810 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/26(日) 02:25:04 ID:U/88yABJ
>>807 日本の歴史に九州は欠かせません。東シナ海文化圏と大和文化圏の
中間的存在ですからね。新羅海賊に犯された地域も主に九州ですし。
樫樽貯蔵の焼酎は、味付けの濃い料理に合いますね。素材自体の味と
合わすんなら、レギュラーの焼酎が合うと思いますが、
わしは、カニを茹でたら、甘い香りがする薩摩木挽等の芋焼酎や
黒糖焼酎を合わせまして甘味を楽しむんですが、焼酎も料理を
楽しむ味噌味、醤油味等の調味料と同様、変化を求めて、辛口系統に
合わせる楽しみもあってもそれはそれでええもんです。料理に合わす
んは前提論じゃのうて、発見ですからね。焼酎、日本酒、ワインも、
料理による前提相性よりも調味料として変化を求めて楽しむもん
ですね。
811 :
人間七七四年:2009/04/26(日) 10:03:31 ID:k8dUXoxJ
>保元なら十津川の遠矢を無視しとるじゃないか。
=゚ω゚) これか?
為usi「相手が大軍でも河内悪党戦術で夜襲をやりゃぁ勝てるけえのう」
為朝「九州でも夜襲が一番じゃった」
頼長「これ為usi、為朝、夜討ちなど武士のケンカじみた事を
我々雅な軍がやってはダメでおじゃる!
麻呂が一声かければ奈良の僧兵、吉野、十津川の遠矢8町の名人ども
1000騎が駆けつけて来るでおじゃる」
=゚ω゚)「8町つーと射程距離800m!?マジっすか?」
為朝「ちくしょー」
頼長「どうじゃ、アサルトライフルもびっくりでおじゃろう。おっほっほっほ」
812 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/27(月) 00:14:36 ID:CiwPgYJw
>>811 当時の河内に夜襲があったんかどうか解らんが、西国や東国なら義朝による
夜襲の献策から京畿と違う戦闘法じゃったろう。騎馬民族である匈奴や
パルチアも夜間の戦闘をさけたよう、騎馬に巧みな民族は夜襲をせんよ。
騎馬下手な関東人なら、当然夜襲を提案しょうで。地方武士は公家と
違うて騎馬技術に劣るけんのう。京に在住して技術を学んだ「京畿の輩」で
やっとセミプロ程度じゃろう。
遠矢に巧みな表現法を、真面目に射程距離に換算しても意味があるまいに。
813 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 00:29:28 ID:fzslgquC
=゚ω゚) だって遠矢8町って書いてあるんだもん。
>>812 >西国や東国
九州や東国
>地方武士は公家と違うて騎馬技術に劣るけんのう。
>京に在住して技術を学んだ「京畿の輩」でやっとセミプロ程度じゃろう。
姿かたちや毛色にしか興味ない都の貴族が?
禿元輔や桃尻大将が、落馬の仕方でも教えちゃうの?
坂東武者の馬筏に驚愕してたのに?
ついでに下野国繋がりで、宇都宮の馬上鎧脱ぎにも感嘆した随身がいるのに?
