【上杉】手取川合戦その4【織田】

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878人間七七四年
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。

なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。

完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。