守護は世襲では無く将軍による任官職であり
晴宗は陸奥守護に任命されていない以上は
晴宗以降は無官では無いだろうか。
他家から伊達様への任官されていると思われる文面は見られない。
一方で
>>730によると大崎氏は探題に任官しており晴宗の死去と同年で死んでいる。
やはり陸奥守護任官時に尽力した管領の細川高国から幕府要路の人々への任官斡旋の御礼が来てないと激怒されている為に取り消されたのであろうし、
以後は資格を失っていたとすべきなのが自然。
しかし輝宗の伊達巨大勢力圏は実力としては探題にふさわしいので
無官の田舎者の卑屈感から政宗はそう捏造して言い訳をしたのだろう。
そして後世に仙台捏造癖から資料編纂に当たって次々と捏造したと言うこと。