1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 22:55:28 ID:988q6yfy
またクソスレを立てたのか
で、ありもしない史料が見つかったなどと大ウソを延々と書くのか?
3 :
人間七七四年:2008/09/27(土) 23:16:35 ID:LcNPZ81Y
wikipediaをみると「福井県史」なんてのを持ち出してくるのを
見る限り上杉ヲタ必死だなと思わざるを得ない。
4 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 11:29:19 ID:A1YP4fKj
wikipedia(笑)なんてどうでもいいよ。
こんな記述が2年も残ってる時点で便所の落書き以下。
>織田軍が2000人近くの戦死傷者、さらに手取川で数千人の溺死者を出す大敗を喫したとされる。
wikipediaの方針上、資・史料を出してくるのは別に良いが
北徴遺文なんぞより先に歴代古案を引用しろよ。2chにすら載ってるってのに。
5 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 15:57:29 ID:lu77eI7i
知識と不満とここで文句言う暇があればさっさと記事訂正すれば良いのにw
6 :
人間七七四年:2008/09/28(日) 23:08:17 ID:A1YP4fKj
だからwikipediaなんてどーでもいいっての
>>3で初めて読んだし
7 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:23:05 ID:6wTsqO7Q
どうでもいいならスルーすれば良いのにw
それをことさら便所の落書き以下とか貶めてるあたり必死だとしか言いようがない
8 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 01:38:30 ID:kvJvY0is
で、手取川の合戦の事を書いた史料が発見されたとかの
嘘つきはまだ登場しないのか?
9 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 02:28:45 ID:3sPQaq8G
嘘だから登場できないよw
10 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 02:31:30 ID:3sPQaq8G
11 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 10:08:13 ID:SWVlWPeu
織田厨がいくら謙信の書状(一次資料)を必死に否定するのに信長公記(一次資料ではない)を論拠にしても
なんら説得力がない事を早く悟れよ厨房くん。
早く一次資料で反論する事で対等な土俵に上がってきてくれないかな?
12 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 12:27:57 ID:ZHdzWe3X
100歩譲って手取川の合戦が謙信の捏造だとして、信長はそれを否定するような
行動をとらなかたの。デマでも時期が時期だけに家臣団とか従属する大名が動揺
するんじゃないの、事実松永弾正なんか謀反おこしてるし。
信長公記にしても北陸攻防戦で秀吉が戦線離脱したエピソードまで載てるのに
途中で不自然に終わってる。
自分が妄想するに、敗戦の原因が秀吉の戦線離脱と思われないように牛一が
気を使ってあえてスルーしたのでは。
13 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 12:31:52 ID:cD0G0hlL
>>11 嘘はいかんよ
手取り川は一次資料で確認できないから議論の余地が残るんだよ
14 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 12:49:28 ID:no5StSiD
はぁ?謙信の書状は一次史料だろ。
15 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 13:11:22 ID:kvJvY0is
秀吉も本能寺の変では、信長父子は無事助かった
などとウソの手紙を出してるが何か?
16 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 13:21:49 ID:SWVlWPeu
>>15 その手紙のどこらへんが謙信の書状に類する秀吉が戦果を捏造したとする部分なのか教えてくれ。
謙信の書状の決戦後と違い、明智との決戦を前にしたものではなかったのか?
一見関係あるようにみせかけて、全く比較対象にならない関係ないものを持ってくるのは
議論の飛躍によるすり替えと言うのだが。
17 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 13:35:02 ID:cD0G0hlL
謙信がこういう手紙を出したという事実(一次史料)と、その内容が真実(史料無し)とは違う
つまり手取り川が本当にあったことを一次史料で証明できなければ、一次史料によって謙信は嘘をついたとされる事になる
18 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 14:04:51 ID:FB5ux2Ft
単に戦闘規模が問題になってるんであって
上杉勢と織田勢の間で何らかの戦闘があった事は分かってるんじゃないのか?
それが合戦レベルか小競り合いレベルかで。
19 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 14:24:58 ID:SWVlWPeu
違うな。
謙信がウソをついたと証明されたのではない
謙信の書状を否定できるにたる一次資料があるかどうかが論点だ。
話をすり替えるなよ。
秀吉の書状は事実として信長が死んでいるから否定できるんだろアホか。
20 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 14:39:51 ID:dsVfkuHc
謙信の書状は一次史料と言うが、『謙信の書状』が残されてた訳ではないぞ。
江戸期に米沢藩が行った修史事業で創られた文献の中に、写しとして記された
ものが残ってるだけで、当時の真筆が残ってる訳ではない。
21 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 14:42:29 ID:dsVfkuHc
しかもそれが誰宛に記されたものかすらはなはだ不明だったと思う。
22 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 14:50:31 ID:cD0G0hlL
先日渋谷で武蔵がヒョードルとタイマンして勝ったそうな(武蔵談)
面ボッコボコにしてやったそうな(武蔵談)
でも次の日ヒョードルは無傷で屋台でラーメン食べてたそうな(二次史料)
当時渋谷にいた人達はタイマンなんてあったの知らないそうな
でも武蔵ファンは武蔵がヒョードルに勝ったと信じてるそうな
23 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 15:05:05 ID:dsVfkuHc
>>22 どうでも良いけどなんか一次史料と二次史料の例が可笑しくねぇ?
24 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 15:10:59 ID:cD0G0hlL
>>23 あれ?
歴代古案は一次
信長公記は二次
違ったっけ?
25 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 15:18:05 ID:dsVfkuHc
一次史料とは、その当時の生の史料、すなわち同時代史料のこと。
古文書、当事者の日記、手記、手紙など、その当時の人物が作成した文書類や収集した事物など。
その時代のコインや新聞記事等も一次史料になりうる。
二次史料とは、同時代史料以外の(一次史料などによって後から作成された)編纂物などのこと。
例えば、明治時代に書かれた「豊臣秀吉」伝は二次史料である。
ただし、研究テーマによってはこの著作自体をその当時の秀吉像や歴史観を知る一次史料として用いることも可能である。
26 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 15:20:36 ID:cD0G0hlL
>>25 ありがとございます
普通に間違って認識してました
一つ勉強になりました
27 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 15:29:15 ID:kvJvY0is
ちなみに『武功夜話』は二次史料でもなんでもなく偽書
28 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 17:30:07 ID:ZHdzWe3X
>>21 しかもそれが誰宛に記されたものかすらはなはだ不明だったと思う。
誰宛に送ったかも分からない書状をどうやって米沢藩はみっけたのか。
たしか宛先は佐竹氏の親父(名前わすれた)だったはず。
29 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 22:18:23 ID:dsVfkuHc
>>28 >たしか宛先は佐竹氏の親父(名前わすれた)だったはず。
手取川の当時の佐竹氏と言えば義重だが、その父親は遠の昔に天に召されて
居ますが…まあかなり苦しいですが、当主も言わばオヤジですから義重宛と
言われたのかも知れませんが、そのような説は聞いた事がありません。
30 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 00:50:15 ID:KeCRuebA
じゃあ伊達家の資料は三次資料以下だなw
31 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 01:54:24 ID:OquWPZkO
何故そこで伊達家が出てくるんだろう?
上杉ファンは誰と闘っているんだ?
32 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 06:36:03 ID:6ItcpVpj
上杉謙信最強に難癖をつけてくる意見すべてと戦っています
33 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 07:52:31 ID:eN+4tecT
真偽のほども分からぬ書状一つで最強になれるなら白井胤治最強って事で手を打とう
な?
34 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 12:36:24 ID:KeCRuebA
>>33 臼井は落城させられなくて兵を引いただけだろ…んなこと言ったら和田城でも金山城でも勝利宣言だろ…ヘタしたら唐沢山や関宿も松山も…
35 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 13:41:40 ID:DARt5bM5
姉川の戦いなんかも信長が信玄に滅ぼされていたら無かったとか言いだす奴いたんだろうな。
36 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 13:43:57 ID:eN+4tecT
>>11 謙信が一万五千で臼井城(二千人)を攻めるも白井胤治の巧みな戦術でそれを阻止、機を見て城から討って出て上杉軍を敗走させる
上杉方の被害は一説には五千ともいわれる
北条記などあてにならない?
一次史料で反論頼む
37 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 13:53:12 ID:TMeFKDtV
>>36 実際
5千なんてありえなけどね
関ヶ原を除いて
最高は
川中島の武田上杉に3千程度だろ
他はだいたい
惨敗で1000程度の死者
長篠の武田の被害も千程度
38 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 13:58:19 ID:eN+4tecT
>>37 実際何千人も死んでるのに大将首が一つもあがらない戦ってのも無いしね
39 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 14:10:52 ID:PDWv+dWr
>>37 川中島で大規模な戦があったって言う時点で既にファンタジーなんだが…
40 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 15:38:40 ID:/h1wZMF+
ただの小競り合いで足軽や馬廻り衆は死んでないけど
重臣は何人も死んで総大将も怪我するうっかりさんな武田家ですね。
41 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:35:26 ID:KeCRuebA
戦国時代はなかった
42 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 18:54:27 ID:y9G3jcXP
>>40 いきなり何を言い出すんだ、
スレにも関係ないし、ここまでの議論にも関係ない…
武田ファンを煽ってんのか?
そして武田ファンが
>>40に反論してスレが荒れるのを仕組んでるんですか?
そしたらこのスレにいる上杉ファンは武田ファンを軽蔑の目で見るようになりますね、
そしてこれ迄議論してた織田厨達は話の外に出る。
なるほど織田厨はこうやって逃走して罪を武田厨に擦り付けてきたわけだ。
43 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 19:09:43 ID:eN+4tecT
>>42 たまに>39みたい川中島卓上の創作説唱える人いるから、それに対する単なる揶揄だろ
何を必死になってるのだろうか
まあタマに必死な武田ファンが視察にくるのはお約束として(笑)
白井胤治最強に特に反論ないようなので
白井胤治最強決定致しました♪
44 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 19:50:32 ID:DARt5bM5
ところで手取川の戦いが謙信の捏造だったとして
「上杉に逢ては織田も名取川(手取川) はねる謙信逃げる信長」て狂歌は
だれが作たんだ、これも謙信が捏造したのか。
45 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 19:55:03 ID:yO95+A10
江戸時代の作品じゃね?
46 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 19:55:24 ID:fOAzhvDR
手取川以外は他でやれよ。
野戦の有無はともかく織田は援軍に行けず、
加賀の最戦線を後退させたのは事実。
戦わずして完敗している。
武田や北条と較べて情けなさ過ぎ。
47 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 20:27:44 ID:Dse1NLpi
>>46 > 加賀の最戦線を後退させたのは事実。
事実じゃねえし……
48 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 20:50:51 ID:fOAzhvDR
加賀の門徒坊官みたいなのが謙信を屋形として認めているけど、
彼らの目前まで軍勢を進めながらこの状況を許したのは、
後退ではないんでしょうか。
49 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 20:59:23 ID:Dse1NLpi
>>48 もともと加賀南部の一部しか領有してないし、それも一進一退を続けていたわけで。
単に一揆勢だけが相手だったのが、その一揆勢の背後に上杉の圧力を感じるようになったことを戦略的に後退したといえばそうかもしれんが。
50 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 21:35:24 ID:mkSEDeqj
手取川がなかったとはw
この板の歴史認識はどうなってるんだw
51 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 22:01:57 ID:nj9ZVl9p
だってあったのは謙信の書状のみではね
それすらも一次史料ではないし
52 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 22:39:24 ID:PDWv+dWr
>>50 取り合えずお前の歴史認識がどの程度なのか試してやんよ!
>>51が言ってる書状の宛先と出された日付けを答えてくれ。
53 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 22:55:49 ID:fOAzhvDR
手取川合戦があるとする史料の価値は比較的高く、
しかもその内容は諸史料と矛盾しない。
文献史学ではこの時、「なかった」とは言わない。
歴史の多くはこのように実を詰められていく。
逆にこれをないと主張する根拠こそが不明。
まさか信長公記にないから、とは言いますまいね。
54 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 23:09:22 ID:PDWv+dWr
>>53 言ってる事がよく解らない。
>手取川合戦があるとする史料の価値は比較的高く
どの史料に付いて述べたものか?
>しかもその内容は諸史料と矛盾しない
どのような内容がどのような内容と矛盾しなかったのか?
取り合えずこの位は誤魔化さずに具体的に言ってくれよ。
55 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 23:21:50 ID:fOAzhvDR
書状の写しを甲陽軍鑑や信長公記などと比較して劣る史料と言えるのか?
諸史料と矛盾云々は、合戦否定派が材料もなしに主張している事実が根拠。
だから「ない」と見る理由がないのではと思ったまで。
手取川合戦があってもなくても構わないんだが、
不在派は何故そんなにないことにしたがるのか、
理由が知りたくてね。
それで少し挑発的に書いてみた。
56 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 23:23:23 ID:DARt5bM5
謙信の書状の日付 天正5年9月29日
これは米沢藩が越後長尾「上杉」の歴代の史料を集めた歴代古案に掲載
米沢市立上杉博物館に所蔵、別系統の写本は東京大学史料編纂所所蔵
一次史料でなくともそれに准ずる信憑性高い史料とされている。
信長公記とは次元の違うもの。
57 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 23:38:58 ID:fOAzhvDR
「ある」と断定は出来ないが、定説と見るのが妥当。
定説に批判を加えるなら、その材料が必要なわけです。
でなければ論争にすらならず、ただの感情論に終始する。
現状、合戦否定派はその材料もなしに感情的に攻撃を加えている。
「ない」とする論拠を提示せずに「その史料を俺は信じない。他のを出せ」と言うのは、
ネット以外では通用しない詐術ですよ。
58 :
人間七七四年:2008/09/30(火) 23:46:53 ID:eN+4tecT
>>57 じゃ、謙信は胤治に完敗って事で
×謙信最強
59 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 00:03:13 ID:SFESauHI
合戦否定派ではなく馬鹿が一人で自演してるだけ
鬱陶しいからいちいちレスすんな。
60 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 00:09:11 ID:p+8Po3oH
まぁなんて言うか謙信の書状、書状って言う割には全く知らねえ
奴らの集まりかよ…
>>56 お前日付け間違ってるよ。
おい誰か宛先くらい解る奴は居ないのか?
ちょこっとググれば出るだろう?
それともここはネットすらろくに使えない奴らの集まりなのか?
61 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 00:12:54 ID:ne47IiQ5
>>58 もともと最強なんてものはゲームにしか存在しないから。
>>59 エスパーさん、その調子で56の真実も見抜いて下さい。
62 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 01:48:01 ID:9y7wBdaU
謙信書状は結城晴朝宛?
63 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 02:08:56 ID:p+8Po3oH
64 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 03:24:48 ID:N5xJCJCQ
信長公記は負けた合戦は載せたがらないか、小さめに書く。
65 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 06:52:25 ID:hSOW49Bi
年月日すべてが不明な伊達晴宗の奥州探題任官はやはり捏造ですね。わかります。
政宗も父の代(輝宗)から探題と大ウソを秀吉に命乞いしながら言ってるし。
66 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 21:07:49 ID:RxvnEHJ0
手取川がなかったとするなら松永の謀反は何であんな時期に?
秀吉の動きについては?
67 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 21:19:44 ID:p+8Po3oH
>>66 その質問は手取川合戦の有無とは全く関係が無いと思います。
68 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 21:43:17 ID:SFESauHI
秀吉は松永の討伐を口述に戦線を離脱してるから松永の謀反は手取川の前
69 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 21:47:42 ID:goulzAc5
松永の謀反は大和問題が原因で上杉援護の謀反ではないよ。
しかし上杉謙信と松永久秀が手を結ぶっていう考えも何気にロマンだな。
70 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 21:58:04 ID:p+8Po3oH
取り合えず手取川合戦存在擁護派は、『歴代古案内の謙信書状の写し』
の日付けと宛名が解る(ぶっちゃけネットで検索できる)程度の人が出
てくれないと擁護にすらなら無いと思うわ。
71 :
人間七七四年:2008/10/01(水) 22:13:49 ID:ne47IiQ5
そういえば、姉川の合戦は織田の敗北との説を唱えついる学者もいるよな。
姉川後も近辺を浅井方が平和に闊歩していたという。
72 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 00:08:54 ID:BqGhZeWg
三方ヶ原のあたりも徳川が闊歩していたけど、それで三方ヶ原は武田の敗北とかいうのかねその学者は。
73 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 01:29:39 ID:ZeYvalM5
案外受取人に迷惑かけないように名前伏せただけだったりしてな。
74 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 23:14:27 ID:G3ujRGPY
だから宛先は結城晴朝でファイナルアンサーなんだよ。
75 :
人間七七四年:2008/10/02(木) 23:30:41 ID:fdCFeBTX
公記を疑う系の学者も、公記は負け戦を載せない、というのが根拠だから
手取川は案外重要と思うのだが、意外と事実かどうかの研究は進んでないのね。
76 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 00:08:25 ID:hwKOt/+N
公記には織田家の負け戦は散々載っている
ただ秀吉の負け戦は・・・議論の余地が残るな
77 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 02:08:28 ID:NdI7ybOG
公記の負け戦ってのはどういうのがそうなってるの?
78 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 09:16:54 ID:lLTGCyXm
義龍に負けた戦いが最低3回くらいあるのに信長記は減らされてるんじゃなかった?
他にも鹿之助を見捨てたのも秀吉側が負けたからだとか。
79 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 10:05:10 ID:DunNeQ0L
逆に信長が劣勢の兵力で斉藤側を大破した森部合戦とかも知られてないし、相手側贔屓の史料じゃスルーしているからな。
日本の記録なんてそんなもんだ。
80 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 12:33:42 ID:NdI7ybOG
つまり操作でどうにでもなるような合戦は重要ではなかった、ということか。
ま、桶狭間の45000も操作されてるからなんともならんな。
81 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 12:47:54 ID:yKO1TinY
結局、「謙信の書状」の宛名と日付けを調べもしないような連中が適当な
事を述べて時間を過ごす訳だ。
歴代古案内に集録されてる手取川合戦を記した謙信の書状の宛名と日付け
は、『長尾和泉守』『九月十九日』です。
82 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 12:56:08 ID:x7OwcggB
まあここには大河ドラマを見た程度で歴史通気取りになってるアホが多いからね
83 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 13:18:15 ID:NdI7ybOG
大河ドラマならいいじゃん。
今はゲームのイラストのイメージだもんな。
84 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 13:43:56 ID:qdWT5l+S
手取川の書状の宛名「長尾和泉守」と日付は
後世誰かが書き足したものだと越佐史料編集者は言ってるようだが?
85 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 14:23:12 ID:yKO1TinY
ご存知のように「歴代古案」自体は当時の第一級史料です。
今で言えば大学の教授レベルの人が(知識は違えど人間性は今も昔も違わない)
編纂した資料。
編纂した史料には注釈書きが多く記入されています。
それによると、「9月19日」の前に天正5年である事、「謙信」とは上杉謙信で
ある事、「長尾和泉守殿」とは傳兵衛祖父であること、当時は上州深澤に居た
事など、文中にも多く注釈書きが記入されています。
然るに後世誰かが書き足したものと言うことは、歴代古案に収録される前の書
状自体が写しであったと言う事になる。もっと言えば「文章に書かれている事
は本当だが、日次と宛名は偽造で謙信の署名も同じ文面を書いた者が書き写し
たものです。」って言ってるようなもの。
86 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 14:48:03 ID:bnNCcFIU
>>85 「歴代古案」自体が当時の第一級…の当時を江戸時代に変えなよ
「歴代古案」自体が江戸時代の第一級史料って
87 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 14:57:18 ID:yKO1TinY
>>85 おいおい勿論そのつもり(江戸時代の第一級史料)で書いたんだが(笑)
上にもあるが、一次史料とは編纂ものであっても当時(編纂された当時)
の認識を知る上で一次史料になる。ただし偽書はその範囲に入らない。
(偽書は編纂した年代事態を誤魔化す手法を取るから)
88 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:19:06 ID:bnNCcFIU
俺が思うにだ、今でこそ研究が進んでるから例の書状の内容は「あり得ん」と思えるし、ましてや戦国時代当時を生きる謙信としても「あり得ん」と思えるだろうし、実際小競り合い程度のものはあったかどうかは分からんが…
あったとしてもそんなあり得ない話にしようと思わないだろうし
ではそんなあり得ない内容にできるのは誰なのか?
答え・戦国時代も信長も謙信も信玄も伝説的な物語りで、今ほど研究が進んでいなかった江戸時代の人
89 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:20:34 ID:VCNhYKMt
勝家の北陸方面での活躍が大幅に省略されてるね。
それと秀吉の毛利相手の大敗も無視されているらしい。>信長公記
90 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:25:21 ID:bnNCcFIU
>>89 手取り川で織田方の大敗があっなら秀吉が柴田の名でもっと大袈裟に書き替えてるだろうね
91 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:25:43 ID:6YUt0nky
へー、そうなんだ
自分は一次史料とは同時代の史料と習ったと思うが
流石に数十年も時経てばとても同時代の史料と認められないだろう
明智軍記にしろ、甲陽にしろ、武功夜話にしろとても一次史料として認められないうえ
悪書というレッテル張る研究家もいるのに
江戸時代に書かれた史料?をそのまま史料批判もせずに戦国時代の出来事が正確に書かれていると
鵜呑みして良いものかと
92 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:35:29 ID:2seDYT+M
上杉家の記録って信用できるものばかりでもないけど、
創作された絵空事ないし疑わしいと見られる伝承や記録の大半が、
なぜか謙信と景勝を持ち上げる内容じゃなくて、
むしろ貶めるようなものばかりなんだよね。
あとは個人の祖先の感状。
93 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:37:54 ID:bnNCcFIU
史料って言っても用途によっては一次として扱われたり二次になったりだしね
平成の時代にまとめられた史料も、五百年後の人にしてみれば「平成時代の人達の歴史認識を知るうえでの一次史料」にはなるけど「戦国時代を知るうえでは二次史料」になっちゃうし
94 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:50:22 ID:NdI7ybOG
ちょっと横から悪いが、武功夜話は偽書とは思うが小和田は「家伝史料」としてみるべき
と言って十分にその価値を認めてる。
別の研究家も、偽作部分はある、としながらも、全てはそうでない、として
その価値を認めていたりする。
このあたり、一次二次の定義にとどまらず、史料的価値とは、という問題になってしまうんだが、
個別で、明智軍記、甲陽、武功、どういうように解釈してます?
せっかくの機会なので、聞いておきたいんだけど。
95 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:53:47 ID:yKO1TinY
まぁ当時の他の記録には全く載らず、それを唯一語ってる謙信の書状事態が
手取川合戦の前に出されて居るようじゃあ正直な話合戦が在ったなんて言う
のは無理がありすぎると思うんだがどうでしょう?
96 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 15:57:26 ID:yKO1TinY
武功夜話は偽書だと思ってる。
小和田先生はやっちゃった感まるだしだしもう引くに引けない黒歴史。
97 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:01:48 ID:x7OwcggB
まあ小和田はアホだからな
偽書と認める事は歴史学者として死を意味するから必死なんだよ
98 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:04:50 ID:6ZduYazA
手取川の合戦自体はあった。
だが戦略的な意味はともかく、戦い自体は上杉方が喧伝するほど大したものではなかった。
こんなところではないかな?
99 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:10:06 ID:NdI7ybOG
>>96 日本歴史の八月号だったかに、小和田の最新の論文が載ってたけどみた?
確かに全部が昭和になってからの偽作、にも思えなくて悩ましい。
とりあえず吉乃とか土田とか出てきたらスルーすることにはしてるが。
100 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:10:11 ID:Fo2fq9tY
小和田なら武功に騙された本だしてもう一儲けするだろ
101 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:11:17 ID:yKO1TinY
先生も犠牲者なんだって、名義貸しと同じで軽い気持ちだったのに反響が
余りにも大きすぎた。第一実物を研究する以前からみんなで一斉に本物に
しちゃった。有名作家が書いた本に「小和田先生先生、ちょっと帯にコメ
ントくださいよ!」って菓子折り持ってきた知り合いの編集者が居たとし
たら、人の良い先生が「はいはい」ってコメントする→「大先生のお墨付
き完成!これは史実!!」って成って気づいたら偽書を片手に第一線で戦
う羽目になったって感じ。
102 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:18:55 ID:Xp77rtwV
103 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:26:58 ID:NdI7ybOG
そう。
ツガルもそうなんだけど、引くに引けなくなって、というのは自分の責任。
小和田せんせが、まだ「一級史料」を「家伝史料」に変えてがんばってるの見ると
このあたりで引いたほうが・・とは思うんだ。
104 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 16:35:14 ID:yKO1TinY
例えば手元に「戦国武将100話」って本がある。
本には「桑田忠親 監修」ってだけ乗っている。
監修の言葉として本の帯に「100人もの人物を選択し、網羅したところに、
まず苦心のあとが窺われる…」って数行程度の文がある。
でっ本を読めば史料から持ってきた話もあれば、どっかの作家が書いた話が
載っている。書いた人は特に山岡荘八のファンであったんだろうなってのが
ありありと伺えられる。
まぁこれがコーエーなどのゲーム本で参考図書となる訳だ。桑田先生は悪く
ないっていうか書いては居ない。飽く迄も観賞して数行のコメントを寄せた
だけだ。だが本の表紙にはタイトルと桑田先生しか出ていない。末尾には写
真入りで桑田先生が紹介されている(本を書いた人の履歴やコメントもある
が本の表紙には一切載っていないし写真も無い)
まぁこんな感じで学者が利用されるわけだ。
105 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 17:46:58 ID:NdI7ybOG
オチがあるのかと思った・・
106 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 18:14:51 ID:zH5YrbT3
つまり信長過大評価の流れで手取川を不定してるわけですね
107 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 20:13:57 ID:yKO1TinY
>>105 十分なオチだと思ったんだがな(笑)
因みに
>>104で紹介した桑田忠親先生なんてのは第一線を退いたあと、75歳
過ぎても何十冊って本が出て、亡くなられた後も普通に新刊が出てた。
流石にそろそろヤバイだろうって、死後10年にしてようやく筆を休められた
大先生だ。
108 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 20:33:29 ID:NdI7ybOG
>>107 今回のオチは良かったぞ。500石加増つかわす。
桑田せんせは、怨恨説、広めた元凶だけに死後の世界から
影響力及ばしてたんだろな。
109 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 21:13:00 ID:8QqhGZe9
>>95 戦国時代は暦は地域ごとに独自のものを使ており謙信の書状の日付が手取川の前
の物だとしても否定の根拠にはならないと前スレかなんかで見たような。
110 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 21:20:41 ID:XRnSPK6r
>>91 戦国当時の一次史料などをいろんな所から集めて編纂したのが江戸時代であって
江戸時代になって書かれた史料を江戸時代に集めたわけじゃないと思うが
無論偽書や江戸時代に入ってから書かれたものも混ざってはいるだろうけど
111 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 21:50:33 ID:bnNCcFIU
>>110 そう
だから参考にはなるけど、全部鵜呑みにはできない
他の物と照らし合わせて矛盾が無いか調べなくてはならない
そして「手取り川」に付いてはだ、他にそれと該当する話は他史料には無く、内容も信じがたい内容である
そこまでは事実
それでも「有った」「無かった」を言うのは最早感情論以外の何者でもない
112 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 22:02:36 ID:lLTGCyXm
ちなみに北条は三島暦を使ってたが京とは日にちにズレが思いっきりあったし
信長も尾張と京の暦の違いを、どちらが正しいか調べるように命じていたが本能寺で死亡
113 :
人間七七四年:2008/10/03(金) 22:44:26 ID:Ez8Pe4Rk
京暦は日食外れ。
三島暦の方が正しかったらしい。
114 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 00:08:54 ID:M5S3gimT
>>79 森部はしっかり信長公記にのってるが兵力は書いてない。
毎度のことながら劣勢で、って何が出典なんだよ。
森部をいうならその後完敗した14条が知られてない事も留意しろよ。
115 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 01:55:21 ID:qxewa6sV
十四条も普通に載っているだろ
116 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 14:02:44 ID:C/Mh9m8M
>>111 同意
そもそもそれだけの大敗を喫っしたにも関わらず
柴田勝家に信長から全く咎めがなく
またそれ以前に無断撤収した羽柴秀吉があの程度の謹慎で終わったのは解せない
天王寺の戦いで惨敗敗死した原田直政の一族は追放されたし
第一次伊賀攻めで無断攻撃し惨敗した信雄は一門衆でありながら事実上独断で兵を動かすことを禁じられ
次に失態があれば親子の縁まで切ると信長は激高した
これを鑑みると果たして手取川の合戦なるものが本当にあったのか疑問をはさまざるを得ない
117 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 14:49:25 ID:LBX9D9Ht
>>116 さすがに極論じゃないかね?
怠慢に厳しい信長なら、
命じられた援軍に間に合わず、手合わせもなしにすごすごと引き上げる方が叱責するだろ。
「それだけの大敗」と言うけれど、数千人討ち取りされながら将領クラスは失っていない。
お咎めについても織田は手取川の記録も残してないんだから、
実際には咎められたかどうかすらわからないが。
118 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 15:16:59 ID:C/Mh9m8M
>>117 書き方がまずかったか
自分も手取川の合戦なかった派だよ
119 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 15:35:18 ID:ngdFaOXg
なかった事にしておいても、誰が何を困るというの?
120 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 15:59:38 ID:1+fikJE2
NHK様がお困りに成るに決まってんだろ!
121 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 16:05:15 ID:LBX9D9Ht
あると困る人もいるみたいだよw
122 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 18:23:32 ID:JflmIG2i
>>111 事実は逆で近年研究が進むにつれ手取川の戦いがあった可能性が高くなってるの
近年大河ドラマなどの影響で信長の評価が高くなり(過大評価?)研究も進んだ
事実手取川の戦いは歴代古案みたいな信憑性の高い文献に載っていながら1980年代
あたりまで無視されていた、大河ドラマでも1988年の武田信玄の最終回で一瞬ふれるぐらい
手取川と言う名称さえ出てこない。
>>81 得意になってるところすまんが、そのことは前スレに出てるんだけど。
123 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 19:22:18 ID:LBX9D9Ht
手取川の合戦がないなら、柴田もせっかく大軍を編成したのだから、
そのまま加賀を征圧しただろうね。
124 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 19:33:26 ID:SDN3a4xO
織田軍の戦略目標は能登の救援だろ。
加賀北部まで出られたなんて、そもそも手取川うんぬん以前に戦略的に大敗北してる
だろ。
125 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 19:48:46 ID:ark+JahV
>>124 最後まで能登を支配し続けていたなら上杉の戦略的勝利だっただろうね
でも実際はそれが切っ掛けで織田との戦いが本格化していき、上杉の衰退が始まるわけで
しかし小規模な夜襲くらいはあったとして、それを話を膨らませて自慢したくなるほど謙信にとってはビックネームだったんだね>柴田勝家
126 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 19:59:13 ID:SDN3a4xO
まあ謙信存命時に衰退が始まったんなら、手取川なんてどうでもいい合戦だよな。
実際は織田軍のオールスター軍団が何もできずに、一気に上杉軍の進出を許した
無様な戦争。 手取川なんて局地戦の有無なんてどうでもいいことだよ。
秀吉なんて怖くて怖くて逃げちゃったんじゃない?
127 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 20:02:26 ID:HscE1K26
小牧の戦いで家康が池田勝入その他を破ったのを宣伝したようなもんだろ
実際の指揮官が誰であれ織田信長に勝った!と言えるわけだし
128 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 20:53:30 ID:LBX9D9Ht
結局は
>>127が結論でしょうね。
後詰めを失敗させ、加賀の一揆勢を上杉に帰属させ、
既にあってもなくても大勢に変化のないような局地的な戦闘だったけれど、
謙信が誇大して吹聴すれば、情報追撃が加わる。
信長公記に書かれていないのも、その情報戦の延長かもね。
129 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 20:54:18 ID:1+fikJE2
>>122 >事実は逆で…
なんて恥ずかしくも無くよく言うわ。どんな事実が出てるんだよ。
上杉ってば全国の戦国大名の中でも可也研究されて本も出てるが、手取川
合戦に付いては全く史料が出てこないじゃないか。歴代古案の中にある千
以上の書状の中でも1通しか確認できない。しかもその書状事態が非常に
怪しい。
前スレにもある日付けなどは擁護派がわざと『9月29日』に直してまで主
張してる。だから日付けを聞けば勘違いした奴が(
>>56)出てくる始末。
130 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 21:52:43 ID:LBX9D9Ht
>>129 書状写がなぜ「非常に怪しい」のかがわからんなあ。
そういう台詞は、実際に当時の情勢と矛盾する材料があってはじめて成立するもんだよ。
一枚二枚しか史料のない戦なんて少なくない。
本当にでっちあげなら、もっとそれらしい書状や感状がわんさかあるんじゃないかね?
仮に書状写が写しであるだけの理由で「非常に怪しい」なら、
信長公記なんて史料価値ないぞw
写しであり、更に何か疑うべき条件があるなら、
あんたのご説もネット以外で通用するかも知れないがね。
131 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 23:43:02 ID:1+fikJE2
>>130 書状の日付けと宛名が可笑しいだけでも十分怪しい理由に成ると思うだがな。
情勢で言えば文中での織田家の動向を伝えた文面も間違っている。
また信長公記についていろいろ言われているが、信長公記が大きな事件に注
意して記載しているのは巻八以降である。
他の情勢(謙信のその後の能登分国仕置き等)を見ても上杉が手取川まで軍
を動かした様子は無い。
あと織田軍のオールスターって言う認識も少し違うな。
秀吉が撤退したのは一ヶ月以上前であり、手取川合戦頃には織田軍の主流は
北陸には既に居らず2万程度の軍勢だった。
当時の織田軍の主力が動いた戦いを見れば、天正3年の越前一向一揆や天正
6年の上月城救済などは7万規模の軍勢を動員している。
132 :
人間七七四年:2008/10/04(土) 23:58:04 ID:1+fikJE2
まあそれにさ常識的に考えて、当時(手取川合戦時)は誰も知らなく
て話題にも載らない謙信公の大勝が、江戸中期になって急に上杉家だ
けに史実として語り継がれるように成ったのは可笑しいと思わない?
謙信公舐めていない?
どんだけ江戸初期から謙信マンセーされてると思ってるの?
