1 :
人間七七四年:
佐竹や葦名・相馬の攻撃を再三にわたり跳ね返した最強の田村荘の武士団を語れ!
2 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 07:29:39 ID:pO1YtQBM
南北朝の動乱に連動した小山氏の滅亡などと同じく、田村や伊達も滅亡しており室町中期以降は他家に乗っ取られ偽田村になっていると言われている。
3 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 08:20:02 ID:jWEvUQ+5
ママでも金
4 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 17:53:23 ID:O5DBZkkN
古畑任三郎でした
5 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 03:01:43 ID:9YEPgmUQ
独り娘の息女を人質にされ政宗のための被害担当の捨石係。
6 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 09:19:42 ID:NozZrTG9
やはり大内氏の離反が大きかったんじゃあるまいか
大内定綱に散々撃ち破られた辺りから田村氏の衰退が加速していったように思える
つうか大内氏はもっと評価されていいかと
7 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 14:11:34 ID:ZKiofjM2
>>2 >> 南北朝の動乱に連動した小山氏の滅亡などと同じく、田村や伊達も滅亡しており室町中期以降は他家に乗っ取られ偽田村になっていると言われている
小山については本で読んで知ってたけど、
伊達も南北朝で滅んでんの?
じゃあその後の伊達家は全く別物?
そのあたりの経緯をもっとkwsk!
8 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 15:47:20 ID:9YEPgmUQ
秀郷流藤原姓田村氏(守山城時代)応永3年、小山若大丸を守って挙兵し足利氏満に討伐され、
その後平姓田村氏が台頭して初代田村直顕ののち三代義顕の時に守り易い三春城へ移ったと言われる。
四代隆顕の時が葦名盛氏と同時代。
433:人間七七四年 04/04(金) 14:29 ZZ2l0lV4 [sage]
7代伊達行朝→伊達家乗っ取りの奸臣が伊達を僭称し8代伊達宗遠と捏造。
伊達家の嫡流筋は北畠顕家に従い上洛し最後は常陸伊佐郡の伊佐城で高師冬に降服。
434:人間七七四年 04/04(金) 16:20 XcY3SGc5 [sage]
>>433 盛岡南部並みの嘘藤原っぷりだな。名もない奸臣が源平藤橘の名家であるわけもなし。
435:人間七七四年 04/04(金) 20:04 ZZ2l0lV4 [sage]
7代をムリヤリ父として捏造し6代から以前の当主の記録なんて正室も含めてほとんど抹消してるから8代以降と違い業績もほとんどわからんだろw
南朝として北畠氏に尽くしていたから記録が残り過ぎて7代を消す事できないから必死の捏造乙。
9 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 03:19:00 ID:PmkhvtlC
田村の動員兵力は3000人ぐらい?
10 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 14:46:44 ID:7zWiaZFp
>7代伊達行朝→伊達家乗っ取りの奸臣が伊達を僭称し8代伊達宗遠と捏造。
7代行朝の「奸臣」が伊達家を「乗っ取」って「8代」を「僭称」したなんてソースは?
(確かに8代宗遠には謎の部分はあるのは認めるにしても)
> 伊達家の嫡流筋は北畠顕家に従い上洛し最後は常陸伊佐郡の伊佐城で高師冬に降服
確かに、7代行朝の子行資が常陸伊佐城主に納まっているが、行資が行朝の嫡男かどうかなんてわかっていないよ。
(宗政が行朝の本来の嫡子という説なら聞いたことがあるが)
それから宗遠については同時代史料にきちんと記載されている人物でもあり、行朝の嫡男ではないにせよ(もちろん嫡男の可能性もある)、行朝庶子説、行朝弟説等、れっきとした伊達一族説の方が遥かに有力なのだが?
