1 :
人間七七四年:
一般的なイメージでいえば村上義清は「信玄を二度敗走させ
領土を追われながらも粘り強く戦った勇将」であり、
斎藤龍興は「酒に溺れ手も無く美濃を失った暗愚な主君」
こんなところだと思う。
しかしこの二人にどれほどの違いがあるというのか?
2 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 21:01:41 ID:5RYOWj6Z
まず能力の違いがあるな
3 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 21:03:48 ID:Jt8C+kud
龍興
@美濃を八年で失う。
Aその後各地を転戦し最終的に朝倉に身を寄せ戦死。
B敵は織田信長。
義清
@信濃を五年で失う。
A越後に身を寄せ最終的に病死。
B敵は武田信玄。
何がプラスに働きマイナスに働いたのか。
4 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 21:19:12 ID:3EOLPV11
私見だが
龍興は祖父や父が頑張ったしそもそも領地が信長と対等クラス
義清は信玄相手に弱小ながら勇戦した印象がある
5 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 21:24:38 ID:87mAt5N4
龍興もけっこうしぶとく織田を撃退させていた。
義清も龍興も調略でやられた印象。
6 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 23:20:52 ID:k3Y4xwuL
家臣に居城を乗っ取られたアホだから
7 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 23:26:45 ID:ULvP/qRf
それ村上もかわらんじゃん
幸隆の弟だっけ?に内応されてるし
8 :
人間七七四年:2008/05/13(火) 23:48:40 ID:6zdrWv+l
信長にやられたから龍興はザコ
信長にやっられから勝頼はザコ
信玄を苦しめたから村上は勇将
9 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 00:02:57 ID:8SNCvurV
諫められて城を返してもらって今度は信長にとられるアホ
村上は二度も信玄を排除して打つ手なしだった挙げ句に真田の知謀に負けたストーリー性だろ。
10 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 00:16:16 ID:783k0cvb
>二度も信玄を排除し
結局これだろうな
信玄様は凄い→その信玄様を退けた村上も凄い
謙信も似たようなもん
11 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 00:52:10 ID:OXmhZU9y
義清は砥石崩れなど立派な戦果がある
龍興は最後まで反信長を貫いた気骨は認めるが
能力不足は否めない感じ
とはいえ相手が信長だから仕方ない部分もあるけど
12 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 15:36:39 ID:XSs/wt17
信玄なんて、城攻めして落とせずに引き上げたのに勝ちましたとか
言っちゃう恥ずかしいやつじゃん。
「あの」信玄を二回も…というけどそんなに箔がつくような相手か?
信長を相手にした龍興のほうがすげえだろ。龍興、六角、朝倉、三好勢、
みな評価が芳しくないが、信長の攻めが凄すぎただけじゃねえの?
信長がKO勝ちばかりするから相手が弱く無能に見えるだけでさ。
相手が信玄だったらどうだか。意味の無い仮定だけどな。
13 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 23:47:35 ID:saDyKw0V
義清は、周りが倒されていく流れのなかで、よく踏ん張ったよ。
龍興は、じいちゃん・親父の遺産に助けられた感じがするね。
14 :
人間七七四年:2008/05/14(水) 23:55:56 ID:7BTWI36f
龍興が義竜の後を継いだのが13歳。
これで信長の侵攻を防げと言っても厳しいだろ……
むしろ信長の侵攻を軍事的にはたびたび防いだのは賞賛に値する。
しかし美濃国人を次々と調略され6年後には城を追われることに……
15 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 00:30:20 ID:n4kHrC7Q
>>14 それよく言われるけど実際には違います。
美濃勢が信長の侵攻を撃退できたのって二回ほどで、あとはやられっぱなし。
16 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 01:10:02 ID:17Dwki8z
このスレに「センゴク」を読んだ事がある奴が居る、間違いない
17 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 10:52:52 ID:hfvk6Ex4
戦国最強武将に辛勝したから村上はすごいってだけ
脆弱な信長に勝っても自慢にならないしな
18 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 11:05:50 ID:9jr4u9t4
龍興と朝倉義景は大名本人が無為すぎるから。
それより尼子晴久をもっと見直してあげてくれ
19 :
人間七七四年:2008/05/15(木) 12:57:49 ID:myU/GW16
>>15 やられっ放しというのも正しくない。
勝ち:十四条合戦、堂洞砦
負け:鵜沼城、猿ばみ城、稲葉山城
分け:加賀美野
以上は信長公記に記述のあるものを抜粋した。
漏れてるもの信長公記には記述は無いが他に記録があるものもあるかもしれないがご容赦のほどを。
勝ち負けは最終的に目的を達せれたかどうかで判断した。
その分、攻め手の信長にちょっと厳しめかもしれない。
井口から兵を繰り出しての合戦に及んだ場合、斎藤勢が敗れたことは無いように思える。
20 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 10:57:22 ID:bRv/oY+j
それらの勝利が斎藤龍興の手腕によるものとは思いにくいんだけど・・・