将軍家なんてのは無理やり川中島の合戦書物創らせるしさ、対抗した
紀州公も負けじと謙信マンセーするし保科や上杉家入り乱れて家の格
上げたんだから、手取川合戦なんてあったら遠の昔に語り継がれてるよ。
133 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 00:29:36 ID:OCtGdIDq
>>132 徳川家だって自分たちの開祖大権現家康様が隷属してた信長様が無様に負けた
戦をクローズアップしたいとは思わんわな、秀吉がケツまくったことだけははクローズアップ
したいかもしれないけど。
134 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 00:30:43 ID:0QFclTCq
日付違いは地方別の暦の問題と説明できる、と少し前にレスがされていたね。
宛名は別人かも知れないがそれで書状の内容まで疑問視される理由がわからない。
信玄の恋愛書状が宛名が後筆になってるが、
相手が代わろうとも彼の恋愛を示す史料には何も違いないよ。
当時は誰もが知らなくても後から知られたってのは、
それがただの小競り合いだったからじゃないのかね。
俺は手取川があってもなくてもいいんだが、
書状写しを完全否定する理由がないので、
謙信側にこのような放言を許す状況が当時にあったと思う。
それが本当に「オールスター」相手に「千余人」も殺傷したかどうかは疑わしいけどね。
ただ、それは当時の全ての軍事報告について言える事だが。
135 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 00:38:12 ID:0QFclTCq
それと、上杉マンセーと言うけど、
マンセーされてるのは宇佐美だよ。
上杉はむしろ宇佐美の都合のいい君主にされている。
野尻池とか晴景殺害とかね。
しかも宇佐美側は上田に怨みがあるのか、
御館の流れを景勝側が悪く見えるようにしてる。
そして宇佐美は御三家紀伊潘のお墨付きだから、
こいつが上杉年譜の記述に参加しても口だし出来ず、
上杉年譜は宇佐美の自己宣伝に曲げられた形跡すらあるw
136 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 01:01:32 ID:pk8CRFv5
>日付違いは地方別の暦の問題と説明できる
いえ出来ません。文面に「先に送った書状と同じ月の何日に〜なになにが
あった」って書いてる訳です。でっ書状を記した日時が9月19日に成ってる
訳です三島暦を採用していた上杉家でも説明がつきません。
>信玄の恋愛書状が宛名が後筆になってるが…
よく宛名が後筆と言われる人が居ますが、歴代古案の謙信の書状の宛名は
後筆ではありません。宛名の人物を説明した文が後筆なだけです。宛名が
後筆ということであれば、文面も謙信の署名もすべて後筆に成っちゃいま
す(笑)
137 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 01:13:10 ID:pk8CRFv5
ちょっと言葉足らずだったです。
日付けに付いてですが、「先に送った書状と同じ月の23日に〜」って
言う文章が書状の中にあるから書状に署名した9月19日が翌月以降に
なるって事に成るのです。
宇佐美もそうですが、まぁ徳川家の歴史(将軍家が事実上断絶しその
後は紀州家が事実上の天下を取る。ヨーロッパならば家が変われば王
朝が変わったとみなされ紀州朝でも可笑しくない)も影響しますね。
ただ、将軍家光の代で既に武田や上杉は別格の扱いを受けて、歴史が
編纂されていますよ。
138 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 01:55:50 ID:OCtGdIDq
>>137 俺も手取川があってもなくてもどっちでもいいんだが。
ようするに君の言いたいことを噛み砕いて言うと9月19日に出した手紙に9月23日の
事が書いてあるてこと。
まっ100歩譲て謙信の書状が捏造としてもあまりに幼稚過ぎないか?
かりに米沢藩が捏造したとして誰でもわかるよなもん作らんだろ。
これは単純に日付を写し間違えたと思うのが自然じゃね。
139 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 02:11:19 ID:pk8CRFv5
それこそ幼稚な発想では?
誰も米沢藩が捏造したとは言っていない。第一学者って言う部類は今も昔も
生真面目過ぎるくらい生真面目だ。だから未だに「東日流外三郡誌」なんて
のを真面目に信じてる学者もいる。
歴代古案を編纂した者達も一流の学者達だったと思う。故に態々後筆や朱書
を書いて補てんしている。あと日付けを書き間違えるってのも今のように、
「一九」「二九」なんてのはない。「二十」は「廿」と書かれるから。
140 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 02:27:06 ID:pk8CRFv5
結局さ、手取川合戦の当時の史料を探しても何も見つからなかった現代の
学者達はこの一通の書状の辻褄を合わせる為に、「書状の文面も謙信の署
名も本物だが、同文で書かれている(つまりは歴代古案に載せられた時に
同じ筆跡だった)日時と宛名は偽装されたものである」って言う可笑しな
結論になった訳だ。
141 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 02:46:23 ID:uWnyBiRG
謙信の書状直後に
摂津石山の下間ライレンが謙信に従った加賀衆へ感状を出してんだろ?
北徴遺文とかいう一次史料
名を高める首を挙げた貴方は素晴らしい!感動した!って内容が書かれてたとか
数日後に摂津に伝わるくらいの合戦だったのかなあ
と思うんだが
142 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 06:08:39 ID:0QFclTCq
自分には歴代古案を見直さないと書状について検討できないのでひとまず当論は人に譲るとして、
手取川がなかったとしたら、>141にあるように、上杉ではなく加賀衆と織田の小競り合いがあり、
織田の敗退はそこに因があると言うことになる。
そして上杉はその自ら織田を撃退した加賀衆を、
なぜか上杉の被官として軍役を課しているが、
これはどういう事なのか。
足を踏み入れずに他国の衆を組織に取り組むなど、
その組織に相当な圧力がなければ不可能な事だが、
上杉には手取川などなくてもこういう芸当が出来るほど、
強い力がその名に付加されていたのだろうか。
そんな漫画みたいな話があるのかどうか、強い疑問を感じる。
143 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 07:50:31 ID:AZK5aO3d
ちょっと意味わからんのだが
「先に送った書状」ってのがまずあるんだろう?どんな内容だったん?それに9月と明記されて謙信が署名してんの?
歴代古案に収録されてるのが「先に送った書状と同じ月の23日に〜があった」謙信が9月19日に書いた?送った?受け取った人物が書き足した?
だから9/23の出来事を9/19に書いたと言うこと?
あと伊豆の三島暦は旧北条領と一説に甲斐や駿河で使われていたとの事だが、
伊豆から遠い越後でも使われていたのは初耳なんだが…?
19日に忙しい中で途中まで書いておいて、謙信が書状を23日に、いざ送る時になって文を付け足したんでないかね?
あるいは署名などは右筆が書いてるとか。
謙信は越山した時に寒さで手が震えて書けないから署名用のハンコも持ってたろ。
144 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 08:00:46 ID:AZK5aO3d
あと当時は名前や日付の誤記はよくある事だよ。
しかも加賀や能登での現地の暦で謙信が書き分けている可能性もあるし。
信長も尾張と京との日付があわないと不便だから、どちらの暦が正しいか調べろと言ってるし。
江戸の秀忠が上洛する時に日付が京と合わず困って、家康が駿河で三島暦を使ってたのを参考にして日付を調整して上洛してる。
関ヶ原の秀忠の遅参も暦のズレと言う可能性すらあるくらい。
145 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 08:45:22 ID:AZK5aO3d
ついでに謙信って大ウソ吹聴書状っていろいろあったっけ?記憶にないが…
信玄や氏康らは情報合戦やってたみたいで過大宣伝のウソ書状とかあるが。
146 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 09:16:42 ID:iEBpDVHZ
合戦がなかったとしたら織田方が兵を越前まで引いた理由が説明出来ないよな。
40kmも引いているが、いくら上杉方の南下の情報を掴んだとしたとしても引き過ぎだ。
安土と京都間の距離と同じくらいだ。
これだけの距離を引くのは自然に考えれば敗走したと考えるのが普通。
合戦せずに様子見を決め込むための引きならば、この半分の20kmくらいで充分だ。
147 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 09:29:49 ID:NJafNr6Q
偽情報とかに撹乱されて後方が不安になったからだろうが
そんな事も分からんのかボケ!!
148 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 09:36:00 ID:iEBpDVHZ
>>147 それは敗走と同じだろ。
源平の富士川の合戦を知ってるか?
まともな戦闘がなかったから合戦ではないというなら富士川の合戦は合戦じゃなくなるよな、おまいの発想では。
149 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 10:00:53 ID:UxgQ6Aw0
>>145 だれそれは足を撃ち抜かれだれそれは大怪我しました、
他は軍の被害状況を家臣が体の不自由な私を気遣って
隠すので詳細は分かりません、とか
書いてる手紙はあるから単純に謙信が状況把握できてない書状はあるかもな。
150 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 10:04:59 ID:NyoA6OoX
手取川があってもなくても織田の負けであることは変わりないなあ。
151 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 10:11:40 ID:Ax9dmGqT
>>150 ↑
たまに妙な煽り入れる奴がいるね
上杉んとこにはあんまりこういう奴見掛けないから、どっかの○○厨が紛れ込んで煽ってると考えていいのかな?
152 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 10:39:26 ID:pRMfQfMt
29日と記す史料と19日と記す史料があるらしいね。
歴代古案は19日。
153 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 10:53:40 ID:k4hDpaqr
まあ織田厨は手取川ない説に拘って、能登を保持できず加賀まで侵略された
戦略的大惨敗を糊塗しようと必死だよね。
154 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 11:06:25 ID:Ax9dmGqT
>>153 保持?
能登は織田領だったの?
長連龍さんが能登の領主だとでも?
155 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 11:11:58 ID:Ax9dmGqT
156 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 11:39:49 ID:dYcPiV3d
ざっとログ読んでみた。そして歴代古案の書状全文読んできた。
これはどう見ても江戸時代に創作しうるような文章や内容ではない。
仮にこれが偽書状だとしてこうまで巧妙に偽書状を作るだけの学力(天正年間の知識)があるなら、
順当に考えてこんなことに精力を注入せず他のことに用いると思うのだが。彼らだって暇じゃないしね。
歴代古案はその成立が軍記ものと異なり、上杉家の喧伝のためではなく、
純粋に学術的史料として編集された性格である以上、
このようなでっちあげをやるものとは考えがたい。
日付に関しては暦の問題か誤記かのいずれかと見るのが妥当だろう。
でなければ、ここまで完璧に天正記の長文の書状を作りながら、
間抜けにも日付でヘマをやったりしない。
ところで手取川の合戦否定説ってネットから生じたものだよね?
この数年、wikipediaとか参考にするくだらないライターが真に受けて否定説があるとか取り上げるけど、
wikipediaってネット起源の論説は独自研究になるから採用しない方針じゃないのかw
157 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 11:58:47 ID:Ax9dmGqT
>>156 そりゃあんた単純過ぎるって
仮に今君が捏造書作ろうとして、現代語で作るか?
まず当時の文語を学ぶなり専門家に訳してもらうだろ?
その出来が完璧だったから、日付が違おうが内容がトンでもなかろうが、全て真実で罷り通るなんて、そりゃ無いわ
158 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 12:14:26 ID:AZK5aO3d
謙信の書状さえ怪しいなら、日付さえあってれば、でっち上げさえ可能だよな。
そんな事を言い出したら完璧な捏造文書が世の中の史実として
たくさん罷り通っているからすべて疑がわしいものになるわな。
武功夜記が捏造とされた決め手は戦国期に使われない言葉や地名だろ。
謙信の文書には具体的に不信な言葉遣いや地名が出てくるのか?
日付の誤記なんて信長公記だって、ふつうにあるだろ。そもそも公記なんて天理本や池田本など何十種類もあって、みんな微妙に違うだろが。
公記池田本では池田も武田滅亡戦に参戦してるしw
159 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 12:22:35 ID:GH9q8gGz
書状自体の信憑性と書状の内容が事実か否かは別の話ではないのだろうか……?
160 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 12:27:14 ID:dYcPiV3d
>>157 要するに完璧な捏造書を作る動機や根拠が乏しいといいたいわけですよ。
文章がまっとうで内容もまっとう。これで疑えという方が無理ではないかと。
彼らがなんでそこまでして手取川の合戦をなかったことにしたいのかがわからない。
陰謀史観にハマった人や従軍慰安婦問題で戦う韓国人の人たちと似た感じだよ。
はじめに結論ありきで語るから、強引になる。とにかく積極的に何か見つけてはつつく。
史料批判の限界を超えてもつつく。
冷静になってほしいと思う。
161 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 12:45:23 ID:Ax9dmGqT
>>160 同意
もう一度冷静になって書状の内容がまっとうか考えてみようぜ
まず答えありきでは無くてさ
162 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 12:59:04 ID:73E+CH3z
決定的な代物が出ない限りは繰り返しだな。
それに手取川合戦のそれ自体があろうがなかろうが大局に影響が無さそう。
163 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 13:22:34 ID:Ax9dmGqT
だな
ついでに>146に答えると
戦線伸ばして一向衆に後ろ取られるから
合戦有無問わず当たり前の判断だよ
164 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 13:31:45 ID:tERnUj1z
この時、加賀一向宗と謙信が連携してる可能性がどれだけ高いのか
それも肝だと思うな
頼簾の感状は激戦に応えて、現実に発給されてるんだし
謙信が松任から諸隊を先行させ、自らも出陣したという書状の日付とも重なる
この発信元が違う、二つの一次史料を精査した井上鋭夫は
手取川に到るまでの一向宗と謙信との関係をも纏めてるけど
この時期の加賀一向宗って、謙信を「御屋形様」と書状にしたためるなど
かなり服属してるんだよな
あとこの戦の一月後、越前で柴田義宣が門徒の蜂起に遭って討死
柴田勝家自身も加賀北部への出馬はおろか、加賀南部にすら殆ど出兵しなくなるわ
加賀南部の制圧だけで3年近くもかかり、放火を繰り返すなど相当手を焼いてる
165 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 13:37:32 ID:Lh4IxFKb
まあ元の書状自体は謙信が書いたと判断したとしても、
やはり問題になるのは織田方の合戦被害でしょ。
千人以上討ち取られて、かつ川で溺死した人数も少なくないようだけど、
織田軍は名のある武将が一人も死んでない。
166 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 13:45:07 ID:73E+CH3z
織田軍が撤退したのは七尾城が陥落したとの一報が入ったからじゃないの?
目的は七尾城の後詰なわけで作戦的にはこれ以上進軍する理由が無い。
越前に戻るのが普通の軍事行動かと思う。
167 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 13:57:27 ID:DMGZEkij
>>156 谷口克広なんかは信長公記や当時の一次史料に合戦の記述がないことから、
通説のような大規模な合戦はなかったんじゃないかと考察してる
ただ彼にしたって合戦の存在そのものは否定してない
自分は「手取川が上杉による完全な捏造だ」と主張してる人は2chでしか知らないな
168 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 14:05:13 ID:OCtGdIDq
織田軍が手取川を越えたことは勝家の書状で確認されてるしその書状には
これから松任城を攻撃する旨のことが書かれている。
松任城と手取川の距離がどのくらいかわからなし(地図でみると10kぐらい?)、その書状が書かれたとき謙信が
松任城に入てたかは分からないが織田軍と上杉軍がかなり近い距離にいたのは間違いないのでは
それでなにもなかったとするのは物理的に苦しいのでは、それに謙信ほどの武将が射程距離に入った織田軍を
おめおめ逃がすとは思えないが。
169 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 14:10:22 ID:tERnUj1z
>>165 それはある程度説明がつくような
戦国最大の山岳戦とか謳われる三増峠でも
浅利さえ流れ弾に当たらなければ名ある武将は死んでない
上杉軍 対 加賀・越中一向宗・神保・椎名連合軍の尻垂坂合戦でも
河が血の色に染まるほどの激戦で
この合戦以降、北陸一向宗は勢威を失って上杉が西へ大きく伸張する
謙信死後、河田長親が斉藤新伍に大敗した月岡野も被害武将は聞かない
手取川の頃の織田北陸方面軍は、支配して間もない敦賀〜越前など
降伏したばかりの将兵を多く抱えていた時期
彼らの中には元・越前一向宗も多く含まれている
大抵こういった地元の連中が、最も危険な先鋒や殿を任される
上方で織田側の記録をつけてる者も、上杉側も、彼らを詳細には把握出来てないだろう
昨年、先月、昨日まで一向宗だったのに、最近織田方になった将兵などは
170 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 14:13:04 ID:tERnUj1z
>>169 上杉軍 対 加賀・越中一向宗・神保・椎名連合軍の尻垂坂合戦でも
河が血の色に染まるほどの激戦で
この合戦以降、北陸一向宗は勢威を失って上杉が西へ大きく伸張する
が、この大合戦でも両軍名有る武将の被害は不明 ←肝心の一文が抜けていた
171 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 14:21:30 ID:dYcPiV3d
武将の死傷が確認できない合戦は探せばいくらでもあるね。
謙信のいう「千余人討捕」も死傷させたという意味じゃなくて、
単にその人数を敗北させたという意味だろうから、
大決戦があったのでなく、逃げ遅れたか置き去りにされた
先方衆が撃退されただけということになる。
当時の成敗、討ち取る、闇討ちなどは、
今みたいに「相手を殺す」という意味じゃなく、
あくまで「負かす」っていう意味との説もある。
少なくとも謙信が千人あまりの織田方に勝ったのは事実なんだろう。
172 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 14:34:30 ID:GH9q8gGz
>>171 > 少なくとも謙信が千人あまりの織田方に勝ったのは事実なんだろう。
手取川付近で何らかの戦があり、遠征してきた織田方を上杉方が追い返したのは事実だろうが、千人あまり云々というのは事実とまでは言えないんじゃないかな?
173 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 14:47:02 ID:Ax9dmGqT
まあ関東遠征に向けてのプロパガンダだったんだろうね
でもその矢先に倒れて、そのまま死去
プロパガンダの最初の一手だけが残り、それを史実と勘違いする学者がいる
本当に史実なら他にも記録が残っていてもいいはず
174 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 14:49:41 ID:GH9q8gGz
>>173 > 本当に史実なら他にも記録が残っていてもいいはず
まあ、それも思い込みだとは思うけどね。
175 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 15:54:24 ID:ZM2waoe4
撤退するときに、織田首脳陣は
我先に、船橋で渡河して安全を確保したんだろ。
置き去りにされた兵が氾濫した川の濁流に飲み込まれるか
渡河できずに殺された。
まぁ雨天での機動突撃戦だよな。
諜報戦で信長の作りあげた組織はすでに負けている。
176 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 16:03:06 ID:Ax9dmGqT
>>175 氾濫した川を渡し船で渡るなんてムリだから
しかも何艘いるんだよ?
何往復するんだよ?
177 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 16:24:27 ID:ZM2waoe4
バカだな。
早い時間帯に渡河した柴田らは助かったんだよ。
その後に、濁流化して
船橋が崩壊。
ちなみに利根川も船橋で渡ったりしてる。
即席で橋を作るのに舟は便利なんだよ。
お前もしかして、川底に木を打ちつける橋なんて
作ると思ってんのかw
178 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 16:32:18 ID:Ax9dmGqT
>>177 なんでみんな柴田と一緒に行動共にしなかったの?
残された兵は誰が率いてたの?
179 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 16:37:54 ID:OCtGdIDq
もうなんかアポロは月に行ってない必死に言い張る太田みたいだな。
180 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 16:52:57 ID:tERnUj1z
>>178 この頃柴田勝家は「殿様」と呼ばれてるから
真っ先に逃げただろうね(周囲が逃がしたというべきか)
渡河点というのはそれほど広くない筈
丹羽、滝川はじめ信長・信忠直属の美濃衆らも引き揚げないといけないし
相当な時間を要したと察せられる
普通に考えて前田・佐々・不破・金森、そして柴田一族(佐久間関係が多い)
ここらへんの北陸方面軍が、まずは勝家を逃がした後
越前衆を率いて殿を勤めたんじゃなかろうか
自分達の担当地域だしね
181 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 17:39:39 ID:Ax9dmGqT
いや、だから逃げる必要ないって、大軍率いてるんだから
本願寺と上杉の講和もなってるから一向衆だってどこに潜伏してるか分からないし、先に少数で逃げるほうが何倍も危険だから
182 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 17:53:44 ID:mukwbP68
じゃあ、逃げずに戦いなさいよ。柴田は。
謙信が襲撃してきていないならなおのことでそのまま北上するべきでしょ。
183 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:01:03 ID:Ax9dmGqT
>>182 能登攻略に向かったわけじゃないから
援軍に駆け付けようとしたんだから
その対象の七尾城が落ちたんだから帰ってもいいじゃん
184 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:21:07 ID:tERnUj1z
>>183 柴田は松任城を近日中に攻略したいって目標を目前の城に変えてるよ
松任を抜けば一向宗の本拠、金沢小山御堂も焼き払える
そうなれば加賀一向宗は事実上壊滅
加賀全体が柴田の支配下に収まる
しかし松任を攻めている最中、謙信率いる大軍に後詰めをされた場合
自分達が殲滅させられてしまう
手取川を渡り加賀南部へ戻れば、織田の大軍に大打撃を与えるほどの勢力は無い
それに大聖寺城という拠点も確保して有る
情報を遮断された中、謙信の大軍が南下してくるであろう加賀北部に留まるか
大した勢力の無い加賀南部へ戻るか
答えは簡単だろう
185 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:49:03 ID:Ax9dmGqT
まあ目標と今持ってる軍とは別だけどね
城攻めするなら物質的準備や戦略的環境を整えてからじゃないとね
186 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 18:55:16 ID:mukwbP68
だったらやっぱり撤退するのが適切ということですね。
187 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 19:20:45 ID:tERnUj1z
>>185 でも七尾へ後詰めに向かうのに
加賀北部の勢力を野放しにしたままってのは考えにくい
松任〜金沢を捨て置いて北上したら、
下手すると能登の謙信&加賀北の一向宗とで挟撃されてしまう
せっかく信長から直属軍を分けてもらい、更に他国の領主まで派遣してもらった
勝家からしてみれば面目の上からも、成果が欲しい所
これだけの大軍が手元に有るというのも滅多に無い
当初から目標としていた、松任城攻略を願うのも無理はない
しかし情報を遮断された為、織田軍の諸将は不安に駆られ
予想以上に早く謙信が七尾を落とし、それどころか末森まで落とした為
勝家は引き返すしかなくなった
といった所ではないか
188 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:06:07 ID:AZK5aO3d
信長は士気に関わるから負けてもいいから一度は戦えと言ってるよな
189 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 21:21:12 ID:mukwbP68
その信長の言葉の出典は何ですか?
190 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:00:04 ID:OCtGdIDq
センゴク
191 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 22:40:03 ID:ZM2waoe4
正確には
「兵力差があって劣勢でも」
が最初に付いていたような記憶が・・・
192 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 23:02:26 ID:ugs5CDQI
謙信は織田軍は弱すぎると言ってたんだよね
193 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 23:08:31 ID:cSG6LMmQ
ノブオンだろ
194 :
人間七七四年:2008/10/05(日) 23:58:37 ID:pk8CRFv5
手取川合戦の問題が行き詰ると必ず加賀の一向宗の話になるな。
まぁ肝心の上杉に合戦の史料が無いんだから仕方が無いが、もともと織田家
は対上杉というより、一向宗を相手に戦ってたのがスルーされ過ぎねえ?
だいたい書状の通りなら「両越と越中の兵を先達に向かわし云々」ってある
だろ加賀の一向宗と織田家の戦いを手取川合戦って言うのは基本違う。
あと大軍で上杉にあたって言うのも、当時の織田家の実情から言えば違う。
そりゃ天正3年時に正規の兵力が5千ちょいの上杉から見たら、2万近い織田
の軍勢は大軍だろうが、織田が同時代に行なった軍事行為に比べたら威力行
為レベルなんだよ。現に9月10日の段階で柴田らの連名で「重ねて軍勢の派遣
はしないようお願いします」って言ってる訳だ。
195 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 00:02:11 ID:pk8CRFv5
しかし威力行為の権化のような謙信ファンが「威力行為は敗戦です!」
って言うのは可笑しいよな。威力行為後の撤退が敗戦なら謙信なんて
100戦100敗の迷将じゃないか(苦笑)
196 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 01:23:53 ID:/5GGT+2i
あー、やっぱり織田厨だったんだね。
謙信憎しの感情をモロに出し始めた・・・。
197 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 02:04:07 ID:412mrqNz
最近武田スレが静かだと思ったら、織田厨達はここにいたか。
武田厨達“だけ”をを責めてて自己満してた織田厨達は更なる上をいく上杉厨達にはかなわないかw
まあ、とことん自分らが責めてた武田厨達の気分を味わうんだな。
198 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 02:38:33 ID:iRRYAIeM
>>194 でも実際この時期の上杉と加賀一向宗は切り離せないのでは。
小山御坊の旗本達は連名で謙信に加勢を依頼してるし。
その河田に宛てた書状は殆ど臣従してる内容。
反謙信の頭目だった杉浦を切腹させてまで上杉に擦り寄ってる。
謙信も加賀一向宗の意思統一を更に求め、石山本願寺に奥と鏑木の赦免を依頼。
手取川に到るまで上杉と加賀一向宗の関係は
まだ指揮系統が違う可能性が有るとはいえ、かなり強固になってるかと。
この合戦の時だけ上杉と一向宗を分けて考えるのは不自然だよ。
199 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 05:16:26 ID:4l6pWVYt
>>197 ↑
要約しよう
「なんだよp(`д´#)q
最近構ってくれないのは上杉君と遊んでるからなのかよp(`д´#)q
また俺っちとも遊んでくれよp(`д´#)q
仲間に入れてくれよp(`д´#)q
寂しいじゃんかよp(`д´#)q」
200 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 15:26:03 ID:DEry1RdN
合戦があったかなかったかの問題は一旦棚上げさせてもらうとして
果たして織田の大軍なるものが天正六年の加賀に存在し得たのかという基本的疑問が生ずる
ときには数万などと四方が敵の戦況で留守居の兵を残さず織田全軍を集結したみたいな
途方もない兵力がその時加賀に集結したとは到底想定しづらい
柴田勝家は越前の三分の二を所領としていたが、兵農分離は進んでいたとはいえ
恐らく最大でも動員兵力は一万弱がいいとこ
前田、金森ら与力が合力したところで一万数千
それからまだ一向衆がうろつく越前・加賀南部に留守居として三千は残さねばなるまい
他の戦況を考みれば秀吉を除く明智、滝川ら遊撃軍も一万に満たないだろう
従って柴田軍が加賀へ入った兵力は推定二万弱
かつて加賀制圧を命じられ失敗した簗田広正は一万の兵だから妥当な戦力
それに勝家は越前の民政にも力入れていたため兵を余計に集められる財的余裕があったかも疑問
逆に兵農分離されていない上杉側は他正面が安定していたため
農閑期の根こ削ぎ動員が可能で兵力が必要な攻城戦も想定していたから
恐らく柴田軍より兵力が上回っていたのではないだろうか
これは織田、上杉双方に加担しない中立の立場からの意見だが
長レス申し訳ありません
201 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 16:13:09 ID:pN1AzdJ0
>>200 寡兵で敵地然たる加賀を進んで、
信玄と並ぶ名将相手の決戦をさせて、
信長は、謙信に勝ち戦の手柄を立てさせたいと?
さすがにそれはないだろう。
202 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 16:17:35 ID:412mrqNz
>>199 その要約無理があるなw
自分は引きこもってた殻をやっと破って進出した織田厨達ちょっと評価してるが。
いままで武田厨ばかり叩いてて自己満してた織田厨達は社会の厳しさを知った高校生に似てる。
(心の中だけで「自分はできる人間なんだ!」と言ってていざ社会にでたらたいした事なかった高校生にw)
203 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 16:20:40 ID:D+zVpZ66
204 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 17:05:33 ID:412mrqNz
>>203 上杉厨だったら素直に謝る。
織田厨だったら
「スレ違いでうざい」←どう見ても言い訳。
じゃなくて
「悔しくてムカツク」
だろ?www
205 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 17:06:04 ID:DEry1RdN
>>201 七尾城の後詰めが柴田勝家の目的ならば城中の畠山・長軍と合力すれば
地の利もあり例え多少なりとも柴田側が寡兵であっても問題無しと思われる
織田信長は天正四年に天王寺砦に自ら僅か三千の兵を率い
雑賀鉄砲衆も含む本願寺勢二〜三万の重囲を突破、後詰めに成功
光秀ら天王寺砦の守兵を救出しているからね
206 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 17:15:29 ID:t0OTtd2R
>>200 光秀は不参加でしょ
この時は柴田ら越前衆の大半に
若狭+佐和山の丹羽に北伊勢5郡?の滝川
西美濃3人衆と斎藤
それに当初は羽柴の着た近江郡
滝川丹羽羽柴らは10万〜20万石ほど有しているし、西美濃3人衆と斎藤も美濃衆の中では大勢力
もう少し多いんじゃないかと
>>201 一応最初は後詰として信長信忠もあとから加わる予定だったんじゃ、
松永を警戒して出陣取りやめになったらしいが。
207 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 18:22:20 ID:wnm+7aWy
参加者
柴田、佐々、前田、不破、原、金森、丹羽、滝川、西美濃衆、武藤、羽柴、斎藤らが従軍。(羽柴秀吉は戦線離脱)
208 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 18:31:38 ID:09pjmNz2
>>200 果たして織田の大軍なるものが天正六年の加賀に存在し得たのかという
基本的疑問
おいおいそれはお前ら信長信者が歴代古案より信憑性が高いとほざいてる信長公記
や勝家の書状に載ってるんだぞ、もしかして謙信の書状に織田軍4万とか書いてるとでも思てんの。
それに天正六年に信長が大軍送ったてどの書物に書いてあるんだよ、まさか釣りとか言わないよな。
>>136 戦国時代の越後が三島暦使てたなんて聞いたこと無いぞ、もしそれが本当なら手取川の戦いの有無より大発見
じゃないか。
209 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 18:34:32 ID:DEry1RdN
>>206 まず言っておかなければいけないのは
織田の最大版図における兵農分離された全軍最大動員兵力の上限が六万といわれている
無論、浪人衆を召し抱える、又農民を動員するという裏技で暈増しは可能であるし
実際、行われた
例を挙げれば信孝の四国遠征軍の編成
信孝はたかだか二郡の所領しかなく自前の兵だけでは編成できない
伊賀、南近江の他国衆、雑賀衆までも動員しても足りず、上記のように
多数の浪人衆を召し抱え、十五から六十歳までの名主・百姓まで動員して
やっと一万五千の軍を編成できた
後者などは教練すら受けていないので戦力外になるのはわかりきっているが
案の定、本能寺後に自前の兵以外は四散した
もともと三好勢頼りの軍だからだろう
しかし上杉側の農民兵のなかには半農半武士の土豪が多い
上杉家軍役帳から察するに農閑期には上杉家中の専業武士の四倍をこれら土豪衆を動員できる
それはさておきとにかく天正六年の時点では信長側は四方に敵がおり
さらに一向衆の策動や武将の謀反に備えるための予備兵力や留守居は絶対残置せねばならない
従って所領の全動員数=遠征軍兵力になり得ない
あくまで信孝の場合は一門衆ということで信長が特別に遇したに過ぎない
210 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 18:43:25 ID:09pjmNz2
だから天正六年てなんなんだよ。
211 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 18:51:27 ID:wnm+7aWy
何かに憑依されて言われるがままに書いたんだろう。
212 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 19:06:42 ID:pN1AzdJ0
小数の兵を重臣に預けて大敵に当てるなんて織田らしくないね。
じゃあ、兵を分散しすぎてまともな決戦軍を動員できない織田は、
謙信が急死しなければ相当やばかったわけじゃん。
213 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 19:39:54 ID:4l6pWVYt
>>212 七尾城がどのように謙信の手に落ちたかを考えれば一概にはそう言えない
214 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 19:47:09 ID:ThSNpDcX
疫病と謀略だっけ?いくら上杉でも堅城の七尾は力攻めはできないだろうし
織田としては後詰には十分間に合うと思ってたのかな
予想外に早く落城してなおかつ予想外に上杉軍が接近してきて大混乱して
逃げてる途中で溺れ死んだってのが妥当かな そりゃ謙信からすれば
勝手に崩壊してくれた織田を見れば なにこいつら?弱杉ねー?って
あきれたくもなる罠
215 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 19:54:08 ID:4l6pWVYt
>>214 「だっけ?」って…
上杉ファンなら普通に知ってる事を「だっけ?」って…
しかもまた煽るような文面…
なるほど
視察ですね
お疲れです(≧Д≦)ゞ
216 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 20:03:06 ID:sZ+mZnac
217 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 20:10:02 ID:09pjmNz2
勝家が一向宗と遊んでないでさっさと七尾城向かえば間に合たかもしれないのに
そうしなかったのは、謙信との対決をスルーしたかったためだろ。
後顧の憂いを掃うとか言い訳して時間稼ぎのアリバイ工作をえいえんやってたんだろ
手取川を越えてからも松任城攻めるとか言てるし間に合わす気毛頭ない。
218 :
人間七七四年:2008/10/06(月) 23:07:41 ID:rI+idZaf
それくらい松任城から金沢が厄介だったんでしょ
はじめから無理があるんだよ
この北陸一向宗のメッカを素通りして能登に到達するなんて作戦
向こうは百姓まで上杉に味方して緘口令を布いてるってのに
織田連合軍も水島でウロウロするしか仕様がないわな
219 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 09:26:49 ID:X2MssgJR
はじめから信長の戦略ミスがあったわけだね。
勝家は信長の失態を代わりに受けるハメになった。
気の毒といえば気の毒だ。
220 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 11:45:04 ID:QFJBpq8/
戦略ミスというのはどうかな?
遠隔地ではあるが友好勢力である畠山氏が(実際にはその家中で権力を握っていた長氏ではあるが)救援を求めてきた。
上杉勢は織田家にとっても敵性勢力である。
援軍を派遣することによって畠山氏を上杉勢から救うことが出来れば、一気に前線を進めることが出来る。
もっとも越前と能登の間の加賀を完全に支配下におけるわけではないけど。
逆に見過ごしてしまえば織田家自身の版図は減らないけど前線において加賀の一揆衆と上杉勢を同時に相手にしなければならなくなってしまう。
ここは厳しいけれど援軍を出すしかない。上手くいけばそれでよし。上手くいかなくてもそれでよし。
こんなところだろう。
221 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 16:12:27 ID:X2MssgJR
北陸を敵性勢力に制圧されるのは、
日露戦争みたいに朝鮮半島をロシアに取られるぐらいやばくない?
