【陸奥】相馬氏を語る【下総】

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565人間七七四年
>>594
相変わらず無知を晒してるな。
相馬圧勝が続く中で最終局面において祖父の指令で、佐竹や小田が仙道窪田まで進撃、岩城も軍船で相馬中枢を襲撃、蘆名の攻勢で何とか巻き返したが攻勢限界になり和平調停。
曾祖父&相馬と祖父は将軍輝宗の和平調停を受け入れているから宇多郡について今更ああだこうだと昔話を持ち出すのはバカな話。
そもそも相馬と伊達が争いを再開した理由に宇多郡はまったく関係ない。
義輝の和平に時に曾祖父が隠居先として伊具郡の中の城にいた。
伊達は曾祖父の死とともに、その城を伊達に返せって言う話。
だが曾祖父は相馬が支えて血を流してきた地であり、曾祖父自身が伊達7代相馬に弓弾くなと言ってるくらい相馬に感謝してた。
寄贈と言っても良い話で到底返却などあり得る話じゃない。
それで曾祖父の遺産相続で争っていて
結局、父の輝宗と相馬の和平で該当する城の返却で合意をみて
相馬側は伊達に忠実に従って支援するようになった。
この経緯の中で、何で政宗が宇多郡を取り返すためにゴネる隙間があると言うんだ?