【武田】2万5千で上洛【信玄】その54

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1人間七七四年@全板トナメ開催中
【武田】2万5千で上洛【信玄】その53
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1209256180/l50

ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。

テンプレ
>>2-30ぐらい?
2人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:03:38 ID:yYtI1/Re
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する
3人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:04:09 ID:yYtI1/Re
各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)
ちなみに、万石あたり250人は比較的低い動員率、
無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。

関東
上野:49万6千石/12400

甲信・中部
甲斐:22万8千石/5700
信濃:40万8千石/10200
飛騨:3万8千石/950
美濃:54万石/13500
近江:77万5千石/19375

東海
駿河:15万石/3750
遠江:25万5千石/6375
三河:29万石/7275
尾張:57万2千石/14300
伊勢:56万7千石/14175
志摩:1万8千石/450

北陸
越後:39万1千石/9775
越中:38万3千石/9500
越前:49万9千石/12500(慶長検地では68万石)
若狭:8万5千石/2125

畿内
山城:22万5千石/5625
大和:44万9千石/11225
摂津:35万6千石/8900
河内:24万2千石/6050
和泉:14万1千石/3550
伊賀:10万石/2500

四国
讃岐:12万6千石/3150
阿波:18万4千石/4570
淡路:6万2千石/1550

各国の石高及び動員兵力(石高は太閤検地のもの)は以下参照
ttp://homepage3.nifty.com/ksatake/

4人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:04:35 ID:yYtI1/Re
1572年(元亀三年)十月三日(信玄、古府中を出立)の各勢力の状況

●武田
・甲斐…100%(5700)
・信濃…95%(9690)
*飯山周辺は残す。
・上野…36〜43%(4450〜5375)
*倉賀野、松井田、箕輪など領地は広げているが、ほとんど北西山間部なのがネック。
 面積で言えば4割だが、石高では三分の一程度とする意見あり(上野の平野部は南東)。
 14郡中武田は吾妻郡 碓氷郡 甘楽郡 群馬郡の半分 故に石高的に3分の一 の説。
 利根川以西を領土とすると、これに録野、片岡、多胡郡が加わる。(約四割)
・駿河…100%(3750)
・飛騨…10%(95)
*72年7〜8月に飛騨諏訪城を落としている。これ以前の直接の軍事行動はなし。
 もともと飛騨の豪族は越中の対一向一揆で上杉と仲がいい。諏訪城主江間氏も逃亡
 して上杉氏を頼る。
・越中…?
*68年に松倉(富山)城主椎名氏が武田に降っているが、71年には謙信に落とされている。謙信は73年
 には加賀まで攻め寄せているから、その頃までに越中の武田勢はなくなっていたとみるべきか?
 松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・遠江…7.8%(500)
*遠征前に陥したのは71年に国境の榛原郡小山城(この時高天神や掛川も攻めるが落せず)と犬居の天野氏のみ 天方等はこの時点では未攻略 。
 武田が本格的に東に出てくるのは、氏康が死んで同盟復活する71年後半(正式な復活は71年12月)。
 遠征後は20%ほどに増大
・三河…12%(850)
*足助城を落とし、賀茂郡一部・設楽郡ほぼすべて・八名郡一部を支配。ただし全て山地なのがネック。
・美濃…ほぼ0〜5%(0〜675)
*秋山信友が岩村城を落すのが72年11月。 それ以前に落していた恵那郡の小城を、どの程度に見積もるか?
 18(21?)郡中これだけでは最大5%もないとする意見。

総計25035〜26635
後北条と同盟。義昭や顕如ら畿内の反織田勢力と連絡を取り合う。背後に上杉と上野方面を巡って火種。
ただし、もともと高税率のうえ、69年以降は戦もそれまでの二倍以上。領国の疲弊はすでに始まっていた
とする説あり、ただしソースは少ない。継戦能力にも疑問。
5人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:05:04 ID:yYtI1/Re
●織田
・尾張…100%(14300)
・美濃…90%(12150)
*21(18郡?)郡中武田は恵那郡岩村周辺のみ 郡上郡遠藤氏は武田織田を秤にかけて日和見。
・志摩…100%(450)
*ただし、戦力としては水軍衆がほとんどと思われる。
・近江…70%(13563)
*浅井・六角は追い詰め中。他には甲賀郡の土豪と野洲郡のいつ蜂起するか判らない一揆衆。
・伊勢70%(9923)
*桑名・三重郡の一揆衆。配下からも寝返られ、本城も明け渡され乗っ取り進行中の北畠氏を除く。
・三河…10%(728)
*水野氏など、桶狭間以前から織田についていた豪族。

総計51114
この他、畿内各地に協力勢力と敵対勢力あり。義昭とは抜き差しなら無いところまで。堺などの都市も抑える。
若狭の豪族たち(逸見・粟屋・内藤)、大和の筒井他、摂津河内和泉の細川畠山荒木などが味方勢力として存在。
池田和田淡路の安宅などはテンプレ時は旗幟をはっきりさせていない。

●徳川
・三河…78%(5675)
・遠江…92.2%(5875)
*両国とも、武田にどの程度侵略されているか。また調略如何によっては動員はさらに下がるかも。

総計11550
三方ヶ原の戦力を考えれば妥当か。ただし武田軍撤退後、特に遠江では支配率は グンと下がっているだろう。上杉と同盟。

6人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:05:25 ID:yYtI1/Re
■三方ヶ原の戦い後の情勢。

1572年
十二月 二十二日 三方ヶ原の戦い

1573年
一月  三日 武田軍野田城を囲む
北山城や摂津河内の国衆から義昭に付く者が続出する。信長は村井、島田、朝山日乗を講和の使者に出すが義昭は一蹴。
近江志賀郡の石山、今堅田に兵を入れる。
二月 十五日 武田軍野田城を落とす。
二十四日 柴田、丹羽、明智、蜂屋の軍が近江を攻撃。石山、今堅田も数日で開城。

三月 二十五日 信長、岐阜を出陣。
   二十九日 細川藤孝、荒木村重が逢坂に信長を出迎えて忠誠を誓う。

四月 三日〜四日 上京焼き討ち。二条御所を包囲。
   七日 調停の仲介により信長と義昭との和睦なる。
   八日 信長、京より岐阜へたつ。
十二日 武田信玄死去
柴田、佐久間らは六角氏が立て篭もっていた近江愛知郡の鯰江城を攻略。さらに百済寺も焼き討ち。

七月 足利義昭京より逃れる。

八月 朝倉・浅井両家滅亡。

7人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:06:07 ID:yYtI1/Re
■この情勢をもとにした推測。

織田は
近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど、
江南の抑えと京へのにらみに八千ほど、
北伊勢への抑えと尾張の守備に五千ほど、
美濃では岩村への抑えに三千ほど抑えに置くとすれば、
(基本的な任務は守備、現状維持)
計算上は2万8千ほどを対武田に向けられるのでは?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、
北条の援軍が二千〜三千で、
合計ニ万〜二万五千ほど?

武田は
北信および上野へ対上杉に五千ほど、石高的には10万石3000ほど
美濃岩村の秋山隊が三千ほど、石高的には6万石1500ほど
北条の援軍が二千〜三千で、
遠征軍合計実数二万五千ほど
信玄率いる遠征軍は石高的には84万石〜90万石で21000〜22500ほど+北条の援軍2000〜3000
+美濃へ入ってくる秋山隊が3000ほど
8人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:07:11 ID:yYtI1/Re
その他の勢力 東国

●長尾上杉
・越後…100%(9775)
*ただし、揚北衆特に本庄氏の扱いは微妙。
・上野…10%(1240)
*沼田・厩橋近辺と考えるとこれぐらいか? 武田・北条におされ気味。
・越中…20〜25%(1900〜2375)
*神通川以東(新川郡)松倉・富山は1573年正月まで攻撃中。72年〜73年にかけての遠征によって、越中の大部分を支配下に収める。
この時は越中から加賀にまで攻め込み、顕如から信玄へ援軍要請が行われた。
松倉(富山)城主椎名氏を降すのは『北陸の中世城郭第15号』より1573年1月の可能性が高い
・飛騨…三木氏や江間氏とは友好的。1572年の富山攻めでは江間氏が援軍派遣してる
・信濃…5%?(510)
*飯山城とその周辺は保っていた模様。最大見積もってもこの程度。

総計13425〜13900
・遠征能力○
遠征能力は高いが、北陸へ出陣中。仮に北信・上野に出陣するとしてもメリットは薄い? ただし史実
ではこれ以前も以後も関東への出兵を繰り返している。武田・北条・加賀を敵に回して織田・徳川と同盟。
関東の諸将(佐竹ら)とは疎遠になった。

●後北条
・遠征能力○
武田・上杉と並ぶ大国だが、武田とは同盟中。今回の武田西上でも援軍(二千~三千?)も出している。
数年前まで戦っていたとはいえ、手切れをしてまで武田を攻める事は無いだろう。北関東には他に敵
もいる。

●朝倉
・越前…100%(12500)
*寺社領については、明確な根拠を示さない限り否定されます。
・若狭…?
*守護武田氏は抑えているが意味なし。有力国人である逸見氏・粟屋氏などはこぞって織田について抗争中。
 朝倉軍の一部は粟屋氏の居城を攻撃していた模様。(武藤氏が反織田に回ったが、この時期の動向は不明)

総計12500+?
・遠征能力○
遠征は10000程度は可能か? 現在、越前にフラフラ様子み。70年の講和以降、浅井への援軍以外に
出兵なし。経済疲弊。一部軍役拒否の状態。若狭の支配圏は低下中、むしろ抑えるための兵力派遣
が必要。

●浅井
・近江…9.5〜14.5%(1850〜2825)
*伊香郡、高島郡の半分、浅井郡の小谷、山本山城しか残っていない。
高島郡はもう少し高いとみる説あり。これも考慮に入れた。

総計1850〜2825
・遠征能力△(朝倉が来れば助力可)
単独での侵攻は辛い。木下隊に苦戦。小谷城の眼前に虎御前山砦を築かれて押し込められる。

●六角
・近江…?
*愛智郡鯰江城で逼塞状態。甲賀の土豪がどれほと力になるか?

●松永・筒井(反松永)
・大和(11225、ただし双方合わせて)
*寺社勢力は心情的にも筒井派。土豪も多くが筒井につく。
・遠征能力×(両派とも)
大和で両派が泥沼の抗争中。お互い支援を求めて織田や三好と手を組むことに。
元亀三年の時点では織田の支援を受けた筒井側に有利。松永は押されっぱなし。
9人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:07:37 ID:yYtI1/Re
●長島一向宗+国人
計20000?
遠征しないが尾張は目と鼻の先。ただし動きは鈍い。守備力は高い。

●石山本願寺+雑賀衆?
計23000?
遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

●北畠
・伊勢…30%(4253)
*大湊など、伊勢湾の海上交易に大きな影響力をもつ。かつては南伊勢五郡を有したが、織田へ離脱
 するものが出る。
計?
・遠征能力×
織田による内部からの乗っ取り進行中。そのため勢力としては身動きとれない。隠居させられた北畠
具教は面従腹背。武田と接触をとっているが(根拠は不明)、実質どれほど動かせるかは不明(後年、
具教が討たれたときに北畠残党が挙兵するが、一族などの一部に留まる)。
ほとんど織田の一部とみなしてもいいとする意見あり(ただし、信雄が正式に跡目を継いで北畠軍が
織田の一環として行動するのは74年以降)。

●伊賀
六角に協力したり北畠についたり。基本的には中立。

10人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:08:21 ID:yYtI1/Re
その他の勢力 三好

三好一族の主だった頭(各国の支配率は不明、動員数は100%の場合)

 畿内
・本家:三好義継 三人衆との関係から信長に従っていたが、義昭と共に敵対する
・三人衆:三好長逸、三好政康、石成友通 これも一枚岩ではない。義継や久秀と
抗争の為に行動をともにしていただけ。特に石成は一人信長についた時期もある。
・三好笑岩 基本的に、四国三好家にちかい。信長以前は本家と戦い続ける。
・三好政勝 管領細川家の家臣。長慶を親の仇と長年争い続ける。

・摂津(8900)
・河内(6050)
・和泉(3550)
*ただし、この全てを三好一族が抑えていたわけではなく、細川、畠山、池田、和田、荒木、伊丹、など
 その他在地勢力が根を張り、反三好から織田につくものも多数いた。他に足利家につくものも多数いた。

総計18500-敵対勢力
・遠征能力×
反織田という形で立場は同じになったが、指揮が統一されたわけでもなく分裂状態のまま。
統一行動は難しいか。

四国
・阿波三好家:三好長治-篠原長房 基本的に、主筋になる細川家と争ったり講和したり。 畿内には
あまり関わらず。播磨方面で抗争があった模様?
・讃岐十河家:十河在保 阿波三好家と行動を共にす。
・淡路安宅家:安宅信康 四国三好家についていたが、1572年には義昭信長につく。

・阿波(4570)
・讃岐(3150)
・淡路(1550)
*安宅信康が織田についてしまったので、これは三好には加えられない。
  離反は確実であるが織田に付いたとも言い切れない。

総計9270-安宅氏の勢力
・遠征能力×
お互いに争ったり結んだり。このころには篠原長房との確執が表面化しだす。73年4〜5月に長房が
討たれた後は抑えられていた豪族たちが反旗を翻すことになる。
四国の三好家関連は、後にほとんど信長に属することになる

 おまけ
●足利将軍家
・山城…?
*北山城の国人が義昭に呼応し、明智の配下から離脱者が出たとの記録あり。また細川藤孝や石成友通
などの勢力もあり。細川・明智は織田勢力とみなしてもいい。和田池田伊丹などは義昭勢力。

総計不明
・遠征能力×(史実でも城に篭った)
11人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:09:19 ID:yYtI1/Re
元亀元年(1570)
  正月…五ヵ条の条書。
  二月…織田信長、上洛。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第一次元亀の争乱)
  四月…織田・徳川連合軍、越前に侵攻。浅井長政の離反により敗走。(第一次越前侵攻)
  五月…守山合戦。織田家武将の稲葉良通、六角残党を掃討。
     織田信長、千草峠を越えて美濃に帰国。
     宇佐山城…森可成、
     永原城…佐久間信盛、
     長光寺城…柴田勝家、
     安土城…中川重政、
     それぞれ配置し南近江(湖南回廊)を確保。
  六月…野洲川落窪合戦。六角義賢、敗走。
     織田・徳川連合軍、北近江に侵攻。(第一次近江侵攻)
     池田城で謀反。荒木村重、池田勝正を追放。
     近江姉川で織田・徳川連合軍、朝倉・浅井連合軍に勝利。(姉川・横山合戦)
     横山城…羽柴秀吉を配置し湖北に備える。
  七月…織田軍、佐和山城を包囲。(翌年二月まで)
     織田信長、上洛。次いで美濃に帰国。
     三好三人衆と三好康長、畿内に出陣。
     斎藤龍興、三好三人衆側に参加。
     安宅信康、兵庫に上陸。次いで尼崎に布陣。
  八月…古橋城合戦。三好長逸、攻略。次いで高安城の松永軍と対峙。
     織田信長、上洛。
     織田・足利連合軍、河内、次いで摂津に進軍。(野田・福島合戦)
  九月…石山本願寺、蜂起。(第一次石山合戦)
     朝倉・浅井連合軍(湖北十ヶ寺も含むか?)、南近江に侵攻。(第二次近江侵攻)
     坂本合戦。朝倉・浅井連合軍、勝利。織田信治と森可成、戦死。
     宇佐山城合戦。朝倉・浅井連合軍、大津から山科に転進。
     織田・足利連合軍、摂津から撤退。
     織田軍、志賀に着陣。(志賀・堅田合戦)
     朝倉・浅井連合軍、比叡山に布陣。比叡山延暦寺、協力。
     篠原長房、兵庫に出陣。
 十一月…小木江城合戦。長島一向一揆、勝利。織田信興、戦死。(長島一向一揆)
     堅田合戦。朝倉・浅井連合軍、勝利。坂井政尚、戦死。
     織田軍、六角残党と和睦。さらに篠原長房とも和睦。
 十二月…織田軍、朝倉・浅井連合軍と和睦。
     織田信長、美濃に帰国。
12人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:10:01 ID:yYtI1/Re
元亀二年(1571)
  正月…篠原長房、阿波に帰国。
     宇佐山城…明智光秀を配置。
  二月…佐和山城の磯野員昌、織田信長に投降。
     佐和山城…丹羽長秀を配置。
     肥田城…蜂屋頼隆を配置か?
     備前児島の本太城で反毛利の軍事行動。(毛利と村上の間で確執か?)
  四月…本太城、包囲戦の末に落城。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第二次元亀の争乱)
  五月…箕浦合戦。浅井軍と湖北十ヶ寺の連合軍、敗退。
     織田軍、北伊勢に侵攻。(第一次長島合戦)
     柴田勝家、負傷。氏家直元、戦死。
     篠原長房、備前児島に出陣。(反毛利行動による浦上への支援)
     交野城合戦。松永久秀、安見直政を攻める。安見直政は自害。(三好・松永の乱)
     これより摂津・河内・大和は争乱状態に。
  六月…吹田城合戦。和田惟政、吹田城を攻め落とす。
     篠原長房、阿波に帰国。
     高屋城合戦。三好義継と松永久秀、畠山昭高を攻めるも撤退。
  七月…篠原長房、河内に出陣。
     和田惟政、三好義継・松永久秀の連合軍と戦う。
  八月…織田軍、近江に侵攻。余呉・木本を放火。(第三次近江侵攻)
     辰市合戦。筒井軍、三好・松永連合軍に勝利。
     郡山合戦(白井河原合戦)。荒木村重、勝利。和田惟政、戦死。
  九月…志村城合戦。織田軍、攻略。小川城、開城。(第一次湖南一向一揆)
     金森城合戦。川那辺秀政、降伏。
     織田軍、比叡山延暦寺を焼き討ち。(比叡山焼討)
     坂本城…明智光秀を配置。これにより湖南支配が強化。
     織田信長、上洛。
     織田信長、竹内季治を斬首。(竹内事件)
     織田家武将の明智光秀、高槻城に救援。
     この頃、織田信長、細川信元と石成友通たちと和睦か?
     織田信長、美濃に帰国。
  十月…宮部城の宮部継潤、織田信長に投降。
     槙島城合戦。三好義継・松永久秀の連合軍、攻勢。
     高屋城合戦。三好康長、攻勢。
 十一月…篠原長房、高屋城包囲戦に合流。(〜十二月までか?)
13人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:10:23 ID:yYtI1/Re
元亀三年(1572)
  正月…金森城・三宅城で合戦。六角残党と一向一揆、敗退。(第二次湖南一向一揆)
  二月…利根川対陣。(上杉×北条・武田)
  三月…織田軍、近江に侵攻。余呉・木本を放火。(第四次近江侵攻と河内侵攻)
     木戸城・田中城で合戦。
     織田信長、上洛。(織田信長、細川信元・石成友通と謁見)
  四月…交野城合戦。織田家武将の佐久間信盛や柴田勝家ら、三好・松永連合軍に勝利。
     (他に明智光秀・細川藤孝・三淵藤英・池田勝正・伊丹親興・和田惟長らも参加)
  五月…織田信長、美濃に帰国。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第三次元亀の争乱)
  七月…織田軍、近江に侵攻。小谷城合戦。(第五次近江侵攻)
     朝倉義景、小谷城に後詰。
     毛利輝元、備前に侵攻。
  八月…朝倉家武将の前波、魚住、富田らが織田軍に投降。
     織田家武将の中川重政、失脚。
     摂津中嶋城合戦。細川昭元、三好・松永連合の攻撃を受ける。
  九月…織田信長、美濃に帰国。(朝倉軍は小谷城に滞陣のまま。)
     一七ヵ条の異見書。
     岩村城の城主の遠山景任、死去。
  十月…武田信玄、甲府を出陣。
     第一次岩村城合戦(時期諸説あり)。織田軍(河尻・池田らか?)、攻略。
     毛利輝元と浦上宗景、講和。
 十一月…第二次岩村城合戦。武田家武将の秋山信友が攻め、開城。
     二俣城合戦。開城。
     安宅信康、義昭信長に降伏。
 十二月…朝倉義景、越前に帰国。
     織田信長、佐久間・水野・平手らを援軍として徳川家康に派遣。
     三方ヶ原合戦。武田軍、織田・徳川連合軍に勝利。
     摂津中嶋城合戦。再度、三好・松永連合の攻撃を受ける。
     上村合戦(時期諸説あり)。武田軍、遠山残党に勝利。
 この頃…浦上宗景、三村元親、尼子勝久らは織田信長と誼を通じる。
     宇喜多直家は毛利輝元と誼を通じる。
14人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:10:48 ID:yYtI1/Re
元亀四年・天正元年(1573)
  正月…野田城合戦。(二月に落城)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第一次将軍蜂起)
  二月…近江石山城合戦。落城。(第六次近江侵攻)
     摂津中嶋城合戦。三好・松永連合軍、勝利。細川昭元、堺へ逃走。
     今堅田城合戦。開城。
  三月…織田信長、上洛。細川藤孝と荒木村重、織田信長に臣従。
     高槻城で謀反。高山重友、幕府派の和田惟長を追放。
  四月…織田信長、上京に放火。二条御所包囲。
     織田信長と足利義昭、和睦。
     鯰江城合戦。六角残党と一向一揆、敗退。(第三次湖南一向一揆)
     百済寺焼討。織田信長、美濃に帰国。
     武田信玄、死去。
  六月…高屋城で謀反。遊佐信教、畠山昭高を殺害。三好康長、入城。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(第二次将軍蜂起)
  七月…織田信長、上洛。
     二条御所合戦。三淵藤英、降伏。
     槙島城合戦。将軍足利義昭、降伏。次いで追放。
     上桜城合戦。篠原長房、三好長治に攻められて戦死。
15人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:11:30 ID:yYtI1/Re
53スレまとめ

>1-17テンプレ

>18-55武田が徳川領切り取りに専念したら・その間織田はどう動くか
 >40-54武田が織田との同盟を維持していれば・織田の外戚同盟者への扱い
  >55天正初期畿内年表

>56-114織田の畿内への対処
 >74-81浜松岡崎などを攻めた場合
>82-134東美濃について・武田による美濃攻めの可能性
 >106天正初期織田軍年表
>136-190吉田城を落とせたらどうなるか
 >140-168領土交換は可能かについて・武田は織田と再同盟したかったか
 >167-190織田のとるべき行動・信玄が生きていても大勢は変化無しか

>186-229武田上杉北条間の外交について

>230-298東三河を2ヶ月で支配し岡崎強襲して数日で落とせるかについて
>297-310どうすれば上洛が出来るか・どの時期なら可能だったか
>311-312小田原遠征について

>316-523東三河を2ヶ月で支配し岡崎強襲して数日で落とせるかについて
 >316-324小谷城が瞬殺された理由
  >370支城無視して本拠を一気に落としたという成功例
 >417-447七尾救援と畠山春王丸について
 >432-460岡崎城と三河の支城について
  >459三河国のお城一覧リンク
 >438-459人質はどこに置かれるか
 >453-521嫡男戦死の影響について

>484-527兵農分離・貨幣経済について
>512-528 >653-667長島について

>543-597 >666東三河を2ヶ月で支配し岡崎強襲して数日で落とせるかについて
 >549-556 >657-669本拠地移転
  >554三河の城リンク
 >554-583軍役動員力・一万石でどれだけ動員できるか
  >567兵站を維持するのに必要な人員試算

>598-667美濃越前間の軍事行動の可能性について・朝倉家の内部状況
>653-691包囲網の状況
 >673謙信年表

>687-765義昭への対処・将軍の権威とその形骸化について
>733-738出陣までにかかる時間

>747-761野田城放置して先に進めるか・野田落とした後武田徳川はどう動くか
>766-795武田はどれだけの期間遠征できるか
>779-822畿内の状況・三方ヶ原で織田が失った兵力動員力に与えた影響について

>810-844第二次包囲網の状況・謙信が生きていた場合の勝算について・手取川と越前の状況
 >832-836 1577年飛騨の状況
>842-877農民兵の実体について・農繁期の動員・大名の経済力
>867-879 >896-901対上杉のために必要な守備兵力について
>892-901後期信長の直属の兵力について
>897-918各大名の経済状況
 >916織田の軍事行動期間一覧
>924-947各大名の守備兵力・北信濃の守備兵力・美濃越前間の軍事行動の可能性について
16人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 02:12:10 ID:yYtI1/Re
戦国時代板案内所
http://www37.atwiki.jp/sengokuita/pages/14.html
【武田】2万5千で上洛【信玄】 (避難所)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/34542/1191676222/
17人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 04:14:33 ID:Cxq4mAhS
1乙
18人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 11:41:39 ID:wYBmJcR/
歴史学者などは信玄が死ななければ信長は危うかったであろうと結論している。

しかし、このスレでは信長が戦力的に断然有利であろうと結論している。

なぜか?

このスレでは、過去の資料などを持ち出してもっともらしく議論されているように見せて実は所詮ゲーム脳の発想しかないからだ。
総石高が何万石だから総兵力が何人。
このような考えがそのまま当てはまるわけが無いのである。

第一次包囲網当時の信長は美濃・尾張以外に近江・京など近畿に勢力を広げているが、まだ確固たる支配体制を整えていない。
近江で織田に付いた勢力は近江での戦で織田に味方する勢力であり。
京付近で織田に付いた勢力は京付近の戦で織田に味方する勢力。
全てがそうではないが基本的にはこのようなもの。

つまり、実際に信長が自由に動かせるのは尾張・美濃の兵力のみ。
信長の家臣である柴田・丹羽・木下・明智などの将が率いる兵も当然尾張・美濃兵である。

第一次包囲網は信長が尾張・美濃兵を率いる家臣達を近畿各地に派遣し、その地域の味方勢力の協力の元敵に当たると言う図式である。

尾張・美濃の動員は3人役どころではなく4人役・5人役の状態であり、到底さらに尾張・美濃兵で武田に立ち向かうなど出来ない状態である。
19人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 12:19:28 ID:EkrYb9bS
>近江で織田に付いた勢力は近江での戦で織田に味方する勢力であり。
>京付近で織田に付いた勢力は京付近の戦で織田に味方する勢力。

それなら織田が優勢な京や近江の防衛は全く問題ないじゃない
尾張、美濃から兵を派遣するのは一部の指揮官クラスで問題なし。
守るだけだし戦況は五分で充分。圧倒的な勝利は必要なし
調略、裏切り含め現状維持同然なら織田の勝ち
織田は順調に進出しており、武田の侵攻が継続しない限りそのまま支配を固めてしまう
京や近江の軍まで岐阜や東海道に派遣するなら浅井、朝倉、本願寺などが脅威になる

それと>>3のテンプレにも
>無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。
とはある

ついでに武田本隊に対しても徳川の体制が崩壊しない程度に対処しておけばいいだけ
織田側からの決戦の必要性は低い

以上テンプレからは外れる考察
20人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 15:34:34 ID:uqY3Vnbg
>>18
このスレは石高だけでおおよその兵力を計算しているけど
経済や各国の人口も含めて考えたら武田のほうが圧倒的に不利になると思うんだが
それでいいの?
21人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 20:15:49 ID:QIEYBFxx
>>18
信玄の死が大して影響ないって主張してる奴って
井沢ぐらいでねwww
しかも胡散臭い逆説でwww
22人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 23:53:39 ID:avm0lv5J
>>18
そもそも今のままでは武田に都合よく計算されてるんだけど
23人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 00:03:16 ID:xNkCo9R4
徳川史観に騙され続ける学者が哀れでならない

ウィキを読んでも、武田はとても間に合わない
あれは上洛作戦とはいえない内容だ
さらに、朝倉が出兵をやめ戻った時点で決定的に破綻している

結局、信長の電撃作戦のスピードに誰も付いてこれなかったというのが史実だ
24人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 00:03:47 ID:VdvG1Chw
信玄が生きてるという時点で非常に都合がいいんだけど

前スレ>>999
>9が前提になってる
朝倉などの遠征能力(機動力といいかえてもいいか)のある勢力に比べれば防御の兵は少なくてもいい
長島自体が織田の勢力圏に包囲されてる状態でもあり
>3の
>無理すればもっと動員できるだろうがそういう兵力は基本的な守りに残すと解釈。
からすれば俺から見れば過剰な防御人数だと思うが
25人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 00:31:01 ID:+Zp+o4/H
>>23
wikiを鬼の首とったようにかざすのは・・・。

>>24
過剰か?長島が包囲されるのは1573年9月の第2次伊勢長島攻め以降でしょ?
信玄死んで武田が引き返して半年近くたった後の。
1573年4月で信玄生きて進軍続けるなら包囲とはいえないのでは。
26人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 00:44:02 ID:05cprYUK
>>23
疑問なんだけど
上洛してなにするのよってかんじだな
徳するのは足利と近畿内勢力ぐらいだろ
武田場合、権威を全国に流布できるぐらい
結局、最大勢力の織田を潰せば
天下人候補の筆頭席が与えられるってことでしょ
だから、武田が美濃尾張を平定すれば
実質、最大勢力になるから
天下をとったことになるわな
秀吉、勝家の例でみれば確実
27人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 00:55:51 ID:xNkCo9R4
正直言ってオマエらは低脳すぎる
一々反論しなくていい、お互い時間の無駄だから

>>25
特に重要なのは日付だよ、農繁期になったら撤退だから

>>26
よくウィキくらい読めよ
徳川の支城、落としてるのに1ヶ月くらい掛けてる、スピード0なんだよ
あれでは徳川ですら息を止められないうちに撤退だ
28人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 01:01:29 ID:+Zp+o4/H
>>27
農繁期になったら撤退とかまさか兵農分離とか信じてない?
戦国の軍隊は軍役衆だから別に困んないでしょ。
29人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/09(月) 01:16:10 ID:05cprYUK
>>27
上洛自体、意味がないってことね
この遠征で徳川を屈伏させ
隣接した尾張美濃を平定すれば
実質、決戦に勝利したことで
天下人ってことでしょ
30人間七七四年:2008/06/09(月) 10:08:49 ID:VdvG1Chw
>>25
wikiと地図見ればわかるが長島は織田の勢力圏の真っ只中にある
勢力圏を維持し、一向一揆の活動に制限さえ加えることができればいいんだし
長島自体を武力鎮圧や兵糧攻めをしようというわけではない
長島の攻撃さえしのげればいい

>>28
軍役衆とはいえ裏づけになる財力が織田と武田じゃ雲泥だし
駿河をとったばかりで商業力なども怪しいので
無理せず農繁期には帰ると可能性が高いと思われる
決戦をしかけるなら別だが

>>29
いくらなんでも徳川を屈服させるのと尾張美濃を平定させることは別だと思うが
尾張美濃平定が条件なら織田との決戦は回避不可能
31人間七七四年:2008/06/09(月) 12:16:25 ID:WOUD/hAD
一揆二万の攻撃を防ぐのに、四千いるんだろ。
32人間七七四年:2008/06/09(月) 17:48:36 ID:hvpLE11M
伊勢長島一向一揆は半数が女子供老人ともいわれるし、実質的な戦力はどの程度のものか
朝倉宗滴が加賀の、羽柴丹羽らが近江の、明智羽柴が越前加賀の、中村が紀伊の一揆勢の大軍を
小兵力でもって破っているが、城や本拠に篭っての迎撃には優れていても野戦は弱かったのかもしれない

長島が2万超といっても5000あれば何とかなるんじゃないかと。
33人間七七四年:2008/06/09(月) 21:08:47 ID:GUQaS5Yc
>>30
攻撃さえしのげばいいという防衛的な考えなら別に包囲云々は関係ない。
2万を超える大軍を5千の兵だけでしのごうというのはさすがに厳しいと思うが。

武田の出陣時期で最も多いのは農繁期なんだけど。
川中島とかじゃ平気で農繁期の中で戦いやってるし。
34人間七七四年:2008/06/09(月) 21:15:58 ID:5U84L3AH
>>33
>>24には
>勢力圏に包囲
と書いてあるから別に長島を直接包囲というのとは違うと思うぞ
長島自体が織田領のど真ん中だから織田領に囲まれてる=勢力圏に包囲だろう
そこから
>過剰な防御人数だと思うが
につながるんだと解釈したけど
35人間七七四年:2008/06/09(月) 21:18:27 ID:PuIkr34G
長島一向一揆の軍勢2万て女子供も含めて篭城時の数だけど、
城を出て戦える戦闘要員がどれくらいいたかは資料に残ってなくて謎でOK?
籠城時は織田の攻撃を耐えた実績があるから籠城なら女子供を含めた軍でも戦えるって計算が出来るけど、
本格的な野戦だと長島の一揆勢がどれくらいの働きをするのか予測しにくいんだよなあ。
36人間七七四年:2008/06/09(月) 21:19:38 ID:hvpLE11M
農繁期とかは出兵とはあんま関係無いだろうけど、既に遠征期間は半年、
経済的にも兵士の士気的にも限界なんじゃないだろうかって思うんだけどどうだろ?
37人間七七四年:2008/06/09(月) 21:23:24 ID:GUQaS5Yc
>>34
その勢力圏とやらは基本的に守りにまわる兵しかいないんだろ?
そして伊勢長島2万数千(最後に騙されて虐殺された時にこの人数だから戦闘で消耗する前なら
もっといたと思うけど。)に向かって能動的な動きができるのが5千と。
だったら別に勢力圏に包囲されていようと伊勢長島の進行を妨げる事はできない。
進行方向の兵以外は。となると5千で対処するのは厳しいと思うが。
38人間七七四年:2008/06/09(月) 21:23:34 ID:PuIkr34G
>>36
城攻めで兵糧攻めをするなどの一つの場所に腰を据えた長期滞陣ならまだ大丈夫だろうけど
野戦あり城攻めありの半年以上に及ぶ行軍は肉体的にも精神的にも厳しいだろうね。
39人間七七四年:2008/06/09(月) 21:58:05 ID:5U84L3AH
>>37
長島一向一揆が遠征能力をもってるならその通りだが過去でも近場は襲えたがそれ以上の行動はできてない
城を落としたのも蜂起の最初のころだけであとは攻められたのを撃退したのがほとんど
長島一向一揆は防御に徹すれば固いが攻勢に出るのは難しいイメージ
それと一揆勢の人数は2万ぐらいでいいと思うけど老若男女ひっくるめてだから
その中で外征できる戦闘要員がどれほどの人数かは不明
本願寺から回されたのや願証寺が雇った傭兵がいたとしても1万前後がいいところなんじゃないか

>戦闘で消耗する前ならもっといたと思うけど
逆に虐殺時の2万数千が長島一向一揆の最大兵力でこのころは1万数千台だったかもしれない
兵が減ったら本願寺からの援兵や傭兵で補充することが考えられるし
なにより後年の織田軍からの攻勢から防御のため人数を増やした可能性もある
兵を収容する長島の領地が増えてるわけではないし
総数が2万前半より増えることは無いと思う
40人間七七四年:2008/06/09(月) 21:58:05 ID:hvpLE11M
川中島の時は一応近距離で自領での戦闘、人数も1572年と比べると少なめで、長期対陣だったけど
武田だけでなく上杉もだが、空手形連発に、勝手な略奪行動陣中での喧嘩などと士気が大いに乱れているからなー。
41人間七七四年:2008/06/09(月) 22:11:28 ID:hvpLE11M
信長公記を信じるなら
1573年正月と、伊勢長島滅亡時を比較すると
まず一揆に味方していた北伊勢三郡の存在
1574年緒戦での一揆勢1000撫で切りと各砦での損害
3ヶ月での篭城で過半餓死という記述
落城時の2万は1573年正月と比較するならかなり目減りしているはずである。

但し、『信長公記』は桶狭間の兵力などから考えると数を7〜8割増しぐらいで記述している可能性も高い。

ただ結局は女子供老人含んでの数だからその戦力はどの程度のものか
大名の場合だと本来は守備用にでさえ動員しないような部分の人員を動員してるようなものだしね。
42人間七七四年:2008/06/09(月) 22:18:20 ID:PuIkr34G
テンプレ>>9
●長島一向宗+国人
計20000?
の横にに(女子供を含めた数で、実際に戦える戦闘要員数は不明)みたいな注意書きを加えたほうがいいかもね。
でないとテンプレの2万という数字を全て他国に遠征できる戦闘要員と誤解されるからね。


43人間七七四年:2008/06/09(月) 22:23:34 ID:WOUD/hAD
>>38
途中の年越しの停止や野田城攻めののんびりさ加減は、合戦後の骨休めだったりしてな。
44人間七七四年:2008/06/09(月) 22:52:07 ID:3AZIthvy
どう考えても石高だけじゃ兵士の動員可能数は量れないよなあ。
石高だけで考えれば、上杉は武田と北条敵に回して立ち回れるわけないもん。
商業力まで含めて動員可能数を計算すると武田はかなり不利だろう。
港から上がってくる税はかなり大きいからなあ。
45人間七七四年:2008/06/10(火) 00:39:57 ID:pv9RdOSe
武田が徳川を降す事が出来るかは吉田城を落とせるかが大きな要素になっている。
だが吉田城は一般に思われているより簡単に落城してしまう可能性が大きい。

家康は野田城への救援として浜松から3千の兵を率いてきたが、武田の大軍に対して手が出せず已む無く吉田城に撤退。
後詰の無い城は守りきれないと言うが、この出来事でもはや家康に後詰の能力がない事を露呈した。

野田落城時の家康の戦力は浜松に2・3千、岡崎城にも2・3千、吉田城に元からいた城兵と家康が率いた3千を合わせて4千ほどであろうか。

野田落城時に信玄が南下し街道に出てから西に向かい吉田城に向かえば家康はどうしたか?
吉田城での籠城は当然避けると思われるが、しかし東へ進めないいじょう岡崎へ撤退するだろう。

では、吉田城はどうなるか?数百の守りの兵を残して籠城させるのか?
しかし籠城させるとしても後詰の無い城は守りきれない。
では、後詰どころか主将が逃げ出した城は?
ほとんど、籠城させるだけ兵力の無駄である。

少なくない確率で吉田の全兵力を率いて岡崎へ撤退すると思われ、武田はやすやすと入城できるだろう。
たとえ、守兵を残して籠城させたとしても、落城させるのはたやすく問題ない。

万が一家康が吉田城で籠城すれば吉田は岡崎城よりは落としやすいと思われ、さらに岡崎の兵力と合流されないので、それはそれで好都合である。
46人間七七四年:2008/06/10(火) 01:51:45 ID:c60937+g
>>44
藤木久志の『雑兵たちの戦場』とか読んでみたら?
47人間七七四年:2008/06/11(水) 18:11:34 ID:ePjnFq8Q
>>45
1571年1574年1575年の基本的に吉田城で篭城していた家康の行動を考えると
吉田を捨てるはまず有り得ない
遠江衆を引き連れて家康も篭城の可能性が高いと思う
信長の後詰の可能性が低ければor落城の可能性が高ければ、酒井にまかせる可能性も高いと思うが

>野田落城時の家康の戦力は浜松に2・3千、岡崎城にも2・3千、吉田城に元からいた城兵と家康が率いた3千を合わせて4千ほどであろうか。
この時の兵力は石川らを別に吉田城に5000だったと思う、徳川方の史料なので、というかこの手の兵力はあまり当てに出来ないかもしれないが
48人間七七四年:2008/06/11(水) 23:42:36 ID:mWUwPNnC
永い間、従順な日本人を騙し続けた、何らかの意図を持って
故意に捏造された徳川史観・・・

己の大敗を恥じる家康、
さらに織田、豊臣の天下をブン取った負い目もあったことだろう
家康本人の意図によって作り上げられたかは知らないが、
少なくとも徳川系統の利権集団にとっては死活問題、
過大に捏造され、日本人を見事に洗脳してきた

勝手に軍神に祭り上げられ、過大評価がデフォルト値にされ
戦国最強の幻想を信じ切った、思い込まされた武田厨が一番、可哀想だと最近は思う
ホントの意味で、偽造の歴史の犠牲者だから

こんな作為的なことをする家康への評価、少なくとも黙認したであろう家康への評価が
オレの中でストップ安で暴落し続けている
それとも、家康には信長の先進性などそもそも理解できていなかったのか・・・
49人間七七四年:2008/06/12(木) 02:36:48 ID:pC10pIkB
家康は信長みたいに駆け抜けたわけではないからね。
家康は自分の置かれた状況で一歩一歩堅実に歩いていった感じ。
ちなみに信長の天下をぶん取ったのは秀吉、秀吉が家康に天下を取られたのは
自業自得では?
50人間七七四年:2008/06/12(木) 07:43:29 ID:LmDLWF1Q
>>49
でも秀頼滅ぼしたのは言い訳できないだろ
51人間七七四年:2008/06/12(木) 08:01:43 ID:7GXJRZBt
>>47
>遠江衆を引き連れて家康も篭城の可能性が高いと思う
家康が浜松から3千だけを引き連れてきて吉田城に入ったのは確実だけど、野田城が落ちたときに他の遠江衆も呼び寄せたとかいう資料があるの?
52人間七七四年:2008/06/12(木) 08:04:50 ID:NW4MK3tG
>>48
wwwwwwwwwww
53人間七七四年:2008/06/12(木) 20:01:56 ID:pC10pIkB
>>50
家康を全肯定するつもりは無いよ。
54人間七七四年:2008/06/14(土) 09:38:03 ID:dEj9ZFDf
>>47
>遠江衆を引き連れて家康も篭城の可能性が高いと思う
家康が浜松から率いた3千に遠江衆も含まれていたと言う事?
そりゃある程度は含まれているだろうけど。

>信長の後詰の可能性が低ければor落城の可能性が高ければ、酒井にまかせる可能性も高いと思うが
信長の後詰の可能性は低いと思うな。
信長が三河方面に2万、3万の軍勢を向かわせられるようになるのは、浅井・朝倉・義昭を倒してからの話と思う。
55人間七七四年:2008/06/14(土) 12:10:17 ID:BLhv7tX4
>>54
>信長が三河方面に2万、3万の軍勢を向かわせられるようになるのは、浅井・朝倉・義昭を倒してからの話と思う
ここまでの過去ログも読んだ上で言っている?
56人間七七四年:2008/06/14(土) 16:52:56 ID:ZEPd8pRK
過去ログは、支配力を無視して総石高から兵力を計算するなんていう非現実的な考えを元に議論してるから、意味無いんじゃないかな。
57人間七七四年:2008/06/14(土) 16:56:14 ID:yrCmRlxd
>>56
では君が知っている現実的な考えとやらを提示してくれ。
58人間七七四年:2008/06/14(土) 18:43:37 ID:dI+576er
>>56
適当に兵数を出されたりしたんだよ。
このくらいは出せるとかな。

だから目安としてたたき出したもので、絶対の基準ではないというのは
あの当時散々言われていたことだ。
59人間七七四年:2008/06/14(土) 18:49:00 ID:mRgut1fZ
現テンプレは武田有利に作ってあると思うが
石高だけだ経済力とかほぼ無視だし
60人間七七四年:2008/06/14(土) 19:49:07 ID:ZEPd8pRK
目安にしても総石高から総兵力を算出したらおかしくなるんだよ。
分かりやすく極端に言えば、浅井、朝倉を倒さずに磯野を武田との合戦に駆り出せるかと言う事。

テンプレは総石高から算出した兵力を自由に動かせるような事になっている時点で、織田に有利になってるんだよ。
61人間七七四年:2008/06/14(土) 20:16:55 ID:mRgut1fZ
そんなこと言ったら武田は
2万5千も遠征に動かせるかね?
このスレは武田2万5千で遠征
が前提の時点でおかしい


62人間七七四年:2008/06/14(土) 20:26:50 ID:yrCmRlxd
>>60
なるほど。上杉を倒さずに高坂や内藤らを徳川・織田との合戦に駆り出せるかという事ですね。て、あれ・・・?w
だいたい磯野を合戦に駆り出すなんて誰も言ってないでしょ。
63人間七七四年:2008/06/14(土) 20:34:38 ID:ZEPd8pRK
上杉とは当時戦闘状態にないからな。
磯野にしても分かりやすく極端って書いたろ?
説明しないと分からないことか?
64人間七七四年:2008/06/14(土) 20:43:39 ID:dI+576er
>>61
あたり。
そもそものスレタイは
「二万五千ぐらいでで上洛できっかよ、武田信玄」だぜ。

スレを重ねる内にスレタイが省略された。
65人間七七四年:2008/06/14(土) 21:27:05 ID:LilIK8XF
>>62
内藤は上洛戦に参加してなかったっけ?
66人間七七四年:2008/06/14(土) 21:37:40 ID:mGHW148w
箕輪守備
67人間七七四年:2008/06/14(土) 23:39:09 ID:3360bNoh
史実なら内藤昌豊は三方ヶ原合戦に参戦している。


68人間七七四年:2008/06/14(土) 23:48:07 ID:yrCmRlxd
>>63
別に領土が分断されて飛び地になったりしてるわけではないんだから
勢力圏内に兵を自由に動かすのは基本的に可能でしょ。
そりゃあ敵勢力と接してる部分を領する武将を動かすのは無理だろうけど、
動かせない武将はテンプレ>>7にあるように各地の抑えとして使える。


>>65
>て、あれ・・・?w
をよく見れ。
69人間七七四年:2008/06/15(日) 03:16:02 ID:D7ivR/l0
>>68
>別に領土が分断されて飛び地になったりしてるわけではないんだから
>勢力圏内に兵を自由に動かすのは基本的に可能でしょ。
いや、無理でしょ。当時そんな概念無かったもの。
ゲームならできるんだけどね。

武田が内藤を上洛戦出してるってことは上野の守備は薄いてことだよ。
その代わり北条との同盟と北進置いた高坂に牽制させる事によって守ってるわけ。
70人間七七四年:2008/06/15(日) 03:38:21 ID:s3b1doz9
>>69
そうだね、織田でも同じように
>近江に浅井・朝倉への抑えとして木下、磯野で合計七千ほど
と書いてあるがの見えなかったのかな?

>武田が内藤を上洛戦出してるってことは上野の守備は薄いてことだよ。
>その代わり北条との同盟と北進置いた高坂に牽制させる事によって守ってるわけ。
この理屈でいいのなら、
北近江の守備は薄くなるが、その代わり若狭の反朝倉勢力との同盟と高島郡においた
磯野に牽制させることによって守ってるわけ。
これで木下隊も対武田軍に編入可能。
これが成立しますがいいですよね?
71人間七七四年:2008/06/15(日) 06:00:09 ID:zvA2mqHO
どうして、現在戦闘状態ではなくさらに別方向に侵略途中の上杉と同じレベルで比べられると思うんだろうか?
72人間七七四年:2008/06/15(日) 07:05:14 ID:LOSprb1n
別方向に侵略途中なのは上杉の都合であって武田の都合ではないからです
きまぐれな謙信はいつ矛先を変えるかわかりません
常に不測の事態に備えるのが風林火山の武田流なのです

なお商業力は測定不能ですが近畿圏をもつ織田がブッちぎりなのは言うまでもありません
金でいつでも動かせる兵が多いことを兵農分離の結果だと多くの人が信じていたのは内緒です
73人間七七四年:2008/06/15(日) 10:55:18 ID:zvA2mqHO
ゲームだとお金で沢山兵を雇えるよね。
74人間七七四年:2008/06/15(日) 11:46:07 ID:KHM8oYaU
金の力を無視すると謙信の連年のような外征の説明がつかない
晩年になって北陸に勢力を伸ばしたが関東に関してはほとんど勢力を伸ばしてない上に内乱まで抱えることもあった
同じように連年戦ってそれなりに勢力を伸ばした勝頼が最終的にジリ貧になったのに謙信は莫大な遺産を残している

といっても具体的な税収とかわかんないからこのスレに組み込むのは難しいか
所詮仮想シミュスレだし
75人間七七四年:2008/06/15(日) 14:47:29 ID:o/e+hJKo
>>69
信長は各戦線の兵を別の戦線に転戦させたりしてたわけなんだが。

76人間七七四年:2008/06/15(日) 16:51:29 ID:cG27MdHC
いつからそう言う事が可能になっているかぐらい、ちょっとは考えようよ。
77人間七七四年:2008/06/15(日) 18:26:57 ID:D7ivR/l0
>>70
この理屈っていうかそれが戦略ってものでしょ
そのハチャメチャな戦術だって方法論としてはありなんだろうけど、
それがズタズタにされるかどうかは別問題だろ。
78人間七七四年:2008/06/15(日) 22:59:43 ID:zvA2mqHO
ちょっと半分おふざけで計算したが、
近畿各地の戦線にある程度の信長直属の将兵が出向いていると考えて
それを1/3と考え下の様に当てはめてみた。

近江の抑えの兵力の1/3を尾張・美濃兵。
江南の抑えと京へのにらみの内、京へのにらみの分を半分としてそれは尾張・美濃兵。
残り半分の兵力の1/3を尾張・美濃兵。
北伊勢への抑えと尾張の守備の内、尾張の守備分を半分としてそれは尾張兵。
北伊勢の押さえ分の1/3を尾張・美濃兵。
美濃では岩村への抑えは美濃兵。

テンプレの武田へ向かわせる兵力の2万8千の内訳は
12500が尾張・美濃兵
6300が近江兵
6600が伊勢兵
450が志摩兵
750が三河兵

志摩と三河はどうでもいいけど、近江・伊勢で半数。
ありえない編成だな。

ちなみに近江と伊勢と志摩のみなさんが近畿の抑えを京へのにらみを
織田からの出兵がまったくなしにしてくれても、
岩村への抑えと尾張の守備分を除けば
尾張と美濃の兵力では2万8千に足りません。
79人間七七四年:2008/06/16(月) 01:41:38 ID:HyQw1cHm
>>78
おまえの頭が悪いことは良くわかった。
80人間七七四年:2008/06/16(月) 08:05:02 ID:phld2peN
>>78
計算が正しいかは怪しいけど総石高からだした兵力を自由に編成・配置できるというのはちょっと現実的とはいえないね。
81人間七七四年:2008/06/16(月) 11:13:46 ID:ps5HsCvq
領地と占領地を分けるべきなのにごっちゃなんだもん
近畿が織田の領地に組み込まれるのは、第一次包囲網後に近畿各地を配下分配してからでしょ
82人間七七四年:2008/06/16(月) 12:10:12 ID:PN2cRuuU
領地と占領地の区分なんかできないよ
法律なんぞで明確化できるわけでもないし
家臣に配分したら領地化って直轄領はどうなるのさ
勢力が入ってれば税の徴収や徴兵などいくらでも理由をこしらえることができる
83人間七七四年:2008/06/16(月) 12:26:39 ID:PN2cRuuU
なんか空気の読めないこと書いたかな
84人間七七四年:2008/06/16(月) 18:45:08 ID:zlEBCPoh
領地か占領地ってのは確かに不明瞭なことだからテンプレではいちいち分ける必要は無いと思うけど、
考察に用いる時までごっちゃにしてたらそれはただの情勢無視。
だからゲーム的だと言われるんだよね。
85人間七七四年:2008/06/16(月) 19:44:45 ID:ymLn/Tsb
>>81
>近畿が織田の領地に組み込まれるのは、第一次包囲網後に近畿各地を配下分配してからでしょ
テンプレでも近畿のほとんどは織田領として組み込まれていない。近畿の親織田勢力はちゃんと
別にされているだろう。何がいいたいんだ?

ちなみに近江の旧六角家臣に関しては、元亀の時点で豪族たちに対する宛行状が多く残されて
いるので、織田領として組み込まれていることに疑問はない。
86人間七七四年:2008/06/16(月) 20:19:11 ID:ps5HsCvq
話の流れで近畿で織田が制圧してて、領地として石高が計算されているヶ所ってくらいわからないか?
親信長勢力の土地なんて、第一次包囲網後だって配下に分配なんてしてないし。
87人間七七四年:2008/06/16(月) 21:08:25 ID:ymLn/Tsb
>>86
>近畿で織田が制圧してて、領地として石高が計算されているヶ所ってくらいわからないか?
どこですか、それ?
88人間七七四年:2008/06/16(月) 21:41:50 ID:ps5HsCvq
釣りか?
近畿で織田が制圧しているヶ所がないと?
89人間七七四年:2008/06/16(月) 22:26:22 ID:ymLn/Tsb
釣りですか?
近畿で織田が制圧していて、かつテンプレで領地扱いされ石高が兵力計算に含まれている土地ってどこですか?
90人間七七四年:2008/06/16(月) 22:37:03 ID:ZGHaJEEV
>>89
近江じゃね?
91人間七七四年:2008/06/16(月) 23:06:07 ID:0Sd7LsLD
あのテンプレってかなり織田に不利なようにできているよな
抑えも実際にはそんなに大勢必要無いし、何より畿内には織田味方の勢力もたくさんいる それが石高として出ていない
それに防ぐだけなら兵はもっと少なくていいし 信玄が超強敵で、兵力が2倍あっても防ぐのが精一杯って場合でもそれぐらいなんとかギリで出せるかもしれないぐらいだ
実際には2万もいれば余裕で防げるけど
92人間七七四年:2008/06/16(月) 23:17:16 ID:UbbJ4yA4
>>91
激しく武田有利にできてるしな
それに織田の高い経済力もまったく考慮してないし
朝倉がぼろぼろなのも考慮されてないしな
93人間七七四年:2008/06/17(火) 00:58:04 ID:lKQ5Xfnl
仮に対武田への後詰めが十分可能であったとしよう。
だとすると三方ヶ原中途半端な援軍はなんだったのか?
後詰めが可能だったにも関わらず援軍をケチって散々に打ち破られる失態を犯した事になる。
3の倍数の三方ヶ原だけにアホにでもなったというのだろうか?

君らの理屈は信長がアホでもない限り成り立たない話だよね。
94人間七七四年:2008/06/17(火) 02:42:35 ID:RzAIA+0N
あれは篭城用の援軍だろ
95人間七七四年:2008/06/17(火) 07:34:31 ID:QyJ3OTjr
そう言えば籠城用の援軍って他にあまり聞かないな。
浜松に籠城するなら8千でも十分っぽいが。
一部で言われている裏切らないように見張りかね?
96人間七七四年:2008/06/17(火) 09:00:49 ID:EvH045Lz
一応八幡原こと川中島第四回戦では海津城に援軍の信玄一万五千が篭城したことで
謙信は海津攻めが不可能と判断したとかはあるみたい
97人間七七四年:2008/06/17(火) 09:23:12 ID:+Z8QCnX/
それは援軍に来て、一旦城に入ったと言う事じゃないか?
98人間七七四年:2008/06/17(火) 19:33:22 ID:lKQ5Xfnl
篭城用の援軍なんて家康にとっては無駄飯食らいだ
99人間七七四年:2008/06/18(水) 08:40:30 ID:zuJnujQn
ところで、まだ戦乱が納まってない地域の石高だけを見て自由に兵を召集・編成出来るという非現実的なテンプレを変えるなら、どう変えるべきだろうか?
100人間七七四年:2008/06/18(水) 08:52:35 ID:5WkrulWK
何故少数意見を取り上げなくてはいけないんだろうか?馬鹿?
101人間七七四年:2008/06/18(水) 09:07:29 ID:zuJnujQn
この話がでてから有効な反論など、多数どころか皆無だろ?
新しい話が出る前に多数に支持されていたと言うのがなんになる?
昔に多数に支持されていたから間違っていようがとうすのか?どっかの官僚か?
違うと言うなら有効な反論をしてからにしてくれ。
102人間七七四年:2008/06/18(水) 09:19:27 ID:EooXsJb9
貴方がテンプレ案を作って、ここに張ればいいんじゃない
それを見てから判断したい
現行テンプレ覆そうとするなら
それくらいやらなきゃ
103人間七七四年:2008/06/18(水) 09:23:27 ID:dSxww367
信長によってある程度納められるまでの畿内は戦乱のまっただなかなんだが、
それで細川や三好が兵を収集、編成できなかったことってあるのかね?

ところでテンプレ上で
>まだ戦乱が納まってない地域の石高
ってどこ?まずそれを指摘してもらわないと。
104人間七七四年:2008/06/18(水) 12:28:48 ID:zuJnujQn
自由に兵を召集・編成っていうのは、その地域の領主が兵を召集・編成できないと言うのではなく、その地域が戦乱状態なのに他に兵を出すことなどできないだろうと言う事。
テンプレではそれが考慮されず総石高からの兵力を自由に召集・編成できるのが現実的じゃないと。
テンプレの代案については、本質の部分じゃないヶ所に突っ込まれた挙句、全部がうやむやになると言うのを避けたいから相談形式にしてみたんだけどね。
実際、経済力なんかを考慮にいれると兵力なんて簡単に計算できないしな。
史実で動員された兵力が動員できる兵力なんだろう。
義昭を追放して京の抑えがいらなくなった後に浅井・朝倉を3万で攻めているから、北近江の兵力も考慮にいれると、義昭追放前の武田に向かわせられる兵力は2万前後じゃないかな。
105人間七七四年:2008/06/18(水) 13:49:45 ID:ysbLqWsm
テンプレ>>9の●長島一向宗+国人計20000?についてはどういう見解なの?
106105:2008/06/18(水) 13:50:06 ID:ysbLqWsm
>>104へのアンカーね
107人間七七四年:2008/06/18(水) 13:56:03 ID:ipmLel6m
>>104
何がしたいのか訳わからん。

動員兵力:史実で動員された兵力が動員できる兵力だと簡単に言うが、
       史料において、各大名により動員の基になるシステム(貫高制・石高制)とその評価のしかた、
       加えて動員率がバラバラ。また、史料が現存していない大名もいる。
       当然、無理をすれば史実で動員された兵力以上に動員可能な大名もいれば、
       逆に史実で動員された兵力が限界を超えた兵力で一時的に無理をしていただけという事も考えられる。
       どのようにそれを見極めるのか。
戦乱云々:簡単に戦乱とか言うがその戦乱の正確な時期などと、その影響を受けた石高を相対的に計るのが難しい。
       (戦乱がいつから始まりいつ終わったか。また、戦乱後、どの時点から通常に動員できるのか。
       さらに、規模による差異の判断基準は?)
経済力 :指標になる基準や資料に乏しく、測定不可能。
      おおよその想像はつくのかも知れないが、具体性はなく所詮は想像の域を出ない。 

上記の要素などを関係する全大名とその支配地域に適用し、統一条件での評価ができるのか?
現行テンプレは各大名の相対的な力を評価するためにあるんだが。
108人間七七四年:2008/06/18(水) 14:15:16 ID:dyIX1oQG
日本全国戦乱の中なんだから大名は一兵も徴収できなかったんだよな

そんな馬鹿なことがあるか

小谷城に追い込まれてる浅井だって小なりとはいえ兵力を維持してるんだから
小谷城周辺は秀吉軍が進駐してきており戦乱状態だから兵は徴収できませんということになる
109人間七七四年:2008/06/18(水) 18:10:31 ID:zuJnujQn
>>105
見解ってどういう意味について?

