1 :
人間七七四年:
「倭兵三十人でも女真一人の敵ではない」 李如梅
かつて金を建国し、かの岳飛すらまともに勝てなかった女真族は
モンゴルの前に敗れた。
しかし捲土重来、女真族は再び力をつけ始め、あまたの内戦で
強大になった、そして漢族、ついにはモンゴル族すら配下に納めた。
彼らの版図は中華史上最大となった。
この時代の両横綱といえば、やはり後金こと清と、オスマントルコである
その次に少し頼りない大関級として戦国後期日本のオールスター勢揃い
に異論はあるまい。
しかしオスマントルコはともかく、女真相手に戦国日本が戦える機会は
幾らもあったにも関わらず、その度日本は戦うことを避けてきた
(朝鮮戦役、家光時の朝鮮派兵問題など)
明朝鮮にすら史実上かなわなかった戦国日本が、はたして若きヌルハチに
勝つことができたのか。
戦国最強派の多いこの板の諸君に聞きたい。
清(後金)対 戦国日本 勝てる機会は万にひとつでもあったのか?
それとも李如梅 いわく多勢であの時代のオールスターでもぼろ負けしたと思うか?
2 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 03:11:19 ID:zFd2Ex+f
戦国の島津も伊達も徳川もあの時の女真各族の英雄たちに歯も立たない
というのが世界の定評と思うが、それを覆せすことができるだろうか。
なぜなら
戦国日本も初期徳川も、女真を恐れること甚だしいのが、どうも史実のようなのだが
3 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 04:20:32 ID:LtI4/eD9
え?信長はヌルハチと殴り合いの喧嘩をして勝って、ヌルハチを息子にしたんだよね
4 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 05:32:34 ID:zzKT+O1l
( ´゚ω゚` )
5 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 02:06:10 ID:HoVbGX9S
オスマン朝 第9代スルタン セリム1世
チャルディランの戦い(1514年、vsサファビー朝)
サファビー朝のイスマイル1世自らが率いる、当時最強を謳われた重装騎兵軍団クズルバシュの猛攻に対し、オスマン朝
セリム1世は、歩兵軍団イェニチェリに鉄砲と大砲を装備させ、一斉に射撃・砲撃を行うことで、クズルバシュの騎兵を正面か
らことごとくなぎ倒し、総崩れへ追いやって大勝を収めた。
金(後の清) 太祖皇帝 ヌルハチ
サルフの戦い(1619年、vs明)
明が派遣した47万人を号する討伐軍(実数は10万人程度?)が4つの方向から攻め寄せて包囲殲滅を図ったのに対して、
金のヌルハチは相手方の兵力集結を許すことなく、全軍を率いての迅速な機動で各個撃破を計る。また、火器装備におい
て優勢な明軍に対して、金軍は視界が利かない日没後の攻撃を敢行した。更に騎兵の一部を歩兵に転じさせて近接戦闘
に持ち込み、混戦状態を生じさせることで鉄砲の使用を封じ、その上で残りの騎兵に強襲させる戦法で、明軍を敗退させ
た。最終的に明軍は4つの方面軍のうち、3つまでもが壊滅して撤退を余儀なくされ、ヌルハチは完全な勝利を手にした。
戦国期日本 天才 織田信長
長篠の戦い(1575年、vs武田勝頼)
最強無敵を誇った武田家の騎馬軍団の突出に対して、天才信長は馬防柵を築いた上で大量の鉄砲隊を配する布陣
を行った。猛然と突撃してきた武田軍騎馬軍団に対して、織田軍は、組織的な鉄砲の運用による一斉射撃という、世界
史上画期的かつ、極めて先進的な戦術によって撃破。戦闘能力を喪失した武田軍は、その後に行われた追撃戦で壊
滅的な打撃を受けて敗走、天才信長は東方の脅威を取り除くと共に、世界史にその名を残す革命的な勝利を得た。
6 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 04:38:57 ID:imrBAzKD
時代が違うからスレチかもしれんが、
日清海戦を見聞した欧米人は日本の戦略や知略に驚いた、とりわけ英国人の間で日本の軍人をシマズと呼んだらしい、
殆どシマズの人間だったそうです。
7 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 11:53:55 ID:U3rMb8jF
対ヌルハチ戦での明軍は朝鮮軍が足を引っ張っているからなw
まぁ日本軍は将兵が心服してた小早川や立花、島津など奮戦してるから大陸に安定した策源地があればそこそこやれると思うよ。
8 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 22:39:55 ID:SqvLUwHs
>戦国日本も初期徳川も、女真を恐れること甚だしいのが、どうも史実のようなのだが
で? 具体的な逸話は? 例えば、元寇に備えたときみたいに防塁を築いたとか、
唐を恐れたように大宰府を置いて防人を配備したとか
9 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 23:23:55 ID:Jtvm1Iyt
>>5 >組織的な鉄砲の運用による一斉射撃という、世界史上画期的かつ、
>極めて先進的な戦術によって撃破
少し前に書いてあるチャルディランの戦いは黙殺ですか?w
10 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 21:50:48 ID:J/53Jj/a
>「倭兵三十人でも女真一人の敵ではない」 李如梅
それが事実だったら日本なんかあっという間に征服されてると思うが
11 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 20:29:40 ID:ZzbuU2vz
海軍力と攻める意味のなさでしょう。
わざわざ日本せめて激しい抵抗を受けて勝利したとして
何が得られるんだ?
