1 :
人間七七四年:
信康自刃について最近は家康の意志であったと見る見方が強まってきたが、
どうもそれは信長人気の興隆と連動しているような気がしないでもない。
信康自刃についてはいろんなところで語られているようだが、
ここで集中的に考えてみよう。
2 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 16:21:57 ID:ur5xcPm1
3 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 18:20:04 ID:pShz+kQu
重複とは違うだろ
いいんじゃないの
4 :
人間七七四年:2007/11/29(木) 18:36:59 ID:v9IZxEWY
あの時代に死んで家康の得になった武将の死は全部家康の陰謀でいいよ。
5 :
人間七七四年:2007/12/01(土) 13:51:11 ID:tlqyiyu4
>>2 重複じゃねえだろ。
これはお家騒動の一種。
6 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 08:07:39 ID:DetMcsHd
>>1 それは貴方の思い込みでしょ。
ちゃんとした史料とか提示して証拠や論理で反論するならともかく、
そんな自分の思いで反論されてもねえ。
「人の事をバカだという奴はバカだ」という法則があるが
「この見方は感情論だという奴の見方は感情論だ」という法則もあるんだろうね。
7 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 11:04:50 ID:brsLD1SA
家康は75歳まで生きたから結果オーライだが、人間50年の世の中で信康が死んだら徳川家の世継はどうなるんだ?
秀康や秀忠は字もかけないガキだぞ
8 :
たられば君:2007/12/02(日) 13:12:46 ID:QxD/ubsw
家康自身が字も書けないどころか父親の顔さえ覚えてないだろうし。
自分の権力固めに必死な時期だから、このころの家康は後継問題意識は低いと思うよ。
9 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 18:41:59 ID:03T9Dmhk
でも家康が信康をあの当時殺して得したことってなんだろうね。
信長から命じられて・・・という前提ならば、信長に睨まれて家を潰すわけには
いかないという理由がなりたつんだけど・・・・・・。
10 :
人間七七四年:2007/12/02(日) 20:55:17 ID:fO5BW72w
>>9 武田における信虎と信玄、あるいは信玄と義信と同じだよ。
逆に織田家の側から見ると、あの時点で徳川に難癖つけて下手したら敵対させて
しまうかもしれない危険をおかす理由が成り立たない。
11 :
人間七七四年:2007/12/14(金) 18:17:12 ID:iW9TgkcV
すでに指摘されてることだが、「信長の命令」説は
辻褄の合わない点や不自然な点があまりにも多い。
例えば五徳は信長に12ヶ条を訴えて、どうするつもり
だったのか?
まさか夫信康を折檻してくれということではあるまい。
殺してもらって、実家に帰るのが目的だったのか。
まさか。
通説の通りなら徳川家にとって五徳は憎んでも
あきたりない存在のはず。ところが信長の死後も
徳川家からは厚遇されている。こんなところからも通説の
怪しさが分かる。
信康自刃に至るまでの経緯をもっとも詳しく記している
「三河物語」は、家康の人質時代の苦労ぶりをかなり
誇張して記すなど、全てが真実とは言えないことは
すでに言われている。
12 :
人間七七四年:2007/12/14(金) 23:28:50 ID:fFlf+/nQ
>>1 信長が一向一揆根切りなど各地で大虐殺を行ったことは
周知の通り。
今更殺した人間がたった2人減ったところで大勢に
影響はない。
信康事件については家康の意思だったのではないか
という説はきちんと裏付け史料も提示されている。
信長の命令で殺したとする徳川正史が信頼に足るものか
どうかを考えるべきだ。
13 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 11:10:49 ID:64g6Vo22
>>11 >五徳は信長に12ヶ条を訴えて、どうするつもりだったのか?
愚痴を聞いてもらうのに合理的な理由なんてあるかよ。
偉い親父につげ口するだけで精神衛生上すっきりする。
>信長の死後も徳川家からは厚遇されている。
家康は「恨みに報いるに恩をもってする」が信条だったよ。
>「三河物語」は、家康の人質時代の苦労ぶりをかなり誇張して記すなど、全てが真実とは言えない
人質時代は家康本人より家臣のほうが苦労しているし、
それに苦労したかどうかなんて主観的な問題だから捏造といえるほどのものではない。
>>12 >今更殺した人間がたった2人減ったところで大勢に
>影響はない。
今更殺した人間がたった2人増えたところで大勢に影響はない。
>信長の命令で殺したとする徳川正史が信頼に足るものか
>どうかを考えるべきだ。
家康の意思だったとする史料が信頼に足るものかも考えてね。
14 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 12:21:18 ID:1o0XQ3Vu
>>13 >家康の意思だったとする史料が信頼に足るものかも考えてね
まぁ、信長の意思だとするものよりは、一次史料なので信頼に足るものだわな。
15 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 15:26:12 ID:/95yv8QN
信長の命令もかなり怪しげと言うか信頼に足るものじゃないだろう
今のところ確認できるのは
「家康から信康の処分を申し出て、信長が許可した」と言うことだけ。
16 :
人間七七四年:2007/12/16(日) 21:39:22 ID:vYFLHMIx
「三河物語」に限らず徳川正史には今川義元は
必ず悪役として登場している。
そのわけは世話になった今川氏を裏切ってその領土を
奪った家康を擁護・正当化するため。
家康が人質時代今川にいじめられたというのは
作り話に近いことは今や広く認められている。
信康事件もこれと同種の話と考えてよい。
神君家康が妻子殺しなどとは口が裂けても
言えまい。だから信長に責任を押し付けた。
17 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 01:41:46 ID:C3JgtkH+
許可したと言うより「そちらの好きなようにしなさい」と返した。が正しいかな。
命令だったとしたら、そんな一歩引いた非当事者のようなことは言わず
処刑をせかしたり積極的に支持するような言葉になると思うんだけど
文面から見ると、徳川のお家騒動の始末報告みたいな印象を受ける。
18 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 07:03:54 ID:0g99aLzS
>>17 文面というのは「当代記」の記載のことだね。
他スレにも書いたが、当代記の、家康が信康の処断を
信長に相談したことは、天正7年8月に家康が信長近習の
堀秀政に宛てた書状でも裏付けられる。
19 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 09:58:47 ID:DHCmqGFj
信康切腹が「信長の命令」説への疑問点
・信長は何故、家康に遺恨の残る命令を出したのか?
・嫡男の殺害を命じられた家康が何故助命嘆願をしないのか?
・当時衰えていた武田氏に内通するメリットはあったのか?
・信長は家康が反逆するとは考えなかったのか。妹婿の浅井長政
に裏切られた経験のある信長が、同じように家康が裏切ることを
予想し、その備えをした形跡がないのは何故か。
・当時信長は本願寺をはじめ、四方に敵を抱えていた。そんな
状況下で家康を敵に追いやるような真似をするだろうか。
・通説では家康と信康の間には何の問題もなかったことに
なっている。だが「松平家忠日記」からは、この父子の間が
険悪になっていたことが窺える。
20 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 13:04:30 ID:yFE4hSL4
信長の意志も入ってるとは思う。
信長としては浜松と岡崎を分断させて両方配下にしたかったんじゃないかな?
京都にいるから任官とかの権利は彼が握ってたわけだし。
21 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 17:37:42 ID:X9dbZPMB
「信長の命令」と簡単に言うが、命令などできたのかも
疑問。
織田・徳川は同盟とは言え、実は徳川の方が従属に近かったに
してもだ。
こういう事実がある。
京を追われた将軍義昭は、各地の大名に御内書を送って
信長討伐を煽っているが、その御内書が何と信長の同盟者である
家康にも届いている。
これは家康が外からは、信長から独立した大名と見られていること
を示している。
このことからも、信長命令説が当時の状況とかけはなれているとは
言えないだろうか。
22 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 18:40:49 ID:SQHhFola
>>18 その書状は信康を岡崎から退去させたという内容のものだろ?
どう見ても切腹の執行を遅延させていることの言い訳のようにしか見えなかったが。
大体、家康が好きなようにしてよいと言われたのなら、
居所を移したくらいで信長の意向を確かめる必要はなかろうに。
>>19 助命嘆願は無理。
なぜなら信長が一番欲しているのは信康の命だということを家康はよくわかっていたから。
それは即命令拒否と受け取られることになる。
他はもう自分に敵はいないという信長の奢りで大体説明がつく。
その奢りが本能寺の変を招いた。
23 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 19:02:01 ID:5pb3mPas
何で信長が信康の命が欲しいの?
論理的に説明してくれ。
24 :
人間七七四年:2007/12/17(月) 21:38:54 ID:oaN8iSUZ
>>22 おいおい自分が返しているレスの内容くらいちゃんと読めよ。
>もう自分に敵はいないという信長の奢り
信康事件のとき、信長にはまだ本願寺、武田、毛利、上杉と敵だらけ。荒木
謀反を終結はみず、伊賀は健在。加賀一向一揆にも苦戦中。八月に光秀が
ようやく丹波攻略を成し遂げたくらい。
こんな状況で「自分に敵はいないという信長の奢り」?
これが事実ならたしかに信長はアタマがおかしい。しかし私はそうは思わ
ないので、あなたのアタマがおかしいと思う。
25 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 07:42:55 ID:Vip4wYtD
>>24 通説論者っていつもこうなのな。
「疑問」にもつまみ食い的にしか答えられず、
信長がなぜ信康を殺そうとしたのかも答はない。
なぜなら通説でもその動機があやふやだから
(武田氏に内通した謀反の疑い、不行状、あるいは
信忠より優れた信康を怖れた)。
論者自身どれが正しいのか分からないからひたすら
「信長が信康の命を欲しかった」としか言えない。
徳川正史が正しいと考える者の限界。
26 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 13:23:06 ID:AZoJ4MuG
27 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 15:38:42 ID:w/FL89Ku
28 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 17:35:50 ID:gxDIq/OI
>>25 信康を怖れたというより、親馬鹿の信長が信忠のために面倒な係争の種を潰してやったということだろ
ま、表立った理由は武田内通または不行状だし、信長も自分にそう言い聞かせただろうが
29 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 18:41:40 ID:ZEbQz6hX
で、その根拠は?
徳川様の天下になってから出来たいわゆる「正史」か?
そんなものが当てになるか。
本当に「神君史観」はタチが悪いな。
30 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 21:53:30 ID:hlgcOO5O
信康の切腹について、平野明夫氏が細かく分析していたような気がする。
31 :
人間七七四年:2007/12/18(火) 22:08:04 ID:L1ec7Zwo
徳川正史と言われるものが何の目的をもって編まれたか。
開設者の神君家康を顕彰し、幕府の支配を正当化するため。
その目的のためには事実を書く必要なんてないし、
家康や将軍家に都合の悪いことは隠蔽・改ざんするのが
当然。
信康の死については事件当時に「信長の命令」だったと
するものは一つもない。
こんな中で「当代記」と徳川正史のどちらが信頼できる
かは明白。
32 :
三河西尾藩主松平和泉守乗全:2007/12/18(火) 22:43:54 ID:XbXYlm07
信康は、自らに流れる今川の血を意識するとき、清洲同盟などよりも、むしろその敵となる織田氏と対峙することを望む。それを家康も悟っていた。
信康自刃の数日前に、人払いした部屋で家康・信康は激論をしたそうだが、対織田政策の根本に関する意見対立ではあるまいか。
加えて、家康は、信康の残虐性をおそれていた。小侍従の口内を引き裂いたとか坊主を馬で引きずり殺したとか、かかるエピソードは、三河の棟梁とは機関足るべきなのに、なまな感情を剥き出しにしすぎたことを示している。
機関が、サイロウになった。ゆくすえ三河に幸福と平安をもたらす棟梁とは、思えなかったのであろう。
家康のオトナの酒井左衛門尉、榊原式部大輔、大久保加賀守らはむろん、家康じしんもそう観念したであろう。
あるいは、家康と信康には年齢差があまりなくから、親子というよりも、競争相手になりつつある信康を恐れて、家康が殺害を命じたか?
酒井忠次が安土に上ったのは、信康処分につき、信長に承諾を得るため。信康の妻は信長の娘だから、我が子といえども、舅の承諾を得ずに始末をつけることは、はばかられた
ともあれ、信康自刃の年、家康が生涯でもっとも愛したお愛が長丸(徳川秀忠)を産んだことも、無縁ではなかろう
33 :
名無し三等兵:2007/12/19(水) 02:58:16 ID:ccynRdYy
どこにでもあるお家騒動で、当主&側近vs次期当主&側近の抗争。
尾張統一後の信長の場合、幸か不幸か当主のキャラが立ち過ぎて、
倅たちとその側近連中にはそういう動きができなかっただけ。
34 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 07:54:37 ID:M+cqJFs6
文武両道に優れ将来有望な信康を危険視した信長の命名で自害させられたんだろ。
信長が死んだら凡将の信忠が織田家を継ぐから焦ったんだろな。
35 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 08:10:23 ID:M+cqJFs6
信忠の凡将っぷり
岩村城の戦いのおり届かない距離から弓・鉄砲を乱射。信忠本陣跡を矢尽くし山と呼ぶ。
信長が信忠の評判を信忠家来に聞いた際に家来は何でも欲しい物をくれる器用な殿様と答えると信長は呆れ戦国乱世では生きていけないと危惧。
本能寺の変では信長の予感は見事に的中。
逃げれるにも関わらず二条御所に籠城し光秀に討たれる。
まったく武将としての能力はナシ。
信雄とかわらん程度。
36 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 10:08:42 ID:xzL8m8+B
>>35 信忠が独力で武田氏を滅ぼしたことや、
信長が42歳の若さで家督を譲ったことはスルーか?
信忠が無能ならいくら長男でもその若さで譲るはずがない。
>>34 だからその根拠は?
編纂目的が明白な「徳川正史」以外にはないだろ?
37 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 11:27:16 ID:UgqxDI0W
>>35 知らないようなので教えておく。
武田攻めが終わった天正10年3月、信長は信忠に
「天下の儀もご与奪なさるべき旨」を伝えている。
信忠が天下人の後継者であることを宣言したのである。
これでも信忠が無能だと・・・ただの無知だろう。
もう一つ。本能寺の変の時明智は逃亡防止の手立てを
していなかったので信忠は安土まで逃れられたはず、
とするのは「当代記」。
だがその「当代記」は信長が信康を殺せなどと言ったのでは
なく「家康存分次第」と言ったとしている。
同じ史料の内都合のいい部分だけつまみ食いするなよ。
38 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 12:55:19 ID:vl0cGN3F
そもそも信康は実績なんて無いみたいなもんでしょ。
若死にしたから文武両道・将来有望とか後付けしてるだけのこと。
他の追随を許さない大勢力を誇る信長が三河・遠江2カ国程度の武将の跡継ぎを危険視するわけがない。
39 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 15:39:46 ID:Alk7jZM4
「徳川正史」という書物はない。
あるのは「三河物語」とか「徳川実紀」とか。
しかも「徳川実紀附録」は諸本を集めたもの。
それらは書いた人も違えば意図するところも違う。
信長の命令が捏造ならいろんなバージョンやら、
記述に食い違いが出てきて当然だが信長の命令は不動の大前提。
捏造なら誰が最初に考えついたんだ?
どうやって記述を統一させたんだ?
捏造だというならまずこの点を明らかにすべき。
それをせずひたすら「徳川正史」とやらで煽り、
「当代記」一本で正面突破しようとするのは気違い沙汰でしかない。
信長厨らしいといえばいえるが。
「徳川正史」「神君史観」「徳川御用史観」などというのは
誰かが捏造したと思わせるためのレトリックにすぎない。
40 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 17:14:05 ID:xtKw5eye
信康が2代目将軍だったら幕府はより良い政治を行っていたのかが気になる
41 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 19:31:54 ID:qdwhPFlb
>>39 多くの一次資料から読み取れる結果にケチ付けるなよw
42 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 21:02:19 ID:BTf3eFuz
>>39 その「信長の命令」が当時の史料にはまったく見られないシロモノなわけだが。
なのに、江戸時代になってから「信長の命令」が突然でてきた。なんで?この
ほうが不思議だ。なんの根拠があって江戸時代の資料では「信長の命令」説を
とったんだ?
43 :
人間七七四年:2007/12/19(水) 21:42:23 ID:vl0cGN3F
>>42 きっと霊媒師に霊界から信長を呼び寄せさせていろいろインタビューしたんだよ。
44 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 07:11:37 ID:ODAtCVmZ
>>39 「信長の命令」でないと最初に言ったのは研究者なわけだが。
それも信長厨なのか?
そういうレッテル張りは止めろ。
45 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 07:22:45 ID:zCkE2718
>>39 信康事件は信長の命令によるものという徳川家支配による時代の流れに逆行して実は家康の命令によるものなんて書けないだろうな。
しかも家康が命令したという明確な史料もないのに家康の命令とか書くなんて尚更できるわけがないでしょ。
家康の命令だと書物で書く→お前証拠でもあるのか?→いえないです。→証拠も無しに神君の名を貶めるとはこの不届き者めがry
て流れになるのが明白なのに書ける奴がいるとでも思うのか?
46 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 08:56:25 ID:hRDRfShV
47 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 12:34:45 ID:fzryymEo
誰が信長の命令で信康切腹という筋書きを作ったか。
各種正史に書かせたのは幕府の御用学者だろう。
>>39よ、これで満足か?
>>45 この頃はまだ家康の意思で信康母子殺害という
記録とか伝えとかはあっただろう。
だがそれは正史に反するということで学者らが抹殺した。
48 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 14:19:24 ID:UH2y09oR
単にどこの家にでもあった親族間の権力闘争じゃないの?
まあ裏で武田辺りが支援してた(事実か噂の流布かは?だけど)可能性はあるけど
信康に対しては旧今川系家臣も好意的だろうし
49 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 14:28:42 ID:rwm///E8
50 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 21:21:56 ID:wCINk1p8
通説の信長の要求で信康殺害ではなく、家康の意思という説が
出た時点で、「三河物語」「松平記」などが語る筋書きは
何者かによる捏造だということになるはずだが、
>>39は今更
何噛み付いてるやら。
そしてその何者かとは幕府の関係者であろう。
彼らが「信長の命令」ということでいろいろな書に書かせれば、
それに反対することは幕府への反逆になる。
そんなことが出来るわけなかろう。
言うまでもないが何故そんなことをしたかと言えば東照大権現家康が
妻子殺しだと認めることなど絶対出来ないから。江戸時代、家康への
批判はいっさい許されなかった。
まあ
>>39は関ヶ原で東軍が勝つべくして勝ったとか信じてる
徳川御用達史観なのだろう。
51 :
人間七七四年:2007/12/20(木) 23:25:29 ID:3X/o9ZaF
徳川家康の事績や経歴にはウソが多い。本人がついたウソもある
だろうが、徳川様の天下になってから、御用学者などがデタラメ
なことを言っている場合も少なくないようだ。
何しろ家康は「東照神君」だの、「東照大権現」だのと崇められる
存在だったのだ。
これはある本から引用したものだが、まったくその通りだと思う。
信康事件にせよ、人質時代に今川からさんざんいじめられた話に
せよ、その「御用学者がデタラメなことを言っている」典型例で
あろう。
52 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 02:36:27 ID:i5hR8Fwb
神君家康が嫡男殺しはマズイからね。全部、信長の責任にすりゃ都合いいからね。資料が書かれた頃には当事者なんか死んでるし世は徳川時代で信長の責任にされても小大名に落ちぶれた織田家には反論なんか出来ないだろうしね
53 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 09:06:03 ID:4+YL/JvT
その無理やり殺されたと主張する
大事な嫡男様の人格まで貶めてる節があるからなぁ
侍女の口裂き、領民嬲り殺し、色狂いなど何処まで実話か分からない。
こういうのは人を貶める時に何度も使われてきた暴君逸話の典型だから。
信長に無理やり殺されたとするなら如何に優秀で好青年だったか書くだろうにw
徳川にとって信康は邪魔な存在で幾ら貶めてもOKだったのと
家康が殺したとバレても、そんな奴じゃ殺されても仕方ないと思わせるために
2重の保険をかけた結果、こんな逸話並べられたんだろう。
不義密通、傲慢、嫁いびり、嫉妬狂いとされた妻の築山も同じく。
五徳が優遇されたのは口封じ料じゃないか?
まさか後世で自分が夫と姑を陥れた悪女と言われるなんて思わなかっただろう。
信康の助命願いしたことすら知られてなかったりするし。
54 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 13:22:16 ID:PLemRZ6R
酒井忠次の逸話で
信長へ信康行状の釈明に行ったが満足な話が出来ず切腹の沙汰が下り信康を救う事が出来なかったために
後年忠次が軍功を重ねても家康からはあまり評価されず、また関東移封の際に他の四天王に比べ家督を継いだ息子の家次が3万石しか宛がわれなかった事を家康に談判すると
「お前でも息子がかわいいか?」と家康が吐いたとかってのがあるけど
あれも江戸期に出てきた話なのかな?
信長だけじゃなく重臣の忠次の責任にまでした上手い話だよね
もしかしたら忠次は信康派だったから単に冷遇されただけ?
55 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 15:12:27 ID:aN15PD71
全部御用学者の創作にしてしまえば恐いものなし
56 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 16:38:41 ID:ME3aTykw
>>54 息子を殺されてずっと根に持てたはず家康が信康の墓をずっと放置してたな。
57 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 18:26:07 ID:4ygeL3zY
忠次は家康小飼じゃなく若いときにはむしろライバルくらいなもんだからな。
四天王のうち忠次冷遇は当然とも言える。
58 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 18:43:08 ID:+gASFaWL
みんな詳しいねw
その伝で言うと、家康が関が原で「ああ、秀忠でなくて信康がいれば..」て言ったというのも
後からの作り話なのかな。
ていうか、この話の出典はそもそも何なのか。
59 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 20:35:39 ID:5RgtziTf
>>53 御用学者は、妻子殺しという家康の罪を信長の命令のせいということで
軽減することに成功した。
だがあくまで軽減であり、家康が2人の殺害を決断したという事実は
消えない。
そこで信康は暴虐、築山殿はとんでもない嫉妬深い女とし、
2人は殺されても仕方のない人間としたわけだ。
実に巧妙だ。
60 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 21:54:20 ID:oaD6a3yL
信康が家康に気に入られなかったから切り捨てたんだとして、
その理由としては経営・戦略方針の相違・対立や筑山含む旧今川派の影響排除ってところでおk?
61 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 22:13:41 ID:9kpJ6iEH
根拠はないが、信康を担ぐ岡崎派が家康の統制に従わなく
なったため、その解体を計ったという見方もあるだろう。
そのためには核となる信康を処分するしかなかった。
あるいは岡崎派は浜松派との対立の末、クーデターを
目論んだとも考えられる。
いずれにしても家康はやみくもに正妻と嫡男を片づけた
わけではなく、そうせざるを得ない事情はあったのだろう。
62 :
人間七七四年:2007/12/21(金) 22:17:22 ID:4ygeL3zY
父子の対立はしょっちゅうな時代だもんな。
しかし信康を殺害の決定者は誰かというのはどうでもいい話に思われる。
63 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 02:46:11 ID:5vAJN53x
んー…こう見ると徳川って本当情報操作がうまいよなぁ
260年の間にどれだけの真実が闇に葬られたんだろうかw
時代は変わるが、忠臣蔵も幕府が真実を揉み消したんだよね…。
64 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 09:22:03 ID:VH/gsdQ5
陰謀論を信じるバカ(笑)
65 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 09:38:48 ID:VH/gsdQ5
幕府の陰謀だと主張したいなら
いろんな通説で反駮されてるいまさらな信長命令説にたいする疑問だすより
まっさきに幕府陰謀の立論しなきゃだめだろ
信長命令捏造→幕府陰謀だなんでおもってるバカは中学からやりなおせ
66 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 11:44:56 ID:zQQoIYbW
↑何の疑問もなく人の話を信じちゃう恥ずかしい人
67 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 11:52:51 ID:GGYaNQen
>>64-65 一次資料を読み取る限り、通説が怪しいと指摘してるだけだが。
68 :
たられば君:2007/12/22(土) 12:00:12 ID:/lZoEtqD
信康処分に一次史料なんかあったっけ?
69 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 12:32:18 ID:9txBjGu0
どうせ捏造するならなぜ病死とかにしないんだろ?
そのほうが当たり障りがないだろう
他人の命令で徳川家の嫡男を殺されたなんて徳川家にとって不名誉この上ない話
70 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 13:11:55 ID:LVsftG6M
何故病死とかにしないのか、はさておき、
自分の意志で人を殺すのより他人に強要されて殺す方が
罪が軽くなるくらいは分かるだろ?
不名誉云々と言うならそんなこと正史には書かないだろう。
それが書いてあるということは不名誉などとは思ってなかった
ということさ。
むしろ天下を取るまでの神君はこんな苦労(?)をしたという
話の一つにした。
71 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 14:32:16 ID:DNhaZHPv
記録を病死にしたら、築山はなぜ死んだのか、朝日のためには寺を建てたのに築山の墓は…ってなりそうだが…
72 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 15:39:00 ID:9txBjGu0
築山は失意の死でOK
73 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 16:19:38 ID:NC4Q4CvZ
家康の逸話には「そうしようと思ったけど、しなかった」的な話が多い。
「本能寺の変を知って切腹しようと思ったけど、しなかった」
「真田の本陣突撃を知って切腹しようと思ったけど、しなかった」
切腹の覚悟を口に出すのは史実でもなんでもない。ただの与太話じゃん。
74 :
人間七七四年:2007/12/22(土) 21:18:14 ID:anKz8U7F
>>64 陰謀と言うが、いわゆる徳川正史が捏造をしてるということが
先にあるわけではない。
信長の命令で信康切腹という通説に対し、不自然な点が多く
指摘され、さらに「安土日記」「当代記」などから家康自身の
意思だったのではないかと言われるようになった。
そうすると「三河物語」「松平記」などが語ってる筋書きが
家康美化、擁護のための作り話になるということになる、
ってだけの話。
っていうか、陰謀論とは大袈裟すぎ。
家康が自分で殺した信康を信長の命令で殺したことにした、
これを陰謀なんて言うか?
75 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 10:56:14 ID:boBkCcOZ
徳川家公認の歴史には嘘があることはすでに研究者も
言ってるが、この事件の場合歴史偽造が出来るのは
徳川の方だけということを考えなければならない。
何しろ徳川は戦国の最終的な勝者であり、その後250年日本を支配した。
端的に言えば歴史偽造など思いのまま。
これに異を唱えるとしたらそれは幕府への反逆であり、
出来るはずがない。
対し織田は信長がああいう死に方をしたため出来たことは
せいぜい先祖の偽称くらい。
繰り返しになるが当時の史料、あるいは織田方から出たものには
「信長の命令」などまったく見られない。むろん「公記」にもない。
76 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 13:17:57 ID:saYOcHKv
権力握ったから歴史偽造するだろうというのはこれまた極端な見解だな。
家康が信長側近の堀秀政に宛てた手紙を見ると当代紀の記述が怪しくなる。
「好きなようにしろ」と言われたはずなのに信長の顔色を伺っているばかりで
全然好きなようにさせてもらっている様子がない。
77 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 13:50:41 ID:hejkYowb
>>76 研究者の谷口克広はその書状で「当代記」の記述が
裏付けられるとその著書で書いている。
おれは谷口氏の方を信じる。
第一書状の中身は「信康が不覚悟のため、岡崎を追い出した」
とあって信長の顔色をうかがってるようには読めない。
そう見えるとしたら信康が信長の婿で家康一人の判断で処断は
はばかられたためそう見えるだけだろう。
78 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 17:38:59 ID:saYOcHKv
谷口氏の論はかなり恣意的だと気づけよ。
忠次に申し上げさせたとあるからこれは信康処分の相談に違いないという極め付け。
信長の裁量許可をもらったのであればこの書状の存在は変ではないかという疑問は見事にスルー。
結局、こういう研究者は自分の論に合うようにしか史料を読まない。
ちなみに典厩五郎氏はこの書状の存在を知ってしばらく落胆していたそうだ。
まだ自分に正直というもの。
家康の意思で信康を処置しようとしたのであれば、信康に時間を与える意味がわからない。
普通に読めば信康の覚悟ができるまで少し待ってくれという嘆願の手紙にしか見えない。
79 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 19:51:39 ID:+wOmCNyD
>>78 典厩五郎著「家康、封印された過去」は読んだのか?
氏はこの書状が本に掲載される時、家康が信長に
信康の助命嘆願をしたとその著者がしていたが、
実際読んでみたらそれは「想像力が過ぎる」と
思ったとある。
むしろこの書状は酒井忠次をもって申し上げ候、
から始まっている。
通説では酒井を通じて信長の意向を家康に伝えたと
なっていて、家康から信康について信長に申し上げたなどと
いうことはないはず。
この書状から読み取れることは通説に反しているということ。
80 :
人間七七四年:2007/12/23(日) 20:13:19 ID:+wOmCNyD
連投だが、
>>78は意図的かは知らないが事実誤認が
多いぞ。
典厩氏は
>>79の本の中でもその書状の内容を知った上で、
信康を殺したのは家康の意思だったとしている。
そしてその書状だが、以下に引用する。
「今度左衛門尉(酒井忠次)をもって申し上げ候処、
種々御懇ろ之儀、其の段御取り成し故に候。忝き意存に候。
よって三郎不覚悟に付いて、去る4日岡崎を追い出し申し候。
(後略)」
忠次から信康について申し上げたことがちゃんと読み取れる
ではないか。
谷口氏を誹謗しているが、どこの誰かも分からないあんたより、
著書を何冊も出している氏の方が信じられる。
言ってることも目茶苦茶だしな。
81 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 10:42:17 ID:XTUATt9p
嫡男と正妻を死に追いやられても同盟も破棄せず、
本能寺の直前には僅かな伴連れで安土入りする。
この辺りが典厩氏も「信長主犯説が不思議でしょうが
なかった」と思った理由ではないか。
信長に逆らえば徳川家が滅びるからとかよく言われるが、
事実は逆ではないだろうか。
この頃の信長はまだ四方に敵を抱えてる状態。
こんな時家康が離反したらどうなるか。信長の天下取りなど
夢に終わることは明らかだ。
家康が信長を必要としていたのではなく、信長が家康を
必要としていたのだ。
82 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 10:58:26 ID:PmbCETY2
>>81 それはそれで、家康をマンセーするための恣意的な解釈だと思うがね。
せいぜいいって、どちらもお互いを必要としていたってところだろう。
だからって信康殺しの主犯が信長だったなんて思わないが。
83 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 15:10:17 ID:omJVGLiS
>>82 家康をマンセーするつもりなんかない。
むしろ家康は忍従に忍従を重ねた末に天下を取ったことに
なってる。
人質時代の苦労や信長の命令で嫡男を殺されたことはその
材料。
だが信康事件当時の家康には忍従する必要なんかなかった
んじゃないかってこと。
84 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 19:18:55 ID:PmbCETY2
ごもっとも。たしかに当時の家康には、信長をきって武田と結ぶという選択肢もありえた。
少なくとも信長の理不尽な要求に唯々諾々と屈するほど弱い立場でもなかった。
これまでの通説を疑問視するに十分な状況だな。
85 :
人間七七四年:2007/12/27(木) 19:58:59 ID:DiKTKkGV
>>81>>83>>84 信康事件の1579年当時の情勢
北陸方面・・・謙信死後攻守が逆転して柴田勝家の軍団が順調に北陸を攻略中
甲信方面・・・武田家は御舘の乱勃発以後、北条との同盟が手切れとなりどうにか自勢力の維持に努めている状態。
畿内方面・・・1578年に有岡城の荒木村重が離反するが、離反早々に旗下の中川・高山両将が織田に降伏。
第2次木津川口の戦いで織田方が勝利し毛利の支援を失ってしまったので、信康事件の頃には有岡城は風前の灯状態。
石山本願寺も毛利の海戦での敗戦による支援の喪失によって戦力が大幅にダウンした状態。
丹波方面も明智光秀によって79年に攻略。
播磨方面では別所長治が一応織田に反抗しているが羽柴秀吉による兵糧攻めで干殺し状態。
信康事件の時、確かに織田家は四方に敵を抱えてる状態だが=織田家苦境の状態ではないでしょ。
志賀の陣や信長包囲網の時の四方に敵を抱えていたのは苦境だったと言えるが、それと1579年時の四方に敵を抱えている状態を同じ意味で考えたら駄目でしょ。
1579年の織田家は守勢ではなく順調に四方の敵を切り崩している段階で、軍備にも余裕がある状態。
1579年に徳川が離反したら確かに厄介であるが徳川離反が織田家の窮地に繋がることは決して無いよ。
飛ぶ鳥落とす勢いの織田との同盟を破棄して、落ち目の武田と手を結ぶ選択肢なんて普通に考えられない。
この時期辺りから徳川は織田家に対して臣従のような力関係になり始めてるでしょ。
最後に一応断っておくが俺は信康自刃は信長の命令説は信じていないです。
86 :
人間七七四年:2008/01/04(金) 17:14:06 ID:wur7YlPY
最近の研究では桶狭間後、徳川氏(当時は松平)と今川氏の
抗争がすぐと言っていいほど始まっていて、これまでの通説の
今川氏真に弔い合戦を勧めたが応じないので織田と同盟したと
いうのは誤りであると分かってきている。
これも、当時今川の元にあった築山殿と信康を家康がさして
大事に思ってなかった証拠になる。
それこそ殺されてもいいやという感じ。
2人を正妻、長男として大事に思ってるなら今川を
裏切らないはず。
87 :
人間七七四年:2008/01/07(月) 01:11:04 ID:rfOXYmj1
>>86 そうだよな 信長死後も墓も放ったらかしだし
88 :
人間七七四年:2008/01/15(火) 21:42:06 ID:Zre9JMJe
信康に関する逸話
介錯を務めることになった家臣の服部正成が悲しみのあまり斬る事ができず
ほかの人が介錯を行った
関が原で秀忠の軍が真田の妨害に遭って到着が遅れている時に
「こんな時にせがれがいてくれたら」と家康がつぶやき
家臣が「秀忠様のことですか?」と聞くと
家康が「そのせがれではない、信康のことだ」と言った
信康って実際どんな人物だったんだろう?
