戦国ちょっといい話2

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1人間七七四年
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

前スレ
戦国ちょっといい話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172237604/
2人間七七四年:2008/09/10(水) 03:24:32 ID:P46P0uHf
前スレのBEST.1戦国ちょっといい話で賞・受賞作品

若き頃、無類の強さを誇った島津義弘も晩年は老いに勝てず
1人で起き上がり飯も喰えぬ有様だったという。
そこへ家臣の1人が駆け込んで来て、こう叫んだ
「殿、一大事! 戦でござる!」
同時に城外から一斉に兵士たちのトキの声が届いてきた。
「えいえいおーう! えいえいおーう!」

すると、今まで布団の中で寝込んでいた義弘の目がクワッと見開らいたかと思うと
1人で起き上がり飯をたらふく喰らったという。

もちろん、戦というのは義弘を奮い立たせようとした家臣たちの嘘だったわけだが
戦と訊くだけで気力が奮い立つ義弘の体内には
死ぬまで侍、薩摩隼人としての血が流れていたんだね。

享年84歳。畳の上で穏やかに死ねた数少ない武将の一人である


3人間七七四年:2008/09/10(水) 04:58:37 ID:GwROhg8V
>>2
勝手にきめんなハゲかけデブ
4人間七七四年:2008/09/10(水) 05:05:10 ID:gqnd51Rx
もっと他にあったろ
削除依頼出してもう一回立て直せ
5人間七七四年:2008/09/10(水) 10:58:55 ID:6LnsOK3Q
>>2
どう見ても「蒲生風呂」だろ…異論は認める。
6人間七七四年:2008/09/10(水) 12:02:18 ID:T9O3s6a9
サプキチガイ呼んだ元凶ネタじゃないか
>2はただ荒らしたいだけだろw
7人間七七四年:2008/09/10(水) 12:21:20 ID:0smUdDq9
殿軍て(しんがり)て読むじゃないですか?(との)とも読むけど、なんか謂われみたいなものあるんすかね?
8人間七七四年:2008/09/10(水) 14:04:28 ID:KlM++DnF
伊達家において智の片倉景綱に対して、武の伊達成実とまで称され、伊達の双璧の一人である伊達成実

成実と政宗は年も近いことから、主従というより兄弟のように良かったようで、政宗から成実に宛てて、

「別に用はないけどこの頃逢ってないから手紙を書いた」等と書き送った書状も残されている。
9人間七七四年:2008/09/10(水) 20:26:07 ID:nJsb8xJV
>>8
Wikipediaのコピペかよ、出直してこい
10人間七七四年:2008/09/10(水) 20:26:45 ID:l8og5pg4
こんなwikiはみたくねーな
11人間七七四年:2008/09/10(水) 23:26:42 ID:gwmZNo1V
義久は沖田畷の戦いにおいて、弟家久の手により肥前の龍造寺隆信を討ち取りその首を挙げたが、
これを幕下の赤星(親家)の仇だからといって彼の未亡人に届けさせた。
未亡人はとても喜んでその首を熟視し、夫や子の敵だからと木履でその首を踏みつけたという。
義久はそれを耳にして非常に怒り、

「敵の首は、実検するにもそれ相応の礼儀というものがある。いかに女であろうとも、武将の首を足蹴の恥にあわせるとは許せぬ。礼もなく儀もない愚かな女だ」

と言って、その後音信を絶ったという。
12人間七七四年:2008/09/10(水) 23:28:49 ID:q4JQeDWc
こっちは前スレ埋まってから使おうや。
13人間七七四年:2008/09/12(金) 15:16:23 ID:gXeMNN/I
武田信玄の異母弟に、川窪信実という者がいた。

ある時、徳川家康の家臣、篠瀬某が、主命にそむいたため罪を得、
彼の元に逃げ込んできた。信実はこころよく彼を保護した。

さて、しばらくすると家康から篠瀬某に、罪を許すので帰ってくるように、との
知らせが届いた。篠瀬某は喜んだ。が、しかし、自分を保護してくれた信実に
まだ、何の恩返しの働きももしていない。心苦しく思いながらも、「実は家康様から…」と、
信実に報告した。

「そうか。少し待て。」

そういって、話の途中で座敷を立った信実。やはり気分を害していらっしゃるの
だろうか?それも仕方のないことだ。と、篠瀬某が考えていると、信実が戻ってきた。
彼は手に、二羽の立派な鷹をたずさえていた

「家康殿は鷹狩りをお好みという。帰参のおりこれを献上いたせば、家康殿も喜び、
お主への心象も良くなるであろう。持って行きなさい。」

篠瀬某からこの話を聞いた家康は、信実のさわやかな心根に、深く感じ入ったと言う。

彼は後、長篠の戦で討死する。享年32歳であった。
14人間七七四年:2008/09/12(金) 23:38:16 ID:gXeMNN/I
北向き兜

信長が一向一揆と戦っていた時の事、一瀬久三郎と言う侍が、信長の兜をうっかり北向きに
置いてしまった。それに気がついた林佐渡守が叱責する。「何をしておるか!早く向きを直さぬか!」

当時、兜を北向きに置くというのは、とんでもなく不吉なものだったのだ。あわてて向きを直そうとする久三郎。
が、信長はそれを止めた

「一揆勢はどこから来るのか解らんのだ!兜の向きなどどうでも良い!」

そう言って、北向きのままにさせておいた。

さて、その日の一揆勢との合戦で、久三郎は一番鑓の武功を挙げた。信長は久三郎を呼び出し
それを褒めた。すると久三郎、未だ北向きに置いてある兜を見てから、

「殿のおかげです。」

「今朝の事で、殿は、私の面目を潰さないようにしてくれました。そのおかげで、気兼ねなく槍働きが出来たのです。」

そう言われて、信長もまた、喜んだと言う。

巷間言われているのとは違い、信長という大将は、部下に細かい心遣いをする男であった。
15人間七七四年:2008/09/13(土) 00:24:48 ID:eFtW0mVn
細かい心づかいって言うか、
細かいことは気にしない男って感じだなw
16人間七七四年:2008/09/13(土) 01:54:39 ID:TvBjBhW5
縁起とかアホくせぇとか思ってそうだしなぁ
17人間七七四年:2008/09/13(土) 02:10:38 ID:I+wMAFL6
実際は、信長が無神論的だって言うのは、後世の誤解だと思うよ。
フロイスの大げさな描写に惑わされてるだけで、他の資料からは、少なくともあの時代の平均的な「迷信深さ」を
持っている人だと推測できる。
18人間七七四年:2008/09/13(土) 23:38:17 ID:aeHJ86EZ
平均的とはちょっと言いがたいとは思うが、
信仰と現実のバランスの取れた人だとは思う。
少なくとも巷間で言われるような破壊者ではないというのには同意。
19人間七七四年:2008/09/14(日) 00:15:43 ID:MuadqRke
信長って法華じゃなかったか?
20人間七七四年:2008/09/14(日) 00:17:25 ID:kcDMkAcB
もともと越前の神社の剣神官の家なんだよな>織田家
信長が越前制覇したら真っ先にやったのがその、剣神社の保護。
21人間七七四年:2008/09/14(日) 00:18:14 ID:kcDMkAcB
>>20
なんか変な文章になった。訂正。

もともと越前の剣神社の剣神官の家なんだよな>織田家
信長が越前制覇したら真っ先にやったのがその、剣神社の保護。
22人間七七四年:2008/09/14(日) 00:55:23 ID:kcDMkAcB
スレ汚しだけもなんだから、エピソードを一つ


天正四年十月十五日、教賀という僧が、越後長福寺の空陀という僧に送った
書状の内容。

「甲斐では、信玄公とお話をする機会があり、その時武将についての話になったのですが、
信玄公は、『上杉謙信こそ日本無双の名大将である』と、絶賛しておられました。」


なんだか良い話だと思うんだ。うん。
23人間七七四年:2008/09/14(日) 08:16:16 ID:E/idkhLz
英雄、英雄を知る・・・ってね
24人間七七四年:2008/09/14(日) 20:26:13 ID:TNLQ4vq5
そりゃ自分が何度も戦っても決着がつかない相手だからな
互角の相手を褒める=自分もすごいんだぞというアピール


いつから俺はこういう風にしか物を考えられなくなったんだろう・・・
25人間七七四年:2008/09/14(日) 21:34:46 ID:sBslSjSO
アメリカ人みたいだな
相手強いとほめる→それに勝った俺もっと強いwww
26人間七七四年:2008/09/14(日) 22:00:16 ID:ywe280/3
>>24
多分、社会人に
なったあたりからじゃないか?
27人間七七四年:2008/09/14(日) 22:20:17 ID:mKmD5oPO
徳川の時代ってそういうもんだよな
家康すごい→それに勝った信玄超すごい→それとガチンコな謙信パネェ
28人間七七四年:2008/09/14(日) 22:25:41 ID:a4GqC60s
記録も相手の兵数を異常に水増しして書いたりな
29人間七七四年:2008/09/14(日) 22:27:57 ID:us5f8BxK
徳川幕府が出来る前の豊臣政権時代から
武田家・上杉家は武家や京都民に人気だったという話を聞いたことはある。
ソースは知らない。
30人間七七四年:2008/09/14(日) 22:29:09 ID:kcDMkAcB
多分、有名な話ではあるが


尼子経久は、家臣が自分の持っている物を褒めると、必ずそれを譲ってしまうと言う、妙な癖があった。
家臣もそれを良くわかっていて、「殿様のものは、決して褒めないように。」と、内々に決めていた。

さて、尼子の本拠地、月山冨田城には巨大な松の木があった。
どれほどの樹齢かもわからない、城のできるはるか前からある松の木であった。

ある家臣が、「さすがに、これを褒めても譲られるような事はあるまい。こんな巨大な松、動かす事もできないだろうし。」
そう思って、経久の前で、つい、このように立派な松は、日本中探してもここだけでしょう。と言った。


次の日


その家臣の家に、見た事もないほど大量の松明が、送り届けられたと言う。
31人間七七四年:2008/09/14(日) 22:31:13 ID:kcDMkAcB
>>27
つーか信長の時代も京では、信長すげえ→その信長が恐れてる信玄謙信ハンパネエ

こう言う感じだったらしいぞ。
32人間七七四年:2008/09/14(日) 22:31:20 ID:TEmLvqjs
友達が昔松明のことを「まつあきら」と読んでいたのを思い出した
33人間七七四年:2008/09/14(日) 22:51:13 ID:0j5cJAdy
>>32
そうかそうか
34人間七七四年:2008/09/14(日) 23:01:06 ID:us5f8BxK
>30
面白いがそれはいい話なんだろうかw
松を誉めた家臣涙目な姿しか思い浮かばない。
35人間七七四年:2008/09/14(日) 23:42:10 ID:byDRU5SR
経久はいい人じゃ無くて喰わせ者っぽい感じがするなw
36人間七七四年:2008/09/14(日) 23:46:17 ID:itW652sy
むしろキャラを守ろうと無理してる姿にも見える。
37人間七七四年:2008/09/15(月) 02:37:27 ID:+6iAyz2a
天性無欲正直な人ってエピだぬ。
えええっと思わなくもないがw
経久出たならこれも既出か?

経久が遠征したところで瓜を手に入れた。
部下が瓜を一緒に食べようと皮剥いてるのを見て
そわそわしだし、しまいにゃとりあげて自分で剥きだして
「おまえは皮の剥き方が厚すぎでもったいない!ホレ」
と言って極薄に皮剥きした瓜を満面の笑みで
部下にわけ与えたそうな。

いい話かどうかは…ちょい疑問w
38人間七七四年:2008/09/15(月) 07:44:36 ID:x57fNGQS
>>31
信長すげぇ→信長が戦いを避けた上杉・武田つえぇ!→武田信玄に一流と言わせた毛利元就パネェ!!→毛利元就すら恐れた尼子経久やべぇ…
39人間七七四年:2008/09/15(月) 09:53:06 ID:nVYFHKR5
とある武将が病を患った為、出向いた先の有馬で湯治していると
よりによって普段仲違いしている同僚がやって来た
ところがその同僚はわざわざ見舞いに来たと言う
そして武将の愛馬を見て有馬の権現様は葦毛の馬がお嫌いだから
天罰が下らぬうちに降りられた方がいいと忠告までしていったのだった



名前と顛末を知れば一気にきな臭くなるけど
40人間七七四年:2008/09/15(月) 10:12:47 ID:q+smKuIk
>>39
それはちょっと悪いどころじゃねーぞ話ではw
41人間七七四年:2008/09/15(月) 12:37:36 ID:VeYysLCc
>>39
霜台様が鬼を暗殺しようと見にきたら縁起でもないことしてるから
たたりで死んだことにしようということですね
42人間七七四年:2008/09/15(月) 12:49:55 ID:oIeiHWyM
ひどいなそれ。
43人間七七四年:2008/09/15(月) 12:53:46 ID:UqPgqFMq
>>39
あの武将だから仕方ない
44人間七七四年:2008/09/15(月) 13:02:05 ID:ONntYV5z
>>39
無知な俺に名前と顛末を教えてPlease
45人間七七四年:2008/09/15(月) 13:13:52 ID:UqPgqFMq
>>44
茶器を抱えて見事なまでに爆死した人
46人間七七四年:2008/09/15(月) 13:54:42 ID:7wQKPRdg
三好長慶「か、一存…orz」
47人間七七四年:2008/09/15(月) 18:24:08 ID:x1hhTK1R
有名だと思うが若き景勝が佐竹義重に送った手紙。

「こちらのことは心配いりません。
私は良い時代に生まれました。
もはや武田は滅び、私は越後一国で日本60余州と戦います。
もし生き残ることができれば古今無双の英雄となるでしょうし、
死んでも歴史に長く名を残すでしょう。
まこと武門の家に生まれた者として果報なことです」

国内では新発田が織田に通じて反乱、
信州からは森長可、関東からは滝川一益が越後に攻め入る動きを見せ
中立だった葦名は織田に恭順。
越中からは柴田・前田の大軍が押し寄せており
最早国内の守備で完全に手を回せなくなった越中魚津城の将兵には
「織田に降伏していい」と書状を送った、
どっからどう見ても120%積んでいる状態での手紙である。
結局本能寺の変が起こり織田軍は引き上げていったので
景勝の決死の覚悟は果たされることはなかった。

それから20年ほど後、今度は徳川相手に同じ事やって
再び目の前で敵に反転され決戦はやっぱり果たされなかった。

運命の女神に愛されてるような愛されてないような微妙な男の話。
来年の大河でやらなきゃ嘘だろう。
48人間七七四年:2008/09/15(月) 20:11:57 ID:GlOxd3J7
景勝はいつもギリギリのところで生き残るな
あと無口キャラ
49人間七七四年:2008/09/15(月) 20:58:46 ID:BjBqVykj
そういう人の家老が「人間死ぬ気でやれば案外なんとかなる」と
書き残すわけですね
50人間七七四年:2008/09/15(月) 21:25:11 ID:M1nJot/K
まあ、本当に何とかなって、生き残っちゃったからねえw
51人間七七四年:2008/09/16(火) 15:31:01 ID:Mp0m1+mv
何とかなった人しか記録のこせないからな
万骨枯れてる万骨のほうはあの世で
「先人や先生が人間努力次第だし死ぬ気でやればどうにでもなるなんていってけど
あれ嘘ですよよね〜」って談笑してるだろう
52人間七七四年:2008/09/17(水) 00:26:31 ID:U49kr7lW
お城の乞食

肥前にある歌舞多城には、城の近くに乞食が住んでいた。家臣から、
「みっともないので追い出してしまえ」との声もあったが、
城主、大村筑前は、それもかわいそうだと、なんとなく許していた。

