薩摩島津家総合スレッド その2

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559人間七七四年
戦に弱い毛利や伊達と同じで島津は江戸時代もずっと中世のままのド封権社会だから
地域領主がいっぱいいて島津本家は貧乏だった。
武力を背景に領主の反発を抑え大名の統治権拡大を目指した大名領国制強化の戦国末期の時代に逆行した戦に弱い伊達や島津ら戦国期末期に領土拡大した大名は
支配強化に反発した各地の領主の意志を認めて支配しない形をとったから島津傘下に入った者が多く領土拡大につながった。
しかし忠誠心や強固な家臣団にならず緩やかな格下の同盟者としての意識があるため、中央軍がやってくると決戦もできずに崩壊する。
これが寄親寄子制度の弊害。