11 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 14:59:41 ID:+vig+MEV
伊達の本貫地はそもそも常陸国真壁郡。
だが、仙台藩から今に続く公式の発祥地をなぜか下野国真岡の中村八幡宮として、参勤交代なので参拝。
明らかに血統が違う。
12 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 16:27:22 ID:VqK7Pljv
本拠がコロコロ変わった経験もあるから参拝先がどこでもさほど問題ないような。
行朝と宗遠には近しい血縁がないほうがおかしいわな。
敢えていうなら庶子が本家を継いだという点だけが喧伝されてる節だよな。
つか
>>218のスレ、オレの書き込みが最後で止まってる件・・・
はい、私が ID:VqK7Pljv です。
うーむ、最もみっともない形での誤爆失礼。
15 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 00:14:25 ID:vDTM/7dH
キニスンナ
16 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 02:23:06 ID:6nV6QK+9
参拝先がどこでもさほど問題ないような←無茶苦茶な暴論ですね・・・
17 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 03:08:39 ID:+ek8wSdm
>>11 〉伊達の本貫地はそもそも常陸国真壁郡。
だが、仙台藩から今に続く公式の発祥地をなぜか下野国真岡の中村八幡宮として、参勤交代なので参拝。
明らかに血統が違う。
大袈裟なw
何百キロも離れてるならともかく、
両者の距離は直線で僅か20km強ほど。
常陸、下野と国名は違っていてもね。
ちょうど今ごろの時間だとクルマで1時間ちょっとの距離だよ。
「本貫地」からこれだけ近くの神社に参拝して、そこを発祥地と見なしていたというのなら、
〉明らかに血統が違う
なんてのは言い過ぎ。逆に多いに血縁・同族関係にあると思った方が良いだろう。
18 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 18:57:04 ID:Gjqnj6gV
だから側近の簒奪の可能性が高いと言うことだろ。家宰とかさ。
近くなら余計に発祥地でやらない方が不自然で旧主に対するあてつけだろ。
上野国の白井長尾氏なんて相模国の長尾郷を鎌倉公方の家臣に横領されただけで
激怒して関東管領上杉の言うことを聞かないで紛争を開始し、ついには鎌倉襲って江ノ島合戦に発展したくらいだ。
奪い返した後に長尾郷で先祖を祭ってる最中に鎌倉公方が関東管領を暗殺してしまうし。
一所懸命の時代には非常に重要なことだぞ。
19 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 06:30:19 ID:nAKcw55x
>>18 >だから側近の簒奪の可能性が高いと言うことだろ。家宰とかさ。
>>17の文の一体どこから
「だから」
と順接接続詞でつづく説明になるの?
俺にはどう見ても
「側近の簒奪の可能性が高い」
なんて方が、こじつけの解釈にしかみえないよ。
それと7代行朝(行宗)の「側近」なり「家宰」なり「奸臣」なりが行朝のあとを「乗っ取」って伊達家8代を僭称したなんてソースは?
宗遠については同時代の史料にも「伊達飛騨前司」等とあるように、行朝の嫡子ではなかったにせよ、行朝庶子、行朝弟説など、伊達氏の一族とみる説が一般的で、それこそそれが
「自然」
な解釈。
というかここ2ch以外で非伊達氏説を見たことが無いのだが。
> 近くなら余計に発祥地でやらない方が不自然で旧主に対するあてつけだろ
旧主の何に対する「あてつけ」ですか?
20 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 01:36:07 ID:hFAoWrhE
まあ、人間どう解釈しようが、それはその人の勝手だからいいとしてさ。
側近の簒奪の可能性もそりゃあるだろう。可能性の高い低いはあるだろうけどね。
だからまあ、伊達氏説が有力。ぐらいにしとけ。
なんにせよ嫡子じゃないのが惜しいな。
ここらへんは仕方ないけどさ。
行朝という名前は二階堂氏に起因してそうな印象。
22 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 01:45:44 ID:WIWTrcB4
伊達氏説が有力←別に有力じゃねーだろ。勝手にミスジャッチに誘導すんなよ。
行朝庶子、行朝弟説←まったく根拠もなければ証拠もありませんが。
そんな無理やりな主張が通るなら、上野国の新田氏→岩松氏→由良氏もちゃんと血統でつながってるから由良氏の下克上じゃありませんって開き直るのと同等です。
23 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 02:11:30 ID:hFAoWrhE
>>22 >>20の伊達氏説が有力。は>>19が自然な解釈だとか言っているからさ。
自然もクソもないんだから、人それぞれの解釈で、私のが自然、あなたのは自然じゃないなんていっているからさ。
