952 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 23:39:32 ID:7FGZrqDO
このスレのすごいところは、華麗にスルーを知らないやつばっかりってことだな
953 :
人間七七四年:2008/07/12(土) 23:56:26 ID:wLhBUj4H
ゲームやら大河で人も多くなるだろうし、これからもっと荒れると
思うと…orz イヤジャ
結局どっちも荒れるならやはり統合ですかねぇ。
住人も結局かぶるんだろうし。
954 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 00:13:15 ID:vDTM/7dH
>>946 つかわざわざ他武将話引っ張ってきて
罵倒して煽って滅茶苦茶にしてんの
極々一部じゃ…
みんなそうだったら正直悲しいのだが
自分は関東以北の大名たちは大抵好きなのだよ
955 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 00:17:47 ID:WXNCBPzm
「彼」がいるかぎりスレ分けなんて無駄だよ。
40歳以上の転職とやらが成功することを祈るのみw
956 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 03:13:50 ID:6nV6QK+9
>>945 装備・軍制の面でも旧幕府軍は新政府軍に大きく劣っていた。
関が原と明治の会津戦争を比較するのは低脳過ぎる。
もうちょっと考えてからレスしようね。
957 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 03:35:17 ID:ri1rpP1M
958 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 18:28:01 ID:WXNCBPzm
>>956 :
>>945は水止められたら悲惨っていうのに対して
戊辰戦争の籠城戦がどうこう言っているのでは?
ガチンコ勝負でどっちが有利とかは書かれていないと思うんだが
もう少しスレの流れと文読んで考えてからレスしろよ。
959 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 21:04:53 ID:HcvN8e28
>>958 > もう少しスレの流れと文読んで考えてからレスしろよ。
そんなこと直江愛に溢れる信者の方にできようはずがない。
960 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 21:10:04 ID:FhO0B9dL
アンチ直江の自演はマジ秋田
少しは工夫しろ。
961 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 22:24:33 ID:vDTM/7dH
工夫はしなくていいから仲良くしろw
962 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 22:41:28 ID:gaPDLxxo
彼には幻覚が見えているらしい
963 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 23:30:10 ID:WXNCBPzm
信者は何でアンチ発言が続くと
自演、自演言うんだ?
SOHOみたいなキチガイと普通の信者を一緒にするのは
失礼かもしれないが、このスレちょっとおかしいヤツ大杉
964 :
人間七七四年:2008/07/13(日) 23:56:59 ID:vDTM/7dH
まぁ…そのうち治るんジャマイカ。
毒気にあてられてるのもあるとおも
965 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 02:18:09 ID:Gjqnj6gV
>>958 マジレスすると、会津若松城の水止めをどうやって、やる気なのか・・・ちゃんと考えて書いてるんですかねぇ。。
猪苗代湖を囲む山々の南西端の会津布引山が水源となり、豊富な水量が流れる湯川が城の東西へ分かれて流れ天然の外堀になり、阿賀川と合流する城ですが。。
しかも会津若松郭内外城下絵図などでは川だけでなく、三の丸まで水色で描かれ、半湿原地帯を想像できる要害城で飲料水を止めて水攻め?
そもそも築城場所からして、豊富な水量を有する地域での盆地なため、その水量を利用して城を水没させる方式での水攻めを警戒し、
河川地域から20mほど高い高地を選定し築城させているのが会津若松城ですがね。つまり飲料水を止める行為は難しく、逆に水攻めした方が有効な土地柄なので完全に真逆なことを主張してることになります。
また、若年の佐竹義広が血気に走り、猪苗代湖に注ぐ日橋川を渡河して布陣して伊達軍と戦う愚を冒しましたが、徳川軍が会津盆地に侵入しようとしても、まず日橋川を掘に布陣されたらまず苦戦必死です。
砲撃や西欧式軍隊など技術的に大幅進化した明治期でさえ、板垣の土佐に薩摩軍を加えてさえ、一兵の侵入すら許さず持ちこたえ続けた城です。
降伏理由は列藩同盟諸藩の降伏が相次いだ為に孤立してしまったためです。
また会津盆地の周囲は標高1000mを越える山々に守られています。
米沢→上山(山形盆地入り口)までの短いわずか15キロ弱の高地でさえ600m前後です。
これは御館の乱における北条軍が越後侵入した時に越えた南魚沼郡における標高と同レベルです。北条軍は確保した城の防衛を無視して冬にはさっさと撤退してますね。
この時の景勝には追撃余力はありませんでしたが、
徳川が退陣するなら、相当な追撃を受けながらの撤退でしょうし、
佐竹が退路を封ずるなら、朝倉攻めにおける浅井の裏切りに相当する大ダメージとなるでしょう。
966 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 02:38:24 ID:/lZsmqiW
>佐竹が退路を封ずるなら、
佐竹は内部分裂しているから即上杉と見るのは早計だろ。
また東軍に加わらないとして、備えを残さず会津へ進軍するとでも?