21 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 11:05:13 ID:F0b1pPDN
まあね。
年齢も年齢だしね。
22 :
人間七七四年:2008/05/18(日) 14:35:50 ID:0g1QClOA
ようするに信玄様の周りは強敵揃い
信長の周りは屑ばかりということだろ
23 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 01:32:32 ID:bkKxH+DM
実際そうだったから困る
24 :
人間七七四年:2008/05/19(月) 10:18:54 ID:uUYmdNXS
釣り針だらけだな
25 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 13:19:13 ID:JMUWdgxo
村上義清は常に少数精鋭で武田軍を惨敗させたからな
しかも信玄に2カ所傷をつけたからかっこいい
26 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 18:47:21 ID:hdSnAc6P
戦国最強武将にそこまで善戦するとはさすがですね
27 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 21:57:24 ID:rIRTNYxM
ただ、問題は
これが信玄の相手→龍興。信長の相手→義清。
だった場合
義清が2度でも3度でも信長を撃退しても(するだろうが)
今ほどの評価は貰えないということだな
浅井や波多野兄弟くらいの評価しか貰えなさそうwww
28 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 22:18:50 ID:1kHVtvrb
そりゃそうだろ
一条兼定撃退と上杉謙信撃退では同じ撃退でも評価に天と地の差が出るのは当たり前だ
29 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 22:32:59 ID:rIRTNYxM
じゃ、このスレタイは
斎藤龍興と村上義清の評価がここまで違う理由
↓
織田信長と武田信玄の評価がここまで違う理由
に、しといた方がいいな
30 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 23:13:41 ID:KZrMndTY
むしろ北信濃にいたのが斎藤義龍→竜興だったら、逆に甲斐が併呑されていたのでは?
31 :
人間七七四年:2008/05/23(金) 23:18:06 ID:/3z6sjl7
そうすると、義龍の前の油屋が信濃で下克上をする所から考えないと
32 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 00:46:38 ID:Nom5DSFJ
今川義元・斎藤龍興・武田勝頼・朝倉義景
信長と戦った相手ってほとんどが一般にアホ扱いされているよな
逆に浅井長政・明智光秀みたいに信長を裏切った奴は評価が高い
33 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 02:04:37 ID:DzOpnwj8
たつおきは祖父が有名どころだから
それに対比される形で斎藤家を潰した馬鹿というイメージが加わり
評価が低いんじゃね
34 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 02:07:19 ID:kxtecs2A
実際アホじゃなかったら信長が領土拡張なんて出来なかっただろう
義元はアホというより運の問題だろうが
35 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 02:50:23 ID:EwTVjHy8
家督継いだ時期が悪かったな。潜在能力はあったかも知れんが…
そいつを磨く時間が与えられなかったと好意的に取ってみる
氏真や龍興のように、オヤジの急死で継いだ当主に
家をまとめる能力・カリスマ性を求める事がそもそも無理だ
36 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 03:16:17 ID:OFMPY+fg
じゃあ信長はどうなるんだと・・・
37 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 03:32:25 ID:EwTVjHy8
>>36 家督継いだ時点では信長の状況も変わりなかったね
一枚岩でない親族や、不穏な動きを見せる重臣とか…信長でも家をまとめるのに苦労してるさ
運も必要だけど、苦しい雌伏の時代を上手く乗り切れるかどうかがその後の差に繋がった印象
氏真・龍興・義景に、第二の桶狭間を起こす力が無かったと言えばそれまでだけど
38 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 03:39:11 ID:utUm3I0t
>>37 信長は父の遺産がいろんな意味で大きかったからなぁ。
39 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 12:00:22 ID:LtanKtIf
父の遺産ってだけなら、氏真も義景も大きいよ。
ただ、氏真は父親生前に家督譲られているから。
40 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 12:14:31 ID:QPpnjcPb
織田は勃興期では信秀は湊を押さえて尾張経済を握り信長への継承も問題なく移行させた。
今川や朝倉はとっくに勃興期から衰退期に移行していたと言う事
斎藤も当主の相次ぐ死と言う衰退期
村上は勃興期を迎えていた。
41 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 13:25:01 ID:uoH1uiTE
>>40 よく趣旨がわからんレスだな。
> 織田は勃興期では信秀は湊を押さえて尾張経済を握り信長への継承も問題なく移行させた。
信長の場合、信秀の急死を受けてのもの。
一応、嫡子であるものの家柄的には尾張半国の三奉行の家柄に過ぎず、信秀の後継者だからといって尾張の第一人者としてすんなり支持されるわけが無い。
問題なく移行させたというのは言い過ぎ。
> 今川や朝倉はとっくに勃興期から衰退期に移行していたと言う事
何時の時点の話よ?