御堂関白記の記事じゃ、歩射の射手すら不足してたっていうのにね。
近江の名門・佐々木兄弟は相模国で育ち、坂東の武芸を身に付け活躍するわけだ。
高橋風に当て嵌めると、セミプロの範疇に入ってしまう摩訶不思議w
日本人が焼酎を愛でるなら、個人的な好みもあるが米焼酎であるべきだと思う。
816 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 22:27:25 ID:Pev1oCeC
源義家や源為朝の出身である畿内は、そう弱いわけではないと思う。
817 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 23:02:22 ID:4URpvXUb
818 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/27(月) 23:11:58 ID:CiwPgYJw
>>814 西行さんの弓馬談義に感心する騎乗下手の関東武士がのう。
結局関東人は、西洋云うかドイツ隷属の原勝郎氏や共産主義史観の
石母田正氏の妄想論じゃけんのう。佐賀藩士出身の久米邦武氏が
「東国武士は強くない」と云われたが、逆に岩手の南部藩士出身の
原勝郎氏は「中国文明を影響で腐敗・堕落した西国、
九州は都から離れているが、中国に最も近いだけに、ある側面では
都よりも中国文明の影響が強よかったが、東国は中国文明の影響を
受けること少なく、健全さを保っていて、社会一心の原動力になり
えた」云う東国史観よのう。ご維新戊辰で敗者となった東北人の
薩長や西国に対する恨み節よ。つまり東国をドイツに対応させ、
西日本はラテン文化影響が強い英米に対応させて健全じゃったと。
そのドイツは二度の世界大戦で負けとるし、東日本の宗族制など、
中国文明に近いことは無視じゃ。まあ、後のナチスや現代のネット
右翼と原勝郎氏は大して違いはない。日本の独自性とやらを西洋に
結びつけアジア蔑視と西日本を妄想で倒した気分になるんじゃろう。
819 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 23:39:35 ID:4URpvXUb
御大!薩長が歴史を担当した明治、大正までは日本は色んな意味で破竹でした。が、奥羽越の人間が台頭してきた昭和前期に国を誤ったわけです。
わしはどうも国家運営に関しては、維新後に東日本人がいったところの「西南狐狸」(この場合は九州、中国、四国)のほうが適しているような気がしています。まぁわしは難しいことはわかりませんが「直観」ですね。
4分の1関東の血が流れているわしは、東日本も大好きですが、関東以北の人はあまり国の舵取りはせんほうがいいと思いますね。
「怨念の系譜」とゆう本がありましたが、地域にも「運」がある気がします。
>>816 『愚管抄』にも壇ノ浦で拾われたエピソードが載る宗盛は?
何の理由があるにせよ富士川における平家の惨めな戦いっぷりなど、関東や九州のイクサじゃありえない。
時代を遡って私営田領主を比較しても、
坂東の将門や秀郷と、ぬこが怖かった藤原清廉では全く違う世界。
義家の出身地は不明だが
一般的な都の軍事貴族と違い実戦経験豊富だし、むしろ異質な存在。
為朝は鎮西育ち
詳細は不明だが、九州において実戦経験を積んでいたものと思われる。
>>818 だからそれ流鏑馬な。流鏑馬が実戦と全く関係なしと断言するのが京大の元木だっけ
上横手さんも元木さんも兵庫出身だっけね。
みんな昔の人じゃんw
原は岩手、南部人だろ
821 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/27(月) 23:49:39 ID:CiwPgYJw
>>815 米焼酎も今や減圧焼酎が多いけぇ、現代の風潮は気に入らん。
泡盛は概ねまともじゃが。泡盛等米系のんはフーゼル油の香りで
油身の多い料理に相性がええ。豚肉のバラ系なんか合うね。
中国から東南アジアの稲作地帯は豚食用とセットになっとるせいも
あるが、米系の酒と豚肉は相性がええ。豚肉に不足すると、白米だけ
じゃビタミンB不足で脚気になる危険性があるし。
戦前の瀬戸内沿岸部の人間の主食は、芋と魚じゃったけぇ贅沢な
日本酒は別として芋焼酎と小魚類で充分食を楽しめる。白米も
ハレの食事じゃったし。山間部なら麦焼酎と麦飯でええんじゃない。
>>817 三食白めしなんか贅沢。朝は芋で昼は麺かお好み焼きで、夜は
酒を飲みながら、塩や醤油の味が付いた料理の口直しで白米を
ほんの少しかじるだけでええ。どんぶりで大飯を喰うんは下品
じゃと思うほうじゃけんのう。米は口直しのツマミの一種に
過ぎんよ。
例の餌でございます
▽源為義(保元物語)
朝家の御守にて候へば、君の心憎い思い召さるるは理にて侍れども、
我と手を下したる合戦いまだ仕らず
合戦の道無調練なる上、齢七旬に及び候間、物の用にも立ち難く候
▽源頼光(今昔物語)
若ク候ヒシ時、自然ヲ鹿ナドニ罷合テ、墓々シカラネドモ射候ヒシテ、
今ハ絶テ然ル事モ不仕候ハネバ、此ノ様ノ当物ナドハ、今ハ箭ノ落ル所モ思エ不候
▽保元物語(半井本)
(為朝)「清盛ナンドガヘロヘロ矢ハ、何事カ候ベキ」
(為義)「合戦ノ道ニ調練不仕シテ、不案内ニ候ナリ」
(為義)「嫡子ニテ候義朝ハ、坂東ソダチノモノニテ候間、弓矢ノ道奥義を極タル上、付随所ノ郎等、皆関東ノ兵者共也」