89 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 01:48:54 ID:ORBUNIU1
>>88 人物的には申し分なくて人望もあったという説はある
だから家康の浜松派と信康の岡崎派に分かれてしまっていて、
それに危機感を感じた家康が・・・というふうに
信康にしても岡崎に立て篭もって反抗もできただろうけど、
やはりそこは家を考えて泣く泣く自刃したという考えもね
それで家康もそこまでしちゃったんだから
>>87というのもあるんだろうし
このときはもう秀康とぎりぎりで秀忠も生まれてたから後を託したのかも
諸説あるこの事件には、五徳が信康を助命してもらうように父信長に頼んだとか、
信長も気遣って様子を聞いたんだか呼び出したんだかって話もあるほど
よく知られる話とは正反対
つーか信長に悪役をおっかぶせたのは、
神君家康を悪人的にさせなかった幕府の捏造って説はもう散々ガイスツ
捏造の一連で、後になって「信康が生きていれば・・・」なんてのもそうだよね
これに関しては仮に本心で思ってたとしても
後の祭りで口には出せなかったんじゃないかなあ
なんせ自分が追い込んじゃったんだから
ぶっちゃけ徳川の暗黒部分だから真説なんて出てこないんじゃない?
真説を隠すための捏造でもあるわけだし
憶測のネタになるものは出て来てもね
ちなみに、当時服部半蔵は二俣にはいなかったっていう資料もあったみたい
他で武将として守備についてたか忍者やってたかはそこまで知らない
90 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 02:09:42 ID:N9v19+ee
これまでは@信長命令説が通説とされてきたが
A家康意思説の可能性も浮上してきた。
こんな風に把握しとけばおk?
91 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 03:14:10 ID:Iuo5OVjY
>>88 酒井忠次に「へえお前でも息子はかわいいんだw」って嫌味言ってるな
92 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 09:54:30 ID:9DADfwqk
>>90 むしろ、信長命令説の根拠がほとんど否定された、と。
93 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 10:49:51 ID:fVkGWDba
某社から出た信長の事典にあった年表に
「松平信康の切腹を命ず」などとあったのには
呆れた。
信長側の史料のどこにそんなことが書いてあると
いうのか。そそっかしい人は「公記」辺りにそう
書いてあるなどと誤解しかねない。
そんなことは徳川方、しかも徳川の天下になってから
出たものにしか書いてないのに。
繰り返しになるが「信長命令」説は当時の状況から考えて
不自然な点、辻褄の合わない点が余りにも多い。
94 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 20:08:26 ID:ORBUNIU1
>>91の件についても逸話っていうことはなかったっけな
>>93 出たばかりの新しい本にも真実でない話が出てることはよくあるよね
たぶん面白いからわざとってことと、著者の無知によるものだと思われ
せめて併記してほしい
95 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 20:39:30 ID:ppSHdXwM
酒井家次だけ三万石って時点で相当家康の怒りを買ってる事がわかる
96 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 21:07:05 ID:xDlodqVo
>>95 通説論者のようだが、酒井の息子の石高が少なかったから
と言って、必ずしも信康の件に結びつくものではあるまい。
別の理由があったとも考えられる。
しかも忠次は信康についてまったく弁解しなかったのに
その後冷遇されてないのだが?
通説では信康を死に追いやった張本人なのだが。
97 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 21:23:34 ID:ppSHdXwM
関東入封後に酒井家当主が三万石にされたという事実を冷遇と認めないなら
なんともいいようがないな
まあそんな奴はほとんどいないだろうけど
98 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 21:29:08 ID:xDlodqVo
>そんな奴はほとんどいないだろうけど
このスレでは「信長命令」説は少数派。
もう一度全部読んでみるんだね。
99 :
人間七七四年:2008/01/16(水) 21:36:44 ID:ppSHdXwM
このスレで多数なら世間の通説になるのか
ずいぶんお手軽ですな
三万石は冷遇ですよ
厚遇じゃありません
嫌味も言われてるしな
100 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 09:51:45 ID:gGI/475I
どうして通説派ってこうお粗末なんだ?
信康のことで冷遇されるのなら忠次本人のはずだろうに。
なぜ息子なんだ?
忠次は信康の死の後も徳川家臣団のトップの地位にとどまり
3年後の信濃制圧の時にはその最高責任者にされている。
>嫌味も言われてるしな
それが史実であるという証拠は?
新説ではそれも含めて御用学者の捏造だと考えてるのだが。
101 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 10:06:07 ID:gGI/475I
もう一つ教えておくが、新説は別にこのスレだけで
言われてるわけじゃない。
言い出したのは研究者。最近は賛同者も増えている。
もう少し勉強しようね。
102 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 19:57:39 ID:R8jpArh7
何かしくじったから石高減らされただけじゃないの?
103 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 20:00:07 ID:0fEfClfQ
忠次は普通に処して、忠次が老いて隠居してかわいい息子が家を継いだ時に
一気に冷遇したほうが精神的ダメージでかいだろうが
狸親父の心理戦法を甘く見るな
104 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 20:02:54 ID:0fEfClfQ
家康は「なんでうちの息子にこんなひどいことを」って
忠次に言わせる機会を狙ってウズウズしてたんだよw
105 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 20:54:37 ID:A6dqGLJX
そもそも息子・家次自身の功績が少ないから、3万石は妥当。
功績に比して禄が少ないのは、本多正信も同じ。
後に、酒井家は出羽鶴岡に封じられたのだから、功績に相応しくなったと言える。
106 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 21:03:22 ID:R8jpArh7
四天王(当時は言われてなかったよね)全員が石高低すぎるから
家康の腹の中なんて分からないよ
忠次の愚痴ネタって「信康がいれば」とか「真田は親か子か」と同じ系統の逸話っぽいね
本多正信は自分から石高増加は固辞してたらしいけど
増えたら必ず妬まれるからとのこと・・・これも真偽分からんけど
107 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 21:40:11 ID:zHilRDfu
家次は3万石という知行に腐らず奮起して加増を勝ち得たんだから
悪くない人事だったと思うぜ。
108 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 21:49:34 ID:RxjjLdWL
領国の拡大により三河時代の三備(家康旗本・酒井忠次組下・石川数正組下)が
相対的地位を低下させていたのは事実だしね。
新参家臣が増えたことで旗本先手の本多、榊原、井伊が軍団長に昇格。
多くの新参家臣がその組下ないしは家康旗本に配置(大番組)されることに。
それを考えると酒井忠次父子の処遇は家中での彼らの地位を如実に表していたと思う。
109 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 22:26:47 ID:+9EHMoIb
>>103>>104 だからそれは「信長命令」説が正しかった場合の話だろうが。
まずそれが正しいことを証明しろよ。
つーか「お前でも息子が可愛いか」と事実家康が言ったのなら
議論の必要なく「信長命令」説が正しいことになる。
このスレの存在意義にかかわる問題だ。
それが分からずに家康が確かにそう言ったことを前提にしている
馬鹿がいるようだが。
110 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 22:46:20 ID:R8jpArh7
シナリオの書き方を換えれば家康命令説だって逆恨みに持っていけるよ
・信長が徳川家のゴタゴタを気にして徳川家の人間を呼び出す
・家康の代わりに家臣筆頭の忠次が代理で行く
・事情を聞いたがはっきり言わない(言えない)
・信長、内政不干渉と仲裁を諦める
・そして家康は当初の考えのまま信康に切腹を申しつけ
「あのとき無理にでも仲裁されていれば、
信長の顔を立てて信康切腹は命じなかったかもしれない
忠次がそのように説明していれば・・・」
わ忠そ
る次.う
い だ
という、家康の逆恨みシナリオ
家康も巷間言われてた忍耐・待ちだけ人間じゃないというのも知られてるから
とはいえ実話逸話不明だからなんとでも書けることだからね、信康切腹事件は
ところで、信康は実は死んでないという
一番偽に近い説はここでは完全にあぼん?(・∀・)
111 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 22:59:57 ID:yYqrPcWX
>信康は実は死んでないという一番偽に近い説
kwsk
112 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 23:03:02 ID:cRUGWOCX
家康影武者説との関わりはないの?
113 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 23:10:49 ID:R8jpArh7
>>111 いやいや
単に生きてくれればなあという人たちによる妄想みたいなものww
>>112 若いときの子供→年齢が上がると風貌が似てくる、というのだっけ
114 :
人間七七四年:2008/01/17(木) 23:30:56 ID:D5L+67WF
ここらで「当代記」を引用しておこう。このスレでは初めてのはず。
「(天正7年)8月5日、岡崎三郎信康主家康公一男牢人せしめ給ふ。
これ信長の婿たるといへども、父家康公の命を常に違背し、信長公をも
軽んじたてまつられ、被官以下に情けなく行われ、非道の間かくのごとし。
この旨を去月、酒井左衛門尉(忠次)をもって信長に内証を得らる所、
左様に父・臣下に見限られぬる上は、是非に及ばず。家康存分次第の由
返答あり」
ここで大切なのは信長が「信康を殺せ」などと言わず、「家康の思う通り
にせよ」と答えていることである。
ちなみに「当代記」は、研究者の間でもかなり信頼度の高い史料と
されている。
115 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 03:49:45 ID:CY2QJ+UF
116 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 07:26:55 ID:FhoZjU5r
>>115 すぐ上に書いてあるのも見えないのか?
通説派は史料の提示すら出来ないのだな。
「お前も息子が可愛いか?」も何に書いてあった
のか言えないし。
117 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 09:51:57 ID:7u7N8BMV
>>115 どちらの説が正しいか決定打はない。
だが通説に対し疑問点や辻褄の合わない点が指摘されている。
通説が正しいと主張するならそれらに答えるのが先ではないか。
新説派は
>>114にもあるように史料も示している。
答えるどころか事実がどうかも疑わしい「お前も息子が可愛いか?」
を持ち出すなど話にならない。新説ではその台詞や「あやつではないわ
信康よ」も創作と考えてるのだからな。
118 :
人間七七四年:2008/01/18(金) 16:48:32 ID:+RyUiUBo
「信長公記」の一つである「安土日記」。
それに信康に「逆心の雑説」があったとあり、これも
通説を疑わせる材料の一つになっている。
現在「信長公記」の現代語訳がいくつか刊行されているが、
別の底本を使用したため、この記載がないのが残念。
119 :
人間七七四年:2008/01/20(日) 16:11:51 ID:OBSTfK4K
「安土日記」「当代記」そして天正7年8月に家康が堀秀政に
送った書状に共通するのは、家康の方から信長に信康について
相談したこと、つまり通説とは逆であるということだ。
これだけでももはや「信長命令」説は成立しないと見て
いいのではないか。
120 :
人間七七四年:2008/01/23(水) 21:59:07 ID:Mg/dCi+8
121 :
人間七七四年:2008/01/24(木) 00:50:28 ID:kxTleH0X
それは分からなさ過ぎる
122 :
人間七七四年:2008/01/25(金) 10:57:58 ID:RlPSNOaA
話題転換か。
123 :
人間七七四年:2008/01/31(木) 13:03:11 ID:wD3sjtSk
もう、小倉女は権力者の肉便器でその程度の女だったってことでいいじゃんW
124 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 14:47:01 ID:6gmz3Kmo
この事件に限らず、織田・徳川関係は徳川の世で
歪められた点が多いようだ。
姉川で徳川勢敢闘は捏造に近いと以前から指摘されてるが、
攻守同盟と思われてる織田・徳川同盟はそうではなく
単なる領土確定であったともいう。
また、京を追放された将軍義昭を家康は招こうとする動きも
あったという。
いずれにしても、これまでの家康の歴史は松平・徳川中心史観
というべきもので成り立っており、再検討の余地が大きい。
125 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 15:40:54 ID:YLSs5rDC
各大名家でリアルタイムで書かれて残ってる資料なら徳川寄りじゃ無くない?
後で書かれたら他の家も幕府から圧力が掛かってたかもしれんが
126 :
人間七七四年:2008/02/02(土) 16:12:15 ID:j3zzAaLM
>>124 > 攻守同盟と思われてる織田・徳川同盟はそうではなく
攻守同盟じゃなくてもそれに近いものだったと思うよ。
だから信長の上洛に家康が加わってたし、姉川も参戦してた。
義昭の命令という見方もあるが、それなら三方ヶ原に織田は援軍を出さなかったし、
高天神の落城に賠償金を払わなかった。
127 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 06:57:41 ID:a1fMFxxC
今更ながら
>>1 信長人気の興隆と言うが、最近はむしろ信長の業績とされるものに
疑問が呈されてると思うのだが。
桶狭間は奇襲ではない、長篠で3段撃ちはしていない、
鉄船は造っていない、楽市楽座の創始者ではないなど。
128 :
人間七七四年:2008/02/08(金) 19:17:01 ID:1ezoK12I
>鉄船は造っていない
これマジ?
他のは承知してるけど
129 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 19:47:46 ID:NkMCKH2+
「信康は家康の種ではない」説というのがあったな
義元?氏真?との不義懐妊の築山を押し付けられた家康は事あれば信康を処分したがっていた、とか
130 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 20:01:36 ID:Wrf0rDNm
信康は言うまでもなく今川の血を引いている。
その今川を裏切った上領土まで奪った家康に
いい感情は持たなかったとも思える。
同じように家康は家康で、裏切った旧主家の血を引いた
信康をよく思っていなかったのではないか。
信長命令説では信康を死なせたことが「家康生涯の痛恨事」
などと言われるが、そうまで信康を大事にしてたとは
思えない。
この父子の感情が事件を呼んだとも思える。
131 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 21:03:19 ID:eMnvlTuH
岡崎に信康を分けたのは良かったが
築山殿まで一緒にしたのはまずかったな
132 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 21:20:00 ID:sYo9f5J0
一般に築山殿は最期まで家康の正室だったとされているが、
異論も出ている。
家康の母お大が実家水野家が織田方に鞍替えしたのが
原因で離縁されたように、築山殿も家康が今川氏を
裏切った時点で離縁されたという見解だ。
だから彼女は家康が岡崎城主だった間は入城できなかった。
岡崎城が信康に譲られると、彼女は城主の母ということで
入城した。
こう考えると築山殿が家康の正室でありながら、家康と共に
浜松へ行かなかったのが理解できる。
133 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 21:31:37 ID:NkMCKH2+
幕府の御用学者が秀忠を妾の子のまま放置してたのも謎だな
後付けでどんな捏造も出来ただろうに
まあスレ違いだわなw
134 :
人間七七四年:2008/02/09(土) 23:06:19 ID:kqMzBHe6
秀忠の母お愛(西郷局)は若死にしたが
秀忠が将軍になると将軍生母ということで従一位を
追贈されている。
よって捏造の必要などまったくなかった。
135 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 00:28:26 ID:ECH8vv6K
放置されてたのは秀康じゃないの?
136 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 13:11:33 ID:Jn9T5+fW
>>134 話がずれてるね。
>>133が言いたいのはやろうと思えばお愛の方を正室扱いとか
秀忠を正室腹とかに捏造できたのに何でしなかったのかってことじゃないの?
137 :
人間七七四年:2008/02/10(日) 14:44:31 ID:yozd4Svt
妹の亀姫と家康の仲は、どうだったんだろう
138 :
人間七七四年:2008/02/11(月) 20:02:57 ID:BdJfObta
>>136 それに対して捏造する必要なんてなかったと言っているのでは?
139 :
人間七七四年:2008/02/12(火) 01:00:38 ID:2S5s/EHd
築山殿が生きてる頃は氏真は家康に従っていて
諏訪原城あたりで今川旧臣を率いていたんだよな
140 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 11:07:18 ID:fx6I/KA8
「当代記」を「三河物語」より上位に上げる人が多いけど、「三河物語」だって徳川家の事を
かなり率直な物言いで書いてあるからその点も考慮すべきかと
後、信康付の重臣がその後、粛清されていないのも可笑しいと、自分は感じる。
植村家次は出奔してるけど、後に復帰しているし
仮に原因が内紛だとしても、派閥争いではなく、あくまで家康、信康との個人的な
諍いが原因とは感じている
で、大した事がない話を忠次が信長にばらしてしまい、話が大きくなって止む無く
切腹を命じたのではないかと
141 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 11:32:49 ID:sOiXS62H
「三河物語」は松平・徳川中心史観の嚆矢であると
研究者の間でも言われている。
三河物語に改ざんがあることは一例を挙げれば
家康の父広忠を病死としていることでも証明される。
これは松平家の当主が2代続けて横死した事実を
粉塗するためと思われる。
神君礼賛、家康に対する批判が許されない時代に
家康が妻子殺しなどと正直には書けまい。
>粛清されていない
三河一向一揆に荷担した家臣も帰参を許してる位だから
不思議はない。
142 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 11:49:21 ID:fx6I/KA8
>>141 大坂夏の陣での旗奉行のやり取り見てもそんなに気を使ってるようには見えない
家康と彦左衛門が言い争う場面なんて、杖をドンドン叩いて語気強く言い募るという
具合にそこまで礼讃しているとは思えん
後、家忠日記の当時の部分みても特に浜松と岡崎、家康と信康の間に深刻な
軋轢があったとは思えん。8月3日に家康が部隊を率いて岡崎に来るまで特に
問題は感じられない。6月3日にも家康は信康に会いに来ている。
143 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 12:02:16 ID:fx6I/KA8
因みに酒井が安土に出かけたのは1月4日
144 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 15:02:47 ID:jqV9qTTG
>>142 そうした例をいくら挙げても、新説派は三河物語が全部
出鱈目と言ってるわけではないのだから、信長命令説が
正しいという証明にはならない。
また、「家忠日記」の天正6年の記事に、家康が岡崎衆に
「岡崎在郷無用」という命令を出しているのがある。
これは信康と岡崎衆の関係を断ち切ろうとしたものでは
ないか?父子の相克が窺われる。
145 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 16:14:53 ID:fx6I/KA8
146 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 16:20:18 ID:/fG9pZKr
出身だからこそ岡崎譜代岡崎衆の不祥事を隠そうとしたという見方もできるなあ
147 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 16:57:59 ID:fx6I/KA8
148 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:33:04 ID:fx6I/KA8
>>147 後、俺には「無用」ではなく「参用」に見える
149 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:52:47 ID:aMCRwjxX
三河物語と当代記とでは編纂目的が違うだろう。
前者は徳川中心史観による史実の改変が見られることは
すでに明らかにされている。
後者は研究者の間でも「かなり信頼度が高い」と
されている。
それでも前者の方を信じるとすればそれは学問ではなく
信仰の世界だな。
それから「安土日記」の記載は知ってるか?
150 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 17:57:43 ID:aMCRwjxX
>>147 9月5日条には
「家康より鵜殿善六御使。岡崎在郷無用の由、仰せ越され候」
とある。
こっちの説明もしてくれないか?
151 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 18:10:48 ID:fx6I/KA8
>>149 「三河物語」でその間違いが指摘されているのは、主に忠教の生前に関連することが主で
それ以後は兵力の水増しや行為に対する好意的解釈はあるけど、事実をひん曲げると
いったことは無い様に思うのだが
152 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 18:49:48 ID:fx6I/KA8
>>150 やっぱ「無用」かなぁ
でも松平家忠、鵜殿八郎三郎、松平太郎左衛門は東三河衆として
酒井忠次の寄旗下だからその辺の整理なんじゃないのかね
153 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 19:09:42 ID:fx6I/KA8
>>152 後、牧之原城普請なんかで負担が増えたから、これまで浜松・岡崎双方に出仕していたのを
浜松だけでよいとして、妻子を実家に帰すというのは負担の軽減ですし
家忠日記からは自分は事態の切迫は感じないのだが
154 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 19:35:55 ID:A7CrOAol
>>151 あんたがどう認識しようと専門の研究者が
三河物語は「松平・徳川中心史観による事実の改変が見られる」
と指摘してるんだよ。
学者や研究者の言うことが全て正しいわけではもちろんないが、
素人はそういうものに耳を傾けるべき。
なお、信康の死が信長の命令ではないとするのも谷口克広氏を
中心とする研究者。
素人がその間違いを指摘しようというならよほどの根拠が必要。
「三河物語」の評価については平野明夫著
「徳川権力の形成と発展」(岩田書院)という本に詳しいから
一読を勧める。
155 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 19:40:44 ID:A7CrOAol
連投だが、
>無いように思うのだが
って、思うのは自由だが、それが正しければ
このスレは終了。議論の余地はなし。
それが分かってる?
156 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 20:39:27 ID:x9Uyewyr
通説で言うところの信康切腹に至るまでの経緯も
疑問・矛盾だらけ。
たとえば三河物語では夫婦仲が悪くなったことや
信康の不行状で死が命じられたとするが、
どんな不行状があったかは書かない。
不行状どころか「これほどの殿はまた出がたし」だからな。
そもそも嫡男を殺したいのなら、信長は徳川家そのものを
滅ぼすのではないか?
157 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 20:40:03 ID:fx6I/KA8
うーん、実は個人的には家康命令説もそれなりに色はあるとは思っています。
ただ、当代記の信用性が実は三河物語位だからそこは慎重にという事。
なんせあれ、大坂冬の陣の講和条件で二の丸埋めなくて良いという大間違い
やってますし
後、岡崎派と浜松派の争いは、家康命令の適当な理由付けでしかないでしょう。
実際、こういうことがあったという推論は根拠がないですし。
あくまで家康が信康を殺したのだとするならば、それはあくまで個人間の、しかも
傍から見れば実に些細な理由からだと、自分は考えます。
158 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 20:59:54 ID:x9Uyewyr
新説派の根拠は当代記ばかりではないよ。
「安土日記」には、信康が逆心を抱いたので家康が
信長にそのことを申し上げ、信康を国端へ追い出した
とある。
また、天正7年8月に家康が信長の側近堀秀政に送った
書状には、三郎(信康)不覚悟につき岡崎を追い出した
とある。
これらに共通するのは信康の処分について家康から信長に
伝えたということで、通説とは正反対であるということだ。
通説では信長が酒井を通じて意向を家康に伝えたことに
なっていて、家康が自ら何かしたということはないはず。
159 :
人間七七四年:2008/02/16(土) 21:11:51 ID:fx6I/KA8
>>158 ああ、それならそれでもいいんですよ。
有力説として通説と比例されると思います。
私が気に食わないのはとにかく原因とさせる岡崎・浜松の
派閥争い説ですので。
160 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 00:06:00 ID:KS1CFgRe
むしろ、当の時代の一次・二次史料では家康の命令となっているのに、どうして
通説の方が有力視されてきたのか。
161 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 00:20:03 ID:5ZV0RaaT
神君が妻子殺しじゃマズイだろう
162 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 07:50:29 ID:KrYt7NgP
>>160 三河物語は何のかんのと言われても、いまだに重要な史料とされてますので
163 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 10:09:33 ID:Iljk3yFg
>>160 それは江戸時代、幕府の御用学者によって
「信康切腹は信長の命令」説が流布され
人々に刷り込まれたのが現在まで
続いてるってことだよ。
何しろ同時代史料は皆無、ほかにそうした
通説に反する史料も見付けられなかったのだし。
「当代記」の記述が注目されたのはごく近年。
164 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 10:39:38 ID:KrYt7NgP
>>163 個人的には「三河物語」の成立過程からして、後世の意図的な流布は考えにくいかと
むしろ家康が対内的にそういう話を流したという方が在り得ると思うのですが
よく御用学者の捏造とはいいますが、私はどうもそれ「便利な言い訳」に感じてしまうんですよ
165 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 22:44:26 ID:opMdVrqQ
むしろ「三河物語」が書かれた時点ですでに
信長命令説が普及しており、大久保もそう
信じて書いた、ということではないか。
なお「三河物語」を始め徳川氏創業記には
今川義元は必ず家康主従に苦労をかけた悪役と
して登場している。
これが嘘に近く、家康は実はつらい人質生活など
送っていなかったというのが最新の研究成果。
同書は決して荒唐無稽の書物ではないが、このように
主に家康を美化するための改ざんがあることに
注意すべき。
166 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 22:52:16 ID:2XCKQL81
>>165 今川家臣のどれぐらいかは竹千代をバカにしてたかもしれんけど
当主の義元自身はかなり期待をしてたようだからね
雪斎に説得されたのかもね、竹千代は使える人材だと
167 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 23:06:26 ID:KSOkNBU9
西三河一円に大きな所領と影響力を松平氏が有してたが故でしょう。
168 :
人間七七四年:2008/02/17(日) 23:47:36 ID:5ZV0RaaT
>>166 重用し始めたのは雪斎死後だから、
義元自ら家康の才能を確認して納得したんだろう。
実際大高城での働きを聞いて喜んでたし。
もちろん、今川家臣の中で家康をいじめたヤツがいたらしい。
169 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 06:45:34 ID:L14zyOSk
>>165 あの時、忠教生まれてませんし。で、信康の時は既に元服してます。
170 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 09:36:00 ID:s/LuacGp
>>169 その時生きていたからと言って、正しいことを書いている
保証にはならない。
大久保が信康の直臣でもなければ真実を知る立場でもあるまい。
直臣だったっけ?
どうしても「三河物語」の信憑性を主張したいらしいが、
松平・徳川の専門研究者が「同書は松平・徳川中心史観で事実を
歪めている」と言ってるのだよ。
お前さんは専門研究者より上なのかい?
171 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 09:48:05 ID:s/LuacGp
仮に大久保が信康の死についての真実を知っていたとしても
神君が妻子殺しとは正直には書けまい。
そういうことも考慮しないでただ「三河物語」は正しい!と
叫ばれてもねえ。
そういうのは学問ではなく信仰の世界。
172 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 10:42:02 ID:3/AvQsON
>>169 大久保彦左衛門が生まれる前のことは誤りがあると
認めてるようだが、その誤りは家康や徳川家を美化する
ための意図的な改ざん。
だとすれば彦左衛門が生まれてからのことも全て事実では
なく、同じ目的による潤色・改ざんがあると考えるのが
自然。
大久保が生まれる前のことは誤りがあっても生まれた後の
ことは全て真実とは単純すぎ。
それから
>>155をもう一度読むように。
173 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 12:38:44 ID:EQXiEJkC
人質であるがゆえに家康主従が苦労したのは本当だ。
義元に難題を与えられて家臣が家康に無理だから断れと進言したが、
家康は断れるわけなかろう、ここは自分に任せてくれと言うしかなかった。
無理難題を与えられても家康にそれをやってのける能力があったので
苦労していないように見えるだけ。
義元が家康に理不尽な虐待を加える理由はもちろん無い。
174 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 19:40:36 ID:u919jZC1
人質ってものを誤解してないか?
人質とはそのまま質、つまり預かりもの。当然、粗末には扱えない。もちろん
丁重にもてなすほどでもないが、だからって人質を虐待だの苛めるだのは通常
やらない。何故なら、人質を粗末に扱うことは人の上に立つものとしての器量
の問題だけでなく社会における礼儀の問題でもあり「預けた人質を粗末に扱われた
からもう従わない、離反する」というのは正統な行為と認められた。
175 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 19:58:32 ID:L14zyOSk
>>170 >>172 旗奉行の件を書いているので単純に「同書は松平・徳川中心史観で事実を歪めている」
とはいえんと思うのだが
その点その識者はどういってるのですか?
176 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 20:19:01 ID:MwLvgjI3
>>154の本を自分で読んでみな。
専門研究者の言うことにも耳を貸さずに自分流の解釈を
垂れ流すのはどうかと思うがね。
一点だけ書いておくがこの本(論文集だが)は
信長命令説は「家族の処断は家父長の権限」であるから
成り立たないとしている。
従ってあんたが信奉する「三河物語」のその部分は嘘という
結論になる。
177 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 20:34:35 ID:MwLvgjI3
最初に「三河物語」は家康・徳川家を美化するための事実の
改変があると言っているのではない。
他の史料などと突き合わせてみて、この信康事件に見られるように
事実とは異なる点がある、だから松平・徳川中心史観だと言っている。
それに対して
>>175のようなのは単に自分が「三河物語」を信じたい
という願望に過ぎない。
だから学問ではなく信仰の世界だと言ってるのだよ。
178 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 21:39:07 ID:L14zyOSk
勘違いされてるので言いますが、別に三河物語を一切、疑問なしに信じてませんよ
三河物語の記事が可笑しくても、そこにはいくばくかの事実も含まれており、
その点を考慮せずに唯、否定するのはどうかと思ってるのですが
基本的に話というのは一から十まで嘘ばっかりということはないのですし
179 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 21:49:07 ID:1V3icPnH
だから誰が三河物語は全部出鱈目だと言った?
そのレス挙げてみな。
180 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 21:59:45 ID:1V3icPnH
もう一点。
ここは「三河物語」の信憑性を論議するスレではない。
信康が誰のために死に追いやられたかを考えるスレだ。
で、もしそれが家康で正しいとすれば「三河物語」のその
部分の記述が嘘になるというだけの話。
同書全体がどうとかは関係ない話だ。
お前さんがこうまで「三河物語」がどうこう言うなら
新スレでも建ててそっちでやれ。
181 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 22:00:32 ID:L14zyOSk
>>179 俺も三河物語は総て正しいとは言ってないよ
182 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 22:04:58 ID:L14zyOSk
>>180 信康切腹に関する「三河物語」の記事総てが間違いとは言えんのじゃない?
が俺の説
その間違えてるには主因が家康・信康の間にあるとも考えている。
但し、だからといって徳姫と信康の仲とか、信長がこの件に一枚噛んでいる事も
間違えているとするのはどうかという話
183 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 22:21:07 ID:1V3icPnH
では聞くが「安土日記」の信康が謀反を企てたという記事は?
家康が自ら信康を岡崎から追い出したと書状に書いているのは?
いずれも「三河物語」とは矛盾してるが。
同書には信康が謀反を企てたなど一言も書いてないはず。
184 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 22:32:30 ID:L14zyOSk
>>183 だからさ、主因を家康・信康の不仲とするも、それを切腹まで持ってった副因に織田家は
介在しているのではないかという話
もしそうならば、主副転換することで「三河物語」の話へと容易に転換する
185 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 23:11:01 ID:u919jZC1
>>178 三河物語の全てが間違いではなく、真実も含まれているだろうというのはそうだろう。
しかし三河物語の築山事件のくだりについては、他の史料、しかも当の時代の一次
史料にまで三河物語の記述を否定することが記載されている。
これで「三河物語の他の部分には真実もあるだろうから、三河物語の築山事件の記述
だってまるっきり否定はできないよ」と言われても妄言としかいいようが。
186 :
人間七七四年:2008/02/18(月) 23:14:30 ID:u919jZC1
>>184 >切腹まで持ってった副因に織田家は介在しているのではないかという話
それを史料なりなんなりでまず証明してください。信長が家康に切腹を求めたとか
そういった記述のある史料を。もちろん三河物語以外でね。それなしに主張するの
なら、それは根拠のないあなたの妄想です。
187 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 01:38:58 ID:4jSrI5wL
三河物語の端書きに、「俺は年寄りだから記憶間違いとかあるお」って書いてあったようなw
188 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 09:15:19 ID:nh2ORXZC
実は信玄の真似をしたかっただけ。
根っからの信玄ヲタだったからな糞漏らしは
189 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 10:09:59 ID:g5xc3ABi
正室の子で今川とつながりのある長男を始末して側室の子に継がせるのもそうなのか。
よほどトラウマになってたのか家康。
190 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 18:10:30 ID:/BXHgq3h
俺ってつくづく暇人だなあ・・・
ていう人が、家康・信康の関連年表でも作ってくれないかなあ
xxxx年 信康が××する (△△△△より)
xxxx年 家康が信康に◎◎する (◆◆◆◆より)
xxxx年 信長が家康に●●する (□□□より)
みたいな
もうそういうサイトはすでに有るものなのかな
最後は信康自刃じゃなくて、逸話も込みでみて
「xxxx年 信康が生きていたらと家康愚痴る」で〆
191 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:02:21 ID:XhxvDMib
真実も含まれてるからこれも否定できない・・・って、
偽書武功夜話を擁護してるヤシの言い分と同じだな。
武功ももちろん頭からシッポまで事実無根のことを
書き並べたわけではあるまいから、真実である部分があって
当然だが、だからと言って偽書という評価が覆るわけではない。
「三河物語」も同じ。もちろん真実である部分もあるが、
家康の神格化、将軍家美化のために事実を歪めた部分がある
ことは明らか。
192 :
人間七七四年:2008/02/19(火) 22:24:27 ID:XhxvDMib
「武功夜話」を引き合いに出したが、本来「三河物語」と
同列に語るべきでないことは分かってるので念のため。
もちろん「三河物語」が偽書であるなどと言うのではない。
193 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 13:07:33 ID:WRQz5gCD
話の腰を折ってすまんが、大久保忠教の兄弟には信康付きが居たはず。
そいつは信康の切腹後、兄の忠世とは生涯反目し続けてたよな。
(家康が一族だから協力しろっつってもケンカばっかりするんで結局別の組になってる)
信長に信康の行状を否定しなかった酒井が有名だけどけど、この時一緒に行った
大久保忠世の事に触れられてないのは、なんでだ?
「三河物語」は読んだことないけど、忠世が行ったことは体面を憚って削られてるのか?
ある意味、当事者でもある大久保家が信康自刃について、他と違う情報を持っている
可能性がないわけでもないと思うが、そういう考えを持つのは俺が素人だからなのかな。
194 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 16:04:16 ID:CO4DOz8w
忠佐だすな
195 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 19:58:41 ID:WRQz5gCD
忠佐より下。つか、忠佐と忠世は仲悪くないだろ。
大久保兄弟の中でも下から二番めだか三番めだかのヤツだよ、信康付きだったのは。
196 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 20:38:31 ID:4icy2nLZ
「真実を知る立場にいた」と、
「それをありのまま史書に記す」は全然別のこと。
大久保彦左衛門が真実を知っていても、
幕府の方針(?)として「信康は信長のために切腹させられた」
とあれば、それに反することが書けるはずがない。
197 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 22:04:02 ID:Y/PbDxCJ
この中から選べ
忠世、忠佐、忠包、忠寄、忠核、忠為、忠長、忠教、忠元
198 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 22:09:52 ID:RLsxaJS1
>>196 ………三河物語の成立その他をご存知ですか?