今川は絶頂期に当主が信長に桶狭間で討たれたため、衰退。
信玄はその衰退する今川家を見て駿河に侵攻してようやく併呑。
氏真が出来星だったら信玄は駿河を併呑できたであろうか?
朝倉は信長と対立するようになって国力を疲弊。
敵の多い信長を状況的に追い込んだことはあるものの最終的には当主の戦国大名としての資質と国力の違いもあり滅亡。
信長と対立する以前の朝倉家が衰退しつつあったとは聞いたことないが?
> 斎藤も当主の相次ぐ死と言う衰退期
斎藤の場合、道三から義龍への以降期はむしろ強化されたんじゃないか?
ただ道三ほどの強権はふるえなかったような気がするがその辺はオレの勉強不足。
義龍から龍興への以降はこれは衰退といって良いかもしれない。
当主は急死、後継は年若。隣国に強力な敵勢力。
義龍の急死は信長にとって非常に幸運だったね。仮に義龍が生きていても逆に信長を滅ぼせるとは思えないけど。
> 村上は勃興期を迎えていた。
それ以上に武田家が強国だったのでは?
42 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 13:26:50 ID:uoH1uiTE
あ、「以降期」「以降」じゃなく「移行期」「移行」だわ。
43 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 16:59:06 ID:cIRnXPQ0
各国最盛期を演出した大名と跡を継いだ不肖の息子達
駿河 英主 今川氏親(北条早雲の姉の子で死没1526年)兄氏輝(〜1536年)の死後に家督争いに勝った
義元は補佐役太原雪斎(〜1555年)が死んだ後は迷走して歴史上でもレアなもっとも恥ずかしい大名の野戦での敗死。
越前 英主 朝倉孝景(〜1548年)
息子義景は補佐役朝倉宗滴(〜1555年)が死んだ後は迷走して最後は従兄弟に裏切られる。
南近江 英主 六角定頼(〜1552年)
息子義賢は最有力重臣で人望もあった後藤賢豊を惨殺し家臣から見放される(観音寺騒動)
美濃 英主 斎藤義龍(〜1561年)
13歳で家督を継いだ息子龍興は稲葉山城を家臣に乗っ取られたアホ。
跡を継いだ息子はみんな暗君だったと言える。
結果 主家の尾張守護代清洲織田家が衰退期に入り
清洲三奉行・織田家が商業都市津島や熱田を支配し隆盛拡大発展期に入り
円滑に家督を継いだ信長は実に運がいい男と言える。
しかも尾張57万石+美濃54万石=111万石でこの時点で頭一つ抜けた勢力になっていた。
甲斐22万石+信濃40万石=62万石と信玄は自分の領地の2倍の石高の地を併呑する奇跡を成し遂げている。
44 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 17:27:10 ID:fywVkyS/
村上は武田と同じいやそれ以上の源氏の名門でもあるし。
美濃の人間がたつおきのために戦う意義よりも
信濃の人間が村上と共に戦う意義のほうがはるかに強かったろうし。
土岐の孫ですといってもな・・・
そういう意味でたつおきはそんな中では十分に戦ったと思う。
今のゲームなどの能力は酷すぎる。
45 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 19:26:04 ID:HK6PIMuk
つーか家督継いで早々に、安藤と竹中にあんな真似しでかされる時点でどう贔屓目に見ても標準以下。
46 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 19:29:29 ID:HK6PIMuk
>>43 って、よく見りゃ六角微妙に違うぞ。
あれは義賢の関与は薄い。主導したのは孫の義治だ。
47 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 20:35:49 ID:EwTVjHy8
>>45 しゅんべん引っ掛けて、乗っ取りの原因作ったのは龍興だが、
義龍が健在ならそういう行為を許す環境はなかったろうね
48 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 21:27:59 ID:V0fgGxN4
信長が相手だったら瞬殺されて名無しの豪族扱いだったんじゃないかな。
信玄相手でよかったな義清
49 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 21:37:10 ID:OFMPY+fg
信長敗走させても「信長って負けも多いよな」で終わりだしな
50 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 23:06:18 ID:cIRnXPQ0
信長だったら義清に敗死させられていたかもよ。
51 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 23:06:58 ID:VdRb2BbY
>>43 こうしてみるといかに領土狭かった頃の信長が戦った相手が暗愚ばかりだったかよくわかる
凄まじい強運だわ
52 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 23:20:10 ID:1iLoyBvt
その信長にボコボコにされた&媚び売ってたクズ大名だお( ^ω^)
↓