坂東殿ばらは弓は上手なるもの
空立つ鳥を射て落といたり
さても上手や空飛ぶ鶴を落といた
若い殿御が翔け鳥射たる弓手は
さても射たのふ見事や弓の姿は
(『田植草紙』晩歌一番)
重籐巻いたる弓のふりをしてな
坂東殿ばらの肩に掛からばやな
弓のふりして坂東殿御にほれたよ
何と言うても思うに寄らぬ我が身や
厳しいは坂東殿御の姿よ
(『田植草紙』晩歌三番)
823 :
人間七七四年:2009/04/27(月) 23:59:47 ID:4URpvXUb
>>821いやぁそれが「飽食の時代」を謳歌させてもらってます。ただ酒はビール、芋焼酎、ウイスキーで日本酒は飲みません。昨夜の琥珀は生サーモンでいきましたがなかなかあいました。(¨〃
824 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/28(火) 00:31:24 ID:s3D3pXAb
>>819 確かに明治期の西日本人が跋扈した時代と違い、昭和初期の上層部
は、東北出身者が多く、外国との交流の歴史が乏しい地域の人達が
舵取りをしました。わしも東国武士の血が多量に混入しておるので
関東を嫌うことは出来んのですが、西日本と違い、国際感覚のなさ
や独自性を強調する処は電波飛ばしすぎじゃと思うんです。
特に内にこもる性質は。地域には、蹂躙されるか、どうかは運の
作用もありますね。
>>820 鎌倉時代に造られた斉藤実盛の本人が云うたかも不明な言を根拠に
妄想を広げても意味があるまい。関東史観に擦りよる司馬遼太郎氏や
梅棹忠夫氏も近畿じんで。昔の人じゃのうて図式としては現代でも、
継続しとるんじゃないか。日鮮同祖論の佐賀の久米氏、薩摩の重野氏
、越後の星野氏を踏まえ、龍造時氏の子孫江上氏の騎馬民族説、
薩摩人の海音寺氏の朝鮮は英国で日本は米国や、越後人坂口安吾氏の
日本は朝鮮の分国論。逆に「日本独自」とやらナチス優生学は、
東日本、東北の人達が唱え、自民族民族主義でもある共産主義者を
仲介として現代のネット右翼に影響を与えとる図式になるんじゃ
ないか。
>>824 原=南部藩は牛が先に書いてたのね
水鳥の話は京都の貴族層が記した当時の一級資料にもある
司馬遼は猪俣党の藤田氏を源氏としたりいい加減だよね
まあ、嫌韓ネットウヨのせいで日本史板の古代史関連スレは機能しないな
通説が通用しないw
826 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/28(火) 01:15:14 ID:s3D3pXAb
>>822 毎回同じコピーじゃのう。鎌倉時代に造られた関東人の独善論や、
職務におった頼光さんや安芸山県郡の領主吉川氏が駿河時代に
首を取った同類の板東殿か。板東殿はせいぜい首を取られんことを
祈るしかあるまい。
>>823 飽食の時代じゃけぇ、広島県出身の首相じゃないが、
貧乏人は麦を喰えからまぬがれるわけじゃし。
赤身の生サーモンは美味ではないが、無難な選択じゃのう。
わしゃあ、今日は山陰の「のど黒」(九州じゃあ赤ムツ云う)じゃ。
油が乗りすぎて大味な処が欠点じゃが、味は悪うない。
まぁ、先々日の淡白なハモの方が美味じゃけど。
わしなら、生サーモンをポン酢のような酸味を強調したら麦焼酎。
塩だけでふって喰うなら、米焼酎か日本酒か。色合いから
西洋の酒類なら白より赤のワインに合わせるかと趣向を凝らすよ。
827 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 01:37:18 ID:zMWkivcC
池田隼人さんですかね。しかし御大もかなりの美食家ではないですか!そののど黒って川魚ですか?昨日のサーモンは柚子ポンでいきましたよ。いやぁ今日も深酒してしまいました。(¨酔
>>826 またまたコピーっすw
伯耆国、大山寺縁起
『蒙古襲来』P43(海津一朗著、1998)
殺生禁断の聖なる山や池で狩猟を行い、鵜・犬・鷹・馬などの諸禽獣を自在に操る関東武士の弓馬の実力は、
西国の住民にとっては<人知を超えた鬼神>として、畏怖と畏敬の対象となったのである。
北条氏が葦名頼連に期待したのは、高麗出兵への先兵としての類まれな武闘能力だったに違いない。
西国の各地に、頼連のような荒夷の手だれたちが、異国征伐の守護あるいは地頭として、移住してきたのである。
829 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/28(火) 03:11:04 ID:s3D3pXAb
>>827 その通り、池田勇人氏のことです。のど黒は海の魚です。油が
乗りすぎで大味ですけど。
>>828 蒙古来襲で武勲を立てたんは、伊予河野氏の後築地、肥前松浦党の
活躍と瀬戸内や東シナ海水軍勢力で西日本のことで。後方で督戦
しとった東日本には関係ないことじゃ。武勲の無いもんが空理空論で
祈りょっても実戦で役に立たんよ。関東人の妄想は激しいのう。
830 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 15:44:35 ID:FvN4VWTM
>>819 何を言ってるんだか。
東條英機・石原莞爾・米内光政・井上成美・山本五十六らの奥羽越系は揃って対米戦に反対している。
一方、日独伊三国同盟なんぞ結んで、米英の不興を買ったのはどこのどいつだ?