199 :
人間七七四年:2008/02/23(土) 23:39:43 ID:zcRSIRl9
>>196 旗本大久保彦左衛門忠教が著した松平・徳川創業史である。
元和8年には草稿本が完成していたと見られている。ただし
現存する自筆本が最終的に成立するのは寛永3年である。
松平氏の発祥から徳川家康が天下をとって東照権現として
祀られるまでを、編年的に叙述し、そのなかで大久保一族の
忠勤ぶりを力説する。巷間流布した最初の松平・徳川創業史で、
以後に作成される松平・徳川創業史の原型となった。そこでは、
すでに松平・徳川中心史観による事実の改変がみられる。
(平野明夫著「徳川権力の形成と発展」より)
これに付け加えることがあったら教えてくれ。
要するに「三河物語」は大久保が自主的に書いたのだから
幕府の意向など入っていないと言いたいのか?
それとあんた、
>>185>>186で回答を求められるのと
違うんかい?そうならまずそれに回答するように。
200 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 00:02:27 ID:lgJn+Qww
201 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 00:27:03 ID:lgJn+Qww
このところ「三河物語」の成立がどうとか言って
反対意見を封じようとしてるヤシって同一人物か?
こいつの特徴は自分は人からの質問には(都合悪いからか)
答えないところにある。
自分の意見は書くが人からの質問は受けつけないというなら
こういう場所には向いてない。
もう書くなよ。
202 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 02:11:58 ID:ChzoWycK
203 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 08:34:53 ID:z67MPTPF
>>202 で、
>>199に対する感想・反論は?
それを書かないから「人からの質問は受けつけない」と
言われるんだろう。
204 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 20:21:49 ID:sWJ9QKaz
205 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 21:55:54 ID:ENVDWpsI
>>199 >松平・徳川中心史観による事実の改変
もしかして人質時代に苦労したという話?
苦労したかどうかなんて感じ方の問題だから改変というほどのものでもない
この程度が改変なら、改変してない歴史書なんてないだろうな
206 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 22:16:36 ID:rLAqRvyB
>>205 信康事件が信長の命令でないとしたらこれも
その「事実の改変」の一つになる。
一つ聞きたいが江戸時代には神君礼賛のため
歴史の書き換え・捏造が多く行われた。
これは研究者の間ではもう常識と言っていいが
お前さんはこれも否定するの?
207 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 22:28:40 ID:rLAqRvyB
もう1点。
「松平・徳川中心史観」を指摘してるのは研究者。
あんたがそんなものはなく、「三河物語」をはじめとする
徳川創業史が全て事実だと主張するならまずその根拠を
示すのが先。
専門研究者の言うことを否定しようというのだからさぞかし
ご立派な見解をお持ちなのだろうな。
208 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 22:42:55 ID:rLAqRvyB
>>204 残念だが、全然証明になってない。
信長を信康に訂正したのがどうだと言うのだ。
信長が家康に信康の切腹を求めたなんて
まったく書いてないではないか。
209 :
人間七七四年:2008/02/24(日) 23:10:40 ID:rLAqRvyB
>>205 これ以上連投はスマンが、そんな発言をする前に関連書籍くらい
読めよ。
「三河松平一族」という本には、三河物語が家康の父広忠を病死と
していることが書いてある。正しくは家臣に殺された。
210 :
195:2008/02/25(月) 16:47:26 ID:cMO1XLco
>>197 忠為か忠長のどっちか。
「寛永譜」あたりに載ってたと思う。>忠世と反目
つーかさ、「三河物語」って史書なのか?
当時の人間が書いた一次資料としては重要だと思うけど、“物語”とタイトルに付いてるんだから、
史料として読むのはお門違いのような気がするんだが。
あとさ、松平・徳川中心史観なんてのに凝り固まって資料を読んでたら、素人は歴史を楽しむ
余地ないぜ?
解釈なんてのは見方によっていくらでも変わるんだし、信頼できる人間が常に正しいことしか
言わないとは限らないからな。
211 :
人間七七四年:2008/02/25(月) 17:59:54 ID:cz0PR+fc
ただ言えることの1つには
歴史の中には作家ですら避けたくなるような嘘みたいな展開も結構あるということ
その時に生きてた人間が居ない今、何が正しくて何が間違ってるかは、
100%は確定できないよね
212 :
人間七七四年:2008/02/26(火) 21:49:51 ID:Taj6UFUE
言うまでもないが「信長命令」説は徳川方の一方的な主張。
織田方から出たものにはまったく記されていない。
それを記している徳川方の文献は何のために
編纂されたかが明瞭。
しかも徳川は戦国の最終的な勝者。
ここまで揃えばどちらを採るべきか明らかであろう。
213 :
人間七七四年:2008/02/28(木) 18:51:28 ID:KjtfXLKH
そいや、
>>209の言ってる本の筆者の別本だが「徳川権力の構想と発展」という本の中で、
織田との同盟がどういう物だったかの考証があって、その中で信康・築山の事件について
触れてるから、興味があるなら一読するといい。
裏付けというか、何を底本にして展開した論かきちっと書く人だから、参考文献集としても
使えるぞ。 高いがなw
214 :
人間七七四年:2008/02/29(金) 22:02:13 ID:m6xsDt6Q
その著者も、信康事件は家康の意思という説だが、
松平・徳川研究者として、「三河物語」の成立過程も
当然よく知っているはず。
なのに「三河物語」の成立過程から見て大久保による
改ざんは考えられないとかってどういうことか。
一介のネラーより研究者の方が詳しいはずだが。
自分の方が詳しいと言わんばかりのヤシって何者だ?
215 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 20:43:27 ID:uS+Z1s+g
大久保忠教の逸話にこんな話しがある。
彼が若衆と談笑してた時に
若衆が「こういう時、あの源義経はこういう立派な立ち振る舞いをしたと史書に欠いてありますな」と
言ったところ、
大久保忠教は大笑してこう答えた。
「馬鹿者、史書なんて信じておるのか? ああいうのは人物や家を賞賛するために書かれたものだ」と
こういう考え方の大久保が
大久保家の人間に大久保家の誇りや徳川家の忠誠を説くために書かれた
三河物語にはたいした資料的価値はないだろう。
なんていうか教育書か思想所みたいなもんだろう。史実なんて二の次。
216 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 20:45:37 ID:uS+Z1s+g
>>214 「大久保による改ざん」って考え方そのものがそもそも違う。
三河物語はあくまで「子孫に誇りや忠誠を説くために書かれた書」であり、
歴史書とは違う。
217 :
人間七七四年:2008/03/07(金) 23:46:57 ID:71vMhDPK
その辺は三河物語に限らず、古今東西の歴史書ほぼすべてがそうでしょう。
218 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 00:39:04 ID:Zp1gR2B+
三河物語は物語だからな
219 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 10:21:02 ID:5+yb/Iug
安土日記や当代記の記述も、所詮は風聞(噂話)
220 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 13:49:25 ID:GZ/tWY40
んじゃ三河物語も風聞だなあ。大久保忠教ごとき軽輩が、どうやったら信長と酒井忠次の
安土での会談の内容を知りえたんだか。
221 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 15:29:33 ID:QpdbT6Bs
>>220 少なくとも同僚・味方陣営ではあるので取材はできる可能性がある。
同じ伝聞資料でも、本人もしくはその場で聞いていた人から取材(というか雑談)できるのと、単なる風の噂では同列とは言え
ないと思う。
222 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 21:03:25 ID:7g0Yv/ze
だからと言って本当のことを書いているとはなるまい。
政治的目的を持った「三河物語」などはなおさら。
比して「当代記」などは政治的史書ではない。
223 :
人間七七四年:2008/03/08(土) 22:40:49 ID:LhwOAmmw
>>222 当代記や安土物語の内容が織田方の見解と言え、
三河物語が徳川方の見解なのだろう
どちらかが絶対正しいと考えるのは問題かと
224 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 00:19:20 ID:NKwaXPDo
>>223 アメリカ独立戦争もイギリスとアメリカでは見解が一致しないだろうが、どちらを正しいとも決められないだろう。
決めた時点で、決めた人はどっちかに肩入れしていることになる。
225 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 01:18:15 ID:1QQNV277
記録の上では、な>見解の不一致
しかしこの信康切腹事件に関しては、信長が積極的に関与して命令を下したのか、
家康の方から言ってきて信長は許可を出しただけなのか、二つに一つでしかない。
226 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 03:05:25 ID:GlVNyA3r
信長は意外となんにもしなかったんじゃないかね
正しくは、できなかった
家臣じゃなくて、他家だから
227 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 03:55:12 ID:1QQNV277
>>226 それが正解だと思う。織田に対する反逆でも企んだのでもない限り、信長がわざわざ
他家の嫡子の生命を要求する理由がない。
228 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 11:20:59 ID:04CmnTAu
となると問題は家康と信康の仲違いの原因
従来の浜松派・岡崎派の主導権争いに巻き込まれたという説は
識者が言うほどの重臣の処分がないことから怪しい
あくまで、親子間の相克と信康・徳姫との夫婦の不和が重なり家康は
おろか信長の取り成しまで上手くいかなかった事に、家康が信長の
不興を買うことを恐れ、過剰反応とも言うべき追放に追い込んだという
昼メロ的展開はある
だから、本当はこのまま逐電させたかったんだろうけど、通説どおり
部下が馬鹿正直に監視していたから、切腹に至った可能性はある
築山殿はこれは完全についでかな?信康が死んだら、彼女はもう
なにもないし
229 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 12:12:17 ID:QRQNbaOX
>>227 つーか家臣ですら余程の事でも無い限り嫡男に死ねなんていうのはヤバイわな。
当時の家の概念からすれば、本人に対して切腹を命じるより重い刑と言っても過言じゃない。
230 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 12:35:45 ID:6ww03dXj
そもそも相手の嫡男が自分のより優秀で将来が怖い、というなら相手の家をつぶせばいいだけだろう。
嫡男だけ殺す理由はないし、そもそもその嫡男は自分の婿だから、子が生まれれば自分の孫。
嫡男が怖いならその嫡男を飛ばして自分の孫に継がせればいいだけの話。
何も子供が生まれる前に殺す必要はない。
信長の命令説は常識からあんまりにも外れるから信憑性が薄い。
231 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 12:43:01 ID:04CmnTAu
信長命令説が否定された現状で考察すべきは、では何故家康が信康を殺さなければならなかったのかと
言う点なのでは?
経過が解明されていても原因が不明というのが、信長命令否定説が主論足りえない大きな理由ですから
232 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 12:44:55 ID:GlVNyA3r
>>228 >重臣の処分がない
三河一揆で自分に反抗した一揆側家臣を許してたこともあるから
そういう点については寛大かもよ
>>229 確かにそれもあるね
信長が家督に口を出したことはあるけどあくまでもそれは家臣に対してだったし
信長としては、頼むから三河で内紛が起こらないでくれよ〜と思ってたんでは・・・
233 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 12:55:35 ID:GlVNyA3r
親子喧嘩に関しては・・・
事実は小説より奇なことは本当に多いし
原因も意外と「くっだらねー・・・」ってこともある
信長原因説が「信長を悪者にしとけば云々」とあるように
実は信康は言われてるほどの器でなくて家康は悩んでいて
いろいろ悪行があってそれで切腹させたけど、
良かった事にしとけばかっこがつく、みたいな、
他にもなにやらいろいろと考えられるかもしれんよ
でも、築山殿までも同時に、ていう点はよほどのことが考えられるから
推測するにはここがかなりのポイントになると思われる
信康だけが問題ならいくらなんでも築山殿までは、だからね
これがあるから陰謀説が有力とされてきたのも理解できる
234 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 13:18:48 ID:04CmnTAu
>>232 三河一揆は一揆側に付いた重臣である酒井忠尚や石川康正(数正の親父)なんかは
追放されているから、一概に許しているとはいえない
この辺の家康の裁量を見ても、信康事件は家臣の処分が低すぎる傾向がある
235 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 15:24:33 ID:1QQNV277
>>232 信長だって信勝謀反のときは関係者処分なしですませたが、後には粛清などかましまくってる。
ある時に許されたからって、またやっても許されるってもんでもないでしょう。
>頼むから三河で内紛が起こらないでくれよ〜と思ってたんでは・・・
これはその通りでしょう。当時東の脅威である武田は完全に徳川任せで、美濃尾張の信忠の軍
ですら畿内や西国に回されている。
この状況で徳川が内紛で弱体化すれば信忠軍団を西に回す余裕もなくなるし、最悪徳川が敵に
回ればどうなることか。
>>233 そうですね信康だけの問題なら、築山殿までが「処刑」される理由としては弱い。
武田や伊達など親子相克は他に例があるが、息子が反したからその生母が処刑されたなんて話は
知らないなあ。やるとしたって精々離婚するくらいでしょう。実際に嫡男が謀反を起した武田家
では、義信は処分されたが三条殿は特にお咎めなし。正室としての立場もそのままだった。
236 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 17:13:07 ID:TVzqPP3u
通説だと武田との内通だがこれは先ずなかろう
他の通説として彼女の讒言が信康と家康・徳姫の不和に繋がった説があり、
その点から責任を取らされた可能性はある
他にも当時の築山殿は既に家康正妻の立場ではなく、信康の母という立場で
しかなく、その為に殺害もさして問題なく行われたという考えもできる
237 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 19:36:29 ID:6l92VJjA
事件当時築山殿はすでに家康正室の立場ではなかったとする
説もある。
正室であれば家康と共に浜松へ行ってしかるべきだが、
岡崎に留まったのはその立場が信康生母としてのものだった
とすれば理解できる。
単に夫婦仲が悪かったとかでは説明できない。
238 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 20:13:20 ID:TVzqPP3u
後、不和の原因が信康の性格にあるとしたら守役の平岩親吉に何らかの責任
が生じるのが当然なのだが、切腹後に多少の謹慎があったが、その後は重用
されているし、関東入国後は秀康の後見役や義直の付家老、おまけに早世し
たが養子に家康の子を貰う重用ぶり
信康の性格は問題なかったということになるだろう
239 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 21:23:08 ID:uuXol7G/
>>231 原因が不明なのは史料がないためで、それは「信長命令説」を
正史とする幕府によって記録が抹殺されたためと考えられる。
よって推測するしかないわけだが、だからと言って、つまり
原因が不明なら「信長命令説」が正しいかのような言い方は
どうか。
そこらの事情はすべて徳川方に有利になっていることを
忘れてはならない。
240 :
人間七七四年:2008/03/09(日) 21:29:50 ID:TVzqPP3u
>>239 正しいとは言わんが、問題なのは間違いない
241 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 00:40:43 ID:PuMFz6zw
上で書き忘れたが
>>235 女だったら剃髪して尼僧にして寺に放り込んで終わりと思うから
殺害は尋常じゃなかったと勘繰りたくなっちゃうのはしかたないね
信長が叔母さんを磔、とか、秀吉が秀次一族を、というのとはちょっと意味が違う気がするし
>>236-237 しかし、長男は長男として跡継ぎは考えておいても
その母親だけ離縁というのもなんかちぐはぐな気がしないでもないけど
名目正室としてはそのままで、事実上は離縁状態みたいなら分かる
秀吉のところもそんな感じだったんじゃなかった?
242 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 04:29:58 ID:tMvwuaN+
>>241 信長の叔母は明確に裏切っているわけだからこれはある意味当然。秀次の妻子は
謀反人の一族ということで処刑されたわけだが、信康事件に当てはめるとすると、
処刑されるのは五徳とその間の娘となってしまう。秀次の妻子に関しては避難の
声もあったそうだから、なんともいえないが。
>母親だけ離縁というのもなんかちぐはぐな気がしないでもないけど
家康の母は実家が裏切ったことから離縁されたが、息子竹千代は嫡男としてその
まま松平家に残った。少なくとも前例はある。これが松平家の特殊な処分なのか、
この時代の普通だったのかは不明ですが。
可能性としては、築山殿は離縁されたが帰る家がなかったので、信康が引き取って
岡崎に家を与えた、というところか。
243 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 06:48:25 ID:qJIQe274
築山殿が家康の妻としてみなされていなかったのは「家忠日記」で「信康母君」
でも見ることができる
信康事件で築山殿に責任があった可能性はある
問題はどのような責任があったかということであろう
244 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 21:43:56 ID:4k1F/hdb
>>242 あのとき今川方の勢力はどれぐらいだったのか
ちょっとすぐには分からないが
それと当時は松平は完全に今川配下で、
それこそ離縁しないと広忠も冷や汗ものだったと思う
これと比較すると徳川と織田との関係はまだゆるかったはずで、
それでもなお築山殿が殺害されたということは・・・
>>243 そこなんだよね
むしろこうなったら信康よりも築山殿殺害の方が興味深くなってきたwww
れが縦に4つ並ぶとかっこ悪いな・・・
245 :
人間七七四年:2008/03/10(月) 22:06:53 ID:qJIQe274
築山殿が殺された理由といて考えられるのは
・信康を切腹しなければならなかった要因のひとつが彼女にあったから
・信康が死ねば彼女に頼るものは一切なくなるので、慈悲の殺害
・家康が邪魔な正室を処分するのにちょうど良い機会だったから
こんなとこか
246 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 21:50:26 ID:umAJLJvp
>>245 ・家康が邪魔な正室を処分するのにちょうど良い機会だったから
これっぽいね。
どう見ても家康が築山殿を愛してたようには思えない。
煙たがってた感じはするが。
247 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 22:07:10 ID:oKlt/jCu
248 :
人間七七四年:2008/03/11(火) 23:29:18 ID:KVnLwfSF
「必要がない」と「邪魔、目障り」の間ははてしなく遠い。
当時の家康に、今川の血筋が必要とは思えない。しかしただそれだけなら離縁すればいい。
積極的に「殺さなければならない」理由ってのがほんと謎なんだよな。
249 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 10:41:56 ID:tnv/5N18
>>248 > 積極的に「殺さなければならない」理由ってのがほんと謎なんだよな。
家康の方が年下だったと聞くので、「あなた、小さいし早いわよ」程度のことだったりw
250 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 11:02:30 ID:ulJSlR5j
復讐を恐れたんじゃないのか?
年上だし、それにかつての主君の娘だし、
家康は築山とのに恐怖心はあったと思うよ。
女ながらある程度の人脈があったのかも。
ちなみにある小説では石川数正が信康母子を殺された恨みから
豊臣に寝返るいうラストだったし。
251 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 19:55:22 ID:YB0BPNUn
小説だったら、「築山殿が過去に義元と通じていて、信康はその種だった」というのがあったな。
だから家康は築山殿も信康も殺さなければならなかった、と。
小説としては、さまざまな状況証拠への説得力もあって、上手いネタだなと思ったよ。
(例えば、この理由だと問題なのは妻と息子の二人だけで政治的な事情はないので、信康付の
岡崎衆への処罰は軽かった、とか)
仮にこれが真実だったとしても、史料で確認されることはないだろうなw
252 :
人間七七四年:2008/03/12(水) 22:02:46 ID:+0bEhTLy
新説を唱えた論者の言う岡崎派と浜松派の争いが要因という説は正直、怪しい
やっぱ昼メロだとはおもうのだが、その点家康は「全う」な家族付き合いができない
男だった可能性はある。
両親とは早くから引き離され、親父は生き別れ、母も元服してからやっとの再会。
兄弟もいない彼が普通の生活を送ることはできなかったであろう。
その点が子と妻との不仲を生じたことは容易に考えられる。
253 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 23:29:08 ID:iWiPITWB
松平健が家康を演じたドラマを今日TVでやってたけど、また信長が命令したことにしてたねw
254 :
人間七七四年:2008/03/15(土) 23:49:58 ID:+0+U4d0u
信康の器量にビビった信長がいちゃもんつけてたなWW
信忠がアホ扱いで出てないだけマシじゃないかw
256 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 08:13:18 ID:PPEsX+iJ
>>255 だな。にしても歴代の信忠が出た大河ドラマで酷かったのは秀吉に出てた信忠だな。今で言うKY気味で気が弱くて泣き虫みたいな設定だったWW一番マシだった信忠はだいぶ前の正月12時間大河ドラマ織田信長の時の信忠だな。
257 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 11:42:11 ID:knU1su98
信長が毅然と命令したわけではないが、
信長の存在が重圧になった家康が
思い余って信康を切腹させたという推測を考えてみた。
単なる空想だが、
いろいろな矛盾も解消できて悪くない説かも。
258 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 11:59:41 ID:HQTEHPB7
考えられない
259 :
人間七七四年:2008/03/16(日) 12:16:41 ID:GNBi/0cx
260 :
人間七七四年:2008/03/20(木) 18:39:04 ID:MlWaCMMf
261 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 17:56:18 ID:YHHmt8qT
浜松城のボランティアガイドの解説
信長が命令で信康を殺したことになってるらしい
まずいだろ・・・年寄りだから以前からある説しか知らないのが原因だと思われ
異説も同時に言ってるのかなあ
262 :
人間七七四年:2008/04/10(木) 20:27:46 ID:BOhqj6O3
観光地なんて大抵そんなもんだよ。
気にしても意味無い。
263 :
人間七七四年:2008/04/11(金) 12:56:22 ID:v7eua4yU
戦国時代に大名の後継者が小幼児というのは大きなリスク
信康の死で徳川家は秀康、秀忠の成人までそのリスクを持つことに
特に家康は祖父と父の急死からそれをよく知っているはず
織田家も秀信が大人だったら
264 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 12:54:33 ID:mtEqVJbQ
>>251 >小説だったら、「築山殿が過去に義元と通じていて、信康はその種だった」というのがあったな。
>>だから家康は築山殿も信康も殺さなければならなかった、と。
参考になるかはちょっと疑わしいけど
フィクションにおける信康殺害真相の事例を少しばかり(うろ覚えもあるけど)。
山風説
「実は信康は武田忍者の計略で両親を嫌うようになったのです。
それで家康はやむなく信康を自刃させたのでした」
宇月原説
「実は家康は信康と築山殿を通じ、わざと武田に負けて三河を
見逃してもらう代わりに尾張への通路を拓く事を密かに謀っていたのです。
しかし信長にバレてしょうがなく母子共々松平家の為殺害したのでした」
この両者の解釈ではどちらが信憑性があるんでしょうか?
265 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 16:12:07 ID:p8OelxpH
現在、大好評の岡崎派、浜松派の派閥争い説も所詮は典厩五郎という作家の説に過ぎない。
しかも大賀弥三郎の事件と信康事件を安易に一直線上にしている。
266 :
人間七七四年:2008/04/13(日) 21:39:30 ID:bM1TsnQ3
>>264 どっちも怪しい説だけど、宇月原説なんて絶対にありえんでしょ。
・三方ヶ原の戦いには織田の援軍も参戦しており、その戦で八百長試合をするのは危険すぎる
・下手すりゃ自身(家康)が討ち死にする危険性も高いのにわざと負け戦をするなんて危険すぎる
→密約無視して負け戦を演じようとする徳川相手に武田が本気を出して家康の首を狙ってくる可能性も高い。
・協定破棄しまくりな武田との密約は危険すぎる。下手すりゃ密約なんて空手形の危険性大
パッと考えただけでもこれだけ思いつくくらいなんだから宇月原説なんて電波すぎるよ。
267 :
人間七七四年:2008/04/15(火) 22:50:18 ID:7GM/aKSJ
1562年に人質交換で助け出されてから1570年まで岡崎に入ることを許されなかった
ほど嫌われていた築山殿。次男の秀康を嫌い3歳になるまで合おうともしない。
268 :
人間七七四年:2008/04/16(水) 23:47:17 ID:+o+jXwUX
次男は何か関係あったっけ
269 :
人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/04(水) 20:16:45 ID:uMb0GEJN
特番やってるよ、今
270 :
人間七七四年:2008/08/16(土) 01:35:57 ID:RSI7ylSb
良スレ
271 :
人間七七四年:2008/08/29(金) 22:50:37 ID:Ch1B1tQc
良スレじゃん
272 :
人間七七四年:2008/08/31(日) 22:35:27 ID:0S+oyCM3
>>267 超〜〜亀だけどつまり長男と次男は父親が違うのではと?
273 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 07:50:13 ID:gYxMzwUC
次男の秀康は、母親が違ったはず。身分が低い母親だったような…。
274 :
人間七七四年:2008/09/02(火) 18:14:34 ID:sspRg7PE
そうだよ
wikiペに掲載
275 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 12:54:32 ID:y9hP7v3Q
>>273 お万の方だろ?
築山の侍女だった女性。
おかげで妊娠したのがバレて折檻を受けたとか何とか。
276 :
人間七七四年:2008/09/03(水) 20:16:59 ID:DaTkor/M
全裸にされて木に吊るされて水ぶっ掛けられる折檻シーンキボンス(*´ω`)
277 :
人間七七四年:2008/09/05(金) 10:58:12 ID:exVxuTKx
単に信康が後継者に相応しくない性格だったのが理由
そうなったのが、傅役である家臣だけでなく、家康自身にも原因があったから、家臣に大きな罰を与えなかった
278 :
人間七七四年:2008/09/07(日) 16:12:55 ID:AzrvpKVP
史実は・・・
築山殿事件の少し前に、水野信元殺害事件が起こった。
彼は家康の母・於大の実家の現頭首で彼女の兄である。
水野信元が武田と内通していることを信長から疑われ、石川数正と平岩親吉により殺害された。
数正と親吉は信康の股肱の臣であり、これにより於大と信康の関係が悪くなっていった。
家康は岡崎に、母と信康との仲を修復に行くが、その直ぐ後、信康が追放される(秀忠日記)。
於大を中心とする一派と信康一派との内紛一掃のために、信康を粛清した。
築山も殺すことで、信康・築山の武田内通をでっち上げ、「松平紀」にそのように記した。
279 :
人間七七四年:2008/09/08(月) 11:11:31 ID:Yb9Hzh47
家忠日記には家康が信康の誰かと仲直りさせようと岡崎に来たとはあるが、誰かは虫食いで不明なはず
280 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 09:57:51 ID:oycDrvRz
水野信元殺害は、1576年1月27日
長篠の戦いは、1575年6月29日
武田と内通は、信長による言い掛かりか?。
信康と同じパタンとすれば、水野信元殺害事件を調べれば、
信康事件の真相解決の糸口が見えるはず。
281 :
人間七七四年:2008/09/10(水) 20:20:15 ID:pk58yMED
>>279 家忠日記の虫食い部分は、雑誌からの孫引きになるが、「御○○」となっている。
これを「御新造」と読み、五徳との確執があったとするのが、通説。
これに対し、それ以外の人物を想定するのが、新説。
確か、松平康忠があてられていたと思う。家康の妹婿にして、従兄弟に当たる。
実際に、信康事件の際に蟄居させられており、その理由が不明なため、信康事件に関連があるのでは、と思われる。
282 :
人間七七四年:2008/09/14(日) 22:50:29 ID:efJCvM9G
>>281 家忠日記では五ヶ国領有までは家康を呼び捨てにしている
一方、信長は上様呼びしているから通説が正しいかと
283 :
人間七七四年:2008/09/15(月) 00:31:21 ID:UB3AVUgq
>>280 水野信元って織田家臣のような扱いをされているけど、
信元自身は同盟者という感覚だったんだよね。
独自の領地支配をしているし。
284 :
人間七七四年:2008/09/29(月) 04:24:07 ID:B/NKi76X
『御○○』を『御母様』とすると『信康御母様の仲直し』、家康が信康築山殿と和解しようとしたともとれる。
285 :
人間七七四年:2008/11/06(木) 16:37:07 ID:clyEMUGw
>>283 三方ヶ原の戦いの時にはチンタラ行動して戦闘に間に合わず、負け戦と知ると
サッサと帰っちゃったし。
286 :
人間七七四年:2008/11/08(土) 19:08:14 ID:QHTTNkEe
今、コンビニで売ってる本が、一番見事な解説してるね。
(諏訪原イラストが表紙のもの)
(新説研究会だったか著)
287 :
人間七七四年:2008/12/15(月) 14:21:39 ID:49zCEe4y
いいれす
288 :
人間七七四年:2008/12/16(火) 21:23:19 ID:1mWnPsEo
親子の反目は戦国時代によくあったことで
徳川家でも起きていただけと
しかしそれでもおとなしく自刃したのはちょっと謎ではあるが
意外と信康側は人材・人数がいなかったんだろうかね
289 :
人間七七四年:2008/12/18(木) 16:03:00 ID:ynbSd5aW
武田と内通している疑いがあったなら、信康を国境の二俣城に移動させた
家康の采配が不可解なんだけど、そこで信康が逃げたら徳川家への裏切りは
確定するわけだから、それを潔しとしなかった信康の性分もあるかもしれんね。
人材や人数が問題で独立できないってのは、確かにあるかも。
この頃、一族や一家の勢力を持った者以外で、主だった常備軍の武将につけてる
騎乗与力は、家康から給料の出てる者だから、反抗を企図しても直接の部下で
ない兵はもがれてしまう可能性はあったと思う。
石川数正旗下の西三河軍も、定期的に浜松に居住・常在していたようだし、信康
自身の家臣となると、なかなか名前は挙がらないね。
290 :
人間七七四年:2008/12/19(金) 17:11:24 ID:yUW9AFmf
築山殿があてがった信康の側室って武田方の家臣の娘だっけ。
そこら辺に地味に反織田徳川、親武田な意思を出してるような気もする。
そういう意味はなくても、誤解を招く人選だったのは確かじゃないかな。
更に五徳の12か条の訴え、岡崎衆の信康担ぎ上げ、武田と内通疑惑やら
不幸な因子が重なり続けた結果、築山殿&信康処刑になってしまったような。
291 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 01:15:57 ID:Hi+bNccy
あの五徳の告げ口は無かったんじゃなかったっけ
真相としては家康が困っちゃって兄貴分の信長に相談したはいいが
他家のことだから信長も困って「自分で考えてやれ」と言われちゃって
しかたなく自刃命令出したっていうことで
武田の例では周りの家臣が晴信についたから父親追放に成功したけど
信康の場合は個人で先走っちゃったから、付けられてた家臣団はセーフみたいな
一向一揆に付いた家臣すら許した家康だから
嫁殺害は、
>>290の側室の件については知識不足で真相は分からないが
心情として信康側に立ってたことは家康に通報されてただろうね
そうでなかったら殺害はしないと思う、せいぜい剃髪で済んだかと
ただそうなると疑問なのは、根本的に
ではなぜ信康は家康に敵対しようとしたかが・・・
そこに今川の血を引く築山殿のそそのかしがあったのかもしれんし
292 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 03:11:14 ID:xAbkbOmv
ちょっとググって見たけど
・唐人医師減敬の娘を信康の側室にした説
・減敬をつてに武田家臣の娘を妻にした説
・元武田家の家臣で後に徳川家の家臣となっていた浅原昌時の娘説
なんかがあった
告げ口というか家庭生活における
夫や姑のことを父に愚痴った程度かもしれない
でも、そうなると酒井の「ひとつひとつ覚えがあります」
の返事は創作ということになるんだけど…
293 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 03:38:32 ID:xAbkbOmv
夫が実家筋を滅ぼしたことに対する恨みもあったのかね
当時の高貴な女性は、嫁いでも実家側の人間という考えが普通だし
自分と政略婚してる以上は、今川に味方こそすれ弓は引かないと
家康も今川を攻める前に離縁して実家に戻らせるとか
築山殿も夫が許せないなら、抗議の意味をこめて出家するとか出来たんだが
中途半端なまま、ずっと別居状態というのが更に関係を拗れさせたのかね
そんな中で岡崎衆の不満もでてきたし便乗して
「夫に目に物見せてやろうかしら」みたいな
悪魔のささやきがなかったとは言い切れない
となると築山殿は悪女かもしれないが、不幸な女性でもあるなあ…
294 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 08:41:03 ID:cwwNNfph
岡崎衆と浜松衆の派閥争いというのは
一作家の私論なので、自分はあまり考慮してないな
あくまで親子間に帰結するものだと思う
295 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 11:24:58 ID:Hi+bNccy
>>294 だから信康が孤立したんだと思う
本当に派閥対立なら岡崎側でそれなりの規模の反抗が起きるはず
>>293 徳川幕府に歪められた最たるものの1つがそれだと思う
夫婦対立があったとしても不貞だなんだというのは
>>292 酒井忠次は単なる連絡役っていうのが正しいとのこと
例のことに対する対話なんて無かったと
確か織田との折衝担当役だったかな
豊臣との担当が石川数正で・・・というのと同じ意味で
ただ説もあれこれ色々あるから
誰のどの説が正しいというのは断言できないよね
信頼性の高い資料だって勘違いで記述が有る可能性だってあるから100%とは言い切れないし
だって人間だもの
296 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 15:50:31 ID:9YYzFBHR
>>293 築山殿に関しては、二の丸の堀沿いにある尼寺に居た(=家康とは離縁していた可能性がある)
ので、信康夫婦との接点が無かったとする説もある。
仮にそうなら、厳重な城住まいじゃないんで、武田方の調略の手はのびやすかったかもね。
まぁ武田と徳川間は隣国だし、家臣も遊仕にいったり来たりしてるから、怪しいと思えば
全てが怪しく見えてしまうのだが。
そういえば、大久保忠世も信康が自決した日に亡くなってるね。
大久保といえば、信康が自決した二俣城の城主だし、死の直前に家康からの感状を全部
燃やしてるから、何か事情があったのかと勘ぐりたくはなる。
297 :
296:2008/12/20(土) 16:17:28 ID:9YYzFBHR
書き忘れてた。ちょっと余談になるけど。
信長に信康の処遇を聞きに行ったとき、酒井忠次と大久保忠世が行ってるんだけど、
何故か大久保が行ってたことは、故意なのか偶然なのか、記録から消されてるフシがある。
この二人、信州の領地受け取りの時も少し揉めてるんで、気になるんだよね。
どちらも二代目は落ち目になってるし。
298 :
人間七七四年:2008/12/20(土) 16:30:33 ID:htdDzaDB
>>296 >そういえば、大久保忠世も信康が自決した日に亡くなってるね。
?