この歌舞多城が、後藤貴明の軍勢に攻められた。大村側は硬く城に篭り、
戦線は膠着した。
さて、この歌舞多城の城兵に、込屋玄蕃と言う男がいた。彼は大の博打好きで、
籠城の最中にもかかわらず、ちょくちょく城を抜け出し、後藤領にある博打場へ
双六を打ちに行っていたのだ。

ある夜、いつものように玄蕃が博打から帰ってきた。酷く負けが混んだらしく、
気が立っており、城へ続く道の側に寝ていた乞食を「失せろ!」と蹴飛ばした。
そこからしばらく歩いていると、何者かが近づいてきた。後藤方の者たちであった。彼らは
歌舞多城の城兵が博打に出入りしている事を知り、彼に接触してきたのだ。

「我らの合図と同時に、城門を開くのだ。そうすれば博打の借金も帳消しにし、
さらに褒美として、欲しいだけの銭もくれてやろう。」

玄蕃は、承知した。

約束の夜。後藤勢はひそかに歌舞多城の城門前に集まった。そして秘密の合図を送る。
するとかねてよりの約束どおり、城門が開いた。この城はもらった!そう思ったとき、
城の中から軍勢の前に、何かが投げ込まれた。込屋玄蕃の首であった。
城門が開ききると、そこには、完全に武装した、大村筑前をはじめとする大村勢が
待ち構えていた。

「おぬしらの企み、それを聞いた乞食が逐一我らに教えてくれた!
汚い者どもめ、討ち果たしてくれる!」

驚く暇こそあれ。大村勢は一斉に突撃をかけた。後藤勢は何も出来ず蹴散らされ。
壊乱した。

戦後、大村筑前は乞食に褒美を与えようとしたが、乞食は「殿様に頂いたご恩を、
少しお返ししただけでございます。」と、それを断ったという。
53人間七七四年:2008/09/17(水) 00:34:30 ID:gcX4fEXP
いい話だなー
54人間七七四年:2008/09/17(水) 00:57:00 ID:60SUalkn
いい乞食だなー
55人間七七四年:2008/09/17(水) 11:32:23 ID:5Kds+6Dw
城兵が遊びに行ける程度の包囲網ってなんだ?
やる気なさすぎ・・・
そんなんじゃせん滅できないだろうに・・・
56人間七七四年:2008/09/17(水) 12:44:04 ID:BbD0nK1p
おれもそんな乞食をめざすよ!
57人間七七四年:2008/09/17(水) 14:05:17 ID:au/rQVs3
>>55
大坂のときも橙武者が遊びに行っていたじゃないか。
58人間七七四年:2008/09/17(水) 14:54:22 ID:U49kr7lW
>>55
地方の小勢力の合戦で、そんな完全な包囲を求められてもw
59人間七七四年:2008/09/18(木) 13:40:54 ID:ZPWiWsvR
池田輝政と福島正則

大坂の陣後の酒宴で正則が輝政に言った。
「俺は槍で大国を賜ったが、お主は大御所の婿ゆえ、一物で大国を賜ったのだ」
輝政は笑って答えた。
「その通りだ、確かに俺はこの一物で52万石の大名になった、
 だが、もしも槍を使っていたら天下を取っていたさ。」
これには正則も大笑いで酒宴は最後まで盛り上がりました、とさ。
60人間七七四年:2008/09/18(木) 15:40:53 ID:00JFgJvm
52万石の一物の方が凄いと感じる
61人間七七四年:2008/09/18(木) 21:04:28 ID:mw9+qljB
一物で52万石なら、それよりブットイ槍で嫁さんヒィヒィ言わしたら
もっと大御所さまに気に入られて
天下を取れただろうなって言う猥談だと思った俺
62人間七七四年:2008/09/18(木) 21:21:08 ID:c1LMZO2f
利休の石灯籠

千利休は、とある古い石灯籠を大切にしていた。自ら色々手をいれ、これこそ天下一の石灯籠だと
自慢していた。その石灯籠は、利休の高弟としても有名な細川忠興に譲られた。
間もなく、利休は秀吉の命で切腹をした。
石灯籠は、利休の遺品となった。

忠興はその石灯籠を、領地の丹後田辺城へと大切に持ち帰った。その石灯籠に込められた利休の精神を、
失ってはならない、そう考えたのだろう。
やがて世が転変し、忠興自身が小倉へ、また熊本へと身を移しても、その石灯籠は常に忠興とともにあった。

今、その石灯籠は、京都大徳寺の塔頭、高桐院の細川忠興の墓に、墓石として置かれている。
63人間七七四年:2008/09/18(木) 21:26:48 ID:/Dz0zvkU
>>62
これは涙なしには語れない
64人間七七四年:2008/09/18(木) 21:47:16 ID:JxXFKv+3
DQNの忠興らしからぬ話
65人間七七四年:2008/09/19(金) 02:26:40 ID:NmovSwPX
そんな人情味溢れる忠興なんて忠興じゃない
66人間七七四年:2008/09/19(金) 11:03:09 ID:0vNSCSGl
いや、情が深すぎるがゆえに色々DQNなわけでいい面にでりゃこうなるだろ。
利休がずっと生きてたら仲違いしてDQNな結末に終わった可能性もかなりあるがw
67人間七七四年:2008/09/19(金) 11:48:34 ID:0bCN2BLk
三成と高虎
(既出かな?)
関が原後、捉えられた三成に諸将が罵声を浴びせる中、藤堂高虎が尋ねた。
「あなたの軍は勇敢に我が軍と戦った。私の軍に至らぬ点があれば教えてください」
三成は感動して答えた。
「あなたの軍の鉄砲隊頭の身分が低いように感じました。
 あれだけの働きをする人物ですから、もっと高い身分に引き上げるのがよろしいでしょう」
「なるほどそのとおりです、確かに低い身分でした」
と丁寧に礼を言った。
このい態度は多くの大名を反省させたという。

68人間七七四年:2008/09/19(金) 12:52:20 ID:gcoYBkxS
その鉄砲頭の身分が低いんじゃなくて、身分の高い鉄砲頭がいないんじゃなかったっけ
69人間七七四年:2008/09/19(金) 14:21:08 ID:0bCN2BLk
もういっぱつ。

<静御前の薙刀>
前田家の家宝の一つに静御前の薙刀があった。
ある日徳川からの使者が来て言った。
「徳川家にも静御前の薙刀が伝わっている、そちらのは偽物ではないのか?」
こちらがのが本物だと言えば徳川が機嫌をそこね言いがかりをつけられないとも限らない。
利常は言った。
「静御前ともあろう人が、たった一本の薙刀のみを持っていたわけが無い。
 何本かは持っていたに違いない、どちらのも本物であると存じる」
なるほど、と納得して使者は帰っていった。

おまけ
明智光秀の父の葬儀の時、立派な容姿の武士が一人いた。彼の焼香順は3番目だった。
彼は自分の番が来ると、刀を外し脇に下ろすと、まるで農民のようなしぐさで焼香をした。
それを見て、なんだこいつはとあざけり、中には笑うものもいた。
光秀は「彼は今はわたしの重臣だが、農民だった彼を最初に足軽として登用したのは父だ。
     その時の恩を忘れないために、あのようにしているのだ。」と言った。
笑った連中は目を伏せ恐縮した。
70人間七七四年:2008/09/19(金) 16:10:39 ID:wfTfUXS0
>>67 >>69
残念ながら全部前スレで既出してます。
しかも静御前は巴御前と取り違えてるって一時荒れた。
71人間七七四年:2008/09/19(金) 16:12:27 ID:1m1PfGMg
第一次薙刀論争だな
72人間七七四年:2008/09/19(金) 16:13:11 ID:3vafLjj0
>>70
まとめサイトあったほうが良いなあ。
73人間七七四年:2008/09/19(金) 16:29:31 ID:MS3VQ299
>>72
こういうのは言いだしっぺが作るものだぜ。
ということで任せた。
74人間七七四年:2008/09/19(金) 16:34:59 ID:3vafLjj0
まとめサイト作った事がないので、やり方がわからないのだぜ。
75人間七七四年:2008/09/19(金) 16:43:56 ID:3vafLjj0
ここで作ればいいのかな?
http://wiki.nothing.sh/page/wiki@nothing

詳しい人の助言求む。
76人間七七四年:2008/09/19(金) 19:39:57 ID:vOjdd0Lz
67とか69とか見ると

あんたも童門冬二氏がまとめた
逸話集好きか? 実は俺もなんだ
とか訊きたくなるな

いや、いいんだ
読んだことない人もいるだろうから
じゃんじゃんやってくれ
77人間七七四年:2008/09/19(金) 22:11:08 ID:UUWC/PQE
>>76
俺も童門冬二は読んでる。あの人の逸話集は良いね。
有名な逸話だけど、まだ出てないようなので…

福島正則が贈った酒樽(1)

関ヶ原の合戦後、安芸一国の大名となった福島正則。
自他共に認める酒好きの彼は、江戸に詰めて居る間に
所領の安芸から物資を送って来させる時、必ず酒を送
る様に命じていた。しかも樽の数、産地や銘柄まで細
かに指図するほど念の入り様であった。
ある時、安芸から物資を送る船団が嵐に遭い、行方不
明となった。正則が落胆し諦めかけた時、奇跡的に船
団が江戸に無傷で辿り着いた。正則はその報を受け取
るや、一目散に港へ駆けつけた。
78人間七七四年:2008/09/19(金) 22:32:24 ID:UUWC/PQE
福島正則が贈った酒樽(2)

港に着いた正則は、船団をねぎらいもそこそこ、
さっそく積荷の確認を始めた。酒樽を数えた正則
は怒った。頼んでいた数より1つ少ないのだ。しか
も、もっとも楽しみにしていた備前の酒が詰まった
酒樽であった。正則は船頭を問い詰めた。
「貴様!嵐にかこつけて酒をくすねたな!正直に言え!」
今にも斬りかかりそうな正則。だが船頭は静かに答えた。
「実は船団は嵐にて、八丈島まで流されました。そこで
難を逃れ、出航の仕度をしていると、島の男が訊ねて来ま
した。」
79人間七七四年:2008/09/19(金) 22:32:30 ID:e55tlg1l
前ふりで終わってるわけだが
泳いで参らんのか?
80人間七七四年:2008/09/19(金) 22:33:03 ID:e55tlg1l
おっと時間差投稿かすまんすまん
81人間七七四年:2008/09/19(金) 22:34:19 ID:tknkDcpp
俺はもう泣いた
82人間七七四年:2008/09/19(金) 22:45:44 ID:OFx11GNo
八丈島の男、といえば、ウッキーだ。
83人間七七四年:2008/09/19(金) 22:52:48 ID:GgN8B4Fb
生殺しキタ━━━(゜∀゜)━━━!!
84人間七七四年:2008/09/19(金) 23:06:09 ID:lE646XZw
数百年前にロハス生活を実践した人です
85人間七七四年:2008/09/19(金) 23:07:35 ID:UUWC/PQE
福島正則が贈った酒樽(3)

船頭は続けた
「その男はこう申しました。『もしや福島家の
船団とお見受けいたした。積荷の酒樽は、我が
故郷、備前の酒ではあるまいか。後生である、
私に一杯だけで良い、恵んでもらえないか。』
と。その男の風貌、立ち振る舞いを見るに、先の
中納言、宇喜多秀家様と見受けました。福島家は
中納言様に酒の一杯も差し上げなかったと言われ
ては家の恥と思い、一樽を献じた次第でござる。」
それを聞くと正則は、涙を浮かべて言った。
「間違いない。その者は宇喜多殿だ。無き太閤殿下
に忠節を尽くした漢だ。お前が酒を献じてくれて良
かった。これよりは必ず八丈島に立ち寄り、備前の
酒を宇喜多殿に届けよ。頼むぞ。」

それから暫く、宇喜多秀家の元に福島家から備前の
酒が送り続けられた。秀家も正則の友誼に感謝し、
島の侘しい生活に耐え続けたと伝えられる。
86人間七七四年:2008/09/19(金) 23:11:10 ID:tknkDcpp
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
いい話だぁぁぁっぁぁっぁぁっぁぁぁぁっぁっぁ
中納言様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
87人間七七四年:2008/09/19(金) 23:20:20 ID:e55tlg1l
ち・ち・ちっち・ち・ち
ちゅーなごんんんんん!
88人間七七四年:2008/09/19(金) 23:22:59 ID:2L7a1fkQ
嘘臭いっつうか展開の都合が良すぎて気持ち悪いな
89人間七七四年:2008/09/19(金) 23:32:01 ID:FD22e5mg
宇喜田と福島って仲良かったの?
悪かったの?
90人間七七四年:2008/09/19(金) 23:39:18 ID:3vafLjj0
>>89
宇喜多は秀吉の親族扱いで、福島はあくまで秀吉の旗本でしかないから、ぶっちゃけると
身分が違うので、仲がいいとか悪いとかの感情はなかったんじゃないかな?
91人間七七四年:2008/09/19(金) 23:42:03 ID:Vc9StHnT
秀家人気者だなw
92人間七七四年:2008/09/19(金) 23:53:47 ID:mUSU5TUz
関ヶ原ではガチンコ対決してたじゃん。
93人間七七四年:2008/09/19(金) 23:55:08 ID:3vafLjj0
>>92
仲良くっても戦う時は戦うさ。関ヶ原なんてそれこそ、家康と三成も個人的な関係は良かったって説もあるくらいで。
94人間七七四年:2008/09/20(土) 00:31:44 ID:lzNwjDPZ
>>87
蒼天呂布乙
95人間七七四年:2008/09/20(土) 00:48:43 ID:oleEg8kt
秀家は当時から愛されてるエピソード多いよな
96人間七七四年:2008/09/20(土) 00:56:16 ID:zIqFjKLc
ボンボンで人柄はよく戦場では勇猛

福島あたりに嫌われる要素はないな
97人間七七四年:2008/09/20(土) 02:39:40 ID:xYIlr4zw
毛利元就が、孫、輝元の母親、尾崎局に出した手紙。酒の飲み方に関して

「小椀に1つ2つくらいならまだいいが、中くらいのお椀で二杯も飲むと、まわりの人も
これは飲めると酒を勧め始め、ついつい飲んでしまうものです。
冷汁椀に二杯か、一杯以上は飲まないように、よく言い聞かせて置いてください。
私は下戸だったから、こんなに長生き出来ました。酒さえ飲まなければ70,80くらいまで
長生きできるものなのです。私を見てください。

私の祖父、父、兄は、酒、酒ばかり飲んで早く死んでしまいました。
どうか輝元を、酒飲みにはさせないようにして下さい。」

元就の、孫への気遣いと、酒への嫌悪感が伝わる手紙。
98人間七七四年:2008/09/20(土) 03:41:12 ID:Lh0t2QhI
家康関ヶ原の頃の話
一人の家来が実は本名を偽っていたことが判明した
理由を問いただすと「自分はかつて人を殺したから捕まらないため」という
家康は斬ろうとしたが彼の本名を聞いて撤回
「わしはそちの親父殿に昔命を救われた。殺人から時間もたっているゆえ許すので
今後もはげめ」
さらに大坂の陣のころ呼び出し「わしが今こうしていられるのも
措置の親父のおかげ、感謝している」と重ねて言い秀忠付きの家来にした
その男の名は夏目吉次
夏目金之助の先祖にして
かつて三方が原の戦いで「もう死ぬここで死ぬ」と騒ぐ家康の馬のケツを槍で叩き
包囲から走らせ自らは身代わりになって死んだ夏目吉信の子供だったのだ
99人間七七四年:2008/09/20(土) 07:13:30 ID:K2kwEGX8
>>39今更だが暗殺説あるような仲を語られてもいい話ととれん
100人間七七四年:2008/09/20(土) 11:28:43 ID:HsGupuO+
>>98
男の名前が出た瞬間に涙がブワッと溢れた
101人間七七四年:2008/09/20(土) 12:39:28 ID:UCT0sTd9
>85
これお礼に秀家が家宝のお皿あげたとか
そんな話もなかったけか?
102人間七七四年:2008/09/20(土) 17:01:32 ID:BOhzFCvv
とりあえず、前スレのみまとめ
まだまだ編集中ですが・・・。

ttp://www.rabby.net/blog/


wikiは荒らしがウザイので不採用

武将毎にするか逸話ごとにするか・・・
103人間七七四年:2008/09/20(土) 17:08:21 ID:xYIlr4zw
>>102
おお、ありがとうございます!

