1 :
人間七七四年:
織田信長の妻。斎藤道三と明智光継の娘小見の方の娘。
明智光秀とは従兄妹同士という説がある。本能寺の変で薙刀を振るい戦死したという説があるが実際は不明。
「濃姫」という通称は「美濃出身の高貴な女性」という意味である。
道三が「信長侮れず」として政略結婚で妻とさせた女性で、
甘美な果実のようだが毒を含む、いわゆる毒苺的な役目も担ってたという説があります。
濃姫が道三の言う通り隙あらば信長を暗殺しようとする後世の作品・逸話もいくつか見受けられます。
このように濃姫は謎の人物で、史実云々を語るよりも時代小説・大河ドラマなどで
脚色された新たな濃姫像を語る方が多いかもしれません。
色々な作品の濃姫を語ってもらっても全然おkです。もちろん史実の濃姫も大歓迎!
2 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 02:35:20 ID:0WOLyXtr
やった、2だーーー(w
今宵も、なぞの女性・濃姫のなぞの人生なぞを考えている
1、乙
3 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 16:26:11 ID:bQnjvgz8
4 :
人間七七四年:2007/10/31(水) 18:37:47 ID:tckdpolV
5 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 00:33:00 ID:ReJDP/8Y
以前の書き込みが嘘のようなかそぶりだな
6 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 13:50:59 ID:vYZEs+X7
濃姫ファンとしては、天寿をまっとうして欲しいが
兄が弟と父を殺し実家は滅び、
側室達はボコボコ子供を産み
夫の非業の死、織田家没落と普通に考えてつらい人生だよなぁ。
7 :
人間七七四年:2007/11/02(金) 16:03:29 ID:z+P7Kgou
実家は滅びといっても、一応道三直系の家は現代まで残ってるし
当時だって信長に召し抱えられて、優遇されているし、
本能寺後も、織田家そのものは残っていて、正室なら普通に庇護されただろうし
大名家のお姫様として育った濃姫が、側室に子供ができるのが辛いと思ったとも思えないし。
道三の死と、信長の死は、やっぱり辛かったかなとは思うけど。
8 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 02:04:48 ID:8id45tlc
信長は濃姫の尻に敷かれていました。
9 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 06:09:06 ID:XMsB0NI1
信長は濃姫の鼓で舞い、
濃姫の膝枕でくつろぐ。
10 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 09:59:55 ID:+vGCZHOA
濃姫と信長がお互いをどう思っていたのかは気になる。
二人の間に子供がないのは、あまり若い頃から一緒に居すぎて
異性としての魅力を感じることがなかったからではないかという説をどこかで読んだけど。
自分もこれに近い状態だったんじゃないのかなあと。
兄弟のような感情はあったんだろうけど、性的な魅力を感じていたかというと
それはどうかなあ。
人間がフェロモンを感じる相手というのは、自分と遺伝子が異なる相手だそうだし。
これは科学的に証明されているらしいね。
もしかしたら、二人の遺伝子が似ていて身内のような感情はもてても異性としての
感情はもてなかった可能性もあるのかなと。
11 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 10:38:12 ID:wQKUXAq6
ただたんに濃姫が子供が出来にくい体だったのか
子供が出来ることによって外戚として介入されることを避ける為に
妊娠しても降ろさせてたいたか、初めから行為自体をしていなかったか
信長が男色に夢中で、当初はまだ女に目覚めてなかったか
(子沢山だった割に信忠が生まれたのが21の時で遅めだし)
12 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 11:03:12 ID:+vGCZHOA
>子供が出来ることによって外戚として介入されることを避ける為に
>妊娠しても降ろさせてたいたか
これはないぞよ。
不自然な流産や降胎があったらそれこそ斉藤家へわかってしまうでそ。
当時はどこにスパイがいるかわからんのだから。
あと、信忠が生まれたのは信長が23才の時では?
本能寺の時点で信長49才で信忠が26才なので逆算すると。
13 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 11:49:42 ID:KUATTjw5
>>12 てことは、信長が側室に手を出したのは道三の死後?
14 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 17:32:12 ID:XMsB0NI1
>>てことは、信長が側室に手を出したのは道三の死後?
道三の死んだ翌年に信忠が生まれているから
そう考えられるね。
道三に遠慮してそれまでは濃姫一筋だったのかどうかはわからないけど。
道三からの美濃国譲渡し状で天下を意識しはじめて
子作り専門に側室を持ち始めたのかもしれない。
本当なら濃姫の子供が欲しかったと思う。
でなければ信忠をわざわざ濃姫の養子にはしないだろう。
15 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 18:30:58 ID:Ut7Rik0n
信長は嫡男信忠が生まれた後も晩年にいたるまでさまざまな側室との間に
20人近い子供を作ったから単に女が好きだったとも言えるw
もっとも、道三生前は舅に気を使っていたのだろう
若い頃から一緒に居すぎて〜とはいっても、
濃姫が嫁いだとき、信長と濃姫はともに十代半ばにはなっていたと
考えられており、嫁いだときから性交することは可能だった。
当時の女性が十代半ばごろから子供を産んでいることを考えれば、
幼馴染だから異性を感じることなく性交をしなくなり、
それが理由で子供が出来なかったとは考えにくいけれど。
むしろ、男性の性欲のピークは十代後半だといわれているから。
その頃、信長の妻は濃姫一人だったし。
16 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 19:08:01 ID:rFAc05CO
濃姫との間に子供がいないために不仲説もあるが、
普通に女性側の不妊なんだろうな。
10代に愛妾がいたら、子作り名人の信長のことだから
それこそ毎年のように子供が生まれていただろう。
10代のお盛んな時期にさんざんやった濃姫との間に子供ができないので
道三死後側室解禁か。
もしかして好奇心旺盛な信長が、
