は現状維持できればそれでいいからだろ。

北条戦線の片手間だけどな。

だからお前がジリ貧状態の武田でもryとか信玄の信長包囲網はryとか
>>367
>>補足するが、弱いからこそ、他国と同盟を結んで挑むんだろ。
>>そんなの当たり前すぎる戦略だ。
とか言ってるだろうが。いまさら変えるなよ。白も切るなよ。

だからそれは長篠直後なんだといってるだろ。
武田が打撃を受けて動くの大変な状態でも小山を攻略しようとして
撃退されてんだよ。

386人間七七四年:2009/03/04(水) 21:18:42 ID:r16CWJEw
>>384
お前は自分に都合の悪い成果まるでみてないだけだろ。
@長篠直後から半年は徳川は城を奪えたがその後は武田の主力の前に攻略できてない。
しかもこの最初の半年の中でも小山では武田に撃退されてる。
A北条戦線にシフトしてから武田は勝ちまくり上野をほぼ全て征服してる。
B佐竹達は武田が抜けた後北条に押されてる。徳川も北条戦線片手間の武田主力の前に何度も
撤退してる。

お前はただ抽象的に全体とかいってぼかそうとしてるようにしか見えんが。
387人間七七四年:2009/03/04(水) 21:21:04 ID:r16CWJEw
>>383
上野戦線で取りまくってるが。
関東や越後が主力だから徳川は片手間になってるといってんだろ。

つまりそれは北条がそれだけの戦力を武田に向け、
しかもなお武田に押されていたと自分で認めるわけだな。
388人間七七四年:2009/03/04(水) 21:31:42 ID:vgVsynJd
>>382
>北条戦線にシフトして上野方面では城取り捲ってるのにか?

だからさぁ、もう何回も書いたけど、長篠の戦後から
北条戦線にシフトするまで3年あるわけ。
主戦場は当然、徳川戦線だが、徳川方の城は取れていない。

そしてお前さんの言うように高天神城付近で
一進一退(と言っても高天神城は3方向から囲まれているので、
勝頼が戦線を維持したというのが正確だと思うが)。

長篠の戦前は武田勝頼は浜松城近くの天竜川まで進出しているし、
(出展は甲陽軍艦だからちょっと怪しいが)
掛川城も攻めている。

長篠の戦後では明らかに戦線が後退している。
389人間七七四年:2009/03/04(水) 21:35:56 ID:vgVsynJd
>武田が打撃を受けて動くの大変な状態でも小山を攻略しようとして
撃退されてんだよ。

だからさぁ、何回も何回も書いたけど、
徳川は、小山城を攻めた直前に諏訪原城を攻め落としている。

諏訪原城は高天神城の東に位置する城。
小山城まで落とす必要性は何処にもない。

ちなみに勝頼は小山城の後詰に着たが
30kmほど先の諏訪原城を攻めていない。

>@長篠直後から半年は徳川は城を奪えたがその後は武田の主力の前に攻略できてない。
しかもこの最初の半年の中でも小山では武田に撃退されてる。

だからね、長篠の戦前は徳川の城は取られっぱなしだったのに
長篠の戦後では、奪われていないのだよ。

長篠の戦前後で比較してね。
390人間七七四年:2009/03/04(水) 21:38:24 ID:r16CWJEw
>>388
だからこれも何回も書いてお前が盛大にスルーしてるが、
3年間の間、
徳川が城を取ってるのは最初の半年で、後は武田の前に一進一退。
しかもこの間武田は北条の援軍として関東に出陣したり
謙信死後の上杉のお家騒動にかかわったりで忙しいんだよ。

長篠前までは浜松の城下町まで盛大に破壊してるな。
武田にしてみれば長篠直後はその打撃で兵を動かすのが大変。
その間の半年に徳川は城を取る。戦線後退。
そして関東や越後に介入しなければならなくなって武田も動きにくくなってるが
とりあえず現状は維持。
北条との戦いが始まり主戦線は完全に上野方面にシフト。
徳川方面は現状維持を主眼に。

てな感じだろう。
391人間七七四年:2009/03/04(水) 21:39:07 ID:vgVsynJd
>A北条戦線にシフトしてから武田は勝ちまくり上野をほぼ全て征服してる。

これはもはや壊れたラジオだな(w

武田が上野を攻略できたのは、佐竹との同盟が機能したから。

>B佐竹達は武田が抜けた後北条に押されてる。

だから〜、北条は武田が抜けて多方面作戦を取らずにすんだから。

>徳川も北条戦線片手間の武田主力の前に何度も 撤退してる。

徳川は長篠の戦後には勝頼から城を奪われていない。

しかも横須賀城より西には進出すら許していない。

長篠の戦前には進出されっぱなしだったのにね。
392人間七七四年:2009/03/04(水) 21:41:15 ID:r16CWJEw
>>389
その後に長篠直後で兵を動かすの大変な武田主力がやってきて
徳川は引いてるといってるんだが。
諏訪原のときは武田主力まだ着てないんだが。

その割には小山をかなり本格的に攻めてるんだがな。
ここで攻略できれば大きかったのにな。

だから上野戦線で取りまくってると書いてるんだろが。
もしくは>>390でも読め。
武田もいろいろ大変なんだが。
393人間七七四年:2009/03/04(水) 21:44:43 ID:r16CWJEw
>>391
お前はまともな解答すらしてないだろうが。
こっちの質問にろくに答えてないぞ。
だからその佐竹達は武田いなくなったら
押されまくってるんだが。いい加減この事から目を背けるなよ。

つまりそれは北条がそれだけの部隊を武田に向けてしかもなお押されていたと
言う事でいいんだな?

もはや壊れたラジオだな。
北条戦線にシフトしてるからで徳川が片手間になってるからだといってるんだが。

394人間七七四年:2009/03/04(水) 21:46:46 ID:vgVsynJd
>しかもこの間武田は北条の援軍として関東に出陣したり

いつ関東に進出したんだ?

長篠の戦前には信濃方面に抑えの部隊を置きながらも
徳川領に進出できたのだよ。

>その間の半年に徳川は城を取る。戦線後退。
そして関東や越後に介入しなければならなくなって武田も動きにくくなってるが
とりあえず現状は維持。

おいおい、長篠の戦から上杉のお家騒動まで3年間あるのだよ?
初めの半年は敗戦直後の打撃が大きかったとしても
残り2年半は????

395人間七七四年:2009/03/04(水) 21:49:46 ID:vgVsynJd
>だからその佐竹達は武田いなくなったら
押されまくってるんだが。いい加減この事から目を背けるなよ。

>つまりそれは北条がそれだけの部隊を武田に向けてしかもなお押されていたと
言う事でいいんだな?

そうだよ(w
武田が居なくなれば多方面作戦を取らなくて済むからね〜。

>北条戦線にシフトしてるからで徳川が片手間になってるからだといってるんだが。

長篠の戦前には信濃方面にも戦力を割きつつ徳川領に進出できた。

長篠の戦後から北条との同盟破棄の3年間は徳川に対して
長篠の戦前のように進出できなくなった。

これは弱体化の証拠だね。
396人間七七四年:2009/03/04(水) 21:58:38 ID:r16CWJEw
>>394
やっぱり知らなかったんだな。
これでお前のこれまでの間抜けな解答がもの知らずゆえだった事が
明らかになったわけだ。
1576年6月。上杉の出陣を受けて武田は北条と共同作戦として上野に出陣してる。

1576年4月には信玄の正式な葬式を行い正式な家督継承を達成。
毛利輝元・足利義昭と連絡を取り外交を行うのもこの時期だな。
さらには軍の再編成のため動員体勢の再構築。
さらに足利を仲介とした上杉・北条の三国同盟締結交渉。
これが失敗した事からの北条との同盟強化行動。
そして1578年からは謙信死去してお家騒動開始と。
397人間七七四年:2009/03/04(水) 22:00:37 ID:r16CWJEw
>>395
つまり武田は北条のそれだけの部隊を相手にし
なおかつ押し捲って領土を拡大してたと。
十分強いと思うが。

まさに壊れたラジオだな。
>>396にあるように勝頼は外交や関東や国内問題やらいろいろやってんだよ。
いい加減認識しろよ。
398人間七七四年:2009/03/04(水) 22:05:37 ID:vgVsynJd
>>397
>>>395
つまり武田は北条のそれだけの部隊を相手にし
なおかつ押し捲って領土を拡大してたと。
十分強いと思うが。

あのさぁ、何回も何回も書いたけど佐竹との同盟が効いたから。

>>397
>外交や関東や国内問題やらいろいろやってんだよ。

そんなの状況は長篠の戦前も同じだろ(w

長篠の戦前も信濃方面に戦力の一部を残しながらも
徳川領に進出できたのだよ。

長篠の戦後は高天神で一進一退。
後詰を出しても徳川領に進出できなくなったわけだ。


399人間七七四年:2009/03/04(水) 22:12:51 ID:r16CWJEw
>>398
いい加減ループさせんなといってるんだが。
佐竹たちは武田が抜けてから押されはじめる。
そっちの理屈なら武田は北条のそれだけの大部隊を相手にし
しかも押し捲ってた事になるんだよ。十分強い。
いい加減はぐらかすなよ。

いや?少なくともこれだけ多忙になっちゃいないがな。
長篠前の状態詳しく説明できるのか?

いい加減同じ事繰り返せば済むと思うなよ。
400人間七七四年:2009/03/04(水) 22:16:02 ID:J2L/BeuO
おまえらもう、メール交換しちゃえよ
401人間七七四年:2009/03/04(水) 22:22:25 ID:vgVsynJd
>いい加減はぐらかすなよ。

まだ理解できないの?
北条は多方面作戦を取らなくて済めば
佐竹他関東勢に、武田方面の戦力を振り分けられる。
当然、佐竹他、関東勢は苦しくなる。

もう一度書くとだな
北条は佐竹他関東勢と勝頼に向けた戦力を
佐竹他、関東勢のみに戦力を向けられる。

>いや?少なくともこれだけ多忙になっちゃいないがな。
長篠前の状態詳しく説明できるのか?

信玄は死ぬは、信玄時代の同盟達は滅びるわ(w

長篠の戦後でも勝頼は万単位の軍勢を徳川に向けている。
数だけ見れば長篠の戦前と同じだが、
徳川領には進出できなくなった。

特に第二次信長包囲網のときにも徳川に対しては何も戦果は無かった。
402人間七七四年:2009/03/04(水) 22:25:12 ID:3njB2cSc
戦局を優位に進められたのは同盟を組んでたからだっていう主張に対して
武田が抜けたら押され始めたっていうのは何の答えにもなってないけどなw
403人間七七四年:2009/03/04(水) 22:25:49 ID:r16CWJEw
>>401
だからそれで佐竹たちが苦しくなるなら
武田はそれだけの北条の大部隊を相手にし、しかも
押し捲ってることになると書いてるんだろうが。
いい加減はぐらかすのはやめてもらおうか。

全然答えになっていないぞ。
外交交渉は?他の方面への出陣は?国内問題への対処は?
全然あげられてないんだが?

しっかり徳川を撃退してるんだが。
404人間七七四年:2009/03/04(水) 22:28:39 ID:r16CWJEw
>>402
答えになってるが?
ID:vgVsynJd様によれば佐竹たちのおかげでジリ貧の武田は
北条から領土取れたんだそうだ。
しかしそのID:vgVsynJdの理論でいう所のおこぼれもらってるような武田が滅亡したら
急に佐竹たちは押され始める。
この理由はID:vgVsynJdによるとそれだけの大部隊を武田に割いていたけど
佐竹たちに投入できるようになったから、だそうだ。
なら武田はそれだけの大部隊を相手にししかも押し捲ってるのだから十分強い事になる。
405人間七七四年:2009/03/04(水) 22:36:04 ID:vgVsynJd
>>>401
だからそれで佐竹たちが苦しくなるなら
武田はそれだけの北条の大部隊を相手にし、しかも
押し捲ってることになると書いてるんだろうが。
いい加減はぐらかすのはやめてもらおうか。

こまったヤツだな。お前が思っているほど多方面作戦は苦しいのだよ。
いい例が信長包囲網だ。

>外交交渉は?他の方面への出陣は?国内問題への対処は?
全然あげられてないんだが?

浅井朝倉、長島一向一揆、本願寺との外交交渉は無かったとでも?
国内問題は信玄死亡で内藤に宛てた書状が苦しさを物語っているな。

それに長篠の戦後から北条との同盟破棄までの3年間、
勝頼が関東に進出したのは何回あるのだよ?

それ以上に徳川領に出兵しているがな(w
406人間七七四年:2009/03/04(水) 22:37:27 ID:vgVsynJd
>しっかり徳川を撃退してるんだが。

だからさぁ長篠の戦前には徳川方の城を奪えたが
長篠の戦以降は徳川方の城は奪えていない。
撃退とは言えないよ(w
407人間七七四年:2009/03/04(水) 22:45:06 ID:r16CWJEw
>>405
いい加減にしろよ。
北条が武田に大部隊を向かわせ押されていた事の
なんら具体的な説明になってないぞ。

内藤の書状は即位直後に出されたもの。しかも家臣の扱いに関して。
多忙とは違うものだな。
新たな外交関係の構築とはまるで別物だな。

徳川領土にでてるのは「撃退」のためだからな。
>>406
日本語わかってないようだな。
侵攻軍を追い返してるんだから「撃退」だろうが。
お前の辞書には城取る事が撃退なわけか?w
低脳ぶりがわかるがw
408人間七七四年:2009/03/04(水) 22:49:24 ID:vgVsynJd
>北条が武田に大部隊を向かわせ押されていた事の
なんら具体的な説明になってないぞ

だからさ、国力の劣る国同士でも同盟を結んで
国力の勝る国を挟撃すれば優位に進められるでしょ?

逆に同盟が無くなるor崩壊すれば各個撃破されるなんて
古今東西、いくらでも例がある。

信長包囲網が典型的な例だな。

>徳川領土にでてるのは「撃退」のためだからな。

で、何人の兵を討ち取ったの?城は取れたの?
長篠の戦前では、それが出来たけど長篠の戦後では
それが出来なくなった。

409人間七七四年:2009/03/04(水) 22:50:54 ID:vgVsynJd
>新たな外交関係の構築とはまるで別物だな。

信玄死後、北条との同盟関係を維持するのに外交交渉しているよね。
410人間七七四年:2009/03/04(水) 22:54:24 ID:r16CWJEw
>>408
全然答えになってないな。
包囲網があっても北条に対する武田の相対的戦力が上回っていなければ
武田は北条を押せない。
武田が抜けたら佐竹たちが苦戦するのは北条が向けていたのはそれだけの部隊だったことを示す。
そしてそれを押し捲っていたのは武田が強かった以外に説明はつくまい。

「撃退」って意味わかるか?
攻めてきてる徳川軍を追い返してるんだから撃退成功だろ。
いい加減無理やり城とらなきゃいけない事にしようとするのはやめたら?
どんな辞書もってるのか知らないけど「撃退」に城を取るなんて意味ないから。
411人間七七四年:2009/03/04(水) 22:56:09 ID:r16CWJEw
>>409
それは単なる従来の同盟の確認をしてるだけなんだが。
412人間七七四年:2009/03/04(水) 22:59:04 ID:vgVsynJd
>1576年6月。上杉の出陣を受けて武田は北条と共同作戦として上野に出陣してる

何を根拠に書いているか知らんが、1576年(天正4年)6月は
勝頼の元に将軍足利義昭の反信長の呼びかけが届いたとき。
本当に上杉が上野に出陣したの?
413人間七七四年:2009/03/04(水) 22:59:44 ID:J2L/BeuO
ID:r16CWJEw
句  読  点  打  と  う  ぜ
414人間七七四年:2009/03/04(水) 23:03:59 ID:r16CWJEw
>>412
それ6月13日な。
上杉の上野進軍を受けて武田は6月初頭に北条に対して書状を送り
6月4日に本軍が出撃する事、先陣は5日前に既に信濃と上野の国境に出た事を
伝えている。
>>413
了解。
415人間七七四年:2009/03/04(水) 23:04:33 ID:3njB2cSc
>>404
なってねーよw
そりゃ同盟国が減って戦力が落ちれば苦戦するわなw
416人間七七四年:2009/03/04(水) 23:05:31 ID:r16CWJEw
>>415
なるだろ。
苦戦するだけの戦力を武田は引き受けてしかも
押し捲ってた事になるんだから。
417人間七七四年:2009/03/04(水) 23:06:21 ID:vgVsynJd
>1576年6月。上杉の出陣を受けて武田は北条と共同作戦として上野に出陣してる

まず確認したいのが↑のソース。
俺の手持ちの試料では1576年の上杉は
3〜4月と9〜12月に北陸に出兵しているのだが(w
418人間七七四年:2009/03/04(水) 23:09:07 ID:r16CWJEw
>>417
お前の試料とやらが何を基にしてるのかわからんが
その資料でも6月空いてるだろ。
こちらのソースは武田の書状。黒田基樹氏論文掲載。
そっちの資料は?
419人間七七四年:2009/03/04(水) 23:09:33 ID:3njB2cSc
>>416
だから数が減りゃ戦力落ちるだろw単純な話だ馬鹿w
420人間七七四年:2009/03/04(水) 23:14:05 ID:vgVsynJd
ID:r16CWJEwは根本的に多方面作戦が理解できていない(w
1+1=2ではないのだよ。

>>418

書状は年代が書いていないから注意が必要だが。
ま、別にそれが事実でも、そのあと直ぐに勝頼は上杉と同盟を結ぶよね。
そして北条との同盟も1578年まで保っている。

さてこの間、なぜ徳川領を奪えなかったのだろうか?

421人間七七四年:2009/03/04(水) 23:14:37 ID:r16CWJEw
>>419
武田は押し捲ってるんだけどな。

ジリ貧の武田に押されまくり、しかもそれを転用できるようになったら
佐竹たちに優位になるなんて不思議だな。小部隊じゃ無理だな。
422人間七七四年:2009/03/04(水) 23:15:45 ID:r16CWJEw
>>420
全然答えになってないな。
具体的に当時の関東情勢にあわせて説明してね。

答えになってないんだけど。
こちらは資料を聞いてるんだけど。何を基にしたわけ?早く答えて。
423人間七七四年:2009/03/04(水) 23:16:05 ID:3njB2cSc
>>421
だから複数で戦ったからだって言ってるだろ、キチガイw
424人間七七四年:2009/03/04(水) 23:17:56 ID:r16CWJEw
>>423
だから答えになってないよ。
北条が武田に向けた部隊を佐竹に向けたらとたんに佐竹たちが苦戦するのは
それだけ武田に向けられてた部隊が大きかった事になる。
しかもそれを武田は押し捲ってるんだから弱い事にならんぞ。
大部隊向けて弱い武田に押されまくってたといいたいのか?
425人間七七四年:2009/03/04(水) 23:20:07 ID:vgVsynJd
>>422
>こちらは資料を聞いてるんだけど。何を基にしたわけ?早く答えて

武田勝頼に関する本数冊、上杉に関する本数冊見たけど載っていなかった。
別に、1576年6月に上杉が上野に出兵したのが事実だと認めても良いよ。

でもその後すぐに勝頼は上杉と同盟を結んで信長包囲網を形成しているな。
対徳川には戦力を振り分けられる。

確認しておくが北条との同盟が破綻したのは1568年だからな。
426人間七七四年:2009/03/04(水) 23:20:16 ID:3njB2cSc
>>424
沢山居たら勝てたけど、数が減ったら負けました。
ただそれだけの話だ。意味分かるか?キチガイw
427人間七七四年:2009/03/04(水) 23:24:09 ID:vgVsynJd
>確認しておくが北条との同盟が破綻したのは1568年だからな。

訂正、1578年だね
428人間七七四年:2009/03/04(水) 23:24:17 ID:r16CWJEw
>>425
だから名前をあげてもらえる?
全然資料あげるってことになってないんだが。
まさかwikiじゃないよな?

しかし1568年か。随分昔に決裂してるんだな。
まあ確かにそのころにも決裂してるが当主は信玄でしかもその後再同盟があるんだが。
>>426
その「たくさん」の比率を武田は多く引き受けていた事になるんだが。
わかるか?低脳w
429人間七七四年:2009/03/04(水) 23:25:53 ID:hXQ1G1Q7
謙信の1576年関東出兵に関しては黒田基樹氏が『戦国北条一族』の中で書いてて
これによると5月になって謙信が越山し由良氏領の西庄、新田領、館林長尾氏領の
足利領に侵攻し続いて桐生領における由良領を攻撃した(田中文書)
これに対し氏政は迎撃のため出陣の準備をするとともに由良氏へは鉄砲衆を合力
した(小田原編年録、林文書)
430人間七七四年:2009/03/04(水) 23:27:19 ID:vgVsynJd
>>428
>>>425
だから名前をあげてもらえる?
全然資料あげるってことになってないんだが。

妙な所でムキになるな(w

お前の説=1576年6月に上杉が上野に出兵

は事実と認めるよ。

431人間七七四年:2009/03/04(水) 23:28:14 ID:r16CWJEw
>>430
いやだから何を参考にしてるのかなとね。
教えてもらえる?
432人間七七四年:2009/03/04(水) 23:31:54 ID:vgVsynJd
>>431

「武田勝頼〜」と名のつく本数冊だよ。
小説ではない(w
>>396
>1576年4月には信玄の正式な葬式を行い正式な家督継承を達成。
毛利輝元・足利義昭と連絡を取り外交を行うのもこの時期だな。
さらには軍の再編成のため動員体勢の再構築。
さらに足利を仲介とした上杉・北条の三国同盟締結交渉。
これが失敗した事からの北条との同盟強化行動。
そして1578年からは謙信死去してお家騒動開始と。

さて本題に戻るが、1576年〜1578年は武田勝頼は充分に
徳川領に兵を向けられる状況だが。

なぜ長篠の戦前のように徳川方の城を奪えなかったのだ?
433人間七七四年:2009/03/04(水) 23:33:59 ID:r16CWJEw
>>432
だから書名あげてって。
早くしてくれ。

これでどうして十分に向けられる状況なのか教えてもらおうか。
434人間七七四年:2009/03/04(水) 23:38:08 ID:vgVsynJd
>>433

何の書名????

>これでどうして十分に向けられる状況なのか教えてもらおうか。

長篠の戦の敗北直後の1576年には上杉と同盟、
北条とも同盟継続、上杉が死んで北条との同盟が破綻し
上野に進出するのが1578年。

この1576〜1578年の間になんで徳川方の城を取れなかったのか?
聞いているのだよ。
435人間七七四年:2009/03/04(水) 23:38:15 ID:3njB2cSc
>>428
同盟国に於ける戦力比率が大きいってどんな主張だよw
んな事言い出したら何でもアリだっつーの。もう滅茶苦茶w
436人間七七四年:2009/03/04(水) 23:39:29 ID:vgVsynJd
>>433

武田勝頼のすべて、戦国武田氏の研究、あと歴史群像も調べた
437人間七七四年:2009/03/04(水) 23:41:05 ID:r16CWJEw
>>434
お前が参考にした書名。

上杉とは別に同盟してないぞ。なんでこんな事言い出すのか
不思議なんだが。
しかもあげてる他の事柄も無視か?
>>435
北条は敵対国だが?
その敵対国の戦力の大部隊を武田は引き受けてることになるが?
438人間七七四年:2009/03/04(水) 23:43:17 ID:r16CWJEw
>>436
それは嘘だな。
「武田勝頼のすべて」にはしっかり
勝頼が北条への同盟から上杉の出陣に対して1576年6月に援軍を派遣した事は
掲載されているはずだ。
本当にお前参考にしてるのwikiじゃないだろうな?
439人間七七四年:2009/03/04(水) 23:45:25 ID:vgVsynJd
>上杉とは別に同盟してないぞ。なんでこんな事言い出すのか
不思議なんだが。

そうなの?それなら俺の勘違いだな。
で、俺の質問に答えてくれない?
440人間七七四年:2009/03/04(水) 23:47:13 ID:r16CWJEw
>>439
だから何を基にしてそんな事いったんだ?

だから上記に俺があげた事項でなんで十分徳川攻められる状態なんだ?
と聞いてるんだが。とても楽に攻められる状況とも思えないが。
441人間七七四年:2009/03/04(水) 23:47:42 ID:vgVsynJd
>>438
>勝頼が北条への同盟から上杉の出陣に対して1576年6月に援軍を派遣した事は
掲載されているはずだ。

だからさぁ、それは事実と認めているよ(w
本題に答えてくれよ(w
442人間七七四年:2009/03/04(水) 23:49:44 ID:r16CWJEw
>>441
だからお前が言ってる事が食い違いすぎて
とてもまともな文献読んでるとは思えないんだが。

本当に「武田勝頼のすべて」を読んでるのか?
編者全部あげられるか?目次みるだけでいいから簡単だよな?
443人間七七四年:2009/03/04(水) 23:49:53 ID:vgVsynJd
>>440

長篠の戦前には徳川方の城を取れたよね?
長篠の戦後も万単位の軍勢を徳川領に向けている。
でも城は取れていない。

この事実を弱体化と、俺は言っているのだが。
444人間七七四年:2009/03/04(水) 23:51:22 ID:r16CWJEw
>>443
「撃退」の為に出てきて徳川撃退して帰ってると
何度も言ってるんだが。
さまざまな問題もあるって書いてるよな。
445人間七七四年:2009/03/04(水) 23:53:03 ID:vgVsynJd
>>444

だからさぁ、長篠の戦前後で比較しろよ。
446人間七七四年:2009/03/04(水) 23:54:28 ID:r16CWJEw
>>445
だから長篠後はいろいろ問題あるし
北条戦線シフトした後は順当に城を取ってると
いってるだろ。
447人間七七四年:2009/03/04(水) 23:56:46 ID:vgVsynJd
>>446
>だから長篠後はいろいろ問題あるし

ないよ(w
北条戦線にシフトするまで3年間、何の問題があったのだ?
448人間七七四年:2009/03/04(水) 23:59:04 ID:r16CWJEw
>>447
>>432でお前もコピペしてるだろ。
てかお前さ、>>442をスルーしてないで早く答えてもらえるか?
449人間七七四年:2009/03/05(木) 00:06:24 ID:Vz8MKQin
>さらに足利を仲介とした上杉・北条の三国同盟締結交渉。
これが失敗した事からの北条との同盟強化行動。

だからさ、これが何で徳川領に出兵できない理由なんだよ(w
この時期でも、お前が自慢しているように横須賀城に攻めているんだよ。
また上野に本格的に出兵するまでの間にも高天神城に武田軍は行っている。
でも城は取れていない(w
450人間七七四年:2009/03/05(木) 00:07:05 ID:dLuTgHAN
>>449
はぐらかしてないでさっさと>>442を答えてもらえるか?
話はそれからだな。
451人間七七四年:2009/03/05(木) 00:08:37 ID:Vz8MKQin
>>442

武田活よりはなぜ滅んだのか? 童門冬二
 守城をきらって打って出る
武田氏と諏訪氏
452人間七七四年:2009/03/05(木) 00:11:19 ID:dLuTgHAN
>>451
それだけか?
453人間七七四年:2009/03/05(木) 00:14:20 ID:Vz8MKQin
>>452

何で全部書くのだよ、めんどくさい。

148ページ目の最初の文字は

駿府

駿府には振り仮名が付いている。

これでOK?
454人間七七四年:2009/03/05(木) 00:16:20 ID:dLuTgHAN
>>453
編者一覧書くだけなのになんで面倒なんだ?
タイトルはいらんぞ。
455人間七七四年:2009/03/05(木) 00:16:58 ID:llGmepIR
いつまで続くの、ここ最近の木曽義昌と穴山信君のような戦いは?

