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人間七七四年:
つか最上義光による黒川、大崎による包囲と
佐竹・葦名の包囲の前に滅亡寸前になるも
最上が大崎を
佐竹が葦名を
支援できなくなり孤立化したと。
政宗はなんて姑息なこそ泥なんだ。
しかも対佐竹戦では太田・梶原・真壁・多賀谷ら対北条戦用の佐竹一軍ではなく奥州方面佐竹二軍に大苦戦
父の支倉常成切腹
支倉常長は汚名を雪ぐべく決死の覚悟でローマへ。
43歳だった常長が仙台に帰り着いた頃は50歳になっていた。
1年後に死去…つか極道の政宗が切腹させたんだろ。
支倉の旅を支えた宣教師ソテロは火あぶりの刑…ここでも政宗は救う手立てもせず見殺し。
支倉の嫡男常頼も切腹。
その弟の常道は斬首。
ほんと誰1人として救う為の努力をせずに死にやがったな悪宗は!
伊達三傑
伊達成実は出奔した途端に屋代景頼に命じて家族皆殺し→戻ってきたら家臣に罪をなすりつける始末。屋代景頼も後に追放されるw
父が人取橋で忠死した鬼庭綱元は秀吉から愛妾をもらったが政宗が怒りだして出奔。
その愛妾の香の前を献上したら政宗がガキを作って、それを押し付け奉行職に帰参できた。
残る片倉の姉貴にして政宗乳母だった喜多も「オレが目をつけてた女を先に秀吉にやらせやがって」とキチガイとしか思えない言い訳で追い出すw
秀秋家臣の浦山景綱をホモ政宗がホレこんで、交換条件で、片倉景綱はホモ大名小早川秀秋の男色の相手をしろと政宗に強要される。
政宗に兄輝宗を殺された伊達盛重は政宗に無能と罵られ明らかにイビられ、
イジメられまくられた末に出奔し佐竹の元で横手城代に出世。
猛将後藤信康は黄後藤と呼ばれた武勇の持ち主だが政宗に怒られて青葉城から投身自殺した。
只野作十郎は政宗に浮気を疑われ嫉妬に狂ったあまり諸将の前で激怒される。