武田勝頼
上杉景勝
北条氏政
徳川家康
毛利輝元
53 :
人間七七四年:2008/05/24(土) 23:31:56 ID:cIRnXPQ0
54 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 00:32:00 ID:d58r1SAv
55 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 00:48:48 ID:u3QiZm89
56 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 01:02:21 ID:FOH6l69W
どのみち調略で崩されるよ
武田に真田がいたように織田には羽柴がいる
57 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 01:03:26 ID:T1u7u5C2
義清と比べるなら義龍の方がいいよ
信玄→数度負けても最後は調略で仕留める
信長→死ぬまで待とうホトトギス
58 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 01:35:04 ID:u3QiZm89
>>57 義龍存命中、信長は尾張統一に邁進。
桶狭間で義元を討った翌年、義龍死亡。
別に死ぬまで待ってたわけではなく、本格的に美濃攻略に乗り出したところで義龍が死亡しただけ。
59 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 03:07:04 ID:i7zt7Exy
というか、村上は武田信虎の同世代で信虎と連合して海野氏を
滅ぼしたこともあり、晴信などひよっ子程度にしか見ていなかったのでは。
村上が勝つことも普通にあり得たのではないかと。
60 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 03:19:06 ID:T1u7u5C2
なるほど
ならば義清=道三と考えた方が妥当なのかも知れませんね
信玄→数度負けても最後は調略で仕留める
信長→娘を貰っただけで有頂天。蝮殿、親父殿と慕う
61 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 07:09:02 ID:S7LfxUBD
信玄と村上は相性悪いんだろ?
62 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 08:47:15 ID:u3QiZm89
つうか村上は北信濃の一豪族に過ぎないんじゃないの?
別に国主でもなんでもないんだろ?
63 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 09:01:31 ID:KHOUqpzT
武田と村上は、同等レベルの源氏の家系だ。
この両者が争うとなった場合、信濃衆は血のつながりも村上のほうが近く
晴信は信濃攻めで有名な虐殺をして憎い相手だ。そして
信濃の代表が家柄も良い村上なのだから、信濃衆は村上側に付いて必死で戦うのは当然。
しかし、斉藤はどうか。
義龍の能力を置いておくとしても、彼が美濃の代表者として
ふさわしかったのかどうか。
土岐源氏の末裔だとはっきりしてるなら、土豪も命をかけて戦うかもしれんが
油売りの子かなんだかよくわからない人間の子で、国人とは血のつながりもない。
そもそもこういう土地や因縁の差が大きいわけで
国力だけで考えても仕方が無い。
64 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 09:35:29 ID:XcbkUhOP
攻める信長もなんだか良くわからない血統だけどな
65 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 12:15:11 ID:cgl7mVB9
威勢がまだあった時代の幕府が信濃守護として派遣した小笠原氏を大塔合戦で排除した時のリーダーの1人だったりと村上氏は小笠原氏なんかより地縁もあり超強敵。
66 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 12:20:29 ID:EfoH7hp8
んなもん言い出したら美濃斉藤氏だって六角、浅井、織田の侵略を戦争と
外交で何度も撃退し、辺境を蚕食されつつあったのを立てなおした『お家』
なわけで。
結局のところ、信長があまりにも鮮やかに倒してしまったが為に相対的に
雑魚に見えてるだけの話だろうね。
67 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 12:28:40 ID:cgl7mVB9
織田が市を輿入れし浅井と同盟した後に
浅井が美濃を侵略した時も
同盟してた六角に浅井侵略してもらい難を逃れたりしてるね。
ちなみに一乗谷の朝倉館の家臣団武家屋敷跡に浅井館が発掘され、浅井は単なる朝倉の被官でしかなかったそうな。
68 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 12:40:05 ID:ywM3k2pv
浅井長政は、六角を撃破してどくりつしたんじゃなかったっけ。
その後は朝倉家臣になってたわけ?