両者とも上手くいかなくてもそれでよし、と甘い事は考えてないと思う。
222 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 18:11:12 ID:+ql47xJG
織田が畠山のために大兵を向かわせたのは事実と見ていいのかな?
それに対し謙信が対陣もしくは迎撃を行ったということ?
どちらにしろ加賀南部から七尾までは遠すぎのようですが。
223 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 18:23:34 ID:Wyc7sYKc
加賀衆の手引きもあったのかもね。
織田もまさかこの速さでと見くびっていたのだろう。
秀吉の大返しなどは更に上を行くが。
224 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 18:26:51 ID:rc0uWhPQ
信長の立場から言って、あの時点で割けるだけの兵力を差し向けた訳だし、
精いっぱいの事をしたんだと思うよ。
兵力不足の代わりに、織田家が伸張する上で最も功績があった者達ばかり。
つまり織田家家中で選りすぐりの有能な武将を派遣している。
特に稲葉一鉄だが、
信長直属軍において信長の足下に特別配置されるほど、信頼されてる。
信長は稲葉の城にわざわざ立ち寄って、一鉄の歓迎を受けたり。
この時、稲葉親子が信長の前で舞を披露すると信長大喜び。
信長は佐久間が笛を吹くと激怒したのに、対応がまるで違う。
この信長が最も信頼し、手元に置きたがり、高く評価していた稲葉一鉄。
そんな彼に直属軍を預け、北陸に差し向けただけでも柴田らは恐縮しただろうね。
225 :
人間七七四年:2008/10/07(火) 19:22:26 ID:rc0uWhPQ
>>222 信長が長の為に派遣したのは間違いないでしょ。
長は畠山義隆を毒殺したり、一向宗と繋がってる遊佐と対立したり
七尾城内は一枚岩じゃない。
徐々に孤立し始めた長続連はその息子・連龍を
第一次七尾包囲網が解かれた直後から、信長へ使者として送っている。
それに応えた信長が援軍を差し向けるという流れだし。
226 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 21:54:56 ID:qNyv1yGN
手取川の戦いてドリフ大爆笑でウエイターの中本工事(柴田勝家)が料理運んでいたらつまずいて
レストランごと破壊してしまうコントみたい。
長さん(謙信)だめだこりゃ。
227 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 23:06:06 ID:qeOLW4oX
謙信、信長共に加賀と能登を手に入れる重要な機会であったのは間違いない
手取川があったかどうかは正直どうでもいい。
北陸を巡る一連の戦略で信長が負けたのは事実だと俺は思うけど。
228 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 23:27:08 ID:XQ3UKTGB
雑賀合戦直後の信長の戦略の基本は対本願寺じゃないの?
北陸方面は現状維持(越前確保)で上出来だと思うけど。
229 :
人間七七四年:2008/10/08(水) 23:40:02 ID:ghF7hfad
現状維持どころか本願寺と上杉の一体化を促進させて、
しかも相手側の増強を目の前で許しているのはさすがに看過してはいかんだろう。
柴田の出兵はその重要性を信長が理解していた証拠ではないかと。
230 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 06:50:32 ID:Yviihamk
>>229 本願寺はもうだいぶ弱ってきてて、これじゃダメだって事で上杉と講和。信長包囲網に上杉が加わったわけで、これは謙信の腹一つで動く事で信長としてはどうしょうもない事だし…
七尾の疫病に付いてもどうしょうもない事だし…
大きくなれば味方も増えるが敵も増える。
上杉に付いてはその増えた敵の部分であって、勝ち負けや、成功失敗で語る事ではないと思うよ
231 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 07:27:41 ID:8pUvAg9U
織田は軍勢を動かしておきながら利益なし。人材と資金と労力の無駄遣い。
そればかりか湊川で謙信に千人以上討ち取られて人馬も際限なく流されています。
これは紛れもなく失敗であり、敗北ではないでしょうか。
もっとも信長は天才ですから全てのことが想定内で、失敗や敗北ではないのでしょうけれど、
謙信の名声をあげさせる行為を自ら率先して働くのはどのような深謀遠慮があってのことか興味深いです。
232 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 07:34:05 ID:mDWig9oC
柴田の出兵が空振りで終わる一事だけでも利敵・自損かと。
233 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 08:11:53 ID:KbiBFo2X
柴田ら大軍を違う場所で有効に使った方がまだ戦果をあげられたが
派遣失敗で能登加賀が上杉領国化したんだから失策以外の何物でもない。
234 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 08:21:24 ID:Yviihamk
>>232 それを失うのをケチったら、もっと多くを失ってただろうね
235 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 08:27:42 ID:HWdX+NrO
秀吉の途中離脱もね
あまりにも厳しい状況ゆえに生じた意見衝突だったりして
勝家 「猿!わしらは北へ行く!!(上杉を威圧しつつ、金沢を焼く!)」
「お前はここに残って松任城を牽制せい!」
秀吉 「わしらの部隊だけじゃ到底無理だ!」
「一向宗に夜討ちをかけられたら全滅だ!せめてもう2隊残してくれ!」
勝家 「兵は割けん!」
秀吉 「柴田殿は死地にわしらを残し、見殺しにするおつもりか?!」
「無駄死にをするくらいなら・・・」
勝家 「勝手にせい!」
なんてな
236 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 11:35:46 ID:9W8+4vfN
237 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 11:49:37 ID:aYhdZ9bt
この頃の謙信の名声って凄かったんでしょ?義将ということで
小田原討伐に行った時は30万の兵が集まったとか
この分だと簡単に上洛出来るって、織田軍に勝たなくても解ってたんでしょう
238 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 12:17:26 ID:Yviihamk
>236と>237はたぶん同一人物による工作だから、ツッコミ無用
ねぇ君、上杉ファンも迷惑してるってさ
239 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 10:05:54 ID:zpearoh9
天正5年の上杉、織田の北陸攻防戦を見る限り
信長は並みの武将にしかみえない、どうみても七尾城手前の金沢御坊を
素通りできるとは思えない。
まだ加賀を占領して南下してくる上杉軍を迎撃したほうが勝てる可能性は高い様な気がする。
七尾城への援軍は家康以下信長に従う諸大名に向けたポ−ズだと思うが(自分は同盟者を
見捨てたりはしないといった)、本きで後詰めが成功すると思っていたとしたら、信長に対する
現代の評価はかなり下駄を履いてることのなる。
240 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 10:28:58 ID:qXvIsZGK
いや、いっぺんの失敗ぐらい誰にでもある。
信長の躍進振りは運だけとは言えないほど異常。
基本的な能力は評価すべきかと。
しかし謙信対策だけはお粗末だった。
長篠に勝利しただけで調子付いて謙信の存在を軽視して、
それまで謙信を経由していた東国武将との交流を独自に開始し、
敵愾心を煽った結果、この危機的な状況を招いた。
241 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 10:35:53 ID:lJF2DTln
時系列を自在に操るのなw
242 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 10:36:52 ID:i8W3UzNA
頼むから片方贔屓丸出しの妄想だけをID変えて延々たれ流すのは迷惑だからやめてくれやw
243 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 11:04:17 ID:Kib760e2
>>239 その通りじゃないか?
七尾救援が名目で実際は加賀に拠点を作り、できれば金沢攻略でないかな。
一向一揆の土地を一国丸々素通りは誰が見ても無謀。
越前ですらやっと平定できた程度なんだから。
上杉の南下は織田の想定以上の速さだったのかも。
244 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 17:48:25 ID:I6g2mH6j
信長が運だけとかは思わんが、考えれば考えるほど名将っぽくないよな。
245 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 18:45:23 ID:spYkGzRp
信長公記に載っていないから、手取川はなかった!
というご高説はもうさすがに聞かれなくなったね。
もとはといえばこの主張からはじまった議論なんだが。
信長公記が、当時の織田家に関わった事件のすべてを
完全に網羅していると断言するのは、学問ではなく信仰だと、
ようやく気づいたのかも知れないな。
246 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 18:54:13 ID:Kib760e2
手取川合戦自体はなんともいえないが織田の大軍が加賀へ向かい、
なんらかの理由で撤退したことは否定できない。
247 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 19:29:18 ID:iKkr5XUF
荷駄隊が予定より大幅に遅れたとかで、転進しただけの話しだろうが
248 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 19:38:12 ID:spYkGzRp
際限なく人馬を溺死させる転進とは、歴戦の勝家にしては見苦しい失敗をなされいますね。
249 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 20:03:30 ID:Kib760e2
史料が謙信の手紙ぐらいなんでなんともいえん
250 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 21:31:14 ID:SddR08fV
あの書状でなんともいえんと言い出したら、
歴史事件の大半が疑わしくなるぞ。
251 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 21:35:34 ID:Kib760e2
関係者はメチャクチャ多いはずなのに謙信の手紙しか残ってないってのがね
252 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 22:17:02 ID:bqt3/VhU
なんで本願寺が発給した北徴遺文の感状は無視されるの?
253 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 22:17:47 ID:iKkr5XUF
それほどの大敗をしたのなら、信長公記は秀吉時代にかかれたのであるから
宿敵柴田の大失策としてこき下ろすように書かすはずだろ?
なんで書かないんだ?
254 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 22:34:26 ID:0yyUNPRC
柴田じゃなくて信長の失態だからでは。
255 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 22:38:42 ID:iKkr5XUF
信長がそこにおって指揮を執っておれば信長の失態だが
采配をしたのは勝家であるから関係ない
現に信雄の伊賀攻めなんかボロカスではないか
信長公記も読んでないアホはすっこんでろ!!
256 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 22:39:52 ID:bqt3/VhU
>>253 信長公記の作者が、かつて柴田に仕えてたからでは?
勝家にも思い入れがある
でも案外、事の次第が北陸で握り潰されてたりして
加賀から都は遠いから
257 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 22:57:32 ID:0yyUNPRC
>>255 ああ、信長公記ぐらい読んでるし、手元にもあるし、ネットでも読めるぞよ。
ほれ、もともと信長が柴田を派遣したのが大間違いなのはこのスレッド見ればわかるでしょ。
うつけ扱いの信雄は敗戦より独断で動いたことを咎められているわけでしょ。
258 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:01:33 ID:0yyUNPRC
上杉謙信書状、北徴遺文の感状は一次史料で、手取川の合戦を色濃く示唆する。
信長公記は後世に書かれた政治的な思惑の入った文献で間違いや抜けが多い。
それでも信長公記に書いている書いてないというだけで意見をいうなら、
もう真実の探求じゃなくて信仰の探求だから、好きにして欲しい。
259 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:07:44 ID:Kib760e2
話どおりなら勝ち戦というか大勝利なんだからプロパガンダにいくらでも使えるのに、
上杉謙信ですら書状一枚というのが信じられん。
感状が残ってるからなんらかの戦いはあったと思うが軽めの戦でも感状は薄給されるしな。
石山本願寺は北陸一向一揆との繋がりは薄いのかもしれんがそれでもなんらかの情報は
得てるはずなのに記録が残ってないのはどうなんだろ。
顕如がなにかしらのプロパガンダに使うにはうってつけだと思うんだが。
260 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:20:35 ID:0yyUNPRC
信じられんといわれても一枚確かに残ってるし。
これを否定する根拠が一枚しかないというのがよくわからない。
合戦そのものを描写した記録がそうそういくつも発給された例はそんなにない。
ただ、合戦があったんだろうなという形跡はいくらでもある。
合戦当時の両軍は間近にあったとここでも何度か指摘がある。
北徴遺文もそうだし、信長公記でも勝家がその後も加賀の平定に手を焼いている。
翌年二月十日付の謙信書状(結城氏宛てか)でも
「まえに何度も申したように、能登・越中・加賀を思うように処理し」と書かれてある。
そしてその「何度も申した」の書状は消失されて未だ発見されていない。
決定的な証拠が一枚。そしてそれを裏付ける証拠が複数。
これを否定する理由がよくわからない。
結論ありきで否定しているような印象すら受けてしまう。
261 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:24:26 ID:bqt3/VhU
>>259 石山本願寺的には、そのまま謙信が加賀に残り
織田の大軍を引き付けてくれないと、あまり意味が無かったからでは?
でも謙信は合戦後すぐに能登へ帰っちゃった。
手取川より以前に雑賀攻めがあって、この際、石山本願寺が加賀朝日山だったかを攻め降した謙信に
今が上洛の絶好機だ〜!と盛んに促してる。
でもその書状が謙信に届いた頃は、既に越後へ帰った後だった。
その結果、謙信が来ると聞かされ、期待した松永久秀が孤立してしまった。
こういった情報が行き届かなかった過去の苦い経験が、手取川の報に接した石山本願寺を慎重にさせていたのかもね。
下手に反織田勢力を煽って各個撃破されるより、しっかり見極めて煽動しようという戦略に変えた可能性だってある。
しかし現地へは下間頼廉を通して感状だけは出しておこうと。
262 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:31:58 ID:Kib760e2
>>260 上杉軍と織田軍になんらかの接触があったことは否定はしないよ。
ただいわゆる手取川の戦いレベルの戦闘があったかどうかということ。
加賀平定に手間取ることは一向一揆の勢力下にあった越前平定にすら手間取ったし、
上杉の勢力と一向一揆が結びついた以上は当然かなと思ってるけど。
263 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:38:17 ID:0yyUNPRC
>>262 ああ、その点なら同意です。
雨中の夜戦で慌しく逃亡する敵軍の数を上杉が正確に把握できるはずもないし、
百を千と、千を万と見間違える可能性も十分考えられるからね。
合戦の規模で正確な記録なんてないと思うし。
264 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 23:54:39 ID:sptZGLeC
加賀平定はそれ以前から一向に進んでいなかったから
手取川の有無に関わらず手を焼くと思う。
265 :
人間七七四年:2008/10/11(土) 11:55:58 ID:XIKcZALj
>>247 どうあがいても、
世間は君が読んでいる軍記モノや君自身の希望的観測(げすのかんぐり)より
上杉謙信書状、北徴遺文の感状の方を重視する。
266 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 01:56:52 ID:TUmMB8Nu
下間の感状も何らかの戦闘があったことの証明にはなっても
「通説」の手取川の証明にはならないと思う。
267 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 04:53:17 ID:wcPhQcAs
傍証の史料として謙信書状の信憑性を保証・補完する価値がありますからね。
世間というより学界が手取川の実在を否定することはこれまでも今後もありえないでしょう。
規模については議論の余地を残すものの、
歴戦の謙信が敵の数を大きく見誤ることはないし、
書状通りの展開があったとするのが妥当かと。
ただし、全軍がぶつかりあったのでなく、
最後尾の殿が上杉軍の餌食になった。
これが真相ではないでしょうか。
268 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 12:21:54 ID:IongQIQr
>>267 >謙信書状の信憑性を保証・補完する
北徴遺文については俺もそう思うな
前後の出来事から言って、加賀衆が謙信に吸収されつつあるのは明らかだし
269 :
人間七七四年:2008/10/12(日) 12:30:35 ID:wwRe/5IF
ここ見てると資料分析ってどういうものなのかわかるなあ。
ひとつの文献の裏を取るのにほかのあいまいな文献をつぶさに観察して、
総合的に結論を出す。そうすることで真実に到達していくわけだね。
結論は平凡な通説にたどり着いてるだけなのになぜかとても面白い。
270 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 13:24:19 ID:KFJZ3FYJ
史料が謙信の手紙しかない。
しかも日付のあった日以降の事まで書かれていたり、宛名等が後書きだったりとすごい怪しい面もある。
本当に織田に勝ったのなら、信玄が三方原で勝った時のようにもっと宣伝しそうなものだが。
信玄同様、信長を裏切ってかつての敵と組んだわけで、信用を得る材料があれば使うだろう。
271 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 13:36:14 ID:KFJZ3FYJ
>>268 実際には加賀の門徒宗は、最後まで本願寺からの指示で動いているんだが。
最後の和睦(実質織田への降伏)もそうだし。
謙信と門徒の関連は同盟者以上ではないだろう。
晩年の関東出陣動員簿といわれる書状には本願寺門徒の名前も書いてあるが、実際に動員できたかは未知。
272 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 16:55:28 ID:Ts4Jvoek
>>271 もう少し勉強しような。
軍役帳では加賀衆は動員名簿に名前だけじゃなく人数や装備まで規定されている。
完全に被官として支配されている証拠だ。
そして魚津の玉砕した武将に加賀衆の者がいる。
書状などで明らか。
>>270についても何度も反論されているんだから読み返しなさいな。
273 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 17:40:36 ID:HIB+eiRc
謙信についていったもの、本願寺に従ったもの、加賀に残ったもの、色々いるっていうだけだろ。
一括りで話をすすめてどうすんの?
274 :
人間七七四年:2008/10/16(木) 17:59:43 ID:wluymRmr
簡単に言うと謙信に従った者もあればそうじゃない者もいる
織田が越中に入った後まで武田派一向宗の寺町が残っている状態です
この地域が大人しいのは常山記で言う残った柿崎氏が織田から馬貰って云々・・・の間だけ
この話も町名は現存するみたいですが信用度ゼロです
加賀は下間が本願寺の講和に追従しなかったので全部背いたように見えますが
その下間に背いた者も存在するのです
上杉の影響が強い時期は何をしていたのか不明ですが織田が入国した直後に
所領安堵されている者は織田軍と連絡を取り続けていたのでは?とも考えられています
本願寺上杉武田織田の入り乱れた地域は一言では表現できないと言いたいだけですがね
275 :
人間七七四年:2008/10/17(金) 16:06:57 ID:1pdCr5kr
この流れなら富樫の事も語ってくれないか
276 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 16:17:08 ID:snUOqmUj
冨樫は手取川の戦いより前に事実上滅んでいるので却下w
277 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 18:12:44 ID:f+U+J+ja
でもたまに載てたりもするぞハンター×2
278 :
人間七七四年:2008/10/18(土) 23:24:08 ID:oA9XpzQW
今ある史料じゃ決定打は出なさそうだな
俺は小競り合い説派だけど。
あと富樫仕事しろ
279 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 02:48:48 ID:s1tFMhzZ
諦めろw
280 :
人間七七四年:2008/10/19(日) 06:41:39 ID:sBL6fXT8
永野に比べれば冨樫は十分仕事をしている。
281 :
人間七七四年:2008/10/20(月) 23:03:11 ID:Pr6RVizE
松川といい上杉家は捏造ばかりだな
282 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 01:37:46 ID:Gi0F00Xt
戦略面では織田の敗けとは思うが…手取り川の戦いは無かったのでは?
能登加賀の織田派が弱かったって事じゃないかな?
283 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 02:42:42 ID:7g0ofrGM
上杉は馬鹿強くいて欲しいもんだがなー…
284 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 06:13:27 ID:8fDvAR5/
ログ読めばどう見ても状況が「ある」と示しているとわかるんだけれど、
ただの思いつきでいつまでも「ない」と繰り返されていくね。
285 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 06:38:36 ID:mjS59oSJ
手取川で何らかの戦いはあったが、謙信が喧伝するほど大して華々しいものではなかったってところが真相だろうな。
286 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 07:31:38 ID:867HZEQd
確かに謙信の書状は誇張っぽい部分も有る。
けど、本願寺が発給した感状とも重なってるような気もする。
まず諸軍を先手として差し向けました〜
その後、私自身も馬で向かいました〜
夜中に敵勢は敗走していました〜らへん。
謙信が着陣する以前
織田軍は真夜中に敗走していたという意味でしょ。
それが本願寺の感状↓
『今度夜討之刻、首討捕高名之旨、具遂披露候。』の部分っぽいし。
その内容と、謙信の書状↓
『夜中ニ令敗北候処』とが合致してる。
287 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 07:37:47 ID:G2KqCyaM
謙信は川中島の戦いで8000人を討ち取ったと喧伝した。
つまり1000人余りを討ち取ったと喧伝する手取川の戦いは…そういうことだ。
288 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 09:27:35 ID:8fDvAR5/
そういうところだろうね。
でも川中島8000人討ち取りは謙信本人が言ったんだっけ?
近衛が伝聞で書いたんだと思うが。
289 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 12:30:51 ID:O+3dj5nH
史実の勝者は英傑の信長&伊達>>>>>ガチホモ上杉捏造史観
290 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 13:14:54 ID:TTV4XuHY
信長は姉川の戦いで浅井、朝倉を討ち滅ぼしたと喧伝した。
つまり手取川の戦いは無かったと言ってる奴は…そういうことだ。
291 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 19:06:01 ID:6McmTclF
>>287 川中島の謙信は「兇徒を数多討取り年来の本願を遂げ、満足」くらいしか言ってないだろ
で、この内容は嘘じゃない
「川中島で八千人討取った」なんて近衛関係の書状でも聞いた事ないぞ
「謙信麾下八千人」ならよく耳にするけど、それは越後軍の兵力だし
謙信に限って言えば、戦果を誇大に喧伝してる書状はあまり無いと思う
例えば
信玄は私を避けて戦おうとしない。
自分が到着すると氏政は去った後でした・・・残念。
私が遅れてしまった為に佐野さん一人で戦わせてしまい、面目ない。などなど
戦ってない時は戦ってないと、結構正直に書き送る傾向がある
そんな謙信が手取川だと
(この味方有利な追撃は)長年神仏を拝んできた賜物だ!
とまで高揚した内容を書き送ってる
これは珍しい
292 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 19:20:30 ID:G2KqCyaM
今度於信州表、対晴信遂一戦、被得大利、八千余被討捕候事、珎重之大慶候、
雖不珎義候、自身被及太刀打段、無比類次第、天下之名誉候、
293 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 19:46:56 ID:R4SlrK7A
当時の「討ち取り」は必ずしも「死傷させた」ではないな。
「その人数に勝利した」と読み取るのが普通。
294 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:02:47 ID:R4SlrK7A
>>292 近衛の書状は、やっぱ謙信本人から聞いた感じじゃないね。
わざわざ戦果報告をオウム返しするわけないし、
独自の情報源から仕入れた話を告げて、
「こんなに頑張ったんだよね?」とはしゃいでいるんだろう。
295 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:16:41 ID:G2KqCyaM
>>293-294 そうだね、じゃあ手取川の「千余人討捕」も1000人ばかりの織田軍に勝ったということなんだろう。
近衛の書状の解釈は色々出来るだろうが、私は上越市史の概説などで
「政虎は近衛前久に「自身太刀に及んだ」と伝えた」と解釈されているように
情報の発信源は謙信だとするのが自然だと思う。
296 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:36:34 ID:R4SlrK7A
織田は逃げ遅れたわずか千人(ちっともわずかじゃないけど)ほどの人数が敗退した。
これが真実だと思う。
近衛書状は上杉家年表などでも謙信が情報源みたいな扱いだが、
その話はあまり信頼できないね。
近衛は軽率な気質だから、不確かな情報を鵜呑みにしている可能性が高い。
297 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 20:40:26 ID:Kxttyb9e
末広がりだろ。
千代に八千代にって
まつり枕詞だろ
298 :
人間七七四年:2008/10/21(火) 23:49:04 ID:5GOc4rB/
>>293 おいおい。俺は手取川はあったと思うし織田勢の敗北とも思うが
その解釈は無理があると思うぞ。
その理屈でいうなら信玄も川中島の後で「敵3千人余討取」とか書状出してるが
上杉勢が3千だったとはならないだろう。
他にも3方ヶ原でも「敵千余討取」と書いてるし
三増峠では6、7千の敵が来たので一戦に及んだと述べた後で「2千余討取」と書いてる。
やっぱりこの討取は敵被害を表していると見るのが自然では。
299 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:38:35 ID:6xwUNTZG
言葉の解釈はそれでいいとおもうけど、実際にそれでもって八千の死傷者・捕虜が出たとするのはやっぱり無理があると思うな。
そんな歴史的大敗の記録がこの程度しか残っていないのはどう考えてもおかしい。
もしそうだとしたら、謙信とその取り巻きには情報戦略を欠片も知らないアフォばかりということになってしまう。
300 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 02:39:57 ID:oCYg0y9A
基本的に戦果を報告した文書は、正確に数えたわけでもないし
スタンスとしては「俺勝った、俺らマジ強い」というアピールが
目的なので、討ち取り数にそこまで拘る必要は無いと思うな
301 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 15:04:07 ID:iNau9XRI
どこかで(まあ手取川の近辺だろう)で謙信自身が陣頭指揮をして織田勢を蹴散らしたのは事実だろう。
ただし書状ほどの合戦ではなく小規模のもので織田勢の被害は部将、侍大将級の被害が残っていないどころか、
合戦そのものの記録も無いなど衝突があったことさえ疑われるものではある。
しかしその後の上杉と加賀一向一揆の結びつき、織田軍の加賀平定戦の進捗、
そして小規模の争いでさしたる被害がなければ記録に残らないのは当然ということを考えれば
なにかしらの衝突があった可能性を推測すること自体はおかしくない。
謙信自身は総大将であり外交面でも喧伝する必要があったので手取川の勝利を大きく書いた。
ただし謙信自身もさほどの勝利と思ってなかったのでさほど乱発、喧伝しなかったために書状が一通しか残らなかったと。
またその後も織田と上杉・一向一揆連合軍は小競り合いを繰り返してるので北徴遺文はそっちの可能性もある。
こんなところでないかい。
302 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 16:21:28 ID:9QnF6oJN
301にほぼ同意なんだが、謙信の書状に誇張と呼ぶほどの描写は実はないね。
生々しい有様をしっかりと記し、数万のうち千人を討ち取ったとは書いてるけれど、
おそらく謙信の視界には数万の織田が撤退するのが望見でき、
逃げ遅れたか置き去りにされた小部隊の殿軍が上杉軍の餌食になったと見ることが出来る。
303 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 14:03:33 ID:uK0CzgWo
謙信が逃げる織田勢を確認するくらいなら先方は完全にガチで戦っているかと
そんな状態で織田が背水の陣なら長篠合戦のごとく壊滅してるわ
304 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 19:04:33 ID:eTQAoRbT
逃げるのがもっと遅ければベッキ川みたいになってたろうね
305 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 19:20:12 ID:Oiq+Q+uW
>>303 でも実際戦わずして逃げているんだが
手取川が増水しててこれ以上の進撃はないと判断したから戦略的撤退をしたんだろう
306 :
人間七七四年:2008/10/24(金) 19:27:00 ID:HgK3Jc/K
川幅がどのくらいあったか想像できないけど川挟んで睨みあったのかな
張り詰めた空気味わってみたい
307 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 17:45:45 ID:FAkw27ej
>>295 そもそも市史ってものは古い解釈のままだし。
近年、新しい史料が発見されたり、解釈や検証が行われた所で反映されないケースが多い。
軍記物も積極的に採り入れちゃってる物が多いしね。
それほど信用が置けるものじゃないよ。
>>294が言ってる通り、オウム返しにするのは不自然だって指摘は尤もだね。
関東に居る近衛に情報が達するまでに、伝言ゲームみたいになってる可能性だって十分有り得ること。
謙信自身による「八千人討取った」という近衛宛の書状が確認されない限り、
何とも言えないわな。
308 :
人間七七四年:2008/11/29(土) 07:57:41 ID:b8LVBAkX
>>291 やたら愚痴っぽい書状が多いけどねw
読んでる相手も「分かった、分かった、いい加減しつこいよ・・・・・」って思ってたかも
309 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 19:03:19 ID:jxycTETq
歴代古案
江戸時代に米沢藩士による編纂だろ。。。。。。。。。。。。。。。
武家や公家の日記に載ってないのは。
310 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 19:12:50 ID:2Kzmj/l0
古案は幕府に提出した史料集。
口伝をまとめてみました〜みたいな藩史とは性格が違う。
書状の内容からみて、信長自身が負けたわけじゃないし、
被害の少ない追撃なんだから、
日記に残らないのも無理はない。
311 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 19:17:07 ID:jxycTETq
手取川、松川、まだあるのか?上杉捏造戦史って?
312 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 19:21:07 ID:vO9vLUbJ
上杉家御年譜では松川の戦いは八月に起きたらしいw
ソースとして東国太平記や会津陣物語を持ち出す上杉厨ですが、
どっちが正しいんすか?ww
313 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 19:30:08 ID:jxycTETq
北越軍談が根拠史料か!!!!!!!!!!!!
おどれえたあああああああああああああああああああ
314 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 21:41:45 ID:a66KtXQV
上杉の捏造に周りはみんな迷惑してます
315 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 23:12:29 ID:ajN8Q1xf
独りよがりで必死な伊達厨さん
なかなか釣れませんね?
シカトされ非常にミジメな状況ですなw
316 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:07:29 ID:7q5ueuzS
手取川を否定しているのは2ちゃんだけだろ
否定してる学者は沢山いるの?
317 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:28:16 ID:oHRYip0q
学者で主張してるのは知らないな。
上杉謙信がよくわかる本レヴェルのものでライターが書いてる程度じゃね?
318 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 15:38:50 ID:0tITiDbo
>>317 矢田俊文は上杉研究では高い評価を得てるけど
手取川もちゃんと書いてる。
むしろ学者で真正面から手取川を否定してるヤツなんて聞いたことない。
319 :
人間七七四年:2008/12/25(木) 16:26:35 ID:ItQ0EbRq
あの手紙の書き方だと、謙信は信長自身が出馬してると思ってるよね、
千や二千程度の軍勢を見ただけならそうは思わないよね?
戦闘に入る前に確認したのか、戦闘後かわからないけど、どこかで万単位を見てるはず、
よくわからんけど
320 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 12:32:07 ID:VLeScNoF
>>317 おまえバカだな。井上鋭夫もしらないのか。
321 :
317:2008/12/28(日) 13:16:01 ID:QQbjy6DD
井上も「ある」としているんじゃないか?
明確に否定している証拠があるなら教えてくれ。
322 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 13:46:18 ID:STA4eTvi
重要なのは手取川を越えて謙信が追撃しなかったってことじゃないか?
明らかに川の向こうでは織田の待ち構えた陣形が出来上がっていたと仮定できる
そこにスキがあれば水量の増した川だとしても謙信なら渡るだろう
323 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 14:48:32 ID:QQbjy6DD
織田が人馬際限なく流れて溺れ死んだと謙信が書いてあるから、
とても渡れない状況だったのではないかね。
橋は切り下ろされていたか、もともとなかったか。
船だとしたら逃亡した連中が怖がって戻さなかったため、一隻もなかった。
要するに織田最後尾だけ見捨てられていたんでしょう。
324 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 17:57:18 ID:+Sg/7Pwo
そもそも、まともな学者の場合、バトルの内容を
云々というより、その戦いの結果、政治体制や勢力図が
どう変わったかを重視するからね。そして、その結果や残された
史料からバトルの内容を推察するわけで。
バトル<ウォーという扱い
325 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 08:21:29 ID:eGLAFXff
謙信にやる気がまだあるなら、織田勢が迎え打つ姿勢をみせようがみせまいが渡ったと思うな、
その時の気象条件は知らないけど、増水がずっと続くわけじゃ無いだろうし、
水位が減れば夜のうちとか、場所をかえるとか、いくらでも渡る方法はあるし、
渡れなくとも睨み合いはもっと長くなるでしょう、
要は謙信が
「もういんじゃね、」って思って帰れるぐらいの何かがあったって事じゃないかな
326 :
人間七七四年:2008/12/29(月) 12:03:31 ID:4KoP68g0
>>321 井上鋭夫もある派だけど。著書によっては温度差があるね。
「上杉謙信」「謙信と信玄」では実際にあったと看做していて、
『霜は軍営に満ちて秋気清し〜』の漢詩のみ頼山陽の添削で
元は後人の仮托としてるね。
「一向一揆の研究」でも夜戦自体はあったとしてるけど、謙信自身の
出馬があったのかは不明としている。この本が手取川の戦いついては
一番掘り下げてると思うから、まずはこれを読んでみるといいな。
ちと高い(古本市場でも1万5千円ぐらいする)けど。
327 :
326:2008/12/29(月) 13:08:52 ID:4KoP68g0
逆に自分が知ってる「合戦はない」派というと、石林文吉氏ぐらいかな。
もっともこの人がどういう筋の研究者なのかよくわからないけど、
「加賀能登の合戦」という著書の著者略歴を見ると、新聞記者上がりの
市井の研究者らしい。なんかアンチにはこういう感じの人が多いね。
で、その本の一節では
引用>織田軍は、七尾城が陥落してしまっては、もはや救援に赴く意味がなくなったとして、
水島(松任市)から反転した。一方上杉方は、長らく待っていた織田との決戦がついに
やって来たとして、用意おさおさ怠らず、前夜は猿楽三番を催して戦勝の前祝とした。
ところが一夜明けて水島に進軍したところ、織田軍の姿は見えない。一同は織田軍の
腰抜けとさんざん嘲笑、残っていた数十人の雑人を斬り捨て、さらに越前丸岡にまで進んで
民家に放火して、それから越前へ引きあげて行った。>引用終了
と、まるで見ていたような内容になっている。これの出典は不明。
巻末の参考文献、史料にも目ぼしいものは無い。日置謙氏の著書などが文献として
挙げられてる。
あと謙信嫌いで「武田・真田・小林一茶」研究者の小林計一郎氏ですら手取川合戦はあった
としてるが、そもそもこの人の場合、信長自身が出馬していたと考えてるらしく(武田・上杉軍記)、
これもなんだかなぁという感じですな。
>それから越前へ引きあげて行った。>引用終了
越後へ引きあげて行った。の誤りのため訂正します。
329 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 03:24:51 ID:jzSChMPm
架空の合戦だろ、これ。
味方原の大敗が、信長公記に記述されているのに、手取り川がないのはおかしいだろ。
330 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 09:04:43 ID:OWB999qP
と、田舎の愚民が今日も吠える。
331 :
人間七七四年:2009/01/15(木) 10:40:49 ID:zKdKNXw8
享禄4年(1531)10月には、閏5月に勃発した大小一揆の乱による加賀一向一揆の分裂に乗じて加賀国へと出陣、湊川(手取川)を越えて石川郡で一揆勢と戦ったが、敗れて兵を退いている。
朝倉宗滴の合戦とそっくりでは?????????
332 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 01:13:08 ID:uT3oSSxE
>>329 架空に決まってるだろ、江戸中期に米沢藩が傾きかけて編纂された藩の歴史書に、宛先・出所不明の書状の写し1通を書き写して「信長との合戦がありますた!」ってやった訳だ。
それ以前の対将軍家の対抗策で、紀州のバカ殿が越後マンセー(幕府が甲斐マンセーしてたから)して無理やり上杉最強伝説を作り上げた時に出てもねえんだぜ?