967 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 03:04:50 ID:Gjqnj6gV
>>966 佐竹に関しては
>>930 そもそも会津進入自体が難しいと思うけどね。
まぁ日橋川で防衛しつつ佐竹が背後を閉じるってのは、
佐竹義重が政宗の会津侵攻における義広との挟撃策ドクトリンの再現なんだな。
前回では義広が渡河してしまったこと・敗退後に各城の降伏が相次いだことで義重の作戦は失敗した。
義重は日橋川を掘に対陣してくれることを想定しての、必勝策だった。
また政宗の侵攻が早いとしても、1日1城を落城させても半月以上はかかるので、なおも挟撃はできると踏んでいた。
今回は蒲生氏郷が対徳川・対伊達用を想定して織豊築城された、本格籠城に耐える改装をした城郭群の有機的結合を果たした支城網が会津盆地への侵入を拒んでいる。
そもそも徳川が備えをするって言うなら具体的に書いてくれないかな?何を言いたいのか分からない。
968 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 06:29:31 ID:qxKSgql+
>>967 三成や宇喜多のバカが挙兵タイミングを考えたら良かったのにね。
秀家の暴発って感じだから、三成が悪いわけでもないのかも知れないけど。
969 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 07:06:16 ID:ovK394DJ
>この時の景勝には追撃余力はありませんでしたが、
>徳川が退陣するなら、相当な追撃を受けながらの撤退でしょうし、
日本語でお願いします><
970 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 07:45:00 ID:g4W4oX7o
白石城を歴史的なスピードで落とされている上杉に説得力もないw
971 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 09:53:55 ID:6awfvRt+
兼続の同時代の評価見ると、「異常なまでの鉄砲好き」ってのがイメージとして強いようね。
鉄砲の部隊編成や戦術、製造などだけでなく、技術向上のため、自分の配下を京都の名人のところに
留学させたりしてる。
勿論この時代、鉄砲を重要視していなかった大名は皆無だろうけど、そのなかでも、特に記録に残っちゃうくらい
兼続は、ある種の、度を越した鉄砲マニアと、世間では認識されてたんだろうね。
972 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 15:34:42 ID:iNXYCPUD
>>971 長谷堂では鉄砲隊に煮え湯を飲まされたしな
973 :
人間七七四年:2008/07/14(月) 16:30:29 ID:K2JmVX7V
>>971 長谷堂合戦図屏風でも鉄砲隊を指揮している姿が描かれているしね。
974 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 13:48:17 ID:XwZx2b7m
水原の鉄砲隊のおかげで窮地を脱した辺りが大河の見せ場になるのかな。
米沢の砲術隊は全国からお呼びがかかり種子島で鉄砲を撃っています。
白布温泉には直江が鉄砲鍛冶職人呼び寄せていた記念碑が建っています。
975 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 15:17:56 ID:w4efQkbF
白石取られて長谷堂でも負けてから気付いて
江戸期にがんばっても遅くね?
976 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 16:30:37 ID:HqdjEhsF
白石は譲渡で城将の甘粕からして、すでに家康迎撃のため白川城へ向かった後。
しかも伊達側から返還和睦まで持ち出されてる。
長谷堂は負けではなく単なる撤退戦。しかも最上の武将を打ち取り吉光も被弾。
977 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 16:31:22 ID:HqdjEhsF
訂正
討ち取り義光も
978 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 17:27:07 ID:BjUDZpS2
>最上の武将
だれ?
