1 :
人間七七四年:
2 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 13:28:03 ID:/21BosXo
頑固一徹の一鉄は、稲葉一鉄に由来する。
3 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 10:49:16 ID:e5P0WgCN
姉川の戦いで大軍の朝倉軍に苦戦した家康が増援に欲したのが稲葉というのは創作。
江戸時代に稲葉家が大名として残ったので、持ち上げてるだけ。
4 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 19:46:19 ID:3zJfO7k3
>>2 めちゃんこ有名だし、確定じゃないし。
大沢正秀って織田に属してからのその後って不明だよな。
5 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 19:59:51 ID:A59lhFQg
アラレちゃん発見!
6 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 11:22:39 ID:F02bj+uC
明智が抜けてる気がするが
7 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 11:40:35 ID:jAmgpSyL
8 :
人間七七四年:2008/06/24(火) 14:59:12 ID:Ld4rwvRF
明智って、光秀個人の事じゃなく明智一族のことだろ?
9 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 02:30:01 ID:dovNHISu
美濃三人衆の筆頭って誰だったんだ?
10 :
人間七七四年:2008/06/25(水) 02:52:28 ID:VNfLBS+I
安東伊賀守
11 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 04:33:45 ID:VlCeamFJ
12 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 19:48:04 ID:btQ7JeQp
稲葉って最初は西軍についてたんだよな
13 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 18:07:47 ID:BU+y9ODQ
断トツの勝ち組は稲葉氏だな
豊後の外様で1家、春日局の縁で譜代重臣として数家残してるし
14 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:12:39 ID:/zVfOGDP
それに比べると氏家や安藤は悲惨に尽きるな。
15 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:31:28 ID:a3hlTdc+
日根野弘就を無視するとはいい度胸だ
16 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:39:20 ID:8wbIMDC4
17 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 20:59:56 ID:/zVfOGDP
18 :
人間七七四年:2008/07/07(月) 21:42:32 ID:fiotSbYX
日根野弘就って斎藤龍重と龍定を暗殺したって言われてる武将だっけ?
19 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 00:39:56 ID:mlJjIGox
斉藤6人衆には氏家・安藤・日根野が入っているのに、稲葉は入っていない。
ちょっと意外だろ?
あと斉藤大納言正義(烏峰城主)の事跡に詳しい方、何かカキコして。
こいつのおやじは関白近衛稙家なんだぜ。
20 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 14:10:35 ID:O52vvvqu
>>14 守就は追放組の中でも佐久間信盛に比べればずっとマシと思うよ。
本能寺の変の時、北方城(一鉄の城)を攻めて、
短期といえど城主の座に就いたほどの力を蓄えていたことは確かだし、
すぐ一鉄に攻め返されて一族滅ぼされたけどね。
21 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 17:49:35 ID:KYDHlyUS
守就が死んだときは80歳代と言われてるけど、信憑性はあるかな?
子の尚就と混同してるとかない?
22 :
人間七七四年:2008/07/08(火) 18:08:07 ID:pnB6AJ3l
>>17>>18 そうだよ。
反信長の急先鋒で、斉藤家滅亡後に浅井・今川・一向宗に仕えて73年まで、反信長を貫いて
いるね。
23 :
人間七七四年:2008/07/09(水) 14:57:11 ID:P8XVFEwY
>>21 いや、混同していない。尚就といっしょに挙兵した。
24 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 00:27:26 ID:Vz5qpw6h
>>1に意外にも明智家がないことに気付いた
地味だけど残った家としては高木とか市橋とか丸毛とかがあるね
25 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 00:33:13 ID:1LdB8YP0
明智一族は明智光秀スレで扱うことが多いからな。
ここでも差し支えは無いけどね。
>>23 当時にしては相当の長寿ですな。
26 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 13:51:42 ID:52dsLM6e
>>25 そういや、明智の一門に秀満と光忠って武将いるんだが、前者=遠山氏・後者=小里氏に比定した
系図が歴史群像に載ってた。何でそう言えるのか???だったな。
27 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 18:27:23 ID:IE0xAkxX
>>26 濃州小里記だったかの影響じゃないか?