紀州のバカ殿の越後マンセーは凄まじかったんだから、これも史実から言えば可なり実情に曖昧な点が多い川中島の戦いを、戦国大勝負に変えてしまうくらいの力の入れよう。
その後紀州藩が天下を牛耳り(徳川7代で将軍家の血筋は途絶える。のみならず御三家すら事実上崩壊した)、上杉マンセーは学会でも主流となり甲州流軍学、越後流軍学の二大軍学になった。
そんな流れで学者連中が形成されたから明治、大正、昭和となり平成になっても嘘が真のままになってる。
333 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 05:18:18 ID:YuTGuhi8
>332は手取川があったらどうしても困るらしい。
書状が捏造かどうかは過去ログ読めば想像つくんだが。
歴代古案は上杉マンセーのために作られる種類のものではないし、
将軍に提出するものなので捏造などあれば幕閣から詰問が入る。
実際指摘があって苦しい言い訳をした史書のもある。
本文にも江戸時代に創作された文書にありがちな癖がまったくない。
現在確認できうる当時の動静との矛盾もないんだよ。
334 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 08:46:49 ID:xJvQ11Ix
当時の動静との矛盾が無い。
ここが重要なんだよな。
織田軍の北陸侵攻が停滞した原因を鑑みれば、手取川合戦が無い方が不自然。
まともな史家はそういうことを総合的に判断して戦闘があったと判断しているんだがな。
335 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 09:17:28 ID:GviyvV/G
否定する連中は信長公記を絶対間違いの無い史料みたいにいうけれど、
歴代古案より遥かにバイアスかかってるじゃんね。
336 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 09:53:42 ID:18r1mnlk
北陸侵攻が停滞した?どこが?
むしろ巷説言われるほどの大合戦と大損害の敗北があったのなら、織田家の
勢力圏がそれほど後退していないのが謎だ。手取川の後に謙信が越前まで
追撃したなんて創作もいいところだし。
合戦があったかどうかならあったかもと思えるが、巷説の手取川合戦があった
かどうかとなるとかなり疑わしい。
337 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 09:56:17 ID:b2wSmdWh
もしあったのなら総指揮をとった柴田はただではすまなかっただろう
本願寺との天王寺の戦いで惨敗戦死し、光秀らを窮地に追いやった原田直政の一族は戦の後、追放になった
重要な任が果たせなかった者は左遷する事が多いのが信長
もしほんとに合戦とやらがあったなら直ぐに越前国主の首はすげ替えられただろう
もともと七尾城救出が目的であり、城陥落の間者からの報があり撤収した
それなのに上杉方が既に手取川まで出張っているなんて時間と距離、行軍態形から戦闘態形への展開など考慮するとおかしすぎる
もし上杉方が手取川に接近していたのなら先程の間者も七尾城陥落だけでなく、上杉方が接近していることも報ずるだろう
間者の方が重武装した兵団よりは断然早いから柴田側だってたやすく迎撃態勢に入れたはずだ
338 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 10:18:41 ID:GviyvV/G
上杉軍は能登を制圧し援軍を駆逐することで地盤を固めた。
これにより目的は充分に達成しているのだから織田の本領まで食い入る必要はない。
手取川が増水して渡ろうとすると溺れ死ぬ有様だったから追撃も最小限にとどまっている。
織田にしても能登の救援に間に合わなかったのだから早々に退却するのが当然。
状況から見て柴田は迎撃の指揮じゃなくて撤退の指揮をとったのだろう。
信長に独断で無用な迎撃を試みて大破すればそれこそ信長が激怒する。
柴田の状況判断が的確だったから謙信から致命的なダメージを受けずに戦力を温存できたと見るべき。
手取川で血が流れた事実を否定するより柴田の見事な撤退を褒めるべきだろう。
339 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 10:20:49 ID:Kw4H9uhu
上杉の間者のほうも織田の接近を知っていたわけだろうから
それも織田よりも早く そんで足の速い騎兵だけ先行させて撤退している織田を急襲
後から追いついてきた上杉本隊が織田の後備をフルボッコ そんな感じじゃまいか
340 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 10:53:35 ID:EH/znEtO
手取川合戦があったとされる日の前後日の記録とかはないの?
341 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 12:00:00 ID:f62z7iqx
越前の勢力がこの戦いの後で一部上杉になびいたのは事実なんんだよな。
戦いがあったのは事実とみるべきだろう。
342 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 12:45:13 ID:XWEZBeea
>>341 合戦自体が無くとも上杉が能登まで出てきたらそれと呼応するものが元気付くことはあり得るんじゃない?
343 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 13:03:19 ID:f62z7iqx
越中や能登はともかく、
一応織田領であるあの当時の越前までなびいたのは
やっぱりある程度の宣伝材料がないと変じゃないかな。
344 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 17:24:12 ID:boRX/egh
>>340 ない。
信長公記の8月8日の手取川越境の焼き討ちを、上杉信者がムリヤリ、
9月23日の合戦に結びつけた。
織田軍の勝利を、上杉の勝利に摩り替えた。
北越軍談、北越太平記など、江戸時代初期に、手取川合戦の記述はない。
手取川合戦を語り出したのは、米沢藩主の上杉。
345 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 18:34:07 ID:YuTGuhi8
この人は手取川での流血があると困るんですかね…。
江戸当時人気のなかった武将相手に勝利を捏造?
幕府からのお咎め覚悟でやる意味あるのかなあ、それ。
状況としては圧倒的に上杉が勝利なんだが織田が勝利とする根拠は?
そして謙信書状写を偽書扱いするなら、
あやふやな動機よりも史料矛盾をしっかりと突いてくださいよ。
それとも信長公記は漏れのない絶対完璧かつ公平な史料なの?
346 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 18:49:47 ID:18r1mnlk
>>345 絶対完璧とは言わないが、(たしか)「天正五年以降の記録はほぼ完璧」という
評価すら研究者からは受けている。
地方で小部隊と小部隊が小競り合いをしました、ってのならともかく、当時の
大大名同士が万を越す軍隊で激突した(一方は重臣で、もう一方は大名本人が参加)
大合戦が記録にすら無いというのでは、疑念がさしはさまれて当然だと思う。
問題なのは、織田家側の史料どころか、毛利や武田や将軍に本願寺といった、
織田家と敵対している側にすら記録がないというのがさらに倍率ドン。
それほどの大勝利を収めていたのなら、謙信は当然同盟勢力に伝えて然るべきで、
伝え聞いた同盟者もやはり味方や世間に宣伝して士気を鼓舞しようとするのが
この時代の当然。そういった類例は枚挙に暇が無いほどアル。中にはそれほどの
勝利でないものも、政治戦略の一環で「当方大勝利!」なんて宣伝を行ったりも
する(川中島では武田上杉双方が周囲に勝利の手紙を伝えている)。
その痕跡が一切無い。
これで疑問を感じるなという方が無理がある。
347 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 19:05:33 ID:f62z7iqx
>>「天正五年以降の記録はほぼ完璧」
そんなバカな。熊見川の敗戦とか書いてないし、
前田利家の一揆虐殺とか瓦に書かれてかろうじて後世に伝えられたものでは。
誰がそんな事言ってるの?
348 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 19:25:00 ID:YuTGuhi8
手取川がないと言い張る人ほどこの合戦を誇大評価してるよね。
柴田が置き去りにした殿を謙信がぶっつぶして、
おかげで織田軍主力は無傷という小競り合いでしょ、これ。
少なくとも謙信書状はそういう内容。
長年西を目指しようやく織田に一撃を加えた感動が読み取れるけれど、
川中島みたいな決戦じゃないから謙信も自覚していて吹聴しなかった。
ただそれだけ。
それがなんでわざわざ万軍の決戦に捏造して、しかも軍の接触がなかった事にしたがるの?
これっぽっちでも最盛期の織田がダメージを受けるのを認めたくないのか、
とにかく上杉をネガキャンしたいのかよくわからない。
349 :
人間七七四年:2009/01/16(金) 19:26:19 ID:YuTGuhi8
>>347 これはもう織田信者に見せ掛けたアンチ織田かもわからんね。
350 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 00:53:18 ID:v6f3I5Wc
>熊見川の敗戦
ああ、手取川に匹敵する捏造疑惑の合戦ですね。
これも構造は同じで、撤退中に殿に被害が出た、くらいの合戦を、地方誌が
地元礼賛のために侵略者側に大損害を与えたと戦果を過大に過大を重ねて
大勝利に仕立て上げた講談の類の記事。
毛利家(に組する郷土史家)には他にも、六万の後の天下人秀吉が二万の吉川
元春にビビって逃げたとかいう捏造合戦地元マンセーがありましたね。
実際は兵数の時点でまずありえないし、元春はこの合戦に参加していないし、
むしろ吉川軍は攻めていた城も落とせず逆に救援に向った城を秀吉に落とされ
なんの戦果もなく撤退したというのが実情なのに。
351 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 01:12:47 ID:tqjeHEtN
信長公記に乗ってなくて
織田に都合の悪い事は全部捏造ですか。
太田牛一1人が織田家の事柄すべてを網羅できるわけもなく
後年に秀吉に仕えてる事や本人の織田家礼讃志向からしても
公記には多分に手心が入ってる事は明らかなのに。
志賀の陣での記事も朝倉から和議を求めた事にしたり(実際は織田から求めた)、
堅田での坂井の敗死を書かなかったり(当時の公卿の記録からも戦死は明らか。)、
織田に都合のいい脚色が多分に入ってる。
352 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 02:36:23 ID:v6f3I5Wc
>>351 「都合のいいように記録する」ことと、「記録自体が無い」のは全く別なのだが。
それと記録がないのは信長公記だけの問題ではない、と言っているのに、公記の
ことだけを取り出してそにれだけ批判を加えてさも自説が正しいかのように印象
操作をするのは議論としては卑劣な行為ですね。
>織田に都合のいい脚色が多分に入ってる
「織田のものではない史料にも当然、都合のいい脚色が多分に入っている」
そういう当たり前の想像力も働きませんか?
織田の史料は都合のいい脚色・捏造で、反織田の史料なら全ての記述が正しい。
こんな認識がどれほどおかしく、ダブスタに満ちているかも気付けませんか?
353 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 02:40:21 ID:tqjeHEtN
>>352 馬鹿らしい。
毛利側にも上杉側にもしっかり記録は残ってるのに
あんたは信長公記にない、という極めて主観的な理由で
なかったと主張してる。
それがダブスタ以前におかしいといってるんだけど。
太田牛一の書いた後で書かれた意図や脚色の入った2次資料と
同時代資料である書状にある織田の敗戦はどう見ても
同時代資料が優先されるだけの話なんだけど?
いい加減無意味にダブスタというのやめたら?
全然あてはまってないから。
354 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 02:41:22 ID:v6f3I5Wc
ああ途中で送信してしまった。
>太田牛一1人が織田家の事柄すべてを網羅できるわけもなく
その通り、牛一は所詮親衛隊の一員程度の身分。内部事情や信長の私生活など、
知りえないことはいくらもあったでしょう。
しかし、ことは何万もの軍勢がぶつかりあったという世間に表立って行われた
事件です。そして巷説に従えば、大損害を受けた敗戦だと。そんな大事件の
記録が当時の織田家の人間が知りえなかったと考える方が無理があります。
同時に、織田家の他の人間、織田家に味方するもの、敵対するもの、寺社や
公家や商人などの第三者も知らず、記録にも残さなかったなどと?
355 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 02:47:38 ID:tqjeHEtN
>>354 謙信書状でも被害千余りなんだけど。
数万単位の戦いでこれってそこまで大損害か?
どっちにしろ北陸戦線では前田の一揆虐殺とか太田が知らないように、
北陸の事情はかなり太田は疎いけど。上杉や一揆との戦いだってかなり
端折られてるし。第一無断秀吉が撤退した事で敗北したとあれば
後で秀吉に仕えた太田としては無理に書く必要はない事柄でもあるし。
北微遺文では感状がのこされてるし、謙信の言ってる事を多少割り引けば問題なさそうだが。
姉川みたいに織田が過大宣伝しまくって被害が100倍になってるような戦いじゃないんだし
その後北陸が謙信になびいてる事から考えても傍証としても悪くない。
ないとする理由は特にないと思うが。
356 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 09:48:39 ID:rtna5h3j
9月23日に、河川が増水していたってのは変では????????
8月や9月の上旬ならともかく。
357 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 10:03:01 ID:4UHrhjFl
何がおかしいのか説明してくださいよ。
358 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 10:12:02 ID:N7K5zvZu
久しぶりに上がってると思ったら、
アンチの
>>329が沈みに沈んだ昨年12月以来のスレを半月以上も経ってから
あたかも通りすがりのように振舞ってageたレスが発端となっているわけなのか(笑)
それも何度も繰り返されている根拠としては弱い、陳腐な理由を今更挙げて。
もう
>>355さんはじめとする同意の論証でほぼ帰結してる命題なんだけどな。
柴田側の殿が不意打ち喰らって1/30以下の損失を負った。それだけのことだろ。
たったこれだけの事を架空の出来事にしたい理由がわからん。
逆に手取川の夜襲を無かった事とすれば様々な面で矛盾が生じるんだがな。
謙信自ら作成した動員帳に加賀勢の被官化が確認されてるんだが、まさかこれも
捏造とかいうつもりじゃないだろうな。
アンチはまず一向一揆の研究(井上鋭夫)を読んで、其れに対する反証を挙げてくれ。
359 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 10:17:19 ID:4UHrhjFl
論証になってない歴代古案への疑念を感情的に繰り返す様も同じなんだよね。
しかも何度も根拠となりえないと指摘されているのにレスが流れるとまたそれを持ち出す。
それでいて前回の反省を踏まえていくらか材料を揃えているのかと思ったらそれもない。
百回嘘をつけばそれが真実になるなんて今の情報化社会じゃ通用しないと思うんだけれどなあ。
360 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 11:37:47 ID:ZMz4xCcd
そもそもあったのか無かったのかが論点になってる時点で怪しい。
361 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 15:37:51 ID:0o1YqtDY
あった派の根拠になる史料には同時代史料や一次史料が皆無
それでいて一次史料の信長公記にケチをつけるのだから片腹痛い
公記に織田に不利なことは記述していないなどという妄言に至ってはもう処置なし
だいたい同時代史料や一次史料が皆無の出来事は史実としては認められないのは歴史学は当然
362 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 16:21:14 ID:Dzm1x/cl
謙信書状や北微遺文の感状があるじゃん。
実際に信長公記は書いてないことや脚色ある事結構あるし。
しかも信長公記は2次資料だろ。
363 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 17:10:55 ID:a94peSOZ
織田厨の脳内では信長公記が一次資料なのかテラワロタw
364 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:00:46 ID:rtna5h3j
謙信書状や北微遺文
これ1次じゃないだろ。
歴代古案の写しだよな?
365 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:57:50 ID:geusO84b
上杉方の主張通りかはともかく、なんらかの衝突が手取川付近で否定しきることは難しいんじゃないかな?
366 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 00:48:32 ID:hqB1T6+6
>>364 北微遺文のは一次じゃないか?
てか歴代古案のもちゃんと審査されてるもんなんだから
一次といっていいと思うが。
367 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 21:11:50 ID:FusV7j74
北微遺文は、手取り川合戦を描写したものじゃない。。。。。。。。。。
368 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 22:17:22 ID:pzRg/dxg
あったら困るんじゃなくて、捏造されたら困るんだよ。
どう見ても大河絡みだろ。バカらしい。
369 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 22:23:03 ID:pzRg/dxg
従軍慰安婦も、南京大虐殺も、言ったもん勝ちかよ。
NHK、好きそうだよな、そーいうの。
370 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 22:31:08 ID:p3u1XQJU
反証できないのに捏造捏造と繰り返すのはオウムと一緒だよ。
本気で手取川捏造説を主張するなら研究論文にして学会に持っていけるレベルまで完成させてみてはどうでしょう?
今時はトンデモなものでも意外と受け入れられるからちょろいと思いますよ。
371 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 23:29:39 ID:pzRg/dxg
あぁ、つまり”悪魔の証明”を求める、ということだな。
こんな大きな戦争を、紙切れ一枚であったことを証明できるなんざ、都合が良すぎ。
おかしいんじゃね。常識的に考えて。
もっとなんか、あったんなら出せよ。
ないわけないだろ。
話の大きさと資料の少なさにギャップがあるすぎるんだよ。
俺は、戦争は”なかった”とは言わんよ。
そんなこといってないんじゃん。
だから俺は言ってんだよ。まるで南京大虐殺の話みたいだな、って。
372 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 23:34:56 ID:pzRg/dxg
何かしらの接触は、あった。そう考えるのが妥当だろう。
けど、話が大きいわりには資料がなさすぎる。
これは、話が膨らみすぎている、という状況証拠には、なるんじゃないか?
資料を握りつぶしているようにも見えないしな。
それならそれこそ証明が必要だろうよ。握りつぶした、という証明が。
違う?
373 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 23:49:36 ID:p3u1XQJU
また捏造説の人は繰り返すんだねえ。
大きな話じゃないでしょ、手取川なんて。
士気阻喪した織田が撤退、置き去りにされた殿が孤軍奮闘して玉砕、
そのおかげで織田本体は無傷。
こんな小競り合いをなんかの大合戦と勘違いしてるの?
被害は最小限、しかし織田からみて誇れるようなものではない、
だから書状一枚しかないんでしょ、記録が。
それをしつこくなかったことにしたがる理由がわからない。
374 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 23:56:08 ID:pzRg/dxg
いやだからw
ない、とは言ってないだろ!
ただ、数千人死んだって、おかしいぞ。
大体、おまえは勝手に相手を
”捏造説派”にカテゴライズしてるだけじゃん。
妄想と話をしてるのか?意味がわからん。
375 :
人間七七四年:2009/01/18(日) 23:59:28 ID:pzRg/dxg
っていうか、小競り合い、ってことでいいの?
手取川合戦存在派は。
それ、存在を示す資料を否定してないか?
自己矛盾してるだろ。
376 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:35:59 ID:ZqXx9IcY
>>374>>375 >ただ、数千人死んだって、おかしいぞ。
誰がそんなこと言うの?
謙信書状では千余人討ち捕り(死人と傷人と降伏混在。比率は未詳)だよ。人馬際限なく流れも主観表現であり、実数不明。
>小競り合い、ってことでいいの?
いいもわるいも史料をまともに見ればそういう解釈になるんだが。
なんで勝手に手取川の流血を被害妄想みたいに拡大解釈してろくに読んでもない謙信書状を否定するのか。
市川文書を取り出して山本管介が実在したと証明してるのに、
啄木鳥軍師の山本なんて存在しないなんて噛み付いてるのと同じだよ。
377 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 00:43:07 ID:sRAHBzj7
ところが『歴史街道』とか一般向けの歴史雑誌の類なんかだと、特集の文を
小説家の類にも依頼して、結果「信長率いる五万の織田軍を、謙信が半分
以下の一万八千で激突して大勝利!」とかあおり文章をいまだに平気で書いて、
それが読者に伝わっていくからなあ。
378 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 01:32:22 ID:n3XRQfMO
>>377 まあ、たしかにそういうのは問題かもね。
歴史街道とかはとくにそういう傾向が顕著。
新人物往来社の本の場合は、著者によりけりという感じだし。
ま、戦の規模うんぬんは置いといても、能登をめぐる抗争の中で、
加賀の土豪衆を取り込むのには成功しているし、藤丸勝俊などは
軍役も担っている。
そこらへんをどう見るかによっても評価は変わってくる
379 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 05:55:39 ID:ZqXx9IcY
信長率いる、とまではさすがに今じゃ誰もやらんでしょうw
でも手取川なんかはまだ良いほうだよ。
上杉はネガキャンみたいな珍説ばかりが学者に唱えられていて、
とくに景勝家督横取り説や略奪遠征説なんかどうしようもない。
380 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 10:39:39 ID:Bd2HvfXH
柴田が前線で活動開始し、決戦に向けて信長が後詰めを率いて来援予定だったってのは読んだことあるかな
381 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 11:16:34 ID:Qt/5dYrT
まあ歴史小説ではそういうのよくあるわな
382 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 14:55:56 ID:im+Fv/Rp
『目立った討死(溺死)武将がいない』という事実だけで、取り残された少数部隊が襲われただけって皆さんは解釈にしてるけど、
織田全軍が襲われたって可能性だってある、
これは上杉勢に衝突する前にほぼ逃げ切った場合だけど、
例えばいかに手取川が激流でも大人であれば対岸に渡る(流れつく)事は可能だと思う、
単に激流を三万人が船無しで渡っても溺死者は数十人〜100人位でしょ、
それを撤退の混乱や鎧を着けたままと言う条件をつければ千人余って言う数も合うと思う、
名のある武将の戦死が無いのは、例え溺れても周りが助けが入る、
まあ、これも推論の一つに過ぎないんだけどね、
激流がどの程度か解らないしね、
でも解らない事が多いだけに色々考えてみるのも面白い、
383 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 15:03:19 ID:V6vFXT+h
織田全軍だとその前に逃亡した秀吉の処罰が緩いのもわからなくはないけれどね。
384 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 19:08:07 ID:0oWWZ3Rr
日本の川ってのは結構な激流。
もう一つ、唯一の史料では謙信書状でも「織田軍が渡河中に追いついて攻撃した」とある。
あとね、「溺死者は数十人〜100人位でしょ」これって、三万の軍勢からしても、大損害。
385 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 19:27:28 ID:XTEGZj10
今回の大河の天地人では
手取川の戦いで現場に信長や秀吉も居たことにして上杉軍が織田軍を破り上杉謙信最強というストーリーになるに500円!!!
386 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 20:17:01 ID:nHtqSw6q
合戦を伝えるとされる謙信の書状[歴代古案89・越佐史料5-397=抜粋]
当陣之模様無心元候間、内々以飛脚可申候処、此表仕置執紛令延引候、
如啓先書ニ、当月十五、遊佐美濃守守年来以奏者之好令忠信、彼之讒輪ヘ
当手可引入由申候間、何蕨も不入愚入乗移、一日も不抱候、七尾城主ニ候
長対馬一類一族百余人討捕、実城乗取、其外温井備中・三宅備後・内藤王・
平以下身命計相扶、七尾存分之尽ニ入事ニ、同十七、号末森与地モ入手ニ、
是者 賀・能之間之地ニ候間、源五殿、斎藤龍置、当国一変ニ申付候処ニ、
是を信長一向ニ不知、十八、賀州湊川迄取越、数万騎陣取候所ニ、両越・能之諸軍勢
為先勢差遣、謙信事も直馬候処ニ、信長、謙信後詰迄聞届候哉、当月二十三夜中ニ令敗北候処ニ、
乗押付、千余人討捕、残者共悉河ヘ追籠候ケル、折節洪水張故、無瀬、人馬不残押流候、(後略)
天正五年九月二十九日
朝倉始末記、朝倉宗滴話記、などの朝倉氏系統の軍記に似ているな。
二十三っておかしくないか?廿三だろ。
書状にしては、日付がめまぐるしく変化して、まるで第3者が記述したような文体では?
謙信自身が記述しているはずなのに、なぜに、謙信という表現なの?
387 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 20:24:52 ID:nHtqSw6q
388 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 21:09:44 ID:V6vFXT+h
>>386 お前本当に古文書とか読んだことないんだな。
一般に一人称は自らの名前を使うものなんだよ。
廿三じゃなくて二十三と書かれているのはどこのネットで拾ってきた?
歴代古案じゃ九月十九日と書かれているよ。
389 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 21:11:00 ID:V6vFXT+h
あ、後半間違えたよ。ちゃんと廿三と書かれてある。
390 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 22:26:02 ID:lOummBfb
>>386 ちゃんと
「当月廿三夜中ニ令敗北候処ニ、」
になってるけどな。
391 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:20:44 ID:HzrZsXIs
江戸中期以降に、歴代古案が登場。
なんで、戦国終焉して、100年後に、新史料登場するのか?
392 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:23:08 ID:W6mYxTtz
新史料発見じゃなくて、上杉家に関連する文書を調べて転載したものが歴代古案。
もうほんの少しでいいから脳みそ使いなよw
393 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:28:52 ID:xTWGpahy
>>383 秀吉は許されたと言うけど死罪の可能性もあったんでしょ、
しばらく後で逃げた事をなじられてる訳だし、
理由は何であれ敵前逃亡は普通は死罪だし、
単純に信長はまだ秀吉の才能が惜しいからラストチャンスを与えただけかもしれない、
これと敗戦の大きさは無関係とは言わないけど、信長なら損得だけで考える事もありえる。
>>384 謙信の書状には信長軍が渡河中に突撃したとあるだけで、どのタイミングかは不明だよね、
例えば、信長軍の一部が川を渡り始めた状態で上杉軍が発見、
織田軍不意を付かれて混乱総崩れ、
いかに大群とは言え水際にいる状態で陣形も考えず一目散に逃げたなら、渡河の時間はそんなにかからないよね、
で九割九分に逃げった所で上杉軍到着、チラッ攻撃だけでも一応書状の内容と矛盾点は無くなるし、
大規模な戦いにもなるんじゃないかな?
394 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:40:17 ID:dsuBrpHa
手取川って勾配がきつくて急流で有名なんだよね
水害で大きな被害にあってばかりの地域
395 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:46:26 ID:HzrZsXIs
謙信が、信長に勝ったという勲章が欲しいんだろうな。
ここまで上杉信者が必死なのは。
手取り川が語られだしたのは、明治以降だし。
396 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 01:49:57 ID:W6mYxTtz
>>395 信長に勝利したのは手取川みたいな局地戦単体じゃなくて北陸道の制圧だよ。
別に織田と小競り合いして勝利したところで何の勲章にもならんと思うが。
この状況で謙信が押し返されていたらさすがに恥辱だけれどw
逆に一部の信長信者さんは信長が一地方政権に敗北したというのがどうしても許せないのかね。
397 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 02:20:26 ID:xTWGpahy
>>394 手取川は確かに氾濫とか多いけど、この時の川の水量って想像しかできない、
「激流」で人馬とも押し流され〜
って謙信の書状有るけどこの「激流」って一体どれくらい?
濁流なのか?
単に水量が多めなのか?
川を渡って追撃しなかったからある程度水量があったのは確かだろうけど、謙信の書状には主観的な意見しか無くて実際どれくらいの水量だか書かれてないよね?
ちなみにある程度水が速ければ膝ぐらいの高さで歩行不能になる、
逆に自分にはこんなに物証が無いのに局地戦、小競り合いと言い切ってしまうのが解らないなー
398 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 03:25:00 ID:HzrZsXIs
399 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 08:24:59 ID:E6Sj6XOR
400 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 09:10:26 ID:kURZLnKa
ID:HzrZsXIs
こいつ未だにこんな議論にもならない言いがかりつけてんのかw
少しはログ読めよ。それともまともな反証が出来ないから
あえてこればっかり繰り返してるのか。それも定期的にw
401 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 14:39:56 ID:HzrZsXIs
上杉方の史料だと。
上杉謙信自体も後詰のようだし、能登越中勢が先鋒で、織田軍と交戦したなら、
上杉軍先鋒対織田軍先鋒の小競り合い?
謙信自身が信長と交戦した事実はないよな。だって信長は近江にいたのだし。
謙信が越前北の庄まで来たとか、どう考えても捏造だよな。
402 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 14:43:52 ID:HzrZsXIs
403 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 18:05:56 ID:HzrZsXIs
手取り川で溺れたってのは変だよな。しかも9月23日に増水って。
木曽川みたいな海みたいな川幅のでかい巨大な川ならともかく。
404 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 18:18:52 ID:AZgB8kjL
はいはい
405 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 18:20:58 ID:t4r8S0vx
デジャブw
>>391 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/20(火) 00:20:44 ID:HzrZsXIs
↓
>>403 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/20(火) 18:05:56 ID:HzrZsXIs
零時か18時まで(笑)
ご苦労様・・・・・・
カワイソウ(微笑)
407 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 22:45:11 ID:SLCi8QHg
408 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 23:33:45 ID:aoOxhFVL
>>407 いやあ、そのお方は当スレでも無用にて…
409 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 00:34:56 ID:71+HEVRj
要するに小競り合いを上杉側は戦果を捏造してて織田側は小競り合いでも恥だから殆ど資料を残さなかったってことなのかい?
410 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 01:57:22 ID:yGYj4jXs
退却の緊張感ないし、殿の武将も不明だし。
金が崎の退き口と大違い。
4万も率いて大敗とか、ありえない。。。。。。。。。。。
尾張時代ならともかく。
411 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 03:53:50 ID:+gjw2v2Y
>>410 退却の緊張感ないし→なぜ?何かそれを証明する資料あるの?
殿の武将も不明だし→そんなのいくらでも有るでしょ、
4万も率いて大敗とか、→桶狭間より戦力差すくないよ、しかも渡河中に奇襲してる、
謙信の書状千人余討ち取り補、と有るけど実数(討ち取り、捕縛、溺死)不明、
織田軍が壊滅とかでは無いけど、
大軍が何もできずに川向こうに押しだされ、
何の戦果も無く帰ったんだから大敗ではないのか?
412 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 03:55:14 ID:jO/rtGf2
捏造したのは後世の人間で
謙信の誇張した書状は当時どこでもあり非難される事でもない。
勝家の加賀での動向は謙信の活躍と違い歴代古案にもあり
成果を挙げ謙信が動き始めたので帰還したとある。
前任の簗田と違い、この事で信長が処罰した記録は見た事ない。
413 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 05:17:02 ID:+gjw2v2Y
>>412 謙信の誇張した書状は当時どこでもあり非難される事でもない→えっ?
誇張はされてるけど合戦があったって事でいいの?
勝家の加賀での動向は謙信の活躍と違い歴代古案にもあり
成果を挙げ謙信が動き始めたので帰還したとある→これは合戦が無かったってことだよね?
矛盾してるのですが?
414 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 06:52:30 ID:LeHpaZ83
415 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 06:58:52 ID:LeHpaZ83
>>398 手取川はそのずっと後だから
天正元年もってきてもしょうがないと思うが。
てか義景死んだ後の越前支配は越前一揆で崩壊し
一年以上鎮圧に苦労してるじゃん。
>>412 織田の書状が手取川を伏せたとすれば合致する記事なんじゃないか。
数万の兵で撤退で千人余り死んだんなら処罰することでもないだろ。
416 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 09:01:05 ID:UUcR7JSk
>>402 wikipediaの記述訂正しておけよ
417 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 10:28:38 ID:0J0a0y6m
>>415 たとえ雑兵で、一千が死んで帰ってこなかったのなら、処罰はなくとも記録に
残らないほうがおかしい。
ゲームじゃないんだよ?SLGだと百どころか千単位で消失していくけど、現実には
合戦でなく千単位で死者を出したなんて大騒ぎになる。
418 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 10:37:26 ID:UUcR7JSk
>>417 数千人死んだんじゃなくて「討ち捕り」されたんだよ。
「討ち取り」でもないからね。この言葉には「死亡、負傷、捕獲」が混在する。
ひょっとしたら「逃亡」も入るんじゃないかとする解釈もある。
普通に考えればこの中で一番「死亡」が少ない。
419 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 10:37:45 ID:Ys/X2FNM
兵農分離(笑)してた織田軍のことだから
浮浪者同然の傭兵雑兵がいくら死んでも記録に残らんだろ
420 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 13:26:33 ID:GTogw3+o
>>417 SLGって何?なんかのゲーム用語?
そんなものやった事無いからさ、ちゃんとした史学的用語で書いてくれよオタク君。
421 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 17:22:42 ID:gS/XOoRs
戦国時代は戦以外でも飢饉や天変地異、疫病で大勢の人間がバタバタ死んでるのに
何いってんだこのバカは
>>417 いちいち記録なんかつけるかアホ。川中島でさえ大将首のことのみ記録されてるだけで、
実数なんかまるっきりわかってないのにな。
わざわざゲームを引き合いに出してるようだが、これがゲーム脳ってやつなのか。恐ろしや。
422 :
人間七七四年:2009/01/21(水) 18:55:24 ID:6Z8MYqkl
勝家の処罰は被害云々ではなく援軍到着までの防衛任務放棄。
謙信の書状は本願寺や上杉にも関連する記述が見つからいない以上
畿内の情勢悪化や処罰を恐れ隠したとは少し考え辛い。
423 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 01:14:05 ID:mYB52mHc
勝家側が損害を捏造・隠蔽した、という証拠を書かないと。
捏造・隠蔽が決定事項のように語られてる。
謙信英雄史観、って奴?司馬が好きそう。
424 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 10:31:54 ID:CHeLrrRA
誰か勝家側が事実を隠したなんて主張してるか?
見えない論敵と戦うなよw
425 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 21:30:24 ID:UE5Fs3w1
大河ドラマで捏造されそうで恐い。ケンシン最強とか。。。。。
426 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 22:23:32 ID:fTH7EU1d
てめーの脳内妄想がさも唯一の史実であるがの如くに
世間一般に知られている説を真っ向から否定するキチガイばっかでワラタ
こういうキチガイって世間では誰からも相手にされないゴミみたいな存在なんだろな
427 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 22:51:09 ID:1gDBdsLr
オレが謙信公の参謀だったら手取川で織田勢を追撃し木っ端微塵にして
天下を取れたものを。
428 :
人間七七四年:2009/02/01(日) 23:55:25 ID:VtwaecDI
>>425 謙信最強はゲームでも映画でも小説でもドラマでも基本でしょう
429 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 01:43:27 ID:zYdG9leh
>>420 学術板じゃなく趣味板で、顔真っ赤にしてナニ言ってんだよwwwww
430 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 02:15:43 ID:I7Q9v74n
カテゴリとは無関係にこの板は専門知識や関連論文を前提に議論されることは少なからずある。
そういう現状を鑑みずここは趣味板だから歴史学的な議論は無用というならば、
通説への批判や新説の提唱などを完全に排除しないといけませんねw
431 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 02:20:45 ID:8nE9yoLR
みょうな煽り文は大抵チョンだからスルーしとけって
432 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 13:25:24 ID:ZNsgMUes
433 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 20:40:00 ID:NA1mMvXi
今年の大河は信長も秀吉も手取川の合戦にいたことにして謙信に負ける設定になるのかな?
434 :
人間七七四年:2009/02/02(月) 21:45:18 ID:8Zo+R7dc
435 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 17:57:17 ID:BEpeJK3g
>>433 実際は秀吉が逃げて信長が恐る恐る進むんだっけ?