だから私個人は有力だと思っているだけで、必ずしもあたりじゃないよ。
他の人の考えだってありだと思いますよ。という意味で、書くなら有力にしとけってことを言っている。
なにも誘導しているわけではない。
24 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 02:17:40 ID:hFAoWrhE
あと、嫡男ではないのは言い過ぎたよ。
嫡男ではない可能性もあるぐらいにしておくよ。
というのも、1348年の奥州管領吉良貞家の書状には
「伊達宮内大輔行朝者死去、子息万寿丸幼稚代官伊達修理亮宗政」
解釈するに万寿丸が幼稚(多分まだ子供)で、宗政が代官として仕事をしているということだろう。
ちなみに、宗遠は一応1324年生まれになっている。
その生まれなら、1348年に幼稚ってことはないだろう。
精神的に幼稚でも当主は当主で補佐として宗政がいるなら分かるが。
もしくは、万寿丸が宗遠じゃないのかもしれないし。
他にも説があるが、まあこの説もどこまで信憑性があるか分からんしな。
うそ書いているかもしれないし。
なんにせよ660年前の話で正しい正しくないの判断がはっきりできない。
だから、俺も書くなら嫡子説とそうでない説がどっちもある。ぐらいにしとかないとな。
25 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 20:15:32 ID:MV75REAn
なるほろ
26 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 22:25:55 ID:yVVcWZWQ
万寿丸が、実は宗遠と違う人だ。と書いている文章もあったはず。
ここらへんはもうどれがあたりなのかもわからないね。
27 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 03:42:22 ID:SqMBGsD7
行朝は常陸伊佐郡の伊佐城に拠ったが、高師冬に攻められ降伏。
この南北朝の動乱で敗北または降伏側は大幅な入れ替えを起こしているケースが多い。
秀郷流藤原姓田村→平姓田村など。つまりまったく血のつながりがなくても
足利側から伊達郡に派遣された人物が伊達を名乗ることは可能である。
行朝(行宗)の息子は万寿丸である。幼いので補佐は宗政が頼まれている。しかも南朝側で敗北した側である。
宗政と同時代人の宗遠は飛騨前司であり、万寿丸より年上で明らかに行朝の子でなく別人である。
宗遠の嫡子は伊達の本貫地である伊佐城の行資であり、この人物が万寿丸であるのが有力である。
はっきり言って宗遠が何者なのかまったく分かっておらず、唐突に登場しており
血族かどうかもまったく不明であり、家系図上のつながりすら不明。
宗政は留守家と一揆契約をしたりしてるので宮城方面で、宗遠を牽制してる可能性がある。
むしろ、足利氏が派遣した伊達郡の惣領が、伊達氏を名乗って、本来の伊達本家を圧迫したと見るのが妥当である。
伊達贔屓の人間だけが伊達の血族であると根拠なく主張して捏造をしているだけです。
28 :
人間七七四年:2008/07/19(土) 02:53:32 ID:vtTQ0K2y
南朝の伊達氏の有力家臣だった地元の有力国人や名士を足利が対抗上、新たに伊達郡の当主として任命した可能性は充分になるな。
その証拠に宗遠の子である政宗の妻に足利将軍家に連なる者を貰ってる。このために伊達を乗っ取ることは公式な形でできるわけだ。
29 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 02:57:43 ID:WlIi9BKy
常陸真壁郡の伊達の有力家臣団の中で伊達郡に詳しい下野国真岡の中村八幡宮ゆかりの人間が足利将軍、または関東府から新たに伊達郡を治める為に派遣された可能性も充分あるね。
その際に息子に足利ゆかりの女性との婚姻関係を持たせたと。
それまでの伊達氏は足利との婚姻関係はないのだから不自然なことだと俺も思ってたが、なるほどこれで納得がいく。
30 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 04:37:07 ID:spVNnuqE
ソースを示して(宗遠非伊達氏説の)!と2度も言っているのにそれには答えず、やれ「ミスリード」だの「ミスジャッジ」だの、やれ「足利氏が送り込んだの」だのと、それこそ想像の域を出ない「証拠の無い」話ばかりだね。
何度も言うが伊達宗遠は史料に、それも「伊達」飛騨前司と伊達姓付きで登場しているのだよ。
そしてこれも前にも言ったが、宗遠非伊達氏説なんて耳にしたのはここ2chだけなのでね。
世に言われているのは宗遠非行朝嫡子説、宗遠非行朝実子説で宗遠非伊達氏説なんて耳にするのはここだけなんだよ。
(仮に)嫡子でなかったなら今度は一挙に非伊達氏の出身に論理が飛躍してしまって、伊達氏当主の座を「簒奪」したなんて事にしてしまうのはそれこそ、「根拠も無ければ証拠も無い、ミスジャッジ・ミスリードへの誘導」(
>>22)もいいところ。
「証拠・根拠」と言うならば、足利氏が伊達郡内やその周辺の伊達氏に反感を持つ家臣・国人を伊達氏当主の座に据えたという証拠・或いは史料でもあるのかね?