もし出来るようなら、悪い話のほうも一緒に入れてくれると嬉しいですw
104人間七七四年:2008/09/20(土) 17:19:41 ID:G1N81VW8
>>101
それはたしかおにぎりくれた代官さんとの話
105人間七七四年:2008/09/20(土) 18:59:25 ID:z/BQDmmO
>>102
いい話だけのサイトかと思ったら違うのな。
乙です!
106人間七七四年:2008/09/20(土) 19:08:29 ID:l1uTEs0B
>>102

ダイキョウバーニング
107人間七七四年:2008/09/20(土) 20:29:06 ID:UCT0sTd9
>104
俺が昔聞いたVerだと

八丈に辿り付いて、独断で一樽あげちゃって
福島正則に白状したら
普通に褒められてその時はそれで終了
そしたら後日秀家から正則宛に
丁寧なお礼状と一緒に家宝の皿が届けられて
それ見た正則が
「昔はあんだけブイブイ言わせてたのに
今はただ酒一樽にもこれ程の事をしないといかんとは云々〜〜」
でヨヨと泣き崩れ
「これから毎年、宇喜多殿に酒届けてやってくれ」
とズビズビ洟すすりながら家臣に命令、みたいな

まぁ後半おにぎりと殆ど一緒だから
どっかでごっちゃになった話を聞いたんかな
108人間七七四年:2008/09/21(日) 13:10:44 ID:HOt3yzBh
けっこうみんな読んでんだなあと感心しつつ・・・

<井伊の赤備えの始まりの話>

本能寺の変の後、甲斐の所有をめぐって北条と徳川の交渉が行なわれた。
北条代表は氏規、徳川は若干23歳の井伊直政。
直政はまだ小姓組の身でありながら、交渉をまとめ上げた。
家康は甲州武士団を徳川に組み入れ、直政に与えた。
榊原康政が「半分でいいから自分に」と申し出たが、酒井忠次が一喝した。
「このたびのことは自分の一存で決まったことだ。
 おまえが、あくまでも横槍をいれるなら、おまえの一族を皆串刺しにしてくれるわ」

こうして、山県、一条、土屋、甘利の配下は直正の家臣となった。
後に秀吉に「赤鬼」と呼ばれた井伊の赤備えの誕生である。


109人間七七四年:2008/09/21(日) 14:50:46 ID:hfJ+U15w
大谷吉継と石田三成の話。ある時茶会でお茶の回し飲みがあった。吉継はライ病で顔面ぐちゃぐちゃしかも鼻汁を茶碗に垂らしちゃって狼狽。次の番だった三成はぐぐっと鼻汁ごと飲み干した。この時吉継はコイツ(三成)になら命を賭けようと思った
110人間七七四年:2008/09/21(日) 15:25:02 ID:VRta5Bqj
>>109
(´・ω・`)あんさん次の番は増田長盛でっしゃろ。

そして長盛は茶を飲むふりをして次の人に回し、他の諸侯もこれに倣って進行した。
この時の吉継はまだかすかに視力があった。故にこの光景を見て屈辱と怒りに震えた。
この茶会の後、腹を切ってやろうとすら思っていた。
その時、場違いな音が響いた。吉継がそちらを見てみると、三成が豪快に茶を飲んでいた。
三成が茶碗を置いたとき、茶碗は空っぽだったとさ。

ちなみに
その時、秀吉に「全部飲んだのか」と聞かれ、「殿下の点てたお茶が余りに美味だったので…」
と答えている。
111人間七七四年:2008/09/21(日) 16:14:34 ID:xsIwxr7V
らいにかかってなくても鼻水垂らされちゃ飲まんよね。
112人間七七四年:2008/09/21(日) 16:19:40 ID:mk10833M
鼻水ってか、病瘡から垂れた汁のようなものじゃないかな
113人間七七四年:2008/09/21(日) 16:50:07 ID:AbnMw2qh
膿という説と鼻水という説がある
どっちにしても嫌w
つか鼻水垂らしたら本人次ぎに回すなw

(ドラマの関ヶ原では、単に義継が飲んだというだけで避けられてたが
そっちのが普通に納得行くw)
114人間七七四年:2008/09/21(日) 17:03:29 ID:8gKhm4L5
吉継ではないが、茶会で粗相して腹切った武将とかいるんかな?
115人間七七四年:2008/09/21(日) 17:23:06 ID:mk10833M
もし茶会の場で茶に鼻水等を垂らしてしまった場合、自分の番で止める方法ってあるのかな?
116人間七七四年:2008/09/21(日) 17:51:27 ID:w8zXpH1m
「鼻水が垂れました」って申し出るのもまた恥だわな。
117人間七七四年:2008/09/21(日) 18:04:23 ID:eb7KwB0m
>>115
自分で飲み干せばよくね?
118人間七七四年:2008/09/21(日) 18:16:57 ID:mk10833M
>>117
いや、作法とかもあるだろうからさ
「飲み干してしまいましたあ(絵文字)」
とはなかなか言いにくいんじゃないかと。

それを三成がやってくれたのがこの話の良いところなのかな
119人間七七四年:2008/09/21(日) 18:20:55 ID:VRta5Bqj
この逸話、秀吉が回せと言ったようだけどね(秀吉も気づいてた)
理由はわからないけど…
最も他人を思いやれる人物を見極めるためだった、と妄想してみる…
120人間七七四年:2008/09/21(日) 18:35:59 ID:oebIN3Y9
講談に「清正公の髭汁」ってのがある

茶椀が廻っていく過程で鼻水以外にも色々な物が入っていって
お茶がどんどん汚染されていく話
121人間七七四年:2008/09/21(日) 18:58:11 ID:Pm6200TG
ライの人は知覚が鈍磨するから、鼻水か膿みが垂れたとかは分からなかったんじゃないかな?

吉継からしてみれば、単に口を付けただけで忌みられて飲まれなかったと思い、周囲はまだライに関する知識が無く、感染経路もよく分からない時に、体液が入った(ように見えた)茶には手を出しにくい、と。
やっぱり体液感染する病は多いから、現代でもなかなか手を出せない人多いだろうね。。。


むしろ三成が飲んだ理由が知りたいくらい。
安全だって分かってない上に、まだ若い(未来がある)時分にそれだけの事が出来たのは、正直なにか別の理由あってのことじゃないか?って疑ってしまう。
122人間七七四年:2008/09/21(日) 19:32:55 ID:yTZbQhDs
根本的に人との口付けて回し飲みはいやじゃないか?
同じ鍋からつつくのも嫌なのに・・・(取り匙とかとりばしとかべつならなんとか)
間接キスもキモイつかキスもいやばい菌とか以前に生理的にいや
温泉とかもいやだ
便所に入るのもいやだったぐらい潔癖症だったらしい清正ならこの気持はわかってくれるはずだ
123人間七七四年:2008/09/21(日) 19:35:42 ID:yTZbQhDs
>>121
事なかれで口付けないで形だけでやり過ごしていく同僚たちがカンに障ったんじゃないか
良くいえば義憤悪くいえばヒス
124人間七七四年:2008/09/21(日) 19:41:04 ID:pp/7/yoN
知らんで飲んだら実際美味かったんじゃね?
125人間七七四年:2008/09/21(日) 19:42:26 ID:5Mvd8BIJ
まあぶっちゃけた話このお茶のエピソード自体後世の創作の可能性も高いわけで。
126人間七七四年:2008/09/21(日) 19:52:42 ID:UxWTUJ4t
>>121
なんかIDかっこいいな
127人間七七四年:2008/09/21(日) 22:05:13 ID:xos6lZ1x
吉継と三成の茶の話って、どれぐらいバージョンあるんだろな?
他で俺の知ってる話だと

普段でも吉継が口を付けた後は飲む振りだけして次にまわす諸侯がいたぐらいで
吉継は呆然として、次にまわす事もできなかった。その時に
「吉継。喉が渇いて仕方が無い。早くまわせ」
と三成が吉継から奪い取って、一気に全部飲み干した。
吉継は屋敷に帰った後、泣いた。

というのも有った。
128人間七七四年:2008/09/21(日) 22:22:50 ID:a45kbDX8
俺が読んだ逸話では
そこらへんが脚色されたのかな

膿がたれたお茶を大谷刑部が
次に回せずに躊躇っているところへ
石田治部が
「刑部、喉が渇いてたまらん。他の皆も順番を飛ばすことになるがご容赦下され!」
と、大谷刑部の手から茶碗を奪うようにして全部飲み干してしまったとか。

他の大名も大谷刑部も助かる結末だったけど、三成、ちょっとかっこよすぎか
129人間七七四年:2008/09/21(日) 22:23:30 ID:a45kbDX8
かぶったw
130人間七七四年:2008/09/21(日) 22:49:09 ID:fjQh0rwS
なんかこのスレ最近ちょくちょくまとめブログに掲載されてるな
131人間七七四年:2008/09/21(日) 22:50:55 ID:5Mvd8BIJ
>>130
そうなの?どこらへんかおしえて?
132人間七七四年:2008/09/21(日) 22:57:09 ID:fjQh0rwS
>>131
続・妄想とかコピペ保存道場とか
短レス掲載のブログでよく見かける気がする
133人間七七四年:2008/09/21(日) 23:03:40 ID:5Mvd8BIJ
>>132
ありがとう。探してみる。
134人間七七四年:2008/09/21(日) 23:19:54 ID:5Mvd8BIJ
こう言うまとめサイトにも取り上げられてるのね
ttp://alfalfa.livedoor.biz/archives/51347651.html#1085

しかし

> 1034 学名ナナシ :2008年08月20日 11:56
>  戦国時代(仮)とか行くと、織田、武田、上杉、伊達あたりのシンパが罵りあってるけどね……
>  ただあそこの凄いところは、罵り合ってる連中が古文書片手にやりあってるところか

なんつうイメージじゃw
135人間七七四年:2008/09/21(日) 23:24:42 ID:fFwA+KJk
そのイメージは間違ってないけどなw
136人間七七四年:2008/09/21(日) 23:28:24 ID:j0EH6850
古文書片手の奴らの罵り合いは面白いが、
そうじゃない奴らが多すぎるがなぁw
137人間七七四年:2008/09/22(月) 00:09:26 ID:DX9n2znN
古文書で直接ぶん殴ってんだろ?
138人間七七四年:2008/09/22(月) 00:11:59 ID:RtLgVK6n
なら國史大辞典の方が破壊力あるぞw
139人間七七四年:2008/09/22(月) 00:17:27 ID:Bb7oEoOh
さすがに古文書は少数派だろう。
地元とか、よほど興味のある武将関連のならともかく、
おいそれと手出しできるもんじゃない。
古文書:一般研究書:ゲームや漫画・小説で2:5:3くらいじゃないか?
140人間七七四年:2008/09/22(月) 01:28:17 ID:hzc4SQH0
城盗り百人一首

里見家初代、里見義実、成義親子が、真里谷武田家のを攻めた時の事。
篭城していた真里谷武田家から里見家に、このような提案がされた。

「我らの城の回りは名勝が多くある。この景観を題材に、里見の諸将が
今日一日の間に百首詠む事が出来れば、我らは開城しよう。出来なければ
撤退すべし。いかが?」

こう挑戦された里見の諸将、我らは文武両道の家、風雅のたしなみも
並々ならぬぞ!と、その提案を受けて立った。
そして里見親子は見事百首を読みきり、造海城をめでたく開城させた。
この造海城、この時から「百首城」とも呼ばれるようになった。

その時の一首
里を見よ はげしき春の山嵐 世をつくろみに さはらざりけり

なんとも雅な城盗りのお話
141人間七七四年:2008/09/22(月) 01:33:08 ID:m4CvUvQJ
なんという趣のある戦争・・・
現代ではこうはいかない
142人間七七四年:2008/09/22(月) 01:38:09 ID:GNDmo2ss
>120
それが落語の「荒茶」の元なのかな
豊家武断派連中が家康&正信に茶の湯に招待されたはいいが
全員が全員作法なんぞこれっぽっちも知らない
しょうがないんで忠興先頭にして
皆それを真似する事にしようみたいな噺

清正の髭が漬かって脂が浮いただの
むせて量が増えただのって状態になった茶を
正則が無理やり飲み下すってオチなんだが

鶴光といっ平がやってるの聞いた事ある
143人間七七四年:2008/09/22(月) 01:54:26 ID:RtLgVK6n
忠興って利休の高弟やんw
144人間七七四年:2008/09/22(月) 07:54:02 ID:RfU6Zs+G
だから忠興が先なんだろ
145人間七七四年:2008/09/22(月) 09:01:37 ID:/V1xzlEf
>>142
その2人はオチ要員かいw

元の身分はともかく、子供の頃から秀吉夫妻に可愛がられた説が
ある位なら、茶の湯の作法くらい心得てたろうになあ、
なんて言っちゃあ駄目?
146人間七七四年:2008/09/22(月) 11:55:20 ID:ER7fdULI
>>140
いい話ね。でも里見八犬伝は聞いたことあっても
里見家はなじみが薄い。
歴史を学ぶチャンスは少ないし戦国って言うと
織田 豊臣 徳川だけ
日本は広いのにね。残念
147人間七七四年:2008/09/22(月) 18:36:40 ID:cTvQrN0n
茶狂いの秀吉の子飼いなんだから普通にできたと思うがw
148人間七七四年:2008/09/22(月) 19:03:06 ID:GNDmo2ss
まぁその辺は落語の笑い話なんだから深く突っ込むな

で、>143>144の通り
唯一心得のある忠興をお手本にするんだが
後ろの全員がメクラ滅法に真似するんで
とんちんかんな事やらかしちゃうという

案内されて茶室まで歩くのに
忠興が昔の戦傷のせいで小首をかしげる癖があるを見た後ろが
「成程、茶とは首をかしげて歩かないといけないのか(゚∀゚)!」と
全員右に傾けて歩いたり(ただしトリの正則だけ左にオレ流アレンジ)

涼やかに茶を喫してる忠興を見て
次の人が
「成程茶とは実に美味そうだ(゚∀゚)!(ゴクリ)・・・マズゥッ!!(ガホガホ)」
で次の人が
「成程茶とは口に含んでぐしゅぐしゅして戻すものなのか(゚∀゚)!」
で次の人以下略
ラス前清正
「略(゚∀゚)! ・・・しまった髭が茶に漬かっちゃったYO!」
やおら両の手をチョキにしたと思うと
しゅごご〜と髭をしごいてその汁をそのまま茶碗に戻したりして

それらを見た最後の正則が
「なんてこったい俺はあれを飲み干さないとならないのか!?
お詰め(トリ)の人なんて
やるんじゃなかった・・・ってキヨ何やってるのYO!!
そんな所で髭洗うなっての!!
6人分の唾液で量増えてるしキヨの髭の脂やゴミ浮いてるし トホホ〜」
みたいな
149人間七七四年:2008/09/22(月) 19:15:39 ID:w0zLYEEa
>>148
夕食後のコーヒーが不味くなったyo!
150人間七七四年:2008/09/22(月) 19:23:49 ID:z3kgdz6J
>>148
やべえw凄く面白いwww
151人間七七四年:2008/09/22(月) 20:37:43 ID:vLZdxt53
清正、忠興、正則の前に6人となると
あと4人は誰だろ?
152人間七七四年:2008/09/22(月) 21:36:18 ID:VL17O0bZ
加藤嘉明あたりか?
153人間七七四年:2008/09/22(月) 22:00:05 ID:KMg0WoZE
>>151
「荒茶 落語」でググったら最初に出てきたここによると
ttp://esaki-ochi.hp.infoseek.co.jp/rakugo/01-a/0147aracha.htm