299 :
296:2008/12/20(土) 18:00:46 ID:9YYzFBHR
言葉足らずだったね。ごめん。
年代は違うんだけど、亡くなってる月日が一緒なんだよ。
9月15日、関ヶ原の日。
300 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 12:48:03 ID:lg9zM8VE
家忠日記では事件が起こる一年ほど前に築山殿は信康生母として書かれていたから、
もう正室じゃなかったんだろうね。
それに出典不明ながらWikiでは於大の方に幽閉されたとまで書かれているくらいから、
下手すれば桶狭間以降は側室以下の扱いを受けていたかも知れんね。
301 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 16:13:44 ID:SwlruQi1
正室不在の状態ってあるのかな?
死んだとかでいないんじゃなくて
もともといる正室を廃するってあるのかな。
302 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 17:55:11 ID:SrWwbku2
平安時代なら、男の出世は根家の権勢が物を言ったので、正妻(糟糠の妻)と
泣く泣く別れるハメになるって話は結構読むけど、戦国時代はどうだろうね。
正妻が気に入らなければほっといて別の側室に通えばいいんだし、正妻を
排斥するなら、そうすることでメリットがなければ意味がないもんなぁ。
当人が廃されることを望んだなら、また別問題だろうけど。
303 :
人間七七四年:2008/12/21(日) 22:44:58 ID:t7YyES47
>>301 織田信秀は一度は正室と離縁していることが記録に残っている。
松平広忠も、家康生母を離縁しているね。
304 :
人間七七四年:2008/12/22(月) 14:56:21 ID:oHqFHH0M
築山殿の場合は離縁しても実家に戻れなかったんじゃないか?
戻っても父親と同じように内通を疑われただろうし、関口家も家康が独立してから
当主は切腹、知行は取り上げられてしまったから、養う余裕もなさそうだし。
305 :
人間七七四年:2008/12/23(火) 07:29:04 ID:MuAbixQK
居候扱いだね。
306 :
人間七七四年:2008/12/31(水) 17:11:42 ID:ZZQQeJJZ
信康は素で忠輝並に性格に問題があった人物だったような気がする
307 :
人間七七四年:2009/01/02(金) 22:50:09 ID:hmrtlV5P
>>304 遠江方面での対武田戦を考えると、徳川方についた今川旧臣に対して
多少なりと影響力を持っている築山殿は切るに切れなかったんじゃないの?
と創造してみる。
308 :
人間七七四年:2009/01/03(土) 18:06:00 ID:ttsS1nBH
それは有り
309 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 18:38:26 ID:Q36U7ymX
>>307 築山殿は人質交換で岡崎入りしてしばらくの間、於大の方の反対で
岡崎城に入れてもらえず、城外の菅生川のほとりにある惣持尼寺に
押し込められていた模様。
岡崎城に入れたのは元亀元年(1570年)4月下旬のこと。
この頃、家康は今川氏真が立て籠もる掛川城を攻撃している真っ最中。
310 :
人間七七四年:2009/01/06(火) 23:58:20 ID:6vN+SSH5
10年以上も監禁されてたんか
家康との子供をこれ以上生ませない為の処置かね
311 :
人間七七四年:2009/01/08(木) 21:21:32 ID:9JVDP3vH
於大の方ってマジウゼェな
自分は竹千代捨ててる癖にな
312 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 09:50:03 ID:xqUYc33r
於大の方を怒らせるわけにはいかなかったから仕方ない。
近い血縁者がいない家康にとって、久松の弟たちは名代として何かと便利だったし
水野一門は三河から知多に跨る織田とのパイプ役。
若い家康が石川酒井の支配体制を編成していた期間において
取りこぼし部分を押さえる象徴の母親なんだから。
313 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 12:10:34 ID:wV25DWxm
嫁の価値は実家の影響力の大きさで変わる。
今川義元が敗死して織田家と同盟を組んだ後の築山殿は、正室とはいえ何の影響力も持たなかったであろうことは想像に難くない。
314 :
人間七七四年:2009/01/09(金) 20:51:46 ID:Tb2KzTI5
>>309 ちょっと気になったのですが、根拠の資料を教えていただけにでしょうか。
江戸時代に書かれた徳川実紀等では、築山殿は、家康の命令に従わず、気ままに諸国を漫遊していた、と誹謗されています。
監禁されていたというのは、何に書かれていたのでしょうか。
315 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 05:37:24 ID:0HoHSP5B
>>314 監禁〜はWikiに書かれてたね。
ソースは不明だったけど。
あと実記の一つである三河物語は資料として使うときは注意した方がいい。
例えば築山殿の記述は明治に出版された第二版に突如書き加えられたものだから。
316 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 08:05:17 ID:oON5p4ue
>>315 惣持尼寺にいたというのと、監禁されていた、それは於大の方の命令だった、という3点は別々に考えるべきではないでしょうか。
その3点が明記された同時代の書状や日記といった一次資料があるのでしょうか。
惣持尼寺にいたのは確かでも、それが即、監禁につながるのでしょうか。
また、ネットでは家康自身の命令とかいてあるものもありました。
織田家をはばかる必要からすると、家康こそ、義元の養女で氏真の義妹にあたる築山殿を厚遇するわけにはいかないと思います。
於大の方が、他にも徳川家の政策に淀殿のように口を出していたのならともかく、築山殿だけに口を挟んでいたとするのなら、資料を示すべきでしょう。
それとも、証拠がないのこそ、証拠なのでしょうか。
317 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 16:55:22 ID:J4goDawR
於大さんは松平を離縁して、久松に嫁いだんだろ?
他家の奥方である彼女が、徳川家の奥向きに口を出せるのかね?
彼女が動いたとするなら、その理由が実家の水野の意向か、久松をはじめとする
松平衆の総意(松平一門は酒井忠次旗下に属すので、東三河組の総意とも
言えるかも)なのか、独断で動いてるのかによって、また意味合いが変わって
きそうだよな〜>築山殿幽閉
318 :
人間七七四年:2009/01/10(土) 20:19:07 ID:fImkzIxP
>>317 人質交換の際に於大の方や一部家臣らが人質の代わりを差し出す条件として
権力の一部や正室の自由を要求したんじゃないかな?
319 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 06:12:41 ID:E0XFe32x
信康、築山殿は駿府から岡崎へは、鵜殿兄弟(義元の妹の子)との人質交換で移ることができたとされていますが。
実際には、その際に、於大の方の実子で家康の異父弟、松平康俊(勝俊)も駿府へ送られ、人質生活を送ることになっています。
その後、武田信玄の今川家侵攻により、松平康俊は信玄によって甲斐へ送られ、苦難の脱出行をする余談もありますが。
於大の方は、小牧・長久手の戦いの後の豊臣家との和睦の際、実子定勝(家康の異父弟)が豊臣家の人質になるのを拒んだことから考えても、子どもへの愛情豊かな女性のようです。
それと同じ人間が、実子を危険にさらすかもしれない、築山殿(いうまでもなく氏真の義妹で実の従姉妹)への監禁虐待を命ずるというのは腑に落ちないのですが。
320 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 06:33:28 ID:+Sa1CB97
秀吉みたいに息子を非常に可愛がる一方で、家臣の幼子を喜んで虐殺する人間もいるからなあ
於大の方がそうであるとは思ってないけど一応ね
321 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 07:09:24 ID:bHjoOrwo
確かに、世間には、兄を虐待する一方で、弟は溺愛する母親もいますがね。実子を差別する母親は極少数でしょう。
それ故に、於大の方が命じたという根拠を示してほしい、と思うわけです。
322 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 09:30:00 ID:+Sa1CB97
ネットでは見つけられなかったな。
別のスレか外部のサイトで聞いたほうが早いんじゃないか。
家康、封印された過去って本に情報元が書いてるかも。
323 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 12:40:33 ID:/9O2mGyk
築山殿幽閉に関して、於大の方の関与を明言した一次資料は無いんじゃないかねぇ?
それがあったら、信康切腹に到る研究考証論だって今より幅が出てると思うし。
結局見つからないから、状況や情勢から可能性を推察するしかないのじゃないかな。
時間的にずれるけど、信康切腹が決まった時、浜松の家康に直訴に行くぐらいの
自由は築山殿にあったので、監禁っていってもその程度の縛りだったのではないかと
思うがね。
324 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 19:54:52 ID:zabSnHU4
休日を利用し、ネット検索をして気づいた不思議な事実。
於大の方の関与を主張するネットの中で資料として提示されているのは、関口永氏が「駿河の今川氏の研究」という本の中で書いているというものしかない。
それ以外は、資料を提示せずに、於大の方が関与したとしている。
ところが、関口永という人は、なぜか、「駿河の今川氏の研究」という本の著者の一人ということだが、於大の方関与のHPにしか出てこない。
更に「駿河の今川氏の研究」という資料自体が、築山殿関連のHPの中でしか見当たらない。
どこかの図書館で読めるのなら、どこにあるか教えてほしい。
少なくともAMAZONでは、そんな本はありません、と回答されてしまった。
325 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 20:06:19 ID:J/hszUpZ
326 :
人間七七四年:2009/01/11(日) 20:26:44 ID:/9O2mGyk
327 :
326:2009/01/11(日) 20:28:32 ID:/9O2mGyk
おろろ、リロードしそびれてたよ。失礼!
328 :
人間七七四年:2009/01/12(月) 19:57:00 ID:5I5Tta3c
どうも、すみませんでした。
AMAZONでの検索の仕方が悪かったようです。
しかし、実際に読むのが難しそうですね。私は、中国地方在住なのですが、県立図書館や近くの大学図書館には無いみたいです。
新刊ではとうに絶版でしょうし、古本でわざわざ買うのにも、少し高いですし、かといって、読まないと内容が分かりませんし。
どうするか、考えてみます。
329 :
人間七七四年:2009/01/13(火) 11:34:26 ID:+vBzjz0Z
>>328 図書館のおっさんに言えば郵送してもらったりしてもらえるはずだぞ
現物は無理でも、コピーとか
相談して見れ
330 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 17:07:37 ID:NuIsGD4y
図書館なんちゃらネットワークとかいうので、県外から本を借りられるらしいんだが
ウチの地元図書館じゃ、「国会図書館行ってくれ」って断られたわ。
ところで、「本多作左衛門の原風景」って本に、ほんの少しだけ信康処断の話が
書かれていたよ。
この本の筆者は家康の処断として扱ってるようだ。
残念ないのは、随筆なので個々の話の出典元が解らないことかな。
331 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 19:50:57 ID:1LiIqmyQ
それにしても、信康自刃の謎について、入手容易な参考書がないですね。
本能寺の変と比較すること自体が間違っていますが、あちらには毎年、新刊が出ているといっても過言ではないのに。
皆様のお勧めの参考書は何ですか。
私の手持ちの本で、この件で一番詳しいのは、皮肉なことに、谷口克広の「信長と消えた家臣たち」なのです。
332 :
人間七七四年:2009/01/17(土) 23:02:35 ID:s9cyRCOf
この事件って武田家で晴信と義信で起きたことと同じ?
333 :
人間七七四年:2009/01/19(月) 22:39:46 ID:PtAPQtOL
違うでしょ。義信は謀反ではないが反論はしたから切腹だけど、
信康、築山殿は意思表示すらしてない。
状況的に危険分子認定されて処刑された訳で。
しかも、築山殿はその状況を夫の家康が一方的に作ってるんだから気の毒。
334 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 00:29:44 ID:EkhizUms
俺は似たようなもんだと思うよ
細かい部分は違ってても大枠では同じと
あと事実としてある神君のやばいことは隠してるんじゃないかとも
事実じゃないネガなネタはほっとかれてるけど
たとえば三方ヶ原でウンコもらしたなんて事実じゃないからいちいち咎めるなって
だから信康の件はすでに結果は出てるようなもんだけど
築山殿の巻き添えがちょっとね、やりすぎみたいに思えるし
335 :
人間七七四年:2009/01/20(火) 14:35:35 ID:omwXGjjf
築山殿に関しては「女のこと故、他にやりようが云々」という言葉を何かの本で
読んだ気がする
336 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 01:18:54 ID:Erzl4ojq
>>333 そうなんだよね。
最近は、岡崎VS浜松のようなお家騒動の形跡を云々する見方が
強まってはきているけど。
337 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 01:36:18 ID:XnxeOiYT
まあまあ、お家騒動説にしても単純にがっついては視野を狭めるだろう。
水野信元の粛清や、その後の佐久間信盛の追放ともリンクしてくる
話かも知れん。
信長に信康処断の許可を得たってのが「お互い自分たちの責任範囲を
はっきりしておきましょう」ってことで理屈上は成り立たち得る。
338 :
人間七七四年:2009/01/27(火) 02:20:44 ID:5ez0gORX
その返答が「そちらの好きなように」なのだから、信長としてはこの件に介入する
意志がなかった。言い換えれば、娘婿の助命にも動かなかったということで、信康
処断が他所から口出しできるような性質のものでもなかったいう証明だと思う。
339 :
人間七七四年:2009/02/19(木) 22:51:30 ID:I+bot4gd
最近出た本でもまだ通説をそのまま書いてるのがある。
その1冊には「信長からの圧力があったのは確実なので」
などとあって呆れた。
いったいどの史料にそんなことが書いてあるのか、
またそれは信頼に値するものか考えろと言いたい。
こう考えると徳川御用学者ってのは凄いものだな。
騙され続けてる人間がこんなにいるのだから。
340 :
人間七七四年:2009/02/23(月) 19:28:18 ID:kYILsszx
本能寺の変の原因として信長が朝廷をどうこうしよう
としたなんて説が横行してるのは「信長を極端に特別視」
しようとするからだな。
これはある研究者が言ってたことだが、この信康処断も
その一つ。
まだ全国も平定していない信長が家臣でもない同盟者の
嫡男に死ねなどと命じられるはずがない。
にもかかわらず通説の信奉者があとを絶たないのは
神君史観もさることながら、信長を特別視するからだ。
341 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 12:05:38 ID:+qril2i9
築山殿に関しては信康と一緒に死なせてやろうという
温情ではなかろうか。
342 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 12:53:22 ID:ruzCLE1C
後々恨まれるのが嫌だったんじゃない
343 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 13:03:44 ID:BY7edfmq
大名の奥さんの価値は実家の力によるものが大きい。
斎藤家滅亡後の濃姫のように、凋落した今川の姫に価値が無くなったと見るべき。
344 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 16:50:43 ID:epz7+zJT
幽閉先の寺から解放されたのは大名今川家滅亡後だったからな
345 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 17:51:50 ID:UezhNqz+
惚れこんでいた美人の西郷局に秀忠が生まれた後だから人の一般的な愛憎劇
で考えても興味ある時期だね。
346 :
人間七七四年:2009/03/04(水) 20:27:18 ID:epz7+zJT
惚れ込んだと言っても秀康身篭らせた後だろうから
夫婦愛とはまた別の愛憎劇だったんじゃないかな
347 :
人間七七四年:2009/03/12(木) 04:13:55 ID:s/Wqn92P
何の話だ?
348 :
人間七七四年:2009/03/20(金) 05:15:17 ID:gO9WKKpg
家康の初恋の人と秀忠の母親とを同一視してるんじゃない?
349 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 02:14:32 ID:kmw79lrX
信長嫡男の信忠が凡庸で信康より器量が大きく劣る為に将来を危惧した信長が家康に命令したって説は消えつつあるのか?
最近は御家騒動が主流なんかな
350 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 02:28:39 ID:APoiSA1r
18歳の長男が家中に一勢力を築きはじめたら
総領の家督は不安定なものになるわな
それは兄弟喧嘩に似ているが、親子でも起こり得る諍い
351 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 04:21:40 ID:gavlc9tR
>>349 むしろ息子が頼りなければ良い補佐役として期待するはずだしな、それこそ。
実際には信忠はなかなかの武将だし。
352 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 04:29:31 ID:nuKzxOIW
器量が良すぎて排除ってーてもこの時点での徳川弱体化は危険なだけだろう
353 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 10:23:13 ID:4ZvyUASg
そもそも一次史料で
「信康の処分は家康の存分に」
ってあるんだからな。
354 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 10:34:21 ID:QvZ8ISGf
>>353 でもあれ、織田家側の史料だし
それに家康とその家臣だけでなく信長も軽んじていると書いてある
つまり、信長が不快に感じたという事はあったようだ
355 :
人間七七四年:2009/04/23(木) 12:05:48 ID:GXviSJ/F
>>354 >でもあれ、織田家側の史料だし
反論にもなっていない。
356 :
人間七七四年:2009/04/24(金) 04:40:56 ID:9w6xpzj9
357 :
人間七七四年:2009/05/08(金) 22:26:31 ID:c5dajogL
>>355 「大かうさまくんきのうち」を見ても太田牛一は秀吉に遠慮しているから
信長にも遠慮して「信長公記」を書いているでしょうね
358 :
人間七七四年:2009/05/08(金) 23:09:19 ID:5iNHeTDE
当時を記録した織田家以外の資料にも同じ内容のが書かれていたからそれはないな
それに徳川美術館にも信長命令説を覆す書状が保管されている
359 :
人間七七四年:2009/05/08(金) 23:49:35 ID:c5dajogL
当代記なら、あれは信長公記を参考文献にしているというし
堀への書状は中村孝也氏は取りなしを依頼すると読んでいる
後は家忠日記だが、信康付きにしていた岡崎衆をあらためて
家康の下に置くと言う意味での起請文と言える
後は暴発を恐れたかもしれない
もっとも親子の仲はあまり宜しくなかったのは事実の様だが
360 :
人間七七四年:2009/05/09(土) 00:47:49 ID:2JE7pFXv
信長が信康の可能性を恐れて殺害命令を家康に下したってのは流石にないだろうが
過去に水野信元の始末を徳川家に依頼してた事を考えると関与はある程度あったかもね
それと事件後の徳姫が徳川家を嫌う様子はなく、自らの保護に信長ではなく兄弟を頼った事も
この事件の複雑さを物語ってるね
361 :
人間七七四年:2009/05/13(水) 03:27:23 ID:1Pya8qEd
当時の徳川・織田の立場と状況からして命令はないな
信元・信康処罰はどちらも両家の利害が一致した結果だろう
362 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 14:07:28 ID:nYpiSFdL
家康派・信康派になって不穏な雰囲気から始まったこと
というのは分かるが、その対立の原因はなに?
築山殿がそそのかしたという原因も言われるけど
そんな怨恨だけで信康の気持ちが簡単に動いちゃうものなのかねえと
他になにかあったっけ
363 :
人間七七四年:2009/05/23(土) 22:19:19 ID:kmMiRYB8
史料が限られてて判らんよな。個人的には対織田関係じゃないかと思うけど。
段々と従属的になっていくのを受け入れる家康とそれを不満に思う信康の間で亀裂が入ったとかで。
364 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 01:11:50 ID:lNVzwPen
築山殿は今川同様、徳川の世になり、神君となった家康の人生を正当化するために
不当に辱められたところがあると思う。
武田との密通も信康へのそそのかしも今の所証拠はなく、事件当時
松平家忠と連絡したことがわかってる位だし。
家康が築山殿が死んだとき「女は殺さなくても…」と言った話もあるし実際は
築山殿の影響力や事件関与は低いんじゃないか。
個人的に、信康の性格が気になる。当時の資料だと、あまり性格が良くなかったようだし。
365 :
人間七七四年:2009/05/24(日) 03:11:01 ID:NkdmZAjd
信康嫁にしても
通説では親父にチクッたみたいな言われ方してるが
資料は分からんけど逆に家庭内の不和だったか、家康親子の確執を収めるようにだったか
それを親父に頼んだというのもあったとかいうし
この件は分からんわ
366 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:24:02 ID:ChLTFcLq
>>362 既出だが、武田家における信虎と信玄、あるいは
信玄と義信の関係と同じなのでは?
それに岡崎派と浜松派の対立が絡んだ。
367 :
人間七七四年:2009/05/25(月) 23:44:51 ID:IUr+h8D8
派閥争いを裏付けるものは特にない
当時、信康の守役や家臣らも一時的な謹慎の後、多くが復帰している
更に言うと守役の平岩には自分の子を養子にし(早世したが)、更には義直の後見役
にしているのを見ると、家臣の教育が問題でもない
ここはやはり親子の個人間での問題が原因かと
368 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 00:48:26 ID:hnHt6WcR
歴史の中では意外と意外なことで大きな動きになることはあるよね
この件についてもやはり単なる女のプライドだったんじゃないかなあ
築山殿の恨みを子供の頃から聞かされてたら信康も洗脳はされただろうと
そうしたら信康から織田とは切って武田と結ぼうという提案はあっただろう
拒否されたら険悪になるだろう
これだと信康付家臣も信康には付いていけないだろう
369 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 01:43:05 ID:ej7Xt+3X
織田信長を扱った映画は殆んど見たが、緒方直人が信長役やってるやつが一番最悪だった
浅井の裏切りで敗走するシーンも無し、等々かなりハショってる
明智役はマイケル富岡だが、本能寺の変の動機が、信長さえ死ねばゆっくり眠れるから。とかアホな動機付けして最高に糞だった。
サラリーマンの過労による自殺が増えていたという社会情勢を反映してた、などと
新聞の「見どころ」に書いてあったのを覚えている。
371 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 02:02:49 ID:BKbusX2s
>>368 もし武田家と結ぼうと考えてたなら、かなり判断力に難がある人物って事になるね
近年、大賀や水野などスパイ発覚が相次いでた中で、それを行おうとしたんだから
あと何人かの信康家臣は事件後に変死や失踪をしてるよ
372 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 07:05:16 ID:NNbM3fVA
岡崎派と浜松派の対立じゃないの。石川数正も岡崎派で、後に秀吉に流れたのもこの事件がきっかけで影響力がなくなったからだとか何かの本に書いてあったような。
でその本によると信康家臣団の末路は自殺、不自然死、逐電、行方不明、幽閉、閉居が多数だとかで近侍にいたっては出世してんのは伊奈忠次だけなんだってさ。
徳川家臣団の事情はイマイチ詳しくないんだが実際どうなん?
373 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 08:36:34 ID:uhg6Lvo6
374 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 09:33:38 ID:M2aXPfV9
平岩の項には「信長の要求により」って本文に書かれてるなw>信康自刃
375 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 21:09:48 ID:fUXldeh8
>>371 そこが、事実は小説より〜というところ
敵の敵は味方、という具合に、築山殿から見た怨敵は織田家、
その織田家が嫌がるのは武田家
子供の頃から事あるごとに「織田とは結んではならぬ」と耳元で聞かされて育ったら・・・
冷静かつ的確な判断はできなくなっても不自然じゃないよ
なんせ言ってるのは母親なんだから
その下でいやいや従ってたのが岡崎派だとしたら
家康もはっきりした処分を下しにくいと思う
そして嫁との問題に関しては、嫁が父信長に対して、
家庭不和を恨みがましく申し立てたのか、
夫の考えを改めさせるように諭してほしいと嘆願したのか、
それとも単なる犬も食わない夫婦喧嘩レベルだったのか
ここら辺はどうなってるのかなんとも分からん
376 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 21:16:21 ID:uhg6Lvo6
>>374 「平岩譜」には信康の首の替わりに自分の首を信長に出せと家康に詰め寄ったという話があるな
377 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 21:32:48 ID:BKbusX2s
>>375 その一方で家康の母も今川家を恨んでいるって説もあるんだよな
378 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 22:26:58 ID:kxDxLp/2
築山殿は義元には恩があっても氏真にはどうだろう
徳川の下でいいから関口家復興が本心ではなかろうか
379 :
人間七七四年:2009/05/27(水) 22:55:03 ID:fUXldeh8
つーかそもそも今川と敵対し始めたのは家康だから
最初は信長憎しから旦那憎しに変わっちゃったり・・・
380 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 07:42:50 ID:e9dcQdeO
武田マンセーな家康さんだからこそ嫡男粛清は当たり前のことをしただけ
別にどうということはない
381 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 10:44:43 ID:JpHzjY/Z
歴史は勝ち残った物が作る。それだけです。
382 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 11:59:39 ID:uuIsaFK+
信長の要求、というより
信長の許可をとった(娘婿だから)
んじゃないの?
383 :
人間七七四年:2009/05/29(金) 19:02:07 ID:LHoeir8i
信長にしても一応娘の婿、義理の息子として期待はしてただろうなあ
384 :
人間七七四年:2009/06/09(火) 05:41:07 ID:Mu9xn/hb
真実は永遠に闇だけれども、信長が信康を殺したってのは直感的に
理解しにくいな。
むしろ、家康が信長の娘の夫(信康)を殺してもいいかどうか
信長にお伺いを立てて、了承されたのであれば
分かりやすいけどな。
さすがにそこまで家康の立場は低くなかろう
386 :
人間七七四年:2009/06/10(水) 01:16:16 ID:0YASxLuR
身内可愛い可愛い
気に入った奴贔屓贔屓
が基本の信長だから立場関係なしにブチ切れる可能性もあるし
387 :
人間七七四年:2009/06/11(木) 09:54:22 ID:+AE48AH9
長篠合戦屏風、ここには秀吉の金の瓢箪、勝家の金の御幣、家康の金扇など、各武将の馬験が描かれている。この戦いには信康も参加しているのだが、そこには馬験、旗指物は描かれていない。
つまり、信康のそれらはこの屏風が描かれたときすでに忘れ去られていた、ということだ。同じく若死にした家康の子供に松平忠吉がいるが、こちらは金の笠の馬験も「直鋒」と書いた旗指物も残されている。
信康の死が惜しまれた、というのは疑わしい。
388 :
人間七七四年:2009/06/11(木) 09:55:36 ID:+AE48AH9
>>387 忠吉の馬験は、金の笠ではなく金の軍配だった。
389 :
人間七七四年:2009/06/11(木) 10:09:08 ID:pleW50ov
>>387 それを言うなら信長にも馬験、旗指物はないな
息子の信忠にはあるのに
390 :
仙台藩百姓:2009/06/11(木) 10:40:40 ID:s+2BBtfA
信長が死んだ後でも築山殿などは粗末な墓に放り込んだまま見向きもしなかったわけだし
とてもじゃないが信長の命令で泣く泣く殺したとは思えないお┐ (´ω`) ┌
391 :
人間七七四年:2009/06/11(木) 18:56:43 ID:Z3LHqWqA
>>387 三河物語の著者、大久保忠教は惜しんでたよ
392 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 22:24:24 ID:HYU0zEXM
>>390に同感。
信康の死を本当に家康が惜しんでいたのなら、本能寺の変の直後は無理でも、自分が征夷大将軍になった後、きちんと信康の墓を改葬しなおすと思うのだが。
実際には、信康の死後、特に家康が信康を改葬しなおしたとか、そういうエピソードは見えない。
また、信康が冤罪なら、何故、家康の本貫の地である岡崎衆系が、徳川幕府成立後に、浜松衆とかに比べて格下の地位におかれたのか、理由が分からない。
大久保彦左衛門が、戦国の生き証人なのは事実だが、あの人の話は、昔はよかったという老人の繰り言めいたところがある。
また、大久保本家が大久保長安事件のために壊滅したため、尚更、三河物語成立頃、栄華を誇っていた譜代衆を悪く言っているので、話半分以下に考えるべきだろう。
393 :
人間七七四年:2009/06/12(金) 22:50:17 ID:f05y/TLw
松平忠吉と比べても粗末でないし、別に格下なんかには置かれていない
具体的根拠はゼロ
394 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 00:38:04 ID:xqKq8Vf3
信康母子が単に気に入らなかったのでは?
395 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 00:53:07 ID:CT8btz3d
信康と亀姫はともかく、築山殿に関しては気に入らなかったら離婚すればよかっただけのこと
だからこそ不可解
396 :
人間七七四年:2009/06/13(土) 01:09:06 ID:xqKq8Vf3
通史どおりだとしたら、酒井忠次に皮肉吐く程度ですまさないと思うけどな。
397 :
人間七七四年:2009/07/03(金) 16:27:23 ID:sc5FhfSI
家康が信康の才能に嫉妬したからだな
信長にしても信忠の器量を遥に超える信康の才能にビビってたはずだww
398 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 08:26:30 ID:y7RVwRjr
というのが今までの話
399 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 19:39:09 ID:dk6oN3ci
>395
徳姫です。
400 :
400:2009/07/04(土) 20:49:29 ID:dk6oN3ci
400Get
岡崎派と浜松派との抗争に、巻き込まれたと、思います。
401 :
人間七七四年:2009/07/04(土) 21:12:31 ID:XMvFfsl9
家康も信康に思うところはあったから切腹命令にはさほど腹が立たなかったけど、
その後関ヶ原なんかで信康の弟に迷惑かけられてみると
「あいつが生きていればもっとマシだったんじゃないか」と思うようになり酒井を恨みだした
という説
402 :
人間七七四年:2009/07/05(日) 09:56:26 ID:kTuxAZQg
酒井忠次の野望・若殿昇天編
403 :
人間七七四年:2009/07/07(火) 00:11:10 ID:PJO9mIfN
>「あいつが生きていればもっとマシだったんじゃないか」
そんなの徳川御用史観の捏造に決まってるだろ
そんな与太話信じちゃマヌケすぎんだろ
404 :
人間七七四年:2009/07/07(火) 00:32:19 ID:JeUPyjin
信康に嫉妬した信長とかってまんま秀頼に嫉妬した家康とかと同じ構図だな
405 :
人間七七四年:2009/07/07(火) 00:57:47 ID:qDFUPLed
暴君のテンプレとかと同じようなものね
406 :
人間七七四年:2009/07/07(火) 03:34:35 ID:745kNyAV
407 :
人間七七四年:2009/07/22(水) 09:16:48 ID:aeyd8IKg
やはり凡庸な信忠と将来有望な信康を比べて自分の死後がヤバイって思った信長に殺されたが一番妥当だな矢つくし山の話や何でも欲しい物をくれる殿って話からも凡庸だしな
二条御所でのモタモタぶりは極めつけだな
408 :
人間七七四年:2009/07/22(水) 10:01:08 ID:fHVFEGhf
まぁなんて立派な錨でしょう
409 :
人間七七四年:2009/09/25(金) 23:55:32 ID:154sF8a5
信康の墓は一切改葬されていない
410 :
人間七七四年:2009/10/24(土) 12:17:04 ID:Lukadbv5
関ヶ原の「倅がいたらこんな苦労はしなくてすんだものを」ってぼやきは自分が息子を切腹に追い込んでしまったことに対する後悔の念だったのかなぁ
411 :
人間七七四年:2009/11/08(日) 21:36:09 ID:I3SdEPtW
412 :
人間七七四年:2009/11/09(月) 01:17:11 ID:EJsvcDqf
簡単にまとめると
A 信長の圧力説
1、信長の指示で信康を殺害説
通説だったが、信頼に足る一次史料が存在せず、徳川寄りの三河物語にしかその記述が無く
逆に家康側から信康の処分に関して信長の判断を仰いだとする
上記説に否定的な一次史料「当代記」「安土日記」が存在することから現在ではほぼ否定されている
2、信康の器量を恐れた信長の陰謀説
高柳光壽説 ただし高柳氏は根拠となる史料は示していない
高柳氏は1969年に亡くなってる為40年前の古い論説
B 家康の判断説
1、信康との不仲説
2、信康の不行状説
3、派閥構想説
C その他の要因説
1、影武者説
2、
あとたのむ
413 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 14:12:58 ID:JFQBw2Z+
当代記を一次資料とするのか?
414 :
人間七七四年:2009/11/10(火) 15:16:30 ID:pHv2jkkb
当代記は当時の史料を再編したものだからな
全部が全部正しいわけじゃないけど、出典がしっかりしてたり、同時代の別の文献でも同じ内容があったりと史料価値は高い
どっかの幕臣が脳内で綴った徳川礼賛しつつ大久保家の武功自慢物語よりよっぽど信憑性ある
殊信康関連では織田家側からの立場の史料だけど
家康から信長に信康の処分をお伺いしたという件に関しては正確だろ
415 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 02:47:03 ID:X0W9r8vb
416 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 02:52:58 ID:w2prpPTT
当代記だけじゃないじゃん
417 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 03:04:25 ID:Pkia2wgP
418 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 03:21:34 ID:w2prpPTT
>>414 今思ったがその三河物語の貶めかたはいただけないな
当代記側だけ信用できるけど、三河物語は信用できないってのは乱暴すぎ
419 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 03:36:06 ID:Pkia2wgP
史料としての価値はそんなもんじゃね
三河物語は明らかに意図的な物が混じってる
420 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 04:18:18 ID:X0W9r8vb
江戸時代、家康への批判はいっさい許されなかった。
神君家康を顕彰し、幕府の支配を正当化するため。
家康の都合の悪いことは隠蔽・改ざんするのが当然。
「三河物語」「松平記」などが語る信長の要求で信康殺害という筋書きを
幕府の関係者が捏造したのなら、当然「当代記」の該当部分も信長の要求で信康殺害と改竄するはず
しかし改竄していない
つまり
有能な信康を怖れた親馬鹿の信長が無能な信忠のために殺害を命令したのは事実であり
家康は泣く泣く命令に従っただけなのである
421 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 05:22:10 ID:w2prpPTT
>>419 意図的な物もあるが、他の資料と付き合わせて信用に足る部分も多い資料だ
>>420 確かに当代記は江戸期に入ってからの編纂されたものだからな
「信康自害は家康の意思」という事実を改竄する為の徳川史観という立場からは説明つかんね
だからといって家康は泣く泣く命令に従ったと結論づけるのも、「松平記」「前田本安土日記」から
考えると断定できないと思えるが
422 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 11:54:24 ID:TeDwTJLo
信康を始末するのに盟主であり信康の舅信長の諾否は絶対条件。
家康はあくまで主命に従うかたちでしか信康の始末を付けられなかった。
許可を出しただけの信長に全責任を被せるのは、江戸時代の史書にあって
己可愛さから当然のこと。
三河の半士半農だった土豪を大名旗本に取り立ててくれた恩人家康を
あしざまに記すはずもない。
こんなとこかな
423 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 16:49:51 ID:9y70r+4K
このスレは最初から見ても徳川史観=悪で信用できないっていう偏見で凝り固まってるね
で何にでも隠蔽・改ざんするのが当然というのを当てはめようとするから自然と変な方向に行ってるな
424 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 20:17:28 ID:h/Qp3g1l
そういう「徳川史観」とかいうレッテル張りこそ
偏見なんじゃないのか?