456人間七七四年:2009/03/05(木) 00:20:00 ID:Vz8MKQin
>>454

俺は「武田勝頼のすべて」を持っている。
その証拠は>>453で充分だろ?お前も持っているなら確認しろよ(w
編者は柴辻と平山。
俺は寝るんで(w
457人間七七四年:2009/03/05(木) 00:21:10 ID:OEq8/Ob7
お互い酉をつけれ
同じ内容の繰り返しで訳わからん
458人間七七四年:2009/03/05(木) 00:22:20 ID:dLuTgHAN
>>456
持っているとしたら信じられんのだが。
編集に携わった執筆人達は10数人に達するんだが。
459人間七七四年:2009/03/05(木) 10:12:36 ID:kbd3WE4P

お前ら、二人のスレじゃないぞ。
忠告聞かないのは、長篠の勝頼そのものだな。
460人間七七四年:2009/03/05(木) 11:30:10 ID:Fx6muN4C
スレタイと関係ない水掛け論うぜえ
461人間七七四年:2009/03/05(木) 18:41:44 ID:Rc14R0j6
>>458

お前は何が言いたいのか?ただの揚げ足とり?
148ページ目の最初の単語が何か調べろよ。
>>453と確認してね。

462人間七七四年:2009/03/06(金) 01:13:43 ID:+FOfrC0R

では、勝つ方法のみ提案してください。

アイデアに欠点を見つけたら指摘するだけでなく、代案を示してください。



463人間七七四年:2009/03/06(金) 10:15:10 ID:HXJadfsV
>>461
んな事はしってる。
それができるなら編者くらいあげるの簡単だろ。
タイトルあげなくていいと言ってんだが。
464人間七七四年:2009/03/06(金) 17:51:42 ID:jA7dWlN8
>>463

編者は柴辻と平山だよ。10数人いるのは執筆者。
お前が「編者をあげろ」と書いたから、「編者」である
柴辻と平山をあげた。何か問題か?

俺の本には272ページに「執筆者略歴」と書いてあるが、
ひょっとして俺の本は偽者?(w

本物には「編集者略歴」と書いてあるのかな?(w

465人間七七四年:2009/03/06(金) 19:22:22 ID:y7mM5i/L


他でやれよ!!!!!!!!
466人間七七四年:2009/03/06(金) 21:22:59 ID:HXJadfsV
>>464
編集に携わった執筆人達、と>>458で書いてるんだが。
467人間七七四年:2009/03/06(金) 22:02:06 ID:jA7dWlN8
>>466
お前は何がしたいのだ???

>>442
>本当に「武田勝頼のすべて」を読んでるのか?
>編者全部あげられるか?目次みるだけでいいから簡単だよな?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
お前が↑で「編者」と書いたから、執筆者ではなく編者を書いたわけ。

つーか、この件に関しては、もうレスしないぞ。
468人間七七四年:2009/03/06(金) 22:06:32 ID:jA7dWlN8
>>462
>では、勝つ方法のみ提案してください。

長篠の戦前に、信長包囲網を再構築するべきだった。他国と同盟して敵に当たる。

対北条に対しては佐竹らと同盟を組んで上手く機能したんだからね。

信長包囲網を再構築したところで「絶対に勝てる」とは思わないが、
唯一のチャンスはそこだったと思うな。
469人間七七四年:2009/03/07(土) 00:35:50 ID:jowslwpJ
勝頼は最後、小山田の岩殿山城に逃れず真田昌幸の岩櫃城を目指してれば運命が開けた可能性があると思うよ。
上杉景勝は新発田重家を一時中止して北信濃に軍を向け勝頼を救おうとしてたそうじゃない。
織田信長に対抗する手段としては景勝も勝頼と同盟する他なかったわけだし。
岩櫃城に居ながら旧武田家の敗残兵の収拾に努めれば武田狩りから逃れた武士どもが
かなりの数、上野に集合するのは疑いなく、そこで進撃してくる織田軍に
戦術を駆使して一撃さえ出来れば上杉軍と武田軍に挟撃されるリスクを回避して織田軍が撤退する可能性も
絶対にないわけでもなかった。
470人間七七四年:2009/03/07(土) 01:37:20 ID:x4VUmHXk
越中でも追い込まれている上杉が信濃や上野に大軍を出せるわけがない
北条も織田方なんだぞ
471人間七七四年:2009/03/07(土) 03:28:42 ID:A5q3DvmC
長篠以前に家中統一出来なかったのが、最大の問題だろ 穴山とか策略使って排除しちまえばいいんだよ 家中に火種ある状態じゃ、出来る事も出来ないよ
472人間七七四年:2009/03/07(土) 03:32:00 ID:jowslwpJ
>>470
大軍が出せないのは分かってる。
その後の手取り川の戦いでも上杉軍は非常に兵数が少なかった。
しかし位置的に織田軍が上野を攻める際に後ろを脅かす事になるので
期せずして項羽軍を苦しめる彭越軍の立場になる。
当然、戦術は神出鬼没を旨とするゲリラ戦で兵糧を次々焼いたり
野宿してる織田方の雑兵を不意討ち夜討ちする事になり。
それで織田が全軍そろえて春日山城侵攻をすれば真田方が背後で同じ事をする。
あまり京・大阪を留守にしてると播磨地方の豪族どもは毛利方になびき
中国地方、近畿地方に潜伏してた一向宗どもが再度暴れ出す。
473人間七七四年:2009/03/07(土) 04:23:21 ID:XCF5Vyui
落ち武者狩りをしたのは現地の住民だろ。そんな住民が大人しく兵糧を提供するとでも?
474人間七七四年:2009/03/07(土) 04:58:23 ID:jowslwpJ
>>473
略奪、人狩りをするんだよ。
上杉謙信の得意技だったし。
小田原城攻めの際は小田原城下で狩った奴隷を売る市も立ててたし。
武田方の方が自分の領土で略奪などは人心を失いしづらいが
自ら城を焼いて焦土戦術を選択した勝頼なら臨時徴発と称して略奪くらいの事は
しても不自然ではない。
実際、甲斐を焦土と化して補給路を上杉や武田の残党のゲリラが脅かしたら
大軍の織田は兵糧の問題がたちまち深刻になり長期間持ちこたえられない。
475人間七七四年:2009/03/07(土) 08:24:26 ID:hLFfG4o4
越後に迎え入れはするだろうけど、上野まで兵を出してくれるとは、流石に考えにくいなぁ。
雪で閉ざされるまで粘って、本能寺みたいな事態を期待する……の方が現実的のような。
476人間七七四年:2009/03/07(土) 09:46:06 ID:IMhAGzSx
信玄一人が死んで瓦解するような包囲網だからどっちみち勝てなかったと思うよ。
477人間七七四年:2009/03/07(土) 09:52:31 ID:yNewdr64
逆に信玄生きてれば大丈夫だったって事に。
っていうか勝頼の話なんだから関係ないじゃん。
478人間七七四年:2009/03/07(土) 10:29:02 ID:hLFfG4o4
信玄が生きてる段階で、すでに朝倉撤退してるし
479人間七七四年:2009/03/07(土) 11:03:17 ID:MwcdyeiW
信玄死ぬあたりで軍勢が戻ったり進んだりするのなんで?
死を隠すなら信玄に何があろうとも美濃進軍続ければよかったんじゃね?
480人間七七四年:2009/03/07(土) 11:08:29 ID:yNewdr64
>>478
2月末には朝倉出陣してるんだけど。反撃は春以降だし。
>>479
さすがに総司令官抜きでそれまでの作戦続けるのは厳しいと思う。
やるならやるで帰って新当主のもとで作戦立て直さないと。
481人間七七四年:2009/03/07(土) 11:18:01 ID:8FhIv/TF
最愛の人間を失った時は、人は無気力になるよ。

482人間七七四年:2009/03/07(土) 11:39:44 ID:hLFfG4o4
>>480
包囲網つっても、個々の都合で攻撃したり撤退してたんだろ、すでに
483人間七七四年:2009/03/07(土) 11:42:38 ID:yNewdr64
>>482
でも春からの計画されていた一斉反撃に備えて
みんな動きだしてる。
484人間七七四年:2009/03/07(土) 18:59:05 ID:jowslwpJ
信長は勝頼に勝って気を緩めて油断した結果が本能寺なんだから痛み分けつーか
引き分けだったんじゃないの?
485人間七七四年:2009/03/07(土) 21:22:41 ID:IKwKwp5g
包囲網なんて大層なもんはなかったよ
個々で勝手に動いてただけ
486人間七七四年:2009/03/07(土) 22:16:01 ID:yNewdr64
>>485
しっかり書状で連絡とりあって作戦計画立てて動いてるんだから
包囲網だろう。
487人間七七四年:2009/03/08(日) 01:07:26 ID:Ttq+VenV
勝頼は重要な場面で次々間違った選択をしてるし
天下人の器では所詮なかったという事だな。

488人間七七四年:2009/03/08(日) 01:48:45 ID:HuHDupdx
>>487
でも長篠は講談やら小説やらで面白おかしく書きたてられてるけれど
武田家の構造上重臣が諸手を挙げて反対してるのに突撃命令をだすってのは不可能だから
勝頼ひとりの責任じゃなくて重臣連中もやる気だったはず。
あと御館の乱は勝頼が出て行ったのに本体のはずの北条がやる気なしじゃ
士気が下がって兵を引くのも仕方ない気がする。
でも信玄最後の出征で最初で最後のチャンスを逃して後はビリ貧みたいなもんなのに
適当な所で信長と外交的になんとか手を打つ所までいけず家を滅亡させちゃったのが
勝頼の器の限界をさらしちゃってると思う。
武田家にそういう外交の駆け引きが出切る奴がいなかったのもあるけど。

て言うか、天下人の器があったのなんて精々片手で数えるくらいしかいないでしょ。
当然偉大なはずの親父だって全然天下人の器とは程遠いし。
489人間七七四年:2009/03/08(日) 02:07:40 ID:AsGgmcD2
>>488
>>突撃命令をだすってのは不可能だから
武田家当主の権限は結構強い。なんかどっかの信長特別視みたいな論では
弱い事になってるが。
>>勝頼ひとりの責任じゃなくて重臣連中もやる気だったはず。
勝頼の決戦前の書状じゃ「戦を危ぶむものもいるが大丈夫だろう」というような事が
書いてある。重臣でも危ぶんでる連中はいたようだ。
>あと御館の乱は勝頼が出て行ったのに本体のはずの北条がやる気なしじゃ
北条は後でちゃんと兵を出してるし
問題は勝頼が兵を引いた事じゃなくて勝頼が勝手に景勝にいろいろもらって結んで
景虎がいくら攻められても捨て殺しにしたばかりか同盟まで結んだ事なんだが。
>>当然偉大なはずの親父だって全然天下人の器とは程遠いし。
なぜ?信長絶対論みたいな幻想を抱かなければ特に問題ないと思うけど。
490人間七七四年:2009/03/08(日) 02:07:49 ID:Ttq+VenV
>>488
>全然天下人の器とは程遠いし

それは少し言いすぎ。
今川義元や武田信玄や毛利元就あたりは副将軍あたりのポストで
戦国時代を終わらす才覚はあった可能性があると思うよ。
お飾りの将軍はもちろん維持するけど
執権家として地位を確立するくらいの事は当然したはずだし。
491人間七七四年:2009/03/08(日) 04:07:30 ID:zT9tViQV
>>490
さしづめお膝元が不穏じゃなかった場合の大内義興ってとこか
アレも、尼子経久さえいなければ戦国時代を終結させ得ただろうし
492人間七七四年:2009/03/08(日) 10:43:12 ID:PKkeU7ZA
信長が領民のためにしたことって、何があるの?
493人間七七四年:2009/03/08(日) 12:43:45 ID:Ttq+VenV
領民って百姓の事を指してる?
それなら北尾張家、南尾張家と別れ
さらに今川家にも一部侵食され
様々な大名、小名、豪族、守護、寺社、盗賊がいさかいを起こして
二重、三重、四重に年貢を取られたあげく治安の悪さで妻や娘がかどわかされたり
強盗や泥棒が普通にあったのが
信長が尾張を統一して他国の大名を追い出し坊主や荘園勢力からの課税権も没収し
盗賊等も他国に逃げ出して、信長にさえ年貢を払えば安心して暮らせる土台を築いて貰えた事だろ。
さらに日用品なども楽市のおかげで物価も下がり楽に入手できるようになったのも小さくない。
今まで物々交換で商品を得てたのが、銭で物を買えるようになったんだから。
494人間七七四年:2009/03/08(日) 13:03:56 ID:AsGgmcD2
>>493
>>さらに日用品なども楽市のおかげで物価も下がり楽に入手できるようになったのも小さくない。
>>今まで物々交換で商品を得てたのが、銭で物を買えるようになったんだから。
戦国時代の納税のやり方は大抵銭納だぞ。
銭は普通に流通してる。尾張では楽市も行われてないし。

>>坊主や荘園勢力からの課税権も没収し
特に没収してない。
>>盗賊等も他国に逃げ出して
逃げ出したのか?史料に特にないが。
>>信長が尾張を統一して
それなら他の一国支配した大名もOKなんじゃ。
495人間七七四年:2009/03/08(日) 13:15:43 ID:cTUuWJo4
>>490
>今川義元や武田信玄や毛利元就あたりは副将軍あたりのポストで
戦国時代を終わらす才覚はあった可能性があると思うよ。

この3人は副将軍のポストを目指したのかね?
496人間七七四年:2009/03/08(日) 13:32:05 ID:AJyGH12V
てかその3人なら普通に天下治めてるだろう
497人間七七四年:2009/03/08(日) 14:00:23 ID:W6c1ZTWZ
>>493
> 様々な大名、小名、豪族、守護、寺社、盗賊がいさかいを起こして
> 二重、三重、四重に年貢を取られたあげく治安の悪さで妻や娘がかどわかされたり
> 強盗や泥棒が普通にあったのが
> 信長が尾張を統一して他国の大名を追い出し坊主や荘園勢力からの課税権も没収し
> 盗賊等も他国に逃げ出して、信長にさえ年貢を払えば安心して暮らせる土台を築いて貰えた事だろ。
> さらに日用品なども楽市のおかげで物価も下がり楽に入手できるようになったのも小さくない。
> 今まで物々交換で商品を得てたのが、銭で物を買えるようになったんだから。


あー、イメージだけで歴史を歪曲してるなあ。
信長相続時に揉めて分裂しかかったが信秀の代にほぼ統一してたし、貨幣経済も昔から浸透していた。

寺社から課税権を取り上げたなんて事実はない。
寧ろ保護している。
熱田神宮大宮司の千秋氏は、信秀信長に従い武勲を挙げたり戦死したりしてるが
信長は千秋氏の所領を回復し、保護している。
『熱田神宮文書』『織田信長文書の研究』『系図纂要』などに記載されてる。
498人間七七四年:2009/03/08(日) 14:19:58 ID:W6c1ZTWZ
荘園に関しては、
寺社のそれは先述したが、皇室公家のそれも一定枠内での保護回復をしていることが
『天下統一と朝鮮侵略』の「信長・秀吉の国家構想と天皇」などで指摘されている。

要するに信長はしたたかな現実家なので、妥協が必要ならば妥協したし、頭も下げた。
だから天下人たりえたんだな。
499人間七七四年:2009/03/08(日) 14:39:06 ID:W6c1ZTWZ
優れた民政家だったのは事実で、京の治安回復し、その維持には気をはらった。
叡山を焼き打ちする前に、吉田兼見に仏罰があるかどうか諮問したが
信長が迷信深いのではなく、迷信深い民衆が動揺しないか心配だったんだな。
つまり世論を意識してた訳。
500人間七七四年:2009/03/09(月) 02:42:25 ID:WSJOHLvO
>>489
何故そこでいちいち信長特別視論とかワケワカメなコンプレックスを披露するの。
織田の話なんぞ誰もしとらんがな。

それに北条家が氏照を派遣したのは勝頼が景勝と和議を結んだ後の9月でしょ。
それでなくても影虎が勝てば上杉は北条の属国化するって事実を武田が警戒してもおかしくないのに、
援軍は勝頼に任せっぱなしでなのに不信感を抱いて、領地割譲までしてきた景勝についた判断は
そこまでおかしいとは思わないよ。
もし北条側が勝ったとしても、勝頼の滅亡を防げるくらいに北条が武田を助けてくれるとも思えないし。
それに国人連合の域を脱し切れなかった武田家の勝頼に重臣が揃って反対した戦に
突撃命令で従わせるほどの権力もないし、そんな立場でもないよ。
それこそ消極的な穴山や信豊なんかさっさと離脱してるし、勝頼はそれを罰することもできてない。
最後に天下人の器ってのが天下を取るだけのヴィジョンも無い人間にあるわけない。
501人間七七四年:2009/03/09(月) 10:04:08 ID:dBwLzMNE
>>500
いや、実際武田当主の権限が弱いなんて普通は思わないから。
織田特別論みたいなの見ない限り。

だから問題は景勝と和議したことではなく、景勝と景虎を和議させるといって
その仲介までしたのに、その後景勝が景虎攻めたのを放置して捨て殺しにした事。
自分が仲介した和議をここまでコケにされて黙ってたのは北条にしてみれば噴飯もの以外の
何者でもない。
そこまでおかしいとは思わないというが、それならどうして北条が敵対した後で
大慌てで周囲の勢力巻き込んで北条相手に全力を向けたわけ。
北条が敵でないこと自体が大きいんだよ。結局この北条と徳川相手に多方面作戦やった事で
疲弊したんだから。武田は。
>>それに国人連合の域を脱し切れなかった武田家の勝頼に重臣が揃って反対した戦に
>>突撃命令で従わせるほどの権力もないし、
なぜ?武田家の権力集中は信玄の代で随分強化されてる。最近では勝頼の権力もたいしたものだった事が
証明されてる。
>>そんな立場でもないよ。
まさか勝頼陣代説とか信じてる?一次資料には一切ないよ。これ。
逆に勝頼が当主になって周囲からお祝いされたりしてる書状はいくつもあるから。
>>それこそ消極的な穴山や信豊なんかさっさと離脱してるし、勝頼はそれを罰することもできてない。
両方ともちゃんと最後までいたけど。
>>最後に天下人の器ってのが天下を取るだけのヴィジョンも無い人間にあるわけない
なぜ?信玄は西上起こしてるけど?
そもそも信長が京都に入れたのも地理的・周囲の情勢的な要因が大きいんだけど。
これで一方的にないとかいわれてもね。結果論としか。
502人間七七四年:2009/03/09(月) 10:54:41 ID:ffooEXcn
改行でスペースはないわ長すぎるわでとてもじゃないが読めない
503人間七七四年:2009/03/09(月) 12:00:20 ID:ssoVvCpv
国人連合の頭領でしかないのに、みんな反対してる中無理やり合戦始めて重臣クラスが
ああもたくさん死ぬまで戦うと平気で思えるってすごいな。
そんな無理強いして大敗戦食らってまだ頭領。
少しは物を考えるとかないのかね。

>最後に天下人の器ってのが天下を取るだけのヴィジョンも無い人間にあるわけない

何これ本物かよこいつ(笑)
信玄が当主になった時に西上考えてたとか、信長が尾張一国を支配するために四苦八苦してた
時に安土に城造って神になろうと思ってたとか、家康は人質の時に合議制の支配体制で幕府作ろうと
考えてたなんてこいつの知能じゃ本気で思ってるんだろうな。
そんなもの当然ステージによって変わるものだって事ぐらい中学生でも分かるだろうに。
憐れな奴。
504人間七七四年:2009/03/09(月) 19:05:51 ID:q85C9fFN
>>501
>最近では勝頼の権力もたいしたものだった事が
証明されてる。

具体的にどういう資料に基いて、
そういう結論になっているの?
505人間七七四年:2009/03/09(月) 21:33:09 ID:HZZEc7C1
>>503
お前さんのほうが哀れだよ。
人間は成長するということすら知らないのかい。それともゲームみたいに能力が数値で一定に固定されてるとでも。
若い頃の信長や家康に天下人の器はないよ。でも環境が整った時にそれだけの人物に成長できて、器が備わった。

武田信玄ははじめから天下を狙ってない。片っ端から周辺の弱い奴を切り崩していっただけ。
当時の戦国大名は大抵そんなもん。信長だって義昭が手元の飛んでこなきゃどうなったかわからん。
狙ってないんだから取れる筈もないし、なんかの弾みで取れたとしてもそれに合わせて成長してなければすぐ倒れる。
Ifだが西上作戦に大成功して長生きして、その他色々成功してたら
天下人の器も備わってたかもしれない。でもそれは現実の信玄じゃない。
それだけの事。そんなこともわからんのかい、板のレベル低下も甚だしいな。
506人間七七四年:2009/03/09(月) 22:23:15 ID:zyhynkCb
なんだか信長スレみたいに荒れてきたな。
議論交わすのはいいが

>あー、イメージだけで歴史を歪曲してるなあ
>ワケワカメなコンプレックス
>少しは物を考えるとかないのかね
>中学生でも分かるだろうに。
>憐れな奴。

とか一々、暴言を挟まなきゃ話せない馬鹿は去れ
見てるだけでむ不愉快だ。
文章を読む気にすらならない。
507人間七七四年:2009/03/09(月) 23:41:02 ID:dBwLzMNE
>>504
丸島論文。
天正7年末には家臣団への官途・受領の授与が大量に行われてる事、
勝頼が自分が出陣中の中で嫡男信勝元服を行わせる事ができた事、
信勝元服の翌年にはご隠居様という表現が見られる事から勝頼の権力は
このころには織田信長と和睦するために政略上信勝を当主としながら
自分が実権掌握し続ける事ができるくらいに強化されていた事、
一門も勝頼を軽んじるどころか勝頼に接近する事で武田家における地位向上をはかるように
なっている事(軍鑑では武田信豊と穴山信君は勝頼の娘をどちらが自分の息子と結婚させるかで
熾烈に争い、敗れた穴山が武田から離れたとある)
山下論文では新府築城について述べた穴山の願文が紹介され、
「勝頼が親族のいさめも聞かず、新府を築いた」とある事から
勝頼の権力が相当なものだった事がわかる。

残念だった?
508人間七七四年:2009/03/09(月) 23:55:02 ID:dBwLzMNE
>>505
>>でも環境が整った時にそれだけの人物に成長できて、器が備わった。
てことは信長は天下とってないから天下人の器になってないってことじゃ。
そもそも信長が包囲網相手に余裕を持てるようになったのも死ぬ数年前くらいだし。
509人間七七四年:2009/03/10(火) 00:18:29 ID:zW8bkq8J
「せーの!」で勝てる
510人間七七四年:2009/03/10(火) 00:44:21 ID:W3HvEFpA
信長は革命児である事は疑いないと思う。
天下を獲る才能と天下を保つ才能の二つが仮にあるなら
信長は前者の才能じゃなかろうか。
天下人の器を前者と見るなら信長はおおよそ、その才能が備わってたけど
後者と見るなら多分備わってないと思う。
楚の項羽などが信長に比較的近い才能の持ち主じゃないだろうか?
(遷都をしなかったとか制度改革をさほどしなかった旧主派の項羽と喩えるのも変だけど)
511人間七七四年:2009/03/10(火) 01:11:38 ID:Luz+NIJX
>>507
つまり勝頼は周囲の反対意見を振り切って長篠で決戦を選択して敗北し、
新府を築いて豪族達の反感を買ったのですね。
512人間七七四年:2009/03/10(火) 08:15:20 ID:He65zZH1
ねーわw
513人間七七四年:2009/03/10(火) 08:25:41 ID:/tfAhIT1
>>506
ゲームや小説レベルの生半可な知識で信長以外の大名が遅れてるとか器じゃないとか、
信長以前の尾張が無法地帯で物々交換だ
というも暴言だと気付け。

だから更なる暴言を呼ぶんだよ。
514人間七七四年:2009/03/10(火) 08:32:50 ID:/tfAhIT1
人物なり地域なりを批判する、ないしはマイナスイメージで語るなら、
自分達なりにちゃんと調べてからやるべきだ。
それに気付かず、上っ面の暴言にのみ嫌悪を示しあまつさえ
自分も馬鹿は去れ
と暴言をはくとはいただけない。
自分だけは特別かい?
515人間七七四年:2009/03/10(火) 10:31:04 ID:B7tD8gJZ
ゆとりな上に
無双脳(BASARA脳)なのは放置で
516人間七七四年:2009/03/10(火) 11:41:38 ID:33P1pbuH
謙信に北信濃と西上野を献上して家来になる


517人間七七四年:2009/03/10(火) 13:06:51 ID:UDfi4JYJ
>>513
信長関連の話が出ると、どうも0か100かみたいに極端な全肯定か全否定の
意見が多くなるんだよな。信長に関して言えば、戦略面や統治手腕が当時
一流の範疇だった事を認めつつも、小説等で尾ひれがついてる様な革新的な人物ではけっしてない、
むしろ様々な柵や伝統を踏襲した冷静で堅実な戦略家だった事を念頭に置くべきだと思う。
まぁ、信長に限らず、武田・上杉・島津についても同様の傾向は見られるけどな。
518人間七七四年:2009/03/10(火) 14:37:34 ID:v9P6elw4
どこと組んでも巧くいきそうにないな、織田家内部から崩れてくれたら楽なんだろうけどな
519人間七七四年:2009/03/10(火) 17:44:43 ID:/tfAhIT1
>>517
いやあ申し訳ない。ちょっと言葉が荒くなってしまった。おっしゃる通りだと思うよ。
>>497-498は俺が書いたんで、読んでくれればわかるように決して信長を否定してる訳じゃない。
ただ名古屋出身で郷土史もかじったことがあるから、>>493氏の書き込みに
いくらなんでもそりゃねーわ
と思った。
言葉が悪くなったのは認めるし、暴言を肯定もしないけど
中には俺のように
そりゃないだろ
という思いが言葉に出たのかもしれない。
520人間七七四年:2009/03/10(火) 18:06:08 ID:UDfi4JYJ
>>519
ああ、別にオマイさんの事を叩いた訳じゃないんだよ。
俺もどちらといえば貴方の意見に近いし。
ただ、信長関連は良くも悪くもヒートアップしやすいなぁって事を
貴方ともう一人のやり取り見てて感じたんでレスしただけッス。
こちらも言葉足らずで誤解させてしまって申し訳ない。
521人間七七四年:2009/03/10(火) 18:06:51 ID:g9wp680n
六角義治と入れ替わる
522人間七七四年:2009/03/10(火) 18:50:18 ID:W3HvEFpA
ID:/tfAhIT1は消えな。
523人間七七四年:2009/03/10(火) 19:05:43 ID:wHFUlDJy
御館の乱で景虎に援軍だして、武田、北条、上杉で三国同盟を組む
524人間七七四年:2009/03/10(火) 19:23:16 ID:mfbC4KeP
景勝との同盟の条件に景虎助命を入れて、武田の家臣にする。
北条には、景虎を救出したと、同盟の正当性を訴える。
三国同盟で信長に当たり、信長の命運が尽きるのを待つ。
525人間七七四年:2009/03/10(火) 19:57:51 ID:vrqQ/ePD
>>507

別に煽ったつもりはないけど(w

ただ他国と比べて勝頼が中央集権化できているとは思わないけどね。
526人間七七四年:2009/03/11(水) 04:19:37 ID:TAEZvYKP
おまえら違うだろ。
ここは武田を批判されると、何の脈絡も無く信長を持ち出して
信長批判、信長は特別じゃないんだとファビョって武田家自身についての議論はひたすら回避する
信長コンプレックスの方々をプギャーする為のスレなんだから。
527人間七七四年:2009/03/11(水) 09:33:10 ID:+jcZGeRK
はいはい
528人間七七四年:2009/03/11(水) 10:10:23 ID:30eLWT4O
>>525
他国と比べて劣ってるとも思えないけどね。
>>526
実際信長はそう特別じゃないしな。
信長の虚像と比べて武田は〜とか言い出す変な連中に
反論するのは普通にありだろ。
実際信長が持ち出されてるしな。
529人間七七四年:2009/03/11(水) 10:40:38 ID:4hmlH4Qm
信長が那古屋→清洲→大垣→岐阜→安土と居城を次々動かし
家臣団も強制的に引越しさせるのも当時としては普通なのだろうか?
師団制を敷いて与力をつけて各方面に同時多発的に軍団を動かすのも普通だったろうか?
虚像は当然、歴史上の人物には多々あるものだけど信長が特別じゃないとは
とてもじゃないけど思えない。
530人間七七四年:2009/03/11(水) 10:57:42 ID:q/bzr4Fr
>>529
次々と居城を移動できたのは強力なリーダーシップを持って初めて出切る事だし、
方面軍や与力付与も骨子は信長のオリジナルではないが、あれだけ大規模で機能させた
戦略手腕は並ではないだろう。そもそも、最終的には20カ国以上に領土を拡張した
その結果だけを見ても、「3傑」と言われ、特別扱いも当然と言えば当然だろうね。
あと、武田が織田と比較されるのは歴史上の絡み上致し方ないかと。
531人間七七四年:2009/03/11(水) 11:31:27 ID:30eLWT4O
>>529
北条
興国寺→伊豆韮山→小田原
武田
石和→甲府→韮崎
松平(徳川)
安祥→岡崎→浜松
>>師団制を敷いて与力をつけて各方面に同時多発的に軍団を動かすのも普通だったろうか
普通。というか当然。
武田でいうなら駿河方面山県、西上野方面内藤、北信濃方面香坂、美濃方面秋山、飛騨越中方面馬場、
とそれぞれの地域を統括し、その地域の与力をつけて戦ってる。
そもそも織田にしろ武田にしろそれ以前からあった寄親・寄子制度を応用したにすぎないし。
532人間七七四年:2009/03/11(水) 12:19:01 ID:m26UapMh
対象となる両家を調べるという最低限のことすらしないで、イメージだけで織田は革新的、武田は古い
とするのは比較とは言わない。発給文書から見れば、当時もっとも領内での権限が強かったのは北条、
次いで武田だろう。織田は急激に領土が拡大したため、従来語られていた程強力な権限を持っていた
のではないらしい。
533人間七七四年:2009/03/11(水) 12:51:32 ID:xa6osIpo
すげぇな。
「信長が居城を『次々』と動かし」の対比に、武田は石和が出てくるのかよ。
石和から甲府に移るのって、信虎時代の1519年なんですがw
北条も、初代・二代辺りで急速に拡大した後は、小田原に半世紀以上だし。

信長(と、影響受けた徳川)が他と違う点は、ただ城を移るだけでなくて 常に攻める方へ居城を寄せてた事だと思うが。
534人間七七四年:2009/03/11(水) 13:03:29 ID:q/bzr4Fr
>>532
というか、北条関連ぐらいしか細部までの明確な領内経営の資料って
残ってなかったんじゃなかったっけか?