12 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 22:42:34 ID:/iwXsSel
>>11 世界最高峰の含有量を誇る金山銀山が得られるよ
13 :
人間七七四年:2007/11/12(月) 01:33:55 ID:7yFVA06M
>>5 信長の肩書き、天才の前に、宇宙最高の、という言葉が抜けているヨ
14 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 13:23:49 ID:YT60pRbv
>>5 信長だけ、胡散臭さがぷんぷんするのはどうしてなんだ?
15 :
人間七七四年:2007/11/13(火) 16:36:49 ID:BxaVVxY4
要するに、他の英雄も信長同様、胡散臭いってことかと。
16 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 02:53:54 ID:GlaUxksP
>>3 ちょwwwwwwwwwwそれなんて本宮ひろしwwwwwwwwwwwwwwww
17 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 03:10:21 ID:aYXLp5GS
18 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 05:07:40 ID:TCG0av4C
兵の数が違うだろ…。
後金の動員力は100万クラスだぞ。
19 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 06:45:51 ID:4ErdMmRI
20 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 07:25:36 ID:oX0fEo6z
朝鮮の役の時期さ
朝鮮政府の中は派閥と権力闘争に明け暮れて滅茶苦茶な状態だったんだって
で、派閥闘争をしてる権力者たちが
攻めてきた日本軍を自分たち派閥の味方につけようと必死になったの
そんぐらい、朝鮮の官僚たちは腐ってたの。で、民は疲弊してた。
これを利用すれば楽に朝鮮支配出来てたのにな・・
で、天皇も祖先の生まれ故郷の地、新羅に送り返して(国外退去、幽閉)
で、大陸に足場を固めの為にしばらく朝鮮の治世に勤める
明と清が本格的な戦いを始めるまで充分、時間はあるよね
で、明と清が戦いだしたら
戦国期に大量生産された使い古しの鉄砲やら武器を両勢力に売り飛ばす
で、両勢力ともに、戦勝後には有利な条件での貿易などを約束させる
で、援軍の為の基地を設けると称して海軍を琉球、高山国(台湾)に侵略させ統治
高山国も琉球も当時(今も)、中国の支配地でもなんでもないし、まず問題ないし
両国の親方国である明の危機だから。という名目もたつ。
そして朝鮮から陸軍を派遣
ここで、明を滅ぼすんなら、そのまま南下して攻める
清を滅ぼすなら南下せず女真族の本拠地、中国北東部を速攻で攻める
これで「詰み」でしょ。
どっちが勝っても、戦勝後の優位な国対関係は気づけるわけだし
その後、インドからアヘンを輸入し中国に輸出して大儲けも出来るしさ
21 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 16:08:13 ID:qnARopoq
絵に描いた餅
22 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 22:54:50 ID:oX0fEo6z
絵に描いた餅って言葉の意味知ってんの?
バカじゃないの?