10代に変なプレイで濃姫をおもちゃにして子供を生めない体にしちゃったとかw
17 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 19:20:21 ID:q7LcFJ6h
濃姫が子供を身ごもって産んでたとしても、夭逝したら記録にも残らんしな。
姫だったとしたら、母親が正室だったとしても記録はほとんど残らない。
譲り渡し状をもらった事で、子づくり専門に側室を置いたというのは同意だな。
ほぼ同時期に生駒と坂を側室にしているし、冬姫の生母も同時期に側室になったと思えるし。
18 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 19:59:15 ID:XMsB0NI1
信長と濃姫が不仲であったら
道三が信長に援軍を送ったり
長良川の戦いでの信長の援軍もなかっただろう。
もちろん譲渡し状もしかり。
また道三末子の斉藤新五の寵用からも
信長と濃姫の関係は良好だったと思われる。
もっとも子作り要員とは言え、
側室には好みの女を選んだだろうし
それなりに愛情を注ぎ
亡くなった時にな涙くらい流したとは思う。
(武功は偽書だと思うが。)
19 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 20:15:00 ID:q7LcFJ6h
信忠生母が生駒とは別人と考えると、
ほぼ同時期に信忠生母、生駒、坂、冬姫生母が側室になってるんだよな。
信忠生母が側室になったのが少し早かったのか、
たまたま身ごもったのが少し早かっただけかはわからないが、
時期的にも、信長自身が織田家中で台頭してきて少し落ち着いた時期だから
色んなところから側室を差し出された時期が一致しているのかもな。
全員子供を生んだとも、生んだ子供が生き延びたとも限らないから
実際は他にもいた可能性がある。
弾正忠家の財力を考えれば、そのくらい側室を置いていても平気であったろう。
その後の子供達も、意外と時期的に同じくらいに生まれている子供が多い事を考えると、
戦などが一段落して、戦後処理で側室を差し出される時期が同じで、
側室が増えて閨に呼んで、同じようなタイミングで子供が生まれたとも思えるよな。
身内には甘い信長の事だから、情をかけた側室にはそれなりに遇してたんだろ。
だが、奥関係の乱れた話が出てこない事を考えると、その辺りは配慮したんだろうな。
武将として優秀な人物でも、傾倒する女性がいて、それが記録に残るような事は
よくある事だが、信長の場合はほとんどないからな。
だから、そこから男色好みで女性には淡白というイメージが出てきたりするんだろうが。
20 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 20:26:00 ID:rFAc05CO
>>奥関係の乱れた話が出てこない事を考えると
信長の女の扱いがうまかったのか、
利口な女が多かったのかは知らぬが、
妻妾それぞれが己の立場をわきまえ調和を保って生活していたのだと思う。
それに引き換え、松平信康と五徳は失敗したな。
信康は女房操作に失敗し、五徳は夫の側室に嫉妬して夫婦仲破綻。
21 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 21:40:57 ID:FtJv86LZ
夫婦仲の本当のところなんて、所詮はわからないことであるし、
ましてや信康事件に関しての夫婦仲なんて断言できないはずだが。
22 :
人間七七四年:2007/11/05(月) 21:50:00 ID:KUATTjw5
>>14 >道三の死んだ翌年に信忠が生まれているから
道三の死の1年後くらいに、謀反起こして逆に謀殺された信行には、すでに二人の男子がいたらしい。
てことは、道三が死んだ後、信長はかなりあせって集中的に子作りをしただろうな。
23 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 00:21:09 ID:/1aB5Fzo
斎藤家の連中ってやっぱ諸悪の根源なんでしょうかね?
なんかこいつらってヤバイ匂いがするんだよな
織田徳川の宗門大虐殺も裏に斎藤連中が潜んでいると
イエスキリスト曰く「まむしの子かよ」みたいな連中なんでしょうかね
24 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 00:37:15 ID:/1aB5Fzo
とにかく不吉だ こいつら
25 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 03:30:45 ID:/1aB5Fzo
神殺し
26 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 09:28:26 ID:Xmp2YQ3q
1aB5Fzo=生駒厨
27 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 13:29:06 ID:DhT/QBrU
変なの涌いてるな。
28 :
人間七七四年:2007/11/06(火) 23:38:26 ID:r3w+zHD1
>>26 どっちかっていうと、生駒厨のせいにしたい痛いただの馬鹿、という印象がw
29 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 06:09:36 ID:9zQUzTPY
いや、土岐廚かもしれんぞ。(そんなのいるのか?)
30 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 07:28:24 ID:IttytKmL
やっぱり資料少なすぎだよな
31 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 08:27:42 ID:O4ssist9
戦国無双の濃姫はフェロモンムンムンで抱かれてたい
32 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 08:45:51 ID:qukuWaXN
濃姫についての史料はないからどんな女性だったのかも
わからないね。だから色々な妄想が生まれるのかも。
名前だけ聞くと色気がある人のように思えるけど。
意外と中性的な人だったとか。
濃姫って夫に従順な・・と解釈されることが多いみたいだけど
壷事件から察すると意外と気が強かったようにも思えるし
けど、外見的には小柄だったのか、どちらかというとふくよかだったのか
とか、何が好きだったとか何も残されていないのが寂しいよね。
個人的には濃姫は赤い着物が似合っていたような気がするけどな。
(これも濃姫いちごの影響かもしれないけど)
33 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 09:36:17 ID:9zQUzTPY
ところで、光秀が濃姫にホの字って設定は
司馬遼太郎の小説だけ?
江戸時代あたりに元になる創作があったのかな?