通説の「信長命令説」が常識からかけ離れており
また早く成立した他の史料と異なるから
疑われてるんだよ。
425 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 21:20:00 ID:9y70r+4K
426 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 21:45:55 ID:88Utglon
単純にさぁ、信康が優秀だから殺すって信長の思考が無理あるとは思わないの?
信康が危険だってなら、前田利長も丹羽長重と蒲生氏郷も殺しておこうかw
427 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 22:13:21 ID:qQAm092y
そもそも長篠以降、まともに戦場に出てない信康を
信忠より上だと信長が判断するはずがない
428 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 22:18:36 ID:h/Qp3g1l
>>425 前田本安土日記には「信康が謀反を企てたから家康が追放した」
とあるんだがね。これは「三河物語」とはまったく違う。
しかも織田方には信長の命令であったとしてもそれを隠す必要は
全然ない。
家康がなんらかの理由で妻子を殺害したがそれを素直に書くと
神君の名に傷が付くから信長に押し付けたと考えるのが
もっとも自然。
429 :
人間七七四年:2009/11/13(金) 23:31:04 ID:h/Qp3g1l
連レスですまんが、当代記はともかく「安土日記」は1次史料。
信頼できる。
その安土日記に「信康が謀反を企てた」と書いてあるんだよ。
ところが三河物語によれば信康はまったく無実の罪で切腹させられた
とある。
全然ちがうじゃないか。
どちらが信用できるかといえば安土日記じゃないのか?
430 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 20:40:05 ID:vzVM01Bk
安土日記は、信長公記の残欠本だからねえ。信用性高い。
信長公記のバージョンによって記載が変化している。
当初 謀反
その後 信康の気が変になった
その後 記載一切削除
431 :
人間七七四年:2009/11/14(土) 23:21:36 ID:611fanG+
>>420 戦後の社会主義国のようにすべての書物が検閲されるとでも?
当代木はたまたま幕府の目に触れなかっただけだろう。
学者は当代木を「かなり信頼性の高い史料」と評価している。
432 :
人間七七四年:2009/11/15(日) 00:12:24 ID:ZKNaRG/g
>>430 江戸期に神君を憚って、写本する時に削られたのかな?
433 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 17:26:02 ID:rEf1Cw5C
オレは一応酒井の血が入ってるんで、本当のところが知りたい。どちらにしてもご先祖様にはあまり責任はないのかな?
434 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 17:43:01 ID:uSQORK4D
受け答えに拙いという味噌は付いたかも知れないが
どう見ても酒井が原因で信康が死んだわけではないでしょ。
435 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 17:45:26 ID:vsGCX1m0
別に降格もされてないし以前と同様に重用されてたしな
436 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 18:32:46 ID:rEf1Cw5C
>>434、
>>435 ですよね、ありがとう。でもなんで晩年にあんな皮肉めいたことを言われたんですかね?
437 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 18:44:33 ID:y1V0KTl/
>>436 そうでも言わないと、神君が血も涙もないことになるしw
酒井君カワイソス(つД`)
438 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 18:49:10 ID:PORADLK7
その皮肉が後世の創作だろ
四天王って括りが後から適当に作ったもんだし
439 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 18:55:15 ID:rEf1Cw5C
>>437 じゃあ、もし家康陰謀説が正しかったら、この事件をカモフラージュするために左遷させられたのかな。
だとしたら功将に対して余りに酷い気がする。仕方ないのかもしれないけど。
440 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 20:22:56 ID:Ur6zLrRx
>酒井が左遷
なにをもってそう言っているのかな?
本能寺の変後家康が甲斐・信濃を領国化したとき
信濃の最高責任者に任命されているんだが。
441 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 20:51:11 ID:rEf1Cw5C
>>440 家次が下総臼井三万石を与えられたことなんだけど、四天王の他三家と比べて飛び抜けて低いし、忠次が意義を申し立てていることから左遷と見るのが妥当かなと。
442 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 21:09:01 ID:vsGCX1m0
それは忠次関係なしに家次自身の問題だろと
家次の武功がそれだけの評価ってことでしょ
443 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 21:12:43 ID:pKPfSXL/
家次自身の功績は当時まだ乏しいから3万石でも仕方ないんじゃないの?
松平康貞や大須賀忠政も親の功績を加味してか同じ3万石だし。
444 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 21:24:04 ID:rEf1Cw5C
>>442 まぁそうなんだろうけど、当時は家というものが重視されていたし、家次は家督を継いだわけだから
信濃守?→上総臼井三万石
ってのが妥当とは考えづらいと思ったんで。
もし家次がこれが妥当なぐらいの器なら、忠次も何も言わなかったと思うんだよね。
445 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 21:27:45 ID:WZgWAWvu
酒井家次は、一般的に信康事件のために冷遇されたといわれているが。
最終的には、大坂の陣で大した功績もあげてないのに、10万石をもらえたのだから、冷遇とはいえないと思う。
それに、忠次が家康に文句を言ったというのは、余り資料的価値が高くない資料の中にしか出ていなかったはずだが。
446 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 21:40:20 ID:rEf1Cw5C
>>445 どうも。忠次が文句言ってないなら納得です。当時の武士が理由もなく主君に意見するわけないと思ってたんで。やっぱりこの話も後付けされた可能性が高いみたいだってことですね。
皆さん返答ありがとうございました。
447 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 22:58:22 ID:6Vqx4aCF
>>431 当代記がたまたま幕府の目に触れなかっただって?いい加減馬鹿なことを言うのをやめろよ
当代記を編纂した松平忠明は幕府の要人だ
>>425でも指摘したがこのスレでは二年ほど前に立った当初から三河物語は幕府が都合よく改竄した悪書、
当代記は幕府の手が入っていない真実を伝えてる良書という、根拠の無いカチンコチンな石頭の
スタンスでいるからダメなんだよ
448 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 23:06:13 ID:Ur6zLrRx
では聞くが、「前田本安土日記」はどうだ?
「信康の謀反」と書いたこの本も改ざんされるべきじゃないのか。
それに当代記は「作者不詳」と手元の本にあるが
(谷口克広「検証本能寺の変」吉川弘文館)
松平某と断定してるのはだれだ?
449 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 23:19:06 ID:Ur6zLrRx
連レスだが、新説支持の研究者
谷口克広、藤本正行、鈴木眞哉、桐野作人、和田裕弘
これだけの人たちが揃ってれば自分は新説を信じるね。
450 :
人間七七四年:2009/11/16(月) 23:58:28 ID:YMvF83w0
まあ三河物語は幕府の御用書というより、改易された大久保一族の怒りの書といった傾向が強いしね
それがどこまで幕府の意向通りに書かれていたかは不明だな
451 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:18:11 ID:3NEAi7Wz
鈴木真哉が他の四人の説得力を打ち消してしまうなw
452 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:32:01 ID:O8ax8GZt
もともと「三河物語」は門外不出とされ、公開するつもりもなく子孫だけに向けて記された書、徳川家への不満がそのまま残されているのは改竄されていない証拠
そこに書かれているのは全て事実である
当事者側の徳川側の資料こそ正しく詳しく書かれていて
しょせんは他人事の織田側の資料はいいかげんででたらめで適当なことが書かれている
結論
信長から築山殿と信康を殺せと命令を受けた家康は逆らう事ができず、泣く泣く愛する妻と息子を殺した
453 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:32:43 ID:Cz8SSf6k
鈴木真哉はなぁ
454 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:43:03 ID:BodgU09X
三河物語だけを真実とするのは、このスレがいままでやってきた、「当代記やそれの元になった資料だけが正しい」
と強弁するのと同じぐらい愚かだと思うぞ?
まずはどうして食い違いがあるのか考察するべき
455 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:50:06 ID:Cz8SSf6k
当代記しか記述がないとかそんなこと誰もいってないだろ
むしろ三河日記以外は家康の方からお伺い立ててるって記述なのに
三河日記だけ信長の命令っておかしくね?って流れだろ
456 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 00:51:17 ID:Ed68HKXd
さすがに主君家康が命じて殺させたとは書けず、
かといって兄弟が仕えていたのであれば信康を愚人にする訳にもいかず、
子孫へ残すためには、だいぶ誇張した信長命令説を書くしかなかった、という推測。
457 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 01:09:30 ID:O8ax8GZt
よし、ここでいったん視点を変えてみようか
水野信元殺害事件について
信長にはすでに前科がある
水野信元も武田方に内通していた嫌疑をかけられ
信長は家康に水野信元を殺せと命令して、家康の愛する母親於大の兄、水野信元
とその嫡男信政を大樹寺におびきよせて泣く泣く殺害した。
築山殿と信康の時と全く同じパターンである
というわけで結論
信長から築山殿と信康を殺せと命令を受けた家康は逆らう事ができず、泣く泣く愛する妻と息子を殺した
458 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 01:12:07 ID:O8ax8GZt
しまった
家康の、じゃなく、家康は、だ
459 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 01:15:52 ID:SbDwXwDa
うわー、何の根拠にもなりゃしない事を自信満々に……
460 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 01:18:41 ID:oVYdgQ7j
家康陰謀説の人は関東移封時に酒井が冷遇された理由をどう見てるの?
461 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 01:44:47 ID:BodgU09X
>>456 また改竄説か
それの一点張りだな
>>457 その事件のせいで於大と、平岩親吉、石川数正が不仲になって家中で騒動が持ち上がったと
何かの本で見たな
だがむしろその騒動は信康謀反説に繋がっていくのが、その本の解くところだがw
462 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 02:17:19 ID:agq/q4S2
>>457 天正3年12月の事件だな
この時点で信長は例え徳川の親族に当たる者でも、
危険とみなせば徳川方に粛清させる事ができたということだ
長篠の大勝利で自信満々だったのかな
463 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 09:31:59 ID:bT4dfQLH
いきなり殺害を命じた訳ではないがな
464 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 10:31:33 ID:7zmCiXGH
>>457 三河物語には「信長が信康の切腹を命じた」とはあるが
築山殿を殺せと言ったとは1行も書いてないのだが?
そのことを知らない(原文を読んでない)オマイに
この件を論じる資格なし。
465 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 10:41:05 ID:7zmCiXGH
466 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 10:52:18 ID:WlrjBSm8
467 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 11:28:24 ID:zBXrve37
>>466 (ノ_・。)ノ□ヾ(・ω・ ) ナミダヲオフキ
468 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 11:32:07 ID:WlrjBSm8
そういう煽り飽き飽きなんだって
冷静に議論しようぜ
469 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 18:10:36 ID:InWDENGi
そもそもの原因が信康の逆心なんだろうか?
470 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 18:18:11 ID:Cz8SSf6k
家康と信康の不仲って説が有力
親子げんかだな
471 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 21:09:39 ID:i9B3LNfv
徳川家、家康派と信康派にわかれて家中騒動
↓
徳川家内部で穏便に事を収めようとする。
が、酒井忠次らが信長に詰問され言い逃れできない事態に
↓
家康は信長から家中騒動を咎められ、早急に始末をつけるよう厳命される
↓
家康は不本意ながら信長の圧力に抗し切れず、泣く泣く信康を処分して騒動を収めることを上申
(この時点で安土日記の「徳川から信長に信康処分を申し出たの記述)
↓
信康は徳川領内を方々移動させられるが結局、二股城で切腹
↓
↓
↓
徳川幕府成立後、二股城城代だった大久保一門の大久保彦左衛門が三河物語を記す
その中で信康切腹に触れ、あれは信長の圧力なのだと激白
こんな感じで松平記、前田本安土日記と三河物語の記述が食い違うんじゃね?
472 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 21:39:10 ID:PZkqiYYd
>>471 良き説ですぞ。新たな証拠が出ない限りは、これでイイと思う。
>>448 改ざんしてるよ。安土日記は太田牛一が若い頃に書いた本(の書き写し)。
信長公記は、太田牛一が晩年にまとめた。若い頃は、当時、家康はあまり偉くなかったので、
謀反と書けた。晩年は、家康は天下とっていたから、太田牛一は気兼ねして(自主規制して)、
信康個人の精神の問題(不慮?)にトーンダウン。けんくん神社本では全面削除。池田本では
誰かが、信康が載っている巻を ほあん信長記から転写して差し替えて、元の巻は捨てられてしまった。
473 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 21:54:52 ID:bT4dfQLH
圧力自体無かったんだけどな
あったらさっさと信康を殺害しなければならん
現に信康が死ぬまでの数ヶ月間、徳川への警戒はまったく見られてない
474 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 22:25:28 ID:Cz8SSf6k
信長は蹴鞠にはまってたからな
475 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 23:11:56 ID:oVYdgQ7j
>>471 酒井の冷遇、家康が処刑をためらっているようにしか見えないこと、
織田方に警戒の色がないことなど上手く説明できる
良い説という意見に同感
476 :
人間七七四年:2009/11/17(火) 23:40:42 ID:bT4dfQLH
徳川家中の異変は何年も前から信長は気付いてたようだけどな
477 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 00:37:28 ID:xjIs8NcT
記述の食い違いがあるからって新説を持ち出さなくても、解釈次第では従来の説でいけるもんだな
478 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 03:43:47 ID:NWoCGNum
浜松城派と岡崎城派の対立説とか眉唾物だな
この事件の発端となった徳姫の十二ヶ条の訴状をもう一度分析してみよう
築山殿は、私と信康様との仲を裂こうとする
築山殿は、女の子しか生んでない私の事を「役立たず」と言って殴る
築山殿は、岡崎城内の豪華な邸宅で贅沢三昧やってる
築山殿は、甲州の唐人医師・減敬(げんきょう)と浮気してる
築山殿は、武田勝頼に織田と徳川の両家を滅ぼして欲しいと言った
築山殿は、両家が滅んだ後は、私を武田の家臣の妻にして〜と頼んだ
武田から、小山田という家臣が妻とする証文が送られてきた
近頃、岡崎城下で踊りが流行ってるのは信康が悪いからだ
信康は、踊りが好きなので踊りの下手な者を弓矢で射殺する
信康は、鷹狩で獲物がなかったため不機嫌になり、通りがかった僧侶をなぶり殺した
信康は、私の侍女を「おしゃべり女」と言って口を裂いて殺した
酒井忠次はこの内、十ヶ条を認めている
武田と内通していたのはやはり事実か
これは信長が怒って築山殿と信康を殺せと命じるのも仕方あるまい
479 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 07:05:10 ID:w/7y6bqJ
ねーよ
480 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:02:33 ID:mzREEaYN
徳姫の十二カ条は明治時代に発売された三河物語に書き足された記述なんだが
481 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:03:14 ID:+79mC7ex
> 信康は、踊りが好きなので踊りの下手な者を弓矢で射殺する
信康やりたい放題すぎるだろw
482 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:08:07 ID:mQDUpxEv
太田牛一てやたら評価されるけど「大かうさまくんきのうち」の秀次酷評を見ても解るとおり
結構、権力に迎合しているんだけどね
483 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:13:42 ID:mzREEaYN
秀吉の性格考えたら本当の事書けないだろ
484 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:39:22 ID:+79mC7ex
「信長公記」は公的記録の性格をもっているのかな?
幕府が編纂した「当代記」に信康切腹のことが、それ以前の資料のまま記録されているってことは
このスレで散々言われてきた、「徳川正史を正当化するために信長の圧力をでっち上げた」
という説はほとんど信頼できないことになるな
それどころか寛永年間(1624年〜1644年)に「当代記」が編纂されたときには、信康事件など
ほとんど政治的な関心が薄れていたということだな
485 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:47:36 ID:mzREEaYN
後の時代から改竄が行われたんだろ
486 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 10:56:19 ID:mQDUpxEv
松平記は慶長年間、三河物語は元和年間成立だからかなり早い方かと
487 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 11:10:49 ID:+79mC7ex
「三河物語」の著者である大久保忠教は、信康が切腹した時に二俣城の城主だった大久保忠世の弟だから
当事者の一人と言っても過言ではない。切腹当時の政治状況の証言者とみなせるだろう
「三河物語」もこと大久保家の武功を誇張する傾向があるが、信頼できる部分も多い
488 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 11:30:31 ID:w/7y6bqJ
今川関連の記述は出鱈目だがな
489 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 13:38:12 ID:Kns5kzLC
>>484 どちらかと言えば豊臣家から政権を奪ったことを正当化することに関心が向いてそうだよな
信長、信康など遠い過去の話といった感じだろ
490 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 14:07:25 ID:w/7y6bqJ
491 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 17:33:42 ID:eVWGlOc1
>>490 まだ「当代記がたまたま幕府の目に触れなかった」って言いたいのか?
492 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 18:51:17 ID:ccDW416H
>>487 当事者だから信頼できるってんなら裁判所も裁判官も検事も弁護士も要らないわなw
493 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 19:02:35 ID:Y6yQnGC4
494 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 20:11:29 ID:q6n9FdcY
家忠日記を読む限り(私が読んだのは、一部だが)、
信康が自害に追い込まれる1年ほど前から、家康と信康の関係が悪化していたのは、間違いなさそう。
岡崎城下にいた三河衆に地元に帰るように家康は命じており、しかも確かに帰ったのか、確認するために検使まで送っている。
岡崎城下の三河衆は、信康の統制の下、急な命令等があっても、謀反等を起こされずに、軍隊として動けるように集められたもの。
それを地元に帰るように命じるというのは、どう考えてもまともな状況とは思えない。
このこと等から考えても、信康と家康の間に何かあったと思われる。
495 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 20:20:35 ID:Y6yQnGC4
>>494 虫食いの「信康御○○○中なをし」か
確かにその通りらしいね
496 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 20:24:09 ID:mQDUpxEv
>>494 あれは岡崎城に妻子などの人質を置かなくても良いという話で
これは武田の脅威が減って、人質を置く必要が無くなったからでは
自分は考えているが
497 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 20:56:19 ID:TIIOHZhc
>>496 人質では無くて、岡崎城下に詰めている地侍等に対して、地元に帰るように命じたものだが。
私の読み間違いで、人質を置かなくてもよい、という命令だとしても、地元に人質は確実に帰るように命じる。
更にその確認まで人を送ってするというのは、どう考えても不自然極まりない。
人質を今後置く必要はない、というだけで、事足りる筈ではないか。
それだけでは足りず、何故に地元に確実に帰らせる必要があるのか。
人質の費用がかかるから、というかもしれないが、あれは人質を出す側が負担するのが、当時の常識。
したがって、別に徳川家の負担にはならない。
498 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 21:14:24 ID:mQDUpxEv
特に確認の人を送ったという話は無いと思うが、松平太郎左衛門は遊びに来ているだけだし
499 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 21:17:56 ID:MHZ/fwS7
>478
十二ヶ条のはずなのに十一ヶ条しかないのが一番気になるのだが…。
500 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 22:30:44 ID:yA8FTRiv
>>498 家忠日記の中に、人足改め役が移動の確認に来たという記述があるが。
501 :
人間七七四年:2009/11/18(水) 22:58:22 ID:mQDUpxEv
人足は運搬などの労働者の意味だから引越し労働者の頭なんじゃないかと
502 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 01:25:17 ID:HHIkl+w8
信長は結構家臣の働きぶりをうるさく監視する傾向がないか?
なかなか岐阜から安土に家族を移さない家臣の家を焼いたり、佐久間親子を追放したり
だから家康も信康との騒動を見咎められて、「なんだよそのザマは?はやく決着させろよ」といった
叱責を喰らったんじゃないのかね
503 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 02:04:44 ID:4vIK/FvW
家康は何で築山殿を殺したの?
504 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 02:11:49 ID:YUKGJ16u
不仲だったんだろ
嫡男信康の生母だけど史料では殺される以前から正妻として扱われてない
505 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 04:10:24 ID:4vIK/FvW
不仲で殺す?
離縁すればいいだけの話しでは?
506 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 06:09:14 ID:renseuhy
築山殿は家康の元妻と言うより信康の母として殺した
家康側からすればあっち側の人間なんでしょ
507 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 08:37:31 ID:uan+NDKk
戦国時代の政治問題を現代の感覚で語っても仕方ないと思うが?
そりゃ、現代の感覚で言ったら「〜すればいいんじゃないの?」となるのかもしれないが
508 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 16:53:36 ID:wXh5VNjh
>>507 むしろ戦国時代の感覚ですよ>不仲なら離縁
509 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 19:07:24 ID:MhYxa4yO
だから政治問題なんだよアホ
510 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 19:15:20 ID:BYCt6e+C
信康派に担がれる可能性も考えれば殺害は尤も
名家でもなく子をなさないような女ならば離縁でも問題無いだろうが
そもそも親兄弟での殺し合いなんて普通ですしおすし
511 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 20:28:27 ID:h64rI7Yb
まず「信長が殺させた説」は信長に信康を殺す動機がない点が難点。
信長の娘婿であり、頼りになる配下勢力の家康の嫡男である信康を
殺すメリットがないばかりかデメリットは相当に強い。
「自分の息子の信忠より信康のできがいいのに嫉妬して」とかは全く破綻しきった俗説
その一方で家康が目の前で起こっているお家騒動の元凶たる信康を殺す動機は十分にある。
家康ファンは「家康は常識人で自分の嫡男を殺すような男ではない。だから信長の命令だ」みたいな事を言ってるが、
信長には信康殺す、まともな理由なんて家康以上にないんだよな。
おそらく「信長ならなんでもありだ」とでも思ってるんだろうか?
512 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 20:46:53 ID:t88inZMP
信長が命令すれば、家康が反抗・独立する危険性もあったろうな。
従属してるとは言え、独立した大名家だし。
513 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 20:59:18 ID:rkQkUkEX
信長に動機がない、という根拠がわからない。
武田と内通して、信長に反旗を翻そうとしていたというのが本当なら、立派に殺す動機があるのではないか。
また、家康の当時の力では、信長に命令されれば、黙って従うしかない。
反抗・独立なんてしたら、浅井家と同様、家康も惨殺される運命が待っている。
514 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 21:02:34 ID:h64rI7Yb
>>513 >武田と内通して、信長に反旗を翻そうとしていた
胡散臭すぎる話しなんですが・・・
滅亡寸前の武田と組むと言われてもね。
515 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 21:23:45 ID:nRUQIoSv
>>511 >「自分の息子の信忠より信康のできがいいのに嫉妬して」
まだそんな古い説にこだわってるのかw
既に「家忠日記」や水野信元事件から、当時徳川家に
何が起こっていたか考察する段階に入ってるのに
516 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 21:26:02 ID:rym1nm2C
信康が死ぬ前は数年前から家康と信長は鷹狩りなどで最低、年1回は会っているのに、
信康が死んだ後は武田征伐まで一回も会っていないという点がある
517 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 21:28:55 ID:BYCt6e+C
信長は当時蹴鞠にはまってたしな
518 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 21:48:57 ID:rym1nm2C
鷹狩り自体はこれ以後も相変わらずだけど
つまり信康死後、家康と信長は顔を合わせにくい何かがあったということ
519 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 21:56:03 ID:dUjPJLe5
謀反した弟ですら一度許すぐらいの信長が即断で娘婿殺すってのはちょっと考えにくい
520 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:14:59 ID:7/y3Ba+7
信元事件でさえ当事者から弁明の使者を派遣するように言ってたのにな
521 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:20:07 ID:ddScmsB7
酒井忠次が、織田信長の下に弁明に言っていますが。
そして、信長に信康を殺せと命ぜられたので、家康が殺した。
522 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:23:02 ID:h64rI7Yb
>>521 それは弁明ではなく信康、切腹させる許可取りに行っただけ。
信康は信長の娘婿なので家康の一存では節婦菊させることができなかった。
信長は驚いて止めたが酒井の説得で「家康の好きなようにせよ」という事になった。
523 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:24:32 ID:7/y3Ba+7
弁明の使者として行ってないよ
524 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:25:28 ID:h64rI7Yb
>>518 そりゃまあ。
家康が信長のかわいい娘婿を殺したから、
信長に気後れを感じたんだろう。
>>515 こだわってない。バカげた説として例に出しただけ。
525 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:29:02 ID:ddScmsB7
>>519 それに、信長は長篠の戦の後、岩村城主の実の叔母を逆さ磔にして虐殺している。
また、実のおいである浅井万福丸も串刺しにして虐殺している。
このように信長は敵対したら血縁者でも容赦していない。
娘婿なら、血縁もない。家康は、苦しめずに息子を死なせることができて、まだしもだったろう。
526 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:36:14 ID:rym1nm2C
>>524 いやいや、来るのは大抵、信長の方
吉良に鷹狩りに来て、家康が清州まで迎えに行き、帰りに岡崎に寄るコース
まぁ、武田攻めがなかったら家康が信長へ出向く予定があったようだけど
松平家忠に贈答用の馬鎧作らせた上で、検視を遣わして作り直しを命じる位
527 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:37:56 ID:h64rI7Yb
>>525 その叔母に関しては恨み骨髄だった。
あと満腹丸は浅井の嫡男だし、しかたあるまい。
他の子たちは保護してる。
家康は信康はおいとくとしても、
秀康や忠輝のように冷遇した例も多い、
秀吉が秀康を殺すという噂が流れても
家康は「わしはあいつを養子として秀吉にやったのだ。
秀康を殺したら秀吉は子殺しとののしられるだろうよ」と平然としていた。
実際、信康は秀吉の方に恩義を感じ。
豊臣に友好的で秀頼を「かわいい弟」とのちのち表現したとか。
彼が短命だったのも暗殺説すらあったりする。
まあ暗殺という事はないにせよ、対豊臣穏健派の彼は
秀頼攻めの障壁程度には考えられてたらしい。
528 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:47:46 ID:nRUQIoSv
>>524 だから今更そんな例を引き合いに出して「信長が殺させた説」自体が馬鹿げてると言いたいんだろ?
家康ファンという言葉を使うだけあってフィルターかかりまくってるな
「家忠日記」の記述や水野信元事件での信長の命令から、信長側から何らかの命令があったと見るのが
自然なんだよ
529 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 22:59:07 ID:h64rI7Yb
>>528 だから、それは「家康のよきにはからえという許可」だろう。
530 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 23:04:17 ID:dUjPJLe5
>>525 岩村城のアレはとっとと信忠に降伏するとか、織田側として活動すれば多少マシだったんじゃね?
一度息子ごと武田に裏切って、今度は織田にもどらず、秋山と一緒にあくまで武田側なら信長の性格からしてキレると思う
531 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 23:05:22 ID:nRUQIoSv
>>529 おい、何と勘違いしてるんだw
水野信元は信長の命令で家康配下に処分されてるんだよw
532 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 23:15:21 ID:rym1nm2C
>>526 だから信長が信康について何らかの指示をし、それに対して気を揉んで、家康と顔を合わせずらかったか
逆に信長が家康の一存である信康切腹を徳川家中への理由付けの為、敢えて責任を被る形だったかと思う
533 :
人間七七四年:2009/11/19(木) 23:52:19 ID:YUKGJ16u
信康を殺させるメリットなんて信長にはまったく無いんだがな
中国、四国、丹波、北陸、甲信、飛騨と戦力分散しまくって信長自身の兵力はかなり少ない
この状況でわざわざ遠三の太守を敵に回す必要はない
534 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 00:10:23 ID:Ny1MwOY5
>>533 それない。天正三年の水野信元の粛清、天正八年の佐久間信盛追放など
信長にとって不都合な人間は積極的に処分している
535 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 00:21:31 ID:7cENg0AZ
大名1人(しかも後ろに北条)敵に回すのと
敵国の脅威が無くなった三河豪族や家臣一人じゃ比べものにならん
536 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 00:25:26 ID:yl2k/3Iz
>>534 水野の粛清も佐久間追放も、余裕が出来てからですけど?
信康事件のときはまだ本願寺も健在で西国方面は危険な状態。
おかげで尾張美濃の信忠軍団までが畿内西国へ転戦されるほど。
そんな状態で家康に無茶を要求して離反されたら、尾張が直接敵国との最前線となり、
信忠軍団も西に動かせなくなる。
537 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 00:32:02 ID:n3x8bUY/
538 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 03:13:31 ID:Pq0KCPro
織田、水野、徳川の3国同盟は武田の驚異がなくなり不必要なものとなった
信長に命令されて水野信元を殺害するために
家康は自分の母親、於大の夫、久松俊勝を使って大樹寺に信元を呼び出して石川数正と平岩親吉によって無実の信元を殺害
謀殺のことを聞かされてなかった俊勝は怒って西郡城に隠退
水野家の知多、碧海両郡十八万七千石併せて六城を織田家は手にいれる
それから二年後
久松俊勝の子、久松信俊(松平康元、松平勝俊、松平定勝の異母兄)が
信長から突然謀反の疑いをかけられ、憤慨して大坂四天王寺で自害している
その後、居城の阿久比城は攻められ信俊の子供2人は殺害されて、久松氏の所領は織田家に没収されている
俺が何を言いたいかといえば
おっといけないもう寝る時間だ
539 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 03:17:21 ID:n3x8bUY/
家康を排除するのが目的ならむしろ信康は殺さないで対立を煽るだろう
540 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 06:47:22 ID:YeCq16Q6
水野と信康じゃ全く違うだろ。
家康オタはそんなに信長の命令にしたいのか?
もはや議論は家康主導か信長主導ではなく
「ほとんど家康一人の意志でやった」か
「あくまで家康主導だが信長もちょっとだけ家康の背中を押した」かの
二択くらいになってると思うが。
>>534 信康のどこが信長の不都合な人間なんだか?
むしろ逆だろう。大切な娘婿だ。
541 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 13:32:54 ID:kq6mMHfr
>>536 天正三年水野信元粛清
天正七年信康切腹
天正八年佐久間信盛追放
レスするなら思いつきでレスしないで、最低でも時系列を頭に入れとけ
>>540 「寛政重修諸家譜」に奥平信昌と亀姫の縁談に反対した信康は、信昌に合おうとしなかったので
信長から注意されたが、それでも聞き入れなかったとの記述があり、信長の不興を買ったことを窺わせるぞ
娘婿=大切なんていう固定観念だか、願望だかを言う前に資料にあたれ
542 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 14:19:08 ID:Buhoc6gt
まあ少なくとも歴史を読み解こうとする時は
>>511や
>>540みたいに家康ヲタだから一方の説に与するという考えは捨てて
ニュートラルな観点から見たほうがいい気がする
543 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 17:37:03 ID:x0SnSpQu
>>536 水野の粛清も佐久間追放も、余裕が出来てからってw
水野の粛清の方が信康切腹よりも先だっつうの
つうか
>>534に天正三年の水野信元の粛清って書いてあるじゃん
まさか信康切腹の年代さえ知らずに書き込んでるのかよ
544 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 19:17:59 ID:yl2k/3Iz
>>543 水野氏(三河の豪族)を粛清するのに必要な余裕と、
佐久間(尾張の大族で七カ国の与騎をもつ)を粛清するのに必要な余裕。
この二つが同じなわけがない。
あなた何を言っているの?それぞれの状況も理解せずに言っているの?
それにね、佐久間や水野が粛清されたから信康もというのなら、粛清の対象は
時期後継者の信康でなく、現当主の家康になるんじゃないか?
比較の対象がまったくズレていて何も合っていません。
545 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 19:20:55 ID:7cENg0AZ
IDころころ変わってるけど、ID変わっちゃうならコテハンつけてくんないかな
546 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 19:53:57 ID:x0SnSpQu
>>544 おまえ自身が余裕が出来たから水野も粛清出来たといってるじゃんw
天正三年の時点で信長は余裕なわけなんだよなw
矛盾を指摘されたら水野氏は三河の豪族で小さいから余裕と言いたいわけかw
547 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 20:10:25 ID:n3x8bUY/
天正三年五月に長篠の戦いで三河の武田の驚異は一掃されて一気に攻勢になった
東美濃の岩村城も落として対武田にたいして攻勢に出まくってる状況で
天正三年十二月に武田寄り(?)だった三河豪族水野氏を駆逐ってのは当然じゃね?