そういった事の尻拭いすら東北系がやってるじゃないか。
新渡戸稲造や朝河貫一らが米国で関係改善に努め、小野寺信将軍は欧州の情勢を正確に分析し、
三国同盟や対米戦に警鐘を鳴らしていたのに、結局生かされなかった。
また、小野寺将軍は中国戦線の拡大を阻止しようとしていたが、影佐禎昭の息のかかった連中に潰されてしまう。
西南狐狸は身の程知らずだから、馬関戦争や薩英戦争のような事をやらかす。
あの時は無事で済んだが、それらの拡大版が先の大戦だろうよ。
831 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 17:05:46 ID:G9pAdUht
石原莞爾、板垣征四郎らは自作自演で勝手に軍を動かし
満州を占領するという独断専行の悪しき前例を作った連中。
米内は重慶無差別爆撃の先導者、戦犯として死刑になってもおかしくない。
むろん東北人だけが悪いわけではないが、この連中を擁護する気には起きん
あと東条は、親が岩手出身で本人もしばしば岩手に出かけたことがあるらしいが。
本人は東京生まれの東京育ち、東京出身者と言ってもいいだろう。
832 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 17:15:14 ID:G9pAdUht
三村氏は「海軍大将の米内、山本五十六、井上成美は平和三羽烏と言われている。
確かに強い米国に対して彼らは不戦を主張した。しかし弱い(と見た)中華民国にはそうでなかった。
彼らの判断は中国へは一貫して砲艦外交の姿勢のままであった。
一般に彼らへの賛美の声はかまびすしい。ことに米内、山本については、
その行動判断の誤りを伏せてまで牽強付会(けんきょうふかい)の賛美の書があとを断たず、
阿諛(あゆ)の声さえ聞かれる」と指摘する。
ttp://www.worldtimes.co.jp/j/seiji/sj061023.html
833 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 20:24:48 ID:zMWkivcC
>>830あんたは東北の人かな?まぁ、自分とこをけなされたら頭に来るのもわかるが、わしが云いたいのは過程じゃなく結果。そして「運」。
現実に「西南狐狸」(笑)が担当した明治大正は破竹の歴史だったが、奥羽越後の人間が首をつっこんだ昭和前期に、国を誤るどころか国を破ってしまった。今も敗戦の後遺症は日々、日本を蝕みつつある。実に石原板垣に始まる東北人の罪は重い…。
勿論、東北人にも先見の明に長けた大人物や、痛快万丈の傑物も多くいたと思う。が、なにより「運」がなさすぎる。奥羽越の人間が実力を以て天下の覇権をにぎったことは一度もない…甲子園でも優勝してないのは東北だけだぞ、沖縄でさえ優勝してるのに(笑)。
維新のときはボテ打ちにされた上に「賊軍」にされ、藤原三代は、頼朝にボテくらされ…上杉謙信はこれからとゆうときに廁で屯死…小沢のイチローは勝負どころでずっこける。
とにかく「運」がなさすぎる。国家の運営にはたずさわらんほうがいいと思う。
寧ろ芸術や文学では、素晴らしい成果を挙げてるのだからそっちで貢献してくれんかと思うがね(
834 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 20:26:35 ID:zMWkivcC
>>331無学なわしに代わっての反論ありがとう(¨☆
835 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 20:30:03 ID:zMWkivcC
>>831無学なわしに代わっての反論ありがとう(¨☆
836 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 20:31:22 ID:G9pAdUht
>>甲子園でも優勝してないのは東北だけだぞ
スポーツなんて虚業勝てなくても全然かまわないが
