戦国最強の武器、戦法

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185名無し@一足軽
火縄銃が一番だが、銃によってクセがあり、発射しても右にそれたり、不発だったりとイマイチ命中率が低い。それに比べ礫(つぶて=拳大の石)を投げる印地打ち、
弓隊の存在もある。本来、武士(もののふと読む)の道は剣術ではなく、武士の姿は流鏑馬のように弓矢を使った”飛び道具”だ。それぞれ名人級の人選で印地隊、
弓隊が編成され、専ら敵方の将校級の狙撃専門に活躍した。これなら格闘技(小具足術と言う)は無く、多少年齢が入っていても足腰さえ丈夫なら出来た。印地打ちなら
合戦で片腕を無くした兵士でも出来るし、そういった兵士を集めて印地隊を作った例もある。鉄砲の伝来で敵方を殺傷し、首を取るのが戦国の戦いと言うのは早合点で
敵方の領土の村々を襲い、食料の強奪、降伏した兵士・村々の百姓を人買い商人に売りさばくのが目的だった。少し話はそれたが、関ヶ原では国友鍛冶の造った大砲も
出番があった。でも、弾は和紙に包んだ小石・鉛の玉を発射するだけで爆発するわけでもなく、殺傷力は弱い。発射時の轟音が相手方を脅かした。大坂冬の陣では徳川勢が
昼夜となく、大砲を放ち淀殿をはじめ、大阪方を心理的に悩ませた。一度まぐれに徳川勢の放った弾が淀殿の御殿に当たり柱が折れ侍女が1人死亡したことがあり、恐怖に
包まれた淀殿が、徳川に講和をもちかけ、冬の陣は終了。総堀を埋められた大阪城は裸城となり、夏の陣で豊臣は滅亡する。