明智秀満は光秀の娘(といっても養女)を娶って明智姓を名乗ったから、
元々は明智じゃない。
三宅氏であった説が一番有力なんだが(実際三宅を当初名乗っているし、
子孫も三宅を名乗っている)。
光忠も光秀の娘を娶ったので明智を名乗っているが、
秀吉などと同じで、きちんとした身分がないところから成り上がった説が
現在は有力ではなかったかな。
28 :
人間七七四年:2008/07/10(木) 18:57:01 ID:n5+Ql81V
稲葉美濃守一鉄
氏家卜全
不破河内守光治
西尾豊後守光教
安藤対馬守守就
29 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 00:58:51 ID:eP3bBmZL
>>27 d、やっぱネタ本があったんか。
光忠は彼のオヤジが明智の足軽あがりで、明智家の法要で光忠がオヤジの家柄が悪いから焼香をめちゃ
遠慮してたって逸話があるね。
秀満の息子は三宅重利やったかな。子孫はどっかの藩の旅家老やってるね。
30 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 11:32:36 ID:uyvfafKb
>>29 ネタ本とまで言うには、結構面白い史料だけどね。
明智光秀の出生した城としては、長山城と恵那の明智城の2説とあるけど、
恵那の方の説だと、光秀自身と遠山明智氏との関わりを指摘していて、
その根拠の中の一つに濃州小里記がある。
小里氏の事が割と詳しく載っているし、一概に全部嘘とは片付けられないんだ。
で、その一説に、秀満は遠山景行の子で、母方の三宅氏を名乗ったとする説の
根拠になるところがあった筈。
光秀は明智じゃなく、光秀の実父が妻木氏という説もあるが(光秀正室の実家との
混同ではなく)、妻木氏出身と考えると、遠山氏との関わりが深くなり、
全面否定はしにくいという現状もあるな。
31 :
人間七七四年:2008/07/11(金) 12:42:48 ID:RQ4Wx2V7
>>30 >光秀は明智じゃなく、光秀の実父が妻木氏という説もあるが
「言経記・兼見記・多聞院日記」にでてくる「オツマキ・惟日州姉」等の解釈の件やね。
>母方の三宅氏を名乗ったとする
母は三河広瀬城主:三宅高貞の娘やという説だね。
>長山城と恵那の明智城の2説とあるけど
遠山氏は徳川家と並び、対武田家の重要な緩衝国なのに、恵那説を採るなら、なぜ地縁が濃厚な光秀を東美濃の
担当に起用しなかったのかという素朴な疑問があるなぁ。
指摘d。これ以上はスレチになるので、レス不要です。
では光秀は可児郡に引き取らせてもらおう。
33 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 21:49:15 ID:32hCE6Dx
加賀井キティ重望を忘れちゃ困るな
お、スナイパーktkr
35 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 00:27:25 ID:Gu8+1JcF
36 :
人間七七四年:2008/08/10(日) 06:01:14 ID:nP7CRgRX
37 :
人間七七四年:2008/08/11(月) 10:50:32 ID:TInqHgZh
揖斐光親と鷲津光敦
美濃守護土岐頼芸の弟たち
ただこいつら国盗り物語に出てただけでぐぐっても実在したかどうかわかんないんだよね
鷲巣とか揖斐とかってもっと早い時代に分かれてなかったっけ。
39 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 03:34:02 ID:L5mYeDGi
>>37 土岐氏は江戸時代には旗本に成れたりとかしてます?