>>107
あなたの言うとおり各大名で事情が違うんだから統一した規定なんていらないでしょ。
重要なのは当時の情勢は実際はどうだったかじゃないかな。

それに当時は各勢力が余裕がなく余力を残してないだろうし。

>>108
どうしてそういう突っ込みになるのかが分からない。
110人間七七四年:2008/06/18(水) 18:31:45 ID:o7a//ssA
>>109
107も言っているようにテンプレはあくまで相対的な力関係を把握するためのもの。
そしてなぜそういう統一した規定が必要になったかというと、
各々の陣営が手前勝手な数値を持ち出して収拾がつかなくなったため。

特に兵数は軍記物は言うに及ばず、
当事者の手紙であってもプロパガンダの為に誇張や矮小が入るのであてにならないんだよ。
だから正確性を犠牲にしても、とりあえずの目安を作ろうと作ったのがテンプレ。
111人間七七四年:2008/06/18(水) 19:30:45 ID:dSxww367
>>104
>史実で動員された兵力が動員できる兵力なんだろう
織田軍は、史料によっては北畠攻撃に十万なんて史料もあったり、槙島の義昭攻撃には
七万とか八万なんて数が史料にある。
ではこの史実にのっとって、織田が武田に向かわせられる兵力は五万はある、とかやって
いいのか?

すでに指摘されているが、「史実の動員兵力」自体が、史料によって相当な幅がある。
だからこそ、議論するためのフォーマットとして、テンプレの支配と石高と兵力の算出が
おこなわれた。

それを無視しようってんなら相応の根拠を出してください。
あと史実によるというのなら、この時期の織田軍の動員力は七、八万はあるということで
議論を進めましょうかね?もちろん武田軍は、史料のとおり二万五千で。
112人間七七四年:2008/06/18(水) 19:47:49 ID:zuJnujQn
>>110
目安にしても基本的な考え方が現実的じゃないと目安にならないでしょ。
あなたは、浅井・朝倉や一向一揆などが片付いてない状態でそれぞれの地域から兵を召集して武田に向かわせられると思ってるのかな?

>>111
冷静になりましょう。
話の基本は上の通り。
史実を参考にと言うのは、意見をきかれたから書いただけ。
>>104でも書いたけど元々 質問形式でしょ?
113人間七七四年:2008/06/18(水) 20:26:21 ID:XQf9rFEO
テンプレが目安にならないとか言ってるが、じゃあそれ以上に目安になる物があるのか?
テンプレ以上に各大名の相対的な力が量れる代替案があるなら早く出してくれよ。

代替案なしでテンプレは無意味・不要、かつ好き勝手な数字で妄想を語りたいと言うならなら他へ行ったほうがいい。

>浅井・朝倉や一向一揆〜
テンプレで浅井朝倉や一向一揆への抑えの兵力は計上されているんだが。何が問題なんだ?
>>112>>110-111への反論なのか?全く噛み合っていないんだけど。
自分が主張してる事に対して他の人がどう返してきたのかくらいは、しっかりレスを読んで理解したほうがいい。
114人間七七四年:2008/06/18(水) 20:31:48 ID:SbP6bJin
テンプレをよく理解していないんじゃないか?
115人間七七四年:2008/06/18(水) 20:56:51 ID:zuJnujQn
>>113
自分勝手な数字にするつもりが無いからそもそも質問形式にしたんだけどね。

当時の情勢はたとえれば信長という巨人に数人係りでしがみ付いているところに、それなりに強い奴が巨人の仲間を倒しているっていう状態だからね。

しがみ付いているを外した状態で戦力を比べてもしょうがないでしょ。

抑えを置けば良いってもんじゃないよ。
116人間七七四年:2008/06/18(水) 21:13:37 ID:rgZM1XGp
テンプレ>>7はテンプレ入りした時にも「何でこんなものテンプレに入れたのか?」と物議をかもしたよね。
この案だと伊勢の勢力の半分以上が他地域への支援に回らないと勘定が合わない。

第一兵をどこにどれだけ振るなんていうのは各個人の政情判断や優先順位及びリスク配分等に左右される事だし
これをテンプレに入れるというのは事のほか作為的だと言えるんじゃないかな?
俺は>>7はテンプレから削除すべきだと思うが。
117人間七七四年:2008/06/18(水) 22:47:04 ID:o7a//ssA
>>115
>●石山本願寺+雑賀衆?
>計23000?
>遠征準備は謎だが、近江まで歩いて1日。 ただし動きは鈍い。守備力は鬼。本願寺自身は織田と直接
>軍事衝突は行っていない(するのは後年)。信長との外交ルートあり。
>※もともと本願寺と一揆は別ものであり、絶対的な命令権があるわけではない。各地の一揆はそれぞれ
>の権益を守るために支配者に抵抗した。また、兵力には老幼婦女が多数含まれていると考えられる。

ええと、後年一向宗との戦場だから先年も戦場だとおっしゃる訳ですね。
118人間七七四年:2008/06/18(水) 23:30:55 ID:zuJnujQn
一向一揆とは書いたけど、長島のことね。
この一揆と北畠が片付かないと伊勢の兵力を他の地域で軍事行動させるのは難しいのではないかと。
119人間七七四年:2008/06/18(水) 23:36:14 ID:dSxww367
>>116
>伊勢の勢力の半分以上が他地域への支援に回らないと勘定が合わない
別におかしな話でもないかと。当時の伊勢の領有者は滝川、長野(信包)
あたりだが、両者とも畿内戦線に従軍したりしている。
逆に後年畿内に領地を持った者などは、三河長篠まで出張ったりもしている。
信忠の播磨救援なんて、美濃尾張伊勢越前の兵が播磨まで出張。

史実で出来ていることを、出来ないとする根拠はなによ?
120人間七七四年:2008/06/18(水) 23:43:20 ID:o7a//ssA
それと浅井(江北)の件だけど、
秀吉や磯崎の防衛網にものの見事に押し込められている。
ちなみに朝倉の助成を借りても横山を突破できなかったのが史実です。
121人間七七四年:2008/06/18(水) 23:44:48 ID:R1d4RQ3P
後年織田の将で畿内に領地を持ったものは織田の都合で自由に使うことが出来たけど、当時はまだ畿内に織田の将達が配置されてないからだろ。
122121:2008/06/18(水) 23:46:19 ID:R1d4RQ3P
>>119
123人間七七四年:2008/06/18(水) 23:56:07 ID:zuJnujQn
>>120
押し込められてるから江北のそれ以外の地域の兵力は他の地域に出動させられると?
それは横山を守りきれたと言う事を知ってるから言える事でしょ?
結果論でしょ。
124人間七七四年:2008/06/19(木) 00:25:43 ID:K0Sb7lqs
>>121
だから、テンプレでは当時の織田の都合で自由に動かせる兵のみで押さえの兵力と
よそに派遣できる兵力をだしている。
自分の文が前半と後半でまったく繋がっていないって気付いているか?

>>123
現実に史実として、江北の守りを木下隊に委ねつつ、近江の配属されたほかの諸将、
例えば柴田や佐久間や丹羽などの兵力は他の地域に出動させられているのだが?
もう一度訊ねます。史実で出来ていることを、出来ないとする根拠は?

結果論でどうこう言うのなら、テンプレの武田の場合も同じだよな?
史実では北信の残された兵で足りたけど、結果論なんだから、もっと兵力が必要
になるよな?北信や上野の兵力の東海にまで回せるなんてできないよなそちらの
理屈だと。史実だと北信の兵も上野の兵も対今川や徳川や長篠に動員されているが、
あなたの理屈だと出来ないってことになりますよ?
ではあなたの理屈にしたがって、武田の兵力もさっぴきましょうかテンプレから。
125人間七七四年:2008/06/19(木) 00:28:28 ID:QkpjD6PW
>>123
それが内戦防御ってものだろ。
前線に最低限の兵力を張り付かせて、
本隊=決戦兵力を温存して適宜、重要局面に投入して事態打開を図る。

史実云々の前に、四方を敵に囲まれたつまり包囲網をしかれた者の常套戦術なんだが。
126121:2008/06/19(木) 00:43:05 ID:rSWsbSzp
>>124
当時はまだ尾張や美濃の兵を率いた将兵が「配置」されているんであって、「領有」してないからだろ。
上杉とは戦闘状態じゃないし。
上杉と戦闘状態の時に北信や上野の兵を引き抜いて他の地域攻めたら俺もびっくりするよ。

>>125
そんな常套手段はゲームや小説にしかない。
127人間七七四年:2008/06/19(木) 00:48:46 ID:sDFuy5MJ
>>126
実際に信長がやってるのに、ゲームや小説しかないとは・・・・
128人間七七四年:2008/06/19(木) 00:59:55 ID:NR3U/eS0
既にテンプレで例えば浅井朝倉に関しては木下磯野などの7000もの兵が他の戦線に回せないってことになっているのに何を言っているんだ?
史実を考えると抑えの兵はもっと少なくてもいいってことになりかねないのに。
義昭攻めとかに秀吉まで参加しているからな〜

>>126
近江に関しては1570年ならともかく1572年は領有していると言っていいと思うが、
領有しているか怪しい甲賀郡や浅井郡などは織田領から除外されているんだし
畿内はテンプレじゃ織田領に入っていないし
129人間七七四年:2008/06/19(木) 01:33:24 ID:pR8C35te
>>126
ということは>>118とも意見が対立するわけだよな
別に長島と正面きって戦闘してるわけじゃないし
だから伊勢周辺の人たちも動かせると言う事になる
でも>>118は動かせないとしている
130人間七七四年:2008/06/19(木) 01:42:08 ID:K0Sb7lqs
>>126
>当時はまだ尾張や美濃の兵を率いた将兵が「配置」されているんであって、「領有」してないからだろ。
「領有」してます。
旧六角家臣たちは基本的に永禄十一年の上洛戦の時点で信長に正式に降伏し、
領地の安堵・宛行がなされています。宛行状も多数残されてます。
また元亀になって宿将が配置されるとその「新与力」として編成されています。
このとき、旧六角家臣たちの所領は郡境にまたがって広がっているものもいたが、
信長はそれらを郡で切り分けて、それぞれの郡に配置した宿将のもとに帰属させ
ています。例えば進藤氏は野洲・栗太郡を任された佐久間に配属されたが、その
進藤家の家臣で志賀郡に所領をもっていたものは、志賀郡を委ねられた明智配下
に組み入れらています。
これを「領有」といわないのなら、何をもって「領有」とするんですかあなたは?
131人間七七四年:2008/06/19(木) 01:47:11 ID:NR3U/eS0
個人的には北伊勢3郡の兵力は1573年に長島の蜂起に同調しているので、
テンプレの時点では兵力換算は難しいとは思うが
ただ長島の抑えと思われる滝川は三方ヶ原や畿内などに動いているし、
木下も浅井放置で京都へ、佐久間柴田も転戦しているし
テンプレにある抑えの兵って
>・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
これに近い状態にならないと必要無い気もする

もっとも畿内や近江などで戦うならともかく遠江まで遠く出陣するとなると
抑えの兵が無ければ心理的に後方が不安になるだろうし、織田の主力がそこまで遠くに行っているのであれば
包囲網側も史実とは異なり多少安心して兵を挙げれることになるだろうから、
やっぱテンプレ程度の抑えの兵は必要か?
132人間七七四年:2008/06/19(木) 01:50:55 ID:pR8C35te
それと同じことが武田にもいえるんだが
信濃北部と上野で四千だか五千だかって少なくないか
均等に配分したら二千から二千五百だぞ
133人間七七四年:2008/06/19(木) 01:57:51 ID:NR3U/eS0
>>132
いや木曽氏に飛騨の支援を命じているため
実際には飛騨〜北信濃〜西上野だな
134人間七七四年:2008/06/19(木) 01:59:04 ID:UyRRdlQ8
>>132
信濃北部と西上野には1万前後の兵を送れるようにしてたんじゃね?
動員率を上昇したら可能だと思う。それくらいの守りをしとかないと上杉が越中に出張中とはいえ恐くて遠征できないだろうね。
まあその場合、公平を期すために織田の動員率も上昇させる必要があり更に織田に有利になるだけだけどね。
しかも織田の領土は人口が比較的多いので武田よりも容易に動員率を上昇できると思われる。
135人間七七四年:2008/06/19(木) 02:09:30 ID:NR3U/eS0
武田の場合は上杉との国境が長いのがなー
その上山によってある意味区切られていて街道も山道だから、連携や相互支援がしにくそうってのもある、
まあ徳川に関してもいえることだけどな

その点織田は岐阜から各戦線には数日だし、
北近江と京への抑えとか相互支援とか兵力の転用とか比較的楽そう、
志賀の陣でも、丹羽と木下が信長の元に移動しているし
136人間七七四年:2008/06/19(木) 02:14:54 ID:GquqTtdn
>>119>>131
滝川って誰を指してるの?一益を指してるの?雄利?

当時一益は北伊勢の防衛を司っていたけど、領地として宛がわれたのは天正2年の事。
安堵状もそれ以降のしか見つかっていない。
それまでは北伊勢親織田勢力のパイプ役だったと考えられるし、当然軍役を課す権利は持ってない。
当然彼の軍勢は所領の尾張から出してると考えるのが筋なんだけど。

伊勢からでてた客観的事実があるんですか?
137人間七七四年:2008/06/19(木) 02:26:19 ID:Om2163Ba
こうして見るとテンプレって
武田有利に作ってあるんだな
経済力をどうにか組み込めないか
138人間七七四年:2008/06/19(木) 02:33:39 ID:NR3U/eS0
>>136
当然一益のことだが
何か勘違いしてないか?少し落ち着いてレス見なおしてくれ
自分は北伊勢に関しては誰の所領というか誰の所属かは分からないという立場をとっている
139人間七七四年:2008/06/19(木) 02:40:12 ID:GquqTtdn
>>119
織田信包に関しては伊勢の領有は確認できるし浅井攻めにも参加してるから伊勢から出してるんだろうけどさ
彼の兵力は5万石ほどみたいなんですけど by甫庵
俺にはどう考えても伊勢からテンプレ兵力を捻出可能な資料には見えないんだよね
140人間七七四年:2008/06/19(木) 02:45:10 ID:lQFqJWPS
何なの?この頭の悪すぎな議題は。
せっかく久々にスレが伸びてるから期待して覗いたらガッカリした。前スレの程度の低さを引きずりすぎだろ常考。
ひと昔前なら完全にスルーされていたレベルの低さなのに。

しかしテンプレを理解できない1人のバカの為にスレがこんなに伸びるとは…。
141人間七七四年:2008/06/19(木) 02:49:24 ID:sDFuy5MJ
このスレに限らず、最近話の通じない奴が戦国板で大量発生してる気がするぜ。
142人間七七四年:2008/06/19(木) 02:53:57 ID:K0Sb7lqs
>>136
北伊勢で降伏した豪族達を、信長は滝川につけて押さえにしたという記述はある(勢州四家記)
一益の書状は永禄の頃から北伊勢に残されている。その後の動きをみても、まあ信じていいかと。
ほかの記録をみても、滝川の下に伊勢の豪族が従軍しているし。

>>139
さらに神戸氏は信長から養子を送り込まれ、同時に派遣された家臣団がのっとている。他にも
信長の侵攻で降伏して安堵・宛行が行われている。
伊勢から兵力を捻出できないという理由は?
143人間七七四年:2008/06/19(木) 03:00:20 ID:NR3U/eS0
中部伊勢に関しては織田の支配が及んでいるでいいんじゃないか?
関盛信の幽閉は1573年だったような気もするけど
144人間七七四年:2008/06/19(木) 08:38:49 ID:4c3vSZaK
>>125
木下が朝倉を撃退できたのは信長の後詰めのおかげと言われているし、信長が江北の兵を召集して他の方面に出陣したら抑えこめなくなるんじゃないの?
145人間七七四年:2008/06/19(木) 09:03:04 ID:xd8WmMmB
江北から動員するという前提で話をすすめてるやつがいるの?テンプレはそうはなってないような?
146人間七七四年:2008/06/19(木) 12:03:39 ID:FFWb9pK+
江北で動員した兵が秀吉らに付けられた五千だと思うが。
147人間七七四年:2008/06/19(木) 12:09:33 ID:PxdnOBxy
信長の後詰のおかげって誰が言っているんだ?
浅井朝倉による攻撃は11月3日、
9月16日に信長が横山へと兵を動かしたことは分かっているけど、それ以後は良く分からない
ただ10月11月辺りに京での政務の記録はあるけど

浅井朝倉が攻撃を仕掛けた時に信長が横山にいたのは確定しているのか?
148人間七七四年:2008/06/19(木) 12:12:07 ID:K0Sb7lqs
>>144
テンプレではその江北の兵は押さえとして残すとあるんですがね。

いい加減テンプレにもない、誰も主張してもいないことをあるように持ち出して
嘘八百を垂れ流すのやめれくれませんか?
149人間七七四年:2008/06/19(木) 13:07:47 ID:pR8C35te
>>144
ということは武田も本体が三河遠江にいるんだから、上杉を押さえ込むのは困難になるよな
つまりはさらに兵をおいておく必要があると
150人間七七四年:2008/06/19(木) 18:05:37 ID:GquqTtdn
>>142
>北伊勢で降伏した豪族達を、信長は滝川につけて押さえにしたという記述はある
どう斜め読みしたら『一益に従って畿内転戦した』になるの?
伊勢長島の抑えでしょ。
しかもその曲解を真に受けると
元亀元年と翌年に手痛い敗北を喫しているのに何故か伊勢の将兵を連れて畿内遠征。(この時点で抑えとはいえないけど)
その過程で北伊勢の豪族の離反が相次ぎ,天正元年には信長自身が制圧に乗り出さなければならないほどになっていた。
と、素敵に矛盾しまくったお話が出来上がりませんか?

安堵・宛行云々と講釈垂れてますがなぜ滝川氏に限っては例外なの?
ダブルスタンダードでしょ。

>さらに神戸氏は信長から養子を送り込まれ、同時に派遣された家臣団がのっとている。他にも
>信長の侵攻で降伏して安堵・宛行が行われている。
>伊勢から兵力を捻出できないという理由は?
その乗っ取りの血なまぐさい騒動で尾張衆と神戸衆とで確執が出来てる。
これを解決するにあたり信孝を奉じて国内再編をしてる。
その後、軍事行動が確認出来たのは天正2年以降。
151人間七七四年:2008/06/19(木) 23:06:12 ID:6eYcFuEk
久々に貼りたくなったw

607 名前: 1の知人 投稿日: 02/11/20 23:26
みなさん、久々にレスします。
今日は私が1さんと袂を分かつきっかけとなった文書を晒します。
この人、ほんとにこれを書いた紙を漏れの所に持ってきたんです。
添削してくれと言われましたが、まず、こんなこと本当にするもんじゃないと止めたんです。
結局内容を見て、こんなの請願署名の文章じゃないとも言いました。
おかしな所を指摘すると「ここを削ったら意味がないだろ!」と怒ります。
文法上はいくつか直しましたが・・・
けんかの様になってしまったのはその数日後です。
漏れもかなりむっとしましたが、何日か前、1さんが食堂でこの用紙を
となりの人に見せているのを見てしまいました。ちょっと叩いてやりたいのと
ほんとにやめさせないと彼の人生自体が狂いそうです。
みなさん、とにかくこんなものは支持されないことだけはここで知らしめて上げて下さい。

>武田信玄大学の設立を求める請願署名

>拝啓、小泉総理殿。先の見えない日本の将来を背負って立つ総理は、武田信玄のように立派です。
>武田信玄はご存じのとおり、世界に冠たる騎馬軍団を率いた名将ですが、日本も世界もたいへんなこの時代、
>武田信玄が何万人もいたらすばらしいと総理も思われることでしょう。
>私たちはそのための大学を作れば、日本はたいへんよくなると思います。国立で作るべきです。
>資源が日本には少ないですが、武田信玄公がたくさんいればどこの国よりも立派な国になります。
>武田信玄は戦国時代、多くの事績を残しました。
>あと3年生きていれば武田幕府が日本を太平の世にしていたことでしょう。
>多くの知識人・文化人もそう言っています。私たちの研究でもそうです。武田騎馬軍団は最強でした。
>織田信長の卑劣な策がなければ長篠でも3倍の織田徳川連合軍を蹴散らしたであろうと言われています。
>戦が強いだけでなく良質の貨幣を作ったり、棒道と言われる高速道路や狼煙台、信玄堤などたいへん近代的な施策を行いました。
>おいしい料理のほうとうを広めました。あらゆる面ですごい名将です。だから武田信玄大学ではあらゆる事が学べます。
152人間七七四年:2008/06/19(木) 23:07:17 ID:6eYcFuEk
608 名前: 1の知人 投稿日: 02/11/20 23:29
>キャンパスは甲府・長野・清水・浜松・京都など5カ所にあり、2万5千人の学生がいます。
>たいへん税金がかかりますが、日本は人材が命の国です。作るべきです。
>働く人のために二部も作るべきです。
>小泉総理、私たちとよりよい日本を作りましょう。



一、国立武田信玄大学を作って下さい。
二、国立がだめなら山梨県に命令して県立で作って下さい。
三、夜学も作って下さい。
四、私たちの会から学長を出して下さい。
 任期は四年できちんと順番に就任します。

小泉総理大臣殿

                  武田信玄大学をつくる国民連絡会
(以下署名の枠あり)



609 名前: 1の知人 投稿日: 02/11/20 23:32
ちょっと信じられない人もいるかもしれませんが・・・
本当なんです。叩いてあげて下さい。マジで彼のためにも。
153人間七七四年:2008/06/19(木) 23:07:54 ID:6eYcFuEk
610 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/11/20 23:34
>>607-608
(((((((((((;゚Д゚))))))

チ、知人タソ…

611 名前: 干将宝剣 ◆Pc3CKansyo 投稿日: 02/11/21 01:17
>>607-608
やべえ・・・笑いが止まらん!

612 名前: 無名武将@お腹せっぷく 投稿日: 02/11/21 08:34
知人さんスマン、叩きたいんだけど
ツッコミどころ満載なのと笑いが止まらんので上手く叩けない(藁
154人間七七四年:2008/06/20(金) 00:45:34 ID:mBq5tYVe
>>151から>>153のお前は結局何がしたいんだ?
くだらん煽りに持ち込みたいならよそへいけよ。
155人間七七四年:2008/06/20(金) 01:05:51 ID:rfegr25R
非現実的な伊勢の情勢を考慮し修正した兵数

外征可能と思われる兵力
・尾張…14300
・美濃…12150
・近江…13563
・伊勢…1250(織田 信包)
・三河…728
・・・合計41986

守りを原則地元兵中心で行う防衛戦力
北近江防衛に7000
江南及び畿内防衛に8000
岩村防衛3000
北伊勢、伊勢長島防衛(伊勢非動員分で対処)+尾張南部には尾張兵2000
・・・合計20000

修正後は約22000が対武田への捻出可能な兵力となる。
156人間七七四年:2008/06/20(金) 01:09:02 ID:rfegr25R
というわけで結構拮抗した兵数になった。
157人間七七四年:2008/06/20(金) 01:13:52 ID:8LI8SNP0
>>155
信包と滝川だけが伊勢の武将だと?
158人間七七四年:2008/06/20(金) 01:15:29 ID:8LI8SNP0
ところでテンプレを修正するのなら、武田と織田の動員率の違いも修正しません?
159人間七七四年:2008/06/20(金) 01:22:36 ID:ltYBKKIj
>>158
武田が本国に残した兵力がハッキリとしていないんだから
武田が西進でどのくらいの動員率だったのか判断するのは難しくない?
対上杉に五千というのも特に根拠の無い数字で実際はそれ以下かもそれ以上かもしれない。
武田が本国に残した兵力をどれくらいだったかに決めることによって織田の動員できる数字はかなり変わってくる。
武田が本国に残した兵力を仮に1万程度とすれば大雑把に計算して1万石あたり350人の動員率となり
織田の場合総兵力が7万程度となるしね。
160人間七七四年:2008/06/20(金) 01:33:23 ID:rfegr25R
>>157
別にそうは言ってないけど大概伊勢の武将は
信雄、信孝、信包、滝川のいずれかの与力にされてる。
161人間七七四年:2008/06/20(金) 08:52:33 ID:iLmqp8am
>>7>>155見て思ったんだが岩村の守備の数おかしくない?
秋山隊3000に対して同数の3000だし
それと伊勢を事実上として織田から外すのなら上杉の影響の大きい飛騨と
争奪戦のど真ん中の三河、遠江を武田から外すべきではないか?
そんなに数は変わんないけどそういうルールにするんだろ
162人間七七四年:2008/06/20(金) 09:30:52 ID:evUGVwZD
確かに3000よりも少なくてもいいよね。その程度さらなる侵攻もありえんだろうし。
163人間七七四年:2008/06/20(金) 09:51:36 ID:b0bNGULI
伊勢には織田の直領はまったく存在してないのか?あるいは些少で計るに足らんものなのか。
164人間七七四年:2008/06/20(金) 10:13:40 ID:8LI8SNP0
永禄十〜十一年にかけて北伊勢八郡は信長に服属。ただし、関盛信だけは六角と通じて
しばらくは信長に抵抗したが、没落とともに表向きは服属。ただし、神戸、関両氏とも
信孝に対しては不満を隠さなかったという。
そのため、神戸氏は元亀二年に、関氏は四年に織田によって幽閉、隠居においこまれる。
ただし、当主の家は逆らったが、配下の豪族達は永禄の侵攻時ですでに織田の調略を受け
ており、ほとんど混乱もなく乗り換えられた模様。、配下豪族達の名は織田軍の従軍社の
中にも元亀の頃から見える。

北伊勢三郡のようにその頃反乱が起きていたというのならともかく、特にそういった記録も
ない中伊勢五郡をまるまる除外する理由はないと思うが。
165人間七七四年:2008/06/20(金) 12:08:26 ID:bF1SyFim
北伊勢が納まってないなら出口を塞がれている形になるんじゃないの?
166人間七七四年:2008/06/20(金) 12:26:17 ID:rvThOpQy
>>151
懐かしいがこのスレ住人、総入替でほとんど知らんと思うぞ。
今ごろどうしてんのかね?あの1は。
167人間七七四年:2008/06/20(金) 23:15:03 ID:bF1SyFim
伊勢の話が煮詰まってくると関係ない話が割り込むのはどうにかならんか?
168人間七七四年:2008/06/21(土) 00:08:07 ID:0X8UAkrK
北伊勢の豪族蜂起に関しては

1571年5月の長島攻撃では、長島以外への攻撃行動が見られないので、この時点では
豪族の蜂起はまだだったと考えられる。
1573年9月の北伊勢出兵は、明確に蜂起豪族の鎮圧が作戦目的だった。蜂起はこれ以前
と考えていい。

この間の、伊勢の押さえとして永禄十年(1567)から置かれている滝川の行動をみると。
1572〜3年には畿内で軍事活動にしたがって、様々な書類が残されている。
軍事活動では1573年4月の義昭との和睦では起請文に名を連ねている。7月の槙島攻撃には
参加せず京に留守。8月からの浅井朝倉滅亡戦に従軍。戦後の越前仕置きにも関わる。
こういった活動をみていると、普通に軍事力を持って各地に出動できている。

とりたてて、伊勢の軍事力を他に動かせない理由ってのも見当たらないのだが。
169人間七七四年:2008/06/21(土) 01:36:23 ID:WfgKnnEt
大軍でならともかく少数では長島付近の交通が難しいため、
陸路では伊勢から尾張美濃に向かうには近江経由で向かう必要があるため、
伊勢衆は東美濃や徳川救援には転用しにくい兵力ってのもそれなりに一理あると思う。

もっとも伊勢衆を畿内や近江の抑えに向けて、その分近江衆を東美濃に向けるなどすれば
さほど影響出ないだろうけど。
170人間七七四年:2008/06/21(土) 01:59:06 ID:e2HSGCmb
>>164
歴史を捏造しないでください。
関氏5家を支配するまでに元亀〜天正2年あたりまで軍事衝突が起こってる。

>>168
とりあえず、スレを読み直す事をオススメします。
171人間七七四年:2008/06/21(土) 03:26:00 ID:e2HSGCmb
>>130
>旧六角家臣たちは基本的に永禄十一年の上洛戦の時点で信長に正式に降伏し、
>領地の安堵・宛行がなされています。宛行状も多数残されてます。
それって歴史的な大発見になるでしょ。
どこにあるの??なんて古文書??
172人間七七四年:2008/06/21(土) 13:29:24 ID:qX6KWhUg
>>170
具体的には?

>>171
奥野氏の本でも見れば載っているんじゃ?
173人間七七四年:2008/06/21(土) 16:18:44 ID:4EAPS0kF
載ってると限らないなら、何に載っているか知ってるはずの奴が、何に載っているか言うべきじゃないか?
174人間七七四年:2008/06/21(土) 18:36:37 ID:LzP0fDy7
北伊勢の動員に関しては長島一向一揆分(通説の10万石)を伊勢から引けば
いいだけのような気がする。
一部が一揆に加担しているだけで動員換算ゼロってのは無理があるような。
175人間七七四年:2008/06/21(土) 18:38:33 ID:t1aFEDzz
そもそも一向衆ってのは篭ってるから強いんであって、野戦では雑魚だ
雑賀衆も結局得意だったのはゲリラ戦だったらしいし
176人間七七四年:2008/06/21(土) 22:21:14 ID:K6V7+qDI
そうそう。病気さえなければの話だが、日本史上随一の名将と謳われて久しい武田信玄と、
天下無双の最強武田騎馬隊、信玄が育て上げた世界史上でも類を見ないほど名高い武田24将と
日本史に残る天下分け目の決戦するはずだった織田軟弱軍の兵力を下らん屁理屈で減らされたんじゃたまらん。
そうでなくとも神兵武田軍の圧勝は見えているのに数まで互角くらいになったら
最早それはいじめにしかならなくなる。
177人間七七四年:2008/06/21(土) 23:11:26 ID:FkdWf8Eg
          ____   
       / \  /\ キリッ
.     / (ー)  (ー)\      
    /   ⌒(__人__)⌒ \ 
    |      |r┬-|    |      そうそう。病気さえなければの話だが・・・・
     \     `ー'´   /
    ノ            \
  /´               ヽ              
 |    l              \
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、.    
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|     ノ     | |  |   \  /  )  /
ヽ    /     `ー'´      ヽ /    /     バ
 |    |   l||l 从人 l||l      l||l 从人 l||l  バ   ン
 ヽ    -一''''''"~~``'ー--、   -一'''''''ー-、    ン
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

178人間七七四年:2008/06/21(土) 23:40:08 ID:e2HSGCmb
永禄2年 神戸友盛が蒲生氏の女を娶る。
永禄11年 第2次伊勢侵攻。神戸氏に養子を入れて和睦。
       関氏は亀山城に篭るが降服。
       同年の観音寺攻めに関盛信、盛重は蒲生賢秀に加勢。
       神戸氏は蒲生氏の滅亡を防ぐために講和に奔走。

永禄12年 第三次伊勢侵攻。関氏、鹿伏兎氏系の加太氏は反織田として退路を断とうとするも講和。
       足利義昭に伊勢平定を報告。

元亀元年 関盛信が蒲生氏の女を娶る。
       鹿伏兎系嫡流の加太宗心が浅井方につき、姉川参戦して殉死。

元亀2年 神戸幽閉。同年末重臣の高岡城主山路弾正、平野城伊東茂右衛門が主家復興のため謀反。

元亀3年 山路弾正は自刃、伊東茂右衛門は落城。

天正元年 関盛信を幽閉。(先年の六角氏への加担と信孝を軽んじた事を理由としている)
       関氏の領地は神戸信孝に預けられる。

天正2年  鹿伏兎氏系列の林城の林定保が織田方の雲林院に攻められる。
       加太氏が雲林院の背後を突く、織田方の旗色が悪くなり講和。
       
       長島一向一揆征伐。神戸信孝初陣。関盛忠は織田方としてに参加。
       加太氏は長島一揆に通じる。織田家の氏家経国を討ち取るが、同時に加太氏の嫡流も戦死の為途絶える。
       戦後処理として鹿伏兎氏の領地は減封。
       
これで関氏一族は織田家の支配下になる。
179人間七七四年:2008/06/21(土) 23:50:54 ID:e2HSGCmb
>ただし、当主の家は逆らったが、配下の豪族達は永禄の侵攻時ですでに織田の調略を受け
>ており、ほとんど混乱もなく乗り換えられた模様。、配下豪族達の名は織田軍の従軍社の
>中にも元亀の頃から見える。
年表にすると真逆の事が起こってますね。
180人間七七四年:2008/06/22(日) 00:00:18 ID:Kykz0lE3
問題は鹿伏兎氏がどの程度の勢力かだ
関家家中において主流なのか例外なのか、
関ヶ原後は1600石ってわかるけど、当時はどの程度だったのか
加太氏とか姉川に参加しているがその後ある意味放置されてるわけで、一介の土豪レベルなのか
181人間七七四年:2008/06/22(日) 00:52:12 ID:6CMm6xdV
関氏五家のうち峯氏と国府氏が途中で断絶したのか、経歴が途絶えてる。
つまり残り三家が主流で三家の主筋は勿論関氏なんだけど、勢力的に頭ひとつ出てたのは鹿伏兎氏系。
天文年間に安芸郡まで勢力広げて伊勢の中でも有数の版図を持ってた。
鹿伏兎氏の一族のほとんどが逆らったから鹿伏兎郷以外は没収されたとあるね。

放置というか東側から順当に支配を進めてるだけだとおもう。
織田家も元亀年間は伊勢に構ってる余裕が無かったから一気に攻め落とせなかったんでしょ。
182人間七七四年:2008/06/22(日) 00:56:36 ID:6CMm6xdV
でも鹿伏兎氏ってマイナーだよね。
183人間七七四年:2008/06/22(日) 01:11:05 ID:uyykfsPs
>>180
中伊勢では安濃・奄芸二郡が長野氏。鈴鹿・河曲二郡に関氏が勢力を保っていたという。
神戸氏は関氏の一族で、鹿伏兎氏は神戸氏に属していた。
184人間七七四年:2008/06/23(月) 00:34:32 ID:HSEkG8wN
諸説ともに曖昧で決定打に欠けるように見える。スレの流れもカオスな状態なんだが、
結局のところテンプレの伊勢の動員はどれが適切なんよ?

1、さしたる影響もなさそうなので現状維持
2、北伊勢3郡分は動員できなさそうなので省く
3、安定していないので伊勢全土を省く
4、長島一向宗の通説の10万石?を省く
185人間七七四年:2008/06/23(月) 02:31:49 ID:RgfUaG+d
2、は北伊勢三郡の反乱がいつから起きているのか不明。かつ、全てが背いたという記録もない。
そして北伊勢の置かれていただろう滝川が普通に兵を率いて畿内や江北に転戦している。

3、はさすがに無理。北伊勢の滝川や中伊勢の長野(信包)は普通に従軍している。

4、テンプレはもともと省いていなかったっけ?

といって、1、というのもちょっとなあ。鹿伏兎氏が反抗していたのは事実だが。その規模がどの
程度なのか。
現状の70%を60%くらいに下げるってのはどうか?

あとこのあたりを細かくやっていくのなら、武田も三河や遠江、飛騨の動員を再チェックする必要
あるんじゃね?
186人間七七四年:2008/06/23(月) 12:40:07 ID:utydWXvI
4は今見てみたところ多分省かれていない
滝川は確かに各地を転戦しているが率いている兵が北伊勢のものかは判らない
とはいえ北畠家中も一部織田に協力していたりもするらしいから
結局総数は若干減る程度じゃないかと思う
187人間七七四年:2008/06/23(月) 12:52:02 ID:16SCI2zW
1万石あたり250人の動員率を300人くらいに統一すればいいんじゃね?

テンプレ通り250人を基準にするのなら朝倉は12500人しか動員できないわけなんだが、
武田が勝つと主張する奴は朝倉は2万動員できるとカウントしてる奴が多すぎる。
本国の支配がしっかりとしていた武田(財政は疲弊?)はまあ渋々いいとして、
財政状態ボロボロで寝返りも続出、軍役拒否ありの朝倉が2万動員できるとか・・・
当時の朝倉が2万を動員するには1万石あたり400人前後の動員率が必要なのに・・・
それなのに経済力が頭一つ、二つ飛び抜けていて尾張・美濃本国の支配もしっかりしている(伊勢・近江方面は完全な支配ではない)
織田は1万石あたり250人の動員しかできないとする奴が多いとか・・・

あと朝倉2万と考える奴は長島一向一揆勢の2万全員が戦闘要員、男であると考えてる奴が多いな。
しかも軍としての錬度や装備品の充実度などを考慮していない場合が殆ど。

188人間七七四年:2008/06/23(月) 13:24:21 ID:M+9QPP56
>しかも軍としての錬度や装備品の充実度などを考慮していない場合が殆ど。
おいおい、そんな軍にぼこぼこにされてたのはどこのどいつだよw
189人間七七四年:2008/06/23(月) 13:25:19 ID:16SCI2zW
あと朝倉2万で考えてる奴は浅井・朝倉への抑えが木下、磯野らの7千では足りないと言ってるけど、
テンプレ>>7は1万石あたり250人の計算で朝倉の総勢が12500程度としての7千配置なんだよな?
朝倉を2万とするのなら当然織田も同じ動員率になるんだから北近江の抑えの兵も増える事になるし、
江南の兵も増える事になる。
190人間七七四年:2008/06/23(月) 13:30:16 ID:16SCI2zW
>>188
確かにそうだがw
追撃戦とか窮鼠猫を噛む状態の奇襲による戦果なんだし、
長島一向宗が2万全員男で戦闘要員と考えてる奴が言うような
尾張に進出しての正面からぶつかる野戦となると厳しいんでね?
191人間七七四年:2008/06/23(月) 18:59:16 ID:M+9QPP56
>北伊勢三郡の反乱がいつから起きているのか不明
そりゃリテラシーが無いからでしょ。
信長公記を読めば大田口の戦いで織田の軍勢は美濃尾張の将なのが解る。
更に柴田勢が撤退時に周囲の山から次々と押し寄せる一揆勢に襲われ包囲されたとある。
この時北伊勢の豪氏はなにをしていたか?
単純に考えれば柴田勢を襲っていたのが北伊勢の豪族達でしょ。
192人間七七四年:2008/06/23(月) 19:26:37 ID:RgfUaG+d
>>191
いや、第一次第二次で撤退する織田軍を襲撃した軍勢は、長篠から追撃した兵だと
記録にある(地元の利を活かして切所に先回りして待ち伏せたとか)。

>>186
滝川の経歴では、永禄十年に北伊勢に派遣されて地元豪族達を取りまとめて織田に
服属させた。翌十一年に信長自身の出兵でさらに支配地域を拡げ、信長が帰国した
ときに北伊勢にそのまま置かれるようになったという。このときに伊勢五郡を与え
られたという記録もあるがさすがにそれは眉唾としても、滝川の率いる兵が伊勢の
ものだという推測は成り立つ。何故なら、滝川は甲賀で人殺しして出奔、尾張まで
流れて信長に仕えたとされる。つまり、彼は尾張において土地や兵を持っていなかった。
実際に彼が兵を率いたという記録は、この永禄十年の伊勢派遣以降にしか出てこない。
それ以前に出てくる記録はというと、信長と一緒に祭りに出て踊ったとか、徳川への
使者として林佐渡や村井貞勝のつきそいで派遣されたというくらいしかない。
信長の尾張統一戦から桶狭間、美濃征服まで、まった史料に出てこない。
193人間七七四年:2008/06/23(月) 20:12:37 ID:Fi9jlmyK
滝川が伊勢の兵を率いたと言ってもどの程度の兵力かだな。
194人間七七四年:2008/06/23(月) 20:37:37 ID:M+9QPP56
>>192
記録ってなにに載ってるの?
長島って河口のデルタ地帯の住人だぞ?
撤退時追撃はしたとしても、山中に先回りして伏して攻撃をなんてどうやってやるのさ?
そして包囲を受けた場所ってそっちの説だと織田勢力化のはずで、山中の地理に詳しいのは長島方ではないはずだけど。
それにそこの土豪達は何もしないで、一揆勢が山に登るのとか柴田勢が攻撃されてるの眺めてたの?
195人間七七四年:2008/06/23(月) 21:51:05 ID:j5kY7HYu
>>194
この強引な論法は朝倉山越えの人か。
俺は地元農民などが主力の一揆が山中に待ち伏せするのはそれほど難しくもないかと思う。
土豪達も織田方を国境付近まで見送りに従軍していた可能性もあるし実状は不明なんだろ?
根拠のない偏った考えを押し付けするのはいかがな物かと。

この件に関しての実状は史料が乏しく、想像でどちらか一方に決め付けられる事ではないと思う。
個人的には案4あたりが妥当かなとは思うが。
196人間七七四年:2008/06/23(月) 22:08:20 ID:+S2gRu4D
>>194
現在の地形で河口と山がそれなりに離れているから、別の場所のように思えるのかもしれないけど、
当時は長島の対岸のごく近距離だろ
197人間七七四年:2008/06/23(月) 22:56:49 ID:RgfUaG+d
>>194
信長公記「長島の一揆ども山々へ移る」

>>196
同じく信長公記には「右手は大河なり 左手は山の下道 一騎打ち節所の道なり」
とあるので、すぐそばだったんだろう。
198人間七七四年:2008/06/24(火) 01:25:51 ID:5K62vAF/
>>195
>土豪達も織田方を国境付近まで見送りに従軍していた可能性もあるし実状は不明なんだろ?
>根拠のない偏った考えを押し付けするのはいかがな物かと。
資料は一揆側にも存在してるから実情が不明なんてことはない。
双方の記録は大筋一致してるし互いの記録を補完しあうと詳細な軍勢の動きも見えてくる。
信長公記しか読んだ事がない人でも>>191のような問題提起が当然うまれないかと思って突っ込んでみたけど、
織田史観に染まってる人には難しかったかもね。
199人間七七四年:2008/06/24(火) 01:44:01 ID:RU2ZJJ6H
191とか194はそれ以前の問題でしょ
史料以前の問題として地図見ろとか
長島から極近距離の対岸の土豪や山中などの北伊勢の一部が織田勢力じゃないことを
北伊勢全体に繋げようと論理を飛躍させていることとか
200人間七七四年:2008/06/24(火) 05:04:24 ID:yMtmrfHQ
>>198
>資料は一揆側にも存在してるから〜
>互いの記録を補完しあうと〜
あなたが見た記録と、その文言、さらにそれをどう突合し、どう解釈したのかを提示してくれ。
織田史観云々以前に、どう曲解したらそういう結論になるのかを知りたい。
201人間七七四年:2008/06/24(火) 08:55:35 ID:PVeHE3wA
1、自分で調べろ
2、そんなこともしらないんじゃ議論にならない
どっちかで逃げるだろう
202人間七七四年:2008/06/24(火) 17:02:20 ID:IUTuE5wK
文書の記録は、いくらでも都合良く書けるけど、
地形は簡単には誤魔化せない。
地図を読めない女ってあったけど、そのたぐいか?
203人間七七四年:2008/06/24(火) 22:11:48 ID:5K62vAF/
大田口合戦の流れは、桑名市が郷土資料としてまとめたものがある。
史家が信長公記とか長島記や一揆方の寺社の資料をまとめてくれた内容になってるから、それが一番簡単に確認できる。
実際には山方衆(一揆勢は主に長島周辺篭っていた桑名の豪族達と員弁の豪族の2軍に分かれていて山方は後者)
に挟撃されて織田軍が崩れ始めた事、追撃が美濃駒井に到るまで深追いして行われた事までが確認できる。
織田史観だけだとわからん話だろ?

>土豪達も織田方を国境付近まで見送りに従軍していた可能性もあるし
少なくとも国境付近まで織田軍をお見送りしてたのは一揆勢なのは確認できるけどね。
さて、織田家に従った一部ではない過半を占めてるはずの豪族はどこでなにしてるの??
204人間七七四年:2008/06/24(火) 22:55:35 ID:nI32s5UJ
織田の方は戦が終わって撤退する積りだったのだから、伊勢の兵は伊勢へ返すだろ常識的に考えて。
わざわざ反対方向の美濃の岐阜まで兵を連れていって解散、それじゃ伊勢まで戻ってねじゃ非効率だし。

それに北伊勢3郡といっても広いし。
205人間七七四年:2008/06/24(火) 23:12:04 ID:yMtmrfHQ
>>203
http://hishiki77.ld.infoseek.co.jp/2-2shushi/2-2-7shiro/kassen/nagasima.htm

さて、これをどう読めば一揆勢が山中に入れない、伊勢にはテンプレの段階で
織田の支配が及んでいない・・・になるんだ?
206人間七七四年:2008/06/24(火) 23:32:21 ID:1g52RbLz
>>205
乙です。
しかし画面に文字がビッシリと詰まっていて読むのな少し気が滅入るな。
誰か要約してくれたらありがたい。
207人間七七四年:2008/06/24(火) 23:37:20 ID:5K62vAF/
おいおい、山を歩けないというのは君等が出したトンデモ設定の中での話しだ。
君等の言うような設定の中では敵中の山中を山に不慣れな長島の住人がわけいったことになるんだぞ?
で、紹介したらさも自説のように展開ですか?

それに俺は支配が及んでいないとはいってないけど。
勝手にそっちでレッテル貼ってるだけだよね?
記述もないのになんで伊勢の兵を当然のごとく連れて歩いてるような状況になるの?と聞いてるの
208人間七七四年:2008/06/25(水) 01:25:51 ID:ZXFgdhYp
>>207
ID:M+9QPP56=ID:5K62vAF/=ID:5K62vAF/が支離滅裂で何が言いたいのか全く解らない。

>>191で退却する尾張・美濃兵の織田軍を山中で襲ったのは一揆勢ではなく北伊勢の豪族(信長公記)と主張。
↓   (>>192で信長公記に一揆勢が織田を襲った記述ありと反論される。)

>>194で一揆軍は地理的に山中に伏す事は出来ないと>>192を否定。
織田軍は尾張美濃に退却中(当然伊勢の兵は伊勢に退却中と推測できる)にも関わらず伊勢の兵は何をしていた?と謎の主張。
↓   (>>197で信長公記のソースを出されるもスルー。さらに>>196>>197で地理的に充分可能と言われるもスルー。)
↓   (>>195で実情は不明なんだから決め付けないほうがいいんじゃ?と反論される。)

>>198で信長公記とその他資料などでこの戦の軍勢の詳細を把握できている。
織田史観に染まっている人には正しい歴史は見えてこない。と主張。
他のレスはスルーするも>>195の「実情は不明なんだから決め付けるな」のレスにだけは食いつく。
↓   (>>200でソースを求められる)

>>203でソースを明かす。
↓   (>>204でそのソースのURLを張られるも、その主張はどうも読み取れないような)

>>207で山中で織田軍が一揆勢に襲われたのは捏造されたトンデモ設定。
織田の支配は及んでいるがソースがないので伊勢兵はやはり動員できないと主張。
    (>>120あたりに戻る)

誰か彼の主張を理解できるようににまとめてくれ。
209人間七七四年:2008/06/25(水) 01:43:35 ID:POghmnx/
>>208
え?北方一揆が国土一揆ってことすら知らないの??
それじゃ話も噛合うわけないよね。
210人間七七四年:2008/06/25(水) 02:41:25 ID:LQa0UXK8
>>209
伊勢北方一揆の「一揆」は反乱や暴動って意味じゃないんだが。
211人間七七四年:2008/06/25(水) 09:51:04 ID:nZ4u0MrQ
歴史小説に信玄が自分が死んだら謙信を頼れって勝頼に
言うシーンとか見たんですけどこれは実際あった話ですか?
212人間七七四年:2008/06/26(木) 09:26:03 ID:1Wv5LZKV
あるあねーよ
213人間七七四年:2008/06/26(木) 11:27:40 ID:vLJra71h
信長と信玄じゃ比べ物にならんだろww
例えるなら、神と蛸だなwww
214人間七七四年:2008/06/26(木) 13:04:15 ID:1SBYXhlv
>>213
武田信玄なめんな。
織田信長なんか信玄が死去するまで殆ど戦をしかけないほどの小心者(言い方を変えると利口もん)
まあ、武田は戦国最強とまで言われる騎馬隊と山岳地帯で育った兵士達。
織田は戦国時代には゛尾張武士3人に三河武士1人゛とまで言われる弱兵、平地で育った兵士達。

織田の知略は信玄よりも劣る。
分かったか?
215人間七七四年:2008/06/26(木) 13:22:10 ID:fTv18Nlj
戦国最強騎馬隊www
216人間七七四年:2008/06/26(木) 13:49:27 ID:PobyrumF
>>214
そんな弱兵であれだけ領土拡大したって事は
個人の統率は信長>>>信玄くらいでいいってことだよね
217人間七七四年:2008/06/26(木) 13:58:01 ID:1SBYXhlv
218人間七七四年:2008/06/26(木) 14:02:47 ID:1SBYXhlv
>>216
言っとくが織田信長の負け戦はかなり多いぞ。
219人間七七四年:2008/06/26(木) 14:05:39 ID:PobyrumF
>>217
それだけ弱い尾張兵なら負け戦が多くても仕方ないんじゃないの?
兵が弱いのは信長の責任じゃないし
何より負け戦以上に大勝も多いし
220人間七七四年:2008/06/26(木) 14:10:32 ID:1SBYXhlv
>>219
゛初めての戦相手には一度負けてその次の戦には勝ってる゛
織田信長にはこんなパターンの戦ばかりだぞ。
221人間七七四年:2008/06/26(木) 14:19:29 ID:pEGeW2yU
>>220
ふーん、じゃあ具体例あげてくれ
222人間七七四年:2008/06/26(木) 14:23:39 ID:PobyrumF
>>220
それのどこが悪いんだ?
武田信玄も村上みたいな少数に2度も負けてるらしいけど
223人間七七四年:2008/06/26(木) 14:45:26 ID:1SBYXhlv
桶狭間の戦いは
織田は今川の進軍隊にあえて負け戦ばかりをし、
油断した今川は殆どの軍を先鋒に送ったために今川の本隊は数が信長の奇襲隊とほぼ同じになり、そこを奇襲して今川を討ち取った。
浅井・朝倉連合軍にもさんざんに追われて家康や秀吉らの殿で九死に一生を得てる。
その後、いろいろ工作をして浅井・朝倉の「信長包囲網」を解かせた。
姉川の戦いは論外、あれは織田信長一人の手腕で勝った戦じゃないから。
伊勢・長島一向一揆集にも一度は大敗してる。
三方ヶ原の戦いも論外。
信長は負けるとわかって家康にはちょっとしか援軍を送ってない。
長篠の戦いは相手が戦下手な勝頼。
石山本願寺にも一度大敗をしてる。
信長は門徒を虐殺しだす戦ばかりその結果、顕如が見兼ねて講和。

要は織田信長は真向勝負をしない、負けるから。
まあ、戦国時代は「勝者が正義」の下剋上時代だから現代の信長評価もこんなに高いのかな。
224人間七七四年:2008/06/26(木) 14:49:26 ID:PobyrumF
>>223
それだけ勝ち戦が多いからそんなにいっぱい批判ができるんだよね
逆に信玄じゃ三方ヶ原と川中島くらいしか批判できるところがなくて大変だよ
225人間七七四年:2008/06/26(木) 14:56:22 ID:1SBYXhlv
>>224
おいおい論点をずらすなよ。
今は武田信玄と織田信長のどちらがすぐれてるかの議論だろ?

