政朝・政勝・晴朝・朝勝ら下総結城氏を語る

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62人間七七四年
既に指摘がある通り、晴朝庶子と伝える2人は白河結城の出
義親に追われた義顕の庶兄の子ってことになってる
それぞれ中畠上野介、中畠大学助を称したとするが、中畠は陸奥国岩瀬郡だか白河郡にある地名

つまり、庶家の義親に白河結城本宗の座を追われて滅亡した義顕があり
母方の中畠氏を継いだという義顕の庶兄・晴常がいて
その曾孫が水戸に仕官したと伝えるのが結城寅寿の家(中畠⇒相楽と改名したのち結城に復す)
中畠晴常が義顕の庶兄として実在したかについて踏み込むだけの史料を持たないが
ま、怪しいよね