加藤清正・福島正則・池田輝政・浅野幸長・黒田長政・加藤嘉明・細川忠興とのこと
コレでマズいと思った幸長は関ヶ原後に上田宗箇を雇ったり
長政が高取焼を開窯させたんだろうかw
154人間七七四年:2008/09/22(月) 22:03:24 ID:nl45PEa5
なかなかのメンツだな。
それだけに一層面白い
155人間七七四年:2008/09/22(月) 22:11:04 ID:hzc4SQH0
安芸宰相

秀吉が、甥、秀秋を、子のいない毛利輝元の養子に送り込むつもりだ。
この情報に毛利家は危機感を深めた。そんな事をされてはたまらない。
小早川景隆、毛利輝元はすぐさま、毛利元就の四男。穂田元清の長男であり、
英明の誉れの高い秀元を輝元の養子とし、秀秋は小早川家が引き受けた。
毛利本家は守られた。

毛利家の跡継ぎである秀元は順調に出世し、豊臣秀長の娘とも結婚、
翌年には三位、参議となり、安芸宰相と呼ばれた。

ところが文禄四年(1595)、輝元に、長子秀就が誕生した。

輝元は喜んだが、毛利家は困惑した。すでに世継ぎは秀元と決めてある。
だが当然、血のつながる秀就こそ正当な後継者だとする者たちが出てくるであろう。
このままでは、間違いなく毛利家は、後継をめぐって二つに割れる。
重臣たちが思い悩む大広間に、その時、まだ16歳の少年であった秀元が現れ、
こう言った。

「私はあくまで養子であり、筋目から言って、今日産まれたご嫡男が毛利を継ぐべきです。
わたくしは後継のお話をご返上し、毛利の庶家として、ご本家を守り立てていきたいと
思います。」

こうして、お家騒動は回避された。彼の水際立った行動は、毛利家中のみならず、
天下に賞賛されたという。




まあ、そんな秀元も後年、この後継の座を譲った秀就とほとんど絶交状態になって、
毛利からの独立騒動とか起こしたりするんですけどねw
人間関係って難しい。
156人間七七四年:2008/09/22(月) 22:18:40 ID:m/AQCq3U
>>153
そのまんま、利家が死んだときの石田襲撃武功派七将じゃね。
157人間七七四年:2008/09/23(火) 20:06:55 ID:V3FUfrdG
>>156
いや、高虎が入ってない…が襲撃メンバーは諸説あるしな

話の都合上、茶道を修めたものは細川以外出せんというのもあるな
158人間七七四年:2008/09/24(水) 16:36:04 ID:WMcx9BM6
みんなのアイドル伊達政宗のお話


三代将軍家光公。彼は祖父家康に似て、鷹狩りが大好きであった。
それはいいのだが、鷹狩りの際いちいち江戸城に戻るのは面倒くさいと、
狩場の近くの民家に下宿をとって、そこで寝起きしていた。
幕閣は

「このような場所では警護も充分ではなく、不心得者による暗殺すら
おこりかねません!どうかご自重を!」

と、諫言するのだが、家光は聞く耳を持たなかった。

さて、その下宿に政宗が訪ねてきた。しばらく狩りの話をしていたが、やがて家光は
「家臣どもはこう言う場所では、暗殺の心配があるなどと言って余に五月蝿く言ってくるのだ」と、
愚痴を言い始めた。それを聞いた政宗、

「それは心配するでしょう。私も何度、鷹狩りの際の家康公の命を狙った事か。」

それ以降家光は鷹狩りの際、下宿を使う事をやめたとか。
159人間七七四年:2008/09/24(水) 17:54:36 ID:kiDgJD3A
それは家光の家臣に頼まれて政宗が諫言した話じゃなかったっけ?
160人間七七四年:2008/09/24(水) 18:23:19 ID:YUQyPeW+
>>159
そのとおり
まぁ史実じゃないが。
161人間七七四年:2008/09/24(水) 23:26:33 ID:IbIJuwzp
しかし充分「ちょっといい話」だとオモ
162人間七七四年:2008/09/25(木) 18:43:43 ID:p21IMNAW
関ヶ原が終わった時、家康が大阪城にいた毛利輝元に当てた、領土安堵の起請文。
ご存知のとおり、この領地安堵は輝元の大阪城退去後覆されたため、家康が輝元を騙したのだ、と
言われるが、実はこの起請文、その後にも歴史を作る。

慶安四年(1650年)、毛利秀元が病気で急死する。跡継ぎの千代熊は、まだ元服もしていない13歳の少年であった。
当時はまだ、減封、改易の多く行われていた家光の時代である。また、当時の毛利家は家中のまとまりが悪く、
「藩主幼少により減封」も、充分に考えられる状況であった。

そこで毛利家が幕府に提出したのが、この起請文である。
なんとこの書状、この当時では、「神君家康公による、毛利家の存続を保障した起請文」という解釈がなされていたのだ。

起請文の力により、千代熊の封襲は無事認められた。どころか、毛利家は藩主の交代のたびにこの起請文を
幕府に提出し、毛利家36万石の領土を幕末まで保ちきったのである。
藤堂高虎が家康に粉骨砕身に使えていただいた、領土安堵のお墨付きと同じ効果を、この起請文は
持っていたのだ。

毛利の、中国の覇者からの転落の、原因の一つにもなった書状は、お家にとって無二の家宝と
なっていた。

禍福はあざなえる縄の如し。
163人間七七四年:2008/09/25(木) 20:08:39 ID:nCb9JBrs
よく破り捨てずに保存してたなw
164人間七七四年:2008/09/25(木) 20:12:17 ID:p21IMNAW
うは、>>162肝心なところ間違えてる。

四行目、×毛利秀元→○毛利秀就、ね。
165人間七七四年:2008/09/25(木) 21:16:24 ID:G6vOiPTz
>>162
面白い話だ
毛利家もちゃっかりしてるなぁ
166人間七七四年:2008/09/25(木) 21:17:09 ID:pf4gApmz
文面が知りたいねぇ
167人間七七四年:2008/09/26(金) 12:31:38 ID:tfyYMlnq
>>166
今は山口県の毛利博物館に収蔵されているね。この書状。
168人間七七四年:2008/09/26(金) 19:05:16 ID:LBReE+9y
江戸時代の毛利家で思い出したけど、元旦の問答の話。

家老が当主に向かって「今年こそ徳川を討つべし」
当主が答えて「未だその時期ではない」

このやり取りがお正月の恒例行事になってたらしい。
多分毛利家だったと思う、違ったら島津かな
169人間七七四年:2008/09/26(金) 19:11:49 ID:tfyYMlnq
>>168
それは都市伝説で、おそらく実際には存在しなかった。

「徳川を討て」といえば、加藤光広(加藤清正の孫)が、これが典型的な暗君で、
重臣たちが困るのが面白くて、酒に酔っては「これより徳川を征伐に行くぞー!」って叫んでたりして、
しまいにゃ悪戯で徳川征伐の密書を作って、大騒ぎになったんだけど、結局これが元で
熊本の加藤家は改易された。
170人間七七四年:2008/09/26(金) 19:49:11 ID:cLCWFCXE
>>168
幕末の時はよしやれとかったんかね
171人間七七四年:2008/09/26(金) 19:56:28 ID:TzYJQqku
>>170
「そうせい」だろうな
172人間七七四年:2008/09/26(金) 20:08:04 ID:Yv/HL7M7
>>169
加藤・福島家の改易って、巷間言われてるような「言いがかりで改易」というよりは、
改易された側にもかなりの問題があったらしいしね
173人間七七四年:2008/09/26(金) 22:24:45 ID:cLCWFCXE
加藤(肥後も会津も)は残れたかもしれんね
福島は・・・改易なくてもドッカよそに移されそうだ
これは本当に「はめられた」って感じがするし
案外初期に潰れた大身外様大名で
どう頑張ってものこれなかった奴は少ないかもね
無嗣改易とか多いし
徳川が虎視眈々とつぶす気満々だったってのは疑問が残る
174人間七七四年:2008/09/26(金) 22:31:25 ID:sHaKSLri
前田も伊達も毛利も島津も、敢えて加えりゃ細川も黒田も大身だがうまく立ち回ってるぞ
福島は脳筋で加藤はバカ
幕府に従順な振りだけでもしときゃいいのに空気が読めないのはいつの世もハブられる運命
自業自得だろ
175人間七七四年:2008/09/26(金) 22:36:40 ID:tfyYMlnq
家光の時代くらいになると、旗本や親藩に、外様のロビー組織みたいなのが出来てて、
外様が存在していてこそ利益がある、って連中が幕府内部にもたくさんいた。

福島も、最初は城の破却で所領安堵、って裁定が下ったのに、不完全な破却にとどめて
それが幕府を逆撫でして、改易って事になってしまった。
176人間七七四年:2008/09/26(金) 22:38:35 ID:bP1pJXFJ
ただ、この辺は詳細がわからんからなんとも言えん。
ただの難癖かもしれん・・・・ってこういう話はお隣のスレだな
177人間七七四年:2008/09/26(金) 23:12:36 ID:tfyYMlnq
じゃあ福島正則、と言うか、福島家ちょっといい話

家康が大御所の頃

福島家の重臣たちが一同に、家康にお目見えすると言う事があった。
勇猛で鳴る福島家、どのような豪傑が来るのかと、家康に仕える小姓たちは噂しあった。
ところが現れたのは、皆年齢以上に齢を取り、そしてある者は足を引きずり、ある者は片目がなく、
ある者は口が裂け、およそ五体満足なものが一人もいない、みすぼらしい人々であった。

謁見が終わり彼らが退出すると、小姓たちは我慢に耐えられなくなったように笑い出した。

「なんだあの満足に戦えそうもない年寄り達は。あれが福島家の重臣か?」

それを聞いた家康は、激怒した

「お前たちは本当に情けない者達だ。勇者を外見でしか判断できないのか!?
あの者達がいかに戦国乱世を戦ってきて、福島に名をなさしめたか、その偉業を成し遂げた才能を、
あの姿に見る事が、出来ないのか!?」

小姓たちは、言葉も無かったと言う。


後日、福島家が改易された時の事、

福島家の広島城退城は、城明け渡しの作法があまりに完璧だったので、天下の評判になった。
そのため、福島家の家臣たちは、諸大名から「あの家の家臣なら」と、引く手あまたで引き取られた。
退城を指揮した主席家老の福島丹波は、旧家臣達の再就職を全て世話し、それが終わると自分は
どこにも仕える事無く、人知れず隠棲し、主家に殉じた。

家康に謁見した折、足を引きずっていた男である。
178人間七七四年:2008/09/27(土) 00:35:11 ID:GMFpiJmZ
本多忠勝・・・
179人間七七四年:2008/09/27(土) 04:06:05 ID:GMFpiJmZ
あんまり利発に見えなかった小早川秀秋は
養母の北政所に露骨に嫌われた
それを知った秀吉は北政所に
「あいつの親はお前とわしかおらんのだ。
お前とわしがあいつを嫌っては誰があいつを愛してやるというのだ」と怒った

その他の秀吉の事例や秀秋の行動を見るとどうだろ?って気もするが
コノ瞬間だけは今の虐待親とかよりは秀吉は立派な親であったと思う
一方家康は顔が醜かった秀康と忠輝を生涯愛さなかった
180人間七七四年:2008/09/27(土) 04:24:30 ID:3uCv6X3i
>>179
顔が醜かった ってよく言われるけど
親が嫌うほどってどんなんだ?って思ってしまう
181人間七七四年:2008/09/27(土) 06:04:39 ID:GMFpiJmZ
家康に限らず結構不細工だから嫌いって親はいるんじゃないか?
史実でもわりとよく聞くし創作の世界も含めれば小説やドラマとかでもよく見る
子供だから無条件に愛せるってのはないよ
「いやそんなことはない。親の心はすべて凌駕する無償の愛」って
言える人は幸福な人生を歩んできたんだろうなぁ
動物とかでも子供殺すし次代への遺伝子の受け皿だから
本能的に無条件に優先するという説も個人的には微妙だと思う
182人間七七四年:2008/09/27(土) 09:46:04 ID:uFjkpPlS
秀康も忠輝も、きちんと史実追っていけば、特に嫌われちゃいないわな。
特に忠輝に関しては、逆に甘やかされている印象が強い。

「顔が悪くて嫌われた云々」は、後世の創作だと思うよ。
183人間七七四年:2008/09/27(土) 10:54:58 ID:s2T5FOMM
忠輝に関しては、幕府の地盤が固まらないうちに、あまり派手にお家騒動を起こしたくなかった、とも考えられる。
秀康に関しては、年上なのに人質にだされたり、将軍になれなかったりしたことを後世の人が邪推して、というのは十分ありうるな。
184人間七七四年:2008/09/27(土) 12:17:24 ID:BJMOv5S0
梅毒で鼻が欠けたのって秀康だっけ
185人間七七四年:2008/09/27(土) 13:19:12 ID:3cCgi8Rn
>>179
子供を○×で嫌うってのは秀吉的にはトラウマな部分あるだろうからな。
186人間七七四年:2008/09/27(土) 20:15:32 ID:2eRayQz7
小早川秀秋って
生まれとしては
秀吉の姉の息子でよかったっけ?
187人間七七四年:2008/09/27(土) 20:26:31 ID:nLZVX0Fg
ねねの兄の息子
188人間七七四年:2008/09/27(土) 23:53:09 ID:AICLSrQm
木下家定の五男だったよね確か。

>>179
秀秋のほかの兄弟(家定のほかの子息)と北政所の交流を見る限りだと、
そこまで疎まれたとも思えないんだけどね
189人間七七四年:2008/09/28(日) 00:07:18 ID:I7G4X+ls
実の親と子でも兄弟でのえこひいきはあるよ
190人間七七四年:2008/09/28(日) 00:21:13 ID:Y10BaKfZ
秀吉なり秀長なりが家定くらい子作り能力が高ければなぁw
その点、秀次はさすがというかw
191人間七七四年:2008/09/28(日) 00:45:25 ID:ryj/geRa
>>179
他のと比べてできが一人だけひどくて秀秋だけ露骨に嫌われてたら
なんかかわいそう・・・
192人間七七四年:2008/09/28(日) 01:20:20 ID:nO13GXDX
うーん、他に比べてデキが良かったからこそ養子になった
という見方も……何歳くらいで養子になったんだろう?
193人間七七四年:2008/09/28(日) 01:26:21 ID:2PCb0JDX
親子関係といえば、政宗が伊予宇和島十万石の藩主となった、秀宗と和解した後に、出した手紙


「先日課題を出しておいた歌は、まだ完成しませんか?
こんなに遅いようでは、歌会などがあったとき、物笑いの種にされますよ。
もっと勉強しなさい。」


小うるさいながらも、父親らしい愛情のある手紙かと。
194人間七七四年:2008/09/28(日) 02:04:10 ID:Y10BaKfZ
「べ、別にあなたために言ってるんじゃないんだからね、歌会で恥をかくと
本家の恥になるんだから言ってるだけよ」
こんな政宗を想像したw
195人間七七四年:2008/09/28(日) 02:57:19 ID:ryj/geRa
>>192
俺が聞いた話だと秀秋は幼少時顔がかなり可愛かったらしいよ
あと木下勝俊が品とか歌才とかで「あれと兄弟とは思えぬわ」とかいわれてたらしいから
関ヶ原以前にすでに周囲の評価は低かったっぽい
できが悪いのは本人の責任じゃないのにね
196人間七七四年:2008/09/28(日) 09:25:51 ID:RQk7JNCd
公立高校普通科で
成績が中の上だった俺が