批判がどうのこうのて揚げ足とるしかできないのか?
226人間七七四年:2008/06/26(木) 15:04:33 ID:PobyrumF
>>225
全然ずれてないでしょ
それだけ批判できる勝ち戦が多い信長と有名な勝ち戦なんてほとんどない
武田信玄ってことだよ
227人間七七四年:2008/06/26(木) 15:07:44 ID:1SBYXhlv
>>226
勝ち戦のない信玄?
聞き捨てならんな。
228人間七七四年:2008/06/26(木) 15:11:14 ID:PobyrumF
>>227
じゃあ挙げてくれ
229人間七七四年:2008/06/26(木) 15:51:30 ID:1SBYXhlv
武田信玄は織田信長ほど評判がよくないから、資料が少ない。
後長いから二つにわける。
1542年に諏訪氏を滅ぼして信濃の一部を手中におさめる。
高遠頼継、藤沢頼近と対戦して上伊那地方を攻略。
ここまでは甲斐の地盤固めのようなもの。
だがこれをたった三年たらずでやってのけている。
上田原の戦いは確かに信玄は負けたが、村上側の損害のほうが酷く村上義清はのちの上杉謙信、長尾景虎に救援をもとめた。
川中島の戦いははっきり言って第一次〜第五次まで一進一退の攻防ばかり、簡単に言うと信玄が優位だったら謙信は退路を絶とうと後方の城を攻める、そしたら信玄は引いてしまう。
謙信側もこんなようで決着がつかなかった。
そして有名な第四次川中島の戦いの決着は資料がないからわからん
(川中島の戦いは11年間続いた)
230人間七七四年:2008/06/26(木) 15:54:33 ID:IWzyJwLh
やけにレスが増えてると思ったらまた明らかな釣りかw
みんなもID:1SBYXhlvの主張(笑)を全面的に認めてやればいいんだよ。
第三者の立場の俺が裁定してやる。
ID:1SBYXhlvが全面的に正しい。以上これが結論だ。
全面的にお前が正しいと認めてやったんだからID:1SBYXhlvはこれ以上レスをする必要はないからな。
231人間七七四年:2008/06/26(木) 16:02:03 ID:1SBYXhlv
今川・北条と三国同盟を結んで西への憂いをなくし、
(ここら辺は信長と変わらん何故なら今川にはかの有名な大原雪斎、北条には北条氏康がいるから勝てるか負けるか分からない戦だからだ。桶狭間の際にはすでに雪斎は死去している)
木曽義昌を降伏させて飛騨や東美濃へも侵攻している。

桶狭間で今川が討たれ、川中島の戦いが終わったその後に信玄は上洛を開始。
三方ヶ原の戦いは何故か鶴翼の陣とった家康・織田連合軍に魚鱗の陣をとり家康・織田連合軍を撃破
(関係ないが家康はこの時、城まで追いかけて来た武田軍を空城の計を使い不審に思った武田軍は追跡をやめた)
だけど、この戦いから1年後、信玄は病没。
これを遺言で「3年間死をかくせ」といい、信長らは見事に誑かされた。
232人間七七四年:2008/06/26(木) 16:04:20 ID:1SBYXhlv
>>230
阿呆な煽りと開き直りほど哀れなものはないな。
233人間七七四年:2008/06/26(木) 16:16:03 ID:IWzyJwLh
>>232
あなたが仰るとおりです。
このスレではあなた様の高尚な意見を理解できる人間はおらず馬鹿な信長厨しかいないのです。
どうか別のスレでレスしてください。
このスレは馬鹿な信長厨の最後の砦なのでどうかそっとしてやっといてください。どうか御慈悲を。
あなた様の高尚なご意見には誰も反論が出来ないのでそのうちあなた様の事を「武田厨乙」だとか
中傷するレスが飛び交うのは目に見えています。
ですのでスレが中傷が飛び交うカオスな状況になるまえにこのスレから撤退してください。
あなた様が消えても織田厨の勝利ではなくあたな様の勝利だと誰もが内心では理解していることでしょう。
ですのでどうぞご安心してこのスレから撤退してくださいませ。
234人間七七四年:2008/06/26(木) 16:22:04 ID:QoIAUAew
五十歳以上生きて甲斐、信濃、駿河、西上野を領有した信玄。
五十歳未満で天下統一王手の信長。
結果だけね。
中身までやると面倒だ。
235人間七七四年:2008/06/26(木) 16:25:41 ID:1SBYXhlv
>>234
尾張の周りは中小大名ばかりです。
236人間七七四年:2008/06/26(木) 16:33:06 ID:PobyrumF
>>235
美濃 50万石斉藤
駿遠三 100万石近い今川

信濃 村上10〜20万石 その他諏訪、小笠原
確かに尾張の周りはたいしたことないな
237人間七七四年:2008/06/26(木) 16:42:41 ID:1SBYXhlv
>>236
尾張は駿河とは隣接してないぞ?
まあ、三河は当時は今川の属国みたいなもんだったけどな。
238人間七七四年:2008/06/26(木) 16:50:56 ID:PobyrumF
斬新な突っ込み方だな
239人間七七四年:2008/06/26(木) 17:08:09 ID:3scJfTp0
本領同士接してないとダメとはなw
240人間七七四年:2008/06/26(木) 19:16:46 ID:vyFkOyjk
信長好きの人に共通するのは兵力信者だと言うことだね。
でもそれなら歴史は奇跡の連続になってしまう。
アレキサンダ−の征服もジンギスカンの征服もあり得ない。
源義経の平家打倒もありえない。
鎌倉幕府の滅亡もあり得ない。
でも事実はどうですか?
兵の数よりも将の力がものを言うのが人の世界では?
歴史が好きならそれくらいの感覚はわかって欲しいな。
241人間七七四年:2008/06/26(木) 19:20:11 ID:apo9fzpP
>>240
つまり寡兵で多数の敵を破った経験が多々ある信長が勝ち残るという事ですね、わかります。
242人間七七四年:2008/06/26(木) 19:58:07 ID:1SBYXhlv
>>241
わかってねぇw
243人間七七四年:2008/06/26(木) 20:10:43 ID:apo9fzpP
>>242
>>237みたいなワロスなレスをする人はこのスレから消えてください。
244人間七七四年:2008/06/26(木) 20:11:40 ID:q3jU4beP
光秀>信長

光秀最強
245人間七七四年:2008/06/26(木) 20:44:42 ID:3scJfTp0
>>240
ハンニバルが17年かけてローマを滅ぼせなかったことや、
ナポレオンが滅亡したことや、
ロンメルが押し戻されたことなんかも忘れないでくれよ。

プロの棋士がアマチュア相手に六枚落ちで勝てたとして、
実力の拮抗するプロ同士の戦いで六枚落ちでは勝負にならない。
どちらか一方に偏重するのはどうかしてる、将と軍は車の両輪。
実力が拮抗すればなおさら。
246人間七七四年:2008/06/26(木) 20:48:52 ID:PobyrumF
>>240
ですね
だからこそ初期がピンチの連続の信長や元就が最強ということですね
247人間七七四年:2008/06/26(木) 22:06:44 ID:vez5FXcB
>>236
美濃50万石は当主様が幼年だから因数外でしょ。
今川は百万石もない。しかも滅ぼしてない。撃退しただけ。
>>246
元就はともかく信長は自分でピンチを招いたりしてるし
最後もそんな感じでつぶれてるので最強とはいえません。
248人間七七四年:2008/06/26(木) 22:08:10 ID:KVtTvi/U
>>247
だから信行の反乱は外的要因が強いと何度言えばわかる
249人間七七四年:2008/06/26(木) 22:10:25 ID:PobyrumF
>>247
話が理解できてないようだが
隣国の国の話をしてるんだが
250人間七七四年:2008/06/26(木) 22:21:17 ID:vez5FXcB
>>248
信行の反乱が外的要因がどうとかだけで片付けられると思ってるのか。
弟のほうが兵力上になってる状態でまだそんな事をいってるのはお前くらい。
>>249
侵食した隣国が大したことあるかどうかじゃないのか?
斎藤は当主が幼年。今川は侵食してないだろっていってる。
251人間七七四年:2008/06/26(木) 23:01:03 ID:Vf/xqDob
>>245
240は常に少数が勝つと言ってるわけじゃないと思うぞ。
それにナポレオンならむしろ数の力で押した側だが。
俺は信長厨は近代的な軍事組織と戦国の軍団を同様に見ている点ように思える。
245もそうだが将棋の駒は絶対に勝手に動いたり裏切ったりしないだろう?
それが大きな違いなんだよ。
例え6枚落ちでも10枚裏切れば大逆転だ。
そんな世界の将棋を誰が読める?
252人間七七四年:2008/06/26(木) 23:19:58 ID:azwXTKz0
書いていいかい?
結局信長は第二次桶狭間をしようとしたんだね。
桶狭間は奇襲攻撃による逆転劇というより、信長にとってあのやり方が正統な「防衛」なわけだね。
信長の本城を見ると、とても篭城構想がないことがわかるね。
安土城なんてよくわからない宮殿だね。安土城に行った人ならわかると思うけど、
何故安土に?近くに海もないし、周りの自然環境も防衛に向いてない。
もし安土に築城するなら山城でなく平城のほうがいいね。
岡崎に信玄がきても信長は動かない。
わざと尾張侵攻させて、信玄が岐阜・尾張支城攻略のため兵を分散させ、
手薄になった信玄本隊に奇襲するつもりだったんだね。
だから、自然と大遠征になってしまうわけだよ。
でも、それでは信長は敗北してしまうのである。
同じ上洛である信玄と義元の違いは何か?
義元は川中島・三増峠のような修羅場を経験してないのである。
信玄に対して桶狭間の再現はできないのである。





253人間七七四年:2008/06/26(木) 23:24:20 ID:apo9fzpP
今度は大遠征の人が登場かよ。
どんどんとスレの程度が落ちていくな・・・
254人間七七四年:2008/06/26(木) 23:37:04 ID:1SBYXhlv
なんかこの信玄スレなのに武田信玄ファンより、
織田信長ファンの方が多くないか?
255人間七七四年:2008/06/26(木) 23:39:41 ID:KVtTvi/U
>>254
こ こ は 信 玄 ス レ じ ゃ な い

つーかお前の話は無茶苦茶だ
>これを遺言で「3年間死をかくせ」といい、信長らは見事に誑かされた。
なんだよコレ
>尾張は駿河とは隣接してないぞ?
コレも
>上田原の戦いは確かに信玄は負けたが、村上側の損害のほうが酷く村上義清はのちの上杉謙信、長尾景虎に救援をもとめた。
コレも

自分が超アホだってこと理解しろよ
256人間七七四年:2008/06/26(木) 23:40:22 ID:9xpC1PZI
信玄ファンでも信長ファンでもない人の方が多い気がする
と、言うか大分前に結論出て話題はループっぽいし、人はかなり入れ替わってるだろうねえ
昔は結構良識のある武田ファンとか居て、よく史料出してくれたわ
257人間七七四年:2008/06/26(木) 23:43:03 ID:1SBYXhlv
>>255
え〜と…無知ですねw
258人間七七四年:2008/06/26(木) 23:44:33 ID:KVtTvi/U
>>257
頼むから自分が超アホってことぐらい理解してくれ
他はわからなくていいから無知の知ぐらい自覚してくれ
259人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/26(木) 23:53:04 ID:V+HeJFp9
>>258
尾張と駿河は隣接していないんですね?
それでいいんですね?
ホント―ですね?
260人間七七四年:2008/06/26(木) 23:55:07 ID:KVtTvi/U
>>259
尾張と駿河が隣接してる 隣接してるわけじゃねーだろ
俺はお前がこんな意味不明な馬鹿なことを言い出したのに対してツッコんでるんだ
今川の領土は三河ほぼ全域に及んどるわ 水野氏みたいな織田に味方する勢力も中にはあるが、尾張の一部すら食ってるような状態だぞ
それなのに三河は今川の属国「みたいなもの」とかわけわからんwwww
261人間七七四年:2008/06/26(木) 23:57:59 ID:1SBYXhlv
>>260
三河は三河、駿河は駿河。
262人間七七四年:2008/06/27(金) 00:01:36 ID:BsBVdaLD
>>261
コ…コイツは一体何を言っているんだ

コイツにわからせるには1つ1つ丁寧に言っていくしかないようなので、1つ1つ丁寧に返答する
214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/06/26(木) 13:04:15 ID:1SBYXhlv
>>213
武田信玄なめんな。
織田信長なんか信玄が死去するまで殆ど戦をしかけないほどの小心者(言い方を変えると利口もん)
まあ、武田は戦国最強とまで言われる騎馬隊と山岳地帯で育った兵士達。
織田は戦国時代には゛尾張武士3人に三河武士1人゛とまで言われる弱兵、平地で育った兵士達。

織田の知略は信玄よりも劣る。
分かったか?


まず武田騎馬隊だが… そんなものはない!
武田の騎馬率は10%に満たず、普通の大名程度 北条より下! ちなみに織田の騎馬率はかなり高く、それがあの機動力を生み出していたともいわれている
当時の日本人ってのは馬から降りて戦っていて(ポニーと今の馬との中間ぐらいの馬であの鎧着てあの槍を馬に乗りながら振り回すのは無理)
はっきりいって騎馬隊など論外
263人間七七四年:2008/06/27(金) 00:08:47 ID:BsBVdaLD
218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/06/26(木) 14:02:47 ID:1SBYXhlv
>>216
言っとくが織田信長の負け戦はかなり多いぞ。


信長が参加してない戦で敗北扱いされているのも含まれている場合がある
長島願証寺との戦いは一応相手を皆殺しにしているし、確かに織田の重臣の死に率は高いが川中島第四戦とか長篠みたいに重臣片っ端から全員死亡 なんてことは無い
森可成などが死んだのは信長とは無関係で、近江が「死のゾーン」と化したのは朝倉の手腕を褒めるべき

220 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/06/26(木) 14:10:32 ID:1SBYXhlv
>>219
゛初めての戦相手には一度負けてその次の戦には勝ってる゛
織田信長にはこんなパターンの戦ばかりだぞ。


どこがだよ


223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/06/26(木) 14:45:26 ID:1SBYXhlv
桶狭間の戦いは
織田は今川の進軍隊にあえて負け戦ばかりをし、
油断した今川は殆どの軍を先鋒に送ったために今川の本隊は数が信長の奇襲隊とほぼ同じになり、そこを奇襲して今川を討ち取った。
浅井・朝倉連合軍にもさんざんに追われて家康や秀吉らの殿で九死に一生を得てる。
その後、いろいろ工作をして浅井・朝倉の「信長包囲網」を解かせた。
姉川の戦いは論外、あれは織田信長一人の手腕で勝った戦じゃないから。
伊勢・長島一向一揆集にも一度は大敗してる。
三方ヶ原の戦いも論外。
信長は負けるとわかって家康にはちょっとしか援軍を送ってない。
長篠の戦いは相手が戦下手な勝頼。
石山本願寺にも一度大敗をしてる。
信長は門徒を虐殺しだす戦ばかりその結果、顕如が見兼ねて講和。

要は織田信長は真向勝負をしない、負けるから。
まあ、戦国時代は「勝者が正義」の下剋上時代だから現代の信長評価もこんなに高いのかな。


もうどこからツッコめばいいのやら
まず姉川は大規模な戦ではない 姉川で朝倉が大敗北を喫したというなら志賀の陣なんて起きない
勝頼は信玄よりかは戦は上手い つーかはっきりいって信玄は戦上手くない 信玄の戦は大勝が少ないわりに大敗が多いから、戦歴としては立派だがA級武将の中では劣る
三方が原の戦い? 信長無関係
長島願証寺との戦いは相手を皆殺しにしたんだから織田からも死者が出て当然 つーか一向衆って奴らは上杉謙信でも大苦戦するような連中だぞ
上杉謙信だってロクに勝てないような連中なのに、完膚無きにまで叩きのめし、降伏させたんだから多少一進一退の攻防があったとしても失点にはならないだろ
村上みたいな豪族とは訳が違うんだよwww
264人間七七四年:2008/06/27(金) 00:11:58 ID:3eoIqqks
>>262
おっと、俺は史実を基礎に話してたが、
それをぶっ壊したな。
じゃ俺も、
織田信長は今川義元を奇襲戦なんかで破ってない。
これが史実じゃ大々的に取り上げられてるが、
信長は普通に戦して今川を討ち取ったわ。
(現在の織田信長の評判はおかしい)
265人間七七四年:2008/06/27(金) 00:14:12 ID:VBhRUuTq
>>262
君は本当にお笑いだね。
ポニー、ポニーというが日本人も相対的に小柄なわけだから相性抜群だよ。
小渕沢で育ったポニーは相当なもんだろうね。
日本の乗馬文化から考えて、騎馬隊は真実だろう。問題は量ではなく質である。
266人間七七四年:2008/06/27(金) 00:14:32 ID:BsBVdaLD
>>264
普通に戦って普通に勝ったなら言うことなしだと思うんだがww
267人間七七四年:2008/06/27(金) 00:15:36 ID:BsBVdaLD
>>265
当時の日本人ってのはどんだけ上半身の力が凄いんだよww
あの鎧着て、あの槍持って、馬上で戦えるわけがない
268人間七七四年:2008/06/27(金) 00:15:37 ID:3eoIqqks
>>266
じゃあ信玄と変わらんじゃないかw
269人間七七四年:2008/06/27(金) 00:18:18 ID:3eoIqqks
>>267
日本鎧の重量を西洋鎧と同じに考えてんじゃないだろうな?
270人間七七四年:2008/06/27(金) 00:19:38 ID:BsBVdaLD
>>268
宇喜多直家の明善寺合戦というのがある
兵力には4倍の差があったんだが、何故だか普通に戦って普通に勝ってしまった(宇喜多勢が多少の揺さぶりをかけたというのはあるが)
素晴らしいことだ、特にそんな凄いことをしていないのに勝ってしまうというのは


俺は桶狭間は本陣に間違えて突っ込んだ説派なんだけどね
271人間七七四年:2008/06/27(金) 00:21:16 ID:3eoIqqks
>>270
で?
今は織田信長の話をしているんだが?
272人間七七四年:2008/06/27(金) 00:21:18 ID:BsBVdaLD
まぁでも、桶狭間が無くっても信長の戦歴ってのは輝きまくってるから大して傷はつかないんだがな
稲生の戦い、天王寺の戦い、森部の戦いでは寡兵で大軍を破っているし
長篠の戦い、刀根坂の戦い 相手に与えた損害が尋常ではない
273人間七七四年:2008/06/27(金) 00:22:20 ID:BsBVdaLD
>>271
いや、だからさ
普通に戦って普通に勝って 素晴らしいことだと思うんだがww
どこに問題があるんだよ あくまで信長は全てを読みきって、奇襲を仕掛けなければいけないのか?
そんなルールどこにあるんだよ 普通に戦って相手の首取れたんだったら最高じゃないか
274人間七七四年:2008/06/27(金) 00:23:30 ID:3eoIqqks
>>272
織田信長は長篠の戦いを三段構えの鉄砲隊なんかで破ってないからw
275人間七七四年:2008/06/27(金) 00:25:17 ID:BsBVdaLD
>>274
そんなこと誰でも知っとるわwww
信長は奇策を用いて武田軍を倒さなければいけないのか どんな脳内ルールだよ

相手方の武将をこれほど討ち取った戦というのもそうはない
信長の戦上手さがよくわかる素晴らしい戦だと思うがね
276人間七七四年:2008/06/27(金) 00:25:24 ID:3eoIqqks
>>273
なるほど、
じゃ議論してた
武田信玄と織田信長はどちらの方が優れてるかは

武田信玄≠織田信長

でいいんだな?
277人間七七四年:2008/06/27(金) 00:25:56 ID:XilWkPRY
>>265
鈴木真哉の馬から降りて戦ってという説はいまいち信憑性に欠けるトンデモ説だと思うが、
かといって騎馬隊が存在するかと言えばそうでも無いでしょ。
純粋に騎馬兵だけ集めた騎馬隊なんて戦国期に存在していたなんてありえんよ。

>>268
桶狭間はどうやって勝利したのかはまだ謎なんだけど、
仮に正面からの強襲説が真実だとしても信玄には出来ない(やらない)芸当だったんじゃね?
信玄は信長のように陣頭指揮をしないタイプだし寡兵で大軍に突っ込むような戦術も行わないタイプ。
信玄なら寡兵で戦うような状況を作らないというかもしれんが、
どうしようもなくそういった状況になったときに状況打破できるかというと微妙だと思う。

278人間七七四年:2008/06/27(金) 00:31:52 ID:VBhRUuTq
>>277
君にいいたいね。
武田は集団としての騎馬隊が凄いというわけでなく、
個別の騎馬そのものが強いんだよ。
279人間七七四年:2008/06/27(金) 00:35:55 ID:/RPm+0n6
>>263
お前のほうにどこから突っ込めばいいのか。
信玄の大敗って村上戦の2回のほかになんだ?
布の橋で落とし穴に武田の一部隊が引っ掛かったという
犀ヶ岳とかいうなよな。頼むから。
長島では最後の皆殺しの前に2回ぼろ負けしてるのはスルーかおい。
謙信はちゃんと越中とかで一向宗を攻略してるだろうに。
280人間七七四年:2008/06/27(金) 01:02:22 ID:3eoIqqks
>>279
第四回川中島の戦いの結果は上田原の戦いのようなものです。
前半は上杉軍が攻めて、武田信繁や山本晴幸などが討ち取られた、
後半は武田軍が盛り返して上杉軍を攻めた。
結果は資料が少なく分からない状態。
死者は上杉軍が3000余、武田軍が4000余。
281人間七七四年:2008/06/27(金) 01:07:42 ID:VBhRUuTq
>>277
純粋な騎馬隊は普通に存在するよ。
ただ、規模は大きくないね。
騎馬・歩兵・弓(石投)を分けないと実際に陣形は保てないし、事態が起きれば自然に似た性質が集まるよ。
ただ、混戦になれば混合するかもしれないけど。


282人間七七四年:2008/06/27(金) 01:10:40 ID:/RPm+0n6
>>280
その割には武田の勢力が混乱した上田原と違って
第4回の結果武田は北信濃をしっかりキープしてるな。
283人間七七四年:2008/06/27(金) 01:12:43 ID:67Q71Bce
釣られすぎだろwwww
284人間七七四年:2008/06/27(金) 01:53:30 ID:ENEYe+Gw
ハンニバルが名将と言われているのは、少数で大軍を殲滅した、カンナエの戦いがあったからこそ。
つまり、少数で大軍を打ち破った実績がなければ、名将とはいえないわけ。
信長はそういう戦いを何度もやっているので、名将と呼んで差し支えなかろう。
で、信玄は?
285人間七七四年:2008/06/27(金) 03:39:06 ID:ZSAf69/b
なんか最近変な信玄厨というかアンチ信長厨?が来る→みんなが適当に相手する→スレが伸びる
ってパターンが多いな
286人間七七四年:2008/06/27(金) 06:06:16 ID:3eoIqqks
>>285
信玄厨と信長厨
287人間七七四年:2008/06/27(金) 06:23:48 ID:TE5BNDAs
>>284
5万は少数で、7万は大軍ですか
戦力比5:7でひっくり返った戦いなんて腐る程あるわ
288人間七七四年:2008/06/27(金) 06:28:50 ID:3eoIqqks
毛利元就>太原雪斎>>超えられない壁>>織田信長≠武田信玄
289人間七七四年:2008/06/27(金) 08:09:26 ID:ENEYe+Gw
>287
確かによく引っくり返されたな・・・信玄が。
290人間七七四年:2008/06/27(金) 12:29:12 ID:M0DoD7LX
>>289
七十回の内、大敗を喫したのは十回も無いのによくひっくり返されたとは言いすぎだろう。
信玄が戦術下手なのは否定しようが無いが、戦略・謀略面では水準以上。

だからこそ、織田信長と同数の兵力で戦った場合勝てるとは思えないけど。
291人間七七四年:2008/06/27(金) 13:13:43 ID:unMcOoUC
信玄は寡兵で勝ったことがなく大軍で負けたことある
信長は寡兵では結構勝ってるけど負けが多いだの
文句が多いな
元就がくらいだぞ寡兵でも結構勝ってて負けが少ないのなんて
292人間七七四年:2008/06/27(金) 16:06:29 ID:w/gOUlRp
元就の場合は老人になるまで負けたら即滅亡に近い状況だろ
次戦なんて無い1国人領主の綱渡り
293人間七七四年:2008/06/27(金) 16:16:29 ID:BsBVdaLD
>>291
まぁ元就は元就で厳島の戦いの兵力差とか色々とツッコみポイントはあるんだけどな
負けないためには上杉謙信みたいにボロ勝ちは無いけどボロ負けも無い程度の戦をし続けるしかないだろ
それでも上杉謙信は何度か負けてるわけだから(大敗ではないが)

まぁ武田信玄の戦歴ははっきりいってA級大名と比べると一段劣るがな
294人間七七四年:2008/06/27(金) 20:11:15 ID:TE5BNDAs
戦上手で100万石より戦下手だが100万石のが凄い
295人間七七四年:2008/06/27(金) 20:22:36 ID:Lc9nAJki
戦下手でしかも国力が劣っているのに100万石になれたとかだと本当に凄いだろうな
296人間七七四年:2008/06/27(金) 20:25:05 ID:BsBVdaLD
>>294
信玄は周り全部が味方だったから他と比べると圧倒的に有利
しかも信玄が動いたんじゃなくて、周りが勝手にやってくれた 恵まれすぎ

謀略は上手かった
実際には病弱だったらしいし、現在のイメージとは正反対の人物なのかもしれない
297人間七七四年:2008/06/27(金) 20:37:10 ID:ja6sOlRd
運も実力のうち
298人間七七四年:2008/06/27(金) 21:14:06 ID:3eoIqqks
>>296
現在のイメージ…つまり…
武田は糞ってイメージの反対か。
299人間七七四年:2008/06/27(金) 23:56:41 ID:DCL8NJnm
>>290
だから戦術下手の根拠ってなんなんだ?
ぶっちゃけ最後のが言いたいだけのような。
>>293
劣る理由をあげてみな。正直あほらしくてしょうがない。
>>296
はいはいはい。
今川・北条の三国同盟が信玄の仲裁から始まっていることも知らないのか
知っても無視してるのか。恵まれてるといいたいだけにしか見えないな。
信玄がそのスタートでどれだけ苦労したか見ようとはしないで
自分から自爆してた信長様はすごいすごいと。ばからしすぎて仕方ない。
お前の中にあるイメージの逆ということは要するに最高って事でよろしいか?
300人間七七四年:2008/06/27(金) 23:58:25 ID:DCL8NJnm
>>285
それで信長厨が勝てば正当な議論で論破した事になり、
反論できなくなると適当に相手ということにしたがるんだろうな。
301人間七七四年:2008/06/28(土) 01:09:16 ID:L1qR8WyI
>>299
自軍より寡兵で負けたり、苦戦するのは戦術下手以外のなんだというんだ?
302人間七七四年:2008/06/28(土) 01:11:25 ID:Bez9xN8M
>>301
武田が負ける→武田相手への善戦素晴らしいな
織田が負ける→カスごときに負ける信長はカス以下だな

武田が勝つ→信玄最強wwとはいえ相手もかなりの強敵
織田が勝つ→雑魚の朝倉相手に勝ったからなんだってんだよ
303人間七七四年:2008/06/28(土) 01:20:19 ID:wfrlTmPC
>>301
つまり信長も戦下手でおk?
信長もずいぶん負けてるが。
304人間七七四年:2008/06/28(土) 02:24:03 ID:H9wdDGba
一向宗発祥の地でもある加賀・能登・越中一向宗が最強だろうな
上杉家の記録に書かれてる上杉軍 対 北陸一向宗戦でも
門徒の鉄砲隊に関する記述が多い

そんな連中相手でも主要な武将を一人も討ち取られず
加賀一向宗を越中〜能登から撃退、併呑していった謙信も相当強い
305人間七七四年:2008/06/28(土) 05:28:19 ID:AMcXSDw3
島津が戦国最強無敵。疑いようがない事実。
その武勇は日本国内はおろか海外にまで及ぶ。
日本の端からスタートじゃなければ天下を取ったのは島津家。
武田を始め織田・上杉・毛利・伊達・北条などは島津に比べたらハナクソみたいなもんだ。
306人間七七四年:2008/06/28(土) 07:33:02 ID:3biiKzDV
信長の負け戦って何?
307人間七七四年:2008/06/28(土) 09:14:56 ID:6ek+D7Lg
>>304
とはいったものの上杉謙信も内部ガタガタだった一向衆には勝てた 程度だからな
そんな化け物連中を2つも潰すのにはやはり相当な損害がかかるだろう 石山合戦や長島包囲戦で織田の武将格に死人が続出したのもやむ終えないところ


結局>>302が全てなんだよな 無茶苦茶だろこれは
信長が勝った奴は雑魚扱い(斎藤も朝倉も50万石越えの大大名だぞ 川中島時点での上杉謙信級だ)
信玄が戦った奴は強敵扱い(上杉謙信は勿論、たかだか豪族の村上でさえも)

武田ってボロボロの今川でさえも攻めあぐねて徳川との挟撃でやっと倒したんだろ
所詮その程度の国ってこと
308人間七七四年:2008/06/28(土) 11:41:27 ID:wmao/EOL
またgdgdな流れになってきてるな……
結局伊勢に関する議論はどうなったんだ?
309人間七七四年:2008/06/28(土) 12:11:23 ID:5/Yrr56+
>>307
ちがうっつーの。
むしろおまえさんが>>302を信玄と信長ひっくり返して地でいってるだけだろうが。
勢力比とか見ないで信長が負けた相手は仕方ない、信玄や謙信が苦戦した相手はカスだと。
その斎藤が幼君でクーデターが起きて本城を一時とられてるくらい内部ガタガタなのも無視し
朝倉相手の時はすでに織田のほうが3倍以上の国力を持っている事も無視して
ほぼ同格の国力で信玄と戦った謙信(第4回なんか上野や武蔵北部や関東勢の援軍とかあるから信玄より上でさえある)
と同じとかいうのは贔屓の引き倒しにしか見えないが。
言っとくが駿河攻略戦では今川自体は一か月で崩壊してるからな。あとの2年は北条との戦い。
意図的に誤解をまねこうとしているのか知らないけど。
310人間七七四年:2008/06/28(土) 12:34:27 ID:3biiKzDV
砥石城や高天神城を落とせなかった信玄が、より巨大で堅固な長島や石山を落とせたとは到底思えない。
得意の謀略も効かないしね。
そして、最終的にこの二つを信長は攻略した。
明らかに信長の方が上。
311人間七七四年:2008/06/28(土) 12:37:28 ID:vDfarosL
>>308
テンプレが決まった時も伊勢は北畠の中の織田勢力と北伊勢の反織田勢力をどうするかで揉めたけど、
ただあの時は中部伊勢に関しては言及されていなかったから若干下げるでいいんじゃないか?

>>309
斎藤のクーデターだけど、自然発生する類のものだったのだろうか?
ぶっちゃっけ信長の美濃侵攻に対して有効な手段が取れないため起きたんじゃ、
ちょうどこの時期の信長は西美濃などの安藤氏などの所領を攻め取っていたわけだし、
内部ガタガタではなく信長が内部をガタガタにしたんだと思う。

>>310
それはどうかと思うな。
312人間七七四年:2008/06/28(土) 12:41:06 ID:5/Yrr56+
>>310
その二つは短期戦なんだけど。高天神なんか徳川攻めで西に進むことを優先した結果だし。
信長の長島の場合は兵糧攻めの後にだまし討ちして皆殺し。
石山も長期包囲の後に天皇を介した和睦という形で退去させたんだけど。
なんでこれで到底思えないとか謀略通じないとかになるのか。
二つとも謀略だろう。
313人間七七四年:2008/06/28(土) 12:42:17 ID:82Azndyr
軍略・戦術
織田信長>武田信玄
智略
武田信玄>織田信長
謀略
武田信玄>織田信長
314人間七七四年:2008/06/28(土) 12:48:21 ID:82Azndyr
軍略・戦術
山本勘助>武田信玄
智略
武田信玄≠山本勘助
謀略
武田信玄>山本勘助
315人間七七四年:2008/06/28(土) 12:49:32 ID:Bez9xN8M
>>313
>>314
ネタということがわかりました
316人間七七四年:2008/06/28(土) 12:51:03 ID:vDfarosL
>>312
それもどうかと思うな
長島は騙まし討ちなんてしなくてもいずれは確実に落とせたし
石山も完全にジリ貧で和睦などなくてもいずれは落とせた
謀略部分は枝葉に過ぎないと思う、勝てた一番の理由は兵力と経済力で勝っていたことかと、

だからまあ条件さえそろえば誰でも勝てたとは思う。
第一石山落したのは信長ではなく佐久間だ。
317人間七七四年:2008/06/28(土) 12:53:46 ID:5/Yrr56+
>>311
いや、そりゃ好意的に見過ぎかと。
竹中のクーデターが起きたのは1564年2月とされる。
この時期は信長は美濃に有力な基盤をもてていない。
森部で勝ったけどその後で14条で負けたり、
軽見で痛み分けしてるのもこのクーデター前。
この時期は信長は尾張に残った最後の抵抗勢力である織田信清を攻めたりもしてるし。
むしろこの1564年2月のクーデター騒ぎ以降に
1565年に加治田が内応。これに信長は大喜びしてる。
以後信長はここを拠点にして戦っていく。鵜沼・猿喰攻めや堂洞など。
結局稲葉山がおちるのも1567年で安藤はこのときまで有力な勢力として残ってるしね。
318人間七七四年:2008/06/28(土) 13:05:57 ID:vDfarosL
>>317
それも一方的な見方かと、
クーデターまでに信長が攻め取っていたのは墨俣などの西美濃の西南部
そこから稲葉山への攻撃こそ撃退しているものの、墨俣などはそのまま、
斉藤氏にとっては信清離反させたりとまだまだ痛み分けかもしれないが、
同じ西美濃でも池田郡の市橋などはともかく、
矢面に立っていて所領を犯されている三人衆や竹中らにとってはそうではないと思う。
319人間七七四年:2008/06/28(土) 13:16:08 ID:5/Yrr56+
>>318
逆にいうと信長がそれ以前にとっていた領土って墨俣以外になんかある?
森部で勝った後で信長は墨俣を占拠するが、勢いにのって進撃したら14条で
斎藤勢に敗北し一族が死んで撤退してる状態だし。
墨俣だけじゃそこまで深刻なものかね。
320人間七七四年:2008/06/28(土) 13:32:57 ID:vDfarosL
>>319
だから斎藤氏織田氏の間ではそこまで重要ではないと思うって、
ただ実際に所領を犯されている西美濃三人衆らにとっては重要でしょ
彼らの所領がどれほどかは判らないけど一郡を越えることは無いだろうから下手したら死活問題じゃ?
そしていつまでたっても取り戻せない
そもそも当時の価値観では家臣の領土を守れない君主に意味はあるのかと。

織田包囲網にもいえるかもしれないけど、実際矢面に立っている浅井なんかの大名と
それ以外の勢力なんかとではやっぱ感じ方が違うってことじゃ。
321人間七七四年:2008/06/28(土) 13:41:17 ID:5/Yrr56+
>>320
墨俣って安藤の所領だったか?
しかもその後勢いに乗った信長をしっかり撃退してるのに
そこまで不満を持ってクーデターなんかするだろうか。
やっぱり義龍亡き後の統制を欠いた斎藤勢の内部不安定に乗じて
クーデター騒ぎが起きたというのが実情では。
322人間七七四年:2008/06/28(土) 13:51:58 ID:vDfarosL
この事件は江濃記(信頼性イマイチ)では三人衆と竹中が話しあったってあるけど
これらの4名に共通するのは信長との戦いで矢面に立つ、所領を犯されている立場

義龍亡き後の統制を欠いた斎藤勢の内部不安定に乗じて
クーデター騒ぎが起きたのであれば、何故他の地域からの賛同者が全くいなかったのかってことに
323人間七七四年:2008/06/28(土) 14:12:57 ID:5/Yrr56+
>>322
その所領自体がほとんど侵されていないじゃないか。

単純な話で根回しが不十分だったからだろう。
いきなり竹中の奇策で稲葉山をとれたはいいけど
他の豪族連中にしてみれば寝耳に水。
それで困惑されて結局実行犯の竹中を隠棲させて稲葉山を龍興に返して手打ちにするしか
なかったと考えるとすっきりするのでは。
324人間七七四年:2008/06/28(土) 15:21:34 ID:6ek+D7Lg
>>323
だから竹中関係の話は完全に創作だって
325人間七七四年:2008/06/28(土) 18:23:11 ID:l/gPkkwW
>>314
>智略
>武田信玄≠山本勘助
だれかここ訳して
326人間七七四年:2008/06/28(土) 18:46:23 ID:L1qR8WyI
ちょw≠ww
313、314で比較されている軍略・戦術も謀略の全てが≠だろw
>>325、間違ってないよ314はある意味真理、
そら同じ人間なんて居ないさw
327人間七七四年:2008/06/28(土) 18:54:28 ID:82Azndyr
>>326
一流東大生でも戦国時代には役にたちません。
後はわかるな?
328人間七七四年:2008/06/28(土) 19:16:24 ID:L1qR8WyI
素直に≧と間違えましたって言えよw
329人間七七四年:2008/06/28(土) 19:33:08 ID:82Azndyr
>>328
ああ、間違えた。
これでいいかな?
330人間七七四年:2008/06/28(土) 19:57:44 ID:L1qR8WyI
>>329
素直だな。
俺もからかいすぎた、悪かった。
331人間七七四年:2008/06/28(土) 23:56:48 ID:0cOOXAXq
統合に革新が含まれている。
黙殺に謀略が含まれている。
病人に賭けが含まれている。
大遠征に全てが含まれている。
素直になること、ただそれだけ。

332人間七七四年:2008/06/29(日) 01:22:01 ID:feidBxnP
>>308
伊勢に関する議論はここにいる最強議論に華咲かせてる人には難しいから無理も無いよ。
史学のジャンルとしては複雑な政治状況が絡み合う面白い研究材料なんだけどね。
只の戦国スキーには地味でつまらんのでしょ。
333121:2008/06/29(日) 10:00:11 ID:7VyvCP4v
信玄と信長の戦績をくらべても仕方ないんだけどな。
能力の違いじゃなくて環境の違いなんだから。

信玄は相手より大軍で、しかも攻める戦が多くさらに年に何度も戦を出来るほどの経済力はなかったので、
大軍な上に準備万端で攻めるので当然負けは少なく、負けたと言われるときは大軍ゆえに被害が大きい時。
基本的に大軍と小勢が戦って大軍の被害が軽微ならそれは大軍が勝っているか少なくとも引き分けの時だわ。

信長は攻められる事も多く、相手も勝算があって攻めてくるのだから負けることも多い。
攻めるにしても年がら年中戦が出来るくらいの経済力があるので、最終的に勝てばよいと思っているのか負けても負けても攻めて最後に勝ってたり、朝倉の様に相手の経済が破綻してしまったりする。
朝倉は最終的には戦で決めたけど。
334人間七七四年:2008/06/29(日) 13:10:29 ID:CM4IveOb
>>333
ようするに元就最強ってわけですね
335人間七七四年:2008/06/29(日) 14:16:56 ID:RzneC1j3
>>334
軍略
毛利元就>武田信玄≧織田信長

戦術
毛利元就≧織田信長>武田信玄

智略
毛利元就≧武田信玄>織田信長

謀略
武田信玄≧毛利元就>織田信長
336人間七七四年:2008/06/29(日) 17:09:58 ID:NAcuQszH
不等号付けとかは他スレでやれ
337人間七七四年:2008/06/29(日) 18:27:25 ID:qF7CRDfl
>>333
不利な状況を何度も覆した信長の方が評価出来るな。
338人間七七四年:2008/06/29(日) 19:43:15 ID:7VyvCP4v
>>337
さて。
不利な状況にならない事を評価する事もできるしどうだろうね。
339人間七七四年:2008/06/29(日) 19:53:30 ID:RzneC1j3
>>337
不利な状況を何度もつくるほど織田信長の外交手腕はなかったてことだな?

その点は何度も他大名と同盟やら組んでる武田信玄の方が旨いな。
340人間七七四年:2008/06/29(日) 20:06:40 ID:qF7CRDfl
>>339
謙信と不毛な争いを繰り返した信玄の外交手腕って上手いか?
あと、信長の外交術に踊らされていたのは、どこの誰だった?
341人間七七四年:2008/06/29(日) 20:20:33 ID:RzneC1j3
>>340
まさか三国同盟の事も知らなかったとは驚きだ。
織田信長にしか眼中になく他大名に関心がない織田厨は消えろ。
342人間七七四年:2008/06/29(日) 20:43:19 ID:P1gQ++uf
>>341
お前が究極の馬鹿だ
三国同盟はどう考えても太原雪斎のおかげだろう 信玄も1%ぐらいは関わってるかもしれないが、1%じゃ無関係と同じことだな
343人間七七四年:2008/06/29(日) 20:58:39 ID:RzneC1j3
>>342
うん知ってるよ。
国同士の力の均等が崩れるのを恐れた雪斎が政略結婚で結ん。
いい加減揚足ばっかの意見はやめろよ織田厨。
344人間七七四年:2008/06/29(日) 21:01:35 ID:5hCyDjuY
>>340
誰がいつおどらされたのか具体的に言ってみろ。
お互いの利害の関係だろうが。
>>342
だから三国同盟は武田が北条と今川の仲裁をしたことから始まると
なんどもいわれているだろうが。それで無関係とかどれだけアホなんだお前。
345人間七七四年:2008/06/29(日) 21:04:07 ID:YaDZXHq+
ここ100レスほど
レベルが低すぎる
346人間七七四年:2008/06/29(日) 21:25:35 ID:RzneC1j3
>>345
で?
347人間七七四年:2008/06/29(日) 23:13:08 ID:qF7CRDfl
>>342
だな。
三国同盟で一番得したのは今川だしね。
次に北条。
武田が一番利益が少ない。
雪斎に踊らされたってのが実状だろう。

>>344
信玄が織田と結んで得たものは駿河一国。
それも、北条や徳川と不毛な争いを何年も続けて、やっと手に入れた。
その間、信長は上洛し、畿内の大部分を制圧。
で、どっちが得したと思う?

信長が上洛しなかったら、武田が滅ぶこともなかった。
勝頼があんな悲惨な死に方をしたのも、全て信玄が原因。
それ以前に、大事な嫡男をぶっ殺しているし。
目先の利益しか見えない男、それが信玄。
348人間七七四年:2008/06/29(日) 23:26:37 ID:RzneC1j3
>>347
目先の利益ってw
それ下剋上時代の戦国じゃ皆同じじゃないか(謙信以外)
349人間七七四年:2008/06/29(日) 23:30:09 ID:CM4IveOb
>>348
謙信以外とは?w
350人間七七四年:2008/06/29(日) 23:35:54 ID:RzneC1j3
>>349
釣りか?
351人間七七四年:2008/06/29(日) 23:50:35 ID:CM4IveOb
いやいや質問してるだけでしょ
それとも口答えはするなってことですか?
352人間七七四年:2008/06/29(日) 23:52:25 ID:RzneC1j3
上杉謙信がどんな人物かも知らない時点で釣りだろ。
353人間七七四年:2008/06/29(日) 23:54:47 ID:CM4IveOb
いやいや上杉謙信は有能で戦よりも政治が凄かった武将だということは知ってますけど
354人間七七四年:2008/06/29(日) 23:56:46 ID:3kVycwfd
>>352
上杉謙信は義の人で目先の利益では動かないという事ですね。
てアホかとw
355人間七七四年:2008/06/30(月) 00:06:18 ID:tJzXsjRU
>>353
それにしては領内の謀反は多かったな。
356人間七七四年:2008/06/30(月) 00:07:58 ID:tJzXsjRU
つかこのスレは何の議論をしてんだ?
357人間七七四年:2008/06/30(月) 00:28:31 ID:HIqp+9OZ
>>355
領内の謀反は本庄繁長くらいだろ
永禄年間の北条高広謀反は否定された
大熊は謙信への謀反というより栃尾本庄、直江、中条らによる追放

謙信の親父は
上条、上田長尾、斉藤、大熊、竹俣、揚北本庄、中条、宇佐美、柿崎ら
国内殆どの領主達に叛かれ、隠居に追い込まれた

その後、晴景がますます府中長尾の権威を失墜させた後
景虎(謙信)が登場
経済政策に力を注ぎ、朝廷&幕府を上手く利用しつつ越後の領主達を掌握

武田一門の勝沼や飯富、穴山信邦、嫡子義信らに裏切られ、
これが滅亡の遠因にもなった甲斐の謀反よりマシだろう
358人間七七四年:2008/06/30(月) 00:38:28 ID:bZCvj4dC
>>347
あいも変わらない妄言レスをどうもありがとう。
武田にしてみても後ろが北条と今川の同盟で固まってくれれば全力で
信濃や西上野にむかえるんだが。その利益の順序は何を元にしてるわけで?
まさかまた根拠のない決め付けで話してるわけじゃないよな?

こっちもバカのひとつ覚えとしか言えんね。
駿河攻略は2年で終結してると何度もいわれているんだが?
信玄がすべての原因?面白いこというんだな。勝頼自身が長篠や北条との外交で
ミスをしたのを無視して信玄に責任全部押し付けか。ここまで来ると滑稽だな。
嫡男自身が謀反起こしたんだから仕方あるまい。
ま、目先の利益であちこち喧嘩を売って周り包囲網しかれて強敵がどんどん死んだはいいけど
最後は最も信頼する家臣に裏切られて天下も崩壊し家ものっとられた信長になにがいえると思うがね。
359人間七七四年:2008/06/30(月) 00:57:26 ID:taSsuyh3
>>358
同じく目先の利益で嫡男謀反、包囲網しかれたのも信玄。
さらに晩年の織田との同盟破棄は武田滅亡の原因ではないと?
360人間七七四年:2008/06/30(月) 01:04:28 ID:bZCvj4dC
>>359
今川自身も上杉と結んだり塩止めたりしてるからな。
遅かれ早かれやる必要はあった。その北条との戦いでも関東勢と結んで
北条包囲網を形成したりしてるんだけど。
晩年の織田との戦いだってそのまま同盟つづけてもいずれ織田の優位が確立してしまえば
切り捨てられる可能性は高いしな。その場合同盟を続けたことが滅亡の原因になる。
地方の覇者たちがいずれも中央に一度は全面抵抗を仕掛けている事を考えれば
そう突飛な判断とはおもえんが。
361人間七七四年:2008/06/30(月) 01:09:58 ID:rmhhK7uO
>晩年の織田との戦いだってそのまま同盟つづけてもいずれ織田の優位が確立してしまえば
>切り捨てられる可能性は高いしな。
これって根拠が何も無いんだが。
信長が中央集権を目指して織田家以外の大名は皆滅ぼしたり弱体化させるとかってのも
後世の視点から見たただの妄想だよ。
当時の視点で見れば確かに同盟を存続していてもいつかは同盟を破棄され切り捨てられる可能性もあるにはあるけど、
同盟を維持して家名を存続させる可能性のほうが遥かに高いでしょ。
同盟を存続したら滅亡になるとか強引すぎだよ。
362人間七七四年:2008/06/30(月) 01:16:12 ID:bZCvj4dC
>>362
実際長宗我部は切り捨てられたけどな。
四国平定を進めてたらいきなり畿内の岩倉三好を立てて阿波統治を助けろだの
讃岐も返せだの言われて断ったら攻められた。
そしてその岩倉三好には三男信孝が養子に入ることになっていましたと。
北条だって同盟者で武田ぜめに協力して上野を攻略もしたのに取り上げられた。
そして滝川が上野に入って北条を無視して好き勝手。
結局信長が死んだら両者は激突した。
いったん力を確立させた大勢力に好き勝手を許せばやりたいほうだいやられるのは常。
まして自身が相手の気を引く大領土をもっているならなおさら。
363人間七七四年:2008/06/30(月) 01:16:41 ID:bZCvj4dC
間違えた。>>362>>361あて。
364人間七七四年:2008/06/30(月) 01:30:06 ID:HexFq6c3
>>362
一端大勢力を確立させた豊臣秀吉は、一族配下以外の全ての大名を滅ぼそうとしましたか?
同じく徳川家康や幕府は、全ての外様大名を滅ぼそうとしましたか?

長宗我部はその前に織田に従う豪族を攻撃したりと敵対的な行動があった。そして信長も、
問答無用に滅ぼそうとしたのではなく、事前に交渉して落としどころを提示している。
提案を蹴ったのは長宗我部の方だ。

信長は同盟者をまったく言い分もなく滅ぼそうとしたことなんてほとんどありませんよ。
365人間七七四年:2008/06/30(月) 01:37:48 ID:bZCvj4dC
>>364
どれだけ信長に夢を見ていらっしゃるのかと。

豊臣秀吉は滅ぼしてはいませんよ。ですが領土は削れるものは削りましたね。
そもそも秀吉の場合はもともとの基盤が不安定なために積極的に全部つぶすよりは
落とし所を見つけて取り込む傾向がみられましたね。
しかしその力を温存された外様大名達は死後に動きだし、最も大きな家康が天下をとったと。
徳川幕府はその教訓からか可能な限り外様の大大名を減らす傾向にありましたね。
百万石を超える外様大名は前田家だけです。そして前田家は軍備を減らして文化にいそしむことで
幕府の目を必死で逃れたと。

その事前交渉とやらがいきなり阿波を今から岩倉三好を収めるからお前はそれを助けろ、
讃岐も返せ、というとても承服できないものなんですけど。
そしてその岩倉三好には三男信孝が入ることになってたわけで。
ここまで魂胆見え見えの交渉も珍しいと思いますが。
366人間七七四年:2008/06/30(月) 01:44:59 ID:HexFq6c3
>>365
上段で、自分で答えをいってますよね。
滅ぼすことと、領土を割譲させることで服属させることは別ものです。

信長の長宗我部交渉も、領土を献上すればこれまでの敵対行為は許して政権に迎えるよと
いうのがその意。それを蹴った以上、ヤツは従う気はない、じゃあ滅ぼすしかないと決断
するしかない。
信長は従おうとするものを、そして裏切ったりしないものは、普通に配下として向えてますよ。
同盟者でも自己都合だけで問答無用に滅ぼすなん行為もなければ、言動もありません。
あなたは信長に対して暴君とういレッテルを貼り、その色眼鏡を通した歪んだ像を語って
いるだけですね。
367人間七七四年:2008/06/30(月) 01:47:26 ID:rmhhK7uO
>>362
別に切り捨ててはいないだろ。
当時の長宗我部は土佐一国と讃岐と阿波のごく一部。
三好が織田に降伏したから讃岐は諦めろ、代わりに阿波半国を切り取り自由だと代案提示している。
長宗我部は四国の切り取り自由を約束されていたけど情勢が変化して約束時に織田に敵対していた三好が織田に降伏。
織田としても他家の勢力は極力抑えておきたいから四国の切り取り自由は無かった事にして阿波で我慢しろと提示。
もちろん長宗我部としては我慢ならん通告だろうがだからといって、天下統一に王手をかけて周囲の大名全てが手を結んでも
倒すのが不可能なくらいに圧倒的勢力となっている織田に喧嘩を売るのも無謀すぎだよ。
要求さえ呑めば攻められることは無い。
北条に関しては確かに恩賞無しは酷いかもしれんが既に関東一円に大勢力があるんだから
これ以上勢力を拡大させるのは危険だと判断したからでしょ。

そもそもこれらは武田と争ってる時代よりも後年の出来事じゃないか。
信玄存命時にこれらの出来事を信玄は当然参考に出来ないよね。
今まで完全な全国統一を成し遂げて絶対的な中央集権化した勢力・幕府など存在しておらず、
幕府等の他に北条や山名等の大勢力が存在していた。
同盟を存続していたら仮に織田が天下を統一しても北条や山名の様な有力者のポジションとして
家名存続できると考えるのではないかな?


368人間七七四年:2008/06/30(月) 01:52:38 ID:rmhhK7uO
>>365
三好に信孝が養子になるからどうだと言うんだ?
北畠乗っ取りの時のように将来的に信孝を使って弱体化した三好を乗っ取る腹積もりだっただろうけど、
まさか長宗我部も乗っ取るつもりだったとか言わないよね?
369人間七七四年:2008/06/30(月) 01:53:57 ID:bZCvj4dC
>>366
なんというかほとんどがあなたの主観入りまくりのレスで論ずるにあたいしませんね。
その領土割譲において多くの大名が豊臣政権に抵抗したのを無視するわけで?
島津も長宗我部も滅ぼされてしまった北条も。
戦国大名においては家の威信というものが大きなポイントです。
戦いもせずに唯々諾々と領土を差し出せば内部から崩壊します。
第一その勝ち取った領土は家臣に与えられているのですから。
ゲームじゃないんですからはいそうですかと返せるわけないでしょ。
信長をきれいにみすぎですよ。
信長はもともと断られることを承知でこの交渉を行っているとみれば
すっきりする話です。ちなみに豊臣も敵対相手に一応事前に交渉してますけど
みんな抵抗してますね。伊達も最後まで行くのを渋っていましたね。
北条がやられるのを見てあわてていきましたけど。
370人間七七四年:2008/06/30(月) 01:59:44 ID:rmhhK7uO
>>369
百歩譲って信長は同盟国全てを攻め滅ぼすとしよう。
しかし元亀3年時当時に将来的に同盟国を全て攻め滅ぼすという事が予想できるような行為を信長はしていたのか?
まさか朝倉を浅井家に無断で責めた云々は言い出さないよね?
371人間七七四年:2008/06/30(月) 02:04:38 ID:bZCvj4dC
>>367
その長宗我部の領域が間違い。
当時の長宗我部は阿波の大部分をもってましたよ。
長宗我部は天正9年の時点で阿波の大部分を手中にしてる。勝瑞も一宮もこの時点で
長宗我部の拠点となっている事は天正8年11月24日付けの秀吉宛の書状の
「大阪(本願寺)から逃げてきた浪人共が紀伊や淡路の反信長方と共同して勝瑞・一宮を攻めてきたので
讃岐に出陣中だったけど急遽戻って対戦しました。」という書状でわかる。
突っぱねた長宗我部の返答を受けて織田が分捕ったのを奪還しようとするのが
本能寺以降の長宗我部の動き。
それから三好には畿内の岩倉三好と阿波三好がある。岩倉三好は織田に従ってたけど
阿波三好は織田に敵対してたの。それを攻めたのがそんなに悪いことかと。
そしていきなり畿内の岩倉三好引っ張ってくるのが何を意味しているのかと。

そして滝川は北条無視して好き勝手。結局織田家による織田家のための都合が最優先。
故あればあっさり踏みつぶされるというわけだ。

信玄はこれらの事を参考になんかしてないさ。
当時の戦国時代の慣習を見て大勢力が確立してしまえば無理難題がまかり通るという
自体は普通に危惧しただろうさ。多くの大小名がつぶされていっているのがこの時代なのだから。
信長のそれまでの事例も無垢なものじゃないしね
372人間七七四年:2008/06/30(月) 02:09:13 ID:pYO7Ig5T
そもそも織田は西に興味があったのだから、武田を切り捨てるにしてもかなりあとだろ。
その頃には、信玄はおろか信長も生きているかどうか疑わしいし。
で、次代の信忠が武田をどうするか・・・・これは、ちょっとわからないな。
信勝の母親は織田家の人間なので、意外と一門衆並の扱いをしていたかも知れない。
373人間七七四年:2008/06/30(月) 02:10:57 ID:bZCvj4dC
>>368
もともと長宗我部のことや三好なんかどうでもよくて
ただ自分の息子に領土を与えて自家の勢力を増したかっただけの話ということ。

>>370
同盟国すべてを滅ぼす、とかそういう話じゃないんだよ。
大勢力がいったん確立してしまえばその都合による不条理は感受せねばならないし
挙句の果てには滅亡もある。それが戦国時代。
まして大領土をもったものをそのまま容認してくれるのかという問題もあるし
不条理にこたえられねば滅亡させられる事もありふれている時代。
戦国という時代背景を考えれば絶対的な力をもつものが生まれるのは阻止したいだろうよ。
第一信長の経歴もそれまでだって決して無垢なもんじゃないだろ。
374人間七七四年:2008/06/30(月) 02:17:10 ID:bZCvj4dC
そろそろ寝る。
375人間七七四年:2008/06/30(月) 02:39:33 ID:BhmQS/Qz
>>373
領土が大きいと狙われる、滅ぼされるとしている
それは同盟していても変わらないとも
その根拠が長宗我部の扱い、北条の扱いを例にしている
四国全土で太閤検地だと八十万石程度か(土佐は二十万石で)
でも徳川には三河遠江に加えて駿河を与えた、駿河の一部は別だが
この三カ国で同じ太閤検地で七十万石いくんだよな
八十万石に手が届きそうな長宗我部は警戒して、徳川には自ら警戒水準に近づけるようなことをするのか?
何のために
おまえ自身は大領土を構築すると、治世に影響が出るとしているが、それを織田が自ら作り出したのは何故だ
その危険水準に達した徳川を警戒しなければならない織田が、なぜ京都に呼んで歓待している?
そもそも八十万石程度で大領土なのか?

次に、北条の上野を奪い取ったとしているが、上野に北条の領土があったのか?
国人連中をひきつけて「味方の衆」として陣営に加えたりはしたが、それを領土というのか?
双方に人質を送って両方に属するという選択の国人もいたが、画一的にどちらのものとみるのはゲーム的な考えじゃないのか?
仮に国人領も北条の領土だとしよう
でも北条はその織田の裁定に従っているわけだよな
威信は何処いったんだ?
376人間七七四年:2008/06/30(月) 07:38:21 ID:73XK0rPK
気持ちの悪い奴らだな。
夜中まで意味不明の討論するなよ。
377人間七七四年:2008/06/30(月) 10:27:32 ID:FLMJhGK6
そもそも長宗我部が織田領を攻めたのが悪いだけだろ

>「大阪(本願寺)から逃げてきた浪人共が紀伊や淡路の反信長方と共同して勝瑞・一宮を攻めてきたので
>讃岐に出陣中だったけど急遽戻って対戦しました。」

この文書だけじゃないか長宗我部が織田領を攻め取った時の言い分は、
織田領が本願寺や毛利に攻められているので、それを助けます、野心なんてありません、
攻め取った土地はちゃんと信長様に返します
と主張して、織田が本願寺や毛利の相手をして長宗我部に攻められている四国に
援軍を送れない間に阿波や讃岐を切り取ったわけだが。
378人間七七四年:2008/06/30(月) 10:28:15 ID:FLMJhGK6
なんというか織田が悪いと主張する人間は、それまでの経緯無視して最後だけ見て織田が悪いと言っている気がする
379人間七七四年:2008/06/30(月) 12:41:06 ID:tJzXsjRU
いい加減
織田厨も武田厨も
信長や信玄の“悪いところ”ばかりをを持ち上げる議論はやめないか?
戦国時代が好きな俺から見てるとなんか夢がなくなってくる…
380人間七七四年:2008/06/30(月) 22:32:48 ID:Vog2xP6y
>>375
警戒じゃなくて餌場みたいなもん。
当時の長宗我部じゃどうやったって信長にはかてないんだから。
信長の魂胆は阿波と讃岐を分捕ってそれを三男に与えることによって
織田一族の力を増すこと。それが信長の判断なんだが。治世対策以前に
利害のウェイトが大きいわけだ。
そもそも徳川なんざ織田にしてみれば古くからの従属大名だろうが。
さんざん東の盾にしてこき使い文句もいわれないような存在。
それを歓待したからってなんだって?家康のそれまでの奮闘を見れば駿河だけなんて
安いもんだったと思うがね。

そして北条が上野領土があったのかとかいわれるとむしろ不思議なんだが。
北条が武田の西上野支配の要衝箕輪城を攻略してることも知らないのか。
これを信長はとりあげて滝川にあげちゃってるんだが。
第一それまで従属してた連中とかもいきなり奪って何もないというのか。
北条自身が勝てない事はよく知っていたしまだ主力の本領じゃなかった事から
手放しはしたが、この恨みはやがて本能寺あとで火を噴いたというわけだ。
381人間七七四年:2008/06/30(月) 22:37:51 ID:Vog2xP6y
>>377
だから信長に従属してる岩倉三好と違って阿波三好は信長に敵対してたろうが。
それで戦って切り取ったのを全否定して領土よこせとかめちゃくちゃに思えるが。
四国切り取りを進めていた長宗我部から音物もらって信長は喜んでるし、
秀吉も長宗我部に助けがいるなら手を貸そうといったりしてる。
そんなに恨みを継続させながらこんな事をいってるのは不可思議だがね。
>>378
俺にしてみれば織田擁護の人が信長をきれいに見過ぎているように思えてならない。
382人間七七四年:2008/06/30(月) 22:50:15 ID:BhmQS/Qz
>>380
四国は餌場で、東海は放置
この差はなんだ?
また信長がそう考えていたと言う論拠は?
徳川が織田より格下になったという論拠は?