尾張三河の間で変な動きでもされると対武田戦線に影響が出るし
たしかに信長包囲網は完全に解消されてるわけじゃないけど
包囲網の一角の武田が弱体したからこそその地方の不安要素は潰していくのは当然だと思うわ
548 :
人間七七四年:2009/11/20(金) 20:20:48 ID:x0SnSpQu
>>547 >武田が弱体したからこそその地方の不安要素は潰していくのは当然だと思うわ
そう思うね。信長は自分の勢力内の危険分子を潰すのに逡巡する性質ではないと思う
549 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 00:38:51 ID:wrBq9Xj9
>>547 初めて武田に完勝した戦だからな。
武田の重臣を多数討ち取って武田の力をかなり弱めて、
織田、武田の実力差をはっきりと周りに認めさせたから、
これを境に信長は相当な自信を持ったんじゃないかな。
以後、強権も発動し易かったかと。
550 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 00:52:53 ID:PTGw+L3y
んで話を信康に戻すと
対武田戦線がせっかく攻勢に転じて
わざわざ信康を殺して家康に余計な恨みや反抗心抱かせる理由は皆無
しかも天正7年って西じゃ別所や荒木、本願寺がうるさいし
前年は対武田の信忠軍団を上月城に向かわせるほど手が足りない状況
そんな状態でせっかく攻勢になってる甲信地方攻略の要である家康を怒らせる理由が全くない
武田征伐後に、脅威の無くなった駿遠三の領地を狙って家康を誅殺するならともかく
このタイミングでの信康殺害は信長に全くメリットがない
551 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 01:02:03 ID:0b0LVl8P
信長の命令だったとしても徳川にとってプラスの面が大きかったんじゃないかな
家康の家臣は「わが殿はウジウジと煮え切らなくて・・・」とこぼしているが、
家康は優柔不断な性格だったらしいから家中騒動に自分で決着を付けられなかったんだろ
「お前でも子は可愛いか」とか「倅がいたらこうはなるまい」という言葉には家康の優柔不断さが表れている
そこへ信長が鉄槌を下してくれたおかげで家中をすっきりさせることができた
まさに信長様様というところだろ
552 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 08:53:18 ID:oxKSYK3N
少なくとも昔の家康を主人公にした小説みたいに
「家康と信康が仲良く暮らしていたところめに突如として信長が切腹命令を出した」みたいな話しじゃなくて、
例え仮に信長の後押しがあったにしろ、
あくまでそれは徳川家内部のお家騒動が根本的な原因だからな。
「信長の命令」みたいな表現の仕方自体が間違い、あくまで割合の問題だろう。
553 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 08:54:56 ID:oxKSYK3N
>>551 >「お前でも子は可愛いか」
架空の逸話・言葉である可能性が高い。
>「倅がいたらこうはなるまい」
それも司馬の創作である可能性が高い。
554 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 17:40:03 ID:0b0LVl8P
そういう逸話が創作だとか三河物語の記述が虚偽だとか言うのは、
信長が同盟相手の家康に無意味に苦難を強いるはおかしいという前提から導き出された仮説
信長の命令はむしろ徳川家の為を思えばのものだから信長には何の後ろめたさもあるはずない
家康もその点はわかっているから徳川を警戒する必要もなければ、家康が反逆するはずもない
555 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 17:41:14 ID:mWTSXrxl
>>550 上のほうで徳川家の騒動を窺わせる資料、水野家に対する弾劾、長篠後の
織田家東部戦線の優位性が話題になっている
例えば
>>547のように強力になった織田家が地方の不安要素を潰して綱紀粛正をはかったという考えもある
徳川家の内部騒動に信長が指導力を発揮して介入し徳川家を安定させる、つまり信康殺害を指示することも
信長に全くメリットがないと言い切れないと思う
556 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 17:47:50 ID:mWTSXrxl
>>554 明らかに後世の創作という場合もあるからそこは慎重に考えた方がいいと思う
言い伝え、俗説の類もその当時の空気感を伝えている場合があるから無下に総てを却下する
考え方もどうかと思うが、「お前でも子は可愛いか」とか「倅がいたらこうはなるまい」
というセリフは俺も司馬遼太郎の小説で見た記憶がある。司馬が資料から引用した可能性も有るが
創作なのではないかな?
557 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 22:59:55 ID:x+6HosOS
信長命令廚さんよ、
新行紀一
平野明夫
この研究者2人の書いた本なり論文を読んでるか?
三河物語は「松平・徳川中心史観による事実の改変が見られる」
と指摘しているぞ。
この2人は松平研究では中心的存在。
ちなみに「事実の改変」は信康の件だけではない。
たとえば家康の父、広忠は病死とされてるがこれはウソ。
正しくは家臣に殺されている。
てっとり早くは平野著「三河松平一族」という本を読んでみな。
あんたがいくら「三河物語」は正しい!と強弁しても
専門研究者はちがうことを言ってるんだよ。
558 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 23:34:02 ID:7qXn1lUY
559 :
人間七七四年:2009/11/21(土) 23:39:39 ID:x+6HosOS
連レスだが、こう書くとすぐに
「学者・研究者の言うことなら正しいのか?」という
ツッコミが入りそうだから答えておく。
もちろんすべてが正しいわけではない。
だがこの2人は三河物語をはじめとする「徳川正史」を
すみずみまで読んでこういう結論を出してるんだよ。
どこのだれともわからないあんたよりよっぽど
信用できる。
一言しておくと新行氏は信長命令説は「家族の処断は家父長の
権限である」から成り立たないと言っている。
さあ反論できるかな?
560 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 00:12:53 ID:7FLh09dE
学者の見解が統一されているならそういう理論も成り立つだろうね
つか信長厨は○○という学者がこう言ったという権威主義者多いね
信長はむしろ権威をぶち壊すことを得意としたんだが
家父長云々について言えば、信長が直接信康を処断したわけでなく、
家康を介して行ったわけだから何の問題もないと思うが
561 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 00:20:31 ID:bEoqRBVD
>>560 信康殺害には信長の意志は関係なかったって
学会での意見はほぼ統一されてるが
学会での争点は、家康vs信康に至った経緯および周囲への影響(派閥等)
信長が信康を殺害するように家康に指示したなんて学説支持してる学者なんて今は居ませんよ
40年前なら居たけどな
562 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 00:31:05 ID:7IpAWiOy
>>560 問題ありまくりだろ
水野信元誅殺事件にしたって実際は徳川家中の判断の可能性が高いんだぞ
563 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 00:38:25 ID:z9vvtTjb
信長が権威をぶち壊すことを得意にしてた……?
564 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 00:55:15 ID:sthXSWlr
それでは個人単位の動きを見ていこう
築山殿を殺害した野中重政だが、その後、重政は城を出て故郷に隠棲している
信康が切腹した際、服部半蔵が号泣し涙のあまり刀が振り下せず介錯できなかった為
天方通綱が代わりに介錯人をつとめたが、その後、高野山に登り仏門に入った。
築山殿と信康殺害が家康の強い意思なら、その後、彼らはこんな行動を取るだろうか
いやとらない
主君の命令なんだから堂々としていればいい
徳川家に留まっていればいい
主君である家康が憎んでいる悪人を討ち果したのだから
なんら恥じることはない
では、野中重政と天方通綱はなぜ、いたたまれなくなって逐電したのか
それは家康が泣く泣く二人を殺すよう命令を出したからである
というわけで結論
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
565 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 01:09:26 ID:7IpAWiOy
野中も天方も後に出仕してるんだがな
566 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 01:58:24 ID:3EMANy0z
結局いつもの人か
主の長子を斬ったなら、形式上一度は致仕するのが筋だわな。
568 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 06:31:56 ID:lJO3uYiQ
信長命令説を主張してる奴は一人か。
569 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 08:09:16 ID:ellVYB8T
>>557 新説を主張する学者が疑いの目で「三河物語」を見ていけば、どこまでも
「松平・徳川中心史観による事実の改変が見られる」ということになるのは当然だろ
しかも今は徳川家内部のお家騒動があったことがうかがえるし、
いつものように「三河物語」は徳川が都合よく改竄した悪書
「当代記」は学者が信用する良所と言ったところで通用しないぞ?
議論はもっと先まで進展している
>>559 > 連レスだが、こう書くとすぐに
> 「学者・研究者の言うことなら正しいのか?」という
> ツッコミが入りそうだから答えておく。
予防線をたっぷり張ってるなwでもその通りだぞ
学者、研究者でも間違った結論を引き出してしまう場合はある
『信長命令説は「家族の処断は家父長の権限である」から成り立たないと言っている』だって?
ずいぶん自信たっぷりに「さあ反論できるかな?」との決め台詞だが
信長が家康に圧力をかけて、家父長の権限で長男を処分させれば形式的に全く問題ない、
障害でもなんでもない話だ
予防線をたっぷり張ってるレスだから、俺も聞いておこう
いくらこのスレで議論が交わされようが君は
「素人の議論なんて無駄、学者の言っていることが正しい」の一言で済ますんだろうな
最初からその答えが出てるのなら、ここにいる意味無くないか?
570 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 08:19:57 ID:7IpAWiOy
トリップ付けて書きこめ
571 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 08:55:23 ID:b+WPawZ7
徳川内部のお家騒動があったんなら、ますます家康自身の判断で嫡男殺した裏付けになるよな
572 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 13:37:48 ID:7FLh09dE
お家騒動があったから家康が自分の意思で信康を処断したはずだというのはこれまでの考え方
お家騒動は逆に信長に徳川家に介入させるきっかけを与えたという考え方が
>>471で示された
信長命令説を否定したがっている人はまずこの考え方を否定してみてくれ
573 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 15:25:38 ID:7mqF5BSc
ここで否定されまくっている徳姫十二か条の報告
これは「家忠日記」、「三河物語」、「信長公記」などに見られる
「信長公記」は太田牛一の著作なんだが、太田牛一は、このスレで
新説を支持するときによく引用される「安土日記」の著者でもある
このことはどう考えられているのだろうか?
574 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 18:07:06 ID:imWIl5DO
>>572 ・信長が徳川家に介入するのなら、当主の家康を排除して娘婿の信康を当主に据えて傀儡化を狙うのが常道。
・介入するのなら、失敗したときにも備えて国境に軍を置いておく必要がある。しかしその様子はない。
・単に事件を処理するだけだったら、信康は殺さずに廃嫡幽閉に留めるという処分もあった。例えば武田家など。
しかし家康が行ったのは「処刑」。ならば、信長命令派は「信長が処刑命令を出した」ということを立証しなければならない。さあどうぞ。
そもそもね、お家騒動説が正しいのなら、家康と信康が対立していたってのも事実になるわけで。
575 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 18:57:21 ID:/ZE9LtZC
>>560 ハア?
「信康に嫉妬した信長」こそ高柳説の受け売りだろ。
>>564 三河物語には「五徳の12ヶ条の書状を見た信長が
信康を自害させるよう指示した」とあるのみ。
築山殿まで殺せとは言っていないし、
まして、「優秀な信康に嫉妬したから」などもない。
それは上記のように高柳説(ただし根拠となる史料は示さず)。
三河物語があくまで正しい!と言いながら
信長が信康に嫉妬したなどとは笑止千万。
ちなみに、家康主導説を主に唱えてるのは谷口克広だが、
その理由は「信長オタだから」なんて理由ではあるまい。
通説に疑問があるからそう言っているだけだ。
576 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 20:29:46 ID:/ZE9LtZC
自分としては信長命令説なんて「本能寺の変黒幕説」と
同じくらいのトンデモだと思ってるんだが。
どうせなら信長命令廚さんよ、「本能寺の変は信長のために
息子を殺された家康が起こさせたんだ!」くらいのことを
言ったらどうかw
577 :
人間七七四年:2009/11/22(日) 23:47:03 ID:KO9UdZ0F
>>561 学会での意見はほぼ統一されてるというのに非常に違和感を感じるんだが?
今手元にある一般向けの本で、新人物往来社の「徳川家康 天下人への跳躍」という本があるが
信康の死については従来の説を載せている。
また世界文化社の、「織田信長」でも家康の項では、同様に従来の説を載せている。
いくら一般向けに書かれた本とはいえ、学会で否定されきった説であるならばこういう記述はしないはず。
特に前者の「徳川家康 天下人への跳躍」では信康の死に限らず、家康の生涯に沿って全編に渡り
かなり細かく引用の元となる資料を提示している。
同じような俗説とも言える、信長の鉄砲三段打ちとか、武田の騎馬軍団などはこの種の
一般向けの本でも否定されているのをよく見かけるが、信康の死について従来の説を完全に否定して
新説を採用してある本を見たことがない。
どちらの本も2008年、2006年とごく最近の発行だから、
学会での意見はほぼ統一されているという状況には無いのでは?
578 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 00:22:07 ID:WHSxmUDx
野中重政って築山殿の墓前に石灯籠を立てて慰霊しているんだね
これは罪人に対する態度じゃないね
築山殿殺害は信長の命令で間違いないね
579 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 00:27:09 ID:fFx3XJ4C
飛躍しすぎ
580 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 00:30:35 ID:WHSxmUDx
あの殺人鬼服部半蔵が泣いて介錯拒否するなんてびっくりだよ
これは信長の命令で間違いないよ
581 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 00:36:38 ID:fFx3XJ4C
うんうん君の正体はわかったから、さっさと森へ帰ろうね
582 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 00:38:23 ID:+xYOlzbQ
誰が殺人鬼だよw
俺は信長の命令があった派だけど、そういう話は参考にならん
583 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 08:52:57 ID:OSoGj9he
>>574 >信長命令派は「信長が処刑命令を出した」ということを立証しなければならない。
信長命令説はもともとそういう説ですが
廃嫡幽閉ではなく処刑である理由は、
・他家に介入する以上重大事件である必要がある
・信忠のライバルを抹殺する意図があったとすれば幽閉では状況の変化によって目的を達せない可能性がある
廃嫡幽閉でもよかったのではというのはむしろ家康意思説にいえること
584 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 10:05:49 ID:dqLwbzNk
家康は部下以上に子には厳しいからな
585 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 10:09:23 ID:jIBSFsZB
>>578>>583 いつもの「三河物語は正しい」人ですか?
なんども言うけど同書には信長が築山殿を殺せとは
言ったとは書いてないし、「信忠より優秀な信康を怖れた」
とも書いてない。
三河物語は正しいと言いながらそれには書いてないことを
言ってるのはどういうわけか。
説明してくれないか?
ついでに言っとくとこの2つは三河物語だけではなく
他の「徳川正史」にもない。
どの史料にもないことをなぜ真実であるかのように
言えるのか、さっぱりわからんのだが。
586 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 10:34:20 ID:OSoGj9he
>>585 考え方がおかしい
三河物語に書いてないことがあったとしても、
その件に関して不備なだけで三河物語が間違っていることにはならない
587 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 11:32:11 ID:X2ObGKnd
不備も何もどんな史料漁っても築山殿を殺せなんて信長が命令してないのに
なんで勝手に妄想して信長が命じたとか言い出すの?
同様に信康を殺せなんて命令も当時の史料では三河物語にしか記述が無く、また研究者、学者も
その記述部分は疑わしいとさえ言ってるのに、学者ですらない素人風情が声高で信長命令説なんて語ってるの?
588 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 11:36:46 ID:zuZxf8Xf
>>586 三河物語にも正しい部分もあれば間違っている部分もあるだろう。
そして三河物語において、酒井忠次や信康に関する記述には、相当の誤りがあることを論証している。
このスレで問題になっている信康事件関連も同じ事。同時代の一次資料において、信長命令説はなく、
逆に信長が関係していなかったと取れる記録はある。
この前提で、三河物語に他に正しい部分があったとしても、だからと言って信康事件の記事の正しさを
保障することはできない。むしろ疑惑を深めるだけ。
589 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 12:24:43 ID:OSoGj9he
>>587 素人風情で申し訳ない
まあ築山殿の記述がないのは大久保やその他の記者にとってもさして重要ということではなく、
それは信長にとっても同じはすだということだろ
築山殿を殺害したという報告を受けた家康は、
「馬鹿正直に殺したのか、女のことだから何とかできただろうに」と嘆いたという
>>588 記述がないから他の記述が誤りだということにはならないと言ったまで
590 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 15:45:33 ID:cC7dxhTw
いくら不仲とはいえ、主君の正室の事を「さして重要ということではなく」ってのは無いだろ……
591 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 16:22:14 ID:IgqRvaS3
>>587 信康殺害のきっかけとなったとされる、徳姫の十二か条の報告は
「三河物語」だけではなく、「家忠日記」、「信長公記」などに見られます
>>573で書いたように、「信長公記」は太田牛一の著作なんだが、太田牛一は、このスレで
新説を支持するときによく引用される「安土日記」の著者でもあるから不思議である
592 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 16:28:28 ID:jIBSFsZB
ウソ言えよ、12ヶ条の書状のことなんか
「信長公記」にはまったく出てこない。
むろんそれが基で信長が切腹命令を出したなんて記述もない。
だから新説派には「書状なんて存在しなかったんじゃないか」
と疑われている。
593 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 16:48:35 ID:jIBSFsZB
>>591はどこでそんな間違った情報を仕入れてきたんだ?
「家忠日記」にもそんな書状のことは出てこない。
逆に、通説と相反する家康と信康の間が平穏でなかった
様子が窺える。
とりあえず谷口克広著「信長と消えた家臣たち」
(中公新書)でも読んでこい。
594 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 17:38:20 ID:zuZxf8Xf
「信長公記」くらいネットで原文も現代語訳ものせてるサイトあるんだから、嘘吐く前に確認くらいしたら?
595 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 20:46:18 ID:nEfFsqgN
家康と信康の間が平穏でなかったという事が最大のポイントらしいね
これは個人的な事なのか、それとも権力闘争的なことなのだろうか?
596 :
人間七七四年:2009/11/23(月) 22:54:14 ID:X2ObGKnd
>>595 個人間対立ってのが主流だけど、岡崎派浜松派みたいに派閥での対立まで発展してたと主張する学者もいたりする
実際その辺りは論争中だから何とも言えないけど新資料でも出ない限りは個人間ってのに落ち着くだろうね
けど信長の指図で信康を泣く泣く斬っただなんて説主張する学者はいません
597 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 01:41:37 ID:AaEjLm6b
徳姫の十二か条に信長と家康を殺すと書いてあったのだから
短気な信長が「築山殿と信康を殺せ」と命令したのは確実
武田の内通=謀反だから、家康が軍勢を率いて岡崎城に乗りこむのも当然
築山殿と信康の殺害は信長の命令だったのは当然として
問題は徳姫がなぜそんな書状を父親に送ったかだ
信康が側室を作ったから嫉妬した?
嫁と姑の関係がこじれたから?
信長が二人を殺すよう命令を出すのを見越して手紙を送った?
徳姫は二人を殺そうとしてた?
まさか徳姫は愚痴っただけで信長が二人を殺すよう家康に命令するとは思ってなかった?
いったい徳姫の真意はどこにあるのだろうか
みんなはどう思う?
↓
598 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 02:28:25 ID:+TYMaDL/
突っ込みどころ多すぎてもう何も言えん
599 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 02:44:03 ID:R/ydYbtl
新説だと徳姫は完全に蚊帳の外?
突然夫を失った悲劇のヒロイン?
新旧説で一番イメージ変わるのこの人だな
600 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 08:51:06 ID:/sXoXEqM
学会で今までの説が完全に否定されて、新説が取って代わったというのが嘘なんだな
両論、細かくみれば諸説あるが、どれも決定打に欠くというのが現状だ
601 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 09:34:16 ID:G3Onx0cJ
>>600 ちなみに信長命令説を掲げてる学者を教えてくれ
602 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 10:02:40 ID:/sXoXEqM
有名な人だと静岡大学教授の小和田哲夫氏は従来の説をとり新説支持ではないだろうな
603 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 12:29:45 ID:9vlh/XVe
いくら有名とはいえ武功夜話は真書!などといまだに
言ってる小和田なんて出されてもねえ。
604 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 12:50:20 ID:H2D9uG3T
小和田は信康の才気を恐れた信長が殺したとかソースも無しに語っちゃう
同大学の高柳の影響受けすぎ
605 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 14:03:54 ID:aKFz+TOl
一つだけ間違いなく言えるのは事実はどうあれ
徳川が最終的に天下を取ったからこそ「信長命令説」がまかり通ってる点。
もしも織田が天下を取っていたら「信康は徳川家の不和で殺された」で終わっている。
606 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 14:39:30 ID:Ac0kr6F1
まあ徳川の天下がずっと続いていたら、今川義元とか武田勝頼とかの再評価もなかっただろうなあ
607 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 16:23:41 ID:WKe68sil
この事件のとばっちりをまともに受けてるのは信忠さんだったな
最近は再評価されてきたが高柳説以来は不遇な評価だったからね
608 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 16:40:52 ID:+TYMaDL/
学閥があるからな、静岡大学はもうちょっと現実見ろと
てか小和田氏の著書や論文に信長命令説挙げてる箇所あったっけ?
609 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 16:58:37 ID:Hnn2Dwar
このトピックはとりわけ重大でもないから多くの研究者が集中的に研究してるわけじゃない。
歴史解説を解説する時に取り立てて新説を主張せずに従来の説で語れば、それは従来の説を支持という事だろ。
610 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 17:11:54 ID:R/ydYbtl
611 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 19:08:46 ID:UzDUWOo7
大名家につき一人は基地外がわくな
612 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 19:25:55 ID:3cGv3eBy
いくつかのスレのは同一人物だがな。文体が一緒
613 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 19:59:18 ID:aKFz+TOl
>.608
小和田さんは一般向きの本で言ってることと
学会で言ってる事とぜんぜん違うので有名だった筈。
割り切りができてるんだろうね。
614 :
人間七七四年:2009/11/24(火) 22:13:48 ID:KiMzU3cw
>>612 すごくよくわかる。キーワードは
「学者」
「学会」
「素人は考えても無駄」
辺りかな。
615 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 05:04:16 ID:NjWGo0GL
酒井厨に聞きたい
忠次はどうして徳姫の十二か条を認めたんだ
築山殿と信康が武田と内通しているって認めたら
そら信長も「築山殿と信康を殺せっ」って命令するに決まっているし
家康は泣く泣く妻と子を殺すしかない
忠次はバカ正直な奴なのか?
616 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 06:10:34 ID:6j0zAGkQ
617 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 07:26:17 ID:9HbgXODQ
十二か条自体アレですしおすし
618 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 09:16:05 ID:b9YnAGEo
>>615 酒井忠次と信康は政敵どうしの間柄ということだろ
信康が我侭というのは徳川家内に蔓延してる
619 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 09:33:30 ID:WItJaofx
>615は、信長命令説を唱えている人に対して問うているんじゃないか?
620 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 14:02:32 ID:aJdHhl7G
>>478を読むと武田と内通という感じではないね。
武田が徳川の分断を狙って岡崎側にエサを撒いたら、
築山殿が簡単に色仕掛けで落ちただけだな。
信康は全く武田と関係ないし。
621 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 15:20:42 ID:snKVanYf
十二カ条の存在自体眉唾ものなのに今更何を言っている?
622 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 16:08:10 ID:aJdHhl7G
否定されたわけでもあるまい
623 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 17:35:53 ID:snKVanYf
じゃあよ、手紙残ってんのか
624 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 20:28:53 ID:IxB49NHH
酒井は東三河の統括が主なのに、何で信長に呼ばれたのか。
同様に、大久保も対武田の前線である二俣がこのころの本拠なのに
なんで岡崎の信康について問われてるのか謎。
岡崎にいる宿老は平岩と石川なんだから、そっちを呼ばなかったのは
何でなんだろうねぇ。
625 :
人間七七四年:2009/11/25(水) 21:17:55 ID:QAxoFcp1
酒井は筆頭家老だから
ちなみに行ったのは酒井と奥平
更にいうと呼ばれたのではなく、こちらから行った
「家忠日記」で奇妙なことについて
この年の正月に酒井が安土に行ったことは書いてあるが、7月16日の上記の事は書かれていない
ちなみに6月5日には
「家康浜松より信康御「 」の中なをしニ被越候、「 」時「 」家康御屋敷へ「 」御渡し候て、ふかうすかへり候、」
とある。ただし「ふかうす〜」は家忠の事
626 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 00:21:37 ID:+/IIZVbQ
徳姫はどうして減敬と築山殿の情事を知ったんだ
密室での出来事だろ
627 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 00:27:11 ID:B3yIOboi
まぁ淀の方と大野治長とか三成とかのうわさ話もあるしな
日頃暇な噂好きの侍女とかの妄想が〜とかあるんじゃね
そもそも十二箇条自体アレだから築山殿のイメージダウンの為に見境無く適当なもんつめこんだとかじゃね
628 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 01:41:06 ID:7O0ZH7s3
戦国の婚姻というのは家同士の同盟と同時に、嫁いだ先の内部情勢を探る仕事もあるんだよ
629 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 10:00:15 ID:6BT4X/Ya
>>625 奥平信昌は信康の姉である亀姫の婿だが、信康はこの婚姻には反対だったらしいからな
家の婚姻政策に感情で反対する、我侭な一面があることは伝わっているな
630 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 16:50:30 ID:/ZPNxSv1
>>626 武田が徳川を混乱させるため減敬を送り込んだのなら、噂流してでもスキャンダル広めようとするだろうな
徳姫から信長に情報が伝わって、織田と徳川が仲違いでもしてくれたら武田は万々歳だろ
631 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 17:07:20 ID:0wNgaJFM
それも十二ケ条あってこその妄想だろ
632 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 17:15:59 ID:sPvveicN
>>630 それで築山殿が原因なら、彼女を処分すればいいだけの話でね
633 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 18:35:44 ID:oVN6D2je
>>625 信康と陣中口論のあった酒井忠次と、婚姻にケチをつけられた奥平信昌が信長に呼び出される・・・
しかも奥平信昌の「信」は信長からもらった物・・・
どうやら見えてきたな
634 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 19:24:01 ID:sTjJl2Qz
どう見えてきたんだ?。
まだよくわからんが。
何らかの推理っぽいな。どう展開するか楽しみにしておこう。
636 :
人間七七四年:2009/11/26(木) 21:14:05 ID:tJ0542fK
キバヤシが降臨したと聞いて
637 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 00:02:26 ID:B50KJL8b
徳姫の十二か条は信長より家康の方が先に知っていたということだな
638 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 01:20:42 ID:/dcxymbi
十二ケ条が本当にあったならそれも成り立つんだがな
639 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 17:25:55 ID:c33xP8hi
12ヶ条が存在しないと言ってる奴は家康意思説だと存在してもらっては困るという理由からだろ
640 :
人間七七四年:2009/11/27(金) 17:54:08 ID:0hj68T+E
日本語で
641 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 21:40:37 ID:Y6sOIoFs
信康自刃の際に、今一つ気にかかることがあります。
織田・徳川同盟に重要な役目を果たした水野信元についてです。
この人も、非業の死を遂げているのですが、信康自刃以上にその原因が今一つ分かりません。
そして、水野信元を死に至らしめた際に、石川数正・平岩親吉が動いていたという寛政譜の記述があります。
更にいうなら、信康は本来なら岡崎衆の旗頭で、その自刃に際しては、石川数正・平岩親吉といった岡崎衆系の重臣にも大きな影響が及ぶはずです。
ところが、石川数正・平岩親吉共に、信康自刃の際の行動が明確に現れてきません。
精々、平岩親吉が信康自刃の際に、自分が身代りに切腹すると家康に訴えたというエピソードがあるくらいです。
なんとなくですが、水野信元殺害事件と、徳川信康殺害事件の間に黒い霧がかかっているように思えてなりません。
642 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 21:47:45 ID:vXqNYFWi
>>641 典厩五郎の家康、封印された過去にという本に
この事件についても多少突っんだ事が書かれているよ
643 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 22:25:43 ID:od24RlNf
>>641 家忠日記によると石川数正・平岩親吉は岡崎に特にどうこうという事なくいますが
644 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 22:28:16 ID:BO8+/rr7
信長の勢力圏内の東部戦線における一貫した綱紀粛正ということだろう
645 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 22:38:11 ID:0wMwRCW/
結果としてはそうなったが、本当は違うんだなそれが。
水野信元と信康か。感覚的に無関係でいいや。
647 :
人間七七四年:2009/11/28(土) 23:07:08 ID:0wMwRCW/
むしろ忠次と深い関係があったからな
酒井と水野。
家康から見たら伯父と義叔父だな。
649 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 00:18:28 ID:sOSaKF0y
水野信元も武田への内通疑惑で家康に命じて殺害だな
築山殿と信康も武田への内通疑惑で家康に命じて殺害
両方とも信長の命令
どちらもいいがかりだからな
これらは家康への踏絵
安土城下に家康の住まいを造ってるわけだからな
そういうことだ
どういうことだ?
651 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 00:26:26 ID:FdS+0bWT
言いがかりじゃねえぞ
信元は前々から疑惑が持たれてたぞ
652 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 00:30:52 ID:FdS+0bWT
信康の武田内通説も徳姫十ヶ条関連だからな
先が見えすぎたのだろうか。
654 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 01:02:07 ID:La+ScKoK
三方ヶ原以前から武田との内通を疑われてたみたい
当代記にもそんな感じに書かれている
655 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 05:51:55 ID:7QuK30OJ
そうなのか
信長も相当武田には頭を悩ましていたようだな
656 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 06:15:56 ID:GBloPu2J
というか高天神城を攻略されて東遠江を抑えられた頃なんか徳川家はかなり劣勢な状況だったからな
武田に内通しようとする三河、遠江豪族が増えるのも当然
逆に武田家が劣勢になって織田、徳川、北条に攻められると木曾義昌はじめ国人衆が寝返りまくってるし
657 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 08:41:38 ID:WXzz+MAk
敵方に内通というのは邪魔者を排除するための最もポピュラーな口実になってたということだな
658 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 09:10:30 ID:FdS+0bWT
年々織田・徳川に対する発言力が落ちていってたみたいし邪魔者って程でもなかったがな
659 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 13:37:08 ID:AFnjTLaw
>>641 やはり信元の粛清は信康自刃を考える時に並べて考える研究者も多いようですね
長篠後、武田の脅威がある程度削減された後の信長の行動として、自陣営の固めの為に、
不安要素を潰していく事を選択したのだと思います
660 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 13:55:06 ID:FdS+0bWT
三河物語には信元殺害について何も書かれてないが
松平記には家康の忠誠心を試すために信長が信元殺害を命じたと書かれているな
661 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 16:59:08 ID:YndXfDzA
>>660 水野信元は、家康の配下ではなく、勢力的には及ばないが、基本的には家康と同格で、信長の同盟者の存在。
それなのに、家康が手を下したという話があるのが、どうにも不審極まりない。
佐久間が直接手を下したというのなら、まだ分からなくもないのだが。
わざわざ、実の甥に忠誠心を明かすために、伯父を殺せ、と信長が命じたというのは、どうにも釈然としない。
まだ、水野信元と徳川家康との間に何らかのトラブルがあり、家康が信長に訴えたことから、家康による水野信元殺害に至ったという方が自然。
それにしても、あの書きたがりの彦左が三河物語で水野信元殺害について何も書いていないというのが、不思議。
石川数正が信康を駿府から連れ戻した状況を見ていたように書く人なのに(実際には幼いので、覚えている筈がない)。
662 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 21:46:03 ID:r4AyfLZ4
谷口克広氏は水野信元は殺害の時期には家康付きだったと推測している
663 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 22:38:38 ID:qk1Z60gx
松平記にある水野信元の岩村城への食糧横流し事件は
信元がいた刈谷から秋山信友が篭城していた岩村城までの
距離が結構離れていた事から大分無理があるんだよな
664 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 23:35:31 ID:3AGSlLrq
>>660 家康は信長に無理難題ばかり吹っ掛けられてるな
同盟者というより家臣も同然だな
665 :
人間七七四年:2009/11/29(日) 23:53:42 ID:qk1Z60gx
ばかりではないな
666 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 00:00:09 ID:Cyl2Xf6A
家康は信長から終始別格扱いされてたからな
667 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 02:19:49 ID:gaXpkxKe
大賀弥四郎ってこの事件に絡んでるんじゃないのか
大河ドラマ見てたら築山殿と不倫してたぞ
668 :
人間七七四年:2009/11/30(月) 07:30:24 ID:Cyl2Xf6A
それはないな
だいたい大賀氏って何者やねんと越前様。
670 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 03:26:46 ID:+I28oPvL
徳姫と信康の仲が険悪になったのは
側室のせいだったはず
この女が武田の忍者で
こいつが原因なのだ
671 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 06:04:40 ID:McOzEHKA
>>664 武田滅亡後に家康が駿河を領土にしたとき、信長から家康に駿河を「拝領」という言葉が使われている
このことをもって、当時既に家康は信長の家臣であったと見做す研究者も多い
672 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 06:48:12 ID:yEimCOGn
>>669 信長の行動からして側室持つ前から不仲だった可能性はあるけどな
673 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 18:22:28 ID:H7PYADyp
674 :
人間七七四年:2009/12/01(火) 19:48:29 ID:LVKIrMrK
かの山岡氏も生前に作中の信康事件はフィクションだと言ってたし。
675 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 00:36:02 ID:n/bmEgOJ
戦国時代において親が自分の息子を殺すことはめずらしい出来事ではなかった
しかし、自分の息子を殺すのにわざわさ息子の嫁の父に許可を取るなどといった例は戦国にはない
許可を取るとしたら徳姫を殺す時ぐらいだろう
つまり、信長厨のお得意の「家康が信康を殺したいから信長の許可をとりにいっただけ」という、むちゃくちゃな解釈は成り立たないのである
また、戦国時代において自分の正室を殺した武将なんていない
離縁すればすむことだからだ
というわけで結論
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
676 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 00:42:51 ID:TegE2I9T
悪い、悪くないってなんだよ?
基本的に信長の圧力はあったと思っているが、その説はあさっての方角を向いてるなあ
677 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 02:20:55 ID:eY1bdD8w
悪い、悪くないは信康の死に責任があるかどうかだろうが、確かにそういう感じの論じ方されてるな
678 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 06:20:41 ID:k2x4vwS2
だからさあ。
別に家康と信康の関係がぜんぜん、良好で彼らが平和に暮らしている中で
突如として信長の信康切腹命令があったわけじゃないだろ。
松平家忠日記を読めばわかるとおり、家康と信康や岡崎衆の間で
大変な揉め事があって上や下への大混乱があったわけだろう?
だったら、それがたとえ、信長の圧力なるものがあったとしても、
信康切腹の主因は徳川内部の紛争によるものであり、
結局は家康が信康切腹の最大責任者ではないか?
それなのに信康切腹を信長や酒井のせいにするなんて、
まあ家康らしいって言えば家康らしいよな。
679 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 06:34:13 ID:k2x4vwS2
>>675 >しかし、自分の息子を殺すのにわざわさ息子の嫁の父に許可を取るなどといった例は戦国にはない
無茶な理屈だなあ。家康が信長に断りなく娘婿殺害できるわけないじゃん。
>許可を取るとしたら徳姫を殺す時ぐらいだろう
家康が徳姫殺せるわけないじゃん。
>築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
なんかあんたの文章見ていると
前半の文章は「信長と家康は対等」みたいに書いてあるくせに
後半になると「信長と家康は主従関係」みたいなニュアンスに変化してるね。
680 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 07:23:43 ID:zSDbJB0s
キチガイにマジレスすんな
681 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 10:40:33 ID:fe/5qayO
過疎スレとどちらがマシなのか
682 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 13:04:50 ID:Pojavzf9
別にレスしたくなきゃ自分がしなきゃいいだけじゃね?