まぁ、話元に戻すと、勝頼が織田・徳川を圧倒するなんて、
ぶっちゃけ敵の特大級の失点待ち以外にどうしようもないのでは?
535人間七七四年:2009/03/11(水) 13:26:36 ID:30eLWT4O
>>533
もともと織田弾正忠家自体が
信長の祖父信定の代から津島から勝俣に移動してるし
信長の父の信秀は勝俣から名古屋に移動、晩年は清洲に入りたかったらしいが。
弾正忠家の歴史から見ても信長が特別というわけでもないんだよ。

徳川が影響を受けたともいってるがそれも間違いで
それいったら徳川ももともとは松平といって
松平郷→岩津→安祥→岡崎と移ってきた一族で家康の代で浜松に移転しただけの事。
北条にしろ武田にしろ新興の時代では拠点を移してるし、
新興の状態でめまぐるしい時や戦略的な問題があるときは拠点を移すのは
別におかしくないんだよ。
信長が最後にきずいた安土は敵の攻めるほうじゃなくて領国の中心。
中心となる地点があって特に問題ないなら動く必要もないのは自明。
536人間七七四年:2009/03/11(水) 13:55:36 ID:m26UapMh
徳川といえば家康と信康、浜松と岡崎の微妙な対立があったよね。
信康が勝頼に通じていたとかいないとか、不明な部分もあるけど、
勝頼が信康ないしは徳川家内部に働きかけるのって可能性としてあるのかな?
537人間七七四年:2009/03/11(水) 14:17:20 ID:6I6pdozc
信玄は国も貧困、山間で移動も大変、周辺は強国ばかり。領土面積当たりの石高が低い甲斐や信濃で 山之内上杉の大軍を破ったり
村上、小笠原らとガチでぶつかり合い長尾も介入してくる 状況で信濃を取った点や
北条との抗争で駿河を取った事、距離的にさほど
攻め込みやすいと言えない徳川領を押しまくり追い詰め、東美濃も侵略した

信長は津島湊や知多南郡の木綿の生産地を掌握し、尾張でもダントツの経済力を
有していた信秀の子に生まれた。


版図拡張と言っても山間部出身で周りも強国、国も貧困で京への距離もある武田や
関東出兵や武田との対戦を余儀なくされ国内も反乱やら蘆名の介入やらで
大変、武田以上に京まで遠く雪による制約も大きく関東、信濃、奥州、北陸
多方面戦略を展開してた上杉とは条件が違いすぎる

織田は美濃、尾張で信玄の最大版図くらいになる国力。北伊勢含めばもっと上がる。
幼君でガタガタな斉藤はクーデター起こるぐらいだったし相当弱体化してた。
尾張は石高的にかなり条件の良い国
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば
思い立ったら上洛できる位置。 西は木曽・揖斐川の大河に守られ
東と結べば背後に敵無し。尾張、伊勢、畿内等は国高の高さの割りに
領土面積が狭く平野部が多く移動も楽。美濃も地形的に東から侵略されずらく
武田の本拠地も遠い。
周りの大名も今川義元は運良く戦死 跡継ぎの氏真は暗愚
松平家は独立 同盟で後方の安全を確保
斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名
六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた
三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は猪武者
織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅
足利義昭も信長の所に来た
538人間七七四年:2009/03/11(水) 14:24:48 ID:6I6pdozc
本拠地移動は謙信は国内で本庄の反乱が起きたり信玄は賓国甲斐を放置できない
とかそれぞれ 別の理由でしないorできなかったわけで
三好だって阿波から畿内に本拠移してる。
539人間七七四年:2009/03/11(水) 15:26:00 ID:xa6osIpo
>新興の状態でめまぐるしい時や戦略的な問題があるときは拠点を移すのは
>別におかしくないんだよ。

って、甲府や小田原に移ると新興勢力じゃなくなるの?
武田は信濃・西上野に延びるし、北条だって武蔵に延びていくのに。
特に武田は、戦略的な問題がっていうなら、甲斐から上野なんて現代でも道無いですよ。

上で言ってるように、しないorできなかった、だけじゃないのかよ。

>>538
長慶は堺とか京に在してたけど、本拠といえるほど摂津や山城を強固に支配できてたとは思えないよ。
抵抗してくる連中を、自分で出陣して退治できなかったし、弟が戦死しちゃうような戦争状況になっちゃうし。

あと、『運が良かった探し』はやめようぜw
540人間七七四年:2009/03/11(水) 17:32:13 ID:q/bzr4Fr
>>540
同意。
んな事言い始めたら、家督相続後に林を始めとする多くの有力国人に離反された状態で
尾張をまとめなければならなかった信長なんて、家督継いだ時点じゃ信玄よりも
「とてつもなく運が悪い」状態になってしまうよな。
どっちが恵まれてたかなんて無意味な議論だよ。
541人間七七四年:2009/03/11(水) 17:35:22 ID:q/bzr4Fr

アンカーミス、すまそ。
×>>540
>>539
542人間七七四年:2009/03/11(水) 19:01:07 ID:30eLWT4O
>>539
>>って、甲府や小田原に移ると新興勢力じゃなくなるの?
いや、都合がいい土地を見つけたら離れる必要がないだけ。
戦略的な問題でいうなら駿河方面を注意する意味でも甲斐のがいいし。

まあ貧国甲斐を放置できなかったというのが大きいんだけどさ。

別人だが、
三好は畿内三好と阿波三好に分かれてしまうほど畿内に根を下ろしてるし、
長慶が畿内に滞在してた期間も長いから問題ないと思うが。
>>540
>>家督相続後に林を始めとする多くの有力国人に離反された状態で
これを招いたのは信長の素行だから運の問題じゃないだろ。
543人間七七四年:2009/03/11(水) 19:07:59 ID:m26UapMh
僕も同意だな。
運がいい「だけ」なら早晩潰れる。
幸運を最大限に活かす、そして困難に耐え抜くのはやはり才覚だと思う。
信長に限らずだけどね。


だけど家康が居城を変えていったのは信長の影響、というのには「?」だ。
家康が変えた時期の織田の動きを見たけれど、特に関連はなさそう。
あるいは考え方や行動が信長の影響を受けたということ?
それならますます「?」だ。
家康が武田の影響を受けた、というか積極的に取り入れたのはよく知られてるけど、信長の影響を受けたというのは、僕は不勉強だから知らない。
何か根拠があるのなら教えて下さい。
544人間七七四年:2009/03/11(水) 19:48:34 ID:q/bzr4Fr
>>542
厳密には運じゃなくても、信長が逆境から出発したのに変わりは無いと思うが?
だから、そういった要素を比べるのは無意味だと言ってるんだよ。
545人間七七四年:2009/03/11(水) 19:55:58 ID:30eLWT4O
>>544
自分で招いた境遇なのにいわれてもな。
実際弾正忠家は尾張最強だし、その他にも運の要素はいろいろ。
運だけとはいわないし有能だとも思うが。否定するものでもないだろう。
そういった要素を見ないで他の大名より大きく優越してたみたいに語られてもな。
546人間七七四年:2009/03/11(水) 20:38:46 ID:4hmlH4Qm
しかし信長以外の誰が
あの時点で弾正忠家を継いで天下を獲れたかという話になるよな。
やはり信長が特別だからだとしか思えないのだが。
547人間七七四年:2009/03/11(水) 20:58:15 ID:30eLWT4O
>>546
一流の才能を持つ優秀な戦国大名だっていうのは
誰も否定してないと思うが。
弾正忠家を継いだ以外にも多くの運に恵まれたしな。
てか信長は天下とってないと思うが。
548人間七七四年:2009/03/11(水) 21:07:15 ID:q/bzr4Fr
>>545
弾正忠家が最強だったのは、厳密には信秀の代の話。
信長家督を相続した時点では、相当数の国人が日和見状態で戦力にならず、
親族とも対立状態、果ては林のように寝返る家臣も出る始末。
その状況を打破したのは紛れもなく信長自身の力だろ。
そういった要素を排して、ただただ武田よりも恵まれてたなんて語るほうがお門違いでは?
それを否定するなら、信玄の悪要素ですら、信玄自身の戦略・統治方針が招いた自業自得になってしまうぞ?
549人間七七四年:2009/03/11(水) 21:10:13 ID:NXzDgCIH
信長は津島湊や知多南郡の木綿の生産地を掌握し、尾張でもダントツの経済力を
有していた信秀の子に生まれた。

美濃、尾張で信玄の最大版図くらいになる国力。北伊勢含めばもっと上がる。
幼君でガタガタな斉藤はクーデター起こるぐらいだったし相当弱体化してた。
尾張は石高的にかなり条件の良い国
京から遠くも無く近くもない程よい位置でもある。
京の動乱に巻き込まれず濃尾両国を有すれば
思い立ったら上洛できる位置。 西は木曽・揖斐川の大河に守られ
東と結べば背後に敵無し。尾張、伊勢、畿内等は国高の高さの割りに
領土面積が狭く平野部が多く移動も楽。美濃も地形的に東から侵略されずらく
武田の本拠地も遠い。
周りの大名も今川義元は運良く先陣と勘違いして本陣突っ込んで討ち取る
跡継ぎの氏真は暗愚 松平家は独立 同盟で後方の安全を確保
斉藤家の義龍は早死して、跡継ぎの龍興は暗愚
朝倉家の朝倉義景は惰弱で暗愚の代名詞のような大名
六角家は観音寺騒動や対浅井の敗戦で弱体化しきっていた
三好家は分裂状態で統制が取れずバラバラ
織田と本格的に戦う前に信玄は病死 跡継ぎの勝頼は猪武者 北条と勝手に対立し自滅
織田と本格的に戦う前に謙信は病死 その後上杉家は内乱で自滅
足利義昭も信長の所に来た

どう見ても運です。
550人間七七四年:2009/03/11(水) 21:11:22 ID:30eLWT4O
>>548
何をいってるのやら。
信長自身が奇矯な振る舞いをしまくって「うつけ」と呼ばれ
家中から白い目で見られていたことが離反の原因だろうに。
筆頭家老の平手は「守り立ての甲斐なし!」と言って自害、
同じく筆頭家老の林は弟を立てるために動いた。
弟に走った家臣は多数。
これを見て信長に過失がないと思えるのが異常だが。
551人間七七四年:2009/03/11(水) 21:17:37 ID:q/bzr4Fr
>>550
異常なのはお前の読解力だよ。
誰が信長に過失が無いなんて書いたんだ?
最初から、初期の信長も逆境に居たんであって、信玄との境遇比べには意味が無い
という事を言ってるのに問題を摩り替えるんじゃない。
552人間七七四年:2009/03/11(水) 21:22:28 ID:30eLWT4O
>>551
お前さんが主張を変えてるだけだろ。
散々初期の信長が逆境にあったといっておいて
あまつさえ信玄の悪状況も信玄のせいになるみたいに
信長の逆境を自然災害かなんかみたいに言っておきながら
信長の逆境が過失のせいだと指摘されればその反応か。
有利な環境を過失で悪くしたのに
境遇比べが意味ないだの恵まれてないもなにもないだろうが。
553人間七七四年:2009/03/11(水) 21:32:24 ID:q/bzr4Fr
>>552
だからお前の理解力に問題が有ると言われるんだよ。少しは頭冷やせ。
お前が、信長の悪材料は全て信長自身に寄る物だと言うから、
その論法で行くなら、村上や上杉と対立したのも、国内の反乱が多発したのも
全て信玄の戦略・統治路線の結果だと言ったまでだろうに。
お前こそ、それを指摘されればその反応は唯の子供か?
そもそも、弾正忠家自体が信秀の力量で持っていた部分が否めんのだから、
その信秀が早くに死んだ以上は、家督相続によってどうやっても影響力の低下は免れない状況。
それを絶対的な有利な状況と思える分析にも脱帽だよ。
554人間七七四年:2009/03/11(水) 21:40:45 ID:30eLWT4O
>>553
全然問題ないと思うが。
>>お前が、信長の悪材料は全て信長自身に寄る物だと言うから、
>>その論法で行くなら、村上や上杉と対立したのも、国内の反乱が多発したのも
>>全て信玄の戦略・統治路線の結果だと言ったまでだろうに
その理解が狂ってるといってるんだが。
信長自身が奇矯な振る舞いで「うつけ」と呼ばれ家中から離反されまくったくせに
何を言ってるんだ?村上や上杉といった国外の相手と戦った事のどう比較になるんだ?
>>国内の反乱が多発したのも
これ気になったんだが。詳しく教えてもらえるか?少なくとも信長に比べれば多発なんてとても思えんが。
事例あげてくれ。
>>その信秀が早くに死んだ以上は、家督相続によってどうやっても影響力の低下は免れない状況。
>>それを絶対的な有利な状況と思える分析にも脱帽だよ。
ばかげてる。信秀は信長を生前から嫡子に決めて揺るがなかった。
筆頭家老を二人も信長につけてその継承に万端を帰した。
それを信長が奇矯な振る舞いをして支持を失って離反されたのに
その言い草ができる妄信振りが異常だといってるんだが。
ひいきの引き倒しだな。
555人間七七四年:2009/03/11(水) 21:50:41 ID:q/bzr4Fr
>>554
はぁ、お前は文盲かよ。
だから、誰も信長に過失がなかったなんて言ってないだろうが。
お前が勝手にそう判断して、勝手に噛み付いてるだけだっての。
信玄との比較は、お前さんが「武田大好き!」で狂ってるみたいだから
皮肉で出しただけだよ。
それに、信秀の話は、信秀が万難を排したかどうかじゃなくて、
実力者の後継者が実績の無い若者という状況が問題だったんだって言ってるだろ?
それも理解できないで狂ってるとか言えるんだから、やっぱりお前さんの読解力が狂ってるんだよ。
556人間七七四年:2009/03/11(水) 21:53:20 ID:q/bzr4Fr
>>555
「狂ってる」じゃなくて「ばかげてる」だな。
俺の眼の方が狂ってきたぜ。
557人間七七四年:2009/03/11(水) 21:57:14 ID:30eLWT4O
>>555
全然答えになってないといってるんだが。
最初は自然災害かなんかみたいに言って
指摘されれば今度は全然関係のない、国外勢力との争いを過失にあげ、
今度はその言い草か。武田の多発してたらしい内乱はどうしたんだ?
的外れとしかいえんが。

>>実力者の後継者が実績の無い若者という状況が問題だったんだって言ってるだろ?
同じく実力のない年少の弟に家臣が流れてる、しかもつけられた筆頭家老の一人は自害し、もう一人は弟に流れてる
状態を見て本当にそうだとおもってるのか。ばかげてるにもほどがあるが。
どう見ても信長の過失だろうが。
なんとかしてこの部分を摩り替えようとしてるみたいだが。
558人間七七四年:2009/03/11(水) 21:59:50 ID:WkWt5qOh
また始まった
559人間七七四年:2009/03/11(水) 22:07:18 ID:q/bzr4Fr
>>557
だから、最初から自然災害だなんて言ってねぇし、過失が無いなんて言ってないだろうが!
文盲と妄想で人に噛み付くのも大概にしろよ!

しかも、後継者に実績がないから、その対抗馬に同じく若い後継候補が担ぎ出されるなんて
常套手段だろうが。そんな事も理解できないで何を語ろうって言うんだ?
ばかげてるのはお前さんの無知と読解力と理解力だよ・・・・・・
560人間七七四年:2009/03/11(水) 22:09:41 ID:q/bzr4Fr
>>557
つうか、キチガイの相手はマジで疲れた。
もうお前さんの言う通り、信玄は偉大で
信長は全てに恵まれた唯のラッキーボーイでいいよ。
これ以上、俺が言ってもいない事で噛みつかんでくれ。
561人間七七四年:2009/03/11(水) 22:14:13 ID:30eLWT4O
>>559
どっちもそちらの事だと思うが。
それで武田の数多いらしい内乱とやらはどうしたんだ?
武田の問題は自然災害が多いが、それとどう比較になる?
村上や上杉といった国外勢力と戦った事もどう比較になる?
めちゃくちゃな理屈立ててるだけだろうが。

頭大丈夫か?
実績以前に兄であり正当な嫡子であり、筆頭家老二人もつけられてる状態の
信長に対して、より実績無く弟であり、年少であり、筆頭家老もついてない
弟が担ぎ出される理由がどこにあるっていうんだ?「信長がまともだったなら」な
過失があるのを否定してないとか言っておきながら、この点は頑として認めず
必然みたいに言ってる時点で何をいえたものか。
少なくとも自分で言い出した事例一つ挙げられず、指摘されるたびに答えが変わる奴に
無知とか読解力とかいわれたくないもんだが。
562人間七七四年:2009/03/11(水) 22:15:08 ID:30eLWT4O
>>560
全部お前が言い出した事だろうが。
ふざけるなとしかいえないが。
最後は捨て鉢になってそのさまか。
563人間七七四年:2009/03/11(水) 22:23:56 ID:q/bzr4Fr
>>561
お前、こういう家督相続のゴタゴタが何も解ってないんだなぁ。
この場合は、信長の代わりに立てる信行は最悪傀儡でもいい訳なんだから、
信長よりも歳が若くて実績が無くてもいいんだよ。
つうか、人のいう事無視して文の書いいくのって楽しいか?そういう病気の人なのか?

あと、武田の皮肉の比較はホントに理解出来ないのか?
>>553
>その論法で行くなら、村上や上杉と対立したのも、国内の反乱が多発したのも
全て信玄の戦略・統治路線の結果だと言ったまでだろうに。
と答えてるだろうが。これで理解できないのなら、何を言っても理解できんだろう。
だって、都合の良い解釈にしか出来ないし、見たくない物は眼に入らないみたいなんだから。
564人間七七四年:2009/03/11(水) 22:26:03 ID:q/bzr4Fr
>>562
俺が言い出しただ!?
お前が最初に噛み付いてきたんだろうが!!
文盲の上にリアルキチガイかよ!
もう、お前は自分の組み立てた妄想の世界にでも浸ってろ。噛み付かれた方が迷惑だ!!
565人間七七四年:2009/03/11(水) 22:29:19 ID:WNJ7MlvH
>>550
まず誤解があるのだが、尾張の豪族のほとんどは信秀を盟主・リーダーとして
認めたから従ったのであって、織田弾正忠家に家来になって従ったのではない。
だから、信秀個人に従ったのであって、死んだらその息子に従う理由は無くなる。
信秀死後に弾正忠家の支配域が縮小したのはあえて言えば信秀が構築した体制の
問題であって、信長個人に責任を追及するのは間違っている。

>>561
信長から離反者が出たのは事実だが、同時に信勝に付けられた者からも離反して
信長についたものがいたのも事実。一方のマイナス面だけを取り上げて非難する
のはフェアな評価とは言えないな。

それからこれも誤解が多いのだが、信秀死後について、弾正忠家の一族とその
家臣たちは内心はともかく公的には信長の相続を認めて服従している。少なくとも
信勝が謀反を起す1556年まで五年ほどの間、一族家来の離反はほぼなかった。

では何故信勝謀反が起ったかというと、要因は三つ。村木城攻撃で勝利はしたが
直轄軍に大損害を受け、信長の軍事力が低下していたこと。叔父の信光の横死と
信次の出奔で一族年長者からの後援が弱まったこと。同じく美濃の道三の死に
よって妻の一族からの援助もよわまったこと。

つまり政治的外交的な要因であって、信長の人格の問題には出来ない。
そもそも信長がまともでなかったというのなら、どうして稲生の合戦の時に、
佐久間一族は信勝から離反して信長についたのだ?
566人間七七四年:2009/03/11(水) 22:33:11 ID:30eLWT4O
>>563
無視してるも何も言ってないだろうが阿呆。
根本的なところが何もわかってないみたいだが。
「信長に何も問題がなかったなら」誰も信勝に流れる理由がない
状態だといってるんだよ。いい加減話をすりかえるのはやめろ。
どう見ても信長の過失だろうが。

実際具体的に何も答えてもらってないのでな。
早く武田の数多い内乱とやらを答えてもらえるか?