織田から北条に「上野は切取り自由」なんて書状でも発していたのか?
違うならあくまで「織田の武田征伐に協力した」というだけだな
豊臣の北条征伐で上杉やら前田やらも城落としたが、そのまま領有したわけじゃなかろ
当時の国人の去就は大名権力で完全に押さえつけられるものじゃない
真田もそうだったし、そもそも上野の国人連中はあっちについたり、こっちについたり、あっちにもこっちにもついたりと、去就が定まらない地域だ
それがどう動くかなぞで何が起こると言うのか
で、本能寺後で恨みが火を噴いたと言ってるが、滝川攻撃の事か?
383人間七七四年:2008/06/30(月) 23:15:49 ID:QyoJCWOO
信長のような大大名も地方豪族も、都合のいい時に都合のいい方につくだけだろ
理由なんて後付けでいくらでも作れるし残せる。そういった隙を残す方がお坊ちゃんなんだろう
とりあえずの大義名分が必要な時代ではあるけれど、ある程度の強引さも許容される時代でもあるし

家康は秀吉に対してもうまく立ち回ってるけど長宗我部はそうしなかったし出来なかった
秀吉の時は四国統一目前だったからしょうがないけど
384人間七七四年:2008/06/30(月) 23:54:03 ID:HexFq6c3
>>381
長宗我部の問題は、阿波三好が信長に従属するようになってからも攻撃したこと。
もう一つ、長宗我部が攻撃したのは三好だけじゃあない。
さらにいえば、全否定したわけでもない。阿波の半国は認めるといっている。

さらに逆に見れば、長年敵対した阿波三好も交渉と態度次第では信長に厚遇される
わけだ。長宗我部が信長から厳しく対応されたのは、されるだけのことを過去にして
いたからで、そういった部分を無視して信長だけを横暴とか強欲とか非難するのは
公平とはいえないだろう。

信長からしたら、かつては同盟していても、織田の利益に反するようなことを始めた
勢力にはそれまでのように甘い顔は出来ない。それでも妥協案を提示しても蹴られる。
さらに力関係からすれば当然な服従要求(服従すれば相応の領土は認める)も蹴ると
なれば、あとはもう滅ぼすしかない。信長には、自家が損してでも長宗我部の利益を
守らなければならない義理も何もないのだから。むしろ自分に従っている三好家側の
利益を守る義務があるといえる。そして滅ぼすと決めたのなら、そこから最大利益を
出そうとするのも当然のこと。

四国問題は、信孝を大名にするために長宗我部を滅ぼそうとしたのではない、逆で、
長宗我部を滅ぼすことになったから、信孝に利益も与えようとした。
385人間七七四年:2008/07/01(火) 00:36:56 ID:Fa2zuTFo
>>382
だから、もともと信長は家康を何度も援軍にこき使いながら
切り取りの領土とかを与えているわけでもない。
これを対等な関係とか見るのは異常だろうな。
信玄も家康を信長の先手と評していたし。
双方の戦略における自由奔放さと戦力の差を見れば一目瞭然。

そんな理屈がまかり通ると思っているのか。
その協力した北条から北条がとった・持っていた領土を奪い取って家臣に与える事に
なんの正義が見いだせるか。阿呆らしい。
北条は織田の家臣か?従属大名か?この時点でおまえさんの言ってることは矛盾してるんだよ。
力の違うものは力の違う大勢力の言う事を無理やり聞かされるというな。
>>383
そう。だからこそそういった巨大勢力の存在は可能な限り早めに阻止するのがベストだというわけだ。
386人間七七四年:2008/07/01(火) 00:42:18 ID:lHRZJWRC
>>385
北条家は織田家に対して従属してなかったっけか?
387人間七七四年:2008/07/01(火) 00:48:50 ID:Fa2zuTFo
>>384
そっちのほうが公平じゃないと思うが。
その阿波三好を信長が厚遇したのがなんでだと。
というかあの扱いは厚遇といえるのか。
本来の支配者である阿波三好ではなく畿内の岩倉三好を立てて阿波の正統な
当主と言いだし、しかもその岩倉三好には三男信孝が入ることになっている。
これがはたして厚遇といえるのか。いいように織田の勢力拡大に取り込まれてるだけにしか
みえんのだが。

だからされるだけの〜という割にはその四国交渉に至るまでの信長と長宗我部の
態度がずいぶん和やかで協力的だな。
相応の領土なんて誰が決めた。今まで甘い顔をしていきなり長宗我部のとってきた領土の
過半をとるとかいって長宗我部が納得できるわけなかろう。

上でもあげているがそれは無理があるんだよ。阿波三好は全然厚遇なんかされてなく岩倉三好が
なぜか阿波の支配者に成ることになってるし、その中に信孝が入ることになってる。
交渉がどうたらでここまで方針が変わることなんかあると思っているのか。
そもそもの信長の理屈は畿内の岩倉三好を立ててそれが阿波の正統な国主だからそれを助けて長宗我部は
それを助けろというみょうちきりんな理屈なんだよ。
そしてその岩倉三好には信孝が入るというどう見ても魂胆見え見えのな。
讃岐は信孝にもともと与えられることになってるから阿波も讃岐も信孝、ひいては信長のものだ。
これだけわかりやすい欲望表現はないと思うが。
388人間七七四年:2008/07/01(火) 00:50:48 ID:Fa2zuTFo
そろそろ寝る。
389人間七七四年:2008/07/01(火) 00:54:33 ID:lHRZJWRC
>>387
信長公記 天正八年三月十日「御縁相調え、関東八州御分国に参る」
(北条と織田との間に婚姻を結び、信長は北条の関東領有を認め、北条が信長の領国に行く)
北条は織田家に従属していたと思うんだが違うのか?
390人間七七四年:2008/07/01(火) 01:21:01 ID:Ye6btnq+
>>387
>長宗我部のとってきた領土の過半をとるとかいって長宗我部が納得できるわけなかろう。
1.過半というほどのものでもないし、服従するのに領土の献上は普通。
2.信長からしたら、織田家に従っている勢力から切り取った領土を、なんで認めなきゃ
ならんのかと納得できるわけないだろ本来なら。
それでも切り取ったうちの阿波半国は認めると譲歩したわけだ。信長からしたら配下の
三好のためにもこれ以上は譲歩できないライン。それを蹴った以上、なんで長宗我部に
さらに譲らなければならないんだ?
391人間七七四年:2008/07/01(火) 06:39:08 ID:+PDOnBgp
392人間七七四年:2008/07/01(火) 20:47:38 ID:j9bdqrgy
>>389
実施段階か否かの論議はあると思う、つまり正式に従属していたかどうかは微妙。
ただ北条は織田へ従属するつもりだったし、織田も北条を受け入れるつもりではいたのは間違いない。
武田討伐で協力しているし、氏直との婚約も済ましているしね。
両者の思惑が微妙に食い違っているとはいえ。
393人間七七四年:2008/07/01(火) 20:55:46 ID:a7byPCYR
うわっ
まだ話を続けるつもりかよ。。。
394人間七七四年:2008/07/01(火) 21:44:39 ID:G7VIZNrS
態度が和やかというか1581年の段階じゃまだ交渉の余地が十分あったからだろ
でもそれを長宗我部が断るたびに態度が硬化していって、完全敵対していったという流れじゃ

あと上野は由良などは独立勢力に準じる存在で独自の外交も行っているぐらいだから
上野を北条から取り上げたとはいえないと思う、上野などの諸勢力の帰属が北条から
織田に替わったというべきじゃ
395人間七七四年:2008/07/02(水) 00:15:38 ID:Jiiz+oML
>>385
援軍を送るのは別に対等な関係でもあるよな
勿論、それに対して領土を与えているわけでもない
具体的に言うなら、義元死後の氏真が北条に援軍を出したが、北条から土地を貰ったりしてはいない

当時の人間がそう評していたからというなら、一応全ての大名は基本的に足利将軍の支配下に置かれているわけだ
関東管領を継承した上杉謙信は、後北条の上司に当たり、また足利義氏も北条の上司に当たるわけだが、さてさて実際はどうだ

北条は従属しているから、そんな理屈もまかりとおる
正確には従属しかけといったところみたいだが

>で、本能寺後で恨みが火を噴いたと言ってるが、滝川攻撃の事か?
これの答えは?
396人間七七四年:2008/07/02(水) 00:18:30 ID:E8SmRtTX
>>389
>>391も言っているけど実施段階かはまだ微妙。
お互いの意向もかみ合ってるとは言い難いし。
もともと北条にしてみれば勝頼戦で苦戦した為の外交策だし。
>>390
阿波の大部分と讃岐の大部分は過半だと思うが。
その領土献上なんてその領土に自分の家臣がいるのにそいつらどうすりゃいいの。
豊臣時代でも島津も長宗我部も北条も抵抗してる。んな簡単に受け入れられるわけないでしょ。

その割にはずいぶん長宗我部に甘い顔をして使ってきたな。
音物は上機嫌で受取、阿波三好とは戦わせ、河野戦を通じて毛利への牽制にも使い、
秀吉と長宗我部のやり取りでも長宗我部は阿波と讃岐の平定が終わったら西国平定の協力をすると
述べているような状況。秀吉も助けがいるなら手を貸すといっている。
この状況でいきなりお前の領土は認めないとか言い出したら詐欺そのものだが。
397人間七七四年:2008/07/02(水) 00:23:21 ID:E8SmRtTX
>>394
だから、その前の経過からして和やかなんだっての。
長宗我部は織田に音物を差出して信長が上機嫌でこれを受け取り、
秀吉と長宗我部は友好的に書簡のやり取りをしていた。
信長のその後の信孝を使っての処置を見ればその狙いは一目瞭然だと思うが。

そんな理屈でいうなら当時における大名の領土の多くが支配地じゃないと思うが。
しかも自分でとった箕輪や駿河東部も取り上げられて北条にしてみればショック涙目だと思うが。
398人間七七四年:2008/07/02(水) 00:28:23 ID:E8SmRtTX
>>395
言ってることめちゃくちゃ。
従属相手になら普通に援軍送るだろ。
しかも家康は常に織田の戦略に従わされる側なのに何をいっている。

阿呆らしいにもほどがあるな。
ほかならぬ敵対勢力がそう評しているのだから傍目にははっきりそう見えるって事だろ。
足利将軍とか言い出してうまいこといったつもりか?

>>396でもあげたがそんなわけないだろ。
北条にしてみれば武田勝頼との戦いで苦戦した上の外交策の一環。
しかも協力したのにとった分や持ってた分まで取り上げられるとか
従属勢力だとしても異常。

それがどうかしたか?本能寺の後に実際敵対してるわけだが。
399人間七七四年:2008/07/02(水) 00:33:29 ID:E8SmRtTX
そろそろ寝る。
400人間七七四年:2008/07/02(水) 04:51:17 ID:+J88P8ih
書いていいかい?
唯一、信長が信玄に勝っているものがあるね。
「私を神とみなしなさい」
これだね。日本史・精神史的に偉業だね

401人間七七四年:2008/07/02(水) 05:26:14 ID:+J88P8ih
なぜ、織田勢はあれほど莫大な戦さをして国がパンクしなかったのだろうか?
本能寺レベルの謎である。
もしかしたら、南蛮・イエズス会より莫大な金品援助をうけていたのではないか?
見返りに…。

402人間七七四年:2008/07/02(水) 05:43:30 ID:KIUn9c+w
>>401
基本的には確実に勢力を拡大させてたからだろ。
勝ち続ければ可能だよ。
ドロ沼の包囲網に信玄が絡んできたときにはマジで焦ったとは思うけど。
403人間七七四年:2008/07/02(水) 07:29:34 ID:wOqzPxoL
後は信長は拡大のたびに各地の直接金を生む場所、つまり利権各種を押さえていったのも大きいな
家督継承時の尾張熱田の港湾利権、蜂須賀ら川並衆が抑えていた木曽川水運利権などなど
404人間七七四年:2008/07/02(水) 13:49:18 ID:18OOAFp8
上洛後は堺等も抑えたしな
405人間七七四年:2008/07/02(水) 14:21:33 ID:TwLq2GE0
>>400
自分は武田厨だが、
戦術眼は織田信長の方が優れてる。
領国支配、外交術は武田信玄の方が優れてる。
406人間七七四年:2008/07/02(水) 14:25:29 ID:+J88P8ih
>>402
>>403
>>404
それだけかい?利権押さえなら有力大名なら皆やってるよ。
確かに各種利権の利益はデカイが、度重なる戦さの戦費を解消できるとは思えない。
南蛮・イエズス会の傀儡政権のため信長は利用されていたのだろう。
豊富な資金も納得がいく。






407人間七七四年:2008/07/02(水) 14:29:16 ID:WzAUuSmY
>>406
もしかして畿内大遠征の人?
408人間七七四年:2008/07/02(水) 14:31:31 ID:18OOAFp8
もしかしなくても畿内大遠征の人だな
409人間七七四年:2008/07/02(水) 14:46:20 ID:+J88P8ih
>>405
どうゆう点が信長のほうが戦術が上なんだい?

「私を神とみなしなさい」。
絶対一者・絶対機関による統治を目指すために神という観念を流布したのである。
これは、南蛮・イエズス会の影響(入知恵)である。日本史では珍しいのではなかい?





410人間七七四年:2008/07/02(水) 14:53:10 ID:TwLq2GE0
>>409
認めたくないんだな。
同じ武田厨としてお前みたいな奴がいると悲しくなるわ。
411人間七七四年:2008/07/02(水) 14:57:55 ID:TwLq2GE0
てか、
甲府城て小田原城よりでかいな。
412人間七七四年:2008/07/02(水) 15:20:12 ID:+J88P8ih
>>404
堺だって、実際は南蛮・イエズス会に染まっていたのに。
413人間七七四年:2008/07/02(水) 15:43:59 ID:+J88P8ih
明智光秀がキリシタンであるというのは真実だろう。
ガラシャがキリシタンである以上、他の身内にもキリシタンがいるのは自然だね。
我々が思っている以上にイエズス会の影響はスケールがデカイかもしれない。
宣教使は戦国の国博士とみなしていいだろう。
検地もヨーロッパの効率的な方法を伝授した可能性がある。
414人間七七四年:2008/07/02(水) 15:51:03 ID:TwLq2GE0
>>413
…(゜〜゜)
明智玉子がカトリックに入信したのは“本能寺の変”の後だよ。
415人間七七四年:2008/07/02(水) 15:56:30 ID:+J88P8ih
>>414
本能寺の直後に洗礼うけたのかい?

太閤検地の測量術は日本独力では不可能である。
416人間七七四年:2008/07/02(水) 16:00:33 ID:TwLq2GE0
自分、日本語が下手だから誰か>>415に説明してやって。
417人間七七四年:2008/07/02(水) 16:03:32 ID:WzAUuSmY
>>416
ガラシャがキリスト教信者になった経緯も知らずに妄想垂れ流してる奴はスルーするよろし。
418人間七七四年:2008/07/02(水) 16:06:11 ID:+J88P8ih
>>416
洗礼をうけることと、信仰に目覚めるのは時期は一緒じゃないぞ。
信者でも立場的に洗礼(オオヤケにする)を後回しにすることなんてよくあることだよ。

419人間七七四年:2008/07/02(水) 16:08:14 ID:TwLq2GE0
>>418
…(´〜`)
だから入信も洗礼も“本能寺の変”の後って記録があるんだよ。
420人間七七四年:2008/07/02(水) 16:26:15 ID:+J88P8ih
いきなり入信は無理があるから
少なくても本能寺の直前まで宣教使とかなり親密だったということだね。
明智のカトリック洗礼過程は、ヒトラーとエヴァの結婚式のようなもんだな。
421人間七七四年:2008/07/02(水) 16:37:32 ID:VLyhit8u
せめてwikiぐらいみてからレスしろよ。本能寺の後というのがどうして直後と解釈できるんだろうか。
422人間七七四年:2008/07/02(水) 17:25:51 ID:+J88P8ih
じゃあ、ナンダイ
どんな金持ちでも大国でも度重なる戦さで国は疲弊する。戦費のため滅亡していった大国もある。
でも織田は疲弊しなかった。
その理由は自国領の富だけで解消できたと言いたいのかい?
お笑い暴論だね。






423人間七七四年:2008/07/02(水) 17:33:00 ID:WzAUuSmY
>>422
上杉謙信は度重なる戦をしていたのに上杉家は疲弊しなかった。
それどころか莫大な遺産を残した。
つまり上杉謙信は毘沙門天様にでも資金を提供されていたんですねw
424人間七七四年:2008/07/02(水) 17:39:08 ID:WzAUuSmY
ちなみに上杉謙信の遺産は二万七千両(八万一千貫、米10〜14万石)ね。
ID:+J88P8ihは上杉謙信が海上交易と国人衆への貸付等で
これだけ莫大な遺産を残せたのもお笑い暴論というんですねw

425人間七七四年:2008/07/02(水) 17:47:18 ID:+J88P8ih
上杉はケチ大名で有名だね。そのため裏切りたくさんだったね。
最盛期以上の範囲を拡げようとすれば、疲弊というより内部分裂したね。
426人間七七四年:2008/07/02(水) 18:02:40 ID:TwLq2GE0
>>422
ねぇねぇ(^ω^)
明智玉子の議論はどうなったの〜
427人間七七四年:2008/07/02(水) 18:05:25 ID:UoWsFE00
428人間七七四年:2008/07/03(木) 01:36:19 ID:iTxWD7Ij
>>424
上杉の領地って晩年に越中や能登を支配したけど、基本的に60万石程度だろ?
年貢がその半分として農業だけで年収は30万石。
農業だけの年収の1/3から1/2って莫大な遺産というのか?

そう言えば、信長が1568年に堺に2万貫の矢銭を課したけど、石高に直すと2・3万石?
その後堺を直轄領にしたと言っても利益の全てを信長が召し上げているわけじゃないし、
もちろん他の大名に比べればダントツの経済力なんだろうけど、このスレで言われているほど堺を支配した事での経済力ってたいした事無いんじゃないの?
たとえ堺の年貢を10万貫としても、2・30万石分だし。
429人間七七四年:2008/07/03(木) 02:32:16 ID:tMewWNRL
>>428
国家予算の1/3〜1/2程度の遺産は莫大な遺産でしょ。
430人間七七四年:2008/07/03(木) 03:03:37 ID:Ql3D+yA+
>>428
いや、ちがう。確かに上杉は莫大な遺産を残しているが、
俺の記憶だと、それは、塩などの水産関係とヒスイなどの鉱山・金山による利益。
国人の貸付なんて初めて聞いたぞ。>>424よ、貸付は本当なのか?
越後は金になる天然資源に恵まれているが、織田領はどうなんだい。
戦国時代は資源経営が主力で、流通はそんなに大きな力ではないのではなかい?
そうゆう意味で織田の財力は疑問がつくよ。
後、上杉の莫大な遺産は、感謝状で恩賞を済ませるようなケチなやり方も理由だね。


431人間七七四年:2008/07/03(木) 04:33:33 ID:Ql3D+yA+
「織田はそんなに財力があるとはいえない」と仮定してみる。
資金を調達するのに天然資源に求めたのではなく、南蛮・イエズス会・商人に求めた。
ちなみに商人とイエズス会は南蛮文化品、鉄砲を調達するために太いパイプでつながっているため、
同一視してもいい。
イエズス会は日本をカトリック布教の東アジアの一大拠点とする条件で、織田に対して金品・武器を含めた物資の支援をする。
特に鉄砲は初期の発展と、鎖国してからの鉄砲技術停滞から察して、
イエズス会が織田軍事にも大きく介入したとみなせるのではないか?
当時の宣教使は最先端の技術にも明るく、世界情勢通だった。
豊富な資金・兵農分離も鉄砲による戦術も納得である。
しかし、織田が勢力拡大し、イエズス会を頼よる必要がなくなり手を切る。
本能寺とイエズス会はあまり関係ない。関係あるのは商人だろう。
イエズス会と織田の仲介で莫大な利益を上げた商人が本能寺を仕掛ける。

432人間七七四年:2008/07/03(木) 09:06:43 ID:478IDr7x
>>431
ちがうような合っているような。微妙な意見だな。本能寺に関しては概ね同意。もしかした
ら商人と明智の間で莫大な権益の裏取り引きがあった可能性も否定は出来ないだろう。
しかし、鉄砲に関しては鎖国で南蛮鉄などの資源が入って来ないからそうでもないかと。でも南蛮
の宣教師もいつ信長から切られるかヒヤヒヤしていたんだろうな。うまくへつらいつつ表の顔と
裏の顔を使い分けていたんだろうよ。そんな時代背景の中で起きた本能寺の変。明智光秀
にうまく接近出来た堺の商人は直後に光秀が打たれ万々歳な結果だったんだろう。ああ、どっかに
書状とか残ってないかなあ。間違いなくこの説は正しい。あと必要なのは証拠のみなのに。
いくら正しい理論や時代考証でも証拠がなければ否定されるのが悲しい現実だよな。
ところで、上杉の話はどうなんだろうね。俺は交易とか貸付とかが実際どうだったのかは解らない
けど。まあ謙信はケチで器が小さく信玄の足元にも及ばないのは間違いないと思うけど。
433428:2008/07/03(木) 23:23:32 ID:iTxWD7Ij
>>たとえ堺の年貢を10万貫としても、2・30万石分だし。
間違えた。
10万貫なら12万石から17万石くらいか。
434人間七七四年:2008/07/03(木) 23:57:23 ID:tMewWNRL
>>430
織田家は熱田、津島、草津、大津、京、堺などの商業都市、湊を抑えてるし
同時に多方面で戦線を拡大したり無駄に豪華な安土城の建設や数多くの普請を行ったという
史実を考慮すると織田家の財力に疑問をつけるのはどうかと思う。
織田家の経済基盤は史料になく謎だからイエズス会から鉄砲入手等の多少の援助を受けた可能性も否定は出来んけど
織田家を傀儡とか織田家の主な収入源はイエズス会の資金援助とか話が飛躍しすぎだろ。
織田家に莫大な資金援助したとか織田家を傀儡にしたとかという事を根拠付ける史料でもあるのか?

貸付の件については経済力スレで↓ようなレスを見つけた。
事実かどうか誰か知ってる人いたら解説たのみます。

名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2006/08/12(土) 10:26:24 ID:vG6JlWnq
「人間・上杉謙信」(渡辺慶一)によれば、直江津・柏崎の「船道前」だけで
年間4万貫文(4000万文目=現代の金額で10億円)を超えたとされている。
金山の直接支配はなかったが、商人や国人領主への貸付金(金融)も莫大な規模だった
らしい(死後、土蔵から発見された証文など)越中能登を分国化した時も、放丈津や七尾を
直轄領にしているので、港湾都市支配の経済政策は一貫していたとされている。



435人間七七四年:2008/07/04(金) 02:11:03 ID:6G4AeAVo
まあ、飛躍しすぎたね。
ただ、最初にフロイスがどうして信長公記に匹敵する「日本史」を書けたのか?
ただの来賓扱いでここまで詳しく書けるのか?というのが始まりだったね。
地球球体説を話したならば、神からヨーロッパ事情 政治内政、戦争の実態、税制など幅広く
いろいろ話したかもしれない。信長を魅了させ、秀吉には脅威を感じさせ鎖国に至らせたのは、
かなり親密な接触があったからなのではないかい?
イエズス会の存在が、織豊政権の政策・軍制戦術にかなりの影響を及ぼした。と俺は思っているけど
根拠がないのでここまでにする。









436人間七七四年:2008/07/04(金) 02:36:48 ID:o6BbXP20
港を抑えるのは
鉄砲より火薬だろ
火薬は日本でとれんからな

信長は堺のいいなり
上洛と同時に堺と接触してるからな
437人間七七四年:2008/07/04(金) 07:36:35 ID:Ar4NPPGQ
上洛と同時に堺と接触しているから堺のいいなり?
馬鹿なの?
438人間七七四年:2008/07/04(金) 11:40:07 ID:1tCOHShf
>>435
まったく根拠ねーな
チラシの裏にでも書いとけ
439人間七七四年:2008/07/05(土) 07:30:21 ID:9R1vEEVC
>>432
謙信がケチって話は初めて聞いたな
天皇家に毎年金30両を贈り続けてるのに

二度の上洛時にも献上物を(黄金・白銀・青銅・白布・蝋燭・大鷹・太刀・馬)
天皇、公家、将軍、その夫人達、取次ぎ衆全員、本願寺など多くの寺社ら
それぞれに対し、莫大な量を捧げまくってる

他にも内裏造営費、鎌倉八幡宮にも黄金100枚(金1000両)以上
関東の同盟者達に矢銭として金200両、
本願寺や高野山の学侶・衆徒らにも100両など渡し
竹に金を流し込み、遠くの一向宗らを支援したなんて話まで伝わってる
440人間七七四年:2008/07/05(土) 12:29:55 ID:b9uNULbA
>>434
年間4万貫文って、5万石ぐらい?
石高に直すとそんなに凄い気がしないね。
441人間七七四年:2008/07/05(土) 13:24:00 ID:ZPOd1jWy
津銭だけで5万石なんてすごい収入じゃないか
農作物と違って全部大名の取り分になる額だよ
442人間七七四年:2008/07/05(土) 13:53:38 ID:9QbDZHHK
まあたしかに。五万石の収穫のある田畑といっても、五万石すべてが領主のものに
なるわけじゃあないしな。
443人間七七四年:2008/07/05(土) 14:37:02 ID:ROoU6iy0
たまに勘違いしてる人がいるけど例えば10万石の領土を持っていても
年貢で10万石を手に入れられるわけではないんだよな。
10万石とはその土地全体の米の取れ高であって農民達の手元に残る米も含まれての数字。
5公5民なら5万石、6公4民なら6万石が年貢として納められる。
すなわち津銭で5万石相当の収入を得られるという事は領土に換算すれば10万石程度の領土を持っていることになるね。
しかも凶作ならば当然年貢収入も激減するわけだが、津銭ならそういったデメリットも少なくすみそうだな。
444人間七七四年:2008/07/05(土) 15:15:56 ID:t5lhnczY
>>443
5公5民っていっても戦国時代の租税は重層的な権利関係が介在してたから宗家にまで入ってくる収入はもっと少ない。
445人間七七四年:2008/07/05(土) 16:18:57 ID:ROoU6iy0
>>444
そういや寺社関係やら公家やら土豪からの搾取を失念してたw
そう考えるとやっぱり津料4万貫てのは莫大な金額だよな。
446人間七七四年:2008/07/05(土) 16:39:46 ID:ze+yO2PZ
>>439
配下にはケチってことだろ?
バーのホステスには貢ぐが、自分とこの従業員には
薄給を強いる会社経営者みたいなもんかな?
447人間七七四年:2008/07/05(土) 19:41:17 ID:ZRTxUVhw
>>446
越後は一匹狼の群れだから
海千山千の曲者達を肥え太らせる訳にはいかんだろう
揚北本庄も、新発田も、中条も、大江毛利も
謙信を支えた精強な外様国衆らは、「その我侭は際限が無かった」とまで
景虎時代に呆れられていた存在

それでも色部(揚北本庄一族)には岩舟津
蒲原津、新潟津などは新発田や竹俣らに任せてるし
上野厩橋、大胡などは北条毛利に与えてる
後北条から分捕った地域を、かなり気前良く由良に与えた(離反後一気に奪ってしまうが)

青苧の交易で巨利を貪るのは謙信だけでなく
青苧を伐採する上田長尾氏(その配下の土豪)や、
阿賀野川や信濃川を使って荷を流通させた蒲原〜揚北地方の豪族達、
荷を集積する小千谷の平子氏らも潤した

越後は魑魅魍魎の巣だが、強大なリーダーさえ一人居れば
その豊かな特産物流通と鉱山によって、それぞれ立派な城下を構える事が出来た

謙信によって国内平和がもたらされ、それに伴って、国内外の流通政策が活性化になった
越後の領主達は、その富が産み出される構造を支持し、外敵を排除する道を選んだ
448人間七七四年:2008/07/06(日) 02:34:42 ID:4xVDRnXN
>>447
>越後は一匹狼の群れだから
面白い日本語だな。
449人間七七四年:2008/07/06(日) 07:23:59 ID:4wvlDsnT
そこ突っ込むしか出来ないのか?
越後は国人に軍役を命じる代わりに在地や利権を認めていた。
主従じゃなくて契約の関係だね。
これを「ぷぷ、遅れてる」と笑うのは簡単だけど、
じゃあこれを短期的に脱する方法はあるかと言うと、ないんだよ。
450人間七七四年:2008/07/06(日) 11:36:43 ID:8pkKF2vH
日本語がおかしいことに突っ込むのは普通だろ
451人間七七四年:2008/07/06(日) 11:43:48 ID:Pjv69swG
>>450
人名や地理や内容の間違いなら突っ込むというか指摘するのは当然だけど
>>448みたいな突込みは不要でしょ。
日本語なんて正しく使える奴はそうそういないんだから日本語の間違いの突込みとか必要ないし、
いちいち突っ込んでたらキリがない。
452人間七七四年:2008/07/06(日) 12:03:12 ID:8pkKF2vH
そうか?
一匹狼の群れなんて笑えたから、突っ込んで当然だと思うが
453人間七七四年:2008/07/06(日) 12:19:40 ID:Pjv69swG
>>452
このスレは荒れやすいんだから他の内容についてのレスも併せてするのならともかく、
日本語の突っ込みだけを意味もなくするなんてスレが荒れる原因になりかねないから論外だろ。
このスレは日本語の使い方についてどうこうで荒れることが昔からよくあるしね。
てかこの事についてどうこうレスするのも意味が無いし荒れる原因になりかねんからもうこれで終了にしようぜ。
454人間七七四年:2008/07/06(日) 12:30:02 ID:8pkKF2vH
冗談を冗談としてスルーできないクソ真面目なのか空気読めないバカや
関係ないのにすぐ自分のことだと思ってしまい
すぐ熱くなる連中がいるスレは荒れやすい
2ちゃんねるらしいからニヤニヤしながら読んでるけど
455人間七七四年:2008/07/06(日) 12:40:43 ID:w71OfWvI
>>449
別に越後に限った話じゃないぞそれは。
456人間七七四年:2008/07/06(日) 13:20:09 ID:4xVDRnXN
>越後の領主達は、その富が産み出される構造を支持し、外敵を排除する道を選んだ
に対して、反乱起こされまくってるって突っ込むのは当たり前すぎてだるかったんだよ。
457人間七七四年:2008/07/06(日) 13:24:35 ID:HyiFeseD
>>449
今川義元は脱していたな
信長は割と短期的に脱したような気が…
家康でさえ関東移封前は石川や酒井の言うこと聞いてなきゃいけなかったわけだから脱するのは難しいんだろう
だからこそ、今川義元の政治が光るわけだがなんであんな微妙な能力なんだ
458人間七七四年:2008/07/06(日) 14:57:51 ID:mLI/ojWf
>>452
いや、結構使われてる表現だから

一匹狼の群れ の検索結果 約 21,700 件

>>456
本庄繁長の乱では、三浦和田系の中条が謙信へいち早く通報
その時は繁長からの謀反を誘う書状を、封も開けずそのまま謙信に渡している
さらに繁長の同族である筈の色部、鮎川など秩父平氏一族すら、謙信に味方した
佐々木源氏の末裔である新発田、加地、竹俣ら揚北衆も同様
この揚北衆らの姿勢が、謙信包囲網を打破する大きな力になった
謙信に対し、明確に「領内の反乱」と呼べる物は、この繁長の乱くらいなものだし
為景〜晴景時代だと、これら揚北衆らは互いに同盟を組んで、敵対してきたが
謙信時代になると、越後の防衛ラインを確立する軍役を、かなり果たしている
459人間七七四年:2008/07/06(日) 15:00:39 ID:4xVDRnXN
北条なんかも外敵である武田と組んで反乱おこしてると思うが?
明確にって誰の基準?君の?
460人間七七四年:2008/07/06(日) 15:11:01 ID:4xVDRnXN
>>458
ちなみに
>いや、結構使われてる表現だから
>一匹狼の群れ の検索結果 約 21,700 件
間違って使う奴が多いってだけで、間違いに違いはないんだけど。
461人間七七四年:2008/07/06(日) 16:30:19 ID:mLI/ojWf
>>459
天文二十三年に北条高広が信玄に応じた謀反は否定されたばかり

『 ところが、この12月5日の晴信書状は、まったく同文のものが茨城県
江口氏所蔵北条文書という史料の中にあって、「柏崎市史資料集」
に収録されていますが(306号)、それは差出人が「信玄」なのです。
天文23年にはまだ晴信は信玄と名のっていませんから、この書状を
天文23年に当てるのは間違い。 』

厩橋及びその周辺領地を謙信から与えられた北条高広だが、
これは既に戦国領主として認められた存在
彼らが戦国領主として独自に判断するのは当然であり、「反乱」とは呼べない
といった話を矢田俊文が書いてる

仮にこれが「反乱」に位置付けられても
武田や織田、徳川、朝倉も度重なる謀反には悩まされてるから
長尾上杉だけが「起こされまくってる」というのは小説かなにかのイメージでしかない

ちなみに「一匹狼の群れ」という表現が間違ってるかどうかは分からない
例えば『「一匹狼の群れ」であるテニス部をどう纏めていくか』
なんて文章なども、それほど変だとは思わないし
462人間七七四年:2008/07/06(日) 16:58:03 ID:4xVDRnXN
>>461
>これは既に戦国領主として認められた存在
>彼らが戦国領主として独自に判断するのは当然であり、「反乱」とは呼べない
>といった話を矢田俊文が書いてる
謙信から領地を与えられた立場だけど、矢田俊文が反乱じゃないと書いたから反乱じゃないと?
いや、むしろ領地を与えられた立場だからこそ反乱だろ。

>例えば『「一匹狼の群れ」であるテニス部をどう纏めていくか』
>なんて文章なども、それほど変だとは思わないし
君の基準で変と思わなくても、文章的にはおかしいんだって。

ちなみに検索の件数なら「頭痛で頭が痛い」なんて検索しても289,000件とかでるんだよ。
「頭痛で頭が痛い」が変と思わないって言うなら、日本語学校に通ってね。
463人間七七四年:2008/07/06(日) 17:01:38 ID:4xVDRnXN
ちなみに
>『 ところが、この12月5日の晴信書状は、まったく同文のものが茨城県
>江口氏所蔵北条文書という史料の中にあって、「柏崎市史資料集」
>に収録されていますが(306号)、それは差出人が「信玄」なのです。
>天文23年にはまだ晴信は信玄と名のっていませんから、この書状を
>天文23年に当てるのは間違い。 』
茨城県の文書が偽の文書であると言うだけの意味しかないのでは?
464人間七七四年:2008/07/06(日) 17:02:07 ID:Pjv69swG
だから日本語についての争いはやめれって。
ニュアンスで言いたいことが理解できればOKなんだからいちいち間違いだなんだと指摘しあうのはマジでやめろ。
465人間七七四年:2008/07/06(日) 17:05:35 ID:4xVDRnXN
>>464
いやぁ、まさか間違っていないと言い張るとは思ってなかったのでな〜。
466人間七七四年:2008/07/06(日) 17:11:36 ID:Pjv69swG
>>465
反乱についての反論を面倒に思わずちゃんと最初からレスすればよかったのに
>>448みたいなレスするんだからお前さんも悪いよ。
お前さんが最初から真面目にレスすればこんな不毛な言い争いは起きなかったんだからな。
467人間七七四年:2008/07/06(日) 17:43:50 ID:mLI/ojWf
>>462
戦国時代の研究本を幾つも手掛けてる教授クラスの発言だから
そういう見方も有るって事だよ
よって、明確に「反乱」と呼べる物、ではない
北条高広は独自に厩橋の政治、周辺の小大名とも関係を結んでるから
あながち的外れな説ではない

>>463
いや論文を書いてる層からも、茨城県の文書は原本として扱われてる
これに関しては「北条なんかも外敵である武田と組んで反乱おこしてる」
と主張し続けていた花ヶ前氏の誤り

ちなみに
「頭痛で頭が痛い」の使用例は殆どジョークとして書かれてるけど
「一匹狼の群れ」は真面目な文章でも使用されてる
それが別に変な表現だと思ってない人が、大勢居る事も間違いない
実際「一匹狼の群れ」的集団が、世の中には幾つも存在してる訳だし
こんな事で笑える人間は極一部、変わり者だろう
468人間七七四年:2008/07/06(日) 17:50:30 ID:S1N/EVjY
>>466
一々しゃしゃりでるお前の方がウザイ。
469人間七七四年:2008/07/06(日) 18:00:56 ID:4xVDRnXN
>>467
>そういう見方も有るって事だよ
>よって、明確に「反乱」と呼べる物、ではない
そういう見方もあるから明確には言えないって、マジで言ってるの?
だったら世の中身明確に言えるものなんてほとんどなくなるが。

>いや論文を書いてる層からも、茨城県の文書は原本として扱われてる
それは失礼。

>「頭痛で頭が痛い」の使用例は殆どジョークとして書かれてるけど
>「一匹狼の群れ」は真面目な文章でも使用されてる
>それが別に変な表現だと思ってない人が、大勢居る事も間違いない
「頭痛で頭が痛い」の検索結果の件は、君が「一匹狼の群れ」の検索結果を出して、それを元におかしくないと主張しているので、
検索結果など当てにならん例としてだしただけだが。
繰り返すが、大勢間違って使っている人がいても、間違いに違いはないから。

ちなみに「一匹狼の群れ的集団」と「一匹狼の群れ」は意味合いとして違うと思うが。
「一匹狼の群れ的集団」は他の集団と組まない集団のことだろ?
470人間七七四年:2008/07/06(日) 18:27:48 ID:mLI/ojWf
>>469
「そういう見方」を提示してる人が
戦国時代の研究では、一目置かれてる存在だから
その主張を参考すれば、明確な反乱としては扱えない
2ちゃんに書き込まれるような、何処の馬の骨か分からない主張とは訳が違う

茨城県の史料が原本だとされてる理由の一つを挙げると
もともと花ヶ前氏などが散々流布してきた
「北条なんかも外敵である武田と組んで反乱おこしてる」説は
越佐史料を元にしてきた物
しかし、その越佐史料の同書状には日付も、差出人の名前も書かれてない
「写し」だという事ははっきりしていた
しかし茨城県で、まったく同じ内容の書状が発見された
そこには日付、花押、差出人「信玄」が書かれていた
よって天文年間に北条高広が(信玄に通じて)叛いた証拠は消滅

「一匹狼の集団(群れ)」というのは音楽関係や映画撮影などにも有る表現で
記事などでも、たまに目にするけど (一匹狼の集団 の検索結果 約 41,900 件)
それは他の集団と組まないという意味ではなく、一人一人が自分の存在感、主張を持し、
一つの仕事を成し遂げていく、そんなプロ集団を表してる事もある
471人間七七四年:2008/07/06(日) 18:59:37 ID:4xVDRnXN
>>470
すごくめんどくさい人だね。
>戦国時代の研究では、一目置かれてる存在だから
>その主張を参考すれば、明確な反乱としては扱えない
>2ちゃんに書き込まれるような、何処の馬の骨か分からない主張とは訳が違う
こういう考えなら2ちゃんで論議などしない方がいいよ。
僕にとっても君は「何処の馬の骨か分からない」奴でしかないし。
472人間七七四年:2008/07/06(日) 19:00:36 ID:+KKpLdb1
>>470
君はお笑いだね。
同じ内容の書状が少なくても2枚以上あるということは、
信玄がある一定の長期期間、裏切りを促す書状を継続して送った。とも解釈できるのではないかい?
だから、時系列の違う類似した書状があるのは、反乱を否定する根拠ではないね。
473人間七七四年:2008/07/06(日) 20:04:24 ID:KTHjcIsk
史的なことは一行も書かないで言葉の用法みたいなことばかりで反論してるやつと
研究者の史実解釈を元に書き込んでるやつのほうがはるかに建設的に思えるが。
474人間七七四年:2008/07/06(日) 22:07:17 ID:mLI/ojWf
>>472
一字一句同じなんだよ
晴信時代から信玄時代にかけて
まるでコピーしたような同じ書状を、同じ相手に送るとは考えられない
そんな事を市史編纂室に言えば大笑いされる
475人間七七四年:2008/07/06(日) 22:57:28 ID:ykTfyuva
>>472
お笑い曲解はどっちもだろ
同内容の書状ってことは写しの可能性が一番高い

この時謀反は安田景元に宛てた書状と信玄からの年次比定の誤った書状、直前の三国同盟の状況などから
「武田氏に通じて謀反した」と合理的な解釈に到ったと思われる。
年次比定が誤っていたことが解った事で武田が関与していた事が怪しくなった事は確かだが、
「これは反乱じゃありません」というのも理にかなわない曲解でしょ。

矢田俊文も「自立した領主の当然の行動」とはいったけど、「反乱、謀反の類ではない」とは言ってないでしょうが。
476人間七七四年:2008/07/07(月) 00:34:02 ID:Tgc6XI2X
こんな奴に高広謀叛の虚構を教える必要はないよ。
信玄が厩橋の高広に送り付けた手紙を安田の内紛と混同した馬鹿と
その誤説を大々的に広めた越後の内患・花ヶ前を恨むしかないwwwwww
477人間七七四年:2008/07/07(月) 01:29:09 ID:YdClp1AN
"一匹狼の群れ" 506件 ""で括らないと意味ないだろ
478人間七七四年:2008/07/07(月) 02:26:12 ID:6pNI8rMD
武田家が亡んじゃったから史料て消されたろうね
かなしい
福島家の史料とかもんすごい気になるわぁ
479人間七七四年:2008/07/10(木) 16:33:18 ID:nsN85cVe
10万石の領主だと、5公5民で年貢は5万石だけど、
ここから家臣の知行や給金がおよそ半分で、大名の手取りは2万5千石となる
480人間七七四年:2008/07/10(木) 17:11:38 ID:FXlIWBFc
秀吉時代の蒲生の92万石だと
氏郷の分は28万石で残りは家臣
それなりに大名の権限が強化されている秀吉時代でこれなのだから
戦国時代はもっと大名の直轄分は低かったんじゃ?
481人間七七四年:2008/07/11(金) 00:48:14 ID:o+ksr+vy
その家の成り立ちやお家事情にもよるだろうから直轄地の割合については
こうだと言い切るのは難しいだろうな
だからというわけでもないがおよその目安で石高の20〜30%が直轄領とでも
考えておけばぞれほどズレもないと思う
もちろん資料が残ってる場合は別として
482人間七七四年:2008/07/13(日) 12:45:51 ID:wQX7GxMF
戦国時代だと税を徴収する支配者が重複していたから7公3民とかが普通だったんだっけ?
483人間七七四年:2008/07/13(日) 14:57:28 ID:WUhAmYIO
六公四民が平均と聞いたことがあるが、これに棟別銭とか様々な間接税とか労役とか入れたら、
七公くらい行きそうではあるな。
484人間七七四年:2008/07/13(日) 17:45:23 ID:xPntyyu2
また何公何民という表現自体が虚構とかいうヤシが現れそうだなw
485人間七七四年:2008/07/13(日) 17:50:28 ID:e4/lmFXh
でもまあ、実際にどれくらい取られていたのかは気になるところ。
武田は重税といわれているけど、具体的な数値は知らないからなあ。
その手の本はたいてい北条の収税システムを元に話し進めるし。
486人間七七四年:2008/07/13(日) 18:04:11 ID:yRze0OMN
税は各村々個別に交渉して決めてたみたいだね
あまり厳しすぎると疲弊して兵を集められなくなるし
それ以前に逃散したり他の大名側につく可能性もあるからね
487人間七七四年:2008/07/17(木) 14:20:14 ID:08oWdnF6
とっととウエイト板のスレにかけよ
488人間七七四年:2008/07/17(木) 14:56:15 ID:XI9ZdAWp
>>487
sageもできないんですか?
馬鹿、阿呆、屑、雑魚、汚物、変態ですね…
489人間七七四年:2008/07/18(金) 23:19:44 ID:MauKouEM

7月18日(金) 26:50〜28:40 フジテレビ

ミッドナイトア-トシアタ-・アニメ 「時空の旅人」

あれだよ。昔、ファミコンゲームになっただよ。
正直、時をかける少女より面白い。

ゲームがまれにみるクソゲーだったんで、見たこと無い人多いだろうけど。
すげえ、面白いよ。 作画も半端じゃない。80年代としてはオーパーツ並にキレイ。

織田信長がもし本能寺で死ななかったら…? の if作品。 原作は眉村卓のSF小説。
490人間七七四年:2008/07/19(土) 18:24:04 ID:BwKwTQ4w
なるほどね
ここが一段落しちゃったから最近武田さんが西日本に来るんですね
織田の皆さん武田さんの相手してやって下さいよ
最近西日本で武田さんウザいんです
491人間七七四年:2008/07/19(土) 18:31:14 ID:t0hiK5uV
>>490
なり済まししなくていいから。
なんで武田が西日本関係のスレなんかにいかなきゃならんの。
織田厨が武田厨叩く為になり済ましてるかどうかの話だろう。
毛利派を騙ったやつが「また武田厨が嫉妬してるのか」とかいうけど
嫉妬するところがむしろないし。
492人間七七四年:2008/07/19(土) 20:17:49 ID:D0NYOEMi
>>490
元々上がってた
西日本スレじゃ“sage”してるのに

下がってるこのスレをいちいち上げるお前がアンチ武田の荒らしってことは分かったw

もう少し考えてレスしろよ阿呆。
493人間七七四年:2008/07/19(土) 20:18:35 ID:D0NYOEMi
すまん
自分がsageし忘れた…
494人間七七四年:2008/07/21(月) 05:14:13 ID:OOwZN2h0
謝ってsageても下がんないから
495人間七七四年:2008/07/21(月) 09:34:35 ID:WCKBHTg+
>>494
…で?
言いたいのは“煽り”だけ?
496人間七七四年:2008/07/21(月) 15:07:39 ID:OOwZN2h0

純粋なる客観的事実
497人間七七四年:2008/07/22(火) 00:58:08 ID:FLM9B6Ln
朝廷や大商人は、この信玄西上作戦をどのように受け止めていたのだろうか?
足利より朝廷のほうが諸国に影響力あるだろう。
大商人の協力があれば、物資の面で長期遠征を可能にさせる事もできる。



498人間七七四年:2008/07/22(火) 01:05:55 ID:u40b4mVx
>>497
商人は両方につくだろ
荒れれば荒れる儲かるからな
499人間七七四年:2008/07/22(火) 01:10:52 ID:I3TYyS0l
商人が協力はしてくれたとしても、金が無きゃ物資の面で長期遠征は不可能となるな

雑兵物語によると戦場には市がたつというぐらいだから商人は協力はしてくれるんだろうけど
500人間七七四年:2008/07/23(水) 21:34:45 ID:8u+vWR1x
2万5千でないという説もある
501人間七七四年:2008/08/08(金) 12:46:43 ID:t3KJWOZF
信玄公を称えろ!
あと3年あれば武田幕府が天下に安寧をもたらしたのに!
502人間七七四年:2008/08/08(金) 13:16:16 ID:SUYzhSOr
>>501
何年ぶりにこんな武田厨をみただろう…






あっ、織田厨の成り済ましか
まともな織田厨の皆さんにまた迷惑をかけるのか。
503人間七七四年:2008/08/11(月) 21:56:41 ID:W2RCB52G
夏休みになったというのに過疎ってるなあ
504人間七七四年:2008/08/13(水) 10:20:13 ID:Rm5lM/gr
包囲網側が勝つ可能性はどうしても低いからなー
505人間七七四年:2008/08/13(水) 17:06:36 ID:eZfchmIR
>>504
包囲されているほうは一つの意思で動けるが、包囲する
方はいろんな思惑が絡み合うからな。
大阪の陣みたく、包囲するほうが一つの意思で動けるなら話は別だが。
506人間七七四年:2008/08/13(水) 19:22:41 ID:bhoOvifH
戦術レベルでの包囲と戦略レベルでの包囲は同じ視点では話せないでしょう
507人間七七四年:2008/08/14(木) 03:58:38 ID:yWZiKH+c
包囲網といってもそう見えるだけで連携なんぞほとんど無かったからな
508人間七七四年:2008/08/14(木) 09:33:29 ID:YPE/zC36
第1次信長包囲網は時間差包囲網なんだよなw
朝倉さんと浅井さんが全盛期を過ぎてヘロヘロになった頃にようやく信玄がやってくるとかww
509人間七七四年:2008/08/14(木) 16:50:35 ID:H1HrhfIG
>>508
まあ武田信玄も甲斐の周りにいる大大名勢にてこずってたからな、
甲斐から離れてる場所なんかに危機感なんてないから後回しだろ。
510人間七七四年:2008/08/14(木) 18:01:29 ID:mUhsY0eA
北条との外交をヘマしなければな。
織田家と武田家の結末はともかくとして
徳川滅亡によって違った歴史になったかもしれない。
511人間七七四年:2008/08/14(木) 23:34:17 ID:UaOXVHiG
駿河侵攻で北条を敵に回さなければ、四年はスケジュールが早まる可能性があるからな。
確かに面白いとは思う。
信長に勝てるかどうかはともかくな。
512人間七七四年:2008/08/16(土) 18:09:41 ID:083QqAPv
志賀の陣に間に合えば面白いことになったとは思うが。
しかし朝倉って後世の評価は低いけどかなり頑張ったよな。
実際織田を最も苦しめたのは朝倉だと思う。
513人間七七四年:2008/08/16(土) 19:03:38 ID:g6vGR0CM
それには同意。
朝倉はもっと評価されて良い。
514人間七七四年:2008/08/16(土) 20:41:41 ID:QoWzqf7H
駿河侵攻から三方原までの外交戦略戦術は神がかってるというか
綱渡りしているというか脱帽だよ
あれこそが武田のインテリジェンスの粋
あれがないと武田の外交圧力は全然ちがってくる
515人間七七四年:2008/08/16(土) 20:51:10 ID:qB7ZRjoD
>>513
朝倉家は織田家を倒せる能力は持っていた。
地の利もあった。だけど、負けた。
苦しめた印象があるのは先代の遺産のおかげ。
評価は現状維持だろうね。


516人間七七四年:2008/08/16(土) 21:05:54 ID:WZkapcSX
倒せる能力は無いだろ
50万石と200万石だぞ 4倍違う

朝倉吸収後の織田に武田は太刀打ちできなかった このときの戦力差が300万石VS100万石
徳川を入れればもっと上がるが…それより酷い戦力差だ 勝てるわけがない
朝倉は少ない戦力でよく頑張ったよ 本当に
517人間七七四年:2008/08/16(土) 21:24:42 ID:NclXqC8a
朝倉には浅井約40万石がいるだろ。
他にも周囲の勢力がいる。
だから信長も志賀の陣で泣きつく羽目になったわけで。
518人間七七四年:2008/08/16(土) 21:25:02 ID:4tvijI4D
300万石VS100万石でも
武田が信長をフルボッコして上洛するという
もっとも信頼できる根拠は何でしょうか?

やはり、サラブレッド騎馬軍団のおかげでしょうか?
519人間七七四年:2008/08/16(土) 21:30:37 ID:NclXqC8a
信玄が生きてた時は朝倉浅井が滅んでないから
織田も300万石はないぞ。
520人間七七四年:2008/08/16(土) 21:33:13 ID:WZkapcSX
>>517
周囲の勢力ってなんだ
織田に味方していた畿内勢力か
その畿内勢力抑えるのに必死で織田を攻めるなんてとてもできない三好か
部下の筆頭格(藤孝)が織田寄りの足利か
大和を奪い合っている筒井や松永か

大体浅井40万石ってwwwww
521人間七七四年:2008/08/16(土) 21:36:42 ID:NclXqC8a
>>520
本願寺・伊勢長島・六角・三好・潜在的な敵である足利、その他。
つーか三好は普通に織田を何回も攻めてるだろ。2万の兵を動かしてきた事もある。
なんで畿内に織田に味方するのもいる、て言うことで全部が織田の味方みたいにいうんだ?

それから浅井は近江の半分で約40万石くらいだと思うが。
テンプレのは1573年の滅びかけのやつだろ。
522人間七七四年:2008/08/16(土) 21:39:39 ID:3nIBwEDT
>>518
織田の対本願寺戦

三方原で徳川を潰すか降伏させることができたのIF
523人間七七四年:2008/08/16(土) 21:42:59 ID:9l09EUUY
>>518
織田は兵力分散。
武田は主力集中が可能。
しかも上杉北条なる強豪に鍛えられている。
織田も斎藤浅井朝倉に激戦しているが、
彼等は上杉北条のような好戦的な性格ではなく、
軍事体制では一歩以上劣る存在。
しかも織田は美濃東側を寡兵の武田に侵略されて何も出来ていない。
524人間七七四年:2008/08/16(土) 21:47:59 ID:WZkapcSX
>>521
当時の畿内はバラバラだろ
岩成なんて織田に付いてた時期もある
実際三好が2万の兵力集めて攻めてきたとしても織田にはたいして効果が無いわけで

浅井の全盛期でも40万石あるかどうか怪しい 近江の4/7 半分以上だぞ

>>523
美濃の東側の話は…お前地図見てみろよ
一応言っておくがな、斎藤も浅井も朝倉も好戦的だ 上杉謙信でも大苦戦した加賀一向一揆と互角以上に戦ってる
軍事体制では織田の完勝だろう 武田の騎馬率って7%ぐらいだったらしいし 織田の半分の騎馬率しかない
525人間七七四年:2008/08/16(土) 21:53:58 ID:mWFGgBby
>>523
当時の軍事体制なんてどの大名家も似たり寄ったじゃねえかよw
強いて言うなら付け城戦法や軍用道路の整備などの軍事行動に金をジャンジャン使ってた織田が
少しだけど頭一つ抜き出てたくらいのもんだよ。

>上杉北条なる強豪に鍛えられている
甲斐兵は三河兵の3倍の強さ等が本当だったのなら正にそうだけどそんな訳がないw
兵の強さはごくごく多少の地域差があるかもしれんけど、目に見えて地域差なんてないよ。
526人間七七四年:2008/08/16(土) 21:56:58 ID:NclXqC8a
>>524
三好勢の反抗から本願寺の攻勢のコンボで一回その方面の織田勢は敗退してるんだが。

近江は77万石だから半分だと38万か39万か。四捨五入すりゃ40万だろ。約っていってるし。

なんで軍事体制で完勝なんだ。
騎馬団なんかいないと得意げにいってる織田側がなんで騎馬比率で優位を主張するんだ。
527人間七七四年:2008/08/16(土) 21:59:04 ID:NclXqC8a
>>525
まあ対等の強豪相手に渡り合ってきたって事で鍛えられてたってのはあるかもしれんよ。
528人間七七四年:2008/08/16(土) 22:00:43 ID:NclXqC8a
>>524
あとそれから斎藤って好戦的か?幼君でクーデター騒ぎまで起きてて
織田に攻め込むどころの話じゃなかったけど。
529人間七七四年:2008/08/16(土) 22:00:49 ID:WZkapcSX
>>526
行軍スピードが変わってくるだろ
そもそも騎馬の少ない武田のどこがシステム的に優位なんだ
元々武田騎馬隊(笑)ぐらいしかいいところがないのに 上杉にもボロ負け、旗本は弱い… 北条との戦いでも戦略的に勝っただけで戦術的には怪しいもんだ(武将格死んでるし)
三方が原も言うほどの大勝でもないしな
530人間七七四年:2008/08/16(土) 22:02:36 ID:WZkapcSX
>>527
対等の強豪ねぇ…
初期武田が今川や北条と戦ってたのなら凄いと思うが、周り全部味方の武田が周り全部敵の上杉にフルボッコされたりしてるわけだからなぁ…
圧倒的アドヴァンテージがあっても対等の強豪にはボロ負けするのが武田
531人間七七四年:2008/08/16(土) 22:04:14 ID:NclXqC8a
>>529
釣りか?騎馬が多いかどうかなんてシステムの何に関係してるんだ?
行軍スピードっていっても結局歩兵や荷駄の足に合わせるんだから対して変わらんぞ。

騎馬隊なんかをいいところだと思ってるのはお前くらい。武田のいいところなんかみようともしないだけだろ。
上杉には普通に川中島とってるが。旗本が弱い根拠は?
北条側も武将死んでるぞ。北条幻庵の息子たちをはじめとして重臣もな。
532人間七七四年:2008/08/16(土) 22:06:24 ID:9l09EUUY
>>525
浅井は外征進出を出来たか。
朝倉は一向宗との紛争を克服できたか。

行政体制や国人支配、そしてここから生じる軍事体制が敵を制する。
あなたのいう織田が頭ひとつ飛び抜けていたと言う数々の例のがまさにそれ。

こんなシステムの調った強豪の相手に慣れてる武田が弱いと見るなら、
木を見て林を見ずだよ。
533人間七七四年:2008/08/16(土) 22:07:22 ID:NclXqC8a
>>529
あと3方ヶ原では徳川の武将は30人以上死んでるんだが。大勝だろ。
>>530
上杉にぼろ負け?なんの話だ?最終的に戦場から追い払って川中島も確保した第4回川中島か?
後あの時の上杉は越後に加えて上野一国に武蔵北部、関東勢力との同盟もあるんだが。
石高なら武田以上だな。普通に。
534人間七七四年:2008/08/16(土) 22:17:43 ID:9l09EUUY
>>533
四回目の川中島は実際の交戦までは武田滅亡の危機だったよな。
よくあれを克服して上杉相手に踏ん張ったと思う。
535人間七七四年:2008/08/16(土) 22:21:45 ID:PPV7eh9U
>>533
三方ヶ原で敗れても、最終的に徳川も武田から領土を守ってるし、更に切り取ってるよ


武田ファンは信玄存命中と勝頼時代を分けたがるけど、信玄が築いた軍事体制を受け継いだ勝頼が織田の軍事体制に敵わなかったんだし
536人間七七四年:2008/08/16(土) 22:22:57 ID:NclXqC8a
>>534
確かに。
関東で関東勢の結集した大軍勢を率いて小田原を追い詰め、関東管領にも就任した
景虎の威光を恐れて北信濃国人衆がお祝いに駆けつけ、信濃支配が崩壊しかねないばかりか、
甲斐では武田宗家に次ぐ力を持つ勝沼一族がこの機会に上杉に呼応して甲斐を乗っ取ろうと計画したりしてる。
だから武田としては今川・北条の国境からも兵力を集結させて(同盟国といってもこれは危険すぎる。)
2万の兵を集めて決戦を求めた。
あの時の上杉と関東情勢は本当にすごい。
537人間七七四年:2008/08/16(土) 22:26:13 ID:NclXqC8a
>>535
3方ヶ原あとにふつうに武田の西進を許し、城もとられてるよ。
信玄が死んだからそれ以上にならなかっただけで。
最終的に、って何年あとの話してるんだよ。
そんな事いったら織田も最終的には崩壊だよ。

織田の軍事体制というか周辺環境と外交、長篠が大きいな。
それを無視して信玄と勝頼を混同するのは暴論でしょ。
538人間七七四年:2008/08/16(土) 22:26:21 ID:WZkapcSX
上杉が川中島に連れてきた兵は武田の6割から7割じゃねーかww
大義名分も無いのに関東の諸将が武田征伐に来るわけがない
川中島は戦略的には武田の勝ちとかよく言われているが、武田の最終目標は越後奪取だろ
第4戦で武田は越後を攻めることを諦めざるおえなくなったんだから戦略的に勝ちというのはどうだか 引き分けか、武田優勢ぐらい

義昭が三好勢に襲われた時に救援に駆けつけた浅井勢が確か5000ぐらいだったはずだ
急いで駆けつけたとはいえ将軍を助けるということで大義名分は十分 20万石程度が妥当だと思うが
539人間七七四年:2008/08/16(土) 22:27:43 ID:WZkapcSX
謙信が関東管領になって大ピンチに陥ったのは北条
あの局面を凌いだ北条を褒めるならわかるが、武田は殆ど無関係だろww
540人間七七四年:2008/08/16(土) 22:31:04 ID:mWFGgBby
>>527
武田は北条とか上杉相手にも基本的に殆ど全てが武田勢の方が軍勢上の状況で戦ってるんだが。
しかも上杉相手とは殆ど睨み合いで終わってるし…
戦は数だぜ兄貴の中で相手よりも上の軍勢で戦ってるのは武田も織田も同じ事で
武田だけが鍛えられたというのは贔屓目すぎるんでね?
武田よりも少ない戦力で戦っていた上杉が鍛えられたと言うのならまだしもね。

>>532
浅井は一応六角との抗争で領土を広げたり志賀の陣の折には堅田方面に進出したりしてるんだが。
織田との攻防で防戦一方になったのは仕方が無いことだし、もしかして六角との戦いとか
志賀の陣は近江が舞台だから外征ではないとか言わないよね?
一向宗との関係は朝倉に限らず上杉とかも似たようなもんでしょ。

しかも俺は武田が弱いとは一言も言ってないだろ…

>>533
うん?同盟国も加えるのなら武田(+今川、北条)の方が遥かに石高上でしょ。
まあ支配してるわけでもない同盟国の石高をプラスする意味はないと思うがw
541人間七七四年:2008/08/16(土) 22:32:46 ID:NclXqC8a
>>538
本当に頭大丈夫か?
武田の目標が越後奪取って何をいってるんだ?
第4回の時点じゃ上杉の勢力が膨張したから武田としては
自勢力を保つために上杉に一撃をくわせなきゃならなかったと書いてあるだろ。
>>536にしっかりと。それで川中島を確保でき、勢力の崩壊も免れたんだから武田にしては上できだ。
それから川中島のときには武田は常に上杉本国にいる大軍を警戒し、
それが来ないうちにと急いで決戦に踏み切ってるんだが。

その理屈でいうと徳川は3000だから15万石か?願望入りすぎ。
浅井にしても徳川にしても全力を出す局面じゃないでしょ。自分に直接関係ないんだから。
542人間七七四年:2008/08/16(土) 22:34:02 ID:9l09EUUY
>>538
四回目の川中島は上杉も武田も負けだよ。
上杉は信玄を討ち取れなかった(明らかに目的は領土じゃない)。
信玄もこれをきっかけに滅びの道を辿る。(信繁の死、義信との不和発生)

>>539
536をご覧なさいな。今更、去年の大河みたいな古い認識で東国を語ると恥ずかしいぞ。
543人間七七四年:2008/08/16(土) 22:39:21 ID:WZkapcSX
>>542
確かに武田にとって悪い局面にはなったが、北条に比べればとてもピンチなんて言えない程度の状況だろ
北条が潰れたなら大変だが、北条が踏ん張ったおかげでピンチにはならなかっただろ

>>541
だから川中島第4戦であれだけのボロ負けしなきゃ、越後奪取を狙っての戦争をすることができただろう
でも負けたから越後を取る事ができなかったんだよ 何言ってんだお前 そもそも川中島で領土うんぬんというのは川中島5回を通しての話だろう
544人間七七四年:2008/08/16(土) 22:40:36 ID:NclXqC8a
>>539
だから>>536をみろといっている。
上杉の威光が膨張して武田領国内で動揺が広がりまくって崩壊の危機が生じたんだよ。

>>540
そりゃ戦略を信玄が整えた上で戦ってるからな。
対等の名将相手にそうすることは大変だし、その率いる配下達もみな手ごわい相手だよ。
上杉相手だとそこまで大きな兵力差ってつけられたのは武田が無理をした第4回川中島の兵力差7千くらいだろ。
しかもこの時上杉は決戦に持ち込むためあえて本国に兵を残してきたし。
対等以上の相手に勝つのはそれだけ難しい。

>>540
同盟国加えなくても越後・上野・武蔵北部で90万石以上ある上杉のが当時の武田50万石強より石高は
全然上だよ。
545人間七七四年:2008/08/16(土) 22:46:25 ID:NclXqC8a
>>543
領国支配崩壊の危機が大したものじゃないというのは異常だろ。

本当にわかってないみたいだから言うが、第4回川中島の時点では
上杉本国に大軍がいる事は何度も描写されている。
だから武田はそれが来ないうちにと無理に決戦を臨まざるを得なかった。
仮に武田が1万3千の上杉勢を皆殺しにしても今度は本国防衛で地の利を生かす
上杉勢の大軍相手に戦うわけだ。一息に越後奪取なんかできるわけないだろう。
だからぼろ負けってなんだといってるんだよ。
第4回川中島で武田が川中島を確保し、これによって北信濃の防衛ラインが固まった。
この防衛網を前に第5回川中島では謙信はほとんど何もできていない。
第4回で北信濃の戦略的な確保は決まったんだよ。
546人間七七四年:2008/08/16(土) 23:00:28 ID:mWFGgBby
>>544
だから川中島は基本的に小競り合い、睨み合いでしょ。
・基本的に上杉とは小競り合い、睨み合い。
・北条との戦いも兵力が武田が上の状態での戦い。

確かに相手よりも上の兵力を用意するのは戦の鉄則なんだけど、
↑のような経験・条件で>>523が言うほど兵のスキルはアップするものなのか?