何かの間違いで超進学校に
編入とかなったら

落ちこぼれの笑いものなんだろうな
秀秋 カワイソス(´・ω・`)
197人間七七四年:2008/09/28(日) 09:44:27 ID:RJIK5k/f
>>196
よくわかる例えだが、あまりのギャルゲのテンプレ設定に「秀秋氏ね」と思った。
198人間七七四年:2008/09/28(日) 13:08:02 ID:SS8RUTGf
成績が悪いからってクラスの奴を笑いものにするというのにあったことない
199人間七七四年:2008/09/28(日) 18:25:54 ID:FTSNRewy
>>198
新学校だとそういうの無いよな
みんな下なんて見ない
200人間七七四年:2008/09/28(日) 18:33:17 ID:GKYwY8Kh
あいつ成績いいのにピザすぎて前転できなくて体育だけ成績死んでるんだぜプギャー

ならあったな。
201人間七七四年:2008/09/28(日) 18:54:17 ID:2PCb0JDX
伊達政宗が酒飲んで大暴れし、小姓の蟻坂善兵衛をぶん殴った翌日、蟻坂の同僚に出した反省文。


「いくら若輩とはいえ、小姓頭まで命じた者を、脇差の鞘で、しかも頭をぶん殴ってしまった事、これは俺が悪かった。
酒を飲むとつい、我を忘れてしまう。頭の傷が治ったらまた召し出すと、善兵衛によく伝えておいてほしい。」
202人間七七四年:2008/09/28(日) 19:13:11 ID:FRuutV5P
いい話なのか?
203人間七七四年:2008/09/28(日) 19:45:19 ID:1Lq+CoHr
>>201
酒宴でその小姓とはしゃいでたときに、
政宗を馴れ馴れしく触ったとかでブッ叩いたんだっけ?
むしろ悪いスレ向きのエピソードかとw
204人間七七四年:2008/09/28(日) 22:34:20 ID:S+9IB/7M
無礼講って怖いよね
無礼講だからなにしてもいいしむしろ
きにせずバンバン本音だし給えよってんで本当に本音だして無礼にしたら
絶対あとで恨みもたれて復讐されるもんね
戦国も現代もこれはかわらん
205人間七七四年:2008/09/28(日) 22:41:59 ID:2PCb0JDX
>>204
戦国時代はむしろ、無礼講でも秩序がしっかりしてたそうな。
一番危険だったのは室町時代だったらしい。ちょっとした事で流血の惨事。
206人間七七四年:2008/09/28(日) 22:49:33 ID:vDri3taS
>>204
さっきドリフの無礼講ネタ見たあとだったから吹いたw
207人間七七四年:2008/09/28(日) 23:29:09 ID:5StnpZoH
初めてみたけど面白いスレだね
亀でスマンけど>>121
>安全だって分かってない上に、まだ若い(未来がある)時分にそれだけの事が出来たのは、
>正直なにか別の理由あってのことじゃないか?って疑ってしまう。

妄想だけど三成の行動は韓非子に影響を受けているのかも
三成なら読んでいても不思議じゃない

史上、孫子と並び称される兵法家である呉起が、魏の将軍となり中山国を攻めた。ある兵卒が、腫れものができて苦しんだ。
将軍である呉起は、その無名の一兵卒のために、ひざまづいて腫れものの膿を吸い取ってやった。
それを伝え聞いた兵卒の母親は、悲しげに泣いた。
ある人が「息子さんは、将軍様にあんなに大事にしてもらっている。どうして悲しむの?」と訊くと、母親は答えた。
「あの子の父親も兵隊でしたが、昔、同じように呉起将軍に膿を吸ってもらい、その恩義に感激し、戦場でも逃げずに戦死しました。
今度は、あの子も死んでしまうことでしょう」(『韓非子』外儲説左上)


仮に吉継がこの故事を知っていたとしても
「やった!さすが三成!他の奴に出来ないことを平然と(ry」
だからどっちにしてもオトせるって寸法さ
208人間七七四年:2008/09/29(月) 16:25:55 ID:R70bDicL
山形城に天守閣がない理由。

五十七万石の大大名となった最上家。
ある日家臣と義光は城の庭を散歩していた。すると家臣たちが
「今の城は殿のおすまいにしてはあまりに手狭、
天守閣を築いて五十七万石にふさわしい城としましょう」
と盛り上がり始めた。
だが鮭様はむすっとしていて何故か話に加わらない。

数日後、天守閣を提案した家臣たちに鮭様から伝言が。
「おまえたちの気遣いはありがたい。
ここは平地にあるんだから、天守閣なんかつくっても防衛では
意味ないだろ? なのに工事とかしたら民が疲れるよ。
そんなことよりおまえたち家臣と領民を労ったほうが、
いざというとき役に立つんだ。だから、天守閣はいらない」
家臣たちは流石鮭様と感心したとか。
ちょっと信玄のエピぽいね。

かわりに鮭様は城下町にたくさん寺をつくった。
宗教施設でもあるが、軍事上重要な場所にあり、
いざ街を攻められたら城を拠点に戦えるような配置になっている。
実際、長谷堂合戦でもその戦略でハズレなかったわけだしね。
209人間七七四年:2008/09/29(月) 19:22:05 ID:DXdzF87r
スレ読んでたら義光好きになったわw
210人間七七四年:2008/09/29(月) 19:53:34 ID:ZwNnzk1x
>>209
俺も鮭様好きになったよw
211人間七七四年:2008/09/29(月) 20:23:45 ID:ujdAuwXa
鮭好きだ
212人間七七四年:2008/09/29(月) 20:55:40 ID:ROD9uQdF
鮭だいすき!
213人間七七四年:2008/09/29(月) 20:58:57 ID:3g2wG3jQ
俺もこのスレで最上が名君だと知った。
政宗より良い殿様じゃね?
214人間七七四年:2008/09/30(火) 00:51:37 ID:KeCRuebA
伊達家の資料読んだら最上義光は超悪党だけどな。
215人間七七四年:2008/09/30(火) 01:17:42 ID:vkysN4xc
伊達に悪党と言われても、だから何としか思わない
DQNヤンキーががまじめな生徒をガリ勉野郎と悪口言っているのを
聞いたような気分
216人間七七四年:2008/09/30(火) 01:28:31 ID:LtnpgagG
他武将との比較論証は別スレでしましょうよ。
何かと火種になりやすいですし。
217人間七七四年:2008/09/30(火) 01:32:43 ID:vkysN4xc
すまんすまん、火種にのった
てかなんでわざわざ>>214みたいなことを書く奴がいるのかわからんのだが
218人間七七四年:2008/09/30(火) 01:34:58 ID:7S6WIACh
政宗は「憎まれっ子世にはばかる」を地で行った奴だからなw
219人間七七四年:2008/09/30(火) 02:08:53 ID:2Dr2KcqJ
>>217
いろんな人がいるよ。あまり気にしなさんな。
220人間七七四年:2008/09/30(火) 02:20:25 ID:cf5PyH2r
>>218
「憎まれっ子世にはばかる」というのは、「人に憎まれるようなことをすれば、
人に嫌われて、小さくなって世間を渡ってゆくこととなる。」という意味なんだが、
思いっきり日本語を誤解しているのでは?
「はばかる。」というのは、権勢があるとか、大意張りとか、威勢がいいというような
意味ではなく、「大いに憚りさん。」というように遠慮勝ちに断りを入れるような
さまを言うのだが?…
221人間七七四年:2008/09/30(火) 02:25:34 ID:/rHQbA/M
>>220
まあ誤用は誤用だけど、通俗的にはその意味で通ってしまっているので、
日本語の変化にちまちま突っ込むのは正直いかがなものかと
222人間七七四年:2008/09/30(火) 02:52:04 ID:7S6WIACh
>>220
辞書ですら「憎まれる様な人に限って大成する」の意味で掲載されてるのに、そんなこと言われても・・・
ことわざってそういうもんでしょうが。
223人間七七四年:2008/09/30(火) 02:57:57 ID:cf5PyH2r
>>222
それは辞書が大衆に迎合した結果でしかない。

「憎まれっ子世にはびこる。」という言葉もあるが?…
224人間七七四年:2008/09/30(火) 03:02:26 ID:cf5PyH2r
ぜんぜん〇×◇△▽という言葉が、最近誤用されている。
「全然」の後には否定形が続くのが本来だが、肯定形で続けて当然と考えている
国語を習っていない輩が多すぎる!
225人間七七四年:2008/09/30(火) 03:06:02 ID:7S6WIACh
うん、そうだね。スレ違いのことだし、もうそれでいいよ。
ついでに、「すごい」や「ありがたい」が昔はどんな意味だったかしらべてみると、もっといいよ。
226人間七七四年:2008/09/30(火) 03:06:41 ID:CxKzuogR
誰々より上とか下とか言い始めて
それに反応したりしたら
せっかくの良話スレがさぁ、もったいない。

ことわざとか日本語については
勉強したと思えばいいじゃんw
227人間七七四年:2008/09/30(火) 04:15:40 ID:vKn9JJJA
つーか、そのレベルで言うなら憎まれっ子の間違いを指摘する文の「思いっきり」は間違ってると思うw
普通に使う分には問題ないけど。

まあ、日本語の意味は変わるもんだ。気にせずいこうぜ。ここは2ちゃんねるだ。
日々新たに新語や言葉の新しい使い方が生まれてるところだぜ。
228人間七七四年:2008/09/30(火) 06:04:12 ID:nC5jS809
>>224
明治ぐらいまでは文学でも肯定型が続いてるし
否定じゃなきゃだめってなったのは実はここ数十年だけらしよ?
あと憎まれるぐらいのことせにゃ大成なんてせんよ
商売だって馬鹿を騙してガッポリ儲けて笑うが理想スタンスだし
人がよかったらどこの世界でも食われるだけよ
それに早く気づいた人が大成して気づかなかた人がダメになる俺は間に合わなかった
229人間七七四年:2008/09/30(火) 07:29:16 ID:Nx67ZhZL
>商売だって馬鹿を騙してガッポリ儲けて笑うが理想スタンスだし

こういうことやってるやつはその内捕まる
230人間七七四年:2008/09/30(火) 09:06:28 ID:gQcD/vkr
鮭様って鮭延御大の事かと思った
231人間七七四年:2008/09/30(火) 11:48:58 ID:MgKgRjB9
秀吉の謀臣・黒田如水は倹約家で知られていた。

瓜の季節になり、彼の領民がたくさんの瓜を献上してきた。
如水は小姓や坊主に至るまでご馳走してやったが、不思議なのは如水が「瓜の皮を厚くむけ」と命じたことである。
家臣たちは「皮を厚くむいたら、実の部分が少なくなりますが」と聞いたところ、如水は台所役人を呼び出して皆の前でこう申し渡したという。

「あのむいた瓜の皮を塩漬けにしておけ。台所で飯を食う者は、おかずが少ないこともあるだろうからその足しにせよ。更に、茄子のヘタでも、野菜のくずでも捨ててはならぬ。すべて塩漬けにして、備えておけよ」

さらに、こんな事も言っていたという。
「屋敷持ちの侍どもは、庭に梅の木を植えろ。禄米は与えてやっているのだから、おかずの梅干しくらいは自分で作れ」


こうして如水は蓄財に励んだ。

秀吉の晩年は疎んじられ、政権の中枢からは程遠い豊前中津に追いやられてしまった。

しかし彼の知謀は衰えず、関ヶ原の合戦の際には蓄財した金銀をばらまいて浪人・領民を集めて傭兵集団を結成し、九州全土を席巻しようとしたという。
232人間七七四年:2008/09/30(火) 11:55:55 ID:PJF738B2
一方、ケチな利家は嫁に「銭つれて戦いに行け、この馬鹿」と怒られた。
233人間七七四年:2008/09/30(火) 12:33:36 ID:gGTOm+dT
>>224
全然の後に否定系がくるのは大正時代から。
本来は肯定否定どちらでもいい。
234人間七七四年:2008/09/30(火) 13:25:28 ID:2Dr2KcqJ
>>232
嫁にそう罵られて、刀抜いて斬り殺そうとしたw
235人間七七四年:2008/09/30(火) 13:30:05 ID:hhkkN1tB
>>232
>>234
話の流れ上仕方ないがスレ違いのような
236人間七七四年:2008/09/30(火) 13:38:29 ID:PJF738B2
すまんw
237人間七七四年:2008/09/30(火) 14:04:14 ID:2Dr2KcqJ
>>235
スマンカッタ。では改めて

立花道雪の家臣団と言えば、屈強さで天下に名高い者達であったが、その中にも、どうにも
目だった武功の無い者がいた。
戦の前の日、彼がその事で悩んでいる事を知ると、道雪はこれを呼び出し、諭した。

「武功をなすのも、運不運があるものだ。そなたが弱いから武功が無いのではない、と言う事は
私がよく知っている。

明日の戦で、周りの者達にそそのかされて、武功をあせり抜け駆けなどして討ち死にしてはならぬ。
それは、私に対する不忠であるぞ。
そなたはその身を全うし、この道雪の行く末を見るのだ。

私は、お前達のような家臣を打ち連れているからこそ、このように年老いても、
敵の真ん中に出て怯むことなくいられるのだからな。」

次の日この者は、人に遅れじと奮戦した。そして道雪も、彼の武者振りが少しでもいいと
「あの者を見よ!この道雪の目に狂いはなかったわ!」と褒め上げ、彼の面目を上げた。

道雪は常々こう言っていたという。

「武士に弱い者はいない。もし弱い者がいれば、それはその者ではなく、その大将が悪いからなのだ。」
238人間七七四年:2008/09/30(火) 19:42:58 ID:NlryWuWO
( ;∀;)イイハナシダナー
239人間七七四年:2008/09/30(火) 20:26:39 ID:RMIPuET0
雷神様さすがだお(;ω;)
240人間七七四年:2008/10/01(水) 01:21:42 ID:6lGl6y0n
最近「ほめる技術、しかる作法」という本を読んだせいで
>>237に強く感心してしまった
241人間七七四年:2008/10/01(水) 03:22:00 ID:5T5mXeOw
現代の上司とまるで器が違うw
242人間七七四年:2008/10/01(水) 03:39:34 ID:V0ae/1E5
>>225
言葉の意味ってのは変化して行くものだからな。
「いい加減」は文字通り、「良い加減」でプラスの意味の言葉だったし、
「我慢する」は「我を慢ずる(=自分であることを怠ける)」で元々マイナスの意味の言葉だった。
243人間七七四年:2008/10/01(水) 10:23:16 ID:ldklmnQM
「適当」もね。
244人間七七四年:2008/10/01(水) 10:25:33 ID:0wktvgXi
確信犯も追加されるわけですね
245人間七七四年:2008/10/01(水) 10:48:36 ID:3Mo8wJs8
要するに一つの言葉だけをあげつらって「この使い方は間違ってる!」とか得意げに力説するのは馬鹿のやる事って訳だ。
246人間七七四年:2008/10/01(水) 10:55:09 ID:XBCzJ97d
まぁ24時間以上前のレスにそうかかわらんでもいいじゃないか

藤沢周平の「密謀」によると、
最上義光が羽州荘内に進出を企てた理由は
塩鮭が食いたかったからだという言い伝えがあるそうだw
247人間七七四年:2008/10/01(水) 12:17:31 ID:lO8wNp2h
鮭様が鮭目的で他領に侵攻したと言われても納得してしまう最近の俺
248人間七七四年:2008/10/01(水) 13:21:18 ID:x3NkW8f7
侵攻は避けられないよなぁ。鮭だけに。
249人間七七四年:2008/10/01(水) 15:12:21 ID:+J05V6wt
まぁ鮭の魅力には勝てまいて。
250人間七七四年:2008/10/01(水) 15:49:36 ID:H1rkp6xY
>>241
戦国末期や江戸以降はとのかく戦国の武士は個人の郎党だからね
部下は個人に仕えてるわけだ
翻って現代の上司は組織内の命令執行者に過ぎない
部下は上司個人ではなく組織に仕えている
だからべつに雷神さまのような徳や部下に対する心配りも必要がない
だからそんなことやらんでもいい。業績が上がればいい。ドライ関係でいい