34 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 10:32:02 ID:1oGmrYN0
>23
諸悪の根源というのはさすがに言い過ぎだし
現在おられる斎藤家末裔の方々にも大変失礼だと思うが
江戸時代でも忠臣蔵主要人物の大石母は元助の系統だから
まぁお騒がせを起こすのが好きというか口より手というかの
家風だったのかもしれんな。今の末裔さんはわからんけど。
35 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 11:10:43 ID:qukuWaXN
>>34 てか、
>>23などが斉藤家をそこまで嫌う理由がわからん。
しかもここは濃姫スレだし。濃姫スレで斉藤家をこき下ろすレスつける
って生駒厨しか考えられんでしょ。しかも前スレにも、信長が斉藤家と縁を
結んでかわいそう〜などの書き込みもあったし。明らかに悪質という他ない。
36 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 14:58:23 ID:kA8UlZSc
ただの煽りでしょw
自分の都合の悪いことを書かれると
すぐに生駒厨と書き込まずには居られないのも
同じ穴の狢。あなたも同類の荒らし。
放置しときゃあいいのにw
37 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 15:18:20 ID:+qeItg4S
>>33 完全な司馬の創作だよあんな物
信長が農姫に「光秀が好きか?」と問いただす場面には
あきれ果てて物も言えんよ
38 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 16:07:11 ID:qukuWaXN
>>36 生駒の名前が出るとごちゃごちゃいうあんたも同じじゃ!
えらそうに人のこといえるんか〜
読んでて気分悪くなる書き込みは、
斉藤家末裔の人にも失礼だと言ったまでだが。
>>37 濃姫の字が違っている時点で説得力なし!
39 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 19:04:09 ID:biT54GCc
高橋幸治や役所広司の信長なら脇目もふらず一生をささげるが
舘の信長じゃ不倫でも駆け落ちでもなんでもいいよ。
魅力ないもん。
でも相手は坂東三ちゃんじゃなくて近藤正臣光秀にしてね。
>農姫
なんか居室に大根や米俵積んでいそうな姫様だな。
40 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 20:36:51 ID:9zQUzTPY
確かに去年の大河はストーリー以前に配役にがっかりだった。
自分は「国盗り物語」の光秀が濃姫に淡い初恋を抱いていたという設定好きだな。
道三の後継者である信長と光秀。
濃姫は道三の大きな遺産の一つ。
もちろんフィクションであることは十分承知の上だけど。
41 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 22:09:40 ID:bp473VgK
自分は役所さんの信長が良かったなあ〜
あれ見て信長ファンになったぐらいだし。
自分はその後役者の役所さんに惚れてしまい、彼の出る映画・ドラマは
ほとんど見るようになったし。
あの時の濃姫役の人も良かったね。個人的には和久井映見は好きだし良かった
けど、信長役はちと・・まあ、信長はあくまでも一豊の引き立て役だし
脇だから別にどうでもいいけど。
風林火山には信長はやはり出ないのかな。声だけ?ちょっと寂しい気が・・
でも今回は今川義元役の人、かっこいいからいいね。次回はこの人に信長役
を演じて欲しい。
再来年は誰やるんだろうね、信長役。直江が主役だとあまり出番ないか。
また変な役者さんになりそうだね。
42 :
人間七七四年:2007/11/07(水) 22:41:00 ID:9zQUzTPY
自分は小学生の時に見た「黄金の日日」で
高橋幸治の信長が刷り込まれちゃった。
役所もはまっていたけど、「影武者」の隆大介も捨てがたい。
役所の時の濃姫は藤真理子だね。
彼女も良かった。
「太閤記」のDVDを買って見たけど、これの濃姫も良いよ〜。
ちょっと年増だけど、この時代の女優さんじゃないと出せない雰囲気だ。
信長に「お濃(おこい)」と呼ばれている。
43 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 00:00:45 ID:OhIDahRZ
>>42 高橋幸治の相手役の、お濃い姫役は誰だったんですか?
44 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 01:47:11 ID:SBWv8Jy1
やっぱり濃姫といえば、松坂慶子だよ
これで決まり
45 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 02:19:22 ID:JJJwoKVa
>>43 42じゃないけど・・・ 稲野和子です。
高橋幸治の織田信長最高でした。
ストイックで。 声が凛として。
46 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 06:25:50 ID:2YxHDaF6
稲野和子さんの濃姫、若い女優さんが48歳の濃姫を演じたというのではなく、
リアル48歳の濃姫に見える。
こういった気品やたおやかさって、今の女優さんにはないなあ。
>>44 松坂の濃姫は記憶にないので今度DVD買ってみますね。
きれいだろうな。
>>45 高橋幸治氏はもう神がかり的な信長ですよね。
「黄金の日日」に濃姫は出てなかったのが残念。
47 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 09:28:26 ID:27JFGS6s
松坂慶子の濃姫、DVDレンタルして見たんだけど
可憐なお姫様という感じで可愛かった。
でも、本能寺の時に信長と一緒に泊まるんだけど
その頃になってもいつまでも可憐なお姫様という感じで・・
ちょっと違和感あったなあ。嫁いだ頃は可憐なお姫様でもいいんだけど
本能寺の頃には嫁いでから30年以上経ってるわけだし
もっと「かみさまらしく重々しく〜」ないといけないんじゃないかなと。
途中で役者かえたらいけないのかねえ。
でも濃姫演じた頃の松坂慶子は20歳ぐらいだったんだっけ?
松坂慶子といえば、「江戸を斬る」のおゆき役の頃すごく好きだったな。
カッコ良かった。あの頃のような面白い時代劇が最近少ないのも寂しいよね。
信長役は高橋幸治が良かったと聞いたんですが、自分は見たことないんで
自分の中ではやはり役所広司かな。
大河って秀吉主役は結構あるけど、信長・家康主役って一回だけだよね。
もう一度信長主役でやってほしいけど、そういう時に限っていい役者さんを
使わないんだよね。配役をもっとちゃんとして欲しいよね。
話もなるべく史実にそった話にして欲しいし。
48 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 09:58:13 ID:Hz6SJRGC
まあ今の松坂慶子は親父が朝鮮人だから、朝鮮人特有の頬骨が顕著だが
濃姫を演じた頃はそれほどでもなかったな
全体的に肉付きが今ほどではなかったので、目もぱっちりしてたし
整形にも限界があるようだ
49 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 12:44:27 ID:dmT1IXgP
信長の次男信雄が改易された際、五徳は尾張小牧に移住しましたが、
これは母方生駒氏の本拠地だったから、というのは正しいのでしょうか?