織田が兵力に物を言わせて戦をするのと相違は無いと思うんだが。

駄目だ。酒飲んでるせいか言いたい事が上手く文章にできないorz
分かりにくかったらスマン…

>>544
上杉は当時90万石以上もないでしょ。上野も一国支配なんてしていないし。
確かに年貢以外の莫大な収入はあるから武田よりも財力は上だったかもしれんが。
547人間七七四年:2008/08/16(土) 23:02:37 ID:9l09EUUY
永禄四年の川中島時の上杉は化け物。
越後上野はもちろん、越中鎮圧済み、本願寺和睦済み。
蘆名畠山朝倉六角足利は同盟。
関白を擁するため飛騨姉小路三木(関白家礼)は潜在的同盟。
反北条の関東衆には上位同盟。

武田は動揺して内紛が起き始めるが未然に防止。
北条は兵站の読みと弱体した武田今川の援軍で滅亡回避。
この状況で武田はストップ上杉に成功したんだよ。
武田が止めなければ、織田の前に上杉が上洛してる。
維持できたとは思わないがな。
548人間七七四年:2008/08/16(土) 23:08:23 ID:NclXqC8a
>>546
まあ俺もそこまで極端に上がるとはいわんが、
上杉・北条ともにそれぞれの地方での戦いを勝ち抜き巨大化した強豪勢力。
その軍には当然それまでの戦いを勝ち抜いてきた経験と自信がある。
これは並の相手と戦うよりも手ごわい条件ではあるだろう。
それから川中島は小競り合いというより、主力を中心円にして広いフィールドで
いくつもの戦いが起きてる、といったほうが正しい。謙信は部隊を動かしまくって
信玄はそれに対して必要な対処を各地でしていく、といった形で。

上野は小田原攻めの前に謙信の手に落ちているんだが。
第4回川中島の後でこれを取り返すべく武田・北条の攻勢がはじまる。
越後39万石・上野49万石・武蔵北部10数万石で揚北衆を因数外にしても
90は堅そうだけど。
549人間七七四年:2008/08/16(土) 23:21:58 ID:WZkapcSX
あのなー、兵士なんて所詮農民だぞ
織田のほうが鉄砲多いし、騎馬も多い
どこをどうしたら武田のほうが強いなんて話が出てくるんだか
550人間七七四年:2008/08/16(土) 23:25:19 ID:9l09EUUY
>>549
個体の強度までは議論していませんよ。
551人間七七四年:2008/08/16(土) 23:27:26 ID:NclXqC8a
>>549
あのなー、武田はその兵の動員に郷村の「武勇の人、有徳人」を参集させるように
指示してるぞ。ま、これは織田だけの専売特許では決してない兵農分離「現象」の一端として
とらえられる事柄かもしれんが。
鉄砲に関しては長篠であちこちからかき集めて千ばかり。
騎馬隊嘲笑ってるお前さんが騎馬にすがるなんて滑稽だな。
武田のほうが圧倒的に強いなんていわんが織田のほうが圧倒的に強いともいえんな。
どっちも異なる条件ではぐくまれた強豪軍団だって事だ。
552人間七七四年:2008/08/17(日) 06:16:04 ID:n5ofom2s
武田の赤揃えの軍団が恐れられた 山形のな
後に徳川の井伊が生き残りを吸収したが
そのご子孫さん健在で
織田 徳川なんか武田に比較すれば相手にならないと述べてた 戦国最強武田は心底恐れられてた
553人間七七四年:2008/08/17(日) 06:45:01 ID:n5ofom2s
武田軍が引き帰さなければ 続々と反織田にくら替え者続出だよ
信玄の死亡は痛手
554人間七七四年:2008/08/17(日) 08:30:57 ID:9t35UVof
>>553

子孫とか分かるわけないし

親織田、反織田だけではなく複雑な敵対利害関係がもつれる畿内やその周辺で、信玄が来たからという理由で反織田に変わるという論拠は?

555人間七七四年:2008/08/17(日) 09:34:05 ID:YD19tOGi
>>554
将軍が味方するという大義のもと、
本願寺、浅井、朝倉といった確固たる地盤を持つ勢力が参戦。
斎藤、六角などの名流残党も決起。
それに加えて声望の高い信玄が西上を目指しはじめたとなれば、
順当に考えて織田は絶望的と見るはず。
信玄は外征主義の上杉・北条と連戦不敗。
畿内のように小競り合いを繰り返す連中を叩き潰した織田とは貫禄が違う。
実際の強さは別として評判というのはそういうものだろう。
556人間七七四年:2008/08/17(日) 10:04:11 ID:9t35UVof
>>555
そんなボロボロになった反織田勢力がいきなりパワーアップするはずないでしょ

パワーアップするとしたらそれは信玄が信長を敗ったならの話
557人間七七四年:2008/08/17(日) 10:17:29 ID:cUOWg7jP
三好三人衆の畿内襲撃時も離反が起きたり非軍役層の年貢不払いが起こったり大混乱したんだけどね。
558人間七七四年:2008/08/17(日) 11:09:54 ID:Scj2QxqE
有力な外圧が加わったら、勢いづくでしょうよ。
559人間七七四年:2008/08/17(日) 11:31:09 ID:vExg/jXP
>>555
浅井・朝倉なんてとっくの昔から(武田よりも先に!!)反織田じゃねえかよ。
六角にしても信玄が動き出す前からゲリラ的抵抗してるし、斎藤龍興だってとっくに朝倉に加わってる。
本願寺も表向きは戦ってないけど実質はとっくに反織田。

君が述べた連中は>>553で述べられてる反織田に鞍替え続出とは関係ないでしょ。
>>553がいう鞍替えという定義に当てはまれるのは
徳川(同盟国) 筒井ら畿内の親織田勢力 その他織田家家臣団だよ。

>それに加えて声望の高い信玄が西上を目指しはじめたとなれば、
>順当に考えて織田は絶望的と見るはず。
そのわりには反織田に鞍替えした者がいなかったのでは?
一つのターニングポイントである三方ヶ原での大勝で織田の最大の味方である徳川を叩いたというのに
反織田に鞍替えする武将はいなかったでしょ。
畿内で織田に友好的な武将達はそれぞれ個々の利害関係で織田に味方をしてるのだから
織田が武田との直接対決でかなりの手痛い敗戦をしない限り反織田に鞍替えするなんてないと思うんだが。

俺の予想は一応史実を根拠としてるんだが、君の予想はただの希望的観測だよ。
560人間七七四年:2008/08/17(日) 15:07:35 ID:ra0KSN51
夏らしく話がループしてますね。
過去ログ読め、というところですが、まあいいか。

武田が三方ヶ原で12月に勝ったというのに信玄死去の4月までに

・朝倉は越前から出ず
・浅井は動けず
・長島一向一揆も動かず
・本願寺は和議を破棄せず

動いたのは将軍足利義昭ぐらいですぐに鎮圧されている。
逆に細川藤孝や荒木村重があらためて臣従を誓っている。

やっぱ志賀の陣が信長にとって最大の危機だったんだろうね。
561人間七七四年:2008/08/17(日) 20:01:52 ID:vExg/jXP
>>560
ttp://www.m-network.com/sengoku/hisahide/h_digest04.html
この↑サイトを見れば分かるんだけど、松永久秀も元亀2年(1571年)に辰市の戦いで
筒井相手に手痛い敗戦をしてからは下り坂なんだよな。
三方ヶ原で武田が大勝してからも将軍と一緒に村井貞勝の屋敷を包囲したくらいで目立った動き無し。
562人間七七四年:2008/08/17(日) 23:31:09 ID:mwamgW5C
>>556
朝倉家はそんなにボロボロではないぞ。


563人間七七四年:2008/08/17(日) 23:44:49 ID:bGwgHm9H
>>555
うむ
評判って大切よね
564人間七七四年:2008/08/17(日) 23:54:42 ID:vExg/jXP
>>562
ボロボロでないのなら12月に撤退なんてしなかったでしょ。
あそこはどう考えても北近江に滞陣し続けて武田と連携をとるべき勝負所だった。
それなのに撤退したという事はそれだけ朝倉家の内情が切羽詰った状態だったということだよ。
家臣から織田に寝返る者も出始めていたし、軍役拒否する重臣もいたしね。

朝倉義景最後の出陣は7月17日に一乗谷を進発したらしい。
ということは遅くとも7月の頭頃には北近江への出陣を家臣に伝えたと思われる。
その時に朝倉景鏡や魚住景固に軍役拒否されてるわけなんだが、
前年の12月撤退以後に朝倉家は軍事行動を一切行っていない。
ということは彼等の軍役拒否の引き金はもちろん武田家の西進中止も理由の一つであっただろうけど
前年度の出兵による財政悪化が最大の理由であったと思われる。
つまり信玄が尾張に一番近づいた4月の時点で仮に軍を召集しても
上記の彼等に軍役拒否される可能性が高かったと思われる。

これでも朝倉家は"そんなにボロボロではなかったというのかね?
565人間七七四年:2008/08/18(月) 00:01:15 ID:07+fRD8g
>>562
長期に渡る織田との戦いによる経済状況の悪化
虎御前山などの砦を整備された事により軍事行動が制限され戦況悪化、そこに信長の調略によって有力家臣等が織田へ寝返り
信玄西上の時にも軍を起こすも虎御前山に残る残留織田軍に阻まれて撤退
信玄が自領堅めてる間、朝倉もう充分頑張った
ボロボロになるまで頑張ったんだから休ませてあげようよ
566人間七七四年:2008/08/18(月) 00:03:18 ID:07+fRD8g
思う事はみんな同じなんだね
567人間七七四年:2008/08/18(月) 00:08:31 ID:2vLS3bue
>>564 >>565
その割には刀根坂でも2万もの兵を動員しているのが現実。
ボロボロとまではいえんのでは。
568人間七七四年:2008/08/18(月) 00:20:59 ID:RE3x6akI
>>567
重臣たちの軍役拒否、相次ぐ砦陥落の敗報で早々と軍が
壊走してしまったことを考えると、なんとか頭数だけ
揃えただけなんじゃないか?
人数いるけど質は低かったんだろう。
569人間七七四年:2008/08/18(月) 00:27:20 ID:H8T7vkFT
>>567
朝倉家の主力で同名衆として代々朝倉軍を総大将として率いてきた
敦賀郡司家は義景の不可解な行動が原因により没落。
同じく敦賀郡司と並ぶ朝倉家の主力である大野郡司家当主の朝倉景鏡はご存知の通り
軍役拒否。

2万という数も怪しいし仮に2万を集めていたとしても敦賀郡司家、大野郡司家や他にも魚住らの重臣を
欠いていたんだからどう考えても無理やり寄せ集めた軍でしょ。
敦賀郡司、大野郡司を欠いているなんて毛利家で言えば吉川・小早川の両川という主力を欠いている状態なんだぜ。
こんな状態でボロボロじゃないとは口が裂けても言えないよ。
570人間七七四年:2008/08/18(月) 00:33:17 ID:7YganYTi
>>564
ボロボロじゃあないね。
朝倉家はまだまだやれた。
朝倉家は対織田で疲弊して滅んだ印象だけど、
実際は君が指摘しているように、方針をめぐって一族・家臣ともめて自滅してしまった。
だから、朝倉家は本来もっている力を出し切れなかった。
朝倉家はがんばっていない。
信玄西上の時でも、朝倉家が一族・家臣がまとまれば、
織田勢を返り討ちにできる潜在力は十分持っていた。
だから、内部に深刻な問題はあったが、ボロボロじゃあないね。










571人間七七四年:2008/08/18(月) 00:34:15 ID:2vLS3bue
>>568
そら目的だった浅井との連絡線を遮断されたら引くでしょ。
そこを追撃されてしまって大痛手だったけど。
>>569
逆にいうと朝倉はそいつら抜きでも2万集められたと。
572人間七七四年:2008/08/18(月) 00:45:43 ID:H8T7vkFT
>>570
だから一族・重臣と揉めたというのも数年に及ぶ織田との戦いでの
財政悪化が主な原因でしょ。
織田と戦う限りは財政悪化は止まらない、止めるためには織田を倒すしかない。
しかし単独(+浅井)では織田を倒すのは不可能。
こんな状態を数年間も続けていたのに今更どうやって家中を統率しろというんだ?
君も指摘している内部の深刻な問題というのは織田との戦いでの財政悪化による家臣の不満なんだよ。


>>571
軍役帳に記している戦場で主力となる武将やその一族郎党達がごっそりと抜け落ちて、
代わりに無理やり農民をかき集めてるんだぜ。
いくら戦は数だよ兄貴!と言っても必要最低限の練度や士気も大事だよ。
573人間七七四年:2008/08/18(月) 00:46:29 ID:Mnk651p+
浅井・朝倉にしてみれば
「武田遅せーよ!何ちんたらやってんだ?カス!」って感じだったんだろうな
574人間七七四年:2008/08/18(月) 00:51:45 ID:2vLS3bue
>>572
農民じゃないだろう。
斎藤とかをはじめとして結構名前が挙がってるから
浪人衆とかを使ってるんだと思うが。
>>573
遅くないだろ。まだ西上始まって半年も経ってないんだから。
575人間七七四年:2008/08/18(月) 00:54:34 ID:9Yay6kej
遅いっつーか
朝倉「今更何しにきたんだよ!」って感じだろうな
576人間七七四年:2008/08/18(月) 00:59:57 ID:H8T7vkFT
>>574
浪人衆を雇ったといって景鏡ら主力の抜け落ちた穴を埋めるのには不十分すぎるでしょ。
しかも浪人衆たちなんて勝ち戦ならまだしも負け戦で一所懸命朝倉家の為に働いてくれるとは思えんのだが。
龍興は刀根坂で戦死してるから一所懸命に奮戦したのだろうけど。
まあただ織田からの追激に逃げ遅れて討ち死にしたのかもしれんけどw

>遅くないだろ。まだ西上始まって半年も経ってないんだから。
朝倉さんと浅井さんが織田と戦い始めて既に3年もの歳月が流れているんだが…
577人間七七四年:2008/08/18(月) 01:00:14 ID:Mnk651p+
>>574
いやさ、朝倉・浅井からしてみればその西上自体を早くやっとっけよ
と思ったんじゃないかと思ってさ
武田の事情なんててあんまり詳しくないだろうし
578人間七七四年:2008/08/18(月) 01:00:52 ID:2vLS3bue
>>575
今更も何も信玄が義昭に起請文を送り、義昭が信玄に天下静謐の馳走を依頼する書状を出すのが
1572年5月13日なんだけど。
その後7月から8月にかけて西上前段階の飛騨攻めを7月から8月にかけて行い、
西上軍を起こすのが9月。
今更も何もずいぶん早い動きだと思うが。
579人間七七四年:2008/08/18(月) 01:04:21 ID:2vLS3bue
とりあえず>>575,>>576,>>577は西上については>>578を見といて。
遅いどころか随分早い動きなんだけど。

その上で>>576.
斎藤をはじめとして織田に恨みを持っていた浪人部隊とかもいたわけで。
浪人部隊も使いこなせば結構な戦力になるよ。
主力の穴埋めとまではいかなくても戦力にはなるな。
580人間七七四年:2008/08/18(月) 01:07:02 ID:2vLS3bue
まあそろそろ寝る。
581人間七七四年:2008/08/18(月) 01:14:11 ID:9rQvlXbN
>>564
>前年の12月撤退以後に朝倉家は軍事行動を一切行っていない。

お前さ信長公記ばかり読んでないで相手側の史料も見てみろよ。
赤面間違いなしだぜw
582人間七七四年:2008/08/18(月) 01:41:36 ID:7YganYTi
>>572
一族・家臣の分裂は財政悪化だけじゃないだろう。
分裂原因は義景の素行とか、いろいろあってまだまだわかっていない。
一族・家臣の不満は足利義昭が再興の協力者を、
朝倉家から織田へ切り替えた時から始まっている、という説もあるくらいだから。
583人間七七四年:2008/08/18(月) 02:48:42 ID:kyWXjFRi
1567年家臣が一向一揆と通じて謀反をおこしたが鎮圧成功
1568年若狭武田の内紛に乗じて介入し、若狭も支配に成功
これと並行して
嫡男阿君丸と寵愛した側室が脂肪、さらに家臣の離反謀反分裂なので、
義景は心身を病んで
戦、政治を遠ざけたようだね
とりあえず1570年までの財政は絶好調w
だが義景自身の問題と家臣団の問題は深刻
584人間七七四年:2008/08/18(月) 07:43:26 ID:OSqKT3aE
度重なる戦や長期の布陣に対しての不満はどこの大名家直面した問題だからね。
当時に財政難を示す資料は残ってないし、浪人衆を雇う資金もあった事を考えれば
朝倉に限って財政難とする見方には疑問を抱かざるを得ないわな。

朝倉家は家老を置かないシステムを採用してるらしいから、義景に諫言が出来る者が居ない。
家禄では家老に相当する景鏡の軍役拒否は、家臣達の不満を汲み取ろうとしない義景に対する
諫言としての意思表示だと考えれるね。
585人間七七四年:2008/08/18(月) 10:49:08 ID:davQB2KJ
>>582
一族、家臣が分裂してることをして「ボロボロ」ということが出来ると思うが如何?
586人間七七四年:2008/08/18(月) 12:38:58 ID:07+fRD8g
君と臣の和が乱れるとはどういう事かは武田ファンが一番知ってるばずだよね
587人間七七四年:2008/08/18(月) 12:42:18 ID:4FzcBRn3
>>586
…煽りに見えてしまうのは気のせいだろうか?
588人間七七四年:2008/08/18(月) 12:56:08 ID:07+fRD8g
>>587
煽ってないよ
当時の朝倉と長篠後の武田は似たようなもんでしょ?
衰退が始まったらそれを止めるのが先
自ら討って出るなんて内から崩れるだけ
でも信長も黙ってない
あの手この手で崩しにかかる
これが弱みに付け込むという
弱みに付け込まれてる時の朝倉に期待をもつのはムリな話でしょう
武田の時に期待されても何もできなかったでしょう
589人間七七四年:2008/08/18(月) 12:56:13 ID:vymxVNaX
>>587
気のせい
過剰反応しすぎだな
590人間七七四年:2008/08/18(月) 13:19:13 ID:ZD+5vhsl
信玄が都市部の大名なら工業、商業、貿易などで新しいものをいろいろ開発してただろね。
信長よりもアイデア、工夫がある。
591人間七七四年:2008/08/18(月) 14:40:52 ID:BP2LB7ly
信玄堤・あのう衆・土木技術は日本一
592人間七七四年:2008/08/18(月) 15:13:11 ID:Qg9yBQyn
>>591
穴太衆(あのうしゅう)は、織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団。石工衆、石垣職人とも。

近江の比叡山山麓にある穴太の里(滋賀県大津市坂本穴太町、延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。

東日本では、「石垣の材料となる花崗岩の産地が限られていた為」、石垣の技術は発達しなかった。

wikiより
593人間七七四年:2008/08/18(月) 20:06:35 ID:vMj3fCiq
なんか牢人衆で軍役拒否した主力クラスの重臣たちの穴を埋められるような感じの意見がチラホラとあるけど、
本当に牢人だけで主力の抜けた穴を埋められるものなのか?
例えば武田家の主力クラスの小山田氏の軍役が確か騎馬200で雑兵900程度、多い時で2000程度を動員していたらしい。
大野郡司家の所領である大野群は豊かな土地だったと聞いたことがあるので(敦賀湊がある敦賀郡司家がだったかも)
朝倉の主力である朝倉景鏡も1000〜1500程度の軍役があったと思われるし、他の軍役拒否した重臣たちの穴も合わせると
結構な数になるだろうね。
牢人、牢人言うけど主力の抜けた穴を埋めることが可能なくらいの数の牢人が当時落ち目の越前にいたのか?

牢人衆について詳しくないから誰か詳しく教えて頂戴。詳しいサイトとかもあれば是非ともプリーズ。

あと牢人衆で主力の代用可能だったり財政がまだまだ大丈夫だとすれば12月に撤退しないんでね?
仮に12月の撤退が財政上の理由でないとしても、雪解けしてから武田が三河に乗り込んできた4月前後になっても
全く動いていないのは何でだ?
やっぱり財政上の問題で動きたくても動けなかったんじゃないの?
594人間七七四年:2008/08/18(月) 20:58:20 ID:7G49yyEA
甲斐武田氏11代当主武田信成って嫡出?
595人間七七四年:2008/08/18(月) 21:08:43 ID:vMj3fCiq
>>594
また唐突にどうでもいいような質問だなw
11代当主信成は10代当主信武の嫡男だよ。
他に氏信(安芸武田家祖)、信明(大井氏)、信頼、公信、義武(穴山氏)といった兄弟がいたようだね。
ソースは俺の家にあった歴史群像シリーズに載っている武田氏略系図。
596人間七七四年:2008/08/18(月) 21:23:14 ID:Qyzzv5yw
>>578
信玄は71年の五月には松永を通じて反信長を伝えているよ。
597人間七七四年:2008/08/18(月) 21:25:18 ID:7G49yyEA
>>595
では生母は正室足利氏ってことかな?
氏信と信頼は同一人物っていう説もあるが実際どうなんだろうか
598人間七七四年:2008/08/18(月) 21:40:39 ID:vMj3fCiq
>>596
信玄がじゃなくて、松永久秀が信玄に同盟を持ちかけたんじゃなかったっけか?

>>597
スマン、俺の持ってる本には略系図が載ってるだけだかそこまで分からん。
簡単な説明文もあるけど、信成あたりの時代に関しては信武、信成、信春の三代にわたって北朝方に属したとあるだけw
もちろん氏信と信頼が同一人物なんて説も書いていない。
信頼→満信→信守→信繁とある。
氏信については略系図だからだと思うが系譜が書いていない。
599人間七七四年:2008/08/18(月) 21:54:32 ID:EbPhKXtY
うーん、武田氏といえどもこの時代はやはり難解だな
600人間七七四年:2008/08/18(月) 21:57:21 ID:n8gaW2EI
朝倉の2万という数は『信長公記』をもとにしているんだろうけど、
『信長公記』の兵数はあまりにあてにならないと思う。
桶狭間では二万五千を4万五千と記しているし、
長篠の合戦も戦場の狭さから両軍の兵力は記述の半数程度ではないかとも言われている。

そう考えれば朝倉も半数の1万ぐらいだったんじゃないか?
そう考えれば石高から、軍役拒否分マイナスすれば納得のいく数字になるし。
601人間七七四年:2008/08/18(月) 22:05:04 ID:vMj3fCiq
>>600
どうなんだろうね。
1万はさすがに少なすぎる気がするから1万5千はいたかもね。
まあ根拠も無いただの妄想だけどw
ただ軍役拒否となると当然拒否した連中の領地から農民を徴収するのは不可能だから
今までどおりの2万という数字をかき集めるとなると他の領地から徴集となるから他の土地の農民が大変だろうな…
ただでさえ家中の不満があるんだから他の家臣の軍役を増やすわけにはいかない。
となると、牢人衆を雇う以外は朝倉宗家直轄地から農兵を徴収したという事なのかな?
602人間七七四年:2008/08/19(火) 00:02:18 ID:eQxJh9Mt
>>593
>当時落ち目の越前にいたのか
なんで、越前が落ち目なんだよ。
少なくても若狭を押えてから財政基盤はしっかりしてるんじゃないの。

景鏡の軍役拒否は、もちろん不満の高まりなんだけど、
それ以上に朝倉家は一族の力が強い、ということを表す事態なんじゃない。
一族合議制だったんじゃないかな。



603人間七七四年:2008/08/19(火) 00:07:21 ID:Lf2dm9Eo
>>593
朝倉は信玄や本願寺がせっついた結果、
5月には動くことになってて信玄が東老軒に申し合わせをよろしくと頼んでる。
604人間七七四年:2008/08/19(火) 00:23:03 ID:Spf7l8rJ
>>602
頼みの武田家は何故か撤退。(1個人の浪人は信玄死去の情報をさすがに得ていないだろう)
信長包囲網の旗頭、大義名分であった将軍の京都追放

どう考えても朝倉浅井の孤立化が進んでいて落ち目なんだけど。
若狭にしても逸見とか栗屋とかが織田の陣営についているから完全な支配ではなくなってると思うんだが。

>景鏡の軍役拒否は、もちろん不満の高まりなんだけど、
>それ以上に朝倉家は一族の力が強い、ということを表す事態なんじゃない。
>一族合議制だったんじゃないかな。
何が言いたいのかよく分からない。
605人間七七四年:2008/08/19(火) 00:32:34 ID:Lf2dm9Eo
>>604
それは逆にいえば信玄が西上して来た時なら朝倉浅井は落ち目じゃないと
みなされるという事だと思うが。
606人間七七四年:2008/08/19(火) 00:38:27 ID:Spf7l8rJ
>>605
俺は当時の人間じゃないから当時の人がどう判断するかは断定できないけど
少なくとも武田が西に進んでる限り朝倉・浅井が孤立することは無いんだから望みありと考えるのが妥当でね?
武田が進軍してくる限りでは織田は朝倉・浅井に100%の力を注ぐことが不可能だけど、
武田が撤退したとなると最大限の力をぶつける事が可能になる。
607人間七七四年:2008/08/19(火) 00:42:42 ID:Lf2dm9Eo
それならつまり西上の時なら朝倉浅井が動く事は可能、という事になるな。
608人間七七四年:2008/08/19(火) 00:46:22 ID:Spf7l8rJ
>>607
結果はどうあれ織田が東にも注意をしなければならなかったんだから動くことは可能でしょ。
虎御前山砦を抜く事が第一関門で至難の業っぽいが…
609人間七七四年:2008/08/19(火) 00:46:43 ID:Lf2dm9Eo
とりあえず寝る。
610人間七七四年:2008/08/19(火) 01:29:25 ID:ecBjbZOF
72年10月
両雄睨み合いの織田、朝倉浅井が対峙
武田が暴れたから信長、岐阜に撤退、
ここで最初で最後の大チャンス
朝倉浅井勢が共同で打って出るが、
織田残軍の抵抗でなぜか撤退w
12月朝倉が適当な理由で越前に撤退w
浅井もなぜか撤退w
こんなもん、ただの敵前逃亡w
財政難でも12月まで粘ったのに
このチャンスをみすみす逃すのは
義景長政とも暗愚だったってことw



611人間七七四年:2008/08/19(火) 02:38:12 ID:zBHqUOCI
浅井はもう無理だろ。
あれはギリギリで耐えてる。
小谷城周辺も抑えられてるかどうかのレベルだろ。
むしろあの状況でよく粘った。
612人間七七四年:2008/08/19(火) 03:02:02 ID:eQxJh9Mt
>>611
いやいや
信玄があのまま西上続ければ、反信長勢の中で一番燃えるのは浅井じゃないかい。
思いっきり奮闘しそうな気がする。


613人間七七四年:2008/08/19(火) 07:26:32 ID:t116TH5O
元亀3年の時点で虎御前山を朝倉と浅井だけで純軍事的に突破することができなかったので、
信玄西上の余波によって調略などが可能になる状態まで虎御前山は抜けそうにない。

そうなると三河を取って徳川を完全に降すか、織田本隊と合戦して勝つぐらいのところまで
武田が頑張らなければいけないがどこまでやれるか。
家康が一応健在なので長島と本願寺がうまく立ち回ってくれないと尾張に向かうのも難しそうなんだけど、
史実だと10月に出陣して12月に家康を破ってはいるけどその間もそれ以降もまったく音なし。
武田軍の動きが信玄の病気のせいで傍から見ると怪しかったとはいえ武田に積極的に協力する気があるなら、
織田に対して攻勢にでてもいいはずなんだけど。
614人間七七四年:2008/08/19(火) 08:32:07 ID:UM4qhc9o
>>613
武田信玄の病気は三方ヶ原の戦い時点でかなり酷い状態だったらしいぞ。
615人間七七四年:2008/08/19(火) 16:18:34 ID:lKqn/vQN
すっげー素人考えで申し訳ないのだけど
東海道じゃなくて、信濃から美濃に攻めるっていうのは無理だったの?
東海道だと三河、尾張、美濃、南近江を突破しないと上洛できないけど
信濃からだと美濃、南近江だけでいいから
そうしなかったのって、信濃から美濃へ攻めるには徳川への抑えも置かないといけなくなるから
兵力的に厳しかったから?
それとも大軍が行軍するには道が狭すぎるからとかかな
616人間七七四年:2008/08/19(火) 17:30:54 ID:Spf7l8rJ
>>612
士気は高まるし奮闘するだろうけど朝倉さんが出てこない限り
単独で虎御前山砦とか横山城を抜くのは無理だけどね。
下手に動いてしまったらどうにか死守していた小谷城周辺も一気に失う危険も高いし。

>>615
一番の理由は徳川を放置してたら側面・背後を突かれるからだね。
君の言うように徳川の抑えに兵を割いたら織田本隊と戦えないしね。
詳しくは過去スレを読んでくれ。たしか前スレあたりでもその事についての議論みたいなのがあったよ。
617人間七七四年:2008/08/19(火) 19:57:57 ID:ecBjbZOF
結局、朝倉浅井が
この好機に信長を追随せず
撤退して守りに入るってことは
財政的には余裕ががあり
引いて軍事を整えたら勝算があったってことかw
財政難なら
もっと武田、本願寺にはっぱを掛け
織田に攻め入るよう要請して
多少の危険を冒してでも決戦を挑むでしょ

618人間七七四年:2008/08/19(火) 20:04:44 ID:t116TH5O
自分の財布に余裕があるか無いかを確認したほうがいいよ
他人の財布にたかれるかどうかも
619人間七七四年:2008/08/19(火) 21:20:48 ID:eQxJh9Mt
朝倉自滅、信玄病死。
結局ツキかあ、信長が危機回避できたのは。
とんでもない強運の持主だね。
620人間七七四年:2008/08/19(火) 21:23:58 ID:B8pZ9oYv
信玄の行動が鈍間なだけだな。
自業自得。

これが信長のツキと言えばそれまでだがな。


621人間七七四年:2008/08/19(火) 21:31:38 ID:ryUAtHU5
>>620
義昭から依頼を受けて4か月で出陣し、半年もしないうちに
徳川領土を席巻し徳川の野戦軍も撃破。
これがなんで鈍間なんだ?
622人間七七四年:2008/08/19(火) 21:36:00 ID:UM4qhc9o
>>620
武田信玄を非難してるが、
>>619の何に不満なんだ?
623人間七七四年:2008/08/19(火) 21:45:38 ID:5Vx4P4Ea
義昭から依頼はもっと前から来てるとは思うんだけど。
信玄自身も駿河侵攻とかで対織田どころじゃないけどね。
駿河獲って、北条・上杉・徳川・織田に囲まれて、この先どういう戦略を進めるかで
織田・徳川と戦うのを選んだのは上杉とは組めないということでの消去法なんだと思う。
624人間七七四年:2008/08/19(火) 21:46:34 ID:Spf7l8rJ
まあ運が自分の方に向いていてもそれを活かせない人は掃いて捨てるほどいた訳だから、
自分に傾いてきた流れを掴んで離さずに活かすことが出来た信長は優秀だったろうよ。
信玄だって今川義元が三下相手に戦死してくれたお陰で東海道に進出できたわけで、
信長に限らず信玄だって運が良かった出来事はあるよ。
もちろん信長や信玄に限らず歴史に名を残した武将の多くが自身に傾いている流れを上手く活かすことが
出来たから勢力を残せた。
運なんて誰にでも傾くものだけどそれを活かせることが出来るのが優秀な武将。
運が良かっただけでは第一次信長包囲網を切り崩せるわけが無い。

>>619
朝倉自滅は運どうこうじゃないでしょ。
数年間にわたって戦をしたり調略を仕掛けたりでジワリジワリと朝倉の力を削いでいった結果でしょ。
625人間七七四年:2008/08/19(火) 21:54:02 ID:7lxncHqG
1570年に信長が義昭に殿中御掟を突き付けた時から義昭の信玄への要請は始まってるよ
626人間七七四年:2008/08/19(火) 22:08:32 ID:eQxJh9Mt
>>623
>織田・徳川と戦うのを選んだのは上杉とは組めないということでの消去法なんだと思う。
天下目指すなら、西に向かうのは当たり前でしょ。
627人間七七四年:2008/08/19(火) 22:14:19 ID:o3KKjd72
>>621
逆に言うと、信玄は義昭の依頼から二年近く経ってから応じた
628人間七七四年:2008/08/19(火) 22:18:53 ID:5Vx4P4Ea
>>626
信玄の戦略は豪族連合ゆえに場当たり的なものが多いよ。
おかげで甲斐・信濃・駿河を治めたのが50過ぎで、
代々の因縁を超えて織徳同盟までした信長とは雲泥の差。
確かに上杉という目の上のタンコブはあったけど今川・北条という同盟者もいたし、
織田・徳川とも組んだことが有るが差がつきすぎ。
629人間七七四年:2008/08/19(火) 22:24:42 ID:Spf7l8rJ
>>627
義昭が御内書を出しまくってた時期は
浅井長政はこの時織田陣営だし、武田は駿河平定戦の最中で北条とも抗争中なんだから
さすがに一番最初の御内書貰った時に武田が要請に応じるのは無理すぎるでしょw
630人間七七四年:2008/08/19(火) 22:27:40 ID:ryUAtHU5
>>623
上杉と組めないならなんで織田徳川と敵対するのかわけわからん。

>>627
だから正式な依頼が来たのが1572年5月でしょ。
2年ってなに。

>>628
三国同盟を生かして巨大な親上杉勢力を切り崩して百万石超えたのが
何が場当たりなのだろうか。
別に織徳同盟なんか代々の因縁ってほどもないでしょ。阿呆らしい。
畿内の真空状態と美濃の幼君に乗じただけ。
631人間七七四年:2008/08/19(火) 22:34:41 ID:Spf7l8rJ
>>630
>だから正式な依頼が来たのが1572年5月でしょ。
>2年ってなに。

殿中御掟とか殿中御掟追加7箇条を信長につきつけられた時期から既に
御内書を諸大名に送ってるわけなんだが。
正式な依頼って何よ?正式な依頼って?
無視していた御内書は非公式のもので応じた御内書が公式なものだったとでも言いたいのか?
632人間七七四年:2008/08/19(火) 22:39:42 ID:ryUAtHU5
>>631
実際そうだろう。
信玄が義昭に応じる起請文を出し、義昭がこれにこたえて天下静謐の馳走を正式に
依頼する御内書を出すのが1572年5月13日。
やたらめったらに出して反応を見る為の御内書と正式な依頼は十分な開きがあると思うが。
633人間七七四年:2008/08/19(火) 22:40:08 ID:P72dVvfu
そもそも織田家の本隊ではなく秀吉の部隊+αに勝てない段階で浅井朝倉はアウトな気がする。
たとえ財政に余裕あってももう無理なんじゃないか?
634人間七七四年:2008/08/19(火) 22:41:46 ID:ryUAtHU5
>>633
秀吉と相対した朝倉浅井勢も本隊じゃなくて一部隊な件。
本隊で来られたらさすがに秀吉勢も厳しいと思うが。
635人間七七四年:2008/08/19(火) 22:47:47 ID:B8pZ9oYv
620です。
スマソ。別に>>619を非難しているつもりは無かったんだがw

信玄が鈍間と感じるのは変かな?
信長に先を越されている時点で鈍間だと思うが。


636人間七七四年:2008/08/19(火) 22:51:43 ID:ryUAtHU5
>>635
貧しい山国で独立性の高い国人達に囲まれ、内を固めながらも
上杉・北条という同格以上の相手と戦ってかなきゃいけなくて京都からも遠いという条件なのに
単純に鈍間というのはいかがなものか。
信長は経済力豊かで京にも近い尾張で美濃は幼君で畿内は力の真空状態が生まれてる状況。
そこらへんを無視してもらっちゃ困る。
637人間七七四年:2008/08/19(火) 22:51:54 ID:5Vx4P4Ea
>>630
ならなんで上杉と組めないのさ。
上杉にとっても足利将軍家に協力することになるし、一向一揆と争わずにすむ。

北信濃と上野、北条との関係で組むわけにはいかなかったんでしょ。

それと信玄相続当初の信濃攻めを勉強してきな。
戦には強いからなんとかなったけど、攻めかたが効率悪く滅茶苦茶だし。

>>634
その本隊が虎御前山砦にきたのが信玄西上時の元亀3年。
まさに三方が原の年だぞ。
12月になったら引き上げただろ。
過去ログ読め。
638人間七七四年:2008/08/19(火) 22:57:19 ID:ryUAtHU5
>>637
上杉と組んでどうなるんだよ。阿呆らしい。
それで上杉と組まないことが織田・徳川と消去法で戦う事になんでつながるのか
さっぱりわからん。

信濃攻めを見れば見るほど十分偉大な戦略家だと言うことがわかるはずだが。
逆に何をもってめちゃくちゃとかいってるのかわけわからん。
具体的にあげてみな。

虎御前を朝倉浅井の本隊は攻めちゃいないだろ。一部隊を出して攻撃しただけ。
12月になって引き上げたからといって5月には動くことになってるし
なんで勝てないとか突破できない事になるのかわけわからん。
過去ログとやらの誰かの意見に盲従してるだけじゃないだろうな?
639人間七七四年:2008/08/19(火) 22:57:57 ID:B8pZ9oYv
>>636
別に無視してないよ。
信玄が不利とか信長が有利とか言っている時点でダメだろう?

君は信玄の都合が悪いことはスルーする。
信玄は信長よりも早く誕生していることは無視かよ。



こういう水掛け論になると思うが君はそう感じないのかな?


640人間七七四年:2008/08/19(火) 23:01:31 ID:ryUAtHU5
>>639
有利とか不利とか見ないで鈍間とか言い出すのはただの暴論だと思うが。

信玄が早く生まれたからってなんだというのだろうか。
周囲の強豪達もみんなそれより先か少しあとで生まれてて
ひしめき合ってる事は無視かい。
水かけ論になんか全然ならんと思うが。
641人間七七四年:2008/08/19(火) 23:06:37 ID:zBHqUOCI
>>636
信長ははじまりは10万石あるかないかだろうし
まわりは自分以上の敵だらけなわけでさらに隣は大国で
それらと戦争しつつ一族とも戦って領土ひろげなきゃならんわけだから
信玄と比べて恵まれてるわけでもないと思うぞ。
642人間七七四年:2008/08/19(火) 23:07:04 ID:5Vx4P4Ea
>>638
朝倉当主である朝倉義景が出陣してるのに一部隊を出して攻撃しただけだと?
手が出せないから退陣したんだろ

アホか

大体背後の憂いがなければ対上杉の押さえの兵が対織田に回せるのを信玄が認識しないとでもいうのか
そこまで武田信玄はバカなのか?

北信濃や上野の守備兵だって馬鹿にはならんだろ
北条や一向一揆が上杉を完全に拘束できるなんて信玄が考えるとでも思うのか
643人間七七四年:2008/08/19(火) 23:08:29 ID:B8pZ9oYv
>>640
いや、普通に水掛け論になっているって。

>信玄が早く生まれたからってなんだというのだろうか。
>周囲の強豪達もみんなそれより先か少しあとで生まれてて
>ひしめき合ってる事は無視かい。
信長は楽して上洛できたと思っているのかい?
信玄だけは大変だったね〜とでも言って欲しいのかな?



おいら、以前はこのスレの住人だったけど今は違うから返レスできんかもしれん。
信玄贔屓を批判するつもりはこれっぽっち無いが一面だけを見ずに角度を変えて見つめ直すのもいいぞ。

暇だったらまた来るよ。


644人間七七四年:2008/08/19(火) 23:09:46 ID:ryUAtHU5
>>641
もともと信秀は信長にちゃんと家督を譲ってるんだが。
うつけといわれる本人の所業で離反されただけだが。
もともと織田弾正忠家は朝廷に多額の金を簡単に出してるくらい豊で
尾張最強の実力を持つ家なわけだが。
同格に近い力をもつはずの美濃は斎藤義龍が早く死んで幼君になって混乱したしな。
645人間七七四年:2008/08/19(火) 23:13:03 ID:ryUAtHU5
>>642
実際その秀吉の砦に攻撃した部隊は数千で全力攻勢なんてとても言えない状態な
わけだが。阿呆か。

だから、お前さんの意見は織田・徳川と戦ったのは上杉と組めない事からの消去法とか
いってるがそれが全然かみ合ってないと言ってるんだよ。
なんで上杉と組めないからといって織田・徳川と消去法で対立する羽目になるんだよ。

実際史実として1574年末まで謙信のタイムスケジュールはその二つ関連でいっぱいになるんだけどな。
646人間七七四年:2008/08/19(火) 23:14:01 ID:P72dVvfu
>>634
実際に戦っているのは浅井朝倉勢の一部だから、全部隊じゃないなんていったら、
あらゆる戦争で本隊は戦っていないことになるんじゃ?

また予備や本陣の部隊を損害無視の力攻めすれば、たしかに秀吉を倒して砦城落とせるかもしれないけど、
被害も大きくなるから割りに合わないんじゃ。

>>639
まあ水掛け論だろうな
どの大名にしてもああいえばこういうって感じでいろいろ文句つけたり弁護できたりするだろうし。
647人間七七四年:2008/08/19(火) 23:16:08 ID:ryUAtHU5
>>643
信長は比較的、というか1568年当時において三好政権が分裂弱体し力の真空が生まれていた畿内に
乗り込める唯一の百万石大名だったわけだが。
そして百万石大名になれたのは美濃が幼君だったから。

そっちこそいろいろな条件を見つめなおしてみるといいと思うぞ。
つーか2chのスレに住人の垣根とかあるんだろうか。
648人間七七四年:2008/08/19(火) 23:19:57 ID:ryUAtHU5
>>646
朝倉浅井で2万以上いるうちの数千が向かっただけなのに
それをもって本隊というのは苦しいような。
それをいったら逆にすべての戦いで本隊が戦ってると言えるような。

しかし現実問題として信長が1568年当時力の真空が生まれていた畿内に乗り込めた
唯一の百万石大名であった事、百万石大名になれたのは幼君の美濃を倒したからだというのは
否定できんような。
649人間七七四年:2008/08/19(火) 23:22:36 ID:P72dVvfu
信玄晩年の行動について言えば、駿河攻めの段階では周りで最弱が今川だったから、
北条徳川さえ絡まなければ当然の戦略だろうし、
また1569年1570年初頭の段階では織田は全盛、徳川は織田に付いている、この状況では北条と争う方が妥当だし、
1570年中に織田が浅井の離反本願寺の決起なんて予測はつかないから織田と争うなんてことは思いつかん。
また志賀の陣みていきなり戦略転換なんてできるはずもない。
また1571年の織田家の苦境見て、勝てるかもと考えるのはそうおかしくもない、
織田が数年で一気に包囲網を追いつめるとは思っていなかっただろうし。
650人間七七四年:2008/08/19(火) 23:22:49 ID:zBHqUOCI
いや織田家は本人所業がどうこうじゃないだろ。
信秀は後半負けがこんでたし実際尾張を支配していたわけではない。
ただ単に信秀の死を契機に弾正忠家の影響力がなくなったのと
家督相続の争いが起こっただけだろ。重臣も多くが信勝につけられてたわけだし。
そこへいくと信玄はまるまる甲斐一国を継いで
周辺は自分よりも格下。
初期においては信玄のが恵まれてるだろ。
651人間七七四年:2008/08/19(火) 23:23:59 ID:P72dVvfu
>>647
それが水掛け論だろ
人に言う前にいろいろな条件を見つめなおしてみるといいと思うぞ
この手の、信玄信長の両者の条件運不運についてはこのスレで何度も話題に上っているから。
652人間七七四年:2008/08/19(火) 23:24:17 ID:8ASWVoZ4
直接攻撃した部隊が少数だとしても実際には当主義景以下の主力が出陣してる上に浅井の協力があるんだからね
普通の認識だと朝倉家の総力をあげての戦いとなるはずだが

>朝倉浅井で2万以上いるうちの数千が向かっただけなのに
>それをもって本隊というのは苦しいような。

だいぶトーンンダウンしてるなw
653人間七七四年:2008/08/19(火) 23:28:24 ID:8ASWVoZ4
2万の軍勢の全てを直接攻撃に投入ということは旗本も投入ということだから
それって負け戦じゃねw
654人間七七四年:2008/08/19(火) 23:28:44 ID:ryUAtHU5
>>649
うーん?
なんかおかしくないかい。
今川と相対する時点で北条・徳川・上杉・反北条勢力らが絡み合う
外交戦争に突入せざるを得ないんだけど。
1570年の段階では織田徳川がどうで北条と争うのが妥当、じゃなくて、
今川との戦いから北条との戦いになだれ込んだ以上、それを継続してつづけていく
しかないと思うが。仮に武田が織田に向かったからって北条が武田と敵対するのを止めるわけじゃないし。
実際この武田vs北条は非常に巨大な外交戦争であり、これを放り出すなんて無理でしょ。
655人間七七四年:2008/08/19(火) 23:30:37 ID:P72dVvfu
>>648
単純に先陣が破れた段階で作戦を諦めたってだけだろ、
城攻めの失敗時は大抵そんな感じじゃ、いくつかの部隊が攻めて落ちなかった→撤退。
砥石崩れの時だって信玄の旗本は城攻めに参加していなかったはずじゃ
だいたい浅井朝倉が別の戦場にいたというならともかくさ
(もっとも虎御前山から小谷なんて走れば5分の距離だが)
656人間七七四年:2008/08/19(火) 23:31:57 ID:ryUAtHU5
>>650
重臣の多くが信勝につけられてたって何をいってるんだ?
普通に信長の一の長である林が信長を見放して信勝についただけだが。
信玄の場合は周囲に今川北条がいたんだが。
>>651
できれば具体的に返してね。
>>652
どこがトーンダウンしてるんだ?
実際そのとおりだろう。数千だしただけで総力の作戦なんてどれだけひいき目なのかと。
力を温存しただけでしょ。
>>653
全然負け戦じゃないと思うが。決戦なら普通。
657人間七七四年:2008/08/19(火) 23:33:06 ID:P72dVvfu
>>654
そうか?
多少場当たり的というか先が読めなかったにせよ、妥当な戦略だったと思うが。
658人間七七四年:2008/08/19(火) 23:34:50 ID:ryUAtHU5
>>655
そのいくつかの部隊、とやらが総力の5分の一以下なんて無理ありすぎだと思います。
それで締めたというならそもそもその作戦は全力じゃないことになるな。
659人間七七四年:2008/08/19(火) 23:37:24 ID:Mhaw/b6M
>>644
・信秀は晩年に今川と斎藤に破れて落ち目の状態。
・42歳という若さで急逝して跡継ぎの信長は19歳の若造。
・家督は信長が相続したが弟の信勝も信秀の居城(末森城)を相続したり
・柴田勝家・津々木蔵人といった重臣を配下につけられるなど優遇されて必要以上の力を持った。
・尾張上四群の守護代家(信安・信賢)や下四群の守護代家(信友)ら独立した勢力が
・目障りな弾正忠家(信長)を倒すために弟で有力者の信勝を対抗馬にしようと揺さぶりをかけてくる。

ID:ryUAtHU5はしきりに美濃を取れたのは跡継ぎが子供だからみたいな事を連呼してるけど
信長だって後を継いだのは若干19歳でしかも主家に当たる守護代家等の面々が
弾正忠家の力を削ぐために弟を担いできたりと相当ハードな環境だったんだよ。
弾正忠家は尾張最強と言ってもそれは信秀の全盛期の頃の話であって、
晩年には既に力は衰えていたし(それでも尾張随一だが)
信長が家督を相続した時には更に信勝にも身代を分割してるなど、
周囲を圧倒するほどの力は無かったよ。
660人間七七四年:2008/08/19(火) 23:38:11 ID:ryUAtHU5
>>657
なんというかな。
君のそのその気になれば北条戦線を放り出して織田にむかえた、というような
主張には肯定しかねるんだよ。
この時の武田vs北条は非常に大きな外交戦でこれに一区切りつけないと織田どころじゃないだろう。
661人間七七四年:2008/08/19(火) 23:41:36 ID:8ASWVoZ4
>>656
それって逆に数千しか出せなかったんじゃないのw
数万の兵を出陣させて数千しか使えないってはたから見たら無駄じゃないw
使いこなせない無能か統率力の低下かどっちにしろ政治的には非常にまずいんだけどw

志賀の陣で信長を追い詰めたはずが虎御前山砦も落とせない状況になったっていうのは
織田が強力になったか浅井・朝倉が弱体化したかのどっちかなんだけど
662人間七七四年:2008/08/19(火) 23:42:09 ID:P72dVvfu
>>656
継いだ段階では信濃は分裂状態、北条は武田以外の周囲の勢力と敵対中で武田に援軍出したり
今川とも信虎のおかげで同盟中、差し迫った脅威なし
諏訪家は頼満死んで孫が継いで弱体化
小笠原家は長棟が死んで暴君と伝えられる長時がついで家中分裂
伊那は前年河越で上杉が大敗したため影響力低下
村上は半分以下の国力で当初は高梨と争い中
長尾も国力は一応劣っていたし、一向宗や揚北衆と不安要素大の勢力
今川は桶狭間に松平の独立遠州錯乱の混乱、徳川の侵攻で、国力は半分以下に
長野は死亡
北条は氏康の病気と死亡
徳川は国力半分以下の勢力

とか言う奴、あと内政に関してもいろいろあったがそっちは記憶はしていない。
望むなら信長編も書いてもいいがな
663人間七七四年:2008/08/19(火) 23:44:19 ID:ryUAtHU5
>>659
落ち目じゃないと思うが。相も変わらず尾張国内じゃ津島をはじめとする経済拠点を持ち
石高もある最強の実力だが。
信勝に柴田が〜とかいってるけどそもそも信長には信秀一の家臣である林と平手がついてます。
そんでその平手は信長の行状から「守り立ての甲斐なし!」といって自殺。林は信勝についた。
信勝は別に守護代に担がれたりなんかしてません。信長見限った林につかれて優位になったので
反旗を翻しただけです。守護代とか他の織田一族は普通にそれぞれを敵としつつ
その一環で尾張弾正忠家を相手にしてますよ。
さらにいっておくと信長に味方した信光とかもいたでしょ。
あといっておくけど斎藤の場合は13歳の中学一年生なんだが。
664人間七七四年:2008/08/19(火) 23:46:52 ID:Mhaw/b6M
>>656
>>重臣の多くが信勝につけられてたって何をいってるんだ?
柴田勝家と津々木蔵人。それに佐久間盛重・盛次親子も信勝配下。
佐久間次右衛門なる人物も信勝配下でこの人物は佐久間信盛であった可能性があるらしい。
信勝には必要以上に重臣が配下として与えられていたのは明白なんだけど。
665人間七七四年:2008/08/19(火) 23:47:40 ID:ryUAtHU5
>>661
主力を温存しただけでしょ。願望入りすぎてて気持ち悪いんだけど。
志賀の陣は全体的な戦略状況で追い込んだからな。

>>662
その口調からしてネタで書いているんだろうか。
全部に反論できそうだけど。
666人間七七四年:2008/08/19(火) 23:47:43 ID:P72dVvfu
>>658
>そのいくつかの部隊、とやらが総力の5分の一以下なんて無理ありすぎだと思います。
妥当なところだと思うが?
関ヶ原の宇喜多の先陣の明石も総兵力の5分の一以下らしいし、
例えば信長の北畠攻めで大河内城を強襲したのは10万と称する兵力のうち稲葉池田丹羽の部隊
これだけで攻めて失敗して兵糧攻めに切り替えている
六角攻めでも実際に戦ったのは佐久間木下丹羽の部隊。
これが当時の常識なんじゃないか?

>>660
それはあなたの誤解
667人間七七四年:2008/08/19(火) 23:49:48 ID:8ASWVoZ4
>>665
>願望入りすぎてて気持ち悪いんだけど。

そっくりそのまま返すわw
668人間七七四年:2008/08/19(火) 23:54:48 ID:ryUAtHU5
>>664
信秀時代からの随一の重臣である平手と林はしっかり信長についてます。
信盛は普通に信長方だったような。
柴田はあの当時そこまでの重臣といえる立場じゃないでしょ。
>>666
明石隊は八千だから1万七千の半分近いが。
必要がなければ兵力を温存するのは普通だと思うが。
先陣だけで勝利を決する戦いなんてまずないでしょ。
実力差があんまりついてる戦いだと先陣だけで勝負がつくこともあるが。
朝鮮の陣なんか全部の部隊がまんべんなく死傷してるよ。
669人間七七四年:2008/08/19(火) 23:56:16 ID:ryUAtHU5
>>667
オウム返しかよ。むなしいな。相変わらず。
670人間七七四年:2008/08/19(火) 23:56:33 ID:P72dVvfu
>>661
当時の戦はだいたいそんなもんじゃないかと?
三方ヶ原でも信玄の本隊と穴山などの部隊等は戦っていないし。

>>663
信秀晩年の状態を理解して言っているのか?
津島だって保持があやしくなっていたし、山口の離反が生前と言う説もあれば、
信秀は隠居させられたという説まであるぐらい、
そのため信長は縁起の悪い弾正忠を継がなかったとか。
まあ諸説はともかく、美濃での大敗以後は落ち目だったと思う。

>>665
反論できるならしてみれば、一応は伝えられていることだがな

>>665
そりゃ主力まで損害無視して攻めれば落とせるだろう、戦術的勝利は得られるだろう、
でも戦略的勝利と政略的勝利を得られないなら無意味、というか却って悪い
671人間七七四年:2008/08/19(火) 23:58:19 ID:B8pZ9oYv
>>647
>信長は比較的、というか1568年当時において三好政権が分裂弱体し力の真空が生まれていた畿内に
>乗り込める唯一の百万石大名だったわけだが。
>そして百万石大名になれたのは美濃が幼君だったから。
そこまで書いて頂ければありがたい。
ここで信玄が上洛できずに信長が上洛できたのは信玄が鈍間だということ。
しかも美濃獲得レースは信長の勝利だしな。

信長が恵まれていただけで信玄が恵まれていなかったとか答えてくるんだろうけど、
誕生年・周辺敵国・経済や文化の違いを言ったらきりがない。
信玄は上洛レースで信長に負けたのは鈍間以外の何物でもない。



今、HP更新とネトゲーの往復でもう今日は無理だな。
あとはみんなでがんばってね〜♪


672人間七七四年:2008/08/19(火) 23:58:53 ID:8ASWVoZ4
>>669

>>665
>主力を温存しただけでしょ

なんていう人の言葉とは思えない
願望入りすぎてて気持ち悪いんだけど。
673人間七七四年:2008/08/19(火) 23:59:56 ID:P72dVvfu
>>668
明石全登は勘違いだった
674人間七七四年:2008/08/20(水) 00:02:00 ID:79Jubw5b
>>663
今川と斎藤相手に手痛い敗北を喫したり安祥城失ったりで完全に落ち目です。

>平手正秀
自殺の理由はいろいろあって不明のはずなんだけど君はなんで自殺の理由を断言してるんだ?