あるなら是非教えて欲しいものだ。
(今度こそソース答えてね!)
31 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 17:08:46 ID:CvCx3RSn
いやまあこの件は、
本当に宗遠が何処の誰なのか100パーセントはっきり示せないので、
どの説が出てきてもそれはそれでありっぽいから腹立つ。
個人的にも伊達一族の説が一番ありそうだが、
これも想像の域といわれても仕方ないかもしれない。
本当に何処の誰だかわかんねーんだよ宗遠は。
1342年の五辻顕尚の書状で伊達飛騨前司として急に出てきた。
伊達一族っぽいと考えるのは普通だが、これが伊達一族の誰の子かさっぱりわからん。
一族どころか行朝の息子ならちゃんと子息って書くだろう。
1348年の吉良貞家の書状では万寿丸という行朝の子供がいるが、幼稚と書かれている。
これが宗遠だったら1324年生まれとなっている人間が
(これも本当なのか嘘なのかどうか分からんが)
幼稚と書かれるのはどうなのかと。これは多分、行資のことだと考えるのがいいだろう。
宗遠が1324年以降に生まれているのであれば、1348年に幼稚説もあるけどね。
そんなこんなで、宗遠の場合は、誰の子でどういう血筋というのが
はっきりとわからないんだよ。
当主になるくらいだから、一応行朝の血縁関係者かな?とは思えるけど。
(これも思えるけどぐらいの話なんだが・・・ああ面倒くさい)
もし、宗遠がちゃんとした行朝の子供なら、なんでわざわざ宗遠じゃなく
幼稚な万寿丸に継がせているのかも分からないしさ。
たとえば、万寿丸を押す家臣と跡継ぎ争いで揉めて、それで負けたので跡継ぎを譲った。
しかしそのあと万寿丸をおいやって当主の座についた。って文章があるならなんとなくわかるさ。
でもそれもないじゃない。
まあ実際にはそういういきさつを書いた文章も当時は何個かあったのかもしれないけどね。
それが今の世で読めないとつらいな。おかげでこういう風にもめてしまう。
ここらへんはちゃんと書いていてほしいと、600年ぐらいたった今になって思うよ。
たださらりと読めば行朝の息子。ちょっと調べると行朝の血縁。伊達一族のどこかの人。
深読みすると全然関係ないところの人ってか。まあ一応行朝の血縁ぐらいにしとくのがいいんじゃないですかな。
これも憶測だけど。
32 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 18:21:45 ID:spVNnuqE
>>31 〉当主になるくらいだから、一応行朝の血縁関係者かな?とは思えるけど
伊達姓を有するものが伊達氏の当主になっているわけだからね。
少なくとも伊達氏とは縁も所縁もない赤の他人が「乗っ取った」なんて主張をするよりはずっと「根拠」のあることだよ。
〉深読みすると全然関係ないところの人ってか
深読みって言うよりは「下司の勘繰り」でしょう。
本拠地と参拝地が違うから
〉「明らかに血統が違う」(
>>11)
等と主張してくるので、
その距離は僅か20kmに過ぎず、それは言い過ぎだよと指摘すれば
〉「だから側近の簒奪の可能性が高いと言うことだろ。家宰とかさ。
近くなら余計に発祥地でやらない方が不自然で旧主に対するあてつけだろ。」(
>>18)
なんて風に返してくる。
要するにどっちにどう転んでも、
「宗遠は非伊達氏なの!」
という結論にしてしまう訳でw
まずそのような「結論」が最初にあって、あとは後付けで、「足利氏が宗遠を送り込んだ」だのと、その「結論」に向かって強引にこじつけているに過ぎない訳よ。
(しかも史料の提示等は一切なしでね)
33 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 00:00:11 ID:1Kg+y2zk
もし伊達の正統な血筋なら史書にハッキリ書かれるだろうし、家系図だって隠蔽される必要性もまったくない。
やましいからこそ食い違いが生じてハッキリしないのだよ。
伊達ヒイキの史家が伊達の血族だと願望で書いてるだけで根拠はまったく明示できない。
言っとくが伊達は北畠氏に尽くした南北朝の負け組だ。その過程を経て、どこの馬とも知れない宗遠なんてのが突然現れるのだよ。
政治的な状況を考えた場合、これは別姓伊達氏が幕府か関東府の後押しで成立したと考えた方がより自然だ。
伊達ヒイキの連中は、あまりにも重症だから麻痺してて、平気で捏造に加担するんだわ。