頼芸の子・頼次は松永の居候になってたのは知ってますが。
40 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 12:20:28 ID:x3inTgaw
今までなんで遠山一族が出てこなかったか不思議・・。
織田と武田の間でキャスティングボードを握ってたし、信長の叔母さんが女城主だったしと話題に事欠かないのに・・。
41 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 12:44:08 ID:5T2j7M4M
>>40 城を明け渡すなら謝罪で済むけど、敵の武将と婚姻して裏切るじゃあ、
信長が怒るのも仕方なかろう。
42 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 13:17:08 ID:4xoZcDaX
遠山自身が死んじゃったしな
43 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 21:11:17 ID:gRD3AIoi
家臣としても妻としても裏切ったわけだからのぶりんの怒りも激しい
44 :
人間七七四年:2008/08/14(木) 21:12:08 ID:gRD3AIoi
あと、叔母としても
45 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 09:32:59 ID:o2a9H9Ys
遠山に興味あるな
秋山が敵の女城主を寝取った(笑)ってすごすぎるし
面白すぎる 戦国でもこんな痛快な話もないな
46 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 15:54:28 ID:OCvVyDxd
城をとられて、信長の実子も武田に人質として送ってじゃ、
信長も怒るわな。
信長は養子に出すの反対してたの、無理言っても養子にもらったお坊を
あっさり引き渡したんじゃ、そりゃ怒る。
47 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 22:02:42 ID:BbngHLAi
小山田が笠原清繁の室を側女にしたように武田の山侍はそんなのばっか
なんでもある植物の汁が媚薬になるようでそれを局部に塗るとどんな女でも虜にできるそうな
長野県ならどこでも生えてるよ
48 :
人間七七四年:2008/08/15(金) 23:35:38 ID:YSTtfUT2
ちょうど今軽井沢の別荘にいるんだが・・・・
いえ、何でもないです
49 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 13:45:11 ID:u/KERpHS
>>19 斉藤六人衆って、当時の資料に出てくるの?
後世に適当に付けられた名前とかじゃなくてw
50 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 14:04:41 ID:IhYHmrY9
>>46 信長も実は興奮してたんだよ
息子も城も女も取られて悔しいっ!ビクビクッ!!! でも・・・
ってなw
岩村が女城主で有名になっているのがとても辛い。
52 :
人間七七四年:2008/09/22(月) 22:31:36 ID:IYn5K+9r
その女城主が信長の叔母なんだから、知名度Upでおいしいじゃんw
岩村はなあ・・・
大して名産もない、人口がここ500年で倍増していない石垣の町なんだよ。
30年前に住んでた借家の現在の住人がブラジル人だったときの虚しさといったら・・・
54 :
人間七七四年:2008/09/23(火) 17:49:44 ID:IEsLwgUP
悔しいですね
55 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 01:46:09 ID:X2DhJ7/c
道三と義竜との争いで、各家がどっちについたとか詳しい人いる?
56 :
人間七七四年:2008/10/22(水) 02:03:29 ID:fSfKm6lU
>>55 斎藤家スレのレスによると
129 :人間七七四年:2007/11/09(金) 23:09:35 ID:zF6gZbgK
>>121 亀だが、『美濃国諸旧記』によると
道三側の武将は以下の通り。
川島掃部助唯重
林駿河守正道入道道慶
道家助六定重
道家清十郎
高橋修理治平
竹中遠江守道治
竹中主水氏泰
川村図書良秀
片桐縫殿助為春
溝尾庄兵衛茂朝
大塚藤三郎昌宗
三宅式部信朝
桑原十郎左衛門久明
神山内記義鑑
神山主馬正長
神山彦八定常
松原治郎左衛門義保
岩手弾正道高
大沢治郎左衛門為泰
中村宗助秋益
井上加々右衛門頼久
大西太郎左衛門勝祐
一柳右近直秀
山内伝兵衛盛重
飯沼杢之助知俊
鷲見新藤次基綱
57 :
人間七七四年:2008/10/23(木) 00:13:54 ID:WKD7L1KT
中村一栄の重臣野一色頼母は
やはり岐阜の野一色の出かな?
野一色いうくらいだからそれでいいよ。
59 :
人間七七四年:2008/10/26(日) 13:48:36 ID:WnNbfjym
あら、つれないお答え
60 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 01:42:53 ID:8RMtTORG
>>56 ありがと。
マイナーな家中心で、殆どの家が義竜側か中立だったみたいだね。
道化とか竹中とか溝尾とか一柳くらいかな、馴染みがあるのは。
61 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 14:43:55 ID:xSSHTkFZ
数年前にTVのワイドショーで騒がれてた岐阜の幽霊団地。
あれ、確かどこかのお姫様の幽霊てことだったような?。
違ったっけ?