(人間、スポーツ、セックス、スクリーンにのめりこむと愚民化するというし
娯楽にのめりこむなという事なんだろうけど)
石原の満州事変がすべての元であるから
15年戦争は東北人がはじめたといってもいいな
837 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 20:32:56 ID:G9pAdUht
>>寧ろ芸術や文学では、素晴らしい成果
もの書きなどどこの地方からでも成功者がでてるだろ
838 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 22:32:13 ID:zMWkivcC
甲子園球児は学生だから「業」とは違うぞ。芸術云々はフォローじゃ(¨…
839 :
人間七七四年:2009/04/28(火) 22:57:36 ID:G9pAdUht
ああ、フォローですか
芸術家というのがどうも好きになれんのでつい、
反省。
840 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 00:11:40 ID:CZHVSoOr
=゚ω゚) フォローミー=「私と牛について来い!」かもしれん。(←ウソ)
ゲイ術を語らずして武人は語れぬぞよ。
出口王仁三郎は芸術しながら大陸進出しちょったしな。
万葉歌人から西行法師、太田道灌。
織部に利休、華があっての戦国じゃのう。
宮本武蔵も書画に堪能じゃった。
841 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 21:11:05 ID:vChfom/q
戦国は軍装もすごかったですね。朝鮮陣の明側の記録に「天兵が舞い降りた如き」とあった様な…(¨〃
842 :
人間七七四年:2009/04/29(水) 22:22:20 ID:r8IfFRuu
軍装がすごいといっても
唐入りは結局敗戦だから
あまり言いたくない
秀吉が死んだから撤退したというが
生きていたとしても勝てないだろう
843 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/29(水) 23:45:14 ID:A+eQoqzd
>>836 じゃけど、スポーツ、セックス、スクリーン3Sプロパガンダは、
反ユダヤ主義者が宣伝したもんじゃ。
>>840 ゲイ術を語らずして武人を語れん云うたら衆道、男色ホモの話になるじゃ
ないか。
>>842 侵攻の成功は速度によるけぇ、長期戦になったら駄目じゃね。
いつ撤退するかの問題になるよ。
844 :
人間七七四年:2009/04/30(木) 01:04:58 ID:crYgc7fx
=゚ω゚) いや、たしか倭城は明の総攻撃でも
一つも落ちてないと思ったが?
明朝自体も北虜南倭で衰退が激しく
朝鮮出兵で財政破綻。満州国がとどめを刺した。
845 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/30(木) 01:28:25 ID:3nKC+d61
>>844 昭和の陸軍も我が陣地は一度も敵の手に落ちてないと豪語しとったよ。
それと同様の発想じゃのう。やっぱし現実認識の乏しい関東人には、
戦闘指導は無理じゃ。
846 :
人間七七四年:2009/04/30(木) 06:55:35 ID:kx84W2u8
じゃのう。じゃ。>>鎌倉時代に造られた斉藤実盛の本人が云うたかも不明な言を根拠に
妄想を広げても意味があるまい。
↑あんたの方がよっぽど妄想だろうに(笑)
847 :
人間七七四年:2009/04/30(木) 21:19:03 ID:crYgc7fx
>>845 =゚ω゚) なら落城した倭城の名を言うてみい。
848 :
黒田武士 ◆xSZBqZMT.M :2009/04/30(木) 22:46:27 ID:kzUdyZTF
牛ちゃん元気か(^^?
ゴールデンウイークは何するんだ(^^?