正しければ、信雄と五徳は同母ということになります。
さらに、前田家へ嫁いだ永姫が信雄の娘を養女としたのも、
母方の生駒つながりで信雄と特に親しい姉妹だったからでしょうか?
詳しい方、お願いします。
50 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 13:54:59 ID:27JFGS6s
>>49 >信長の次男信雄が改易された際、五徳は尾張小牧に移住しましたが、
>これは母方生駒氏の本拠地だったから
すみませんがこれは、どこにそう書かれているのでしょうか。
徳が移住したのは秀吉の命によるものと聞いていますが・・
その理由に生駒の本拠地だったから〜と記載されているのでしょうか?
その後また秀吉の命で徳は京都に移住して最後は京都で亡くなって
いますし、生駒の本拠地が理由なら、なぜわざわざ秀吉は
京都に移住させたのでしょうか?
51 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 19:32:44 ID:P8FsC8sG
生駒家の本拠地は尾張「小折」
小牧とは別の場所。
52 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 19:42:22 ID:IK5DtGjB
地図で確認したわけではないのだけど
生駒ってたしか木曽川系で活動していた土豪だよな?つまり尾張美濃の西側。
一方の小牧は信長が東美濃経略のためにうつした土地だったのでは?
53 :
49:2007/11/08(木) 20:47:07 ID:dmT1IXgP
すいません。
文字を間違えていました。
信雄が改易された際、五徳が移住した場所は尾張小折です。
信雄と秀吉が講和した際、五徳は人質として秀吉の下に差し出されて京都に住み、
信雄が改易された際にいったん尾張に戻された後、
再び秀吉の要請で京都へ行き、京都で亡くなったようです。
兄が改易された際、五徳が戻された場所は尾張小折です。
54 :
人間七七四年:2007/11/08(木) 21:07:48 ID:P8FsC8sG
小折に住んだ理由は秀吉の指示。
これは史料が残っている。
徳姫が生駒腹だからかどうかは不明。
ただし、信雄が生駒腹なのは確定。
徳姫の出身が生駒でなくても、信雄絡みで
秀吉に処遇を自由にされているため
生駒と関係なくても、信雄に繋がりのある地に
居住させられたとしても不自然ではない
生駒腹だから小折に住まわす事になったと
一次史料に出てこない限り、徳姫の生駒腹は確定できない。
個人的には信雄、徳が生駒腹。
永は別の生駒女子の腹だと思っている。
55 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 04:37:15 ID:62MxDv7j
「加納口の戦い」なんとかしろ 斎藤衆
5千人も織田の犠牲者でてるぞ おい
56 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 07:18:22 ID:8m86fYCN
濃姫が信長の軍師だって信じてる奴いるんだろなやっぱり
57 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 08:47:38 ID:zF6gZbgK
>>55 煽りにマジレスするが、
美濃に侵攻したのは織田側。
意外にも道三は他国を攻めたことがない。
なんか変なのが常駐しているね。
58 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 09:05:24 ID:/xOz6mN7
斉藤家をこき降ろすことによってしか
存在意義を示せない馬鹿な連中だよ。
気にすることはない。
その連中の正体もわかってる。
どんなに煽っても信長にとっては
斉藤家>>>>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>生駒家
だしな。
くやしいのぉ〜w くやしいのぉ〜
59 :
人間七七四年:2007/11/09(金) 13:05:51 ID:d5J57J4Q
武功の生駒吉乃のファンはファンで良いと思う。
ただ武功は創作で史実ではないし
吉乃という名すら武功の創作。
その事実をふまえた上でファンをやっててくれ。
そしてこんな所へ毒を吐きに来ないでね。
やんごとなき姫君>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>馬借の娘
60 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 01:23:04 ID:5dRQnK78
つうかこれ以上くだらん論争するなら他所でやるか
専用のスレを作れよ。ただし、斎藤VS生駒なんてのは無しでな
61 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 10:16:34 ID:C50irwnm
このスレ、もうネタ出尽くした感あり。
生駒厨が来ると活気づく悲しさ。。。
62 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 10:37:43 ID:BPrRnvX5
つか生駒厨ですらないでしょ。
濃姫オタの痛い人間が生駒厨演じて怒りの矛先向けようとしてるだけか、
それかただの荒しがやってるだけ。
63 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 11:59:23 ID:juvdyodo
吉乃って、蜂須賀小六の親戚(いとこ?)と聞いたことがある。
秀吉も吉乃の「つて」で、織田家の足軽になったと聞いた。
64 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 12:20:44 ID:/PdoAV04
>>63 またネタかよw
大体が「吉乃」という名前すら創作だとされているんだし
秀吉の仕官の話も創作だろ。
なんで、架空の人物の「つて」で仕官出来るんだ?
そんな話どこの秀吉関連史料に載ってるというんだ。
蜂須賀小六の親戚(いとこ?)だというのも
信秀正室が生駒の親戚というのと同じくらい信憑性の無い話だが。
しかし〜ここまで生駒側が信長と縁続き〜を捏造するのは醜いな。
なんでこんなに捏造だらけの話を宣伝しているんだ。
いいかげんにしろ!!と感情的に叩かれるのもこれだと仕方ないよな。
捏造したもん勝ちって風潮をなんとかしないとな。
信長史が嘘で塗り固められていくのはどうしても許せない!!!!
65 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 12:32:45 ID:5dRQnK78
では真実の信長史とやらを教えて頂きものだ。
66 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 13:38:18 ID:qrdx0X5a
そろそろ史板に帰ったらどうだ。
>>64など帰蝶に全く関係ない長文だぞ。
67 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 14:47:11 ID:EEGJgpj1
濃姫との間に子が生まれていれば織田家は安泰だったろうに
68 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 15:00:34 ID:As2JNWUl
信忠の立場がないな
立派な濃姫の息子だぜ
まぁ、運がよければ(史実の)信忠の役回りを演じるだけだろう
(史実の)信忠より才能が劣れば、本能寺は起きず、
織田の天下だったかもしれん
69 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 15:12:37 ID:TRpr1ze2
濃姫が信長生前に亡くなっていたら、どこに濃姫の墓があったとしても
信長の葬儀の時に総見院の同じ菩提の中に濃姫の供養塔だけでも建てられたん
じゃないか?