62 :
人間七七四年:2008/10/27(月) 17:58:17 ID:urjJ5m7t
>>61 親父が裏切って信長に付いたせいで処刑された佐藤紀伊守の娘じゃなかったっけ
加茂野だったっけ。
64 :
人間七七四年:2008/10/28(火) 20:02:53 ID:U2OgAEaI
岸信周とか佐藤忠能という名前を挙げると。
両者の子孫と思しき家の2名が1年B組で同級だった。
66 :
人間七七四年:2008/11/16(日) 00:39:11 ID:3REPtqbc
67 :
人間七七四年:2008/12/30(火) 00:12:45 ID:mfTc0tz7
東濃で武田勝頼にぬっころされた豪族って誰が居る?
信玄死後だったと思うんだが名前が出てこない
68 :
人間七七四年:2009/03/06(金) 03:34:32 ID:Q6F5VMCJ
森可行&可成親子(土岐氏譜代の家柄)
坂井政尚(森と同時期に出奔)
金森政近&長近兄弟(土岐氏庶流)
蜂屋頼隆(土岐氏庶流)
69 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 01:09:34 ID:XfT2cUug
今尾藩の先祖で斎藤道三に仕えた竹腰道鎮と、長良川での道三と義龍が戦ったときに
義龍側の先陣をきった竹腰道塵って同一人物かな?
世代的にはあってるし、名前の音も似通っているんだけども。
70 :
人間七七四年:2009/05/18(月) 17:48:41 ID:z/XlekmU
国盗り物語にそれっぽい奴がいたような
同一人物でいいだろうな。
72 :
人間七七四年:2009/07/01(水) 06:10:15 ID:4ppHyzpB
俺の岐阜県在住の知り合いには竹腰、稲葉、野一色さんがいるなあ
73 :
人間七七四年:2009/09/08(火) 14:41:54 ID:j1tU9IV5
>>66 岐阜市長森校区の野一色でしょ。
まあ全国の字にありそうな地名だけど。
74 :
人間七七四年:2009/09/14(月) 16:51:38 ID:OIg1fzWF
美濃遠山と相模遠山って縁戚なのか!?
それなりに。
76 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 17:33:14 ID:alVUfg18
安藤一族って信長に追放されてから、本能寺の変に合わせて蜂起するまでどこにいたんだろ?
77 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 18:38:22 ID:DYlr/8te
んで始末つけるのも一鉄爺さんかね。
79 :
人間七七四年:2009/12/12(土) 20:12:05 ID:evuVZCMD
金森長近が美濃生まれの近江育ちだという事は忘れられがち
斎藤家に仕えてた時期は無い
80 :
人間七七四年:2010/04/29(木) 09:19:04 ID:9+UOARu5
>>1 現在は名門ぶってる氏家って、たかが美濃の小勢力だったんだw
81 :
人間七七四年:2010/05/02(日) 18:49:12 ID:CRgJAFZY
氏家がいつ名門ぶったんだ
82 :
人間七七四年:2010/08/18(水) 19:50:37 ID:BV8EMvo7
稲葉河野末裔、氏家宇都宮末裔て仮冒?
稲葉は信じたい。
氏家は後付くさい。
84 :
人間七七四年:2010/09/08(水) 18:37:25 ID:UOlBBVA/
六波羅で負けた河野通盛が美濃で逃亡成功しているから国内に庶流がいても不思議では無い
85 :
人間七七四年:2010/10/12(火) 17:32:01 ID:ZXhAP8bK
織田家に恭順した順番としてはどんな感じだろ?
86 :
人間七七四年:2010/11/26(金) 11:21:32 ID:xsWYwgXJ
「遠」山とか「遠」藤とか、「遠」の文字が使われてる家があるけど、
由来とかあるのん?