朝廷の格付けでそうなってただけかね。
村上も、信濃守護の小笠原の家臣?と言うべきなのかな。
やっぱり、朝廷の格付けは置いといて、実際の勢力が大きかったら
万石以上の領土があれば、大名って言っていいんじゃないかな。
69 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 13:08:47 ID:T753isP3
>>66 とても鮮やかに倒したようには見えないが。
義龍には普通にまけてるし竜興にも2回負けてる。
その竜興はクーデター起こされて城を追われたりしてる状況で
最後も重臣の離反でやられてるし。若くて経験も不足だしな。
70 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 14:27:26 ID:/4Ta0YFo
重臣を離反させたのは鮮やかじゃないの?
71 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 14:50:51 ID:cgl7mVB9
重臣離反は大名の自爆パターンで織田がすごいわけじゃない。
72 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 15:53:10 ID:yxLHH+wX
>>35 氏真
龍興
信長
みんな似た境遇じゃね?
英雄の急死
と
若い当主
73 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 16:02:28 ID:cgl7mVB9
父が織田一族で一番の経済力と優秀な家臣団を残してくれただけでなく
美濃との同盟のお膳立てまでしてくれた信長は違うだろw
信長の父は嫡子に優しすぎてワロタw
もう伊達輝宗が政宗に優しすぎなのと同レベル。
74 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:01:55 ID:XcbkUhOP
父が織田一族>>>父親が一国もしくはそれ以上の国主
なのが理解できない
75 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:03:45 ID:yxLHH+wX
信秀の死から6年1549-1556
・岩倉織田と清洲織田が健在
・弟とその一味が反逆
・斉藤が敵になる
・松平、今川が攻勢
義龍の死後6年1561-67
・度重なる織田の侵攻
・浅井が敵になる
・城が奪取される
・幹部が内応
・開城
義元の死後10年 1560-70
・三河勢が離反
・遠近江勢が離反
・甲斐勢襲来
・開城
特に今川領は義元死後3年たたず半分以下に減ったとか
76 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 17:49:34 ID:3yonhvFk
何時の間にか、このスレに氏真が混ざっているwww
77 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 18:08:09 ID:JtO5aIZa
龍興は13歳で何も知らずに家臣が権勢を握り家督継承〜19歳で落城と可哀相なところがあるな。しかも土岐か道三か血をめぐる美濃支配の正統領主なのか因縁もあるし。
政宗に滅ぼされた葦名が3代続けて相次いで早世し、養子を須賀川、佐竹からもらい続けるごとに葦名が弱体化し
最後は葦名義広14歳で滅亡してしまう自爆パターンと斉藤氏はよく似ていて同情せざるおえない。
78 :
人間七七四年:2008/05/25(日) 19:47:59 ID:ZuF+lWCI
義龍と義清は名前もそうだが、撃退し続けたところは似ている。
竜興は若すぎて、美濃での出来事は評価に入らないんじゃないか。
六角や斉藤などとゲリラしていた部分を評価すべきであって。
戦闘能力は70〜75点くらいあげてもいいとおもうがな。
79 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 00:08:57 ID:FCVpj7ui
国力差から考えて信玄ぼこぼこにした義清のほうが評価高いのは当然なんじゃないか
まあ龍興はさっさと義龍が死んだから運がなかったな
80 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 00:47:29 ID:RoMUSSQS
嫡出したからには年齢なんて関係ない。
道三なら龍興の立場になっても何とかしそう。
81 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 01:04:50 ID:v1bgB2Ac
龍興は庶子では
82 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 01:08:59 ID:RoMUSSQS
ですよね。切腹してきます。
83 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 04:52:52 ID:9FlTZoe7
>>1 親父の義竜が村上義清ポジなんじゃないかね?
84 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 05:05:32 ID:9FlTZoe7
>>58 義竜とは存命中に2度戦い2度敗れているはず
85 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 07:36:14 ID:x8IAztTA
>>84 長良川の戦いはあるけど、これ義竜に負けたっていうのかね?まあ信長の敗戦には違いないが。
ところであと一戦っていつの何?
86 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 11:17:25 ID:4KFFCU5N
>>85 公記には記述がなく、総見記だったかに記述がある桶狭間直後のことじゃないかな?
87 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 15:41:47 ID:AstcgFeo
義龍>>>>>信長>義元
88 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 16:28:24 ID:MHM5c7zl
>>87 その義龍も浅井長政に負けてるから
長政>>>>>義龍>>>>>信長>義元
89 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 16:30:29 ID:MHM5c7zl
まあ義龍は道三が自分の見立てを誤った補正がかかってる上に
存命中には実際信長が手出しできなかったから強そうに見えるけどね
90 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 17:32:23 ID:pdhAPIuO
義清と信玄がぶつかった時は村上が12〜16万、武田が32〜34万石くらいか
それで武田は大敗させたのは評価できるかな。もっとも、この戦で村上も大分ダメージ受けたけど
つかこの二人は境遇が全然違うし比べるのは間違ってるような
義清と比べるならまだ朝倉義景じゃね?