俺は離縁説が濃厚だと思うけどね。
信長死後まで生きていたというなら、信長御台の処遇があまりに疎か。
その後権勢を思うがままに手にいれた淀殿だっていたわけで、淀殿にとって
義叔母であり、秀吉にとっても主筋の御台である信長御台を粗末に扱うわけもなく、
織田家の没落で信長御台が困っていたら何かしらの援助はしたと思う。
淀殿がらみの史料はたくさん残されているのにそっちからもなんの消息を
示すものがない。
淀殿は信長の法要の施主をしたこともあるのだけど、
御台を差し置いてなぜ淀殿なのか?という疑問もある。
70 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 16:52:52 ID:/PdoAV04
秀吉の協力者でもない濃姫がなんで秀吉がむりやりつくった
総見院で法要をしないといけないんだか・・
信長の法要なら他の寺でも行なわれているだろ。
いくら織田家が衰退していたといっても、濃姫がなんで秀吉の世話にならないと
いけないんだか・・濃姫は嫁いだ時の化粧料もあるんだし信雄から知行をもらっていた
としたら充分生活できると思うんだが。
あと、信長が濃姫を最初から離縁するつもりだったなら信忠を濃姫の養子にはしないと思うが。
全く意味ないだろう。信忠は濃姫の息子として亡くなっているんだがな。
濃姫と離縁したため、信忠を養子から実子に戻ったという記録があるなら話はわかるが、そういった
記録もないんだし、信長生前の死亡の記録も全くないんだが。
71 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 19:09:39 ID:AQG/y4hZ
せめて本名ぐらい判明しないかな。
72 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 19:10:45 ID:TRpr1ze2
>>70 でも濃姫が信長死後も生きていたという記録も全くないだろ?
それなのになぜ真っ向離縁説を否定できるんだ?
論じていること全て史料もない推測でしかないのに。
織田宗家も信雄系織田家も秀吉の支配下にあったのは紛れもない事実なのだから
濃姫一人が逆らって生きていたと確証はどこからきたもんなのかな?
それに信忠の養子になった後に離縁されたところで問題ないだろ?
信忠が正室の養子という事実は離縁後も変わらない。
信長がその後継室を娶った事実がないのだから揺るがないことだがな。
73 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 20:18:54 ID:+ZWYYR7p
そもそも離縁する理由がわからないけど
74 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 20:38:45 ID:yvJ4eoKn
光秀の従姉妹らしいじゃん 濃姫
75 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 20:44:09 ID:J8AzQN8o
逆に離縁したというのなら、記録が残らないほうがおかしいんだが。
76 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 21:05:04 ID:BPrRnvX5
>>75 離縁したなら記録に残らないほうがおかしい。
と同時に、道三の娘であり信長の正室の地位にあった女性なのに
離縁どころかその他の情報も一切が謎のまま。
離縁の記録がないから離縁は有り得ない、そんな考え方はおかしいってよりも
まるで存在しなかったかのように完全に信長室というポジションが空白のまま
でいるという感覚がすでに「おかしい」んだと思う。
勿論、御台がどうのという文献はあるけれど全て消去法による=濃姫なんだよね。
御台=斎藤殿というストレートに一発でわかるようなものがない事がもどかしいなぁと思う。
77 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 21:39:37 ID:+ZWYYR7p
うーん
実は濃姫は病気で亡くなっていたが、
美濃統治のためにも信長には濃姫の存在は重要だったから
影武者をたてて、でも表にも出さずに・・・・・・
うん、オレには文才はないらしい(妄想力?)
78 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 23:51:25 ID:5dRQnK78
つうか別居生活だったんじゃないかな…。
仲が悪いからとかのネガティブ理由じゃなく、
お濃の性格が自由奔放を好んだからとか
どんなに戦国とはいえ兄弟と違い、親である父を殺すというのは
周りへの印象も縁起も決して良くないから
その妹ということで城中からは身を引いていたとか
父と兄の業の為に信長に黙って勝手に出家しちゃって
頑固なまでに還俗をつっぱのけてたとか…。
そんで、信長もお濃に関しては父は殺されるわ、兄は父殺しだわ
子供ができず肩身が狭いしで可哀想に思って?
とりあえず好き勝手を認めて、反面、斎藤家とのパイプは
切りたくないし、お濃と同等なそれなりのかみさんが
やはり必要になってきたから馬場殿事件発生とか…。
79 :
人間七七四年:2007/11/10(土) 23:54:46 ID:/PdoAV04
>>72 そもそも信忠を濃姫の養子にしていることからして
濃姫を離縁する理由がないけど?