>信勝は別に守護代に担がれたりなんかしてません
信勝が信長に反旗を翻した時に彼等は信勝の味方をしてるんだから事前に密約があったと思うんだが。
675人間七七四年:2008/08/20(水) 00:02:57 ID:4Sve4E+7
>>670
兵力差が2倍以上あるんだから本陣と後陣が動かないまま決着がついたとして
なにも不思議がないでしょ。

落ち目の割にはその後も普通に戦っているんだけど。
尾張国外にまで勢力をもっていた信秀が尾張内部まで縮小していったまでの話。
それでもそれまでの信秀を支えた地力は健在。

そりゃやろうと思えば簡単だけど。伝えられてる、って何に?
まさかこのスレに代々伝えられてるとかいわないでね。

虎御前を攻略すれば織田突破への門が開くんだから戦術的勝利にとどまるまい。
戦略的政略的にも周囲にあたえる影響は大きい。
676人間七七四年:2008/08/20(水) 00:03:02 ID:3PPOqupw
>>668
佐久間一族は信勝付き。信勝が信長に謀反を起したときに、見限って信長についた。
柴田は信勝付きの家老役。これを重臣じゃあないと?

信長は家督を次いだときには守護代家などを敵にまわし、さらに美濃の義龍も敵に
回って大いに苦しめられた。
そこから尾張を統一し、今川の侵攻を跳ね返し、さらに自分と同等かそれ以上の
国力をもった美濃斎藤家を滅ぼした。
こういった状況を無視して「信長なんて楽な環境じゃん」というのは何も見えていない。
というよりも、信長がどれほど苦心して「楽な環境」を作り上げていったか、その
点を考慮しないでただラッキー扱いするってのがえこひいき。

>662でもあるが、信長をラッキーというのなら、信玄にだってラッキーはあった。信長が
苦労したというのなら、信玄だって初期は様々な面で苦労している。
なのに信玄は才能で勢力拡大した、信長はラッキーで拡大できたというのはね。
677人間七七四年:2008/08/20(水) 00:08:45 ID:79Jubw5b
>>675
>落ち目の割にはその後も普通に戦っているんだけど。
>尾張国外にまで勢力をもっていた信秀が尾張内部まで縮小していったまでの話。
国外に勢力を伸ばしていたのから一転尾張内部に押し込められたのは十分に落ち目といえるでしょ。
落ち目でも普通に戦ってる?そりゃそうでしょうよ、勢力を盛り返そうと戦うだろうし、攻めてこられれば当然戦うしね。

とりあえず>>662に反論してみれ。
678人間七七四年:2008/08/20(水) 00:09:17 ID:4Sve4E+7
>>671
全然条件をかけてないぞ。
その条件に至れたのはお前さんが意図的に無視している諸条件のおかげだ。
それで結局最後は条件無視して決め付けと断定か。あさましいな。

>>672
全然返しになってないんだけど。支離滅裂すぎ。
>>674
安祥も美濃の拠点も国外の話。尾張の地力は健在だよ。

信長公記に基づいたんだけど。そっちの諸説あり、って何をもとにしてるわけ?

守護代が信勝の味方した?信長公記にそんな事かいてあったか?
あったならどこの段か教えて。それさえ教えてくれれば後は調べられる。
679人間七七四年:2008/08/20(水) 00:13:16 ID:r4y3I8XH
>>668
朝鮮の陣なんかは思いっきり例外じゃないか?
城攻めの失敗例だと
家康の掛川攻めとかは小兵力で攻めて失敗して最終的に講和とかだし

>>675
普通に戦って連敗して、守護守護代と妥協するは離反されるは・・・だったと思うが
伝えられているってのはいろんな軍記物で
反論できるならすればいいじゃん

>虎御前を攻略すれば織田突破への門が開くんだから戦術的勝利にとどまるまい。
攻略できてもせいぜい小谷の一番やっかいな付城を何とか落とせた、であって
織田突破への門というか、織田の美濃と畿内への連絡を牽制する程度の目標であっても
そこから横山までの城を落とさないことには無理だと思うが。
また大損害こうむって砦一つ落とせたとして、その被害と消耗物資の補填、政治的処理は?
織田にすればまた大軍率いて虎御前山に砦築けばいいだけだし、
長期戦消耗戦になれば、国力のある織田が有利だし。
680人間七七四年:2008/08/20(水) 00:16:27 ID:4Sve4E+7
>>676
見限ったというかそれ以前に信長に百石の知行をもらってるからそこで買収されたんだと思うが。
その尾張の国内勢はそれ以外とも普通に対立してたが。信長だけ目の敵にしたわけじゃないよ。
美濃の斎藤は全然攻めてこなかったけど。滅ぼしたのは幼君でクーデター騒ぎまで起きてる状況になってから。
それらを無視して信長を無理に不利な状況に置こうとするのがエコひいきに見えるが。

>>662については普通に反論できそうだが。
後言っておくと別に信長を苦労してないとはいわんが。ただ周囲に同格の実力者と競合する場面が少ないので
相対的にスムーズに進み、力の真空が生まれてる畿内に乗り込めたという話だが。
>>677
それで尾張国内で相手する連中はその信秀以下の勢力なわけで。
>>662に対する反論な。ちょっとまってな。長いんで時間つけて書く。
681人間七七四年:2008/08/20(水) 00:20:31 ID:r4y3I8XH
>>678
信清の離反とかは?
つかそれまで半ば従っていた清洲家岩倉家の離反は大きいと思うが
国中に頼み勢して兵を揃えていたわけでもあるし

諸説は学者の本や(自称)学者の本など
まあ信秀の没年や信長の家督継承がいつなのかは未だ分かっていないらしいし
公記の首巻は年数に関しては怪しいし

>守護代が信勝の味方した?信長公記にそんな事かいてあったか?
その時期岩倉家は少なくとも信長とは敵対しているな。
682人間七七四年:2008/08/20(水) 00:21:56 ID:4Sve4E+7
>>679
城攻め成功の例だと武田の志賀城、箕輪城、をはじめとしてとにかく力攻めで
攻略する例もいくつもあると思うが。
島津の根白坂とかも全力攻勢だし。

するよ。ただ長いんで少しまってね。

織田にとっての最前線拠点で兵力も重厚に込められている砦なんだから
それを突破すれ後は普通に攻めていけると思うが。信長にしたって美濃にとどまってるし
一度とられた拠点をやすやすと再確保はさせんでしょ。浅井朝倉も。
683人間七七四年:2008/08/20(水) 00:24:26 ID:J5X7wmWN
まあ、尾張統一までは結構大変だったと思うよ。
ただ、尾張統一から畿内までの過程は、>>680が言うように、
ハードルはそんなに高くなかったんじゃないの。
684人間七七四年:2008/08/20(水) 00:24:51 ID:4Sve4E+7
>>681
国中頼み勢をできたのは信秀自身の勢力があったからだよ。
そりゃ痛いだろうがそいつらが一致団結して弾正忠家を相手にしたわけじゃないし。

その岩倉が信長と敵対してたのは知ってるよ。ただ信勝を担いだなんて話は覚えがない。

とりあえず>>662への反論に移るよ。
685人間七七四年:2008/08/20(水) 00:31:39 ID:25/R4n4E
>>678

>全然返しになってないんだけど。支離滅裂すぎ。

>主力を温存しただけでしょ
これがどこから出てくるのかが知りたいねw
願望入りすぎてて気持ち悪いんだけど

確定的なことが無い以上、後は当時の資料なり後の情勢から内情を類推するしかない
武田がの動向が不透明とはいえ小谷城救援の形で信長本隊を拘束できる可能性もあったのに
あっさり退陣して越前にひきこもった上に三方ヶ原の戦いをうけても手紙一枚で5月まで出陣不可ってなんだい
後の8月の出陣時に重臣たちの出陣拒否までされて主力温存もないだろ

臨機応変に動くなら賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が北ノ庄から近江に向かったのが2月末だから
3〜4月中の出陣ですらおかしくはないのに

これが俺の願望入りすぎというならもういいやw
686人間七七四年:2008/08/20(水) 00:40:43 ID:pR6hkY5R
>>662の反論って大変だろうなぁ。
こういう反論って意外と難しいんだよなぁ。
筆が滑って余計なこと書いて矛盾点作っちゃいけないし、
かといって最低限の言葉だけだと説得力が無いし。
687人間七七四年:2008/08/20(水) 00:41:27 ID:r4y3I8XH
>>680
>美濃の斎藤は全然攻めてこなかったけど。滅ぼしたのは幼君でクーデター騒ぎまで起きてる状況になってから。
信長が隙を見せなかったってのもあるけど、
まあ桶狭間が1560年で義龍死亡が1561年じゃどうしようもない、
義龍が生きていてもあっさり滅ぼしたかもしれないし、滅ぼせなかったかもしれない、
死んじゃったので実際はどうだったか分からないとしか・・・
それを無理やり死んだから勝てたんだということのほうがエコヒイキ

長野が生きていれば武田は上野を取ることが出来なかったというぐらい暴論

>後言っておくと別に信長を苦労してないとはいわんが。ただ周囲に同格の実力者と競合する場面が少ないので
>相対的にスムーズに進み、力の真空が生まれてる畿内に乗り込めたという話だが。
それは単に周囲の同格の実力者を軒並み排除することに成功した結果、一線を画した勢力となったというだけじゃ。

>それで尾張国内で相手する連中はその信秀以下の勢力なわけで。
そうでもないだろ、実際清洲家も岩倉家もそれなりの兵力を信長との戦いで出しているし

>>682
そりゃ強襲で落とせた例は多いだろ、攻略する例なんていくらでもあるだろ、
でも今問題にしているのは全軍が死傷してとまではいかなくてもある程度失敗しつつも強襲を繰り返した例
岩屋城攻めぐらい?信忠の高遠攻めも旗本投入していたが

>織田にとっての最前線拠点で兵力も重厚に込められている砦なんだから
>それを突破すれ後は普通に攻めていけると思うが。
堀切られた一旦追撃出来なくなるんじゃ?
それで一旦は堀や樋口の兵を根こそぎ動員して、残兵も集めてで次の城で迎撃するんじゃ
それであとはどこからまた兵力を拠出すればいいんだし、織田も消耗はしているだろうけど、
浅井朝倉ほどじゃないだろうし。

>信長にしたって美濃にとどまってるし
いつまで美濃にいるかわからないしな〜
武田にしても永遠に出兵できるわけじゃないし

>一度とられた拠点をやすやすと再確保はさせんでしょ。浅井朝倉も。
まあ仮に浅井朝倉が拠点を守るとして、城攻めで大きく消耗した上に今度は砦の再構築でまた出費?
それだけ犠牲出してもほとんど利益はなしで、小谷が解放されたというだけで、織田の交通を妨げれるわけでもないし
1572年の春の段階に戻せたというだけなんじゃ?
688人間七七四年:2008/08/20(水) 00:46:09 ID:4Sve4E+7
>>662への反論。
まず最初の武田の北条・今川との敵対関係だが、武田は今川とは同盟しているが、
信虎を預かってもらってもいるし、国力の面から行っても当初は何かと厄介な相手で
武田は今川と北条との戦いにおいて当主晴信自身が出陣している。このまま今川・北条との戦いが続き、
援軍に駆り出されたりし続ければ信濃攻略に力をそそげない状況になりかねない状況。
そこで晴信は今川・北条との和睦を取り持つ事でこの問題を解決。やがてこれは三国同盟の下段階になる。

諏訪家に関しては頼重は成年しており、文武に優れた人物であったと伝えられている。
山之内上杉家の侵攻も跳ねのけ、それだけでなく、武田村上を差し置いて山之内上杉と領土協定を結んで領土拡大に
務めるなどなかなかの曲者。武田の調略と威圧作戦で内部崩壊したから凡将とみられがちだが。

長時は武田の軍鑑では結構評価の高い人物だよ。実際塩尻で一戦で再起不能にされなければ
手ごわい相手だったと思われる。塩尻にいたるまでの長時の攻勢はなかなかのもの。

河越で大敗した後も山之内上杉は大軍を送り込んできてるんだけど。
これを武田が迎撃して打ち破ったのが小田井原の戦い。これで大敗してから山之内上杉の
信濃介入は静かになった。

村上自体は半分の国力だけど小笠原と組んでたからね。これに他の反武田勢が加われば
十分武田に対抗できるんだけど、小笠原が塩尻で一戦で大打撃受けちゃったから
その連合構想が崩壊してしまった。

長尾は途中までは多少武田より下くらいの国力だったが、北条攻め以後の後は
関東管領に就任し、上野と武蔵北部を得て武田を優に追い越す勢力となった。
この威光にびびって北信濃の豪族たちは争って謙信のお祝いにいってしまった。
さらに甲斐では上杉に呼応して武田宗家に次ぐ力を持つ勝沼一族が甲斐を乗っ取ろうと計画して
成敗される事件が起きている。この領国内の動揺を抑えるためにも全力をもって上杉を叩く必要に
迫られた武田が駿河・相模の国境守備兵まで動員して戦ったのが第4回川中島。犠牲はあったがなんとかこれを阻止した。
(続く)
689人間七七四年:2008/08/20(水) 00:51:30 ID:r4y3I8XH
>>683
そりゃ尾張統一以後から畿内まではそれなりに楽だったろうな
というか桶狭間まではいつ滅亡するかといったレベルじゃ
それに比べれば、三河とは同盟、伊勢は中小勢力ばかり
敵対している美濃は自国より若干劣るだからね〜

>>684
>信秀自身の勢力があったからだよ。
まさに勢力があったからだな、そしてその勢力を失ったと
土地だけじゃなく人的被害だって大きいだろ

岩倉は直接的に担いではいないにしても、協力はしていたと思うが。

>>685
この時期の朝倉は書状によると義景のお気に入りが留守中に家臣の所領を横領したりと問題発生
政治的にも帰る必要があったんじゃないかって気がする
690人間七七四年:2008/08/20(水) 00:54:56 ID:4Sve4E+7
>>662の反論続き
今川相手の時に問題だったのはむしろ北条や上杉といった外部環境で、
武田としてはこれらが動く前に速攻でこれを攻略することが求められた。
そして第一次薩睡峠の戦いで調略作戦でこれを一戦で崩壊させ一か月で駿府を攻略。
その後北条が動いた事でいろいろ錯綜したが、今川・北条を同時に相手する事は防げた。

長野攻め、というか西上野攻略戦が本格化するのは第4回川中島以後。
その頃には長野は普通に死んでます。そしてそれ以前はろくに戦った記録はない。

氏康の生存中に駿河はほとんど攻略されてるよ。

徳川は織田とセットみたいなもんだしね。

あー、長かった。
691人間七七四年:2008/08/20(水) 00:58:19 ID:4Sve4E+7
>>685
5月まで体制を整えてただけでしょ。越前は雪国だしな。
信玄生存して西上時なら望はあるし重臣たちもどう出るかな。
さらにはそれでなくても二万の兵を出せたしな。

692人間七七四年:2008/08/20(水) 01:09:31 ID:4Sve4E+7
>>687
なにいってんの。そのクーデター騒ぎまで起きてる幼君の内部混乱に乗じて
調略で滅ぼしたのに。14条でも河野島でも痛い目見せられてるでしょ。その幼君相手に。

周囲の同格の実力者で軒並み排除された、って誰よ。
道三とかからも初期はバックアップ受けてるのに。

清州家や岩倉家の兵力が浮き彫りになった戦いってあったか?

なんでいきなり連続攻撃の例になるんだろうか。
総力攻撃かどうかだろ?一番最初に問題とされていたのは。
あんたがこの当時では数分の一の戦力で攻撃するのが普通、みたいに書いてたから
総力攻撃の例をあげたんだよ。一部隊の攻撃以後どうするかは戦略次第としかいえんだろ。

兵力のこめられた最前線拠点を攻略すればその後はそれより守備が薄いのだから
押していけるでしょ。

それは信長もだね。2正面作戦をできる状況じゃない。

信玄が東から押してる。信長主力は美濃。これならさすがに朝倉浅井の主力をもってすれば
押していけると思うが。
>>689
その国外勢力は減ったけど国内勢力は残ってるよ。しっかりと。
その協力をうかがわせる資料なり記述はあるかい?
岩倉にすればどっちが勝っても弾正忠が一つになるだけなのに。
693人間七七四年:2008/08/20(水) 01:10:42 ID:4Sve4E+7
とりあえず寝る。
694人間七七四年:2008/08/20(水) 01:11:56 ID:r4y3I8XH
>>688
>まず最初の武田の北条・今川との敵対関係だが、武田は今川とは同盟しているが、
同盟ってのはそんなもんだと思うが。
それでも敵対するよりは遥かにいい、つかこれをハンデと考えるのはいくらなんでも酷すぎ、
織徳同盟も、畿内に援軍出したり武田との交戦を邪魔されたりと余計なことだったとでも言うのだろうか?

諏訪は頼満の功績と比べると未知数ではあるが継いでから2年、しかも孫だし、周囲はどう思うことか、
事実高遠はついにいった感じだが離反したしな
あの日記は領土協定か単なる和睦か何とか現状維持できただけのものかで意見別れているはずじゃ
あと武田村上を差し置いてと言うより、武田村上がお互い混乱中で動けなかっただけじゃ?

長時は軍鑑でも武勇は優れているとはされているが性粗暴なため、国人衆に嫌われ、
それが塩尻の離反につながったとも言われているな、それにそもそも精精2郡程度の勢力だし

上杉に関しては河越が1546年4月20日と言われ武田の佐久攻めが1546年5月
時系列で見れば一目瞭然じゃ?
またその翌年無理やり動員いしたのか小田井原に軍を送りこんだが、どの程度回復していたのか、
それにこの小田井原結果もあるだろうが、関東で北条が上杉を追いつめているのも事実だし
上杉を一旦追放したのも北条、武田も無とは言わないが、主は北条かと思う。

村上は国力では武田の半分以下な上、高梨氏と抗争中、また小笠原とも同盟はしていなかった、
武田の失策によってそれらが結びついたに過ぎない、
これを評価するなら、織田の敵である六角三好浅井朝倉も同盟していて織田に匹敵するような国力ってことで
畿内は弱小というのを否定することになる

長尾上杉と北条は一応挙げただけだから特に反論しない
695人間七七四年:2008/08/20(水) 01:18:04 ID:hmOVDybg
>>692
>信玄が東から押してる。信長主力は美濃。これならさすがに朝倉浅井の主力をもってすれば
>押していけると思うが。

>>691
>5月まで体制を整えてただけでしょ。

5月までは時間があるということだから信長は浅井朝倉は無視できるということでいいのかな?
岐阜の主力を武田に向けられると。信玄は家康を無視できそうにないけど。
後は本願寺の動向と武田軍の能力と継戦能力しだいか。
696人間七七四年:2008/08/20(水) 01:18:19 ID:r4y3I8XH
>>690
今川に関してはあなたも言っているように今川自身は問題ない勢力だったのに、
武田が上杉北条の介入を招くと言う失敗を招いてしまったってことで、
今川自身はこの時点では武田から見れば弱小勢力になっていたんじゃ

長野に関しては実質ほとんど関係ない時系列考えれば全くその通り
義龍と一緒だな

ただまあ義龍には生きていればまだ多少考慮する点はあるだろうけど、
業正に関しては生きていても国力差からいずれは滅んだと思うがな

徳川に関しては織田は当初はというか岩村攻めまでは中立、
両者の和睦をはかっていたような
武田も徳川も必死に相手が悪いって織田に対して訴えていたが
697人間七七四年:2008/08/20(水) 01:19:20 ID:g1+BpQvn
今このスレに来たが、長文ばっかで内容が全く分からん。

誰でもいいから簡単に説明してけろ。
698人間七七四年:2008/08/20(水) 01:21:50 ID:hmOVDybg
信玄が死んじゃったんで武田は上洛できませんということ
699人間七七四年:2008/08/20(水) 01:30:11 ID:g1+BpQvn
総大将が亡くなったんじゃ上洛なんか続行不可能だと思うけどな。
700人間七七四年:2008/08/20(水) 01:30:39 ID:pR6hkY5R
>>697
信玄上洛に呼応して、近江の浅井や朝倉が押し出せば信長は滅んでたよ
朝倉に押し出す余裕無かったよ(ボロボロだった)
余裕あったけどやらなかっただけだよ(ただの朝倉の判断ミス)

要するに信長は色々と運がいい。例えば簡単に手に入れられるような小勢力しか近郊に無かった。
そんなもん信玄だって同じじゃないか
信玄は違う←ここ
701人間七七四年:2008/08/20(水) 01:33:37 ID:oPMgmM7S
>>691
財政に余裕があったから
無理せず戦力を整えたわけか
確かに
信玄西上で新たに充実して挑んだほうが
勝ち目はある

結果的に
敵前逃亡したから存亡の芽をもつんだわけw
702人間七七四年:2008/08/20(水) 01:45:02 ID:r4y3I8XH
>>692
事実だろ
だいたい義龍が生きていても内部混乱は起きていたかもしれないし、
義龍の功績は国を治めたぐらいで、特に功績ないから実力がどの程度かいまいち分からないし
そもそも幼君が強かった可能性だってあるし、(もっとも龍興が指揮していたか分からないが)
十四条も戦術的には痛み分け、戦略的には墨俣付近を奪われて負けているし、
河野島も川の道筋が変化するというほどの洪水の時だったからじゃ

公記に岩倉の兵力は載っている

>なんでいきなり連続攻撃の例になるんだろうか。
全力というか全軍が直接参加するほどの強襲があるのかと言いたいんだが

>兵力のこめられた最前線拠点を攻略すればその後はそれより守備が薄いのだから
虎御前山は宮部まで連絡壕じゃないけど、軍道があり水掘りもあったんだから
順次守っていけるんじゃ、それに虎御前山に砦が出来たのは1572年夏で、
それ以前の拠点を破却しているはずないから、いくらでも防御拠点はあるのでは?

>信玄が東から押してる。信長主力は美濃。これならさすがに朝倉浅井の主力をもってすれば
>押していけると思うが
そりゃ同時に攻勢に出ている時は押せるかもしれないが、兵站は織田が有利だし、経済力も織田が有利だし
いずれは反撃されるんじゃ、そもそも、兵力は織田の方が上かもしれないし

>国内勢力は残ってるよ。しっかりと。
具体的には?犬山とか河内とか春日井とか微妙なことになっていると思うが。

>>695
織田にだって朝倉が一旦本国に帰った以上、春まで動けないと言うのは分かっているはず、
いわばチャンスであるのに動いていない、
織田にとってはそれほど差し迫った状態じゃないんじゃないかって気がする。
703人間七七四年:2008/08/20(水) 02:27:11 ID:J5X7wmWN
>>691
>今川相手の時に問題だったのはむしろ北条や上杉といった外部環境
一番の問題は三国同盟の反動じゃないかい?
三国同盟を維持し対上杉延長を望む武田家中内部と、
三国同盟崩壊によって関東に集中する事に支障がでると判断した北条でしょ。

三国同盟破棄によって事実上、越後攻略を諦めて東海ルートに本腰を入れなおした。
三国同盟は三国のだいたい均衡した力が前提で、
三国が互いにけん制する事によって、それぞれの目的に集中する事で形成されたもの。
義元戦死で、今川家弱体化は三国同盟の賞味期限切れを意味するんだね。
ただ三国同盟破棄は戦略構想の大転回であり、内部に大きな混乱が起きて
武田家最大の分裂危機だったが、うまく信玄はまとめたね。
704人間七七四年:2008/08/20(水) 03:43:31 ID:aHzOW63V
>>678(ID:4Sve4E+7)
>その条件に至れたのはお前さんが意図的に無視している諸条件のおかげだ。
>それで結局最後は条件無視して決め付けと断定か。あさましいな。
おいおい。
諸条件を意図的に無視しているのは気味の方でしょ。
私が何の諸条件を無視したというんだね?
あさましいとか言っているが君は無能かね?

信玄の都合が悪いことは無視し信長の都合が良いことだけ取り上げて楽しいのか?
君だけが信玄の誕生の早さを無視しているんだがな。


705人間七七四年:2008/08/20(水) 03:50:57 ID:aHzOW63V
つーか[ID:4Sve4E+7]は美濃獲得競争で信長が信玄より先に抑えたということを理解してないのか?


706人間七七四年:2008/08/20(水) 13:07:29 ID:Nsco0cu3
25000で上洛(笑)
707人間七七四年:2008/08/20(水) 13:57:25 ID:KmWTeu7D
武田騎馬軍団は4倍の敵を撃破したので!
津本陽も言っています。
世界でも隔絶した実力を持っていた!
信長はいくらがんばっても4倍の10万を信玄公にぶつけることはできなかったので!
あと3年あれば武田幕府が天下を統一した!
数字的裏付のある確定事項といえます。
708人間七七四年:2008/08/20(水) 14:16:54 ID:cdgNSLDG
津本って典型的なマイナス思考だよな。
作者見ないで読んでも分かる位のマイナス思考。
709人間七七四年:2008/08/20(水) 14:30:42 ID:g1+BpQvn
>>707
とりあえず乙〜
そして“さようなら”。
710人間七七四年:2008/08/20(水) 17:41:36 ID:Kag5UU3G
ツモ
711人間七七四年:2008/08/20(水) 17:54:34 ID:Kag5UU3G
タイプミスでおくっちまったが
津本陽の小説は、あれ小説なんか?ってレベルでつまらんね。
信長があと10年生きてたら産業革命してたとかなんとかいってるし。
スレ違い失礼
712人間七七四年:2008/08/20(水) 18:52:19 ID:rB1N2/MG
>>707
一度[武田征伐]の流れを調べるべし!
713人間七七四年:2008/08/20(水) 19:50:17 ID:Bo6QYCTv
武田の騎馬隊マジ無敵マジ最強ー
信玄采配の奇襲突撃戦法だと信長も家康もうんこ漏らしちゃうんだからねー
勝頼の若気のいたりのせいで長篠で大敗しただけー
つまり信玄が生きてたら中国ですら制圧しちゃってたわけで
個人的には大大満足です♪


714人間七七四年:2008/08/20(水) 20:01:52 ID:KmWTeu7D
おまいら全員ふざけるな!
このスレを最初に立てたヤシは信玄公の事蹟に難癖をつけるために立てたヤシだ!
何年も同じようなふざけた内容を繰り返すこのスレは終了することを決定する!
715人間七七四年:2008/08/20(水) 20:17:54 ID:Nsco0cu3
再開
716人間七七四年:2008/08/20(水) 20:31:30 ID:n8bCzDI2
津本陽の小説「下天は夢か」だったか、
いよいよ、ストーリーはヤマ場、というところで、
だらだらと、さっと書き綴ってしまうので、
盛り上げに欠けて、これ読んで感動する人いるんかいな、とあきれたもんだ。
上司からもらった文庫本だったが。モロに武功夜話を元にしてるから、
史実的にもあてにならんわ
717人間七七四年:2008/08/20(水) 21:31:57 ID:ZM0RtxW8
信玄公は神、いわゆるゴッドなのだ
それを人間が評価しようとは…不敬すぎるぞ
718人間七七四年:2008/08/20(水) 22:04:00 ID:g1+BpQvn
なるほど、
ここはネタスレか…なっとく。
719人間七七四年:2008/08/21(木) 00:33:09 ID:XPZP1v69
なんとか帰宅。
>>694
実際そのまま今川の主張通りに北条を攻めていれば被害甚大になっていたのは
ほぼ間違いないだろうがな。同盟国のマイナス面も無視して語るのは浅慮。

高遠が裏切ったのは武田の調略によるもの。それを無視するのはいただけんな。
そしてその領土協定を武田村上に一報もせずに結んだのは諏訪の協定違反だな。

村上としっかり連携してるけどな。長時は追放された後も村上を頼ってるし。

何が一目瞭然なわけで?実際それだけの大軍を送り込める力をもっていたわけだが。
それを武田が一戦で撃破しなければその大軍を使って信濃に影響力を行使していたさ。
ま、北条の力が大きいのは否定しないが。

なんか勘違いしてるな。畿内が弱小というのは三好政権以降の分裂した連中なんだけど。
現に信長上洛であっさりつぶされたな。そして小笠原も村上も連携して諏訪を攻めているはずだが。
無理に信長の相手と信玄の相手を混同しすぎ。
720人間七七四年:2008/08/21(木) 00:37:11 ID:XPZP1v69
>>696
上杉とはもともと宿敵だし、北条も上杉に異常なまでの譲歩をして武田に向かってきた。
こんなのどうすりゃいいのよ。それを失策なんていうのが無理ありすぎ。
そして今川自身は弱小とまではいえんな。薩睡でもそれなりの兵を出してきたみたいだし。

なんで幼君で内部がたがたの斎藤にあれだけ苦戦した信長が
義龍で内部まとまってても同じように勝てると思うのだろうか。
長野との違いはあなた自身がいってるようにその国力差。
721人間七七四年:2008/08/21(木) 00:47:43 ID:XPZP1v69
>>702
何が事実?かもしれない理論でいったら何でもありになるぞ。
義龍は道三と争って美濃衆の圧倒的な支持を受けて道三を破り、
美濃を安定して統治した人物。これを幼君と同じく内部混乱起きたなんていうのは
無理ありすぎ。実際見事に統治してるんだから。

14条が痛みわけ?何をいってるんだ。戦略的勝ち?何をいってるのやら。
森部・14条・軽見を無理にいっしょくたにしてるだけだろ。
現実の14条は森部で勝って墨俣を確保したのに味を占めてさらなる拡大を狙ったら
14条で斎藤勢に迎撃されて一族まで戦死する敗北して撤退しただけだが。
そして軽見まで逃げたら斎藤勢に襲われたので夜まで戦って痛みわけただけの話。
第一この理屈でいったら堂洞が完敗になるが。

具体的にあげてみ。どこの段?

野戦攻城の例なら長篠、根白坂とかあるな。

防御拠点があっても防御戦力はないな。少なくとも虎御前に入ってたほどのは。
天王寺でほぼ無傷だった明智勢が勢いづいた一揆勢の攻撃に半日も持ちこたえられないと
言ってるように勢いづいた敵と突破された防衛線でしのぐのはそれだけ困難。

そのいずれ、っていってもいつになるやら。いくら織田でも全方向で一斉反撃できる力はないよ。
織田主力が向かったほうでこう着状態を作って他の方面で切り取っていけばいい。

急いで京都攻めたりしてるけど。わざわざ美濃から動いてないわけだけど。
無理に大した状態じゃないというのがなんとも。
722人間七七四年:2008/08/21(木) 00:53:17 ID:XPZP1v69
>>704
HPの更新はどうした?レスできないんじゃなかったのか?
結局ここでも具体的な反論はなしか。
無能といえば見下せたつもりか?結局こちらがあげた諸条件は一切無視してるくせによくいえたものだ。
先に生まれたからなんだって?その周囲の強豪もしっかり生まれてるんだが。
自分が不利になると逃げ出し、人の尻馬に乗って相手がいなくなった後に書き込んで
勝ち馬に乗ろうとするお前の姿勢があさましいといってるんだよ。
そうでないというならさっさとお前の脳内HPの更新にうつるんだな。

>>705
美濃獲得競争?そんなものがあったとでも思ってるのか?
武田は越後から関東に存在する強力な上杉勢力との戦いから必然的に北信濃・西上野と
向かっていかざるをえないんだが。
美濃を攻めてたのは織田だけ。そして武田の一部隊が美濃国境に迫ったら
あわてて信長は武田に同盟を申し込んでるんだが。
信長万歳の空想歴史はやめような。
723人間七七四年:2008/08/21(木) 00:54:07 ID:XPZP1v69
本日はこれまで。反論あったら書いておいて。
724人間七七四年:2008/08/21(木) 01:50:34 ID:UK4XRMxg
ところで義龍が死んで幼君のもとで内部分裂ってなに?それこそ史書にないよ?
あなたが脳内根拠で妄想しているだけ。

たしかに龍興は、後年信長の侵攻を阻止できず、豪族達から見限られて離反
されていくことになるが、初期のうちは一族側近の支えによって普通に破綻も
なく統治していた。安藤竹中のクーデターも、同調者が出ず、つまり龍興を
支持された結果失敗に終わった。

あなたの主張は、信長の失敗面だけを取り上げてあげつらっている。美濃侵攻で
信長に敗戦があったのは事実。しかしそれを遥かに上回る戦勝の結果、龍興は
弱い、自分達の権益を守ってくれる力が無いと豪族達は見限って、信長の調略に
応じて離反していくことになる。美濃がボロボロになるのはこのあたりからだな。

信長は戦に弱くて負け続けたけど、調略で豪族達を寝返えさせられて美濃は滅んだ
なんていつの講談だか。戦に負け続ける弱い武将の調略に応じる豪族なんていないよ。

それから美濃獲得競争というほどではないが、武田は一時期たしかに美濃へ食指を
伸ばしていた。それを軍事と外交で美濃から手をひかせたのは信長の手腕でもある。
725人間七七四年:2008/08/21(木) 06:00:29 ID:bjvMcu0Q
遠江で2000死亡
三河で3000死亡
尾張で2万死亡
武田遁走
726人間七七四年:2008/08/21(木) 07:08:09 ID:mprBzG3F
>>724
脳内で妄想してるのはそっち。
どこまでひいき目にみれば気がすむんだか。
クーデター騒ぎまで起きてる状態で、しかもその犯人を成敗する事も出来ない状態を見れば
どれだけ美濃が指導力を欠いた状態だかわかるはず。
そもそも竜興は13歳の中学一年生で家督を継いでいるんだけど。
これじゃあ指導力なんか発揮できるわけがない。

それを上回る戦勝?そこまでの大勝はしてないように思うがね。最後の美濃攻略まで。
美濃侵攻が一進一退だからこそ信長も加治田が寝返った時大喜びしたんでしょ。
第一竜興は幼君なんだから周囲だって不安に思うさ。成人してて尾張をもってる信長と比べて
どっちが頼りになりそうかともね。
戦に弱くて負け続けた、なんて言ってないけど。勝てたのは指導力を欠いた状態で幼君で周囲からも
信頼されきれない美濃に調略で成功したといってるんだけど。

一時期っていったって本当に一瞬だけど。軍事で手を引かせられたことなんかないでしょ。
遠山一族は武田と織田の両属になったし。
第一武田自体もあの時は西上野攻略に忙しかったから信長の申し入れを承諾したのは
順当な結果だと思うが。
727人間七七四年:2008/08/21(木) 08:16:57 ID:Y/buw+P0
≫720
まるで戦国時代に生きてたかのようにアツク語ってるけどさ

>北条も上杉に異常なまでの譲歩をして武田に向かってきた。

↑この理由考えてみ?
1)危険な存在だから
2)食いやすい存在だから

さーどっち?
728人間七七四年:2008/08/21(木) 10:18:14 ID:bhbXIBB1
>>727
危険な存在だから
729人間七七四年:2008/08/21(木) 12:29:56 ID:wq/grsuM
武田の騎馬隊マジ無敵マジ最強ー
信玄采配の奇襲突撃戦法だと信長も家康もうんこ漏らしちゃって絵描かせるんだからねー
勝頼は若気のいたりのせいで長篠で大敗しただけー
つまり信玄が生きてたら朝鮮どころか中国大陸ですら制圧しちゃってたというわけで
個人的には大大満足です♪
730人間七七四年:2008/08/21(木) 14:24:30 ID:eCjMIe+3
とりあえず上洛はムリって結論?
で火病った信玄厨が信長叩きって流れでおK?
731人間七七四年:2008/08/21(木) 14:57:36 ID:wq/grsuM
信長焼き討ち本能寺
信長焼き討ち本能寺
信長焼き討ち本能寺
信長焼き討ち本能寺
信長焼き討ち本能寺
信長焼き討ち本能寺
732人間七七四年:2008/08/21(木) 15:39:45 ID:bjvMcu0Q
信長本隊は伊勢・摂津・近江方面に常駐してたことからも分かるように
武田の評価は本願寺・朝倉浅井連合軍以下。
武田が三河を前に遁走したのは勝ち目が無かったから。
733人間七七四年:2008/08/21(木) 16:10:23 ID:i1VR6ns7
ID:UK4XRMxgの垂れ流しオナニーは酷いので自重するように
妄想は程ほどにね
734人間七七四年:2008/08/21(木) 16:12:31 ID:i1VR6ns7
ID:mprBzG3Fが頭悪すぎなので支援してみました
自演じゃないよ
735人間七七四年:2008/08/21(木) 20:25:20 ID:UFqLAOkD
反論のための反論というか・・・
なんでID:XPZP1v69は信玄だけをひいきして偏った擁護するんだ?
お前だけじゃないかこのスレで特定の武将をひいきして評価しているのは。
736人間七七四年:2008/08/21(木) 20:31:20 ID:zNqKE9vV
>>730
この段階で
一気に上洛するは現実的でないってのは
大半が同意見でしょ
徳川制圧が現実ってことじゃないのw
737人間七七四年:2008/08/21(木) 22:27:43 ID:/KtPKSoJ
誰かID:4Sve4E+7の662の反論が全然反論になってないの突っ込んでくれないかな。
オレめんどくさいんからしないけど気になってしょうがないんだよ。
738人間七七四年:2008/08/21(木) 22:33:10 ID:gZHuuHmN
>>730
どこでそんな結論でたんだろうか。
叩きというか普通の意見だが。いくら君が信長を好きでも14条や河野島が
勝ち戦になったりはしないぞ。勝手な認定は信長厨の得意技かい?
>>732
信長は信玄西上の時はほぼ美濃にいるんだけど。
>>734
賢い反論とやら教えて。いや、まじで。
>>735
別に信玄だけひいきとはいわんが。
あげてることは事実だが。上杉でも北条でも擁護できるよ。その気になれば。
信長とて過度にもちあげられなければ評価もするし。
>>736
ま、一気に上洛とはいかんだろうな。
ただこの機会に織田と反織田勢の勢力が錯綜して状況が混迷化。
その後の結末や最終的な勝者は未知の領域になるだろうな。
739人間七七四年:2008/08/21(木) 22:35:43 ID:gZHuuHmN
>>737
要するに具体的に反論できないわけで。
さみしいな。
740人間七七四年:2008/08/21(木) 22:45:10 ID:/KtPKSoJ
>>739
方々からつつかれながらなお活き活きとレスを続けることの出来る>>739を見ていたら、
確かに自分のバイタリティのようなものの無さを寂しく思う。

まぁそろそろ終わりそうだし、このまま誰も反論せずに進めば>>739の望む終着を迎えると思うので、
まぁあとちょっとだから頑張って欲しい。と言われなくても頑張るか。
ところで前に他のスレで「天王寺合戦は大したことなかった!」っていってた人?
いや、違ったらいいが。
741人間七七四年:2008/08/21(木) 22:49:43 ID:gZHuuHmN
>>740
ま、実際そのつついてくる織田厨の論とやらが反論できるものだから仕方ない。

「天王寺合戦は大したことなかった!」なんて言った事はないが。
ただ一揆勢の兵力が瞬時に1.5倍になってたり、砦の兵力が無視されてるとは
言った事はあるかな。
742人間七七四年:2008/08/21(木) 22:54:34 ID:/KtPKSoJ
>>741
ああ、ならそうだわw懐かしいな。
そんときねっとりと議論の相手してやったのはこの俺なw
743人間七七四年:2008/08/21(木) 22:57:43 ID:gZHuuHmN
>>742
正直よく覚えてないな。いつどこのスレの話だっけ?
744人間七七四年:2008/08/21(木) 23:00:33 ID:gZHuuHmN
>>742
後、俺と似た論を展開してるけど俺じゃない、っていうのは結構あるから。
君と議論したのは別人かもしれんよ。
天王寺について俺がだいたい同意なレスをしてた人いたし。
745人間七七四年:2008/08/21(木) 23:03:45 ID:/KtPKSoJ
>>744
まぁ確かにそうか。「sage 」じゃないの?
746人間七七四年:2008/08/21(木) 23:09:25 ID:gZHuuHmN
>>745
随分前にメール欄を間違えてsageの末尾の間隔をあけてた事はあったかな。
747人間七七四年:2008/08/21(木) 23:10:21 ID:gZHuuHmN
ただそのsageの末尾をあけてレスしてる人は俺以外にも
何回か見かけたね。これ本当。
748人間七七四年:2008/08/21(木) 23:14:57 ID:/KtPKSoJ
>>747
恥ずかしがるなって。「sage 」と入れて「天王寺合戦」のことを論じた者はお前しかいないだろw
749人間七七四年:2008/08/21(木) 23:17:21 ID:gZHuuHmN
>>748
いや、恥ずかしがってなんかいないって。
正直その時がいつでどんな展開だったかもよく覚えてないし。
sageの末尾あけてた人を何回か見かけたのも本当だし。
750人間七七四年:2008/08/21(木) 23:54:07 ID:gZHuuHmN
まあ寝る。
751人間七七四年:2008/08/21(木) 23:57:00 ID:C97ETXIj
昔の恥ずかしい話で盛り上がっている最中申し訳ありませんがとりあえず投下しておきます。

>>722
>HPの更新はどうした?レスできないんじゃなかったのか?
君ほど無能ではないから更新の方には時間かからんよ。
むしろネトゲーの方が長時間だなw

>結局ここでも具体的な反論はなしか。
何か反論を出して欲しいのか?
まるで物乞いですね。
君みたいな無能が答えられるわけがないので遠慮しておきます。

>無能といえば見下せたつもりか?
ちなみに先に「あさましい」という言葉を使ったのは君の方だよ。お忘れかい?
君の頭はそんなことまで忘れてしまうくらいの低脳ということで処理しておきます。
君の低いレベルにつきあわされているこっちの身にもなってくれよ。
別に見下したつもりはないが君がそう感じるなら君の卑しい心の問題ですね。

>結局こちらがあげた諸条件は一切無視してるくせによくいえたものだ。
君の諸条件て何?
信長の都合だけ採用し信玄の不都合は不採用のこと?

>先に生まれたからなんだって?その周囲の強豪もしっかり生まれてるんだが。
君の言い分は「信玄だけが周辺敵国に囲まれて信長は周辺に敵国が無かった」と言いたいんだね。
これこそ無能の極みと思いますがね。

>自分が不利になると逃げ出し、人の尻馬に乗って相手がいなくなった後に書き込んで
>勝ち馬に乗ろうとするお前の姿勢があさましいといってるんだよ。
あれ? 
おいら、いつから不利になった?
いつ逃げると書いた?
君の頭の中ではすごい妄想が広がっているんで吃驚です。
勝ち馬も何もたまたまこちらが正論を書いているからみんなから非難されないだけで、
君のような酷い内容の妄想では勝ち馬に乗ることはできないだけだと思うんだがね。
君の行いは因果応報だよ。

しかし君はここまで書いてみんなに認められないとは喜劇を通り越して悲劇だね。


752人間七七四年:2008/08/21(木) 23:59:31 ID:C97ETXIj
>>722
>美濃獲得競争?そんなものがあったとでも思ってるのか?
君のような信玄の不都合を見ることができない人は事実から目を背けることしかできないと思いますがこれは事実。

>上杉勢力との戦いから必然的に北信濃・西上野と向かっていかざるをえないんだが。
それこそ信玄が鈍間なだけだな。
北信濃と西上野に手を出して無為に時間を過ごしているのが理解できないらしい。
信長の方は今川の西進を退け美濃攻略に着手し無駄無く行動している。ここ理解できてるかい?

>美濃を攻めてたのは織田だけ。そして武田の一部隊が美濃国境に迫ったら
>あわてて信長は武田に同盟を申し込んでるんだが。
その通り信玄は信長の手紙と引き換えに美濃を手中に収めることができませんでしたね。
ちなみに慌てたのは信玄の方ね。
信長の先手に遅れを取った信玄は美濃から手を引く結果に追い込まれます。(岩村周辺は確保)
信長は軍事面では森に武田勢を当てさせ、外交面では手紙一枚で信玄をあしらう。
先の文で美濃獲得競争を否定してここで肯定している君の無能さが面白い。

どうせ信玄贔屓は手紙の文面に執着するんだろうが、信玄が信長に美濃獲得競争に負けたことは事実。



>信長万歳の空想歴史はやめような。
別に信長万歳ではないよ。
君の妄想がそう感じさせているだけですね。
このスレでは信長と信玄、平等に捉えています。
嫌いがいなければ好きもいませんね。


753人間七七四年:2008/08/22(金) 00:00:36 ID:gZHuuHmN
>>751
おお、寝る前にのぞいてみたら脳内HP更新くんじゃないか。
元気だったか。昔の恥ずかしい話でもなんでもないんだが。よく覚えてないだけで。
しかし君は本当に人がいなくなった時にあらわれるんだなw
その喜劇ぶりに敬意を表して相手してあげようかwちょっとまってなw
754人間七七四年:2008/08/22(金) 00:03:08 ID:Q2NqKNVn
>>753
>しかし君は本当に人がいなくなった時にあらわれるんだなw
君が世界の中心だからそう感じるだけだよ。
その重度な自己中心ぷりにワロタw


755人間七七四年:2008/08/22(金) 00:04:59 ID:Q2NqKNVn
つうか寝るんじゃないのかよw
このスレが心配で寝れないみたいだな。


756人間七七四年:2008/08/22(金) 00:07:49 ID:Q2NqKNVn
おいら別に君からの返レス求めてないからそんなに頑張らなくてもいいんだがなw
おいらはネトゲーに行くから心配するな。
君は安心して早く寝ろよ。


757人間七七四年:2008/08/22(金) 00:08:13 ID:i8FKSkKW
>>751
おやおやwじゃあレスできない、なんていったのは単なる逃げ口上だったわけだw
滑稽きわまりないな。

結局具体的には返せませんと。無能とだけ吠えるしかできなくてなによりw

実際あさましいじゃないかw不利になったら時間もろくにかからないHPの更新とやらを
口実にして逃亡し、人がいなくなった深夜にあらわれて書きこんで他人の尻馬にのってるんだから。

いやいや。君が一切無視してる信玄側の都合の事だよ。
存在もしない美濃獲得競争でっちあげして信長もちあげとかねw

「敵国がない」なんて一言もいってないけど?
「同格かそれ以上の相手と競合する時がほぼなかった」といってるんだけど。
国語もできないとは無能の極みw

ん?具体的にこたえられず、すぐに終わるらしいHPの更新とやらを口実にしてレス出来ないとかいって
他の人に丸投げするのはどう見ても不利としか見えませんけど?
それから君の論理は「正論」なんてもんじゃないな。君を支持してる人も厳密にはいない。
君が同じ意見と思ってる人のレスを見てみな。美濃獲得競争なんて言ってる人は一人もいないからw
758人間七七四年:2008/08/22(金) 00:10:08 ID:i8FKSkKW
>>754〜756
驚異の三連投www必死杉www
論理もなく必死に他人の尻馬や人がいないすきを狙って投下して
勝ち馬に乗ろうとしてる君の相手が面白いだけw
759人間七七四年:2008/08/22(金) 00:21:15 ID:i8FKSkKW
>>752
さてさて。具体的な反論はなく、抽象論や単なる相手への煽りレスだけで終始した
>>751だったわけだが、ここではどうなのだろうかw

だから事実というなら具体的にあげてみなw
信玄がいつ美濃を獲得するために信長と競争してたのかをw
どんな史実を紐解いても信玄が西上野攻略戦の最中に武田の一部隊が美濃に接触し
織田があわてて同盟を申し込んだという史実しか存在しないけどなw

鈍間?全然理解できんな。自国をはるかに上回る力をもつ強大な敵が南下してきているのに
美濃にむかえるだなんていうとんちんかんな理論はねw
無駄なく?その割には将軍の誘いに乗って上洛しようとして斎藤に妨害されて逆上してるけどw

信長の先手に後れをとった信玄以下略wwwww
ここまで来ると腹が痛いwwwww
2chのレスでここまで笑ったのは久しぶりだw
岩村の遠山氏は結局武田と織田の両属になったんだけどw
これを織田は西上直前に自分の領土に取り込むのな。
侵攻した武田が美濃に地盤を確保して信長のほうから縁戚同盟を申し込んでいる
事実は変わりませんw
第一西上野攻略戦の大詰めだった信玄にしてみれば主力なんか美濃に派遣してないんだけど。
それで競争とか信長が撃退してるとかwww

どう見ても信長万歳で妄言はいてるとしかみえません。
これで公平とかいったらそれこそお笑いだな。
760人間七七四年:2008/08/22(金) 00:32:19 ID:IQ+s0TPk
君ら二人はいつの時代の住人なのですか?w
両者必死すぎです

農閑期にしか出兵できず、略奪上等の信玄が天下とれたはずもなく当然の帰結
信玄に比べ信長が地理的に周囲の敵にも恵まれてたのもまた真実

なるべくしてなった歴史でしょ
IFの話いくらしたってくだらない
761人間七七四年:2008/08/22(金) 00:33:42 ID:6CCjUmVd
>>741さんは
>>2をどう思うの?
実現可能だと思う?
762人間七七四年:2008/08/22(金) 00:39:07 ID:i8FKSkKW
>>761
話の前提から崩すようだが、俺は>>2が絶対必要な条件とは思わないし、
(結構恣意的な部分が見受けられる。前に織田厨が皮肉で作ったとかいってたような。)
短期の上洛に執着する気もない。
俺はあくまでも信玄生存して西上していけば状況が錯綜して歴史の流れが未知の領域へ進む、
という考え。
763人間七七四年:2008/08/22(金) 00:42:50 ID:i8FKSkKW
まあそろそろ本当に寝る。>>756のレスが本当かどうか明日が楽しみだw
このレスを書いたすぐ後ににレスが来たら大爆笑だな。
764人間七七四年:2008/08/22(金) 00:43:51 ID:zPktwqP+
アレを作ったのは武田厨だっていう話を聞いたが
765人間七七四年:2008/08/22(金) 01:00:07 ID:6CCjUmVd
確かに>>2は短期上洛前提で、不可能に近い皮肉だけど
長期展望はあなたの言う、未知の領域が多すぎて・・・
武田が1572〜3年くらいの圧力を織田に加えないと
足利・朝倉・浅井は滅亡する可能性の方が高いし
上杉がまったく何もしないとも思えない
徳川も武田本隊が甲斐に帰れば活動するだろうし
未知の領域を最大限武田有利に考えれば上洛も出来るだろうけど
これは出来の悪い仮想戦記でしょ
766人間七七四年:2008/08/22(金) 01:48:30 ID:ZR/GvZPY
ただ、>>2は皮肉と切り捨てるには意外と悪くない部分を突いているように思う。
ここは、sage の思う短期決戦の前提条件、長期決戦の絶対条件を掲示してもらおう。
767人間七七四年:2008/08/22(金) 01:48:49 ID:EzjWgPH0
いろんな論議がごちゃまぜで内容がよく分からん。

>>764
アンカーぐらいつけてくれ、アレって何ですか?
768人間七七四年:2008/08/22(金) 01:50:10 ID:JqNvGG0a
ifにしても限界があるしな…
信長が甲斐に生まれたらなんて言ってる人には無駄かもしれんが
769人間七七四年:2008/08/22(金) 01:53:18 ID:zPktwqP+
信長の領土拡大スピードから考えると、別に甲斐に生まれても領土広げれそうだが
今川義元を桶狭間みたいに倒せれたらの話だが…
770人間七七四年:2008/08/22(金) 01:59:34 ID:EzjWgPH0
桶狭間で運良く今川軍に勝利したが、
織田軍があそこでもし敗走
(織田信長は存命で)
してたら織田信長のその後は絶望だな。
771人間七七四年:2008/08/22(金) 02:07:35 ID:zPktwqP+
実際、織田信長以外桶狭間の局面を突破できる奴っているのか?
信長でも何十回、何百回やって一回突破できるかどうかぐらいだろ
秀吉でも、元就でも可能かどうか…

信玄と謙信みたいに何年もダラダラ戦い続けるってのならまだ方法はあるが
772人間七七四年:2008/08/22(金) 02:56:22 ID:AFLWwaQP
>>771
今川の全盛期は
義元の親父の代まで
雪斎、朝比奈泰能まで死んで
桶狭間の段階では家臣団は弱体しまくり

桶狭間が起きなくてもいずれ
信玄は今川を攻めてたよw信長と同盟して共闘な感じでw

手が出せなかったのは
北条とかの関係問題
北条の目が関東に向かえば問題なし

てか桶狭間は信長が先に仕掛けて押していたから起きたもの
いずれ信玄がちょっかい出してくるのは明白で
義元もそれを恐れていたんでしょ

桶狭間も上洛じゃなさそうだしw
773人間七七四年:2008/08/22(金) 03:05:55 ID:ZR/GvZPY
>>772
そういえば、よく桶狭間の分析で、「雪斎がいれば起こらなかった」という話が上がるが、
雪斎一人でそんなに状況変わるもんかね?
「個人力」のような、いわゆる「英雄主体の史観」が否定される昨今の史学の傾向のなかで、
雪斎って不思議なほどその煽りを食らってないよな。
774人間七七四年:2008/08/22(金) 03:08:50 ID:+vRmpXf3
家臣団がいても、国が纏まってたら無理でしょ。
775人間七七四年:2008/08/22(金) 03:37:29 ID:L776UJdI
>>773
双方ほぼ正面からぶつかり合っての討ち死にだからね
雪斎がどうこうてのは難しいような
776人間七七四年:2008/08/22(金) 06:35:07 ID:t8eGIxJv
>>771
例えば謙信が信長の替わりにそこにいたならば・・・
今川義元は攻めることさえしなかっただろう。
戦えば謙信の勝ちに決まっている。
これは間違いない!
777人間七七四年:2008/08/22(金) 07:53:39 ID:L9NWDJP1
>>773
雪斎は名代として今川軍を仕切っていた人物だから、
もし生きていたら義元が兵力分散を繰り返すようなまねはさせなかったんじゃないか?
そうすれば桶狭間は無かったと思うぜ。

まあ所詮IF。
778人間七七四年:2008/08/22(金) 12:51:09 ID:EzjWgPH0
>>771
織田信長が桶狭間で勝利できたのは運の要因がとことん強い。
779人間七七四年:2008/08/22(金) 13:15:02 ID:Nv6TkQ1f
>>778
普通は討って出るよ
籠城したって援軍なんて来ないし
ジリジリ追い詰められて最後に切腹
ウツケと評判の信長だから籠城と思わせれたんでしょ
もちろん織田領内に斥候や内通者もいる
そいつらを上手く騙し、義元もウツケの信長は籠城すると信じて兵を分散したんでしょ

これは信長の策略
評判の信玄や謙信だったら義元も警戒して兵を分散することは無かっただろうね

そして情報が拡がるよりも早いスピードで進軍
最初にぶつかったのが義元本陣

これは運

半々だろ
780人間七七四年:2008/08/22(金) 13:29:35 ID:EzjWgPH0
>>779
だから運の要因が強いんじゃん。
籠城策略があっても突撃したのがもし今川本隊じゃなかったら織田信長は死んでた。

今川本隊に偶然あたった事により桶狭間で織田軍は勝利できたんだろ。
781人間七七四年:2008/08/22(金) 15:25:53 ID:ZR/GvZPY
>>780
>今川本隊じゃなかったら織田信長は死んでた。
そういう断言して大丈夫なのかよ
782人間七七四年:2008/08/22(金) 15:42:42 ID:EzjWgPH0
>>781
普通に数で負けると思うが?
783人間七七四年:2008/08/22(金) 15:51:48 ID:ZR/GvZPY
>>782
玉砕覚悟で突っ込んでいった
という予測と、
ひと当てするだけのつもりだった
という予測があって、
あの陣が本陣であると信長が知っていれば前者の線が強くなり、
知らなかったというのなら後者の線が強くなるわけで。
784人間七七四年:2008/08/22(金) 18:12:16 ID:EzjWgPH0
>>783
なるほど、突撃直前はゲリラ戦法でいったが
いざ突撃して戦最中に
織田信長「(これは今川本隊か?)」
ときずいた信長はいっきに今川義元に突撃したわけだ。

今川本隊も殆どが補助部隊の非戦闘部隊で信長の突撃に逃亡したらしいし。
785人間七七四年:2008/08/22(金) 19:46:28 ID:AFLWwaQP
奇跡があるとしたら
信長の戦況判断の誤りおかげだなw

結局、
戦場になった場所が大高城の目と鼻の先
で松平が終始、大高を抑えてまもっていたw
桶狭間戦のとき、駿河先鋒隊は既に撤兵を完了してた
あとは分かるな

この事実がある限り
桶狭間なんて歴史的には価値がないことが分かるw
786人間七七四年:2008/08/22(金) 19:56:28 ID:kM9Akc6S
>桶狭間なんて歴史的には価値がないことが分かるw
これはさすがにない。
戦国時代の勢力図が大きく塗り替えられる元となった戦いに価値が無いとかw
つーか桶狭間に限らず歴史的に価値が無い戦いなんて皆無だろ。
例え記録にも残らないような小さな小競り合いであっても歴史的には価値がある事。
小さな小競り合いが積み重なる事で歴史を作っているという面もあるわけだし。
787:2008/08/22(金) 19:58:50 ID:5wfDt5qO
政治的改革のはしりである織田
その織田台頭の契機でもある桶狭間の戦いに価値がないっていうのは
些か言い過ぎだね
788人間七七四年:2008/08/22(金) 20:04:35 ID:AFLWwaQP
まー松平が義元を裏切った可能性があるから
家康の転機になったのは確かかww
789人間七七四年:2008/08/22(金) 21:01:30 ID:EzjWgPH0
>>787
政治的改革の織田?
それなんて過大評価?
790人間七七四年:2008/08/22(金) 21:46:50 ID:Vv8fh7Jm
数日振りに来たら既に議論が終了していたか

今は桶狭間について?
791人間七七四年:2008/08/22(金) 23:07:18 ID:zPktwqP+
実際、信長がミスって義元本陣に突っ込んだのかもよくわからんのだよな
最初は今川先鋒狙いだったのを今川本陣狙いに切り替えたのかもしれんし
792人間七七四年:2008/08/22(金) 23:43:46 ID:ywt5mlOZ
>>765
まず武田は普通に西上を続ける気だったようだが。
これなら織田主力もおいそれとは動けんな。
朝倉がすぐに滅んだのは刀根坂があったから。
これがいつどんな状況でも起きる、という前提でもなければ朝倉浅井が
すぐに滅ぶ事はないだろうな。武田が西上して織田主力が留置されるなら
足利も粘りそうだな。
実際上杉は1573年は越中関連で、1574年は関東で大忙しだったんだけど。
時間は十分ありそうだな。織田の勢いが鈍り錯綜状況が生まれるまでは十分に。
徳川に対しては一向宗を蜂起させるプランを持ってたみたいだな。信玄は。
正直俺は武田にとって上洛自体が必要とは思えないんだけどな。
あの時の武田にしてみればまず織田の力を削ぎ、自分や自分の味方勢力の力を増大させ、
活発にさせ織田を押し包む事が第一だったろうよ。そして最終的には織田を打倒、と。
信長包囲網勢には足利、浅井朝倉の他にも伊勢長島や本願寺といった強力な味方もいる。
これに武田が加わり押し包むなら
信長が向かった方面では守りを固め、別の方面から切り取っていくやり方で
十分優位に進められると思うがね。織田とてすべての方面で反撃できるだけの力はない。
ただこれだと個々の局面における戦いが細かくなり、その一つ一つを勝てるとも勝てないともいえてしまう。
だからぶっちゃけ未知の領域としかいえんといっている。
793人間七七四年:2008/08/22(金) 23:49:47 ID:g76Ky6NE
>>792
武田が兵を本国にひいたら織田軍は自由を取り戻す。後は史実が若干遅くなるだけ。

武田が年単位で外征できるか、あるいは一端帰国しても短時間で同じ規模の軍勢を
ただちに編成して遠征できるというのならともかく。
結局同じことを繰り返していたら、武田も朝倉と同じ轍を踏むだけかと。
794人間七七四年:2008/08/22(金) 23:51:26 ID:kM9Akc6S
>>792
>上杉は1573年は越中関連で、1574年は関東で大忙しだったんだけど
史実が変更したらそこら辺も変わってくるんじゃ?
上杉としても同盟相手である織田から要請がくるだろうし、宿敵武田を放置しておくとは思えないんだけど。

>徳川に対しては一向宗を蜂起させるプランを持ってたみたいだな。信玄は。
確かこの意見は結構前のスレ(前スレか前々スレだったかも)で出されていて(もしかして君?)
論破されてなかったっけか?確かその時はまともなソースが提示されていなかった。
君は信頼に値するソースを提示してくれるんだよね?