436 :
人間七七四年:2009/02/03(火) 19:07:19 ID:r4h4NLBS
秀吉か?さっきフンドシ一丁で逃げ回ってたけどな。
437 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 22:39:52 ID:xzetJRP0
ごめんなさい
今日の大河で妻武器君が織田軍と戦ってたけど手取川の前に織田軍と上杉軍との交戦ってあったの?
438 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 22:49:23 ID:mkOOpSDX
ありましたよ
妻武器君が逃げる柴田を追いかけて
あと一息で柴田の首を取るという場面でした
おしかったですね
439 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 23:00:29 ID:xzetJRP0
そうじゃなく
ドラマでは能登七尾城を上杉軍が包囲する前に織田軍と上杉軍の交戦がありましたが
あれは史実でしょうか?
史実なら織田軍のどの武将の部隊で、あの場所はどこで、戦いの名前を知りたいんですけど?
440 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 23:23:12 ID:MOn4qqUV
こんなことにわざわざ解答するのも悲しいけれど、
手取川以前に越中や能登で織田と上杉が軍事衝突などありえません。
もちろん情けないのはあなたじゃなくて、
上杉の歴史を扱うドラマなのにこんなぞんざいな史実考証をしているNHKのことです。
441 :
人間七七四年:2009/02/08(日) 23:33:29 ID:mkOOpSDX
だって、何回も負けた事のある謙信を
70戦不敗の武将などとしてるNHKだもん
何を史実考証してるというの?
442 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 00:04:17 ID:lL9xfh5M
小和田哲男は何やってんだ?
受信料から高い金貰ってんだろ。
443 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 00:08:44 ID:9+HR7X49
>>441 ちゃんとした負けの記録は無いだろ。
関東で大敗したとかいうのはうそ臭いし、もう一つは北条が足軽一人討ち取った記録しかない。
444 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 00:23:56 ID:izIt6XkY
武田も川中島は勝利したと喧伝しているが、実態はほとんど致命傷を受けていてボロボロだったもんな。
北条も勝ち戦とか叫びながら戦果を誇ってるけれど、
上杉以上に被害を受けてるんじゃないかね?
445 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 00:53:06 ID:z22EVHlM
さすがにその後も元気に動いてるので致命傷じゃないんじゃ。
土地も確保してるし。
446 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 01:01:37 ID:9+HR7X49
川中島の戦い自体は引き分けだよ。
武田も上杉も互いに勝ったといってるし、土地を確保したのは信玄の政治力であって。
損害を見ても人的損害は武田のほうが多かった。
447 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 01:26:10 ID:ZqPvvf+7
まぁ不戦勝も含んで不敗でしょ。
城攻めを途中で切り上げて帰るのまで敗北認定するバカは無視するよ。
そんなことまでカウントしたら引きこもりヒッキーが最強の勝ち組になるからね。
448 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 03:48:57 ID:Ll05zBZQ
>>433 昔の大河の武田信玄ではワンシーンだけ
手取川で負けた信長が一旗で敗走するシーンがあったねw
449 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 05:07:10 ID:m2B+BzDy
一向衆とかもタブーになってるのかな?
いまだある宗教勢力だし、クレームとかあるのかな
だとしたらもうマトモなドラマ作れないな
450 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 05:11:26 ID:YHwFm4kk
>>446 土地確保による政治と軍事の関係は密接だから、
分離しちゃダメ。
451 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 07:19:40 ID:dUu1/xJo
手取川はあったにしろ雌雄を決める大戦さじゃないよ。
信長は小さな戦いは良く負けてる。
負けと言うのは信長は大局重視だから小競り合いや城攻めの場合時間かかるとか大局に備えるためにサッさと兵を引き揚げたのも入るだろう!
枝葉で負けても幹を落とすのが信長だからいくら謙信が闘神でも最後には負けてたよ。
謙信には壮大なビジョンがないからね!
452 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 07:46:10 ID:m2B+BzDy
書状一枚で手取り川の大勝があったとするなら、臼井城の大敗もあった。
ワガママはいかんよ。
453 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 07:49:19 ID:BFyuOBoV
臼井の総大将は長尾顕長11歳だったんだっけ。
454 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 09:10:47 ID:FR5Fg2dM
>>451 > 謙信には壮大なビジョンがないからね!
どうしてそんなことがおわかりになるので?
どなたにならあるんでしょうか。
455 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 09:34:23 ID:rG4sxcqm
>>446 川中島は謙信の負け
実際謙信は川中島に踏みとどまれず、逃げ去って
北信濃全部信玄に取られてるし
これを敗北と言わずして何を敗北と言うのか?
456 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 09:42:03 ID:seJI2MwG
そもそも人的損害で勝敗を決めるならWW1なんてドイツの圧勝だわな
457 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 10:21:24 ID:ZqPvvf+7
>>455 武田軍を半壊させた後、挟撃を避けただけで、謙信は善光寺近辺に踏みとどまって戦果確認してますが何か?
海津城を持っている武田が領地維持してるに過ぎない。
謙信は海津城を攻める予定すらないのだから領地が戦略目標に無かったのは当然なわけだが。
>>456 近代を持ち出してなにしたいの?
ドイツは降伏したじゃんバカなの?
458 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 10:56:09 ID:a8f9zLse
戦略でも戦術でも負けた手取側は織田の負け
459 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 11:45:18 ID:FR5Fg2dM
手取川は川中島と違って勝敗がハッキリしすぎてるなw
460 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 11:59:55 ID:+vAQa5mk
>>455 土地確保っていっても例の感状は偽文書だし、実際どの程度確保出来ていたのかは
大将どうしの一騎打ち並みに眉唾なんだけど。
461 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 12:06:34 ID:m2B+BzDy
てゆーか、今まで一緒頑張ってきたのを、いきなり裏切って攻めてきたんでしょ?
そんで織田が本格的に上杉征伐に乗り出したら瞬く間に押し返されちゃったんでしょ?
462 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 12:28:10 ID:ZqPvvf+7
>>461 信長が勝手に関東管領を通さずに関東諸将と連絡するようになるなど背信行為をしたから
463 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 12:28:18 ID:z22EVHlM
>>460 例の感状って?
信玄が川中島近辺から北信濃確保してる事は書状にあるけど。
464 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 12:29:51 ID:uYqmVx7g
そもそも織田が足利義昭を追放した時点で敵対してるんじゃ?
465 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 12:39:50 ID:ZqPvvf+7
信長は義昭の息子を擁立したり
義昭に帰ってきて下さいって言ってる間は
まだ破滅的敵対までは至ってないって感じじゃないかな。
まー険悪化してきただろうけど。
>>462と義昭を毛利が本格的に擁立して一向宗と上杉の和睦が成立した辺りから敵対かな。
466 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 15:02:55 ID:+vAQa5mk
>>463 謙信が与えたいわゆる「血染めの感状」は本物で、
信玄が出した感状2通(領地を与える云々)は偽文書という鑑定が
信玄研究の第一人者の柴辻俊六氏等によってなされてるという事。
467 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 16:08:34 ID:BFyuOBoV
つまり武田側は感状も出せないくらいボロ負けしたのか。
468 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 17:06:43 ID:z22EVHlM
>>466 感状はともかく武田が第4回川中島のあとも北信濃にとどまって
上杉勢の残党が北信濃の市川・野尻に入ったのを確認してるのは
武田の書状にある。
武田がこの戦闘の後も踏みとどまり北信濃を確保したのは間違いないかと。
469 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 17:51:48 ID:2Og/vHrR
まあ上杉厨はアホが多いからね
川中島は謙信の完敗なのに
470 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 18:11:08 ID:TZW2tFuG
引き分けが定説で完敗とか言ってる奴はほぼ居ないけどな
471 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 19:19:47 ID:FR5Fg2dM
謙信「かんぱい」
信玄「乾杯!」
景勝「……」
菊姫「おいしうございます」
今頃この人ら雲の上で酒飲んでるんじゃない?
472 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 19:39:31 ID:7p74hUni
史料にあらわれた河越の戦い」
[戦いの年月日] [出 典]
・天文10年(1541) 北条氏康感状(大藤文書)
10月末〜11月初 〃 (平之内文書)
北条氏康感状写(諸州古文書)
〃 (須藤并重田文書)
〃 (古今感状集)
〃 (感状写)
・天文12年(1543)4月 歴代古案
・天文12年(1543)9月26日 北条記・関八州古戦録
・天文13年(1544)4月20日 北条記
・天文14年(1545)9月26日 関八州古戦録・鎌倉九代後記・喜連川判鑑
・天文15年(1546)4月15日 太田家譜
・天文15年(1546)4月20日 上杉憲政書状写(武家事紀)・鎌倉九代後記
・関八州古戦録・喜連川判鑑・北条五代記
北条氏康感状と日時が一致しない歴代古案は、偽書の可能性あり。
473 :
人間七七四年:2009/02/09(月) 21:26:01 ID:FR5Fg2dM
いつもながら>472は必死だなと。
偽書って言葉の意味をどう理解しているのか疑問に思う。
474 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 00:42:27 ID:jDPWncDv
>>471 24歳にもなっても結婚させてなかった甥が
自分の死の直後に結婚した事を
謙信はどう思ってただろうかw
475 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 04:28:59 ID:nVua+/io
史料にあらわれた河越の戦い」
[戦いの年月日] [出 典]
・天文10年(1541) 北条氏康感状(大藤文書)
10月末〜11月初 〃 (平之内文書)
北条氏康感状写(諸州古文書)
〃 (須藤并重田文書)
〃 (古今感状集)
〃 (感状写)
・天文12年(1543)4月 歴代古案
・天文12年(1543)9月26日 北条記・関八州古戦録
・天文13年(1544)4月20日 北条記
・天文14年(1545)9月26日 関八州古戦録・鎌倉九代後記・喜連川判鑑
・天文15年(1546)4月15日 太田家譜
・天文15年(1546)4月20日 上杉憲政書状写(武家事紀)・鎌倉九代後記
・関八州古戦録・喜連川判鑑・北条五代記
北条氏康感状と日時が一致しない歴代古案は、偽書の可能性あり。
476 :
人間七七四年:2009/02/10(火) 20:24:59 ID:G56cBAvs
信長ごとき畿内では通用しても、激戦区の信濃、関東ではゴミ同然。
信玄坊主万歳!
477 :
人間七七四年:2009/02/11(水) 01:12:16 ID:tGK/gMml
テスツ
478 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 02:33:23 ID:cY1q9sHI
大日本戦史(参謀本部)に、加賀手取川の合戦が載ってるな。
479 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 04:48:06 ID:z7BJkW+H
最新の研究によると、手取り川には織田信長自らが精鋭部隊を率いて来ていたらしい。
つまり織田は総力を挙げて上杉と戦い、そして敗れた。
480 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 05:07:39 ID:CquLkmK8
その研究報告はどこに掲載されてるの?
481 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 08:28:59 ID:9Td3p16O
信長の姉川の誇張はすごい。これはガチ。
相手が言ってる被害の120倍殺して浅井長政も討ち取ったという
超過大戦果にまで膨張してる。
だから謙信も同様。
482 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 09:03:15 ID:QjNQbq5V
なんで「だから謙信も同様」なんだよw
483 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 11:14:51 ID:lwPZsbyx
>>481は最後の「謙信も同様」以外はコピペじゃないかw
484 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 16:41:35 ID:QjNQbq5V
この場合最後は「だから信長公記の記述は怪しい」にしないと文章に一貫性が出ないな。
485 :
人間七七四年:2009/02/15(日) 21:12:35 ID:Fc229eVZ
実際に姉川の大勝利は疑問視されてるよな。朝倉浅井勢を散々に打ち破った割には小谷を攻めるような
事は全くしてないし、大将の朝倉景健が敗戦の攻めを負った記録も無い。
何より戦いの三ヵ月後、三好三人衆が挙兵して信長が畿内に出陣するや、即座に義景は3万を超える大軍で山城方面
まで攻め込んできている。勝敗は兎も角、朝倉浅井が大敗北したという通説は殆ど嘘に近い
486 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 19:37:22 ID:E7rzJvLc
そもそも姉川大勝利は徳川が主張している事で
織田は野村で戦と記述してはずだが
487 :
人間七七四年:2009/02/16(月) 19:56:33 ID:oZ1G3drc
信長公記だと
「宗徒一千百余討ち取り」
朝倉や浅井の損害がどれほどかはともかく、勝敗自体は変わらないだろ。
488 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 11:10:25 ID:/QsP37BL
実は朝倉もこの戦いで勝利と主張してたりする。
戦闘面では5分とみる研究者は最近意外に多い。
489 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 12:02:21 ID:RE73HAZa
主張するのは自由だがそれを鵜呑みにするのもどうよ。
もちろん、織田の場合も含めてだがな。
信長の主張はうそばっかりとけちつけて(実際に嘘はあるわけだが)、
朝倉の主張はそのまま受け取るって。
490 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 12:49:44 ID:PuznEVFm
野村合戦が織田・浅井で三田村合戦が朝倉方の名称だっけな。そもそも徳川なんて織田の
一部隊に過ぎないのにいっちょ前に同盟軍扱いとはね。天下人補正とでも言うべきか
491 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 13:01:52 ID:/QsP37BL
>>489 鵜呑み、じゃないだろ。朝倉浅井の一方的な勝利だなんて誰も言ってない。
双方が勝ちを主張してる事実と信長の書状が誇張入り過ぎてる事、
その他の点から少なくとも戦闘面では5分だったんだろうと研究者は見てるんだろう。
>>490 まあ織田の書状でも徳川が織田の同盟国、というか
重要な一翼として越前勢に当たった事が書いてある。
492 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 16:51:55 ID:t08bOGdT
まあ中身は別として他国の人間が判断するとしたら
最終的に誰が追撃戦をしたのかしていないのかだろうね
493 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 19:17:13 ID:CMFCqyuW
手取川の合戦はないよ。
歴代古案では、湊川。
信長は、9月27日に安土付近におり、23日に手取川にいるはずがない。
歴代古案と信長公記を合体させて作り出した合戦だよ、これ。
歴代古案は、続群書類従だから、一般に知られていたのは、明治以降だろ。
494 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 19:57:42 ID:UZWhA5TU
495 :
人間七七四年:2009/02/17(火) 23:48:15 ID:CMFCqyuW
手取川の合戦はないよ。
歴代古案では、湊川。
信長は、9月27日に安土付近におり、23日に手取川にいるはずがない。
歴代古案と信長公記を合体させて作り出した合戦だよ、これ。
歴代古案は、続群書類従だから、一般に知られていたのは、明治以降だろ
496 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 00:16:43 ID:iUHE/IHj
本当に寝ながら寝言をいいはじめたぞ。
497 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 00:23:30 ID:itqsdqah
手取川合戦は、織田方が総力戦を仕掛けたにもかかわらず、越後に守りの兵を残した上杉に惨敗した戦い。
498 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 03:48:19 ID:1B7UTntn
謙信ってわりと、和田城攻めとか書状で負けたとかハッキリ素直に書くよね。
武田や北条や織田みたいに誇張したり歪曲捏造はやらんでしょ。
後世から見たら損害を出さないように退却したり、長期の城攻めを嫌がり退却したりするのは別に負けじゃないだろうと思うケースがほとんどなのに。
499 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 10:02:29 ID:hPUl+LjB
合戦ってのは、会合だから、織田方のアリバイは、安土にいたのだから、
合戦が成立しません。
500 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 10:21:42 ID:hPUl+LjB
501 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 12:01:23 ID:TVzQH7J1
>>497 織田は全く総力戦じゃないぞ。あの時、総動員された国は柴田の治める越前だけ。あとは近江・美濃・伊勢の兵を一部加勢させたのみ。
多く見積もっても全体のせいぜい三割くらいの兵力でしかない
502 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 12:16:07 ID:1B7UTntn
しかし動員されたメンバーの顔ぶれを見れば、途中で逃げ出した秀吉を含めてスペシャル級じゃないかね〜。
503 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 15:20:31 ID:hPUl+LjB
何度言えばわかるんだ。信長公記の記述を無理やり、上杉の合戦にあてはめるな。
信長公記では、手取川を越えて、焼き討ちをした。秀吉が勝手に帰った。
とあるだけ。しかも、8/8のことで、合戦のあったとされる9/23よりも
1か月以上前。
10月には。加賀南部の2城を修築、兵力を駐屯とあり。
加賀進出に成功している。
謙信が、越前北の庄(福井市)まで攻め込んできて、その後上杉軍は撤退とか書いてあるものがあるけど、
大ウソだぜ。
504 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 15:37:29 ID:jnDI3ya8
>>503 > 加賀進出に成功している。
それは違うんじゃね?
あの二城はもともと加賀における織田方の橋頭堡じゃなかったか?
505 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 15:55:33 ID:hPUl+LjB
上杉に、信頼のおける1次史料は皆無。
軍記に補足してもらってる実態不明の手取川合戦はずかし。
某軍記では、架空の人物の鬼小島が使者として、信長陣営に赴いたが、
織田軍は撤退したとある。合戦はないし、追撃もない。
506 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 16:04:19 ID:zqvcCfVa
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
507 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 17:22:42 ID:hPUl+LjB
手取川の名前も信長公記由来。
加賀湊川の合戦としなかった理由!!
朝倉宗滴対一揆の合戦とか、全部同じ名前だから。
508 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 18:00:30 ID:iUHE/IHj
信長信者は韓国人かよw
明治まで知られていない合戦だったといいながら、
江戸時代の軍記に書かれていたのを認めてるのはどうなんだい。
姉川みたいに戦果捏造できないから無かった事にしたいんですね?
509 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 18:04:20 ID:/mzVo15y
釣りレスもスルー出来ないなら板に向いてないゾット
510 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 18:50:47 ID:hPUl+LjB
江戸時代の軍記に手取川合戦はないけど。
織田と上杉が対陣したが、夜半のうちに、織田軍が見事に退却したという記述。
これを、歴代古案などのあった派が、織田軍を追撃、越前北の庄まで来た
などというデッチアゲをつくった。
511 :
仙台藩百姓:2009/02/18(水) 19:15:22 ID:7PmT59Om
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
512 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 19:21:45 ID:1B7UTntn
すっかりこのスレでは信長公記は一次資料でつねワロタw
さすが織田厨はアホ。
513 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 19:54:09 ID:zqvcCfVa
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
514 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 20:13:58 ID:COBx8ElG
手取川で謙信にコテンパンに打痛されたのがとても悔しいんだろうな。
515 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 20:17:29 ID:WaJEkKq/
>>513さん
いまだに直江状を偽書だと言っているの?
516 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 20:33:34 ID:+3jtqsHa
一気にスレのレベルを下げる連中が出てきたな
517 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 20:34:44 ID:jnDI3ya8
>>513 臼井はともかく他三点は実情がはっきりしないねえ。
何らかの核はあったんだろうが、虚像で覆われて核が追い出された格好になってる。
518 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 21:04:02 ID:hPUl+LjB
愛の兜も由来書がないうえに、直江が愛の兜をかぶっていたという史料すらない。
神社の自己申告だけ。オレは、ニセモノの気がする。後世の偽作っぽい。
519 :
仙台藩百姓:2009/02/18(水) 21:09:50 ID:7PmT59Om
戦果を誇張というより存在自体が曖昧なものばかりと言うのが
いかに上杉の存在が胡散臭いかを如実に現していますおね( ^ω^)
520 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 21:11:47 ID:hPUl+LjB
521 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 21:16:16 ID:hPUl+LjB
歴代古案は、徳川実紀の引用書目に名前が見えません。いつごろ、登場したのか?
おそらく、一般公開は明治以降。
歴代古案は、写しであり、原本がないというご都合主義。元ネタを改ざんした
可能性十分。
越後流軍学とか関係?
宇佐美定行、鬼小島弥太郎などの架空人物が多いのも上杉。
武田でも山本勘助1人だけなのに。上杉は贅沢な。
522 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 21:30:12 ID:iUHE/IHj
523 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 22:04:24 ID:zqvcCfVa
>>522 読めよwwって、何がどうなのかちゃんと言わなきゃ
524 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 22:57:16 ID:WaJEkKq/
河越の戦いの日付が違うから歴代古案の信ぴょう性は低いっていう指摘あるけど、
写しだから誤りもあるのは仕方ないと思うけど。歴代古案読んだことない人が言
ってるのかもしれないけど、膨大な量の古文書が収録されてるし、一点の史料か
ら全体の信ぴょう性を疑うのはどうかな。かといって手取川の謙信書状がただち
に信じられる書状ということにはならないけど。
その謙信書状では、本人書状なのに文中に「謙信」が何度もでてくるのがおかし
いという指摘もあるけど、自分の名前が出てくるのが一般的でないということな
ら、むしろこの書状が謙信のものという可能性を強めることになる。
謙信は出奔したときの書状には繰り返し「宗心」、若い家臣を戦場から返したと
きの家族あての書状でも「謙信」を繰り返してる。それが謙信の特徴なんだろう
な。ただ、読んだ感じ、日付を軍記物みたいに細かく書いてるのは気になる。
525 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 23:18:09 ID:hPUl+LjB
あやしいのは、信長、謙信、両方が後詰で出兵という記述。
ということは、先鋒同士の激突があったと思うが、上杉の将士の名前が不明って
おかしいだろ。織田は信長公記から引用するとして、上杉は?
また、上杉方の持ち城は、越中の河田が城代の魚津城だけだろ。
これも、織田の斉藤新五に敗北して、越中は織田領になる。
加賀の持ち城不明。能登の畠山は上杉方になったといいながら、
城代を七尾城に置いてない。ということは実質、畠山氏が国主のまま。
織田が能登を接収するくだりで、畠山の武将は出てくるが、上杉はない。
どう考えてもおかしいことだらけ。
526 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 23:24:59 ID:1B7UTntn
527 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 23:37:13 ID:hPUl+LjB
↑
上杉信者のかく乱に注意。
528 :
人間七七四年:2009/02/18(水) 23:42:34 ID:COBx8ElG
そのくらいで許してやれ。
そのうち手取川なんて川は実在しなかったとか、謙信は架空の人物だったとか、
上杉家は実在しなかったとか言い出すぞ。
529 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 00:26:09 ID:GaXMIyTc
ねらー相手ならこの程度の史料調査で議論が出来るとか思ってるんだろーな。
頼むから研究者相手に手取川不在論を出せるまで理論を固めてから出直してくれ。
530 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 00:38:36 ID:c4c2rpKy
合戦自体はあったと”推測”できるけど、では合戦について書かれている謙信書状ほどの戦果があったかは謎ってことだろ?
531 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 00:47:11 ID:VvjlN5LT
>>504 勝家は堀江が一揆と共に蜂起したとして討ち取って鎮圧してるからじゃね
謙信が大聖寺以外に北の庄の和田本覚寺など一揆勢を上杉側とした解釈が
越前まで攻め込んだと飛躍したのが手取川合戦なんじゃねーの
532 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 01:21:36 ID:mm1W3rq9
>>525 七尾城に鯵坂長実
能登の行政は上条政繁と遊佐盛光
越中増山に吉江景資を配置してるのすら知らないのwww
飯田や島倉らに能登珠洲郡内の知行を宛がったり
能登一宮の社領を三宅に預けたりして配置を決めてるし。
533 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 08:15:09 ID:rYSSpARv
>>532 まぁまぁ、
とにかくID抽出してみてみな。 ID:hPUl+LjB
研究本の一冊も読んでないバカだから。近年のアンチ作家頼みで
史料が何かもわからない典型的な2ch型織田厨ね。笑ってあげよう。
534 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 13:01:34 ID:TJ6r4uUj
>>531 どうやら、一揆を上杉方とみなして、謙信が越前まで攻め込んだという
ストーリーになっているんだな。
535 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 13:14:50 ID:TJ6r4uUj
536 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 13:24:12 ID:KFPVbZ0W
被官化しただけだろ…
537 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 14:08:03 ID:TJ6r4uUj
江戸期に偽作されたものも多い。
一揆の坊官が上杉謙信の家臣のわけねえよ。
主君は本願寺なんだから。
538 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 14:10:57 ID:KFPVbZ0W
北陸一向一揆は本願寺が主君だそうですw
539 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 14:20:15 ID:GaXMIyTc
謙信直筆の家中一覧は現存してこの目で見たんだが、
このような超一等史料まで贋呼ばわりするんならこれはもう本物の電波だなw
540 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 15:42:11 ID:TJ6r4uUj
どっちにしろ、一揆が上杉の家臣のわけねえだろ。
一揆と上杉の共同軍事行動は存在しないし。
織田軍と一揆は交戦したが。謙信とはない。
541 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 18:15:35 ID:8IPK018y
一向宗が加賀を死守したお陰で謙信は七尾を攻略できたわけだから、共同作戦といえるんじゃないか
542 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 19:25:25 ID:+2+dXCN6
生暖かく見守ってやれ。
最近、架空戦記本が数多出てるからな。自分の脳内戦記と歴史が違うと
火病起こすんだろうな。
あまり追い詰めると「戦国時代は実は存在しなかった!」とか言い出すかもな。
543 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 19:38:27 ID:SvJ7f5t2
実在する手取川合戦の内実はどうなの?
544 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 01:54:59 ID:QKSRN6Jd
手取川合戦は、ないよ。
545 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 05:08:12 ID:vw56zTcL
本願寺と加賀一揆衆は思いっきり対立しまくってますが?
そもそも主君ってw
まったく一揆の本質を理解してないですね。本願寺と一揆衆に主従関係なんてないから。
しかも坊官との対立の和解斡旋すら謙信がやってるし。
546 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 09:13:00 ID:YwTkuz8E
信野暮厨を煽るのはやめましょう
547 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 09:55:30 ID:PMfFDTfF
北陸一揆は坊官の支配を拒否しても
顕如を宗主と仰ぎ最後まで石山に物資や人員を送り続けているが
何が新説でも出たのか
548 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 12:56:22 ID:QKSRN6Jd
手取川合戦は、ないよ。
上杉の捏造。
549 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 13:58:11 ID:gFTPQUtE
そうなんだ。天下の山内殿は嘘をついてござったか。
550 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 16:17:10 ID:Arbbdt3y
>>547 坊官と国人層の仲はそれほどよくは無かったけど、本願寺自体には忠誠を尽くしてるよな。
加賀は天正8年に平定されるまで裏切りらしい裏切りは無かった。こういった例は珍しい
551 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 18:50:35 ID:QKSRN6Jd
朝倉宗滴は、一向一揆を鎮圧した名将と朝倉始末記は言ってるが。
信長が朝倉を討伐して、越前平定後に、また一揆が蜂起していることから、
朝倉が一揆を内包して共存していたのは明白。
家康のように、一向一揆を完全解体したわけではない。
一揆の利権を公認して共存していたのが実態。
越前、加賀、越中に関しては。
552 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 19:15:06 ID:B3QLZqfP
越すに越せない手取川
553 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 19:27:47 ID:AW9BGGM0
>>551 んで、一日に二回も言った手取川捏造説の根拠は?
554 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 19:47:57 ID:QKSRN6Jd
鬼小島弥太郎は、軍記に謙信の側近として登場しますが、架空といわれています。
宇佐美定行といっしょ。
側近が、架空の人物だらけの上杉謙信。
また、景勝の側近の直江兼続に関する信頼のおける1次史料は皆無。
555 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 21:02:24 ID:L8o6ZC/i
↑
あっそ
556 :
人間七七四年:2009/02/20(金) 22:51:44 ID:QKSRN6Jd
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
557 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 08:57:56 ID:V7QswJyU
はじめてこの板にきてたまたま読んじゃったのですが・・・
患者さんてどこにでもいるのね
558 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 09:03:13 ID:CwdkU5+o
松川も手取川も誇張はあるにしても「なかった」と言える根拠出されてないね。
554なんて全く手取川に触れず、直江の一次史料が皆無などとトンデモ発言。
559 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 11:53:11 ID:tSF9SM8L
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
560 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 11:55:36 ID:tSF9SM8L
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
561 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 11:59:46 ID:oihtB2K8
謝罪・・・ついにどこかの国のようなことを言いだした仙台藩百姓
562 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 12:13:43 ID:tSF9SM8L
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
563 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 16:01:48 ID:5mj78FQy
ついに火病の発作w
「謝罪を求める」だってさw半島思考が炸裂の織田厨w
564 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 17:42:24 ID:9njLBOwe
Wikipediaの手取川の戦いはこの後どうなるの?
565 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 18:02:22 ID:n03iX7ZE
全学者>>>>>>>>2ちゃん在住の百姓と約一名の信長厨
矢田みたいな上杉研究の権威だけでなく、織田研究で名高い谷口をはじめ、
学者で手取川否定説は皆無。
まずはネットじゃなくて学者相手にしろよw
566 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 19:32:26 ID:5mj78FQy
謝罪の要求の次は生活保護の要求だな。
567 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 20:20:10 ID:GmhfIGM9
直江状は昔は桑田忠親とかに偽作とされたのが、今では内容はそのままでないにしても
家康を怒らせる内容の直江書状は実在したとされてるのに、上杉アンチは20年くらい
研究史が遅れてるんじゃないのかな。
568 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 21:19:15 ID:9njLBOwe
否定論を展開している学者は居るんですか?
それとも信憑性のないアンチの遠吠え?
569 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 21:59:38 ID:7fMsiRna
学者で否定論を出しているのは一人もいないね。
ネット以外で否定している奴はいないよ。
570 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 22:37:06 ID:tSF9SM8L
学研の歴史群像の上杉謙信の手取川の合戦のところには、なかったという疑惑
が記述されている。歴代古案の書状1通のみ、という記述も同じ。
よって、なかったと指摘している人はいます。
571 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 22:50:46 ID:tSF9SM8L
また、日付がおかしいという指摘も。
あて先は、後から、加筆したものだという指摘も。
やはり、この書状は改ざんの疑惑が。
572 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 23:07:53 ID:7fMsiRna
>>570 最新の新歴史群像シリーズじゃ、なかったなんて書いてないだろう。
どの人の文章をさして言うんだい?
引用してみな。
573 :
人間七七四年:2009/02/21(土) 23:50:06 ID:tSF9SM8L
最新の新歴史群像シリーズですけど。
本屋に売ってますよ。読んでください。
574 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 00:06:57 ID:kfRrW2o+
超素人向けの歴史群像シリーズをソースにするとかアホくせぇwww
575 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 00:33:22 ID:Gjq7lg+3
最新の新歴史群像シリーズですけど。
本屋に売ってますよ。読んでください。
576 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 06:46:29 ID:QhgDMXVX
純粋に質問なんだがその学者さんたちは「手取川合戦」の内容はどうだったと言ってるんでしょうか?
577 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 08:12:47 ID:sSrggcnq
>>576 ハッキリと「無○った」と言いたいが、新潟県民とかが火病るから言えないでいる
578 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 08:16:50 ID:zWyuelod
「あった」というと、このスレのように信長厨が以下略
579 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 08:23:13 ID:QhgDMXVX
>>578 それでもいいから具体的な会戦内容をお願い。
580 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 08:38:12 ID:6KdmaJxV
歴史群像シリーズも書いてる人によるよ。
あれは研究者じゃなくて歴史作家が書いてることが多い。
歴史作家でも別にいいんだけど、根拠なかったり、軍記物とか
俗説をうのみにしてる場合も多い。
というか史学からいけば手取川があったかどうかはどうでもよく、
それがどういう影響をもたらしたかが大事なので、戦いの有無を
まじめに考察してる人はいないと思う。ただ、歴代古案を信頼の
おけない史料としてるのはあまり聞いたことがない。wikiの手取
川の戦いの項に書いていある歴代古案批判への説明は
>>524の通り。
581 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 09:33:07 ID:sSrggcnq
>>579 無いよ
紀州徳川が甲州軍学に対抗して宇佐美定祐に上杉軍学をまとめさせた時に歴代古案にこそっと捏造を入れただけ
上杉軍学つえーんだぜってね
それだけの事
簡単に言うと
「上杉さんは織田さんを刺したんだぜ
え?織田さん?うん、死んでないよ、ピンピンしてる
目撃者?いないよ、うん、一人もいない
でも見てよこのナイフ、これと同じナイフで上杉さんは織田さんを刺したんだぜ
え?このナイフは俺が今朝ドン・キホーテで買ってきたんだけどさ、でもこのナイフが証拠さ」
って感じだね
それを上杉厨がうるさいから
「んじゃ、小競合いくらいはあったのかもね」
って妥協案を出してあげてるのに
「いーや、あった!謙信つえー」
って奴がいるからハッキリと「無○った」と言いたくなる
582 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 10:19:28 ID:zWyuelod
宇佐美一連の偽造文書や軍記を見たことあるのか?
歴代古案の信憑性ある書状写と比較すれば一目瞭然だが、
手取川を捏造するほどの知識や能力などないぞ。
もしそんなことをやるぐらいなら、軍記にも手取川のことを書いてますわな。
583 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 11:02:07 ID:sSrggcnq
>>582 宇佐美が捏造したなんて言ってないんだが
>もしそんなことをやるくらいなら、軍記にも手取り川のことを書いてますわ
そうだね。無かったんだから宇佐美も軍記に書かなかったんだろうね
本当に手取り川があったのなら喜んで書いてただろうね
584 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 11:22:32 ID:kfRrW2o+
>>580 そもそも川越野戦は無かったと言うより
前後に川越周辺でたびたび小競り合いを繰り返していたものを、後世に混同して一つの戦いにしてしまってるだけで(国府台の戦いも同じように混同があった)
日付がばらばらなのはその証明。
軍記ではさらに川越夜戦に脚色された。
>>581 紀州藩が上杉マンセーで捏造したとするのは、あくまで俗説であり、明確なソースは存在しない。
585 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 13:21:58 ID:Gjq7lg+3
織田信長、豊臣秀吉の本とかには、手取川の合戦は載ってない。
織田の記録にはないから。
586 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 13:46:20 ID:DgA8H85f
もし手取川の合戦があったのなら、秀吉の本には残っていてもよさそうなのにね
秀吉は先見の明があったので、早々と勝手に撤退したとかね
587 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 14:01:29 ID:Gjq7lg+3
絵本太閤記には、越前に上杉が押し寄せるという風聞だけで、
一向に来ないので、他の敵に備えるために帰ったとなっている。
当然、合戦はない。上杉謙信自体、北陸に出兵してないのでは?
588 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 14:28:26 ID:Gjq7lg+3
裁判やれば、はっきりする!