理解できないな。全然たとえにも皮肉にもなってないんでな。
国内で離反されたのと国外勢力と戦ったのと何の比較になるのかと。
信長が信勝を意図的に戦略的に謀反させたとかいう話にでもしない限り
全然的外れなんだがな。

都合の悪い事はどうせ答えられず抽象論で答えるんだろうが。
567人間七七四年:2009/03/11(水) 22:34:03 ID:30eLWT4O
>>564
お前。
しっかり自分のレスを見返してみろ。
散々主張変わってるから。
568人間七七四年:2009/03/11(水) 22:36:15 ID:q/bzr4Fr
>>566
お前みたいな文字も読めない真性のキチガイ馬鹿はもう俺の手には負えん。
幸い、俺よりも理路整然としたレスが付いたみたいだし、
そっちに相手してもらってくれ。じゃあな。
569人間七七四年:2009/03/11(水) 22:39:49 ID:q/bzr4Fr
>>567
・・・・・・お前、俺の>564にその答えは本当にアホだぞ?
どう見ても、俺の>>540にお前が>>542で噛み付いてきたのが始まりだろうが。
マジで眼なり頭なりの病院行った方がいいぞ。では、お達者で。
570人間七七四年:2009/03/11(水) 22:40:49 ID:30eLWT4O
>>565
弟に大量に流れてる事の理由にはなってないと思うが。
そもそも信長が盟主として認められれば
他の豪族も離反する理由は特になかったと思うが。

だが結局最終的に信勝側のほうが兵力多くなってるか互角になってるのは事実。
これを無視するのはな。

平手は守り立ての甲斐がないと自害してるが。
村木攻めのように今川に家臣が流れたりしてるし。

その3つの要因があったからといってどうして
それまで信長にしたがってた家臣たちが信長を捨てて信勝に流れるのかが
理由になってないような。
信勝を立てて成功しても周囲の状況は変わらない。
内乱を起こし疲弊した戦力にしてまで信勝をたてる理由がない。
信長じゃ無理だとか思われない限り。
信勝自身が信秀の葬儀の時もそれ以前も家臣の評判はよかったしな。

もともとそれ以前に佐久間は領地をもらって買収されてたろ。
571人間七七四年:2009/03/11(水) 22:43:52 ID:30eLWT4O
>>568
他人に押し付けてその言い草か。
結局一度もあがってない具体例が見れなくて残念至極だな。
>>569
もともとそれ以前のレスから俺は話をしているんだがな。
お前が>>540で同意してかいた>>539の文は俺とつながってる。
この程度の流れも見れんのか。
そもそも主張ころころ変えてるのは無視か。
572人間七七四年:2009/03/11(水) 22:44:38 ID:4hmlH4Qm
織田信秀って享年42とウィキに書いてあるが
彼が長生きをして80歳まで生きたら尾張を統一し
数百万石まで版図を広げられただろうか?
あと20年長生きしてたら普通に今川義元に滅ぼされて
織田家もろともアボーンだったとしか思えないんだが。
573人間七七四年:2009/03/11(水) 22:50:39 ID:30eLWT4O
>>572
どうかな?
信秀自身が小豆坂で寡兵で今川の大軍を撃退して尾張の第一人者に
なった男だしな。
まあ信長のときみたいに先陣だと思ったら本陣だったという僥倖があれば
問題ないような。
さすがに当時では80とかは超老人だしな。その先はわからん。人生50年の時代だから。
574人間七七四年:2009/03/11(水) 22:52:21 ID:q/bzr4Fr
>>571
>>539に同意したのが気に入らなかったと。
ああ、スマンネ。そんな心情なんて理解できなかったから、
知らないうちに傷つけてたのな。ああゴメンゴメン。
あと、「織田と武田の境遇の良し悪しを比べるなんて無意味」主張は最初から何も変えてないよ。
変えたように見えるなら、それはお前さんがそう思いたいだけだろ?冷静になって文字を読みなよ。
じゃ、本当にここらで消えるよ。元気一杯頑張ってくれ。
575人間七七四年:2009/03/11(水) 22:53:12 ID:Z+/wC4eO
まあ先陣と勘違いして本人突っ込んで大将討ち取るなんて幸運には他の武将じゃそうそう巡り合せないだろうな

そういう意味じゃ特別
576人間七七四年:2009/03/11(水) 22:54:44 ID:m26UapMh
信長公記の首巻は年代の取り違えや矛盾が少なからずあり、
信長の尾張時代は不明な点が多い。
もとが曖昧なのに喧嘩しても詰まらないよ。
そろそろ信長の話題は終わりにしようや。
577人間七七四年:2009/03/11(水) 22:56:47 ID:30eLWT4O
>>574
本当に読解力ないのな。お前。
どうやったらそう理解できるんだか。
武田の内乱はどうした?国外勢力との戦いと国内勢力の離反を比べて
同じ戦略的過失という事に成るといったことは?
指摘されたら状況が必然みたいに言った事は?
まあもはやどれだけ聞いてもまともな答えきそうにないから好きにしてくれ。
578人間七七四年:2009/03/11(水) 23:00:32 ID:4hmlH4Qm
しかし武田信虎って男盛りの全盛期で
対外的にも成功続きだった時代に
息子の信玄が重臣ごと家臣を丸ごと奪われてんのな
下り坂じゃなく上り坂の親父から全てをスムーズに奪った信玄の
政治力は凄まじいと評価できる。
579人間七七四年:2009/03/11(水) 23:06:08 ID:4hmlH4Qm
よく「信玄の後の代を信玄自身が継いでも武田家滅亡から免れるのは無理だった」という声もあるけど
なんとなく、そうは思えないんだよね。
若気の至りで砥石城攻めとか色々ミスもあったが信玄の家臣掌握能力は
最初から目茶秀でてたように感じるし。
勝頼は無能じゃないが親と比べたら政治能力がどうしても見劣りする。
580人間七七四年:2009/03/11(水) 23:21:21 ID:4hmlH4Qm
しかし信秀の息子に信玄が
信虎の息子に信虎が仮に生まれてたと仮定したら
かなり面白かったと思う。

織田信玄は家臣を手なずけ家臣一丸となって尾張を守れたかもしれない。
ただしいち早く上洛路を築いて天下獲りへの道を最短ルートで歩めたとは思えない。

逆に武田信長は人望がなくてクーデターもできず信虎の息子として
老人になるまで何もできず信虎に歌舞伎者の息子ありとしか歴史に名を残さなかったかも。
581人間七七四年:2009/03/12(木) 00:16:59 ID:eojYLXyS
>>570
>最終的に信勝側のほうが兵力多くなってるか互角になってるのは事実
別に無視していませんよ。その原因を信長の人格だけに求めるのは間違いだと
言っているだけです。


>平手は守り立ての甲斐がないと自害してるが
別説があることを無視して断定するのはどうかと。

>信長にしたがってた家臣たちが信長を捨てて信勝に流れる
質問ですが、この時に元信長の家臣で裏切って信勝についた者の名前を挙げて
ください。林以外に。
ちなみに柴田は下から信勝の家来なんで、「信長を裏切って」とはなりません。
自分の主君の命令に従って信長と戦っただけですから。
ちなみに林の場合、これ以前の村木攻めのとき、信長の命令に逆らった挙句
信長は勝利を収めて凱旋してきた為平身低頭して家来に戻してもらったという
いきさつがあります。以後、林は権力を抑えられることになる。
そういった、林側の問題も考慮しなければならないでしょう。
少なくとも、裏切られた原因は全て信長の人格にありというのは無茶です。

>以前に佐久間は領地をもらって買収されてたろ
林も信勝から勝利後の領地で買収されていたそうですねえ。
一方の側だけを取り上げてもう一方はスルーってのはダブスタといいます。

>>580
その人望がないってのはどこから来るんだ?
582人間七七四年:2009/03/12(木) 00:23:06 ID:n/IIk9zZ
>>581
人格問題でもないと説明つかんが。

>>別説があることを無視して断定するのはどうかと
実際信長公記にしっかり書いてあるんでな。
信長万歳の公記がわざわざ主君の恥を書いてるんだから注目していいと思うが。

さあな。調べるのが面倒だが。
とりあえず信長より兵力多くなってるんだからそれなりの裏切りがあったとしないと
説明つかんだろ。

>>信長は勝利を収めて凱旋してきた為平身低頭して家来に戻してもらったという
>>いきさつがあります。以後、林は権力を抑えられることになる
こんな経緯ないぞ。少なくとも信長公記には。
林はそのまま分かれて信勝蜂起のときに登場するまで行方をくらましてるから
愛想つかしたんじゃないかと思うが。

>>林も信勝から勝利後の領地で買収されていたそうですねえ。
>>一方の側だけを取り上げてもう一方はスルーってのはダブスタといいます
こんな話初耳だぞ。根拠よろしく。信長公記には少なくともないな。
ろくに根拠無い事を断定する事を妄想とか希望的観測といいますよ。
583人間七七四年:2009/03/12(木) 01:35:50 ID:G5ZaFj4z
信長公記は信長万歳ではないよ
つか公記を丸呑みするのはどうかと思う。

信長信勝に関しては信勝の方が嫡統だったのでないか、という人もいる。
まあ奇説だけど
584人間七七四年:2009/03/12(木) 01:48:13 ID:yMnlH3tt
信長公記は熊見川や手取川が載ってなかったり大した戦果のない姉川が大勝になってたり
どうみても信長万歳。
公記に反証する材料がないのに公記否定するのはおかしい。 
しかもその記述内容は信長不利なもの。信長びいきな記述なら疑う余地はあるが
逆なら反証材料ないなら信じていいんじゃないか。
585人間七七四年:2009/03/12(木) 08:30:05 ID:G5ZaFj4z
>>584
言葉足らずでしたゴメン。
僕が言ったのはあくまで首巻のこと。
決して信長万歳じゃないし、年代や内容も矛盾があるよね。
牛一の記憶違い説が有力だね
586人間七七四年:2009/03/12(木) 08:36:47 ID:fuWoMxij
で、どうやったら武田勝頼が信長家康に勝てるの?
587人間七七四年:2009/03/12(木) 09:17:55 ID:Enj8gD2O
鳥インフルエンザの焼き鳥を食わせて殺す
588人間七七四年:2009/03/12(木) 10:48:33 ID:wB+Ya1e0
信長の野望だと武田勝頼を選択しても
あっさり家康・信長に勝てるがのぅ
政治力やカリスマ性や人格的迫力など数値化できない部分が
やはり若干足りなかったとしか言えない。
長篠の合戦までは勝ち負けは別として将兵たちの多くが
自分の命を賭して戦ってくれたが、その後は勝頼のために
死ぬまで戦おうという将兵があまり居なかった点を考えると
もうカリスマもなけりゃ人格的魅力・迫力・威厳もたいして無かったとしか
思いようがない。
589人間七七四年:2009/03/12(木) 11:54:32 ID:G5ZaFj4z
>>588
> 信長の野望だと武田勝頼を選択しても
> あっさり家康・信長に勝てるがのぅ
> 政治力やカリスマ性や人格的迫力など数値化できない部分が
> やはり若干足りなかったとしか言えない。

苦笑
それ以外のパラメータが忠実に再現されていると思っている君に言われたくないだろな、勝頼も信長も。
590人間七七四年:2009/03/12(木) 12:23:57 ID:wB+Ya1e0
>>589

苦笑
勝頼も信長も既に死亡してるのにゲームと現実の世界の区別がつかない君に言われたくないな。
591人間七七四年:2009/03/12(木) 18:02:42 ID:jJXOeQmp
>>588
カリスマや人格的というより単純に長篠の大ダメージや越後や関東、東海の多方面戦略で疲弊しきっていて
金山の枯渇、新府築城など内政の失敗も重なり崩壊したんだと思うが。
>>585
同じ作品なのに首巻とそれ以降でそこまで人物の描き方が変わるの?
なんで変わるの?
592人間七七四年:2009/03/12(木) 18:22:32 ID:mufkuB37
>>585
首巻はかなり信長万歳だと思うよ…。
道三との会見では、織田家臣である太田が、信長が織田家臣を連れて帰った後の
道三の「いずれ息子たちは信長の家臣となるだろう」という呟きをなぜか知って書いてるし
河野島の流れとか書いてないし、大良河原では追撃軍に信長が鉄砲撃ったら敵が追撃やめたとか
稲生では信長が大声あげたら敵が敗走したり、信長が京に上った時に刺客のいる宿に乗り込んで
「殺せるものなら殺してみろ!」と啖呵切って刺客が恐れ入ったり
かなり信長万歳な記事が多いんだけど。
593人間七七四年:2009/03/12(木) 22:27:20 ID:zVNYit3/
うだうだ言ってると
ぶち殺すぞ
594人間七七四年:2009/03/12(木) 23:34:29 ID:gN3Is96r
>>593
マジで通報しといた
595人間七七四年:2009/03/12(木) 23:49:08 ID:G5ZaFj4z
>>591
首巻で「うつけ」「たわけ」と描かれてるのはかなり有名だと思ったが…
知らない訳じゃないだろ?
古語辞典でたわけの意味を調べてごらん。うつけよりどぎついよ

>>592
俺が言ってるのは必ずしも信長万歳ではない、一辺倒じゃないということ。
逆に一辺倒でないから信頼が置けると君自身も述べてるじゃない?

首巻が他と比べて今一つ信頼が置けないのは君の挙げたあからさまな信長賞賛の記述や、嫡男なのに
父の葬儀の喪主でなかったような描写からも伺える。

俺の言い方も悪かったかもしれんが、いい加減ゼロか百かみたいな極言扱いはやめてね。
596人間七七四年:2009/03/13(金) 00:02:48 ID:cBauEZia
>>595
『うつけ』『たわけ』云々と信長の描き方が賞賛的でない物から賞賛的に変わったこととは関係ない。
むしろ同一作品内でそうそう方針が変化しないと考える方が自然で、公記にうつけたわけ
とあるなら本当にそうだったorそう見えた、のが実際だと思う。
597人間七七四年:2009/03/13(金) 00:16:45 ID:inQLHOgQ
信長公記に書かれている、信長の悪口はそのまま肯定して、
賞賛している部分は怪しむというのはどうかと。

>>592
>道三との会見では、織田家臣である太田が、信長が織田家臣を連れて帰った後の
>道三の「いずれ息子たちは信長の家臣となるだろう」という呟きをなぜか知って書いてるし
この時道三のつぶやきを聞いたという猪子兵助は、後に信長に
仕えて馬廻として最後は本能寺で戦死した。牛一が直接聞いた
可能性は否定できるものではない。
信長の側近の中には美濃衆が実に多い。道三、義龍、龍興三代に
祐筆・近習として仕え、さらに信長の秘書にもなった武井夕庵
などは、美濃斎藤家の内部事情をさぞ抱えていただろう。
少なくとも、牛一には全く知りえない情報ではないな。
598人間七七四年:2009/03/13(金) 00:26:08 ID:VVbvP9lk
>>597
だから別に悪口を肯定もしてないてば。
ただ首巻には矛盾があるし、君らも公記を全面的に信じてる訳じゃなかろ?
牛一が信頼出来たとしても、彼の立場や時代の制約があるし。
「丸呑みするな」と述べたら公記を全否定した、みたいな解釈はやめてくれ。
公記に対する信頼度は研究者でもまちまちなんだけど。

何て言うか
人の話を聞く時は少し余裕を持てよ

もう面倒臭いから、かまわんでくれ。
じゃね!
599人間七七四年:2009/03/13(金) 10:54:04 ID:dae28sMP
>>597
明らかに誇張入った賞賛と、その信長万歳な著作の中でもしっかり書かれてる
悪い面を同列にするのはどうかと思うが。

>>598
なんか変な同一人物認定してない?
600人間七七四年:2009/03/13(金) 12:02:28 ID:bd9K+IZn
信長を賞賛的に書いてる作品なら、賞賛的な部分は疑う余地はあるが
否定的な記述は疑う必要もなかろう。他に反証材料があるなら別だが。
601人間七七四年:2009/03/13(金) 16:08:40 ID:ZNxEG8cl
長篠直後に土下座外交したらどうなるかな?
602人間七七四年:2009/03/13(金) 16:56:25 ID:AL3JrTNN
木曽川にゴミやら木、土砂をどんどん捨てて下流に流し
心理的に圧迫する
603人間七七四年:2009/03/13(金) 17:48:07 ID:KXCmTGWt
光秀に催促する
604人間七七四年:2009/03/13(金) 23:28:00 ID:BaHFLtsN
将軍様にテポドンを安土と浜松に撃ち込んで貰う
605人間七七四年:2009/03/14(土) 10:25:40 ID:aVszRxBs
武田家が金山枯れてジリ貧と、よく眼にするけれど、
徳川の財源は?毛利や長宗我部、伊達や佐竹の財源は?
606人間七七四年:2009/03/14(土) 10:26:39 ID:Iz45HNQ6
勝頼は戦闘能力は信玄より上だったと思うよ。長篠はアレだが。
外交で失敗した風もあるけど、信玄も外交では同盟無視しまくりで他国から信頼0だったし。
やはり最大の差は家臣の掌握能力だった気がする。逆に言えば譜代の家臣に
軽く見られないために積極的に戦いを起こして勝利する事で認められようとしたんだろう。
いずれにしても信長との力は開く一方だったのでどうしようもなかった感が強い。
607人間七七四年:2009/03/14(土) 10:40:34 ID:URXAwLLW
>>605
武田にしても金山はそこまで大きなものじゃない。
武田にしてみれば金山はあくまでも間接収入だから。
>>606
まあ信玄の外交は誰かを敵に回す前に必ず複数の相手と組んでいるのが
特徴だな。信玄の同盟破棄回数も戦国の世でいえばそこまで多くないんだが。
意外なことに。
608人間七七四年:2009/03/14(土) 11:11:12 ID:aVszRxBs
信長の軍勢の多さは、傭兵だからなの?
609人間七七四年:2009/03/14(土) 11:22:47 ID:URXAwLLW
>>608
単純に領土と石高が大きかったから。

信長の軍勢も他所と同じ軍役衆。
610人間七七四年:2009/03/14(土) 11:25:21 ID:OR9jw0v6
>>608
甲斐一国、尾張一国、同じ一国でも全く別物だからなぁ
611人間七七四年:2009/03/14(土) 11:27:34 ID:Iz45HNQ6
長篠以降で滅亡を回避するには、上の方でも意見があったけど御館の乱で
北条の要望どおり景虎を支援して、その後甲相越の三国同盟を締結できれば
面白いなあなどど妄想。
景勝との単独講和にぶちぎれた北条との不毛な戦闘がなければ、東海地方の
勢力も維持できただろう。まだ徳川単体よりは力があったし。
612人間七七四年:2009/03/14(土) 11:29:35 ID:dcUZiu9M
ふつーに国力の差
613人間七七四年:2009/03/14(土) 11:39:09 ID:aVszRxBs
敵を倒して、領土を奪って石高を増やすとなると、
やっぱり信長に嫌々従う兵も多いの?
614人間七七四年:2009/03/14(土) 11:47:42 ID:URXAwLLW
>>613
越前とかじゃ平定してすぐ後に反乱が起きて数年間これの鎮圧に
てこずってるな。
伊賀もなかなか服属しなかったし、伊勢では織田勢に宿を貸すのも嫌がってる。
本能寺後にはあちこちで反乱や混乱勃発。
急速に拡大した分、アフターケアにそれほど手がまわってなかったようで
こういった問題が起きている。
615人間七七四年:2009/03/14(土) 12:02:21 ID:aVszRxBs
なるほど。構成員的には弱点もあったわけですね。
謙信が上洛戦に集めた6万の軍勢と、武田軍が2万くらい?合わせて、
望めば、いい勝負になったのかなあ?
616人間七七四年:2009/03/14(土) 14:32:52 ID:ssMt7zkg
>>608

長篠当時の信長の石高はおよそ450万石、1万石あたりで動員できる兵士
が200〜250人位だそうだから1万石200人で計算すると長篠当時の織田軍は9万の戦力を抱えてる計算
になるな、
617人間七七四年:2009/03/14(土) 20:13:07 ID:Nb+4ZP5i
謙信が小田原を囲んだ時に、20万だったと言われているけど、
どういう構成だったんだろう?
618人間七七四年:2009/03/14(土) 20:59:31 ID:Crv0I0e/
野次馬もカウントしてます

謙信
619人間七七四年:2009/03/14(土) 22:50:43 ID:krhi297p
示威するために水増し改ざん

謙信
620人間七七四年:2009/03/15(日) 10:11:29 ID:I6NGVA3Q
謙信存命中に同盟を結び共同で織田を叩く
長篠は回避
621人間七七四年:2009/03/15(日) 11:38:02 ID:9mEsfG11
>>614
越前は一向一揆を鎮圧してからはほとんど問題はおきていない
伊賀も一度攻め込んで敗退した後、本格的に侵攻して殲滅戦やった後は
やはり表立った反乱は起きていない
まあどちらも本能寺までだが。

伊勢の宿泊拒否も一例であって、全土でずっと行われたわけでもない
622人間七七四年:2009/03/15(日) 12:03:28 ID:gD8JdNu8
甲子園の収容人員が5万3000人で、ちょうど両軍の数になる。
野球を見に行った時、1塁側内野席(ライトのポールまでで約1万5000人)だけで、
その他の甲子園全体と戦うとなると・・と想像してみたのだが、その迫力にちょっと無理って気になる。

ただ、これが横に2キロに伸びた陣形の中の、信長本陣(甲子園で言えば、ほんの一握りの巨人応援団部分)
目指して密集攻撃をかければ、逆に脅威に感じると思った。

鶴翼に対して、魚鱗もしくは、もっと中央に兵を集めた波状攻撃を仕掛けても、
相手は馬坊柵がかえって邪魔になって取り囲めなかったのではないかと思うのだが。

623人間七七四年:2009/03/15(日) 12:24:11 ID:zg/jnq3N
>>621
一度平定したと思った地を
数年にわたって反乱されてる状態でいえたことでは
ないと思うが。

だから伊勢はと言ってる。
甲斐の事もそうだが、どうもアフターケアがあんまり行われてなかったような
感じがあるな。
624人間七七四年:2009/03/15(日) 16:28:56 ID:2aA667en
景勝と講和したのちからプレイするならば、
駿河から大船団を発して里見水軍を蹴散らし、安房に上陸、里見を滅ぼしその領地を支配する。
信濃を上杉に渡す(代金をたんまりもらう)一方、
甲斐と駿河を北条に無償で明け渡して氏政のご機嫌を取る。
信頼を寄せる家臣団のみと共に安房へ移り住みその地で根付くように努める。
同時に水軍をさらに活用して伊豆諸島から小笠原を探検して領地とする。
織田徳川は無視。
北条とは付かず離れずで付き合うが、本能寺以後はいち早く秀吉に臣従を誓う。
そして小田原攻めに率先して参戦。
その功績で関東を賜る。
秀吉のご機嫌次第で発祥の地甲斐も賜る。

秀吉政権末期に大老になるが、この時すでに軍事的政治的に家康より格上なので、秀吉死後は天下を取れる。
気が済まないなら天下取ってから徳川家を取り潰す。
625人間七七四年:2009/03/15(日) 16:34:39 ID:bNrPWAKa
小笠原諸島まで行ったんならもうちょっとがんばってハワイまで
足伸ばした方がいいんじゃない?

でハワイを統一しカメハメハ大王を名乗る、もう日本なんて要らない
626624:2009/03/15(日) 16:38:41 ID:2aA667en
sage忘れ済まない。
上野の扱いも忘れていたが、北条にやってもいいけど、敢えて真田を残して牽制させる。
真田が独立しそうだが、それも面白い。
627人間七七四年:2009/03/15(日) 16:42:22 ID:2aA667en
>>625
面白いねそれ
水軍を強化して大航海時代の列強と戦うとかね。
628人間七七四年:2009/03/15(日) 20:12:47 ID:9mEsfG11
>>623
アフターケアも何も、朝倉氏を滅ぼした後の越前は降伏した朝倉一族と
旧臣に任せていた。
一揆の蜂起は旧政権である朝倉と現時点の彼らの責任だろ?

それに、あの状況を反乱中というのか?
629人間七七四年:2009/03/16(月) 02:43:45 ID:rIGg1Z0p
>>628
朝倉の統治中はこんな大規模な混乱はないが。
それを滅ぼした織田が何をもって朝倉の責任にするんだ?
無責任にもほどがあるが。
織田がろくに統治も固めずに征服して荒らしたばかりの土地を放置したから
こんな事になったんだろうが。
630人間七七四年:2009/03/16(月) 07:39:34 ID:18kEE8lB
勝頼って名前負けしてるから負頼とかに改名すれば勝っていた
631人間七七四年:2009/03/16(月) 09:26:52 ID:HS4vcEhF
滅び去ってなお、後世の人々を魅了し続ける武田家なのだから、
きっと未来の人が、大軍勢を組んでタイムマシンに乗って長篠に
駆けつけるんじゃないか?(未来兵器はなしね。)

もしかしたら、逆に本当の歴史は信玄が天下を取っていたのに、
未来の人間に覆された世の中を、我々は生きてるのかも知れない。なんてね。

632人間七七四年:2009/03/16(月) 13:22:14 ID:aI9hZSYq
よく信長が常に前線に居城を移転した、とかいうけど違うよね
だったら、美濃を取った時に西美濃に移転してるはずだもんね。
でも、西美濃は寝返り組みで、領地を安堵してるから
占領地の岐阜にしか移転できなかった。

武田も同じく占領地が少なすぎる。その甲府が中央になるように展開したから
移転の必要自体が薄かったんだよね。
唯一の候補になりうる諏訪も、しがらみ上ダメだし。
633人間七七四年:2009/03/16(月) 18:16:14 ID:AvEl3SOZ
>>632
なんか単なる言葉遊びにしか聞こえない。前線と最前線はまた違うしな
634人間七七四年:2009/03/16(月) 21:19:51 ID:PeIbqTlP
勝頼が居城を高天神城にしなかった理由が書いてあるんじゃね?
635人間七七四年:2009/03/16(月) 22:36:21 ID:JxNaB+Kw
勝頼というか信玄時代に居城を移すなら駿河でしょ。
636人間七七四年:2009/03/16(月) 23:42:18 ID:dCau6xqR
桶狭間後、同盟国今川の敵討ちの名目で今川の兵も指揮して、西上軍を発して
家康、信長を踏みつぶしておけば、良かったな。
637人間七七四年:2009/03/16(月) 23:58:01 ID:Wkcs/uJe
その名目は無理があるな
638人間七七四年:2009/03/17(火) 08:24:28 ID:gtwbwH1U
桶狭間後、同盟国今川の敵討ちの名目で今川のバックアップをし、
家康と同盟しておけば、良かったのかな。
639人間七七四年:2009/03/17(火) 12:00:30 ID:ZUCB+Q+S
その名目なら氏康さんは面白くないんだろうな
640人間七七四年:2009/03/17(火) 18:24:38 ID:zA1WzJ6j
海が手に入らん
641人間七七四年:2009/03/17(火) 19:53:50 ID:kcRJVqud
敵討ち戦で家康、信長を踏みつぶしたあと、氏真は暗愚だからと、
義弟の義信が、今川家の当主になっておけばよかったな。
642人間七七四年:2009/03/17(火) 19:59:44 ID:JJIvSIwv
>>636
敵討ちの軍をあげるように家康は氏真にすすめたけどスルーされただろうが。そんで独立したのに仇打ちで家康討つって意味分からん。
しかも今川兵を率いるなんてさすがに氏真も了承しないし、武田の兵が通るだけにしても大変だわな。色んな意味で。
さらに、自分の仇ではなく同盟国の敵打ちとなると、しかもその当主が乗り気でないとすると大義名分が弱すぎる。
そのうえただの野戦ではなく、敵の大将を討ちとって最大に士気が高い軍のホームでの防衛戦となると、落とすのにどれだけかかることか。
643人間七七四年:2009/03/18(水) 09:31:05 ID:7XyG2fRZ
信玄没後、上杉とは休戦協定で北条とも同盟を維持しつつ、
最大動員兵力3万余で、長篠を戦う。
644人間七七四年:2009/03/18(水) 12:46:30 ID:+t6CBilr
>>643

どうやって3万もの兵力を養うんだよ、金山だって信玄の代にほとんど
堀つくしてるし、あと勝頼の所領は甲斐、信濃、駿河、西上野全部合わせても
100万石(80万石位)ないし前にも書いたがこの時代の動員可能兵力は1万石
に200〜250人がやっと信玄が石高よりも多い兵力をもてたのは金山の
おかげ、
645人間七七四年:2009/03/18(水) 14:00:39 ID:pxkfH+9p
脚二本で一人と数えるところを一本一人(牛馬含む)にすれば
3万人くらい余裕で
646人間七七四年:2009/03/18(水) 16:46:40 ID:UNB0YGP1
>>644
何デマを言ってるんだか。武田の所領は
甲斐、信濃、駿河、西上野、東美濃、飛騨、遠江の一部、三河の一部といった感じで
100万石余裕で超えてるが。110万石から120万石くらいか。

それから金山は家康の代になっても採掘続いてるし、そもそも金山自体が武田家にしてみれば
間接収入だからそこまで大きなもんでもない。
勝手に金山のおかげにするなよ。

後、武田の軍制度は普通の軍役以外にも、上意の足衆といって税金の一部カットや
労役免除を条件に動員できる制度があるから3万近くはできるだろ。
647人間七七四年:2009/03/18(水) 16:53:23 ID:UNB0YGP1
>>644
甲斐22万石、信濃41万石中上杉が保有してる最北端の3万石を抜いて38万石、
駿河15万石余、西上野20万石余、飛騨約4万石、東美濃約3〜5万石、
三河北部と遠江の北部と東部の武田領土、しめて13万石くらいか?
およそ120万石、って所だろう。
石高くらい調べろよ。
648人間七七四年:2009/03/18(水) 20:20:44 ID:qWCBHYXM
やっぱ上野は豊かだなぁ
649人間七七四年:2009/03/18(水) 20:59:03 ID:mN0MHOH8
>>648
交通の要衝でかつ当時は関東で最も稲作畑作に適していた場所だからな
南関東が豊かになったのは家康が来て戦争が無くなってからだし
650人間七七四年:2009/03/18(水) 22:36:45 ID:612Pup8J
>>643
>信玄没後、上杉とは休戦協定