武田が上洛する必要が無かったには基本的に同意。ただし武田が織田本隊を叩く必要はあるけど。

>信長包囲網勢には足利、浅井朝倉の他にも伊勢長島や本願寺といった強力な味方もいる。
>これに武田が加わり押し包むなら
>信長が向かった方面では守りを固め、別の方面から切り取っていくやり方で
>十分優位に進められると思うがね

織田に味方する勢力も多数存在したことを無視するのはやめようぜ…
795人間七七四年:2008/08/22(金) 23:52:10 ID:ywt5mlOZ
>>766
絶対条件なんてものに固執してるのがなんともね・・・。
ぶっちゃけ俺は上にもあるようにあの時の武田にとって上洛が
至上目的ではないと思っているんだけどな。
>>768
そうそう。信長が甲斐に生まれてたら信玄よりもうまくやって楽々天下統一とか
フィーバーしちゃってる厨の人とかにもいってやってくれ。
>>769
信長が甲斐からスタートなら領土は広げられても上杉や北条や今川とせめぎ合って
天下はまず無理だな。まず河東一乱で北条と今川という宿敵同士を史実の信玄みたいにうまく
和睦させなきゃ信濃どころの話じゃないぞ。

796人間七七四年:2008/08/22(金) 23:56:20 ID:ywt5mlOZ
>>793
織田だけいつでもいくらでも行動できるなんていう考え自体が異常だがね。
君がいう条件は織田にもそっくりあてはまる。
武田・朝倉浅井・足利・本願寺・伊勢長島、これらのどれかに織田が主力を向けたら
それ以外の方面から切り取りにいける。
武田西上で勢いづいてる包囲網勢なら十分攻めていけるだろ。計画もされてたし。
そうやって各地で切り取られていけば織田の疲弊も起こりえるな。
797人間七七四年:2008/08/23(土) 00:04:28 ID:128/LY/u
>>794
なんで?ほかならぬ自分の領域である越中や関東が脅かされてピンチなのに。
それを救わないで武田に向かうの?そんでその越中や関東は捨て殺し?
ちょっとありえない選択だな。

俺はこのスレで言った覚えはないけど。
つーか論破されたってどういう風にされたわけ?
静岡県史で三河一向宗の有力拠点勝曼寺が協力を申し入れていること、
信玄が朝倉に送った書状で本願寺に織田との決戦のために一向宗を各地で蜂起させる事を
作戦の一要素として上げている事、などがあるけど。
つーか織田厨のろくにソースや反証を出さないで相手の否定にばかり走る姿勢が嫌いだな。

無視してないけど。その味方勢力とその規模をあげられる?
畿内ならともかく、俺が上げた面々を防ぐには場所が違うようだけど。
798人間七七四年:2008/08/23(土) 00:07:52 ID:qmcpZioD
>>795
上杉って扇谷上杉?山内上杉?
どっちにしろ北条との戦いやら上杉同士の戦いで忙しくて武田信長には無関係だな
結局、今川義元を倒せるかどうかにかかってるな 義元さえ倒せば東海道に出れる、そしてそのまま京にまで一気に攻め上れる
信長の性格的に義元と従属同盟結ぶだろうか… 北条とどうするのかが見物だが、武田信長が当主になるころは丁度今川と北条との同盟が切れてるところだから、北条と組む可能性も高そう
799人間七七四年:2008/08/23(土) 00:09:35 ID:Mn8jAg15
>>792
<正直俺は武田にとって上洛自体が必要とは思えないんだけどな
実際にするか、しないかは別にして「上洛」という大義名分は必要でしょ。
800人間七七四年:2008/08/23(土) 00:14:38 ID:14pHj9Ic
654 :人間七七四年:2008/01/31(木) 19:40:56 ID:J8C2zXpu
>>635
グロッキーといっても史実で徳川は武田撤退後すぐに動き出したんだから、
短期間で軍を立て直せる程度には元気でしょ。
武田に奪われた城、寝返った城は山間部の城ばかりで、
三河・遠江の平野部(動員できる兵力が大きい土地)は依然として徳川が握っている。
山間部の武田方の城に徳川勢全兵力を引き付けるだけの力はあるのかな?
彼等に徳川の後方をかく乱できる程の兵力はなく、できるという事は城に篭ることしか出来ない気がするんだけどね。

勝曼寺の一揆蜂起なんだけど、徳川を混乱させる程の規模の一揆が蜂起が可能だったのなら、
なぜ史実では蜂起しなかったんだ?
信玄が死去して武田が撤兵するまでの間に蜂起させるべきタイミングは幾度かあったのに蜂起させなかった。
永禄の三河一向一揆が勃発した時、徳川は(まだ松平時代)今川から独立後に西三河を平定した程度の勢力で、
家臣団の掌握も不十分な段階だった。
そういった要素もあって一向宗徒の一部家臣団が一揆側に加担した。
しかし一揆終結後には徹底的に一向宗の組織は徹底的に潰し、一方で一揆に加担した家臣団には温情措置を施すなどして、
元亀の頃には家臣団の掌握は充分にできている。
一度完全に組織が解体した一揆がそう簡単に復活できないだろうし、昔一揆に加担した家臣が再び参加するかどうかも疑問。
史実で蜂起すべきタイミングの時に蜂起しなかったという事は、徳川を苦しめる規模の一揆を蜂起できる状態ではなかった可能性が高いのでは?

元亀の頃の徳川領内の一向宗等の情勢に詳しい人いたら解説ヨロシクです。


655 :人間七七四年:2008/01/31(木) 20:20:17 ID:1q1+xNU7
>>654
勝曼寺の一揆蜂起が計画されていたかもしれないが、史実では起きなかった。
信玄は蜂起させて徳川をかく乱する計画があったし、勝曼寺側もやりますという文面を残してたのなら準備はしてたはず。
にもかかわらず信玄存命中も勝頼の代になってもなかった。
本当に計画通りなら三方ヶ原後はベストだったのに何もしなかったし、野田城陥落後も何もなかった。
つまり蜂起するほどの力が無いか未然につぶされたかと考えられるが、どっちにしろ、
三河一向宗が当時の徳川を牽制できる程の力は持ってない。
だったら朝倉が出られる春を待つために信玄が領国に引き返してる間、史実通り徳川がすぐ反撃に出て領地を取り戻す。
もちろんその間に信長も他の勢力をつぶすだろ。本能寺後の秀吉がやったように。
だったら信玄は朝倉を待たずに再び出陣して信長を引きつけて三好三人衆や松永、浅井など助けるのか。
多分ないだろ。信玄はそこまでやるほどお人好しじゃないから、落とし所を探して信長と和睦でもするじゃないかな。


656 :人間七七四年:2008/01/31(木) 20:47:20 ID:J8C2zXpu
>>655
なるほど、やっぱり三河の一向宗には徳川を苦しめる力はなさそうだね。
信玄が領国に引き返した場合、史実みたいに徳川はすぐに領地を取り戻せるかな?

801人間七七四年:2008/08/23(土) 00:14:42 ID:jQlm3+bh
>>796
史実で織田軍が武田に備えるために美濃に帰還したあと
朝倉浅井は残された木下の防衛線を突破できず、引き返しました
六角は敗戦いらい引きこもり
長島も同じく包囲され攻勢には出れない
本願寺も同様
三好や松永たちは織田以外にも敵がいる
つまり、武田以外のほかの勢力は、織田を切り取るどころか防衛が手一杯なほどに
追い詰められていた。だからこそ、武田が来たことを喜んだ。

そういった状況を無視して武田に都合のいいところだけで語られてもね。

>織田だけいつでもいくらでも行動できるなんていう考え自体が異常だがね
それから、織田軍は通常動員のレベルだったのにたいして、武田軍は何ヶ月も
前から準備を繰り返してようやく編成した総動員の軍だったことにも注意。
通常動員はなんども繰り返せるけど、総動員は何度も同じことは出来ないんだよ。
武田軍の中には、北条からの援軍が一割近く存在していたことも忘れてもらっちゃ
こまる。武田が軍を出すたびに、北条にも軍を出させられるのか?
802人間七七四年:2008/08/23(土) 00:18:27 ID:128/LY/u
>>798
山之内と扇谷は連携して北条に向かってるよ。強大な勢力としてね。
このとき、北条は今川・武田の連合と相対していたが、この強大な相手に
背後を脅かされて困っていた。
今川はこの機に武田をつれて宿敵、というか今川の間隔からすれば裏切り者の
北条を倒すために河東を踏み越えて関東まで攻めていこうとしていた。
しかし信玄は「このまま攻めれば被害が大きい、しかももし仮に氏康を滅ぼせても
上杉の勢力がのびてきてその脅威は今の比ではないだろう。」と書状を出して義元を説得。
氏康と義元の間を取り持って和睦を成立させた。これにより氏康は上杉に向かい、河越へ。
これだけの芸当ができなければ信濃どころの話じゃないし、第一武田信長(同名人物存在)とやらは
どうやって当主になる気だ。信玄とおなじやり方なら今川との関係は同盟にしかならんぞ。
803人間七七四年:2008/08/23(土) 00:25:38 ID:qmcpZioD
>>802
武田信長の話は元々ifが強すぎるからなww
どの仮定を使うか
1.信虎が病死(信長に合わせたif)
2.信虎存命、信虎を追放(信玄に合わせたif)
3.信虎存命、信虎が死ぬまで家督もらえない(信虎は信玄より長生きしたためいつになったら家督もらえることやら)
804人間七七四年:2008/08/23(土) 00:26:37 ID:128/LY/u
>>800
つーかそれ他人のレスまる写しじゃん…。
しかも経緯全然書いてないし。反論は可能だな。
>>801
都合のいいところしか見てないのはそっち。
朝倉浅井が木下の虎御前砦に向けた兵力は2万以上いるうちの数千だけだったと
上でさんざん書かれてたでしょ。全力攻勢がしのがれたわけじゃないの。阿呆らしい。
六角はともかく、伊勢長島が伊勢の味方勢力を撃破されるのは信玄死去後の第2次伊勢長島から。
時系列間違いまくってるよ。
本願寺がこの時は包囲されてないでしょ。そうだというなら資料だしてみ。
三好や松永なんか畿内の織田勢相手にしてればそれで十分。
誤解してるみたいだけど織田がこいつらを追い詰めるのは信玄死去後なの。
そういった事を知らなかったの?

二万単位の動員なんざ武田の戦歴を見ればざらにあるんだけど。
第一このときこのまま押していく作戦なんだから、この時で織田の勢いをそぎ、
味方を活発化させていけばそれで十分な戦果であるんだけど。
805人間七七四年:2008/08/23(土) 00:29:42 ID:128/LY/u
>>799
そうだね。大義としては必要だ。
しかしこのスレで織田厨が上洛の絶対条件をあげなければいけない!なんて
わめくほど武田にしては固執するものなのかどうか。
806794:2008/08/23(土) 00:30:43 ID:RtRdsuYj
>>800
おおそれだそれサンクス。
過去ログが全部消えちゃってて確認できなかったから助かる。
つーかその>>654は多分俺だわw懐かしいw
807人間七七四年:2008/08/23(土) 00:33:55 ID:yC+xR7UP
半年間同じ話してたのかよってことに愕然としたw
808人間七七四年:2008/08/23(土) 00:38:41 ID:qmcpZioD
だいたい長くても1週間で話はループする
これを3年ぐらい続けてきた
809人間七七四年:2008/08/23(土) 00:53:31 ID:jQlm3+bh
>>804
>朝倉浅井が木下の虎御前砦に向けた兵力は2万以上いるうちの数千だけだったと
つまり朝倉浅井は全力を差し向ける必要はないと判断して、一部を差し向けて敗退したと。
単に馬鹿やっただけだな。で、なんでその後に、今度は全力を差し向けなかったんだ?

>伊勢長島が伊勢の味方勢力を撃破されるのは
すまん意味不明

>本願寺がこの時は包囲されてないでしょ
これはこちらの書き方が悪かったな。
ところで史実では本願寺は攻勢に出たのは野田福嶋と天王寺だけで、それ以外は篭城というか
自分から攻勢にでない。史実では武田が西上している最中ですら。どうして?

>三好や松永なんか畿内の織田勢相手にしてればそれで十分
正確に言いましょう。畿内の新織田勢力です。織田が自身の兵を差し向ける必要なし。

>田がこいつらを追い詰めるのは信玄死去後なの
もちろん知ってますよ。付け加えると、信玄死去以前から、こいつらは精力的にほとんど
変化が無かったことも。
つまり、信玄の西上がなければ、信長はそのままこいつらを追い詰めたということです。
信玄がいなければこいつらの滅亡が一年早まったというだけだな。

そういった事を知らなかったの?

>二万単位の動員なんざ武田の戦歴を見ればざらにあるんだけど。
記録的にはね。で、記録的には信長の動員にはそれこそ五万とか七・八万とかあるんだけど?
そういった記録をどこまで信用していいかという疑問から、テンプレの兵力換算が行われたわけ
だが、読んだ?

>この時で織田の勢いをそぎ、味方を活発化させていけばそれで十分な戦果であるんだけど
織田の勢力を削ぐには実際に領土を奪うとか、合戦で損害を与えるとかが必要なわけだが。
信玄が西へ進むということは、織田と決戦が生じるということです。勝てればそりゃ上洛も見えて
くるでしょうけどね。それとも決戦はさけて、対陣による長期戦を狙うと?敵地のど真ん中で?

味方勢力だって活発化するには残された織田の守備隊や親織田勢力を撃破する必要があるわけだが。
史実ではまったくそれが出来ていない。織田軍の存在に関係なくね。
史実で織田軍が他所にいても勢力活発化なんてできなかったのに、信玄が西上して織田軍を拘束すれば
活発化できるとする根拠は?
810人間七七四年:2008/08/23(土) 00:58:47 ID:QBpIOHQn
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命 ←絶対条件
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力 ←とりあえず浅井朝倉がんばれ
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏 ←とりあえず、動けなくする
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能 ←美濃を5千程度でゲリラ活動して威嚇しとけば問題なし
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない←どうでもいいw
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す ←どうせ徳川対策程度の役割w
・三河尾張国境の 水野家が離反する ←だったらうれしい
・織田との決戦で勝利する
上洛の可能性 ↓以下で上洛可能
・信玄が健康で長命
・足利浅井朝倉松永本願寺三好残党六角残党らも包囲網一致協力
・三方ヶ原の戦い後、徳川家を早期に攻略乃至は降伏
・武田軍が甲斐に帰らず1年以上遠征可能
・上杉が空になった信濃、上野を 襲うことは決してない
・北条も軍艦の記載のように援軍を出す
・三河尾張国境の 水野家が離反する
・織田との決戦で勝利する

とりあえず織田の動きを2〜3年封じることが先決
徳川制圧は重要事項だが1年じゃ無理
でも、いったん引いて、外交計略で落とせるだろう
これで浅井朝倉が踏ん張れは数年は信長の動きを封じることができる
これもすべて信玄が存命なのが前提だがw


んで織田との決戦で勝利するで上洛成功w
811人間七七四年:2008/08/23(土) 01:02:58 ID:nbPEkcFT
>>804
甲斐に帰らず三河に留まるってこと
だいたいこの話になると
織田との決戦話になるけど徳川背後で決戦ですか
信玄が生きていても、そろそろ限界点じゃないか
十分な戦果を挙げてる。信玄ならいい所で和睦しそうだが
ただ武田が帰ったら織田軍は史実どうり朝倉浅井を潰しにかかるが

>>810
これは酷いw
812人間七七四年:2008/08/23(土) 01:06:51 ID:128/LY/u
>>809
普通に考えて冬だからいったん引いて体制立て直したんだろ。

なんで知らないんだ?伊勢長島、というか北伊勢の勢力構造ってわかってるのか?
大好きな信長公記でも読んでみろよ。

野田福島では見事に織田勢を敗退させたな。天王寺でもあと一歩で織田の防衛ラインは突破され
周辺が混迷する寸前だったな。
1573年4月までの時はまだその機じゃなかったからだろ。本願寺はずいぶんと武田と連絡を取り合い、
協力して計画を練り進めている。協力勢力として頼りになる相手だな。

だからそいつらは普通に織田の兵も同然だと思うが。そいつらが危なくなれば織田は
救わざるを得ないだろうな。

ならば信玄がそいつらの力を結集する作戦を立て、そいつらが応じている事は知ってるでしょ。
信玄生存で話を進めるなら十分使える戦力だな。そういった事は考慮できない?
知らないだけか。

あのテンプレ換算とやらが結構間違ってることは結構言われているんだけど。
そして武田が二万の兵を動員したのは石高的に言っても全然問題ない状態なんだけど。
そういうこと知らないわけ?ああ、知らないんですよね。わかります。

信玄が美濃にいくなら後方は岩村や三河北部を確保してあるしな。遠藤氏も調略してあるし。
決戦で勝てりゃそれで結構。勝たなくてもこれらの後背地や拠点を元にすれば十分対陣できそうだけど。
そんで他の方面から攻勢をかけると。

実際信玄が西上している事で反織田勢が活気を見せ、打倒信長に向けての活動や連絡を活性化させているから。
信玄死去はあくまでも信玄の計画の序章での出来事にすぎんのだよ。
813人間七七四年:2008/08/23(土) 01:10:22 ID:yC+xR7UP
>>812
じゃあ詳しそうだから>>812に新石高書いてもらおう
814人間七七四年:2008/08/23(土) 01:10:43 ID:128/LY/u
>>811
徳川にしても三方ヶ原の痛手があるし、
一向宗の動きも警戒せにゃならんな。この時の徳川は抑えられない相手でもなかろう。
信玄死後も天野に負けたりしてるし。長篠以後もずいぶん武田勢力の城に手こずってるし。
815人間七七四年:2008/08/23(土) 01:25:02 ID:128/LY/u
そろそろ寝る。土日はあんまりレスができんかもしれんが、なんかあったら書いといて。
816人間七七四年:2008/08/23(土) 02:09:30 ID:Mn8jAg15
まあさあ、
信玄が西上している時さあ、
信長は大規模な行動はほとんど何もしてないよね。
結局ここなんだよね。
なんで、動けなかったんだい?
ループかもしれないけど、納得できる理由を言った人いないよね。
信長が動かない(動けない?)って事は、武田の西上作戦が成功している、と思っちゃうだよね
動かない納得できる理由を言わない限り、上洛不可能なんて断定できないし、
武田の都合のいい西上作戦になるちゃうんだよね。

817人間七七四年:2008/08/23(土) 02:20:04 ID:jQlm3+bh
>>812
>普通に考えて冬だからいったん引いて体制立て直したんだろ
で、春になっても出てこなかったのは何故?

>北伊勢の勢力構造ってわかってるのか?
北伊勢の豪族が蜂起した時期は不確定ですが?信長公記を読んでも北伊勢の豪族は
織田に服属してから次に蜂起の記事がでるまで不明。

>協力勢力として頼りになる相手だな。
それは否定していませんよ。ただ、なぜそんな強い頼りになる勢力が、信玄が出陣して
半年以上経っても攻勢に出なかったんですか?

>危なくなれば織田は救わざるを得ないだろうな。
危なくなればね。現実には松永は織田の援助のない筒井勢に攻められて弱体化。
三好やその他もそれぞれに敵勢力あり。摂津でも北河内でも将軍に味方しようとした
上司を部下が追放して織田に服属。織田の援助なしでね。

>信玄がそいつらの力を結集する作戦を立て、そいつらが応じている事は知ってるでしょ
彼らは、信玄が信長と戦えば織田が自分達を責める余裕がなくなるから、都合がいいから
応援しているだけで、信玄の都合と自分たちの都合がぶつかれば平然と自分の都合をとる。
朝倉がいい例。信玄、というか包囲網を過大評価しすぎ。信玄には自分の都合のいいように
動くよう「依頼」することしか出来ない。依頼に応じるかどうかはそれぞれ次第。

>テンプレ換算とやらが結構間違ってることは結構言われているんだけど
そうでしたね信玄に都合がいいように武田の兵力が水増しされて計算されていると批判が
ありましたね。
ところでこちらの発言を無視してますか?
武田がテンプレの兵力を否定して記録上の兵力を使用して議論するのなら、当然織田だって
テンプレではなく記録上の兵力(五万〜十万)を用いて議論すべきでしょう。

>実際信玄が西上している事で反織田勢が活気を見せ、打倒信長に向けての活動や連絡を活性化させているから
史実でこのような動きがまったく無いのですが?

>徳川にしても三方ヶ原の痛手があるし
史実で、徳川は信玄死後にも普通に軍事活動をおこなっているわけですが?

>一向宗の動きも警戒せにゃならんな。
否定されているわけですが。自分に都合の悪い論は無視ですか。

>信玄死後も天野に負けたりしてるし
だから何?天野によって徳川軍を押さえ込むことができるんですか?
徳川を押さえ込めなければ、信玄は信長と対峙したところで背後を脅かされるんだと指摘されて
いるのがわかりませんか?

信長の背後を脅かす、とあなたが主張している勢力には、それぞれ抑えられる兵と勢力がこれまでに
指摘されています。一方、信玄が徳川を抑える兵力を出せば当然信長との対峙にも決戦にも支障を
きたす。これが判りませんか?
818人間七七四年:2008/08/23(土) 02:21:41 ID:ZelDnJK6
信玄の侵攻ルートは

三河→伊勢→大和→京

でしょ
819人間七七四年:2008/08/23(土) 02:40:15 ID:RtRdsuYj
>>818
フイタwハンニバルかよww
820人間七七四年:2008/08/23(土) 03:48:42 ID:XgG/s7ec
武田と上杉が反目している以上、武田は西上野と北信濃に合わせて1万以上の
守備兵を駐留させないと西上作戦を決行出来ない。
当時の武田の総兵力は最大で4万人くらい。
3万人で織田徳川連合軍5万人(対武田方面部隊3万人徳川2万人・鉄砲3000丁)
の守備隊に勝てるわけがない。

821人間七七四年:2008/08/23(土) 03:53:59 ID:Zzc5/AfC
信長包囲網で勝てる
822人間七七四年:2008/08/23(土) 04:16:52 ID:yES/qZ6p
包囲網といっても後世の人が勝手に言ってるだけで
連携も何も無く各自勝手に戦ってるだけだからなぁ
823人間七七四年:2008/08/23(土) 04:46:57 ID:Zzc5/AfC
本願寺と武田は連絡取り合ってたよ
824人間七七四年:2008/08/23(土) 06:01:37 ID:G0/E9FlA
>>820
数なんていくらでも変わるんだぞ。
現代の軍隊じゃないんだからw
同じ石高でも1000人しか集まらんと来もあれば1万集まるときもある。
1万石につき何人なんてのは、その時々で勝手に決めてるだけだからなw
その手の人数計算はやめとけw
825人間七七四年:2008/08/23(土) 06:09:39 ID:G0/E9FlA
数で決まるのなら、戦国時代よ〜いドン!
はい、一番数が多いあんたが天下統一!
それで終わりじゃないのかw
826人間七七四年:2008/08/23(土) 08:30:34 ID:G90WAnZi
>>825
多少どんでん返しはあるが
基本的にそんな感じだろ
827人間七七四年:2008/08/23(土) 12:10:57 ID:qmcpZioD
>>825
まぁ確かに多少の劣勢を覆すことはあることはあるが…
確率はかなり低い 基本的に多い兵を集めたほうが勝てる
828人間七七四年:2008/08/23(土) 12:34:00 ID:SwRXlYWs
>>816
武田の動向次第。
もし尾張経由で三河まで出張ったのに武田さんが三河から美濃に往かれたら
信長さん間抜けでしょ?
829人間七七四年:2008/08/23(土) 12:49:54 ID:5wEbguwi
勝曼寺は三河一向一揆の時の講和時に焼かれた寺の一つだったと思うが
そんな寺院にどれほどの力があることか
あとはまあ>>800と同意見
830人間七七四年:2008/08/23(土) 12:53:03 ID:5wEbguwi
>>816
>ループかもしれないけど、納得できる理由を言った人いないよね。
いろいろ理由が出ても一部の人間が納得しないだけじゃないか?

基本的には織田の方には動く必要がなかったってことじゃ
831人間七七四年:2008/08/23(土) 15:19:05 ID:Mn8jAg15
>>828
>>830
「どうすれば信長最小の被害で武田の西上作戦を阻止できたか?」
って織田厨に聞いてみたらおもしろそうだなあ。
俺なんか、普通に信長が岐阜から出撃して徳川と合流して対峙すれば
損害最小で武田の西上を止められる、と思うのになあ。
そう考えれば、徳川3000援軍(篭城用だろうと、なかろうと)や
野田城滞在中に動かない事は十分失策といえるよね。
動かない事そのものが問題。ただ被害を拡大させるだけって冷静に考えてわかるのになあ。
832人間七七四年:2008/08/23(土) 15:27:41 ID:qmcpZioD
>>831
兵を集めるのにも時間がかかるだろ
間に合わなかったからとりあえず三河に近いところから篭城するのに邪魔にならない程度の援軍向かわせた

でも信長の作戦もちょっと無理あるよな
信玄を素通りさせる→尾張あたりで対峙→徳川と挟み撃ち
確かに武田の補給線も潰せるし、こうなったら完全勝利確定だが…
833人間七七四年:2008/08/23(土) 15:49:22 ID:urWNV65f
>>832
だがその肝心な徳川軍が武田軍にボロ負け。
834人間七七四年:2008/08/23(土) 16:02:00 ID:qmcpZioD
信長「多少領土取られても、影響力失っても信玄さえ潰せば大丈夫大丈夫w」
家康「ふざけんな!」

実際、家康があのまま武田を放置していたらどうなったんだろう
武田が上洛できる可能性は低いと見ていたら徳川の領土で暴れ出しそうだな
835人間七七四年:2008/08/23(土) 16:04:30 ID:5wEbguwi
>>831
武田の継戦能力がどの程度か分からないけど
いずれは撤退するだろうから、わざわざ三河の山奥まで出兵する必要はないし、
徳川はまだまだ余力あるから大丈夫だろうし、
無駄に出兵して戦費を消耗する必要もないってことじゃ、ただでさえ冬だというのに。
で信長は冬の出兵を嫌っているのか冬の軍事行動は避けているし。

武田は武田で長期の軍事行動、それも最大兵力に近い軍事行動続けて消耗しているだろうし、
この先も徳川攻め続けるなら更に消耗していくだろうし、
織田が直接軍事力をぶつけるならその時で十分なんだし、
だったら無理に動かすよりも兵を休ませて、武田の消耗を待つ方が最小の被害で武田を阻止できるだろうな。

徳川+織田が最小の被害でとなるとまた話が異なってくるかもしれないが
836人間七七四年:2008/08/23(土) 16:14:26 ID:5wEbguwi
>>834
基本的に徳川は放置というか各城を固めて武田が去るのを待つしかないな
で武田の本隊が去ったら反撃して城を取り戻すと(成功するかは分からないが)
浅井や三好が織田に対して行ったのと同じだろう、
本隊が攻めてきたら領土焼き討ちされようと我慢して兵を引いたら反撃に出ると
徳川も同様のイタチゴッコをするだろうけど
浅井や三好に限らず他の弱小勢力がそうだったように、
何らかの起死回生の反撃とかが成功しない限り、単独じゃいずれジリ貧になって滅亡か降伏するだろうけど
837人間七七四年:2008/08/23(土) 16:22:42 ID:NM2zs1OG
>>836
徳川の場合は強力な同盟相手がいたから、それでもなんとかなるだろう。
838人間七七四年:2008/08/23(土) 16:24:02 ID:qmcpZioD
>>836
勝頼時代の武田VS徳川がそんな感じだったからそれでいいと思う
長篠以前だから武田の力も落ちてないし たぶん上手くいったと思う 取って取られて それを繰り返す
839人間七七四年:2008/08/23(土) 16:39:16 ID:VJCEybQu
長篠直前ごろには勝頼にだいぶやられて
もう後がない状態だったような。徳川は。
実際あれで長篠救えなかったら徳川の威信がた落ちでしょ。
今度助けてもらえなかったら織田やめて武田につこう、ってな意見も徳川で出てたみたいだし。
840人間七七四年:2008/08/23(土) 17:31:58 ID:qmcpZioD
仮に徳川がジリ貧だったとしても、織田としてはそれで十分なんだよなww
でもこれじゃ本当に徳川が武田の防波堤扱いだ…
841人間七七四年:2008/08/23(土) 17:39:36 ID:JjM18t19
>>840
実際そうだもんね
そしてよく機能してくれてたし
842人間七七四年:2008/08/23(土) 19:01:51 ID:qmcpZioD
三方が原の戦いが無く、武田がそのまま西進し続けた場合
パターン1
1.織田(3万ぐらい)と尾張あたりで決戦
2.決着付かず、早々に武田撤退 織田が追撃
3.徳川と挟み撃ち成功

パターン2
1.同じ
2.武田が粘り、にらみ合い続く
3.織田の後方で信長包囲網の奴らが暴れ始める、徳川が武田の背後から迫る
4.挟み撃ち成功

パターン3
1.同じ
2.武田撤退
3.挟み撃ち失敗
4.武田逃げ切る

パターン4
1.同じ
2.ひたすら続くにらみ合い
3.徳川が背後から迫るが徳川敗退
4.信玄に謙信による信濃陥落の報が届く

織田と武田での尾張付近での戦いじゃ決着つかないだろう
後は挟み撃ちが成功するかしないか 地の利は織田にあるが…
武田はかなり厳しい 地の利が相手にある状態で、自国以上の兵隊を持つ国と戦わなければならない
畿内周辺の対織田勢力が暴れ出しても織田にはまだまだ余力がある(武田に3万ぶつけるとして、最低でも2万は出せる)
もしかしたら上杉あたりが戦略変更して空の信濃を攻めるかもしれない
もしかしたらいきなり北条が裏切って甲斐駿河に攻めるかもしれない
もしかしたら徳川が挟撃せず駿河に攻め始めるかもしれない
この辺を信玄はどうするつもりだったのかね…
843人間七七四年:2008/08/23(土) 19:11:00 ID:Uq5Dc+Kd
気合でどうにかなるさ。
844人間七七四年:2008/08/23(土) 19:20:10 ID:QBpIOHQn
マジレスすると
義信を即切腹させて
勝頼に家督を相続させとくべきだったな
これだけだいぶん違う
西上も信玄同伴なしでできるからな
845人間七七四年:2008/08/23(土) 19:32:40 ID:qmcpZioD
最悪、徳川が背後から迫ってきたのに炙り出されて3年(4年?)早い長篠の戦いが起きるかもしれない
武田が勝つ確率=3年早い長篠の戦いが起きる確率 ぐらいかな

結局武田の西上作戦も実際には上洛目的じゃなくて、徳川征伐の戦だったと考えるのが妥当か


>>844
確かにそれだけで全然違う
846人間七七四年:2008/08/23(土) 20:31:39 ID:XgG/s7ec
上杉・武田・北条の3国同盟が成立していたなら
武田信玄存命中に遠江・三河を手中に出来たと思う。
そうなれば石高的にも信長に対抗できる武田の存在感は脅威
847人間七七四年:2008/08/23(土) 20:33:24 ID:urWNV65f
>>842
とりあえずどのパターン
(パターン3を除いて)
も尾張での戦最中に武田信玄が病死してしまうかと、
三方ヶ原の戦い時点で信玄の病気は酷かったらしいから信玄の病死が少し長引いただけ。
だから、尾張で織田軍と武田軍が長い睨み合いをする可能性は低い
(信玄の病態がかなり悪くなったら撤退するのは三方ヶ原の戦い後で実証済み)
から早々に撤退するパターン3が一番、可能性がある。
848人間七七四年:2008/08/23(土) 21:09:31 ID:qnl2RRzL
>>842
>三方が原の戦いが無く、武田がそのまま西進し続けた場合
この場合は武田は三河遠江国境の峠、船形山の修築を行って東三河の切り取りに走るんじゃないかと思う。
東三河なら織田も無理に援軍出さないだろうし、もし出したとしても、まだ撤退も迎撃もしやすいだろうし
というか尾張や西三河侵攻は織田の反撃招くため無謀な気がする
849人間七七四年:2008/08/23(土) 22:00:11 ID:eY+nNaAc
>>842
三方ヶ原の戦いが無く、も何も実際起きてるのに
何をいってるんだろうか。
信玄もわざわざ家康をおびき出して戦ってるのに。
850人間七七四年:2008/08/23(土) 22:07:11 ID:1QHHXb3P
>>846
甲相越同盟なんてありえないだろう?
それよりも義元没後も甲駿相三国同盟を
維持し続けたらどうだったろう?
義信がすんなり跡継ぎになるから揉め事もなし。
今川と武田が共同で徳川領を侵攻できると。
851人間七七四年:2008/08/24(日) 00:02:25 ID:aNTKTkhC
>>817
だから朝倉が動きだすのは5月の予定だったからと何度も言ってるだろうが。
信玄が死んで武田が撤退するのが4月半ばなんだけど。
いい加減無視するのやめたら?

第一次伊勢長嶋の時点でその勢力範囲が広い事はわかると思うが。

その足利勢自体が機内の兵力で構成されているんだけど。
伊丹や塩河もこれに同調。大山崎の離宮八幡宮は武田に対して禁制の発給と庇護をお願いしている
所からも畿内の人心の動揺ぶりがわかる。畿内は絶賛混乱中なんだよ。

過大も何もそいつらは信玄と協調して動くことが自分たちの敵である織田打倒につながるから
信玄に協力しているんだけど。むしろなんでこの絶好の利害の一致してる時に動かないなんていうのやら。

発言を無視してるのはそっち。本当に日本語読める?
武田が2万を動員したというのは石高的にも状況的にもまったく問題ない時なんだけど。
信長の5万だの7万だの10万だのはその時の織田の国力や状況から明らかに無理だから
一笑にふされるんでしょ。阿呆らしい。

全くないんじゃなくてあんたが知らないだけ。
本願寺も浅井朝倉も足利もその他の畿内勢力も頻繁に書状をやり取りして
来るべき信玄西上による一斉反撃に対応しようとしてるよ。
なんで知らないのにここまで断定的なんだか。

きわめて小規模にね。そんで武田方の天野にさえ撃退され、武田勝頼にはあちこち蹂躙され
長篠のときにはずいぶん追い込まれてたね。

否定って、俺は別にその否定論に同調した覚えも論議もした覚えもないんだけど。
いきなりそっちが支持する論に従えなんていわれても困るんだが。

だからねー、三方ヶ原で敗れ武田に蹂躙された家康の力は天野にさえ防がれてる程度だという例証なの。
本当に頭悪いな、あんた。
実際三方ヶ原あとの家康に信玄の背後をどれだけ脅かせるのかきわめて疑問なんだけど。
長篠あとでも二股城とかを5か月以上かけても自力で落とせず城兵の無傷撤退を条件に開城してる状態。

さっぱりわかりませんね。
その勢力と兵力とやらをちゃんと例示してくださいよ。あなた全然あげてないじゃないですか。
いい加減他人の尻馬に乗り続けるのやめたらどうですか?
852人間七七四年:2008/08/24(日) 00:12:46 ID:aNTKTkhC
>>832
しかし信玄が行こうとしているのは美濃なのであった。
853人間七七四年:2008/08/24(日) 00:14:37 ID:aNTKTkhC
>>842
上でも言われているけど、
信玄がわざわざ家康をおびき出して三方ヶ原に持ち込んで撃破したのに
それがなかった場合を論じてどうするんだ?
ただ有利に見せたいだけ?
854人間七七四年:2008/08/24(日) 00:20:48 ID:HqRIjIt2
おびき出された…ねぇ
家康が出たのは政治的要素が大きいぞ それを見越しての戦術…なのか?
ガン無視された場合信玄がどうするつもりだったのかが気になるな
855人間七七四年:2008/08/24(日) 00:20:59 ID:aNTKTkhC
本日はこれまで。なんかあったら書いといて。
856人間七七四年:2008/08/24(日) 00:22:27 ID:TAYXbKLD
>>851
まず言葉使いを直した方がいいですよ
857人間七七四年:2008/08/24(日) 00:23:18 ID:aNTKTkhC
>>855と思ったが人がいる見たいのなのでもう少し。

>>854
だからその政治的要素を見越しての作戦でしょ。
徳川にしてみればあそこで武田を見過ごせば威信大暴落なんだから。
徳川が出なければ各地の徳川方の城が動揺しまくって離反する可能性が高いが。
858人間七七四年:2008/08/24(日) 00:26:55 ID:aNTKTkhC
>>856
それは失礼いたしました。
859人間七七四年:2008/08/24(日) 00:31:17 ID:HqRIjIt2
>>857
それで、徳川の城が多少離反してどうなるの
結局徳川は消耗してないし、尾張や美濃あたりで織田と戦ってる間に挟み撃ちされるのがオチ
そもそも織田と決戦しないってんならそれでもいいと思うが… ある程度徳川を叩いて、引き上げたのなら勝頼みたいに引き上げた後に取り返されるだけ
860人間七七四年:2008/08/24(日) 00:33:32 ID:aNTKTkhC
>>859
多少で済むのか、という問題なんだけど。
そして徳川にしてみれば自分たちの威信が暴落する自体を黙って見過ごせるのか、
という問題も。そして武田が最後に崩れた時のように徳川がその主力軍の中からも
崩壊する可能性が出てくるということだ。
861人間七七四年:2008/08/24(日) 00:33:52 ID:TgUhZ8sL
>>851
朝倉は五月にも動いていませんよ?
その間に信長は畿内各地に動いて、七月には江北戦線から秀吉も引き抜いて
京で義昭と戦ったが、その兵力が激減した虎御前山砦に、浅井も朝倉も何も
していな。

その後、八月になって山本山の阿閉が降伏して信長が江北に出陣して、初めて
朝倉も浅井救援に出向いてきた。

>むしろなんでこの絶好の利害の一致してる時に動かないなんていうのやら
そうだね不思議だね。どうして史実ではやらなかったんだろうね。
まあ世の中にはやりたくても出来ないという状態は普通にあるわけで。
やる気さえあれば金も物資もなくても出来るなんて思っているんですか?

>本願寺も浅井朝倉も足利もその他の畿内勢力も頻繁に書状をやり取りして
>来るべき信玄西上による一斉反撃に対応しようとしてるよ
書状ではたしかに。でも史実では、口先ばっかりで何もしていないと言っている。

>2万を動員したというのは石高的にも状況的にもまったく問題ない時なんだけど
で、その動員を、長期間何度もできるの?やれるの?やった史実があるの?
あなたの計画では、それが出来ないと結局は武田も朝倉と同じ末路をたどると言って
いるのですが。
862人間七七四年:2008/08/24(日) 00:35:50 ID:6yq1Cp6b
ところでちょっとズレた質問なんだけど
みんなは信玄が長生きした場合どうなってたと思うの
863人間七七四年:2008/08/24(日) 00:36:14 ID:N50XDvWT
信玄上洛はもちろん簡単ではないが不可能と言うほどでもないだろう。

三方ヶ原後の徳川はかなり崩壊直前まで言っていたと思う。
信玄が死んでその後体制を整えられたから、対勝頼の時に一致団結しているように見えるけど。

野田城落城の時に3千を率いて救援の行き、手も足も出せずに引き上げているが、
これはあまりにも自勢力に対しても無様な姿を見せすぎ。
この後徳川のどの城を信玄に攻められても、後詰めされる事は無いと早々に降服してもおかしくない。

この3千の救援は無傷の精兵を集めた為とも言われるが、信玄の兵力はほぼ分かっているので3千では手も足も出ないなどと言う状況は家康にも分かっていたはずで、ワザワザ少ない兵力で出陣するはずがない。
繰り返すが、救援に赴いた挙句手も足も出ず引き返すのは取り返しの付かないほどの失態なのだから。
つまり、遠江での徳川の影響力が低下し全力で動かせる兵力が3千しかなかったと言う事。

では、信長の大規模な援軍があればそうはいかないのでは?
というのが、大きな問題だが信長の援軍は無いだろう。
理由としては、負けた時のダメージが信玄より信長の方が圧倒的に大きいから。
お互い大将が討死するとかは別とすれば、
武田は負けても、この時点織田に武田領内に攻め込む余力が無く自領に撤退するだけ。
織田が負けた場合は、近畿方面の勢力に裏切りが続出する可能性が高くなり、自領への武田の侵攻の危険もでてくる。
近畿方面が勢力バランスが崩れれば、織田は近畿を維持するためには多くの兵力を割く必要がで、対武田への兵力が足りなくなり、
逆に対武田に十分な兵力をまわせば近畿が崩壊するという、ジリ貧状態に陥る。

織田の方が負けた場合のリスク圧倒的に高い以上、織田の方が数千程度兵力が多いくらいでは、迂闊に出陣など出来るものではない。
864人間七七四年:2008/08/24(日) 00:37:33 ID:Tu1PNtls
ここが信玄が長生きしたらって
仮想戦記を妄想するスレじゃないの?
865人間七七四年:2008/08/24(日) 00:38:56 ID:HqRIjIt2
>>860
いやまぁ、徳川的には大問題だが織田的には全然大丈夫なんだよなww
一応徳川軍が崩れても篭城できるぐらいの援軍はもらってるし
武田もそのうち引き上げるから、引き上げてから取り返せばいいのは確かなんだよな
それにバックには織田も付いてるし みんながみんな寝返るってのも無い
866人間七七四年:2008/08/24(日) 00:39:38 ID:aNTKTkhC
>>861
だからそれは信玄が四月に死んで武田が撤退して包囲作戦自体が崩壊したからでしょ。
信玄が死んで武田は退き、しばらくは動きを潜めてその作戦が停滞したのに単独で5月に動いてどうすんの。
なんでこの程度の事がわからないの。

最大の重大要素だった数万の兵を率いて東から織田を追い上げる武田軍が信玄死んでひいちゃったからだね。
この状態じゃやりたくてもやれないよね。

だからそれは5月からの一斉反撃の前に信玄が死んでしまったからと何度言わせるの。

実際駿河攻めの時も徳川攻めの時も勝頼時代も2万近い兵力を何度も動かしているんだけど。
なんでこういうの見ないの?
867人間七七四年:2008/08/24(日) 00:40:35 ID:y9L+N5F8
>>862
謙信、信玄、氏康が関東で20年近く繰り返したように、敵が来たら篭る。来ない間に暴れる。来たら篭る。
みたいなのが、近畿を舞台にして延々と繰り返される。
結果、伊達政宗が統一。島津は無理。長曾我部も毛利も無理。
868人間七七四年:2008/08/24(日) 00:42:27 ID:HqRIjIt2
だから信玄が信長に戦で大勝するってのは無理だって
織田は最悪国境線固めるだけでいいんだぞ ガチガチに固めておけば1万あれば防げる
地の利が織田にあり、武田は補給その他もろもろの問題が出てくる 自国だって空だ
869人間七七四年:2008/08/24(日) 00:43:44 ID:aNTKTkhC
>>865
君も言うとおり織田にとっては大丈夫、かもしれないが、
徳川とそれに従う豪族たちにしてみれば大問題なわけで。
そして徳川もその配下達も織田の捨石になるために動く義理もないわけで。
870人間七七四年:2008/08/24(日) 00:45:42 ID:HqRIjIt2
>>862
そのまま西上しても織田とにらみ合いして引き上げる程度
勝頼が継いだときと同じようなことをやって、長篠はどうかな… 似たようなのはあるかもしれない
織田の領土拡大スピードは落ちそう

でも、最終的には大して変わらんかもしれない
871人間七七四年:2008/08/24(日) 00:46:38 ID:aNTKTkhC
>>868
その国境ってどれだけ広いと思ってるの。
一万の兵を分散すれば各個撃破、集中すれば他を取られる。
武田を野戦で撃破したり痛撃を与えるには1万じゃ足りない。
872人間七七四年:2008/08/24(日) 00:46:46 ID:N50XDvWT
>>868
>織田は最悪国境線固めるだけでいいんだぞ ガチガチに固めておけば1万あれば防げる
それじゃ、徳川の援軍にはならないから徳川がやられますが。
織田の最大の盟友徳川すら見捨てられては、近畿の勢力も織田を見限りますが。
873人間七七四年:2008/08/24(日) 00:47:38 ID:9eZhqree
君等信長公記しか見てないの?
朝倉義景は三月から動いてるよ。
874人間七七四年:2008/08/24(日) 00:47:41 ID:TAYXbKLD
>>866
>>342は三方が原後でも
似たような状況になるのではないでしょうか?
信玄生存でも5月まで継戦能力があるかどうか未知数ですが
甲斐に帰らないのであれば武田は決戦で織田から大勝する以外
大きく状況は変わらないのでは
織田主力を岐阜に釘ずけにするほど圧力をくわえないと
足利、浅井、朝倉は史実通り追い込まれていくだけ
あなたのいうように包囲網が一致協力出来るのであれば
朝倉は撤退してないんじゃないの



875人間七七四年:2008/08/24(日) 00:47:56 ID:HqRIjIt2
>>869
それでも徳川が武田に裏切るってのは無さそう
仮に徳川家康が武田に付いたとしても織田方に付く勢力はガンガン出てくる
信長からの援軍とで要所を固め、武田の撤退を待つ ってのが一番現実的
876人間七七四年:2008/08/24(日) 00:49:16 ID:TAYXbKLD
>>874
2行目>>842の間違い。すまん
877人間七七四年:2008/08/24(日) 00:49:26 ID:aNTKTkhC
>>870
にらみあってる間に包囲網勢に背後がつかれそうなんだけど。
個人的には>>867は結構面白かもしれないw
878人間七七四年:2008/08/24(日) 00:50:08 ID:HqRIjIt2
織田はもう徳川に”篭城するのに邪魔にならない程度の援軍”を送り、それでやられちゃってるからあの時点では兵は送らんだろう
武田が本国帰ってから徳川は奪われた領土取り返せばいいだろってのが元の信長の考えだから 徳川への援軍は送らん
879人間七七四年:2008/08/24(日) 00:50:50 ID:TgUhZ8sL
>>863
信玄が負けたときのダメージってのも無視してません?