問題なのは本来そうあるべきの現代の上司も
彼らの感覚としては個人同士の主従関係だと思っていることだね
預かっているだけの部下に個人の忠誠心を要求して
私有物みたいな感覚になっている。似てるが違う状況への勘違い
ならば完全に全部勘違いしてればいいのに
中途半端な勘違いなので戦国の世のように心配りや気遣いもしない
両方の悪いところだけとってる人が多いのが問題
251人間七七四年:2008/10/01(水) 20:20:52 ID:AuXFIJeh
現代の会社組織と、昔の武家の組織形態と比べたってしょうがないだろ。
むしろ比べるなら、現代の会社組織と、昔の商家の中のそれぞれ上司・部下の関係じゃね?
252人間七七四年:2008/10/01(水) 22:06:22 ID:bkCOK1tm
信長の野望じゃなくて義光の野望があったら、
ひたすら鮭を確保する話になるわけだな
253人間七七四年:2008/10/01(水) 22:17:52 ID:XBCzJ97d
日本海に出れば即クリア
254人間七七四年:2008/10/01(水) 22:38:02 ID:5T5mXeOw
兵糧も鮭おにぎりとか出るんだろうなあ
255人間七七四年:2008/10/01(水) 22:51:22 ID:7qluUL+C
鮭の皮で具足を作ります
256人間七七四年:2008/10/01(水) 23:05:10 ID:5T5mXeOw
アイヌの靴かw
257人間七七四年:2008/10/02(木) 00:12:38 ID:SXbHd9a2
シャケアーマー
258人間七七四年:2008/10/02(木) 00:20:21 ID:Uk9YE/iP
我慢できずに鮭様が食っちゃって怒られるんですねわかります
259人間七七四年:2008/10/02(木) 00:21:07 ID:U+nvCHCS
シャケでいちばん栄養価が高いのは皮なんだぞ!
260人間七七四年:2008/10/02(木) 00:45:06 ID:1ZwzHorE
戦国トップブリーダー

武蔵国、岩付城主、太田資正は大変な犬好きであった。居城である岩付城と、属城としていた松山城とに
五十匹ずつの犬を飼っていた。だが、城内でも場外でも、資正が犬とじゃれあっているのを見ると、
家臣も領民も、あまりに度が過ぎる「うつけ殿め」と、陰口を叩いていた。

しかし資正は気にもとめずに、何月かに一度は、岩付で飼っていた犬五十匹を松山城に連れて行き、
帰りがけにそれまで松山城で飼われていた犬たちを連れて戻って行った。

そんなある時、松山城が北条氏康に急襲された。

あまりに急なことで城は完全に包囲され、異変を知らせる使者すら、北条の忍、風魔の手にかかりり皆、殺された。
松山城は完全に孤立した。もはや開城しかないのか、城代たちがそう覚悟を決めようとしたとき、
資正から犬の世話を任されていた下人が、おずおずと言った

「殿様が、何かあればこの犬達を放せ、と言っておりました。」

何かはわからぬが、ともかくも城にいた犬を放ってみた。
すると資正の犬達は、まっしぐらに資正のいる、岩付城へと駆け出した。
風魔衆も、人は警戒していても、犬までは警戒していなかった。
犬達が駆け込んでくるのを見た岩付城の資正は異変を察知、すぐさま軍勢を繰り出した。
岩付城との連絡は取れないと、たかを括っていた北条勢はこれに驚き、慌てて囲みをといて逃走した。


大田資正の犬、その号を取って三斎犬。日本で始めての軍用犬の活躍、と言われるお話。
261人間七七四年:2008/10/02(木) 00:47:49 ID:bbRjd+dn
>>260
それって確か山田風太郎「風来忍法帖」に出てきた話の元ネタにもなったね
262人間七七四年:2008/10/02(木) 00:51:46 ID:1ZwzHorE
ああ、ミスった。三斎犬じゃなくて、「三楽犬」でしたorz
263人間七七四年:2008/10/02(木) 00:52:36 ID:Uk9YE/iP
>>260
この太田資正の子孫が狗法眼ガルフであることはあまりにも有名である
264人間七七四年:2008/10/02(木) 01:00:50 ID:4Vwy1rOB
265人間七七四年:2008/10/02(木) 09:39:14 ID:xmEyyzox
いい話というかスゴイなこの殿様
266人間七七四年:2008/10/02(木) 13:43:36 ID:cF3xEyUH
いやあ(ノ´∀`*)
267人間七七四年:2008/10/02(木) 15:15:22 ID:LAzYl/p9
>>266
おいw
268人間七七四年:2008/10/02(木) 16:47:06 ID:qRK3PRWZ
関ヶ原の役のころ、伊勢桑名城主であった氏家行広のお話。


行広が、友人であった京極高知・朽木元綱と小田原攻めの前に近江水口の宿に泊まった。
その宿屋の主人は、よく当たる占いをするという。
朽木元綱が、『この三人の中で、最も出世しそうな者は誰だ?』と聞いてみた。
主人はしきりに恐縮したが、やがて行広を指差した。
『現在、桑名のお城は空き城ですが、近い将来あなたさまは必ずや関白のお気に適い、桑名の殿様となられましょう』。

予言は的中、小田原攻めの後に行広は桑名二万五千石の領主となった。
宿屋の主人は、多くの引き出物目当てに桑名に賀儀を述べに現れた。
だが主人の期待を裏切り、行広は祝儀程度の引き出物しか与えなかった。

行広の吝嗇に対し、近臣は怪しんだが、行広はこう語ったという。
『かの者の予言はたまたま当たったものである。まぐれ当たりに莫大な褒美を与えては、父祖の代からのおまえたち家臣に何をもって報いればよいのか。軽くもてなしたのは、そのためである』

しきりに感心する家臣たちに対し、行広は更にこう続けたという。
『だが考えてみれば、宿屋の主人との縁もゆかしいものがある。この縁をここで絶っては惜しい。これからは京・大坂への往還のたびに、あの宿屋を本陣として使ってやるがよい』
269人間七七四年:2008/10/02(木) 21:02:45 ID:1ZwzHorE
天正二年、上杉謙信が木戸伊豆守に送った手紙

「関東に攻め込んだ際、船で利根川を渡る事になったのですが、途河の最中、北条に攻撃されては危ないと思い、
佐藤筑前に『その危険はないか?』と、聞いた所、『地形から考えてその危険性はないでしょう』などと言うので
安心して船を出そうとしたら、案の定北条方からの待ち伏せ攻撃を受け、途河する事ができなくなり、
みっともない姿をさらしました。
あの馬鹿者には腹が立って仕方がありません。

しかしまあ、武田信玄や北条氏康ですら、失敗する事はあるのですから、
私が失敗するのも、それは仕方のないことでしょう。」

なんのかんので信玄や氏康を認めているツンデレ謙信であった。
270人間七七四年:2008/10/02(木) 21:47:05 ID:KkKqBmVv
信玄らに比べて年下の後輩だからね。
謙信が松山城救援に進軍中に、勝手に降伏した事に怒った謙信
松山城を落城させた北条と武田のが陣を張ってる真ん前を堂々と進軍して北条が作った砦を落として、
また北条と武田の大軍が陣を張ってる真ん前をゆったり進軍して帰っていった時は
北条と武田ほどの軍勢と戦って負けても恥にはなるまいって言って敵陣の前を往復して挑発してるし。
271人間七七四年:2008/10/02(木) 23:34:05 ID:4Vwy1rOB
信玄のライバルだから、信玄と年が近いのかと思いきや
信長の方が年は近いからな
272人間七七四年:2008/10/03(金) 07:54:00 ID:MsfqTbaW
大坂夏の陣が終わった後、家康の息子の忠輝が部下の不始末が原因で
家康の勘気をこうむり、謹慎処分を受けた。
その後、しばらくしてから家康が病に倒れて亡くなると、後継者の秀忠は
謹慎処分を受けて押し込められてる忠輝の警護の人数を増やすように命じた。
警護の人数が急に増えたのを見た忠輝は家康が亡くなったことを悟り、涙を流した。
警護を増やしたのは、弟の忠輝に父親の死をそれとなく知らせるための処置だったのである。
273人間七七四年:2008/10/03(金) 09:57:01 ID:djzYwKS7
>>272
その後すぐ秀忠に改易されるけどな
274人間七七四年:2008/10/03(金) 10:26:59 ID:pFcz+0GQ
>>273
あの時代の基準なら、殺されなかっただけ、「人道的」と考えたほうがいいと思う。
275人間七七四年:2008/10/03(金) 14:40:55 ID:5tULv9HA
捨て扶持貰って歌舞音曲で余生をって今なら魅力的に感じるなぁw
276人間七七四年:2008/10/03(金) 14:47:54 ID:X8/4PSVP
>>275
さあ早く先陣を切って敵陣に突入する仕事に戻るんだ
277人間七七四年:2008/10/03(金) 16:10:57 ID:klxeKU2H
元大名で捨てぶちとか縁戚の大名から援助とかうけながら
どこかで隠棲して余生送った奴は
本人的にはいろいろ大変だったろうが
はたからみたら羨ましすぎるよな
木下勝俊とかも
秀家とかは微妙だが
盛親も十分に援助してくれる人がいたら京で天寿を全うできたかもしれん
278人間七七四年:2008/10/03(金) 16:14:28 ID:QnEVw2c2
ニートみたいなもんだからな
279人間七七四年:2008/10/03(金) 16:17:20 ID:pFcz+0GQ
秀家も待遇自体は良かったらしいけどね。
気候のいい八丈島の、しっかりとした食事とストレスの少ない生活のおかげであんなに長生きしたとか。
280人間七七四年:2008/10/03(金) 20:17:24 ID:43eOmSxL
タダテルも60何ぼまで生きたんだから、悪い待遇じゃなかったんだろう
281人間七七四年:2008/10/03(金) 20:22:00 ID:52qywjMv
TERUは90過ぎまで長生きしたろ
282人間七七四年:2008/10/03(金) 20:24:15 ID:xHYmu/Y4
死んだの家綱……いや、綱吉の時代かもしかして。
283人間七七四年:2008/10/03(金) 20:33:56 ID:frWXO3Ht
秀家と八丈島と言えば、沢橋兵太夫を忘れてはいけない。
でも時代的にすでに戦国ではないので
興味がある人は適当に検索してちょ。
いい話だよ。
284人間七七四年:2008/10/04(土) 11:29:48 ID:AO5pZgTI
>>282
秀家の没年は1657年くらいだから、家綱の時代だよ。
285人間七七四年:2008/10/04(土) 11:30:55 ID:2SX9t+Q5
何をどうやったらあの時代に九十まで生きられるんだろう
286人間七七四年:2008/10/04(土) 11:52:39 ID:KMMByJPC
>>285
130歳まで生きた渡辺幸庵なんて武将がいる

生まれが1582年(本能寺の変があった年)、死んだのが1712年(新井白石たちが正徳の治やってた頃)
287人間七七四年:2008/10/04(土) 12:00:28 ID:keCMsaiK
>>284
忠輝の話
忠輝1683年没
家綱1680年没
288人間七七四年:2008/10/04(土) 13:30:37 ID:2SX9t+Q5
>>286
腰抜けた…

石で怪我する程度の実戦経験ある最後の幕臣、ってだけで敬意をうけた人がいるらしいけど、
渡辺さんも実戦経験があるんなら、18世紀には神状態だろうな
289人間七七四年:2008/10/04(土) 16:10:38 ID:ZZd0ko/A
俺は生涯で女のマンコに蛇が自ら潜り込むのを数度見たことがある
と豪語してたよねたしか>渡辺幸庵130歳
290人間七七四年:2008/10/04(土) 16:25:03 ID:aYXq7aWq
もうその年齢だけで架空の人物説が出る武将だからな。

現代の医療技術でも130まで生きるのは奇跡。
291人間七七四年:2008/10/04(土) 17:19:09 ID:mzvCBBTb
実は影武者だったりするんだろうなぁw
292人間七七四年:2008/10/04(土) 17:20:14 ID:i5/csjXg
>>289
完全にボケてるな
293人間七七四年:2008/10/04(土) 17:20:46 ID:2SX9t+Q5
三代目・渡辺幸庵、後継者の育成に失敗し、名跡断絶
294人間七七四年:2008/10/04(土) 17:51:38 ID:ZZd0ko/A
>>292
対話集の中で武蔵と柳生宗矩の実力を語る部分も
武蔵の苗字を弟子の苗字と間違えてるので
たしかに信憑性はあれなんだけどw

1602〜1796の三河の百姓満平さん(195年生きた)が
近世以降での日本人での長寿記録じゃないだろうか
あ、一応江戸時代に平和泉まで従った義経の部下だった人が
当時の物語をしたと林羅山が記録してますけどね

天海以上に信憑性がはっきりしてる長寿武将だと
まず滝川一益の従兄弟の滝川益氏さん1527〜1635
前田慶次郎の実のお父さん。息子より長生きしちゃいました
一益とともに転戦。その後は小牧長久手や秀吉の九州征伐にも出てる
他には国司元相さん1492〜1592
毛利隆元の傅役でおもに対尼子戦で活躍
子孫は幕末に禁門の変の指揮をとり23歳で切腹

ちなみに余談だけどどう考えても世界記録なのはインドの聖者ハジジさん
西暦203年11月30日に生まれ1800年を越えたいまだに元気に生存中
聖書や神話を除けば2位は中国の四川省の李青曇さん1677生まれ〜1931没
200歳を迎えた時に清政府から祝賀の言葉をもらった
295人間七七四年:2008/10/04(土) 17:53:04 ID:ZZd0ko/A
平泉でした
常陸坊さんのことです
当時500歳越え?
296人間七七四年:2008/10/04(土) 17:56:42 ID:ZZd0ko/A
さらにごめんババジさんでした
聖者の名前間違えちゃった・・・orz
297人間七七四年:2008/10/04(土) 18:16:29 ID:2SX9t+Q5
多分、ボケて死ぬことを忘れてるんだろうな
298人間七七四年:2008/10/04(土) 19:11:31 ID:uCx/U3Ly
一人のアバターを複数の中の人が使いまわししてるんじゃね>ババジさん
299人間七七四年:2008/10/04(土) 20:22:48 ID:nXWURoRl
そもそも男なのか女なのかわからない
300人間七七四年:2008/10/05(日) 04:22:52 ID:4BtEC8LF
婆爺だもんな、漢字にすると。
301人間七七四年:2008/10/05(日) 05:07:50 ID:wU2zI6yy
まぁ戦国時代とは全く関係がないし
>>294じゃないけど俺が知ってる情報だと

マハー・アヴァダー・ババジ(男性)
意味だけとるなら「偉大な(マハー)」「神の化身の(アバダー)」「聖者(バジジ)」
容姿年齢は25歳前後
ヒンズー語以外のさまざまな言語を自在に使いこなし(英語を使うことも多い)
食事はとらなず後光が差している
崖から落ちたものを蘇生させテレポートで移動(だるしむ系か?)
無から黄金を物質化したこともある
ビートルズのアルバムの表紙で姿が見れる
著作物もあり
ブッダともたしか何か関係がある

胡散臭さ大爆発だがインドだし
生まれたのは匈奴の圧迫で移動した大月氏からわかれたクシャーナ朝の時代
ちなみにそのころ日本では3年前から神功皇后指揮のもと三韓征伐中
中国では袁紹が倒れ数年後には赤壁の戦いが起きる
宗教や哲学なんかじゃなくてその目で見てきたであろう歴史の流れを著作にしてほしいぐらいですよ
302人間七七四年:2008/10/05(日) 06:13:18 ID:k9IjgyMh
ヨガファイヤー猫である
303人間七七四年:2008/10/05(日) 11:28:40 ID:qVy2sR7X
第165代ババジ
304人間七七四年:2008/10/05(日) 12:12:01 ID:drdcR3Wv
親戚はパパス
305人間七七四年:2008/10/05(日) 12:26:10 ID:qVy2sR7X
遠い親戚に、女の子なのにチチ
306人間七七四年:2008/10/06(月) 02:22:37 ID:WZt6t/eK
転生を長寿の一種とするなら、時の人のダライ・ラマも活けますかね?

