【輝宗】伊達氏を語ろう 2【稙宗】

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636人間七七四年
>>635
そもそも葦名は伊達と共に新発田支援していたが
政宗が葦名支援をやめたので
単独で葦名は新発田支援をして上杉についに大敗し弱体化している。
秀吉に惣無事令を命令されて
佐竹が葦名支援から手を引き、葦名家臣団が佐竹に対して
手を引くなら養子の義広を佐竹に突っ返すぞって激怒され
葦名家臣団の分裂がもはや抜き差しならないところまできてたし
義広擁護派が豊臣大名になり切り抜けようとしたので
秀吉が上杉に葦名支援に行けって命令がでたので
上杉が葦名領へ進発するや、葦名侵略してた伊達はビックリして
相馬領国境まで逃亡したじゃねぇか。
それで上杉がプププって感じで、被害なしなので、
すぐ佐渡へ侵攻した隙に、泥棒猫みたいに葦名に進入し
分裂して極度の弱体化した葦名に負けそうになったが
葦名家臣が義広の後方を襲撃したから運良く政宗が勝てただけ。
しかし、秀吉が佐竹と上杉に伊達討伐を下令するや
南会津に上杉に上杉先遣隊が侵攻、佐竹の須賀川で叛乱を起こさせると
その蜂起に振り回され鎮圧できず、政宗会津支配に完全に失敗したのが露呈
いよいよ上杉佐竹の反撃が開始される。
しかも上杉の景勝本隊も燕方面まですでに進軍してた。
そのため伊達のために北条が立ち上がるも、その北条を見捨てる。
秀吉も伊達は放っておいて北条討伐の準備してと佐竹上杉に下令し伊達は助かっただけ。
政宗は小田原へ行く道南会津や須賀川を閉ざされ、大内宿まで南下したが
恐怖からこれ以上進めず、わざわざ恐れをなして引き返すみっともなさ。
もう小田原参陣できないと絶望した家臣団に弟擁立と政宗暗殺まで
引き起こされ、政宗は上杉に土下座して道を借りる始末。
すると相馬は伊達領に侵攻してくるし
その討伐をしようとすると須賀川の矢田野兄弟まで叛旗を翻し
その鎮圧を優先し伊達全軍を振り向け、相馬討伐どころではなくなり
矢田野のいる場所の近くを通過する秀吉の宇都宮→会津への進駐とともに移動する諸将の面前で恥をかく。
秀吉も矢田野兄弟に大喜びする始末。