織田=ない。第3者(目撃者)=ない。上杉=ある。
公判が維持できない。
証拠が、書状の写し1通=紙切れ1枚って。。。。。
589 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 14:32:24 ID:kfRrW2o+
織田厨は歴代古案を必死に否定しようとして失敗したねw
歴代古案を見たこともないだろw
信長公記なんて一次資料でもないのに必死にマンセーして笑える。
590 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 14:46:33 ID:Gjq7lg+3
信長公記は、徳川幕府公認ですけど?
591 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 14:52:51 ID:zWyuelod
信長公記が「聖書」や「人間革命」なんだね
このかたには。
592 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 15:32:14 ID:mQpxG4rP
裁判・・・謝罪の要求の次は賠償の要求か?どこかの国と同じだな。
こいつアンチ上杉スレ立てまくってるので注意。
593 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 16:38:13 ID:Gjq7lg+3
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
594 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 19:05:01 ID:G4Q8fuEt
幕府公認だったら藩かんぶとかもじゃないのか?
正史=史実じゃないからな。幕府公認というのがあるのかどうかわからんが。
太田牛一は家康を「家康」って書いたりしてる。
595 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 19:40:34 ID:Gjq7lg+3
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
596 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 20:10:09 ID:DgA8H85f
NHKも相当なアホだな
597 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 21:00:49 ID:MEMh6Mxk
>>564 wiki手取川の戦いの項目を見た。
これは2chの功績なのかはたまたNHK大河での功績なのかは知らないが、他の戦国武将ファンが羨むくらい確り書かれてるね。
もっとも折角だから、もう少し頑張って貰いたいわ。
信長公記では「添川・手取川打越し」って書かれてるよね。
「>自らも(信長)3万の軍勢を率いて出陣した。」これはどうなの?信長自身は安土から動いてないと本で読んだ。
史料の考察だけど、「>歴代古案は、江戸時代に米沢藩が行った修史事業による古文書。」これも違うね。
折角だからもう少し歴代古案自体の考察があっても良いんじゃないかな?
あと秀吉の無断撤退は公記に書かれてる話だけど、これだけヤンチャやった秀吉のその後の足取りを少し調べるべき。
上杉が主張する湊川合戦が9月23日夜中で、千人は打ち取り捕まえその他大勢も川で溺死。
っでやんちゃやった秀吉は9月27日には信長から中国方面の司令官に取り立てられてる。
信長と言えば、上杉より寧ろ松永の動向について精力的に動いてる。
おいおい幾ら信長軍に無尽蔵の兵があるとはいえ、上杉の主張通りなら北陸方面の柴田が全滅状態(死傷率から言って)なのに余裕過ぎるだろ(苦笑
598 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 22:08:21 ID:c+veL/H8
大河どうだったん?
599 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 23:02:33 ID:Gjq7lg+3
桶狭間で、今川軍が戦死者が、2500と言われてる。
首実験で、名前もわかっている。義元自身もだが。
が、上杉は、織田の参戦武将不明、討たれた武将の名前不明。
千人以上戦死だってのに。
600 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 23:29:48 ID:c+veL/H8
桶狭間は突っ込んだ相手が本陣だからねえ。
手取川は殿を千人くらい打ち取ったとかいうなら
打倒なんじゃ。ろくに武将しんでなくても。
601 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 23:41:03 ID:Rmb46VOl
何で信長があたかも出陣したような演出したんだよ大河ドラマは
602 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 23:42:08 ID:yMKFPsr1
>>570 >学研の歴史群像の上杉謙信の手取川の合戦のところには、なかったという疑惑
>が記述されている。歴代古案の書状1通のみ、という記述も同じ。
>
>よって、なかったと指摘している人はいます。
学研の歴史群像・・・・・
ゆとりID:tSF9SM8L君
カワイソウwwwwwwwwwww
603 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 23:56:14 ID:Gjq7lg+3
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
604 :
人間七七四年:2009/02/22(日) 23:56:37 ID:sRh/SEiX
>>598 大河は大河スレに行くといいよ。大荒れになってるw
簡単に言うと
「織田軍3000丁の鉄砲を、雨の日に夜襲をかけるという画期的な作戦で破った
謙信の前に、織田軍は千人以上の死者を出して惨敗しました。しかし義に厚い
謙信は、それ以上敵地を攻めようとしませんでした」
以上、長澤まさみが全部セリフで説明します。
>>599 川中島四回戦も上杉側は「討たれた武将の名前不明」ですね。
じゃ上杉が勝ったの?合戦なかったの?
そう言えば川中島も「討たれた武将の名前不明」の側が戦線離脱して
以後その土地に戻れなくなってましたねw
合戦がなくても戦線が縮小しちゃう事って珍しくないんですねw
605 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 00:01:36 ID:GYrpBKsu
606 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 00:35:58 ID:0QW78+Hf
なぜそれほどの戦果でありながら、織田側はもちろん、上杉側の軍記物にも手取川の勝利話が出ないのだろうか?
607 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 00:41:47 ID:DSkyL3oe
>>604 そんな突っ込みやすいとこ突っ込むなよ揚げ足取りも良いとこ。
だいたい
>>599も良く考えろ、死者2500人って何?と思わんかね普通。
常識的に考えて死者が多すぎるだろう。
今川本陣5000、織田軍2000の一刻程度の野戦で今川方死者2500とか無いから。
人間って簡単に死ぬけど、実際問題簡単には死なないんだよ。
阪神大震災で100万人都市が壊滅して即死者5000人程度だぜ?
広島原爆で50%、長崎で30%だ。
もうね手取川合戦の有無を論じてる時に、論理的に矛盾したこと言って敵に餌やってどうするの?
608 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 02:08:18 ID:KlFyhXgV
>>572 新歴群のは谷口克広氏。
退却時に追撃されて逃げるだけで、みすみす名をなさしめたと。
609 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 02:57:51 ID:Z5XR32md
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
610 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 03:02:41 ID:On8NLHCL
611 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 04:22:20 ID:DSkyL3oe
>>608 おいおい大丈夫なの?なんか段々可笑しくなってきだしたよ?
谷口氏は中学生教師で信長研究で著書も出されてるが、手取川合戦を肯定はしても否定はしていないよ。
飽く迄もあったが小規模戦って事でしょ?
612 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 04:29:03 ID:KlFyhXgV
ああ、俺別人ね。誰が書いてるって書いてあったから丁寧に教えてあげただけ。
613 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 04:29:54 ID:DSkyL3oe
ここで議論してる人は3通り居るね。
@手取川合戦は無かった
A手取川合戦はあったが小規模であった
B手取川合戦は有った
614 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 04:33:57 ID:DSkyL3oe
俺は@派だが、俺が思うのは
・謙信自身が9月23日に手取川まで出向き織田軍と遭遇し戦ってはいない
・織田軍が9月23日に手取川付近で戦闘をし、千を越す死者を出し全滅(先鋒の柴田隊にとって千という数字はそのくらい大きな数字)したような事実はない
・信長自身の認識として織田軍が上杉軍と遭遇し「負けた」とは思ってはいない
・歴代古案のあの一文は偽書状である
(何で日付けが19日なのに23日の事を書いてるのよ?えっ棒一本間違える?書状に付く日付は文中のとは比べ物に成らないくらい大事なものだぞ?そんなもん
いい加減で良いなら誰も署名と一緒に日付け書くかよ。普通に『廿九』と書く)
だいたい上杉軍と直接当たってそんな大敗犯したら、いくら幾らなんでも丹羽を北陸から呼び戻して松永攻めをさせるような事はしないだろJK
(丹羽は九月十日の時点では柴田共に北上を続けて折り連名の書状も発している、信長が大和へ軍を発したのが9月29日、10月10日には松永は自害、丹羽の大和従軍は公記にもあり)
615 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 05:07:21 ID:FRMskouh
>>614 何度も反論されたことばかりじゃん。
> ・歴代古案のあの一文は偽書状である
むしろ偽なら日付ぐらいちゃんと記すだろw
616 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 09:03:59 ID:sLF+Nhoz
>>607 戦闘部隊だけで当時の軍隊は組まれてない。武将の食事などの世話や郷土への連絡のために家人が数人づつ付いてきている。戦闘兵3割に、その他が7割と言われている。戦闘兵3割の死亡率が高くなければ軍隊は崩壊しない。
氾濫した手取川を越えて上杉軍は追撃するリスクは避けた以上、先に逃げ出し渡河した兵は生き残ってるだろう。
>>609 完璧に正確な信長公記←これ(笑)とこですか?
617 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 11:09:00 ID:Brp5Tfmk
>>615 >むしろ偽なら日付ぐらいちゃんと記すだろw
んなこたない製作者が手持ちのソースと妄想で作る分
偽作のほうが圧倒的にミスが多いよ。
618 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 11:23:22 ID:GR+MwjC2
偽書状に多い間違いは、手近に無い諸史料や実際の地理との相違が大きかったり、
時代考証が誤っていたりするところにあり、
書状が自爆的に間違えているというのは聞いたことがないな。
619 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 11:51:11 ID:yMnkMMaS
>>608 それはなかったと言ってることになるのか?
620 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 11:51:39 ID:Brp5Tfmk
書状の写しといわれる物な、書状自体は無い
621 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 12:25:59 ID:CNS+968w
天正5年9月27日に信長は美作の江見為久宛てに書状を送っている。「羽柴筑前を中国方面に派遣するので、それに協力するように」
との内容だ。ここで重要なのは、書状が出された日が手取川合戦のあった日から僅か四日ほどしか経っていないということ。「合戦で大敗した」
という情報が入っていたら、この様な内容の書状を書くであろうか。不可解である。更に言うと、美濃の信忠の軍も手取川の合戦の直後に松永久秀の
討伐のために大和まで出陣している。上杉勢を警戒しているような行動は皆無といってよい。手取川合戦が織田に与えた影響など微々たる物であったといえる
622 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 12:45:43 ID:hfOr/NKF
まあたった一つの本物かどうかも分からない書状だけでなく
その前後の史料も含めて総括的に判断しないとダメだろ
623 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 13:05:30 ID:DSkyL3oe
>>615 おいおい勘違いすんなよ。
謙信クラス署名入りの日付け書状は最重要機密だぜ?
書状一つで国が軍が動けば滅ぶ事がある、伊達の書状問答とか知ってるだろう?
ましてや戦況報告を速達で出すような書状の日付けを間違うような事はない。(これが過去の思い出話なら有り得るだろうが)
なら何故後年に書かれた偽書状は日付けを間違うか?と言えば簡単な事で、『閏月』の関係だよ。
ご存じのように戦国時代当時のカレンダーは各国バラバラで統一されたのは後年だ。
だから日付けの誤りは可なり重要要素なのに、例えば
>>608の谷口氏の文では「>日付けは29日の誤りらしい。」と書かれてる。
当然信長研究者の氏もその問題点を他の研究者と議論したんだろう。
この「誤り”らしい”」という「らしい」は恐らく「らしい(苦笑」と入れたかったと思うよ。
こんな重要問題も「これは日付けの誤りです」「宛名は後筆で日付けも後筆です、あっでも署名は本物ね」(←いや、だから書状自体が二次、三次の写しなんだが…)って言う謙信研究者が多いんだろう。
624 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 13:15:35 ID:DSkyL3oe
失礼、「>(これが過去の思い出話なら有り得るだろうが)」これは違う。
例え過去の話で文中の日付けを間違う事があっても、発給した日付けを間違いうる事はないな(笑
とにかく大名が味方に戦況報告をするのに、発給した日付けを間違うような事があれば書いた右筆は切腹ものですよ。
625 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 15:32:15 ID:sLF+Nhoz
前にも暦が各地域で違うって書かれて反論できなかったくせに、また蒸し返しか?
京と尾張の暦が違くて信長がどちらが正しいか聞いたり
北条は三島暦を使ってたらしいこと
江戸の秀忠が上洛するのに日付がめちゃくちゃで困って、駿府で家康が使ってたの参考にして上洛したりとバラバラ。
626 :
仙台藩百姓:2009/02/23(月) 17:00:50 ID:43hf/F+u
長尾信濃守には、嗣子はなく、上田へ嫁いだ娘しかいなかった。この系統が勝手に山内殿(関東管領)を名乗り、米沢藩を
起こしたに過ぎず、藩祖が依頼して謙信という虚像を捏造したに過ぎない。しかし、江戸時代よりの芝居の種が通例になってしまって
いるのは嘆かわしいものである。
627 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 17:28:58 ID:GR+MwjC2
>>623-624 君はログが流れるたびに論破されたことを繰り返してるなw
謙信書状写は日付以前の問題があって「信長」を「信玄」と誤記しているんだがw
文体や文字の使い方は謙信の他の書状とよく似ているし、
状況説明も空想の産物とはかけ離れたものじゃない。
どうしてもあれを完全捏造のものだとしたい(手取川があるい嫌)みたいだけれど、
捏造する労力と危険の意味があるのかね?
かつて上杉家(吉良、宇佐美ら)は幕府に正史の提出を求められ、捏造だらけのものを出してこれを睨まれたところ
幕臣の入れ知恵で事なきを得た経緯がある。この時提出した軍記まがいの正史は歴代古案とは似ても似つかない低質な出来で
高度な史料集の歴代古案とは根本から異なり、厳格性が強く求められた学術調査の結果であるとわかる。
学術的良心がなくては作りえない史料集だが、それを自ら冒して危険な綱渡りを繰り返し、
そして出来たのが信長みたいな弱将相手の微々たる戦果とは割りに合わず不可解としか言いようがない。
君が何としてもこの書状を偽書にしたいのはよくわかるけれどね。
628 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 18:04:02 ID:6/oVdXWr
確かに捏造だとしたらしょぼいな。
手取川の戦果。
信長の姉川なんか「野も畠も朝倉浅井の死骸ばっかで一々首なんか数えてらんないぜ。
これで江北は平定したも同然だな!」とか言ってるし。
最終的には朝倉浅井合わせて一万四千以上討取って浅井長政も戦死とかいう凄い事になってるし。
誇張というならでかい戦果を出すもんだよね。
信長自身も江戸時代にそれほど高い評価じゃなかったんだし
捏造しても得になったとも思えないし。ましてこの程度の戦果じゃ。
629 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 18:27:50 ID:On8NLHCL
とりあえず手取川合戦がなかったと主張してる学者はいるの?
2ちゃんねらーじゃなくて
630 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 18:42:05 ID:Z5XR32md
手取川合戦単独の研究本すら発行されていない。謙信本に一部おまけで載ってるだけ。
桶狭間のような注目度がないから。
631 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 18:53:20 ID:GR+MwjC2
>>627 日本語がおかしかったので訂正。
>状況説明も空想の産物とはかけ離れたものじゃない
>状況説明も空想の産物のように周辺情勢とかけ離れたものじゃない
>高度な史料集の歴代古案とは根本から異なり、厳格性が強く求められた学術調査の結果であるとわかる
>高度な史料集の歴代古案とは根本から異なり、歴代古案は厳格性が強く求められた学術調査の結果であるとわかる
>>628 本当に捏造なら、勝家、秀吉、光秀の誰かに重傷を負わせるぐらいやりそうだよね。
>>630 桶狭間みたいな重要な合戦は戦国時代にいくつもない。
姉川の合戦だって単体で研究本あるの?
632 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 18:54:17 ID:6m+Ay90r
>>630 それは当然。桶狭間は合戦の経緯はおまけで、信長が飛躍するきっかけに
なった社会的に大きな事件。歴史学上も研究価値がある。
手取川はあったかなかったかは別にして、結局、史学の世界ではさほど大
きな価値のない合戦。だから単独の研究本が出てないとかいうのはこの問
題には関係ない。史料も少ないし、研究するもの難しい。
633 :
仙台藩百姓:2009/02/23(月) 18:59:16 ID:43hf/F+u
手取川どころか上杉謙信という出羽米沢藩の捏造物を大河に登場させるNHKの良識も
甚だ疑問である。
634 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 19:09:32 ID:Z5XR32md
謙信最強を捏造した宇佐美の軍記にも、手取川がないってことは、
手取川合戦があったという認識がなかったのだろう。
635 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 19:12:24 ID:ec+FGFI+
どうした?百姓…何かあったのか?言ってみろよ。相談にのるぞ。
636 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 19:57:16 ID:m6atlYsU
>>633 いつもと口調が違うね。
謙信が米沢藩の捏造だとしたら織田・北条・武田をはじめとする
周辺諸国の書状や記録に謙信が大量に登場するのはなんなんだろう?
637 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 20:04:44 ID:+rvGLvNP
これが噂の似非百姓か?
638 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 06:32:06 ID:wQIbNqVm
大河ドラマでもやっていたじゃん手取川の合戦。
おまけにラストのコーナーでも石碑とか狂歌を交えて紹介。
歴史考証担当の学者、二木謙一も認めたって事?
639 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 08:40:52 ID:Pv2oS10Z
歴史の事象を認める認めないなんてのは学者としてはナンセンス。
例えば大化の改新が今言われているような事が、実際にあったどうかなんてのは解らない。
だけど昔からそう言われてる、そういった記録を元に歴史が作られた事実は事実としてある。
という事が大事であり、実際はどうであったかなどと言うのを歴史家は推測しないのが鉄則。
640 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 09:14:49 ID:LZtLbYb0
>>619 いわゆる手取川会戦はなかったということだろう。
手取川でなんらかの戦闘があり、上杉方が勝利したって方向性に異論を差し挟んでる
学者・研究者はほほんどいないだろう。
641 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 09:35:05 ID:5rfS8NQ0
>>638 時代考証:小和田哲男
風俗考証:二木謙一
642 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:19:34 ID:q7cGc3TZ
加賀地元の史料調査が進まないことにはこれ以上合戦の内情を図り知ることは出来ないね。
643 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:43:34 ID:Al2RoeYz
石碑とか狂歌は、
明治以降の捏造。上杉の記録にない。
644 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 14:49:31 ID:Klrpz9NE
マジレスするとだな
当時手取川という名の川なんて無い
645 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 15:50:56 ID:Al2RoeYz
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
646 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 15:57:43 ID:T47txlsh
ID:Al2RoeYzはマゾなんでしょうか。羞恥プレイを自ら率先してやっておられる。
647 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 18:00:23 ID:Al2RoeYz
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
648 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 18:50:22 ID:JiAsgBlm
加賀松任城を上杉軍が攻めたのは確か
当時の加賀一向一揆は上杉に味方していたので松任城は織田方だったと推察される
松任城は陥落し、一向一揆軍が占領して3年後に柴田勝家に奪回されるまで支配が続く
649 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 20:34:01 ID:Al2RoeYz
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
650 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 23:07:24 ID:CN0WDYKb
本当に嘘も100回言えば…を実践し始めたな。
ここのコピペ厨
651 :
人間七七四年:2009/02/24(火) 23:47:45 ID:T7y0wmOD
>>ID:Al2RoeYzさんの夢が叶いますように♥
652 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 00:46:38 ID:6QK+GAJ4
アクエリアス
653 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 02:35:23 ID:2mm9l6qv
4万も大軍を派遣して戦わずに逃げかえったほうが無様なのにねww
富士川の合戦の平家軍を笑えないじゃんww
能登を平定した謙信がわざわざ南下して松任城を落した所をみると
信長と戦うつもりだったと思う
654 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 02:43:00 ID:6nrKOzSA
松任城に上杉軍がいたなんてことは、信長公記に書いてない。
上杉謙信自体、北陸に出兵した事実はない。
信長公記には、越中の河田が、上杉家臣として出ているだけ。
柴田・佐久間は、加賀の一揆と交戦しており、謙信と交戦した事実はない。
655 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 02:50:08 ID:akLyPkkJ
過去の積み重ねや研究を否定するなら根拠がなくてはいけないが
手取川がなかったという新しい事実がでないかぎり意味ないんだよね
史学的には手取川を否定できないし、する学者はいない
656 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 02:59:53 ID:DNIsU6as
ID:Al2RoeYz
必死になる奴ワロス
馬鹿に見做されると気付かんのかw
657 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 03:02:22 ID:6nrKOzSA
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
658 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 03:14:48 ID:VQ5TKVje
>>655 無かったとする根拠よりも
あったとする根拠のほうがショボ過ぎるわけだが
織田の記録に無い
上杉の記録にも無い
その他の記録にも無い
地元の記録にも無い
1の話を10に膨らませるような軍記物にも登場しない
唯一の手掛かりの書状も現存しない
否定する学者がいない?
みんな手取川を語る一方で根拠が一通の書状しかない事は述べる
それくらいにしとかないと上杉ファンの嫌がらせや抗議が殺到するからだろ
俺らと違って学者さん達は個人情報丸出しなんだから
659 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 03:24:59 ID:akLyPkkJ
660 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 03:36:54 ID:VQ5TKVje
>>659 うん妄想
だからも一回書いちゃう
無かったとする根拠よりも
あったとする根拠のほうがショボ過ぎるわけだが
織田の記録に無い
上杉の記録にも無い
その他の記録にも無い
地元の記録にも無い
1の話を10に膨らませるような軍記物にも登場しない
唯一の手掛かりの書状も現存しない
否定する学者がいない?
みんな手取川を語る一方で根拠が一通の書状しかない事は述べる
それくらいにしとかないと上杉ファンの嫌がらせや抗議が殺到するからだろ
俺らと違って学者さん達は個人情報丸出しなんだから
661 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 03:49:40 ID:4+YXqQe2
>>660 手取川の事は江戸時代以降の資料とかでは
「松隣夜話」「太祖一代1軍記」「謙信軍紀」「日本外史」
とかにあるよん。
載ってない軍記もあるけど乗ってる軍記もあるわけで。
北微遺文の感状はあるよ。
662 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 03:51:23 ID:4+YXqQe2
>>654 >>上杉謙信自体、北陸に出兵した事実はない。
北条さんが何かいいたそうな顔です。
663 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 03:57:09 ID:VQ5TKVje
>>661 よし、では言い方を変えよう
無かったとする根拠よりも
あったとする根拠のほうがショボ過ぎるわけだが
織田の記録に無い
上杉の記録にも無い
その他の記録にも無い
地元の記録にも無い
1の話を10に膨らませるような軍記物にも登場しない(歴代古案編集後の軍記には出てくるが…必死さが伺える。しかし史料的価値は無い)
唯一の手掛かりの書状も現存しない
否定する学者がいない?
みんな手取川を語る一方で根拠が一通の書状しかない事は述べる
それくらいにしとかないと上杉ファンの嫌がらせや抗議が殺到するからだろ
俺らと違って学者さん達は個人情報丸出しなんだから
664 :
仙台藩百姓:2009/02/25(水) 06:31:55 ID:oshztb1n
そうだお。謙信自体が存在しなかった可能性が高いお。
長尾信濃守には嗣子は死んだからいるはずはないお。
上田家が米沢藩の「箔付け」の為の架空の人物だお。おとぎ話の主人公に過ぎないお。
665 :
仙台藩百姓:2009/02/25(水) 09:01:59 ID:oshztb1n
伊達家の縁ある土地に勝手に入り込んだ米沢藩は
謙信という虚像を創り出すことで、自らを正当化しただけだお。
謙信実在説よりも九郎判官殿成吉汗説の方が信憑性は高いお。
666 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 11:58:52 ID:vE7a73SL
最近の研究だと、
伊達政宗も実在しなかった説が有力らしいね、
667 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 12:28:41 ID:k2Vm0uG4
政宗は義姫に暗殺されたんだろ。
668 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 12:36:44 ID:CMeLrK8i
一般的にイメージされる○○は実はそうじゃなかった
って論法なら我が国ですら存在が危うくなるわな
669 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 12:43:18 ID:9HbYxv72
信長公記ではなぜか毛利相手の苦戦が省略されているのですが、
これはなぜですか。
670 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 14:45:32 ID:6nrKOzSA
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
671 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 16:23:44 ID:IFOt/ic3
学会では手取川合戦が実在するとする説はほとんど見当たらないね。
ゲームならともかく戦国板では恥ずかしい主張。
672 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 17:07:43 ID:akLyPkkJ
673 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 18:17:35 ID:6nrKOzSA
手取川の合戦 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の本に記載なし。
上杉謙信の本のみに記載。
674 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 18:24:54 ID:BkMdT78c
>>672 歴史学会では、わざわざ手取川合戦があったかななかったかなんて
論争しないぞ笑
675 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 18:39:36 ID:MdRIFcmx
柴田・佐久間信盛・信忠・明智・荒木細川・丹羽
当時の軍団で大きい順にこんな感じか。信忠は家督相続後でかなりでかい。
天正5年の手取川合戦の前後にあった、根来雑賀と久秀討伐では
柴田軍団以外全部に召集が掛っている。羽柴滝川も根来雑賀と久秀討伐に参戦。
>>200,206,207によると柴田+丹羽(羽柴トンズラ)で動員が前後2会戦より薄い。
何が言いたいかというと、合戦後に対北・謙信アラートを解除して
信忠以下畿内に殺到しているところから見ると
信長は手取川での戦闘を負けと認知しなかった。また実際に損害が無かった。
(1万+の10%が死傷すれば全滅と呼んでもよかろう)
当時JAROが存在しなかったことが、上杉にとってせめてもの救いである。
676 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 18:54:30 ID:CfuHSZ/W
何で大和一国(45万石)の守護の筒井より佐和山5万石の丹羽の方が大きいのさ
677 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 18:58:02 ID:MdRIFcmx
直江兼継が家康の工作員なんて冗談があるが
謙信の「くるくる詐欺」も織田家拘引陽動作戦で
本命は畿内での革命クーデターだったのだろう。
当時畿内で情報宣伝工作が活発になされ、
狂歌の類が流布されたに相違ない。
ただ公家や大僧侶の日記類に手取川戦勝の記載がないのが
解せない。今のマスゴミのような大衆向けのブラフにしてもだ。
678 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 18:59:33 ID:MdRIFcmx
>>676 大和は寺院領が多く、小領主が割拠していた。
秀長が後に苦労する。
679 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 21:21:28 ID:6nrKOzSA
信長公記には、謙信の名前すらないけど。
680 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 21:56:15 ID:nQQ7Eugm
>>679 よかったね。
絶対無比の正史に書かれないから謙信なんて存在しないってことが証明されたね。
謙信がいないんだから手取川も川中島も嘘だね。
681 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:17:35 ID:6nrKOzSA
謙信最強を捏造した宇佐美が、上杉家に仕えたことは注目!!!
682 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:34:55 ID:Kya0lWcG
>>680 謙信が存在しなんて!
武田関連の書状に大量に謙信が登場する事や
他ならぬ信長が謙信に書状を送ってる事はどう説明したらいいんだ!
683 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:39:43 ID:6nrKOzSA
信長公記には、謙信の名前すらないけど。
さらに、上杉軍すら登場しない。
越中、能登、加賀は、上杉の領土などではない、同盟勢力かもしれんが。
織田家の記録では、越中、能登、加賀は上杉の領国とみなしていないし、
一揆や土豪と対立しているだけだ。
684 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:45:14 ID:2mm9l6qv
>>654 信長公記に書かれてないってww
謙信が加賀松任城を落したのは長家家譜に書かれてる
そもそも松任城主の鏑木氏が滅亡してるのは確かだし、地元にも謙信が本陣にした跡地(出城跡)が残ってるから確かだろう
685 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:53:43 ID:MdRIFcmx
>>684 長家家譜
http://www.spacelan.ne.jp/~ishi/cho11.htm さて謙信は同二十九日加州津幡に至り陣す、その勢六千余。
それより松任城を責め、城主鏑木右衛門尉頼信防戦の術を尽くし城陥らず。
謙信思慮を廻し、一万貫(一説に一万石)の所地加恩せしむべきの約束を以て和融事なる。
鏑木家臣白石右近謙信に拝謁す。
謙信右近に脇差しを与う。
ここにおいて謙信松任城に陣す。
七尾援兵既に加州水島に着陣す。
謙信今度七尾において獲るところの首七、倉部・柏野中間に梟し上方勢に視す。
ここにおいて七尾落城の事を察して上方勢は帰陣す。
謙信は年来望むところの一戦勝利手の裏にあり、明旦兵を進めて織田勢を討ち敗るべく、各忠を抽くべきの由下知を
加える。
一番貝に糧食し、二番貝に物具を着し、三番貝に打ち立つべき旨軍令を下す。
その夜城内において猿楽(三番あり)を催し、翌日未明に軍を進めて水島に至る。
時に織田勢悉く退散す。
謙信上方勢甚だ武勇拙きを嘲弄し、引き残れる雑人等数十人を切り捨つ。
猶進んで越前に押し入り、旗を丸岡に進めて民屋を放火し、それより越後に帰陣す。
ふむふむ兵6000か・・ 後半部はリアルだね、米沢藩苦心作のお手紙よりはw
686 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 22:55:24 ID:nQQ7Eugm
勝家らの連名書状で謙信の動静を首尾よく掴めず困惑していたよな?
更に、謙信の兵が加賀の兵を従えて陣を構えたとの情勢も伝えていたが。
しかし一次史料より信長公記が上とするならしかたない。
謙信はいなかったんだから、勝家らは薬でもキメて幻覚でも見ていたんだろう。
687 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 23:17:35 ID:MdRIFcmx
同じく長家家譜(連龍1)
http://www.spacelan.ne.jp/~ishi/cho03.htm# その援将には柴田勝家(略)その勢四万余、
宗先とともに九月下旬安土を発し、十月上旬先陣が既に加州水島まで着陣のところ、
十三人の物見が走り来たり、 「七尾落城と相見え長家一族の首・・・
・・・嘆願したが、秀吉は許容これなし。「その志切なりといえども、
七尾陥城のうえは信長公の御下知なくては私に決し難し」と一戦の旨各評議これあり。
水島より帰陣につき、是非能わず愁憤を押さえ、
掛け置き候首を取り収め、ともに安土へ帰陣なり。
>>685と微妙に食い違うな
688 :
人間七七四年:2009/02/25(水) 23:27:55 ID:MdRIFcmx
天下の書庫・加賀藩の史料いいかげんすぎワロタwww
ネットの文章に誤りが無ければね。
689 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 00:14:00 ID:K8/XIMJs
家譜の類は、軍記と同じ信憑性。
690 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 00:16:24 ID:K8/XIMJs
691 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 00:21:57 ID:jhWdk2H5
信長公記という織田家の家譜だっていい加減だろ
朝倉を滅ぼして越中まで分国にしたと法螺吹いてるからな
692 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 00:25:16 ID:jhWdk2H5
693 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 00:26:59 ID:K8/XIMJs
長氏文献集
責任表示 校訂・解説:太田敬太郎
出版地 金沢
出版者 石川県図書館協会
出版年 1972
形態 222p 図13枚 ; 22cm
注記 昭和13年刊の複製
内容細目 長氏系図,長家家譜,長家古文書類纂,鹿島半郡水帳
全国書誌番号 73010286
個人著者標目 太田, 敬太郎 (1874-1945) ‖オオタ
昭和13年発行の本だろ。長家家譜なんて、大げさな名前つけて。
江戸時代の資料じゃない。
694 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 00:35:08 ID:jhWdk2H5
松任城を1577年から任されたという加賀一向宗の若林長門は、1580年に柴田に討たれて首を安土に送られている(加賀一向一揆の幹部19人も同様)
695 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 00:49:17 ID:O0IH+nM4
>>691 信長公記を織田家の家譜って本気で言ってる?
696 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 01:22:16 ID:jhWdk2H5
信長の娘婿でもある秀吉の命令で信長公記を作ったということで
697 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 01:27:59 ID:jhWdk2H5
無理がすぎたかもしれん
698 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 01:32:51 ID:K8/XIMJs
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
699 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 07:25:14 ID:JtrlDqwj
そのコピペ飽きた
700 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 08:45:18 ID:2pmIetUe
手取川は歴史の研究者なんて目もくれない〜みたいな話あったけど、信長
公記は織豊時代の研究に欠かせない第一級の史料とされてるから信ぴょう
性が高いものであることは間違いない。
ただ、信長公記にないからといって手取川がなかったとするのも性急すぎ
る。太田牛一が日々付けていた記録を信長公記としてまとめる過程で間違
ったり、記憶違いなどで抜けたりしてる場合もあるだろうから。
小瀬ほあんも「太田は忙しかったから抜けてるとこもないこともない」み
たいに言ってる。
701 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 09:07:01 ID:+DiHcUWi
近年じゃ地方史でも信長の研究書でも手取川を取り上げないものを見たことがないな。
特に信長の事跡や戦争は、一枚の書状でしか確認できないものが多数あるわけで、
そういうものをすべて排除したら二級史料の信長公記以外何もなくなる。
702 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 09:51:40 ID:OJba1T/V
誰か信長公記の虚実を検証するのスレを立てたら
703 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 10:05:24 ID:7/s0Y9Rz
>>701 信長公記が2級史料ならそれ以上の一級史料って何さ?
同時代の武士・僧侶・商人が記した日記や書状だって推測や思い込みで書いた記述多いぞ
704 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 12:26:44 ID:B6uYIfer
織田厨がバカなのが理解できました。
はいはい信長公記が一次資料(笑)なんですねわかります。
705 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 13:06:40 ID:y/ZFkyTY
まてww一応言っておくけど
身長公記は一次史料で間違いじゃない
二次なのはノブナガ公記のほうな
706 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 13:08:06 ID:7/s0Y9Rz
だーかーら信長公記以上の一級史料とやらを出してみろって言ってるんだよ。
日本語通じてるのかい?w
707 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 13:14:59 ID:jhWdk2H5
信長公記を編纂した時期には上杉家は有力大名として健在だから
謙信が信長を散々破ったと絶賛することは政治的に難しいと思われ
708 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 13:21:41 ID:y/ZFkyTY
身長が二次以降の史料なら
それの元となる一次資料名あげてみろよw
と言われるぜ?
709 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 13:42:20 ID:40tafweo
信長公記
染谷光廣
「同時代の古文書や日記とともに正しく第一級の史料」
谷口克弘
「織田時代の絵kん灸を手掛ける場合、不可欠というべき史料」
など歴史研究の上でもすでに価値は認められてる。今更スレを
立てて検証することもない。
ただ、谷口氏が「史料として基本的な欠陥があることを忘れてはならない」
としている。天正3年以降は正確性が高くなっていることのことではあるが。
まぁ、信長公記が記録性の高いものだとしても、記述がないだけでは手取川
の戦いがなかった根拠としては弱いと思う。
710 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 13:59:42 ID:p7dxlcza
信長公記に有る無い以前に、上杉方も含めて他のどの史料にも謙信の書状に書いてあるような合戦が記されてない事のほうが問題だと思う
711 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 14:07:37 ID:B6uYIfer
一次資料と第一級資料では天地の差がある。
信長公記は一次資料ではない。
712 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 14:25:24 ID:W4OHWnVy
で、「手取川合戦」の具体的な内容は?