91 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 21:27:10 ID:M60zx958
義龍がいつ長政に負けてるの?
92 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 22:04:04 ID:5cv97bl0
武田は義清に大敗しなければ、上杉に対してもっと有利に領土拡大していたかもね。
そうゆう意味で義清はデカイ存在だね。
93 :
人間七七四年:2008/05/26(月) 23:12:26 ID:VRlc1BNG
しかし少しでも信長が絡むといつも似たようなスレになるな
94 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 06:32:45 ID:1yyZeMXh
光秀より村上義清のがカッコいいな
95 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 08:46:22 ID:zRqMaimq
96 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 10:22:30 ID:jr64cjBV
マヌケってか信長って相当のお人よしだと思うぞ
謀反起こされようと謝りさえされればよく許す
だが限度を越えた瞬間ぶち切れする
97 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 13:03:52 ID:G2n8qCyG
いや単なるムラがある気分屋
98 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 13:56:35 ID:FUuL6ysI
>>96 許すのは相手が有能だからでしょ
林みたいに後になって追放されたケースもあるし
99 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 14:05:00 ID:G2n8qCyG
その地を治めるのに重要な影響力を持つ者が謝罪した場合に許すのはだいたいの大名が同じ
100 :
人間七七四年:2008/05/27(火) 22:48:35 ID:zBpQk70U
安藤
佐久間
丹羽
林
佐久間はけちだから
林は昔裏切ったから
安藤丹羽は滅亡寸前の武田への内通疑惑
101 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 23:23:22 ID:st0rIwZo
龍興より義龍より光秀より義清や真田のが好きだ
102 :
人間七七四年:2008/05/28(水) 23:41:31 ID:F/jTJXta
同意
103 :
人間七七四年:2008/05/31(土) 13:13:01 ID:ftJ2BR8Z
確かに。
104 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 10:14:58 ID:6y5hMPW/
義龍→長野業正
龍興→長野業盛
親父ほどではないけどやり手でいいんじゃね?
龍興が武田信虎だったら・・・
子どもなのにうざく立ち回って信長を尾張一国に釘付けに・・・
106 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 14:44:06 ID:u7W9Ilxh
業盛は可哀相。
甲斐信濃を領有する信玄の大軍にはどう考えても勝てないだろ。
最後も自刃で城もろとも火に包まれたわけだろ。
箕輪城の本丸行ったことあるけど碑が立ってたな。
>>101 確かにな、美濃の連中はどこか陰気な印象がある
偏見かも知らんが
つ仙石
109 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/08(日) 21:06:43 ID:VRH7uRtz
村上の領内ではいっき(漢字でない)は起こっていない 義清には政治能力もあった
110 :
人間七七四年:2008/06/11(水) 20:19:10 ID:P6bsxVzn
落ち延びた先が、
龍興→朝倉義景(世間で暗愚ないめーじ)
義清→長尾景虎(世間で最強ないめーじ)
これが決定打
111 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 04:57:01 ID:b6ibm2/X
上杉謙信の大群でも武田信玄を破れなかった
その武田信玄を少数で3度も破った義清とその軍勢って強いな
112 :
人間七七四年:2008/06/19(木) 12:59:24 ID:K6s4pjjH
村上が信玄を鍛えたと言えるな。
これ以来、信玄は慎重な男になった感がある。
113 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 20:52:09 ID:Daand6wx
どんな馬鹿でも3回も転べば足元がお留守にならない
114 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 23:40:53 ID:fwNULUfx
3回も村上に負けてないよ。
115 :
人間七七四年:2008/06/20(金) 23:58:54 ID:wUQMuPNw
信長はどんな馬鹿でもですむレベルの馬鹿じゃなかったってことだな
116 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 01:11:01 ID:Xt5rNU77
同じ侵攻してきた敵大名を多少は退けた、というのはあっても、
村上の場合、弱小ながら鮮やかに知恵を絞って退けた、という感じだが、
斉藤竜興の場合、相手と比べて国力があったから、長期戦を嫌がる信長が勝手に帰った、という印象。(まあこれは義竜の時も同じだが・・)
そして負け方も、家臣が心を離していったという印象。
(もちろんこれは世間のイメージに過ぎない。実際はどんどん押し込まれていく戦況+織田方の計略のせい)
ただ、この場合かんがえなくちゃいけないのは、竜興の年は極めて若かったということだ。
ここをもうちょっと考慮して、もうちよっと可哀想補正つけてもよさげだと思うんだが。
(じゃあ年若くして親父急死、いきなり自分より動員兵力の多い敵に囲まれまくったのに生き延びた信長とかはどうなるんだという話もあるだろうが、そこらへんは特例なので)
117 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 01:22:25 ID:i+sCtrmJ