しかも、濃姫を離縁したんだったら濃姫の養子になっている信忠は
織田家嫡男としての資格が無いことになるんだが。
その辺り矛盾してるよ。
また、離縁したならなぜそう書かれないのか。信長の父の信秀でさえ
名古屋史にだが、最初の正室とは離縁したとか記録にあるのに。
信秀よりもずっと有名になり、天下人となった信長正室に何か変化があれば
記録されるはずだが。しかも信忠養子の件にしても信長の娘婿の家臣が書いた
記録にあるんだしな。知らない筈はないし、そんな重要なことが記録にないのがおかしいだろ。
>>76 濃姫の史料がほとんどないのは仕方ないかも。織田家の史料自体が他家が作成したものが
ほとんどだから。織田家宗家を継いだ三法師の記録さえ満足に残されなかった位だし。
三法師の妻子の記録なども、織田家庶家には満足に伝わっていなかったそうだし。
信長の母親にしてもはっきりと出自を示す史料も織田家にはないし。
いずれも他家の記録に残されるのみだしね。
お市のように二度も城落ちするなど波乱万丈な
人生だったなら記録に残りやすいのかも知れないけど、
当時は女性の記録は残されないことが多いから。
濃姫の生母の小見の方さえ、道三死後どうなったかとか記録ないんだし。
言継の日記に信長が小見の方を訪ねたらしいことが書かれているから
美濃に住んでいたことは確かなんだろうけど。
せめて、三法師で絶えずにあと何代か宗家が続いたなら何かしら記録が残った可能性は
あると思うけど、関が原後既に宗家は無くなってしまったわけだし、その宗家を継いだ
三法師やその養祖母のことなどを記録にまとめたりする人も特にいなかったんだろうね。
政治の表舞台から退いたから、織田家宗家のことを記録する必要がなくなり
その後の消息なども不明になってしまったんではないか。
80 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 00:33:15 ID:YOh1Mnjj
戦国時代のセルウィリア
81 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 09:24:19 ID:UeexcoSR
>>76 >>完全に信長室というポジションが空白のまま
でいるという感覚がすでに「おかしい」んだと思う。
なにもおかしくないよ。
家康だって秀吉との政治的なかけひきがなければ旭を娶ることなく
築山死後は正室不在のままでいただろうさ。現にあの段階まで
正室不在でいたのだから。忠興もガラシャ死後は正室を娶ってない。
嫡子をもうけて、後継者ができたらもはや正室はいなくてもなんの問題も生じない。
政治的に政略結婚が必要となれば、ある程度の年齢になった子供たちを駒にすれば
いいだけ。
>>79 >>濃姫を離縁したんだったら濃姫の養子になっている信忠は
織田家嫡男としての資格が無いことになるんだが。
なんでなくなるんだよ?
正室の養子となったのなら後から側室に何人子供が生まれようが
立派な嫡子じゃないか。
離縁や死別したことで、正室の子供に正嫡性がなくなるとでも?
その後仮に継室を何人もらおうが正室の子は嫡子だよ。
離縁しようが死別しようがね。
離縁の記録がないということもさほど疑問はないがな。
だって亡くなったことの記録だってどこにも残されてない。
信長死後どこかでひっそり亡くなったが記録も戒名も伝わらないのは、織田宗家も
斉藤家も断絶してしまったという理由で納得できるなら
離縁の記録が織田家にも斉藤家にも残されていないのは当然じゃないか?
82 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 11:03:23 ID:wiZc6phn
>>81 離縁されても正室の子供は嫡子でおかしくない、というのはあくまで正室本人が
産んだ場合のみじゃないの。
信忠の場合は、庶子だったんだしまあ別にそのままでも織田家嫡男として信長が
決めたなら立派な跡継ぎなんだしね。だけど、なぜかそのままでもいいのにかかわらず
わざわざ濃姫の養子にしているということからして、離縁するつもりだったとは
考えられないけど。
濃姫が織田家と無関係となれば、その養子になっている信忠も織田家と無関係になるし。
なんで信忠を濃姫の養子にしているかを考えると、信長の息子という立場よりも
濃姫の息子という立場の方が都合が良かったからではないのかな。
だとすると、濃姫の養子にしてから濃姫を離縁するのは全く織田家として意味が
ないんでないの。
それと、離縁の理由は?全く根拠がないと思うんだけど。
道三の敵を討ち、美濃国も手に入ったし美濃斉藤家が織田家の家臣になったことで
信忠を養子にした、濃姫を離縁する理由が見当たらないけど。
あと、正室不在だったというなら本能寺後に安土から逃げる人の中に
「北の方」「御台所」と記載されているのはなんで?
記録がないから離縁だとか死亡だというなら、正室がいたという記録があるのに
それを考慮しないのはなんで?
君の話は都合のいい妄想としか考えられないが。
それに、信長生前に離縁なら記録に残らない方が変だと思うが。
また、それなら斉藤家の菩提寺にも濃姫らしき墓や位牌などがあっても
いいのだがそれもない。道三系の末裔は今でもいらっしゃるのに
斉藤家の菩提寺も現在でも存在しているのに、実家へ戻ったというなら
それらしい記録があってもいいのにそれもない。これはどう考えてもおかしいと思うが。
信長死後に亡くなったなら、記録からもれることもあると思うが、
信長生前に亡くなったというなら、記録からこれだけもれてしまうのは
おかしい。
83 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 11:49:57 ID:UeexcoSR
>>82 離縁されても正室の子供は嫡子でおかしくない、
というのはあくまで正室本人が産んだ場合のみじゃないの。
なんでそんなこと勝手に決めてるの?
養子縁組がそんな希薄であっさり反故にされるのなら、制度の意味がないじゃん。
豪姫は秀吉の死後まで秀吉の幼女として扱われてたけどね。
>>正室不在だったというなら本能寺後に安土から逃げる人の中に
「北の方」「御台所」と記載されているのはなんで
史料によってはまったくそんなこと触れてないものもある。
信長公記は安土にいた女性に関しては「御上臈衆」としかでてないし、
蒲生氏郷が後に伊藤半五郎に送った手紙には「信長公御目懸衆二十人余〜」
を日野に引き取ったとしか書いてない。
全ての史料にそう書かれていたわけでもなく、明らかに日野に信長北の方が
いたというその後の消息を示すものもなく、なぜなんの疑いもなく
信じることができるの?
一方的に私の主張を妄想と断言することができるのか不思議だね。
だいたい離縁後の濃姫がすぐに亡くなったと決めてるのもそもそも妄想
以外のなにものでもないな。
誰かと再婚し、寿命をまっとうしその家も没落してしまっていたとしたら?
その場合斉藤家の菩提寺に濃姫の墓がある可能性が極めて低い。
義龍の治世に実家に戻ったとしたら、あの若さですぐに亡くなったとするよりも
すぐにどこかに嫁がされた可能性のほうがはるかに高いだろうに。
離縁後早世と思い込んでいるのはなぜ?