西欧の植民地政策と全部やり方は同じじゃん
史実に基づいた成功例を当てはめてんだから
何も荒唐無稽じゃない
23 :
人間七七四年:2007/11/14(水) 23:53:49 ID:ZdiEhWQS
朝鮮朝廷内で、東人派と西人派の政治の主導権を巡る派閥抗争が激化していたこと、政治の腐敗が進んでいたことも確か。
だけど、実際に文禄・慶長の役でそうした支配階層から、日本軍に積極的に協力しようとした者は少ない。
彼らは、朝鮮王朝の秩序下、既得権益を保障された上で、派閥抗争なり何なりの活動に励んでいたわけで、
日本軍の侵攻による秩序崩壊下では、派閥も何もあったものじゃなくなる。
それに朝鮮の支配階層が信奉していた華夷思想からして、中国以外の国に服することには精神面で抵抗が強かったはず。
実際、文禄・慶長の役で、日本軍に協力した者は、抑圧を受けていた奴婢や、下級の吏など、
秩序の崩壊によって利益を得られる立場にいる者が多かった。
さて、何はともあれ、朝鮮半島を占領し、来援した明軍との戦いにも勝利を収めて一応の支配権を確立したとする。
次にしなければならないのは、占領した土地の統治。
朝鮮王朝の機構自体は存続させた上で、人質を取ったり、幾つかの要所のみを点として押さえるなどの間接支配なら、
いろいろと工夫の余地はあるだろうけど、朝鮮王朝を滅ぼして直接統治しようとした場合は、
異文化の土地と民を治めるのだから、どんな方法を選んだにせよ、大変な苦労が伴う。
中国の多くの征服王朝も、軍事的には容易く勝利しながらも、その後の領土統治に四苦八苦している例が多い。
ちなみに清朝は、明軍からの寝返り部隊を取り込んで中原進出の尖兵に仕立て、
更に明朝の行政機構の多くの部分をそのまま取り込んで、実質的には明朝と合体するような形で、順調な征服を遂げた。
逆の方法を採った元朝は、旧南宋領の支配は半ば間接統治にならざるを得ず、終始経営は安定しなかった。
日本が朝鮮を統治するに当たって、一番重要なのは、既存の両班による支配秩序を、どれだけ利用するか。
ああ、長くなってきて面倒くさくなってきたから、やめる
24 :
人間七七四年:2007/11/15(木) 08:53:45 ID:t1LP9AH7
マジレスすると。
戦国の日本軍の戦法は矮小で峻険な日本国内かせいぜい朝鮮国内でしか通用しないのと同じで、
女真俗や蒙古の戦術は機動力を生かしたもので逆に広大な大陸でしか通用しないだろうね。
戦国の日本軍が中国や満州・蒙古を制圧できないのと同じで、
彼らも日本もしくは日本が防備を固めた朝鮮半島は制圧できないだろう。
25 :
人間七七四年:2008/05/29(木) 22:44:17 ID:WVS1Wk5O
26 :
人間七七四年:2008/05/30(金) 07:40:04 ID:gOOaLcu/
明を滅ぼしたのは順。
順を蹴散らして再征服したのは元・明の軍。
おべんきょうしなおしてきてね。
27 :
人間七七四年:2008/08/12(火) 10:55:03 ID:wbMVHk/A
将軍をも凌ぐ権力から半将軍と呼ばれた管領の細川氏と唯一対抗していた大内氏を滅ぼして
中国地方を制覇した毛利氏を巧みに北九州から追い出した九州六ヶ国守護の大友氏を破って
五州二島の太守になった龍造寺氏と四国を統一したこともある長宗我部氏を
散々フルボッコにして九州統一目前まで迫った島津氏を相手に各地で圧勝した豊臣氏を
寡兵ながら小牧長久手で翻弄して後に幕府を開く徳川氏を三方ヶ原で鎧触一蹴した武田氏さえも
滅ぼして将軍・関白・太政大臣どれがいい?と聞かれた織田氏よりも以前から
幕府を牛耳っていた権力者である三好氏と同じく管領代を務めたこともある六角氏を破って
独立を勝ち取った浅井氏の領国よりも遥かに広い関東に一大勢力を築いた北条氏を
本拠の小田原城まで追いつめて軍神と恐れられた上杉氏の大軍を相手に徹底抗戦して
長谷堂で耐え抜いた羽州探題の最上氏を従属させたこともある東北最大勢力の伊達氏でさえ
滅ぼすことができなかった奥州探題の大崎氏の主家である斯波氏をあっさり滅ぼした南部氏と
日ノ本将軍と言われる栄華栄耀を誇った安東氏を従えていたこともある浪岡北畠氏でさえ
果たせなかった蝦夷島主の称号を認められた蠣崎氏を散々苦しめたコシャマインが最強
28 :
人間七七四年:2008/11/26(水) 04:59:08 ID:14rorLoo
いいれす
29 :
人間七七四年:
なるほど