信玄の代から休戦協定はしているでしょ。

まぁ実際は休戦協定を結んでも抑えとなる部隊は必要なのだが。

例えるなら今の南北朝鮮のような状態か。
651人間七七四年:2009/03/18(水) 23:09:34 ID:r2wXmeep
>>650
へえ。
その話を詳しく聞きたいです。
652人間七七四年:2009/03/19(木) 12:10:21 ID:tJQXPzcj
一時期群馬に仕事で住んでいた人間からすると
上野が豊かとか言われると凄い違和感がある。特に現代の西上野なんて・・・
いくら農業限定の話でもさ。
653人間七七四年:2009/03/19(木) 18:49:59 ID:UAf2UcvO
 数字にでない豊かさもあるんじゃないの?
654人間七七四年:2009/03/19(木) 20:28:58 ID:ra2+0NCU
>>652
群馬が衰退したのは自動車が普及してから
中山道の旅行者相手に商売していた旧宿場町が軒並み壊滅
655人間七七四年:2009/03/19(木) 21:30:02 ID:/4WY6sxL
スバルがだらしないから衰退した
656人間七七四年:2009/03/19(木) 22:27:09 ID:DS31a19R
上野は、天明の浅間焼け以降農業生産力は激減したとか聞いたが。
657人間七七四年:2009/03/21(土) 10:33:03 ID:F70m5BaN
戦国時代の通り道は、限られてるよねえ。
甲斐は山国だから、長篠を避けて堅実な国経営で民心が離れていなければ、
大軍相手でも、難所で待ち構えて侵入を防ぐ事は出来そうだなと、
去年の東京マラソンの隊列の長さを見てそう思った。
658人間七七四年:2009/03/21(土) 19:56:43 ID:Q3pcwtGl
>>657
難攻不落の小田原城にこもった北条と同じ運命を辿ると思われる
659人間七七四年:2009/03/21(土) 23:01:57 ID:JYQcDgm8
なら蛆規を誰かの養子として貰い受けて時勢の判断してもらえば大丈夫
660人間七七四年:2009/03/21(土) 23:19:28 ID:b9pM7zQo
日本中が敵状態になった小田原攻めとは状況が違う
661人間七七四年:2009/03/22(日) 02:48:15 ID:3o0qUzI3
天才
662一豊:2009/03/22(日) 08:56:09 ID:ccyJo4pn
俺のことか?
663人間七七四年:2009/03/22(日) 10:41:57 ID:3Cwpb9hq
マックのBoot Campは、武田菱。
664人間七七四年:2009/03/23(月) 12:38:56 ID:BUtAKnJW
スレチかもしれんが、蒼天録の勝頼でクリアできる?
665人間七七四年:2009/03/24(火) 01:57:18 ID:izn9aS54
余裕。
666人間七七四年:2009/03/25(水) 09:33:37 ID:KBIeyLiH
さて、こうして織田、徳川に勝ったわけですが、その後は?
天正5〜6年あたりとして、謙信が音頭を取って足利幕府再興?
それとも、またあらたな対立の構図の中、謙信没後は
勝頼は生き残れるのでしょうか?
667一豊:2009/03/25(水) 19:01:48 ID:hBPK2uyz
天正5年以降の織田、徳川に勝てる実力あるなら
すぐさま滅亡なんて事はなかなか無いと思います。
668人間七七四年:2009/03/27(金) 02:11:12 ID:ZwFkuzNW
ぶっちゃけ長篠で勝つことだろ。
勝てば徳川は詰み、織田も西と東に強国抱えて内部からも火の手が上がる。
信長の威信はガタ落ちだろうし。

そうさせないために信長も出来る限りの手を打ったし、
勝頼も乾坤一擲の大勝負に出たんだと思うけどな。
結果はともかく、あの当時の織田を相手に中原に鹿を追ったんだし、
信長公記の評価で良いんじゃないかと思う。
669人間七七四年:2009/03/27(金) 02:32:06 ID:NF+IVw3V
>>668
徳川が詰むなんてこたぁない
670人間七七四年:2009/03/27(金) 02:46:30 ID:DiFmZ591
>>669
徳川自身が長篠のときに
「今度駄目だったら織田やめて武田に寝返ろう」と言い出してる状態。
長篠前には浜松を蹂躙されたりしてるので
もはや精神的にも威信的にも限界だったと思う。
671人間七七四年:2009/03/27(金) 04:08:22 ID:iam6p+G9
長篠落ちたって三河の大半は徳川のままだしなー
重要ではあるけどそこまで決定的な城でもないだろ
今川の三河侵攻や徳川の対今川戦信玄時代の徳川侵攻
それらの時において長篠が決定的な要素になったことあるか?
672人間七七四年:2009/03/27(金) 05:16:49 ID:cm6RVUSI
>>670
それはあくまで、今回も織田が本腰入れないようならって前提じゃないの?
織田が本腰入れて救援に来た以上は、そうはならないと思うが。
長篠で勝っても相当の犠牲が出るのは避けられないし、織田の威信に影を落とし撤退が良いところだと。
武田にとっては一大決戦でも、織田にとってはあくまで局地戦。ましてや徳川の領地での戦いに過ぎない。
673人間七七四年:2009/03/27(金) 14:15:26 ID:9fwz2AB/
勝頼には頼れる家臣いなかったの?
信玄の時代の奴ばかりだもんな、あえて言えば真田兄弟あたりか。
674人間七七四年:2009/03/27(金) 15:25:39 ID:3wS72QY5
>>670
そもそもそれって史実なの?
この状況で徳川寝返っても徳川にとっては余計状況が悪くなるだけだろ。
675人間七七四年:2009/03/27(金) 19:56:55 ID:Sxbii+5j
勝頼が書いた「敵は手立てを失って逼迫している」という内容の書状と、
信長が「武田を根切りにする方法を考えた」という書状は、
どこを参照すればいいですか?
676人間七七四年:2009/03/27(金) 21:37:47 ID:uRrSd02D
>>675
勝頼の方は『戦国遺文武田氏編4巻』か『山梨県史史料編』『愛知県史史料編11織豊1』
山梨県史史料編の方は何巻か忘れたので『山梨県史通史編』から探してくれ

信長の方は『愛知県史史料編11織豊1』か『織田信長文書の研究上』にある
677人間七七四年:2009/03/27(金) 22:35:09 ID:DiFmZ591
>>672
長篠でどう勝つかによるとしか。
武田がこれに勝ったら少なくとも徳川は完全崩壊に近くなると
思われるが。
この時点でなんとか徳川が保ってられたのは織田頼みだったから。
織田がまけたら雪崩になりそう。
>>674
少なくとも徳川方の資料にあることなんで。
もはや徳川にしてみれば信玄時代から城を取られまくり
野戦で負けまくり、味方の城を後詰できずに見殺しにした事何回もある上、
浜松まで蹂躙された以上、徳川にしてみればもはや周辺がどうとか言ってる状況じゃない。
678人間七七四年:2009/03/27(金) 22:45:40 ID:rsbNrORp
御館の乱と長篠をうまく対処できれば全く別の結果になりそうだな。
679675:2009/03/28(土) 00:01:00 ID:9jFO38y2
>>676
ありがとうございました。
書状から心理を読み取るのもおもしろいですね。
この戦では、徳川方の武将によって
戦国一短い手紙も書かれたようですね。
680人間七七四年:2009/03/28(土) 09:12:30 ID:vCoft7bE
>>673
軍記物で奸臣扱いされている跡部や長坂といった連中がそうでしょう
681人間七七四年:2009/03/29(日) 02:02:52 ID:vFMwXI7+
跡部も長坂も信玄の時代から武田家の中枢にいた老臣でしょ。
682人間七七四年:2009/04/03(金) 14:49:08 ID:Cr1dWBPl
長篠以前の北条や上杉との関係の方がよほど重要だろう
683人間七七四年:2009/04/04(土) 13:38:47 ID:YF/ZylGc
北条とは御館の乱まで同盟してるけど
684一豊:2009/04/04(土) 14:10:36 ID:zTaGcSfW
俺を雇って外交任せてくれたら滅ぶことなかった
685人間七七四年:2009/04/19(日) 22:01:38 ID:QQICXXGW
新府城跡と安土城跡を見てきたが、その差に唖然としたよ。
両城とも、ほぼ同時期に築城されたのに、この差は。。。

新府城は長篠の戦後とはいえ。

勝頼が織田に勝つなんて100%無理だと思ったわ。
686人間七七四年:2009/04/19(日) 22:09:47 ID:BT1lZ9nt
>>685
城の生い立ちというか目的が違うんだから仕方ないんじゃないかな
687人間七七四年:2009/04/20(月) 18:05:22 ID:NLGYXSsd
桶狭間では、織田軍も今川に勝つのは100%無理と思ったろう。
688人間七七四年:2009/04/23(木) 08:07:40 ID:lKsXYqgq
織田と同盟してた時に甘いものをこれでもかと言うほど送り付けて
信長の虫歯を悪化させておけば、あるいは本能寺のような謀叛劇が
起こり天下の趨勢も変わっていたのではなかろうか?
689人間七七四年:2009/04/24(金) 22:28:32 ID:GC2UnM3+
長篠城に篭城する
690人間七七四年:2009/04/25(土) 09:03:16 ID:of2W0CMm
そもそも長篠城を奪われないこと。
織田が救援にくるまでに徳川を叩く。
織田の救援が間に合ったが戦わずに撤退。
上杉と北条との同盟は必須
691人間七七四年:2009/04/25(土) 15:00:16 ID:w6zKp7Jo
>>690
勝頼のやり方は、侵略した土地の住民や領主を据え置きにすることが多い。

で、当然離反されて…。

馬鹿なの?
692人間七七四年:2009/04/25(土) 19:40:24 ID:89BCJ+/Q
いろいろないよ消えろ短パン
693人間七七四年:2009/04/25(土) 22:51:00 ID:oSW4Tuek
魔王・織田信長、権現・徳川家康とじゃ器が違いすぎる。小物・勝頼じゃ勝てる要素0じゃよ。
694人間七七四年:2009/04/25(土) 23:30:31 ID:6BNB43fd
何故「勝頼の長篠」は「信玄の上田原」にならなかったのか
695人間七七四年:2009/04/26(日) 00:05:44 ID:lmJkbMjw
覇王は飼い犬のかまれたし権現は我慢我慢で長生きしただけ。
勝つ方法は相手より長生きして相手が先に死んでくれれば桶
696人間七七四年:2009/04/26(日) 19:20:15 ID:K6/wX2zH
>>694

@信玄の時は、敵対勢力が小規模だったが勝頼時代は大規模だった。
A上田原は板垣など信玄にとって邪魔者が死んでくれたが
 長篠では邪魔者である御親類衆が生きて、生きて欲しかった譜代らが死んだから
 
697人間七七四年:2009/04/26(日) 19:26:19 ID:q29IkHt0
>>695
> 覇王は飼い犬のかまれたし権現は我慢我慢で長生きしただけ。

たしかにw
698人間七七四年:2009/04/26(日) 19:53:27 ID:YGEnwuC2
代打オレ
699人間七七四年:2009/04/28(火) 08:54:10 ID:BsYafm8c
>>696
馬場美濃守が60歳超だっけ?
切り替え後れてたね。
700人間七七四年:2009/04/29(水) 10:49:29 ID:QKiHLmf8
木曽川と天竜川に毒物(鉱山の廃液など)を流し込めば下流の織田・徳川は大打撃を受けたはず
701人間七七四年:2009/04/30(木) 19:49:02 ID:AIt8NMBD
>>700
その土地は誰のものにするの
702人間七七四年:2009/05/01(金) 03:16:38 ID:O9UHK306
武田家の跡継ぎが諏訪家血縁の勝頼では生き残りは難しい。

はっきり言って義信の方がまだマシ。

出来不出来もあるが問題なのは武田家内部の納まりの問題。
703人間七七四年:2009/05/01(金) 08:29:28 ID:EQeQI9yq
>>702上杉家の例もあるし、ヤッパリ信玄がちゃんと後継者を決めて無かったのが原因ですかね?

704人間七七四年:2009/05/01(金) 10:38:40 ID:kiwtgzhV
つーかその信玄が色々原因作って没落した感が…
いくら義信健在でもねえ
…勝頼は気の毒な二代目なイメージがある
剛腕な一代目が後先考えずに無茶して二代目が借金せざるを得ない状態になってるみたいな
んで二代目は無能扱いされちゃう
705人間七七四年:2009/05/01(金) 11:21:53 ID:hYtlPNn2
>>704
なんか信玄は団塊世代そのものだな
706人間七七四年:2009/05/01(金) 17:12:24 ID:SAGG+tdF
信玄は莫大な財と優秀な家臣団を跡継ぎに託したのであって、
莫大な借金とジジイを現役世代に押しつけるアホ団塊とは全然違うわ
707人間七七四年:2009/05/01(金) 17:40:46 ID:E7RVInwb
義信?
頭の固い偏屈な一穴主義者に何を期待しているんだ?
708人間七七四年:2009/05/01(金) 17:57:34 ID:hYtlPNn2
莫大なzaiなんか無かっただろw
709人間七七四年:2009/05/01(金) 18:27:49 ID:MyTO6RI1
甲斐と信濃の豊かな自然
710人間七七四年:2009/05/01(金) 21:48:04 ID:mmCgqAGF
北条上杉武田の三国同盟成立させる
北条に駿河の一部を与える
711人間七七四年:2009/05/01(金) 23:02:03 ID:CUqZ4+W8
つうかさ、何で信玄は大人の勝頼じゃなくてまだ幼い信勝なんかを
正式な嫡男にしたんだ?
これじゃ秀吉が大人の秀次では無く幼い秀頼を選んでしまったようなもんじゃん・・・
乱世ってのはやっぱガキに後を継がせるのは無理だな
712人間七七四年:2009/05/01(金) 23:28:21 ID:aChsU0/b
>>709
鉄砲よけの竹や小山田が投げる石はたくさんありそうだ。
疑問なんだが、のぶしげは岩殿山で、勝頼に向けても石投げたんだろうか?
713人間七七四年:2009/05/02(土) 03:11:01 ID:wlGBYsyl
>>704
たとえばどんな?
百万石を超える大領土、財力、戦力、北条との同盟、その他。
随分残したと思うが。
>>705
石高5倍以上に拡大して北条との同盟もし、戦力もたっぷりなのに
その言いざまかい。
>>711
勝頼陣代説は一次資料では確認できん。逆に勝頼が家督継承を通達したり
お祝いされてる書状ならごろごろある。
714人間七七四年:2009/05/02(土) 04:17:50 ID:0tPY2Vwh
よいことも沢山残したろうが処理しきれない課題を多く残してしまった。
団塊というよりは小泉的な感が。
715人間七七四年:2009/05/02(土) 04:51:36 ID:wlGBYsyl
だから例えばどんなと。
716人間七七四年:2009/05/02(土) 12:24:51 ID:Qp0VjOZY
もっと早いうちに家督を譲っておけばよかったのに
717人間七七四年:2009/05/02(土) 12:59:13 ID:i3XuQy0V
>>715
時代遅れの本拠地。

勝頼は駿府にうつるべきだった。
そうすれば近世大名になった可能性も。
718人間七七四年:2009/05/02(土) 13:01:31 ID:xI961kjQ
>>717
地図見ればわかるけど、
甲斐、信濃、駿河、上野、その他にまたがる武田領国の
中心は甲斐なんで、領国全般を統括するなら甲斐でいいだろ。
駿河にしたら逆に偏る。
実際勝頼だって甲斐の新府に本拠地移したし。
719人間七七四年:2009/05/02(土) 13:23:11 ID:i3XuQy0V
>>718
北条とは同盟。
となれば上杉と織田徳川が相手。
上杉は高坂に押さえさせて、当面は徳川に専念すべき。
奥平の寝返りなんかも防げたはずで、設楽原より西で決戦が起きたと思われ。
720人間七七四年:2009/05/02(土) 13:28:47 ID:xI961kjQ
>>719
んな馬鹿な。
西上野にも領国あるからそっち方面でも上杉の注意は必要。
実際香坂に上杉を抑えさせて、順調に徳川攻めてるジャン。
しかも奥平の寝返りは信玄死去の混乱が原因だし。
駿河がどうとかは関係なさそう。
721人間七七四年:2009/05/02(土) 13:48:17 ID:i3XuQy0V
>>720
いやさ、指呼のところに本拠地があれば裏切りも減るよ。
心理的なものが違う。
漏れなら、甲斐は穴山ら親類衆に任せる。なんなら、信勝も置いてきてな。既得権益さえあれば煩い連中も黙るだろうから。
で、自らは山県らと側近で駿河にいて新たな支配体制を構築しつつ、西に進むよ。
もちろん、水軍も駆使する。
三河にいる一向宗門徒も煽る。
722人間七七四年:2009/05/02(土) 13:56:10 ID:gRcP0Mdc
穴山が宗家ズラしそう
723人間七七四年:2009/05/02(土) 13:57:16 ID:xI961kjQ
>>721
駿河と三河って指呼の距離じゃないだろ。
遠江はさんでるし。
しかも指呼の距離がどうとかいうなら信濃とか西上野が
危なくなるんじゃ?
三河の武田方の裏切りも信玄死去の混乱において奥平のがあるくらいで
あんまりないんだが。
駿河は山県がもともと担当してるし、本拠にする必要ってあるのかな?
724人間七七四年:2009/05/02(土) 14:26:22 ID:i3XuQy0V
>>723
指呼というには遠いかも知れない、いいすぎた。

ただ、信濃は高坂、上野は真田がいる。
駿河を選ぶ1番のポイントは水軍もあり、長島や石山も牽制できること。
いくら織田水軍が強力でも、毛利と武田が東西から睨めば脅威。
ひょっとして熱田を封鎖できるかも。
陸での機動力は元から高いので、水陸両面から進撃だ!
725人間七七四年:2009/05/02(土) 17:35:06 ID:12DNWVAM
武田勝頼が遺言を守って三年間じっとしてる
そしたら織田の伸長が激しく戦おうとする気がなくなるぐらい差が出来る
後は信忠に松姫を嫁がせて、信勝に織田家の姫を嫁がせて同盟してじっと待つ
上杉と織田が争う時に同盟者として共闘、謙信死後の越後に介入
景勝と結び北条と敵対し関東へ侵攻(景勝と織田家とを仲介しておく)
関東の諸大名を傘下に置き、東北へも影響を強める
織田信長には勝てないので寿命が尽きるまで待つ
織田信忠などの後継者の中で混乱が起こるまで待つ
起きなかったらそのまま関東甲信越にまたがる大大名として終了
起こったら一気に介入して中央を支配し天下人として歴史に名が残る
この頃には徳川はそこそこの大名程度なので楽勝
726人間七七四年:2009/05/03(日) 02:55:42 ID:+MsO3p/9
三和が成ってたら信長を圧迫することはできたな

家康を倒すだけなら天正二年秋の出陣で浜松を無理押しすればよかった

天正三年時点で北信濃と上野が安全だったなら
長篠で勝てた可能性は十二分にある
727人間七七四年:2009/05/04(月) 14:32:28 ID:ldPoUOXX
上杉北条と新三国同盟しかないな
728人間七七四年:2009/05/04(月) 20:29:46 ID:AcJ6nAlL
たまに勝頼が長篠で勝てたら!?

ってのをみるが、これって日本軍がミッドウェーで勝利したらってのに似てるような気がする。

一戦だけで武田・織田の力関係が変わると思えない

と言うのは言い過ぎか

729人間七七四年:2009/05/04(月) 20:33:36 ID:WE2FWwow
長篠は大して趨勢に影響してないしな
何てったって帰国から二ヶ月後の八月には遠江に二万の軍勢で現われてるし


>>727
義昭「三和しなさいよ」
謙信「勝頼とは是非組みたいが北条はあり得ん」
氏政「甲相と越後の和睦を妨げてるのは謙信だ」

これじゃあどうにもならない
730人間七七四年:2009/05/04(月) 23:47:16 ID:I1UDYrIO
>>725
勝頼の家康化じゃないか?

それが出来るほど勝頼は武田家内部を押さえているか?
731人間七七四年:2009/05/05(火) 00:08:55 ID:apa9Vsef
長篠で自慢の騎馬が鉄砲に負けたんだから終了〜
山県が死んだのも痛い
732人間七七四年:2009/05/05(火) 00:23:52 ID:epzOUmLU
>>731
うん、もっかい勉強してこようか
733人間七七四年:2009/05/05(火) 01:17:43 ID:bDOm/4KF
>>729
御舘の和睦調停の時にもう少しどうにかならんかったかね
一応数日間停戦させることはできたんだし、上手くやってれば……

>>731
釣りがお上手で
734人間七七四年:2009/05/05(火) 12:32:50 ID:epzOUmLU
長篠云々でいうなら、親類衆がもっと討死してもよかったかもね

織田と本気でことを構えるつもりなら北条を敵に回すのは・・・ねぇ
735人間七七四年:2009/05/05(火) 12:33:06 ID:k9Tcl0ha
長篠の戦の時に武田家を仕切っていたのは、
勝頼ではなく、穴山梅雪でそ

梅雪の指揮や作戦立案が悪かったので長篠の戦は負けた
高天神城をとった時も梅雪だけどね。
736人間七七四年:2009/05/05(火) 17:34:40 ID:bDOm/4KF
>>735
ソースは新田小説か?
高天神の時、穴山は駿河に引き籠ってたぞ
穴山宛勝頼書状の文面からして留守居を命じられた訳でもないようだ
737人間七七四年:2009/05/06(水) 03:11:56 ID:P2V0pRCp
戦場の選定が悪い。高天神でも長篠でもなく
掛川を丹念に攻めるべきだった。
ここを取れば、駿河方面から物資を流しつつ
浜松をじっくりと攻略できた。
信長の後詰も遠江の東端では長期の滞陣は困難。
決戦というより、持久戦になると思うが、
この場合は先に顎出すのは織田・徳川だろ。

史実は長篠で野戦軍を失って、高天神みたいな
敵中で孤立した拠点の争奪戦で疲弊して自壊
しちまったわけだが、もうちょっと利に適った戦略
立ててりゃ武田にも勝算あった。
738人間七七四年:2009/05/06(水) 11:17:51 ID:xc3Jzeku
業正が死んだ上野より義龍の死んだ美濃に進むべきだった。
739人間七七四年:2009/05/06(水) 11:28:31 ID:Ktk2OR31
>>738
そうだね。
上野に出て行ったおかげで上杉らに対する手当てが増えた。
多方面作戦は、ドイツも日本も失敗したからねえ。
一点集中で行くべきだな。
740人間七七四年:2009/05/06(水) 11:58:20 ID:fGlHWFXN
永禄八年だかに東美濃で森可成と武田軍が小競り合いしたって聞いたけど本当?
遠山氏が嫁ぐのが冬だから、小競り合いを受けて講和したのかな

美濃を取って、うまくいけば尾張三河まで行けるかも?
さすがに氏真が松平を討ちにいくかな?
741人間七七四年:2009/05/06(水) 12:54:55 ID:M7S9s5jy
四名臣もが曽根匠や真田昌幸に兵法や政治外交を伝えて、長篠回避。北条に駿河半国割譲で同盟復帰。五月蝿徳川を武田、上杉、北条で完全に滅ぼす。のち、三連合で信長に当たる。それまで本願寺や毛利、三好残党に頑張ってもらうしかない。
742人間七七四年:2009/05/06(水) 14:25:46 ID:Ktk2OR31
>>741
不思議なんだけど、武田や上杉ってさ、領地が増えても動員力がグーンとアップしないよね?
織田や北条に比べてそこが謎なんだが。
743人間七七四年:2009/05/06(水) 14:43:42 ID:fGlHWFXN
初期の動員数があり得ないくらい多いことがあるからね
甲陽軍鑑その他を見直す一つの観点だと思うよ
744人間七七四年:2009/05/06(水) 15:16:25 ID:M7S9s5jy
尾張統一しただけで、動員数が約2万。美濃を併合したら動員数が5万ですからねー。石高が動員数を決めるって言いますけど、甲斐信濃の武田が上杉と当たるとき、1万2千がギリギリです。ご機嫌取り信長の本性を早めに見抜けなかったのが、勝頼までツケが回りましたね。
745人間七七四年:2009/05/06(水) 15:26:29 ID:Ktk2OR31
>>744
いやさ、兵数でいえば、川中島でも2万いた。通説だと迂回した高坂一万二千、本隊八千だよね?
まあ、この辺がまゆつばなのかな。
石高云々でいえば、関ヶ原の時の50万石クラスの宇喜多や小早川でも1万オーバーだったから、長篠の頃の武田なら、2万プラス高坂留守部隊くらいいてもよさげ。
746人間七七四年:2009/05/06(水) 15:55:34 ID:fGlHWFXN
長篠の時は内藤ら西上野衆が後からやってきて一万五千(六千とも?)だしなあ

まあ内藤遅参は高天神の時とも云われてるけど
747人間七七四年:2009/05/06(水) 16:54:10 ID:Ktk2OR31
うーん。徳川+織田では相手が強すぎる。
過去の実績のみで強気になるあたりは、日本人らしくて好感がもてるが。
748人間七七四年:2009/05/06(水) 23:26:54 ID:nLh4C0ke
武田信玄が北条と和議を結ばず攻め滅ぼすべきだった
織田・徳川を放置し上杉とは北条領上野を渡して和議を結んでおいて
途中で信玄が病死しても氏政相手だったら勝頼なら勝てる
なにより防御陣地を組んで鉄砲による迎撃がなければまず負けないだろう
織田とは元から同盟を結んでるので干渉しなければ勢力拡大に支障はないだろうし
勝てるとしたら日本の東を完全に平定し、毛利、長宗我部、島津と結んで東西挟撃かな
749人間七七四年:2009/05/07(木) 00:06:03 ID:8hsNy7LD
>>748
大きい釣り針だが、何かの間違いで武田が東日本を平定した頃には
信長は既に西日本を平定してると思われ、東西挟撃は無理
750人間七七四年:2009/05/07(木) 00:24:51 ID:ACCSHEgo
北条を滅ぼすのは無理でしょう。出来うるなら上杉との戦いを短期間に済ませて、信長が勢力を増大させるまえに蹴散らすべきでしたな。新田武田信玄でも信長の上洛に冷や汗をかいていたようですしね
751人間七七四年:2009/05/07(木) 00:32:21 ID:AJhpVv6A
新田版は物語としてはかなり面白いんだが
話の肉づけの創作がな
752人間七七四年:2009/05/07(木) 00:41:45 ID:Sq3ZOXG9
勝頼、景虎、氏政で三国同盟するしかねーだろ
それでもジリ貧だと思うけど
753仙台藩百姓:2009/05/07(木) 10:23:11 ID:MPpbCVIW
確かにそれが一番無難だが北条が織田方に転じたら四面楚歌になる恐れがあるお
なにより北条では後詰めも期待できないお┐ (´ω`) ┌
勝頼の心境を代弁するとイタリアと同盟組んでしまったドイツのような気持ちだったおうね( ^ω^)
754人間七七四年:2009/05/07(木) 11:47:21 ID:tUS0os9p
家康の用に成られれば十分天下をとられる可能性はある。
要はそこまでの男ではなかった。
755人間七七四年:2009/05/07(木) 15:11:33 ID:AJhpVv6A
何らかの外的要因で織田の侵攻が数年遅れるくらいしか希望はないな
ようやく勝頼版の北条包囲網が動きだした時に侵攻されたからなあ