979 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 18:39:43 ID:1OLAi02E
>>978 義光は連歌好きで、気に入った重臣達とよく連歌会を開いてる
中でも江口光清と堀喜吽は
この義光が催す連歌会に数十回も参加しており
よほど義光に気に入られ、信頼されていたと考えられている
しかし江口光清は畑谷城で討ち取られ
堀喜吽に到っては、上杉軍の水原親憲率いる鉄砲隊から義光を庇い、
射殺されてしまった
義光自身も兜の篠垂を吹き飛ばされ、ほうほうの体で追撃を諦めるしかなかった
股肱の臣を二人も討ち取られた上杉軍の襲撃は
義光にとって、自身の命も危うかった事も有って、痛恨事だった
980 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 18:54:23 ID:Yag2KGdS
伊達に白石城とられた時点で駄目だろ。
実際、甘粕は景勝に徹底的に冷遇されている。
刈田郡の喪失の結果、福島方面が圧迫され、直江は援軍もなく
最上に苦戦した挙げ句遁走することになった。
981 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 20:10:17 ID:gldC4Eog
長谷堂城攻めと撤退戦はべつだろ
長谷堂城の戦いは兼続率いる
上杉軍本隊 1万8千VS志村光安以下1千で上杉は上泉泰綱を討ち取られてるし
上杉方良いとこなし
982 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 22:00:02 ID:BjUDZpS2
>>979 ちょっとまて。
長谷堂の撤退戦で討ち取られた武将の事を聞いたのに畑谷城将が出てくるんだ?
というかお前さ
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194225046/ 491 :人間七七四年:2008/07/13(日) 06:34:07 ID:0MjONDYn
義光は連歌好きで、気に入った重臣達とよく連歌会を開いてる
中でも江口光清と堀喜吽は
この義光が催す連歌会に数十回も参加しており
よほど関係が深かったと思われている
しかし江口は畑谷城で討ち取られ
堀に到っては、上杉軍の鉄砲隊から義光を庇い蜂の巣にされる有様
義光自身も兜の篠垂を吹き飛ばされ、ほうほうの体で追撃を諦めるしかなかった
股肱の臣を二人も討ち取られた合戦は
義光自身の命も危うかった事も有って、痛恨事だった
人の書き込み一字一句使いまわして恥ずかしくないのか?
983 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 22:09:19 ID:NJi2Ggh+
てか
>義光自身の命も危うかった事も有って、痛恨事だった
こんなの当たり前だろ
自分の領土を圧倒的多数の軍隊が蹂躙した侵攻戦だぞ?
痛恨じゃないわけないだろ?
そんな当たり前のことを繰り返して直江の偉大さが際だつとでも思ってるのか?
984 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 22:39:17 ID:DW35kIJd
確かに相手の鉄砲射程範囲に大将がいるってのは褒められたことじゃないな
985 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 23:58:03 ID:I1NFBZVu
何十万石の領主で何万人もの軍勢率いている大将とかならともかく、
27万石程度の領主なら前線に出るのは士気を上げるのに有効じゃないか?
986 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 00:20:18 ID:RUkq6Cvb
とかなんとか言っておいて、
一方で直江が敵前に立って撤退を指揮したとか褒めるんだろ?