極端なことをいえば、信長は負けなければいいのに対して、信玄は勝たなければならない。

>>866
で、信玄がいないから、足利義昭や三好やその他畿内の反織田勢力が攻められて滅亡して
いっても無視して国に篭りきりですか。すてきな連合軍ですね。
そもそも両者の書状をみれば、五月の出陣ですら武田にとっては遅すぎるというものだった。
信玄や顕如が強く要請した結果「じゃあ五月に出ます」って言っただけなんだから。
そういった背景を考慮せず、手紙に五月に出陣とあるから単純に朝倉は当初から五月に出陣の
予定だったんだ、などと考えるのは無思慮すぎますよ。
880人間七七四年:2008/08/24(日) 00:52:29 ID:HqRIjIt2
>>877
信玄に全力でぶつかるなら背後つかれるかもしれないけど
3万出してもまだまだ余力があるのが織田家

国力の奪い合いになったら朝倉みたいに先に音を上げる国が続出しそうだ
織田は超金持ち国だからな… あれだけ戦争してて金が尽きないとかありえん
881人間七七四年:2008/08/24(日) 00:53:06 ID:OMTdh7Cs
>>863
>三方ヶ原後の徳川はかなり崩壊直前まで言っていたと思う。
さすがに崩壊直前はないでしょ。

>野田城落城の時に3千を率いて救援の行き、手も足も出せずに引き上げているが、
>これはあまりにも自勢力に対しても無様な姿を見せすぎ。
確かに威信は低下するだろうね。
だけど、例えば浅井長政は姉川の敗戦後に佐和山城の磯野員昌を見捨てているが
その後も数年間織田に抵抗し続けているよ。

>理由としては、負けた時のダメージが信玄より信長の方が圧倒的に大きいから。
負けたときのダメージはお互い様でしょ。
織田が負けた場合はまあ君が書いていることのような状態になる可能性が高いだろうね。
だけど武田が負けたときのダメージを過少評価しすぎでしょ。
武田が負けた場合
・織田包囲網の動揺
・武田の圧迫を排除できたことによって朝倉・浅井や畿内の反織田勢力の一掃が可能
 実際に史実では武田撤退後半年程度でそれを実行してるわけだから、
 この場合でも武田が撤退して軍備を整えている間に畿内方面の反織田の一掃に動き出す可能性が大
 →そうなれば武田と織田の国力は更に開く&反織田勢力の力が減少で織田への対抗が困難に
・武田が織田に惨敗した場合の上杉と北条の動向
 史実では上杉は73年は越中、74年は関東で戦うから心配ないという反論がくるかもしれないけど、
 当然武田信玄はそこまで予測なんて出来ない。
 武田が惨敗したとなると北条もいつまでも同盟を守ってくれるかどうかは不透明。

どう考えても武田も織田と戦うのなら負けられない状況なんだがね。
882人間七七四年:2008/08/24(日) 00:54:51 ID:aNTKTkhC
>>874
だから5月になったら反撃が行われる予定だったというのに。
美濃に攻め込む予定だったから織田もおいそれと動けないだろうし。
徳川も三方ヶ原の痛手があるし。

>>875
なんでガンガン織田につく勢力が出てくるのだろうか?
畿内勢は裏切り盟友徳川まで寝返った状況ならかなり厳しいと思うが。
883人間七七四年:2008/08/24(日) 00:56:22 ID:HqRIjIt2
徳川が史実通りボロ負けして、織田と武田が国境線あたりで対峙した場合

織田…負けてもとりあえず守り固めておけば大丈夫(?) 西側の求心力は一気に落ちそう
武田…下手すりゃ一気に長篠後

武田は織田に勝たなければならない 織田は武田が帰ってくれたら十分
信玄が無茶な特攻して潰れる以外は両軍引き上げだな
884人間七七四年:2008/08/24(日) 00:58:15 ID:N50XDvWT
>>879
>極端なことをいえば、信長は負けなければいいのに対して、信玄は勝たなければならない。
負けなければいいと言うけど、それが出来るのは陣地を構築して迎え撃つ側だよね。
長篠の時のように上手く行かなければ基本的に、援軍にくる織田にそんな余裕ないよ。
885人間七七四年:2008/08/24(日) 00:59:01 ID:TAYXbKLD
>>882
甲斐に帰らず5月まで継戦能力があると?
美濃には木曽路から?
いずれにしろ敵地で決戦、信玄がそんな博打をする人物」だと?
886人間七七四年:2008/08/24(日) 00:59:08 ID:HqRIjIt2
だからなんで信長が徳川の救援に向かうことになってるの
援軍くれてやったのに勝手に特攻して自爆してる奴なんざ助けないだろ普通に
887人間七七四年:2008/08/24(日) 01:00:35 ID:HqRIjIt2
仮にそのまま西上し続けたとしても武田はそもそも兵糧が持つかどうかすら怪しいww
甲斐信濃空っぽにして来てるから上杉に攻められるかもしれないし、いつまでもにらみ合い続けてるわけにはいかない

信玄が引き上げたら徳川はまた動き出して取られた城を取り返すだろう
888人間七七四年:2008/08/24(日) 01:01:06 ID:aNTKTkhC
>>878
つまり後は徳川は好きなだけぼこられてくれと。
素敵な味方ですね。

>>879
いや、むしろ逆。
信玄がにらみ合いしてればいいのに対して信長は信玄以外の動きに対応するために
短期に勝って行動の自由を得なければならない。

いや、もともと5月に武田と朝倉、その他が共同作戦を行う予定だった。
これは1572年11月の書状でも示されている。
信玄としては朝倉がそれまで信長を引きつけてくれればいいという考えだったろうが
撤退したのであわてた。そして更なる説得を行った結果、計画通りの5月出陣は打ち合わせた。

>>880
さすがに三万を武田にさいたら残りの数万近い勢力を防ぐのは厳しくなるぞ。
889人間七七四年:2008/08/24(日) 01:03:16 ID:HqRIjIt2
>>888
徳川だって人の忠告無視して、援軍壊滅させた素敵な味方だからな

だから信玄は半年もにらみ合っていられないってww
補給とか兵糧とか空の自国とかどうすんのwwww
890人間七七四年:2008/08/24(日) 01:05:10 ID:OMTdh7Cs
>>882
朝倉は5月に動くとひたすら連呼してるわけだが絶対に動く保障はあるのか?
朝倉は踏ん張って欲しい時に撤退した前科(朝倉さんには厳しすぎる見方だけど)もあるわけなんだし。
5月に動くという約束も武田のしつこい催促に対してのとりあえずの返事だと思うんだが。
当然朝倉義景だって伊達に戦国時代を生きてきたわけじゃないんだから、
武田の動向、織田の動向、その他の動向を見極めて動かない可能性も大いにあるんじゃないのか?
891人間七七四年:2008/08/24(日) 01:06:03 ID:aNTKTkhC
>>883
西側の求心力が落ちたら織田にしてみれば大損だな。
武田にしてみれば計算通り。後は周囲からじっくり押し包んでいける。

>>885
岩村とその周辺は武田の秋山によってその手に落ちた。
拠点は確保されている。美濃遠藤氏も調略されているし。

>>885
兵糧がなぜ尽きる。岩村周辺という美濃の出口に拠点を確保されている。
上杉は越中と関東が大変な状況なんだけど。
892人間七七四年:2008/08/24(日) 01:07:02 ID:HqRIjIt2
>>891
「勝てたら」だぞ
武田だって負けたら一気に長篠後だ
こんな危ない橋渡ってられるか
893人間七七四年:2008/08/24(日) 01:07:43 ID:N50XDvWT
>>881
>だけど、例えば浅井長政は姉川の敗戦後に佐和山城の磯野員昌を見捨てているが
>その後も数年間織田に抵抗し続けているよ。
朝倉が何度も援軍に来てくれているからでしょ。
織田の援軍が無ければ徳川は持たないよ。

>武田が負けた場合
>・織田包囲網の動揺
>・武田の圧迫を排除できたことによって朝倉・浅井や畿内の反織田勢力の一掃が可能
> 実際に史実では武田撤退後半年程度でそれを実行してるわけだから、
> この場合でも武田が撤退して軍備を整えている間に畿内方面の反織田の一掃に動き出す可能性が大
> →そうなれば武田と織田の国力は更に開く&反織田勢力の力が減少で織田への対抗が困難に
ぶっちゃけ、武田にとっては包囲網自体は二の次だし。

>・武田が織田に惨敗した場合の上杉と北条の動向
> 史実では上杉は73年は越中、74年は関東で戦うから心配ないという反論がくるかもしれないけど、
> 当然武田信玄はそこまで予測なんて出来ない。
> 武田が惨敗したとなると北条もいつまでも同盟を守ってくれるかどうかは不透明。
武田がほとんど立ち直らないほどのダメージを受けるなんて言う事がないかぎり、両勢力とも他方面に勢力を伸ばしているのを中断してまで武田にちょっかいかけないだろう。
そしてそんなダメージなんて受ける可能性は低い。
長篠の後ですらすぐに軍事行動起こせているのに。
894人間七七四年:2008/08/24(日) 01:09:59 ID:aNTKTkhC
>>889
苦しい状況の中織田との同盟を守って武田と戦う道を選んだ末の苦渋の決断だけどな。
補給はちゃんと拠点を確保されているといってるが。
空の自国を攻められる相手はいない。上杉はそれどころじゃない。

>>890
あの時に動かないなら朝倉浅井はそれで滅亡だという事は誰にでもわかる。
畿内勢の沸騰ぶりを見てなお動かないような男ではあるまい。
それから5月に動くのはもともと計画されていたことだ。1572年11月の時点でな。
895人間七七四年:2008/08/24(日) 01:11:34 ID:HqRIjIt2
とにかく、織田VS武田の決戦は織田のほうが圧倒的に有利なのは確か
武田が勝ちに焦ることはあっても織田が焦ることはない
浅井は滅亡寸前、朝倉も空中分解寸前だ

謙信は何をしでかすか予想つかないような奴だし、とても安心はできん
いきなり方針かえて甲斐信濃が奪われることだってありえる
その辺を考えると帰らざるおえない
896人間七七四年:2008/08/24(日) 01:11:51 ID:aNTKTkhC
>>892
何度も言うが武田は無理に勝つ必要はない。
にらみ合いして織田主力を引きつけてその間に後方を
畿内勢につかせ切り取らせればいい。
織田は逆にそれを防ぐために武田に無理な勝負を挑まなければならなくなる。
897人間七七四年:2008/08/24(日) 01:12:59 ID:thOdRN5v
>>893
>ぶっちゃけ、武田にとっては包囲網自体は二の次だし。
それは甘い考え。
織田との同盟を破棄して敵対した以上、国力倍以上の織田と対峙するには
反織田勢力の力も必要不可欠だろ。
織田が包囲網をぶち壊して勢力を拡大したらどうするのよ?
再同盟なんて甘い考えは無しにしてくれよw
898人間七七四年:2008/08/24(日) 01:14:33 ID:aNTKTkhC
>>895
いい加減無視するのはやめろ。
勝負を焦らなくてはならないのは織田だと言っている。
武田とにらみ合いしていればその後方をつかれる。
朝倉浅井もまだ余力を持ち本願寺、伊勢長島、その他がいる。

謙信が方針を転換するという事は越中と関東を見捨てるということ。
それは上杉家の大名としての威信の崩壊だが。
899人間七七四年:2008/08/24(日) 01:14:41 ID:HqRIjIt2
>>896
だから、織田が3万で武田に対しても2万の余力があるんだぞ
畿内三好と浅井朝倉が織田を攻めても2万でガッチリ固められたらとても突破は無理

つーか、武田って上杉が実際に甲斐信濃を攻めなくても「上杉が甲斐信濃を攻めた」っていう虚報を流すだけで国人を抑えることができなさそうなんだが
900人間七七四年:2008/08/24(日) 01:15:45 ID:TAYXbKLD
>>896
テンプレ>>7で抑えを残した上で2万8千の機動兵力が存在する

むしろ織田は武田が甲斐に帰る(2万強の圧力が無くなれば)
展開は史実に近い速度で進めることが出来る。
これには異論はないですよね



901人間七七四年:2008/08/24(日) 01:17:02 ID:ln6x7gi7
>>870
信玄が生きてたら
長篠の様な惨敗はない
問題は鳶ノ巣山砦が健在かってなだけ
武田が戦闘を起こしたのは織田徳川を攻撃して
後を慕わせないようにするためだけの行動
鳶ノ巣山砦が無事だったら、戦闘もしないで撤退できた。
結局、武田は戦闘する気は全くなく顔見せ程度の威嚇のつもりが
退路を断たれて、仕方なく突撃したってとこね
勝頼の凡ミスで
信玄ならこんな初歩的なミスはしない
902人間七七四年:2008/08/24(日) 01:17:31 ID:aNTKTkhC
>>899
なんだそりゃ。
朝倉浅井で二万以上、本願寺・伊勢長島がそれぞれ数万、これに足利その他が
加わっても二万で大丈夫なのか?無理だろ。分散してつぶされるか、集中して
他を切り取られるか。

その理論なら織田も相当やばそうだが。
903人間七七四年:2008/08/24(日) 01:17:54 ID:thOdRN5v
>>894
>それから5月に動くのはもともと計画されていたことだ。1572年11月の時点でな。
で?半年先の予定を実行できる保障は?
12月に徳川を叩くという予想以上の戦果を挙げたわけだから
武田が野田城を攻め始めたくらいから計画の前倒しをしても良かったと思うんだが?
もし朝倉と浅井が動けるのならば武田がダラダラと野田城を攻めてる時に動くべきだったと思うんだが?
904人間七七四年:2008/08/24(日) 01:19:32 ID:aNTKTkhC
>>900
あのテンプレは朝倉・浅井だけでなく、数万近い兵をもつ伊勢長島も本願寺もその他も絶対に動けないという
断定で計っている。それには納得しかねるのだけど。
905人間七七四年:2008/08/24(日) 01:19:46 ID:HqRIjIt2
>>901
…そうか?
川中島で1回やっちまってるからかなり怪しいぞww

>>902
浅井朝倉で2万以上とかどんなバブルだよww
2万で大丈夫、全然大丈夫 守備は圧倒的に有利だからな
906人間七七四年:2008/08/24(日) 01:20:03 ID:N50XDvWT
>>897
織田のように自領の危機に比べれば、二の次と言う事だよ。

907人間七七四年:2008/08/24(日) 01:21:31 ID:aNTKTkhC
>>903
冬でいったん越前に引いてしまった以上、簡単には動けまい。
第一その共同作戦は武田の美濃侵攻に合わせて計画されたものだ。
武田が野田攻めている時点で動いても何の意味もない。
908人間七七四年:2008/08/24(日) 01:23:04 ID:thOdRN5v
>>906
例えば武田が織田以上の国力だったらそれで良いかもしれないね。
だけど国力が倍以上の相手に負けてもとりあえず自領は当分安全だからOKという考えは
見通しが甘すぎでしょ。長期的な事はどうでもいいってか?
909人間七七四年:2008/08/24(日) 01:24:07 ID:TAYXbKLD
>>904
史実、外征は無いからね
武田も上杉が動かない前提ですよね

一番聞きたいのは、武田の継戦能力についてです。
910人間七七四年:2008/08/24(日) 01:24:08 ID:aNTKTkhC
>>905
刀根坂の時点で軍役拒否もいるのに浪人衆とか集めて二万出してる事は知ってるだろう。
信玄西上で希望があるなら重臣たちも動く可能性は高い。
浅井は数千出せる。二万以上は十分狙える。

広いフィールドに二万を分散させるならそんな楽観論はとてもいえないと思うが。
911人間七七四年:2008/08/24(日) 01:24:14 ID:HqRIjIt2
……もしかしたらこんなもんもありえるかも

織田と武田が対峙 双方全く動かず、膠着が続く
織田が朝倉攻めを開始 武田が動く 驚異的な早さで織田が引き上げ…

そんな1572賤ヶ岳 織田の機動力を考えれば不可能ではない
勿論、信玄が先に動くとは考えられんが…
912人間七七四年:2008/08/24(日) 01:24:15 ID:L5mXFL1t
>>851
朝倉は3月半ばには一応動いているはず

伊勢長島は一次の段階では非常に狭いと思うが
二次ではかなり広いというか、伊勢長島中心に織田の支配が及びにくい、伊勢山間部甲賀伊賀国境あたりまでって感じか
伊賀衆甲賀衆が参加しているという記録もあったが

>伊丹や塩河もこれに同調。大山崎の離宮八幡宮は武田に対して禁制の発給と庇護をお願いしている
>所からも畿内の人心の動揺ぶりがわかる。畿内は絶賛混乱中なんだよ。
こういうのはあまりあてにならない、町衆にしては保険ということでかなり遠距離の相手に対してもこの手の要求はしているものだから
遠江や三河でも東海道より南の地域の寺社に禁制だしていたりするし

>武田が2万を動員したというのは石高的にも状況的にもまったく問題ない時なんだけど。
>信長の5万だの7万だの10万だのはその時の織田の国力や状況から明らかに無理だから
北畠攻め時は畿内や近江衆も動員しているし、公方攻めでも畿内衆が参加していたりする
そこまで無理と思わないが、それを言うなら武田の兵力も怪しいものだと思うが

>全くないんじゃなくてあんたが知らないだけ。
>本願寺も浅井朝倉も足利もその他の畿内勢力も頻繁に書状をやり取りして
>来るべき信玄西上による一斉反撃に対応しようとしてるよ。
それはあなたが武田の史料しか見ていないからじゃ?
実際には元亀期になってから、本願寺将軍を中心に頻繁に書状をやり取りしていて、
それまでと特に変わったとは思えないが

>きわめて小規模にね。そんで武田方の天野にさえ撃退され、武田勝頼にはあちこち蹂躙され
>長篠のときにはずいぶん追い込まれてたね。
この時の徳川の動きを小規模と言うなら武田の軍事行動も小規模になるんじゃ?
奥三河方面は長篠まで取りかえして、遠江でも二俣から南方の城の大半は取り戻して、
駿河にも侵入したりといろいろしていると思うが。
また天野が撃退に成功したことをやたら評価しているようだが、実際には天野は城を守ったというだけで
これで家康の力を天野程度にも勝てないと評価するのであれば、
1573年の長篠城への後詰を送ったが徳川の部隊破られたが、
これをもって武田はその程度の力しかないと評価するようなもの

>長篠あとでも二股城とかを5か月以上かけても自力で落とせず城兵の無傷撤退を条件に開城してる状態。
諏訪原城など他にも攻める城あったわけだし、被害出さないように落としただけじゃ
それいったら武田だって野田みたいな小兵力の城落とすのに1ヶ月かかっているわけだし。
913人間七七四年:2008/08/24(日) 01:26:37 ID:HqRIjIt2
>>910
広いフィールドっていっても近江守っておけば大体OKだろ
他にどこから来るんだ
長島と石川本願寺は討って出ると弱いぞ この頃は雑賀衆もいないし
914人間七七四年:2008/08/24(日) 01:28:09 ID:aNTKTkhC
>>909
上杉は動かないのではなく、動けない。これ重要ね。
史実として本願寺は野田福島で織田を破り、天王寺では織田の防衛ラインを突破する寸前まで
いったけどね。

>>911
そんな楽観論でいいなら武田にも都合のいい展開がいくらでもできそうだが。
915人間七七四年:2008/08/24(日) 01:28:59 ID:N50XDvWT
>>908
>長期的な事はどうでもいいってか?
どうでもいいって極端だね。
1か0?
916人間七七四年:2008/08/24(日) 01:29:32 ID:aNTKTkhC
>>913
弱いという理論がよくわからんが。
本願寺に野戦で原率いる織田直属の大軍を真っ向から撃破されたのを忘れたか。
917人間七七四年:2008/08/24(日) 01:31:27 ID:HqRIjIt2
>>914
911のは単なるネタ 
天王寺のは雑賀衆がいたからだろ
天王寺の本願寺部隊は雑賀衆+畿内国人衆 本願寺そのものの野戦での力はどうだか…
918人間七七四年:2008/08/24(日) 01:33:03 ID:aNTKTkhC
>>917
雑賀衆なのかあれ?特に断定はされていなかったような。鉄砲をもった数千の連中としか。
第一本願寺が動く時は普通に周囲の国人衆も動くだろう。
それが勢力だ。
919人間七七四年:2008/08/24(日) 01:34:57 ID:N50XDvWT
>>914
>広いフィールドっていっても近江守っておけば大体OKだろ
近江以外を放置なら、重要な京が義昭などに取られるだろ。
京を取られたら堺への支配力も無くなる。
堺の経済力なしで、以前どおりの頻繁な軍事行動は出来なくなるが。
920人間七七四年:2008/08/24(日) 01:35:23 ID:TAYXbKLD
>>918
もう一度聞きますが
一番聞きたいのは、武田の継戦能力についてです。
半年+5月から包囲網を敷くそうですが、一応農繁期ですし
その間外征しっぱなしですか
北条の援軍も国に返さず
921人間七七四年:2008/08/24(日) 01:37:06 ID:aNTKTkhC
>>920
武田の外征が一番多いのは実は農繁期なんだけど。
兵農分離とか武田軍は農繁期には動けないとか信じちゃってる人?
922人間七七四年:2008/08/24(日) 01:38:58 ID:TAYXbKLD
>>921
信じてませんよ
それでも国力は疲弊しますよね
半年以上の外征にツッコミを入れているんです
923人間七七四年:2008/08/24(日) 01:40:54 ID:L5mXFL1t
>>854
ガン無視されたこれを好機とばかりに、徳川の城を攻めつづけるだけじゃね?
一応織田の援軍と徳川軍主力の動きを警戒しながら、武田領との境目の城を落とすと
基本的には史実とさほど変化のないペースで、北遠江奥三河の城を落としていくんじゃ

>>860
1573年の段階じゃ多少ですむんじゃないか
前にもあったが領土分断された浅井でさえ、数年粘ったんだし、
それ考えると徳川の方はまだ余裕ありそうだし

>>861
1573年春の段階で敦賀にまで出兵、でも織田が上洛したためそこから進まなかったとか
小谷の普請をしたり若狭に兵を出したりとか、一応動いてはいる
まあほとんど何も出来なかったようなものだが

>>863
>三方ヶ原後の徳川はかなり崩壊直前まで言っていたと思う。
崩壊直前というにはその後も動き回っているし、主要な城は所有したままだし、
領土だって一部荒らされたぐらいだし

>この3千の救援は無傷の精兵を集めた為とも言われるが、信玄の兵力はほぼ分かっているので3千では手も足も出ないなどと言う状況は家康にも分かっていたはずで、ワザワザ少ない兵力で出陣するはずがない。
>繰り返すが、救援に赴いた挙句手も足も出ず引き返すのは取り返しの付かないほどの失態なのだから。
>つまり、遠江での徳川の影響力が低下し全力で動かせる兵力が3千しかなかったと言う事。
一言坂を全否定だな

>では、信長の大規模な援軍があればそうはいかないのでは?
織田はこの場合負けさえしなきゃ武田はいずれ撤退、武田は織田と戦って軍隊が負けたわけではないけど、
世間的には武田が撤退した=畿内への援軍に来れない→包囲網の士気低下になるんじゃ

>逆に対武田に十分な兵力をまわせば近畿が崩壊するという、ジリ貧状態に陥る。
何度も言われているがテンプレ見る限りでは兵力は十分じゃ
織田の方が数千多い上に徳川の兵力があるんだから、かなり兵力は織田優位になるんじゃ
924人間七七四年:2008/08/24(日) 01:41:02 ID:aNTKTkhC
>>922
通常ならほどほどでいくだろうが。
これだけの勝負所なら継戦を狙うだろうな。
925人間七七四年:2008/08/24(日) 01:45:02 ID:73dvnNG2
上杉が動けないというレスがあるけど、
武田信玄は上杉が動けないという事を期待して長期遠征するのか?
だいたい上杉が動けないといっても7月に越中を平定してからは余裕で動けると思うんだけど。
それまでに織田を潰すとか無理だし、潰せなくても優勢に立つというのも困難だと思うんだが。
926人間七七四年:2008/08/24(日) 01:47:40 ID:aNTKTkhC
>>925
だから動けてないんだってば。
1573年7月以降も謙信は北陸情勢に噛んでるし、なによりその後は関東がやばい。
重要拠点関宿をはじめとする味方勢力は北条の攻勢によって危機に瀕し
謙信は1574年の末までこれと戦い続ける事になる。
927人間七七四年:2008/08/24(日) 01:52:02 ID:aNTKTkhC
とりあえず本日はこれまで。
予定より随分時間かけてしまったな…。
928人間七七四年:2008/08/24(日) 01:54:20 ID:TAYXbKLD
>>924
確かにあなたの言う通りの展開なら勝負所ですが
恐ろしくリスクが高いですね
信玄ほどの名将がやる作戦とは思えません
929人間七七四年:2008/08/24(日) 01:56:22 ID:TgUhZ8sL
>>926
で、北条から援軍要請がきたらどうするの?
武田には関東にも領土があるわけだが、上杉に攻められたらどうするの?
930人間七七四年:2008/08/24(日) 01:59:22 ID:N50XDvWT
>>923
>>三方ヶ原後の徳川はかなり崩壊直前まで言っていたと思う。
>崩壊直前というにはその後も動き回っているし、主要な城は所有したままだし、
>領土だって一部荒らされたぐらいだし
だから、信玄が撤退したからその後体制を立て直して何事も無かったように見えているだけで、従う豪族が少なくなり3千しか動かせない程度になっていると言う話。

>一言坂を全否定だな
一言坂との関連がよく分からない、説明してみて。

>織田はこの場合負けさえしなきゃ武田はいずれ撤退、武田は織田と戦って軍隊が負けたわけではないけど、
一回書いたが、負けないようにするには陣地を固めるなどをしなくてはならないが、そんな余裕はそうそうない。
援軍に来たところを武田に迎え撃たれたら、負けないようにするなどという事も確証できない。
そして、負けた時のダメージが大きすぎる以上、援軍には簡単にはこれない。


>>逆に対武田に十分な兵力をまわせば近畿が崩壊するという、ジリ貧状態に陥る。
>何度も言われているがテンプレ見る限りでは兵力は十分じゃ
織田が負けて近畿に裏切りが続出する場合の話だから、テンプレ時点の兵力は参考にならない。

>織田の方が数千多い上に徳川の兵力があるんだから、かなり兵力は織田優位になるんじゃ
織田と徳川の兵力が合流して武田に向かってくるんじゃなければ、
合戦なんて数時間で決着が付くんだから、武田がワザワザ待ち構えるなどと言う事をしない限り挟み撃ちをされるわけでもなく、吉田に3千ほどで籠城した徳川なんて、千も抑えれば数時間は動けないだろうし。
931人間七七四年:2008/08/24(日) 02:01:43 ID:N50XDvWT
とりあえず寝る。
932人間七七四年:2008/08/24(日) 02:10:32 ID:2keZcVEm
浅井・朝倉は無視でいいと思うよ
5月になったらなんて連呼してるけど
そのころなら虎御前山だって強化されてる
羽柴秀吉もバカじゃないだろう

朝倉重臣たちも出兵拒否が日和見に変わるだけだろうね
体制を立て直しても士気が回復するかな
一度敗北の上で撤退しているのは痛すぎ
933人間七七四年:2008/08/24(日) 02:10:52 ID:y9L+N5F8
信玄が西上すれば信長は近畿維持に梃子摺るという話だが、そもそも維持しようとするかね。
もしすべて信玄の思うとおりに行ったとしたら最終的に
濃尾の織田vs甲信駿遠の武田
いう戦いになるんじゃなかろうか。本当にまずいと思ったら信長はあっさり近畿を引き上げるだろう。
浅井も朝倉も近江から美濃に押し出す体力はないだろうし、
一揆勢力も伊勢を出ることはないだろう。
934人間七七四年:2008/08/24(日) 02:22:53 ID:TgUhZ8sL
>>933
でしょうね。本当に信長にとってやばかったら、畿内は捨てて全兵力を本国に戻して
武田と決戦を挑むでしょう。そうなると、国力で倍以上の差をつけられている武田は
敵わない。撤退するしかない。

畿内の連中は織田を滅ぼさなければならない絶対な理由はない。織田が妥協して手を
ひけばそれで十分。織田からしても勢力は減退するが、織田家の滅亡に関わるって存在
というわけじゃあない。しかし武田はどうにかしないと家の存亡に関わる。そうなれば、
どちらを優先するかは自明の理。
まあその結果信長の天下布武はおおいに遅れるだろうが、信玄も上洛は不可で終わるな。

>>930
>吉田に3千ほどで籠城した徳川なんて、千も抑えれば数時間は動けないだろうし。
都合がよすぎる。というか、信玄がこんな愚かな行動をすると思っているのか?
935人間七七四年:2008/08/24(日) 02:22:59 ID:2keZcVEm
最終的には武田の継戦能力と本願寺の動向しだいだね
といってもこの頃の本願寺は期待薄だし
戦は自弁が基本だから武田のみの補給は厳しそう
936人間七七四年:2008/08/24(日) 02:24:21 ID:y9L+N5F8
>>934
濃尾だけなら国力はとんとんになるんじゃね?
937人間七七四年:2008/08/24(日) 02:48:00 ID:L5mXFL1t
>>866
1572年の終わりにも信長が兵をひいて、武田が軍を動かしても
秀吉に勝てずに撤退だし
信玄が撤退する直前に織田は上洛、それ見て朝倉は近江に出ようとしなかっただし
『信長公記』があてになるかは分からないが、1572年夏の朝倉の出兵も浅井に騙されての出陣だし、
あんま期待できないんじゃないか?

>実際駿河攻めの時も徳川攻めの時も勝頼時代も2万近い兵力を何度も動かしているんだけど
実際って言うけどソースは?
実際のとこはどうだかは織田に限らず武田の兵力も誰にも分からないと思うが
それを一方的に織田だけ否定するのは公平な態度とは言えないと思うが

>>872
そこまで織田が非常に出れるなら、徳川が滅亡する頃には畿内はあらかたかたがついているだろうから問題ないんじゃ?
そもそも織田は直前までは武田とも同盟していて両者の争いには中立という立場を採っていたのだし
周りは見捨てたとは取らないかもしれん

>>882
>なんでガンガン織田につく勢力が出てくるのだろうか?
史実じゃ信玄が生きている段階で、細川荒木と織田につく勢力が出ているからじゃ

>>884
本国からの距離やそれまでの遠征による財政に兵の疲労士気を考えると
長期戦になれば先に根を上げるのは武田になると思うが。

>>888
>信玄がにらみ合いしてればいいのに対して信長は信玄以外の動きに対応するために
十分抑えの兵力があると思うが・・・
というか抑えの兵だけでも六角や松永あたりは倒せそうな感じするが

>>890
まあ織田と武田が戦って武田が勝たない限り動かない可能性もあるな
山崎合戦時の筒井みたいに

>>891
>岩村とその周辺は武田の秋山によってその手に落ちた。
>拠点は確保されている。美濃遠藤氏も調略されているし。
岩村は美濃の辺境だし、そこから進めるのか
遠藤氏は1572年春夏の段階では確かに誼を通じていたが秋になってからは態度変えている
それに対し武田は加増などをエサに引き止め工作しているがあてになるのか?

>兵糧がなぜ尽きる。
いつまで持つんだと逆に聞きたい

>上杉は越中と関東が大変な状況なんだけど。
関東が大変になったら、北条の援軍は返さないといけないと思うが
また援軍を出してもらった以上、武田も北条に協力する必要があるんじゃ
938人間七七四年:2008/08/24(日) 02:49:27 ID:L5mXFL1t
>>893
朝倉は何度もというほど援軍出していないと思うが
姉川の時と1572年夏(騙されて?)と1573年夏の滅亡時の3回じゃ?

>あの時に動かないなら朝倉浅井はそれで滅亡だという事は誰にでもわかる。
>畿内勢の沸騰ぶりを見てなお動かないような男ではあるまい。
それはあまりに主観すぎないか?
また滅亡だなんて誰にでもわかるなんてこともないと思うが

>それから5月に動くのはもともと計画されていたことだ。1572年11月の時点でな。
そもそも1572年春の段階では、1572年の夏に一斉に動くことになっていたはずじゃ
ところがその時は武田が動かずで動いた朝倉は大損
二回目となると動きも鈍りそうな気がする

>>898
無視しているのはあなたじゃ
それともテンプレを覆すに足る有力な情報でも入手したの?

>>907
まあもし本当に織田がこの時期危機的状況にあったなら
朝倉が越前に帰って動けない間に、何らかの軍事行動に出るはずなんだよなー
賤ヶ岳の戦いみたいに

>>910
普段は『信長公記』は兵力の捏造が酷いといってそこだけは信じるのか?
桶狭間や長篠を考えると実際の兵力は半分程度になるんじゃないか?

>>914
>史実として本願寺は野田福島で織田を破り、天王寺では織田の防衛ラインを突破する寸前まで
それって外征とはいえないんじゃ?

>>923
>だから、信玄が撤退したからその後体制を立て直して
具体的には?特に何か体勢を変化しているとは思えないけど、
軍事的には城主も替わっていないし、奏者に変化があったわけでもないし

>信玄の兵力はほぼ分かっているので3千では手も足も出ないなどと言う状況は家康にも分かっていたはずで、ワザワザ少ない兵力で出陣するはずがない。
>繰り返すが、救援に赴いた挙句手も足も出ず引き返すのは取り返しの付かないほどの失態なのだから。
一言坂はまさにこの取り返しのつかない失敗にならないか?
相手の兵力はほぼ分かっていて、わざわざ少ない兵力で出兵して、救援に赴いた挙句手も足も出ずひき返してきたと思うが。

>一回書いたが、負けないようにするには陣地を固めるなどをしなくてはならないが、そんな余裕はそうそうない。
なんで余裕がないんだか兵力は織田の方が有利なんだからそういった余裕は織田の方があると思うが、
更にいうなら戦うのは恐らく徳川領、それらの資材の調達なども武田よりやりやすいはずじゃ
>援軍に来たところを武田に迎え撃たれたら、負けないようにするなどという事も確証できない。
徳川領で戦うのだから地理などの情報は得られるし、迎え撃たれたところで兵力では織田の方が優位
また無理に武田を破る必要があるならともかく、武田が撤退してくれさえすればいいのだから、
武田に迎え撃たれるということもないんじゃ

>織田が負けて近畿に裏切りが続出する場合の話だから、テンプレ時点の兵力は参考にならない。
まあ織田が負けるの前提なら、確かにテンプレは参考にならないかも
ただ、志賀の陣は別として、伊勢長島で何度か負けたりしても畿内で裏切りは出なかったような・・・

>合戦なんて数時間で決着が付くんだから、武田がワザワザ待ち構えるなどと言う事をしない限り挟み撃ちをされるわけでもなく、
>吉田に3千ほどで籠城した徳川なんて、千も抑えれば数時間は動けないだろうし。
また適当な憶測か?
数時間で決着がつくなんてわかるわけないし、そもそも織田が守り固めたら劣勢な武田じゃ
織田を数時間で打ち破れる可能性は低いんじゃ
織田は武田の足止めだけで十分なんだし
939人間七七四年:2008/08/24(日) 02:50:16 ID:ln6x7gi7
つーか
謙信は
義昭の要請を無視し続けることはでいなでしょ
毛利もおなじ
上杉が攻めてくるなら
とうぜん武田は義昭に頼んで上杉を止めてもらう
義昭を無視して謙信が武田を攻めるのも想像できないな
940人間七七四年:2008/08/24(日) 03:14:16 ID:TgUhZ8sL
>>936
それは講談。
史実の謙信は義昭を無視して織田と同盟結んで武田本願寺と敵対しているんですが。
史実の謙信は義昭の要請を無視して、北陸の一向宗を攻撃して、顕如は信玄に越後へ
兵を出してくれ懇願までしている。まあ信玄は顕如の援軍要請も無視したけど。
941人間七七四年:2008/08/24(日) 03:20:52 ID:KKFR8WQ3
>>933
>>934
>本当に信長にとってやばかったら、畿内は捨てて全兵力を本国に戻して
現実離れしているなあ。
広大な領国を犠牲にして防衛するなんて、防衛とはいわないよ。
実際は衰退だよね。
領地を犠牲しなくてはいけない状況は、国の末期症状だよね。
実際にそれをやれば、織田弱体化を露呈させ、味方や家臣まで離れていくのになあ。
どんなピンチでも、それはしないだろう。





942人間七七四年:2008/08/24(日) 03:37:53 ID:y9L+N5F8
>>941
北条氏康はやったぜ?
943人間七七四年:2008/08/24(日) 03:45:56 ID:KKFR8WQ3
>>942
いつ?
領地を犠牲にして、全兵力を小田原に集結させたかい?
944人間七七四年:2008/08/24(日) 03:53:39 ID:y9L+N5F8
>>943
>全兵力
じゃないけど小田原に集結させたぜ。信玄も駿河で似たようなことしたぜ。
大体まだそのころ近江は完全に領地と言えるほど領国化してなかったんじゃないか?
史料は図書館で読む派だから自信はないが。
945人間七七四年:2008/08/24(日) 06:53:52 ID:g8ChIelH
>>933
> 本当にまずいと思ったら信長はあっさり近畿を引き上げるだろう。

それは無いと思う。
京を抑えているのが信長の強みの一つ。
京を放棄したらジリ貧になるだけじゃないかあ?
本当にまずい状態になったら、志賀の陣みたく朝廷の権威を使いまくるだろうね。
もちろん、朝廷の権威は万能を意味するわけではないけど。
946人間七七四年:2008/08/24(日) 08:09:17 ID:N50XDvWT
>>938
>具体的には?特に何か体勢を変化しているとは思えないけど、
>軍事的には城主も替わっていないし、奏者に変化があったわけでもないし
だから、そのまま信玄が進撃を続ければ進撃した先の城は簡単に降服していっただろうが、結局撤退してしまったので変化が無いように見えると言っているんだよ。

>相手の兵力はほぼ分かっていて、わざわざ少ない兵力で出兵して、救援に赴いた挙句手も足も出ずひき返してきたと思うが。
一言坂は威力偵察で出陣して、結果合戦になった言う話ではなかったか?

>>一回書いたが、負けないようにするには陣地を固めるなどをしなくてはならないが、そんな余裕はそうそうない。
>なんで余裕がないんだか兵力は織田の方が有利なんだからそういった余裕は織田の方があると思うが、
>更にいうなら戦うのは恐らく徳川領、それらの資材の調達なども武田よりやりやすいはずじゃ
武田が合戦をする気なら、織田が陣地を構築する余裕を与えずに攻めるだろうと言う事。
織田が陣地を構築しだして武田が向かっても陣地構築が間に合うほど、遠方に織田が陣地を敷いたとしたら徳川を攻めればよいだけ。
そうすれば、織田は結局徳川を見捨てた事になる。

>徳川領で戦うのだから地理などの情報は得られるし、
武田にも三河からの離反者は多く、情報は得られる。

>迎え撃たれたところで兵力では織田の方が優位
織田の方が兵力では優位と言うのはわかっていて、その上でその程度の優位では必ず勝つとは言い切れない以上、織田のリスクの方が多すぎると言う事。

>ただ、志賀の陣は別として、伊勢長島で何度か負けたりしても畿内で裏切りは出なかったような・・・
武田との決戦とではインパクトが違うでしょ。
畿内の勢力だって一向宗が織田に勝ったからと言って、一向宗に着くなんて判断するわけないし。

>数時間で決着がつくなんてわかるわけないし、そもそも織田が守り固めたら劣勢な武田じゃ
>織田を数時間で打ち破れる可能性は低いんじゃ
>織田は武田の足止めだけで十分なんだし
陣地を構築させずに合戦に持ち込めば、数時間でしょ。
947人間七七四年:2008/08/24(日) 12:02:31 ID:gJkdsA6L
>だから、そのまま信玄が進撃を続ければ進撃した先の城は簡単に降服していっただろうが、
>結局撤退してしまったので変化が無いように見えると言っているんだよ。

簡単に降伏なんていっていいのか?織田の救援が入る可能性もあるのでどうなるかわからない程度にしておいたほうが
それこそ事態の流動性の始まりでは?

>武田が合戦をする気なら、織田が陣地を構築する余裕を与えずに攻めるだろうと言う事。
>織田が陣地を構築しだして武田が向かっても陣地構築が間に合うほど、
>遠方に織田が陣地を敷いたとしたら徳川を攻めればよいだけ。

長篠の戦ではうまくいってるけど?
岡崎城あたりは囲まないと落とせないから同様の形になる可能性がある。
簡単に同じ状況とはえいえないし信玄と勝頼では違うけど実例自体はある。

>徳川領で戦うのだから地理などの情報は得られるし、武田にも三河からの離反者は多く、情報は得られる。

豪族連の表面上の協力はえられるだろうが民草は徳川の影響が強いと思われる
尾張国境付近なら完全に織田のものだろうし
当の豪族連だって両属、内通、日和見いろいろだろう。
武田侵攻時ですでにそうだろうけど西に向かうほど武田不利はいなめない

>武田との決戦とではインパクトが違うでしょ。

三方ヶ原の戦いの前後で武田上洛の噂はでてたみたいだけど。
信長の岐阜帰還で武田との決戦の予想は大方にあっただろうけど、
それに対してなにか動きがあってもしかるべしと思うがなにもなし。
結局浅井、朝倉、本願寺、願証寺は動いていない
義昭の影響力は小さくなってるし、松永久秀があっさり大和に封じ込められるようではね。
948人間七七四年:2008/08/24(日) 12:03:19 ID:HqRIjIt2
武田厨は武田を特別視しすぎだよ
確かに100万石を越える大大名だが、侵略スピードは遅いし、自分以上の兵力を持つ相手とは戦ったことがない
普通に織田3万とにらみ合って、兵糧尽きて引き上げるのがオチ 金山も掘り尽くしたし武田の財政は悪化していく一方だしな
謙信が上野や信濃を攻めたという虚報が入るだけで武田軍はガタガタになりそうだ 実際謙信ってみんなの予想の斜め上をいくような存在だからいきなり武田の領土を攻め出すこともありえる
北条の援軍だって「帰らせてくれ」って言い出すだろうし、帰した後で北条に裏切られて空の甲斐駿河が――
武田信玄がその辺読み切っていたとしても、国人がどう考えることか 国人を抑えられず撤退 あるいは勝負を焦って3年早い長篠が発生するのがオチ
949人間七七四年:2008/08/24(日) 12:06:35 ID:gJkdsA6L
そもそも5月攻勢なんてかけられるのか?
11月の時点での想定では信玄の頭の中に信長本隊と対峙中の
朝倉義景が越前に引き上げるという想定はなかったようだが。
でなきゃ恨み節のような手紙も出さないっだろうし。

そもそも信長本隊が岐阜に帰還するなんていう事態を予想するか?
普通は浅井・朝倉の当主まで出陣し対陣してるのに本隊ごっそり帰還の上、
本隊の抜けた虎御前山砦郡に敗退、しかも体制の立て直しのため本国帰還まで余儀なくされるとは想定できないはずだが
950人間七七四年:2008/08/24(日) 12:15:58 ID:tAdrBdyc
>>948
謙信が越中や関東の味方を捨てるなんてまずないんじゃ。
北条にしてもなんで関東で忙しいのにわざわざ同盟国の領土攻めるんだよ。
織田厨のほうが織田に都合よく考えすぎじゃ。
>>949
実際本隊が帰還した後に書状送って5月出兵を申し合わせてるじゃん。
虎御前に攻めたのは全軍の一部だし。
951人間七七四年:2008/08/24(日) 12:18:32 ID:gJkdsA6L
北条援軍に関しては長くても6月ぐらいには返さざるをえないだろうね。
6月以降もいてほしければ武田が兵糧など経済的負担をせざるをえないだろう。
兵の士気などは当然別だけど。
952人間七七四年:2008/08/24(日) 12:24:19 ID:HqRIjIt2
>>950
だから虚報だよ虚報
国人たちにとってはそれで十分なんだよ
国人たちが虚報に騙され、「領国が心配だ、早く帰らせろ」って言い出したら信玄は引き上げるか一か八かの賭けに出るしかない
そもそも
>謙信が越中や関東の味方を捨てるなんてまずない
本当かよww いっぺん関東の味方は捨ててるし、しかもそれをやったせいで関東の影響力ガタ落ちしてるし
最悪、相手に有利な和睦案をつきつけて攻める場所を変えたらいいだけ 実際それをやらなかったとしても「やられたらどうしよう」というのは心のどこかにある
953人間七七四年:2008/08/24(日) 12:28:30 ID:tAdrBdyc
>>952
そんな虚報程度で簡単に崩壊するくらいなら
戦国の大名なんかやってられないはずだが。
第一戦国時代に虚報や誇張伝聞なんかどれだけとびかってると思うんだ。

いつ見捨てたの?越相同盟の事?あれはむしろ窮地にあった関東勢を救うためのものなんだけど。
それが崩れて再び北条の進撃が始まり重要拠点関宿が危機に瀕したので謙信は
これを救うために1574年中を戦いに費やし、しかもそれでも駄目だった。
そんな簡単に捨てられるわけないだろう。
954人間七七四年:2008/08/24(日) 12:37:10 ID:tAdrBdyc
まあ外出する。
955人間七七四年:2008/08/24(日) 12:38:36 ID:gJkdsA6L
>>950
11月の書状の時とは状況が違うでしょ。
虎御前山砦を攻めたのが一部って相変わらずのトンデモだな。
それなら本隊引き上げの必要一切なし。
虎御前山砦を攻めて負けたという事実も変わりなし。
武田が徳川領を侵略し織田本隊が対武田のためにさっさと引き上げてるのに
防御力が落ち、小谷城の目の上のタンコブどころか息の根を止めようかという虎御前山砦を総がかりせずに自分らまで引き上げるのは、
砦の防御力が高すぎて今のままでは抜けないと判断したか他のなにかしらの攻撃できない理由がある。
他の理由があるならそれはそれで朝倉の弱み。
おそらくこのころには内部がガタガタで士気も低かったんだろうけど。

それと三方ヶ原の勝利は信玄の想定内のはず。
徳川の動きにはなにかしらの制約をする必要があったし。
むしろ想定内の中でも良い結果のほうがでて信玄としては喜んでいたのではないか。
それに対して朝倉はということで例の書状の恨み言になるのかと。
956人間七七四年:2008/08/24(日) 12:43:51 ID:tAdrBdyc
>>954と思ったがとりあえず答えておこう。

>>955
トンでもなのはお前さんだな。
実際一部なんだから仕方ない。2万近くいる兵力のうちの数千でしかないんだが。
全力攻勢なんかじゃ全然ない。もしかして虎御前に攻めた兵力の事知らなかったのか?
ただ単にそれまで長陣してしかも冬が来たから引いただけだろ。
そして春からの反撃に備えて体制を整えたと。

信玄にしてみればもう少し粘ってくれると思ったが引いたのであわてた。
そして書状を送って要請し、5月の計画通りの出兵は取り付けた。それだけだが。
957人間七七四年:2008/08/24(日) 12:56:45 ID:tAdrBdyc
外出する。
958人間七七四年:2008/08/24(日) 13:11:32 ID:TgUhZ8sL
虎御前山を攻めたのは朝倉の一部だ、ってのは「オレが全力をだせば大丈夫」っていう
敗者の言い訳にしか聞こえないね。

さらにその後、信長の本隊が江北から消えても、守備隊の木下秀吉が他所へ転進しても、
朝倉浅井は虎御前山を攻めなかった。武田の動向にかかわらず、落とせるのなら落として
おくべきだろうよこんなやばい敵の砦は。

自分達を押し込める敵の砦が守備兵も減ってチャンスです。自分達には落とせる力もあります。
でも武田がひっこんでいるから自分たちもやらない。敵の砦をそのままにして小谷城をピンチの
ままにしておきます。武田がでてきたら、改めて敵の守備兵も戻って強化された砦を攻撃します。

なにそれ?
論者は五月に攻める予定だったとしているが、そんな好機が目の前にあっても武田がいな
ければ単独では動けないというのなら、それが朝倉浅井の現状の能力なんだろうよ。
とても「武田が織田をひきつけているうちに勢力拡張して織田を侵食する!」なんて出来るとは
思えないねえ。
959人間七七四年:2008/08/24(日) 13:13:25 ID:gJkdsA6L
>>956
おいおい当主が出陣して指揮して攻めて負けたんだぞ。
いいのかそんな簡単なことでw
しかも浅井のノド下の砦だというのに、この機会を逃していつ攻めるんだ?

>>932が書いてくれてるが5月まで時間があるということは虎御前山のほうも強化されるということなんだぞ
時間は両者に公平なんだから、あとは国力の差と自由度の差でその差は更に開くんだが。
冬場で朝倉が動けとないのに対する織田勢は動けるだろ。

織田本隊が引いた時が一番のチャンスなのに一部の兵が攻めただけなのか?
そのセンスの無さなら出陣拒否がおきても当たり前だな

むしろ一部の兵しか動かせなかったんだろ。
でなきゃ武田が引いたからといって出兵拒否なんぞおこらんし、
武田に依存する体制でしかなkったということだ。
960人間七七四年:2008/08/24(日) 13:15:12 ID:gJkdsA6L
キーボード変えたら誤字脱字が多くなった。
俺も落ちる。
961人間七七四年:2008/08/24(日) 14:31:37 ID:z70xdgsf
54スレまとめ

>1-16テンプレ
>18-149テンプレの説明

>119-187伊勢の支配状況
>188-210長島一向一揆に協力する北伊勢土豪
>214-306信玄信長の合戦について 雑談 騎馬隊について

>307-324美濃攻め斎藤のクーデターについて

>325-360三国同盟の是非について 駿河攻めについて
>360-398信長の外交、裏切ったのは長宗我部か
>389北条の織田家への従属の記録
>401-460織田上杉の経済力の源泉

>461-476北条謀反の否定
>461ソース
>479-486大名の収入

>504-540包囲網の状況
>533-552川中島の戦い 上杉武田北条の戦いについて
>553-561包囲網の状況 
>564-613朝倉の状況・兵力について
>594-599武田家系図 武田信成について

>613-617武田徳川の状況
>620-632武田の包囲網への参加は早いか否か

>633-687虎御前山砦の防衛力について
>635-764信玄は条件が悪かった運が悪かったか信長は条件が良かったか運が良かったか水掛け論

>765-791桶狭間の価値について
>792-812信玄が生きていればどうなったか 各勢力の状況
 792-829勝曼寺について
>814-960織田徳川武田の採るべき戦術・武田の継戦能力
962人間七七四年:2008/08/24(日) 17:30:19 ID:DWyfu8QO
>>937
>1572年夏の朝倉の出兵も浅井に騙されての出陣だし
kwsk
963人間七七四年:2008/08/24(日) 18:57:38 ID:eDM9YqzE
>>947
>簡単に降伏なんていっていいのか?織田の救援が入る可能性もあるのでどうなるかわからない程度にしておいたほうが
>それこそ事態の流動性の始まりでは?
実際、家康が動かせる軍勢が3千まで減ってる。
事態の流動性というけど、家康に従っていた豪族が家康に従わなくなってきているという事は、事態は武田に向いている。
豪族達も武田が進軍してきてもいないのに寝返りはしなかっただろうけど。


>長篠の戦ではうまくいってるけど?
>岡崎城あたりは囲まないと落とせないから同様の形になる可能性がある。
>簡単に同じ状況とはえいえないし信玄と勝頼では違うけど実例自体はある。
家康がいるのは吉田城だし、長篠の時は勝頼も初めは決戦するつもりが無かったから、陣地を構築させる余裕を与えただけ。

>豪族連の表面上の協力はえられるだろうが民草は徳川の影響が強いと思われる
>尾張国境付近なら完全に織田のものだろうし
>当の豪族連だって両属、内通、日和見いろいろだろう。
>武田侵攻時ですでにそうだろうけど西に向かうほど武田不利はいなめない
尾張国境もなにも、家康がいるのは吉田城。


>武田との決戦とではインパクトが違うでしょ。

>三方ヶ原の戦いの前後で武田上洛の噂はでてたみたいだけど。
>信長の岐阜帰還で武田との決戦の予想は大方にあっただろうけど、
>それに対してなにか動きがあってもしかるべしと思うがなにもなし。
>結局浅井、朝倉、本願寺、願証寺は動いていない
>義昭の影響力は小さくなってるし、松永久秀があっさり大和に封じ込められるようではね。
噂や予想と、実際の決戦で武田が勝利した場合のインパクトを比べてどうするよ?
964人間七七四年:2008/08/24(日) 20:07:09 ID:gJkdsA6L
武田が決戦に勝利すればねw

志賀の陣は織田の負けだがあれは戦略負けだし、
今回は延暦寺無く、浅井朝倉は弱体化、本願寺、特に長島は動いてくれずだから条件は悪い。
畿内の反織田勢にとって起死回生をかけたものはずなのに本願寺が動いてないのはね。
北陸が動いて畿内が動かずという時点で本願寺の内情が察せられるけど。

武田が勝てばその通りだなw
965人間七七四年:2008/08/24(日) 20:23:51 ID:gJkdsA6L
まあ織田は本願寺さえ動かなければ決戦する必要性は基本的にはないけど。
武田本隊を拘束するなら信長本隊が対陣してしまえばいい。
西三河の適当な城を囲ませたら後詰めに出るだけでいいから。
武田が決戦を強要するように織田はにらみ合いを強要するでしょう。
陣城を構築されたら信玄は無理に突っつかないし、信長も後詰の城を陥落させるような指揮は執らないはず。

後は後方の本願寺と徳川に対しどう処置していくか。
本願寺は近場には強いけど遠征能力は、特に畿内勢は未知数というか低いだろうし、
徳川も史実では信玄逝去後の武田に反攻したが、三方ヶ原の後で信玄健在の武田相手にどこまでやれるか。

鍵は本願寺と徳川だね。
966人間七七四年:2008/08/24(日) 20:37:34 ID:PlU6dFgY
本願寺と徳川ね
確かに不確定性が高いのはその二者かな
徳川なんか三方が原で再起不能でもおかしくはなかったけどすぐに反撃してるし
967人間七七四年:2008/08/24(日) 20:56:48 ID:eDM9YqzE
>>964
>武田が勝てばその通りだなw
だから負けた場合のリスクが大きすぎて、多少の戦力の有利差では織田は徳川の援軍にはこれない。

>>965
>信長も後詰の城を陥落させるような指揮は執らないはず。
後詰の城を陥落させないためには、攻められている城に織田が後詰に来ると言う事で、そこで決戦になりますが?
968人間七七四年:2008/08/24(日) 21:01:36 ID:HqRIjIt2
>>967
確かに徳川の援軍には行かないが、負けた場合下手すりゃ滅亡する武田に比べて織田はまだまだ大丈夫
石山本願寺、長島本願寺は動かないし 浅井朝倉は崩壊寸前 相当酷い負けっぷりでも大丈夫大丈夫
969人間七七四年:2008/08/24(日) 21:05:29 ID:fyig1rh/
対陣イコール決戦ではないはずですが?
川中島なんかモロそうじゃないですか
12月の朝倉もそうだし
浅井の小谷城は落ちてないでしょ
970人間七七四年:2008/08/24(日) 21:06:14 ID:DWyfu8QO
>>967
>だから負けた場合のリスクが大きすぎて、多少の戦力の有利差では織田は徳川の援軍にはこれない。
負けたときのリスクは武田も同様大きすぎるから、援軍に行ってもこちら(織田、徳川)の方が兵は上だろうし
そうそう正面からぶつかることは無いと思うんだが。
971人間七七四年:2008/08/24(日) 21:18:30 ID:fyig1rh/
戦争は政治の延長というのは信長あたりは判ってそうなんだけど・・・
後詰の城を落とさせないのなら決戦を回避する形でもいくらでも方法はあると思うけど
兵力差さえあれば守備固めでなんとでもなるし

決戦したいのはどう考えても武田だし、それに付き合う義理も無いけど
政治的には出陣ぐらいはしとかないとはいけないと思う
武田が動くなら織田も動くからそこから先はわからないけど
民草の支援や補給など地の利のある織田有利には動くと思う

武田は10月から長期遠征、しかも初めての土地だから長居はできそうにないし
972人間七七四年:2008/08/24(日) 21:18:43 ID:TgUhZ8sL
負けた場合のリスクが、というが、史実の信長はそのリスクを背負った上で出撃して勝利をもぎ取ってきた。
だからこそあの信じられないスピードの勢力拡大がある。
逆に信玄はその手のリスクがあった場合は徹底して避けてきた。

なんで信長がこの時だけ決戦を避けると言うのか?
973人間七七四年:2008/08/24(日) 21:23:06 ID:HqRIjIt2
>>972
確かにww
信玄は絶対手を出さないだろうな
まぁ信玄じゃ上洛なんて夢のまた夢…
974人間七七四年:2008/08/24(日) 21:26:37 ID:DWyfu8QO
>>972
確かにそうだよな。

信玄がリスクを回避する傾向というのは別に能力が低いからとかチキンだからと言う気は
毛頭ないと一応書いておくよ。
リスクを回避するのは戦略の一つであるし、特段非難すべきようなネガティブな戦略というわけでもない。
975人間七七四年:2008/08/24(日) 21:30:01 ID:fsAvtqWJ
>>973
おまいさんの書き込み全部見ると、
武田信玄をえらい過少評価してるな
逆に織田信長を過大評価してるな。
976人間七七四年:2008/08/24(日) 21:33:57 ID:HqRIjIt2
>>975
武田信玄は20万石→120万石
織田信長は20万石(稲生の戦いらへんでは10万石以下か)→800万石

こう言っちゃなんだが、信玄は100万石超えた大名の中でも真ん中ぐらいの存在だろ
上杉謙信のほうが領土拡大率大きいし、毛利元就みたいに周りが強豪揃いだったってわけでもない
凄い大名だとは思うが信長とか秀吉と比べると比べ物にならないよ
977人間七七四年:2008/08/24(日) 21:45:51 ID:xSgO+qmd
戦国大名の力量BEST3
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康

その他
北条氏康・長尾景虎・武田晴信・今川義元・本願寺顕如・三好長慶など。

いろいろ思うところがあるだろうがこれが日本人一般の考えだろう。
日本の常識と2chの常識は違うことを押さえておいた方がいい。


978人間七七四年:2008/08/24(日) 21:47:50 ID:HqRIjIt2
一般人は顕如や長慶なんて知らねーよww
伊達政宗や毛利元就が入ってくるのが自然
979人間七七四年:2008/08/24(日) 21:53:47 ID:eDM9YqzE
>>968
>>970
武田が負けても織田に追撃して武田領内を攻める余裕はないので、全然武田は危機ではないけど?

>>969
双方が攻めないつもりで無いなら、対陣にならないが?
>川中島なんかモロそうじゃないですか
川中島は武田の半数の上杉はそうは攻められないだろうし、武田は上杉が撤退すれさえすればよかった。
今回の話では織田が武田が撤退すれさえすればよいのは同じだが、
武田と織田の兵力差は半数と言うほど開いていない。
テンプレの兵力を出すのは好きじゃないが、
テンプレでは2万8千対2万5千。
武田がじゃっかん徳川に押さえに兵を置いても、圧倒的に織田が有利と言うわけじゃない。
同じ事を繰り返し書くのもめんどくさくなってきたが、
この程度の有利だ差では、織田は負けた場合のリスクが大きすぎる武田との決戦になる危険がある徳川への援軍は無いだろう。
980人間七七四年:2008/08/24(日) 21:56:16 ID:DWyfu8QO
>>979
武田が敗退して自国に撤退すれば織田包囲網崩壊の危機なんだが…
そして包囲網を織田が崩壊させることに成功してしまえば最早対抗する術はなくなるんだが…
まさか再同盟するとか言わないよな?w
981人間七七四年:2008/08/24(日) 21:57:32 ID:eDM9YqzE
>>976
このスレでは信長と信玄のどちらが凄いかじゃなくて、このタイミングと条件で戦って上洛できるかどうかが問題だろう。
極端な話、世界最強の挌闘家でも背後から小学生に拳銃で撃たれたら死ぬ。
982人間七七四年:2008/08/24(日) 22:05:21 ID:VO8/rKnn
朝倉が2万の動員が可能であるということなら織田の動員可能兵数の見立てもかさ上げできるようなwww
983人間七七四年:2008/08/24(日) 22:09:21 ID:fyig1rh/
>>979
それなら1572年7月に朝倉がわざわざ小谷城まで出張って織田本隊と対陣したのに決戦にならなかったのはなぜ?
12月までいたんだし10月には信長帰っちゃったんだから虎御前山をめぐる決戦になるはずだと思いますが
虎御前山砦郡に対する評価が不当に低いと思われますが

>>980
三方が原の時点で織田包囲網は実質機能していない感じですね
984人間七七四年:2008/08/24(日) 22:31:59 ID:TgUhZ8sL
>>979
そのテンプレの武田軍には北条からの援軍も含まれていることに注目
985人間七七四年:2008/08/24(日) 22:36:54 ID:fsAvtqWJ
>>976
甲斐の周りには強豪が大勢いますね。
徳川家康に勝てない豊臣秀吉が武田信玄より上?
何、言ってんの?
986人間七七四年:2008/08/24(日) 22:41:39 ID:eDM9YqzE
>>979
>そのテンプレの武田軍には北条からの援軍も含まれていることに注目
だから?
北条の援軍が戦闘に参加しないとでも?
987人間七七四年:2008/08/24(日) 22:55:34 ID:eDM9YqzE
>>980
戦わずに引いても同じ事だろ?
戦えば活路が見出せるかも知らず。
負けても戦わずに引くのと大差ない。
じゃあ、戦うだろう。
988人間七七四年:2008/08/24(日) 23:01:08 ID:VO8/rKnn
抽象的な観念論www
989人間七七四年:2008/08/24(日) 23:05:38 ID:eDM9YqzE
>>983
当然秀吉から仕掛ける必要が無いし、朝倉も織田の本隊が無傷でいる状態で無理は出来なかったんだろう。
相手の本隊とじゃなく、単なる一部隊に無理はしないだろう。
砦攻撃なら1日では落とせないかも知れないし、相手の本隊が1日(遅くとも二日)でこれる距離にいるのに。
990人間七七四年:2008/08/24(日) 23:10:52 ID:AFsaB4S2
攻めなくたっていいんだよ
991人間七七四年:2008/08/24(日) 23:16:17 ID:KKFR8WQ3
朝倉義景、気まぐれ狂乱説。
992人間七七四年:2008/08/24(日) 23:57:40 ID:9eZhqree
11月3日の砦の壮大な撃退戦は信長公記でしか確認できない胡散臭い内容。
他の資料では守兵をおいて撤退したとある。
信長本隊はこの頃横山から岐阜に戻ってるから後詰めの目的は既に達成してる。
尚更、砦の奪取を狙う必要がない状況なのに全力で攻める積極的な理由が無い。
主将が浅井七郎だったことも考えれば、虎御前山に寄せてきた部隊は朝倉に追撃させない為の小谷城からの牽制だったはず。
その牽制の兵に逆に砦まで押し込まれたのが真実だろうよ。

この頃の秀吉はなんらかの失態で勘当されてる。
秀吉が見廻り担当してる時に虎御前山の陣屋が焼かれた。
おかげで浅井攻めがパアになってるからそれが要因と思われる。
失態を覆い隠す為に戦果を過剰に喧伝するのは信長公記の特徴だからな。
信長も謙信宛の書状で、浅井攻めが不調に終わった事を報告してるし。

この砦が単体でも難攻不落だと思い込んでるマンセー史観とは裏腹に、
後巻にされると危険という理由で、元亀元年には一度陣払いしてる。
993人間七七四年:2008/08/24(日) 23:58:28 ID:ln6x7gi7
織田最大動員6マン程度だろ
つっても
6マンを一度の戦闘でまとめることなんて
不可能w
よくて3マン程度
つーか3マンの兵を動かすのも
相当な統率力がいると思うが

どんだけ
包囲網がグダグダだったのかが伺えるw
994人間七七四年:2008/08/25(月) 00:03:34 ID:4jDqLjvy
>>992
もう言ってること無茶苦茶だな
995人間七七四年:2008/08/25(月) 00:03:48 ID:LjsyjP77
>>993
当時の大大名なら5万〜6万が最大動員だろ。
だが砦防衛や隣国の抑えやらで2万〜3万になるのはたしかだが。
996人間七七四年:2008/08/25(月) 00:16:39 ID:u9BJKDCZ
>>992
史料だしてくれ。話はそれからだ。
997人間七七四年:2008/08/25(月) 00:35:52 ID:qqeMHX3/
>>958
実際一部だったんだから仕方あるまい。史実として書かれているのに何を期待しているんだ?
冬も近づいてきていて秀吉だけになっているなら体制を立て直して大軍で
信玄が来るのと機をあわせて行動したほうがはるかに安全に落とせるんだが。
なにこれ?は俺の台詞だ。
巨大な織田を相手にするには武田を主体として他の勢力と歩調を合わせて一斉反撃するのが
一番効率がいい。だから5月に合わせただけだろうよ。
998人間七七四年:2008/08/25(月) 00:39:19 ID:qqeMHX3/
>>959
いつ攻めるんだ?って?
そりゃ5月から体制を整えて他の勢力と歩調を合わせて反撃に出るにきまってるだろ。
ばからしい。
もともと雪国越前が冬場になれば動きづらいなんて当たり前。
勝ち誇っていわんでも結構。虎御前もどこまで春で強化できたものかな。
兵力には織田も限りがあるぞ。しっかりとな。何で強化する気なんだ?
999人間七七四年:2008/08/25(月) 00:41:52 ID:qqeMHX3/
>>976
笑わせてくれるな。
周囲にろくに強豪もなく、幼君に手こずりまくりながら美濃を取って
真空地帯の畿内を制した織田をもって
周囲の同格かそれ以上の強豪と戦ってきた武田をおとしめるとはな。
それからその拡大率は織田は最終的には20万石から0だろうが。
本能寺を無視すんなよ。
1000中山幸盛 ◆c1ZKiGzz62 :2008/08/25(月) 00:42:25 ID:ZY5Dea7i
1000なら話が振る出しに戻る
10011001
      /    `ヽ、
      ー┬――─‐ァ
      / ̄ ̄ ̄ ̄,l,
    _/     ,、r'" _」
.    | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
   /`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
   /  秀家    ゙ヽ:::::::::',   ごくろう。このスレはみごと統一された。
  ゙|゙゙゙'''   ‐‐''""'  ';:::;r==,、  さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
.  |エi> ,'  イiエ>  レ'゙,r .,l }  
  i.  /         Y./ノ   さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
  l  {  .、          /      
  ',  ` ''  '       rTヲ
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