日本だと、武内宿禰も中々の長寿ですな。
子孫で予備校講師をやってる人は、子孫による入れ替わりを示唆しているようですが。

しかし、予備校講師は面白い人物がいたりしますな。大本教の出口王仁三郎の孫なんかもいるそうで。
307人間七七四年:2008/10/06(月) 10:27:51 ID:uKBhvrK7
親の手紙、子の心

毛利元就の、三本の矢の逸話の元ともなった、有名な「三子教訓状」。
この話には、少し、続きがある。

この書状、元就からは、読んだら返すようにと言われていたのだが、当主隆元はこれを、大事なお守りとして取り扱い、
また、大切な部分を箇条書きにして記録をしていたため、年を越しても手元においていた。
そして、詫び状とともに、この教訓状を返却した。

それへの、元就の返書

「去年お届けした書状を、ただいま頂戴しました。
本当に、私の意見をこのように真剣に考えていただき、大切にしていただいた事、
こう言うのもなんですが、これほど嬉しい事はありません。…あの書状はもう一度お届けします。
どうかそちらに置いて下さい。

あの書状に書いたように、事につけいつも、妙玖(亡妻)の事ばかり考えています。
一人になってしまって、内外の事全て、自分一人でしなければならない常態です。
隆元、元春、隆景のことは勿論、宍戸に嫁いだ娘にも、色々進言したいことが多いのですが、
もう私もくたびれ果ててしまって、根気も続かず、妙玖がいてくれたらと、思うばかりです。
本当に語り合える相手も無く、自分の胸に語りかけているような有様です。
内は母親が治め、外は父親が治めると言いますが、本当にそのとおりだと思います。

余計なことばかり書いてしまいましたが、口で語れるようなことではないので、つい筆に任せて
書き連ねてしまいました。大したことではありませんので、暇な時にでも読んでください。

この書状は恥ずかしいので、読んだら、なるべく早く返却してください。」
308人間七七四年:2008/10/06(月) 10:58:09 ID:F2bKuIe+
今も残ってるてことは返さなかったのかw
309人間七七四年:2008/10/06(月) 20:06:54 ID:VZqiWrS1
三矢の手紙のほうはいいとして
こっちは返却してやれよw
310人間七七四年:2008/10/06(月) 20:25:24 ID:MPbH3Mnj
元就可愛いなww
311人間七七四年:2008/10/06(月) 20:37:05 ID:uKBhvrK7
>>308
いや、元就の元に返却されてそのまま残ったんだよw
312人間七七四年:2008/10/06(月) 20:40:23 ID:YuXMOfqh
ちょ、元就のイメージ変わったw
かわええ
313人間七七四年:2008/10/06(月) 21:20:22 ID:61JZEe2r
元就とか尼子の爺様とか鮭様が可愛いんですがw
314人間七七四年:2008/10/06(月) 23:16:49 ID:vYduB1Sd
どっかのヤンデレは論外としても、戦国武将って政略結婚ばっかだったわりに
正妻を大事にしてる人多いんだよな

恋愛対象ってよりは人生のパートナーとしての意味合いが強いんだろうが
315人間七七四年:2008/10/06(月) 23:17:15 ID:6PNF34g9
土佐の出来人もいろいろ逸話はのこってるが、禁酒令とかはよくあるっちゃよくある話だな
316人間七七四年:2008/10/07(火) 00:03:10 ID:caQyWuTM
元就の書状と言えばこんなのがあるな。

元就は手紙魔だが、機密保持のために必ずそれを返却させていた。
ところがなかなか書状を返さない者がいて、そのためわざわざ「書状を返せ」と言う書状を
出したりしてる。

その「返せ」と言う叙情の、末尾に書いてある言葉、

「あ、そうそう、この書状も忘れないで返してね。」
317人間七七四年:2008/10/07(火) 00:11:10 ID:gYH2O6eV
元就きゃわえええええええええええええええええええ
318人間七七四年:2008/10/07(火) 00:15:10 ID:RPx/OfrO
鷲津並の老人萌えだなw
319人間七七四年:2008/10/07(火) 00:16:03 ID:Dzw/mgsA
ここの萌え西横綱は毛利、東横綱は鮭かw
320伊達政宗の手紙(バサラ風):2008/10/07(火) 00:36:30 ID:X8wl6Q8R
手紙繋がりで鮭様の甥っ子は鱈が好き?

Dear 左馬助

Hey、What has happened?
もう正月も半ばだって言うのに、この時期になっても街中に鱈が出回ってねぇっていうのはどういう事だ!?
聞けば、伊達や相馬の辺りでは出回っているそうじゃねぇか。
ひょっとして、漁師の連中の間に何か困った事があったんじゃねぇか?
何があったのかわからねぇが、とりあえず売り惜しみをせず、安心してBusinessをするように伝えてくれ。
浜の近くにいるヤツらにこの事を伝えて、漁師達を説得してみて欲しい。奉行達からも言ってやってくれ。
くれぐれも、よろしく頼むぜ。
                                            13日  政宗
以下原文

当年は、今に町中に鱈出ず候由、申し候。伊達・相馬辺りには、これ有るのに候。
左様に候へば、浜中の者ども何かと機遣ひも候て、売り物にいださず候や。
初の十、十五の間こそにて候。
はや心安く市中へも出し候て商い仕り候やう、念に入れ申し付けべく候。かしく。

惣別、島・浜の者ども、さやうの義に機遣ひ仕らざるやうに、能々申し付けべく由、浜に代官もち候者どもへ、
皆々へ懇ろに申し付けべく候。
奉行衆へ申し候て、書付にても回し候てしかるべく候。
今の分に候ては、外実ともに、返々も然るべからず候。かしく。

321人間七七四年:2008/10/07(火) 04:40:11 ID:i15guaaM
たしか毛利は兄弟間でも手紙は返せって言ってるんだよな。
親父の影響なのか、単に信用してなかったのか・・・。
322人間七七四年:2008/10/07(火) 08:50:57 ID:hIAkd+FU
彼らが今の時代に生きていたならメール文の最後にはこう書かれているだろう
「このメールは30秒後自動的に消去される。繰り返す…」
323人間七七四年:2008/10/07(火) 08:51:55 ID:cs2tX71T
そういうことじゃないだろう
手紙魔ってことはだな
親子の間なら当然直筆となるよな
人間心理として1つしかない物の保管は厳重となりやすいし、いざ喪失してもわかりやすい
これが100個ある物だとどうなる?

筆跡が敵方にばれやすい

即時性の情報伝達及び確認手段の無い時代において、これは致命的
まして国が大きくなればなるほど相互間の伝達距離もあきやすい
そして対尼子、陶でのやり方をみれば偽手紙の有効性というものを骨身にしみて理解して
いるのが毛利親子
324人間七七四年:2008/10/07(火) 08:52:37 ID:hpzny7gO
>>320
書くのはいいんだが普通に書いてくれ
325人間七七四年:2008/10/07(火) 09:03:46 ID:lm4kYQIn
じゃあ代筆させればいいじゃない
326人間七七四年:2008/10/07(火) 09:25:37 ID:qhJ6PuxW
>>322
指令の入ったレコードが爆発するやつ思い出した
327人間七七四年:2008/10/07(火) 10:46:09 ID:qw2KAgVW
>>325
    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ!
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ
      _, ,_
     (`Д´ ∩ < そんなのヤダヤダ
     ⊂毛利 (
       ヽ∩ つ  ジタバタ

       ∩
     ⊂⌒(  _, ,_) < 手紙は自分で書かなきゃ意味ないの…
       `ヽ_つ ⊂ノ      
              ヒック...ヒック...
328人間七七四年:2008/10/07(火) 13:53:46 ID:gWk+0C4p
まさか尼子や大内あての偽手紙も全部自分で書いてたのか・・・>元就
329人間七七四年:2008/10/08(水) 08:16:53 ID:557Au/5d
大坂冬の陣のころ京都所司代をつとめた板倉勝重の話。

 年の暮れも近いある日、京都近辺で窃盗事件が発生し、現場近くの村に犯人がいることまでは
突き止めたが、そこの村の人たちは犯人をかばって情報提供にまったく協力しなかった。
業を煮やした勝重の部下が村人を拷問にかけるべきと主張したが、勝重はその意見を
採用しなかった。
 勝重は村人を村の外れに集め、そこにある地蔵を指差して言った。
「盗みの犯人はそこの地蔵である。こんな悪さをさせぬよう諸君らに交代で
見張りを命じる」
 信じがたい話ではあったが、所司代の命令とあれば逆らうわけにはいかなかった。
 だが、大晦日の前の忙しいころに見張りをするのは辛く、たちまちのうちに
村人たちは辟易した。たまりかねた村人たちはついに窃盗の真犯人の名を挙げて
見張りをやめさせるように所司代の勝重にお願いした。
 地蔵の見張りを命じたのは自白をうながすための策略だったわけである。
330人間七七四年:2008/10/08(水) 08:29:41 ID:lMdOT2eg
なんか、めんどくささのあまり無実の人間を犯人に仕立て上げたって思ってしまうw
ゆがんでるかな俺。
331人間七七四年:2008/10/08(水) 09:23:27 ID:Rake2l0t
俺が読んだ話では
「犯人は分かりませんが、村人全員の責任として、皆で少しずつ出し合って、盗難に遭った人に弁償します」
ってことになってた
332人間七七四年:2008/10/08(水) 09:35:24 ID:/o7fKIwi
息子同士は血で血を洗う激戦を繰り広げた、北条氏綱と長男為景。
実はこの親同士は、親友付き合いをしていた。

なにせ手紙をやりあう時、大名同士だと言うのに、長男為景に対しては、為景を略して「為」、
北条氏綱にいたっては、氏綱の綱の字を、さらに略して「岡」と呼び合う仲だった。

「岡より

酒と酒の肴送りました。遠路はるばる運んだのだから、きちんと賞味してください。

為へ」

こんな感じでやり取りしてた。
333人間七七四年:2008/10/08(水) 09:59:00 ID:svb37UL8
息子どうしも「虎より康へ」みたいな手紙を
出し合う仲だったら関東は平和だったのにw
334人間七七四年:2008/10/08(水) 10:01:43 ID:zeF7cpDX
ところでなんで諱の略なんだろう?
335人間七七四年:2008/10/08(水) 10:01:49 ID:tCOt7TG5
関東は平和だったかもしれないが甲信が
336人間七七四年:2008/10/08(水) 10:05:02 ID:/o7fKIwi
「長尾」が全部長男になってる事に今気付いたのだぜ…orz
337人間七七四年:2008/10/08(水) 11:26:19 ID:QJO9Rq9m
ちょうなんためかげって誰だろうって思わず一瞬ググろうとしただろw
338人間七七四年:2008/10/08(水) 11:41:25 ID:/o7fKIwi
>>334
書状だし、「気軽に諱を使えるほどの仲」って事じゃ無いかね?
339人間七七四年:2008/10/08(水) 13:26:02 ID:Thk3NZDH
>>335
虎が暴れてるんだからしょうがない
340人間七七四年:2008/10/08(水) 17:07:45 ID:gtzIri+A
謙信が「とら」って書いた書状とか
信長が「のぶ」って書いた書状とかあるよな。
親近感を見せるのに諱を省略した署名するのは結構ある。
341人間七七四年:2008/10/08(水) 19:33:03 ID:+2x5aL+q
日本三大植木市の一つとされる山形市の「薬師祭植木市」は、
義光が大火で失われた緑を取り戻そうと
住民に呼びかけたのがはじまりとされている。

日本戦国に生まれた自然保護の男
342人間七七四年:2008/10/08(水) 20:02:47 ID:GbUwt9MQ
鮭様ktkr
343人間七七四年:2008/10/08(水) 20:35:19 ID:rQc6VUhG
海外の大統領や首相がファーストネームで呼び合うようなもんだなw
ロン・ヤス関係ってあったな
344人間七七四年:2008/10/08(水) 20:58:33 ID:Gfd4rqEv
ピンフのみで上がったら馬鹿にされたの?
345人間七七四年:2008/10/08(水) 21:08:48 ID:aMWn7QIn
立花宗茂の逸話が長嶋一茂主演で再生された。
346人間七七四年:2008/10/08(水) 21:16:12 ID:7D6RORUr
>>345
kwsk
347人間七七四年:2008/10/08(水) 22:02:41 ID:dgCcxUo5
おまえらの好きな鮭様が壁紙になりましたよw
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=115258
348人間七七四年:2008/10/08(水) 22:08:20 ID:jrom1iRJ
やっぱり鉄棒w
349人間七七四年:2008/10/08(水) 22:08:31 ID:7D6RORUr
>>347
なんだこれwwwwwwwwwwwwwwwwwww
350人間七七四年:2008/10/08(水) 22:18:25 ID:C9BtW0iZ
>>347
匹夫の臭いがプンプンするなw
351人間七七四年:2008/10/08(水) 22:23:00 ID:86WBWtxu
なんだろうこの滲み出るダメダメ感は・・・
352人間七七四年:2008/10/08(水) 22:26:29 ID:7D6RORUr
なんだかビックリマンシールのようだw
353人間七七四年:2008/10/08(水) 22:28:06 ID:dgCcxUo5
( ´Д⊂ヽウェェェン ごめんね、義光先陣切って走ってごめんね
354人間七七四年:2008/10/08(水) 22:50:30 ID:KtaBGsjt
>>345
茂雄道雪と貞治紹運ですね。
355人間七七四年:2008/10/08(水) 23:59:45 ID:05HRmC8o
このダメっぽさが癖になるw
356人間七七四年:2008/10/09(木) 00:37:05 ID:5FItGbhJ
平成の癒し系歴史施設・山形市鮭様歴史館

・館長自ら戦国武将兜ペーパークラフトを作るw
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=109443
・鮭様の呼び名は「義光クン」
・展示品は太っ腹な子孫が全部寄贈
・こどもページの鮭様はがんばりすぎだ
ttp://kids.mogamiyoshiaki.jp/?p=listlog&c=332264
・喫茶室の気合いの入り方が謎
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=106542
・公式ブログがなんかかわいい
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=list&c=840
・配付グッズがゆるい
ttp://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=115258
・甲冑武者の名前が「ジョンくん」

鮭様らしい謎の施設であるw
ちょっとイイ話じゃないんだけど、タダで音声ガイドが借りられるあたり
ちょっといい施設、ということでw
357人間七七四年:2008/10/09(木) 00:40:22 ID:TEeHYXoG
>>356
喫茶室のメニュー、ほとんど喫茶マウンテンじゃねえかw
358人間七七四年:2008/10/09(木) 00:43:33 ID:WdSLzKQs
>>356
φ(°ー°)ホォホォφ(。_。)メモメモφ(°-°)フムフムφ(。_。)カキカキ
359人間七七四年:2008/10/09(木) 00:49:42 ID:3ifTiI4N
>>356
さすが鮭様の資料館w是非行ってみたいな
360人間七七四年:2008/10/09(木) 00:51:50 ID:EY1t+fjP
こういう意図せぬお役所的ハズしっぷりこそゆるキャラの真髄だよなぁ
361人間七七四年:2008/10/09(木) 01:31:16 ID:HJfavnrr
鮭様記念館は展示物少なすぎでちょっと萎える。
霞城公園(山形城跡)の鮭様銅像はかっこいいんだぜ。
362人間七七四年:2008/10/09(木) 18:15:31 ID:dqwpqMPm
寺を助ける冴えたやりかた