実際は前田や水原が敵をくいとめて、その隙に逃げたのが関の山なのに
987 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 01:53:46 ID:WIWTrcB4
>>980 甘粕は一族にキリシタンがいたのを隠蔽してたから冷遇せざるおえなかっただけ。
988 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 15:56:21 ID:Bi6jEzJz
別に撤退戦で前田や水原を指揮してた手腕は誉めてもいいだろ。2人とも討ち死にしてないんだし。
989 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 16:48:05 ID:Y5R4PnBk
990 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 17:15:32 ID:RApQ/wgL
>>989 敗報を聞いて、即座に撤退路を補修を命じた手腕はすばらしい。
ただ撤退戦はやはり殿軍を率いた武将こそ評価されるべきかと。
金ヶ崎で即座に決断して将兵の損耗を避け、撤退路と撤退先を誤らなかった信長の戦略眼は褒められるべきだろうが、
撤退戦の功績自体は実際に殿として撤退戦を成功させた秀吉を始め、光秀・家康のもの。
同様に撤退の下地を即座に作って主力の温存に成功した直江は褒められるべきだけど、
撤退戦は殿軍をこなした水原や慶次の手柄。
そこまで直江の功績としちゃうのはどうかと思う。
991 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 17:16:14 ID:RApQ/wgL
992 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 02:52:32 ID:SqMBGsD7
信長の場合はさっさと現場を離れて逃げちゃったじゃん。
つか戦国史上の名撤退戦って他になにがあるだろ。
北条は佐竹の猛追で大敗してしまい、鬼義重とか坂東太郎と呼ばれるようになり、名を成さしめてしまいましたが。
また手取川の撤退戦では柴田が大敗し上杉の威名が挙がりましたね。
993 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 08:01:10 ID:IVj9yNaS
大規模な撤退戦に発展している時点で、撤退としては失敗だろう。
武田信玄死去に際する武田の撤退、羽柴秀吉の中国大返しみたいなのが本当の名撤退じゃないかな。
994 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 08:06:25 ID:MiS2od+j
関ヶ原の島津は後に家を救うことになる撤退戦だけど損害率が半端じゃない
995 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 12:07:19 ID:fVnfU1N3
直江も、山形を通過し笹谷峠を乗り越えて、伊達領突破して福島口へ至る前進退却ならよかったかもな。
996 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 13:44:24 ID:IVj9yNaS
撤退において直江が評価を得るためには、あんな短期で終わるなんて誰も思わなかったとか言わないで、
最上や伊達に一報が入る前に、いち早く関ヶ原の勝敗をつかんで、大軍を生かした有利な撤退につなげることだったと思う。
完全な追撃戦に移された時点で、大将としては采配ミスだろう。
でも、もし最上義光が討死していたら、それなりに名は上がっただろうな。戦後処理的な意味では悪化した可能性すらあるがw
997 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 14:34:48 ID:144urk/m
お前らムチャクチャ言うな…
信玄の死を隠した武田や信長の死を隠しての秀吉の撤退と言う、徳川や毛利が撤退理由がまるでわからない謎の撤退と、
東軍西軍の勝敗の報を受けて、功を上げるチャンスとばかり後先考えずに襲ってくる中の撤退じゃ本質がまるで違うだろ…
山形を通過して福島表に撤退なんて、大軍の補給をどう維持すんの?もう基地外過ぎだろよ。
最上や伊達より早く勝敗を知りって、勝者側は連絡を付けやすいが敗者側は自分らの退却に精一杯だし、
街道も勝者側に握られてるから連絡しづらい。
素人みたいな意見ばっかだな…
998 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 15:09:35 ID:zdWOGiYv
「直江は運が悪い。だから名将ではない」は、一面の真実だったりする。
名将には世界中の幸運が全て自分ひとりのために働いている、と言うような時期が必ずある。
それの無い直江はやはり、良将ではあっても、名将ではない。
999 :
人間七七四年:2008/07/18(金) 16:14:53 ID:IVj9yNaS
>>997 その撤退の理由を相手に悟られる前に、っていうのが優れてるっつーの。
信玄の死はともかく、信長の死は、双方が先にとらえられる可能性がある。
それと同様、関ヶ原の一報をいかに早く掴むかで、半日早くつかむだけでも撤退戦への経過が全く違っていたはず。
「1日で終わるなんて・・・」なんて言い訳する前に、いざというときにいち早く情報を掴めるように、
一報が入ってから撤退の手配ではなく、最初から西軍敗戦の可能性も視野に、速やかに撤退できる準備くらいしとけって話だ。
>>997 >最上や伊達より早く勝敗を知りって、勝者側は連絡を付けやすいが敗者側は自分らの退却に精一杯だし、
>街道も勝者側に握られてるから連絡しづらい。
それこそ、勝敗が全国に知れ渡る前なら、各地に「勝者」「敗者」なんて知れる前だぞ、何言ってんだ。
そうやって知れ渡って、勝者側に有利になる前に、情報を掴めるように手を尽くしておけって話。
実際、羽柴は明智側、勝者側ともいえる毛利より先に情報掴んでる。
1001 :
1001:
/ `ヽ、
ー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
', ` '' ' rTヲ
'、 `'ー‐''" / lzュ、__
---‐ヽ -' / 〃ィ ヾ'‐,--
/ | |iゝr;ァ--‐''" 〃/./ l | 戦国時代(仮)@2ch掲示板
./ | | ',ヾ゙ / / / / l
http://hobby9.2ch.net/sengoku/