それでも何年もつかだが
756人間七七四年:2009/05/07(木) 18:11:55 ID:2jMLHjRA
毛利が史実以上に頑張るのと
謙信に禁酒をお願いする

この二つの要因で多少は延命出来るだろうね
757人間七七四年:2009/05/07(木) 19:32:16 ID:ACCSHEgo
偉大な先代社長を追い抜こうと無理して倒産した例に似てますね。勝頼には相談相手がいなかったのが痛いですね。真田昌幸と曽根匠を側近にして諫言を聞く条件なら滅亡は避けられたかな?長曽我部がチクチク河内方面に上陸の構えを見せても無理か。詰め将棋で悩む感じですね
758人間七七四年:2009/05/07(木) 19:36:28 ID:U3k1au1k
とりあえず臣従して百年スパンで捲土重来を待てばいい
そうして毛利と島津は徳川を倒した
759人間七七四年:2009/05/07(木) 19:46:04 ID:AJhpVv6A
>>757
曾根昌世は一番早く信長に内通してたそうな
760人間七七四年:2009/05/07(木) 19:59:09 ID:ACCSHEgo
一門宗が弱腰すぎる。仁科盛信のみが抵抗したって何よ。穴山は逃げることの名人だし、絵描きも逃げる。木曽なんて家名のことしか考えない。やはり頼みは四名臣ですねぇ。反信長の盟主を作るべき?毛利輝元かなぁ(汗)
761人間七七四年:2009/05/07(木) 20:31:57 ID:Q+Ngfcim
>>737
三河ではなく遠江で決戦ですかね

それにしても武田勢13000ですか?数が少な杉です。

倍は欲しいですね。

敵として信長と家康両方を相手にするのではなく家康だけに絞れませんかね
762人間七七四年:2009/05/07(木) 21:10:14 ID:ypafAX/V
>>761
家康って頑ななまでに単独で武田との決戦避けてたもんなぁ
これもある意味三方原で信玄が中途半端に叩いたせいとも言えるよなぁ
案外信玄がもう少し早く死んで勝頼の代になって家康と決戦とかしてたら面白かったかもね
763人間七七四年:2009/05/07(木) 21:33:02 ID:Xf4UqkTw
>>761

武田が倍の兵を出したら信長も倍の兵を出すだろ。
石高から来る兵力を考えたら、どうしても武田は劣勢になる。

だからこそ信玄は包囲網を形成したのだが。。。
信玄の西上は芸術的な戦略だったと思うなー。
764人間七七四年:2009/05/07(木) 22:57:32 ID:nr7T/8nY
つーか浅井・朝倉が滅びた時点で織田と戦おうとするのが愚か過ぎる
あくまで織田の兵力が分散してるからこそ勝ち目があるというのに
正面から国力に勝る相手に決戦を挑むのは勇敢ではなく無謀だろ

>>750
上杉単独でも武田の邪魔がなければ滅びてたような勢力が滅ぼせないとかどんな冗談
しかも武田単独ではなく上杉と北条を分割しようというのに
上杉とは山内上杉の旧領回復を条件に共同戦線で侵食すればいいだけ
しかも小田原を焼き払われた情けない氏康よりもさらに劣る氏政
信玄の武略の敵じゃない
謙信の介入させなければまさに氏真同様ゴミ同然
勝頼でも2年で滅ぼせるだろ
謙信の死後ゴタゴタしてる上杉を尻目に里見らを滅ぼし関東に大きく食い込む
1582年ぐらいには武田は南関東を征服、東の佐竹と結んで東北進出
伊達政宗は人取橋で滅亡し1586年には陸奥に大きく食い込みさらに2年で東日本を平定
一方の織田家は家臣の粛清や反乱で有能な重臣が減り、微妙な一族が軍団長
織田兄弟の信考や信雄では征服に手間取り九州で島津に惨敗
そこに武田・上杉の連合が東から侵略
征服されていた中国・四国の毛利・長宗我部の残党が蜂起し大混乱
後は織田・徳川同盟を滅ぼし、武田勝頼が将軍、上杉景勝が副将軍兼関東公方、
島津が九州、毛利が中国、長宗我部が四国で管領や探題になって大団円
765人間七七四年:2009/05/07(木) 23:17:27 ID:9nwKMb1B
>>764
それ何て紙芝居だよ。
766人間七七四年:2009/05/07(木) 23:41:45 ID:ACCSHEgo
反信長の首脳が一堂に介して会議するべきですよね。信長包囲網サミット。議長、毛利輝元。副議長、武田勝頼。書記、長曽我部元親。書記、鈴木佐太夫。議題、Ddayはいつか?
767人間七七四年:2009/05/07(木) 23:49:10 ID:2jMLHjRA
場所は?地理を考えて平等にすると安土城か?
768人間七七四年:2009/05/07(木) 23:55:16 ID:8hsNy7LD
>>764
「今日は釣り針だけじゃなく、釣り糸も太くしてやったぜ」 まで読んだ
769人間七七四年:2009/05/08(金) 00:33:17 ID:rqKj6pM1
>>764
北条や里見をあまりなめない方がいいし、
仮にそこまで武田が勢力を伸ばしても人材難過ぎて統治しきれねーよ
770人間七七四年:2009/05/08(金) 01:02:20 ID:zA1+D9zq
>>763
>武田が倍の兵を出したら信長も倍の兵を出すだろ。

それは無理でしょうね。毛利や本願寺もまだいますし、四国には長宗我部もいますし

武田が織田・徳川連合軍と戦う時には武田も北条と手を組んで
北条から援軍一万ぐらい派遣してもらえないですかね?
771人間七七四年:2009/05/08(金) 01:15:06 ID:rqKj6pM1
長宗我部なんて敵にすらならねーよ
毎度毎度、律儀に海を渡ってけってか?

てか、長宗我部からしたら織田と組んで
三好ふるぼっこの方がまだマシだろ
772人間七七四年:2009/05/08(金) 03:17:13 ID:TVS9X7yD
考えれば考えるほど、詰まりますね。信長を狙撃しかないかなぁ?長篠で信玄公の木像を出す。信長がゲェッ?信玄。引けっ引くのじゃ!そこら辺に罠がしかけてあるぞ。三方ヶ原の二の舞を演ずるな。でよいですか?
773人間七七四年:2009/05/08(金) 03:39:48 ID:gM6k098B
お前らの影響で、嫁が息子の名に
半蔵ってつけやがった。
正直、苗字は言えないが
かなり違和感がある
例えるなら 力士のフルネームの様な・・
朝青龍健太 な感じでおかしい。
ん〜もういいや 教える
早乙女半蔵となった。
将来が不安でならんよ
774人間七七四年:2009/05/08(金) 08:55:50 ID:LTozM5Cv
>>757
四万十川の戦いで土佐を統一したのが1575。
そして、長宗我部が織田と敵対するのって1580なんだが。
その上、阿波勝瑞城に宿敵の十河存保が織田の支援受けて入ってるのに、なんでわざわざ河内方面に上陸の構えなんか見せるんだ。
775人間七七四年:2009/05/08(金) 09:14:44 ID:Fdfwbm1n
彫塑壁は馬がちいさいからダメ
776人間七七四年:2009/05/08(金) 11:39:01 ID:Hlurts1q
>>773
どうせなら乱馬にでもしとけばよかったのに
777人間七七四年:2009/05/08(金) 12:49:32 ID:7ZGdrRh6
74年秋の遠江侵攻で無理してでも掛川、浜松を落とせばよかった
どうせ信長は長島攻めの大詰めだしな
778人間七七四年:2009/05/08(金) 13:20:35 ID:a6LeqCoZ
武田生存の状況で本能寺の変は起きただろうか?

もし起こりえたとしたら、チャンスはその時だと思うね
779人間七七四年:2009/05/08(金) 14:10:45 ID:JyRSPDQH
>>777
そうだね。中途半端だったね。勝ち過ぎてもよかったかも。
780人間七七四年:2009/05/08(金) 18:39:17 ID:x2H3wgcl
長島陥落がポイントかも知れんと言うことか
781人間七七四年:2009/05/08(金) 19:32:07 ID:7ZGdrRh6
まあ、逆に長島が陥落しちまったから勝頼が帰った可能性もなくはないけれど
そうだとしたら勿体ないとしか言いようがないな
782人間七七四年:2009/05/08(金) 20:09:39 ID:x2H3wgcl
長島陥落がもう1年あとだったなら勝頼の末路も少しは変わったかなと思ってさ
783人間七七四年:2009/05/08(金) 20:33:45 ID:RAfnyP4E
長島って位置的にも結構なキーポイントだよね
織田・徳川と決戦する際に長島があれば織田の動員兵力も少しは牽制できるし
784人間七七四年:2009/05/08(金) 20:42:14 ID:7ZGdrRh6
まあ長島があったこそ三方ヶ原の時にあれだけの将を送っておきながら
水野軍と併せても三千なんていう少ない援軍になったんだろうな

あの時はそれ以外にもたくさん理由があったが
長島一つでも楔にはなるな
785人間七七四年:2009/05/08(金) 21:47:44 ID:dMI+Ipsq
>>770

長島一向一揆を殲滅させたときの(天正2年)
信長の兵力が5〜8万だから充分可能でしょ。
786人間七七四年:2009/05/08(金) 21:53:07 ID:8/Kwop5m
>>769
長篠での戦死が無いから次世代の側近が残ってるので人材難にはならないよ
武田家の先鋒を預かる真田信綱に奥近習六人衆の土屋昌次、三枝守友
真田と同じく赤備えを許された小幡信貞
武田二十四将に名を連ねる若き英才
名を連ねてなくても蒲生家で重用された曽根昌世
鬼の娘を嫁がれた鬼の子小畠昌盛
徳川時代辣腕を振るった大蔵(大久保)長安
もちろん真田昌幸は言うまでもないし
787人間七七四年:2009/05/08(金) 22:02:25 ID:rqKj6pM1
>>786
お前マジで言ってんならどうしようもねぇな
真田も他の連中もなんて小領の大名でしかねーんだよ
50万石だの何だのなんてたかが数年で統治できると本気で思ってんのか

つーか、そいつらがどうやって他の地域収めんの?
上の人間を1人だけ配置しとけばその国の連中が全員従順に従うとか本気で思ってんの?
788人間七七四年:2009/05/08(金) 22:40:17 ID:7ZGdrRh6
>>786
信綱は常に先鋒を預かってた訳じゃない
奥近習出身なんて幾らでもいる
真田の赤備えは四十年後の話
許されるも何も赤備えと言えば小幡
この時点で二十四将に若手はいない
曾根の早期内通説は上で出てたな
昌盛は身の程知って向上心なし
長安が勝頼期に甲斐にいたかは不明
昌幸は上野とか信濃の小さい領地だからこそ頑張れた

後は787の言う通り
つか経略した土地の支配を武田が苦手としているのは
武田を少しでも学んでたらわかる筈だが
789人間七七四年:2009/05/09(土) 00:04:01 ID:/3rirW3s
>>786
釣り針、釣り糸を巨大にしただけじゃなく
撒き餌まで使うとは・・・・ゴクリ。
790人間七七四年:2009/05/09(土) 00:07:51 ID:xkfmbil6
>>788
曽根の早期内通説はどこからでたんだ?
典拠よろしく。

真田昌幸は信濃上野合わせて勝頼末期では武田家中最大だと思うが。

武田が支配が苦手って何が根拠?こっちもよろしく。
791人間七七四年:2009/05/09(土) 00:13:29 ID:6KQ/KGaa
>>787
たかが数年って1571年の氏康の死から1586年の政宗死亡まで15年あるけど
それに信濃攻略に手間取ったのは山がちで守りやすい地形でかつ小大名が割拠してたから
北条領は元々上杉家が支配していた土地で独立色の強い豪族が少ない土地柄
抵抗してた太田氏は追い出されてるし、さらに平野と割拠しずらい地

領国経営は信濃や上野のように武蔵や相模に有力武将を配置するさ
さしずめ武蔵の江戸城に秋山、相模に山県って感じに
里見は義弘が死んで内紛を起こすから介入して簡単に潰せる
危険なのは佐竹だけど同じ新羅義光の流れをくむ同族で甲佐同盟が結ばれてる
蘆名を取り込み、伊達を滅ぼせば奥州は勢力下に入ったも同然
南部は佐竹同様に同族だしね

>>788
若手でなくても俗にいう四名臣の次の幹部達だろ
その後は滅びたのだから探しようがないわけで
信綱が常に先鋒でないけど、駿河攻めでは今川は瞬殺と功績を挙げてますが
竜朱印状奏者として政権で重要な地位にあり、浅利のように方面をまかされる可能性は否定できまい
小幡の赤備えの歴史を知らなかったのは俺の未熟さであり指摘に感謝する
曽根が仮に早期に内応してたとしても有能さに変わりはない
ようは武田が滅亡の危機になければ問題無いわけで
昌盛は海津城の副将を固辞しただけで戦歴は充分過ぎる
長安が不明というだけで勝頼が勢力を拡げた時に活躍しないと否定しきれる根拠があるとでも
昌幸が小さい領地だから活躍できたという根拠が何?
沼田攻めで見せた謀略の冴えは武田が勢力を拡大する時に活躍が期待できるだろうし
例えば北条に滅ぼされた元上杉家臣を次々を内応させて父親並に貢献してたかもしれないだろ
792人間七七四年:2009/05/09(土) 00:16:14 ID:xkfmbil6
>>738 >>739
当時における武田の主敵は上杉。
上杉の勢力である上野ほっといて美濃なんかいったら
上杉が南下してきて終了になっちゃうよ。
>>740
1565年に武田が西上野攻めてる最中に武田の一部隊と織田の一部隊が東美濃で
激突した。これに驚いた織田が武田に婚姻同盟を申し込み、
西上野戦で大詰めだった武田がこれを受け入れたという話。
>>744
尾張美濃で約百万石だから二万五千ほど。織田上洛の四万だか五万だかというのは
浅井だの徳川だの周辺の土豪だのを合わせた兵力。
武田は普通に駿河攻めでも信濃で上杉と当たる時も西上野でも二万近く動かしてる。
>>745
第4回川中島は武田が上杉との決戦の為に領国中から兵を集めてるので
二万いておかしくはない。
>>746
あれは信濃に香坂の一万、西上野にも結構な戦力を残した上での数字。
一万五千は当時の武田にすると少ない兵力。
793人間七七四年:2009/05/09(土) 00:18:47 ID:BsPwp5iM
>>761
倍は無理じゃないかな
前年に謙信が西上野に「勝頼征伐」を掲げて出てきてるし

>>785
前後の織田軍の行動を考えたら三万近く出すだけでも相当な負担だと思うよ

>>788
土屋昌続あたりは一応若手でもいいんじゃないかな
794人間七七四年:2009/05/09(土) 00:24:21 ID:bgg4LHLQ
もしも話はどうしても荒れるな

シュレディンガーの猫状態だね

795人間七七四年:2009/05/09(土) 00:25:32 ID:xkfmbil6
>>749
どうかな?
上杉が信玄と同盟して北条を打とうとした事もある。
北条が先に信玄と再同盟してたので信玄は断ったけどな。
>>750
小説はどうかと思ふ。
>>759
それの典拠よろしくー
>>761
西上野戦線と北信濃戦線の抑えを回せば三万近い兵力作れるんだけどな。
>>762
実際勝頼は信玄死後たびたび家康領土を侵略し、浜松まで蹂躙してる。
家康も威信がたおちで長篠のときにはもう「今度織田が助けてくれなかったら織田をやめて
武田に寝返ろう」とか言い出してる。長篠はターニングポイントだったな。
>>763
当時の織田でもさすがに武田の三万の倍、約六万はさすがにだせない。
796人間七七四年:2009/05/09(土) 00:26:04 ID:BsPwp5iM
>>791
甲佐同盟は信玄期のも勝頼期も、同族云々じゃなくて利害の一致じゃないかな
でもまあ、本当にそこまで勢力拡大できるなら臣従させれるだろうけど

>>792
一番下の件だけど
西上野にはそんなに兵を残せなかったんじゃないかな?
ほとんど上野衆総出じゃない、長篠戦って
一万五千が武田にしちゃ少ないってのは同意
797人間七七四年:2009/05/09(土) 01:02:14 ID:6SeslE40
各勢力の動員力はいろいろあるけど、太閤検地の石高が正しいんじゃない?
織田が上洛の時点で言ったら尾張美濃で2万五千、武田は甲斐、信濃、上野で1万五千、上杉は越後1万、北条は2万五千てな感じ。
798人間七七四年:2009/05/09(土) 01:10:45 ID:BsPwp5iM
上杉は天正初頭に戦闘員6000ほどで総兵力8000ていう説があったな、確か
大体の目安にはなるだろうけど、太閤検地の時代ほど軍役が明確じゃないのが痛いよね
799人間七七四年:2009/05/09(土) 02:22:37 ID:xkfmbil6
>>796
確かにメンツで見ればそうか。
でもまあ軍鑑だと西上野担当の内藤は西に向かう際は抑えの兵を残して参戦するのが常で
越中・飛騨・信濃中部担当の馬場は場所柄、常に抑えの兵力を残して参戦するのが常であったと
されていたんで長篠もそうかと思ったが。
>>797
織田上洛時なら武田は甲斐・信濃・西上野で約80数万石なので
兵力は2万を超える。
>>798
上杉家軍役張だね。あれだと総人数は約5600。でも戦時だと臨時も入るだろうし、
越後の端、上野の上杉領、北陸の上杉領とかが含まれてなかったはず。
あれあくまでも越後中央の軍役だったはず。
800人間七七四年:2009/05/09(土) 02:35:52 ID:xsAULhUX
>>799
天正3年の上杉軍役帳だと一門と越後(下・中・上各郡)、旗本で合計5480人となっている
越後の端は含まれてるぞ
ちなみに小田原征伐時の陣立書で上杉の動員は10000。この時は出羽庄内、佐渡、信濃4郡が加わってるし
抑えも残す必要ないしおおよそ軍役帳の数も正確ではないかと思われる
801人間七七四年:2009/05/09(土) 10:02:39 ID:TXJT7IWn
長篠はどう考えても勝ち目はない。誰も鉄砲集中による騎馬隊殲滅を狙っていることに気がつかなかったのでしょうか?真田昌幸が薄々感じていたような。謙信に頭を下げて共同で二面作戦出来ませんでしょうか。
802人間七七四年:2009/05/09(土) 11:02:33 ID:BsPwp5iM
>>799
箕輪には兄の長門守とか昔からの同心残してたかもしれないね
小幡とかも信龍斎が長篠で死んでない説が出てるから
半分くらい国峰に置いてきたのかな

>>801
昌幸の参戦って確実になってたの?
てっきりまだ確証なしの状態かと思ってた
803人間七七四年:2009/05/09(土) 11:29:49 ID:thzyvsI7
つーか、真田にそんなに能力ねーよ
そりゃ、小勢で大勢を撃退したりゲリラ戦は得意だろうけど
数万の軍勢の指揮なんてしたことねーんだ
経験値で言えば勝頼の方が圧倒的に上
>>801はゲームのやりすぎだ
804人間七七四年:2009/05/09(土) 12:03:26 ID:5uge2Xml
35000の敵(織田・徳川連合軍)に13000で戦いを挑んだ勝頼が馬鹿

最低でも武田には25000は居ないとダメ

それでも敵から比べて一万人少ないけどw
805人間七七四年:2009/05/09(土) 12:27:06 ID:eyAfQaoQ
つうか、最初ほうのレスで無理と結論出てますが
806人間七七四年:2009/05/09(土) 12:30:21 ID:LFqoNFve
別に結論は出てないんじゃないの。
807人間七七四年:2009/05/09(土) 12:47:55 ID:AT0L8yCO
>>801

武田軍の騎馬隊はゲームと漫画の世界だけにある存在(w
史実として騎馬隊は存在しなかったんだよ。

長篠の戦で武田が決戦を挑んだ(寒狭川を渡河した)理由は

@いちかばちかの決戦を挑まないと信長との
 戦力差をひっくり返せなかったと考えていた。
A連合軍の馬防柵を撤退のための戦術と見誤ったため

のどちらかだと思う。
808人間七七四年:2009/05/09(土) 13:02:22 ID:9fiDx0L6
遅かれ早かれ信長が謀反で死ぬってのが規定路線なら、
頭下げて生き残れば勝ちって考え方もあるんだろうけど…
拡大路線やめて土下座してもダメだったのかな
809人間七七四年:2009/05/09(土) 13:10:41 ID:LFqoNFve
勝頼が戦後に家臣に送った書状から見るに
勝頼は長篠の後詰にきた織田徳川勢に襲いかかり
それを撃破して織田本陣まで押し寄せたそうだ。
だけど織田が陣城作って立てこもってたんで
攻めたら損害を受けた、と。
初戦の勢いに酔って突撃してしまった、ってのが実情な気が。
810人間七七四年:2009/05/09(土) 13:20:28 ID:BsPwp5iM
>>808
勝頼・景勝「和睦しましょう>>信長殿」
氏政「臣従します>>信長様」
信長「じゃあ武田と上杉潰すわ」

って感じだったと思うから
立地がまずかったのと外交で後手に回ったのが運の尽きかなあ
811人間七七四年:2009/05/09(土) 13:44:21 ID:AT0L8yCO
>>808

遅かれ早かれリーマンが破綻して日経平均が下がるのが規定路線なら
株をさっさと売れば良かったのに。

と言っているのと同じだぞ(w

長篠の敗北後の時点で、信長が謀反で死ぬ事を
確信して行動する事なんて出来るわけないな(w
812人間七七四年:2009/05/09(土) 13:52:12 ID:LBqRCTLs
安国寺なんかは予測してたな。

まあ麻生なんかも馬鹿にされながら解散を先延ばしにしてたら
小沢がコケてくれたしな。
大日本帝国も冷戦まで我慢してりゃ何とかなった。
ジリ貧状況で耐えることも時には必要。
813人間七七四年:2009/05/09(土) 14:31:49 ID:AT0L8yCO
予想が毎回当たったら凄いわな(w
安国寺は徳川幕府も予想したのか?(w

>ジリ貧状況で耐えることも時には必要。

耐えた結果、消滅した例は多くあるだろ。
逆に桶狭間のような例もあるわけだし。
814人間七七四年:2009/05/09(土) 15:09:37 ID:V9jplj6A
>>812
それ、後世の人間のノストラダムス的拡大解釈。
815人間七七四年:2009/05/09(土) 16:13:00 ID:d4gG+F3u
信長って結局日本の隅々まで軍事制圧することを考えてたのかな?
秀吉みたいに大物潰したら後は「臣従するならおk」って道は選ばなかったんだろうか
「スイマセンでした!」って謝っても結局掘られるなら相手も必死になるわな
816人間七七四年:2009/05/09(土) 16:54:22 ID:thzyvsI7
>>809
それはただの勝頼の負け惜しみだ
817人間七七四年:2009/05/09(土) 18:01:41 ID:V9jplj6A
>>815
三好とか宇喜多とか筒井とか、元は敵対していても臣従を許した大名はいくらもいますよ。
818人間七七四年:2009/05/09(土) 18:22:47 ID:Tb/CRjKi
>>808
長篠以前だったら織田は武田と戦うことを避けてたから和睦は可能だろう
当然時間稼ぎという可能性は濃厚だろうが
ようは織田が拡大しても対抗、もしくは困難と思わせる体制を築ければ島津みたいに存続は可能だろう

>>815
本願寺とは結局和睦した
損得勘定で割が合わないと思わせれば衝突は回避できるのでは

>>809
見事に織田の戦術に嵌って完敗しましたという証拠にしかならない
どう見ても誘い込まれただけだから
819人間七七四年:2009/05/09(土) 18:49:05 ID:aYV+z6+L
金山枯渇の影響というのはどれくらいに見ておけばいいんだろう
820人間七七四年:2009/05/09(土) 19:17:59 ID:XcW+UWkD
基本的には神風頼みなわけ
でも勝頼には神風吹かなかった
821人間七七四年:2009/05/09(土) 19:30:15 ID:BsPwp5iM
>>819
実際枯渇してたとは思えないけどな
江戸期の甲斐金山の稼働具合とか
勝頼の遠征スパンとか考えると
822人間七七四年:2009/05/09(土) 19:32:45 ID:THOXf1qt
金山収入は大したことなかったらしい
823人間七七四年:2009/05/09(土) 20:03:45 ID:6aIIQgUR
>>818
どう見ても、ってただの決め付けじゃ。
そんなに信長を完全無欠にしたいのか?
例によって公記じゃこの間は記述飛んでるし。
ふつうに最初は負けて押しだしてきた武田と相対してっただけだろ。
824人間七七四年:2009/05/09(土) 20:54:10 ID:Tb/CRjKi
>>823
馬防柵ってのは動かせない
それが戦術的に最大限に有効活用されている
これが偶然や幸運の産物と考えるほど夢見る年頃じゃないんでね
初戦で勝ったって超〜笑えるんだけど
これって馬防柵へ誘い込むための囮にまんまと引っ掛かったってことで
三国志でわざと負けたのを勝ったと勘違いして伏兵で壊滅ってパターンそのままじゃん

やがて、戦が動いた。織田・徳川勢の動きに反応し、武田勢が突撃を開始したのである
これを囮に引き寄せられたって記述と解釈するのは論理が飛躍してるかな
825人間七七四年:2009/05/09(土) 22:24:07 ID:iZUFaZrU
>>824
三国志とか伏兵とか言ってる時点で精神年齢が知れてると
思うが。
三国志の戦いもそんな絢爛豪華な伏兵があったと思うのか?
十分夢を見てると思うけど。

もともと柵とかを陣地に設けるのは当たり前。
信長が負けない体制をとったのも自然なこと。
そんで長篠城救援のために兵を送ったら勝頼に撃破され、
対峙し、その後で後方をうかがう策を立てただけだろ。
酒井が後方をうかがう策を具申するのは勝頼と対峙した後。
そして武田も勢いにのって突撃を開始し、同じころ連合軍別動隊は武田後方に回る。
織田徳川はこれを鉄砲を含めつつ迎撃し、兵を繰り出し、7時間近く戦って武田を撃破。
そんな感じだと思うが。

つーかそれ訳文じゃん。原文よめ。
826人間七七四年:2009/05/09(土) 23:21:57 ID:uRrt0aAT
追撃する先に大軍が陣城を構えているのが分かっててそのまま突撃?どんな馬鹿だよ。
武田が有海原に進軍したのを見て殲滅戦を決定。
五月二十日夜半に酒井隊が進発、翌朝酒井隊が武田軍長篠攻撃部隊を急襲。
その後、前田ら鉄砲隊と後方を取った酒井隊による挟み撃ちで戦闘が開始する。
827人間七七四年:2009/05/09(土) 23:33:56 ID:BsPwp5iM
>>826
挟み討ちは無理じゃないかな
酒井隊はあんな長距離を歩いてるし
小山田や室賀に押し返されたし

他はまあわからんでもないかな
828人間七七四年:2009/05/09(土) 23:42:21 ID:iZUFaZrU
>>826
挟みうちじゃないようだぞ。
武田後陣が織田勢と戦闘したという記録はない。
酒井が鳶ヶ巣砦に攻撃をかけるのと
本軍の戦いはほぼ同時、ってか本軍のほうがむしろ早く始まってる。