84 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 12:25:01 ID:RkySHgtd
信長が寡夫であった、ていう証拠を探す方が楽じゃないか?
その証拠があれば、少なくとも濃姫とは離縁・死別したという事実は特定できるから
信長が寡夫であるという事実は、織田家のみならず、
当時の政治状況的には非常に重要でしょう、当時の他勢力にとっても
どこかしらに、その旨の記載はあるんじゃないの、離縁・死別したっていう
(信長は寡夫だから、継室に自分とこの娘を・・・とかさ)
85 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 12:28:25 ID:CrJNF+WY
>>83 > 義龍の治世に実家に戻ったとしたら
揚げ足取るようだが、父を殺した兄の元に帰るのはありえない。
86 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 13:02:55 ID:A9/vADHr
>>81 >離縁の記録が織田家にも斉藤家にも残されていないのは当然じゃないか?
おかしい。
「織田家」から離縁したのなら、そのことが織田家の記録にないのはとってもおかしい。
「離縁後の記録」が織田家に残っていないというのなら、別段おかしくもない話だがね。
87 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 13:58:39 ID:wiZc6phn
>>83 濃姫が再婚はありえない。だって父親が亡くなっているから。
当時は父親が亡くなり、後ろ盾の実家が亡くなった娘にまともな嫁ぎ先が
あるわけもない。
また、信忠を養子にしている濃姫が織田家を出て他家へ嫁ぐなんて
ことがあるわけない。
それに濃姫を離縁するなら信忠を使って養子縁組を結ぶ理由もない。
君は信長が一体何のために信忠を濃姫の養子にわざわざしたかという
理由に答えていない。
濃姫を離縁したとしたら、織田家の正室として濃姫は必要なかったということになるが
それなら、信忠を養子にする理由が全くないのだが。
なんか記録もろくすっぽないのに、やたらと離縁説を持ち出しているが
根拠がなさすぎる。
信長が斉藤家美濃衆を、外様であるにもかかわらず尾張衆と同等か
それ以上に優遇しているのに。
斉藤家美濃衆が信長に謀叛を起こしたとか、信忠に危害を加えたとか
いう事情があるならわかるが、そんな事実は全くないんだしな。
信長がそこまで濃姫を邪険にする理由がそもそもないんだが。
あと、安土から逃げる人の話には正室がいたとはっきりわかる書き方をしていない
文書もあるが、しかし圧倒的に正室がいたと明記されている資料が
複数あるにもかかわらず、安土に絶対にいなかったと主張するあんたの方が
すごーく変だが。
88 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 14:06:07 ID:wiZc6phn
あと、付け加えるなら壷事件の頃に信長本妻として濃姫のことが
記載されているから、義龍時代に実家へ帰されたということも
ないことがわかる。
まあ、父を殺した男の所へのこのこ帰るような馬鹿はいないだろうしな。
信長にしても、せっかく国譲状をもらったのに
切り札として濃姫は手元に置いておいた筈。よってこの段階で離縁はありえないと思うね。
89 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 15:50:40 ID:NbGL//OC
>>86 そもそも織田家の記録ってなんだ?
三法師の記録すら曖昧なものでしかないというのに。
そんな立派に体系化されたものがあるの?
どこの家に伝わっているのか知りたい。
>>87 父親が亡くなったら家督を継いだ兄が後見人となって妹達の面倒をみるものでは?
後家になったお犬は信長が嫁がせているぞ。
父親が亡くなったから再婚がありえないって…それはありえない。
養子にしたのは、濃姫に男子が生まれなかったからという史料そのままの
解釈でなんでいけないんだ?嫡子がいなかったので、出自に問題のない側室の
産んだ長子を嫡子とした、というだけだろ?その後仮に濃姫に実子が
生まれたところで家督相続前なら、家督は実子が優先になる。
生まれなければ信忠が自動的に嫡男になるだけ。
濃姫とわけあって離縁したところで、信長が継室を娶らず、
嫡子をもうけられなかったら、先妻の嫡子である信忠が嫡男となる
ことになんら問題もない。
国譲状なんて道三亡き後はそんなものがあってもなくても美濃攻略をしただろうさ。
父親の代から戦が絶えなかった間柄で、濃姫との縁組によって同盟関係にあった
だけにすぎない。美濃国が滅んだのはなにも信長の攻略ばかりが原因ではなく
義龍親子の治世の悪さも大きな原因なわけだし、濃姫がいたところで
何の切り札になるんだ?そもそも男系によって家督が継承されていた
武家社会において、女婿である信長に家督相続権はないんだから。
壷事件だって文脈的に生存、死亡、離縁、全部解釈可能なのに
相変わらず御台として生きていた証拠だと言い張る連中が多いけど、
明らかにその時点で信長御台として生きていた証拠だと証明するには
その後生きている濃姫と断定できる信長御台がなにかしらの史料で
確認されないと不可能じゃないのか?
90 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 16:55:04 ID:u+gYdOgQ
濃姫に関する歴史小説や大河ドラマのイメージを全て払拭したら、
果たして早世説や離縁説に対してこれほど多くの反論や異論がでただろうかと
いつも思う。
濃姫生前の足跡は何も残されず、夫婦仲がどうだったかを示す史料もなく、
子供のいない夫婦。斉藤家と敵対関係になり美濃を事実上乗っ取った信長。
客観的にこれだけの事実から、離縁となっていたところで
そんなに違和感を覚えないんだけど。
濃姫が正室の座をまっとうしたと頑なに主張する人って、冷静な考察というより
小説の影響とかでそう信じたい気持ちが強いんじゃないかなと思うんだけど、
どうなんだろう?