竜興は13歳。信長は18歳。
しかも受け継いだ家は尾張最強で美濃の道三とも縁戚関係だったんだけどな。
118 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 01:31:24 ID:FeRiJy0A
年齢差としては左程じゃないが、実戦経験に雲泥の差が…
当主が幼少でも、家臣団が団結していれば対抗し続けられたろうが…
こういう時って、権力争いやらで家中が分裂するのが歴史の常だねw
119 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 15:45:59 ID:/xS0HuO8
>>117 その家は信秀が死んだ途端親戚や弟たちが好き勝手に動きはじめて
実際信長の思い通りになったのは自分の直轄領だけ
林佐久間柴田らの重臣たちも思い通りにならないし、
蝮と仇名される道三は状勢次第ではいつ敵に回るかわからない
そんなこんなで家督相続時の信長が動かせた兵力は二千人足らず
一応家臣が一致団結してて美濃一国のほぼ全部、
一万人近い動員力があった龍興とはえらい違い
120 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 19:09:15 ID:JJUmJxXr
斎藤家も一致団結してたとは思えないんだ。
道三とその父ちゃんが下克上の天才だっただけで、軍事的には外敵の侵略を退けるので手一杯。
外征はほとんどなし。斎藤氏が分裂したときだけ一致団結。国人連合に近い状態だったんじゃないかな。
121 :
人間七七四年:2008/06/21(土) 21:38:51 ID:/xS0HuO8
>>120 義龍の時代には戦国大名らしい体制も敷かれてたはずだが
122 :
人間七七四年:2008/06/22(日) 12:35:35 ID:grZHVCB5
>>119 信長には道三のバックアップがあったわけで。
123 :
人間七七四年:2008/06/23(月) 01:00:51 ID:nJn8lYRX
13歳と18歳って今で言うと中学一年と高校卒業生か。
当主になったとしてずいぶん差があるように思えるのは気のせい?
高校卒業生ならある程度の判断力も備わってるだろうけど
中学一年生に大国の差配をしろといったって無理だよ。
124 :
人間七七四年:2008/06/26(木) 12:29:10 ID:B6mfpBAm
>>122 まあそのバックアップも道三が信長と対面して決めたことだけどな・・
場合によってはとっくに切られてたろ。
125 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 02:24:25 ID:d+dTXFas
家臣に稲葉山城を乗っ取られる時点で
団結力も糞もねーだろ。単なる国人連合のお飾り。
126 :
人間七七四年:2008/06/27(金) 18:52:11 ID:Zv+KD1ph
>>125 ところで、竹中半兵衛ってなんで結局城を龍興に返したのかね?
安藤守就はどれくらい関与してたんだ?
127 :
人間七七四年:2008/06/28(土) 12:34:59 ID:5/Yrr56+
前に見たほんのうろ覚えだが
義龍が死んで幼い龍興になった事で体制が不安定になった
美濃の主導者になることを狙った安藤が
竹中を支援したという感じらしい。
竹中が17人で城を取った後で安藤の兵が入って稲葉山を固め
美濃を主導しようとしたものの、周りへの根回しが不十分だったため
寝耳に水だった周囲の豪族達が困惑して味方にならず
結局龍興に城を帰して実行犯の竹中を隠棲させて手打ちという流れだったそうだ。
128 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 10:48:23 ID:H+IOk3Dy
>>114 1548年 上田原合戦
1550年 戸石城
1550年 小岩岳城
1953年の葛尾城自落後も、その後奪還してるから
それも含めると村上軍の武田軍に対する勝利は4回だな
129 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 11:02:05 ID:fKKBECMX
村上って板垣に一瞬で蹴散らされてるじゃん
タバコふかして村上勢の首眺めてたら泣きながら戻ってきた村上に不意を
突かれただけ 実際勝ち負けはなく痛みわけ
130 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 12:48:54 ID:UfMxFb3b
蹴散らされるた
じゃなく戦術的に後退した。
131 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 17:55:41 ID:d6BE0wpr
漫画センゴクの龍興はかっこよすぎるw
132 :
人間七七四年:2008/07/15(火) 20:19:33 ID:D2dHLXR8
>>128 最後の村上の葛尾城奪還では城にいたのは於曽源八。
信玄はもとより武田の主力もいないよ。
そんで武田の主力が戻ってきたら一日で16の城が落ちて
村上は越後に逃亡したんだけど。
133 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 22:35:32 ID:/2giKOPE
>>129 今時そんな戦記物信じてるとはw
村上の誘いに乗って深く突っ込みすぎて
囲まれてやられたというのが今の定説
首実検やってたとしたって対応できるだろうがw
134 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 23:38:33 ID:gf06JNd5
>>130 板垣が油断して戦場のど真ん中で首実験するという非常識を見すこしていたなら
超能力並みの読みだな。
>>133 どこの誰による定説なのか言ってみな。
当時の文献や軍鑑にはそんなのなかったはずだが。
135 :
人間七七四年:2008/07/16(水) 23:45:18 ID:gf06JNd5
>>133 ついでだ。できないよ。板垣は首実験してる途中で襲われて
馬に乗ろうとした所を殺されてる。
軍が戦闘隊形を解いて大将が功名を見分するのが首実験なんだから
ここを襲われて対応できて当然みたいな言い方はおかしい。
136 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 02:48:36 ID:BTVygkr4
つまり村上が強いんじゃなくて武田がアホすぎるということか?