他人にまで強制するなよ
683 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 20:07:48 ID:X9DW9cNH
>>678 いや、信康の教育に失敗したと後年、家康自身が認めてる記録が残ってるし
(『大三川志』)
酒井や信長に責任を押し付けたのは江戸初期以降の徳川家やその家臣達だろ。
そのもっとも初期なのが大久保忠教の『三河物語』だろうな。
この人、本多正信の件でもそうだが、自分の好き嫌いでかなり歪めて書いてたのは否めない。
忠次の左衛門尉家が石川数正出奔あたりから雅楽頭系と並列させられたうえ
井伊本多榊原大久保などに比べて冷遇された印象の時期がある。
ここを開府後に利用されて信康処分に使われてしまっている感じかなと。
685 :
人間七七四年:2009/12/02(水) 22:23:19 ID:JBo6kxmg
>>678 長篠の戦い後の織田家と徳川家の関係とその周辺の動きをみれば、
やはり信長から、何らかの圧力があったというのが自然と感じますね。
信長は、膨大なコストをかけた長篠の戦い後、すぐに武田家を追撃はせずに
むしろその地域の綱紀粛正を図った。
それが家康の叔父にあたる水野信元の殺害で、これは家康に命令してやらせています。
東部の抑えにするため、この地域の政治事情に積極的に介入したと思われます。
そこでまた、徳川家内部の抗争とおぼしき事態(はっきりとどういう事態が起こったかは記録に無い)が
勃発すれば、信長はやはり積極的な介入を実行するのではないでしょうか。
徳川家の内部抗争を起こるがままにさせておき、家康に上申されるまで無関心だったとは
考えにくいと思います。
686 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 01:14:58 ID:HCVXioaR
徳姫と忠次の証言が一致している以上疑う余地はない
12ヶ条は事実
築山殿の武田への内通は事実
信康の狼藉も事実
というわけで結論
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
687 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 01:39:22 ID:sDfQ0fZJ
12ヶ条が事実だったとしたら、家中からそこまでの内通者を出した家康の責任だろ。
むしろ家康は利敵行為に走った売国奴の家族を処分できない優柔不断の愚か者で、
しかたなく信長が責任を肩代わりしたということになるわ。
688 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 05:11:08 ID:c2pA/Fv3
>>685 >そこでまた、徳川家内部の抗争とおぼしき事態(はっきりとどういう事態が起こったかは記録に無い)が
松平家忠日記にはっきりと書いてある。
689 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 05:18:50 ID:c2pA/Fv3
>>686 >>687 武田への内通や信康の乱行が事実なら、
その場合はたとえ信康切腹が信長の命令であったとしても、
家康、築山殿、信康に同情の余地は微塵もない。
>築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
仮にそうだとしても信長に完璧な正当性あり
>信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
そんなアホな嫡男と正妻を家康が本気で愛してたなら家康もアホ。
最近の市橋容疑者をかばう記者会見して叩かれた市橋容疑者の親と家康は同じ。
>悪いのは信長
悪くない。正当な決断。市橋を逮捕した警察と同じ。
>家康は全然悪くない
武田のない通者と乱暴狼藉の長男を出した家康の管理責任を考慮すれば、
家康が100%悪い。信長は全く悪くない。
家康は市橋容疑者の父親と同じ。
690 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 06:15:51 ID:b1yYEzFb
>>685 信長が家康に信元殺害を指示したのが本当の事だったらね
691 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 08:20:09 ID:Ia4wtsy0
信元誅殺事件が載ってるのは松平記だけだったっけ?
692 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 08:30:54 ID:j+Usa+dQ
この際、歴史上の人物や出来事に、悪いとか悪くないとかおかしくね?
693 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 08:43:28 ID:LQG/NWCJ
ちゃんちゃらおかしいな
694 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 13:40:59 ID:6g5yq1H5
なんか感情を交えてこの議論をしてる人の傾向として、どちらの説の支持でも
信長の命令派→信長から命令されたのだから家康は悪くない
家康の独自判断→自分から息子を殺すのだから家康は悪い
みたいな家康個人の人間性の善悪で語ろうとしてるよな
現代の倫理観で語りすぎ
695 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 15:05:20 ID:qqC48okq
信長が娘の夫の処罰にノータッチとは考えにくい
その時の信長の言がちょっとしたものだったとしても、
それを大久保彦左衛門が「アレは命令だ!」と受け止める事はあり得なくはないんじゃないか
同じ物事でも受け取る人間によって180゚違った見方になるのはよくあることだ
>>577 学問としての日本史は門外漢なんで断定はできないが、
従来説ってのは取りあえず乗っかるには都合がいいし、
学者が専門分野から一歩外に出ると、途端に変な事を言い出すというのはよくあること
それに異端派は概して正統派より多く本を書くものだ
696 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 16:33:23 ID:Ia4wtsy0
三河物語には発表当初、命令説はおろか、十二カ条も書かれてなかったらしいんだが
697 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 17:10:24 ID:yUK1QyVM
>>688 家忠日記には家臣団の在所への引き上げ命令があったとしているから、
騒動があったことがわかるが、それ以上に詳細な事まではわからないんじゃないのか?
698 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 20:39:44 ID:gcXZr/D/
>>695 本屋で探したけど、信康切腹事件を扱っているものは大抵従来の説どおり
学研の歴史群像シリーズの「徳川家康」と「戦国武心伝」ぐらいが新説を扱っていたけど
執筆者はどちらも橋場明氏だった
全体的にこの事件を扱ってる書は少ないし、扱っていても小さい
699 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 20:49:20 ID:rYNhJkEU
>>698 もっとあるぞ
>>602で上げられた小和田哲夫氏の今年発売されたある著書にも新説が取り上げられてる
700 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 21:04:47 ID:gcXZr/D/
701 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 21:05:50 ID:BpKOlQaU
谷口氏の「信長と消えた家臣たち」でも、信康切腹事件については、信康と家康の対立が原因という説を採っているな。
当時、信長の近習(秘書)だった堀秀政への家康の書簡、及び当代記の記事から、信長は家康から信康処断について相談され、家康の思い通りにしろ、と返答したのは間違いないだろう。
702 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 21:14:19 ID:gcXZr/D/
>>701 その本はここでもよく挙がるから知ってる
>>698は何というか、もうちょっと一般的というか、全般的に戦国の事を扱ってる本のこと
703 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 21:14:25 ID:rYNhJkEU
704 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 21:23:30 ID:gcXZr/D/
705 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 23:11:42 ID:smz3Dm42
>>695 自分もそう思う。武田の抑えのはずの徳川家に動揺があるのに
信長が黙って見てるはずがないと思う
記録の記述のくい違いは、圧力かけた側と、かけられた側の見解の違いだろうね
案外
>>471が実相に近いんじゃないかと
706 :
人間七七四年:2009/12/03(木) 23:45:28 ID:rYNhJkEU
事件から一年以上も前から信康家臣に家康の命令が届いてたから圧力の線は薄いな
707 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 13:40:26 ID:jWZoasUq
この事件さあ、秀忠が生まれたすぐ後に起こっているんだよね
なんかさあ、秀次事件とかぶらない?
間に秀康もいたけど嫌われてたし、やっぱり秀忠が可愛くって可愛くって仕方がなかったんだろうなあって思う
家康はさあ、お愛のこと一番愛していんでしょ
お愛は初恋の相手お田鶴の方とそっくりなわけだし、秀忠を世継にしたかったんだろうねえ
家康は本当はお田鶴の方と結婚したかったんじゃなかったのかな
なんで飯尾連竜なんかと結婚したんだろうねえ
ところでお田鶴の方の出自に関してみんなに聞きたい
この女性はどこの家の娘だったの
教えて?
708 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 15:25:41 ID:k/HX5l/6
709 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 18:05:12 ID:NuQSCdIs
家康と信康の年齢さが14年しかないからね。
家康にとって信康は息子とはいえライバルみたいなもんだし。
710 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 19:03:41 ID:jWZoasUq
それでお田鶴の方の出自は?
711 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 20:54:26 ID:HTGyGaxt
忠輝の件をみるに、家康が父親として信康に愛着があったかは疑問符がついちゃうんだよなあ。
江戸時代に編集された(徳川家や家康に対する修飾が多かれ少なかれあると思われる)野史や藩翰譜にまで
「幼少時の忠輝に対面した権現様は『うわ、こいつ信康そっくりやん!なんつー事だ。』と仰りました」
というふうな内容がばっちり書いてあるわけでさ。
好いてる息子だったなら、こんな形で引き合いに出さないでしょ。
つまり自分に似ている息子は嫌いだったということかね。
713 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 21:17:51 ID:n9cuFt5R
藩翰譜には信康が信長の不興をかった話もあるよ
714 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 21:30:11 ID:MMYzi2iW
ほんとかよ?
715 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 21:35:29 ID:HTGyGaxt
>>713 そう、だからこそ、そういうパートには後世の人間が
家康を正当化して信長に責任を被せたいのかな?と邪推する余地がある。
こんな話がまだ消しきれずに残された(書かなきゃいい話なのに)ということ自体、
どうにも家康と信康の深刻な対立があって、その痕跡を消しきれなかったような印象を受ける。
716 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 21:41:19 ID:MMYzi2iW
717 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 22:39:57 ID:n9cuFt5R
>>715 推測を重ねた話でどちらとも受け取れるな
同じ書の都合の悪いところは消しきれない、都合のいいところは捏造とか邪推にすぎないね
718 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 22:42:28 ID:mryCmfGI
>>708 山岡うんぬんはともかくとして、秀忠の母が家康にもっとも愛された
女性というのは事実じゃないの?
ならその子を後継ぎにしたいと思うのが自然。
一方信康は裏切った旧主家の血を引いている。
家康が信康より秀忠のほうを後継ぎにしたいと思っていたのは
否定できないのでは。
乳児死亡率がバカ高い時代にあって、生まれたばかりの赤ん坊に期待する家康ってなんかすごいな。
720 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 22:55:25 ID:MMYzi2iW
>>717 推測どころか物証があるレベルなんだがな
それに藩翰譜は執筆時期が家康死後より大分経った後で信憑性はあまりない
>>718 将軍の母だから後に脚色されただけの可能性が極めて高い
彼女に対して家康個人が特別に何かしたわけでもない
721 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 23:01:11 ID:n9cuFt5R
>>718 秀次事件と較べられてもなあ。実子と養子の違いもあるし
生まれたばかりの赤ん坊に総てを賭けるというのも考えにくい気もするが
もしそうなら結構面白いね
まあいずれにしろそのことが窺える資料みたいなものが皆無じゃね?
>>720 何の物証?
722 :
人間七七四年:2009/12/04(金) 23:22:03 ID:tNNPP5Wm
家康は秀吉に秀康が殺されても別に構わないような事も言ってたぞ
723 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 00:36:53 ID:eEK+xnQC
長篠合戦以来、信康はまともに戦場に出させてもらえなかったな
724 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 05:13:54 ID:KexBzXnJ
藩翰譜に信長の命令で信康は殺されたって書いてあるんなら
信長の命令で確定だな
725 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 05:58:48 ID:DASh1Lh1
そんな事書いてないし
726 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 08:04:01 ID:04lL+Csu
>>723 長篠以降、勝頼が攻めてくる度に父子で出撃しています
727 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 08:32:47 ID:fufF3EHq
当時織田と徳川は力関係から従属同盟の関係にあったことは間違いなく、
その盟主から「で 、 ど う す ん の ? 」と聞かれたらなんらかの決断はせざるをえん。
それは圧力に違いない。信長が使役したということは無かろうが、
信長の存在がちらついてのことであったことは間違いないんじゃないかね。
つまり信長の命令でもなく、家康の意思でもない。
これが現状で出来る双方の落としどころかな。
728 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 09:13:16 ID:04lL+Csu
天正七年八月八日の堀秀政宛徳川家康書状
「今度、左衛門尉(酒井忠次)を以申上候處、種々御懇之儀、基以(二)御取成故(一)と悉令(レ)存候、
仍、三郎不覚付而、去四日岡崎を追出申候、猶其趣小栗大六、成瀬藤八可(二)申入(一)候、恐々謹言」
これを堀忠政へ信長に対して信康の取り成しを依頼しているのか、それともただの事後報告に過ぎないのか
について評価が分かれている
729 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 10:27:14 ID:hb0ybN7X
>>726 出撃つっても一度しか第一線で戦闘させられてないみたいだぞ
730 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 10:31:23 ID:04lL+Csu
>>729 戦争と言うのは基本、八割方が睨み合いに終止するものですから
731 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 10:38:22 ID:hb0ybN7X
>>730 城の留守居や後方支援も立派な戦場の勤めなのは確かだが
信康のはあからさま過ぎる
732 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 11:18:58 ID:04lL+Csu
天正五年十月 家康・信康、遠江馬伏塚まで出兵
天正六年八月 家康・信康、遠江小山へ出兵
同 年十一月 家康・信康、遠江馬伏塚まで出兵
天正七年四月 家康・信康、遠江馬伏塚まで出兵
信康が岡崎城を追放されたのが同年八月
この様に軍事的な面からは特に両者の不仲は感じられない
733 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 19:31:27 ID:f+sp9n7K
信長は松永、荒木、明智といろんな人に背かれてるから、常識的に考えて家康にも結構な圧力をかけたと思うね
734 :
人間七七四年:2009/12/05(土) 23:30:26 ID:Vi0enROy
>>727 落しどころを見つけるために議論するんじゃなくて、あくまで自分の思う説を主張すればいいと思うけど
>盟主から「で 、 ど う す ん の ? 」
これが実際起こった事に近いんじゃないかなあという気がする
735 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 02:01:25 ID:LWwWIz9k
信康と築山殿は殺されたけど亀姫は生き残ってるな
うる覚えだが、亀姫って長篠の戦いの時、長篠城にいたような記憶がある
最前線の城に自分の娘を嫁にやるなんておかしくないか
殺されるかもしれないのに
奥平に嫁ぐよう命令したのは信長だったよな
736 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 07:29:28 ID:9AsWJb4w
737 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 08:22:54 ID:uPyEujDG
え?
738 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 08:40:43 ID:r3slRSd8
>>735 亀姫が奥平信昌と結婚したのは、長篠の戦いの翌年の天正4年だぞ?
長篠の戦いで、信昌と共に篭城して苦労したなんて、そのまま山岡荘八さんの小説じゃないかw
それでもって、確かに武田からの寝返りの見返りとして、信昌と亀姫の婚姻を条件の一つに出したのは
信長の意向だね
739 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 09:33:54 ID:RFiOqKef
奥平もなみたいていのコトじゃ捕り潰しにはならん家じゃな。
740 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 21:03:08 ID:E1rGKPLZ
新編岡崎市史によると
元禄年間成立の「伝馬町旧記録」「岡崎東泉記」を基にして
天正三年春に小河城主信康傅役兼家老の石川春重、岡崎奉行である大岡(大賀は後世の改変)弥四郎・松平新右衛門・江戸右衛門
といった信康家臣や築山殿が勝頼を岡崎に引き入れてようとしたが発覚し、大岡は鋸引き、その他の者は切腹になったとある
また、この時に信康家臣の長沢庶流、松平清蔵親宅は致仕したとある
この後、信康・築山殿事件では「松平記」を主に採用し、徳姫の信長への信康の粗暴な振る舞いや家康の不仲、築山殿の武田との内通を
記した書状を見た信長が酒井忠次・大久保忠世に「信康がこの様な悪人では徳川は立ち行かない、後の禍根となる」と怒ったという
その上、酒井・大久保は元から信康に蔑ろにされ不快の念を持っていたので、「仰せの事はもっとも、悪逆人でお恨みは最もです」と言う
この件を知った家康も立腹し八月一日に「生害させるつもりです」といい、信長も「その通りで良い」と返し、信康・築山殿は切腹・殺害とある
つまり築山殿は天正三年の謀反騒ぎを理由として、信康はその粗暴な振る舞いが家臣団の不興を買い、処断されたと言うことであろう
そこへ至る直接的な要因が徳姫の書状と信長の詰問、そして酒井・大久保の態度と言うことであろう
741 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 21:29:39 ID:kfnzj2gw
両説を折衷しようとしたんだろうね、新編岡崎市史
全然触れないわけにもいかないだろうから
742 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 21:32:13 ID:iYmT9osF
元禄年間成立か
信憑性はともかく、大久保一派と信康が不仲って話は初耳だな
そう、大岡越前は叛臣の子孫なのである。
744 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 21:37:08 ID:E1rGKPLZ
745 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 21:41:34 ID:E1rGKPLZ
747 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 21:54:46 ID:hedIf6DO
「松平記」の記録、その他の政治状況からみても信康の自刃に信長の意向があったことは疑いようがないな
>>738の例でも対武田対策のため、徳川家に事細かく支持を出しているし、その後の水野信元事件でも親族を粛清させてるし
信長が徳川家の維持=対武田勢力の維持のためかなり積極的に政策を打ち出していた事が窺える
748 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 23:09:50 ID:iYmT9osF
水野信元誅殺事件ね…
岡崎東泉記には信長は信元を家康に預けただけで
殺せとは一切言っていないという意味の事が書かれているらしいぞ
749 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 23:32:33 ID:lltjpJ7Y
750 :
人間七七四年:2009/12/06(日) 23:41:44 ID:iYmT9osF
新編と旧編とは内容が一部違うけどな
751 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 00:30:48 ID:5HqH8NXo
信長には前科がある
信長は亀姫を奥平信昌の嫁にやるよう命令して
家康は泣く泣く自分の愛しい娘を田舎国人に嫁がせた
この頃の家康と信長は主従関係にあって
信長の命令は絶対で家康は逆らえなかったのである
というわけで結論
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
752 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 05:54:06 ID:GWI8BUOg
753 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 08:33:18 ID:C9qSacyM
>>752 「旧」は「三河物語」を主に使用。「新」は「松平記」「伝馬町旧記録」「岡崎東泉記」を主に用いている
754 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 10:44:20 ID:QB86MajD
>>751 同じことをなんども書いて空しくないか?
結論とか言ってるが学者・研究者の間では新説のほうが有力と
されつつあるんだが。
素人風情が何偉そうなことを言ってるんだか。
755 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 18:35:34 ID:wjsmLtnn
学者とか素人とか何度も同じことを書いてるのはお前のことだろw
756 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 20:58:13 ID:WW6WWaW5
一般書でもあまり家康の意思説が取上げられず、市史でも従来の説のままの現実を前にして虚しいレスだな
2chでいくら大声で叫んでも現実は変わらない
757 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 21:16:58 ID:C9qSacyM
新編市史だと殺害の決断を下したのは家康としているけどね
758 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 21:24:07 ID:bIzrBYF1
>>756 コンビニ本や文庫本でも新説取り上げてるのはそう珍しくはないぞ
759 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 22:07:21 ID:zEcaNIT+
数十年前の常識が今では覆っていたり、今の常識が数十年後には覆っているかもしれない。
どんな時でも何かを盲信しないで、自分の考えだけは持っていたほうがいいわな。
760 :
人間七七四年:2009/12/07(月) 23:50:57 ID:tlf4YpZh
素人云々言ってる奴は歴史学者なのかよ
議論する余地もないと思うならいい加減このスレを卒業しろや
761 :
人間七七四年:2009/12/08(火) 00:09:48 ID:CFeDRwkG
762 :
人間七七四年:2009/12/08(火) 00:17:54 ID:YrMLASc5
日付が変わってID変わった途端に自己弁護
763 :
人間七七四年:2009/12/08(火) 07:21:49 ID:wLpsB/Kc
ましと言ってもダニとゴキブリのどちらがましなのか判断に迷う程度の争いだな
764 :
人間七七四年:2009/12/08(火) 16:06:56 ID:vs227ZvC
私が真実を教えましょう
信康の自刃は家康の意思でした
なぜ自刃させたかというと
実は信康は今川氏真の子供だったのです
家康が人質だった頃、築山殿は氏真の愛人でした
築山殿の体に飽きた氏真は家康に下げ渡します
家康は拒めず築山殿と信康をもらい受けます
そして清洲同盟、家康は、氏真のお古、築山殿と氏真の子供、信康を見捨てます
自分の子供ではないので殺されてもかまわないと家康は思ってました
裏切った家康に怒った氏真は家康の家臣の人質は全員殺します
しかし氏真は築山殿と信康は元愛人と自分の子供だったのでこの二人だけは助けました
その後、人質交換で二人は戻ってきたので仕方なしに嫡男と正室として扱います
実際、築山殿は正室なのに岡崎城に入れてもらえませんでした
時は流れ、家康に最愛のお愛との間に秀忠が生まれると両者の関係が決定的に悪化します
嫡男を秀忠にすると決めた家康は築山殿と信康に謀反の疑いをかけ始末します
これが信長自刃事件の真相です
というわけですので
このスレも本日をもって終了です
みなさん永い間ご愛読ありがとうございました。
765 :
人間七七四年:2009/12/08(火) 18:16:56 ID:0zUILTSy
今川氏真(1538年生)
築山殿(1542年生、1557年、松平元信と結婚)
徳川家康(1543年生)
松平(徳川)信康(1559年生)
わー凄いなー、築山殿はまるで神功皇后みたいだなー(棒)
神功皇后・・・
767 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 00:46:26 ID:XWphz0R4
>>764は荒唐無稽、信康は元信の実子で間違いない、ただ、松平元信と徳川家康は別人
松平元信は途中で死んでいて入れ替わった
秀忠は徳川家康初めての子、だから信康が邪魔になって殺した
学者・研究者の間ではそういうう説がある
768 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 04:37:33 ID:pPNaisTB
ついでに関が原で死んでそれ以降は影武者が家康になり代わったんですね
769 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 09:59:49 ID:BpccrzRA
また学者・研究者の言う事は何でも鵜呑みにする奴か
770 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 12:23:33 ID:dJquzvvq
、z=ニ三三ニヽ、
,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
}仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi
lミ{ ニ == 二 lミ| 皮肉ってわかってるか?
. {ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ
{t! ィ・= r・=, !3l
`!、 , イ_ _ヘ l‐'
Y { r=、__ ` j ハ─
r‐、 /)へ、`ニニ´ .イ /ヽ
} i/ //) `ー‐´‐rく |ヽ
l / / /〉、_\_ト、」ヽ!
/| ' /) | \ | \
771 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 14:04:15 ID:uTyIQZGU
ここで神のように崇められてる谷口もこんな奴だから気をつけろよw
一次資料至上主義過ぎて、無理矢理それに合わせた結論を出しちまう奴だからなw
54 名前:中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y [sage] 投稿日:2007/04/10(火) 17:18:06 ID:Fm64E8el
>>50 谷口(克)は戦国史研究家というよりコレクターだな。無味な奥野高廣という感じ
だから人物名の確定といった史料一点一点をあたるパズルを作るような作業には向いてるが
史料そのものを使って理論を進めるような、いわば学者センセに求められる
アカデミックな思考展開の部分が乏しい。かといって極論に走るようなこともなく
逆に妄想を爆発させるわけでもなく基本的な史料読解や当時の社会通念のいわゆる
常識的な部分は持ち合わせているから安心して読めると言えばそうだが
それ以上でもそれ以下でもない感がする。ただ俺様にとっては淡々としすぎて物足りないな
公務員的歴史家という表現がふさわしい気がする。
だからといって国内に散点する膨大な史料ひとつひとつを蒐集し
つぶさにつなぎあわせ比較検証しという谷口(克)オナニーが霞むわけではない
この業績は諸手をあげて称賛したいね。この辺が「努力だけは認める」由縁だ
772 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 14:34:31 ID:reK3GdH5
俺の結論に歴史が付いてくる、よりはマシではあるが……
773 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 17:53:32 ID:tsk97om3
>771 の引用文のどこをどう読めば
>一次資料至上主義過ぎて、無理矢理それに合わせた結論を出しちまう奴だからな
という主張がなされていると読みとれるのか判らん。
774 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 20:04:54 ID:qdZqe2K4
この事件を検証するにあたって
直前に秀忠が生まれた以外にも
北条と同盟を結んだという点にも着目したい
これも何か関係あるのでは
775 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 21:04:36 ID:4o/mIX8J
谷口は「信長からの命令」に疑問を呈する中で、酒井忠次が家康から処罰されていないことを挙げているんだが
見た瞬間おいおいと突っ込みを入れたくなったよ。
仮に信長から命令が出ていた場合に、報告係りの酒井を処罰なんかしたら、家康が信長に立て付いてる事になるだろうがと。
まあその辺の推論の甘さが
>>771みたいな評価に結びつくのかなあと。
同じ事件の説明でも、司馬なんかの小説家のほうがずっと説明が上手いね。
776 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 23:03:26 ID:tsk97om3
>>775 そりゃあ司馬だけでなく小説家は、小説の中において、残されている史料だけによらない、
自分の都合のいい展開を進めたり、あるいは史料にない部分を、自分の創作という名の
想像で埋めることができるんだから当然じゃないか。
しかし、納得させる説は唱えられても、資料的裏づけがないから、学説としての説得力はない。
777 :
人間七七四年:2009/12/09(水) 23:34:58 ID:4o/mIX8J
んなこたあ丁寧に説明されるまでもなく解ってるよ
司馬はこのエピソードを当時の武士の政治力学を踏まえて説明してるからフィクションでも説得力あるつってんの
酒井が処罰されてない。だから命令が無かったに違いないじゃあ説得力ねーだろ。
778 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 03:31:16 ID:dW8hyZGX
えっと、笑うところなのかしら?
779 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 11:41:30 ID:KeusvFuo
>>775 それは信長が死ぬまでの話だろ。
死んだあとならいくらでも左遷するとか冷遇できるはず。
ところが逆に信濃の最高責任者に任命されている。
このことから考えても家康と酒井のあいだには何もなかった
としか思えないが。
780 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 14:14:23 ID:XE8IaZZK
大変な仕事やらせて3万石しかやらないから冷遇なんだろうが
781 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 14:46:33 ID:tXLNvXFT
引退してたのが大きい
後継ぎの家次は後に加増されてる
782 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 14:50:49 ID:/iv9dJx3
家康自身が信康(ひいては家康自身)に責があると、考えているようだけどね
だから露骨な左遷はしなかった(嫌味は言ったようだけど)
783 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 14:58:29 ID:j2Xoybym
徳川家の家政で家康が酒井クラスの重臣を好きにできると思ってる奴が多過ぎw
このことを持って信康自刃の真相を語る事自体センスが無いって言ったのに通じなかったようだw
784 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 15:07:22 ID:tXLNvXFT
家康母の支持があるからな
785 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 17:52:37 ID:dTnJwjzH
786 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 22:11:42 ID:V+C0YUU9
>>783 信長は佐久間信盛を追放していますな。
毛利元就は井上一族を族滅していますな。
家康にしても、石川・平岩等の岡崎系の重臣で、家康没時に大名だったのが、何人いたか。
酒井にしても、本当に気に入らなかったのなら、追放くらいされていておかしくないと思うがな。
787 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 22:24:43 ID:cRZydQA/
徳川家が国人の寄り合いから、新しいトップダウンの体制に移り始めるのは
関東転封がスタート地点だぞ
788 :
人間七七四年:2009/12/10(木) 22:27:34 ID:/iv9dJx3
権力の集中具合は意外と早い方だが、それは別として家康は家臣をこき使いはするが、
そういった無碍な扱いはそれほどしていない
789 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 05:09:53 ID:JxIH3WBB
>>786 佐久間に関して、逆に言えば本願寺降伏させて機内を磐石にさせるまで追放できなかった。
と見ることが出来るよ。
「酒井忠次の独断では無かった」とするのに、
「酒井を追放しなかったから」を基礎的な根拠一つには出来ないと思う。
あくまで参考程度。
790 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 09:19:55 ID:wZyocw1i
忠次が信康を嫌ってた理由は、侍女に手を出した事を叱られ腹を立てたかららしいぞ
791 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 20:33:58 ID:2WJMUfLE
>>789 佐久間だけでなく、林とか安藤とかこの時期に老臣の追放が急増してるよね。
官僚制みたいなかたちに再編成するための追放処分じゃないんかね。
793 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 20:47:50 ID:bQuIdNrC
>>786 徳川家は当主の気にいらないぐらいで重臣を追放できるような体制じゃない
もっと勉強したほうがいい
794 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 21:42:30 ID:PVk/He1g
>>793 信長の佐久間追放も、元就の井上一族討滅も、「気に入らないから」なんて理由で行われたものではないのだが
もっと勉強したほうがいい
795 :
人間七七四年:2009/12/11(金) 21:49:52 ID:bQuIdNrC
体制の問題ね。
797 :
人間七七四年:2009/12/12(土) 16:02:14 ID:ErWSwptH
まだそんなことで争ってるのか
酒井の処置云々で信康自刃の真相なんて語れないって言ってるのに
798 :
人間七七四年:2009/12/12(土) 18:47:16 ID:uef8c8wJ
ずーっと揉めてる奴ら、メル友になっちゃえよw
チャットでもいいな。
800 :
人間七七四年:2009/12/12(土) 20:04:47 ID:6P7IqR13
まあここは谷口せんせいがそんな疑問を持った所為ということで
801 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 20:42:57 ID:x1OdeN5B
信長厨が付和雷同しているだけで、いずれそういう説が唱えられたことがあったということになりそうな・・・
802 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 21:32:52 ID:xkBJ2X2M
家康から上申したという記録があるのだからこういう説が唱えられることもアリだと思う
しかし盛んに学会では完全に信長命令説が否定されたとか言っていた人は何処の学会のことを言っていたのやら
803 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 21:50:23 ID:6AfEwxWK
一次資料に信長の命令だったと書いてあるのだから
信長の命令で間違いないよ!
804 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 22:52:16 ID:ECabrYje
一次資料にはないな
あるのは「好きにせよ」というもの
805 :
人間七七四年:2009/12/13(日) 23:05:25 ID:4hT+OGGk
806 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 10:27:27 ID:O0ZzngfN
谷口克広氏は本能寺の変を扱った本で、歴史を検証する際に信用してよい資料と、信用できない資料との選別をしているが、
三河物語は信用がおける書との評価を与えている。
その上で三河物語にある、本能寺の変において信長が当初息子である信忠の謀反と勘違いした、との記述を信用できないとしているが、
これは大久保彦左衛門と信長との接点が薄く、憶測、伝聞の類として可能性が低いとしているから。
このように、信用できる部分と信用できない部分に分けて考えている。
大久保彦左衛門は、信康切腹の場所である、二股城の城代、大久保忠世の弟であるから、その記述は憶測や伝聞とは違い
当事者の一人としての証言だと評価できるだろう。
807 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 10:47:53 ID:+44I9rOF
>>806 つまり、彦左衛門は浜松や安土の情勢を直接見聞きできる立場ではなく、
すなわち信長の命令があったなんてのは個人の憶測や伝聞を超えるものではなく、
その証言は信用できないということですね?
そもそも、当事者だからこそ、中立ではなく一方に肩入れした意見になるという視点が欠けた主張ですな。
808 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 11:06:36 ID:O0ZzngfN
> つまり、彦左衛門は浜松や安土の情勢を直接見聞きできる立場ではなく、
> すなわち信長の命令があったなんてのは個人の憶測や伝聞を超えるものではなく、
> その証言は信用できないということですね?
