桶狭間の合戦の真実について その2

このエントリーをはてなブックマークに追加
561人間七七四年
三河物語の執筆時は、著者の大久保ナントカは生まれてなかったので(多分)、
桶狭間の合戦の描写は聞き書き。
一方の、信長公記のの著者太田牛一だが、30才ごろで弓の名手で
この後の美濃攻めでは大活躍するが、

桶狭間の合戦には参加しておらず、聞き書きである、という意見がある。

どちらも聞き書きなら、桶狭間で織田が攻撃したのは、晴れていたとはいえないぞ。
片方の文献は否定しているのだから。
562人間七七四年:2008/12/14(日) 19:57:33 ID:rP5hcMgQ
雨上がりの攻撃でも雨中の攻撃でも、どちらにしろ今川軍は隊列の崩れた状態で
攻撃を受けたのだろう?
敗因はそこに尽きるのではないか。