公記でも18日からいきなり20日に記述が飛んでる。
勝頼のいう緒戦があったのはこの19日の時か。
そして勝頼は書状で「敵は手だてを失って逼迫してる」と書く。
勝頼は緒戦の手ごたえから織田勢の戦意を過小評価し
突撃を決断。一方織田は押しだしてきた武田を見て後方に回る事を
酒井から具申され、酒井別動隊を派遣。後方に回り込ませる。
21日朝にほぼ同時に両地域で戦闘が始まり、織田徳川は武田本隊を迎撃。
7時間戦ってこれを撃破。
てな感じと思う。
829人間七七四年:2009/05/10(日) 02:22:45 ID:5AkFBKm5
むしろ後方への強襲を成功させるために織田本隊側から攻撃や挑発をかけたんじゃ
830人間七七四年:2009/05/10(日) 09:49:32 ID:IRvsRnRz
公記は早朝に戦闘開始、大須賀記は10時に戦闘開始。
また公記には、武田は鳶の巣山が陥落して
「前後から攻められて攻撃してきた」とある。

以上、考えると

早朝に酒井隊が鳶の巣山を攻撃、連合軍が武田側と小競り合いを開始する。
10時に鳶の巣山が陥落して、武田軍は退路が絶たれたので総攻撃を開始する。
14時頃、武田軍が撤退を開始して、総崩れ。

だと思う。
831人間七七四年:2009/05/10(日) 09:55:21 ID:IRvsRnRz
>>826
>追撃する先に大軍が陣城を構えているのが分かっててそのまま突撃?どんな馬鹿だよ。

武田側の思惑としては

長篠城を陥落させる
→連合軍は後詰の目的を失うので撤退を開始する
→武田軍はそこを追撃する

だったと思う。ところが酒井隊の奇襲により、この目論見は崩壊。
832人間七七四年:2009/05/10(日) 11:40:45 ID:JosC0Ga6
>>830
公記の「前後より攻められ」って主語が信長で始まってるから敬語だと思うんだけど。
つまり「信長公が前(武田本軍)と後(酒井別動隊による鳶ヶ巣攻撃)よりお攻めになり、
武田勢本隊も軍を出した」ってな感じだと思う。
833人間七七四年:2009/05/11(月) 20:09:33 ID:A83lp1ZZ
>公記の「前後より攻められ」って主語が信長で始まってるから

違う意味に取った俺は汚れてしまった・・・
834人間七七四年:2009/05/11(月) 22:08:49 ID:MGlPaRYn
アッー
835人間七七四年:2009/05/12(火) 22:19:40 ID:s5ZrXSsx
甲斐の長城を作って、甲斐のみを守る。信長に対抗は無理やろ
836人間七七四年:2009/05/12(火) 22:38:03 ID:iC4N4exz
甲斐の地形でどう長城を作るのかと
837人間七七四年:2009/05/12(火) 22:55:41 ID:6nBlsbYI
侵入路に要塞を作るのはいいかもね
838人間七七四年:2009/05/12(火) 22:57:38 ID:Psn1jT+8
朝鮮式山城みたいな感じに国中を囲むとか?
富士山の山頂にも石垣を組む
839人間七七四年:2009/05/12(火) 23:47:37 ID:OI47XCJp
甲斐国内で寝返りがでたら、意味なくない?
840人間七七四年:2009/05/13(水) 00:47:25 ID:vhX0lqcl
戦力を示すことが寝返り防止のために何より重要だからな
841人間七七四年:2009/05/13(水) 01:21:23 ID:clQo8J47
武田信虎に織田信長の暗殺を依頼すうるwww
842人間七七四年:2009/05/13(水) 01:40:11 ID:hXRcQR6N
>>841
あいつ叛乱企てて駿河追い出された間抜けじゃねーかwwww
843人間七七四年:2009/05/13(水) 03:05:23 ID:TBbKvVtx
三倍近い敵に突撃する馬鹿
844人間七七四年:2009/05/13(水) 14:20:41 ID:8Fl9WrbR
よぉ〜っし、向こうが鉄砲三千丁ならこっちは四千丁でぃ!
845人間七七四年:2009/05/14(木) 12:31:20 ID:RmkzftkF
世界の半分を下さいな。部下になりますから。と書状を送る
846人間七七四年:2009/05/14(木) 12:53:51 ID:8FKBDHmg
>>845
また初めからプレイしろと申すか
847人間七七四年:2009/05/14(木) 15:02:29 ID:MTA4mhQ3
>>844 「殿っ! 四千丁もの鉄砲を買う資金がございませんが…。」
848人間七七四年:2009/05/14(木) 15:33:58 ID:zAr5RDt7
掘らせいっ!金山衆にもっと金を掘らせい!
849人間七七四年:2009/05/14(木) 15:48:54 ID:DzOaSQQm
春日「掘られいっ! 御屋形様、もっと掘られい!」
850人間七七四年:2009/05/15(金) 13:53:42 ID:PQXPzONq
甲斐の運命。俺の運命。信勝の運命。そして貴様の運命もな。これで最後だ! 信長 ホッホッホ ピキュン
851人間七七四年:2009/05/15(金) 16:11:43 ID:gYi0NzGO
背水の陣を敷き、さらに名前を武田負頼に改名し、敵の同情を誘う。
852人間七七四年:2009/05/15(金) 16:49:08 ID:atvY+hYy
三人共、ケンカなんかヤメて仲良くやろうよ。
853人間七七四年:2009/05/15(金) 17:34:01 ID:EuYdCWcA
>>843
三倍程度古今世界の戦でいくらでも逆転してる
まああの合戦する前の士気内政外交で決まってる感がある
大名の中で俺は最後にして唯一織田に対抗できうる勢力だから
実質武田が負けて戦国時代の終りの始まりだったと思う
負ける確率は高いが武田はもっと対策は練れたと思う
854人間七七四年:2009/05/15(金) 19:05:41 ID:7rRtoKPa
>>853
鳶ヶ巣山をしっかり防衛するだけで十分
これで織田側から武田側へ攻める形を作れるから
攻めなければ長篠城が落ちて徳川が豪族からの支持を失い戦線離脱の危機
攻めてきたら攻守三倍の理屈で武田が勝利する確率は高い

もし信玄が同じ状況だったらまず勝ってただろうね
855人間七七四年:2009/05/15(金) 22:31:34 ID:c9C4zzK7
>>853>>854
なるほどね〜

無理に戦わず、武田軍が夜中に撤退という手は?
856人間七七四年:2009/05/16(土) 00:17:42 ID:EOJ7GzHv
1人2人ならともかく、ばれるにきまってんだろww
857人間七七四年:2009/05/16(土) 00:23:06 ID:yYUvTp0U
鳶ヶ巣山をで強固な陣を張れば、織田は長篠城に無事入って防衛完了。
858人間七七四年:2009/05/16(土) 07:24:20 ID:Z0KSnRhg
>>854

撤退すれば織田と武田の国力差はますます広がる。
武田としては挽回不可能なほどの国力差が広がる前に
決戦を挑む必要性があった。

まー信玄だったら他国と連携を密にとるだろうけど。
各個撃破をされすぎた
859人間七七四年:2009/05/16(土) 10:32:22 ID:qC7oi456
上杉は切り捨ててでも北条との同盟は死守すべきだった
織田北条を敵にするより織田上杉相手で北条同盟の方がかなりまし
860人間七七四年:2009/05/16(土) 10:40:38 ID:b45UbEWe
それに実質的に挟撃されてたし、戦いの前に負けが決まってたからな
信玄だったらそれまでの計略や外交内政、情報戦を徹底して行って
負けても被害が少ないようにする、さらにカリスマがあったからもっと各部隊の連帯がとれただろう
信玄で勝てると断言は不可能だし負ける可能性も十分だが
どちらにせよ勝頼みたいな数年で勢力衰退そして滅亡はなかったのは確か
勝頼は名将で武はすぐれていたが
信玄時代の武将との関係があまりよくなかったし文の面で負けたようなもの
文武に秀でた織田信長にそこをしてやられたって感じ
861人間七七四年:2009/05/16(土) 12:54:12 ID:dDqb4dHl
御館で景虎を支援しつつ大勢が決まった頃に景虎を暗殺する。
北条の縁者・景虎がいなくなれば越後は北条に協力はしても傘下に入るまではしないだろう。
これで北条に囲まれるかもという恐れはなく、暫く三国同盟は維持できる。

ただノブに勝てるかは別だ。
862人間七七四年:2009/05/16(土) 13:47:35 ID:GqhzdF20
>>857
長篠城近くの谷間で大軍が展開できないところで各個撃破できるんだが
どうやって入城するんだ?
平野部の平城じゃないし一気に大軍が展開できる地形じゃないぞ
863人間七七四年:2009/05/16(土) 13:53:03 ID:EOJ7GzHv
確固撃破しにきたところを確固撃破されるだけだろ・・・
864人間七七四年:2009/05/16(土) 13:56:38 ID:Rh95ALaO
そんな簡単にいくのかな?
865人間七七四年:2009/05/16(土) 14:08:56 ID:FA5snQw0
少なくとも各個撃破するために先に布陣して待ち構えてる武田を
攻めながら各個撃破するって無理じゃね?
866人間七七四年:2009/05/16(土) 14:15:32 ID:mDLAcFln
長篠以降は信長の調略やチクチク家康からの嫌がらせも多くなった。毎年外征せんと、次々に国人が連合軍につく。無理してでも上洛戦を続行したほうが良かったのかな?
867人間七七四年:2009/05/16(土) 14:16:53 ID:flWH6zy+
太平洋戦争前夜みたいだな
868人間七七四年:2009/05/16(土) 14:57:47 ID:GszkdwEX
信玄なら・・・ってバカじゃねーの?
869人間七七四年:2009/05/16(土) 15:23:58 ID:yYUvTp0U
>>862
あの、鳶ヶ巣山と長篠城は川を挟んでるんで、「鳶ヶ巣山に陣を張って」というのは
全く意味が無いんですがw
870人間七七四年:2009/05/16(土) 15:36:39 ID:DUn5t0nA
勝頼は砦に陣をかまえたままであれば負けることはなかったのに、
押し出してきたので
という意味のことが信長公記に書いてあるから、
長篠の戦いで勝頼が負けない方法としては、

長篠城包囲の砦にこもったままでいれば、よかった。
871人間七七四年:2009/05/16(土) 15:36:58 ID:5Jr3hsB/
信玄が仮に甲斐に帰って回復しても足利追放朝倉滅亡
おまけに謙信に信長は「あの卑怯ものをぶっころしましょう」と書状を送っている。
信長と謙信との同盟は続き越中までとり戦力の充実した謙信がいよいよ関東制圧か信濃侵入を試みる。
872人間七七四年:2009/05/16(土) 15:51:05 ID:DUn5t0nA
じゃあ、武田家は信長と縁談を結んで、和平とする。

一応、信忠と信玄の娘の縁談があったんだからさ。

とはいえ、上杉、武田、北条、の関東三国志?で、
生き延びることができたのは、三家のうち上杉一家だけだから、
武田家はやはり無理か。
873人間七七四年:2009/05/16(土) 15:58:38 ID:GqhzdF20
謙信は関東より北陸じゃね
信玄も勝ち目が薄くなったら無理して戦わないだろうし
動くとしたら北信濃を代償に謙信を動かすことに成功したらだろう

>>869
医王寺方面で展開してる部隊があるだろ
それともまさか包囲なのに鳶ヶ巣山だけに部隊がいるという前提か?
それだったらそもそも長篠城が落ちるわけがない
874人間七七四年:2009/05/16(土) 16:22:14 ID:yYUvTp0U
>>873
は?じゃあ、鳶ヶ巣に本陣を移して残った部隊だけで織田軍を相手にしようと?

だったら、医王寺に本陣を構えたまま、天神山・本通寺の部隊でそのまま戦った方がましだろw
875人間七七四年:2009/05/16(土) 20:02:22 ID:NHwkwGy4
>>874
別にそっちでもいいけど
単純に小牧・長久手の徳川みたいに後方に大きく回り込むという選択肢もあるかなと
長篠城救援に出てきたところで後方撹乱して混乱したところを強襲するみたいな
あるいは北条戦みたいに武田全軍でそっちから三河を横断して帰るのもありでは
876人間七七四年:2009/05/16(土) 21:12:44 ID:2GlR2Fhi
長篠の詳細は分からないから、武田軍の勝ち方の論議には参加できないが

もし勝ったとして、その後史実とどう言う差異があるんだろう

勝ちの定義はどうしよう
877人間七七四年:2009/05/16(土) 21:27:19 ID:NHwkwGy4
コーエーが作るゲームのタイトルが甲越合戦に変わる
武田家と上杉家の大河で舞台となる数が増える
戦国無双とBASARAの主役はまったく変わらないけどライバルに影響あり
北条家の武将の能力が上がる
徳川家の武将が下がる(ただし武田家で活躍した武将は変更なし)
海外で信玄と謙信とついでに氏康の知名度が上がる
878人間七七四年:2009/05/16(土) 22:49:45 ID:mDLAcFln
信玄公のソックリさんと謙信公のソックリさんを陣頭に上洛戦に挑む。まっまさか?ふたりが生きていたとは?
879人間七七四年:2009/05/17(日) 00:41:14 ID:d9GLIXBh
長篠の戦で勝つでも勝ち具合、織田武田徳川の武将の討ち死に数
どんな武将が死んだのか等で大きく違う
ただここで織田が負けても
三方ヶ原や織田一次包囲網と違って国力差が圧倒的すぎる
一時的に美濃尾張の戦線でおすことはあっても滅亡まではないかない
むしろ普通に勝った程度ならジリ貧、信長が死ぬまでは領地を削られることはあれど逆はない
ただ信長が不意の病気や本能寺の変みたいな事態があってそれまでにそれほど領地をとられなければ
って感じかな
あと可能性として信長が討死あるいは柴田、明智といった有力家臣が軒並み討死すれば状況は変わる
880人間七七四年:2009/05/17(日) 01:25:47 ID:m7+7gE+O
>>871
史実では謙信は1574年末まで関東ですよ。
味方がピンチなので。
881人間七七四年:2009/05/17(日) 08:46:20 ID:X5NJ9e0s
上杉への人質として信勝を送っておいたら少なくとも天目山で絶滅は防げたな
もしかしたら上杉の後押しで本能寺後の混乱に乗じて旧武田領の一部の領主になれたかもしれないし
秀吉から徳川への牽制のためそこそこの禄高をもらって要所に配されて関ヶ原の重要勢力になれたかも
882人間七七四年:2009/05/17(日) 11:51:58 ID:IlfHL2a5
信玄在世中に、せめて徳川だけでも
滅ぼして置けば、ちとは
国力的にも楽になっていたかな?

織田の片割れを潰す事で 信長に圧力を掛けれそうだし…。
883人間七七四年:2009/05/17(日) 14:22:10 ID:ut0ishLM
>>881
上杉も上杉でダブルしばたに挟まれて甲斐まで援軍は出せても助けられる程は動かせないだろ。
甲斐ではなく北信濃に逃げたというならまだ分からんが。
884人間七七四年:2009/05/17(日) 14:34:08 ID:FYxK2NWo
まぁ新府からの撤退時に信勝を真田に預けてたらどうなったかは興味あるところだけど
真田が裏切ったなら今の真田びいきのイメージも一気に瓦解するんだろうな
村上吉清ばりに越後に逃げ込むっていうのはやはりプライドが許さないか・・・
885人間七七四年:2009/05/17(日) 15:58:29 ID:amJ/ZUOd
けどなー、真田が表裏比興って言われ始めたのだって
武田が滅亡したせいで、小国で上杉北条徳川に対抗するためでしかないんだよね

武田家滅亡前は上田に勝頼の館作ったり
万が一の時に備えて北条と仲良くしてたりと一応抗戦する気だったよね
886人間七七四年:2009/05/17(日) 16:18:35 ID:pvAcmMC8
高坂弾正が言った論理が一番ですねぇ。駿河を北条に割譲して、信長対氏政の直接対決にもってこさす。謙信公に頭を下げて和睦。単独で当たるのはやめる。作戦は同盟国と同時に行う。
887人間七七四年:2009/05/17(日) 18:09:11 ID:18zfNC5+
>>886
高坂の論はよく知らんけど、駿河全部やるの?冨士川以東だよね?
888人間七七四年:2009/05/17(日) 18:43:11 ID:mmX36svr
信玄が今川を単独でやっておけばよかったのにな。
下手に徳川を大きくしたような気が。
889人間七七四年:2009/05/17(日) 19:33:17 ID:TNfKU1op
>>887
お家存続の窮地に駿河一国なんて安いものさね
北条は今川再興がかなって面目を回復できるし
890人間七七四年:2009/05/17(日) 20:29:02 ID:pvAcmMC8
887、889。その意見は通らなかったんよ。せめて駿河半国に妥協してくだされ。の意見も却下。氏政の妹を輿入れだけだった。にしても北条は勝頼滅亡時に助けるんではなく、攻め込むとは・・・。
891人間七七四年:2009/05/17(日) 20:38:26 ID:lE0yqNHv
何か根にもっていたのだろう。

というか、御舘の乱で、北条家からの養子(景虎)を
勝頼は見殺しにして、景勝の方を支援しているからな。
これで武田と北条は不仲。
892人間七七四年:2009/05/17(日) 20:57:21 ID:hSFoEDXr
何か北条って敵にしても味方にしても使えないイメージがある
893人間七七四年:2009/05/17(日) 20:58:42 ID:OB2IlRaD
それは御館の乱の初期に足並み揃えなかった北条が悪い
894人間七七四年:2009/05/17(日) 21:50:10 ID:pvAcmMC8
御一族衆で使える人間が仁科信盛のみってのがキツいですね。四名臣が亡くなった時点で積み?フランス代表がベテランが引退してから弱くなったのに似てる。
895人間七七四年:2009/05/17(日) 22:08:59 ID:q7DhiUW2
>>891
見殺しってんなら北条も……
896人間七七四年:2009/05/17(日) 22:47:34 ID:j6CXsGlw
>>894
浅井、朝倉、長島一向一揆が滅んだ時点で詰みに近いんじゃないかな?
897人間七七四年:2009/05/17(日) 22:58:43 ID:hhVODaPU
>>890

駿河をやるということは遠州は?
遠州だけ孤立しない?高天神城は?
898人間七七四年:2009/05/17(日) 23:19:17 ID:VfDiOq5S
>>893
いい悪いでなくて、政治的にどうかって話。
どれほど武田や勝頼が「こうこうだから北条が悪い!俺たちは悪くない!」と
主張したところで、北条が非を認めて改めるなんて政治的に起こらない。
899人間七七四年:2009/05/18(月) 00:05:42 ID:BkKooMk3
北条との同盟を維持するしかなかった
900人間七七四年:2009/05/18(月) 00:37:58 ID:EZucts8m
やはり本能寺の変を一年早くやってもらう?見返りに明智との協力は惜しまない。との条件で。北条は信用ならん。義の上杉に偽の北条
901人間七七四年:2009/05/18(月) 00:47:31 ID:fDLm5I7X
>>879
>ただここで織田が負けても三方ヶ原や織田一次包囲網と違って国力差が圧倒的すぎる
>一時的に美濃尾張の戦線でおすことはあっても滅亡まではないかない

いいや、ここで信長が勝てないとなると織田家内部の謀反の眼も出てくる
ここまで武田家と織田家の分国の大きさが違うのに信長が勝てないとなると
織田家内部の反乱が出てくるかもしれない。

長篠の戦は1575年でまだ織田家には明智光秀や荒木村重、高山右近、黒田孝高
別所長治、松永久秀など何時謀反を起こすか判らない武将がゴロゴロしている

仮に長篠の戦で信長が大敗しないまでも武田家に勝てないとなれば
毛利家や石山本願寺はこれを契機に織田家に対して大攻勢に出るだろう

織田家の権力構造も磐石ではなく“部将の分国は切り取り次第”という状態
だから意外と織田家の直轄領が少ないのが実態
武田家を滅ぼして天下統一に目星が着き始めた時点で佐久間信盛を追放した。

19ヶ条の折檻状は、畿内・美濃を織田家の直轄地とする信長の天下統一構想
において双方に領地を持つ佐久間信盛の領地を取り上げるための言いがかり
である。
事実、信盛追放後にその領地は信長と信忠で分割されている。
そして、同じく畿内に領地を持つ明智光秀がこの追放劇に危機感を覚え
本能寺の変のきっかけになったと分析出来る。

織田家直轄領の少ない戦国期の織田家分国支配体制の内部構造は意外と
もろいかも知れない。長篠の戦での負け戦は相手が武田家なので織田家
分国支配は動揺する可能性がある。
902人間七七四年:2009/05/18(月) 00:48:29 ID:xp2helbR
スレタイからすれば本能寺の変待ちはスレ違いなのかもしれないけど

それしかないかもしれない
903人間七七四年:2009/05/18(月) 00:55:16 ID:9aU04eh4
信玄最強、武田家臣団最強のイメージを守るため無理やり無能武将扱いされている勝頼かわいそう・・・
904人間七七四年:2009/05/18(月) 01:18:49 ID:EZucts8m
しかし、御館の乱で三万もの兵力だせるのに、長篠で一万数千ってのが納得いきません。戦いは兵力が全てじゃないけど、信長は桶狭間以外は敵より多くの兵力で戦いに望んでたので。
905人間七七四年:2009/05/18(月) 01:21:10 ID:fDLm5I7X
>>903
武田家の内部構造だね
武田家にも甲州国人衆(武田家譜代)vs信州国人衆(諏訪家旧家臣団)
という構図があるから、こちらもこちらで大変

途中まで義信後継体制で動いていたのに急に勝頼後継に変えるから
内部で上手くいかなくなる。確かに信玄の問題。

戦国大名を強固で強い存在だと思わないほうが良いのかもしれない。

内部に矛盾を抱えているからこそ分国拡張に打って出ている訳で
三橋貴明氏が言うように独裁政権には後が無い。
負けたり失政した時点でアウト!
906人間七七四年:2009/05/18(月) 01:31:53 ID:92ChANXO
信玄の木彫りの像でもつくっておけば
家康は糞もらして逃げるんじゃね。
そのうち信長は光秀が事件起こすだろ。
907人間七七四年:2009/05/18(月) 01:44:59 ID:EZucts8m
死せる信玄生ける信長を走らすですな。んなら武田二十四将全てで上洛戦にしますか?信長びっくりして脳卒中になりそうですね
908人間七七四年:2009/05/18(月) 02:20:06 ID:nw4Yxuq+
>>903
お家を滅亡させた人間が無能でなくてなんだというのか
まあ信長が織田家を滅亡させた原因があるのが明白だから信玄もということだろうが
家中の結束がなく戦うのが不利
これは無理に戦うのは愚策だってことだろう
その愚策を押し通した勝頼が無能だってことだろ
909人間七七四年:2009/05/18(月) 03:01:52 ID:c6EImYJw
まぁ、勝頼と信玄が入れ替わったとしても家は滅びてただろうけどね
910人間七七四年:2009/05/18(月) 03:10:32 ID:t45pvxli
正直勝頼は典型的猛将だからな
甲陽軍艦の長篠城の退却の是非はともかく内政で他の老臣を失ったのは大きすぐる
唯一残った高坂も78年に死んでるし
そうなると殆ど武田に残ったのは自身の保身を考えてる人間
あるいは猪武者しかいなくなり、内政知略軍略に秀でた人間が殆どいなくなった
あと勝頼は外交ががんばってたけどすべて裏目
正直織田だけでも十分滅ぼされる可能性を考慮してれば景勝につこうなんて気はおきないはず
過信してたのかな?
勝頼は人を見る目が致命的にたりなくて、長期スパンの戦略がまったくだめ
天目山の時真田の言う通りしなかったのが象徴してるともいえる
911人間七七四年:2009/05/18(月) 12:08:23 ID:EZucts8m
家康は老獪だよ。勝頼が出陣すると逃げる。いなくなると放火やら小城を包囲して武田の戦費を無駄遣いさせる。駿河方面軍団長の穴山を解任すべし。この人、駿河遠江戦線で実績残したっけ?
912人間七七四年:2009/05/18(月) 13:32:46 ID:izj/fDCg
武田義信が信玄の後を継いだらどうなっていただろう

勝頼よりは武田家の結束は強まりそうだが、能力ではどうか?
913人間七七四年:2009/05/18(月) 14:16:18 ID:OluycUF1
ホントに義信の能力は未知数だよな?
誰か義信の能力を計れるエピソードや情報を持っている人いますか?
914人間七七四年:2009/05/18(月) 14:48:01 ID:EZucts8m
913。天文23年、信濃知久氏攻めで初陣。永禄3年川中島合戦において武功を挙げる。父信玄の南方攻略作戦に対して、今川家との同盟を強化して改めて三国同盟を強固にすべしと進言。北方への飛騨越中への攻略を進言。方針の転換を巡り父と対立とある。
915人間七七四年:2009/05/18(月) 16:07:59 ID:4jBIDbDG
>>912
今川を義理堅く守ろうとして織田との激戦を繰り返して滅亡
916人間七七四年:2009/05/18(月) 17:26:27 ID:c6EImYJw
仮に義信ルートだったら駿河じゃなくて飛騨に行っただろうしね
飛騨取られたら岐阜城にいる頃の信長も安心してらんないんじゃない?