鷹狩に出かけた家康は、喉の渇きを癒そうと寺に立ち寄った。
寺はみすぼらしく、屋根や土壁は破れ放題であった。見かねた
家康は「なぜ寺の修繕をしないのか?」と住職にたずねた。
住職は答えた。「寺の修繕となれば、この辺りの農民に負担を掛けます。
貧しい農民達の心の拠り所の寺が、彼らを苦しめる事は出来ません。」
感心した家康が寄進を申し出ると、「我が寺のみ将軍様から目をかけて
いただいては、他の寺社から妬まれます。お気遣いご無用でございます。」
家康は寺を立ち去る際、小姓を集め命令した。
「お前達、遠慮はいらぬ。暴れ回ってこの寺を存分に打ち壊せ!」
将軍家康の命令に小姓達は逆らう事も無く、寺を散々に打ち壊した。

数日後、途方に暮れる住職に家康から書状と金が届けられた。書状
には「先日、小姓達が暴れて寺を壊してしまって申し訳ない。ついては
謝罪金を送るので、壊れた寺を修繕して欲しい。」
将軍の寄進と言えば妬まれるが、弁償と言えば角が立たない。
寺は立派に建て替えられ、住職も農民達も家康の心遣いに涙して感謝した。
363人間七七四年:2008/10/09(木) 18:49:29 ID:7l5IqVQc
家康だとこの話が好きだな。

大阪冬の陣も終わり、家康はいよいよ完全な隠居を決めた。
そこで、かねてより目をつけていた土地に、隠居所を作ろうとし、その設計を藤堂高虎に頼んだ。
ところが高虎は渋い顔をしている。

「何か思うところでもあるのか?」

と、家康が尋ねると、

「は…、大御所様の隠居所を設計するのは良いのですが、これはいつ造られるおつもりで?」
「?、勿論設計図が出来次第造るつもりだが…」

「幕府は先の大阪の陣が終わった時、諸大名を休ませるために、5年間の賦役の停止を宣言しました。
大御所様はご自分の手の者だけでこの建築をなさるおつもりでしょうが、それでも諸大名はお手伝いを
申し込んでくることは間違いありませんし、中には勝手に工事に参加するものも出て来るでしょう。
これは幕府の宣言への違反になりますが、幕府も大御所さまの事として処分も出来ません。
それでは幕府の威令は…」

「わかったわかった、皆まで言うな」

こうして、家康は隠居所の建設をあきらめた。
そして代わりに、何者も幕府の命に反することは出来ない。それは最高権力者として何者の追随も許さない
この当時の家康ですら例外ではない、と言う先例を残した。
364人間七七四年:2008/10/09(木) 19:18:16 ID:1CydppJN
さすが高虎
そして家康
365人間七七四年:2008/10/09(木) 19:55:11 ID:Mgqr2Oqo
「わかったわかった、みなまで言うな」

の後が信長秀吉だとBADEND化しそうだなw
366人間七七四年:2008/10/09(木) 19:58:16 ID:ypz59+bN
高虎なら相手次第で変わるだろうな
367人間七七四年:2008/10/09(木) 20:21:04 ID:Sy/7igHB
確かに家康好みの答えという感じはする
368人間七七四年:2008/10/09(木) 20:28:12 ID:7l5IqVQc
あ、冬の陣じゃなくて夏の陣だorz >>363二行目

脳内補完してください…。
369人間七七四年:2008/10/09(木) 20:39:08 ID:1CydppJN
>>366
高虎は相手次第で態度を変えるやつじゃないぞ

どうにも自分から主君を変えたと思い込んでいるヤツが多いようだが
若い頃に仕えた主君はどれも滅亡したり暗愚だったりで嫌気が差して隠遁してたのを秀長に見出されて仕えた
で、その秀長が死んで家が潰れると秀吉の負の面を散々見てきた高虎は豊臣を見限って
不安定な豊臣政権よりも安定政権を築けると見込んだ家康に協力したに過ぎない

家康ほどの人物が変節漢を信用して築城を任せたりすると思うかい?

ま、俺の主観だから異論はあるだろうし色んな意見があった方が面白いが
高虎は裏切り者的な存在ではないってことだけは知ってくれ
370人間七七四年:2008/10/09(木) 20:45:15 ID:ypz59+bN
>>369
藤堂好きなんだな、俺も嫌いじゃないよ
ただ相手を見ずに正論ぶつけて不興を買うような人間じゃないと思うんだ
371人間七七四年:2008/10/09(木) 20:46:08 ID:1CydppJN
>>369
一部見返して説明不測になってるんで補足させてくれ


>どうにも自分から主君を変えたと思い込んでいるヤツが多いようだが
>若い頃に仕えた主君はどれも滅亡したり暗愚だったりで嫌気が差して隠遁してたのを秀長に見出されて仕えた

秀長に仕えたのは20歳〜35歳
それ以前は浅井に仕えてたが・・・あとはわかるな

秀保が亡くなって40歳で高野山に出家
秀吉に召還されて宇和島で7万石の大名になったわけだが
そこは秀吉の命令には逆らえない時代
秀吉の人材コレクションの1つでしかないから秀吉に忠誠を誓っているわけじゃないってことな
372人間七七四年:2008/10/09(木) 20:50:01 ID:06DYKi59
信長の場合そーか、んじゃお前の家間借りするわ、の再来で弱りきる破目になるな
373人間七七四年:2008/10/09(木) 21:30:41 ID:aw95B2BF
秀吉は
「そうか、こりゃ一本取られたわい。かっかっか…」
って笑って後で難癖つけて切腹ってイメージ。
374人間七七四年:2008/10/09(木) 21:48:34 ID:KbiBFo2X
秀保を投身自殺に追い込んだんだよな高虎
375人間七七四年:2008/10/09(木) 21:53:30 ID:x0puV8J3
いい話スレなんだから、いい話しようよー
376人間七七四年:2008/10/09(木) 23:13:46 ID:e7UJ35yz
逸話スレで顔真っ赤にして持論を展開されてもな〜
377人間七七四年:2008/10/09(木) 23:20:03 ID:7l5IqVQc
島津の軍陣

天正十年十一月、日向宮崎の国人、上井覚兼は島津氏の命を受け、肥後の八代に出陣した。
その彼の、着陣してからの日記

十一日:八代に到着。大将、島津忠平殿の元に挨拶。

十二日:伊集院忠棟殿が着陣された。共に島津家久殿の宿舎に招かれ、一日中宴会

十三日:島津忠平殿の宿所で会議。すると使者に出ていた者達も帰ってきて、会議後そのまま宴会

十四日:朝、伊集院忠棟、肝付兼寛殿らが上井の宿舎にやってきて、そのまま宴会。
     夜、忠棟殿から風呂に誘われ、そのまま又宴会。

十六日:島津忠平殿の宿所で会議。会議が終わると又宴会。石原と言う武士が狂言を舞った。面白かった。

十七日:忠棟殿と肝付殿の宿舎に行き、昼間から宴会。途中で会議に呼び出される。一部の軍勢を有馬に
     出発させることが決まる。会議の後宴会。

十八日:忠平、家久御兄弟と忠棟殿の宿舎に行く。宴会。一日中飲み明かす。
     幸若与十郎というプロの芸人が呼ばれていて一曲舞った。気が利いている。


この後年明けの正月11日まで着陣していたが、ずっとこの調子だったりするw
島津の陣では戦場での強さ以上に、肝臓の強さが必要だった、と言うお話。
378人間七七四年:2008/10/09(木) 23:27:45 ID:AWA3wvWZ
飲み過ぎだろwwwwwwwwww
戦中日記とは思えないwwwwwwwww
379人間七七四年:2008/10/09(木) 23:35:18 ID:tNbvCnIA
しらふで戦なんてできないお!(`;ω;´)
380人間七七四年:2008/10/09(木) 23:46:09 ID:QREM7837
陣中飲んだくれてたって事か?
それっていい話なのか?
381人間七七四年:2008/10/09(木) 23:50:35 ID:7l5IqVQc
>>380
まあ、飲んでも戦はサボってないので。
(酒付き合いが)いい話、とでもw
382人間七七四年:2008/10/10(金) 01:01:00 ID:pl3VX7PK
確かに鹿児島出身のやつは、酒が大好きだった
383人間七七四年:2008/10/10(金) 01:22:30 ID:z2lYdJmO
北が鮭なら南は酒で
天下泰平
384人間七七四年:2008/10/10(金) 02:53:47 ID:4K2j8ryb
上井覚兼が45で死んだのは飲みすぎが原因か・・・
385人間七七四年:2008/10/10(金) 08:43:44 ID:YRE9Uidn
家久急死は急性アルコール中毒?w
386人間七七四年:2008/10/10(金) 09:07:17 ID:Z3fcsumO
ヘタリア(イタリア)軍の笑い話を連想するなw
387人間七七四年:2008/10/10(金) 13:00:36 ID:gS/fnKtc
>>371
高虎は別に先見の明があって主家を見限って出奔してた訳じゃないぞ。
若気の至りで口論の末に同僚ぬっころして出奔したのが二件。
恩賞に不満で飛び出したのが一件。
確かにどの家も滅びてるがそれは後の話で、高虎出奔と因果関係があるわけじゃない。

388人間七七四年:2008/10/10(金) 13:47:13 ID:W9IqUUld
もうその話は良いって・・
知識振り翳したいのは分かるが、まず空気読める様になろうな?

自分の持ってる知識や技能は然るべき場所で発揮してこそ価値がある物
389人間七七四年:2008/10/10(金) 13:49:50 ID:0q33fgLU
鮭様vs酒様
390人間七七四年:2008/10/10(金) 13:55:09 ID:Gr+/n/0H
そう言う時は高虎のいい話を書き込むのだぜ。加藤さんとの事とか家臣との事とか、色々あるでしょ。
391人間七七四年:2008/10/10(金) 18:30:54 ID:+Lr8Wa0Z
加藤さんとの家臣絡みというと渡辺さんのことかな?
高虎が天下に名が響いた渡辺了を雇った時のお話
嘉明「お前2万石で渡辺雇ったんだって?もったいないなぁ
   俺だったら二百石の奴百人雇うよ。そっちのほうが強いし」
高虎「いやいやお前はわかってない。百の凡夫は一人の賢者に劣るわい」

これはこれで話の流れではここで終わりなんだけど
嘉明は別の場所(高虎いないところ)で
「真に信ずべきは剛勇のものではない。彼らは勝っている時は
調子がいいが旗色が悪くなると途端に利己的に己のためだけに動き簡単に仲間を見捨てる
剛勇のものより個々の力は弱くとも律儀なものたちを多く雇うべし
彼らは個々では負けるがその団結によって必ずや素晴らしい力を発揮するだろう」と言っている
そして義明は豪傑で知られる塙団右衛門を重用せず塙は加藤家を去った
一方、2万石の渡辺は戦果をあげたが独断専行が多く損害も多くだし
次第にうとまれ藤堂家を出奔。奉公構えになった。
高虎がのちに出した和解も条件が悪いと拒否。京で浪人のまま生涯を終えた

どちらが正しいかは別として人間に対する価値観が真逆の彼らは仲悪かったんだろうなぁというお話

これだけだと全然いいいい話じゃないので有名な話でお茶を濁しますね
(1)
高虎が14歳ぐらいの時、まだ親父と一緒に浅井家にいたころ。
出撃する親父に「お前はまだ若いから来るな」と言われ
(あんまり関係ないので中略)なんだかんだで武功を立てた高虎
主家の浅井さんから備前長船の刀と黄金一枚を貰った
この後主家を転々とする高虎だがこの刀と黄金は
どんなに生活に苦しくなっても手放さず常に肌身離さず持ち歩いたという
(2)
藤堂高虎もうそろそろ死ぬ頃
「わしが死んだら殉死してくれる人の名前知りたいからこの紙に名前書いて」と触れを出す
なんだかんだで家臣には結構人望があったので70人を超える人間が名前を書いた
高虎はこの紙をって幕府のお偉いさんのところへ
「この者たちは忠誠心の厚い我が藤堂家の宝物です。彼らが死ねば
藤堂は弱体化し幕府の先鋒を務められなくなってしまいます
なにとぞ幕府の命令で彼らに殉死を禁じていただきたい」と。
結果幕府がそれに応えたため藤堂は高虎の死後に有用な家臣を殉死で失わずにすんだという
392人間七七四年:2008/10/11(土) 00:44:21 ID:w9HKjjXg
壁|・_・)ノ
鮭様ネタあるけど、書いてもイイ?
393人間七七四年:2008/10/11(土) 00:46:11 ID:MjX6v2dd
書かぬ後悔より書く後悔
394人間七七四年:2008/10/11(土) 00:49:45 ID:w9HKjjXg
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 | ゚∀゚)')  鮭様! スルナラ イマノウチ
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「鮭様がみてる」

鮭様の墓とならんで、殉死者四名の墓がある。そのうち寒河江十兵衛は、
一番軽輩だ。中級家臣に過ぎない彼が殉死するのは珍しい。
寒河江十兵衛はかつて敵方の一族だったが、鮭様に敗北し帰参していた。
そのため、昔の研究者は「殉死にかこつけて、潜在的な
敵族を葬った義光の陰謀ではないか」などと言っていたが…
近年、真の理由が史料から明らかになった。

十兵衛はある時、義光近習とトラブルを起こし、死罪を命じられた。
しかし鮭様は彼を惜しみ罪一等減じ、領外退去処分とした。

浪人となった十兵衛夫妻はやがて蓄えも底をつき、暮らしに困るようになった。
そんなある日、誰かから米と金品が届けられた。
感激する十兵衛、送り主はなんと鮭様だった!
彼はどうやらひそかに十兵衛を心配し、困っていないか見守っていたようだ。
やがてほとぼりがさめた十兵衛は最上家に再仕官をはたした。

十兵衛の命は義光あってこそのもの、そう考えれば殉死の理由も
わかるだろう。彼は今日も主君の隣に眠り続けている。
あと、鮭様の悪名はただの誤解によるものが大きいとよくわかる話
395人間七七四年:2008/10/11(土) 00:54:44 ID:gEpWxE00
   /.   ノ、i.|i     、、         ヽ
  i    | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ        |
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  i  ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' /    .|
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   .i i.| ' ,||  i| ._ _-i    ||:i   | r-、  ヽ、   /    /   /  | _|_ ― // ̄7l l _|_
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 ノ     Y  `--  "    ))  ノ ""i    ヽ
      ノヽ、       ノノ  _/   i     \
     /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;"  ,/ヽ、    ヾヽ
396人間七七四年:2008/10/11(土) 01:15:34 ID:90BxVAaX
なあ、戦国一の義将って『越後の龍』じゃなくて『出羽の鮭』なんじゃ…。
397人間七七四年:2008/10/11(土) 01:28:51 ID:XKbZZhCA
>誰かから鮭が届けられた
迄読んだ
398人間七七四年:2008/10/11(土) 01:46:19 ID:RIQALw0r
>>396
謙信の義は近隣諸国の武将に向けられたものだけど鮭様の義は領民や配下に向けられたものなんだよ。
あと当時は『虎将』って呼ばれてた。狐イメージは後世に作られたらしい。
399人間七七四年:2008/10/11(土) 01:47:55 ID:DHaP11hK
>>385
なんか本当にありそうなのが……
当時の濁り酒はアルコールは低かったろうけど、焼酎はすでに存在するはずだし
400人間七七四年:2008/10/11(土) 01:56:24 ID:KNUZ+2k3
>>397
しっかり読んでんじゃんかw
401人間七七四年:2008/10/11(土) 02:33:28 ID:s02G3dvb
>>400
脳内鮭変換入ってるけどな
402人間七七四年
>>394
(;∀;)イイハナシダナー