713 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 14:49:53 ID:GSME7us3
だから何も載ってないと何万回言わすんじゃボケ!!
714 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 14:50:47 ID:KeTe4TT0
>>700 信長公記は一次資料じゃないと思うぞ。
同時代に書かれたものじゃないから。
時代が下った後で太田が書いたもんだから。
実際その記述には明らかに織田礼賛が満ちており
織田の不利なところとか書いてなかったり手心加えられたりしてる事が多い。
小瀬がそんな風に言ったとは知らないな。小瀬は太田を評して「歴史なんてバカ正直にかくもんじゃないよw」とか
言ってるけどな。まあ川隅太閤記とかじゃ太田の記述に不備がある事は記されてるな。
記憶違いというか明らかにスルーしてるんじゃないかと思われるところ結構あるけどな。
>>703 同時代で書かれた書状やら記録やらでしょ。
信長公記は明らかに時代が下った後で書かれたものだから2次資料だろ。
>>705 小瀬の信長記と太田の信長公記があるけど太田のは2次で
小瀬のは2次以下だろ。小説なんだから。
>>706と
>>708 当時の書状やら記録やら。
>>709 >>織田時代の絵kん灸を手掛ける場合、不可欠というべき史料
織田家の書状が少ないから信長公記使わないとろくに研究にならないんじゃないだろうか。
でもやっぱり抜けてる所結構あるのよね。
公記を盲信する手あいって信長公記を絶対としてそれに無理やり史実を当てはめようとするからな。
そういうのって見てると痛いのよね。
715 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 14:52:17 ID:K8/XIMJs
↑
キチガイの盲説妄言に注意。
716 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:02:44 ID:+DiHcUWi
信憑性が高い=一次史料=完全無欠の記録かw
信長公記はすごい代物なんですね。
717 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:02:55 ID:KeTe4TT0
718 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:15:37 ID:p7dxlcza
あのな、無いから何も書いてないんだよ
逆に「手取り川で千人も死ぬような戦はありませんでした」なんて書いてあったら、むしろ在ったと考えれるけどな
何もないから何も記録が無いわけよ、織田にも上杉にも地元にもな
信長公記が一次二次言う前に、まずは手取り川で合戦があったと記録する一次史料を言えっての
それだけの合戦があったなら、どっかにあるはずだろ
誰かの日記でもいいからよ
719 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:20:43 ID:KeTe4TT0
>>718 歴代古案や北微遺文や長家家譜でいいじゃん。
720 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:33:48 ID:p7dxlcza
>>719 歴代古案が戦国史の一次史料なんか?
感状とか何の感状なんだよ
普通他にあるだろ、日記とかよ
どっかから戦勝の祝辞とかよ
721 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:38:12 ID:KeTe4TT0
>>720 とりあえず謙信の書状と認定されている以上
一次に近いとみられてるんじゃ。
手取川があったとされる同時期同地域での夜戦における感状。
よっぽど大きな戦いで一方が宣伝しまくらないと祝いとかないもんだが。
722 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:39:58 ID:fgueDiUv
合戦は有ったんだろ多分
すげー小規模なやつだろうけど
723 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:46:36 ID:p7dxlcza
ああ、きっとな
どこにでもあるような小さい小競合いがな
本当に謙信の書状と言われるような内容の合戦があったなら、一番喜ぶのは将軍タマだろうしな
724 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:48:54 ID:KeTe4TT0
謙信書状にしても追撃して千人程度打ち取ったってだけだし。
数万単位の戦いならそこまで大きなもんでもないだろ。
将軍様は毛利の所いるし
725 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:54:14 ID:p7dxlcza
>>724 毛利の所にいるから戦勝を祝う手紙一つ送れない理由がよく分からん
毛利の所にいるから上杉の勝利を記録できない理由がよく分からん
726 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 15:59:02 ID:KeTe4TT0
>>725 北陸での一戦程度、しかもそこまで大きな戦いでもないのに
わざわざ送る必要ないと思うが。
謙信もそこまで大きな戦いと思ってなかったんだろ。
727 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:20:02 ID:p7dxlcza
>>726 千人以上も死んでりゃ充分デカいと思うけどな
謙信の書状の内容が真実だとするならね
その書状が本物だとするならね
728 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:38:59 ID:O0IH+nM4
>>724 ゲームの感覚で語らないように。
万の軍勢で、千が討ち取られたのなら特筆されてしかるべき。
729 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:41:23 ID:hOHxkzH9
この時期の将軍と謙信は、義輝と謙信の時代ほど密接ではないしな。
義昭は遡れば信玄の勝報にすらあんま反応していない。
730 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:44:51 ID:KeTe4TT0
>>727 >>728 織田勢3、4万の中での千だぞ。
30か40分の一なのに特筆とはいかんだろ。
長篠での武田7千で千、三方ヶ原で徳川一万で千から二千となれば
特筆だろうが。
731 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:54:50 ID:p7dxlcza
>>729 信玄の時は信長の手の中にいただろ
謙信の時とは違うだろ
謙信が更に軍を興して上洛したらどうなる?
謙信が将軍になるのか?
違うだろ
ヨッシーが帰洛するだろ
誰でもそう思うだろ
ヨッシー本人だってそう期待するだろ
そうなったらヨッシーから信長に鞍替えしてきた奴らはどうなる?
ヤバイだろ?
何かしらアクションがあるだろ?
なのに何も動きも記録も書状も無いのは異常だろ
ヨッシーも何もしないのはおかしいだろ
732 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 16:56:42 ID:F1PERqHV
>>731 妄想を根拠にしてはダメ
これは鉄則ですよ
733 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 17:00:44 ID:F1PERqHV
たとえば本能寺の変も明智の独断とは考えにくいけど
確たる証拠がないから断定できないよね
734 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 17:01:47 ID:p7dxlcza
>>732 妄想というより、状況から不可解な点を指摘してみたんだが?
謙信が上洛に成功したらヨッシーが帰洛
ヨッシーはそれを期待しないの?
735 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 17:03:54 ID:YO3//vYb
軍事衝突があったのは事実と見ていいと思うんだが。
加賀へも上杉が入り込んできてるわけだし、後、魚津で藤丸勝俊が籠城
してるし、規模はさておいても加賀で上杉氏有利の流れに傾いた出来事が
あったとみていいと思う。
『歴代古案』の例の書状の信憑性を問うなら、具体的にどこがどう問題で、
なにゆえ信用できないというか、ハッキリとした根拠を示さねば話に
ならないぞ
736 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 17:04:02 ID:K8/XIMJs
長家家譜は、1次史料じゃない。気づかないか??昭和13年発行の本だ。
徳川家家譜って変な表現だろ。普通、徳川家譜とかだろ。
737 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 17:09:33 ID:K8/XIMJs
藤丸勝俊は、関係ない。信長公記に出てこないし。。。。
738 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 18:43:29 ID:W4OHWnVy
1.天正4年、謙信、七尾城を攻める。
2.翌年8月、長続連、信長に救援を求める。
3.信長、勝家らを派兵する。
4.勝家ら、敵地である加賀を一揆勢を平定しながら北上。
5.長続連と反目する遊佐続光、温井景隆ら親上杉派が謙信に内応したため七尾城はついに落城。
6.勝家ら、七尾城が開城した事を知り撤退を決意する?
7.「手取川合戦」?
8.勝家は加賀の御幸塚や大聖寺などを固めつつ越前に帰る。(御幸塚や大聖寺は出陣前から加賀における織田の橋頭堡)
9.越前や加賀の一揆勢は上杉に靡き(被官化までいった?)反織田の動きが活発になる。
この流れは確実だと思うんだが、このスレ的に肝心な7.の部分の詳細が不明なんだよな。
6.の時点で勝家が速やかに撤退を開始したのか、多少でも抵抗しようとしてたのかでも結構変わってくるように思えるんだが……
739 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 18:49:50 ID:B6uYIfer
書状が他にないとか言ってるが、そもそも書状が遺ってる事が奇跡の世界なわけだが。
当時発給された書状などの大半は失われていると言われてんだぜ。いま残るのはほんの一部。
長家家譜だって遺ってる資料をまとめた物の現代語訳が昭和になって出版されただけだろ…
740 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 19:23:40 ID:hOHxkzH9
>>731 > 謙信が更に軍を興して上洛したらどうなる?
> 謙信が将軍になるのか?
> 違うだろ
> ヨッシーが帰洛するだろ
上杉だけじゃなくて毛利も動き、織田を潰滅させないと帰洛しないだろう。
にわか上洛で京都で幕府を運営するなんて無理な話。
だから光秀の時もなんもなし。
741 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 19:44:37 ID:B6uYIfer
関東行ったり、七尾城を二度に渡り長期包囲を繰り返し疲弊困憊した上杉軍の進出を止める動きをせずに、わざわざ加賀まで出向きながら越前まで撤退する無駄はやらんだろ。
加賀の領国化を目指すことすらしないのはおかしいね。
勢力均衡が破れ加賀が上杉側に傾く何らかの戦は存在したでしょう。
742 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:04:05 ID:YO3//vYb
>>736 昭和13年発行って、活字化されて刊行されたのが昭和13年だ。
前にも他の大名の史料を、活字化された年に成立→だから捏造とかほざく
やつがいたけど、本気で言ってんのかな。長家家譜の信憑性云々以前の
問題だよ。
>>737 加賀の国人出身の藤丸氏や一揆系の勢力が『名字尽』に記載されてるなど、
加賀衆が明確に家中に組み込まれてるわけだし、加賀でのパワーが上杉方に
傾く何かがあったんでしょうよ。
『信長公記』に出てこないよ、なんて論点がずれてるとしか
743 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:04:34 ID:p7dxlcza
>>740 だからこそヨッシーが何もしてないのが変だと言う
あって然るべき物が一つも無いのがおかしいのだと言う
ヨッシーは帰洛を諦めてるのか?
織田の進退には興味ないのか?
反織田には無関心なのか?
744 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:11:06 ID:K8/XIMJs
名字尽は、著者不明の代物。一向衆の寺院が上杉の家臣に記載されているなど
おかしいことだらけ。
加賀一向一揆の解説で、一揆が上杉の家臣になったなんてこと書いてない。
長家家譜は、江戸幕府時代のものじゃない。
長氏文献集という昭和に発行された本の内容の一部。
大名家の家譜なら、島津家譜、長家譜でなければならない。
745 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:15:40 ID:W4OHWnVy
>>741 > わざわざ加賀まで出向きながら越前まで撤退する無駄はやらんだろ。
> 加賀の領国化を目指すことすらしないのはおかしいね。
加賀はもともと敵地の上、反織田の加賀の一揆勢が上杉の後ろ盾を得て勢いづいた所で上杉を迎え撃つのは危険だろ?
> 勢力均衡が破れ加賀が上杉側に傾く何らかの戦は存在したでしょう。
別に勢力が均衡してたわけじゃないんじゃね?
もともと反織田の上、織田が撤退すれば、上杉に傾くのは別に不思議じゃない。
なんらかの戦いがあった証左にはならないと思う。
もっともオレは別に手取川の戦いはなかったとは思わんがね。
勝家がとりあえず一戦に及ぼうと立ち向かおうとしたのか、単に撤退する織田軍の殿に追いついて何らかの被害を与えたのかはようわからん。
746 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:19:06 ID:W4OHWnVy
>>742 > 加賀衆が明確に家中に組み込まれてるわけだし、加賀でのパワーが上杉方に
> 傾く何かがあったんでしょうよ。
上杉の勢力が能登まで及んだからじゃねえの?
織田に対抗するための後ろ盾ができた。
加賀国内における織田対上杉の戦いの結果上杉に靡いたってわけじゃないと思うよ。
747 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:28:40 ID:hOHxkzH9
>>744 > 名字尽は、著者不明の代物。一向衆の寺院が上杉の家臣に記載されているなど
> おかしいことだらけ。
お前ん中じゃおかしいんだろうけど、あれには矛盾がないばかりか他の史料や論の裏付けになる見事な一級史料だよ
> 加賀一向一揆の解説で、一揆が上杉の家臣になったなんてこと書いてない。
はあ。柴田の書状(宮川文書)に謙信に加賀の兵が参加してるとあるが、これは何?
自分に都合のよい史料だけ絶対化して疑いを挟むことすら禁じるのに、
気に入らない史料はパチモン扱いですね。
あなたの頭こそ中国製もびっくりのパチモンですよw
748 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:32:04 ID:K8/XIMJs
加賀一向衆が、上杉の家臣になって領国化していたなら、
信長公記に、上杉軍が出てこないのはおかしいだろ。一揆って書いてあるんだよ。
能登の畠山氏も上杉方というだけで、上杉の領国化されたわけではない。
信長公記では、七尾城を攻略した際、畠山の家臣の名前しか出てない。
また、越中の一向衆も最終的に信長によって打倒されており、
上杉が領国化していたのは、東部の一部だけである。
能登、加賀、越中中西部は、上杉に靡いた勢力がいたエリアというだけで、
領国化されているわけではない。
749 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:40:55 ID:B6uYIfer
七尾城や松任城を上杉は攻めている以上は七尾城も松任城も織田方の拠点。
落城されまくって味方を見捨てて柴田も敵前逃亡w
750 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:44:01 ID:K8/XIMJs
上杉氏の家臣団については、いわゆる「分限帳」のような史料は残されていないため、家臣名を網羅したような史料や、個々の文書により検討していくほかはないようです。
分限帳は、後世の偽作が多いらしい。名字尽も分限帳の類だろ、おそらく。
一揆の坊主や寺が上杉の家臣って、普通におかしいだろ。
武家の国守を認めずに、一揆ができたのに。
751 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:47:55 ID:W4OHWnVy
>>749 > 七尾城や松任城を上杉は攻めている以上は七尾城も松任城も織田方の拠点。
おいおい。
それでは信玄が村上義清を攻めたから北信濃は上杉の拠点と言ってるようなものだぞ。
752 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 20:55:47 ID:K8/XIMJs
753 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 21:04:52 ID:K8/XIMJs
754 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 21:12:40 ID:K8/XIMJs
755 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 21:42:03 ID:K8/XIMJs
756 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 23:09:33 ID:jhWdk2H5
>>751 たとえがおかしい
能登の長連龍は信長に援軍を求めてる
加賀の一部も織田に味方する勢力が確かにいた
757 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 23:14:12 ID:jhWdk2H5
能登の長一族の所領は没収されて上杉家の直臣に与えられている
それから謙信は七尾城に掟を定めており領国化しているといっていい
寺を家来にするのは変だというが、織田も熱田神宮を家来にしていた
信長公記を絶対化して他の史料をおかしいと考えるのはいかがか?
758 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 23:33:35 ID:W4OHWnVy
>>756 別におかしくないよ。
長連龍が救援を求めたが、それ以前に畠山氏が織田方として動いていたわけでもない。
落ち延びてから頼ったか、危機になった段階で頼ったかの違いでしかない。
> 加賀の一部も織田に味方する勢力が確かにいた
だから何?
759 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 23:40:32 ID:hOHxkzH9
柴田らの書状で、謙信が加賀の兵を加えて陣を構えているとあるが、
この一次史料は信長公記にあわないからマユツバなんでしょうねw
760 :
人間七七四年:2009/02/26(木) 23:46:05 ID:jhWdk2H5
>>758 能登畠山は加賀一向一揆との戦いで織田方になった
古くは信長が足利義昭の名で諸侯に上洛を命じた時に本格的に接触したようだ
761 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 00:54:33 ID:8h2i7eUf
然而武田入道令病死候、朝倉義景於江越境目去八月遂一戦、
即時得大利、首三千余討捕、直越国へ切入、義景刎首、
一国平均ニ申付候、其以来若狭・能登・加賀・越中皆以為分国、
属存分候、五畿内之儀不覃申、至中国任下知候次第、不可有其隠候、
来年甲州令発向、関東之儀可成敗候、其砌深重可申談候、
御入魂尊要候、猶以芳問大慶候、必従是可申展之条、
抛筆候、恐々謹言、
十二月廿八日 信長(朱印2)
謹上 伊達殿
(折封ウハ書)
「謹上 伊達殿 信長」
762 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 01:00:11 ID:29PNB7nk
>>760 織田氏と能登との接触は、この長氏の救援要請までほとんどなかった。
能登の歴史をざっとあげると、上杉派の温井氏、本願寺派の遊佐氏、それに
長氏で守護畠山家を傀儡にしつつ、覇権を競っていた。長氏に関しては、
推測まじりになるが武田と結んでいたのではと考えられる。
天正の頃になると、武田派の長氏+本願寺派の遊佐氏 vs 上杉派温井氏で抗争。
しかし武田が長篠で敗退して勢力を後退させ、替わって上杉が本願寺と
修好して手を結ぶようになると、長氏 vs 温井氏遊佐氏と変わっていく。
強いてあげると、重臣達に追放された畠山義綱は最初は上杉と結んで能登
奪還を目指したが、後捨てられ、信長に保護と援助を求めたようだが信長は
相手にしなかった、という経緯があるが。
>>757 能登は確かに領国化を始めてますね。で、それと加賀国に何の関係が?
763 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 01:07:08 ID:8h2i7eUf
分限帳(ぶんげんちょう) 戦国・織豊(しょくほう)期に大名が作成した
家臣団の名簿。家臣の家格や役割などに応じて、その所領や扶持高
(ふちだか)などを記したもの。
上杉の分限帳が存在しない以上、加賀、能登、越中が上杉の領国であることを
証明するものはない。
764 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 02:15:58 ID:PLw8gHMV
>>750 武家の国主を認めずに一揆が出来たと言う認識自体ちょっと違う。
守護富樫氏は戦国期までちゃんと存在してるし、加賀自体本願寺を
紐帯に結んだ「郡中」と呼ばれる国人一揆が支配の中核を担ってるんだが、
こいつらも決して一枚岩ではない。
>>763 七尾には謙信の腹心ともいうべき、鰺坂長実が城代として入ってるし、
越中の松倉や魚津には上杉氏の重臣が入っている。とくに越中は
河田長親が知行宛行をしているんだが・・・
765 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 02:19:32 ID:y9FAJfe9
一向宗が謙信を屋形と称する書状もあるしなー。
766 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 02:21:33 ID:8h2i7eUf
どっちにしろ、手取川の合戦は架空で、上杉の捏造であることは明白。
767 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 02:34:19 ID:PLw8gHMV
>>766 なにが「どっちにしろ」だよ。
どうも、史系の板ってすぐに「捏造」と喚き散らす手合いが多くて辟易するな
768 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 03:35:44 ID:y9FAJfe9
ここまで話を聞くつもりがないなら、
手取川単体の真偽を論ずるのも無意味だから、
手取川に象徴される北陸における織田信長と上杉謙信の攻防の軌跡を追う
のに話題を切り替えた方がいいんじゃなかろうか。
769 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 05:46:09 ID:r7F2V/W4
>>764 織田厨が言うには加賀の百姓一揆は本願寺が「君主」だそうです(笑)
いつから君主制になったのかは一切、説明せず不明で本願寺は何に即位したんでしょうかね?
>>761 天地人でも越中まで織田領として描かれてましたね。朝倉氏が滅亡した後は、織田の威を恐れて畠山氏も織田に服属してたかも知れないですね。
河内や能登や越中が織田方だから、それに危機感を持った一向宗が上杉と共闘を模索したと。
特に越中は、一向宗・神保・椎名が離合集散と背反を繰り返していたわけだし越中東部は為景が守護代として椎名を被官化してきたので上杉領化してたかも知れないが、
越中西部が織田領化したから
>>761で輝宗に報告した書状に、武田包囲は完成したから来年は甲斐討つよ!越中も分国だしと書かれているのかも。
それが越後の危機になり謙信が畠山氏に介入したと。七尾城や松任城が織田方だから攻められた。
そして軍事衝突の勝敗で加賀まで上杉領国化。
手取川では越前の一向一揆衆の生き残りまで上杉に呼応したので退路が遮断される戦略的危機に柴田は全面撤退。
770 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 07:06:18 ID:T6tM1pmT
織豊期の上杉の分限帳なら、慶長や文禄のならあるじゃん。
矢田たちが出版してたと思うけど。
たしかに謙信時代のは、軍役帳しかないけど。じゃあ信長時代の織田の分限帳って残ってるのか?
771 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 08:47:21 ID:mQkkpGjM
8h2i7eUfの主張はwikiの手取川の項目を書いた人に似ている
772 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 12:02:09 ID:8lDNHCB1
>>738 長家家譜に準拠するなら、7はダンケルクの奇跡だな。
謙信軍松任城攻略直前に柴田軍議で加賀撤退決定、秀吉が離脱、
まあ能登から手取川まで電撃進軍やっったら松任城で小休止だろうな。
で、長家家譜によると秀吉が一番情報を早く掌握していたようだ。
ダンケルクの岬に立ち、海峡の対岸を睨みながら激高するヒットラーw
773 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 12:06:43 ID:8lDNHCB1
越前朝倉攻めの敦賀撤退戦も、織田家は初動が早い。
情報網が整備されていたに違いない。
774 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 12:29:24 ID:BA0rRTqM
>>772 あの後すぐに英国上陸してロンドン侵攻しておれば世界史は一変したかもな
775 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 12:37:13 ID:7tf4U+J1
>>773 敦賀からの撤退は情報入ってから織田が動くまで数日かかってるぞ。
776 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 13:32:01 ID:8k8fm0qw
777 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 14:08:27 ID:r7F2V/W4
1000人討ち死にして、北陸軍が崩壊。以後の加賀進出がそのために大幅に遅れ、織田領だった越中西部、能登、加賀を失い越前が不穏になった。
日本海を退却用の船もなくダンケルクのような奇跡の撤退はできなかった。手取川から飢餓を餓えながら一向宗に襲われながらの悲惨な逃避行になった。
彼ら指揮官層の大半は恐怖に駆られながら、兵を見捨てて手取川から越前府中までの長い距離を謙信の影に怯え基地外のような速さで逃走した。
そもそも河内畠山氏が織田に所属した為に加賀も越中も能登も織田分国になり、その能登畠山当主が幼少ゆえ、その代理としての長氏のたびたびの救援依頼を、
謙信を恐れる信長はうやむやに誤魔化してきた。
ついに七尾城も末期になり、滅亡確定が見えてきた為に長氏は滅亡を悟り、せめて長子を生き残らせる為に包囲を破り信長の元に遣わした。
何とか生きて信長にたどり着き、泣いて支援を頼む為、さすがに誤魔化せないと悟った信長は援軍を派兵。
しかしその行軍は遅々としたもので、まるで七尾城が早く落ちてくれれば、恐ろしい謙信と戦わずに撤退できるのにと言わんばかりのノロノロ進軍。
当然に間に合わず落城し、謙信と戦わずに済み一安心で軍法が緩み、大雨の中、まさか七尾にいる謙信が来ることはあるまいと撤退もユルユルで急襲され壊滅。
あまりにひどい大敗のため信長公記から削除されたのであった。
778 :
仙台藩百姓:2009/02/27(金) 14:35:27 ID:StMLtFK9
(777^ω^)<という妄想をしてみましたお
779 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 14:59:16 ID:rYNUVakQ
手取川付近の松任城を謙信は落としたんだから戦闘はあったんだよ
780 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 15:04:23 ID:rYNUVakQ
長氏が親武田wwww
だから何wwwwwwww
781 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 15:07:39 ID:Q68I4rsl
>>777 ネタはネタとしてその台詞、べんべんと講談調の名調子で、長沢まさみの
九の一にやらせてみたかった
782 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 15:22:49 ID:YWVUzBY0
Wikipediaで、一向一揆研究の基本的な書籍『一向一揆の研究』(井上鋭夫)すら読んでないことがばれてしまったID:8h2i7eUfwww
783 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 18:40:17 ID:JqdZLEcc
というか、ウィキでノートでの議論から逃亡して強行編集とは合戦否定厨、どんだけ馬鹿?
784 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 18:53:57 ID:8ELhssFP
ところで、七尾から湊川まで夜通し駆け抜けたのはまことにご苦労様だが、それに感状発給するとなると全員に配るのが道理となり、財政が破綻するよね。
785 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 19:17:53 ID:7tf4U+J1
>>784 戦功あげなきゃ感状ださんだろJK
秀吉の中国大返しや賤ヶ岳強襲は走った数万の連中全員に
感状出したと思ってるんかい。
786 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 19:24:49 ID:Qzv4vXTN
>>774 欧州制覇の条件はロシアは後回しにしろ、イギリスは先に潰せだからな
787 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 19:28:01 ID:7tf4U+J1
wikiのノートみたけど何あれ。
手取川合戦否定厨の人、あんなにめちゃくちゃなやり方で編集するなんて
正気とは思えん。
なんでこうまでして手取川をなかった事にしたいのか逆に不思議だわ。
788 :
人間七七四年:2009/02/27(金) 20:31:17 ID:JEMV3ERi
こちらでageてる人と論旨がまったく同じだね。Sabkakusikakuさん自重なさいなw
789 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 00:46:20 ID:3nOZ9hJX
790 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 00:55:16 ID:0Nu6W1r9
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
791 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 02:08:51 ID:0Nu6W1r9
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
792 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 10:27:18 ID:HrXQGWnD
最強
793 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 11:48:02 ID:2NADaNha
信長は強烈に謙信と信玄にはビビってたんだお
794 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 15:29:00 ID:ugMQMG3b
>>789 読んだけどさ、
ねえ・・・これ許されていいの?
こんな強引になかったなかったと喚いて
とにかくめちゃくちゃな論理でもいいから叩きに終始すればいいなんてのを
認めて欲しくないんだけど。
手取川なかったというよりあったというほうがはるかに有力だと思うけど。
なんでこの人はここまでして手取川をなかったことにしたいんだ?
795 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 15:48:34 ID:LkNdperZ
>>794 長家家譜によると、両軍団が激突して織田方が敗走なんて激戦は無さそうなんだが。
戦略機動の対立要素
「包囲」対「内線防御」(分散に対する各個撃破機動)
(包囲は完成すれば強力な戦法だが機動中は兵力の分散という欠点がある。)岩波(下)P193
「攻撃者による敵陣地の包囲」
「(防御者)敵の内線に対して起こす行動」
両項いずれかが他に対して優位を占めるなどと断言できるものではない。・・・
彼我の一方が運動を起こせば、その自然的な対抗物として、
換言すれば相手の運動を無効ならしめるいわば解毒剤として、
他方もまた運動を起こすことは自然の摂理だからである。・・・
二通りの方式のうち、最も巧みに運用された方が他に対して優位を占める。
機動の項目では、「包囲」対「内線防御」は同列になっている。将師の腕しだい...
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta01k7.htm 包囲軍・上杉vs内線防御・柴田
上杉馬鹿のひとつ憶え戦術機動で、1万弱の兵力を小松大聖寺そして丸岡と兵力分散、
丸岡まで斥候隊を出して我の不利を悟り、反撃を受ける前に大人しく越後へ撤収した。
竹中半兵衛まんせ
796 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 15:54:06 ID:HgUx6ty1
>>789 これは酷い。このキチガイが編集に関わる前の、
合戦の規模についての議論の余地がちゃんと提示されていた版に戻してもらいたい。
797 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 15:56:14 ID:LkNdperZ
加賀一向宗の抗戦能力が無ければ4万のローラー作戦で
踏み潰す予定だったし柴田もそれを望んだ。名目は七尾救援だが。
加賀一向宗の拠点は尾山を除くと山間部に集中し、
信長から派遣された軍監秀吉はローラー作戦中止を決断した。
一向宗を掃討するには越冬越年が必要だと計算したのだろう。
畿内がごたごたしてる状況でそれは許されない。
柴田勝家はアホなので信長に猛烈抗議した。
で、猿芝居の蟄居謹慎処分w
798 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:03:00 ID:ugMQMG3b
>>795 何をいってるの?
謙信書状にさえ両軍団が激突して織田が敗走なんて書いてないよ。
謙信書状でも七尾を攻略した後で撤退する織田勢を追撃して
千人余り討ち取った、だから人数を差し置けば長家家譜とよく似た流れになる。
下に書いてあるのの意味がよくわからん。
799 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:04:29 ID:ugMQMG3b
>>798の
>>下に書いてあるのの意味がよくわからん。
はこの件とそのリンクとその下のレスがどう関係するのかってのが
よくわからんという意味ね。
800 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:07:49 ID:ugMQMG3b
>>797 羽柴が自分だけ帰って人々から不審がられ、
柴田達は普通に越前残ってるんだけど。
801 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:15:31 ID:LkNdperZ
>>798 十八、賀州湊川迄取越、数万騎陣取候所ニ、両越・能之諸軍勢 為先勢差遣、
謙信事も直馬候処ニ、信長、謙信後詰迄聞届候哉、当月二十三夜中ニ令敗北候処ニ、
乗押付、千余人討捕、残者共悉河ヘ追籠候ケル、折節洪水張故、無瀬、人馬不残押流候、(後略)
有名な謙信の手紙を読んだことが無かったw
織田方の撤収のタイミングがねえ・・・異議あり
802 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:17:26 ID:LkNdperZ
>>800 丹羽滝川両者共、10月10日の松永久秀攻めに参加している
803 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:25:12 ID:LkNdperZ
要は柴田&織田派遣軍が謙信軍主力を見て
逃げ出したというのが誇張だと思う。
そこまで情報収集能力が無いとは考えられない。
派遣軍の先頭が近江入り、ケツが越前府中あたりか。
1000人の首って松任城落ち武者、等々負傷兵の落伍者じゃないかな。
首偽装w
804 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:28:34 ID:LkNdperZ
糞田舎のケンシンが天下の織田軍団に夜襲なんて
生意気なんだよ!百年早いわwwwwwww
805 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:34:17 ID:WFnqRQPQ
その田舎大名に洛中洛外図屏風をはじめ数々の貢物をしてご機嫌伺ってたウツケって誰だっけw
806 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:37:33 ID:ugMQMG3b
>>803 そうじゃなくてな。
七尾の城を救援に行ったら夜中にそれが上杉に攻略された事がわかって
引き返すところを謙信に追撃されたってのが実相だと思うが。
謙信軍を見たから逃げ出した、じゃなくて引き上げてる所を
謙信に追撃されたってのが実相だと思われる。書状や他を見ると。
807 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:37:41 ID:LkNdperZ
>>799 長家家譜に丸岡の村落に放火って記事があるが
内戦防御の体制が既に整っていたのでは、と推測。
手取川東岸から、ほうほうの態で逃げ出したのでは余裕がなくて無理。
まあ、七尾落城以降の時系列、タイミングがなんか整理されていない感じ。
808 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:38:51 ID:ugMQMG3b
809 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:40:21 ID:ugMQMG3b
>>807 いや、その防御体制が整ってたかは正直資料ないだろ。
謙信が追撃して織田勢の尻尾に打撃を与えたってのがそんなに不可解か?
かなり順当な流れだと思うが。
810 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:40:34 ID:LkNdperZ
>>806 >685 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:53:43 ID:MdRIFcmx
長家家譜
http://www.spacelan.ne.jp/~ishi/cho11.htm ここにおいて謙信松任城に陣す。
七尾援兵既に加州水島に着陣す。
謙信今度七尾において獲るところの首七、倉部・柏野中間に梟し上方勢に視す。
ここにおいて七尾落城の事を察して上方勢は帰陣す。
謙信は年来望むところの一戦勝利手の裏にあり、明旦兵を進めて織田勢を討ち敗るべく、
各忠を抽くべきの由下知を 加える。
一番貝に糧食し、二番貝に物具を着し、三番貝に打ち立つべき旨軍令を下す。
その夜城内において猿楽(三番あり)を催し、翌日未明に軍を進めて水島に至る。
時に織田勢悉く退散す。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
謙信上方勢甚だ武勇拙きを嘲弄し、引き残れる雑人等数十人を切り捨つ。
猶進んで越前に押し入り、旗を丸岡に進めて民屋を放火し、それより越後に帰陣す。
811 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:46:06 ID:LkNdperZ
>>809 だいたい敗戦なんて退却中に大半の死傷者が出るし
しかも背水の陣からの渡河撤収。謙信の作文通りなら千じゃすまん。
しずが岳で勝家は盛政の中入れ提案を再三却下し、
実行後も何度も呼び戻している。
天才秀吉竹中が陣中にいるし、そんな無様な退却は有得ない。
812 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:49:31 ID:LkNdperZ
811は柴田の統帥作戦能力ね。
813 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:51:41 ID:ugMQMG3b
>>810 だからそれは上杉勢が攻めていた時は織田勢が既に退却しており、
上杉は残っていた織田勢を討ち取ったと書いてあるだろ?
何が問題なんだ?謙信書状と似た流れだが。人数差し置けば。
しかもその後に越前まで踏み込んでる事書いてあるから
織田は多くの領域を放棄してることになるが。
>>811 だからそれは謙信が追いついたときにはもう既に
織田勢の大半が離脱しかけていたって事だろ?
そんで謙信が到着したとき残っていた連中がやられたと。
何も問題ないと思うが。
814 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:53:35 ID:LkNdperZ
>>813 お前話にならんから責任者呼んで来い
尾張
815 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 16:59:19 ID:ugMQMG3b
>>814 責任者ってなに?まあ終わるならそれでいいが。
816 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 17:05:22 ID:WFnqRQPQ
責任者w
すげえ馬鹿>ID:LkNdperZ
817 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 17:09:01 ID:EROGImDj
手取川以北は織田には敵地だし、七尾が落ちたなら撤収するのが妥当。
しかし七尾陥落の情報が遅れたことは文書で推察されるし、
謙信書状にある通り、手取川は増水して渡河に時間を要したことも疑いない。
その途上へ謙信が精鋭を引き連れたら、千人討ち取りは必然だろう。
俺が織田兵なら絶対に生き残れない自信があるわw
818 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 17:19:39 ID:0Nu6W1r9
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
819 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 17:22:58 ID:LkNdperZ
>>818 責任者キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!!