それはいくらなんでも無理があるな。
809 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 11:33:01 ID:+44I9rOF
>>808 一次資料として信長の命令説を打ち消す文書があり、かつ二次資料で命令説を唱えているのなら、
その二次資料の記述の信用性はないと見るしかないでしょう。
810 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 11:42:09 ID:O0ZzngfN
一次資料を基に、編集、加工して出来た物が二次資料。
当事者の記憶を基に書かれたものは、十分に一次資料としての価値があります。
811 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 12:22:09 ID:ouL5lA0h
徳川側からの「松平記」でも信長は「どうするつもりだ」と言っただけで、殺すという決断は家康がしている
もっともそこに至るまでに信長や家康家老の誘導があったようだが
812 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 12:24:28 ID:3foaEiAg
人質交換直後の信康の様子も直に見たように書いてるぞあれ
813 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 12:24:30 ID:Bpvt0HAl
当事者の記述は事実の歪曲が入るので信用できない
非当事者の記述は間に伝聞が入るので信用できない
資料否定論だなw 偉い先生の推察のみ正しいってかw
814 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 12:47:24 ID:3foaEiAg
三河物語は今川家と松平家との関わりでの嘘が多いぞ
815 :
人間七七四年:2009/12/14(月) 18:41:48 ID:0e4YcYvq
816 :
人間七七四年:2009/12/15(火) 02:13:21 ID:Sto7UZs6
神君家康が嫡男と正室を殺したということが明るみに出るとイメージダウンになる
こういった場合は病死にするのが普通だ
江戸時代捏造改竄はいくらでも可能だった
しかし病死になっていない
というわけで結論
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
817 :
人間七七四年:2009/12/15(火) 08:09:13 ID:Gxu6zO8M
818 :
人間七七四年:2009/12/15(火) 23:25:07 ID:+KMN8Mk0
>>801 まあ谷口克広が日本一の信長厨だからな
いい意味で
819 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 01:36:51 ID:w2TSxGAo
1576年に家康は叔父の水野信元を信長の命により殺している。
1579年に家康は息子の信康を信長の命により殺している。
1580年に林秀貞・安藤守就・丹羽氏勝の3人が信長により追放。
1580年8月に佐久間信盛・嫡男信栄の2人が信長により追放。(信盛は譜代の筆頭老臣)
その所領を信長と信忠で分割されている。
水野信元は織田信秀の頃からの織田の同盟者であり家来では無かった。
それを殺し、その所領を佐久間信盛に与えている。
その上で信元の元所領ごと佐久間信盛の所領を没収している。
この頃には信長にとって同盟者などは不要となっていた。
家康に叔父と息子を殺させたのも、家来にするための踏み絵。
信康問題は信長に従属しようとする浜松派と独立を貫こうとした岡崎派の争い。
信康問題以降徳川家は織田に従属している。
高天神城攻めでは信長の命令(書簡が現存)で降伏を許さず撫で斬りしているし
手紙も同格では無く主従のものとなり、武田攻めの際は駿河は徳川が自力で攻略したにも
かかわらず、織田から恩賞として与えられている。
その上で信長は甲斐から安土への帰還の際、来た道ではなくわざわざ徳川領を通っている。
それも大軍で。これは後の徳川攻めの軍事演習に他ならない。
本能寺の変のさい、参加した兵は家康を殺すものと勘違いしていた。
信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る。
本能寺の変が無ければ死んでいたのは家康だったかもしれない。
ちなみに、本能寺を起こした明智隊は追放された佐久間隊を引き継いだ部隊であった。
佐久間の所領を奪った二人が元佐久間隊に殺されたのは当然の報いだったのかもしれない。
820 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 01:55:02 ID:1c8fP1pu
>>819 佐久間は尾張を含む七カ国からの与騎を統率したが、その中に後の明智軍団に編入される
坂本・北山城・丹波は一切無い。
>信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る
家康の死後に信康に後を継がせ、その後を信康と五徳の間に生まれた子に継がせればおけ。
信康が先に死ぬのは、信長にとっては将来の利益がふいになるだけ。
821 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 02:36:50 ID:BqRFsGZN
>>819を要約すると
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
ということだな
822 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 07:47:11 ID:krb4BZHv
823 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 07:49:36 ID:krb4BZHv
824 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 10:03:40 ID:Xb7Hv32R
>>819 本能寺の変が無くて信長がそのまま天下統一していたらどこかで家康は改易されていたかもな
すでに信康が自害したことで親戚関係はなくなっているし
天下統一後の諸配下をどう処理しようかこの頃からいろいろ考えていたのだろう
明智光秀の謀反もそれへの反発かもね
825 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 10:20:37 ID:cNBEMs/6
家康の元には徳姫の娘二人が残されてるぞ
826 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 15:39:39 ID:w2TSxGAo
>>820 佐久間信盛は近江国の栗太郡を所領していた。
追放後、その部隊が何処に行ったのか考えれば、同じ近江の坂本に所領を持つ
明智に組み込まれたと考えるのが妥当。
827 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 16:01:31 ID:sYGRtbTz
828 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 16:39:09 ID:1c8fP1pu
>>826 佐久間の近江における所領は栗太郡・野洲郡であり、その地の豪族で佐久間軍に編入された豪族は
永原氏、山岡氏、青地氏、進藤氏 など。
佐久間追放後、栗太・野洲郡は信長直轄となり、彼らは信長の直属部隊に編入されています。
実際に、天正九年には信長側近である長谷川秀一、野々村正成による安堵状の発給があり、
また同じ年の馬揃えでは、彼らは信長配下の近江国衆として参加しています。
違うと主張するのであれば、彼ら及び栗太・野洲郡の豪族で明智軍に編入された武家をまず上げてください。
829 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 20:57:00 ID:8WvNVnI8
>>820 > >信康を殺し、家康を殺せば三ヶ国が易々手に入る
> 家康の死後に信康に後を継がせ、その後を信康と五徳の間に生まれた子に継がせればおけ。
> 信康が先に死ぬのは、信長にとっては将来の利益がふいになるだけ。
親族を嫁がせたぐらいで、揺ぎ無い関係になるほど甘くない。ましてや領国同然などと
姪を嫁がせた今川義元と家康の関係、孫を嫁がせた家康と豊臣秀頼の関係など情勢の変化でいくらも変わる
信長も信康を自分から殺害させたか、家康からの申し出を許可したか、いずれにしろ婚姻関係を結んだだけで
どうにもなるなんていう甘い政治感覚を持っていなかった
最上義守は伊達政宗が家督を得たときに、「伊達を乗っ取った」と満足したのだろうか。
831 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 21:04:27 ID:PIph48gq
実の親兄弟での殺し合いとか普通だったしな
832 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 21:28:22 ID:0vB8FG2a
外交のパイプが太くなった程度だろうな
833 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 23:13:42 ID:FgXjPqGO
イメージだけど
信長と家康の関係で裏切りはないと思うな
代変わりしたら改易とかわからないけど
少なくとも信長は家康を改易することはないし、家康は家臣扱いされても別にいいよって感じがする
兄弟で殺しあった信長と兄弟のいない家康で兄弟みたいな感じになったのかも?
でなきゃ駿河一国くれんぞ。普通
834 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 23:18:40 ID:PIph48gq
>>833 家康は甲信をくれって信長にねだったけど
駿河一国という扱い
いくら動員兵力が少ないといっても戦端を開いたのは徳川だから
もう少し領土貰ってもバチはあたらないんじゃないかな?
本能寺の変の時明智軍の兵士は家康を襲うものだと思ってたし
京やその周辺でも信長が家康を殺すみたいな噂もあったし
情勢的には武田が居なくなったら徳川家の価値が無くなるってこともあるし
835 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 23:30:07 ID:ye9IgQm3
>>834 でも、武田を滅ぼしたのは織田のちからで、徳川単体では長篠がなければ駿河も手に入れられたか?
それに徳川は駿河一国に、甲斐に河内郡も認められている。これ以上要求するのは、それこそ信長の不興と不信を買うだけ。
もちろん、配下の武将たちには「これまで戦い続けたのは自分達なのに」という不満があったのだろう。
でも、そういった自己の利益主張だけではどうにもならないのが政治というもの。
>本能寺の変の時明智軍の兵士は家康を襲うものだと思ってたし
>京やその周辺でも信長が家康を殺すみたいな噂もあったし
噂だけならなんとでも言える。噂がすべて真実なのか?
>武田が居なくなったら徳川家の価値が無くなるってこともあるし
その通りではあるが、軍事的に価値がなくなったから特に問題も反抗もしていない勢力を
罪無くして滅ぼしたりしたら、肝心の政治の分野でえらい大損を被る。
信長は、そこまで政治的に愚かだとは思わないな。
836 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 23:34:51 ID:8WvNVnI8
同盟とは名ばかりの家臣だよ
837 :
人間七七四年:2009/12/16(水) 23:45:52 ID:PpvHDBuA
>>835 武田征伐の戦功だけじゃなくて
長年織田家の対武田の盾として、まさに徳川家はそれのみに費やしてきたわけで
駿河一国は少ないと思うがな
噂が真実な訳じゃない
ただ当時の人間がそういう目で見てたという事実があったという事なわけで
明らかに武田の脅威が無くなったら家康はお払い箱になるんだろうなと
思ってもおかしくない状況だったって事の反証でもある
>その通りではあるが、軍事的に価値がなくなったから特に問題も反抗もしていない勢力を
何十年も前の信行に荷担した事を罪に問うような事してるしなぁ
838 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 00:12:04 ID:VJHfJ2pS
>>837 劣勢の徳川が武田に対抗できたのも織田のおかげ。
徳川が駿河を得られたのも、武田が織田に滅ぼされたおかげ。
徳川に徳川の主張と不満があるように、織田にも織田の不満と主張がある。
徳川に不満があったとして、それが正当な不満であるという根拠は?
あなたの主張は徳川のみの視点でしか言っていない。
そして、同盟のメリットというものを理解していない。
>明らかに武田の脅威が無くなったら家康はお払い箱になるんだろうなと
大和で松永の脅威が消えたら筒井がお払い箱になりましたか?
畿内の豪族たちは、脅威が消えたらお払い箱になりましたか?
上杉の脅威が消えたら、織田の為に孤軍奮闘した長続連はお払い箱になりましたか?
そしてすでにいってますが、用済みになったからお払い箱になるということの
政治的デメリットを、信長や家康が理解していなかったと?
839 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 00:14:00 ID:DYsZo58P
徳川が武田を抑えてる間に織田家はどんだけ勢力拡大したんだよって話
840 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 00:17:24 ID:B5MDnal+
長文うぜぇ
政治的デメリット政治的デメリット言ってるけどさ
結局佐久間や林にやった事が、荒木の謀反や本能寺を引き起こした一つの要因でもあるんじゃねーの?
841 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 00:30:30 ID:mwRL2PZa
ある時期にはメリットを享受できたいたものでも、状況が変われば邪魔でデメリットでしか無くなる物なんて多くある
ケース・バイ・ケースだ
硬直的に考えても仕方ない
842 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 00:33:17 ID:B5MDnal+
長続連謙信の前に戦死してんじゃん
843 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 00:44:11 ID:yEIS6+NM
>>840 本能寺の変の原因が定かではない現状で、要因のひとつなぞあげられるはずがなかろ
844 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 00:51:03 ID:B5MDnal+
本能寺の変が起きた様々な原因の一つと考えてもいいんじゃねーの?
って可能性を示唆しただけで
本能寺の変は謎だらけだから原因なんてわかんねーよ!
信長の生き様や価値観が引き起こしたなんてのもわかんねーよ
みたいに思考停止するのはおかしいだろ
そもそも昔から飛鳥尽きて良弓蔵われ、狡兎死して猟狗烹らるって言葉があるくらい
権力者が功績のあった者を粛正したりするのは日常茶飯事だったわけだし
845 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:08:12 ID:mwRL2PZa
仮定の話だが信長が家康に難癖つけて改易って可能性もじゅうぶんあったと思うよ
それが損なのか得なのかは相手の出方と情勢次第
846 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:16:11 ID:hchbQAy1
水野信元、築山殿、信康と次々と殺害を命じたのはそのためか!
信長は家康が反抗するのを待って\いたんだな
しかし家康は耐え凌いだ
まさに忍耐の人だ
家康凄い
信長最低
847 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:31:57 ID:yEIS6+NM
>>844 このスレは本能寺の変の原因を考えるスレではないぞ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962316/l50 こっちがお似合いだろう
ついでに
Aという事象が存在する場合に、これに付随する形でA'、α、α'等等、いろいろな原因は挙げられる
が、原因が不明な場合に要因なぞ挙げられるはずが無い
ましてや原因不明な事象に対して、要因なぞをあげつらい、そのあやふやな因果関係を元に批判を加えようなぞとは阿呆のすることだ
具体的に言おうか
飲酒運転で人を跳ねました
原因は、飲酒した運転手、酒の製造者、販売者、要因は運転手だ
交通事故で人が跳ねられました
原因は、飲酒、居眠り、脇見、故意、飛び出し、など等考えられる
が、とりわけ飲酒を要因として交通事故防止の為に禁酒法を作ろうとすれば突込みが入るのは当然だろう?
お前がしてるのはまさに禁酒法を作ろうとしているのに等しい
848 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:42:49 ID:DYsZo58P
んな長文垂れるなら誘導先でヤレよ
849 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:44:08 ID:B5MDnal+
原因の一つの可能性として挙げただけで
それがメインの原因だと誰もいってないしなんでそれが禁酒法とか言い出すのか
お前の頭狂ってる
850 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:46:26 ID:DYsZo58P
というか長文キモイ
851 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:51:40 ID:B5MDnal+
>>847 要因って原因の中でも一番影響の高いものを差す言葉だと思ってる?
必要因子の略だぞ?
852 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:55:20 ID:+EJvXoWn
長文嫌いって言ってる奴は歴史書や小説の類も嫌いなんだな
853 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 01:58:27 ID:B5MDnal+
ちゃんとした内容の長文ならいいけど
言ってる事がおかしい長文って・・・・
んでなんでIDころころかえてんの?
854 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 02:14:34 ID:YWb0eGEL
英訳すると
要因はfactor
原因はcause
意味合い的には原因の方が発生した事項の直接的に影響した因子って事
要因は発生した事項に影響すると推測できる因子って事
まあ日常では同義で使われてるけど
本能寺の変を飲酒運転に例えてるのは訳がわからないし
原因と要因の使い方がおかしいし
正直頭悪いようにしかみえません
855 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 02:14:58 ID:B5MDnal+
突っ込まれるとID変えるしな
長の事とか
856 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 02:21:39 ID:+EJvXoWn
は?
857 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 02:23:13 ID:B5MDnal+
>>847 みたいな頭おかしい奴の長文レスと歴史書や小説の類を一緒にすんな
858 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 02:29:08 ID:B5MDnal+
寝る
859 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 02:29:13 ID:YWb0eGEL
たしかに
>>847の文章は読んでて頭痛くなる位めちゃくちゃ
こういう精神的におかしい輩の相手はしないほうがいい
860 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 02:45:15 ID:gs8Gd0H/
>>858 自分に都合の悪い書き込みは全部一人の自演かいなw
861 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 03:33:53 ID:YWb0eGEL
>>860 俺も都合が悪くなるとID変えてる用に見えるけど?
ちょっと上見れば長文でレスしてるけどコロコロID変えてる
しかもその合間合間に単発擁護レスが入ってるし
そして都合の悪い事はスルーしまくってる
明らかに怪しい
862 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 19:56:47 ID:tME+NDOp
夜中にスレ違いな話で消費するなや
863 :
人間七七四年:2009/12/17(木) 21:01:10 ID:9gLuB4+8
864 :
人間七七四年:2009/12/18(金) 00:38:39 ID:g4DEjR/N
ふたつのIDがえらいレスしてるなあ
こういうの必死っていうんだよね?
865 :
人間七七四年:2009/12/23(水) 23:28:31 ID:0CD9wJ5B
66 名前:こんな感じに鈴木説が広まったよね[sage] 投稿日:2009/04/20(月) 17:36:32 ID:j9SKn+NL
>従来の常識を覆すような新説が出る
>↓
>市販されてる本みたいなもので書いてあるなら間違いない
>スゲー、俺って史実研究の最新情報を得たぜ
>↓
>おいおい、まだそんな古い事言ってんのかよ
>○○なんて作られたイメージだぜ。実際はさあ・・・
>というので色々な珍説がまかり通ってるからなあ。
>しかもその説でドラマとか作られたら、それが「正しい」って人が多くなって
>決定的な否定する事実がないと、いつの間にか多数決的に
>それが常識になってしまってる事が多い気がする。
古い説を言うなら岩波の日本の歴史でさえ家康主導を疑った記述をしていたりする。
867 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 20:19:45 ID:GTKgpSfe
一次資料である三河物語に「信長の命令だった」と書いてあるのだから
議論するまでもない
868 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 20:32:01 ID:h4Yjhd7B
それはない
869 :
人間七七四年:2009/12/31(木) 22:49:06 ID:s0+TZ3uu
>>867 何度も出てる話しだが、
一次史料が正しいわけではない。
なぜなら意図的にウソが書かれることがあるからだ。
ましてや三河物語は大久保が子孫に武士としての心構えを説くために書いた本であって
史書ではない、むしろ思想書か宗教書みたいなもんだ。
そんな本に「家康と信康に抗争があって殺した」とか書けるわけがない。
つーか、そもそも三河物語って一時史料か。
大久保が人づてに聞いたような話も多いしさ。
あと、創作とか想像も相当に多そうだ。
870 :
人間七七四年:2010/01/01(金) 00:58:38 ID:lwY+DdLq
>>869 その通り
一次史料が正しいわけではない。
なぜなら意図的にウソが書かれることがあるからだ
信長厨の書いた「安土日記」「当代記」に「信長の命令だった」とか書けるわけがない。
「安土日記」「当代記」って人づてに聞いたような話も多いしさ。
あと、創作とか想像も相当に多そうだ。
871 :
人間七七四年:2010/01/01(金) 13:25:01 ID:S3OBwF3u
でも「家康の存分に」という信長の意思が表明された堀書状は、一次資料です
残念でしたね
そもそも当代記を「信長厨が書いた」とかもうね、自分の都合の悪い点は議論もせずにレッテルを張ることで抹殺しようとする。
872 :
人間七七四年:2010/01/01(金) 15:34:09 ID:lwY+DdLq
>>871 残念でしたね
>>869の信長厨が一次史料が正しいわけではないと言っている以上
「家康の存分に」という信長の意思が表明された堀書状は
意図的に書かれたウソということになる
873 :
人間七七四年:2010/01/01(金) 15:37:56 ID:AxVa6Kql
874 :
人間七七四年:2010/01/02(土) 21:02:30 ID:imNyhIWm
家康が信康を死なせたくなかったのは、蟄居先から推測できる。
いずれも海や国境に近く、気の利いた家臣の2〜3人もいてたら脱出は充分可能だった。
家康の誤算は三河武士の愚直さが予想以上で、表向きの「信康拘束」の命令をがっちり守ったことと信康自身に脱出の意思がなかったこと。
875 :
人間七七四年:2010/01/02(土) 22:01:17 ID:QppWbcQF
逃がすのを前提なら面識がほとんどない大久保忠世に預ける訳ないだろ
877 :
人間七七四年:2010/01/03(日) 13:15:40 ID:A1htr4nB
殺すつもりなら岡崎城で殺してる。
転々と居場所を変えたことから
逃がす気満点だったのがよくわかる。
やはり信長の命令だな
878 :
人間七七四年:2010/01/03(日) 14:10:50 ID:SFbqdttV
単に岡崎から遠ざけただけだろ
879 :
人間七七四年:2010/01/05(火) 22:57:51 ID:OINT/iDQ
>>874 そういう説いいよ
証明できない事だから一笑に付されて否定されそうだけど、
武士の人情やこうあってほしいという理想が表現されてて非常に美しい
機微のわかる人がいるもんだ。
そして三河物語もここに則るオプションが乗れば個人的には満足だ。
881 :
人間七七四年:2010/01/05(火) 23:12:16 ID:3ORqoQys
家康命令説の中にも当初は殺すつもりはなかったってものもあるね
882 :
人間七七四年:2010/01/06(水) 13:24:40 ID:JLIGFHw+
幽閉先の大浜城が廃城であることに注目したい
ぼろぼろの隙間だらけでどこからも抜け出せるこの城に移した
というわけで結論
家康は信康が逃げ出すのを期待していた
つまり
信長の命令だった
悪いのは信長
家康は全然悪くない
883 :
人間七七四年:2010/01/07(木) 23:42:31 ID:m8cuJIAr
>>882 確かに廃城に移すなんて
逃がす気満点だったのがよくわかる。
やはり信長の命令だな
884 :
人間七七四年:2010/01/08(金) 00:09:51 ID:5niqLCYX
アホか
885 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 08:59:30 ID:8tPNcDA6
三河物語だけならまだしも、数々のエピソードが信長の命令だったことを示唆してるからなあ
信長厨が「御用学者の捏造」で一点突破を図ろうとするのは無理がある
というわけで結論
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
886 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 09:12:00 ID:6Hlr89Rj
そりゃ模倣してるのが多いからだろ
はっきり言って手抜きの域
887 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 14:35:11 ID:wvUctX0b
この板の古くからあるスレをみてると2006年から2007年の間に集中的に信長の命令説が否定されていて
「まだあんな説信じてる奴がいるよ」みたいなレスが多発してるんだよね
しかも話の流れに関係なく唐突に発生するから、その頃になんかキャンペーンでもあって工作してたのかね?
888 :
人間七七四年:2010/01/10(日) 20:47:24 ID:4M5bv22l
889 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 02:26:55 ID:WAlDYXX9
俺は
>>774の指摘に着目したい
信長にとって潜在的敵対勢力である北条と盟友徳川が同盟を結んだのは信長にとって面白くなかったのは容易に想像できる。
それで家康の忠誠心を試すため築山殿と信康殺害を命令したんだろう
890 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 02:55:44 ID:oyb4n5Cr
自演乙
891 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 11:13:33 ID:0KbFiG+o
>信長命令厨
仮にそれが正しいとしても築山殿まで殺せと信長が指示したなんて
「三河物語」にもその他の徳川方史料にも書かれてないのだが?
逆に一次史料の「家忠日記」には家康と信康の間が安穏でなかった
様子が窺える。
さらに家康自身が堀秀政に宛てた書状では「信康に心得違いがあった
ので岡崎城から追い出した」とある。
家康が自分で岡崎から追い出したと言ってるんだが?
どれを取っても通説とは矛盾してるなあ。
892 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 15:31:18 ID:HOoG9ubK
もうループだな。此処。
893 :
人間七七四年:2010/01/11(月) 15:51:02 ID:oyb4n5Cr
じゃあ別の話題出せ
894 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 00:05:49 ID:VQhoy88n
だいたい家康が正室の築山殿を殺したこと自体が信長の命令である証拠
愛が冷めたのなら離縁すればいいだけの話し
信長の命令以外考えられない
895 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 00:29:39 ID:Y82koQPO
信長が首実験に立ち合った形跡はないけどな
896 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 12:43:05 ID:d6SnNuIP
「松平記」では殺すと言う決断をしたのは家康なんだが
897 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 13:07:47 ID:kYi3hbVI
そんなの信長命令厨の捏造だろ
と言い出すに3文
898 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 19:10:28 ID:qosxlyhh
断片的で、あれこれと推量したくなるけど、どれも決定力に欠けるな。
899 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 19:21:52 ID:aqbXNZ12
ここで繰り返される信長命令説は根拠が乏しいんじゃなく、根拠がないんだよ
900 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 20:46:12 ID:a9KLmqI1
全て捏造だと言ってしまえば根拠なくなるわな
901 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 20:55:34 ID:9BqaUXiy
あまりその言葉使われてないがな
902 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 21:02:24 ID:qosxlyhh
だいたい昔の奴等が書いたことなんか信用できないよな
だから俺らが好きな資料だけ真実と認定して、嫌いな資料は捏造と断定していいよ
捏造という言葉が好きでたまらないのは何とかしよう。
たまには偽造や贋作、或いは砕けてデタラメでもいいから、語彙が乏しすぎるのは読む気を萎えさせる。
904 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 21:18:20 ID:34h7IxHF
このスレの基本姿勢だからな
徳川正史に都合のいいものは全て後から捏造されたものっていう
905 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 21:28:45 ID:KzDqCTmv
徳川織田関係なしに
>>602のような嘘をつくのもいるけどな
906 :
人間七七四年:2010/01/12(火) 21:39:08 ID:d6SnNuIP
正史という意味合いなら「三河物語」より「松平記」の方が上だよな
907 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 12:04:23 ID:8oJTuHVy
「松平記」より信康が殺された現場の二股城にいた人間の書いた「三河物語」の方が上だよ
信長側の資料である「安土日記」「当代記」に関しては論外
908 :
人間七七四年:2010/01/13(水) 12:09:07 ID:Rmxhg43m
成立は三河物語の方が後
909 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 00:14:49 ID:FLYx6wc+
つまり「松平記」「安土日記」「当代記」のような日記より、本来門外不出とされ、公開するつもりもなく子孫だけに向けて記され、不満などの思いが遠慮なくそのまま残されている「三河物語」の方がはるかに信憑性が高いということだな
というわけで結論
築山殿と信康を殺せと命令したのは信長
信長に逆らえない家康は泣く泣く愛する妻と息子を殺した
悪いのは信長
家康は全然悪くない
910 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 01:07:53 ID:q9Txyt8o
いや全然www
911 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 08:34:48 ID:QQufd9w+
912 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 12:03:41 ID:8Bky1mMs
それだけ真情が吐露されてるわけだな
913 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 12:07:11 ID:QQufd9w+
結構、自分の都合の良い展開に話をねじ曲げている点もある
年寄りの話を聞くと、色々と美化している事が多々あるがそれと同じ
914 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 12:10:45 ID:WCcHxMzI
今川従属時代の記述なんて出鱈目多いしな
915 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 12:15:54 ID:aJoYFfK9
>>911 よく見るといつか大衆の目に触れられるのを想定して書かれている
916 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 14:42:05 ID:QumWxLEh
彦左は信康贔屓
三河物語内に12カ条の下りを書く事自体不思議なくらい
917 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 15:06:00 ID:X5qgfIPi
>>909 何度同じことを言わせるんだ?
「三河物語」やその他の徳川方史料には信康についてだけで
築山殿まで殺せとは信長は命令などしてないのだが?
つまり百歩譲っても彼女を殺させたのは家康。
それを繰り返し「家康は悪くない」・・・
頭大丈夫か?
918 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 17:56:13 ID:ahg0rMTi
信長の命令が無かった派には、三河物語はどうしても邪魔な書だけど、
否定しきるにはどれも根拠が足りないようで。
919 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 18:05:53 ID:8Bky1mMs
証明できないから信仰する、神の存在と同じ
>>887のキャンペーン的工作はそうやって発生した
920 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 18:37:39 ID:WCcHxMzI
知ったかぶりが目立ってるだけ
何の話題なんだ。
922 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 18:53:26 ID:ahg0rMTi
>>919 三河物語と記述が食い違う資料がある以上、信長の命令ではなかったという解釈があるのは当然だと思うし、
信仰ってほどおおげさなものでもないと思うが。
ただ、三河物語が老人の愚痴だからとか、今川従属時代の記述が間違ってるからとかの理由で、信用できない書なんて
主張をしてる奴はセンスが無いなと思っただけ。
923 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 19:09:59 ID:WCcHxMzI
悪い
924 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 23:22:00 ID:BqNu+CAY
>>919 しかし
>>887のキャンペーンは何なんだろうな?
古いスレを読んでると結構よくみかけるし
このスレの最初の方でも同一人物っぽい人が進行させてる気配がするし
925 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 23:33:09 ID:k9oG+eyg
またレッテル張りがしたいのか?
926 :
人間七七四年:2010/01/14(木) 23:50:49 ID:QwwODWKE
関が原スレでこの話がでて大荒れになった記憶がある
927 :
人間七七四年:2010/01/15(金) 00:35:47 ID:q8hzIyWD
築山御前と信康にたまりかねた徳姫は築山殿ならびに信康が武田に内通していると十二か条を書き上げ(信長の十二ヶ条)、父である信長に送りました。
信長はかねてより信康の才能を脅威に感じ、将来の織田家にとって危険であると感じていました。信長はこれを口実に築山御前と信康の殺害を命じました。
家康はこのときの狼狽ぶりは悲痛を極めていたとのことです。
家康は三日間奥の間に閉じこもり、生涯でもっと長く苦渋に満ちた時間をすごしました。
結局、家康は家臣を呼んでか細い泣く様な声で築山御前と信康の処断を命じたとのことです。
928 :
人間七七四年:2010/01/15(金) 00:51:51 ID:KgnV4J/l
三河物語でも泣く泣くではないがな
929 :
人間七七四年:2010/01/15(金) 00:57:45 ID:mQSt86Vy
第一、何の資料だよ
930 :
人間七七四年:2010/01/15(金) 11:55:14 ID:QqaMexMQ
931 :
人間七七四年:2010/01/16(土) 09:48:38 ID:XJD6b2Xj
生前は親の七光りという印象が強すぎた
死後はほとんど忘れ去られた
ちょっと気の毒な武将
932 :
人間七七四年:2010/01/16(土) 20:00:18 ID:VahMFUHl
まあ何にせよ徳姫様をゾンザイに扱ったらいかんだろ信康。
信長が死んだ後なら、父康みたいに正妻あぼーんもおkかもしれんが
933 :
人間七七四年:2010/01/16(土) 20:22:13 ID:xjUYKOiJ
男児に恵まれなかったのが不仲の一因かな
934 :
人間七七四年:2010/01/17(日) 00:20:34 ID:R4OeG4sg
真犯人は徳姫で間違いないだろうね
築山殿の武田との内通とかでっちあげっぽい
嫁姑問題がエスカレートして悲劇が起こったんだろうね
935 :
人間七七四年:2010/01/17(日) 01:07:47 ID:PT0G7ZnT
それも安易でどうかと思うぞw
936 :
人間七七四年:2010/01/18(月) 15:05:25 ID:WCWzMOoR
当代記にはまんま「信康が謀反を企てた」と書いてるんだから
それを信用するのなら信康が謀反を企てたから切腹させた、ってことか
で、築山殿をそれに連座させて処刑するのだから
築山殿も「謀反」に関与していた疑いが強いってことだろうな
信長命令説は、どっちかっていうと「捏造」云々よりむしろ
第三者から見て「そうなんじゃねーの?信長だし」的なイメージ先行で流布された感がある
江戸期に作られた軍記類は、よく知らない人や事件については
イメージ先行や聞いた話で書いてる部分が多いからなぁ
937 :
人間七七四年:2010/01/18(月) 23:55:58 ID:p3MMX+Vg
織田側の資料はしょせん伝聞
正確性にかける
938 :
人間七七四年:2010/01/18(月) 23:59:07 ID:2tYFUBfu
939 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 01:06:49 ID:LiF8xFD/
三河物語の信康切腹のところ見ると
信康は家康の唯一の息子のように書かれてるんだよなw
940 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 01:57:53 ID:nekW479I
当代記のような軍記類は、よく知らない人や事件については
イメージ先行や聞いた話でいいかげんに書いてる部分が多いからなぁ
一方、三河物語は信康切腹現場の二俣城にいた人間の一次資料だからなぁw
941 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 02:06:25 ID:FwUqD35a
当代記は軍記類じゃないぞ
942 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 06:45:21 ID:gbI+9aN3
その三河物語さ、築山御前に関しては信長スルーなんだよな
943 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 07:57:04 ID:vLYBcDLm
>>942 彦左「そういう指摘はもっと早く言ってもらわないと、
いまさら書き直すことなんてできねーぞ」
944 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 08:20:28 ID:FA1GuUvU
>>942 信長にとって築山殿なんかどうでもよく、信康を殺すことが目的であることをみんな知っていた証拠
945 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 09:38:56 ID:3aXtO5nr
彦左一人で「みんな」か
946 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 15:49:26 ID:k4OHHtcr
築山がどうのこうの言ってるのは、いわゆる歴女ってやつかな?
この時代の女の立場が弱くて、記録も少ないから憤慨しておかしいとか言っちゃってんの?
そんなところをつついても何も見えんぞ?
947 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 17:08:29 ID:EsJ9OgMd
涙拭けよ
948 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 19:48:05 ID:nekW479I
徳姫が信長へ宛てた十二ヶ条の訴状に築山殿が武田と内通していると書いてある
949 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 19:56:45 ID:afTP1XCO
徳川家各史料には信長が築山殿を殺せと命令した内容のものは一つもない
950 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 21:15:05 ID:gbI+9aN3
三河物語を信じるなら家康は信康を殺せって言われたのでこれ幸いと嫁さんを殺したんだな
そしてそんな家康の性根をみんな知ってた証拠な訳だ
951 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 21:21:10 ID:1D2T5+a3
952 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 21:48:31 ID:FwUqD35a
三河物語では信長よりもむしろ酒井忠次が事件の元凶とされている
大久保氏視点のフィルターを全て外して考えるの面倒くせえ。
954 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 22:14:47 ID:yys1dQLE
>>951 軍記物は合戦を中心としたもの
当代記はむしろ合戦以外の記述が多いので、軍記物とは言えない
年代記という
955 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 22:19:39 ID:T66zqOH8
>>940 一次史料の意味を調べてから出直してこい
956 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 22:58:56 ID:nekW479I
一次資料である「三河物語」には「あれは信長の命令だった」と書いてあるんだがな
はあ
すまん誤爆
959 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 23:31:04 ID:FwUqD35a
960 :
人間七七四年:2010/01/19(火) 23:52:26 ID:nekW479I
「あれは信長の命令だった」と書かれている一次資料である「三河物語」を否定する材料が見つからない限り
通説どおり「信長の命令」なんだよなぁ
面白いかそれ。
962 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 01:08:39 ID:WisntcRg
またこの流れか…この事件を違った角度から検証しようとする
>>889や
>>774のような辛辣な意見がでるとわざとつまらない煽り合いに戻して潰しにかかるな
わざとやってるのかおまえら。いいかげんむかついてくるわ
963 :
人間七七四年:2010/01/20(水) 06:54:08 ID:+FC6/XvP
生まれたばかりの乳児に家督を期待するとか、いかにも家康が甘ったれた戦国人だったことになるな。
965 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 19:22:32 ID:dmGv5INV
>>964 跡継ぎよりも徳川家中の安定を取ったんだと思う
だとすれば、自分が頓死したときに家中はおろか領国が四分五裂の大混乱に陥ることも厭わなかった
自己愛が強すぎる人物だったことになるな。
967 :
人間七七四年:2010/01/21(木) 20:32:32 ID:dmGv5INV
信康の挙動不審は切腹より一年以上も前からあったみたいだから
家康自身まだ若かったとはいえ、改易に踏み切るまでにはそれなりに悩んだと思う
968 :
人間七七四年:2010/01/22(金) 00:14:38 ID:TEh6QJH9
969 :
人間七七四年:2010/01/22(金) 00:29:19 ID:kk3Uss3J
あったぞ
970 :
人間七七四年:2010/01/22(金) 00:34:14 ID:TEh6QJH9
971 :
人間七七四年:2010/01/22(金) 00:40:09 ID:kk3Uss3J
三河物語
972 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 00:23:45 ID:GL+G2lhr
三河物語がソースだということは信長の十二ヶ条に書かれていたように築山殿と信康の武田への内通も事実であり
やはり信長の命令だったってことだな
973 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 00:32:33 ID:3Qy9+MyQ
別に
974 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 00:42:46 ID:58mu8quW
ぬるぽ
975 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 03:15:32 ID:8XHQaD8v
信長の命令で信康を仕方なく殺した家康説のソースが三河物語なのに
信康の挙動不審に徳川家中が辟易していたというソースも三河物語
という実に都合の悪い矛盾という皮肉じゃないのか?
976 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 04:26:41 ID:GL+G2lhr
全然矛盾してないが
977 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 09:26:23 ID:+wnnCrZk
信康を名君扱いしてたのも三河物語なんだが
978 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 11:13:01 ID:cW0j4IYQ
彦三史観でいいじゃんもう
979 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 11:38:59 ID:+wnnCrZk
豊臣秀長の死因を大政所の誤殺と書くような奴だぞ
980 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 12:03:35 ID:t0RFOVvR
あいかわらず記述があやふやな点を上げて、総てが間違ってるという方向に持っていきたいんだな
981 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 12:24:58 ID:+wnnCrZk
その辺ははっきりと書いてるんだがな
982 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 18:24:55 ID:sd7QOPmf
ループだな
次スレいらないな
983 :
人間七七四年:2010/01/24(日) 20:31:17 ID:P0D7HndR
984 :
人間七七四年:2010/01/25(月) 02:05:37 ID:VueAoV5O
1000取った方が正解ってことにしようぜ
信長厨と家康厨がんばれ
985 :
人間七七四年:2010/01/25(月) 03:14:44 ID:cJsZEy7F
勝手に決めんなよチンカス野郎
986 :
人間七七四年:2010/01/25(月) 07:17:58 ID:m4Yy82A0
987 :
人間七七四年:2010/01/25(月) 21:42:11 ID:kA/aAejm
次スレはいりません
まだ史料に納得できる書き込みが確認できないから次スレに期待するとしよう。