87 :
人間七七四年:2010/11/26(金) 12:51:36 ID:qIzEfw1J
>>86 そりゃぁ由来の無い苗字は無いだろ。遠藤は遠江の藤原氏からってのが普通。だけどwikipediaには「美濃の
遠藤氏は千葉氏の一族である東氏の庶流である。」とあるからどう繋がるのかよく判らんが。
遠山氏は美濃に有った遠山荘という地名に由来する様だ。
88 :
人間七七四年:2010/11/27(土) 15:30:24 ID:arhsGAvK
西美濃の豪族は交易もやってて、その交易路は和泉・河内・山城・近江・西美濃・尾張
織田家と交戦状態に入ってからは交易が滞っていた
斉藤家は交易路を確保するために今川・六角と同盟して織田・浅井を潰そうとしたが、どちらも失敗
秀吉は近江・美濃・東海道で活躍してた商人でもあり、六角家に仕えていた記録がある
美濃攻めで秀吉が活躍したのはこの経歴と人脈があったからだという説がある
東美濃衆が関わっていた交易路は、越中・飛騨または相模・駿河・甲斐・信濃から
尾張か西美濃・近江・山城・河内・和泉へで、こちらも尾張が大きな玄関口になっていた
蜂須賀・前野・遠山・木曽家などがこの交易路に関わっていた
遠山家は斉藤・武田の両家に従属していた。織田家が美濃を攻め取った時、遠山家の帰属が問題になった
当時、武田家は駿河攻めに失敗して今川家に逆襲され四面楚歌状態だった
武田家は背後の安全と交易路確保のため織田家と織田に有利な条件で同盟した
その条件の一つとして、遠山家は武田家を離れて織田家に従った
遠山家と木曽家は古くからの交易仲間であり、争うことはあっても大抵は五分の条件で手打ちをしていた
だが武田の一門衆に加わった木曽義昌は武田勝頼の方針に忠実に従い、東美濃に侵攻して遠山諸家と激しく戦った
秋山信友が処刑された後でさえ木曽勢は東美濃に攻めこみ、遠山家の多くの将兵を討ち取っている
織田家にとって憎い敵のはずだが信長の木曽義昌に対する評価は高く、織田家でも厚遇された
秋山信友も降伏したことで東美濃の織田家帰属を確定した功績があったが、信長に処刑されている
これは東美濃の交易人脈において木曽家は古参であり、秋山信友と遠山夫人(信長のおば)は新参だったから、という説がある
仇敵の間柄になりながらも遠山家と木曽家は交流と交易はしっかり続けていて、本能寺の変後に手を結んでいる
まず信濃から美濃に逃げ帰る森長可を殺害しようとした
次に木曽家が徳川家の侵攻に屈服すると、家康は木曽家を通じて遠山家を取り込もうとした
これに対して秀吉は森長可に命じて遠山一族の諸城を攻め取らせ、遠山家の勢力を削いだ
この際、遠山家の一族の多くが徳川領に逃げて家康の庇護を受け、家臣になっている
秀吉は尾張・美濃の交易人脈を塗り替えるために大規模な侵攻・転封と粛清を行った
東美濃でその役割を担ったのが森長可で、尾張では福島正則だった
また秀吉は味方してくれた稲葉家の勢力伸長を抑制し、稲葉家の交易路支配を支配を阻止した
89 :
人間七七四年:2011/01/13(木) 22:38:16 ID:kf6wW0Q7
伊賀伊賀守って名乗りはもっと評価されてもいい。
90 :
人間七七四年:2011/02/25(金) 21:26:40.79 ID:qJ6oB6U0
91 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 13:30:31.14 ID:UOA0LJFL
妻木はなんで大名になれなかったかなぁ。
東美濃で唯一と言っていい東軍参加武将だし、家康と書状のやり取りして美濃の内情をきっちり報告してるのに。
92 :
人間七七四年:2011/02/26(土) 21:33:04.31 ID:gnBX7yJ3
>>91 妻木て明智の家臣にいたな。光秀室の実家だっけ?
93 :
人間七七四年:2011/03/04(金) 14:00:40.26 ID:zf6P2OnL
94 :
人間七七四年:2011/04/06(水) 13:42:16.89 ID:TD5RMyAa
不破って柴田勝家の与力だったのに、いつの間にか消えてるな。
金森は江戸時代に残れたのに。
95 :
人間七七四年:2011/05/03(火) 21:44:29.07 ID:GiUWgUGo
飛騨国司が天正期に摂津で戦死してるのはなぜ?