ただ、飛騨取ったところで維持できるのかが超疑問
勢力が割拠してるから、一つに無理やりまとめたら間違いなく
反乱が起こるだろうけど飛騨なんて山奥すぎて甲斐からいちいち向かってらんないし

というか、信長や謙信だって黙ってないから
飛騨に援軍は送らなくても資金的な意味で援助して
泥沼の戦場になるのがオチでしょ


けど、飛騨や駿河が取れなくても
武田今川北条の三国同盟で徳川に当たれるのは凄い大きいと思う
917人間七七四年:2009/05/18(月) 18:20:05 ID:BLAZTb+r
三国同盟の領地以外でとれそうなところといったら、上杉領を除けば、
飛騨しかないじゃん。

織田の美濃か?。織田と直接対決するよりは、属国?の徳川領に攻めた方がまだマシだろう。

もっと単純に考えれば、三国峠を越山して、越後侵攻だろう。川中島の延長で
上杉を攻め続けるなら、義信も反対はするまい。
918人間七七四年:2009/05/18(月) 18:30:04 ID:fJtIbXxU
飛騨は山地で攻めにくい上に、石高もたいしてないだろ
従属で十分
919人間七七四年:2009/05/18(月) 18:31:44 ID:fJtIbXxU
武田が天下をとるには、上杉とはやりあわず、美濃に攻めるしかない
北上すると上杉とあたり、駿河に攻めると北条とやることになる
まだまだ織田が弱かったころに先に美濃を攻め落とすしかない
920人間七七四年:2009/05/18(月) 18:47:11 ID:BkKooMk3
義(笑)の上杉なんぞ糞の役にも立たん
景勝なんかまともに戦えば勝頼にも勝てない
負けの神・兼続様が部隊を引き連れればなおのこと
921人間七七四年:2009/05/18(月) 18:53:04 ID:BLAZTb+r
武田が天下をとるには、
今川の桶狭間侵攻?のときに、合力して、
武田は美濃に攻める。

明智城や岩村城をこのとき取っておけば、まだまだ織田は弱いし、
今川の東海道、武田の中山道で、かち合わずに済む。
922義龍:2009/05/18(月) 19:07:29 ID:2HMoPX05
おい!美濃は俺のもんだよ
923人間七七四年:2009/05/18(月) 19:15:53 ID:BLAZTb+r
関ヶ原の戦いの翌年に、前田けいじが上杉景勝か兼続と一緒に
京都から中山道を通って、米沢に行っている。江戸に行くのと違って
軽井沢経由の方が東北には短距離だからだが、

そのとき、木曽川ぞいの崖で、木を横向きにつっこんだ木道の上を歩いている。

こんな道しか無かったのだから、武田の美濃侵攻は大兵力は難しかったと思われる。
棒道を作ればという道普請の展開が必要だな。
924人間七七四年:2009/05/18(月) 19:41:33 ID:xp2helbR
桐野作人の短編集に

長篠敗戦後、高坂弾正の進言に従い上杉と和睦、川中島四郡の割譲を条件に上杉謙信に遠江戦線に来てもらい徳川、織田を蹴散らす


てのがあったな
925人間七七四年:2009/05/18(月) 20:15:52 ID:t45pvxli
>>824
長篠の戦の敗退後ってもう実質滅亡秒読み
やるならその前だが、義理固い謙信が織田を裏切るかどうか
正直西上作戦中に信玄が死んだ時点で信長と勝頼の力量さから滅亡実質滅亡確定
信濃の豪族なんて信玄が無くなって長篠で負けた瞬間に一斉の離反はじまったし
それを防いでひたすら耐えまくって信長が死ぬのをまつしかないよな
926人間七七四年:2009/05/18(月) 20:42:17 ID:iCyiNauy
>>信濃の豪族なんて信玄が無くなって長篠で負けた瞬間に一斉の離反はじまったし
? 信濃の豪族が離反するのは1582年の侵攻からだろ?
長篠は1575年。それから7年あとの1582年の侵攻まで信濃は安定してる。
927人間七七四年:2009/05/18(月) 20:50:05 ID:iCyiNauy
>>903
軍鑑でさえ勝頼を「強すぎる大将」とは言ってるけど
無能とは言ってない。
>>904
長篠の時は上杉を警戒して信濃に一万おいてたから。
>>905
諏訪家旧家臣は特に力を持ってないけど。
勝頼後継者にして特に問題あったとは思えないけど。
928人間七七四年:2009/05/18(月) 21:06:01 ID:chb19rym
>>920
それはないだろうな
景勝は動かせる兵こそ少ないが内乱状態で周辺敵国がこぞって敵で国内に出兵してくる状況で見事勝利し
その後の圧倒的大軍で迫る柴田に魚津陥落まで82年6月まで粘り本能寺後は信濃で徳川方諸将、菅名方面で葦名と
勝ちまくってるし大阪の陣でも豊臣方大軍を寡兵で粉砕するなど大活躍だったし普通に強いだろね
929人間七七四年:2009/05/18(月) 21:40:10 ID:BkKooMk3
織田軍の一部隊相手に滅亡寸前だった景勝
新発田の反乱軍にこてんぱにやられた直江
秀吉に即効で臣従した景勝
長谷堂で醜態を晒した直江

滅亡寸前の勝頼でも勝てる
930人間七七四年:2009/05/18(月) 21:49:28 ID:BLAZTb+r
では、武田勝頼は、越後に侵攻して(川中島経由)
上杉を滅ぼす、というのが良かったかと。

現実に春日山城近くまで侵攻したらしいし。そこで景勝を討ち取れば、
北条とも協力関係が保てるし、越後領を北条と折半して、武田の武将たちに
領土を分け与えれば、長篠後の不満も減り、めでたしと。

931人間七七四年:2009/05/18(月) 21:52:47 ID:jW28/eSz
まあ美濃が龍興のものだった頃に侵攻すれば良かったんじゃない?
当時の織田も漁夫の利で美濃獲って疲れてる武田を襲おうとはしないだろうし。

まあ業正亡き上野をほぼ諦めないとならないがな。
932人間七七四年:2009/05/18(月) 22:00:07 ID:smhYnix3
>>929
つりか何か知らんが結局80年までの内戦で大幅に疲弊しその頃には本願寺と織田が
和睦し能登や越中の衆が次々織田へ帰参してきて翌年には新発田も蜂起するなど
危機的状態だが結局魚津落城まで82年6月までもかかってる。織田の一部隊っていうけど終盤では森や滝川などへの対策
にも負われながら戦ってたんだが?
自他の兵力差、国力差や内乱で疲弊しまた国内で反乱が起き葦名が介入するなど苦しい状況鑑みればどうみてみよく戦ってる
秀吉に従ったのは徳川、柴田、北条など周囲との関係から必然的になったものなのに
従ったから景勝が弱いとか妄想もほどほどにしてくれ。

新発田の乱についても本庄や色部など下越の外様家臣が新発田攻め
渋ったり鮎川が寝返ったり葦名が支援してたり本能寺前は
対織田、本能寺後は信濃で徳川方の小笠原や越中の佐々との戦いで
忙しかったのが大きいし秀吉から新発田攻めを止められてた時期もあった。放生橋は鮎川の裏切りがあり
本庄、色部もなかなか腰をあげずにいた事が大きいそれでも本庄、色部が腰を上げると繁長軍が篠岡まで進出して
所々放火し一戦し主だった十余人を討ち取り重家をかなり追い詰めてた。
しかし81年以来越中信州と長陣が続き休まず新発田攻めに来てて兵の疲労が酷く軍律も乱れている有様。
新発田城からの退路は深田に囲まれ一本のあぜ道しかなく放生橋の両側が沼の広がる細道という地形では
殿戦もまともにならない。
しかしその状況から景勝は自ら采配を振るって奮闘し新発田勢を追い返している
しかも八幡表の戦いとか普通に勝ちまくってるんだが。
上杉貶めたいならもっと勉強して書き込め低脳
933人間七七四年:2009/05/18(月) 22:03:05 ID:jBGNbXph
>>915
義信でも最終的には駿河と遠江の一部は武田家のモノになりそうだけどね

義理で義信が今川氏真を支えても結局三河の松平元康は自立するでしょう
そのうち今川家の家臣団も信虎の工作もあり武田家に乗り換えていく、
1469年の駿河侵攻時ならまだ信長もそれほど強大化していないから
親今川の義信なら内部から今川を切り崩せるかも、信虎もいるし。

信玄は、義信を殺さずに信虎と同じように駿河に追放すれば義信と信虎が
協力して今川家を乗っ取れるのではないか、そうすれば信玄の駿河侵攻の
ような東に北条氏政、北に上杉輝虎、南に徳川家康、西に織田信長という
強大な勢力にそれぞれ包囲されることとには成り難い気がする。
934人間七七四年:2009/05/18(月) 22:04:30 ID:I7BPf/UH
929みたいな馬韓な糞レス見てると無性に腹立つわ。
寡兵の上杉にコテンパンにやられた柴田をトップクラスの大封で使った織田ザコ長様よりは
謙信景勝直江主従の方が遥かに上だろうな
謙信>>>景勝>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ザコ長
935人間七七四年:2009/05/18(月) 22:10:54 ID:0+gl/PFb
>>929
お前みたいに経過考察しないで印象操作すると
信長は圧倒的大軍動員できるのに仁科盛信1000以下に城外戦で
5〜60000の大軍で武田より多くの被害出して
一門の一人死なせるほど戦下手の信忠が少数でいる所を二条城で圧倒的大軍で襲って押し返され、丹波平定でも大苦戦する
ザコ光秀に寡兵で殺された。
手取川でも謙信にビビって出てこれなかった。弱いから配下に戦を任せきりにしてた。
実際自分で戦った戦はどれも酷く負けばかりだった
こういう見方ができるだろうな
936人間七七四年:2009/05/18(月) 22:11:44 ID:VBnoG6ie
>>934
まあ、落ち着け

>>929の書き方も悪いけど、一応事実
937人間七七四年:2009/05/18(月) 22:17:24 ID:0+gl/PFb
>>936
事実じゃないぞ。飛騨口から別働隊も来てたし信濃や上野方面にも軍団が存在し
下越で新発田が存在してこその『滅亡寸前状態』
当然柴田のみ相手なら越中口に集中できる兵力はずっと増える
938人間七七四年:2009/05/18(月) 22:24:08 ID:iCyiNauy
>>931
それをやられると上杉に食われる。
なんか誤解されがちだが、長野氏はあくまでも越後・上野・北武蔵・一部北陸
にまでまたがっていた長尾上杉の西上野統括者なので。
武田が西上野に侵攻したのはあくまでもこの強大な長尾上杉の勢力圏を削減し、
安定を確保するため。上杉をほっといて美濃行ったらそれこそ本末転倒。
>>933
信虎はたしか駿河を内部からかく乱しようとして追い出されてたような。
まあ義信が心を変えてくれるとは思えないのよね。頑固みたいだから。

駿河侵攻の時は織田とは同盟、徳川もその縁で同盟。
上杉は足利を使って和睦。北条に対しては関東諸侯と組んで包囲したから
特に問題はなさそうな。
939人間七七四年:2009/05/18(月) 22:25:26 ID:2HMoPX05
滅亡寸前の勝頼には土屋しか戦力がいないじゃん
940人間七七四年:2009/05/18(月) 22:27:30 ID:fJtIbXxU
iCyiNauyは織田厨にいつも論破されているあほうw
941人間七七四年:2009/05/18(月) 22:32:43 ID:iCyiNauy
>>940
お前がいつも武田派にぼこぼこに論破されてる阿呆だろ。
「ダゼ」との議論は面白く読ませてもらった。
完全に遊ばれてるなお前W
942人間七七四年:2009/05/18(月) 22:51:25 ID:8mHMttkk
>>933
義信は義理堅いから今川を乗っ取ろうとは考えなさそう
徳川に押されて滅亡寸前で救援かな
今川侵攻時の北条みたいな行動を取って徳川と交戦するだろう
ただ上杉とは飛騨から越中で戦おうとしてた
これでは上杉と織田・徳川の同盟軍に挟撃される可能性が強い
北条を武田を助けたくても謙信相手では一蹴されるのがオチ
義信の軍事的才能が信玄並でも謙信と信長との二正面作戦は無理で不可能
確実に武田が滅びる
943人間七七四年:2009/05/19(火) 00:06:04 ID:iyJZ+5jR
いやだから今川を滅ぼしたのが誤りだろ、オヤヂの。
バッファにしとけばよかったんだよ。
蹴鞠保護区としてな。
944人間七七四年:2009/05/19(火) 00:10:47 ID:TV6OUx4V
そもそも今川と組んで北条喰った方がもっと美味しかったかもしれん!!
945人間七七四年:2009/05/19(火) 00:12:23 ID:iFCsQcZm
>>943
そもそも今川が上杉と組んで武田を包囲しようとしてたので
そんな事いわれても。先手を打たなきゃいけなかったんだね。
946人間七七四年:2009/05/19(火) 00:20:03 ID:iyJZ+5jR
氏真のような稀代の傑物を滅ぼしたのはいただけんよ。
徳川と組んだのが誤り。
947人間七七四年:2009/05/19(火) 01:01:56 ID:9WRyDJZu
今川を攻撃するとき、どさくさ紛れに家康まで滅ぼしちゃって、勢い余っちゃって(笑)なんて信長に書状だしても文句言えなそうだ。家康を早期に滅ぼすのがキーポイントですな
948人間七七四年:2009/05/19(火) 01:06:41 ID:iyJZ+5jR
うん。
何も敵に塩を送ることもなかったと思う。あれ?
949人間七七四年:2009/05/19(火) 07:01:51 ID:DVeKbT60
高天神で後詰めしなかったのがやっぱりターニングポイントだと思うんだが
あそこで2万ぐらい動員して決戦してれば一発逆転もあったんじゃないか
まぁ信長が出てくればの話だけど
逆に5000くらいの兵力で徳川と単独決戦とか
950人間七七四年:2009/05/19(火) 07:55:52 ID:C1Mff5R5
>>>905
>諏訪家旧家臣は特に力を持ってないけど。
>勝頼後継者にして特に問題あったとは思えないけど。

実際に力を持ったかというよりも
力を持つであろうと考えて、常に力を持たないように警戒し牽制し
ギクシャクしてたのかもしれないね

それが信玄時代の旧臣と勝頼との関係を悪くさせたかもしれないな
勝頼に権限を持たせる=諏訪に力を持たせる=旧臣達の失脚

甲陽軍艦は歴史書としてはダメでも、そういう心の関係は表しているように考える
実際には、勝頼が家臣の言う事を聞かないんじゃなくて、
家臣が勝頼の言う事を聞かなかったんだろう
951人間七七四年:2009/05/19(火) 09:47:35 ID:9WRyDJZu
二俣城と明智城を見殺しにした段階でアウト。後詰が来ないと解られたら城も早期に降伏か、調略に乗る。ところで、美濃の小城や砦を10数ヵ所落とした意味はあるんですかね。信長にとっては蚊に刺されたくらいにしか思ってないかも?
952人間七七四年:2009/05/19(火) 11:22:21 ID:p1djpCqs
>>950
武田家の特に信濃州は武田の武名によってまとまった一つの連合体
でその中の一つを継ぐ予定の男が戻ってきたらそりゃ他も不満に思うわな
武田って家臣屈強、計略内政ともに優れてるけど
信玄、信虎いずれも跡継ぎで失敗してる、スムーズに信忠に家督を継いだ織田と
ここらへんが最終的な2強の差かね
953人間七七四年:2009/05/19(火) 11:46:46 ID:DVeKbT60
>>951
二俣城は勝頼の命令で開城してなかったっけ?
あの時期に後詰め出来なかったのは痛いね
たとえ3000でも自ら率いて救出撤退してれば・・・
954人間七七四年:2009/05/19(火) 12:16:42 ID:9WRyDJZu
151。後詰は行けないから城主に他城に移るなり玉砕するなりにしてくれと言った。なので見殺し同然だよねぇ。穴山は江尻城がどうなってもよろしいなら助けに行きましょうなんてセリフだし。よく考えたら長篠から7年も保ったものだよ。
955人間七七四年:2009/05/19(火) 12:49:49 ID:uyixbAeS
二俣城開城は、長篠の翌年らしい。
956人間七七四年:2009/05/19(火) 13:53:21 ID:v/kL1AcD
北信濃を上杉にあげて上杉北条との同盟を確固たるものとして、三河を本拠地にして織田徳川を徹底的に叩けば良かったをだよ
957人間七七四年:2009/05/19(火) 14:43:07 ID:9WRyDJZu
長篠以前に信長と謙信公に手を切ってもらい。北信濃を割譲。姫を景勝に輿入れして、二方面作戦を取り。浅井朝倉に近江に出陣してもらい更には本願寺に長島で暴れてもらう。これが同時に出来れば信長もアウトでしょ
958人間七七四年:2009/05/19(火) 15:03:17 ID:o9L64YIN
>>957
じゃあ高坂に与える代替地は?
あれだけの死者を出して切り取った土地をあっさり割譲できるわけない
こと北信に限っては上杉に売り渡したら即刻クーデターだろうね


959人間七七四年:2009/05/19(火) 16:29:53 ID:+iUSzG2W
このスレ読むと如何に勝頼が機に恵まれなかったか分かるわしかし>>958とかすげーなw
よく把握してる
960人間七七四年:2009/05/19(火) 16:29:56 ID:i8WKvL0+
>>958
北信濃は要らない!三河尾張に進出すればいい!高坂には駿河あたりをあげる
961人間七七四年:2009/05/19(火) 17:57:50 ID:qfodzq5q
長年の戦いの末に取った北信濃をあっさり手放すねぇ。
北信濃の豪族やら国人やらはどうしましょうかねぇ。
だいたい、高坂に駿河当りって……いったいどこをやるのさ。
川中島なんて重要地点を任されていた高坂に相応しい代替地ってさ。
江尻か?山県が入ってるけど。
962人間七七四年:2009/05/19(火) 17:58:15 ID:51dwgEr2
高坂なら北信割譲しても納得すると思うけどなぁ

それで上杉と和睦できるなら安いと言えば安い•••

まあ、結果論だが
963人間七七四年:2009/05/19(火) 19:22:06 ID:uyixbAeS
北信の領地といえば、勘助の名前が入った書状と関係があるね。
その内容だが。
上杉が攻めてきたが、そなたは城を固く守り、立派であった。武田からは
援軍を差し向けたが、上杉が引き揚げたあとで、何もできなかった。
誠に申し訳ない。今後再び上杉が攻めてきたときは、武田舘にまで連絡なしで、
上田(諏訪?)にいる現地の武田軍がすぐに出動できるようにしておいたから
御安心ください。詳しいことは勘助に説明させます。市川殿へ。信玄の直筆サイン(本文も直筆)

という有名な書状。そんな律儀な市川殿を、上杉に売り渡すってか!。ぶち切れるだろうよ。
964人間七七四年:2009/05/19(火) 19:26:04 ID:uyixbAeS
本文は信玄直筆じゃねえな。直筆だったら勘助の字を当て字にしないだろうし。
本文は右筆に書かせたのだろう。サインだけ信玄直筆。
965人間七七四年:2009/05/19(火) 19:38:48 ID:tFEjehzq
兵法を知らん奴らばかりだな!織田が天下をとれたのは早いうちに本拠地を尾張から美濃にうつしたからだぞ!
勝頼も甲斐から三河辺りに本拠地を移動させておけば良かったんだよ!甲斐からじゃみやこまで遠すぎる!北信濃が元で上杉と戦う事になったんだから譲れよ
966人間七七四年:2009/05/19(火) 19:44:51 ID:tFEjehzq
まずは織田の援軍が来る前に徹底的に徳川を滅ぼして三河と遠江を完全に平定させるのが第一条件だな!
甲斐は信廉に任せておけば大丈夫だろ!
967人間七七四年:2009/05/19(火) 20:32:13 ID:N3XISE2X
とりあえず理想論でも良いから対織田・徳川の戦略を考えて


その理想論にどうすればできるかを論じてみるのはどうでしょうか?

帰納法では最早限界な気がします。
968人間七七四年:2009/05/19(火) 21:28:53 ID:EEOpVDS2
北条との同盟維持が最低条件
それ以外はすべて滅亡
969人間七七四年:2009/05/19(火) 21:33:45 ID:d1nB17zD
>>967

その戦略は信玄の西上でしょう。
その路線を勝頼がいかに引き継ぐかが問題だと思うが
970人間七七四年:2009/05/19(火) 21:37:19 ID:Pw5L6ZNH
>>965
野蛮信長と違い甲斐守護の武田は簡単に本拠地を変えられないのよ
971人間七七四年:2009/05/19(火) 21:41:51 ID:EEOpVDS2
このスレで上杉に否定的なことを書くとなぜか必要以上に怒り狂った方に攻撃されるが、
実際謙信死後の上杉が弱すぎなのは事実。
客観的に上杉と組むより北条と組む方が対信長では有効と見ただけだが。
あとなぜか信長オタ扱いされたのはワロタ
972人間七七四年:2009/05/19(火) 21:48:31 ID:ACO3iD+i
だいたい69年に
4万5千以上もの兵力を動員できる
北条を敵に回す時点で・・・
973人間七七四年:2009/05/19(火) 22:02:10 ID:Ts+gmvdx
>>971
はあ?>>932>>937も言ってるけど内乱で自滅しただけじゃん
その間に能登や越中には長連龍や神保長住が送り込まれ飛騨口からは斉藤ら別働隊が来てたんだが?
彼らの頑張りで内乱が終わるころには次々能登や越中の国衆が織田方に帰属していったわけで。
しかも81年段階ですら小島が富山奪い返したりしてるが?
上杉が弱いって状況や兵力差無視しすぎなんだが。
974人間七七四年:2009/05/19(火) 22:06:58 ID:wkidQqI9
弱すぎってのは国力や兵力に恵まれたにも拘わらず秀吉が寡兵で播磨に送られて以来次々侵略許して
あっという間に備中まで押し込まれる毛利みたいなのを言うんだろ。
長篠や多方面戦略で疲弊した勝頼ですら徳川の本拠地からわずかな距離にある
高天神城落とされるまで1581年までもかかってるのに
975人間七七四年:2009/05/19(火) 22:21:13 ID:XuoEJQX+
強いとか弱いとかは荒れるから強さ議論スレ作ってそこでやれ。
976人間七七四年:2009/05/19(火) 23:41:39 ID:6MkW4p/7
>>950
勝頼が長篠前に出した書状とか見ると普通に勝頼が
家臣従えてるようだが。
なんか最後に至るにつれて根拠がなくなってるような。
>>958
クーデターとはいかんだろ。
>>952
まあ織田は結局引き継げなかったけどな。
>>967
長篠で負けなければいい。(勝てとは言ってない。不利なら引き揚げればいい。)
徳川は威信とかの面でいろいろ限界に近いので主力を温存しつつ、徳川を攻めて圧迫すれば
もう少しで徳川は崩れる。
>>972
武田の事言ってる?
それなら69年に敵にした後、
71年末には再同盟してるって事わかってる?
御館の勝頼の外交失敗で同盟が決裂したんだが。
977人間七七四年:2009/05/20(水) 01:25:26 ID:n7sYst3j
とりあえず
三河遠州に兵1.5万くらいで出兵
稲を刈り取って国力を落とし
国人農民を離反をさせる
織田が出てきたら本国撤収
これを毎年繰り返す
織田が総動員かけて武田領に進攻してきたら
北条の援軍と合同で全軍をあげて山間部にて迎撃
この戦いで確実に勝ち徳川を属将にする
これくらいだろう
978人間七七四年:2009/05/20(水) 01:26:43 ID:mdAL0ndv
なるほど。
979人間七七四年:2009/05/20(水) 01:36:11 ID:VfdjQgGZ
長篠のときもそうだと思うけど、織田が来て撤退なんてするわけにはいかないと思う。
それこそ腰抜け敵前逃亡って言われて統率力低下すると思う。
980人間七七四年:2009/05/20(水) 01:41:26 ID:n7sYst3j
手ぶらだったら確かにそうでしょう
そのため略奪、領民拉致、田ぱく薙ぎを許可(というより第一目的)すれば
将兵も満足して引き上げると思う。
981人間七七四年:2009/05/20(水) 01:50:39 ID:5NaVZLfc
信玄が死んだ後、速攻で織田家に降伏、織田の武将として織田家内部勢力として最大になり隙をみて
裏切る・・・・降伏っていっても武田の他の武将が黙ってないだろうし、まぁムリだけどね
982人間七七四年:2009/05/20(水) 03:03:51 ID:0edVYSsY
>>980
追撃されて敗走ですね、わかります
983人間七七四年:2009/05/20(水) 03:06:45 ID:gXNFIAKm
まあ長篠回避が一番かな?後は北条敵に回したのが痛い
984人間七七四年:2009/05/20(水) 03:08:09 ID:gXNFIAKm
真田を軍師としてもちいて重要視すれば良かったのにな!小山田を頼らずに真田の方に行ってればなんとかなったと思う!数カ月後には本能寺で信長あぼーん?
真田と力を合わせてゲリラ戦で生き延びる
985人間七七四年:2009/05/20(水) 06:49:04 ID:WoUHWI+D
長篠の後で決戦せずに滅亡ってのがなぁ
仁科の後詰めで決戦とかして負けたならまだしも
後詰めできないって分かってるなら美濃、遠江を放棄して国境固めた方が良かったんだろうな
戦略的撤退って奴で
当時の実情では切り取った領地の放棄が難しいのは知ってるけど
986人間七七四年:2009/05/20(水) 07:28:27 ID:Ov3lWK4f
信長と兵力も国力も違う。アメリカに戦争するようなものか?時代が進むにつれ不利になるから、長篠で勝ち早期に和睦が理想ですな。なんとか家康だけは滅ぼせば多少は違うか。
987人間七七四年:2009/05/20(水) 10:02:30 ID:dkUJpsTB
>>986
長篠ってミッドウェーみたいな位置づけか?
988人間七七四年:2009/05/20(水) 12:22:24 ID:LL9hh8By
>>984
なんでわざわざその段階で京に戻る必要があるんだ。
989人間七七四年:2009/05/20(水) 12:31:48 ID:Ov3lWK4f
987。いやいやマリアナ沖海戦ですよ(笑)信長の戦力を分散させる必要があるから、三好残党やら浅井朝倉に挙兵してもらう必要がある。全力の信長とあたっては駄目。
990人間七七四年:2009/05/20(水) 13:07:47 ID:C9rTvZBl
やっぱ氏真と共闘じゃね
そうすりゃ北条と敵対することもないし
北条も関東平定が早まって上杉を抑えてくれるかも知れないし
991人間七七四年:2009/05/20(水) 13:51:31 ID:Ov3lWK4f
今川家にそんな力は残ってません。家康相手にも防戦一方だし、かえって助けなきゃならんから足手まといになりかねない。成長していく織田家には連合して当たる他ない。信玄在命中にアップアップいってるときが最大のチャンスだった。
992人間七七四年:2009/05/20(水) 14:27:21 ID:qXron2nH
逆にもっと早いタイミングで信玄が死亡し、あの西上戦が勝頼主導だったらどうだろうか?
993人間七七四年:2009/05/20(水) 15:07:49 ID:Ov3lWK4f
>>992。謙信とのオナニーに付き合ってしまったのが痛かった。勝頼は野戦には強かったけど、攻城戦の経験が余りない。上州箕輪城くらいか?強引に兵力だけで落とした高天神は参考になるけど、相手が完全に閉じ籠ったのを辛抱強く落とせるかな?
994人間七七四年:2009/05/20(水) 22:26:17 ID:Sivh32JK
俺は西上作戦を途中で中断した時期が痛すぎると俺は思うがな
三河攻略徳川滅亡、あるいは家督(陣代)委譲後、信玄健在のうちに外交、身内を連帯後強化
その後勝頼を総大将にして進行して信玄与力の形をとれば信玄が没しても進めることができる
もちろん勝頼に戦略知略の技量があればだが、
もし信玄没までに家康を滅ぼしてたら歴史の流れは違うだろうな
995人間七七四年:2009/05/20(水) 22:27:52 ID:LkS31UkC
その野戦を挑むにあたり、織田も相当配慮したんだろうね。
それにしても、3倍もの敵が防戦する中、正面攻撃を続けた理由ってナゾだな。
戦国史上でもほかにあるか?
996人間七七四年:2009/05/20(水) 22:33:39 ID:k3OKtc52
>>995
退路を絶たれているから、前に出るしかなかったとか?

酒井隊を蹴散らして退路確保は出来なかったのかな?
997人間七七四年:2009/05/20(水) 22:38:06 ID:Sivh32JK
998人間七七四年:2009/05/20(水) 22:42:27 ID:WVWTVfnt
>>997
乙です。
999人間七七四年:2009/05/20(水) 22:43:56 ID:zmUrWKQS
>>997
まさかの次スレ乙
1000人間七七四年:2009/05/20(水) 22:46:14 ID:AwhxAqpX
1000GET!
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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