820 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 17:54:11 ID:0Nu6W1r9
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
821 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 18:05:06 ID:F9YKt5kP
>>813 その後、十月三日には御幸塚や大聖寺を普請して兵を入れたとあるので、
謙信撤退後にまた加賀南部までは取り戻したことになりますね。
まあそもそも、九月二十三日の手取川の後、二十五日には七尾城に戻った
とする記録もある。すると、謙信は三日のうちに加賀から越前に入り、
さらに能登七尾まで帰ったことになる。秀吉の中国大返しなんてまるで
比較にもならない行軍スピードだな。
つまり越前乱入はデマだね。
822 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 18:11:52 ID:LkNdperZ
>>821 柴田は1万5千以下で拠点防御だから、斥候隊ぐらいは越前迄行ってんじゃないかな?
北陸は山間部に裏街道があり一向宗の勢力範囲で、撤収は楽チン。
823 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 18:20:38 ID:LkNdperZ
つーか、本願寺系と越後勢の混成軍なんで
能登越中の国人門徒なら撤収する必要がないし、謙信の指揮を受けたか疑問。
越後勢は降雪前に親不知を・・。船だと北風であぼーん。
824 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 18:23:10 ID:mwlqtRea
825 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 18:31:48 ID:LMjcZ/m4
第3回川中島合戦では謙信は小部隊を以て武田領を荒らしている
826 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 18:48:59 ID:MGiQ3fBD
つか
謙信書状が捏造とか言ってた馬鹿が
長氏家譜で裏付けとられてやんのw
827 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 18:53:54 ID:oSIxv9jT
828 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 19:10:54 ID:EROGImDj
遠からず「長氏家譜は偽書!」と言い始めるだろうw
829 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 19:13:47 ID:CdMNzVCS
つまり手取り川の合戦はあったが謙信が何と戦ったのかは不明ってことだね
830 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 20:05:28 ID:0Nu6W1r9
北越軍記の記述と長家家譜の記述がほぼ同じ。越前丸岡まで進出のへん。
長家家譜は、太田敬太郎が、1938年に作成した本で、長氏の家伝などではない。
当然、幕府に俎上されているはずもない、他家と違って。
831 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 20:17:13 ID:3nOZ9hJX
おい、Sabkakusikakuw
荒らしたIDと同じIDで書き込んで自分が荒らしだって告白するなよwwww
832 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 20:40:26 ID:EROGImDj
予言的中wwwwww
百姓を騙っておいてそれかよ。
833 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 20:47:00 ID:6yHxDrv6
なんだこののび方は!?
代わりに武田上洛スレが過疎ってるぞ(笑)
834 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 20:55:22 ID:LMjcZ/m4
信長公記が偽りの箇所があるから信頼できないとは絶対言わないSabkakusikakuw
835 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 21:02:37 ID:HgUx6ty1
>>830 Sabkakusikaku・・・・・・ID:0Nu6W1r9
カワイソウ(笑)
836 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 21:10:57 ID:hP6DMpcu
>>830 長家家譜と謙信文書の違いがわからんなら退場汁!
両方否定するとは、メンヘルだぞ。
長家家譜=ハードボイルド・ノンフィクション、謙信文書=お花畑の少女コミック、
ぐらい違う。
837 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 21:43:51 ID:EROGImDj
意味不明な例えでもうこれ以上カオスにしないでやってくれww
笑い死ぬwwwww
838 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 22:52:52 ID:0Nu6W1r9
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
839 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 23:03:49 ID:2nPncnUb
狂っている
840 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 23:14:20 ID:MGiQ3fBD
関八州古戦録には謙信は越中・加賀・能登・飛騨・越前の豊原まで切り従え、今年は近江路へ乱入して信長を討つ予定だったが卒中で死んだと書かれている。
841 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 23:20:29 ID:yTfadIxb
あっそう
842 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 23:38:07 ID:0Nu6W1r9
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
843 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 23:40:37 ID:pzxeT/20
別に手取川がなかったとしても、あの当時の信長に普通に喧嘩売って南下していくのは
凄い。 普通の武将には絶対できないと思う。
844 :
人間七七四年:2009/02/28(土) 23:56:39 ID:ugMQMG3b
>>821 その記録は?
仮にそうでも先発隊が移動してる可能性はあるが。
まあ加賀の連中が上杉に助け求めたりして謙信も家臣派遣してるから
加賀までは確実でいいんじゃないか。
>>829 織田家の最後列だろ。明白だと思うが。
>>830 だから家伝として継承されてきたものが1938年に一般向けに発刊されただけで
1938年に作成された事にはならないっての。
それ言ったら書店に並んでる信長公記とか甲陽軍艦とか1980年代とか2000年代とか
普通にあるんだが。
845 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 00:06:40 ID:F8Pd8fiw
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
846 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 00:19:27 ID:uf4JIhQd
本当に「嘘を100回言えば真実になる」を実践し始めたw
847 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 00:25:11 ID:GKILFQ3M
>>840は阿呆の一つ覚えみたいに昨日一日各スレッドで関八州古戦録がどーのこーのと言うのだが、
ここまで来ないでくれ。
信長公記絶対崇拝者と並んでスレッドのレベルがますます下がるからw
848 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 00:26:50 ID:uf4JIhQd
しかしwikiの手取川の記載すごいなw
上杉側の資料に対する憎悪がにじみ出ているw
長家家譜が昭和の時代に発刊されたのは一般向けに発刊されたのが
その時代だっただけでそれ言ったら書店に並んでる信長公記や甲陽軍艦は
1980年代に作られた事になってしまうw
849 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 00:51:49 ID:6qvUWB5g
悪意と執念の塊って感じだよね
編集規制されたら死にそうな勢いw
850 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 00:52:29 ID:F8Pd8fiw
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
851 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 01:24:51 ID:F8Pd8fiw
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
852 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 01:44:46 ID:f0k7YfmO
今日初めてこのスレを見に来たが、思った以上に
Sabkakusikakuが叩かれていてワラタw
賛同者がだれもいないのな。哀れ。
853 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 01:45:40 ID:F8Pd8fiw
もまえら大目に見てやれお( ^ω^)
上杉は謙信最強、軍神、と謳っているものの
実際に謙信はまともに合戦をして華々しい戦果を挙げた事がないお
だから手取川の戦いがどうしても必要なんだお( ^ω^)
例え信長と直接対決していなくても「あの織田に勝った」
という実績を上杉は喉から手が出るほど欲しいのだお
織田なんて戦果や戦国の覇者たる実績が腐るほどあるじゃんお┐ (´ω`) ┌
一度の敗戦が増えたぐらい蚊に刺されたようなものだお
ですので上杉に譲ってあげて欲しいお
上杉にはこれしかないのですお
これだけしかないのですお・゚・(ノω`)・゚・。
松川、臼井、手取川、直江状
早く周りのみんなに謝って下さい
上杉の捏造史には織田だけではなく周囲の皆さんが迷惑しています
謝って下さい
みんなに謝って下さい
854 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 02:27:32 ID:uf4JIhQd
>>852 もはや彼にあるのは反論レスや都合の悪いレスがあったら
コピペを繰り返し続け
「嘘も100回繰り返せば真実になる」というのが叶うのを待つ
だけだと思われる。
855 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 03:06:00 ID:tvRd6tkj
なんかここまでくると、合戦を無かった事にしたい意思が見え隠れするんで
逆に合戦があったのではないかと思い出した今日この頃
856 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 04:57:26 ID:uiSV8MuT
面白いなここは
上洛スレで敗れた武田厨の残党が煽るの図
m9(^з^)
857 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 06:54:45 ID:15XTtGd+
支持者皆無だからSabkakusikakuは反論した奴がみんな同一人物に見えるらしいw
858 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 12:11:04 ID:uf4JIhQd
>>856 上洛スレは負けてなんかいないんだが。
武田派と織田派が拮抗して平行線なんだが。
おおかたろくにみてもいないであおってるんだろうがな。
859 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 12:37:11 ID:KZCvVNUM
ついに編集保護が出たな。
Sabkakusikakuざまあw
しかしそうなるとこっちで発狂秒読み前か?
つかれるw
860 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 13:10:48 ID:wcI9kvqD
Wikipediaの手取川の合戦には狂った奴がいるんだな。
おぉ怖い怖い。
861 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 14:41:26 ID:rB2JlcXJ
アンチ長尾上杉直江の基地害だろうね。
景勝とか貶めてるのも同一人物
862 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 17:05:56 ID:F8Pd8fiw
取り合えず手取川合戦存在擁護派は、『歴代古案内の謙信書状の写し』
の日付けと宛名が解る(ぶっちゃけネットで検索できる)程度の人が出
てくれないと擁護にすらなら無いと思うわ。
863 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 17:21:27 ID:SRGySRpY
>>862 早くwikipediaのノートでみんなにレスしてこいよ。
864 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 17:48:01 ID:phNOPWOT
> 手取川合戦存在擁護派
こういう発想がゆとり世代的だよな。
存在擁護じゃなくて「捏造である」と断定する記述はルール違反だからやめろ、という話なのに。
それをひたすら「捏造説がいかに正しいか」と熱弁をふるってもまったく見当違いで無意味なのに。
865 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 17:57:36 ID:F8Pd8fiw
結局、「謙信の書状」の宛名と日付けを調べもしないような連中が適当な
事を述べて時間を過ごす訳だ。
歴代古案内に集録されてる手取川合戦を記した謙信の書状の宛名と日付け
は、『長尾和泉守』『九月十九日』です。
866 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 17:58:21 ID:F8Pd8fiw
867 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 18:10:09 ID:F8Pd8fiw
2 :人間七七四年:2008/09/27(土) 22:55:28 ID:988q6yfy
またクソスレを立てたのか
で、ありもしない史料が見つかったなどと大ウソを延々と書くのか?
3 :人間七七四年:2008/09/27(土) 23:16:35 ID:LcNPZ81Y
wikipediaをみると「福井県史」なんてのを持ち出してくるのを
見る限り上杉ヲタ必死だなと思わざるを得ない。
868 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 18:12:30 ID:F8Pd8fiw
まあそれにさ常識的に考えて、当時(手取川合戦時)は誰も知らなく
て話題にも載らない謙信公の大勝が、江戸中期になって急に上杉家だ
けに史実として語り継がれるように成ったのは可笑しいと思わない?
謙信公舐めていない?
どんだけ江戸初期から謙信マンセーされてると思ってるの?
将軍家なんてのは無理やり川中島の合戦書物創らせるしさ、対抗した
紀州公も負けじと謙信マンセーするし保科や上杉家入り乱れて家の格
上げたんだから、手取川合戦なんてあったら遠の昔に語り継がれてるよ。
869 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 18:17:03 ID:F8Pd8fiw
史料が謙信の手紙しかない。
しかも日付のあった日以降の事まで書かれていたり、宛名等が後書きだったりとすごい怪しい面もある。
本当に織田に勝ったのなら、信玄が三方原で勝った時のようにもっと宣伝しそうなものだが。
信玄同様、信長を裏切ってかつての敵と組んだわけで、信用を得る材料があれば使うだろう。
870 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 18:26:17 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
871 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 18:35:33 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
872 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 18:48:28 ID:iZ9vAj+g
Sabkakusikakuのバカ、なんかwikiで手取川を載せること自体が問題とか言いはじめてるぞ(笑)
こりゃ手に負えないキチガイが現れたな。早く保健所に連れて行かなきゃ駄目だろ。
873 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 18:53:05 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
874 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 19:22:52 ID:15XTtGd+
875 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 19:26:22 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
876 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 19:33:43 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
877 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 19:56:54 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
878 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 20:20:05 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
879 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 20:52:05 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
880 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 20:58:49 ID:7vPU4FR4
ここ数百ほとんど読んでいないや
881 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 20:59:08 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
882 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 20:59:30 ID:w0F9E+kr
ID:F8Pd8fiw お前精神病院に行った方がいいぞ。
合戦があっても無くてもどちらでも良いが
こういう史学で感情剥き出しは異常。
君の主観で世界は回天しないのだ。
883 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 21:00:04 ID:F8Pd8fiw
取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
884 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 21:02:31 ID:F8Pd8fiw
手取川の合戦だが・・・本当に手取川で合戦が起きたか疑わしかったりする。
なぜなら手取川合戦を記載した良質な史料が、「歴代古案」に収録されている
謙信の書状ただ1つだけなのだ。
完璧に正確な記事を記載している「信長公記」(秀吉の北陸戦線離脱と
信長の激怒に関しては記述有り)をはじめ、当時の北陸の書状や記事に
全くと言っていいほど手取川合戦の記述がないのである。
(後世(主に江戸時代)に書かれた講談的な戦記物には記載満載だがw)
と言うことは恐らく、手取川で謙信軍と柴田勝家軍との間に大規模な合戦など
無かったと思われる。
もし手取川で小規模ながら戦闘が有ったとしても・・・考えられるのは
勝家・謙信両軍共に物見部隊(偵察)などが手取川で小競り合いを
繰り返していたかもしれない…という推測が妥当と言えるだろう。
手取川合戦は我々が想像する程、大規模な合戦ではなく実情は
手取川合戦など無かったか・・・有ったとしても小部隊による局地的な
戦闘であると見たほうがいい。
885 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 21:02:53 ID:w0F9E+kr
所詮歴史学者なんて自己の感情に肉付けするだけの商売だと思うが
お前は感情以外何もない。妄想でもいいからさ、筋道立てて
論理立ててやってくれ。たのむわ。
886 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 21:10:29 ID:KZCvVNUM
やっぱりこっちで一人発狂祭りかw
おい基地害。Wikipediaだけじゃなく、こっちでも締め出し喰らうぞw
887 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 21:20:09 ID:H0BjfoQL
>>869 > 宛名等が後書きだったりとすごい怪しい面もある。
やはりシロウトなんだなw
888 :
人間七七四年:2009/03/01(日) 21:29:51 ID:SRGySRpY
自己主張なら自分のblogでやりゃいいじゃんw
正しい言葉なら百回言わなくても一回でみんなに広まるよ。
889 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 00:16:53 ID:/+bu+BeX
wikiとこちらで暴れてる例の人、
上杉家に信頼できる一次資料がないとか言ってるけど
正気だろうか?膨大な上杉関連の書状はどうなるんだ?
大勢の学者によって編集され現在においてもっとも優れた上杉研究資料の集大成とされる
「上越市史上杉氏文書集」はどうなるんだ?近年の学者の苦労一切無かったことにしてるのか。
しかも信長公記や三河物語を一次資料って…。
どう見ても2次資料だろ。本当に大丈夫なんだろうか?心配だ。
890 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 00:29:58 ID:20gjbcjr
なんていうのかな、論理の展開の仕方がさー、韮沢さんぽいんだよねー。
891 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 00:35:12 ID:/+bu+BeX
892 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 00:55:29 ID:20gjbcjr
893 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 01:15:52 ID:/+bu+BeX
>>892 ほ、ほう、このような奇抜な方がおられたとはのう・・・。
世の中は広い。
紹介ありがとう。
894 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 02:46:09 ID:GZnmH9hW
そんな学者の研究成果を全否定してまで、自説をぶちまけたいんだったら
『日本歴史』なり『戦国史研究』なりの論文を載せる雑誌があるわけだし、
もうちっとライトなものでも『歴史研究』がある。そこらへんの会員に
でもなって、そういう場でやりゃいいんだ。
・・・・・・・・・・まあ、内容が相手にされるかどうかは別として
895 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 09:41:44 ID:iU9RW60k
>>894 こんなキチガイ雑誌社でもお断りだろw
相手してくれるのは精神病院だけだな。もちろん金払えばだけどなw
896 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 10:53:52 ID:z8Bckf3A
897 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 11:28:34 ID:mGLnWWBl
>>896 手取川合戦を抹殺しようとして仲介者に噛み付く狂犬だなw
898 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 12:10:16 ID:kGdu9Bqj
でもまあwikiの前半部分は酷いな
謙信信者うざい 俺は発狂しないが(苦笑
899 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 12:17:56 ID:kGdu9Bqj
酷い部分
(要出典⇒)結果:織田軍の大敗
交戦勢力 上杉軍 織田軍
指揮官 上杉謙信 (要出典⇒)織田信長柴田勝家
(要出典⇒)戦力 約20,000 48,000
(要出典⇒)損害 − 約2,000
柴田勝家を総大将に1万8000の軍勢を先発させ、(要出典⇒)自らも3万の軍勢を率いて出陣した。
織田軍先発隊は七尾城落城を知らないまま(要出典⇒)進軍を続けたが
(要出典⇒)結果、織田軍が2000人近くの戦死傷者、
さらに手取川で(要出典⇒)数千人の溺死者を出す大敗を喫したとされる。
信長の北陸侵攻は、翌年の謙信の死と
それに続く内乱(御館の乱)に乗じて再開されるまで(要出典⇒)停滞した。
900 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 12:19:40 ID:wTKvy62R
900
901 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 12:20:14 ID:wTKvy62R
901
902 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 13:40:04 ID:Mcg5DRMT
>>899 > この合戦で織田軍は大敗、柴田勝家らの有力武将は全員無事であったものの、信長は謙信の存在を恐れたという。
これも結構ひどいわw
903 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 14:00:16 ID:LEUZ1t5b
なんで上杉厨の一方的な言い分のみを載せるんだ?
公平じゃないだろ
904 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 14:02:36 ID:+ORlUYph
905 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 14:15:53 ID:/+bu+BeX
>>903 考察のところで両方の見解載せてると思うが。
906 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 14:24:24 ID:+ORlUYph
907 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 15:26:22 ID:/+bu+BeX
また嘘も100回いえばryて奴ですか。
908 :
人間七七四年:2009/03/02(月) 16:22:24 ID:mGLnWWBl
>>906 近世の江戸時代に西洋式歴史研究術を要求するなんて虚しくない?
909 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 00:50:49 ID:vg7Tv04L
手取川ないない詐欺の荒らしが大河の天地人本スレで自説布教に来てたぞw
あそこなら知識がない初心者が簡単に信じると思っていたようだ。
それって騙してる自覚があるってことじゃん。
910 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 06:29:58 ID:stCXRRKZ
もっとも大河ドラマでやったような「手取川の戦い」はあった可能性はかなり低いんじゃないか?
911 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 09:04:41 ID:5hMynBI2
ドラマで描く合戦なんてどれも脚色が入ってるよ。
あるっていう側は大規模な軍勢のぶつかり合いがあったなんて誰も主張していない。
柴田がこそこそ逃げるところを謙信が猛進してきてその尻尾を食いちぎったと見るのが適切。
こんなどーでもいい合戦程度、謙信にとっちゃ何の誉れでもないが、
一部の織田信者には死ぬほど恥ずかしいことなんだろう。
912 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 09:07:45 ID:5wKLPnkN
>>902 三ヶ月の保護が解除されれば直ると思うけど、削除しようとして荒らした奴にとっては逆効果だったよね。
913 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 12:09:27 ID:K+7MMcM6
>>906 >>出典を明示するという基本がない。
信長公記にもないんですが……。
914 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 12:19:00 ID:SUaYhHxx
>>909 歴代古案_謙信文書のあて先
649 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/03(火) 00:23:35 ID:Wa/uCTDf
>>647 >天正5年9月19日、宛名は長尾和泉守となっていました。因みに、長尾政景は越前守です。
>しかし、『越佐史料』の編集者によると、この宛名と日付は後の時代の追記だと言います。
>長尾和泉守が誰なのか調べましたが、該当者なし・・和泉守を名乗る
>上杉家家臣は、柿崎和泉守影家のみです。彼は天正6年に信長に内
>通した疑いで、謙信に誅殺されています。(もしくは天正2年)
>他に和泉守が居るのか今のところ不明です。
http://history.bbs.thebbs.jp/1192154519/65- >歴代古案の上杉謙信書状の本文中に、謙信自身が執筆しているにもかかわらず、
>謙信という語句が2度も登場し、まるで第3者が執筆しているようである。
布教というより自習の時間になった。アンチのまとめサイトがないので、断片しか見ていないが
アンチサイドに立ってネタ集めすると、結構転がっているな。わりと個々のソースが連環している。
915 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 12:35:42 ID:jFu5XTKU
916 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 12:37:43 ID:K+7MMcM6
>歴代古案の上杉謙信書状の本文中に、謙信自身が執筆しているにもかかわらず、
>謙信という語句が2度も登場し、まるで第3者が執筆しているようである。
これ本気でかいてるのかな。
信玄でも信長でも自筆の書状で普通に自分の名前を文中に使ってるんだけど。
他の大名の書状見たことあるのかなこの人。
917 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 13:03:50 ID:oi9F5IJq
腐ったみかんね
918 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 13:39:19 ID:5wKLPnkN
ごんどはサブ氏が松任城を攻略しました。
謙信の記事は削除。
お館様、大勝利です。
919 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 13:57:43 ID:/4ckCJjG
>>918 まさにネットの国盗り物語だなw
削除よりも反論てんこもりで上杉厨を晒し首にしたいところだが
異論を抹殺するのは、ちょっと寂しい
920 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 18:47:40 ID:5wKLPnkN
921 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 19:21:49 ID:vg7Tv04L
上杉厨とかいってる場合じゃないだろ
織田厨は身内のガイキチを最後まで面倒みてやれよなw
922 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 19:41:38 ID:qQWwg61O
923 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 20:15:58 ID:8J1FVeuM
ついにセンゴクで手取川の戦い編が始まるわけだが
924 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 20:19:38 ID:jFu5XTKU
925 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 21:12:18 ID:oi9F5IJq
あのセンゴクでもやるらしいね
926 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 22:19:52 ID:5yDMcJlz
>>916 中条与次を国元に還すときに親元へ送った書状とかでも
「謙信」と自称してたはず。
まあ、活字化された年を、「この年に編さんされた!だから全部インチキ!」
と宣うような方だからねえ
927 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:24:03 ID:mCXYtt7N
松任城は長氏家譜に載ってるのに
織田廚は何がしたいんだ?
928 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:31:54 ID:jFu5XTKU
長家家譜は、江戸時代に作成されたものではない。
929 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:32:52 ID:42wv5qTd
>>927 彼は孤高の人ですから、誰も彼を止められないw
まあ、wiki手取川合戦書き換えた連中も十分酷いけどな。
中立派・調停役のつもりだったが、
グーグルキャッシュに残っていた編集前の方が好みだから
俺も織田厨になるのかな。
930 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:35:48 ID:mCXYtt7N
931 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:38:14 ID:jFu5XTKU
932 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:39:20 ID:vg7Tv04L
主観しか言わないで第三者の賛意も求めず人を厨扱いするなら当然発言者本人も厨。
あの荒らしを他人事と思うなら足元を見つめなおしたほうがいいよ。
933 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:45:27 ID:mCXYtt7N
江戸時代に作成されたら信頼できてそれ以降はNGの意味が不明
長氏は前田の家老になって加賀にずっといたし、当時は織田方だから謙信を美化することはありえない
934 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:48:03 ID:jFu5XTKU
徳川実紀には、上杉謙信死亡、上杉家督争いは、載ってる。
が、手取川がない。。。。
江戸時代末期になっても、徳川幕府の奥儒者が知らないし。
引用書目に、歴代古案なるものはないし。
935 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:52:22 ID:j/WzSuf2
松任城が落ちた話はたとえば越登賀三州志にもあるが、
活字化されたのは昭和になってからなので、長家家譜と同じことを言うだろう。
936 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:57:35 ID:jFu5XTKU
越登賀三州志=江戸時代末期作成のようだが。
いわゆる地誌の類で、史料価値は低い。幕府や藩の査察を受けてるものではない。
937 :
人間七七四年:2009/03/03(火) 23:59:17 ID:vg7Tv04L
史料の解明解析はあらゆる真相の可能性を想定して行うべきなのに
ネットの手取川否定論者はなんでも疑問の解答に持論を持ち出すんだよな。
謙信書状写を端から偽書とするのもその例で、彼らはこの書状に謎を発見した時、
ここは書き写しに誤りがあるのではとか謙信は戦果を正しく伝えているのかなどの考察に繋げようとせず、
ほらみたことかーと捏造認定する。
これじゃ小沢は潔白だ、検察には動機がある!自民党は小沢を煙たがっていたから罠に嵌めた!と騒ぐ連中と同じだろう。
938 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:06:30 ID:B4oGVhSO
一連の騒動を見ると。
徳川幕府の伝える歴史が、明治以降に徳川・織田・豊臣否定/地方史観によって、
歪められたとしか思えないな。
実は武功夜話ってのがありましたよ。ってのに似ている。
一度登場すると、簡単に否定できなくなる。
939 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:10:30 ID:r16CWJEw
>>938 信長は江戸時代ろくな評価じゃなかったんだが。
明智いじめて謀反に追いやったとかいう話ができたのはいつだと思ってるんだ?
武功夜話なんてもろに織田系の本じゃねーか。
940 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:12:39 ID:B4oGVhSO
↑
江戸時代に、信長の評価が低いということはないよ。デタラメ言わないように。
941 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:13:58 ID:p1mT8OIg
>936
>越登賀三州志=江戸時代末期作成のようだが。
「活字化されたのは」と書いてるだろ? そんなのも読めないのか?
942 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:17:29 ID:4/VYh1ez
一族を皆殺しにされて信長の制止も払うほど逆上していた長氏が謙信を美化するわけない
943 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:18:46 ID:B4oGVhSO
ナントカ志ってのは、全部江戸時代末期に作成した地誌・郷土誌の類。
幕府や藩の公文書ではない。郷土史家が、地元の伝聞(ホラ)を拾い集めて
作成した本のことです。
これを明治以降に、幕府が滅んだのをいいことに、地方自治体などが、郷土史と
称して編纂、大学の学者が加担。
結果。江戸幕府までの歴史と、明治以降に改ざんされた江戸時代までの歴史が、
相反することになる。
944 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:20:25 ID:4/VYh1ez
信長公記も秀吉の命令で編纂されたから信長や秀吉を持ち上げ気味だし
三河物語は天下は朝倉殿にやるとか信長が言ったありえない記述あるし信頼できないね
945 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:20:25 ID:p1mT8OIg
>943
>幕府や藩の公文書ではない。郷土史家が、地元の伝聞(ホラ)を拾い集めて
>作成した本のことです。
郷土史家とか言ってる時点で失笑ものだが。
946 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:21:27 ID:p1mT8OIg
>942
自分の意見に対して都合が悪いからといって感情論で否定するようでは失格だ。
947 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:21:47 ID:B4oGVhSO
長家家譜は、長氏が作成したものではなく、大田が昭和になって作成したものだ。
江戸時代なら、長家譜でなければならない。
記述は、北越軍記とほぼ同じ。
948 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:31:16 ID:r16CWJEw
>>940 いや、少なくとも高くは無いぞ。
信玄謙信にびびりまくりとか、気分屋で明智いじめて謀反されたとか、
好色だったとか、今の信長厨が顔真っ赤にして否定する逸話は
江戸時代に形成されたものだぞ。
949 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:32:23 ID:r16CWJEw
>>947 別にそんな事はないと思うが。
てか北越軍記には手取川ないとか火病起こしてなかったっけ?前に。
950 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:32:23 ID:p1mT8OIg
>947
>江戸時代なら、長家譜でなければならない。
独自研究
951 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:33:16 ID:dI7Pl32Z
論旨があの荒らしと同じなんだがw
散々指摘されたことを時間が過ぎると知らん顔して繰り返すのも同じ。
もういいよ、君の相手は。
952 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 00:37:34 ID:dI7Pl32Z
ここまで書いて日本史板のWikiスレみたらまたあの荒らしが暴れていた。
案の定懲りずにあちらとこちらで活動かよw
953 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 07:09:25 ID:kQ2AVEMr
そんだけ自信があるなら論文書いて発表しろよ、と。
少なくとも喜連川一色家は自分のサイトを立ち上げて考察を発表していたよ。
で、Wikipediaは論文を寄稿するサイトではない。それだけのことだ。
954 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 14:00:39 ID:R7fiT76p
>>944 ありえないかどうか分からんぞ。信長が志賀の陣で苦しんだのは事実だし、その時に
朝倉に協力した延暦寺に対する憎悪は凄まじかった
955 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 17:47:10 ID:NLhXN6P/
ようやく飼い馴らされたのか?
956 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 20:57:29 ID:cSSf5kpn
まだブロックされてないのか?
957 :
人間七七四年:2009/03/05(木) 10:42:25 ID:TdXl6LC/
殿っ!ウィキ戦線でノート松任城が包囲されています!
援軍を出されますか?ご采配を!
yes(1) or no(0) ?
958 :
人間七七四年:2009/03/05(木) 21:42:59 ID:fkgSEmKL
強右衛門はまだか?
959 :
人間七七四年:2009/03/08(日) 19:49:57 ID:GkMItsSu
保護明けは何時?
960 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 22:09:15 ID:x8No9gvk
Wikipediaもこっちも静かになってわかったことは、
一人で荒らしまくってたのはやはりSabkakusikakuだということ。
961 :
人間七七四年:2009/03/09(月) 23:58:25 ID:8XNS8Vbw
Sabkakusikakuはwikiのコメントから逃亡中?
962 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 06:32:04 ID:4fm8fITf
撤退中で反撃能力無し。
963 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 10:47:51 ID:33P1pbuH
ウィキペに逢うてはサブも手取川 はねる彩華逃げる三角
964 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 17:43:25 ID:voLNPEjh
あのセンゴクでもやってるし、実際にあった戦いだろ
965 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 20:00:41 ID:So+QC+qg
↓マンガのセンゴクスレにまで出張して笑いものになってるよ、こいつ。
38 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 16:04:10 ID:fvUswxrw0
上杉戦は無くても問題ないだろ
40 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 16:20:31 ID:vX/izqdJ0
何の転換点でもない手取川なんて描かないよ
精々帰ってきた所で秀吉が語る位だあんなところで戦う意味はないと
41 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 16:25:59 ID:vX/izqdJ0
味方ヶ原は後に重要な家康の人生で最も重大な戦いであり
権兵衛にとっては、家康および佐久間信盛との関係を作る重要なイベントだった
これと同じ位の権兵衛にとっての意味と物語展開上の意味があるのかどうか考えて発言しような
46 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 16:51:04 ID:DwFxdFLGO
上杉なんてちょっと強いだけでただの田舎大名で中央の歴史とは何の関係もない雑魚だから。
48 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 16:59:10 ID:vX/izqdJ0
長宗我部の方がずっと上杉より重要
50 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 17:09:15 ID:DwFxdFLGO
信長をあわやと震え上がらせた包囲網の核の武田と、終始かやの外の雑魚の上杉同じにするな馬鹿!
966 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 20:01:29 ID:So+QC+qg
55 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 17:30:08 ID:VXr0LFMG0
手取川は書くだろうけど、秀吉が脱退後に聞いた兵卒の報告+解説の数ページ程度だろう
62 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 18:57:40 ID:DwFxdFLGO
上杉なんて、織田がリーグ優勝決めた後の、消化試合の相手でしかない。
この漫画とは徹頭徹尾関係ない雑魚だよ。上杉は。
63 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 19:19:13 ID:DwFxdFLGO
織田から見て天下取りリーグでリーグ最大のライバル武田抜きにはペナントを語れないけど、
上杉は関東リーグでリーグが違う。精々交流戦ぐらい。いい加減板違いと分かれや、上杉厨死ねや。
64 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 19:35:45 ID:DsHC+Php0
史実の信長が一度も上杉とは直接対決しなかったんだから漫画に出しても仕方がないと
宮下氏だって思ってるはず。皆も上杉好きは例の人としてスルーしなよ
71 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2009/02/15(日) 21:05:24 ID:sLMVOQfNO
上杉上杉手取川と書いてる連中はやっぱり大河の影響なのか?ウゼエな。
967 :
人間七七四年:2009/03/10(火) 20:43:12 ID:gGtocCtB
アンチ上杉ならこちらで喜んで引き取ってやるよw
968 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 11:18:25 ID:EE72sZbt
ID:+x7b7Ib8O
こいつと前スレ(センゴクスレね)まで上杉ずっと叩いてたやつがどう見ても同一人物なんだが
969 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 17:03:24 ID:n8W8Mcz/
970 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 18:16:53 ID:UBZRk5LG
>>969 最上・伊達ファンと上杉ファンの仲を離間させたのも奴だろうな。
もともといがみ合う必要もないんだし関係修復したいものだ。
971 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 21:45:09 ID:bXck/NRt
松任城の保護解除
972 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 01:01:12 ID:pTM2OdPX
その荒らしには悪いが織田伊達上杉武田とかなり好きな奴らだわw
973 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 07:10:28 ID:f8nF0ZRK
昔からSOHOなんて変な言葉を使用してる伊達厨
>>969がアンチ直江長尾上杉の基地害荒らし本人なわけだがw
最上スレを荒らしてすべて上杉厨に罪をかぶせようとして必死だったしな。
そいつアホなスレを立てまくる基地害。
上杉を貶す為に最上厨や織田厨になったアホ。
974 :
人間七七四年:2009/03/13(金) 16:35:29 ID:H034934g
975 :
人間七七四年:2009/03/14(土) 06:56:00 ID:sqTo2r1b
976 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 13:49:22 ID:rkElofwh
>>971 ノート松任城、常山紀談を持ってきが逆のことが書いてあって自爆。
さらに信長朱印状を持ってきたが、読めてないから現代人が書いた紹介記事の背景説明と実際に書いてある書状の内容を勘違いしている。
こいつ、救いようの無いバカだw
977 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 16:53:06 ID:xMQJo0Xy
松任城のwikipediaノート
>謙信即ち師を出して、義春先陣して七尾の城を攻おとす。
>信長著陣を聞き、松任にて軍評定し、一戦すべし、と手くばりあり。
>↑織田信長が、松任城にいるんだけど。上杉の記録とまったく逆ですけど。
↓
どうみても『常山紀談』の記述においても松任城にいるのは謙信。
手取川合戦で信長は加賀松任にいたという新説をご披露
978 :
人間七七四年:2009/03/18(水) 20:50:04 ID:0Fc2OtHR
>>977 それって古文ですらないのに、
よくそこまで読み違えることが出来るなと感心するわw
979 :
人間七七四年:2009/03/19(木) 08:46:40 ID:an+SdzUF
ゆとり世代ってここまでひどいとはな。
あんなので学校を卒業させてるから勘違いしてつけあがるんだろう。
980 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 00:37:23 ID:TKKb8twJ
ところで「著陣」って何?
981 :
人間七七四年:2009/03/25(水) 00:40:20 ID:1JUljYEy
>980
本によっては「着陣」が「著陣」と書かれているのがあるんだよ。
ルビは「ちゃくじん」とふってあるけどね。
982 :
人間七七四年:
>>981 分かった。
しかし松任城のノートはひどすぐる。