96 :
人間七七四年:2011/09/03(土) 06:40:47.04 ID:Z3XswfOV
96
97 :
人間七七四年:2011/10/02(日) 00:46:58.00 ID:Sz+ae/51
名将が多いですね
98 :
人間七七四年:2011/11/09(水) 14:58:36.58 ID:yo/F6iWe
99 :
人間七七四年:2011/11/10(木) 22:04:32.85 ID:spBapayd
妻木家は7500石の旗本になったよ。
でも徳川譜代の遠山の方がやっぱり扱いは良かった。
100 :
人間七七四年:2011/11/22(火) 23:10:55.41 ID:pOrqD3vy
>>99 >7500石
随分と大身ですね。
明智光秀室の実家とか言われてますが、後難も無かったんですかね。
101 :
人間七七四年:2012/06/11(月) 04:58:39.02 ID:fvxs281x
明智光秀が本能寺の変を起こし信長を死去させると、一鉄は美濃国人衆に呼びかけて岐
阜城に甥の斎藤利堯を擁立し、光秀に対して独立を保とうと画策する。かつて信長に追
放されていた安藤守就の一族が、復権を目指して光秀と手を組み、その当時は稲葉領と
なっている旧領の本田城や北方城を攻撃してきたため、守就と戦い、一族もろともこれ
を討ち果たした。中央では光秀が山崎の戦いで早々に討たれたが、信長の死で統制を
失った美濃では諸将の衝突が頻発することになった。天正11年(1583年)1月、一鉄は
娘婿である揖斐城主・堀池半之丞と戦い、その領地を支配下に置いた。
102 :
人間七七四年:2012/06/13(水) 23:19:07.88 ID:vQpNanRp
大河「春日局」
本能寺の変の騒乱で美濃で「稲葉(主役側)VS安藤」
103 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 20:25:15.11 ID:QJ6Gd40w
一鉄は小牧・長久手の戦いの戦いでの陣立書では2,500の兵を率いている
この頃の領地は10万石近くはあったのかな
104 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 20:48:12.83 ID:aasNnici
美濃の東家ってどんな存在だったのかな?
土岐家の臣下の古い家柄って感じに軽く見られていたのか
それとも家格の高い一目置かれる立場だったのかどうか
105 :
人間七七四年:2012/08/31(金) 21:50:08.69 ID:QJ6Gd40w
家格の高い一目置かれる立場だったとは思う
道三の妻にしても正室が明智で側室が稲葉だったし
蜂屋や土田などは織田氏とも縁が深かった模様
106 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 08:24:51.27 ID:/IV0ufMF
107 :
人間七七四年:2012/09/02(日) 21:50:28.54 ID:t3rJzvPH
失礼しました
108 :
人間七七四年:2012/09/12(水) 22:29:25.21 ID:KitICw+k
>>1 堂洞城主だった岸もかな?
どういうわけか、斎藤家の忠臣扱いされているが・・・
109 :
人間七七四年:2012/12/18(火) 14:18:56.84 ID:j7XFDWQO
遠藤氏を調べてみたら、凄い平均的な戦国豪族でびっくりした
110 :
人間七七四年:2013/09/09(月) 12:23:21.74 ID:AuuF1T+I
遠山氏は江戸時代に生き残れたのが不思議でならん。
一族皆殺し近い感じだったのに。
111 :
人間七七四年:2013/09/09(月) 23:42:50.00 ID:4CGFuAUc
遠山氏初代の遠山景朝が鎌倉幕府の大物なんだけど、
なんでこんな辺境にw
112 :
人間七七四年:2013/09/09(月) 23:54:04.91 ID:5Hzk5E05
斯波氏だって足利幕府の一門なのに岩手県だぜ。
畠山氏だって足利幕府の一門なのに二本松だぜ。
113 :
人間七七四年:2013/09/11(水) 07:19:36.67 ID:VwHi+fUd
足利政権初期の東北は、南朝の巣窟だったからねー
ってことは鎌倉時代の遠山氏も軍事的な理由で東濃に来たのかな?
114 :
人間七七四年:2013/09/12(木) 11:33:54.04 ID:7tix1Nnt
國境に配されたのはある程度の信用あってのことか
115 :
人間七七四年:2013/09/12(木) 12:17:58.67 ID:p6LRZBs7
>>110 小牧・長久手の戦いの頃から家康の味方をしてたのと
お梶の方が遠山氏の分家の出身だとか
>>111 辺境と言っても中仙道の傍らで東海道にも出やすいし
鎌倉と京都の中間でもあり
東国の門番みたいなものだったかも
116 :
人間七七四年:
イガイガノ守