137 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 04:52:00 ID:AOTIaDY1
敵地で武装解除する
くらいに馬鹿だよね
138 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 06:57:40 ID:ZbwU5IGd
139 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 10:45:50 ID:v5Mq2YVP
国力の違いもあるかと
桶狭間直後の信長は尾張一国を統一したばかり
動員兵力はおよそ5000〜1万人未満だが、中はまだまとまっていない
美濃一国をほぼ平定してた斎藤家も同じくらいか、やや上といったところ
しかしこちらは義龍の時代にある程度地盤固めができていたので中の結束が固い
本格的に信濃侵攻を開始した時の武田家はとっくに甲斐一国をまとめており、
南信濃の支配にも手を付けていた段階で、最大動員兵力は1万人以上
対する村上義清は周辺の国人に強い影響力を持っていたとはいえ、
自身も国人領主のリーダーにしかすぎず、
戦国大名並の強権を発揮することはできず、
また勢力範囲も北信濃のみと武田に比べて圧倒的に弱小
動員兵力は5000あるかないかといったところか
これだけのハンデを背負って武田と互角以上に戦ったんだから
評価が高いのはある意味当然
140 :
人間七七四年:2008/07/17(木) 14:25:37 ID:oz1v9dwr
武田だって関東管領や北条を警戒しないとならないから全力じゃなかっただろうな
総力をあげて村上とやりあってはいないだろう 村上は自分の本拠まで
追い詰められた鼠状態だったから手強い
141 :
人間七七四年:2008/07/21(月) 20:40:14 ID:jl/2mxPa
村上は善光寺の経済力があったろ
142 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 11:39:08 ID:T/dxVWoq
武田はこの時期には北条とはほとんど戦っていない、それどころか北条は武田に援軍を送ったりするような状況、
今川がらみで揉めたりすることもあったが、基本的には休戦状態、
上杉は北条によって滅亡寸前で信濃に関わる余裕無し。
村上は逆に高梨氏などの北信濃の豪族と抗争中。
また村上の本拠というが上田原も砥石も村上の本拠ではなく、
武田等と共同で海野氏追放して小県を手に入れたのは1541年のころ
信虎追放時に小県も上杉の影響下に入っていたと考えるなら、小県を領有したのは1547年以降?
どちらにしても村上の本拠と呼ぶのは難しい。
143 :
人間七七四年:2008/07/22(火) 22:14:01 ID:KSQt3AHT
>>上杉は北条によって滅亡寸前で信濃に関わる余裕無し。
上杉は小田井原に2万の兵をよこしてきたりしたけどな。
一戦で撃破され大敗しちゃったけど。
144 :
人間七七四年:2008/07/25(金) 17:58:12 ID:CNTiENf+
>>143 つ小田井原は1547年上田原は1548年
小田井原で上杉が本当に2万動員出来たかはともかく
この戦いの効果もあって武田が村上と戦う時期には上杉は信濃に関わる余裕無し
145 :
人間七七四年:2008/08/09(土) 00:39:49 ID:JW+UcSiI
武王丸というだけあって半端なく強かったんだな
146 :
人間七七四年:2008/09/21(日) 09:31:33 ID:QAf5MW7F
竹中はんべえのせいだ
147 :
人間七七四年:
sage