願望と客観的事実の意味をよく考えてレスしろよ。
むりやり宗遠が正統だと工作するから他所から日記や手紙が発見されると途端に馬脚が現れ不自然になるんだ。
34 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 00:08:05 ID:MW8Z82Vh
伊達アンチは論理展開をしないなw
35 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 06:22:01 ID:Iy+QDNo3
伊達好きってのはどうやら事実を直視できないようだな。
一門の血筋なら家系図だって明快だろうに。
俺は南朝の忠臣だった伊達の血筋よりも
子が親を下克上するように家督を巡り潰し合う伊達の血筋の方が好きだけどな。
独眼竜政宗の血筋の家風らしくて。
なんで嫌がるかね?
36 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 11:43:30 ID:7dui07LD
37 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 15:00:13 ID:DpYcdE/R
どっちでも良いっちゃどっちでも良いな。
>>36 毎年TVニュースになるな。
38 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 16:26:57 ID:fp6R6sAD
確かにどっちでもよいな。
後は、派閥争いで最終的に宗遠が万寿丸に変わって当主になったものの、
まあいろいろあってそのいきさつを誰も書かなかったという考え方もできる。
極端な話、伊達一門でもそうでないところの人でもどっちでもいいんだよ。
その人の時代に伊達家がうまくいってればそれでいいんだから。
39 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 18:03:51 ID:0gbfYmJo
ここって征夷大将軍の坂上田村麻呂の末裔ってホントなの?
だとすると政宗も田村のお婿さんってことで源氏以外でも将軍になれるわけね
40 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 00:47:52 ID:dI1TmjvA
政宗は陸奥守だから鎮守府将軍と同格だよ
41 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 03:35:28 ID:R6a+zWRJ
坂上田村麻呂の末裔←ウソです。まったく根拠はありません。
しかも南北朝期に敗れた田村は別姓になってます。
42 :
人間七七四年:2008/07/23(水) 23:50:19 ID:BZx8jYEH
同じ軍門に下るなら相馬の方が良かったと思うが。
陸奥守と鎮守府将軍がいつから同格になったのか教えれ。
44 :
人間七七四年:2008/07/26(土) 02:48:44 ID:74QoXQlX
45 :
人間七七四年:2008/10/09(木) 13:42:53 ID:KbiBFo2X
大内備前
46 :
人間七七四年:2008/10/10(金) 05:17:13 ID:L5rCh+p8
自らの出自の仮冒に関して、こいつらほど単純明快な論理も珍しい
47 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 10:08:03 ID:saKc5VxI
いいや実際は坂上氏だろ
平家でなければ人でない、とまで言われた時代に平氏を名乗ってみただけじゃないか
源氏以外で征夷大将軍に成れる家柄だろ
48 :
人間七七四年:2008/12/28(日) 18:00:38 ID:U+pm3gAX
49 :
人間七七四年:2009/01/07(水) 22:48:04 ID:6E2KQ0Hx
田村庄司家かそれとも「三春の輩」のことかはっきりさせないと
50 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 20:03:02 ID:7jsqTREE
天文の大乱以降の田村家の動きを解説してたもれ。
51 :
人間七七四年:
大内氏の武勇に頼ってた時の田村は強かったが、
大内が離反した後の田村は苦戦続き。
しかし佐竹や岩城や石川相手の田村の防御力は神。