91 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 18:03:49 ID:M3qPKEK4
父親と敵対した弟は、兄側の斎藤家が滅びる前から
信長の元にあるし、信長の仲介した森可成の正室は
濃姫に従って尾張に来た林氏の息女で、林氏が
離婚に伴い美濃に戻った記録はないし、信長に従い続けてる。
濃姫の直接の史料はないが、史学における常套手法の周辺史料からは
少なくとも離婚、信長生前の死去は考えにくいと思える。
徳姫没後50年後位に庶民の京都の観光案内書に、徳姫は京都で
織田家後家と共に住んでいたとされるものがあり
その当時、側室を〇〇家の後家とは書かないから
推測出来る対象は、織田家の正室だった、犬山殿、土田御前、濃姫くらい。
しかし、犬山殿は京都に住んでいたが、徳姫の屋敷とは
離れた場所の屋敷だった事が分かっている。
土田御前は信包の元に住んでいたし、早い段階で亡くなっていたし。
濃姫だといいなと思っている。
92 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 18:09:13 ID:M3qPKEK4
>>91 >父親と敵対した弟は、兄側の斎藤家が滅びる前から
ごめん、まちがえた。
「濃姫の弟は、父親と敵対した兄側の斎藤家が滅びる前から」
と、書くつもりだった。
93 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 19:07:35 ID:A9/vADHr
>>89 >父親が亡くなったら家督を継いだ兄が後見人となって妹達の面倒をみるものでは?
父親と後継者の息子が通常の関係ならな。美濃斎藤家の場合、父と息子は合戦にまで
及び、濃姫の母方の実家も道三派に属して最終的には義龍によって滅ぼされた。
この状況で義龍の保護を受けてその後見で再婚?ちょっと考えられないな。
>濃姫がいたところで何の切り札になるんだ?
義龍―龍興派と対立する、旧道三派を味方につける旗頭になる。
>90
現在残っている記録では、信長の結婚はただ一度濃姫との婚姻しかない。そして
信長が離縁しただとか再婚しただとかいう記録も一つも残っていない。
これでは、諸記録に残る「御台」という言葉は、唯一記録に残る正室濃姫であると
みるしかない。小説や大河ドラマのイメージの話じゃあないんだよ。
子供がいなければ離縁というのなら、なんでわざわざ養子をとらせたのか?
信長が争った美濃斎藤家は義龍の流れであって、濃姫が属する道三の流れではない。
そちらのあげる理由なんてあっさり否定できるものでしかないんですよ。
そちらこそ、誰かの説の受け売りをそのまま刷り込まれてイメージで語ってません?
94 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 19:40:06 ID:MHuqIZLp
早世したとか離縁したって記録が多々残ってるのなら
早世説、離縁説への反論はイメージで語ってると言われても仕方ないけど
そんな記録も今のところ発見されてないしね。
史料がなく状況証拠だけってことなら、早世説、離縁説だってそうだし
冷静な考察が求められるのは双方同じだな。
95 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 19:43:34 ID:vDNgVdc9
>>93 >>義龍の保護を受けてその後見で再婚?
あの時代の感覚なら義龍の後見云々ではなく、戦略の駒として
再婚させられたとしたらなんの疑問もないが?
>>義龍―龍興派と対立する、旧道三派を味方につける旗頭になる。
美濃攻略の時、濃姫が旗印になった形跡がまるで無いが?
旧道三派ではなく、反義龍&龍興派を上手く寝返らせ内部崩壊を招くことが
できたのは濃姫の存在云々ではなく、織田家での重用を約束し実行した信長の
器量によるもの。嫁に行った姫が実家の旗印になるようなことは男系社会
ではありえない。
>>諸記録に残る「御台」という言葉
そもそもこれの言葉が信長の正室をさすかどうかも確定されていないのに。
所領の台所入を御台と書くことがあるって知ってた?
義龍は道三の嫡男であって、家臣一同異議承諾して家督も継いだのだし
廃嫡される前に道三が先に葬られたのだから、義龍こそが正当な斉藤家の当主。
道三の遺言なんかよりはるかに正嫡性が強いのが義龍。
一派も何も道三から斉藤家の家督を継いでいたのだから嫡流であって、
濃姫にとって道三亡き後の実家は義龍を当主とする斉藤家ということになる。
好むと好まざるとに関わらず、信長から離縁を申し付けられたら濃姫は
義龍の元に帰るしかないし、義龍も斉藤家の当主としてで戻った濃姫を引き取る
しかない。そんなこと戦国時代じゃ当たり前だろうに。
なので
>>そちらのあげる理由なんてあっさり否定できるものでしかないんですよ。
あっさり自分勝手な臆測による理由で否定されても困りますので。
父親を殺されて義龍が仇、というのだっておたくの推測でしかないわけだろ?
濃姫が義龍と通じていたという関係だったら?
義龍が家督を継いでからは実家の繁栄のために兄を支持していたとしたら?
96 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 19:52:08 ID:MHuqIZLp
だから思い込みや都合のいい推測、イメージで語ってるって言うなら
どっちもどっちだって。
97 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 20:07:40 ID:vDNgVdc9
>>96 だが、離縁説を否定するのは「濃姫にとって義龍は父の仇」というのが
大前提なわけだから、その前提が違うとしても、
離縁説を否定できるのか、っていいたいわけ。
長生きしたという証拠と主張するものは、片っ端から断定不可能なもの
ばかりじゃん。濃姫どころか、正室をさしているかどうかも断定不可能。
それなのに離縁説をことさら否定するのが疑問で仕方ないよ。
こっちだって断定するつもりはないよ。
可能性の一つとして自分はそれが一番納得がいくってだけのことなのに。
98 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 20:10:25 ID:RkySHgtd
で、信長は寡夫なのか?
99 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 20:24:54 ID:MHuqIZLp
離縁説否定の大前提は、離縁したって史料が発見されてないことじゃないか。
100 :
人間七七四年:2007/11/11(日) 20:28:14 ID:A9/vADHr
>>97 濃姫は義龍にとって、父の仇だけでなく母方の実家の仇でもある。
だからさ、離縁したとされる史料を出してくださいよ。状況証拠だとか、戦国は
こうだからというようなイメージだけでなく。こちらは記録に基づいて離縁説を
否定しているんですが?