上杉謙信VS伊達政宗

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705人間七七四年
>>702
辺境の蛮賊島津と伊達は卑怯な戦い方をした挙げ句に
家臣を生贄にして俺が生き延びるために死ね命令を出してる間に
当主は追撃の影に怯え恐怖に泣きながら敗走が基本。
そして彼らは近辺に有力大名が生き残らなかった事を良いことに
家譜で自軍を捏造最強まんせーし歴史をコリエイトしまくった。
戦国大名は戦勝を背景に領国拡大とともに秩序樹立のため統治の深下を目指して国人達の統制を進めたが
それに反発した国人らに対して、うちは戦には弱いが成り上がりと違い名門中の名門だからおいで〜もちろん支配はしないよ!本領安堵だよ!治外法権認めます!あれこれうるさい事言わないよ!
と良い顔をして実効支配が伴わない版図拡大をした経緯を持つために
政庁がある主城に家臣らが集住して政治を司る藩政とは名ばかりの
領国各地に家臣や国人が割拠する後進的な伊達要害制度や島津外城制と言う半独立的な中世封権制度に苦しむのである。