849 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/01(金) 00:20:42 ID:ZZCbXh6h
>>847 相変わらず、水戸学国粋主義の幸せ回路解釈よのう。御都合主義で小西行長
は、順天倭城を脱出出来たんか?明朝鮮軍に攻略され撤退したに過ぎんじゃ
ないか。慶長の役では朝鮮南部で文禄の役たぁ進撃地が後退しとる。
何年やっても駄目じゃと判断出来んのは、ナチズムと同様他民族蔑視で
「今度こそは、」を繰り返す愚かな判断よ。朝鮮の役で守るだけで往生
しょったんが実像じゃ。
850 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/01(金) 00:32:22 ID:ZZCbXh6h
>>846 斉藤実盛んは『平家物語』じゃけぇ鎌倉期の記述ど。
わしのどこが妄想か具体的な提示は無しか。
>>848 今週の土の深夜から日は、外出する予定じゃ。
広島FFも見たいけぇ、遠出はせんよ。
実盛の富士川参戦は非とも是とも採れるが
似たような記述は鎮西為朝ひいきの『保元』にもあり
852 :
人間七七四年:2009/05/01(金) 22:52:16 ID:LBT6ry8w
御大!大局的見地はともかく、百年の戦乱に鍛えられた倭城はやはり、実戦機能に優れていたのではないですか?
当然ながら天守閣の様な洒落たものもなく、石垣も「」野面」一辺倒の見かけはよくない和城ですが、戦国百年の血のドラマのノウハウが詰まった和城はバカに出来んでしょう〈¨〃
私は切石を垂直に積み上げた、なにか無機質な無感情な大陸、半島の城壁よりも一つ一つの石の交わり、悲哀、力強さ、携わった人々な労苦などが、生々しく語りかけてくる日本の「石垣」、特に「野面積み」が大好きです。
また当時、城つくりの名人といわれた清正氏の熊本城が、我が薩摩兵児の猛攻を凌いだのも戦国城郭のレベルを示していませんか?(¨※
853 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 00:31:02 ID:I01QY2to
>小西行長は、順天倭城を脱出出来たんか?
>明朝鮮軍に攻略され撤退したに過ぎんじゃないか。
=゚ω゚) 秀吉が死んだから撤退命令が出たんじゃろうが。
陸海からの総攻撃は全て撃退しちょるやん。
しかも逃げた敵軍の食料までゲットしてたりする(藁
854 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/02(土) 00:44:04 ID:flprj37E
>>851 似たような云うて、『保元物語』も後世の作品。
>>852 百年の戦乱云われても、山城から平城に変化しとりますし、東日本なんか
石垣より土塁の要素が強かったでしょう。実戦機能にしても、攻城投石器の
利用に乏しく後に大砲を余り利用せず、弓から銃に比重が高かった
戦闘文化様式ですから、とりわけ優れておったわけでもないでしょう。
戦闘様式とは同一文化圏においてのみ通用するローカルなものです。
逆に、薩摩の反政府軍の方が熊本城攻略に拘ったことが失敗でしょう。
855 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 01:54:18 ID:oAu7wJmr
元熊本人として、熊本の兵の強さはわかりませんが
お城に関しては広島のどの城にも劣らない、と思っております。
そういえば広島といえば陸軍よりも海軍の街というイメージが強いですね。
よい街なんでしょうね。一度ゆっくり観光に訪れたいです。
そういえば、オレの高校の修学旅行は大久野島だった。
毒ガス工場の島とかいう触れ込みの。
857 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 10:49:52 ID:VE6JJ093
>>853 秀吉が死んでなくても
最終的には半島から追い出されていただろう
というか局地的にはどうだろうと
明本土どころか朝鮮までしか行けなかった
唐入りは失敗というほかはない
はっきり言おうか?日本は負けたんだ
858 :
人間七七四年:2009/05/02(土) 17:18:49 ID:I01QY2to
=゚ω゚) まあ唐入りは最初から無理だとみんな思ってたろうね。
家康なんて相手にもしてなかったし。
ただ、当時の明にあれ以上耐えるだけの国力は無いよ。
国が大きいだけにね。自滅する。
ましてや日本を討伐など不可能。
まあ、倭乱後、半世紀ぐらいもっただけたいしたもんだと誉めておこう。
859 :
白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :
>>855 海軍の街は、広島県呉市で、広島市は、師団司令部や、明治期は臨時に
大本営も置かれ、陸軍の都じゃったんですよ。広島や呉はよい街か
どうかは個々人の見解によるでしょうが、ゆっくり観光すると、
楽しめると思いますよ。
>>856 大久野島巡りは珍しい。忠海から竹原の町並み見物が一般的じゃし。